【タバスコペパーソース】昭和の新日本プロレス26【リズムタッチ】
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ダニー・ホッジが88歳老衰で逝去
テーズ・ゴッチ・ロビンソンとともに最強説
https://pbs.twimg.com/media/EqNOK8hVoAA1fls.jpg
東京プロレス時代、猪木をもKОしたという もう触れたくないのか‥両国暴動事件
「ありがと〜!」 過去に新日でも生卵投げ事件があったとは。
https://kissatalk.web.fc2.com/index158.html
※シンVS上田の章参照
不運にも若手時代の前田に直撃。
武道館生卵投げ犯人はこんな大昔にまで(呆)
今からでも前田に謝ってこい!
●ろすぞ!!! >>10
わが家は金八先生を見てたんだよな。新八、仙八まで見て漸くプロレスにチャンネルを合わせるようになったかな。
タイガーマスクが出たりブッチャーが上がり出した頃だな。IWGP構想で盛り上がっていたな。 キチガイガラプー今度はこっちに来て荒らしているのか
まさかこんなキチガイにレス返すバカいないだろうな >>10
仮面ライダー、ってよく見たらスカイライダーの方だな。
タンサー5、懐かしいw >>10
ビッグベストテン始まった日なのかw
黒柳さん見てますか〜、とかザ・ベストテンの順位と比較したり結構思い切ったことやってた
ってそれ覚えてるんだからまだプロレス見てなかったんだな俺
太陽にほえろ!に金八にワープロ、って凄い時間帯だったな ビッグ○○って二番煎じというか安直なネーミングの印象が強い気がする。 >>17
出演できない歌手の時はピンチヒッターと代役の人が歌っていた。桜中学シリーズが
始まるまでのTBSとフジの金曜八時は視聴率不毛地帯だった。最初の金八先生は
TBS局内とマスコミにも全く期待されていなかった。ワープロのPによるとTBSが
出てきてもライバルは終始、「太陽にほえろ!」だった。
ワープロの金八撤退はのちの「風雲!たけし城」の影響と言われた。 男のこころは〜真っ赤に燃える〜
大自然の真っただ中〜信じたこの道〜自信を胸に〜
こんな歌詞だったかな ビッグベストテンって木戸修のテーマ曲を使ってた番組だっけか >>17
ビッグベストテンとザ·ベストテンの違いって何だったのかな? >>10
フジ6:00の山川千秋、6:30の逸見政孝、いずれも癌で若くして亡くなられたんだな。 >>24
ザベストテンってTBSの木曜じゃなかったか? >>24
なんか検索かけてみたら、集計方法が違ってビッグベストテンは有線放送のランキングは加味してないらしい
あの番組さだまさしの親父の一番長い日フルコーラスで放送したり結構印象残ってるけど、放送期間半年もなかったのは意外だった
子供の頃の記憶ってそんなもんなのかなと お前このスレに来るなよキチガイガラプー
追悼アニマル・ウォリアースレに行ってまた荒らしてこい
スレ立てした人の迷惑も考えずにな >>29
ガラケーとかどうでもいいんだよ、このカス!
てめーが来るな
この暇人が! 何だキチガイの支援者かw
お前こそ来るな社会のダニが穢ならしい
生活保護受給の税金泥棒がよ
実際あいつらじゃないの?差別だー!金よこせー!のw >>29
>>31
ダサイ…
(-_-;)
生卵投げ犯人… 自分でカミングアウトするなよジイサンwww
でもよ、お前味方ができてよかったじゃん
そのうち感化していっしょに荒らしできるようになれるといいな >>31
このアホ!相手にしてやろうか?この暇人が ガラケー、ガラケーってどうでもいいんだよ、このタコ!
生活保護だって・・・ダサ(笑) やばい、相手してしまった 同レベルになることだった(笑) >>38
ダニはお前だろ、クソボケ!
またやりやがったな!
くたばれ死に損ない野郎!
▲▲▲両国国技館、生卵投げ犯人▲▲▲
URL:
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1609158009/l50 (ガラプー KK9f-cHn8)
働けよゴミ人間 >>17
ワープロは数年後ミュージックステーションという音楽番組開始に伴い金曜8時枠から移動するんだよな。 >>27>>42
ザ・ベストテンとの順位の比較とかもやって放送前に番宣で司会者が「久米さん!黒柳さん!
見ていてください!」と挑発的な事もやっていた。
テレ朝の音楽番組は金八移動前は火曜日の8時にやっていてあまりパッとしなかった。
プロレスより視聴率が低い時も多かったのに何で始まるのか良くわからなかったが
「プロレス番組はイメージが悪くスポンサーが付きにくくて局内では及第点の数字を上げて
も編成部の評価は高く無かった」と言うTV業界事情を聞いて最近、納得した。
逆に全日中継は全盛期に全員集合相手に固定客が強く善戦していて全日の前に番組
よりも数字が良かったので視聴率以上に局内の評価は高かったらしい。 他局の出演者を名指しで挑発するなんてなさにプロレスだな。
TBSがテレビ朝日のニュースステーションに森本毅郎を擁してぶつけたプライムタイムが惨敗して、後番組ニュース23を筑紫哲也を迎えて開始するとき番宣で筑紫が「久米さん、あなたは笑ってる場合ではありませんよ。」と挑発していた。
しかし午後10時ではなく11時OAだったためTBSは逃げたと世間は笑っていた。 金八には美津子さんが出演してたなwアントン勝負だとか言ってたのかなw 大人なんだから黙ってNG透明あぼーんしようよ(´・ω・`)
昭和全日スレより人が少ないからマターリ語りたい(´・ω・`) >>10
79年闘魂シリーズ。豪華メンツだったな。新日初登場のローデスを筆頭にモラレス、シン、ボルコフ
グレッグバレンタイン、パターソン。特別参加でバックランドも来日してこの時は猪木は
ワンポイント的に(WWF会長に就任した新間の力か)ボブを破ってWWF王座に君臨したな。
>>17
この時代の金曜8時のフジってあまり印象無いね。他の3局は看板番組があったが、まあTBSも金八からだけど。 魔法使いサリーの最終回の予告で ひみつのアッコちゃんとコラボする
でも再放送では そのシーン無いだろう
おっシリーズ最高の渋さ
必殺仕事人!!! >>43
確かタモリにバター焼きを振る舞ってたよね。
バター焼きって新日本でもやってたみたいだけど、結局バターで焼く焼肉ってことだよな。
UWF絡みだとゴッチがゲストの回もあった気がする。 >>48
金八先生のセカンドシーズンには小橋建太が出ていたな。 この記事だな。
https://kissatalk.web.fc2.com/index148.html
>>9
> 過去に新日でも生卵投げ事件があったとは。
>
> https://kissatalk.web.fc2.com/index158.html
>
> ※シンVS上田の章参照
>
> 不運にも若手時代の前田に直撃。
> 武道館生卵投げ犯人はこんな大昔にまで(呆)
> 今からでも前田に謝ってこい!
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> ●ろすぞ!!! >>53
加藤と松浦が金八に殴られた時に、後ろでガチビビりしてたやつかw ドラえもんとスカイライダーとルパンの再放送は確実に見ていたはず
でもこの頃は8時以降は風呂に入って9時までには寝る生活だった_| ̄|○ >>57
それじゃあ とてもじゃないけど
仕事人は見せてもらえなかっただろ >>50
グレッグのジュニア挑戦は流石に無理があった >>60
WWFじゃボブに挑戦してたからな
それを言えばチャボもロスではヘビー級王者でレイスに挑戦してたりしたが >>61
チャボはロスのエースだったからね、テリーにも挑戦してたし、ラモスとチェーンマッチもやっていた。 >>60
WWFじゃボブに挑戦してたからな
それを言えばチャボもロスではヘビー級王者でレイスに挑戦してたりしたが なんで何時間も前のレスが再送信されてるんだ…
>>62
海外グラフじゃプロフェッサー・タナカとのチェーンマッチも見たな
タナカは体格的に同じくらいだけど、ラモスやハングマンみたいな巨漢相手の
マッチメイクがメヒコ系客には受けたようだ グレッグバレンタインは米国じゃWWFは勿論、NWAアトランティック地区辺りでも
フレアーとの抗争で名を上げてるが、新日では古くから常連外人なんだがこれと言った活躍が無い。
さすがにオヤジのライバルである猪木では荷が重いが、坂口、小林、長州ら北米タッグあたりで
争奪戦でもできるポジションだったと思う。 >>65
初来日ではコロフと組んで黄金コンビの北米タッグに挑戦してたんだか 長州は痛快セーラー服通りに体育教師役で出てたな
長州なら加藤と松浦の喧嘩なんてリキラリアート一発で止めるな >>65
しょっちゅう来てるような印象だったけど割と来日頻度に間隔があるんだな。 リングサイドに剛竜馬、高野俊二、黒髪のヒロ斎藤がいる。 よくクラッシックの話題になるけど、ここの加入率そんなに高いのか?
けっこうな負担じゃないか? >>71
全日本にも3、4回来て鶴田のUNにも
挑戦してそうなイメージ。 グレッグ・バレンタインは父親がレスラーじゃなければレスラーになってなかったろ。
チビだし父親みたいな容姿でもないし。 >>80
グレッグに対する一番の評価はあのフレアーが自分の一番のライバルと言っている事だな グレッグはWWFでもホンキートンクマンとコンビを組んだりして長く活躍したし
そこそこ良いレスラーだと思う
トップに立てる器じゃないけど インターコンチネンタル王座が一番嵌まるって感じかな 父親のジョニーは息子のグレッグの活躍をあまり評価していなかった
シングル王座はインタコンチ、タッグはWWF世界獲ってるのに
ただ、ジョニーはタイトル歴こそ世界クラスは無いものの、フラグシップタイトルは総なめ
マスカラスやアンドレ、ブロディみたいに世界各地を渡り歩くタイプなので
世界タイトルに恵まれてないだけ。レスラーとしての偉業は父親に軍配が上がる ジョニーと同世代でやはり強豪ながら世界王座に縁がなかったというと
キラーコワルスキー、ゴリラモンスーン、キラーカールコックス、カールゴッチ(ちょっと番外か)ら。
マスカラスやブロディはプロモーター受けもあるだろうなw ロビンソンもAWAには結局就けなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=JOVNQLNLtA0
↑
キラーカーンの造反 1983年1月6日
坂口征二、キラーカーン vs 長州力、マサ斎藤
キラーカーンあほや!!
坂口を裏切ってアルバトロス殺法炸裂させとる!!
発作か〜!!
直後に坂口の頭に発作的にストンピング連発しとる!!
爆笑じゃ〜!! 今、CSでオレの激闘見てるんだけど蝶野の隣のタイガーのマスク被ってるの誰?
途中から見たから分からん 83IWGPではホーガンがラリアットに来た長州をジャンピングニーパットで吹き飛ばしたのに、
84新春では相打ちに行くようになったのがすごく不自然に思った。
長州の格上げはいろんなところでひずみを出してしまった気がする。 グレッグガニアはハイフライヤーズで相棒のジムブランゼルみたいな空中殺法出さなかったなあ
鶴田がシングルでグレッグとやっていたが相手がチビの上に地味だからやりにくそうにしてた >>86
ありがとよ 感謝するぜ!!!
坂口リンチして長州とマサが
猪木にビンタされるシーン見たかったんだ
一番罪なカーンはばっくれ >>77
セレクト5で月々1980円ですよ?
テレ朝2、G+、ガオラと後は適当にどうぞ >>91
故郷の英雄で信奉する馬場の所に行きたかったのに坂口に新日へ連れて行かれた
恨みもあるかな? 坂口の角刈りにストンピングとはうらやましい。俺も一度はやってみたかった 月々1,980でも年間だと24,000円だからなぁ >>93
日プロから新日に移籍する際の支度金を中抜きされた恨みだよ カーンはあのルックスで傍流扱いされずっと海外に飛ばされていたわけだからね。
前田くらいの顔と柔軟性までは要求しないまでも、
もっと人気の出そうな顔で動きも良ければ猪木を支える次世代エースだっただろうに。 元日決戦良かったなあ
猪木vsローラン・ボックその他、後楽園でよくあれだけのカード組んだわ >>97
そうそうw、月額1000円切らないとねえ。。
年間とおしてずっと興味深いのやってるかどうかってのもあるし。
と、貧乏性のワイは思うのであった。 元旦決戦と言えば藤波VSバックランドで小鉄のレフェリングに勝ったバックランドが抗議してたの思い出す。 元日からプロレス感染なんてトンキンはどんだけヒマなんだよ! >>104
脳ミソに観戦したのが>>103なんじゃねえか? ボックは強い以外に何も感じられないレスラーだった。 ボックは体格も立派だった。若い頃なんてレスナーを大きくした感じだった。 もう少し後に生まれてきたら
ボックはMMAやったのかね
ヨーロッパ出身だし ボックは後年、特に初来日の頃はもう内臓だか血管の疾患でリング上で満足にファイト出来なかったらしいな。
せめて第1回IWGPのあのメンツの中でボックが一人入ってれば伝説の大会になってたかもしれない。
アンドレ、猪木、ホーガン、ボック、前田・・。これだけで垂涎のマッチメークが期待できる。 そういや、当時小学生だったがホーガンの似顔絵書いてプロレス仲間に見せたら
「ローランボック?」って言われてガックリきた思い出w >>111
「ジェシー・ベンチュラ?」とか「キラー・ブルックス?」じゃないだけ良かったじゃんww >>100
ボックのギャラが前の猪木欧州ツアーの未払い分で相殺されるから実質0あとボックの体調不良で早く試合させる必要もあったから時と場所選んでる余裕なかった >>111
今のおまえの画力が見たい
あれから様々な経験を積んだ今のおまえなら、きっときちんと描けるハズだ >>113
TV放送最優先で組んだ試合だったが会場が後楽園ホールしか空いていなったのは
もったいなかった。 IWGPにボックが出ていたら盛り上がっただろうと当時は思ったが、今になって考えると、
ボックがアンドレやホーガンと両者リングアウトを繰り返すブックを飲んで、日本各地を転戦して、
なんてやっぱりあり得ないよな。あんなレスラーだから、あのまま終わって良かったんだろう。 ヨーロッパ代表として何故か参加した前田は12種類のスープレックスを謳っていたが
投げた相手はベラと猪木ぐらいで、重量級相手には通用しなかった
ボックが出ていたらビッグジョンスタッドをも投げられただろうに アンドレを投げようとして失敗したが、ホーガンは投げられるの拒否したんだろ。
それもビジネスだわ。 前田の「手が回ればアンドレでも投げられる」はワクワクしたけどなー。スープレックスのレパートリーにサイドは入ってなかったけど、あれだったらホーガンやスタッドあたりなら余裕で投げられただろうね。フロントからクラッチして投げるのは自分よりデカい選手には難しいから相手は限られちゃうよね。 闘魂スペシャルに掲載された前田のスープレックスには無理なのも多い。
繋ぎ技程度にしか使われてないのもあったし。 平成の話になるが
前田はリングスでモラエスという怪物きたが
それを弟子の山本と闘わして前田はやらず
結果 山本は悲惨なめにあった。 古舘伊知郎さんが命名した技がWWEでいまだに使われているんだから凄いね。
https://youtu.be/fxvY_qO091g >>122
あの頃12種類のスープレックスの使い手!とか言われててすっげえ期待して観てたけど
あまり投げずにガッカリした思い出
俺の前田に対する悪印象はここから始まってるんだよな 長州にかましていたら印象は変わっていただろうねぇ
維新優遇で割を食った形の前田キムケンは気の毒だった 長州と浜口はリング上ではイキッてた癖に実際にはチキンだったね。
前田に投げられるのを怖がってスープレックス禁止しろニールキックやめろとか言ってそう。
>>130
健吾は本来なら浜口と同格かむしろ上だよ。 カーンは堂々とニールキック受けたけど長州が食らったの見たことないもんw そもそも前田のニールキックって坂口のジャンピングニーアタックみたいなブサイクでハードヒットしてない印象。 ハードヒットさせたら若手時代の平田や86の藤波みたいになるで。
前田もそれは会社からキツく言われてたんだし。
アンドレ、アレン、マードック、スタッドなどはガチで行けた相手。
軽く当てるだけにとどめていたのがほとんど。
それすら拒否していたのがカーンを除くヘタレ維新w いや前田のは坂口と同じで足が当たっているようにも見えないでしょ。
ハードヒットは観客が見て効いているように見せる技術ということで使った。
技を受けるほうの受け身が下手だから見栄えが悪いというのもあるけど。
ケガさせるのは論外。それはハードヒットではなくて下手糞。 第1回IWGPの前田戦で、カカトが口元にヒットするニールキックを受けても欠場しなかったラッシャー木村はタフだったね。 >>131
五対五の勝ち抜き戦で格が逆転したという説
谷津戦でとくに疲れてなさそうだったし アレは マサがアメリカ行っちゃうので
長州と浜口くっ付けたのかね? あれは孤立していったラッシャーがかわいそうになったよ。
浜口は「おとしまえつけた」と言うより、「強そうな集団にすり寄った」としか思えない。 >>141
マサやカーンは毎シリーズ出るのは不可能なので、常駐パートナーが必要で浜口に白羽の矢が立った。 >>142
>>143
そうだね
パートナーが寺西では
戦力不足は 仕方ない 特に反逆イベントもなしに寺西も離れ
ラッシャーは外人と組むようになったんだっけ >>139
タッグで健吾(失神KO)浜口
シングルで藤波(フェンスアウト)浜口(反則負けは格上がやる)
元旦シングルで革命前長州=浜口
健吾>浜口
浜口>藤波
長州=浜口
長州>健吾
藤波>健吾 馬場に海外に置き去りされ三沢猛プッシュの陰で全日に捨てられた越中が
外様として新日に上がってから三銃士登場までの間、かなりプッシュされて
その陰コブラ=ジョージ高野が凄い冷や飯くう羽目になったのが印象深いが
不器用で筋肉は大した事ないけど物凄い上昇志向の越中
肉体と運動神経に恵まれ足も長くて外人体型なのにプロレスやらすと精彩が欠けてたジョージ
対象的だったな
越中は勝手に藤波を保守本流主流派だと思い込んでピッタリくっ付いて弟分を自称し
ドラゴンボンバーズ()なんてチームまで結成したのに三銃士推しになったら
今度は長州に接近して平成維新軍なんてポジションまでゲットしてたが
本当に越中は上昇志向が強くて抜け目なかったな 馬場に海外に置きざれに去れ
忘れられたのは伊藤だよ
そのまま行方知れず
かと言って帰国命令も出ず
帰ってくたマンモス鈴木は叱られたらしい >>149
マンモスって日プロじゃないか?全日に在籍したことあったの? >>149
伊藤といえば変則マッチでブロディに負けたのが唯一のポイントかな いや マンモスは豊か力道に叱られたような
たぶんマンモスは馬場より先輩 越中が外様なのに優遇された時期が結構あったし
Uインターをいち早く離脱して新日に上がった山崎も
その後かなり新日で優遇された
その二人の優遇時の新日の執行部といえばどうだろうな
越中の時は猪木、倍賞、小鉄、坂口で
山崎の時は倍賞、長州、永島あがりだろうか
新日な単身で他団体から移籍したレスラーを優遇するパターン結構ある気がするが
あれは余所の団体から使えるレスラーを剥がして
新日の補強&他団体の更なる弱体化を狙ってる気もしてる
逆に生え抜きレスラーでもフロント執行部に逆らうヤツは徹底的に潰しに行ってたな マンモス鈴木は相撲時代に一回、日プロ若手時代に一回、海外修行時代に二回脱走している
ホームシックとか稽古が辛くてとか、向こうでトラブルおこしたとか理由は様々だが
デカくて毛むくじゃらで見た目のインパクトがあったので日プロも根気よく使い続けた
ノアの森嶋と被るなぁ、恵まれた巨体で団体に期待されながらそれを裏切り続けた男 >>154
ゴリラ鈴木に改名させられたりしたんだよな >>144
ラッシャーのパートナーに寺西で済ませてもOKだってことなら、
長州のパートナーがコバクニでもいいってことになるんだよねぇ。
コバクニは一時的に国際軍と手を組んだことになってるけど、
ラッシャーと組んだのは二回しかないんだった。 マンモス鈴木といえば川田の著書「俺だけの王道」でカツ丼を3口で食べ終えた
というエピソードが印象に残っているw >>156
長州・カーン・浜口 対 木村・寺西・小林が実現している >>136
そうそう、だからプロレスごっこするときも前田役の奴は露骨に当てないニールキックを再現するのがお約束だった >>159
そう。それと次の日だったかラッシャーとコバクニだけのタッグがある。
二人が組んだのはその二回だけ。 >>164
川田が中学生だったか高校生のころ、国際の興行でリング設営のバイトした
ことがあり、そこで国際の選手・スタッフと昼飯食う機会あってレフェリー
だったマンモス鈴木もその中にいた。 83年のブラディファイトまでは木村と寺西と小林で国際軍の形で、
木村が猪木にKOされた後の翌闘魂シリーズは木村が休んで寺西と小林の二人だけの軍団で試合をこなしてるね。
で、次のタッグリーグから寺西と小林が徐々に維新軍と組み始めて、翌年新春に木村が戻ってきたけどもうアレンら外国人としか組まなかった。 マンモスは無断帰国してすぐ格下げされたみたいな俗説が流布してるんだよな
その時は力道山にボコボコにされたけど表向きは凱旋みたいな感じで扱われた
格下げはその後も何度も何度も期待裏切り続けた結果
>>166
アレンとの結託→早期の仲間割れは猪木と組むアングルの前段階だったんだろうか
IWGPの時はリングアウト負けとはいえいいとこなくやられるだけだったホーガンを押し気味
の反則負けとか再プッシュの兆はあったよね
83年は腰痛でどうしようもなくなってたのが休養である程度よくなったらしいし >>167
ラッシャー木村の件は、UWFへの参加がどの段階で決まっていたかにもよるけど、普通に考えて日本人パートナーがいない状態であの頃の新日本に出続けるのは難しいよね。 >>143
三人の軍隊・新国際軍団はもう賞味期限だったし長州はパートナーが必要だったし浜口
は新間、猪木からも評価は高かった。浜口の離脱に関して木村との不仲説が突然に流れた
上での合流だった。分かれてから木村の凄い張り手を浜口が一方的に受ける禊ぎマッチ
みたいなド迫力の試合があった。その時、猪木との試合とは全く違う木村の金網の鬼の凄さ
を始めて垣間見た。
>>153
越中はジュニア王座についてもパッとしない所に高田の抗争で評価を上げた。最後は
長州政権の番頭格のようになっていた。長州に対決を迫る大仁田に対して
「またぐなよ!」発言の次ぎに壁になって対応したは越中だった。
山崎はUインターとの抗争を始める上でワンクション入れる事ができた論功行賞かな?
その後はワープロの解説もしていたし今もUWF勢と各人と話ができる数少ない存在で
人間的な評価もあったんじゃないにかな?ただUインター離脱はガチだったみたい。
>>154>>157
入門時は馬場より期待されていたマンモス鈴木はメンタルに問題があったみたいね。
馬場は巨人軍時代に多摩川グランドのそばの小林商店でサイダーの一気飲みができた。
あとはドラフト1位で急死した湯口もできたらしい・・・ 猪木の自伝で「マンモス鈴木は根性がなかった」と書かれていたんだそうだ
力道山から「マンモスなんて強そうすぎてお前には似合わん」とゴリラ鈴木に改名させられた
国際プロレス時代の画像を見ると体がゲッソリしてて明らかに健康体じゃなかった もったいないよなぁ
めちゃくちゃいいキャラしてんのに >>167
力道山にボコボコにされたのはブラジル帯同をすっぽかした時 >>173
無断帰国の時も酷く殴られてるそうだよ
つまり事あるごとにボコられてたんだろw 力道山ってホント、キチガイだよな、マンモスと猪木と大木で襲撃して力道山なんてブッ殺せばよかったのよ、ビビりやがって情けない奴らだ
暴君、力道山に天誅くらわした、ヤクザの兄さんは英雄だな、やはりヤクザもんは根性ある 大木が加担するわけないじゃん、力道山を崇拝して密入国までした人なんだから。
力道山死後も崇拝し続け、日プロと新日の合併話まで潰して自ら路頭に迷ってしまうというオチ。 >>166
闘魂シリーズ最終戦で維新軍団のセコンドに付く事で入団表明したんだよな 放送開始前の映像で寺西がリングサイドにいる姿を見て「あれ?!」ってなったっけ。
ラッシャーという大将がいなくなって仕方なく別グループに身を寄せたのかと。
戸口まで参戦したタッグリーグは維新軍のほうが正規軍より強くなってしまったけど、
サマーの時から感じていたが戸口は維新軍とは反りが合ってなかったな。
カーンとのコンビも魅力が薄れていたし、むしろラッシャーに加担して欲しかったわ。 UWFに移籍しなかったらラッシャー&猪木組は高確率で実現していたと思うけど
あれだけ負けさせられてしかも動けなくなってきていたラッシャーをどう格上げさせたかな >>180
動けなくても木村はタフ!
耐えて、耐えて、やられて、やられて、そして最後に猪木がおいしく決めるんだよw
日プロの吉村みたいな役回りかな 当時の新日なら浜口が木村からフォール取ったりするマッチメイクを平気でしそうだなあ。 猪木より強かった新日に来襲したシュートレスラーベスト3
ビルロビンソン
ボブループ
ローランボック 小林の一時国際軍団は「そんなの知ってるよ!!」
と言われそうだが タイガーが関係してて タイガー 星野組の
対抗 日本人コンビとして小林 寺西 その流れで
当時 新日名物三つ巴乱闘で 小林がR木村に味方してた。
その後まもなくR木村がUWF カーンがアメリカ行ってしまって
再び維新軍の下っ端として >>185
ハクソーヒギンズ
スティーブウィリアムス >>179
サマーでの寺西は軍団とジュニアの双方でテレビに出まくってたよな 初代はカネックと両リンだったが、コブラはカネックからピンを取らせてもらえた。 >>190
サマーかブラディか忘れたけど、リング下でコバクニが維新軍の誰だかと小競り合いになってて、
いつのまに維新軍(革命軍)と敵対してんねんwって思ってしまった。
寺西はラッシャーとのコンビで長州浜口と数回対戦してたな。 https://pbs.twimg.com/media/EWkUjF7UwAABD4A.jpg
新日中堅時代の永源がこんな派手な柄タイツ履いてたなんて知らんかった
プロモーターも兼ねてたからその筋の人からのプレゼントだっりして テレ朝チャンネルで82年5月の大阪大会の初代タイガーVSブラックタイガー放送してたけど
寺西はタイガーの入場の時、若手と一緒にタイガーをガードしてたのが何ともw >>194
その当時新日本対国際軍団の抗争は休戦状態?だったんだっけ。
浜口も新日本の若手中堅に混じって一セコンドやってた気がする。
ラッシャーは剛と一緒にクローズする直前のロス地区に参戦してたんだよね。 同時期に札幌でマツダ・谷津と対戦してたか
おそらくはマツダの最後のテレビマッチ >>197
マツダ谷津ていいな。
マサ長州の亜流みたいで 猪木を圧倒したシュートレスラー列伝
ビル・ロビンソン
蛇の穴、ビリーライレージム出身の強豪、正統派ランカシャースタイルレスリングの使い手で投げ技も得意
ボブ・ループ
レスリングの強豪で鳴らしパワフルなアマレス殺法に加えラフファイトも強くシューターとして怖れられた
ローラン・ボック
欧州屈指のレスリングの強豪でプロ転向後も妥協なきシュートスタイルで怖れられた、巨体から繰り出す高速スープレックスは必殺の威力を誇った マツダはサマーファイト2にも継続参戦
岡山のマツダ、谷津vsアドニス、グラップラーが最後のTVマッチ 当時の戦績みたら結構マツダ、谷津組のタッグマッチ多く組まれてたのね
谷津にとってもやっぱり大きな存在の師匠だったようだけど >>199
ケイブンシャのプロレス大百科ではボブ・ループについて
「あいつのファイトに妥協はない、プロレスラーにケンカをやらせたら、あいつが一番強いかも知れない」という
猪木のコメントが載ってたな マツダ・谷津vs浜口・寺西はつべにもあがっていたな。
新進気鋭の谷津を売り出すためのカードって感じだった。
しかしこの四人が84年には全員維新軍になっているとはw >>196
このシリーズの後楽園行ったときに木村と剛の海外遠征の発表してた >>196
国際軍団の活動費捻出のためにいろいろ大変なんだなあ。って当時は思っていた。 >>188
ルスカやアレンはスポーツマンシップに則った試合なら最強だが
反スポーツマンシップのシューター相手にはどうか・・・
そのようなシューターはスポーツの世界では永久追放ではあるが。 プロレスのシューターというとポリスマンみたいなイメージだな。
道場破りを制裁したり、ルール違反をするレスラーを懲罰したり。 ボブ・バックランドのWWF王座に挑戦するも、狼軍団の乱入でタイトル獲得ならず
https://pbs.twimg.com/media/EXib3WgVAAItO2t.jpg
猪木「マツダ、明日〇してやるからな!!皆さーん!約束です!明日〇してやるからーー!」 ビートたけし司会、全日本プロレス軍団が出演した
底抜け脱線ゲームスペシャルで、CM明けに
たけし「こんばんは、マンモス鈴木です」
馬場、鶴田、天龍ら全日レスラーズ大爆笑。 >>208
そもそも何でプレ日本選手権にバックランドが 今の時期となればやはりWWFジュニアヘビー王座決定リーグ戦
あれを凌ぐジュニアヘビーのリーグ戦は未だに存在しない >>211
この時は猪木とのWWWFタイトルマッチ1試合のための特参
恐らくプレ日本の蔵前での決勝前に行われる
大阪府立での動員のためにビッグマッチを組みたかったんだろう
実際この時は府立のような大会場で猪木相手のメイン張れるカードの相手って
マツダか坂口くらいしかいなかったんだけど
決勝前々日(前日は移動日)の府立は3位決定戦が組まれてたので(坂口vsマサ)
ここで興行都合で猪木のビッグマッチ組むには
バックランドかアンドレかシンあたりを呼ぶしかなかった >>216
同時期の全日本が最強タッグにニックを呼んでいた事への対抗もありそう >>208>>210
「よ〜し、折っちゃうぞ〜」
「キャッ、やめて!」
ってイチャついてるようにしか見えなくなってしまった 新春黄金シリーズて約6週間のロングツアーだったよね。
レスラー達は勿論だけど裏方も大変だよな。 >>204
そんなのを会場での発表してたんだ。(驚)
興行のどの段階で、誰が発表したの? >>221
第6試合後の休憩前に木村と剛の2人がリングに上がりケロが発表してた
2人ともマイクでの挨拶は無かったけど >>222
情報ありがとう
若手の海外武者修行報告みたい 国際のDVDセット 観たが
なんでM井上はあんなに新日嫌いなのかね
選手よりデカいマンモス ボディービルの遠藤
国際のレフェリーは逞しい >>224
新日嫌いの理由は複数あるけど最初はS小林と剛の引き抜きによる国際の弱体化だと思う >>219
新日は基本、シリーズ(巡業)が長い。
昔から闘魂やサマーファイトやビッグファイトも第1弾や第2弾とか2期に分けてたり。
それで最盛期の80年代前半だと年間200試合を超えてた。
全日や国際は150〜60くらいだったかな? >>224
国際初期に豊登から猪木の悪口を聞いた。(井上は猪木と会話したことないとのこと)
「小林引き抜きがなければ国債は潰れていなかった」と新日と小林を恨んでいる。
ヤマハとの試合で小鉄に指を極められたりと固い攻撃で仕掛けられた。
健吾の試合が気に入らなく、おまけに浜口を失神KOされた。
3vs1とか新日に行った木村、浜口、寺西の扱いが気に入らない。(浜口、寺西は満員の蔵前のメインで最高だったと言う)
ジャパンの選手が嫌いで、マシン、ヒロ斎藤「井上さんが硬くて技を受け付けない」 >>225
なるほど
あと国際が潰れた時
新国際軍団を悪者扱いしたのも
あるのかね
新日で悪役やるより
全日で前座のほうがいい
みたいな >>227
>おまけに浜口を失神KOされた
それ観た!!! グレート草津、アニマル浜口という準エース格のタッグもヤマハに負けを飲まされているくらいだからな。 >>230
長年タッグ王者だった草津が外れるための王座移動劇なんだろうが、フォールを取られたのは2本とも
浜口なんだよな。最後ぐらい自分が寝りゃいいのに、ヤマハの2人相手だからイヤがったんだろうな。 >>231
草津とヤマハ、小林と井上、浜口だと体格が大人と子供だった。
やはりショックだったのは、小鉄(4の字)井上
ホフマン、ラシク、グラハム、ニック、スティーブンスに勝って、
ロビンソン、ガニアのAWAとのWタイトルでドローの井上が小鉄の4の字でギブアップ・・・ 扱いだけ見れば全日でもひどかったからな
いくら潰れた団体からの移籍組でもかつてあれだけの実績のあった選手を中堅以下の扱い
天龍の下ぐらいのポジションでうまく使ってもよかったような
極道コンビとかロッキー羽田の扱い見ると新日憎しで全日しかなかったとはいえそんな希望のある団体でもないよな >>227
オープン選手権や全軍対抗戦での馬場の木村に対する扱いも相当ヒドイもんだったけどな >>235
全国ネットで放送してあげて、しかも木村が傷つかないような不可解な結末にしたんだからいいだろ?
国際と新日の提携時代なんか、猪木どころか坂口も国際勢とは一切絡まなかったんだぞ?
新日のトップクラスが国際勢と絡んで全国放送したのって、藤波vs阿修羅戦ぐらいじゃなかったか? ヤマハにも負けた浜口が維新軍に入った途端に外人エース格と互角なんだから笑える。
本来ならマードック・アドニスには秒殺されるレベルだろうに。 昭和プロレス70年史は買ってオッケーな内容ですか? >>235
全軍対抗戦では木村は対抗戦に全勝だが
対抗戦タッグマッチ30分1本勝負
ラッシャー木村 (1-0) 天龍源一郎
マイティ井上 ロッキー羽田
@井上(16分7秒片エビ固め)羽田
対抗戦60分1本勝負
ラッシャー木村(1-0)ジャンボ鶴田
@木村(21分18秒片エビ固め)
対抗戦タッグマッチ30分1本勝負
ラッシャー木村 (1-0) ジャイアント馬場
グレート草津 ロッキー羽田
@木村(13分52秒片エビ固め=クロスチョップ)羽田
それでいてブルックスとは両リン 馬場vs木村の足4の字固めリングアウト勝ちは、金一道場を加えた三軍対抗戦の方だよね。 >>240
全軍激突戦だな
三軍対抗戦は92年の鶴田軍vs超世代軍vsハンセン軍 >>241
そんな名前だったっけ?キムドクの乱入で、鶴田戦で反則負けになってしまった木村は可哀想だったね。
木村「蔵前の試合といい、今日大阪での試合といい、まったく私はツイてないですよ!」 >>239
意図したかどうかわからんが、国際の営業の弱さか悲しいほど客が入らず
鶴田敗北の影響が全日にまったく響かなかった >>226
70年代は6週間なんてざらだったな。
その分年間のシリーズ数は6つくらいだった。 小林が国際プロレス退団したのは草津との確執があったからだろ
草津はマッチメイクの権限を持っていて小林はエースの自分より草津を優遇する会社に不満を抱えていた >>246
小林は草津にいじめられてて小便を飲まされそうになったとか
小林は弱くて舐められていた部分もあったのかもね
温厚なラッシャーですら「怪力で売っていたが全然パワーがなかった」と
言っていたって話だし >>234
吉原社長が一方的に決めた新日の対抗戦に反旗を翻し竹内氏に経由して全日入り。
井上の離脱で他の選手も離脱が相次ぎ新日・国際全軍対抗戦をたった三人の参戦して
スケールダウンさせた楔を打ち込んだ論功行賞で全日の記念興行にマスカラスの相手役
と大抜擢されてポスターのデカデカと載る恩恵を受けている。
淵、ドラゴンを撃退しジュニアの絶対王者化していたチャボに馬場は
「もう井上しかいない・・・」と減量を命じてジュニア王座に挑戦させていて外様の中
でも馬場の評価は高かった。 >>248
井上は技量やタイプ的にも応用が利いたからな
また同じタイプが譜代にいなかったのも大きい
新日本なら星野の立場に近いが明らかにそれよりは上 小林虐待してたグレート草津って酒乱で酔うとヤバかったんだよな、だから付き人になるのを若手は嫌がった
猪木も小林が見かけ倒しで身体が硬くパワーもないって言ってたなw国際は小林の気の弱さと実力がわかってた
だから猪木は信用できん、負けブック飲まされて醜態晒すのは勘弁してくれと、小林のフリー宣言やめさせたかったんだろうなあw >>247
ほかにもラッシャー木村が小林に辛辣なコメントをしているのを見たことがある。なにかよっぽど腹に据えかねることでもあったのだろうか。 つまり、グレート草津最強、吉原も草津が本気でプロレスに取り組んでいたら華がありガチも強い凄いレスラーになっていたと惜しんでいたからな
それと、夢のオールスター戦で坂口との角刈り日本一決定戦見たかったなあ >>248
> 淵、ドラゴンを撃退しジュニアの絶対王者化していたチャボに馬場は
> 「もう井上しかいない・・・」と減量を命じてジュニア王座に挑戦させて
だから
チャボへの挑戦は渕より井上が先、ドラゴンはチャボに挑戦さえしてない
って何回言ったら分かるんだよ 井上のサマーソルトドロップは真似したくなるし、実際にやってみたけど、
独特のステップが子供心に難しかった。 >>237
ヤマハ以下の永源と一本ずつ取り合っているからなあ。そんな浜口をフェンス外に放り投げて反則負けで頭を指して出来の差をアピールされた荒鷲は間抜けに見えた >>222
昔の興行は現在のように演出パターンが発達してないぶん、
地方によっては試合合間に唐突にリングアナとかフロントの人が登場して
そういう「海外遠征が決まりました」「海外遠征から帰国しました」とかの挨拶から
「〇×募金に寄付をしました」とか
「特産の〇×一年分がスポンサーの株式会社△様から贈られます」
とかが挟まれたりってのもわりとあった
その会社のエライさんが少し緊張しながらも
得意そうに『目録』とかを猪木や坂口に渡したり
そういえば最近は『目録』とか『金一封』という言葉と体裁で
とりあえずざっくりとなんでも済ますってのが世の中無くなってきたな >>251
>木村が小林に辛辣なコメントをしているのを見たことがある
何年か前のGスピで木村の息子さんが登場した時に
木村が酒飲んで酔うと「省三は許せない」みたいに吐き捨ててた事を語ってたね
腹に据えたのは息子さんによると、新日移籍というか猪木戦の事だと思うけど…
エースとしてこれから、という時に離脱した上に負けたから「間接的に国際のイメージも落ちる」だろうし
あとは、テレビ放映存続の問題もあるかも… >>252
ルーテーズニ秒殺され(当たり前か)
現実は甘く無かった >>258
17分50秒体固めでテーズ勝利だから秒殺ではないだろ あれ 俺の記憶違いか !!クロニクルの対談で
あのマッチメイク自体呆れてたような(当時の新聞も出てた)
でもテーズと17分闘えばすごいよなあ 猪木は老いたりとはいえゴッチから得たベルトでテーズと防衛戦やって勝った
そうやって歴代の名レスラーから勝ちブック貰って格や知名度を上げていくんだよ
吉原みたいに勝ちブックも貰えないのにただ一流レスラー呼んで
所属の日本人レスラーポコポコ負けさせて殿様待遇で帰しちゃったら意味無いんだよ
さっさと海外に帰っちまうビル・ロビンソンに勝てないレスラーしかいない
国際プロレスを誰が観に行くんだよって 井上はチンチクリンのナルシストだから小林に嫉妬しただけでは? IWA世界タッグって主力選手らで幾通りかの組み合わせがあったが、
小林&木村組というのは実現していないな。つうか国際スレで書けばいいな。。w 新日では猪木とS小林のタッグって見たことない。
一度、対Mスーパースター&Nボルコフとの対戦が予定されてたのに、
小林がシンに腕をやられ長期欠場、星野が代打で出た。
三本勝負なのに二本とも負けたのがショックだったなぁ。 >>253
王者に返り咲いたチャボに挑戦表明する井上が格好良かった
翌月には寺西が初代タイガーと対戦したし 上田と組む前のシンは、3本勝負だとシンが1本取り、パートナーが2本取られて負けるのが定番だったな。 杉山・小林・木村が新日のリングに上がったのだから草津も新日のリングに上がって
坂口と絡んで欲しかったな。負けた方がロン毛になるまでリングに上がるのを禁止に
するとかのルールで >>266
モンゴルズとのタッグ戦がビデオ販売されて
いたよ。
随分前だけど。 >>271
木村&井上組は王者になっていないが、国際崩壊前に王座決定戦に出て
エラリング&ラザンに負けちゃったんだよね。その後に井上&阿修羅組が挑戦して王座奪回、
しかし防衛戦を行う前に国際が崩壊してしまった。 >>254
ドロップキックは年とともに高さが落ちると言われるけど井上も国プロ時代の方が
サマーソルトドロップも高く飛んでいて見栄えは良かった。 >>261
初代世界ヘビー級王者フランク・ゴッヂが所持していた伝説のベルト(たぶんそういう名前のおもちゃのベルト) >>261
テーズが草津潰すのを黙認した吉原ってアホだよな
テーズの話だとTBSの幹部はテーズに負けブック受けて草津をスターにしてくれて要請したけど、吉原はあんたにもプライドが有るだろうから無視して結構と告げた
これをテーズはGOサインと受けて草津を強烈なバックドロップで倒してしまった、テーズはサンダー杉山にはフォール許したが草津にはフォール取らせなかった 草津が負けたのが秒殺だとしても、試合時間云々よりも
二本目以後に続行不能の方がダメージが大きいだろう
それも生中継だったんでしょ…?
デビュー戦のイメージを払拭できなかったのは、後のコブラや北尾を想起させる
まあ試合には勝ったから、内容の問題だけど 失礼、テレビ中継開始のエースとしてのデビュー戦という意味ね。 R木村 G草津 VS M井上 A浜口
これは いい試合だったな 国際は時代には恵まれていたね。あの面子でTBSや東京12chゴールデン放送して貰ってたんだから。日プロ末期に新日より先に坂口を入団させるとか吉原社長は考えなかったのかな? 猪木とマツダのプレ日本というと、この時、大会とは別にWWF王者ボブが来日して大阪府立で猪木と防衛戦を敢行したが
猪木がボブを追い詰めたところでマツダ率いる狼軍団が乱入して試合をぶち壊し、王座奪取失敗。
怒り心頭の猪木はマツダを名指し蔵前での制裁決意表明でファンをあおった。まあ激情の果ての扇動作戦w
猪木はこういうヒールからの悪辣な攻撃に我慢や忍耐を強いられた先のうっぷんを晴らすカタルシス的な手法が魅力だったなw
同年(78年)の流星仮面とGマレンコのNWF戦なんかもそんな感じだったな。葉巻で目を焼いてやりたい放題のマレンコ。
NWF戦でマスクドを仕留めた後、マレンコも別にシングルでリングに上げてノックアウト。ファンの留飲を下げた。。 >>280
IWAタッグタイトルマッチにすれば良かったよな、テレビ放映もあったんだから。
北米タッグから小林が陥落した後、一度だけ坂口&長州組に挑戦したが、
草津は陥落後一度も挑戦しなかった。草津の変なプライドが許さなかったのか? >>282
この乱入劇はもっぱら仕事してるのは
斎藤、杉山、上田ばっかりでマツダが全くと言っていいほど目立たないんだなw
猪木がマイクで名前出して「え?マツダってこの場にいたっけ?」というくらいに
猪木とマツダが普通に試合したら地味すぎて
蔵前が盛り上がらない(実際に不入りだった)からこんなことやったんだろうが >>276
ゴッチベルトの防衛戦をテーズとやった事実はない
NWFの防衛戦ならやってるけど >>284
んまあ、あの時はマツダはリングには姿を見せてなくて「マツダの指示を匂わせた」アングルを
出したかったんだと思う。 猪木もプレ日本選手権でマツダと絡んで、今後この抗争を続けても客受けしないと思ったんじゃないか。
翌春に急遽マツダが来日し、最終戦でマサと組んで坂口&小林組から北米タッグを奪取したが、
このシリーズでは猪木とマツダの絡みはまったくなかったような記憶がある。 意外と猪木は飽き性
ジャパンカップのタッグリーグ前田組と連戦やったら
翌年から半年間も前田との対戦なし・・ そもそもマツダと斎藤上田杉山はキャラが乖離しすぎてて軍団結成するのは無理。
顔だけの話をしても三人は悪党ヅラだしw >>208の画像は本当にいいよな、二人の楽しそうな表情w
こんな楽しそうじゃ蔵前は満員にできないだろw 猪木とマツダは横浜市出身だから横浜文化体育館でやれば良かった マツダはアメリカを主戦場に活躍する日本人レスラーなのに
妙にクリーンファイトに拘るベビーフェース主義なんだよな
マサ斎藤とカブキになる前の高千穂のスタイルを批判して
二人にボコボコにされるアレは何だったんだ >>289
国際で マサ 上田は
花束のお嬢さんを襲ってた
お嬢さんは「キャーッ!!」の逃げ回ってた
この極悪振り マツダは実力者だが見た目もファイトスタイルも地味で華がなかった!猪木はこういうタイプとは合わなかったね。外人レスラーで言えばボブループ辺りで例外はボックかな?あの試合もボックの地元でやったのが名勝負の一因になってると思うけど >>294
晩年の永源のインタビューで東プロ時代の二人を「マツダさんは動きがカクカクして
ぎこちなかったが猪木さんはは全てにおいて違う!やはり猪木さんだね!」と
論評していた。 バックランドが来ないと坂口VSマサの三位決定戦では大阪の動員は厳しいだろう。プレ日本選手権は全体的に客入りがイマイチだったみたいけど当時としては
仕方ないだろう。 プレ日本選手権は猪木がヨーロッパ遠征していてほとんど猪木不参加だったから不入りは仕方ない
終盤になってから猪木が帰国して多少は盛り返したみたいだけど 第二弾がなかったのを見れば不入りだったのが分かる
今見れば新国際軍団のプロトタイプだけど
当時にほとんど日本人だけの興行じゃそりゃ客は入らないよ
猪木とマツダじゃ因縁もないし
やる前から猪木が格上だし プレ日本選手権と同時期に開催された日本リーグ争覇戦も客入りは悪かったのかな
ガイジン呼ばないと客が呼べない時代だったからこそ馬場も高額なギャラを
外人レスラーに払い続けたんだっけ 日本リーグ争覇戦の蔵前国技館は記録的な不入りだっただろ?メインが木村vsドク、セミが鶴田vs井上。
https://youtube.com/watch?v=POKm7BswrgE マツダの試合は地味で退屈なんだよ、要するにショッパい、実力なんて知らんしどうでもいいよプロレスなんだから
上田もマツダと同じで客が眠くなるつまらない試合ばかりやって眠り狂四郎なんてアダ名つけられたが
まだら狼になったら悪役としてブレイクして猪木やシンとのメインイベントで大会場満員にして観客やテレビ観てる視聴者熱狂させたんだから大したもんだ
高千穂もグレートカブキになったらすごい人気で会場沸かした、プロレスラーは客を満足させるのが仕事、上田や高千穂は一流、マツダは三流だ >>302
決勝の千葉公園なんてもっと悲惨なカード。メインが木村vsタナカ、セミが鶴田vsホー。 >>303
マツダはアメリカ南部でトップを取り、ダニー・ホッジに勝ってNWA世界Jr.奪取、
ルー・テーズのNWA世界ヘビーに挑戦して60分フルタイムは凄い。
地味なのによくトップを取れて、テーズ相手に60分も持つものだ。 アジア人という差別意識さえなければ、NWA世界ヘビーの王者候補にも上がってたという
ヒロ・マツダのレスリングがどんなに凄いのかと実際の猪木との試合を見てみたら
全然大したことなかったという。 >>306
マイティとのNWAジュニア戦はどうだったのかな? 狼軍団よりマツダが育てた外人引き連れてボス的な立場みたいでやりゃ良かったか
時期的にはもっと後の方がメンツ揃うだろうけど ホーガンもオーンドーフもマツダのコーチで育ったが、実際にはその接点を表に出すことはなかったな。
狼軍団より長州革命のマサ以上の総帥的な存在だったらちょっと面白かったかも。 マサはガクガクロボットマツダと違い柔らかくてプロレスが上手かった、パンプアップされた肉体から放つ捻りの効いたバックドロップは美しかった
猪木との巌流島はプロレスの達人同士によるスイングしたエンターテイメント >>305
マツダの場合実力もさることながらジュークケオムカ、エディグラハムに重宝されてたのが大きいと思う テーズ、オコーナー、ロジャース、ガニア、ハットンら60年代のアメリカのレスラーはマツダと似たタイプが多いが、
アマレスが基礎で個々のオリジナル技などで個性を出していた。
マツダも空手着、着物、柔道チョップ、クローなどの日本色を出し、大技ジャーマン、サイド、Wアームスープレックスもあったからトップだった。
バックドロップ、フライングボディシザースドロップ、ドロップキックをやるテーズが一番派手だった。
猪木は素晴らしいがアメリカではダメで、マツダ>>>猪木 TBSの森Pは「猪木かマツダをエースに出来ていれば国際は永続できた。
あの二人と揉めた吉原が悪い」と言っていたが
猪木はともかくマツダがいても永続はムリだったろうな
ただ、マツダであればテーズにバックドロップでのされて
二本目以降も試合続行不可能なんて醜態は晒さなかっただろう 逆にCS スカパー サムライTV など多メディア時代だったら
細々と続けられたか?? マツダは1984年IWGPの前後ぐらいのシリーズ
マサが不在の維新軍の大将、というか参謀みたいな感じで来日してなかった?
セコンドではテレビに映るんだけど、テレビマッチでは見た覚えがない…
前座か中盤で出場してたと思うんだけど…あとずいぶん細くなってた印象。 マツダはジャーマン出来たからプレミア感あったな。
今は誰でもやるけど、ほとんど投げっぱなしだが。
https://youtu.be/ikC0fIBUck4 >>315
サマーファイトだな。カネックにリングアウト負けの印象が強い >>315
あの時のマツダは週プロで維新軍と一緒に飲みに行った時のグラビアが1番印象に残ってるw >>313
TBS・森PはTV局員として華がある猪木に魅せられて「猪木・マツダの若さと技の攻防
のプロレスなら旧態依然に殴る蹴るの日プロにプロレスに対抗できる!
特に猪木は顔、体格、技、闘志と全てにおいて素晴らしく力道山を別格とすると日本人
最高のレスラーでしょう!」と賛辞を送っていて吉原社長には「あの二人をコントロール
できるんだろうな?」と再三、確認していた。ただ二人が抜けて実績の無い杉山、草津
しか居なくなってなぜかTV放送も取りやめず決められていた放映料も減額しなかった。
力道山とトラブルになってプロレス放送を打ち切ったTBSも日テレのプロレス中継に盛況
ぶりを見て「報道とドラマのTBS」と民放の雄を自認する中で「スポーツ」も
加えたかったんだろうね。 大量離脱後の新日にマツダを戸口同様で助っ人参戦させたら、と思ったが、
やはり猪木とのコンビは話題性に乏しいか。 >>320
中途半端な立ち位置になりそうな気もする
そういえばずっと後年、全日の大量離脱後に、越中が全日側につくような流れがあったね
結局はドームで渕と組んだだけで途中で頓挫してしまった
永島が全日社長になるまでの流れでは全日も統括して、団体間を移籍させる事もできだろうけど
まさかの武藤らの完全移籍で、ストーリー含めた永島プランが変わったんだろうか? >>321
越中は元々ジャイアント・シリーズのみ参戦予定だから何も変わってない マツダは凱旋帰国試合でエディ・グラハムとサム・スティンボートとの手の合う相手との流れるような技の攻防に客が湧いた。
それまでは力道山、馬場らがゴツゴツしたプロレスをやっていたが、馬場は手の合うプロレスを見て「うーん・・・」と唸ったそう。
藤波vs長州、四天王対決も手の合うプロレスだった。 >>322
川田は越中に親からの仕送りを巻き上げられていたから
シングル戦はいいリベンジの機会になったな。 >>313
答えは単純
国際の放映が月曜8時から
土曜8時に替えられたこと
いくらなんでも 当時放送してた
あの お化け番組に
勝てるはずない
月曜8時なら
もう少し長続きしたかも 国際は新日と提携したのが運の尽き。一番弱い蜀(国際)は呉(全日)と組んで一番強い魏(新日)に
対抗するしかなかったのに。その魏に擦り寄ったら、いずれは併合されてしまう運命だった。 月曜8時には三つ葉葵の御威光をかさに殴る蹴るのやりたい放題の天下の副将軍がいる >>327
馬場からしたらオープン選手権、三軍対抗戦で木村、井上、草津等とやって目新しさもなくこれ以上中堅レスラー増やしたくないと思ったんでは?ただ新日に参戦した国際軍団が馬場の予想以上にブレークしたのは馬場にとっても誤算だったと思う 国際のテレビ中継子供ながらに覚えてるのは、やっぱり月曜8時に山櫻名刺のCMなんかとセットだ 70年代後半ごろの全日馬場の国際との提携についての認識って、大木の韓国プロレスあたりもまとめて、
日本陣営(まあ韓国もだが)の活性化を図る意味はあったがあくまでそれは一時のもので、さらに継続して昇華させる意図は
ハナからなかっただろうな。あくまで馬場にとってわが全日マットは外人ファースト。
そこに限界を見ていた吉原氏や、脇から見ていた新日新間がタイミングを見て79年初頭のヤマハ派遣からの新日〜国際提携の蜜月(でもないけどなw)時代が続く。
で、崩壊後の国際軍団の貢献度というか、ファンも含めた浸透度ってたぶんこの時代の新日と国際の対峙が影響してると思う。
80年藤波と原のあの雌雄の関係も、まあ結局原は全日に行ったが、10・8蔵前開戦までは2人の決着を望む声も大きかったような記憶がある 最終的には国際は
みんな全日のほうに行ってしまった
剛 菅原はリストラ >>321
新間が国プロに移籍した形にして国際・新間軍団として新日に挑むと言う抗争を新間が
猪木に提案するが却下された。新間は東プロ崩壊後に国プロ参加を打診するも断れたらしい。
WWFもビンス率いる本隊と吸収したWCW残党組をシェーン率いて戦うと言う親子対決の
抗争劇をやっていたね。
>>324
やりたくも無い博打に付き合わされて巻き上げられていたらしい・・・ 阿修羅原は天龍という男気溢れるいい相棒に巡りあえて良かったよな
天龍にしても原がいなければ天龍革命はなかった、龍原砲は素晴らしいタッグチームだったからな
原は借金問題で全日解雇されたが天龍はSWSを旗揚げするとすぐに原を呼び戻した >>333-334
浜口が外様ではあるが新日OBみたいな扱いになっている
長州の盟友だったのが大きかったんだろうけど >>337
浜口は最後は全日だったのに、引退セレモニーは新日というのは何故だろう? 今ラジオでアニマル浜口が「気合だけじゃダメなんですよ」と冷静に語っていて、今年最大の衝撃を受けている所です。 >>311
マツダの試合は米南部の保守地域において
ヒールで卑怯なジャップレスラーが普通の中で
例外的に裸足で空手や柔道(風)殺法といった正統派、
「マイノリティのヒーロー」を演じることで成り立ってたからね
裸足ってのも要はB・C・ライトやA・ロッカのように
「マイノリティのベビースター」の王道
もちろんレスラー間で通じる意味での「実力」もあったんだろうけど
基本的にはフロリダに居ついてからは「ベビー」しかやらなかった人なので
そのへんのスタイルというか「立場」へのこだわりが相当強かったんだと思う
以前に日プロへ来たり国際設立時にも
自分ブッキングでやり馴れたS・スティムボートやグラハムとパッケージで来て
連日彼らとの「本場直輸入の熱戦」を繰り広げたのも
ブッカ―としてのビジネスはもちろんだけど
「日系ベビー」としての試合しか巧くは出来ないのを
(あるいはそれ以外本人的にやりたくない)
自分でも相当に強く意識してたんでしょう。 >>325
それは既に12チャン時代のことなので…
森Pの話はあくまでTBS時代の「創設期に(から)〜」という前提の話なので
少なくとも視聴率的には猪木・マツダの離脱は
ロビンソンというルックスも良くフレッシュな外国人善玉エース登場で
それなりには挽回出来てたんだとは思う
それでも日プロの後塵拝してたのはまあ後発としては仕方ない
問題はロビンソン政権があくまで暫定であった以上
そこから小林エース時代で盤石の体制築かなければいけなかったのに
一旦帰国後ロビンソンに負けたり
その後IWA王者になるもタイトル戦以外では
草津のマッチメークで絶対エース的扱いはされなかったりと
最後まで「スターエース小林」路線を徹底できなかったせいで
徐々に視聴率が下がっていったことだろ
74年後半からの12チャンネル時代の国際について
「エースに猪木やマツダがいてそのまま続いてたら〜」は
すでにその頃には井上、木村しかエース候補がいなかったわけで
どちらにしろ後の日経の積極介入とテレ東のキー局化に伴う
制作/編成プログラムの大改革を乗り越えるのは
どの曜日・時間帯枠でも無理だったと思う >>345
マツダとローデスは遡ること12年前のオープン選手権でもやってるな。
よっぽど手が合う組み合わせなんだろうな。 84年のサマーファイトシリーズにマツダとかマイク・デービスとかリック・オリバーとかバディ・ローズとかポスターに載っていたのに
小学生だったけどかなりショック受けたなぁ
マツダなんて維新軍の総帥みたいな感じで参戦って煽っていたのに…
ああいうのって地方巡業不参加組は都内のホテルで待機していたのかね
実際に来たのはシュルツ、アレン、カネック、キッド、スミスのシュルツ以外新鮮味の全くないメンバーだった 因みにポスターに載っていた藤原も高田もUWF移籍で来なかったし酷い大会だった
まぁその年の最悪なメンバーのMSGタッグに比べれば維新軍観れただけマシだったけどね ゴメン348だけど1文抜けていた
84年のサマーファイトシリーズにマツダとかマイク・デービスとかリック・オリバーとかバディ・ローズとかポスターに載っていたのに
ある地方大会に親に頼み込んで観に連れて行ってもらったけどそのメンバー誰一人来ていなかった
小学生だったけどかなりショック受けたなぁ
マツダなんて維新軍の総帥みたいな感じで参戦って煽っていたのに…
ああいうのって地方巡業不参加組は都内のホテルで待機していたのかね
実際に来たのはシュルツ、アレン、カネック、キッド、スミスのシュルツ以外新鮮味の全くないメンバーだった >>347
パッケージに試合結果は書かないでほしいな >>352
オリバー来ていなかった…
ちょっと調べたらバディ・ローズは来日中止になったのかなポスターには載っていたけど
とにかくオリバー、デービス、そしてヒロ・マツダは試合出場しなかった
アレン、カネック組だったかな異色だったけど彼らの試合はまぁ盛り上がっていた記憶がある
期待していたキッド、スミス組がひどい手抜きだったような >>354
キッド・スミスのシングルやったよね?
キッドのダイビングヘッドですっきり決着ついたはず
全日とはいえ、この時点ではまた誕生もしてない三沢タイガー
その半年後はキッドがその全日にいて、その三沢タイガーとシングルやるんだから…
今まで何度も回想談は書かれてたと思うけど、1984年の前半の世界王者路線と
後半期の三沢タイガーのデビューやジャパンとの提携など、ガラッと展開が変わりすぎ
ある意味では前半期にAWA王者になり、米国サーキットまでやり
他の日本人レスラーとスケールが違う展開だったのに、日本人抗争まで下りてきた鶴田が1番の犠牲者?かも。 マツダとローデスの試合もショッパい茶番だな、マツダは地味で見栄えが冴えない、プロレスは見た目のインパクトが非常に重要
インパクト絶大な悪役日本人レスラーのひな型作りあげたグレート東郷やハロルド坂田らは偉大 >>354
ローズはパンフにも載ってなかったよ
本来ならローズが載っていたであろう場所は新日のライオンマークに代わってたw スミスは新日にはワンマッチ+2シリーズしか来てないんだよね。
なのにすごく印象に残ってるなあ キッドがWWFジュニア王者として日本に戻ってきたシリーズ、当初は高田が挑戦者として発表されたが
藤原とともに突如UWFに電撃移籍、代役としてキッドへの挑戦者となったのもスミスだったよね。 >>360
カルガリー遠征のテレビが2度放送されてる。
コブラ&小林×スミス&ブルース・ハート
藤波&コブラ×スミス&ブレット・ハート キッドと従兄弟っていう付加価値と日本初登場でもキッドコールが起きちゃうルックスもあったかもね >>362
一回目はスミスが出たとはいえ全然印象に残ってないな。
二回目のほうはヘビー級なのに藤波が一番小さく見えたw
目の錯覚かなと思ってたんだけど実際に小さいんだね。 このカルガリーコンビがマードック・アドニス組やアンドレ組と戦うところを見たかったのになぁ
マードック組との異色対決は負けん気の強さ全開にして盛り上がったんじゃないかと勝手に想像
あと開幕戦でホーガンを緊急帰国させる役目もこのチームにした方がハクがついてその後のリーグ戦掻き回してくれたかも
ハァ…全日とヒトが最悪の引き抜きしてくれたせいで…せめてMSGタッグが終わるの待って新春から移籍とかにしてほしかったわ
ハンセンの時だってリーグ戦終えてからだったのにさ カルガリーコンビそんなにショックだった?俺は全然
だって夏頃に、藤波(7分台バックドロップ)キッドってあって、ジュニア軽視だと思ったから
たぶん白星配給だったのでは? ブラックタイガーよりキッドの方が人気あるからって新日は下手打ったな
リーグ戦の直接対決で完全にキッド>>ブラックという序列が出来上がってしまった
若手の壁にはなり得たけど、ジュニアとトップにはいられず
新しいジュニアのメインの踏み台に貶められてしまった >>365
まあその代わり、キッド&スミスvsハンセン&ブロディ、vsレイス&ニック、vsファンクスといった、
この時が唯一の対戦となった夢のカードが全日でいくつも実現したってことで。
いずれもノーテレビで写真しか見れなかったけどw 全日行ってからのブルドッグスは名勝負たくさんあったね。ハンセン&ゴディ、マレンコ兄弟、カンナム。 いやいや新日ファンとしてはあのショボいメンバーでも彼らがいたらもう少しマシだったと思ってしまうのよ
そりゃ全日ほど魅力のある外人対決はないけどさ大量離脱後に何とか揃えたメンバーの中で一番フレッシュだったじゃない
vsホーガン組、vsマードック組、vsアンドレ組、vsマシンズとまぁ見栄えはしたと思うから
それがホーガン1戦して帰っちゃうしカルガリーコンビがライバル団体の同じようなタッグリーグ戦に行っちゃうしで
新日の歴史の中であれが一番最悪のメンバーで盛り上がりに欠けたタッグリーグ戦だったな あくまでヒト側の言い分だけど、さんざん世話になっておいてちゃんと金銭面で報いてあげなかったそうだからしゃーない 戸口のパートナーどうにかなんなかったかね?せめて星野とか日本陣営2チームじゃ・・
坂口&戸口、木村健&コブラとか 新日と全日では観客動員と視聴率で新日が上回ってはいたが
ワールドプロレスリングと全日本プロレス中継の制作費を比べたら
全日本プロレス中継の方が大きい金額。
テレビ朝日と日本テレビでは会社企業として大きな差があった。 坂口体制になってブッキング料を節約したいと言い出して
大剛とミスターヒトのどっちかを切るという話になって
大剛の方がヘビー級をブッキングできるとかなんとか…
だがもバンディもヒギンズも新日の盛り返しとはなり得ず
プロディ招聘まで暗黒期間が続くことになる >>374
田中ケロが「真夜中のハーリー&レイス」に出た時の話
猪木さんは昔、「ウチは全日に負けてるものが2つある、それはレフェリーと花束嬢だ」と言ってました
全日の花束嬢は日テレが用意するから美人が多いけど
新日はプロモーターに任せてたから、飲み屋のおネエちゃんが来るんですよ >>376
そんな全日の花束嬢も80年代後半には観客から「赤っ!」「俺は白っ!」だのと好みの嬢を服の色で叫ぶという下衆い扱いを受けることになるんだよな >>367
シン上田→ブッチャー引き抜いた仕返しだから仕方ないかな?シン上田共マンネリだし
ハンセン→東スポ見た瞬間ショックで絶望的になった。馬場と日テレの怖さを再認識した
キッドスミス→東スポ見た瞬間馬場と全日に怒り沸点に達した、大量離脱されて瀕死の新日には留めに近かった >>374
NETは在京TV局の2弱から抜け出すべくブランドのある朝日に社名変更し他局の人気番組
である石原プロの刑事ドラマや伝七捕物帖を引っ越しさせてついには五輪中継を抜け駆け
し独占放送権を獲得と言う大博打に出たが・・・
>>375
ヒトは大塚氏に恩があるから動いたと話していた。カルガリーに来た日本人レスラーには
自費で住居。トレーニング先等と面倒をみていて後年も感謝している新日レスラーは多い。
>>376
タレントの大島さと子は学生時代に日テレイベントコンパニオンをして旅番組で蔵前の
思い出に「シンが突進してきたので花束を投げて急いでリングから降りた!」と語って
いた。 >>376
>レフェリー
ミスター高橋はヒールの反則を見逃すのが下手と言うか
まるっきり見て見ぬ振りだったからな
坂口・小林対シン・上田なんてほとんど片方だけ凶器公認マッチw
ジョー樋口はブッチャーやシークが凶器出すタイミングにあわせてセコンドに
指示出したり紙テープ片付けたり
タッグの場合は控えてるパートナーに注意したりと
わざとらしいほど「見ていない」シチュ作ってたw 高橋はシンと一緒にトレーニングしてる写真撮らせてた
アホかと思ったわ 高橋の悪レフェリーは最低だったな
ジャイアントマシンで多くのファンは新日見限った 猪木が失神したホーガンのアックスボンバーの時、
当たる瞬間の、ミスター高橋のリアクションが未だに意味不明なんだよなぁ。 >>382
ジャイアント・マシンは不評ではなかっただろ
当時のファンが見限ったのは、マシンのマネージャー若松がミスター高橋を催眠術で操ったり >>386
探しても資料は出てこないけど、当時を覚えてる人が書いたブログはあったw
そうなってくると、まずあげられるのがKYワカマツ先生。
レスラー、マネージャーでありながら、新日マットでは催眠術師として名を馳せました。
レフェリーのミスター高橋を催眠術にかけ操縦、マシン軍に有利なレフェリングで猪木を
あと一歩というところまで追い詰めた手練。これは大きな実績です。
ただし、猪木の加撃により最終的には破られてしまいましたから、選手にかけた場合の有効性には疑問符がつきます。
しかし猪木、20年以上前にこんなことやってたんですから、よくも悪くも途方もない男です…。
http://mori1975.cocolog-nifty.com/wrestlog/cat21712262/index.html >>385
黒歴史になっているけどミスター高橋が悪のレフェリー化したことがあったんだよな
当時ブームだった阿部四郎をパクったんだろうけど
ストロングスタイルが女子プロレスをマネるってプライドないのかよと思った 評判悪いと猪木とミスター高橋が何やら和解してたな。
プロレスだからああいうのはあって良いよ。アホがガチと思い込まない為にな。 阿部四郎のブックは全女が上手かったな
あれで極悪同盟が男女通じてあの時期一番ヒールらしいヒールだったんじゃないだろうか 85チャレンジスピリットはカルガリが抜けて日本人が手薄な上にジャイアント、スーパースターがマシンになる最悪な流れだった印象…
その代わり荒川、小杉、山田、武藤、橋本をテレビで見れたのは良かったけど
どうせなら力抜山対ヒギンズとかもテレビ中継してほしかった 力抜山って、平田が新日離脱したらまた素顔で出ていたんだっけ? 三号のヤス・フジイはマシンの活動休止と共にレスラー廃業だっけか 力抜山に戻ってテレビマッチもあったよね
例のノータッチトペもやってたと思ったけど、この辺の記憶が曖昧になってきちゃったのが >>393
当時中学生だったこともあり数年後まで3号の正体がヤスフジイってわからなかった… フジイ自体がコアなファンしか知らない存在、国際への凱旋も1シリーズだけでお払い箱だったし。 俺は84闘魂の最終盤にちょろっと姿を見せた小柄白人のマシンを、
そのシリーズに参戦していたブレッド・ハートだと思ってたわ。
UWFに来ていた外人にアルバイトさせてるなんて夢にも思わんからなw >>329
鍵は二つのオープン選手権に参加できなかった浜口だというのが面白い 70年代、少なくとも藤波が次世代エースで出現するまでの新日って、若い女性や子供に受ける感じじゃなく
男性や高齢者中心のファンに支えられた日プロ以来からの雰囲気を引き継いでたと思う。
それが藤波の登場や外人の顔ぶれの向上、また猪木ボンバイエ等のテーマ曲導入など会場の雰囲気は華やかになり
そして80年代、タイガーマスク、国際軍団、長州革命、第1回IWGPと人気は急上昇、新日ブームの我が世の春を謳歌した。
そして堰を切ったように一気に大量離脱等、団体人気の低下。。
この期間、わずか6〜7年の出来事。自分にとっては子供だったから長く思えたが、すっかり歳を取った今では全く10年にも満たない
年月なんで昨日のようなこと。今振り返れば猛スピードで時代を駆けていったんだと感慨にふける次第。 >>378
俺も東スポでキッド&スミスの電撃移籍を見てショックだったし馬場に対する憎しみでしばらく落ち着かなかったわ。
かろうじて自分を慰めていたのは、藤波&木村に二戦二敗のキッド&スミスが鶴田&天龍と互角だったこと。
それで「新日のほうが全日より強いんだ」と思うことで少し鬱憤を晴らしていた。
ただ新日正規軍に圧勝の長州軍団が全日では無双しなかったほうがインパクト強かったな。
新日フロントは維新軍団を優遇しすぎたよ。あれが裏目に出た。 あと、当時熱狂的な新日ファンでプロレスラーを目指すといってた同級生が、
デビューしたら渡米して全日の目玉外人勢をあっちで潰して来日させず全日を干す、
みたいな「作戦」を立ててたわw
今となってみれば笑い話だけどあの頃はみんな真剣だった。 >>398
この年の闘魂シリーズは荒馬オートン以外、スーパースター、アレン、ブレアー、ハート、ブラックタイガーと落ち着いた感じの外国人メンバーが揃ってたね
だからマシンと若松が目立ったんだろうけど 若松も新日切られてからSWS旗揚げの間いろいろと暗躍するんだけど
在籍中はもう最後の方鬱陶しかったからな
マシンズのマネージャーのはずがマッドマックスとか一応マシンだからいいけどジャイアント・マシン組についたり
ケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴのマネージャーやったりで節操ないし特に必要と感じていなかったけど
まぁそれがSWSの裏方で一気に存在感を増すんだからなぁ そういや、スーパーストロングマシンが全日を経て87年にまた新日に戻ってきたとき、
若松はまだ新日にいたと思うけどあれからマシンと絡んだことはあったのだろうか? >>405
長州軍〜ニューリーダーだったから絡んでないんじゃないかな
若松を次に見たのは海賊ガスパーズのマネージャーだった記憶が 若松は末期はラッシャー木村のマイクに影響されたのか
放送席に座ってマイクパフォーマンスをやっていた >>401
維新軍、キッド・スミス引き抜き等と大塚氏の策に翻弄される新日を見て馬場は笑いが
止まらなかった。全日が新日を一番、追い詰めた時期。
ちなみキッド・スミスのMSGタッグ参加を発案したのはマッチメーカーだった坂口で
不参加どころか同時期のライバル団体の最強タッグ参加にはがっかりさせられたらしい。 維新軍の引き抜きに関して大塚は知恵の輪があるから新日と争っても問題ないと発言して知恵の輪が何かは墓場まで持って行くと言ってるけど知恵の輪ってハイセル絡みの不正経理かな? かつてのライバルだったキッドやカネックに完勝するようになった藤波。そりゃ外人に逃げられるでしょ カネックって、藤波とはいい試合してたのか・・・オススメあれば、教えて。いや、藤波に限らず、カネックの好勝負を教えて >>406
若松がガスパーズについたりしてたっけ
全然記憶にないわー >>405
ナガサキ&ポーゴか誰かと対戦したときに
あまりの五月蠅さに怒ったマシンが試合後
「若松まだ生きてたのか!マシン軍はどうした!連れてこい!」
マイクアピールした
当然ながら後には繋がらなかった >>412
79年のMSGシリーズの決勝のセミの藤波カネックは名勝負だよ
メインの猪木ハンセンよりも内容がいい 藤波&チャボvsカネック&ソリタリオなんて試合もあったな。
カネックとソリタリオは、メキシコでは絶対に実現しないタッグ。 >>415
まさか、カネックがいい試合してるとは・・・。見てみるわ。ありがとう >>412
このレスに少なからず衝撃を受けた。
ゼネレーションギャプ?
藤波のライバルの中でもベスト5ぐらいには入るかという相手なのに……。
テレ朝に映像は残ってないらしいが、日本初対決の両者KOになった試合がカネックのベストバウトだと思う。 カネックは
猪木とのNWF戦も頑張ってると思う
ストレートで負けるけど猪木を流血させたり場外トペやったり
日本では見られない姿を見せてる >>408
うん。UWFに参加してて、新日には覆面かぶって参加w
俺は小柄の白人ってハートしかいないからあれだと思ったんだわ。
>>411
WWFも自分ところのスター選手が藤波や長州に負け飲まされては怒るわな。
スタッドがIWGPで途中帰国したのは長州ごときの引き立て役にされてやる気なくしたんだろう。 スタッドの帰国理由は何だったっけ?
どうせ負傷欠場か
こういうケースってタッグリーグの時のパット・パターソンのように最初から1週間契約とかじゃなかったのかな
スタッドも帰国後すぐWWEのサーキットに何食わぬ顔で参加していたとかじゃないの 全日のオープン選手権とか、シーク負傷帰国の最強タッグとか、最初から1週間契約はあったみたいだね。
でもさすがに1試合だけ出て帰国は、ホーガンのあのタッグリーグ以外はなかったんじゃないかな? スタッドが途中帰国したのは1984年か、帰国して2日後にミズーリ州で試合出てるな。
その後2週間くらいのオフがあったみたいだけど。
以前にホーガンが1試合で帰ったケース調べてみたらしばらく試合出てなかったな。 >>421
たまには別の場所言えよ。
山形とか鳥取とか。 >>424
アンドレ戦で場外乱闘、ラリアットをかわされ鉄柱にラリアットして腕を痛め、
さらにアンドレに腕折りやられて骨折したということになってた。
でもたぶん開幕三日目くらいに長州に負けを飲まされたのが帰国の理由だと思う。 スタッドの第二回IWGP途中帰国はいろんな物議が飛ぶね
海外ではマスクド・スーパースター二号を名乗っていたことから
スーパースターと戦う時だけマスクをまた被って欲しかったとか
クインとビッグジョン対決をせずに帰国したのは残念だったとか >>425
カマタの緊急参加はプロレス史に残る
早技だな。
なんせシークが蔵前で負傷して2日後には
東北の巡業に参加しているんだから。 ロビンソン組との対戦は直近のPWF三代王者の揃い踏みだったんだよな カマタはハワイで暇してたんだろ、スケジュール開きまくってたわ。 >>430
おそらくカマタは蔵前当日は在京していたろう。 >>430
ドリーがシークの手の甲を執拗に凶器攻撃して重傷帰国アピールに協力している・・・ >>427
山形とか鳥取とか本当に人が住んでるのかみたいな
クソへんぴな所にプロレスが来るわけないわwww 大仁田がジニアス戦をドタキャンしたら、いきなり代替えでジニアスと接点のないタイガー・ジェット・シンが出てきたのも速攻技だった。 >>434
前年がファンクスの反則勝ちで今回は逆っ奴だな
テリーでなく冷静が売りのドリーがやるからこそインパクトもあるって
蔵前でのドリーの反則暴走となると後のブロディとのインター戦も思い出す >>419
タイガーマスクデビューから見始めたから、藤波のジュニア時代は知らない。ライバルと呼べるのって、チャボ、剛くらいの認識だが、カネックもそうだったんや。自分が見始めてからは、メヒコではエースということだが、猪木に良いところなく負けたり、飛龍十番勝負でつまらん両リン試合したり、雑魚のイメージが強かったんで。 >>439
10番勝負で両リンって内容ともかく凄いぞ!あとタイガーマスクのカネック戦はタイガーマスク一番の苦戦試合 噛ませ犬発言直前のメキシコ遠征で長州とカネックはUWA懸けて奪い合いやってたけど、
2年後にはIWGP乱入ペナルティからの復帰戦って名目の後楽園のシングル戦、
長州のワンサイドで挙げ句にマスク剥ぎまでやりたい放題されて、カネックが噛ませ犬状態にさせられてたなあ
カネックもメキシコ戻るとアンドレ投げたりしてるんだが カネックは覆面剥ぎの時の敵前逃亡が全てだな
タッグリーグでは二年連続ビリだし IWGPが空気の薄いメキシコ開催だったら大型のアンドレやホーガンが苦戦して
地元のカネックが地の利をいかして優勝戦に進出していただろう その条件なら猪木も脱落でカネック対エンリケベラでIWGP優勝戦だなw カネックを藤波のライバルと言うにはカネックに失礼かもしれないな。
日本人的にはオーエン・ハートのところがハンセンだろうけど。
https://youtu.be/avCcLqpm7Yg >>439
藤波のJr時代のライバルというと
今ではチャボの名が一番に挙がり
その後剛やキッド、カネックの名を挙げるパターンが多いけど
(あ、健吾…w)
M・グラハムとかS・カーンのような
Jr戦士というより少し小柄だけどヘビーでも普通にやってるような相手に
三本勝負で一本取られたりベルト失ったりと
苦戦してた印象の方がむしろ強いなあ
JrがJrっていう専用カテ的なイメージ強くなったのって
やっぱり“負けること出来ない”タイガー時代以降の記憶
それも実際にはカネックやライトやロバーツやソントン、
あとスコルピオやベビーフェイスのような豆タンク型のずんぐりメキシカンといった
小柄だけどヘビーでもJrでもやれるような相手ともわりと絡んでたよね カネックは現地だと猪木レベルの格だよね
日本ではそこそこの格に徹してくれて感謝しなくちゃな、と思う プロレススーパースター列伝のタイガー編では、カネックは巨人となっていたが、
カネックってそんなにデカくないよな。
あと、あのタイガーとのスペシャルマッチ、メキシコからの刺客みたいな書かれ方だったが、
単純にタッグリーグにカネックが来ただけなんだよね。
さすがにあれは変だと思った。 前スレでカネックは「強いか 弱いかよくわかんねー」
みたいだったが 今回は評価良いねえ
外国でシンにも勝ってるんだよね カルロスコロンもプエルトリコじゃ馬場、猪木級のレジェンド。
日本のけり馬場猪木クラスは世界のどこにでもいるとは言わないが
日本だけに固執してると外の世界は見えない >>446
キッドは藤波・初代タイガー・コブラの三代に渡ってというより最後は自分自身が主役になって新日ジュニアを卒業した印象 キッドは その前に国際にいた
もっとスリムだった
ヨーロピアンルールのラウンド性で
原と引き分け >>453
ファイトスタイル自体は荒々しかったが、長髪で貴公子みたいなイメージだったよな。
国際との争奪戦で新日初見参となった新春シリーズでは、いきなり丸坊主でガラリと変身。 >>455
この日は確実に金八先生の「腐ったみかんの方程式」の回を見ていたよ。 キム健がゲレロに敗れてインタージュニアそのまま全日へ持っていかれる布石になった試合か。。 旧インターJr.のベルトを大仁田が巻いたって事は、チャボがそのままアメリカへ持っていってしまったって事だよね
チャンピオンベルトって団体が管理してるから新日に置いといてたんじゃないのかなあ、と思うんだけど違うのか
まさか馬場が依頼して新日からベルトを借りた?
あのベルトて新日制作(WWFインターと同じ業者なんかな?)だから、よくやったよなあ >>455
腐ったみかんの後編ということは世情は流れるわ、大人たちのノーカットの熱演はあるわ、金八がアドリブで2人殴るわその後ろで小橋似の生徒がガチビビりするあの回か
レッドビッキーズって、林寛子じゃなかったっけ?あまりちゃんと覚えてないけど なんか顔色悪いな
腰の治療の為にしばらく入院致します。
必ず元気になって戻って来ますので、応援よろしくお願い致します。
アントニオ猪木
https://i.imgur.com/mwiDlk1.jpg >>460
レッドビッキーズは二期にわけて放送された。最初は「頑張れレッドビッキーズ」で林寛子、
次が「それゆけレッドビッキーズ」で斎藤とも子主演。
なつかしいな。まだ宇宙刑事シリーズのちょい前だな。 藤波がお膳立てとはいえWWFジュニアヘビー引っ提げて帰国し
全身カナダ国旗のロディ・バイパーをドラゴンスープレックスでホールドした時は
空前のドラゴンブームが巻き起こり、若いお客さんが殺到したのに
初代タイガーから見始めた世代は、ヘビー級に転向してからの藤波しか知らないから
デカい相手にはクイックでしか勝てないだの、必殺技のブレーンバスターは説得力ないだの
散々な評価なのは納得いかん。善戦マンの鶴田と違って会場人気は勿論、集客力だってあったのに >>455
この頃ちょうどプロレス見始めた時だからこの試合はよく覚えてる
ホーガンが猪木にラリアット決めたんだよな >>462
1回だけ小学生役で、仙道敦子が出ているんだよ。子役時代からとんでもなく綺麗だった。 >>461
最近の様子と変わってないじゃないか
一瞬身構えてしまったよ >>458
この年の最強タッグにソントンを呼んでるのになんで全日本はチャボを引き抜いたのか >>446
ジュニア自体の藤波の対ヘビー級の試合ではブリスコ戦も忘れがたい。
ブリスコ相手に善戦するも最後は見たこともないような返し技でフォール負け、ブリスコの横綱相撲だったが、ヘビー級転向以降も対戦機会があったらとんでもない名勝負数え歌になった可能性があったと23:25でも思ってる。 >>463
ダメ押しは紙プロによくおちょくりだよなあ まぁ藤波はやっぱりヘビーでやるには小さすぎたな
対戦相手の外人選手より明らかに小さかったから拮抗した展開とか無理があったかな
スヌーカぐらいの身長だとバランスがとれていたけどアドニスとかオートンとかマードックとか相手が上手い連中だったから噛み合ったけど
シュルツやアイアン・マイク・シャープやビシャス・ウォリアーとかデカくて下手な相手だと見劣り感と勝ってもラスト何とかうまくやっての勝利って感じが悲しかった
ジュニア戦線でロン・スターとかマイク・グラハムとかスティーブ・カーンとやっていた頃の方が当然カッコよかったしジュニアの先駆者としてのオーラもあったのにな >>460
腐ったミカンの方程式は、加藤が荒谷二中から転校してきた時で、番組の最初の方。
日付けでわかる。
世情が流れるのは「卒業式前の暴力」。 藤波と健悟って似たり寄ったりの体格でJR上がりなのに健悟はヘビーなっても小さいって言われないね。 健悟とコブラのジュニア王者時代の映像を見るとデカイ。
健吾はドームでの鶴田戦で体格負けもしてなくやり合ってたが、藤波だと厳しい。 コブラがいなくなったら、ジュニアのタイトル戦でなぜか急に計量し始めたよな。
高田や越中が、家庭用のヘルスメーターで計量する画像が雑誌に掲載されていた。 健吾は脊髄の難病と猫背になっていてだいぶ縮んでるから藤波とは身長差がある。
ヒロ斉藤が軽量に来なくて坂口が「 あいつカッパ着て多摩川走ってるんだぜ」
体重計に乗ったら100kgを大きく超えて針が揺れている時に降りたw 「まともに軽量したら猪木はジュニアになってしまうぞ」と突っ込まれていた>軽量
当時の猪木は間違いなく90kg台だっただろう 一度ヘビー級になったら、体重が落ちてもヘビー級
プロレスらしいいい加減さだ >>473
あぁ、そうか
あれは卒業式直前だから3月くらいの放送か
完全に勘違いしてた >>463
ジュニアヘビー級と言うジャンルを日本に根付かせた藤波の貢献は大きい。
>>471
そのような周囲の声を払拭するために古舘アナが使ったフレーズが「ヘビー級の証明!」
だった。ただ軽く見られるジュニア時代のトリッキーな技を封印したために持ち味が無く
なったなんて言われていた頃もあった。 >>479
ジュニア選手権だったかリーグの計量をヘルスメーターでやってたなw >>481
プロレスのヘビー級は実質的に無差別級なんだから一向に構わない
むしろジュニアヘビー級以下こそ体重制限があるという世界なんだよな >>484
初の両国二連戦での王座決定トーナメントとか メキシコでやった藤波&健吾vsカネック&フィッシュマンが好きだった
>>469
確か逆さ押さえ込みでカネックがベイダーからUWA王座を奪回してる 猪木&藤波&コブラ組は、ジュニア王者のコブラが一番デカかった。
猪木&藤波&健吾vs長州&浜口&谷津は、レフェリーのミスター高橋の体が一番ぶ厚く腕も太かった。 そーいや鶴田もかつて減量してケンマンテルのNWAジュニアに挑戦したっけな。
鶴田の体格というかその彼の立ち位置自体考えてどういう意図だったんだろう。。 >>490
馬場が本拠地の日大講堂でNWAとの
ダブルタイトル戦やって新日本との
政治力の差を見せつけたかった為 初代がレスソントンに、ハイキックを入れた原因は何だったんだろう? >>490
その後には馬場から奪還したばかりのブリスコの王座にも挑戦してるし
同じシリーズで二階級に連続挑戦したのは鶴田だけか >>492
レス・ソントンで驚くのは当時47〜48歳だったこと
そんな歳だったとは思わなかった 藤原「 俺は本当はJrでやりたいんだけど、新日がジュニアって顔じゃないって言うんだよ。顔で決めるなよ」
数年前に武藤が減量してJr王座に挑戦して負けてたな。 >>495
藤波以前では松岡ですらジュニアに挑戦してたのにな
その意味では渕こそが本来のジュニアの最後と言えそう >>495
藤原は世代闘争の時も旧世代軍に入れられていた
天龍と歳が同じなのにな 藤原は猪木とは6歳しか違わないが、藤波、健吾、小林邦昭より後輩。
阿修羅原は10年先輩のマイティ井上より2歳年上。
人気商売だからビジュアルは大事だな。
WWU Jr.王者の原は少し人気が出たが、IWAミッドヘビーの田中忠治、寺西は人気が出なかった。
ジュニアだと新日の藤波、健吾、タイガーマスクで大会場で客が取れるようになった。 >>492
決着がついた瞬間に
「はいはい、終わった終わった、帰ろう帰ろう」
ってな感じでスクッと立ち上がってケロッとした顔でリングを降りようとしたから。 ソントンが藤波がまだジュニア時代だった81年夏に新日に通算2度目の久々に参加して
NWAとWWFの王者対決となったがさすがにタイトルは賭けられなかった。
まだそこは新日(新間)の政治力は届かなかったかな? 来日前では一応ダブル選は
掲げられてソントンも「かつてオレは新日マットで藤波に勝った自負がある」というインタも目にしたな。
つうか藤波がまだまだ前座だったしそりゃそうだろとは思ったがw >>501
前年の最強タッグに参加したソントンをどのラインで引っ張ったか気になる
またその時点では前年のインタージュニアを完全に無かった事にもしていた 昔「ゴング誌」で猪木がホッジのNWA世界ジュニアに挑戦・・という記事を見た記憶があるなぁ >>502
沖縄でソントン対星野のタイトルマッチやってたな >>504
星野はロスでホッジの王座に挑戦していたとも >>502
ソントンって、経歴見ても英国からアメリカに渡ったのち、あまり地区に定住することなく
プロモーターの派閥や配下に収まるタイプじゃないみたいだし、マクガークとエディグラハムの
ジュニア王座管理顛末も棚ぼたみたいな形で王座に就いた。だから招聘ルート的な流れはよくわからん。
あとまあその前に馬場は基本、誰でも呼ぼう思ったら呼べるからなw >>504
当時の月プロには、トップロープからのヒップドロップをかわされる瞬間の星野の写真が載ってたな
口を大開きにして、いかにも「やべえ! 自爆するううう!」みたいな表情だった ソントンは新日本プロレスに来る前後にCWFに居たからそこのラインかもしれんね。
エディ・グラハムが新日本プロレスに協力するのはもう少し後という事になってるけど。 >>462
レッドビッキーズといったら俺的には山田由起子なんだよな >>489
そうか?猪木の方がコブラよりちょいデカい気がしたけど
一番小さいのが藤波は間違いない 昭和の新日ファンに聞きたいんだが
こんなゴミみたいな動画の何が面白いの?
https://www.youtube.com/watch?v=Ould_q7ZYuE&lc=UgzTNywgHDDqsBX2C014AaABAg.9IYIsi527dJ9IZ4GxEZ1z0 100sに満たない飯伏がIWGP二冠王。オカダ、棚橋、内藤も105sもないだろうし、ジュニアを90sまでにしてもいいと思う ソントンが参戦した1982年のビッグファイトシリーズは、
タイガーマスクが欠場してのカード変更だったな
・WWFジュニア選手権/タイガーマスク×P・アグアヨ ⇒ WWFジュニア王座決定戦/B・タイガー×グラン浜田
・NWAジュニア選手権/L・ソントン×タイガーマスク ⇒ 同選手権/L・ソントン×星野勘太郎 >>513
そもそも何をもって
昭和新日ファンがその動画を面白がってることになってるのだろうか? >>515
なんでアグアヨが外されなきゃいけなかったんだろうな? >>516
面白いと思ったから動画を上げたんじゃないのか?
わざわざつまんない動画を上げる奇特な人が昭和新日ファンにはいるのか? そのYouTubeにコメント入れたらいいんじゃないか?動画アップした人がここにいるかわからないんだし。 >>518
ここにいる人たちはどう思うのかを知りたいんだよ。
UP主は面白いと思ってるに決まってるし無駄な論争はしたくない。 何がそんなに悔しくてムキになってるのか知らんが
思うことは人それぞれだし別にどうでもいいのでは? >>523
自分が思うことは絶対に言わないスタイルなんだね。 >>517
浜田とアグアイヨではライトヘビーと同じだし外人同士の決定戦はあり得ないしってとこか 初代タイガーがプロレスアルバムだったかでソントンをボロクソ言ってた覚えがあるな。
「彼は全く尊敬出来ない。怒りを覚えた」的な感じで。 >>488
ルチャもルタリーブリ(素っ裸の柔術みたいなもの)
言葉が似てるし 似たような意味
してると格闘技通信(廃刊)に
のってた とりあえず 昭和最強の覆面は
ベイダーでいいすか?
ジャイアントマシ―ン??
あれは駄目だ 限定だもん >>529
ザ.インテリジェンス.センセーショナル.デストロイヤーが昭和の覆面レスラーNO1 >>511
ジェリーに王座を短期間明け渡してたんだよな >>509
新日でソントンが来日したシリーズには常にブッチャーがいた印象
ブッチャー&ソントンとか不思議なタッグも組まれてたね 1981年、1982年にソントンが新日本プロレスに来た時もやはりCWFに居た時期ら辺だね。
ボックともタッグ組んでるわ。 ソントンは71年にブッチャーを破り北米ヘビー級王者になっている
全日ではロビンソンとのタッグで白星配給係、かたやカマタとのタッグで首位争い
新日では藤波やタイガーの引き立て役、かたや連日メインのエース外人
ソントンでなくても「なんでだよ!」と叫びたくなるだろう >>527
問題の広島での対戦は本来は半年近く据え置かれたNWA世界ジュニアの初防衛戦になるはずだったとか
それをソントンがゴネてノンタイトル戦になったって >>536
そういえば5月にソントンから獲って、秋の小林邦昭戦まで防衛戦やってなかったのか
なんか9月くらいの中継で、古舘がNWAからのテレックスを紹介してなかったかな
「タイガーマスクが正統な流れを汲むNWAのジュニアチャンピオンだ」って感じのやつ ソントン、ソントン言ってたら
パンにピーナツクリーム塗って食いたくなった。。w ローランボック初登場の大阪府臨海スポーツセンターのメインが藤波対ソントンじゃなかったかな >>536
ソントン自体実績のわりには色んなテリを渡り歩いてるし
レスラーとしての能力とは別に素でちょっとクセのある人だったんではないかと想像 レス・ソントンでこれだけスレ伸びるのが、詳しい人いるスレらしくれいいですわ
NWAのジュニアベルト新日と全日入れ替わりみたいになって、小林邦昭からコブラへの統一戦要望うやむやで
ソントンのあのベルト結局お蔵入りだっけ >>540
あそこでソントンにフォール防衛してジュニア世界一という事になったんだよな 大阪臨海スポーツセンター
高石にあったな。府立に比してはローカルなイメージはあったが
新日TVマッチではお馴染みの常打会場だったと思う。。 >>544
大阪市内の会場が使えなかった
第1次UWFの常打ち会場のイメージもある。 あの時の大阪臨海はブッチャーと坂口の大流血戦が記憶に残ってる。
確か没収試合になったんだっけ? ソントンといえば、タイガーマスクとの防衛戦を前に「なーに、ベルトはまたすぐ俺の腰に戻ってくるさ(ニヤリ)」
ってのを見て「何をタイガー相手に余裕こいてんだ、身の程知らずな!」と思った記憶。
列伝ネタでした >>544
二階がちょっとしたテラス席みたいになってて見やすかった記憶がある。
大浜の相撲場でもプロレスやってた気がする。 >>548
猪木とカーンがIWGPのアジアゾーン予選をやっていた >>538
全日本プロレス中継のマスカラス特集で、何の波乱もなくアッサリ負けた
アルフォンソ・ダンテスがメキシコマットではかなりの実力派レスラーだと後に知った 1987年夏の両国連戦のIWGPジュニア決定トーナメントの前後にリミットが102.5キロになったよね。
ヒロだったか高田が減量きついから合わせたんだっけ。
全日本は105キロリミットにしてたと思うけど、タイトルに絡んでたマイティ井上は105キロ以上余裕であったろうな。 >>551
新日の102.5kgだと、猪木、藤波、健吾、武藤、蝶野もジュニアになってしまう。
少し太っていた長身の前田がUWFで新日に戻っている時が106,107kgと言ってるので、100kgって結構大変な数字なのかも。 高田は体重が増えないことを悩んでいたから、
減量云々はずんぐりむっくりのヒロだろうな。 >>554
IWGPジュニア王座決定トーナメント前の
週プロのインタビューで高田が減量がきつくなった
と言ってたような気がする。
その高田もIWGPヘビーを奪取したときは
完全にジュニア体重だったが。 「船木誠勝が語る破壊王・橋本真也 右手にナイフを持ち…「長州を倒してやる」」で
橋本がヒロに仕掛けて控室で橋本が長州とマサにボコられた話を語っているな
荒川が橋本に「(あいつらは)移籍のたびに大金をもらっている」などと吹き込んだかとか
ホントに荒川はサイコパスだ 長州もタイマンでは橋本に勝てないからって二人掛りでボコるとはw >>556
散々語られてきたが、熊本旅館も荒川が武藤けしかけたって話だしなw テンタ戦前の北尾をけしかけたのも荒川だっけ
なんで北尾は荒川のいう事なんて聞いたのか疑問だが >>560
荒川がテンタ戦の前の北尾に
「カブキが横綱のことを潰そうとしていますよ」と吹き込んだって話 >>321
新日本がノアとも交流戦を始めて両天秤に掛けるような非礼をやったからな
長州永島ラインとは別がやった事だがあれが無ければ全日本の二軍化や最終吸収が実現していたかもしれない >>495
むしろスペースローンウルフ時代の武藤が完全なジュニアだった印象
相手が右腕のカズだったからだろうが武藤の日本でのジュニア挑戦はあれが唯一だったんだよな 荒川は完全に今でいう発達障碍者だな
口が上手く人に取り入ったりいろんなことを吹き込んで周りを疑心暗鬼にさせたり
でそれを見て傍からほくそ笑んでいるという
ただこいつがボコボコにされたという話は聞かないから腕っぷしも強かったんだろうね
弱くてこんな人間だったらとっくにボコられて逃げ出しているわな >>563
武藤&越中組でIWGPタッグ取ってるが体型が似ていた。 >>565
相手が前田・高田だったから前田の大きさが一際目立った >>564
発達障碍者の意味を取り違えてるよ。
言うならば一種のサイコパス系で
自分は隠れておいて人をコントロール
する事に異様に執着する。 表向きはいい人に見えるというのもサイコパスの特徴のひとつ >>413
初期IGFでレジェンドが招待される企画があって、その中の一人としてビリー・ガスパーが入場、
そしてマスクを抜いだボブ・オートンが猪木と握手するという名場面があった
同じくKYワカマツが入場、確かその時は猪木の誕生日企画でワカマツが「おめでとう!」とか言ってるのに、
猪木はそれをひたすら無視して最後まで「帰れ!」と繰り返してただけだったw それよりも人格者で先輩のクロネコにブタネコと罵った橋本はガチ 不穏試合の影に荒川有りみたいな
当人ブリッジの綺麗なジャーマンとかやってたし、普通に技量もあったんだろうけどね
道場じゃベンチプレスばっかりやってたとか、若手連れて野球ばっかりやってただの
10代の船木お風呂に連れて行ってやったり、エピソードには欠かないある意味昭和のプロレスラーか プロレスとは?って問に
プロレスには感謝してます
給料もらえて身体鍛えられて旅して語学も覚えられて〜みたいな答え方してたな オートンは893とトラブって素顔で来日が不可になったらしいがガスパーにしてでも
呼んでいたのは素行は悪いがそれ以上に評価がたかかったんだろう
タッグでもいいからブロディやスヌーカとの試合が観たかったな オートンは藤波とのインター戦で動きが緩慢だったのが残念 >>575
長州がいなくなったあてつけのように
サソリ固めで藤波が勝ってがっかりした。 >>575
長州の反逆で機会を奪われたオートンが長州の離脱でやっと実現したのも皮肉
そこで戻ってきた時にアドニスとのタッグが復活しなかったのは何故か オートンは88年に来た時は藤波と両リンで期待を持たせたと思いきや次は海賊男だった
ので、色々と大変だったな。 最初の途中帰国が何もかも狂わせた印象
アドニスとのコンビが続いていればその後の新日本も大きく違っていただろうし オートンとICW?というマイナー団体でコンビを組んでたボブループとのタッグは日本で見たかったな。
その気になりゃガチでしょ。 新日本ではちょうど正月シリーズに参戦していたなループ 子供の頃雑誌でオートン見てテリーファンクそっくりだと思ったのはオレだけ? >>579
1988年のベイダー&マサ vs マードック&アドニスの試合後に海賊男が登場したことがあった
いつもの海賊男の乱入なのだが、まるで試合後も痛ぶられてるアドニスを救出するように
ベイダーにパウダー攻撃を仕掛けたビリー・ガスパー
試合後に「ビリーはあんな格好しているが中身は凄い大物なんだぜ」みたいなことを言っていたアドニス
このあとすぐにアドニスは亡くなっちゃったけど、もし存命だったら年末とかにオートン&アドニスが実現してたんだろうね >>585
年末のジャパンカップはマードックを加えたトリオだったかもね
ホールはサザンボーイズと組ませてジョージは一足早く烈風隊結成か ワールドプロレスクラシックスで、83年の猪木vs斎藤をやってたんだが、猪木は斎藤との相性がいいんだろうな
正規軍と革命軍の大将対決の側面もあったのに、試合が終わった後斎藤に握手を求めに行ってたくらいだし
さすがに斎藤は手を出さなかったけど、この相性の良さが後々の闘魂ライブ→手錠マッチ→巌流島へと繋がっていったんだろう 同年代や同期、先輩格のほうが試合するにはやりやすいんだろうね
その意味では猪木から見て藤波、長州はモチベーションが上がる相手ではないし
ましてや前田や三銃士くらいになると孫を相手にするようなものだから
あまり身が入らないかもね >>589
あの試合タイガーvsキッドより前だったのか
えらい思い切った試合順組んでたんだな 前田凱旋、タイガー復帰のキッド戦、で藤波vs長州か
第1回IWGP直前の4月に2度目の蔵前、いけいけだったな新日 >>590
当時はまだマサに蔵前のメインでやるだけのバリューが無かったというのもあったか >>572
荒川はアマレス経験者で新日きってのバーベル上げだった。馳の師匠である松浪元議員
は試合中に飛び蹴りを喰らって反則勝ちした。その後に荒川は新日入り。松浪氏は全日
入りを断られた。厳しいのは小鉄に任せてw練習をサボって一日ソフトボールをしたり
船木に件があったりこういう部分では人望はあったんじゃないのかな?
長嶋茂雄が多摩川沿いを散歩しているのを聞くと何日も待ち伏せしていてSWSドーム興行
に来客させるほど昵懇になったり晩年もスポンサー獲得力(プチシルマの会社)も旺盛で
猪木を元気づけるために軽く闘魂逆注入で張り手を入れる関係だったりひょうきん
プロレスだけでは測れない不思議な人物だった。
>>585
WWF時代から新日復帰に際しかなりに減量をしてせいかスタミナが無くマードックと
組んでもバイオレンスコンビの片鱗はもう無かった。時代はもうベイダーだった。
オートンはのちにSWSでも天龍にキツい攻めを魅せていたから少しはマシだっただろう
けど・・・
>>587
東プロ時代からの付き合いで名義上でも役員になったり坂口との合流で橋渡し役に
なったりレスラーとしての技量以上に人間的にも信頼があったんじゃないのかな?
レスラーの葬儀に来ない事で有名な猪木が斉藤の時だけは裏口からこっそり来訪した
なんて話もあるし・・・ >>564
もう少し勉強してから発言しよう
「完全に今でいう」とか止めようよ >>590
タイガーvsキッド、前田vsオーンドーフ、猪木vs斎藤、長州vs藤波の順だよ
凱旋後前田を含むこのメンバーが揃った唯一の日だ
IWGPはタイガー最終戦のみでその日は長州、藤波が欠場
サマーは猪木が欠場 >>595
この年のサマーファイトシリーズを観戦しに行った
このシリーズだけカーンが欠場して戸口が代わりに来てたので残念な気持ちになった
当日は戸口対ブッチャー戦があったけどリングにいる時間は1分も無く3分ちょっとで両リンだったな >>596
この猪木抜きシリーズが全会場で満員だった事もあり
クーデター派が「猪木さんがいなくても十分やれる」と後押しする要因が加味されたらしいね
最終戦の蔵前は「藤波×長州」「タイガー×寺西」
これでチケット完売になるんだから経費的に凄くリーズナブルだよね…
同日に後楽園の全日の最終戦やってて、友達とどっち行くか迷ってたんだけど
自分はテリーファンクのファンだったから、無理やり後楽園に連れてったのが思い出w
あの夏はテリーとタイガーの両方が引退したんだよね…翌年に両人とも復帰したけど。 テリーファンクの引退→カムバックがその後の大仁田、長州の悪習慣になってると思う 力道山 初代日本のエース
R木村 2代目日本のエース
荒川 3代目日本のエース
ここに居る人は 荒川世代 >>594
仕事柄そういう人たちと結構接するからドンピシャだと思ったんだけどね
アスペでも自閉症スペクトラムでもなくADHD診断下されて荒川とほぼ同じような性格のが3人いた
バカではなく基本頭がキレて賢いけどクセのあるからやっぱりすぐに見抜かれる >>593
斎藤が収監されていた時に猪木が手紙を出して
その手紙を読んだ斎藤が感動して「いつか新日に復帰しよう」と
決めたって話を読んだな
「人間関係にはドライな猪木がそういう事をするのは珍しい」と書かれていた 初代の改名後のマスクや名前は、正式発表が無くて良かった気がする。 https://pbs.twimg.com/media/CuyG3ydVMAAg_FT.jpg
視聴率すべて20%越え、凄い時代だ…健吾兄さんはともかく、浜口からもピン勝ちか
マンハッタンコンビ絶好調だな 維新軍以降の浜口はなかなか負けなかったよ
不自然な格上げは外国人レスラーの格を滅茶苦茶にした >>606
それでも浜口の絶頂期は実質リーダーだった国際軍団時代だったと思う自分 A猪木 藤波 VS 長州 A浜口
この対決だったら
餌食になったのは 浜口では無く
藤波だったからな
ただ長州 A浜口は外人組には弱い
戸口でさえ勝ったキャンディにビクビクしてた >>604
東村山の生中継はアドニスオートン組の反則勝ち
健吾を仕留めたダイビングラリアット〜バックドロップのツープラトン攻撃を浜口が受けた直後に寺西乱入で終わり
貪欲な浜口が身を持ってマンハッタンコンビの連携技を盗んだ試合だな >>608
藤波が短時間で仕留められた横浜文体のTVマッチ
入場時から猪木が椅子持ってキレまくり、試合開始後も延々紙テープが投げられてケロが終始注意し続けた修羅場だった
暴動まではいかないけど両国の藤波木村VS長州斎藤に近い荒れ様
試合後リング上でインタビュー受ける猪木のテンションも異常でアノ野郎コノ野郎を連呼してた >>609
次の鹿児島では革命軍の波状攻撃を喰らいまくってた 80年代前半の新日ブームって幻の儚かったな、80年から83年までの3年足らず、ブームの立役者タイガーマスク引退で終演
猪木がアントンハイセルなんてくだらねえ誇大妄想事業にのめり込まなきゃ黄金時代は更に続いたろうな >>604
これ、試合結果がほんとに最低限の部分しか書いてないなw
タッグはどちらが勝敗に関わったかわからんし、フォールか反則かもわからん、引き分けの△は片方だけ
テレビ中継された試合の資料だから結果はオマケで書いてるだけかな >>611
あれは浜口気の毒なくらい食らいまくってたなw
特にカーンのバックドロップがえげつなかった覚えがある >>605
巨人戦で一番、視聴率が良かったのは王監督時代で優勝がかかった試合でも無いのなぜか
20%台後半と言う数字を叩き出す時もあった。松井のメジャー行きから目に見えて落ち始めた。
巨人に払うTV放映料は日テレは関連会社扱いでかなりの低額だったが他局は1試合に1億
と言われていたまさに巨人戦TV中継黄金期だった。
ブッチャー初参戦のワンナイトマッチ6.24蔵前決戦は水曜日スペシャル枠で視聴率は
17.1%を取り同時間帯の巨人戦は24.8%だった(ビデオリサーチ)
ちなみに他局はTBS・秘密のデカちゃん・16.6%、NHK・いのち燃ゆ・10.8%、
東京12ch・三波伸介の凸凹大学校・8.2%、フジ・銭形平次・7.6%だった。
観客動員と特番枠でのTV放映料の収益と新日は笑いが止まらかった。
この頃の巨人戦と視聴率で渡り合っていた新日ブームはやはり凄かった。
同週の全日中継の視聴率は9.7%だったが夕方と言う時間帯を考慮しても
悪い数字では無かった。 >>609
しかし浜口は「あれを始めたのは長州浜口組が最初」と言ってるw 浜口が加入する前の革命軍がすでにマンハッタンコンビのツープラトン攻撃パクってるのを
長州もカーンも大人だから黙ってるんだよな、都合の悪いことは忘れる浜口の思考に
誰も何も言わない、酒の量も増えるからめんどくさいし しかし国際でセミ メインをやってたM井上が
全日行って 前座に落とされたわけだし
新日行った浜口の方が まだ存在感あると思うが
でもM井上は死んでも新日行かないだろうけど >>621
落とされたというか大型揃いの全日本の中ではバランス的にも相応の立場だろう
アジアタッグにも国際時代から絡んでたわけだし >>620
維新軍の革命軍の凄さを最も実証した浜口がというのが一番の皮肉 >>586
試合形式はともかく、メンバーは結構面白そうな顔ぶれだったな。
オーバーザトップで失格にならなければ、叩かれることもなかったと思う。 >>621
アジアタッグかジュニアのどっちかのタイトルに常に絡んでたんだから
前座落ちとまでは言えないだろう。 M井上が新日に上がってたら猪木の延髄くらって
サマーソルト受け身を見せてくれたかな マイティもあのサイズだと新日で誰とやらせれば合うかねえ
浜口みたいなポジションじゃなきゃ、結局中堅どころに落ち着いちゃうか 猪木も国際勢にはひどいことしたからな。井上は全日本で正解だと思う 井上は全日移籍直後はマスカラスの王座に挑戦したし
アジアタッグを獲って馬場、鶴田、天龍、原に次ぐ存在だったんだから
充分優遇されてたんじゃないか。
浜口だってヒールサイドじゃなくて正規軍に入ってたら
新日でも木村健吾の下あたりにされてただろ。 >>629
それでも浜口のピークは全日本に行っての鶴田戦とされるからな
新日本でのピークはやはり猪木との変則マッチか >>633
なにが「それでも」なんだかわからないんだが。 浜口のレスラーとしてピークは維新軍という意見が多い気がする
はぐれ軍団の時よりあきらかに負けがなくなったし、健吾兄さんとタイガー戸口を
序列の面で完全に上に行ったし、全日ジャパン時代は谷津の下にさせられ
インタータッグにも絡めなくなったし、マイテイに喧嘩売って抗争盛り上げようとしたけど
馬場に無視されたし >>635
では特定の試合ではどれかと言えば思い付かないんだよな
強いて言うならやはり年末最後の六人タッグか >>635
新日時代は吉川町の猪木戦、全日時代は鶴田戦がベストバウトだと思う
猪木はバックドロップホールドっぽいジャーマン、鶴田には必殺技フルコースで手厚く葬られた 一番惜しいのはやはりタッグリーグでの猪木・ホーガン戦がノーテレビだった事かな
思えばホーガンとの対戦はテレビでは一度もやってなかったはずだけに 浜口絡みでは猪木の20周年だったと思うけど猪木シン組対ベイダー浜口組も良かった。試合前の「猪木!猪木!燃えろ!」のマイクパフォーマンスは浜口ならでは タッグで前田からフォールを取った試合もあるな、維新軍の浜口なら >>637
いや鶴田戦は空中胴締め落としだから必殺技フルコースとは言えない。
バックドロップは中盤あたりで形勢逆転の一打としてだしただけ。 あそこまで 新国際軍団を悪とした新日もそうだが
あの帰れコールはねえだろ >>643
リバースオブザビートが帰れコールにマッチし過ぎたというのもありそう >>641
バックドロップ直後のフォール、鶴田が2カウント目で起こしてる
シングルマッチで決め技をここまで見せた試合は超世代・天龍以外だと浜口だけ >>645
鶴田の怪物ファイトの開眼試合でもあるんだよな
その意味では長州とのフルタイム戦にも劣らない 国際軍時代にあった藤波との試合が良く噛み合っていた >>627
マイティvs猪木、藤波、長州、木戸、荒川・・・名勝負製造機になり、地方でも大人気になりそう。
マイティが藤波をフェンスに振ってショルダータックルに行くも両者フェンスアウトはやると思う。
大都市圏では「何だそのパンツは!?」というヤジは飛んだはず。
アンドレがマイティの技を受けまくって最高視聴率を取るかも。
マイティがホーガンにサマーソルトは見たい。 90年代の超世代全盛期でも川田はマイティに試合後よく殴られたんだよな >>642
7月の札幌だね、藤波&前田vs長州&浜口
戸口の介入はあったけど浜口が前田から取って、8月の電コロ同一カード再戦では藤波が浜口から取った >>625
流石にアジアタッグをフットルースに明け渡した後は世代交代かと思ったがその翌年の平成突入後に最後のジュニア返り咲きを果たしたのには驚いた >>628
ひといこと、なんて思わんけどなあ。
本人たちもビッグマッチのメインでガンガン使ってもらって、むしろ感謝してたし。 >>652
猪木ファンだったけど猪木vs国際軍の3対1の試合は流石にねえよと思ったわ。
ただあの当時、実質的なメインはタイガーマスクの試合だったから許せたけどね。 新日国際提携時代はエース格が一切相手をせずに、会社が潰れた途端にメインで起用するって方が
ヒドい話だと思うけどな、ビジネスってそんなもんだけど。4の字固めリングアウト勝ちとか
不透明な勝ちブックを受けて、国際勢を全国放送してあげた全日の方が良心的には思えるよね。 1対3をやる前に
蔵前でシングル2連戦をやってたんだから十分厚遇だろ
木村は動きがウスノロすぎて自分でまともに試合を作れないんだから
上で使おうと思ったらああなるのはある程度は仕方がない >>656
浜口と寺西を蔵前のメインで使う手段とも言える
レフェリーが三人もいたのでむしろ4対3にも見えたし 元国際で新日に移って脚光を浴びたというと若松もだな。まあでも満員の蔵前や大阪府立で
やんやの歓声の中で試合をできた事。甲子園の阪神巨人みたいなもん。震え立つような気分になっただろう。 ラッシャー、もう一花新日で咲かせてほしかった
イメージ的に子分たちに裏切られ孤高となり外人と結託してこれからどうなるのか
という時期にUWFに行ってその後は馬場のところで敵対からのおちゃらけマイクで前座要員
Uに行かずに正規軍の助っ人のような立場で維新抜けたあとマシン軍団と戦っていたらなぁ
案外、新日でラッシャーのマイクセンスが開眼したかも
若松とのマイク合戦とかもあっただろうなぁと妄想 木村がユニバーサルへ行かなかったら正規軍で猪木とタッグ結成後失踪
ドタバタしたロープワークをするマシン2号が登場
猪木に「お前木村だろっ!」って言われてただろうな >>621
大仁田や渕やウルトラセブンwがいくらやってもチャボの牙城を崩せない
(大仁田の場合勝敗は別として試合観てる誰もがチャボとの力量差は普通に感じていた)
そこでマスカラス戦以降中堅として息を潜めていた井上が
「まだ井上がいるじゃあないか!」的に最後の砦として起用されるって流れだったので
あれはむしろJr王者井上の実力者ぶりを強調するのには良い方に働いたんじゃないかな?
もし大仁田に代わって全日登場後わりとすぐにチャボに勝ってても
「新日のJrはフレッシュでカッコいい四次元殺法のタイガーマスクで、
それに対して全日は小太りのオッサンで奇声発しながらコロンと廻って落ちる井上…」
って感じに当時のファンからは見られてたと思う 若手三羽烏最後の一人、マジックドラゴンは起用されなかったんだっけ 猪木とはぐれ国際軍団の1対3、何が問題かサッパリ理解出来ないな。大会場であれだけ盛り上げたのは凄いと思うが。 >>661
新日本で言うならコブラに代わって星野がと言いたいがそれ以前にジョバーをやり過ぎていたのがネックか
当時の井上はアジアタッグ王者でまだ若手の越中・三沢を破った後だったのでタイミングも絶妙
蔵前では国際時代の花柄タイツを付けるなどシチュエーションも万全だった >>664
当時の井上は長州より分厚い体だがジュニアか? 当時のジュニアなんていい加減、コブラもヒロも明らかにジュニアの体型ではなかったし。 >>667
そもそも既にグレッグやトラビスが挑戦してたんだから >>662
挑戦はしていない。
帰国後すぐシングルであたって
リングアウト負けしてそれっきり。 >>669
ドラゴンが挑戦したのは井上が取っての初防衛戦の時
井上と逆に寺西の場合はようやく本来の領分に戻れた印象 >>662
井上のインターJr初防衛戦の相手がマジック・ドラゴン
流れるようなオースイスープレックスで丸め込まれてた 考えて見れば三羽鳥は全員が井上のジュニア王座に挑戦してたんだな
そして最後に降りた相手が渕でジュニア初挑戦の武道館が舞台 >>663
自分もそう思う、木村とのシングル2連戦で格の違いは歴然だったし1対3やらなかったら国際軍団はお払い箱になってたと思う >>674
シングルはないけど、6人タッグではある。 新日にあがった国際軍団は大会場で猪木とメインで対戦したけど、
逆に井上は大会場のメインで馬場と対戦したことあるの? >>604
この画像の記事はどこに載っているのでしょうか? >>678
井上は入団扱いだからな
フリーの木村たちとの比較は出来ない 井上は全日以降は糖尿で国際時代よりもだいぶ萎んだ
国際時代の身体はパンパンでラッシャーと列んでも遜色ない身体つき >>659
84年2月の蔵前
木村は藤波とシングルだったけど、あの場内の「木村コール」はどういう意図だろう?
あの日は藤原vs浜口や、キッドスミスコブラの巴戦が印象が強くて
メインの猪木vsアレンや長州とホーガンのタッグ対決の印象が薄い
木村コールは前年にボロボロの腰で猪木とシングルでKOされて
猪木が木村を認めるような公言とかしてたし、その流れかな?
あとは札幌事変の以後の藤波の態度とか? >>682
あの三つ巴戦が書店DVDに入らなかったのが不思議
他の公式戦も含めて一巻分の価値は十分あったのに >>674
86年の福井市体育館でシングル戦実現してるが
2分21秒リキラリアットで秒殺されてる この時期の井上は血盟軍も含め元国際勢とやってる印象が強い 全日VSジャパンの対抗戦で
G馬場VS寺西のカードが
何故か没になってしまった
どちらが勝かはわかってるが
この対決見たかった!!!! >>686
変則マッチの時も最初はシングル三番勝負で猪木対寺西もあったんだよな >>688
当初通りシングル3連戦だったら寺西浜口にフォール(ギッブアップ)勝ちしてラッシャーにリングアウト負けと結果は一緒になってたと思うけど興奮度は天と地の差あったでしょうね? 浜口の維新入りは、強そうな方に寝返った卑怯者のイメージしかないわ。
ラッシャーが可哀想に見えた。 そんなこと言っても会社の事情なんだから仕方ない。マサとカーンは全シリーズ日本って
わけにいかないし、長州の常時パートナーが必要だったんだろ? 浜口も実質リーダーだった国際軍団時代に比べれば下がったとも言えるし 長州、浜口組はオールスター戦以来関係者の評価が高かったから
タッグを組ませてみたいという話があったと聞く 国際軍団のリーダーが実質浜口だなんて誰も思ってないけどな
腰が悪かろうが動きが緩慢だろうが、リーダーはラッシャー木村以外ありえない 当時は会社の事情なんか知らんわ
ただラッシャーを裏切った浜口が卑怯に見えたって話だろ はぐれ国際軍団でやってきたのに浜口にも寺西にも去られ
しかもついこの間まで闘っていた維新軍入り
このアングルは少年ファンにはラッシャーがかわいそう、浜口と寺西は裏切り者と映ったけどな
この孤立したラッシャーを生かすアングルを組んでほしかったなUに行く前に >>684
隙あらば福井だなww
もう15年くらいやってるだろ 確か長州の話では「浜さんだけは自分の要望で組んでもらった」と
言ってた。マサや谷津はアマレス繋がりでって事だけど。 新日国際提携時代は一切使わずに、会社が潰れた途端にメインに使う新日が一番卑怯だよな。 浜口に制裁みたいな試合は組んでたような
ラッシャー寺西とタッグで当たったんだっけ? どうせ新日はこんな考えだろう
「R木村は商品的に使いきった。 こらからは長州
長州の脇役に浜口を使おう」 >>697
卑怯というか木村が気の毒には見えたな
ただ国際軍団が小林や剛が今更戦力にもならなければ
軍団のメンバーってかんじにもなれずに
結局3人以上に勢力拡大も出来ない以上、
1vs3をやった時点でそれ以上そのままの形での展開はないわけで
日本人軍団抗争の相手を革命軍にシフトするのもまた仕方なかったね
木村の腰の具合考えれば長期欠場で一旦姿消して
半年とか一年後に正規軍と革命軍の抗争中に突然乱入して
劣勢の猪木または長州いずれかを救出して
そのまま正規軍か革命軍の「重鎮」ポジション入りとかでも良かった気がする R木村
日本プロレス→東京プロレス→国際→新日本→旧UWF→全日本→NOAH
やっぱり全盛期は国際 >>696
トップは木村でもヒールとしての煽り役やチョッカイ役をやってたのは田コロでの挨拶からずっと浜口だからな
牽引役という意味でこれほどリーダーという呼び方が似合う例もない
それにそもそも最初に新日本に一本釣りされたのは浜口だとなれば他の二人に対してのブッカーだった事にもなるだけに 煽り役やチョッカイ役がリーダーっておかしな思考持ってるんだな
しかもブッカーとか妄想まで >>706
> それにそもそも最初に新日本に一本釣りされたのは浜口だとなれば
その「一本釣り」に関しては国際末期に肝炎で休業していたうえ
なにより嫁が浅草の人で東京下町の寺の家出身の新間がコンタクト取りやすかったため
当時の状況下では水面下の窓口として適任だったってだけではないかなあ?
浜口があんなに威勢の良い気合キャラに大化けしたのって新日マット以降のことで
国際時代はマット上ではイキのいい小型ブルファイターって以上でも以下でもない
もし木村や寺西が誘い(元々吉原さんルートでの対抗戦って話でもあったし)に乗って来なければ
浜口単独でも新日が引っ張って何か別のいい役回りまでわざわざ準備したかは正直疑問
戸口やナガサキ以下のポーゴ程度の雑な扱いになってたんじゃないかな? 浜口は、いわゆるスポークスマンだったかな。
だから、彼が抜けて無口な木村と脇役に徹する寺西しかいない国際軍団は解体もやむなしだったか。 >>707
木村が浜口にやらせてるなら木村がリーダーだろうがあれは明らかに浜口が自分から進んでやってるからな
単に木村はその上に乗ってるに過ぎない
あれこそが本当の意味でのリーダーだろう >>709
あと三人の中で純粋な国際出身は浜口だけだからな
その意味でも大ヒールとしての国際軍団は浜口が核だった 斬込隊長、名参謀ってとこかと
しかし激闘はシリーズ中、最低かと思うくらいつまらなかったな
うるさいだけで会話になってない >>708
国際時代は井上が藤波ポジションで浜口は健吾ポジションでという感じだった。
浜口は小型ブルファイターでシングルはダメだった。 >>712
より正確に言うならプレーイングマネージャーかな
それこそブラッシーやマレンコや若松が一緒に試合をしてるような物で >>713
その浜口が最後に鶴田とプロレス史に名勝負を残すわけだからな
まさに山あり谷ありの大河ドラマ 国際時代は井上>>浜口だったが、分裂して浜口が新日に行ったら一気に花が開いた。
逆に井上は国際末期から糖尿で体が萎んできて、全日入り後はかなり痩せてメインは厳しかった。 >>716
一応はコール順でも既に浜口が後だったらしいが >>717
草津の嫌がらせで井上>浜口のコール順になったみたい。
井上の唯一の新日登場時は倍賞が浜口>井上の順でコールした。
3本勝負で取られるのは浜口ばかりだった。 >>718
そういう場合は不等号>じゃなく矢印→で書かないと。不等号だと違う意味、逆の意味になってしまう。 国際って今DVD観ると そんなになめたもんじゃなよ
猪木 ホーガン ファンクスほどのスターがいない分
コールも無く 会場が静かなので試合を集中して観れるんだ
新日とも全日とも積極的に交流戦やってたし 草津の性格の悪さは国際スレなんかでも言われてるな
デビューであんな目に遭わされたりして歪んだのか元からか 草津は あまり練習しなかったので
M井上は あまりよく思ってなかった 草津といえばメチャクチャ中途半端なニークラッシャー 草津は最初に入門した日プロで練習に出て来ないのに前借りだけはしっかりしたりで相撲崩れの連中にふざけんなといびられて辞めていった >>720
試合自体はそんなに悪いわけじゃないんだけど
興行として見るとやっぱり馬場猪木鶴田藤波に相当する
「本日のメインエベント」感に欠けるんだよね
木村や草津や井上がジョーやスミルノフやホワイトとかとやってても
全日や新日でいうところの
セミやセミ前で坂口や戸口あたりの試合で終わるようなかんじ そう考えると82年あたりの新日ってタイガーマスクに藤波vs長州に更に猪木、ってメインイベント3連発みたいなもんよね。
そりゃ、人気出るわ 阿修羅が考案したとされる雪崩式ブレーンバスターを、雑誌が先に公開したのは仕方ないが、
それを阿修羅が試合で公開する前に、テレビマッチで披露してしまった木村健吾は最低の男。 >>728
猪木の相手がスコットマギーでも蔵前は超満員だったな… >>731
最初は猪木vsアンドレだったからな
でもその日はいつもの13000人超満員の発表じゃなかった記憶がある >>731
>>732
タイガー対ウルトラマンと同じ日だね。
この蔵前シリーズの開幕戦だったね。 >>734
そしてスーパースター列伝でもやったホーガン対アンドレ >>727
「何処がいいの?」
と言われると 上手くいえないんだけど
サッパリしてると言うか 何と言うか
でも新日で、あんな使われ方するんだったら
もっと 国際長続きしてほしかった。 木村健吾が藤波に雪崩式ブレーンバスター掛けたけど自身の方がダメージ大きくて
フォール負けしたんだっけな、あんなのブックだったのかな? >>736
国際を放映していた当時の東京12チャンネルは、今のテレビ東京とは比較にならないほどの弱小ネット。
力道山が作った日本プロレスも、テレビから切られたら1ヶ月で潰れてしまう時代だったから仕方ない。 マイティ井上ってどこがいいの?
見た目も動きもパッとしなくて、穴埋めのピースとしか思えなかった >>737
違う、今まで喰らった事のない雪崩式だから痛い思いをするのがイヤで
態勢を入れ替えて健吾に覆いかぶさってフォール勝ち
本邦初公開なら受けるだろう普通、藤波はとんだチキン野郎だ 健吾が雪崩式ブレーンバスターで試合を決めたのを見たことない気がするな
勝ち抜き戦の谷津戦が雪崩式→稲妻だったくらいかな >>730
原が考案したわけじゃないけどね。
ただ使うにあたって考案者から許諾をもらってたんだから常識的だなよ。 「阿修羅の技なんか全然ダメ」とアピールするためのブックなんだから、技をかけた健吾の負けにするのは当然。 >>737
藤波が受けるのを嫌がってコーナー上で膠着した。
健吾が思いっきり投げたら藤波が体を返して柔道の上四方固めの体制で落下した。
健吾は思いっきり頭打って3カウント取られた。
上四方固めで画像検索してみな。コーナーの上からこの体制で落ちたら頭打つよ。 細かい事は良いけど其れがブックだったのかアクシデントだったのかという点が
問題なんだけど。そんな不細工なブックあるかな。 藤波「何でおれが健吾ごときの危険な技を受けなきゃならないんだ」
事前に雪崩式の打ち合わせしたってドラゴンが了承するわけない 藤波も一時期雪崩式ブレーンバスター多用してたけど、ミスター高橋のアシスト付きが
ほとんどだったな。 >>730
あれは東スポかな
実験台になったマッハの「いやぁ、失神したのがお恥ずかしい」ってコメント付きで
(勿論本当に失神したわけじゃあないんだろうけどw)
コマ撮りの分解写真が添えられた
あの頃の国際にしては大きく取り上げられた囲み記事だったはず
実際記事で見た時は「こりゃすごい大技…」ってかんじだったけど
実際にはこのシリーズ開幕戦でオルソノスキーを仕留めたものの
腰を悪くしたこともあってか原が雪崩式でピン取った試合って
以降は殆ど記憶にないまま誰でもが使う技になってしまったなあ
健吾のやつは藤波と互いに了解の上で
一番乗りの座は盗ってみせるけど
失敗に終わることで一応「仁義」を切ってみせたんじゃあないかなと思ってる
本来ならだったら最初からやるなよ!って話なんだけど
その辺が当時の新日と倒産寸前国際の立場の違いというか
微妙に見下してたところなんじゃないかな ベイダー vsコンガ コンガ・ザ・バーバリアンは少し小柄だな、パワーで売るには。
ベイダーはスティングやスミスとの試合の方が迫力あった、ビッグマッチという事も
あるだろうけど。
https://youtu.be/uVlSgpFdxLI >>720
88年〜89年ごろのプロレス雑誌には
東京12チャンネル時代の国際プロレスの実況音声を収録したカセットテープの広告が載ってたな
「杉浦滋男アナの名実況がよみがえる!」ってコピーだった >>733
82年に蔵前が13000人の発表だったことは一度もない。
82年の最高は猪木vs国際のハンディキャップマッチ等が
行われた闘魂シリーズの最終戦の12000人。
13000人の発表が普通だったのは83年のこと。 その頃、新日蔵前で16000人て発表されてなかったか? そりゃないだろ、武道館のオールスター戦が16,000人とかなんだから。 74年の小林戦・大木戦は、観衆16,500人(主催者発表)だったはず。 78年の1月23日は、MSGで藤波がエストラーダを破ってWWWFジュニアヘビー級王座を獲得した日だな
メインはグラハムvsマスカラス
84年1月23日のMSGでは、ホーガンがIシークを破りWWF世界ヘビー級王座獲得
87年1月23日は、人吉温泉旅館破壊事件の日 蔵前末期は大体12000〜13000くらいの発表だったね
新日はあの頃だと第一回IWGP決勝が実数も一番多かったんじゃないかな、発表は13000だったか
全日が8月のテリー引退試合で13650くらい、後楽園にしろ蔵前にしろ全日の方が多めの数字を主催者発表としてた
まあどっちもチケ売り切れの札止めってのは間違いなかった入りだったけど 83年IWGP猪木舌出し、翌年のIWGP長州乱入で暴動の蔵前の枡席に行ったら、
子供2人連れて来ている夫婦がいて升席に6人で座った。 >>731
猪木がMSGシリーズで疾患が悪化してビッグファイト欠場、その後の復帰第一線だったかな。
しかしサマーシリーズは第2弾では早くも再欠場。猪木の体調も一気に下降線をたどっていくが
佐山タイガーの異常人気や坂口、藤波以下の頑張りで持ちこたえた。 両国のマス席狭いと言ってる人多いが、蔵前の方がはるかに狭かったよな。 立ち見で二階席の真ん中の階段の一番前をダッシュで確保してた >>760
翌年の方だけ照明の作りがいつもと違っていた印象 >>764
第一次Uの旗揚げシリーズ最終戦の蔵前は照明がなくて真っ暗だった。
客入りは1階が2割、2階が1割ほどのガラガラで後楽園ホールでよかった。 >>762
蔵前は元々は旧両国国技館を失った相撲協会にとっては
仮設のものだから >>766
国技館を両国の地に戻すのは、長年の悲願だったみたいだね。春日野理事長一番の功績になっている。 >>730
雪崩式ブレーンバスターは阿修羅や長州みたいな重い人がやるから迫力があるんだよね >>765
だからこそメインの前田・藤原戦の異様なムードが盛り上がったとも言えそう >>768
両国国技館は東京都墨田区横網一丁目にあるが、「よこづな」ではなく「よこあみ」。 >>765
ええ!あの試合はそんなにガラガラだったの…?
正規軍vs維新軍の5vs5勝ち抜き戦がニアミスというのも影響したか?
昭和新日ではないけど、自分の観戦歴で蔵前(両国)の一番の不入りは
1996年秋の東京プロレス、三億円ベルトを中心に回してた大会
石川、安生、T後藤とか出てた記憶…100人ぐらいしか入ってないように見えた。 >>772
その双方に出たのは藤原と高田だったか
浜口戦での藤原は前田戦での傷口が開いたがそれについて古舘の解説でもちゃんと触れていたのも凄い 当時蔵前の試合新日、全日とも結構見に行ってたから、あのU旗揚げシリーズのガラガラさと照明の暗さはちょっと驚いた
結局猪木含めてポスターのシルエットになってたようなレスラー誰も来なかったし、今となっては仕方ないんだろうけど
照明の暗さはTV中継ないときの体育館みたいな感じだったけど、蔵前であれはやっぱ異例だったね 1981.10月の新日全日の蔵前決戦は同じ観客数の発表だったけど実際はどっちが入ったんだ?? 新日リング上で藤原のU殴り込みを発表、
これをテレ朝でも流したけど、
あれは前田制裁よりUの宣伝だったんだな。
あの時猪木がせめて前田にしてやれたことはそんくらいのもの。 スコット・マギーってまだ60そこいらなのか。そんな若くしてメインはってたのはそれなりに見栄えが良かったのか >>777
「ゴッチの弟子で期待のホープ」ということになってたね。
実父のジェフ・ポーツもゴッチと親交あってゴッチの紹介で新日本来てるんだよね。 父のジェフポーツは初期新日や国際に来日した欧州系の強者 >>774
蔵前も後楽園もテレビ照明がないと目茶苦茶暗い。
新日の80年8月の田園コロシアムでナイター照明とテレビ照明ないは真っ暗だった。
その2,3日前に品川プリンスホテルゴールドホールがテレビマッチだったからテレビが入らなかった。
メインは猪木がバックランドと初タッグ結成でハンセン&ラリーシャープ。 >>775
同じ観客数でも新日→超満員全日→満員で当時新間さんの「これはプロレスブームではなく新日本ブームだ」の名言もあった 79年のオールスター戦、ギャラの取り分が4-4-2だから、チケット販売のノルマも当然
4-4-2なのに全日の営業が「ウチで四割も捌けるかな…」と不安がったという
新間が増長してデカい顔するわけだよな >>781
まあ全日本が久しぶりに最強タッグ以外の東京大会場興行を手掛けた時だからそんな物だろう >>751
サッカーはスピードが口調と合わずプロレスとボクシングが見事にはまったと東京12ch
のPが述べていた。
>>761
この頃かな?BI会談が行われて「馬場さん、ごぶさたしてます!」と挨拶した猪木に
心配した馬場が「寛ちゃん、だいじょう?」と言ったらしい。
>>768
新国技館を現金払いでして建設費用を減額させたとか名経営者ぶりを発揮するも相撲部屋
の親方として名力士を輩出できなかったが相撲取りとしては長生きした。
>>773
リング屋が共通しているとか言われてマスコミから新日とは裏で繋がっていると
見られていた。 泡沫アイドル猪木ゆかりのデビューの会場に駆けつけた前田、ラッシャー、剛。
新日からは誰一人として来場せず。
そんな様子を闘スペに掲載していたんだから、事実を知らなかった俺は混乱したわ。 >>785
春日野親方は師匠としても横綱、大関を2人輩出してるから
まだマシなほうだろう 大関栃光はその春日野親方の弟子ではないよ
栃錦現役の頃には幕内に定着していた 厳密にいえばそうだけど
それを言ってしまうと
千代の富士も北の富士の弟子とは言えなくなってしまうなあ >>790
俺健悟さんみたいになりたい。健悟さん楽そうだし。 健吾、山田、武藤vs星野、小杉、橋本ってテレビマッチあったよな。
武藤と橋本のテレビマッチって、あの試合が初めてじゃなかったかな? >>793
武藤は荒川と組んで上田・セントクレアーとやったのが初 >>780
「品川プリンスホテルゴールドホール」って単語聞くと
田中ケロのデビューした興行って脳が反応する
本人が山口良一のANNで言ってた 【テレ朝チャンネル】ワールドプロレスリングのスレ建てて下さい。 https://kissatalk.web.fc2.com/index164.html
一番の被害者は紙テープなんぞで指を切った猪木より
ピンフォール負けした藤波ではないだろうか 「藤波!俺はこの試合にお前に負けたら、日本を離れるから覚えてろ!」 >>797
これとは違う試合だけど
「危険ですから紙テープを投げないでください!」と
試合中に田中ケロが再三キレ気味にアナウンスしてた時があったな ケロはしょっちゅう闘魂スペシャルに注意喚起していた。
投げ込まれたので酷いのは画ビョウと電池が双璧かな。
前者では幸い怪我人いなかったが、
後者は客の頭に当たり大怪我したらしい。 クラッシュブームの時、全女の若手は紙テープ片付ける際に指が切れて傷だらけになってたらしい 全女の試合は賭けが成立したっていうのは本当なのかな? >>803
煽動的な手法でファンを引き付けてきたはずの新日本がマナーを説教するってのは矛盾だよなあ >>805
それ言ってるのは長与だけ出しなぁ
でもあの兄弟ならやってても不思議じゃない
長与と立野の全日本ジュニアの試合でディレクターが「お前が勝ったら10万円やる」と言って10万払ったのは本当らしい >>808
イヤーエンド国技館は特番放送だからこの試合もノーカットだったけど通常放送ならお蔵入りしてたかも >>807
全女は、押さえ込みルールがあって、新人はケツ決めてなかったんだろ。 >>810
そうだけど、賭けの対象になり得るのと実際にしたかは別の問題 当時の熱狂は凄かったけど、乾電池投げ込んでたヤツは未必の故意のきちがい犯罪者。不幸になってればいいのに TUBEのライブではパンティが投げ込まれたんだよな。
生脱ぎだったのかな? 山本小鉄が「紙ってね、よく切れるんですよ」ってしょっちゅう言ってたなあ 乾電池は蔵前の大会であたった人がどうしても試合が見たいから包帯巻きなが観戦したって写真入りで雑誌か新聞に載ってた記憶げある メキシコみたいに小便入りの紙コップ投げられるよりはまだマシな気もするけど レトルトカレーとかパックの牛乳投げるやつもいたらしいね。
一回どっかの会場で若手時代の蝶野が投げたヤツ目撃してリングに上げて謝罪させた後に会場外に摘み出したとか。
そんな記事が当時の週プロに載ってた気がする。 >>816
いや、乾電池の方がケガするから危険でしょ >>816
いや、乾電池の方がケガするから危険でしょ >>816
いや、乾電池の方がケガするから危険でしょ >>815
その後、悪質ファン撲滅みたいな企画で、物を投げたも奴を通報したらリングサイド年間パスポートを上げるとかあった。 >>818-820
100分の1秒まで一緒のトリプル初めて見たw サンマルチノの首を折ったハンセンはリベンジマッチの入場時に尖った何かで刺されたし
アンドレの足を折ったカーンも隠し持ったカミソリで足を斬られたりした
昔のアメリカ人は日本よりエグいな >>824
「ラリアットで首の骨を折ったことにした」「ニードロップで足の骨を折ったことにした」
だけなのに?ハンセンもカーンも、感謝されても恨まれるようなことしてないだろ? >>825
サンマルチノやアンドレの熱狂的なファンはその抗争アングルを信じて
本気でハンセンやカーンを憎んだって事だよ 日本にはラッシャーの自宅に嫌がらせしたヤツがいたけどな ちなみに俺はIWGP決勝の時に長州を本気で憎んだ
維新軍永久追放の署名まで集めて新日の事務所に送ったよ >>829
ラッシャーの愛犬2頭、大五郎と熊五郎のどっちかがノイローゼになって亡くなったんだっけ? 選手コールの前にシンに投げつけられたのはビンだったか
ガラスがリング上に散らばって危なかったよなぁ サンマルチノの件はファンが真相知ってたらもっとハンセンを憎んでいそうだな。 だよな
よりによってボディスラム失敗だからな
どんだけ下手クソなんだよと >>830
あの頃のファンは熱かったなw
確か、フェンス越しに新倉とファンがやり合っていたよな。
マサも「これはやばい!」と思って、長州を守りながら控え室に連れ戻した。
古舘の「阿鼻叫喚の地獄絵!!!」の絶叫が懐かしいよ。 >>838
そこから4ヶ月後の低迷期突入が懐かしい! 小林邦昭もタイガーのファンからカミソリ入り封筒送られて指切ったらしい。 >>836
>>837
その時は怪我させられた当人でありながらにハンセンを庇ったのに
ケン・パテラに鬘をつかまれた時は激怒して控室に殴りこんだサンマルチノw >>803
後楽園ホールで藤原vs松永の凶器持ち込み自由マッチがあり、松永が体に有刺鉄線を巻いて出てきたら
藤原がペンチで有刺鉄線を全部切り取ってしまい、つまらなくなった。
その後、松永が袋に入った画鋲をリングに巻き、藤原と松永が場外乱闘中に藤原組の若手がリング上の画鋲をホウキではきだしたら、
画鋲が全部客席に飛んでいき客が顔を伏せていた。あれは危険だった。 全日本プロレス中継の倉持アナも全日寄りの実況が気に入らなかった長州ファンから
カミソリ入りレター貰ったとビッグレスラー誌に書いてた。 菊地亜美がマツダスタジアムでシンに襲われ大流血して運ばれたよな
その後頭を包帯グルグル巻きして解説席に戻ってきたな >>845
「有刺鉄線を全部切る」には時間がかかるはずだけど松永はその間おとなしく待ってたの? >>844
ハンセンのは故意じゃないしすぐ謝罪に言ったんだからそら許すよ。 >>842
ショルダーバスターの体勢だったから上手くいかなくて
ボディスラムに切り替えたが、それも上手くいかなくて頭から落ちしちゃったように見えた。 >>848
やっている事は村上に襲われた橋本だな。 >>849
藤原が有刺鉄線がない手首を引っ張ったら松永が倒れたw
全身有刺鉄線の松永は倒れて「あ痛!!」w
藤原が切り終わるまで松永は寝たままw 87年のタッグリーグは最初から藤波組優勝だったのかな
藤原→マードックは予定通りの変更だったと思うけど、長州と前田の欠場は予定外だったはずだからどうなんだろう >>854
藤原がケガをしたと言う設定で藤原→マードックに交代したが
長州と前田がいなくなっちゃって急遽藤原が出場したのは可笑しかったな
全然負傷持ちの動きじゃなかった >>855
一応負傷をさせた前田の責任を取る、という形で藤原が名乗りを上げたんだっけ >>838
あの時はファンがあの結果に激怒して、
再試合の要求していたね。
それにしても長州は悪者になるのを恐れて逃げた。
根は小心者なんだろうな。
ラッシャーなら堂々と悪役に徹していただろうね。 >>857
乱入して試合を壊してとっとと逃げる。
普通だろ。 問題はその後
悪役を演じたくなくて泣きながら酒浸りとかクズだわ >>855
マサ、長州組で一試合消化して、その後そのままマサ、藤原組が引き継いだので、
当時「あれ、最初のマサ長州組の一試合分はやり直さないとおかしくね?」と思ったw
まあ、そういうテキトーなところがプロレスの面白さでもある 全日はシークが負傷で緊急帰国したのに、2日後にはカマタがシリーズに帯同していたからな。 長州「てめぇら同じ事ばかり何度も聞くな。お前らなんかに俺の気持ちがわかってたまるか」 坂口でバックドロップに持ってくとズルいとか思っちゃうわw タッグリーグでジミースヌーカーに決めたやつはエグかったよな >>861
カマタなら早めに来日して下町のどこかの
パチンコ屋で数日時間潰していても
違和感なくて誰も気づかないかも。 クラシック見たけど
なんと坂口がシンに勝った
珍しいな
シンが試合有利に進めるも
控室にサーベル取に行って
リングアウト負け
訳分からん 坂口には負けるけどピン勝ちは認めない。シンのプライドと言うより、
エース外人にピン勝ちしていいのは猪木だけという新日の暗黙の了解だな >>867
猪木はブロディにやったダブルバックドロップは専門誌の表紙になるほど絵になっていた。
晩年に一騎打ちで猪木にやったロープ股間打ちのアトミックドロップを高さいいエグかった。
リングアウトながら最後の坂口の勝ちだった。 昔 FMWが女子部もあったころ
シンが女子レスラー襲ったの
聞いたことあるけど >>874
FMWの鍋野がシンのサーベルで襲われた時の、東スポの見出しが「シン婦女暴行!」 くどめって、今何してんだろ
里美和はクリスチャンになったんだよな >>875
東スポ1面「猪木金玉蹴られる」
K-1石井との対抗戦話でノールール、急所攻撃もありでという話になったとのこと。 橋本の荒っぽさは前田の再来みたいで頼もしかった。
デビューが早かった佐野や畑より先に外国人勢との試合が組まれたし、
第2回のYL杯でも山田に次ぐ待遇だったね。 UWFの記者会見(1984年=昭和59年4月1日)
──今、木村さんが戦いたいと思われる、レスラーを、5人挙げるとすると誰ですか。
木村 うーん、やはり第一は猪木ですね。その次はハルク・ホーガンですか。
新日プロでの最後の対決では、俺の反則負けになっていますが、ヤツは背が高く重心が上にあるから、
場外で一発食らわすと、簡単にフェンスに転がり落ちてしまうんですね。彼とは決着をつけたい。
3番目はアンドレ・ザ・ジャイアントですか。国際プロ時代彼が俺のIWA世界選手権に挑戦して、
両者リングアウトで引分けていますからね。まだ決着がついていないわけです。次はスタン・ハンセンかな。
『第2回MSGタッグ・リーグ戦』で、タッグマッチでは対戦しているんですが、
シングルではやっていない。ラリアットのラリアットのかけ合いをやってみたいですね。
もう一人は、うーん、これといっていないですね。誰でもいいですよ。
リングに上がって俺と勝負しょうというヤツなら、選り好みはしませんよ。 >>879
橋本はずんぐり体型でなかったら1人エースになれたんでは?猪木も橋本のずんぐり体型はエースとして認めなかった 橋本は鶴田が健在なうちの全日では絶対トップクラス無理だったよね。冬木と同サイズだし。 橋本vs冬木で同サイズだったのでビックリした。鶴田が規格外だったんだと・・ >>887-888
周期的にこういう書き込みする人いるけど、
当時の三沢を全否定するつもりなのかね?
新日の選手が単に嫌いなんだろうけどw 三沢は藤波と変わらないくらいの体格だったけどアマレスの下地あるし運動神経が
良かったもんな。だから鶴田と対戦しても物凄く釣り合わないという程ではなかった。 天龍抜けた直後は鶴田の前では三澤もまるで子供の様だった
なので捨て身のフルスイングエルボーが見てる方としては許された感じだった
「このくらいのことしないと鶴田には届かない」って感じで でも冬木は若手の頃から、なんか将来スターになる感じしないなぁと思ったな。
武藤はさすがに若手の頃からスター性あったけど、橋本や蝶野ってどうだったっけ? 橋本は前座から目立ってたけど、本人はマジなヒーロー狙いだけど見てる方はちょっとお笑い枠扱い
蝶野は名前が珍しいからすぐ覚えたけど地味な感じ 同じ身長の武藤がいたせいで割りを食ったけど、小型ばかりのヤングライオンの中で
188pの蝶野は会社に期待されてたんじゃないかな、ヨーロッパ遠征だし >>882
そういえば81年MSGタッグと82年MSGリーグ、考えてみればラッシャーにとってはいろいろ経験できる対決があった。
ハンセンやマスクドスーパーとラッシャーってちょっとテレビで見てみたい。。 >>896
両団体のタッグリーグで長州・谷津とやってたんだな
三度ともパートナーは違ったが 長州ってタッグリーグでは連続で日本人チームでビリだったのに、
83年にはいきなりトップ(猪木組は混成なので)という飛躍。
維新軍の格上げはあまりに不自然だった。 >>898
但し決勝進出までは出来ないというのが絶妙だったな カーン、戸口組とか前年準優勝したチームが長州組のために不戦敗とかだもんなあ ちなみに第1回リーグ戦の日本人一位は全体の五位w(坂口小林組) >>902
その辺りって外人天国と言われた当時の全日本より酷いかも
ちなみにその年の最強タッグは師弟コンビが初優勝で鶴田が春冬連覇達成 失礼
初優勝は二年前でその時は馬場が唯一の春冬連覇 腰を悪くして明らかに動きが落ちた小林を戦力外扱いとし
コンビを解消させて坂口と長州を新たな北米タッグコンビに据えたのに
タッグリーグでなぜ組ませず、落ち目の小林をまた坂口と組ませたのか
優勝する説得力を持たせたいがためにバックランドと組む猪木の傲慢さも鼻につく 年末タッグリーグのアングルや力量配分はやっぱ全日が上手いな。。
新日はあくまで猪木が最後まで主役。そのための星取り合わせであとはどうでもいい感じ。
自分は当然経験ないが、力道山時代のWリーグに近いシリーズ采配だったのではと。
春のシングルのリーグもhとんど同じ。チャンカンは鶴田も若大将時代に一度は優勝してるが
藤波にその栄冠は得ることはなかった。またカーンや坂口が優勝戦を務めることもあったがあくまで猪木の代打的なものだった。 >>905
現役タッグ選手権保持者が白星配給係になっては
逆に傷がついてその後に悪い影響が出るからだろ
猪木とバックランドが組むのも全然おかしな事ではない
単純な話だよ 88年のIWGP挑戦者決定リーグに坂口も出場してほしかったな
猪木、ベイダー、木村はもちろんだけど対マサ斎藤、対長州は珍しいカードになっただけに >>907
一応最終戦に坂口・長州で大巨人組とやってたんだな >>908
猪木最後のシングルリーグ戦か。優勝(勝ち抜け)しちゃうんだもんな凄いよ・・ >>908
その前の仙台でIWGP初挑戦が発表されてたけど流れちゃったよな >>911
後には同じ仙台で藤原が挑戦したんだよな >>906
力道山時代のワールドリーグの後半三回は力道山が決勝シードだからな
一応参加選手とのシングルマッチもやってたからそんな感じはしないが >>910
この頃の新日は暗い雰囲気だったイメージ 2000年代前半が新日の暗黒期といわれてるけど、よっぽど88年にゴールデンから土曜夕方に時間帯変わった時の方が絶望感は強かったなぁ いっそのこと「暗黒仮面’88」っていうのをデビューさせたらどう?
目と鼻のとこ穴空けて88てデザインして。 >>915
そんなことない
・TPG事件をかき消すほどのビッグバン・ベイダーの大ブレイク
・チャゲ&飛鳥のワールドプロレスリングOP曲が好評
・川口浩探検隊スタッフによる88ワールドプロレスリング
・闘魂三銃士結成
・8.8スーパーマンデーナイトイン横浜での藤波vs猪木が今でも語られ続けている名勝負
・意外に好評だった年末の3vs3イリミネーションタッグリーグ戦
・史上初ソ連レスラーの発掘(翌年に続く) >>915
確かの当時はそう思えたけど
いまこのころの動画を見直すと
思いの外、会場は盛り上がってるんだよなあ
大阪の藤波長州のIWGP戦なんて客がノリノリで湧き上がってる 土曜16時の放送は大人ファンにとっては完全な格落ちだったけど
小中高生の目にはわりと止まってたんだよ
新規開拓は出来てた
ゴルフで何度もとんだけど 土曜夕方はほんとゴルフで飛ばされること多かったな
逆に時間帯違う地方だけ放送された大会もあったんだっけ 1988あたりは第二次Uと天龍革命が話題だったから新日は割食ったね。
全日本は凄い試合してたけど、Uは正直つまらなくて新日の方が面白かった。
Uをつまらないとは当時のプロレスファンの雰囲気では言いずらかったけど笑 >>915
個人的な印象だけでいえば84年半ばから85年の『運命』が鳴り響くまでが一番かなあ
特に年明けからブロディ登場までの3ヶ月強
〜うす暗い会場、熱の無い客席、猪木のいかにもしんどそうで覇気の無いファイト、
ヒギンズやバンディという本来豪快なパワーファイターのはずなのに
なんか目つきや雰囲気佇まいが陰湿で爽快感ゼロなかんじのガイジン勢
正直あの3ヶ月の新日中継は自分の中では
放送終了前の時期の『国際プロレスアワー』を
ローカル深夜枠で視てた時に近いくらいヤバイ雰囲気だった印象がある
実際にはそこまで空席だらけとかってわけでもなかったんだろうけど 俺はその時期逆にストロングマシンズにめちゃ毎週ワクワクさせられてたけどなあw
学校でもマシンズの連携とか大流行りでプロレスごっこしてましたわ。 >>923
ビッグファイトシリーズ開幕戦の後楽園ガラガラが懐かしいな >>908
全日時代は外人が苦手だった長州がベイダー戦ではそんな酷評を振り払うかのような
ド迫力ファイトを繰り広げた。決勝?の猪木対ベイダーも好試合だった。
i>>918>>920
結構、盛り上がっていて暗黒期で無いけど放送がゴルフ中継で潰されて流れがわかり
ずらくなっていてTV中継的には暗黒危機だったかな?土曜八時時代の全日が巨人戦が
あると当時としては完全に深夜枠の11時代後半に回されたのとだぶる。ただ新日の
土曜日夕方時代ははビデオが普及していていたから便利だった。結構、いい試合が多い。 >>917
そう、リング内はよかったんだよ
だからこそ放送時間帯に絶望感が大きかったんだわ
考えてみれば全日もその数年前まで夕方5:30からだったんだけどね
いざ夕方4時に変わるとゴルフで潰れることが多いこと…関西は夏の甲子園の期間は必ず潰れてたしねw ただ>>922の通常放送の時は、奇跡的に甲子園が雨天中止で観れたんだよな >>928
ジュニアヘビーは高田がいないのが影響している。越中・馳・コバクニではねえ。 >>929
高田・山崎の離脱から翌年のライガーのデビューまでが一番の谷なんだよな
この年は全日本でもジュニアのタイトル戦は防衛期限対策的な二回しかやってないし >>929
それでも、途中に馳からオーエン・ハートへの移動があり、
新風を期待したが、山田に1回防衛した後、
その後越中へすぐに移動して残念だった。 >>929>>930
三者とはオーエンハートが参戦して好試合を繰り広げていた。
ただし三者と山田、船木に離脱前の高田、山崎等まで参加した
第1回トップオブ・スーパー・ジュニアは名勝負連発で盛り上がった。
しかし高田はウェートがジュニアでやるのにはキツくなってきていた・・ >>929
外国人メンバーも毎シリーズにベイダー来てたのもマンネリ感じてた
ビガロ、ウィリアムス、マードック、オートン、ソイヤーとメンバーは揃ってたんだけど…
アドニスは残念だった 女性ファンに絶大な人気を博していた船木までUに移籍してしまったからな
山田は実力はともかく顔がアレだったから尚更ネタにされた >>923
逆に全日の勢いが浮き彫りにもなったな。85年新春の激突オールスターウォーズ、
本来の全日にジャパンが加わってのそれこそオールスターでいつもは興行地盤の弱い府立とか1万くらい観客が詰めかけた。 >>933
ソイヤー兄弟はうまく売りだせなかったものかね?
小柄な分、スーパーヘビーガイジン全盛の煽りを食った感じだ。 >>932
トップオブスーパージュニアは四年前のWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦に唯一比肩できるリーグ戦だったな
それだけに高田・山崎を失った穴は大きかった >>919
その時間になったおかげで桜っ子クラブが好きになった 新日 全日 両タッグリーグ戦に参加したチーム
シン 上田
長州 谷津
ブロディ スヌーカ
単独で双方に参加したレスラー(上記六人以外)
ハンセン カーン 戸口 ラッシャー
ドスカラス アンドレ カートヘニング
カートヘニングは意外だな。 >>939
シン・上田はいきなり二年連続でだからな
ブッチャーとマードックの名が出ないのもポイント シン&上田は両団体での戦績はそのまま2年連続で4位と結構いい待遇。83年にはインタータッグも戴冠し
新日の北米と合わせ双方の代表タッグ王座に就いた。両団体でこうして活躍の場を持ったシン上田組というのは
昭和プロレス史に残る名コンビだな。 >>941
あのインタータッグ戴冠は謎だったな。
ハンセン人気でシンなんかすっかり影が薄くなって、そういう機運も全くなかったし
シン、上田組が取った時も馬場、鶴田組に取り返された時も
リングアウト決着だったので全く盛り上がってなかった。 >>942
ハンセン&バスもインタータッグ奪取してすぐに奪回されたな。
いずれもノーテレビだった理由がわからんわ。 >>942
奪取の福岡で上田コールが起きてたんだよな
とにかく因縁の蔵前メイン登場とインタータッグ奪取を果たした上田と大木 >>942
新日がブッチャー引き抜いても大して活躍の場を与えなかったあてつけかもw
馬場はPWF防衛戦でこの後も幾度かシングル対決をやってるし、外人エースの一角としての
ポジションをキープさせた。また何かにつけフレッドアトキンスの兄弟弟子関係を強調する実況も
あったしな。その辺の計らいか。 2/27だった
田中ケロ@リングアナ
@tanaka_kero_mg
昨日の「脳ベル特番」収録終了後の集合写真。
収録時間長く、ちょっくら皆さん疲れてます。
また、あたしゃ組長の後ろで半分かぶってしまってます(>_<)
ここには映っていませんがもう1名参加してます。
それが誰かは放送をお楽しみに
目が笑っている笑顔
2月27日の19時から2時間
!!マーク
BSフジです。
超面白いっすよ >>947
藤波がゲストに来てないのにユリオカ超特急呼ぶ意味が分からない
越中がいるんだからケンコバ呼べようつけ >>944
悪役レスラーの応援コールは他には
リッキーVSザ シークなど
シークコールが起きた
「年寄りがんばれ!!」みたいな
感じだろうか?
おれも応援した >>950
それ勘違いだぞ。リッキーコールが起きていたのに、松永アナが
「山田さん、これはシークコールですか?」と言うとんでもないボケをかましただけ。 あれは たしかにシークコールに聞こえた
学校でも話題に!!! シークコールと言えばその後の最強タッグ最終戦でも出てたな
その後のハンセン登場に消されてしまったが 悪役だけど
おじいちゃんだし 身体もブッチャーみたいに大きくないし
応援したい気持ちわかるんだ >>949
どうでもいいけどユリオカって映画監督の三谷幸喜に似ているんだな >>950
リッキーvsシークでFMWと勘違いしたw シークは81年最強でもって自分の記憶から無くなったなあ。来なくなっちゃったし。
特に77年オープンタッグ以降の凶悪タッグは俺のプヲタキャリアで重要な位置を占める存在だ。
晩年のシークはブッチャーとの仲間割れからの一騎打ち、さらに引き抜きで相まみえることのなった
TJシンとの顔合わせと、その年齢にあらがう如く乱戦、流血戦を立て続けに敢行した姿が目に焼き付いてるのだ。 あの日はハンセンとシークが同じ空間にいたのか。
アメリカでも接点が無さそうだし、
かなり異色の組み合わせだ。 シンとシークの兇悪対決はシークに声援が集まった
移籍したてで勢いがあるシン、見た目あきらかに衰えて、人気にも陰りが見え始めたシーク
日本人は判官びいきが大好きだから自然とそうなるんだよな シークといえば1974年の新日参戦時の映像が残ってないのが本当に残念 >>962
パワーズルートでの参加だったと最近知った >>961
おれもシーク応援したが
残念ながらリングアウト負け
したんだよね >>963
NWFはこの当時、ブッチャーも在籍してた。他にワルドフォンエリックやブルドッグブラワーらも
いたが新日に顔を出すことは無かった。。
ワルドーの、あの猪木の巻いたNWFベルト姿がワード検索すれば画像で見れるはずだ。 >>938
懐かしい、若き日のSMAP出てたやつ
プロレス中継の枠の関係で宇宙刑事シリーズとか必殺シリーズ見てたような感覚で >>939付け加え
双方に参加したレスラー
マシーンも追加で。 >>936
大阪府立でのサザンボーイズとの試合はよかった。 シークのいい話といえばFMW参戦時にボクシング元王者のスヒンクスが他の外人レスラーにからかわれてるところシークがチャンプと呼んで尊敬しろと嗜めた件 シーク、81年あれだけ会場を沸かせたのに、翌年以降お払い箱は可哀相だった
ロビンソンもCCを最後に来なくなっちゃったし・・ ロビンソンは84年に日米で鶴田とタイトル戦やってるし、85年のワールドCCまで参加してる。 >>969
震えて待ってろカス
10 お前名無しだろ (ワッチョイ 5fb7-8PYP)[] 2021/01/28(木) 23:10:22.85 ID:zw3cIXM10
取り敢えず相談という形で弁護士事務所で簡潔にまとめて話し合ったんだけど
1時間11,000円!
これから相談と裁判費用でめっちゃ金かかるから絶対にかかった費用+@は毟り取るつもり!
まぁ先生曰く、この手の精神異常者は金を持っていないので取れる金額も雀の涙
で、そうならないよう双方の弁護士が勝手に話を進めて落としどころを決めて示談成立させるんだってさ
だれが示談なんてするかよ!払えないなら死ね!あと警察には4年前からの殺す、刺す、火をつける、家族もめった刺し
この辺のをまとめたのを持って行って届を出すかどうか家人ともう一度相談してから来てくださいだって
もし警察にやる気がないならそれも含めてこいつのプ板での殺人予告、京アニ放火犯と同じことしてやる等の書き込みをいろんなところに拡散して超有名人にしてやる
裁判関係の書類届いてから急に入院とか心神耗弱状態とかで逃がさないから本気ですわこっちも
何せ家突き止めて家族ごと殺して家に火をつけるなんて脅されたんですからねぇ シークとシンで大流血戦のシングル最強タッグの最中にやってて
後に繋げるのかと思ったらそれっきりだったな >>973
>85年のワールドCCまで参加してる
あのゴールデン開始中継は無駄な経費だったなあ…
ロビンソンやマスカラス、6人タッグに詰め込んで
無理やりなチャンコ鍋というか、幕の内弁当というか…
あの中に天龍まで詰めるんだから勿体ない、
ウォリアーズとファンクスの組み合わせもメインで良くわからん
とりあえず全員の顔見せという事か?
確か翌週の両国大会で早くも視聴率は10パーを切っちゃったんだよね。
その両国大会も観戦したが、とてもゴールデン昇格効果を感じるような入りではなかったよ…
85年の都内大会場は記憶だと
2月東京体育館
6月武道館
8月 両国
10月両国
12月武道館
会場での目視だと、動員がどんどん尻すぼみになってった印象を受けた
特に10月と12月は寂しい入りだった、ゴールデン昇格後の方が動員落ちてるのがねえ… ごめんなさい、昭和全日と昭和新日のスレ間違えました…
いちおうロビンソンが全日参加の話とはいえ、内容的に新日のネタには相応しくなかったですね。 番組改編期には出演者総登場とかテレビ局の慣習だからな。
それが面白いかどうかは別ではあるが。
深夜帯では面白かった番組がゴールデン昇格して番組内容がゴールデン仕様になって
つまらなくなって視聴率を落とす番組は多い。 >>973
85年のロビンソン、マスカラスはロートル感が強かったな。ゲレロも。昔の名前で出ています臭がすごかった >>977
フレアーvsマーテル茶の間のファンは知らない外人同士の対戦にポカーン状態だった。
あんなものゴールデンの生でやっちゃダメだよ。
あんなものセミで10分で沢山。メインは鶴田vs長州にしなきゃ >>980
週プロが彼らをボロクソに書いていたのがムカついたわ。
かと思えば89年に全日本がオールディーズ・バット・グッディーズを始めたら一転してオールドタイマーを称賛したのには呆れた。
どちらもターザンが黒幕だがw >>982
てめぇがジョナサンに会いたいばっかりに出したゴリ押し企画。 >>976
♪ ♪ ♪
それっきり それっきり もう
それっきりですか〜〜! >>981
フレアーvsマーテルのダブル世界選手権は録画中継だったはず。
会場の音響設備の不調で両者入場曲なしでリングインしたが、録画中継のときは無理やり入場曲被せたのを流してた。
後年のプロレス・クラシックでこの試合が放映されたときは入場曲なしの元々の素材を流してた。
全日本で入場テーマのトラブルてわりとあるね。
天龍対長州戦で天龍の入場のとき鶴田の「J」がかかっちゃったり。天龍が苦笑いしてた。 >>981
ビール飲みながら巨人阪神戦をガハハしながら見てる視聴者に
ヤンキースvsドジャースの試合を見せるようなものだからな >>985
入場どころか選手コールぎりぎりまで場内マイクが死んでたな
新日本の場合、たしかに大会場でのトラブルは少ない >>987
83年秋の大阪府立、藤波vs長州の時に機材トラブルかなんかしらんがテーマ曲テープの回転数がおかしくて、ドラゴンスープレックスがムード歌謡みたいになってたことがあったくらいしか覚えないな、確かに
メインの猪木vs木村の時に直ってたのはさすがだが >>988
いきなり流す全日と違ってケロのアナウンスに合わせるから事前にちゃんとリハーサルしてるんだろうな
個人的には89年頃のいきなり流して瞬時にスイッチする入場が好き >>980 >>982-983
あの年のマスカラスロビンソンじゃ悪く言われてもしょうがない
当時の俺はゴング派で杉山時代の週プロの説教臭さが嫌いだったけど
マスカラスはスピードパワー共に衰えが顕著であの強キャラ気取りに説得力が無くなっていたし
ロビンソンも素人目に見ても膝の状態の重症さオーバーウェイトぶりが目立って動きが悪かったから
批難されても致し方無い面は間違いなくあったよ
後ジョナサンに逢いたがっていたのは商売敵の竹内や馬場も同様 >>990
90年代には「そこにいてくれるだけでありがたや」になるんたよね。
特にアンドレ。 >>990
>ジョナサンに逢いたがっていたのは商売敵の竹内や馬場も同様
自分の記憶違いかもしれないが
ジョナサンが来た時に馬場のコメントで
「ジョナサンはもう長くないかも、元気がなかったでしょう…?」
と涙を浮かべながら話してた、という記事を読んだ覚えがあるんだけど…?
どうにも子供だったから無性に悲しくなって、読みながらもらい泣きしたんだけど…
ただジョナサンは数年前まで長生きしたよね、まあ結果的に良かった。 >>988
猪木は、炎のファイターがちゃんと流れなかったら激怒しそうよねw
全日の選手は「ま、いっか」で済ませそう >>988
それ以前YouTubeにあったがパワーホールもだろ。
まさかテープではなくレコードでシングル45回転をLPの33回転で回したとかかな? >>993
キニスキーが来た時、馬場がマスコミに苦言を言ってた。
もしかしたら、もう二度と会うことができないのかもしれないんだから、あんたらも少しは気を使えよ。 >>996
そう、長州もだし、その前の試合の坂口、前田vsマードック、セントクレアーもえらいことになってたw 今週末のCSクラシックスが坂口特集でその大阪の試合も入ってるから、入場もあるんじゃないかな 坂口はちょっと格を落とし過ぎでもったいなかった
最初の合流条件の猪木と対等が反故にされたのはまぁ仕方ないかもしれないけど
いくら何でも初来日の外人にあっさり寝かされる役とかは酷い
もう少しレスラーとして存在感のある坂口を見たかった このスレッドは1000を超えました。
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