【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>8
仙台、高松、尼崎あたりのメインカードっぽいね >>8
この格下の選手を上に表記する書き方嫌いだったなぁ。 この時ホーガンとオーンドーフではホーガンの方が格上? ホーガンは2度目の来日で猪木とメイン取ってたからなぁ。 ホーガン初来日の時はブラッシーがマネージャー役だったよね。
ハンセンがブレークしたMSGシリーズも、ブラッシーがマネージャー役だったけど。
ブラッシーは奥さんが日本人で、自他ともに認める親日家だったらしいね。 その頃のホーガンは、扱い的にはシンと同じか少し上くらい?
アンドレ相手にもドローだった気はする。 >>16
だとしたら外国人側を上にしないといけない >>10
表記で言えば最近の新日公式は「王者vs挑戦者」「挑戦者vs王者」両方の記載を使うから、あれ?いつベルト移動したんだ?って勘違いしてしまう。公式ならちゃんと左:王者、右:挑戦者で統一してほしいわ >>15
あくまで個人的な印象だとアンドレ>ハンセン>シン>ホーガンじゃないかな。ローデスとバックランドは別格だと思う。 1981年のMSGシリーズがわかりやすいと思う
得点はハンセン>シン>ホーガン
まず猪木とシンで優勝決定戦の進出者を決めて
猪木とハンセンで決定戦
つまりこの頃はハンセン>シン>ホーガン
ただしホーガンはここから3年後には猪木ですら綺麗に勝てない
格のレスラーになった 引き抜き戦争で最大の恩恵を授かったのはホーガンじゃないか?
加えて猪木の糖尿病悪化で拍車がかかった。 >>8
80年(昭和55)闘魂シリーズ? 秋の闘魂シリーズはいつも豪華メンバー
この時はホーガンが初エース、シン&上田、待望初来日のオーンドーフ、フロリダエディグラハム路線からスティーブカーンや
ジムガービン、さらにロンスターやチャボゲレロと新日の保持する王座に照準を絞ったメンツを揃え、それなりに話題を提供した。
そしてその勢いで暮れのMSGタッグ初開催へ繋がる なるほど、まだこの時点ではホーガンもそこまでの強豪ってほどでもなかったんだね。
ハンセン、ホーガン組は本当に魅力的で強かったが、
タッグマッチで敵同士になって戦うのも見たかったなぁ。
例)
ハンセン、シンvsホーガン、オーンドルフ >>22
ハンセンもシンもいなくなって外人エース枠が空いたからね
それに加えてホーガンが伸びていく時期とアンドレが衰えていく時期が
重なったのも大きい
1987年頃に「ホーガンは全米を代表するスーパースター
アンドレはホーガンをつけ狙うヒールにすぎない
2人の立場は完全に逆転した」とか書かれていた。 ホーガンがシンより格上だったら全日にホーガンが引き抜かれてたのかな?
だとしたら第一回IWGPはどうなってたんだろう? しかし当時のホーガンの名勝負と言われると思い浮かばない
ブッチャー戦がまあ面白かったくらいか 駆け出しの頃のホーガンは控えめに言ってデクノボウだったよね >>25
ホーガンはむしろ日本陣営の助っ人でブレイク ハンセンがいない、アンドレはピーク過ぎ、ホーガンは新日本陣営へ。
こうして外国陣営が脆弱になってしまった。
外人エースも藤波や長州にすら勝てないのでは… >>30
それと同時にそろそろポスト猪木は本格的に考えないといけない時期に入ってた
というのもある 1983年の7月頃、猪木欠場のシリーズに来日したアドニスがチャンピオンベルト巻いてたことがあったはずだけど(少なくとも前田・坂口vsアドニス・マードックで巻いてた)、あれは何のベルト? 前スレで話題になっていたブロディとスヌーカだけど、
両者の関係はどうだったのかな?
日本でのランクはブロディが上、アメリカでのランクはスヌーカが上。スヌーカはブロディが蔑視する小兵。 >>35
85年に新日本に来日したときのインタビューではブラザーと呼び合ってた
(本当に言ってたかは不明だが) >>25
ハンセン、シンが全日へアンドレもピークを
過ぎて、ホーガンもまだ経験不足。
そんな82年の新日の外人トップはブッチャーが
なるはずだったのに、これが全く使えない(苦笑)
マードックも、エースとしてはちょっと物足りない。
グットタイミングで国際が81年の秋に倒産。
ラッシャー木村ら国際軍団が格好のヒールになり、
82年の終わりは長州ら維新軍対新日正規軍といった
日本人抗争になり外人が不要になったなぁ。 >>35
>>36
二人を組ませたのは、当時明らかに下降線と思われていた全日としては秀逸なアイデアだったと思う。
ハンセンを引き抜いた後で、仲間割れから敵同士になった二人の絡んだ試合ももっと見たかった。
特に最強タッグでの、ハンセン&ブロディvsレイス&スヌーカが実現しなかったのは残念だった。 >>36
例のボイコット事件の時行動を共にしたぐらいだから仲は良かったのかな?
でも「スヌーカはわけが分からず巻き込まれただけ」とは言え
子供じゃない(スヌーカの方が歳上)んだからスヌーカだって自分の行動の責任は問われるのが普通では?ブロディが全て悪いじゃなくて。
スヌーカに対する新日の事後対応はどうだったんだろう? >>38
実現していれば凄いタッグマッチだな。これ新日ではどんなカードが相当するだろうね。
ハンセン・ホーガンvsバックランド・ローデスかな。
アンドレ・ハングマンのコンビはでかいけどハングマンが役者として弱いし、
84IWGPで実現してる(ノーテレ)ホーガン・スーパースターvsアンドレ・アドニスは、
どちらも正規のパートナーとはいいがたいコンビ同士で微妙。 これがノーTVかよというと、
82年第5回MSGで特別参加枠の後半アンドレと前半ホーガンが唯一バッティングした日程のアンドレ&アトラス対ホーガン&ドン・ムラコ
この2人が顔を合わす意味があってのMSGシリーズではないのかと・・ >>37
それでもアドニス&オートンは軍団抗争に拮抗してたな >>39
ブロディもスヌーカもお互いを「ブラザー」と呼び合う関係だからね。
あのボイコットについてスヌーカは「ブラザーが出ないというからには、独りぼっちに
させておくわけにはいかなかった。オレもブラザーと行動をともにするしかなかった」
と言っていた。
一方、ブロディ未亡人のバーバラさんによると「フランクはあの時、行動をともにした
ジミーにものすごく感謝していた」と言っている。
ステーキハウスで大喧嘩もしたそうだけど、実の兄弟のような関係だたんじゃないかな。 そういえばスヌーカはボイコット事件翌年のIWGPに呼ばれてたな。 殺されたブロディ
殺しちゃったスヌーカ
皮肉な人生だったね >>29
MSGタッグリーグでの猪木のタッグパートナーがまわってきたのも美味しかった。
その上でWWFはジュニアの時代になって、NWA脱退と全米侵攻開始で
「バックランドが王者では駄目だ」って事でホーガンに王者がまわってきてと
全てがホーガンにとって良い方向に行った感がある。 >>40
ホーガン&スーパースターvsマードック&アドニスはテレビマッチでやったな。アックスボンバー一発でアッサリだった覚えがある。アンドレ&アドニスはなかなか珍しいコンビだな。 猪木
ラッシャー木村にボコられる 貴重動画
猪木自分がブック破りされると弱え―――――――――――――wwwwwwww
https://youtu.be/Hns98mz3ggU?si=ieI5_R44xK1bIvvm ホーガンは売れてない時に日本で身につけた相手の後をクルクル回ってアシを掛けて倒すテクニックやらを使うのがセコくて大嫌いだった >>49
アメリカでも日本でも同じ様な試合をするレスラーと違って
ホーガンは「日本で受けるスタイルがある」と理解していたとも言えると思う。
日本だと後ろにまわって腕関節をとるムーブをよくやっていた。
日米レスリングサミットのホーガンVSハンセンも「これは日本向けの試合」と
意識して試合をしていた。 日本でのホーガンは来日を重ねるごとに
緩急と陰影をつけることを覚えてたね
80年と84,5年ごろでは全然違う
しかしアメリカのファンはそんな事求めてないから
あっちでは終始陽気で単調なキャラにならざる得なかったから
本人的にはつまらなかったかもしれないな >>50
あのムーブをホーガンは技術もあると評価するかチマチマしてセコいと思ってしまうかは価値観ですな ホーガン級になると、日本向けに固執するのは逆効果。
フィニッシュをレッグドロップからアックスボンバーに変えるぐらいで
あとは大味なアメリカンプロレスのままの方が、魅力があった。
体格が2mくらいあれば小細工は日本であっても邪魔でしかない。 ホーガンが凄いなと感じたのは
日本側でベビーの時と対猪木でのヒールの時とで
膝当ての色を変えてくるところ 猪木が「ホーガンは意外とゴッチと気が合った」とか言っていたな。2人が談笑している
写真も見たことあるけど。ゴッチは移住だけど、2人ともフロリダ州タンパが拠点だった。 >>56
それ雑誌にも書かれていた。
ゴッチは「あの金髪の大男は好青年だった」と言っていたとか。 >>47
当時のアンドレのパートナーっていえばスーパースターだったけど、
これが敵に回ったら組む人いないんだよね。w
このシリーズでのホーガンも相方になるのが居なくて、
便利屋さんのスーパースターが選ばれましたな。
珍しいコンビと言えばホーガンとマードック組が印象に残ってる。
猪木の相棒藤波が集中攻撃食らい、結果はドローだったけどスリリングだった。 >>56
ホーガンが特別人付き合いが上手いってことなんかな?レスリングスタイル的にゴッチ好みではなさそうだし
若手時代のホーガンはすごい素直で、写真やらインタビューの仕事も嫌な顔せずやってたって話だし処世術に長けてた?のかも 猪木ホーガン組は超獣に匹敵するコンビ。
84年に猪木藤波組となったときの寂寥感。 80年代入って新日最強コンビを考えるなら猪木前田組か。アンドレやホーガンのようなスーパーヘビーでも
充分試合は作れそう。 猪木・坂口vsアンドレ・ホーガンが予定された84年末に実現していたらなぁ。
85年になればもう今更感しかなかった上にテレビマッチにもなってねぇ。
ブロディが来たところで辛うじて残ってたホーガン、まだ動けた猪木とアンドレと四人、
同時にリングに集めて夢のタッグマッチしてほしかったですよ。
しかし組み合わせで一番あり得るのが猪木・ホーガンvsアンドレ・ブロディだが、
肝心のホーガンとブロディがからまないまま両軍リングアウトになりそうで怖い。
猪木・ブロディvsアンドレ・ホーガンが理想だけど猪木とブロディのコンビって考えにくい。 >>61
そもそも81年に優勝出来なかったからパートナー失格の烙印を押された形だったし >>61
ハンセン・ブロディ組の足元にも
及ばないだろ猪木ホーガン組なんて。 >>59
2004年出た『アンドレがいた!』って本でカーンが語っていたけど、
ホーガンは新日の巡業中にビール買ってアンドレのところに持って行ったりしていたらしい。 >>59
ホーガンはヒロ・マツダの弟子。
マツダはゴッチのところで三ヶ月学んだから全く無関係でもない。
孫弟子とでも言うか。 75年頃なら猪木・坂口のゴールデンコンビならどんな相手でも勝てそうな感じ何だろう。 あの手のツカミは金曜8時にはちょうど良かったんだよ。 Xでたまにホーガンの日本での試合の動画が流れて来るけど外国人のリプで「日本でのホーガンはアメリカと別人」とか「ホーガンが受身取ってる!」とかあるのが面白いw >>40
この試合の後に長州対スタッドの公式戦だったんだね >>8
猪木&長州vsホーガン&オンドーフって
猪木タッグ編というシリーズでビデオ化されているんだよね。
30分で9800円だったけど、売れてたのかな?
他にも猪木の海外編、フルタイム編といったものがあった。 >>74
回転エビ固め
>>73
外国人勢がこれだけ豪華だったのも凄いね
それなのに維新軍が出てきてウザかったw ブロディ・スヌーカが参加したタッグリーグも本当はアンドレ・スーパースター組とマードック・アドニス組が参加予定だったんだよな
実現していたら凄いリーグ戦だった
WWFの都合でアンドレとアドニスが不参加になって残ったマードックとスーパースターのコンビになったけど そういやアックスボンバーをホーガンと共同開発して名付けたのはピーターと山本小鉄って話だけどウェスタンラリアートは誰が命名したんだろう 本人の希望通り、ホーガン・ハンマーのほうがよかったのに >>75
あと長州の3部作もあった(これはのちに復刻された)
旗揚げ戦を撮影したことといい新日は映像で記録を残すことに昔からこだわってたような気がする >>76
回転エビ固めか。
確かに長州がスタッドにリキラリアットやサソリ固めでクリーンに勝つのは説得力が無いからな。 >>79
そもそもアックス・ボンバーって和製英語で変だね。
斧爆撃機って意味不明。
アメリカでのフィニッシュはギロチンドロップでアンドレに勝った時もそれだった。 長州はドロップキックやジャーマン出来るから技は持っているけど、トップレスラーになってからは攻めるスタイルで人気が出たから受けに回るとイマイチ あの身長で攻めのスタイルだと大型外国人相手には苦労するわな。
長州・浜口vsザンビアエクスプレスの時痛感した。
正直あの試合見て「ザマーミロ、もっと維新軍にも強い外国人と当ててこういう風に苦労させてやれよ」と思った。 >>84
両国国技館こけら落としの試合も、新日移籍を決めていたブロディに子ども扱いされていたよね。
「お前なんかには何もさせない」って感じのブロディもオトナゲないけど。
https://youtube.com/watch?v=64nV0hDMDlk そう、長州浜口は極力アンドレやホーガンとの対決を回避されていたんだよね。
タッグリーグのエキジビションだってアンドレと戦ったのは藤波前田。
>>81
スタッドの途中帰国は、長州相手に負けさせられたことへの不満もあったかもしれないね。 >>85
夏に藤波とブロディのシングルが組まれなかったのはブロディがそういう行為に出ると予測していたんだろうか。 >>84
他の三人も乱入した時点で維新軍は実質終わった
マズイと見てか藤波も乱入して注目をすり替えたが >>86
長州はともかく浜口はアンドレやホーガンとテレビでやった事は無かったか >>86
でもあのタッグリーグのエキシビジョンで長州・浜口はマードック・アドニスとやった。あれもバイオレンスコンビに一方的にやられたイメージで、vsザンビアエクスプレスの時と同じように「ザマーミロ」と思ったな。 国際時代ならって話だが、浜口アンドレ。
レイキャンディもそうだし、マイクジョージ&ボブスウィータン戦とかホント体力負けって感じしかなかったな。 >>91
そう言えばキャンディは国際に1回来たんだったな。テーズ杯の予選勝ち抜いたが、その後に国際が倒産してしまった。 >>86
スタッドのWikipediaにもあるけど、帰国後2日後には試合出てるから負傷ではないし
そういう理由でもないよね。ワンツも当初から途中で帰るようになってたんだよな。
当時のプロレスメディアでも如何なものか?という意見はあったね。 >>87
ダイナマイト・キッドは
「意外に思うかもしれないがフランクはとても紳士で俺にはいつも良くしてくれた」と回想しているし
ブロディは「私は藤波をミゼットとは呼ばない」と言っていたしチビだから全てNGじゃないらしい。
かと言って藤波相手の負けブックは100%拒否しただろうけどね。
ブロディが露骨に悪意がある試合をしたのはマスカラスと長州。 最強でブロディとマスカラス一緒に呼んだのは馬場さんの思惑だったりしてw ブッチャー引き抜きは痛恨。
あれでハンセンが引き抜かれ一気に凋落。 >>90
しかし公式戦では長州組はマードック組に反則とはいえ勝ってるんだよな。
一方でライバルの藤波前田組はアンドレ組、猪木組の敗戦がオンエアだ。
83夏以降で長州浜口組が反則以外で負けたのってテレビではないんでないかな。 >>97
最近の説ではハンセンの硬い攻めに耐えきれなくなった猪木側から持ちかけたとの話もあるね
結局馬場と猪木って全日新日を共同経営してたみたいなもんなんだよなあ >>99
長州、浜口組って健吾に勝ってるとこしかみたことないような気がする。オンエアされているタッグマッチの負け役ってヘビー級だと健吾ばかりだからか笑 馬場と猪木がホテルで偶然会ったフリしてそのまま密会してて、2人ともニコニコデレデレだったって新間や大仁田も言ってるんだよな
言うても2人は兄弟みたいなもんなんだよな >>101
それは言いすぎだw
バディ・ローズにも勝ってるぞ。
>>102
韓国のプロモーターで馬場そっくりのパク氏が外人控室にいるのを見た若手が、
馬場が来ていると勘違いしてみんなで挨拶に行ったっていう話があったねw >>81
90年代の話だけどラリアット連発でベイダーやノートンにフォール勝ちは説得力なかったな
その点三沢のエルボーは上手くやってたと思う >>99
反則の勝ちだから逆にマードック組が決勝進出 >>105
マードック組が長州組に実力通りに圧勝して決勝進出してほしかったよ。 >>103
正規軍なら健吾ばかりでしょ。藤原は反則絡みばかりだし、木戸はテレビ前が多い。前田に負け役をやらせる事もあったけど、ふて腐れてた感じだし笑 >>104
平成以降のスピードが落ち更にアキレス腱断裂と体重増加で走れなくなった長州と
動きキレッキレだった(多分)97年頃までの三沢とを単純に比較されても
ただ長州も加齢や体調に合わせて試合スタイルを変えるべく試行錯誤するべきだった事には同意 スティーブウィリアムスも新日(というか猪木)では持て余してたしな >>100
へー、そういう話もあるんだね。まあ翌82年から猪木は怪我や持病で欠場多くなってきてるし、あながち本当かも >>110
ハンセンはど近眼で加減が下手くそなんだよな
アメリカでも硬い攻めで嫌われてた >>99
夏以降というのがいつを指すのかによるが、
猪木の復帰戦(vsラッシャー)の特番でvs藤波・前田で
藤波の回転エビ固めで浜口がフォール負けをしている。 >>111
あー、ハンセン自身の問題ね。でも全日ですっかり定着できたし転出はおおむね正解なんだろう。 >>113
ハンセンも気にしてNWAスタイルでやるのかと聞いたら新日本でやってたようにやってくれと言われたとか 猪木の名勝負を挙げるとなった場合、対外国人と対日本人どちらを挙げる人が多いのかな
時代的背景もあって対戦カード自体は対外国人のが圧倒的に多いだろうけど、名勝負となると票はそれなりに割れそう 前者はロビンソンで後者は小林との初戦というのが多そう >>116
猪木本人はロビンソン戦を一番には挙げないんだよな。
猪木としてはプロレスで一番快心の試合はドリー戦で
最高のライバルはシンだとか。 猪木的にはロビンソン相手に思う様な試合運びが出来なかったからかな? >>117
タイガー・ジェット・シンはあの当時のまだ勢いのない新日本をめちゃ稼がせてくれた救世主的存在だったから、みたいなことはピーターも言ってたね
だから猪木がシンを最も印象深い対戦相手に挙げるって >>112
サンクス。見てないかなんだか、ともあれ記憶になかったわ。 猪木vsアンドレで反則以外で決着がついた試合って
1、格闘技世界一決定戦として行われた試合で猪木のレフェリーストップ勝ち
2、猪木がギブアップ勝ちした試合
3、85年IWGP公式戦で猪木のエプロンカウント勝ち
4、坂口とフランクバロアが戦い始め、アンドレが坂口を追いかけていってリングアウト負け
5、フランクバロアが猪木の足を掬って、そこにアンドレがジャイアントプレスを決めてフォール勝ちした試合
6、2の近い前後に何かのトーナメントでアンドレの勝ち
まだまだ有るはずだが。 >>122
場外でカナディアンバックブリーカー→リバーススープレックスで返してリングアウト勝ちってなかったか?第1回MSGシリーズ決勝かな? ジャイアント・マシーンがワカマツの援護受けてフォール勝ちはある >>125
生中継に収めようと無理矢理決着つけたせいで会場が暴動寸前になったみたいね。 >>125
>>126
大木も猪木相手に秒殺リングアウト勝ちってあったよね。蔵前でのワールドリーグ開幕戦だったかな?
猪木が目当てで会場に来たファンからしたら、ああいう結末は「金返せ!」って感じるだろうな。 >猪木が目当てで会場に来たファンからしたら、ああいう結末は「金返せ!」って感じるだろうな。
そういうことならもっと酷いのは84年の3月だったと思うが
猪木が試合前に維新軍に襲撃で試合が出来なくなり、坂口に代わったやつ。
あれは猪木がよっぽど体調悪かったのかな?
確か翌週の中継も欠場だったはず。 対ハンセン戦の戦績という視点からいえば、あきらかに猪木>馬場となってしまうわけだが
馬場的には何の葛藤もなかったんだろうか。 >>128
坂口と谷津がテレビで当たったのはあの時だけか >>128
坂口と谷津がテレビで当たったのはあの時だけか >>129
全日本に来た時のハンセンはむしろアンドレと名勝負をやったハンセンの印象だからな
あれが無かったらまた扱いも違ったかも >>128
この試合の前日は大阪城ホールで初めてのプロレス開催だった
この大会って観客多かったのかな >>129
馬場自身はハンセンとの試合は楽しんでおり「負けても口惜しくない相手」とまで讃えている。
ヘンな話、馬場が初シングル戦でフォール勝ちしていたらファンの興味は半減し、ハンセンの商品価値も落ちていただろう。
それは超獣コンビの商品価値にも直結するから、ハンセン、ブロディに立ち向かう馬場、鶴田、ファンクスという図式を維持することが商売になると踏んだのだ。 >>134
馬場はキニスキーとかブルーザーとかハンセンみたいな真っ向勝負の相手を好んでたんだよな
その意味でブッチャーはあまり格好の相手ではなかったらしい >>129
残念ながら名勝負という視点になれば馬場>猪木になってしまう >>135
>キニスキーとかブルーザーとかハンセン
>みたいな真っ向勝負の相手を好んでたんだよな
>ブッチャーはあまり格好の相手ではなかったらしい
ブッチャーも真っ向勝負型だと思うが?
そうだとしても、キニスキー、ブルーザーは、
もう日プロ時代(〜72年夏まで)のライバル、まぁ全日時代も対戦したが
すでにピークは過ぎていた。そしてハンセンは82年以降、
全日の72年秋〜81年の馬場の相手は主にブッチャーだった。
格好の相手ではない選手と8年も抗争を繰り返したことになる。
あとレイスやドリーか?彼等こそ、真っ向勝負型ではないだろ? ハンセン離脱はかなり痛かったろうけど、それによって新日マットは誰でもラリアットを使用できる状況になった
長州は迫力不足を連発式で魅せ、ホーガンはただ真似るだけでなくエルボースタンプとの合体フォームでオリジナリティをアピール
ラッシャーは得意技が一つ増え、アドニスオートンは仰天ツープラトンを発明
特にホーガン長州はハンセン並みの注目選手として格上げに成功し
現有戦力で人気維持に成功した“持たざる者“新日の錬金術
ただし人気選手が一斉に抜けた84年以降はどうしようもなかったというオチもつく >>135
馬場は著書でブッチャーと対戦した期間を「レスリングしなくなった」と自虐していた。
たぶんグラウンドの攻防ができなかったことを指しているのかと思う。
ブルーザーとのグラウンドも想像できないが、キニスキーとハンセンはグラウンドの攻防ができたから馬場的には満足度が高かったのだろうね。 >>139
長州が連発するようになったのは平成に入ってからだけど >>137
そんなわけあるかw
馬場なんてずっと笑われてただろ >>128
1982年に歩くことさえおぼつかなくなって糖尿病で入院した時に
医師から引退勧告をされたからね。
糖尿病は完治しない事に加えて、加齢もあって、もうコンディションは戻らなかった。
個人的には猪木の実質的な引退試合は1983年のホーガン戦だったと思っている。 >>142
いや、そこは認めようよ
猪木ハンセンより
馬場ハンセンははるかに熱いよ
だいたいラリアットを首をかがめてかわすなんて、プロなら絶対やっちゃいけないこと
馬場は100%受け止めてた >>144
だから馬場の試合はつまらない
必殺技はくらったら大変なことになるから必殺技なんだよ
馬場なんて前田のキックをノーガードで受けてしらけさせた上田と同レベル 猪木VSハンセンの方が、馬場VSハンセンよりはるかにスリリングで面白いと思う。この辺りは新日派と全日派の違いかな >>145
でもYouTubeが出てきてアメリカのファンとかが馬場の試合を投稿してるのとか観てると、やっぱり迫力が猪木とは違うよ
そりゃ同日にデビューしても馬場が前面になるのは仕方がない
それほどの開きがあったってことだ
俺らは世代的に馬場の衰えた後しか知らないのと、ギリギリ猪木が健在の時期しか知らないんだこら 猪木VSハンセンはマタドールVS猛牛
馬場対ハンセンは巨象対猛牛 >>147
UWFの使い方でも猪木のほうが圧倒的にセンスがある
馬場のプロレスはつまらない >>149
残念ながらプロレスのセンスでも馬場が一枚上かな
ハヤブサや人生といきなり6人タッグになっても馬場は本当にプロレスがうまい >>150
それはハヤブサや人生がうまいだけ
猪木は前田みたいに不器用なレスラーも強豪に仕立て上げた
猪木のほうが圧倒的に上 >>148
ハンセンを猪木が調教したから、馬場はハンセンと好勝負ができたんじゃないかな。
猪木からNWFを奪取したころのハンセンの暴れっぷりは馬場じゃ制御できない。 晩年の馬場しか知らないけど本当にしんでしまうのではないかと心配になる演技力だったけど、猪木のは何となく白々しいなと思って見ていた。毎週45分に逆転するし。渕さんの本読むと馬場は猪木の演技を真似しろと教えていたそうだが 全日移籍して馬場と対戦したハンセンによって落ち目と見られてた馬場が蘇った、と当時評価されたらしいね
新日に居続けても早い段階で日本人対決の波で下の世代の格上げのために使われてそうだし、あのタイミングでの全日行きはハンセンにとってベストだったのかもね 転生したら昭和中堅レスラーだった件・第1話〜第5話 85IWGPタッグリーグ幻のフルメンバー
猪木&坂口
藤波&木村
ナガサキ&ポーゴ
ブロディ&スヌーカ
マードック&アドニス
アンドレ&スーパースター
カネック&ドスカラス
ヒギンズ&バーバリアン 85アイダブタグリでぇハルホーがぁー参戦しちょればぁ凄かったぞぇ。
そぉなりゃあシンニプロレの歴史ん残る大会んなっただろぉしぃ。
しかしぃハルホーはぁダブエ王者んなっちょったからぁフル参戦もぉ無理だったらかんな。
しかもぉシンニプロレとダブエはぁ契約がぁー切れちゃったんよぉ。 >>157
これ実現してたら凄かっただろうね。
アンドレとスーパースターはマシーンでの参加だったんだろうか? >>55
おじいちゃんリアルタイマーじゃないけど、
あの時代のホーガンが一番輝いていた
魅力的だったって人多いぞ >>138
ブッチャーのプロレスはむしろ間合いと緩急だと思う >>148
馬場とハンセンの初対決で一番繰り返される場面は序盤の十六文
あれに馬場ハンセン戦の醍醐味が一番出ていた >>151
見てねーだろ
馬場最後の東京ドームの試合
馬場の最後の輝きだったわ
新日ファン、いや猪木オタは馬場という名前が出るだけで攻撃的になるからなあ
BI砲と言ったところで、10年間馬場が上だったことへのコンプレックスじゃねーか
認めたくないのはわかるがもういい爺さんだろ、お前らも シンニプロレでぇハルホーとブルブの試合はぁ見たかったかんな。
ブルブのシンニプロレ移籍で実現するっちゅうにぃ期待しちょったぞぇ。
ハルホーやアンジャやマエアとの試合はぁ見たかったんよぉ。 >>168
そう、パンフでは組み合わせこそ変わっていたが選手の説明文は猪木藤波と坂口木村だった。
前年のファン投票で見たいタッグマッチの第一位が猪木坂口vs藤波木村だったし、
藤波木村は新日限定とはいえインタータッグのチャンプでもあったんだから、
この組み合わせで行くことが本来の姿だったはずだよな。
もし当初の予定通り猪木藤波と坂口木村だったとして、
決勝でブロディ・スヌーカがボイコットしてしまったら、
決勝戦は猪木・藤波vsマードック・スーパースターってことになってたわ。
これだったらいくら大人しい仙台のファンでも激怒したのに違いない。 >>152
当時のハンセンはまだバタバタした動きだった
最終的にハンセンをスーパースターにしたのはやはり田コロのアンドレの印象 86年IWGPでのアンドレvs藤原ってどういう試合だったのかね? >>171
この年のリーグ戦では他にも坂口対藤原、前田対スヌーカ、猪木対ワラスなど見てみたいカードが多かった
あと名古屋での藤波対上田がやったとしての結果が気になる >>171
アンドレが藤原になんか挑発されて場外に追って行って
両リンに持ち込まれたみたいな展開だったかな
すぐ終わったのと、その前の高田vs越中が消化不良なのが残ってて
記憶が正確じゃないかも >>173
それだったらツマラン試合だな。
ワラスといえば、柔道時代に山下から幻の一本を取ったんだよな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%82%B9
新日も全日もプロレスマスコミもワラス本人もなんでそっちを強調しなかったのかね?
当時山下ってロス五輪の後で国民的ヒーローみたいな感も有ったから、
「山下から幻の一本を取った男!」は凄いアピールになっただろうに。 坂口が猪木をアトミックドロップの体勢から股間をトップロープに打ち付けてリングアウト勝ちしたのは、猪木がシリーズ中に写真週刊誌に女性との密会写真を撮られたバツの為とかホントかね。 >>173
もしアンドレ−ブロディ戦が組まれたらワカマツに挑発されたブロディがリング下に降りて、
そんな感じの消化不良の試合で終わる予感しかないな。 >>175
>坂口が猪木をアトミックドロップの体勢から股間をトップロープに打ち付けて
そのムーブって、猪木はバックランドにもやられたことあったよね?猪木がWWF奪取した後のリターンマッチだっけ? 86IWGPの前田藤波戦 藤波負傷はガチなのかカットなのか
当時はみんな事故と思っていたがこの年決勝で猪木藤波戦やったとは思えないんだよな
後年マードックが全日行きをマスコミに流してランクアップさせたとか話がでてきて
あの傷がカットなら藤波の演技力は凄いなと ビデオなんかでは大車輪キックの次のシーンでいきなり流血になってるが、実は大車輪キックのあと一旦藤波はリング下に落ちてその周りでセコンドとレフリーがワチャワチャやってる >>178
前田が猪木に従順だったら、決勝で猪木、前田戦だったのかなと何となく思う。 >>179
大車輪キックの後場外に落ちてまたコーナーポストに同じ体勢でいるのは無理があるのでは? >>178
アクシデントとしか思えない、あの二人の対決にヘビージュースが必要とは思えんしなぁ >>178
アクシデントでしょ?
ガチ流血でそれ以降の試合欠場してるし。
次のシリーズでジョージが同じ状況で大車輪キック喰らって流血した時はミスター高橋が何かやってたけどw >>184
怪我により藤波が欠場したことで上田に不戦敗
結果マードックが決勝へ進んだでしょ
それがアクシデントかブックなのかってことです >>185
藤波の怪我はアクシデントだろうけど、リーグ戦の星取りは予定通りでしょ?
本来の予定だと藤波vs前田は時間切れ引き分けとかだったのが
藤波の怪我というアクシデントが起こったので咄嗟の機転でああいう形で収めたのだと思う。
リーグ戦の途中で予定を変更したんじゃないかな?と思うのは84年初頭のWWFジュニアのそれ。
当初コブラが優勝する予定だったけど、コブラが人気が上がらず、キッドが予想以上の人気だったので途中で変更したんじゃないかな? 途中で予定変更と言われるのは1981年のMSGタッグ
ハンセンが年末になっても離婚問題を理由に契約更新を拒んでいたので
流石に全日移籍を感づかれて、アンドレ、グレイ組の優勝に変更したと言われている。
負け要員のグレイと組ませていたのにアンドレ組の優勝は不自然だものね。 >>180
前田はあの後マードックに勝てば決勝進出で猪木と対戦だった。
UWFから戻ってきていた時期、前田は二度「これに勝てば猪木とのシングルマッチ」というケースが有ったけど、それがこのマードック戦と藤原戦。高橋は『伝説の四十番』で「猪木と前田が対峙するときは必ず藤原やマードックのような前田をコントロールできるレスラーを一枚かませるようにした」と書いていたが、それと合わせて考えると面白い。 猪木とマードックの決勝は良いんだけどやっぱジャーマンで終わるべきだったな 反応ないからって何回も同じ書き込みしなくていいよお爺ちゃん
399 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 5524-TT6p)[] 投稿日:2023/10/05(木) 07:19:27.53 ID:yuIx7Qmq0
高橋の一連の書籍を頭に入れた上で過去の試合を考えると色々と辻褄が合う部分がある。
例えば、猪木と前田が対峙する時は、藤原やマードックのような前田の暴走を抑えることが出来るレスラーをかませるようにした、と書いていたが、
UWFとして新日に上がっていた時代に前田には「この試合に勝てば猪木とシングル対決」というのが2回有り、
その相手が藤原とマードックだった。
972 名前:お前名無しだろ (中止 5321-zW/F)[sage] 投稿日:2023/10/31(火) 07:20:40.92 ID:wb9FAqEF0HLWN
「これに勝てば猪木VS前田が実現」って試合で前田に当てたのが藤原とマードックなのが露骨
恐くてブック破りなんてできない相手を当てている
こういうのもプロレスの面白さ
139 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 62eb-ZTan)[sage] 投稿日:2023/11/05(日) 11:39:44.52 ID:jE8yIAPf0
>>137
武藤は若手の頃から道場最強クラスの強さだった事は色々な人が言っているから
ブック破りまで考えて武藤を当てたんだろうね
そのへんを見返すのもプロレスの面白さ
「これで前田が勝てば猪木VS前田が実現」って試合で前田に当てたのが藤原とマードックだったり。 リーグ戦で途中帰国とかあるけどほとんど事前にそういうスケジュールだったというのはよくあるケースじゃない?
なんつうか85年IWGPタッグの当初発表のメンツもなんか怪しいなw アンドレとブロディ同時来日ってちょっと時期的に早いのではと
それ以下の外人もかなり豪華だし、今となっては何とでも思えるが、まあ期待を持たせて変更と言うのは詐欺に近いかもだが。 1984年のMSGタッグでのホーガンは明らかにそうだが
(開幕戦で猪木組vsホーガン組の公式戦をやるのが不自然)
83年IWGPのオットーワンツもそうなのかな?
ディノブラボーの「自宅が泥棒に入られて不安だから」というのはガチかな?後に射殺されたようにブラボーはヤバい連中に関わっていたようだし。 藤波が名古屋で上田からクリーンフォールを取れば前田やマードックより上位になったんじゃなかったっけ。さすがにあそこで上田に足を引っ張られるとは思えんし、猪木vs藤波の決勝だったんじゃないか、86年は 第2回MSGタッグのパターソンとサモアンズもそうだな。
負傷帰国になってるけど2日後くらいにはWWFのサーキットに合流してる。
あと前年のベーカーもそうじゃないかと。
元々スーパースターの代打探しで片っ端から声かけたら1週間だけ引っかかったのがベーカーだったと、確か当時ロスのトップヒールだったと思う。
お荷物になったパワーズには難癖付けて切ったんだろう。 >>192
ワンツは試合ではなく何かのアクシデントでけがをしたと思われ
俺の兄貴の友人がワンツにサインを貰ったそうだが
その時若手二人に両側から支えられていたそうだ >>192
IWGPのお返しに鉄柱にぶつけるという猪木ファンの溜飲が下がる形だったな >>192
あらためて。
85年新春ではバスの事故で上田やブッチャーがけがをして病院に運ばれてるんだけど、
数日欠場しただけで普通に試合してるんだっけ。
するとワンツがけがをしたというのもなんか怪しくなってきたな。
兄友人がサインを貰ったのは選手が宿泊していたホテルだから演技ではないと思うが、
欠場して帰国なんてよほどの大けがでないとあり得んよね。 >>193
藤波が85年のタッグリーグ決勝の星を返す予定だったのかな。藤波が嫌がりそう、 >>192
開幕戦なら猪木、ホーガンの絡みは目玉だから不自然ではないと思う。
翌年の新春も短期間来てるし。
むしろその前の9月にビンズと来日したあたりから関係が怪しかったとは思う。 ホーガンのパートナーがワイルドサモアンってだけで、すでに怪しさ満載。いくらなんでもそれほどの格下をあてがわない。 >>199
元日が再戦だったな
ホーガンが後楽園に出た最後の試合だったか >>199
でも猪木組とホーガン組といえば共に本命だと思うけど、
昭和新日のその手のリーグ戦で本命同士が開幕戦で当たることって有った? >>201
番組前半がMSGからで、後半が後楽園からだったっけ?
猪木、ホーガン、コブラ等は二試合が放送されることになったんだけど、
そうでもしなけりゃ特番としての試合数が組めないぐらい当時の新日は選手層が薄くなっていたな。
一番印象に残っているのはストロングマシーン1号2号の替え玉騒動かな。
ホーガンvsアイアンシークは良かった。 >>193
藤波の足を引っ張るのが上田の役割じゃない? >>202
一応優勝候補同士ってのは、81年開幕戦の猪木&藤波vsアンドレ&グレイがそうだよね。結果的に決勝も同カードになった。 >>202
第三回タッグリーグでは開幕戦で猪木組とアンドレ組だね。
グレイと組んでるアンドレを優勝候補とは呼ばないだろという意見はなくもないけど。 >>193
私も1点差で藤波が決勝進出のブックだったと思う。ケガで欠場したのがアクシデント。猪木vs前田はできないからマードック。 >>207
テレビで観ていたのに忘れていた。
結構優勝候補同士が開幕戦でぶつかるって有ったんだな。
84年MSGタッグのホーガンが最初から開幕戦だけの契約だったと思うのには変わりないけど。 >>200
ホーガン、サモアン組は100%1試合だけ試合して帰る予定だったんだろうね
当時はWWFが全米侵攻を開始していて日本にかまっていられなかった
親日家で一流レスラーをバンバン日本に送ってくれたビンス・シニアと違って
ジュニアは親日家ではなかった。 >>209
俺が話してるのは82年の第三回。
○猪木・ホーガンvsアンドレ・●グレイ 5年後の日米レスリングサミットの時に
新日がWWFと関わろうとしなかったのは
この時にビンスのやり口を覚えてたからなんだろう
そして全日とWWFが上手くいかないことも当然わかっていただろう >>212
誤解しました、ごめんなさい。でも>>206の書き方で誤解してしまったんだよ、第3回では前年優勝組に当たるわけだから。 ごめんごめん。
あの大会ではアンドレ組は坂口藤波以下だったからそんな書き方にしました。 >>208
両国のメインで猪木対マードックは普通のカード過ぎたね >>204
全日本では最強タッグで馬場組の足を引っ張る役割 >>216
IWGPの決勝としては、初めての両国国技館なんだよね。前田が決勝進出同点になった時点で、チケット買った人もいただろうな。 >>204
>>217
上田はUWFとの5対5イリミネーションマッチでは、本当に前田の足を引っ張って場外に転落していたよな。 週プロの浜辺が当時の増刊号で
87年の決勝が猪木対前田のはずだったことを匂わせてた
前田のシリーズ復帰が絶望になった途端に猪木が練習しなくなったらしい
確かに3回連続ビックマッチが猪木対斎藤というのも不自然ではある >>216
でもファンとしてはWWFと切れた後でも新日本を選んでくれたマードックに対するリスペクトもあったんじゃないかな >>220
斎藤のテーマ曲がザファイトになったのはあのシリーズからだったか >>220
あの決勝から5ヶ月後には後楽園ホールで長州への顔面蹴り、その1ヶ月後には両国国技館暴動と急展開になってしまったね。 >>221
選んでくれたと言うか全日復帰しようとしたがNGだった>マードック
戸口も同じで馬場に門前払いを食らった >>224
マードックは新日移籍で輝いたけど、全日としては戻ってほしいキャラではないよな。ジョー樋口とかは相当嫌っていたみたいだし。 上田が猪木や坂口とタッグ組んでいる時にいつ背後から襲ったりするのかと見ていた。 >>224
それは翌年の春じゃないかな
あるいはブッチャーの復帰が既に決まってたのもあるか >>213
ビンス・ジュニアは提携を延長する気が無くて
とんでもない高額の提携料をふっかけて、提携が切れれば
新日が大々的に売り出していたビガロを引き抜いたから良い感情を持つはずが無い。
ただし後にWCWと提携後にケロが「高い金払ってるのに良いレスラーを送ってくれない」と
愚痴っていたって話もあるから一流レスラーを惜しげもなく送り込んでいた
ビンス・シニアが異例だったのかもしれない
ビンス・シニアと強固な関係を作った事は新間の大きな功績だった >>228
フローレスのUWAも含めて三国同盟を組んでたな
その最大象徴がWWFライトヘビー WCW放送でのケロの毒舌というか言いたい放題はすごかったからな >>230
ケロってなんで偉そうなんだろ?
昔全日の批判をしたコラムを見たときから大嫌いだ >>231
確かゴングだかのコラム読んでケロどころか新日も嫌いになってある時期見てないわ。他団体に偉そうにするなら橋本真也をトレーニングさせてかっこよくさせろよと感じた思い出、何もかも懐かしい ビンスジュニアにとって日本マーケットはアンドレのようにWWFの団体を越えた繋がりがあったりで、
ちょと疎ましい存在だったかもしれないな。 ケロは新日にとって商品である外国人レスラーを散々馬鹿にするところあったよね。
一番言われてたのがブッチャー。ローデスやムラコもひどい言われようだった。 ケロちゃんは小者界の大物。政治家に例えると山本一太や河野太郎にあたる。なお馳浩は中堅界の中堅 両国で暴動が起きた時土下座したり、後楽園ホールで暴動が起きかけた時に長州に抗議したケロは好きだったんだけどね。
いつからあんな感じになったんだろ? 闘魂スペシャルのコラムを書いているうちに調子にのった感じじゃない?
はじめはリングアナとしてコールしやすい、しにくい名前とか、
レスラーや観客の名言(笑える方向)とか、
体育館の音響設備について書いていたりしたけど(体育館側はありがたかったらしい)、
だんだん面白おかしく書こうとしていくうちにはっちゃけた感じ。 「馬場さんのことをそう悪く言うなよ」と新間をたしなめる猪木のような存在が、
幸か不幸かケロの周りにはいなかったのだな。 派手なアーミールックと謎の前口上をやり始めたあたりからおかしくなったと思う レフェリーやリングアナは黒子に徹するべきなのに、いつの間にか目立つ存在になってしまったのは大きな間違いだよね。
ミスター高橋もマシン軍の時に阿部四郎の二番煎じやったし。もちろん高橋のアイデアではなく、会社から言われたブックだけど。 >>234
新日参加時のブッチャーやローデスは
ヒドく言われても仕方がないよ。
タイガー服部もローデスのことは
著書で批判していた。 >>241
新日という会社はブッチャーの商品価値を評価していたけどね 結局外国人レスラーで来日回数歴代最多ってブッチャーになるのかな?完全に旬が過ぎたあともインディー団体に出てたしなんだかんだ10年くらい前まではリングに上がってたんよね >>244
ブッチャー、シン、ハンセンのうちの誰かだと思う。
シンもインディー団体にけっこう出ていた ケロはまだ完治とは言えないけど元気になって良かったよ
一時危篤と報道されたときは正直亡くなるのも時間の問題かなと思ったからな >>246
ブッチャー=140回
ハンセン=130回
シン=95回
ぐらいだったと思う。
後はオブライトがかなり多かったはず。
初来日から死亡まで10年程度であることを考えると驚異的(Uインターは一回の来日で一試合だから回数を稼げる点はあるけど)。 >>242
それをいうなら、馬場はローデスを
評価していなかった。
結局、新日でのローデス人とは
ミーハーなアメプロファンが
「ローデスはアメリカでは凄い人気なんだ!」
「これがアメリカンプロレスの神髄だ!」
と有難がってローデスの尻振りダンスに熱狂しただけ。
ローデスのアメリカの人気は、「南部の配管工の息子が
アメリカンドリームを掴む」というアメリカンドリーム
そして、そのマイクパフォーマンズにあるが、
日本では、そういうギミックは通用しないし、
だいたいマイクアピールもしなかった。 >>242
猪木のローデス評で印象に残っているのは
「(悪い意味で)頭が良過ぎる」
「日本ではこの程度でいいかなと手前勝手に決めて自己主張しなくなる」
と厳し目に言ってた事かな
>>243
それは例によって大塚直樹(と営業サイド)の独論
現場(興行部)側は場外戦オンリーなブッチャーの試合態度にウンザリしていた筈
かませ犬発言の翌週か翌々週だったか蒲郡だったかな?
長州欠場の穴を埋める為か藤波とブッチャーのシングルがセミで組まれたけど
ドラゴンロケットからそのまま場外乱闘で両者フェンスアウトと
気の抜けた感の試合内容だったからね
おそらく現場はあの時点で動けない集客力は兎も角会場人気は下降気味なブッチャーに
見切りを付けていたのでは? ブッチャーの商品価値が下がったのはマードックを拒否してディノブラボー指名したこと言われてるけれど、そもそも新日側がブラボーと
やれって指示してるんだから、最初からブッチャーの商品価値を下げているとしか思えない。 >>249
後追い世代の勝手な見方を承知で言わせてもらうと
79〜80年頃のローデスは動きも良く新鮮味があった様に映る
バックランドにも言えるけどああ云うリング上を明るい雰囲気にする外人レスラーは
特に昭和だと流血!場外乱闘!なステレオタイプなイメージを払拭させる為にも貴重だった筈だよ
81年以降だよねローデスの悪い部分が目立ちだしてるのは
試合ぶりがマンネリ化しているのを自覚出来てなくて
マードックとのアウトローズ再結成以外では冴えないファイト内容だった >>250
ブッチャーのギャラは全日時代の倍額だったそうなので、現場からすれば
「高い金を払ってあれかよ」と不満は溜まるだろう。
ttps://miruhon.net/115007
ところが、当のブッチャー本人は「新日本プロレスから全日本の倍のギャラを提示された」と
自著『ブッチャー~幸福な流血~(東邦出版)』で明かしている。
それが本当なのか、あるいはブッチャーの見栄によるものかはわからないが、
「プロは金だ。自分をより高く買ってくれる所に行くのは当然」と書いていた。 ブッチャーは寝ても覚めても全日が合う
全日復帰最強タッグ開幕戦の後楽園は伝説の日と呼べるほどブッチャー一色だった 地方で坂口対ブッチャー見たけど、意外とリング上で闘う時間が多かった 呼んでおいて使い辛いとレスラー以外が腐すってのは新日のお家芸。
ケロだったかレッドブル軍団が来たばかりの頃、巡業先のホテルでアダルトチャンネルばかり観ていたって暴露していた。
公的にリング外のおかしな話でコキおろすのは反吐が出る。 >>256
コキおろすってーけど その件はむしろ親近感持ったけどねw俺は 日本語なんかわかんねーだろうしエロ番組見るのは当然の帰結だと思うけどな
そもそも日本人レスラーだって見てるだろうってw >>256
その話ケロじゃなくてミスターXの本で読んだ気がするな。
ミスターXてターザンだったんだよね? >>259
その話が載ってたのは『プロレスラーみんなまとめて場外乱闘』という本。 ケロはレスラー、フロントが後輩ばかりになってから変わった気がする。相性悪かったのか、上井が中心の頃は居心地悪そうに感じた。 >>262
リングアナの仕事貰って数年で大量離脱があったから、ケロにとってはラッキーだったな。 ミスター高橋は実際にみると思ってたより小さかったけどケロは身長はともかく
鍛えた身体してたな。 >>256-257
> 呼んでおいて使い辛いとレスラー以外が腐すってのは新日のお家芸。
何その解説席でのジャイアント馬場とプロレスニュースの福澤朗 >>253
契約の内容はどうだったのかな
一試合分は倍でも呼んでくれなければ金にならなかったかも 「ナガサキ、ポーゴ組って人気ないなあ。コールしても拍手がまばら。」ぐらいなら、リングアナとしての意見だし、良いと思うけどね。 >>267
前田の長州顔面襲撃事件の試合は唾吐きたくなるような汚い試合って書いてた >>261
橋本真也は「5kgウ◯コ橋本」と呼ばれていたな。 ジミー鈴木に続いて新間もカーンを罵倒。
【ストロングスタイル】新間寿会長がキラー・カーンに辛らつメッセージ「アイツはクレイジー・カーンだ」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/63c54d5d03678ae7d819ccc8958cd7c818092294
7日の東京・後楽園ホール大会に来場した新間会長は、大会の休憩時間に報道陣を集めると
「先日キラー・カーンから『40年前、ニューヨークで自分(カーンさん)が働いた時のお金を
私(新間会長)が盗んだからその金返してくれ』というメールが来た」と明かした。
新間会長は「どうやったらそんなお金を私がとることができるんだ!
そんなことするわけがないじゃないか。もう彼はキラーじゃなくてクレイジー・カーンだね」と
不当請求だと怒り心頭だ。 >>248
>オブライトはUインターは一回の来日で一試合
その一試合で、まったくファイトしなかったこともある。
ダブルバウトで最初に出たパートナーがKO負け
勝負論に立てば、これでも正当化できるんだが、
プロレスではダメだな。 選手のの商品価値という話なら、サマーファイトで毎週のようにやってた藤波長州より、
ブッチャー&ラッシャーvsマードック&アドニスのほうが見たかったわ。
長州浜口なんてすぐに見飽きたのにM高橋はバカみたいにあいつらをメインに出してたね。 今思えば坂口がカーンを相手にしたくない気持ちも分かるような気がする。 スレチですまんが馬場対スナイダーの世界王座戦みた方いますか?
馬場は外国人エースに大好きなスナイダーを考えていたけど年齢的な衰えが来てたらしいので、どんな試合内容だったか気になる ミスター高橋は藤波vs長州の事を同じ事ばかりやりやがってとか呆れてなかったっけ? 長州は同じことしかできないし藤波は相手と同じことしかできないからそりゃ毎回同じになる
長州勢いあったから面白かったけどな >>274
その頃のマッチメイカーってミスター高橋だったの?
以前プ板で見ただけの情報だが、その猪木欠場のシリーズは藤波がマッチメイカーだというのを読んだが。 >>273
83年や84年の、試合前に維新軍の襲撃を受けて猪木や前田が試合やらなかったのもダメだな。前田の方は高田が代わりでまだ新鮮さがあったが、猪木の代わりが坂口なんて、プロレスの仕組みが分かっていて会場で観ていたら詐欺に遭ったみたいに感じるだろう。 ジャパン軍で谷津、高野、仲野は新日にいらないって言われたのかな?同じ永源は全日で権力者になったから結果オーライって感じだけど 俊二は争奪戦になったはず。
せっかく全日を選んだのに決起軍というジョバー軍団にされて腰を痛めてダメになった。
決起軍てのもター山とその取り巻きが馬場のブレーンになってて、あの若い世代が天龍、鶴田にバチバチ挑んでいく姿
(イメージとしては90年2.10で黄金コンビをボコった橋本&蝶野のような)
ファンは見たがっているって趣旨だったのに、現場のカブキが彼らを単なるジョバー集団にして
「決起してないから解散」という悪い冗談にしてしまった。 >>278
だからあんなカード早々に見切りつければよかったのにね
長州なんて前田の噛ませにしてたらすぐ勢いなんかなくなってただろうに
>>280
もし藤波だとしたら藤波は相当の馬鹿だな >>248
ゲーリーオブライト(2000年1月没)の来日回数
(新日、Uインター、全日トータル)は71回、
1999年12月全日参加まで。出典はゴング増刊
「日本プロレス50年史」の「団体別来日外人リスト」の項。
ちなみにスティーブ・ウイリアムスが2000年チャンピオンカーニバル参加時点で
69回だから、その後、追い越しただろう(それ以降の記録はなし) テレビ側からすればプオタの意見なんて無視して
より数字が取れるカードを放送するだろうから
シビアな目で見れば外人を出すより藤波長州のほうが正解だったんだろうな 橋本が長州にピンフォール勝ちするのが1989。
それなのに相変わらず「鶴田天龍にコテンパンにされる決起軍」では明るい未来が見えませんもんね。 長州や藤波は最初から三銃士たちの「高い壁」感が皆無だった。
鶴田や天龍と大違い。
体格の問題もあるけど、猪木かトップであり続け過ぎたのも大きいだろうな。 藤波対長州が盛り上がった2年後に
@維新軍+α
Aラッシャー木村をボスとしたユニット
Bタイガーマスク+爆弾小僧+虎ハンター
を登場させた団体があってな
2匹目のどじょうはいなかったそうな 長州は猪木にフォール勝ちした時が
自分のプロレス人生の頂点という自覚があり
「あとは下山の準備だ」と
若手や外人や復帰後の藤波やG1で全敗した時のように
気前よく負け始める 長州が両国で猪木をぶっ倒した直後、「平成元年、前田とやる」と宣言してた。
ぜんぜん下山の準備感なんて感じなかった。
逆に「今まで黙ってたけどUをぶっつぶしてやる」くらいの気でいるように見えたよ。 >>288
長州は外国人レスラーと試合するとからっきしダメなのがね・・・。
「高い壁」というより国内でお山の大将をしているチビにしか見えない。 長州にとっては全日なんて眼中になくて目障りだったのは前田とUWFだったからな >>292
上でも書いたようにザンビアエキスプレスやマードック・アドニスに一方的にボコられた印象が強いのがね。あれで日本人レスラー相手に強キャラを通してもねぇ。 >>292
まああのハイスパは自分よりデカくてパワーのある相手には全然説得力ないけど、
そんな外人レスラーいくらでもいるからね ブロディは長州の価値を大暴落させて、直後に新日に移籍。この時の貢献度は高かったな。
https://youtube.com/watch?v=64nV0hDMDlk 長州も海外を拠点にして、日本は年間3シリーズ
程度の参戦なら少しは見直したんだが。
日本参戦時は完全に外人扱いで控室・移動バスも
外人と一緒で。 >>297
長州って当時の海外で人気になるようなタイプなのか…? 馬場のセンスかイジメなのか知らんけど長州力の使い方を間違えて客が増えない事に怒り輪島を入れたら売上が伸びた。このままだと石川隆や輪島の下にされて仕舞うと焦った長州は新日本に復帰。長州は見栄えが悪いけど突進するスタイルが客の共感をよんだのだが 読点を入れないと、文章ってこんなに読みづらいんだな。 >>294
それでもまだマードック&アドニスは維新に合わせていたから試合は作れていたよね。
結果も反則で維新が勝ってるし。
あとはホーガンだけど、83IWGPでは長州がアックスかわしてむラリアットに行く時に、
ジャンピングニーパットで長州を吹き飛ばしてるんだよね。
なのに翌年にはアックスとラリアットの相打ちに付き合うようになってて変だなとは思った。 7日の東京・後楽園ホール大会に来場した新間会長は、大会の休憩時間に報道陣を集めると
「先日キラー・カーンから『40年前、ニューヨークで自分(カーンさん)が働いた時のお金を私(新間会長)が盗んだからその金返してくれ』というメールが来た」と明かした。
新間会長は「どうやったらそんなお金を私がとることができるんだ! そんなことするわけがないじゃないか。もう彼はキラーじゃなくてクレイジー・カーンだね」と不当請求だと怒り心頭だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/63c54d5d03678ae7d819ccc8958cd7c818092294
wwwwwwwwwwwwwww この日は、カーンが所属していた新日本プロレス勢が大挙してMS・Gに登場していて、アントニオ猪木はボビー・ダンカンとNWFヘビー級、藤波辰巳(現・辰爾)はドン・ダイヤモンドとWWFジュニアヘビー級王座のそれぞれ防衛戦を行った。そして坂口征二はワイルド・サモアンズ2号と対戦し、期待の大型新人・谷津嘉章は国内に先駆け、カルロス・ホセ・エストラーダを相手にプロレスデビュー戦を行った。カーンは新日本のトップ3を抑えて、メインイベントに登場したのだった。
さて、カーンといえばアンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争が広く知られていて、日本でも82年4月1日に蔵前国技館で「第5回MS・Gシリーズ」優勝決定戦で名勝負を演じた。
本人が選ぶベストバウトは何だろう?
「色んな人に聞かれるんだけどね…。テリー・ゴディとやった試合、テキサスデスマッチだね(84年ごろのテキサス州ダラスでの試合と思われる)。あと、藤波ともいい試合ができたと思うね」(カーン)。 >>298
84ブラディのあと維新軍解体と長州・谷津のWWF派遣企画があったが、
長州がこれを拒否したのは自分がアメリカでは相手にされないことを一番理解してたのかもな。
維新が解体すれば浜口の格は下がってキムケン以下(当時の戸口のポジ)、
寺西は木戸の穴埋め程度で星野と同格くらいまでになるだろうし。
たぶんジュニアエース候補のコバクニ以外は誰も得しない。
ただあの離脱劇で新倉と仲野の二人がいなくなったのは残念だった。 谷津は田吾作スタイルで人気あったからいけたろ。
トラ・ヤツ だがツベ動画で真夜中のドライブ移動中、少年が窓に貼り付いて
トラ!サインくれ!という怪談話は恐怖だったな。 >>300
逆に句読点を入れてコメすると、
怒りだすキチガイが5ちゃんにも
いるけれどね。
ネットでは句読点をいれない、
というのが間違った常識になって
それに拘っているんだ。
まったく、救いようのない馬鹿だかだね。 >>307
怪談話ならミスター高橋が本にしてたなぁ
長州が海外武者修行時代に窓の外で少女が微笑んでいたので
微笑み返した後で部屋が3階だと気づいた話は憶えている >>311
幽霊軍団にギブアップ、だっけ?
マサ斎藤がピーターメイビアと電話で会話したけど、
その時間にメイビアは棺桶の中だったという話を記憶してる。 95年から外国人は活躍しにくくなってきたな
前年まであんなにVIP扱いだったスタイナー兄弟も地方大会のTVマッチで蝶野天山のかませにされたし
98年にノートンが蝶野の怪我の棚ぼたでやっとIWGP取った位だし >>300
>>309
老兵よ。そんなに意気がらないでクレ センテンスが長い文章は適度に読点入れないと読みにくかったり誤読されたりしやすくなるよ
相応の文章力があれば別だが >>301
83年IWGP結果しか見てないけど人気絶頂の長州がタッグながら2回も直接フォール負けしてたのを見てびっくりした記憶がある >>316
浜口とカナダへ逃避行という名の遠征にいく理由付け
本来はラッシャーと浜口で行くはずがラッシャーがDブラボーの代打でIWGP参戦のため
ずっと長州と浜口を組ませたいと言っていた新間氏のアイデアで長州を代わりに送った
これで長州と浜口が組むことになり後の維新軍の礎となった
というのが俺の推論 >>317
長州はあれしか使い方ないだろ。
つうか一般層に長州は無名だし、土曜7時テレビじゃ無理。 >>313
エゴイスト集団がメイン貼るようになって、それまでは比較的地方でも日本人組vs外国人組
の6人タッグがあったけれど、95年以降本隊vsエゴイスト集団、後にNWOという流れになった。 全日のプロレス自体がつまらないから輪島さんみたいな有名人を使うしか手がなかった 84年のMSGタッグリーグがショボかったのは
ジャパン勢の離脱が影響したと思ってたけど
よく考えたら予定通りなら長州達はWWFに遠征してるから
どっちみちリーグ戦は参加してないんだな
蔵前国技館がなくなったからそもそも会社がやる気に欠けてたのかな 新日は巨人戦少なく裏番組貧弱な
「金曜8時先に取っただけ」のタダで棚ぼた視聴率と
観客動員ゲットできただけだからな。 じゃあ全日が先に金曜夜8時にやればよかったじゃんw >>324
日テレが日プロの契約違反(実際は約束違反)で放送打ち切りした
から、全日本旗揚げまではプロレス中継できなかったんだよ。
それぐらい知らんのか。テレ朝(NET)しか知らんのだろな。 ID:caifY2Le0は「ジャイアント馬場のうんと悪い話」スレで
猪木よりブッチャーの方が集客力が上とか
太陽にほえろや金八なんて大した人気番組じゃないとか妄言をほざいていた挙げ句、「かんみんそんぴ」と言って恥を晒しまくった馬場ヲタだなw 1978土曜8時 冬季
日本テレビ 全日本プロレス
TBS ドリフ8時だヨ全員集合
フジテレビ 欽ちゃんのドンとやってみよう!
テレビ朝日 暴れん坊将軍
1978 金曜8時 冬季
日本テレビ 太陽にほえろ
TBS 白い荒野
フジテレビ 紅白ものまね歌合戦
テレビ朝日 新日本プロレス
土曜8時の裏番組は超強力。
金曜8時は裏番組が貧弱すぎた。ー>これかなり重要
実質、太陽にほえろ1局しか敵がいなかった。
白い荒野ってなんだよwww 結局日テレから離れられない馬場の無能さが全日の敗因ということだな 当時はテレビ以外に「一般層」がプロレスを目にする事は
皆無の時代。テレビが即観客動員に直結する時代。
新聞はテレビ欄以外にプロレスの文字は載らない。
外に出ても。一般層は書店でもプロレス誌は目に入らない。
全ては裏番組なんだよ。
証拠はこれだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
金曜8時に終止符を打ったのは“たけし城
Number誌
日本テレビ主導で全日本プロレスを旗揚げ(72年10月)した馬場は、
放送局こそ同じだが「土曜夜8時」へとお引越し。あまりに強大な敵
『8時だョ!全員集合』と視聴率を争うこととなる。
視聴率戦争でプロレス中継を追い込んでいったのは、かつてTBSで中継していた
国際プロレスのエースでもあったストロング小林(当時はストロング金剛)
もレギュラー出演していた『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(TBS)だった
https://number.bunshun.jp/articles/-/854886?page=1 >>330
馬場は全日村の村長さんで終わってしまってるんだよな
それがほかの全日系レスラーの一般への認知度の低さの原因に直結してる
そうでなければ三沢が死んだときの
「タイガーマスク死去」なんて間抜けな報道にならない 新日の放送が移動しても全日は新日に勝てなかった
結局馬場の無能さが敗因 >>332
そう
馬場には時代を読む力がなかった
猪木にも力道山にも遠く及ばない プロレス中継がバラエティ・ドラマに駆逐されるまでの
86年87年までの金曜8時絶対有利の貯金で増やしたマニア層
が90年代前半まで影響し新日優位だっただけ。
90年代中盤以降はK1、総合に奪われ新日瀕死に落ち入り
猪木は全持株ユークス売却ブシロードと売り渡され
AKB、ジャニーズ組体操となり今に至る。
ブシロード社長「新日本プロレスにまにあはいらない」と断言。
5ちゃん昭和新日スレ住人は用済みとバッサリ。 90年代以降の馬場全日なんて放送時間を30分に縮小されてたな。 間違えた
×90年代以降の馬場全日なんて放送時間を30分に縮小されてたな
○ 90年代中盤以降の馬場全日なんて放送時間を30分に縮小されてたな 新日はMMAやキックにおされても全日には負けなかった 力道山亡き後馬場が日本の大エースで10年間も後塵を拝したことを
恐らくいじめられなおであろう昭和新日スレでのたまい続けるアゴオタ
そんなんだから新間に一度たりとも猪木は馬場に勝てなかったなんて言われるんだよ >>340
金曜8時なら国際だって視聴率20%取れる。
なんせ巨人戦がない(少ない)
巨人戦ホームが金曜にあったら日テレが放送義務あるから
太陽にほえろが中止になる。 >>339
永源遙「全日本の鶴田、三沢超世代軍時代の大盛況は新日タイガーマスクのブーム
の時より儲かった。上回った」 大体MMAやキックにできたことがなんで全日にはできなかったんだ
要するに全日がつまらなかっただけじゃないですかw 知名度ランキング
猪木 81.5% 馬場が足元にも及ばない王や長嶋よりも上
武田鉄矢 87.8%
石原裕次郎 71.2% 死後もランクインの超有名人
郷ひろみ 76.0% 沢田研二は圏外
萩本欽一 69.9% この人、何の芸も無いから
馬場は圏外、ガッツ石松より無名な事が確定
馬場なんかがドリフに勝てる訳無かったという事。
猪木は武田鉄矢や石原裕次郎という強力なライバルと毎週切磋琢磨した。
数字は嘘付かない。
馬場信者は息しながら嘘ばかり付く。
https://mattaridoudesyou.com/?p=11844 超世代軍全盛期に日テレがプロレスの特集番組を組んだ時に
呼ばれたゲストが藤波と前田だったのは
さすがに全日が哀れになったw
局内の評価だけはガチだった >>350
馬場は没後20年以上だからフェアじゃないな。 馬場オタが土曜八時の厳しさを語るたびに、暴れん坊将軍の善戦が光る。 板橋のバカは来るな
お前の金曜8時話はしつこい
早く死ね 永源はポジション的に星野の次席なんだけど、
テレビマッチはグレートアントニオに負けた時しかないんでないかw >>355
木戸と組んでハンセンとハンディキャップマッチとかある。 渕「全日本プロレスは入った時からサブミッションスタイルだった。ウチは馬場さんの性格もあって言わないでしょ」
渕「今だから話せる事だよな。フロリダで鶴田さんとゴッチを合わせて、スパーリングをやったんだよ」
ーゴッチとジャンボがスパー!!
渕「うん。ただな。」
ーな、なんですか?
渕「ゴッチ信者には申し訳ないけどな。。」
ーいえいえ、お願いします!
渕「一緒に練習した俺から言わせてもらうと、鶴田さんの方が強かったと思うよな。ゴッチが「ユー・ストロング」って一生懸命言ってたしな」
https://imgur.com/a/JOocNwF
https://imgur.com/a/bJ7YCux
https://imgur.com/a/wi5ylVm 金曜夜8時マン、今までも嫌みを書きに来ていたのは知っていたけど
ついに放送時間帯の話まで持ち込んできたか
こいつは昭和全日スレでも
「全日が金曜8時に放送していたなら、デストロイヤーがタイガーマスク並みのヒーローになって人気番組になった」
と主張して向こうのスレ民からもキチガイ扱いされた超問題児 そこまで書く気はなく潮時と思ってたが、
デストロイヤーの話を持ち出したのはそっちだからな。
当時全日が金曜8時で新日が土曜8時だったら
全日はお茶の間の人気者デストロイヤーで
圧勝してた。 デストロイヤー
昭和全日を知らない奴は
デストがいかに国民的にお茶の間で大人気だったか知らないのさ。
力道山亡き後の圧倒的な日プロエースで外人レスラーより
デカい208センチの我らがジャイアント馬場だ。
そして馬場に引けを取らない194センチで躍動感あふれる若大将 ジャンボ鶴田。
ジャイアント馬場 対 ザ・デストロイヤー
デストが敗れて日本陣営入り。
対アブドーラ・ザ・ブッチャー
ジャンボ鶴田 対 マスカラス
対アブドーラ・ザ・ブッチャー
何より、日本の馬場、鶴田のデカい師弟コンビが凶悪外人レスラー
ブッチャー、シークを迎え撃つ。
そしてデストロイヤーの影響は甚大だ。 ザ・デストロイヤー
リング上だけでなく、歌手の和田アキ子がMCを務める日本テレビ系『金曜10時!うわさのチャンネル‼』(1973年10月〜1979年6月)にレギュラー出演し、お茶の間の人気も獲得した。
以下引用
「『うわさのチャンネル』に出てから、さらに人気がすさまじくなってね。毎年夏になると麻布十番で『納涼祭り』があるんですが、そこでデストロイヤーが試合会場と同じようにサイン入りの覆面を売ったら、1日の売り上げが100万円くらいになったのかな。飛ぶように売れたから、デストロイヤーには『ここでこんなに売れるんだから、試合会場ではもっと売れるはずだ』とハッパをかけられましたけど(笑)」
ーーーーーーーーーーー
『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(きんようじゅうじ うわさのチャンネル)は、日本テレビ系列局で放送された日本テレビ製作のバラエティ番組。和田アキ子とタモリが最初に共演した番組でもある。製作局の日本テレビでは1973年10月5日から1979年6月29日まで、毎週金曜 22:00 - 22:54 (JST) に生放送。遅れネット局では録画放送。
初回(1973年10月5日放送分)の視聴率は4.7%だったが、和田アキ子とザ・デストロイヤー、せんだみつおらの掛け合いが人気となり、1か月も経つと20%を突破[1]。井原は後年「この番組がヒットして正直ホッとして胸をなで下ろした」と述懐している。
全盛期には視聴率30%を超える人気番組となった うわさのチャンネル デストが清水國明にドロップキックとボストンクラブかけられる!
https://youtu.be/rfWOcKYNJII
うわさのチャンネル 和田アキ子が女装下着姿のデストにハリセン!
デストが西城秀樹と徳光アナに足4の字!エアープレーンスピン!
和田アキ子、せんだみつお爆笑・大人気!
https://youtu.be/oyZ5S6URNSg
うわさのチャンネル 和田アキ子とデスト人気者!
https://youtu.be/C1utVWKfdyQ
うわさのチャンネル デストの隣が和田アキ子!
https://youtu.be/-I-Ko22Y44w
和田アキ子 デスは同志みたいな存在!
https://youtu.be/VdXBr-eMxpg 知名度ランキング
猪木 81.5% 馬場が足元にも及ばない王や長嶋よりも上
武田鉄矢 87.8%
石原裕次郎 71.2% 死後もランクインの超有名人
郷ひろみ 76.0% 沢田研二は圏外
萩本欽一 69.9% この人、何の芸も無いから
馬場は圏外、ガッツ石松より無名な事が確定
馬場なんかがドリフに勝てる訳無かったという事。
猪木は武田鉄矢や石原裕次郎という強力なライバルと毎週切磋琢磨した。
数字は嘘付かない。
馬場信者は息しながら嘘ばかり付く。
https://mattaridoudesyou.com/?p=11844 >>363
それで?いまの知名度だろ。
没後20年以上経った人と比べるのはフェアじゃないと
言ったはずだが。
こっちはあくまで当時の全日と新日のテレビ視聴曜日時間
についてを書いてるんだが。
別な争いに持ち込むのはよせよ。 >>358
板橋のタイソンを自称する障害持ち
猪木ヲタだが金曜8時マンにもなりすます
気持ち悪いから即NGにしてるわ 昭和の全日は知っててもデストロイヤーだの馬場だのが人気者だった時代なんて知らんわ >>367
だろ。新日オタはそうなんだよ。猪木1神教だからね。
井の中の蛙って事。
だが全日オタは新日も見てて両方の状況を知ってるのさ。
1神教じゃないからね。
まあマシなプオタったら全日オタの方だろうな。 補足。両派が人間としてどうかは知らん。
あくまでもプオタとしてって意味ね。 >>368
単に世代の問題だよ
馬場なんてみんな馬鹿にしてたし猪木ですらすでに下り坂だった
それでも猪木のプロレスは面白かったし馬場はつまらなかった
それだけのことだよ >>371
違う。70年代中盤を想定しなけりゃな。
まだ長髪だった頃の馬場ね。 あと俺は日プロなんて知らん世代だが
当時の青少年や大人はは日プロの大エース馬場の姿
が強烈に一般人にすら染み付いていたのは想像できる。
猪木はあくまで補佐。言っとくが日プロ時代ね。 馬場の全盛期って60年代じゃないのか?力道山と組んだ6人タッグとかの素晴らしい動きをビデオで見てしまうと、
インター王者やBI砲時代がすでに下降線に見えてしまう。リアルタイムで見ていた人は、もうみんな鬼籍だと思うけど。 猪木はあれをリアルタイムで見ていたんだから、本人が言った「当時は嫉妬と絶望感しかなかった」は凄く納得ができる。 >>374
お前は随分と平均寿命が短い国に住んでるんだなあ
せめて算数くらいできるようになってからレスして 猪木個人の強さ検証はここでやってくれ
【弟子からも笑われる】アントニオ猪木のうんと弱い話★4 【運動音痴】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1701749160/ >>374
俺も馬場の試合を実際に肉眼で見てるのは80年代以降のみの世代だけど
過去の試合映像を一通り閲覧した限りだと68年のブラジル戦辺りがピークで
翌年暮れのドリー戦の頃になると明らかに動きが遅くなってるのが解る
逆に猪木はドリー戦からなんだよね「アントニオ猪木」のファイトスタイルが確立されたのは
何のかんの言ってドリー戦〜ボック戦までの猪木が他の追随を許さないレベルにあったのは間違いない
中立を売り物にしていたビッグレスラーでさえ糖尿で欠場中の猪木を特集した記事の中で
「この10年間(1982年以前)プロレス界の『太陽』はアントニオ猪木でありジャイアント馬場は『月』であった。」
と書かざるを得ないくらいの差がリアタイ時にはあったんだよ猪木と馬場の間には まあ
馬場と猪木を同世代みたいに語る人が多いけど
年齢差5歳って大きいよ 馬場の全盛期は、1964年かもな。
この海外武者修業時代のNWA世界戦。
世界最強だったかもな。
https://youtu.be/aOnkGRSOFQs?si=RA-7QQWxCkQe_nNJ 未だにプロレスラーに対して最強とか言ってる全日ヲタのどこがまともなんだよw おれは全日ファンで、スレの反対派側に位置してるんだが
スレが荒れる方向に持っていくてるのは新日オタという皮肉(笑) おれは全日ファンでスレの反対派側に位置してるんだが
スレが荒れる方向に持っていってるのは新日オタという皮肉(笑) さっき書店で猪木本を立ち読みしてきたけど、
80年あたりから新日は外人の使い方が下手だってあった。
当時はモッサリ坂口以外に大型選手がいなかったから、
ガタイのいい外国人選手といい試合ができる選手がいなかったせいだろうか。 ガタイのいい外国人選手といい試合が出来ないと言えば長州だろ。
猪木、藤波はあしらうことが出来るから
ガタイのいい外国人選手といい試合が出来る。
ロードウォリアーズなんかと藤波がやったら面白かったと思う(ホークとはヘルレイザーズ時代にやったが)。
藤波ってむしろフレアーとか体格の大きくない選手と凄い試合が出来ないんじゃないか? 80年あたりだと藤波はまだジュニアだからね。
受けのうまい藤波はガンガンくる外国人を光らせていい試合にはなるが、
逆に言うとあの体格で外人に正面から勝つ姿は説得力がなかった。 ガタイのいい外人に、大きい馬場や鶴田が良い試合やってたら
人気も出てたろうし、長州にわざわざ助けてもらわなくてもゴールデン復帰できただろうに。
結局屁理屈こねても全日は切符が売れなくて、テレビの視聴率もあがらなかった事実はどうしようもない。 猪木の糖尿病が悪化して、医者から引退勧告をされたのが1982年。
猪木がダメになってしまうと他は
プロレスが下手くそな坂口
外国人レスラー相手にまともな試合が作れない長州
上手いけれど小さくて大きい外国人相手に勝つのは説得力がない藤波
だからね。 新日本ならラッシャーや前田でも十分プロレスになるからな
全日は世界チャンピオン集めても大して話題にならないが 82年ならタイガーマスクが猪木並みに人気あったし
ホーガンを日本側にするという奇策が成功した
他ベビーでもヒールでも使えるカーン戸口がいて
海外組含めると前田、平田、ジョージ、谷津、高田、山崎、俊二と若手の陣容が厚いのでやりくりはできたと思う 当時って藤波の逆さ抑え込みによる勝利見て萎える人ってあんまり居なかったの? 普通のファンは逆さ押さえ込みで勝っても喜んでたでしょ >>395
物足りなく感じてた。
上で書いた「藤波ってむしろフレアーとか体格の大きくない選手と凄い試合が出来ないんじゃないか?」ってのは、そういう意味もある。藤波本人が凄味・迫力を見せる選手じゃなかったために、相手もそういうタイプだと凄い試合にならない。 >>395
>>396
オールスター戦は逆さ抑え込みで最高の盛り上がりを見せた。テレビ中継ないから、あれは現地にいた人しかわからないよな。 オールスター戦の逆さ押さえ込みって猪木の?
猪木の返し技や丸め込みでの勝ちは良かった。
藤波と違って延髄斬りや卍固めでのまともな勝ち方がある上でのアクセントとしてのクイックだったから。 藤波が大型外人相手にドラゴンスープレックスやるわけにはいかないよ
ジャーマンですらスーパースター以外は絶対嫌がる 藤波はヘビー級で必殺技を開発出来なかったのが結局は物足りなかった。
ドラゴンスリーパーで勝つのは二級線相手の時だけという感じだったし
(天龍のテキサスクローバーホールドみたい)。 >>401
それは藤波ファンのおれですら認めざるを得ない ドラゴンスリーパーは一応マシンや蝶野に勝ってるからそこまで扱い悪くない 今日アップされた記事
やはり谷津優勢との見方が多い
ジャンボ鶴田、長州力、谷津嘉章...最強だったのは?アマチュア時代のライバルが語る
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/77853 >>403
マシンや蝶野相手にドラゴンスリーパーで勝っても必殺技としての格には特に影響しないよね…むしろ観客萎えたのでは? 藤波、ヘビーに転向してからはキッドとかジュニアの選手にはアルゼンチンバックブリーカーで勝ってたりしてたな。 >>405
ウルティモもドラゴンスリーパーがフィニッシュとか興味半減。みんな空中殺法期待してるんだから。ケガだから仕方ないが。 >>406
キッドやレーンにアルゼンチンバックブリーカーで勝ったのはWWFジュニアタイトルマッチ ストロングスタイル(笑)という呪縛がなければ
藤波はフライングボディアタックなんかをフィニッシュでよかった 売り出し中のベイダーから初めてピンフォールを奪ったのが藤波
逆さ押さえ込みだけど。
飛龍革命と同時にベイダーの価値も維持できるから便利よね。 >>410
ここぞの一番でクイックで勝つなら上手さが際立つんだろうけど、年がら年中そのスタイルだと玄人好みみたいな感じになっちゃってヘビー級のスターとしては厳しいよねぇ… >>403
蝶野にドラゴンスリーパーで勝ったのってデビュー30周年記念みたいな時だよね?
その時の蝶野ってまだ第一回G1の前で三銃士の中で明らかに一番格下だったから。
その後その年の11月に足取りドラゴンスリーパーみたいなので再び勝つけど。 猪木が藤波を後継者として考えた事は無いというのは正しかったという事か 当時の感覚なら猪木の後継者は前田だよ
今なら不器用すぎて失格だが >>405
武道館で蝶野に勝った時はドラゴンスリーパーからの変則技で勝って
めちゃくちゃ盛り上がったよ
ああいった味のあるプロレスを
単調で大味な展開が好きな
80年代以降のファンが普段は求めなくなったというのもある 藤波の必殺技は何かって言われてドラゴンスープレックスとは言い難かったな。
毎回のように逆さ抑え込みばかりやってた気がするわ。
84年でもアドニス、シュルツ、バレンタインにそれだぞ。 逆に何やればよかったかと考えても
受ける側の事を考えれば藤波に合う技ってないんだよな
当時ブレイクした選手は大概ラリアットだし 首固めと逆さ押さえ込みの2強だな
他は回転エビ固め、グラウンドコブラ、ブレーンバスターやバックドロップを反転して体を浴びせるとか >>417
考えられるのはHBKのトラースキックみたいなやつかね。 83年にはサソリ固めから弓矢固めに移行する技をやっていたな。
キムケンのトライアングルスコーピオン同様ネタ技に終わったが。 グラン浜田の高角度前方回転エビ固めとかも鮮やかだったな
。ウラカンラナも、後のフランケンシュタイナーの原型みたいな技だし。 >>394
今日がカーン戸口を相手の猪木ホーガンの優勝日 藤波はジャパニーズレッグロールクラッチとかもよくやってた印象 >>423
相手にリフトアップしてもらって高く跳ね上がってからというのはユニバ時代から?
なんにせよワグナーJrとのそれは絶品だったなあ >>426
脚折り式後方回転エビ固めだよね。昭和の技の名称は凄かった。小鹿とかのコブラツイストは共通名称アバラ折りだし。 >>426
噛ませ犬以前の長州とのシングルは
すべて回転足折り固めで藤波が勝ってるはず >>401
武藤がドラスク→足4の字固めの必勝パターンを編み出したけど、藤波が先に思い付かなかったのは残念だったな。 高田はUインターで猪木の劣化コピーというか猪木のエピゴーネンを嬉々としてやってたのに
対武藤戦ではS小林の役割だったな。 >>411
藤原や木戸のようなシューターでもないし
ようわからんレスラーだな藤波は 藤波の雪崩式ブレーンバスターはミスター高橋の介助なしではほぼ無理だったしな。
キラーカーンとの広島だったか試合は見応えあったけど、ブレーンバスター出来なかったな、別に相手が非協力的という訳でもなかっただろうけどその程度のレスラーだったな。 >>433
国際関係者から悪く言われた小林と違うのは
高田は、経営危機の団体の為に負けブックを飲んだことだな。
小林は沈没前の団体から一人だけ救命ボートで脱出したようなもん。 国際のIWA世界タッグに小林永源てのもなあ。
むちゃくちゃ失礼だな。 >>430
藤波のジャパニーズレッグロールは後方回転しない
うつ伏せの相手を横にひっくり返してブリッジする
後方回転式はローリングバッククラッチと呼ぶらしい
フィニッシュの形は同じ >>436
武藤が猪木って感じでもないしね。武藤と高田は短期間とはいえ新日本で一緒だったし、10.9時点での二人の格はほぼ同格だし、明らかに小林が挑戦者だった、猪木、小林戦とは二人の関係性がかなり違うのでは。 >>421
トライアングルスコーピオンはネタ技ではなく、危険すぎて封印 藤波はミサイルキックをフィニッシュホールドにできたはず ジュニア時代なら上限のある枠組み内で好きなようにトペや飛龍原爆とか代名詞的なものは表現できたが
ヘビー(無差別)となると今度は体格ゆえのハンデが浮き彫りになる。
新日系外人もエース級が当時だとアンドレ、ホーガン、ブッチャー、マードック、マスクドと重量級が多く
マーテルやスティンボートのような存在がほしかった。 ジュニアの体型のままで打撃を練習して、ホッジプラスオコーナー的なのを目指せば良かったと思う。猪木の後継者は前田に譲ってね >>442
でもヘビー級での藤波と、余り体格が違わない外人レスラーの試合って余り名勝負が思いつかないんだよな。フレアー戦とかジェリーローラー戦とかつまらなかった。 藤波の名勝負相手なら剛竜馬が一番体型がちかいかなあ >>445
日本人相手ならあるんだよ。
でも大型でない外人レスラー相手では思いつかない。
歴代NWA王者(WCWは除く、フレアーまで)も余り大きくないんだけどね。
190cm以上は馬場とキニスキーだけとも聞いた。 バッドニュースアレン辺りを藤波のライバルにすればどうだっただろう? 藤波と大差ない体型の外人自体が希少で経験不足か、単に割合の問題か アレンはレスラーとしての完成度は高いが、アレンの試合そのものは地味なので魅力を感じる事はなかったのが惜しい バドアはぁプロレのセンスはぁかなりぃ高かったかんな。
シンニプロがぁー本気で売り出したらぁタジェシ、スタハ級んなれたぞぇ。
二番手のポジショがぁー長すぎてもぉたっちゅうにぃ。
バドアにゃあサイキョの二番手っちゅう称号もらあってた位だしぃ。 アレンは試合が絶望的につまらん。中途半端なラフと反則が小物感を増す。柔道殺法で秒殺オンパレードぐらいやらせていればなぁ >>428
オートンにサソリで勝ったのは脱退した長州に対する嫌がらせ感満載だなw
藤波と体格がほぼ同じってジュニア選手ばかりじゃん。
ブレッドハートのほうが藤波より大きいだろ。 ジュニア時代の藤波は、ジョニーパワーズやアレンにもフォール勝ちしとるね、勿論長州にも。
ジュニアはヘビーからフォール勝ちしてはいけない不文律は、佐山タイガー以降か。 >>456
元々はオートンとやるはずだったのが最初だっただけに皮肉だな
復帰したならアドニスとのタッグでリーグ戦にも出て欲しかった >>456
ブレッドハート、フレアー、ジェリーローラー辺りは「体格が大差ない選手」だろ?
バックランドは「やや大きい」だけど。 >>446
ケリー・フォン・エリックとドリー・ファンク・ジュニアは
プロフィールでは190以上ありますよ 82年サマーファイトシリーズでの藤波は猪木欠場の穴埋めとしてバックランド、アドニス、マードック、バレンタインとのシングルで大活躍してたな >>460
藤波はパンフで187とあるけど実際には177から180の間らしい
カナダでコブラと組みスミス&ハートと対戦した時は明らかに一番小さかった。 >>458
フィニッシュは逆さ抑え込みじゃないの?
当時の藤波がそれ以外の技でヘビー級の選手にピン勝ちするイメージがわかない
コロフにはドラゴンで勝ったことあったけど、あの時のコロフは激ヤセしてたから
体重もジュニアだったかも
>>446
ドリーは公称188のブリスコとほぼ同じだから、もう少し低そう
ケリーはガチで190以上あるだろうね >>446
NWA世界王者は、183〜188くらいのアメリカ人レスラーとしては
標準体が多いね。ハットン、オコーナー、ロジャーズ、レイス、ブリスコ、
テリー、フレアー。NWA王者は、地元の選手が「勝てるんじゃないか?」
と思わせるようなレスラーが良い。あまり大型の選手だと「勝てそうにない」という
印象を与えるからかな?だからフリッツ・フォン・エリック、ビル・ミラー、
ジョナサンはなれなかった(ならなかった)らしい。
例外190超はテーズ、キニスキー、ドリー―は微妙。
馬場はアメリカ本土で王者として防衛ロードを歩まなかったから除外ね。
>>461
ドリーは資料にもよるが、ギリギリ190かな?
それより、テーズは全盛期、余裕で190はあったと思われる 猪木の後継者じゃなくて猪木そのものに成りたかった気持ちが一番強かったのは前田なのかな
んで藤波ってどこまで本気で猪木の後継者を狙ってていつ諦めたんかなぁ >>462
最終戦のバックランド戦が蔵前での初のシングルメイン >>467
テーズの公称188って、どこかな?
WIKIとか、多くは191だし、
貼ってあるサイトの猪木、藤波と並んだ
写真だって猪木より高く見えるけれどね。
その写真は1985年,猪木対藤波戦で
レフェリーをやった時のモノだろうが
その時、テーズは69歳だよ。
そりゃ、全盛期より縮んでいるよ。
それでも猪木と大した変わらん(高い)
ということだ。 まぁビルロビンソンが180cmのわけがないからおかしいか。 >>466
猪木のコピーという点で一番徹底していたのはUインター時代の高田かな
本人がコピー従ったというより、宮戸がやらせたんだろうけど
もちろん、高田には猪木のような法螺吹きの才能がなかったから、2年くらいしかもたなかったけど
藤波はヘビー級転向の時点でもう無理だと思ったのでは?
猪木もヘビー級としては明らかに非力だけど、それに輪をかけて非力だし >>464
いちおうヘビーのコロフをドラゴンスープレックスやる必要ないのにやったのはコロフが1試合なのに1週間分のギャラを要求したからか
しかし当時は外人のギャラが1週間単位で1試合でも7試合でも同じというのは(ビッグマッチボーナスがあるとはいえ)おかしいと思わなかったのか コロフにとってみたら多少のギャラの上乗せがあっても残るのはイメージダウンしかない。
日本でこれは大きいよな。 アメリカではテレビマッチ撮り溜めに一日2、3試合することもあったから週7試合以上も珍しくなかった。 >>474
ハンセンの自伝でプロレス入り後の給料についてドリー・シニアに聞いたら
「最初のうちは300~350ドルかなあ」と言われて「そんなに安いのか?」という顔をしたら
テリーから「おい、スタン!親父が言っているのはウィーク(週)だよ!マンス(月)じゃないよ!」と
言われてみんな笑ったという話があるからね。
アメリカで週給がデフォ。日本でのギャラもそれに倣っている。 >>478
ハンセンは当時、教員をやっていたが、現実はプロレスデビュー時点で
教員より遥かに給料が高かったそうだ。 つうかハンセンが医者とか教員とか選べたってんだから
裕福な家だったんだろうな。馳浩みたいなもんか。 アメリカでは小中高の教員はステータスが低い仕事。
日本ではなんのかんの言われるけど教員は一応のステータスがある。 >>480
喧嘩三昧のバッドボーイじゃなかったんですか! >>480
テリー、マードック、マリガンなんかは実際に牧場経営していて、リングを降りてもカウボーイの臭いが
プンプンしていたけど、ハンセンはそういうのが一切なかったもんな。読書大好きな知性あふれるインテリ。
ハンセン自身も「他の人間からすれば、オレは『テキサスを捨てた男』になるだろうな」と言っていた。 >>475
コロフは、サンマルチノを破って
短期間ながらWWWF世界王者に
なったという実績で日プロで馬場の
インター、国際ではIWAタッグ王者、
新日でも、この藤波戦の2,3年前に
猪木のNWFに挑戦、カナディアンバック
ブリーカーでギブアップ寸前まで追い込んだのに
ジュニアヘビーの藤波に一方的に破れ
もう新日を初め日本でお呼びが掛からなくなった
平成の初めにひょっこと全日に来たけれどね >>475
しかもあの試合、最初藤波の相手はカネックだったのが
「敵前逃亡」(ってことになっていたが、、もちろん事実は別。
カネックの名誉にかかわることなのに、新日もテレ朝もいまだに正式には訂正してないのでは?)
で急遽差し替えられたんでしょ。しかもジュニアの選手相手に
元世界王者の自分がドラゴン食らっての負けブックとか。
特別ボーナス貰ってもまだ割り合わないわ。 わざわざコロフじゃなくてもロン・スターやカナディアン、ロベルト・ソトもいたのになぁ。 2試合目だからフォール負けを喫してしまった、であれば多少は顔が立つか。
猪木ベイダー初戦も、狙ったわけではなかろうが結果的には2試合目の猪木が敗れたんだった。 テレビで見る分には2試合目よりも乱入した上田の鉄柱攻撃で足にダメージ負った方が大きいな >>489
カネックいじめて途中帰国の原因造ったのこいつらでしょ?だったらこいつらに尻拭いさせるべきなのに
コロフにその役圧しつけるとか。元世界王者へのリスペクトのかけらもないよな カネックは英語があんまりできないからつまはじきにされることが多かったとか
せめてキャットが友達になってやればと思うがリングでの格が違いすぎて無理だったか 昭和の日本とメキシコの通貨価値はよくわからないが
カネックにとって日本遠征はいい稼ぎになったんだろうな
向こうのトップなのにシリーズ全戦参加が多かった >>493
人種差別的な理由もあったんだろうな。
中南米系は欧米で有色人種扱いで被差別階層。
クリスマルコフがブルラモスに対して差別的なことを言って大喧嘩になったり。 コロフは開幕戦カネックと組んでいたけど長州にクイックとはいえピン取られていたし、坂口がいないから北米タッグへの挑戦もないし何しにきたのやらって感じ。 昔、世界丸ごとハウマッチでシェン・カラス兄弟の日本に遠征した場合のギャラ提示があったけど週1700ドルぐらいだったと記憶している。めっちゃ安い!と思ったよ。これでもメキシコの数倍なんだろうな。 >>499
ハンセンが1980年頃の新日時代に週給3500ドルだったそうだから
そんなもんじゃね。 >>497
だからフィニッシュ(逆片エビ)前のドラゴンスクリューで
足首を思いっ切り捻られてるよな当時の観客はよく分かってなかったみたいだけど そりゃあフジナもぉやる時ゃあやるっちゅうこっちゃわぃ。
ロンスはぁジュニヘの割にゃあ長身だったかんな。
ジュニヘなのにぃアノキとあんま変わらぬ進捗っちゅうのもぉ。 マスクドスーパーがグレートマレンコ帯同しての来日もこのコロフらと一緒のシリーズだったか。で、マレンコが葉巻で猪木の目を焼く演出。
怒り心頭でマレンコをリングに上げシングル戦敢行、結果はどうだったかな、数分ほどで終わったよyな記憶
マスクドはこの時もマスク剥ぎマッチやったんだっけか(猪木は髪)、81年蔵前は久々ジャーマンで切って落とした試合なので
憶えてるんだが。 全日は裏で夫人とかのアコギなのが後年明らかになった
バックヤードのゴタゴタだが
新日は突然カード変更暴動騒ぎとか
ファン冒涜が表向きあからさまだったのによくファン続けられてたよな。 >>506
その当時のガチオタはUWFに流れてたし、新日に残ったファンも
揉め事期待して興味本位で行くような感じだったんじやんないかな。
全日は全日で、オーやオリャの悪ノリで会場荒れてたし。 >>499
HOWマッチにディナミタスが出てたのか! >>507
オーは荒れでは無い。
オリャとシャーが悪ノリ悪ふざけ。
SWS終えて超世代軍の台頭で悪ふざけは消えていった。
新日会場は折れ!折れ!物騒だったが今の新日はちゃらくて見てられないんだろうな。 >>507
新日ファンの大量離脱後も必死に応援してた人たちは熱かったけど、
さすがにジャイアントマシーンで見限ってしまった感があるね。
Uが戻ってきてからまた熱い連中も復活したけど、
たぶんギブアップまでまもないに変更してからギブアップしたんでないか。 健悟への野次が目立つようになったな。ジョバーとしてのお仕事振りを評価する人はいなくてその不甲斐無さを糾弾されていた感じで、Uが居なくなったのに健悟への野次が残ったな。 武藤が四国にはテレビ朝日が無かった発言してたが高松でのビッグマッチが多かったと思うと意外 >>510
ジャイアントマシーンの頃は、師弟対決や藤波ドラゴン炸裂の猪木越えとか新日らしい試合もあったけど
本当に見切り出したのは、海賊あたりからだった気がする。 >>512
ウザかったね
なんで新日はあれを使い続けたんだろう
外人ルートの強いコネでもあったのかな
それでもあんなんじゃなくもっといい使い方もあっただろうに
>>514
俺は山田邦子で見切ってしまったのであとのことは知らないんだけど、
結局ジャパン勢が戻ってきても何一つとしていいことはなかったんだな… >>513
よく知らないけど
瀬戸内海放送はテレ朝系じゃないの? 若松、増殖マシーン、海賊男、
あれを乗り越えたオタは凄い ジャイアントマシーンってピーターが著書でウキウキで書いてたから世間的にも当たったギミックだと思ってたけど実際はそうでもなかったん? アメリカでも大ウケよ
ttps://youtu.be/kH2vr32M_7Q?si=1r444BaYywnLEK_V 当時は受けなくても記憶に残って後々語られるのならまだマシ
本当にダメな企画は後世に語られすらしない >>504
猪木が賭けたのは髪ではなくお金だったはず。 平田がキン肉マンのままで登場してたらヒール?ベビーフェイス?
俺はキン肉マンはベビーだと思ってたからマシンがヒールで混乱したわ >>506
維新軍、はぐれ軍団の頃、観ていて一番腹が立っていたのは乱入での不透明決着だな。
それが極まったのが84年IWGPの猪木vsホーガン。
あとフェンスアウト決着。 >>523
以前紙プロで若松のインタビューでそのことを聞いていた。
インタビューアー
「キン肉マンって正義の超人ですよね?悪のマネージャーが付くのは違和感あるような。」
若松
「それはキン肉マンの企画が無くなったから、私もシフトチェンジしたんですよ。」
インタビューアー
「それじゃもしかしたら若松さんがミート君みたいな役割で登場したかもしれないんですね。」
若松
「私は臨機応変だからね。大事なのはいかにファンに受けるかですよ。」 >>524
あの乱入とラリアットは猪木の命令だったんでしょ?今になって考えたら長州可哀想だよね。イヤだなんて言えない立場だから。 >>526
もちろんそうだろう。
当時は乱入して試合をぶち壊す維新軍やはぐれ軍団を憎悪したけど、
今(というか平成になった辺りから)の認識だったら
「何やってんだ猪木、ファンを舐めとんのか!」となっただろうね。 >>528
いや、当時だって猪木が長州にやらせていた
ことは大部分の観客は気づいていただろう。
だから、怒りは長州ではなく猪木、新日に
向けられ暴動になったんだよ。 >>529
俺は小学生だったから気づいていなかった。
それにラッシャーの家に石や生卵を投げたファンもいたんでしょ? >>529
当時のファンは長州がガチでやったと思ってたよ。
蔵前での大暴動は「出てこい出てこい長州!」コールだったから。
週プロも週ゴンも長州が猪木とホーガンの凡戦に腹をを立てて、
つい感情的になって手が出てしまったかのような書き方してた。
>>526
猪木の命令だと言ってるのはミスター高橋だから信憑性がw
高橋が計画して猪木に責任擦り付けた可能性もある。 >>530
猪木vsアリを「茶番劇」と酷評したんだよね。都知事選に出馬した時は、猪木も出馬目前までいって取りやめたんだよな。 >>532
高橋発案のアイデアだったとしても、猪木が承認しないブックなんかやるわけないだろ?
>>531
ラッシャーの愛犬2頭のうち1頭は、投石でノイローゼを病んでしまい亡くなったんだよね。あれも可哀想だった。 >>532
猪木ホーガンが凡戦って事はないだろw
乱入前まではプロレス史上でもあれほど客が盛り上がってる試合はそうはないよ 結局は猪木対バックランドWWF戦でのジェット・シン役をやらされただけなんだよね >>535
「凡戦」と言っていたのは長州、ただし記事の中だけ。
「オレとマサ斉藤さんの試合に比べ、あの二人は何なんだ!」
と怒り狂ったかのような発言をしたことになっていた。 猪木自ら失神芸した時は、相手がまさか1年後にフォール勝ちも許してもらえない格に急上昇してるなんて想像できないよな。 その後のWWFでのホーガンとアンドレ対決のフリとしてのアンドレ乱入でホーガンが気を取られてる隙に猪木生還、リングアウト勝ち
…これでも暴動になるわな だからもしアンドレ(ジャイアントマシーン)vsブロディが実現したとして、
ワカマツのせいで試合が成立しないまま終了してこれも暴動に、
なんてこともありえたわけだ。 >>540
普通に両者リングアウトで終わらせられるだろ?猪木vsホーガンは、その結末の選択肢がないから困ったわけだから。 >>535
>>537
古舘アナの「長州が無法乱入テロ行為!!!」が印象深い。
新倉がフェンス越しに客につかみかかってやり合ってたな。
あの夜の飲み屋での長州の荒れ方が、それまで見たこともないくらい凄かったみたいだ。
3ヶ月後の離脱は必至の流れに。 >>542
そう考えると、長州ってシンやラッシャーみたいな度量はなかったんだよね。
悪党になるには気持ちが小さすぎた。 >>525
立ち回りは臨機応変にできたとしてもルックス的に絶対ムリだろ… >>533
出馬取りやめの見返りに佐川急便の借金をチャラにしてもらったのだから磯村様々だよな。 >>538
っていうか、あの舌だし失神芸でホーガンの格が爆上がりしちゃったのでは?
猪木自ら格の爆上げに貢献しちゃったんだから自業自得だよ >>518
日本ではウケたとしてもすべりウケに近かったと思う >>543
長州はシンやラッシャーと違って悪党じゃなかったからな。
普通にファンから支持されてたから難しい立場だったよね。 >>546
それに加えて全米侵攻開始のWWF王者になっちゃったからな。
ホーガンが猪木ですら綺麗に勝てない格のレスラーになってしまったのは
計算外だったと思う。
マシン軍は中身が平田と力抜山で稼いだ事を考えればそこまで悪くもなかったと思う
本当に酷かったのは阿部四郎をパクった高橋の悪のレフェリー化、海賊男、TPGあたり 猪木失神事件で一番謎なのがホーガンの心理なんだな。
ホーガンは明らかに知らされてなくて動揺していたし、
アクシデントで猪木が失神したと思っていた。
ああいう時ってホーガンもリングを降りていって
ストンピングとかで猪木を攻撃しているフリをして時間を稼ぎ
試合を終わらせないようにするものなのに。 >>548
在日韓国人が悪役とか
時代が違ってたらやばい案件すぎるな
人気あってよかったよ ストマ軍団はぁヒラジュンがぁー活躍しちょったかんな。
後はぁリキバのバワイにゃあ最初だけだったぞぇ。
ワカマがぁー軍団を上手く活用しちょったんはぁ良かったんよぉ。
ヒラジュンとワカマはぁカルガでぇ一緒んなっちょったしぃ。
カルガでぁ敵対関係の図式だったけどもぉ。 >>551
懐かし漫画板かどこかで
キン肉マンで韓国代表の超人が出なかったことを指して
「韓国代表の超人を悪役ややられ役にしたらやばい事になる可能性があるからな。
大阪出身のゆでたまごは在日韓国人のヤバさを知っていたのだろう。」
と主張している奴がいたが、
「キン肉マン連載時はソウル五輪よりも前で
まだまだ韓国なんて意識される国じゃなかったからだ」
と論破されてた。
ちなみにキン肉マン二世ではチヂミマンという韓国代表が出てきたが
ケビンマスクに一蹴されるやられ役だった。 >>550
いや、セコンドの様子から明らかにヤバい状態だと判断したんだろ。
ストンピングで時間稼ぎや気付けさせる発想は無理じゃね? 日テレで放送してたキン肉マンを新日が出そうとしたのは、全日が2代目タイガーマスクをデビューさせた事に対する意趣返し 作者も全日派だったしね。
しかし無断でやろうとするとは何様のつもりか。 初代タイガーが二代目で二代目タイガーが初代、これな~んだ? >>551
1970年、少年マガジンで梶原一騎・原作、矢口高雄・作画の『おとこ道』で
戦後の混乱期、在日外国人が暴動、略奪をしたという事実を描いただけで
韓国人が講談社に抗議をして、同漫画は打ち切りに追い込まれた。
https://mangapedia.com/%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%93%E9%81%93-a52141791#goog_rewarded 若松っていつ頃まで新日本にいたんだっけ。長州が戻ってからもしばらくいたような。 Xで情報が流れているな
もしかして娘さんが結婚したのは生きているうちに
間に合わそうとしたのか? >>563
だね。アニメは初代が日テレ、二代目がテレ朝だから仕方ないかな。けど、佐山タイガーには二代目の歌詞があってた。 >>564
2代目の曲のアレンジがダサすぎて閉口した
演奏は笑点とかやってる寺内タケシだよね >>565
イントロなんか「うる星やつら」とかのおちゃらけBGMかと思ったよ 木戸といえばTVマッチでヘラクレスローンホークの中途半端なカナディアンバックブリーカーでギブアップしたの覚えてる。 >>559
悲しいというか寂しいというか込み入った気分
ご冥福を祈るわ タイガーマスクが全日に移ったのは梶原一騎が猪木派から馬場派に転じたから。
梶原と揉めて決裂した後に佐山タイガーはリングネームとコスチュームを変える発表をしたが
その前に引退した。 数年前からガンを発症していたそうな
元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/3a9fe03d48e62fe3deafc1042a179113504e04f8 >>572
「列伝」でどうしてもトルコ、小鉄、木戸、藤波の4人のみのイメージがあるが
メヒコ遠征中の北沢、柴田を誘ったんだよな >>572
力道山存命時にデビューして、まだ健在なのは北沢と小鹿だけだな 第一次UWFでは一時前田より格上だったんだよな
ゴッチへの配慮だろうか? 木戸修はシューターでもファイターでもレスラーでもなくひたすらに職人ってイメージだった >>576
この流れで何故かいつも忘れられるミスター鈴木(59年デビュー) >>520
87年の年末の両国は語られる事が多いけれど、
翌年2月大阪での猪木vs長州戦は殆ど語られることがない。試合自体派真っ向にぶつかった好勝負だったのに。
仮に両国の猪木vs長州が普通にいい試合していたらその場限りで忘れ去られたかも。 >>582
長州は卍固め決められた時の体制が綺麗じゃあない。
大阪のはそこが残念。 >>582
IWGPを賭けた唯一の対戦だったな
とにかくゴールデンタイムでは最後まで負けなかった猪木 あと新日本が輩出した職人レスラーと言えばヒロ斎藤か?
全日本だと誰なんだろう、渕とか小川良成?職人感あんまないな… >>587
ハル薗田かな
あんまり活躍の場がなかったけど
武道館で阿修羅原に負けた試合は良かった
宝の持ち腐れのまま死んでしまったのが残念
SWSの時に離脱して他団体に上がってたら絶対評価が変わってたと思う 第一次UWF最初のリーグ戦はスーパータイガーでも藤原でもなく、木戸の優勝だったんだよね。
スタンディングのヒザ十字で藤原がギブアップ負けとか、意外性満載のブックで素晴らしかった。 木戸か
タッグマッチでスティーヴ・ライトと絡んだときの渋さがよかったw 大森とホーガン
日米を代表するアックスボンバーの使い手がもし戦っていたらふたりの選手生命は10年短くなっていただろうね
アックスボンバーというのはそれだけ危険な技 木戸と坂口のシングル戦、5対5勝ち抜き戦の1回だけってことはないよな。ワールドリーグ戦やプレ日本選手権があったんだから。
坂口征二氏が日本プロレス時代からの盟友・木戸修さんを追悼 「本当に真面目でマイペースな男だったね」
https://news.yahoo.co.jp/articles/086a54a3f8c0ca31160e5753a9bddc019aa3d4f0 昔、入場の時に触ったガウンを着ていない木戸、手についた香水の匂いが強烈だったのが忘れられない。 >>593
>坂口対木戸
第2〜4回ワールド・リーグ戦 (昭和50〜52年)と
第3回MSGシリーズ( 昭和55年)、プレ日本選手権 (昭和53年)で対戦している。いずれも坂口の勝ちだが。 >>593
>>595
83年9月の埼玉・吉川大会でもテレビ中継が始まる直前に組まれてた
(当然坂口の勝ち)。 ライトはハゲたことでヨーロピアンスタイルのテクニシャンらしい風貌になって良かったと思う(´・ω・`) >>594
日本人レスラーは試合時は体臭にすごく気を使うから香水使う人が多いらしいね? 具体的詳細は覚えていないが、人材不足の1989年あたりは木戸が大活躍していた、ような気がする。
翌年ドームでも、健吾と組んで対五輪コンビとあたっていたし。 >>590
本人はそういう脚光の浴び方は嫌だったと思う。 >>600
ユニバで最前列に座る機会に何度もめぐまれたが毎回コロンのにおいがすごかった記憶w 木戸は第一次U移籍がレスラーとしての格上げに大きかったね
U側も影の実力者が実際はこれだけ強いっていう売り方が丁度良い形に
U移籍といえば小杉俊二も一度は藤原の口から発表されてたけど、
実際に行ってたらどういう扱いになってたか キドオがぁー亡くなってもぉたんはぁ驚いたぞぇ。
リューゲンとぁ生年月日がぁー全く同じっちゅうにぃ。
そのリューゲンもぉかなりぃヤバそぉだしぃ。 両国の藤波、木村vs長州、木戸は観客総立ちになった名勝負 木戸の選手コールの時の古舘の「今日も髪型が決まってる」という実況はガチ >>595
第1回MSGシリーズでも敗者復活戦でやった
うちの地元でやって見に行ってたけど
フィニッシュは覚えてないなあ キドオはぁ髪をバッチシ固めちょったかんな。
固まるムースを使用しちゃったんはぁ有名だぞぇ。
髪を決めて相手の関節も極めるっちゅうにぃ。 >>593
木戸だったか会社に出できた時に高速代の領収書を出したら、坂口からそんなもの下走っても間に合う様に早めに出てくれば良いだろうとか言って請求を却下された話。前田から図体デカいくせに細かいことをケチケチしやがってとか言われていたのは坂口をディスる為のネタか。 >>598
ボックとあと誰?
ロコは亡くなる数年前の写真見てもフサフサ >>604
格上げがなかったら藤原共々、
テレビマッチでお茶の間に露出する
機会なかったろうな。 木戸は新日とUWFのイリ三ネーションマッチで最後に仕留められる役だったけど
スリーパーで決められた高田の方がインパクトあった気がする
猪木もどうせなら、最後は木戸に卍固めで終わらせて欲しかった ストロング小林展が今日から始まった
パワーズがNWF世界ヘビー級王座に続いてすぐにNWF北米ヘビー級王座も買わないか打診があった。ちょうど小林が猪木に負けて米国武者修行に出てた頃、小林の猪木への再挑戦の箔付けの為、小林に北米ヘビー王座を奪取させて猪木の世界ヘビー対小林の北米ヘビーのNWF王座統一戦で再戦の企画案も出たけど、猪木が小林に金使う必要無いって言って無くなったらしい >>613
タイガーのタッグパートナーとして時々は映っていたよ「このおっさんもなかなかやるな」なんて生意気にもw
星野勘太郎も同様に好印象だったな それだけに星野がせっかくタイトルマッチにまで出たのにソントンのカナディアンごときに敗れてしまったのはまことに残念だった
カナディアンといえば木戸もあの伝説の外国人のTVマッチで… 星野が勝負をかけたコーナーポスト最上段からのヒップドロップ
それをソントンにあっさりかわされる瞬間が、当時の月プロに載ってたな >>613
やられ役として結構テレビマッチに出ていた。
猪木・坂口・木戸vs革命軍や維新軍だと大抵木戸がフォール取られていた。「木戸の奴、足を引っ張りやがって」とイライラしていたな。
あと伝説のヘラクレスローンホーク戦も83年に有った。 WWFと提携が切れたところで外人レスラーに頼らず、日本人同士の闘いで盛り上げる。
もう新日のお家芸だな。藤原、木戸、木村健、星野なんて80年代前半、昭和50年代半ばまで
中堅か前座、リーグ戦も予選敗退、ワープロ放送でも出たり出なかったりの扱いだったのに
UWF関連ですっかりメーンイベンターw >>614
高田が猪木の延髄斬り2連発くったのに
ダメージなかったからな >>619
解説では無理やりフォローしようとしていた小鉄もあまりの不甲斐なさに後でくらわしたんだっけ
外人レスラーはいちおう対等なビジネスの相手だと思うんだけど… キド・クラッチ自体は現代では試合で滅多にお目にかかれなくなった技だが
変形技なら女子プロレスの方でフィニッシャーとして使う奴がいる
キド・クラッチをヒントにしたのかどうかは知らんけど >>622
ローンホークは寺西と組んで中堅勢コンビと対戦しフルボッコされたんだよね。
あまりのしょっぱさに寺西も激怒して助けに行かなかったとかw 長州と健介は木戸とプライベートで合わなかった
特に健介は木戸の潔癖症にイライラしまくってた 木戸を応援する「木戸おやじ」がいた。
漫画家のバトルロイヤル風間。
彼が出たからこそ、後の「百田男」や
「雅央女」が続いたんだな。 ヘラクレスローンホークも名前だけは
記憶してたから、数十年ぶりにググってみたけど
画像見ても全然記憶に残ってないんだよな。
それくらいインパクトの薄い員数レスラーだった
んだろうけどw >>631
髙田vs越中のタイトル戦と、セミのタッグ選手権は盛り上がったが、メインの猪木vsウィリアムスはつまらなかったな。 ローンホークは相当期待されて来日したんだが
開幕戦で下手な試合してから中堅勢とばかり対戦し
最後はボコボコにされて試合放棄したんだった
維新軍真っ最中というのも外人軽視につながっていたが
ローンホークはそれ以前の問題w >>631
木戸がキドクラッチを初公開し
IWGPタッグを奪取した試合だね。
あの時、本当は前田と藤原組が
挑戦するはずだったんだが、
藤原が怪我で欠場して、
木戸が代打出場と記憶している。
前田&藤原なら藤波&健吾を
破っても、全然違和感がなかった。
本来はそういうストーリーだったんだろう。
そしたら、もう木戸がスポットライトを
浴びる機会はなかったんだがね。 マードックとアレンをタッグ組ませて相手が健悟と藤原って試合中に仲間割れしてもおかしく無い そういや健吾だが、藤原のテロの後「嫉妬を感じる。オレがやるべきだった」と雑誌のインタビューで言ってたが、
あれは本音だったのかもしれない。
藤原は実際にあれのおかげでメインイベンターになり注目されたから。
健吾は前田が抜けたためランクは一つ上がったけど内容は相変わらずだったからね。 前田・木戸組というのは、年末タッグリーグのチーム編成をファン投票で決めたときに、
猪木・藤原組が1位になってしまったので、前田・藤原組が消滅、高田山崎というジュニアはあれだからってことで、
結局、UWFからは前田と木戸が組むしかなくなったというのが最初だったと記憶してる。 決勝進出のマードック&スーパースター戦なんか見ると前田も結構プロレスが上手いと思う ローンホークて来日前のプロモ写真じゃアフロの黒人だった気がするけど来日したらスキンヘッドだったよね。 当時ケロの連載か何かで、完全なネタ扱いでボロクソ書かれてたの思い出すローンホーク >>637
前田、木戸組はIWGPタッグ王者、猪木、藤原組はIWGPタッグリーグ優勝
高田はジュニア王者。
見返すとUWF勢ってけっこう厚遇なんだよな。
藤原なんて1982年頃は前座レスラーだったのが猪木と組んでタッグリーグ優勝だもの。 >>640
レスラーのおもしろエピソードを披露するのはいいが、書き方に問題があるんだな。 >>643
藤原、山崎組もタッグチャンピオンになってた tiktok liteでPayPayやAmazon券などに交換可能な4000円分のポイントをプレゼント中!
※既存tiktokユーザーの方はtiktokからログアウトしてアンインストールすれば可能性あり
1.SIMの入ったスマホかタブレットを準備。
2.以下のtiktok liteのサイトからアプリをダウンロード(ダウンロードだけでまだ起動しない)
https://lite.tiktok.com/t/ZSNfG1ddq/
3.ダウンロード完了後、もう一度上記アドレスのリンクからアプリへ。
4.アプリ内でtiktokで使用してない電話番号かメールアドレスから登録
5.10日間連続のチェックイン(←重要!)で合計で4000円分のポイントゲット
ポイントはPayPayやAmazon券に交換できます!
家族・友人に紹介したり、通常タスクをこなせば更にポイントを追加でゲットできます。 UWF以前に、新日は国際軍団を別として敵対勢力優遇が顕著だったよ。
とくに維新。逆にキムケンや正規軍時代の前田の扱いの悪さときたら。 5対5勝ち抜き戦 もし藤波と木村の順が逆だったら
△木村 − 小林△
●高田 − 寺西○
○藤波 − 寺西●
○藤波 − 谷津●
■藤波 − 浜口□
△藤原 − 浜口△
やっぱり実際の順に比べると盛り上がりに欠けるな。 >>647
健吾みたいなヤラレキャラがいるからいいんだよ。対維新軍の勝ち抜きでは2人抜きした谷津に勝っただけ、
対UWFのイリミネーションでは前田のニールキック一発で場外まで転落。勝ち抜きでは藤原の脇固めに
あっさりギブアップ。冴えない負け役がいるからこそ、対抗戦は盛り上がる。 >>647
やはり先鋒の藤波が何人抜けるかというのが最高の掴みだったからな >>637
え?前田&木戸組が実現したのは86年の8月5日、
やはり、当初、前田と組み予定だった藤原が
負傷、欠場のため木戸が代打だったと
「日本プロレス全史」にも明記されている(P391)、
その年末に行われた「86ジャパンカップ争奪タッグリーグ」
の組み合わせは、その後だろ?
ちなみに、その前年85年のIWGPタッグリーグ
にはUWF軍団は参加していない。 キムケンと木戸が昭和新日正規軍きってのやられ役だったけど、
その二人のコンビが90年2月10日のドームで五輪コンビの相手だったんだなw キムケンもマーシャルアーツ修行で
格上げのプッシュあったけどチャンス
生かせなかったな >>652
藤波が欠場してなかったら木戸じゃなかったろうし鶴田に脇固めを決める名場面も無かった そもそもキムケンは大量離脱のお陰で第三の男に格上げされて、初代IWGPタッグ王者にもなった。 タイガーマスク相手でもそこそこできる寺西がヘビー級相手だとコブラツイストなんかでギブしちゃうのかと少々疑問だった >>648
対UWFイリミネーションの時は
試合全体の最初のフォールを取る役をもらえたんだから
まあよかったんじゃないかと思う >>650
健吾が勝った対維新軍の谷津戦も、対UWFの木戸戦も、相手は3戦目。 >>659
失礼。一戦後の敗北は本人の方だった
それにしても何で後者は外様の越中なんか入れたんだ 健悟ってプロレスの歴史においては「ジョバー」って評価になるのかな
藤波の好敵手ってポジションは長州だろうし 鶴田も対戦したジョニーロッズなんかはむしろ名接待役って感じ >>661
長州も結局は藤波を乗り越えて猪木に迫った感じだからな
対等の好敵手とは違いそう 健吾は主役にはなれないが
新日が苦境の時期に
いろんな場面で穴埋めをしてくれた名わき役だと思う >>665
ジャパンに誘われもしてないし、抜けてもさほど寂しくもなかったろうが
大量離脱の時期にキムケンが残ってくれた事は忘れない。 藤原の脇固めにタップしてなかったか?
藤原が正規軍相手に勝てる選手の上限が
木村だったんだろうな。 >>668
87年の新旧世代闘争イリ三ネーションでも
健吾は藤原に負けてるな
この時は膝十字固めでのフィニッシュか 藤波VS藤原だと脇固めをかけられそうになったところで藤波が丸め込んでフォール
みたいな印象 >>662
トレーナーとしてもいいみたいだしね。
自身のスクールから渋い面々が巣立ってる。 >>664
藤波にインタージュニアを防衛したのが一番のピークかな 個人的には猪木と武藤のタッグマッチで
流血した武藤を殴りまくる猪木に素で激怒して
猪木を困らせていた時が健吾のピークだった 藤原は藤波だと真面目に試合するけどキムケンは挑発したりおちょくる感じ >>661
体型が猪木に似てるとか、長州離脱後の藤波のライバルとか、
ちょいちょいもてはやされることがあったから、ハングリーになりきれなかったというところがあると思う。
平成維新軍が最後のチャンスだったけど、「もうそこそこ貯金もあるし、ムキにならなくてもいいやん」という甘い声があったのか、
いまひとつ弾ける気にはなれなかったように見えた。 87年の健吾は長州にフォール勝ちしてるね、タッグだけど。 俺が健吾にはじめてアレッ?て思ったのは、
UWF代表になった藤原の猪木戦の後の乱闘で、前田に凄まれて腰砕けになったとき。
その後のイリミネーションで、馬之助は堂々と蹴られた後で「全然効いてない」ポーズをとってたのに、あのときの健吾は蹴られる前に逃げてた。
そのへんが、正社員と派遣のハングリーさの違い。 >>651
UWFは85年のタッグリーグ戦で猪木坂口vs藤波木村の時にやってきて、
リターンの挨拶した後にU五人と新日四天王が握手を交わすのが唯一の登場だったね。 >>680
この両国での対戦は商品化されてないんだよな
セミのブロディ組とマードック組の対戦だけで >>676
勝ちブックでそういう態度とる藤原は性格悪いな。 ソップ型の藤原だが、あるイベントにスーツ姿でゲスト出演したときは縦横大きくて「さすがプロレスラー!」と驚かされたな。 藤原とキラー・カーンの対談(2020年)より引用
カーン「俺は木村健吾とは合わなかった あいつは要領がいいから(他の連中にも)好かれてなかった」
藤原「要領がいいって周りにバレる奴は、結局要領が悪いんだよな」 >>679
同じ正社員でも藤波は前田のキックを正面から受けてタフさを見せつけていた。
俺はあれで藤波と木村健悟には差があるという事を感じた。 Uのリターンと厚遇扱いにキムケンは反対の立場だったから前田もきれ気味だったし
相当ガチでやってたと思うよ
キムケンの気持ちもわかるけどね
さらにキムケンより前田の蹴りにビビッてたのが長州だったな メスカブト体形の長州は大相撲出身らしくないキムケンの体の線をうらやましがってたな >>688
木村健悟は1985年にIWGPタッグリーグ優勝まで出来たからね。
UWFが戻れば手が合わない藤原や前田が戻ってくるし
自分のランクも落ちるからそりゃ反対するわな >>691
どうかな?前田は星野と大喧嘩してるみたいだし。 マエアはぁ先祖がぁーキタチョーらしいかんな。
チョリキはぁミナチョーのカンコだぞぇ。
他にゃあキムケン、カンタ、コバクニ、カネモ、テンザ、タカイとかはぁわからんけどぉ。 「UWFのキックは反則だという声が新日の一部選手から出ている」みたいな記事を読むと、どうせ坂口かキムケンがいってんだろって勝手に思ってたもんだ >>693
芸能人でも仲が悪い人達がいるそうだし、相撲のモンゴル互助会のようにはならないようで モンゴル人力士でも
白鵬と照ノ富士は悪かったし。
(照ノ富士が白鵬を嫌っていた)
同じ山口県出身者でも長州は
ターザン山本を毛嫌いしていたしね。 >>690
86年のタッグは、なんでチャンピオンコンビの藤波木村が出なかったんだろうな。
武藤が登場したのは早すぎた感があったし、ジョージも待遇が中途半端。 >同じ山口県出身者でも長州は
>ターザン山本を毛嫌いしていたしね。
さすがにそれはくくる単位が小さすぎる >>697
モンゴル人同士でも〜って話になれば、同じ日本人同士でも仲のいい悪いはいくらでもあるよなw
そもそもモンゴル互助っていうけど、日本人で最強の稀勢の里が白鵬どころか日馬富士にすら歯が立たないんでは、
互助するしない以前の問題だ。 長州とターザンはある時期までは仲悪く無かったよね。
長州の名言もいくつか引き出してるし。 この当時ヤフーなんてなかったから
ターザンが嫌いでも情報得るため、
仕方なく週プロ買ってたな。 UWFが戻ってきた1月のシリーズでは木村、星野対藤原、木戸の超地味なカードでも注目のカードの扱い受けてたね 仮に昭和期の海外レスラーが亡くなった場合、日本の地上波ニュース番組で報じられるレベルってブッチャー級が限界かね?
ホーガンやハンセンは報じられると思うけどシンやマスカラスやフレアーはギリギリ報じられなさそう…デストロイヤーは報じられてたよね? >>698
80年も北米タッグ王者の坂口長州では出ていない >>706
タジェシはぁ震災支援とかぁジャパニに貢献しちょるかんな。
スタハ、ハルホー、タジェシ、アブチャ、ミルマ辺りだろぉなぁ。
テリファん時はぁ意外にもぉ世間的にゃあ報道がぁー弱かったけどもぉ。 >>706
シンは何年か前に震災復興絡みでお国から表彰されてたから
可能性はあるかも >>709
あーなるほど、そういう線もあるか
みんな長生きして欲しいけど現実的に80超えたらいつ逝くかわからんよなぁ >>707
あのメンバーで坂口&長州組が優勝争いしたら変だもんね。出すわけにいかないよな。 第一回のメンバーで坂口長州が出ても、
よくててシン上田と五分五分くらいだから、
順位的には坂口小林とさほど変わらなかったのでは。
Uリターン後は藤原木戸に対して星野荒川ってのもあった気がする。
荒川は本気出せば強いはずっていうファンの希望的観測があったな。
だからコブラ相手にタイトルマッチの相手に抜擢された。 >>714
だから坂口&小林組にしたんだろ?現王者組が出て、あんな順位だったらベルトって何の価値がある?ってことになっちゃう。 荒川がファーマーボーイ・イポにフォール勝ちしてる試合あったけどフィニッシュ何だったんだろう >>703
同意。ターザンもターザンで、もっと試合内容を書けと言われるが私は私を書く、てな試合レポート書いてたけど、そのうち試合詳細なんてのがページの隅に載ってた。巻頭記事とかザッツレスラーとかはいつの間にか読まなくなってたなぁ。
ってけっこう、いやめっちゃ読んでたわ週プロ。 >>705
新日正規軍の底上げになってたよね。
越中、武藤、山田。何気に坂口とか星野とかもだし、以外と以外で馬之助。キムケンもだよ。 >>698
83年が藤波・前田だったから
当時の武藤が早すぎるということはないだろ。
格的には83年の前田=86年の武藤だったし。 >>654
ボディブロー連打をよく見せてて、実況の古舘さんも「ベニーユキーデ仕込みマーシャルアーツ、パンチだパンチだー」って盛り上げてたけど会場の「反則だろー」って声も中継に乗ってた。
らしくていいぜ。 >>721
草生える
まあ5カウント以内なら多少はね? >>702
長州が全日すっぽかして伊香保温泉で雲隠れしていた事を情報仕入れた市瀬(週プロ)と金沢(当時はファイト)が手分けして探していたら、金沢は長州を見つけたが長州から見逃してくれたら埋め合わせに独占インタビューに応じると取引に応じてから。 >>720
武藤は前田よりも短期間で藤波と互角。
前田はデビューから長かったし格もそんなに上ではなかった。 さらに言えば高野俊二に至ってはキムケンより下だったし >>698
1987年、新年早々1.3と1.4後楽園で藤波と健吾の
ケンカマッチがあったよね。さらに1.14は二人だけの
ワンマッチ興行もあった。
よく覚えていないが、前年86年の秋頃から
二人の間に不調和音が響いていたというアングルはなかったっけ?
だから組ませなかったのでは?
それもなしに、唐突に明けて正月に遺恨マッチをしたのも不自然。 87年3月頃にやったIWGPタッグリーグ戦で武藤・越中組が優勝したけど、当時二人はどっちが格上だったのかな?入場テーマ曲やコールされる順番はどうだったっけ? >>727
86年にすでにやってる
闘魂シリーズ後楽園の予定は藤波負傷で猪木&ケビンvs木村&武藤に変更
改めてJCタッグリーグの大阪城ホールでやったが全く話題にもならない凡戦 >>728
入場テーマ曲もコールされる順番も武藤が格上扱いだった
映画撮影から復帰したら高田より格下扱いになって違和感あった >>730
そうだったんだ。
越中も当時IWGPジュニア王者で高田との熱戦が名勝負数え唄みたいになっていて輝いていたけど、ジュニアは格下という図式なのかな。 >>729
そうだよね。
藤波&健吾組は9月23日に
前田&木戸組からIWGPタッグを
奪還して、すぐに健吾が藤波に
噛みついたんだっけ?
結局、この王者チームは防衛戦を
せずに返上したな。 海野と成田が唐津で仲間割れしたけと、ウィリアムスとバーバリアンが仲間割れしたのも、唐津だった >>717
昭和期にネットがあったら
新日のトラブルの数々
大炎上案件多かったろうなw >>732
木村健悟が藤波に挑戦表明してジェットセンターに通ったんだけど
すぐに有耶無耶になってしまいましたね。
あの頃は迷走していた。 >>736
長州達が戻って来る事になったから色々面倒になったんじゃない?w >>727
ミス高橋本でこの時期に会社を挙げて健吾を売り出すアングルを組んだからと書いてあった >>729 猪木&ケビンvs木村&武藤
この試合もなんであーなったのか武藤と健吾に訊きたい
いわゆる時間が余ったからというのはプロレスとしてありえないわけで
(怪我でいきなり終わらせたとかじゃないし)
ブックにしても健吾は知らされてなかったのか?とか
猪木が健吾に(頼むから邪魔しないでくれ)と手でやったのは
らしくないというか素になっちゃったのか?とか 長州噛ませ犬の二匹目のどじょうアングル
仕掛けたんだろうけど、もらったチャンス
生かせなかったな。 というかすでにそのての抗争は飽きられてたんでしょ
UWFのほうに相当数のファンが流れてしまっていたのもある >>742
スーパーストロングマシーンがいるから三匹目くらいになってる 相手が藤波だからこそ、名勝負になるんだよな。長州も健吾もさらに剛とかも、藤波以外の相手だと光れない。 受けるってよりきっちりやられてくれるんだよな、藤波 藤波は腰を痛めてからは日本のリック・フレアーみたいになるのが1番良かったのかね?
本人がああいう路線は嫌がるかもしれんけど… >>701
遅レスでスマンが長州はその時々の立場や気分次第で態度がコロコロ変わるけど
それが特に顕著な形で表れていたのがターザンへの振舞い
杉山だったか宍倉だったかが単発物のムックで皮肉交じりに語っていた逸話に由ると
噛ませ犬発言以前は同じ山口出身だからと長州の方からターザンに色々と相談事を持ち込んでたとか
長州のプロレスアルバムが発刊された時なんか
「ありがとうございます。やっとここまで来ました。」
と担当だったターザンに平身低頭しまくってたというし
>>740
その試合後に行われたトークショーでの猪木の発言がファイトに載ってたね
「(どうしてああ云う試合になったのか)武藤には伝わった様です。(試合後控室に来て抗議した)木村は解っていない。」
とこの頃から良くも悪くも目立ち始めた禅問答的な言い回しだったけど
この前の週の同じファイトでは猪木に抗議する健悟の様子を見ていた荒川が
「俺には(健悟の気持ちが)分かるんだよ」
とこちらも色々な意味で荒川らしいコメントを遺していた 猪木も藤波も長州も前田らUWF勢もみんなプロレスをやっていたのに
木村健吾一人がガチでやっていたということなんだろ。 荒川は人が仲違いするのを見るのが好きなの?
カブキ自伝でも、みんなまとまるのとは逆方向に谷津をけしかけたと書いてあったし。
若い橋本をけしかけて出戻りジャパン軍に当らせた話もあった。 猪木が武藤じゃなく間違えて健吾に鉄拳制裁したら本気で殴り返してきたのかな 北尾けしかけた例のテンタ戦とか、この手の話に荒川出てくるね 北尾はUFC9で
前日に大会がベアナックル禁止ルールになったから
真面目にルール守ったのに相手がやったもん勝ちアメリカ人で
鼻にフック連打して流血レフェリーストップ負け。
本当は反則勝ちだった。
誤解されて日本で報道されて実に惜しかった。 結局皆、長州含めて
北尾が怖くてシングルできなかった。 >>753
橋本VSヒロ斎藤で橋本をけしかけたのが荒川
北尾VSテンタで「カブキが横綱を潰そうとしていますよ」と吹き込んだのが荒川
と言われている。 荒川はなぜ嫌われなかったのか。
陰口魔王のような性悪な面がある一方、
ジョギングルートを調整して長嶋茂雄と懇意になるほどのマメな面もあり、
新日と全日がいがみあってた時代に日テレゴールデンのドラマに出演できたりする運もある。
かなり特異な人だと思う。 荒川はUWFリターンの時も健吾とともに反対派だった
大量離脱で苦しい時期に支えたのは自分たちだという思いがあって
なのに出戻りが優遇されるのはおかしいって感情があったんだろうね
ちなみに小杉と山田がリング上で越中相手に激しくやってたけど
試合の勝敗はともかく喧嘩腰だったのはガチ
外様のくせに何でいいポジション貰ってんだって反発したそうだ >>758
マサや谷津が監獄固めを使い始めたころ、都庁固めという技を開発し
「監獄は誰でもはいれるけど、都庁は勉強できなきゃ入れない」と訳の分からないアピールをしていた
自分はほかの奴らより頭がいいんだというプライドがあったのかな? 猪木&ケビンvs木村&武藤に関しては高橋が『伝説の四十番』で語っていたが
キムケンに関して明らかに悪意を持って貶していたな。
武藤に対しての張り手はky、猪木に対しての出てこいのアピールは顔じゃねえ。 そういう高橋こそ顔じゃねえよって言いたいわ
レスラーとしてキムケンほどの実績もないくせに
おめーが負けブックを飲ませ続けたからブレイクしなかっただけだろ キムケンがもし勝ちブックを与えられ続けていたらブレイク出来ていたのか? >>763
ブレイクしていないと思う
ピーターのマッチメイクは間違っていないだろう しょっぱいレスラーに勝ちブックを与えてもどうにもならない
と言う見本がザ・コブラ >>765
コブラばかり叩かれるけど、コブラとしてのデビュー戦の相手デイビーボーイも同じぐらいショッパかったよね。
シングルの名勝負と言えるのはキッド戦だけ、思い浮かぶタッグの名勝負ももちろんブルドッグスとしての試合。
キッドと一緒にいたからこそ評価されているだけで、レスラーとしての魅力はキッドと雲泥の差だった。 しょっぱくてもブレイクしたケースに長州ってのがいてだな >>759
荒川は藤原と仲良かったし、Uとは特にトラブルもなかったからどうなんだろ。長州とは合わなそうだけど。 チャボが一番輝いた相手→藤波
剛が一番輝いた相手→藤波
健吾が一番輝いた相手→藤波
長州が一番輝いた相手→藤波
やっぱり藤波は凄いよね。 「焚きつけて」って言葉、本当に嫌いなんだけど、それをやりまくった荒川がそんなに嫌われていないところをみると、人望はあったのかなあと感じる、今日この頃 俺が荒川になりきって性格の悪さ全開で想像してみるに、いちばん「焚きつけて」面白くなりそうなのは藤原。
いろいろと屈折してるだろうし、頑固で思いこみも激しそう。
というか、ぜったいにやってたと思う。
「あいつ、おまえの悪口言ってたぜ」「あいつ、おまえのこと弱すぎって言ってたよ」「あいつ、内心では完全におまえのこと下に見てるよな」等等。
なのに、その藤原とは仲がよかったってところが不思議。
基本的に人の心をおちょくって楽しむタイプの人間は、人の心を手なずけるのが上手ってことなのかも。 UWFとの提携に反対したのは、「せっかく俺も上で試合やるようになったのにまた前座に戻っちゃうじゃねえか」くらいの気持だったんじゃ?
国技館のテレビ中継でコブラに挑戦したりしてたのに。
大量離脱がなければ、荒川のテレビ出演なんて、力道山の再現VTRと池中玄大だけだった。 >>775
定位置に戻って居心地良さそうな感じもしたけどね。 以前別スレで読んだ話だが離脱者が出ると荒川は「これで俺のランクが上がる」と
赤飯を炊いたとか。
プロレスラーってそんなもんなんだろう。
坂口が日プロと新日との合併を纏めようとしたが大木が潰したのも
綺麗事を言っていたが本音は「ようやくエースになれたのにエースと
インターナショナルベルトを猪木に譲るなんて冗談じゃねえ!」だろうしね。
>>774
藤原は荒川については「若手の頃から気が合う仲だった」そうで
逆にいまだに木村健悟とは不仲って外野から見ると不思議だ。 藤波にはフレアーが良くやる嫌嫌ポーズはやれないだろうな。健悟は合いそうだが嫌がるか。 藤波はヒールは無理だろう。
やれって命じられればやるだろけど、凄く寒そう。 アックス はダサいし
ボンバー もダサい
試合内容は別として新日はセンスがない テーマ曲はなんじゃこの曲はってのが多いし。
番組の時期予告BGMも気味が悪い曲。
担当スタッフのセンス悪すぎ。 ホーガン自身は「ホーガンハンマー」と名付けたがこれもダサい。 水俣旅館破壊事件も、荒川が武藤を焚きつけたのが発端。 ジョージはUWAで最優秀外国人。
ケンゴもNWA世界ライトヘビー級王者。
メキシコでは高評価なんだよな。 >>781
予告の「スターサイクル」とか総じて評判いいけど
ホーガンの「ギャラクティカ」も「リアルアメリカン」より全然いいと思うし
君のセンスには合わないってんならまあしようがないね NHK教育 放送日 1983年12月15日(木) 19時30分〜19時59分
NHK総合 放送日 1983年12月17日(土) 11時20分〜11時49分
健康クリニック 「プロレス健康法」
出演
講師 木村健吾
実演 荒川真 前田明
解説 波多野義郎
司会 松田輝雄アナウンサー 大原みゆき
講師の木村健吾の指示で荒川と前田が体操を実演
木村健吾と荒川はにこやかな表情だったが
前田は「何で講師が木村健吾で何で自分が実演なんだよ」と
終始ムスッとした見るからに不満ありありの表情だった >>785
そうか。。ギャラクティカとか
メロディを口ずさめないのは嫌だったな。 >>783
あれ、当時の旅館経営者夫妻が
誇張しすぎてて破壊なんかされてないって証言してるじゃん。
畳交換と他ぐらいで大した事ないって。
古舘も自分はいなかったのに錯覚してしゃべったってゲロしてるし。 いかにも見た目アメリカ人が
漢字で一番と入った法被で入場して
リング上でたどたどしい日本語で
「イッチバーン!」とやれば人気もでるわ >>770>>772
チャボ→寝屋川
剛→武道館
長州→蔵前他
前田→大阪城ホール
冷静に考えたら木村だけ語り継がれる名勝負がない
話題に上がるのはワンマッチとか試合内容に関係ないこと そりゃ間違いなく新日史に残る
ローランボック戦だろ >>793
真面目に言うと広島での藤波とのダブルタイトルマッチ ボック対木村健悟の試合は新日のベストマッチ
これ程興奮した試合は無い Twitterで見た木村健悟が猪木に調子こいて攻めてキレた猪木に反撃されて肩固めで締められタップしてる動画は面白かったw 栃木の小山ではブロディとのシングル
結果は言うまでもないが一度はイナヅマを決めたそうだ 藤波ってブロディとのシングルは年末しかやってないんか
他の選手はやってるし猪木なんて飽き飽きするほど続けてたのに >>760
荒川のギャグ関節技路線って使うのが荒川だからパチモン扱いされてたけど
実際は理に叶った物が多いんだよね
市役所固めなんてザックが披露したりルチャドールがジャベだと称して使ったりすれば
説得力が感じられる形の技だし
まあサラ金固めは力任せ過ぎてちょっと...だけど アンドレ、ハンセン、ブロディ、ホーガンの全員とシングルマッチの経験がある日本人レスラー。猪木、藤波、坂口、キムケン、谷津、タイガー戸口。 新日本プロレス史上最高のトンパチはやはり橋本真也なのか、ドン荒川は実はそうでもなかったって話だし
全日本はトンパチなレスラーの話題あまり聞かない気がする? トンパチって言葉聞いたのはテリーだかマードックだかを称したときに
レスラー界じゃそう呼ばれるって話を読んだ気が
登場人物考えるとジョー樋口の連載だったかな、その辺記憶曖昧だけど
橋本はトンパチだけど「でも頭は悪くないんだよな」って蝶野の言うことに武藤も頷いてたし、
その辺常におかしいだけじゃまあトップクラスにはなれないかねと ANN、古館の番組とか当時、新日本のレスラーがよく出てたけど荒川は一度もなかったな。キャラは面白いのにそういうところに出ないのは、あんまり売り出す気はなかったのかと。それから、高野俊二が猪木とケロと一緒にANNに出た時は20そこそこなのに、場馴れしてる感じで驚いた。 新日道場はシャレにならない事のオンパレードだが笑い話で済ませてしまう恐ろしさ。
更には武勇伝かの如く語り継がれる異常さ。
狂ってんな… 破壊王・橋本真也からピンフォールを奪った強豪レスラー・木村健吾
○木村健・山田・武藤 (イナヅマ) 星野・小杉・●橋本
この試合は面白かった。 >>810
そういえば8.26オールスター戦は、荒川vs奄美のシングルマッチが武道館の舞台で実現したんだよな。 >>793
チャボに負けてインタージュニアのベルト取られた試合を挙げたいな
最後にリングアウトになった場面が、いかにも力尽きたって感じがした >>795
ダブルでなく藤波が健吾のNWAインタージュニアに挑戦 >>812
あの試合見て、健吾はチャボ、キッド、ステイーブカーンあたりには勝たしてもらえないんだろうなと子供なりに思った >>778-779
藤波はミッドアトランティック地区でもメキシコでも最初はヒール/ルードだった
リングネームが当時検死官として有名だった(その名声故関係各位から嫉妬混じりの中傷にも晒されていた)
トーマス野口に肖ったドクターフジナミ(フヒナミ)だったし
ところが顔が良過ぎて女性人気が上がり過ぎたからフェイス/リンピオにすげ替えられたんだよアメリかでもメヒコでも
メキシコでは先生や“センセ”っぽい響きのリング・フヒナミに改名させられていた >>782
アニマル・ウォリアーは「グローバルハンマー」と命名してたけど。
「アックスラリアット」もダサいか? チャボ・ゲレロの名が出たけど、当時のチャボはスピード、技の切れはよかったしラフにも強かった。
もし、チャボが新日本プロレスに残っていれば初代タイガーマスクと歴史に残る名勝負があっただろうな。 >>816
メキシコ遠征した越中、三沢も本名でファイトしていたけど地元のファンがなかなか名前を憶えてくれないので
越中は「サムライ・シロー」三沢は「カミカゼ・ミサワ」と名乗ってファイトしていたね。 ブロディのシングルマッチの相手は木村健吾、高野俊二が多かったような気がするけど。 ブルブとぉスパマのヒラジュンの試合もぉ見たかったかんな。
ブルブとぉワカマのぉストマ軍団っちゅう異次元対決、異色対決だぞぇ。
まぁブルブがぉーシンニプロ初登場ん時にぃヒラジュンの1号とワカマはぁ仲間割れだしぃ。
そっからぁ1号はぁストマ軍団抜けてもぉたんよぉ。 1978年10月、藤波と鶴田が新日本プロレス道場で合同練習をしていたという事実。
当時の東スポは見ていた。 >>805
猪木に決まってるだろ
アクラムとパク、敵地で地元のヒーローに勝ちを譲らないどころか怪我させるキチガイ 武道館でリングに戻ろうとするチャボの足を引っ張り両リンに持ち込んだ健悟にはストロングスタイルの欠片もなかった。 >>819
その2人はめきでジャンピング・ボンバーズだ
これまた超ダサい 荒川さんは人誑しで人脈が凄かったんだよな、新日道場は田園調布に近い
ミスター長嶋茂雄と知り合いになりたいからとミスターの朝のジョギングコース調べて、同じ時間に走るようにして
長嶋さんおはようございますとか言いながら偶然装い話かけ、やがて意気投合したんだよな >>808
たとえば橋本にしても
ヨーロッパで試合したとき最後に全選手でセレモニーやるからシャワー浴びるなと何度も言われたのに浴びてしまい
呼び出されて泡つけたままバスタオル巻いてサンダル履きで出てきた
ぐらいの害のない話は好きなんだけど まぁ猪木が稀代の人たらしだからなあ、力道山は猪木に厳しかったが、実の息子のように可愛いがってもいた
大の猪木贔屓で有名だったテレ朝の三浦専務、猪木の保証人になった佐川急便の佐川会長、福田赳夫総理も猪木がいたくお気に入りでいきなり会場に来て驚かせたりした >>793
千歳市スポーツでの天龍戦だろ
何度も天龍を追い詰めて結局は負けたけど勝った天龍は控室でのびちゃったからな 猪木は太陽のような笑顔で接するし
気前よく奢るし。ビジネスの話にさえならなければ
相手は上機嫌になる。 鈴木みのるに軍手買ってこいって
10万渡して、みのるが釣り返したら
なんだ取っとけと言ったんじゃなかったか。 全日中継で流れてた日本テレビスポーツのテーマ、あれみんな好きなの? ただ猪木って信者やファンは多いけど、友達は少ない
というかほとんどいないような気がする。 >>834
馬場に鶴田にデストにブッチャー♪って歌詞で歌われていたよな。やっぱり全日はあの曲で、新日はこの曲が一番好きだった。
https://youtube.com/watch?v=dsCarocaEvY >>836
うちは
猪木、ボボ・ブラジル、馬場、ブッチャー♪ >>834
好き嫌いはともかく、認知度は全局のスポーツテーマでもNO.1じゃないの?
他の民放はもちろん、NHKのスポーツテーマよりも間違いなく上 TBSのスポーツテーマも月曜夜7時のキックボクシングのOPに使われて有名。
ちなみに後番組はクイズ100人に聞きました。 >>838
冒頭アップテンポ過ぎてなかなか入りづらいが
「スポーツTODAY」「世界のプロレス」でおなじみのテレ東のやつ >>839
「コバルトの空ね」。いい曲だと思うけど、だいぶ前に他の曲に代わったから
今の若い連中は知らないだろうね。
その点日テレのテーマの凄いのは、今でも使われているところ
自分は見たことないんだが、TBSの国際プロレス中継でも「コバルトの空」が
使われてたんだろうか >>834
曲の前半は巨人戦中継で知ってたけど
後半のメロディーは馬場の入場の時に初めて聞いた >>840
国際プロレスアワーのオープニングかな?これは私も大好きな曲。でもテレビ東京ではなくて、東京12チャンネル時代だけど。
https://youtube.com/watch?v=XIL3Pb0kHGI >>836
スタンダード版「馬場に猪木に鶴田にブッチャーーデストロォイィヤー」
京都で聞いた版「馬場に鶴田に猪木に大木ぃ、デストロイヤーブッチャー」 ワールドプロレスリングのオープニングはこれも懐かしいな。この曲のころが新日の黄金期だったイメージがある。
https://youtube.com/watch?v=g3R_WnEjI1I >>847
これはアレンジしてあるけど、最初は原曲のままだったんだよね。原曲のままだとさすがにワールドプロレスリングには似合わない。
https://youtube.com/watch?v=XNQsuzGAWoA 番組終了の時に流れるのはこっちのバージョンだったな
しかしどこのテレビ局もスポーツテーマは似たような雰囲気出してるんだね >>843
そんな古かねえってw どこがアップテンポなんだよ >>847
トランペットの3連符3連発がカッコいいな 1970年代、アメリカは夢の国でそこからやってくる強豪プロレスラーは皆強そうに見えたなあ
馬場の全日にはNWA王者もデストロイヤーもマスカラスもファンクスもブッチャーもいて、猪木の新日にはタイガー・ジェット・シンしかいないw
そんな不利な状況でも様々な仕掛けで人気集めた猪木の行動力とカリスマ性は大したもんだった ブッチャー1人が出場してれば、第1回IWGPは大成功だっだんじゃないかね?
個人的に
猪木、ラッシャー木村、アンドレ、ホーガン、ブッチャー、かネック、マードック、スーパースター、キラーカーン、ウェインブリッジ、オットーワンツ
こんな感じで良かったんじゃねえか? >>842
あれは歌詞がある。
馬場に鶴田に猪木にブッチャー。そして藤波辰巳〜 その前後のシリーズの外人どうすんのw
やはり前田を3位ぐらいにすべきだった >>853
そりゃごった返す新宿伊勢丹デパート前で白昼に
襲撃警察沙汰になれば興行試合で凶器攻撃するより遥かに
宣伝効果があるからな。
しかもコスト0で。 >>854
第1回IWGPはあの面子でもほぼ全ての会場超満員だったんだから大成功でしょ
決勝戦はプロレス史に残る試合だったし。 決勝戦は前田が身代わりに救急車に乗るという
ハプニング >>846
この頃までの各局のスポーツテーマとイメージ違うので
子供心にこの曲の印象残ってるな ブッチャー連続参戦させて、WWFから週替わりでバックランドとかバレンタイン辺り参戦させれば良かったんじゃない?アドニスなんかもいたし >>854
アンドレをカナダ代表ではなくてヨーロッパ代表として出場させて
翌年ヨーロッパ代表で出場したビッグジョンクインをカナダ代表で出場させれば良かった。
なぜかフランス人のアンドレがカナダ代表、カナダ人のクインがヨーロッパ代表だった不思議。 >>859
だったら アックスボンバーの身代わりになるという展開もアリだったのではw
ウエスタンラリアートに比べたら屁みたいなもんだろ >>859
猪木が担架で救急車に運ばれる写真もあったのに何であんな事言ったんかね。 >>836
新日正規軍vs維新軍団 5対5勝ち抜き戦のときに
維新軍団入場に初代曲が使われた。
第1回ヤングライオン杯出場選手入場にも使われた。
5対5勝ち抜き戦で正規軍入場には3代目曲の朝日に栄光あれが使用された。 >>866
馬之助が泉谷よりタレントとしての格が上みたいで面白い。
あと、ユニーで新日のチケットが買えてたというのに驚いた。 >>864
昔の仲間のちょっと盛り上がったヨタ話に自分も絡みたくなった >>866
1978 NET は1976年じゃない? ファンの本音からすると中南米代表なんていらんし、
ボックがダメになったからヨーロッパ代表もいらんかった。 ヨーロッパはもともと強豪がいるイメージだったんだけどねえ
日本での格付けが維新軍台頭からおかしくなったけど
カネックは本国だとアンドレとも渡り合えることになってるし
あとは西アジア代表でブッチャーやアイアンシークを出す手もあったな ヨーロッパ代表:前田がよく嘲笑されるが、ディノ・ブラボーの代役がラッシャー木村と言うのも・・・ でも前田はオーンドルフを一蹴したくらいだし、期待は結構あったと思う。
のちに藤波や長州以下にしたからおかしくなっただけ。
やっぱりサマー以降の前田のポジションがヨーロッパ勢の格を下げた感が強いな。 明らかに体格的にもパワー的にも上の前田を藤波や長州の下にするのは不自然感があった
それくらい猪木戦までの前田のスケール感は凄かった >>872
トーナメントをやったんであれば2位3位が存在するはずなんだが。 >>871
カネックはまだしもエンリケ・ベラって… ヨーロッパ代表が前田で、結局招聘できなかったんじゃねえかと。
ロビンソンまだ現役だから引っ張って来れなかったのかよ。 第一回からIWGPは
新日本チャンピオンだったんだよな。
世界王者じゃなかった。 世界の強豪を集めて王者を決めるはずが
話が違ったガッカリ感 リーグ戦で番狂わせが続出とかならまだしも、結局三強が順当に白星重ねただけだったからねえ
前田が大穴になるかなって期待は開幕前にあったけど >>870
だからこそアンドレをヨーロッパ代表にしなかったのが不思議。
ガチのヨーロッパ人なんだし。
三強の猪木、ホーガン、アンドレがそれぞれ日本(アジア)、アメリカ(北米)、フランス(ヨーロッパ)にばらければ世界感を出せたのに。 仕方ないけど世界感ってよりWWF感しかないような… >>875
ヨーロッパはハノーバートーナメントで決めた
優勝Oワンツ 準優勝前田 そして3位は・・・なんと、あの、 木村健吾!!
なんでワンツが負傷帰国したあと代打で健吾ださなかったんだろう? 中南米代表は必要だったと思う。
プロレスは盛んで日本での認知度も高かったから。
例え白星配給役でも、サッカーW杯でのアジア代表みたいな位置付けで。 ワンツが帰国したのは本当に負傷が理由か?
最初から短期間の契約だったのでは?
ブラボーの「自宅に泥棒が入ったから不安で」というのは、
恐らくただの空き巣ではなくもっとヤバい話だったんだろうけど。 >>877
全日で負けない扱いを受けていたロビンソンが、ワンツみたいな白星配給役の仕事なんか受けるわけないだろ?
それともアンドレやホーガンや猪木と引き分け扱いが続いて、ロビンソンに優勝争いさせるのか? >>886
仮にも世界に乱立する世界ベルトを統一する大会だったんだぞ。
大人の事情抜きで書いただけさ。 >>887
大風呂敷を広げるだけ広げて、開幕戦を迎えたら「MSGシリーズとどこが違うの?」の失望感満載だったからな。 >>888
いや、MSGシリーズの方が豪華だった、メンバーだけ見ると「ビッグファイトシリーズ」。
それに技巧派が1人もいないもんな。 IWGPは企画倒れ、あれはバカみたいに時間掛け過ぎもったいぶって失敗した
昭和55年春に発表して開催が3年後だからな、その間にハンセン移籍、ボックは消え、ブッチャーもダメになった
何より当事者の猪木が糖尿病による体調悪化とハイセルで借金増やしまくりでめっきり元気がなくなった
大体IWGPって何だったのか?プロレス真の世界王者ってコンセプトは良かったが具体性が乏しかった IWGP決勝リーグは例年のMSGシリーズと同レベルの参加者だったセコさは今でも笑える。世界が付いたのは令和になってからだし だからこそ最後のアクシデントが必要だったとも言えそう 初代優勝のホーガンがWWF王者になって全米侵攻があるから
「IWGPなんてどうでもいい」になっちまったのも何だかなだった
結局はWWFより下じゃねえかと IWGPは全日のPWFみたいな新日本部で管理運営する組織で良かったんだよ
当時の新日は世界屈指のプロレス団体だったからな、そこが認定する世界王者でなんら問題ない IWGPが標高2000mで空気の薄いメキシコ開催だったら
アンドレやホーガンといった大型選手は酸欠で苦戦を強いられ
地の利を活かして地元カネックが優勝決定戦に進出していていただろう 第二回リーグ戦はメンバーも増やし面白そうと思ったが、
猪木藤波vs斉藤長州なんてくだらないカードがメインに来たり、
外人選手同士はほぼ消化試合になってしまったところも残念。
とくにクインvsワンツのつまらなさは異常だったことだろう。 IWGPにヨーロッパ代表として参加させろ!とロビンソンから連絡あったとファイト紙の記事にあった。新日はフザケルナ!と相手にしなかったらしいが
やはり結果はどうあれドリームマッチだらけのブッチャーは参加させとけばよかったのに・・・と思う IWGPの初代ベルトって凄い高価で2億円のベルトって言われたなあ
チャンピオンの象徴チャンピオンベルト、それ自体に価値をつけたのは良かった
でも猪木はIWGPベルト保持してもNWFのようなポーズ写真も撮らず愛着無さそうだった、ニックなんてベルトをハンセンに壊されたショックで引退したのにw それでも当時は超満員の連発で視聴率も高かったという事を
無視して語っても無意味だと思う シンの新宿伊勢丹デパート騒乱で超満員みたいなもんだろ。 >>884
中南米といっても実質メヒコ1国
他国にもルチャはあるがメヒコがMLBみたいなもんだろう
「メヒコでは本国以外の選手は差別され低いあつかいをされる」
というカトクンリーの恨み節には意外に思ったが
「ただし富裕国(かつて)のアルゼンチンだけは別だ アルゼンチン料理も高級あつかいされるしな」には
はあそうなんですねと
アルゼンチン出身の代表的なレスラーがコロソ・コロセッティ >>901
それとは少し違うと思う
伊勢丹事件は苦しい台所事情の中で絞った知恵みたいなもんだし トニー・ロコはイタリアとアルゼンチン出身説があるな 人気絶頂期の新日はIWGPよりも
タイガーマスクと日本人抗争の方がはるかに貢献してたんじゃないか?
82年秋は猪木VS国際軍団、藤波VS長州、タイガーVS小林邦昭と目玉カードを組めたからな
83年になってようやく「そういや今年はIWGP王者決めるんだっけな」と気付いた感じ IWGPのイメージ戦略というかブランディングの成功というか、真の世界一決めるコンセプトで数年かけた企画だし
とりあえず乗っかってみよう、っていうファンを巻き込めるエネルギーが当時の新日にあったなと
あの時期の企画何やっても当たってた感で、まさに新日ブームっていう >>903
プエルトリコは中南米扱いじゃないのか?
プエルトリコといえばモラレスがいるけど、参加は無理だったんだろうな。 >>890
野球のWBCもIWGPみたいに
コンセプト倒れにならぬよう
これからの運営努力が求められるわな 野球はFIFAとかじゃなくMLBが仕切ってるからな。
プロレスで言えばWWEが仕切ってるという感じ。 >>906
IWGP構想を発表した時と開催時点ではファンの関心が激変したから仕方がない NWA,AWA,WWFが揃い踏みする大会だったはず >>908
プエルトリコはどちらかというとUSA寄りじゃないかな
ブロディが刺殺されたり
南海のバナザードを輩出したり
プエル・トリコかと思いきやプエルト・リコだったり
いろいろ怖いところだと若いころは そうだった思い出した、タイガーマスクが颯爽と登場してあっという間にスターになりIWGPとか忘れられていたw
俺もプロレススーパースター列伝のタイガーマスク編に夢中になったもんだ レス・ソントンも見た目は英国紳士風だったけど実際はどんなレスラーだったんだろう >>915
佐山にブチ切れられた人でしょ?嫌なヤツだから試合終わったあともぶん殴ろうと思ったとか >>913
プエルト(ポート)・リコ(リッチ)はスペイン語だから中米扱いだろうね
南米ならボボ・ブラジルは古いけど本当にブラジルなのかな >>894
結局IWGP実行委員会という形を取ってるし 一回目IWGPこれが当初予定なんだろ?
・アジア・・・猪木、カーン
・北米・・・ホーガン、ハンセン
・カナダ・・・アンドレ、ブラボー→カナダサーキット中のラッシャーに襲われ交代
・欧州・・・ボック、メッサーシュミット→怪我で前田に急遽交代
・中南米・・・カネック、ベラ→シンがメキシコでUWA王座奪取で交代
・中近東・・・該当者ナシでプロモーター推薦でブッチャーとアイアン・シークが参戦 IWGP実行委員会ってどんなメンバーが実行委員で誰が委員長何だろう。坂口が例によってボソボソと認定書を読み上げている印象しか残ってない。 >>872
ケイブンシャのプロレス大百科にIWGPに関する記事も載ってたけど
「打倒猪木に燃えるラッシャー木村が強引に参加してきた」って書かれてたな >>921
「タイガーマスク」ではポポ・アフリカだしな
うぷぷ山ぽぽ子かよ ブッチャーが中近東ってのも。
カナダ人だし人種・ルーツで言ってもアフリカだろ。
イスラム教みたいなギミックだったのが唯一の中近東っぽさ。 馬場とブラジルが引き分け→猪木がマルコフに勝って優勝
猪木とデストロイヤーが引き分け→馬場がブッチャーに勝って優勝
日プロ時代のワールドリーグ戦って、試合順がわかった段階で優勝者の予想できちゃうよな。 >>923
本物のボボブラジルも出てる。タイガーマスクにパイルドライバーで敗れ、
かたき打ちのために一番弟子のブラックVが覆面王座に挑戦しに来た。 >>925
馬場VSブッチャーをしている最中に記者を集めて挑戦を表明したってのもなw
馬場優勝で決まっているって言っているようなもん。 新しいメジャータイトルを創設、王者選出方法は強豪レスラーによる総当たりリーグ戦
結局IWGPでやったことは馬場の世界ヘビー級(後のPWF)の二番煎じだからなあ、
それも全日のほうが凄いメンバーだった、 ブルーノ・サンマルチ、ドン・レオ・ジョナサン、ボボ・ブラジル、パット・オコーナー、ブッチャー、テリー、デストロイヤーそして馬場、この連中が馬場の負け役になる豪華さw >>927
2年前は逆パターンで自分が優勝させてもらったとき、馬場は何も不満を言わなかったのに
どこまでも自分ファーストな奴だな >>925
同じトロフィーを使ったオープン選手権は最後のデストロイヤーとブッチャーが消化試合に >>931
ア・シークはジョージア州出身で本名はJerry Stubbs
アラブにかすりもしていないのが凄い シークとコンビで例のベールなんかかぶっちまっただけで中近東…
「スーダン出身」の方がミステリアスなのに数段 スーダンではあの輪っか被るアラビアのロレンスは
おかしいから、中近東の方がウケる 馬場ってハワイ好きだからPWF本部ハワイに置いたんだろwロード・ブレアースなんて雇われマダムだし
ハワイ好きの有名人って多いよなあ、馬場もだけど石原裕次郎もハワイ移住しようとしたし、長嶋一茂坂口憲二もめっちゃハワイ好き
ター山が馬場のアメ車のオープンカーでハワイドライブしてウキャキャしてたしwこの世の楽園なんだろうな >>935
昔、所ジョージが「ハワイのアリとキリギリス」って話を紹介していた。ハワイのキリギリスは冬が来ないので
ずっと遊んで暮らしていて、ハワイのアリは一年中働き通しで、過労死してしまったというお話だった。 猪木も海外武者修行で初めて行ったのがハワイ、ビーチでランニングしながら見る夕日は素晴らしく綺麗だったと回想してる
豊登に引き抜かれたのもハワイ、何気にハワイに縁が深い >>928
そもそも三大王者が不参加なんだし、せめてオープン選手権レベルの人員であれば統一世界王者を決定するという謳い文句に説得力はあったんだけど、まぁ新日ファンには関係ないか… >>928
>IWGPでやったことは馬場の世界ヘビー級
>(後のPWF)の二番煎じだからなあ、
いや、全日の世界ヘビー級争奪戦は、外人同士(サンマルチとブラジルとか)が
総当たりで対戦しなかったじゃないか?
>この連中が馬場の負け役になる豪華さ
このメンバーはオコーナー(もうロートル)を除いて、皆、馬場のインター戦で
リングアウト・反則を含めてだが、1−2で敗れている選手ばかり。それにもう
ピークを越えていたよ。例外はブッチャーと若いテリーだな。
日プロ時代のインター防衛戦をなぞっただけ。 タイガーマスクがレス・ソントンからNWAジュニアを取った時に、「馬場さんもNWAを取ったけど3日間だけ」と嫌味を言っていた。ソースはプロレススーパースター列伝 まぁIWGPなんてどうでもよい、猪木と言ったらやはりNWFだ NWFのタイトルマッチで試合前に双方の国歌を流していた頃
リングにひざまずいて目を閉じ、静かに手を合わせてインド国歌を聴くシンは様になってたな プロレスってガチ以上に勝敗が固定されるな
だから負けたら商品価値が下がってもう戻らない
ガチならたまにリベンジとかあるけどプロレスでは団体エースが負けたときだけ
もう少しやり方考えたら一回勝った相手とか商品価値落とさずに済んだと思うが IWGP実行委員長のポストは自民党党内抗争の影響も絡んで
自民党主流派の田中派木曜クラブの大番頭の二階堂進幹事長と
反主流派の福田派清和会会長の福田赳夫元首相が争い、
日本プロレスリングコミッショナーの二階堂幹事長が
アントニオ猪木後援会長の福田赳夫元首相との抗争を制して
IWGP実行員会委員長の座に就いた。 BI方とかの別のスレに書くべきだったな
プロレスでは必ず前に負けた相手に勝つとか言われてるけどそれエースだけだからな
外人レスラーのリベンジなんてないw 負けたままw >>940
そりゃ防衛戦をやらなきゃいつまでもだよな
結局は期限ギリギリで強引にやったわけで >>933
アブドーラってのがイスラムの名前だけど
(サウジアラビア代表のサッカー選手やイスラム教徒で有名なアメリカンアメリカンのNBA選手にそういう名前のがいた)
ブッチャーは本当はイスラム教徒じゃないよね?
アブドーラザブッチャーと名乗り出したのは何時から?それもシークの影響? >>934
ベールかぶったままスーダン名乗れとは言っとらんわw
例の漫画だとシークがタッグパートナーに抜擢して自分と同じベールをかぶらせアブドーラに改名させたとある
黒人をムスリムに改宗させたテイにしてアラーの偉大さをアピールするという狙いだったのか イギリスで前田に勝っているジャイアント・ヘイスタックは新日で御呼びじゃなかったのかな。
アンドレとの大巨人コンビなど見たかった。 自分が書いた>>950、今気がついたけど
×アメリカンアメリカン
○アフリカンアメリカン
そもそもザ・シークもイスラム教徒じゃないよね? >>928
サンマルチノも参戦してたのか
そういう意味じゃ事実上、団体の垣根を
超えたメジャー3団体のトップクラスが
参戦する豪華な大会だったんだな PWF王座創設って、リーグ戦じゃなく勝ち抜いて認定でしょう?それでもビッグネーム揃えたのが大したものだけど。 PWFは返上せざるを得なかったインターの代わりのタイトルだからな
急造タイトルにインターに負けない権威を持たせるためには、大物連破の実績が必要だったんだろう
だが大物外人と完全決着がついてしまうと観客が興味をなくしてしまうことに気づいた馬場は
方向転換し、以後は日プロの時以上に不透明決着を連発するようになってしまった >>943
小杉と保永の間にいる人は誰?
あと、「HAWAI84」って何?新日のハワイ遠征記念かと思ったけど、猪木とブロディがハワイでやったのは85年か86年だと思うんだが。 >>943
これ船木や橋本が入門したてで坊主頭、
さらに藤原や高田がいるので1984年
4月頃だと思うが、やはり新弟子の
武藤がいないなぁ >>961
こりゃあハシモ、チョマサがぁーいちゃるからぁ84年だぞぇ。
しかもぉフジワとタカノブもぉおった時期んなるしぃ。
こん時ゃあカルゴはぁシンニプロのぉ象徴的存在だったかんな。 >>876 シリーズ中、ジュニアの小林邦昭に負けてたし。 カネックなんて地元メキシコではアンドレ、シン、ロビンソン、ハンセンを迎撃するのに
日本では小林邦昭に負ける。 カール・ゴッチってそんなに凄くもないけどな、こいつよりロビンソンやガニアの方がはるかにレスリングは上手い
あれは猪木がオレの師匠のプロレスの神様だとバカみたいに持ち上げ格が上がっただけの実態は鈍くさいパワーファイターだ
笑えるのはゴッチは猪木にさんざん世話に成りながら本人はそれをまるで感謝してなかった事だなw木戸をUWFに来るように勧誘したのはゴッチだし >>965
馬場全日との差別化だな
「ストロングスタイル」も外国人レスラーはwhat?だし 猪木ってお人好しで間抜けだから色んな奴に利用されてコケにされたよな、ゴッチもそのひとりだ
ゴッチは猪木と絶縁、前田、藤原とは師弟関係を続けた、高田
はゴッチを嫌い、ルー・テーズを顧問にした >>956
PWFは馬場がカマタに反則負けし
連続防衛ストップし、ベルト奪取カマタとロビンソンが抗争し
ロビンソンが足怪我したままワンハンドバックブリーカーで苦悶したり
ストーリーは面白かったんだよ。 NWFもPWFも実態がないのは
今となれば面白かった。 >>965
>ゴッチは猪木にさんざん世話に成りながら
世話になったといっても、ゴッチはプロレスラーの
仕事をして、その報酬を得た、それだけだろ?
世話になったというなら、新日初期、猪木は
ゴッチの世話になった、彼が参加せず、
彼のベルトを使って世界選手権も行った。
ゴッチは1972,3年、新日に呼ばれず
プロレスの仕事がなくなっても、アメリカの
どこかで清掃員でもやればいいが、
猪木は、新日を潰して清掃員はできないよ(苦笑) >>964
「タッ タコス食わねえと力が出ねえんだよ!チンガトマードレ!」
しかし「カネックはマスクとっても同じ顔」というのは何度聞いてもw >>969
元から実態もなにもないただ認可するだけの組織だったPWFに比べれば、ローカル団体とは言え試合はしてたNWFのがまだ権威はあるような…
まあ猪木がベルト買った段階だとどっちも大して変わらんか >>972
画像探すとワルドーVエリックやジョニーバレンタインらのベルト姿が見れる。
猪木に渡った頃はまだNWFも活動中だったし、ラッドやバレンタイン親子、
ヘス&ショッツ、ルージョーらは提携ルートからの来日かな。 猪木と坂口のNWFのタイトルマッチも一度は見たかったな。 PWFの方がちゃんとしてるだろ?
電話するとブレアースが出るんだぜ >>974
こん時代はぁジャパニ人同士でぁそぉゆぅ対決はぁなかったんよぉ。
アノキとサカグはぁエムエシリーズリーグ戦でしかぁ対決せんかったらかんな。
ジャイバ人同士だとぉフジナとチョリキからんなるかんな。
チョリキはぁミナチョーのカンコだけどもぉ。 ジュニヘでぁフジナとキムケンがぁータイトマッチやっちょったけどもぉ。
アノキはぁジャパニ人とのタイトマッチはぁコバヤ位だぞぇ。
ラシャキやマサイん時ゃあエヌダはぁもぉ封印されちょったかんな。 有田のYouTubeで、1987年7月山形(テレビ中継あり)カードの予想と答え合わせしてたけど、この頃ってギブアップまで待てないを放送してたはず。
ギブアップまで待てないって生放送だったんでしょうか? >>978
生放送じゃなかったら、馳浩の「ふざけたこと言うなよ、止まるわけないだろ!」なんてセリフはカットされていただろw >>968
PWFはそこで馬場の個人王座から離れたんだよな
NWFは猪木に渡ってから全て猪木がらみ 高田はプロレスが上手かったなあ、新日の若手の中でも飛び抜けていた、山崎との試合は前座の黄金カード、ミサイルキックの共演とか見どころ満載
フニッシュは高田がよくジャーマン使ってたんだが、スリーカウント取るとそのまま頭起点にブリッジから後転倒立ですくっと立ち上がるのもかっこよかった 高田は余計な技出さない、俺上手いでしょ?みたいなのが無いのがいいよね 高田は新日に残るべきだったんじゃないかと思う
UWFに行っちゃったんで藤原と前田の子分イメージが消えなかった
あそこで残っていたら新日も「高田を売り出すしかない!」と
ガンガン売り出してもらえたはず
藤波は「高田はこれからのレスラー」とUWF移籍を惜しんでいた ピーターも高田の才能惜しんでたね、佐山はもちろんだけど船木誠勝も評価してたしUに行かず純プロレスやってれば別の歴史があったんだろうな 高田は新日に残ってたら
推してはもらえたろうけど
所詮はジュニアのTOPでしかない
プロレス大賞でMVPなんか取ってない 高田はルックスと体型だけだろ。
まあオカダや棚橋がハンセン、ブロディとやって
ボコボコにされるの見たいわ。 タカノブはぁスター性がぁー強かったかんな。
シンニプロに残っちょったらぁかなりぃ売り出されたぞぇ。
ジュニヘからぁヘビーんなっちょっただろぉしぃ。 高田延彦のミサイルキックはカンガルーキック気味であまり見栄え良くなかった。 高田はデビューが1年早けりゃ海外武者修行にも行かされ、ジョージじゃなく高田がコブラになっていたかもな 高田は自分からヒクソン挑戦したくせに
刺客の安生が血ダルマにされ政治家に逃げようとした。 高田が1984年に新日に残っていたら
新日は、越中を引き抜かなかったんじゃないかな? 高田が試合でテレビに出始めた頃、あたいの母親が
「高田ってハンサムでいい男ね」と言っていた。 >>970
>>965、967は昭和全日スレの方で
鶴田は背筋力が凄い鶴田の五輪での対戦相手はドーピング漬けだの当時の最重量級では鶴田でなくとも勝つのは難しいだの
佐山聡は格闘家としては中の下だのと吹いてる奴かな?文体がそっくりだし
藤波がノースカロライナ地区に入った時ゴッチの所に居たと噂になっただけで要注意人物扱いされた上
セメント自慢のロニー・ガービンに仕掛けられても十二分に対応出来て客からは不穏な空気を悟られずに試合を纏めてみせたというから
そういった技術を授けただけでも無駄ではないよ
アリ戦の時だって「黄色い猿の集まり」の中に
妙にガタイのいいドイツ人(本当はベルギー人だけど)アリと同じオリンピアンらしき男がセコンドにいるだけで
アリ陣営に好き勝手させない威嚇効果になっていた訳だからな >>965 >>970
で、馬場の取巻き連中にそこまで功績のあったレスラーいた?
パット・オコーナーが育てた全日の選手って何人いるんだっけ?
デストロイヤーの弟子のマーク・レーガンとか憶えてる人いる?
ドリーにしたってフロリダに拠点を移して以降は育成面で大した実績は無い
しかも短期間指導したカート・アングルを
「全く才能が無い。プロレスでは成功しないだろう。」
と断言してしまって見る目の無さを露呈していたというからね >>991
高田が残留していても越中は引き入れたと思うよ
あれだけ身長があってプロレスセンスも良いんだから戦力にはなる 省略荒らしのジイサン、年末はいつも入院なのに今年は珍しいな このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 26日 22時間 25分 4秒 5ちゃんねるの運営はUPLIFT会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《UPLIFT会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
4 USD/mon. から匿名でご購入いただけます。
▼ UPLIFT会員登録はこちら ▼
https://uplift.5ch.net/
▼ UPLIFTログインはこちら ▼
https://uplift.5ch.net/login レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。