【ドラゴン体操】昭和の新日本プロレス12【らしくもないぜ】
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>>1
藤波のヘビー級転向後の必殺技はブレーンバスターだった
だがスーパーヘビー級相手にはまず持ち上げられないし
たとえ決まってもあきらかに格下相手じゃないとピン勝ちできなかった ハルクホーガン「私が日本で必殺技として使っていたクローズラインと
スタンハンセンのクローズラインの違いはただ一つ。スタンは相手を
ロープに振って返ってきたところを首を刈り取る。私は相手をロープに
振ったあと後ろに戻り、自分もロープの反動を受けてリング中央で腕を
ぶつける」
腕の角度かと思ったら違ったんだ アックスボンバーは折り曲げた肘を顔面にぶつける技だと言われてたのにな
まぁ完全にラリアットだったけど まずは>>1乙
前スレ
>>970
http://jump.5ch.net/?https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0503/users/ec9b8c3b1a84c35b58c7423fd989252bbbe1997f/i-img1200x1200-1551597441mbic2w984344.jpg
もうこの時期は完全にWWFルートは閉ざされてたからアンドレ、ブロディの対峙は永遠に見ることが
出来なくなったな。。 藤波は人の技のまねっこばかりやってないでドラゴンスリーパーみたいな独自の技をもっと早く開発すべきだった
サソリ弓矢固め? そういやそんな技もありましたね、実用度ほぼ皆無だったけど 藤波にはドラゴンバックブリーカーもあった…これで終わっちゃうんだ的な空気が漂ってたけど… >>6
初公開?の藤波戦やIWGP開幕戦でのカーンに決めた頃は
一応曲げた腕(肘)を相手の顔面や顎に叩き付ける“風”には意識的にやってたよね
そのうち単に腕を曲げ気味のラリアートになり
更には腕を曲げるというオリジナル技としてのアイデンティティ自体がうやむやになったけどw テレビでの初公開は藤波戦だが、その数日前のタイガー戸口戦が正確には最初らしい これ1982年3月のAWAかな、アックスボンバー使ってる。
https://youtu.be/98XT43HeMDY >>11
初期シャイニングウィザードの膝と一緒で鋭角な肘打ちは危ないからかな? 第2回MSGタッグ名古屋のスペシャルマッチで猪木に
もほとんどアックスボンバーみたいなの使ってたよ >>2
ジュニア時代から
どう見てもウェートオーバーだったスティーブ・トラビス相手の
たぶん最後のWWFジュニア防衛戦がブレーンバスターフィニッシュだった記憶 >>15
シェア(シェイ)スタジアムで試合後にアンドレに放ったのは普通のラりアットだっけ >>14
自分の腕を痛める危険性がラリアートと比べて高めってのもあると思う あんな会社やめてやる!とか離合集散は今の吉川興行騒動どころじゃなかったw それ以外でも新日の盛衰の激しさは異常だからな
タイガーブームからほんの数年でドン底になり
90年代の大人気からあっという間にゼロ年代の暗黒期だもん >>19
結局加藤も吉本に居続けて社長になるのかな >>14
>>18
まあでも一番の理由はホーガンの日本における一撃必殺のフィニッシュとして
アックスボンバーとそれに至る一連のムーブが「記号化」するほど認知されたんで
ディテールについては“どうでもよくなった”のが大きいかとw >>14
肘の内側のグリグリに当たると自分が痛いからなw >>6
マシーン軍団と試合後乱闘になったときおもいっきり肘を立ててぶつける(風)ように
やったことあったな
あれ受けたのバンプ的に平田だったかなぁ… 落ち込んだ時はマッチョドラゴンをYoutubeで見なさい アックスボンバーの元ネタはラリー・ヘニングのアックスって技だろ(´・ω・`) 日本人からするとヒールのアンドレ見慣れてるからなんとも思わないけど
米国人からすると珍しく感じるんだろうな。
ワットとの身長差が少ないようにもみえるけど、ワットがカメラに
近いからな。
https://www.youtube.com/watch?v=v0Q_Mks4bOg 第4回MSGシリーズに来日したときは、ホーガンハンマーで煽って、飛龍十番勝負の藤波戦でも、ホーガンの新兵器の話題ばかりだった気がする >>29
後楽園ホールで猪木対カーン、藤波対ホーガン、タイガーマスク対ブラックマンやったんだよね…めちゃくちゃ豪華だ >>30
生中継で猪木カーンが途中で終わったけど
放送されたのってその3試合しか記憶ないんだけど
その後楽園でアンドレって誰とやった? アンドレはシリーズ後半の鹿児島大会から参戦じゃなかったかな? そういえばその鹿児島大会でアンドレが入場の時に生卵ぶつけられてブチ切れてた様な覚えがある。 >>32
そうでしたか~
後半戦からリーグ戦消化していったんだ >>35
>>31
間違えました…
他はラッシャー木村対戸口、谷津対マードック、坂口、木村健吾対スーパースター、ムラコなど >>32
鹿児島は3週目のテレビマッチだったけど、ひょっとしてアンドレのスケジュールは
優勝戦の蔵前以外全部公式戦が組まれてたのか?
まあ長州が途中で棄権してるから、その分はタッグに変わっただろうけど。 コノコロハマダシンニチモゴウカガイジンロセンダッタナ。
82ネンハシントハンセンガシンニチヲサッタ。
シカシシンニチニンキハオトロエルドコロカサラニジョウショウシタ。
マダチョウシュウダイブレイクノハントシマエ。
コノコロハカーンガウリダサレテイタナ。
アンドレノアシヲオッタトイウショウゴウヲエテ。
カーンハアンドレンフォールシソウナイキオイダッタ。
デモコノトシノアキノチョウシュウカクメイデカゲニカクレテシマッタンヨ。 >>40
ローデスハシンニチニイッタダロ。
ソレトモサイショカラシンニチニ、ッテイミカ? >>29
第4回MSGは81年なので、そのカードは翌年(82年第5回)かな?
ちなみに第4回の後楽園大会はハンセンVSホーガン戦。ノーTVで全国ファンからは総すかんでしたw 第4回MSGは愛知大会のハンセンVSシンも収録はしたけどお蔵入りなんだっけ? >>43
列伝では「TV放映できない危険な試合になるから!」と言う猪木の説明だったw
ホーガンの腕が場外に柵にからまってのリング負けと言う終わり方だったけど
実際の映像を見たら首折り弾が場外炸裂でホーガンは力負けでまだまだ不沈艦の敵
では無かった・・・ スーパースター列伝なつかしいw
タッグリーグの決勝ではハンセンがそっぽ向いてホーガンを見殺しにしていたよね。 今夏のG1、と言うよりいつも
誰も傷つかないように
星取りの調節上手くやるよね
かえって胡散臭い
昭和プロレスの白星配給を見習え ヘイセイイコウハジーワンダガ、ショウワナラエムエスジー、アイダブリュジーピーだな。 >>46
列伝は漫画的いうと
そういう主人公側が味方に裏切りっぽくされたり
卑怯な相手から想像を越えた汚いことされた際に
必ず主人公の「!?」みたいな表情のアップと
「な、なぜ・・・」みたいな心中を全部説明する独白のコマが入るのが
ベタだけどいい味なんだよねえw レツデンデノシークハコアクトウテキナエガカレカタダッタナ。 >>47
オマエハヨクワカッテルナ。
エライ、エライ。
オマエノアタマヲヒッパタキナガラホメテヤリタイワ。 列伝のタイガーマスク編なかなか面白かったけど、当時ですら「少し違くね?」と思うことが結構あったね。
例えばキッド戦を前にしたタイガーへの刺客として送られてきたカネック。
あれはタッグリーグ戦の特別試合で組まれただけで英墨連合みたいな背景はなかったし。
しかし佐山が香港のサミー・リーと名乗ってイギリスで試合してたことも絡め、
イギリスとメキシコで苦悩するストーリーを描くなんて作者の才能には改めて感心だわ。 あの漫画は完全な嘘じゃなくて本当の話も盛り込んでくるから真実味が増すんだよな〜
1から10まで全部フィクションだとそうはならない >>46
■列伝
ホーガン「打倒、アントニオ・猪木!」
ハンセン「坊や、口にチャックしな」
ホーガン「ス・・・スタン・ハンセン!」
■現実
前年79年のジョージアから既に知り合いで、ホーガン初来日の初日に2人で仲良く食事に出かける。
また、ハンセンが自宅に招いた数少ない親しいレスラー(他はブロディ、ピート・ロバーツのみ)
https://i.pinimg.com/736x/af/2e/02/af2e02135fadc9d03e2aaef62df473eb.jpg よく「列伝」の話が出るが購読世代って今40後半くらい?
俺はそろそろ50半ばだがまるで接点は無い。。 >>55
1980-83年の間にやってた漫画だから、50半ばなら高校生くらい?
漫画を卒業してた頃なのかもしれんね >>56
そだね、中から高校だよ。だから80年代前半の昭和親日のピークの時期なんかはもう結構、
訳知りって程でもないが、子供目線な見方はもうなかったね。。 昭和新日は猪木が絶対的エースだから外人同士の試合は評価されないって聞いたけど
流石にハンセンとホーガンと対戦をノーテレビってのは迂闊過ぎると思う
当時のホーガンの新日での序列が猪木とハンセンより一段落ちるのは事実だが
ニューヨークマットでアンドレをボディスラムで投げてすで注目されていたし
シングルのリーグ戦でアメリカでは序列がはるかに上だったスローターとダンカンに
ホーガンが完全勝ちしてるって事はこれから売り出す気満々だって事
それなのにハンセンとのシングル戦を映像に残さないとかバカだろ いや新間たちにも塩試合になるのが予想できたからだろ
(なぜか名勝負みたいに言われてるがノーTVだから) >>58
列伝を読んでいないのか?
あまりにも危険なケンカ試合。
猪木の鶴の一声で、ノーテレビ、最小限の観客での
試合になったんだぞ! >>59
当時のハンセンとホーガンの格の差を考えたら
負けた方の商品価値の低下を考えなきゃならんほどではないからなあ
ハンセンとシンならわかるけど >>58
ハンセン全日転出前のホーガンって
実は日本ではそんなに人気あるわけじゃなかった
ハンセンの一段格落ちっていうより
タッグのパートナーでパワーはあるが不器用で隙のある弟分的なかんじで
ハッキリと最初から格落ちなのは当然、前提ってかんじだった
シン(ブッチャー)、ハンセン、アンドレといてそこにさらにプラスしてもう一人
単独でシリーズの外人エースが必要ってかんじでも無かったから
藤波の飛龍十番勝負って何かとってつけたような唐突さがよく言われるけど
実はあれで藤波と対戦する際のホーガンの
それまでの来日時と違ったスーパースター、外人側最強エース扱いの
唐突ぶりも当時の日本マットだけをみているとなかなか極端だった けど年も若いし期待のホープ的な扱いではあったよね。 ハンセン×ホーガンは自分も気になって当時月間ゴングだかを貪り読んだよ。
しかし当時の新日も勢いあったけど、来る外人が段々デカくなって猪木藤波あたりだと体格が全く大人と子供だからねぇ。
なにかリング上の狂騒とは裏腹に闘いというか、技の説得力というか「?」となる場面が多かったよ。
それ程名勝負(かみ合う試合)も無かったし。
あの辺の人選は猪木の趣味か知らんが、もう少し考慮すればとは思う。まあ結果論だけど 時代が時代だったからだろうけどホーガンって日本でのフォール負けて少ないよな? >>58
ハンセンが全日へ転出した理由のひとつに「外人レスラーは猪木を引き立てる"商品"
でしかない・・・」と自伝で書いていた。 >>66
それこそ80.11vs猪木(NWF、ブレーンバスター)、80.12vs猪木&バックランド(MSGタッグ、逆さ押さえ込み)、81.12vs猪木(卍固め)の3回しかフォール、ギブアップ負けってないんじゃないかな?
抜けてたらすまん WWWFはそれこそ「世界王座挑戦者はブルーノを引き立てるだけの道具」でしかなかったからな
まぁハンセンは引き立てるどころか大ケガさせてしまった訳だが プロレスはもちろんボクシングやアメフト、ベースボールすらも野蛮だと見ていないような上級層にもブルーノサンマルチノとハルクホーガンの名前だけは知られていたらしい >>71
上級層にも知られてたし、ブルーノはイタリア系移民が多い東海岸NYの
ホーガンはアメリカ労働者階級(ブルーカラー)の英雄だったよね 一時期、ホーガンの事を「アメリカン・ドリーム」と揶揄する奴がいてムカついた
それはダスティ・ローデスの称号だろ勝手に取るなって
ハーリー・レイスの称号「ミスター・プロレス」でさえ天龍と小橋に付けたがるバカまで出る始末
ゴツゴツした不器用なプロレスしか出来ない奴にミスター名乗らせるなんて正気かよって
カッコいいから何となくつけようする低脳が多すぎる >>72
サンマルチノはNYでは下層イタリア移民中心のヒーローだけど
知識層やアッパーミドル階層以上には名前は知られてるが
プロレスラーって時点で当時はその層の「ヒーロー」とはなり難い
一方でピッツバーグでは裕福で社会奉仕活動や慈善活動にも精を出す
人気スターというよりはもはや地元の名士
ピッツバーグが大工業都市ということもあってここでは本当に工場労働者達のヒーロー
ホーガンはワーキングクラスヒーローというより
漫画や映画音楽なんかの世界のアメリカンヒーローをカリカチュアライズしたタイプのスター
80年代のアメリカというのは長年の不況を経てレーガンの強いアメリカが支持された時代
B・スプリングスティーンやJ・クーガー・メレンキャンプが自分の意図に反して
従来で言うワーキングクラスヒーローをアメリカンヒーローにすり替えられることでウケた成功モデルを
謂わば意図的にやったみたいなかんじ ホーガンの時代は日本車をハンマーでブッ壊すシーンがテレビで流れてたなー
その頃流行ってのはボスのボーン・イン・ザ・USA♪
ジョン・クーガーもファーム・エイドやったり労働者の応援歌だよね。
日本はバブル前夜でイケイケの時代だった‥ まあオカマだのナチだの怪しいギミックや、流血およびデスマッチ・・。
さらに女子やミゼットと普通に「見世物」だよ、プロレスって。
そこにドラマや人間性みたいなのを見出す日本のファンと違って、アメリカなんかは
単純にショーを楽しんでるな。。 >>73
君はまず揶揄の意味から覚えよう
称号の件に関しては同感 >>78
俺はルー・テーズこそ唯一無二のミスタープロレスだと思ってる。 ハンセンって、俺の最初の記憶では「猪木・坂口VSシン・ハンセン」で、
あまりいいところなくハンセンが負けてるんだな。
北米タッグで坂口・小林がシン・上田に敗れ、
小林が負傷して長期欠場に追い込まれたシリーズのこと。
あれからまもなくして強豪外人になって来日した時は違和感ありまくった。 新日はマイティ井上に負けてIWAを転落後にWWWF王者になったビリー・グラハムへの挑戦を猪木ではなく坂口にした。
ハンセン、バックランドはファンクスルートで初来日が全日で、ほぼ全敗だったのに、
新日はトップで使うことに抵抗感はなかったのかな?
馬場、鶴田>バックランド=猪木みたいな感じになった。 >>81
ハンセンは全日初来日だけどまだ無名の存在で、素質を買われた。
バックランドは王者になってたし、グラハムと違いストロングスタイルで猪木と手が合う存在として扱った。
外国人エース枠に余裕が出来てたらブッチャーの様に扱われてたかもね
ブロディは楯突いて、最後まで我を貫いたけど 82年1月来日時のビリーグラハムは過去の実績が嘘だったかのように存在感がなかったな… 新日本のリングで全盛期同士の猪木とニックのシングルを見たかった 当時見てたらバックランド=猪木なんて絶対思わんな
格の違いは明らかだし戦績も猪木の3勝2分なのに その辺が国際と圧倒的に違う所、海外で大した実績もない猪木だが
たとえどんな世界チャンピオンでも負けブック飲まない
吉原は世界の権威に下賜づいてしまって小林も木村も
AWA王者に負けさせまくった、そんなんで客が来るかっての >>86
小林vsガニアのAWA戦は1勝(反則)2敗1分
木村はニックに1反則勝ち
負けさせまくったってほどではないが
73年IWA連続防衛中の小林がバックドロップで負けたの失敗だな
スリーパーかけられて反則勝ちも印象的には負けだし
ガニアは集客にも大した貢献してないと思うし アメリカのテレビマッチで馬場に秒殺負けしたのに、シリーズエースとして扱われたキングコング・バンディ
全日では1,5流ポジションだったリック・ルードがG1準優勝 >>83
一時は死亡説が流れたくらいステロイドの悪影響で身体を壊してたからね。
流氏の本では「呆れた新日サイドはグラハムをメインでは一切使わなかった」と書いてあるんだけど、これは例によって思い込みで書いたもので、仇敵ワフーとのタッグで6人タッグでは
何試合かメインに出場している。 >>89
グラハムとワフーって新日に一緒に来日してたの?
グラハムは実力的には?だけど、絵になるレスラーだった
国際のリングでは遠藤光男とアームレスリング対決やってたね。 >>80
でもこのシリーズに参加して「コイツは育てればモノになる!」と判断してその後の
シリーズ参戦に繋がったと大塚氏が述べていた。 >>69
「その点、ババは自由にやらせてくれる!」とも書いていた・・・ はんせんはたしかにいがいだったよな。
はいしょはだめでのちのちにあれだけたいせいしたがいじんはほかにいない。
りょうきょくたんすぎるわ。
ほかのれすらーはさいしょからあるていどひょうかされていたし。 しん、ぶっちゃー、あんどれ、ぶろでぃ、ますからす
ふぁんくすにしてもさいしょからきたいされたたちばだった。
さいしょからだめでよばれなくなったのもたくさんいるし。 ほーがんもさいしょからきたいされていた。
ほーがんははんせんがいなくなってからあれだけだいぶれいくしたわけだが。 もうネタ切れなんだな。そして相変わらず薄いことをさらに薄くして書いてるだけだ。
つかどうせここ覗いてるんだから何か書いていけよwww
93 お前名無しだろ (ガラプー KK8b-PQFQ)[] 2019/08/15(木) 09:26:52.38 ID:C4Lv390lK
はんせんはたしかにいがいだったよな。
はいしょはだめでのちのちにあれだけたいせいしたがいじんはほかにいない。
りょうきょくたんすぎるわ。
ほかのれすらーはさいしょからあるていどひょうかされていたし。
94 お前名無しだろ (ガラプー KK8b-PQFQ)[] 2019/08/15(木) 09:28:21.77 ID:C4Lv390lK
しん、ぶっちゃー、あんどれ、ぶろでぃ、ますからす
ふぁんくすにしてもさいしょからきたいされたたちばだった。
さいしょからだめでよばれなくなったのもたくさんいるし。
95 お前名無しだろ (ガラプー KK8b-PQFQ)[] 2019/08/15(木) 09:29:24.96 ID:C4Lv390lK
ほーがんもさいしょからきたいされていた。
ほーがんははんせんがいなくなってからあれだけだいぶれいくしたわけだが。 >>75
『ボーン・イン・ザ・USA』といえば、
「スティーブ ”ドクター・デス” ウィリアムス!!!」というジム・ロスの叫び声が聞こえてくるなw
>>76
90年の『日米レスリングサミット』の名称を決めるときに、ビンスが『スーパーショー』と
アメリカらしいネーミングを提案したら、馬場が『”ショー”とは何事だ!』と反対して
『レスリングサミット』に落ち着いたんだよな。これも文化の違いか。 >>98
スティーブ・ウィリアムスはテリー・ゴディとのテーマ曲KISSの
“アイ・ラブ・イット・ラウド”の方がしっくりくるな。
ハンセンのテーマ曲も新日本版より“サンライズ”の方がいい。 >>91
なるほど
ハンセンは新日本プロレスで素質を見出されてたってのもあながち間違いではないんだね。
ホーガンもしかりだ。
他にも外人勢をもっともっと発掘してほしかったなぁ。
Mスーパースターは欲がなさ過ぎたのか初登場からだんだんトーンダウンしたのが残念だった。 あれんやすーぱーすたーをもっとうりだしてほしかった。
このふたりがしんみたいなよくがあればなあ。
しん、はんせん、べいだー、このへんはいいいみでよくがあった。
だからたいせいした。 >>90
82年新春黄金シリーズだな。
ワフーが新日転出後の初参戦、グラハムは3年ぶりの来日で、スキンヘッドに下だけの空手着姿で
マーシャルアーツ風を取り入れた試合スタイルだったな。やっぱ筋肉は萎んでたね。。 >>103
血縁関係のないグラハム4兄弟(ジェリー、エディ、ルーク)の末弟でデビュー
したんだよね。
エディはNWA会長、ビリーはWWWF王者になって存命なら76歳か
ステロイドの啓発やキリスト教の布教活動やってたのかな?
アルティメット・ウォリアーやランディ・サベージのマッチョ系の先駆者だね
このグラハム兄弟とバリアント兄弟がいつもゴッチャになってややこしいww >>100
ウィリアムスはマイアミヴァイスのテーマ使ってたこともあったよね。
全日本に移籍当初はスキッドロウの「Piece of me」を使ってたけどすぐ変えたね。KISSにして正解だった。 おれはウィリアムと言えば「ボーン・イン・ザ・USA」だな
全日じゃバリーウィンダムが使ってたような… >>106
おまえのきおくがただしい。
ぜんにちでういんだむがつかってたぞ。
ぶどうかんでのつるたとのさんかんせんのときにだな。 ばーばりあん ひぎんず しゅるつ ばんでぃ
こういうがいじんたちをもっといかせなかったもんか。 >>108
ほかの全日の選手はともかく
鶴田相手なら見ごたえのあるレスリングの攻防が見られると思ったが
全くの凡戦だった おいおい、お前らはまだこんな肥溜めでプロレスを醜く語り合ってんのか。
こんなクソスレ見てるってことは、自分はプロレスラーが不幸になるのが楽しくてたまりません!!って言ってる人格破綻者だと認めたということだからな。
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ガラケー基地外の
殺害予告の書き込みに
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猪木はホーガン、ブロディばかりか
あれだけ戦ったハンセンにもシングルでピン取られてないだろ
ここが馬場との決定的な違い
相撲でも大事なところで必ず負けた北の湖は人望があったが
勝ちまくった千代の富士は理事になるのがやっとだった 猪木は長州にシングルで2回、タッグで藤波とマサ斎藤にフォール負け、前田にリングアウト負け。
馬場はシングルで日本人に負けなし、タッグで天龍、三沢に1度だけフォール負け。
鶴田に1度も取られせなかった馬場の外人優待が分かる。 >>116
【突然卍固め 1995.12.30 大阪城ホール】
《タッグマッチ 60分3本勝負》
○アントニオ猪木&高田延彦(2‐1)藤原喜明&山崎一夫●
[1本目]○猪木(5分11秒 スリーパー→体固め)山崎●
[2本目]●猪木(8分16秒 ハイキック→体固め)山崎○
[3本目]○猪木(5分39秒 卍固め)藤原●
Uインター離脱を巡って高田と山ちゃんの仲は険悪、二人は露骨に戦うの嫌がってた >>117
この試合、高田と山崎はキックで適当にやりあうくらいで、まともに試合してなかったね。
ていうが試合全般に高田が露骨にやる気無かったのは記憶にある。
やる気が無いから猪木が3本とも絡む事になったのか、3本とも猪木が絡むからやる気が無くなったのか… >>117
勉強不足でスマンけど、猪木が山ちゃんに取られたの? >>119
1本取られたよ(つべに動画あるはず)
まあ3本勝負だし >>118
密航()して観に行ったわ
猪木が「テメーらUWF連合で1vs3でやってやるかコノヤロー!」って叫んだとき
三人が三人ともシラケた顔になったのが悲しかった >>117
懐かしいな、これ警備のアルバイトで1階の後ろの方で居たわ
佐山タイガーvs小林とかもあったっけ >>119>>121
猪木なりに対抗戦でマイナスイメージになってたUWFを立ててるんだよな >>116
タッグやリングアウトはピン負けではないから意味ないよ。
せめてハンセンにウエスタンラリアットで完全ピン負けして、リベンジで卍や延髄とか
できたろうに。 >>116
ジャイアントマシンには疑惑のレフェリングであっさり負けてたね… 3本勝負から1本勝負へ時代が変わっていった時期というのも大きいかな NEW!!
「刑務所で青葉容疑者の大声や自傷行為には驚いた」(A氏)。その後、青葉容疑者は精神疾患の治療のため、薬が投与されたという。
青葉真司は親から虐待された障害者でアスペでA型でデブ
貧乏だと炭水化物(砂糖)ばかり食べて太る
そして炭水化物(砂糖)の食べすぎで統合失調症と躁鬱病とリーキーガット症候群になって音に敏感になってキレやすくなる
砂糖は血液に5グラムあればいいだけ
青葉の自宅アパートにはカップラーメンが散乱してるはず
青葉真司の特徴
・A型
・父親は農家(先祖は百姓)
・メガネ障害者(子供の頃はメガネをかけてない)
・アパートのテーブルの上にカップラーメンとコンビニ弁当の容器がそのままになっていた(2012年コンビニ強盗の家宅捜査で)
・デブ
・向精神薬
・刑務所で大声や自傷行為をしていた・・・その後、精神疾患の治療のため、薬が投与された
・眉毛の真ん中から外側の部分が無い。おそらく毛がすごく薄い(学生のころの画像)
・前歯の右側(右手側)が前に出てる(左右非対称)
・エラが張ってる(かなり大きい)、髪の毛は直毛、目が二重、身長180センチ、下唇が太い
・運動オンチだけど力は強い、小学生のときはサッカー、中学生のときは柔道をしていた
・趣味は電車(撮り鉄)とアニメ(響け!ユーフォニアム)とゲーム
A型=農耕民族、弥生人、先祖が韓国人か中国人、免疫が弱い(障害者)、目が一重、髪の毛が直毛(真っ直ぐ)
B型=遊牧民族
O型=狩猟民族、縄文人
縄文人=A型でRh+、肌の色は濃いめ、髪の毛が細い、髪の毛が曲がってる、耳あかは湿ったタイプ、お酒に強い体質、ロシア沿海州、朝鮮半島、台湾など東アジアの沿岸部に少なからずいる
メガネ=メガネ障害者
体が左右非対称=ブサイク障害者
オタクは障害者が多い
鉄道オタク=アスペ障害者が多い、アスペ眼鏡が多い
アニメ、声優オタク=障害者が多い
ロリコン性犯罪者=メガネ障害者が多い
■文系、文学、心理学、精神医学、体育会系はカルト宗教と同じで有害なだけなので廃止すべき
iii いのきはぜったいてきえーすのたちばだった。
だからかんたんにふぉーるまけできなかった。
ばばはぜったいてきえーすではなかった。
だからちょこちょこふぉーるまけがあった。
おまえら、そんなこともわからんのか。 >>129
おんどれは釣りか?
いきなりこくさいはぐれぐんだんのはなしにひやくかいな。 >>131
おんどれははんでまっちのことをいってたのか? >>129
国際ファンからしたら屈辱だったろうな。 >>117
山崎に取られるくらいなら藤原のアキレス腱固めでギブアップしてやればよかったのに >>133
ある意味では浜口と寺西を蔵前のメインに出してやる方策とも言える
まああの三人の構成だから出来たんだろうが おいおい、お前らはまだこんな肥溜めでプロレスを醜く語り合ってんのか。
こんなクソスレ見てるってことは、自分はプロレスラーが不幸になるのが楽しくてたまりません!!って言ってる人格破綻者だと認めたということだからな。
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82年〜84年の閉館まで新日は殆どのシリーズで蔵前大会を開催してたんだな…
83年のビッグファイトシリーズ2は前半と最終戦で2回やってるし…凄かったんだね ちなみに自分が一番好きだったのはむしろ蔵前大会が無かった83年のビッグファイトシリーズ1 >>138
アドニス、オートンが外人エース格のしぶい >>137
はちじゅうねんからはちじゅうよねんまでは
しんにちの蔵前使用率はおおいぞ。
はちじゅうねん→よんかい
はちじゅういちねん→ろっかい
はちじゅうにねん→ろっかい
はちじゅうさんねん→ごかい
はちじゅうよねん→さんかい >>137
はちじゅうよねんははちがつをさいごにくらまえはたてこわしだ。
よくおぼえとけ、おらー、えー!←(ちょうのくちょう) >>138
ちょうしゅうがふじなみにかったしあいか。
ちょうしゅうはつだっしゅだったな。 >>139
おまえはにほんごでかきやがれ、たこっ! >>135
考えすぎじゃね?
あくまで猪木が強すぎるからハンディキャップしてやる感。 >>135
おまえもまとをえてるな。
あれがなければはまぐち、てらにしが
くらまえのめいんにとうじょうはなかった。 >>144
おんどれはつりか?
いのきはつよすぎるというたいぷじゃないだろ。
もういちどうまれなおしてこい。←(めいれい) 猪木が本当に強すぎるわけがなく。
新日ファン向けの、猪木は強すぎるから弱小団体の国際3人まとめて
やってやるというアングルって意味。 >>139
三軍対抗戦もクライマックスだったしタンバも良かった 猪木人気の神格化と、国際軍団のヒール度を高め悪役人気を印象付けると
その後の興行にプラス作用を生む。 坂口も藤波もはぐれ軍団のハンディ戦を盛り上げる為なのか
副将格の浜口に勝たせてもらえないから、この年は
ファンやマスコミに実力を疑われる立場に追いやられている
猪木だけをカッコよく見せようとするブックは他のレスラーが明らかに割を食っている
特に坂口は虎の子の北米タッグまで返上させられて >>150
そんな中、浜口の評価は徐々に上がって行ったな。
プロレスに対する姿勢とか、基本がしっかりしてるとか、
猪木は眼が凄いと言ってみたり(蝶野の番組で)
最初の田コロでも木村よりプロレスラーしてたしな >>138
アレンが一度もテレビに登場したしなかったのは残念だった…トニーパリシーですら登場したのに >>152
よくおぼえてんな。
あれんのあつかいはたからのもちぐされだったよな。
あのころのあれんならじゅうぶんえーすでつかえたぞ。
な、おまえもそうおもうだろ。 猪木、坂口、タイガーマスク対木村、アレン、タンバとか見たかったな… >>151
木村が場違いな挨拶をして失笑を買う中で不敵に笑いがらアジる浜口はカッコ良かった。 はまぐちはそういうせんすあったからな。
しゃべりはうまかった。
きむらはくちべたといわれてたし。
ここのあくしつあらしのばかれんちゅうもくちべたがおおい。
しかしもじだけはたっしゃなしにぞこないども。
くたばれ、くされげどう。 やっぱあの「こんばんは」は無いよな・・w
せめて試合中に乱入して放送席前で気炎上げて猪木とにらみ合いとかさ、そういうので良かった。
まあでも、それからしばらくの国際3人、あの頃がキャリアの中で絶頂期だったと思うな。
蔵前やその他会場での大観衆の「怒号」の中での試合って、これはこれでレスラー冥利に尽きるわけで。 >>157
金網デスマッチの鬼は義理堅く人間が出来てるのよ。
世話になった新間に頼まれるとUWFへも行っちゃうし8 日プロ創成期ならともかく
なぜか昭和52年に全日が札幌で野外試合やったことがある
西区の琴似の駅前の広場で
現在の琴似はビルと高層マンションだらけなってるけど、当時はまだ国鉄駅と地下鉄駅の間
の繁華街以外は工場が立ち並ぶ郊外で、なんでそんなとこでやったか不明
中島体育センターに他のスケジュールはいってて他に適当な会場押さえるの失敗したのかね
隣の小樽でシリーズ後半の目玉カードである馬場対ロビンソンのPWF戦再戦が組まれたけど
中島を押さえられていたら札幌でやっていたのかな
実際の当日はさすがに野外大会だけに全日の札幌大会と思えない平凡なカードだったが、特筆
すべき試合はセミでシリーズの二番手外人であるタンク・パットンに羽田が勝ったこと
その次の札幌大会では鶴田のライバルだったドクと内容は押されまくりとはいえ結果は両リン
で引き分ける等、この頃が羽田の最盛期だった
それから数年後には逆に下から二番目の外人にも負けるボジだからなぁ 誤爆すまぬ
>>155
浜さんが新日時代言ったこと
(本当のコメントか記者の捏造かは知らんが)
「木村さんが怒ったら日本で一番強い、でも木村さんは怒れない人なんだ」
一般人ならともかくレスラーに怒れない人って褒めてるのかそれw テーズも争奪戦で国際に来た時に同じようなこと言ってた
「木村は自分が見た中では馬場や猪木より強い」
リップサービスがたぶんにあると思うが、テーズは認められないレスラーは
絶対褒めない それは昭和のプロレスファンには割りと有名な話だが
主題は強いじゃなく「怒れない人」の方なw
怒りに任せて戦うのは二流、的な意味でもないし
単に優しい人と言いたいんだろうけど、何か「こんばんわ」事件にも通ずる
生暖かさを感じるw >>161
素人目だけど、ラッシャーってナチュラルパワーは結構あると思う。
末期の国際で見せていた風車釣りなんてあの体勢でギブまで持ち上げてたり
金網とか流血試合でもフィニッシュはバックドロップやブレーンバスターが多かった。
>>158
当人としては礼儀をわきまえ正々堂々・・という気分だったんだろうけど、会場の空気は
全く違ってて総攻撃のなかの四面楚歌w よもやその時は彼ら3人ものちのちヒールとして
あそこまで新日マットを席巻するとは思ってもみなかったんだろうけどな・・。 R木村最強説はD荒川最強説よりは、、、
R木村は全日でギャグキャラになったと思われてるが新日の前座試合でも同体形の荒川に寄せたファイトをしてた >>157
猪木と戸口の試合前に木村と浜口がリングインして保坂の司会でコメント求めるのは変。
出てくるなら試合後で、木村と浜口が猪木KOで蔵前に向けて盛り上げるべきだった。
猪木vs小林の時は記者会見やってるので、新日の段取りミスと木村の人の良さが悪く噛み合い、変な伝説になった。 >>165
馬場vs大木戦の前にオープン選手権参加表明した木村・井上・草津と
吉原代表がリング上に登場したけど、百田リングアナが紹介しただけで
マイクアピールはなかった。 >>157
R木村はあの時、何も言わないで猪木とガンを飛ばしあうだけでよかた。 >>168
木村「こんばんは、ラッシャー木村です」
猪木「あっ、こんばんは。ご丁寧にどうも」
浜口「はぁー!」 >>161
日プロで対戦したときは馬場を褒めてたけど、後年は「馬場はレスラーではない」といっていたぞ >>170
ミスターテーズは自分を使ってくれない団体の悪口はいくらでも言うからな。 テーズvsゴッチ戦
エキシビションでいいから見たかった
猪木vsロビンソン戦の頃にね。 >>163
木村本人は全日マットに上がったときと同じく
(潰れたとはいえ)団体の看板を背負った大物日本人エース同士の
雌雄を決する大一番的に捉えてリングに上がったんだけど
当時大ブームの新日の会場には数年前の全日の会場と違って
末期国際や木村を実際に観たりよく知ったりしてるようなファン自体殆どいなかったせいで
つぶれた団体のもっさりとした二流レスラーが
エース対決の大一番のため殴り込みというよりは
単に因縁つけて絡んできた田舎893みたいな受け取られ方でしかなかった 田コロで保坂アナウンサーが木村にコメント求める前
浜口がしきりに木村の腰に手を当てて前に出そう出そうとしてるんだよな
新間とか新日関係者に何か吹き込まれて盛り上げようと頭ン中で考えてたけど
上司の木村が朴訥としててイライラしてたのかな
「なぜだ平吾?!始めて来た場で挨拶するのは当然じゃないか何故客は笑う?!」 しんにちのりんぐではんせんとすーぱーすたーのしあいをみたかった。
えむえすじーたっぐでみられるはずだった。
しかしすーぱーすたーがぱわーずとのたっぐをきょひ。
それでふさんかに。
あのしりーずにすーぱーすたーとかーんがいたらそうとうもりあがった。 ちがうことかいてもうたわ。
きむらはものしずかなんだろうが、ぷろれすからしたらものたりない。
いのきじたいがげきじょうがただからな。
どちらかといったらものしずかなばばとのたいけつまえのかたがあっていたかも。
ああいうあいさつは。 スーパースターが単独エースだったシリーズは84年ビッグファイトシリーズ2と闘魂シリーズだけだったかな…
ビッグファイトシリーズ2はムラコ、シャープ、アキム、カリム、アヤラと厳つい選手が多くて好きだった あおり運転の男と女もガラケー
プ板の荒らし野郎もガラケー
こいつは何かやらかす気がしてきた
865 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 5fb7-IkAN)[] 投稿日:2019/02/14(木) 00:38:16.80 ID:RIgRqAFG0
他のスレでは毎日、朝から晩まで荒しまくって挙句の果てに殺人予告
34お前名無しだろ (ガラプー KK96-NFzz)2019/02/13(水) 17:48:33.84ID:Vk1p9fb/K>>35>>37
34(>>31お前の身元探して腹)刺し、だが、
85年位の藤波ならモラレスに勝ってもおかしくなかった。
モラレスはマシーン戦でTV登場はお情け?
でもその一回のみだったはずだが。
バックランドも特別参加してマシーン戦が放送されたな。
35お前名無しだろ (ワッチョイ ae4c-SDk1)2019/02/13(水) 17:56:33.27ID:TF4lnUZ+0
>>34
キチガイしね
866 名前:お前名無しだろ (スプッッ Sdff-zJdp)[] 投稿日:2019/02/14(木) 00:54:38.49 ID:TNgt1x4vd
殺害予告はまずいな
もはや一線を越えてしまったな
ついにプ板から逮捕者がでるのか?
奴の暴走を止める為に
みんなで通報しよう!
867 名前:お前名無しだろ (中止WW 5f81-C859)[sage] 投稿日:2019/02/14(木) 07:00:13.76 ID:lcPrhGUn0St.V [1/2]
>>865
これはマジで通報案件だわ
868 名前:お前名無しだろ (中止 KK4f-38xo)[] 投稿日:2019/02/14(木) 09:26:16.87 ID:edub6VEOKSt.V [1/8]
868(これで荒らしの嵐が)止むわ、だが、
ナガユー ナカニ テンザ コジサト アキジュンとか書いてたバカは誰?
えっ俺?
うるへー 波平 脱走兵
869 名前:お前名無しだろ (中止 KK4f-38xo)[] 投稿日:2019/02/14(木) 09:29:28.77 ID:edub6VEOKSt.V [2/8]
869(荒らしの)ヤロー!クッ!だが、
イイヅとかタカヤとか書いてたバカはどいつだ?
えっ俺?
うるへー 波平 あっ、そう、へー >>180
ビッグファイト第二弾はマンネリマンネリの維新軍メインだったし、
外人勢ではアキムカリムのほうが目立っててスーパースターはテレビに出てないのでは。
闘魂も藤波と一騎打ちしたオートンのほうが印象に残ってるし、
スーパースターは猪木との対決をマシン二号に譲る悲しさ。 >>180
まだ外人が手薄だった70年代なら結構あるんじゃないか? >>182
両シリーズとも猪木とのシングルで卍固めで散ってた… >>182
ザンビア・エキスプレスは、アキムが“バッド・バッド”レロイ・ブラウンで
カリムがレイ・キャンディだったな ブラウン、キャンディ組よりアキム、カリム組の方が何か凄いイメージあるな… >>180
あれんもおったぞ、わすれるなや。
このぱかものめがっ! >>182
おんどれはつりか?
すーぱーすたーがゆずったというよりしんにちのまっちめいくだろ。
それをいうなら『ましんにごうにとられた』だろ。
このあぽっ! >>185
わかっとることをいまさらかくなよ。
おまえなあ、きゃんでぃのかりむはのちのちにはすーぱーまりおまんになったんよ。
おまえはしってたのかよ。 >>185
割と大物組なのに、最後はハンディキャップマッチで負けるという扱いなのが。 ブッチャー・キマラ・カマタ・Lブラウン・タンバ・ヘッドハンターズで呪術師軍団 子供じゃ無いんだから普通に書いてくれ。
漢字やひらがな、誰も読まないだろ。
それとも、あえて読んで欲しくない?
>>189
> >>185
> わかっとることをいまさらかくなよ。
> おまえなあ、きゃんでぃのかりむはのちのちにはすーぱーまりおまんになったんよ。
> おまえはしってたのかよ。 >>192
日常生活では誰も相手してくれない可哀想な50過ぎのおっさんなんだ。そのうち青葉や高速煽りもやりかねない危険なやつだからそっとスルーしておいてくれ
【プ板のヒーロー】基地外ガラケー荒らし【省略&語呂合わせ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1550930468/ わかってることを今更書くのはそのバカの得意技だから、己を見てるみたいで恥ずかしかったんだろう すーぱーすたーのしょうたいは、びりーくらっしゃーだからな。
なんとすがおでもらいにちしてるからな。
のちにはあっくすでもりっしょんとしてもらいにちしたんだぞ。
そしてしんちょうはさばよみだ。
おまえら、しってたか?くそばかどもがっ! それとなあ、かりむのきゃんでぃはぜんにち、しんにち、こくさいと
しょうわのさんだんたいにあがったことあんだよ。
おまえら、しってたか?このかすどもがっ! そっと、生暖かい目で見守りながら、無読スルーしよう。 >>197
おまえなあ、はんせんははつらいにちはぜんにちだったんよ。
あとあんどれははつらいにちはこくさいだったぞ。
しらなかっただろ?
よくおぼえとけ、おらっ、えーっ!←(ちょうのくちょう) >>177
> 「なぜだ平吾?!始めて来た場で挨拶するのは当然じゃないか何故客は笑う?!」
それデラプロが何処かのインタビューでもボヤいてたなラッシャー
ただ「コンバンワ」以上にその後の
「あのですね、ワタクシドモは今秩父で合宿を行っておりまして〜」
の下りが場の雰囲気にそぐわないおマヌケ感あり過ぎでフォローのし様がないんだよな
あれじゃ素人の街角インタビューでもまだマシな受け答えをするんじゃないの?
って思われるくらい外してたのは確かだったし
>>180 >>182 >>184
いやスーパースターの場合この頃からスピードが格段に落ちていたから
キャラに新鮮味があったマシン軍を上で使う判断は致し方無い部分もあるよ
猪木とのシングルでも
前半執拗にコブラクラッチを仕掛けて苦悶させる展開に持って行ってたけど
悪く言えば自分の動きの悪さを誤魔化す為でもあっただろうからね レロイ・ブラウンは頭でビール瓶を割る(頭が割れた)デモンストレーション
やったけど、バスを引っ張ったジャイアント・グスタブは猪木と対戦したの?
G・アントニオは有名だけどグスタブ来日の頃はプロレスから離れてて… >>200
ミスター高橋の本に、猪木相手に負けるのをかたくなに拒否してもう二度と呼ばんでいいわみたいなことに、みたいなのがあったので対戦はしてないかもねぇ >>200
対戦してない
最終戦の東体の相手候補だけど使えないと判断され
その前週のTV生中継の最初に猪木vsグスタブ、メインで猪木組vsブロディ組のタッグマッチ
が組まれたが流れた
猪木が風邪で1日2試合は無理と周囲がストップした、と当時の週プロにはあるが…
アントニオ戦の再現を狙ってたのだろうか 二人ともありがとう
つべ探しても無かったから。
実現しなかったけど、猪木が2試合やる気だったのならグスタブのレベルが
分かった気がする。 >>202
高石市臨海スポーツセンターでやる予定だったのか… >>200
食わせ者グスタブは橋本&後藤とのハンディキャップマッチで潰された
橋本と後藤が坂口から「蹴り1発5000円ボーナスやるから潰せ」と言われて喜んで暴れたら
試合後「やりすぎだ」と怒られてボーナスももらえなかったらしいw >>183
78年(昭和53)のビッグファイトはスーパーがエース格で猪木のNWFに挑戦。
グレートマレンコがマネージャーで葉巻で猪木の目を焼く暴挙に。。
ちなみにそれ以外のメンツはイワンコロフ、カネック、ロンスター、ロベルトソト。
藤波とのWWFジュニア戦でのカネック敵前逃亡事件はこのシリーズ。 >>207
藤波が売り出し中とはいえコロフの扱われ方が可哀想だった。
カネックの敵前逃亡は外人レスラー間のイジメじゃなかったの? >>209
カネックに関しては、聞くところではそんな感じみたいだな。
ちなみに参加選手はあとロディパイパーがマスクドカナディアンとして参加。
まあこういった白人レスラー勢の中でラテン系はカネック以外にロベルトソトだけで
英語が話せないカネックは殆ど孤立していたみたいだ。。 上田もMSGシリーズで藤波にフォール負けしてるし、藤波プッシュがかなり露骨だったわ 坂口は社長までなったけど、レスラーとしては満足してたのかな?
2大看板はいつも猪木を支える役回りで、長州みたい造反を起こせば
レスラー人生ももっと輝いていたかも知れない。
素質が素晴らしいだけにもったいない気がする 藤波はやっぱりジュニアで精一杯な感じだったねぇ
大型若手が悪党面のカーンしかいなかったのは新日にとって辛かった
前田が出てくるのはずっとあとだし >>209
>>210
藤波とのカベジェラコントラマスカラ戦を強要されたという説もある
当然藤波の勝ちでマスク脱ぎも強要
ロートルになってからならともかく、これから売り出し中の全盛期に
マスクマンの命を剥がされてはかなわんと逃亡したと
藤波も最近来日したカネックも真実を語ろうとしないから確定ではないけど
当時の新日の傲慢なやり方を考えれば >>207
スーパースターは古くから一線級の存在だったんですね…81年から見始めたので^木に覆面はぎマッチで負けたイメージが強かったな
でもあの前に出ない感じが好きだった… >>199
82年ブラディファイトシリーズもスーパースターとスローターの2大外国人エースだったね
ホーガンは日本勢だったので…実質はラッシャー木村だったが >>185
俺はザンブイ・エキスプレスと習った。
雑誌やTVによってゆらぎがあるんだよな。 >>212
坂口はプロレスやレスラーに対して
NETへの二局放送や自身のNET登場、
BIの離脱騒動から
日プロ離脱前の大木や小鹿ヒライといった連中の振舞いで
エースとして団体を背負って云々ってことに失望というか
諦観のようなものを持ったんじゃないかな
それで猪木と合流して企業としての新日本を立て直し盛り立てる
そこで社内でもリング上でもNo,2の立場を尊重されれば
それが自分の役目と割り切ってたのでは
ガチの世界で柔道日本一、社会人経験もある坂口からすれば
言い方は悪いけど前述の日プロのゴタゴタ通じて
ショーであるリング上のエースとしては自分より圧倒的に猪木が優れてる
それなら本当の意味でのNo,2として会社を支えていこうと
あっさり割り切れたのも逆に自分の強さに自信があったからだろう >>219
全く同感なんだけど、割り切って欲しくなかったんだよなー
日プロ末期のほんの少しのエース時代はCSで放送されたドリー戦やシーク戦
明大コンビやアジアタッグ観ても当時の猪木と比べて遜色なかった。
あの時もし馬場に誘われて全日に行ってたら、やっぱりナンバー2に甘んじる
事になったのも想像できる‥
結局エースになるには団体を興して社長レスラーになるか
国際吉原氏の様な背広組がトップの団体に入るしかなかったんだな
ガチの強さでいったらトップアスリート坂口の方がBIより優れていたと思う
から残念で仕方なかった(プロレスは強さだけじゃ駄目だからね…) プロレスラーとして坂口を評価したら
むちゃくちゃしょっぱくてエースなんて無理だよ
本人も「プロレスじゃ猪木さんに敵わない」と自覚してのNo.2 >>219
NET・船橋アナが猪木が海外でUNを奪取して試合後にお祝いをするつもりが倍賞美津子
と二人でどこかに行ってしまい。近くに遠征していた坂口にスタッフともども会いに行ったら
喜ばれた。現地では大ヒール役だったけど「坂口さんの人柄が出てしまい合ってなかった」
と回想していた。
最近、猪木と会談した坂口は「馬場さんの所に行っても性格が似てるから逆にうまく
いかなかったでしょうね・・・」と話したら猪木は苦笑いしていたらしい。 >>220
> 結局エースになるには団体を興して社長レスラーになるか
> 国際吉原氏の様な背広組がトップの団体に入るしかなかったんだな
日本プロレスに残ってたらエースになってたでしょ。
でも坂口がエースじゃダメってことでNETが新日本との合併を勧めたんだろ。 >>223
大木がごねなくて対等合併が成立してても坂口エースは無かったって事だね。
あの時、新・日本プロレスになっていても、日プロ残党のランク付けなんか
ゴタゴタありそうだね… 以前に久留米の坂口後援会の方と話す機会があって聞いた話。
日プロ時代から坂口は馬場派だったが、
プロレスに対しての取り組み方については
猪木を尊敬していて、新日と全日に割れた際に
練習好きが集まった新日と
練習嫌いが集まった全日を見比べて
全日の将来に不安を感じて馬場の誘いを断ったと言っていた。本来、坂口はアスリート気質でプロレスに対しても真面目に向き合っていたと言っていたな。 >>225
そうかー、人としては馬場の人間性だがレスラーとしては猪木なんだね。
って言うか、あなた何者?凄く大物感のする名士かプロモーターみたいな… 新間や小鉄も
「リングの中のアントニオ猪木は好きだがリングの外の人間猪木は嫌いだ」と言っていたからな >>227
それは彼に関わった色んな人が言ってるね
「アントニオ猪木は素晴らしいが猪木寛至は嫌いだ」
なんか名言w >>225
それは後付けの嘘くさいな。
マシオ駒、大熊元司、サムソン・轡田、佐藤昭雄の中で
ナマクラっぽいのって轡田くらいだろ?
坂口が馬場から誘われたって証言は今まで聞いたことがないし
絶対嘘だと思うわ。 馬場は坂口を欲しかったけど誘ってないはず。
確か「俺は出るけど、お前は残って日本プロレスで頑張れ(守れ?)」
みたいな事だった気がする。 坂口のカミさんが元子とは犬猿の仲だったことが
全日入団しなかった最大の理由のはず 全日本に入ればもれなく元子が付いてくるのは嫌だろうねw >>225
でもそんなプロレス界では常識人とされる坂口だが
年配の福岡県南出身者なら皆知ってるが
学生時代はデカイわ強いわおまけに本格的に柔道の心得まであるわで
まあ近隣一帯に鳴り響くワル、というか誰も手を付けられない暴れん坊で
教師も柔道の師範も扱いに手を焼いていたごんたくれだったのでしたw
ちなみに県北(北九州)には似たようなワル伝説?として
後年「熊西中の高野兄弟」というのもあったw
ク○ンボとのあ○の子(あの時代なんで勘弁)で
兄貴も酷いが何歳か下の弟は
それに輪をかけてくそデカイうえにキ○ガイという凶悪兄弟伝説w
まあどちらも今の時代の「ワル」とか「ヤンキー」とは少々意味合いが違う
乱暴者とか暴れん坊ってニュアンスの方が近いんだけど 憲二のファミリーヒストリーは綺麗にまとめてたww
馬場夫人の元子さんはお嬢様
定かでないけど、坂口夫人の利子さんは元モデルかタレントじゃないかな?
女優の美津子さんとは合ったかもしれないけど、お嬢とは何かありそうだなw >>225
山本小鉄に著書・人間爆弾発言で練習嫌いを暴露されてた
「北尾はまったく練習しなかった。坂口が面倒みてたけど
坂口も練習しない方だったから何も言わないよ。
俺が道場で若手の練習見てた中で1番練習嫌いが木村健吾。
木村健吾も坂口が連れてきた」 ケロとライガーのトークショーでも「坂口さんは練習しない」と言っていた そのてん小鉄の信頼が厚かった前田日明は練習熱心だったんだな。
ゴッチ系統の奴らは、実践的かどうかはおいといて、トレーニングはきちんとしてた。
ただし藤波を除く さかぐちはぜんせいきもからだがしょぼかったからな。
ようつうでれんしゅうできなかったのもあるだろうが。 坂口は移籍時点の約束でリングの地位はNo.2でも
猪木と同額のギャラを貰っていた
小鉄はその事をずっと嫉妬していたので坂口の事を良く言わない マードックって猪木とのシングルで初戦こそ両リンで引き分けだったけど以降は全敗な気がする…しかも全てフォール負けのような
スーパースターですら反則ながら2勝してるのに… そこがマードックのいいところ。
勝ち負けんなんてあまり気にしない。タッグもシングルも準優勝もらってるし、いい待遇だったと思う。
戸口に比べれば。 ブリッジの練習してる坂口ってちょっとイメージわかないなw
まあでもそんな練習しなくても猪木なんか片手で5分なんだろうし。。
マードックも練習嫌いの天才肌でブロディに力負けせずあんな試合できるんだからな。。 スーパースターはタッグながら猪木からフォール勝ちを奪ってるんだよね。
(猪木、星野vsスーパースター、ボルコフ) プロレス見初めた頃、
NWFはNWAのバッタもんとして猪木が
作ったベルトだと思ってた。
例えるならガンダムのバッタもんガンガルみたいな。 >>225 >>230-233 >>242
坂口のプロレス界での後楯は
「NET/テレ朝の天皇」「六本木の法皇」と呼ばれていた
元テレ朝専務の三浦甲子二だったからね
仮に馬場に与しても日テレの役員達からは信用されなかった可能性は高い
「猪木と同額のギャラ」も三浦甲子二の指示と影響力あっての物だろうし
全日行きを選んでいたら間違いなく馬場と金絡みで揉めていただろうね >>231
馬場は坂口を誘いたかったけど自らは勧誘しなかった。
勧誘するとギャラが高くなってしまうから。
坂口自らが全日入団を申し出たのならギャラは抑えることができる。
馬場はそのへんのことは計算高い。
だけど馬場の奸計は外れ坂口は新日に入団した。
(よく言われるが坂口夫人が馬場元子を嫌っていたともw)
坂口は柔道家時代からのビジネスマンコンプレックスを抱え簿記まで勉強した。後に社長になったし新日入団は成功だろう。
全日に行ってたら絶対に社長になれなかったはず。 プロレス会社の社長になって嬉しい人っているのかな?揉め事の多い業界だし…。金絡み、ヤクザ絡みとか >>251
ブシロードは自分から社長になりたくて買収したような(´・ω・`)
新日が落ち目になれば手放すのかね… >>251
興行の世界は芸能界でもスポーツ界でも昔からキナ臭い話がつきものだけど、
最近のコンプライアンス強化で徐々に改善されてきている。
今は何でも表に出やすくなってるから上場企業になったブシロードも下手な
事はできない。 >>248
インタビューでも三浦専務の事を「プロレスに理解と情熱のある人だった!」と述べて
いる。電話一本でテレ朝の経理を動かせる実力者で猪木の支持者でもあったが
日プロ除名後は様子見だったのか動かなかった。試合後の猪木にマッサージさせて
美津子夫人に大目玉を喰らったらしいけどwww
ダラ幹にひとりだった遠藤が新日・横浜地区プロモーター&ワープロ解説者と優遇された
のは三浦専務のお気に入りだったからか? >>230
マシオ駒は団体が別れても小鉄とトレーニングに関して意見を交わすくらいで早世
しなければその後の全日の風景も変わったと言われる。小鉄と同じくBIの番頭を自負
していたうるさい鬼軍曹・駒を煙たかった日プロ出身者も多かった・・・ 駒は真面目で練習熱心。馬場の初代付き人で片腕的な存在だったけど
鶴田試練の十番勝負第1戦(vsガニア)の日に亡くなった。
リング上では馬場が遺影を掲げてテンカウントゴングで追悼
日プロ時代トレーニングの鬼だったから小鉄とは大の親友だったらしい。 >>247
パワーズとペドロ・マルチネスが作ったNWAのバッタもんだなw
大物をどんどん王座につけて勢いがあったのは最初のに一年位だけで
後はクリーブランドの地方団体になってたけど
まあ半年くらいで崩壊した東部IWAよりはマシだが >>257
勢いがあった頃は世界4大王座と言われてたけど運営が上手くいかなくなって
迷っていた時に猪木と東プロ以来に会うんだよな(73年8月ロス北米タッグ)
どうしても世界王座が欲しかった猪木と話し合いがもたれ、NWFごと新日本に
移管することが決まる。
しかし看板だった北米タッグも新日本とマイクラーベルによって急造された
タイトルだったらしいからな‥‥
疑惑もあり そもそも北米タッグの方はNWA北米タッグだから
ラベールのような有力メンバーは「NWA世界タッグ」すら設立することを許可されてたから
NWA圏には常に複数のNWA世界タッグがあって、ロス版はファンクスも腰に巻いた
カンザス地区のNWA世界タッグなんて歴代王者に永源がいるw
馬場・鶴田が取ったデトロイト版、ハンセン・オレイ組のジョージア版などのなかで最後に
ノースカロライナ版が会長のクロケットの強権で正式なNWA世界タッグ王子になった
そんなくらいだから格の落ちる北米タッグくらい作るのは簡単
NWFを冠してたのは北米ヘビーで、世界王座を売ったあとはこっちを看板に興行していたが
いよいよ立ち行かなくなった79年にこっちも新日に売った >>237
鈴木みのるが坂口さんのヒンズースクワットは
膝ぜんぜん曲げてないとバカにしていた
腕振ってるだけ >>238
> そのてん小鉄の信頼が厚かった前田日明は練習熱心だったんだな。
> ゴッチ系統の奴らは、実践的かどうかはおいといて、トレーニングはきちんとしてた。
> ただし藤波を除く
よく解らん文だけど
藤波こそ「トレーニングはきちんとしてた」ゴッチ系統の代表格だよね
逆に前田の練習熱心さとやらは
本人が吹いてるだけの自己申告レベルなんじゃないの?
小鉄星野新間等会社内での地位の高い年長者に気に入られる
茶坊主ジジ殺し的なスキルはあったんだろうけど
>>254
お察しの通り
レスラー関係者や番記者達からは嫌われていた遠藤幸吉でも
NETにとって宿願だったプロレス中継実現の為に動いてくれた功労者なのは事実だからね
尤も遠藤に神奈川地区のプロモートを任せたせいで
80年代前半までの新日の横浜の興行は
岡山と並んで客入りが悪いと言われ続けるくらい営業面で苦戦していたんだけどね >>257
むしろNWFや東部IWAに関しては
純粋に世界タイトルと思っていた子供時代から
少し知識ついてプロレスファンとしてスレてきた頃には
単なる勝手にでっち上げたローカル泡沫タイトルと思ってたのが
最近の記事なんかで少なくとも設立時にはそれなりの規模で
たとえ短期間であれNWAに対しても
オポジションとしてそれなりに脅威な存在だったことが意外だった >>262
NWFは60年代からNWAが南部偏重になった事に不満を持つ北部のプロモーター
に協力をもちかけたことと
大物のフランク・タニーが後ろ盾についたのが大きかったね
でもいわゆる「スクルージ」であるマルチネスとパワーズの因業なやり方に
最初協力的だったプロモーターたちがあっさりみすてたから見放したから崩壊した
自興行でNWF世界戦などを行いながら自らが表に出てNWAに楯突くことはせず
ギヤラ未払いなどでNWFから出奔した多くの大物を引っ張り込んだタニーがずっと
上手だった
IWAは手頃な会場であるMSGが専属契約で使えなかった事と
マクマホンシニアがNWAに復帰し、AWAとも親密だったのでためそちらからの支援
を受けられなかったのが敗因かな >>263
姿は見えずとも
あの独特の「はっはっ」という呼吸音が… >>261
藤波は冬の寒い日にみんながトレーニングしているときに一人でストーブに当たっていたという証言があるくらい練習熱心だったんだよな。
前田に関しては信者だった奴らが反動で猛烈叩きに走っているからあんたに賛同する気は全くない。 藤波凄い(´・ω・`)
練習嫌いで出世した人はいるんですか?(´・ω・`) 輪島の昔の奥さんが最近本を出したんだが輪島はマジで稽古しなかったらしい
それで横綱になって14回も優勝したんだからやっぱり天才だったって 前田は87年以降は練習してないな
体つきはウソをつかない >>266
おまえ、おもろいな。
いまからすとーぶであたたまれよ。 >>267
佐山のタイガーマスク時代に見せたあの動き、佐山は練習らしい練習しなかったそうだ。
プロレスは強くなくたって出世できる世界だったんだから藤波に限ったことではないよ。 ありがとう(´・ω・`)
有名選手は才能があるから練習が少なくてもええんやな 山本小鉄は初期の新日で売り上げの一部を着服していた 山田「やる気ないならやめていいんだぞ!」
武藤「はいわかりましたぁ(^ω^)」 >>270
と言うことは、柔道五輪時代の小川直也も練習してないな。 80年代に最強軍団と言われたライオン達は練習嫌い集団なの? 山田佐野畑あたりまでは練習熱心
橋本武藤蝶野からはサボり軍団 新日本プロレスの外人エース候補として初来日した恐るべき強豪、
ヘラクレス・ロン・ホークを君は知っているか? どんなしょぼい外国人選手がいても
ストロンガー・スティーブ・デサルボの前ではかすむ >>280
つべに木戸修vsヘラクレス・ローンホーク上がってるけど
木戸が可哀想だわ‥(役目だろうけど)
木戸で思い出したけど、兄貴もレスラーだったらしいね
試合を見たことないけど、事故か病気で亡くなったとか…
日本人兄弟レスラーは高野兄弟、百田兄弟他に誰かいたっけ? ティム・トール・トゥリーは当時の雑誌に
「二度と来日させる必要なし」と書かれていた
よほど酷かったんだろう アックス・デモリッションがつれてきたカナディアン・ジャイアント >>283
ディンク君みたいなヒョロヒョロ体型だった。 つかヨーロッパ遠征→UWF→出戻りまで、ジョージ高野に
全敗だっただろ >>288
前田はUWFで藤原、佐山、木戸に次ぐ4番手だったのに超格上げUWF軍の大将で新日に来た。
それまで完全にカモにされていたジョージは猪木、坂口、藤波、健吾、上田、越中、武藤の下で
星野と同格の序列8位か9位になってしまった。
本来の前田の相手はジョージでUの副将藤原よりも下にされた健吾も割りを食った。 前田はヨーロッパ遠征後のIWGPでは黒星も多かったけどサマーファイトから格上げされた感じかな…でも5シリーズで離脱しちゃったんだな サマーではむしろ格下げじゃない?
闘魂スぺシャルvol2では「前田対マードック、藤波対アドニス」で煽っていた。
猪木欠場によって長州を呼び戻す苦肉の策から藤波長州をメインにしたため前田が割を食ったけど、
本来なら藤波や長州と互角かそれ以上のオーンドルフを前田は一蹴しているんだし。
IWGPで惨敗したとはいえアンドレやホーガンとシングルで戦った前田が浜口と互角ってのはないでしょ。 上に猪木、坂口、藤波、タイガー、長州、健吾、谷津、マサ斎藤、カーン、戸口、R木村、浜口と先輩がいるから難しい。
ヘビー級に転向した健吾がタッグでキッドにフォール負けなんだから当時の新日の格は難しい。
1年前の海外遠征前はジョージ>>前田だったんだから、キッド>前田でもおかしくない。
とりあえずプッシュしたが、イマイチだったのか、選手飽和で上げられなかったのどちらかだろ。
前田は試合の組み立てが下手で突然大技を出す、普通に後ろ受け身が下手でセールも下手、
新日としては大型だしタッグでのジョブにはいいが、トップに据えるのまだ早いと言う感じだったのでは? プッシュしたかったけどUの格闘スタイルが総スカン食らったからでは? って、何年の前田の話なの?
ゴメン、U以前か以降かよく分からない… >>269
でもプロレス界の中では、輪島の事を悪く言う人はあまりいないね
輪島は真面目に練習してた、だんだん馬場からの扱いが悪くなって気の毒だった
みたいな意見が多い 馬場は末期テレビ解説で公然と、「輪島は稽古しなくなりましたね」と言ってた >>298
馬場はまず自分が稽古しろという話だな。
輪島のデビュー直前にも、インタビューで輪島の仕上がり具合を聞かれた馬場が
「もう少し、胸のあたりに筋肉が欲しかったですねえ」
などと言ってるのを見て、お前が言うなと思った。 >>294
でもとりあえず前田はキムケンより上にランクされたんだし、
必ずしも年功序列じゃない世界なんだから前田が優遇されててもおかしくないよ。
試合が下手な点なら長州も似たようなもん。 83年帰国時の前田にそこまで期待してた人ってそんな多かったのかな…IWGP以降では長州戦しか有名な試合なかったし
新日出るまであそこまで個性的な大物になるとは思わなかった 試合が有名になるかならないかは会社のプッシュも重要だからねえ。
藤波みたいに毎度毎度クイックでしか勝てない奴ごときをメインにするよりは、
持ち前の破壊力で粗削りながら外人勢を前田が撃破するほうがしっくりくる。 >>301
大型ヘビー級でスープレックスの使い手は新日待望の存在だったからなあ。 前田は海外遠征出る前からちょっとコアな新日ファンからは
将来のエースって言われてたぞ
キックを使う壊し屋でシリアスイメージあったのに加え
なによりタッパがあってシュッとしてルックスも良かったから
これは裏返しで新日ファンが全日ファンと論争になった時
藤波と鶴田の比較になるといくら新日びいきでも正直厳しいと
皆内心思っていたからってのが実は大きいのだが
それにやっぱりなんとなく華というかスターになるオーラみたいなのが若手時代からあった
そこは平田やヒロ新倉あたりと一番違うところ >>304
だよね
・190cmを超える体格
・顔が良い。甘いマスクと言うより迫力がある顔。
と言う二点は大きくて将来のエースと期待されていた>前田 当時はまだ“ゴッチイズム”のようなカール・ゴッチの幻想があったから
新日正当な継承者のイメージが付き易かった。 帰国後の前田は最終的には
藤波の新パートナーって感じのポジションに
収まりかけてた 80年に格上げされて武道館で猪木、バックランド、藤波と4大タイトル戦、蔵前で猪木とWメインを張った健吾や
82年のMSGシリーズで猪木もフォールしていないR木村にピン勝ちしてアンドレと決勝を戦ったカーンが
83年なると長州の下に格下げされた。
その時の状によって色々な選手が格上げされたり、下げられたりした。
ジョージ、前田が海外遠征時のパンフの「海外で活躍する精鋭人」に
「高野、前田の大型2人がタッグを組んだ時に新日に新しい時代が来る」と書かれてた。
ついでに、「消息不明の佐山聡、一部ではマスクマンに変身してるとの噂も?」もあったw >>308
健吾が長州より格上扱いされたことはなかったと思うけどな。 >>305
谷津「前田、高田は弱いけど顔がいいからスターになれた」 >>309
80年頃の北米タッグ王者長州とNWAインター世界Jr.王者健吾は微妙な格。
健吾は藤波と2度ドローをやったが、長州は藤波に全敗なので、80年だと藤波=健吾≧長州かな? 凱旋帰国した時に健吾兄さんの上に行くかどうかでその後の出世が決まる感じだ
前田は直接健吾にシングルでは勝ってないけど、
一流外人のオーンドーフにピン勝ちして
一気に健吾兄さん追い越した、ジョージはコブラでやらかして、
素顔に戻っても健吾兄さん追い抜いた印象がない 健吾はミシオネロスにコロコロ負けてたけど、長州はそんなことなかったような >>311
その年に開催のMSGシリーズで長州は決勝リーグ出場、健吾は予選落ち。
翌年は長州出場、健吾は出場していないから
同格か格上扱いはほんの一瞬だけだなw >>301
新日本の救世主として帰ってきた前田には期待しかなかった。
それがまさかIWGPで3勝(内不戦勝1)しかできずに終わるとは。
武藤でいうと90年の赤パンを期待してたら86年のスペースローンウルフだった。 IWGPの結果はあんなもんでしょ
あの当時は藤波も長州もカーンやラッシャーの下にいたわけで
サマーでは前田がエースになり、負けてもいいからマードックとやりあってほしかったな。
もちろん長州には勝ちで。ジャーマンで仕留め、前田がWWFインターのベルトを。 前田が素質的に将来のエース候補というのは否定はせんが
猪木の後に藤波、長州を超えてすぐにというのはありえないな
棚橋、中邑を経ずにいきなりオカダ時代みたいなもんだぞ >>92
当時の印象だと全日本は馬場はぼちぼち…だったし鶴田天龍を差し置いてファンクスブロディスヌーカが大暴れしてて夏休みはマスカラスにリッキーだったからハンセンもそこに加わりたかったんだろな >>135
流れとしては猪木木村戦に浜口寺西がひつこいくらい介入してきて試合にならんから「オメーラ束になってかかってこい」だったような。で審判部が猪木が1人ずつシングル3試合を提案したら「束になってかかってこいと言ったのは猪木だ」ってはぐれ国際が開き直って1対3。
という流れだった記憶があるけど 前田がヨーロッパヘビー級チャンピオンになってゴッチ道場六入りした頃は凄い幻想があったね。柔軟な身体でニールキックと数々のスープレックス……ワクワクしたもんだ。あの頃だけは >>317
83年時点では藤波も長州も将来のエース候補でしかなかったけどな。
あまりにも猪木が突出してたから。 >>322
同じ将来のエース候補でも
蔵前のメインを任されてる藤波、長州と
帰国したばかりの前田では天と地ぐらいの差がある 猪木対はぐれ国際の1vs3マッチは2回やったけどどっちも猪木の勝ちではないんだよね。そこらへんがプロレス的ハッピーエンドよりも対世間へのリアリティを取る猪木らしいと言うか…第1回IWGPで失神負けする猪木の真骨頂だったのかもね >>299
その手の話は沢山あるけど一番笑うのは
「輪島の試合はお客さんから笑いが
起きている。これは恥ずかしいと思わないと」
という馬場の解説だな。 >>315
前田の凱旋帰国でゴッチをセコンドに付けてリングに登場してきた時って
本当に1年間の海外修行が3年くらい行ってたんじゃないか?
ようやく前田がトップレスラーになって帰ってきたってかんじで
前座時代を知るコアな新日ファンにとっては
リング上でまさにスター誕生ってかんじで光り輝いていたよね
まあその後の試合はちょっとアレだったけどw
やっぱりあの時代になると猪木馬場論争の結論の出なさというか
不毛さみたいなのはプロレスファンの間にも浸透してたんで
そうなると鶴田と小柄な藤波あるいは長州の比較ではなく
こちらの本命は前田だからってかんじが新日ファンにはあったよね >>323
その天と地ほどの差を一気にごぼう抜きできる期待感があったんだけどなぁ
実際は86年まで待たなければならなかったんだが 前田は確かにプロレスが下手だったんだろうけど身体能力は新間やゴッチが見抜いた通り。
サマーで前田が長州に勝っていたら人気は爆発的に上がっていただろうな。 >>328
>>329
第一回IWGPなんて上で書いてる人いるけど
負けさせ過ぎだったよね
せっかく藤波長州坂口は不参加にしたんだから
猪木ホーガンアンドレはともかく
その他の選手にはもっと勝たせて
日程の加減で序盤戦は伏兵としてトップ走るくらい
プッシュしてよかったと思う 当時の前田をそこまで抜擢したら
今度は鶴田みたいに甘やかしすぎという声が必ず出るよw
大量離脱前の人材豊富の時期なんだし
あんなもんだと思うな あの頃の前座にいた藤原栗栖永源荒川に勝った若手っていた? 木村やカーンに負けたのは順当ではとは思う。
いきなり長州や藤波の上にするわけにはいかんでしょ >>325
>>325
やはり、ハワイでのトレーニング風景で、技を受けて、痛そうな表情作りを教える場面が最も笑うな。 凱旋試合でオーンドーフを撃破してその流れで、という空気もあったが
まだまだ世界の壁は厚いという事で前田の台頭はお預けという感じだった。
藤波&長州抗争が極まってる頃なので、前田の出番はもう少し後って話かな。 長州は82年10月のかませ犬でブレイクして、83年4.3に藤波に初勝利してWWFインター奪取。
前田の帰国第1戦の4.21は長州の藤波にリングアウト勝ちした初防衛戦日で最高潮時だったのでこの直後に前田>長州は無理。
もしIWGPがタイトルで猪木が初代王者だっら、前田が次期シリーズに帰国してオンドーフ撃破、
蔵前での猪木のIWGP初防衛戦で前田戦はありだったかも。いやないか。
ただ、長州最高潮、ホーガンも猪木KOで登り詰めた時期のため難しかった。
順序的に前田のブレイク時期はUで戻った86,87年だが、試合内容は塩っぱかった。 前田の凱旋と長州の台頭が偶然重なってしまったため、前田の抜擢は後回しにせざるを得なかった
結果的に短時間でピンフォール負けしたポール・オンドーフが一人だけバカを見た格好
まぁ新日には一回りデカイホーガンがいるし、前田に負けて格下げにならなくても
オーンドーフが新日で活躍できるチャンスは無かったかもしれんが 強引に格上げするとファンから反発されたりするから
そこらへんのさじ加減は難しい
反発された例が馳
帰国第一戦で小林邦明に勝ったのは露骨すぎた IWGPの猪木戦、アンドレ戦で十分だろ
あれ以上急な格上げすると後の武藤や馳みたいな反発を受けたかも ブッチャー本じゃ前田の凱旋帰国より遥か前に「これから絶対出てくる!と異常に
高評価していたけどあれは誰の意見なんだろう? やっぱり全日のようにタイトルがあると、各クラスで争えると思う。
世界ヘビー 猪木、R木村、カーン、戸口、アンドレ、ホーガン、ボック、
インターナショナルヘビー 藤波、長州、健吾、カーン、谷津、前田、マードック、アドニス、スーパースター、
Jr.ヘビー 佐山、浜田、小林、寺西、星野、高田、キッド、Bタイガー、ブレットハート、アグアヨ、
世界タッグ 坂口、戸口、R木村、マサ斎藤、カーン、アンドレ絡み
インターナショナル タッグ ジョージ&前田、藤波&健吾、長州&浜口 前田の凱旋の相手としてオーンドーフは適役だったのかはやっぱ疑問だな。
欧州系の中堅タイプが良かったんじゃないかと。かといってピートロバーツは全日行っちゃったし
有名どころは軽量だしな。。w >>342
当時はデビアスと並んで次期NWA王者候補の筆頭と言われてたから
全日への牽制にもなったんじゃないかと。 維新軍のほうも無理やりな格上げで外人勢との兼ね合いがゆがんでしまったよ。
国際時代は負け続きの浜口なんかアドニスと肩並べるくらいになってた。
あれなら維新軍の格はあげずに前田を大抜擢していたほうが良かったくらいだわ。 俺はTVからオンドーフって習ったんだが、オーンドーフとかオーンドルフとかどこで習ったんだ? はぐれ国際軍団、最高だったね。
ファンが向ける憎悪と嫌悪感、かつてないレベルのものだった。
ストロング小林と剛竜馬が加わればもっと面白くなるはずだったんだけど、
小林は腰が悪くて試合出来る状態じゃなかったし、剛は従来通りの試合しか出来なくて浜口からダメ出し喰らったんだっけ? もうね、はぐれ国際軍団はさ、稲妻二郎とかさ、浪人中の元・国際の奴を入れて増殖させて
猪木を袋叩きにしてさ、発狂したファンの大暴動が起きるくらいやって欲しかったね。
その後、猪木は別の意味で起きる暴動を起こしたけどさw >>344
猪木が新日選手に「浜口を見習え」と絶賛したように、新日時代の浜口は最高だろ。
菊池孝「1981年暮れに新間が『アニマル浜口は素晴らしいね。来年は売り出すよ』と言ってた」
浜口売り出し、長州と小林邦昭の予期せぬブレイク、前田帰国と売り出す選手が沢山いた。 はまぐちは、ぷろれすのせんすがあったんだよ。
おまえらなあ、なんどもいわせんなよ、くそやろー。 >>342
オンドーフはコーチがヒロ・マツダだったから新日本の期待の若手ということで引き受けたんだろう
旧UWF前のWWF遠征時でもオンドーフは前田の面倒を見てたっていうし しかし猪木って、馬場と違って外人レスラーと全然付き合ってなかったね。
新日功労者でもあるアンドレやマスクド・スーパースターとメシや飲みに行ったりした事はあるのかな?
ハイセル関係や他のビジネスの金策に忙しくて全然なかったんじゃないの?
親友の《はず》のバレンタインですら、メシや飲みに行ってるか怪しい。
そう言えば、K2のCGアニメ動画で、猪木が東京プロレス旗揚げの際に
若き日の背広姿の猪木がバレンタインに交渉して契約する場面がUPされてるけど、
なんでそんなCG動画があるんだ? >>350
ヒロ・マツタはオーンドーフの他にもテリー・ブルドー時代のホーガンや
スコット・ホール、レックス・ルーガー等々
新日と言うか全米で通用する選手を育てた名トレーナーだったね
全盛期を日本マットで見れなかったのは残念 剛竜馬もマツダの元で育てられて藤波のライバルになったという設定だったな。 >>351
しんにちじだいのいのきは、そういうことはいとてきにさけた。
さけたというよりあえてしなかった。
とっぷのたちばでかるがるしくそういうことはできなかったそうだ。
ながしまのきじにかいてあった。
だからたかはしががいじんとふかくかかわり。 >>352
北沢や永源が言うにはレスリングは上手いけど強さを感じさせるレスラーじゃなかったと言ってたな
まぁこの二人は猪木信者だから公平に見れてないかもしれないけど 確かにマツダは強さを感じるレスラーじゃないよね。
流血試合も記憶にないし、技巧派の印象が強いね。 昭和50年頃にね、駄菓子屋とかで売ってたプロレスカードね。
買って開くまで中身が見えないクジみたいなやつ。
あれは新日だけで全日や国際はなかったね。
ちなみに、仲間内で一番価値が高いとされてたのは神様カール・ゴッチのカードで、
仮面ライダーカードのゲル・ショッカー首領のカードと等価だったな。
でも、プロレスカードは種類が少なかったから、すぐにカール・ゴッチのカードも価値が下がったなw >>357
猪木にしてはダブルアームが上手く決まってるねw
素顔のロディ・パイパーでもやってるんだ。 77年闘魂シリーズか。
マリガンは奮闘してるが、当時気鋭のハンセンがマリガンを抑えてエースにのしあがった。
王座挑戦もNWFや北米タッグ(&ハングマン=ネールグアイ)と全部いいとこ取り。 坂口対ブラックジャック・マリガンの試合が両者リングアウトに終わった時、観客は当然不満の声を上げた
その空気を察したのかマリガンはマイクを握り、リングを降りて退場しようとする坂口に英語で罵声を浴びせました。
ですがそういう空気がまったく読めない坂口は振り返ることもなく、ノソっと帰って行きました。
あの時、マリガンの挑発に乗って坂口がリングに駆け上がっていれば、坂口・マリガンのライバル関係が生まれていたのになぁ。
やっぱり坂口は、坂口やなぁ。 >>357
ダブルアームの前に
一瞬、新卍固めを見せそうだったな 俺も一瞬そう思ったw
ムーブはそうだったけど「あれっ、どうだっけ?」
スムーズに行かなくてダブルアームに切り換えたように見えたな
何せエル・ゴリアスに一度決めただけだったから ハイパーも後に大成功するだけあって、若い頃からいいレスラーだな。 全くプロレスとは離れてしまうレスで申し訳ないが、なけなしの小遣いで買った仮面ライダースナックに入っていたカードが「ショッカーの隊員」だった時は、子供心に落ち込んだ。今持っていればレアものなんだけどな。
>>358
> 昭和50年頃にね、駄菓子屋とかで売ってたプロレスカードね。
> 買って開くまで中身が見えないクジみたいなやつ。
> あれは新日だけで全日や国際はなかったね。
>
> ちなみに、仲間内で一番価値が高いとされてたのは神様カール・ゴッチのカードで、
> 仮面ライダーカードのゲル・ショッカー首領のカードと等価だったな。
>
> でも、プロレスカードは種類が少なかったから、すぐにカール・ゴッチのカードも価値が下がったなw ツイッター始めたので、5chで宣伝させてください。
FavoritesCafe管理人@CafeFavorites
https://twitter.com/CafeFavorites
昭和プロレス大好きホームページも作ってます。
https://kissatalk.web.fc2.com/
こんなホームページも作ってます。
https://project24gallery.web.fc2.com/
宣伝しすぎると、お叱りをうけそうですが、マイナーなページであんまり見て貰っていないので宣伝してしまいました。
もしよろしければ、覗いてみてください。
よろしくお願いします。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ヒロマツダなんだけど、84サマーで維新軍の参謀として現れた時、
「狼軍団」を知らない世代は戸惑ったんでないかな。
マサと組んでいたというだけで長州とは何の接点もなかったんだし。
どうせなら大量離脱後の新日に助っ人参戦してもらったほうがよかった。 >>361
かと思えば、国際軍団が大阪の髪切りマッチで逃亡して後楽園で声明文読みだした時、
猪木を押しのけて偉くしつこく木村に
突っかかって行ってた。
あれは完全に猪木と木村を絡ませる場面なのに
引き離されても引き離されても木村に突っかかってホントしつこかった。 >>368
おまえさあ、それがさかぐちなんだよ。
おまえもわかれよ、ばかたれが。 思えば昭和の末期で坂口がテレビマッチでメインを張る試合やリーグ戦での公式戦って数えるくらいか。
印象にあるのって85年IWGPタッグとか83年のカーンの造反にあった試合とか。
S小林や長州と北米タッグを維持してた頃は当然のようにテレビ画面に乗ってたが、
80年代は外人も充実し始めたにかかわらず、ナンバー2であれほど露出が無いのも不憫ではあるな。。 坂口は新日内部のゴタゴタがなければ
もっと早く引退してフロントに専念してたと思う 坂口は大型外人と5分くらいで両者リングアウトの
お茶濁す大味な試合がシリーズの定番だったな >>355>>356
永源が「動きがカクカクしていてぎこちなかった・・・やはり猪木さんの方が上!」と
言うマツダ評だった。 >>3664
パイパーに関しては
「マイクパフォーマンスができない日本では通用しなかった」
などと絶対に実際の来日時のファイトを見てないやつの戯言が後を絶たない
上の試合もそうだが、マスクド・カナディアンの時とか
全日でスレーターとの「ブローラーズ(喧嘩コンビ)」を再結成した時とかいいファイトだった >>374
アメリカでは西海岸でも東海岸でもトップファイターだったよ。
日本での評価がイマイチなのは残念
入場時にはスコットランド衣装でバグパイプ吹いてたのかな? >>375
グラウンドから喧嘩ファイトまでなんでもできるからね
パフォーマンス成分多かったWWF時代でもアレンとの一戦は凄い面白かった まあ小気味良い、小うるさい、いわゆるバイプレーヤータイプだな。アレンなんかもそう。
しかし70年代新日は猪木もこういう3番手くらいの外人とセミでシングルとか度々あったな。 長州とパイパーの試合もあがってるけど、どっちも人間風車が決め技なんだな >>377
外人陣容がさらに前の新日のままなら
オレゴンのようなマイナーテリトリーとはいえトップ張った経験済のパイパーは
下手するとエース外人扱いだったかもw あの時代は日プロとアメプロに大差なかったから
パイパーみたいのでも通用してたんだよ
長州維新あたりから完全に外人も選別されはじめた >>380
ブライアンブレアー、エドレスリー、トニーセントクレアーらはちょうど良い感じのポジションとして頻繁に来日してたね… パイパーは木村健悟と仲良かったよね。デラプロに全日に来日中のパイパーとキムケンが会ってる記事があった覚えがある。 >>382
あったね
ビールジョッキのクロス飲みしてた ロス遠征時代での仲なのかな。キム健(パクチュー)は上田(グレートイトー)とのコンビで
アメリカスタッグ戴冠、これを上田の裏切りとしたジェットシンとの仲間割れアングルと続く。。w 大阪府立のシンvs上田(レフェリー猪木)は面白かった
上田が日本刀持ち出したからなーw >>381
プロレス職人のお二人と塩レスリーを同枠みたいにしないでよw
ブレアーはWWF入りしてブランゼルとキラー・ビーズやったけどさ >>370
1986年のIWGPで猪木にリングアウト勝ちしたやんw 永島勝司氏が言うには、アントニオ猪木にあって坂口征二にないのは、
「自分を売り出せると思うものはどんどん利用して打って出る」というプロとしての貪欲さだといいます。
坂口征二は、大学を出て旭化成のサラリーマンだった「普通の人」の時代が長かったからか常識人です。生真面目です。
新宿のデパートで、タイガージェットシンに襲われてみたり、
万難を排してとうとうモハメド・アリと試合したりなど、
常識人・坂口征二には、最後までアントニオ猪木のショーマンシップやバイタリティーは理解できず、真似もできなかったでしょう。 新日の二番手は坂口さんで良いと思うけど全日だと誰になるんだろ
無難にジャンボあたりかな
人柄も良さそうだし将来は社長に…無理か >>389
1番手のためにジョブをやる選手のため、鶴田は馬場とのWトップのため違う。
体の大きい戸口、羽田、小鹿あたりが良かったのか? >>390
2トップは時期によるじゃないかな?鶴田がインタータッグやUN取った時か
インターシングルの時か…
それで迄は2番手で、AWA奪取で完全なエースになったと思う。
その頃から馬場は世界に挑戦してない >>386
ばきゃたれが
おまえらなあ、知ってたか?
れすりーはさいしょは『ほーがんのじってい』としょうかいされたんぞ。
『でぃじー・ほーがん』としてごんぐにしょうかいされたんよ。 平成初期の話だけど
G1始まった当時の蝶野の押されようはなんだったの?
映像は見てないから詳しく知らないけど。
蝶野は好きだけど、そこまでプロレスがうまい
わけではないもんね。NWO時代の蝶野見ててそう思う >>388
日テレ・全日中継の原Pは日プロ時代は猪木とは仲が良く食事したり会場で話したり
友人だった。「年齢も近くいい意味で上昇志向のあるさわやか青年だった!」と応援
していた。馬場はさすがに大スターで「簡単に口がきける雰囲気では無かった・・・」
と話していた。徳光アナも猪木の方が仲良く数年前に空港で出遭うと待ち時間に食事を
したらしい。後年、二人は全日・馬場色が強くなるけど話を聞いて意外だった。 >>389
おまえ、つるたはばばのこうけいしゃ。
さかぐちはいのきのこうけいしゃではない。
そのちがいだろ。
じぶんのこうけいしゃにひきたてやくはやらせんだろ。 >>395
おんどれはつりか?
りっく・おりばーじゃい。
ますからすのしょうたいとおなじくらいじょうしきだぞ。 >>393
第1回目のG1の時に福岡の某タニマチから「優勝するのは蝶野」と聞かされて絶対にウソだと思ってたら本当に蝶野だった
後でどうして蝶野だったのか理由を聞いたら結婚祝いと言っていた
それが理由のすべてだと思わなかったが あれは三銃士の中で出遅れていた蝶野を引き上げる目的という理解だけど 8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました。
生前のご厚誼に深く感謝致します。
カメラマンとして私の写真を撮りながら、
いつも献身的に尽くしてくれました。
今は感謝の言葉しかありません。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で行います。
弔問、香典、供花はご辞退申し上げます。
アントニオ猪木 猪木の奥さんって20歳位年下じゃなかったっけ?
猪木より先に亡くなるとは 高齢で奥さんに先立たれると残された男は心配だわな…
「元気があると何でも出来る」が座右の銘みたいな猪木、頑張れ! >>401
元スチュワーデスの奥さんじゃなくて4度目の結婚した奥さんみたいね。 リンダさん、美津子さん、尚美さんの次、って出てた。
ファイト! 明後日の29日にさんまのまんまの収録があるみたいだけど猪木はいつも通りの猪木を演じるんだろうな、せつないな 辛いだろうけど、いつも通りに振る舞うことが大事よね
ノムさんもかなりの落ち込みだったけど、表に出て会話することで
少しは元気を取り戻してきたし、、 まさに、そこ。
元気を出して、猪木。
>>402
> 高齢で奥さんに先立たれると残された男は心配だわな…
> 「元気があると何でも出来る」が座右の銘みたいな猪木、頑張れ! お宝映像
1977.10.22 水色タイツ長州、○木戸(ジャーマン)白タイツ健吾、×藤原
藤原は当時からコークスクリューシザースをやってるんだな。
https://www.youtube.com/watch?v=4M8qPF4DkUg しかしここまで一人の人間としての人生、波乱万丈な人もなかなかお目にかかれない。
プロレスラー、政治家、実業家・・。そのどの時期、地位においても名声だったり汚名だったり
様々な状況に立たされながら、多くの支援、応援を背に確固たる足跡を残して歩いてきた。
98年の引退時の言葉の「道」、そのままの人生だったよなあ。。
いやまあ、まだ生きてんだけどw 女優の生田悦子とも交際してたんだっけ?凄い人だよな >>412
左から2人目誰かと思ったらマスクド・スーパースターか 海外遠征後直ぐに長髪で黒パンの革命戦士と思ってたけどパンチパーマの中堅時代があったんやね
組長もフサフサで若いな 木戸がめちゃくちゃ動けててビビるわ
ジャーマンとかやってるし 木戸のハイライトは、86年前田と組んでIWGPタッグ取った試合か
ジャパンカップ準優勝、鶴田と絡んだドームの対抗戦辺りかな? >>416
1回目の凱旋帰国後、噛ませ犬まで5年くらい燻ってたからな。 >>419
北米タッグは長州の初タイトルだし、S小林のポジションには就いたのかな? 小林は猪木と名勝負を演じているしアンドレ相手にシングルもやるくらいだった。
長州が猪木と名勝負したりアンドレとシングルするのは84年まで待たなきゃならん。 長州vsアンドレのシングルなら78年の第1回MSGシリーズでやってるが
ついでに 第2回、第3回でも 二度の海外遠征をさせるからには売れて欲しい選手に育てたい意向だと思うけど
長州が藤波に噛み付いたのも突発的ではなく会社からの指示なのでしょうか?
飯塚高史のような微妙な立ち位置で終わってもおかしくなさそうですけどね まあ北米タッグ奪還のための長州起用は大抜擢だったな。当時、小林は腰痛でもう後進にポジション譲る空気。
キム健はジュニア体格だったんで線が細く、ヘビーの長州に白羽の矢が立った。
第4回ワールド以降、すっかり中堅に収まってたので鳴り物入りで新日入りした元アマレス王者の面目躍如となったが
やはり地味な印象はぬぐえず、82年のカネックからのUWA奪取を発端とする長州革命まで結局のところは藤波に肩を並べるまでの
ポジションは得られなかった。。 >>417
ロープワークばかりでうんざりする
ジョバー長州はボディースラムばかり 国際プロレススレでの話題だったんだけど、ストロング小林は
不器用みたいに言われているけれど、WWWF、AWA、UWAと
どこに行っても必ずヒールのトップを取っていて、地元の
英雄であるエースと抗争を繰り広げている
さすがに全米トップのNYの英雄サンマルチノとはトップ中の
トップという扱いにはしてもらえなかったようだけど、これは
猪木に負けた小林にアメリカのトップを取られるのを嫌がった
馬場の意向である時期から突然扱いが悪くなったとも言われている
(まあ国際との契約がクリアになれば小林は日本に戻ることに
決まっていたわけだからいずれフェードアウトする予定だったが)
とはいえ全米のレスラー憧れの地である東海岸で、関脇から大関
クラスの位置を占め続け、MSGではなかったもののサンマルチノの
挑戦者としてタイトル戦もやっているんだから、今考えてみたら
とんでもない実績で、ビンスシニアをはじめ現地の厳しい関係者に
小林の資質が認められていたというまぎれもない証拠だ
ああ見えて小林はプロレスラーとして器用で、ヒールをやらせたら
どこにでも適応できる才能を実は持っていたんじゃなかろうか
昭和新日ではその味を発揮できなかっただけで 先月のGスピリッツで詳述されていたけれど(書き手・小泉悦次)、
ほぼ同じ時期にAWAエリアに行ったにもかかわらず、小林は
AWAのメインであるミネアポリス、シカゴ、デンバーなどで
ガニアの王座に連続挑戦、他にもブルクラやロビンソンとの
シングルで各地のメインを張っていたのに対して、入れ替わる
ようにAWAに入ったグレート草津はAWA傘下の提携先であり、
不景気で試合数も少ないオマハ地区に出向させられ、二度の
ガニアの王座への挑戦もメイン地区ではなくオマハの会場のみ
ちょっと前の新日で言えば、小林は両国でIWGPに挑戦を
繰り返してメインを張っていたのに対して、草津は提携先と
言えば聞こえはいいが「二軍」であるノアに出向されられた
鈴木軍の一員、みたいな扱いだったわけで、国際側の意向で
差がつけられていたわけじゃあないはずだから、アメリカの
ガニアから見て小林と草津では、それくらい稼げるレスラー
としての差があったということなんだろう
(オマハで試合が無くて稼げない救済措置としてNWAエリアの
セントルイスに出稼ぎに行った草津は現地で第一試合の
扱いだったとか) >>412
こんなのあったのね
アフロヘアーがヅラだと知ったときはなんとなく印象に残ってるんだけど
これじゃバレバレじゃんな >>430
村松友視がハイドンみたいなアンドレの写真に
「ローデスのかつらをかぶっておどけるアンドレ」
というキャプションがあったのを語っていたけど、
マスコミはサラッとバラすからなあ
タイガーマスクのデビュー戦を報じた「プロレス」は
堂々と佐山の写真を横に並べていたけれど、蔵前の
数か月前にこんな試合をテレビで流していたら、
隠すだけバカバカしいとプロレスマスコミなら思って
仕方ないのかも
https://www.youtube.com/watch?v=-M6WW1_XhB4 >>431
当時小学生だったけど、一年前のこのメキシコ中継観てたから、タイガーは佐山だと速攻分かった。 >>419
木戸は凱旋直後は猪木坂口小林のトップ3に次ぐ4番手扱いでTVにもわりと登場していた
ただやっぱり地味なのと
基本的に日本側のNo,4ってのはTV中継ある会場でのメインやセミ、セミ前にも起用されるが
その際は主力ガイジン勢に対する噛ませ役が多いので
それで果たしてどこまでプッシュする気があったか?というか
そもそも藤波凱旋によるJrという枠が出来る前のリング上にNo,4という序列があったのかは微妙なところ
実際ワープロの中継で猪木や坂口や小林がタッグでガイジン組とやる時
パートナーが木戸星野永源小鉄柴田あたりだと誰でも大して変わんなくて
ああ今日は負け試合だな、なんで猪木坂口や小林でやんないんだよ!と
真剣に見ていた子供時代は思ったもんだ >>408
懐かしいな。しかし、この絵に描いた様に
冴えない男が、数年後には、まるで別人に
化けるんだから、面白いな。
まさしく燻っていた頃だな。 89年9月横浜でのベイダー対橋本のIWGP戦
珍しく映像の残っていないタイトル戦
あと藤波対トニーレーン戦… >>437
会場で見たわ
セミでIWGPjrもあったのにノーテレビはもったいなかったな
ライガーが星野をボコボコにしたのもこの横浜だった 昔の選手は五輪やら国体と贅沢やったなあ
今では考えられないよ 地方巡業で旅館に泊まる場合、一人部屋は猪木、坂口、小林、小鉄まであとは雑魚寝と相場が決まっていた
最初の三人はわかるが、なんで小鉄だけ特別扱いなんだよ ケロ「昔は2人一部屋で永源さんは部屋の中でスッポンポン。
薬塗ってくれと頼まれたらインキンの薬よ。あたしゃ塗りましたよこの指で。
永源さんの後に部屋の風呂に入ろうしたら、湯船に出来立てのうんこがぷかぷか浮いてた。永源さん嫌い」
新倉本「深夜に手に感覚があり目覚めたら、藤原さんの手を握っていて、藤原さんがジーっと見ていた。
猪木さんを部屋に入れて俺らの部屋に戻ったらスイートルームだった。
猪木さんに間違えましたので移動して下さいと言ったら、
もう移動するの面倒だからお前らが使えとのことで俺と高田がスイートルームに泊まった」 >>444
「大変だ! トイレで赤ん坊が死んでる!」と叫ぶから行ってみたら、とんでもない量のウンコがプカプカ浮かんでたという桜田のイタズラ話を思い出したw
湯船にウンコは実害あるから嫌だよな。 新倉「昔は大広間での朝食で猪木さん、坂口さん、小林さんに挨拶に行く。
小林さんは『おっはよ』とお尻をペロンと触る」
ケロ「木戸さんは部屋に入ると洗面にタオルを敷いてコロン、ヘアトニックなどを決まった順に並べる。
神経質で布団の角に触れただけで嫌な顔をされる」 78年に藤波がWWWF(当時)ジュニア獲って一気にスターダムにのし上がったが、
これは鶴田に対抗すべく入団したような?吉田(長州)に続いて計画されたようなものなんだろうかね。。w ビッグレスラー懐かしい…
あと84年頃にエキサイティングプロレスみたいな名前の月刊誌あったよね…
1ヶ月分だけ買った記憶があるなぁ… >>451
猪木対ブロディの初戦の両国行ったときタシーロ見かけたよ。 >>450
飛竜雪崩落としwwヘビー級に転向した藤波も試行錯誤してるなぁ >>447
木戸は試合中に髪をいじられるをとても嫌うので外人レスラーには嫌われていた。
天龍への技量試しで試合中にさりげなく指を折りにきた人間なので外人レスラーも
従ったんだろうね。 >>447
木戸は開いてるパックの牛乳を絶対飲まず、新品じゃないと飲まなかったとか。 >>448
吉田に続いて計画と言うより、当時の日本マット界にジュニアで売るという
概念はなかったと思う。
細マッチョでマスクも良くメジャー王座も奪った。
一人でもスター選手が欲しかった新日本はジュニアの階級に不安もあったが
藤波に人気が出て、それ以降日本マット界に定着するようになった。
だから藤波が売れたのはジュニアヘビー級が受け入れられたからじゃないかな >>458
まあ若くやや小柄な選手を売り出すのに
Jrという売り出し方をしたのは偶然の要素大きかったにしろ
上手くいった要因ではあるよね
下から上がってくる若い選手売り出そうと思ったら
「衝撃の凱旋(デビュー)」から1年以内に
ある程度までアゲ作業完了して
それなりのポジションにしないと無理
でもあの当時は猪木の下にも坂口小林がまだガッチリいたから
もし藤波が海外遠征から帰ってきた
ただの「小柄なヘビー級で若くてイキのいいNo,4」だったら
プッシュはしたいがいきなりシンやパワーズと日々丁々発止やってる
坂口小林に追いつき追い越すのも不自然
で、そうしてるうちに旬を過ぎてしまう可能性高かった
「ジュニア」という上を脅かさない属性をあらかじめ与えたうえで
従来の序列とは別枠のトップとして売りだしたのは
恐らく怪我の功名的な側面も大きいだろうけど見識だった 鶴田がケン・マンテルのNWA世界ジュニア・ヘビー級に挑戦
したの1974年だろ。 >>460
鶴田や松岡も藤波以前にマンテルやホッジに挑戦してるけど、
ドラゴンブームが来なければジュニアの黄金時代はなかったということ。
それ迄はヘビー級こそがプロレスみたいな偏見があったと思う。 >>459
実際に猪木にタッグながら勝った85年末はすでに旬が過ぎていた感はある。
かといってあの体格では猪木に代わりエースを任せられるってのも無理だよね。
小沢(カーン)が男前で動きも良かったら次期エースになれていたかな? カーンのファイトスタイルはアメリカでヒールをやっていたからウケたんであって
日本の団体のエースが殴る蹴るサミングでは難しいと思うがな カーンは気弱なタイプだから
そもそも新日向きじゃない
小鉄に解説でよく指摘されてたな >>462
というより、猪木の代名詞の一つだったジャーマンも
猪木は藤波に譲ってたんだよな
藤波が凱旋後、猪木と初対決したのがMSGシリーズ
ここで猪木はジャーマンで藤波をフォール、以後一切
ジャーマンを使わなくなり、かつての猪木の得意技・
ジャパニーズレッグロールクラッチとジャーマンは
藤波の代名詞となった
(キッド、カーン、チャボ、剛、ソントンらはすべてこの
二つの技もしくはどちらかでフォールされてる)
その猪木が久々にジャーマンを見せたのは1981年8月6日、
藤波がNWA王者だったソントンにタイトル戦で勝って実質的に
ジュニアの統一を果たした7月31日の翌週のことだ
ジュニアの藤波の切り札として「貸していた」ジャーマンを
「返してもらうぞ」と見せたことで、藤波のヘビー級転向を
言外に観客にも示して見せるという、ロマンのある時代だった >>458 >一人でもスター選手が欲しかった新日本
ここに集約されるんだろうかな。当時ナンバー2の坂口、以下小林、ヤマハ、永源、木戸。。
オッサン臭いわ確かにw 長州(吉田)もあの風貌だし。。
藤波はたしか前年からカネックとの流血戦とか海外遠征の活躍を報じられ、ファンへの浸透は
多少はあったが、ちょっと線は細いかなアと思いつつのNY登場だった。
しかし終始、懸念以上のあの新鮮なファイトぶりで相互作用的に「ジュニアヘビー」というジャンルを
認識させた意味のある試合だったと思う。
>>459 そんな感じで「賭け」の部分は大きかっただろうな。。
あと新日と通じてたロスやメキシコは軽量級のライバルも多く、顔合わせのマンネリも
払拭できる見通しも多少あっただろうな。。 藤波以前のJr.ヘビーはダニーホッジ、ヒロ・マツダ、レス・ソントン、ロン・スター、
国際だと寺西とかオーソドックスに選手が多く、試合内容的にはヘビーのオーソドックス系と変わらなかった。
藤波が出て来てスピーディーな空中戦というスタイルになり、浜田、タイガーマスクで確立した。
全日は大仁田、渕でイマイチだった。 坂口は旭化成の柔道部じゃあないのか?
あいつら普通の人じゃないよ。
普通の世界を知ることはできたろうが。
総務に配属されて午後は練習のみ。
某企業の女子バレー長身が
顧客にいてなんだあれはと驚いた。仕事はそんな感じだったよ。 >>470
柔道でもバレーでも強ければ企業の名が全国に知れわたる。
総務部でも実質、宣伝要員じゃないのかな 村松友視が書いていたけど、ヘビーかジュニアかという
重さを越えて、猪木のような試合運び、観客を惹き付け
陶酔させる押し引きといったものが、坂口、小林には
どうしても足りなかったのを、アメリカンスタイルの藤波は
無名の相手でもそれを実現したのが大きかったとか
よく言われていたけど、チャボにしろ原にしろ、そして
剛にしろ、藤波とやるとスイングし白熱する試合に
なるけれど、他の選手相手に同じ試合はできない
それがテレビ桟敷に届くかと言うことだったんだろう 藤波は猪木に憧れて日プロに入団し付き人になった。
猪木が追放されると迷いなく?一緒に行動し
新日本旗揚げメンバーになった。
四六時中追いかけて間近で接してると試合スタイルも似てくるよな タイプ的に猪木に最も近かった
というのが藤波の不運なんだよな
長州、前田、三銃士は
違った部分でどうにか魅力が出せるが 越えるには似ちゃあダメなんだよな
独自カラーを出さないと。 >>474
佐藤昭雄いわく
「藤波は「猪木についていきたくない」と泣いていた」そうだ
結果的には新日に行って大正解だったが 藤波は猪木信者と思ってたけど最初は違ったのか
猪木嫌われてんなあ >>478
そんな話もあったなー
いくら猪木が好きでも、これからどうなるか分からない不安と
やっと前座デビューできたことも重なってね >>467
藤波と正規軍時代の長州のシングルって
全部ジャパニーズレッグロッククラッチで藤波が勝ってたような気がする 丸め込みで勝つ試合が多かったから藤波には強さのイメージがつかなかったな ジュニア時代の早い段階からドラゴンスープレックス封印したからな
マンド・ゲレロを負傷させたから禁じ手にしたと言われてたけど、
本当に危険な技ででレスラー仲間から嫌がられてたらしいね
ヘビー級になってマシン戦で復活するもベイダー戦で腰をやられて
以降は使えなくなったのかな?
マンドの負傷はアングル説もあるけど‥ 藤波は体が固いからブリッジもカッコ悪かった。
佐山タイガーや前田は見事に分度器みたいな弧を描いてたな。 >>476
カルガリーでの試合だったっけ?
無名レスラーに延髄斬りからブレーンバスター
藤波は好きだったけど
延髄真似たのはいただけなかったな ふじなみはえんずいぎりはへた、というかぶかっこうだったな。
でもちょうしゅうのえんずいぎりよりましか。
いのきいがいはたいはんが“えんずいげり”だ。 自分なんかは見始めた頃の刷り込みなのかもしれないけど、
藤波のバネの効いたジャーマンが最高なんだよなあ
鋼鉄のように、速く、なにより強く、「叩きつける」感じが
本当に相手を失神させていると思わせてくれた
鶴田の、ファンクスやスレーターに決めたジャーマンが
顕著なんだけど、やわらかいブリッジで持ち上げそっと
マットに置く感じのジャーマンって、抑えられたテリーらが
手足をバタバタして見せていることも相まって
「仕掛ける難度が高いだけの逆さ押さえ込み」
っていう風に見えてしまう
女子プロの「くにゃっとジーマン」なんかが特にそうで、
仕掛ける側の身体の柔らかさを見せる技じゃないんだから
むしろ固い身体で勢いよく叩きつけてほしいという
だからタイガーのジャーマンも、デビュー戦のキッド戦の
それとかよりも、ブラックを失神させた一発なんかの
低空飛行の方が好きだ
猪木にしても、綺麗なブリッジのブリスコ戦のそれより、
決めた形は不細工なマスクド・スーパースター戦の
「ヘソで投げた」バネの効いたジャーマンの方が好きだ
あの頃の新日には「ガチっぽさ」を求めていた気分も
あるんだろうな 藤波のドロップキックって、両足を揃えて相手を蹴った後
そのままリングに仰向けに落ちるから、どうしてもカッコ悪く見えたな
「体をひねってうつ伏せに落ちればいいのに」といつも思ってた 週刊少年ジャンプでのピンナップだっただろうか
藤波が4の字固めをかけたか、かけられたかで
情け無い顔して載ってたわ 藤波のドロップキックは打点が高くて良かったけどな。ここはアンチが多いみたいだ。 色々な視点があっても良いと思う
カッコ悪いと思う人もいればそうでない人もおるし >>490
藤波のドロップキックは当たる時は捻る、自爆の時はそのまま背中で受ける いずれにしろ藤波がジュニア時代に作り上げた試合スタイルは佐山タイガーが
全部超えちゃったからなw というわけなのか81年春にタイガーがデビューして、
暮れまでに藤波は王座返上〜ヘビー級転向と言う流れ。 ジュニア王座の権威の為にはタイガーと戦ってベルトを明け渡さなければならないのに
これからヘビー級で戦う藤波が後輩の佐山に負けさせる訳にはいかない
全日の三沢も他団体の慣習に倣って負けブックを拒否してジュニア王座返上→ヘビー級転向 鈴木庄一が「プロレス」で書いていたけど、猪木はしばらくの間
タイガーを認めようとしていなかったのだけれど、夏から秋にかけても
人気が落ちず、浜田と新日スタイルの試合をやらせてそれなりに
結果を出した時に、やっと主流の路線に組み込むことを認めたんだと
素顔の佐山に戻したかったのか、しょせんは色物と見下していたのか
その辺りは当時のインタビューとかをリアルタイムで追っていかないと
分からないんだろうけど 藤波のドラゴンスープレックスのレコードジャケットのドロップキックはカッコいい >>497
嫉妬だろ
新日スタイルとか出来るに決まってるじゃん >>497
タイガーマスクは
どうしても飛んだり跳ねたりのスタイルにファンの目が行くからなあ
あまり手本にしていいプロレスではない
実際に後にタイガーに憧れてプロレスに入った連中も
摸倣するのは派手なとこばっかりという惨状で現在に至る 歴代新日本ジュニアをランク付けすると誰がナンバー1になるのかな?
自分は、タイガー>藤波>ライガー
ジュニアブーム先駆者の藤波をトップにしたかったけど、
普段プロレスを観ない人まで巻き込んだタイガーの功績は凄いと思う。 まあ多少の感情はあっただろうけど、少なくともテレ朝的にはタイガー人気はおいしかったはず。
視聴率は一気に上がった。しかしそのタイガー人気に背負う形で猪木が事業にどんどんつぎ込むことが
問題だったな。。 どうじきにあにめ『たいがーますくにせい』もほうそうしたからな。 獣神ライガーもタイアップだった。
ザ・コブラの存在は? >>501
藤波も、充分に「普段プロレスを見ない人を巻き込んだ」に相当すると思うけど。
藤波の登場から若者・女性ファンが増えた
タイガーはさらにちびっ子ファンを増やした https://stat.ameba.jp/user_images/20140619/23/110471/a5/b3/j/t02200338_0694106512978374905.jpg?caw=800
タイアップじゃなくてメキシコ人が無許可で勝手になっただけなのに
円谷プロが着ぐるみで花束贈呈したのは、アステカイザー関連で新日と協力関係にあったから
ちなみに高杉のウルトラセブンは円谷に許可を貰ったらしい ライガーはちょっとベクトルが違うな。
ジュニアというジャンルのさらなる底上げ、地位向上、活性化。どちらかというとプロデューサー的評価。 >>505
確かに藤波も新しいファン層を獲得したけどタイガーマスクは社会現象だった 83サマーで「藤波・木村vsタイガー・前田」みたいなカードをやってほしかった。
84新春でタイガーのかわりにコブラでも可。 藤波がジュニア時代はヘビークラス相手に普通にピンで勝てた。リーグ戦も普通に出てたわけで。
タイガー時代のジュニア戦線は完全に棲み分けが出来てたからそういうカードは無理だったな。。w マサ斎藤が佐山タイガーにピン負けしたんだよなぁ
維新軍で重鎮になってからは無かった事にしてたけど >>512
拒否というより当時の三沢タイガーは怪我による欠場が多過ぎて
ジュニア戦線全体を牽引する王者としての務めを果たし切れていなかった 三沢タイガーは86年3月にジュニア王座返上→ヘビー級転向
単にジュニアでやっていくには大きくなりすぎただけだろう >>514
当時の三沢ではチャボやキッド相手だったら
ボロを出しまくりだろう >>516
チャボとは防衛戦やってるし
キッドともジュニア王座返上後にやってる。 84-5年の段階で、四天王がらみのシングルで見てみたい順位というと、
1.猪木-藤波
2.藤波-木村
3.猪木-坂口
4.猪木-木村
5.藤波-坂口
6.坂口-木村
の順位だと思うけど、上位三つが同時に実現するタッグマッチ
猪木、木村 vs 藤波、坂口
に魅力を感じない不思議。対戦するカードよりもそれぞれのタッグへの魅力ってのも大きいんだな。
だから猪木、坂口vs藤波、木村でないとダメだったわけだ。
84年に実現してる 猪木、藤波vs坂口、木村 は論外。猪木と藤波の対戦がなければ盛り上がらない。 >>511 当時見てないでしょ。タイガーとの試合はMSGで戦っていて国内で放送してないから、そもそも話題になってない。
そもそもマサの場合、ジュニアの藤波や維新軍前の長州に負けていたがな。そっちの方が無かった事になっていた。 >>519
キムケンはそこそこ良い身体してたと思うし
ジュニアの頃はジャーマンも使っていたっけ?
けれど
どこか底の浅い
芯の無さは
ゴッチを師としてなかったからなのか? 83年4月蔵前の猪木対マサはセミ前だったんだよね…そしてこれを最後に翌年のIWGPまで来日しなかった >>521
これなんで途中で画像が綺麗になったり字幕ついたりすんの? マサが大物扱い受けたのは、新日にUターンしてからだからな。その前は外国人側や革命軍の参謀。猪木と対等とか、全く思ってなかった。 だから4・21蔵前でバックドロップ3連発で猪木を追い込み、
延髄斬りをロープブレークで逃げたのは嬉しかったよ
あぁここまでの格だと猪木が認めたのかと シングルマッチで勝ち星を渡したのは長州と天龍だけかな タイガーが遠征中、WWFのステージマッチでマサさんとやった試合も
つべで見られるいい時代になった
ヒーローのタイガーを格であしらう悪党のサイトー、という感じで
タイガーはマジソンでも見せなかった場外ダイブを披露して、
狭いスタジオの観客大喜び
その後マサさんにバックドロップ、ダックアンダーでフラフラに
されたタイガーが一コーナーに振られて一発逆転を狙った振り返り式
ボディアタックもマサさんが頭を下げてかわして自爆、ボコボコに
されたタイガーがまたコーナーに振られ、再び振り返り式に飛んで
マサさんがまた頭を下げたところを今度は回転エビに丸め込んでピン
タイガーはクルッと後転して格好良く立ち上がり観客は拍手喝采、
マサさんは納得行かないとブスッとし、双方の顔を立てた
いいフィニッシュだった 海外での日本人同士の試合
1977年頃フロリダ ヒロ・マツダvsマサ斎藤&高千穂withタイガー服部
1978年メキシコ NWA世界ライトヘビー級選手権・健吾>佐山
1981年西ドイツ 鶴見>健吾
1982年ドバイ キラーカーン>健吾、長州
1983年カルガリー ジョージ>俊二
1984年WWF 戸口>前田 >>528
あれスタジオじゃなくて当時よくテレビマッチに使われてたアレンタウンの
アグリカルチャーホール
日本風にいえば農協ホールだなw
二週間分撮るから当日はタイガーも二試合してるが一試合目は無名の
ジョバー相手
他も似たようなジョバー相手の顔見世マッチばかりだったから、メインの
ボブ対スティーブンスと並ぶ当日の目玉カードだったな >>529
1988年にオレゴンでスーパーニンジャ(俊二)対ブラックニンジャ(剛)というのがあったな
俊二のベビーターン試合だったけどすぐ俊二は全日に戻っちゃった >>530
何年か前ジーン・オークランドのWWFクラシック番組でやってたな >>456
そこまで神経質な潔癖で
よく汗だくのオッサンとくんづほぐれつを仕事に出来たなあ >>532
80年代の映像は日本に来てたレスラーが多く出て
アドニスとオートンが元祖ハイジャックパイルをやったりして面白かったけど
ソントンあたりが何のキャラもないジョバーとしててでくるのを出て来るの見るとさびしかった
まああの番組で一番面白かったのはジーンがホーガンと一緒にトレーニングするスキットの
再放送だけど
モロにロッキーのパロで笑ったw
WWF版マシーンズ登場のプロモーション(ジーンが来日して東京でマシーンズを探す話)も見た
かったけどやらなかった >>534
>WWF版マシーンズ登場のプロモーション(ジーンが来日して東京でマシーンズを探す話)
それってこの時のやつかな?
https://www.dawrestlingsite.com/media/images/feature_ptw_070786.jpg
https://www.dawrestlingsite.com/media/images/feature_ptw_071486.jpg
http://www.maskedsuperstar.com/photo/machine1.jpg
以前、動画で見たときに「ここは日本じゃなくてアメリカにある日本庭園」みたいな
コメントがあったんだけど、実際にジーンが来日して東京で撮影したのかな?
ただのコメントなんで全く信憑性はないんだけどね。
あのプロモで
スーパー・マシン(Mスーパースター)「自分は東京大学で教育学修士とMBAを取得している」
ジャイアント・マシーン(アンドレ)「自分はthe island of "Fu-you-too"の出身だ」
ジーン「(アンドレに対して)あなたの声はどっかで聞き覚えがあるような・・・」
スタジオに戻ってヒーナンが
「ジャイアント・マシーンは間違いなくアンドレだろ!!!」とビンスに食ってかかる。
とか、かなり笑える内容だったなw ジャイアントマシーンとスーパーマシーンが日本庭園をバックにした
茶室みたいな部屋でインタビューを受けて
「我々は日本人だ。東京大学を出ている」
と応える映像のあとに実況席で
「…というビデオが送られてきましたが」「何が日本人だよ!誰が見たってアンドレだろうが!」
と解説者が怒るのを見た時は、アメプロ恐るべしと感心したなあ ありゃかぶった、すみません
話題が出ると気軽に動画を見られる、いい時代だなあ >>535
それそれw
>>537
>話題が出ると気軽に動画を見られる、いい時代だなあ
極めて同感 今気づいたが
>>536
>自分は東京大学で教育学修士とMBAを取得している
修士号はどうか知らんけど教職免状と経理士の資格は確実に持ってるから
まんざら嘘でもないな >>541
高校の教員免許持ってるよね。ビル・イーディーは話し方も知性がある。
同じ教員出身でジョージアで長年一緒だったハンセンと気があった。 WWFマシーン軍は86年の暮れに「世界のプロレス」で放送されたよ
あの頃NWAとAWAの連合軍プロレスリングUSAの試合や
WWFレッスルマニア、ルチャ、プエルトリコの試合も観れたから
CSでいいから再放送して欲しいな ジャイアント・マシーン
スーパー・マシーン
ビッグ・マシーン
クラッシャー・マシーン
アニマル・マシーン
パイパー・マシーン
ハルク・マシーン >>542
二人とも「大卒」だからね
ファンクスとかも教員免状持ってるけど大学は卒業できてない
欧米の大学では中退してもそれまでに取得した単位や資格は保証されるから
教職課程をクリアしてれば中退でも免状もらえる
後に別の大学に入りなおしても前の大学でとった単位は取得済み扱いだし
というよりそれが出来ない日本の大学の方が世界的に見れば大学というよりむしろ
「上級高等学校」に過ぎないらしい 特にカンケー無い話・・。
ハンセンがいた時代の新日 → デイブリーロスがいた時代のヴァンヘイレン
ブロディ、マードックらがいた頃の新日 → サミーヘイガーがいたヴァンヘイレン
適当にそんなことを考えてみた。。 第1回のIWGPにレッドブル軍団が参加していればと思ったけど、当時の国際情勢では考えられなかったんだね >>546
ピーターセテラがいたシカゴとジェイソンシェフがいたシカゴ
フレディがいたクイーンとポールロジャースがいたクイーンでもいい。
関係無いけど、フレディマーキュリーとジムブランゼルはソックリw >>548 なるほどw。
同じバンドだがリーダーやフロントマンが変わってガラッとイメージが変わった例はいろいろある。
ブラックサバス、ドゥービーブラザース、フリートウッドマック、シカゴも当初のブラスロックからポップスに豹変した。
あとは・・。ま、この辺でw
でもまあ長州や前田の出戻りとか佐山の突然退団とか、わがままなロックバンドの歴史と何かしら相通じるものも感じるかなw 86年の「世界のプロレス」で興味深いカードを見かけた
金網デスマッチ
グレッグ・ガニア&ジミー・スヌーカvs ブルーザー・ブロディ&ザ・バーバリアン
このバーバリアンてのは偽ウォーリアーズのトンガ人じゃなくて
全日に来た偽ブロディの事だな、ブロディはニセモノと金網の中でコンビ組んでたのか 70年第12回ワールドリーグで優勝したのはジョナサンを下した馬場
前年優勝した猪木を抑えてだったが
公式リーグで猪木はジョナサンを破っている。
BIが凌ぎを削ってたその時代、新宿の喫茶店で流れてたのが
ツェッペェリンの移民の歌(Immigrant Song)だった。
10年以上過ぎ、この曲を知らないプロレスファンはいなくなった。
40年前8.26のリング上でBIが最後の共闘、猪木が次回の対決を馬場に迫った
その年レインボーがダウントゥアースをリリース
A面2曲目のアイズオブザワールド(Eyes Of The World)も8年後
プロレスファンの記憶に残る曲となった。
ヴァンヘイレンの話題が出たから遊んでみたw
ちなみにデイヴリーロスの方が断然いい! マイク持った美津子さんの横で猪木がギター構えた写真あったけど
弾けるのかな? どんな写真か不明だけど、EP版「炎のファイター」のB面「いつも一緒に」
なら美津子さんが歌ってたのでは? このスレで巡業の部屋は雑魚寝と言ってたけど今も変わらずで驚いたわ 80年のタッグリーグの動画でアンドレ見たら、坂口や小林の攻撃なんか全然効いている様子がないな。
ハンセンやホーガンも実際にアンドレとやりあったら歯が立たんだろうな。 昔のアンドレやブッチャー見ると動きの速さにビックリするよね… https://white.ap.teacup.com/corona/img/1279008889.jpg
第一回IWGPでアンドレ対ブッチャーやるべきだったんだよ
まともな試合にならなくたって話題に放ったはずなんだから
新日はバカだね、高い移籍金払っといて >>563
「IWGPに参戦するため」と新日に登場するも実際はアンドレ、ハンセンが参加した
次のシリーズは絶えずインパクトが弱く観客動員が低下するので目玉外人として
また、まだまだ根強い地方興行人気をあてにして獲得した。法律上も問題無いのを
確認したが予想を超えたのが馬場の怒りだった。
IWGPも全日潰しも関係無かったと大塚氏が語っていたのは意外だった。
ブッチャー参戦時に「アンドレ、ハンセン、シン、バックランド、ローデス、ボック等が
IWGPで総当たりで戦ったら?」と新日ファンは一瞬でも大きく胸がときめいたらしい・・・ >>565
実際はアンドレ、ホーガンね‥
夢の対決が続出の筈が、MSGシリーズと大差なかったw 商品価値をじっくり、すぐ落とさない感じでタッグでお茶を濁していた・・感じ
旬を逃してしまったね。 >>565
実際、83年の第1回IWGPの次のサマーシリーズはブッチャー、マードック、アドニスらが来日したが
当時は日本人抗争もいよいよ佳境の時期で、外人の出る幕はほとんどなかったけどな。。w >>568
馬場はオープン選手権以降にブッチャーとマードックを同時に呼ばなかったが
トラブルは無かったのかな? >>568
毎週毎週藤波対長州で、三週目にはイライラもマックスを超えたっけw
マードック対ブッチャーは放送予定なのに中継開始の前に終わって見逃すし、
マードック、アドニス対ラッシャー、ブッチャーなんていう面白そうなカードもオープニングでやっただけ。
維新軍なんて一度外人勢にボコられたら簡単に商品価値なくなりそうなほどつまらなかったのにね。 実況で語って問題視されたが
世界の鶴田
日本の長州は
言い得て妙 >>571
「世界の馬場」も倉持がリピートしてたねw ブッチャー&アレン対マードック&ブラボーのタッグ戦
アレンが負傷欠場、ブッチャーがマードックとブラボー
どちらとシングルで戦うか決める権利を得た
マードックのKKKは知られていたし、特にブッチャーとは不穏な空気を出していたのに
なぜ新日はブッチャーにブラボーを選ばせたんだろう?
あんなことリング上でやられたら、「ブッチャーがマードックから逃げた」
と思われかねない、商品価値が下がるだろうに >>573
でも、なんだかんだで面白い試合だったよね 新日本でのブッチャーは、シンのような普通体型じゃないので技が掛けにくくてアントンが嫌った説
コブラツイスト・卍固め・インディアンデスロック・弓矢固め・バックドロップ・ジャーマンetc
もうパンチとキックしかできないw 猪木・ホーガンvsラッシャー・ブッチャーなんて試合見てみたかったわ。 >>573
たからさあ、ぶっちゃーとまーどっくのしんぐるはだしおしみだったんだよ。
のちにそのかーどをくむよていだった。
しかしぶっちゃーがぶらぼーをえらんだことでぶっちゃーのひょうかがおちた。
そこはしんにちがわのけいさんがい。 >>573
あそこでぶっちゃーとまーどっくのしあいにならなかった。
それで、ふぁんのきたいかんがたかまってつぎにつながる。
でもそうはならず『ぶっちゃーはまーどっくからにげた』とのいめーじが。
けいさんがいとはいえぶっちゃーがきのどくだわな。 あの日は猪木対木村目当てが殆どだったので無理にマードックじゃなくても良かったのかね〜
この試合始まるまでがやたら長かった… >>571
長州に関して、当時のメディアはアマレス元五輪代表とは言っても、韓国代表とは絶対に言わなかった。 >>573
ブッチャーとマードックの不仲は
両者新日に移籍してからえらく誇張して
表現されるようになった気がするんだなぁ。
マードックがブッチャーを差別的に嫌って
いるのは間違いないだろうけど、
全日時代は何度かタッグで対戦しているし、
タッグも組んでいる。結果的にシングル
マッチも不穏な攻防にならなかったし、
試合を組まれれば普通にプロとして
試合をするレベルの関係だろう。 ブッチャーって真っ黒けの黒人(ニグロ、アフリカ系)じゃなく若干白人だかどっかの異種配合じゃないの?
迫害に対するブラックパワー的な姿勢だとアレンなんかのほうが強いだろう。
大昔にクリスマルコフとブルラモスが来日中のプライベートでマルコフの差別的な発言から大乱闘になったが
翌日はケロッと何事もなかったようにタッグ組んでたり、その辺「プロ意識」というのは
それはそれみたいに割り切れるんだろうな。。 >>576
佐山タイガーデビューの経緯からブッチャーのマネージメントを担当する梶原プロと
パイプができて新日参戦の意志を確認して大塚氏が猪木に報告すると猪木は喜ぶ
どころか「ウチに必要と思うか?」とあまり乗り気で無く「地方ではまだ人気があると
思います・・・」と答えると「(しょうがない)じゃー取れ!」と投げやりな返事だった。
ハンセンと違い自分から動いて試合を作らなければならいので「社長」としてよりも
「レスラー」として歓迎しなかった。
>>575
オープン選手権で二人の関係に気が付いた馬場が「取扱い注意」をするようになったと言う
記述があり露骨の二人の関係をあぶりブッチャーの評価を下げるような行為を新日にされて
同情的だった。 75年ワールドリーグの坂口と大木も取り扱い注意だった 全日プロ時代の馬場はプロレス出来たの?
猪木は身を削って頑張ってたけど 前田日明がカッコよく「キャプチュード」で入場し
マードックが「テキサス・ファイト」で入場すると、何故か笑えた
ノー天気なイメージと言えば失礼だけど、ピッタリだったw >>587
全日時代のカマタ戦でかかった「チャンピオン」もノー天気な曲だったな。 新日時代のマードックの印象は、あの入場テーマ曲と半ケツが
直ぐ思い浮かぶんだけど、セメントやらせても強そう 「線路は続くよどこまでも」ってマードックの入場テーマの一部分? スーパーファイターズ2のカセットを持っていた俺は
「テキサストルネード」を何故使わないのか不思議だった >>584
ブッチャーを新日本が獲得したとき新間がハンセンに
「アブドーラのことは心配しなくてもいい。どうせ2〜3年しか持つまい。奴は太りすぎだ。」
と言ったとハンセンの自伝に書いてあったな。
でも、今年のブッチャーの引退式で新間が花束を渡したときのブッチャーの懐かしそうなこと。
新間の顔を見るなり「オ〜!」と嬉しそうに大声上げて・・・あんなブッチャーの顔、初めて見たよ。
もう遙か昔のお話なんだな。
>>590
>「線路は続くよどこまでも」ってマードックの入場テーマの一部分?
正確には『Texas Fight』と言うんだけど、この曲は
アメリカ民謡『I've Been Working on the Railroad』(これが日本に伝わり「線路は続くよどこまでも」になった)
を編曲して『The Eyes of Texas』が作られ→『The Eyes of Texas』の一部を取り入れて『Texas Fight』が作られた
というのが事実。
『The Eyes of Texas』も『Texas Fight』もいわゆる『テキサス大学オースチン校フットボール部応援歌』。
昔の雑誌では『ウエストテキサス州立大学フットボール部マーチ』と紹介されていたけど、ウエストテキサスではないね。 入場曲といえばアニメジョジョ第3部の出だし(♪そ〜し〜て〜つ〜ど〜いしスターダ〜ス♪)が内藤のSTARDUSTまんまだったな >>592
思い切って歌詞つければよかったな。
♪マードックがいくよ どこまでも
野を超え山超え 太平洋超え
遥かなジャパンで ひと暴れ
激しい闘い後 ビール飲む
ランラララン・・・♪ 外国人レスラーの入場テーマ曲ではハルク・ホーガンの「ギャラクティカ」
他にも「アイ・オブ・ザ・タイガー」「リアル・アメリカン」等あったが
最初の壮大なイメージが印象深い。
次はアンドレの「ジャイアント・プレス」だな 個人的には新日系の入場テーマの最高傑作はサーベルタイガーだと思う
使用期間が短かったのはもったいなかった >>597
Gメン82の方の香港カンフー編でサーベルタイガーがBGMで流れた事があった
偶然かなぁ >>596
やはり新日時代のホーガンは、一番トランクスに
ハッピの入場コス、そして「ギャラクティカ」の
3点セットが最高にカッコよかったわ >>599
ヤン・スエの格闘シーンのBGMだったね。
すごく得した感があった。 次シリーズの予告で使われたBGMもかっこよかった
古舘の煽り言葉とも見事にマッチしてた >>602
ジェフ・ベック「スター・サイクル」だね
BGMでは新日はこの曲
全日はコモドアーズ「マシンガン」坂本龍一「格闘技のテーマ」
他にも「スターウォーズ(ミーコVer.)」「オリンピア」
「ギャラクシー・エクスプレス」 当初「スター・サイクル」はジ・エンフォーサーの入場テーマ曲 >>602
古舘の実況が話題になってきたら
しゃべってる言葉をそのまま黄色いテロップで出したりしてたな
「闘いがアートする! ブラディ・ファイトシリーズにご期待ください!」 >>605
「闘いがアートする!」は古舘のセンスを感じる。
素人だと「流血がほとばしる、ブラディ・ファイト…」になりそうw 「火の国熊本に飛びまして」とか「伊達政宗ゆかりの地宮城仙台に」とか古舘が次期シリーズ予告の日程読み上げるときその土地ならではのこと言うのが好きだった。
んで、「最終戦は闘いのワンダーランド蔵前国技館であります」でしめると。 >>607
必ず戦国時代や幕末の歴史話と絡めてくるんだよなw
プロレス見てると歴史やアメリカの地名が頭に入ってくる
あとメキシコの舌を噛みそうなプロレス会場名とか >>608
古舘は中継地のことを色々と調べて喋る勉強家。
メキシコの会場名といえば、エル・トレオ・デ・クワトロ・カミーノス アステカ文明やテオティワカン遺跡、ルチャドールのマスクはその神聖なアステカの象徴云々の
説明が必ず入る。。w https://www.youtube.com/watch?v=-M6WW1_XhB4&feature=youtu.be
この試合がワープロで流れていたら、タイガーマスクの正体は即バレしていた事だろう >>608
桜井康雄が歴史に詳しかったので
古舘はいろいろ質問して、聞いたことをノートに書いて
実況のネタにしてたらしいな >>609
行った土地で観光ガイドを買ってネタ探してたと言っていた >>614
尾崎が調べてたらしい
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar613256
>地方会場で実況の仕事があるときは、会場に入る前に市役所や観光案内所に寄ってそこの土地柄を調べて、そのメモを古舘さんに渡すんです。 >>599
日本テレビで放送してた星雲仮面マシンマン(東映制作)でも少し流れたことがあるんだぜw >>616
マシンマンとバイクロッサーは予算が壊滅的に無い事で有名だが
BGMまで間借りしてたのか 坂口のテーマ「燃えよ荒鷲」、まったりした北島三郎風の?イントロからそのままのテンポで
和風情緒たっぷりなんだが、坂口の入場はたいがい小走りに来てさっさとリングに上がってしまうので
曲の半分も行かないうちに場内でフェードアウトしてしまう。。w
全体聴くといい曲なんだけどね。後半はメロディアスなバイオリンが入ったり。
全日のロードウォリアーズのアイアンマンも初期ブラックサバス特有のヘヴィロックなので
突進してくる彼らの雰囲気ではない。スレイヤーかメタリカみたいなのほうがあってるだろ。。(´・ω・`) >>613
桜井さん、昭和50年代後半に神武天皇から太平洋戦争までの歴史小説書いてたんだよね。
広く浅くではあるだろうけどそこまで大長編を書ける人ってそういないぜ。
>>618
「祭り」に似てるかもw
しかしその「祭り」も大リーグのどこかの応援歌のパクリだったというオチ。 コサキンネタで「坂口征二=山本譲二デラックス」てのごあったなw 昭和国際プロレススレで、小林、木村、草津を
「ジェネリック猪木、力道、坂口」という書き込みに
「一応坂口より草津の方が先輩なんだから可哀想」
という声があってなぜか笑えてしまった 草津が坂口より上な所なんて先輩であることぐらいしかないしな
オールスター戦では対戦拒否して逃げたぐらいだし ほんと対戦していたらどんな試合展開になっていたんだろう
代役の羽田にはいいところも見せた坂口だったけど、草津には
いろいろ思う所もあったろうし、カタく行って締め上げジャンピング
ニーからアトミックドロップ一発、レフェリー小鉄の高速カウントで
4分程度で終わりにしたのかな >>622
オールスター戦の負傷欠場は表向きで、負けブックの拒否が真相 >>624
ヤマハブラザースには負けたのに坂口には拒否ってのもおかしいな。 >>623
出場なら負けブックのんだってことだから
試合開始から草津がドロップキック、ブレーンバスター、
自らロープに走ってのタックル、ロープに振ってカウンターのコブラツイスト
更に回転エビと嵩にかかって一方的に攻める〜ここまで5分弱
さらに得意の足四の字を狙うも一度はロープブレイク
そこでリング中央に戻って二度目を狙うも
坂口に下から蹴り上げられ大きく吹っ飛び
そこからのジャンピングニー一発であっさりピン負け
自分のやりたいことだけまとまりなく全部やって
あとはあっさり一発で寝る
リング上にアトミックドロップも逆エビもネックハンギングも無しで
明らかに不完全燃焼顔の坂口置き去りにすたすたと退場 タッグが無難だったんだろうな。
それでも坂口絡みは嫌がっただろうけど。 >>627
風貌が似てる奴に負けると、国際内で偉そうに出来辛いからだったりして 今ワープロクラシックで1981年の新日本対国際の対抗戦の藤波対寺西やってる。
テレ東の国際プロ、世界のプロレス解説だった門馬さんがリポーター席からコメントしてる。メイン実況席からではないとはいえワープロに門馬さん出てたんだね。 【竹下民夫】国際プロレスpart18【飯橋一敏】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1550362250/
878 名前:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 20:59:28.12
坂口vs草津は本当に見たかったな。草津の4の字に耐えてロープブレイクを試みて
ロープをつかむとレフリーの高橋がロープをストンピングして坂口の手がロープから
離れて草津の4の字地獄に悶絶するも最後はエプロンの草津にジャンピングニーが
ヒットしてリングアウト勝ちが順当な結果か。
草津もわがままいわずに素直に生涯唯一の武道館のリングに上がれば良かったのに。
892 名前:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 22:30:21.78
もし勝ちブックだったなら、草津の性格からすると喜び勇んで参加していただろうな。
880 名前:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 21:20:41.49
いくらなんでも草津が坂口に勝つブックはあり得ない、木村は小林に勝つんだし。
草津が坂口に勝つブックが飲めるなら、木村が坂口に勝つブックの方が
インパクトがあるから、吉原もそっちの方に魅力を感じてその対戦になっている。
881 名前:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 21:22:39.96
いっそのこと木村草津vs坂口小林でやればよかったのにね
886 名前:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 22:10:57.96
当初の東スポ案に「極道vs健吾&星野」があったが、
馬場が極道と星野は日プロ崩壊時の遺恨があると拒否し、
決まっていた浜口vs長州のシングルをバラして組ませ、極道と闘わせた。 【竹下民夫】国際プロレスpart18【飯橋一敏】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1550362250/
887 自分:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 22:15:38.66
カード編成について、櫻井康男が
「ラッシャー木村と小林の対戦は国際側から要望があった」
と言っていたから、これは木村が勝つこと前提、新日も今の
小林なら負けてもダメージはないと判断したんだろう
しかしそこで、それまで全日のオープンタッグとかには
木村に次ぐ副将格で出ていた草津を坂口に負けさせろ、
とセット売りを仕掛けてくるのが新日だよなあ
まあ草津はこの年の1月に、浜口とのIWAタッグ王座を
なんとヤマハに奪われている体たらくで、ある意味新日の
小林より格が下がった状態なんだから文句を言えた義理じゃ
ないと思うんだが、そこでゴネちゃうのが草津たるゆえんw
894 名前:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 22:57:58.63
ヤマハにタイトル取られた時は、浜口が2フォール取られて負けたからな。
草津が他団体レスラーに、自分がフォール負けするブックをイヤがったんだろう。
それでいてヤマハに挑戦する奪回戦に、草津が出て行かないのは絶対不自然。
891 自分:お前名無しだろ 2019/07/10(水) 22:28:17.40
しかし企画段階では
奄美-荒川
浜口-長州
草津-坂口
木村-小林
と国際と新日のシングルばかりが四試合も組まれたと
いうのはちょっと信じにくいなあ
新日と全日のシングルは草津の試合が実現していたら
ゼロだったということになるわけだし
この年にヤマハにタイトルを奪われた浜口が、堂々の
北米タッグ王者の長州に勝たせてもらえる組み合わせを
新日が呑むとも思えないし
草津浜口が負けるなら、木村奄美が勝って勝敗はトントン
やっぱり奄美は勝てるはずだったんじゃないか、とついつい >>583
ブッチャーは純黒人じゃないから黒人だらけのアメリカでは
黒人レスラーではなくアラブキャラで売ってた マスカラスの得意技なのにあまり語られないのがベアハッグだな
地元のメヒコでは大型ファイター枠なので小柄なルードを抱えあげて締めながら
振り回して放り投げ
日米ではスタンドや膝立ちで自分より大きな相手を締めて動きを止め意外なパワー
をアピールできる、それぞれのマスカラスのファイトスタイルにマッチした技 誤爆したごめん
>>631
ラッシャー勝つには勝ったけどリングアウト勝ちという不透明決着だったからね
結局ピンフォールで勝てたのはストロング姐さんの格の地盤沈下がさらに進んだ後の
翌年の年末だった しかも国際のリングでやらせてあげれば良いものを、ガラガラの
(ビッグマッチではあったけど)新日主催の東京体育館でやるからね
橋本vs天龍をWARの興行では一試合、新日の会場では二試合
やったようなもので、おいしいところは新日側でやるという
まあ新日としては3か月後にはテレビ中継も打ち切られ、実際に
翌年には団体として崩壊する国際を拾い上げ、今後は新日で
猪木vs木村の抗争が続くのが確実になる状況下で、国際の
ファンよりも、むしろ国際になじみのない新日のファンに対して
木村の存在をアピールしなければならなかったという事情が
あったんだろうけど
(ここで負けてもらうバーターとして、小林が半年前の6月に
国際のマットで看板であるIWA世界タッグの王者になってる
小林の日本における最後のタイトルだった) ストロングさん、翌年のUWA遠征でカネックや同時期に遠征していたロビンソン相手に
抗争して大ルードとして花咲かせ
短期遠征してきた坂口を裏切る日墨股に掛けたアングル(月プロは島流しにされた小林
の怨念と煽った)も組み、怒涛の怪力復活かと思わせたが
カネックとの抗争との決着のUWA戦で腰を痛めてしまい、帰国後はパッとしないまま腰が
さらに悪化してセミリタイア
結局復帰できないまま正式引退になった ラッシャーとともに草津も新日に来ていればなぁ。
草津と原の二人がいれば新日と国際の抗争もずっと白熱していただろうに。
ジュニア戦線では藤波・木村vs剛・原なんて見てみたい。
草津は腰痛で戦えなくなっていたストロング小林の代役で暴れてほしかったな。 草津がはぐれ国際に加入なんてしたら、国際を知らない新規のファンが
「なんで坂口が国際軍団に与しているんだ」と誤解するかもな >>638
新日創立時のノーテレビ時代に猪木は「小林」とよく間違えられたらしい。
日テレやNETよりTBSの方がネット局数が多かったからしょうがないかな? 原は崩壊後は新日にほしかったなあ。。ラグビーで鍛えた地力はかなりの力量はある。
レスリングセンスも言わずもがな。86〜7年頃はぜひとも前田や藤原あたりと
ガチで相まみえてほしかったな。。 >>639
自分のまわりにも猪木と小林、坂口と草津がゴッチャな人が多かったよ
猪木・坂口vs小林・草津戦なんか1度は見てみたかったw 草津さえいなければ、小林は国際のエースとして君臨出来ていたんだけどなぁ…
ただ、それでも木村井上よりはマシってだけで国際が史実より長く続いていたかは疑問
小林離脱の前からTBS撤退は決まっていたしなぁ 小林の晩年しか知らないのですがやはり全盛期は凄いレスラーだったんですかねぇ… 小林がシン・上田組にパイプ椅子で滅多打ちにされて負傷し長期欠場を余儀なくされた日まで、
俺は猪木>小林>坂口の序列だと思っていたよ。 >>640
藤波とのシングルいい試合だったね。あの時点でデビューして2年も経ってないんだよね。 >>648
馬場も原を評価していて東スポ・門馬氏に国プロ崩壊後の動向を確認してもらっていた。 https://www.nikkansports.com/sports/column/we-love-sports/news/201909110000188.html
後藤か内容が事実なら84、83年か。この時期日刊スポーツはプロレス扱っていた?
鳴かず飛ばずの中堅レスラーだった後藤も2回ぐらいフォール勝ち貰えるほど長州に認められたんだな。 >>642
海外では当時、馬場に次ぐくらいの実績を残してるから
売り出し方によってはもっと人気も出たんじゃないかと思うけどな。 >>651
日刊スポーツがプロレスを扱いだしたのは輪島がデビューした昭和61年(1986年)だね ゴタツは中堅層がゴッソリ抜けた新日にあって、アメリカ遠征までして期待の戦力になりかけたのに、凱旋帰国第一戦から躓いてしまったねぇ。
入場テーマ曲ももらったのに、曲がかかってものの数秒でリングに駆け上がるから、音楽もすぐとまって客は失笑していたんだよな。
ああいったアピールの下手さ加減も顔面偏差値に拍車をかけて評価を下げていた。 アメリカ遠征に2回以上行った事のある30歳過ぎの後藤が
なんでヤングライオン杯にまた出るんだよと不思議に思った事があった >>653
長州、カーン、谷津、浜口が行動共にしてて、翌日後藤が試合前の控室にお礼に行くというシチュエーションだと、維新軍団離脱前の1984年以前じゃないと不自然じゃない?
1986年以降、長州が新日本復帰した後だとカーン、谷津、浜口はいないし。 しかも新日時代に維新で谷津とカーンが一緒だと83年に限定されるよな?
デビュー間も無い後藤がトップレスラーが行くような店に彼女と行けるか?? 日刊スポーツは紙面で扱ってないのに興行の主催はしてたぞ 83年でも、維新軍がその四人で行動したのは闘魂シリーズだけだね。
ブラディの時には谷津はいないし、タッグリーグだと戸口、小林、寺西も同行するはず。 メシ代奢った翌日にリンチ?ホントなら長州は狂人だな。 >>653
そのせいもあって日刊は朝日系列にも拘わらず全日寄りだったな。 くだらん事書いてすまねえ
今日の炎鵬の取り組み見て
リバース スープレックスを本人はやりたかったのかと?
もしくはエアプレーン スピン? >>651
初めて聞いた話だけど後藤達俊みたいだね。
こんな時代があったのか後藤にも。 >>662
ローラン・ボックがやってたファイヤーマンズキャリーから相手をトップロープに載せて胸を軽く叩くムーブじゃないの。
相撲なので土俵下の座布団の上にでも相手を載せようとしたんだろう。 新日初参戦の段階でファイトスタイルは確立されてたんだな。
https://youtu.be/zkO5mpyOMPo ボックがシュツットガルトの試合で見せたパイルドライバーがえげつなかった。 ボックの日本での試合で極めつけは初戦の木村健吾戦なんだが
つべとかでは気の抜けたような徴収せんばかりが出てくるよなあ
健吾戦のえげつないバックドロップやスープレックスの動画は
とっかにないのかね?
(VHSなら持ってるんだが、つべとかに上げる方法がいまない) すぐ消されるだろうし捨てアカで上げてみるか
入ってないけど新日本プロレスワールドではボックvs木村戦、
猪木藤波vsハンセンボック戦は見られるのかね >>670
ワールドにあるのは西ドイツと後楽園の猪木戦
ハンセンと組んだ猪木藤波戦の3試合だけだね 見返してみるとパンチ時代じゃなくてソフトウェーブか、画質が悪くて? 昨日の東スポを読んでて「ん?」と思ったのだが、MSGでかおり夫人をリング上で紹介されたのは81年のムーンドックス戦前だよな。82年だともう結婚してたはずだし、プロレスだけはまともな東スポがこんな間違いしたらいかんだろ
https://i.imgur.com/29rD84W.jpg >>644 >>645
小林がシン・上田組にパイプ椅子で滅多打ちにされて負傷し長期欠場を余儀なくされた日まで俺は猪木>小林>坂口の序列だと思っていた
それは77年だろ、あり得ないw
75年9月の北米タッグ決定戦に坂口・小林で挑むも小林がブロンドスに2フォール取られ敗退、猪木・坂口が取り返す
76春のWリーグ公式戦で坂口が小林にフォール勝ち
どう見ても坂口の方が上 >>662 >くだらん事書いてすまねえ
冒頭で一瞬、「くだらん事書いてますねえ」に見えた。また新手の嵐か思った。スマンw
第一回IWGPにボックが参戦してればかなりカード的に夢の顔合わせが幾つも出来んだがなあ。
83年当時はもうリング上がるの無理だったのかな? >>677
IWGPの不参加は表面上は血行障害による体調不良だったけど・・・ WWFチャンプのバックランドが参加しなかったのも残念。
ホーガンやアンドレとどんな対戦になっただろうか。 86年の前田日明と78年のローラン・ボックが対戦したらどんな試合するかな 前田はとりあえず捕まらないように蹴りまくるだろうね。
伝説のアンドレ戦みたいな展開か。
ただボックはアンドレと違って動けるから前田優勢ではないだろうな。
取っ組み合いになったら団子になって試合にならなそうw キャプチュードみたいに蹴りを掴まれて受け身の取れないスープレックス
やられたら終りそうだけど…?
米マットに行ったらすぐに干されそうだw お互い、ガチで試合を進めたがる?ぶっ壊し屋タイプ同士の対決だと、終始膠着状態でプロレスじゃなくなり、
見てる側はつまんなくなる感じ。アポロとみのるというのでもない、磁石の同極同士みたいな。 >>683
時代的に5分40秒両者フェンスアウトとかでおわっちゃうのかな… >>681
83年のIWGP時は前田は帰国直後でキックは遅いし威力もない。
ガチ的な試合になったらレスリング、柔道経験もないためボックに組み付かれて健吾、長州状態になる。
当時の前田のスープレックスは付け焼き刃的なレベルの技。 維新軍人気で外人の需要があまりなくなってきて外人レスラーを
数年前までの規模で呼ばなくなった83年〜84年が一番寂しかった
いろいろ理由があったにせよもっとブッチャー呼んでほしかったし
ビッグ・ジョン・スタッドもオンドーフもスケジュール調整してセミレギュラー
ぐらいで来日してほしかった
アンドレ、ホーガン、アドニス、マードック、スーパースター、アレンのたらい回し
で他がブルース・ハートとかブライアン・ブレアーとかリック・オリバーとかアイアン
マイク・シャープとか地味なのばっかりで…
ほんのたまにバックランドやバレンタインやシュルツ、超久しぶりにローデスとか
猪木の体調が悪かったのもあると思うけど82年までは外人も豊富になってきていて
すごく面白かったので正規軍と維新軍抗争は恨めしいわ 昭和60年だったかな、週刊プロレスにIWGPタッグ王者、藤波&木村健吾の
夫人同伴のグラビアが載ってたんだけど、
藤波夫人はスゲー美人だったのに、健吾のカミさんはガマガエルみたいなブバサンだった。
若手が気の毒だったよ。
いくら新日一筋で頑張っても、負け役だと こんなブバサンとしか結婚出来ない未来があるなんて、と思って。
相撲部屋では若手が親方夫人の性欲処理の相手をするのが常識だけど(親方が糖尿病で勃たないから)、
当時の新日本の若手も、カミさんがガマガエルだからSEXしたくない健吾に代わって
健吾のカミさんの性欲処理の相手をさせられてたんだろうか?
うげぇぇぇぇぇぇぇぇ!!! そーいや昭和54〜5年頃の月プロ誌で家族訪問みたいなコーナーがあった。
荒川や小鉄の嫁とか美人だったような。若いころの写真だったかな。
でも坂口夫人が一番美人だな。 利子さんは元モデルかタレントのはず。
婚約した時、ゴングで坂口がお姫様抱っこしてたグラビア載ってたから
素人じゃないと思う。 >>687
健吾妻は昔は倍賞美津子に瓜二つだったらしい。 レスラー時代の健吾をイジるのは問題ないけど、健吾妻の悪口は不愉快だな。
健吾本人がこれ読んだらどんな気持ちになると思う?
>>687は二度と来るな、つーかタヒねよ。
あと、俺は健吾妻そこまでひどいと思わん。
>>687には二次元の妻しかいないだろうから生身の人間については語れないんだろうな。 田中リングアナウンサーの若手インタビューで女性の好みを聞いた時
武藤「社長(猪木)の奥さんいいっすねぇ。藤波さんの奥さんもいいっす」
田中「健吾兄さんの奥さんは?」
武藤「も、いいっす。」
田中「何だ、誰でもいいんじゃねーか。」 前田と長与がつきあう、みたいな話は結局ガセだったのかな。 いや、小鉄も言ってたけど
健吾は練習しないから健吾がすべて悪い。
坂口は練習しないで麻雀ゴルフ三昧でもいいんだよ。
ゴリラみたいな体格・体質で元々強いしテレビ放映を持って来た功労者だし。
でも健吾は坂口に金魚のフンみたいにくっついて来ただけ。
全日に行ってたら永遠に馬場夫妻のパシリだけで終わってたよ。 きむらけんごがれんしゅうしてればなあ。
ふじなみみたいなからだなら。 健悟は練習嫌いではなく、人知れず修業をしていたんだよ。
その修業が由来となって名付けらたのが
かの有名な「けんごの滝」 健悟は引退するまで常にコンディション良さそうに見えたけどなぁ… あれだけボコボコにされてもメインイベンターの一角を守ったんだから健吾はそれ相当の練習をしてるよ。
アンドレに負けた時だって本気で潰されても次の日には試合してたんだし。
長州や浜口なんてアンドレとの対戦を回避してもらわないと生きていけなかっただろ? 健吾は生まれつき藤波なんかよりいい体格してたやんな。
身長、肩幅が健吾の方が恵まれていたから、若干ではあるけれど。
身体能力的にも健吾が上やったね。 健吾FB。藤波が「いい体してたね」とコメントしてる。
練習しないでこんな体は作れない。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2263784860404959&set=a.240212769428855&type=3&theater 【竹下民夫】国際プロレスpart18【飯橋一敏】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1550362250/
975 お前名無しだろ 2019/07/14(日) 20:29:31.57
木村健吾は金銭的には後半かなり恵まれたレスラー人生というか
フロント入りできた勝ち組じゃない?
ひとえに坂口にずっと付いていた結果だと思うけど。
猪木には時折切れる健吾だが坂口には常に従順な感じ。
976 お前名無しだろ 2019/07/14(日) 21:25:32.38
健吾は新日退社時に「今3000万貰ってる」と言ってた。
スゲエと思った。 健吾は長州のサソリのようにトライアングルを多発すればよかった気がするが
複雑すぎて無理かww
藤原には何故か嫌われてた。 ・プロレス業界では木村健悟のほうが先輩
・年齢は藤原喜明のほうが上
・藤原は最初から新日に入門、木村は日プロから移籍 藤原「木村健吾はカッコばかりつけてた」
健吾兄さんは新日のOBにさん付けで呼んでもらえない率が凄く高い
舐められてるのかな 猪木とマサ斉藤は山崎一夫のプロレスの上手さを高く評価していてベタ褒めしてた。
だから猪木は山崎に自分から3カウントを取らせた。
山崎は試合での巧さだけでなく、Uインターから新日へ移籍して来たときの
団体エース(三銃士)に対しての煽りトークも旨かった。
でも健吾は新日歴だけ無駄に長いだけで、山崎のようなセンスや資質は何もなかった。
だから猪木もマサ斉藤も健吾の事は全く評価してなかった。
新日が坂口体制になったんで、坂口に従順で社歴だけは長い健吾は役員になれただけ。 ちなみに>>715は1989年1月6日の試合だからギリ昭和っていう >>714
マードックとアレンは大丈夫だったのかな…
ブッチャーはダメだったみたいだけど >>715
オカマコンビが入場の通路でやたら緊張していて、
体に触るファンを男らしく振り払っているのが笑える
藤原組長辺りにノーTVの前座試合でひどい目に
あわされたりしていたのかなあ 荒川真は新日本では異質な存在だったけど、どんな評価だったのかな?
スタイルはショーマンでも、スパーでゴッチを唸らせたとか‥ >>715
こんなレスラー来日していたのか。
入場テーマが衝撃的すぎるわw
マードックやベイダーとの対戦が見たかったよw >>720 デルフィンのアームブリーカーネタ、元々はオカマコンビが使っていたんだ。 >>715
グレコ・セルヒヨ組といえばG高野のラウンディングボディプレス世界初公開の試合はあがらないのか? >>724
情報としてはオオッて思うけど、そんな当然のように言うならまず動画あげてよ >>725
何年か前にニコニコ動画に上がってたのを見たな。 坂口とベッタリで生き残って大事にされた木村健悟
サンマルチノとベッタリだったドン・デヌーチ
ホーガンとベッタリだったブルータス・ビーフケーキ
にも似たものがある キムケン、ジュニアベルトをかけた藤波との試合は良かったな。藤波のおかげなんだけどね 健悟は人手不足だと上に駆り出されてたイメージだな… >>712
カッコつけるのがプロレスだろ。
>>713
バカ理論すぎて失笑だわw
センスない奴がメキシコでNWA世界ライトヘビー級チャンピオンになれるか?
坂口とベッタリなのに最後のシングル挑戦が82年の藤波のWWFインターか。 トライアングルスコーピオンって
とてつもなく痛そう。 >>731
あれ掛けるのモタモタするから、なかなか掛からないんだよw >>732
加減ができないからプロレス技としてはダメな技だね。 キムケンはもともと立場としては星野永源栗栖木戸よりもずっと下なのに彼らを抜いてメインイベンターにのしあがったのだから、
ここではネタレスラー扱いだけど、やっぱりそれはそれですごい選手だったんだよ。 上記のレスラーよりビジュアルも良いしね〜
藤波のパートナーとして一番しっくり来てたな… 日プロ末期の若手には長身長のメンバーが数多くいた
カーン、戸口、桜田、健吾、クツワダ… 長州みたいに長髪にしたら人気出たかな
あんま似合わないかな? 新日史上一番の人格者って魁勝司(北沢幹之)じゃないかね。
他のレスラーの悪口ばかり言ってるキラー・カーンが
「小鉄さんと北沢さんは立派な人で、数少ない尊敬出来る先輩だった。」と言ってるくらいだから。
ただ、新間氏は小鉄をボロクソに言ってた。
「小鉄は巡業に出るといつも競馬新聞ばかり読んでいるし、人の噂話ばかりしてた。」とかね。
一方で魁勝司を悪く言ってる人は誰もいない。
リングスでレフリーを引退した時に完全引退かと思ったら、その後も色んな団体に呼ばれてるし
今もドラディショナルにレフリーに呼ばれるのは北沢氏の人徳だろうね。 >>734
結構運もあるんじゃないかなぁ。
例のインタビューでのイナヅマ!も
ジャパン勢の離脱があってこそだし、
鶴田とドームであたったのも土壇場で
全日の参戦が決まってたまたま健吾の
試合相手が未定だったからだし。。。 >>734
栗栖だけ違うw
年は上だが新日デビューだから後輩。 ジャパン勢にくっついていったら健吾の飛躍はなかっただろうね。
つまり健吾は最善の選択をしたってこと。
会社のピンチを自分のチャンスにできるのも実力だよ。
ただ単に運だけというなら、大量離脱でチャンスが巡ってきたのにモノに出来なかったゴタツ、
山田と同じ条件なのに大差がついてしまった佐野と畑、みたいなケースはどうなんのよ。 >>738
小鉄については元テレ朝の栗山は「お金の話で良い話は聞かない」とか書いていたな
ミスター・ポーゴの自伝でも小鉄はボロクソ
北澤については確かに悪口は聞かない
実力があったと言われる割に万年前座レスラーで嫉妬されるような地位にいなかったのも理由だろうけど >>732
プロレスごっこでうまくかからず相手の足でキン◯マよじれて、かけた俺が激痛で悶絶したw 健悟については
確かに練習はあまりしなかったがそれでもナチュラルに強かった
タイプとしてはジョナサンやゴーディエンコと同系統
という設定に勝手にしといてはどうだろうか?w 後藤と言えば、'83年は猪木にも試合が終わってから「ダラけた試合しやがって!」
と殴られてますな。本人も語ってた。鬼畜の表情の猪木が週ファイか何かに載ってた。 >>741
健吾がジャパンに行ってたら稲妻、雪崩式、パイルドライバー、バックドロップ、丸め込みと技があり、
カーンに次ぐ長身で受けも上手いから長州&健吾、カーン&健吾でインタータッグだろ。
>>744
練習しないなら藤原だって新弟子相手のイージーなスパーだけで筋トレもやらない。
荒川「ナマクラ長州はスクワットやって多摩川走りに行くと言って生田の専修大に行って
足マッサージさせてタクシーで帰っててくる」
三銃士、SWSでの全日組は道場に来ないなどナマクラはたくさんいた。 >>745
後藤は猪木と水谷が作った寛水流空手からの新日入団じゃなかった? 後藤は何もかもダメだった。全部。
ストロングマシン3号としてやってても、マシン軍団の足を引っ張っていただろう。 魁勝司は新日のレジェンドだが、健吾とゴタツは論外だからね。
90年に全日の大量離脱があった時に全日にタダであげるべきだった。
テレ朝との契約問題があってそれが出来なかったのが残念すぎる。 キムケンに関してはタイガーブーム以前から見てた人間と見てなかった人間で
印象が変わるな
80年の後半は藤波との抗争で実際の格・序列はともかく印象としてはパンチ時代の
かませ長州はおろか坂口すら上回る存在感を示していたが
翌年春、まさにタイガーでデビューしたその日に行われた藤波とのIWGP予選で抗争
に決着がついたと同時にプッシュが終了した
剛ほど出なくても、藤波ありきの存在感だったんだな 新日の放送が始まった73年頃は、まだ若手の木戸がよくテレビマッチに出てた
気がする。期待のレスラーでこれからプッシュされるんだろうと思っていた。
あと柴田の親父も猪木とコンビ組んでたような記憶がある。
健吾はなかなかテレビに出させてもらえなかったなー >>751
キムケンを巻頭にするためにはどんな切り口の特集にすれば良いのか そう言えば初めて生で見た新日の興行、第一試合が高野対斉藤(ヒロ)、
第二試合が藤原対前田だったのは鮮烈に焼い付いてるんだが、
キムケンの試合は全然思い出せない >>754
藤波vs健吾「ウサギとカメ一生戦争」
現役withラー油売りvs議員 お宝映像1978/4/27、海外遠征直前スポーツ刈りの健吾が猪木とタッグ結成。
健吾が負け役にならず、レフェリーを場外に投げ捨ててる。
https://www.youtube.com/watch?v=VTeDvfVcStk >>745
仙台の時かな。
試合中に藤原が竹刀を持ってリングにあがり後藤の背中を叩いていた。 結局ね、新日は83〜84年に掛けてこんだけ大量離脱してる。
佐山タイガーマスク、前田、ラッシャー木村、テロリストでブレイクした藤原、
青春エスペランサで売り出し中だった高田、
長州・浜口・谷津・キラーカーン他のジャパン軍・・・
だからキムケンなんぞがTVマッチの準レギュラーになっただけなのよ。
91年の春に坂口がジョージ高野のパライストラと話を着けて
キムケンと後藤達俊は新日との契約更新なしでSWSに引き取って貰うべきだった。
または馬場に頼んで全日に行って鶴田軍に入れて貰って、三沢や川田の噛ませ犬として
使って貰うべきだった。 木村健悟は絶望的な空気の読めなさと打たれ弱さの印象がなぁ。 いつか健吾がやってくれる日が来ると期待している一方で長州藤波なら楽勝の相手に簡単に負けていたので「やっぱ無理かな」とも思ったりもしていた
今にして思えば長州藤波と肩を並べるとこまで上り詰めた健吾なんて想像しても違和感だらけだからこれで妥当だったのかもな
90年代に入ってからの平成維震軍の副将みたいなポジションこそが健吾がお似合いなんだろうな、ていうかあのポジは昭和はあの立ち位置だった健吾にしか務まらない 新日の中で健吾の位置は、テロリスト以降の藤原やUWF帰りの木戸と比べて
どうなの? >>762
不動の「時代を引き寄せようと気を張るが実力が伴わずやっぱダメでした」ポジだな
それでもそういうところが古き良き時代の記憶として印象に残ったわけだから
悪くはないよ 藤波との前哨戦で見せた鉄棒(スパナ?)入りの稲妻は自分の脛の方がダメージ
ありそうだ >>765
あの反乱は何だったんだろうな…数ヶ月後には普通に藤波のパートナーを献身的に勤めてたし… >>766
健吾は藤波を何かにつけて意識してたな
美声の持ち主でレコードも出してるから『マッチョ・ドラゴン』を聴いて
「あんなの雑音で、歌じゃない」とまで貶してたw 嫉妬だろうなあ
マッチョドラゴンは今でも大人気だからな 昔、安生が「プロレス界の抱かれたくない男ワースト1」に選ばれてたけど、
健吾は《そういうの》さえ名前が全く上がらないウンコみたいなレスラーだよね。後藤達俊も。
後藤はいつ亡くなったの? 84年春の新日正規軍vs維新軍の5対5勝ち抜き戦で健吾を嫌になった新日ファンは多いだろうね。
やたらアピールばっかり多くてダラダラした試合しててさ。
いくら対高田戦直後とはいえ、稲妻うんこラリアートで負けさせられた谷津が気の毒だった。
健吾なんて前田が辞めて坂口が辞退して《繰り上がり》で出させて貰ったくせに
そんなダメダメ健吾に負けさせたんじゃオリンピック・レスリング最重量級代表の
谷津のせっかくの価値が下がるだけなのにね。
あの頃なら谷津vs前田は絶対に見たかったけど、健吾の試合なんか見たい新日ファンなんて
一人でもいたんだろうか? >>749
魁勝司は新日のレジェンドだが、健吾は論外?w
>>759
健吾は79,80年からテレビに出まくってるよ。
今でも駅前で辻立ちしていて握手求められてる。谷津、カーンじゃ無理だな。
>>760
ボコボコにされた後、メシ食って、呑みに行ってカラオケやり、翌日にはまた元気にやられる。
フレアーみたいなタイプだ。 >>772
> 今でも駅前で辻立ちしていて握手求められてる。谷津、カーンじゃ無理だな。
世間的には大した差はないだろうが、レスラーとしての格では
谷津、カーンの方が上だろ。 昔、バラエティ番組でキム健が松本ちえこ(当時のグラドル?)とピンクレディの
ウォンテッドを衣装もまねて唄ってたな・・。 負け役とはいえゴールデンタイムに多く登場したのは健吾兄さんのほうだよな。 ケンゴは自分の役回りをきちんと演じたから偉い。
雑魚のクセに威張り散らした長州にケンゴの爪のアカでも食わせたいよ。 金曜8時。8時半過ぎのCM開け。
「猪木藤波組対外人組」「よし今日は猪木の勝ちだ」
「猪木木村組対外人組」「あーあ負けだ」
これぞプロですよ! 健吾のプロレスを金払って観たいと思ってたファンは一人もいなかったよ キムケン。メインが猪木藤波組と二番手以下の外人組でセミファイナルが坂口木村組対目玉外人なんて時にも良い仕事をしてました。 >>777
若手中堅相手に破竹の勢いで連勝していたマシーンズに健吾まで若手中堅同様に負けないでくれと願っていたのに
若松介入の混戦で孤立してとはいえ一度だけ合体技の餌食で負けたことがあったよな(パートナーは坂口) ヒットマンブレットハートを降し、NWAインタージュニアを一時戴冠したものの
防衛戦(ロンスター、ピートロバーツら)も大して報道されることなく、3か月でチャボの前に陥落。
リターンマッチも無く、そのままチャボ引き抜きで全日流失と言う不可解な顛末へ。 みんな「ジュニア」6人タッグには触れてさし上げないな でも健吾は前田でも倒せなかったアンドレに反則ながら勝利したんだから凄いよ 昭和の反則決着は単なる不透明決着だからな
「反則でも勝ちは勝ち」となったのは90年代に入ってからだな
不透明決着が激減してキチンと決着をつけるのが基本になった影響なんだろうけど そう言えばアンドレとナガサキ、ポーゴって一度も同じシリーズにならなかった気がするな… ブロディはアンドレに反則負けはあるけど反則勝ちはないだろ。
勝ち負けはやっぱり重要だわ。 キムケンはレスラーとしては引退後の成功者だな。区議会議員だもんな。
たいていレスラーは早死にするか破産するかだから。 谷津VS前田
ケンゴVS前田
シングル実現したことある? けんご対前田は84新春の最終戦
両者フェンスアウト てことは、「新日本プロレスの前田」最後の相手がけんごだったということか。
もしU構想がなかったら前田と藤波のポジションが入れ変わっていたかな。
猪木はいい加減藤波対長州に嫌気さしてたからねぇ。 前田の国内最終戦は大阪府立での猪木・前田・藤原×長州・浜口・谷津
新日本所属最終戦はマニラでの猪木・前田×長州・浜口 試合後のリングで、猪木がタッグパートナーだった前田に張り手を食らわして客前で恥をかかせたのが、
前田が新日脱退してUに行ったきっかけとなった
↑
こういう記事を小さい頃に読んだ記憶があるけど、794の試合後、そんなことがあったの? >>794
それは札幌のメインの時
藤原テロ事件の後でいろいろ不穏な空気だった たしか藤波が猪木とのタッグ拒否してた時期で、前田が毎週猪木のパートナーだった。
それだけに急にいなくなったもんだから不思議だったよ。 猪木って、藤波や長州に比べると、前田には愛情があったように思えるんだよね。
弟分の高田、彼らの兄貴分の藤原にも。猪木が本当に信頼してたのはUに行った
弟子達で、猪木個人が本当にやりたかったプロレスはUのスタイルに近いものだった
と思う。
前田の出世試合のニールセンとの試合もレオンスピンクスなんて、難しい相手を
選んだ時点で、敢えて前田の引き立て役をした感じがする。
けど、前田にはその気持ちが伝わらずに、猪木には反抗的だったから、テレビ界
のコンテンツとしては、とっくに猪木を凌駕してたのに頭を下げて戻ってきた長州
を重宝するようになったんだと思う。 >藤波が猪木とのタッグ拒否
これって、藤波に第二維新軍を作らせて、日本人抗争を多角化させる流れだった? >>799
大阪府立の>>794の試合後に正規軍に戻るからそうでもないだろう
大量離脱がなければ
猪木木村組、藤波前田組、長州谷津組というながれになってたかも 猪木と坂口は、馬場に頭を下げて健吾とゴタツを引き取って貰うべきだった。
「馬場さん、1000万払いますから健吾とゴタツを引き取って下さい。
足りませんか? じゃあ2000万払いますから、そちら(全日本)で引き取って下さい。
ストロングマシン2号とブラックキャットも付けますからセットで引き取って下さい。」 >>788
でもケンゴは長州に思っていたより何度も反則勝ちをしてるし
反則決着が日常茶飯事だった当時、反則負けならチームのどちらでも良かったから基本負け役は格下の方って法則は無かったんだよね
もっと昔なら3本勝負もあったからな >>789
選挙は出来レースとコネ。狡いやつだよ。 全日で天龍らの大量離脱があったときには三沢が立ち上げって
逆に以前より人気が上がったが、ジャパン勢の大量離脱時に
健吾に当時の三沢のような働きを期待することは無理だったのか?
>>790
前田VS谷津は84年新春黄金の2つ目の後楽園で実現
(テレビマッチだったが放送はされず)。 >>795
あれは猪木の
「グダグダ言ってねえで、俺の命令通り新間の団体に出向しろ!」
というカツ入れだろう >>803
今年、健吾の長男が、健吾妻が6期24年やった地盤のある目黒区議選に世襲で出て
最下位当選が1520票なのに454票と惨敗だったのはコネか?
健吾長男は以前大田区から都議選、区議選に出ても惨敗だった。
健吾嫁も目黒区議24年もやって副議長までやったのに4年前に惨敗落選した。
出来レースとコネだなw Eddy Grant ♪Boys In The Street (『マッチョ・ドラゴン』の元歌)
なんで藤波はロック調じゃなくて、レゲエ調にしたのか? あれをバックに入場する勇気は大したものだが、85年9月の猪木戦は『ドラゴンスープレックス』で入場して欲しかった
(歌詞入りでの入場はないよな) >>808
健吾一家って、まさに地方議員という地位への寄生虫だね。
夫(健吾)が国民的ヒーロー・アントニオ猪木の部下としてゴールデンタイムのTVマッチに
バンバン登場する。
※ 登場の理由は、選手の大量離脱で“繰り上げ補欠当選”の゛さらに繰り上げ補欠当然”の
“さらにさらに繰り上げ補欠ムリヤリ当選”で、“本来は、その立場ではない、ずっと下にいるはずの者”が
猪木の忠実な部下という形で出る機会を得ていたから。
で、健吾の妻は「そんな夫を献身的に支える、当時の女性有権者にウケまくる“妻として、母として”ってのを
都議選未満の丁度手頃な地方選挙で使いまくって当選、「有名人の妻特権知名度」で何期も遣い続けて居座る。
んで、今度は「その、支えられた夫」の立場から逆七光りで、同じく手頃な区議会当選をする。
でも息子は、その「支え合う夫婦」の当事者ではないから主婦層の支持を得られず落ちた。
健吾一家ずぅるぅ〜い! 汚な〜い!
健吾はバカ息子をちゃんと就職させろ! 個人的に健吾のベストバウト
85年12月12日IWGPタッグリーグ決勝戦
猪木・坂口vs藤波・木村
その前の両国大会もよかった。 >>781
> ヒットマンブレットハートを降し、NWAインタージュニアを一時戴冠したものの
当時はNWA世界ジュニアヘビー級インターナショナル王座という名称で
NWA世界ジュニアがレロイ・マクガークの独占状態だったので
それよりも権威が高いという位置づけで作られたものだから
健吾は凄い期待されてたんだな。
レス・ソントンの個人所有になってたNWA世界ジュニアを取った初代タイガーより
凄いことだったかもしれない。 蝶野「木村さんはタイミングがおかしいのでよく怪我させられた。平成維新軍でちゃんとプロレスできたのはカブキさんだけ」 NWAが認定した世界タイトルはヘビー級、ジュニアヘビー級、ライトヘビー級の3タイトルのみ。
馬場、藤波、蝶野、ムタのヘビー級奪取は日本の団体が金を払って短期間借りたもの。
Jr.もヒロ・マツダ以外は日本の団体が金を払って得たもの。
健吾のライトヘビー級獲得は日本の団体が関わらずに実力で得たものでもっと評価が高くていいはず。 鶴見五郎も戴冠したっけ? NWA世界ライト。佐山はミドル級か。
70年代Hレイス型?NWAベルト姿はりりしいな。。まあもともとメキシコ製だし。
でも皮肉と言うか、最もNWAとつながりのあった全日は馬場こそヘビー戴冠の栄誉を授かったが
ジュニア以下はインターはともかく、その正式王座には縁が無かった。。 >>820
NWAはヘビー級以外はどうでもいいんだよ。
だからジュニアはマクガークの独占状態になったし
マクガーク死後はソントンの個人所有になった。
世界タッグなんか各地にあった。
ライトヘビー級もメキシコで勝手にやっていいよ状態だったんだろ。
ジュニアも初代タイガーの王座と大仁田の王座どっちが本当の世界王座だ?
ってなったときも日本で好きなようにやってくれが本音だっただろう。 >>820
鶴見「試合前に計量しないで、試合後に控室で『ウェイトオーバーだよ』ってそれは無いんじゃないの(笑)」
ライトヘビーは97キロがリミットだって鶴見も知っていたから、本人も確信犯的な所があって
鶴見「どーせ剥奪されるんだから写真だけでも撮ってもらって幻の王者になりましたよ」
本場メキシコでドクトル・ワグナーに反則無しで勝ったんだから大したもんだな >>816
ケンゴの悪口書くつもりはないけれど
テリトリーを離れる時は、タイトル落としてきたの?
長州や鶴田がベルト離したのと一緒ではないの? >>812
それも、途中からのではなくて、最初からので。最初のメロディーがかっこいいんだよな。途中から楽しげなメロディーに変わっちゃうw NWA世界ジュニアはややこしい
当時ネルソンロイヤルの王座は無効だと、会員の全日本と新日本がクレーム
入れてたねえ
スティーブカーンとロンスターの二人の王者が誕生して
結局、世界とインターどっちが正当な認定王者なのか…?
藤波がSカーンと世界ジュニア戦やってた記憶はあるんだけど‥ 日本の団体のサポートなく海外で獲得したメジャータイトルは価値がある。
昔はテリトリー制だからミズーリヘビー、南部ヘビーなどの地区タイトル獲得も価値がある。
マツダのNWA世界Jr.ヘビー、南部ヘビー、マサ斎藤のAWA世界タッグ、WWFタッグ、アメリカスタッグ、
健吾のNWA世界ライトヘビー級、アメリカスタッグ、戸口のUWA世界ヘビー、グラン浜田のUWA4階級制覇・・・
ムタのNWA世界TVタイトルは世界、USの下の3番手だが、メジャーなので価値はある。 グレート小鹿もテネシー地区NWA世界タッグ、ロスのアメリカスヘビー、
カンフーリー時代はテキサス版NWAウエスタン取ってる。 >>819
お前は猿だ。
>健吾のライトヘビー級獲得は日本の団体が関わらずに実力で得たもので
健吾に実力なんかない。
蝶野「木村さんはタイミングがおかしいのでよく怪我させられた。」
これがすべてだ。
メキシコで健吾がタイトルを取れたのは、健吾のゴマスリの賜物と
健吾が新日本から来てたからだ。
今、Youtubeに上がってる船木の動画で、船木が19才の若手時代にイギリスに遠征してたら
外人レスラー達が次から次へと「新日本に呼んでくれ、呼んでくれ、推薦してくれ!」という
アプローチがバンバン来たと言ってる。
19才の小僧だろうが、「新日本から来てる」って事で、「特別な存在」なんだよ!
健吾で客なんか呼べるかっ(怒)(怒)(怒)(怒) 建吾って向こうの人なの?
wiki見ると「パク・チュー」なんて名乗ってたこともあるようだけど
言われてみればそんな顔つきだし、骨格も日本人離れしてる気はするが 朱聖裔⇒木村聖裔⇒木村たかし⇒パク・チュー⇒木村健吾⇒木村健悟
(パク・チューの位置が?) >>833
健吾「パク・チューって変な名前。パクもチューも苗字だから、日本名だとタナカ・イトーみたいなリングネーム」 >>830
おまえなあ、わからねえのかよ、だぼっ。
きむらけんご、ちょうしゅう、こばやし、ほしの、かねもと
みんなそうだろうがよ、このくずっ。 ドクトル・ルチャの話だとパク・チューとマサノブ・クリスは素晴らしいヒールだったらしいが あれは84年ごろだったかな?
健吾が藤波とのコンビでタッグ王者になった頃かな?
所詮はUWF組やジャパン軍の大量離脱でダメダメ健吾に
藤波のパートナーの席が“繰り上げの更に繰り上げ”で廻って来ただけなのに
藤波とお揃いの紫とシルバーのシブがき隊みたいなジャンパーを会社に作ってもらって
藤波の胸にF、健吾の胸にKなんて入っててさ、健吾は自分が藤波と同格くらいに
思っちゃったんじゃないの?
フッくんがモッくんと同格になれる訳ないのにね。。。 めきしこじたいのきむらけんごはだいひーる。
あのしんをうわまわるだいひーるだったらしい。
なんかのきじにそうかいてあった。
それはさすがにおおげさだろうが。 健吾なんて、アイドルで言えばフッくん(布川)やヨッちゃん(野村義男)と同じで
べつにいなくてもいい存在だったよね。 他局(TBS)でやってた人気ドラマ「毎度お騒がせします」でも
小鉄と藤波と武藤がレギュラーで、健吾なんて出て来なかったよね。 キムケンの付き人になった奴は
後にキムケンより出世するという 86年タッグリーグの木村健吾、ジョージ高野組が好きだった…前田、木戸組から金星上げてたな… 健吾なんて全日本に言ってたら海外に島流しにされて
そのまま呼び戻されなかったろうね。。。 1975年前後、1回しか来日しなかった大物レスラーが多かった。
ジョニー・バレンタイン、ザ・シーク、アーニー・ラッド、BキャットライトそしてBロビンソン
猪木ときちんと決着つけて欲しかった。 >>836
栗栖
「カーンとはいつも喧嘩ばかりしてたよ。ジャパンの時も
カーンとバスの中で喧嘩して、あいつの頭をスリッパで
叩いてたら、浜口さんに止められたな。ジャパン時代は
よくカーンとタッグを組んだよね。若い奴らもみんないい
性格をしていたよ。俺は後輩をイジメたりしないからさ」
―本当ですか?
「本当って何よ!俺が高校の時に校長をぶん殴って退学
させられた原因は同じ柔道部のキャプテンとかがいわれの
ないことで俺をネチネチいじめたからですよ。そういう嫌な
ことも経験したから、プロレスに入ってから下の人間を
イジメないようにしてきたつもりだよ(笑)」
保永
「栗栖さんはアクの強い人の典型ですよね(笑)。メキシコに
行った時も『おまえ、栗栖を知ってるか?頭が狂ってるからな』
とみんな言ってましたから(笑)。
栗栖さんと試合をして 『やっぱりメキシコ人の言うように
この人頭狂ってるな』 と思ったのは、イスで殴られた時
スチールむき出しの方でフルスイングで殴られたんですね。
翌日後楽園ホールで確かこの辺のイスだったよなと見に
行ったら、そこのイスのスチールの部分がポッコリ俺の
頭の形にへこんでましたよ(笑)。」 栗栖って雑魚の前座レスラーの印象しかないけど、メキシカン相手だとやたら燃えるんだよな。
ベラとシングルで対戦した時は場外乱闘でイス振り回し、場内マイクを壊したり。 なんか猪木って恩知らずだよね。
恩のあるジョニー・バレンタインとか、アメリカで世話になったモンゴリアン・ストンパーとかさ、
NET放映が付いて軌道に乗った段階でバンバン呼んでさ、NWF世界ヘビー級戦とか
ランバージャック・デスマッチとかチェーン・デスマッチとか
何度もやるべきだったんじゃないの? >>845
ハンス・シュミットも、50歳だったけど
ちょっと格が落ちるけどラリー・ヘニングとか 坂口にしてもね、アメリカ遠征中はキラー・トーア・カマタに随分と世話になったそうだ。
だったら国際がカマタを呼ぶより先に、経営が軌道に乗った新日に呼ぶべきだろうに。
カマタは人が良すぎて全日ではブッチャーと並ぶヒールになれなかったと言われてるけど、
器用さではブッチャーよりも上だったし、人がいいからこそ、坂口が頼めば何でもやってくれたと思うね。
ありとあらゆる凶器攻撃・反則攻撃をとことんやらせて、シンと並ぶ極悪ヒールにするべきだったね。 初期の新日っていうとシンとゴッチ以外では
パワーズ、クラップ、リベラ、パターソン、バーナード
ハリウッド・ブロンドス、ゴリアス&ゴールドマン、ショッツ&ヘス
ってイメージ。
あらためて調べたら大した来日回数じゃなかった。 東プロ、日プロ時代の因縁があるバレンタインとは是非やって欲しかったけど、合流した坂口に花を持たせただけでもったいない使い方だった。
その後飛行機事故で引退するからね。
既にロートルの悪役バーナードとは1度シングルでやったけど、シンを売り出している最中だったしそれっきりになった。
ハンス・シュミット、ラリー・ヘニングは大ベテランの域だから
見れただけでもいいかな?
幻のレスラーと言われたベア・キャットライトは全日本をキャンセルしての
初来日で、猪木とは反則決着で終わってそれっきりだった。
まあ初期の新日本は外国人レスラー招聘で苦労してたから、ビッグネームの
レジェンド達は大事に使って欲しかったね。 >>854
かまたにじっていがいたんよ。
なまえはわすれた。
むかしのめいかんにでていた。
きょうだいでうりだせばよかったのに。
ざ・かまたず。 坂口が海外修業中にカマタに世話をしてもらって以来
カマタが全日に来日すると馬場に頼んで会っていたみたいで
家族ぐるみの付き合いだったと、何かで読んだな。
カマタの弟はダメレスラーで72年新日本に1度来日してる。
ミック博士の名鑑に出てるよ。 若手〜米国遠征時代の猪木の旧知というとパターソン、リベラ、ストンパー、
リップホーク&スエードハンセンのコンビらがいる。
パターソンやリベラは70年代新日の貴重な外人戦力だったな。 コーア・ティキ Koa Tiki
■ニックネーム:狂える土人
■本名:?
■身長・体重:185センチ、112キロ
■生年月日:1940年
■出身地:米・ハワイ州・ホノルル出身
■得意技:ヘッドバット
■主要タイトル:特になし
■来日回数:1回
■参加シリーズ:47 7(新) ニュー・サマー・S
ハワイ出身のレスラーでジョージアやノースカロライナで活躍。
ジン・アンダーソンの腕をへし折ったとか、ザ・マミーを12秒でKOしたという触れ込みで、昭和47年新日本プロレスの「ニュー・サマー・シリーズ」にエースとして来日したが、
まったくの期待外れで、ブラック・ハリケーンズ(エニー・ラスター&ボビー・キャッシュに食われてしまった。
しかしジョージアやテネシー地区ではトップ・クラスに名を連ねる活躍をしていた事は確かなようである。
その後の調査でなんとキラー・トーア・カマタの実弟であることが判明。
「世界最強タッグ決定リーグ戦」にグレート・カマタとして来日することが決まりかかったが中止となっている。
2014年5月12日、老衰のため逝去。 >>857
スエード・ハンセンで思い出したわ。
昭和57年だったか、新聞のテレビ欄のワールド・プロレスリングの欄に
「猪木&藤波 vs A・T・ジャイアント&S・ハンセン」って出てたから
スタン・ハンセンが新日に急遽復帰して出るのかと思ったら
スエード・ハンセンって・・・・ふざけるなっ! しかし坂口もカマタとそんなに仲がいいなら、なんで呼ばなかったのかね?
ブッチャー&テリーよりも先に、カマタが坂口をフォークでメッタ刺しにしてたら
カマタも坂口も人気大爆発になったのにね。
猪木&坂口vsハリウッド・ブロンドスでは、ブロンドスの火炎攻撃かなんかで
坂口の目が潰れて猪木怒りの大逆襲、ってのがあったけど、
その頃に猪木&坂口vsカマタ&シーク組やって
カマタの狂気のフォーク攻撃でもあればねぇ。。。 >>861
猪木藤波対アンドレハンセンは宮城県石巻(11月23日だったか)のカードでノーテレ。
開幕戦の藤波前田の間違いだろう。 >>863
第2回IWGP大会に坂口が参戦してたら何位くらいだったんだろう…藤波、長州、マサ齊藤より順位低くなってたのかな
坂口対長州、坂口対マサ齊藤、坂口対パテラ、坂口対クインとかマニアックだけど興味深い ま〜第三回の結果をそのまま当てはめると、
藤波、マードック>坂口>アドニス、スーパースター
だからマサと同じかその下、アドニスの上ってところだろうね。
このころは維新軍を必要以上にアゲていたからマサのほうが上かな。 ゴッチって新日本でシリーズのフル参戦は
無いんだよな。
全日本の82年最強タッグに呼ぶ案が
あったというのは本当だろうか? 俺はガキの頃、テレビ欄に「猪木、木村組」と出てて「何で猪木とラッシャー木村が組むんや?」
と思ってしまった。一応、同性なのだから「木村(健)」と表示してほしかったな。 >>867
渕が徳光の番組で言ってたね。
ゴッチも乗り気だったから馬場に報告すると「ロビンソンと組ませてみるか」
と言ってたらしい。
その後ジャンボを連れてフロリダのゴッチ宅まで行って東スポに写真撮って
もらったけど、新日本に洩れたのかお蔵入りになったみたいだね。 ベア・キャット・ライトはジャンピング・ヘッドバット一発で坂口を葬ったから凄いヤツかと思って期待したけど
どうもオツムが弱くて事前の打ち合わせを全く覚えられなくてどうしようもなかったらしい。
ブッチャーも大木金太郎も打ち合わせをみんな忘れちゃうらしいね。
ヘッドバットの後遺症なのかな? >>868
タイガーマスクvs小林と出てて、ストロング小林とタイガーマスク!?と驚いた。 75年に猪木・ロビンソンvsテーズ・ゴッチ戦、或いは
猪木・テーズvsロビンソン・ゴッチ戦を世界最強タッグ決定戦2として
やろうと思えば出来たはず。 >>873
新日(猪木&新間)もバカだよなぁ。
ロビンソンが来日してからギャラの値切りなんかしないで、最初からちゃんと約束のギャラを払えば
76年からも5年ぐらいはレギュラーで呼べたのにね。
ロビンソン談
「馬場はレスリングは出来なかったが、約束通りのギャラをキッチリ払ってくれたから
いいプロモーターだった。」 しかし猪木がモンゴリアン・ストンパーを呼ばなかったのは何故だ?
70年頃のプロレス雑誌で猪木が自身のスタミナ源としてストンパー直伝の人参ジュースの事を語ってて
毎日飲んでると言ってたし。
人気女優と結婚出来たのも、人参ジュースのおかげで
いくらヤッっても勃ちっぱなしのチンポを手に入れたからだろうが。
そのストンパーは71年に日プロに来日して馬場とのインター王座戦で引き分けてるし、
アメリカでもNWAとAWAのシングルは戴冠しなかったものの、
その次か次くらいのランクのタイトルは幾つも取ってる。
まあ、鉛シューズストンピング以外に決め技がないから抗争相手には不足だったのかね? >>871
て言うか、負けブックを飲まず使いにくい人だって有名で、勝手に職場放棄もするし、分かりやすく言えばブロディみたいな選手なんだってw
だから全盛期を過ぎての初来日でも、シングルでは猪木との2度の無効試合、
坂口小林にもリングアウト勝ちしてる。 坂口とカマタのように猪木もストンパーに世話になったから、
そういう人とは戦いたくなかったんじゃ… “昔、世話になった”“苦楽を共にした”ってサイドストーリーが有名になってしまうと、いくらラフファイターでも血で血を洗う抗争は作りにくいからじゃない? >>839 がギタリスト野村義男を知ってるかどうかは知らんがたのきんの中では目立たなかったけど たのきん全盛期から自分の主張をジャニーに認めさせてブレない活動してたんだぞ
ジャニーズ事務所も円満退社だったから マッチのツアーサポートやったりもしてんだぞ
スレチすまん ベアキャットライトは見た目が独特なレスラーだったね…手足がやたら長く顔も不思議な顔してたイメージ アリのマネージャーに電話してくれたってあったな、ライト。 >>880
71年にストンパーが日プロに来た時は、かつてアメリカでは猪木とはパートナー同士だったが、
ストンパーのあまりに凶悪な残虐ぶりに猪木がストンパーから離れていったので
裏切った猪木を制裁する為に日本にやって来た、なんて触れ込みだったね。
だから新日本にも呼んで、お互いに「裏切ったのはオマエの方だ! 絶対に許さん!」
って罵り合って憎悪を剥き出し合ってればOK(もちろん演技)。
新日での猪木と馬之助がそうだったし、大木と坂口もそうだった(大木と坂口の反目はガチ)。
坂口もカマタと同じ展開を作って、常に猪木&坂口がカマタに凶器でメッタ打ちにされて
北米タッグ戦で坂口がフォークで刺されまくって大流血しながら猛反撃すれば
二人共に大ブレイクしたはずだ。
世話になった恩人にはちゃんと報いないとね。 スウェード・ハンセンだけど、興行があった地域ならポスターでスタンと別人ってのはわかったんだろうけど、新聞だけだと騙された人がいるのはわかる。 タイガーマスク世代なんでベアキャットライトは列伝でボボ🇧🇷と組んで超獣コンビに負けた印象しかないや
83、4年にストンパーの新日参戦の話があったね。ファイトで読んだ 小沢も日プロに来日したストンパーの試合に衝撃を受け憧れたらしいね。
8年後にモンゴリアン・ギミックのキラー・カーンに変身したのは
関係ないかもだけど。
あとできればレフェリーでの来日だったアントニオ・ロッカも帰国後の76年
プエルトリコでタッグ王者になってるからレスラーとしても見たかったな。
彼の全盛期は売れっ子過ぎて招聘したくても出来なかったらしい。 タイガー・ジェット・シン1人vs星野勘太郎&ストロング小林の
ハンディキャップマッチ組まれた時のストロング小林の気持ち、考えた事ある? >>886
84ビッグファイト第一弾に参戦予定だったが、あのシリーズも馬鹿みたいに維新、維新、サラダ、維新でつまらんシリーズだった。
ストンパーは83年末のカナダで、アレンに襲撃された猪木を救出して猪木と握手してる。
昔タッグを組んだ縁かな?と思った。 小沢のモンゴリアン・ギミックとキラー・カーンのキャラはカール・ゴッチの考案らしい。
で、そのスタイルを始めたら売れ出したんで、小沢はゴッチのブッキングから離れて
勝手によそのテリトリーへ行ってしまったんで、怒ったゴッチに破門されたそうだ。
だから小沢は「キラー・カーンとしての成功は、このギミックとキャラを考案してくれた
ゴッチさんのお陰です。」なんて言わない。
(キラー・カーン誕生の《いきさつ》としては語るけど)
まあ、けっこうピンハネされてたのかもね。
キラー・カーンはゴッチ道場の門下生ではなく、ブッカー・ゴッチのメシのタネだったというお話ね。 >>886
84年のビッグファイトシリーズで
参加予定だった。
ゴングの来日選手紹介にも載ってた。 ブルックス、スミルノフ、サモアンズ、シュルツらラフ系の元国際組は新日では奮わなかったな。
マークロッコ、キッド、古くはジョニーロンドスやトニーチャールスら欧州系はなかなかの活躍。
アンドレ、ロビンソンは別格w >>892
蒙古人ギミックのキラー・カーンはフロリダ時代のゴッチのアイデアだが、
その前のメキシコ時代チンギス・カンの幼名テムジン・モンゴルを名乗ってる >>895
テムジン・モンゴルがゴッチのアイディアで
キラー・カーンがエディ・グラハム、デューク・ケオムカ、バディ・ロジャースの命名
この本に書いてる
http://www.tg-net.co.jp/item/4777817814.html?isAZ=true なんていうか猪木ってさ、いっつもカネの事や胡散臭いビジネスの事ばっかしか
考えてないのかね?
そういう部分から一切離れた所でさ、「いちプロレスラー」として、
好敵手として自分を一気にスターに押し上げてくれた恩人のバレンタインとかさ、
アメリカ修行中に世話になったパターソンとかストンパーとかさ、
そういう人とカネやビジネス抜きで、恩人と世話になった後輩として付き合っていけないもんなのかね?
馬場が公私混同で自分が親しいアメリカ人レスラーばかりレギュラーで呼んでたけど、
(ブリスコだけは馬場のオトモダチ枠には入ってなかった)
キッチリいい仕事が出来るレスラーなら、公私混同でバンバン呼んでも良かったんじゃないの?
すくなくともクラップなんぞよりは、バレンタインやストンパーやパターソンの方が上だろ。
まあ、パターソンは猪木のライバルとしては物足りないけど、彼はプロレスも上手いし
アメリカでの信用も高くコネも強いからWWFで幹部になってる訳だし。
猪木がジョニー・パワーズを嫌うようになった理由は
パワーズが来日のたびに日本のスポンサーを紹介してくれだとか
とても信用出来そうにない胡散臭いビジネスの話ばかり持って来るから
それで嫌になったそうだけど、それってまさに猪木自身だろ。 >>896
そうなんだ、知らなかった。
ゴッチは新日本に頼まれて小沢をサポートしてたのかな バレンタインは新日ができた頃には
レスラーとしては晩年だったし
事故にもあってるから来日しないのは仕方がない
その革にグレッグがよく新日に来てた 相撲ファンはモンゴルと言えば朝青龍、白鵬、鶴竜。。
プロレスファンはモンゴルと言えば・・・ジートモンゴル&ボロモンゴル ブルー・ウルフにドルゴルスレン・スミヤバザルやろ
朝青龍の兄弟ってだけで注目されてた フランス系のハンス・シュミットやベルギー人のカール・ゴッチが
ドイツ人ギミックはまだ理解できるが
どう見ても白人のビル・イーディがモンゴル人って観客は疑問に思わなかったんだろうか 「プロレス鎮魂曲」いい感じだな
アンドレやラッシャーの話など泣ける
ネタはGスピの総集編みたいな感じだから小佐野さんたちの変名かと
思ったら著者がサイン本出したりしてるから実在人物なのかw などと言ってたらGスピが来たぞ!
【特集】 山本小鉄と昭和・新日本
[証言] 大塚直樹 藤波辰爾 栗栖正伸 北沢幹之 高杉正彦
[特別企画] ヤマハ・ブラザーズの アメリカ武者修行
[未発表インタビュー] “荒法師"ジン・キニスキー
[国際プロレス外伝] サンダー杉山【前編】
[単行本刊行記念インタビュー] 『東京12チャンネルの国際プロレス』補足編 ~
田中メモに記されていなかった裏の裏~ 証言=田中元和 元『国際プロレスアワー』 そーいや、第4回ワールド戦はニコリボルコフ(ベーポモンゴル)と流星仮面の新旧モンゴルズ対決があり
流星が勝ち星を挙げている。ちょっと見てみたいがノーTVか。。 スーパースターとボルコフのタッグは小学一年生の俺には衝撃的な強さだった。
無敵だと思っていた猪木が負けたんだからな…
俺はタッグパートナーの星勘の責任だということにして、
あの日から十年近くたっても、ことあるごとに星野は弱い、と言い続けていた。 猪木&星野チームと言うと、70年代はまだまだ元NWAタッグの覇者コンビと言うイメージがあったのでは? >>899
バレンタインは事故に遭うまで米マットでは人気があって
馬場も全日に呼びたかったけどスケジュールを押さえられなかったとか
昔櫻井康雄や竹内宏介が専門誌のコラムに書いていた記憶があるけど
そう云うのってやはり昭和流の誇大表現なのかな? >>894
サモアンズはナチュラルに強そうなあの体格と厳つい顔がカッコよかった…新日では事実上1シリーズしか活躍しなかったのがもったいなかったな…
ブルックスは猪木をシングルで追い込んでた印象 >>907
新日本プロレスになったらそのイメージはもうなくなってたよ。星野は山本小鉄と組んだ時だけ強い、という位置づけだった。
ていうか、日本プロレス時代も、あまり印象はなかったんじゃないかな、猪木・星野組は。 >>907
ない!ない
NWAタッグリーグ優勝なんて
一過性のものだよ。 https://昭和プロレス.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_97b/xn--zckzczcd7076bwdw/m_inokijyomei.jpg
『猪木追い出して日プロ安泰カンパーイ』の場にぬけぬけと参加する星野勘太郎の図 >>914
今宵、謎のヴェールに包まれた「サラダ」の正体が明らかになる。
かつて7000万の大金をかけて虎に挑んだ男がいた。
その一部始終を、見よ!
ttps://www.youtube.com/watch?v=tUWfl9qQ2_w >>908
初めてバレンタインを知ったのは『ジャイアント台風』だったので、そこで彼の異名は“金髪のジェット機”得意技は連続ドロップキックと描かれていた。
日プロで実際の試合を見るとめん玉ひん剥いてのエルボー・スタッブは迫力があり、当時の猪木が必殺技にしてたブレーンバスター(何故かネックチャンスリーではない)をカウント2で返すタフネスぶり。
マンガと違いエルボー主体だったが、その佇まいから全てに迫力があり
悪いけど息子グレッグのレベルより断然上だった。 古舘伊知郎が控室をドレッシングルームと言っていた時はいろんな想像を駆り立ててワクワクしてたな
ただの体育館の控室なのに バレンタイン、まあ一流の部類だけど三大世界的な大きなタイトルとは縁が無かった。
ただ、日プロ時代のUN、東プロ来日時に自ら持ち込んだUS、これら王座は猪木や坂口と争奪を繰り広げ、
同時にライバルと言うイメージもできた。また日本とは関連が無かった頃だがのちに猪木の
代名詞的王座になるNWF世界にも就いた。それゆえか?馬場とバレンタインと言うのは
それほど印象の強い間柄同士というモノが無いような。 東京プロレスがバレンタインを呼んだ時に馬場は
「良いレスラーを呼んだな」と思ったそうだ
ただとんでもない悪戯をすることもあって人望は無かったらしい
ブラッシーの自伝ではバレンタインとロジャースは「バカども」と書かれていた >>805
馬場の言われた通りに四天王プロレスこと我慢比べプロレスしてただけで別に何も立ち上がってないと思うけど?
まあ確かにノアの時は立ち上がったけど、馬場が死んで邪魔者がいなくなったところで男気(笑)とか抜かしながらだからな
ケンゴと天秤にかけて俺たちの英雄みたいに誇らしく持ち上げるほどのことはやってないよw ちゃんとこうしてね、猪木とバレンタインの来日交渉の様子までアニメ化されてるんだから凄いよ
https://youtu.be/AhSDVj_c8j4
猪木はこういう先輩(バレンタイン)をもっと大事にすべきだった カンケー無いけど、ヤクルトのバレンティンってバレンタインの読み分け?的な名前か思ったが
BとVだからまるで発音としては別だな。。w >>919
馬場・猪木vsキニスキー・バレンタインのインタータッグ
馬場vsバレンタインの馬場最後のインター防衛戦が印象深いけど、どちらか
というと猪木のライバルのイメージが強いね。 >>920
バレンタインは試合中のレスラーのバッグの中に犬の死骸を入れたりしてたらしいな。 猪木が馬場や大木や坂口や吉原功や芳ノ里やストロング小林やラッシャー木村や鶴田と違って何が凄いかって言えば、
タイガー・ジェット・シンという凶悪ヒールを作り上げた事だよ。
あのターバン姿もサーベルも猪木のアイデアだし、インドコブラを連想させるコブラクローも
猪木の考案。
もちろんあのリアル狂人キャラも。
ならばシンだけでなく、もっと何人もあんな極悪ヒールを作り上げて欲しかったね。
きっと毎シリーズが興奮の坩堝(るつぼ)になったろうに。 >>927
同じキャラは一人でいい
じゃないとシンの価値が薄まる >>928
いや、上田とは武道館決戦でネールデスマッチをやってるし、
フルート・バーナードは奇声を発する狂人キャラで、角材で大木金太郎の耳を削ぎ落としてる。
(目測を誤って耳を直撃、耳がブラ〜ンと垂れ下がった)
凶悪外人エースになるかなと思えたグレート・マレンコは歳食い過ぎでかなり痩せてたし、
ザ・シークも確か1シリーズのみで終わった。
シンとキャラが被らない凶悪外人エースは作れたはずだよ。
地方のプロモーターに興行をどんどん買って貰う上でも
シン以外の凶悪外人エースは作り上げるべきだったね。
たぶん、地方のプロモーターには「シンあり興行」と「シンなし興行」を抱き合わせで買って貰ってたんだと思う。 >>930
バズ・ソイヤーはいいねー
レスリングの下地もあるし、狂人キャラは若い頃のバションのようだった。
武藤との大流血戦は興奮したよ。
32歳ヘロイン中毒死は悔やまれる。 >>931
ソイヤーはちょっと小さすぎた。
動きが更にいいバションという感じ。
国際ならもっと活かせたかも 平澤光秀もヒデオ・サイトー貫けば、飯塚引退したしブレイクできたかもよ バズソイヤーとバズタイラー
ダッチマンテルとダッチサベージ
バディーローズとバディロバーツ
この辺の違い、試験に出るからな。。 >>934
スタン・ハンセンとスウェード・ハンセン 古舘は天才
辻はパクリと言われかわいそす
どんな実況をしても批判されたやろうなあ >>938
古舘以降の実況はあの路線でやるしかないし、いきなり船橋時代には戻れない
自分らしさがないと、視聴者にも違和感が残るんだろうね。
可哀想な気もする。 >>929
上田のヒールとしての価値は
「日本人なのに金髪にして反則ファイト三昧、
逆上陸してきて凶悪ヒールとつるんでる裏切者の日本人」ってことだから
シンやブッチャーやシークやカマタスミルノフとかとはちょっとニュアンスが違うのよ >>934
テッド・デビアスとセッド・ジニアス
バディ・ロジャースとバディ・ロバーツ
顔当てで猪木とストロング小林、坂口とグレート草津、大木と小鉄、ラッシャー木村と荒川は試験に出るな。 >>929
ハリウッドブロンドスも地方の人気は良かったらしい。ショーマンシップに長けた存在で
国際でのボンバーズ時代でもその様子をうかがえる。ただ、新日ではかなり悪辣な攻撃もやってた。
うがい用のビール瓶や椅子なんか平気で凶器に使ってたな。またシーク同様、一度きりと言えば
ヘス&ショッツの戦犯コンビもかなり悪どいファイトぶりだった。 http://blog.livedoor.jp/norarinhouse/archives/1696456.html
タッグ戦の三本勝負で負ける場合は、普通二人で負けを請け負うもんなのに
坂口は二本とも小林に押し付けやがった、晩年小林は坂口をボロクソに悪く言うが
こういう事が影響しているのかもな >>944
当時の事は覚えてないけど地道にかなり酷いわ。
坂口の事カマセにしていた猪木が好きじゃなかったけど、坂口もかなり酷い事してるな。
黄金コンビが互いに動きたくないから解散っていう話はけっこう説得力ある話なんだな。
対する末期全日師弟コンビは鶴田8馬場2の割合で試合してたし。立場下の者はつらいよな。 >>945
小林に示した坂口の態度は「それが会社の答だよ」と言ってるようなもの。 >>945
大木と組んでいた戸口が鶴田に「お互いにしんどいよな・・・」とボヤいたらしいwww >>944
単純に坂口が小林に押し付けたとかいう問題でもない
小林ではダメ、やはり猪木・坂口でばないととファンに納得させるためのマッチメイクなのだから >>945
師弟コンビの場合は80年のファンクスとの最強タッグ最終戦が典型かな
前年までの凶悪コンビに変わって鶴田がヒールの役を引き受けて客を煽ったりまでして 日本初のクローズラインは、ヘス&ショッツだったかな? 坂口も何気に敵が多いよな。
カーン、前田、藤原、S小林、小鉄、大木・・ >>943 >>951
坂口がプロレスアルバム「世界のベストタッグ」の寄稿文(まあテープ起こしを記者が清書したんだろうけど)の中で
ハリウッド・ブロンドスとショッツ・ヘス組のタッグワークを絶賛していたね
>>909が触れているサモアンズも良いチームだったけどウチに来るのが遅過ぎたと評していた
一方シン上田は最初の頃は良かったけど段々2人共俺が俺がと自分の事ばかり考える様になって
タッグチームとしての質が落ちていったと厳しめの評価だったね >>944
興味深いサイトを添付してくれてありがとう。
なかなか面白そうな記事満載っぽいサイトですね。
他の記事もじっくり読みたくなりましたよ。
それにしても…ゴールデンで放映してた昭和50年の一応人気番組だったはず?の時代で
しかも王座預りになった後の北米タッグ戦の愛知県体で主催者発表(水増し常套)で2200人かぁ…
(実数はたぶん2200人の半分くらいか?)
あそこは実数で7500人は入るとこだし、昭和59年の年末タッグリーグでは
UWF軍と長州軍団が抜けた後でさえ、超満員だったのにね。
まあ、昭和50年当時はテレビ放映料でなんとか団体を維持してた時代なんだろうな。
日プロの猪木追放と、その後の分裂騒動でプロレス人気が一気に落ちて
なかなか人気が戻らない時代だったね。 猪木もセミのシングルに出場していたが新日本の愛知県体で一番のワースト記録じゃないかな
そういえがちょうど唯一のロングタイツでのルージョー戦が週プロに載っているが あ、思い出した。
そういえば昭和50年頃に猪木が茶色のロングタイツ履いてTVマッチやってたわw
なんであんなの履いて出て来たんだ??? S小林が新日で冷遇された理由の一つに、若手や対戦相手へのセクハラ問題もあったと思うよ。
Sハンセンも「コバヤシはボディスラムの時に必ず股間を握って来た」と言ってるし。
(このスレで人気のスエード・ハンセンじゃないよw) 調べると、猪木のロングタイツはウイルス性の関節炎だけど
テレビマッチの記憶はないなー >>957
ハンセン本のゴーストは流だぞw
ボティスラムやろうとした時に股間を握られたら崩れるだろ。
小林を貶める悪意あるゴーストだよ。 >>958
ルージョー戦はテレビだったはず。。見た記憶があるんだよなあ。
足のケガがどうのとかの実況も聞き覚えがある。
つうか復帰戦だし普通に中継じゃない? S小林が若手にあいさつ代わりに尻を触って来てたとか、風呂場で背中を流す役の高田のチンポを
握って話さなかったとか、その手の証言は多いよ。 >>960
ルージョーって、伊勢丹前でシンと襲撃事件起こしたジャック・ルージョー
だね。
自分に記憶がないだけで、復帰戦ならTVマッチだろうね。 ストロング小林はゴッツイ風貌で、インタビューではそれっぽい喋り方だから
疑われるんだけど、省三さんは嫁さんもいるし、両刀使いの説もあるんだな。 ルージョーって元NWF王者だったんだよな
新間によるとNWFの存在を教えてくれたのもルージョーであるいは橋渡しもやったか >>964
新間はそう言ってるけどそれは間違い
ルージョーが新日に来たのはパワーズよりも後だから
むしろルージョーこそパワーズによる斡旋 NWF歴代王者は辿るとブッチャーやドンデヌーチのような少なくとも当時の馬場派の
レスラーも連ねている。まだ団体があったころはラッドやエリック・ジ・アニマル、
ヘス&ショッツ、グレッグバレンタインらNWFラインで新日マットに登場した外人はいたが、
ブッチャーはさすがに無理だったろうw 今は無くなっちゃったけどバッドニュース・アレンが自分のHPで小林の事を
「日本のパット・パターソン」と表現してボロクソに書いていた
「試合中に必ず股間を握ってくる」とか
「試合中にルスカにセクハラ攻撃を仕掛けてルスカは顔を真っ赤にして激怒していた」とか やっぱりだから小林は隅に追いやられていったんだよ。
プロレス・スーパースター列伝のハルク・ホーガン編で、ホーガンの新日初登場の回の
ホーガンと小林のシングルの場面で
「ホーガンのあまりの強さにストロング小林は早くも戦意を喪失!!」
っていう描写があって、小林が情けない姿に描かれてたね。
確かロビンソンの新日初登場のTVマッチの時も小林はあっさりと負けるジョバーだったね。
1年かそこら前に猪木と死闘を繰り拡げたというのに…。 >>967
ルスカはそうでなくても顔真っ赤だけどなw しかしルスカのような狂人によくそんなこと仕掛けるよな
後でウルトラマンやグレート・アントニオやスタン・ハンセンのように
ひどい仕打ちを受けかねないのに 小林とパット・パターソンは巡業中の旅館でヤッたりしてたのかね?
日本陣営と外人は別のホテルだそうだけど、夜中に小林がパターソンの部屋を訪ねていったら
間違ってバレンタインのベッドに侵入して袋叩きにされたとか、
そういうエピソードとかないんだろうか?
マーク・ルーインは全日常連だったけど、新日だったら小林とヤッてるだろうねwww >>968
坂口とロビンソンはタッグで一度だけだったか 一般の会社なら股間を握って来るセクハラを何度も何度も何人にもやったらクビだよ。
小林が腰痛で試合が出来なくなるまで使ってくれたのは、むしろ猪木と坂口の恩情では?
小林は腰痛が酷くて試合が出来ない状態でも、はぐれ国際軍団のセコンドとして乱入してたし、
腰が回復すれば国際軍団として復帰する予定だったはずだよ。 >>973
使い捨ての新日本にしては珍しい厚遇じゃね? それでも小林は当時の新日に文句ばっか言ってんだよな
「AWAではガニアがロビンソンより厚遇してくれた」とか
「こんな思いをするくらいなら馬場さんの全日に行けばよかった」とか
「TBSで全国区だった俺のおかげで新日は潤ったのに」とか
藤波や長州に負けさせられた事の恨み言とか
タッグパートナーの坂口のやり方が気に入らなかったとか
付き人の木村健吾が使えなかったとか…
それでいて自分が腰痛で今まで通りのプロレスが出来なくなった事は認めようとしない
悪い意味で昭和のプロレスラーらしい悪口のオンパレードなんだよなぁ
グレート小鹿もそうだった、引退させられた事ばかりやり玉に挙げて
永源が来た事で小鹿に裏方的な使い道がなくなった事や
悪質な新人イジメで若手の育つ芽を摘んできたことや
晩年はやる気がなくてジャパンとの対抗戦でも大熊に頼りっぱなしだった
自分の至らない所は決して認めようとしない >>975
「猪木戦も思い入れは無い!」と辛辣だったけどその後のインタビューでは
「凄い試合をしたんだね!」と発言を翻していた。 >>968
>確かロビンソンの新日初登場のTVマッチの時も小林はあっさりと負けるジョバーだったね。
>1年かそこら前に猪木と死闘を繰り拡げたというのに…。
国際時代の72年ダイナマイトシリーズではIWA王者の小林がロビンソンとドロー防衛だが
一本はボストンクラブで取ってるんだしな。 外様でも良い仕事ができるアニマル浜口や越中は新日で重宝されたしね
エース級は無理でも名脇役なら生き残れる その意味で小林は脇役でも名脇役まではいかなかった印象 大阪府立のロビンソンvs小林戦は猪木戦の前フリなのは分かるけど
小林に何もさせずワンハンドであっさり終らせた。
昭和50年の試合だから、猪木は僅か4回の小林戦で
彼のランクを下げたことになる。 プロレス=猪木現役時代ばかりやな
第三世代とか知らんやろうな
中西永田と逸材は素晴らしいのだが… >>982
> 中西永田と逸材は素晴らしいのだが…
頭痛が痛いとか言っちゃう人? >>981
トシも有吉も詳しいよね。トシはマスクもコレクションしてるし、
この前はタイガマスクの自宅からだった。 >>970
さすがのルスカも、気色悪いのでこれ以上関わりたくないという心境だったか パターソンは職場には持ち込まないタイプだそうだ。
小林は真逆の職権濫用セクハラだな。 ホーガンも証言してるな
しかしハンセン、ホーガン、アレン、ルスカという
無差別ぶりが見事だ
https://www.mandatory.com/wrestlezone/news/180029-recap-of-hulk-hogan-on-the-howard-stern-show-on-429
Hogan said he wrestled Strong Kobayashi, a gay wrestler, in Japan,
and Kobayashi grabbed his nutsack during a match.
ホーガンは「日本で、ストロング小林と言うゲイ・レスラーとレスリングをした」と語っていた。
小林は試合中に玉袋を掴んできた。 >>986
パターソンに預けられた谷津は三人同居に閉口だったらしいが >>988
でも谷津には手を出して来なかった。
それでいてシッカリ面倒を見てくれた。
猪木も米国修行中に、そうやってセクハラ抜きで世話になったから
パターソンを信頼感していて金の卵の谷津を預けたんだと思う。
でもS小林には、そういう人徳がなかった。
まあ、当時の新日に渕正信とか木村浩一郎とかマーク・ルーインがいたら、
小林も彼らだけを相手にして他のレスラーにはヤラなかったかもね。
そしたら新日でパターソンのように厚遇されたか?
(パターソンは本来エース級の選手じゃないが、外人エース格を務め、
最終戦で猪木とNWF選手権をやってた。
良き姉貴分で肝っ玉母さんのようなパターソンがエースのシリーズは
外人軍団が良くまとまっていたらしい。)
それでも小林はガマン出来ずにセクハラしてただろうね。 ゲイだって男なら何でもって訳じゃ無いだろ
少なくと谷津とか中身は知らんが男性としての性欲をそそるか?ましてや白人が ゲイのことは知らんけど、ノーマルだって女なら何でもOKってわけじゃないからね。 NWAの重鎮だったジム・バーネットもホモだということが当時週刊ファイトに載ってたな。
「馬場さんからプレゼント貰っちゃったわ。嬉しいわ??」みたいな記載があったw 寵愛してたトミーリッチをNWA王者にさせたのもバーネット姐さん パターソンは仕事に持ち込まない「ゲイの鑑」。
ジョニー・パワーズはプロモーター時代若いレスラー試合で使ってやる見返りに枕要求。
対照的なゲイの二人がタッグ組んでたんだよな。 そんなパット・パターソンが開発したルールがロイヤルランブルなんだよな LGBTは今でこそ堂々とカミングアウト出来るけど、
当時は守ってもらえなかったからな‥ このスレッドは1000を超えました。
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