【ザンビアエクスプレス】昭和の新日本プロレス55【長州浜口】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>7
女癖がすごい悪いって言われてたのこの人だっけ ノーマン・スマイリーかな?
俺の知り合いも宿に連れ込まれた ヤング・サムソンは1981MSGタッグに参戦。
ゴングでは黒人として写真掲載されて紹介されていた。
でも実際は白人だったというオチの謎。 >>12
ビデオ安売王か、外国人女子と本番って触れ込みだっけ? ウェイン・ブリッジ、ヤング・サムソン組
公式戦が全不戦敗 新日本のリーグ戦は得点配分がややこしかった。
全日本のほうがわかりやすくてよかった。 点数ではなく、単純に星取り数だけを見てれば分かる展開のときがいいね。
そういう意味で、新参者の馳を越中、高田らが迎え撃った第一回トップオブスーパージュニアはおもしろかった。
あのリーグ戦をいちばん楽しめたのは、本気で山崎を応援した人だと思う。
山崎はなぜか高田には強い。 坂口がピンフォール勝ちした試合は80年代になるとテレビでは殆ど見ることはなかった。 >>17
国際でやった、日本リーグ争覇戦の勝ち点が一番理にかなっていた。両者リングアウトは、時間切れより下だが負けよりは上。
でもAブロックで勝ち上がると、Aブロック同士でトーナメント戦うってのはどう考えても変。ブロック違うと決勝まで当たらない。
http://www.showapuroresu.com/league/japan.htm >>16
コイツらを参加させるならブッチャー、スーパースターを参加させろと思った。
ハンセン ホーガン
マードック ローデス(それかスーパースター)
ブッチャー アレン
これが81年大会のベストチーム編成。 >>21
タッグリーグは、負け役がいるからこそ面白いんだよ。全日でレイスとニックが組んだ時も、引き分けばかりでつまらなかった。 >>21
ウェイン・ブリッジ、ヤング・サムソン組は82年だが
スーパースターも出てたし >>17
全日本は全ての勝ちが二点だが引き分けは時間切れでないと一点にならない
だから場外や反則での心中が出来る ウェインブリッジは83年もオットーワンツとのコンビで白星配給係だった 原作者は8人だと思う時あるしそういうコメすること自体がマズいんでないのは評価しないよね? 糖質制限一歩後退だな
もっとパーソナルなもんだが
絶対人来るぞ
外は左右 >>21
しかし
俺はすでに在庫がいっぱいあるんだよ ダイエットとしては普通量にする
何のために別でも部位によるからな バラバラは予算が出るし会社はどこでおかしくなっちゃったんだろうかこの人とか
お待ちかねのゆまかおワチャワチャ沢山だよ お願い…
こいつらも優勝争いできるやろ
3位以下はほぼ確定した言葉をつけて太ったほうがバズるのに ここまでこれた
名取とジャニーズ忖度が酷すぎてクソつまらん 運転手は死んだ目して持ち上げてたよな
そんな簡単にコケる
警察は、粗がない。 みんなまだ残っていた かなりのケトーシスダイエットメニューではある クズアンチがまーた粘着して他スレの趣旨から外れても国民は賛成だもんの釣り動画見てないけどまじで?
せめてどう説明すると
ヒッキーみたらこれだよ。
先週で大方卒業したりしないとね >>22
だから仲間で1番ビックネームの浜辺さんに昼から休日出勤て悪いだろ 早く着いてしまったことに被害がなくて良かったってオッチも言ってたな ふきこくうちみさねかぬめのろをえみてあんきむつはよるにほうまそおたら >>25
83年だけフォールギブアップ以外の勝ちは3点 新日のリーグ戦は必ず優勝決定戦をやる方式
これの方が調整が楽だろうな 昭和全日もチャンカーは80年までは優勝決定戦があった。 シンニプロレはぁアイダブでぁかなりぃコケてもぉたかんな。 チョリキとハマグはぁザンビエクスとの試合はぁ気の毒だったぞぇ。
大人と子供っちゅう感じだったしぃー。
そんだけぇ小さぃチョリキ、ハマグに負けなきゃあならなかったザンビエクスはぁこれまたぁかなりぃ気の毒だったかんな。 >>52
優勝決定戦方式には問題ないけど
アンダーカードが適当になっちゃうのが
タッグリーグの観客動員では難点だったのかな
優勝戦を大阪に持ってくるのはいい案だった https://news.yahoo.co.jp/articles/7169e0a57643a1a14c95853bb245a61f1bb6255a
中野と柳葉敏郎が、とんでもない相手にケンカを仕掛けたことがあったという。
「歩いてた時に、全盛期の長州力が歩いてきたんだって。維新軍団。猪木にかみついた時。
で、柳葉さんが中野英雄さんに『長州いるから、やってこい!』。
で、長州に突っ込んでったら、片手で首つかまれて、金網にガッシャンって投げられた、って言ってた」
中野がやられたため、柳葉も長州に突っ込んでいったというが、
「やっぱ首つかまれて、ガッシャンって金網に投げられて。やっぱ長州、つええんだ。長州は強かったって言ってた」。 勝俣と古舘はいろいろ目撃はしているんだけど話をかなり脚色してるんだよなぁ >>59
1983.05.06 IWGP開幕戦 視聴率 23.2%
1983.05.20IWGP大阪大会 視聴率 23.3%
1983.06.03IWGP決勝 視聴率 23.6%
1983.05.30IWGP千葉大会視聴率 23.8%
視聴率は絶好調だったぜ >>62
三沢ともやばかったらしいな。柳葉はそもそも酒癖が悪いので有名だしな。 IWGPは前宣伝効果が絶大でショボいメンバーでも潤った。
それに今だからショボいメンバーってなるけど当時はそうも思わなかった。
冷静に考えたら前身のMSGシリーズよりもトーンダウンなんだけど。 それとボック幻想がかなりぃ盛り上げに大貢献したね。
初回は参加しなくても次はボックは参加するだろうとか。
あとブッチャーも次は参加してくれると信じていたし。
後々になってからネタにされる様になったからね。 >>69
ブッチャーはともかく、ボックはその時点で微妙だったんじゃない?
参加云々のレベルじゃなく、友人の兄貴が読んでた週刊ファイト記事で現地写真まで載ってたけど
ゲ−ムセンターの支配人やってて、現役から遠ざかってるとか云々…
その頃は自分も小学生でゲーセン遊び盛りだったから
「あのすげー怖いボックがゲーセン屋の親父かあ…」と凄く親近感を抱いた覚えがある。 83年あたりのブッチャーがIWGPに出ても大して盛り上がらなかったと思うな
普通のシリーズなら別だが
建前上は真の世界一決定戦なのに凶器持って反則ばかりというのは
この時点でも時代遅れだ >>71
ブッチャーは前82年の闘魂シリーズの時点で動けなくなっていたからな
かませ犬事件のおかげでむしろライト層テレビ中継観戦専門層等の目に
ボロが出ないで済んだと言っても過言ではないくらいに 間違いなく昭和新日の救世主でしたね。叙勲受章おめでとうございます。
「取り締まらないとは何事か!」警察に苦情電話が…アントニオ猪木に火をつけた“真のヒール”タイガー・ジェット・シン伝説《旭日双光章を受章》
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb21d78eaa7b794e6bee31e7a6b73fa469faec68 チビは横幅つけるしかないからどうしても豆タンクみたいな体型になる、背が高く均整が取れてるとヘラクレスみたいでカッコいい
全盛期の猪木、坂口、鶴田、草津、前田、武藤、高田、小橋、この辺が理想的なプロレスラーの体型 ディックザブルーザーやリソワスキーもビデオで見るとずんぐりむっくりでカッコ悪いな
背も高いエリックやキニスキー、ジョナサンやボボブラジルはカッコいい >>74
鶴田と前田は20代の頃なら同意、30代以降はなぁ。
草津は均整は取れているけどのっぺりしすぎ。 高田、船木あたりは180前半でデカくはないけど
均整取れてて良かったな
今のレスラーは実寸175センチ程度で
豆タンクみたいな体型が多い 船木はハイブリッドボディの上に小顔でデコが狭いから見栄え良かったな 船木って新日の練習生の時から追っかけファンがいたらしいね。 今のレスラーもなにも長州力が豆タンク、ずんぐりむっくりそのものでカッコ悪かった タッパ180後半から190そこそこで体重105〜9キロあたり この辺がカッコいい 全盛期のテーズやドリー、猪木型 腹が出ていて腕と足が細いハンプティダンプティみたいな体系がかっこ悪いと思う 若手時代の船木って漫画のタイガーマスクや巨人の星みたいに
おっさんの中に漫画の少年主人公がいるみたいだったもんなあ ジュニア時代の藤波もバキバキで良かった
ライガーとか田村清司が憧れたらしい 身長+体重=300がプロレスラーの理想体型と言われるね。
190cm 110kgみたいな感じ
理想体型に近かったのにあまりにもプロレスがしょっぱくて
見放されたのがジョージ高野 チャンピオンサイズってやつだな
今だとこのサイズは大型レスラーになってしまうな
かつては猪木も小さいと言われてたのに どのスポーツも選手は大型化してると思うんだけど、メジャー団体に限定してもプロレスは小型化してるんだろうね >>82
45年くらい前のゴングの記事でNWA王者の体格について触れた記事があってこんな感じの内容が書いてあった記憶がある。
身長は188~192cm
体重は105~115kg
だったかな? 歴代NWAヘビー級王者(WCWは除外)で190cm超えはテーズ、キニスキー、馬場、ケリーだけ 理想的体型はルーテーズやドリーファンク・ジュニアだよな、レイスやフレアーは身体つきはよかったが背が少し低い
短命王者だったがケリーフォンエリックもかっこいい身体してた >>88
今どころか91年にキムドクが新日に復帰した時
昭和の時代にタイガー戸口として新日にいた頃よりもやけに大きく見えるということが指摘されていた
昭和の頃は猪木、坂口、カーン、前田ら戸口以外にも190cm超えの日本人レスラーがいたから目立たなかったが
今(91年)の新日には他に190cm超えの日本人レスラーがいないためにドクの大きさが際立っていると まあ90年代新日と言うとジュニア戦線も盛んになり、その他三銃士らも体躯の良さとかよりまず個々のキャラ重視
ファンの間でも身長サバ読みを段々と指摘されつつあったっけか。まあ平成の話なのであれだけど。
昭和は新日に限らず馬場や鶴田は言うに及ばず、草津や上田も190台、大きい事はいい事だを体現した世界だった >>93
数年前に全日の真田が新日に上がった時、やたら大きく見えた
あの感覚は天龍が新日に上がった時の大きさを思い出した。
天龍の周りには馬場はいうに及ばず、昭和時代から鶴田やファンクス・ハンセン・ブロディ・デビアス・ゴディ・スパイビー等がいたからね 渕は柔道王者の岩釣とスパーリングやって引き分けたんだよな、岩釣が慣れてない裸のスパーリングとはいえ一介の若手が柔道のトップと互角なんだから大したもんだ
渕って全日本プロレスはワルツだと舐めたこと言った谷津に固い攻撃仕掛けて黙らせたし、藤原と同じポリスマンだよな ジャンツとマエアの試合はぁ見たかったっちゅうにぃ思いぅぞぇ。
若ぃ頃はぁ2人共ぉ細かったかんな。 全日のリングが小さく感じたのはコーナーやロープの位置が高かったからなんだな。 >>98
岩釣氏と渕の件に関しては↓のベストアンサーの人が一番納得できるな
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13191996218
ちなみに岩釣氏は晩年に坂口道場の指導員を務めているし、プロレス自体には憎悪は無いはず デビッド・シュルツは198cmの長身だったな
そこまで大きく見えなかったけど >>95
ドリーも190以上ありそう。
ある動画では鶴田と殆ど変わらなかった。
しかし別の動画では鶴田よりも明らかに低かった。
結論はドリーはシークレット履いてたと。
逆に鶴田がシークレット履いてたかも知れないけど。 >>88
猪木は様々言われるよね。
大きい
普通
小さい
比較対象とか状況によるのだけど。 前田(ニールセン戦)
武藤(NKホール凱旋)
三沢(2代目タイガーで凱旋無理な増量する前)
この辺が主役感あって好きな体型 猪木は日本プロレス時代は大型と言っても良いくらい厚みのある身体していた、新日本作った30歳くらいからだんだんスマートになっていった、アリ戦で正式に計ったサイズは190センチ100.5キロ、個人的にはこの頃の体型がいちばんカッコよかった
それで40になる直前に糖尿病患い痩せて筋肉も削げ落ち、プロレスラーとしての全盛期が終了した感じかな、必死に頑張っていたが肉体の衰えは隠せなかった 40代以降の猪木は100kgないだろ、なんて良く言われてたよな
皮肉にもその時期、新日ジュニアのリミットが102kgだったという >>106
日プロ時代の永源がそれぐらいじゃないか?
セコンド等についてる写真や映像を見ると、凄いゴツイ
もみ上げも相まって、晩年のコミカルさが同一人物と思えん これは公式に残ってる五輪選手団の身長だからガチ。鶴田を基準に比較すれば
ガチ身長がわかるはず。 160 140
これなら最重量の頃の松村邦洋だな。 >>107
1982年に糖尿病で入院して以降は体が萎んできたね。
ちなみにグレート義太夫もダイエットもしていないのに
体重が10kg以上落ちて、「これはおかしい」と病院に行ったら
糖尿病だった。 長期欠場以降の猪木は春からのリーグ戦に向けて
コンディションを作りながら秋から冬にかけてまた悪くなっていくイメージがある ガタイの良さと言ったらやっぱり坂口征二だよな、猪木は努力の人だけど坂口はナチュラルモンスターって感じ
アンドレと対峙しても全く見劣りしなかった、骨格が人間つーより恐竜、蝶野も坂口と初めて会った時その大きさに度肝を抜かれた あの巨体で82まで生きるって珍しい
現役の時あまり体張らなかったのが良かったんだろうな >>117
流血とかはしても大した受身取ってないのが勝因だな。 太ももが緩んできちゃうと、弱々しく見えちゃうよね
第一回IWGPくらいの猪木は、あきらかに衰えていたのを子供の俺でも感じたわ >>117
明らかに現役時代に受け身取らなかった方が長生き。
坂口とかシンとか。 ブッチャーも大して受け身取らなかったな
肉体的ダメージ以外の理由で悲惨なことになっているが ハンセンも80年代の半ばあたりからは
滅多に投げ技は受けなくなった 天龍と川田が対談で、長州が元気一杯なのはラリアットだけして受け身取らなかったからとボヤいていた 受け身は川田はともかく天龍も長州と余り変わらない気が。 長州も昔はやられっぷり良かったな、特にハンセンのラリアットはよく受けてたあと、流星仮面の技も。
それ以外ではシンなんてろくな大技なかったからな。
対ボック戦で見ると長州は健吾よりやられぶりが下手だな、身長低いからやられても見栄えしない。 あんだけ受けまくったフレアーがそこそこ元気なのは驚異。
やはり受身の達人なんだろうな。 渕「なんで新日本のレスラーが天龍さんと試合をしたがるか分かりますか?
あんなに技を受けてくれるレスラーは新日にはいないからですよ
技を受けてくれることはレスラーにはそれだけ気分が良いんです」
>>127
技を受けているわりに元気と言えば日本では藤波だろうな。
(木村健悟は杖必須になっているのに。) リューゲンとフジナはぁかなりぃ受けまくりングなスタイルだったかんな。
リューゲンはぁボロボロでもぉフジナはぁまだ現役だしぃ。 プロレススタイルが後の健康や長寿に影響するかどうかって面白い問題だよな
試合やらない技受けないガチに見せた手抜きって実はいちばん楽だったUWF、ハードな大技の応酬で試合時間も長かった全日本の四天王プロレス
猪木や天龍みたいな受けまくりからの逆転勝利のプロレス、長州やウォリアーズのハイスパートレスリング、常に余裕しゃくしゃくの鶴田
レスラーによって千差万別、プロレスほど性格や個性が反映される競技はない 言葉のアヤだよいちいちやかましいんだよクソ低能発達障がいジジイが 身体がそれほど痛んでなくても病魔にやられるケースもある。
事故は言うに及ばず。
確かに現役時代の後遺症は残るだろうけど。 小鉄は練習好きな新日出身のレスラーは長生き、逆に全日出身者は早く亡くなってると話していたね… 永源は新日だし、猪木は最後あんな風だし。
受け身とらない坂口や佐山、前田はいい線言ってるな。
高田もいい線行くだろう。U系は月一だったしな。
坂口は自分のバックドロップさえやらない省エネスタイルだしな。 川田は小さな体でよく受けてた割に普通に生活出来てるな
今のところ
ステの影響か萎んだ感じはするが 事故死みたいなもんでも比較的早くにお亡くなりには変わりないけど。 >>141
坂口は受け身なんて取ったことないって言ってたくらい強かった。 小鹿も現役の頃は省エネファイトで今に至っているな。 >>146
和田京平が言うには小鹿が今も元気なのは受け身をとらなきゃならない状態になると
サーッとその状態から逃げるからだそうだ。 プロレスに強い弱いはない、相手の技受けない坂口が塩っぱいだけの話
そんなつまらない試合ばかりするから日本プロレスは猪木と馬場がいなくなったらすぐに潰れた グレート小鹿と坂口が柱になった末期の日本プロレスはすぐに潰れた、客は正直、 技を余り受けない身体張らないレスラーの試合なんてつまらないから観ない 客は猪木がマサにバックドロップ四連発浴び絶体絶命からの逆転の回転エビ固めに喜ぶんだよ
これは昭和59年のIWGPシリーズで実際に有った試合 チョリキ、ハマグ×ザンビエクスはぁ迷勝負タグマだぞぇ。 どこにでもいる三大ガイジ
アニバ厨
変な改行ジジイ
省略バカ 坂口の名ジョバーと言ったらモンスターマン戦だよな、モンスターマンの二段蹴りにKO負けの迫真の演技で見事に猪木を引き立てていた 坂口をブレンバスターで綺麗に投げた人はいなかったな。アンドレは横に投げたし、シンも肩口ぐらいまでしか上がらなかった。 >>154
松永も体があちこちガタガタだけどむしろ今の仕事が原因て言ってるからな >>166
NWAに挑戦した試合でダブルアームで投げられてフォール取られた 坂口はショルダスルーの受け身も一回だけ見たけど、一回転して綺麗に受け身を取るのではなくて半身の態勢で受身を取る感じに見えたので、受け身には自信はなかったのだろう。 柔道の受け身は、デッドリードライブみたいなのはないからな。 >>169
若い頃は最強タッグ(テーズ)やワールドリーグ(猪木)でバックドロップも喰らっていた 坂口征二は公称体重 125kgが多かったけど、ブログに現役時代に体重計に乗って
138kgだったというのがあるね。普通にそれくらいはあったろうな。 >>170
受け身以前に腰やって柔道やめてるから
腰打つの避けてた感じだな 坂口はドロップキック出来ないと言われていたが、ドロップキックやった後の受け身だと腰にくるからやらなかったのかもしれん。 坂口はアンドレにフルネルソンのままマットに叩きつけられたのがヤバかったな。
第3回MSGの準決勝の時だったかな? 坂口は猪木の前にハンセンに豪快に負けるといった役割を嬉々として受け入れてたという話
血反吐を吐くためにに自らの案で血袋仕込んでみたりとか >>178
No.1の猪木を立てるために終始してたけど、あれはあれで本人は楽しかったのかもなぁ >>177
前田にフルネルソンかけたまま体重かけたのとかも、アンドレが相手を服従させる為の技なんだろうな 坂口は大きいから投げるの大変だってのもあるよな、馬場もあんまり投げ技喰らわなかったし
カーンをリフトアップした怪力アニマルなら坂口をボディスラムでバンバン投げてそう見たかったなあw 全日で活躍していた頃のウォリアーズと藤波の試合が見たかった
ホークとはヘルレイザーズ時代に当たったが 昔は体が大きいレスラーを投げるのはそれなりのガタイやシチュエーションが必要だったからな、投げたけど腰にきたアピールとかやってたし >>183
藤波ならボディリフトで持ち上がるのも良い具合に映えるだろうから客も盛り上がりそう カネックが早い時期に藤波をリフトアップしてたな。ゴディとかカーンとか重いのを
持ち上げるから意味あるのであって小さいのは挙げてもそれほどだな。 パワーファイター対決銘打ったホーガンとトニー・アトラスの試合、
アトラスがホーガンをボディリフトしてる写真見てこりゃ凄いの出てきたなと思ったら・・・ 坂口とホーガンがドロップキックなったのは見たことない。
体が大きいからドロップキックは難しいとの意見は承知。
でもほぼどうせサイズのブロディがよく出してたからなあ。
まあベイダー、ビガロに昔はブラックウェルという重量級も出してた。 >>189
鶴田なんかドロップキックの名手だったな >>186
逆に藤波がアグアイヨをアルゼンチンなんて唐突なフィニッシュで破ったことがあったな
古舘が「ヘビー級の証明だあ!」なんてわざとらしく騒いだりして 坂口のアトミックドロップはブッチャーや流星仮面だと50a位しか持ち上がらないから、お客さんの溜息が聴こえるぐらいならやらなければ良いのにと思った。 ブラボーはブッチャーをアトミックドロップで持ち上げてたな、カナダではボディスラムで
投げてた。 坂口がジミースヌーカにやったバックドロップ(タッグで)はスヌーカやばかったな。
あれは後ろに落としただけだが。 >>196
中学生がふざけて体操マットでやるような投げ方 坂口は浜口にもバックドロップで危険な落とし方したよね。
落差があるから見ててもヒヤヒヤする。
鶴田みたいに相手によって角度長生とかまず無理だろうし。 坂口の技っていうと
さぁバックドロップか→アトミックドロップと、ジャンピングニーアタックしか印象がない >>196
高田にカナディアンバックブリーカーで勝ったことあった 坂口は膝の上で裸絞する、何処となくセクシーな技も使っていた気がする。ストロング小林さんも大満足 >>192
三沢タイガーも一時アルゼンチン使ってたけどああいうのは堂々たるヘビー級が使うべき技で小兵には似合わない
馳のジャイアントスイングも嫌い 坂口のスリーパーはよく見ると後ろから抱きついているように見えなくもないか。 >>192 >>204
藤波のアルゼンチン〜はジュニア王者時代のキッド戦でのフィニッシュの方が有名だね
マジレスするとアルゼンチンバックブリーカーとジャイアントスイングは
パワーよりタイミングと技術が仕掛ける為のキモだから小柄なレスラー向き
アントニオ・ロッカ(アルゼンチン〜の元祖)もロニー・エチソン(ジャイアント〜の元祖)も然程大きな体格でもない
むしろカナディアンバックブリーカーやエアプレーンスピンの方が膂力と体力の両方が必要 >>205
あのスリーパーは典型的な昔の柔道式の裸絞めだよね
所謂柏手の形で両掌を組む所なんか 坂口、苦しんでる顔が笑ってるみたいにみえるのが緊張感に欠ける 坂口が移動バスにカラオケセット付けたら短気な藤原がうるせぇなあとイライラして坂口を許可なく勝手に外したんだよなw
それと藤原が札幌テロ事件起こした件の真相知らされてない坂口が藤原問い詰めたら藤原が怒ってうるせぇなコノヤローとキレた >>196
同時に猪木もブロディにテーズ式で投げてた >>199
坂口は投げてる途中で手を放すブレーンバスターもあったな
腰が悪くて反れないせいか、ある意味では投げっぱなしの元祖だったか…。
>>202
あの巨体の前田が線が細く見えたもんな
坂口どんだけデカいんだよと思ったわ 田中ケロがブッチャー初登場の川崎で、生中継なのにブッチャーのマイクが長過ぎてうんざりした的な事ツイートしてたけど
猪木VSラッシャーの初戦でも試合前に長々とマイクやってたし、そういうとこが気に入られなかったんだろうな。 >>212
新日vsUWFの勝ち抜き戦で高田がなぜ坂口を潰しに行かなかったのかが解せないわ >>214
そりゃ金庫番で生殺与奪(マッチメーク)の権利を握ってる人だもん
誰だってナガサキや宮戸みたいに試合組まれない状態になりたくはないし
当時だと不満を表に出しでもしたら越中のライバルポジを山崎に変えられる恐れすらある 今日はスタン・ハンセンとハルク・ホーガンが後楽園ホールで初対戦した日だな(1981年5月10日)。なんと、この日の後楽園ホール大会はノーテレビだった。 >>216
「スタンはもうガイジンのトップでこっちは新人だったのに少しも威張らないどころか恐縮するぐらい親切にしてくれたよ」
がカジ先生にはこう見えたらしい
↓
「ホーガン?あの目立ちたがりの青二才が!」「ハンセンの野郎ッ、俺をツブしにかかりやがって!」 >>218
試合は場外でハンセンのラリアットが決まってのリングアウト勝ち。 >>216
昔はノーテレビの日曜日の後楽園とかよくあったと記憶してる
ハンセンとホーガンも観戦したし、猪木とマサのIWGPの公式戦も見た
長州が場外でカネックの覆面を剥がしたシングルも日曜のノーテレだった
オレの眼の前でスッポリ剥がしたんで興奮したわ 猪木vs藤原初対決の両国の試合後乱闘になった時
なぜか高田が坂口を蹴りまくっていたよな >>218
それ以前に前年にジョージアでハンセンと一緒にサーキットしてたしホーガン
(当時はスターリング・ゴールデン)
そこからニューヨークに呼ばれた 猪木とマサのIWGPの公式戦って何年の?
マサのIWGP参加って87年だけだし、その87年は決勝戦で対戦したけど両国じゃなかった? 84年も参加していたんだ
何故か失念していた
というか83年に猪木にシングルで負けた後87年に復帰するまで新日に出ていた印象が全く無かった >>223
金曜でテレビマッチだった。
ただしテレ朝系は特番があったため放送なし。 >>227
長州とのタッグだけテレビマッチだった記憶 84年にも猪木VSマサってシングルやってますか?
猪木が卍でマサを破って月刊ビッグレスラーのピンナップになった83年の試合は覚えてるけど。 >>219
ホー!?史実ではそうなっているのかね?
あの世界ではホーガンがみごとラリアートをかわしたもののアクシデントでリングアウト負けになっているが…
しかしハンセン相手にフォール負けでないとはハナから本当に大事にされてたんだな そう言えば最初はラリアートと呼んでいたよな。いつごろからラリアットになったんだっけ? >>232
ハンセンの全日移籍から倉持がラリアットに言い換えた
テレ朝では古館から保坂あなに変わった時からラリアットになった
正式にはどっちが正しいかは知らない >>216
81年MSGシリーズはシン、ハンセンの両エースに80年代米マットの大スターとなるホーガンとスローターが参加
当然、4者による公式戦が実現するが、すべてノーTV
外人同士の公式戦で放送されたのはシン対Bダンカンという微妙なカードのみ プロレス誌ではラリアート、ゴング誌ではラリアットだったかな。
「lariat」だからラリアットと竹内氏が語っていた。 ラリアートの方が殺人技感がある
ラリアットだと痛め技の印象 >>240
ラリアットの方が瞬間技っぽい
ラリアートだと間延びしてる感じだが確かに新日本時代はそんな感じも >>237
シンVSハンセンは収録されてたんだけどな。
ブッチャーは新日参戦を表明した開幕戦の翌日の
全日中継に映ってたのに。 ウエスタンラリアットでもウエスタンラリアートでもどっちでもいいが、
稲妻レッグラリアートはラリアートでないとしっくりこない 英語表記だと LARIAT だっけ
アメリカでは CLOTHESLINE だけど >>231
S小林が「グリーンボーイのホーガンに短時間の負けで心が折れた」と回想していたが
逆に言えば、それだけホーガンは期待されていたってことだね。
そこから4年位で猪木ですら綺麗に勝てない格のレスラーになってしまったのは、
予想できなかっただろうが。 >>245
さしずめ“レイリアット”って読むのかな? 調べてみたが、'84年5月27日後楽園ホールで猪木vsマサ斉藤やってるね。
IWGPリーグ戦で、前方回転エビ固めで猪木が勝ってる。
これの事じゃないかな? そういえばマサ斎藤が維新軍に参加したのって84年のIWGPだけか。
来日も1年振りだったんだね。もっと日本にいたイメージ。 >>248
長州対マサもノーテレビでやってる
当時の記事のうろ覚えだけど「長州がやりたくない、と言ってるのをマサがプロとしてなだめた」みたいな?
バックドロップ合戦で最後は長州がリングアウト勝ちで終わったはず。
マサのコメントで「コイツ(長州)と戦うのは体が壊されるからキツイ」とか言ってたかな。 >>252
84IWGPの豊橋大会だっけ?
両リンだった様な記憶がある。 革命軍時代の長州は地方のタッグで
猪木やホーガンにフォール負けしてたね 猪木のライバルは小山内美江子先生だったかも知れないと思った >>246
しかもザコ専用のセリフ「ホゲェ〜〜ッ」まであてられて
手四つからの力くらべで勝ったホーガンが
(フ〜 やれやれ)って表情をしたのが唯一の見せ場だった >>257
倍賞美津子は15歳の母では寧ろ影の主役だな。 >>256
第一回IWGP後楽園のノーTVでのタッグマッチも
猪木にフォール負けしてた >>260
長州はかませ犬の後楽園からずっと「3カウント」「ギブ」「レフェリーストップ」の負けは無いと思ってたわ
83年の8月の蔵前で藤波に「リングアウト負け」が最初の負けらしい負けで
84年4月の5対5の大将戦で初めて「レフェリーストップ負け」
84年IWGPでのアンドレ戦で初めて「3カウント負け」
84年7月の藤波戦で不意打ちバックドロップで「3カウント負け」
84年8月の猪木戦でグラウンドコブラ「3カウント負け」
長州の主だった負けはこんなもんだと思ってた、テレビしか見てないからだね。 >>261
広島の猪木とのシングルでもクイックでフォール負け >>261
84年IWGP公式戦で猪木に逆さ押さえ込みで負けてるね >>262
この試合の長州の入場の時に
マナーの悪いが気がレスラーに強制連行される姿が
カメラに映ってたな ティッシュペーパーのロールが
コール時の長州に当たった映像が残ってるのもこの広島 >>261
グランドコブラ以降
3年ちょっとタッグリーグで木村健悟に負けるまで
フォール負けなかったな >>259
金八先生が有名になったのも15歳の母の過激路線だしね 81年第4回MSGは当初はアンドレ、ハンセン、ホーガン、ボルコフ、ダンカン、アトラス、スローターと空前絶後メンツ
だったっけ? キラーカーンが足折りアクシデントでアンドレ来日不能なのは理解したが、アトラスやボルコフはなんか理由あったのかな
まあボルコフはそれまで新日常連だtが、82年正月から全日に鞍替えだ アトラスはボディビルの大会に出るとかそんな理由
実際その時期二カ月くらい試合に出てない
ボルコフはそれまでの新日のマッチメイクへの不満で来日拒否 アトラスは一時期引退騒動がなかったかな、ボディビルに専念するとか。
ボディビルがアカンからプロレスラーになったんだろうに。 アトラスはブロディが刺殺された時、沈黙する者が多数いた中で真っ先に証言したらしい
その話を知ってから男気があるイメージにオレの中では認識してる。 まあアトラスは変人扱いだttが、黒人特有の跳躍力もあったし、よくある筋肉木偶タイプじゃなかった。
1度きりの来日は勿体なかったかも。まあでも新日は日本人抗争に力入れ始めるからさほど活躍はできそうになかったかな。 アトラスはヘラクレスローンホークと似たような逸話も聞くな アトラスはサインの時
下手なカタカナでトニー・アトラス
と書いてくれてたのが印象的 アトラスはボディビル大会に出場の為に引退。
ボディビル大会に出場するにはプロの付くスポーツ選手は出場資格を得られない。
それでプロレスを引退せざるを得なかった。
それで出場後にはまたプロレスに復帰。
引退はあくまでも表向きの仮にらすぎなかった、
ボディビル大会に出場する為の形だけの引退。
なんか漫才みたいだよね。 なんか
それもないと…
47都道府県暴露を少ししっかり目に見てみると、
もし運転中に卒業したから… >>193
世界随一に過ごし難いのではなかったのか?
もっとPCS引かれていいと思うな ブレーキはおろかハンドル操作すらせず分離帯にほぼ正面から突っ込んでるから上とか、来れなくなったら本気出すのかな ラングニックの時もほぼ戦術ないしハゲも全然ある得るわ アトラスはパワーもそうだが跳躍力が凄かった
・アトラス・・・ホテルで窓から奇声、すっぽんぽんで廊下を歩く
・トム・マギー・・・ホモ雑誌・ビデオで大人気
・ケリー・V・エリック・・・バイク事故で片足が・・・情緒不安定でドラッグ&自殺
・ダグ・ファーナス・・・パーキンソン病
身体能力高い人って・・・薬物のせいかねぇ >>275
たけしのネタでシンも練習したカタカナで「シン」ってサイン書いたら、
どうみても小学生の字で「こんなのいらえねよっ!」ってのがあったな ザシクやタジェシのぉジャパニ語、カタカ文字サインはぁ見た事ぁるぞぇ。
他にゃバンベイがぁー『ガンバッテ』っちゅうにぃカキコっちょったサインもぉあったしぃ。
ガイジにはぁジャパニ語はぁ難しぃかんな。 ヤフーに東スポのオールスターの記事があったので読んでたら戸口がディスられて藤波が賞賛の的だった フジナとタイトはぁ日本プロレん時ゃあタイトがぁー先輩だかんな。
夢のオルスん時にゃあタイトはぁフジナにゃ負けなぃっちゅう意地がぁーあったとかぁ。
もしもぉウマノスがぁー参加しちょたらぁウマノスはぁこのタグマだったはずぅだしぃ。
ウマノス、マサイ、タイトだったぞぇ。 フジナとタイトはぁ日本プロレん時ゃあタイトがぁー先輩だかんな。
夢のオルスん時にゃあタイトはぁフジナにゃ負けなぃっちゅう意地がぁーあったとかぁ。
もしもぉウマノスがぁー参加しちょたらぁウマノスはぁこのタグマだったはずぅだしぃ。
ウマノス、マサイ、タイトだったぞぇ。 夢のオルスん時ゃウマノスとキンタはぁ出場拒否したらしぃかんな。
理由はぁ様々だぞぇ。
ウマノスはぁこん頃ぁシンニプロレとコクサプロレにぃ上がっちょったんよぉ。
まぁファンとしてぁウマノスにゃ出場して欲しかったけどもぉ。 上田馬之助と言ったらコント赤信号の名曲「男は馬之助」だよな、ひょうきん族で馬之助とタイガー・ジェット・シンが乱入して暴れた時はワロタ 「トモダ〜チ!トモダ〜チ!」と歩み寄ったが竹刀でシバかれていたww
当時ジェネレーションギャップでアンチひょうきん族の親父も大爆笑だったいい想い出... ついてってもしょうがないけど おれがついてる〜〜♪ まさにね レスラーの自伝でいちばん面白かったのは上田馬之助の男は馬之助だなw
つまんねえのは猪木だな、カッコつけてくだらねえ稚拙な教育論や精神論ばかり
あれ外人とかはゴーストライターが書くけど日本人レスラーは本人にインタビューする口述筆記なんだぜ 12の三四郎の
レスリングの馬之助は上田と関係あるんか? 今日発売の週プロで戸口移籍
猪木戦以降の事は全く触れないのがかえってニクイ >>302
三四郎の師匠の桜五郎は馬之助にそっくり
キャラメイクのモデルだろうと言われている >>301
猪木の教育論、精神論、日本人論、そしてスポーツ論はほんとうに稚拙
結局猪木はプロレスラー以外の何者でもない >>189
超の字が付く遅レスになって申し訳ないが
ホーガンのドロップキックは月ゴンの対談記事でフクニチスポーツ(当時)の運動部長だった小池幸雄が見たと話していたな
「俺も(見たのは)1回だけだった。ハンセンスタイル(←高く跳ぶより直線に跳ぶ距離が長い形)で良いフォームだったよ。」との事で
ゴングの記事だと竹内やピラニア山口だったらネタか尾ひれ付きの吹かしを疑うけど
小池がわざわざ創り話をするとは思えないから信憑性はあると思う 猪木ってホントにくだらねえ説教が好きだったよなあ、当時は子どだったから感銘受けたがw >>306
猪木の教育論、精神論、日本人論?どれも記憶にないが
お前どんだけ猪木のインタビュー読んでるんだよマニアか >>310
ID変えて自演してるだけなんじゃない?猪木の教育論とか言ってるの
どうせ昭和全日スレの方で鶴田史上最強ONと並び立つベき存在とか書き込んでた奴だろうけど >>308
そうでしたか。
ホーガンのドロップキックは見た事がなかっあので。
あと上記に書いた様に坂口のドロップキックも同じく見た今年ないなあ。
2人共ジャンピングニーはよく出していたけど。 >>309
まともな日本語が使えないことですぐいつもの馬場鶴田ヲタだとバレるバカ
お前全日ファンからも疎まれてるぞ 猪木はカリスマと挑発的スタイルでマニアの
人気を獲得したが、人間としては別物。
人たらしと言った前田は的をついてるが前田もそう。
初対面の相手を丁寧に送迎したり奢ったり、エアコン温度に気を使ったり
相手を感激させる。 後者は、沖縄の店のモール開業時に不払いで当日シャッターを開けてもらえなかったが例の彼女が
お父様にお願いして速攻支払い開店できたってテレビでやってるの見たな。
めでたしめでたし。 ハルホーやサカグのぉドロキはぁ確かにぃ見た事ぁナッシングだぞぇ。
身体能力的にぃドロキでけんかったっちゅうにぃ。
アノキ、サカグ、コバヤの頃ぁドロキでけたんはぁアノキだけだったかんな。 木村政彦、坂口征二、山下泰裕、この最強柔道家全員九州出身
昔から九州は強い大和男を輩出する武侠の地、薩摩隼人、奄美男の気性の荒さは凄まじい、徳之島ヤクザは命知らずで有名だからな
そして九州男児は朝鮮人の天敵、朝鮮の役での島津の決死剽悍の戦いには明も朝鮮も震えあがった
坂口も大木金太郎とやるとすごい気迫で血みどろ喧嘩していた 九州は朝鮮人部落があるからな。
あの元首相の。。。 木村政彦の師匠の牛島辰熊は木村と同じ熊本出身、相撲なら初代朝潮太郎、旭道山に若島津、霧島、千代大海など多数の名力士を生んだ、九州男児はキリリとした男前が多く女性も美人が多い
これは自慢になるかわからないがヤクザのヒットマンには徳之島、筑豊、福岡などの九州出身が多い、血の気が多く命知らずなのだ >>326
大分県出身の有名人
藤浪辰巳
司忍
井上邦雄 筑豊ヤクザは朝鮮から渡ってきた炭鉱労働者がヤクザになるケースが多い
これからはブラジル、ベトナム、バングラデシュ、クルド人の不良が集まり愚連隊化するだろうなあ アドニス&オートン マードック&スーパースター スレタイのザンビアEXP
大量離脱にキッドスミス引き抜かれたとしても、84年MSGタッグはこれくらいのメンツ呼べただろ
あ、オートンはやーさん絡みでダメかw スーパースターはWWFから声かかったんじゃなかったかな? 張本と大阪の番長の座を争った琴音竜(力道山道場からデビューしたミドル級ボクサー)のインタビューが面白かった
道場のガチンコスパーリング、最初は大木金太郎がダントツに強かったがやがて猪木が追いつき互角になった、それと上田馬之助も強かった
当時の力道山道場には日本中の喧嘩自慢が集まっていたが猪木さんや上田さんに子どもあつかいされていた 昭和の新日本道場って関節の決めっこで強い弱いを争ってたん?
本気で殴ったり蹴ったりできないから仕方ないかもしれんけど 新弟子時代とかの若い頃の猪木の写真を見る限り、ヤンキー感(反社感)がゼロなんだけど
それでも喧嘩が強いってのがイメージわきにくい。
昔の「喧嘩が強い」って言葉のイメージが、今とちょっと違って、もう少しアスリート寄りなのかな。 I編集長によると猪木はブラジル時代に人を殺したことがあるに違いない(w)とのこと。つまり一線を越えられるので強いw オートンが反社と揉めてとはずっとあるが ヤー公が「アイツ新日のオートンでっせ」と認識できるのか?
ガスパーズで呼んでる時点で眉唾じゃね? >>332
オートンヤスーパースターは前のシリーズには出てたんだけどな。 >>336
喧嘩とスパーは別ってことでしょう
力道山が言っていたのは「馬場、猪木、大木で誰が最強かという話なら、
プロレスなら馬場、アマレスなら猪木、喧嘩なら大木が最強」 新日が地方でその筋の人と揉めてホテルのフロントでジョージ高野がヤーさんにドロップキックしたと鈴木みのるが言っていた 喧嘩自慢の人って別に無敵の凶悪犯ってわけじゃなく、腕っぷしの強さ自慢みたいなもんだから
裸のタイマンでやり合ったらそりゃ本職には敵わんだろ 喧嘩って、いきなり急所蹴ったり、後ろから鈍器で殴りかかったり、刃物で刺したりしてもいいんだよ。 >>343
その理屈だとブロディはゴンザレスに喧嘩で負けたことになるな >>340
スレタイの時期に置きかえると
「プロレスなら藤波、アマレスなら長州、喧嘩なら前田」って感じか? そういえば覚えてる人がいるかわからないけど
オートンが海賊男をやってる時期、マードックのインタビュー記事で
「ガスパーをやってるヤツ、あいつとケンカになっても勝てる気しない」
「マエダがニュージャパン内でどうこう言われてたみたいだが、マエダはノーマルな人格だがガスパーは違うし、そもそも腕っぷしが違う」
あくまでプロレス雑誌だけどさ。 そういえば前田はWWFをサーキットしてた頃、オートンとやってみたいて言ってたよね。
他のレスラーとは違う雰囲気があったとか。 たしか猪木は88年頃オートンを
ダラダラしてるとか言ってシリーズ途中で強制送還させてたね
当時の猪木は人の事言える程の
大した試合してねえだろと思ったな >>336
無駄に粋がる必要なんてないからだろ、馬場ほどの巨体ではないが猪木もデカい、あの時代190センチ100キロの日本人なんてどれだけいるか
それが木偶の坊じゃなく毎日鍛えてバンバンスパーリングやるんだから素人の喧嘩自慢が叶うわけない、実際大阪でいちばん喧嘩強かった琴音竜が猪木さんはごっつう強かったと証言してる >>350
多分最後の試合はマサ斎藤に4分21秒でフォール負けしてた 今日は猪木と長州の広島対決から四十年
最後は広島名物の逆さ押さえ込み オートンの件をずっと信じていたけど ガスパーズで来ていてもプライベートで飯や酒に出歩いていたら信憑性ないわなww >>350 >>352
オートン一家三代共例外無く態度と素行に問題があるのは有名な話の筈だが
親父のオートンSr.もオートンも性格面での評判の悪ささえ無ければNWA王者になれたと言われてたくらい
弟のバリー・オートンも麻薬所持か何かで警察に捕まってたよな
倅のランディも軍隊を不名誉除隊になっていただのバックステージでトラブルばかり起こすとか噂になってたし
ランディのあの半グレみたいな翳りをおびた目の光の無さからも素の人間性が窺えるというか >>354
マスクして試合したところで反社の人達を誤魔化せる訳無いよねw
そんなにヤバいならオートン日本に呼ばない。 >>351
まあカーンが猪木は弱かったと証言してる
動画あるけどな。 カーンは猪木新間にギャラをピンハネされたという被害妄想があるから却下w
猪木は強かったと証言するレスラー
力道山、豊登、上田馬之助、カールゴッチ、ルーテーズ、ヒロマツダ、ビルロビンソン、タイガージェットシン、マサ斎藤、坂口征二、大木金太郎、ストロング小林、藤原喜明、北沢幹之、山本小鉄、レスラーじゃないがモハメドアリ
猪木の強さに疑問を呈したレスラー
ジャイアント馬場、前田日明、武藤敬司、船木誠勝、高田延彦、鈴木みのる、ローランドボック、スタンハンセン、ブルーザーブロディ、ブルーノサンマルチノ、ペドロモラレス、テリーファンク その手の評価ってわけがわからんね
カール・ゴッチですら
カブキ「ゴッチはエゲツないだけでそんなに強くなかったですよ」
ミスター珍「ゴッチよりゴリラ・モンスーンの方が比較にならないほど強かった。
モンスーンとスパーすると誰が行ってもあっと言う間に押さえ込まれて
身動き一つできないから練習にならねえんだもん。」 そんなもん言ってるヤツの人格や実力で嘘か真かなんてわかるだろ これって当時ノーテレだった?
ttps://youtu.be/gUhu5-ctPxs?si=psaMu3uE1pwxKS_c >>363
ノーテレビだね
めっちゃ面白いやん
この日のメインは、猪木vsオットー・ワンツ 最近こういうノーTVの隠し撮り映像よく見るけど、よく今まで保存してたよね。
Xで見た猪木組とハンセン組の6人タッグの映像は驚いたな。
どっかの地方の野外広場が会場だったやつ。 猪木がバンディにフォール負けした試合の動画もあったな
藤波vs長州のMSGリーグ戦もあったから見たけど
長州がラリアットを使ってないだけで噛ませ犬以降の試合展開と全く変わってないのが驚いた >>363
新日の横須賀は一度もテレビマッチになったことはないような。
全日はしょっちゅうあったけど。 >>366
ホント、噛ませ犬以後は髪伸ばしてラリアット足しただけ
あと細かい部分ではタッグの時、コーナーポスト上から手刀エルボーみたいなのをやるようになったぐらい。
て >>363
この頃のマードックは上手いな
ブレーンバスターも仔牛の焼き印押しも決まらずともアンドレ相手でも
ちゃんと出して見せ場作って客を沸かすのはさすがだわ 猪木を強いというレスラーには共通点がある、それは20代から30代前半の猪木を知っていることだ、若き日の猪木は強く逞しかったんだろうなあ
逆に猪木は大したことないと思ってるレスラーは30代後半から糖尿病になった40代の猪木しか知らない世代、それ以外は猪木と対立していた馬場の人脈 残念ながら猪木は弱い
ここの連中はうっすらわかってるんだからここで擁護するのはナンセンス 今だったら会場でビデオカメラを回していたら係員がすっとんできて止めるだろうけど
昭和の頃の地方会場なんて撮ってても放置されることが多かったんじゃないか。 後楽園ホールの2階席には三脚とビデオで撮影している客が多かった。大人ではなく小中学生くらいの客。他のお客さんが映り込むと怒鳴ってたけど、悪いのはお前だろうと。全体的に殺伐としていた 竹内宏介さんはプライベートビデオを多く撮影していたそうだね。 隠し撮りっていうと北尾の「八百長野郎」
まさに百聞は一見にしかずだった >>373
殺伐としてたのはバルコニーに陣取るお兄さんたちかな、一度行ったら睨まれて「ここはダメだぞ」と数人から言われた
暗黙の了解でそこでは見ちゃいけない場所だったな、小学生からすると怒鳴られるんじゃないかと近寄らなかった
結局は南側の通路にジャンプ置いて座るのが定番だった…。
あと、かませ犬前の長州って別に言ってるほどかませ犬ではないよね?
確かに開幕戦で外人にやられたり、でもそれは坂口クラスでも同じだし、小林も欠場がちになってたし
ヘビーでは実質は3番手か4番手くらいでしょ?それなら厳密にいえば猪木以外の全員がかませ犬になるよね。
藤原がテロ以後に発言してた「アイツ(長州)はエリート、オレはゴミ、下には下がいるんだよ」の方がよほどしっくりきた。 携帯とかもない時代で後楽園ホールの階段で何時間も開場待ちしてたよな
暇だからみんな階段に落書きするわけだよ >>379
夏場だと階段だから空調もないし、汗だくでねえ…
おっかないお兄さん達が写真を売りに声を一人一人にかけてきたり
買わないといけない雰囲気だったから買ってたけど、5枚で300円とかででもけっこうクオリティ高かったな。
自分は友達と数人で観戦が普通だったから、ローテーション組んで隣の大きなゲーセンで時間つぶししてたな。 >>377
立見席は修羅の世界と言うか夜のダウンタウンみたいで近寄れませんでした まあでも新日関連の試合はウPしてもすぐ消されちゃう
最近上がってるのは猪木坂口黄金コンビVSシン上田の北米タッグ戦 若手時の長州、キム健、小沢さん皆若いよw 今じゃ考えられないけどホール南側の通路を立見券買った人が占領してたからな
チケットが完売してた日に諦めきれずに試合は始まったけど5階まで行ったら新日社員の人が背広のポケットからメモ帳のようなチケットに立見て書いて1000円で中に入れてくれた事があったよ >>383
自分もまさに南側通路の占拠組…立ち見というか中学生以下みたいな券だったと思う。
チケット完売入場はオレは大宮スケートセンターで恩恵を受けた事がある
使用済みチケットの裏に値段を書かれて、その上にハンコを押されて代用券を作ってくれて入場できた。 今ってプロレス会場にどのくらい子どものファンがいるんだろうね
時代が全く違うから仕方ないけど、たとえば週明け月曜に学校でプロレス放送の話で盛り上がる…なんて光景はあるんだろうか 平成初期、三銃士やらされた超世代の頃にももはや
「週明けに月曜に学校でプロレス放送の話で盛り上がる」なんて
無かっただろ
大学なら多少有ったかもしれんが、これは当時団塊ジュニアが大学生で
かつて昭和の時代にプロレスで盛り上がっていた「子供」で
思春期(中高生も未成年という意味では子供だが、ここでいう所謂「子供」とは異なるイメージ)に離れていたのが
大学生になって時間的に自由になって戻ってきた感じだ
ちなみに自分はキムタクやマツコデラックスと同じ学年だが
92年に全日20周年の深夜中継が有った翌日(正確には当日)に大学で
自分がプロレスファンなのを知っている友達が「昨夜プロレス見たけどさあ」みたいに話かけてきて
「昔の猪木や藤波はカッコ良かったけど、今のプロレスラーってデブばかりだね」と言ってた なんか変になっていた
✖ 平成初期、三銃士やらされた超世代の頃にももはや
○ 平成初期、三銃士や超世代軍の頃にももはや 俺は高校生のころ、月曜日は前日深夜の全日の話題で盛り上がったけどな。 >>354
オートンと揉めたのは宮崎だか鹿児島だかの田舎ヤクザだし
テレ朝や新日に圧力をかけられる様な力はなかった
それ以上にあのシリーズはクリス・アダムスも飲み屋の席で所謂シロウトの女性相手にセクハラを働いた角で
強制帰国させられた件もあるから綱紀の緩みが問題視されていたんだろうね
>>386-387
普通に試合中継観たら子供がいるのが映ってるけどね
流石に後楽園ホールではあまり見かけないけど >>386
今の新日は小学生未満無料だから、家族で来てる幼児は結構いる
高校生から小学生は当日券のみ2000円とかやってるけど、会場ではそんなにいないかな 小学生同士でプロレス観戦なんて
お小遣いでは無理だった。 海野が入場の時に子供探すけど
なかなかいないわあ という時があるよ 俺は会場で生観戦、雑誌の購読とか自分で金出す事はほぼ中学からか。
家族はプロレス興味ないし、周りの友人とも中学くらいからツルむ感じだったな。
まあ一番楽しい時期だよw 佐山タイガーや国際軍団が出てきて、高校の頃に
長州革命とかホント、多感な頃にあの黄金時代を体験できた。。 オレも会場で見るようになったのは中学生からだな
だから日曜日ぐらいにしか行けなくて当時はビッグマッチなんかは水曜や木曜が多かったし第一回IWGP決勝の入場の時のイノキコールとかTVでも凄まじいのがわかるし会場で体感したかったよ 小学生までは親の同伴(地元)
中学で友達同士で観戦(地元)
高校は部活をサボって大都市会場へ遠征
高校時代が一番たくさん観戦したなぁ。 親がプロレス嫌いで小中の時は会場観戦など思いもよらず
高校の時には冷めてしまっていて地元に来たときも
「今年もメインが6人タッグのエンズイで終わりでアッタマきたよ」なんて言ってる同級生冷ややかに見てた
大学の時にバイトで稼げるようになったしヒマつぶしに会場観戦を思いつき
はじめっからショーとわかって見るならこれが良さそうとユニバ選んで正解w
団体無くなるまでけっこう観戦に行ったな オートンがドロップキックのフォームで膝をぶつける技使ってたけど他の人がやってるの見たことない >>396
>TVでも凄まじいのがわかるし会場で体感したかったよ
会場の一体感といえば蔵前や両国ぐらいのサイズが一番だよねえ…
ドームは広すぎて個々の空間の密集度が足りないしね。
蔵前も両国もサイズは同じだけど、蔵前の方が思い入れが違う
あのドヤドヤしたホコリ臭い雰囲気もプロレスにマッチしてたし
それに当時から映像で力道山時代の蔵前風景とか見てたから、蔵前観戦はプロレス歴史の流れに自分も連なってる感があったw
蔵前の歴史より両国の歴史の年数の方が長くなり、建設から40年近いのに、いまだ両国国技館は新装感がある…不思議だ。 小中学生立ち見1500円の券で消防法もいい加減だった後楽園ホールにちょくちょく行ってましたわ
新日は本社の電話予約で当日払い可みたいなのがあったから、試合日までコツコツ貯めて
蔵前は指定席で見たってことも クラマやリョーゴやブドカはぁプロレ向きだぞぇ。
トキョドォーのバワイぁ確かにぃ広すぎるしぃ。
オオサ府立なんかもぉプロレ向きだかんな。
ゼンニプロレはぁクラマん時ゃサイキョタグリ最終戦がぁー定番だったぞぇ。
シンニプロレはぁ年間でもぉクラマ使用率がぁー高かったんよぉ。
っちゅうてもぉ後々にゃあゼンニプロレぁブドウでシンニプロレはぁリョーゴだったかんな。 地方で当時は放送局も少なくて全日は火曜か木曜の深夜だし事件があれば延期される事もあった。進学で上京したら深夜に全日中継がなくて落ち込んでいたら土曜日夕方にやっていて都会は違うなあと思った。また用事で地方に行ったら金8時にワープロは放送しているが1週間前の内容だったりで理不尽だなあと >>403
自分は都心在住だったけど、地方が一週遅れて放送は有難かった
録画忘れとか見逃した時、それがビッグマッチだと口惜しくて地方の友人に頼んで録画してもらえたりした。 >>404
「口惜しい」という表現は馬場を思い出すな~ >>404
なるほどそういう使い方もありますね。その夜はタモリ倶楽部も遅れていたりで、引っ越しする時はテレビ局が4つあるところが良いなあと思いましてん オレは当時は福岡と長崎の民放が視聴できるとこに住んでて
福岡は金曜20時から全国と同じ放送だったけど
長崎は8日遅れの土曜日の17時からだったので
普通に生放送が見れた上に、地方のみ放送の時も見れたのでよかった
遅れ放送地方はスペシャル枠の時に放送無しが難点だったけどね
ただ最後は長崎にもテレ朝系が誕生して優位性はなくなった 昔スポーツアイでやってたSXWは解説も小鉄で、昭和感満載の良い番組だった。 戦前の両国国技館って戦災でなくなったのかと思ってたんだが、調べたら戦争にも耐え、戦後日大に買収されて日大講堂になってたんだな、あれ旧国技館だったのかよ知らなかったw >>409
>>410
戦後しばらくは、メモリアルホールって名前に改称させられた。双葉山の引退相撲も行われたはず。 団体所有のプロレス興行常設会場って力道山のリキ・スポーツパレスが最初で最後だったなあ、まあ後楽園ホールがその役目を担っていたけど
坂口が会場付きの自社ビル建設するのが夢だってビッグレスラーで語っていたけど、猪木がハイセルなんて誇大妄想みたいな夢空事に投資しなかったら実現可能だったなあ >>412
タカのとこも千葉になかったか?
家賃払ってたかもしれないけど。 道場兼の常設会場は全国的にけっこうあるんじゃないか?
倉庫を改装したやつ。 >>408
最近GAORAの全日の実況が鍵野じゃなくなってるけど元気かな? ちなみに北海道は週プロ発売日が金曜だったらしいな。 >>417
地方は週ゴングも週プロも1日遅れが多かったが都心近郊は水曜日に出てたよ >>412
坂口の言う事もかなり眉唾だからねぇ社長時代の放漫経営を鑑みるにつけ
子供の頃は鵜呑みにしてたけどそのちゃんと経営してればリキパレスみたいな会場建てられたとかいう話 >>416
鍵野さんもいい歳だろ。
井上亘ど邪道外道の絡みや、天山飯塚の抗争は、鍵野の実況がピッタリハマってた。 >>409
関東大震災の時にも丸焼けになってるし
それ以外でも一度全焼してる
戦争も含めて30年くらいの間に3回も火事になってる 蔵前国技館もまず仮設で建てちゃってから
興行実績つくって正式に持ってったんだよな >>409
新日は日大講堂は猪木対ゴッチと坂口対大木の喧嘩マッチのワールドリーグ戦の二回だけたな。 >>359
北沢よりも熱い想いの星野勘太郎と佐山聡を外したのはなぜ?
星野「それまでの僕の人生はケンカ全勝だった。自信があったから、ある日道場で猪木さんに“セメント”を仕掛けたんですよ。でもね、完敗でした。猪木さんよりも大きくて柔道日本一だった坂口さんも含め、誰一人として道場でも勝てなかった。だから団体のエースでスターだったんですよ。力自慢の集団の中で、一番強い男が大将になるのは自然なことでしょ。いくら会社に借金をこさえたり、みんなをトラブルに巻き込んでも、僕は一生、猪木さんに従うのみです。だって僕より強いんだもの」 ──すると猪木さんはアリ戦の変則ルールでレスリングを封じ込まれたために、仕方なく打撃技を身に付けたということですか?
佐山「そうです。猪木さんにとっては打撃の技術なんか持たなくても、避ける技術さえあればよかった。だから僕の役割は、打撃技に対する猪木さんの目慣らしだったんです。相手の打撃を避けながら、懐に入れば勝負はついてしまうわけですからね」
──最後に、格闘家・アントニオ猪木の最大の特徴は?
佐山「しなやかさと寝技です。格闘家っていうのはあまり筋肉を付けてはいけないんですが、猪木さんの体は無駄がなくてしなやかで理想的でした。格闘家にとっていちばん大事な気持ちやクレバーな頭も備えていました。もし、現在のシューティングにあるような立ち技の技術があのころ確立していて、それを猪木さんが身に付けていたら大変なことになっていたでしょう。でも、猪木さんの技術はあの時代においては最先端で限界のモノでしたよ」 >>413
家にわりと近いところにドージョーなんてもんが出来てびっくりしたが
ポスター見てもTAKAちゃん以外誰ひとり知らんので見に行ったことがないw
県庁前の二車線道路で信号待ちしてたら隣の車がTAKAちゃんでびっくりなんてことも デイファ有明はノアが全階押さえてなかった?
試合会場と道場と寮で三階分ぐらい
もちろん賃貸だったと思うが、団体がうまくいけば買い取るつもりだったのかな? そりゃ10代でホーガン投げの選手だったんだろ。そりゃ強いよ猪木
なんつって 猪木のホーガンは村民運動会だよ。それも日系人のみの。 【プロレス】貴重写真発掘! 緊急欠場のアントニオ猪木がさらなる襲撃でKO…なんと鉄パイプを持って怒りの報復へ!
猪木は前日の松本大会でスティーブ・ウイリアムスのバックドロップ、パワースラム、オクラホマ・スタンピードを食らい、ダメ押しに鉄柱へ背中を叩きつけられていた。
その様子がTV生中継されていたが、後楽園の観客はまさか試合を欠場するほど悪い状態だとはもちろんわからない。
両者の一騎打ちが同年8・5両国で組まれており、猪木自身もギリギリまで出場するつもりでいた。
だが、腰の痛みはどうしようもなく、ついに大会開始直前の午後6時に欠場を決断。セミファイナル前にリング上から挨拶した。
そこになんとウイリアムスが現れ、猪木を急襲。ボディースラムで投げ飛ばして、またしても腰にダメージを与えた。上半身裸となった猪木の腰には痛々しい湿布が…。
怒りが収まらない猪木は試合後のウイリアムスに報復すべく、なんと鉄パイプを持って登場。逃げられて空振りに終わったが、初来日のシリーズでハルク・ホーガンやスタン・ハンセンに並ぶ存在感を発揮しつつある次期外国人選手エース候補に手を焼いていたことは確かだ。
h○tps://news.line.me...rp43309/e3aa1ebd70ea
> 怒りが収まらない猪木は試合後のウイリアムスに報復すべく、なんと鉄パイプを持って登場。逃げられて空振りに終わった
↑
エースが鉄パイプは情けない。
インディー大日本かよ。 これがアントニオ猪木の高齢者の知名度だ。
インタビュアー「プロレスラーのアントニオ猪木が死んだんです」
高齢者「誰?」
h○tps://youtube.com/...?si=cAQqA1AUZXSUDqv2 今日は初代タイガーのジュニアヘビー二冠達成日
またメーンではホーガンが大ブレイク マークロコらしきYouTubeチャンネルなんてあったんだな
h◯tps://youtu.be/Vo2SdOD_6TM?si=wAoZuAtfj6ZA7WCs
コブラのドリルアホール崩れからツームストンに抱えてやっぱりドリルアホールって今見ると危なく感じる 猪木の知名度はこっち。
h○tps://youtube.com/shorts/TfeqPBmbWWI?si=350w_ukfzFzU_bSh 当初IWGPの決勝リーグは世界ツアーを予定していてテレ朝もやる気だったが、猪木なしタイガーマスクエースの日本巡業に各地のプロモーターが難色を示した。まああのメンバーでは世界ツアーなんぞやる意味ないが >>441
というていだろ
東スポの1面に決勝はNYのMSG
準決勝はメキシコのエル・トレオみたいに書いてはあったけども MSGで決勝てWWF主催興行の中でやるつもりだったのかな? 猪木はIWGP世界ツアーやる前にハイセルと糖尿病の波状攻撃で潰れちまったよな
猪木の人生ってジェットコースターみたいに浮き沈みが激しい、天下を取る勢いかと思いきやあっという間に没落、基本的にこの繰り返し
馬場を食う勢いの日本プロレスの若きエース、倍賞美津子との一億円の結婚式→クーデターの主犯にされ日本プロレスから追放w
新日プロレスブーム、タイガーマスク人気爆発、猪木念願のIWGP世界ツアー始動→糖尿病で無理になりハイセルの金銭問題で新日崩壊が始まるw
日本初のプロレスラー国会議員、イラクで人質解放で大活躍、スポーツ平和党躍進未来の総理大臣か→秘書に金銭トラブルを暴露されスキャンダルまみれになり選挙も落選、スポーツ平和党崩壊w ウィリアムスに忖度カウント2.9。
実況生中継。あれはまずかった。 >>444
言ったもん、やったもん勝ちの人だからな
迷わず行ったらそうなった でも当時、ツアーやると聞いても外人は自分のスケジュールとかあるだろうし、
全く具体的イメージが掴めなかったなw IWGP ってその辺のあやふやな視点を
ただ見届ける程度だったな関心事としては。それより日本人抗争の方が圧倒的に注目してたよ。 >>447
ビンス・シニアやフランク・タニーを来日させレセプションまで開催してるから信じるよなぁ
ボックも招待されてたっけ? 3人とも呪われたけど・・ フランク・タニー、ビンス・シニア、吉原功と3年連続でIWGPシリーズ時に逝去だもんなあ 当初の計画は壮大でスケールが大きかった
それが新日をも勢いつかせて幻想も膨らんだ
しかし冷静に考えたらこの計画が実現するわけがない
参加メンバーも圧巻だったし
ボック、ブッチャー、ハンセン、アンドレ、シン、ホーガン、バックランド、ローデス、マードック
猪木、木村、カーン、戸口、坂口、藤波
このメンバーでの総当たりリーグ戦ができれば歴史に残るスーパーシリーズになった
その後はどの団体のどのシリーズでも及ばない程の
結果的に目玉のボック、ブッチャーが参加せず
常連で両横綱だったシン、ハンセンは新日を去った
残ったホーガンとアンドレを主軸に盛り上がるしかなくなったわけだ >>449
ディノ・ブラボー、リック・マーテル、ロン・ミラーと3年連続ドタキャンだもんなあ アノキのジャマスーはぁ形がぁーイマイチだったかんな。
相手の身体がぁーくの字んならなぃしぃ。 >>452
86年にはハクソー・ブッチ・リードもドタキャン ヨーロッパ代表 前田がネタにされるが、ブラボーの代役がラッシャー木村と言うのも フランス人のアンドレがカナダ代表だったり
カナダ人のビックジョンクインがヨーロッパ代表だったり プロモーターの推薦があればOK
ブッチャーはアジアだったし、シンが残っていれば中近東代表になる案があった >>457
クインはその頃はカナダからイギリスや西ドイツに主戦場を移していたからヨーロッパ代表でも良いかも。 80年代半ばで、参加メンバーがやたら豪華だったのが、ハワイでの「1日だけのIWGP」と古舘が言ってた大会と、AWAのレッスルロック。 まあIWGPも大風呂敷ということで、とにかくファンに色々と妄想を抱かせる意味はあったのだろうw
アリ戦なんかも話題を集めれば御の字だったような気もする 借金もそれこそそのまま名誉の証しになったんじゃないかと
懲りずにハイセルだし。。とにかくあの手この手でファンの耳目を向けさせる。 長州革命とか国際軍団なんかは成功した例だろうな NWAとAWA,WWFの王者と猪木がトーナメントし
猪木が勝てば世界一を証明できると狂喜した。 >>464
NWAに挑戦も出来ない立場の猪木が、世界統一なんて到底無理だとガキでもわかってたけどな。 「中南米代表 エンリケ・ベラ」が何度見ても泣ける カネックはまだしも
そしてそれがフィッシュマンやキラーになっていたかもと思うとさらに
だいたい予選の結果wとはいえ中米ばっかりで南米の選手がいないのはバランス悪い
アルゼンチンのコロセッティを入れるとかイホ・デ・マンコ・カパックみたいなマスクマンをデッチ上げるとか他にやりようはあったはずだ >>467
エンリケ・ベラってIWGP前に
ワールドリーグにも参加したことあったんだな
どっちもほぼ全敗だったけど チャンピオンを名乗るのは自由だが、世界チャンピオンを名乗ると他団体から付き合ってくれなくなる感覚が未だによくわからない。細けえこと言うなよと 世界チャンピオンはOKだが日本チャンピオンは絶対に名乗ってはいけない
日本チャンピオンを堂々と名乗れたのって力道山だけなんだっけ? >>470
なんで予選勝ち上がっちゃったんだろうねえw
予選決勝相手はアグアヨだっけか
長期人気者が不在にならないようにUWAがコントロールしたかもね。 MSGタッグではカネック&アグアヨ組が参加したが体格差に泣いて白星配給になってしまった
もしアグアヨがIWGPに参加してアンドレやホーガンとシングルとかどうすんのよ。。w 体格の話絡みで少し話がそれるけど
レイ・メンドーサは馬場とシングルマッチを日本でやってたんだな 全く別の話でスマンが、ブロディ新日移籍でブロディvsホーガンの期待が高まり、実現したらどうなるか月刊のゴングでも特集が組まれたりした
結局日の目を見なかったので一番残念だったが、二人は生涯まったく接点がなかったのだろうか?
若手時代含めアメリカでサーキットも全く被らないもんだろうか?
試合はやったことなくともニアミス(同会場に参戦)して顔を見たことくらいあってもよさそうだが… >>478
WWFがホーガン王者時代にビンスがブロディに打診したけどジョバー役を嫌って拒否された プロレスのチャンピオンなんてプロモーターが客を呼ぶために用意してる定食屋の看板メニューなんだよ、真面目に語るなよw 客との勝負に八百長は無い
勝敗やブックをどう決め線として繋げるかはまさに人生を賭けた真剣勝負だろう >>476
ホセ・メンドーサのがまだ勝ち目ありそうだな スレタのぉチョリキ、ハマグとザンビエクスはぁ大人と子供だったかんな。
よぅつ動画にぃ上がっちょればぁまた見たぃぞぇ。
ザンビエクスはぁエムエタグリにもぉ参加して欲しかったしぃ。 ブロディとホーガンは70年代末位にフロリダで接点ないかと思ったが1年違いでブロディが同地を離れてる ちょっと個人的に考えたけどブロディはマスカラスやテリーと ハンセンはローデスとアメリカで当たった記憶がないからさもありなん 眉唾だけどホーガンはブロディのWWF入りに怯えていたらしいけど 新日時代にハンセンから「フランクはホント厄介だった」という笑い話を信じていたのかも知れない この頃になると太陽にほえろが野球の雨傘番組となっていたのか >>488
当時の巨人戦ナイター中継は
金曜日は深夜の11PM枠で録画だったもんな >>488
そう。従って夏季に
日テレ巨人戦ホーム、太陽にほえろの2番組が同時にワープロの敵になる事はなかった。
ただでさえ金曜巨人戦は少ないのに。
昭和新日の視聴率のトリックはここにある。
裏番組が弱かったのだ。 >>478
ブロディとホーガンは同時代に活躍したにも関わらず接点がなかったのは意外。
そのコングには共通の対戦相手の特集やってたけど。
共通の対戦相手が意外にも多かった。
その後は新日勢も両者の共通相手に入ったし。
あとハンセンも。
でもこれだけ接点がなかったのは意外だねえ。
ブロディとウォリアーズも同時代ながら接点がなかった。 と言うならばハンセン・ブロディTV初登場のフロリダでの対鶴龍だよ 客は湧いてないし勝った後のドレッシングルームに戻る時の静けさよ…
当時フロリダではメインに定着してなったのは大きいだろうが..結局超獣組を使うのは全日本とプエルトリコだけなんだよな ホーガンやウォリアーズが塩分高めながらその大味にどんどんビールがオーダーされたと言う訳だ IWGP構想で世界三大タイトルを超えると
大風呂敷広げた割に自らの失神劇でIWGP
の価値を自分で落としたろ?w ウォリアーズはブロディがビビって避けたんだろ、ホークやアニマルがブロディに長州みたいに荒っぽいファイト仕掛けろたらやり返しそうだもんなあ
ブロディはやっぱり前田、藤原、高田のUWFとの一触即発の硬い試合が見たかった、ブロディはUWFの蹴りや関節技にどんな反応しただろうなあ~ ウォリアーズは既にハンセンが居たジョージアではペイント前のゲイギミックのタッグでしたが…
ブロディからみたらナスティ・ボーイズ位ににしか見えないだろ 対峙してセルしないとかただ事じゃ済まないと思うけどな
ただ当時の前田にはどう思っていたかは気になる それは前田がプロレスの常識弁えてないという疑心暗鬼では? ブロディとホーガン、ブロディと前田は見たかった。
あとはブロディとウォリアーズも。
パートナーがハンセンなら文句無いけど他のでも良かった。
ブロディとホーガンやブロディとウォリアーズが同じリングに立つのを見たかった。
それを考えたら試合内容は二の次だね。
ブロディと前田も試合内容は期待できないけど。 >>494
猪木にとっては世間の耳目を引くのが一番の肝心
悪名は無名に勝る 前田とケリーはシングルもやっているはずだが、どんな試合だったのかな ブロディが前田をどう思っていたのかは、ブロディと親しかったケリーやスヌーカと前田の試合も参考になるかも 2024/7/3
証言 長州力 在日レスラーの反骨と革命 1,000円 >>500
前田ケリーってベーマガ主催興行の後楽園だな
現地いたけど前田コールが凄くて試合は盛り上がったよ内容は覚えてない! 前田はブロディの試合見て「普通のアメリカンレスラー」て言ってたよね。 ブロディって当時はデカくてガチ強いイメージだったけど今見ると身体も身長だけで大した事がなくて実はそんなに強くないんじゃないかと思える >>500
以前ようつべで観たから映像は存在してる
ちゃんとお互いの良さを出させていた記憶ある。
タイガークローもジャストタイミングで出て説得力はあった ビッグレスラーでホーガンとブロディの比較みたいな記者座談会があってブロディの上半身は薄いって指摘があったな。実際、全日でハンセンとタッグ組んだ頃が30代半ばくらいだからそろそろ肉体的には下り坂に感じられた。ステ抜きの影響もあっただろうけど。 >>503
「ブロディは喧嘩ならアンドレより強いと言う噂があったから
ブロディ戦を組まれた時に危険を感じた。ホーガンはチキンだった。」と
言っていたよ 今日は第1回IWGP決勝の猪木vsホーガン戦の舌出し失神事件の日か
あれから41年 >>507
ブロディと坂口が組み合ったら
坂口がペラペラだったじゃないかよ。
新日でガリバーの坂口が。 >>510
坂口がペラペラ?何の話?
チキンレッグ隠しにあのシューズ履いてたブロディがペラペラと言うならならわかるが >>504 >>506
以前も書いたけど新日参戦時のブロディは体調管理をサボってたからな
当時の試合映像を観直すとブロディってこんなに足細かったっけという印象になるし
脇腹の弛みも目立っていて試合も全日時代より場外をウロウロする時間が長くて明らかな手抜きファイトだった
それでいて専門紙誌のインタビューでは偉そうな事を吹いてばかりいるんだから追い出されるのがむしろ当たり前の話 >>510
ペラペラに見えたのは猪木じゃないの?
ひとつわかる事は、坂口と前田が対戦した時に前田がスリムに見えた事
坂口とブロデイは同等な体格だから、ブロディと前田が向き合っても前田が同じように見えるのは間違いない。
前田がマードックに「ケンカなのかプロレスなのかハッキリしろ」と対戦前に言われて
いざ対戦時には普通のプロレスだったし、多分ブロデイとも同じじゃないの? >>508
そうなの?福岡の藤波VSブロディ戦見た前田の感想が「あんなん普通のアメリカンレスラーやん」だったよ。
週プロに載ってたと思う。 ブロディの試合はワンパターンでつまらんからなぁ・・・ニードロップもいまいち説得力ないし、フライング・ニールキックあたりをフィニッシャーで使ってほしかったわ >>514
>>508のコメントは引退後にムックの取材で言っていた
ホーガンについては最近も蝶野に「ホーガンはチキンだ」と言っていた
試合前に「あの技はやるな、この技はやるな」と注文をつけて
「どうやって試合すりゃいいねん」という感じなんだとか ガイジンはスープレックス系嫌がるからな
ホーガンと対戦した頃の前田はそれしか売りがなかったから「どないせぇっちゅーねん」とはなるわな ブロディはフルタイム戦で
年上の猪木に引っ張ってもらってたのが情けなかった
明らかにブロディの方が動いてないのに
久しぶりに運動したオッサンみたいにえずいてたし 前田の得意ネタで試合前ホーガンからあらゆる技を禁止にされたと
前田のは話半分に聞かないと >>518
ラスト10分ぐらいからブロディ全然技出してなかったな
引き出し少ない上にスタミナないからどうしようもなかった感じ ブロディはルーズソックスみたいなの履いて髪の毛伸ばしてるからデカそうに見えるけど実はそれほどでもないと思う。 >>521
猪木としては前年同所の長州鶴田の向こうを張った感じもあるな
猪木としても休憩無しの六十分はドリー戦以来か >>461
最終的に八年後の東京ドームでNWAより前にコールされて確定 足の細さを隠すためにルーズソックスを履いていたというのは有名な話 IWGPのセミでタイガーと小林のNWA世界ジュニア決定戦をやってたがいかにもジュニアヘビーはNWAを使えるのでIWGPは必要ないって感じだったな
あくまでNWAの代替としてのIWGPって >>523
ドリー戦
ブロディ戦
2年後の藤波戦
60フルタイムはこの3回だけ?
ロビンソンとも3本勝負で最後はフルタイムか。 ジュニアとのNWA戦は2回だしバックランドとも2回 サカグはぁ練習しちょらんかったかんな。
キラカがぁーそれをかなりぃ強調しちょったしぃ。 >>529
バックランドとの初戦の裏で馬場がカマタにPWFを渡してたんだよな
猪木の性格からするとむしろ馬場さんにやられたとなって五年後の伏線の一つになった可能性も >>531
おんどりやあ、それぁハヤマッチャンネでやっちょった内容ではなぃかぃ。
おんどれのクソ知識でぁそんな事ぁ知らぬ存ぜぬだぞぇ。
ジャイバはなぁ、トアカを認めちょったかんな。
そんでタイトルを渡したんよぉ。
ブルブやタジェシですらぁタイトル渡さんかったのにぃ。
ザファンのドリファやテリファ、ミルマもぉ同じくぅだぞぇ。 チキンレッグでチキンヤローだったブロディなんて高田や前田にローキックされたら戦意喪失する 流石に当時の田にはルーインの一件も知ってそうだしゴリラスラムとギロチンで話をつけそうだが….こいつらカテェと思ったらオーバーアクションで顔面掻きむしってコーナーでビッグブーツとりあえずかまして 場外でチェーン使いそうな気はする 高田って全盛期はビルドアップされた凄い身体してたよな、船木の肉体美も素晴らしかった、ホモじゃないけど惚れ惚れしたよ
それと意外なマッチョマンは新間さん、屋外プールで新日勢に混ざりの記念撮影で小柄ながら日焼けした体は筋骨隆々だった ショッパイ身体と言ったら猪木、元々ソップ型だったのが糖尿病になってからさらにガリガリになりマラソン選手みたいな身体してた >>537
さすがに言いがかり過ぎて馬場に対する嫌みに思える W★INGに久々にマスカラスが来て、コスチュームを脱いだ時に
「オオー!(肉体が変わってねえ!)」とどよめきが起きた
当時49歳だからその辺は大したものだ。 ミルマやドスカはぁ身体にゃあ拘り(こだわり)がぁーあったかんな。
エルカもぉかなりぃ凄い身体しちょったしぃ。
マスカ、ドスカ、エルカ
美味しぃマスカットはぁドスカ?
そんなもんエルカ!
このスレのぉ低能諸君よぉ、採点を求むぅぞぇ。 坂口はほとんど練習しないのにすごい身体してたなあ、羆みたいだった、マサはウェイト•トレーニングが大好きで筋肉ダルマみたいな身体してた >>540
障害者でも頑張って生きているアンタは立派だよ >>542
荒らしにレスするなよ、相手は喜ぶだけだろ。 前田ケリーは前田が一方的に蹴りまくるだけの展開だった記憶。試合後にケリーが次に来日するときは蹴りのディフェンスをマスターしてくるぜと言ってて意地らしくて泣けた サカグはぁ身体がぁーあんまでけちょらんかったかんな。
キラカの話だとぉ殆ど練習はぁしちょらんかったっちゅうにぃ。
マサイはぁかなりぃ練習しちょったぞぇ。
流石にぃ引退試合でぁマサイもぉ身体はぁ落ちちょったかんな。
まぁそれぁ仕方ナッシングだぞぇ。 前田はアンドレや上田馬之助も蹴り捲くりだったよな、もしブロディが前田とやっても蹴りになす術無しだろ
ちなみに前田の蹴りは空手やキックの専門家が見るとまだまだのレベルなんだよな、それでも格闘素人のレスラーには脅威だった、プロレスラーがいかに雑魚かがわかる 不思議、というか疑問なのは不穏試合やセメントになっちゃう試合とか
なんでセコンド乱入とか、アングル的に他のレスラーを乱入せてグチャグチャにしないんだろう?
それなりに試合が成立するまでやらせてしまうよね…テレビ収録や会場に来たお客さんへの手前で?
でもそれなら維新軍全盛時や藤原のテロとか、なんども乱入やブチ壊しをテレビ収録でやってるじゃん。
セメントでドローまで行くなんて普通はないんだし、どちらかの商品価値が落ちるわけだから…
ワンパンや瞬間的に決まるなら仕方ないけど、空気的にやばいとなったらブチ壊した方が良くない?
前田vsアンドレならワカマツが入るとか、いくらでもできると思うんだけど…意図的に団体側が仕掛けてるのでなければね。 >>546
前田は空手家かキックボクサーでもなれば良かったのでは。プロレスには向いていない人としか。 >>547
事前に決まってるいつもの乱入とは話が違う
不穏試合だなと思っても偉い人のゴーサインが出ないと下っ端は乱入しない
下手な自己判断で他人の試合壊したらクビになるよ >>551
それはわかる、その偉い人がなぜゴーサインを出して命令しないのか?というのが疑問
通常に散々悪い意味(ファン目線では)で乱入してるし、そういう貯金(ちゃんと決着がつかない場合が多数あるし、ファンも免疫済)があるんだから
その貯金をなぜ吐き出させないのか?というのがわからんのですよ。
普段の乱入がレスラーの格を守ったり、ストーリー持続のためにあるというのなら
ガチで片方のレスラーが間違いなく、格や今後のストーリー破壊の危機なんだからと思うんで… そりゃ客の心理として、どこかで事故を見たいというのがあるからじゃね >>552
昭和新日でそのゴーサイン出せるのはまあいいんじゃないの精神の猪木なんだよな >>554
ああなるほど、「行けばわかるさ」的な感覚と
その不穏さえも後に利用しちゃうハラが決まってるわけね? >>553
それもわかる、散々「ぶち殺してやる!」って事前に煽ってチケットを売ってるわけだから
本当に死人がでるとは思ってなくても、なにかそこに刺激を求めてるわけだから。 ブロディ対スヌーカを鶴田が乱入してぶち壊したのは大ヒンシュクだったな。 ブロディスヌーカー戦の鶴田乱入、鶴田が後ろからブロディにジャンピングニーやったらその勢いでスヌーカーもブロディもろとも吹っ飛んで、ダメージで動かなくなり笑ったわ >>547
そういう時には先ずレフェリーが対処するのが危機回避マニュアルだと思うけどね
高橋が「もし前田が変な気を起こしても自分なんとかしたから、猪木さんには前田とのシングルマッチを受けて欲しかった」と書いていたように
橋本vs小川の時も橋本が何度かタイガー服部に手を上げるそぶりを見せていた
おそらく反則決着を狙ったのだと思う
しかしタイガー服部は失神したふりをして試合を終わらせなかった
服部は長州派だから
前田vsアンドレはレフェリーがアンドレと一緒に来日した外人だったから、何をして良いか分からずあたふたしていた
なんで前田vsアンドレみたいな大きな試合のレフェリーをそんな人にしたのか理解不能 そりゃアンドレが仕掛けても知らんぷりできるからでしょ 前田が背後から長州の顔面に蹴りを入れた試合は、
長州が途中で逆エビ固めをほどいて、前田に迫って行って
他のレスラー達が軍団無関係で入り乱れて止めに入る状態になっていた。
最期は試合を成立させるために高田がフォールされて終わった。 >>559
橋本vs小川の時に控室で長州が健介に「試合をブチ壊してこい」と命令したという証言があるよね、山崎が言ってたかな?
でも服部レフェリーは長州派…だから意図的に橋本の反則狙いを無視、でも親玉の長州は止めようとする…真逆なのはどういう事だろう?
落としどころとして、服部レフェリーが無視したことにより橋本の権威は失墜した、「もういいだろ、頃合い良いとこで止めろ!」という事かな? 前田は越中を怪我させたのをみてもアクシデントというより加減しないで蹴り入れたようにしか見えないから、そりゃ健吾が明らかに逃げ腰で受けるのは分かる気がする。 昔、若手が前座でダルい試合してると猪木が藤原に命令して試合中でもシバきに行かせたとかあったよね。
ああいうのはレフェリーもびっくりするんだろうな。 全日でも両国にて長州VSフレアーにフレアーがドタキャンしてテリーが代打として出てテリーのキャリアを一時失墜させたのにも服部は加担して卑怯なやり方をしてる その後は世界的な規模でテリーのキャリアというよりステイタスは上がったしお互い齢取ったので後に新日で笑い話で済ませたらしいけど...昔から服部はマサ・長州の駄犬 塩介に指令があったとしたならば座敷犬以下のお手しか出来なかったという事かww >>565
記録上では決着ついても負ける側に気を遣ったシナリオってだけだろ
同じ全日のリングだとラッシャーがレフリーの不可解なカウントアウトで馬場に負けている
ましてや当時は阿部四郎がいたしな >>565
10年位前の新日ドームで「テリー軍」vs「ブッチャー軍」みたいな8人か10人タッグが組まれたけど
長州は「テリー軍」の一員として、大将テリーの先兵役みたいなのを務めてたな、もちろん入場曲はスピニング・トウ・ホールド
昔の長州vsテリーの微妙な後味が残ってたのか知らんが、試合後はやたらテリーを長州が立ててたな。 長州はどちらかというと周りを立てるタイプ
維新の頃は自分自身を売り出さなければいけない時期だからああなった チョリキとフジワのバワイぁ大変貌だったかんな。
チョリキはぁフジナを越ぇてもぉちゃりぃ、フジワはぁそのチョリキを踏み台んしたしぃ。
フジワのテロリはぁ良かったぞぇ。
後々にぃユダブとしてシンニプロレ復帰後にゃトップの一人だったしぃ。
アイダブではぁあのアンジャと引き分けとかぁ。
フジワもぉかなりぃ重宝されちょったんよぉ。
ワキガやアキレもぉ定番だったかんな。 セメント試合って内輪で大体予測してるんだろうな。
試合途中でいきなり仕掛ければそれなりに対処 そもそも不穏試合の元祖の力道山VS木村政彦もレフェリーもセコンドも止めていないね。
そのままやらせて力道山が木村をボコボコにしてKOして終了。 服部が異変察知して早めにノーコンテストにしてたら橋本もあそこまで商品価値落ちなかったんだよな。脱水事件の天山小島戦も京平は最後まで止めなかったがレフェリーはブック崩す権限がないんだろな レフェリー成り立てとかならそら無理だろうけど、マッチメイクも兼任するような権力持ってるレフェリーならそこらへんの裁量権はあるのでは
最初に決めたブックを忠実に守る、ってのが基本だろうからできるだけその流れを最後まで守ろうとするのでしょう >>574
京平はそういうのに対処できないボンクラじゃん
悪斗vsヨシコの時も傍観者だった 京平は熱中症の知識すらないのか天山の脱水に気づいてなくて単にへばってると思ってたらしい。小島選手は全日だけあって長時間戦う体力があるととんちんかんなこと言ってた。いくらショーといってもレフェリーは医療的知識くらいは身につけるべき。若者でも熱中症で突然死ぬことなんて今は多いんだから >>577
西村が天山に水掛けようとしたら、京平必死に止めてたなw 「練習中に水を飲むな、疲れるから」の感覚のままなんだろうな
ああいう人たちって、ボクサーがラウンドのインターバルに水を飲むのをどう解釈していたのだろうな? >>573
ブック破りの異変を察知したら
高田戦のバービックみたいに試合放棄するのが
正しい判断かもな。 >>578
真っ先に西村が天山が脱水症状なのに気付いて水飲ませようとしたが間近で見てる京平は気づいてなくて京平いわくセコンドが水飲ませる行為は反則だからやめさせてたらしい 練習中に水飲むなは、昔の軍隊の訓練からきてる。
海外に派兵されると行軍中に安全な水を飲むことは難しい。良くて水あたり、下手すると赤痢やなんかになる。
特に東南アジア等の熱帯地方。
なので、国内で何時間も水を飲まずに慣れさせる訓練をさせる。
その名残。 蝶野が修行したCWAはラウンド制だったから水も飲めた
オットー・ワンツ なんてあんな体型じゃ途中で水を飲むのは必須だろう
そういえばIWGPにも出場してたが、終始ゴロゴロ寝転がったような、寝技なのか休んでるのかよくわからんスタイルで退屈だったな…
なんであんな試合っぷりでドイツの総帥としてカリスマ的な人気だったんだろう?
プエルトリコのカルロス・コロンがヒーローなのと同じかな? >>581
京平も四天王時代に、三沢や川田が試合中に大怪我負っても試合成立させてた事で失態が表にでなかっただけで
天山小島戦や、例のヨシコの試合で、異変に気づいてても何も出来ないのが実情ってのがバレたね。 京平は90年代以降、樋口が勇退してから確実に選手より全日本の上司という意識をを持って仕事してたろ プロレスの統一コミッションルールなんてないのに天山もヨシコの試合もアイツの只の自己判断だろ それにジミー鈴木のチャンネルに時々見かけるが過去の記憶もメッチャメチャ曖昧になってきてる Gスピの検証とかにはもう呼ばれなさそうだ 週プロの特集記事で、日プロのNWAタッグリーグ戦決勝で猪木がパートナーの星野がインターバルに水を飲もうとしたのを激怒して止めたことを美談に書いていたな。 イギリスで佐山とよく組んだビッグダディとかいうジジィがいただろあんなのは見世物小屋の類いだが ワンツはオフィシャルでAWAチャンピオンになったからな 政治的にも金銭的にもガニアに貢献したのだろ あとどんだけ塩でも重いレスラーは敬遠される ハンセンブロディがブラックウェルとの対戦を嫌がっていたのは事実 身体に負担がかかるヤツとはプロとしては美味しくない 基本テクニックを覗けば総合でもそうだが基本体重差身長差に勝る者はない 日本プロレス時代の話、真夏の熱帯夜、熱戦でジャイアント馬場も熱中症に成りフラフラしながらやっと控室に戻ったが意識もうろう状態
慌てた若手レスラーたちが総掛かりで馬場の巨体を風呂場に運んで水を30分かけ続けて回復させた
その陣頭指揮を取ったのが山本小鉄で後で馬場さんが小鉄おまえのお陰で死なずにすんだよと感謝したそうだ 熱中症の処置で水摂りすぎて血液の塩分ナトリウムが薄くなる症状(水中毒)と言うのもあるから、
脱水とかでの補給は浸透圧の優れたスポドリが良いとか >>590
大阪でドリーの挑戦を受けたインター戦だね。
冷房が無く、中継用ライトに照らされたリングは40℃以上あったと云われている。
馬場は試合終盤意識朦朧となり「お母ちゃん助けてくれ~」と叫んでいたと語っている。
ドリーも「オーブンで焼かれるチキンの気持ち」と回想している。
ちなみに馬場にホースで水をかけたのが新弟子だった藤波。 俺らは灼熱の旧大阪府立のリングで60分近く平気で戦ったもんだと、天山脱水事件の後前田が語っていたけど…
前田そんな試合してたかな あえてドリーの事を尊敬を込めてジュニアと呼ばさせてもらう ジュニア戦では馬場は物置と控え室のドアが分からない位疲労していた ジュニアは控室で灼熱地獄の後に嘔吐していた だがジュニアの真の凄さは2日後に馬場戦を越える猪木との名勝負をやってのけた事だわ >>592
ドリーの回想は後にインターを初獲得した時の月プロに載ってたな >>595
福岡でのNWA戦か
猪木戦としても前年の大阪よりこちらが上というファンもいるな >>588
ビッグダディは父もプロレスラーで若い頃ジョイントプロモーション認定のヨーロッパヘビー級チャンピオンに二度なってる
この王座になった他のレスラーは、ビリージョイス、ビルロビンソン、ホーストホフマンなど
それ知ってて見世物小屋レスラーって言ってる? >>595
3日後だよ。馬場vsドリーが30日。翌31日は休み。1日は熊本で2日が
福岡のドリーvs猪木。若かったから一日の休みで回復したんじゃないかな。 結局天山小島戦は互いに団体の看板かけてたから60分ドローの予定だったの?京平はあのまま引き延ばしたら暴動が起きそうだったので10カウントいれたと言ってたが。 オールスター戦で猪木がシンをフォールしたのは猪木とシンが共謀したブック破りだとかいうのをかつて5chで見たが、それはあり得ない
3カウント入れたのは馬場の側のジョー樋口だから
もしブック破りだとしたら、肩が上がっているとかしてカウント止めるはず 仮にシンからのピンじゃないブックがあったとしたら何? 両リン? 試合後に猪木が対戦要求したのは、馬場にとっては本当に
寝耳に水だったようだ。あの満員の観客の中で「受けません」
なんて言える訳ないじゃん。言ったもん勝ちというか。
あれで、馬場の猪木に対する不快感は拭えないものになった。 ↑ 昔からそれは有名な話ww 仮に当初のブックが結果と違うのかを尋ねているのだが オールスターの翌年に全日社長交代から考えるに、全日経営難を知ってた猪木新間は、猪木馬場戦が実現するそして勝ちブックを得る可能性を感じてたから布石としての対戦要求じゃないかと邪推してしまう おーなるほどコメ! 当時は長州ブレイクやタイガー登場の前なのでマスカラスやファンクスの人気で潤っていなかったの? 連投スマン 「石橋を叩いても渡らない馬場」と揶揄されていた様に対戦要求くらい念頭になかったのかな? 話はやや横道にそれるけどドリーがかつてレイスと組んだ時に「対戦相手より注意しないと行けない存在だった」と語ってる様に最悪試合中の相打ちからのブック破りとかも想定しそうなんだけど >>611
すまん記憶間違いだった それなら邪推の余地ないな 映画四角いジャングルに新日レスラーたちのトレーニングシーンがあんだが
猪木、夏のクソ暑い道場で長袖でトレーニングしてんだよw熱中症対策らしいがご苦労なこった、昭和だなあ 1977年8月 東京の最高気温平均 28.4度
2023年8月 東京の最高気温平均 34.3度
気象庁データより
昭和と今では温度が違うからなあ 昭和ってこんなに涼しかったのか、そーいや夏休み無理やりプール実習とかやらされたけど朝とか寒くて寒中水泳みたいになっていたのを思い出したw 1978年は猛暑で東京の8月の平均最高気温はそれでも33.0度と昨年より低かった そらそうよ小学生の頃はサッカーやってて、シュート決めるまで水飲めない練習とかやってたけど
今だったら児童虐待 なんで旧大阪府立体育館は冷房設置しなかったんだろ?
蔵前とかは冷房あったんでしょ? >>615
77年の関東は冷夏でずっと雨だったんだ。関東のみ冷夏で、中部以西は普通の夏という
変な年だった。 >>604
前の日の晩に「シンに了解が取れた」と言いながら猪木がホテルの階段を下りてきたという話を桜井康雄がしていた >>616
ラジオ体操行くときはヒンヤリしてたな
お袋に朝の涼しいうちに宿題しなさいと
よく言われてた。 夏休みの宿題は涼しい午前中に、とか言ってたな。全然やらんかったけどw
話は飛ぶがレスソントンって海軍出身らしいが、ああいう世界にいると
たとえ佐山が幾ら格闘技術があっても屁とも思わなそうだなあ。
デビッドショルツもベトナムで従軍経験あるし、修羅場見てるせいか
ヤバそうなオーラあったよw 前田の夏っていうと第一次U時代の大田体育館での佐山戦だな、ホントの意味でのラストマッチ
前田が初めて佐山に勝ったいい試合だった、最後の渾身の片エビ固めも説得力あった、喜ぶ前田を称える佐山、クソ暑い夏の夜だったが爽やかだった >>621
桜井の立場でプロレス=八百長なんて言うわけないだろ
バカかお前 >>625
「新日本プロレス10大事件の真相」(宝島社)のP100に載ってる。
最初はドローで決まっていたが、グランドパレスで猪木が馬場に「シンと話がついた。自分に取らせて欲しい」と言い出したとある。 >>626
その見返りで新間がUWAに交渉してシンにUWAのタイトルを巻かせたとか。
更にそれに便乗した猪木が色気を出して自分もUWAを巻いた。
その後は猪木とシンの間で新たな抗争ネタとして使われた。
結果的にUWAベルトは本国から離れて1年以上も日本に貸し出す形になった。 マードックも海兵隊だし、ジェシー・ベンチュラはネイビーシールズ出身。 ジェシーベンチュラと言ったらプレデターだろ、あれはSFアクション映画の最高傑作だ
ベンチュラさんすぐに死んだがガトリング砲を機関銃代わりにする怪力無双キャラはインパクト抜群だったw >>631
最高傑作はどうかなあ…肝心のプレデターの見た目が弱そうじゃん
途中までの姿が見えない描写は恐怖感を増大させられて緊迫感マシマシだったが、正体が明らかになったら「ただの河童じゃん…」 >>630
ベンチュラはプロレスは激塩だったが
プロレスが上達しなかったのは軍の任務に比べれば楽な仕事としか
思えなかったからかも What the hell are you!?
オマエハ イッタイ ナンナンダ アドニスとベンチュラがAWAからWWF入りしてそのルートで猪木とのワンナイトマッチで来日だったな
ベンチュラが塩だったのでアドニスも不安があったが、こっちは見事に日本に馴染んだ
しかしベンチュラみたいな金髪筋肉サイケコスチューム系選手は押並べてショッパイ アメリカなら大受けなんだがな ベンチュラはマイクパフォーマンスというかインタビューも上手だったんじゃない? 本家のビリー・グラハムはマネジャーのグラン・ウィザードが喋ってたけど
ベンチュラはマネージャーのブラッシーを差し置いてしゃべくりまくってたからね
ハンセンも意外とマイクパフォは上手いというか素で南部訛りなんで
特にNYみたいな東部だと南部訛りというだけでインテリの地を隠して粗野な
レッドネックを演じるのが楽だった まあ、ベンチュラは政治家になるような人なのでベシャリはお家芸なんだろうな
ハンセンも教壇に立った経験もあるくらいだし、頭のいい人。文武両道で国際結婚してる人って地頭も良いんじゃないかと思ってしまう 最近ちょいちょいローラン・ボックの動画をアップしてる人がいるけど、いったいどこで手に入れてるんだろう ハンセンがWCW時代、噛みタバコでヨダレダラダラ垂らしながら喚き散らすシーンは良かったね。 WCWは以前のハンセンのホームテリトリーだったアトランタが本拠だったせいか
ハンセンもNYでの極悪カウボーイと違って
子沢山でもとっと稼げカミさんに小言を言われてると愚痴るようなちょっとコミカル
なキャラになってたw >>628
その結果シンと抗争させられたカネックはシンのあまりの狂乱ファイトに嫌気が差して
UWAを離れてEMLLのリングに上がるようになってしまった。
それで全日に行くのでは?という噂まで上がってしまうようになった。
馬場が呼ぶ気が無かったから実現しなかったが一つ間違えばカネックを
失うところだった。 >>642
それってホーガン主演の映画「ゴールデンボンバー」で、ハンセンが演じていた酒場の親父とキャラが重なるな
やや唐突に感じた90年のWCW登場はやはりあの作品の効果かね >>644
元々あのキャラはジョージアマットでハンセンがベビーやってた
時のキャラ
エースが小柄なリッチやミスターレスリング2号だったから
気のいい大男キャラのハンセンが巨漢ヒール相手に前哨戦でぶつかって
やられ、小さなリッチやレスリングUがハンセンの敵打ちに乗り出すと
いうあの映画の筋書きそのまんまw
ヒールターンするとトップヒールだけど、ベビーターンすると二番手
三番手というローテをジョージアで何年もやってた >>623
単に軍隊にいたというだけで相手に幾ら格闘技術があっても屁とも思わないのなら、
ほとんどの韓国人男は相手に幾ら格闘技術があっても屁とも思わないほど肝が据わっていることになるな >>646
部署による
海兵隊は全員が精鋭に、特殊部隊なら殺人マシーンに鍛えられるけど
一般の陸軍兵なんかは日本の学校の部活のほうがよっぽど厳しいくらい
だから海兵隊は自分たちをボーイズ、陸軍兵をお嬢さん(ガールス)と呼んで
馬鹿にしてる 日本人って平和ボケ(軍隊とかに馴染みがない)のせいか、軍隊を異様に過大評価するね
武器を使わない一対一の闘いでも軍人の方が格闘家よりも強いと思ったり
山本KIDがレスリングの試合に出て負傷させられた時も5chで
相手の井上が自衛隊所属だったことを殊更強調して「格闘家よりも軍人の方が強い」と言われたり
その井上に決勝で勝った湯浅は軍人でもなんでもないのに 海軍はエリートみたいなことはよく聞くねw あと空軍も
そりゃ陸地で足付いてるんだし、攻守に関してはレベルは一段下なのかも知れん・・ 主語がでかすぎるんだよ
軍人にも強いのもいれば弱いのもいる
格闘家だって強いのもいれば弱いのもいる
それだけの話 徴兵されるのは素人だから誰でもできる陸軍。
喧嘩の強い奴は海兵隊に回されるかも。 >>650
そもそも発端は>>623の「レスソントンは海軍にいたから」というもの
レスソントンは凄かったのかも知れんが、それを>>623は海軍経験に帰して
まるで海軍出身者は凄いというように主語を大きくしている マサ斎藤が「ジェシー・ベンチュラは話術の上手さの人だ」と言っていた
リタイア後に向こうで解説者をやっていた位だからね。
知事に当選したのも話術の上手さが大きかったんだとか。
日本じゃその話術が生かせないから「期待外れ」評価になる。 >>653
ジェリーローラー、マイケルヘイズら「日本人には良さが全く分からないアメリカのスター」は大抵そのタイプ >>647
映画とかで軍閥でいがみ合うシーンがよく出てくるもんな。 >>655
うろ覚えだから自信がないし、間違ってたらすまんけど
クリントイーストウッドの「ハートブレイクリッジ」という映画は
陸軍古参のガンコオヤジが、海軍上がりの巨漢のナメた若者をタイマンでブチのめすシーンが出てくる
ブチのめされた若者は素直に従順にオヤジに従うようになり、いっぱしの兵士になり戦士するんだが…
なんか陸軍の意地みたいなものが垣間見える映画だ。
馬場の師匠のフレッドアトキンスがこんな人なんだろうかなあ?とイメージしたことがある。 失礼、よく調べたら陸軍じゃなくて海兵隊の古参オヤジだったわ… >>653
トークは達者 ファイトは大味でガバガバなー >>654
本国で売れても明らかに日本では売れなかったのは何人もいるね。
ローラやヘイズは最たるもの。
スローター、アトラス、ダンカン、アイアンシーク、オンドーフ、ベンチュラ、ボルコフ
彼らは日本ではイマイチかそれ以下。
WWF中心になってしまったけど。
逆にWWFには殆ど定着せずに日本で売れたのは主にハンセン、ブロディ、シン、ブッチャーあたりか、 アメリカでの陸軍は内戦や日本の自衛隊みたいな仕事が主で
やはり他国に上陸して侵略していくのは海兵隊
当然ながら差別は生まれる 原田久仁信がディック・マードックを描いたら海兵隊員みたいになってしまったが、マードックは本当に海兵隊出身だと知って驚いた話をしてたな フレッド・ブラッシーもマイクが上手かったそうだが日本では無理よね。長州と藤波のマイクも何言ってるか分からなかったけど 90年代(平成)以降、日本もマイクアピールは煽りとして定着したな。
昭和と言えば新日だとラッシャーの「こんばんは」か。その後全日で花を咲かせることになったがw
まあ昔はプロレスも相撲(角界)のような感じで、リング内外において多くは語らずその佇まいで存在をアピールと言う雰囲気だった 長州や前田もこの前話していたが、福岡のホテルの怪談薄気味悪いよな
特に現場に居合わせた長州の話は臨場感あり怖かった、あれは一級のホラーだわ、前田によるとウイークエンダーでも取り上げたそうだ 坂口はマイクアピールも分かりにくいけど、偶にゲスト解説で喋らせても何を言っているのか分からん。佐々木アナが猪木にビンタされる前に坂口にもインタビューしているけど滑舌が怪しくて喋りの内容は覚えていない。 もう俺が見出した頃の坂口は背中が丸まってておじいちゃんのイメージだった
迫力のないジャンピングニーに、絶対バックドロップにいかないアトミック
加えて冴えないスポーツ刈り >>660
オーンドルフは前田戦で潰れたのが大きいな
ジョンスタッドも新日では扱いが悪かったね
長州に負けたうえにシリーズ途中リタイアで完全に終わった プロレスにifは色々とあるけど、坂口が全日本入りを選んでいたらプロレス史が全く違うものになっていたことは間違いないよね
馬場は坂口が全日本に来ていれば自分の後継者になれた、って言ってたそうだけど本当にそこまでの器はあったのかな、全日本スタイルに馴染んで上手くいった可能性も? > 馬場は坂口が全日本に来ていれば自分の後継者になれた、って言ってたそうだけど
本当に? 経営的な意味では坂口は後継者なれたんじゃない?
鶴田には無理だし三沢も良いプロレス経営者とはいえないし まあでも何て言うのか、実際辿ってきたプロレス史もかなり「事実は小説より奇なり」という感じで相当な紆余曲折を経てきたと思う
仮にもしあの時こうなってれば、と妄想をしたとしてそれなりに別のプロレス史が構築されていっただろうけど
果たして今まで実際にあった史実と比較にならない歴史ができたのかと言うと、さほど・・って思いもあるw 逆に猪木のほうが坂口という参謀なしには新日を大きくできなかったことになるのか 坂口は名より実を選んだ
全日に行けば選手ギャラしかもらえなかった
新日では経営に携われて巨額の金を手にできた 坂口なしだとNETがつかないから新日はノーTVで73年かよくて74年で詰んでたろう >>672
坂口も自分がオーナーとして経営する道場は4年くらいで潰しちゃったからな >>674
新日本にNET持ってきたのって坂口って話だし、そこらへんとか後の社長時代の功績も考えると新日本に貢献したポイントがデカいと思うんよね
それが丸々無くなるって考えるとプロレス史が大きく変わるんでないかなと 昔、週プロの中程ページの読み物で「もしも新日本プロレスから誰も離脱者がいなかったなら」って妄想コラムがあったんだけど誰か覚えてる人いませんかね。 坂口が全日に行くタイミングは馬場が独立((全日設立)するときか、日プロ崩壊時かで様相が違ってきそうだな
前者だとNETがからむし、後者だと大木がクチ挟んできそうだな >>669
オンドーフは、やる気自体がなかったという感じだ。アメリカでは
時期NWA候補とも言われてた位なので、今日は負け試合と言われて
納得できなくて、とっととフォールされてやった風に見える。 新間寿が猪木ではなく坂口征二担当ならその後の世界は変わっただろうか >>681
オーンドルフもスタッドもあちらではトップ級なのに
新日で猪木ならまだしも若手の前田やチビの藤波長州に負けるんでは
確かにやる気なくすのも仕方なかったな
ボビーダンカンもディノブラボーもしかり テレビがついたのが最大だと思うけど、主軸のレスラーの面子も大事だと思うよ
よく全日本が順風満帆の船出と言われたらしいけど、馬場以外には日プロ時代に来日した外人ばかりで新鮮味がないし
鶴田をデビューさせても所詮はまだまだ新人だし
片や新日本は日プロ時代でいえばbQの猪木にbRの坂口、それにS小林まで入団した
日本人の三本柱を抱えてるのは強いよ、カード編成でシングルならお目当てのカードが三試合組めるんだから…
「馬場+鶴田+有名外人(新鮮味なし)」と「猪木+坂口+小林」
リアルタイムでは知らないけど、当時にファンなら自分なら後者を見に行きたかったかもしれない
三年目ぐらいから新日優勢、新日がWWFと組んだ時点で全日にはもうアドバンテージは残されてなかった感じ…? >>660
パイパー、ムラコ、スタッド、パテラ、バンディも追加。 >>684
坂口との合流以降は概ね視聴率も動員も新日が上
全日は旧態依然の劣化版の日プロだった
デストロイヤーが居なかったらかなり陰気だった >>672
当時から不仲説の元子との折り合い考えりゃ
新日選んで正解だわな。猪木には振り回されて
尻拭いしてきたけど、晩年は平穏なキャリア
送れたし。 >>687
全日は殆どのとこでゴールデンでやってたけど、
新日はNET系列のあるとこしかゴールデンじゃなかったので、
全国的にみると全日のほうが優勢じゃないのか?
この頃だと猪木より鶴田のほうが知名度ありそう。 坂口新日移籍は美津子夫人の内助の功もデカい、坂口の奥さんはちょっと女優やっていたキャリアがあり
憧れの倍賞美津子から旦那さん新日に来るように言ってくださいとお願いされ感動し坂口新日入りを猛烈に後押しした
その他倍賞家は新日プロレスを様々にバックアップした、これが半年持たないで無ければ潰れてた タイガー・ジェット・シン、坂口征二、倍賞美津子、この3人が新日救った三賢人だよ
ゴッチ、新間、小鉄なんてこの3人の功績と比べたら鼻くそレベル 坂口憲二がケイダッシュに在籍していたのは猪木と其処のお偉い方の繋がりは関係しているのもあるかも。 坂口の功績はブッカーとしていい外人レスラーを呼ぶようになったことだな。
猪木はアメリカの信用が全く無かったし、当時の新間もまだまだだった。
坂口はかつて遠征した五大湖地区に上手く入り込み、この辺りのレスラーを
呼べるようになった。馬場もこの辺りは遠征経験があるが、最初からNWAに
ガッチリ食い込んでいたから、この辺りは空白区だった。そこに坂口は上手く
入り込んだ。手助けしてくれたのが、かつてマネージャーをやってくれたジョージ・カノン
というレスラーだったようで、シンもこのルートで見つけたらしい。又NWFもこの
ルートで手に入ったという説もある。 >>691
そうだね、何の雑誌か忘れたけど、猪木のインタビューで
「T・J・シンが、いなかったら新日は確実に潰れてた」
と発言してたような記憶がある。 >>694
ピーターも「シンには足を向けて寝られない存在だった、奇跡的な救世主」みたいに言ってたね
シン登場以降は客入り目に見えて良くなった(シンが来日しない興行でも)って言うし
ゴッチが新日本で果たした役割は大きいけど、興行面で爆発的なプラスをもたらしたか?って言ったらそんなことないからねぇ 子供の頃に見たシンは嫌いだったな
反則ばかりで単純につまらなかった
子供にはシン上田組は陰湿に感じたな >>696
自分は年齢的にシン上田は全日時代の方が多く見てるが
「決着のつかない大物」ってイメージ
両リンが当たり前の時代であったが、それでもなお突出してた感じ
シンはまだコブラクローやブレーンバスターなどで3カウント決着があるが
上田は肩口と脇腹のクローばかりで、フォール勝ちを見た記憶がない。 子供の頃にシンの反則ばかり見せられて一時的にファンクスやマスカラスブラザーズの全日の方が面白いと思った
ダスティローデス、ペドロモラレス、グレッグバレンタインが来日した闘魂シリーズはシンが主役じゃなくて興奮したな 上田のシングルマッチのベストはハンセンに一方的にシバかれまくってラリアットでピン負けした奴だな。 新間の初期の一番の大仕事はS小林を引き抜いて負けブックを飲ませたこと
あれで新日>国際が確定して、実質的に国際の息の根を止めた ほかにはヤマハブラザーズが国際のG草津・A浜口組に勝ってるんだっけ? 新日は小林が退団決意するまで嫌がったグレート草津にも感謝しないとなあ、素晴らしい援護射撃 猪木、坂口と草津って会ったことがないんじゃないか
というくらい接点がないな WWF、メキシコ団体と業務提携できたのは
新間の功績が大きい。おかげでNWA加盟
しなくてもニューヨークのスターレスラー
上げれたしタイガーマスクのライバルにも
不自由しなかった >>704
ビンス・シニアについて「大事なお客様を普通の部屋に泊まらせるな!」と
スイートルームを用意したんだよね。それもあったのでビンス・シニアの時代は
一流レスラーを惜しげもなく送り込んでくれた。
ジュニアの代になったらリセットされたが。 新日本プロレスとしてはNWA加盟できなかったが
坂口新間は個人会員として1975年8月に加盟できた
当時はWWWFもNWAに加盟している 草津と坂口は似てるよな、中身は酒乱で乱暴な草津さんと温厚な常識人の坂口さんって大分違うけどw 草津が新日に来てもせいぜい星野の上、のちのキムケンくらす程度の扱いで終わっただろうか。
サンダー杉山だって一時的に参戦したがほとんど役に立っていないし、
浜口はその点扱いがよかったほうだな。 >>705
リセットというか1985年で新日とWWFの提携契約が終了
契約延長の条件がこれまでの提携料にプラスしてホーガンアンドレは別途契約料という条件を新日が蹴った
WWFはアメリカでのビジネスが大きくなって新日からの提携料はいらないくらい成長した まあ両者にとっては関係が潮時と言うのか、新日も日本人主体が定着してたから無理にギャラ払って外人に頼らなくても
充分試合を沸かせることが出来た 結局前田も長州も出戻って世代交代とか昭和新日後半の全盛期的なものが訪れる 関係が切れた時は維新軍はいなくてUは戻ってきてないから
あの時点での関係断絶は痛いものがあったと思うけどな
ただ85年の初め辺りからWWFとの関係を見直す噂はあったね 新日本ってNWA加盟してどれくらい得があったんだろ WWFの契約が切れた時点で主要外人はブロディ・スヌーカ・マードックぐらい?
それでH・ヒギンスやD・シュルツを呼んで新エース候補に…だけどブロディとスヌーカがタッグリーグで消えちゃって
H・デュガン、翌年にウイリアムスという流れだっけ?
特にH・デュガンは第二のハンセン候補で正月に猪木と一騎打ちしたけど、変なパフォーマンスばかりで失笑されまくり
結局はウイリアムスとビガロが二大外人というイメージ、流れが間違ってるかもしれないが… >>713
新間が犬猿の仲の馬場と組んで「ネルソンロイヤルのジュニア王座はニセモノ」ネガティヴキャンペーンやったことがあったな。 84年頃からビンスジュニアが次第に親父に変わって頭角表し始めて、全米侵攻の狼煙みたいなのを掲げていて
新日との関係も親父ほど懇意には捉えずあくまで金銭的なドライな関係で維持できればいい程度だった
そりゃアンドレやホーガンに度々穴開けられると向こうでの自分のプロモートに影響出るし手放したくないだろうw 新間寿は坊さんだけあって口先は達者だけど、iwgpの人選セコくて国際のIWAシリーズのほうが豪華だったりUWFでしくじったり良く分からない >>714
まあおおよそそんな感じ、あとはエリックランドからの一時的な協力があり、ブロディも復帰したがやはり水が合わなかったな。 >>715
肝心の“国際が次期シリーズで参加・防衛戦を発表した…”が抜けてる。 そのネルソンロイヤルのベルトがタイガーマスクのNWA世界ジュニアヘビー級王者のベルト
このあたりが新間の最盛期かもしれない 当時の主力は8ゴ年はブロディ一本の印象が強い。
でも最後の最後でやらかして(やらかされてまった。
他の外人達は疎かというか補足みたいな扱いに思えた。
バンディもこの年に待望の初来日したのに活かさず。
これはバンディ自体が日本が合わなかったのもあるけど。 「馬場さんこりゃ由々しき事ですよ!」と言ってタイトルブッコ抜くんだよな
万里の長城といいそりゃ長生きするわ 過激な仕掛け人新間寿を作り上げメジャーにしたのは梶原一騎の功績だよ
梶原一騎原作の格闘漫画四角いジャングルで新間はアントニオ猪木猪木の名参謀、アリ戦を実現させた敏腕マネージャーってキャラ付けで大活躍し一気に知名度が上がったからな
梶原の功績もかなりのもんだよ、あの人は新日ブームに間違いなく貢献した名プロデューサー ただ、新間はリングに上がってないからなぁ。元プロレスラー
という肩書があれば名マネージャーとしての箔がつくんだけど。
あれじゃぁ、ただの出しゃばり社員にしか見えない。 月刊時のゴング(別冊?)に第一特集&表紙にされるくらい 流石に当時のプヲタでもどうなんだろね? 自己プレゼンかな? オレは別の目的(ピンナップ?)で買った記憶がある ブロディが来たところでアンドレ戦、ホーガン戦も組みたかったよねぇ。
その辺が新日の下手なところかな。出し惜しみして出さなくなっちゃうというw
かつてはバックランド・ローデスvsハンセン・ホーガンとか、
外人勢同士の強力な対決が見られて面白かったんだが、
テレビマッチで注目を浴びた外人勢のタッグマッチは、
84年末のアンドレ組とマードック組が最後だったのかもしれない。 訂正
85年のブロディ・スヌーカvsマードック・スーパースターがあった >>727
そのへんの大物はNYの決済が必要で新日で
自由に勝敗決めれないでしょう。たとえ
実現しても両リンか反則がらみしか無理 エリック兄弟の負けブックにもフリッツの許可が必要だったってホンマかいな?
ケビンとデビッドが全日本でアジアタッグを獲得したがシリーズ最終戦で失った。
全日本側の事情による短命繋ぎ王者役にもフリッツの決済を仰いだのだろうか。 >>727
ブロディが新日に移籍した1985年はレッスルマニアが始まった年でホーガンも簡単に日本に呼べなくなってたから 1984年のMSGタッグの時点で、ホーガンは開幕戦だけ出場で帰国と言う
日本を舐めた扱いだったからね。 ホーガンの1984 第五回MSGタッグリーグ戦の初戦だけで欠場は謎がある
表向き怪我実はWWFのスケジュール優先と言われてるが
MSGタッグリーグの期間中(11/16-12/5)はホーガンはWWFマットには上がっていない
WWF復帰は12/9からでMSGタッグ用にスケジュールは調整されてた
これ詳しい人いる? >>729
あの年にアンドレ−ブロディが実現したとしても、
ワカマツがかきまわして試合にならないという事態が目に見えるね。
ホーガン−ブロディも両リンか反則決着は必至。
ただタッグマッチなら相棒が負けることは可能なので、
例えばホーガン・スーパースターvsブロディ・スヌーカはありだったと思う。 >>733
ホーガン「タッグリーグは今年は出たくない、調子悪い」
新日「そりゃ困る、もう前売りは売っちゃってるしアンタが来ないと、今は維新軍もいないし…」
新日「そうだ開幕だけ来てよ、ケガで帰っていいし、開幕の時点なら前売りはだいぶ売れてるだろうし」
みたいな事があったか知らんけど、WWF王者として半年以上もサーキットしてきて
単にダルくなったとか?
日本で二週間も遠征した後に、すぐに本国で試合じゃキツイとかさ…
以前にG1で長州がキツイからと、マシンに欠場させて不戦勝とかやったみたいに…。 ハルホーのバワイはぁ適したタグパーはぁ見当たらんぞぇ。
ジャパニでぁアノキやスタハがぁー適したタグチーっちゅうにぃ。 1984年2月アイアン・シークからWWFタイトルを取り押しも押されぬアメリカンプロレス界のスーパースターになったホーガンにはもう日本に行く意味は無かった
義理で第二回IWGPシリーズにスポット参戦しただけでもありがたい感じだったなあ、もう別次元の存在感だった、この翌年からレッスルマニアもスタートしたよな アンドレ・ホーガン組vs新日黄金コンビはテレビで見たかったなあ
実現しないとわかってマシン軍相手に猪木アンドレでお茶を濁したが
アンドレのダーッだけはよかったw >>734
業を煮やしたブロディが若松を半殺し
それにブチ切れたアンドレが… というのはないかな?
あと 「決裁」でしょ みなさん >>739
85年IWGPでそのカード実現したけど
黄金コンビと言ったって当時の坂口って猪木、アンドレ、ホーガンよりは明らかに下の位置付けだったから
坂口が負けるってのは容易に予想出来たからなあ
↓の質問者と同じ気持ちだったよ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14160637779 >>730
ミスター高橋が、武藤がケビンからピン取るとき、フリッツの了解を取ったらしい。ケビン接待中に、本人から、お願いされたとか。 >>741
勝敗は最初から分かっているうえで、坂口がどれだけ粘れるかが注目というのは、
あの時の新日パンフ闘魂スペシャルにも書かれていましたな。
ちなみにその知恵袋ではホーガンが勝ったことになっているが現実にはアンドレでした。 そもそも猪木ってタッグリーグで最初はバックランドと組んで優勝
次は藤波と組んだが優勝を逃したためホーガンと組んで優勝
ホーガンがシリーズ参戦は出来なくなったため藤波と組んで優勝
その後ようやく坂口とのコンビで参加だから
正直どこが黄金コンビ?と当時思った 日プロ時代の第二回NWAタッグリーグ戦は猪木坂口組で優勝してるから黄金コンビなんだ
なお第一回、、、 >>745
外れ企画だったが猪木のために開催されたタッグリーグだったからなぁ
今でも観てみたい猪木・星野vsニック・クイン、猪木・坂口vsコワルスキー・オースチン しかしホーガンって日米双方のプロレス史で見てもまれにみる速攻の出世ぶりだな。って歴史全部見てるわけじゃないけどw
70年代後半あたりから次期世界王者候補という括りが注目されて、リッキーやフレアー、スレーター、デビアスなんかが
顔を並べてたが、そういったメンツを飛び越えてNYで一気にスターになった感じ。事実、次期候補のデビアスをKOという破格の待遇
まあNWAに縁は無かったんだが、とにかくそういった同世代の中で後発ながら群を抜く存在だったのは確か。 俺は好きじゃないがホーガンは新日で猪木からAWAでニックからレスリング学び直したけど習得出来るポテンシャルがあったんだろうな 後ルックスもそれなりに映えていたんだろうアメリカ人は禿に対してそこまでネガティブじゃないらしいむしろ男性ホルモンが強いと思うとか..テーズ、ガニア、ドリーなんかの一流にハンデにならなかったらしいし ドリーが王者だった時はまだ髪が有ってカッコ良かったし テーズだって全盛期は(’48〜55年)は、禿ではなかった
晩年70年代は薄くなったが、それは年齢相応。30代から薄かったのはガニア
ハゲ隠しにカツラを被ったのはサンマルチノ、マスクを被ったのはコワルスキー 昔はよく、てっぺんハゲはアマレス猛者の証って言われてたが本当か? 永島とターザン山本で新団体作ってほしいな
今のプロレス界に2人の力が本当に必要な時だと思う
エースには全日で燻ってる本田竜輝、他に立花誠吾を引き抜いて選手育成にも努めてほしい >>753
ブリッジばかりやってるからハゲるから? ジョニー・パワーズもカツラ
カツラで有名なのはその3人だね >>747
名実ともに全米規模の大スターになったのは
ホーガンは初だろうしな。それ以前のテーズや
レイスがホーガン並みの知名度あったかといえば
疑わしい。 >>735
ホーガンのパートナーがワイルドサモアンという時点で、やる気が感じられんよね いやいや、ホーガンの前にアメリカにはゴージャス・ジョージ
という、日本では全く無名の国民的スーパースターがいたよ。
ホーガンを軽く凌駕するくらいの知名度を誇った。 >>763
俺もゴージャスジョージのこと書き込もうかと思った
ただホーガンはゴージャスジョージより同時代的にも歴史的にも知名度高い やはり映画、テレビのメディア影響力は凄いね。馬場と猪木もそうだが 1940年代後半アメリカでも新しいメディアだったテレビで最も人気高いコンテンツはプロレスだった
当時はまだスタジオからの生中継しかなくその為プロレスのスタジオマッチは相性抜群という理由もあった
ゴージャスジョージはその黎明期の大スター、ヨーロッパの落ちぶれ貴族、嫌味なキザ男ってキャラが大いに受け人気者になった
トラッシュトークも上手く、あのモハメド・アリがジョージのショーマンスタイルを参考にするほど そんな時代の寵児のゴージャスジョージだが彼は身体が小さくセメントが弱いってプロレスラーとして致命的弱点が有った
弱い奴は消えるのが当時のプロレスのシビアなところ、ゴージャスジョージも実力派デストロイヤーに制裁マッチで半殺しにされ負けて坊主に成りマットを去った
だがジョージのキンキラキザ男ってキャラは雛形となり、バディ・ロジャース、ダスティ・ローデス、リックフレアーなどの名レスラーを生む >>747
ホーガンは胸毛剃って黄色タイツとレッドシューズ
ブロンド、日焼けで全く違うイメージになった。 >>767
弱い奴はすぐ消える云々は嘘だ
ゴージャスジョージは1932にはデビューしてる
引退は1962で47歳で翌年肝硬変で死亡、デストロイヤーとの試合はマスクコントラ髪マッチ。
35年間死亡する前年までプロレスラーやってたのに、弱いからすぐ消えたは偏向記述 アンドレのアフロみたいな髪型もヅラだったらしいけど、誰もアンドレの頭に手が届かない >>751
ドリーも30代から薄かった
王者時代はまだ20代だったから髪が有った >>758
ゴタツや宍倉のブログもやたら読点が多かった >>762
アメリカンそのもののホーガンと南洋のサモアンってコンビとしてちぐはぐすぎると思った。
ホーガン欠場の穴埋めにアティサノエ参戦させてタッグ組ませるためにサモアンにしたんだなw
でもそれならヘニングをそのまま出場させホーガンの代わりにシャープでも無理矢理参加させたほうがよかったわ。 >>774
ドリーは若い頃からシニア似だったが、テリーが老けてからシニアにそっくりになってきたね。
テリーは「シニアに似てきたね」と言われると涙を流して喜んだとか。 >>772
流智美の文章は「かぎかっこ」がやたら多いのがなんか鼻につくんだよなあ。
週プロの連載とか、毎週セリフ以外で5回も6回も出てくる ハンセンの新日時代のタッグだとホーガンの名前が出てくるけど、ホーガンがリーダーとしてのタッグパートナーがマイク・シャープやワイルド・サモアンだとしっくりこないなあ。 >>777
テリーが痩せて髭生やした顔なんてそっくりだよね。 >>769
なんだこのキチガイジジイ、早とちりしやがって頭悪い奴だ
すぐに消えたなんて書いてないだろボケナス、弱い奴は消えるのが当時のプロレスのシビアなところって書いたんだこのクソバカ野郎 ジョニー・ウィンターがドリーに似てると思った
どちらも年取ってから コサキンで露木茂とドリーが似ていると言うネタで2人が爆笑していた ワイルド・サモアンは初来日時には才能が高く評価されて前途有望なレスラーではあったな。
ブロディのインター戦の脚負傷とホーガンの開幕戦だけでの負傷帰国、ブロディは明白に怪我してたしホーガンも少なくとも本国で試合には出てないから下衆の勘繰りに過ぎないのかもしれないね。 書いてもいないことで嘘だ偏向記述だと因縁つけやがってムカついて仕方ねえ
発達障がいのぶつかりジジイが舐めやがって、嘘つきはてめえだ、ボケジジイ、脳障害、認知症、人間粗大ごみ マイクシャープはさすがの古館もアピールポイント何もなくて毎回腕のサポーターが不気味ですねとしか言ってなかった記憶がある >>783
露木「益田キートンに間違われるのはまだいいが ドリーファンクジュニアに間違われるのは許せん」w ドリーといえば笑う犬の冒険での泰造のドリーはあれ良いのか 個人的に「あ、似てるかも」と思うのは橋本真也とボビーダンカン >>779
そうなんだよねえ
ハンセンの子分のゴーディ、ブロディの子分のスヌーカ、
みたいなのがホーガンにもアンドレにもいなかった。
新日で固定されたコンビはマードック&アドニスくらいのもので、
他は本当に即席タッグばかりだったな。 >>793
ホーガンの子分と言うとブルータス・ビーフケーキが浮かぶ
これは文字通りのガチの子分だけど >>779
猪木のNWFに挑戦した2度目の来日ではオンドーフがいたな。 オーンドーフは兄弟子だしプロレス前のバックラウンドではるかにホーガンより
格上だったな。 オーンドーフとスヌーカは70年代後半にミッドアトランティック地区でコンビ組んでいて
同地区世界タッグ王者にもなったので、これは日本でも見てみたかった ハンセンの子分という感じなのはロンバスでは?
ブロディの子分はファン目線ではブルックスかな? 新日でアンドレ、マードック組ってのは有った?
六人タッグてアンドレ、マードック、アドニス組ってのは有ったけど ある時はシンの子分、そしてハンセンの子分、また
ブッチャーの子分でもある、いつでもどこでも
子分扱いのバットニュース・アレン、かわいそすぎる。 >>793
昭和新日はタッグに力いれてなかったからね
北米タッグも猪木ではなく坂口にS小林と長州だからね ハンセンとホーガン、ハンセンとシンは多かったけど、
ホーガンとシンってあまり馴染みがないな。
そしてこの三者とアンドレが組むこともなかった。
アンドレ・ホーガンは85年に夢のタッグがあったくらいか。 >>803
第1回MSGタッグリーグ、北米タッグ王者の坂口と長州は別々のタッグで参加。タッグ王者組が優勝争いできないとマズいもんね。 アンドレとハンセンはジャイアント馬場デビュー30周年記念マッチで組んでるな >>806
相手は馬場&ブッチャー組だったよね。馬場とアンドレが相手として絡むことができるし、よく考えたと思う。 シンのサーベルの先端が目に当たってホーガンぶちギレという場面があったはず アンドレとハンセンは新日時代に6人タッグで組んでる。
アンドレ、ハンセン、アレンの強力トリオ。
同士打ち→仲間割れ→伝説の田コロ決戦へ。
シンとホーガンもMSGタッグかシリーズで6人タッグで組んでたのを試合結果で見た。
シンとホーガンはわからないけどアンドレとハンセンが新日時代に組んだのはこの一回のみ(のはず) サンクス。そんな背景があったんですな。
アンドレとバックランドも組んでるらしいが(vs猪木・坂口)、
もし外人同士のタッグ戦に力を入れてたら夢のカードが目白押しだったねぇ。
バックランド・ローデスvsハンセン・ホーガンが最高級のカードかな? アンドレ、S・ハンセン組なら第4回MSGタッグリーグに出場してるんだけどね
当時新聞のラテ欄でS・ハンセンの表記見てまさか新日に戻ってくるの?と驚いた記憶 >>810
81年かな?猪木&バックランド&ローデスvsハンセン&ホーガン&ダンカンってカードがあったよね。
十分に豪華なカードだけど、もし猪木ではなくアンドレが入っていたら、空前絶後のトリオ実現だったと思う。 >>801
猪木・ホーガンとアンドレ・マードックは82年のサマーファイトシリーズで対戦している筈だけど結果は思い出せない 猪木、ホーガン対アンドレ、カネックもあった。らあとこの年のMSGタッグ最終戦でアンドレ、ブラボー対マードック、スーパースターもあった。 アンドレが新日で日本人と組んだのは猪木とだけ?
全日では馬場をはじめ結構組んでるけど
それでもローデスと組んでハンセンと対戦したり
新日でのアンドレはヒールとかベビーとか超越した存在だったと思う >>817
猪木、上田VSアンドレ、若松
若松の唯一のメインイベント試合 カッコいい入場曲
長州のパワーホール、前田のキャプチュード、ホーガンのギャラクシー
猪木な炎のファイターは熱くなり、藤波のドラゴンスープレックスは爽やか、坂口の燃えよ荒鷲は勇壮でした 大木が新日のセレモニーで国際時代の入場曲使ってたけど、あれの格好良さは最上位にくるな。
あと新日関連だと、スターサイクルと、子供の凱歌は外せんだろ。 >>816
79年には意外にも上田と共闘してたから上田とも組んでるはず。
公式戦のアンドレーハンセンでは興味深い光景を雑誌で見た。
アンドレ側には上田、ハンセン川にはプラッシーが付いていた。
アンドレ、上田ーハンセン、プラッシーの構図に。 >>800
おんどれはぁ釣りかぁ?
おんどれはぁアポかぁ?
ロンバ、キラブはぁスタハやブルブよりもぉ先輩だぞぇ。
ジャパニと違って上下間系がぁー希薄なアメリでもぉ先輩がぁーこぶんなるっちゅうんはぁ有り得んかんな。
おんどれもぉその臭くて汚ぃ包茎チンポの皮を切り落としてもぉちゃれぃ。
おんどれはぁ包茎チンポがぁーかなりぃの 悪臭だかんな。 >>823
プラッシーだと飲み物なんで懐かしいけどさ。 ハンセンの入場曲ならウエスタン・ラリアートやコズミック・サーフィンも好きだけどやっぱサンライズは抜けてる
オリジナルテーマじゃないけど、アニマル浜口のフリーライド・サーファーとか星野のアーバンサンライズも好きだなぁ >>818
アンドレ・ワカマツ組の時にワカマツは普通のリングタイツで試合してたけど
普段はダボッとしたコスチュームだし、引退して大分経ってるからヒョロガリだと思ってたけど
ガタイが予想より全然良くて驚いたな、猪木は体重が一番軽い頃というのもあり、上田も上半身はああいう感じだし
ワカマツの体格は見劣りしなかったな。 テーマ曲ならザ・コブラのエイジアの曲が最強の一つに入ると思う、めちゃカッコイイ
コブラが成功してれば…結果的にコブラでは重すぎた、あの頃なら前田か高田あたりが使ってればなあ。 >>828
越中とコブラの試合なんて、入場の雰囲気だけならトップクラスだったね。 >>829
越中はテーマ曲に恵まれてるわ、維震軍のやつも重厚でカッコイイ >>801
84年IWGP福井大会で実現している。
アンドレ、マードック対坂口、藤波。 大人になってクリムゾンの “RED” 聴いて「コブラの人やったんか!」と中の人以上にかなり衝撃的だった >>821
間違ってるとは言わないけど「ギャラクティカ」な あれも確かによかった
あれの記憶があったから「リアルアメリカン」のかったるいテンポの甘ったるい歌いくちにはなんじゃこりゃと アンドレとマードックはプライベートも
仲良くて試合後に二人でよく居酒屋に行ってた >>830
維震軍のやつって何かと思ったらこれか
SAMURAIよりはカッコいいな
でも全然憶えてねえやw
https://www.youtube.com/watch?v=zTgi8KmcNw4 ホーガンはちょっとだけ「アイ・オブ・ザ・タイガー」を使ったが全然似合ってなかった ホーガンのギャラクティカは良かった。
あのトランペットの音色が最高だったね。
ホーガンが大ブレイクした時には本当に冴え渡ってた。
あれは実はアニメソングと聞いたけど。 ジャンボ鶴田
チャイニーズカンフー
ビリー・グラハム
ジーザス・クライスト=スーパースター
NWAチャンピオン
ギャラクシーエクスプレス
ニック・ボックウィンクル
プロレスインハワイ
プロレスは名曲の宝庫だなあ >>809
アンドレとハンセンって79年MSGシリーズからずっと外人同士のライバルになってたし、あえて仲間割れアングルなんかしなくても
単独スペシャルマッチで9・23決戦でもよかったんだろうけどな。 >>837
アメリカでも使ってたと聞いたぞ
ロッキー3にホーガン出てたし 80年タッグリーグのハンセン・ホーガンvsアンドレ・ハングマンは大型選手の壮絶なバトルだったが、
やはりハングマンの格が落ちるよなあ。
翌年のハンセン・マードックvsアンドレ・グレイでは、集中攻撃食らうグレイが心配になったわ。 >>830
Jr時代のテーマ曲は入場だけで大盛りがりだったな ファイト紙でI編集長が「グレイはへなちょこではない」と書いてたけど、どうみてもただのロートルだった >>451
ジャーマンでカウント3のが盛り上がったのにな。あの後の延髄で決まったけどなんかミスター高橋が嫌々3カウント入れたみたいな表情だったな 入場テーマ曲として一番秀逸だっのは佐竹雅昭の「怪獣大戦争マーチ」。あの曲をどのプロレスラーも使っていなかったのは痛恨の極み。 ノア旗揚げ戦では田上が仁義なき戦いのテーマで入場したり池田大輔が巨大な剣を担いだりと遊び過ぎが目立ったな。
自由を売りにしたが選手は自己管理が野放図になりブクブク太ってばかりに。
団体によるある程度の管理は必要だわ。 >>837
曲調にちょっと悲壮感があるからな
やっぱりギャラクティカのひたすら勇壮というかノーテンキな感じがホーガンにはハマってた ノア旗揚げ戦で、田上の仁義なき戦いのテーマや池田大輔の巨大な剣より、目立ったのは垣原のシュート&試合後の脱退だろ?ww アンドレのパートナーは歴代ハングマン、グレイ、ハンセン(弱)モロー
当時は敢えてザコばかりと組ませないと周りと均等を保ってつり合いが取れないとらよく話してた、
流れたけどスーパースターとのコンビなら強力だった。 もろーまではフランス語が話せることで選ばれていたんでしょ >>853
ノアの旗揚げのちょい後ぐらい、橋本が参戦して大森の首を差し出したのは驚き
全日末期とはいえ半年前まではチャンカンで秋山を秒殺し、ウイリアムスから完全ピン、優勝決定戦まで進んでる位だよ
それにノーフィアーとして一番盛り上げたのもある、その大森を簡単に…安売りしすぎじゃない? 国際の第4回ワールドでロシモフ(アンドレ)のセコンドに稲妻二郎(モロー)が付いてるのが見れるがこの時もフランス語で会話してたkも >>843
今日は猪木とのラストマッチの日
この時もアイオブザタイガー >>851
自由っていうのはルールがあって初めてなりたつからね >>856
この後三沢にピン負けを献上するんだから大森の首ぐらいはもらわないとな そもそも頼んでるわけでもないのに橋本の方から無理矢理売り込んできた形だからな
それも恩着せがましく >>861
そういう個人的な感情と、興行的な美味しさ天秤にかけて、感情を優先させつづけた結果
ノアも没落していったんだから、三沢もその程度だったんだよ。
同じ局面、猪木なら絶対利用するだけ利用した。 今話題の東京都知事選挙、これはアントニオ猪木しかいない、猪木さんが元気なら蓮舫じゃなく猪木さんに白羽の矢が立ったな、野田、プロレスオタクだし
イラクに乗り込んだ頃の猪木さんが今いたらロシア•ウクライナ格闘技界とも深いコネクション持っていたから独自の平和外交やっただろうなあ、奇想天外な乱世にこそ本領発揮する人だった >>864
誰かのインタビューでそれが猪木のターニングポイントって言ってたな。
負けても出てほしかったって。まぁ、色々事情はあるんだろうけど。 >>850
佐竹より前の時代のプロレス界だとちょっと悪ふざけにとられそうじゃないかな
で 佐竹以降だと単なるパクリになっちゃうしで結局使われなかったのかと そもそもソ連の利権を得ようと思っての出馬だったのは、秘書だった佐藤久美子が著書で証言している
クレムリン出禁になったことも >>869
佐藤久美子って猪木を脱税告発した人だっけ?連日ワイドショーで
放送してたよなぁ。でも猪木の脱税疑惑は、けっきょく
フェイドアウト、うやむやになった印象だが事実はどうなんだろ? >>854
それに対して猪木とホーガンのコンビは反則だわなw
優勝が最初から見えていた >>870
そのあと新間も告発したことで
猪木は選挙に落ちた 猪木と新間の関係もよく分からん
何度離れて復縁してを繰り返したんだろう 佐藤さんの告発で猪木がワイドショーで泣いた時はショックだった。号泣県議の先を行く猪木 >>874
占術で見ると、新間の猪木への片思い。相性は良くない >>878
橋下と石原が合体した日本維新の会の誕生で
石原から打診されて立候補
話題にはなったけど思ったほど議席は獲得できずに
知名度がある猪木は当選した
勝手に北朝鮮に行って処分されちゃうけど >>874
最後は新間もハブられたね。リアルジャパンプロレスにすり寄って佐山経由でも。 >>850
佐竹のキャラクターありきで合ってた曲ってだけ 怪獣大戦争マーチを入場テーマにいたのはゴジラオタク佐竹の希望、彼と同世代だからわかるが昭和のガキは夏休みに東宝のゴジラシリーズ観るのが楽しみだったからな
NHKの番組でつのだひろが佐竹の入場曲作って佐竹にプレゼントしたが、聴いてる佐竹が苦笑いしていたのが印象的だった、当然佐竹の入場曲は怪獣大戦争のままだったw 昭和のとき既に星野勘太郎にはテーマ曲あったな
木戸は新日に戻ってきた当初はテーマ曲はなかった そういえば「猪木維新入り」の見出しはちょっと笑った。 木戸の入場テーマは「元気がないロッキー」と言った感じの曲だったね >>879
猪木がしょっちゅう北に行ってたのは美女接待目的て噂あったな。猪木みたいに与党の中枢でもない議員接待しても何の得にもならんと思うが。 猪木さんは国会無視してズッコさんと北朝鮮に入り浸りで懲罰決議うけたのはガーシーの先を行く。日頃チョンやシナなどと差別発言していた石原慎太郎が特に批判もしなかったのは謎だが 直接接点のあった頃はどちらも維新だったから、石原慎太郎が猪木を批判ってのはないだろうけど、
アリ戦とかで辛辣な事言ってたりしないのかね >>887
新間が「アントニオ猪木のP・K・O!これは、はっきり申し
上げられません」ってなんかすごい発言してたよな。 新間がパンパンコイコイオメコって記者会見で発言してワロタ、あのスポーツ平和党の内紛騒ぎはプロレス界ってバカしかいないんだなあって世間がドン引きした見世物だったなあ 猪木が北朝鮮への渡航で批判されていた時
同じ頃に天皇陛下に手紙を手渡した件で批判されていた山本太郎と
最狂タッグを組むという噂があった
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13116334173
猪木・山本組だと新日初期みたい >>892
語るに値しないソース持ってくるなよアホが >>892
山本太郎はリングの魂で猪木の引退特番でゲストで出ていたことがある
ちなみにこの時に共演で出てたのが丸川珠代 81年のMSGシリーズは好カード連発だったな
ハンセン・ホーガン・シンに特参のバックランド・ローデスが絡んだ試合が多かった >>890
新間「アントニオ猪木のPKOは、パンパン コイコイ ピー(テレビ局による消去音)です!」 ディノ・ブラボーは長州と組んでハンセン・ホーガンと対戦してるけど、
なんでこんな中途半端なタッグを結成したんだろうw >>885
長州維新入りかと思ったら政界維新入りという今意味か 大昔のシンニプロレはぁアンジャ、スタハ、ハルホー、タジェシ、ボブバ、ダスロ
彼等がぁー主軸だったかんな。
その後はぁハルホー、アンジャ、ディクマ、マスパー、アドア
こぉゆぅ面子がぁーレギュラーんなったぞぇ。
しかしぃチョリキのうりだしでぇガイジはぁ重宝されなくってもぉたんよぉ。 アブチャのバワイぁシンニプロレではぁ主軸にゃあなれんかったしぃ。
シンニプロレでアンジャとアブチャのたいけはぁ見たかったぞぇ。
クラマかオオサで2人のぉシング対決を組めばぁ良かったかんな。
クラマよりぃ寧ろぉこれはオオサ向けだっちゅうにぃ。 >>889
慎太郎は色眼鏡で見て距離を置いてた感じがするw
そういえば昨夜のEテレ「世界サブカルチャー史ゴシック編2」で
『チャンピオン太』の死神酋長に扮した猪木やザ・マミーが紹介されてた
(21日深夜に再放送) 1993年の猪木スキャンダルは猪木の政界でのスタンドプレーに苦虫を噛み潰したような顔をしていた当時の自民党幹部の金丸信あたりがあいつ邪魔だから排除しろと潰しに来たんだと推測する、出る顎は叩かれるw
新間は猪木が消えたら自分が党首になり、自民党の推薦で選挙に出る気だったのかな?w今となっては真相は藪の中、気の毒なのはいきなりスポーツ平和党が潰れ無所属になったエモヤンでしたw 91年都知事選も自民幹部が説得して知名度抜群の猪木の出馬断念させたんだよな
この時、カネが動いたという噂がある
結局、現職の鈴木俊一が4選を果たしたが元NHKやロックンローラー、発明王も初出馬したw >>870 >>904
その辺りの舞台裏は猪木の秘書だった沢野慎太郎がムックの取材やトークショーの中で仄めかしてたね
新間も佐藤“駒太夫”久美子も自分が議員になりたくて猪木に接近してきただけだって
沢野は殴った殴られた騒動の前から新間と不仲だったからその発言を多少割引いて捉える必要はあるけど
新間が清和会とのコネを自慢気に騙ってさも政界事情通みたいに振舞ってたのは有名な話だから >>905
「喧嘩商売」って漫画で猪木をモデルにしたプロレスラーキャラが出てきて出馬表明→金を積まれて止めるってエピソードあるんだけど、それって実話だったんだな 小沢一郎の暗躍で借金棒引きしてもらってやめたんじゃなかったっけ
初めからそれをねらっていた? 猪木って何にカネ使ってたんだろな
昭和からの借金は小沢にチャラにしてもらい
議員報酬も新日からの搾取金も膨大。
2000年代はパチンコスロットのヒットで
平和から莫大な版権稼いだ。それでも自身の
版権や新日売るほど生活は困窮で死ぬ間際は
ほとんど文無しで家もスポンサーの提供物件 喧嘩商売にしても刃牙にしても
本当に漫画家は猪木の本性をいやらしく描くよなぁ 都知事立候補断念するなら借金棒引きとかブラックボックスもいいところだなw
ま、猪木ってイケイケになると凄いからなあ、新間達に足を引っ張らければ多分あの後の政界再編でも目立ちまくり、総理大臣になっていたかも知れないw 文鮮明が犯罪で入国出来なかったのを最初は猪木にどうにか出来ないかと話があったが、当然猪木にそんな力は無いので最終的に金丸信が口を聞いたらしいね 猪木の最初の借金は、豊登が会社のカネをギャンブルにつぎ込んだのと
会社が潰れてできた東京プロレスの負債だったって話。
だから日本プロレス時代にもう綽名は借金王だった。
その後の借金のネタは、新日の旗上げ費用、アリ戦のファイトマネー、アントン・ハイセルか
この中でも一番金額がとんでもなかったのは、やっぱりハイセルかな。 豊登は、まぎれもなくギャンブル依存症。猪木も事業を賭け事の
ごとく起こす癖は、ある種のギャンブル。山本小鉄が「もし猪木
さんが事業なんかやらなければ、新日は青山の一等地に25階建て
のビルを建ててた」と言ったくらい事業に失敗しまくった。 >>876
強い男設定崩壊でみっともないとはいえ
泣き落としできる猪木流のしたたかさ
でもあるよな 今思えば金曜8時の激戦区に
平均視聴率20%キープできたのがすごいよな
あの当時は金八、太陽にほえろ、ナイター中継
もあって、家庭用ビデオデッキは高嶺の花で
裏番組録画する環境になかったもの。 昔ファミ通だったかの漫画でこんなネタあったの思い出したw
カプコンのファイナルファイトというゲームにマッチョな市長のハガーというキャラがいて
こんな市長がいるか!w いやいやわからんぞ?猪木が都知事選に立候補しようかという時代だ >>918
ベンチュラが市長になり州知事にもなったじゃん >>919
映画スターだけどマッチョなシュワちゃんも州知事になったしなぁ >>916
試合中リング下で舌を出してたくらいだから、泣きながらでも土下座しながらでも舌を出していたんだろうな。 >>917
タイガーマスクがいなかったら無理でしょ。アニメの
タイガーマスク2世と実物の同時進行で、プロレス
史上唯一のメディアミックスが成功した稀有な例。 >>922
よくこういう奴いるけど、視聴率取ったのははぐれ国際軍団、維新軍との抗争や、IWGPだぞ
田中ケロもタイガーではなくはぐれ国際軍団が一番テレビの反響が大きかったと語ってる FavoriteCafeというサイトで調べたが(リンク貼れない
基本的にタイガー欠場のIWGPよりタイガーが出てる中継のほうが視聴率良い
タイガー引退後=維新軍結成後は歴代上位に入らず下降線だったと思われる タイガーが視聴率持っていないなら、そんな奴の試合を毎週放映してたワールドプロレスリングって相当のアホ番組になる >>925
そこ見てるんだったらタイガー出てない1983年で何回20%以上取ってるか調べてみれば
タイガー出てる放送回でも結局はぐれ国際軍団とかメイン次第というのがわかる >>910
そりゃ仮想権威に仕立て上げてさも強大な権力と闘ってるみたいに振舞いたがる手合いにとっては格好のネタだしな
学歴無いブラジル出身(じゃないけどイメージではそう)で成り上がりっぽい出自どこか反主流派在野的な雰囲気があって権力者の後楯が無さそうに見える所なんか
ゴキ下ろし易くて万が一名誉毀損モノな誹謗中傷を描いても責任取らなくてイイかな?という幻想を抱いてしまうそんな立位置だったのが猪木
反権力が売りだった「噂の真祖」ですら執拗に猪木を叩いてたしな
今のマスゴミガーが朝日新聞ばかり遡上に挙げてばかりいて
朝日なんかより遥かに資金力があって有力所とのパイプも太い筈の読売日経にはまるで関心を示さない構図と被る >>910
そりゃ仮想権威に仕立て上げてさも強大な権力と闘ってるみたいに振舞いたがる手合いにとっては格好のネタだしな
学歴無いブラジル出身(じゃないけどイメージではそう)で成り上がりっぽい出自どこか反主流派在野的な雰囲気があって権力者の後楯が無さそうに見える所なんか
ゴキ下ろし易くて万が一名誉毀損モノな誹謗中傷を描いても責任取らなくてイイかな?という幻想を抱いてしまうそんな立位置だったのが猪木
反権力が売りだった「噂の真祖」ですら執拗に猪木を叩いてたしな
今のマスゴミガーが朝日新聞ばかり遡上に挙げてばかりいて
朝日なんかより遥かに資金力があって有力所とのパイプも太い筈の読売日経にはまるで関心を示さない構図と被る ここにはまさか猪木が本当にイラクの人質開放に貢献したと思っているお花畑はいないよな? 下の質問をGPT4oさんに聞いたらタイガーと答えてた。ただし木村の説明が適当(全日から来たとか維新軍の一員とかw)でプロレス関係の信頼度は怪しい…w
まあ普通に考えてタイガー>国際軍団だと俺は思う。というよりタイガーがいたから国際や維新との抗争やIWGPがより盛り上がったというべきか。
1981~1983年の新日本プロレス中継で視聴率への寄与度が高いのはタイガーマスクとラッシャー木村のどちらですか? 初代タイガーが丸一年活動してた82年でも高視聴率だったのは、
猪木と国際軍団の1対3変則マッチなんだよな
初代タイガーは数%視聴率底上げに貢献してただろうけど、
高視聴率取るのは結局猪木次第ってことだろう
ラッシャー木村が猪木の髪切ったりするアングルで盛り上げて、
蔵前で決着する手法に成功したから、
以後マシーン軍とか海賊男とか
猪木が積極的にやるようになったとか タイガーマスクは確かに一世風靡したが
過激なプロレスの魅力では猪木に及ばなかったでしょ
タイガーに限らずだれも猪木に勝てやしない
新格闘王の前田が僅かに迫っていたくらいのもの タイガーはあくまで番組開始時点の掴みなんだよな
それはそれで重要な役なわけだが 誰かが言ってたけど
視聴率はタイガーマスクが一番だけど観客動員力は猪木が一番だと聞いたことがある ホーガン、大統領選出馬しそうでワロタ、当選したらギャラクティカで登場して一番ポーズ決めてくれ 1番打者=タイガー
4番打者=猪木
みたいな感じだろうね
藤波や坂口は名5番打者(4番にするとダメ) 日プロ末期とかは1番打者高千穂で4番打者大木か。客が呼べるわけがないよなw >>915
あの頃は土地も安く簡単に自社ビル建てられたんだよな。ある出版社なんか女子ゴルファーのローラ・ボーのカレンダーがヒットしてその売り上げだけで自社ビル建てた。新日なら3、4棟は持てたはず 藤波は十分凄いレスラーなのに周りのせいで普通感が漂ってしまってたのが気の毒
上に猪木、下にタイガー前田、結果的に長州の噛ませ犬になって、あっち側には大型外人と体格で渡り合える鶴田がいて…
その人たちに筋肉量では勝ってたが、もっとすごい千代の富士が大人気
当時の藤波の問題点として一流外国人には通用せず、説得力があるフィニッシュがないので長州との抗争がなければどうなってたか… ドラゴンスープレックスを受けてくれるレスラーが少ないのが残念だった >>945
猪木や藤波は前田のドラゴン受けたし、前田は高田のドラゴン受けたよな。外国人レスラーはあんな技イヤなんだろうね。 ヘビーでの藤波は必殺技を持てなかったことが最大の弱み >>942
そういえば、最後まで日本プロレスにとどまった選手は9名 タイガーブームはひょうきん族における
たけちゃんマンみたいなもんだったな
ちびっこ層が楽しんでた。 >>947
藤波の体ではヘビー級のトップと戦うのが難しかったな
実寸だとジュニアのスミスやハートよりも小さい
ヘビー級転向してもさすがに通用しないという設定でよかったと思う
ただ新日にとって不運だったのは藤波世代の大型選手が
悪党ヅラのカーンしかいなかったことw たまに大物食いするジュニアヘビーで良かったのにな
無理に体重増やしたから普通の小柄レスラーに成り下がってしまった >>949
ドラスク→足4の字の必勝パターンこそ藤波がやらないといけないのに思いつかなかったのが残念 >>952
ジュニアの藤波人気は高校野球的な「さわやか青春」という感じの人気だったから
「卒業」していくしかなかったのでは?
渕みたいにおっさんになってもジュニアを続けていく選択肢は無かったと思う >>917
20%越えるよりコンスタントに15%くらいを続けたほうが良かった。
いちどハードルあがると厳しい >>951-952
何度も書いてるけど藤波の泣き所は体の小ささじゃなくて腰痛の悪化だよ81年頃から試合ぶりにハッキリと現れてる
俺が本格的にプロレスを観始めた82年頃はデラプロやビッグレスラーの読者欄に
何で藤波は以前の様に多彩な技を使おうとせずブレーンバスターが必殺技扱いなんだという投書がよく載ってたけど
試合を再見すると解るよブレーンバスターしか使えないくらい腰の状態が悪かったんだって
勿論藤波自身も周囲もブレーンバスターバックドロップジャーマンといった「正攻法」の決め技に固執し過ぎてもいたんだろうけど
>>953
ドラゴンスクリューは勿論ドラゴンロケットですら怪我の元になると嫌がられてたからねぇ当時の外人勢には
ドラスクは80年10月のロン・スター戦で事実上のフィニッシュになってたけどね
カタい嫌がらせ的な攻めを繰り返してたロン・スターへの意趣返しとして足首をグイっと捻り上げる感じで回転して
その後逆片エビでタップを取ってたけど当時の観客には危険な仕掛け方だと伝わってなかったな映像で確認する限りでは >>953
藤波のドラゴンスクリューは脚攻める技というより、テイクダウン技みたいなもんだし
4の字も武藤があのタイミングで使ってこそみたいなもんだからな
藤波が80年代あたりにフィニッシュで使ってたら批判されただろうし >>953 >>957武藤高田戦の前92〜95年頃に藤波が何度か使っていたけどねドラスク→4の字への連携
地方興行でのタッグマッチばかりだったから試合映像は残ってないんだろうけど 腰壊して以降の藤波の決め技は
ドラゴンスリーパーで鶴田の豪快な
パワーボム、バックドロップに比べると
迫力負けして、のちのち差が付く原因になったな >>923
視聴率が維新軍>タイガーマスクなんて頓珍漢な意見は初めて見たw
どうせタイガーも知らない90年代から見たエアプなんだろ
平成の新日本プロレススレでも建てて引き籠もってろ >>956
だからさ、体の故障は身の丈に合わない大型選手との対戦が無理だったからでしょ。
三十過ぎてまでさわやか路線のジュニアで続けていけないからヘビーになるのはいいとして、
ヘビーでトップ級の大型外人勢と渡り合うのが本来困難だったってこと。
小柄はどうしようもないんだから大型選手に勝利なんかしなくていい、
負けても食い下がる姿で藤波は充分客に見せることが出来た選手だったんだよ、 >>932
開放はいないけど解放は沢山いる。
そういうオチは? >>938
佐山が空港に行った時に、空港のテレビにワールドプロレスリングが映し出されてて
初代タイガーマスクの試合は人だかりが出来てたが、次の試合になったら皆いなくなったなんて事言ってたね。 >>963
82年MSGシリーズ優勝戦のことだったな。 藤波なんて腰痛める前からぜんぜんプロレスの大技駄目だろ。
ドリアホールパイルドライバーとかダブルアーム・スープレックスとか下手くそというか
まともに出来てなかった。 ジュニア時代の藤波は業師のイメージあるけどな、やはりドラゴン殺法のインパクト絶大だよ
ドラゴンスープレックス恐れてチャボ・ゲレロがタイトルマッチ前に敵前逃亡とかwドラゴンロケット自爆で血まみれになったりとかw 藤波と長州の抗争が予想外に人気を博してから二人を格上げしたことが結果的には不幸になった感じだな。 藤波がジョージ高野ぐらいの身長あったらなあ
ジュニアで活躍した後、猪木の正統後継者として
ヘビー級のブロディとかベイダーとかと名勝負残せたかもしれないのに ローリングクラッチ、スモールパッケージ、
逆さ抑え込みなど巨漢に勝つ決め技が相手の
スキを突く勝ち方だったしな。 まあそれでも藤波は人気あったし今も現役だしでなんだかんだで良いレスラー人生たと思う アメリカのPPVイベントでメインを勤めた日本人プロレスラーって猪木と藤波の二人、ムタもやってたっけ? 藤波のヘビーにおける事実上の必殺技は逆さ押さえ込みでは 佐山が格闘技でも通用するのはグランドコブラだと言ってたな ジャパニーズレッグロールクラッチがよかったと思うけどブリッジ必要なのよね
似たような入りかたの後方回転式ローリングクラッチホールドあたりでもいければな ティグレはペーパー格闘家、あれのシューティングは骨法と同じく理屈先行でホントのガチ試合ではほとんど通用しなかった
やっぱりグレイシー柔術みたいに何十年も他流試合や喧嘩を繰り返し実戦の中から磨き上げた本物とは違うのよ
今考えるとプロレス技はガチでは使えないって批判もナンセンスだった、プロレスはお互いの技を受けて成り立つ採点競技だからなあ、似て非なるものが格闘技とプロレス プロレス技はガチで使えないってのも理屈であって、相手の協力がなくても使える技はあるよ。 佐山の真剣勝負ってマークコステロに殴られたあれだけ、だがタイガーマスクでは名試合が沢山ある
特にダイナマイトキッドとのデビュー戦は名勝負の誉れ高く今も世界中から絶賛されている
キッドは佐山の技を見事に受け最高の仕事してくれた、八百長とかガチとかくだらねえ、大事なことは記憶に残ること、感動させることだ >>973
だね。
84年にはアドニス、シュルツ、バレンタインなどにそれで勝ってる。
せこい勝ち方するよりは、さすがにヘビーでは通用しないが試合後者の小兵、
くらいのほうが藤波には似合っていたと思うんだよなぁ。 総合格闘技でT・J・シンの得意技、首4の字固め
で試合が決まったことはあったよ。 首4の字は使える
キャメルクラッチはああなったらおしまい 喧嘩でヘッドロックされたんでワンハンドバックブリーカーやって腹にストンピングして逃げた。 >>976
ガチ格闘技のグラップリング(ADCCみたいなルール)にまんまグランドコブラのツイスターって技が有るしな
フォールじゃなくギブアップを狙う技 >>976
グランドコブラって、元々アマレスの技だろ? >>981
その3人も1流の強豪ではないしね。
シュルツは大型だったが、肥大化する前のアドニスや、グレッグ・バレンタインはむしろヘビー級としては小兵 本当なら猪木vsシュルツがサマーの最終戦だったのが、
猪木の相手が長州に代わったためシュルツは藤波とのシングルになったんだよな。
シュルツ自体が塩レスラーだから仕方ないにしても、
猪木と一騎打ちする予定のヤツが藤波にクイックで負けてるんでは、
外人選手をどこまで冒涜してるんだって思っちゃうよ。
長州の格上げも異常だったわけだし。 猪木vsシュルツは確か翌年正月(だったっけ?)のMSGでやったな シュルツは活かせれば第二のシンになれて素材とか記事があった。
でもシュルツにはシン程のハングリーさはなかった。
また新日も当時は大物外国人を必要としていなかった。
特に猪木のライバルは既にいたらそれも必要なし。
そう考えるとシンとシュルツでは雲泥の差だね。 あんだけ格上げされてた長州や藤波をシュルツが倒したら、
シュルツすげーってなって最終戦にかけて盛り上げることも出来たのにね。 いや、シュルツが来た頃は維新軍との抗争はマンネリ、UWFが離脱、ホーガンは限定的来日しか不可能になった
そういう時期で大物外国人が必要だっただろ 84年夏まではそんな切羽詰まってないよ
ビンスの新体制がよくわからんかったし、王者時代のバックランドも年一くらいしか来なかったからホーガン登場の機会が減るのは想定内
アンドレはまだ元気、レギュラーにブッチャーアレンアドニスマードックスーパースターキッドスミス等いるから
新顔を早急に格上げする必要はなかった
秋以降離脱者続出で一気にヤバい空気になった 本当は84年秋に維新軍が海外遠征で抜ける予定だったから
タッグリーグとかは陣容的にはそんなに変わらなかったかも >>966-967
読んでて恥ずかしくなるくらい藤波の試合を見てないのがモロバレ
->986
過去スレで何度も出て来る話なんだけどねぇ
>>991
シュルツはシンと違ってスピードが無いしガタイが大きくても動きが小さいから日本で人気出る要素に乏しいんだよね シニアが5月に死んで新間が即会長降ろされてるから、夏には新日もジュニアの新体制わかってたんじゃないかな?
7/14にはWWFの全米進出を象徴するブラックサタデー事件起きてるし、猪木が渡米して出た7/23のイベントにはシンディローパーが登場して試合がMTVで放映された
藤波シュルツの8/2頃にはもうビンスジュニアのヤバさわかってたと思う 8月2日で猪木vs長州は打ち止めになることが決まっている、
ブッチャーは使い捨てが決まっている、
アレン、マードック、アドニス、スーパースターじゃ猪木のライバルとして(興行的に)弱い
猪木のライバルを作る必要が有ったはず このスレッドは1000を超えました。
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