【カネック】昭和の新日本プロレス13【エンリケ・ベラ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
UWAはカネック王者時代に新日系の大物レスラーを随分と招聘して
勝ちを貰ってた。
よっぽど経済力のある組織なんだろうな。
カネックも初来日の如何にもメキシカンな動きから
ゴッチの指導を受けて重厚なレスリングをするようになった。
虐めてくれたロン・スターに復讐するために…w スレタイで思い出したが
メキシコUWAは第1回IWGPの予選をちゃんとやってたらしいな あの時代に個性的なルチャドールをテレビ中継で観れたのはうれしかった
タイガーの対戦相手というかメキシコからの刺客みたいな感じでウルトラマン
やソラールやビジャノVが来日とかわくわくした >>4
ブラックマンとかタイガーがいなかったら新日に呼ばれることはなかったかもな。 >>3
欧州もちゃんと予選リーグかトーナメントやったらしいんだが
ウェイン・ブリッジが新設したベルトを前田に取らせて無理矢理代表だし、
前夜祭に来てた北米代表ディノ・ブラボーが家庭の事情で帰国すると
日本枠を増やしてラッシャー木村が代表だもんな ローランド・ボック呼ぶ予定だったのにダメになったんだっけ >>5
ブラックマンのパートナーで白いのいたよな?
一緒に来なかったけど… エンリケ・ベラは来るたびに悲惨な
扱いだったね。
最後の来日では小杉に負けているし。 カネックとドスカラスのタッグ好きだったわ全然目立ってなかったけど >>9
ロスファンタスティコスか
白だとカトクンリー
あとはオレンジマスクのクンフー
ライト級とかミドル級のチームだから
佐山や星野あたりと比較してもちょっと軽量だし
二人や三人で呼ぶと金もかかるし
そのわりにカードのバリエーションがねえ
トリオだと向こうでは人気だから
人気出てもあまり頻繁にも呼べないし >>9
ホワイトマンのことかな?
ブラックマンが遠征中にマスクを剥がされて、帰ってきたブラックマンが「自分がいればそんな目には合わせなかったのに」と泣いたとゆう 全日本のマスカラスに対抗して、ウラカンラナの元祖ウラカン・ラミレスとか
“百の顔を持つ男”シェーン・カラス、コブラに何処となく似てるエル・レオン・ティニブラスとか、藤波がジュニアブームを起こす前に新日本に来日している。 中学の頃試合観に行った時、試合前トイレでカネックと連れションしたわ >>6
バックランド、ハンセン、ボック、ローデス、シン、ブッチャー等も参加して総当たり戦
と言うファン夢の構想が完全に骨抜きになり欧州修行中なのに期待の新星として予定より
大幅に早く呼び戻した。日本人枠は坂口だったけど体調不良と言う理由でラッシャーに
なったはず・・・ マスクマンは軽量級のメキシカンのイメージがあるけど、初期に来日した
ネール・グアイはスーパーデストロイヤー、タワーリング・インフェルノザ・ハングマンだからね‥
当時の映画やTVドラマをパクッてるww >>15
ヒューラカン・ラミレスはゴッチが評価する実力者という触れ込みで来日前の扱いは大きかったが
来てみたらそうでもなかった
なんかマスクマンらしからぬボテッとした体型だったな >>15
いくら何でも、とド顰蹙を買った偽エル・サントとか >>15
ノーTV時代最後のエース、ザ・タイガーとか 79年のビッグファイトシリーズはグラン浜田が凱旋帰国。メキシコ時代のライバルの
アグアヨ、フェースも追って来日、本場の軽量級ルチャの醍醐味を堪能できた。
全日の、マスカラスの個性としてのメキシコスタイルではなく、
もっと包括的なルチャの世界の定着に貢献した。 ザ・タイガー(ブッチ・ミラー)とかジム・ドランゴ(ボブ・アームストロング)とか、旗揚げから暫くはリングネームを変えざる得なかったんだよな。
そうしないと新日本のリングに上がったのがバレるとアメリカで使ってもらえなくなるから、ゴッチが仮のリングネームを付けてたらしい。 俺はカネックとスペル・マキナのタッグ好きだったなー マキナは近年ならストゥーカくらいの扱いはしてもらえたんじゃないかと思うな ドスとカネックのタッグももっと上手く使って欲しかったなって思う ゴッチ推薦というと猪木ー小林戦の二戦目さばいたレフェリーのコシキ・ジーンもいたね。
試合早々小林の足がロープにかかってるのに3カウント入れて。
そういう演出だったんだろうけど、あのチョンボでゴッチ推薦という謳い文句も台無し。威厳ゼロだったな。
あとスコット・マギーもゴッチ推薦という触れ込みだった。
糖尿病欠場明けの猪木の復帰戦の相手務めた。蔵前だったかな。
猪木がスタミナに自信なかったのか2、3分でさっさと試合終わらせてた。
マギーが危険な技やったから猪木が焦って終わらせたという説があったけどどうだったかね。 >>25
マギーは猪木の相手としては格が落ちるからなあ。
3分くらいでちょうどいいだろ。 マギーはロビンソンと並ぶ英国の実力者ジェフポーツの息子。
一応ゴッチの指導もあってその片鱗をうかがわせる動きもあったが、
さすがに猪木相手じゃ荷が重すぎたなw スコットマギーはあの猪木との1戦だけで昭和新日ファンの記憶に残ってるんだから凄いよな エースのリップ・タイラーとはシングルマッチ
を行わず、2番手のエディ・サリバンとは
やったのは何で? マギー戦は放送時間の都合じゃないの?
スポンサー画面のバックで猪木が勝ち名乗り受けてたし >>30
ああ、なんかそんな雰囲気だったな。サマーシリーズ第一弾で猪木復帰の緒戦が蔵前でビッグカードが並んでた。
アンドレ対ホーガンや佐山タイガー対ウルトラマンとかこれ一回で放送したんだっけな。 猪木の復帰戦が不可解な秒殺だった理由はさておき、セミのアンドレVSホーガン戦以外は
試合が面白くなかったという印象…タイガー対ウルトラマンはアクシデントか
ウルトラマンの動きが途端に悪くなって、ジャーマンで強引に試合を終わらせた
飛竜十番勝負のカネック戦も両リンで消化不良、マードック対谷津はどうだったか このチケット見ると。。
ケンゴさんファンには悪いが
谷津の方が上に列挙されてるな >>34
谷津はこの頃までは期待されていたんだよね
スクープサーモン初披露の試合(マツダ谷津組vs浜口寺西組)も放送されていたけど
次のシリーズ開幕戦のメイン(藤波戸口谷津組vsアドニスグレッグ・バレンタインリック・マグロー組)
での試合ぶりが不甲斐なくて
以後テレビ中継には登場せず
この年の10月長州と入れ替わる形でアメリカへ再修行に行かされた 谷津嘉章、80年に鳴り物入りで入団いきなり将来のエース候補の待遇で、即渡米しWWF主要エリアを修行
帰国後にいきなり6・24でメーンイベント、とここまでは良かったが、試合が終わった時点で
彼のキャリアはゼロからになった。しかし前田や高野らの成長もまだ確かなものに到達していなかったので
谷津への期待は継続していた。さらに激変の時期であり二度めの渡米から凱旋した時は新日の縮図もガラリと変わり、長州とともに
キャリアを進めていく事になる。。
なんつうかこの紆余曲折はなんだか阿修羅原と似た道を歩んでるね。 秋のブラディファイトシリーズだったかの、猪木&谷津vs木村&浜口が放送されたっけ。結構あの試合は谷津が頑張ってたと思う >>36
日本デビュー後〜MSGタッグが谷津二度目の渡米 第二回タッグリーグのパンフでは、猪木・藤波vs長州・谷津が注目カード第四番目になっていて、
猪木談「日本人勢ではカーン・戸口と長州・谷津が強い」なんて書かれていたけど、
長州・谷津は日本人勢で最下位だったな。
ちなみに注目カードは猪木組対ハンセン組、ハンセン組対アンドレ組、アンドレ組対カーン組。
当初の予定ではアンドレ組がカーン組に足を引っ張られて優勝戦線脱落の予定だったか? 猪木VSスコット・マギーは1分37秒だったな
ブロディに試合前にチェーンで滅多打ちにされて
16秒で負けたW・ファリスにはさすがに及ばなかった >>25
ゴッチ推薦と言えば、古くは、日プロだが、
昭和42年の秋、G・馬場のインター挑戦者に
ゴッチが推薦したアート・ネルソンが選ばれた。
リアルタイムでは知らないが、この選手は、
タイトル歴もネームバリューもない。
結果は惨敗。
「馬場のインター挑戦者、最弱」とも言われている。
あまつさえ、同じシリーズに参加していたB・ワットに
日本の悪口を吹き込み、日本嫌いにさせたとか。
(韓国人かよ!)
全くゴッチはろくな人間を推薦しないな。 >>40
試合前に生中継が終了しCM開けの提供の時には試合が終わっていた… 82年のMSGタッグの中継でテレビ放映の予定が無かった猪木、ホーガン対坂口、藤波がダイジェストで見れたときは得した気分になった… >>41
ワットとネルソンならアメリカでも
ワットの方が格上だろうになんで
ネルソンを選んだのかな。
確かネルソンは後年南部でスーパー
デストロイヤーを名乗ってたね。 >>41
アート・ネルソンについては馬場も著書でボロクソ書いていたな。
ビル・ワットは後日、外人係のジョー樋口に奥さんからお詫びの手紙が届いたそうだ。 >>43
収録予定が無く好試合になったので慌ててカメラを回して実況を入れた。
そのためTV中継用の照明の準備が間に合わずTVを見るといつもより暗めだった。
脱水症状になるくらいだからTV中継用の照明に熱量って凄いんだね。 >>17
ディノ・ブラボーの→坂口→R木村という代打の流れだった >>47
慌ててカメラ回して実況入れた、なんてことあるんか?収録予定がないのに、なんでカメラが入ってるんだよ。アナウンサーが来てるんだよ。
収録会場じゃなかったけど、急遽ファンからの要望で収録することになったってことだろ。 >>34
デビューにして谷津の方がキムケンより格上。
82MSGリーグに谷津はエントリーされたが、木村健はされなかった 猪木は谷津の事をどう思ってたのかね。
国内デビューを控えたインタビューでプロレスラーらしからぬトーンで
受け答えする谷津の隣で、苦虫を噛み潰したような顔で見ていた猪木。
あの表情は田コロの「こんばんわ」を聞いた時の猪木の表情に似ているんだよな。
闘いの場に相応しくない応答にイラッとしてる感じがした。 センスのないレスラーを田吾作だの百姓だのユタ州の農夫だの罵った猪木は
自分もブラジルで農業やってたのに農業蔑視あるのかなと思ったけど
青いバナナ食ったら死ぬのを祖父に誰も教えてくれなかったことが
やっぱり心の傷になってたのかねえ 谷津のセンスは一般社会の常識であって「全日本プロレスに就職します。」の
鶴田に通じるものがある。
国内デビュー戦の時は余計なことは喋らず「頑張ります。見てて下さい。」でよかった。 >>50
谷津が出場したのは81年でしょ。長州と組んで。
この年の全日本の最強タッグには天龍・阿修羅組が出場してるんだよな。
両チームが後々団体を代表するチームになるとは思わなかった。 >>51
>>54
猪木って自分がドンキホ−テ
〜行動するホラ吹き(成功するか失敗するかはともかくw)だからか
考えも行動も無しにただたんにホラだけ吹くやつも
ここって時にホラのひとつも吹けないやつも両方好みじゃないんだよ >>55
いや、82年のシングルのリーグ戦のこと。MSG >>36
> 谷津嘉章、80年に鳴り物入りで入団いきなり将来のエース候補の待遇で、即渡米しWWF主要エリアを修行
> 帰国後にいきなり6・24でメーンイベント、とここまでは良かったが、試合が終わった時点で
> 彼のキャリアはゼロからになった。
新日の方針だったんだから当たり前だよ。いや猪木の方針かな? >>34
http://blog.livedoor.jp/jabura9136/archives/51879409.html
第二弾では谷津は写真付き、木村は名前さえ消えた
ジュニアのハートにフォール負けでは当然か
それにしても
第一弾の猪木vsアンドレ、藤波vsベンチュラ
第二弾の猪木vsアドニス、藤波vsバレンタイン
蔵前のカード変わりすぎ >>46
ワールドプロレスでは
エンリキ表示だったからエンリケは確かに
未だに馴染めない
ソラールやカネックもエルつけないのは
しっくり来ない ブラボーが第一回のIWGPに予定通り参戦したら開幕は「前田・坂口vsスタッド・ブラボー」だった。
ブラボーの代わりにベラになり、前田がベラをフォールしたけど、もしブラボーだったら結果はどうなっていただろう。 >>61
両者リングアウトかな…
坂口がスタッドにリングアウト負けはないかな >>61
ブラボー1人来るだけで外人に厚みが増したのに残念だった…ワンツも帰っちゃったし… IWGPじゃ白星配給係だったオットーワンツって
ベイダーとガンガン殴り合えるほど強かったのな >>60
「エンリケ」はバービーボーイズのベースの名前でなじみがあるw
あとアンドレを見出したエンリケ・エド。エンリキは力道山時代の外人、エンリキトーレスか。
まあカタカナの表示は何が正しいわけでなく記載者の個々の感覚だったり。
ジョー・レダック キム・ドク ファイト「I編集長」のブローディ。。w >>59
このカードでバックランドが最初から来る予定だったんだっけ?
予定通りこのカードだったら誰と試合したんだろう ワンツって第一回大会では結構期待されてたような。
IWGPの注目カードの一つにホーガン対ワンツが挙げられてたよ。
三強リーグ以外にホーガン対スタッド、猪木対前田、ホーガン対ワンツ。
アンドレ対スタッドの巨人対決は期待したのに簡単に勝負がついたっけ。 スタッドや第2回のパテラなんかは米国じゃアンドレの仇敵として悪党人気があるんだが
日本のマットではまるでそういう雰囲気も無くショッパイ試合。というか多分内容的には
そんな変わらないんだろうけど会場の盛り上がりの少なさも遠因かな。 ブラボーは残念だったけどスタッドの参加があっただけでも新鮮さがあったから
これがアメリカ代表マードックとかアドニスだったら… スタッドは3強に継ぐ星だったんで、新たなライバル出現かと期待したけどねえ スタッドは売り方一つだっただろうね。
あの迫力ある体格でアンドレやホーガンと互角にやらせてほしかった。
のちのキングコングバンディも使い方間違えた感じだったね。 第1回IWGPがメキシコ開催だったら・・・
メキシコ高原の薄い空気で優勝候補のホーガンや大型のスダッドは苦戦しリーグ戦敗退。
猪木、アンドレ、カネックの3者が得点で並んで抽選の結果、アンドレーカネックで準決勝、勝者が猪木と優勝戦を争うことになった。
下馬評ではアンドレ圧倒的有利の予想だったが、標高2000mのメキシコシティでアンドレは酸欠状態に。
アンドレをリングアウトで下したカネックが第1回IWGP優勝戦に進出。
準決勝の疲労が残るカネックが観客の後押しもあり大善戦、しかし猪木の卍固めがリング中央で決まる。カネックは耐えるが
これ以上続けたら生命の危険とリングドクターが判断してカネックは無念のレフリーストップで惜しくも準優勝。
第1回IWGPの栄冠はアジアゾーン代表アントニオ猪木に輝いた。
しかしメキシコ国民はカネックの奮戦で大興奮、メキシコ国内はお祭り状態になり
メキシコ大統領はカネックの偉大な功績を称え6月2日をカネック記念日として祝日に制定した。 いつのかわすれたけど、スタッド vsアンドレは新鮮というか意外性あった。
スタッドの序盤からの猛攻にアンドレが受け身一方だった。
ついつい米国流にやってしまったんだろうけど、アンドレは日本でヒールだったから
あんなに一方的に攻め込まれるアンドレは珍しく見えた。 >>71
当時は猪木、アンドレ、ホーガン、ブロディさえいれば後は使い捨てって感じだったのかね〜 あの忌まわしき「アントンハイセル」・・・・
猪木LOVEの週刊ファイトのT編集長が
「松岡(ハイセルの開発者)という胡散臭い人間が猪木に接近しなければこんなことにならなかったのに・・・」
と猪木愛ゆえのホモ目線で無念の情をファイトに書き綴ってたなw スタッド、WWFで売れ始めたから仕方ないけどもう少し新日マットに
登場してほしかった
MSGタッグリーグ戦には出てほしかったな
パートナーは?だがスーパースターとのコンビとか大型同士で迫力ありそう 猪木vsスタッドはテレビ放送した記憶が有るけれど
大きな身体を猪木は持て余していた
延髄斬りも強引で、見せ場無し
そのへんも来日させなかった理由だと思うな スタッドは日本ではヒールのアンドレに考慮してマスク被ってたことあったね。
なんで日本ではマスク被るのかと日本のマスコミに聞かれたとき「気分次第」とテキトーに答えたけど、アメリカでアンドレと対立関係にあることを考えてマスク被ってたんだよね。
スタッドといえばホーガンと組んで猪木組と対戦したとき、ホーガンと仲間割れしてローンバトルになり負けた試合を思い出す。
ホーガンと猪木の信頼関係を演出するための展開だったんだろうけど何だか切なかった。 ケリーツインズ 対ドス、カネックを生で見られた自分は幸せだな
こうあってほしい、という大暴れをドス、カネックが見せてくれた 第1回の時のワンツの途中離脱は既定路線だったのかな?猪木がワンツに圧勝することは間接的にAWA王座下げに思えた >>63
ブラボーなんかいようがいまいが関係ないだろ。 >>78
Kコワルスキー、BJスタッド、Nボルコフのエクスキューショナーズの
覆面トリオで1度来日して欲しかった。
ウィキにスタッドはキャプテンUSAやマスクド・スーパースター2号にも
変身と出ているから、マスクマンにも結構なってるんだね。 >>78
マスク被ったのはそういう理由なのか。
ただ、リングネーム変えてないよね?あと、あんな大きいの、マスク被ってもバレバレだろうに。 当時のWWFの公式本にはIWGPのニュースがあってアンドレvsマスクト・スタッドの写真があったがスタッドはBlackDemonと書かれてた ベイダーはハンセン戦あたりから試合中に「邪魔だ!」って感じでマスクを脱ぐようになって
意味が無いからマスク自体を辞めちゃったね >>84
かつてのビルミラーも覆面で来日したな。クラッシャーとタッグでBIとインタタッグ王座決定戦の時。
ちょっと違うけど、コックスのスピリット、エリスのグラップラー、ゴリアス&ゴードマンのアジアンテローズみたいな
正体丸わかりだったり途中で素顔になったりのマスクマンとかいたよなw スタッドは長州がいなくなって孤立したカーンと組んでアンドレと戦えばよかったんだよ
体格もよく似ているし結構いいコンビになると思う
アンドレの味方にはラッシャー木村
猪木・ホーガン
R木村・アンドレ
カーン・スタッド
日本人と外人のコンビが三つ巴で抗争する構図…って、IWGPから離れてしまうけど、まあいいか。 昔のビートたけしのネタで、
「国籍・正体不明の覆面レスラー来日って、どうやって空港の税関通ってきたんだよw」
ってのがあったな。 >>91
たけしって頭悪いな。
正体不明の覆面レスラーは入国の時は素顔で観光客A氏として来てたんだよ。
んでプロレスする時は覆面してくるから誰もその素顔をしらない。
覆面レスラー=A氏であることは誰もわからない以上、正体不明である。
ソースは正体不明の某覆面レスラー。俺の兄貴が直接話を聞いてきた。 まあ春日三球の「地下鉄ってどこから〜」みたいなボケでしょw
でもたけしってプロレスは嫌いとも聞くし、それとも一応の目線(考え)は持ってるのか、
お笑い芸人でプヲタはたくさんいるが。。 >>92
NWAはNational Wrestling Allianceだと思うんだが。 >>95
間違ってるねww
アソシエーションはフランク・ゴッチが初代の旧NWA スタッドはあの巨体だけど
技がベアハッグと上から振り下ろすパンチだけっていう
なんのダイナミックさもない木偶の坊だったからね >>74
保永、ジャパン時代を語る
「(全日に上がって) 子供の頃にテレビで見ていた人たちが現実の
対戦相手として出てきて(笑)。むかし日本プロレスの若手の試合を
放送する『ヤング・プロレス』というのがあって、高千穂さんの試合が
メインだったんですよ。それが頭に焼き付いていたから『あの高千穂
さんと対戦できるんだ!』みたいな。
俺としては向こうはあまりにもビッグネームで格上だから、そういう
イメージで試合をやっちやうんですよ。そうしたら試合後に控室に
呼ばれて、『ダメだよ、できるんだから、もっとレスリングやらなきゃ!』
その時の感覚だと、カブキさんは俺に合わせてくれすぎるんですよ。
正直、『そこまでこっちを持ち上げてくれなくてもいいのに』と感じる
くらいでしたね。ただ、プロレスのルールというか、マナーには
厳しい人だったと思います。
全日本の場合は大きい外人でも少しはこっちのいい所を出させて
くれるみたいな所があったんですね。新日本は全くそういうのが
無かったと思います。『下っ端はボコボコにして終わり!』みたいな
感じでしたね。新日本はトップが猪木さん、坂口さん、藤波さんで、
それ以外はどうでもいい扱いだから、外人もそんな風に言われて
いたのか、そういう感じで対戦してきましたよね。」 >>94
たけしは大のプロレスファン、それもかなり良識の
椎名誠、村松友視と並べていいと思う
たけしが嫌いなのはプロレスじゃなくて熱心すぎる新日信者
たけしって自分の仕事や勉強よりも他を優先する熱狂的ファンが昔から苦手な人 83年の闘魂シリーズはスタッドとオーンドーフが来日したが実質のエースはスタッドだったのかな… >>99
たけしはよくジ・アンダーテイカーをキャラを一貫してるってベタ誉めしてるけど、
たぶんテイカー全盛期のバイク親父時代は知らない >>87
なんやねんマスクドスタッドった。
勝手にリングネーム変えるなよ。 >>101
パニッシャー・ダイス・モーガン時代も知らない >>99 >>101
> たけしは大のプロレスファン、それもかなり良識の
それは誉め過ぎ
子供の頃と売れない頃ヒマしてた頃テレビで観ていた程度で
後は高田文夫(こっちはまあまあプロレスに詳しい)かプオタの軍団員から仕込んだ孫引きの情報で知ったかしてただけでしょ?
そんなに「良識の」ファンだったら
自分がTPGのリーダーを名乗ってリングに上がればどんな結果が待ち受けてるくらい
簡単に予想出来たんじゃないの?
ボクシングの方なら「キッズ・リターン」みたいな映画を製作したり
世界王者相手にも過度なイジりは控えて適度な距離感を保ったりと
リスペクトしているのが伝わってくるけどね ビートたけしがWWEのショーフナキを
あんな小さくて弱い奴を日本代表にするなと厳しく非難して
小川直也が世界のプロレスを征圧せよと主張したことあった
プロレスに強さは関係ないと言ってる今のプオタより真面目だよ >>86
レオン・ホワイト時代はハンセンやブロディに無様に負け続けていたから
そのイメージを観客に持たせたくなかったかもしれん >>106
当時の日本のファンはそんなこと知らん。 >>107
もちろんその後の本場での活躍も視野に入れてるでしょう さんまはよくペドロモラレスとウイルバースナイダー(66年のワールドだな)が出てくるが
それ以外はさほど思いれもないだろうな。まあ水道橋、くりーむ有田、ケンコバあたりが
オレら目線?で語れるプヲタ芸人か。あと博多大吉 >>109
大吉の知識は水道橋やケンコバを凌駕してる。
あと、全方位的には東京03の豊本だな。 >>110
大吉と有田MCで『ギブUP!まで待てないゴールデン』やって欲しいなー >>107
プロレスファンは知ってるだろ。
世界のプロレスで放送されてたから。 >>112
『世界のプロレス』でブロディvsレオン・ホワイトやAWA王者のハンセンと対戦してたね。
元々はロード・ブレアース推薦で全日本に来る予定だったらしい。 >>113
レイガンズやらハンセン、ブロディも、
レオンホワイトっていうすごい男がいるって、絶賛してたからな。そりゃ馬場も呼びたいだろうな。
ただ、全日だったらあそこまでスターになれたかは疑問だね。 斎藤と服部が口説いたみたいだけど、全日に来てたらベイダーのリングネームは無い訳で
レオン・ホワイトかブル・パワーでやってたのかな 全日に来てたら、せいぜいビッグブーバーぐらいの扱いで終わってたんじゃないか。 >>117
だろうな。鶴田に勝てるほどの説得力がない >>110
大吉先生に知識であの人には勝てないと言わしめた、山田千景さん。 天龍が対戦してない大物というとベイダーとアンドレかな >>117
レオン・ホワイト、ビック・ブーバー、ダニー・スパイビーが若手期待の三羽烏
ただし鶴田天龍には勝たせてもらえず、ハンセンの子分的印象が強いまま全日でのキキャリアを終える、といった感じか >>121
そんな事は無いと思う。
ベイダー来日時は全日本もゴディが
膝の調子が悪い頃でハンセンの次の
外国人チョイスに苦労してた。
スパイビーはいきなり飛び越して
売り出されたと思うよ。 全日ではどう考えても
武道館のシングルのメインを務めるレベルまでは
売り出せなかっただろうね 何をどうもって『どう考えても』かはわからんが、馬場好みの巨漢なら普通にプッシュされたろう >>123
いや、ジョニーエースだって
武道館のメインで三沢の三冠に挑戦した(98年)。
レオン・ホワイトだって十分、
そのレベルには行ったと思う。
だが、まぁハンセンは越えられなかっただろうが。
ということはゲーリーオブライトレベルか!? これだけ両論ある位なんだから結局は新日で大正解だったってことでしょ >>125
ベイダーがジョニー・エース程度で終わってしまったら
育成は失敗だろう ベイダーが新日来た頃はCWAタイトル獲得した実績あったけど
まだまだだな。滅多にないような抜てきだろな、全日だったら格的に
他のレスラーから文句出るだろう。知らんけど
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=132&page=4&s=1500 テレ朝の演出付でキャラが当たって、本人も自覚してモンスター演じてたって感じだったからな。
ベイダーの偉いのはそこから本物になっていくところなわけだが。
全日は普通に来日重ねて育てるから、どうだろうな。
シングルで鶴田に挑戦できるところまでいければいいほうだと思う。 >>127
いや、ジョニーエース「でさえ」
武道館のシングルメインに出たんだから
レオン・ホワイト(ベイダー)は、
十分、武道館のシングルメインは
抜擢された、ということだよ。
俺は、エースレベルで終わったとは
書いていないよ。 全日だと、エースのほうが成功したという考えもある。
売り方によってはベイダーはクラッシャー・ブラックウェル、ワンマンギャング、ブーバー程度で終わってる可能性も高い。 育成ではなく“売り出し”
抜擢に対応できるスキルの問題。 >>129 全日本が育てたレスラーなんかいないけどな。徐々に地位が上がったレスラーいるか? >>131
「動けるデブ」枠だなw
レンタルされたビガロさえも持て余してたし、全日本では難しいのかもな 両団体からオファーを受けたベイダー自身が「ビックネームの多い全日では自分は埋没
する・・・」と新日を選択したと話していた。その際にタイガー服部には全日行きを
仄めかしギャラアップを狙った。
たけしは両国暴動の試合前にベイダーに会うも「暗いつまらない奴だったなあ〜」w
とか猪木にサインをしてあげたとか話していた。数年前にラジオで水道橋博士が暴動後に
「プロレスファンってありゃ〜マジだなあ〜・・・」とたけしが話してTPGから撤退
を決意したと話していた・・・ ベイダーの出てる猪木のパチンコに、甲冑デザイン©�_イナミックプロと表記があった。あんな鎧にも権利が発生してるんだな。 >>133
新日だって徐々に地位が上がったレスラーなんかいないだろ。
シンもハンセンもホーガンもベイダーも、最初からシリーズエースで来てたろ。
全日は、ゴディとかスパイビーにカンナム >>128
んなこたないわ。
AWAタイトルにも挑戦してたし、
ハンセン、ブロディの太鼓判があるから
なんも文句は出んよ。 >>136
たけしのプロレス観にそぐわないあの時代の異常なヒートぶりって、自分が思い返しても
首をかしげるな。 まあテメエを棚に上げちゃだめだがw、特に80年代新日ヲタは「プロレスファン」の
枠を超えてしまった狂信的な思考回路になってる。第2回IWGP決勝もだし暴れすぎだな。。 外人不足時代に期待の若手大物だったベイダーは別にして
シン、ハンセン、ホーガンは最初は
地方での猪木とのシングルを組まれるくらいの地位からスタートして
段階を経て東京の大会場でシングルのメインを務めるとこまで上がってきてる
>ゴディとかスパイビーにカンナム
この4人では
大して地位なんて上がってないなあ
個人で大会場のメインを務めたことが何回あったっけ?
タッグ屋止まりとカンナムに至っては前座レベルだろう この頃の全日はゴディやニキタコロフを第3試合で使ってたからベイダーの扱いも雑になってたかもしれない… >>140
まだプロレスがリアルに展開されてるジャンルだと思われてた時代
猪木プロレス(生き様すべて)が狂信的なファンにしちゃったんだと思うよ。
だから“ギブUP…”のような番組にはアレルギーがあった。
とにかくナメられるのが許せなかったんだよな 新日で大正解。全日本が外国人スターなんか作れっこない。そんな気もない。 ビック・ジョン・スタッドとハーキュリース・ヘルナンデスの二人が
WWFでブレイク前に全日に上がってたんだよな、勿論前座の木偶の坊扱い プロレスはスポーツであるべし!というのが当時の新日ファン。
ギブUPになって制作部局がスポーツ部局から芸能バラエティ部局になって
「プロレスはスポーツだから芸能バラエティ部局の制作なんてとんでもない、すぐにスポーツ部局に戻せ」と
テレ朝には抗議の電話が多数あった。 >>138 嘘付くなよ。ハンセンとホーガンはどんどん地位が上がった。最初は猪木に負け続けだった。 これ長州間違ってるね
安生じゃなくて宮戸だろう
確かに間違われる位の小物だけど
https://www.daily.co.jp/gossip/2019/09/28/0012741363.shtml
元プロレスラーの長州力(67)が28日、読売テレビ「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」に出演。
番組では、6月に2度目の引退試合を行ったレジェンドレスラーの伝説を検証した。
「一番痛かった技」を聞かれた長州は、「アンドレの平手打ち」と即答。
「骨まで響きますよ。手がでかすぎますよね」と1993年に亡くなった身長223センチ、236キロの故アンドレ・ザ・ジャイアントさんの
規格外のパワーを振り返った。
6月に2度目の引退試合を行った長州だが、リング生活で感情のコントロールができなかった相手が
「45年間で何人かいます」と告白。今田耕司(53)らが執拗(しつよう)に聞くと、
「クソぶっかけてやるって言った安生(洋二)とか。U系が多いですよね」と明かした。 >>147
ホーガンは日米で上がっていったんだから
新日が育てたわけじゃなくてホーガン自身で上がっていったが正しいだろ。 >>148
アンドレの平手打ちでは、晩年だけど全日本でウィリアムスに放ったのが印象深い。
コーナーポストで「パコ〜〜ン!!」と凄くいい音で入ったよw
長州はテレビでよくアンドレの思い出を語るね。プロデューサーの意向か分からんけど。
84年のアンドレ戦はボディスラムよりも、何故かアンドレのベアハッグにもがき苦しむ長州が
鮮烈に印象に残ってる。
何度もアンドレに至近距離ラリアットかましても、どうしても抜け脱せない長州に
「ああ、アンドレにはリキラリアットは全く効果なしか・・・」と当時は思ったなあ。
長州って、アンドレをボディスラムで投げた(ボディスラムを許した)中で、サイズは一番小さいよね。
プエルトリコ遠征の時に"帝王"カルロス・コロン(長州より小柄)と対戦していたら、
おそらくコロンも投げていたかな。アンドレ、コロンともにベビー同士で対戦はなかったけど。 >>147
ハンセンは結局、一度もフォール勝ちしてないから
何とも言えんなw ホーガンは大器を予感させる雰囲気はあったものの ハンセンと組んでた時点では海のものとも山のものともつかない所はあった
ハンセン抜けた後の格上げに上手く対応出来たことがその後の全てに繋がると思う ハンセンのラリアットに対してアックスボンバーは反感を買う恐れもあったし >>150
カネックと長州はどちらがデカいんだろな? >>150
> 長州って、アンドレをボディスラムで投げた(ボディスラムを許した)中で、サイズは一番小さいよね。
体重だけなら猪木、カネックの方が軽いよね。 かつてのブレンバスターの価値を伝えるのに
「黄金時代の新日では、猪木がハンセン、ホーガン、藤波を
ブレンバスターでフォールしていたんだぞ」
と言っている
小林なんかいまだにホーガンのテレビ初登場のかませにされたことに
恨み骨髄だものなあ
あの世界のホーガンの相手って自慢にできそうに思う人もいるだろうけど
当時のホーガンはただのデクの棒に見られても仕方ない存在だったんだよ 猪木はパワーファイターじゃないんだから
アンドレをボディスラムで何回も投げる必要がなかった
それ以前みたいに一瞬のタイミングや頭脳プレーで投げてた時の方がまだ説得力があった
もしかしてボディイスラムって投げる方にも投げられる方にも
一種の爽快感みたいなものでもあるのかね? >>153
>>154
そうか、体重で見たら確かに猪木、カネックの方が軽いんだね。 ホーガンのブレイクはロッキー3への出演だろ。
ロッキーへの出演、スタローンとの共演は
当時は最高クラスの栄誉。 >>138
>新日だって徐々に地位が上がったレスラーなんかいないだろ。
これは147も書いているが、
ハンセンはそれに当てはまる。
>最初からシリーズエースで来てたろ。
77年新春シリーズ、新日初来日の時は、確かに
「サンマルチノの首を折った危ない奴」という触れ込みだったが、
あくまでシリーズのエース外人はタイガージェット・シン。
シリーズ中に3回連続してフォール負けするエースはいない。
77年2月大阪府立
猪木(体固め12:42)ハンセン
この試合かな?テレビで見たよ。ラリアットを交わされ、
バックに回られてバックドロップに散った。
2月6日久慈市
猪木(逆さ押さえ込み11:7)ハンセン
2月9日、横浜文体
猪木(逆さ押さえ込み9:56)ハンセン >>161
前のシリーズで3回もフォール勝ちしてるのに
その数ヵ月後に再び来日させて
今度はベルトに挑戦させてるのはかなり異例な事 猪木の凄いと思ったのはアンドレをボディスラムで投げた事より、アンドレにカナディアンバックブリーカで担ぎ上げられて、コーナーを足で蹴った反動でリバーススープレックスでアンドレを反転させて投げた奴なんだけど
あれ見てあんな芸当出来るのは猪木だけだななんて思ってたんだけど、79年にアンドレが国際に御礼来日したときにマイティ井上も同じ事やっちゃったから目が点になったよ
今考えればアンドレが凄かっこっていうか、アンドレ次第だったんだな
親友の井上に華持たしたっていうか >>163
いや、挑戦といってもまだ地方大会だから
まだ道半ばといっていいだろう
ハンセンが蔵前のシングルのメインまでたどり着くのにまだ2年近くある でもまあハンセンの売り出し方は77年闘魂で一旦小休止と考えてる。
マジでブレイクしたのは79年第2回MSGからだな。アンドレに真っ向からぶつかって
一気に優勝戦までもつれ込んだ。1年半の間に開眼するモノがあったのかは知らないが、
あの急成長はちょっと度肝抜かれたな。 ブロディも予定通り最初に新日に来て売り出されていたら少なくとも日本では
わがまま言わないレスラーになっていたかな?
新日が持て余して呼ばれなくなっていた可能性も高いけど ハンセンブレイクのきっかけはいろいろあるが、一緒に来日したエース外人だった筈の
ブラックジャック・マリガンの劣化も要因の一つだったのではないか マリガンのそれは相対的なもんじゃない?
ハンセンは77年に2回呼び、2度目はNWFと北米タッグ連続挑戦と期待かけてたしな。
力量は見込まれてたんだと思う。アンドレは別格として、シンやパワーズ、クラップだけでは
そろそろマンネリなのでマスクドやハンセンあたりに次期エース候補として育ててた時期なんだろう。 >>166
ハンセンは、あの1年半ずっとジョージアのリングに上がっていた。
オレイがハンセンのスタイルを凄く気に入っていたから、強く売り出した。
その期間の主な対戦相手は
ディック・スレーター
ロッキー・ジョンソン
ダスティ・ローデス
トニー・アトラス
アブドーラ・ザ・ブッチャー
アンドレ・ザ・ジャイアント
リック・マーテル
トミー・リッチ
ミスター・レスリングU
イワン・コロフ
オレイ・アンダーソン
サンダーボルト・パターソン
ワフー・マクダニエル
マスクド・スーパースター
こういったトップレスラー達と毎日のように対戦していた訳だから、
ハンセンも得るものは大きかったはず。
ハンセンはスマートだから、数回の日本遠征で日本スタイルが何たるかも
しっかり分かってきただろうしね。 田コロのアンドレハンセン戦の動画がつべで海外のファンにも
広まっていて、外国のファンがアンドレの受けのうまさ、試合運びの
役者ぶりに舌を巻いているのがコメントから伝わってくるね
海外ではもう絶対的ベビーだったアンドレより、WWFでホーガンの
敵に回ったもうあまり動けなくなっていたワンショルダー黒タイツの
アンドレしか知らない世代が多くなっていたから、ポンポン投げられ
吹っ飛んで見せるアンドレの動きがとても新鮮だったらしい >>149
仕方ないよ、それが彼らの拠り所なんだから… >>149 新日本での扱いがどんどん上がったのに違いは無いから。海外の評価と国内の評価が全くリンクしない時代だからな。 ハンセンは全日初登場でブッチャー
新日初登場でシン
彼等と一緒になれたのが大きかったと。
全日初登場ではベーカーもいたね。
そこでブッチャーとベーカーから色々学べてね。
シンからは多大な影響を受けて。
何よりハンセンが吸収、飲み込みが早かったのも一因だと。
それだけプロレスに対する思いが強かったのでしょう。 >>173
「だから新日が育てた。」ってのは違うだろという話。 ハンセンは新日に初参加した時にファンを蹴散らすシンを見て
かなりの衝撃を受けたとか言ってたよね。 >>174
流智美はハンセンが「初めて全日に来た時は黒人のブッチャーと
髭だけ生やして何も出来ないベーカーが偉そうにしていて気分が悪かった」と書いていた
本人が記事をチェックしないと思って酷い大ウソをつくんだなぁ ブロディは初来日はイヤウケアと一緒だったが、口をゆがめてウオッ ウオッと
吠えながら歩き回るパフォーマンスはこの時の影響なのかな? もっと以前からの話か。 >>171
この試合、ハンセンのラリアットとボディスラムがクローズアップされるけど一番印象的なのはアンドレがハンセンの巨体を軽々とボディスラムで投げ放した場面 >>175 誰もそんな事書いてないが。頭悪いね。どんどん格を上げたと言ってるの。 >>180
だったら「新日本が育てたわけじゃくて」と書いた俺のレスに返信するなよ。
頭悪いのはどっちだ?w たけしはオールナイトニッポンで
「ワールドリーグ戦、オープニングセレモニーでレスラーがスーツ着て国のタスキをかけて一堂に会するのがカッコ良かった」とか
「ブルーザーは何校も放校になってて迫力が凄かった」とか、実に子供らしい感想を語っている
子供じゃないのにムキになってるファンが嫌い、実にまっとうだと思う >>181 頭が悪いのはお前。地位が上がったというのに対して、お前だけが勝手に新日が育てた云々言ってる。 >>183
新日本がホーガンを育てたわけじゃないことは同意してるんだな。
それなら文句はない。
その通り新日本が育てた外人レスラーなんか留学生以外は一人もいない。 >>184
>新日本が育てた外人レスラーなんか留学生以外は一人もいない
そうかな?
ジャイアントバーナードとか
カール・アンダーソンは
新日で、育ったと言っても過言では
ないと思うがな?
まぁこう書いても、どうのこうの
屁理屈を並べるんだろう?www >>185
> まぁこう書いても、どうのこうの
> 屁理屈を並べるんだろう?www
最初から逃げ道を作っとくとは弱気だなw >>187
アレンも留学生みたいのものだろ?
新日本で育ったと言えるかは微妙だと思うけど。 >>188
カネックは初来日の敵前逃亡ですっかり味噌をつけてしまったな。
その後定期的に来日はしてるが、たいしたアングルも用意されず中堅のチョイ上外人に収まってしまった。 >>190
でも第一回IWGPでの失神KOはフォール勝ち以上のインパクトがあっただろ。 >>184
Gスピリッツのマークロコへのインタビューで
ロコは猪木に
ホーガンにレスリングを教えるように頼まれたと書いてあった 昭和新日で猪木にフォール勝ち(試合終了)収めたレスラーと言うとシンくらい?
長州は平成か。 ああ、そうだったw 肝心なのがあったわ。ドサクサで勝ったんだよな。 >>192
それもハンセンがNWF奪取した試合のパクリw >>184 育てたかどうかは別にどうでも良いよ。
少なくともホーガンやハンセンは来日毎に格を上げていったのは確か。 育てたっていっても
日本マットで如何に売り出すかという話であって
誰もハンセンやホーガンが新日道場で鍛えられたなんて誰も言ってないと思うが? >Aトレインってレスラー知ってる?
↑こういうバカが沸くから嫌なんだよ >>199
> 育てたかどうかは別にどうでも良いよ。
どうでも良いということは育ててないということでも良いと。
よしそれで良いw >>204 そこまでグチグチ言う理由が分からない。勝手にすれば? >>201 そういう事。ホーガンが勝手に育ったか、新日本で上で使われる内に上手くなったのかは良く分からない。 ホーガンが佐山タイガーからならったスピンムーブを試合でも使ってたな
ドタバタしてて同じスピンに見えないけどw >>194
昭和49年2月1日、大田区体育館
ジョン・トロス(2−0)猪木
@トロス(体固め9:10)
Aトロス(反則勝ち7:04)
反則負けを含むとは言え、
猪木が三本勝負でストレート負けしたのは
これだけだと思う。 あと、アンドレにはフォール負けはなかったが、
ジャイアントマシーンにシングルマッチで
フォール負けを喫しているな(昭和60年9月) >>206
シングル3本勝負の一本なら
新日旗揚げ時にインカ・ペルアーノの
「地獄固め」にギブアップという記録がある。 >>205
お前が頭悪いとか言い出すからだよ。もう黙っとけ。 >>211
自己レス
アンドレにもシングルで
フォール負けしていた。
昭和49年初来日の時。 >>209
あれ実は結構クラシカルな技で、最後にカニ挟みにいくのがタイガースピンってだけで、
ドリーなんかも左ヘッドロック→右ヘッドロック→バックを取ってハンマーロックってやってるんだよね >>216
いやドリーもカニ挟みにいくまでやってたよ。 >>207
あのねえ、勝手に育ったに決まってる。
チャンスは与えたかもしらんが、モノにしたのは選手自身。
ちゅうか、普通は「育てた」なんて表現は使わん。
そんなこと言うの猪木狂信者だけ。 >>216
日本でこのムーブを初めて披露したのは誰なの?
自分はドリーで初めて見た。 言われてみればファイプロでもゴッチの技に
タイガースピン入ってたな そう言えば71年のゴッチvsロビンソンでその動きがあったかもしれない。
キャッチレスリングがルーツなのか、アマレスにも似た動きはある。 >>216
アメプロの基本ムーブだよ。
フレアーがローデスに左右ヘッドロック→腕を取ってハンマーロック→ローデスがきり返してハンマーロック。
フレアーが「アァ・・・」 >>161
この時に来日で「コイツは育てれば大物になるかも?」と継続参戦を決めたと
大塚氏がコメントしていた。
>>156
ハンセンが自伝で「イノキを強いと思った事は無いがとにかくネコのように素早い!」
と書いてあったw 確かにイノキ戦は面白い試合が多い。 ホーガンは日本陣営に加わり猪木とタッグを組んで猪木一流のテクニックを盗みIWGPを制覇した。 >>202
どこがバカなんだか
WWE時代に既にインターコンチタイトルまで獲得
期間は短いがテイカーとも抗争
日本に限定しても全日のエース外人だったやつを新日が育てたとか
いう基地外本人ですかw
>>210
トロスって斜陽期とはいえまだ衰退したとはいえないロスマットのトップ張ってた
レスラーで、新日の初期来日外人としては文句なく大物なのに
なぜかスルーされるよね >>224
それローデスの部分をスティムボートやマグナムTAやバリーに変えても全部
成立するよな
抗争相手がスティングくらいになったあたりからそういう基本ムーヴの応酬が
見られなくなった
スティングは大技は飛んだり投げたりなんでもござれだったけどそういうのが
苦手なあたりアメリカ版小橋だったな >>210 >>227
ジョントロスは74年に2回来日して当初はストレート勝ちをものにして、かつてのUNの因縁の
再現となるかと思いきや、2度めではNWF挑戦も無く敗退。以降は新日登場は無かったな。
ところで初期新日の猪木は結構コロコロ負けてるんだよな。ブルートバーナード戦等まだまだ血の気が多く反則負けも度々。
また、クラップ程度の相手でも星を献上とか弱体外人時代の苦しい台所事情を物語る。 その時代を知らず、糖尿からの病み上がりでB級外人は秒殺するようになった猪木を指して
「猪木は相手を持ち上げられない」と言ってたバカがよく居たな
この世には自分が見てた物しか存在しないと思ってる
猪木がマニュエル・ソトにすらフォールされてた頃には馬場が日プロ時代に完勝できなかった
ブルーノやエリックに初のクリーンフォール勝ちをし
猪木がタッグですらフォールを取られなくなった頃には馬場はタッグマッチならルーインやカマタ
等の「谷間エース外人」どころか二・三番手のバグシーマグロークラスにもフォール取られるよう
になった
なのにどっちか一方だけの時代を指して両者評する後付知ったかバカには困るよね >>228
フレアー、アーン・アンダーソンvsローデス、ロニー・ガービン
3分〜その後のローデスのWパンチを受けてW受け身で足元ふらつくフレアー、アンダーソンw
立ち上がったフレアーがローデスのジャブで受け身とりまくり。
https://www.youtube.com/watch?v=ysme29CJKuE >>216
ドリー関連で『アマリロスルー』と呼ばれてる、トップロープに後ろ向きに
飛び乗って相手を場外へ投げるムーブはやはりドリーオリジナルなのかな?
最強タッグで馬場が骨折した一連の動き >>194
第一回ワールドリーグ戦で猪木に2連勝(ともにピン勝ち)してるクラップが最強 >>227
WWE時代はAトレインよりもテストと組んでたT&Aで活躍してたイメージだな
でも正直パッとしてなかったから、むしろその後の日本での活躍っぷりはちょっと違和感があったな >>234
確かに出番はあったが女子レスラー(トリッシュ)のボディガードという立場はちょっとw
しかもA=尻ガード専門w
スコッティと組んで踊ってた時期が一番楽しそうだったな
論外がテンサイ そもそもホーガンは本当にプロレスがうまいのか?って話になる
たまに相手の腕をまたいでロックしたら、古館が「スーパースターとなっても日本仕込のテクニックは忘れていません!とか持ち上げてたが。 うまいかどうかは置いといて、アメリカと日本でファイトスタイルを変えてくるのはさすがだと思う クローズラインはアメリカではウケない、レッグドロップは日本ではウケない
日米レスリングサミットで久々の日本での試合ではハンセンにアックスボンバーからの抑え込み
プロレス古来のテクニックはともかく、観客の反応を掌握しようとするセンスは流石と思う
ホーガンのコスプレでギロチンドロップして顰蹙を買った北尾を見て実感した オレの激闘ベスト5グレート・ムタ編
最もストロングスタイル新日本プロレスらしい戦いと感じたのは
ハルク・ホーガン戦であった 第二回IWGPのあと、新日本プロレスの事務所に「長州永久追放要望書」と数十名の署名を送った。
事情を知らなかったのだが、あの頃は本気で長州を憎んだものだった。
ミスター高橋は猪木が仕組んだと主張してるけど、なんかあいつの言うことは信用できないから、
実は高橋本人のシナリオだったのではないかと俺は疑ってる。 >>194
タッグも含めていいなら
・キングコンクバンディ
・藤波辰巳
・山田恵一&船木優治 >>237
本国では人気なのに日本で受けないレスラーはこの部分が大きいと言われる。 ジェリーローラーはパンチだけかと思ったら意外に技出してきたけどそれでも受けなかったね >>236
グラウンドレスリングはソコソコ上手い。
SWS神戸で谷津より上手かった。 ローラーは新日では普通に藤波と好勝負してたんだよな
ルードもそうだったけど
全日だとまったくプッシュする気がなくて扱いがあまりにもひどかった >>245
シングルの時は腰を振ったり女性的な動きで相手をバカにしたような?感じなんだけどw
アウトローズの時は容赦なく2人で攻撃するんだよな。第5回MSG(春の)で猪木&藤波と
試合した時は猪木の不調もあるが「圧倒的」と言う感じの強さだった。 >>247
藤波だからローラーの良さを引き出して、あそこまでの試合にできたのよ。 Gスピリッツは新日本系の特集だと暴露や悪意の記事が多いんだよ。
全日本系のものだと嫌な記事が少ない。
全日本寄りの編集方針を感じる。 >>249
ローラーのダイビングフィストドロップを藤波が両手で受け止めて
ローラーが「うそーん!?」ってなってた流れはあんまりだった
飛んできたピストルの弾を指つまんで受け止める的な ローラーが新日マットに来たときのインタビュー記事を読んだ記憶があるんだが、確かこんなことを言っていた。
「ホーガンには何度もフォール勝ちしている。もっとも、彼がグリーンボーイ時代の話だがね。」
「サベージ?彼を売り出してやったのは、この私なんだよ。」 ジェリー・ローラーと同時期だったと思うけど、猪木が長州に惨敗した日に
ビシャス・ウォリアーが藤波のIWGP挑戦してたな。
あの試合もあまり語られてない印象だけど、ビシャスとの相性はどうだった? >>255
初来日の2m級のマッチョマンのビシャスが塩っぱく、フィニッシュは逆片エビで、客「あ〜」
本来のフィニッシュは逆片エビだったのか、激怒した藤波がガチ極めしたのか?
開幕戦でビシャスを潰したため、その後のシリーズが使い捨てになってしまった。 >激怒した藤波がガチ極め
原戦はまさにそうだった・・・
最近、大人げない事したと反省しているみたいw >>250、252
全日寄りというかもともと全日はストロングスタイルとか格闘技世界一とかの大法螺吹いていないから暴露にならない。
更に馬場鶴田というリング上ののトップ2は既にいない。旗揚げメンバーで存命なのは佐藤昭雄のみ。その佐藤は一番下っ端。
フロントの重要人物元子やジョー樋口氏も亡くなってる。何か重要な事実が明らかになるとしたら米沢氏が生きていればということになるんじゃないのか。
全日の金の話はSWSとノアで語りつくされててもう面白み全く無いしね。
現在全日を語っている渕越中は単なる若手レスラーでカブキや小鹿、戸口なんかは所詮余所者。 >>258
> 更に馬場鶴田というリング上ののトップ2は既にいない。旗揚げメンバーで存命なのは佐藤昭雄のみ。その佐藤は一番下っ端。
ブッカーやってたんだから一番下っ端では絶対に無い。 >>256
逆片エビも凄かったがその前に踵でスネを思い切り蹴ってたのがガチ 【テレビ】長州、一番痛かった技を即答「骨まで響く」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1569701217/
元プロレスラーの長州力(67)が28日、読売テレビ「特盛!よしもと
今田・八光のおしゃべりジャングル」に出演。
「一番痛かった技」を聞かれた長州は、「アンドレの平手打ち」と即答。
「骨まで響きますよ。手がでかすぎますよね」と1993年に亡くなった
身長223センチ、236キロの故アンドレ・ザ・ジャイアントさんの
規格外のパワーを振り返った。 >>256
確かにこの試合は序盤にビシャスがグルグル廻す技をやった以外は何の見せ場もなく唐突に終わったね… 1989年2月22日 両国国技館 IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 vs ビシャス・ウォリアー
1989年3月16日 横浜文化体育館 IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 vs ジェリー・ローラー
ビシャスがWWF王者としてレッスルマニアのメインを張るのは8年後
(挑戦者アンダーテイカーが勝ち王座奪取)
レッスルマニア13 1997年3月23日 イリノロイ州ーズモント・ホライズン >>265
そのアンダーテイカーことパニッシャー・ダイス・モーガンはどうだったのかね?
俺の記憶ではダイビングエルボードロップだけは大迫力だったが、
こんなフィニッシュホールド続けてたら、いつか大けがすると思って観てた。 >>264
バックブリーカーからぶん投げるのひどいなw >>267
坂口引退シリーズに初来日して、マサ&橋本のIWGPタッグに挑戦(スコット・ホールと組んで)
ブロディ以上の巨漢で有望だったけど、あのまま新日本に来日してても大成したかは? (当時は大型レスラー飽和状態だった)
あくまでWWEの墓掘人キャラになって大成功した。 ブルースプリチャードがポッドキャストで1993年から94年のアンダーテイカーを
特集した時、1994年の初め頃新日本はアンダーテイカーをレギュラーとして呼ぶ
ことに関心持ってたって話をしてる
ショーンマイケルズやブレットハートのほうが新日本のスタイルにフィットしそう
だけど、彼らには全然関心を示さなかったらしい 1988年後半から1989年前半にかけて藤波はケリー、ローラーら非WWF、非NWAのトップとよく戦ってたな。
あと何故かグラップラーとパシフィックノースウェストのタイトル巡って抗争したりしてな。 >>259
百田は健在でしょ。
あと、藤井とか言う人はもう亡くなって
いるのかな? >>247
J・ローラーは全日に初来日した時、もう失望していた。
藤波とのIWGPは89年の3月頃、横浜文体ね。
見に行ったけれど、そう好勝負というほどでもなく、
まぁまぁの試合だったよ。セミのIWGPタッグ、
ジョージ高野&マシンが長州、マサ斉藤を破って
王座獲得の方が盛り上がった。セミ前がジュニアの
馳対越中も、一定のクオリティーを保っていたし。
その後のメインは、やや会場が冷えたくらい。
この日は、第一試合に降りた猪木が藤原と対戦もあったし。
メインはオマケみたいなものだった。 猪木対ジェリーローラーも見てみたかった…
でも第1試合はやめてもらって… >>255
藤波対ビシャス・ウォリアーのIWGP戦
89年の2月22日。
87年の暮に両国で暴動を起こし、相撲協会から使用禁止を
言い渡されたが、その解禁日。
最初は、この試合がメインと発表されたが、さすがに未知数の
ビシャスでは、前売りが売れなかったんだろうね。
俺だって見る気はなかった。
急遽、猪木対長州戦が追加されたので見に行ったよ。
藤波が、最後、逆片エビで勝った時は、館内から「おい!おい!」
という声が挙がった(そんな勝ち方でで良いのか?)という意味。
ビシャスも、悪い選手ではないが、いきなり両国で
メインを取らせてはダメだろ?
このシリーズ、同行したダイス・モーガンの方が伸びると思った。 >>266
その後、全日でスパイビーとタッグ組ませる計画があったみたいだけど、他のレスラーからの猛反対でポシャった。
事件起こしたから呼ばなくて正解だったけど、
全日なら実力発揮したと思うわ。 テイカーはWCWでシッドの抜けたスパイビーの相方やってたし、両者接点
多いけど身体がシッドは出来てたからな。テイカーは筋肉質ではなかったから
見た目の売れにくさはあったんだろな。
https://youtu.be/BBxWJxjhXAI >>276
このシリーズにダイス・モーガンは来ていない、翌年。
開幕の両国でソ連のハシミコフら3人がエキジビションやり、ボブ・オートン途中帰国があった。 オートンみたいに使えるレスラーは素行不良で問題起こしても後々まで
使ってもらえるからなぁ
クリス・アダムスやロン・スターもそうだったし
こういう外人レスラーはやらかしてシリーズ途中で強制帰国させられても
数年後には当たり前のように来日しているけど逆に全く呼ばれなくなるのは
ギャラで揉めたりした時なのかな? 控室で他のレスラーのカネをくすねたりする奴は二度と呼ばれないと聞いた
再犯生の高さは暴力や淫行より格段に上だとか ヒギンズは初来日の時、新日がピンチの状況で期待できそうな印象を持ったけど、
すぐにブロディの移籍があって影が薄くなったね
おまけに手癖も悪かったと、のちに誰かが言ってたなw 買うたあとに、これみんなどう思ってるんかな?ってレビューみることあるわw >>280
トニーアトラスも1回こっきりの来日だったな… そりゃ女性客にチンコ見せつけるような奴は呼ばれなくなるわ 引き抜いたのに一回こっきりで呼ばなくなった
ワフー・マクダニエル 引き抜き戦争はワクワクしたなぁ
新日の負けだったけど ビシャスみたいに一回きりの来日なのに、外人エース格でIWGP挑戦みたいな厚待遇だったレスラーいる? >>288
日本プロレスなら
スパイロス・アリオン(馬場へのインター)
あと、アート・ネルソンもそうか?
二人共、期待外れも甚だしい。 >>272
藤波が前髪を切ってまで押し進めた飛龍革命、その実態は提携先のプロモーションに金を積んで
たいして価値もなさそうなベルトをなるべくたくさん短期間レンタルしてもらって
腰に巻いてうっすい箔をつけることであった あの程度の前髪切っただけでガミガミいうかおり夫人は鬼嫁
藤波が坊主にしてたら殺されたんじゃなかったのか たかだか前髪切ったぐらいで
格闘王とまで言われた猪木が「待て待て待て!」と慌てているのが笑える。
何言ってるか聞き取れないし、さすがに不安になったんだろうな。 >>293
>>294
自分は当時もう高校生でスレたプロレスファンだったから
TVカメラをバッチリ前にして猪木にクレームつけた後
前髪をチョキチョキ、リングコスのまま雪の降る表に出てタクシーへという
あのシーンは正直茶番くせえなあ〜と思って見てたんだけど…
よく考えたらあれが藤波にとって本当に本気のマジで
マジの結果の衝動的な覚悟の表明があの前髪チョキチョキだったとしたら
そっちの方がもっといやだなw 強めの張り手かまし合ってるのになw
ああいうのってバリカンで一気にやるなら、想定通りだけど、
テーピング切る小さいはさみでチョキチョキやりだしたから、逆に怖かっただろうな。
ドラゴン怒りの前髪カットまでは猪木は聞いてなかったんじゃないのかな。
あそこだけ完全に猪木が素になってる。 >>288
ハクソー・ジム・ドゥガンは2回くらい来たっけ?
いきなり猪木とのシングル抜擢されてなかったっけ >>295
藤波、前髪チョキチョキ事件は沖縄ですよ。
札幌のミスター高橋、小杉チェンジ事件とごちゃ混ぜになってますよ。 >>267
扱いは悪くなかったと思うよ
再来日を期待してたけど、直後にWWFでジ・アンダーテイカーになっちゃったって感じ
ビッグバン・ベイダーもそうだけど、パニッシャー・ダイス・モーガンって口に出してみたいリングネームって大事だね >>298
ああそうだっけ、スマン
でもどっちにしても大人になって考えると
前髪チョキチョキが本気だったとしたらその方がむしろイヤw 雪の札幌でパンツ一丁でタクシーに乗り込んだはいいが財布が無くて
運転手さんとホテルの前で払うの払わないのタダ乗りで警察に行くの行かないので揉めて
野次馬の通行人で騒ぎになっていた 昭和じゃなくなっちゃうけどジュラシックパワーズでなくてはならない
存在になっていたヘラクレス・ヘルナンデスが空港トラブルで来日中止
急遽、木戸がノートンのパートナーに抜擢とかあったけどその後、何の説明
もなく来日しなくなったからギャラのことか何かで揉めたんだろうなと思った
こういうのや所属選手の退団とか不都合なことは新日、全日に限らずプロレス
団体って絶対にダンマリ決め込むから
真相を知るのは大体、濃いファンが言いふらすか週刊ファイトの暴露記事だった >>303
85年全日本の夏のシリーズに全戦参加の
予定だったジェットシンが足の負傷と
いう事で途中帰国。
実はインドで開催された富裕層の
イベントで表彰を受ける為に帰っちゃた
らしい。
当時ファイトが裏のある帰国だと匂わせていた。 次代を担う世代の一人だったジェシーベンチュラ、見るからにパワーだけの木偶という
想像どおりの選手だった。皮肉にも2回の来日共々ビッグマッチに起用されそのしょっぱさを
全国に露呈する羽目に。 ベンチュラは何処かの州知事か何かになってなかった? >>305
ホーガン戦失神KO後の復帰戦にはちょうどいい相手だったのでは?
>>297
ハックソーは開幕戦でいきなり猪木とシングルだったね。タイトルには挑戦していない。 >>300
ごっちゃになるほど、藤波は新日に不満を持って
アクションを起こしたということだな。
平成になってからも、92,3年頃にやはり、札幌で
無気力試合→欠場して、当時、ドラゴンボンバーズの
メンバーの越中に「やるきあるんですか!?」
とドヤされていた。 >>303
ヘラクレスヘルナンデスは薬物でしょ。入国出来なかったのは。
数年後、心臓発作で亡くなっているし >>307
猪木とベンチュラは82年4月21日ワンナイト興行。糖尿悪化で第5回MSG決勝を辞退。
その復帰戦だな。で、猪木はそのままホーガンも日本陣営入りしたビッグファイトシリーズに
出場するが数戦でまた欠場。次の復帰はサマーファイト第1弾スコットマギー戦。
第2弾はまた全戦欠場・・ >>311
ビッグファイトシリーズは猪木とタイガーマスクが中盤に欠場してしまう難儀なシリーズだった…
外人もブッチャー、ブラックタイガー以外は地味だったし…ホーガン登場とタイガー復帰でハクが付いた 猪木のIWGP失神事件から復帰第一戦はブラディファイトの浜口戦だな >>312 >外人もブッチャー、ブラックタイガー以外は地味だったし
まあ興味深いところとしては、「あの」ホセゴンザレスが唯一このシリーズに新日参加。
あとはヒットマンブレットハートのコンビでWWFを席巻したジムナイトハートらがいたな。
しかしブラックタイガーは4・21の初登場で佐山と接戦、このシリーズも佐山負傷で返上した
WWFジュニア決定戦で浜田を降して一時戴冠の活躍ぶりでキッドと並んで一気に佐山のライバルとして
名を挙げたな。 >>313
復帰戦の相手に選ばれるくらい当時の猪木の浜口に対する評価は高かったんだな >>313-315 >>317
復帰第1戦が田コロで相手はラッシャー
ワープロ枠での2戦目がマードックとのシングルマッチで
浜口とは(テレビ中継的には)3戦目だったよ 失神事件からの復帰戦は、ラッシャー木村で
試合は卍固めで猪木が勝利した
試合後「俺の首を掻っ切ってみろ!」発言
試合中の小鉄のコメントが、クーデター事件も重なりかなり厳しかった http://geta88kitty.cocolog-nifty.com/blog/images/91903.jpg
足に雑菌が入らないようにと医師の勧告により履かざるを得なかった力道山タイツ
75年の新日は猪木の一枚看板だったから猪木がいなければ興行にならなかった故に
たった二日間のみの力道山タイツ着用だったそうだが
己の見た目を異常に気にするナルシスト猪木の勅命により
マスコミ各所に一切の撮影を禁じたという >>321
当時、雑誌のカラーグラビアに掲載されていたんだが。 テーズ戦の前頃かな
ゴングのグラビアで大々的に扱われていたね
週プロ別冊の「日本プロレス事件史」28号の
表紙になってる
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTfwfV0xtQ3dlIvT5jSqs27DJFKAOaXaliQ1UUJrox4R7cXGjae
この号は猪木との最初の対決の後、WWWFエリアに
修行という名目で派遣されたストロング小林が
王者サンマルチノに挑戦するくらいニューヨーク
東海岸マット界で優遇された記録も詳細に
語られている
小林は国際時代のAWAマットでも常にメインを張る
扱いで、このWWWF遠征でもポッと出の飛び込みの
扱いだったにもかかわらず大関格の地位を獲得、
メキシコUWAでもトップルードの地位を確立していて、
日本て縛られていなければプロレスセンス、特に
ヒールとしての才能はすごくあったのじゃないか?と
いう気がしていて、WWWF時代のデータがもっと欲しい >>301
新日本御一行が会場からホテルに戻ってきてないので、仕方なくトランクス、リングシューズだけでロビーで待つドラゴン。シュール過ぎる。
他の宿泊客は何事かと思ったろうな w >>311
こちらもゴッチャになってしまった。MSG決勝辞退からの復帰戦だったね、ベンチュラは。 >>324
しかも長州の血を浴びた状態でw
プロレスが市民権を得ていた時代の話だからね
今なら確実に炎上してる >>327
プロレスが市民権を得ていた時代なんかないわ。 >>328
ゴールデンタイムで20〜30%の視聴率取ってる頃だから、国民の半分くらいには知られているって言っても過言ではないんじゃないかな。 有田と週間プロレス見ている人いますか?
シーズン4になり新日ネタは少なくなっているけど特大ネタまだ残ってます? >>328
力道山時代から続く日本のプロレスは、立派な戦後の昭和文化史の一つだぞ(流血戦なんかはプロレスの代名詞)
流血=プロレスっていうイメージがあったからこそ、血だらけでパンツ一丁でも「ああ、プロレスか」で済んだ >>329
まさにその時代に、
「プロレスに市民権を!」ってレスラーが言ってたんだぞ。
今の価値観で勝手なこと言わないように。 >>332
市民権は微妙だけど、あの当時のプロレスラーの知名度は今と桁外れに違うからね。当時はたまにテレビに出るくらいの木戸とか寺西くらいの地味な中堅レスラーでも今のオカダ、棚橋、真壁ぐらいは知られてたよ。 ラッシャー木村やアニマル浜口が有名になったのは新日マットに登場して金曜夜8時のゴールデンに登場してから。
国際時代のテレ東では全国区の知名度というわけにはいかなかった。 マイティ井上「(今70歳で60過ぎと言ってたから10年弱前)心筋梗塞で病院に運ばたら、
出てきた医者が『IWA世界チャンピオンのマイティ井上さんですよね?』と言うから
はい、そうですけど、早く治療して下さいと言った」
昭和49年に12ch時代の国際のエースでも知名度はある。 まあ昔はテレビに出る顔ってだけで、それが頻度とか関係なしに有名人としての
顔パス的な?肩書が持てたからな。まああの頃のプロレスの市民権と言うのは一般紙のスポーツ欄に乗るとか
どっちかつうと社会に対する承認みたいなものが欲しかっただけ。 猪木の不倫がワイドショーで報じられ梨元とか鬼沢とか福岡翼がリポートしているのを
「プロレスはスポーツだから猪木の浮気問題を芸能リポーターが取材するのは何事か!猪木の女性問題はスポーツ担当記者が取材しろ」と
テレビ局に抗議の電話が多数あった。 >>335
マイティ井上を知っているだけなら
ともかく、『IWA世界チャンピオン」だった
ことも知っているって、その医者、かなりの
プロレスファンだなwww コント「マイティ井上のバリウム検査」
検査員「はい、右に回って」
井上「あーーーーっ、ああーーーーーーつ」 >>339
意味がわからん。
マイティは右に回るときにそんなこと言わない。 マイティ井上のオースイスープレックスを初めてみた時大爆笑だった思い出 井上が新日に参戦していたら寺西と組んでジュニア戦線の国際軍として戦い、
終始タイガーマスクの引き立て役に終わっていただろうな。 マスク脱がされるマッハ隼人の立場なんて全く考えないマスク剥ぎ戦
の強要はいかにも新日らしいが対抗戦のタイガーvsマッハの日本人マスクマン
の異色対決はこの時に見たかった
後にUWFで実現するけど背景が違うからね >>343
初戦は坂口か藤波だろうな。
キラーカーンに翌年のMSGリーグ戦で秒殺負け タイガーVSマッハのシングルマッチって、タイガーがマスク被ってた時実現したっけ
雑誌で見た時はすでに佐山は素顔だった 国際での井上vsアンドレはお互い受け合って名勝負。
アンドレは井上と名勝負やって長州を秒殺とかになりそう。 国際プロ勢の中では井上は芸能活動していたから比較的知名度あったね。 井上は「オールスター家族対向歌合戦」に時折出てた。
杉山は「おはようこどもショー」のサンダーおじさん。 >>352
ジャンボ鶴田も桜田ズン子と井関農機
トラクターのCMで共演してたから
知名度あったよ。 https://pbs.twimg.com/media/Dyi3hs0VsAEfN_5.jpg
第一次UWFのエースは間違いなく前田だが、知名度はラッシャー木村の方があった
東京プロレスにおける猪木豊登の関係に近いものがあるな、あの時の猪木は
アントニオドライバーを必殺技に出来るくらい体力も実力もあったが
全国区でテレビ中継される前だったので全然有名じゃなかった
かたや年齢的に衰えていたとはいえ、日本テレビで力道山亡き後
エースとして連日全国放送のメインで暴れていた豊登は知名度だけはあった 国際は西尾をマネージャーにするとか井上をもっとうまく使うべきだった。
仕掛け次第では芸能スキャンダルでワイドショーもいけた。
ワイドショーでガラパンでのサマーソルトドロップが映ったら日本中に衝撃が走る。 サマーソルトドロップってなんか真夏の塩分補給の時の塩飴みたいな名前だな、と。
でも全然綴りは違うんだってな。 >>357
ソコソコ名前のある女優がプロレスのマネージャーなんかになるかい。
猪木だって倍賞をマネージャーにせんかったやろ。 >>359
倍賞美津子が新日本プロレスに協力してるのを知らないのか?
シンの伊勢丹前襲撃事件でいい演技した。
新日創生期には宣伝カー、チケット売りの営業もやった。
猪木が海外に行く際はファーストレディとして同行してる。
ノーブラと香水で前田を勃起させた。 上野毛に合宿所があるのもすべて倍賞美津子のおかげ。 猪木と倍賞美津子の馴れ初めは、美津子が銀ブラ途中に猪木のクルマが邪魔で蹴っ飛ばしたんだっけw >>363
だから、女子マネージャーとちがうやんか。
リングにあがってプロレスやったんかよ。 >>366
誰が女子マネージャーでリングに上げろと言ったw 猪木は「美津子は自分の最大のライバルでもあった」って言ってたね
女優の演技力に影響されて演技力が向上したらしい
確かに日プロ時代までって映像を見ても地味な感じがある >>343
81年当時だと井上はヘビー級だったから
藤波長州健悟辺りとのカードが組まれるんじゃないの?
>>365
猪木の話だとSKD(松竹歌劇団)が好きでよく観に行っていた豊登の紹介で会ったのが馴れ初め
最初の頃は倍賞美津子が必ずといって良いくらい友人達を連れて来て
猪木をプチタニマチ扱いして食事を奢らせる(しかも皆レスラー並によく食べたのだとか)ので
嗚呼トヨさんこれに辟易して俺に面倒を押し付けたんだなと妙に納得したのだとか >>369
81年の井上は恐ろしいくらいに原が
出てたな。
全日での天龍と原の最初の一騎打ちの祭、
偉く醜い腹で白のTシャツ着た外人が
阿修羅のセコンドにいるなと思ったら
井上だった。大熊と変わらないくらい
デップリしてたぞ。 >>365
力道山が貰う予定だったセンチュリーを豊登が乗ってて
倍賞らが「こんないい車乗りやがって」と蹴ってて、
豊登が「おいおい何するんだ」と言い、食事に行き、いい子だったので猪木に紹介した。 チャボのジュニア王座に挑戦した時の井上もそんなに痩せてなかった
プロレスはボクシングみたいに計量しないのかいい加減だなぁと思った 子供の頃、マイティ井上は江夏に似てるなと思いながら見てたな >>363
芸能人が仕事として人前に出る時は
たとえ夫婦でも事務所に所属している以上はギャラが発生するから
国際がはたして西尾のギャラを払えるかという問題
東京のビッグマッチの際にリングサイドに客として招待して
応援している風景をカメラで捉えるくらいがせいぜいでしょ >>373
俺もそう思っていた。髪型が七三からパンチパーマに変化したのもよく似ていた。 井上にしろ浜口にしろ、国際レスラーは腹が出てヌルイ練習しかしていないとかイメージ付けられてたが、
国際軍団時代は浜口に関しては、猪木に自分の若手に叱咤をする意味で評価されてたし
みんな勝手なこと言いすぎだよね。。 馬場がウォリアーズを評するときに、
ホークのほうが筋肉が盛り上がってるが、
腹の出てるアニマルのほうが力が強いと言ってたな。 1971年、アントニオ猪木と結婚。当時、1億円の結婚式で話題になった。
新日本プロレスの旗揚げ戦時には宣伝カーのナレーションを吹き込んだり、
豊登が紹介した融資先に自身が行ったことで1000万円を融資してもらえたりと、
新日本プロレスの旗揚げには倍賞の貢献があった。
1976年のパキスタン遠征に帯同したのは印象的であり、試合で猪木がアクラム・ペールワンに勝利し、
相手の肩を折ったことで暴動が起きかねなかった状況に対して
「新間さん、私はいいからアントンを頼むわ」と冷静な対応をしたと伝わる。 >>107
世界のプロレスにハンセンのジョバー役でよく出てた。 旗揚げ戦には倍賞千恵子も来てくれて、弟の倍賞鉄夫はリングアナ、営業、猪木事務所社長までやってくれた。
新婚なのに野毛の邸宅を新日本プロレスに提供してくれて、2人は板橋だかのマンションに引っ越した。
邸宅が提供されなければ、藤波、藤原、長州、佐山、前田、高田、三銃士らも育成できなかったかも。
https://昭和プロレス.blog.ss-blog.jp/upload/detail/m_tousupo0621.jpg.html >>380
「プロレスラー猪木」のステータスを上げて長者番付に載せるために自分の収入の一部まで
回したりしている。
パキスタン遠征では試合後のホテルに軟禁状態になり食事ができず。
機転をきかしてカップメンを数個スーツケースの隙間に詰めてきた美津子夫人のお蔭
でなんとか食事ができたと永源が証言している・・・ エピソードを見るたびに倍賞美津子って猪木以上の豪傑だな、と思う。 内田裕也 キリン
猪木 ミッコ
最強カップルだな、別れたのは残念すぎる 元子は嫁同士のあいだでも当然評判は悪かったが、こっちはどうだったんだろうなw
かおり夫人(藤波)、利子夫人(坂口)・・。 猪木夫人の女優美津子
井上夫人の女優美枝子
浜口夫人の浅草の初枝
藤波夫人のモデルかおり
健吾夫人の議員洋子
坂田夫人の女優栄子
武藤夫人のカシンが恋い焦がれる久恵
蝶野夫人のドイツ人マルティナ
馳夫人のビクトル古賀娘、女優高見恭子
魁皇夫人になった西脇充子
レスラーの奥さんもキャラ強いな 82年チャンカンではジュニアの井上の方がヘビーの天龍より大きく見えたw >>373
マイティは江夏の高校の後輩なんだよな。一学年違い。 >>389
なんといっても凄まじいのは冬木夫人の薫だろ。 結婚詐欺で逮捕されていたのか…不幸な境遇が重なったとはいえ
関係ない他人からカネをだまし取るのは許されないなぁ >>391
まだその頃は井上はヘビーだったし、
公称でどっちも110キロだったから身長の低い井上が大きく見えるのは当たり前。 >>396
新日と全日のジュニアヘビー級リミット値は同じなのかな?
全日の方が体重重めな気がするが >>397
全日は105キロ以下だったから全日の方が重いよ。 全日で仲野がジュニアに挑戦したシリーズのパンフレットが110kgになってた…そこは面倒くさがらずに体重減らしておこうよと思ってた >>400
確かダニー・クロファットもそうだったなw >>389
サカタの小池栄子がずば抜けてるよなあ。
あんなにいい嫁おらんやろ。一生懸命仕事して金稼いで、一切文句言わんらしい >>389
馬場夫人のジャイアントサービス設立で選手グッズ売上を懐に入れる元子
佐山を太らせた佐山夫人 >>395
不幸な境遇云々より、もともと水商売だし、そういうタチの人だったんだろな。 何年か前のバラエティ番組にドリーの奥さんが出てたと思うけど、
彼女も相当に気が強そうだったなーw
他にもシン親子に芸人が酷い目にあってた。 レスラーの嫁さんでパッと思いつくのはアニマル浜口の初枝さんか、やっぱり。
アニマルとほぼワンセットでイメージされてるから「一体感」みたいなのを感じるな。。 >>403
ただの巨乳姉ちゃんかと思えば演技の方でスキル発揮してたしな もはや新日のスレではなくなっている件
よそにあったけど全日ファンがココ荒らしに来てるというのは正解だわ 1969年の猪木のトレーニング。
ゴッチ、吉村、坂口、ヤマハ、大熊らが出ていて、猪木の卍を受ける戸口が細い。
https://www.youtube.com/watch?v=sIpOd0rXVS4 >>410
猪木はこの合宿の直後に扁桃腺の手術をしてる >>386
試合後に疲れている猪木にマッサージをさせたテレ朝の天皇・三浦専務を美津子夫人は
凄い剣幕でドヤしつけたwと同席した大塚氏が証言していた。翌朝に三人は美津子夫人の
おいしい朝食をごちそうになったらしい。元子夫人も料理上手と言われる。
>>406
ジムでトレーニング中のドリーを撮影しているとカメラ前ではしゃぐジムで厳しく手で
制していた。サイン会も仕切っていて見ているだけの野次馬をドヤしてつけてそれを
見た日本人ファンが「まさにアメリカ版・元子夫人!」と表現していたw >>413
81年当時はパテラに歯が立たなかった長州も3年後にはサソリ固めで圧勝してたな… >>413
81年当時はパテラに歯が立たなかった長州も3年後にはサソリ固めで圧勝してたな… 長州の体力も実力も三年で変化してないのに、団体内で序列が変わるだけで
元重量挙げ五輪代表兼次期NWA王者候補のパテラに勝ってしまうのがプロレス
高山とオブライトの序列がUインターと全日で逆転したのは
オブライトが劣化しただけだから仕方ないけど 81年に2回来日したパテラだが2度目の時は全く活躍の場が与えられなかったな
テレビ中継にも1回も登場しなかったのでは…
ザイールビコもだが… >>418
あのシリーズも一応エースだったのでは?
シンが来るまでは。 パテラは後にはジョブとしての立場しか無かった。
もう少し活かせたとは思うね。 パテラにしろ、特に口が達者な高慢ちきパワーファイターってどれもアメリカで受けるタイプだし、
日本でそのスタイルを通すとどうしても白ける。英語でまくしたてるとか、全く効果ないし。。
だからホーガンなんかはそこは器用だったんだよな。 >>420
お前、必ず家に火をつけるとか殺しに行くとかいう漢字やひらがなで
殺人や放火予告していたキャラ辞めたの?それともここの人間がお前の
こと気付いていないとか思っているの? パテラは初来日?の開幕戦で藤波にリングアウト勝ち。 パテラと同時来日したジエンフォーサーは序盤こそ勢いあったが坂口にタイトルマッチなのに5分で負けてから尻すぼみになってしまったな…最終戦は永源に反則勝ちというショボさだった パテラは第2回IWGPに来たときは、1回くらいしかテレビに出なかったかな。 >>427
それが一番楽だから。
猪木は7歳若いから、馬場をロートル呼ばわりしてたが、
自分も16文と同じなんだよな。
人間の肉体的衰えは鍛えていようがいまいが、内臓や血管、骨は等しく衰えるから、
そう違いはないんだよね。 どんな日本人もハンセンのラリアットで終わり
ってのと同じじゃーん 延髄斬りはあまり好きな技ではなかった。
猪木の全盛期は卍固めで始まり、延髄斬りで終わったと思う。 >>428
あそこまで高く飛んで形が崩れないで飛んで延髄斬りやるのは楽ではなく、凄いと思う。 パテラが卍をロープに逃れた初対決の武道館スペシャル、なんであんな
大箱を用意したのかと思っていたら、前年の8・26に続くオールスター戦
第二弾のために押さえてあった会場だったんだな
猪木馬場戦が決裂してオールスターそのものが消滅し、空いた武道館が
新日に押し付けられた格好だった
オールスター戦の頃のプロレス誌を読むと、関係者ですらあそこまでの
ヒットになるとは思っていなかったみたいだ
70年代の終わり、案外業界の中にいた人ほど「プロレスなんて儲からない」
と思い込んでいたのかも知れない
翌年からのIWGP構想、「引き抜き」という名の馬場猪木トレード商法なんかは
オールスター戦で「意外とやり方次第でデッカイ商売ができるんじゃね?」と
気付いた結果のバクチだったんじゃないかという気がしてくる >>434
トレード商法って、
倉持の想像を真に受けるなよ。
出来レースだったら、裁判なんかするかい。 後の交流戦乱発して衰退してプロレスをみると、オールスターは一回だけで終わって良かった >>344 実現しなかったのはマッハが素顔になるの渋ったから
だよね >>435
引き抜き合戦が出来レースだと言ってるのは倉持だけだからね
あれは出来レースではないはず
ブッチャー、戸口、マードック⇔ハンセン、シン、チャボ
こんな大損なトレードを新日がOKするわけがない
当時間違いなく人気No.1外人だったハンセンと
まだ絶大な集客力を誇っていたシンをこんな交換相手で放出しない IWGP構想ブチ揚げてんのにハンセンにのし付けてくれてやるバカはいない。 82年の初頭に東京都体育館で、猪木・ブッチャー、馬場・ハンセンがマッチメイクされた時点で、
水面下でファンを煽る興業合戦の計画がそれこそ半年前から内々で決まってたんじゃね?
だって全日が同会場使用するの6年ぶりだった訳。
蔵前国技館ならまだしも、東京都の公共施設を抑えるなんて半年以上前には予約いれないと。
ブッチャーとハンセンをトレードしてレスリングウォーを演出した馬場と猪木は策士だったわ。 まあ遅くてもシンがブッチャーと最強タッグで組んだ時には気が付くよな まあ日本側(両団体)だけの意向じゃなく、ハンセンやブッチャーにとっても日本は稼ぎどころだったし
ライバルレスラーのギャラとかいつも意識してたんだろう。ビジネスライクな外人は自分の評価に
敏感だしね。ホーガンもそういう波?に乗じてまんまとギャラアップを得られたんだろうし。
外人にとっては引き抜き合戦は願ってもないチャンスだったはずだ。 >>438
その倉持も、のちに撤回してるしなあ。
ホントに興行戦争だったんだと。 倉持はハンセン全日乱入の少し前から、地方会場では次期シリーズにハンセン出場みたいな宣伝をこっそりしていたとか話していたな。 >>444
ピートロバーツやアレンが意外に大きく載ってるね。
てか、彼らもあの田コロに出てたとは知らんかったw >>444
この日の田コロは最高7千円だったのか。 >>441
それは勘ぐりすぎ。
そもそもハンセンの全日本引き抜き自体が
半年前に決まってただけ。 >>445
新日と全日の興行戦争というよりテレ朝vs日テレの仁義なき視聴率争いの面が大きかった。
テレビ局的にみれば互いの看板番組に出演しているレギュラー出演者を引き抜いて
即自局の番組に出演させたら報復でゴールデンタイムの番組の看板タレントを引き抜かれるという
テレビ業界としてもこんなことは歴史上無かったという血で血を洗うことに。 >>450
テレ朝は馬場を最期までバラエィー番組に呼ばなかったらしいし、
馬場も出なかったろうね。 >>452
バラエティーかわからないけど徹子の部屋は出てるんじゃないの? >>451
ハンセンにラリアット喰らってなかったっけ >>452
ニュースステーションにも出てる。VTR企画だけど。
人生で最後に食べたいものとかいうインタビューで、あんころ餅と答えていた。 逆に猪木は日テレに出たっけ?
古舘がMCの『おしゃれイズム』の前の『おしゃれカンケイ』は出たかなぁ 猪木は平日昼に日テレでやっていた高島忠夫夫妻司会のごちそうさまに出演
そこで司会の高島忠夫が「きょうのゲストは世界一強いアントニオ猪木さんです」と紹介してしまって
番組Pと番組Dは始末書を提出して日テレからは減俸処分に。
プロレス専門誌にも「日本テレビには世界一強いジャイアント馬場さんがいるじゃないですか」と書かれていた。 ハンセンは新日No.1トップ
シンは新日No.1ヒール
ブッチャーは全日No.1ヒールでNo.1トップ
ブッチャーは双方を兼ね添えた扱いだった。
全日は新日からハンセン、シンのツートップを引き抜いたと形容された。
しかし新日は全日からブッチャー、マードックのツートップとは形容されず。
マードックや戸口はオマケの扱いに。
しかし結果的にはブッチャーよりマードックの方が重宝され、長年に渡り新日で活躍。
ブッチャー、戸口は完全に使い古しに。 全日ではハンセンは言うに及ばず。
シンも上田もそれなりに重宝されたとは思う。
チャボもジャニアベルト巻いたりとジャニアの顔になり。
馬場としても、せっかく引き抜いたんだからという気持ちもあったのかも。
その分、国際から引き抜いたスミルノフやジョーの扱いは酷かったが。
国際からの移籍のカマタはそれなりの扱い。
でもカマタんときとは状況が違ったし。 全日系外人もピーク過ぎてから結構新日に来たけど
マスカラスだけは結局1度も上がらなかったな >>461
新間は外人招聘ルートが弱かった70年代にマスカラス獲得を画策したことがあるが、
ゴング竹内宏介に「いくらなんでも止めた方がいい」と止められたことがある。
70年代なら猪木NWF挑戦でもいい試合に作れたと思うが
時期を逃すとブッチャーのような酷い扱いになるのは目に見えてる。
ちなみに78年3月のMSGからの放送で(WWF提携時)
たった一度だけマスカラスが新日のテレビ中継に登場した。 >>461
マスカラスが藤波とやったのはどこ? IGF? ファンクスが新日に登場したのは意外だ。
幾ら年数経過しても。
当時を知ってる者からしたら驚きだった。 >>462
マスカラスは、初来日(’71年)に
猪木と60分3本で対戦。
決勝がリングアウトとは言え
1−2で敗れているからな。
新日がマスカラスを引き抜こうと
したのは、70年代の終わり、
対藤波を想定したとのことと聞いていた。
つまりジュニアヘビー枠。 >>465
70年代のテーズ、ロビンソン戦くらいまでは、猪木がマスカラスの攻撃を
受けまくったらそれなりに名勝負になったと思う。
日プロのインタータッグ戦観ても馬場より猪木の方が噛み合う攻防はしてたし
手は合う感じがした。
マスカラスのジュニアヘビー級は無理があるなー
飛龍十番勝負ならカネックより夢があるね。 >>463
77年藤波がメキシコ修行中に6人タッグでマスカラスと初対決
その後MSGでエストラーダを破りWWWFジュニア奪取した日にニアミス
その日のメインがS・ビリー・グラハムvsミル・マスカラスのWWWFヘビー級戦
79年オールスターで鶴田・藤波・マスカラス組が実現
00年に藤波引退カウントダウンで交渉するも実現せず、IGFで対戦した時は遅すぎた。 >>460
> チャボもジャニアベルト巻いたりとジャニアの顔になり。
チャボはベルトごと引き抜いてベルト剥がされたんだぞ。 >>466
飛龍十番勝負といえば1982〜83年か!?
マスカラスが、新日に登場して
藤波と対戦するなら
ギリギリの年齢だな。 >>460
全日から新日に来たときのスミルノフは既に出涸らしになってたな…
スミルノフやブルックスを新日で見れただけでも良かったけど…
スレーターは一度も新日に来なかったね >>448
田園コロシアムは行ってみたかった会場の一つだな…やっぱり1万人規模の広さだったんですかね〜 兄とは険悪だったというドスカラスは80年代半ばころは新日に上がったな。
IWGPタッグリーグではカネックとのUWA最強ともいえるコンビで出場したが、
あまりテレビの露出は無かったね。藤波&キム健あたりとの対決は見てみたかった。 プロレス専門誌で
飛ばなくなったマスカラス
飛べなくなったマスカラスって揶揄されたのは
いつ頃だったっけ?
せっかく新日が引き抜いても
意地でも飛ばないだろうなと当時思った
スティムボード戦あたりかな >>474
初代タイガーの空中殺法を見せつけられた頃
飛べなくなったマスカラスと言われ始めたんじゃないかな。
だいたい最初からマスカラスの空中殺法は、ここぞという時だけだったし
ねちっこいグランドや関節で試合を組み立てている。
ドロップキック何連発とか『スカイ・ハイ』のイメージが先行し過ぎていた。 >>476
そうそう。ゴング情報だったと思うけど、ドロップキック22連発を放つA・ロッカ
みたいなマスクマンで、毎試合マスクを変える悪魔仮面がロスマットに出現とか
あおっていたなー
でも22連発受ける相手って、いったい…w 最初に飛ぶ人がすごいんだよ。間違いなく。
当時の硬いリング、整備されていない場外に100kgの男が飛んでいく。
その最初の勇気を俺は称えたい。 >>474
ブッチャーは「プロレスを10倍楽しく見る方法」の中で
マスカラスを「あいつは飛べないイグアナ」と書いてたな グレート小鹿「俺がロスでカンフー・リーとしてファイトしていた時
マスカラスのドロップキックを十発以上受けて客を沸かせたんだ。
他のレスラーはシンドイから三、四発でさっさと寝てしまうので
俺とマスカラスの試合が特に盛り上がったのさ。」 小鹿のカンフー・リーはテキサス時代のキャラじゃなかった? >>457
TPG事件の割と直後に日テレのたけしの番組に出てた
コントで猪木がヒットマン役でライフル持って狙ってるんだけど、
たけしが何回もちょっかい出すんで「この野郎!」ってことで追いかけっこがはじまる
その追いかけっこがマラソンクイズで、質問に答えながら走るっていう謎の企画w
番組の最後には若山富三郎が孫と会話して終わるっていう謎の番組だったけど
確かすぐに終わっちゃったはずw >>478>>480
プロレスを10倍楽しく見る方法の原稿料や印税をめぐって梶原一騎と揉めて
その件でも梶原一騎が恐喝容疑で再逮捕されたとニュースでやっていた。 >>474
確か1982年新春シリーズでスキップヤングと
対戦した時くらいからだよ。
81年に新日に初代タイガーが出現して
比較された面もあるね。
ミル・マスカラス、公称でも1942年生まれ、
実は39年とか40年とも言われている。
40歳をもう越えていたんだろう。 >>486
木更津の対戦は期待したけど、黒いマスカラスと呼ばれたヤングがまったく駄目で
超凡戦だったね。
客も全日逆上陸のハンセンvs阿修羅原戦に気が入ってた。 晩年に全日でブッチャーvsシンのシングルが実現したけど
なんか見てて悲しくなったな
昔なら超夢のカードだったけどそんな感慨は沸いてこなかった MSGシリーズで実現したシン対ハンセンのシングル戦
短時間で両リンになったけど、シンがハンセンにパワー負けしてなくて面白かった
ブッチャー対ホーガン戦も両者の持ち味が発揮されていて中々の試合
夢の対決には賞味期限てやつがあるから、両者が年齢的に衰えてから実現しても遅いのよ シンがノートンとのシングルでピンフォール負けを許したのには驚いた。 >>472
藤波・木村×スヌーカ・ドスカラスはオンエアされてたな。
セミがブロディ×マードック。 >>472
横浜文体だね
メインは猪木対スヌーカのシングルだったしテレビ中継してほしかったなぁ… 昭和新日スレなのにゴメン
前出の >>474 なんだけど
スティムボードの逆水平をかいくぐっての
フライングクロスチョップ
2代目タイガーとのドロップキックの相討ち
ファンには見たいものが有るんだよ
意固地にグランドしているように見えたマスカラスは
プロ失格と当時思った >>488
そんなあなたは2000年代にハッスルでレイザーラモンvsブッチャー・シンが行われて
シンがフォール負けした試合見たらぶっ倒れそうですな >>462
日テレと契約していないけど"紳士協定違反"とマスカラスを登場させたので
馬場は怒った。一方、新日もテレ朝と契約している猪木が出場したMSGの試合を
「素晴らしきアメリカンプロレスの世界」と言う単発番組でTBSに放映されてしまった。
提携している新日の猪木が出場しているのにそれを釘を刺さずにテープをTBSに売った
WWFは批判されたけどWWF1984の少し前の出来事なので既に新間がビンスシニアと
築いた蜜月関係は終わりを告げていたんだろうね。 >>498
このノボリと野末陳平はリングサイドの名物だったな >>500
野末陳平が、今年の7月、
参議院選に出馬したの知らないの? >>474 >>486 >>494
82年より前79年頃にはもう飛べなくなったみたいに言われていた
村松友視も(明らかにマスカラスを評価してなかった)佐山タイガーのデビュー前からマスカラスには厳し目だった
マスカラスの全日でのピークは田コロの鶴田戦(『若大将』時代の鶴田にとっても同様)で
それ以降は実質脇筋のポジションだったし
>>496
TBSは日曜昼に放送していた「マイ・スポーツ」という番組の中でも
83年元旦の猪木vsマリガンやタイガー浜田星野vsミショネロスのダイジェストを流していたから
当時のテレ朝側の担当者とは良い関係だったんじゃないの? 練馬に住んでいたときに大泉の野末陳平の家の前を自転車で通ったけど
テレビやラジオや本で稼いでいて参議院議員もやってんのに
こんなちっこい家に住んでんだってぐらい間口6mも無いような小さな家だった 昔、桑田佳祐が猪木の大ファンだからということで
猪木がザ・ベストテンに出たことがあった
桑田が「コブラツイストをかけて欲しい」と頼んだら
猪木がニコニコしながらそれに応じてた >>501
全然知らなかった
プロレス自体15年くらいまともに観てないんでよくわからない
初代タイガーマスクのデビュー戦でプロレスを見初めて観て小川vs橋本戦が終わったあたりから興味がなくなっていった感じ 都知事選で磯村候補に銭湯で客の背中を流すパフォーマンスを伝授したは野末陳平 >>505
参議院選挙とプロレス興味なくなったのと関係ないだろう?
君が政治にも興味がないノンポリだということは良く分かった。 >>504
スレ違いだけど、
その時サザンは何の曲でザ・ベストテン出たの?
いつ頃の猪木か気になる。 >>504
桑田は元々馬場ファンだったのに、局が間違えて(たぶん馬場に断られたのでは)猪木を呼んだ。桑田はその時猪木のファンにもなったと聞いた。
馬場没後に缶コーヒーのCMで桑田とCGの馬場が共演していたから、馬場ファンだったのも間違いない。 サザンの『太陽は罪な奴』のPVに猪木が出てるね。
バスの運転手役だったかと‥ >>503
総理時代の菅直人は武蔵野の方の借家だった。 というか、、
野末陳平にしろ、村松にしろ、
健在かどうか
ここで聞くより、ググった方が
早いだろ?www 古舘伊知郎が夜のスタジオDXの初司会のときのゲストが猪木。 >>504
そのシーンは覚えているよ。
で、桑田らサザンは、歌を披露するので
楽器が置いてあるスタジオに駆け足で行った。
そしたら、猪木も釣られて同じ方向に走って行った。
久米宏が呆れて「なぜか猪木さんも行ってしまいました」と(苦笑)。 久米「猪木さん、すっかり歌う気になってます」
ちなみに歌は年間6位のチャコの海岸物語 >>516
じゃあ82年か
糖尿病やハイセルの問題でゴタゴタしてた頃だな 子供の頃、猪木とS小林の顔が似ていて兄弟だと思っていた ストロング姐さん正式に引退してないとはいえ腰痛で休業状態だったのに
勝手にポスターで出場した事にされて…まだ新日役員だったから仕方ないのかな >>518
格上が手前に掲載されている?
マードックとスーパースターは同格か?
この頃から坂口は、一歩下がる方針だった? >>502
その番組内で猪木やタイガーマスクの取り上げられて試合のダイジェストやタイガー
は体力測定をして驚異的な身体能力が放送された。
>>512
中曽根元総理も一時、都内の自宅は賃貸だったけどオーナーが長嶋茂雄だった。 >>521
スーパースターは長らく新日エース外人の一角だったからなあ。 マードックとスーパースターは同格だね。
マードックとアドニスだとマードックが格上になるが。
猪木とホーガンも同格扱い。
カーン、戸口も取り敢えず同格扱いだったね。 木村・小林組が発表されたのは覚えてるが、長州・浜口組も予定だったの?
10月から始まった抗争を年末で終結して新日本隊とくっつける予定だったのか?
小林の腰痛欠場でチームがバラけて、それにより新日vs国際の長期抗争となって3vs1、髪切りとかに繋がったのか? マードック、スーパースター組だと入場曲は
テキサスファイト?
ザ・フライだった? >>498
この人はガチだと思って応援してたのかそういう事関係なく応援してたのか >>518
このポスターには載って無いけど
ヤング・サムソンは黒人の写真だったのに来日したのは白人だったんだっけ? 猪木・藤波、坂口・前田、長州・カーン、R木村・戸口、浜口・谷津
アンドレ・グレイ、ホーガン・シャープ、マードック・アドニス、スーパースター・カネック、
木村健・星野 >>498
このノボリとおじさんは、新日の名物だったな
テレビ中継で猪木の入場シーンによく映ってた。 >>496
そのころは表向きはプロモーターとしてNWAの常任理事でもあったヴィンスシニアが
仕切ってるように見せかけてたが
実際はすでにジュニアに実権が移っていた
82年秋に興行権をジュニアが買収してたからね
全米進行計画をNWA系プロモーターやガニアに悟らせないための偽装 >>529
写真は黒人のペドロ・サムソン、来日したのは白人のヤング・サムソン >>532
ビンスジュニアは策士だねー
独禁法にも掛からず、見事に全米制覇した。
でも各テリトリーに色んなタイプの強豪がいて
NWA王者がサーキットする風景も良かったなー >>535
あの時代はテリトリーごとに特色があって「生態系の多様さ」では全盛を極めたけど
商業的には底辺だったからね
だからいくらテレビ局をバックにつけた日本の団体はアンドレとかローデスとかワフー
みたいな全米トップスターを円で頬を叩いて呼べた
呼ばれる方もギャラがいいだけでなく、試合だけしてれば異動も食事も宿泊も全部
団体が面倒見てくれる日本ツアーは楽しかった 大リーグオールスターが日本にやってくるけど
連中なんて野球をやりに来日するのではなく観光気分で来ているからな
それも小遣いとお土産までもらって メジャーのGMやスカウトは割と真剣に仕事してるけどね
日本滞在を満喫しないとは言わないけどw
金のあるチームは日本人エージェントもスカウト部にいるから
それと組んでの仕事なら成果も上がるし休日には観光案内もしてもらえる >>536
自分は75〜80年代初頭のテキサス、カンサス、ミネソタ辺りが好きだった。
フロリダやテネシー、カリフォルニア方面はあまり興味なかったなぁ
NY地区は独特で、あのままでも良かった気もする。 74年の第一回Wリーグで来賓でビンスシニアが来てたけらしいど、その直後からWWWFとの
提携ってあったっけ? なんか相変わらず外人メンツはB級だったな。 >>534
のちにマードックが格上になったが、
MSGタッグリーグで初めて組んだときは、
スーパースターが上じゃないかねえ。 >>541
同年のMSGシリーズではマードックの方が上位に入ってるから
格上はマードックだろう。 >>540
74年のwリーグの前に
アンドレ・ザ・ジャイアントが新日初来日している。
正式に提携はしていなくても
もうWWWFとのパイプはあったんだろ。 >>538
シーズンオフのMLBの日本ツアーは
本人のギャラやお土産観光は勿論だが
あれ意外と重要なのは
家族や恋人とかを×名迄同伴可なのが大きいらしい
MLBの選手は日本のクソ楽な日程と違って
シーズン中は殆どが休み無しで試合と移動の繰り返しで
普段はホテル住まいの選手が多いし
移籍も頻繁にあるから自宅は所属チームとは別のところにあるケースが多い
むこうではたとえ仕事によるものでも家族一緒に過ごす時間が少なかったり
家族サービスが十分でないとそれだけで離婚理由にされ
スター選手になるほど莫大な慰謝料を持ってかれるから
オフの日本旅行と現地での上げ膳据え膳の扱いによって
家族(恋人)サービスと同時に
「なっ、俺ってこんなに大切に扱われるスゲエ立派な夫(父、彼氏)なんだよ」ってやる
だから家族も日本でダンナや彼氏が(一応)試合してる間に
日本側から同伴者向けに選手とは別途提供された宿に泊まって小遣いも支給され
連日(ツアー中はほぼ別行動で)観光地巡りや買い物を堪能する
プロレスでもガニアとかレイスとか大物がたまに嫁さんや子供連れて来日してたのはコレ
レスラーも長期遠征原因の家庭不和による離婚は付きもの
あれは選手本人よりも嫁に対する家族サービス&離婚防止策の意味合いが大きい MSGタッグのテレビ中継のテロップ見てたらスーパースターが上に来てたな、82年は 82年くらいまではマードックがビッグシリーズの二番手
スーパースターは大物がいない谷間シリーズのエースのイメージ
奇しくも全日時代のマードックの役どころと同じ >>544
エリックは日プロ時代ケビンを始め息子たちを一人ずつ順番に日本遠征に帯同したが
あれも自費じゃなく日プロのサービスだったのかな >>546
四大決戦と煽ってはいるものの、タッグマッチは地方のセミファイナルといった風情に >>549
この頃は坂口はカーンに裏切られたくらいしか出番なく完全に空気化してたし
前田もIWGPでもう失速してたしね 木村対浜口の同門対決も楽しみにしてたファンは少なそう。 >>542
でもリーグ戦でバイオレンス軍団の二敗はいずれもマードック。
アンドレに反則負け(レフェリー暴行)、猪木にフォール負け(延髄)。
>>529
パンフレットの写真かな。
確かにヤング・サムソンの写真は黒人レスラーだった。 >>543
ああ、アンドレの初登場は多少なりともビンスのラインはあるだろうな。
でも、その直後(ビッグサマーシリーズ)に国際に一旦は戻って参加はしてるが
これは吉原氏との個人的なつながり何だろうな。。 ヴィンスシニアは新日と親しくしていながら
新日の招きで来日したときにこっそり馬場とも会談してたりしたたか
元々旧知の間柄とはいえ一レスラーではなくプロモーターとしての密談だろう
さすが蛙の親は蛙
まあ意外と勘違いされてるけどヴィンスはNWAの有力会員でタイトル管理委員会
の常任委員だから馬場と会談してもおかしくはないんだが
新日の加盟を後押ししたかと思えば80年の馬場とレイスの無許可タイトル移動が
問題になったときも不問に投票したり
極力馬場とそのシンパと直接対立するのは避けていた模様 >>549
このシリーズのメンバーだとこのカードで精一杯だったのかな…
オーンドーフは前座だったのか… オーンドルフの相手としては戸口かキムケンが残っているけど、
長州浜口が戻ってきたこのサマーからエース外人が前座やってた新日だぞ。
テレビ中継は毎週毎週藤波と長州がメインで、毎回同じVTRを流しているんだと思ってたわ。 延髄斬りか卍固めかで格が分かる
延髄斬りでピンフォール奪われるマードックは一角落ちる >>557
本気でそれ書いてるんだったら頭の病気だぞ 対角線にふって藤波が突っ込んで来る所に長州がラリアット
藤波がブレンバスター決めたら必ずその後は長州のバックドロップ
長州をロープに振って藤波が正面飛びドロップキックの時は必ず自爆!
藤波vs長州でこのムーブはだいたいある 革命軍時代の長州は、タッグでホーガンや猪木にピン取られてたな。維新軍になってから負けなくなったが。 >>561
長州対前田を改めてみてみると前田の方が試合を作ろうとしてるように見えた…長州は全然技を受けてあげないというかカウント全部で1で返しちゃってた…
決していい試合ではなかった… 長州は維新軍時代に出した書籍で「俺のファイトスタイルは正規軍にいた頃から変わってない」
完全な大ウソ、維新軍になって人気が出てチヤホヤされだしてから急に技を受けなくなった
まぁその書籍もゴーストライターに描かせた大ウソなんだが >>563
長州のゴーストライターは長州どころかプロレスもほとんど見たことないんじゃないかってほど酷かったな。
人名は間違いだらけだし、こんな事絶対言わねーよって表現も多いし、もしかしたら長州の許可なく勝手に出版したんじゃないのかな。 あの頃、あの手のゴーストライター本がよく出ていたが、ワニブックスだったかな
でも新日系ばかりだよね
読んだのはホーガン、ブッチャー、長州?、あと何人かいたかな?
こんなの明らかに本人が書いてないとわかるけどブームだったからかよく出ていた
全日系はあったかな? 未知の強豪をゲットしても猪木の延髄葬で
終わらせられて、帰国するパターンだったな。 >>558
福岡だったかな?卍固めがフィニッシュだった猪木vsマードックのシングルがあった気がするよ。 >>567
83年9月の福岡だね
IWGP決勝でホーガンに負けたあと、8月の田コロで木村に勝った翌週の試合だ
ゴングのグラビアがその卍だったけど物凄い形相で決めてるベストショットだったから印象に残ってる マードックが珍しく水色のリングシューズだったのが印象深い 87年夏シリーズに参加予定だったディンゴウォリアーの試合を1シリーズ通して見てみたかった…
ウォーロードとのタッグやジョージとのシングルなど試合成立したのかな… >>565
ブッチャーの本がヒットしたんで次々に似たような本が出た
「アンドレ・ザ・ジャイアントの俺こそ・ザ・ワールド」なんてのもあったが
本人がそんな本を知ってたのかも疑わしい オールナイトフジでの、松本伊代が自分の著書の紹介の時に「私もまだ読んでないんだけど・・」かw
まあでも有名人の名前でもって本が売れて、それで本人にも印税が入るなら御の字なんだろうね。。 >>547
この話にしつこくて申し訳ない。たしかにマードックがエース外人だったイメージはほぼないが、流星仮面がエースだったシリーズも一回しか記憶にないのだが。10代の頃の記憶で自信がないからあまり強くせめないでおくれ。 流星仮面、ボロモンゴルから変身した初期の頃は77年ワールドなんかはパワーズが棄権して「実質」外人トップだったし
翌年はマネとしてグレートマレンコを帯同してエース格だったな。マレンコが葉巻で猪木の目を負傷させたりで
なかなかのヒールっぷりだった。 1981年に猪木とマスクはぎマッチをやったシリーズがあったが
スーパースターが外人エースってそれが最後じゃないかね
そこから後は関脇ポジションになっちゃった感じ
マードックは新日とWWFとの提携が切れてバンディ、ビガロもWWFに引き抜かれて
まともな外人がマードックしかいなくなってしまった
1987年頃が暫定外人エースだった感じ
だがベイダーがデビューしてまた大関クラスに降りてしまった >>554
それで新日に対するけん制でMSGシリーズを開催したんだね。
明石屋さんまが日テレのお宝映像を希望したのがモラレスの試合で出てきたのは
馬場とのPWF戦で「この頃のモラレスやない・・・」と落胆していたw
日プロのWリーグ戦に参加した時のドロップキックの印象が鮮明だったらしい・・・ 馬場にとってはビンスシニアより「現場発言力」のあるサンマルチノと無比の友人だったから
特にWWF系とのルート締結に固執しなくても外人招へいに関しては問題なしと考えてたのかも。 >>575
ボリスマレンコと言ってほしいなあ。
でもその通り。
あの葉巻攻撃は、
猪木、坂口、小林と次々に餌食になってたね。
子供の頃あれが恐くて恐くて。
ブッチャー、シークと並んでマレンコ、スーパースターが夢に出てきたよ。
やられた日本選手が目の辺りに絆創膏貼ってるのが痛々しかった。 >>559
ああ、面白くしようとしてウソ書いてたのかぁ >>581
83年正月か
マードック参戦の予定があったのか >>581
全日(当時の)とは違ってドメスティックな顔ぶれだなw
でも全然地味なわけで無く、逆にメンツ全員がバックに逸話を抱えてるオールスターっぷりである。 >>581
後楽園で1万円とは。
82年元日ならまだわかるが。 >>581
シリーズの途中でスーパースターに変わってたような… >>581
シリーズの途中でスーパースターに変わってたような… そーいや小中学生って俺が見始めた頃は1000円だったんだが、81年ころからか1500円になった記憶。 >>587
82年の夏が初観戦だけど小中学生1000だったよ。83年あたりから値上げしたと思う。 ブッチャーの「プロレスを10倍楽しく見る方法」はゴーストライターが梶原一騎関係と何か揉めてなかったっけ?
後、ミスター高橋もデラプロのコラムで盗作だと書いてた覚えがある。 この頃は消費税がなかったし賞与にも社会保険引かれなかったから、その分こういう娯楽に
つぎ込めたんだろうね >>589
この本は嘘って言うか正反対の事平気で書いてたな。
ブラジルの試合でルスカがゴメスを半殺しにしてブラジル入国禁止になったとか、テリーがホーガンの泊まっているホテルに殴りこみかけたら返り討ちにあったとか。 >>589
出場してないシリーズのネタがあるとか、他のと同じネタがあるとか言ってたな >>591
実際にあったことを新日に有利なように捏造したのか。
AKSみたいなことやってたんだなw >>579
あれって、ほんとに火のついた葉巻を目に押し付けたのか? 追放になったのはミスター高橋だよな。
ゴメスが勝ったと主張してたのは地元の新聞だろ。
https://wikimili.com/en/Wim_Ruska >>595
このポスターだとアレンがマシン軍団の一員みたいに見えるなぁ… >>595
日本人、外国人、メンツが不幸のズンドコだった時だな。。
そしてベートーヴェン「運命」とともに。 >>590
サラリーマンには厳しい時代になったものだ >>595
津市体育館は津地鎮祭訴訟で憲法の教科書にも載るぐらい法律を勉強するものにとっては有名な体育館 >>594
指に耐熱性素材の特殊なサックをはめて顔に覆わせてそこに押し付けていたそうだ。 >>595
アレンが一番小柄とは、相手をする日本勢はしんどかったろうな。 オマイラ、ヒロ斎藤は上田からフォール勝ちするんだぞ!!! >>601
プロレスファンにとっては翌年の前田vsアンドレで有名。 >>598
そのシリーズのパンフではアレンのマシン軍入り?も示唆していたと思う。
ワカマツ軍団は世界中にあり、カルガリーで縁があったアレンも共闘するだろう、みたいな。
韓国のプロモーター朴さん(馬場さんみたいな人)に若松が接触していたとも書いてあって、
これはおそらく2号=力抜山のことを指しているんだと思う。 このシリーズからヤングライオン杯が始まったね…船木のデビュー戦もこのシリーズだった >>595
この猪木の写真、>>567-569で話に出たマードックに決めた卍固めじゃないかな。 >>595
この猪木の写真、>>567-569で話に出たマードックに決めた卍固めじゃないかな。 ヒロや俊二はヤングライオンと当時のヤングライオンと年齢変わらなかったんだよね…若くしてデビューしたんだな… マシーン軍団とアレンの合体は見たかった。
お互いにいい仕事したと思うね。 アレンネタが出ると必ず放火&殺人予告の荒らしガラケーが出てくるな >>613
寧ろ後藤達俊がヤングライオンだったからな。マシンや谷津と同い年で、初代タイガーの一歳上、前田、ジョージ、越中の2歳上。当時同じヤングライオンだった船木とは一回り違う。 後藤はよく年齢ネタにされてたな
30歳くらいで初優勝した翌年
藤波「出るか!?今年も出るか!?」 実況でも古館と小鉄が、
「山本さん、このヤングライオン杯の参加メンバーは!」
「ええ、何と15歳の選手がいますからね!その、上は…、まあ…、26歳ですが…」
と歯切れの悪い会話をしていた いまだ寮に棲みつく元ヤングライオン
【獣神サンダー・ライガー】<台風19号の影響で床上浸水した新日本プロレス道場の無事を報告>
「ライフラインも全て動いています」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1570920969/ ブルドッグ・オットーってオットー・ワンツだよな
国際に来た時はグラン・ラパン
まさかAWA世界王座取ったり、IWGP出場するとは思わなかった。 >>622
道場の猪木の写真を外したり猪木をないがしろにした天罰 98 名無しさん@恐縮です 2019/10/13(日) 10:44:06.05
2階も一部浸水したようだ
https://twitter.com/kidanit/status/1183052448509726723?s=21
103 名無しさん@恐縮です 2019/10/13(日) 10:51:48.92
ライガー寮長「俺のゴジラ早く二階に運べコラー!!」
106 名無しさん@恐縮です 2019/10/13(日) 10:58:04.40
実際にリングの下に作ったフィギア入れてたから本当にそんなやりとりあったかもしれないねw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>620
昔のポスターって下部の4人みたいに顔だけトリミングして載せてるのをよく見たが
なんか吉本新喜劇の宣伝ポスターみたいなんだよね。。w >>627
上段左から2番目は誰?蝶野か?
それから永源の隣が平田?橋本?(前田がいるから平田だろうな) >>628
上段左から2番目は仲野。
永源、前田の間が平田。 >>628
この写真は80年後半〜81年前半頃の物だろうから
その左から2番目にいるのは蝶野じゃなくてたぶん仲野 こんな感じ?
仲野 平田 前田 保永
小鉄 永源 ヒロ 長州
藤波 荒川 木戸 健吾
猪木 >>631
この当時の若手で前田と遜色ない身長なので、
保永と書かれている一の人は原薗善由紀では?
ちなみにその人がやってる鹿児島市内の食堂にメシ喰いに
東京から行ったことがあるのが俺の自慢。 マードックにスモールパッケージホールドでフォールを取られる坂口 皆仲良さそうな感じなのにな〜
そういえば全日と野球かソフトボールで対決した事あったよね? >>638
新日がお揃いのユニフォームで出てきて馬場さんが激怒したらしいね
それで馬場さん、試合では元プロの威厳を示せたのかな? そういえば全日チームはあのオレンジのジャージだったの覚えてます。 全日と野球試合やったのは8.26夢のオールスター戦の少し後くらい。
つまり1979年秋の記憶。
その当時の若手は高野・平田・前田・原薗・ヒロの5人に、仲野が
入っていたかどうか、という時期。
保永や新倉などの入門はもっと先で、更に山田や三銃士の場合は
前田たちと比べると4〜5年先の入門だ。 >>643
マジでw
馬場さんの細い腕だと投球中に骨折しそうな感じ これな。
長州vs高田対談でも話してて、長州がソフトボールで1バウンドだがスタンドに入れた。
https://hobby.red-cm.com/pro_wrestling/幻のbi対決?〜1980-新日本vs全日本プロレス-対抗ソフト >>630
その時期なら、野球少年、高田延彦も
入門していたなぁ(81年5月デビュー)
むしろ上手すぎて、このメンバーでは
相手にならなかったかも知れない。
後年、UWF内で野球をしたとき、
前田のプレーを「見てはイケないモノを見た」
と言っていた。 >>634
112 お前名無しだろ 2019/09/28(土) 13:11:36.00
最新号のGスピリッツ読むと坂口がマッチメーカーになった時期から小林と
本人が率先して外国人エースの噛ませ犬を演じていた
日プロでマッチメーカーしてた吉村道明もだけどマッチメーカーは
己を殺してでも負け役を率先して引き受ける位じゃないと人はついてこない
115 お前名無しだろ 2019/09/28(土) 12:33:32.83
先日出たGスピで特集されてるけど、その78年頃に山本小鉄が猪木に
現場責任者の地位を剥奪されて、坂口がマッチメイクを担当するように
なったんだな
新日のMSGシリーズがスタートしたのが78年だったけど、この第一回大会で
マッチメーカーの坂口は予選で猪木に敗北、第二回大会ではハンセン・
猪木にピンフォール負け、他のシリーズでも前哨戦でアンドレやハンセンに
負けるのが当たり前になってきた
ワールドリーグ戦で(形の上だけは)猪木に並ぶ2連覇を果たして、格闘技戦、
シン戦でカリスマになった猪木にエースの座を完全譲渡する腹を固めたんだな
この時期に小鉄が試合からも遠ざかり、小林が長州に負かされ、上田馬之助も
ハンセンに完敗、世代交代が半強制的に進められた感じなんだな 移籍直後のマードックはスーパースターより僅かに格下かほぼ同格って感じだったのに
しばらくするとマードックの序列が徐々に上がりスーパースターを凌駕していった
坂口はスーパースターに勝ったり負けたりなのに、マードックには完全に勝てなくなってる >>639
いや保永で間違いないよ
仲野が入門した頃だと原薗は怪我を理由に引退していたから
>>638 >>640-646
この試合全日が急造チームだったのに対し
新日はかなり前75年頃から小鉄が中心になって野球チームを結成していて
後援会やワープロの番組スポンサー企業のチーム等と定期的に試合を行っていたそうだからね
(プロレスアルバムの中でも道場のある上野毛の商店街チームとの試合が紹介されていたし)
だから全日側にとってみれば「嵌められた」
新日からすれば「その程度の親睦活動すらやってないのか?」
になる訳で 82年のMSGシリーズはマードックが41点でスーパースターが36点でマードックが上か。
猪木にフォール負けだがアンドレと両リン坂口にフォール勝ち藤波にリングアウト勝ち
でラッシャーと両リンなのがマードック。スーパースターは猪木と両リンアンドレリング
アウト負け坂口・藤波両リンでラッシャーにはフォール勝ちだからスーパースターが上と
は思わないけど。 >>649
プロ野球で挫折した馬場の元で草野球チームを作ろうなどと誰も思わないだろう。 >>638
80年(昭和55)の秋頃だったかな? 月プロ誌もグラビアと記事で紹介してた。
ベースボールマガジン社の専門分野たることでスコアブックも掲載したとかで。。 ジャンプ力ないドロップキックは足が上に上がるけど佐山や前田などは上半身が上に上がるからきれいに見えるよね >>627
革命以前のパッとしない時代なのに長州の貫禄が凄いな。 >>653
両者リングアウトだった…
スーパースターはカーンにフォール負けしてたな… >>654
この試合観に行った。前田がカネックにハーフハッチでフォールした試合だね。 ちなみに84年のリーグ戦はマードックとスーパースターの差がさらに開く
マードックは猪木アンドレにピン負け、長州に反則負け、藤波、マサ、ス―パスターに引き分け
スーパースターは猪木藤波アンドレにピン負け、長州に反則負け、ケン・パテラにリングアウト負け
途中帰国したビックジョンスタッドと引き分けてしまうという悲惨な結果に 85年ではスーパースターが坂口に負け、その坂口をマードックが破っているんだよな。 流星仮面は扱いが悪くなっただけでなく、本人が30代半ば過ぎから衰え来てた
感じするな。
1985年のタッグリーグで膝悪くしてますます動き悪くなった。 フライングスリーパーやらなくなってラリアットに変えちゃったよね。 >>649
仲野はいったんやめて、再入門してるんだぞ? >>662
あの大きさで飛ぶから価値があったのに
飛ばなくなったから平均的な大型レスラーでしかなくなっちゃった。 >>659
スタッドは0店で途中帰国してたはずだが、
特別試合で当たってたのか? 81年夏のスーパーの覆面剥ぎマッチで、顔を晒すもすかさずセコンドがタオルで覆って退場。
なんか消化不良な結末と思いきや、秋には堂々と?素顔で参戦。。
意図が読めない。 新日の合宿所っていろんなレスラーの若手時代のエピソードがふんだんにあって楽しいな
まあ中には山田や船木のよくない話題もあるけど・・・
誰か一冊の本にまとめたらいいのにね >>669
若手の合宿所に54歳のジジイが住み着いてるのは悪夢。 >>627 の写真は
新倉、高田の入門が1980年だから、裸が多いので前年1979年夏前後では?
後列左から小鉄、仲野、永源、平田、前田、ヒロ斎藤、保永、長州
前列左から藤波、荒川、猪木、木戸、健吾 >>627
80年春の新日VS全日のソフトボール大会だね。 >>675
それならピートロバーツより下ってことやね。 81年当時はキム健はまだジュニアヘビーだったし、長州のほうが若干だがテレビ露出も多かった。
前年にキム健はピートロバーツとNWAインタジュニア戦を行ってるが中継無しw
猪木〜坂口〜藤波〜長州という縦割りイメージがあったな。 新日としてはハンサムなビル・イーディには素顔でファイトしてほしいのに
プロレスマニアの本人がマスクマンやりたくて仕方ないという感じだったな ポールオーンドーフの弟のテリーオーンドーフも来日せずに終わったね…どんなレスラーだったんだろう… 新日の外人は坂口に勝てるかどうかで子供でもその立ち位置が判る親切設計 >>680
会場で一袋200円だったかサッパリ売れず、一箱+長州または藤波のサイン色紙付き1000円で特売していたな。 >>614
マシーンがキン肉マンだったらベビーになって正規軍だったのかな?
あれキン肉マンが日テレ放送じゃなくてテレ朝で放送してたら許可出てるよね。 ttps://dotup.org/uploda/dotup.org1969566.jpg
これではコミックレスラーにしかならんと思う
評判悪いタイガーマスクデビュー戦マスクの方が遥かにマシ ゆでたまごは交渉にはノータッチだったが、人気者キン肉マンをあえて悪役として猪木にぶつけるという発想はさすが新日本と感心していた。 >>682
プロレスグッズってやっぱ食い物より、思い出というかずっと手元に残るものでないと駄目だよね。
マテ茶もそう。特に若いファンなんか基本、貧乏だしパンフ買うのも決意がいるんだよw >>680
開場待ちで並んでる人に配ってたな
買ったこと無いw 今だったらいくらかは売れるかもね。
ナッツ はダイエット時のおやつの定番だし。 今では普通にあるけど同時期に発売されたアントンマテ茶は最悪だったな
ティーパックで売っててお土産に家族に買って帰ったけど1回飲んであとは誰も飲んでくれなかったわ >>680 >>682 >>686-688
ひまわりナッツ買ったよ
俺よりオトンの方が酒のツマミにイイと喜んでいたけど
当時の市販のナッツ類より味付けが濃い目で塩辛かったのを憶えてる 新日パンフに宣伝出してた、「アントンリブ」、「串焼ばいしょう」に行ったことある人居る? 名古屋のアントンリブに行ったなあ、今池だったか?
バサバサで塩辛い骨ばかりのリブステーキ、お客もほとんどいなかった記憶。
ほどなく閉店した。 ライガー鈴木戦好評のようて何より
つべを覗いたら斎藤大木戦があってビビった、すごい時代になったなあ
この分だと小林がアバランシュで大木をフォールした試合も見らたり
するようになるのかもしれん ツベでタイガーマスク対ウルトラマン見た。
スーパースター列伝ではウルトラマンをやたらと持ち上げていたけど、
現実には途中でへばって試合になっていないんだな。
そこは悪役ブルースのほうが事実に近くて笑える。 ヤマハブラザースって海外でさぞ実績があって暴れてたんだろうなって想像してたが
実際はタッグの活躍なんて殆ど無くて、ピンで活動してた時期の方が遥かに多いと聞いて興味深かった
しかも星野勘太郎の実績が圧倒的で小鉄は後塵を拝していたと >>699
レスラーとしての評価は星野の方が高かった。国プロの吉原社長にも評価は高く
新団体のエースにする構想まであった。
「闘志も溢れていて身長さえ高ければ"第二の猪木"になれたかも・・・」と言う
逸財だったらしい・・・ >>705
ビクター・リベラとエル・カネック
テレビの移動中継車
79年の第2回MSGシリーズかな? カネックってマスク越しにでも残念なルックスなのがよく分かるよな。 カネックは逃亡時はジュニアだったんだよね。
いつの間にかヘビーに。
藤波に合わせてか、その前か。
でも昔の雑誌でカネックとスーパースターの大型覆面コンビとかあった。
タッグリーグ戦参加予想で。
二人はサイズも酷似してる、とか。
サイズは全然違うだろと。
確か81年か82年の年末タッグリーグ戦参加予想で。 カネックはタッグリーグには三回出たのかな?パートナーはスペル・マキナ、ペロ・アグアーヨ、ドスカラスで合ってますかね。 https://youtu.be/DYmRluMuqkw
12秒ぐらいのところで猪木のフランケンシュタイナー(ウラカンラナ?)の映像
写真では見たことあったけど動いてるのを初めて見たよ >>710
たぶん、ウラカンラナのつもりなんだろうけど、うまくいかずにフランケンシュタイナー風に決まったんだろうな。 ウラカン・ラナとフランケン・シュタイナーの違いがよく分からない。
勢いが違うだけじゃないの?
開発者はラナがヒューラカン(ウラカン)・ラミレスで、
フランケンがスコット・スタイナーだよね。 >>696
ウルトラマンは佐山よりも小さくて体重も明らかに軽そうだからね
それにこの当時のルチャドール達は試合のリズムや慣習
(よく言われるのが日本とアメリカとはロックアップのやり方が逆の右構え)等の違いに
戸惑って本領を発揮出来ずじまいに終る事も多かったから
日本流の動きに適応していたカネックアグアヨミショネロスはあくまでも例外であって
メキシコでは猪木馬場クラスの筈のソリタリオですら当たりの強さに苦しんでいた印象がある 標高の高いメキシコでは酸素を大量に要する大型レスラーより小型レスラーが有利
メキシコ五輪のサッカーで日本が銅メダルを獲れたのも日本人の体形が欧州勢より小型で
薄い空気に対応できたから
逆に標高の低い土地では小型レスラーのルチャ勢はその身体的特性を十分に発揮できない >>713
勢いっちゅうか、
丸め込むのと投げ飛ばすの違い。
技に入るときの態勢が一緒なだけで全然違うだろ。 ウラカンラナは一般的に相手の肩に手を置いた状態で飛んで、膝で首を挟んで後方回転して固める丸め込み技。
フランケンはその場で飛んでくるぶしのあたりで首を挟んで後方回転。相手の頭を叩きつける技。
まるっきり違うけど、限りなくウラカンに近いのにフランケンとして使う選手もいる。 なるほど。 わかりやすい説明ありがとう。
ずっと不思議だったもんだから…
じゃあ前方回転エビ固めと、ルチャの選手や新日の後藤洋央紀がやる
一旦上体を反らして、勢いつけて前方回転エビ固め(後頭部を叩き付ける)の
差に似てる。 集合(合宿)写真の頃は上野毛に道場破りとか多かったんだろうね。
暴露本が出てからは来なくなったと思うけど… >>719
いい例え。まさにそういう事ですね。形は似ているけど効果はまるで違う。 フランケンは技の型はともかく
技の系統としては
コークスクリューシザースホイップとか
ヘッドシザースホイップ系統の投げ技だよね そういえは昔、日本に来ると弱いカネックがメキシコでは強くなるからメキシコはカネックの魔空空間だとか言われてたな >>724
元祖のスコット・スタイナーに関してはむしろDDT系の技だと思うよ。ダメージ与えて3カウントとる決め技。 この流れなら言える
リバースフランケンシュタイナーの元祖は大豪院邪気の大豪院流脳天衝 フランケン・シュタイナーの名前の由来は何なのかな?
シュタイナーはスタイナーとの語呂合わせっぽいけど、フランケンが謎だ
まさかスコットがフランケンシュタインに似てるからだったりw ウラカンラナを初めてみたのは多分、80年エキサイトかな?
テレビで見たんだが、確かリックマーテルがやってたような。
無論国際時代に来日してたのは知らないし、ウラカンという技も知らない厨房だったが
当時、髭ヅラで野暮ったったが何かやたら動きがよくて、「なんやコイツ?」みたいな印象があったと思う。 フランケンとウラカンの差は、ジャーマンとオースイスープレックスの差にも似てる。 フランケンは投げっぱなし、ウラカンは相手の足を取ってエビ固め ウラカンは大昔(と言っても新日時代だが)猪木がやってる
ゴングが連続写真でアピールしていた
ホント村松友視との対談で言ってたけど、猪木本人は
「技を華麗に繰り出すテクニシャンタイプ」
が理想なんだな
たまたまバレンタインやシンと出逢って「燃える闘魂」になってしまった >>732
マーテルがひげ面?
それにマーテルがウラカンラナやったとこなんか見たことないんだが。
ちょっとよくわからん。 >>736
猪木がウラカンラナやった記憶もない。
誰にやった?
詳しい人教えて。
ウラカンラナなんてどこで覚えたんだろう。 ウラカンと言えばウラカン・ラミレスって1975年に来日してたそうだけど全然記憶にない
メキシコのビッグマッチの写真とか覆面レスラー名鑑で見るくらいだったなあ >>738
日プロ時代なら
猪木はデストロイヤーからワールドリーグの公式戦で
ウラカンラナで勝ってる
映像で見る限りドリーとの2戦目でもそれらしい動きをしてる7 >>734
オースイ・スープレックスも
誤解されているんだよな。
マイティ井上が、ローリング式のを
使い、それをオースイと称したが、
元祖のアル・コステロはブリッジ式を利かせ、
後ろに投げ捨てるスタイルだった。
(やや、腰砕けだったが、ローリング式ではない)
だから、タイガースープレックスとオースイ(ブリッジ式)は
基本的に同じ技。 ちょっと検索してみた
・燃えろ!新日本プロレスvol.51
オープニングでいきなり度肝を抜かれるかもしれない。
特別ボーナス(?)として、ワールドプロレスリングの
初代オープニングテーマ曲と映像が収録されている。
躍動する若き猪木、坂口、そしてストロング小林。
ここでマニアックな解説を加えると、この時代に
なんと猪木が華麗なウラカン・ラナを見事に決めていること。
対戦相手はマヌエル・ソトと思われる。
ということは、黄金コンビの復活第1戦となった
猪木&坂口vsJ・ウィルキンス&M・ソトのタッグ戦からの抜粋だろう。
・昭和46年5月19日夜、大阪府立体育会館は1万人の大観衆で埋まった。
ワールドリーグ優勝はジャイアント馬場か?アントニオ猪木か?プロレスファンが
注目する優勝戦。まずアントニオ猪木対魔王ザ・デストロイヤーの一戦が始まる。
アントニオ猪木はデストロイヤーとのリーグ公式戦の第1戦(4月7日、大阪大会)
では引き分け、2戦目では(5月10日、四日市大会)当時の猪木が時折見せた
ウラカン・ラナで勝利している。
この勝利は大きな自信を与えた。もう猪木にとって白覆面の魔王も脅威では
なくなっていた。それほど猪木は上り調子にあった。 当初の予定通り84年のIWGPにマーテルが参戦してたらパテラ、ワンツ、クイン以外に白星あげてたのかな… ホーガンとマーテルは親友だから、年末タッグリーグでホーガン&マーテル組が
実現していただろう。 84年のリーグ戦はあまりにもひどかったな……
ホーガン組、キッド組が抜けて盛り上がらなかったことったらない。
ホーガンの代わり?にアティサノエがサモアンと組んで試合に出なきゃならなかったほどだ。 もともと地味な参加メンバーだったのにキッド組の引き抜きはあまりにも
ショックだった
開幕戦のマードック組との対戦はテレビ中継が決まっていたから異色対決
を楽しみにしていたのに
ホーガンが最初からすぐ帰る契約になっていたならキッド組だけでもいてくれたら
もう少しマシだったと思うからすごく残念…
アンドレ組、マードック組、マシン組との対戦は見たかった 坂口がミスター・ヒトに払うブッキング料をケチったら全日に鞍替えされたんだっけ
コブラやブラックタイガーがリーグ戦でスミスに負けたのが全部無駄になってしまった >>750
何で小林邦や寺西は載ってて長州や浜口は載ってなんだろ? >>752
ホントだ。維新軍全然載ってない。何かあったっけ?普通にシリーズ出てたし、最終戦は蔵前で4vs4綱引きマッチだし。 >>753
長州と浜口が失踪(ボイコット⁈)その後記者会見みたいな事があった記憶が。その時かな? それは貴重。
絶対見てみたい。
早速ヤフオクで検索だ。
>>743
> ちょっと検索してみた
>
>
> ・燃えろ!新日本プロレスvol.51
>
> オープニングでいきなり度肝を抜かれるかもしれない。
> 特別ボーナス(?)として、ワールドプロレスリングの
> 初代オープニングテーマ曲と映像が収録されている。
> 躍動する若き猪木、坂口、そしてストロング小林。
>
> ここでマニアックな解説を加えると、この時代に
> なんと猪木が華麗なウラカン・ラナを見事に決めていること。
> 対戦相手はマヌエル・ソトと思われる。
> ということは、黄金コンビの復活第1戦となった
> 猪木&坂口vsJ・ウィルキンス&M・ソトのタッグ戦からの抜粋だろう。
>
>
> ・昭和46年5月19日夜、大阪府立体育会館は1万人の大観衆で埋まった。
> ワールドリーグ優勝はジャイアント馬場か?アントニオ猪木か?プロレスファンが
> 注目する優勝戦。まずアントニオ猪木対魔王ザ・デストロイヤーの一戦が始まる。
> アントニオ猪木はデストロイヤーとのリーグ公式戦の第1戦(4月7日、大阪大会)
> では引き分け、2戦目では(5月10日、四日市大会)当時の猪木が時折見せた
> ウラカン・ラナで勝利している。
> この勝利は大きな自信を与えた。もう猪木にとって白覆面の魔王も脅威では
> なくなっていた。それほど猪木は上り調子にあった。 >>754
谷津の凱旋シリーズ前か。なんかあったような気がする。しかし維新軍いないとやはり寂しいな。スタッド、オンドーフに任せるには微妙。オカマコンビは来なかったと思う。 >>745
フレアーもひげ面で来日したか?
80年前後に。 >>763
「谷津の凱旋シリーズ前のオフになんかあったっけ?」って事ね。言葉足らずでスマン。 >>752
ポスター作成時がIWGP頃なら、長州、浜口離脱の頃だから維新軍がいないのはしかたない。
パンフレットの闘魂スペシャルに特典で付いていたポスターはこれではなく、維新軍団も載ってたし、急遽参戦キラーカーンと写真もある >>766
IWGP→サマーファイトS→ブラディファイトS→闘魂S
4ヶ月前とか早すぎない? 谷津の維新軍合流をめぐってすったもんだあったような気がする。 >>745>>764
フレアーは78年に全日に来日したときにはもう貴公子キャラで、次の来日が81年に世界王者としてだからヒゲ面での来日はないね >>769
73年の国際プロ初来日は、坊主頭に近い短髪でアウトローズの弟分的存在だった。
若い頃のローデスの様な風貌だったけど、髭面ではなかったよ。 >>770
初来日前の宣材写真ではアウトローズみたいなポッチャリ体型の長髪ヒゲキャラだったのが、国際に来た時はGIカットの精悍な感じになってたんだっけ >>773
コブラの名前がないね。売り出す気ないのかよwwブラック・タイガーの名前がデカいけど、このあたりから扱いが悪くなるんだよね。 >>767
IWGP中盤5月16日の津大会を長州と浜口が出場をボイコットし、そのまま失踪
IWGP終了後6月17日に姿を見せ新日に辞表を提出。
サマーファイトからは浜口と共にフリーとして参戦。
シリーズ後にタイガーマスクの引退が引き金になってクーデター事件
UWF、ジャパンプロレスへの分裂に繋がっていく。
そんな時期のポスター >>775
それは分かるけど夏のゴタゴタが秋のシリーズポスターに反映されるのかなと。ブラディファイトのポスターには長州も浜口もいたんじゃない?地方大会だから新聞でいう早刷りみたいに急ぎで作ったのかな。 ブラディファイト最後のTVマッチ猪木藤波木村vs長州浜口谷津(9月18日江南市体育館)
の試合途中で緊急記者会見に切り変わり、維新軍の離脱が発表される。
そして猪木の「年末に向けていい大掃除が出来た」発言
10月5日闘魂シリーズ越谷の開幕戦には維新軍はいない。 >>741
井上がオースイをやる前から
「オースイは投げないが、それをジャーマンのように
投げて固める形にしたのがタイガーだ。」と
報道されてたぞ。
で「本来の形を井上が披露した。」と報道された。 1984ブラディファイトシリーズ駒ヶ根大会はプロ野球中継のために生放送は無かったが
新聞に駒ヶ根市で行われたプロレス興行の入場券の購入を地元飲食店店主に強要したとして
暴力団組員が逮捕されたと新聞の社会面の下の方に小さく出ていた。 ブッチャーがフォークで藤波の額をズブズブ刺している場面をゴールデンで中継してたんだよなぁ
今だと絶対に放送できないわ 飛龍十番勝負で藤波は
ブッチャーにいい所なく、4分ぐらいで負けたよね
ヘビーは無理だなと思ったわ
WWFインター戦で
マスクドスーパースターにベルト献上するものと思ってたわ >>779
ジョニーパワーズの「エイトロック」も
デストロイヤーの4の字固めの2倍威力があると
報道されていたな。
いや、それよりアニマル・ウオリアーは
子供時代、シカゴでネズミを食って
育っていたとも報道されていたなぁwww >>786
戸口の笑ってる様な顔は生まれつきだが、谷津の笑顔は海外のトラヤツ用ヒール演出かな >>776
サマー、ブラディと長州浜口は参戦していたけど、パンフには二人が載っていない。
闘魂から二人がパンフに加わった。
たぶんポスターには二人を載せないという企画がずっと続いていたんだろうな。
谷津の帰国が事情を変えたんではないかと。
「急遽参戦キラーカーン」はパンフだと字だけで長州のページに。
1ページに2人が掲載されるスタイルだったから、
長州/浜口
谷津/小林
ラッシャー/寺西
となっていてカーンの場所がなかったから字だけだったんではないかと勝手に想像。
(サマーでは戸口/小林、ブラディではカーン/小林) >>786
スタッドってこの日試合組まれてたっけか… オールドファンの間では
1969年の秋、NET(現テレビ朝日)で
放送された、日本プロレスの前座の試合中継
「ヤングプロレス」、その中で高千穂明久が
駒厚秀あたりにブリッジで投げてフォールする
オースイ・スープレックスは有名なんだがな。 キムケンじゃないとすれば星野とかその辺の中堅あたりと スタッドやオーンドーフは好きなレスラーだった。
格下相手に豪快に勝つのも悪くない感じ、どんな決まり手か知らないけど。
https://www.cagematch.net/?id=1&nr=12163 オーンドーフとかドゥガンがエース格だったシリーズとかあったよなぁ…何かいい時代だ… 83ビッグファイト第二弾はオーンドルフがエース外人シリーズ。
前田との一騎打ちで潰されてしまった。
あの時はまだ長州と互角以上だったんだから、前田を長州よりすれば問題なかったのに残念だ。 スティーブ・ウィリアムズ(83年のUSFLジェネラルズ時代)
79番の「S. WILLIAMS」
https://i.imgur.com/bciwG5u.jpg
ポジションはノーズガード(相手QBはのちNFLセインツのボビー・エイベア)
https://i.imgur.com/QnIvjPc.jpg
正面のシーン
https://i.imgur.com/GmhJls4.jpg プロレス博士のみなさんにクイズです。
>>799のポスター、サソリ固めを仕掛ける長州の写真はいつどこで誰と対戦したときのものでしょう? >>801
かけられているのは前田。84.1.1後楽園とか? 83年11月3日蔵前の綱引きマッチ
長州力vs前田明
放送席の小鉄に「折るぞ!折ってもいいのか…」と凄んでる場面じゃないの? 正月の後楽園興業で、昼全日夜新日でバッティングした日って、
昼間の全日の開場前に夜の新日の待機列が出来てたって本当なの? >>804
その日全日も新日も見たよ
待機列はよく覚えてないけど
個室トイレに隠れて夜の新日も見ようとしたヤツがいたよ >>802 >>803
残念!
ヒントは11月3日と1月1日の間です。 >>806
サソリ固めを掛けられているが前田なのは正解ですね。 >>806
MSGタッグリーグの藤波&前田vs長州&谷津 正解は昭和58年12月2日、鹿児島県立体育館でおこなわれたMSGタッグリーグ公式戦、藤波、前田VS長州、浜口でした。
ポスターの写真を見て「自分が撮った写真と同じだ」と気がつきました。
おつき合いくださってありがとうございました?
https://i.imgur.com/ScVC8Ta.jpg
https://i.imgur.com/1stwzFX.jpg >>811
最後に何故か「?」マークが入りました
失礼しました。 時間切れ引き分けの試合か。
ちょうど中学校のテスト前で、課せられたノルマを終えるまでプレスを見ないという固い決意のもと勉強し、
やっとテレビの前に移動で来た時には試合がちょうど終わるころだったという思い出しかないわ。 >>811
長州が右腕を上げている瞬間に、前田は右脚を抜いて蹴飛ばすことが出来たはずだが、何故か自分の右膝を手で押さえているという。 長州の試合は基本的にいつも同じだから鹿児島のとは限らないんじゃ >>816
片山と比べると橋本蝶野の肉体がしょっぱい >>817
さすがにこれは完全に一致だろw
やることは同じでも全ての角度まで同じにはならんわ。 >>816
蝶野・橋本・野上・船木
大矢・片山・松田 >>805
実際に見に行くとあの狭いトイレでは個室に隠れても無理w 6階の扉(南側のうしろ)の隙間からタダ見した事ならあるよ。 昔の後楽園ホールは通路でも立見入れててそれこそ前の方取ろうとあの階段で何時間も並んだよな >>825
南側のA列まで行けたよね。4000か5000の指定買ったのに、2500の立ち見客がすぐ横にいるというw シャッター押す手が下になるように構えるだけでも全然違うのに。 >>833
いえいえ、大丈夫ですよ〜。
皆さんの会話のやりとりが凄く楽しくて、同じ仲間として、プロレス愛を感じてましたよ〜。 >>832
ブロディシリーズはハズレが多いって印象があるが、根拠はない >>836
ヘビー級転向当時は186cm、105kgで90年代くらいから185cm、108kgだったと思う。 183センチのカネックより小さい藤波が何で186センチなんだよ 実寸
猪木185
藤浪180
長州176
ってとこじゃない 柔道時代の坂口の実寸が194らしいから
そこを基準に判断できそうな気もする そこまで小さくない
俺、177だけど確実に大きかった 藤波はジュニア時代に雑誌の企画で体力測定みたいなのがあって
そこでは182になってた
多分これが本当なんだと思う 身長スレでは過去にこんなのあった。藤波のは画像もあったな、それでも
本当の数字なのかわからんけど。
> 猪木は70年代前半「週刊文春」の企画で身体測定して身長187cm 体重107kgだった。
藤波(Jrヘビー級時代)は78年の雑誌企画で身体測定して身長180.2cm 体重87.5kgだった。 身長は朝と夕方では軟骨の擦り減り方で3cm近く違う 藤波のJr時代の公式は188cm、98kgで、体重すらも
10kg鯖読みだって、プロレス関係のコラムニストだかが
後で指摘してたな。
身長鯖があまりにもひどいので、その後186cmに補正した
野だと思う。
それにしても>>832 のポスタ一みると、
一介の若手でしかなかったジョージの扱いは破格だね。 >>850
83ブラディ来日外人
ディック・マードック
エド・レスリー
バッド・ニューズ・アレン
トニー・セント・クレア
ヘラクレス・ローンホーク
うん確かに弱い オレ173だったけど長州のすぐ横に並んで視線の高さがほぼ一緒だったからなあ
藤波も174-5がせいぜいじゃないか 9月のブラデイファイトシリーズは大相撲秋場所とかぶるので蔵前国技館が使えない >>852
ノーテレビで池袋スケートセンター大会があったな。 藤波は、17歳で新日に入団した時で
177cm(本人談)、それから2,3cm伸びて
全盛期で180あるなしだろ?
今は、177かそれ以上に減っていると思う。 >>853
ハイハイ身長スレに行きなよ
いくら万事どんぶり勘定の日プロでも
175cm前後しかなくて相撲や柔道の経験すら無い小僧の
飛び込み入門を許す訳ないだろう 藤波「中卒でボディビルやって体を大きくして日プロ入りした時、178cm,65kgだった」
全盛期の実寸178、今は173ぐらい? >>858
古くは山本小鉄、星野なんかは170cm程度。
小鉄はボディビルをちょっとやって、星野はボクシングを
志したが挫折して入門。
あとミツヒライも175以下だろ?中卒のただの小僧で入門。
高千穂は中学で水泳をやって入門、175はあるが
180はなかっただろ。
あと、木戸修にしても、駒厚秀にしても175くらいで、
大した格闘技歴はなく、日本プロレスに入門したがな。
デビューできずに辞めた
「175cm前後しかなくて相撲や柔道の経験すら無い小僧」
の入門者はもっといると思う。 >>850
秋といっても10月以降の「闘魂シリーズ」はその昔は外人メンツ強化シリーズだった。
79年〜81年あたりはそれが顕著。 83年闘魂はスタッド、オーンドーフ、ライト、ブレアだから弱いっちゃ弱い。
スタッドが猪木と一騎討ちしたくらいであとは維新ばっかりだったな。
84の闘魂はスーパースターとオートンだからあまり変わらないか。 >>860
もう身長の話はさんざん喋れるスレがあるだろうが。そっち行けよ。 >>863
興味がなければスルーすれば良いだけだ!
俺は、>>858が知ったかぶりを
したので、ちょっと懲らしめただけだよ。
お前もチャチャいれるな!バカ! >>864
興味あるなしじゃないやろアホ。
スレチの癖に逆切れか。
この腐れ脳が。 こういう書き込みが自ら値打ちを落としてるんだよな。
わかんないのかなぁ… >>859
00年代の頃ですら金本永田棚橋より高く見えたのに173はないよ
昔から>>853みたいな横に並んだとか
ジムで××(大抵はU系の選手)を見たけど俺より身長が低かったとか言う連中と話をする機会が度々あったけど
そう言う事を吹くのって殆どが160〜170前半のコンプレックス剥き出しな奴ばっかりだったから信用出来ない
>>864
ヒライや駒は藤波と約一世代違うから身長体格はそれ程問われてない筈
星野はリキボクシングジムからの推薦があったし小鉄も力道山道場のボディビル部門に潜り込んでコネを作っていた
高千穂に至っては何故か生前の力道山に気に入られていたのを古株の記者達が何度もネタにしている
木戸も実兄の怪我→引退の件もあって日プロ関係者とは顔見知りだった可能性は高い
全くの「あの坊やは誰?」状態だった藤波とは明らかに事情が違うよ 83年は年末年始以外はメンバーの弱さもあるが来日人数も少なかった印象が強いな…5〜6人だったよね〜 そーいやタイガー戸口って、実寸190はあったし高校まで柔道やバスケで名をはせたプライドもあってか?
日プロ後輩の藤波には終始見下した態度だったような。。まさに体育会系ノリ。 >>866
無職のお前に値打ちとか決められたないわ。アホ。 >>868
山田も小鉄と藤波の後押しがあったし
それに山田って新日に入門願いは出してないとか言って誤魔化してるけど
本当は高校時代何度も新日に入門の問い合わせをして「広島の山田クン」と名前を覚えられていた上に
アマレス時代は複数の大学や企業から勧誘されるくらいの有望株だった事を
当時の新日のフロント社員が調査済みだったから入門を許可された 新間寿の姪が高山みなみだと知ってびっくり
高山みなみの本名が新井泉だと知って二度びっくり
つまり新間寿は・・ >>853
藤波は176cmのマスカラスより少し高いからそれはない。実寸178〜179cmぐらいだと思う。 >>873
流智美は国際時代のビッグ・ジョン・クインにソープランドに連れていけとせがまれて参ったとか
ライガーをジャッブ呼ばわりして差別してたくせに下半身の本能は別という身勝手な男 プロレスの整体である首抜きすると一時的に身長が10センチも伸びたりする
あんまりやらないほうがいいと思うけど >>874
芸名もそれらしい名前にしてるの、律儀やね。
新は一般的に多いね。新羅ゆかりなんかな、辛の人も居るのかな。 第二回のIWGPは顔ぶれこそ良かったけど、
さほど人気のない選手同士による消化試合が多くなったのが欠点かな。
その最たるものが欧州対決のワンツvsクイーンだったわけだが。 >>881
そういうカードこそが見たかったりするんだよなー。 オットーワンツは電話帳破りでギネスブックに3度載るくらいの怪力だからな。
IWGPにふさわしいレスラーではあったな。
https://youtu.be/Lcp6MVey46A >>874 >>880
早稲田のデカいお寺(感通寺)の次男坊が「在」な訳ねーだろうが
たとえネタか冗談のつもりでも
世間知らず過ぎ稚拙過ぎだしいくら5chでもこれはマズいよ
下手したらあのクレーマー体質の新間一家に訴えられるぞマジで 高山みなみの元配偶者が青山 剛昌氏。
これもそれっぽい名前だな。事務所の社長が南沢、これもそれっぽい。 >>888
真ん中に大きく映ってるのに。さらに日本人陣営にも顔を連ねる猪木
どんだけ目立ちたいんだよ >>888
真ん中のデカイ猪木、NWA世界チャンピオンて書いてないか? NWAヘビー級チャンピオンもだが
格闘技世界チャンピオンも突っ込みどころだな
どこの協会が決めたんだ?
確かにWWF世界マーシャルアーツ王座という奇怪なタイトルは貰ってたが >>893
NWAヘビー級チャンピオンになってるね。NWFの誤植だな >>888
この剛の写真、しばらく使われていたけどおっかねぇんだよ。 https://geta88kitty.cocolog-nifty.com/blog/images/photo_20191017203501.jpg
アニマル浜口、キラー・カーン加入以前、つまり1982年10月に藤波とタイガーに喧嘩を売った者同士が
急遽、手を組んだ1982年12月ニューヨクでの長州力と小林邦明
そして参謀役のマサ斎藤を加えたトリオこそ元祖維新軍
浜口は「維新軍は俺と長州の二人で始めた」とかいってるけど、すでに長州にはこの二人がいたからその理屈はおかしい >>897
初期は革命軍。
長州、浜口が合体してからが維新軍。 キラー・カーンは新春黄金シリーズの革命軍(斎藤・長州)とのタッグでの対戦で坂口に造反してたな
このシリーズで小林邦昭はグラン浜田とよく組んでたけど、維新軍結成までなんとなく中途半端な立場だった 1983年1月から革命軍で、7月から維新軍かな。
小林はR木村・寺西と組んだり、木村が欠場中に寺西と共に維新軍に加入したり、オリメンの割には都合よく使われていたのかも。 コバクニはIWGPの時にはキムケンと組んでメキシカンと対戦しているくらいだ 浜口とラッシャーが仲間割れした後の寺西も微妙な立場だった気が
小林とのコンビも当初はタイガー打倒の越境タッグだったし
明確に維新入りしたのはいつ頃だったのかな? >>899
左端はジョージかな。キン消しみたいな身体してるな >>903
83年ブラディファイトの大阪で猪木に敗れたR木村が欠場。木村のいない闘魂シリーズ中に維新軍に加入だったと思う。 >>896
確かに剛の写真は昭和の指名手配犯みたいだ… キラーカーンとタイガー戸口が戦ったらと思ったらタッグを結成してMSGタッグリーグ戦に参戦したかと思ったら
そのシリーズでラッシャー木村とタイガー戸口がタッグを組んでローデスとマードックのジ・アウトローズと対戦したかと思ったら
アンドレvsカーンのMSG優勝戦では藤波と戸口がカーンのセコンドについたかと思ったら
新日陣営に加わったハルクホーガンの入場の先導を国際軍団の寺西勇がやったり
相互関係がどーなってんのがややこしかったw >>908
アンドレvsカーンで藤波や戸口がカーンのセコンドに付くのは不自然じゃないでしょ。まだ革命軍の前だし。寺西の国際軍団絡まない試合でのセコンド業務はよくわからないよね。浜口もやってたし。オレンジのタンクトップや緑の短パンとかだからやたら目立つし。 >>870
誰でも誰かの後輩であり、誰かの先輩でもある。
戸口みたいな考えってキリがないんだけどな。 オールスター戦で戸口はトリオを組んだマサ斎藤と高千穂に見下され悔しい思いをした
その憤りを自分よりさらに後輩を見下す事で晴らそうしていた
そういう負の連鎖を恥ずかし気も無く隠そうともしない戸口の有様を見ていたら
全日に残留していてもいずれは天龍や阿修羅に追い越されていたのは必定だな
ロッキー羽田と同レベルのダメさ加減 >>910
後輩というだけじゃなくて、戸口がアメリカで売れてた時に
戸口が上を取ってた地区に藤波が来て下の方でやってて
いつの間にかいなくなってたことがあったそうだ。
カブキ、カーン等と同じで会社の力を借りずに
自分の力だけでのし上がったプライドがあるんだろ。 全日って馬場・鶴田に次ぐNo3が定着しないよね
それだけ馬場鶴田との待遇格差が酷かったんだろうね でも初期の頃はデストロイヤーとヘーシンクもいる4枚看板だったのだから
ギャラの出費は相当なものだったろうな >>913
定着しないんじゃなくて作らなかっただけだろ。
馬場とタッグタイトルを保持するパートナーと
あとは外人の引き立て役がいれば良かったんだよ。 旗揚げ時のナンバースリーはサンダー杉山だっけ、馬場、デスロイヤーの次くらいで >>913
定着しないよね?
って何を言ってるんだ?
戸口が加入したときは文句なしの第三の男だったし、
そのあとは天龍がいるだろ。
意味がわからん。 >>912
> 後輩というだけじゃなくて、戸口がアメリカで売れてた時に
> 戸口が上を取ってた地区に藤波が来て下の方でやってて
> いつの間にかいなくなってたことがあったそうだ。
これ藤波自身が何度もインタビューの中で話しているけど
ワーキングビザの期限が切れかかっていたから
当時はビザの取得条件が緩かったメキシコに移る事にしたのだと
その程度の事情も知らずに先輩風を吹かして
生意気だか礼儀知らずだかみたいなレッテル貼りをするなんて
自分は人として器の狭い男だと白状している様な物なんだけどな >>918
戸口が上で藤波が下だったのはミッドアトランティック地区な。
藤波のワーキングビザの期限が切れかかっていたのならプロモーターのクロケットが延長手続きを取るはず。
延長手続きをしてもらえなかったという事は、前座の藤波はクロケットプロで囲うほどの選手ではなかったという事。 >>918
戸口が上で藤波が下だったのはミッドアトランティック地区な。
藤波のワーキングビザの期限が切れかかっていたのならプロモーターのクロケットが延長手続きを取るはず。
延長手続きをしてもらえなかったという事は、前座の藤波はクロケットプロで囲うほどの選手ではなかったという事。 >>918
>>919の言う通りだな。
結局、そこでは戸口の前座でやって終わったんだから自慢してもいいだろw >>919-921
あーそこはちょっと捕捉しないとな
ヒロ・マツダがよく言ってたけど
60〜70年代だとまだ日本は旧敵国扱いで法律条例の部分で差別が根強く残っていたから
特に南部のノースカロライナなんかだと
日本人にはビザが下りにくい環境にあった事を知っておかないと
戸口は韓国籍だからその辺りのハンデを軽く鑑みていたんじゃないの? >>922
それを鑑みても藤波は小さくて売れないから
いなくなってもかまわないレスラーだったというだけだろう。 戸口は猪木にグランド卍固めでギブアップしてたのが強く印象に残っている… 俺は長州とのWWF インター戦の前哨戦
6人タッグマッチで
戸口が藤波の雪崩式ブレーンバスターに轟沈した事 >>922
当時のアメリカは韓国籍よりも日本籍の選手の方が多かったけど。 藤波、MACWでは前座でなかなか勝てなかったのにマジソンでWWWF
Jrヘビーのタイトルいきなり取っちゃた。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=90&page=4&s=3200 この興行では藤波が第1試合、キムドクがメインの1つ前。
https://www.cagematch.net/?id=1&nr=212926 藤波は新日の推しがなければ前座レベルも難しいな。
いきさつしらないが頼まれて使ってたんだろ、MACW 藤波がクロケットのところに上がってたのはゴッチの紹介だったはず
せっかく苦労してクロケットにブッキングしたのに新間が勝手にマクマホンのとこに連れてってしまったと後年ゴッチが怒ってた >>936
マクマホンSr.が藤波をJr.王者にするとクロケットに電話している。
新間はゴッチにも話してると思う。 猪木のWWF獲得記録を取り消した時点でWWEが日本人に受け容れられる事は無いと思う >>938
釣り針でかすぎ
昭和スレ荒しが来るからやめろ >>935
アンチと違うだろ、普通に藤波の評価なんて今現在低いだろ。
新日のゴリ推しだったからな、反動あるんよ。 大阪にいるクッサイおっさんはプロレスの写真をパクるのが趣味。
偉そうで何もできないからいつも写真パクったり、人に説教しかできない
ダメ親父。
生活保護に一直線!パクりが仕事で十分 .。
ウンチ風呂に入っているからいつも臭い。
おまけにウンチ臭い 。人がこうやって親切に教えているのに恥を知れ!
S藤お前本当に気持ち悪くて、やる事が汚い >>941 自分がどういう人間かくらい理解したら? >>943
抽象的で意味わからん。つーかレスラーを批判したらなんでダメなんだ?
お前は藤波の身内かよ。アホンダラ野郎 >>944
お前は関係ないなら横から茶々入れるな、ゴミ屑が! >>945 お前はアンチと言ってるんだが。それも分からないか? アンチが要るいらないなんてお前ごときに言われるの筋合いないし、
判断出来る事でもないわ。
事実を言ってんだろ、藤波はMACWでは単なるグリーンボーイレベルの
前座レスラーだったじゃん。序列があげる傾向もなかったしな。
こんなのいてもいなくてもどうでもいいレスラーだけど、頼まれたから
使ってたんだろなって話だろ。
>>934
ネタかと思ってたけど、ひょっとしてガチの知的障害者か?
ネタにしてはおもしろくないし。 アンチ発狂中。
藤波については、ヘビー級時代は物足りないという声は聞くが、ジュニア時代を否定される事は無いと思うがな。
ヘビー級の時も名勝負は多いし、評価が低いは無いだろ。まして戸口とは比較するまでも無い。 jr時代の藤波人気は現代プロレスの原点だよな
ハンサムでビルドアップされた肉体で動けることが特に女性を集客する上で重要なんだよね
残念ながら戸口にはそれらの要素が皆無だった アメリカでもWWEの殿堂入りしてる藤波と戸口とじゃ比べようもない 戸口にそれを誰も最初から求めていないと思うが。
それに、大型新人としてデビューした鶴田のほうが女性を会場に運んだよ。 >>953
アメリカで試合終わって控え室に戻る途中で中年女性に
千ドル札身体に貼り付けられたエピソードとかあったな >>958
俺も人気出てきたな、と思いながら控え室に戻ったら
他のレスラー達がニヤニヤしながら
「お前、今夜あのババァに買われたんだぜ(笑)」
と言われて慌てて返しに行ったそうで ttp://www.showapuroresu.com/costume/normal01.htm
シルバードラゴンのタイツにドル札をさしこむんだっけ >>951
Wikipediaにでも載ってるぐらいだぞ、知恵遅れ。
>リングネーム
藤波 辰爾
藤波 辰巳
ドクター・フジナミ
ドクトル・フヒナミ
リング・フヒナミ つうかアメリカでの話だろ。
ジュニア時代だって日本で売り出したから売れたという話で
アメリカだったら売れてないだろ。
当時はジュニア自体に需要が無かったんだから。 >>953
試合後のインタビューでの声質も、それまでの団体エース級に
無かったさわやかさだったよな。
猪木は例外としても、坂口・小林・馬場・鶴田などは
太いオッサン声とか、もっさりした喋り方だった。 それがゴリ推しっていってんだよ。
下手くそなドロップキックやかけた自分の方がダメージあるドラゴンロケット。
藤波はジュニア時代からどんくさい。 WWE殿堂入りの時も米国人の反応は「誰なん?」「タイガードライバーの創始者だぞ」
「それは三沢」といったやりとりネットであったな。
海外だからこそレスラー個人の素の能力が出るんだろ。
天龍は馬場さんの威光が及んでいた可能性あるから安直には比較出来ないけれど
藤波よりはずっとましな扱いだな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=748&page=4&s=2500 必死過ぎるアンチ。
ランクが急に上がる選手なんかいくらでもいるが。逆に戸口みたいなジョバーが末路の選手もいる。
一発でチャンスをモノにした藤波は凄いというだけの話。 >>965
馬場さん?誰それ?近所の八百屋のオヤジか? >>964
ゴリ押しっていう日本語の意味分かってるか?
それに続く発言も後知恵丸出し。 藤波の場合、ルックスがよかったのがプラスだったのは確か。
戸口みたいな顔では日系レスラーのグレート東郷みたいに悪党になるしかない。
体格に恵まれているのに新日正規軍から外れたカーンにも言える。 >>966
だからそれは日本での話だろう?
アメリカでは全然売れなかったのは事実じゃん。 >>968
俺が書いたのはゴリ推しだぞ、おまえは盲か?
元から藤波は運動神経良くない、佐山や高野と歴然とした差があるだろ。 藤波は体も堅いからジャーマンなんかカッコ悪かったよな。
前田のが綺麗な弧を描いていたのとは全然違う。
俺みたいな素人のジャーマンと同様に潰れた形してた。 藤波はチャンピオンとして試合に出続け、殿堂入りしたのだから、少なくともマクマホン親子には評価されてるよ。
それこそ、ゴリ推ししたけど続かなかった谷津とは大違いだから。 >>971
じゃあゴリ押しとゴリ推しの意味の違い教えてよ >>973
日本での実績が評価されただけだからな。
アメリカで売れなかったことは事実。
アメリカでの実績は戸口>藤波だったのも事実。 >>959
アメリカは千ドル札を発行してないんだよw 日本での実績すら評価されない鶴田と天龍なんだな。へー。 戸口はトランプの友達らしいし、映画にも出たからな。凄いなあ。
そんなに凄い戸口は、何故殿堂入りしないの? 良い年こいたオッサンとオッサンがw
まぁこれもプロレスの楽しみ方なのかね >>961
だから日本語変換して見てみろって
知恵遅れはお前だよ包茎野郎 >>981
あれ?プロレススーパースター列伝ではアメリカで行われたことになってたような… >>979 返せなくなったんだね。アンチは惨めだね。 >>983
二人ともその頃は本国アメリカじゃベビーフェイスだから、少なくともローデスがベビーになってからはやってなさそうだよね。
列伝の意気投合した後のアンドレとローデスの描写がデートしてるみたいで好きだw
助手席にいるアンドレが彼女のようw
https://i.imgur.com/V80JxJ1.jpg 藤波が選ぶベスト5試合はすべてジュニアヘビー級時代なんだな
ヘビー級は無理があったと自分でもわかってるんだろう 万人が推すベストバウトの前田戦は本人にとってはそーでもないのか >>984
終わりにしてやろと思ったのにw
WWEの殿堂なんてマクマホンの好みできめてるんだろうからどうでも良い。
実際に戸口がアメリカでトップを取ってた時に藤波が前座でお茶を濁してたのは事実。
鶴田もアメリカ修行時代にNWA世界王座に挑戦したことがある。
天龍もどっかの地区でタッグ王者に就いたことがある。
二人ともアメリカでの実績は藤波より上なのは事実。 >>987
前田の暴れかたばかりがファンの印象に残るから https://hochi.news/articles/20190926-OHT1T50215.html
タイガー戸口も流石に引退か。ドクターストップがかかってるのに
無理してプロレスしたら高山みたいになっちまうしな >>979 まだ絡むの?
藤波は世界一のプロモーター、マクマホン親子に気に入られた。戸口はそのマクマホンに気に入られてないのだから勝負は付いてる。天龍に至っては論外。 >>993
息子が日本での実績を評価しただけだろw
アメリカでの実績はゼロw
アメリカでの実績は鶴田、天龍、戸口の方が遥かに上だよ。 特は多少活躍したが、最後はジョバー。
鶴田は馬場の差し金でベルトを取っただけ。誰も評価していない。天龍は実績ゼロ。 戸口は多少活躍したが、最後はジョバー、の間違いだ。 >>995
鶴田はアメリカではベルトを取ってない。
天龍はタッグ王者になった。
お前は何にも知らない馬鹿www >>996
藤波はアメリカでは最初から最後までジョバーだったじゃねえかwww ID:Sj9yVJBf0は少し落ち着け、ムキになって連続投稿し過ぎ
ここはお前の日記帳じゃない >>999
ID:RiLbrrNpM にも言えよ。ダブスタ野郎w このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 27日 1時間 7分 34秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。