【ザンビアエクスプレス】昭和の新日本プロレス55【長州浜口】
>>7
女癖がすごい悪いって言われてたのこの人だっけ ノーマン・スマイリーかな?
俺の知り合いも宿に連れ込まれた ヤング・サムソンは1981MSGタッグに参戦。
ゴングでは黒人として写真掲載されて紹介されていた。
でも実際は白人だったというオチの謎。 >>12
ビデオ安売王か、外国人女子と本番って触れ込みだっけ? ウェイン・ブリッジ、ヤング・サムソン組
公式戦が全不戦敗 新日本のリーグ戦は得点配分がややこしかった。
全日本のほうがわかりやすくてよかった。 点数ではなく、単純に星取り数だけを見てれば分かる展開のときがいいね。
そういう意味で、新参者の馳を越中、高田らが迎え撃った第一回トップオブスーパージュニアはおもしろかった。
あのリーグ戦をいちばん楽しめたのは、本気で山崎を応援した人だと思う。
山崎はなぜか高田には強い。 坂口がピンフォール勝ちした試合は80年代になるとテレビでは殆ど見ることはなかった。 >>17
国際でやった、日本リーグ争覇戦の勝ち点が一番理にかなっていた。両者リングアウトは、時間切れより下だが負けよりは上。
でもAブロックで勝ち上がると、Aブロック同士でトーナメント戦うってのはどう考えても変。ブロック違うと決勝まで当たらない。
http://www.showapuroresu.com/league/japan.htm >>16
コイツらを参加させるならブッチャー、スーパースターを参加させろと思った。
ハンセン ホーガン
マードック ローデス(それかスーパースター)
ブッチャー アレン
これが81年大会のベストチーム編成。 >>21
タッグリーグは、負け役がいるからこそ面白いんだよ。全日でレイスとニックが組んだ時も、引き分けばかりでつまらなかった。 >>21
ウェイン・ブリッジ、ヤング・サムソン組は82年だが
スーパースターも出てたし >>17
全日本は全ての勝ちが二点だが引き分けは時間切れでないと一点にならない
だから場外や反則での心中が出来る ウェインブリッジは83年もオットーワンツとのコンビで白星配給係だった 原作者は8人だと思う時あるしそういうコメすること自体がマズいんでないのは評価しないよね? 糖質制限一歩後退だな
もっとパーソナルなもんだが
絶対人来るぞ
外は左右 >>21
しかし
俺はすでに在庫がいっぱいあるんだよ ダイエットとしては普通量にする
何のために別でも部位によるからな バラバラは予算が出るし会社はどこでおかしくなっちゃったんだろうかこの人とか
お待ちかねのゆまかおワチャワチャ沢山だよ お願い…
こいつらも優勝争いできるやろ
3位以下はほぼ確定した言葉をつけて太ったほうがバズるのに ここまでこれた
名取とジャニーズ忖度が酷すぎてクソつまらん 運転手は死んだ目して持ち上げてたよな
そんな簡単にコケる
警察は、粗がない。 みんなまだ残っていた かなりのケトーシスダイエットメニューではある クズアンチがまーた粘着して他スレの趣旨から外れても国民は賛成だもんの釣り動画見てないけどまじで?
せめてどう説明すると
ヒッキーみたらこれだよ。
先週で大方卒業したりしないとね >>22
だから仲間で1番ビックネームの浜辺さんに昼から休日出勤て悪いだろ 早く着いてしまったことに被害がなくて良かったってオッチも言ってたな ふきこくうちみさねかぬめのろをえみてあんきむつはよるにほうまそおたら >>25
83年だけフォールギブアップ以外の勝ちは3点 新日のリーグ戦は必ず優勝決定戦をやる方式
これの方が調整が楽だろうな 昭和全日もチャンカーは80年までは優勝決定戦があった。 シンニプロレはぁアイダブでぁかなりぃコケてもぉたかんな。 チョリキとハマグはぁザンビエクスとの試合はぁ気の毒だったぞぇ。
大人と子供っちゅう感じだったしぃー。
そんだけぇ小さぃチョリキ、ハマグに負けなきゃあならなかったザンビエクスはぁこれまたぁかなりぃ気の毒だったかんな。 >>52
優勝決定戦方式には問題ないけど
アンダーカードが適当になっちゃうのが
タッグリーグの観客動員では難点だったのかな
優勝戦を大阪に持ってくるのはいい案だった https://news.yahoo.co.jp/articles/7169e0a57643a1a14c95853bb245a61f1bb6255a
中野と柳葉敏郎が、とんでもない相手にケンカを仕掛けたことがあったという。
「歩いてた時に、全盛期の長州力が歩いてきたんだって。維新軍団。猪木にかみついた時。
で、柳葉さんが中野英雄さんに『長州いるから、やってこい!』。
で、長州に突っ込んでったら、片手で首つかまれて、金網にガッシャンって投げられた、って言ってた」
中野がやられたため、柳葉も長州に突っ込んでいったというが、
「やっぱ首つかまれて、ガッシャンって金網に投げられて。やっぱ長州、つええんだ。長州は強かったって言ってた」。 勝俣と古舘はいろいろ目撃はしているんだけど話をかなり脚色してるんだよなぁ >>59
1983.05.06 IWGP開幕戦 視聴率 23.2%
1983.05.20IWGP大阪大会 視聴率 23.3%
1983.06.03IWGP決勝 視聴率 23.6%
1983.05.30IWGP千葉大会視聴率 23.8%
視聴率は絶好調だったぜ >>62
三沢ともやばかったらしいな。柳葉はそもそも酒癖が悪いので有名だしな。 IWGPは前宣伝効果が絶大でショボいメンバーでも潤った。
それに今だからショボいメンバーってなるけど当時はそうも思わなかった。
冷静に考えたら前身のMSGシリーズよりもトーンダウンなんだけど。 それとボック幻想がかなりぃ盛り上げに大貢献したね。
初回は参加しなくても次はボックは参加するだろうとか。
あとブッチャーも次は参加してくれると信じていたし。
後々になってからネタにされる様になったからね。 >>69
ブッチャーはともかく、ボックはその時点で微妙だったんじゃない?
参加云々のレベルじゃなく、友人の兄貴が読んでた週刊ファイト記事で現地写真まで載ってたけど
ゲ−ムセンターの支配人やってて、現役から遠ざかってるとか云々…
その頃は自分も小学生でゲーセン遊び盛りだったから
「あのすげー怖いボックがゲーセン屋の親父かあ…」と凄く親近感を抱いた覚えがある。 83年あたりのブッチャーがIWGPに出ても大して盛り上がらなかったと思うな
普通のシリーズなら別だが
建前上は真の世界一決定戦なのに凶器持って反則ばかりというのは
この時点でも時代遅れだ >>71
ブッチャーは前82年の闘魂シリーズの時点で動けなくなっていたからな
かませ犬事件のおかげでむしろライト層テレビ中継観戦専門層等の目に
ボロが出ないで済んだと言っても過言ではないくらいに 間違いなく昭和新日の救世主でしたね。叙勲受章おめでとうございます。
「取り締まらないとは何事か!」警察に苦情電話が…アントニオ猪木に火をつけた“真のヒール”タイガー・ジェット・シン伝説《旭日双光章を受章》
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb21d78eaa7b794e6bee31e7a6b73fa469faec68 チビは横幅つけるしかないからどうしても豆タンクみたいな体型になる、背が高く均整が取れてるとヘラクレスみたいでカッコいい
全盛期の猪木、坂口、鶴田、草津、前田、武藤、高田、小橋、この辺が理想的なプロレスラーの体型 ディックザブルーザーやリソワスキーもビデオで見るとずんぐりむっくりでカッコ悪いな
背も高いエリックやキニスキー、ジョナサンやボボブラジルはカッコいい >>74
鶴田と前田は20代の頃なら同意、30代以降はなぁ。
草津は均整は取れているけどのっぺりしすぎ。 高田、船木あたりは180前半でデカくはないけど
均整取れてて良かったな
今のレスラーは実寸175センチ程度で
豆タンクみたいな体型が多い 船木はハイブリッドボディの上に小顔でデコが狭いから見栄え良かったな 船木って新日の練習生の時から追っかけファンがいたらしいね。 今のレスラーもなにも長州力が豆タンク、ずんぐりむっくりそのものでカッコ悪かった タッパ180後半から190そこそこで体重105〜9キロあたり この辺がカッコいい 全盛期のテーズやドリー、猪木型 腹が出ていて腕と足が細いハンプティダンプティみたいな体系がかっこ悪いと思う 若手時代の船木って漫画のタイガーマスクや巨人の星みたいに
おっさんの中に漫画の少年主人公がいるみたいだったもんなあ ジュニア時代の藤波もバキバキで良かった
ライガーとか田村清司が憧れたらしい 身長+体重=300がプロレスラーの理想体型と言われるね。
190cm 110kgみたいな感じ
理想体型に近かったのにあまりにもプロレスがしょっぱくて
見放されたのがジョージ高野 チャンピオンサイズってやつだな
今だとこのサイズは大型レスラーになってしまうな
かつては猪木も小さいと言われてたのに どのスポーツも選手は大型化してると思うんだけど、メジャー団体に限定してもプロレスは小型化してるんだろうね >>82
45年くらい前のゴングの記事でNWA王者の体格について触れた記事があってこんな感じの内容が書いてあった記憶がある。
身長は188~192cm
体重は105~115kg
だったかな? 歴代NWAヘビー級王者(WCWは除外)で190cm超えはテーズ、キニスキー、馬場、ケリーだけ 理想的体型はルーテーズやドリーファンク・ジュニアだよな、レイスやフレアーは身体つきはよかったが背が少し低い
短命王者だったがケリーフォンエリックもかっこいい身体してた >>88
今どころか91年にキムドクが新日に復帰した時
昭和の時代にタイガー戸口として新日にいた頃よりもやけに大きく見えるということが指摘されていた
昭和の頃は猪木、坂口、カーン、前田ら戸口以外にも190cm超えの日本人レスラーがいたから目立たなかったが
今(91年)の新日には他に190cm超えの日本人レスラーがいないためにドクの大きさが際立っていると まあ90年代新日と言うとジュニア戦線も盛んになり、その他三銃士らも体躯の良さとかよりまず個々のキャラ重視
ファンの間でも身長サバ読みを段々と指摘されつつあったっけか。まあ平成の話なのであれだけど。
昭和は新日に限らず馬場や鶴田は言うに及ばず、草津や上田も190台、大きい事はいい事だを体現した世界だった >>93
数年前に全日の真田が新日に上がった時、やたら大きく見えた
あの感覚は天龍が新日に上がった時の大きさを思い出した。
天龍の周りには馬場はいうに及ばず、昭和時代から鶴田やファンクス・ハンセン・ブロディ・デビアス・ゴディ・スパイビー等がいたからね 渕は柔道王者の岩釣とスパーリングやって引き分けたんだよな、岩釣が慣れてない裸のスパーリングとはいえ一介の若手が柔道のトップと互角なんだから大したもんだ
渕って全日本プロレスはワルツだと舐めたこと言った谷津に固い攻撃仕掛けて黙らせたし、藤原と同じポリスマンだよな ジャンツとマエアの試合はぁ見たかったっちゅうにぃ思いぅぞぇ。
若ぃ頃はぁ2人共ぉ細かったかんな。 全日のリングが小さく感じたのはコーナーやロープの位置が高かったからなんだな。 >>98
岩釣氏と渕の件に関しては↓のベストアンサーの人が一番納得できるな
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13191996218
ちなみに岩釣氏は晩年に坂口道場の指導員を務めているし、プロレス自体には憎悪は無いはず デビッド・シュルツは198cmの長身だったな
そこまで大きく見えなかったけど >>95
ドリーも190以上ありそう。
ある動画では鶴田と殆ど変わらなかった。
しかし別の動画では鶴田よりも明らかに低かった。
結論はドリーはシークレット履いてたと。
逆に鶴田がシークレット履いてたかも知れないけど。 >>88
猪木は様々言われるよね。
大きい
普通
小さい
比較対象とか状況によるのだけど。 前田(ニールセン戦)
武藤(NKホール凱旋)
三沢(2代目タイガーで凱旋無理な増量する前)
この辺が主役感あって好きな体型 猪木は日本プロレス時代は大型と言っても良いくらい厚みのある身体していた、新日本作った30歳くらいからだんだんスマートになっていった、アリ戦で正式に計ったサイズは190センチ100.5キロ、個人的にはこの頃の体型がいちばんカッコよかった
それで40になる直前に糖尿病患い痩せて筋肉も削げ落ち、プロレスラーとしての全盛期が終了した感じかな、必死に頑張っていたが肉体の衰えは隠せなかった 40代以降の猪木は100kgないだろ、なんて良く言われてたよな
皮肉にもその時期、新日ジュニアのリミットが102kgだったという >>106
日プロ時代の永源がそれぐらいじゃないか?
セコンド等についてる写真や映像を見ると、凄いゴツイ
もみ上げも相まって、晩年のコミカルさが同一人物と思えん これは公式に残ってる五輪選手団の身長だからガチ。鶴田を基準に比較すれば
ガチ身長がわかるはず。 160 140
これなら最重量の頃の松村邦洋だな。 >>107
1982年に糖尿病で入院して以降は体が萎んできたね。
ちなみにグレート義太夫もダイエットもしていないのに
体重が10kg以上落ちて、「これはおかしい」と病院に行ったら
糖尿病だった。 長期欠場以降の猪木は春からのリーグ戦に向けて
コンディションを作りながら秋から冬にかけてまた悪くなっていくイメージがある ガタイの良さと言ったらやっぱり坂口征二だよな、猪木は努力の人だけど坂口はナチュラルモンスターって感じ
アンドレと対峙しても全く見劣りしなかった、骨格が人間つーより恐竜、蝶野も坂口と初めて会った時その大きさに度肝を抜かれた あの巨体で82まで生きるって珍しい
現役の時あまり体張らなかったのが良かったんだろうな >>117
流血とかはしても大した受身取ってないのが勝因だな。 太ももが緩んできちゃうと、弱々しく見えちゃうよね
第一回IWGPくらいの猪木は、あきらかに衰えていたのを子供の俺でも感じたわ >>117
明らかに現役時代に受け身取らなかった方が長生き。
坂口とかシンとか。 ブッチャーも大して受け身取らなかったな
肉体的ダメージ以外の理由で悲惨なことになっているが ハンセンも80年代の半ばあたりからは
滅多に投げ技は受けなくなった 天龍と川田が対談で、長州が元気一杯なのはラリアットだけして受け身取らなかったからとボヤいていた 受け身は川田はともかく天龍も長州と余り変わらない気が。 長州も昔はやられっぷり良かったな、特にハンセンのラリアットはよく受けてたあと、流星仮面の技も。
それ以外ではシンなんてろくな大技なかったからな。
対ボック戦で見ると長州は健吾よりやられぶりが下手だな、身長低いからやられても見栄えしない。 あんだけ受けまくったフレアーがそこそこ元気なのは驚異。
やはり受身の達人なんだろうな。 渕「なんで新日本のレスラーが天龍さんと試合をしたがるか分かりますか?
あんなに技を受けてくれるレスラーは新日にはいないからですよ
技を受けてくれることはレスラーにはそれだけ気分が良いんです」
>>127
技を受けているわりに元気と言えば日本では藤波だろうな。
(木村健悟は杖必須になっているのに。) リューゲンとフジナはぁかなりぃ受けまくりングなスタイルだったかんな。
リューゲンはぁボロボロでもぉフジナはぁまだ現役だしぃ。 プロレススタイルが後の健康や長寿に影響するかどうかって面白い問題だよな
試合やらない技受けないガチに見せた手抜きって実はいちばん楽だったUWF、ハードな大技の応酬で試合時間も長かった全日本の四天王プロレス
猪木や天龍みたいな受けまくりからの逆転勝利のプロレス、長州やウォリアーズのハイスパートレスリング、常に余裕しゃくしゃくの鶴田
レスラーによって千差万別、プロレスほど性格や個性が反映される競技はない 言葉のアヤだよいちいちやかましいんだよクソ低能発達障がいジジイが 身体がそれほど痛んでなくても病魔にやられるケースもある。
事故は言うに及ばず。
確かに現役時代の後遺症は残るだろうけど。 小鉄は練習好きな新日出身のレスラーは長生き、逆に全日出身者は早く亡くなってると話していたね… 永源は新日だし、猪木は最後あんな風だし。
受け身とらない坂口や佐山、前田はいい線言ってるな。
高田もいい線行くだろう。U系は月一だったしな。
坂口は自分のバックドロップさえやらない省エネスタイルだしな。 川田は小さな体でよく受けてた割に普通に生活出来てるな
今のところ
ステの影響か萎んだ感じはするが 事故死みたいなもんでも比較的早くにお亡くなりには変わりないけど。 >>141
坂口は受け身なんて取ったことないって言ってたくらい強かった。 小鹿も現役の頃は省エネファイトで今に至っているな。 >>146
和田京平が言うには小鹿が今も元気なのは受け身をとらなきゃならない状態になると
サーッとその状態から逃げるからだそうだ。 プロレスに強い弱いはない、相手の技受けない坂口が塩っぱいだけの話
そんなつまらない試合ばかりするから日本プロレスは猪木と馬場がいなくなったらすぐに潰れた グレート小鹿と坂口が柱になった末期の日本プロレスはすぐに潰れた、客は正直、 技を余り受けない身体張らないレスラーの試合なんてつまらないから観ない 客は猪木がマサにバックドロップ四連発浴び絶体絶命からの逆転の回転エビ固めに喜ぶんだよ
これは昭和59年のIWGPシリーズで実際に有った試合 チョリキ、ハマグ×ザンビエクスはぁ迷勝負タグマだぞぇ。 どこにでもいる三大ガイジ
アニバ厨
変な改行ジジイ
省略バカ 坂口の名ジョバーと言ったらモンスターマン戦だよな、モンスターマンの二段蹴りにKO負けの迫真の演技で見事に猪木を引き立てていた 坂口をブレンバスターで綺麗に投げた人はいなかったな。アンドレは横に投げたし、シンも肩口ぐらいまでしか上がらなかった。 >>154
松永も体があちこちガタガタだけどむしろ今の仕事が原因て言ってるからな >>166
NWAに挑戦した試合でダブルアームで投げられてフォール取られた 坂口はショルダスルーの受け身も一回だけ見たけど、一回転して綺麗に受け身を取るのではなくて半身の態勢で受身を取る感じに見えたので、受け身には自信はなかったのだろう。 柔道の受け身は、デッドリードライブみたいなのはないからな。 >>169
若い頃は最強タッグ(テーズ)やワールドリーグ(猪木)でバックドロップも喰らっていた 坂口征二は公称体重 125kgが多かったけど、ブログに現役時代に体重計に乗って
138kgだったというのがあるね。普通にそれくらいはあったろうな。 >>170
受け身以前に腰やって柔道やめてるから
腰打つの避けてた感じだな 坂口はドロップキック出来ないと言われていたが、ドロップキックやった後の受け身だと腰にくるからやらなかったのかもしれん。 坂口はアンドレにフルネルソンのままマットに叩きつけられたのがヤバかったな。
第3回MSGの準決勝の時だったかな? 坂口は猪木の前にハンセンに豪快に負けるといった役割を嬉々として受け入れてたという話
血反吐を吐くためにに自らの案で血袋仕込んでみたりとか >>178
No.1の猪木を立てるために終始してたけど、あれはあれで本人は楽しかったのかもなぁ >>177
前田にフルネルソンかけたまま体重かけたのとかも、アンドレが相手を服従させる為の技なんだろうな 坂口は大きいから投げるの大変だってのもあるよな、馬場もあんまり投げ技喰らわなかったし
カーンをリフトアップした怪力アニマルなら坂口をボディスラムでバンバン投げてそう見たかったなあw 全日で活躍していた頃のウォリアーズと藤波の試合が見たかった
ホークとはヘルレイザーズ時代に当たったが 昔は体が大きいレスラーを投げるのはそれなりのガタイやシチュエーションが必要だったからな、投げたけど腰にきたアピールとかやってたし >>183
藤波ならボディリフトで持ち上がるのも良い具合に映えるだろうから客も盛り上がりそう カネックが早い時期に藤波をリフトアップしてたな。ゴディとかカーンとか重いのを
持ち上げるから意味あるのであって小さいのは挙げてもそれほどだな。 パワーファイター対決銘打ったホーガンとトニー・アトラスの試合、
アトラスがホーガンをボディリフトしてる写真見てこりゃ凄いの出てきたなと思ったら・・・ 坂口とホーガンがドロップキックなったのは見たことない。
体が大きいからドロップキックは難しいとの意見は承知。
でもほぼどうせサイズのブロディがよく出してたからなあ。
まあベイダー、ビガロに昔はブラックウェルという重量級も出してた。 >>189
鶴田なんかドロップキックの名手だったな >>186
逆に藤波がアグアイヨをアルゼンチンなんて唐突なフィニッシュで破ったことがあったな
古舘が「ヘビー級の証明だあ!」なんてわざとらしく騒いだりして 坂口のアトミックドロップはブッチャーや流星仮面だと50a位しか持ち上がらないから、お客さんの溜息が聴こえるぐらいならやらなければ良いのにと思った。 ブラボーはブッチャーをアトミックドロップで持ち上げてたな、カナダではボディスラムで
投げてた。 坂口がジミースヌーカにやったバックドロップ(タッグで)はスヌーカやばかったな。
あれは後ろに落としただけだが。 >>196
中学生がふざけて体操マットでやるような投げ方 坂口は浜口にもバックドロップで危険な落とし方したよね。
落差があるから見ててもヒヤヒヤする。
鶴田みたいに相手によって角度長生とかまず無理だろうし。 坂口の技っていうと
さぁバックドロップか→アトミックドロップと、ジャンピングニーアタックしか印象がない >>196
高田にカナディアンバックブリーカーで勝ったことあった 坂口は膝の上で裸絞する、何処となくセクシーな技も使っていた気がする。ストロング小林さんも大満足 >>192
三沢タイガーも一時アルゼンチン使ってたけどああいうのは堂々たるヘビー級が使うべき技で小兵には似合わない
馳のジャイアントスイングも嫌い 坂口のスリーパーはよく見ると後ろから抱きついているように見えなくもないか。 >>192 >>204
藤波のアルゼンチン〜はジュニア王者時代のキッド戦でのフィニッシュの方が有名だね
マジレスするとアルゼンチンバックブリーカーとジャイアントスイングは
パワーよりタイミングと技術が仕掛ける為のキモだから小柄なレスラー向き
アントニオ・ロッカ(アルゼンチン〜の元祖)もロニー・エチソン(ジャイアント〜の元祖)も然程大きな体格でもない
むしろカナディアンバックブリーカーやエアプレーンスピンの方が膂力と体力の両方が必要 >>205
あのスリーパーは典型的な昔の柔道式の裸絞めだよね
所謂柏手の形で両掌を組む所なんか 坂口、苦しんでる顔が笑ってるみたいにみえるのが緊張感に欠ける 坂口が移動バスにカラオケセット付けたら短気な藤原がうるせぇなあとイライラして坂口を許可なく勝手に外したんだよなw
それと藤原が札幌テロ事件起こした件の真相知らされてない坂口が藤原問い詰めたら藤原が怒ってうるせぇなコノヤローとキレた >>196
同時に猪木もブロディにテーズ式で投げてた >>199
坂口は投げてる途中で手を放すブレーンバスターもあったな
腰が悪くて反れないせいか、ある意味では投げっぱなしの元祖だったか…。
>>202
あの巨体の前田が線が細く見えたもんな
坂口どんだけデカいんだよと思ったわ 田中ケロがブッチャー初登場の川崎で、生中継なのにブッチャーのマイクが長過ぎてうんざりした的な事ツイートしてたけど
猪木VSラッシャーの初戦でも試合前に長々とマイクやってたし、そういうとこが気に入られなかったんだろうな。 >>212
新日vsUWFの勝ち抜き戦で高田がなぜ坂口を潰しに行かなかったのかが解せないわ >>214
そりゃ金庫番で生殺与奪(マッチメーク)の権利を握ってる人だもん
誰だってナガサキや宮戸みたいに試合組まれない状態になりたくはないし
当時だと不満を表に出しでもしたら越中のライバルポジを山崎に変えられる恐れすらある 今日はスタン・ハンセンとハルク・ホーガンが後楽園ホールで初対戦した日だな(1981年5月10日)。なんと、この日の後楽園ホール大会はノーテレビだった。 >>216
「スタンはもうガイジンのトップでこっちは新人だったのに少しも威張らないどころか恐縮するぐらい親切にしてくれたよ」
がカジ先生にはこう見えたらしい
↓
「ホーガン?あの目立ちたがりの青二才が!」「ハンセンの野郎ッ、俺をツブしにかかりやがって!」 >>218
試合は場外でハンセンのラリアットが決まってのリングアウト勝ち。 >>216
昔はノーテレビの日曜日の後楽園とかよくあったと記憶してる
ハンセンとホーガンも観戦したし、猪木とマサのIWGPの公式戦も見た
長州が場外でカネックの覆面を剥がしたシングルも日曜のノーテレだった
オレの眼の前でスッポリ剥がしたんで興奮したわ 猪木vs藤原初対決の両国の試合後乱闘になった時
なぜか高田が坂口を蹴りまくっていたよな >>218
それ以前に前年にジョージアでハンセンと一緒にサーキットしてたしホーガン
(当時はスターリング・ゴールデン)
そこからニューヨークに呼ばれた 猪木とマサのIWGPの公式戦って何年の?
マサのIWGP参加って87年だけだし、その87年は決勝戦で対戦したけど両国じゃなかった? 84年も参加していたんだ
何故か失念していた
というか83年に猪木にシングルで負けた後87年に復帰するまで新日に出ていた印象が全く無かった >>223
金曜でテレビマッチだった。
ただしテレ朝系は特番があったため放送なし。 >>227
長州とのタッグだけテレビマッチだった記憶 84年にも猪木VSマサってシングルやってますか?
猪木が卍でマサを破って月刊ビッグレスラーのピンナップになった83年の試合は覚えてるけど。 >>219
ホー!?史実ではそうなっているのかね?
あの世界ではホーガンがみごとラリアートをかわしたもののアクシデントでリングアウト負けになっているが…
しかしハンセン相手にフォール負けでないとはハナから本当に大事にされてたんだな そう言えば最初はラリアートと呼んでいたよな。いつごろからラリアットになったんだっけ? >>232
ハンセンの全日移籍から倉持がラリアットに言い換えた
テレ朝では古館から保坂あなに変わった時からラリアットになった
正式にはどっちが正しいかは知らない >>216
81年MSGシリーズはシン、ハンセンの両エースに80年代米マットの大スターとなるホーガンとスローターが参加
当然、4者による公式戦が実現するが、すべてノーTV
外人同士の公式戦で放送されたのはシン対Bダンカンという微妙なカードのみ プロレス誌ではラリアート、ゴング誌ではラリアットだったかな。
「lariat」だからラリアットと竹内氏が語っていた。 ラリアートの方が殺人技感がある
ラリアットだと痛め技の印象 >>240
ラリアットの方が瞬間技っぽい
ラリアートだと間延びしてる感じだが確かに新日本時代はそんな感じも >>237
シンVSハンセンは収録されてたんだけどな。
ブッチャーは新日参戦を表明した開幕戦の翌日の
全日中継に映ってたのに。 ウエスタンラリアットでもウエスタンラリアートでもどっちでもいいが、
稲妻レッグラリアートはラリアートでないとしっくりこない 英語表記だと LARIAT だっけ
アメリカでは CLOTHESLINE だけど >>231
S小林が「グリーンボーイのホーガンに短時間の負けで心が折れた」と回想していたが
逆に言えば、それだけホーガンは期待されていたってことだね。
そこから4年位で猪木ですら綺麗に勝てない格のレスラーになってしまったのは、
予想できなかっただろうが。 >>245
さしずめ“レイリアット”って読むのかな? 調べてみたが、'84年5月27日後楽園ホールで猪木vsマサ斉藤やってるね。
IWGPリーグ戦で、前方回転エビ固めで猪木が勝ってる。
これの事じゃないかな? そういえばマサ斎藤が維新軍に参加したのって84年のIWGPだけか。
来日も1年振りだったんだね。もっと日本にいたイメージ。 >>248
長州対マサもノーテレビでやってる
当時の記事のうろ覚えだけど「長州がやりたくない、と言ってるのをマサがプロとしてなだめた」みたいな?
バックドロップ合戦で最後は長州がリングアウト勝ちで終わったはず。
マサのコメントで「コイツ(長州)と戦うのは体が壊されるからキツイ」とか言ってたかな。 >>252
84IWGPの豊橋大会だっけ?
両リンだった様な記憶がある。 革命軍時代の長州は地方のタッグで
猪木やホーガンにフォール負けしてたね 猪木のライバルは小山内美江子先生だったかも知れないと思った >>246
しかもザコ専用のセリフ「ホゲェ〜〜ッ」まであてられて
手四つからの力くらべで勝ったホーガンが
(フ〜 やれやれ)って表情をしたのが唯一の見せ場だった >>257
倍賞美津子は15歳の母では寧ろ影の主役だな。 >>256
第一回IWGP後楽園のノーTVでのタッグマッチも
猪木にフォール負けしてた >>260
長州はかませ犬の後楽園からずっと「3カウント」「ギブ」「レフェリーストップ」の負けは無いと思ってたわ
83年の8月の蔵前で藤波に「リングアウト負け」が最初の負けらしい負けで
84年4月の5対5の大将戦で初めて「レフェリーストップ負け」
84年IWGPでのアンドレ戦で初めて「3カウント負け」
84年7月の藤波戦で不意打ちバックドロップで「3カウント負け」
84年8月の猪木戦でグラウンドコブラ「3カウント負け」
長州の主だった負けはこんなもんだと思ってた、テレビしか見てないからだね。 >>261
広島の猪木とのシングルでもクイックでフォール負け >>261
84年IWGP公式戦で猪木に逆さ押さえ込みで負けてるね >>262
この試合の長州の入場の時に
マナーの悪いが気がレスラーに強制連行される姿が
カメラに映ってたな ティッシュペーパーのロールが
コール時の長州に当たった映像が残ってるのもこの広島 >>261
グランドコブラ以降
3年ちょっとタッグリーグで木村健悟に負けるまで
フォール負けなかったな >>259
金八先生が有名になったのも15歳の母の過激路線だしね 81年第4回MSGは当初はアンドレ、ハンセン、ホーガン、ボルコフ、ダンカン、アトラス、スローターと空前絶後メンツ
だったっけ? キラーカーンが足折りアクシデントでアンドレ来日不能なのは理解したが、アトラスやボルコフはなんか理由あったのかな
まあボルコフはそれまで新日常連だtが、82年正月から全日に鞍替えだ アトラスはボディビルの大会に出るとかそんな理由
実際その時期二カ月くらい試合に出てない
ボルコフはそれまでの新日のマッチメイクへの不満で来日拒否 アトラスは一時期引退騒動がなかったかな、ボディビルに専念するとか。
ボディビルがアカンからプロレスラーになったんだろうに。 アトラスはブロディが刺殺された時、沈黙する者が多数いた中で真っ先に証言したらしい
その話を知ってから男気があるイメージにオレの中では認識してる。 まあアトラスは変人扱いだttが、黒人特有の跳躍力もあったし、よくある筋肉木偶タイプじゃなかった。
1度きりの来日は勿体なかったかも。まあでも新日は日本人抗争に力入れ始めるからさほど活躍はできそうになかったかな。 アトラスはヘラクレスローンホークと似たような逸話も聞くな アトラスはサインの時
下手なカタカナでトニー・アトラス
と書いてくれてたのが印象的 アトラスはボディビル大会に出場の為に引退。
ボディビル大会に出場するにはプロの付くスポーツ選手は出場資格を得られない。
それでプロレスを引退せざるを得なかった。
それで出場後にはまたプロレスに復帰。
引退はあくまでも表向きの仮にらすぎなかった、
ボディビル大会に出場する為の形だけの引退。
なんか漫才みたいだよね。 なんか
それもないと…
47都道府県暴露を少ししっかり目に見てみると、
もし運転中に卒業したから… >>193
世界随一に過ごし難いのではなかったのか?
もっとPCS引かれていいと思うな ブレーキはおろかハンドル操作すらせず分離帯にほぼ正面から突っ込んでるから上とか、来れなくなったら本気出すのかな ラングニックの時もほぼ戦術ないしハゲも全然ある得るわ アトラスはパワーもそうだが跳躍力が凄かった
・アトラス・・・ホテルで窓から奇声、すっぽんぽんで廊下を歩く
・トム・マギー・・・ホモ雑誌・ビデオで大人気
・ケリー・V・エリック・・・バイク事故で片足が・・・情緒不安定でドラッグ&自殺
・ダグ・ファーナス・・・パーキンソン病
身体能力高い人って・・・薬物のせいかねぇ >>275
たけしのネタでシンも練習したカタカナで「シン」ってサイン書いたら、
どうみても小学生の字で「こんなのいらえねよっ!」ってのがあったな ザシクやタジェシのぉジャパニ語、カタカ文字サインはぁ見た事ぁるぞぇ。
他にゃバンベイがぁー『ガンバッテ』っちゅうにぃカキコっちょったサインもぉあったしぃ。
ガイジにはぁジャパニ語はぁ難しぃかんな。 ヤフーに東スポのオールスターの記事があったので読んでたら戸口がディスられて藤波が賞賛の的だった フジナとタイトはぁ日本プロレん時ゃあタイトがぁー先輩だかんな。
夢のオルスん時にゃあタイトはぁフジナにゃ負けなぃっちゅう意地がぁーあったとかぁ。
もしもぉウマノスがぁー参加しちょたらぁウマノスはぁこのタグマだったはずぅだしぃ。
ウマノス、マサイ、タイトだったぞぇ。 フジナとタイトはぁ日本プロレん時ゃあタイトがぁー先輩だかんな。
夢のオルスん時にゃあタイトはぁフジナにゃ負けなぃっちゅう意地がぁーあったとかぁ。
もしもぉウマノスがぁー参加しちょたらぁウマノスはぁこのタグマだったはずぅだしぃ。
ウマノス、マサイ、タイトだったぞぇ。 夢のオルスん時ゃウマノスとキンタはぁ出場拒否したらしぃかんな。
理由はぁ様々だぞぇ。
ウマノスはぁこん頃ぁシンニプロレとコクサプロレにぃ上がっちょったんよぉ。
まぁファンとしてぁウマノスにゃ出場して欲しかったけどもぉ。 上田馬之助と言ったらコント赤信号の名曲「男は馬之助」だよな、ひょうきん族で馬之助とタイガー・ジェット・シンが乱入して暴れた時はワロタ 「トモダ〜チ!トモダ〜チ!」と歩み寄ったが竹刀でシバかれていたww
当時ジェネレーションギャップでアンチひょうきん族の親父も大爆笑だったいい想い出... ついてってもしょうがないけど おれがついてる〜〜♪ まさにね レスラーの自伝でいちばん面白かったのは上田馬之助の男は馬之助だなw
つまんねえのは猪木だな、カッコつけてくだらねえ稚拙な教育論や精神論ばかり
あれ外人とかはゴーストライターが書くけど日本人レスラーは本人にインタビューする口述筆記なんだぜ 12の三四郎の
レスリングの馬之助は上田と関係あるんか? 今日発売の週プロで戸口移籍
猪木戦以降の事は全く触れないのがかえってニクイ >>302
三四郎の師匠の桜五郎は馬之助にそっくり
キャラメイクのモデルだろうと言われている >>301
猪木の教育論、精神論、日本人論、そしてスポーツ論はほんとうに稚拙
結局猪木はプロレスラー以外の何者でもない >>189
超の字が付く遅レスになって申し訳ないが
ホーガンのドロップキックは月ゴンの対談記事でフクニチスポーツ(当時)の運動部長だった小池幸雄が見たと話していたな
「俺も(見たのは)1回だけだった。ハンセンスタイル(←高く跳ぶより直線に跳ぶ距離が長い形)で良いフォームだったよ。」との事で
ゴングの記事だと竹内やピラニア山口だったらネタか尾ひれ付きの吹かしを疑うけど
小池がわざわざ創り話をするとは思えないから信憑性はあると思う 猪木ってホントにくだらねえ説教が好きだったよなあ、当時は子どだったから感銘受けたがw >>306
猪木の教育論、精神論、日本人論?どれも記憶にないが
お前どんだけ猪木のインタビュー読んでるんだよマニアか >>310
ID変えて自演してるだけなんじゃない?猪木の教育論とか言ってるの
どうせ昭和全日スレの方で鶴田史上最強ONと並び立つベき存在とか書き込んでた奴だろうけど >>308
そうでしたか。
ホーガンのドロップキックは見た事がなかっあので。
あと上記に書いた様に坂口のドロップキックも同じく見た今年ないなあ。
2人共ジャンピングニーはよく出していたけど。 >>309
まともな日本語が使えないことですぐいつもの馬場鶴田ヲタだとバレるバカ
お前全日ファンからも疎まれてるぞ 猪木はカリスマと挑発的スタイルでマニアの
人気を獲得したが、人間としては別物。
人たらしと言った前田は的をついてるが前田もそう。
初対面の相手を丁寧に送迎したり奢ったり、エアコン温度に気を使ったり
相手を感激させる。 後者は、沖縄の店のモール開業時に不払いで当日シャッターを開けてもらえなかったが例の彼女が
お父様にお願いして速攻支払い開店できたってテレビでやってるの見たな。
めでたしめでたし。 ハルホーやサカグのぉドロキはぁ確かにぃ見た事ぁナッシングだぞぇ。
身体能力的にぃドロキでけんかったっちゅうにぃ。
アノキ、サカグ、コバヤの頃ぁドロキでけたんはぁアノキだけだったかんな。 木村政彦、坂口征二、山下泰裕、この最強柔道家全員九州出身
昔から九州は強い大和男を輩出する武侠の地、薩摩隼人、奄美男の気性の荒さは凄まじい、徳之島ヤクザは命知らずで有名だからな
そして九州男児は朝鮮人の天敵、朝鮮の役での島津の決死剽悍の戦いには明も朝鮮も震えあがった
坂口も大木金太郎とやるとすごい気迫で血みどろ喧嘩していた 九州は朝鮮人部落があるからな。
あの元首相の。。。 木村政彦の師匠の牛島辰熊は木村と同じ熊本出身、相撲なら初代朝潮太郎、旭道山に若島津、霧島、千代大海など多数の名力士を生んだ、九州男児はキリリとした男前が多く女性も美人が多い
これは自慢になるかわからないがヤクザのヒットマンには徳之島、筑豊、福岡などの九州出身が多い、血の気が多く命知らずなのだ >>326
大分県出身の有名人
藤浪辰巳
司忍
井上邦雄 筑豊ヤクザは朝鮮から渡ってきた炭鉱労働者がヤクザになるケースが多い
これからはブラジル、ベトナム、バングラデシュ、クルド人の不良が集まり愚連隊化するだろうなあ アドニス&オートン マードック&スーパースター スレタイのザンビアEXP
大量離脱にキッドスミス引き抜かれたとしても、84年MSGタッグはこれくらいのメンツ呼べただろ
あ、オートンはやーさん絡みでダメかw スーパースターはWWFから声かかったんじゃなかったかな? 張本と大阪の番長の座を争った琴音竜(力道山道場からデビューしたミドル級ボクサー)のインタビューが面白かった
道場のガチンコスパーリング、最初は大木金太郎がダントツに強かったがやがて猪木が追いつき互角になった、それと上田馬之助も強かった
当時の力道山道場には日本中の喧嘩自慢が集まっていたが猪木さんや上田さんに子どもあつかいされていた 昭和の新日本道場って関節の決めっこで強い弱いを争ってたん?
本気で殴ったり蹴ったりできないから仕方ないかもしれんけど 新弟子時代とかの若い頃の猪木の写真を見る限り、ヤンキー感(反社感)がゼロなんだけど
それでも喧嘩が強いってのがイメージわきにくい。
昔の「喧嘩が強い」って言葉のイメージが、今とちょっと違って、もう少しアスリート寄りなのかな。 I編集長によると猪木はブラジル時代に人を殺したことがあるに違いない(w)とのこと。つまり一線を越えられるので強いw オートンが反社と揉めてとはずっとあるが ヤー公が「アイツ新日のオートンでっせ」と認識できるのか?
ガスパーズで呼んでる時点で眉唾じゃね? >>332
オートンヤスーパースターは前のシリーズには出てたんだけどな。 >>336
喧嘩とスパーは別ってことでしょう
力道山が言っていたのは「馬場、猪木、大木で誰が最強かという話なら、
プロレスなら馬場、アマレスなら猪木、喧嘩なら大木が最強」 新日が地方でその筋の人と揉めてホテルのフロントでジョージ高野がヤーさんにドロップキックしたと鈴木みのるが言っていた 喧嘩自慢の人って別に無敵の凶悪犯ってわけじゃなく、腕っぷしの強さ自慢みたいなもんだから
裸のタイマンでやり合ったらそりゃ本職には敵わんだろ 喧嘩って、いきなり急所蹴ったり、後ろから鈍器で殴りかかったり、刃物で刺したりしてもいいんだよ。 >>343
その理屈だとブロディはゴンザレスに喧嘩で負けたことになるな >>340
スレタイの時期に置きかえると
「プロレスなら藤波、アマレスなら長州、喧嘩なら前田」って感じか? そういえば覚えてる人がいるかわからないけど
オートンが海賊男をやってる時期、マードックのインタビュー記事で
「ガスパーをやってるヤツ、あいつとケンカになっても勝てる気しない」
「マエダがニュージャパン内でどうこう言われてたみたいだが、マエダはノーマルな人格だがガスパーは違うし、そもそも腕っぷしが違う」
あくまでプロレス雑誌だけどさ。 そういえば前田はWWFをサーキットしてた頃、オートンとやってみたいて言ってたよね。
他のレスラーとは違う雰囲気があったとか。 たしか猪木は88年頃オートンを
ダラダラしてるとか言ってシリーズ途中で強制送還させてたね
当時の猪木は人の事言える程の
大した試合してねえだろと思ったな >>336
無駄に粋がる必要なんてないからだろ、馬場ほどの巨体ではないが猪木もデカい、あの時代190センチ100キロの日本人なんてどれだけいるか
それが木偶の坊じゃなく毎日鍛えてバンバンスパーリングやるんだから素人の喧嘩自慢が叶うわけない、実際大阪でいちばん喧嘩強かった琴音竜が猪木さんはごっつう強かったと証言してる >>350
多分最後の試合はマサ斎藤に4分21秒でフォール負けしてた 今日は猪木と長州の広島対決から四十年
最後は広島名物の逆さ押さえ込み オートンの件をずっと信じていたけど ガスパーズで来ていてもプライベートで飯や酒に出歩いていたら信憑性ないわなww >>350 >>352
オートン一家三代共例外無く態度と素行に問題があるのは有名な話の筈だが
親父のオートンSr.もオートンも性格面での評判の悪ささえ無ければNWA王者になれたと言われてたくらい
弟のバリー・オートンも麻薬所持か何かで警察に捕まってたよな
倅のランディも軍隊を不名誉除隊になっていただのバックステージでトラブルばかり起こすとか噂になってたし
ランディのあの半グレみたいな翳りをおびた目の光の無さからも素の人間性が窺えるというか >>354
マスクして試合したところで反社の人達を誤魔化せる訳無いよねw
そんなにヤバいならオートン日本に呼ばない。 >>351
まあカーンが猪木は弱かったと証言してる
動画あるけどな。 カーンは猪木新間にギャラをピンハネされたという被害妄想があるから却下w
猪木は強かったと証言するレスラー
力道山、豊登、上田馬之助、カールゴッチ、ルーテーズ、ヒロマツダ、ビルロビンソン、タイガージェットシン、マサ斎藤、坂口征二、大木金太郎、ストロング小林、藤原喜明、北沢幹之、山本小鉄、レスラーじゃないがモハメドアリ
猪木の強さに疑問を呈したレスラー
ジャイアント馬場、前田日明、武藤敬司、船木誠勝、高田延彦、鈴木みのる、ローランドボック、スタンハンセン、ブルーザーブロディ、ブルーノサンマルチノ、ペドロモラレス、テリーファンク その手の評価ってわけがわからんね
カール・ゴッチですら
カブキ「ゴッチはエゲツないだけでそんなに強くなかったですよ」
ミスター珍「ゴッチよりゴリラ・モンスーンの方が比較にならないほど強かった。
モンスーンとスパーすると誰が行ってもあっと言う間に押さえ込まれて
身動き一つできないから練習にならねえんだもん。」 そんなもん言ってるヤツの人格や実力で嘘か真かなんてわかるだろ これって当時ノーテレだった?
ttps://youtu.be/gUhu5-ctPxs?si=psaMu3uE1pwxKS_c >>363
ノーテレビだね
めっちゃ面白いやん
この日のメインは、猪木vsオットー・ワンツ 最近こういうノーTVの隠し撮り映像よく見るけど、よく今まで保存してたよね。
Xで見た猪木組とハンセン組の6人タッグの映像は驚いたな。
どっかの地方の野外広場が会場だったやつ。 猪木がバンディにフォール負けした試合の動画もあったな
藤波vs長州のMSGリーグ戦もあったから見たけど
長州がラリアットを使ってないだけで噛ませ犬以降の試合展開と全く変わってないのが驚いた >>363
新日の横須賀は一度もテレビマッチになったことはないような。
全日はしょっちゅうあったけど。 >>366
ホント、噛ませ犬以後は髪伸ばしてラリアット足しただけ
あと細かい部分ではタッグの時、コーナーポスト上から手刀エルボーみたいなのをやるようになったぐらい。
て >>363
この頃のマードックは上手いな
ブレーンバスターも仔牛の焼き印押しも決まらずともアンドレ相手でも
ちゃんと出して見せ場作って客を沸かすのはさすがだわ 猪木を強いというレスラーには共通点がある、それは20代から30代前半の猪木を知っていることだ、若き日の猪木は強く逞しかったんだろうなあ
逆に猪木は大したことないと思ってるレスラーは30代後半から糖尿病になった40代の猪木しか知らない世代、それ以外は猪木と対立していた馬場の人脈 残念ながら猪木は弱い
ここの連中はうっすらわかってるんだからここで擁護するのはナンセンス 今だったら会場でビデオカメラを回していたら係員がすっとんできて止めるだろうけど
昭和の頃の地方会場なんて撮ってても放置されることが多かったんじゃないか。 後楽園ホールの2階席には三脚とビデオで撮影している客が多かった。大人ではなく小中学生くらいの客。他のお客さんが映り込むと怒鳴ってたけど、悪いのはお前だろうと。全体的に殺伐としていた 竹内宏介さんはプライベートビデオを多く撮影していたそうだね。 隠し撮りっていうと北尾の「八百長野郎」
まさに百聞は一見にしかずだった >>373
殺伐としてたのはバルコニーに陣取るお兄さんたちかな、一度行ったら睨まれて「ここはダメだぞ」と数人から言われた
暗黙の了解でそこでは見ちゃいけない場所だったな、小学生からすると怒鳴られるんじゃないかと近寄らなかった
結局は南側の通路にジャンプ置いて座るのが定番だった…。
あと、かませ犬前の長州って別に言ってるほどかませ犬ではないよね?
確かに開幕戦で外人にやられたり、でもそれは坂口クラスでも同じだし、小林も欠場がちになってたし
ヘビーでは実質は3番手か4番手くらいでしょ?それなら厳密にいえば猪木以外の全員がかませ犬になるよね。
藤原がテロ以後に発言してた「アイツ(長州)はエリート、オレはゴミ、下には下がいるんだよ」の方がよほどしっくりきた。 携帯とかもない時代で後楽園ホールの階段で何時間も開場待ちしてたよな
暇だからみんな階段に落書きするわけだよ >>379
夏場だと階段だから空調もないし、汗だくでねえ…
おっかないお兄さん達が写真を売りに声を一人一人にかけてきたり
買わないといけない雰囲気だったから買ってたけど、5枚で300円とかででもけっこうクオリティ高かったな。
自分は友達と数人で観戦が普通だったから、ローテーション組んで隣の大きなゲーセンで時間つぶししてたな。 >>377
立見席は修羅の世界と言うか夜のダウンタウンみたいで近寄れませんでした まあでも新日関連の試合はウPしてもすぐ消されちゃう
最近上がってるのは猪木坂口黄金コンビVSシン上田の北米タッグ戦 若手時の長州、キム健、小沢さん皆若いよw 今じゃ考えられないけどホール南側の通路を立見券買った人が占領してたからな
チケットが完売してた日に諦めきれずに試合は始まったけど5階まで行ったら新日社員の人が背広のポケットからメモ帳のようなチケットに立見て書いて1000円で中に入れてくれた事があったよ >>383
自分もまさに南側通路の占拠組…立ち見というか中学生以下みたいな券だったと思う。
チケット完売入場はオレは大宮スケートセンターで恩恵を受けた事がある
使用済みチケットの裏に値段を書かれて、その上にハンコを押されて代用券を作ってくれて入場できた。 今ってプロレス会場にどのくらい子どものファンがいるんだろうね
時代が全く違うから仕方ないけど、たとえば週明け月曜に学校でプロレス放送の話で盛り上がる…なんて光景はあるんだろうか 平成初期、三銃士やらされた超世代の頃にももはや
「週明けに月曜に学校でプロレス放送の話で盛り上がる」なんて
無かっただろ
大学なら多少有ったかもしれんが、これは当時団塊ジュニアが大学生で
かつて昭和の時代にプロレスで盛り上がっていた「子供」で
思春期(中高生も未成年という意味では子供だが、ここでいう所謂「子供」とは異なるイメージ)に離れていたのが
大学生になって時間的に自由になって戻ってきた感じだ
ちなみに自分はキムタクやマツコデラックスと同じ学年だが
92年に全日20周年の深夜中継が有った翌日(正確には当日)に大学で
自分がプロレスファンなのを知っている友達が「昨夜プロレス見たけどさあ」みたいに話かけてきて
「昔の猪木や藤波はカッコ良かったけど、今のプロレスラーってデブばかりだね」と言ってた なんか変になっていた
✖ 平成初期、三銃士やらされた超世代の頃にももはや
○ 平成初期、三銃士や超世代軍の頃にももはや 俺は高校生のころ、月曜日は前日深夜の全日の話題で盛り上がったけどな。 >>354
オートンと揉めたのは宮崎だか鹿児島だかの田舎ヤクザだし
テレ朝や新日に圧力をかけられる様な力はなかった
それ以上にあのシリーズはクリス・アダムスも飲み屋の席で所謂シロウトの女性相手にセクハラを働いた角で
強制帰国させられた件もあるから綱紀の緩みが問題視されていたんだろうね
>>386-387
普通に試合中継観たら子供がいるのが映ってるけどね
流石に後楽園ホールではあまり見かけないけど >>386
今の新日は小学生未満無料だから、家族で来てる幼児は結構いる
高校生から小学生は当日券のみ2000円とかやってるけど、会場ではそんなにいないかな 小学生同士でプロレス観戦なんて
お小遣いでは無理だった。 海野が入場の時に子供探すけど
なかなかいないわあ という時があるよ 俺は会場で生観戦、雑誌の購読とか自分で金出す事はほぼ中学からか。
家族はプロレス興味ないし、周りの友人とも中学くらいからツルむ感じだったな。
まあ一番楽しい時期だよw 佐山タイガーや国際軍団が出てきて、高校の頃に
長州革命とかホント、多感な頃にあの黄金時代を体験できた。。 オレも会場で見るようになったのは中学生からだな
だから日曜日ぐらいにしか行けなくて当時はビッグマッチなんかは水曜や木曜が多かったし第一回IWGP決勝の入場の時のイノキコールとかTVでも凄まじいのがわかるし会場で体感したかったよ 小学生までは親の同伴(地元)
中学で友達同士で観戦(地元)
高校は部活をサボって大都市会場へ遠征
高校時代が一番たくさん観戦したなぁ。 親がプロレス嫌いで小中の時は会場観戦など思いもよらず
高校の時には冷めてしまっていて地元に来たときも
「今年もメインが6人タッグのエンズイで終わりでアッタマきたよ」なんて言ってる同級生冷ややかに見てた
大学の時にバイトで稼げるようになったしヒマつぶしに会場観戦を思いつき
はじめっからショーとわかって見るならこれが良さそうとユニバ選んで正解w
団体無くなるまでけっこう観戦に行ったな オートンがドロップキックのフォームで膝をぶつける技使ってたけど他の人がやってるの見たことない >>396
>TVでも凄まじいのがわかるし会場で体感したかったよ
会場の一体感といえば蔵前や両国ぐらいのサイズが一番だよねえ…
ドームは広すぎて個々の空間の密集度が足りないしね。
蔵前も両国もサイズは同じだけど、蔵前の方が思い入れが違う
あのドヤドヤしたホコリ臭い雰囲気もプロレスにマッチしてたし
それに当時から映像で力道山時代の蔵前風景とか見てたから、蔵前観戦はプロレス歴史の流れに自分も連なってる感があったw
蔵前の歴史より両国の歴史の年数の方が長くなり、建設から40年近いのに、いまだ両国国技館は新装感がある…不思議だ。 小中学生立ち見1500円の券で消防法もいい加減だった後楽園ホールにちょくちょく行ってましたわ
新日は本社の電話予約で当日払い可みたいなのがあったから、試合日までコツコツ貯めて
蔵前は指定席で見たってことも クラマやリョーゴやブドカはぁプロレ向きだぞぇ。
トキョドォーのバワイぁ確かにぃ広すぎるしぃ。
オオサ府立なんかもぉプロレ向きだかんな。
ゼンニプロレはぁクラマん時ゃサイキョタグリ最終戦がぁー定番だったぞぇ。
シンニプロレはぁ年間でもぉクラマ使用率がぁー高かったんよぉ。
っちゅうてもぉ後々にゃあゼンニプロレぁブドウでシンニプロレはぁリョーゴだったかんな。 地方で当時は放送局も少なくて全日は火曜か木曜の深夜だし事件があれば延期される事もあった。進学で上京したら深夜に全日中継がなくて落ち込んでいたら土曜日夕方にやっていて都会は違うなあと思った。また用事で地方に行ったら金8時にワープロは放送しているが1週間前の内容だったりで理不尽だなあと >>403
自分は都心在住だったけど、地方が一週遅れて放送は有難かった
録画忘れとか見逃した時、それがビッグマッチだと口惜しくて地方の友人に頼んで録画してもらえたりした。 >>404
「口惜しい」という表現は馬場を思い出すな~ >>404
なるほどそういう使い方もありますね。その夜はタモリ倶楽部も遅れていたりで、引っ越しする時はテレビ局が4つあるところが良いなあと思いましてん オレは当時は福岡と長崎の民放が視聴できるとこに住んでて
福岡は金曜20時から全国と同じ放送だったけど
長崎は8日遅れの土曜日の17時からだったので
普通に生放送が見れた上に、地方のみ放送の時も見れたのでよかった
遅れ放送地方はスペシャル枠の時に放送無しが難点だったけどね
ただ最後は長崎にもテレ朝系が誕生して優位性はなくなった 昔スポーツアイでやってたSXWは解説も小鉄で、昭和感満載の良い番組だった。 戦前の両国国技館って戦災でなくなったのかと思ってたんだが、調べたら戦争にも耐え、戦後日大に買収されて日大講堂になってたんだな、あれ旧国技館だったのかよ知らなかったw >>409
>>410
戦後しばらくは、メモリアルホールって名前に改称させられた。双葉山の引退相撲も行われたはず。 団体所有のプロレス興行常設会場って力道山のリキ・スポーツパレスが最初で最後だったなあ、まあ後楽園ホールがその役目を担っていたけど
坂口が会場付きの自社ビル建設するのが夢だってビッグレスラーで語っていたけど、猪木がハイセルなんて誇大妄想みたいな夢空事に投資しなかったら実現可能だったなあ >>412
タカのとこも千葉になかったか?
家賃払ってたかもしれないけど。 道場兼の常設会場は全国的にけっこうあるんじゃないか?
倉庫を改装したやつ。 >>408
最近GAORAの全日の実況が鍵野じゃなくなってるけど元気かな? ちなみに北海道は週プロ発売日が金曜だったらしいな。 >>417
地方は週ゴングも週プロも1日遅れが多かったが都心近郊は水曜日に出てたよ >>412
坂口の言う事もかなり眉唾だからねぇ社長時代の放漫経営を鑑みるにつけ
子供の頃は鵜呑みにしてたけどそのちゃんと経営してればリキパレスみたいな会場建てられたとかいう話 >>416
鍵野さんもいい歳だろ。
井上亘ど邪道外道の絡みや、天山飯塚の抗争は、鍵野の実況がピッタリハマってた。 >>409
関東大震災の時にも丸焼けになってるし
それ以外でも一度全焼してる
戦争も含めて30年くらいの間に3回も火事になってる