【ちょっとお知らせ♪】昭和の新日本プロレス49【政府広報】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
86年タッグリーグのスヌーカは来日した意味が無くなってしまい気の毒だったな
存在感も薄かった スヌーカは全日時代を含めても
色々と間が悪いというか長続きしないというか
本人のせいではないんだが >>8
表記はスヌーカだけど実況はスヌーカーで行われていたから、長音記号ありで記憶している。なので正しくはジミスヌカーだね。あれ スヌーカは新日でも全日でもブロの子分扱いだったなあ
本人にそこまでの迫力が足りないのもあるけど
シリーズボスとして参戦するくらいの器はあったと思う ハンセンのタッグパートナーだったデビアスがWWFでメイン張るようになったのとはえらい違いだ >>10-11
スヌーカWWFではトップ待遇だったやん
ホーガンと長期契約出来なかった場合のWWF王者候補筆頭だったし
(実際ファイトのI編集長はファイトのみならずビッグレスラーへの寄稿記事でも
WWFヘビー級王座はバックランドからスヌーカに移動すると予想していた)
私生活でのトラブルやステロイドの問題さえ無ければ
80年代後半以降もWWF内で優遇されていた筈 スヌーカは新日リングでは影が薄かった
猪木ブロディと藤波スヌーカが連戦だったけど
片方を猪木スヌーカと藤波ブロディにしてほしかったわ
もちろんブロディが藤波をボコるのを危惧したからああなったのは理解できてる >>10
アメリカじゃブロディとスヌーカの立場はまるで逆。スヌーカはミッドアトランティック、ノースウエスト、NYと全米テリトリー各地でメイン
ブロディはせいぜいダラスでメイン張ってた程度 >>13
85年のIWGPでの藤波対スヌーカの初対決は両者血だるまの末レフェリーストップだったね
当時のスヌーカは待望の新日登場だった 年末のタッグリーグ
ブロディとスヌーカそれぞれ違うパートナーで出てればスヌーカの価値が上がったように思う ブロディのパートナーにはヒギンズをあてるとして、
スヌーカと組ませるのは誰がいるだろう。
もちろんだれでもいいっちゃいいんだけど、
サモアンやシバアフィでは力量不足だし…… ブッチャー、スヌーカ組を全日本より先に実現させたらよかったのに。 スヌーカはPオーンドーフと大西洋岸タッグ王者だったが、日本マットじゃちょっとイメージ的に準エース格コンビか。
やっぱ日本じゃブロディスヌーカって鉄壁コンビだと思う。ダラスじゃエリック兄弟と組んでたが日本じゃちょっと受けにくい。 >>17
スヌーカのパートナーは困ったときのバッドニュースアレンじゃだめか スヌーカはブロディ以外のパートナーに恵まれなかったよね。全日でのレイス&スヌーカ組は最強タッグで見たかったな。 新日リングではアンドレと最初に組んだんだっけ?
アンドレ&スヌーカvsブロディ&ブッチャーとか見てみたいわ ハンセンてシングルプレイヤーとしてはもちろん、タッグでも使い勝手良かったんだろうね
全日時代は日本人とも組んでるし >>23
天龍と組んだのも、馬場と組んだのも凄く良かった。一番付き合いの古い、鶴田とのタッグも見たかったな。 ハンセンは新日時代も、チャボと組んでもキッドと組んでも凄く良かった。タッグの面白さを理解しているレスラーなんだよね。 ハンセンはシンやブッチャー、上田、マサともタッグ組んでたよね。 俺がハンセン初めて見たのは、猪木&坂口vsシン&ハンセンだったが、
あの時のハンセンは弱かった気がする。
久しぶりでハンセン見たら急に強くなってて驚いたものだ。 >>13
> もちろんブロディが藤波をボコるのを危惧したからああなったのは理解できてる
いや逆だろうね
ブロディの方が自分よりコンディション体力で上回る藤波を避けてたんじゃないの?
85年当時の藤波ならブロディに力負けはしないし事実その後の一騎打ちでも遅れを取った印象はない
例によってオタ程専門誌のインタビューやブロディの「手記」なる物を鵜呑みにし過ぎて
目が曇ってしまうんだよ知らず知らずの内にブロディ側に都合の良い見方しか出来なくなってしまう
当時の映像を観直したら夏以降ブロディの体調試合ぶり共に劣化する一方だもの
ボイコット直前のタッグリーグの頃なんて脇腹の弛みは目立つし足も細くなって迫力が失せている
不器用で塩なヒギンズ相手にすら手こずって場外乱闘でお茶を濁すレベルに堕ちてたくらいだし
ボイコットした事で辛うじて幻想を守り抜いた形になったよな
そういった姑息さイメージと実像との乖離っぷりが正に昭和のケニー・オメガ 85年の藤波の対ホーガン2連戦見てると
遥かに大きいホーガンの攻めを軽く受け流してるね
余裕綽々でブックだから最後はきっちり負けてあげてるという感じ
地味ながら藤波にとってはコンディションとしては最盛期だったんだろうな
当時の新日の事情であの時期に売り出せなかったのがもったいなかった気がする 82年の10番勝負は殆ど体格負けしてたような。。w
ハンセンのパートナーというと成長期のホーガンとのタッグも良かったな。ほんの1〜2年だったが主従関係がうまく出来てた。
後の2人のイメージから振り返ると夢のようなタッグだったかもしれないな。 >>28
もし藤波の体力がそこまで絶好調でも藤波は新日にとって最大の商品であるブロディを壊すはずがないから、
結果はどうするか知らんけど好勝負にすると思うよ。
藤波は受けがうまい選手だから前田みたいなトンパチのかたい攻めでも見事に受けてたから、
ホーガンにせよアンドレにせよ試合を作ってくれる相手にはなおさらよかった。
ただブロの場合は藤波には少し荷が重かったんでないかなって思った。
あいつ試合を作ろうとしない印象が強いから。 レスラーを図る物差しって強いかどうかでなく上手いかどうかだと思うけど、新日マットに上がった外国人で最も上手いって評価されたのは誰だったのかね
新日の日本人なら猪木かね? >>29
コンディションやあの時期に売り出せなかった、ってのはなるほどと唸らせられたが、余裕綽々でブックだから最後は負けてあげた、ってのはどうだろう。
ブックという言葉を出す以上、余裕なのもブックである事を避けて通れないよ。 藤波については猪木だけでなくて坂口がどう思っていたのか。藤波は坂口からの評価はそれ程でもなかったのではないか。 >>30
藤波は試合映像が多く残ってるから
特に80年以降順に観てると年毎に体つき試合スタイルが変わっていくのが解るよ
83年になるとブッチャーアドニスマードックオーンドーフ辺りとは五分に渡り合える様になってる >>36
藤波のブルーレイBOX出たら買うんだけどな
引退しないと出ないか 83年末の藤波・コブラvsスミス・ブレッドハートの試合、
藤波が一番小さく見えて目の錯覚かと思ったが、
実際に藤波ってそのメンバーの中で一番小さかったんだよな。
あの体格で大物と渡り合う試合を作れたのはさすが。
長州や前田みたいな下手なレスラーも引き立てることができた。
ただ藤波がエースで、というのは少し難しかったのかね。 >>38
スーパースターは上手かったな。東京ドームの大巨人コンビ戦も良かった。馬場とも相性バッチリなんだよね。 子供心に「マスクド・スーパースターが猪木より弱いわけがない」と思ってた スーパースターは自身のイラストが入ったパーカーを着て入場したら古舘から戦うド根性ガエルと呼ばれていたねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています