【雪の札幌】昭和の新日本プロレス18【藤原テロ事件】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
前スレであった試合放棄だけど、新日で最初にやらかしたのは
74年に沖縄奥武山体育館でやった猪木vsシークの試合かな
ランバージャックマッチにも関わらず、セコンドの外国人レスラーと打ち合わせて
リング下から控室に逃走し、そのまま試合放棄になった。
おまけにデトロイトでお家騒動があった為、2週間の契約を1週間で打ち切り帰国
猪木と決着が着かないまま2度と新日マットに上がらなかった。 https://pbs.twimg.com/media/ERI5-ttU4AIXm2P.jpg
シークというリングネームで一流どころと言えばアドナン・アル・ケーシーも入れて
この三人だけではないだろうか >>4
WWF王者にならなかったら
日本では三流扱いのままだったろうな。 シークは78年最強タッグでも途中帰国してたな。やっぱプロモート関係の事情か。
それはともかく新日は途中帰国多いな。MSGタッグはホーガン、サモアンズ、パワーズ、ベーカーと
恒例行事的な。。w 78年の際は最初から織り込み済みだったろう
カマタへのスイッチも含めて >>7
パワーズ、ベイカーは長州、星野にも負けてたよな… >>7
ウェイン・ブリッジ&ヤング・サムソンとかw ウェイン・ブリッジはアマレスで実力者だな。身体もマスクも良いし、奥さんも
マッチョで美人。 ウェイン・ブリッジがいなかったら、佐山のタイガーマスク誕生も
前田のヨーロッパヘビー級王座戴冠もなかったかもしれない。 初回IWGPでのブラボー緊急帰国はガチ出来事だったみたい。
ブラボーいたら少しは違ったと思うけど。 >>14
まだ今の段階なら、新しいほうへ移っても問題ないと思う。
100スレとか超えてたらアレだけど。
なかなか立たなかったので立ててくれた>>1には感謝だが、
スレタイが前スレと一緒は少しややこい
【ドン荒川】昭和の新日本プロレス18【栗栖正伸】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1582695790/ >>12
佐山はメキシコ時代から売れっ子になってたから
タイガーマスクにはなってたんじゃないか。 前田日明英国武者修行時代の幽霊体験って本当の話だと思ってたけど
ウェイン・フリッジの子どものいたずらだったんだってね >>17
今日は猪木vsウィリー戦があった日だけど、梶原一騎との関係がなければ
後のブッチャー移籍もタイガーマスク誕生もないんだよな。 会長が元気でなかったら われわれはどうするんですか >>25
俺に言うな!!
てめえ達の時代、
てめえらの飯の種はてめえで作れよ!! 今日は新日本最後のワールド大リーグの開幕日
猪木とパワーズの途中離脱など完全にやる気を失っていた印象 https://livedoor.blogimg.jp/norarinhouse/imgs/5/1/510d614e.jpg
「紅はこべ」レッド・ピンパネールの正体はアベ・ヤコブ
まだテレビのついていなかった頃の新日本プロレスの貴重な外人エースとなり、
猪木がゴッチから奪取した世界ヘビー級タイトルにも挑戦した。 アベヤコブて随分変な名前と思ったが、英語発音だと、エイブ(ラハム)・ジェイコブス。
J(ジェイ)がヤ・ユ・ヨになるのはラテン読みか。 猪木の首だけで支えて、勢いがつきすぎて脚が浮いたジャーマン。 >>35
INOKIは国によっては「アイノキ」と読まれる。
スペイン語はHを発音しないから馳がプエルトリコでのHIRO HASE時代はイロ・アセだった。 https://pbs.twimg.com/media/DITpvD1UIAAZy8c.jpg
最近、酒場で昭和新日本ファンと自称する方々に遭遇するのですが、
その多くが坂口征二さんを蔑ろにしている残念さ。
全盛期のアンドレと巨人ギミックにたよらず
普通にレスリングしていたのは坂口さんだけですよ。 >>40
この試合、坂口vsアンドレ戦で一番好き
猪木vs小林とダブルメインの試合だね。 >>41
この試合を見ていたから、アンドレが前田相手にちよっとお仕置きしたのを
ターザン週プロが「プロレスの一線を越えた危険な攻め!」と騒ぎ立てるのが
アホらしかった記憶が
今見ても色々面白い試合だ >>34
新日本プロレス昭和最後の興行のカードわかる? 猪木じゃなく坂口がアンドレをボディスラムで投げたら見た目も豪快だし、猪木に対して
アドバンテージを少しはアピールできて面白かったと思うが、やっぱ頂点は猪木で揺るがないんだよな。。
坂口はリングの上でも降りても補佐役。 ボディスラムで投げられそうになると必死にこらえて投げられまいと堪える坂口政二
腰痛だからって >>44
新春シリーズの開幕戦じゃないか?
猪木藤波長州組が復活した後楽園ホール大会 >>41
坂口の柔道殺法も凄いがおまけのアンドレ対ハンセン、さらにおまけのアンドレ対ホーガン。豪華過ぎだよ! >>51
ソ連勢の初参戦は猪木が長州にピンフォール負けした89.2.22両国 >>46
カンケー無いが、同時に2つのスレが進行するのって、かつてDLジョナサンやゴッチが保持した旧AWAを、
ガニアが新設したAWAに吸収統一される命運をともなう構図を彷彿とさせる。。 >>54
テーズはベルトを置いていったため、そのベルトを新日が実力世界一のベルトとしてゴッチvs猪木戦をやり、
テーズがレフェリーやってるという、いい加減さ。 マサ斎藤「監獄固め血風録」より
「しばらくしてタッグ・タイトル挑戦のチャンスがやってきた。
相手はNWAが認定するタッグ王者チームのペドロ・モラレス、
ペパー・ゴメス組。もちろん俺はシブヤさんとのコンビだ。
この試合で俺はタイトル初挑戦にしてベルトを奪取した。
実はこいつは〈世界〉タイトルだ。
当時、アメリカ最大勢力を誇ったNWAのテリトリーをシングル
チャンピオンは転戦して防衛戦を行っていた。しかし、何しろ
エリアが広いので、小さなテリトリーには年に一、二回しか
やってこない。
興行の目玉となる世界タイトルマッチが年に一、二回では
客を集めるのが大変なので、タッグに関してはNWA認定の〈世界
タッグ〉を各地域単位で制定して客寄せにしていた。
そんないい加減な世界タイトルが通用するのかと思うだろうが、
それほどアメリカは広いし、ファンも大らかだ。隣の州の世界
タイトルなんて知ったことか、てなものだ。
当時はテレビ中継も現在のようなケーブルや衛星による全米
ネットじゃない。ニューヨーク、 フロリダ、ロサンゼルス、
サンフランシスコ、それぞれがローカル単位でプロレス番組を
作っていた。それを観るファン層もまったく違う。
まさにテリトリーごとに国が違うようなもので、NWAの世界タイ
トルがたくさんあってもファンが文句を言うようなことはない。
生真面目な日本のファンなら許せないだろうが、アメリカの
タイトルなんてそんなものだ。
このタッグは日本ではUS(ユナイテッド・ステーツ)タッグ・
タイトルと紹介されていたらしいが、向こうでは世界タッグ・
タイトルということになっていた。そのサンフランシスコ版を、
俺は腰に巻いたわけだ。
まあ、俺にとっては世界だろうがUSだろうが関係ない。
ベルトを取れば金になる。それだけで十分だった。」 >>57
馬鹿じゃねえのw
そんなことも知らねえのかw >>58
本当に馬鹿だなぁ。
知らないじゃなくて、いい加減だと言っていることに突っ込んだんだけど なんで第2回ワールドリーグ戦日本人4人の決勝にしなかったんだろう?
クラップに人気あったとは思えんが >>61
クラップは猪木に第1回ワールドリーグ戦の
予選リーグ、決勝リーグ2試合続けてフォール勝ち(もちろん一本勝負)
予選リーグの大阪はTV中継あり >>63
それでいて、猪木のNWF王座には一度も挑戦させてもらえなかったな Wリーグ第一回の優勝戦で猪木がクラップにかけた弓矢固めが痛そうだった。
第2回の決勝トーナメントは、猪木が小林をグランド卍でフォール勝ち、同じくグランド卍で猪木がクラップギブアップさせて優勝だっけ?
卍固めで3カウントのフォール勝ち見たのこの試合くらいだ。クルッと回転して丸め込む感じ。
クラップにかけたグランド卍は体勢が崩れてグランドになったけど結果的にさらに絞り上げる感じだった。これも痛そうだった。 外人の手薄な頃は猪木もB級外人に星を献上してたな。
戦犯コンビのショッツにピンとか、獣人バーナードの反則に逆切れして反則負けとか。 今日4/18は両国での猪木VSブロディの初対決から35年だ。
あれから35年、当時は俺は●歳で今は●●歳。
35年分年を食うわけだ。
トホホホホッ 高野俊二、アノアロ・アティサノエ対バッドニュース・アレン、ゲシュタポから35年経つのか・・・・ オレらが語ってる昭和プロレス、昭和新日なんてほんの10年強(70〜80年代)に
あったことを30年40年経った今もほじくり返してるのだよ。。w
いかにあの頃が濃くて凝縮された時代だったかってことでもある。。
そして自分らも年を取ったってことだ。猪木も坂口もあの頃は30代。今のワイのとっては
クソガキみたいなやつらだ、30代なんざw >>66
バーナードのは正確にいうと痛めつけられて朦朧とし、レフェリー殴って反則負け
逆上したのはその後だな 猪木はビガロ戦でもベイダー戦でも逆上した事がある
マスコミは「猪木の狂気」とか持て囃してたけど要するにキレただけだろ
前田「アントニオ猪木ならキレた事も許されるのか!」
橋本はカルガリーでキレたら試合ホサれたってのに まぁ猪木のはキレたふり。
失神したふり。
マイクの際に唾を飛ばしながら話すのも、いつもやる。 何でIWGPのアジア代表が猪木とカーンなんだよ?
坂口・藤波・健吾・長州・マサと他にもいたのに >>74
坂口が体調不良で次点のR木村が出場と言うのもよくわからなかった。
木村はリーグ戦では前田のフライングニールキックで歯をやられたが「壊し屋前田」の
本領発揮だった。 >>74
一応アジア代表予選で2位だったから。
そのリーグ戦も突っ込みどころ満載だったけど。 前夜祭まで来ていたディノ・ブラボーの代わりに木村じゃなかった? >>74
当時だと海外遠征組の谷津、前田は別とてして、
猪木、坂口、マサ斎藤、R木村、戸口、カーン、藤波、長州、健吾、浜口がいたが予選が中途半端で終わった。
IWGP予選リーグとしてやったのは、藤波>健吾、長州>健吾、猪木>戸口、坂口>S小林ぐらいしか思い出せない。 >>78
IWGP直前のビッグ1・2でアジア予選のカーン・ラッシャーのカードをまとめて行った。
(坂口vsラッシャーは82年に実施済)
猪木・坂口・藤波・長州は81年のMSGシリーズの公式戦がアジア予選を兼ねていた。
ストロング・健吾・戸口の予選参加は最終的にはなかったことに。 >>71
シン・上田組とかが登場する前の
ヘス・ショッツ組とかブロンドスとかバーナード・シュミット組とかの
なんか薄汚れてそうでもっさり垢抜けない
そんなに強そうでも(シンやブッチャー的な意味での)凶悪そうでもないけど
とにかく小ズルくて二人がかりの攻撃や後ろからタイツ引っ張ったり
コーナーに連れ込んでは代わる代わるに殴る蹴るを繰り返すとかの試合ぶりと
それに対して猪木坂口小林ら日本陣営がいいように翻弄されるのが
子供心にすごく歯痒かった記憶 >>74
前年のMSGリーグ戦の日本人一位、二位だから 猪木の欠点は感情のコントロールができなくなって反則負けが多いこと。と、解説の桜井康夫が指摘していた。 >>76
長州は予選リーグ戦で成績が悪くて代表になれず。
しかし予選リーグ戦は長州の革命前から。
革命後も長州は予選リーグ戦があった。
しかし革命前の成績から既に代表にはなれない。
革命後の予選リーグ戦でのカーン戦は反則負け。
長州の革命後にこの予選リーグ戦が始まれば。
また予選リーグ戦が始まった時に革命後の長州なら。
藤波も代表にはなれず。
長州戦での敗北からメキシコに。 新日が言い出しっぺのIWGP予選リーグなのにアジアリーグはいい加減に切り上げ
カナダとアメリカとヨーロッパに至っては予選なぞ行なわれず
唯一律儀に予選リーグ戦こなしたメキシコ勢にはロクに勝ち星与えず白星配給係を押し付け
世界のプロレスでは血みどろの抗争続けてたカネックとエンリケ・ベラにタッグを組ませるという無神経さ
新日はルチャを小馬鹿にし過ぎている >>80
子供心にも歯痒いといえば、坂口&小林VSハリウッドブロンドスだな。。
もう日本組はパワー一直線の正直ファイトでブロンドスの狡猾な試合運びに完全に翻弄されてた。
TVで試合見てて、あまりのパワーコンビの不甲斐なさに半泣きになった記憶がある。。w >>87
> あまりのパワーコンビの不甲斐なさに半泣きになった記憶がある。。w
どんなオマオレwww
このへんの相手ってシンとかハンセンとかアンドレとか相手にするのとは
まったく違った意味で子供心にすごくいや〜なかんじだったよなw
フィニッシュもエプロンサイドを手つないで走るダブルのクロスラインとか
片方が押さえたところにセカンドロープからニードロップとか
ダブルでのボディスラムやブレンバスターあたりで
とにかく理屈抜きに「二人でやるから威力二倍!」的な試合ぶりだったなw ガラプーの歴史
・おとーちゃんだがやー
・フルネーム(新日本プロレスリングのアントニオ猪木は等全てをフルネームで書く)
・省略(シンニのアノキ、バンビガ等不自然に省略)
・漢字羅列
・ひらがな羅列
・片仮名羅列
・センズリをオナニーと言う奴はヘタレ
・後楽園ホールのうんたらかんたら
・レス番〇〇(レス番のダジャレ)だがを頭に付ける
・武道館生卵事件を模造
基本的に定期的にキャラを変える
普通に書き込む期間もあるがニワカでそこを指摘されると切れる
その後荒らすかキャラ変して煽る
この繰り返し
レス乞食なのでレスはしないようにすること
新日東京ドームスレもガラプーのせいでつまらんスレになって終わったからな >>85
IWGPの北米代表はロサンゼルスのマイク・ラベールのところで
行われているとの記述があり、ビリー・グラハムとクリス・アダムスが
勝ち残っているとデラプロには書いてあった。 レスしてくれた方々、ありがとうございました。
そういえばG1も最初は健介が出られなかったり、厳選されてたよなぁ。
今のG1は出場できないのはヨシハシぐらいだけど 新日正規軍vs維新軍の5対5勝ち抜き戦の木村健吾vs谷津を見ると
木村健吾って本当は滅茶苦茶強いんじゃねえか >>90
中東地区では試合中死亡事故が起こり
トーナメントがストップしている、
という報道があったけど今に至るまで
その続報を聞いた覚えが無いな。
そのエリアからブッチャーを無理やり出場
させようとしていたみたいだけと。 >>93
ブックだから仕方ない。
健吾=浜口だと、長州は健吾、藤原、猪木と3連戦になってしまう。
藤原が長州と両輪リンやったら、猪木が出るまでもなく正規軍の勝ちで納得できるか? 健吾兄さんが浜口に完敗というのは屈辱だけど、当時の抗争ポジを考えたら仕方ない
マサとカーンは海外だし、浜口は維新軍の副将格だから、猪木>坂口>藤波>健吾の正規軍
結局健吾兄さんが負け役を請け負うしかない 5対5は、確か燃えろ!新日本プロレスのDVDにはなっていない。 5対5は次の日に東スポ読んだやつがネタバレ口にしてたの思い出す…ふざけんなと >>98
ビデオ化したにね。
ただ音源の問題で入場曲は差し替えられていた。
正規軍と維新軍が入場する時にワープロのテーマ曲が新旧でかかるのは凄く盛り上がって
TVを観てても興奮したのに残念だった・・・ コロナ引きこもり支援期間限定という理由でつべに上がってるのは
テーマ曲も元のままのTV版を録画したやつだね
懐かしがっているコメントが多い
会場の熱気が半端じゃないものなあ
「先鋒・藤波!」が告げられた時の蔵前の大歓声はまあ凄かった
しかしリング上の古館アナ、維新軍の順番は「一番小林、二番寺西」と
言って正規軍側は「先鋒藤波、次鋒高田」と言ってるんだな
元の原稿がそうだったんだろうか >>101
すごい大熱狂、素晴らしい台本だったよね。
この半年後に閑古鳥が鳴くとはだれも予想できない。。占い師でも分からないことが起こるよ今のコロナも。 >>106
ドームのベイダーvs.ハンセンもなぜかマスターが無くて視聴者から提供されたモノ
をテレ朝は利用している。二度目の対戦も見たけどドーム初対決に負けないド迫力で
あそこまでやれば不透明決着でも満足した。 昭和の大事な試合のマスターテープがなくなるというのがわからない
テープ破棄とか上から重ね録りするからというのならちゃんとチョイスしてほしいけど
あの頃、ベータだVHSだとビデオデッキも二分されていたけど一般家庭に普及はしていなかった
貴重な試合や有名だけどスカパーや新日の公式動画で観ることができないような試合は当時ビデオを
持っていて尚且つ毎週のように録画していたお金持ちファンが動画で上げてくれるのを観るぐらいしか方法はないかな >>105
マスターテープを保管するのはテレビ局もしくは制作会社だから、どれが大事な試合かわからんよ。プロレスファンのいわゆる我儘だよね。残念ではあるが。 >>106
にしてもそこそこ高視聴率だったドーム大会一発目の試合を軽々しく紛失してしまうってテレビ局ってどうなのって話
担当者が興味ないから処分するにしても、普通だったら同局のワープロ関連の上の人間に聞いたりするよね
趣味じゃなく仕事なんだから MHK大河ドラマですらバンバン重ね録りに使ってしまって
ある時期まで全話残っている作品は本当に少なかったと
言われてるからね
80年代前半にアメリカの放送博物館を現実に見た作家が、
昔の番組を保存していつでも見られる状態にしてある
アメリカはやっぱり「TVは文化である」と肌で理解してる
国民なんだと実感させられたと言ってたけど、日本は常に
マニアの民間人(ほぼ変人)頼りの国だったからなあ
しかし1984年と言えば、そろそろ家庭用ビデオが普及して
デッキもテープも割と安値で入手できるようになってきた
時代で、いまつべなどに個人録画を上げてくれているのも
その時期にVHSやベータを買った方たちだろうな
(Uマチックはテープ一本で20分しか録画できなかったりする) 何年か前にCSでやってたワールドプロレスリングアンソロジーのOPで雑にタイトルが書いてあるフィルムの倉庫が映ってたけど年代別にわかれてる感じでもなかったな >>105
高視聴率だった力道山時代のマスターテープならまだしも、プロレスのマスターテープなんて価値なんてないと思ってたテレビマンが殆どだろ。
実際、今でも昭和プロレスのレアな試合の需要なんてマニアにしかないだろうし TBSとフジは比較的昔の映像が残ってる。
プロレスは日テレやテレ朝のなかでは比較的残ってるほうだよ。
当然ろくに残ってないのはテレ東なわけだがw オープニングテーマのモスクワ五輪バージョンですらマスターが無い
社運を賭けたぐらい力入れてたのに >>101
それ最近見て気になった。維新軍も先鋒次鋒で呼ばれてたと思ってたから >>105
プロレスマスコミ関係者で最初にビデオデッキを購入したのはゴング・竹内氏だった
と言われる。格闘技戦のルスカ戦からあるらしい。流氏は生テープを買ってデッキのある
親類に録画を依頼していた。
でも同時期に購入した人がいて仕事で使うから奥さんに頼み込んでテリーvs.鶴田のNWA
戦はお宝のひとつと書いていていた。デラプロの記事だっから竹内氏じゃないし誰だったんだろう?
流氏が膨大なビデオのアーカイブスをビデオからDVDへの移行を個人で行っていて作業が
大変らしくプロレスフアンで年代別に分担できれば助かるとラジオで語っていた。
自分も一部、やった事あるけど結構、時間もかかって手間がかかる。 >>111
米遠征の中継で輪島のタッグ戦の相手とかで聞いたことも無いような
単なるデブの人っぽい三流のジョバーとかがけっこう出てくるけど…
ああいう人らはNWA(WCW)vsWWFのレスリングウォーとかも特に関係なく
バイトみたいなかんじで偶にリングに上がってて
本業はもっと土木とか工員とかガススタンド店員とか別に持ってたんだろうけど
まさか30年以上たった日本の衛星放送でアーカイブに残った
自分の雄姿?が何度も繰り返し放送されるとは思わなかったろうなあw ラッシャー木村が海外遠征時代にレイスのジョバーとして宣伝用の試合をさせられたのが
なぜか日本国内で「NWAタイトルに挑戦した」と話題にされてしまい、後に事実を知った
上田らが木村のことを「必殺仕事人」と呼んでいたなんて話があったな
最近WWEのアンダーテイカーが、ジョバー時代にブロディの相手を仰せつかったんだけど
調子に乗って好きなように試合をしようとしてブロディの逆鱗に触れボコボコにされた
試合も話題になっていた
https://youtu.be/J0lRWx3NMTg
WWEは過去の試合が公開されているから、CMパンクもシャーロット・フレアーも、
TVデビューがレッスルマニアで他のレスラーが入場する時に周りにいるお付き、いわゆる
「ガヤ」だったことが周知の事実になっているね
まあ日本でも前田が田コロでハンセンのラリアート食らってのた打ってたのは有名だったし >>119
> ラッシャー木村が海外遠征時代にレイスのジョバーとして宣伝用の試合をさせられたのが
> なぜか日本国内で「NWAタイトルに挑戦した」と話題にされてしまい
レイスじゃなくてドリー・ファンク・ジュニアだろ。
それに対戦したというだけでタイトルに挑戦したとは言われてなかったんじゃないか?
そもそも木村自身は何も言ってなくて後に対戦したことが知られて話題になったという事じゃなかったか。
タイトルに挑戦したなら木村が黙っていてもすぐに話題になったはず。 >>115
モスクワ五輪バージョンのマスターテープが無いなんてことはあり得ないけどな。
いずみたく作曲の曲なんだから。
楽譜はあるのだから再現はできるはず。 ファンタスティックスのトミー・ロジャースがジョバー時代、リングサイドで観客に扮しビリー・グラハムを挑発してフルネルソンで失神させられるという寸劇が世界のプロレスで放映されてたな。 >>122
あれトミー・ロジャースだったのか!
なかなかの筋肉マンだったので素人ではないなとは思ってたが。 東スポ作成の
猪木ウィリー戦のポスターがめちゃくちゃ格好良かった >>124
上の新春黄金シリーズのチケット、長州も小林も造反する前の写真使ってるね。 >>124
トニー・パリシが強豪外人だったとはw! >>何年か前に五反田のある風俗店に行ったら、女の子が長州さんが来たことが
あるって言ってた。
アナル舐めながら手コキしたら「盆と正月が一緒に来たみたいだ」との名言を
残し帰って行ったらしい。
↑これ長州関係のスレによく書き込まれるのだけど、俺も33年前池袋のソープで「長州力が来たことあるよ」と教えてもらったことがある。
嘘だとは思えないので、俺は長州と穴兄弟だと誇りにしている。 >>101
藤波がどこまで行くとみんな予想していた?
俺の亡くなった親父は
「藤波に勝てるのは長州しかいない!だから藤波は4連勝する!」と無茶苦茶言っていた。
子どもの俺は「いくら何でも4連勝は疲れるしそれはありえない!」と
ガチ親子喧嘩したいい思い出だよ。この大会は。 >>132
正規軍の入場が、健吾、高田、藤原、藤波、猪木の順だから、この順番か?
と思わせておいいての「先鋒は藤波辰巳」は目眩し作戦でもあったが、誰も言わないな。 木村健吾って維新軍ともそうだしUWFともそうだし
団体戦で勝つとものすごく嬉しそうな表情をするね ふと思ったが、プロレスの入場料って昭和の50年代からあまり変わってないのな >>136
そう変わってない。
昭和50年の1万円の貨幣価値は今だと5万円ぐらいになるか? >>137
そのくらいかも知れないが、当時は払うのは苦ではないのに今では二の足を踏む金額。
私の財布事情の問題じゃなく皆さんも同じ感覚では?プロレスと関係なくお金と考えても。 大卒初任給
1970 (昭45) *39,900円
1975 (昭50) *89,300円
1980 (昭55) 114,500円
1985 (昭60) 140,000円
1990 (平02) 169,900円
1995 (平07) 194,200円
2000 (平12) 196,900円
2005 (平17) 196,700円
2010 (平22) 200,300円 >>138
同じ位の入場料でも、金払ってでも観たい試合が少なくなってきたからだなw ちなみに4月1日以降
銀行手数料値上げ
レジ袋の有料化(7月義務化までに順次)
電気料金値上げ(5月〜)
入院初日5200円加算
後期高齢者医療値上げ
国民健康保険値上げ
食用油値上げ
缶詰め値上げ
ついでに3/30、新型コロナでまさに命がけで奔走している都立病院を都の直営から
外す方針を都が決定、公立病院が担う障害者医療や周産期医療、今回みたいな
非常時対応などを「不採算医療」として切り捨てる施策がしっかり実行された
誰か止めろよ… 俺は昭和50年以降にプロレス見始めたので猪木VS小林戦や大木戦なんかの盛り上がりは体験していない。
ほんの数年違いでタイミングを逃したという人も様々な年ごとにいるだろうな。
佐山タイガーを見てプロレス見始めたのでそれ以前は未体験とか、国際が倒産した後から見始めたとか。 プロレスファンになるタイミングは昭和のお茶の間でのチャンネル権とか裏番組に左右されるよね。
金曜日20時は裏で金八、太陽に吠えろ、夏はナイターと敵だらけw
毎週見られるようになったのはタイガーマスクからだね。両親ともにプロレス好きが幸いだった。
全日も夕方に移行して裏番組のロボアニメや戦隊シリーズよりも全日のほうにはまったから。
これもプロレス好きの母だから良かった。
昭和55年から56年にすっかりプロレス少年になったね。学校でもプロレス話やごっこで明け暮れたもんね。
はじめて見に行ったのが後楽園ホールの全日のテリー引退前のシリーズ。
お年玉ためて買った5000円のリングサイドA席で8列目くらいかな。今と値段は変わらないよね。 オレは最初TVで見たのは国際だった
プロレスが3団体あるのはわからなかった
チョーク攻撃も黒板に使うチョークを凶器にしてるのかと思ってたよ プロレスを見続けるきっかけになったのは
昭和53年だった
・猪木上田の釘板デスマッチ
・藤波のWWWFジュニア奪取と凱旋帰国
・猪木坂口の新日イズムの真髄を見せつけた試合
・猪木とアンドレ、バックランドとの大物対決
・シン上田の悪役同士対決
・ローランボック
これだけ多角的にドぎつい物を魅せられ続けるジャンルは他にはなかった
一変にはまってしまったな >>144
プロレスで覚えた英語。
チョーク、ギブアップ、フォール 第3回MSGの猪木対藤波から
テレビ欄に猪木対藤波て出てて
当時は悪役でもない日本人対決なんてあると思わず
学校で友達に今日猪木対藤波があるんだ新聞に出てたて言ったら
猪木、藤波対誰かの間違いだろて言われた 高校の時英語の先生から
「激しいは英語でなんと言う?」
という質問ごあったので
「バイオレンス!」と答えたら
「それは激しすぎ!」と言われた。 >>146
俺はプロレススーパースター列伝の「ゲラップ!」と、プロレススターウォーズの「ブルーカラー」「ホワイトカラー」だな 今日は佐山タイガーの衝撃デビューから39年か。
猪木とハンセンのNWF最後の試合もあったな。
39年、39年、こんときの猪木ですら38歳。
この日の彼らが今のこの時代におれば
猪木:1982年2月20日生
ハンセン:1988年8月29日生
佐山タイガー:1996年11月27日生
キッド:1997年12月8日?生
藤波:1992年12月28日生
長州:1990年12月3日生
うーん、若い! >>147
テレビ欄でいうと82年4/1の東京新聞。
朝刊に「猪木xアンドレ」となっていて学校へ行き、帰ってきて夕刊を見たら「カーンxアンドレ」に
変わっていた。他の新聞もそうだったのかな?もの凄く覚えてる。
一度朝刊で「狼木」だったかな?なっていて夕刊には直っていた。 「1・2の三四郎」柔道時代、柔道の地区大会で三四郎が
道着の腹のあたりに手を入れると、対戦相手の高校生が
「ああっ!」
「凶器だ〜!」
「そいつ凶器を隠し持ってるぞ!」
と叫んで審判が「出しなさい!」と三四郎に迫るんだけど、
犯罪現場でもない世界に、プロレス以外で「凶器」という
言葉が存在するものかと後で不思議に感じてしまったなw >>149
俺はゲラウト!(出ていけ)やと思うがな プロレスファンは英語もアメリカの知名も得意だけどスペイン語も覚えたよね。
リンピオ、ルード
ウノ、ドス、トレス
エルトレオデクアトロカミノス
トペスイシーダ、プランチャ、トペアトミコ、セントーン、セントーンアトミコ、バンデーラ、
マルティネーテ、ブルポ
ラナ、ウラカンラナ、ウラカンラナインベルティダ、トペコンヒーロ、ケブラドーラコンヒーロ、
ランセデクェージョスイシーダ
ロスヌエボスファンタスティコス
エルシグノエルテハネグロナバーロ
ロメロスペシャルやフライングクロスアタックはなぜか英語だけど。 正しい英語か分からないけどジョー樋口のワッチャギブアップ? >>156
俺もルチャドールにサインをもらおうとスペイン語覚えたわ
アウトグラフォ ポルファボール だっけ >>154
少年ジャンプの連載漫画「ドーベルマン刑事」で凶器という単語を知ったが意味は分からなかった。
プロレスを見始めて意味まで分かった。 >>156
先ずは「ルチャリブレ」そのものが来ないと レフリーの場外カウントも昔は
「ワン、ツー、スリー・・・セブン、エイト、ナイン、テン、じゅういち、じゅうに、じゅうさん・・」だったのが
「ワン、ツー、スリー・・・セブン、エイト、ナイン、テン、イレブン、じゅうに、じゅうさん・・」になったのは
11PMとセブンイレブンのおかげ。 >>133
正規軍の入場の順番は大きな声では言えないが実は歌の上手い順の入場という説が関係者の間でささやかれていた。 >>150
1981年4月23日 蔵前国技館
猪木ハンセン最後のNWF戦
藤波、カネック流血の遺恨試合
タイガー、キッド相手にデビュー戦
ブレインウオッシュバンドと外道の生演奏
クロネコさん外人として初来日のシリーズ
第一試合ジョージvsヒロ、第二試合藤原vs前田
今から39年前になってしまったけれど、この試合のさらに39年前と言うと、
なんと1942年4月
第二次世界大戦が始まってすぐ、日本がまだ東南アジアに侵攻してブイブイ
言わせていた頃だ(ミッドウェイの惨敗は二か月後)
昔は戦争なんてはるか遠い時代の話と思っていたものだけれど、今の若者に
とってはあの頃のプロレスって、この時代から見た「戦前」より古い話なんだよな
つべでタイガーMSG初登場の試合の動画を見たあちらのファンが
「すげー古い時代の動画だからさぞやチンタラした試合なんだろうなと思ったら…」
とコメントしていたけど、そういう印象を持つのも無理ないというか でも昔のプロレスも速いんだよねえ
50年代、60年代のアメプロって「仕掛け」が速いんだよなあ
村松友視はテーズと力道山の世界タイトル戦を見て、「噂に聞いていた
バックドロップが一瞬の技だったのにびっくりした。今のバックドロップは
仕掛けるのも技自体もずいぶん遅くなったような気がするのだが…?」
と言っていたけれど、テーズはバックドロップばかりでなく、ボディシザース
ドロップも、エアプレーンスピンから投げ落としてフォールに入るのも、
不意討ちのドロップキックもとにかく速くて、こっちがアッ!と思った時には
もう技がかけ終わってる感じ
キニスキーやロジャースも早いし (↓この試合の三本目、33:58あたりで
ロジャースが自爆してロープに首を絡めるムーブなんて、どうやったら
こんな素早くできるんだ?と呆れるほど)
https://www.youtube.com/watch?v=cqIHV0m29FU >>166
テレビプロレスになってから、滞空時間の長い『魅せる技』が主流になったのかな? 「ブレンバスターでも滞空時間が長いと頭に血が昇ってズシリと重いブレンバスターになるんです。
逆にスピードのあるブレンバスターだと受け身がとりにくくなるんです。同じブレンバスターでも
使う選手によって個性というか違いがあるんです」
と、小鉄なら解説しただろう。 >>168
どっちにしろ相手は受けに行くことを考えているとこだし
どのタイミングで落とされるかの問題で、どっちも間違いではないと思うが >>162
昔の全女は、レフリーの場外カウントに合わせて
リングアナが「カウント、フィフティーン! シックスティーン!」とマイクて叫んでたな テレビ東京は世界のプロレス時代ひょりも、新日・全日以外をほとんどおさえてたこの当時が最強
https://youtu.be/NfEcUptr-0Y 昔は試合の90%がグラウンドレスリングかヘッドロック、ヘッド
シザースなどのじっくりした技だったから、スタンドでの投げ技や
飛び技は逆に「一瞬の速さ」でコントラストがつけられたけど、
今は試合の大半が投げたり飛んだり(今の新日本の長時間試合の
終盤は、ひたすら投げ技→カウント2.5の繰り返しに見えてしまう)
だから、その大技自体を注視させるように仕掛けなきゃいけない、
…っていう事情もあるのかもしれない、と知ったかぶりしてみる 「セコンド アウト」
セコンドと言うとプロレス、ボクシングでいう介添え人。アウト(出ろ)ってことで
試合(本番)が始まるから付き添いは出てけ。
ロックも好きだがジェネシス(フィルコリンズ)のライブで「SECONDS OUT」ってのがあるが
まさにそれ。。 >>156
パラシオデロステポルテス
マスカラコントラマスカラ
カベジェラコントラカベジェラ >>178
5分経過をシンコミルトスと言っていたね。 スレチだけど、5月7日のアメトーーク!
久々に『プロレス大好き芸人』やるよw >>170
英語 5Five minute
スペイン語 Cinco(5) minutos(分) シンコ・ミニトス >>170
たぶん>>168サンは合ってるとか間違ってるとかで言ってるんではなく
そういうどっちでも言えるしどうとでも言えるようなことを
小鉄なら場に応じてさももっともらしく
〜よく考えると微妙に怪しい理屈付けて
解説してTVの前の視聴者をその気にさせてくれただろう
〜H・L・ホークのアレの時みたいにみたいにって揶揄してるんだと思う >>183
おそらく今の新日メインだけど、
BS朝日で金曜8時ゴールデン復帰と絡めて
80年代の映像も流れるのでは? >>168
柔らかいマットでブレーンバスターやられたことあるが、
上で止められると平衡感覚がなくなり、落とされても落差があるから受身取れずドスンとなる。
早い方のがフライングメイヤーの少し高い技みたいな感じで受身取りやすいのでは?
>>173
小鉄がマイクで数えてたが、気張りすぎていくつなのか分からなかったw
>>174
佐山タイガーの試合はほとんどがスタンドとグランドの腕足首取りで後半で一気に動き出す。 まだ空手家ということになっていた時期の青柳館長が新日本に
出て、仲間の空手家にあんなインチキショーに出やがって、と
からかわれて
「お前ら一度実際にブレーンバスターで投げられてみろ!
俺は空手やっててあんなに怖い思いしたことはなかったぞ!」
と声を荒げていたらしいw https://pbs.twimg.com/media/CQd54BVUYAA9gNJ.jpg
永田「青柳館長には若手の頃試合では散々鍛えられ、
キックの練習では色々教わり大変お世話になりました。
青柳館長、長い間お疲れさまでした。」
えっ永田のキックって館長直伝だったの? バーティカルもスナップもどちらも食らったことあるけど、バーティカルは>>185の言う通り垂直状態で自分の態勢が把握できなくなる。
かたやスナップは身体を預けてしまえば大して痛くない。 小鉄の解説で傑作だったのが「延髄斬りはかすったように当てるのが一番効くんです」 ミラーマンでも歌っているもんな。
ミラーナイフが宙を斬る〜♪ ああ、つべの80年代の試合動画が片っ端から消されている…
仕方ないとはいえもうちょっと見たかったなあ いや凄いねこれは。
ビデオの無かった時代にこれ見たら感涙ものだったろうな。
当時のことを全く知らないのだけれど、栗山ディレクターの番組
水曜スペシャルか何かの特番だったのか、夜の時間帯の番組の
一つだったのか?テレ朝のルスカ戦に対する期待のほどが分かる
冒頭とラストの名調子は櫻井さんの筆になるものかな。
貴重な記録だなあ。ありがたい。 >>189
小鉄の言い訳は苦しいことは苦しいんだけど、
「かすったほうが効く」というのもある意味間違いじゃないのよ。
有名なところだとミルコVSドスカラスJRがあるかな。
打撃系の格闘技だと本当にあるのよ。
結構いいのが入っても倒れないのに、
スパっと脳天をかすめると脳震盪を起こしちゃうタイミングがあったりするの。 >>196
大阪城での前田が藤波へやった大車輪キックもコメカミにかすったが大流血だった。 小鉄の「それ言っちゃまずいだろ解説」はいろいろあるけれど
小林邦明がタイガーに仕掛けた、腰を横にした状態での
逆片エビ固めわ「相手の身体が水平になった形で仕掛ける
ものとは違う意味でキツい」という説明は見ていて納得できた >>194
どれも味があるね。
ロビンソンのワンハンドバックブリーカーは組んでからが速いね。あとデカイ。
シンは悪いことしてない。
バックドロップ、ブレーンバスター、ジャーマンスープレックスが必殺技だった時代だね。 小鉄の迷解説と言えば坂口対ブッチャーでの、坂口は血管が太いから人より血が止まりにくい。ってヤツもあったねw ゴッチ回の自慢できる話に出てたけど、基本的に周りに気を遣われるな
プロレスを十二分に知ってる出演者、十二分に知ってるスタッフじゃないと扱えない >>198
リングシューズの踵が当たっての流血に藤波が驚いている。
それ以来、コーナーでの大車輪キックはみんな自分の顔を腕でブロックしている。
坂口も即座にブロックしていた。
>>201
試合中に藤波は汗をかいて猪木は汗をかかなくて小鉄は「猪木選手は汗をかかない
体質なんですよ!」とやっていたけど猪木の糖尿病関係もあったのを後年に知った。 >>200
ロビンソンのワンハンドバックブリーカーは反則w
型だけは残るけど「技」としては消えちゃうのは残念。
猪木の延髄斬りもそうだけど。 猪木VSボブ-ループ戦って当時放送で見た時はかったるい試合やなと思ったけど今見たら猪木が弱々しく見えるね。ループのタックルに全く対応出来ないし。この試合もアングル決めてたのかな? >>206
ありがとうございます。ただこの試合は初めからこの展開(アングル)で決まってたのかがはっきりしませんね。当時の猪木がこのような展開を納得したと思えないので。それにこれ以後ループは呼ばれていないしね。 >>207
悲しいけど、全てアングル
試合途中の動きとかは、アドリブで探りあいながら(ジャズのように)
相手の持ち味を生かすとか、攻めさせておいて最後に仕留める
みたいな展開がセオリー?だろうけど、
ループ自身が地味なスタイルしかできないレスラーだから
あんな試合になったんだろうね。
ただループは猪木と肌を合わせ「猪木のシュートテクニックはこの程度か」
とは思っただろうねw というか、当時から「試合前の国家吹奏で本気になってしまったループがガチモードに入って
本当なら引き立てなきゃいけない猪木に全くいい所を出させずほぼ完封してしまった試合!」
とさんざん語られてたよ
UWFやインターが、外人でガチに強いシューターなら誰を呼ぶべきか!なんて記事が雑誌とかに
載る時には、決まって最後のあたりにループの名前が出ていたくらいの「伝説」になっていた
まだBSとかに昔の試合が流れることが少なかった頃、2ちゃんでも
「ループがガチになったセメント試合だったそうですね!」
「違う違う、アマレス出身のループの見せ場を演出しただけのいつもの試合でしかないよ」
というやり取りが何年も続いていたものだった
ループのインタビューがGスピ52号に載ってるけど、「日本の読者へのリップサービスじゃなく
あの猪木戦がプロレス人生における最高の試合だった」と言ってくれている
アメリカでベタなヒールをやってた期間が長かった人だけあって、肩の力の抜けた態度で
プロレスや弱小プロモーションでの試合を楽しんでいた様子が伝わって来ていたな うーんやっぱりプロレスは面白いな。
何年前の試合だよw
(褒めてます) >>205
猪木vsループは試合もそこに至るシリーズの毎週の中継でも
当時の子供目線だとループが強いとか猪木がイマイチとかより
グレート・マレンコがマネージャーのくせにとにかく汚くてイヤな野郎だった記憶
正直「猪木vsループ」というより「猪木vsマレンコ(withループ)」くらいの印象
シンや上田のように対戦相手の凶悪レスラーが反則をするのでなく
サーカスの悪い団長みたいな恰好した見るからに怪しいオッサンが
葉巻の火を押し付けたりステッキで突いたりするのが腹立ったわあ >>198
もう何度も語られてる事だが、藤波と前田がテレビ番組に出演した時に
前田「藤波さん、その目の上の傷どうしたんですか?」
藤波「オマエにやられたんだよ!」
長州の瞼が片方大きく腫れてるのも前田の顔面襲撃の痕だよな確か >>205
あの試合見たら猪木が今の総合では通じないと痛感させられた。 >>213
そういう意見は意味がない。
モハメド・アリですら今のヘビー級にランク入りするかもあやしい。
だが、間違いなくヘビー級最強なのはアリ 動画見ても猪木が攻めあぐねてる印象はあってても
特に危ないと思わせる場面もないな ロビンソンとの「第一戦」も、「猪木の技が通用せず、ロビンソンの
動きについていけていない」と思わせる試合になってるものね
もともとロビンソンは翌年のワールド・リーグ戦にも参加して
その後のタイトルマッチで綺麗に猪木に負ける予定だったのが
瓢箪から駒で実現したルスカ戦をはじめ格闘技戦を新日が
優先しているあいだに、商品価値があると全日にさらわれて
しかしかえって「一試合だけの伝説」として残ることになった
ループ戦もその後何試合もやって結局猪木がフォール勝ちとか
していたらここまで語られなかったろうからなあ
ハンセンとの試合でも、猪木がいいところなく押されっぱなしだった
試合もいくつかあるけれど、結局語られるのは猪木がフォール勝ち
した試合になっちゃうわけで、ループにとってもそれっきり来日の
機会がなかったのは良かったのかもしれない
本人も「もう一回やっても同じレベルのパフォーマンスが見せられる
とは限らないし、あの一回だけの試合でよかったと思う」と言ってるし >>214
ジョー小泉が歴代最強を語る時の物差しとして
「その時代の平均値からどれだけ逸脱していたかが基準」
って言っていたね
体操の月面宙返りなんて今では高校生がやっても大して
点にならない技になっちゃったけど、1970年代はじめに
ムーンサルトを開発した塚原光男は、世界の体操史で
間違いなくリジェンド扱いされている 「力さんがナゴヤ球場にやってきて『バットでワシの体を思いっきり殴ってみろ』というから
力さんの背中をバットで力一杯、こうブッ叩いたんや、そうしたらバットが真っ二つに折れて
折れたバットがセンターまで飛んでいった」と
力道山とのエピソードを板東英二が吹いていた。 スポーツ板、野球板とかで語られていたけれど、今の選手が昭和時代の
重い鉄のスパイクを履き、昔の選手が現在の紙のように薄くて軽いスパイクを
履いた状態で100メートルを走ったらどうなるか、という仮定に専門家が出した
結論は、「両方とも選手の身体が壊れる」だった。
戦後の景浦が使っていた物干し竿バットを振ってみた現代のプロ野球選手は
「これ使ったら僕は確実にケガします」と言っていた。
もちろんどちらも練習や修練で慣れるだろうけど、昔の人間が今の時代に
タイムスリップして今のトレーニング方法や最先端技術を習得し慣れれば、
今の選手が昔の劣悪な環境で苦闘するよりも結果を出す可能性はある
結局その時代に与えられた環境でどれだけ
「やる必要のないこと」
「やれっこないと言われていたこと」
をやっていたかだけが、歴史の検証に耐えるんだろう。 今のスポーツ選手は昭和のスポーツ選手と比べて間接や靭帯が弱くなって故障も多くなっている。
幼少時からの食生活の変化が大きいという。 自分が高校生の時代大阪府立体育会館で特別リングサイド7000円で猪木、藤波、タイガーマスク、アンドレ、ハンセンに特参でボックまで見れたけど今の新日で特別リングサイド15000円の価値あるのかな? >>221
俺も昭和新日ファンだけど、40年前と今の価値観を比べてもなあ >>217
ジョー小泉は歴代最高ボクサーはアリで無く高田と戦った「全盛期のトレイバーバービック」
を上げていた。
>>221
インフレ率を換算するとプロレス入場料はそんなに上がっていないと言われたいた時期
があったけどそんな中でもプロ野球や大相撲より高額だった入場料の日プロ・BI砲の
時代はやはり凄かったんだね。 >>221書いた者ですがそれだけ年取ったと思います。あとその時代特別リングサイド2列目取れて喜んで当日行ったら前に招待席が4列ぐらいあってガッカリしたのも記憶してる。いつか最前列で観戦しようと決意したが叶わなかった。 >>224
わかる。最前列は一般ファンの夢。俺も2列目買えてワクワクしてたら4.5列目だったわ。
ただあまり前だとかえって見にくかったりするんだよな。 昭和の時代って、タダ券で入ってる人がかなり多かったんでない
何の伝手も無い一般ファンが割食ってたと思う 最前列はスポンサー(招待)席だから買おうと思っても買えないよ。
今はどうかわかんないけど。 昭和のチケットはお店で置き売りなので、地方は招待券はそこそこあったね
商店街の従兄弟が花束贈呈やらせてもらって羨ましかった(マミ熊野に奪われたけど)
地元では最前列にはいつも坂口の行き付けの飲み屋の女将さんが来てた
「せいちゃーーーん」ってしゃがれた掛け声を覚えてる >>212
挑発してんのか? 天然なのか?
どっちなんだ前田は? >>229
あれはリスペクトなんだよ。
藤波だけが前田の危険な技を受けきった。 天龍もĜ1の蝶野戦?で首を負傷して入院した長州の見舞いに行って大変だったねと言ったら「これは源ちゃんのパワーボムの後遺症なんだけど」と言い返されてた まぁ長州もエプロンでのバックドロップ連発してたし
お互い様よ 「藤波さん!やりましたね!」
「やったー!」
「木村さん!新しい時代が来ましたね!」
「やったー!」 >>233
違うな。
「藤波さん!やりましたね!」
「やったー!」
「木村さん!新しい時代が来ましたね!」
「やたーー!」 >>234
>>233
だが年が明けてみりゃUに蹂躙される日々 長州が最初に新日にUターンしてテレビ解禁試合で対戦相手(藤波と前田)をミスター高橋のコイントスで決めたが本当に藤波だったのかな?もしあの時前田と試合してたら両選手の運命変わってたかもしれないね。 >>227
新日冬の時代でさえプロモーターやスポンサーのコネが無いと難しいと現役プロモーター
の星野勘太郎に甥っ子が語っていた。
>>236
特番枠で巌流島と二本立てで放映されるも巌流島パートの方が視聴率が良かった。
やり尽くした藤波戦より前田戦の方が期待度は遙かに高かった。 >>236
いまだにこんなこという人がいるのか。
対戦相手は事前に閉まっていたと高橋も言っているし、前田と長州が戦っても凡戦にしかならなかったとおもう。 >>239
今となっては事前に決まってたのは分かるけど当時はコイントスをアップで映す事なく藤波に決まったのが釈然としなかっただけですよ。 古舘と石橋の番組で
ハンセンに血だらけにされた客が怒りまくって
新日のフロントが「何が希望なんですか?」とフロントも開き直って聞いて
客が「聞いて驚くなよ、次の札幌の興行、リングサイド5枚」
それを聞いて新日フロントがにこやかに
「お安い御用で(笑顔)」
で和解したってやってたな
4対4の綱引きとか、間違えてたら大変だと思ったよなあ
ちなみにアマチュアでもフィギュアの演技順とかは(得点順位で
強制的に決まる場合は別として)抽選ということになっているのは
たいてい勝ちそうな人間に有利な順番を配置しておくように事前に
決まってるそうだ
で、マスコミの前で箱の中から球を取って、その中から「○番」
とやるんだけど、どうやって見分けてるのかと思ってたら、事前に
選手に渡された指輪に電磁石がついていて、それに指定された
番号が入っている球がくっ付くようになっているんだと
サッカーWカップの「抽選」っていうのもこの方式らしい
我らが日本プロ野球はマヌケなので、ドラフト会議では何度も
指定された封筒を取りそこなって、開けてしまってから
「済みません、やり直しです」
という失態を生中継の前で堂々とやらかしてる >>242
あの8人で間違えそうなのはいないだろう。
ジョージがいたらわからないが。 >>240
俺が本当に言いたいのは後半。
凡戦にしかならなかったと言うところ。 >>241
観客が場外乱闘に巻き込まれて怪我をしてしまった時はもちろん治療費も払い誠心誠意
陳謝して次回、地元に興業に来たときはリングサイド招待券を提供しその後も何年にも
渡ってチケット提供し続けるうちにファンや後援者になって応援してくれると新間が
コメント
していた。 >>241
ハンセンに、じゃなくて生放送中リングに上がってシンを椅子で叩いた後ボコられた客(のふりしたAD)が
って話じゃなかったか?
あれ(AD襲撃事件)話題にはなったけど後につながらなかったからなぁ
思い切って海賊のコスプレした猪木に・・・ 札幌かどうか忘れたけど、北海道でハンセンが警察に拘留されたことがあったと思ったけど。 https://pbs.twimg.com/media/EVFNe9tUYAElZC2.jpg
国際で馬之助と対戦してた時はベビーだったのに、新日に落ち延びたらヒール扱いの木村
プロレス界は世知辛いモノよ 札幌でハンセンとバッドニュース・アレンが組んだ時の試合後がおもしろかったな。
ハンセンが客にイス投げ返されて、そいつを追いかけるやつw
途中でぶつかりそうになった爺さんのことはアメトーークでも話題になってたね。 >>241
徳光のプロレス自慢できる話でも古舘が話してたね。それ以外にもハンセンがヤクザの親分と腕相撲してケガさせたからヤクザが新日のホテルまで来て騒動になった話もしてたよ。 古舘の話でちょくちょくジョージ高野が出て来るよな
熊本の旅館の話の時もホテルに乗り込んで来た時の話
でもジョージが出てたはず >>249
ケリーツインズって国際に来日してたんだね! コイントスの時の前田って、レガースは付けてきたけど、シューズはいつものとは違ってたよね。 >>249
マンガチックというか泥臭いというか、良い意味で国際プロレスらしいポスターだな。
実に味わい深い! 猪木だって韓国に行けばヒールだからな
大木戦、ルスカ戦と明らかにヒールとして観客を煽ってた
藤波・キムケンがアメリカに行って、現地では大ベビーの
スティーブ・カーン&スタン・レーンのコンビと試合をしたのが
ワールドプロレスリングでもしっかり中継されたけど、姿は
いつもの黒タイツでも、藤波木村とも完全に日系ヒールの
動きをして現地の客を沸かせていた
ああいうことができるのが世界を知っているレスラーだなあと
思わせてくれたものだった
メキシコの小林・栗栖組の試合の動画とか現地のルチャオタが
つべとかに上げてくれていないかな >>249
子供の頃の学校帰りに電柱や地元のスポーツ店に貼られてるのを見て
ワクワクしたのを思い出すようなポスターだな。 >>256
当時のメキシコで、ビデオカメラ類を会場に持って行ったら絶対に誰かに分捕られていたよよ >>249
全日本の宣伝カーに貼られた映画館の看板のようなタッチの選手の似顔絵が懐かしい。
宣伝カーを見かけると本当にワクワクしたものだ。 >>259
二枚目中央のポスター
グラハム
ラシク
アンガス
ホワイト
鳥肌が立つような顔ぶれだ。 >>259
スミルノフの写真が胸やせめて肩くらいまで入れればいいところを
顔だけまーるくトリミングしてポコッと浮かんだようになってて
その両脇に“流血怪人!!”“アレックス・スミルノフ”の書き文字なのがなんとも国際らしいセンス >>245
感慨深い。コイントスで長州x前田をやっていれば凡戦だったかもしれないが、普通の試合になって
後の顔面襲撃は無かったと思う。これは深い。 >>263
あの日の藤波VS長州も大概凡戦やったからね。多分長州が前田を避けたんでは?それとあの日の後楽園ホールの観客の7割近くは長州対前田戦希望してたけど藤波に決まっても案外落胆してなかったですね。 >>263 >>264
長州vs前田は後楽園ではもったいないから後に取っておいた。
やったとしても、長州の2発目のリキラリアットを掻い潜った前田がニールキック→長州場外転落→前田が追って両者フェンスアウト。
逆パターンで前田の2発目のニールキックをスカした長州がラリアット→前田が場外転落→長州が追って両者フェンスアウト。 新日のネット会員になったら昭和の試合も観れるんですか?
巌流島のがちょろっと公式YouTubeに上がってますけど >>258
越中がメキシコ修業時代にファイトマネーも安いのに移動の不便さや身の安全を考えて
車を買い会場のそばに止めて帰りに乗ろうとするとドアミラーやホイール等に部品が
無くなっているなんて日常茶飯事だったらしい。公衆トイレも便座が無く中腰で用を足す
したとか露天でこういう状態で調達したガラクタを売る所があるらしい。 タッグリーグも、両国まで長州x前田引っ張れなかったかね?なんで後楽園なんかで6人タッグやっちゃったんだろ。
猪木以外はこの程度・・という演出だったんだろうが最悪の事態に。 もともと巌流島は藤波のアイデアで、「あそこで俺と長州がやったら
絵になるよね」と言ったのを、
テレ朝でゴールデン特番の枠があるので企画が欲しい
↓
「巌流島で藤波vs長州戦、後楽園と二元中継」という企画を出す
↓
テレ朝のOKが出る
↓
猪木「巌流島は俺がやる、藤波vs長州は後楽園な」
↓
藤波の猪木の関係が悪化
といわれてるからなあ
はじめっから前田は当て馬でしかなかったんだろうし、番組の
二本柱のはずの藤波・長州が後楽園ホールのドサ試合かよ!と
言われないように「前田戦も実現か!」と付加価値を付けるしか
なかったという程度のことだったんだろう あのリーグはノーテレビ含めて3回くらいあった?長州前田絡みは。 >>268
前田組VS長州組の公式戦は両国の前日に名古屋で組まれてた。 前年のタッグリーグは猪木藤原組が優勝したけど決勝戦(両国)より前日に行われた大阪城ホールのリーグ戦の方が見応えあった。試合開始早々の猪木と前田の絡みは凄く緊迫感あった。田中ケロは週プロで嫌な間合いで不安だったと語ってた。 長州復帰も盛り上がるどころか
逆に盛り下がってたのは関係者も誤算だったろうな 前田蹴撃事件の興行はリキプロ主催だったから長州と前田の対戦をメインで組んだ。
しかし主催者の長州がまさに顔を潰されてしまったわけだ。 蹴撃事件前の東スポあたりを時系列で見ていると分かるけど、あの頃の
前田はとにかく独立して自前の団体を作って儲けを独占しようと、なんとか
違約金を払わずにまだ残っている新日との契約を打ち切るため、新日側から
契約解除を言いださせようと挑発の限りを尽くしている
マスコミに外部秘といわれていた新日の内部事情などを暴露し中傷する
↓
当然新日からお叱りが来る
↓
しおらしく「以後気をつけます」と陳謝
↓
ターザンが誌面で新日を罵倒
↓
前田がまた新日を中傷
↓
以下繰り返し
という状況が毎日のように続いていた中であの蹴撃が起きたのだから、「偶然
キックが顔に入ってしまった」なんて考えた人間は当時誰もいなかったはず
新日の中でのカードがどうであろうがあの種の事件は前田が起こしていたし、
前田が新日を出ない限り同じゴタゴタは止まらなかったろう 猪木さんが前田さんの長州顔面蹴撃事件で「プロレス道にもとる」と言って批難したのは、
試合権利のない者が無防備な相手に背後から不意に顔面を蹴って大怪我させるという卑怯な行為をしたから。
アレが1対1で正々堂々の試合なら背後から蹴ろうが不意に蹴ろうが猪木さんは文句を言わない。
https://pbs.twimg.com/media/EWw2f6PWAAAEFu9.jpg MSGタッグリーグ開会式のサインボール投げで
オックスベーカーが優しそうな顔で投げてて微笑ましい
シン上田は勿論ハンセンホーガンも投げてないのに >>279一応肩叩いてるべ
だからと言って斜め後ろから思い切り顔面蹴って怪我させた言い訳にはならんと思うけどな >>276
既に力をつけつつあった長州一派に言わされただけ
猪木は前田に心理セミナー参加を勧めるなど更生を促してた >>283
前田はこのセミナーで猪木が変わっちゃったって言ってるな
どんなとこなんだろ プロレスのタッグマッチで背後から攻撃されるのは当たり前です。
あれは長州も前田も他の選手も悪い。 なるべくしてなった事件だね。
確かに影が薄くなってきた前田は存在感を出さないと、ヤバい状況ではあった。 お山の大将同士だけど、長州は前田にガチで消えて欲しいと思っていたからなw
この頃の猪木は何を仕掛けてもダメな迷走状態(海賊男やTPG企画)
また猪木としても、自分を本気で恨んでいる前田が邪魔でコントロールできないから、
それなら前田を追い出して長州を暫定的にトップに据え置く
体力的にも衰えていた猪木と長州の利害は一致していたんだな。
タッグマッチのカットプレーでケガをさせたことで解雇までもっていったw
「暗黙のルール」「プロレス道に外れる行為」とか言うけど、
従来 故意でブック破りをしたレスラーが干されるのは常識の世界で
ストロングスタイルを謳う猪木からすれば、暗黙の了解事を最も否定していた筈…
まあそこまでして前田を追放したかったのがよく分かる。 >>287
朝から長文ご苦労だけど
いろいろズレてるねw >>287
> ストロングスタイルを謳う猪木からすれば、暗黙の了解事を最も否定していた筈…
んなわけねえだろw
そんなんでプロレスの試合が成立するかよw 前にも書いたけど、当時のリアルタイムな記事を追えば、
新日を挑発して解雇にもっていきたがっていたのは
前田の方だったという経緯が誰にでも分かるはず
UWFブランドが肥大化しているのを知っていた前田は、
とにかく早く新日から独立して自分がトップのUWFを
看板にした形で稼ぎたくてウズウズしていた
けど新日との契約はたっぷり残っていて、単純離脱すると
当時のテレ朝は長州事件の時にキチッとした対応をすると
見せつけていたから、莫大な違約金を取られるのが明白
だからシンパのマスコミを利用して挑発を繰り返し、とにかく
新日の方がバカ負けして、会社側から解雇したいと言いだす
ように、暴れまわっていた毎日だった
いざとなれば在日仲間のターザンが、奇々怪々な理屈で
新日と猪木を悪者に仕立てて独立を大々的に持ち上げる
算段も付いていたし、実際そうなったわけで、当時は本当に
プロレス界のムラ社会ぶりに呆れていたものだったなあ 新日側はUWFの団体としての契約を解消して選手との個別に契約に切り替え始めて
出戻りに長州一派はそれに応じるも前田は最後まで反発してイライラしていた中での
事件だった。そんな中で藤原と木戸は個別契約に応じために新生UWFの旗揚げに参加
していない。 新日としては
外に出てたものが一斉に戻ってきたんだから
一回整理して再編成したいわな >>291>>292
この時前田は手放しても仕方なかったけど高田はなんとしても慰留すべきだったと思う。高田がいなかったらUWFもあそこまでブレイクしてないかも。新日からしたら高田の代わりは船木でいけると考えてたのかな? >>293
思いっきり慰留してたでしょ。
マッチメイク等扱いもよかったし。完全にスター候補。
高田も最後の最後まで迷っていて、
昨日は「新日やめます」今日は「新日に残ります」明日は「わかりません」
状態だったって高田本人も、前田も語ってる。
結局新日をやめるんだけど、慰留のお礼に「やめます」って会社に挨拶にも行ってる。
スター候補の新日を蹴って、成功するかわからない新団体に行った。
それなのにその後成功した新生UWFに、のこのこと後から移籍してきた藤原と、
溝ができたっていうのが当時の通説だったかな? 前田も自分では猪木のことをボロカスに言っていて他人が猪木を批判しようというものなら
「猪木さんの悪口は俺が許さねー」だからな。
よくある屈折した親子関係。 新日はペナルティとして出場停止の後メキシコ遠征を命じてた
スタイルが真逆の地だから当然断るだろうと
断ることを解雇の理由の一つにしようとしていた >>296
メキシコに行けばいい。
ルー・テーズ、アンドレ、ヒロ・マツダ、猪木、藤波、平田、ジョージ、キラーカーン・・・
スタイルが違う選手の多くがメキシコに行ってる。
テンポの速さ、相手との呼吸、飛び技・・・得られるものはあったはず。 そもそもプロレスで怪我をさせてるんだから
舞台裏ででも謝罪して反省の態度を示さなければいけない
それもせずに開き直ってたら
無理なペナルティを課せられても止む無しだろう
個人的遺恨や問題行動があるわけでなしに
意図的に騙し討ちで怪我をさせようと思えば
プロレスほど危ないものはない
だから「プロレス道にもとる」と言われても仕方ない プロ野球だってビーンボールを投げれば出場停止か永久追放
大相撲も白鵬のそれは相撲道に反しているから解雇しろという意見も強い 山崎が退団するのをいいことに小林に仕掛けたのは不愉快だったな。 新日に出戻ってきて解説者に居座る厚顔無恥さ
長州は「山崎は良い人間だ」なんてとんだ見込み違い >>302
北朝鮮での試合の負債を一掃する事ができたUインターとの対抗戦のキッカケになった
ので論功行賞だったんじゃないのかな? 新日とUインターは山崎離脱前の高田引退宣言辺りから接触してたから
論功行賞というよりは長州が気に入ってただけ
Uインター加入時や離脱時のエピソード聞くと「イイやつ」かどうかは疑問だけど 山崎はその頃Uインターでは鈴木健宮戸安生高田の中に入れて貰えず若手の突き上げもあったから居場所無くなっただけでは?そんな時に新日が一本釣りした。 ギブUP後のワープロオープニングの長いバージョンが懐かしい
「殺人王国建設の野望は打ち砕かねばならない!」 話変わるけど…ハイジャックパイルドライバーを初めて使ったのはアドニス&オートンだよね?てっきり革命軍が使い始めるのは次のシリーズあたりかと思ってたけど、アドニス達がいるシリーズにもうパクっていたんだよね。 >>308
それよりも前にヤマハが使ってたんじゃないか? 84年サマーファイトシリーズの外人軍団はシュルツ、アレン、カネック、オリバー、デービスの渋めの顔触れに華のあるキッド、スミスが加わる大好きなシリーズだったな…
ブラディファイトシリーズは渋いだけの顔触れだったな… >>312
地元に来たから見に行ったけど、
猪木が急遽アメリカへ行ったから来なかったんだよね。
それでも楽しかったなぁ。
まぁ、元々アメリカへ行く予定だったんだろうけど。 >>315
このシリーズの札幌でキッドvsスミスのタイトルマッチがあって、ダイビングヘッドで負けたスミスがスクッと立ち上がってキッドと健闘を称えあった。日本デビュー戦のコブラ戦でもさっさと退場。スチュもブレットもキッドも負け方を教えなかったのかな。 https://1.bp.blogspot.com/-sVd4BZ1yJJI/UZ4MlfA6ujI/AAAAAAAAX5U/SwTzzFH7nNw/s1600/20130523.JPG
リアルKKKのマードックがブッチャーは差別するくせに
アレンにちょっかいかけなかったのは
アレンは怒らすとヤバいと知っていたから、オリンピックメダリストでありながら
喧嘩にも強いとは…これで集客能力さえあればなぁ >>315
このシリーズ前に週プロでキッドとアレンの抗争が載っていたのに
シリーズでは何度もタッグを組んでたからガキの俺は困惑したなぁ。 アレンはカルガリー、スタンピード・レスリングをWWEが買収した時のおまけ
みたいなものだったから割とWWEでながく使われたとのこと。
ハート一家が大事にされるのはわかるけどね。 >>315
シュルツよりデービスの写真の方がデカく載ってるんだな± シュルツがレポーターにビンタしたの、今なら仕込みでいくらでもありそうだな。
https://youtu.be/lzxxvH0-cto D・シュルツに殴打されて頭に包帯を巻いた古舘伊知郎は
「我々マスコミ報道陣に暴行を働くというのは許しがたい暴挙だ、厳重に抗議するとともに厳正なる処分を求める」と
中継の中で小鉄に詰め寄り小鉄がひたすら恐縮していた。
そして日曜日にはTBSアッコ古舘のあっ言っちゃった、水曜日にはフジテレビ笑っていいとも激突食べるマッチに
頭に包帯をぐるぐる巻きにしてデビット・シュルツというのはとんでもない乱暴者だと言っていた。 >>315
維新軍参謀として来日したヒロマツダの試合が楽しみだったがテレビ放映されなかった
どの程度動けていたのだろう >>324
包帯に関してはパフォーマンスだったらしいけどな。 ヒロマツダといえば、8.2の猪木vs長州の何日か前のタッグマッチで
グラウンドコブラをフィニッシュホールドにしてるんだよな(相手は失念)。
「猪木はこれをパクったんじゃねえか?」と思ったもんだよ。 >>315
この頃ヒロマツダは現役レスラーのイメージあったか
なんで参戦することになったのかね この頃の週プロにヒロマツダが長州除く維新軍と一緒に飲んでる記事あったの覚えてる。 もともとショルツはベトナム戦争経験者で人564とか平気なメンタルなんだろ。
素行も良くなかったと聞く。 >>332
引退後はバウンティハンターだからな、胆の座り方は普通じゃない。
いわば“あっち側”の人種。 このシリーズのシュルツは猪木と藤波それぞれに逆さ押さえ込みでフォール負けしてたな… >>335
ヘラクレス・ローンホークが期待の新星とはw >>335
タイガー引退しなければ、トニー・セントクレアーとタイトルマッチだったんだよな。 >>335
長州・浜口が載ってないのは何でだっけ? >>336
来日前は本当にそう思われてたんだから仕方がない。 >>338
IWGPで離脱してる、その頃にポスター作成されてる。
観戦した久留米大会と同じ料金 タイガーとクレアーはすれ違いか。
1回ぐらいシングル戦を見たかったな。 格闘技戦除けば入場料1万円超えしだしたのはIWGPぐらいからかな?昔は大会場で特リン出来てちょっとしたらロイヤルリングサイドまで作って15000円。それでも前から5列目で前が胴長だと見辛かった。 >>335
カーンはどういう扱いなんだろう、マサがいないのに狼軍団か >>345
ポスターには出てないけど長州も浜口も参加しているから維新軍として出場。でも、この田園コロシアムではなぜかマードックと組んで坂口&木村と対戦している。 >>340
ケロが期待外れだったことでボロクソに書いてたの思い出したw >>335
こんなの見たらストロンガースティーブデサルボはどんな感じでポスターに刷られてたのか気になる 裏付けも取らずに勝手にのぼせ上がって期待する方が悪い、なんか落語のネタにあるような話だ。
あげくにシリーズ中イビり倒すのも性根が腐ってる。
グスタブのときも似たようなもんだろう。 カーンはずっと扱い良かったよね。ギャラは安かったみたいだがw 83年のカーンはサマーファイト以外は新日本に出てたんだよな。異例の長期滞在。84年はまったく日本では試合してない? >>351
2月のフィリピン遠征には参加したけど、
国内興行はジャパン・全日を含めても一度も出ていない。 昭和の新日で思い出すのは福岡国際センターでの猪木VSジャックブリスコの賞金マッチですね。猪木が勝利後リングサイドに10000ドル(当時で200万から250万ぐらい)ばらまいたのでびっくりした記憶がある。現役のオカダにも本物のカネの雨降らさせなアカンでしょ。 ロジャースミスが86年正月シリーズに来日したことになってるけど来てたっけかな… >>353
ああいう時のお金って本物なの?
だとしたら凄いな >>353
偽物だったら
警察沙汰になってたかな? >>353
ワープロの松岡Pが「猪木ってレスリングできるんだ・・・」と名勝負とまで言えないが
印象深い好試合に上げていた。 >>359
荒川の名前があって木戸が無い。夏にコブラに挑戦して荒川がなんとなく格上げされてた頃。 >>359
このシリーズはメンバー良かったわ、フェルナンデスからノードになってかえって
良くなったくらいだし。カネック・ドスのコンビもええな。 >>358
1000円札で100万円分だったような・・。(1000枚) >>359
マスクト・スーパースターのパートナーは誰にするつもりだったんだろう?
アドニスがキャンセルしてマードックとあまりもの同士で組むことになったが。 >>364
アンドレとアドニスの来日キャンセルは同時じゃなかったのかな?アンドレ駄目でアドニスも駄目になる微妙なタイミングに作ったポスターなのだろうか。 >>363
確かドル紙幣でしたよ。100ドル紙幣で1ドル=230円か240円の時代だと思いますが。 >>364
「もう減量キツイっすよ、って言ってましたからヘビー級への転向も考えていかないといけないと思うんですよ」と
解説の小鉄が言っていたから同じマスクマン同士でヘビー級転向がささやかれていたザ・コブラじゃないかと思っていた。
ポスターの構図からいってスヌーカとの釣り合いがとれるし。 ポスター通りの参加メンバーでスーパースターの相棒がアンドレだったら第一回MSGタッグ以来の豪華な布陣だったのにな。 このときの開幕戦のテレビマッチのオープニングは
ナガサキ・ポーゴ対ケリー・ツインズ。
ナガサキ組売り出しを目論むもお通夜のような盛り上がりの無い試合に。
カネック・ドス対ナガサキ組なら善悪が明確となり
ナガサキ組反則負けでも盛り上がったろうに。 当初、マスカラスとも交渉していたが高額なギャラ吹っ掛けられたので諦めて
ドスの新日初参加&ライバルのカネックとの夢のコンビ結成にしたらしいけど本当かな ヘルナンデスの代わりも当初はバンディとかザ・プロレスに書いてあって
子供心にめちゃくちゃ期待したんだけどなぁ
ずっと暗い話題しかなかったのが年末に豪華メンバーのタッグリーグで溜飲が下がるかと思ったのに ブロディが新日マットに上がると決まって猪木vsブロディというより
ホーガンvsブロディやアンドレvsブロディの方を期待したんだけど
その2つ、どちらも実現できなかったのに一番がっかりした。 >>368
録画見直したら1000円札でした。ご指摘ありがとうございました。 両リンでいいから、ブロディスヌーカ対マードックアドニスを見てみたかった。 当時、両リンはあまり不満に思って無かったけど、フェンスはイライラしてた 藤波は全日に移籍すべきだった、そしたらドラゴンロケットの失敗で数針縫う大ケガをせずに済んだのに
アレ絶対フェンスに激突して出来た傷だ くしゃみ止められるとか、オナニーで逝く瞬間に母ちゃんの声みたいな強制テンション下げよね。。
フェンスアウト 猪木VSブロディの初戦でのブロディ控え室乱入は要らんアングルするなとガッカリした。 >>382
いらんよな。試合後に暴れるならまだしも
試合前の襲撃はブロディの「インテリジェンスモンスター」のキャラをまったく理解できてないよな >>380
全日本だと天龍のグーパンチで迎撃される >>382
猪木はブロディと試合直前までギャラで揉めてたと言ってる
しかしホントはブロディが「俺に勝たせろ」ってブックで揉めたとみてる
で、ブロディは試合前にガチで殴りこんだ 猪木に「ケガで負けた」って言い訳を作らせるため
あの猪木の切れっぷりはガチだったと思う あれは別の人間が考えたっぽい気がする
猪木もブロディも得する展開じゃない >>343
81.11.5蔵前 二度目の猪木対R木村、
81.12.8蔵前 猪木&藤波対Sハンセン&Rボック
どちらも枡席の前の方は10,000円だった記憶があります。
小生にとってはそれぞれ初めて&二度目の観戦でした。 まあブロディ、厄介者とわかってて引き抜いたと思うし、遅かれ早かれ空中分解だよなア。。
ぶっちゃけ客が呼べるってだけで来日させたグレートアントニオとか、
ブッチャー戦以外に使いどころのないワフーをさっさと延髄で葬って商品価値落として終了とかw
まあ外人には手厳しい新日の真骨頂よw >>359
懐かしいです。会場で観戦していました。セミとメインのカードしか覚えていませんでしたが…
ありがとうございます。
こんな感じのチケット、いつ頃までだったんでしょうね。 >>385
凄い妄想だな。でもそんなのよりギャラで揉めたのほうが説得力あるよ。 >>388
ハンセンの新日最後のリングでしたかね?テキサスジアウトローズVSカーン、戸口やタイガーマスクVSエルカネック等豪華カードなら一万円の値打ちありましたね。’ ホーガンの自伝では日本デビュー戦は長州力になってるけど前日に永源遙と対戦してる。 新日でのカネックの扱いが一番悪かったのは87年の正月シリーズと88年IWGPあたりだろうか…
88年までは年に1回は来日してたね >>392
ハンセンはその後の大阪が最後だね
アウトローズと対戦したのは木村、戸口だったはず ハンセンの新日ラストが、81年12月10日の大阪。
その後日本に残留し、あの有名な全日蔵前乱入となる。
でも新日の日程終了後からの、全日の日程終了後までの滞在費や
それに合わせての離日の航空券の手配も新日持ちのはずだったから、
結局はハンセンの全日移籍は、両団体での既成事実だったんだろな。 初めての観戦が蔵前とかってやっぱそういう地域?
関西のド田舎じゃ年に一度か二度の巡業に一喜一憂w >>393
ストロング小林戦はテレビマッチとしての初戦なのか >>395
訂正ありがとうです。
>>396
ハンセンに関してはどこまで新日が把握してたか分かりませんがその後のキッド、スミスは寝耳に水だったでしょうね?坂口が珍しく怒ったのが印象的でした。 >>398
そうあれは永源遙、長州力戦に続く日本での3戦目。 >>389
ワフーが延髄を受けて綺麗にひとりサマーソルトドロップを決めたヤツね。
あれ見て延髄一発かよ!と思いながらもワフーは出来ると思ったよ。 延髄からの1回転ならアドニス、前田もキレイにやってたな 延髄斬り食らって後ろに思いっきり倒れたレスラーもいた記憶あるな。 ホーガン初来日の衣装はショボくて恥ずかしいやつだったな
まさかこんなスーパースターになるとは 延髄斬り受けの芸術点でいうなら、猪木vs国際三人におけるアニマル浜口はかなりの高得点。 >>405
ハンセン&ホーガンのコンビは華があったね。
2人がリングに上がるとパーっと明るくなるというか。
80年代の幕開けを象徴するようなコンビ。
大きな野心を秘めながらも兄貴分のハンセンを立てるホーガンという感じ。
ところで、ハンセンは全日本移籍の時にホーガンにはどう伝えたのかな。
ブロディとアンドレには直前に伝えていたのは知っているけど、
当時、一番仲の良かったホーガンには何と話したんだろう。
移籍後にハンセンが「一番の心残りはマードックを一人ぼっちにさせてしまったこと。」
というコメントは読んだんだことはある。全日本に移籍した82年にもホーガンとよく
連絡を取り合って「お前もこっち(全日本)に来いよ」と電話で話していたってね。 >>402 >>403
ワフーはチョップだけやっているラフファイター&タフガイの印象だったからね。
多分、当時小学生の俺ははじめて新日に出たワフーを見て、延髄一回転受け身もはじめて見たから
記憶にあるのだと思う。
延髄一発凄え、ではなく回転受け身凄えだったからね。
ワフーはそれっきり日本には来てないで世界のプロレスの常連さんの印象だったね。
マードックはわからないけど、アレン、前田、アドニスよりも先にやっていたよ。 ワフーと対照的なのは新日本対UWF5対5の猪木対高田戦。
延髄三連発くらい食らっても倒れないし効いてないアピールをする高田に、
ワフーは良い人なんだと思い知らされたのが高校生だったかな。 連投で申し訳ないけどワフーの一回転は延髄食らってワンテンポ遅かったから、
今映像を見返したらショボいかもしれないんで映像を探してまで見ないけどねw すみません、ワフーって誰ですか?
俺はわからない。
>>407
個人的には、ハンセン・マードック組もかっこいい! 嘘がはびこってるなw
ワフーは猪木戦では
延髄斬りで一回転どころか
しょっぱく背中から倒れてるぞ
動画が残ってるかどうか知らないが
確認すれば分かることだぞ 猪木VSマクダニエル、YouTubeに昨日アップされてるな。すぐに削除されるだろうが、マクダニエルは一回転してない。
向きを変えて背中から倒れてる。
何ともツマラナイ試合だ。 猪木と高田の5VS5での試合も、延髄斬り3連発もしてないから。 ところで延髄を最初に喰らったのは誰になるのかな?
アリ戦スパーの健吾は除いて… 猪木が何故延髄切りをフィニッシュ技にしたのかな?自分は子供心に説得力ないなぁと見ていたけど。似たような技で相手に片足取られてからの延髄へのハイキックは的確に入って痛そうにみえたけとそれでさえフィニッシュには繋がらなかったからね。 毎回固め技のコブラや卍、投げ技のバックドロップで勝つのがしんどくなってきたとか 猪木の延髄切りフィニッシュは馬場の16文キックと同じように思えて哀しかった。 延髄3連発はアティサノエ戦
それからのバックドロップで3カウント
あれ?異種格闘技戦なのに、、、 延髄斬りの前方回転受け身はスティーブライトが軽やかだった印象 >>420
そうね。猪木のは当たってないぞとか、馬場のは自分から当たりにいってるぞとか、ツッコミされやすかったところが一緒だね。 >>423
延髄切りってチャックウエップナー戦辺りから使いだしたのかな?
延髄切りの効果は分からないけど延髄ラリアットは説得力あったね。 ジャンピングハイキックはアリ戦以降つなぎで使ってたがフィニッシュにしたのは
78年プレ日本選手権決勝トーナメント1回戦の星野戦が最初だと思う
綺麗に回って「延髄斬り」になるのは81年くらいか 延髄斬りはオリジナリティあるし現在でも使い手いるし、猪木の持ち技の中で
屈指の技だろ。身体能力いるから使い手選ぶしな。 この記事がたまらなくてもう7〜8回読んでる
「ワールドプロレスリング」と水スペ「川口浩探検隊」が交差した「テレビ伝説の神回」
「1988年のワールドプロレスリング」
https://bunshun.jp/articles/-/37416 延髄斬りの原型はアリキックだが
アリ戦のすぐ後ぐらいから
猪木は後頭部へのドロップキックをやってた時期がある
この二つが合わさって延髄斬りになっていったのかな
初めて見たのはウェップナー戦だったが
この時は蹴る方の右足は空振りして
左足の方がウェップナーの顔面に直撃してる >>416
MSGリーグ戦、大阪大会のストロング小林戦ってケロが言ってた、何か変な蹴り技だったと >>429
東スポの記事だと「小林のハンマーパンチをかわすと後頭部へドロップキック」だから
まだ延髄斬りとは呼べない型だったのだろう アリ戦で酷評されたローキックを76年夏頃からシン・上田などを
相手に意地になったように使っていたと言われていて、ジャンピング
ハイキックも1977年から78年にかけて、格闘技戦のウェッブナー戦、
ランバージャック戦、ミルデンバ―ガー戦などで使いまくっていた
https://www.youtube.com/watch?v=1l2qGHjV3OU
1979年12月のクロケイド戦を報じた東スポは確かまだ「延髄蹴りだ!」
と見出しにしていた気がしたけど、もう80年初めには猪木は延髄を
フル稼働させていて、「延髄斬り」っていう名も定着し始めていた。 当時は延髄で決めるのは「格下相手の軽い試合のみ」っていう扱いで、
たいていはそこからブレンバスター、バックドロップにつないでいて、
延髄一発で決めてしまったのはほとんど見なかった
記憶にあるのはケロの言ってる第三回MSGの大阪大会公式戦、
1980年5月27日のストロング小林戦
この試合はバックランド対ローデスのWWF戦がメインで、猪木が
セミに格落ちさせられていた試合
同じように1982年2月11日蒲郡市体育館のワフー・マクダニエル戦
この試合も体調がメチャクチャ悪かった猪木がセミに退き、メインは
藤波・木村・タイガーvsキッド・ぺビーフェイス・ブレットの6人タッグ
後日の放送では試合順を入れ替えて猪木を最後のように見せて
いたけれど、当時の猪木はメインの試合で延髄一発結着はやっぱり
みっともないとわきまえていたんだよね
1978年12月5日九電記念体育館の星野勘太郎戦、プレ日本選手権
決勝トーナメント一回戦の星野勘太郎戦は、ブレンバスターの後
引き起こしてバックドロップでフォールしていたので、延髄一発で
決めたのは別の時の試合では? 80年の小林戦はなぜかテレビ放送されなかったけれど、
フィニッシュの延髄の瞬間はゴング・プロレス両誌に写真が
載っていて、ドロップキックではなく間違いなく延髄斬りの
フォームになっている
勝手な想像だと当たりが悪かった、というよりほとんど空振りで
当時の小林相手のメインじゃない試合ならこれでいいやと
猪木と高橋が3カウント入れるのを認めてしまったけれど、後で
ビデオを見たらTVで流すのがはばかられる酷い技だったので
放送を取りやめさせたのじゃないかという気すらしてくる
この大阪府立体育会館の試合は5月27日に行われ、決勝後の
6月13日になって放送されたけれど、坂口征二と藤波辰巳の
リーグ公式戦を「特別試合」として流した後はすぐWWF選手権
バックランド対ローデスで、猪木の試合が流れないという極めて
当時としては珍しい中継だった >>434
たしかにプレ日本選手権のは違った
https://www.youtube.com/watch?v=jt383qntp4c
前につべで見た猪木星野戦がフィニッシュ延髄2連発だったんだけどプレ日本だと思い込んでて
他にハイキック使うようになった後猪木星野戦TVでやってたっけ? おお星野戦の動画も復活してたのか!
ワフー戦やマギー戦も見られてありがたい
猪木と星野の試合はMSGシリーズではもうTVに映ることは
なかったから、ワールド大リーグ戦の頃じゃないかな
前にも話に出ていたけれど、TV局側はやっぱり「プロレスは
日本人と外人勢が戦うもの」という常識でカードを望んだみたいで
MSGシリーズであっても日本人対決はほとんど映されず、
猪木藤波みたいなスペシャル感のある試合以外は、シリーズ
さ中であってもメインは日本人対外人のタッグマッチが目に付く TV中継されたMSGシリーズの日本人対決
2カ月あるシリーズなのに外人扱いの上田、斎藤との対戦を除くと
日本人対決はほぼ放送されず藤波戦絡みくらいという印象
その藤波戦も80年以降は勝った試合が一つもなく、第4回に至っては
ついに日本人対決は一試合も放送されず
(小林の試合放棄と剛の惨敗をわざわざ放送したのは、TVで二人への
「御役御免」を告知した新日サイドの公開処刑という気がしてしまう)
第1回MSGシリーズ(1978年)
予選 藤波vs上田 猪木vs坂口
本選 猪木vs上田 藤波vs上田
第2回MSGシリーズ(1979年)
予選 藤波vs小林
本選 藤波vs斎藤 猪木vs藤波(中止)
第3回MSGシリーズ(1980年)
予選 長州vs剛
本選 猪木vs藤波 坂口vs藤波
第4回MSGシリーズ(1981年)
なし
第4回MSGシリーズ(1981年)
猪木vsカーン 猪木vs藤波 カーンvs藤波 >>439
当初はランボー・サクラダで出場予定だったのかな。でもそれじゃポーゴと組む意味ないな。それとイラストだと肩組んでいるように見えるけど、不仲なふたりだから、きっと背中を強めにつねっているのだろうww 78年のMSGシリーズ開幕戦 2週に渡って放送された猪木vs坂口戦は
広島の初対決に次ぐ好勝負だった。 >>392
81.11.5蔵前の試合の合間に、新間さんがリングに上がって、12.8蔵前の主要カードを発表したんですよ。
それで行くしかないな、と。
「スタンハンセン、ローランボック組」とのアナウンスがされたときには会場に大きなどよめきが。
「タイガーマスク、ヘビー級への挑戦、タイガーマスク対エル・かネック」「アウトローズ復活!…」「MSGの遺恨再燃、アンドレ・ザ・ジャイアント対キラー・ガーン」ひとつひとつ鮮明に覚えています。 カネック戦でタイガーが足首負傷したのはウソで、負傷を隠れ蓑に休養してたとか?
ヘビー級相手なら説得力があるとか >>443
俺は83年1月2日に新間氏が「タイガーマスクvs大仁田厚を必ずやります!」って言ったの覚えてる。UWFの時といい、わりと最近だと「夢のオールスター戦のDVDを出します」とか。あのひとの言うことは信じられない。 >>443
大阪住まいですが東京のプロレスファンが羨ましく思ってた時期でしたよ。後に後楽園ホールと両国国技館は行ったけど蔵前国技館は大阪のファンからしたら憧れでした。 >>445
夢を語ってるのだからいいんじゃない?w ハンセン、ボック、ローデス、マードック・・。
皆、来るべき第一回IWGPで顔を合わせるものと思ってたよw
しかし各チームの相手をした猪木&藤波組だが(アウトローズとは82年MSG)
パワー不足は否めなかったなあ。さすがにそこは馬場&鶴田の師弟コンビが上回ってたな。 >>448
私は猪木対RボックをIWGPの決勝で観たかった…
やはり新間さんが試合の合間にリングに上がって、「IWGPに向けてボックがトレーニングを再開しました。」とアナウンスした事があって、その時はおもいっきり拍手喝采したものです… シュトゥットガルトの猪木VSボックは会場の暗さもあって緊張感ありましたね。やたらボックの腕、太腿の太さが目立ってたうえ猪木がケガで精彩ないので余計ボックがデカク見えた。それでもあれだけの試合出来る猪木はやっぱり凄い。 >>452
なんかすごく公平な扱いしてるな。
あと、ハンセンは後からみるとビッグネームだけどメンバー酷いな。 >>456
まだ予選だからアンドレもまだ参戦してないんだな。 >>456
クラップしかいなかったワールド大リーグ戦の頃から見たら鼻血の出るほど
豪華なメンツじゃないか
特別参加はブリスコ、ソリタリオ、アンドレ
前年の第一回はシードのアンドレを除くとこういう外人勢だったからな
WWWFとしては豪華なメンバーなんだけど、当時もマジソンの大人気者
ストロンボーを白星配給係(リーグ戦全敗!)にしてしまうマッチメークで
第三回あたりと比べるとショボく感じさせてしまうから恐ろしい
ニコリ・ボルコフ、バグシー・マグロー、トニー・ガレア、バロン・シクルナ、
チーフ・ジェイ・ストロンボー、コロソ・コロセッティ、マーティン・ジョーンズ、
レイ・スチール、ピート・リーブス、上田馬之助
特別参加 バックランド、モンスターマン、ランバージャック、ルスカ、アレン ちなみに第二回MSGが終った後のサマーファイトシリーズの
外人勢はこの面子
レロイ・ブラウン
ジョージ・スチール
トニー・ロコ
ウィリエム・ルスカ
ウルトラマン
特別参加 タイガー・J・シン シン・リーガン
ウルトラマンが大人気でアメリカ勢にさんざんイジメられたという
伝説のシリーズ
その後のブラディ・ファイト・シリーズは
シン、スーパースター、ハリウッド・ブロンドス、ガマ・シン、ジョー・ロッシー
この頃はこれでシリーズが成立していたんだよなあ しかし今第二回MSGシリーズのハンセンの動画を見ると、テレ朝の
古館ら放送陣がこれでもかとハンセンを持ち上げているのが分かる
一時のホーガンもそうだけど、この時はハンセンを売り出すっていうのが
会社を上げての至上命題になっていたんだな
79年の時点でアンドレを決勝から外すって当時としては相当な英断だと
思われたはずだけど、猪木ら関係者にはハンセンをスターに出来るって
いう確信があったんだろうな 81年の時点で、猪木対ハンセンはまだマンネリ感は無かったの? 第一回のMSGシリーズよりモラレスが来た直後のサマーファイトの方がメンツが良かったんだっけ? >>463
テレビ的には4月にハンセンとのシングルが2回あって、MSGシリーズ決勝と短期間で3回放送だから視聴者は食傷気味だったかな。
しかし最後のシングル(ブラディファイトS)はノーテレビだったから結果的にこの3試合しかシングルはなかった。
81年のハンセンは6回も来日しており単純に言っても2ヶ月毎にテレビで見ることができたから飽きがきた視聴者がいたかもしれない。 >>466
最後のシングル、ブラディファイトSの広島も生中継で放送された 新聞のラテ欄
A・猪木、H・ホーガン×A・ジャイアント、S・ハンセン
これに胸躍らせてブラウン管のチャンネルを合わせて
試合を見たときのガッカリ感は半端無かった >>467
生中継だったからCMで試合開始早々のバックドロップが見れなかった 81年の新日時代でのハンセンと言うと、春に久々にMSGに登場し(出禁解除?)ボブとのWWF戦、
国内では引き抜きやホーガンの成長、ボックの参加に見る他のエース外人の台頭、
またそんな中での田コロのアンドレ戦と、猪木を中心に日本勢と対峙するだけでなく、同じ外人とのライバルというか
ポジション争いのようなものが目に付き始めてたと思う。まあそれが最後の最後に全日に移るという
経緯になるのかはともかく。。 6月の蔵前は谷津・ブッチャーが絡んでいるから良かったが、ちょっと飽きはきていたかも。
その後蔵前は3回あったが、主要カードにハンセンは最後の一回だけに。 シン、ハンセン、藤波×長州、初代タイガー
いいものでも頻繁だと飽きる証拠だな。
やっぱ年に何度もではダメなんだね。 ガラプーの歴史
・おとーちゃんだがやー
・フルネーム(新日本プロレスリングのアントニオ猪木は等全てをフルネームで書く)
・省略(シンニのアノキ、バンビガ等不自然に省略)
・漢字羅列
・ひらがな羅列
・片仮名羅列
・センズリをオナニーと言う奴はヘタレ
・後楽園ホールのうんたらかんたら
・レス番〇〇(レス番のダジャレ)だがを頭に付ける
・武道館生卵事件を模造
基本的に定期的にキャラを変える
普通に書き込む期間もあるがニワカでそこを指摘されると切れる
その後荒らすかキャラ変して煽る
この繰り返し
レス乞食なのでレスはしないようにすること >>472
90年代中半〜後半
新日は駒が沢山あったけど全日は駒が限られてた。
そういう面では全日は厳しかったと思う。
だからこそ内容で激しさを増させなければならず。
駒が沢山あった分新日は引き出しがあった。
だからこそ全日の方がマンネリ率が高かったしね。 また退院したのかよ漢字羅列基地外
入院間際になると荒らして帰ってくるとシレッと書き込み、そして反応してレス返すバカ
この繰り返しだな 【基地外荒らし】ガラプーKK対策スレ【プ板の汚物】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1584381742/
基地外ガラケーが今まで何をしたかはここを見ろ
また荒らしだすからレスすんなよ 荒らしやめて普通に書き込むなら別にいいけど、またやるんだよなこれがw
せっかくプロレス知識はそれなりにあるのにもったいない >>480
知識なんてないぞw
ニワカを指摘されて切れて荒らすのがいつものパターン オレの中の夢のカードだった
藤波・タイガーvs長州・小林邦
ものすごい希望だったけど組んでくれなかった当時・・ あの頃、タイガーと長州が一度だけ同じカードに入った気がする。ノーテレビの六人タッグ。東スポの誤植じゃなければだけど。 >>481
新日エース級の外人がこれだけ一堂に会したのはこの第1回MSGタッグだけだな。
勿論マスクドは不参加だったが、後半5戦ほどさらにローデスも参加したからさぞかしギャラの支出が多かっただろうw ハンセン対Mスーパースターはタッグでも見たこと無いから新鮮な顔合わせだ。 >>481
よくバックラントが参加できたな。新間のおかげなのかな? GCWではハンセンと流星仮面の絡みがあったな。
流星仮面はハンセンをピンフォールしたとインタビューで言ってた。 >>481
カーンが星野に変わって
スーパースターがベーカーに変わったんだな あの当時、アンドレのシリーズフル参加ってなかったんじゃない? MSGタッグは全日程が3週間ちょいだから通常シリーズでの特別参加的な日数。
でも初期の新日に参加してた頃はアンドレも一か月くらいの長さでシリーズフル参戦してたな。 話変えて申し訳ないが猪木と接点(対戦)なかった日本人レスラーって鶴田とM井上ぐらいかな?三沢川田等は年代的にずれてるとしたら。 >>493
対戦なしなら小鹿、カブキ、草津とか
接点なしなら原とか >>494
三団体時代でチャンピオンクラスでは鶴田井上辺りかな?と思ったんだけど。 >>493
杉山はプレ日本選手権の時でもタッグでの対戦とかあるのかな >>495 三団体時代における猪木と他団体のエースクラスという話か。
なら馬場こそがある意味、誰よりも接点を持つことが出来なかったレスラーじゃないかなw?
>>498 5月中旬以降、MSGシリーズなんかは決勝リーグに入り、高松市民や福山市体育館なんかの西日本の主要会場で
しばしばビッグマッチがあった。 >>488
小泉悦次が書いてるね。
このタッグリーグ参戦=日本遠征のせいで、王者バックランドは12月8日の
MSG定期戦を欠場したと。以下まとめると、
・長い歴史のあるWWWF-WWFのMSG興行の中で、王者が欠場したのは
サンマルチノがハンセンに首をやられて入院していた一回のみ。
・ビンスにとってそれほど新間のリクエストが大事だったのかというと
それだけでもなかった。秘密兵器があったのだ。
・この80年1月から始まったブルーノ・サンマルチノと裏切った弟子の
ラリー・ズビスコの遺恨対決は大ヒット、8月9日のシェイ・スタジアムの
ビッグマッチは当初バックランドとレイスの「WWF・NWA王者対決」を
予定していたが、それをキャンセルしてサンマルチノをメインにした。
・12月8日もメインはサンマルチノが務め、MSGをほぼ満員にした。
バックランド不在期間はサンマルチノが東部地区を支えていた。 ・その埋め合わせのようにバックランドは同じ80年12月に行われた
MSGの興行に出場、キラー・カーンをジャーマンでフォールして
WWFタイトルを防衛している。
・この80年12月にはMSG興行が二度行われた。8日はサンマルチノ
主役&バックランド不在の定期戦、そして29日の興行である。
・29日の興行は「ワールド・プロレスリング」で中継されたが、この日は
カーンのタイトル挑戦の他に谷津のデビュー戦、猪木のNWF戦、
藤波のジュニア戦、坂口のノンタイトル戦と新日本絡みの試合が
5試合も組まれた。
・この年末の興行は、実質新日本プロレスのMSG興行だった。
・いきなり挑戦者に抜擢されたカーンはいきなりフォール負け
(MSG定期戦のWWFタイトル戦は同一挑戦者が三か月続けて
メインを飾るのが基本)した後、その後の定期戦ではいったん
前座まで落ちて「実績の積み直し」をさせられている。
29日の興行での抜擢は「新日本へのサービス」だったようだ。 12月29日の興行も確かにWWFの興行ではあったんだろうけど、
現地のファンからすれば不思議な大会だったんだろうなあ
谷津だの坂口だの見知らぬレスラーが次々出てきて、NWFという
聞きなれないベルトのタイトルマッチが行われる。
日本で言えば80年の新日本のMSGタッグリーグ戦の大会で、
突然パターソンとトニー・ガレアのインターコンチネンタル戦が
行われたり、聞きなれないWWFの外国人レスラーが永源相手に
デビュー戦をやるようなものだったのじゃないかという。
実態は現地NYのファンからすれば「?」続きの、新日本のための
特別興行みたいなものだったといえるわけで、たとえるならば
80年代のファンだった観客が久しぶりに新日を見に行ったら
見知らぬレスラーだらけのスーパーJカップだった、みたいな
感じを与えたんだろうな。
バックランドの防衛戦は古いファンのためにスーパーJカップに
藤波のタイトルマッチを一試合放り込んだようなものだったのかも。 帰りの客が混雑しないようにメインを最後に置かない習慣もあったとはいえ、
バックランドのWWFタイトル戦が真ん中より前の位置だものな
猪木のNWFタイトル戦の後に女子プロレスというのもなかなか
8日の大会はサンマルチノがトリを務めてる
https://www.cagematch.net/?id=1&nr=5166 当時確かに現役王者のボブが彼としては長期(2週ほどだが)の日本滞在はそれなりの
「計らい」は感じたな。新間がWWFの会長に就任してからというもの、藤波を檜舞台で王者にさせ、
定期戦でも猪木以下主力の参加、日本でもボブVSローデスのWWF戦という米国じゃ考えられないカードを
敢行したりと、おおいに新日本の躍進に結び付いた。ただ、依然としてサンマルチノの集客力は衰えず
現役王者が留守でもMSGは活況を呈するというビンスシニアにとっては痛し痒しな状況だったな。 >>506
もともといったん体調不良とプライベートを重視したいという理由で
王座から離れたサンマルチノがカムバックしたのは、「WWWFを
複数スター制にしてサンマルチノの負担を減らす」という条件を
ビンスが呑んだからだったものね
実際、ビリー・グラハム王者時代もMSGは満員続きだったし、MSG
タッグ翌年にアンドレとの抗争が受けていたホーガンが「ロッキー3」
出演のため休暇が欲しいと言ったらビンスはあっさりクビにしてる
(WWF最後の頃はトニー・アトラスに連続フォール負け。おかげで
ホーガンは身軽になって、第四回MSGシリーズは特別参加でなく
フル出場、ハンセンとも両者リングアウトでお茶を濁さず負けている)
そしてこの81年にはジミー・スヌーカがWWFに登場、大ブレイクして
翌82年に父から興行権を買い取ったビンス・ジュニアがスヌーカ、
アンドレ、モラレス、ストロンポーらの複数スター制(タイガーマスクも
サーキットに参加)を売りにして、翌83年にはNWAを脱退する
同時に日本ではクーデターで新間が新日から追放され、ビンス・
シニアと新間のかなり私的な関係で成り立っていたWWFからの恩恵も
雲散霧消してしまうんだから、世の中ままならないものだなあ >>507
猪木vs小林戦が行われた1974年時点での三団体の王者は
新日=猪木、全日=馬場、国際=井上だった
73年末の東スポ大賞(正式なイベントになる前)は、
最優秀=猪木、敢闘賞=鶴田、技能賞=井上
74年末の第一回東スポ大賞は、
最優秀=猪木、敢闘賞=小林、技能賞=鶴田、特別賞=井上
だったので、この頃まで井上は馬場・猪木と一応並ぶ存在だった
翌75年に国際がAWAとの提携を打ち切ってカナダの大剛に外人の
供給ルートを変更、来日外人がバション、カマタ、ジプシー・ジョーら
流血巨漢外人になって、王者も「金網の鬼」ラッシャーに移行した >>507
チャンピオンだった人にチャンピオンクラスなの?とはw 昭和新日スレで国際の話題を続けて
国際スレで昭和新日の話題をする
こういうの腸捻転っていうんだっけ >>511
昭和のスレでそんなことも知らない人がいるとは。 ジュニアと言えば、
猪木は越中や小林邦昭と対戦したことあったっけ? >>515
越中はIWGPjr時代に一線退く手前の猪木とシングルやってる、負けてるけど。
飛龍革命の時代だが、当時の越中の会場人気は藤波と同じかそれ以上にすさまじかった。あと山田も。 >>515
越中は88年の闘魂七番勝負で、
コバクニは84年に6人タッグで何度も当たってる。 >>514
三団体以外にこんな情報も…
5月12日&16日 Jスポの無料放送WWEマネー・イン・ザ・バンク2010&2011
ハシゴマッチだけど興味があるならw >>508
提携料も押さえてここまで新日に忖度する父親の態度をビンスは苦々しく想っていて
代替わりして自分が全権を握ると態度を豹変させて提携料の大幅アップと高圧的な態度
に出てきた。新日の最初は渋々、従うもWWFを警戒して他地区との提携に乗り出す。
>>448
新日で一番の高額ギャラだったのはローデスでフル参戦させられずそれで特別参戦が
多くなった。アンドレとハンセンは意外とリーズナブルだったらしい。 地方のどさ回り興行にローデスいても集客に繋がらないしファイトマネー考えたら大都市だけの特参がお互いに良かったのでは? 大塚が言っていた話だね
自分がいた頃に一番ギャラが高かったのはローデス
アンドレはみなが思っているほど高くなくてリーズナブルだった
高かったらあんなに頻繁に日本に呼べないと
確かにアンドレはMSGタッグにも毎年参加していたからね 恥ずかしながら最近知ったんだけど
ローデスが79年に猪木のNWFに挑戦した時の入場曲は「カクトウギのテーマ」だったんだな
あの曲が新日の中継で流れてたから意外だった ローデスを高ギャラでも呼んでいたのは
新日本もNWAの会員でNWA陣営のトップスター選手だって呼ぶことができるんだぜという
馬場に対しての対抗意識 >>523
本当はこの日に前田組vs長州組の公式戦が行われる予定だったんだよな。 興行に大貢献していたシンやハンセンよりローデスの方がギャラが高い。
それを聞いた時は意外だった。
アメリカでのローデスの地位や知名度考えたら普通なんだろうが。 まあそれを言ったら馬場が個人的な付き合いみたいな理由から
ドリー、テリー、ブリスコ、レイスらに週8000ドルから1万ドルの
高額ギャラを払っていたのも無茶な話だったわけで
実際に払っていたのはバックの日テレとはいえ、外人に支払っていた
ギャラ総額に対する税金が年度末にこげついて、日テレ出向役員が
全日の経営を管理することになり、馬場は社長の座を降ろされた
なにせ全日がNWAチャンピオンをずらりと並べても、同じ時期の新日が
シンとマクガイヤー兄弟でそれを上回る観客と視聴率をあげちゃうんだから
新日にいた頃のハンセンが週4500ドルだったのが全日遺跡で1万ドルに
値上げされたというし、シンも全日移籍時に週1万ドルになっている
まあもともとホーガンを「全日から引き抜き返した」という名目で週8000ドル?
だかにして、ハンセンよりもホーガンが上になってしまったという事態が
3か月続いていたのがスゴイという感じなのだけど 837 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 21:38:46 ID:g/d++lVP0
馬場は外人には気前がいいんだよ。
1974年にNWA王者を集めたシリーズを組んだ時、王者ブリスコ一人に
ファイトマネー週8000ドル、タイトルマッチ料として25000ドル、
2週間で10万ドル以上のカネを払った。
当時のレートで3000万円。週給1500万円の大盤振る舞いだ。
当時日本人レスラーは食うや食わずのはした金で使われていた中での
この金額は、いまなら週給5000万円以上に相当するだろう。
ちなみに20年以上後になって、三沢が社長給込みでもらえた年収は
1200万円。
馬場は外人チャンプには、日本人エース5人分の年俸くらいの額を
2週間の仕事代として振る舞っていたことになる。
そりゃ経営が苦しくなるはずだよ。
838 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 22:12:55 ID:u7m3tIm/0
>>837
>1974年にNWA王者を集めたシリーズを組んだ時、王者ブリスコ一人に
ファイトマネー週8000ドル、タイトルマッチ料として25000ドル、
2週間で10万ドル以上のカネを払った。
NWA(WCW)王者新日初登場になるはずだった90年のドーム大会のフレアーのギャラが3万5千ドルで
フレアーが激怒して直前にキャンセルしてきたんだよね
まぁそのおかげでハンセンをはじめ全日勢の参加があったわけだけど
839 :お前名無しだろ:2008/02/18(月) 02:49:15 ID:zG2+tWso0
馬場の経営はギャラに限らずバランス感覚がおかしい >>522
それが逆にローデスのようなスタイルのレスラーの価値を高めていたから結果的に良かったと思う
ファンからすると新日でNWAの大物をたまに見れるという喜びみたいなものもあったし
これがシリーズフル参戦とかできていたら飽きられたかボロが出ていたかも
でもマードックとのアウトローズとしてのMSGタッグ全然出場とかなら見たかった 831 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 16:54:47
>ハンセンは日本で週1000$稼いでいる時期でも〜
おいおいキッドが週6200ドル、ジョニー・スミスでさえ週1800ドルだったのに
ハンセンが週1000ドルなんてわけないじゃんw
ハンセンは全日に移籍したときにギャラが週1万ドル+契約金2000万円
後に外人組の絶対エースになってからのギャラは週2万ドルだよ
833 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 19:39:15
「魂のラリアット」によると初来日(全日)の時点でギャラは
週1000ドル(税込み)だったそうな。
全日移籍直前の新日でのギャラが週4000ドル(手取り)だそうだから
一気に2.5倍に上がった事になるのか。凄まじいもんだね。
834 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 20:00:33
馬場は太っ腹だな。新人扱いのブッチャーが日プロに初来日した時は週400ドル。
まあ5年ほど違うから純粋な比較とはならないが。 新日は82年の夏ごろから
外人の使い方を明らか変えてきてるね
人気があったから無茶な呼び方をしなくなった感じ 玉袋 「90年代の全日本の武道館は最高だったな〜試合を見た馬場さんが
泣いちゃうような闘いをやってたわけだからね。で、そうやってメインを
張るようになると、若手の頃に給料が4万5000円だった男(川田)も、
かなり稼げるようになるわけですよね?」
川田 「いやあ…」
玉袋 「あれ?(笑)」
川田 「ギャラに関しては俺が新日本に上がるようになった時、永島さんが
『エル・サムライのギャラは○○○○万だよ』って言ったギャラが
俺より上でしたからね」
ガンツ 「全日本四天王よりエル・サムライが上!」
玉袋 「おいおい、そりゃ三沢さんたちも箱舟で逃げ出すよ!」 ローデスvsアンドレとかローデスvsバックランドとか
アメリカでは実現が難しいカードだったから
現在のようにインターネットがあったらアメリカのファンは見ただろうな >>533
それまでビンスシニアとの付き合いでWWFのレスラーを看板にしていたけど
ビンス・ジュニアが父のシニアから興行権を買い取って実質的に代替わり
したのが82年の6月。
その頃から>>521にあるように新日とWWFの関わり方が変わってきて、新間の
追放&シニアの死で決定的になって、85年10月に提携を完全に切るんだけど、
代わりに新日がブッキングルートとして頼ったのが国際の外人供給役だった
カルガリーの大剛鉄之助。
国際プロレスが技とスピードの井上路線から金網流血のラッシャー木村路線に
変わった一役を担った大剛が新日の外人ルートになったから、国際の常連だった
アレックス・スミルノフやキラー・ブルックス、稲妻二郎ジェリー・モローらが新日に
参加するようになった
(おかげて大剛と仲の悪かったヒトがキッド・スミスを全日に送っちゃうんだけど)
ハンセン、アンドレ、ローデス、ホーガン、ボックらがいた81年の新日ファンに
「数年後にはスミルノフやブルックスがIWGPに参戦するぞ」と言っても信じて
もらえなかったろうなあ
昭和時代のプロレスは結局こうやって団体の地下水脈で繋がってるし、アメリカの
動向に簡単に左右されるから、団体の中のことだけ見ていても物足りなくなる
国際やWWFの歴史はやっぱり新日との絡みで見ても面白い >>509
75年1月に国際選手会が「日本選手権に我々の存在を忘れるな」と記者会見を行い
井上が「馬場とでも猪木とでも小林とでもやりますよ。小林はIWAのタイトルに未練が無いはずがない
挑戦してくるならいつでも受ける。」と吠えてたな >>533 >>536
どのみち日本人抗争を前面に出してきたんで外人の活躍はそれほど必要なくなったというタイミングもあったしな。
それに第1回IWGPも当初の構想よりかなり規模も小さく、従来のMSGシリーズと大して変わりのない
「春のリーグ戦」という感じだったが、とにかく新日のあの時代の絶頂ぶりはそんなマイナス要素など一切感じさせず、
当然のように全会場満員という盛況ぶりだった。 >>523
学生の頃、遠足とかで写真撮るときに、このポスターのマードックみたいなポーズばかりしてた時期があったなぁw 北米タッグも対戦相手がパターソンとスティーブ・ライトに変更になったんだな
https://www.cagematch.net/?id=1&nr=70950 >>540
8月のモンスターマン戦の頃には
12月にジョージ・フォアマン戦が予定されてるなんて話も出てたが >>540
この当時にしてはチケット代高額じゃない? >>517-518
越中も小林邦昭も猪木と対戦経験あるんだね。レスありがとう。
>>523
日本人が凄い豪華!
あとスコットホールもいたんだな。 >>523
猪木・藤原、藤波・木村、長州・マサ、前田、マシン、武藤・高田
マードック・ホール、ナガサキ・ポーゴ、ロンスター、ロンリッチ
これが入場式のマードックの直訴で猪木・マードック、坂口・ホールに変更
顔面蹴り事件で前田組解散
藤原が責任とって長州の代打で出てマサ・藤原組
開幕後こんなに変わるタッグリーグも無かった >>547
> 入場式のマードックの直訴
ちょっと違うな
入場式で猪木(巌流島の怪我で欠場)に斎藤、長州が突っかかってマードックが猪木をかばった
次の坂口&藤原vsナガサキ&ポーゴ、藤原がイス攻撃で負傷
猪木TV放送席へ、vs武藤入場時マードックが猪木にタッグ要求、試合後もマイクアピール
控室で猪木&マードック結成 >>538
井上vs馬場、井上vs猪木の頂上対決は見たいわw >>548
そこまでは覚えてなかったw
ありがとう 前田の事件はともかくマードックは会社の意向だわな、猪木のことだから当日決めたのかね、理由はわからんがまさか坂口がリーグ戦に入りたいと言い出したとか 負傷欠場でリーグ戦不参加になった藤原が、前田に蹴られて負傷欠場になった長州の代わりにマサのパートナーになってリーグ戦再出場するんだよね。 新日時代のマードックにギブアップあるいはフォール勝ちしたのって猪木と藤波だけ? そう、開幕戦から結構先とはいえ藤原がピンピンしてて驚いた記憶がある。後に長州のシングルで何十戦も連敗したり新日本は藤原の評価が低すぎる。UWFの幻想を抜けば退屈な試合が多かったからかも 坂口はマスクド・スーパースターと勝ったり負けたりだけどマードックには一度も勝ててない
タッグ戦で負ける時もアドニスかスーパースターが負け役負うから必然的にマードックが負けなくなる 80年代の坂口ってちょっと当時の隆盛からは取り残されてたな。せいぜい85年のIWGPタッグくらいか、活躍できたのは。
それ以外はブッチャーやマードックら引き抜き組、さらにアドニスやオートンら有力な新顔勢との顔合わせもさして
行われず、長州革命軍や国際軍団との対峙ももっぱら猪木や藤波に集中。
唯一残したのは83年IWGP決勝裏での「人間不信」だけか。。 >>557
クーデターや大量離脱がなければ
坂口の引退は5年早くフロントに専念してただろう 坂口はシン、ハンセン、アンドレクラスには普通にフォールされてたしな。 坂口は86年に猪木に勝ってるよね?ロープに股間を打ち付けてリングアウトだったかな? >>561
浮気の禊で、急所潰し‼
マッチメイカーの洒落が効いてるw >>561
なぜかその試合前にゴングが紙面で煽ってるんだよね。シリーズの見どころ的に。 カラーページに載ってた丸坊主の猪木がロープにアトミックドロップで
打ちつけられた瞬間の悶絶した表情が忘れられない UWF対抗でキック受けながら前に出て山崎とかをほっぽり投げてて
坂口やっぱりデカイし強いと思ったな 四対四の綱引きマッチで浜口ごときに負けて不甲斐無い坂口に見切りをつけた
シンやハンセンはともかく、落ち目の国際裏切って売れ線の維新についた
蝙蝠男も料理できないなんて世界の荒鷲の名が泣くってもんだ あの綱引きマッチこそちょっと怒った時のサカの物凄さが見られた試合だったな
高々と担ぎ上げてアトミックドロップかと思ったら脳天から真っ逆さまに落とす
バックドロップで浜口大丈夫かと思ったし、ラスト近くのアトミックドロップもこの技がこんなに説得力あるのかと驚いた
Gスピリッツとか読むと、坂口がマッチメーカーになった時期から小林と本人が
率先して外国人エースの噛ませ犬を演じていたのがよく分かる
日プロでマッチメーカーしてた吉村道明もだけどマッチメーカーは己を殺してでも
負け役を率先して引き受ける位じゃないと人はついてこないんだな 1978年頃に山本小鉄が現場責任者の地位を会社(というか猪木に)剥奪されて、坂口が代わってマッチメイクを担当するようになったんだな
新日のMSGシリーズがスタートしたのがこの78年だったんだけど、その第一回大会で
マッチメーカーの坂口は開幕戦の予選で猪木に敗北、第二回大会ではハンセン・猪木に
ピンフォール負け、他のシリーズでも前哨戦でアンドレやハンセンに負けるのが
当たり前になってきた
初期はメインを坂口が張ることも大かったけど、ワールドリーグ戦で(形の上だけは)
猪木に並ぶ2連覇を果たして、76年頃に格闘技戦やシン戦でカリスマになった猪木に
エースの座を完全譲渡する腹を固めたんだろうな
この時期に小鉄が試合からも遠ざけられ、小林が長州に負かされ、上田馬之助も
ハンセンに完敗、世代交代が半強制的に進められた感じなんだな
(プレ日本選手権のノーTV大会で小林が長州に負けにされた数日後、落とし前みたいに
坂口が小林にTVマッチで負けてるのが律儀だなあと思ったものだった) 78年は藤波の凱旋で、前年ワールドで脚光を浴びた長州(吉田)が一気に萎んだ。
以降革命までの4年半は長州は中堅に甘んじる。まあ猪木にとっては愛弟子の藤波に活躍の場を
持たせるのは当然だろうな。。 >>567
元祖投げっぱなしブレンバスターもあったね 根本的に坂口はレスラーとして技量が相当低かったからな 坂口のブレーンバスターも、ハイアングル・バックドロップも
危なっかしくて受け身を取り辛いだろうな。
仮に猪木と二枚看板路線だとしても、
腰に爆弾があるのがレスラーとしての致命傷だと思うよ。 坂口本人も「プロレスラーとしては猪木には敵わない」と自覚していたみたいだからね
ぶっちゃけしょっぱかったよ
坂口はこの世界には珍しく客観的な自己評価ができる人で
日プロの末期も「この陣容のままじゃ潰れる」と新日との合併に動いた
他のバカどもは「NETが俺たちを捨てるはずがない」だから アンドレだけには仕掛けるフライングヘッドシザース
アンドレ以外はケガさせるからやらないと書いてあった
闘魂スペシャルだから盛ってるだろうが 坂口は昭和末期も、ベイダーにフォール負けしたり、ベイダー相手に2:1のハンデ戦やったり、最後まで噛ませ役だった。
ただハンデ戦はいくらなんでも、な感じだが。ベイダーよりでかい坂口が2側なんて 坂口が全日本じゃなく因縁のある猪木新日本に合流したのはNETの意向もあったけど馬場元子の存在も大きかった 坂口長州組と坂口木村組だとどちらがチームとして安定してたのかな… 馬場の離脱後、NETは日プロか新日かなどどちらでもいいから
とにかく猪木と坂口を合体させたかった
そのために動く人間として、日プロの中では一番まともに話のできる坂口を選び折衝させた
興行成績も悪化の一途の中、坂口に選択の余地などなく、猪木との合流に向け邁進するのみだった
元子の件は馬場の離脱時に自分からついていかなかった理由のひとつとして、後から挙げただけ
そもそも馬場から誘われてもいないし 数年前、大相撲の幕下で、
「荒鷲対坂口」という
取り組みがあった。 昭和50年代、大相撲幕内で
若獅子という力士はいたが
猪木はいなかった。 坂口は選手としては二番手ではあったが副社長、そしてGEOにまでなって
経営者として采配をふるえたから新日に来て成功だったといえるだろう。
もし全日に行っていたら会社の金に一円も触れさせてもらえなかったであろう。 ゴー!ゴー!レッツゴー!レッツゴー!リューマ!
ってのもあったような。 >>583
坂口嫁と元子が合わなかったので全日本合流はなかったという証言もあるし馬場は坂口に日本プロレスで頑張れとは言ったが日プロ終末期には全日本に誘ってるよ。坂口自身はその頃新日本と合流決まっていたので断ってる。 >>583>>590
坂口はNETの実力者だった三浦専務と親交もありプロレスに理解があったと述べている。
日テレから強奪した馬場を奪回されて「対抗するには黄金コンビ再結成しかない!」と言う
のがNETに考えだった。
坂口はお飾りの副社長ではなく簿記会計も勉強をしたりシリーズのオフに企業の幹部向け
の講習会等にも参加している。坂口が社長になってから銀行も融資してくれようになった
と話もある。 初期の放送では坂口がメインを取ることも多かったんだよな
「猪木が日プロに復帰」という形だったらもっと坂口が優遇されていただろう
https://kissatalk.web.fc2.com/cs_tv_asahi.html
それがシンや小林との対戦で猪木のレスラーとしての華がハッキリして、大木戦が
初の視聴率20%超え、とどめがルスカ戦の視聴率34.6%
これで坂口もNETも猪木単独エース路線を納得したんだろう >>548
理不尽だらけ!残留のご褒美だと思うけど、組みたいからって既存のチーム勝手に解体していいのかよ、猪木&マードック笑
藤原だって翌日治るかもしれないのに勝手に失格にされてる。
しかも後半ピンピンだった!欠場じゃないのかよ!突っ込みどころ満載笑。 >>594
しかも日本人チームはファン投票の結果(実際はどうだか分からんが)だからな 大地を愛するキラー・カーン
馬に跨がるキラー・カーン
蒙古の殺し屋 俺の事♪ >>594
マードック優遇というより、猪木が楽できるから外人に丸投げしただけなんじゃ 87年頃の猪木って
かなりコンディションが悪そうだからな
翌年の飛龍革命後に復帰した後のほうがよほど元気そうに見える >>598
飛龍革命後の欠場中にかなり肉体改造したみたいだからね
近年の中ではかなり体調が良かったはず >>598
じゃあちからでやれ!やれるのか本気でお前!
_, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´) 事前に発表したチームはダミーで
話題作りでマードックとタッグ結成演出したんでしょ >>601
猪木は個人的に藤原とはやりやすそうだから
自らコンビ解消はしないと思う
有り得るとしたら
マードック個人からの売り込みか
テレビ、営業サイドからの突き上げか ’87ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」第6戦
1987年11月17日 静岡産業館
●60分1本勝負
アントニオ猪木 ディック・マードック ○藤原喜明(11分15秒 脇固め)マサ斎藤 長州力 ×ヒロ斉藤
藤原の復帰戦が猪木、マードックとの6人タッグなんだよね。 よく馬場鶴田組だと先に馬場がコールされることはあったけど、
新日はもっと前に坂口藤波組がそうだったはず。
先に坂口がコールされて「藤波坂口組」だった。テーマ曲も藤波だったかな?
ただ坂口がそれを認めたのは新日内部ではあまり接点のない藤波だけだった。
関係が深い長州や木村健吾にはそれをしなかった。 >>602
マードック「ベストパートナーはマスクド・スーパースター。猪木は会社が組めと言うから組んだだけ」 87年のタッグリーグは当初のメンバーでやっても
藤波木村組の優勝で決まってたのかな。 >>605
アドニスはそうでも無かったと述べている。 >>603
6戦目で藤原復帰だったか!ファンをなめてる・・・長州欠場の前に復活しちゃダメでしょう。
最初から猪木・マードックで発表できなかったんだろうね。 87・88に関しては廃止にしてもいいんじゃないかっていうほどタッグリーグの焦点が見えてこない。
タレントが多すぎる、複数スターっていうのも感動が生まれなかったっていう典型のような気がする。 88年のジャパンカップイリミネーションリーグ戦は面白かった 世代闘争がまだ続いていたら展開もまた変わっていたんだろうけど、
解消してすぐタッグリーグになっちゃったからね・・
猪木・マサ、藤波・長州など
ストーリーを白紙にしてからのチーム編成は盛り上がりに欠けた気がする。
長州x前田くらいしか楽しみがなく、いっそのこと日本人選手権とかにした方が良かったような。 >>610
ごめん、イリミネーションはたまにやるからいいので連発しちゃうとね。僕は好きじゃなかった。
勝ち抜き戦とかたまに見たいのよ。
88年はシンプルに猪木・長州組で良かったんだよ。 87年は全日本の最強タッグが盛り上がったから、新日本は奇策を講じたのだろう。 新日は昔からタッグリーグ戦は下手だったね。猪木がシングルプレイヤーだったからどうしても急造ペアになってそのチームが優勝するの見えていたので関心薄かった。 アドニスは性格悪いからな、マードックとは「気が合ってしょーがないという程仲は良くない」
とか言ってた記憶あるな。 マードックのクレイジーペースに合せられるのはテリーファンクしかいないって 87タッグリーグは決勝もつまらなかったな(フィニッシュがほとんど映らないというオマケも)
ファイトによると決勝戦当日に藤波は巻き爪で歩けない状態で病院で親指の爪を麻酔なしで抜いてから試合をしたとか
祟られてたとしか アドニスは合わないブラボーと組まされて空気だった後、最高のパートナーとして売り出された
オートンが不祥事でタッグ解消させられ、しょうがなく組まされたみたいなのがマードック
その最初の試合がマードックが全くアドニスに合わせる気もなく進み、クライマックスあたりで
アドニスが合体攻撃をかけようと自軍コーナーに登ったら、マードックが担ぎ上げた相手を
アドニスが既に上がっているコーナーに叩きつけて哀れアドニスはエプロンに転落、
マードックは悠々と相手を逆さ吊りにして一人で攻撃してるのを見て、こりゃダメだと思ったよ
その後WWFタッグ王者になるほど長い付き合いになるようには見えなかったものだった >>604
坂口の郷土の久留米と藤波の郷土の大分は久大本線で結ばれつながりがある。
同じ九州出身同士ということで意気投合。 >>604
坂口の郷土の久留米と藤波の郷土の大分は久大本線で結ばれつながりがある。
同じ九州出身同士ということで意気投合。 >>616
藤波の顔が見当たらんな。79年新春でしょ? >>610
当初は猪木・蝶野・橋本の組み合わせでカードが発表されてたけど
「俺らがトップの猪木さんと組んでもしょうがない、むしろ戦わせて欲しい」みたいなことを言って
猪木・長州・星野組と、藤波・蝶野・橋本組に変更されたと当時の雑誌には載ってたな 猪木・藤波 vs マードック・アドニス
は感動的ないい試合だったなあ。
長州やホーガンがいなくても、職人だけでいい勝負はできると言う典型の様な試合 >>623
チャボゲレロが来日せずエンフォーサーとアレンが来日してたね…厳ついメンバーだな >>625
藤波このシリーズはマシンにドラゴンスープレックスやったんだよね〜 >>623
トム・プリチャード若いなw
まだ子供。 昔、このポスター見てトム・プリチャードって女みたいだなぁと思っていた >>610
なんというか長州以下リキプロと猪木以下正規軍という対立構図の解消へ
向けての布石とも思われるメンバー編成のような>88年
越中・ヒロ・小林なんて、そういう意味付けがかなり感じられるチーム。
この時点で猪木と長州の敵対関係はほぼ解消されていたし、
衰える猪木と全盛期長州とでは対立路線はどのみち続くはずもないし。 パテラは短期間のうちに来日ごとに評価が落ちていった。パワー主体のレスラーだと
どうしても試合がワンパターンになりネタが尽きる。ジェシーベンチュラ、ブラボー、アトラス
こういった次代を担う世代もことごとく真価は発揮できずじまい。そういう意味じゃ如何に
ホーガンが器用にこなせたかという事。 >>623
林家こん平みたいなチャボが来ずエンフォーサーとアレンが参加
上田が試合に出ず同道、終盤にシンとダンカンが特参
そして伝説の札幌ストリップ劇場→路上乱闘事件w >>623
主催がスポーツ新聞で売り興行とはいえ、特リンで4000円は安すぎ 売り興行なら893様に自ら上納金を納める心配のことはしなくていいし
そっち方面のことは買い主に任せておけばいいが
自主興行だと893様に自ら上納金を納めなければならないから
その分はチケット価格も高くなる。 >>630
このシリーズは
通して見てると
トップからベテラン、中堅、若手それぞれに見せ場を作ってる面白いシリーズになってる
平成初期によく言われた長州の全方位気配り政策はこの時期から始まってる >>623
この前のシリーズが第一回MSGタッグリーグで、
ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン
アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガー・ジェット・シン、
ピークは過ぎたとは言え、オックス・ベーカー、ジョニー・パワーズ
ウイリエム・ルスカと超豪華外人参戦だったのに、
新春シリーズは、エースがパテラかよ!?と思ったもんだよ。 まぁだからこそ急遽、ポスターになかったシンとダンカンを参加させたんじゃないの?
面子があまりにも知名度がなさすぎて厳しいと判断したんじゃないかと推測 パテラは前年の9月に武道館で猪木とシングルやってるね。ファン感謝スーパーファイト。 >>623
長州の地元だね。
当然メインに出場したのだろうな。 >>616
当初公表されていたメンバーの中にはパワーズが入っていなかった
さすがに地味過ぎると営業から泣きつかれ、当時プロレスビザネスから離れており
新日本とも疎遠になっていたパワーズに久々に声をかけ、約2年ぶりの来日が実現した
パワーズは開幕時はタイトル戦の予定もなかったが、北米ヘビー級の話を持ち掛けてきた
一応歴史はあるタイトルであり、坂口が飛びついた
坂口としては新日合流6年にして、思わぬ国内でのシングル戴冠となった >>638
結局はこのシリーズはシン(with上田)ダンカン、パテラ、エンフォーサー
サモアンズ、アレン、プリチャードとなった。
ジュニアのプリチャード以外は全て大型ラフファイター揃いと書かれてた。 >>623、>>637
最終戦をMSGタッグリーグの追撃戦リマッチで猪木・ローデスVSハンセン・シン東京都体育館で発表 チケット販売してたが
ローデスが参加できずリマッチはなし なんと会場を後楽園ホールに変更 メインは坂口・長州VSサモアンズのタッグ選手権
あのストリップ乱闘事件は急遽最終戦メインを任せられることになったサモアンズを売るための企画だったのではないかと妄想 >>636
右上から平田、前田、ジョージ&仲野
左上か山崎、高田、新倉&小杉
山崎がいるっちゅう事は81年以降だな。 81年の新春の次はビッグファイトSを1&2で分けて開催。
1のほうはWWFライトヘビー争奪リーグでアニバル、フィッシュマン、アグアーヨと
UWF系の実力者が来日。実は佐山もイギリスから凱旋リーグ参加のはずが「事情」で延期。
代わってキラーカーンが帰国。 >>647
元プロレスラーだったのをまったく商売利用してないんだな。
インディーしか経験ない奴や練習生だっただけの奴が
元レスラーの店とかって宣伝するのに >>649
もとプロレスラーのやっている酒屋って宣伝文句になるか? >>648
佐山はその前に放送されたメキシコでの試合が素晴らしかったから、このライトヘビー級
王座決定リーグ戦も期待していたんだよ
そうしたら不参加で代役がジョージ高野
それでいて蔵前のタイガーマスクを生で見ていた時、しばらくのあいだは中身が誰だか
分からなかったんだから我ながら情けない >>640
「地元凱旋!」とか表記してないからどうだろう? >>652
あのピョンピョンと跳ねながら後退して廻し蹴りとかの一連の動作は彼しかいないはずなんdがw
自分もすっかり誰だか忘れてた。会場で正体ばらしてる声とかあったみたいだがw >>648
ヘビーはホーガン、シン、上田、ムラコのみだったのかな… >>654
ちょっと詳しいファンの間ではありゃ佐山だなってのは登場時から言われてた気もするが…
それよりも蔵前のキッド戦のビデオを見返すたびに
試合開始直後から正体知ってるぞとばかりに得意気に
「ジョージッ、ジョージーッ!!」って大声で叫んでるやつがいるが
彼はその後もコアなファンとして新日の会場に通ったのだろうか? ゴングや東スポ買ってる人間ならともかく
テレビでしかプロレスを見ない人間なら
タイガーの正体が栗栖だと言われても
疑問には思わないよ
若手なんてろくに顔も名前も知らないから タイガーマスクの企画自体が唐突で、月刊誌レベルなんかでは試合前に
これ見よがしの情報なんかまったくなかったからなあ
前の週の古館の「次週の放送」予告以外に事前情報ってあったんだろうか?
当時は猪木最後のNWF戦のはずがその前のハンセン戦の没収試合で
王座決定戦になったり、IWGP構想はどうなるか、その前哨戦として
メキシコでバックランドとやるとかいった話題が主で、タイガーマスクの
アニメが始まるなんてこともろくに知らなかった気がする
いまだに覚えてるけど、タイガーが入場してきた時、隣の升席に座っていた
学生二人が腹を抱えて笑い転げていて、「ゲテモノ、引っ込めー」とヤジ、
キッドが入ってきた時は「ゲテモノに負けるなよー!」と声援送ってたんだから アニメ「タイガーマスク二世」とのコラボ企画だったから唐突ってことはなかったんじゃないの? 予告をしなかっただけで企画は前からされてた
梶原一騎からの要望もあったし
佐山への帰国要請もタイガーマスクの映画撮影と聞かされてたから
そのくせマスク発注忘れてたのはひどいけど だからファン向けの予告っていうものがいつ、どんな形でされたのか?
プロレス、ゴング両誌ではほぼまったく予告もされていなかったはずだし
東スポなどでもセンセーショナルな扱われ方はしていなかったはず
(今なら試合の一月前からでっかく煽り続けているはず)
TVアニメ『タイガーマスク二世』の第一話が放映されたのは蔵前で
タイガーがデビューするわずか3日前の1981年4月20日。たぶん
佐山もバタバタ帰国している最中で、アニメのスタートである第一話に
「本物のタイガーマスクが出るよ!」なんて宣伝を入れる暇もなかったろう
だからタイガーのデビュー戦って、TV朝日が「とにかく放送する」と
一週間前に予告を入れた以外、ほとんど何のパブリシティも打たない
ぶっつけ本番だったようにしか見えないんだよなあ
プロレス・ゴング両誌も「アニメ放送開始に合わせた御祝儀試合で
この一試合きりですぐ佐山は素顔に戻って凱旋帰国するんだろう」
と思っていたからこそ、タイガーの試合を報道する81年6月号の
試合グラビアで堂々と佐山の素顔を載せちゃって平気だったんだろう
とにかく何もかもバタバタだった、というより空気だった印象しかない 当時小3でよくテレビに出るようなレスラーしか知らなかったから、誰だか皆目わからなかった。
3ヶ月くらい経って同級生の家で遊んでたら、中学生だったそいつのお兄さんが月刊プロレスか
別冊ゴングのバックナンバーを持ってきて佐山の姿を見せてくれたw >>655
WWFビッグファイトシリーズの名称だったな。 >>658
試合開始のゴングが鳴ってステップを踏みながらピヨンピョン跳ねていると会場
から失笑がこぼれていた。 >>658
次の日の大スポ(東スポ)でも小さな囲み記事だったしまだプロレス、ゴングも月刊誌の時代でしたね。 沢山ホラを吹いたり、自分のやったえげつない事を人になしつけたり、いい加減で
適当な書き込みをしてる奴がおる。 しかもウンチとセックスが大好きな変態野郎。
その人のブログはこちらで、 あだ名はサボ辻、ホラ辻
https://www.facebook.com/tomokazu.tsujimoto.3 >>4
なんでそんなことに興味を持つのか意味がわからない。
亀レスごめん >>665
実際にブルース・リーの物真似だからな。 イギリスのプロモーターにサミー・リーというリングネーム付けられて
佐山は困惑したと言ってるけど、実際リングではブルース・リーのモノマネ
嫌だったけどプロモーターの命令だからリングネームにちなんだ動きをしてたって事?
意にそぐわないプロレスして観客から大絶賛ってすごいなまさに天才
どんなに努力して試行錯誤しても
観客にドン引きされるレスラーが殆どなのに >>669
80年春の新日×全日のソフトボール大会(対決)んときか。
もう40年も前になんだな。
後方右側は保永で後方左側は誰かわからん。 >>669
間違えた。
後方左側は小鉄で二番目がわからんかったけど仲野だな。 鬱陶しいなぁ深夜に連投するなよキチガイガラケーめ!
何回も書かれているんだからレス返したりして調子に乗らすバカとか出てくるなよ
毎日しつこく居付いてまた漢字羅列で荒らしたり放火や殺害予告を始めるぞ ガラプーの歴史
・おとーちゃんだがやー
・フルネーム(新日本プロレスリングのアントニオ猪木は等全てをフルネームで書く)
・省略(シンニのアノキ、バンビガ等不自然に省略)
・漢字羅列
・ひらがな羅列
・片仮名羅列
・センズリをオナニーと言う奴はヘタレ
・後楽園ホールのうんたらかんたら
・レス番〇〇(レス番のダジャレ)だがを頭に付ける
・武道館生卵事件を模造
基本的に定期的にキャラを変える
普通に書き込む期間もあるがニワカでそこを指摘されると切れる
その後荒らすかキャラ変して煽る
この繰り返し
レス乞食なのでレスはしないようにすること >>671
クイックキック・リーもプロモーター命令? >>671
最初はゴッチが考えてた変なリングネームの予定だった
ヌンチャクでも持たせればよかったのになかったのかな
鉢巻きに竹刀とは 月刊プロレスの若手紹介記事で前田の特集があった月に
前田明
本名 前田日明(まえだひあけ)
って嘘が書いてあったな… >>682
全日の練習生だった奴がブログ書いて自分の整骨院の宣伝してたな。
新弟子日記だっけ ゴッチが神様扱い、ストロングスタイル伝承の源とか、全然違う。
大木とマイクデビアスのWWA戦のインターフェア、ショービズの殿堂NYでタッグ王者
いわゆる「プロレス」の暗黙の流儀を破る者に容赦ない制裁。
ギミックの名付け親(豊登と変わらねーw)・・。 ピート・ロバーツとかマークル・ロコとか
渋いレスラーをブッキングしてくる印象
エル・カネックにジャーマン仕込んだのは流石 >>673
東スポが両団体に声をかけて親睦を深めるために試合だったが新日は気合いを入れて
事前練習してお揃いにユニホームまで作り全日は東スポに事前に「服装は自由」と確認
して現地に着くと新日と全日では見栄えの差が明らかになる全日が試合放棄寸前の険悪
ムードになりかけるも新日側が折れてユニの上を脱いで試合をする事で全日側も了承
して行われた西武球場での最初はピリピリムードの「親善試合」だった。
一塁ベース上で談笑する猪木と鶴田の写真を見たことがある。 ベースボールマガジン社の本領発揮でスコアブックもつけてみた、とかいう記載を覚えてるw >>689
主催者からジャージって言われたんだよ
新日のユニフォームを見て馬場が「話が違う」とへそを曲げた 猪木は出し抜くの好きだから
相手にするのは面倒臭かっただろうな 元プロ野球選手からしたらジャージで野球の試合をやるなんて許せないだろうな >>690
でも発表数は新日より多かったりするんだよな。 >>687 >>694
気合い入れてとか出し抜くとかそんな大袈裟な話じゃなくて
新日には小鉄や倍賞鉄男が中心になって作った
草野球チームがあったんだよ
この試合のかなり以前75年くらいだったかな?から
ワープロの番組スポンサー企業やテレ朝の下請け関連会社のチームと試合を重ねていて場数を踏んでいた
プロレスアルバムにも道場のある上野毛の商店街チームとの試合が載っていただろ?
だからそんな悪意があってユニフォームを揃えていた訳じゃない >>669
いい写真だな。古き良き昭和新日って感じ。 高田、長州対談で「野球都チームがあり、ユニフォーム作り、
西武ドームで全日本とやり、長州がソフトボールをスタンドに入れた」と話してる。
36分から https://www.youtube.com/watch?v=Ju4cFGiMPn8&t=2080s >>699
時折、道場での練習をサボり荒川の号令の元でw多摩川の河川敷で野球やソフトボール
の練習wをしていた事があって道場に戻ると小鉄のリンカーンが停まっていて慌てて
汗だく走ったりして「土手で筋トレしてました!」と誤魔化したらしいwww 荒川は当時巨人の練習場だった多摩川グラウンドに
「やあやあ」とヒョコヒョコ入っていき、
最後には中畑に道場まで車で送らせていた >>704
100万すら持ってないのか。
そりゃ、現役時代のギャラをピンハネされたとか、
いつまでもグジグジ言うはずだわ。 >>707
カブキの店は臨時休業中
あそこもヤバいだろうね 猪木とか長州はいろいろ悪口は言われているけど
猪木自身や長州自身は他人の悪口を言ったりはしない。
悪口を言わない人は一時ははぶかれるけど
最後には向こうの方から人は寄ってきて人の輪ができる。
他人の悪口を言う人にはその時はもりあがっているけど
そういう人には結局最後は誰も寄り付かなくなって一人ぼっちになる。 >>710
猪木「馬場は百害あって一利なし」など馬場糾弾は凄かった。 長州も新日追い出されてWJ旗揚げする前に
猪木や藤波のこと散々ボロカスに言ってただろ。 人の恨みを散々買った長州に罰が当たらないかな
タレント気取りで今調子こいているけど大概のことしてきたからな >>714
いい歳してこんな書き込みしてるの見ると哀れになるな 人の不幸を祈る様にだけはなりたくないと願ってきたが〜♪ >>710
長州はUに関わったレスラーを名指しで批判した事があったが
少なくとも前田と高田の事はボロクソに貶してた >>714
前田の顔面襲撃事件やWJで相当罰が当たったと思うが。 そんないがみ合ってた連中も、
金出すから企画で対談してくださいよってなったら、
満面の笑顔で「いや〜あれは誤解で」とか和やかにやるんだよな。
こういうノリは馬場と猪木がケンカしたり協力し合ったりとかいうのが潮流になってる気がする >>719
両者と親交ある真樹センセイが間を取り持って文春誌上で行われた佐山×前田対談は
和やかムードとはほど遠いぎこちないムード全開で紙面上でも緊張感が伝わってきた。
真樹センセイが強引に和解ぽくしていて終了・・・ カーンもカブキも他人の悪口を言うのをやめれば
また人は寄ってくる。
悪口を言っている間は人は寄りつかない。 カーンやカブキの名前が出るとほとんど狂人丸出しの見苦しい態度で
「あいつらは人の悪口ばかり言ってる、死ね、死ね」
という言質をまき散らす手合いが湧いて出てくる
正直カブキやカーンの言葉よりこういう輩の言葉の方がよほど気持ち悪いし、
こんな奴が必死に持ち上げようとする馬場というのもきっとロクでもない人間に
違いないと思わせる >>722
数人があちこちのスレで騒いでるだけじゃない?もしかしたら1人 実際カブキ、小鹿、カーンらの出てる本やテレビは見たくないね。 >>717
前田の名前出したことなんてあった?
コントとはいえ高田と電話で喧嘩したり
安生宮戸鈴木をボロクソ言って
山崎は良い奴だ、って変なフォローしたのは覚えてるけど
前田について何か言ったのは見識不足だったわ、詳しく教えて下さいませんか? 長州が「前田は小狡い奴。相手が出来ないのを分かっててやろうとする」て言ったのは何時だっけ? 藤原テロ事件は最高に面白かった。あれを超えるアングルはないな 藤原テロ事件は最高に面白かった。あれを超えるアングルはないな 動画はないけど、新宿伊勢丹前の襲撃アングルの方が伝説w 美津子夫人は シン売り出しのアングルを知らされてなかったから
驚いただろうなw
警察沙汰までになったからね 倍賞美津子って実は結構試合内容に口出してそう
実際スピンクス戦後の旦那にダメ出ししてたらしいし >>732
試合内容までわからないけど試合中のカメラへの目線、表情等のパフォーマンスは
かなりアドバイスを与えたりプロレスラーのステータスを高めるため猪木が長者番付に
載るために自分のギャラを廻したりペルーワン戦後にホテルに軟禁状態になり食事に
出かけられなくなる事態になるも機転をきかしてカップラーメンを数個持ってきて
くれてそれで空腹を凌いだりいろいろ貢献している。 パキスタン遠征で水にやられて皆下痢になってたのに
井戸水飲んでも一人元気だった美津子
アクラムの腕折って暴動を心配した新間に
「アタシはいいからアントンをよろしくね」
と一人冷静だった美津子 >>707
よ、児童ポルノマニアホラッチョ爺さん!
お前が自演スレ保守する為、貼ってた荒らしコピペも漢字間違えてるよwこの場合は「聴きたい」な
※ホラッチョ爺は認知症なので自分を棚上げし相手罵る癖あります
↓
(オッペケ Sra5-wibe) 2020/05/16(土) 01:18:01.10 ID:IkXxzuXSr
愛情物語 編曲が萩田光雄
この曲はナンノちゃんと知世ちゃんの競作で聞きたい。
二人の違いが明らかになって絶対いいと思うどっかの音楽番組でやってほしいわw 313 お前名無しだろ (ガラプー KK6b-htKj)[sage] 2020/05/06(水) 14:57:01.04 ID:XbjSM6+NK
>>308
的得てるからってハゲ散らかしカッカするなよホラッチョ爺w
オカダはハリウッドスターじゃないからね、おじいちゃん!
314 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-XPL9)[] 2020/05/06(水) 18:15:58.23 ID:nlFb5sPr0
>>313
的は「得る」ではなく「射る」
語源は弓道や射撃。
反論したところで誤用はどこまでいっても誤用でしかない。 >>735
高級ホテルの水でさえ危険と言われるパキスタンでまだミネラルウォーターが一般的で無い
日本から長州は缶入りウーロン茶をスーツケースに満載にしてそれで顔を洗い歯まで
磨いていた。早めに帰国した長州から残りもらった古館アナも気をつけていたが帰国当日に
新日勢からお遊びでプールに投げ込まれてその時に水を飲んでしまって下痢地獄が
始まってしまった。
遠征に参加したスーパースターは試合中に下痢が始めり大変だったらしい。
美津子夫人と数人以外がほとんどが被害を受けて過酷な遠征の中で国賓として英雄扱い
される猪木と付き合わされた選手・スタッフ間で大きな溝ができたてしまったのもクーデター
の要因のひとつだったと言われる。この後に新日を離脱するジャパン勢のパスポートを新日
が持っていて引き抜き後に大塚氏が新日へ回収に向かっている。 日本から飲料水持ち込みで一番沢山持って行ったのが山本小鉄、しかもビール
ただ本人は所用で日本に帰ってしまい、ほとんどが他のスタッフ&レスラー達に飲まれてしまったという
どーせこのビールも会社の経費使って買ったんだろと陰口 いまさらながら
この「的を得る」表現を最初に誤用としたのは、『三省堂国語辞典』の第三版(1982年)だとされています。
それが第七版(2013年)に至って誤用云々が削除され、改めて正しい使い方として掲載されました。
「三省堂国語辞典」の編集委員である飯間氏が以下のような謝罪をしました。
「『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。
『的を得る』は『的を射る』の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。
『当を得る・要領を得る・時宜を得る』と同様、『得る』は『うまく捉える』の意だと結論しました。」
(飯間浩明 2013年12月15日)
s://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616
「もはや誤用とは言えないほど普及したので、正用扱いにした」のではなく、「そもそも、これまで誤用扱いにしてきたのが誤りであった」という考えだ
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>731
プロレスファンのますだおかだが初めて上京して行った場所が新宿伊勢丹前だったw >>742
昭和新日ファンにとっては聖地のひとつだからな >>744
蝶野が越中嫌いなのがよくわかる回だったわ
脳ベル見てて思ったのが小橋船木はバカと思ってたけど割と頭良かった
天龍はバカだった
蝶野前田渕は安定して面白い
岡田の司会は天才的 >>739
>過酷な遠征の中で国賓として英雄扱いされる猪木と付き合わされた選手・スタッフ間で
>大きな溝ができてしまったのもクーデターの要因のひとつ
Mスーパースター(ビリー・クラッシャー)が参加したパキスタン遠征ならクーデター騒ぎ後の84年だろ
そもそもこの時、倍賞美津子は同行してるのか?
76年の遠征と話がゴッチャになってないか 蝶野ってプロレスラーの中で自分が一番頭いいと思ってるよな >>733 昔邦画で美津子さんがおっぱい出しててそれを見た猪木が激怒したらしい
それにしてもいいおっぱいだった。 https://pbs.twimg.com/media/EYvOWUrUMAE6iiP.jpg
新日に来たダメ外人ジャイアント・グスタフとグレート・アントニオが有名だが
バス引っ張りパフォーマンスは海外でも決行されていた >>755
74年に来日したマイティ・カランバも入れてw >>755
昔バラエティ番組で検証していたけど
これってある程度の体格とパワーがあればできるんだよね
(勿論そこらへんの女の子じゃ無理だろうけどね)
その番組では185cm100kg位の外人ボディビルダーに
バスを引かせていたがバスはあっさりと動いていた グレート・アントニオはバスに子供乗せてるよ
そのかわりゆるーい下り坂だった サイドブレーキ解除し忘れて可哀想なことになったのってグレートアントニオだっけ? ルスカが体の小さいメキシカンを運転席に潜り込ませて
ブレーキ踏ませたと聞いたことある 体が小さいならレスラーではなくて新日の小柄なスタッフでいいようなw バス のブレーキを踏ませてたって話は
確か「プロレスを10倍楽しく見る方法」に載ってた気がする >>760
綱引きもそうだけど腕力の強さで引っ張るというより
体重の重い人間の重心移動や地面との摩擦抵抗の問題の方がより影響するからね カブキも映画のプロモーションでやってたな。
左右から乗用車で引っ張られるやつ。 天コジで綱引きチャンピオンのおばちゃん達に勝てなかったの思い出す >>750
二年近くに渡る軍団抗争もファンに飽きられ始めていた矢先に二度に渡る対抗戦も
大盛況で長州・猪木戦も三連敗で決着も付いて「新しい流れ」を構築する必要が
あった中での"国王の依頼"と言う「長州&藤波」のタッグ結成だった。
このタッグ結成も「今更、藤波とタッグ・・・」と言う扱いに疑問を持った長州が
新日離脱の一因ともなったと週プロに載っていた。 昔のビデオをブルーレイに焼いてるけど
84IWGPの予選から決勝までいい試合ばかりだな
特に決勝は猪木が挑戦者になったことで前年より光ってる (しかしあのオチが・・・)
大阪のアンドレ戦も出せるものを出しまくって2人のベストバウトかという好試合
アドニス、長州、藤波と脇も光ってた
最後にミソをつけたが新日最高のシリーズと言っていいんじゃないか ラッシャー木村は熱狂的猪木ファンたちから自宅に石や生卵を投げつけられたのに愚痴ひとつ言わなかったんだよね。
亡くなる前に自叙伝を出して欲しかったよね。 https://pbs.twimg.com/media/EYX6s_zUEAIjmxD.jpg
85年のIWGPシリーズのポスター(ただし週プロ主催の後楽園ホール大会限定ポスター)
残念ながら猪木vs前田は実現できず >>770
第2回大会は長州がアンドレをボディスラムで投げた試合と
マードックがアドニスを返し技でフォールした試合
それと最後の暴動試合くらいしか印象にない
斎藤vs長州、斎藤vsパテラが観たかったけど、ノーテレビだった。
あと、マーテルが鶴田を破ってAWA王者になったから参加できなかったな 特に80年代、新日のスタイルに馴染んで常連になったアメプロ外人って、エース級からの二番手だとマードック、マスクドとアドニスくらいか。
パテラ、スタッド、オーンドーフ、アトラス、ブラボー、ダンカン、スローター・・。みな米国じゃ各エリアのメーンイベンターだったが
新日マットでは扱いが悪いのか馴染まなかったのか、それほど戦績は残せなかったな。
バリューのある外人大好きな馬場全日だともう少し取り計らってくれたかもw >>770
大阪ではなくて名古屋だね
この時の猪木ーアンドレは
2人の顔合わせで最後の名勝負だったと思う
フェンスアウト決着でも場内が大喝采という光景は
この試合以外では知らない 84年IWGPのアンドレはシューズを黄色にしてたのがちょっと軽い感じだった >>778
黄色が際立ってさらに体の大きさを感じたな。長州戦のときはいつも以上に体格差感じた。
長州もよくボディスラムで投げきったよ。 新日本でアンドレが履いてたのは赤・緑・黄だけかな?
黒はあった? ジャイアントマシーンやってた時はずっと黒よ(ワンショルダーだけど) えー、別スレで自称「プロレスファンとして、最低の審議眼は持っている」方から、
「D・ローデスは日本では全く人気がなく、3試合で潰された。」と断言されました。
なぜそんな結論になるのかが全く分かりませんが、
今のファンから見るとローデスが日本で人気があったことが理解できないのがわかりました。
完全にアメプロで体系はだらしないアンコ型。
なぜ当時の新日で人気があったのかは当時のファンじゃないとわからないですかね。 >>785
やっぱりアンドレvsハンセン戦のときのが頭に焼き付いてるんですね
ベイダーもベルトマスクよりも黒いマスクのほうがしっくりくる >>782
代わりにおれが来ましたよwww
スレ住人皆さま、横紙破りで失礼します
SWSスレからはみ出てきましたが、
日本でローデスは人気があったのか?というテーマで紛糾してます
多くが、日本では全く通用してない的な見地ですが
じっさいに新日のローデスを見てる先輩方はどうお思いでありますか >>782
で、お前さんの言う審議眼ってのは何だい?
初めて目にした言葉なもんで教えてほしい >>787
わざわざありがとう。
ここならある程度の当時が推測できる意見が聞けるんじゃないかな。 >>782
すみません、私が書いた言葉じゃないんで。ややこしかったですかね。
私の引用がまずかったのかな。全文引用します。
103お前名無しだろ (ワッチョイ 1aef-P9DH)2020/05/26(火) 17:34:45.48ID:La4vXWOn0
>>93
91だけど、、俺だって
ローデスは全然評価していないよ。
(プロレスファンとして、最低の審議眼は持っている)
しかし、実際に>>96や>>100みたいのがいるんだよ。
気持ち悪いよなwww
猪木やハンセンとの対決と言っても、
待望の新日初来日で猪木と2連戦したが、リングアウト、
反則とは言え2連敗、翌年のハンセンとの対戦もリングアウト負け。
これは、もう新日が、「こいつは使い物にならん」と
早々と潰したんだよ。
こんなレスをすると、また自演と思われるかな? >>782
当時なんであんなデブがアメリカンドリームなんだろう
練習してるのかと思ってた ボブバックランド
リッキースティムボード
日本マットでは、活かしきれなかった。 82年の新日での大一番は毎シリーズ豪華なカードが揃ってた印象だけどサマーファイトシリーズ2の藤波対バックランドはかなり地味に思えてしまった… 飛龍10番勝負
2度目のバックランド戦
10番いかずに終わった >>795
猪木が出場してたら猪木対アドニスだったのかな ローデスがいつ使い潰されたのか…新解釈にも程がある 猪木やバックランド相手にしても会場にローデスコールが起きるわ
MSGシリーズではアンドレ・坂口と引き分け、藤波長州小林にピン勝ち
猪木とのタッグでハンセン・シン組との「ドリームマッチ」が東京のトリを
二度飾る予定だったなど特別扱い続き、これ以上どうしろと
「猪木に二連敗」と言うならハンセン、ラッシャー木村なんかシングルで
何連敗したのかということになるわけで
(ハンセンは猛烈プッシュされた1979年第二回MSGシリーズから猪木に
シングル三連敗、NWFのやり取りの後、翌年の第三回MSGシリーズから
また三連敗してる)
スタン・ハンセン 対アントニオ猪木 シングル成績
1979年
5月24日 青森・弘前市民体育館 第2回MSG決勝リーグ戦
●(9分33秒 反則)
6月7日 東京・蔵前国技館 第2回MSG優勝戦
●(9分3秒 体固め)ハンセン
8月17日 カナダ・カルガリー NWFヘビー級選手権
●(9分15秒 体固め)ハンセン
1980年
6月5日 東京・蔵前国技館 第3回MSG優勝戦
■(7分49秒 反則)ハンセン
9月11日 大阪府立体育会館 NWFヘビー級選手権
■(9分18秒 リングアウト)ハンセン
9月25日 広島県立体育館 NWFヘビー級選手権
●(10分49秒 逆さ押さえ込み)ハンセン ローデスは華があったからね。スターのオーラというんかね、そういうのがあったよ。
新日の他のレスラー、特に日本人レスラーにないものを持っているから声援は大きかった。
たしかにファイトスタイルはまぁいわゆる全日的なんだけどファンにはうけてたよ。
一番の大きな理由は米国での人気レスラーを見ることができる、というものだったと思うが、だからこそ新日もそれに合わせたカードを組んでたんだろうし、それを見る事に満足ではあった。
たしかに新日が掲げたストロングスタイルとはかけ離れたスタイルなんだけど、そう思いながらもファンは受け入れてだということ。
長文失礼しました。 >>794-796
それで合ってる
当時の月プロか月ゴンに猪木vsアドニスが予想されていたから
確かあの日は藤波の体調が悪くて
(“長過ぎたショートアームシザース”な試合になったのもそれが一因らしい)
猪木が予定を早めて試合復帰する話もあったとか小鉄か新間だかが話していた様な ローデスはアンドレ、ハンセンを遙かに超える高額のファイトマネーなので新日初参戦
以降は"特別参戦"と言う形で短期間でしか参戦させられなかったらしい・・・ ローデスがお払い箱になってからホーガンが大ブレイク。
ホーガンはローデスの穴を埋めた。
穴を埋めたっちゅうよりローデス以上の人気、存在に。
こんときは当然ホーガンはローデスよりギャラは安い。
新日からしたらギャラが高いローデスよりホーガン起用するわ。
しかも人気はホーガンが上回った状態だったし。
WWF王者になってからのホーガンのギャラは高騰したのは当然だがな。 ドリーファンクジュニアはNWAチャンピオンで日本プロレスに来ていたときのファイトマネーが継続されて
全日本のファイトマネーも週10500ドルだったて井上譲二の本に出てた
新日から全日移籍前のハンセンが3500ドルでシンが5000ドル
全日移籍してハンセンが15000ドルでシンが10000ドルになった >>806
全日は新日よりも外人のギャラが良かったんだね。
アンドレ、ローデス、バックランドは週1万ドル以上だと思うけど。 >>805
> ローデスがお払い箱になってからホーガンが大ブレイク。
人気無くなって呼ばれなくなったわけじゃないのに
お払い箱って言わないだろ。 そのおかげで全日は財政破綻して馬場は社長を降ろされ、日テレの直接支配が始まった
「東京12チャンネル」では、プロレス人気が落ちて稼げなくなったアメリカ(特にNWA圏)の
レスラーを救済するように高給を支払い続けた馬場が、いわばアメリカのツケを肩代わりした
形になったと書いていたね 過去のハンセンスレより
831 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 16:54:47
>ハンセンは日本で週1000$稼いでいる時期でも〜
おいおいキッドが週6200ドル、ジョニー・スミスでさえ週1800ドルだったのに
ハンセンが週1000ドルなんてわけないじゃんw
ハンセンは全日に移籍したときにギャラが週1万ドル+契約金2000万円
後に外人組の絶対エースになってからのギャラは週2万ドルだよ
833 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 19:39:15
「魂のラリアット」によると初来日(全日)の時点でギャラは
週1000ドル(税込み)だったそうな。
全日移籍直前の新日でのギャラが週4000ドル(手取り)だそうだから
一気に2.5倍に上がった事になるのか。凄まじいもんだね。
834 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 20:00:33
馬場は太っ腹だな。新人扱いのブッチャーが日プロに初来日した時は週400ドル。
まあ5年ほど違うから純粋な比較とはならないが。
837 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 21:38:46
馬場は外人には気前がいいんだよ。
1974年にNWA王者を集めたシリーズを組んだ時、王者ブリスコ一人に
ファイトマネー週8000ドル、タイトルマッチ料として25000ドル、
2週間で10万ドル以上のカネを払った。
当時のレートで3000万円。週給1500万円の大盤振る舞いだ。
当時日本人レスラーは食うや食わずのはした金で使われていた中での
この金額は、いまなら週給5000万円以上に相当するだろう。
ちなみに20年以上後になって、三沢が社長給込みでもらえた年収は
1200万円。
馬場は外人チャンプには、日本人エース5人分の年俸くらいの額を
2週間の仕事代として振る舞っていたことになる。
そりゃ経営が苦しくなるはずだよ。 737 お前名無しだろ 2020/04/15(水) 19:19:25.66
1ドル360円の時代にドル建てで豪華外人呼んでたからなぁ。
創設期の頃は日テレへの借金がどんどん膨れあがって、「今月もノーギャラ」って控室でこぼしてたと渕が書いてた。
これを完済したのが90年代初頭。
あのころだよな馬場が「プロレスで儲けるのは初めて」なんてインタビューで答えたの。
738 お前名無しだろ 2020/04/15(水) 19:23:31.60
プロレスで儲けるじゃなくて「プロレス団体経営してて儲かるのは初めて」か。
馬場はプロレスラーとしてデビュー2年目ぐらいからじゃんじゃん稼いでるもんな。
736 お前名無しだろ 2020/04/15(水) 19:18:42.82
力道山がピンハネしてたんだろ、ピンどころではないかもだけど。
740 お前名無しだろ 2020/04/15(水) 19:28:17.08
アメリカ修行時代のギャラは力道山、東郷、アトキンスの三人にほとんど獲られたと
生前のトークショーで言ってたな 猪木も馬場も、社長レスラーの金銭感覚は酷いな
その点、背広組の吉原社長は…ww ローデスに関しての書き込みありがとうございました。
正直「ローデスは日本で人気がない」「新日では直ぐに潰された」
なんて語られる日が来るなんて思いも寄りませんでしたが、
もう40年近く前なので仕方がないところもあるかな。
そしてローデスの人気を説明することの難しさ。
当時の新日ストロングスタイルと真逆だし、見てくれはあまりよくないし。
こればっかりはリアルタイムじゃないと理解できないでしょうね。
近いといえば高田にサンドバックとなっていた時の越中人気?
やられっぷりはピカイチだったような。後頭部ラリアットでKOされたのってローデスが初かな?
でも猪木・ハンセン・シン・バックランド・ホーガン・アンドレと絡ませても
全く格落ち感がないどころか、組み合わせにワクワクしてたから、越中とは格が全く違う。
まあ不思議な魅力としか言いようがないですね。 >>792
>当時なんであんなデブがアメリカンドリームなんだろう
今ならわかるですけどね、当時はわかりにくいですよね。
外見がまずスーパースターっていう感じじゃないですから。アメリカはなんなんだと。
当時ドリームだと日本なら「王」「長嶋」クラスを想像しちゃう。
>>799
>ハンセン・シン組との「ドリームマッチ」が東京のトリを二度飾る予定
2戦目は楽しみにしてたんだけど、引き抜き戦争とかあって幻になってしまったのは残念でした。
まあ代替カードもアレはあれで伝説みたいな試合になったけど。
>>805
いくら当時の新日がアンチNWAでも、
元・前チャンプで新日離脱後も戴冠して活躍している選手をお払い箱って表現はどうかとおもいますよ。 新日は潰すどころか買値の元を取ろうとこれでもかというマッチメークで迎えていたろ。
基本的に外人同士のカードで外れはなかった。
ただ、良い感じに因縁つくっても新日お得意の“あれはなかったことに”でテーブルひっくり返しで裏切られた。
ブッチャーを軸に二週に渡って盛り上げてきたワフー&ローデスのラインをぶん投げたのにはガッカリした。
あの流れなら翌週はローデス&ワフーvsブッチャー&アレンって誰でも考える。
あと、アウトローズvs木村&戸口もなかなか面白かった。 あのさぁ、、
ローデスのアメリカでの人気というのは
南部の配管工の息子、デブでブ男が全く似合わない
煌びやかなコスチュームを着て「アメリカンドリーム」を
語るお笑いなんだよ。
試合よりトーク、試合も尻振りダンスとぐるぐるパンチ。
「あんなのが、なんでアメリカで流行っているのか分からん」
と言った馬場の感性が正しい。
それを当時のバカなファンが「アメリカで今、最も売れている選手」
「これこそアメリカンプロレスだ!」とか言って
新日に参加したローデスに声援を送った。
バカ丸出しだよ!
ローデスの人気なんか南部なまり丸出しのトーク。
それさえも日本では披露されていない。
なにを見て、「ローデスコール」を送ったんだい?
今もなお、ローデスが好きとか気持ち悪い。
そんな爺はコロナに罹って死んで欲しいよ。 ↑
「最低の審議眼さん」(>>790参照)がいらっしゃいましたw ローデスは新日に来る前に国際にマードックと共に来日して
「ブルクラ以上の凶悪コンビテキサス・アウトローズ=v
みたいなポスターで紹介されてたと思うが、アメリカン・ドリームと真逆のキャラ 時代は令和。
なのに馬場の発言を引用し、新日ファンを中傷。
こういうところは何年経っても変わらない。
ある意味感慨深い。 当時はネットとかないからローデスのアメリカンドリームの話はイマイチ伝わらず、何故かアメリカでは大人気の派手なアクションのおデブちゃん
猪木新日が否定していたダメなアメリカンレスラーの典型だったのに
何で?結局、呼べないから否定してただけなのか?って感じだった 思い込みは恐ろしい。
こういった輩がエスカレートして、京アニや今回のSNSのような事件を引き起こすんだな。 >>816
ローデスが新日で潰されたという話は私も聞きませんが
当時の高校の同じクラスのプロレス先輩はローデスを失笑してましたよ
そやつも中途半端な半デブ体形でしたが、
ローデスの尻振りのマネとかして、みんなが「うわ!」て感じで
いま来日履歴など確認してみたけど、各団体とも小数回でおしまい
あっちのスレに書いた「日本では不人気」は保留しても、
「アメリカでスターだが、それに沿ったギャラを払う価値は、
日本では無しとされた」については、やはりそうなんじゃないの アンカー>>816じゃないや
>>813でした ごめん ガラプーの歴史
・おとーちゃんだがやー
・フルネーム(新日本プロレスリングのアントニオ猪木は等全てをフルネームで書く)
・省略(シンニのアノキ、バンビガ等不自然に省略)
・漢字羅列
・ひらがな羅列
・片仮名羅列
・センズリをオナニーと言う奴はヘタレ
・後楽園ホールのうんたらかんたら
・レス番〇〇(レス番のダジャレ)だがを頭に付ける
・武道館生卵事件を模造
基本的に定期的にキャラを変える
普通に書き込む期間もあるがニワカでそこを指摘されると切れる
その後荒らすかキャラ変して煽る
この繰り返し
レス乞食なのでレスはしないようにすること ローデスの尻振りにカッカする猪木。このコントラストが面白かったw ローデスアンチ、ラッシゃー散髪、アントニオドライバーキャンペーン、レスラーが社長じゃないと駄目、藤波はフルネルソンの名手、佐山タイガー大したこと無い
これたぶん同一人物 猪木vsブッチャー
ブッチャーは良い試合は作れない。猪木もイライラ。 昔は猪木信者が「狂信的」の代表みたいに言われていたものだけど、平成も終わる今、
一部の全日ファンにいまだに70年代のNWA幻想や馬場人格者神話、鶴田最強神話などの
昭和ファンタジーを否定されるのを病的に拒絶して、月刊ゴング時代レベルの「情報」に
必死に引き籠ろうとする人がいるのを見ると、ある種の感慨に陥らざるを得ない >馬場人格者神話、鶴田最強神話
この2つに関しては平成初期のターザン時代の週プロの悪影響が大きい 新日がローデスを呼んで新日ファンがローデスに声援を贈ったのは
新日だってNWA陣営から大物を呼べるんだぜ!という全日馬場への対抗意識から。 プロレスを駄目にしたのは猪木。
ストロングスタイルという相手の技を光らせない自己中プロレスでつまらなくなった。
その後、K1ファイター等にボコボコにされて、新日は業界を貶めてしまった。 大物感はあったからローデスは新日に上がり続けて正解だったと思う
特に外人対決なんて夢のカードだらけだったしね
vsハンセン、アンドレ、シン、バックランド、ブッチャー
ホーガンとのシングルも見たかったけど
そういう意味ではワフーももっと生かせなかったのかなと思う
新日のスタイルに合わなかったのかもしれないけどせっかく引き抜いたんだから
せめてIWGPぐらいまでは契約してほしかった ローデスvsアンドレとかローデス・バックランド組なんて米マット界では実現不可能といっていいぐらいだったから
当時もしインターネットなんてあったらアメリカのプロレスファンはこぞって見ただろうな。 81年6月の猪木、ローデス対シン、ハンセンの再戦
ローデスがNWAに挑戦するからキャンセルになったんだよね
見事NWAチャンピオンになって全日でローデス対鶴田とかの対戦見れるのかと思ったら
フレアーにベルト奪われた(予定道理だったのかな) レイスからフレアーに王座移動する際の繋ぎ王者に過ぎないと揶揄されていた
あれはアメリカンプロレスを卑下してストロングスタイルを辛抱する
バカなプロレスマスコミの妄言なのかね >>833
風車の理論を知らないのか。(糖尿病以降の猪木に関しては除く ローデスは客沸かせられるけど
技はないし、5分くらいでネタ切れになってそこで終了
試合自体は全部凡戦
1回だから誤魔化せたけど
何度も来日してたらすぐ客に飽きられただろうね >あれはアメリカンプロレスを卑下してストロングスタイルを辛抱する
「卑下する… 自分を劣ったものとしていやしめること。へりくだること。
例・『そんなに卑下する必要はない』 」
なるほど、アメリカンプロレスをみっともないものと分かっているから、
そんなプロレスしかできないでいる団体やレスラーを恥ずかしく思い、
世間で賞賛されていたwストロングスタイルの攻勢をじっと「辛抱」
するしかなかったんだねw
40年も経った2020年代になってもまだ、ストロングスタイルが憎い!
猪木が憎い!アントニオドライバーキャンペーンが憎い!と発狂する
被害者意識と劣等感と事実誤認の塊
哀れだなあ
今やどの団体のファンも、プロレスの裏も表も味わって、昔を懐かしく
楽しんでいるというのに、いまだに自分の昭和の感覚そのまま
「新日信者はいまだに猪木を無条件に信奉しているはずだ!もしくは
ストロングスタイルに騙されていたことをいつまでも恨んでいるはずだ!」
と世間を自分と同じ程度だと思いこむ哀しさ
全日ファンからも呆れられていたよな ローデスの新日マット参戦
1979年10月 闘魂シリーズ NWFヘビー級王座挑戦
1980年05月 第3回MSGシリーズ WWFヘビー級王座挑戦
1980年11月 第1回MSGタッグリーグ戦 猪木とドリームタッグ
1981年05月 第4回MSGシリーズ バックランドらとドリームタッグ
1981年06月 蔵前スーパーファイト 猪木とタッグの予定もNWA奪取で中止
1981年11月 第2回MSGタッグ・リーグ戦 アウトローズ復活
1982年01月 新春黄金シリーズ ブッチャーと流血試合
1982年03月 第5回MSGシリーズ アウトローズ、猪木の膝を「破壊」
1984年01月 新春黄金シリーズ ブッチャーと遺恨試合
1991年03月 スターケードin闘強導夢 NWA代表立会人
1992年03月 超戦士in闘強導夢 WCW代表 親子タッグ
「1回だから誤魔化せたけど」とか言ってるのがいるけど、何が
「1回」だったと思いこんでるんだろうね? 実に全日的なレスラーだよなあ。
馬場のから竹割で悶絶してるとことか見たかった。 令和の時代になってもこれだけローデスのこと語られてるんだから
新日はギャラ高くても呼んで大正解だったってことだ 米でのローデス人気ってのは吉幾三みたいなもんなんだよ
吉幾三が真面目に難しい顔して『雪圀』だけ唄ってても大して客は喜ばない
売れた後でも田舎者を隠そうとせず
むしろいっそうカリカチュアライズしネタにして漫談のようなトークやコントやったり
『おらこんな村いやだ〜』とか『田舎のプレスリー』とかやって
散々盛り上げ笑わせ楽しませた後に
スッと真面目な感じでしみじみと『雪圀』を熱唱するから
客はみんなわかっててもジーンと来る
アメリカの大多数の「田舎者」の客だって
ローデス演じる「アメリカンドリーム」を半笑いで観てるうちに
いつの間にか乗せられてリング上のやりとりに熱中したところで
最後だけはバイオニックエルボーで(それなりに説得力持って)ぴしゃっと締める
これで同じ田舎者(労働者階級)である観客たちの
冴えない日常のストレスやフラストレーションも晴れて我が事のように溜飲が下がるわけよ
なのでローデスの「アメリカンドリーム」ってのは
九割はネタとわかったうえで
それでも残り一割くらいは本気で信じて応援したい
なぜならあのリング上にいる滑稽な田舎者は我々(観客)の代表だからっていう
ファンや観客の意識を具現・戯画化したもの ローデスは愛想が良いから表面上は誰とでも付き合うが差別感情はマードックより強いなんて話があったな
高橋だっけ? ただアメリカン・ドリームのローデスよりも、南部の暴れん坊コンビのアウトローズのローデスの方がカッコ良かったと思う。
何気に全日新日国際で試合してるんだよね >>845
「ローデスは日本人をバカにしたところがありインタビューをすっぽかす常習犯だった」って
書いていたマスコミがいたな
マードックは黒人は嫌いだがデストロイヤーに匹敵する親日家だったとか そのローデスが「マードックの黒人嫌いはギミックで、プライベートなら友達も居る」と証言してる >>818
悪投面とファイトのコンビの片割れがのちにアメリカンドリームを装うのは日本人に
違和感があったなんて言われていた。
>>832>>862
佐藤の話で「新日とコネのできたローデスをNWAチャンプとして招聘できはずなのに
なぜかそれをしなかった・・・」と疑問を呈していた。
新日は既にIWGPに舵を切っていたしNWA王者を招聘できなかった手前、散々、寄り合い所帯
と揶揄してきたのとやはりNWA王者招聘は高額なので断念したのかな? >>822
>「アメリカでスターだが、それに沿ったギャラを払う価値は、日本では無しとされた」
については、やはりそうなんじゃないの
それは解釈の違いじゃないの?
>>815氏のように、「ギャラの価値」に見合う扱いを招聘側がすればいいだけで、
「ローデスもそれに応えようとして、ファンもそれを支持した」でいいと思うけど。
どうしても反ローデス側の人は、
ローデスは日本で人気がない→人気があっても一部でそれは騙されてる→人気があってもそれに見合うギャラじゃない
ってもう親の仇かと。(あなたに言ってるんじゃないですが)
ローデスも亡くなってから海の向こうの日本でこんなこと言われて呆れてるよ。
そもそもアウトローズは時代は武闘派で、一部では馬場による新日・猪木の大口封じとも呼ばれた、
「現在の世界マットの最高メンバー(シュート込み)を集めたオープン選手権」の参加メンバーなんだから、
馬場の発言を引用してローデスを貶めるバカとありえないよ。 >>844
実にわかりやすい良いたとえです。
私にこれぐらいのセンスがあれば荒れなかったかも。 まあローデスの場合はよ
猪木とのシングルが名勝負として語り継がれなかった事と
ローデス以後のキッドホーガンマードックアドニスの売り出しに成功した印象が強くて
何となく忘れ去られて回顧される機会も少ないというのが大きいかも
>>845
「オフ・ザ・リング」の中で目にしたなその話は 海賊男乱入は、好きだった。
試合をするようになってからは冷めた。 >>839
というか、アメリカのローデス人気は
南部の配管工の息子というキャラと
南部訛りのマイクパフォーマンス。
そんなのが日本で受けるはずがない。
マイクパフォーマンスなんか
受ける受けないの前にやらなかったんだから。
でも、バカなファンが「アメリカのスーパースターだ」
と有り難がって見てただけ。
全く「裸の王様」を賞賛していた小市民。 たとえローデス論争だったとはいえ、こんなに昭和新日スレがのびたのはかなり久しぶり。 まあ比較するのもなんだが、全日で
「○○とのシングルが名勝負として語り継がれなかった」
「他のレスラーの売り出しに成功した印象が強くて何となく忘れ去られ回顧される機会も少ない」
レスラーなんていったいどれだけいたんだよ、という話だよなあ
新日だって売り出そうとしたレロイ・ブラウンとかパテラ、ブラボー、ビリー・ジャックなんか
印象に残せなかったし、アメリカでの地位から見ればオーンドーフ、ストロンボー、ダンカン、
マリガン、ガレア、サモアンズ、シーク、ムラコ、スタッド、マイク・ジョージ、シュルツ、
バディ・ローズ、エディ・ギルバート、バンディなんかも「使い潰した」感じだ
ローデスなんか新日ファンの間でいまだに尻フリが語り継がれてるだけでいかにインパクトが
あったか如実に分かる、お釣りが来るくらい商売にした儲けものだろう
そう言えばベーマガの「プロレスアルバム」でドリーの次の巻がローデスだったんだよな
まだシンすら作ってもらっていなかったのに
(結局シン、アンドレ、レイス、ニック、ブロディ、ホーガンらはピンの号を作って
もらえないままプロレスアルバムはいったん休刊してしまった
その後「ザッツレスラー」「ガッツシリーズ」などの形で再発行されるようになってからは、
それこそ雨後の筍のように誰でも彼でも扱われ出されていたがw) 80年代のプロレスの裏話的な本には、ストリートファイトに強いレスラーの中に必ずの様にローデスの名前があがってた。 >>837
いや、つなぎの王者だろ?
最初の王座期間はわずか5日(79年8月21日〜26日)
2回目も3か月弱(81年6月21日〜9月17日)
3回目が2週間(86年7月26日〜9月11日) いやあ、、
それにしても全日スレに続いて
ローデスの話題で沸騰しているね!
さすがは、70年代〜80年代を代表する
アメリカのスーパースター!
アメリカンドリーム!
3度のNWA王座は伊達ではない!
プロレスの審議眼を持った俺が言うんだから
間違いない!
ぐるぐるパンチ、尻振りダンス最高!
あれが分からん奴はプロレス見るな!
馬場は否定していたが、あんな奴、プロレス界の恥さらしだもんな!
新日最高!ローデス最高!
マンセーーー!! その「つなぎの王者」という領域を開拓したのがローデスだから。
絶対的ベビーが長期政権を築くので、そのベビーが交代するときに
一カ月だけヒールが担当する「つなぎの王者」が必要だったのは
WWFだけど(コロフ、ステイジャック、アイアン・シーク)、もともと
悪党がベビーの地元でボコボコにされて回るNWAには「つなぎ」
という概念がなかった。
馬場はアメリカのファンが知る由もない僻地のニッポン、それも
なるべく地方の会場を使ってこっそり王座をレンタルするっていう
方法で「正規王者」にしてもらえたけれど、ローデスが王座を奪って
しまうまで、そういう王者はNWAにはいなかったんだよな。
以後リッチ、ケリー、スティムボートら正統派ベビーがベルトを巻く
伝統が出来たけど、これはローデスが切り拓いたもの。 >>857
そう!そう!
そして、90年代の裏本では
ストリートファイトで日本最強は
新日の西村?か全日の浅子か?
とよく書かれていたよな! >>841
何度も来ているけどシリーズ全戦に出たことはないのかな?短期間の特別参加だから飽きられず有り難がられた部分はあるよね。 大塚が言うにはローデスのギャラは新日外人で一番高かった
だから短期の参加が多かった
「アンドレのギャラはみなが思っていたほど高くなくてリーズナブルだった
高かったらあんなに頻繁に呼べない」と語っていた ちなみに馬場は新日の日本人対決に対抗したかったのか、なんとしても
NWA王者になりたくて、1974年6月から8月までアメリカ行脚、タイトル
管理委員会の長ジム・バーネットに日参して、馬場自身がアトランタの
リングに上がりながら、日本で高給を払う外人の提携先をアマリロから
バーネットのラインに変えてまでしてNWAベルトを巻かせてもらための
交渉を続けていた。
>>810にある、王者ブリスコ一人にファイトマネー週8000ドル、NWAタイトル
マッチ料として25000ドル、2週間で10万ドル以上、当時のレートで3000万、
週給1500万円の大金を湯水のようにアメリカにつぎ込んだのがこの年だ。 ちなみに馬場はベルトを落としてもらうブリスコの地元・フロリダにも行き
ブリスコの後ろ盾だったエディ・グラハム(後に新日と提携)か売り出そうと
していたベビー転向直後のダスティ・ローデスと対戦している。
ローデスはヒールから転向したばかりで、ブリスコに貸しを作ることになる
馬場は、このグラハム期待のローデスの引き立て役をおおせつかった。
この時の馬場のフロリダでの試合はすべてローデスとの対戦で、馬場は
悪役マネージャーのゲーリー・ハート、ヒールのパク・ソン、マスクマンの
コリアン・アサシン(ストロング小林)と「韓国ヒール軍団」を組み、悪の連携で
ローデスのベビーぷりを盛り立てていた。
(ローデスとのシングルも韓国軍団が乱入しての反則負け)
馬場がベビーのローデスのことをグチグチ言っていたのは、この時に
屈辱的な役回りをさせられた怨みだ!とか馬場信者なら言いそうw >>861
いや、ドリーからブリスコにNWA王者が移る時
その中間に入ったレイス(73年5月〜7月)が
つなぎのヒール王者だろ? タイガー服部の語るダスティ・ローデス
「とにかくお祭り好きで、あの頃から日本の車に乗ってたよ。いつも俺に
会うと「日本車サイコー!」って言ってた(笑)。
すごいスピードも出してたけどね。マイアミからタンパまで250マイル。
普通は5時間以上かかるけど、ダスティは3時間くらいで行っちゃう(笑)。
マイアミにキーウエストってキューバに近いリゾート地があって、2カ月に
一回そこの球場場で試合をするんだけど、ある時、ダスティがなかなか来ない。
みんな「メインイベンターが来ない!」って心配してたら、ヘリコプターで
やって来て、そのままリングに下りて試合してた(笑)。すごいことやるなあって
思ったよ。観客は知らないし、プロモーターも知らなかったんだから。
来るまではみんなイライラしてたけど、結果的にはお客さんを大熱狂させた。
で、試合終わったらそのままヘリコプターで帰っていった(笑)。
トンパチなんてもんじゃない。多分、一部のブッカーは知ってたんだと思うん
だけど、そういう演出がよく似合ったよ。
晩年はよく政治家の応援演説もやってた。たしかブッシュの弟と仲もいいし。
人間的な大きさ、人を驚かすパフォーマーぶりとかで彼の右に出る選手は
いないと思う。日本だと特にいないだろうね。日本人とは気質が合わない
感じはわかる。派手すぎるのか、日本の風土には合わないよ。
だからレスリングのうまい選手は彼とやりたがらなかった。
エネルギー吸い取られちゃうから。
スピーチもそうだし、あそこまでの人は出てこないと思う。
向こうではダスティがリングに上がるだけで泣いてるお客さん、いっぱい
いたんだよね。」 >>867
だから「ヒールの間で正統派ベビーが一定期間ベルトを巻いて歓呼を浴びる」
というケリーやリッキーにつながるベビー王者の系譜を切り開いたパイオニアが
ローデスだった、っていうこと。
ドリーもテリーもレイスもヒール王者だったし、ブリスコがちょっと例外的だけど
もともとAWA時代のレイスも場所によってベビーとヒールを演じ分けるタイプ
だったからね。
絶対的ベビーがエリアを回って、どこでも歓迎されるって、1950年代前半以降
めったにない光景だったはず。 >>806
おかしかったのがローラン・ボックで、確か来日時のギャラが週1万ドル
(ひょっとしたら12000ドル?)
当時ローデスと並ぶ最高額で、ハンセンやシン、アンドレよりも上
なんでかと言ったら1978年のドイツの「イノキ・ツアー」が大赤字になって
本来猪木に支払われるはずだったギャラが未払いのままだったので、
「ボックが来日した際に支払われるギャラから、もともと猪木に支払われる
はずだった金額を天引きする」という契約だった。
要するに新日がもらうはずだった未払いの金額分を日本で働いて返せ、
武士の情けで額面上の金額は高く設定してやるから全額返済までとっとと
働け、ということだったんだな
で、元日決戦で借金完済したら、ボックを嫌っていた猪木がとっとと放り出したと
当時の「週刊ファイト」にはこんな情報が平気で載っていたんだからなあ
凄い新聞だったw >>868
ヤバい、さっきまで「吉幾三説」に納得していたのに疑念が出てきたw
やっぱり日本人にイメージが被る人物はいなさそうですね。
スーパースター繋がりで沢田研二?
全然関係ないけど「ロッキー羽田」ってキャッチフレーズが和製アメリカンドリームだっけ?
名前からして映画ロッキーからからなんだなろうけど。
ローデスと全然イメージ違うな、と思たったら痩せる前は結構髪型が似てたりしたw >>813
当時のローデスの扱いは確かに不思議な部分はあったものの、
今になって「不人気で新日にも使い潰された」なんていう無知丸出しの
トンデモ都市伝説が流れるとは思いませんわなあ
当時人気だった「キン肉マン」で「ローデス」がやたら大きな扱いだったんだけど
http://blog-imgs-78.fc2.com/t/a/i/tairanaritoshi/20150613024108a50.jpg
これは全日大好き・新日嫌いだった作者(藤波の決め技だったジャパニーズ・
レッグロールを「拷問技・痛め技」と勘違いしていた描いてしまっていたほど新日の
試合に無知だった)が、NWA王者だったローデスにだけは敬意を払わざるを得ない
苦渋の扱いだったのが見ていておかしかった
(そのローデスが漫画初登場の試合でボコボコにしていたデクノ棒が「ハルク・
ドーガン」で、天下のNWA王者に比べたら新日が押してるホーガンなんてクズだ!
と作品でウサ晴らしをしていたのが、数年後にはそのホーガンを「ネプチューンマン」
として売り出さなければならない惨めさには笑ったものだったけど、ゆでたまごは
人気投票に合わせて話を作る、子供ダマしで商売して何が悪い、と胸を張ってた)
「モデルは、実在のプロレスラーダスティー・ローデス。「ダスティー」を「ダーティー」と
勘違いした当時の担当者が「ダーティー」の反語「ビューティー」と名づけたと作者の一人
嶋田氏が語っている。
その後、ジャンヌ・スティムボードとジ・エンペラーズを結成し、アメリカ超人界統一を
目的とする全米タッグ選手権に出場した。
アニメ版では実在のレスラー名を使うのはまずいと判断されたのか、ビューティー・
ロローデスと名前を変更された。」
https://image01.seesaawiki.jp/n/c/nkforpc/c3fa66a065a48098.gif >>871
血統や家柄・代々の家系を重んじたがる日本の場合「成り上がり」って
いいイメージを持たれないし、「成りあがった後も貧しかった昔を忘れないで
質素・謙虚に」なんていう生き方がもてはやされるけど、アメリカの場合は
成り上がったらそこらの家柄のいい奴らよりももっと派手に豪華な生活を
見せつける、っていうのが素直に賞賛され憧れの対象になってるんだね
成り上がりの鉄鋼王バンダービルトが幼い娘にプレゼントした豪華な別荘が
一般公開されてるんだけど、むかしそこを案内してくれた現地の方が
「アメリカ人は何もない所から努力して地位を得た人間に素直に拍手を送る」
と言われてハッとしたのを憶えている ドイツのイノキツアーが記録的な大赤字って猪木じゃ客が入らなかったってことだから
猪木にも責任はあるだろ ローデスに対して嫌味たらたらな文章を書いている人が、新日マットでの
「カリスマ」(プロレスアルバムの言葉)・ローデスの人気を
「NWAに挑戦できなくて悔しがっていた新日信者が、どうだ新日にだって
NWAの大物が来るんだぞ!と優越感と劣等感の入り混じった感情から
意地になって声援を送っていた」
なんていう、当時を知る人間からしたら「???」としか思えない奇々怪々な
「分析」をすることがあるんだけど、>>872で書いたみたいな、全日信者だった
ゆでたまごの愛想入り混じった苦しさが伝わってくるみたいな態度を見ていると
「意地になって」いるのは全日信者なんじゃないかという気がしてしまう
馬場がローデスを認めていなかった!なんていうコメントにしがみつくのも、
「バカなファンがアメリカのスーパースターだと有り難がっただけ」「裸の王様
を賞賛していた小市民」などと錯乱しているのも、日本でのローデス人気を
認められなくて、なんとか自分の中で理屈をつけようとした血のにじむような
辻褄合わせの結果なんだろうなとしか思えなくなってきたw
だいたいアメリカンプロレス直輸入にこだわっていた馬場が、NWA総本山の
ローデスみたいなスタイルをバカにするはずがないと思うんだけどねえw >>874
だからと言ってあらかじめ契約したギャラを足掛け五年も
未払いにしていた言い訳にはならんだろw >>856
>新日だって売り出そうとしたレロイ・ブラウンとかパテラ、ブラボー、ビリー・ジャックなんか印象に残せなかったし
売り出しの企画が単発的というが中途半端というか、
“とりあえずやってみたけどなんかもう思ったほどじゃないし面倒くさいからいいや”
って印象。 ビリー・ジャックなんか全く売り出してないだろ。
テレビで見た記憶ないぞ。 なんだかんだ言って、特にプロレスファンでもなかっただろう50代のおっさんには、バッドニュース・アレンとダスティ・ローデスの知名度はかなりある。 >>868
そのタイガー服部本、俺もちょっと立ち読みしたが
ローデスのレスリングについては、「覚えていない」とか
遠慮がちだが、あまり評価していない、あくまでスピーチを含めた
パフォーマーという表現だったと思うが?
>ダスティがリングに上がるだけで泣いてるお客さん、いっぱい
いたんだよね。」
アメリカでは、それくらい熱狂的なファンはいるだろよ。
日本だってS学会のI田や、Kの科学のO川と言った教祖様を見たら
信者は泣いて感激する。
それはそれで構わん。
初めてその教祖様の演説霊言を聞いて感動して入信する人も
別にいたって構わんよ。
そこまでは許容範囲だ。
俺が本当にバカだと思うのは、
日本では、ローデスはそんなスピーチもしていない。
宗教で言えば、説法もしていないのに、
盲目的に、「アメリカンドリームだ!」とか言って
崇めていた新日ファンだよ。
O川R法の霊言を読んで信じるなら、まだ良い。
O川さんは、霊言が出来る、と聞いてだけで信じるようなもの。
ローデスを評価している日本のファンは本当にバカ!
恥かしい!人間のクズ。生きている資格がない!
ここまで言えば、もう分かっただろうな!
反論しても、バカを更新するだけだ。 まあ、とにかくあんたがダスティ・ローデスが嫌いで新日が有り難がって何度も厚待遇で呼んだ事実が気に入らないってことはよくわかったからもう書き込まなくてもいいよ。 >>872
その回はホーガン初来日くらいの頃で「新日が押してるホーガン」ってほどではないぞ
しかも同じ回でローデスはシャネルマンにボコられたし「敬意を払わざるを得ない」とは思わなかったな 全日スレでも書いたけど、小泉悦治の「史論 ― 力道山道場三羽烏」買ってきた。
ぬるい小佐野の鶴田本(笑)などとは比べ物にならない濃密さ。
特に大木金太郎に関する部分はまさに息をもつかせぬ面白さ。
ただし1964年2月17日、遠征中の馬場が飛び入りのようにサンマルチノに挑戦した
MSGのタイトル戦(その前後三か月、MSGではドクター・ジェリー・グレアムが
サンマルチノに連続挑戦していた)についてGスピリッツ40号の雑誌連載では
「試合の方は、サンマルチノがカナディアン・バックブリーカーで勝利した。
再戦・再々戦が予定されていない以上、初戦で結着が付けられたということだ。
なお、この試合が3本勝負で、2本目がニューヨーク市の条例により午後11時に
打ち切りになったというのは日本向けのストーリーである。」
と通説を否定していたのに、単行本ではなぜか
「試合の方は3本勝負で行われ、1本目はサンマルチノがカナディアン・バック
ブリーカーで先取、2本目の最中にニューヨーク市条例(午後11時以降の興行は禁止)
で試合はストップになった。」
と以前の通説に逆戻りしたのは、何か新しいデータが見つかったせいだろうか。 >>883
ホーガンは来日最初のTVマッチでストロング小林を秒殺、
翌週の放送では早くも猪木とシングルマッチ、
その翌週はバックランドとシングルマッチ、
四週目の放送ではアンドレ戦に乱入してハンセンを勝たせ、
2か月後の8月にはニューヨークシェイ・スタジアムの試合で
アンドレをボディスラムで投げるシーンが放送されている。
ちょうと一年前、上田馬之助に圧勝しその後もアンドレとやり合う
シーンが何度も放送されて派手に売り出されたハンセンと全く同じ
「未来の外国人エース」路線だったのはほぼ確実と思っていたなあ。
だからキン肉マンのそのシーンを雑誌連載で見た時も、
「絶対に将来売り出されるホーガンをこんな扱いして大丈夫なのかな」
と思ったのをはっきり覚えてるものね。
まあ前に書いたように、新日の試合をろくに見ていなかったとしか思えない
ゆでたまごがどこまでホーガンの扱いを認識していたかは分からないけどw
当時スレーターと並ぶテリーの舎弟で「未来のNWA王者」と言われていた
テッド・デビアスがホーガンのMSGデビュー戦で噛ませ犬にされたのは
聞いていた可能性があるかもしれないと思う。 キン肉マンのアメリカ遠征編は1980年頃だったのでまだNWA幻想が残っていたから
NWA至上主義的な表現が漫画であったのは分からないことはない
ただ全日と新日の関係でいうとその年は新日の年間試合数が最高に増えたのと比較して
全日は前年に土曜夕方に放送時間が変更されるなど低迷して明らかに新日の方が
人気があるのがハッキリしてきた頃だった ゆでたまごは元々全日派
テリーの大ファンだったからね
なぜかジャンプのプロレス漫画はリッキー台風も全日寄りだった
力王岩の息子のリッキーは全日留学生
ライバルのナルシス(カール・ゴッチの弟子で新日留学生)は
キザ男でリッキーに負けたら出て来なくなった 昭和30年代初頭〜中頃生まれ迄は馬場でプロレスファンになった人の方が多かっただろうから
全日好きが多いというのも理解はできる
日プロ時代の馬場がナンバーワンで猪木がナンバーツーを見て育ってきた世代だし >>885
この回は7月発売の1980年33号
ニューヨークシェイ・スタジアムの試合が出てくるのはおかしいね
でシャネルマンにボコられた噛ませ扱いなのに「ローデスにだけは敬意を払わざるを得ない扱い」なの? 「ダスティ・ローデス」だからよかった
今となるとダスティ・ローズじゃテッド・デビアシぐらい違和感がある >>889
必死に森から目を背けて木だけを見ようとして、相手の話を全く
聞こうとしない生き物に何を話しても無駄なようですねw
>>882
リッキー台風の話になるといつも書いちゃうんだけど、同じ時期に
マガジンの「1・2の三四郎」もプロレスラーになって、プロの試合の
描写があるんだけど、フォールしてカウントになると、「三四郎」は
だいたい3カウントを2コマで描ききっている。
三四郎が抑え込むとタイガー服部とキムドクを合わせたみたいな
レフェリーが同じコマで「ワンッ!」次のコマで「ツー!スリィッ!」
もしくは「ワン!ツー!」次のコマで「スリー!」
いっぽうリッキー台風ではジョー樋口風のレフェリーがある場面で
1 相手選手が押さえ込んで「フォールだ!」
2 レフェリー、ハッ!と気づく
3 レフェリー、タタタと駆け寄る
4 フォールされている選手のそばに伏せる
5 カウント「ワン!」
6 押さえられている側の表情
7 カウント「ツー!」
8 抑えられている側「うおおっ!」
9 レフェリー「スリ…」
10 跳ね返す
と(今単行本がなく記憶だけなのでイイカゲンですが)カウントに10コマ程度
1ページ半くらい使っていて、漫画家の画風と言うより全日と新日のテンポの
違いだなあと思ったものでしたw
>>886
そう言えば超人オリンピックのチャンピオンベルトも
当時のNWA世界ヘビーを模したデザインで描かれてたな >>891
で、何が気に入らないわけ
ローデス本人?
呼んだ新日本?
礼賛報道したマスコミ?
それを真に受けた当時のファン? プロレスアルバムとかキン肉マンとか懐かしの話題が!
さすがローデス。
そもそもローデスはプロレスファンの由緒正しき正史wであるプロレススーパースター列伝にも
アンドレ編で特別参加してましたね。
>>852
タイガーマスクの出現と来日時期はダブっているけど、維新軍以降はあまり来日してないから
この辺りがカギですかね。最終来日ぐらいで初めて見た方は「ローデス?」って感じなんでしょうね。
で、「俺は維新軍の頃から見てるプロレスファンだ。でもローデスなんて知らん。新日の外人といえばホーガンだよ」
」ってことですかね。
>>872
今回の流れは凄かったですよ。
「ローデスって日本で人気あったの?そうは思えないんだけど」という質問に→「ローデスなんて人気ないよ」→「いや、人気あったよ(私、当時の雑誌記事添付)」
→「ローデスに人気があるわけない、新日では使い捨てだ!」と発狂したのでこちらのスレに誘導、
そしてこちらでもさらに発狂という流れ。
>>873
確かに日本では「成り上がり」は悪い言葉になってますね。「あの人成り上がりだから」←誉め言葉じゃないですから。
東京や関西の高級住宅地と言われるところでは、売却物件が出ても住民による買い手の審査があり、
お金があるだけでは住めないですからね。ミスターGの長嶋茂雄でさえ審査を受けたとか受けなかったとか。
どちらがいいとは一概に言えないですが、文化は全然違いますね。
だからと言って今回のローデスに親を殺された人の言ってることはアメリカと日本の文化とか全然関係ないですけど。 しかし、なんでローデスで
こんなに盛り上がっているの?
あんな色物というか
気持ち悪いデブのブ男で? 思い出した
プロレスアルバム
バックランド、鶴田、スレーター、ドリーまで買って
確か次がローデスでそこから買うのやめた >>885
ホーガンはカジ先生のタイガーマスク2世で3流ジョバー並みの扱いでタイガーマスク2世にフォールされてる 既出の話だったらごめんなさい
平成15年3月 ベースボールマガジン社発行
猪木と星野のビッシビシ伝説
26ページに日本プロレスの集合写真が掲載されているのですが
中央に写っているレスラー?がデカイ!
馬場より2回りデカイ
多分アンドレより大きい。。。。
この人どんな経歴をお持ちなのですか?
造詣深い皆様にお尋ねしたいです >>893
ゴー!ゴー!ローデス!
尻振れ!ローデス!
ゴー!ゴー!ローデス!
ぐるぐるパンチ!
スーパースター!
アメリカンドリーム
ローデス!マンセー!!
あんた893(やくざ)だな!www まぁハッキリ言えるのは
ローデスファンってホモで
変態で生きる資格のない
クズだということ。 >>898
同じく梶原作品の悪役ブルースでホーガンは2度出番があるんだけど
1度目は主人公の師匠のミスター0にKO寸前まで追い込まれてハンセンに救出されるかませ役
2度目は佐山タイガーの友人として登場し、悪役主人公の邪魔をする厄介な存在(ベビー側から見たら頼もしい助っ人)
日本マットでの立ち位置に準じて扱いが変わるキン肉マンと似たような展開になった >>830
亡くなった人を執拗に貶め続けるのは猪木信者特有の異常性だと思う
悪役レスラーの飼い犬をイジメ殺したときからなにも成長していない >>830
> 昔は猪木信者が「狂信的」の代表
猪木が俺のファンには俺ですらゾッとすることがあると言うくらいだし
悪役レスラーの飼い犬イジメ殺したら猪木が頭ナデナデしてくれるとでも思ったか
本当に気持ち悪い >>871
そこはたぶんローデスに対する認識というよりは
どちらかというと吉幾三や千昌夫といった人達に対する
イメージや視線の違いの方がむしろ大きいのではとw
“世界一の権力者”であるアメリカ大統領が
大統領専用ヘリから颯爽と降りてきても
それがJFKやレーガンやブッシュ(Sr)なのと
ブッシュ(Jr)やトランプなのでは
同じように熱狂的な支持者に囲まれていても
なんか微妙に空気が違うというか…w
ローデスと(例えば)ホーガンとかへの支持の違いというのは
ホーガンやジュリーやJFKは支持者にとって憧れのヒーロー、リーダー、偶像なのに対して
ローデスや吉幾三やトランプに対する支持には
現在どれだけ立派で成功してて大金持ちの大立者でもひと皮剥くと
「こいつも俺らと同じ田舎者」とか「俺たちと同じ(というか俺たち以下の)アホw」みたいな
わかりやすさやシンパシーがある
(そのシンパシーが本当かどうかはまた別の話
〜トランプだってああ見えて規律の厳しい全寮制の陸軍士官学校出だったりする
まあドラ息子だったのでそこに放り込んだってことらしいけどw)
そしてそれは“大衆の支持を得る”という意味ではどちらも極めて効果的な演出
そこでの差はどちらのキャラが合ってるか、どちらのキャラを選ぶかという違いでしかないわけで…
だって親子にも拘らずブッシュ(Sr)とブッシュ(Jr)への視線の違いなんて、…ねぇw 猪木信者って言葉があるけど、
俺が見てた頃はどっちかっていうと全日のファンの方が信者感強かった気がする。
馬場に与えられたものを盲信的にありがたがって受け取るる。みたいな
新日ファンは阪神ファンみたいに文句言ったり猪木を馬鹿にしたりしながら、それでも毎回見てたイメージ
阪神ファンもそんな感じで信者だから、一応信者ではあるのか… 馬場に暴言吐くような全日ファンはいないけど
猪木ふざけんな馬鹿は猪木信者の日常の挨拶みたいなもんだよな ラッシャーの家に投石とか卵投げてるような基地外がいるのは信者以上だろ 俺も猪木ファン(信者?)と阪神ファンは似てると思う。
猪木や阪神の的を射た批判をすると喧嘩腰の口調になるところとか。
ただ昭和の弱い頃のファンと星野監督で優勝した頃からのファンでは気質が違う。
後者は阪神を馬鹿にすることはないし猪木ファンが猪木を馬鹿にするなんてない。 >>907
それは平成の「馬場さん全日」のファンだろ
昭和全日ファンは馬場の失敗ムーヴをよく笑ってたぞw 新日本ファンがドラゴンリングインとか小錦の弟とかを暖かく見てるのに似てる
猪木信者とそれ以外って感じ?猪木信者じゃないからわからんけど プロレスの客ってレスラーがちょっと足を滑らせただけで
容赦なく笑うよね
いたたまれなくなるのは俺だけか >>911 さんへ
899です
有難うございました! 韓国で背の高い人 Top 10
https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=showme9093&logNo=221427731600&categoryNo=1&proxyReferer=https:%2F%2Fwww.google.com%2F >>905
うーんまた吉幾三説に傾いてしまうw
ホーガンとローデスの違い
JFKとトランプ
ジュリーと吉幾三
ここまではなんとかいけそうなんですが、
日本のレスラーに例えることが出来ないのが、喉に魚の骨が刺さった状態というか、もどかしいです。
猪木と・・・
力道山とイテテの遠藤か?違うな。
やっぱりローデスは難しい。
ブッシュ(Jr)も突き抜けてましたね。
発言(失言)語録も出版されていたような。
アメリカン・ジョークもブッシュ(Jr)専用枠とかあった感じだし。
「アメリカ大統領w」って感じで薄笑いしながら傍観してたら、大統領と首相の違いはあれど
日本の鳩山氏に「ホンモノ」の貫録を見せていただいて、言葉も出なくなりましたがw >>912
そうそう。
馬場が温かい視線で見られ出したのは3000試合
突破イベントでガニアとやった後くらいからかな。 活かされなかった外人といえば力抜山
マシン2号やめたあと前座のジョバーはもったいなかった >>920
素顔でもトペやったことあるのかな?
見てみたかった 状況的にみて2号が力抜山なのはすぐにわかったけど、あのコンコルドトペは力抜山のイメージからかけ離れていたから驚いたし、2号としても力抜山としてももっとできたんじゃないかとは思うな。 猪木とのシングルであのトペやってたら、試合後に大目玉喰らってたろうな 猪木の延髄2連発をカウント2で返した凄い奴 力抜山(マシン2号で) 力抜山のインタビューとか読んでみたかったな…どんな人間なのかリング上以外わからなかった >>919
その辺りの馬場への温かい視線は
アルバム「16文」のリリースに始まって
“ボクにも弾けた!”のCMや「たまにはオレもエンターテイナー」の出版といった
日テレサイドの仕掛けが上手い事行っていた感があるね今思い返すと
それ以前からイーデス・ハンソンと後もう1人名前忘れたけど馬場ファンのタレントを中心とした
[馬場さん=イイ人]的な雰囲気造りはあったけど >>920
イルミネーションリーグに出場していなかったっけ?
ザ・ジャガーとか?? >>925
紙プロで一回やったよ
平田さんはいい人
マシン3号と4号の正体は分からない
プロレスの約束事について聞かれるのがいちばん嫌なこと
>>923
猪木さんがトペ怖がって避けたから膝を大怪我して飛べなくなって
重厚なファイトスタイルに変えた
でも猪木さんはいい人だって
>>929
ザ・ジャガーはSWS行った大矢じゃないの > イルミネーションリーグ
意味不明な企画だったな
ザ・ジャガーとザ・タイガーも >>931
平田にとっていやがらせみたいなメンツだな
にぎやかしにもならねえ >>918
JANEがまた落ちて整理していたスレの記録がみんな消えてしまい、さすがに
一昨日は心が折れそうになった(笑)
気を取り直して、ローデスの「凄さ」を初めて感じたのが某誌のグラビアで
WWWF王者時代のビリー・グラハムと相対した試合のカラー写真
憎々しい顔で力比べを誘うグラハムに対して、ローデスが全く眼中にない、
という態度でモンローウォークでその周囲を回り歩いている場面だった
正直まだまだ生真面目だった日本、特に新日ファンの感覚では、絶対に
試合中にありえないようなシーンなんだけど、両者のオーラ、スターとしての
貫禄がビンビン伝わってくる一枚で、これはもうアメリカっていうショービジネスの
世界の中で生まれ育った文化の狂い咲きなんだと納得するしかなかった
↓その写真の試合かどうかわからないけれど、南部の人間をバカにするのが
定番のニューヨーカーがローデスに熱狂しているMSGのタイトルマッチ
https://www.youtube.com/watch?v=WqGxsj3l830 力抜山といったらボディスラムでカード・アングルの首破壊 >>930
>猪木さんがトペ怖がって避けたから膝を大怪我して飛べなくなって
一応やったんか…しかも躱されて大ケガ、猪木は自分勝手だなぁ トペ避けるとかマジで危ない
チキンアゴお化けはマジでクズだな マシン2号だとほぼ毎週テレビに出てたけど、力抜山に戻ったら前田戦の1回しか登場しなかったな… >>936
ワールドでも見られる東京体育館のシングルでやったんだがカメラが捉えてないんだよね 力抜山のビジュアルに問題があったのなら、マスクマン(マシン以外の)にすれば良かったのに >>939
前田戦はマット・ボーンの代打だから、本来はテレビに出ないはずだった。 >>941
大型の髭面は中堅ヒールでいけたと思うんだが、当時の新日はどこかの軍団に属していないと上で使われなかったから難しい。
戸口とくっつける発想はなかったのかな? 86年正月シリーズの記事で力抜山は藤原らUWFの間接技に対応出来ず泣き叫びパートナーの荒川にも檄を入れられたなど酷い扱いの内容があった… 正月シリーズはリーグ戦のみの登場だけじゃなかっけ? >>947
一ヶ月のシリーズでそれだけじゃ出す意味ないでしょ
猪木でさえ大阪城ホールでUWFとタッグで対戦してるのに https://pbs.twimg.com/media/DjbHe0VU4AAwY0Z.jpg
大正生まれの祖母は一緒にプロレス見てても馬場が一番強い、馬場が本気出したら猪木なんか屁みたいなものって
よく言ってたから60年代の日本プロレスの馬場さんって凄かったんだろうと思う。
でも全日本で馬場がハンセンに完敗した時は祖母は酷く落ち込んでしまって、
あれからプロレスを見なくなった。 板橋事件の志村高校跡に芸能事務所あるけど所属にタイガーマスクの主題歌歌手いる >>934
試合見ました。
これ今のプロレスファンでローデスを知らないひとが見たら「?」でしょうね。
で、このローデスが日本に来たとしたら人気が出るわけない、と考えるのも普通でしょう。
でも実際は違った。ではその理由は?と考えながら試合を見たんだけど、
やっぱり答えが見つからないw
ただローデス=吉幾三説はやはりいい感じで、
みんなリクエストして「有線大賞」を受賞するレベルというのはわかる。試合を見ればわかる。
でもローデスは「歌謡大賞」とか「レコード大賞」を獲るレベルになった。
もちろんアメリカでも賛否両論あったと思いますが、獲れるだけの位置にいたのは間違いない。
日本では「雪国」とか「酒よ」とかのアクセントがアウトローズ時代の荒くれファイトとか、
「実は喧嘩が強いという噂」が該当するのかな?それであのスタイルでも新日ファンに
一目置かれたとか。もちろん認めない人もいたけれど。
MGSの動画を見た後に、B・ブロディとの試合も見たんだけど、普通にニードロップと
ダイビングエルボーで一本づつ取り合ってたし。タフですね。
まあ結論が出ないんですが、なんか「国際プロレススレ」にローデスの話題が飛び火してたんだけど、
「ローデスに勝つG草津批判」になってて笑った。 ブロディ引き抜いたのは前年年末タッグリーグでアンドレが動けなくなってたからだな
バンディ、ヒギンズも悪くなかったが
あと俊二がいい なんでハリケーンズに? >>949
新刊の「史論―力道山道場三羽烏」で書かれてるね。
最初の海外遠征から一時帰国してコワルスキー、
オコーナーと名勝負を演じた馬場について
「上半身が出来上がった」若々しい馬場の写真ともども
http://get.secret.jp/pt/file/1591025727.jpg
「マットの魔術師と呼ばれたオコーナーとグラウンドで
スピーディーに、そして五分に渡り合うのである。
これがこの時期の馬場なのだ。
胸板も十分に厚い。
後年『細腕繁盛記』と言われた体型、スローモーな動きの
記憶は棚上げしていただきたい。
帰国した馬場が見せたものは『大きいもの同士が戦う
プロレス』である。つまり力道山の『小さい日本人が大きい
外国人を倒していくプロレス』とは異なる試合を魅せたことに
なる。この頃から馬場全盛時代は始まっていたと私は思う。」
とベタ褒めしてる。 >>953
力道山の動画見てから馬場見ると良く分かる 昔の映像見なくても
馬場か後年みたいなノロノロガリガリだったら
幹部が豪遊できるほど日プロが儲かるわけないんだから
まともな知能があればわかることだよなw 新日のスレで馬場の話が続くのはおかしいだろ、逆もまた然りだし。 >>955
うわぁーしゅごーい
あたまよいでしゅね >>951
ローデスの魅力がわからないのは今の感覚だからだよ。
あの頃は携帯もないし、インターネットも発達してない、週休2日も浸透してない、テレビも制約も少なく皆楽しみにしてる、などまだまだたくさん違う。
今の価値観とあの頃の価値観は全く違うのだからあの頃の人気のあるものの価値はわからないよ。
違う例えだと年配の人が若者の流行についていけないのと一緒。 >>951
今のファンがローデスを見て
魅力がないと感じるのは当然。
また、当時のファンだって
>>958みたいなバカばかりではないので
くれぐれもオールドファン=昔の人間を
軽蔑しないように!
良識ある当時のファンは、盲目的に
ローデスを応援していたファンを
本当にバカにしていた。
プロレスファンの恥だと思っていたんだからね。 このローデスに親を殺された狂人の逆恨みはあと3年くらい開陳され続けるのかな
79年の世間の盛り上がりに対して20年以上怨念を抱え続けているストーカーだから
死ぬまでこのままなのかも 失礼、「79年の世間の盛り上がりに対して2020年の今に至るまで40年以上怨念を
抱え続けているストーカー」だったね
昔腹を立てたことを楽しく振り返れば良いのにねえ
元猪木信者とか国際のファンとかが猪木や草津の話題を笑って楽しんでるのに対して
この呪詛怨念のパワーはいったい何が起因動因なんだろうか
知りたくもないけどw でも、正直なところNWAを獲っ(て転落く)た直後のローデス新日参戦に興奮したのは間違いない。 動いているカリスマ・ローデスの映像とか見たことがなかったからなあ
ゴングとかで海外の試合を報じた怪しい雰囲気の写真とか見てもピンと来なかったし
ローデスとレイスのMSG対決がワールドプロレスリングで放映されたのは翌年元日
1980.01.01放送 新春プロレススペシャル・MSG特別5大タイトルマッチ
(1979.12.17 ニューヨークMSG)
WWFヘビー級王座決定戦 ボブ・バックランド vs ボビー・ダンカン
NWA世界ヘビー級選手権 ハリー・レイス vs ダスティー・ローデス
NWA北米タッグ選手権 坂口征二&長州力 vs バッドニュース・アレン&ジョジョ・アンドリュース
WWFジュニアヘビー級選手権 藤波辰巳 vs ジョニー・リベラ
NWFヘビー級選手権 アントニオ猪木 vs アイアン・シーク ローデスのアメリカンドリームもガキの俺には意味わかんなかったが、
もっと混乱したのは和製アメリカンドリームのロッキー羽田だったな。
ガキの俺の頭は完全にショートした。 いや、別に俺はローデスに
親を殺されたわけではないが、、
それよりもう40年、洗脳が解けていない
オッサンってどういう頭の構造をしているんだ?
本当に理解不能www >>963
ワープロやプロレス雑誌ではそう報じたが
実際は
WWFヘビー級選手権 ボブ・バックランド vs ボビー・ダンカン
WWFマーシャルアーツ選手権 アントニオ猪木 vs アイアン・シーク
だったな
バジリのリングネームがアイアンシークとハッサンアラブのどっちかだったか
覚えてない
翌年新日に来た時は確かにアイアンシークだったが >>967
今出先で動画や写真も確認できないんだが、シークは当時日本のマスコミでも
「グレート・ハッサン・ザ・アラブ」扱いだったはず。
タイトルについては一応当日のWWFのパンフレットでも「NWFヘビー級選手権」という
ことになっていた。(例のシェイ・スタジアムのラリー・シャープ戦も一応試合前に
NWFタイトル戦であるというアナウンスはされて、しかし勝ち名乗りの時には
「WWFマーシャルアーツ王者アントニオ・イノキ」とコールする灰色ぶりだったけど)
当日のMSG定期戦は「ナイト・オブ・チャンピオンズ」というタイトルで、全10試合のうち
7試合がタイトルマッチというムチャなラインナップだから出来たことだったのかもしれない。
坂口長州までMSGに上げる大盤振る舞いをビンスがしてくれたのは、猪木を王者として
マットに上げるという新間の希望を蹴らざるを得なかったことの埋め合わせだったのかも。
↓この記録だと「NWF World Heavyweight Title�Match」になってるけどw
https://www.cagematch.net/?id=1&nr=27824
World Wrestling Federation Madison Square Garden 17.12.1979
Singles Match Larry Zbyszko�defeatsBulldog Brower(4:43)
NWA North American Tag Team Title�Match
Riki Choshu&�Seiji Sakaguchi(c) defeatAllen Coage&Joe Joe Andrews(9:44)
Singles Match Mike Graham�defeatsJohnny Rodz(5:03)
Singles Match Hulk Hogan(w/Freddie Blassie) defeats�Ted DiBiase�by referee's decision (11:12)
WWF Heavyweight Title�Texas Death Match
Bob Backlund(w/Arnold Skaaland) (c) defeatsBobby Duncum(w/Captain Lou Albano) (17:18)
NWF World Heavyweight Title�Match Antonio Inoki(c) defeatsHussein Arab(14:59)
NWA World Heavyweight Title�Match Harley Race(c) defeatsDusty Rhodes�by referee's decision (13:21)
WWF Intercontinental Title�Match Pat Patterson(c) defeatsDominic DeNucci(6:31)
WWF Junior Heavyweight Title�Match Tatsumi Fujinami(c) defeatsJohnny Rivera(10:17)
WWF Tag Team Title�Match Ivan Putski&�Tito Santana(c) defeat�Swede Hanson&�Victor Rivera(6:57) >>958
どちらかというと「当時の価値観の日本」でもローデスの魅力がわからない、というか、
なぜローデスが人気あったのか、という難題を、私のほか、主にリアルタイムであの頃を過ごした方々
とあれこれいっております。
今に比べたら娯楽が少ないといっても、なんであんなデブが、っていう素朴な疑問。
このスレと同時にローデスの話題も終わると思うけど、いろいろ面白かったですよ。
>>961
最近、国際スレの草津ネタがツボってるところに、ローデスまで絡んで大満足でした。(ついでに誤爆までしました)
>>962
ローデスの2回目の戴冠はちょっと興奮しましたねw ええぇ新日来れるのか?全日か?って。 >>967
これが当日のMSGのパンフレットらしい
WWFヘビー、インタコンチ、ジュニア以外のシングルタイトルとして
NWA、NWFのタイトルが公然とアナウンスされていた
http://get.secret.jp/pt/file/1591102779.jpg
http://get.secret.jp/pt/file/1591102500.jpg
シークとの試合のグラビア
http://get.secret.jp/pt/file/1591103619.png
この頃はまだ「グレート・ハッサン・ザ・アラブ」表記。
しかしテレ朝は試合の時点から「アイアン・シーク」と呼んでいる。
この後シークに改名する予定でも知っていたのだろうか?
https://www.youtube.com/watch?v=2Ea7RtFvYmc ほぼ同時期にThe アイアン・シークというリングネームも使ってるからなんら
不思議でもないだろ。 >>972
世界の文字を外す事でNWAに加入した体なのに、WWF選手権に堂々とワールドって >>974
ワールドレスリングフェデレーションヘビー級って書いてないか? >>959
958なのだが俺は一言もローデスが好きで声援をおくったなんて言ってないぞ。
ローデスを応援していたファンをバカにしていたプロレスファンこそプロレスファンの恥だ。 >>949 >>953
何でこのスレに馬場信者がいるんだ? >>977
メアド交換してともだ友達なれよ
夜通し語り合えそうだぞ >>981
おまえ、そんなことを
書いて、恥かしくないのか?
おまえ、青葉さんに
「私にもガソリンを掛けて殺してください」
と頼めよ。
それくらい、人間のクズだよ。 国際でロシモフとタッグ組んでたな、Michelle Nador >>983
そう、お前はクズwww
自己紹介追加かwww >>982
その日は見にいった
ナドールのサインボールを取ったわ
坂口が欠場になってカードが長州vsボック 猪木vsアレンに変更になった ミッシェル・ナドール(マイケル・ネイダー)は、ロシモフ時代のアンドレと組んで
国際プロのIWA世界タッグを獲っているよ >>988
ジミースヌーカカッコいいな
彼も全日の方が水があってたけど >>988
ジャパンが抜けた後に、マシン・ヒロが抜けた? ゴッチに誘われて新日から旧Uに移籍した木戸、実際はどうだったんだろ >>988
そこそこいいメンバーの割にスカスカのポスターだな。 スヌーカは新日登場した頃にはブヨブヨで背も縮んでしまった印象だったからな
ムキムキで髭生やしたワイルドな風貌でバックランドと抗争していた頃に新日に上がって藤波と対戦していたら盛り上がっただろうな
少なくともオートンよりはWWFインターの挑戦者としてはマッチしていたと思う 藤波は名勝負製造機なんて呼ばれていたけどそれは日本人限定
外人相手には凡戦やグダグダ試合も多い、スヌーカ同様全日から移籍してきた
リッキー相手の試合も酷いモノだった、アレは藤波にも責任がある >>994
藤波とリッキーが一緒だったのは90年の横アリだけで、その日藤波は越中とのエキシビションだぞ
あと寝屋川のチャボ戦は名勝負だろ 藤波はマードックとは割と良かったな、体格差大きいのにな。 リッキーじゃなくてケリーと間違ってるんじゃないの? >>994
十把一絡げに
「日本人限定」と言うのは流石に乱暴過ぎるわ
単発的に凡戦があったとしても
それが全てみたいに決めつけるのはどうなのかねぇ
ベイダーにしたって当初は傍若無人に暴れ回るだけの印象だったけど
試合らしい試合に纏めてみせたのは飛龍革命時の藤波が最初だったじゃないの えっリッキー?って思ったけど
他の人の指摘通りケリーと間違えているんだろうな
引き抜き合戦の時に新間が狙っていたらしいがスヌーカと同じように旬な時に新日に上がっていたら
ヘビー転向した後の藤波とは体格的にも合っていたしライバルとして盛り上げていたかも このスレッドは1000を超えました。
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