【スティーブ・ライト】昭和の新日本プロレス37【トニー・セント・クレアー】
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>>1
新スレ立て御苦労な。
またこっちにもぉバンバンカキコってもぉちゃるかんな。
昭和プロレスはぁ新日も全日もぉ最高だったぞぇ。
ネタが尽きんっちゅう感じだかんな。
まぁ80年代後半の新日はぁ冬の時代でぇかなりぃ悲惨だったがぁー。
しかしぃそれを乗り越えたっちゅうのもぉ評価されるべきだぞぇ。
80年代後半だとぉ猪木がやる気なくしてもぉたっちゅうイメージが強いがぁー。
そんでぇ適当なアングル連発してもぉて逆効果にぃー。
しかしぃそんな中でもぉ崩壊せずにぃ何とかぁ存続する事がでけた。
放送も打ち切られずにぃ放送を続ける事もでけた。
視聴率はぁ最盛期と比較すっとかなりぃ落ちてもぉたがなぁ。 >>4
精神異常者は書きこみはできなくなったから
ご苦労ちゃんキッチーくんwww 全日から新日に持ち込まれた技と言えばハル薗田のスライディングキックか。
小林邦昭が持ち込んだんだよね。
>>7
おんどれは釣りか?
訴訟敗北者クン(笑)
キミ達もぉ取り敢えずぅここもバンバンカキコっちゃれよ。
特にぃ昭和の新日中心だかんな。
流れでぇ全日やぁ平成新日は構わんぞぇ。
とにかくぅバンバンカキコればぁ盛り上がるかんな。
いいかぁ、荒らしはぁホットケ ーキのお邪魔“無視”だかんな。
そいからぁ大体970位んなったらぁ誰かまた新たにスレ立てろな。
そしてぇそれをしっかりとぉここにぃ貼れよ。
まぁ昭和新日でもぉかなりぃ古い話でもいいぞぉ。
キミ達の知っちょる知識をバンバンカキコれぇ。
それとぉレスに対してはぁ【>>○○】っちゅうにカキコれよ。
そぉせんとわからんバワイもぉあっちゃるかんな。
そぉゆぅ配慮忘れんなよ。
わかったなぁ? >>8
パワーボム初披露はテリー・ゴディだが、新日本で初めてパワーボムを使ったのは誰かな? >>10
ゴディにパワーボムを伝授したのが、原型パワーボムのルー・テーズ
それを含めるならモンスターマン戦の猪木かな
現在の形のパワーボムなら意外に木村健悟とか? スレタイ、「トニー・セント・クレアー」なんだ?
「トニー・セントクレアー」かと思ってた。 >>8
のど輪落とし(チョークスラム)も全日が先なんじゃないか
元祖は輪島スペシャルか 前スレ引っ張っちゃうけど、猪木の延髄のベスト受け手って誰になるかね
好みで言えばフルタイムの藤波のアレなんだけど タイガーvsライトは確かに名勝負だったけど、試合中に技がかかった状態なのに互いが握手する場面がちょっと嫌だった トニーセントクレアーは金髪のハゲかかった地味な外人ってイメージしかないな パワーボムて昔はスタンプホールドとして新日の若手とかやってたよね? >>10
テーズが新日マットで(ゴッチみたいに)若手とエキシビションを
やっていたら、力道山を失神させたリバーススラム(投げっぱなし
パワーボム)を見せてくれたかもしれないな
>>15
坂口がアグアヨに使っていた純正チョークスラムは、たぶん輪島より
早かったんじゃないかな >>10
猪木のパワーボムは第三回MSGシリーズ公式戦で
藤波にも見舞ってるね
お優しい落とし方で、藤波はすぐフォールを
跳ね返してしまったけど ブロディが新日に再復帰してまた年末シリーズボイコットしたのは翌年に長州達が新日に戻って来る事知ったからでは?
全日で長州をやりたい放題した仕返しが怖くてシリーズをボイコットした!
上記は自分なりの新説だがあり得ないかな? >>10
昔の新日前座で、パワーボムは多用されていたはず。逆さまにして、エビ固めにする技。 木村健悟は阿修羅原が公開練習で披露した雪崩れ式ブレーンバスターをパクって先に実戦で使用した掟破りなニクイ奴。 国際時代のラッシャー木村がSTFを使っていた画像があったりするから
全試合チェックしないと誰が先駆かなんてわからないね >>21
蝶野とのエキシビションでリバーススラム未遂があったな ピート・ロバーツはけっこう全日にも上がってたから新日限定のレスラーのイメージがない。 昭和新日本参戦回数はセントクレアー>ロバーツ>ライトだが
ロバーツがUWFに行った後の85年からセントクレアーは年2回呼ばれるようになった >>23
木下富美子都議会議員がグラビアを出して爆発的に売れる程あり得ない >>10
木戸修が1974年には使っていた。
あんなに大きく相手を持ち上げなかったが、
そのままフォールに持ち込んでいた。
当時は「パイルドライバー」と呼ばれていたが、
後付けで「木戸ボム」とも呼ばれている。 >>27
たしかに昭和52年の月刊プロレスのモノクロ面に、木村が単なる繋ぎ技として使ってる写真があった。もちろんSTFなどというコジャレた名前などなしw >>24 >>35
それゴディがパワーボムを初披露した時週プロのコラムで触れられてた
初期の新日の前座試合ではテーズ式パイルが多用されていたって
健悟なんかはその当時から使っていたのかも
ちなみにゴディの初来日前は新倉がよくフィニッシュに使用していたけど
パワーボム=ゴディのイメージが強くなってからはあまり見せなくなったね 1983年の正月後楽園興行は1日2日夜開催の連戦
そして初めて2日3日昼開催の全日本と2日のみ重なったんだけど
2日の興行は、全日本の試合前に既に新日本の立見席の列が出来てたって本当? NWAインターJr戦では藤波とスティーブ・カーンが
アキレス腱固めの掛け合いやってたからな セントクレアーは誰とでも組まされてたな
ケビンと組んでたのも今となっては意外なチーム >>41
上田と組んで武藤・荒川とやったなんて典型か こういういわゆるジョバーだったけどシュートは強いって選手はいないのかな?
ジョバーではなかったけどマーク・ロコとかどうなんだろ?
アレンがぁ便利屋として扱われてもぉたんはぁ勿体なかったぞぇ。
アレン実力あってプロレスっちゅうもんがわかっちょったかんな。
しかもぉ仕事がでけて。
まぁ実際にゃあアレンのバワイはぁ最高の二番手っちゅう立場だったけどぉ。
しかもぉトップでも使える二番手っちゅうにぃー。
まぁ何ちゅうか 本中華 冷やし中華の季節は終わってもぉたぞぇ。
まぁ何ちゅうかアレンはぁブロディみたいなぁプライドはなかったんだなぁ。
自分の扱いに不満を抱くっちゅうのがぁー。
しかしぃアレンこそぉそぉゆぅ扱いに不満を抱くべきだったっちゅうに思うんよぉー。
仕事でける人間の意見ならぁ聞くだろぉしぃー。
そんでもぉアレンはぁそぉゆぅ面は真面目っちゅうか律儀だったんだなぁ。 セントクレアーはブッチャーとシングルやって地獄突きからの毒針エルポーの餌食になるとこ見たかったな
判官贔屓でもっと人気が出たかもしれない 大宮でヒロのWWFジュニアに挑戦したのがピークの印象
レフェリーもホッジだったし 86年2月 大阪城ホールのカード
藤波、木村対ケビン、ケリー
前田対藤原
猪木、山田対木戸、高田
坂口、ナガサキ対マッドマックス
コブラ、星野、越中対ブラックタイガー、セントクレア、スコルピオ
荒川対マンテル
小杉対ミラー
後藤、橋本対力抜山、金秀洪
キャット対佐野
藤波組がタッグ王座初防衛
前田が謎のギブアップ負け
山田が猪木のパートナーに大抜擢
荒川がマンテルにフェンスアウト負け >>48
この日観に行ってたけど猪木のタッグしか盛り上がらなかった!前田対藤原も会場がデカイのでグラウンドの攻防になると静まりかえった上に結末が分かりづらく盛り上がりに欠けた!エリック兄弟も全く良さ出なかったね!
この頃はぁ前田とエリック兄弟を上手く絡ませる事がでければなぁ。
こぉゆぅ異色対決もぉプロレスの醍醐味だかんな。
しかしぃ双方を活かす事がでけなかったっちゅうのぁ勿体なかったぞぇ。
でもぉ前田はぁやっぱりぃプロレスがでけなかったんかぃな?
蹴りや関節技とクローだとぉ噛み合わなかったんかもなぁ。
実際にゃあ対戦はしょるかんな。
前田と外人の対決っちゅうのもぉ興味深かったしぃー。
でもぉ前田も長州同様でぇ外人とはぁ噛み合わなかったっちゅうイメージだがぁ。
前田のバワイはぁアンドレ戦で価値を揚げたかんな。
あん時ゃあ前田の強さを演出する事がでけた。
長州にゃあ外人相手にぃそぉゆぅのがなかったぞぇ。
前田はあの試合がぁ当時はかなりぃ評価されたかんな。 エリック兄弟は大概はベビーフェイスだったろうから日本では難しかったかな、
普通にガンガンとヒールっぽくやってた方が日本では受け入れられやすいな。
父親は偉大なヒールだったけど。 前にもレスしたけどエリック兄弟は日本側に組み込んじゃえば良かったんだよね
エリック兄弟とブッチャーが重ならなかったのが返す返すも残念
猪木エリック兄弟対ブッチャーアレンSDジョーンズとか見たかった
エリック兄弟対ブッチャーアレンでも良いけど トニー・セントクレアーの名があったので思い出したけど、
会場で買う闘魂スペシャル(パンフ)の対戦カードのスタンプが
「トニー・シンクレア」となっていたんだけど、
これ単なる誤植だったのかね?
あと昭和63年の冬のシリーズの会場に
「やっぱりトニーだ!」と書かれた謎の応援幕があった気がする。 >>28
失敗した後、蝶野が「もういいだろ」と合図送ってSTF 。 >>52
ケリーは馬場と6人タッグ組んだし、ケビンは猪木と組んだからね。ベビーフェイス扱いの方が良かったかも。
藤波も木村も受けに回る事が多いから、エリック兄弟とは噛み合わない。 猪木とケビンがタッグチーム組んだけど必然性がないと野合だと思われるな。 過去の結果見ると面白いな
全日なんてあんなガラガラの大阪府立で6800人とか発表してるし最強タッグとかになると地方の会場でも5000人前後の発表が多い
本当は1000人ちょっとぐらいしか入ってないはずなのにw >>57
NWA 王者経験者が3人の超豪華トリオ。
ケリーのせいで豪華に見えないが。 >>8
渕の低空ドロップキック
ダニー・クロファットのカナディアンロッキーバスター ダニークロファットと言えばストロングマシン3号見たかった 80年代のケロ
「トニーセント〜〜…クレ〜〜ア〜〜!!」
90年代のケロ
「トニ〜…セントクレア〜!」
区切る位置が違ってた(笑) >>62
一時期ファイプロで橋本がモデルのキャラが装備してたなカナディアンロッキーバスター
本物が使うのはついぞ見たことがなかったが 久しぶりに猪木対ボック観たらボックの地元で対テーズや対ブロディ観たかったな! >>67
若手時代やったことなかったっけ?
海外修行前のショートトランクス時代の橋本が使ったことあったような記憶が。 >>19 >>46
キャッチの方では実力者なんだよな。
西村とやってから知った 88年の札幌だったっけ?
「まずは、トニーだ!」という横断幕が掲げられてたの >>48
翌日の両国国技館
猪木vs藤原
藤波vsケリー
木村vsケビン
越中vsコブラ
坂口、ナガサキ、星野vsマッドマックス、マンテル
小杉、山田vsブラックタイガー、スコルピオ
蝶野vsセントクレア
荒川、後藤vs力抜山、金
橋本vs野上
猪木が藤原を絞め落とした直後に前田が乱入して猪木の顎にハイキック
越中がコブラに勝ち初代IWGPJr.ヘビー級王者に
小杉が逆さ抑え込みでスコルピオンにフォール勝ち
当日券は1万円の特別リングサイド席のみ販売だったが完売 >>72
見に行ったわ
タイトルマッチ宣言でえつなかしろうと呼ばれてたな >>72
藤原の絞め落とされた時の顔が素晴らしかったな
Uが来てもぉ最初しか話題にならんかったみたいだかんな。
Uん中で猪木への挑戦者決定リーグ戦で藤原がぁー代表にぃ。
そんでその藤原が猪木に破れてもぉた。
こんで終わってもぉたっちゅう見方だったかんな。
後はぁ猪木と前田のシングルっちゅう。
しかしぃそれは結果的にゃ行われずにぃー。
U参戦もぉ最初の話題だけだったかんな。
そいからぁUはプロレスがでけなかったっちゅう。
前田自体がプロレスでけなかったっちゅうのが痛かったぞぇ。
寧ろぉ藤原の方がプロレスでけたかんな。
でもぉ前田絡みはぁそれなりにぃ注目されちょった。
猪木とのシングルもぉ伸ばし伸ばしでもぉ期待はされちょったしぃー。
U参戦がぁ起爆剤にならんかったのぁ新日の誤算らしいけどもぉ。 V6の年上組が20th Centuryでトニセンとか略されてたのは、
トニー・セントクレアー知ってる人がいい出したんじゃないかと勝手に思ってる ジュニア時代は白だったな
寺西と被るから黒にしたのかな >>67
橋本真也が「カミカゼ!」て叫んでやったのに実況が「カナディアンロッキーバスター!」と言ってた キムケンは維震軍の時の
赤のロングタイツはダサかったな…
あの時やけに格上げされて強かったけど >>11
モンスターマン戦のアレは失敗技 坂口も
「練習でも見た事ない アレはバックブリーカーに
持ち上げようとして途中で諦めたんじゃないかな」
日本初は猪木である事は間違いない
卍固め開発前の必殺技が定まって無かった時で
テーズ式のハイアングルでフォール決めてる テーズが力道山にやってたろ、多少パイルドライバー寄りだったけど。 DDTは日本人初が天龍でデットリードライバーテンリュー
と雑誌か漫画で見た覚えある 次が橋本かな? パワーボムにしろチョークスラムにしろ昔からある技でもカッコいい名前付けたやつが勝ちだなw >>78
蔵前で寺西とシングルでやった時もアベック白だったろ テーズの投げっぱなしパワーボムはエゲツなくて初めて見た時びっくりしたなあ
その勢いで当時プロレスゲーム闘魂烈伝なんかのオリキャラでテーズ作って、
ペガサスのワイルドボムをフィニッシュ技にしたものだった
(弱小相手のタイトル防衛戦ではコレで秒殺しまくったw) >>86
列伝でも描写されてたね。誰編のどの話か覚えてないけど。プロスタだったかな? >>60
ケリーといえばミズーリ州ヘビー級王者。
なんかやたら強調されてた覚えがあって売り出し中の天龍が挑戦した試合が土曜5時半に…
昭和の新日スレでした。ゴメン >>87
DDTもねぇ、、天龍がやる前に
新日でブラック・キャットが第3〜4試合目に
つなぎ技でやっていたんだよ。
私は、昔、猪木がフィニッシュに使った
アントニオドライバー(フロントネックチャンスリードロップ)の
腰砕け版か?と思った。
キャットが出しても、観客は全然わかなかったけれどね ジェイク・ロバーツのDDTを超える美しいDDTは他にはないな。 >>97
国際プロレスに来ていた頃はパッとしなかったのに、WWFであんな売れっ子になるとは。 >>72
前日の大阪城ホール観に行ってた自分からしたら東京のプロレスファンが羨ましかった!あと猪木対藤原はセコンドの藤波と前田がいい味出してたね! 平成だけどジェイクロバーツが新日に来た時は嬉しかったな
もっと売り出して欲しかったけどプライベートで問題あったんだっけ? 日米レスリングサミットで、ビッグボスマンへのDDTを生で見れたのは良かった。 93年の橋本対ジェイクロバーツはDDT対決とか言われていたけど塩試合だった記憶
武藤や蝶野との絡みの方が相性は良さそうだった >>100
デビュー4年目のルーキーだったからな。 テーズが力道山にやったのハワイだったか。
>>85
悪い、勘違いしてた🙇 何だかんだでDDTを日本に定着させたのはスパイビーな気がする。
元祖のロバーツは流行しはじめたころ日本来てないし、天龍のは実質顔面砕きで所謂DDTとはちょっと違うしね。 そもそも天龍はDDT多用してないし必殺技でもなかった
スパイビーは完全にフィニッシュホールドとして拘りを持っていた デンジャラスドライバーテンリュウじゃなかったっけ? ジェイクロバーツって国際プロレスに来た記憶があるんだけど…勘違いかな >>102
大人の事情でしょぼい蛇しか持ち込めなかった >>111
wikiに国際参戦時のこと書いてるね
白塗りのペイントレスラー時代もあったとか >>111
>>100-105で書いてあるのに、人の書き込みは読まないの? >>102
ドラッグ中毒とSEX依存症
特にSEXに関しては女2、3人と一緒にやらないと気が済まないぐらいの重症だった 昔の試合動画視てて、アジアン・テローズのゴリアスかゴールドマンのどっちかわからんけど、綺麗なDDT出しててビックリしたことある。
首持って相手の左腋辺りに腕入れる橋本タイプのやつ。
昭和52年頃。 >>115
親父のグリズリー・ジェイク・スミスが、それどころではない異常な性癖だった。
何と、ロバーツの母親の母親とデートをしていて、当時12歳だった母親の部屋に忍び込み
レイプして妊娠させたのがジェイク・ロバーツ。
それ以降も娘達(ロバーツの姉妹)もレイプして、どうにもならなかった。
https://www.reddit.com/r/SquaredCircle/comments/lawlmw/jake_the_snake_roberts_my_mother_was_12_year_old/ DDTは殺虫剤の意味と記載もあるけど
正確はベトナム戦争での枯葉剤 空中散布をイメージしてるから コーナーポストからの雪雪崩式が正当らしい
日本だとやはり天龍が初? >>13
ケロのコールが
「トニーセントー!クレアー!」
だったから逆だと思ってた。 >>72
タッグマッチ少なくして、無理矢理9試合組んだのが窺える >>122
66で書いたが
ケロも後になって直した トニーセントクレアー、顔立ちがあごが小さく女顔。
K1のスタンザマンみたいな感じ。
女顔といえばトムプリチャードもだ、81年新春シリーズに来た。
クリスアダムスとコンビを組んでいた。
まあおれはノン毛なので掘りたいとは思わないがなっ! 結構古くから来日していたよな。猪木&坂口&小林vsループ&ヘス&セントクレアー
なんてテレビマッチを見た記憶がある。もちろん猪木に取られる役目なんだが。 >>120-121
初代タイガーだと82年1月の東体でキッド相手に使ったのが
明らかにDDTだった
その後の元祖タイガードライバーはDDTというよりは
低空高速フロントネックチャンスリーと表した方が良い投げ方だった >>107
同意。
それまでのデンジェラスドライバーテンリューも知ってはいたけど、
スパイビースパイク(=DDT)は、天龍のそれとはまた別の技だなと思った。 >>103
もう見事なまでに
ボスマンの巨体を「ストン!」と沈めた様は本当に衝撃的だったわ >>131
スパイビースパイクとエースクラッシャーは初めて見た時に衝撃的な技だったな
フランケンシュタイナーもかな >>129
キッド相手のアレは、当時「本物のブレーンバスター」だと思ったなあ
DDTは見せ技だと思えたけど、あの高さから一瞬で頭をマットに突き刺すタイガー脳天は
「いいのか、プロレスでこういうことやって」と青くなった覚えがある
アントニオドライバーは首だけを極めて投げるのがヤバいけど、基本的には弧を描いて
後ろに投げる、純然たる「投げ技」であって、頭をマットに打ちつける技じゃないし
アントニオドライバー
キッドに見せた脳天砕き
タイガードライバー(佐山)
DDT
みんな似てるようで系列が違う気が タイガーのはDDTというよりアントニアドライバーに近いような アントニオドライバーはあくまで腰のバネを使って吊り上げ
ブリッジして投げるスープレックスの系統
佐山ドライバーは足を振り下ろす勢いで自分が転がりながら
相手を放り投げるほぼ「転がし技」で、「フリップ」に近い
キッドに決めた脳天砕きはほとんど力で宙に持ち上げて、
勢いよく脳天から落とす技で、海外のWWEゲームの実況
「ブレンバスターDDT」という呼び方がふさわしい 新日本はケンパテラやジェシーベンチュラ、トニー谷アトラスを活かせなかったよな 「ロバーツ ボスマン」で動画検索すると、危険な動画がたくさん出てくる。
まさに、デンジャラス・動画・たくさん=DDT。 アントニオドライバーか・・
そーいや東京プロレス時代の猪木って66〜7年にかけてほんの1年にも満たない期間だっけか、
日プロ猪木の若獅子どころじゃない、その前の時期だもんな。昭和新日世代の俺の観点でみると
さしずめ凱旋前の藤波(カネックとメヒコで攻防してた頃)がいきなり呼び戻され、団体エースにされたようなもんだろうかなあ。。
でも豊登がいたから集客に関しては問題なかったかもだが、それdも蔵前で1万人近く集めてメインで
ジョニーバレンタインと名勝負を演じた猪木はやっぱあの当時ですでに非凡なレスラーだったのかな・・ >>139
デンジャラスってそっちかwww
「<WWE>1分10秒で様々なDDT!」 もいいな
アンダーテイカーがヨコヅナに見舞った奴や
シャムロックに見舞ったロック様のDDTなんか
いま見直すと新鮮 >>138
最近の技だとプリンスデヴィッドのブラディサンデーが同形かな?
でもタイガーマスクは40年も前にこんな今風の技もやってたんだから凄いな 何年か前に集英社から燃えよ新日本プロレスってDVD出てたけどあれまたやってくれないかな
昔の好カードが観れて嬉しい企画だった
猪木対ボック2試合とも発売されたし >>137
>トニー谷アトラスを活かせなかったよな
ざんす。ざんす。さいざんす! 猪木といえば延髄だけどカンガルーキックも好きだった >>143
WWFジュニア決定リーグ戦は無かったかな 猪木藤波小林対ローデスモラレスパワーズ
バックランド藤波対ローデスハンセン
バックランドローデス対ハンセンホーガン
猪木藤波コブラ対ケビンマンテルブラックタイガー
観たい! プロレスの良いところは昔の試合をDVD化するとけっこう売れるんだよね
「イメージが悪くてスポンサーがつかない」と言われたがそういう点では金になる >>143
予定より延長して続けられた大人気DVDだった。発売されると集英社にリクエストが
殺到した。これのお蔭で特別編のアリ戦のDVDの発売に繋がった。
同時期に他社が発売した馬場のDVDの担当とこのDVDの担当者がラジオにいっしょに
「元子夫人との交渉が大変だった〜」wとか「個人的には全日シリーズが出したくて
第一号はオープンタッグ決勝!」とか語っていた。発売時に数号にライオンマーク
Tシャツの「テレ朝10チャンネルバージョン付き」のお得なセットを藤波&長州等の
新日レスラーが紹介する通販番組があった。
当人が許可を出さないのでカーンと小川の試合が無いのは残念・・・ 猪木vsアリが出た頃に次はオールスター戦、と言われてたけどこっちは解禁されないな >>152
現実的にはオールスターのDVD化は絶対に無理だと思うw
権利関係が複雑すぎるだろう
日テレ、テレ朝、馬場猪木、その他の選手・・ そういやまだ猪木vsアリ解禁が夢だったころ、燃えろ新日本プロレスで発売されないかな、って書いた人に
こんな廉価版DVDで出すわけないだろアホか、みたいに他人を見下すようなヤツもいて不快だったんだが、
発売決まったときはザマァwと思ったなw 細かい話だが場外フェンスが設置されたのって、80年7月のサマーか9月のブラディファイトからだったと思うが、
それ以前のMSGシリーズまでの会場の雰囲気が結構古いというかホント昭和の隔世感があるな。。 猪木対長州最後の蔵前と8,8猪木対藤波とWWFジュニア三つ巴は出して欲しかった!あとDVD出してもテーマ曲差し替えがどうしてもネックになって購買意欲無くしてしまう! >>153
馬場家日テレはもう壊滅したようなものだし、選手個々の契約は買い取られたようなものだろう
アリ戦と同じで今の新日本なら案外簡単なんじゃ
今出しても若いファンは
「ロッキーはねだってどういう人?」
「前田日明どこに出てた?」
とかの反応になりそう
それはそれで面白いかも 今まで待望されていたオールスター戦やドームの新日全日対抗戦も多分一回観たらこんなものか?ってなりそうで怖い! https://pbs.twimg.com/media/Ef8oFDJU8AI-FtK.jpg
初代タイガーマスクはキッドに反則負けした一敗以外全くの敗北なしという無敵設定
それも場外フェンスアウトというタイガーマスクの設定に傷が付かない最大限の配慮 それでいいんだよ
スーパーヒーローがコロコロ負けたらあんなに人気出なかったと思う
オーバーザフェンスの反則負けも偶発的なもので、負けさせるつもりはなかったと思う 燃えよ新日本プロレスには橋本マサ対ビガロパニッシャーダイスモーガンも収録してるんだよね
新日はモーガン売り出したかったのかもしれないけどWWE行って正解だったな
あの顔は日本では受けない 猪木欠場シリーズである意味タイガーがエースだったから「シリーズ中に苦戦して
最終戦のタイトルマッチに向けてファンの危機感を煽る」というエースの役割を
タイガーがこなしたという感じだったな
この試合が7月23日で、翌週の7月30日にはブレット・ハートを乱入しようとした
キッドと同士打ちさせてジャーマンでフォール、翌週放送の8月5日のキッドとの
タイトルマッチはエプロンからトップロープ越しに引っこ抜いたツームストーンで
鼻血を出させたキッドをラウンディングプレスで潰して完勝、週刊ファイトが
「今後何回やってもキッドは勝てない」「もうキッドではライバルにならない」
と切り捨てた圧勝で、小林との日本人対決が浮上するのもやむなしだったかも >>163
アンダーテイカーってWWEスーパースターになってからでもかなり来日してくれたほうのレスラーだと思う アンダーテイカーはマニアツアーの前にも天龍に会うだけの為に来日してたよね。
今思うとみちのくプロレスもよくアンダーテイカー呼べたよね。 モーガンもそうだが、
風車式ロープ首折り弾の使い手があんな大出世するとは・・・ 昨年四月、フォーブス誌がWWEの高年収ランキングのトップ10
としておおよその推定値を発表していたな
ブロック・レスナー: 1000万ドル
ローマン・レインズ: 500万ドル
ランディ・オートン: 410万ドル
セス・ロリンズ: 400万ドル
ベッキー・リンチ: 310万ドル
ブラウン・ストローマン: 190万ドル
ゴールドバーグ: 300万ドル
HHH: 330万ドル
シェイン・マクマホン: 210万ドル
ステファニー・マクマホン: 200万ドル
HHHやステフらの金額には役員報酬(約70万ドル)などの収入含む
(HHHのレスラーとしての報酬は200万ドル強とのこと) >>169はジョン・シナやロンダ・ラウジーなどの活動休止中の
スターを除いたランキングで、スポット参戦のアンダーテイカー
などがいた2017年のランキングはこちら
1位 :ジョン・シナ 1,000万ドル(約10億6000万円)
2位 :ブロック・レスナー 650万ドル(約6億9000万円)
3位 :ロマン・レインズ 430万ドル(約4億5000万円)
4位 :AJスタイルズ 350万ドル(約3億7000万円)
5位 :トリプルH 320万ドル(約3億4000万円)
6位 :ランディ・オートン 290万ドル(約3億1000万円)
7位 :セス・ロリンズ 270万ドル(約2億8000万円)
8位 :アンダーテイカー 250万ドル(約2億6000万円)
9位 :ディーン・アンブローズ 220万ドル(約2億3000万円)
10位:ケビン・オーエンズ 200万ドル(約2億1000万円)
日本のプロ野球とかは税込み金額で、「1億円」と発表
されていても手取りは3500万円、巨人の坂本が「5億」
と発表されていても手取りは1.75億どまりだったけど、
スパスタはどうなんだろう >>168
1981年10月8日 蔵前
●猪木(反則)R木村○
○藤波(ジャーマン)寺西●
●剛(バックフリップ)浜口○
1981年11月5日 蔵前
○猪木(タオル投入)R木村●
○藤波(フェンスアウト)浜口●
○木村健(回転エビ)寺西●
ちなみにこの日の木村・寺西戦は団体対抗戦なのに
第4試合
@○荒川真vs 平田淳二●
A○藤原喜明vs前田明●
Bネグロ・ナバーロ○&エル・テハノ&エル・シグノvsジョージ高野&木戸修&高田伸彦●
C○木村健吾vs寺西勇●
D坂口征二&長州力vsビリー・クラッシャー&スティーブ・トラビス●
E○タイガーマスクvsグラン浜田●
F○藤波辰巳vsアニマル浜口●
G○ディノ・ブラボーvsアブドーラ・ザ・ブッチャー●
H〇アントニオ猪木vsラッシャー木村● https://pbs.twimg.com/media/DVFz1w8V4AApHp5.jpg
ブラックタイガーを踏み台にしてキッドスミスを盛り立てておいて
ミスターヒトのブッキング料をケチったりするから引き抜きされるとは
当時の新日は目先のカネに拘ってビジネスをダメにしているとしか思えない
坂口の判断が完全に間違っていたと モーガンは新日でモーガンペガサスキッド組対ノードザバーバリアンチータキッド組とかモーガンノードザバーバリアン組対ビガロスコットホール組とか結構レアなカードが実現していた
モーガンペガサスキッド組なんてアンダーテイカークリスべノワ組が実現していたと思うとそれこそ燃えよ新日本プロレスに収録して欲しい
テレビマッチじゃないから無理だけど >>172
ヒトの影響力を軽視してたんだろうな
スチュに裏金まで渡してるから安心だって >>172
高田VSベビーフェイスの結果はどうだったんだろ?
キッドVSブラック、キッドVSブレッドとか見たかったな。
小林邦昭と寺西勇はちゃんと試合したんだっけ? キッド対ブラックは地方でウヤムヤに終わらせられたんだよなあ
新日ジュニアから佐山タイガーのイメージを消し、キッド・スミスを
軸にしようとして、ブラックタイガーもフェードアウトさせられた
だからノーTVで、決め技もツームストーン一発というやっつけ結着
タイガー時代を記憶に焼き付けていた人間は「去る」方を選んだろうな
それでいてあっさり全日に去られるんだから、無理やりな潮流交代は
やらない方がいいという教訓みたいなもの 決勝戦が三つ巴になるのは予想外だったな。
この日の蔵前は、前田×健吾がサプライズで実現の後、
藤原×浜口で会場を一気にヒートさせ、
ジュニア三つ巴で熱はピークに。
その後の長州×ホーガンも熱く、
セミの藤波×ラッシャー、メインの猪木×アレンが余熱だった感じ。 ベビーフェイスの星取り、ひどいなあ。メキシカンはあんまり文句いわんのかね カネック「腐るなフェース。オレもだッ!オレもそうだったッ…!」
ちなみに全日のジュニアタッグリーグでもフェースは白星配給係を強いられます タイガーWWFジュニア戴冠時、キッド、ブレット・ハートに続いて防衛戦やってたけど、
完全にベビーフェイスだけ格の違いみたいな扱いになっちゃったな
つかこの時期の戦績見たらノンテレビでエル・ファルコンとばっかりシングルやってたのねタイガー 小林邦昭も結局NWAとWWFは巻くことなく、リーグ戦系では優勝争いに絡むことなく扱いが雑だなと思ったわ そういう意味では、1982年のブラック・タイガーがWWF王座を戴冠した
シリーズは、面白かったな。
WWF王者ブラックとNWA王者タイガーがベルトを巻いて対峙したシーンは
最高だった。 ブラックタイガーの扱いはやっぱ不憫だったなあ
コブラと組ませちゃったり結局員数合わせみたいな扱いになっちゃったのが
しかし二代目、三代目と実力者連なってる名跡だけど皆鬼籍入りか >>172
しかし後のブレット・ハート、高田とコブラ(高野)の立場の逆転ぶりを見ると
考えさせるものがある
プロレスはショーだけどしょっぱい奴がトップに立つことはありえない
それだとショーとしてもつまらない物になってしまう
トップに立つ人間にはそれだけのスキルが必要だって事だな >>166
白使と海援隊繋がりで縁があったのと、ちょうど本国で幼少期に火事で死んだはずの弟ケインが初登場、
掟破りのツームストーンを食らって心身ともに大ダメージ、テイカーが失踪してた頃でタイミングが良かったんだよね >>187
4虎が壊滅的に人気なかったから3代目ブラック・タイガーをベビーターンさせて4虎と金本をヒールにすべきだった >>186
補足すると、このシリーズはグラン浜田とペロ・アグアヨも参戦していて、
蔵前で浜田はアグアヨを破り、UWA世界ミドルとWWFライトヘビーの2冠王に。
タイガーのWWFジュニア、ソントンのNWA世界ジュニアと合わせて、
軽量級チャンピオンカーニバルの様相を呈していた。 今日は沖縄での猪木とシークの対戦日
このシリーズでのシークの全カードを教えてください >>191
もし当初の予定通りに福岡でタイガーとアグアヨの対戦が行われていたらWWFの二階級王者対決になっていたんですね
>>186
二人ともベルトを巻いていたがらダブルっぽいが実際はWWFへの一方挑戦 >>195
アグアヨは浜田に王座を奪われて無冠だったな。
浜田対ブラックのWWFジュニア決定戦が、
浜田のWWF2階級同時制覇のチャンスだった。 >>186
福岡スポーツセンターでブラックタイガー対グラン浜田の王座決定戦にメインが坂口藤波対ブッチャーアレン
ふざけてるのか思ったw 初代タイガー対アグアヨ見たかったな、当初の予定ではこの後のTVマッチは
対ソントン2戦、Bタイガーと最終戦だったので
タイガーのフォール勝ちで1試合で決着だったんだろうけど >>180
キッドとスミスに去られた後ブラックに頼らざるを得なくなったのを考えると皮肉だよな
新たな決定戦もMSGの威光を借りての物となったし >>199
メヒコで実現した時は
一本目がアグアヨのフォール勝ち
二本目がタイガーのリングアウト勝ち
三本目がアグアヨの試合放棄で結果はタイガー勝利だけど、
実質アグアヨの勝ち逃げみたいなもんだよな ドクトルルチャはタイガーとアグアヨが新日で絡まなかった事を嘆いていたが
実現したとしてもタイガーの新日での無敵設定を考えればアグアヨの負け一択
メキシコでは敗北を強いられることも無いんだからむしろ良かったと思うべき 佐山タイガーがブラック相手にラウンディングボディプレスを初公開したときはあまりの凄さに震えた ブラックタイガーは、タイガーマスクが去った時点で一切呼ばれなくなっても不思議じゃないのに、
その後何年も来日し続けたのはやはり実力は高く認められてたんじゃないかな。 >>186
両虎がベルト巻いて対峙するシーンはカッコ良過ぎて痺れた >>203
プロレス嫌いの母親が思わず驚きの声を上げたことが3回あって
そのうちの1つがこの時のラウンディングボディプレスだったわ >>206
自分の父もプロレス嫌いだが鶴田がジャーマンをテリーに決めた場面でテリーの受け身も含めて上手いと言っていた >>181
でもこの頃からTV視聴率が下がりだした。 >>154
猪木・アリ戦のDVDは権利がどこが保有しているのか不明だったがテレ朝と付き合いの
あるアメリカの会社が保有しているのがわかりそこからはとんとん拍子で話が進んだ
とプロレスと全く関係ない雑誌に内幕が載っていた。
>>157
ブシロードは全日のアーカイブスを狙っていてWWEのようにプロレスアーカイブスの
一本化しようと言う野望があるなんて一時、言われていた。 >>204
猪木がブラックタイガーの事認めてるからね >>209
ちょうど発売される頃に、アリがUFCのダナに対してツイッターで「MMAの元祖は俺だろ?」って猪木アリ戦の画像付きで挑発してたね >>204 >>210
素顔のマーク・ロコで参戦した事もあるし、ホーガンと来日が同じ時はレスリングの手ほどきを
担当していたと後年ロコ自身が、インタビューで述べていたな。
新間氏が引退後に夫人同伴で来日したロコに会った際の印象として「絵に描いたような英国紳士」と
評していたそうだから、プロレスの実力・試合運びだけじゃなく人柄も良かったから、引き続きの
オファーがあったんだろうな。 >>203
スリーカウント入った瞬間、バン!とマットをひと叩きしてスクッと立ち上がり人差し指を突き上げるタイガーのカッコ良さったらない
あれが生き恥晒しには見えないんだよなあ
マジソンのキッド戦然り、けっこう仕事楽しんでないか?って ブラックのツームストンの受けもいいんだよな。フィニッシュの一連の動きをほぼ固定カメラで撮ってるのも良い。
馬鹿みたいにハンディカメラにガチャガチャ切り替える映像はホント嫌い >>213
>>203
佐山はイギリスで、ロイヤル・アルバートホールの大舞台で
ロコと大一番ができるのを本当に楽しみにしていたからね
大阪に舞台は移ったけれど、それをダブルタイトルマッチの
最高の形で実現できてそりゃあ嬉しかったろう
つべとかニコニコ動画とかで大坂のブラック戦を見た若い
世代の人たちが
「こんなものが毎週見られていたら、そりゃブームにもなる」
と感嘆してるのを見るととても嬉しい
昔からプロレスを見慣れていた櫻井康雄さんが試合中から
「いや、掛け手も受け手も素晴らしいですね」
(一応真剣勝負と言ってるんだからその表現マズくないか?)
と感に堪えない風に語っていたからね
あれをリアルタイムで見られた我々は本当に幸運だった >>214
> 馬鹿みたいにハンディカメラにガチャガチャ切り替える映像はホント嫌い
ほんと、それでブチ壊された名試合名場面(の中継)がどれだけあったか… 昔はアグアヨじゃなくてアグアイヨ呼びだった記憶がする。 >>150
新日冬の時代にテレ朝関係者が「(数字的には)打ち切りにしてもいいだけどそれだと
DVD等の二次商品の販売に影響が出るから・・・」とコメントがあった。佐山タイガー
のDVDがバカ売れした頃かな?「現在も放映している」と話題性がリンクした上での
関連商品等のアーカイブスも需要ありウルトラやライダーシリーズも全く同じ状況で
再放送だけ続けるよりも「新作を放映している中」での関連商品の売り上げは段違い
らしい。 >>150
プロレスよりメジャーなプロ野球やJリーグの試合映像は結果もわかっていて試合時間
も長いので売れないらしい。わずかに名勝負のダイジェスト版が発売されているけど
プロレスに比べると関連映像商品はで需要が無いらしい。上のふたつのプロスポーツ
プロレスがDVD等の映像の二次使用で圧勝している不思議な所。
F-1も日本人初表彰台の日本GPのビデオがあったけど「早回し」で味気なかった・・・ プロレスは格順がハッキリしていて上位は不透明決着が
当たり前だからな見てりゃ子供でも試合結果は予想できてた
「勝敗ではなく試合内容を重視」が他のプロスポーツファン
との違い だからこそ負けた方が評価が上がったり選手生命が
伸びたりとするからDVDはファンには売れるのよね >>180
>>キッド対ブラックは地方でウヤムヤに終わらせられたんだよなあ
時を越えて、別のキッドとブラックタイガーは伝説に残る試合をする。 広島大会でカーン対藤波が時間切れ引き分けになった事で
ワープロの放送時間がほとんどなくなってしまったので
メインの猪木対アンドレ戦を早く終わらせたら
観客が「テレビの都合で早く終わらせやがって」と暴動を起こしたんだっけ
プロレスが真剣勝負じゃないと客も暗黙の了解で理解していたって事だよな >>171
ありがとう。
健吾も寺西にはきれいに勝たせてくれるんだな >>197
猪木、タイガーマスクが欠場してるので、仕方ない >>221
プロレスのDVDはスポーツと言うより特撮番組のDVD化の方がイメージに近い気がするわ
勝ち負けなんて最初から分かってても内容を見るのも一緒 >>171、>>225
これ(寺西戦)と翌年10周年大田区のSライト戦は健吾の生涯ベストバウト
しかしノーTV >>212
でも、同時に来日してたメキシカン(ウルトラマン?)を虐めてたとかの噂も >>218
対戦時テロップは
アグアーヨ、アグアイヨ、アグアヨの3パターンがあった 古舘はペーロ・アグアイヨって言ってたの覚えてる
雑誌とかの記載はペロ・アグアーヨが多かったかも >>232
ビニー・バレンチノだな
武者修行前の船木に負けたおそらく唯一の外国人(クリスは留学生なので除く 古舘は
ローランド・ボック
保永のぶお
とか気になる言い回しはあったな 厳密なこと言うとエル・カネックはエルが不要で、ただのカネックが正解だとドクトル・ルチャ清水が言ってたかな
文法的におかしいとかで 古舘はアノアロ・アティサノエもアノ・アティサノエと言ってたよね。 >>237
カネック自身も「歴史上の英雄の名前なのでエルは付かない。」と言っていた。 グラン浜田が凱旋帰国した時、古館が実況でエルグラン浜田と言ってたのは何故 ブッチャーが新日登場した頃に古舘は
アブドーラ ザ ブッチャー
ドーラと伸ばして強調してた。
全日だと倉持はアブドラ ザ ブッチャーと普通に言ってた。
これも倉持への対抗意識だったのかな。
それか違いを言い方で表したとか。 2度目の来日の時に同行したエル・ポラコはウルトラマンの用心棒だったと
言われている。 86年3月 岐阜産業会館のカード
猪木、上田対前田、藤原
藤波、木村対ジャッカル、アダムス
後藤対山田
コブラ対高田
木戸、山崎対ジャック、キニスキー
星野対ボーン
越中対イポ
小杉、橋本対力抜山、金秀洪
畑対蝶野
猪木、上田の魅力的なタッグが実現
藤波組はタイトルマッチ2度目の防衛
当初予定はアダムス、ヘルナンデスだった
ヤングライオン杯がコブラ対高田の後に…
山崎がジャックにフォール負け
キニスキー、イポはこのシリーズのみの来日 ジャッカルは当初はジョバーの位置付けだったが、シリーズ後半に
急に格上げした感じだったな。その後、ジェイソン・ザ・テリブル、
バリー・ガスパーとしてそこそこ活躍する。 >>244
全日本でも表記はアブドーラ・ザ・ブッチャー そういう表記や発音の変節は興味深いね。
確かラリアートはハンセンが全日に行ってラリアットに変わった。トッペは正しいメキシコの発音とかでトペになったような…
アグアヨは金曜8時の頃は「ペーロ・アグアイヨ」
ビシャノ3号は「ビジャーノV(スリー)」だったかな。 スキップヤングも、スキッピーヤングって呼んでいたよね。 >>247
ここで来日してたのはジン・キニスキーの次男のニックか
長男のケリー・キニスキーが全日来てたのは覚えてるけど、二人とも若くして引退したようだね >>247
確か前の週の来週放送予定にコブラvs高田がラインナップされてたはずなんだよな
それなのに生中継入る前に試合が終わってしまって丸々放送されなかった >>253
ジュニアヘビー級のファンとしては、コブラ対高田は見たかった。 コブラが逆さ押さえ込みで勝ったけど週プロの記事はコブラをボロクソに書いてたな ザ・コブラはU.W.F.へのキック対策として、骨法に出稽古に出ていた。
その成果が一切出ていないのが情けないな。 いやいや若手の三沢選手を屠ったライガーの浴びせ蹴り
自称最強の高田を実質Koした船木の掌打などから
骨法は決してインチキインチキなどでは >>247
メインでは藤原が猪木に両国大会のリベンジの急所蹴りやったんだっけ?
テレビ生中継にギリ入ってた様な入って無かった様な プロレスとして「骨法を習得したことがこういう技、こういう攻防に
生きています」と見せるエンタメになっていれば良かったんだよ
越中の軸足払いとか、ライガーの掌打連発や浴びせ蹴りみたいに
村松友視が70年代に喝破していたように、プロレスは
「守る」「攻める」「勝つ」
ものじゃなくて、
「守って見せる」「攻めて見せる」「勝って見せる」
ものなんだから
「プロレスや骨法がインチキ」だからコブラがダメなわけじゃあ
ないのは、その同じプロレスの中で、同じ骨法を使った攻防の
中で、観客に訴えられるものを作れなかったダメさ加減を
あげつらわれてるんだから
(思えばライガーは骨法戦法を引退するまで持たせたんだよなあ) 正規軍対維新軍の柔道形式5対5。
入場からの完全映像化してほしい。
YouTubeだったらテーマ曲の版権絡んでこないのかな?
あの試合の浜口のテーマ曲が、日野皓正のトランペットみたいないい感じの曲だったのを覚えてる。
コブラはぁ当初は佐山タイガーのライバルとして登場させる予定だったかんな。
しかもぉヒールとしてだぞぇ。
でもぉ佐山タイガーが突然の引退宣言で引退してもぉたかんな。
そんでぇ急遽コブラをぉ佐山タイガーの後釜にしたんよぉー。
コブラっちゅうかジョージもぉ最初は自分が佐山タイガーのライバルっちゅう頭があった。
ヒールとして佐山タイガーと渡り合うっちゅう気持ちだったぞぇ。
それがいきなりのぉ佐山タイガーの後釜っちゅうにぃー。
そりゃあジョージも気持ちの切り替えが大変だゎな。
しかもぉヒールから一気にスーパーヒーローへの転身だかんな。
そりゃあジョージもぉかなりぃ戸惑ったはずだしぃー。
だからぁコブラとしてあんま発揮でけなかった部分もあっちゃる。 >>263
浜口が、そのMATADORを入場曲にしたのは平成に復帰してからだから、勘違いじゃないかな?
維新軍時代はフリーライドサーファーのはず >>260
何度見ても足の付け根の太ももの部分のように見えるけど藤原自身がが「金的!」と
言っている。猪木は関節がやわらかいので決まらず必死で決めようとしている藤原に逆に
指導する余裕があったとか反則と言われたナックルもちゃんと肘が入っていたとか試合後
の専門誌の写真解説があった。最後の猪木の一連の反則攻撃?キレた前田の喉元へのキック
は二人の対戦を期待させたのに実現しなかったのは残念だった。
>>263
両軍の入場シーンはTV放送は当時のワープロの新・旧のOP曲で会場もTV観戦組も
俄然、盛り上がったけどレンタルを借りたら曲が差し替えられていてがっかりだった。
最近の新日はこの問題をクリアーするために入場曲を自主制作して権利を取得している。
ジョージにはぁコブラ時代初期、設定変更の話を聞きたいぞぇ。
紙プロとかでもぉそれはぁ話してないよな。
佐山タイガーの敵役からぁいきなりのぉ後釜っちゅう流れでぇ。
しかもぉジョージの帰国直前にぃ佐山が素顔公表して引退だかんな。
そんでぇ新日から『お前が佐山タイガーの後釜』っちゅうに言われてもなぁ。
心の準備っちゅうかやっぱぁ厳しいだろぉ。
しかもぉ敵役ヒールから一気に真逆のヒーローにっちゅうのがぁ。
そぉゆぅ時ゃあやっぱりぃヒールの方がやり易いゎなぁ。
寧ろぉコブラが予定通りにぃ佐山タイガーの敵役だった方が発揮でけたかもぉ。
しかしぃジョージがそんだけ割り切って悪に徹する事がでけたかは微妙だけどもぉ。
キッド 小林 ブラックと佐山タイガーのライバルはおったかんな。 >>268
タイガーが引退しなかったら小林タイガー組の構想だったというのは
実際の所どうだったんでしょうか? 荒らしにレスするなよ。荒らしにレスするのも荒らし行為だぞ。 >>247
ダイナミックデュオは見たかったな
クリスアダムスはルックスも良いしプロレスもそこそこだったから新日も売り出したかったんだろうけど酒癖が悪すぎて問題起こしてばっか コブラの骨法修業は週プロのカラーで記事になっていたからな。
秘密の修業ならまだしも、ある意味高田戦への煽りだからな。
但し、これがきっかけで、猪木の浴びせ蹴り、山田、船木の掌底の修得、
武藤のコスチュームにつながった。 サマーナイトフィーバーIN国技館のビデオはロッキーのテーマとか版権曲も一切差し替え無しで収録されていて良かった。 8·8の藤波VS猪木のビデオもレンタルで借りて見たけどテーマ曲差し替えされてなかったな。
差し替える様になったのは90年代からかな? ジョージと骨法の出会いって何がきっかけだったんだろう 藤波のドラゴンスリーパーも骨法の技 ただコッチは習った
訳じゃ無く サンデーで連載してた船木をモデルにした
骨法プロレス漫画が元ネタ 藤波は「漫画は読んでいない」
と言ってたが昔 愛読書はサンデーと言ってたなー >>277
そのずっと前 82年8月国技館バックランドに挑戦した時何度もやった
相手の腕を後ろに決めてくるくる回ってガッチリロックという技がサンデーの男大空にでてた骨法の技
「三角で受けて丸く攻めて四角くおさえる」ってやつ 浴びせ蹴りが1番上手かったのは川田だな
天龍の前転式も面白い >>272
ニューウェーブダッシュの頃には、ダラスではダイナミックデュオは解散しててジノとアダムスで抗争してたかも。
タッグタイトルマッチは俺も期待したけどな。 ドラゴンスリーパーは女子向きの技だな、男がやってると気持ち悪い。
女だと掛けてる方の胸が強調されるから麗しき技。 骨法の堀辺師範は、たけしのスーパージョッキーのガンバルマンズに何度か出ていた。 >>281
タリー・ブランチャードとの元祖ダイナミック・デュオも仲間割れ→抗争の流れだったな
タリーの親父のジョンが独自に世界タイトルを設立したのとほぼ同じ頃の話だ >>275
おっしゃる通り差し替えするようになったのは1990年代からじゃないかな。
8.8のVHS出たのは試合の翌年1989年だと思うけど、このころはまだ差し替えしてなかった。
当時炎のファイターの版権を新日本持ってなかったんだけど。
2000年代になって8.8がDVD化したけど、1990年代後半に新日本が炎のファイター版権買い取ってたから結果的にVHSと同じで差し替えなしだった。
>>267
曲の差し替えもさることながら画質が粗かったよね。
マスターじゃなく家庭用ビデオ素材なんだろうね。 家庭用録画だと
対戦カードテロップやネット局一覧やヒヨコのステレオマークが入ってるよね 骨法ブーム(ブームになってないかもしれんが…)の時に永井豪先生がマガジンで連載していた漫画は
前からまともに骨法の打撃を受けると全身の骨が皮膚を貫いて後ろに飛んでいくとかいうとんでもない漫画だったな >>285
差し替えは格闘衛星 闘強導夢のビデオから >>287
漫画ゴラク版のバイオレンスジャックでは骨法の達人がスラムキング相手に善戦していた
二度目の対決では気でコーティングした斧で戦っていて全然骨法じゃなくなっていたが カルガリーで小林と組んでの試合でコブラはテレビ初登場だったけど、
最初からジュニアでやらせること前提だったんかね
あの上背ならマシンみたいな立場でヘビーでも良かったんじゃないかなって今にして思う
コブラはぁジュニアとして佐山タイガーの敵役予定だったぞぇ。
だからぁジュニアである必要があったかんな。
しかしぃ佐山タイガー引退で急遽コブラが後釜にぃー。
緊急手術みたいなもんだゎなぁ。
ジョージもぉかなりぃ戸惑ったはずだしぃー。
まぁ佐山タイガーの敵役として登場したらどぉだったかぁ?
動きは佐山タイガーに劣ってもぉ見栄えはぁ佐山タイガーよりもいいかんな。
でもぉあれでジュニアっちゅうのもなぁ。
コブラのジョージ 越中 馳と後々にゃヘビーがジュニアだったかんな。
小林は結局はぁジュニアのまんまだったがぁー。
っちゅうか平成維震の頃はぁジュニアもヘビーもない存在だったぞぇ。
っちゅうかジョージのバワイはぁマスク脱いで正解も何もなかったかんな。 1983年のブラディファイトシリーズは、当初はタイガーマスクさよならシリーズ
でもあったが、外国人ジュニア勢はトニー・セントクレアーのみだったので、
小林、寺西との対戦でタイガーマスクを返上し、闘魂シリーズ、MSGタッグを
欠場する予定だったと思われる。
そして、翌年の新春黄金シリーズで、フライング・タイガーとして登場だったかも。 >>277 >>279
ドラゴンスリーパーは昔から欧州マットで使われていた技だと
流智美が週プロの連載で書いてたけどね写真付きで
流の連載ではサソリ固め(トライアングルスコーピオンも含めて)も
古くからある技だと写真を交えて主張していたな ドラゴンスリーパーは実は休み時間のプロレスごっこで俺が開発していたのにw でも、プロレスごっこでレスラーより先に開発した技って絶対あるよな ドラゴンスリーパーはアゴの長い猪木にはガッチリ決まった >>285
テレ朝はベイダー対ハンセン1stもなぜかマスターが無くて視聴者提供の映像を使用している
らしい。 あの時代のプロレス中継はS-VHSで録画してあるけど
ビデオデッキが壊れて捨てたから観れない
カビが生えたテープもあるし 8・8猪木藤波は旅姿七人衆入りの完全版をサムライで再放送してくれて嬉しかった。
DVDでも出て欲しい。 >>299
ビデオテープ修理の業者はググると結構出てくるよ 猪木対藤波に関しては8,8横浜より9,19東京体育館の方が好きやな! 9·19の猪木VS藤波は最後に上田が両者を讃えに来たのが良かったね。
ルーテーズのレフェリーストップで微妙な空気になってたのがあれで救われた。 デッキはヤフオクで数千円で買えるので再生するなり
DVDにダビングするなりしてみたら >>303
テーズも週プロのインタビューで上田のアドリブは誉めてたね!
上田のあるはぁ良かったぞぇ。
あすこからぁ上田は新日側に寄り添う形になったかんな。
翌年にゃあ丁度Uが登場。
そんでぇ上田はぁ新日側としてのぉU迎撃っちゅう立場にぃー。
Uの新日登場はぁ上田に取っちゃあ良かったぞぇ。
Uとの戦いで上田の評価が高まったかんな。
しかもぉ猪木と組んだりしたしぃー。
Uとの戦いで上田の持ち味や真価が発揮されたっちゅうに言われちょった。
上田もぉ新日にUターンした甲斐があっちゃる。
上田が何故全日離脱したんかは今もぉわからんがぁー。
シンと仲間割れ→単独で全日最後の参戦→全日離脱→新日Uターン
っちゅうかぁ上田はぁ3年契約だったんかもなぁ。
81年秋(10月)〜84年秋(10月)迄のぉ。
そんでぇその後は新日にUターンっちゅう流れでぇ。 >>299
俺いつ壊れてもいいようにビデオデッキ3台ストックしてある DVDに焼いて永久保存版を作成するかヤフオクで売らないのかえ? >>299さんのビデオテープを治したら
ご両親がプロレスをしてたりしてね。 8・8横浜は生中継が早々と終わってしまって白けちゃった。やっぱり前日の試合を翌日に放映してほしかった >>302
88年8.8横浜は生観戦したが、同感!
85年9.19の方が決着が付いたことと、まだ猪木の力が残っていた。
8.8は衰えた猪木と、その猪木に勝てない藤波の試合だったよ。 8.8って煽りVTRがえらい長かったけど会場はずっと待ってたの? 85年より欠場して肉体改造してまで挑んだ88年のほうが体調は良かったと思う >>312
2種類位あったよね
確か猪木の過去を振り返るのと飛龍革命〜8.8までのと 関西ではちょうど甲子園の時期で、土曜の藤波vs猪木の放送も当然なくなる予定だったのが珍しく雨天順延になったのでめでたく観ることが出来たんだった >>308
90年の4月から05年ぐらいまで新日、全日、Uインターなどテレビ中継されたのは
ほぼ全て録画保存してるから今さらDVDに焼くのは途方も無いことなのでやるつもりはない
ちなみに闘魂Vやジャイアントサービスが出した全日のビデオも全て持ってる
88、8、8はぁ猪木はぁ長州にフォールされた直後だかんな。
藤波もぉ猪木フォールっちゅう期待感が高しングだったぞぇ。
藤波ファン側からすりゃあシングルでのぉ猪木初フォールに期待っちゅう。
逆にぃ猪木ファン側からしたらぁ心配しちょったろぉかんな。
長州に続いて藤波にもフォールされるんか?っちゅう危機感がぁー。
猪木引退実況は必ずぅ自分がやるっちゅう男の約束果たしちょる古舘が実況でぇ。
ありゃあ猪木引退の空気が凄かったぞぇ。
あん時ゃあ猪木自身もぉガチでぇ引退したかったみたいだかんな。
しかしぃ周りがそれをぉ許さんかったんよぉー。
まぁあの時期にゃあ猪木はぁプロレスへの思いはすっかり覚めちょったかんな。
そんでもぉ猪木引退はぁこの10年後になってもぉたぞぇ。 >>10
’80〜’81年頃の前座で前田が高田にパワーボムで勝った試合2〜3回見たことあるよ。 ここはやはり集英社さんの英断で、『燃えろ!新日本プロレス 2nd season』の刊行を!
そしてそして、その勢いで『輝け!全日本プロレス(仮称)』の刊行も…!! 8・8では猪木がジャイアントスイングやったんだっけ?藤波だったかな? 1988年は新日本がゴールデンタイムを外れて、土曜4時からの放送に変わったと
同時に飛龍革命がスタートした。あまり評価されない飛龍革命だが、三銃士凱旋前の
新日マットを1年間牽引したのはまぎれもなく藤波辰巳。 >>319
これマジでやって欲しい
全日はブッチャーシーク対ワフーフランクヒル観たいw シークが凶器突き立てたままフォールなんだよね、ジョーさんも紙吹雪の清掃に頑張っている。 今久しぶりに燃えよ新日本プロレスの79年12月京都府立藤波対キムケンを観てるけど二人とも20代半ばでビックリした
しっかりプロレスしてるし格好良いなw
キムケンは何も仕掛けて来ないと判っている藤波に対してだけは強気だなw
あと柴田レフェリーは息子とそっくりだね >>324
ありがとう
この時のワフーは本当にカッコ良かった ワフーはブッチャー相手だと凄く映えるね
新日がワフーローデス組対ブッチャーアレンとかやらなかったのは猪木が主役を奪われると考えたのかね
さすがにそれは無いかw >>323
G+加入すればテーマ曲差し替え無しで観れるよ! >>321
俺は評価している。
あのベイダに初めてフォール勝ちしたのはこの時の藤波だし 土曜日の夕方に時間移動してから、ハンディカメラ主体で非常に観づらくなった 全日本でワフーvsブッチャーが発展しなかったのはテリーがイチャモンつけたのかな?俺の茶碗を奪うなと
レイスやデストロイヤーとの遺恨も発展しなかった >>333
80年のジャイアントシリーズだな、ロビンソンもしかり。 >>333
デストロイヤーとの遺恨はまあまあ発展してる。 >>331
名古屋で初めてフォール勝ちしたときあまりの嬉しさにリングサイドに行ってしまったわ 久々にホーガン対ブッチャー観たけど面白いな
ブッチャーは相手を光らせる才能があるね
ホーガンはアンドレ相手だと途端に塩になる
身体はデカイけど不器用だからスーパーヘビーの試合より典型的なヒールの方が相性良いのかも IWGPがまだIWGP構想とかリアルワールドチャンピオンシップとか呼ばれていて、ボックやWWF王者が参加するのが前提の頃の小学校卒業文集を久々に見た。ひと言メッセージが自分だけ「猪木IWGP優勝だ!」で今見返すと本当恥ずかしいw >>338
ホーガンはアンドレ戦がマクマホンに評価されるわけだから
WWFと新日のウケ方は違うんだろうな >>20
本来スタンプホールドはパワーボムのように吊り上げてベアハッグのように締めてギブアップを奪う技
ただ新日の木戸や長州の若手時代やドイツのアクセル・デイターらは、スタンプホールドの体勢から押さえ込む(あくまで押さえ込みであって、パワーボムのように叩きつけるのではない)技をやっていて、それもスタンプホールドと呼ばれていたから、境目が分かりづらいのはある >>332
近年が1番ひどいと思う
ほとんど下からのハンディでしかも画面切り替えばかりでワチャワチャ アンドレは当初はホーガンを虐めてたんだろ、日本で仲良くなったみたいだけど。
それもホーガンがアンドレに気を使ったからだろうな。
アンドレの衰えた時期とホーガンが人気出た時期との兼ね合いもあるからな。 アンドレ戦に関しては言えばハンセンとホーガンでは瞬発力の違いかな?
あとホーガンはアンドレ目の前にすると萎縮してるように見える! >>342
てことはヘラクレス・ローンホークが木戸に決めた例のアレはバックブリーカーの出来損ないでも何でもなく、正調スタンプホールドになるのか ホーガンて試合内容は坂口みたいな印象
ハンセンのような瞬発力が無いから何やってももっさり見える アックスボンバーもどんな技かと期待したら肘を曲げただけのラリアットもどきでズッコケたもんな 82年6月蔵前のアンドレvsホーガンは面白かったよ
後ノーテレビの後楽園でやったシングルもめちゃくちゃ迫力があったわ 冷静な目で見るとホーガンって動きはドタドタしてて跳躍力も無いんだよね
ドタドタしているのがアニメのヒーローっぽくてかえって良かったのかもしれんが ただホーガンは筋肉マン特有の動きの固さ、カクカクした感じがなかった
坂口とホーガン、どっちのジャンピングニーが低いのか ホーガンはデカイけどやられている時の方が絵になった印象
ハンセンやブロディのように攻めている時の強さがあまり感じられなかったな 華麗なる盗人と言われたレッグシザースもバッタバタしてたもんな、ホーガン >>349
翌年のIWGP本戦の試合も良かったな
完全に決まったヒップドロップを返せたのはホーガンしか記憶無い ホーガンは新日で細かいテクニック覚えたと言うけどぎこちなく見えて普通に大雑把なレスリングで良かったと思う!アンドレハンセンブロディはある意味アスリート系だけどホーガンウォリアーズはパフォーマー ホーガンのジャンピングニーは、アックスボンバーよりダメージがありそう。 >>355
全然大雑把じゃなかったけど
他のヘビー級レスラーに比べたら何倍も小技できてたし
WWF所属で日本に参戦しても日本用のスタイルで試合してみせる柔軟さもあった 80年のホーガンと85年ごろのホーガンの動きは全然違う
残念なのはアメリカに専念するようになってからは
相手も大雑把なので元に戻ってしまった >>358
横からだが
.>>355は「大雑把なレスリングをした方が良かったんじゃないか?」
と言っているのであって
ホーガンのレスリングが大雑把だったと言っているのではないと思うぞ。 86年3月 東京体育館のカード
猪木、藤波、木村、星野、上田対前田、藤原、木戸、高田、山崎
後藤対山田
坂口、コブラ対ジャッカル、アダムス
力抜山対ジャック
越中、小杉対ボーン、キニスキー
荒川対イポ
キャット、橋本対金秀洪、蝶野
畑対船木
メインはイリミネーションマッチ
上田が前田に心中仕掛けたのは名シーン
山田がヤングライオン杯優勝
イポが荒川に体固めで敗れる
旧東京体育館最後の試合 スパルタンXで入場の上田か
新日対U勢はやっぱ熱がありましたな >>361
メインはものすごく盛り上がったが、この時は初めてと思われる
選手コールからの入場の演出が観客の心を掴んだな。 >>361
落とされた前田がドン!とマットを叩いた。リアルだったなぁ 前田、藤原の猪木への脇固めがエゲツなかったのを覚えてる 健吾の退場は、ニールキック喰らってゴロゴロ転がって場外に落ちたよな。 力抜山と金は人気ないけど便利なポジションとして扱われてたな >>361
会場で見たけどとにかく入場時の猪木コールが凄かった
まだ前田がリングに入る前から猪木コールだったもん 上田みたいな異質な存在は見ててワクワクした
コブラが入ってもおもしろかったかも 個人的な名シーンは健吾対山崎で、ロープブレイクの山崎を健吾が張り手。
怒った山崎のローキックラッシュを後退してすべてかわす健吾のしたたかさよ。 ビリージャックのガッカリ感すごかったな
来日前は未知の強豪遂に来日みたいな感じだったのに、 >>371
ビリー・ジャックには本当に期待していた。でも新日初参戦がブロディと被ってしまったのが不幸だったのと、その時の最終戦両国での坂口とのシングルマッチでの負け方が酷かった。フルネルソンされた坂口がコーナーポストを蹴ってそのまま後ろに倒れ、下敷きになったジャックがフォール負け。こんなので負けちゃうの?と子供ながらに思った。 割とトンパチというより単におつむが弱かったとかいう話もあったけど、
あの肉体で来日前の雑誌の取り上げ方みたら期待するよなあ
少年院上がりとかエピソードもあったっけ 確か週プロの表紙になったり付録でピンナップもついていなかったか?? >>374
黒い水着を着た日本人女性が
BJに身体を絡めているような写真だった気がする ビリージャックこそ日本側に入れた方が良かったんじゃないかな
猪木ビリージャック組とか何気に見てみたかった
猪木ジャック対ブロディバンディとかありでしょw ビリージャック・ヘインズの海外での動画みると悪くないからな、トム・マギーと
同じで本領発揮出来なかった感じ。 ビリージャック対ブッチャー実現していればビリージャックの需要がもっとあったかも
ブッチャーに血ダルマにされながら強引にフルネルソンに持っていくビリージャックを見たかった 手薄になった日本陣営にビリージャックを入れて、
UWFから猪木を守ってほしかった。なんて妄想 一時期NWA王者候補と言われてフェードアウトしたディック・スレーター、日本では
トンパチだったからと言われてたけど、マリファナ中毒でスケジュールを管理できるのか
プロモーターに不安がられて外されたと佐藤昭雄が言ってたね
マードックも次期NWA王者と言われて久しかったけれど、ある時期プロモーター稼業を
代行した時に、WWWFエリアから派遣されたアンドレらのギャラを誤魔化して
プロモーター連から見限られたんだとか(ビンスシニアはわざわざマードックを
NYに呼びつけ他のレスラーたちを集めた前で叱責したらしい)
やっぱりあちらはプロモーターが基本全てを握ってる世界なんだなあ
まあマードックはそのほとぼりが冷めた頃に改めてNWA王者を打診されても
「面倒くさいからやらない」
と即答したと言われるホンモノだったらしいけどwww >>382
プロレス来なくなって割とすぐに大臣になってるんだな >>361
高田のテーマ曲が何故か聖飢魔IIの魔王凱旋だった
ジャックと豆の木
いやっ、ジャックはぁスター性あったっちゅうにぃ思うちょるぞぇ。
ありゃあ活かしたらぁかなりぃのもんになったかんな。
実際にゃあそぉゆぅ素質があったしぃー。
来日前にゃかなりぃ期待されちょったぞぇ。
そんでぇ待望の初来日でぇ。
まぁ全日だったとしてもぉ同じくぅ活かされんかったっちゅうに思うがぁー。
ライバルがおらんかったっちゅうのが痛いぞぇ。
ライバルがいちゃればぁもぉちったぁ活躍でけただろぉしぃー。
あの年代ならぁ猪木よりもぉ藤波の方がライバルにゃあ相応しかったかんな。
藤波もぉ長州おらん時期だからこそぉジャックとライバル関係にすりゃあ良かったぁ。
ジャックもぉ売り出してもぉてハマればぁいがったっちゅうに思うちょるんよぉー。 ビリージャックが新日に来た翌月のフレアー戦、タイムアップドロー。
https://youtu.be/0-kdeYYhty0 ビリー・ジャック、当時古舘アナが「筋肉の兵隊ヤクザ」と紹介していたのが印象的。 >>336
名古屋レインボーホールだね。
越中-小林がセミ ビリー・ジャックは初来日初戦で高野俊二に1分7秒で勝った試合以外の印象が薄い 古舘「シャクるように持っていった!シャクるように持っていった!」 古舘が蔵前最後の猪木VS長州でサソリに耐える猪木を「闘魂のヤドカリ!闘魂のヤドカリ!」と言ってたのが意味分からなくて印象に残ってる。 若松の地元かどっかの中継で「悪のちり紙交換屋」と例の調子で実況してたら、
さすがにちり紙交換だけは勘弁してくれと若松当人から言われたと古舘が話してたな >>394
帳尻合わせとはいえ、最終的なブリッジは悪くないし、個人的には嫌いじゃないな
哀愁ジャーマンとか落日ジャーマンなどと呼びたい この時期の猪木のジャーマンってのは出す機会もロクになかった時期だよなあ
ほぼこの手の対外人シングル延髄フィニッシュっていうパターン多かったから 1986年はビリージャクの他に藤原とマードックにも
ジャーマンやってるから1年に3回使ってるな 【運営からのお知らせ】
ドキュメンタリー番組「燃える闘魂ラストスタンド〜病床からのメッセージ〜(仮)」が27日(午後8時30分〜9時59分)にNHK・BSプレミアムで放送されます。
元気があれば鼓膜だって破る! アントニオ猪木会長のNY闘魂ビンタ秘話公開 昭和の外人レスラーなんて
ジャーマンを受ける経験なんて一生に一度あるかないかだろうなあ >>394
ありがとう。ビリージャックへのジャーマンは知らなかったわ。
マスクドスーパースターにも決めたことがあったらしいがそれも見てない。 力抜山×ビリー・ジャックは、ジャックの完勝かと思いきや、
ジャックが転倒した際に急所を打ってしまい、首固めで無理やり試合を
終わらせたトホホな展開でジャックの辛勝。 スーパースターは覆面はぎマッチで負けた時に直ぐに顔を隠して子供心にもガッカリしたな
その後の闘魂シリーズにビリークラッシャーで来日した時も情弱だった俺はスーパースターの正体だと気付かなかった 猪木と2度も覆面剥ぎマッチで負けているのに素顔を曝け出すこともなくタオルで
隠してリングを後にしたのは許し難い よく考えたらJAROに訴えられそうなポスターだな。ブッチャーとマードックは出ないし
(ブッチャーはメイン前にマイクアピールだけ登場)、スミルノフは全日に出場だし。 >>405
来日ではないが、1984年のパキスタン遠征でビリー・クラッシャーとして
参戦している。謎の大統領命令で、藤波と長州がタッグを組まされた時の
対戦相手が、クラッシャー&カネック組。 東京ドームの大巨人コンビ初結成は、ジャイアントマシーンとスーパーマシーンの対戦でもあったんだよね。 >>405
実現していたらかなり豪華なメンバーだね クラッシャー&カネック組か・・
新日マットでMスーパー、カネック組の最強マスクマンコンビ結成とか
シングルで最強マスクマン対決とかもっと2人を生かすストーリーなかったかね >>411
何故かあぼーんになっているんだが、たぶんマスクマン●ンビが引っかかるんだな。 プロレス関係のムックで「マスクド・スーパースター来日した時は(維新前の)長州力に完勝するのに
覆面をとってビリー・クラッシャーとして来日すると長州に負けてしまう
覆面のあるなしで格は変化するものなのだ。」 マスクドスーパースターと言えば80年頃にビッグジョンスタッドをスーパースター2号にしてアンドレマリガン組とかと試合していたから新日でもスーパースター1号2号でやれば良かったのにな
スタッドは顔がイマイチで人気が出ないの分かっていたんだから始めからスーパースター2号で良かった >>414
マスクドスーパースターのファンとしてはオンリーワンであって欲しいw バックランドがホーガンにWWF王座を明け渡たす時、繋ぎのレスラーを誰にするかの打ち合わせで
マスクドスーパースターが候補に挙がったとどこかで聞いた事がある
バックランドが拒否してアマレスの実績があるアイアンシークに落ち着いたわけだが >>394
立て直してるにしてもブリッジはさすがだな >>417
このポスターは戸口の扱いがいいな。
坂口よりも大きく写っている。 >>416
実際、ベルトを取ったホーガンのほぼ最初の抗争相手がスーパースターなんだね
当時のプロレスマスコミはあくまで日本マットの価値基準でしか海外マットの流れを
報じなかったから、いま当時の動画を見ると色々目からウロコになる >>407
全面対抗戦はたった三人の参加に完全な看板倒れになり「新間、少し高くないか?」と
猪木は吉原氏に払う提携料の減額を命じた。新日名物の約束違反と後年も言われ続けるも
これじゃしょうがない。それも猪木対木村と言う切り札カードを温存していて新日ブーム
&タイガーブームの追い風もあり興行は新日の勝利。勢いと言うのはやはり凄い!
>>408
スーパースターもパキスタンの下痢地獄に苦しめられた。滞在する高級ホテルに水さえ
危険で古館アナは長州から分けてもらった缶入りウーロン茶で顔を洗い歯を磨く珍妙な
体験をした。そこまで気をつけながら最終日に新日勢にふざけてプールに突き落されて
水を飲んでしまって地獄が始まった・・・ スーパースターがWWFでマシンで活躍した時マリガンもビッグマシーンになってマシン軍団になっていたんだな
失念してたわ >>417
アントンリブまだあったのか、
そしてサンダー杉山後援会は現役退いても長く存在したのか 大量離脱後の闘魂シリーズ最終戦(東京体育館)で流星仮面は英会話教室やってたね 初期の頃ワールドリーグ戦でスーパースター対ニコリボリコフとか新日なりの豪華外人対決が実現したのは観たい
燃えよ新日本プロレスセカンドシーズンで頼むw >>398
最後にフォールを取れたジャーマンが86年の藤原戦だった。
この年マードックに仕掛けたがフォールは奪えず
翌87年は無し。88年は長州、藤波に仕掛けたが失敗に終わっている。
日プロ時代の69年から使い始め、88年まで全33回
フォールを奪えたジャーマンは28回だった。 そういえば猪木は蔵前最後の長州戦でも
長州の首4の字外した後突然ジャーマンやったな。 >>429
猪木のジャーマンにお詳しいようで、、
>全33回フォールを奪えたジャーマンは28回だった
奪えなかったのは5回だが、最初に返したのは
84年8月の長州かな? >>413
ビリー・クラッシャーは長州にはピンフォール負け
した事はないんだけどね。
パキスタン遠征でも。
コロコロ負けまくったと思われがちだけど。
猪木以外には負けていない。 >>433
アックスデモリッションで来日にした時と間違えてるんじゃない?
平成だけどカナディアンジャイアントと組んでた時は完全にジョバー化していてビックリした >>380
トム・マギーはコーナーポストからシューティングスターみたいにバック宙して前に降りたのは凄かったんだが、リングインした後に安達にクルッと手を回して指示されてバック宙するのは猿使いと猿みたいだった
馬場には「下手にプロレスを教えない方がよかった」と言われるし >>434
そうだったっけ?
デモリッションブランド守ってそんな負けてなかったイメージ >>434
最終戦のvs藤波&長州だけジャイアントが負けたんだよね
アックスが負けたのも長州、マサ斎藤、橋本、武藤だからそこまで酷くないけどね
木村にはキッチリ勝ってるし キッドって阿修羅とかタイガーの仇敵としてジュニアヘビーのイメージなんだが、いつのまにかハンセンあたりと互角に
戦うようになってたな。。84年末頃で充分ヘビーだったのかな。 >>438
その頃は立派なヘビーでしたね。
スミスと共に身体ご大きく膨らんで。
でもその後遺症が凄かったけど。
スミスなんか最盛期は130オーバーのスーパーヘビーどったし。
キッドは流石にそこまで増量しなくて。
というか増量したくてもそこまではできなかった、増えなかったみたいどけど。
その後遺症でスミスは早死に、キッドも長年の車椅子生活で後遺症に悩まされて。
キッドも還暦ちょいで亡くなってしまいましたし。 ああ、もうその当時(84年末)でそのくらいだったかね・・
マシン増殖がつまらなくて新日に興味が無くなってた頃d、あまり記憶にないのよ84年頃は。
でそのうち全日でキッドスミスが大手をふて活躍してたから いくら従兄弟とはいえ、スミスがいなかったらキッドのプロレス人生全然違っていたと思う。
ステロイド使うこともなく、あんな体型にならずにジュニアのままだったかもしれない。
もちろんWWFで売れっ子になることもなく、日本のジュニアにずっといてくれたかもね。 >>437
でとアックスになってマサ斎藤にピン取られたのはショックだった
しかも6人タッグかなんかでw キッドはブレッドハートとのコンビの方がしっくり来るな キッドスミスの引き抜きはハンセン以上に腹たったわ!あの時は心底馬場憎んだ(実際はミスターヒトと大塚が主犯なんだけど) >>444
もともとキッドは、新日が国際から引き抜いたんだろ?歴史が繰り返されただけで、怒るのは筋が通らない。 引き抜くタイミングが最悪だった。
ファンの楽しみなんてお構いなしだった 吉原経由で加入した大剛を新日の北米支部長にしたんで
ミスター・ヒトが怒ってキッド、スミスを全日に移籍させたんだよね
ただもしあの引き抜きが無くてもキッド、スミスは後にWWF入りしただろうし
新日とWWFとの提携が切れた後は大剛のブッキングに頼った面もあったから
あの時に大剛を引き入れたのは結果オーライだった気もする 最強タッグに突如参加したブリティッシュ・ブルドッグスだが古参が尊重される全日では得点が伸びず
超獣コンビには完敗、ファンクスとレイスニック組にはリングアウト負け
鶴竜コンビにかろうじて引き分けという惨憺たる結果。何のために参戦したのやら 最強タッグはべつにいいが
シングルの選手としては
全日に行ってからのキッドとスミスはほとんど死んでしまった
アジアタッグ戦線で頑張っても所詮は中堅 藤波がWWFインターの初防衛戦でマスクド・スーパースターに逆さ押さえ込みでフォール勝ちしたよね。
この試合飛龍十番勝負の一つにすれば良かったのに。
飛龍十番勝負は7戦までしか行われず。しかも藤波のフォール勝ちは一試合もなし。
スーパースターはラインナップされなかったのに、ジェシー・ベンチェラはされてたりするんだよな。
やってる途中で長州との抗争がはじまったからフェードアウトしちゃったんだろうけど。 >>449
キッドスミスの移籍に坂口は激怒してたけど馬場はそこまで大物(ブッチャーハンセンクラス)引き抜いたと思ってなかったのでは?ヒトと大塚から頼まれたからまあ参加させとこかぐらいの気持ちだったと推測する >>452
引き抜くのならMSGタッグ参加後にしてほしかったな
その昔はぁスーパースターがモンゴルズ時代にシンともぉ対戦しちょるらしいかんな。
確かぁアジアリーグ戦っちゅうのでぇ。
今でもぉその動画あっちゃれば是非見たいぞぇ。
結果はぁシンがコブラクローで勝ったっちゅうはずだがぁー。
スーパースターとしてのぉシンとの対戦はなかったかんな。
スーパースターとシンやハンセンの対決は見たかったぞぇ。
80年MSGタッグにスーパースターが参加しちょったらぁ見られたのにぃー。
後はぁスーパースターとハンセンはぁアメリカで対戦しちょったぞぇ。
動画に上がっちょったかんな。
タッグだったけどぉお互いにガンガンやり合っちょった。
日本でもぉ見たかったぞぇ。
確かぁ82年頃のぉ試合だったはずだがぁー。
ありゃあ日本受けする内容だったかんな。
パートナーはぁハンセンはアンダーソンだったっちゅうにぃ記憶しちょる。
スーパースターの方は忘れてもぉたなぁ。 >>454
さすがにそんな心配りはしないだろ、引き抜きなんだから。 >>432
どうも!ただしこのサイトで
初公開のジャーマンのシーンとキャプションのある写真
(ユセフトルコが横にいる)、これは初公開ではないと思う。
というのは、ジャーマン初公開の試合は、ストロハイムが
間違ってタックルでトルコを場外に落としてしまう→
心配して、場外をのぞき込む→その背後から猪木がストロハイムを
ジャーマンで投げる→場外からトルコがカウント3。
写真はその後の対ストロハイムだと思います。 いや、せめて開幕戦のマードック&アドニス×キッド&スミスだけでも
見たかった。 >>454
あの時期の新日は大量離脱でどんよりした雰囲気でそのタイミングで引き抜かれたから新日ファンも怒り倍増したと思うしまさか空港で他団体行かれるのはインパクト大き過ぎた! 「年が明けたら長州たちが全日のリングで試合してしまうのか」と思っていたら、
年が明ける前にキッドとスミスが、全日で試合していたというオチだったからな。 全日本のリングで、浜口・小林対キッド・スミスとか、
まんま新日本プロレスだったな。 MSGタッグにキッド、スミスが出場してたらどのチームに勝ってたのか気になる
坂口木村、戸口ブラウンには勝ってたかな 維新軍の時は大掃除が出来たと強がってた猪木も、キッドスミスの時は珍しく落ち込んでいたらしいね。 >>451
所詮、藤波はジュニアのトップ、というのが露呈したな。ヘビーでの名勝負が思い浮かばん。 >>462
その2チームには勝ってたんでは?ただ新日もキッドスミスを猪木組やホーガン組(開幕戦だけで帰ったけど)に勝たす番狂わせはしなかったでしょ。上にも書いたけどこの引き抜きのインパクトは年末のタッグリーグ戦直前だった事に尽きると思う! シリーズ中盤の愛知県体育館では、木村健吾対ダイナマイト・キッドの
シングル戦が組まれていた。代替は木村健吾対アドリアン・アドニスに。 >>460
インタージュニア王座、マイティが日本人に負けさせない為の繋ぎ役をやってたな おっとアンカ間違い
>>468は>>450へのレスです >>451
>藤波のフォール勝ちは一試合もなし
飛龍10番勝負は60分1本で行われたが、
「ジャンボ鶴田試練の10番勝負」でも
3本勝負で2フォール取った試合はないんだ。
4勝の内、決勝は反則、リングアウトのみ。
http://www.showapuroresu.com/league/turuta.htm 元旦の藤波対バックランドは酷かったな
普通あんなんで3カウント取るかね?
あの頃は下になって肩が着けばどんな体制でもカウントを取りに行くみたいな風潮があったけどなんであんなつまらない事したんだろ >>473
予めフィニッシュを決めてるのがプロレスだというのは分かるんだけど、にしてもあのフィニッシュは狙ってできるのか不思議に思う。本当は違うフィニッシュが予定されていたのに、レフェリーのミスでカウントスリー入れたみたいに見えちゃう >>474
逆にあの体制で3カウント入れたのは実力負けでは無い事をアピールしたかったのかとも思ったけど
どっちにしても飛龍十番勝負は酷かったな
バックランドとは2001年の謎の最終戦含めて3試合もやっているしカネックともドロー
カネックぐらいにはピン勝ちさせてやっても良かったのに
藤波はぁ結局はバックランドやホーガンにはぁフォール勝ちがなかったかんな。
丸め込みですらぁなかったぞぇ。
やっぱぁ世界王者のバックランドや大きなホーガンには勝たせて貰えんかったんか?
結局はぁ日本でバックランドやホーガンにフォール勝ちしたのはぁ日本人だとぉ猪木だけかぁ。
バックランドはぁ初来日の全日以外、WWF王者になってからの新日ではぁ。
ホーガンもぉ日本でぁ猪木以外にゃあフォールしちょらんぞぇ。
外人含めたらぁハンセンがリングアウトかぁ。
アンドレにはぁアメリカでの試合でフォール負けはぁ日本でもぉ放送されたがぁー。
バックランドもぉ疑惑のフォール負けっちゅう。
猪木がWWFタイトル奪取した時もぉシンの乱入で気を取られたバックランドをフォール。
明らかにぃクイックフォールだかんな。
他はぁ誰もバックランドにフォール勝ちしちょらんかんな。
ハンセンもシンもバックランドにゃあフォール勝ちしちょらんぞぇ。
そんだけぇ重宝されちょった証拠だゎな。 >>473-475
バックランドの、「こんなフォール勝ちなんて納得できるか、手なんか上げてくれるな」
って動きが物凄いリアリティがあったんだよね。
ミスター高橋が手を上げようとするのを意地でも拒否しようとしてるのがね。 あれってあのままだと目玉の猪木VSボックがTV生中継の枠に入らなくなるんで
藤波VSバックランドのフィニッシュの予定を変更して急遽終わらせたんじゃなかったっけか?
だから勝ったバックランドが抗議するって言う妙な事になっていた >>394
相手がジャンプしてないから力だけで投げてる
打ち合わせしないと >>452
二人のタッグリーグ参戦は坂口のアイディアだった。ヒトは「馬場にはなんの恩義も無い
けど大塚さんのためにやった!」と後年にコメントしていた。大塚氏は新日時代に負傷
して入院したレスラーのお見舞いや海外遠征に行くレスラーを空港まで見送ったり
新日ではめずらしくwアフターケアを欠かさなかったから人望があったみたいね。 >>473
おさえて両肩がついてたらフォールカウントを数えるというのは、プロレスでは重要だと思うけどね。カウントスリーを実際にいれるかは別問題だけど。
反則カウントがファイブまでという決まりと同じで、反則しだしたレスラーにカウントを始めるという行為と、対戦相手と接触してての両肩がついたらフォールを数えるという行為はプロレスの様式美。 >>450
アジアタッグでの相棒はジョニー・スミス >>394
ジャーマンに気づかず一緒に飛び上がれないビリーがヘタ。
それでも強引に決めてしまう猪木さすが。 テリーがブレットとやったあちらの「引退試合」でも、ジャーマンが
崩れてダブルフォールになっている時に片方がカウント3直前に
肩をあげて3カウント、しかし負けた方は勝ったと思って喜ぶ、って
定番が演じられていたけど、あれってテーズやロジャースの時代
あたりからの定番なんだな
ヒールのハンス・シュミットがテーズ相手に「崩れジャーマン」を
やって負けた(勝ったと思ってアピールまでする)のには驚いた >>484
猪木は藤波との試合でもまだ藤波がジャンプしないうちに
自力で引っ張りこんじゃうジャーマンをやっていたね
ミスター・ヒト安達が「猪木さんはあれだけブリッジの練習
やっててもジャーマンとかはヘタでしょ、逆に馬場さんは
ブリッジなんか全然できないのに、バックドロップとかを
綺麗に決めるでしょう、要するにプロレスの技っていうのは、
いかに受けてくれる側と呼吸を合わせるかっていう共同作業
なんだよ、猪木さんはわがままでそれを一人でやろうとする」
みたいなことを言ってたな
新日ファンとしてはそういう「手の合った型もの芝居」じゃない
崩れっぷりがリアリティがあって好きだった所もあったんだけど >>486
ミスター・ヒトに89年の馬場vsブッチャーのフィニッシュを見せてやりたいな 馬場のフィニッシュというとどうしてもブロディを
「フライングボディシザースドロップ」
でフォールしたことになっている、81年の第9回チャンピオン・
カーニバル優勝戦を思い出してしまう
この試合は馬場が最後にブロディをピンフォールした試合で、
ほんの数日後、インター王座決定トーナメントで逆にブロディに
秒殺でピンフォールされることで借りを返す、まあ行ってこいの
星のやり取りだったのだけれど、そのフィニッシュが実際は
「ロープに飛ばされた馬場が正面からブロディに抱き着いて
そのまま押し倒してピンフォール」という「抱きつき固め」で
まったく「フライング」していないのが凄かった
同じ大阪で猪木がやった「当たっていない延髄でストロング
小林をフォールしてしまった」並みの事故物件だけど、こちらは
堂々とテレビ放送されている 以前も書いたことだけど、1981年の復活インターナショナル王座、ブロディが
負傷欠場していなかったら、松戸で行われるはずだった王座決定戦は
ドリーとどっちが勝ったんだろう
格を重んじる馬場だから、初代はドリー、そこからブロディへ、という流れが
妥当だとは思うんだけど、この81年と翌82年、チャンカー決勝でブロディに
馬場が勝ち、「二年連続同じカードで馬場の2連覇」という不自然なことをしてる
81年、ブロディにフォール勝ちで優勝した馬場は、その4日後にインター王座
争奪トーナメントで、ブロディにわずか5分の秒殺フォール負けを喫していて、
なにやら「インター王座をブロディに与える代わりにチャンカーでは馬場に
花を持たせるバーター取引」…だったはずが、ブロディの負傷で、翌年に
再度やり直しを余儀なくされた、みたいな気がついしてしまうという
(プロレス界ってファンが考えている以上に、星のやり取りにうるさくて、勝敗を
バーターにしなければ済まさないレスラー心理とか、よく聞かされるからなあ)
81/4/23 馬場、ブロディを降しチャンカー優勝
→ 4/30 ブロディ、インター王座決定戦へ(負傷欠場)
82/4/16 馬場、ブロディを降しチャンカー優勝
→ 4/21 ブロディ、インター王座奪取
現実には81年4月の王座決定戦を欠場したブロディが半年後の81年10月蔵前で
ドリーから反則でタイトル奪取、3週間後の11月1日後楽園、やはり反則でドリーに
ベルトを返し、最初の決定戦からほぼ一年後の82年4月21日の大坂大会において
ピンフォール勝ちでドリーからタイトルを奪取してる トーナメントは当初ドリーも了承でブロディ優勝で決まっていたらしい
ピンは無かったかも知れんがチェーン持ち出しからのテリー乱入で反則裁定とかじゃないのかな? あのトーナメント、呆れるくらい反則決着ばっかりだったんだよね
大物が揃っていたからピン負けを呑ませられなかったんだろうな
で、ブッチャー戦に乱入してブッチャーを反則負けにしたブロディが
逃げようとリングから飛び降りた際に足を挫いて試合が出来なくなり
決定戦欠場、自動的に王座認定という締まらない結着になってしまった
これが「インターナショナル・レスリング・グランプリ」に対抗して
大木から買収したインターナショナル選手権復活の幕切れで
何とかしなきゃとドリー対テリーのゴールドカードが切られることに
なった (観客は幸運だったけど、会場は松戸だったんだよなあ) >>486
ヒトの言わんとする事はわかるが、例えが上手くないな。
馬場がバックドロップうまく決めたとこなんか見たことない。 >>489
細かくて悪いがその時期のカーニバルに決勝はない 馬場の初バックドロップが豊橋のNWA戦で この時は
おもいっきり後頭部打って悶絶 その間 ブリスコは寝てあげてた
馬場はブリスコ戦前辺りからテーズを最高のレスラーと称え始めてフライングボディシザースもやってるけどこっちも失敗 鶴田にインターナショナル王座戴冠の機運があったから、新間は藤波を先に
インターナショナル王者にすべく、WWFに掛け合った。 >>492
テーズ式だけがバックドロップじゃないぞ。 >>498
多団体も含めてタイトル乱立を是正する為にIWGPって建前なのにその真最中にタイトル作って矛盾してるとか言われなかったかな
ましてや新間なんて猪木と並ぶ中心人物だったろうしね
ただ仮にタイトル統一なんかしたらタイトルを統一された団体は潰れる出来る訳ないってのは当時のファンでも解る筈 1985年のIWGPはトーナメントだったが、決勝勝者は前年IWGP王者猪木と対戦。
決勝敗者はWWF世界王者ホーガンに挑戦というシステムに。 86年4月 後楽園ホールのカード
猪木対スーパースター
藤波、木村対マードック、コーレイ
上田対ジャイアント
前田、木戸対ゲシュタポ、ケリーブラウン
星野、越中対カネック、キャット
荒川、後藤対藤原、高田
山田対橋本
小杉対蝶野
佐野対畑
猪木怒りの反則負け
ケリーブラウンが前田に蹴りまくられる
第3試合は当時から白熱した勝負をしていた >>502
3つ目のシリーズで、UWF勢はテレビ放送なしに。 >>486
そうかぁ。予定調和な動きを嫌う猪木ならではのジャーマンなんだね。
投げられる方が既に両手をひろげ受け身体勢に入ってしまうジャーマンはつまらんかも。
ワケわからず投げられて驚いてるという「ウケ」の演技が欲しい。
という意味では、親日×UWFのイリミネーションマッチ、前田をバックドロップで投げる猪木、
そして投げられる前田の驚きと抵抗ぶりは素晴らしかった。 >>502
狂犬と宇宙犬のタッグか、コーレイ来てたの全く記憶にない。 >>502
メイン猪木のコールの時バカがリングに上がって「いえ〜い」
それをケロが場外に放り投げきつい蹴り KOされたバカを山田が奥へ引きずって行った
その日はTV(たしか深夜放送)があってケロの雄姿を見ようとしたら猪木の「はぁ?」とした顔のアップが映ってるだけだった
実況は見事に触れなかった 前田とボブオートンジュンがスレ違いだったのが残念。シングルで見たかった。セメントになったかもしれないが >>506
そんなトラブルがあったのか。今そんなもめ事があったら
そのファンとやらは逆ギレして訴訟騒ぎになってるのかもな
https://twitter.com/nehitsuji/status/1461676587754000386
興奮したブッチャーと冷静なシーク様
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>506
放り投げるのは仕方ないとしてキツイ蹴りはアカンわ! 猪木のジャーマンはファンが過剰に持ち上げ過ぎで、本人は得意じゃないと言い切ってる。
大型なのに身体が柔らかく美しい体勢の猪木のブリッジだけど、背筋力が少なすぎて投げになっていない。後ろに引っ繰り返っているだけ。 当時のケロはルール守らないファンをよくシバいていたのは有名だよね >>510
有名なストロング小林戦のジャーマンも実は崩れてるよね プロレスのジャーマンは速く強く叩きつけて「相手の後頭部にダメージを与えた」
ということを見た人にアピールする技だと思ってる
しかしなぜかジャーマンに女子プロレスみたいな柔軟性を求めて、
「相手の腰を抱きしめて持ち上げ、支えたままくにゃっと身体を曲げて、ほぼ
逆さ抑え込みのように相手の肩をマットに抑え付ける」みたいなのを望む人がいる
押さえつけるアマレスならともかく、破壊力を見せるプロレスのジャーマンは投げる側が
頭から突っ込むくらい引き込んでナンボだと思うわ
ある種理想のジャーマンの一形態はやっぱりこういうのだなあ
https://youtu.be/Y57T1o1B5Rw
猪木がぁーマードックをジャーマンで投げた時ゃあ驚き 桃の気 アントキノイノキ
あん時ゃ驚いたぞぇ。
マードックの巨体をぉよくジャーマンでけたっちゅうにぃー。
更にぃ昔からまだしもぉ。
86年の猪木はぁ下り坂真っ只中の時期だったかんな。
マードックもぉ体重あんのにぃよく引き受けたっちゅうに思うゎい。
っちゅうかぁ延髄で終わりだとぉ意外性がないからかもなぁ。
猪木はぁハンセンやホーガンですらぁジャーマンで投げた事ぁないかんな。
後はぁ81年のぉスーパースター位かぁ。
身体が硬い藤波がぁジャーマンやドラゴンが得意だったぁー。
身体が柔らかい猪木はぁそぉゆぅ系が苦手ングだったかんな。
そこぁ単純なパワーの差なのかぃなぁ?
猪木もぉバックドロップはよく出しちょった。
しかしぃジャーマンは数える程だったかんな。
やっぱぁ身体が柔らかくて柔軟な武藤もぉジャーマン系は頻繁にぃ出しちょったなぁ。
身体が硬い蝶野はぁそぉゆぅのぁ出さんかったぞぇ。 ジャーマンポテト
ジャーマンメタル
ジャーマンスープレックス
これ以外にジャーマン何とかという言葉は聞いたことが無い。。 >>521
ジャーマンスプルース
アコースティックギターに使う木材 英語ガイドも出していた榎本年弥さんは、ローリング・ジャーマンという言葉は
英語圏の感覚からすると「のたうち回るドイツ人」「波打つようなドイツ人」
というイメージしか湧かないと言っていたなw
WWEはプロレスマニアのポール・ヘイマンのおかげでエンズイギリもフジワラ・
アームバーも当たり前に実況されてるけど、一般のファンはレスナーのジャーマンが
ゴッチ由来の名前だとどれだけ知ってるんだろうか 発音の加減では、ゲルマン・スープレックスとなっていた可能性もあるな。 >>515
そうかなあ、
後頭部にダメージを与えるのはバックドロップ。
ジャーマンは相手の両肩を押さえつけるブリッジ技。じゃないの?
ジャーマン決められてノックアウトしてるんじゃなく、
ブリッジによって両肩を押さえられバタバタ動いてる、てことじゃないの?
わかりませんが。 アニメでバックドロップとジャーマンスープレックスとの違いがまるで分かってない作品が多い。 オブライトの「投げっぱなしジャーマン」は、
バックドロップと言うべきだな。
昔は、ヘッドロクを掛けられた状態ばかりではなく
真後ろから相手の腰に手を回し、それで後方に投げる技も
バックドロップと呼んでいた。つまりアマレス式のもの。 >>529
端的に言って
「全然思わない」
80年代頭にはもうバックドロップは足を持ち上げるアメリカ式も含めほとんど「つなぎ技」
になっていて、前座でもポンポン使われていたのに対して、かたやジャーマンは
(少なくとも新日マットの中では)「誰が使っても出たら試合が終わる技」だった
スティーブ・カーンがインターJrの前哨戦やタイトル戦でジャーマンを出したら、
藤波も確実に3カウントを奪われたし、前座でジャーマンを使うことは厳禁だった
だから猪木すら藤波に「禅譲」して藤波が極め技にしてからはいっさい使わなくなったし、
藤波も「あれが出たら返せないわ」という説得力のある投げ方を義務付けられていた >>529
「逆・さかさ抑え込み」じゃ許してもらえなかったんですよ
だから鶴田がテリーを「ブリッジして押さえつけバタバタしてる相手をカウント」
したのはよく思われていなかったし、全日のPWFタッグトーナメントでドスがチャボの
ジャーマンをカウント2で跳ね返してしまった時は怒声罵声が湧いたわけで
まあ個人の見解です >>532
横からだけど、、そのジャーマンも、もう80年代半ばには
「掛かったら絶対に決まる技」ではなくなったよね。
前座では、荒川や、山田あたりも使い出したし。 >>506
90年代になってからだけど
nwo全盛ぐらいのころのWCWでベビーの誰かとランディ・サベージのシングルがあって
そこに客が乱入したことがあったんだけど
それまでのらりくらりとショーマン的な動きだったサベージが血相変えちゃってすごかった
その乱入客を押さえ込んで顔付近にガチの蹴り入れようとしてたし 仕込みだったのかもしれないが、
ヒール転向後のビリーグラハムに
客性からちょっかい出してた若いイケメンマッチョ青年が、
リングに上がってチョークで瞬殺されてたな
俺は仕込みじゃないような気がしたわ。
あまりにもグラハムが怖すぎた。 藤波や佐山の決め技ははドラゴンやタイガーよりジャーマンのイメージの方が強いな きのうだか 長州と武藤が フルチンで
露天風呂は入ってんのテレビでやってた ジャーマンは83年後半辺りから前田がつなぎ技で使う様になった印象。 >>534
荒川はジャーマン出したら100%勝ちだった 83年4月に長州が藤波のジャーマンを自力でクリア
5月には前田のジャーマン→ドラゴンの連発を猪木がクリア
8月タイガーマスクが寺西のジャーマンをクリア
までは覚えている 初代タイガーマスクのジャーマンが返されたのは81年11月5日の浜田戦しか記憶に
ないが他にもある?ちなみにこの試合ではこのころよくフィニッシュとしていた
風車式バックブリーカーも返している。 >>536
世界のプロレスで?
ファンタスティックスのトミー・ロジャースだよ。 >>536
アメリカなら何かあれば直ぐに訴えられることもあるだろうから、仕込みだと思う 初めてジャーマンが返された試合って何かなあ
自分が知ってる限りでは78年2月の草津寺西vs天龍高千穂で寺西のジャーマンを高千穂が返した(どちらかというと崩れてノーカンて感じ)やつが最古なんだけど >>532
>>533
ああそうか。じゃあジャーマンは、後頭部をしたたか打った直後に両肩をマットに
押しつけられスリーカウント取られた、って解釈でいいのかな。
投げられつつ既に両手をひろげ受け身体勢になってるレスラーがいるから見てて
迷っちゃうんだニワカとしては。
あと投げっぱなしやられたあとスッと立っちゃう某丸藤みたいなのはどうなの。
「そんなの効かないぜ」?「ちゃんと受け身とったぜ」?
スレチ?すいません。 >>515
何回か書いているがあまり賛同者がいない意見なので流してくれて構わんが、ジャーマンはもともと逆さ抑え込みのブリッジ版だっあのではないか?
新日設立以後ゴッチの神格化や小林戦の過剰な持ち上げられ、強烈な破壊力を秘めたゴッチ直伝ではないと使いこなせないと現在ジジイーオッサンになっているファンは洗脳されている。
猪木以前にもマツダや杉山が普通に使っていたし、、一番美しいとされているブリスコとのUN戦でも三本目はコブラ。日本初公開の元祖ゴッチのジャーマンは二本目は吉村が取り返して試合自体は引き分け。
田鶴浜さんの著書ではゴッチはバックを取ってからフォールを取るまでの合理的な定石を極限まで短くしたと自身の技を言っている。ノックアウトするような性質の技じゃない。
それを踏まえると鶴田がテリーにはやったジャーマンはペタンと落としてテリーはフォールを跳ね返すため足をジタバタさせるのは、レスラーたちがフォールを取る技と認識していた証拠になるんじゃないかな。 バックドロップはノックアウト技だけど
ジャーマンは相手がノックアウトしてなくてもフォールできてしまう技だよね。
神様ゴッチが正当スープレックスと言い
フォルムが美しいから至上の技のようにいわれるだけで(違うかな?) >>521
中日や楽天にいた山ア武司もジャーマンと言われていた。
体格や闘争心を見てプロレスラー向きだと思った 越中あたりがジャーマンの権威下げまくったイメージ。
繋ぎ技で使って、フィニッシュはクイックとか。 ジャーマンの権威を下げるきっかけは藤波のドラゴンスープレックスで間違いない >>546
1972年春、国際の「IWAワールドシリーズ」で、
T杉山のジャーマンをイワン・バイテンあたりに
返された記憶がかすかにあり。
片方の肩を上げた。 >>548
>ジャーマンはもともと逆さ抑え込みのブリッジ版だっあのではないか?
いや、もともとゴッチがアメリカでやり始めた時は
怪我人が続出して「危険な技」に認定され、ルー・テーズも
「非合法な技」と非難したほどだよ。
猪木が1969年秋に、タッグマッチ(3本勝負)でブラッキーゴールドマンを
仕留めたら、休憩時間を挟み、次の本、ゴールドマンはまだフラフラしていた。
逆さ押さえ込みレベルになったのは、ずっと後。 >>548
>新日設立以後ゴッチの神格化や小林戦の過剰な持ち上げられ
それも違う!
1969年3月刊(猪木がジャーマンを初公開する前)、山田隆著の
「プロレス入門」で、すでにジャーマンは、「最高級テクニック」
「数あるプロレスの殺人技でも芸術品」と讃えられている。
>ブリスコとのUN戦でも三本目はコブラ
その試合を通して観たのか?
できれば、1971年サマーシリーズの初めから観てもらいたかったのだが、
ブリスコは、猪木のコブラに対して、名称をなかったが「コブラ返し」とも
言える返し技を持って来日した=コブラを掛けられたら、左足にフックされた
猪木の足を取り、後ろに反りかえる=猪木は頭を打つ。
これで、UN戦は1本を取った。そのリベンジで3本目はコブラを決めて
快勝したんだ。特にコブラ>ジャーマンというわけではない。 後頭部を叩きつけられるのだからダメージを食らう(はず)
ダメージを食らったと同時に間髪入れずカウントが入る→試合を決める合理的な必殺技
というのがジャーマンスープレックスホールドの建前では?
絵的な説得力もあるしね
ただこの説得力は使い手によって左右される
寺西がタイガーにジャーマンを決めてもこれでフォールされるという説得力は全くなかった
山本小鉄「寺西はこれいけませんよ!ちゃんとしたブリッジできてませんから!」←いやそこじゃない
ダメージという観点で上位概念のドラゴン・スープレックスが登場してからジャーマンが陳腐化したというのはそのとおりだと思う
ただドラゴン・スープレックスはホールドに難点があり「フォール技ではなくギブアップ技」というエクスキューズが導入された
KO技にしたほうが説得力があったと思う(受ける側も演じやすい)
ホールドに難点があるのはタイガー・スープレックスも同様で、どちらも完成度という観点ではやはりジャーマン・スープレックスホールドには遠く及ばなかった ドラゴンスープレックスは「受け身が取れない技」と紹介されたよね。
だから俺としては「ジャーマンは受け身が取れるんだ?」となってしまったんだ。
でも受け身をとられてもブリッジ効かせ押さえ込んでフォールは出来るんだからいいじゃないか、とも思った。 ゴッチが来日第一戦で吉村とやった試合はつべでも流れている
叩きつけられた吉村は失神し、ゴッチはレフェリーに挙げられた
手を振り払って吉村に駆け寄り、上体を起こして首を叩いて
カツを入れて意識を呼び覚まし、マッサージしてから立ち上がり
観客に手を挙げて万雷の拍手を浴びている
藤波の「ドラゴンを浴びた相手が失神する」はもう1961年の
ゴッチ初来日の時からの定番アングルだったのだし、ジャーマンは
最初の公開から「逆さ抑え込み」なんかではなかったんだよな
テーズら当時のレスラーも受け身の困難さ、ケガをする危険を
語っていた
むしろいったいどこから「神格化」「過剰な持ち上げ」「ジジイ
オッサンは洗脳されている」なんていう怨念丸出しの歪んだ認識を
持つようになってしまったのか、そっちの方が知りたいなあ
鶴田のジャーマンを受けたテリーとスレーターがジタバタしてるのを
せせら笑われたのを逆恨みしたジジイの怨念とかじゃなきゃいいんだけど >>556
投げてブリッジする際に額じゃなく頭頂部をマットにつけるジャーマンは
通称「寺西ジャーマン」と呼ばれていたな >>546
>>553に自己レスだが、1971年2月8日、ニューヨークMSGで
ペドロ・モラレスがイワン・コロフを破りWWWF世界王座を奪取した試合。
コロフがジャーマンを仕掛けたが、モラレスはロープを蹴ってバランスを崩し
両者、後ろに倒れ込みダブルフォール。
しかし、モラレスがカウント2で肩を挙げ勝利、と伝えた媒体もあるが、
あれは、ただ単にコロフがモラレスを後ろから抱え上げた時、モラレスがロープを
蹴ったとしか見えなかった。コロフはジャーマンを使うタイプでない。
その年の5月、日プロにコロフが来日した時、ゴング誌が「2月のモラレス戦で
ジャーマンを使いましたね?」とかインタビューして、本人もそう応えていたが、
疑わしい(苦笑)。まぁ本人がそういうなら、第三者は否定できないけれどね。 たしか、ゴッチに後ろから抱えられた吉村は両手でゴッチの腕を掴んだ。
リアル。 敵にそうされたら、そのようにしてその手をほどこうとするのだと思う。
そこでジャーマン一閃!
たしか、吉村はゴッチの腕を持ったまま投げられたのだった。
今の選手の多くはジャーマンに対し両手を大きく前方に伸ばしひろげ受け身を取る。
アタマではなく手から先に滑るように落ちて抵抗をやわらげるのだ。
吉村はそのような受け身は取っていない。
しかし、顎をしっかり引き両肩と首の後ろで小さな三角地帯を作り、
巧みに受け身を取った可能性はある。前もってゴッチに教えられたか。
わかりませんが。にしてもすごいダメージだろう。 ゴッチ吉村戦て音声ないけど観客がみんな感嘆の表情浮かべて魅了されてる様子が映ってるよね
なんとなく嬉しくなる その後の芳の里戦でも一方的に「レスリング教室」を披露してジャーマン一発、
失神した芳の里を介抱して館内の拍手を浴びていたそうだから、「失神アングル」は
日本におけるジャーマンの、切っても切れない必需品扱いだったんだね
吉村戦は2本目のフィニッシュが後の吉村の代名詞・回転エビ固めの初披露で、
まさに45分間プロレステクニック見本市の様相だったんだな ↑まだ当時のプロレスは敗戦のガス抜き娯楽みたいな感じがあって、
しかし日本と同じ負け組ドイツ人設定ゴッチが「原爆!」固めをやるというのが。 藤波のドラゴンでジャーマンが陳腐化したという見方もあるかもしれないけど、
むしろその頃から新日のジャーマン神話が確立した印象がある
猪木がノーTVのMSGリーグ戦で藤波をジャーマンでフォールして以後、自分では
使用を封印し、実質藤波にジャーマンを「禅譲」したのが78年5月、
ソントンに勝ってジュニアに敵のなくなった藤波へのヘビー転向指令として、
蔵前でスーパースター相手に復活させたのが81年8月
この間約3年、藤波はむしろジャーマンを極め技の代表格にしていた ジュニアのタイトル戦も、宿敵チャボ、武道館での剛との初戦、
NWAインター決定戦のカーン、奪還戦のマイク・グラハムと、
クイックで接戦と見せる時は回転脚折り、叩き潰す時はジャーマン、というのが
当時の定番で、ジャーマンを食らった相手は首を抱えて立ち上がれないのがお約束、
抑え込まれてジタバタ暴れ、カウント3が入った後に飛び起きて攻撃するなんて、
新日マットでは絶対のタブーだった
(新日素人の剛竜馬だけがジャーマンを受けて少し抵抗を見せていたのがご愛嬌)
そのためには観客に「あんなしょぼい抑え込みで失神するわけないだろ」と笑われる
半端なダメージに見られてはいけないわけで、ほとんどの試合で藤波は見事なバネで
相手を強烈に叩きつけて見せていた
新日と藤波は間違いなく「ジャーマン最強神話」を身体を張って守っていたよ ビリージャックはプロレスさせないほうがよかった
「筋肉こそ最強」ってキャラでジョバーをぶっとばす
https://www.youtube.com/watch?v=nsXkzFlSk9Y タイガーマスクのデビュー戦で、ジャーマンで負けた次の瞬間にすくっと立ち上がり佐山に攻撃をしたキッドも罪深い ジャーマンやられて立ちあがるってあり得ない。
ジャーマンスープレックス信仰があるからね!ジャーマン原理主義(苦笑)
だから投げっぱなしにせよスクッと立ちあがる丸藤はキライ。
ま、いいけどさ そういえば初代タイガーはジャーマンで負けた後すぐ立ち上がったレスソントンにキレてたな。 「レスーソンートーン!」
ケロちゃんがコールしにくいと。 初来日の時は力道山に「あいつはショーマンが過ぎる」と言われてたゴッチ(クラウザー) >>566
藤波がジャーマンを最強の技としてフォールをすればするほど、ドラゴンスープレックスが神格化してジャーマンの価値が落ちているんだよ。
これがドラゴンを仕掛けたのにダメでジャーマンをかけてフォールなんて流れがあったら別で、藤波がドラゴンを封印してジャーマンを使えば使う程、ジャーマンより凄い最強の技という位置づけになる。その流れでタイガースープレックスなんかもジャーマンより凄い技という解釈になり、ジャーマンの価値が徐々に落ちていくことに。 卍があるからコブラが格下技とか
16文キックが32文より格下とは思わん >>573
もう言ってることが支離滅裂だぞwww
藤波が目の前でライバルたちを強烈なジャーマンで沈めて
「ジャーマンで叩きつけられたら誰も返せないんだ!」
という神話をカッコたるものにしてる現実があるのに、
「やっぱりジャーマンは凄い!」
↓
「この凄いジャーマンよりもドラゴンはさらに凄い」
↓
「ということは今見たジャーマンは凄くない」
なんていう謎思考をするのは頭のねじが飛んでる奴だけだろう タイガーにしてもキッド、ブラックという強敵をやっぱり強烈な
ジャーマンで下して見せている
特に蔵前のブラック戦ではローリング延髄からのジャーマンで
「失神したブラックは遂に自力で立ち上がることができず、
ネコさんにかつがれて退場した」という名場面を作って見せた
目の前の現実を妄想で打ち消して「ジャーマンの価値が徐々に
落ちていく」なんて解釈する奴はちょっと危ない
蔵前で寺西によっこらしょと決めたタイガースープレックスよりも
「やっぱりジャーマンが最高だ」と思っていた観客はいくらもいたろう
ジャーマンの価値を落とした戦犯は、やっぱり「現実」にあっさり
カウント2で返してしまったドスカラス、スレーター相手にさえ
失神させられずバタバタ暴れられた鶴田であり、そうした説得力に
欠ける「失敗作」の積み重ねによるイメージダウンが全てだよなあ
新日ではやっぱりIWGPの前田か
首を傷めた浜口に見舞ってもフォールを取れないとかもあったっけ
長州にインターを取られた試合でジャーマンを決められなかった
藤波は、その直前に膝を砕いていて、試合後入院したっていう
エクスキューズがあったからな 藤波がドラゴンスープレックスを中々出さなかったり(もっともこれはWWFの禁止令で出せなかったのだが)、タイガーマスクがタイガースープレックスではなくジャーマンを多様することによって、
ジャーマン<ドラゴン・タイガー
という図式にはなっていたと思う
タイガーがタイガースープレックスを出すと古舘は、
「久々に出ました大技!」
と実況していた
じゃあジャーマンは大技じゃないのかよ…と思うが、実際のところポピュラーになることで大技感はなくなっていったと思う
滅多に出さない(出せない)=希少価値=神格化
こういう構図はあった
しかし実際のところ、上述したようにドラゴンやタイガーはホールドに難ありでフィニッシュとしてクリーンフォールを奪うには難易度が高い技だったとも言える(だからドラゴンスープレックスでギブアップ決着にしたり、タイガーラストマッチの寺西へのタイガースープレックスは3カウントが微妙だったりという事象が発生している)
そうなるとフィニッシュとして完成度や信頼性が高いジャーマンを多用することにはどうしてもなる
そして多用すればするほどロマンは失われて陳腐化していくという皮肉な事情はあったのだ
上述したようにジャーマンは使い手によって説得力が左右される
藤波やタイガーが多用しても説得力が損なわれることはなかった
滅多に使わないそれより上位概念の技があるというだけの事だった
鶴田のジャーマンには単にそこまでの説得力がなかったということだろう
余談だがカール・ゴッチはドラゴンスープレックスもタイガースープレックスもジャーマンスープレックスと勘定していて別の技という認識はなかったようだった 平成からのファンなので詳しくは無いのですが
猪木vsローランボックのドイツの試合で、猪木はジャーマン食らったのに腕を極め返すシーンがあります。(UWF以降は珍しくなくなった返しですが )
あれは当時放送されなかったのかな?ジャーマン格落ち考察がすごく面白く読ませてもらってますが、あの当時じゃ猪木の切り返しはかなり先進的で衝撃だったのではと想像します。 猪木はジャラペールワン戦でガードポジションで防御してたし、上田戦ではダブルアキレス腱固め使っているし、やっぱり凄い >>576
>>578の方が丁寧に解説してるからその通り。貴方が記してる謎思考ではなく、私も>>573で徐々にと記してるし、>>552ではドラゴンがきっかけとしか記してない。
ジャーマンに限らずどんな技でも、それよりも凄い技切り札的な技が披露される事で権威は下がるもんだよ。 >>579
放送されたよ!当時はそこまで目の肥えた視聴者も多くなかったから猪木の切り返しよりボックの力任せの大技に驚愕してたと思うよ! 猪木って年老いてからも好んで石澤をスパー相手に指名してたり、そういう姿勢は流石だなと思う。
新弟子相手に俺つえーしたいだけならそれこそ高岩なんかで事足りるわけだし。
ま、石澤だって接待のつもりだから意味あるスパーかと言われればアレだけどさ。 「ジャーマン」は受け身の準備ができるが「テーズのバックドロップ」はその隙が無くて
危険な技とコメントしていた。地味な「逆さ押さえ込み」も相手の脳天を勢いよく打って
ガッチリと抑え込むと効果的なフィニッシュホールドになると言うのは新日参戦時に
鈴木みのるが西村戦で披露していた。
>>562
「なんか凄いモノを見た!」と佐山タイガーのデビュー戦を見た人たちみたいだね。 >>583
カメラの前のスパーで空気を読ませるのも実力のうち 猪木の凄い所は何時でもプロレスこそ最強だと思いながらトレーニングも試合もしていた事
試合はあくまでもプロレスだけど猪木のそういう姿勢に共鳴した人達は多かったと思う
UFCやPRIDEの出現でプロレス自体の方向性が変わっちゃったけど 今見ると、昔のジャーマンは相手に怪我させないように気を遣ってる。
ああやって投げる方が大変そう。 >>559
頭頂部どころか後頭部をマットにつけるジャーマンを「石川ジャーマン」と呼んでた
https://youtu.be/HyBoytzm7xw?t=780 鶴田は「バックドロップは相手によって調節できるけどジャーマンはできなくて危険だからやらなくなった」と言ってた
それでもやれと言う週プロの記者に怪我させたら賠償金は君が払ってくれるの?と ドラゴンスープレックスは受け身取れなくて危険とかいうが、どちらかというと
タイガースープレックスの方が危険だよな。あの技は受け身なんか取りようがないし。 週プロの記者が鶴田にジャーマンはもう使わないんですかと訪ねたら、露骨に不機嫌になったみたいだな。
痛いとこ突かれたんだろう。 馬場なんかファン感謝デーか何かの質問が「32文はもうやらないんですか?」だったからな。 木戸のジャーマンを動画で見たことあるが、消されてしまった。 タイガースープレックスは相手を後ろからダブルリストロックのような形で極め、手のひらを相手の肩甲骨のあたりに押し付けて固定する
その形からのジャーマンスープレックスである
ホールドしているのは相手の肩甲骨の下辺りかつ両肘支点になるので、胴をホールドするジャーマンよりは不安定な体制になる
(当時佐山は「ドラゴンスープレックスに比べて相手の身体がマットに対してより垂直になる」とその優位性を主張していたが、これはフォールの体制が崩れやすいというマイナス面も同時に有している)
受け身という観点では、ドラゴンに比べて肩で着地できるぶん危険性は低いと思われるが角度によっては同様に危険ではある
ドラコンスープレックスはフルネルソンに決めたまま投げるので、完全にクラッチしたままだと相手は後頭部をモロに強打することになる
極めて危険性が高く、藤波は運用上クラッチを緩めて投げていたように思う
古舘が一時期「藤波の殺戮兵器」と形容していたように、やり方次第では文字通り殺人技になりかねない
(アーマンドゲレロの失神舌巻き事故は有名)
この辺はビル・ロビンソンがダブルアームスープレックスのクラッチを緩めていった経緯と酷似している
(昔プロレスごっこのダブルアームスープレックスで頚椎損傷の事故が起きていたのは素人はこの加減がわからないからである)
余談だが三沢のタイガースープレックスは佐山式と違ってクラッチして投げる
これだとどうしても相手の両肘部分に隙間ができてしまいホールドの観点ではかなりツメが甘い
大雑把な印象を与えオリジナルの佐山式からむしろ退化しているような感じさえする
この辺は原型のオースイスープレックスから投げ技として収斂する過程で完成形として仕上げた佐山の合理性とセンスは流石というほかない いろいろなジャーマンの亜流があるが、ジャパニーズオーシャンサイクロンが
一番の変わり種だな。
ジャーマンっちゅうたらぁマシーンがキレイだったかんな。
マシーンのバワイはぁあの巨体、体型でブリッジがキレイだったぞぇ。
小鉄がぁーよくマシーンのブリッジの事をぉ絶賛しちょったしぃー。
『彼はぁ練習量多くてぇ基本がでけちょるからぁー』っちゅうにぃ。
ヒロ斎藤もぉあの体型でブリッジはぁキレイだったよなぁ。
マシーンは風車固めん時もぉキレイなブリッジだったぞぇ。
あの体型でブリッジがキレイっちゅうのぁよっぽどぉ柔軟な身体なんだろぉかんな。
猪木はぁブリッジはキレイでもぉ何故かぁジャーマンはぁあんまキレイじゃなかったしぃー。
後はぁ柔軟でブリッジキレイなのぁ武藤だなぁ。
武藤のジャーマンやドラゴンはかなりぃキレイだかんな。
あれもぉ天性のもんだぞぇ。
馳もぉブリッジはキレイだったかんな。
やっぱりぃ馳もぉ身体が柔軟なんだろぉしぃー。
猪木のジャーマンはぁ相手の金剛もスーパースターも身体がエビ反り状態になっちょらん。
マードックもエビ反りじゃあなかったかんな。 ピッチャーの投球じゃないけど、力強く叩きつけて見せるためには、
やはり頭から突っ込むタメの瞬間がある投げの方が説得力がある
https://i.imgur.com/7ZPsXd4.jpg
https://i.imgur.com/PoA6v80.jpg
相手を抱きかかえて差し上げ、相手を自分より先にマットに
「置きに行く」のは、柔軟コンテストであって潰し合いじゃない 思い返せば飛龍原爆の最初の受け手になったホセエストラーダは上手だな。
技の危険度もだしMSGのあの硬いマットだし。。 マイティ井上のオースイスープレックスを見た時は驚愕したw >>488
両手ではっきりバン!と受け身取っちゃってるから衝撃が伝わらず、
よけい逆さ押さえ込み感が強くなっている。
背中で顔潰されてる藤原の方がしんどいだろうな。 >>603
エストラーダは、この技を事前に聞いていたのか?アドリブか? >>603
エストラーダは普段はスタジオマッチのやられ役だったから
受け身の巧さに信用が置かれたのかもね
藤波との試合がMSG初出場で、以後も谷津、カネック、ケリー
なんかのMSG初登場時のやられ役をやってる
ドクトル・ルチャは「日本で最も有名な噛ませ犬」と言ってたw
「トニー・ガレアに勝って復活WWWFジュニア王者になった」
なんて言われていたけど、当時アメリカ東部で人気者だった
ガレアとじゃ比べ物にならない格下で、昭和新日で言ったら
小杉が木村健吾に勝っちゃうみたいなものだろう エストラーダは1982年に来日。主にホセ・ゴンザレスとタッグを組んでいた。 藤波の証言は「完全にその場のアドリブで出した」で現在は一貫しているが、古館伊知郎の試合前の証言として
「フルネルソンの状態からジャーマンをやるという藤波に対して山本小鉄が『そんなことできるわけない』と説得を試みてその悶着が結構続いた」
というのがあった
古舘の証言だから信憑性に疑問はつくが、試合中に思いつきでというのは常識的に考えてあり得ないと思う >>611
藤波が猪木に発想を話して、「俺で試してみろ」と猪木が最初に受けたという話は事実なのだろうか 佐山
「エストラーダは動けるいい選手ですよ。
この日は僕の『ボビー・リー』が最高のタイミングで
気持ちよく決まったのを憶えていますね」
佐山タイガーWWFツアーの対戦相手
マイク・リベラ
カート・ヘニング
エディ・ギルバート
ピート・ドハティ
エストラーダ(MSG)
チャーリー・フルトン
ジョニー・ロッズ
マサ斎藤
ミスター・フジ
ピート・サンチェス
バディ・ローズ
フランク・ウィリアムズ
ジョー・マーティン
佐山タイガーはぁタッグではぁブッチャーともぉ対戦しちょるかんな。
後はぁマードック ローデス スーパースターとかともぉ。
もしもぉシンやハンセンが移籍せんかったらぁ佐山タイガーとはぁタッグ対戦したんだろぉなぁ。
さすがにぃアンドレとはぁタッグでもぉ対戦しちょらんがぁー。
アンドレとはぁタッグで対戦する機会はあっちゃるがぁ。
しかしぃ佐山タイガーとシンやハンセンの対決はぁ見たかったぞぇ。
シンとならぁ虎対決っちゅうにぃ言われただろぉ。
シンの奇襲のターバン首絞めがぁー佐山タイガーにぃー。
佐山タイガーのソバットがシンに炸裂とかぁ。
ハンセンとならぁハンセンの強烈な攻撃を受けてもぉちゃりぃ。
佐山タイガーのソバットでハンセンの巨体が揺らぐとかぁ。
外人とぉ対戦するタッグならぁ6人タッグが相応しいかんな。
ブッチャーん時もスーパースターん時もぉ6人タッグだったしぃー。
佐山タイガーが猪木と組んで外人と対戦するのはぁお祭りだったかんな。 >>614
この時期にメキシコにも足を延ばしており、ビジャノ3号、ペロ・アグアーヨと
WWFジュニアの防衛戦を行っている。どちらが先かは忘れたが、この2試合で
それぞれタイガーマスクは3本勝負のうちの1本を取られている。 86年4月 津市総合体育館のカード
猪木、藤波対マードック、スーパースター
前田対ジャイアント
木村、越中対カネック、ゲシュタポ
坂口、星野対コーレイ、ブラウン
上田、後藤対藤原、木戸
荒川対橋本
小杉、蝶野対高田、山崎
山田対畑
佐野対船木
セミは今も伝説の試合
藤原がレフェリー暴行による反則負け
前座の顔触れが豪華 話を蒸し返しますがすいません。
検索するとアル・コステロ(1938年デビュー)という人がオースイ・スープレックス
の創始者らしいんです。「逆さかさ押さえ込み」みたいな感じで、ブリッジ効かせ
相手をフォールする技。年代で考えると1940年代には開発していたと思われる。
で、カール・ゴッチは1950年デビュー・・。
だからジャーマン・スープレックスはオースイ以降に生み出された可能性が高い。
もしや、オースイ・スープレックスが発展したのがジャーマン・スープレックス?という
仮定もあり得るのかな・・とも思います。 >>620
このシリーズで、スーパースター&カネック&ゲシュタポのマスクマントリオが
実現していたかどうか気になるな。 高千穂が、日本プロレス末期に、オースイスープレックスを使ったと聞いたことあります。本当でしょうか? ゴッチが前田に伝授した各種スープレックスも、基本的には
アマレスの技
・相手の胴にタックルに入ってホールドし後方に返す技
・タックルに入って来た相手を逆にホールドし後方に返す技
・相手のバックをとった状態から相手の肩をマット付ける技
ジャーマンも最後のエビ固めはプロレス的な見せ技パート
だけど、基本的にはグレコローマンの技術だろう
https://www.youtube.com/watch?v=E5bGo2frg9c
https://www.youtube.com/watch?v=rJ1GVFR2L-A >>623
68年に国際マットでコステロ、69年に日プロマットで高千穂が
腕をロックした状態で後方に転がってからブリッジして固める
オースィスープレックスを使っていたのは確からしい
当時からプロレスマスコミはあったので、実際に見ていた人は
いたのだろう >>614
バディローズて新日にも何回か来たよね。普通にヘビー級のレスラーとも試合してたんだね。
マサ斎藤との試合は当時は日本では報道されてなかったよね。 >>623
高千穂は1969年秋(ダイヤモンドシリーズ)で
ブリッジ式のオースイスープレックスホールドを
使っていたよ。当時、日本プロレスの前座の試合を
「ヤングプロレス」と称して30分放送していたが、
そこで駒厚秀に掛けていた。
初公開は、同シリーズの開幕戦で戸口正徳に決めている。
その時の決まり手は「原爆固め」。
映像は愚か、写真もなくて残念だがね。
私は写真を求めて、その時の「ゴング」や「プロレス&ボクシング」を
見たんだが、写真はなく、逆に駒厚秀が「人間風車」を使っていることが
小さく報じられた。
私は、カブキの店に行った時、本人にこのことを質問した。
私「ヤングプロレスというテレビ中継があったので、ああいう大技を使ったんですか?」
カブキ「いや、そういうことでもない」
私「では、ああいう大技を前座で使って怒られませんでしたか?」
カブキ「それも、なかったなぁ」 >>627
に補足。ブリッジ式と書いたのは
後のM井上のローリング式ではなくブリッジを効かせて後ろに投げる
つまり、タイガースープレックスの原型だったよ。
無論、タイガーのに比べれば、スピードもないし、孤も小さく、
逆さ押さえ込みみたいだったけれどね。 >>625
オースイスープレックスといっても
@68年、国際プロレスでアル・コステロが使用したもの。
これは私も実際に見ていないが、相手の両腕をロックし、
後方に倒れ込み、ほとんど自分の背中から落ち、そこから
ブリッジしてフォールしたモノ=そり投げの中途半端な形。
これとて、最初から、この形ではなく、最初はちゃんとそり投げで
投げていたが、老化したため、こうなったのかも知れない。
A69年秋に日本プロレスの前座で高千穂が使用したモノ
>>6271で書いたが、スピードと孤の大きさは劣るが、
ちゃんとブリッジを効かせ、そり投げで投げた。タイガースープレックスの
原型。と言うか当時の名称は「原爆固め」
B全日でM井上が使用したモノ
腕をロックし、お尻から後方に倒れ込んでフォールするモノ。
これが、現在「オースイ」と呼ばれるが、アル・コステロのものとも
違うし、高千穂のモノとは明らかに違う。 コステロの動画見つけたけど、これを見ると井上式に似てるな
https://youtu.be/YbGM1YGkkRs?t=762
12:42 当時オースイスープレックス=タイガースープレックだとかプロレス誌で解説されてて
マイティ井上もかつて使用してたとかの記事読んでたから、やっぱ全日でマイティが使ってたの見るとあれ?ってなったなあ
つか逆さ抑え込みなんかはクイックの代表的な技みたいな印象だったけど、今年久々にCSで見た猪木vsロビンソンだと
あれも持っていくまで結構緊張感ある攻防になってるのが改めて凄いなと >>627
高千穂はヤングプロレス枠のメインエベンターだからそれなりの大技も認められてたんだろうな
ジャパン時代に全日マットに上がった保永
「(全日に上がって) 子供の頃にテレビで見ていた人たちが現実の
対戦相手として出てきて(笑)。むかし日本プロレスの若手の試合を
放送する『ヤング・プロレス』というのがあって、高千穂さんの試合が
メインだったんですよ。それが頭に焼き付いていたから『あの高千穂
さんと対戦できるんだ!』みたいな。 (続き)
「俺としては向こうはあまりにもビッグネームで格上だから、そういう
イメージで試合をやっちやうんですよ。そうしたら試合後に控室に
呼ばれて、『ダメだよ、できるんだから、もっとレスリングやらなきゃ!』
その時の感覚だと、カブキさんは俺に合わせてくれすぎるんですよ。
正直、『そこまでこっちを持ち上げてくれなくてもいいのに』と感じる
くらいでしたね。ただ、プロレスのルールというか、マナーには
厳しい人だったと思います。
全日本の場合は大きい外人でも少しはこっちのいい所を出させて
くれるみたいな所があったんですね。新日本は全くそういうのが
無かったと思います。『下っ端はボコボコにして終わり!』みたいな
感じでしたね。新日本はトップが猪木さん、坂口さん、藤波さんで、
それ以外はどうでもいい扱いだから、外人もそんな風に言われて
いたのか、そういう感じで対戦してきましたよね。」 >>614
タイガー対カートへニングなんてこの数年後に実現していたら夢のカード ボビーリーは側転ボディーアタックの事でいいんだよね
クソ漏らちぃー
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.
.
、 >>620
TV中継があってもおかしくないカードだね 蝶野の激闘ベスト5の12月ゲストは健悟なんだな
藤波とやったワンマッチ興行のやつ選んでほしいけど現存してないだろうな 二代目はカート・ヘニングとやってるんだよなw まあリッキーなんかとも今となっては見たかったけど佐山とはサイズ合わんかな
でも対ドス・カラス、チャボ・ゲレロあたりはやっぱあの時代に見たかったな >>634
両団体における外国人選手の意識の差?は外国人係の質が影響してそうだ
マードックの悪態を叱るジョー樋口と、一緒になって悪戯に加わるミスター高橋の違いだな タイガーマスクとドス・カラスは、みちのくプロレス両国でのあの6人タッグで対戦はしてるんだね。
チャボ・ゲレロとは対戦はないかな。 >>644
佐山主催の掣圏道のリングで、
タイガーマスク&ザ・コブラ対マスカラス兄弟が行われている。 その試合映像残ってないんだよな、超ドリームマッチだってのに >>647
胡散臭いバリバリの右翼思想の格闘技かと思いきや、
そんなど派手な試合してるのかよw >>647
ちなみにマスカラスがフライングボディアタックでタイガーをフォール。 >>650
何年の話?マスカラスが何歳の時か気になる。 >>648
スカパーのよくわからない桜チャンネルで、
一時期1時間リアルジャパンやってたけどないかな。 個人的には、2000年代になってタイガーマスクが大仁田厚と対戦したのはなんだか感無量だったなあ。
当時はよく比較対象されてたのをリアルタイムで見てたからね。 >>646
Uの出来事なんて
世界的には鼻くそみたいな事 >>653
そう言えば桜でリアルジャパンやってたな。
リングサイドの客がブラッキーで、旗揚げ戦か何かで
タイガーの投げたオーバーマスクをキャッチした客に
ヤクザが近づいて、マスクふんだくったのが映ってて騒ぎになってたw 85年のIWGPチャンピオンシリーズでコブラ対スヌーカとアドニス対バンディが同日に行われていて羨ましかった >>652
幕張ではなく、東京・メッセ昭島という会場。 85年のIWGPチャンピオンシリーズ、
ノーテレビの後楽園大会で、
アンドレ対バンディを期待して観に行ったら、
まさかのバンディの試合放棄。
まさしく金返せ!もの。
両者が大暴れして両リンならまだ納得できるが。 >>631
あの逆さ押さえ込みは、掛けるロビンソン・受ける猪木・カウントを取るドゥーガンの3人とも完璧な動きだった 84年のIWGPの時に地元でスーパースターVSアドニスという公式戦が組まれたので期待して見に行ったら
イマイチな試合内容でアドニスがあっさりリングアウト勝ちしてた。
藤原VSスタッドとかもあったな。 1984年のIWGPのマスクド・スーパースターはリック・マーテルの代打参戦
だったんだよな。マーテルは鶴田に挑戦してAWA王者に。
当時は、NWA=ケリー・フォン・エリック、AWA=リック・マーテル
WWF=ハルク・ホーガンとニューカマーが世界王者であった時期があった。 今なら延髄斬りはサドンデスという名前になり疑惑の足甲とネタに >>664
ちなみにマーテルが鶴田に勝って王者になった日、当初の予定通り新日に来てたら藤波との公式戦が組まれてた日だった。
藤波と対戦するはずだった日にキャンセルして鶴田と対戦とは不思議な縁を感じる。
なんでそんなの覚えてるかというと、自分が見に行く大会が藤波vsマーテルの予定だったのが藤波vsスーパースターに変わったからですわ。 84年のIWGPチャンピオンシリーズはケンパテラ対オットーワンツとかマニアックなカードが実現してパテラが2分ちょっとでリングアウト勝ちとかしてたな
試合内容は散々だったんだろうね >>639
実際にテレビ収録会場だったが、両国が2週にわたって
放送されたため、この大会はメイン数分のみの放送だった。 大阪のマードック対アドニスの凡戦ぶりにはガッカリしたな
結構期待していたのに
燃えよ新日本プロレスにも収録されたけど余計だったんじゃないかな 84IWGPの後楽園ホールでのアンドレVSスーパースターで
スーパースターのフライングスリーパーがアンドレに決まったシーン見たかった。
週プロに後楽園ホールが盛り上がったとか書いてあったけど。 84年なら勝ち抜き戦の高田対谷津が観たい。
ブックを食っちゃいそうな試合後はそうそう出会えない。 >>670
長州とアドニスがこの日の試合後のホテルで乱闘騒ぎを起こしたみたいな記事あったよね 86年4月 津市総合体育館のカード
前田対ジャイアント
この問題の試合を「テレビで見た!確かに見た!
テレビ中継をされていたんだ!」と盛んに
力説していたオジサンがいた。 >>512
あれ逆さ押さえ込みくらいのダメージしかないだろうに食らった瞬間小林がアーッ!って顔してるよな そう言えば昔のファイプロだと逆さ押さえ込みが最強技なんだよな。 リックマーテル郷ひろみよりカッコいいもんな
俳優やアイドルじゃないから一般人でいいと思うけど一般人イケメンの方が日本人全国レベルよりカッコいいという。。
人種コンプレックスってこういうとこから来てんだよな
結局容姿がいいか悪いかでしかない マーテル好きだったな〜。これといった技がなくて、本当に鶴田からベルトを獲ったの?と子供ながらに。 ジジイはマジで言ってんのか下らない冗談なのか分からない。 アンドレもマーテルもフレアーもキッドもパテラもワンツも
初来日は国際プロレス あの伝説の前田対アンドレは昭和の頃には放送されてないと思うよ
見たといってる人は確か翌年頃に新日の次期シリーズ予告の
前田の場面でこの試合の映像(確か前田が必死に腕ひしぎをかけようとしていた場面)が
ほんの数秒間使用されたので、それでも見たんじゃないのか。 オレはジオン軍だった。今でも連邦の野郎共は嫌いだ!特にブライト!
連邦軍など塩不足で全滅すればいい!田村料理長だけは引き取るがドズルの餌にする >>688の内容は書いた本人が>>682で先んじて言ってることだな。 リックマーテルが新日本に参戦したとして、手の合うレスラーいるかな? 最近たまたま輪島日本二戦目のマーテルとのタッグ戦を見たけど、輪島相手に試合が上手いなーと思ったけどな。
藤波とか体格的に合いそう 年末のタッグリーグにカナダ異色コンビとしてアンドレ&マーテル組なら見たかった >>693
あれはジンクも良い仕事をしたね。
この後も何度も呼んでもらえたのは
あれで馬場の信頼を得たからではないの? 長州とマーテルは手が合ったな。全日本プロレスで2試合して、
長州の1勝1引き分け。 https://pbs.twimg.com/media/EuWTmpeVgAE9Kun.jpg
マーテルがWWFに引き抜かれたらカナダのプロレスは一気に衰退した
いかにカリスマ的存在だったかが分かる >>588
高田もこんな膝がついたジャーマンやってたよな
ブリッジもベタ足でこっちのほうがホールド力が増す
みたいな解説してなかったかなぁ〜
まぁ天龍やら長州やら谷津に比べたらなかなか綺麗なジャーマンだと思う あの頃のまだ見ぬ強豪みたいのはほとんど全日にもってかれてた印象 タリー・ブランチャードやボビー・イートンなんて昭和全日に上がっていてもおかしくなかったのにな
新日にエイドリアン・ストリートやミッシング・リンクが上がったら面白かったかもね
1シリーズでお払い箱か意外に受けて数回は来日することになったかも
マクガイヤーブラザーズや新旧おかまコンビ呼ぶんだから可能性はあったと思う >>657
その佐賀大会は生観戦した。
コブラ対スヌーカはあっけなかったが、アドレス対バンディは盛り上がったな。 >>695
相撲レスラーと相性がいいのか ジンクだけに >>703
若者にはそのネタ振りは理解できんかも知れん >>702
羨ましい!
アドニス対バンディが盛り上がったのは見たかった
下手すれば超凡戦になりそう 新日も全日も年末のタッグリーグ戦でのスペシャルシングルマッチに名勝負無し >>704
心配ご無用
新日スレだけにヤングオラン (もうやめろ) レイ・キャンディ扮するスーパー・マリオマンは
なぜあんなコスチュームになったのか。
マスクのデザインは海賊ガスパーズの初期マスクに少しだけ似てた気がする。 >>709に追記
たしかマリオマンの試合で古館が
「さぁ見えないピーチ姫を救い出すことができるかマリオマン!」みたいな実況をしてた記憶があるな 79年闘魂あたりから新間のWWF会長就任の力も大きかったのか、外人メンツの顔ぶれがグッと豪華になり
年2回のMSGや秋の闘魂なんかは大盤振る舞いだった。ただ暫くして国際軍や佐山タイガー、極めつけの長州革命と
日本人側にもどんどんキャラが進出して入れ替わるように日本人主体になった。
ホンの数年間だが、あの新日黄金時代は今思うと目移りするような時代だったのだな。。 1985年IWGPタッグのスペシャルシングルのブロディvsマードックは好きな試合。 >>708
ルスカが新日に上がった時から
ヤングファンは、オランダ! このスレに来て初めて分かった事
マードックはトンパチと言われて親しまれていたけど結構性格悪い ジジイって本当につまらん事を恥ずかしげ無く言い出すんだな。リアル過ぎてキモイ >>716
そんな事言ったって自分だってそう若くないでしょw
40とか50で他人を爺呼ばわりとか笑わせる 1984年のMSGタッグリーグの開幕戦は良かったな。メインの公式戦以外は
5分間のエキシビションマッチで、参加全チームの闘いをテレビで見ることができた。 40だけど糞つまらない発言はしたいと思わないよ。敢えて言うならサザエさんを呼び捨てして許されるのは波平とフネだけだ。その他がサザエさんを呼び捨てにするのは許さん 86年5月 両国国技館のカード
猪木、上田対ジャイアント、将軍KYワカマツ
藤波、木村、越中、坂口、山田対前田、藤原、木戸、山崎、高田
後藤、橋本対マードック、スーパースター
星野対カネック
荒川、小杉対ブラウン、ゲシュタポ
キャット対コーレイ
佐野対蝶野
セミは5vs5の勝ち抜き戦
坂口が高田にカナディアンバックブリーカーでギブアップ勝ちなど大活躍
カネックは星野と両リン 波平=バーン・ガニア
マスオ=グレッグ・ガニア
カツオ=ダイナマイト・キッド
ノリスケ=ジム・ブランゼル 多分サザエさんも「マスオの分際で!」とは思ってるけど建て前場は「夫婦」だからな。
ノリスケなどカツオにもさん付けが妥当だよ。因みに1番アンチを集めてるのはサブちゃん。 >>724
もう少し新しくなると
カツオ=武藤敬司だと思う。
バーンガニア=波平は酷く賛同だしめちゃくちゃ(笑) >>720
このスレでも散々言われてたっけな。メキシコの帝王と言われてたカネックが
前座の星野と両リンとか国際問題ものだ、カネックは何故全日に移籍しないんだと 橋本とマードック&スーパースターの対戦とかあったのか。
橋本とマードックは6人タッグのリーグ戦でも当たってるかな。 何も知らないオレはカネックを神化してたが(何せファイプロで知ったルー・テーズに勝ってる)藤波戦の敵前逃亡で見損なった。後に酷い外人レスラーによる虐めが原因と知って自分を恥じたけど。全然カネックの試合とか知らないが今でも好きだマスカラスなんかより全然。 >>728
カネックもさることながら
まだヤングライオンの橋本あたりと
5対5対抗戦の前に組まれたマードックも
「俺たち、ガイジンをないがしろにしやがって!」
とお怒りだったと。 >>729
橋本とマードックならシングルでもやってる >>720
星野は好きなレスラーだったが、引き分けとは...カネックはどこまで聞き分けがいいのだろう まあ初来日時にやらかしちゃったからねw
その後もコンスタントに来日したが、主力外人の一角には及ばなかったな。
佐山との81年末スペシャルマッチくらいか、強さを感じたのは。。 >>720
次期シリーズIWGPにも参戦のアンドレが、前田との不穏試合を理由に来日中止に
ならないよう、アメリカには帰さず、開幕戦まで沖縄で過ごしてもらった。 >>707
佐野と畑かと思ったら、まさかの笹崎と大矢
客舐めてんじゃねえとさすがに呆れた >>737
抜擢された大矢に対し佐々木健介がジェラシーを爆発させていた。 >>728
馬場がカネックを呼んでマスカラスと最強タッグに出そうとしたが新間に頼まれて自重したとか 懐かしいな〜。スーツの浜口がブロンドのセコンド。マシンとジョージが抗争。
ジョージ「そうだ。悪いか?」は、この頃だったはず。 あれは聞いた辻の意地か悪いよな
コブラがジョージだなんて誰もが知ってるのに ウルトラマンが円谷プロの許可なかったように
スーパーマリオマンも任天堂の許可なかったんだろうなw >>742
お前の文章だとカネックの試合観た事と無い(プロフィールは知ってる)けど好きってww
せめてなんか観ろやって思ったんだけどw
オレもカネックはマスカラスより人格者で努力家だとは思うけどね あかん。最強タッグなんかに出たら、全敗してしまう。というより、全日に移籍したら、カネックなら新日以下の格付けは間違いないから、シリーズ全敗させられそう。 >>747
お前呼ばわりされる筋合いはないよ。常識知らずのガキなら絡むなよ。ガチでムカつくから 浜田が新日から離れてUWAの選手が全日に上がっていた時ならカネックも呼ばれていたかも
フィッシュマンやアグアヨが全日に上がったのは何か悔しかったわ
お前んところEMLLから新日が呼べない選手を上げることできる癖に欲張るなってね フィッシュマンは良く分からないけど良い選手だったんでしょ?初代タイガーにも勝ってるし。見た目も変わってて良いよね。 >>751
え?フィッシュマンに負けたことあるの? >>749
悪りぃ悪りぃ土曜の夜にそれくらいで怒るなよw >>753
海外らしいけど。フィッシュマンとアグアヨには負けてるらしい。しかもギブアップかな。 >>755
それは3本勝負の1本を取られたって事でしょ
試合では負けてなかったはず >>756
オレはガキなのか?ジジイなのか?www相変わらず支離滅裂ww
お前こそ日曜日に仕事あるんだろ大丈夫?www >>758
日曜日に仕事?自営だから?まぁやろうと思えば。ゴリラか? フィッシュマン対ジョージ高野はメキシコで最優秀試合賞をもらっている。
が、札幌のザ・コブラ対フィッシュマンは凡戦だったな。 >>758
邪魔なタイミングで割り込まないで迷惑。 >>761
体格差凄い気もするが良いカードだね。個人的に昔のメキシカン居ると豪華に見える。 例え三本勝負の一本であってもタイガーがピン負けする映像は流すなと
新間とテレ朝の判断で当時のワープロでは流さなかったんだっけ
引退した後のサムライやユーチューブでは見れるけど ギブアップはアグアヨだっけ?オクトパスホールドみたいな技じゃなかったかな。 >>766
オクトパスはビジャノVの方だなアグアヨにはセントーンからのフォール
2戦ともゴング誌でカラー写真掲載されてた記憶がある。 ビジャノにもとられてたのか?ってかアグアヨが記憶違いかな? あっアグアヨにもやっぱりとられてたよね。記憶があやふや過ぎる >>748
マスカラスとのコンビだったら全敗は絶対にないし、外国人勢ではファンクス、ブッチャー・シークの次くらいの順位になっててもおかしくない。新間に頼まれてわかったと納得する時期だろうから、マスカラスに傷をつけるはずはないよ。 >>772
マスカラス・カネック組で出そうとしたのは84年だろ。
それだったら前年のマスカラス兄弟と同程度の順位だったろうが。 なんでもいいがマスカラスの最大のライバル=カネックはオレの間違いなのか?
タイガーマスク=ダイナマイトキッドみたいに。 シングルマッチの3本勝負ってなんか嫌だったな。1本勝負のときと違って簡単にフオール取られるのが不思議だった。 >>673
同時ネットではない地方局では放送された局があったようだよ >>776
全日本プロレス中継で「まだ2本目以降があるんだからここは早めにギブアップしてダメージを抑えたほうが・・」
みたいな話をよく解説者がしてたから、なるほどーと納得してたなw >>778
日プロ時代に猪木とドリーのシングルで、3本勝負だけど両者ノーフォールのまま時間切れ引き分けの試合あったね。予定調和を嫌う猪木らしい >>706
1981年愛知県体育館 上田vsシーク マードックオートンスコットホール組でもホールはイジメられていたらしいしやっぱりマードックは性格悪かったんだな
あの当時まさかホールがこんな大物になるとは思えなかった >>777
それも実際疑わしいんだよな
今の時代ならどこで放送された、とかその当時の対戦テロップ入りの動画とか上がってもよさそうなもんだけど、全然出てこないし >>763
入場曲は古舘
セコンドにはジョージ
NWAとWWFの二冠王者になってCMへのテロップにはIWGP
いろいろと味わい深い >>776
長州と藤波がやってジャパニーズロールクラッチ?だかでグダグダな上にブリッジもろくにできない藤波に
ハイハイポンポンって長州がやっててなんだかなぁってのがあったな
いつだかのドームかな? >>785
ジョージはこの翌月にカルガリー入りしてコブラになったんだよな 考えてみれば2フォール(ギブアップ)以外、王座移動無しのルールだと
1本目早々に反則とかで勝敗つけるというのは予め無いってことだよな。。w 昔よく実況が「1本目反則負けになっても相手を徹底的に痛めつけ、残り2本を取る作戦」
とか言っていたが、1本目反則負けになったチームが残り2本取るとか絶対なかったよな。 >>787
ジョージがコブラになる!か
何かカッコイイ響きだな >>789
相手側からすると
@反則勝ち
A完敗
B完敗
となるわけで、全く割に合わない勝ち方になるからね。 >>788
MSGで藤波&谷津がムーンドッグスのWWFタッグに挑戦したときあったな
1本目藤波組反則勝ち、2本目藤波組フォール勝ち 王座奪取!
え〜1本目が反則なので王座の移動は…
2本目やる意味ねーだろって メキシコの帝王カネックがアンドレの挑戦を受けたUWA世界ヘビー級選手権
カネックはピン負け一本、アンドレはリングアウト負けと反則負けで二本
カネックの防衛勝ち…切ねぇ…たとえ本拠地メキシコでもそうなるよね メキシコの3本勝負は、1本が非常に短い。ワンデイトーナメントも、1試合数分決着ばかり。 長州がメキシコでカネックから王座奪取した時は東スポの一面にもなって驚いた。
その後負けて取り返された事はロクに報道されなかったんだよな。 IWGP の後に行われた佐川急便杯がワンデイトーナメントだった。ノーテレビなので結果しか知らないが、猪木は坂口、スーパースター、マードックを連破して最後アンドレにリングアウト負けず劣らずだったはず。アレは酷いと思う。 マスカラス=銀×黒
ドスカラス=赤×青
カネック=金×青又は緑金
サムライ=黒又は青
が定番?
カネックはかなり難しい。白×赤のイメージもあるし。 >>786
1987年10月の両国大会かな?
セミの試合が猪木対スティーブウィリアムスのIWGPヘビー級タイトル戦だったときの。 >>798
新日本旗揚げ以降の国内の興行で猪木のタイトルマッチが最終試合じゃなかったのは
vsW・ウィリアムスとvsS・ウィリアムスだけかも >>800
ヤケに遡る人だな。じゃあカネックの話しよ。カネックのベストバウトは?メキシコでの実際の立ち位置は?知らない事だらけだから教えて下さい。
メキシコの帝王なのに虐め受けてたの? タイガーマスクの試合に初黒星をつけたのはカネック。
タイガー&前田対カネック&マキナにて、
カネックが当時若手の前田をフォール。 >>798
そんな昔かなぁ?
3本勝負の一本目だぞ >>804
越中が高田に負け続けながらも観客の人気を掴んでいくんだよな >>802
そうなの!?ありがとう。
個人的にタイガーは素晴らしかったけど神扱いされ過ぎて乗れなかった。寧ろブラックタイガーやダイナマイトキッド、スティーブライト辺りが好きだった。リアルタイムじゃないけど >>786
そのシリーズの開幕戦で、長州の試合がテレビ解禁。
長州の相手をコイントスで決定し、藤波戦となった。
60分フルタイムを予定していたが、長州のスタミナ切れで
不可解な無効試合で終了。 >>797
カネックは赤ラメ地に金のフチ取りが好きだった。
マスクドスーパースターは黒地に青の星が好きだった。 ライトはハゲたことでよりテクニシャンらしい風貌になってよかった 猪木、藤波が79年4月にメキシコ遠征した時に猪木とカネックのNWF戦があったが
反則とフォールで猪木の貫禄のストレート防衛。まだこの頃はカネックも現地の帝王と言う位置では
無かったかな? >>807
そのシリーズ最終戦両国メイン、60分3本勝負で再び相まみえたがショボい内容だったな。
開幕戦に続く凡戦で名勝負数え唄賞味期限切れを印象づけた。 90年浜松アリーナの藤波対長州のフィニッシュもショボい回転足折り固めだった >>812
但し、シチュエーションが異なり、開幕戦はニューリーダーズ同士としての対戦。
最終戦は、中盤戦での藤波−長州の仲間割れからの因縁対決だった。 >>807
「予定してたが」って、あんたは関係者か! >>812
なんか魔法が解けたかのようにファンも覚めちゃってたな
半年しか休んでないのに全ての神通力が消え失せた欽ちゃんと被るもんがあった 88年の藤波がスモールパッケージで勝ったIWGP戦はそこそこ良かった 藤波が卍で血ポタポタの時か。
あの卍、不恰好なんだよなあ。 >>816
蹴る前にトントンと合図したらしいけどな スティーブライトvsカネックとかありましたか?両者ともvsタイガーマスクしか見た事ありません。
スティーブライトvs木戸修とかあったみたいですが。 鬼束ちひろはスターダム入りかな。マーベラスではギャラの関係でまたパクられるだろう。
必殺技がトーキックは何とかしないとな。 仙台での藤波vs長州で、藤波が足を負傷でノーコンテスト。
平田vs健介と一緒か? 小林邦昭vsカネックの動画探してるけど全然見つからない
どんな試合だったのか見てみたいなぁ >>827
美しいねえ、
ジャンプして足をバタバタさせる藤波も名人芸。
やっぱこのふたりよ。 猪木が最後にバックドロップを見せたのは90年9月のデビュー30周年特別試合か
ベイダーには弧を描くバックドロップ、浜口には低空高速バックドロップを見せてる >>823
中野たむとメンヘラ美人コンビで売り出せるな 対uwfイリミネーションでいきなり前田にかましたバックドロップが大好きよ。
前田いいとこ取られて大慌て。
猪木さっさとタッチして逃げる。
vs前田は猪木の勝ちで終わったのだった。 最初の1対3の終盤でラッシャーに見舞った一撃が好き
大の字になるラッシャー、しかし投げた方の猪木も連戦の疲労で動けず
直ぐカバーにいけばフォール出来たかも?という展開も良い バックランドからWWFを奪取したバックドロップはカウント2で返されたように思った 昔なぜか新日が夜中にやってて
フィッシュマン、ペーロ・アグアヨと試合してる藤波が顔面血だらけになってた記憶がある 何故か昼間に新日本の放送しててベイダーを初めて知った記憶はある。あの甲冑パフォーマンスは衝撃的だった当時多分小学生の低学年。
プロレスに興味もったのは中学生なってからの全日本プロレス中継。 >>834
メヒコでの猪木&藤波VSブッチャー&アグアヨで藤波が血だるまになってた覚えあるな。 >>836
列伝での、「ブッチャーが危険ですよ!」
「おまえ、そんな血だるまにされてブッチャーの身を案ずることもなかろう」の試合だな。 単行本の時は「殺してやる!黒ブタッ!」だったのに
文庫版だと「殺してやる!」 漫画版タイガーマスク2世でブラックタイガーが口にした
「黒ブタは屠殺場に送り込まれたぜーっ!」
という今では全面改変を余儀なくされるやばい台詞 >>832
あれで浜口や寺西が本気で怒るのはわかるね。
でもラッシャーは男だね。
全て割り切って何でもやった。
新日への感謝があるからこそだったし。
本当に物事には忠実な人なんだろう。
全日でもそれは変わらず。 ラッシャー程の忠義の将は中々いないよ。マサ斎藤くらいか。
地元で有名なヤンキーがラッシャー似だったけど性癖に難があってア○ルラッシャーと呼ばれ親しまれてた。物は極太らしい。行き付けのスナックの姉さんと結婚した。 >>840
なにしろほとんどの編にブッチャーが出てきて
そのつど「黒ブタ」というフレーズがもりこまれるので
ほんとうに親交があったのか疑いたくなるほどだ
新日のブッチャーもホーガンとの短期抗争だけはスイングしたが
「今日こそブッチャーの黒ブタを」→
「今日こそブッチャーのヤロウを」
なんとかして字数あわせてるのが涙ぐましい 何かの漫画で、長州が「サノバビッチ(白豚野郎)」と言いながらラリアットするシーンがあった。 >>807
あのコイントスは怪しかったね!観客も視聴者も確認出来ないなかで藤波対長州に決まった。9割は前田対長州に期待してたはず! >>848
あの時リング上で藤波は既に臨戦態勢だったけど
前田はTシャツ着て練習用シューズで何気に「今日の相手は俺じゃないですよ」アピールしてたよね。 >>844
ブロディ編での「黒ブタがトンカツになりやがれ!!」も相当酷いよなw
https://ablackleaf.com/wp-content/uploads/retsuden02.jpg
>>846
今、気づいた。間違いないなw
>>847
長州は試合中、実際に「サノバビッチ!」と普通に言っていたよ。
ちょうど36年前の長州 vs デビアス(1985/11/27・札幌中島体育センター)でも
デビアスに「ユー、サノバビッチ!」と言って放送席にデビアスを叩きつけているし、
シンと東京ドームでやった試合(1991/3/21・'91スターケードIN闘強導夢)では、
それを上回る「ユー、マザーファッカー」というの一番強烈な罵倒語を使っている。
まあ、あの時は車をぶち壊されたりの凄いアングルだったしね。 >>850
まあ黒ブタトンカツだから一級品あつかいともいえるけどねw
あと サビノビッチだとかいう外人も来日してちょっと混乱した >>850
あの車ぶち壊しが一つの要因になって馳は前妻と離婚してる 高見恭子の前にビクトル古賀の娘と結婚してたな。
結構な美人さんだったが、当時色々噂も聞こえてきてたな。 >>851
なるほどw
プエルトリコのヒューゴ・サビノビッチね。"女版ハンセン" と言われた、ウェンディ・リヒターの元夫で
84年7月に全日本の『'84 グランド・チャンピオン・カーニバル V』にハンセン達と来日したよね。
レスラーよりはWWCではカルロス・コロンの片腕として、マネージャー、アナウンサー、ブッカーとマルチに活躍した。
>>852
そうだったんだ。
実は自分、あの日シンが馳の車をぶち壊した現場にいたよw
試合が終わって移動バスに乗り込む蝶野に「頑張ってください」と声かけした瞬間に、バスの裏側から
何かをたたき壊す凄まじい音がしたんで、すぐに移動すると馳が手押さえて(恐らくガラスで切ったと思う)
「シン呼んでこい!!!」と怒鳴っていたんで、何事かと思ったよ。
>>853
高見恭子は馳の再婚相手だよ。高見も再婚だった。 >>854
馳が後藤のバックドロップで一時心肺停止になった頃の夫人だったな
意識が戻った馳に「あなた、富家先生とキスをしたのよ(リングドクターに人工呼吸してもらった)」と言ったという記事を
当時の週ゴンで読んだのは記憶してる 馳は武藤とのタッグと山田邦子問題しか印象が無い。後はリックルード戦か。 高見恭子ってひょうきんベストテンの偽薬師丸ひろ子だよな あっG1の橋本戦とか結構あるな。ケンスキーとのタッグは嫌いだったしスルーだった。ムタ戦の流血も酷かったなwもう見たくない 前につべにもアップされてたけど、昔のタモリ倶楽部で維新軍取り上げる回やったとき、
ゲストの長州、浜口相手に、タモリの横で独身時代の高見恭子がアシスタント的な立ち位置で出てたのには笑ってしまった 維新軍は、浜口がナンバー2だったが、全日移籍したら谷津に交替。違和感あったが、なるほどとも思った。 馳が高見恭子と結婚、と聞いても、正直、まっっっっっったく羨ましいと思わなかった。
高田が向井亜紀と付き合ってるのを知った時はフル勃起だったが。 やっぱ当時の倍賞美津子と結婚ってのは猪木の格の違い感じますな
最近有名どこだとオカダカズチカのとこか 格違いなんじゃないの?高倉健よぎるし。
オカダの嫁さんって声優でしょ?顔すら知らん。
まだAVの紋舞らんの方が分かる。ゲームショップに間違えてゲームソフトと混じって紋舞らんのDVDを売ろうとしたのは良い思い出 >>854
結婚前に馳がビクトル古賀に挨拶に行ったら
「あれと結婚したら絶対不幸になるからやめときさない」
と真顔で忠告されたとか >>867
あめくみちこって週刊欽曜日で欽ちゃんバンドとかやってた人やね >>870
そうだったか完全に勘違いしてたわ
ありがとう >>869
そうですね。あまり詳しくは書けませんが、彼女の方に原因があっての離婚で周りは馳に同情的だったと聞いたなあ。 有名人を奥さんにするのもありだが、結婚してから奥さんが有名になる場合もある。
KENSOの奥さんはもともと大学時代の彼女だが、WWFで有名人となってしまい、
帰国してからは市議会議員から県議会議員へ。あんなになんでもできる人だとは。 https://pbs.twimg.com/media/FFH9b9LaUAI-o5Y.jpg
興行戦争の目玉カードはサンマルチノとのタッグマッチの方なのに
あえて鶴田フレアー戦を表示する新日よりのファイト誌 >>858
たまたま早朝にやってる脳ベルshowで山田邦子見たけど
やっぱり話術は一流だな
あまりテレビには出なくなったけどマイペースで仕事してるんだよ 昭和時代には、頻繁にあった技である
ショルダースルーの成功率ってだいたい半分くらいだと思うけど、する人とされる人共にタイミング難しいよね。
する人は、前見えてないし。
何度も練習しないとできないよ。
もちろんされる人もだけど。 西川君は度重なるショルダースルーで腰から背中を壊したらしいな SKの弟子。柔術紫帯は持ってる西川君
今は改名してるらしい >>879
TAKAみちのくはショルダースルーは怖いから受けないとのこと。 >>886
いくら何でも無知すぎる
西川がSK告発したの聞いた事ぐらいあるだろ 健介って書けよ
今のプロレスは見てないからピンと来ない >>887
しかも西川の最後の「世間が爆発するくらいの事実」は鬼嫁逆転論だと思ってる。その前にSK引退して発表にはならなかったけど。 馳が議員になれたのは高見恭子のおかげ
選挙運動の番組見たらおばさん連中がみんな嫁の方に行ってた >>889
SKはかなり昔からだ。お前の事情など知るか。少し考えればいや、考えなくても当たり前だ 健介と言えば昔「正直すまんかった」と「バァー」が2ちゃんで流行ったよね。 >>879
それでいて客席がワッと沸くわけでもないから、ショルダースルーって割に合わない技よね。
ショルダースルーが決まって盛り上がったのは、いつもいつも蹴り返される鶴田が珍しく決めたときくらいかw 菊池のショルダースルー受けは凄かったよ。いつもいつもより飛んでた。アトミックホイップも。 菊地がショルダースルーやアトミックドロップと見せかけて投げ棄てられるのと、三沢が小川良成をモンキーフリップで高く蹴り飛ばすのはセットだったな。 ダリルピーターソンと、コンガザバーバリアンの、無理があるブック。 >>899
どちらもバウンドするんだよな。そしてその菊地と小川がライバルだった時代が好きだった。更にダニークロファットとか。全日ジュニア黄金期だな。モスマンや渕、イーグルもいたし。考えるとショボイ気もするけど。熱かった >>879
ペンタゴンだったかショルダースルーで半身不随になったケースもあるし怖い ショルダースルーの受け身習得は新弟子にとって大きな壁。
意外にUインター道場でもショルダースルー受けは稽古してたらしい。 >>901
記録的に全日ジュニアのピークは89年の印象 >>906
お前には言ってない。忘れたがRXだったかな…シャドームーン派だったけどな! >>906
そうそう。これだけはお前に言っとく。ガン消しとカードダス20、BB戦士はマストアイテムだったよ! 片ひざで相手の背中に乗っかり「ウアーッ」とのび上がってギリギリのところで回転
エンヘンドロの応用バージョンだが
そういやアレもまかり間違って新日に上がったな 平成だけど >>897
ショルダースルーを仕掛けた側が回転エビ固めでフォールされると
いかにも「もうこのへんでいいだろう」と言わんばかりの雰囲気になったな
長州が反逆したブッチャー組との6人タッグのフィニッシュもそうだったな 昔テレ朝深夜で学生プロレスやってて、肛門キレ痔ろうがケツ出しながらショルダースルーで後頭部から落ちたのはやべーと思った。もちろん無事だったけど。ター山はそれなりに評価しつつ、体とバンプが出来てないことを問題視してた記憶がある。 回転エビ固め、特に相手の突進を交わしてコーナーポストから放つ回転エビ固めは、かけた自分もデッドリードライブとおなダメージを負うんだよな。休み時間のプロレスごっこでよく分かった 平成になるとフランケンシュタイナーという超ド派手な回転エビの派生技みたいのが出てきたから、
オーソドックスな回転エビがフィニッシュになることはほとんどなくなったなあ。
昭和の頃は藤波やタイガーマスクあたりは時々フィニッシュにしてたのに。 フランケンシュタイナーは元々はエグイ痛め技で固め技じゃないんだよな。
今ではスターダムの上谷のウラカン・ラナですらフランケンシュタイナーと言われている。スコットスタイナーも特許出願しておけば良かったのに。日本だと武藤からかな? 浜田さんがワグナーに投げ上げられてからのウラカンラナは高さ速さともすごかった
その時はフィニッシュにはならなかったが説得力じゅうぶんだったよ レスリングサミットの時にリックマーテルがやったウラカン・ラナぽい技に
中継ゲストの徳光さんが「おおっ!」と叫んだの覚えてる。 >>890
その前に引退というか引退と引き換えに西川が世間への暴露をやめた流れだろうな
世間があっと驚く爆弾と言ってたからDVだろうと皆言ってたな
>>893
西川のブログでの健介の表記がSK >>920
しかも北斗が癌とかあったりテレビ出演時のSKのわざとらしさ。ドッキリでのマジギレ見たらSKの事は疑うわな。そもそも引退理由が謎だしw
Nに関しては良く分からん。好きではないけど。 高山善廣が首に重症を負ったのも回転エビの失敗だから、怖いな。
巨体で器用なところを見せて沸かせたかったんだろうけど・・
そう思うとベイダーやビガロはやっぱ凄いな、
それぞれ長州と藤波に回転エビを決めてフォールしてるのが。 馬場もマードックに回転エビで勝ったことがある
やはり並外れた運動神経と器用さがあったんだな カナディアンデストロイヤーを初めて見た時は驚愕したな。相手の協力は分かるにしても。ピィーティーウイリアムスだっけ? 坂口がショルダスルーを決められるのと鶴田がショルダスルーを成功させるところを
見た人は殆どいないが、どっちも一度だけ成功したのは見た。 >>912
長州が正規軍の時の1982年新春黄金シリーズ、猪木・長州対ブッチャー・アレンの
60分3本勝負にて、1本目を長州がアレンのショルダースルーを回転エビ固めで
切り返し、瞬殺したことがあった。怒ったブッチャーに2本目に血ダルマにされた。 感謝デーで鶴田のシンポジウムがあって、質問コーナーで「鶴田さんのショルダースルー成功したところを見たことが無い」
ってあって「今夜必ず決めます」と鶴田。その日の試合で小橋に決めたのを覚えている。 >>914
学生プロレスは日テレね、レスラー名が当時の全日中継と同じギザギザフォントが印象に残ってる。
肛門切れぢ郎のショルダースルーの受けYouTubeで見れるけど凄い高さから落ちてるよ、あれ今のレスラーよりも上手いんじゃないかな。 >>929
「長州の額がザクロの様に割れた」という古舘アナの実況覚えてる。
子供の時あれでザクロを知ったw >>931
テレ朝のプレステージでも学生プロレス放送したことあるよ。肛門さんが出てたか知らんけど 長州の回転エビといえばIWGPでスタッドを丸め込んだりしてたな
ケロ曰く「長州さん回転エビあまりうまくない」 >>931
オギーソとサンプラザも安心して楽しめたなあ >>923
「あれはなんとかマスターしていて助かったよ!」と述べていた。
映像が残っていないのおしいね。 長州は外人相手だと
回転エビ固めやドロップキックなど似合わない技使ってた >>934
84年第2回IWGPの長州の戦績は出色だな。予選は藤波を抑えて猪木、アンドレに次ぐ3位
凱旋した77年ワールドリーグ以来の上位。結局MSGシリーズではほぼ白星配給係に甘んじた。
長州の新日時代(離脱前の前期?)の浮き沈みがよくわかる。 83年頃の長州は、革命後だったけど猪木やホーガン辺りにはタッグでピンフォール負けしてるな。 飲み会で、「は」からはじまるプロレスラーの名前は?で俺以外全員、ハルクホーガンだった。
なぜか俺が答えたのは、ハル薗田だった。理由がわからずモヤモヤしている。 オレもハルクホーガンかな。それじゃないなら永源の「遙」くらいしかパッと出ない。 ハーリーレイスはよw というかファーストネームでもなんでもいいのか。 永源もだけどハンセンなら「スタン」なんじゃない?ホーガンならハルクでもハリウッドでもホーガンだし。HHHだよ やっぱハーリー・レイスかハルク・ホーガンだなあ
日本人・・・林牛之助とかアリかw 40歳だけど、例えばいきなり「は」から始まる有名人と言えばと聞かれたら反射的に「ハナ肇!」と答えてしまう。ハナ肇は顔すら知らないけど。
それと一緒でハルクホーガンかハーリーレイスとなるんじゃないか?質問者やググった人ならマニアックな名前言いたがるかもだが。 ハンス・シュミット
ハロルド坂田
ハクソー・ヒギンズ
ハードボイルド・ハガディ
ハードコア・ホーリー
ハンス・シュローダー
ハッピー・ハンフリー
ハンス・ナイマン
「バ」はたくさんいるけど確かに少ない気がするな 野球選手なら多分原辰徳とか割とすぐ出てきそうだな、って思い出した阿修羅原だけど「あ」か
そういや原軍治なんて全日のリングアナもいたか しかしなぜいきなり「は」から始まるレスラーになったのだ? やっぱりマニアックな名前出したがる奴が沸くな。中にはプロレスラーじゃないのも混じってるし。橋本真也は確かに盲点だった。なぜかパッと出てこなかった。
「あ」ならアントニオ猪木かアンドレなんだけどな なんで橋本出てこなかったんだろ、上の世代から順に思い出して三銃士までたどり着かないとか ハヤブサとかいたな
って思い出せばなんだかんだ出てくるな 確かに馳もなぜか出てこないが町歩いてて急に「はで始まるレスラーといえば?」と聞かれて「馳浩!」は無いな。
「い」なら何故かイーグル!と答えてしまう。それは「ジ」とか「ダ」だとか言われてもそこはとっさの事だから知らん >>952
プロレスラーしりとりをやってて、
アントニオ猪木
→キムドク
→クラッシャーバンバンビガロ
→ロードウォリアーズ
→鈴木みのる
る、る、る、わからない。
ルー大柴でおまけして!
了解
じゃあ「は」のところで
ハル薗田と答えたら、
Σ(Д゚;/)/えええ?って感じになって
じゃあ誰がいるんだよ?と尋ねたら
せーので全員「ハルクホーガン!」
こんな感じの経緯です。 人名しりとりやってて友達が「じ」で始まる人間誰がいたっけってとこで、
別の友だちが「ほらプロレスのレフェリーで」ってヒント出して
「ああ、ジョー樋口!」って繋いだんだけど、ヒント出した方は「いや、ジミー加山だったんだけど」
そっちかいみたいなことがあった、中学生時代の修学旅行 まずジャイアント馬場辺りだろうな。
「ジ」は多すぎるけどまず出るのは馬場、鶴田辺りだろう。
とっさならジャイアントシンとかやっぱりジ・イーグルとか言ってしまうかも。 >>971
ジミー鈴木と言ってしまいそうな自分が嫌だw ザ・コブラ対デイビーボーイ・スミス
ブルーザー・ブロディ対ハクソー・ヒギンズ
この2試合の共通点は? >>965
ていうか、「ハルクホーガン」だったらしりとり負けだろw 次スレ
【アノアロ・アティサノエ】昭和の新日本プロレス38【ドン・中矢・ニールセン】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1638461115/
引き続き、昭和末期の新日本プロレス、伝統の格闘技路線を支えた彼ら未知なる強豪について語りつくしましょう コキーナは名前からして卑猥で嫌いだな。コナンはググったら凄い人生で驚いた。 >>984
AAAのキューバ人ね。今は知らないけど。昔は有名だったな。ファイプロにも居た気がする。幼い時に亡命してギャングになったのは昔からしってた。 >>988
うん。体格もデカイし。NWOにもいなかったかな?記憶違いかもだけど。ミステリオとかと戦ってた記憶もある。 キューバとかプエルトリコとか結構懐かしいレスラーはいっぱいいるよね。ショッカーとか。忘れるけどね。
まぁ昭和かと言えば微妙な人多いしスレチか マスカラアニョドスミルを初めて知った時子供心にもマスカラスブラザーズの豪華版かと思った シエンカラスはマスカラスのパクリかと… まあ遠からじ 中学生の時に新日本観に行って謎のマスクを買った。後にそれがエル・トルメンタだと知った。調べたら結構凄い人だった >>994
マスカラス本人から抗議を受けて脱ぐ羽目になった
せめてマスカラ戦で勝つことで剥げば抗争としてビジネスになったのに 世間的にはオカダカズチカよりも三森すずこの方が圧倒的に有名だろう。 ヲタじゃない限り同じくらいかむしろオカダが上じゃないの?バラエティ出てるし。嫁は未だに名前も顔も知らん。例えば悟空や昔のドラエモンなら分かるけど鬼太郎の声の人とか知らんし。クレヨンしんちゃんの声の人は最近テレビ出てたから見た。名前まで知らないけど。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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