【アファ】昭和の新日本プロレス4【シカ】
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>>1( ・o・)っ乙☆
ノードは1990年にも新日本プロレス来てるよ。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=1532&page=4&s=300 >>1
ありがたい。
昔を思い出してまた楽しみましょう。 前スレ>>1000 お前名無しだろ (スップ Sdf3-XX34) 2018/03/30 10:47:02
猪木が相手のコーナートップからの技を受けたのを観た記憶がないな。自分はフライングニー、フライング延髄、フライングボディシザースとかをやってるのに
猪木はベイダーのムーンサルトをまともに受けきったろ! >>4
フライングニーというより、足首落としだけどな。
藤波との二連発はかっこよかったけどね。 猪木のダイビングニードロップの飛型は格好良かった。 第2回MSGシリーズの優勝決定戦のダイビングボディシザースドロップ。映像で観てみたい >>7
正直大したことないよ
ボディシザースっていうより
コーナーからそのまま飛びついて押し倒したってかんじだから
流れ的にはあの時代の代表的な決め技である
コーナーからのフライングニードロップやろうとしたら
ハンセンが早く立っちゃったんんで
やむなそのまま飛びついてフィニッシュにしたってかんじ
ただこの第二回MSGがまさにハンセンの本格的ブレイクなんで
正直猪木が綺麗に勝つより後々考えるとこういう咄嗟の判断的な勝ち方で
逆にハンセンにはもう正面から正攻法は通じない的に
イメージ付けることできて良かったと思う 猪木は自分が寝た状態でダイビング技を受けるのはあっても、ふらふらと立ち上がりつつ相手のダイビングボディアタックとかは絶対に受けなかったね。ポリシーかな コーナーからのフライング延髄もベンチュラが立ち上がってしまったんで
アドリブでやったという説があるな 大阪城ホールの最後のブロディ戦はフルタイムだったけど
猪木がミサイルキックやってたな、ブロディもラリアット出したり あと何度も話題になったのが猪木が、シンのターバンでの絞めは見たことない。
あとアレンの流血も見たことないと。
このふたつを見たことある人っているかな? そう言われるとアレンの流血見たことないな
まあゴッチもないけど、アレンなんて流血してそうなイメージだけど、ないわ 全日だと馬場の16文がフィニッシュ技になってたけど、新日だとアンドレの18文がフィニッシュ技じゃなかった >>14
アレンはヒールだし、流血試合も多かった。
っちゅうてもブッチャーと組んでた頃は流血試合が多かっただけか。
アレン自体のシングルでは流血試合自体が少ないな。
それかブッチャー以外と組んだ試合では。
前にも書いたけど。
81年2月号の別冊ゴングにはメキシコでアレンとカネックの試合は凄惨だったと書かれてた。
アレンは大流血でカネックはマスクを剥がされて。
シン軍団とカネック軍団の抗争で。
副将アレンと大将カネックの激突。
ただ記事だけで写真はなかった。
こういう海外の試合の記事は眉唾だけど。
よほどのビッグマッチならいざ知らず。 ジェット・シンも相手は滅茶苦茶に流血させるけど、自分が流血することはほとんどなかったよね。
ヒンドゥー教の教えと何か関係があるのかな。
ヒンドゥー教の女神・カーリーは血と殺戮を好む戦いの女神らしいけど。 高橋に言わせるとシンはここぞっちゅうときには大流血するって。
あとはスーパースター、マスカラスやカネックも流血は見たことない。
マスクマンは流血しにくいが。
アンドレも流血は少なかったな。
ニックも大木戦以外は記憶にない。
最強タッグでブッチャーやシークとの対戦では流血したかも。 >>18
シンは猪木戦以外で新日で流血したのといえば、ストロング小林戦があったな。
ニックはラッシャー木村との防衛戦で流血してるね。全日では80年の最強タッグでシーク組と当たった時に流血してる。
カネックはメキシコで83年あたりにアンドレとやった時にマスクを破かれた上で額から出血してたはず。 アンドレも大事な試合では一応流血してるが、やはり傷口から細菌が入るのを警戒してたのかな >>20
そうだったんだ。ずっとヒンドゥー教徒かと思ってた。
シク教徒の男は「ターバン着用が義務、肉食が許されて、体格がよく、富裕層が多い」
そう言えば、全部ジェット・シンにあてはまってるなw >>4
猪木は維新軍、マードック&アドニスにツープラトンやられてたぞ。
UWA世界戦でミサイルキックでシンに勝ってる。
アメリカだと黒人は黒いから流血が目立たないので、あまりやらない。
むしろ白人で金髪のフレアーらが流血が映えた。 しかし、藤波の流血はいつも量にビビるなw
武者修行時のカネック戦、寝屋川のCゲレロ、前田のニールキック炸裂・・。 藤波がチャボ・ゲレロ戦で流血し過ぎて入院、それが奥さんと
出会うきっかけになったんだっけ? 猪木はふらふらと起き上がって相手に近づき、コーナートップからの攻撃を受けることをみっともないから嫌ってる、というのを何かで読んだのを思い出した… >>29
そうだよ前田さん
君がチョン州にやったことは許されなかったけどな 流血は単純に痛いし。
また後処理が面倒だから切るのを嫌がるのが多かったと。
あとは血糊や赤い液体使用で。
流血大王のカマタの額にはキズがなくキレイなのは今やネタだが。 藤波vs前田のような、カットじゃないアクシデントの流血ってほかにあったっけ?
大木耳そぎとか長州の手首とか、あとは鼻血ぐらい? >>32
天龍がドラゴンロケットをパンチで迎撃して藤波が鼻骨骨折とか
大仁田が最初の有刺鉄線マッチで勢いよく鉄線に突っ込んで腕と指をザックリ切ったりとか
サブゥーの首に有刺鉄線が絡んで取れなくなって絞首刑状態になったり ブラックハーツがハンセンに椅子で殴られて
後頭部から流血していたことがあった >>35
あれストッキング状の黒マスクに血溜まりの染みが出来る位酷い流血だったね。
試合内容がしょっぱかったんで制裁されたって話だけど 藤原とニールセンの格闘技戦の調印式で乱闘になって
ニールセンの蹴り一発で藤原の額が割れた事がなかったっけ? 後楽園
元日決戦って、82年〜85年まで開催されたけど
メインが全て不透明決着なんだよね。 >>38
年頭の試合とはいえシリーズ開幕戦だから最終戦まで引っ張んないとね >>39
元日決戦が終了して新春の開幕戦(後楽園)のメインで
決着が着いたのは88年の藤波vsマサ斉藤。 元日決戦と言えば85年のカードは通常シリーズの開幕戦並みのカードだったね。
82年 猪木vsボック 藤波vsバックランド(WWF タイトル) タイガーvsキッド(Jr.タイトル)
83年 藤波vsベンチェラ(飛龍十番勝負) 猪木vsブラックジャック マリガン
84年 猪木vsローデス 藤波 前田vs長州 谷津 坂口vsブッチャー
85年 猪木 藤波vsホーガン サモアン 坂口 木村健vsマシン1号2号 コブラ 星野vs上田 ヒロ斉藤 >>35
ハンセンは椅子で小橋の腕にも裂傷を負わせたね。
猪木がベイダーの腕を鉄棒で引っ掻いて裂傷を負わせたこともあった。
パックリ開いた傷口はさすがにグロかったわ。 >>39
82年(ボック戦)は単発興行。
84年は相手のローデスが最初の1週間のみの特別参加。 >>41
44だが、猪木 藤波×ホーガン サモアンは年末タッグリーグ戦の再戦の意味合いがあったな。
でも都合よくマシーン軍団乱入。 >>33
藤波の鼻血はドラゴンロケットでロープに鼻をぶつけて鼻血を天龍が鼻パンチ連打でフォローしたもの。
第2次Uで山崎がバックから前田の後頭部に頭突きして自分が大流血でTKO負け。
ハンセンがコーナーに戻る原にタックルして原の目の下が鉄柱の金具に刺さって大流血。
武藤だかが猪木の脳天を椅子で叩いたらグランドで寝た猪木の髪の毛の中から血がポタポタ落ちた。
栗栖vs臼田 椅子で大流血 7:15
https://www.youtube.com/watch?v=_xx52BNpCAk 椅子で脳天を強打され額から流血
と言う東スポの報道に困った
攻撃箇所と負傷箇所が違うじゃねーか >>46
ヒールホールドで足首を捻られたのに膝の十字靭帯損傷・断裂も一般人には分かりづらい。 >>21
アンドレの流血もほとんど記憶にないけど、最近Youtubeにあがってる第2回MSG公式戦での
ハンセンとの大一番で結構流してるな。多分見てたはずなんだろうが全然記憶にないw
ブラッシーがハンセンのマネージャーだったが、翌年はホーガンのマネとして来日してた。 流血は基本ブッチャーシンか遺恨試合ぐらいか
他で流血する意味もないし テロリスト化した直後の藤原は毎試合のように流血してて心配になったw 格闘技世界一決定戦なのに同じプロレスラー同士の猪木とアンドレの対戦が組まれた事もあった
リングアウトや反則では説得力が無いし、かといってアンドレにピン負けやギブ負けはありえない
そこで通常の試合ではなんてことないアンドレが流血した結果TKO負けという事にして
見事アンドレに勝ち星を得た事もあった >>18
ここでレスするのもなんだけどマスカラスは鶴田戦などでマスク破り&流血などちゃんとやってる マスクマンの流血つうとデストロイヤーかなやっぱ。白覆面だから際立つし印象に残る。
79年最強タッグのマスクトストラングラーも凶悪組の餌食になって酷かったなw
ま、スレチですが。。 国際プロレスのアナウンサーが昔はニワトリの血を使ってたとラジオでバラしてた 国際はなぜか血袋を使うことが多かったらしいね
全日新日は基本は額カットなんだけど はじめてレフリーのカット視認してしまったときは落ち込んだもんだ
ミスター高橋のことだけどな 確かに鉄柱に頭ぶつけてあんなダラダラと流血っておかしいよなw
子供のころずっとホントに鉄柱攻撃で額割ってたと思ってたわww ルスカ戦直前の猪木×シンではシンのスイッチが入りすぎて猪木大流血。
眉間をザックリやられた。
今でもそのキズはしっかりと残っているし。
表面上(プロレスとして)はルスカに目を向けている猪木に怒り心頭。
それで試合でシンのその怒りが爆発した。
実際にも『ルスカに話題を取られて堪るか!』とのシンの意地。
それでスイッチが入りすぎた。
しかもルスカがリングサイドで観戦。
これはシンのルスカに対するメッセージ。
『お前は五輪金メダリストかも知れない』
『でも猪木とこれだけの試合ができるか』
週プロかゴングのコラムにそう書いてあった。
シンが“怒りシン頭”と。
まあ猪木も一生残るキズ跡だけに流血量か半端じゃなかったみたいだし。
赤いタイツのシンの試合だと思う。 >>56
血袋使って何で木村、井上、浜口らの額は傷跡でギザギザなんだ? キラーカーンは割とカット以前に鉄柱にぶつけた程度で出血してた印象がある。
82年MSGシリーズ開幕戦での大流血はインパクトあった。髪のない頭頂部は割れやすいのかな。 テレ朝チャンネル無料で藤原対ニールセン他やってるよ 平成だけど会場入りの際に村上に襲われ流血し
試合の時まで血が止まらなかった橋本。 猪木は流血してもあまり量が出ないと小鉄が解説で言ってた。 馬場も日プロ時代は知らないが、全日時代は流血しても量が少なかった印象。
血が細い筋になって幾つも出てた感じで、今思うと浅くカットしてたか。 昔の子供向けのプロレス本に、ブッチャーの額はしょっちゅう流血してて治りきってないから
子供の力で殴っても簡単に血が出るぐらいだって書いてた。
深い溝になってるから、ちょっと触っただけも相当痛いんじゃないかな
よくあれで頭突きができたな >>64だけど、飲み過ぎと言えばマードック。
彼も流血をすると顔面真っ赤な血だるまがお決まりだった。
やはり酒漬けの人は血が止まらなくなるという説は本当なのかな。 あと、流血ならぬ噴血のカブキ。
最初は偶然だったがその後は自ら動脈を切っているという話だが… >>69
> 彼も流血をすると顔面真っ赤な血だるまがお決まりだった。
ブロディとのシングル戦が印象に残ってるな。
あと、テリーもよく顔面真っ赤に血ダルマになってた。
ただ、テリーはマードックのように酒飲みだった話聞いた事ないな。 レイス、ローデス、フレアー、ブロディ絡みのNWA戦は頻繁に大流血試合になってた。
ブロディ以外は流血ファイターでもないのに。
ローデスも流血ファイターか。
でも下手にシンやブッチャーの試合より流血量が多くて。
それと猪木の試合も意外にも流血試合が多い。
猪木は流血せずに相手が流血というパターン。
流血した額をナックルで攻撃ってのが絵になるからか。 大木の原爆頭突きに血だるまで「来い!」とアピールしながら耐える猪木 >>73
ワールドプロレスリングのオープニングだな。 血だるまではないだろ
まあ血が一筋タラーっと流れていく光景は血だるまより凄味あったが ベイダーに負けた両国暴動の年明けのシリーズで後楽園だと思うけど長州のイス攻撃でイスの金具があたったのか猪木が脳天から流血した事あったな >>76
猪木・越中vs長州・馳のタッグだっけ?
馳がこの試合で猪木にやられてたな、昔の武藤みたいに >>72
ローデス、フレアー、トミー・リッチ辺りは金髪に映える流血を計算してるからな。 >>73
あれは角度、血が一本筋に流れるタイミング、表情とベストすぎる位ベスト。
あれだけ格好良くて見栄え良い流血はない。
あれをOPに選んだプロデューサーのセンスも最高。
そしてバックに流れる猪木コール。
あの猪木コールはあの試合ではなく重ねて流したものだが。
あのOPも新日の人気を呼んだ大きな要因だと思う。
それだけナイスなOP。
あの流血のタイミングは本当にナイスだな。
そのカメラアングルの角度も。
ああいうのは撮ろうと思って撮れるものではないし。 >>71
ブロディとのシングル戦の流血となるとドリーも 猪木の大流血として記憶にあるのは、78年のバックランド戦、81年のラッシャー戦、88年の長州戦かな。
いずれも不透明決着という共通点があるけど、猪木は大流血すると収拾不能になる、というブックかもね。 静岡の長州戦は異常というかマジに狂気を感じた
猪木の場合は最初はブックでも自己暗示的に成り切ってしまうような怖さがある 猪木の流血というと、78年か79年あたりだと思うんだけど、とにかくその週のメインで大流血して、
翌週の6人タッグマッチの予定見て大丈夫なんだろうかと不安になっていたが、
翌週の試合では前の週の流血のことなど忘れさせるような元気な姿で安心した思い出。
対戦相手も結果も全く記憶にないため曖昧な話で申し訳ない。 81年新春黄金シリーズでの6人タッグ。
猪木 藤波 長州?VSシン パテラ アレン
この試合で猪木は大流血。
翌週の札幌でのシンとのUWAタイトルマッチでは今度はシンが大流血。
6人タッグの方はまた見たい。
シンがハサミ持ち出したりとやりたい放題だった記憶が。
上田もセコンドにいて。
覚えてる人はいますかな? >>76-77
多分2月の後楽園、猪木&藤波vs斎藤&長州だと思う。それで頭頂部を切ってしまったので、最終戦札幌のベイダー戦の時には頭に白い絆創膏をしてた。 猪木史上最大の流血は
ルスカ戦の1週間前の大阪でシンに机にぶつけられた時に
鼻の周辺に大きな裂傷を負った時だろう 猪木はファンが投げ入れた紙テープを掴んで指を切ったこともあったな。週プロのグラビアにも載ってたね キムケンと組んで武藤ケビン組みとの試合後に武藤を血だるま制裁した酷い猪木w >>86
いや、講演会で暴漢に襲われ、ナイフで切られたときだな。 >>90
あれ仕込みでホントは額を切る予定だったのに暴漢役が興奮しちゃって首を切ってしまった。
とプロレスファンという雑誌に書いてあったけど本当かなw >>89
組み合わせがめちゃくちゃだぞw
猪木ケビンvsキムケン武藤 85IWGPタッグリーグ戦
猪木、坂口VS藤波、木村
公式戦(両国)と決勝戦(仙台)では展開や内容が似ていた。
木村が目尻を切って流血。
そこに猪木がナックルの連打。
決勝戦(仙台)
同じく木村の目尻が切れて流血。
またもや猪木が容赦なく目尻にナックルの連打。
違ったのは最後に藤波が猪木をフォールした部分。
展開がほぼ同じ試合っちゅうのも最初は抑えていたが。 >>94
両国は時間切れのドローだったね。
UWFの五人がリングで挨拶した日だな >>42
近くで観たら肉がミンチ状になっててグロかった >>93
この頃は健吾のほうが武藤より格上だったのか。 たけし軍団のごたごたを見てると、新日本やUWFのごたごたを思い出すw 日本プロレス界で初めて「軍団」のネーミングがついたのは狼軍団かな。 >>98
100だが、歴史は繰り返すっちゅうことかな。 ホーガンがリング下転落 リングの中に潜って全然出てこなく やっと出てきたら何故か流血してた カットするのに躊躇してたんだろうなあ >>97
UWF参戦頃まではメインやれるのが猪木 坂口 藤波 木村 しかいなかったしなー >>97
1986年のこの時点で武藤はまだキャリア2年だぞ。
橋本、蝶野はまだ若手で前座。 >>102
使い物になるのはその四人に星野荒川だけ、なんて雑誌にも書かれてたな。
山田は人気急上昇だったが力量が追いつかず、ゴタツは海外に出ても芽は出なかった…… >>103
でも前田はイギリス遠征から帰って来たら健吾より格上扱いだった。
当時の年齢も86年帰国時の武藤とほぼ同じだったし。 >>105
そりゃ当時の木村はメインはる程じゃ無かったしな >>104
コブラと越中を忘れるなよ。
>>105
プロ入りの年齢が前田18、武藤21と違うため、武藤と同年齢でも帰国時の前田のキャリアは6年だった。
当時は前座で4,5年、海外で1,2年で帰国時はキャリア6,7年というのが慣習だった。
キャリア6,7年でないと上ではできなかったというのが現実で武藤もちょっと厳しくて再度海外に出て
ムタでブレイクして帰国した時がキャリア6,7年ぐらいだった。
健吾はJr.時代には武道館や蔵前で4大タイトル戦に出たりしていて全盛期はJr.時代の80年前後。 ヘビーになってから木村健悟の必殺技は稲妻レッグラリアートになったけど、ジュニア時代はパイルドライバーだったんだよね。
健悟のパイルドライバーはフォームも綺麗だったし落とし方も良かった。藤浪とのタイトルマッチで出した一発は見事だった。 キムケンはジャンピングパイルの他にバックドロップも猪木張りに旨いし、雪崩式ブレンバスターにも新日本初チャレンジ。ボクシングも取り入れたり積極的だよな。 木村は坂口の付き人でリーグ戦でタッグ組んだりしてたけど 心酔してたのは猪木の方だしな ただ猪木は全然評価してなかったが
猪木エリックvs木村武藤の時の猪木が試合中「オマエもういい加減空気嫁よ」って感じなってるし
「あの試合は難しい俺と武藤は理解出来たが周りが理解出来なかった」「これだから武藤は伸びるんだよ木村にはこれが無い」 親日正規軍として昭和親日を支えた木村健、、
80年までは藤波のジュニアブームも手伝って彼のライバルとして台頭、85年以降は大量離脱後の屋台骨を旧友?藤波と支えたわけだが
皮肉にも?親日ブームの81〜83年ころの彼の活躍の記憶がほとんどないw >>111
大流血で猪木に殴られ続けるパートナーの武藤。
健吾はどうすればいいんだ?
猪木に突っかからなくて見ていればいいのか? >>113
猪木は「力道山精神とは下から這い上がる精神 力道山プロレスとは感情を叩きつけるプロレス」力道山も「日本人はスマートな奴は好きじゃ無い汗水流し一生懸命な奴を応援する」
例えば谷津デビュー戦もそう いきなり活躍しても反感買うだけ それで大喜びするのは内心プロレス馬鹿にしてる奴だろうな 強敵にズタボロにされながらも「チクショー!チクショー!」と食らいつけば「頑張れ谷津俺たちがついてるぞ!」と大声援
破れても「よくやった!」と拍手喝采 ロッキーの誕生だ
だが谷津は「何でこんな目に、、」と泣き喚くだけ あの試合ケビンですら途中で気ついてるぽいぞ 木村が完全にぶち壊してる >>113
あの場面は健吾も突っかかっていいんだけど
武藤より目立ってはダメなところだろうね
それでも
あの時の会場内で唯一それが分かってない健吾が好きだなw 谷津の親父さんは息子の日本デビュー戦での無残な姿見て「プロレス辞めさせる」と激怒したんだっけ。 蔵前のあの試合の谷津の悲鳴みたいな叫び声が情けなくてなぁ… >>115
あの試合は当初、藤波vs健吾のシングルだったが、藤波の負傷でタッグで猪木が相手となり、
パートナーとして健吾に武藤、猪木にケビンとなったもので、実はあの試合の主役は健吾だった。
やられている武藤を健吾が何もせずに見ているのも変だし、ガチっぽくて面白かった。 >>118
月曜20時に移動後の生中継で後楽園でのシリーズ最終戦だったんだよね。
試合は早めに決着してあとは例の制裁タイムだったな 健吾兄さんはたびたび武藤を助けようと猪木に突っかかっていくんだけど
猪木は頑として健吾兄さんを無視し続けていたんだよな
空気読めない以前に健吾は新日本で一生メインの扱いはあり得ないと
猪木にレッテル貼られたような気がした
長州のニューリーダー宣言の時も藤波と前田にだけ呼び掛けて
健吾兄さんがマイクで噛みついた時は完全無視したし ニューリーダーvsナウリーダー勃発。
猪木が健吾を張って小競り合い、前田と藤波が健吾を止める。
猪木「木村、藤波、長州、前田!! ベルトはここにあるそ!! いつでも取りに来い!!」 >>121
でも次のシリーズの開幕戦(後楽園)のセミ前45分1本勝負とかで
巨漢エース外国人に圧殺されたりするんでしょ<健吾 猪木が健吾をそんな買ってないのは坂口派だからってだけじゃないよね?
まぁ、藤波を後継者に考えた事は無いって後に明かしてたし
藤波や健吾は猪木的には面白味が無いんだろうなぁ。 猪木も木村健悟の選挙の応援に行ってるし健悟もIGFに呼ばれたり関係は悪くないでしょ >>123
木村は新日で一番猪木イズム信者 それでWWFで一時期干されたがそれでも変えようとしなかったほど クーデターの時も新間「猪木さんが説得すれば木村 高田は絶対こちら側につく」と断言してた
ただスタイルが猪木が外人相手の時のスピードのあるアメプロの劣化版なんだよねーそれが限界なんだろうな 猪木がそれをよく分かってたと思う トライアングルスコーピオンをフィニッシュホールドにさせてもらえなかった。あれは腰を落として後ろに反って鎌固め風にすれば見栄えもしたろうに… >>123
猪木は最初から後継者は俺が決める事じゃないと何度も言ってるけどな ただ流れ的に藤波以外有り得ないし聞かれたら「まあそうなるだろうなあ」程度のもの
これは力道山が馬場に対してと同じ 2人とも自分一代の物で後は残った物で決めればいいスタンス つーか後継者を最初から決めて宣言した馬場が異端なんだよ 猪木が自分の後継者に考えるとすれば前田以外にありえなかったんでは
年齢が若すぎたのとトンパチなのが難点だったけど藤波よりはずっと評価高かったらしいし
その前田がU戦士になってしまったため(猪木のせいだけど)残るは武藤しかいなかった 1988年、猪木が45歳の時、藤波は35で長州は37だから後継者としては時既に遅し。
1988年は第2次UWF旗揚げの年で前田は29だから後継者としていい年齢。 長州、藤波ほどタッパ鯖読みしてないしな
でも猪木に一番近い体付きしてるのはあんときの猪木 >>127
あれは本当に相手の足、ケガするらしいから、ダメだったらしいね 健吾はレスラー時代は相撲臭さがなかったけど、
今の姿はすっかりどこかの部屋の親方って感じが漂ってる。 >>134
健吾自身も「あの技はまともに決めたら相手が肉離れ起こす」って言ってたしな。
94年に馳からあの技でギブアップ勝ちした時も、「馳が体が柔らかかったから決められた」って試合後に言っていた。 プロレスごっこレベルだけど
トライアングル・スコーピオンはギブアップ率100%だったよ
そもそも、ひっくり返す状態までいけば良い方で
大半がひっくり返す前のスタンバイ状態でさえ悲鳴上げてギブするレベル
足が太い者なんかには特に拷問技だったねえw キムケンは一時期ベニーユキーデのジムで練習してたし、あのまま対UWFで行けば良かったのにな キムケンは一時期ベニーユキーデのジムで練習してたし、あのまま対UWFで行けば良かったのにな。UWFよりも本格的な打撃を身につけて >>32
あれ長州が不倫相手に金ゆすられてて自暴自棄になって
試合中とっさに手首切ったんじゃなかったっけ?
ブック本で読んだ記憶がある >>141
記憶じゃなくて記録で頼むぜセニョール。 >>140
UWFハンサム軍 健吾、藤原、山崎、安生、宮戸、中野、金原、高山 >>121
あれ、ビガロとの防衛戦後じゃなかったっけ?
木村を最初に呼んだのが少し不思議だった >>146
ケロ「ウチは皆んな仲良いんだよ 和気藹々 ワキアイアイ アーイアイ アーイアイ木村健悟だよー」 ちょっと暇つぶしにyoutube「世代抗争勃発」の動画見てたんだが、当時は出戻りの雑魚が何言ってんだか、とか
一笑に付したような記憶もあるがwしかし、今改めて見るとオールスターメンバーだな。。。客席も確かに盛り上がりはすごかったが
どうもゴタゴタ続きで「もういいよ。。」って食傷気味に感じてた記憶がある。 >>150
なんか猪木のNWF戦で最低レベルの試合だって
流智美が書いてたな >>150
これは未放送だった広島の試合じゃない方だな >>150
79年秋の闘魂シリーズの大阪でのNWF戦だな。これは猪木が徳島でボブからWWF王座も獲って絶好調。
このシリーズは前半にダスティローデスが親日初参加で話題を呼んだ。その夏にレイスを破ってNWA王座を戴冠、
リアルで親日マットにホヤホヤの前NWA王者来襲で盛り上がった。
ちなみに前年の78年サマーファイトのモラレス戦は猪木絶不調でTV放送お蔵入りのままだ。 >>150
素晴らしいバックドロップだなぁ。この試合、WWFヘビーもかけさせてもらえれば防衛したことになったのに残念だった 未放送の広島は、内容云々より放送機材のトラブル?でほとんど使い物にならなかったから放送できなかったと言うのが後年明らかにされてたな >>154
右足が流れてるからダメなバックドロップ >>156
厳しいなw
てか、モラレスの入場曲は後のキラーカーンの曲のイメージが強いな >>156
いいんだよ、あれはあれで。あれはまさしく『猪木の』バックドロップなんだよ。 >>145
ありゃド迫力だったよな
撮影時期はユキーデ道場に通ってる前後あたりかな?
不良役の小沢仁志が可愛く見えたぐらいw
健吾先生は肉体的にも雰囲気的にも威圧感があった
リング上とのギャップが凄かったが、さすがレスラーと思ったわ >>153
このシリーズは常連のシンと、特参のバックランド、ローデスがいたから、モラレスは注目度でいえは4番手だよね。
さらにパワーズ、パターソンもいて、ローデス&モラレス&パワーズとか、シン&モラレスといったタッグも実現してるのが興味深い。 >>127
見た目が地味だからね。本当に痛いみたいだけど 初めて見たけどいい試合 途中変な足を捕って倒してるのはドラゴンスクリュー?
https://www.youtube.com/watch?v=gafu3ipBjdI
Gマレンコが乱入しなかったのが残念 >>156
右足が流れるとだめなの?
テーズのはOk?
右足が流れてない動画があったら見たいです おおおっ
さすがテーズ
スピードと投げられた方の落ちる角度がすごいな 本家を超えた技
鶴田のバックドロップと小橋のラリアット 猪木の凄さは長女のサソリ固めを頭から潜り込んで逃れた柔軟な身体だよな >>170
長女って倍賞美津子との一人娘でサイモンの妻の猪木寛子のことかw 猪木の娘が女子プロレスやってたのか
全く知らんなあ ID:CeqQJMW8dの凄さは長州をどうやったら長女と打ち間違えるのか不思議になる柔軟なレスだよな >>174
当時サソリ返しとか言われてたけど丸まってるだけじゃんと思った >>175
フレアーがサソリ固めを三度ブロックしたのは見事だった。
多忙なスケジュールの中しっかりと長州を研究していて「さすがNWA世界王者!」と感心したものだ。 猪木の決め技返したつうと、80年9・30武道館感謝デーのケンパテラだな。
卍をパワーで返したのってハンセンやシンですら成しえなかったはず。
当時はWWFでも悪役人気昇り調子だったパテラに親日も猪木の新たなライバルとして迎える
気でもあったのか。。 >>177
パテラ以前に
ハンセンは2回も卍を吹っ飛ばしてるし
小林も1回は卍を堪えている バックランドもロープに逃げたんだっけ?
卍をかけた時の形としてはパテラ相手のは結構好き
バックランドにかけた時は位置が高かったな
逆に小林や長州は低すぎた 欽どこにゲストに出た時、リクエストで欽ちゃんに卍かけたけど
体が小さすぎてかからなかったね。 >>180
見た見たw
あと谷啓にジャーマン(の持ち上げる所まで)をかけてた ナウvsニューの5vs5イリミネーションでマシンが卍かけられたまま動いてロープブレイクも2度目でギブ。
藤波が猪木をフォールした仙台で確か健吾も猪木の卍をロープブレイクしてる。 社内旅行の温泉でおネエのセンパイに卍固めかけてくれって言われてかけて
その後俺も俺もと5人にかけてプロレス布教した思い出 本当のズンドコで笑いたければ昭和新日スレ4の170見て来い! >>182
マシンへの卍は、ずっと耐えて意地を見せたけど、肩を痛めて前田戦では無念のレフェリーストップ。
という、次の日へのネタ振りにもなってたね。 >>185
コーナーからのダイビングエルボーが避けられて肩傷めた所を攻められてたね
確か唐突にテレビで放送された記憶があるな、年末のタッグリーグ後だったような? >>115
武藤は健吾の元付き人で一番直接の師匠にもなるんだよな
張り手を入れる場面にもそれは出ている
あと武藤は猪木の付き人経験が無いので後の馳と共に猪木からの直接の影響がほとんど無いのも重要 単純にパワーだけならビリー・グラハムなんかもパテラ並みにありそうだけど、体が硬かったから卍決められたら
あっさりギブアップしちゃったな。 >>188
硬かろうが卍なんて1ミリも効かんよ
ガチ前提みたいなカキコは恥ずかしいからしないほうがいい こういう「掛からない」と「掛けても痛くない」の区別のつかないカキコは恥ずかしいからしないほうがいい 10日くらい前に猪木・パテラ戦を寝ぼけながら観ようとしたけど
動画のサムネ見た瞬間目が覚めた。
https://www.youtube.com/watch?v=cPa3ICpP6tU
「ん、、昭和の新日かぁ。はぁ??ちょっと待て。なんで菊がおるんや」 >>187
高橋「健吾が武藤を張ったが師匠ずらしやがって。2人の師弟関係なんて誰も興味ない」
あれは猪木と対峙して気後れした武藤がバックしてしまい、健吾に張ってくれと頼んで健吾が張った。
古舘も小鉄も師弟関係、新日らしいと言っていた。
健吾は猪木に気後れせず戦ったが、高橋はそれが気に食わなかったようだが、
健吾が気後れすれば、だからダメなんだと言うはず。
嫌いな猪木、藤波、長州、健吾はボロクソ言うw Gスピリッツ最新号はジャパンプロレス特集なのに、長州にはインタビューしないんだな
まぁカネのために大塚や多くの選手を裏切って捨てて新日で出戻りましたなんて話
エエカッコシイの長州が喋る訳ないか >>180
欽どこのゲストと言えば佐山がタイガー引退後にゲスト出演した事あったな
記憶が曖昧なんだけど嫌で辞めたはずのタイガーマスクとして登場して
途中でマスクを取って素顔になるんだけど観客の反応が微妙だった気が >>194
確か引退後の正月に出たのかな?見栄晴にマスク被せたりしてたな 確か欽どこの食事の食べる順番を当てる推理クイズにも
猪木が出ていたような記憶が… >>189
誰かに掛けてもらえハゲ
事実でないカキコは恥さらしだからやめたほうがいいよw コブラは絞め方のコツがいるけど卍は誰がかけても効くよな。 100kgの猪木に卍かけられたら重さで潰れて股関節、膝、肩、首とか痛いぞ。 卍は首にかけてる足が地についてたら逃げようが無い 外されたり決まらない時は大概足浮いてる プロレス技とバカにしてる奴がいるが技自体はどれも科学的理に適ってる ただ相手の協力無しじゃかけられないからガチじゃ使えないだけ >>198
なんかバラエティーで、天龍がコブラは効かないとか言ったらしいが、掛け方次第でコブラも効くよな? >>195
見栄晴が佐山にコブラツイストをかけるが、何故か見栄晴が「イテテ!」と悲鳴あげてたねw なんでもかんでも暴露的に解釈するか?
一般論じゃなくて天龍には効かなかったって言いたかったんだよ
意外と体柔らかいし
あと、仮にこれが30年前だったら暴露ではなく
プロレスラーならではのビッグマウス、強がりって捉えるだろ >>203
通常式のでも、相手の脚にフックした脚や、
相手の肩に廻した腕を割と浅めに掛けて、ユッサユサと揺するように極めると肋骨にもめちゃくちゃ効いた記憶がある。 >>205
だから俺は、当日の放送見てなかったんで、天龍がどんなニュアンスで言ったのか知らんて。 たしか猪木が変形卍固めとかいう技を使ったことがあったと思うんだが、いつ使ってどういう形なのかが思い出せない…… キン肉バスターの影に隠れて忘れ去られているが
キン肉マンにはキン肉スペシャルというアントニオ・スペシャル(卍固め)みたいな
わけのわからん固め技があった >>214
ありがとうございます。相手はエルゴリアスかな?見れて良かったです。 ちなみにアステカイザーも戦闘員相手に使ったことがある この手の
「(相手の協力無しでは)掛からない」と
「掛けても効かない」をごっちゃにしてるバカが
たぶんガチだブックだなんだと得意気になっちゃう幼稚なタイプなんだよなあ 東スポの中邑の記事の中で猪木のWWF戴冠は非公認と書いてあった。これ本当?猪木は殿堂入りとかしてなかったかな?なぜだ? でもず〜とマーシャルアーツチャンピオンとパンフには載ってた まあ アメプロでもリターンマッチで負けたら正式には認めないというのはよくある事だったけどね 馬場が遠征時代にテーズからNWA奪取してるけど認められてないがレイスのは認められてるから政治力の関係もある >>221
まあ向こうじゃやっぱ、アリと戦った実績やその他の異種格闘技戦のイメージを強く打ち出してたんだろうな。 >>221
WWEの公式だとヘビーは無かったことにされているがマーシャルアーツヘビーは認定されてるのだよ ヒロ・マツダがWWEの殿堂入り。
NWA世界ジュニアヘビー級、NWA世界タッグ、フロリダタッグ、南部ヘビー獲得。
ホーガン、ルーガー、オンドーフ、シモンズ、ハーキュリーズ、スコット・ホールを育成。
http://www.wwe.com/shows/wwe-hall-of-fame/wwe-hall-of-fame-2018/article/legacy-inductions >>226
ボブ・オートン・ジュニア
ディック・スレーター
マイク・ジョージ
マイク・グラハム
スティーブ・カーン マサさんやキラーカーンもその内殿堂入りするかな?
武藤や佐山タイガーはどうだろ? >>231
>>231
マツダはWWFには上がってないが、他地区のトップも殿堂入りしてるからムタ、カブキは可能性ある。
マサ、カーン、戸口、佐山とジョージはWWF&NWA王者でWWFでも活躍したからありだな。
NWA世界2階級制覇とWWFインタータッグ、アメリカスタッグ2度、
プエルトリコヘビー、プエルトリコタッグ獲得の健吾も近いか?
マネージャーのピラニア山口もありか? >>234
だれだっけ?アダムス?
新日育ちだったよね >>222
テーズから獲ってたの?
全く知らなかった。
ありがとう >>229
ナイスボケw
でも、似てない事も無いぞw >>232
でも、村西とおるの方がガタイ良かった。 >>238
> 来日初戦は藤波でTVマッチ
それはビシャス・・ウォリアー
サムライ・ウォリアー初戦はキャンディと組んでvs木村&藤原 >>237
馬場 の出世試合だよ自伝「王道16文」にも詳しく書かれてる以外に知らない人いるんだな
当初は鈴木が挑戦だったが直前に障害事件起こし強制送還で代役 それまでは中堅で鈴木のオマケ扱いだったが一躍トップクラスなった とにかく馬場はロジャースこそ最高のレスラーと絶賛してるよな
それこそゴッチはおろかテーズですら及ばないと >>220
どうしてMSGでバックランドに奪還させなかったんだろうな
結局現地でのWWF挑戦すら出来なかった猪木だがアリ戦による効果は無かったんだろうか >>244
馬場がロジャース絶賛説は昭和系スレではよく見るね
ロジャースの現役時代を知らず、プロレススーパースター列伝で育った俺は、どうしてもロジャースが名レスラーだった事がなかなか信じられなかったがw 猪木はMSGのファンが求めるような
単純でわかりやすいヒールという感じではないからだろ >>233
次日本人が殿堂入りするなら佐山な気がする。 >>233
戸口あたりが殿堂入りするならヤス・フジイとかも候補じゃないか。 >>245
猪木が王座奪取した事になると バックランドの防衛記録/王座保持日数が途切れるってのもあると思う >>247
80年代に入ると猪木サイズはアメリカでは中途半端だった。
>>249
WWFジュニアヘビーが公式に認定されてるなら佐山、ジョージはMSGにも出てるからありかな?
さすがにヒロ斎藤はないと思うがw 戸口はAWAやミッドアトランティックではトップ張ったけど
WWFじゃジョバーだったからな
それでもまあ黄金テリトリーのトップヒールを張ったが
フジイにいたってはトップ張ったのなんて閑古鳥鳴いてた末期ロスくらいだろ
まあタッグ王座くらいにはあちこちで就いてるから成功した日本人レスラーの内に
入るだろうけど 日本では猪木が王座返上した後のMSGでのボブとボビー・ダンカンの試合を
「王座決定戦」と報じたけど
現地のアナウンスでは普通にタイトル防衛戦だw
一方、猪木がそのダンカンやアイアンシーク、レッドバスチェンなんかを相手に
したNWFの防衛戦はWWFマーシャルアーツタイトルマッチって言われてる 前田は完全に前座だったね
長州も82年末の数試合だけで前座
邦明に至ってはマサさんのセコンドだけで試合なし
半年ほど意外といい位置で試合してたのが谷津
衰えたとはいえかつてのタッグ王者だったジョニー・バリアントとか
WWWF王座コンテンダーであるシクルナとかにも勝ってる あと「UWF版」WWFインター奪取した試合がどんな位置だったのかが不明
下手すると「第一試合のタイトルマッチ」だった可能性もw コブラはWWFでマスカラス以上のステータスって週刊コングに
書かれてたけど本当なの? プロレスごっこしたら解るが、卍やコブラがなんかの弾みて入っちゃったら、我慢なんか出来ないぐらい痛いぞ。ちなみに俺が一番効いたのは、インデアンデスロック。 >>259
>北米タッグ防衛戦
ああ、あくまで正式なサーキットの話で新日テレ朝主導のパッケージ試合は別ね
>タイトルマッチの記述はないね
写真ではベルト巻いてトロフィー挙げてたね
客には意味不明のセレモニーだったのかw >>243
馬場の本を読んでないから
時系列がわからないがテーズから幻の王座奪取があったということなら
テーズが王座に返り咲いた63年1月以前の馬場は
アメリカでブレイクしていなかったということになる サミーリーの試合をツベで観たけど、キック、ソバットと相手の両足を抱えて叩きつけてそのままフォールする(逆エビにいかない)ことしかしないのな。 >>263
以前WWFの82年秋から年末の試合記録調べた時はコバヤシもコビアシもなかったんだが
記載漏れかな
>>264
前後のレスもよく読もう
テーズじゃなくロジャース 横だけど、
前後のレス読めばあくまでテーズだったと主張してるように
読めるよな。
>>222 >>243 が >>264
バディロジャースだな 今まで勘違いしてたわ バディ・ロジャースは未来日だが、北米タッグ王者のハリウッド・プロンドスの片割れが
金髪のバディ・ロバーツだから勘違いした。 金髪といえば、爆撃機2世のグレッグバレンタイン。幾度か親日に来襲してるが
目立った活躍が無かったな。アメリカじゃ大西洋地区やNYでトップヒールだったのにね。
親父が猪木&坂口のライバルで息子が藤波の、という位置づけだったが
一度、79年闘魂シリーズでWWFジュニア戦があったが体格は完全にヘビー級だった。 グレッグはミッドアトランティック地区時代のフレアーとのタッグは華があったな。
お揃いのガウンの悪党チームとして頭角を現していた。
あのころ揃って来ていても日本では評価は低かったかもしれんね。 グレッグって90年代後半はセミリタイアして
チャンネル99で岡村と謎すぎるラップを披露してたときは
プロレスラーの胡散臭さを一層感じた。 昨日テレ朝チャンネルのワープロクラシックでカネック敵前逃亡後の藤波vsコロフやってたが、
ヘビー級のコロフをドラゴンスープレックスで投げてスゲー!と思ったが、
コロフの首がグシャッとなってて怖かったな。
封印してからの解禁後はマシンや猪木に綺麗に決めてるから、だいぶ投げ方を改良したのかな。 >>275
あの日コロフは2試合目だし、試合前の上田の攻撃で余計なダメージ受けたというお膳立てあっての結果だから、傷はそれほどつかないんじゃないかな。
その意味で上田の乱入は、カネック逃亡で白けた観客をまた高揚させることにもなったし、あの日のMVPじゃないの。
>>255
NWFベルトはリング上に持ち込んでたのかな 78年1月にMSGでWWFジュニアに就いて以降、一気にスターダムに躍り出た藤波。
それまで猪木、坂口、小林という旧来からの重鎮でトップ陣を固めていた親日に新風を巻き込んだ。
まさに悪の権化だった上田にも物怖じせず堂々と渡り合うファイトぶり、
かつては猪木も苦しめたコロフにも完勝、初開催のMSGシリーズやその後のタイトルマッチで好成績、名勝負を繰り広げ
ゆるぎないポスト猪木の座を得た。やはりその浮き沈みのあった凱旋後の長州(吉田)の動向と比較しても
会社の期待は大きかったんだろう。。 ヘビー級に転向してから急に精彩が無くなったよな
猪木とタイガー欠場の穴をまったく埋められず会場では空席が目立った
まぁそれは坂口や長州らも同罪なんだが…
ジュニア時代のドラゴンブームは何だったんだよって感じだった >>279
飛龍十番勝負でさえ会社のやる気の無さがうかがえる。 >>279
藤波はJr.ヘビーの体だからヘビーは無理があった。
増量でJr.時代の試合ができなくなったが、
昔の名前で出ていますの勝ちブックで今だに居座り続ける。 マスクドとのWWFインター初防衛戦が無理やり逆さ抑え込みってのが「アカンわ、こりゃw」と
その前途を危惧した記憶がいまだにあるわ。。w >>281
でもそれ言い出したらフレヤー マーテルはどうなんだって話だし それに最初年は流石にキツイかって感じだったが翌年にはハンデを克服してた
俺的にはテクニシャンイメージ売るため返し技メインにしたのが不味かったと思う よっぽど説得力ないと「まぐれ勝ち」「上手いけど強いイメージにはならない」
人気レスラーの必須は説得力のある必殺技だよ この頃の藤波の必殺技ってパッと思い付かない >>282
7戦でフェードアウト。
フォール勝ちは一つも無し。勝った試合はすべて反則勝ち。
@ 1982年1月1日 後楽園ホール
●ボブ・バックランド (WWF認定ヘビー)
A 1982年3月12日 後楽園ホール
●ハルク・ホーガン
B 1982年4月21日 蔵前国技館
●×アブドーラ・ザ・ブッチャー
C 1982年6月8日 蔵前国技館
△カネック
D 1982年7月6日 大阪府立体育会館
○ディック・マードック
E 1982年8月5日 蔵前国技館
●ボブ・バックランド (WWF認定ヘビー)
F 1983年1月1日 後楽園ホール
○ジェシー・ベンチュラ Jr.時代に勝ってたカネックと引き分けだったのが謎すぎる >>284
その意味で後の三沢がエルボーに活路を見出したのは大きかった >>270
親父のジョニーがなぜ一回限りの新日本参加だったかも気になる
最後の来日から事故まで二年近い間隔があったからもう一回くらい来て猪木のNWFに挑戦とか出来なかったのか >>284
Jr.時代はドカーンという大技があったが、ヘビーになってなくなった。
ヘビー級になった藤波の技より健吾の稲妻の方がインパクトがあった。 >>286
カネックは欠場したJベンチェラの代打 まあそれにしてもとは思う この頃のカネックはJr時代と違って、メキシコでは
マスカラスに並ぶ英雄扱いじゃなかったっけ?
ただその1、2年後にコブラにフォール負けだから
やっぱりはあ?だなw 83年第一回IWGP決勝リーグ戦の中南米代表として格上げしとかないといけなかったからじゃないかな。
不参加の藤波にカネックが負けたら変とか気遣いがあったのかも >>295
IWGPの開幕戦は長州と両リンだったのに、前田との公式戦はフォール負けだったな。 まあ最近でも北村7番勝負で代打で一回やってる中西が最終戦にもったいぶってでてきて(しかも流れる)「なんやねん!」って感じ >>294
でもカネックは地元では無敵だからな。84年にハンセン、ホーガンがメキシコに乗り込んだ時も3本勝負ながら撃退してたよな。
フォールは奪ってなかったはずだが。 唐突に前置きもなしに随分と慌ててWWFインターの戴冠劇をやってた印象があるけど
今から考えると体調不良の猪木が
実際より長期で休んでしまった場合を想定しての事だったのかもしれないな >>299
Jrがタイガーに押し出されて
一方でIWGPがベルト(タイトル)ではなくコンテストって言い方をしてたんで
猪木がいて坂口がいて無冠でその次だと扱い方も難しくなるしねえ
IWGP前なら猪木が返上したNWFなり
坂口が誰かに一旦落としてみせた北米のベルト巻くとかでも良かったろうけど
一応封印した建前だったからねえ >>300
NWAにあった世界、US、TVのようにクラスにあったベルトはアングル的にも必要。
世界 猪木、ホーガン、アンドレ、マードック、ブッチャー
インターナショナル 藤波、長州、健吾、谷津、アドニス、スーパースター
アジア 前田、ジョージ、マシン、俊二、高田 IWGP構想における王座封印って、結局会社がもう興行の主軸になるタイトルマッチにマンネリを
意識してたのか、単に猪木や新間の大風呂敷つうか、よくある後先考えない発言の一端なのかw、
たとえば相変わらずNWA世界戦を敢行、その他インターやPWFら諸王座を据え伝統や格式、権威主義の
全日に対抗しての手段なのかw。。しかし藤波や佐山なんかには普通に王座を維持させてるが
この辺の意向もなんかよく解らんかったな。 >>302
83〜84年の設定。
世界にはラッシャー木村、キラー・カーン、戸口も入るかな。
アジア王者がインター王者に挑戦、インター王者が世界王者に挑戦して大善戦も玉砕も面白い。
あとはJr.の設定をアジアと混ぜるか?
若手向けのアジアでも前田、ジョージ、マシン、俊二と高田、山崎では体格が違いすぎる。
健吾の最後のシングル挑戦は82年12月の藤波のWWFインターでIWGPヘビーは挑戦すらしていない。 >>296
前田は長州とドローのオーンドルフにも勝ってるし、
もともと格としてはカーンやラッシャーより下でも藤波より上の予定だったんではないかな。
サマーのパンフも「前田VSマードック」「藤波VSアドニス」みたいな売りだったし、
新間も前田を相当プッシュしていたからあり得ないことではないと思う。 サマーファイトシリーズを猪木が欠場
してなければ、藤波もメキシコから
戻って来ていないだろうし。
毎週、猪木・前田組で、長州のインターに
前田が挑戦して戴冠はあったかも。 >>301
なんで泣き虫がシレっと入ってるのかが解せん
アジア枠は元NWAチャンプ(コリア版)の力抜山でしょ >>307
83年から高田は抜擢されて84年のUWF移籍前には坂口を抑えて5vs5に出て、
キッドのWWFジュニア挑戦が発表されていた。 あの日のベストバウトとも評価された谷津戦はまさに大出世試合
それだけにUWF移籍でキッド挑戦が流れたのは悔しかった 「坂口を抑えて」というよりは、売り出しと勝ち抜き戦のストーリーのために高田が抜擢されただけだろうに。 高田も谷津もあの時点でまだキャリア3年弱なんだよなぁ。
勝ち抜き戦の中の一つとはいえ、そんな若手同士の試合を組むなんて新日らしいな。 五対五の勝ち抜き戦で毎回貧乏くじ引かされるのが健吾兄さん
二人抜きして疲れてる谷津に勝っても評価なんて上がらないし
それどころかマサ&カーンより格下の浜口にやたらアッサリ負け
UWF勢との対戦でも藤原に早々と惨敗して藤波に負担をかける事で
大将戦で前田に負けるための理由付けにさせられた >>312
当然高田が先鋒だと思ってたら「先鋒藤波 辰巳!」で盛り上がった上での高田の大善戦が良かった。 >>310
ジュニア二人の維新軍に対するハンデという説明だったかな
前田がいたらどうだったかも気になるが 維新軍との勝ち抜き戦では藤波が先鋒なら副将は健吾で良いはずなのにこの前まで前座だった藤原に取られたもんな
また健吾も中堅っていうのが似合ってたから何ともw >>317
UWFがなかったら、藤波が札幌のことで拗ねていたこともあるから、
藤波にとって代わって前田が先鋒を務めお株奪いだと思う。
格も藤波と逆転して前田が時期エース候補だろうね。
>>319
連戦のハンディがあるとはいえ、谷津に勝つ藤原の姿が想像できないんでw >>320
あの頃の谷津になら2人抜きという条件もあることだし藤原が勝っても自然だと思うけどねw
まぁ後のイリミネーションマッチでの上田的な役割なら藤原の方が適任かな
健吾と浜口なら健吾負けそうだもんなw UWFに行く前の藤原の必殺技ってなんだっけ
まさか一本足頭突きで谷津をピンフオールする訳にもいくまいし Uに行く前の藤原って、頭突きとクロー攻撃(チョーク)の印象しかないが、たまにドリルアホール式のパイルドライバー出してたな。 >>322
前座・中堅時代のフィニッシュは殆どパイルドライバー >>324
たまにバックドロップも出していたと聞くが。ゴッチ杯争奪戦の決勝で健吾を破ったのがバックドロップなんだよね。 >>319
まあ藤原の場合は一戦を終えた浜口を相手に両リンだからな
その意味では当時の格に副ってるともいえる
>>320
前田の新日本最後の大阪大会が前振りだとするなら一応あの時リングに上がった十人が前提だったのかな
前田が先鋒でも谷津まで行ったと思うが谷津にはフォール負けだった気も
しかし寺西との身長差対決は見たかった テロリストとして出てきた藤原だけど、当時は体格というか体力的にメインエベンター達と比べて明らかに劣ってたよな。やっぱり前座レスラーなんだなぁと感じたな >>325
バックドロップやジャーマンなんかも実は持ち技ではあったんだよね<前座時代の藤原
ただあの時代はまだメインエベンターのフィニッシュホールドは
前座は使わないって暗黙が生きていた時代だから、
新日の場合(反り投げ式の)バックドロップやスープレックス系の技は
原則猪木の専売特許なんだよね
(木戸や藤波もこのあたりを決め技に使うようになったのは“ゴッチの弟子”設定で凱旋帰国してから)
まあ荒川だけは治外法権というかネタ扱いだったんで
浣腸だの地獄突きだの散々やったあげく
フィニッシュは意外性の極みでジャーマンやってたんだけどw あと、ドリルアホールパイルドライバーって技自体が
海外では地区によっては禁じ手になってたりと
ちょっと危険というかシビアでマイナスイメージの技なんで
ヒールの必殺技にはなってもベビーは通常フィニッシュには使わない技
(バックランドなんかもパイルドライバーをフィニッシュにはしなかった)
そういうちょっとシビアなイメージが日本では
前述の藤原のように「前座の鬼が若手の厳しい壁になる」設定だと
フィニッシュにハマるんだよね
若手時代の健悟が“壊し屋”と言われたのも
ひとつはジャンピングパイルドライバーをフィニッシュにしてたのもある >>325
ゴッチ杯決勝は健吾にスタンド、グランドで一方的にやられていて最後は突然のパイルドライバー1発。 そういや鈴木みのるがフィニッシュに使ってるゴッチ式パイルドライバーって
第一次UWFで藤原がたまに使ってたな、みのるはゴッチ本人じゃなくて
藤原から盗んだのかもしれないな >>326
前田vs小林邦昭、健吾はシングルやってるが両者フェンスアウト。
当時の前田は売り出しているが、他の先輩選手も売り出してるから難しい位置だった。 >>333
ただ蔵前の5VS5のような舞台だったら前田がコバクニに勝ってただろうな。 >>331
そうなんだ?観戦してた方がいうなら間違いないか。
藤原を主人公にした別冊ゴングの読切小説で、健吾を壮絶なバックドロップで叩きつけて優勝をさらった、てな記述があったのを鵜呑みにしてたわ。 >>335
とにかく藤原は健吾が自分より上の扱いなのが納得できなかったみたいだな
それこそどうしてあいつがグリーン車なんだって 札幌の事件以来藤波は猪木を避けていて、維新との抗争にも参加しないと言われてたもんなぁ。
代わりに猪木のパートナーに抜擢されてた前田がそのポジションにつくのは確実だろう。
新春の最終戦だっけ、
猪木・前田・木村 VS ホーガン・シャープ・ハート
というカードがあったけど、もともとは木村じゃなく藤波の予定だったんだろうな。
あのまま前田が残って藤波がいじけまくっていたら藤波は木村にも抜かれていたかもしれない。 このままじゃ窓際に追いやられて下手したらクビになると奥さんに諭されたのか
アッサリと本体に戻ったよな流石コンニャク藤波 >>332
もともと藤原が使ってたのは普通の胴に手を廻すジャンピング気味のパイルドライバーだよ
ゴッチにしても股越しに手廻すのは別にオリジナルでもなければ
何か特に狙いや根拠あってやってたわけでもないでしょ
レイスがタイツ掴む時と胴廻し式の時があるけど
別に特に理由あって使い分けてたわけじゃないのと同じ
それをあれがゴッチに代表される欧州式の「本格的」なやり方と
さも意味があるように喧伝したのが当時のUWFアゲのマスコミ
で、後年になって鈴木はその「本格的」「ゴッチ(UWF)直系」ってイメージを
上手く自己プロデュースのひとつに使ったってことだけ
別に特別な技術やパワーが要ることでもないからね ゴッチが使ってたのは、ドリルアホールでなく主にツームストンの方でなかった?
みのるは、あのゴッチ式と呼ばれるパイルドライバーについて
「(相手の脚の間に腕を巻く事により)梃子の原理で簡単に持ち上げられる」と言ってた。 確かにゴッチのツームストンは見たことあるけど、ゴッチ本人が実際ドリルアホールやってるの見たことないわ。
ファイプロのイメージしかないw
鈴木は抱え上げるときから相手の股クラッチするけど、胴クラッチして抱え上げ切ってから組み換えればいいのにと思うわ。藤原もそんな感じでやってなかった? 藤原のゴッチ式のパイルドライバー使った時は明らかに格下の時だけだったな
といってもミスター空中とマッハ隼人の二人だけだが 欧州系レスラーがツームストンを好んで使って、アメプロレスラーがドリルアホール使うイメージだな。
あくまでイメージだけど。
あと、藤原は時たまダブルアームスープレックス出してたが
ゴッチ門下生のスマートな投げじゃなく、腹の辺りに相手の頭が位置された状態で投げるアメプロ式だったな。
まぁ泥臭いイメージの藤原には、パイルドライバーにしろそっちが確か合ってたと思うが。 バックランドや高田が前方に倒すツームストンやってたね。変な形で印象に残ってる >>337
健吾はメインイベンターで藤原なんて荒川、星野、永源、木戸より下で栗栖とどっちが上かという位置だった。
>>339
下記当日の全カード。外れた藤波の相手はあいてるクロネコか?
http://www.romancecar.org/iwgp/s590419/ >>347
さすがにカードは入れ替えるでしょw
可能性が高いところではドンムラコじゃないの ドン・ムラコ懐かしいな。
アメリカではホーガンの敵役でインターコンチネンタル王者だったのに日本じゃ評価が低かったな。 >>348
ブッチャー、戸口の新日移籍第1戦の1981年6月の蔵前
猪木&谷津vsハンセン&ブッチャー
カーンvs戸口
長州vs健吾
タイガーマスクvsソラール
当初、戸口戦だったがブックで揉めてカードから溢れた藤波はクロネコだった。 >>306
大会ポスターには猪木と共に凱旋帰国藤波の写真あり http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1981_kansenki/pw_gazou_029.jpg
谷津の日本デビュー戦として、外人トップ二人を用意した訳じゃなくて
ブッチャー引き抜いたトラブルでシンが出ていったり、
ローデスがNWA挑戦で出場をキャンセルしたり
カード編成が二転反転していたんだな。
そもそもスペシャル放送までされたビッグマッチなのに
藤波がクロネコとシングルと言うのが不可解極まりない
そしてIWGPアジアゾーン予選が前座に組み込まれてしまうあたり
いかに当時の長州に人気が無かったかが窺える >>350
戸口は藤波に対してはいい感情を持ってないのなw
まず日プロ時代では中堅(前座だが)とペーペーの新人つう気持ちもあり、
79年オールスターでも試合後の談話で戸口が藤波disってた記事もあったような。。
彼のそのバスケや柔道で名を馳せた、体育系独特の上下関係重視の人間っぽいw >>353
ノースカロライナかどっかでも藤波が前座だったらしい >>339
最終戦の大阪のカードは2日前の蔵前の時点では猪木・前田・木村健VS維新軍だったが、当日になって健吾から藤原に変更になった。 >>353
蔵前決戦展望で藤波対戸口を日プロ時代に遡った因縁対決と期待していただけにカード変更は残念だった。 >>350
藤波や長州より先に谷津が蔵前のメインに出た意義も大きいんだよな
そもそも新日本の蔵前でタッグがメインになったのはそれこそシン・上田に黄金コンビが挑戦した北米タッグ以来だったか >>349
ムラコがインターコンチ王者だった時は、ホーガンはWWFに移籍する前じゃないの。
ラフよし、テクニックよしの万能型のレスラーなんだけど、新日では猪木のライバルになるほどのインパクトもなかったし、
他で売り出すべきポジションに恵まれなかったな。 >>358
ムラコはガタイ良くて見栄えはイイんだけど
あの時代の日本のファンからすると動きがスローで直線的、
基本パワー活かして殴る蹴るで
ブレンバスターやパイルドライバーなどひととおり使うけど
最後はエルボードロップとかニードロップとかでフィニッシュ
典型的なNYのパワーヒールスタイルで
それでも(それだから?)WWWFのトップクラスだから
日本ではウケないわりに
呼ぶのは大変呼んでもストーリー作り辛いという扱いづらいタイプ ムラコは気分屋で好 不調の差が激しく別名「ドン ムラっけ」こういうタイプが一番使いずらい >>359
そーいや昭和の時代、外人の次期世界王者候補といったくくりの有望若手が度々話題になっていたが
Rスティンボートあたりが筆頭だったが、親日に来るのはどっちかつうとパワー系の一本調子タイプが多かった。
ホーガンはまあ別格だがアトラス、ブラボー、ベンチュラ、あと厳しいがオーンドーフあたりもか。 ムラコはしゃべレスが上手く、マイクアピールがいいらしい。
こういうタイプは言葉の通じない日本では難しい。 ペドロ・モラレスとドン・ムラコの抗争はチャンピオンのバックランドの試合より盛り上がったんだよね と、いうかあれだよね
言葉通じる通じないもあるけど
日本では悪役ガイジンのTVインタビューやマイクアピールで
試合前に盛り上がるって習慣自体がそもそも無かったからな
80年代後半あたりになってファンの間でもアメプロはTVカメラの前で吠えて〜みたいなのが
一般的になってそういうのも取り入れだしたけど
基本試合前の毒吐きってカメラの前でわざわざってのが先に立って
なんか無理してる感がキツいんだよ
まあ日本の場合、試合前の悪役のTVインタビュー代わりが東スポの大見出しだったと 逆に日本でしかやらない(か知らんが)習慣だと花束贈呈や選手権宣言、国歌吹奏なんかがあるな。
あとファン側も紙テープ、自分の名前書いた紙掲げる(アメプロだと決まりフレーズとかだっけ)等々。 >>350
藤波がベイダー戦と同じように寝るのを拒否したのか ポールオーンドーフは日本でベビーとして売れば
結構人気出たと思うけどな、いいマスクだし
なのに何故前田のかませ犬・・・ 師匠ヒロマツダの母国でファイトすることを熱望していたのにね
傲慢なビッグバンベイダーと控え室で殴り合える度胸の持ち主
ポールオンドーフ >>371
すぐナイフを出すキチガイだから恐れられたとか
ピストル持ってるレイス親分と同じ 拳銃ぶっ放しながらブラソデプラタ追いかけ回した
有名レスラーってレイスのことだよなあ >>372
親日はそんな奴とは知らずにジョブを持ちかけてカタイ攻撃仕掛けさせたのか? IWGPの目玉にする為もあるんだろうけど、
あれは前田の拙さを出さないための短時間決着に思える。 あれで前田の蹴りとスープレックス怖がる
見せかけ筋肉レスラーと負のイメージ持ってしまったよね その後も藤波、長州には負けなかったし、
前田との再戦でもロープに足を引っかけてのリングアウト負けという
スッキリしない負け方だったから、前田とライバル関係にしたかったんじゃないか。
当時は次期NWA王者候補とも言われていたしな。 オーンドーフは一時期、大西洋地区でジミースヌーカとコンビを組んでたから85〜6年あたりで
このタッグは見たかったかも。 >>379
サマーの最終戦ひとつ前だね
試合そのものは良かったけど藤波はクイックだけというイメージがこのあたりからついてきたw
アドニス、シュルツ、バレンタイン…… >>369
全日から初めて乗り込んで来た戸口の相手が藤波はブックが難しい。
急所打ちで戸口の反則負けかな。
シングルなら戸口>長州か日プロ絡みの永源、星野。
ブッチャーの新日移籍も同日だから、
全日軍の◯ブッチャー&戸口(毒針〜体固め)猪木&●坂口で良かったのでは? オーンドーフもその後WWFでホーガンのライバルとして大スターになったから、結果論だが新日に定着しなくて正解だったな。 タイガーデビュー戦の月刊プロレスのレポート
https://imgur.com/a/WrZUw
バラしてんじゃん >>384 タイガーの体型と前年の新日本のメキシコ遠征の中継での佐山の試合ぶりから、タイガー=佐山だと分かった人はたくさんいたね。小学生の俺でも直ぐ分かった位 ケイブンシャのプロレス大百科でも「正体は佐山サトルではないかと言われている」と書いてあった >>388
一応、コバクニ、ヒロ、栗栖と並べて候補者の一人として明言はしなかったね 佐山、小林邦、栗栖、斉藤弘幸のうちの誰かだ、ってプロレス大百科に載ってたな 栗栖がタイガーの正体だったら、と想像すると怖すぎるw フィッシャーマンタイガー イスタイガー セントーンタイガー でもCSテレ朝でタイガーデビュー戦観ると
試合開始直後におそらくはちょっと通気取りのファンが
客席から何度も「ジョージ!ジョージ!」って得意気に叫んでるんだよな
あの手の「俺はわかってる」を気取りたいファンっていつの時代もいるもんだけど
さすがにあれみてジョージは肌の色ひとつとっても無いよなあ
でもあの声挙げてた人きっと友達とかに「あれ、ジョージ高野なんだぜ」とか
得意気に解説してみせてたんだろうなあw テレビだけで見ている層にとっては
タイガーの正体が若手の誰かと言われても
若手の名前と顔が一致しないから
ピンと来なかったな >>380
ワープロクラシックスの藤波特集3試合が全て逆さ押さえ込み勝ちなのが笑ったw
(シュルツ、スーパースター、デューク・マイヤース)
まあそれが藤波の持ち味でもあったけどね。 >>394
よくタイガーマスク正体誰だったんだ?て聞かれて佐山サトルと答えてもほぼ全員「だからだれだよそれ、、」って感じで微妙な感じがデフォだったなー タイガーマスクきっかけでプロレス見る様になった人には
佐山と言われても知らないよね。
俺もそうだったけどw タイガー初登場の何シリーズ前かに、新設されたWWFライトヘビー級王座の決定リーグ戦があって
それに当初はグラン浜田、ジョージ高野と共に佐山サトルが出場予定だったので、俺が佐山の名前を知ったのはその時が初めてだわ タイガーのデビュー戦は入場テーマをライブでやったバンドのインパクトもなかなかのもの。 >>396
マイヤースも意外にデカかったからねw
ベイダーを日本で初フォールしたのも逆さ押さえ込みだし、いわゆる小よく大を制すが藤波の魅力だとは思う。
日本人はそういうの好きだし。 >>401
ブレインウォッシュバンドつったっけ? 入場口の奥のほうでセット組んで演奏してたな。
対角側は誰だったかな。。 で、俺もタイガー最初に見ただけでは佐山が思いつかなかった。
前年かもっと前かメキシコ衛星中継で浜田と組んで素顔の佐山がパンタロン姿で回し蹴りのような
攻撃を見た記憶があって、そのうち「ああ、あいつだ・・」って感づいたな。。 >>403
外道という知る人ぞ知るバンドじゃなかったかな? >>404
外道だったんだ? いやいやロック好きだし名前は知ってるよw 加納秀人ってギターがいたね。
もう記憶がないというか、今にしてみれば「そうだったんだ・・」って感じ。 外道のwikiて調べたら確かに4月23日の新日の興業で生演奏してるって書いてあるわ!
外道に関しては後追いで聴くようになったからこれは知らなかった。 1981年4月の蔵前は、日本人側の入場曲をブレインウォッシュバンドが、外国人側の入場曲を外道が演奏してたね。
ブレインウォッシュバンドが演奏する炎のファイターは何か笑えた。
ハンセンは、映画「リベンジャー」のテーマでも「ウェスタンラリアート」でもなく、外道の曲「What a bitch」だった。 >>407
>ブレインウォッシュバンドが演奏する炎のファイターは何か笑えた。
珍妙な感じだったけど
今思うとあれは好きだったな
最後のNWFの特別な舞台に妙に合ってた気がする 子供の時買ったプロレスの本でタイガーマスクの正体はこの中にいる!!という内容の記事があって。佐山、小林、栗栖、高田が候補になっていた。栗栖ww スレチだけど三沢タイガー登場の際は、その際海外遠征からしばらく帰って来てない選手って越中と伊藤正男、桜田一男しかいなかったから
正体が誰だなんて議論は全然起こらなかったな。 >>409
佐山と栗栖は似た体型じゃないか。
そういえば栗栖コール起きなかったなw >>410
週プロがデビュー前に「正体は三沢?」と本分記事で書いてたからな。 >>403
>>404
ブレインウォッシュバンドも外道もロックファンにはおなじみのバンドだよ
ただあの頃は既に全盛期過ぎてたのと
なにより今と違ってまだメディアに頻繁に登場するようなバンド以外は
音楽ファンと一般層の距離が大きい時代だから
大多数のプロレスファン的には「無名の知らないバンド」扱いだっただけ >>412
「ヒントは名前に漢数字が入ってるあの選手」って普通に記事が出てたから
全日側も最初から正体隠すつもりは全くなかった
むしろ小沢が「蒙古の怪人」になったり後に武藤が「スペースローンウルフ610」になったような
出世魚的なキャラ付けの売り出し方で、
唯一の約束事は「三沢」という名前だけは一応言わないってだけだったかと >>407
そういう風にバラついていたからサンライズ登場で一掃されたんだよな USSR軍団の参戦はぎりぎり昭和だったよな?
猪木が連れてきた選手でホンモノだったのはレスラーじゃなくて
ボクシングの連中だったというオチは笑った ユーリやナザロフ連れて来たの猪木で良かったっけ?
でもハシミコフやチョチヨシビリも別に偽物って訳でもなかろう >>402
猪木だって記録上はハンセンにフォール勝ちが6回だっけ?でも、いずれもクイックどころか、高橋が猪木がカバーに入った時点でカウント1入れてるもんな。
ハンセンもそういう負け方しか飲まなかったのかな。一度くらいはきれいにカウント3与えてもよかったと思うが。 >>417
ソ連勢が初めて上がったときにはもう平成だった。 メキシコから来たウルトラマンにはがっかりしたなぁ。タイガー戦の数年前にも来たんだよな?しょっぱいのに再来日とかw http://patrickmacias.blogs.com/.a/6a00d8341bfb8d53ef019102066096970c-800wi
円谷プロの許可を得ていないどころか、どこからか着ぐるみ調達して
さも公認であるかのような演出…こんな暴挙が許されていた
昭和プロレスは大らかな時代だったんだ >>422
メキシコ・ルチャリブレの会議で選抜され
打倒タイガーで送り込まれた刺客だろ >>418
レッドブル軍団はAVにドはまりして、ずっとホテルから出なかったらしいね。
無修正ポルノがあふれてるアメリカ人じゃ考えられない話だと >>424
そのあとメキシコ遠征に来たタイガーとタッグを組んでアポロ&カミカゼと対戦した。 >>426
タイガーはカミカゼにマスクを燃やされるんだよ。 スーパースター列伝タイガー編と悪役ブルースの両方でリングにあがった外人はBタイガーとウルトラマンか。
日本人でも猪木と藤波しかいない。 >>429
ブッチャーは悪役ブルースには出てなかったんだな。 悪役ブルースってガイジンは誰が出てたっけ?
記憶があいまいだけどホーガンは出てたかな? >>431
ホーガンは前半でミスターゼロにボコられ、
後半でカミカゼを追い回すという、
まさに出世度の違いが顕著な存在だった。
キン肉マンでハルクドーガンとネプチューンマンの差があるのと似てるw ホーガンはまだまし
カマタはたった1コマでゼロに血祭りにw ウルトラマンやブラックマンって、当時の田中リングアナ式のコールの仕方だと
言いにくそうだったよね。
ウルトラ〜↑マン〜↓みたいなw ケロのアナウンスで思い出したが、タイガー戸口のコールで最初の「タイガー」がタイガーマスクのイントネーションと同じだったので、凄く違和感があったな。 戸口のパンチって変だったよな。手首を回して殴るという パンフ「闘魂スぺシャル」でケロがコールしにくい名前のランキングとか書いてたことあったっけ。
ハングマンが一位だった気がする。たぶん>>434さんご指摘のウルトラマンと同じ理由。 ン、はコールに力を入れにくいからハンセンとかも苦手だったらしいな タイガージェット・シン、ハンセン、ホーガン、
スコット・ノートン、
新日のトップ外人は「ン」で終わる選手が多いな!www コロソ・コロセッティ。
名前がコロコロコミックみたいで可愛かったw 小川橋本戦あたりからプロレス全く見てなかったけど、
棚橋の本読んで興味湧いて、深夜のテレビ見てみたら
面白くなってる。
棚橋とか真壁とか本当によく頑張って立て直してくれたよね。
新日本なくなったら寂しすぎる。特に二人に感謝やわ。 俺は別に新日本がなくなってもかまわないけど…すまんw あくまでも昭和の新日本が好きなだけなんだ 無くならないに越したことはないよ
今の新日が物足らないと感じるのなら
それはファンの気質や会社全体の方針に問題があるからであって
最前線で体を張ってる棚橋やオカダを個人的に叩く風潮には乗れない >>437
それと同じ時だったと思うけど、ケロが「コールしたことないけどコールしにくそうなベスト3」
で、天龍源一郎、リッキースティムボート、ドスカラスの3人を挙げてたけど、
後年3人とも新日に上がってケロのコールが実現してるねw 今の新日本の選手が頑張ってるのは聞いてるし、選手を叩くこともない。全く別世界だし無関心だな。だからなくなっても何も感じないね。ベイダーがUインタに移籍したときに新日本に魅力を感じなくなり、見るの止めた。 >>445
ケロはソ連のウルジミール・ベルコヴィッチとか朝青龍の弟のドルゴルスレンギーン・セルジブデが
コールしづらいと言ってた。 ケロのコラムは面白かったな。
俺の地元の某会場が音響設備の不具合でやりにくい、みたいなこと書いていて、
うちの親父の知り合いが関係者だったから話をしたら感謝されたわ。
感謝はケロに言ってくれw
しかしブッチャーやローデスなどの商品価値を貶める発言はいただけなかった。 1・4のオカダ内藤の試合見てて、やっぱり楽しんで見ることができないと痛感した。
貶すつもりは全くないし今のファンは楽しんで見てるんだろうしそれでいいと思う。 ケロがコールしやすい方の1位は長州力だったな。
力の所で力が入るんだとか。
2位が猪木だったかな? まあそうなんだが、平昌五輪は熱中して見てたよ
昔のプロレスや川口浩探検隊や矢追純一UFO特集とか面白かったよなあ… >>448
レスラーを蔑む悪ノリ発言はWCWの解説でもやったからな、クズっぷり全開だった。 自分より年下や近い年齢のレスラーには気持ちを投入できないんだ。だからプロレスは昭和新日本が全て。五輪は五輪で日本人として年齢に関係なく熱くなって観るんだがな… >>454
気持ちなど入れて見るもんやないやろ
まだプロレスがショーだと理解してないのか??? まあプロレスはもう自分にとって現在進行形じゃないんだろ。
他の趣味なりスポーツなりでその道のプロに気持ちを入れればいいだけ。 藤波とバックランドがライバルってものしっくりこないな。
かといって猪木とバックランドもライバルってのもしかり。 >>451
たしかそうだね。で、アンドレ・ザ・ジャイアントはコールしやすいけど本人は嫌いだ、とか。
襲われるからw 新日はレスラーもリングアナも全日に負けてないぞ
と言ってから
でもレフリーは負けてるんだよねと付け加えた猪木 初期の親日に来襲したシークオブシークス オブ バグダッド(チーフホワイトウルフ)。
倍賞アナはスムーズにコールできたんだろうか。。。 ケロのコールは抑揚があって語尾が上がるから客がオーと盛り上がれる。
長州リィキィー↑
全日の原軍治は語尾が下がるから客がオーと盛り上がりづらく、盛り下がる。
長州リキィ↓ 長州で聴き比べてもらえばわかるけど
離脱前と復帰後では
ケロのコールが全然違う
復帰後は適当にコールしてる気がする >>455
昭和新日本の頃は小学生中学生だったからな。段々冷めてゆくんだよ。それが普通だろ?プロレスをいつまでも観てる方が変なんだよ。 >>455
こういう訳知り顔のプオタって虫唾が走るよ
プロレスに必要なのはあくまで強さ 昭和の新日本はやっぱり最高に面白いな。役者揃いというか、日本人外人問わずまさに人材の宝庫 現在だったら、ブルート・バーナードなんかも「○○障害」扱いされてテレビにも出られないのかな?
当時は観てる側もガチの「狂人」と思ってたし、そう思わせるのがプロの凄味なんだけど。 拳銃自殺する位だから本当にヤバイ人物だったんだろうな 拳銃自殺する位だから本当にヤバイ人物だったんだろうな 自死する人が全て若い時代からヤバいわけでも無いし
鬱やノイローゼ状態とバーナードが演じてたような所謂基地外ってのはまた別のモノ
それに米では自死の手段としての拳銃自殺はポピュラーだろ スカル・マフィーも拳銃自殺ではないらしい。
それどころか自殺でもなく、
睡眠薬の飲み過ぎとか、、
銃で自殺したのは日本では
田宮二郎だよ。 >>455
ショーうんぬんが気持ち入れる入れないと関係あるか?
つうかショーでも気持ち入れて何がおかしい?
上で誰かも書いてるが訳知り顔。だけどペラペラ
友達いなそう 正規軍維新軍の5vs5勝ち抜き戦、今思えば大将戦の猪木長州を純然たるシングル戦にしたのは何でなんだろうね
どちらかを先に戦わせてハンデを与えた方が負けても傷にならないし次にも繋がるのに そらあ、その方が盛り上がるからだろ。
勢いあるとはいえあの頃の長州はまだまだ猪木には及ばない。負けたところで格も下がらない。 >>465
新日は選手だけじゃなくて、フロントやコーチ、実況まで役者揃いだったからな 最盛期は初代タイガーの頃といわれてるけど、
ブームの主因は古舘の実況だと思う。
ちょっとした技でも大きくしてくれたし、
緊張感ハンパなかった。 >>476
上井「新間さんは一番早く出社して一番最後までいて、電話をかけてチケットを売っていた。
その姿を見たら下の俺らもやらざるを得ない。永源さんが『次の蔵前は選手会では何枚売ればいいですか?』と
全選手、フロント一丸となって頑張った。
現場は猪木さん、坂口さんが中心、道場は小鉄さんで若手を次世代の宝として育て、フロントは新間さん。熱かった」 >>477
何よりゴールデンタイム定時放送。このパブリック効果があってこそ。 >>462
初期 倍賞のマネでゆっくり
中期 ケロの愛称も浸透、人気も出てオリジナルの早口
末期 前口上や派手コス、選手をコケにするようなコメントでひんしゅく
てな感じかな? >>479
S51年頃、新日参戦が噂されちな、でも猪木とはかみ合わなかったろ >>481
ケロは一時は面白かったけど、人気が出てちょっと調子に乗りすぎたな。
コール自体は今でも上手いけど。 BS11でスタローン対ホーガンがやっていた。
ホーガンが世界的スターになるきっかけに
なった。 四十年前は藤波のジュニア奪取やMSGシリーズの開催などでWWWFとの提携が一気に本格全面化したんだよな
思えばあの時期が新日本が一番華やかだった印象 >>484
アンドレとか雲の上の選手をネタにするのは面白かったけど、
WCWとか後輩をバカにするようなのが感じ悪かった。
中学の頃先生のアダ名付けるのは楽しいけど、社会人になって後輩とか他社見下すか?って印象。 >>489
ゴールデンから外れたあるいは前田が出なくなったから見限ったか? >>490
これ、プロレスアンコールだかの再放送録画したやつっぽいね。
本放送当時表示されてたはずの選手紹介や興行日程のスーパーが消えてるね。 455は舞台で俳優が泣いていると
「あれはウソ泣き」と言うタイプ
自分じゃ頭がいいつもりだが
マリックを超能力者と信じていそう >>487
この年の闘魂シリーズとかプレ日本選手権は華やかとは言わんだろw >>494
78年はまあ過渡期だが、それゆえ新旧の顔ぶれが交錯しあって話題に事欠かない年でもあった。
まず藤波のWWWFジュニア戴冠〜新風を巻き込んでの1月から、春のMSGシリーズ開催、NYの超新星
バックランドの登場、シンと上田の仲間割れ、プレ日本選手権、チャボと藤波の寝屋川血戦。。
でも確かに闘魂シリーズのあの外人メンツ(特にエース陣営)は当時の親日の勢いとしては勘弁してほしい低調なものだったなw その地味さだからこそ寝屋川が際立ったのかも
あとプレ日本選手権にバックランドをわざわざワンマッチ招聘したのは全日本のニック招聘への対抗か >>500
翌日アントニオは顔面の血がカピカピに乾いた状態で
ボンジュールって起きてきたらしいな
シャワーも浴びず顔も洗わないのかって、確かピーター本に出てた >>500
あの試合は横柄なアントニオに対しての制裁みたいな事なんだろうけど
動物虐待みたいでちょっとアントニオが可哀想に見えちゃった うつ伏せでピクリとも動かないアントニオを見ると悲しい気持ちになってしまうw
強豪外国人にはあんなことできないくせにやり過ぎだろ いつも思うんだがロープブレイク中だから猪木の反則負けじゃないの? ちょっとなあ
グレート・アントニオって軽度の知的障害者なんだろ?
子どものころからまわりが食い物にしすぎだよ。 数年前にミスター高橋がブログやってて
外国人レスラーとの秘蔵写真と思い出話が出てたやつあったでしょ?(全30回位?)そのブログの最終回にグレート・アントニオは実はマトモな人間で、変人を装ってた。
みたいな事が書いてありましたけど、高橋自身も伝聞だったみたいだし・・。
いい加減なウソだったのかな? グレートアントニオはハンディ戦専門で中堅若手の集団相手ばかりだった。
さすがに坂口はもちろん吉田(長州)に負けさせるわけにいかんからな。
たしか一回目は永源、星野、若手時代のキムケンで、
二回目は小鉄、栗栖、荒川、若手時代のカーン、コバクニだったか。 まあ、親日創成期から77年ころまでの外人って、実力はあるが地味もしくはキャラは立ってるが塩ってのが
通例だったな。。w それでも蔵前や府立を満員の観衆で興行しうる手腕ってのは
猪木のプロレスの上手さ、営業の敏腕ぶりなんだろうな。コレに関しては外人の顔ぶれに優るにも関わらず
馬場および全日陣営には達しえなかった事。。 77年の外人の顔ぶれで
蔵前2連戦をやるというのは
凄いというか向こう見ずというか >>515
まあ客として見に行ったケロによるとあまり入ってなかったようだが。 グレートアントニオもそうだがマクガイヤー兄弟も色物として客集めに役立ってたな。
一時期つべにヤマハとの対戦の動画が上がってたけど、
ほぼ何もせずボヨヨンボヨヨンしてるだけのマクガイヤー相手に試合を作った山本星野は偉い。 パワーズがエース外国人の待遇だったのは77年までか。よくここまで引っ張ったよな。 >>503 >>508
ピーター以外に小鉄や新間も少し話してたけど
あのシリーズは元々別の外人レスラーを呼ぶ筈だったのがキャンセルになって
仕方なくマネージャーのデイパック・マサンドを通して売り込んできたアントニオをエース格に据えたらしいよ
そのアントニオが年いっててまともに動けない癖にギャラを上げないと試合しないと言いだしたり
巡業中も飯屋で金払わないで開き直ったり会場や宿舎の備品を壊しても謝らなかったりと
トラブルを起こしてばかりいたから制裁の意味もあってあんな試合内容になったんだと >>519
ワールドリーグ戦が最後の華だったな。
猪木とともにリーグ戦エントリーを外れて対決ムードを盛り上げようとしたけど長丁場なシリーズで息切れした感があった。
正直、スーパースターに持っていかれた感じだね。 >>510
まともというか小心者で記者相手ですら目を合わせられず「あれ程気が弱いレスラーは見たことない」
それで試合前は自分は凄い強いと自己暗示かけてたそうだ アントニオのパンチが猪木の首筋あたり狙っててちょっと怖い。 アントニオは元々向こうでもカーニバルレスラー
アメリカでも
怪物キャラでその地区に入ってくる→若手やジョバー相手に連勝、ますます調子に乗る
→その地区のエースが怪物退治に登場→制裁マッチでその地区から追放
までがお決まりワンパッケージ
本人見てのとおりちょっと頭弱い人なこともあって
古のミラークラウザー力道の制裁試合も猪木の制裁試合も
本人的には痛いけどいつものパターンってことで特に気にかけてなかったそうな >>512
藤波もこの頃日本にいたらハンディキャップマッチに駆り出されてたか?
勿論長州にも勝たせて貰えない。 >>525
マクガイヤー兄弟対小鉄など6人のハンディ戦に藤波がいたような 動画見ればわかるけど猪木からシュート仕掛けたわけじゃない
グレートアントニオが先に頸椎狙いの危険な手刀振り下ろしてる
報復されても仕方ない 藤波はベイダーとハンデ戦が確かあったぞ?
ベイダーが初めてシリーズに参戦した地方大会だったと思う ハンディといえば本来ならタッグマッチなのに裏切ってハンディキャップ戦になった試合が83年に二度もあったな。
坂口・カーンvs斉藤・長州
猪木・前田vsホーガン・スタッド スカパーの録画を観てたら「猪木VSグラハム」という超・超・超・超・夢の対決が出てきて大興奮したが、
酷い凡戦で('A`)って顔になった 昔の猪木大好きだけど今見るとどの試合も見るのがキツイよ 70年代後半の猪木対無名、中堅レスラーとのシングルの動画が意外に面白い
Mアクラ、Vリベラ、Jブラウン、星野、Tレッドとか >>528
藤波、星野、後藤VSベイダー、マサだったはず。パートナーが非力なので、あまり違和感無い
むしろ、坂口、健吾VSベイダーの2対1の方が酷い >>530
しょうがねーよグラハムとだったら誰がやっても塩試合になる
>>532
リベラとは流智美じゃないけど昔から手が合うのは有名だしアクラ戦は過去スレでも評価している人が結構いたね 動画で猪木VSロビンソン見てた。これ、猪木が結末不服でタイトル預かりとかすれば
ロビンソンも親日に留まってたんじゃないかな、とか。
それとは別にエースが長期政権が揺らぐ時期って立て続けに王座が入れ替わる法則なのか
ブックなのか知らんがwあるよね。この時もシンとの争奪戦から時間は経ってない。
馬場のPWFも蒲田に獲られてから少し動きがあった。NWAも79年にレイス〜ローデス〜馬場と
せわしなく移動。国際もちょうど79年に木村とスミルノフやガニアとの争奪があった。 猪木vsロビンソンをその後、連戦化してもどれほど興行的に当たるか、新日側も確信がもてなかったんじゃないの。
シンの方が集客力があると見込んでいたから、タイトルのキャッチボールを組んだんでしょ。 猪木対ロビンソンでは
どうしても生真面目なプロレスになってしまう
大物同士の対決より
ヒール相手にある程度破廉恥なことをやったほうが
一般の関心を集めやすい いい試合だけどあくまで前提として
「猪木とロビンソン、本当はどっちが強いんだ?」
って緊張感とか視点ありきの試合ではあったからね
継続参戦であれ以上の試合が生まれるかとか
そもそも「どっちが強い?」以外に
どういうストーリーが作れるかって考えると難しそうだよね ロビンソン戦で猪木が取るはずの二本目が時間ギリギリまでかかったのは
ロビンソンがブック破りで1-0のまま勝ち逃げしようとする意志があったから…
なんてのは当時噂になってたな、それで新日に継続参戦が無くなったとか あの試合、卍直前のロビンソンの逆水平のわざとらしい空振りが残念なんだよな あの時代、猪木とかつて日プロ時代に名勝負を残した、特に「全日系」の大物外人との
夢の再対決がファンの間でよく話題になってて、ブリスコは一度実現したわけだが
やはり後に続くアングルもなくアピールが弱い内容だった。つか一度限りの契約だったんだっけ?
まあ猪木が絶対エースの頂点(主役)にいるからどうしても「勧善懲悪」パターンが
組みやすいんだろうね。下手に正統派(オールラウンダー)との試合を組むよりも。。 >>539
この時点で既に全日に引き抜かれていてブック破りでベルト奪い
そのまま会場の外に待機させてるタクシーに乗れと馬場が指示してたって説だな まぁでも1-0ならベルト移動はないわな
フルタイムで1本も取れなかった、という事実は残るけど >>542
試合後にゴッチからギャラのダウン交渉があって嫌気が差してドリーに相談して全日行きが決まったんだろ? >>543
あの試合は1−0でもベルトは移動するルールだよ なんの理由も無しにブック破りはしないだろう 試合開始時点でもう新日とはビジネスしないと決めているはずだわな 馬場もロビンソンやホフマンとかの欧州系とやってるけど
ロビンソン戦は猪木との差を見せつける為の試合(大木戦と同じ様な)
ホフマン戦は無難で可もなく不可もなくって感じ
ロビンソン戦は倉持の「日本人初!ロビンソンから2フォール!」が
ウザかったな >>547
ロビンソン戦は当時の馬場にしちゃあいい試合の部類だと思う。 この暮れの蔵前の興行も何で追善興行に出ないんだって
あらゆる方面から恫喝や圧力が掛かって来たって話だもんな ギャラ値切ったのが移籍された原因なんだから
ベルト云々なんか何の関係もないわな。 ギャラを値切られて嫌気が差したから、ブック通りの1-1のまま時間切れ引き分けの
ブックを破ろうとして£末リと新日に冷や汗をかかせたって事か?
試合中にそんな行為をする人間をAWA王者には出来んわな
ガニアの選択は間違ってなかった >>551
ただギャラ値切りが試合後だとしたらその理屈は無いな >>552
試合前に値切ったら裏切られるから、値切りは試合後だろ。
値切った理由は地方であのグランド主体の試合は無理。 馬場の話だと「支払日にゴッチと新間が来てギャラを値切られた。
もうあそこには行きたくない。当初新日が提示した金額と同じ条件でどうだろうか?」と
ロビンソンが売りこんできた
だから試合前じゃなくて試合後だよ >>547-548
その試合で馬場が情けなかったのは2本目の決まり手の逆片エビで
明らかにロビンソンが馬場の膝を絞る(←今は使われなくなった表現)前にタップしちゃった事だよな
危険な極められ方をされる恐怖感が頭によぎったんだろうけど
今見直しても馬場の寝技スキルの無さが素人目にも伺える醜態だった 「アキレス腱固めは立った状態じゃ無いと決まらない」とかドヤ顔で解説するぐらいだしな それはあくまで馬場の身長だからの話であって 弟子に教えた事すらないんだろうな
合同練習の時ジャパンの若手が関節技の練習してるのを「そんな物何の役にもたたんぞ」と履き捨てたそうだし >>555
>危険な極められ方をされる恐怖感が頭によぎった
むしろ危機察知能力が高いと俺なら感心するけどね。
ケガして休んだらそれこそ二流 さすが「シュートを超えたものがプロレス」なる名言を残した馬場御大。。。w >>558
長州はその言葉について
「馬場さんは良い事を言った
俺もそう思う」と言ったんだよね >>555
受けのプロレスって言っときながらこれだから・・・
>>556
馬場本人は日プロ時代に関節技とかを習って技術はそれなりに持ってそうだけど
鶴龍や四天王には全く受け継がれていない >>560
猪木の受け身も新日勢に全く受け継がれてない。 昭和のGWってビッグマッチとか名勝負の印象が無い。
というか、興行はしてない事が多いんだっけ? 12月も前半で終わり年始までオフ期間だよな テレビ中継の関係で録画放映はしてるから一年中興行やってるイメージあるけどシリーズ(4〜3週)オフ(2〜3週)の繰り返しだからね 親日だったらMSG シリーズ真っ盛りか(4月20あたり〜6月上旬)。
時期として前半戦だから予選かな。ただ第5回(82年)は、通常ではビッグファイトシリーズだが
入れ替えたルーティンで3月〜4月上旬だった。 >>566
https://pbs.twimg.com/media/DBX0PwAVwAAVSDw.jpg
>馬之助とかマサ斎藤のブロマイドなんて誰が欲しがるんだよ
これマルベル堂?
あそこだったら売る為じゃなくてもうただ作って品数を揃える事自体に意義がある様なモンだから >>564
90年代まではビッグマッチが平日なんて当たり前だった >>555
>>557
どうせ二本目は取られるブックなんだから決められる前にタップするのが賢いよな。 >>570
当時は技が決まってるとか決まってないとか見てる客はいないし。 ガチの負傷は大概 下手なレスラーがヤバイ角度で技仕掛ける時だしね 生兵法は大怪我のもとともいうし
馬場は自分では上手いと思ってるだろうから 昔は三本勝負で「ダメージ残さない為に早めにギブアップしましたね。」と
実況で言われてたような気がする。 >>573
三本目に負けるか引き分けの場合は、
二本目粘って、そのダメージのせいで勝てなかった理由にしたりね 二フォール勝ちが決まってたなら一本は相手の強さが引き立つように負けるのもバランス フレアーと鶴田の世界戦で2本目四の字にギブアップせず、1-0で勝ったものの結局ベルト移動せずの鶴田 あれは誰得のブックだったな
1-0で勝っても無意味なのにタップしなかった鶴田がバカに見えただけだし 初代タイガーマスクがメキシコでフィッシュマンだったかにフォールで1本取られてるのを知った時は
小学生の俺はかなりショックを受けたなぁ。
3本勝負だから、とかそんなの理解してなかったし(苦笑) でも昔の国際とかだと3本勝負のタッグマッチで
同じ選手が回転エビで2本取ったりとかの
なかなか酷いというかそこまで手抜くこと無いだろってブックも多かった >>578
メキシコでのタイトルマッチはすべて3本勝負で
ビジャノV、ペロ・アグアヨ、フィッシュマンは
初代タイガーマスクから1本取っている 当時のワープロで初代タイガーがメキシコ遠征した時
三本勝負のうちの一本タイガーがピン負けしたシーンを
タイガーの無敵イメージ確保のため放送しなかったという噂が アンドレもカネックに1984年2月12日にピンフォール取られたと言われてる。 >>577
何の雑誌で見たか忘れたが、1-0で勝った時鶴田自身は王者になったと思ったという? 試合前レフェリーからツーフォール取らなくても王座は移動すると聞いたからだ
はっ?何バカなこと言ってるんだと憤慨したな 特別ルールの発表等はなかったし
今思うとマスコミが、鶴田のコメントに対して適当な嘘の記事を書いたのかも知れないが、当時はいい加減さに呆れたなあ 猪木vsロビンソンでは1―0でも移動とか解説でやってたっけ >>581
燃えろ!新日本プロレスのDVDにノーカット収録されてたね。
あのシリーズ結構好きだったな〜 >>578
俺はフィッシュマンのマスクデザインが好きだったので、別段タイガーのファンでもなかったからちょっと嬉しかったわ
しかし、81年のWWFライトヘビー級王座決定リーグでのフィッシュマンの扱いは不遇すぎ 新日が猪木対ロビンソン戦やってた同時期、全日はオープン選手権やってたんだっけ
「さんざん馬場に戦えと挑発しておきながら、こちらが戦う場を用意したら逃げた」
という反論を添えて >>588
全日関係者は猪木が参戦した場合を聞かれて「一応川崎で馬場選手と対戦予定はしていますが それまで(猪木)持たないでしょうね、、、)他の連中を使って潰す気満々だったからね >>589
川崎?
馬場vs猪木を川崎市体育館かw ありえないがやるなら力道山13回忌武道館大会以外ないだろ
まあめんどくさい人たちが仕切ってた大会だから全日としては避けたいってのはあったかもだが ブロディ新日参戦の時、全日寄りの週ゴンは、
「ブロディの攻撃に猪木は耐えられるか?」
「猪木の技はブロディに通用するか?」
と新日ファンの神経逆撫でするような記事だった。
まあ、同感だったんだけど。 >>592
いやその日が決定状況だったよ 猪木が正式に挑戦状出し(それまではアピールのみ)馬場も正式に返答しなければならなくなったが「僕は是非対戦したい だがNWAから非加盟選手との対戦は許可出来ないと通達があった」
当然の如く大バッシングくらい 慌てて「NWAに直談判して必ず対戦する」と公約してしまった
当初から「力道山正統後継者」「力道山所縁の日本選手権」をかけての対戦要求だったためXデーは力道山法要試合もう逃げる事は出来なくなっていた でその二ヵ月前にいきなりオープンリーグ開催発表 >>590
おさらい
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/open_zennihon/open_19751206_1218.html >>593
俺も学級新聞に「4月18日、アントニオ猪木死す!?」という記事を書いたわw >>595
そのバックがグリーンのページを見ると目がチカチカする
緑は目に優しいはずなのになぜだろう >>595
時系列的に全日が参加外人を発表する前に
猪木が「馬場戦が確約できないなら出ない」って言ってるから
参加外人云々が不参加の理由にするのは無理がありすぎる 馬場戦が実現するのであれば全ての条件を飲むようなこと言ってなかったか?
ギャラとかテレビの放映権とか、全日に上がるとか…
結果、
「非常にいい企画だ。おやりなさい、ウチにはウチの日程がある。
猪木-馬場戦が必ず実現するという保証があるなら、何をおいても出ようと思ったが、漠然としたトーナメントに、テレビ局に不義理してまで、なんでオレが出なきゃいかんのか。
やりそうでやらないのが、全日本のやり方だから。
シングルでの一騎討ちなら、いつでも出る」 >「やりそうでやらないのが、全日本のやり方だから。 シングルでの一騎討ちなら、いつでも出る」
これで十分な答えだろう。
結果的にファンは物量作戦できた馬場に対して
立派な試合内容を見せた猪木を支持した 全日が本気で馬場猪木戦を実現させる気があるなら
日時を含めてはっきり確約してそれを新日に提示すれば良かったが
結局それすらできなかった
「やりそうでやらないのが全日本w」という言葉で既に見透かされている
全日が結局、新日の失策以外ではプロレス界に
イニシアチブの握れなかったのはこの辺に原因がある 芳の里「ところで誠に残念であったのは、新日本プロレスの参加が得られなかったことです。
新日本プロレスを代表するアントニオ猪木君だけは、その日頃の言動からして、
何をおいても当大会に出場して普段対戦することのできない世界の強豪を前に彼の真の実力を実証してくれるものと期待していたのですが、
当大会の趣向に賛同するといいながらも積極的に参加の意思表示もないまま、早々に不参加表明をしたことは理解に苦しみます。
かねがね猪木君は、ジャイアント馬場君への挑戦を繰り返し、あらゆる条件を馬場君にまかせて、フリーの立場で戦うとまで言い切っていました。
馬場君が門戸を開放した本大会は、猪木君に与えられた唯一無二の舞台であったはずです。
この絶好の機会を自ら放棄した猪木君は、今後、自分本位の挑戦を繰り返す権利を全て失ったものと解釈されても止むを得ないでしょう。」
これまでの執拗な猪木からの挑発、挑戦に対し腹に据えかねていた馬場は、
ここぞとばかりに実に嫌味たっぷりな言い回しで、それも自分ではなく
元・日本プロレス社長にこれを言わせる、という…。
オープン選主権の大会準備委員長に芳の里を据えたのも、
猪木が受けないのを計算しての事だったんだろうな 「芳の里はなぜ梶原一騎を殺さなかったのか」
少なくとも名誉毀損で訴えるべきだった
まぁ時代だよな 同じ会社が鼻血ぐらいで過剰反応して断筆させるご時世だし >>601
> 全日が本気で馬場猪木戦を実現させる気があるなら
> 日時を含めてはっきり確約してそれを新日に提示すれば良かったが
> 結局それすらできなかった
猪木とテレ朝が負けを飲むか、
日テレが馬場の負けを了承するかしないとできるわけないのに何言ってんだこいつ 結局は当人や会社同士の思惑ではなく日テレとテレ朝だからな。
嫌味のキャッチボールもある意味出来レースのファンサービスということだな。 猪木のブック破りが怖いからだろ。
例えばオールスター戦みたいなシンへの逆さ抑え込みみたいな、不意に3カウント入るような技とか、
腕十字みたいな技でギブとってくる可能性があるからな。 >>604
実現するしないは関係無いよ 用は猪木馬場どちらが強いか世間に知らしめればいいのだから直接対決が確実ってだけ
ここで馬場がよし一騎討ちしようといえば 例え諸事情で実現出来なくても猪木が逃げた事になる 何せそれまでその理由を指して「馬場は猪木から逃げてる」となってたのだから 79年のオールスター後、馬場が猪木に寝ることでテレ朝と契約交渉したこと知らんやつ多いのかね
(春にゴールデンタイム中継を打ち切られて中継料ガタ減り、馬場と日テレの関係がこじれていた時期) プロレスは裏は真っ黒だけどリング上では誤魔化し効かないのよね 何せ「お客さんの目」があるから ぶっちゃけやったもん勝ちな所もある
特にプロレスファンは勝敗より試合内容で評価する傾向があるから負けた方が評価が上がったり選手生命が伸びたりするケースもある 外人が「日本のファンはシビアだよ」とグチこぼす程にね >>609
最新のGスピリッツに原プロデューサーのインタビューが載ってるが、ゴールデンから外れても放映料はそのままだと言っていた。 http://hobby.red-cm.com/wp/wp-content/uploads/2018/03/rikidozan_13.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20171208/17/chunn995/2f/56/j/o0360064014086906559.jpg?caw=800
カネを湯水のように使って海外から一流選手を呼びまくり、ライバル団体の国際まで巻き込んで
大々的なビッグマッチを組んだのに
ロビンソンとのシングルマッチ以外たいしたカードがない新日より客が入らなかったんだよな
武道館の三階席がガラッガラだったのを見て猪木がせせら笑ったというが
十三回忌追善試合に参加しなかった事で
力道山時代に興行を仕切っていたその筋の方々からの嫌がらせで
東スポの紙面に力道山未亡人に頭を下げる写真を掲載させられたのが
余程悔しかったのだろうと >>608
句点も読点もなく、改行もしない。おまけに誤字もあるから読みづらい。 改行しないのはカスだけど
便所の落書きに句読点指摘もアホ >>615
改行しなくても句読点があればまだ読みやすいだろが >>609 >>612
これは栗山の暴露本以外に有力なソースが無いからなあ
栗山の後にプロデューサーになった松岡氏だとか永里高平辺りの話ならまだ信憑性が高まるんだが
>>613
後だしジャンケン的な理屈になってしまうけど
この時全日と日テレに馬場vsドリーか馬場vsブッチャーの一騎討ちを組むぐらいの思い切りの良さがあればまだ観客数では格好が付いただろうね >>616
改行もしないやつが、まともに打てると思うか?
余計読みづらくなるだけ >>619
俺はFMWにいた田吾作なんとかに似てると思った >>500
猪木の表情が範馬勇次郎みたいで抜群にいいなぁ
カメラマンも流石 >>500
猪木はグレートアントニオの名前が嫌だから制裁したなんてあるけど
動画見りゃ頸椎狙いの打撃に報復しただけだよ 高橋はGアントニオが試合そっちのけでカメラマンにポーズしてそれで猪木さんがブチ切れたと言ってた 映像見りゃ>>624の通りであることはすぐ分かる
高橋は至近距離から何を見ていたんだって感じ
そもそもパフォーマンスをカメラの前で見せるのは必要な仕事で、ちょっと過剰なぐらいでキレるようなことじゃないし 年末ビッグマッチ、グレートアントニオ相手で「あのオチ」以外客を満足させられたか?と考えると全部シナリオ通り作られた不穏試合と思う 猪木対アントニオ このシリーズシングルで2度対戦あったと思う。1回目は、猪木の反則負けが記録されていたはずだ。月刊プロレスに、アントニオ(反則)猪木ってあった 写真と記事は、一切なく結果だけ掲載されていた 2回目は、あの有名な試合 ネタ次元の話だけど、ムック本で読んだと思うが、アントニオの体臭がひどかったので、清潔好きな猪木がキレたというのも一因とか。
古館の説だとか書いてあったな。 カンケー無いけど、小学館「プロレス入門」(第2刷くらい?)に拠ると、猪木は酒もたばこも一切やらない
マジメ人間ナンバーワンで果物が好きで美容と健康にいいからバリバリ食ってる、という記述思い出した。。w >>627-629
年を跨いだ直後の上田とのネールデスマッチみたいな感じで試合を纏める予定だったのが
アントニオが文字通り喧嘩を売る様な舐めくさった態度を取ってきたので
他の外人レスラー達にも睨みを利かせる意味もあって制裁モードに舵を切ったんじゃないの?
勿論トラブルメーカーだったアントニオへの積もり積もった鬱憤も少なからずあっただろうけど >>630
強くなるためには納豆とヒジキを食え!
ってのも猪木のなんかであったよね 猪木はもう30年以上前だけど、ある料理番組に出た時も納豆サンドを実演していた。
自分は納豆好きだけど、パンに挟むのはいまだに実践したことないな。 マテ茶、タバスコ、アントンリブに続いて納豆の販売も事業にとかすればよかったのになw
「アントン納豆」・・。なかなか語呂もいいw >>628
あー高橋がアントニオがカメラマンにポーズ取ったのが
場外乱闘中と書いてあったから 勘違いだろうと思ってたけど
前の試合での話かも それで試合前から猪木苛立ってたんじゃないかな >>630
昔の新日の試合のパンフレットの猪木の好きな食べ物欄に「果物」と書いてあった記憶ある。 >>630
あの本、古本屋であったらまた欲しいな
ガキだったからザ・マミーとかザ・コンビクトとか
マジで信じちゃったからなw カルホーンはバケツいっぱいのジャガイモを食うんだぞ >>630
昭和55年くらいに買ったプロレス入門に、馬場と猪木の食生活の比較イラストが載ってた。
馬場は豪華料理とともに、コーヒー好きだからとコーヒーカップがテーブルに10個くらい並べられ、口開けて大好きな大福を放り込んでるイラスト。
猪木は野菜、果物が山盛りにされたテーブルで納豆を口に放り込んでるイラストだったw
デフォルメするにしても馬鹿にしすぎだろうと思ったw >>633-634 >>643
猪木に憧れて毎日の様にヒジキと納豆を食べていたのにも関わらず体が大きくならなかったとボヤいていたのがヤングライオン当時の高田延彦
>>635
86年頃の「きょうの料理」に猪木が出演していて何故かジャンバラヤを作っていたな
アメリカでの武者修行時代ダイナーやレストランのメニューにはこれしか米料理が無かっただとか
アメリカ南部の料理はラードを多く使っていて濃い味付けだったとか
仕込みのネタなのか猪木自身が実際に体験した話なのかまでは分からなかったけど
司会役のアナウンサーさんとの会話も殆ど噛まずスムーズにこなしていてなかなか堂に入ったタレントぶりだったよ >>632
ネールデスマッチはよく武道館でやれたと思う ファイプロだと ドゥガンの必殺技はアックスボンバーと呼べないのは
版権等が関係してるのかね? >>642
因みにウルトラマンレオにはガロン&リットルという兄弟怪獣が出てくる この世紀のデブはケンタッキー州の貧しい農夫の子供に生まれしかも兄弟が12人もいた
カルホーンが腹いっぱい食おうものなら一家の1日分の食糧が消えた!
14歳のときかれは家出をした
両親や兄弟を飢え死にさせぬために自分さえいなくなればと…………
そしてすでに150キロあった超巨体をやしなうためにあらゆる力仕事の重労働をやった
めぐまれた怪力で2人前の給料をとったものの…
かれが飢えをみたすには最低5人前の食事が必要だった!
飢えてイライラしているある日かれは不良どもからデブデブとからかわれ…
大喧嘩となったが…狂うカルホーンのため15人もの相手がまたたくまに半殺しにされた!
不良どもはナイフも使ったが分厚い脂肪の壁はほんのかすり傷をおわせたにすぎなかった
たまたまこの喧嘩を見ていたプロレスの興行師のすすめでプロレス界入りしたカルホーンは…
生まれてはじめて空腹とさよならできた…
そしてこの生活を守るためならと巨体を生かして鬼にも悪魔にもなった! ライガーがアンドレとブロディを「さん」付けで呼んでる。なんか変だろ、それは。
https://youtu.be/fjlmz3g_XaY >>633-634
本人名義の著書、ワニの豆本「格闘技世界一」で色々な野菜を細かく刻み納豆と混ぜて食べるのを推奨
なお同書には「アントン体操」もいくつか紹介されていた >>651
その本持ってるわ
プロレススーパースター列伝のBI砲猪木編はこの本を元に描いてあるよね。 世界一強い
アントニオ猪木
頑張れ
の、のぼりを持ったおっさん 好きな食物に納豆とひじきを挙げた頃には
血糖値との戦いが始まってたんじゃないの >>653
あのノボリの持ち主だった飯塚さん(申し訳ないがフルネームは忘れた)も気の毒な人だったな
当初猪木の入場時のみノボリを持ち上げて試合中は他の客の迷惑にならない様下げていたのに
次第に交流が出来た関係者やファンクラブを主宰するタイプのディープなオタ達に煽られ半ば強制される形で試合中も振り回すようになった
そしたら今度は菊池孝や竹内宏介辺りから観戦の邪魔だのファンとしての思い入れを勘違いしてるだのと非難されだして(テリーブームの時のノボリやプラカード等には殆どケチを付けなかったクセにねぇ)
それを苦にして会場に足を運ばなくなってしまったんだよ
(猪木の引退試合には来ていたけどね)
>>654
ヒジキはどうか知らんが納豆は日プロ時代茨城在住のタニマチと知り合って勧められたのがキッカケじゃなかったかな? >>655
> 次第に交流が出来た関係者やファンクラブを主宰するタイプのディープなオタ達
こいつらが悪いんだな >>653
>>655
昔テレビ(ワープロ?)で特集されたことあったね。
本職はハンコ屋さんなんだっけね。 >>655
あのノボリって決戦ムードを煽る重要なアイテムだったと思う。
俺の中では、赤ガウン・炎のファイター・古館・猪木コールとノボリがワンセット。 >>657-658
サンクス
思い出した
ギブUPまで待てない時代に特集されてたね(それ以前にも紹介された事があったのかも)
>>660-661
ノボリの持ち主の飯塚さんは確かつくばか取手の方に住んでいて
今や怖い人に成り果てた飯塚の方は北海道出身だから違うと思う https://youtu.be/AKTjIQ3FLBI
3:01〜3:02ぐらいのところで場外フェンスに手をかけて
赤いジャンパー着てこっち向いて映ってる人誰だっけ?
新日専属の整体師だっけ? >>663
名前は忘れたけどガンバルマンに出てた人だな >>663
名古屋の整体師だよね。吉原って名前だったと思う。もう故人だけど。
週プロでターザンと対談してた。星野仙一とかとも交流があったんじゃないかな? >>665
昭和の新日レスラーは背中にてんとう虫みたいな
丸く黒い痕をつけてたがもしかしてそれをやってた人? >>666
コップ療法の方は別府のT治療院じゃなかったかな? >>665
中日の近藤の肩を整体壊したのはこの人だってマジ? >>664
>>665
なんかガンバルマンでは強面で
木製のブロック越しに木槌でガンガン叩いたりとか無茶苦茶やってたよなw
あとギター整体のチョビ髭のオッサンとか
頭蓋骨開いてツボを刺激するとか言って脳天に手をかけて
無理やり左右に引っ張ったあとにチョップ打ち込んだりしてたw
あれアイアンクロ―より痛いだろw ガンバルマンの整体術と言えば
・終点道場のグラサンのおっさん
・骨法の堀辺(頭蓋骨の関節を2mm開きますと言って脳天チョップ)
・ジャズ空手の沢村(工事現場の工具やバッテリーを使ったわけのわからん整体)
がいたな >>671
頭蓋骨を開くと腹筋が強くなる実験をやってたね >>671
ジャズ空手は「♪おれは田舎のプレスリー」に合わせて空手の型をやってたな。 >>669
>中日の近藤の肩を整体壊したのはこの人だってマジ?
藤波の腰を破壊したのもこの吉原達夫だって昔プ板に書き込まれていた
他にも昭和懐古系ブログにも似たようなコメントが載ってたから当時から評判悪かったんだろうな >>639
コンビクトは実在でしょ。昭和45年に来日している。
マミーは漫画「タイガーマスク」に登場するミイラ男を拝借したものですね。
同様にヌボアとかいう蛇男もこの漫画のコブラ男だ。 >>639が言ってるのはプロレスの設定を子供だから事実だと信じたってことだろ 殺人罪で服役中だったが、怪力で牢屋の鉄格子をこじ開けて脱獄し・・・ってやつねw >>675
見落としてたがヌボアだって漫画の真似したわけではない >>675
>>639ですが実在するうんぬんではなくて・・・ 平成にやった力道山追悼興行で鶴見が用意したザ・マミーが受け身とり損ねて失神したトラブルを受けて
長州がインディーをこっぴどく批判した事件があったが、長州の傲慢な人間性はともかく
あまりにもお粗末な怪奇レスラーを安易に創って客をシラケさせるのは確かに止めて欲しいと思ったな
どうせフェイクなら上手く騙してくれよと >>681
鶴見が普段仕事やりながらプロレスやってんだからしょうがないだろ?って
言ってたような? 新日はインディーと交流はするくせに、
対戦した所属選手のインディー批判を規制しないのが卑劣だよな
夢ファクやSPWFの選手を散々こき下ろした大谷やカシンは
新日クビになるとそのインディー選手と大差ないパートタイマーを興行で使う事になり
言う事が180度変わるという悪循環 新日はそのくらい傲慢でよかったんだよ
強いレスラーはデカい態度とればよい
ところが今は強さより観客動員数の話ばっかしてんだよな >>686
今の観客動員数なんて実数発表を考慮に入れても全然威張れたもんじゃないのにな。 スタンド席空いてるのにシートで覆って
試合開始から3,4試合過ぎて来た当日券客は
実質タダで配ってるもんな、札止めにするために。
昭和は消防法が厳しくなかったからし、
席もギュウギュウ詰めでエントランスエリアなんか無かったから
今の5000人キャパのところに7000人入ってた。
30年以上前の動画観たら分かる 体臭がひどかったからキレたってのは妙に説得力あった。
ボサボサの髪と髭、薄汚いヨレヨレのコスチューム、汚いシューズ、実際に臭くなくても見た目だけでも十分に不潔。 ジョニパやボブバ、ダスロの良さがわからんかった。
ディクマやバドアはアジが それまで緩慢な動きだったのに
唐突に頸椎狙い撃ちしてくるグレートアントニオのほうが不可解だよ
しかも四連発だからアクシデントじゃない明らかに故意
あわよくばそのままそのまま倒すつもりだったのかね?
猪木がやり返したのはプロとして仕方ないこと 「コップの水」じゃね?スレに出てるのは全部本当で
それまで我慢してたけど最後の一滴が延髄の強打 >>691
猪木の狂ったようなストンピングを「死のダンス」って、好きだなあw >>694
パクソン戦と似た感じだな
韓国では大熊も舐めた真似されてガチボストチンクラブで報復 いや、それはわかってるよ
韓国マットでのトラブルって事 83年の猪木前田のシングル、youtubeで今見たけど、
最後の延髄蹴り、空振りだよね。
あれでよくスリーカウントとらせたわ。
猪木もそこは肩あげろよと思ったに違いない。
説教だったろうね。 >>700
ちゃんとかすっているじゃん
かすった方が効くんですよ! >>700
カバーに行った猪木が悪いだろ。
そんな微妙な判断、前田のキャリアでできないだろうし
返したら逆に怒られると思って返せないよ。 >>700
殆ど当たる事なんか無いのだから、気にする必要無いと思うが アレンに決めた時は空振りどころか、爪先が後頭部に当たった時があった >>700
まだこんなこと書いてるメクラいるのか
スネが当たってんだろ!
普通に足の甲当るより相当痛かったはず
思わず前転受け身してしまうくらい 馬場の16文がショボいのは許せても、猪木の延髄が空振るのは許せないというのは差別だと思う
同じプロレスだろ過激とか王道とか関係ない 延髄の受け身難しいよなあ、後ろに目がある訳じゃ無いからね >>706
猪木自身が馬場とは違う、あっちはショーこっちは本当の戦いとかいっぱい言ってたので、ミエミエの演技や失敗は叩かれてもやむ無し。 >>708
同じアメリカで、同じプロレスをやっている選手が両団体に来日し、
オレ達が対戦するのだから、そんな使い分けが出来るわけがない。
「うちは本格派で、向こうはショーマン派のレスラーばかり」などとヌケヌケと言って置いて、
アブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜いたりするのだから、もう全く理屈に合わないことばかりだ。
(「16文が行く」より) スティーブウィリアムスのフロントスープレックスで頭打った時は
そのままピンフォール取られたほうが
猪木秒殺した最強外人と売り出せたよな
それは猪木も許すんじゃないかと思うんだけど >>710
生中継だったから時間が余ってしまうよ。 >>710
あの当時のウィリアムスはガチで強かっただろうけど
プロレスはガチで下手くそだったから
そんな売り出し方をしたら後々使いづらくなったと思う。 >>710
全日に引き抜かれて天龍あたりに寝かされちゃう。
ロビンソンや大木戦じゃ名勝負の差でカバー出来たけど、あの頃の猪木じゃもう無理。
理想を言えばS・ウィリアムス戦の前には最悪でもドームの橋本蝶野戦以前に引退して欲しかった。 8.8で藤波に負けて引退してたらどうなっていたかなあ 猪木はウィリアムスを結構気に入ってたかもしれないな
巌流島直後のIWGP戦の後に
「俺がコンディションがいい時にもう1回やろう」
なんて勝った直後にマイクアピールするなんてところは他では見たことがない >>710
あの時はウィリアムスが「ヤバい!」って感じで猪木を助けおこしちゃったからね
客も気付いて失笑していた >>716
あれはよくある、スリー入りそうなのにわざと起こして、客席を嫌味ったらしく見回す感じにすればまだよかったのだが、どう見ても「あ、ヤバっ!」て感じのやつやったしな
まぁそこまで頭回らんかったやろうし、普通に返すと思うわな >>702
なるほど!納得です。
空振りしてるくせに押さえ込んで、パワハラやね。 >>710
スパインバスターね。
パワーがありすぎて猪木マジで効いちゃって息が詰まったみたい。
45秒から https://www.youtube.com/watch?v=fyZ9Vy2jZ30&t=58s >>714
その後の藤波が大変だよな。
引退させたからには下手なことできない立場になっちゃうし。
あの試合は時間切れ引き分けが一番良かったんだろうね。 猪木はあの試合を俺が伝えたい事が最後まで藤波に
伝わらなかったって不満そうだったな 延髄の受け身って一回転受け身とか斜め前方に飛びあがるとか
喰らった後に朽木の様にたれるとかブロディみたいにフラフラして
倒れるとか色々あるよね >>715
その時、マイクアピールはウィリアムスが「お前のいまの体調は10%、
100%の時に地獄に送ってやる」とフォロー気味にやったのは覚えてるけど、
猪木がそんなマイクアピールしたっけ? >>722
坂口が後方に倒れこんだのもよくわからんかっはた クラッシャーバンバンビガロとの試合後に猪木がキレて狂乱した動画をyoutubeで見たけど
ビガロの何が気に入らなかったのか全然覚えてない、どんな試合内容だったのかなぁ
「戻せよこの野郎!チクショウアノヤロウコロシテヤルゾ…」 >>725
今のデイビーボーイ息子と同じ理屈じゃね?
脳天と肛門にまで入れ墨したバイオレンスな巨漢が
側転、ドロップキック、回転エビ、スモールパッケージとか
器用なところをアピールしようとするから。
ブロディのドロップキックは迫力が凄いから。相手は堪らんだろうなって。
サップが正面飛びの裸足ドロップキックで中西を場外に吹っ飛ばして
当時流行らなかったリングアウト勝ちがスゲ〜に見えたように >>サップが正面飛びの裸足ドロップキックで中西を場外に吹っ飛ばして
中西があれでボーナス貰ってたって邪道と外道が証言してたな >>727
中西本人もラジオか何かで言ってたよ。あの試合のシリーズ後に会社から報奨金出たって。
あそこまでモロに、受けで自ら飛んだんじゃなく吹っ飛ばされたのは筋書きでも何でもないって。
会社から「重量級のお前があんな吹っ飛び方するから客はド肝を抜くんだ、良かったぞ」って。 >>723
猪木の方はマイク使ってないね
ウィリアムスのマイクアピールに対して本人に直接英語で語りかけてる
それに対してウィリアムスがまたマイクで返事してるね スコット・ノートンの二人がかりのブレーンバスターを
逆に一人で投げ返すというムーブは初回はともかく
何度もやられると萎えたなぁ、相手の二人が明らかに自分からジャンプしてるんだもの >>730
耳を掴むイヤーハンギングもあんまりやらなくなっていったよね >>715
あの試合がメインじゃなかったのもウィリアムスへの信頼の無さが伺える 猪木が延髄多用し始めたのって、やっぱ内臓疾患だか糖尿の体調が目に見えて衰えてきた頃だったな。
正直、80年代前半の親日ブームって猪木の強さじゃないよね・・。やっぱ70年代までか、猪木の強さを実感できたのは。 80年代前半のブームは、猪木というよりはタイガーマスクと藤波、長州の力が大きいと思う。 >>719
あのフロントスープレックスでカウント3取ったらウィリアムスは出禁になっちゃう? >>733
延髄は高く飛んでバランス取りながら蹴り、落ちた時の受け身も必要だから、むしろ体調不良の猪木にとってはキツイだろ。
卍かコブラの方が楽で晩年のスリーパーは正に妙技。 82年辺りは猪木の相手としてラッシャー木村がいて良かったなぁと思う。 >>736
自身の衝撃考えればドロップキックもそうじゃない?。つうか延髄で決める試合って
もう昔のような三本勝負でもなく、一本でも長丁場の試合でもない短時間で決める場合が多い。
卍(コブラはもう痛め技)だと接戦、苦戦の末での決め技という色合いがある。 延髄ってそれまでの流れぶった切って、この技出したんだから終わりな、みたいな印象がある
ハンセンのラリアットだと技の威力で説得力あるんだけど延髄斬りはカスってるだけだからなんかショボい 猪木が85年〜87年辺りに突然ジャーマンを復活させてた時期があったけど
まともにフィニッシュになったのって86年の大阪のIWGPリーグの藤原戦ぐらいだよね? 延髄斬りで終わってしまうよりも
延髄斬りのあとに次の大技で3カウントの方がいい終わり方になってたと思う
オカダもそろそろこっちのパターンに変えたほうがいい
いつまでもレインメーカーでフィニッシュばかりだと飽きられるぞ 猪木のフライングニードロップとバックドロップが綺麗でカッコいい。 >>709
それはないのよね アメリカでも州毎に好があって
プロモーターの要請でスタイルを変えるのが当たり前 ただ
「プロモーターやファンがそのスタイルを求めるならそれをこなす事がプロ」
「プロモーターやファンは自分を求めてるのだからスタイルは一貫するのがプロ」
と考え方が解れてるけどね
後者はアンドレ ブロディ マスカス ウォリアーズ ブッチャー等
フリーランスの大物にその傾向がある >>740
83年9月に浜口戦でジャーマン(見方によってはバックドロップホールド)決めた時がスーパースター戦以来2年ぶりのジャーマン復活といわれていたね。
84年8月の長州戦で出した時もそこでフィニッシュでよかったのに、長州が返したのはブック破りなのか、ブック通りなのかわからん。 長州戦のジャーマンは綺麗だったけど、アレで決まってたら唐突すぎてポカーンな場面だったな
形は崩れたけど、85年春のビリー・ジャック戦もジャーマンフィニッシュだな 86年IWGP決勝のマードック戦のジャーマンはマードックが返して無いのに
高橋がカウント2で止めてたよね。その後延髄やって勝ったけど会場が微妙な空気になってた。
ジャーマンで終わりにすりゃ良かったのに。 >>747
猪木のブリッジが潰れて、手も離れちゃったから、マードックが1人エビ固め状態だった。
つまり、猪木が押さえていないから、猪木(ジャーマン)マードック にはならないのかな?
マードックのオウンフォールみたいな。 80年代以降の猪木のジャーマンは
自分の調子を試すために出してるんじゃないかと思う 85年の9月の藤波戦のジャーマンはあれってローリングジャーマン? >>752
ある意味、新日の象徴ともいえるからね。
根っ子というか心の拠り所というか。 改めて考えても後ろに倒れて頭でブリッジして支えるってすげえよな ザ・タイガー 佐山 聡と山崎一夫によるスープレックスとブリッジの練習法の解説
31分過ぎから
https://www.youtube.com/watch?v=YvUA42ZKM4c メインイベントのフィニッシュで好きなのはどっち?
ジャーマンVSウェスタンラリアット
っていう質問、いまだに即答できん >>757
どっちもここぞという時の必殺技感が希薄になって30年くらいかな。悩んでジャーマンに1票! マードックへのジャーマンは、マードックが勢いよくジャンプし過ぎて猪木が付いていけてないように見える。 しかしよくまあIWGP決勝相手をマードックにしたよな
ハッキリいってシリーズの2番手クラスだったろ
予想出来てた奴はいないだろうな IWGPも正直、第一回の時点であの参加メンツは無いだろって思ってた。
あれだけ期待の膨らんだブッチャーもボックもいない。言い換えればただの「第6回MSGシリーズ」。
まあ、決勝の動向や当時の親日ブームも手伝ってそれなりの話題、プロレス史を刻むに至ったが、
あくまでもファンが望む図式と団体の提供する舞台、試合はいつも食い違いがある。。 本命の前田が場外でマードックをコーナーポスト背にさせてキックするも避けられ
鉄柱蹴って負傷ともの凄いわざとらしさで負けたから
土壇場で猪木が前田とやりたくないとゴネたのかなあ
でなきゃマードックはどう考えても役不足 本当は藤波だったんだろうな
それがガチで怪我してしまって前田かマードックかでマードックになった感じか 30分もやるような組み合わせでも無いのに、ダラダラやってた感じ。 マードックってあんだけ新日いたのに猪木からフォール取ったのは1回も無いんだよな。
というか移籍直後からシングルでは完敗しまくってるもう少し大事に扱ってれば説得力も出たろうに。 猪木vsマードックの前で前田は木戸と組んでスヌーカ、ワイルド・サモアンとやって
逆さ押さえ込みで勝って大ブーイング浴びた。
ファイトだかは「今の前田が猪木とやったら20分でフォール負け」と出てた。
新日出戻り当時の刺々しさがなくなって塩っぱくなっていた。
http://blog.livedoor.jp/verdigris28/archives/51445928.html ただあの「ぶれんばすたあ!」は凄かった
小鉄の「こりゃやられたかな」(おいおい)がなんとも マードックは藤波にも勝ったことほとんどないでしょ
たぶん坂口には勝ってると思うけど 1987年はマードックが暫定外人エースだった時期
他にロクな外人がいなかったのが理由だけどね
だがベイダーがデビューしてそっちに新日の売り出しが移った >>766
ブロディ移籍後に前哨戦みたいな感じで猪木vsマードックが組まれたけど
猪木の完勝だったのは憶えてる >>770
タイツ下げ合戦で両リンがあるじゃない
アドニスも藤波には逆さ抑え込みで負けるけど
健吾にはリングアウト負けさえ許さない精々両者フェンスアウト程度 ミスター高橋の書いた本に、「藤波はお前のパンチなんて大した事ないと言ってたぞ」
と焚き付けたら、藤波はマードックに顔面凹凹にされてしまった。
藤波は「なんでマードックを怒らせたんだ」と抗議したが
アン〇ニオ〇木に「試合前にマードックを怒らせろ」と命令されたとは言えなかったとか
これもデタラメの与太話なのかな >>770
ちょうど話題に出ていた86年のTWGPリーグ戦公式戦で藤波にフォール勝ちしてる。 >>775
それ「試合中にタイツの紐が切れて調子が狂ったから負けた」試合だっけ?
週プロや週ゴンに載った写真を見た限りだと珍しく藤波がアトミックドロップを使ったりしていたみたいだけど >>772
猪木VSヒギンスか猪木VSジャックと勘違いしてないか?
85年には猪木VSマードックは実現していない。 マードックは愛されキャラだから、リーグ戦の決勝進出とかは確かに似合わないね
ナウリーダー軍の助っ人とかそういうポジションが一番合ってた マードック対猪木でマードックが開始前にピストルポーズしたのって85年じゃなかったか。 小鉄が「うちに来た外人レスラーで実力がトップなのはマードックかM・スーパースターだ」と書いていたが
だったらもうちょっと良い扱いをしてやれよと思う
2人とも大関から関脇位のポジションだし >>781
オートンが東体で馬に乗って入場して馬糞撒き散らして大変だったが、
マードックのテーマ曲はテキサスの雰囲気あるから牛に乗って入場すればよかった。
ついでに猪木と組んで水道橋あたりにテキサス牛ステーキレストランでもオープンすればよかった。
肉はマードックの牧場から仕入れればいい。 >>764
そうだと思うな、年末のリベンジになるし。前田何すんねんという感じだったのでは。 >>783
藤波の怪我の所為で上田戦が不戦敗になったけど上田が
怪我してても結果はどうなるか解らんから試合に出ろって
言ってたよな、これは暗に負けるよって事だよね?
勝てば藤波がBリーグの単独トップだったから >>763
猪木ビビり過ぎ、そんなに前田が怖いか、いや信用できなかったのか…
仕掛ける事は無いにしても、前田がマードックや藤波みたいな負けっぷりが出来ないと思ったか
何十年にもわたってUWFの幻想がプロレス界に蔓延っていたのは
猪木の異様なまでの前田とのシングル戦避け続けだとなぜ理解できなかったのか 何だかんだ言って、プロレスに従順な藤波や長州と違って、
前田からはやらかしそうな雰囲気感じ取ってたのかもよ。
かつての馬場が猪木のブック破りの逆さ抑え込みやギブとる関節技を恐れたように。 本当にビビってたらタッグですら対戦しなかったと思う 本当にやらかすならマードックへのブック破りするだろうと思うけど、
マードックに対してブック破りする度胸はなかったんだろうな。
やっぱりマードックやマスクドスーパースターには仕掛けられない程度だったんだろう。
糖尿病の病み上がりの猪木は怖くないがそいつらには怖くて仕掛けられなかった。 >>788
小鉄は本当に前田を潰そうと思ったらマードックかスーパースターと言うが、
スーパースターはフットボールやってたが格闘技歴なしだからな・・・。
前田潰しはマードック、アレン、ウィリアムス、バーバリアンあたりがいいな。 >>790
前田の空手歴なんか大したことないから
格闘技歴なしでも元フットボーラーの方が強いだろ ウィリアムスは顔面襲撃事件を聞いて
「なぜ前田は長州にしたように私に向かってこなかったのか。
彼が非常に賢い男だからだ。私は彼を常にリング上で弄んでいた。」 上田、マードックとか猪木にしろ、
前田のプロレス的キックでもう一切防御できてなくて
無様に蹴られるだけだったからな >>793
そりゃキックボクサーじゃないんだから当たり前だ
それでマードックに脅されて大人しくなった前田w >>790 前田つぶしか。。w
ボブオートン、デビッドシュルツみたいなリング外での素行の悪い奴も適役かも。
シュルツはベトナム戦争で兵役経験あるからな。。 >>795
B・ワット、B・エリス、F・レイン、B・オートンJr…
愛称“カウボーイ”の日本マットでの素行の悪さは異常 >>785
後半、結果論的なものが混ざっておかしな文章になってる >>799
ワードや一太郎どころかワープロなんかも普及してない時代だからな。
映像に入るテロップもそうだった。 テレビと雑誌(活字)しか情報のない時代、やっつけというか普通に手段として違和感もなかったw
お茶の間でこういう放送席の画面見ててもそれでおおいに楽しめた。。 外人がリーグ戦でのタスキを持って帰ったらしい。
欧米ではないものらいし。 >>799
さすがに手書きではないよ。
ちなみにこれは81MSGタッグリーグ戦の星取り表だね。 >>806
当のマリガンは全日本という認識だからな。
当時、通常シリーズで入場式なかったかな?
80年の闘魂シリーズは入場式をテレビでやってた記憶あるな。 他にもいるんだろうけど、散々強さを主張して傲慢だったブロディを
完膚なきまでに叩きのめしたレスラーはブラックジャック・マリガンしか知らない いまは消されてるみたいだけど、つべに上がってたボルコフ戦はほぼ、防戦一方だったな。 80年のゴングに新日外人人気順があった。
1 ローデス
2 ハンセン
3 バックランド
4 アンドレ
5 ホーガン
6 キッド
7 シン
8 スーパースター
9 カネック
確かこんな順でこういう面子だったはず。
多少の順番違いはあるかも。
でも1がローデスだったような。 >>809
AWAではブラックウェルにも叩きのめされてたけどな。 >>811
あ。納得ですわ。あくまでも当時の感覚ではね。 本当はキン肉マンになるはずだった、スーパー・ストロング・マシン引退。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180522-00830843-number-fight
“権利関係がクリアされていなかったため、この企画は土壇場で頓挫。”
モノはいいようだな、無断でやって怒られたのに…w https://pbs.twimg.com/media/CLooIAJUYAA0hw7.jpg
二年前にマスク剥ぎ強要されてなければもっと上位だったのかな…
キッドは国際から引き抜いたばかりで注目株
ホーガンもニューヨークでアンドレぶん投げて話題枠だったしな
シンは長年新日に貢献してきたものの、かなり飽きられてきた段階かな 33年前や24年前の話が「比較的若いファンにとってのエピソード」って、
ここの「若い」基準って何歳だよw >>815
黒パンじゃない、しかも赤のロングタイツの長州は貴重 藤波も海外遠征で赤いタイツを履いたが、日本に中継するときは黒だったな。
黒=ストロングスタイルに固執していたことへの不満があったのだろう。 >>815
UWA王座を新たに絡ませることでシンのリフレッシュを図ってたな 藤波の赤タイツは、カルガリーでのカーンとの一騎打ちは放送されたはず。 >>820
カーン戦はノーテレビ
カルガリーでコブラと組んで、スミス、ハート組?だったかとやった試合がテレビマッチだった。他にも猪木とケリー・ブラウンのシングルだったかな >>821
カルガリーでコブラと組んだのは小林邦昭。
猪木VSブラウンは暮れのバンクーバー。 カルガリー 藤波vsドン・コロフ
バンクーバー 藤波、コブラvsスミス、ハート >>822
>>823
そうか、ごっちゃになってたか
ありがとう スレのたびに?出てくる本人とタイツの色のイメージ。。
小鉄に黒は絶対笑う。。いや、慣れでカバーできるかな? >>826
日本だとタイツの色は固定色が個性になるが各選手、若手時代は色々な色だった。
白のイメージの小鉄、寺西も若い頃は色物を履いてて残ってる写真が白黒写真だから
赤・青・黄・緑・紺・黒・オレンジなのか不明。
ラッシャー木村と荒川も若手時代は色物のショートタイツで藤原はオレンジだった。
大木金太郎が白タイツ、白シューズで出てきて小鉄の叔父さんみたいで失笑された。 >>828
80年代後半はたまにチャンピオン製の黒のロングタイツの時もあったな 佐山も若手の頃はグリーンとかオレンジのショートタイツだったな >>828
有名なマスカラス初来日第一戦では、オレンジだったね。 猪木は日プロ時代は赤、黄色、オレンジ、黒、新日初期は黒と茶色だった。
多分、自分のイメージが定まってなかったんだと思う。
猪木の似合う黒、茶色は馬場は似合わない。
馬場の似合う赤、オレンジ、黄色は猪木は似合わない。 カラーテレビの普及率が急激に高くなっていた時期だったので、テレビ局から派手な色のタイツをつけてほしいっていう要望があったのかもね
大相撲もド派手なカラーの締め込みをしている力士が多かった フレアーは赤・青・黄・白・水色・緑・ピンク・黒・紫で
ガウンとタイツとシューズの色を合わせたりとお洒落だった。
ルー・テーズは黒のイメージだが、赤、青、白、水色もあった。
マイティ井上は個性的でお洒落で1度見たら忘れられなかった。
花柄もいいが、俺はモザイク柄のパンツが好きだw >>32
ダイナマイトキッド対スキップヤング
ダイビングヘッドバットの後、額がパックリの大流血だった >>835
勝ち名乗りを受けるキッドが朦朧としてたな。
館内も静かだった記憶がある。 >>834
マイティのタイツセレクションはジョナサンと合い通ずるものがあるな。 タイツの色も固定してるのから疎らなのから様々だな。
ハンセンは初来日は水色、新日初参戦は茶色。
あとは黒が定番だが、ベイダー戦等青もたまにあった。
馬場との初シングルんときも青か。
アンドレは黒、赤、青、黄、緑と。
ホーガンは白、黒、赤、水色、黄。
ブロディは黒しか見たことないな。
シンは緑、黒、赤、あと78年頃の猪木とのシングルではマイティみたいなカラフルなの。
テリーは赤、青、黒。
バックランドも赤、青、黒。
マードックは赤、青、黒、白。 そーいや親日にショルダースタイルのタイツの選手っていたっけ?? >>840
ワンショルダーという事?
デビッドシュルツとか? あーもう。今の時代にシュルツみたいな素からして危ないキャラがいたら重宝されたのに >>841
いやいや外人じゃなくてw 親日所属選手。ワンショルダーでもツーでも。マシン軍団は除外でw
国際は浜口や鶴見がいたが全日もいたのかなあ。。 >>839
ブロディは海外では青とか履いてたみたいだね、プエルトリコで死んだときの遺品に
青いタイツがあってバーバラ夫人が本人が気に入ってた色だったって言ってた >>843
在籍期間は短いけど関川が来てたかも上半身にシャツ着た上にショルダータイツ テリーは、世界王者時代モノクロ写真だが、おそらく白のタイツ姿を一度だけ雑誌でみたことある
あと同じ青色でも濃いのと薄いのがあった
ロビンソン、ニックも色んな色使い分けていたな >>848
平成なら石澤と吉江って出てくるけど、昭和じゃ難しいよね タイツ、シューズで思い出したが
烈風隊ぐらいのジョージがすごかったね
黒いベーシックなショートタイツにショッキングイエローのようなシューズという
さすがジョージはブッ飛んでるなと思った >>816
近年は昔のそういうネタ的エピソードだけが有名だが(だから若いファイトはそれしか知らないが)、って意味でしょ >>850
ジョージのタイツはクリーム色、赤、オレンジ、マリンブルー、黒、白、紫、黄緑。
シューズは赤、黒、黄色、白でお洒落だった。
前田の若手時代のタイツはエンジ色、紺で黒ではなかった。 >>840
山田恵一がデビューした頃にアマレスの
吊りタイツで試合していたが >>850
ジョージのシューズといえば「George」のGでGTではなく「JT」のロゴ >>855
日本語で「じょうじ」は英語の「GEORGE」ではなくてパスポートスペルは「JOJI」になる。 だから高野の本名は高野譲治
リングネームはジョージ高野
シューズには本名のイニシャルを表記してただけ
天龍が寿司屋に「しま田」と名付けたようなもの ちょっと違うだろうw
リングコスチュームはリング上の事で寿司屋はリング外の事だから。 >>861
あまり知られていないがジョージさんの本当の本名は
ジョージ高野だよ。ドン・中矢・ニールセンみたいな。
だから本当はパンフ公表のGEORGE TAKANOが正しいの。
高野譲治ってのは在日が名乗る日本向けの通名的なもの。
ジョージさんはこれが本名であると公表はしているけどね。 ちな、俊二は本名。コイツを孕んでる時に米軍父は消えた >>826
小鉄、星野の黒タイツ
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1637422039710200&set=pb.100003272591531.-2207520000.1527286068.&type=3&theater >>864
姓がジョージで名が高野かw
日本の戸籍にローマ字は使えないため、戸籍にはGeorgeとは記せない。
じょうじ(譲治、譲二、丈二など)のパスポートスペルは「JOJI」だから「TAKANO JOJI」
ジニアス「ジョージの本名は高野譲治と言われているが、これは当て字で本名はミドルネームが絡んだ複雑な名前」
俊二は、高野ハワードデント俊二? 一時期のヤングライオンのロングタイツブームは何があったんだろ? >>867
だからそれは書いてんじゃん。
在日の帰化みたいなもんだって。
「帰化」って意味解かるか?少年よ
ジョージさんは産まれたときはアメリカ国籍なんだよ >>869
オマエ馬鹿じゃねえのw
Wiki→帰化は、ある国家の国籍を有しない外国人が、国籍の取得を申請して、
ある国家がその外国人に対して新たに国籍を認めること。
高野兄弟は日米の二重国籍で21歳でどちらかを選択するもので帰化じゃないw 高野譲治は当て字なんだろ?なら本名は英語なのか?
ならジョージはローマ字発音じゃないだろ 英語George ローマ字JOJIだな なら米国人の親がつけたのなら
Georgeが本名だろう カンケー無いが、長州は力からそのままリッキー(RICKY?)、鶴田が友美からトミー(TOMMY)の愛称で
海外のレスラー仲間から呼ばれてたっけ。なんとなく近い語感だからそういう呼び方になったんだろうかねw 小林邦明はコビーだし、武藤はムタ、橋本はファットエルビス
健介はケンスキー、藤波はフヒナミ、天龍はテンルー アンドレは猪木をアイノキと発音してたらしいね。
猪木はデイビーボーイ・スミスをデイビーボーイスと言ってた。 >>878
オールナイトニッポンに猪木が出たとき言ってたね ライガーをショーティー、ヒロ斎藤をチョビと呼んでいたのは侮蔑の意味もあったとか >>878
倉持アナはスミルノフをスミノルフと言ってた。何度も。
保永をやすながとも言ってた。 保永は帰国時の古館の実況では「ほながのぶお」って言われてたし、散々だな 倉持や松永はミズーリ州を「ミズリー州」と言ってたよな。 >>874
アントニオ→アントン、マイケル→マイク、フィリップ→フィル、ユージン→ジン、ロバート→ボブ、
ウイリアム→ビル、リチャード→ディック、リック、エリザベス→リズ、ベス、ベッシー、エリザ、 >>886
ロバートとボブなんてまるで字が違うじゃねーか、なんて言ってるのはカタカナを使ってる
日本人だけの感覚でw、向こうの人は発音が似てる(ロバートの短縮ロブとボブ)ってだけの話だな。 >>871
高野兄弟が生まれた時、日米二重国籍ってのはどういうこと?
彼らが日米国際結婚の嫡出子だったら、当時の日本の国籍法は父系血統主義だから、彼らは日本国籍は取得できない。
しかも米国の国籍法は出生地主義だから、米国生まれなら問題ないが、日本生まれだと米国籍取得は無理ではないが、だいぶ制限される。
つまり、高野兄弟は無国籍だった可能性もある。なら日本に帰化するしかない。 カルガリーハリケーンズについて質問された猪木が
平田とチョビと俊二のことねカッコいい名前付けたね
と感心無さそうに答えてたな ジョージは後に設立する団体が
ファイティング・スピリット・レスリング=F.S.R.
何故レスリングをローマ字であてたのか? >>890
ジョージ曰く「FMWと混同されるから」 橋本は皆からブッチャーと呼ばれてたけど
長州はチン太って呼んでたよな。 >>888
アメリカ市民権
米国内で生まれた子、米国市民の父(高野兄弟の父)及び母の下に生まれた子は米国籍を付与される。
日本人の両親が米国内で出産した子供は親の持つ日本国籍と米国籍が付与される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の市民権
日本
血統主義で、生まれた国に関係なく、父母から受け継いだ血縁関係により国籍を取得する。
父または母(高野兄弟の母)が日本国籍であれば、その子供は日本国籍を取得する。
外国籍夫婦(例えば中国籍の夫婦)が日本国内で産んだ子供の国籍は親の国籍(中国)になり、
日本で産まれても日本国籍は付与されない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本国籍
高野兄弟は米国籍法の「米国市民の父の下に生まれた子は米国籍を付与される」で米国籍と
日本の「父または母が日本国籍であれば、その子供は日本国籍を取得する」に該当して二重国籍。
よって、日本の国籍法で22歳までにどちらかを選択する義務があるが、
自己選択で手続きをするため、選択し忘れることもあり、それで揉めたのが蓮舫。
あとは法務省、市区役所の戸籍係、弁護士にでも聞いて自分で調べろ。 ジョージのスペル論争も続いてるが、ご本人は「まあ、どっちでもいいですよ」とか言いそうw >>895
これ以上掘り下げるとスレチになるけど、一応説明しておく。
>>888で「彼らが日米国際結婚の嫡出子だったら、当時の日本の国籍法は父系血統主義だから、
彼らは日本国籍は取得できない。 」と書いたのを読んでないのか?
日本の国籍法が父母両系血統主義(父か母のどちらかが日本人なら子は日本人になる)に改正されたのは1985年からだ。
したがってジョージ、俊二ともに出生当時は父系血統主義の時代で、母が日本人でも日本国籍を取得できない。
ただし、婚外子だったら当時の国籍法で「父の知れない子」に該当して日本国籍を取得できる。
それと、米国の国籍法はたびたび改正されている。米国は基本、出生地主義であり、国外で生まれた場合、
父か母が米国市民であれば、一定期間の米国に居住していたなどの条件つきでその子は米国籍を取得できる。
70年代まで「子の出生時点で,アメリカ人父が10年以上,そのうちの5年間は14 歳に達してから,アメリカ合衆国内に居住していたこと」
という規定があったから、これに該当しないと国外出生子は米国籍にならないんだよ。
知ってるか知らないが。沖縄に無戸籍児が多く生まれたのはこのためな。
つまり高野兄弟は日本生まれだから、父が上記の条件に該当し、かつ婚外子であれば、お前さんのいう通り日米二重国籍になるが、
そうでなければ日本人母の婚外子として日本国籍になるか、日米どちらの国籍もない無国籍となるか、のどちらかだ。
理解できたか? 全日の年金問題の時みたいなウザさだな
別スレ立ててやれや >>889
長州たちが出て行ったときは「大掃除が出来た」と強がっていたが、キッド・スミスが引き抜かれたときは激昂。
ハリケーンズが出て行ったときは、離脱が続いて最早どうでも良くなってたのかな?w 3人とも重用してはいたのにね。 >>901
あの頃はこのまま新日に居ても未来は無いから逃げられる
新日の体制が悪いと週プロとかファイトは批判してたな >>889
でも素直にカッコいい名前だよね
最近のケイオスだのバレットなんちゃらなんかより
ずっといいわ まあ、ぶっちゃけカナダにハリケーンが来ることはよっぽど無いんだけどね。
そんなカナダのカルガリーを荒らすハリケーンって意味でつけたのかな ただ単にカルガリーで海外修行したメンバーで大暴れを起こそうって意味でしょ >>904
うお、ハリケーンズできて30年以上だが名称に関するこんな分析初めて見たw キッド&スミス組が正式にブリティッシュ・ブルドッグスと名付けられる前は
週プロか週ゴンでカルガリーブラザーズってイケてない名前を付けられてた キッドとスミスはカルガリーのイメージ強かったからブリティッシュ・ブルドッグス
命名されてもなんかピンとこなかった。しばらくして2人がイギリス出身だと知った。 >>907
テレビでも言ってなかったっけ?勘違いかな >>909
確かに言ってた。カルガリーコンビとも言ってたし
カルガリーから来た二人組っていう軽いノリで言ってただけだろう。 新聞や雑誌では爆弾コンビという呼ばれ方が多かったと思う。 週プロは立野と山崎のコンビ名をわざわざ公募して「スカイハイ・エキスプレス」とかベタな名前を採用して、
何故か全女にスルーされて正式に「JBエンジェルス」と発表されて面目なかったからな 正式なユニット名じゃなく「別名」みたいな呼称でのチームも昭和ならでは。。
黄金コンビ(猪木&坂口)、師弟コンビ(猪木&藤波,馬場&鶴田)
ナチの戦犯コンビ(ヘス&ショッツ)、泥棒タッグ(ゴリアス&ゴールドマン)
荒馬兄弟(ファンクス)、引き裂き(吸血?)コンビ(Rタイラー&エディサリバン)etc >>913
タッグリーグ参加のほとんどのチームがそうだな。 マードックとアドニスのスーパーバイオレンスコンビは
WWFでタッグチャンプになったが、正式なチーム名とか無かったんだろうか >>916
ノース・サウス・コネクションと呼ばれてたみたいだね
アドニスはジェシー・ベンチュラとイースト&ウェスト・コネクションってチームを組んでたから、
そこから連想してのネーミングかね マードックはアドニスの事を手の掛かるガキだったぜ
ベストのパートナーはスーパースターだなってインタビューで答えてた >>919
それでも85年のタッグリーグは予定通り、マードック&アドニスで出てほしかった。
それだとアンドレ&スーパースターも参加するわけだから、ブロディ組の独走はなかっただろうけど、
やっぱり最後は藤波&木村の優勝というブックは動かなかったのかな? 俺の中では、MSG決勝の猪木藤波vsマードックアドニスは新日のタッグ最高試合なんだよなあ。 >>919
ハンセンはパートナーとしてどうだったんだろうな? >>913
ゴリアス&ゴールドマンは護摩の灰コンビというのが、彼らのスケールの小ささと小賢しさをよく表現してて好きだな。 >>922
ロングホーンズ自体は悪いコンビじゃない印象だが
ハンセンの方があまりマードックを好いていなかったはず
嫌うというより敬遠してた感じで性格的に合わなかったのかも マードックとオートンってホールを加えたトリオでの6人タッグリーグ参加はあったけど、
二人だけでチーム作っても面白そうだったな。 >>920
あの年に当初の予定通りだったら凄かった。
アンドレ、スーパースター
マードック、アドニス
ブロディ、スヌーカ
そうなれば80年MSGタッグに匹敵する大会になった。
優勝戦は藤波、木村×ブロディ、スヌーカで藤波がスヌーカをクイックフォールか。
初の猪木抜きの優勝戦も新鮮味あるわ。
猪木、坂口×アンドレ、スーパースーパーがドローであと一歩で優勝戦に絡めず。
まあブロディはごねただろうが。
ブロディとしては最強タッグも優勝してるから新日でも優勝してW制覇したかったみたいだが。
その心情は当然だと思う。
スヌーカはそこまで固執してなかったみたいで。
そこはブロディとスヌーカの考え方の違いだしね。 81年MSGタッグもメンバーの組み合わせによっては80年に匹敵したと思う。
ハンセン、ホーガン
マードック、ローデス
ブッチャー、アレン
この三チームで参加してたら全然違った。
この時期にホーガンはスケジュールで全参加は無理で。
ローデスはやはり全参加は無理。
ブッチャーは干されて?
81年MSGタッグはイマイチだったんだよな。 >>927
とはいえ最強タッグより客は入ってたんだよな。
まあ東京の大会場は最強タッグのほうが多かったが。 アンドレ&スーパースターは反則じゃないか?アンドレのパートナーはちっこいのじゃないと。 マードックは破格の扱いだよな。移籍した年にエース外人とタッグ組んだんだから。
その後も決勝進出など。優勝はなかったが。 80年はバックランドが中盤から強引に参加させ(られ)て優勝。
81年はローデスを同じく中盤あたりから参加させるのは無理だったのかな?
終盤には参加したが。
ローデスをバックランドみたいに中盤からリーグ戦に参加させたらマードックとのコンビで。
ハンセン、ホーガン×マードック、ローデスは見たかった。
ハンセンとマードックの対決は見た事ない。
アメリカでは対決あんのかな?
まあ日本に報道されてなくて実は対決してた、っちゅうのは幾らでもあるし。
あと81年はブッチャーに参加して欲しかった。
ブッチャー、アレン×サモアンズなんか面白そう。
新日時代にブッチャーとアンドレやハンセンの対決も見たかったし。
全日時代では遅すぎた。
特にブッチャーとアンドレは。 >>912
ビッグレスラーが革命軍団→維新軍を当初レジスタンスと呼んでいたり
週ゴンがウィリアムズゴディ組を超暴走コンビだとかSDD(スーパーデンジャラス・デュオ)とか命名しても定着しなかったり
或は平成の話になるけど狼群団を週ゴンが騒乱軍と表記し続けたのにファン関係者双方からガン無視されたりとその手の逸話は探せばいっぱいある
>>919
アドニスもマードックとはソリが合わなかったみたいで
最後の来日時のインタビューではオートンとのタッグ再結成を希望するような事を話してたね
>>930-931
結果的に試合での引き出しの多いマードックで正解だった
ローデスだとワンパターンの試合内容になって観客の不興を買いかねない >>933
超獣コンビってどこが言い出したんだっけ?
元々超獣ってブロディだけのコピーだと思うんだけど。 >>935
東スポだろう。
大体東スポのコピーが定着するな。
週プロや週ゴンのは定着しない。
倉持アナは超ミラクル野獣コンビと名付けてて
省略すると超獣コンビになるなと勝手に思っていたw 超ミラクルパワーコンビじゃなかった?
まあ倉持というか実況はその場で言う事が多いみたいだし。
ブロディは怪物→キングコング→超獣。
これは倉持や実況時というよりマスコミが。
ハンセンは首折り男→ブレーキの壊れたダンプカー→不沈艦。 「デュオ」って言葉があまり親しみがないから
「スーパーデンジャラスデュオ」はピンとこなかったな。
「デュオ・ランバダ」ぐらいか、思いつくのは。 >>937
それは週プロ、当時は月プロだったか、だな。
倉持アナは両方をミックスしたのかな?とも思ったw ブロディは当初キングコングがニックネームで2回目の来日では同じ「キングコング」のニックネームを持つ
アンジェロモスカとコンビを組んでインタータッグに挑戦したな。
ハイハイ親日スレですね。。w >>921 自分にとっては、その試合と猪木・ホーガンvsカーン・戸口の決勝戦が双璧。 第1回大会決勝のハンセンのラリアットが、
自分にとってのベストラリアット 俺は第3回MSGリーグ公式戦のアンドレ戦のジャンピングラリアートが最高だった >>943
カーン戸口組は良いチームだっが、願わくば全日本の外国人や鶴龍との対戦が見たかった。 猪木 健吾 対 アドニス オートンJrは歴史に残るタッグ戦 >>949
会場で見たわ!
相模原総合での初のプロレス興行のメーンだったな! >>949
健吾が前年ブレイクの長州から
対外人かませ犬ポジションを引き継いだ >>934マードック強いしカッコ良いな。ブッチャーとの絡みも感慨深い。 >>934
TVマッチだから小さいんだろうな。
リングサイドの金髪はエラリングだな?
観客席は若いお嬢様方で一杯です。 >>934
ハンセンとブッチャーの絡みが興味深かった >>948
ハンセン、ブロディ組やウォリアーズとやらせてみたかったね。体格では負けてないし、大味だろうがヘビー級のタッグマッチとして見ごたえあったろう。 >>955
体格は負けていないが、体力とスピードがついていけないかも。カーン&戸口ってどっちかつうと
70年代までの古いラフ&パワースタイルだったし、ローデス、マードック、マスクドあたりが
好敵手だったなんじゃないかな? ファンクスなんかだと「調和のとれた」試合ができそうだw >>956
どっちかといや古いスタイルの選手の方が合いそう。 カーン戸口は長州浜口戦を維新軍の結束を乱したくないとか言って棄権したよね
長州浜口は残念がってたが体格差で圧倒されたんじゃないの 藤波同様長州も体格のハンデは克服しているぞ
ただ日本人相手には殺気すらあったが
外人相手だとすとーんとそれが無くなるだけ カーン&戸口組は第三回と第四回でずいぶん差が出たんだな
長州組に勝ちを譲らなかったとしても、前回決勝で争った猪木組に惨敗
アンドレ組マードック組にも完全負けでは没落ぶりを指摘されても仕方ない
しかも本人達の能力不足じゃなくて長州格上げの巻き添えでしかないという 長州とカーンが組めばいいのに・・の声が多かった第4回 長州&浜口が猪木&ホーガンとやった名古屋大会はノーテレビだったんだよな
そのせいか会場内の照明もかなり暗い感じが >>964
その代わりかどうか知らないが
猪木、ホーガンvs長州、谷津が府立のメインだった 戸口カーン組は開幕戦で猪木ホーガン組に反則勝ちだったか。
その後点が伸びず、長州組に不戦負けを与えるという流れか 前の年で役目は終わってるけど、準優勝チームを出さないわけにもいかないってとこか。 カーン戸口組は82年のタッグリーグの試合前に国際軍団に共闘を促されたが拒否
年明けにカーンが革命軍と合流した流れかその半年後に戸口も維新軍に合流
多少曖昧ながら長州マサの下のナンバー3に落とされたカーンもだが
さらに谷津、浜口の下に下げられた戸口は「こんなはずじゃなかった」心境だろうな
多少の待遇の不満に我慢してでも全日に残っとけばよかったと思うぐらいには 第一回MSGタッグは当初長州&カーン組が出るはずだったんだよな
まあ、ブレイク前のパンチ長州の頃だから、大した扱いにはならなかっただろうけど 83年のMSGタッグはシリーズ前半で猪木とホーガンの間で不協和音が流れてる感じだったよね?
シリーズ後半になったらそれは無かった事になってた気がするけど。 まあ6月の第1回IWGP決勝の後だからなw そうそう仲良くもできないだろ。 >>970
一応IWGP決勝を争って、あんな事件があった後だったからすんなりコンビ復活という訳にはいかなかったのでしょう。
開幕戦で敗れて「Why?」ポーズのホーガンを困惑した表情で見つめる猪木のグラビアが週プロの巻頭だったな。 あそこで猪木とホーガンがまた組んだ以上、優勝しないのも不自然すぎたしねw
全日はハンセンブロディ組で、新日全日両方が最強同士チームの出場した年だった。 戸口は手薄になった国際に付いた方が良かったかもね。
83年末は猪木・ホーガンvsハンセン・ブロディがまさに夢の超最強カードだった >>974
そういう流れのアングルだった。
しかしホーガンは猪木にはガチな不信感があった。
勿論一人失神KOの件で。
猪木と関わるとまたそういう騙し討ち食らうとホーガンも懸念してたはず。
報道陣には絶対に言えないことだが。 タッグマッチで猪木がタッチを受けてリングに入る時
ロープに足を引っかけて転んだことがあったな >>977
藤波はタッチを受けてリングインしようとしたが、エプロンの角を踏んで下に落ちた。 そもそも第一回IWGPであんな事があったのに
何故猪木&ホーガン組でまた出場なのか?
ホーガンと組まないと優勝できないという理由なら
あまりにも新日正規軍を蔑ろにし過ぎなシナリオだし
第二回IWGPがあんなグダグダになった理由とまったく結びつかない 鶴龍の対抗馬として考えてたかどうかは定かではないが
タッグリーグをきっかけに84年以降は藤波、前田組で売り出していきたいという考えがあったと思う
健吾が浮いてしまうけどw >>980
一応、健吾は蔵前の五対五勝ち抜き戦では中堅で出番あったけどさ
維新軍が居なくなってからの方が健吾は扱いが少し上がったから
ラッキーだったのかな? 藤波と健吾はどっちもやられ役でローンバトルののちに猪木や坂口にやっとタッチ
ってタイプに思えるから、そんな良いタッグに見えなかったなぁ。 ああこのスレも間もなく1000到達か
ところでお前らは結局アファとシカのどっちが好きだったわけよ? 猪木以外のホーガンのパートナーって思いつかないのもあるよね
83年末だと誰かな。スーパースターくらいしか思いつかん エド・レスリーとは敵対させないでチームにすれば良かった
まあ、レスリーの来日時はホーガンが日本陣営だからしょうがないか >>988
レスリーは82年秋頃に別冊ゴングで“ホーガンの実弟のディジー・ホーガン”と紹介された。
ホーガンの実弟というのを信じてしもうたんよ。
後々にこのディジー・ホーガンは色々と報道されるのか期待した。
でも実際には実弟でもなく。
あの時代に別冊ゴングがネタで書くわけないし、誤認識をそのまんま記事にしたのかな?
83年には普通にエド・レスリーとして来日。
ゴングにも他誌にも『ホーガンの実弟』なんてどこにも書かれておらず。
別冊ゴングのあの記事は何だったのか? ホーガン呼ぶときビーフケーキも一緒じゃなきゃダメな時代、ケロがボロクソに言ってたな。 エドレスリーは上で使わないでよかったよ。昔、永源遥と当たった試合を生で見たことがあるけど、動きがかなりたどたどしかったのか、客から八百長プロレスなんてヤジが飛んでた。 エドレスリーのテレビマッチと言えば、猪木ホーガン組と戦ったんだっけ
パートナーは誰だか忘れたが、やたりマッチョポーズのパフォーマンスしていた
猪木にやり返せと促されてホーガンが本家マッチョポーズしてレスリーがたじろぐ
今考えたらホーガンにたじろぐまでがワンセットの演出だったんだな >>990
ホーガン顔デカイ。
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