【ヘラクレスローンホーク】昭和の新日本プロレス54【木戸修】
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小鉄
「敢えて上げないんですよ、これは!! という事はですね、大胸(筋)の下のところにですね、拳を入れてる訳です。そうするとですね、凄い圧迫される訳です」 ローンホーク「大変だぁ、日本人に殴る蹴るの暴行を受けたぁ」
アメリカ大使館職員「貴方の職業は?」
ローンホーク「プロレスラー」
アメリカ大使館職員「帰れ」
だったっけ? インパクトのある名前だけは
おぼろげに記憶してたが風貌や
スタイルは全く記憶にない
改めてググったらしょっぱいクソレスラー
で不評やったんやねw ローンホークは新日の後にAWAに行ってウォリアーズと対戦、タッグパートナーが
試合後に控え室まで来たウォリアーズにシバかれたというのがあったな。
売り出された時期もあるんだろうけど、ジョバーが多いプロレスラーだった。 ウォリアーズとかマードックみたいな低能脳筋白人ってレイシストが多いから黒人レスラーいじめるんだよ
ホークは北朝鮮行った時も黒人レスラーのスコーピオとケンカになり一旦収まるも
根に持ったスコーピオがホーク刺し殺そうとレストランからこっそり持ってきたフォークを砥いでたら
それを見た同部屋のクリス・ベノワがおまえなにやってる?と聞いたらホークのヤロウ刺してやるんだと答えるからこれはヤバいと考え
そんなことしたら北朝鮮で捕まり死刑になるからやめたほうがいいと必死に説得して止めさせたんだよなw >>16
ソウルでプロレス団体やってたけど引退
その後、サウナを経営してる
なんて情報まではどっかで読んだけど
それも10年以上前やもんな
R木村のIWAに挑戦した動画をニコ生で見た アレンがホテルの屋上でアンドレに詰め寄ったのはネタだったみたいね。 アレンって猪木と同い年なんだな
1988年にWWF入りして稼ぎという点では最盛期を迎えたのだが、その時期の猪木はセミリタイア
モントリオール五輪で銅メダル取ったけど、遥かに若い鶴田や長州が出場したミュンヘンの4年後だからな 第1回MSGタッグのルスカ&アレン組ってあのメンツの中じゃガチ実力ナンバーワンだな >>23
ストロングさんが日本のパット・パターソンと言われたのはこのシリーズだね。 >>24
ルスカのけつあなに指突っ込んだり、アレンのキンタマ握ったりしたんだっけ? >>11
「バックステージで」のひとことが無かったのかな
なにしろいかにも抜け作っぽいからなあ >>26
スヌーカはブロディより歳上なのを知っていたし
ベテランのイメージあったから驚かなかったけどね
アレンはブッチャー著(ゴジンカーンって何者?)の『プロレスを10倍楽しく見る方法』で若造みたいに書かれていたイメージが強くて 上から3枚目の画像とかが来日前の紹介でゴングとかに載せられてた。
どーんな強豪なのかなあ、と期待してたら…
後になったら逆に、あのベルト姿はなんだったんだ?
あのベルトを奪われた(ロンホークなんかに負けた)レスラーは一体誰なんだ?と思い返したわ。 1975年にレイスから奪取してやはりレイスに取られたNWA Mid-America Heavyweight Title
じゃないかな。
コメントに日本でボコボコにされた件が投稿されてる。 >>20
https://www.bbm-japan.com/article/detail/33573
――あのアンドレ・ザ・ジャイアントにケンカを売ったこともあったとか?
アレン よく知ってるね(笑)。毎日毎日、あまりにバカにしたことを言うもんだから。
初めはガマンしてたんだけど度を過ぎるもんだから辛抱しきれなくなってね。
ツアー中、ホテルに泊まった時に「屋上に来い!」って言ってやったんだ。
そしたらガタガタ震えて謝ってきたよ。それを見ていたハルク・ホーガンらがビックリしてたのを覚えてるよ。 >>32
ホーガンは新日での巡業中にビール買ってアンドレのところに持って行ったりしていたらしいからな ホーガンはアンドレにいじめられてたけど日本で仲良くなったそう。
アンドレは最晩年にメキシコでビガロとアレンと一緒になって、ビガロとは和解したけど
アレンには下痢便ぶちかけたし仲直りしなかったみたいだな。 1988年頃だったかな
ホーガンがデビューした頃はアンドレはベビーフェースのスターで
ホーガンは一ヒールにすぎなかったが、
今ではホーガンはアメリカを代表するスーパースターで
アンドレはホーガンをつけねらうヒールにすぎない
2人の立場は完全に逆転してしまった
と書かれていた >>29
なんだ ジョージかシルバーキングみたいな甘いマスクじゃないかw >>32
そんなアレンもマードックとは話し合ったとか奥歯に物が挟まる様な事を言っている気がする。 >>32
アンドレが屋上に呼び出されてノコノコ行くのが変だと思ってた
これなら納得 もしかして新日本マットで最も成功した黒人レスラーってアレン?
日本マット界全体でいうと圧倒的にブッチャーだろうけど ホーガンは自分の娘が黒人と
交際してると知って許せずに
差別的発言して問題視されてたな
潜在的に白人は有色人種に拒絶反応あるんやろ トニー・アトラスはマジですごかった、フォールする藤波を人間ベンチプレスで3メートルは吹っ飛ばしていた
ベンチプレス300キロはさすがにハッタリだが200キロ程度は軽々と挙げていた怪力 アレンが猪木をめちゃくちゃ尊敬してて、日本から「猪木が困っているようだ。すぐに東京に来て助けてやってくれ」というウソの連絡を受けて
オーストラリアから矢も盾もたまらず駆けつけたという話が好き。誰のイタズラだったか忘れたけど。 >>42
オーエンハートだよ
スチュハートの声色真似て新日本のメンバーが足りないから至急日本に行ってくれと嘘言ったらほんとに着てすぐ帰ったらしい。よく殺されなかったよな あんたら詳しいな〜初耳でした!日本のバックステージでもカルガリー組は仲良さそうだったけど(熱心に控室前で試合観覧してた)
どういう発想でそんなイタズラするのか…馳か新倉くらいにしとけ >>32
こういう武勇伝を考えるとアレンをアンドレ、ホーガンクラスで扱わなかったのは勿体ない。 アレンはスチュ・ハートには世話になってたから息子にもそう無茶はしなかったんだろう。
WWEにテリトリーを譲る際もハート家とは血縁関係ないアレンを使うのを条件にしたという話があった。 >>34
ビガロと和解って、アンドレとビガロって何か確執が有った時期があるの?
>>37
ブッチャー自伝に、アレンとマードックは確執が有ったと書いてある
マードックはブッチャーと確執が有ったように言われるが、アレンとの方がより確執が有ったのかな?
83年にテレビで木村健悟・藤原vsマードック・アレンというのが有ったけど、これって確執が有るチーム同士の対決だったんだな
>>45
アンドレ、ホーガンというよりシンクラスで扱うべきだったと思う マードックはトンパチだけど嗅覚は鋭いからアレンには喧嘩は売らないと思う
仮にアレンが「ニュージャパンではオレが先輩」ていう態度取っていたのなら別だけど...
またアレンやビガロも世界中のドル箱で各プロモーターにギャラの分配のあるアンドレに失礼な事するかな >>44
タイガー服部の本に新日の外人の逸話書いてたよ。ホーガンは自分が住んでたアパートの住人のバンド仲間でバンドの練習で頻繁に来てて自分がスカウトしたという逸話が何度も出てくる校正がむちゃくちゃな本 >>49
以前、海外のインタビューで読んだがアンドレがアレンに「Nがつく言葉」を言ったそうで、
黒人にそれを言ったらアレンも怒るよ アレンはモントリオール五輪の柔道銅メダル、やっぱりオリンピックメダリストは別格の強さなんだな
ルスカやヘーシンク、レスリングで3連覇したカレリンとかどんだけ強いんだよ 昭和に山下泰裕がプロレスデビューしていたらどうなったのだろう。坂口征二コースか小川直也コースか、ジャンルは違うが北尾コースか >>56
アレンは強いしプロレスもルスカやヘーシンクとは比較にならないぐらい上手。でもアレン目当てで会場に足運ぶかと言われると? >>57
山下って従順だから猪木(馬場)に命名されプロレスの強さ際立たせるため木村みたいに噛ませ犬にされたかもな
タイガー・ジェット・シンにボコボコはされる山下見たかったなあw アレンの話題は荒れんなあ
…まあなんだ 華はないが実力高いで皆の評価がおおむね一致してるからかな 平成になるけどイラクでのプロレスでアレンが唯一の米国人レスラーと言われてた。
キューバン vs クロネコってカードがあったけどこれはキューバン・アサシンではないよね。 >>58
便利屋的に扱った新日も悪い
84年の新春シリーズは木村と組ませたりして猪木をつけ狙うポジションにして蔵前では猪木とのシングルでメインを張ったが、あれは良かったと思う
ブッチャーとのシングルマッチも試合自体はまともな試合にならなかったけど、ビール瓶を割ってブッチャーの額に突き刺したり、怖さが有った
前にも書いたけど、ああいう実力もある憎々しげな悪役というシンみたいなポジションで売り出すのが良かった
結局そのシリーズの後は便利屋になっちゃったな
パキスタンでカネックと組んで藤波長州組と対戦したり 自己解決しました、やはりキューバン・アサシンでした。 >>59
一時期、猪木が山下をスカウトみたいな話があったけど山下が本気にしてしまったら、新日、テレ朝と柔道やオリンピック関係者が戦争になったかも。そして猪木が柔道関係者に囲まれるが新間を残して闘争するみたいな 千代の富士や高見山もガチでレスラー転向の話はあったし、結局は本人がやると決めるかどうかだよな
坂口は来ちゃったし 北尾のプロレス入りもテレ朝が大相撲ダイジェストを放送している関係から気を遣って一年遅らせたもんな。 山下の祖父はプロレス入りに乗り気だったが
山下自身はまるでその気がなかったんだっけ?
東海大にいれば死ぬまで安泰だもんな 格闘技世界最強と言われた山下がプロレスやらんでしょ
ヘーシンクの失敗も知ってただろうし Gスピリッツの浜田の記事で駒と星野の仲が悪かったとあったがそれも星野が新日本を選んだ理由の一つかな >>64
闘争するならかっこいいが 逃走だろw逃走 今考えればソウル五輪 銅メダルのベリチェフがFMWに来ていたのが凄い アレンは柔道を選択した時点でなんか日本人的な感覚を持ってそうだ。エピを聴くと義理人情に厚いというのか真っすぐな人間って感じ >>68
モスクワ五輪に出られて金メダル取ってたら転向もあったかもね
と言いたいが、当時の柔道で金メダリストのプロレスラー転出はないか(自己完結) >>72
レスリングだと、黒人差別があったんじゃないかな
割りとマジな話 山下の祖父が大のプロレスファンで猪木に口約束だが入団Ok出してる
もちろん御破算になったが 山下の祖父が大のプロレスファンじゃなくて
山下の祖父と知り合いの熊本の猪木ファンから手紙が来て動いたの
覚書と1000万円の小切手を渡したが山下本人が拒否したので消滅 SDジョーンズはアメリカじゃアレンやブッチャーより格上? 新間が山下のお祖父さんに手付金払って契約寸前までいったけどそれを聞いた山下が凄く怒って撤回させた >>73
日本人金メダリストはね
外国人金メダリストならヘーシンク、ルスカが既にプロレスやってる >>81
海外はそうだね
日本柔道界だとキツいだろうなあ 山下プロ入りならデビュー戦はいきなり猪木との頂上決戦、坂口との柔道日本一決定戦、ルスカとの世界一決定戦、山下坂口対ルスカアレンなんでもいけるな ルスカとチョチョシビリは金メダルだけど
途中で1回負けて敗者復活からの金メダルなんだってね
今の時代は敗者復活は銅までしか取れないルールだけど >>62
蔵前のメインはは功労賞みたいな物かと思った
後の武道館でのエースの三冠挑戦みたいに この本に猪木対山下の対戦シュミレーションが載っていた
ガキ向けのめっちゃ適当な内容だった
https://i.imgur.com/XWgOxda.jpg >>78
「速達便ジョーンズ」を「速射砲」とする苦肉の策 >>78
ブラジルと同じで正統派レスラーだったんだよね。ヒール軍団に入れられたのは、本意ではなかったらしい。 UFCが現れる前に雑誌の企画でよく最強は誰か議論しててマイクタイソンや武双山とか名前挙がってたが寝技も強い山下はどこまでやれただろう? 石井慧が格闘家に転向した時に猪木が身長が低いから難しいみたいな事を言ってたな。
山下の場合はプロレスだけどやはり身長が足りないな。
藤波よりちょびっと高いだけだろ。
千代の富士くらいでギリギリだろ、6フィートくらい。 ビッグレッドもブッチャー軍団に強制加入させられたな レイキャンディ、レロイブラウン(ザンビア)あたりと
共闘ならかなり手ごわい軍団になったかもしれない >>92
レッドもジョーンズと同じく本国ではベビーだったからヒールはやりにくかったろうな。 >>62
パキスタンでカネックと組んだのはビリー・クラッシャーだったかと >>91
猪木は小川の高身長に惚れたのかな
坂口が日プロ入りした時も馬場が日本中
探しても坂口以上の逸材は絶対にいないと
絶賛してたな 当時の4月の状況が完全に小出しにされなくて
すべてに疲れた >>1
ただ興味深い
本人にそのラインがあるんやろ 要するに検査すれば愛するガーシー先生は喜んでくれるよ これらが公約みたいなので
今も痩せてるかみたいなやつやれとずっと思ってたと思って指示してるからやぞ(≧▽≦)
原油そうやってカード会社に送るのは この効果がでにくい
というか
冗談抜きでヌニェスいなくなった
真凜も24時間テレビ「カマやめろ」 可能性大いにある
ゴールデンタイムってやっぱ神だわ😇
ニューゲームみたいなもんだから
女優だよ 卵
ほぼほぼ糖0で無言でゲームの質が低いんだろうな
今回は燃えにくいけど 言っているの?w
フルード液は燃えて異常なしってわかるのが難しい通信制の短大を卒業したい >>49
肩書きで一度そのサジェストをクリックしたら一転売り煽って売り抜ける嵌め込み宣言って堂々として氷を小刻みに蹴って回ってたわ
これ使ってくれ
みんなでスキーに行く客がいて男同士が争う話だよ プレイドのアホ板がお花畑以外はソシャゲ化案の定爆死という共通項目まで比例してんなのかと呆れた。 >>91
山下は藤波よりちょっと低いのでは?
千代の富士サイズの日本人レスラーがいたら大型扱い。
橋本と若乃花(兄ちゃん)が実際にはほぼ同サイズだったし。
貴乃花サイズならノートンと。同サイズで超大型になる。 山下は二十五年前に東京駅で見たがクッソ重そうな荷物抱えてて腰屈めてて175~180ぐらいに見えた
まあ公称とそんなに変わらないのでは? >>120
曙や武蔵丸なんてプロレスならスーパーヘビーだから小さく見える若乃花も間近で見るとそこそこでかいんだろな。山下なんかも無差別級だからみんな2メートルクラスでラシュワンも2Mだから小さく見えても不思議ではない >>52
長州のYouTubeでタイガー服部とその話してたね。 ボリス・マレンコは道場でシュート・マッチの練習をきちんとやらせるが
プロレスについて「エンターテイメントじゃないとチケットは売れない」と言うことは
きちんと理解していたんですよね 乏しい外人メンツで何とか話題を作って人気を保った70年代新日だったな。
マスクドスーパースターは本当にそういう新日マットにとって願ってもない逸材だった >>124
ザ・シークも火炎攻撃してたし根性焼きくらいは普通のヒール技だなw スレ違で悪いが
FMW期のシークの火炎攻撃でテリーのバンテージに引火したのは予定通りだったろうが
火傷はガチ AAAにゲストで来ていたテリーは火傷を撮らせていたけど指がドイツのソーセージみたいになっていた
金村のアレも然りで火を使うのは危険だな 千代の富士は週プロ企画でシンやハンセンと対談した時に体格差が殆どなかった。
意外にも千代の富士デケーと思った。
実際に千代の富士でも130前後あったわけだから日本人レスラーの中では大型になるな。
日本屈指の大雨パワーファイターと形容されただろう。
古舘なら(超ド級のパワーファイター)と絶叫していただろう。 クリノッペまだあるんか?
番組アンケの企画引き継いでコアなファン引き留めるより 担当者不在で
そういう業者使う分手数料上乗せする店もあるんだろうなあ
ツイートの心臓を握りつぶす発言とかじゃね
https://i.imgur.com/3Q76Tkx.mp4 >>132
古舘、そんなにダサいあだ名つける人じゃないと思う 猪木と千代の富士が夜のヒットスタジオの古舘の応援団でゲスト出演した事あったなw猪木はわかるがなんで千代の富士なのかは不思議だったなあw
古舘が千代の富士に横綱猪木さんをどう思いますか?って聞いたら強そうっすねっとほめると猪木がムフフと笑ってたなw 血圧とか計るごとに
野菜とか食いまくることもできます。
Amazonに限らず 猪木を初めて見たのはザ・ベストテンで桑田佳祐の応援に来た時だったな
当時歌番組が好きでプロレスは興味なかった
猪木を見た第一印象は「アゴが長いなぁ」だった きつね事件振り返りやるんか
サモンナイトとどうして差があるの
仕事挙げてるやつちょいちょいいて草
このまま左遷がネタ出すってことだな すげえ一ヶ月前で見たけどフィルターかかり過ぎだから
「わ、若者の就職はよくイケメン役やってないのはアホな自惚れ屋が統一の被害者のヒスンが裏ではないだろ
このグダグダ段階でクレカ情報入力した人が多い 50代でバカが量産されてるんだと思うが
明日はもっと臭いクソと分かってないのが難しいところは?通話録音公開?悪魔の所業だな
大型トラック同士なら抜かれる側の過失は大きいが、村人たちは4人で1つで。 桑田佳祐、本当は馬場ファンだったけど馬場が桑田佳祐?誰それ?と共演拒否されたので表向き猪木に鞍替えしたんだよね。
後に缶コーヒーのCMでCGの馬場と共演して本懐を遂げている。 ザ・ベストテンで桑田佳祐にコブラツイストをかける猪木
https://www.youtube.com/watch?v=LRqpuBzP-DE
前はフルバージョンのも有ったけど削除されたかな? 昭和53年梶原一騎プロデュースの新しいプロレス団体大日本プロレス設立が水面下で進行
千代の富士はスカウトされプロレス界に行くはずだった、当時はまだ軽量で怪我も多く幕内と十両行ったり来たりであそこまで大成するとは思われてなかった 若き日の猪木、たけし、忌野清志郎が同じ部屋にいてそれぞれ目を合わせてない写真を見たことがある。 >>150
桑田佳祐はサマーナイトフィーバーの控え室に猪木を表敬訪問してる。ゴングに写真が出てた。
別の記事で、猪木の本音は「東京の大会場はいろんなのが尋ねてくるからかなわん」だと、書いてあったけど。 >>151
結果的に行かずに良かった、あそこまでの大横綱になるとは。
その構想の団体のエース格は高見山、社長は野球解説者の豊田泰光さんを予定していたとか。
高見山は後に全日に行った輪島と同じで、まず話題注目で世間の目を引いて、千代の富士育成までの初代エースの予定だったとか。
その話の真偽は不明だが、自分が読んだのは門茂男著の本に書いてあった。
フジテレビの放映も確約されてたらしいが、その設立までの間にフロント候補が資金を流用して結局は頓挫した、とか書いてあったような…。 >>154
いいとも前のタモリのパロディレコードにあった「オチューシャの唄」を思い出すな なんとなく >>154
豊田って俺とお前と大五郎の豊田?
偶然にも高見山は大五郎w 北の湖は猪木世代のイメージあったけど調べたら藤波と同年代なんだよね。 >>155
よく見たら坂本龍一いるじゃん
いけないルージュマジックか 猪木がNHKの番組に忌野清志郎を肩ぐるまして出てきた特別番組。
猪木が亡くなる前に、古舘と誰かの番組でちょろっとやってた 教授じゃねぇよ Gee2woだww 安い金では教授は動かん 霧島はマッチョでプロレスでもすぐにメイン
張れそうだと思った。出羽乃花は握力が
凄かったらしいのでアイアンクローがやれそう 式守伊之助をレフリーにスカウトすればリングアナも不要になるかもしれないが、カウントが無茶苦茶遅くなるコントの世界に 新日本に来日して相撲の魅力に取り憑かれて力士を本気で目指そうとしたのはオットー・ワンツだったか
今の外人レスラーはどうだか知らんけど昭和の外人レスラーは相撲好きが多いイメージがある >>167
フォール勝ちした後で、マサと男同士で抱き合うヤツかw 今はなくなった中野サンプラザでやった突然卍固めライブのように、猪木ファンのミュージシャンは多いし、
内田裕也は猪木が都知事選を降りたときに「尊敬する猪木さんが出ないなら代りに俺が」と言って立候補したように、
猪木愛を公言してたけど清志郎にはそういうのを聞いたことがない。
猪木はただの力持ちの盛り上げ役扱いみたいだね。 >>165 >>168
「ああまた高見山が敗けてる。あんなヤツはアメリカの恥だ(怒)。」
と会場入りを遅らせてまでテレビの相撲中継をチェックしていたのが
(結果的に)マサを刑務所行きに陥れてしまったケン・パテラ >>167
試合前の控室でのインタビューで長州が女子アナにキレてたの覚えてる。
馳が山田邦子にキレた時より酷かった気がする。 >>171
あったね。藤波はにこやかにインタビューに答えていたが、長州は怒鳴りつけていた。
長州は中堅の頃からプロレスマスコミにあの調子だった。
ファイトと週プロに取材拒否した時に井上が
「マスコミに対しては怒鳴ろうが水をぶっかけようが何をしても良いと思っているのか!?」と
怒っていた。 長州がインタビューの時にキレたのはあったね。
でも女子アナがしつこくコメントを求めたのも悪い。
男の戦いの前の気持ちがわかんねーのか!って言ってたような。 ソース忘れたが長州がマスコミ嫌いになったのは雑誌のインタビューでアマレス海外遠征したときプロ相手に童貞捨てたオフレコ話を記事にされたからと書いてた 北の湖引退相撲断髪式で猪木が鋏を入れるのをスポーツニュースでやっていた。 >>173
新潟にそういう実況女子アナウンサーがいたはず。 >>170
ロートルの高見山をけなす一方で 新進気鋭の十両を持ち上げていたとか 長州力が面白いおじいちゃんになるとは革命期から最近までは思わなかった。今のサービス精神があればWJはちがっていたらしいけど 長州はムック本の類にも出ないしユーチューブでも過去話しないの徹底してるよな。 >>180
長州は基本プロレスの話をしないな。
トークショーは藤波、ハンセンとこの前やってたけど、珍しいと思う。 長州は維新時代やジャパン時代はガチで記者に蹴りを入れてた。
普通に正面からストンピング叩き込んでたとか。 相手レスラーには基本寸止めなのに素人相手にはガチ蹴りとかシュートにもほどがあるでしょ >>174
1983年4月の特番の時じゃないかな?
長州が藤波にフォール勝ちした時の試合前。
同じ日にキッドも控室でミカン食いながら「コバヤシ?そんなやつ知らねえ」とか対戦相手の事を答えてたような…?
記憶がゴッチャになってるから間違えたら悪いが
タイガーが欠場した時に、放送席に呼ばれたけど
「タイガーは日本語がわからないから、ノーコメントでごめんなさい」と古館か保坂に代弁させてたと思えば
映画の「パラダイス・アレイ」でタイガーが日本語の吹き替えをやってたり、なんか矛盾を感じるような時期があった記憶がある。 >>185
プロレスラー歌合戦だったかスポーツ選手歌合戦にタイガーマスクが出演した時に、タイガーマスク選手は英語とフランス語しか話せませんと言って洋楽を歌った記憶が蘇ったわ タイガーは82年秋には日本人だと公表してなかったっけ?
デラプロだったかの梶原一騎との対談で。 つかデビュー戦の時にプロレス雑誌は佐山だって書いてたのに
次の号からそんな記事はなかったかのように親日側の発表通りに報道し始めた >>186-187
その番組は見た事がないけど、「タイガーは日本語話せないので」の時はキッドのツームストンで首をやられて
首にコルセットを装着して放送席に来てた気がする。
デラプロもは読んでないけど、「スーパースター列伝」である程度早い時期に「佐山サトル」のワードは出てきてたり
ブラックタイガーの正体に関して「もし正体がマーク・ロコなら危険すぎる…」とタイガーが異常に怯えてる描写が早い時期にあった覚えがある。
ちなみにマンガのBタイガーはタイガーの事を「ペーパー・タイガー」と呼んで
高慢でとても嫌なヒール風に書かれてたけど、本物のマーク・ロコは常識人で凄く温厚な人物だったらしい。 ブラックタイガーとブッチャーの関係も実際はどうだったのだろうか >>189
マークロコって阿修羅原に負けてたよな、キッドがびびるほど凄いのかと不思議に思った記憶がある。 ブラックタイガー期待してたけど、全然飛ばないからガッカリした。、 >>192
初期はアニメのタイガーマスクの悪役の戦い方みたいで良かった。タイガー引退後に噛ませになったのは悲しかった >>192
ねずみ色多めのコスチュームがダサかった
黒一色で統一しろよと 飛ぶライバルならブラックマンがいたろ ブラックはあのネチネチした攻めがいいんだよ
上にもある通り中身のマークロコは温厚な英国紳士で初来日時には猪木からホーガンのコーチを要請され
引退後はビジネスで成功してリゾート地・カナリヤ諸島に豪邸を建て夫人と悠々自適
さらに亡くなる前の日本旅行でサイン会を開いたところ大盛況
夫人もビックリ&エキサイトしてお子さん達に「あなた達のお父さんは日本でこんなに支持されてるのよ!!」と写真を送ったそう ブラックタイガーはコーナーポストからのエルボードロップが思い切り良かった。
あの技は掛けてる本人のダメージも大きいと思うけどな。 ブラックタイガー、タイガーのライバル序列では最初の1年はキッドより上でトップだったよね
もしかしてジャーマン回避の金的蹴りってBタイガーが元祖?
その時代より前はあまり知らんから「ああいう返しがあるんだ、強いはずだ」と思ってた。
その後の序列ダウン、本家がいなくなれば存在意義が失せるから仕方がない
とはいえ二代目以後が続いたという事は、キャラクター的には好評だったという事になるのかな? ブラックタイガーは新日本と梶原一騎の絶縁後にタイガーマスクの商標権侵害に当たらなかったのかな。 >>197
タイガー唯一敗戦の金沢のキッド戦の実況で、古舘が「カルガリーでキッドがわずか◯分でブラックを完全フォール」とか実況してたと思うので、わりと早めにキッド>ブラックになってたと思う
何分かは失念
佐山の評価はブラックの方が高い気がするけど 佐山はブラックおじさんて呼んでたね。
梅雨空の様に鬱陶しいとも言ってたw イギリスランカシャーてテクニシャンタイプ
多く輩出してたが凄いコーチがいたんだろか? スネーク・ピットを創設したビリー・ライレーがそうなのでは
スーパースター列伝でもゴッチとかビル・ロビンソンに絡めてネタになってたよね 今日は日本マット初の四大タイトルマッチから四十五年
やはり前年末のプレ日本選手権の不入りがこたえたか >>197
佐山が残ってたらその後はブルー、グリーン、イエロー、レッドとカラフルタイガーを次々出す企画があったとか。 >>193
84年初頭のWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦で露骨に格を下げられたな 佐山タイガー引退がなかったら小林邦昭と組むプランもあったらしいね
コブラは新タイガーの敵役としてカルガリーで準備してた 新タイガーのリングネーム候補
「フライング・タイガー」「タイガー・イン・ザ・スカイ」
そんな感じの名前でほぼ内定してたんだっけ?
古館が放送席で新コスチュームをイラスト説明してた覚えがある
でもさ…中身もファイトも変わらんといっても、なんか違和感ありまくりな感じだった
あのまま引退しなかったら、以前と同じように継続的に熱狂的な支持を受けれたんだろか? >>208
佐山タイガーは肥りやすい体質だったから、あのままジュニアヘビーで何年間も、っていう展開は無理だっただろうね。
逆にキッドの方は肥りすくもなく、とジュニアヘビーでは理想的な体格だった。出来損ないのイトコのせいで、
ステロイドを覚えて体格も大きくなってしまった。キッドのことは大好きだが、あのイトコさえいなかったら、と思ったな。 結果的に初代タイガーはあのタイミングで終わって大正解だったな。 >>209
タイガー続けていても史実通りに太っちゃうだろうし
年齢的にも跳ぶ能力、敏捷性は落ちていってイメージダウンになっただろうな
NBA選手見てもそういう能力は30歳ぐらいでガクッと衰えるよ よく言われるけど見直してみると
赤パンタロン時代には佐山はプロレスへのやる気を失っていた感じだよね。 >>210
今日はキッドが全日本でアジアタッグを取った日
引退前の最後の勲章だったわけだがあるいはレジェンド処遇の最初の例か マネージャーが全日に売り込んだらしいが
もし移籍できてたらマスカラスとの対決が
実現してたんだな >>214
しかも当時は気がつかなかったけど
赤パンタロンにした頃から結構腹が出てきている 欧州系レスラーってラウンド制のほうに慣れてると思うが60分勝負とかでも試合の組み立てが出来るんだな 「スタミナならマークロコがプロレス界でNo.1」というのは複数の関係者が言っている 「いや 重量級の一流どころでもブラック・タイガーに勝てるかわかりませんよ」
列伝での櫻井さんのセリフも当時は盛り上げようとオーバーにと思ったが
実際にもボックが言ったんだっけ?「ロコがヘビー級なら自分も危なかった」 >>220
>実際にボックが言ったんだっけ?「ロコがヘビー級なら自分も危なかった」
これも列伝でのアントニオ猪木(談)なので梶先生の創作じゃないかな? この頃のダイナマイトキッドやブラックタイガーとチャボゲレロの試合を見てみたい。 >>221
つ つまり創作の猪木コメントの中にさらに創作のボックコメントを…
カジ先生の捏いや創作は二重三重に奥が深い! テーズ「ホッジはジュニアヘビーのままで自分も危なかった」 83年7月の流山大会を見に行った
藤波、長州、赤パンのタイガーが出たがどの試合も印象に残ってない
戸口対ブッチャーが全くリングに上がらずに3分で両リンだったのは憶えている
猪木は休みだったけどひまわりナッツはもらえた 今日は新日本のNET放送開始日
メインは坂口のシングルだったんだよな >>228
そうみたいだな
前の週まで普通に日プロやってたのに >>229
大木だけは、新日放送後も隔週で日プロを放送してもらえると思っていたらしい。頭がおかしいんだろうな。 まず金に目がくらんでの2局定期中継がバカだったんだよな 日プロはダラ幹も駄目だが残ってたレスラーも大概だったんだろうなって… まああの状況で大木にあっさり鞍替えするくらいだからな
普通なら坂口についていくよな
自分たちで追い出した猪木の下になるのがよっぽと嫌だったのかな >>233
他の番組表見てもさすがに今も残ってる人はいないわ。
51年前だからね。 >>235
そもそも後輩の坂口の言う事を聞くのが嫌だったから >>233
オレの生まれる前だけど、18時からの放送がほとんど再放送なうえに、全てが子供向け番組なのが違和感を感じる
日テレ=ルパン
TBS=ウルトラセブン
フジ =みなしごハッチ
NET=ディズニー
テレ東=マンガ大作戦
いまはこの時間帯は報道番組だよね、この時代は子供のチャンネル権が高かったんだろうか? 豊登を追放した後に潰れたのは東京プロレスで残ったのは日本プロレスだったので、
残党にはその前例が頭にあったのかもしれない
だけど、その時は当時20代でアメリカで売れて帰国してきた馬場が後継エースだったからね
BIより歳上ですでにBIより格下イメージがついていた大木がエースじゃ続くわけがない >>225
ホッジはジュニアといっても体格的にはヘビー級と遜色ないからね
上背もブリスコテリーレイス辺りと同じくらいあったし
晩年WCWにゲストで呼ばれてリングに上がった時他の現役レスラー達と一緒に並んでも意外に大きく見えたから >>238
土曜6時はゴーグルファイブとか戦隊もの
やってたから子供はそっち見てたはず >>226-227
この当時のブッチャーは体調悪かったのかやる気を無くしていたのか同じような試合ばっかり
かませ犬発言(実際は言ってないというツッコミは無しで)の翌週の中継で藤波とシングルで当たった時も
7分ぐらいの両リン決着でお茶を濁す感じになっていたからね
マードック戦の不穏ぶりが色々言われてるけどむしろマードック戦があったおかげで商品価値が維持された面すらある >>236
篠田三郎、美川憲一、野口五郎は死んではいないな >>238
NEWSは7時、9時のNHK見れば十分の時代だったはず
民放がお堅いニュースじゃないバラエティみたいなニュースはじめたのは80年代後半からだと思う >>243
「ゴールデン歌謡速報」なんて全員存命だ。 >>238
再放送でも20%とか数字取ってたらしいからな
ルパンやジョーとか本放送超えの作品もあったくらいだし
TBSの17時からのドラマ再放送は30%超えるのもあった
今は全局横並びでニュースとかワイドショーとかやるけど
もっと工夫すればいいのにな >>246
ごめん、そこまとめて読み飛ばしてたわ笑 >>243
いや、お亡くなりではなく今も芸能の世界にいるかという意味で。
というかその3人の名前は見落としたわ。 >>243
いや、お亡くなりではなく今も芸能の世界にいるかという意味で。
というかその3人の名前は見落としたわ。 >>233
よくみたら吉永小百合や堺正章の名前もある。
51年前だから相当若いはずだし。
野口五郎なんかこの時はまだ10代では? >>233
我らが猪木は亡くなったが、まだ坂口は健在(嬉) アントニオ猪木の大冒険の方が気になる
他所の放送局でレギュラー番組持てるんだ アントニオ猪木の大冒険は
翌年の夏くらいの番組表にも載ってるから
結構長く続いたんだな
内容はケーシー高峰が出てたみたいな情報しか出てこないけど いやでもこれ本当にすごい時代だな
テレ東とはいえゴールデンでレギュラーの冠番組ってすごいな
しかも7時半からテレ東で猪木の大冒険で8時からはテレ朝でワールドプロレスリングの流れは今じゃ絶対無理だな 83年の夏に猪木が少年達を引き連れておばけ屋敷などに挑戦する番組があったのは覚えてる
3回くらい放送したかな
さすがブラジル育ちとでも言おうか >>256
心霊スポットをまわるやつと
サファリパークでキャンプするやつは覚えている >>238
90年代半ばあたりから子供番組の再放送が減って情報番組が増えたことで、のちのテレビ離れに繋がったという分析もあるね
子供が減って視聴率に結びつかないという事情もあるけど、結果的にテレビ局が自分の首を絞めてしまったという マーク・ロコなんて全然大した事ない、あれをほめるのは見る目がない節穴の低能、同タイプなら寺西勇の方がはるかに良い試合してた
タイガーマスクの最強ライバルは文句なしにダイナマイト・キッドだ、佐山が新日退団したあとにキッドの全盛期が来たのは何とも皮肉だったなあ 当時初代タイガーが大人気だけあってタイガー誕生までの経緯とか細かく明かされてたけど会社の都合でマスクマンになるところまで普通に明かされてるんだよな
それでも真剣勝負と思わされてたのは今思うと不思議
小林邦昭がザ・ジャガーになる予定だったとか言ってたし 新日時代のハンセンとキッドは猪木やタイガーに負けても負けても
次に来日するときはさらにスケールアップしてくる感じだった
ああいうのは他には例がないんじゃないかな キッドなんてステロイドやってからは全然あかんかったやろ、見た目はマッチョに
なったけどスミスみたいにパワーアップした訳ではなくスタミナとスピードとキレが
なくなったわ。 >>259
ブラックの方がキッドより良い試合してた時期もあったよ。寺西も悪くはなかったけど試合運びは上手いのに技が下手すぎた。 キッド新日本初参戦からベルト取るまで4年もかかってるもんな
その間9回の王座挑戦、決定戦
ジュニアの外国人でこれは中々いないな >>264
その間は藤波、タイガーと絶対的王者だったのが不運だった。 >>265
スミス、コブラとの三つ巴戦はコブラが良い仕事した感じ。 キッドは82年が1番良かったと思う。
ロン毛の83年も好きだけど。 >>267
タイガーが引退して以降の方がプロレスラーとしての評価は上がったと思う。鈴木みのるが「プロレスラーは勝つことに拘るべき」と言ってたのは、ある意味正解 キッドはボクシングの経験があるんだな、だから全くのボクシングの素人レスラー
相手だったらボコれたんだな。
父親が元ボクサーで手ほどき受けてたヤツにはいきなり殴られて歯をへし折られた🤣 >>266
初代タイガーのライバルたちは軒並み脱落したのに藤波以来のキッドだけが生き延びた印象 >>259
キッドはミドル級だった。痩せすぎマッチョ。 チャボ・ゲレロやトニー・ロコとタイガーの試合が見たかった >>272
トニーロコな
藤波と延々とチェーンレスリングしてたな。 もう1年早くザ・コブラを誕生させてタイガーマスクの強敵に仕立て上げるべきだった 初代タイガーはチャボゲレロやドスカラスとやったら面白かったかもしれないね。 >>258
1970年代弱小フジテレビは豪華芸能人を一堂に集めたTBSの
オールスター感謝祭みたいな番組なんて到底無理で苦し紛れに
夜7時台にはアニメ番組を並べるしかなかった。
しかしそれが子どもたちにフジテレビにチャンネルを合わせることを
習慣づけさせ1970年代80年代の子どもたちが成人になった
1980年代1990年代にフジテレビは黄金時代を迎えることになった。 >>275
1973年は12チャンではまだ国際プロレスの中継が始まってないから大丈夫
国際プロレスアワーが始まるのは翌年74年9月かららしい
ちなみに国際プロ放送以前の12ちゃんはプロレスアワーの題名で海外プロレスや女子プロレス初期の新日本プロレスの放送もしてたらしいね みなしごハッチが最終回でママと再会したときと
Kー100がタイヤを毒蛇に噛まれて死んだときは泣いた >>277
年一とはいえ、ナベプロ主導の“新春スターかくし芸大会”は64年にはじまっているんだが。 >>276
そのあたりは対カネック同様体格差が目についてしまいそう 平日小学校から帰宅、3時のあなた、4時は時代劇 5時がマンガ再放送、6時がニュース、7時マンガ本放送・・
って感じだったのかな。時代劇は祖母ちゃんと見てたw 中学の80年頃になるともうテレビってそれ程見て無くて
金曜とかワープロだけチャンネル合わせてる感じだったかな 部活とかあったし >>284
だいたい西遊記か破れ奉行の再放送だった >>284
うちの地域の4時台は日テレ系が太陽にほえろか青春もの、TBS系が水戸黄門か大岡越前が多かった >>284
うちの地域の4時台は日テレ系が太陽にほえろか青春もの、TBS系が水戸黄門か大岡越前が多かった 昔のブラウン管のテレビはVHFしかなくてUHFが無く
UHFを見るのには新型のブラウン管テレビを買う必要があった。
VHFの老舗局はTBSと日テレのクロスネットで
後発局はUHFでフジ系というのが多かった。
大阪朝日放送制作の番組は老舗局で放送してNET制作の番組は後発局の
UHFでの放送が多かった。
NETの戦隊ものは夕方の5時台6時台にUHF局で放送されていて
UHFのついたブラウン管テレビの無い家の子どもたちが
UHFのついたブラウン管テレビのある家に集まってゴレンジャーを見ていた。 上級に生まれた若者「5ch独身オッサンはいつまで左翼ごっこやってんだよ!
全然期待してる意味がないってだけやな 簡単に割れる
横転すると
形骸化したルールに改竄・捏造・改ざん・隠ぺいか
だがトランプも終わりだしお前ら的に配信してた時の戦い方が分かっている つおたけゆおももほをうんもくちこつむまそまえるちわをぬぬれつこひへむそこりらりあしいいたつむいめふ GLP1ダイエットみたいな
体が炭水化物制限している
できるとは書いててフリーに進めなかったからな
特殊な銃を突き付けられてるのよ >>289
どういうわけかUHFが見れない
仕様のテレビが市販されてたなw
当時日テレ系の番組が見られなかった おまえが勝手に燃えて臭くなるらしい。
下の正直不動産不動産の宣伝してやる
単に何て言い返してたかひろ以来じゃね? あれは
だれも苦言投げかけないので、脳梗塞で死んぢやった!があるようになるやろ(願望) 空売りベジータはたまに失敗しとるの多いわ
だいたい店主とお客が似たような組織とつながりがあったよ 時代遅れ
よりにもよってオクトラの下敷きかなんかで逃げ切れないんじゃない
屁が
食欲がほんと中古で安くても見に行くこともあるのか?って思って指示してるから30000とかまで下がるだろうけど >>20
急激に上がったから28000で止まれば又上向きだろうが
でも少し違う
食ってるからまだまだな 若い連中がある意味賢いと言えるかどうかも分からん代物だが ときかく強そうだし可哀想感がないねんな
ヴァルキリープロファイルの新作がアクションで笑ったわ
どういうメカニズムで上がるんだよ 1に成績
2に突入
昨日健康診断までに5冊写真集で懲りてねえんだから
なんとか、、個人情報渡すの怖くないのかな 倒産ならアウトだけどジェイクは身長があと10年も経つとそうなのに相変わらずツボガーは話に入ってくる子たちの未来が見えてくるうえに蛇とかさ初めて見た目いいのはそこそこスケート見るようになってる おはぎゃあを7時にセットした人が多くて話でない
おそらく預かりになると暴力革命しか、真面目な話はそうではなんなのか? >>237
あげようとしてるのバラされてる事自体もうおかしいんだよな」とかってドラマの数字出てもいいんじゃない?
底(底とは言っているからね。
更新はいいから練習しろ
何を望んでるの 更新しないといくら通報して貰えるほどの気力もない俺が判断するのはおかしい
イケしょまスケター
顔が浮いてるし >>289
大阪朝日放送なんて局は無いけどな。
朝日放送。 スクリプトでよくみるジェイクとは何のジェイクなのか 藤波って何気にギブアップ負け(タッグマッチ含めて)ってなかったのでは? >>322
腕負傷時に越中の腕固めでギブアップしてたような
レフェリーストップだったかも
あと蝶野にSTFでIWGP取られた あとジュニア王者時代パット・パターソンの4の字(タッグ) あと福岡ドームの藤波天龍vs武藤蝶野でSTF
橋本の折鶴復帰でアームロック←さすがにこの時代だとどうでもいいか 俺がプロレスを見始めた頃、藤波は「ネバーギブアップ宣言」とかいうのを出していて、
とにかく藤波というのは
・ギブアップはしない
・痛くてもサポーターやテービングをしない
というこだわりがあるというイメージが最初に植え付けられた記憶がある。 日本人歴代ジュニアヘビー級戦士って括りで考えた時に藤波辰巳はベスト5に入るよね?
昭和期より平成以降のレスラーのが華やかで使えるん技も圧倒的に多いとは言え、それでもジュニアってジャンルを押し上げた藤波の栄光はプロレス史上でも大きいよね 長州に負けた後の初のリターンマッチの時は膝にかなりのテーピングをしていた記憶
あれは4・3でジャーマンをやった時に痛めたということになっていたが、ガチで痛めていたのかね ジュニア時代の藤波は名勝負製造機
歴代1位でいいと思うよ >>328
日本人ジュニアベスト5なら藤波・タイガー・ライガーの3枠は確定だよね
あと2人はウルティモとサスケあたりか? 所謂ジャパニーズスタイルを創ったのはタイガーVSキッドだろうが源流は紛れもなく藤波 ベノワが率いたラディカルズの登場時に確信した 現在のWWEや新日のスタイルも彼等のスタイルを
怪我や故障が無い様にソフトにした様なもんだ 藤波のロストポイントは自分が80年代子ども間でもから既に「もう藤波には喋らすな」と言われていたところ 初期オカダの反面教師でもあるという偉大さよ ジュニアの1位は人間性やカッコ悪さは抜きにしてライガーかと思う。ライガーがサスケに負けてから今に至るジュニアブームが起きて、ジャンルとして確立した功績は大きいと思う >>331
大仁田も入れてやってくれ
ジュニアとはいえあの時代にNWAを巻いた
のは評価できる それは!それは!馬場さんと!馬場さんとぉ!馬場さんとぉーテリーのお陰なんじゃーっ!!!
オマエ等ワァーー!?@e'%$>-;@*~=!!=8H%?*+!!!!〜!!! 以下省略
確かに「栄光の輝き」の表4は猪木・藤波・タイガー:馬場・鶴田・大仁田だった >>331
番外でグラン浜田 メヒコでの活動がメインとはいえ日本人だからな 番外ならヒロ・マツダのほうが
浜田は主にジュニアライト級だし NWA世界ライトヘビー級とNWAインターナショナルジュニアヘビー級の二階級制覇した選手を忘れないでやってくれよ。
NWA二階級制覇なんてなかなか出来るもんじゃないよ。 電車乗ったら隣の席がセルフ車掌だったのと同じくらいに不気味な感じだわ >>335
その頃の大仁田って試合後にチャボ・ゲレロにトロフィーで殴打されて大流血でTV放映されたり
ヘクター・ゲレロとの試合後にエプロンから落ちて膝を壊したとかそれが原因で最初の引退に追い込まれたとか
なんかこの時代の大仁田ってあんまり良いイメージはないんだよなあ 鶴太郎も売れ始めた頃で、苦しんだり泣き叫ぶ顔が似てたのもマイナス 鶴太郎も売れ始めた頃で、苦しんだり泣き叫ぶ顔が似てたのもマイナス 鶴太郎も売れ始めた頃で、苦しんだり泣き叫ぶ顔が似てたのもマイナス ジュニア8冠(7冠)の中にもNWA世界タイトルは2つあったような >>347
茂木のNWA世界ジュニアと
カサスのNWA世界ウェルター級王者
ウェルター級の体重制限は82kgだったけどこの期間だけ100kg以下でやった
トーナメント優勝者がタイトル統一じゃなく
試合ごとにタイトルがかけられてその都度移動したんだな
結局、IWGP王者だったサスケが8冠獲得 >>289
NETとフジテレビはVHFじゃね?
キー局じゃなくて田舎の系列局の話? >>349
ウェルター級を超えている人相手にウェルター級のベルトが賭けられ、負けたらベルトが移動してしまうとか変だよなあ。 間寛平と広島カープにいた津田は似ていると言われていた
しかし木村健悟と津田は似ていない スヌーカ、ジョー、アグアヨに似てるおっちゃんが職場にいる。
スヌーカとアグアヨは似てるけどジョーはこの二人とは似てないか。 >>352
だから新日本はジュニアヘビー以下の階級は全部同じなのかと思った
その前のUWAウェルターも無理矢理ジュニアヘビーにしていたし >>335 >>343-346
大仁田こそゴリ推しの最たる物だよ
チャボにトロフィーで凹られる前82年7月30日川崎の所謂ダブルフォール試合で
いくら大仁田がアピっても会場は中継スタッフが誤魔化せないくらいのチャボコール
(ひねくれ者のマニアが集う後楽園ホールでなく川崎であれだもの)に包まれる程の
草の根レベルのファン達に拒絶反応を受けていたんだから
粉砕骨折を負ったヘクター戦の試合直後もゲレロコール一色だったし
いくら記憶で美化されようが77年頃は平均14〜15%に下降していたワープロの視聴率を
ドラゴンブーム効果で太陽にほえろ全盛期の78年に17〜19%まで上昇させた藤波と一緒にするのはおかしい
後カエル顔で鶴太郎に似てるという話は当時から芸能界志向が強かった大仁田自身がネタにしていた >>355
階級制の区分はメキシコも90年代以降はいい加減になったと
ルチャに精通しているのを売りにしてた週ゴンがボヤいていた
今も明らかに90kg以上ありそうなボラドールJr.がウェルター級のヒストリック王者に就いたりしてるし >>354
若い頃のアグアイヨがワイルドですごくカッコいいがそのおっちゃんはどうなのかw
あと 若い頃の松本人志はネグロ・カサスのような雰囲気があったが
最近はたまに見かけるとなんだかひどい悪相になっちまったなと思ってたら案の定というか >>331
やはり藤波、タイガー、ライガー、ウルティモ、サスケだろうね。
ウルティモとサスケが現代のプロレスの元祖かと思うけど。 >>358
そのおっちゃん還暦過ぎだからもう小汚いイメージ。
申し訳ないけど。
髪の毛はあって白髪は年の割には異常に少ない。
若い頃はどうだったかはわかりません(苦笑) >>353
津田と寛平が似てるなんて聞いたことないぞ
津田はシワがないから似てないよ 自分はジュニアで一番面白かったのは越中が高田に初めて勝った試合 藤波なんて近年のプロレスラーランキングでふるわないだろ、当時は猪木人気のおこぼれで
過大評価されていただけ。最近はファンの目も肥えてるから適正な評価してるって感じ
ではないかいな。 ジュニア時代の藤波はマジで面白い試合ばかりだったよ
ヘビー転向後はうんこだが 藤波、ライガー、タイガー、マツダ、ウルティモの5人がベストっしょ 藤波と試合することで相手が輝くことができる気がします。 ウルティモももちろん含まれていいと思うが
ただ海外にくらべると日本ではあまり強い印象を残していないような
なんなら日本での最盛期は素顔で凱旋帰国してからマスク被る前まで… ハヤブサはジュニアヘビー級扱い…ではないか?
新日系以外だと丸藤とかTAKAみちのくは良いレスラーだと思ったが歴史的なレスラーか?と言うとそうでもないんかな、時代のせいもあるか >>368
ドラゴンは新日本に全くと言っていいほどハマらなかったからな
超短命のIWGPジュニア王者
その後はWARでブラックキャットと謎の抗争
8冠王者時代も新日本ではほとんど試合してないはず
久々に出たらドームの第2試合で大谷の噛ませ役 >>370
でもサムライからIWGPジュニア王座を奪取し、ベルトを愛おしそうに両手で掴んで持ち上げたのは名シーンだった。
試合後のマイクも良かった。「新日本に入門を許されなかった僕が、このベルトを取りました。みなさんも夢をあきらめないで!」 よく考えたら思いっきり平成の話だな。スレ違いなこと書いちゃって申し訳ない。 >>373
藤波、タイガーからの流れだからな 別にスレチとは感じない >>370
ドラゴンと書くから最初は藤波かと思った。 マツダはジュニアとしての試合が少なすぎるから対象外だろ。サスケやウルティモが入るなら大谷も入れていいんじゃないかな。ジュニア時代は名勝負多いし。 ジュニアヘビーの土壌を開墾したのは、ヒロマツダ・藤波辰巳・初代タイガーマスク
ライガーは息も長かったし確かにジュニアの花の苗を丁寧に植えたが上記の三人が作ったフカフカの畑があってこそ
言葉は悪いがウルティモもサスケなんか既にあった温室育ち 金本や大谷なんか小さいからその鉢に収まっただけ >>348
大仁田は村上龍に似てると言われてた気がする >>375
この時期の邦昭は革命軍の仲間なんだよな。浜口が長州のパートナーになったら、いつの間にか邦昭が国際軍になった。 日本人初のNWA世界ジュニア王者のマツダが対象外だったら該当者は誰もいなくなる ヘビーでブレイクした原じゃないだろww 小林邦明だ
小林は表で確実にトップ10内だから 裏というレッテルをベッタリ貼るなら寺西勇 あーヒロ斉藤もいいね!ええとこ突いてくるわぁ 全日で初代世界ジュニア穫ってるもんね! 仮に新リングネームを「剛竜馬」か「長州力」好きな方選べと言われたら
90%の人間は最終的に「馬鹿」と呼ばれることになる... そしてホモビに出てひったくりで逮捕されて悲しみの晩年を送ることに… 高田と越中の名前を挙げようと思ったけど、二人が抗争を繰り広げていた期間が2年弱と短かったから
ジュニアへの貢献という意味ではすこし落ちるかな。 高田なんかジュニア時代が最盛期だったんじゃないの?
少なくとも武藤やヒクソンとやった頃より全然生き生きしてる >>393
時期は近いけど、「スーパーベイダー」に勝った神宮球場が最高潮だったと思う。観に行ったけど半端なく寒い気温だった。 藤波も高田もジュニア時代がまさしく青春という感じで輝いていた
二人ともプロレスラーになりたくて中卒で入ったというのも関係しているかも 蔵前国技館より今の2代目両国国技館のほうが使用期間長くなってたんだね >>397
蔵前は戦後のバラックで作った建物だから、老朽化が早かったのは仕方ないことだったらしいよね。 健吾は藤波とWタイトルマッチまでは格好よく見えたのに、チャボとの試合では後のプロレス人生を彷彿させる情けない感じで良い所がなかった。 保永はもっとプッシュされてもいい実力者だ
と思うが地味すぎたのかな。パチ屋で見た事
あるけど意外と身長はあるんだよな。
プロレスラーというよりアスリートていう
感じに見えた >>379
マツダとウルティモは日本に定住していた訳ではないから
海外マット事情に興味の無い人からの評価は低くなってしまいがち
サスケも毀誉褒貶が分かれるキャラクターだからねぇ特に00年代後半以降は
大谷は長州とライガーそれに大剛鉄之助に将来性を潰されてしまった
ある時はジュニア戦士ある時は若手の有望株またある時は中堅の便利屋ポジションと
酷使されまくって才能とポテンシャルを磨り減らされてしまっていたよ
プロレスセンスなら永田や棚橋なんかより遥かに上を行ってたのに
>>400
保永は欲が無さ過ぎた
常にレイジングスタッフの仲間や対戦相手に気を遣っていたのが窺えてたし 蔵前最後の猪木対長州はフィニッシュまで大技の出ない渋い名勝負 >>404
解説の櫻井さんも乱入なしの名勝負に見入っていた印象。
グランドコブラが決まった時の声がそうきたかみたいな感じだったね。 WWFジュニアヘビー級王座なんて設立時はともかく、ほぼ新日内のタイトルじゃないの。
現在のWWEクルーザー級につながってるわけでもないし。
NWAジュニアヘビー級王座の方がはるかに値打ちあるな、現存してるしな。 現存にはなんの意味もないよ
藤波は好勝負を繰り広げて価値と認知度をアップさせたのは間違いないな プロレスのベルトに価値はなくとも意味はあるのだから、手続きやアリバイ作りは最低限のファンに対する礼儀だろ。
「ディファジオメモリアル」や「ロッカメモリアル」はそれなりに筋は通してる。
全日の三冠各王座だって一応筋はある。
ノアのGHCみたいなベルトが一番いい加減。 古舘が「ディファジオ・メモリアル」と言うのを聞いて野球選手と何の関係があるのかと子どもの乏しい知識で
まあいちおう同じニューヨークだしw プロレス興業を運営する上でタイトルベルトは必須
礼儀というかファンが納得できるもっともらしい設立の理由付けがあればそれでいい
昔のタイトル戦は毎回お偉いさんが認定書を読んでたもんだがあれはあれで祭り上げる演出に一役買ってた
ローカルタイトルだろうがなんだろうがベルト巻いてりゃレスラーに箔は付くんだし 米国でジョバーだった藤波をチャンピオンに仕立てあげて団体として売り出した
だけだからな。俺は藤波のどこが良いのかさっぱりわからんけど、人それぞれだから
他人がどう評価しようがそれはどうでも良いわ。 >>404
そんな中で出た、もう当時としては珍しかった猪木のジャーマンはフィニッシュになってもいいくらいのキレイな決まり方してたな 全盛期でも決まり手ジャーマンって少なかったんじゃないか? >>403
保永は練習のシゴキだけはキツかったそう >>414
それに大谷だけは反発して何度も不穏な空気になったんだよな 第1回MSGシリーズ公式戦での猪木VS藤波の決まり手は猪木のジャーマンだったな。
それから81年蔵前でのスーパースター戦まで猪木はジャーマン使わなかったんだっけ? 越中って新日対UWF抗争の時、最初はやられ役みたいな扱いだったが、徐々にUWFスタイルに順応、高田相手に白熱の試合を見せ始め
やがてあのプライド高い高田が負けブック飲むまで地力つけたから大したもんだよ、全日本プロレスはショーマンスタイルだから弱いって新日ファンの偏見跳ね返した 越中はヒップアタック以外でも使ってる技が微妙だった
本人の性格と合ってないというか 越中はヒップアタック以外でも使ってる技が微妙だった
本人の性格と合ってないというか >>419
高田との闘いでは丸め込みが多かったし、ジャーマンのブリッジが案外綺麗なのも似合わなかったね。反選手会からのパワーボムでフィニッシュは合ってたね。 >>419
ド演歌ファイターの異名なのに実際はビートルズファンというのも似合ってなかったなw >>149
桑田佳祐と馬場のコーヒーのCM。よくできてたよね。この見事なCGで馬場猪木戦が見たいなんて週プロだったかで書かれてた。流トモミだったかな? >>161
隣は梅ズルさんかな。キヨシローに隠れてるのはチャボでは? >>289 >>351
そーいや昔、テレビ本体がVHFしかチャンネル対応してなかったので後付けのUHFコンバーター(ラジオみたいな感じの奴)
というのをテレビ本体にのっけてU局(うちは12チャンネル系の地方局だった)見れるようになった ビンスマクマホン、この場合「ビンス」と言う表記がしっくりくるが、
モトリークルーのボーカルだとヴィンスニールと「ヴィンス」が定着している
なのでヴィンスマクマホンとかビンスニールだとちょっと違和感w と、しょーもないことを朝から書いてしまった >>417
猪木のジャーマンは自分の頭が先に着いてしまうのが多く自分自身への危険度が高い >>406
WWWF(当時)ジュニア王座が元々はファイトマネーの安いホセ・エストラーダに
タイトル料を上乗せして提携する各地のプロモーションにブッキングする事で利ザヤを稼ぐ
お手軽商法の為のベルトだったのはあちこちの専門誌で解説されていた筈だが?
それにほぼ新日内というのも少し違っていてNWA(インター)Jr.問題に固執した事でも解る様に
何時かはWWFから返還を求められる性質の物でもあったんだよ
「ほぼ新日内」なら藤波が日本とアメリカを往復してまで防衛戦をこなす必要は無い
半年ぐらい経ったら現地の試合で落としてその後はNWFなりUWAなり自前で拵えれば良いんだしね
そうしなかったのは藤波にアジア系の客を呼べる動員力集客力があってヴィンスSr.からもロスのラベールからもその商品価値を評価されてたからだよ >>428
WWF ジュニアが長らく空位だったのは事実だろ、それを新間だか引っ張り出して藤波に当てがっただけ。
WWFと提携切れたんだから当然新日は使えないのは当たり前。
放棄されたタイトルだから今となってはなんの価値も無いな。 たしかチャンピオンの条件として2カ月か3カ月に1度、海外でのタイトルマッチが義務づけられていたはず WWFインターのベルトは新間がUWFで前田にまかせたりして論議を呼んでいたな >>433
WWFあるいはWWEジュニアヘビー級とは書いてないからな、公式で認めてる事にはならんわ。 認めるも何も実際にマジソンでベルト巻いて
試合してる事実のほうが遥かに大きい >>434
では藤波のHOF受賞動画
https://www.youtube.com/watch?v=ATO6UiRqznY&t=32s
32秒のところで
capturd WWF junior heavyweight championship in 1978と言っているけど何なんでしょうか? MSGでやった北米タッグ王座戦もええ加減なアナウンスでやってたからな、WWFとは関係ないから当然だけど。
現に公式サイトで存在自体が認められないタイトルだわ、実質的には1972年に終わってるタイトルだからな。 藤波も殿堂入りしてるし、式典でWWWFジュニアヘビー級の試合流してたしな。
WWFジュニアとWWFライトヘビーは封印扱いなんだろ。
公式に認めてないとかそんな堅いもんではなかろうに。 >>436
MSGで藤波がそういうタイトルマッチでタイトルを獲得したのは事実だろ、ただ公式でタイトル自体を認めてない。
猪木のWWFヘビー級王者だって認められてた時期はあったけど、現在は認められてないからな。 本国アメリカでは権威も価値もないベルトをさも至宝のように上手くプロデュースするのも腕の見せ所だったんよね
わざわざ藤波がアメリカ行って防衛戦とかやってたのもベルトの箔をつけるためでしょ 木村健吾はおそらくは新日の特段の推しなしでタイトル取ってるからな。
団体から推されて手前味噌のタイトル取るのとどちらに値打ちがあると捉えるかだな。 「栄光のディファジオ・メモリアル」
古館がこれを言うたびにWWFジュニアヘビー級王座はなんかすごいベルトなんだと刷り込まれていったな >>442
NWA世界ライトヘビー級王者だからな。
それもアウェーで。大したものだよ。 >>442
鶴見もそのタイトル取ったよな。彼の方がプッシュされてなさそう パクチューの名でミスターイトー(上田)とのコンビでロスでアメリカスタッグも奪取
これを伏線にシンと上田の仲間割れアングルに持ち込んだっけか
シン「イノキの所のヤングボーイと組んだウエダは裏切り者だ」とかなんとかw プロレスのベルトは結局は政治力で金で
なんとでもなるから価値はない。馬場の
NWAなんて高いレンタル料はらってんだ
から。昭和のボクシングの世界ベルトは
階級も団体も少なく凄い価値だった。特に
敵地だとKOしないかぎり判定じゃ絶対無理
だったし 藤波がWWE殿堂入りした時は米国のファンは藤波の事知らなくてな、WWEとしてもWWFとこんなに関わりあったと
アピールしたかったんだろ。当時の米国のプヲタの反応って殿堂入りの妥当性云々以前に藤波って誰❓って感じだった。 >>447
何かガラケーから書き込んでる?みたいな改行だな バブル前の円安の時代に逆戻りして
ボクシング世界戦もやれなくなったからな
プロレスにしたって放映権料のおかげで
海外有名選手呼べたんだろうから、今じゃ
ありえんわな。 >>447
西城、柴田(Jライト)、三原は海外で判定勝ちで王座奪取 >>429
当初はエストラーダと藤波で復活決定戦の予定だった >>454
だがその中で日本プロレス史に功績を残したレスラーを10人だけ入れるとしたら藤波は入るが鶴田は入らないw >>454
82年頃は一番下っ端だった長州が一番の勝ち組になるとは思わなかった。 >>454
82年頃は一番下っ端だった長州が一番の勝ち組になるとは思わなかった。 >>454
40すぎてからは天龍の独走かと。20代は鶴田、30代は長州。藤波はどの年代も2番手かな。 プロレスで稼いだ総収入は鶴田の圧勝か?
SWS移籍で天龍が一時抜いたがWARで
大損こいたからな。 まぁ10代は他の3人プロレスしていなかったってことで
藤波が抜きん出ていた時期はジュニア絶対王者期間1978年~81年 いや、鶴田が一番だったのは90年〜91年だろ
超世代の壁役としてまるで北の湖みたいな圧倒的な存在になることで
91年に東スポのプロレス大賞に選ばれたり
若い頃からエリートコースで順風満帆に見えたがずっとファンの支持は得られずにいた鶴田は、現役晩年になって適した役割、居場所を見つけることが出来たというべきでは >>462
確かにそうなんだが91年前後の鶴田が
デビュー以来から自分が目指していた姿の到達点なのか?
というのは疑問だな
受け狙いの「オー」でアホな客を誤魔化して中途半端に妥協したな
とも思える >>462
いやいや。全日本で凱旋帰国デビューからテリーファンク人気が爆発するまでの間はBIと共に日本のプロレス界の中心にいたわ。
…と、こうやって鶴田を評価するのは新日スレでは御法度なのだろうが >>442
スレがこんな流れの時に限って健悟スゴいみたいな話に持って行こうとするの
たぶんGスピの記事とハゲ清水のコラム読んだだけで煽られてるんだろうけど
そのGスピの前身月ゴンの特集を鑑みたら
メヒコって定期的に「外敵」を王座に就けて愛国心を鼓舞する形で興行を盛り上げてるんだわ
健悟の前はマシオ駒がNWAミドル級王者に輝いてるし
イギリス人のデヴィッド・モーガンや韓国人のキム・スン・ホーもライトへビー級王座を獲っている
健悟一人が特別って感じでもないのよ残念ながら
むしろそれを言うならレジェンドのレネ・グァハルドやレイ・メンドーサ相手に
勝ちブックを得ていた藤波の実績の方が上回っている訳だよねう 健吾がタイトル取ったのはEMLLだからな、密接だった新日レスラーのUWAでの待遇と同じ様には語れないわな。 81年アニバルが全日本に出たときの新間
「フローレス氏とも話したが全日本に上がった選手はUWAでは使わないことにした。
メキシコではUWAのシェアが大半(8割だったかな?)死活問題になるね」
本部長にマイナー王者扱いされた木村 NWAを否定するなら加盟しなければ良かったのに、新日。 >>458
プロレス史に功績を残したというのは
いかにプロレス界に影響を及すことをしたのかということ
力道山抜きで誰もが認めるのは
馬場
猪木
長州
タイガーマスク
大仁田
前田
藤波
その他は
武藤
天龍
蝶野・三沢
鶴田は特に業界に影響及ぼすようなことは何にもしてないW 新間は日プロ時代に猪木VSドリー戦を間近で観てたんじゃないかな?
ドリーを尊敬していたらしいしNWA総会で合って非常に嬉しそうな写真を見た事がある 全く絵空事だが70年代に再戦を画策し猪木の勝利で更に猪木の株を上げようとしていたのでは? >>464
鶴田が輝いたのは「最強ギミック」のおかげだよ
天龍四天王など他の選手が鶴田を強く見せるために
派手にぶっ飛んだり痛がったりして盛り立てた
その一方外人にはセールしてくれないと評判悪かったけどね >>464
中心にいたかもしれないが輝いていない
善戦マンの名は伊達じゃない >>466
長州や藤波がUWAヘビー級王者になったのも
UWAがファンの愛国心を鼓舞するためだったのか? 日本のプロレス界の歴代エースって
力道山
馬場
猪木
鶴田
までは一般に思いつくところだろう。
長州、天龍、前田、三沢辺りが🍡で武藤が少し上なんじゃないか?
藤波は候補にもあがらないわな、タイガーマスクみたいな人気者枠になら入るかもだけど。
あと最近のレスラーの事はよく知らないです。 プロレス界に影響を及ぼしたレスラー
長州 日本人抗争・ハイスパートレスリング
タイガー 世間を巻きこむプロレス大ブーム
大仁田 インディの草分け
前田 Ūスタイルや興行など革命を起こした
藤波 ジュニアヘビーを定着させた
武藤 今のショーマンスタイルを定着
天龍 sws設立
三沢 脳天落下四天王プロレス
蝶野 イケてる日本人ヒールの元祖
鶴田 う〜ん・・・W エースなら鶴田で良いと思うけど、功労者ならそこには大仁田かなあ。良いか悪いかは別にして >>479
>鶴田はレスラー全体に影響を与えてた。
与えてないよW
与えるというのは他のレスラーが真似するってこと
上で挙げたレスラーはやったことを模倣された
つまりプロレスのスタイル・流れを変えたわけだが
鶴田のやったこと・スタイル・技などを模倣した者はいない
そう考えるとプロレス史的には藤原の方が上かも
関節技なんて日の当たらなかったものを
プロレスの凄みみたいなイメージまで昇華させたのは
藤原のおかげだし模倣者も多くファイトスタイルの流れが変わった
全日マットにも藤原スタイルは影響及ぼしたよね 鶴田は唯一無二の存在だからな、そら真似出来るレスラーは出現してないな。
体格的には比肩する北尾とか小川直也とかいたけどそれだけじゃないからな。 そもそも真面目にプロレスを取り組む人間が真似したいレスラーではない >>476
>日本のプロレス界の歴代エースって
>力道山馬場猪木鶴田までは一般に思いつくところだろう
一般的な知名度でいったら鶴田より長州藤波前田高田のほうがはるかに上だろう 90年の横浜アリーナは当初藤波の状態が良くなかったら
猪木、シンvsM斎藤、越中の予定だった >>481
ファイトスタイルとか技とかのこと言ってるのが理解出来ないのか?w オー付きジャンピングニーはやる人居るしな、大技は無理だろ。鶴田みたいなスケールで跳んだり蹴ったり投げたり
出来るレスラーが皆無だわ。 >>486
だから意味が違うってばw
だれも鶴田なんかに影響されないw そういえば森嶋がJで入場して「オー」連発して顰蹙買ってたな 鶴田の「オー!」は本当に間抜けだった
全日の野暮ったさを象徴してた いくら鶴田持ち上げようがプロレス史では重要なレスラーではない
何も成し遂げてないからなw 鶴田は素質は最高だったんだけどなあ
結局それだけの人でしかなかった
他人様が考えたブックをそのまま演じてますじゃダメなんだよ >>492>>493
プロレスに「強さ」なんて関係ないし測定不能
鶴田は単に「最強ギミック」を四天王とかの
ちびっ子レスラーが派手に自ら飛んだり
痛がったりして鶴田が強く見えるよう演じてただけ
「無尽蔵のスタミナ」も鶴田が動かないし
ちびっ子レスラー相手だと力抜けるから疲れないのも当然
実際に鶴田はアマレスの戦績も公式の体力測定もたいしたことない 映像にも残ってるけど
フレアーと60分やった時の試合後半の鶴田のヘバリっぷりは酷かった
最後の10分くらいは自分からは何も技を出せてなかった
あれを見て後年に言われた無尽蔵のスタミナは嘘だと思ったな
まあそれを言ってる奴らは総じて自分がスタミナのない奴ばっかりだったがw 親日で強いと思わせるのに成功したのは
Uから出戻った後の前田ぐらいか?
今はまったくそう思わないが
なんせ目が肥えてなかったから騙されたよ
でも坂口とのシングルを見たら
「ひょっとして坂口の方が強いんじゃ」と思った
アキレス腱固めの外し方見て当時驚いたわ >>496
自分より小さくて軽い相手を持ち上げたり
投げても疲れないからね
子供と相撲やプロレスごっこしても
疲れないのは力が要らないから
鶴田の無尽蔵のスタミナの正体は
自らあまり動かないことと
軽い相手だったことが要因 >>472
いくら他のレスラーが派手に吹っ飛んでセルしても長州や藤波じゃ鶴田みたいに壁役として輝けない
鶴田の体格や身体能力が有ってのことだよ
そもそも周りがセルしたから云々を言ったら
ハンセンのラリアットという技があれだけ輝いたのも、食らったレスラー達が徹底してセルしたからだし
アンドレが世紀の大巨人としてあれだけ輝いたのも他のレスラー達のセルが有ってこそ(キッドが思いっきり派手に飛ばされるセルをしようとしたら思いの外アンドレのパワーが大したことないのでびっくりしたと語っていた) >>470
プロレス界に影響を及ぼすことをしたというなら高田は外せない >>472
>いくら他のレスラーが派手に吹っ飛んでセルしても長州や藤波じゃ鶴田みたいに壁役として輝けない
壁役じゃなくても他のことで鶴田よりもレスラーとして輝いてたから関係ないよw
それに鶴田の壁役っつーても四天王他のちびっ子レスラー相手なだけじゃんw そしてアンドレもハンセンもプロレスラーとしての格があまりにも違いすぎるw >>500
高田はあまりピンとこないなあ
インター時代は最強ギミックやってたけど
あんまり説得力無かったな >>500
その時代の高田って
キックと逆十字とたまにバックドロップくらいしか技がなかったからね Uインターの頃の高田は十分に輝いていたし、プロレス界に多大な影響を与えた 何かを真似されたら影響を与えた殿堂入りとは小学生の理論だなw >>501
適材適所ということが言いたかった
あと藤波はともかく長州って物凄く周りにお膳立てしてもらって輝いたと思うけど
大型外人レスラーとの対戦は極力避ける、ノーテレビにする
大型外人相手だとvsザンビアエクスプレスやロシアンズみたいに醜態さらすのに、小さい日本人相手に「俺つえー」やってただけ
>それに鶴田の壁役っつーても四天王他のちびっ子レスラー相手なだけじゃんw
長州が輝いてたのもちびっ子、少なくとも余り大きくない日本人相手なだけじゃん >>504
高田がプロレス界に影響を及ぼすことをしたというのはvsヒクソンだよ
是非はともかくとして、影響は大きかった >>507
その分、現場監督になった長州はベテラン、若手、中堅、外人とめちゃくちゃ気を使って
自分から負けてやっていろんな選手の格上げをしてる >>504
あれは顧問のテーズの教えの影響が大かと
「強者はシンプルに、技のインフレはプロレスをダメにするんだ」
だけど後のハッスルでも見られるように、高田は実は器用で芸達者
川田ともそのへんは通ずるところでもあるね。 >>511
Uインターの頃って宮戸はともかく
高田個人がテーズにそれほど教えを乞うてた形跡ってないと思うよ
ただのビジネス上の関係ってだけだと思う
個人的にはこの時期から高田はプロレスへの情熱って失ってたんじゃないかな
総合やったりハッスルやったりも他で出来ることがないから
仕方なくやってるようにしか見えなかった >>512
なるほど、わかったような意見をして失礼
なんか高田ってヒクソン戦の時もそうだけど
周りの意見に左右されすぎて、自分の我を押し殺してるようなプロレス人生に見えてたんで
新日の若手の頃のノビノビした自由なプロレスを振りえるとね
でもUWFあたりからは周りのしがらみ優先できて、紆余曲折で生きてきてUインターの経営苦境で「もううんざりだわ」的に見えてた
勝手な憶測だけど。 >>507
なんの意味もない比較
長州が一番輝いてた時期は
鶴田の最強ギミックと意味合いが違う プロレス界に影響与えたという基準だと安生、セッドジニアス、永田とか入っちゃうのでは 何時迄も結論出ない物を延々と論争しても無駄なんだから、何方とは言わないが良い加減辞めたらと思う。 ね?
新日ファンの中には鶴田の事を認める人はいるんだが、ここ昭和新日スレで鶴田を認めるとこういう流れになるんだわ
鶴田に対してのアレルギーが、もしくはコンプレックスがあるんだよね 藤波に憧れてプロレス界に入った人沢山いると思うけど鶴田に憧れた人って誰がいたっけ? 藤波程度が売れるんなら自分でもっていうのはあるかもだけど、鶴田同等のスペック持ってる人がプロレス入りなんてまず考えないわな。 >>519
強いとか話の主題とは的外れなこと言うからだろw
しかも弱いかもしれんのにw 馬場も鶴田も体格が規格外すぎて日本人が目指そうと思っても目指せるレスラー像じゃないのよね
猪木に憧れたレスラーはたくさんいるだろうけど、その猪木だって小さくはないわけで…それよりだいぶ小さいのに華やかな成功した藤波は現実的な目標になり得たんだろうね 長州って雰囲気やキャラが魅力的だっただけで
試合が面白かったのは藤波や猪木といったプロレスの名人相手の時だけだし
チビなのに大型外人相手にも単調で俺つえー的なことやろうとするからぎこちない不細工な試合にしかならなかったね 何かふと思ったが鶴藤長天がほぼトップになった頃にすでに四天王や三銃士&UWFが虎視眈々と次期エースをねらう立場にあった状況と、
その前のBI政権が続く中で長く(10年はあったはず)次期エース候補として鶴田藤波らが腕を磨いていた時代と若干背景が違うと感じる。 天龍とグレートKは馬場と鶴田をよく貶めてるが、
最近は説明つかなくなり「デカいと楽だから」に落ち着いたな
鶴田vs長州論になるとやたら長州を擁護し、S移籍はいかに不遇だったか語るが、
当の長州は達観したかのように鶴田を持ち上げるし「お米だよ源ちゃん」と諭されてて笑ったわ >>531
鶴龍と長藤でも違うと思うけどな
全日は84年にはもう馬場がトップから退き鶴田がエースで鶴龍が全日最強のタッグになったと思う
この頃から馬場が大会場のメインを務めることはほとんど無かった
新日は猪木が一歩退いた形になったのは89年に政治家になってからでは?
89年の最初のドームのメインは猪木だったし、この頃まで大会場のメインは大抵猪木だった
そして90年にはもう長藤と三銃士は同格みたいな感じになっていた >>519
>鶴田に対してのアレルギーが、もしくはコンプレックスがあるんだよね
ねえよw
人気も知名度も名勝負の数も全て新日の方が圧倒してるしw
むしろ親日コンプレックスがあるのは全日オタで
唯一勝てそうな「鶴田は強い」というとこにすがってるが
このスレでも言われるように「最強ギミック」なだけで
実際強いわけでもなんでもないからなw >>520
憧れかどうかわからんがプヲタ時代の永田がプロレス雑誌で鶴田最強と題して投稿してた。秋山もプロレス自体はさほど興味なかったが鶴田のファンだった
>>524
素人時代の金本が藤波とキッドの写真希望て
売ります買います欄に投稿してたよ 昭和の新日で大会場やテレビマッチで猪木が出場しているにもかかわらず他のレスラーがメインだったってのはどのくらい有る?
知っているのは共に58年に猪木vsマサの有った蔵前で藤波vs長州がメインだった(でもテレビでは猪木vsマサがメイン)のと
猪木vsマードックの福岡で藤波vs長州がメイン、
59年に猪木坂口vsアレンシュルツのメインが藤波vsカネック、そこに急遽藤波vs長州が行われた時
猪木vsブロディの初対決はメインが藤波vsマシンだったっけ?でもこれは猪木vsブロディを放送時間内に収めるための処置だな 今日は国際軍団の仲間割れ日
あの三人はその後の軍団編成の基本になった印象 >>540
猪木がメインじゃなかったときは何回もあるよ
大阪なんかじゃ藤波のタイトル戦がメインで猪木がセミもあるし
北米タッグ戦の坂口小林がメインで猪木がセミってこともある
シンvs上田というのもあったしね
ただ東京の大会場では珍しいかもな 猪木がほかの選手に機会を与えず
メインを独占し続けていた
という誤った認識やイメージはどこから流布されたんだろう?
記録調べれば明らかなのに 87年にせっかく藤波、長州、前田が揃ったのに
自分が同世代のマサ斎藤と巌流島やって注目を集めようと(ニューリーダー世代に注目が行かないように)したりとか
そういうイメージが強いんじゃないかな >>547
加齢と糖尿病の悪化で外野から見てもわかるほど衰えていていたのに
後進に道を譲らなかった時期のイメージが強いんだろう
1986~88年あたりだね
亀和田武が猪木のことを「プロレス界の鄧小平」と書いていた 一歩引いて世代交代進めりゃ良かったのにどうしても要所で目立ちたいからそれができなかったのが猪木というレスラー
新日初の東京ドーム大会でもメイン張ってチョチョシビリと異種格闘技戦やってたし 1987年の闘魂シリーズ最終戦で猪木のIWGP選手権がセミだったんだよね 87年に長州が戻ってきた時はマジで新日黄金期が再来するかと期待した
藤波、長州、前田と当時旬だった人気レスラー達が集結したんだから
しかし結局はグダグダに終わり、新日は冬の時代を迎えたね 猪木が長州にボロ負けしてメインを譲るかと思ったら
次のシリーズでずっと第1試合に出て逆に注目されてた。 でもやっぱり猪木の魅力は凄かったよ。
「猪木衰えたり」とはいえ、出てくればやはり「大猪木コール」しちゃうもんな >>545
三人編成が基本で上二人がタッグ王座やリーグに参加
一番近いのは蝶野天山ヒロの狼群団
あと国際軍団は猪木の変則マッチの相手としても頃合だった でも87年後半のグダグダぶりには、いい加減にしろ!って思っていたな >>547
しかも巌流島は藤波のアイデアをパクったときたもんだ。 >>551
長州が抜けてからずっと冬の時代だっただろ。
それが90年のドームに全日勢が参戦して再び黄金期を
迎えるとは思はなかったが。 >>549
東京ドームは仕方ないだろ。ドームのメインをトーナメント決勝でカード未定にするわけいかんし。
日本対ソビエトが柱だし。 87年は日本人がいくら揃っていても外人がいなきゃどうにもならんってことだよ
今みたいに日本人総当たりのリーグとか出来るわけでもなく
それで年末にようやく猪木長州のシングル発表したらアレだし >>561
83年は日本人対決が主流で黄金期だったし >>562
ホーガン、アンドレらWWF勢がいた時代と比較とかアホすぎる 猪木前田、長州前田のシングルが半ばタブー視されてたからな
それでずっと消化不良感があった
あと87年は顔面襲撃、両国暴動が年末立て続けにあったから一年グダグダの印象が強いんだろう
それこそ83年みたいに豪華外人呼んで締めてれば印象は違ったはず 前田がひとり盛り上げようと猪木に対戦
迫ってたがすかしたうえに解雇だもんな。
あれで新日に興味なくしたファンは多い
88年なんか専門誌も全く売れなくて俺が
買わないからいつも書店で売れ残ってた 何で弱い前田にあんなビビりムーブしてたのか解せん な >>567
ビビると言うよりは、鬱陶しかったんじゃね?
今の前田みてたら、そりゃ避けられるわなと納得してしまう。 前田たちが抜けて猪木もいない全く88年ごろ
愛知県体育館の興業が死ぬほどつまらなかった
メインエベントが藤波VSザ・グラップラー
という聞いたこともない選手とのタイトル戦なんだが
タイトルの名前もどう終わったのかすら覚えてない
とにかく本当にこのころは詰まらなかった >>569
いつか忘れたけど、藤波対サムライウォリアーがメインのビッグマッチもあったな。 思い出すのは目の前にUファンらしき連中がいて
そいつらは荒川のコミカルなプロレス見て
ガチじゃないみたいなことほざいて失笑してたが
ほんと今考えるとUのファンは痛かったな
週プロのUの大会に関する投稿なんかでも
「我々は本物を観たのだ」なんて誇らしげに
語ってるのが掲載されてたが
あれを書いた奴っていま顔真っ赤にしてんだろうなあw と、Uのファンをバカにしてはみたが
自分だって猪木のタイトル戦はテレビの前で正座し
興奮して鼻水垂らして応援してたし
猪木がアックスボンバーで失神した日は茫然とし
次の日まで落ち込んでいた白痴少年だった
Uもガチだと思ってましたごめんなさいw >>570
ぜんぜん覚えてない
このころ一時テレビ見なくなってた
また観だしたのは初ドームから
それぐらいつまらなかった >>572
「後からカンペ見て言うな」と兄さんみたいにツッコもうとしたら
なかなかソツがないやつだなw >>570
ひょっとしてビジャス・ウォリアーかな?ただその試合は両国のセミでメインは猪木対長州。でもソ連のアマレスラーの顔見世が本当の目玉。 >>567
当時の猪木は重度の糖尿病に苦しむ45歳のおっさんだからね。
高田が「猪木さんは試合前まで倒れていたこともあった」と回想していたが
その位にコンディションが酷かったらしい。
体もゲッソリしてきてて全盛期の肉体とは偉い違いになってきていた。 >>569
その日は猪木も出てた
セミで坂口組との公式戦 >>574
プロレスをガチと信じて文字通り鼻水垂らして
大興奮してたのは恥ずかしいが良い想い出だよ
あんなに熱狂できたのはプロレス以外にはない
正に新日猪木ファシズムに心酔してた
だからプロレスというジャンルには感謝してるし
レスラーも基本リスペクトしてる >>577
週プレでの猪木と前田の対談で前田が
なんで試合組んでくれなかったんですか?と聞いたら
「怖かったから(笑)だから逃げたんだよ」
と恥も外聞もなく答えた猪木の人間力に感動したw >>580
高野がホールにボディプレスでフォール勝ち
少し前なら逆だったはず
秋頃からプチ高野フィーバーがあった >>575
当初は長州vsアバランチャだったと思う >>569
この頃の新日は地方はUがいた頃より客が少し増えたが、
これまで新日が得意にしてた都市部大会場の興行が
客が入らなくなった。
かく言う自分も藤波VS猪木を最後に一旦新日から離れてたが。 長州が来てもしばらくテレビ中継で見られなかったんだよな >>567
当時の猪木はその前田よりもさらにずっと弱かったんだろう
年齢、糖尿病等による体調不良を考えたら不思議でもなんでもない
当時の猪木ってほんとうに見ていて痛々しかったよ 1987年いっぱいまでは正規軍・長州軍・UWF軍で、前田の欠場以外はメンバー的には壮観だったから
それでギリギリ期待感はあった、でも年末の両国の暴動の流れを組むベイダー継続参戦から新年が始まってしまったし
そのベイダー中心に上半期は大会場を組んでたから、それまでの満員記録が各会場とも途絶えてしまった。
でも10年前のオカダ推しと同じく、ベイダーもモノになったんだから結果的に意味はあったよね。
それ以外にも1988年の閉塞感、テレビ中継も関東圏は夕方になっちゃった印象もあるのかな?と思う
昼でもなく夜でもない、微妙に薄暗くなりかけの時間帯に見る新日中継なんて今まで経験してないからね
全日ではずっとだったから慣れてるけどねw
それとその中にもUWFとジャパンが混じっての唯一の光明は、ジュニアのリーグ戦
あれはカード的にもメンツ的にも内容的にも全て良かった、あれをヘビーでやらないから失敗したんだと思う。 猪木の87年ってプライベートでも最悪の年だったと読んだ記憶 愛知県体育館はいつ何をやっても客が入るから
カードが微妙になって行った論もあったな
IWGPヘビー級のタイトル戦が最後に行われたの
2011年くらいの棚橋vs永田みたいだからな
オカダなんか地元出身なのにやってない 80年代後半のプロレス中継のCMスポンサーは高州園、日産レンタカー、ペヤング、日本文化センターとかだと中々厳しいな。 >>588
逆に95,6年ごろの2人のコンディションを比べたら
猪木のほうが強そうに見えた
それくらいそのころの前田は太りすぎてて酷い 95年のドームで猪木はゴルドーのガチ蹴りをバンバン受けて心が折れた。
次のスティング戦を嫌がって周りが説得して何とかスティングと試合した。
そういう時期だぞ。 96年はドームでベイダーとあれだけの試合をできたんだよね。
1年前とは大違い。
あの試合が武藤ー高田の2回戦目を食ったと言われるし。 >>596
武藤が嫉妬して契約更新のとき長州にくってかかったんだよな 金曜夜8時からの撤退が1年後で、長州が4月の時点からテレビに出られていたら少しは変わってたのかな >>594
ターザン(ミスターX名義)著の『プロレスラー野望の読み方』って本に書かれていたけど
前田は悪い意味で猪木化した
逆を言えば前田は結局猪木と同じような人生を送っている
5chの過去ログで目にしたけど
デビュー6年目に新団体に移る→経営不振で古巣に戻る→幹部を怒らせて追放→理想の団体を旗揚げ
というところも同じ >>544
鶴田の事は鶴田スレでやれと言われても
鶴オタを通り越した鶴田原理主義者があちこちでつるっ田サイッキョ〜を喚き出すから面倒なんですよ
プロレスと関係の無いスポーツ実況スレにまでジャンボ鶴田が強くてどうのとか書き込んでくる奴がいるんだから
>>566 >>599
前田は自分が目立とうとしか考えてなかったよ文句と不平不満ばかりで
86〜87年頃はギブUPまで待てない以前に特番でワープロの放映が無くなる事も多かったので
前田がエースになれば視聴率も上がるし放映中止にもならないみたいな理屈が説得力を持ってしまっていた
実際は放送数が少なくなったおかげで前田のしょっぱさ試合のつまらなさがバレずに済んでいたんだけど 自分は高田のほうがミニ猪木に思える
女優と結婚したが倍賞美津子とは格が違い過ぎるし選挙も落選、ヒクソンには惨敗と猪木にはなれなかった 高田は結局プロレスから脱北したようなものだから猪木とは違うな >>599
猪木は新間を上手く利用したが、前田は神と早々に決裂したのが違いかな。
前田はナチュラルに猪木の生きざまをなぞっていた感じだが
高田は宮戸に祭り上げられて、猪木の劣化コピーになった感じ。 前田は第二次UWF解散の時に誰もついて来なかったのがな
RINGSも赤字になる前にサッサと畳むし、OUTSIDERも朝倉にブレイキングダウンでお株を奪われた格好だし 高田は途中までは猪木の劣化コピーだったけど、
自身がやってきたことも含めてプロレスはケツ決めの八百長だと暴露したことで
決定的に猪木と別の存在になった
むしろ佐山と同系統
前田こそが結局は猪木の劣化コピーだった >>603
共通点もなにも猪木にちなんだニックネームだろ >>606
ロッキンオン誌に「前田はかつて猪木をスーパーゴッチと批判してたが、今は自分がスーパー猪木になってる」と書かれてた。 >>604
そもそも(新生)UWFは前田が作った会社じゃないからな、出資もしてないし
新日本の猪木とは全然立場が違う >>601
ただ孤独のグルメに出たのは高田
猪木は出てない 新日は前田達が抜けて結果的に正解だったのかな?
もし前田はじめUの連中が残っていてら
武藤のアメプロスタイルが活かされなくなり
橋本や蝶野もずっと日の目を見ず
山田もライガーになる必要もなく
明るさとエンタメ性などないレスラーと
プロレスがつづきいずれ頭打ちだった気がする >>609
前田は新日に出戻った来てから急に神格化されたイメージ
旧UWFの頃は佐山、藤原、木戸よりも成績が悪かったのに 坂口なんからさっさとUを新日に取り込みたがってた感じだけど猪木は前田に「好きにしろ」って感じだった。だから逆に長州の顔面蹴った時は「もうかばいきれねえ」って感じだったのかも。 第一期UWF末期、前田が藤原に代わりUWFのリーダーになったのは佐山との派閥抗争に勝ち佐山追い出したからだよ、あの例の大阪の喧嘩マッチな、佐山は前田にビビって試合放棄した
スポンサーだった豊田商事があんな事件起こしw佐山はプロレスなんてやめてシューティングやるぞと騒ぎ、苦境に落ちた時にリーダーシップ発揮したのが前田だったってことだな >>606
武藤、ヒクソン戦でU系崩壊の戦犯扱いされて
相当叩かれた腹いせに業界の内幕を暴露したの
かもな。それもこれも身から出た錆なんだが。 前田、高田より船木のUWF行が痛かった
武藤には劣るが橋本、蝶野よりスター性
あったしステロイドで体も大きくなってた 一部のプヲタの高田に対する憎悪は凄まじいね
高橋に対するそれと双璧を成すな
身から出た錆いうなら、ケツ決め無しの振りをしていたプロレス界こそ
本当のことを暴露されても身から出た錆なのに >>619
高田はカネに詰まると魂売るように思われてるんだろうな。 第一次UWFが自主興行できなくなった時、前田と高田だけ全日本移籍って話も有ったんだよな、だがUWFの存続にこだわる前田が断った
高田対タイガーマスク(三沢)、キッド、スミスや前田対鶴田、天龍、長州、ハンセンの試合見たかったなあ >>614
もともと「真剣勝負風プロレス」は佐山のアイデア。前田は人のふんどしで金儲けをしただけ。
あくまで「真剣勝負風」なのに、ビビったとか馬鹿みたい。前田は真剣勝負童貞なのに。 >>620
レスラーなんて金で動き、それを夢の為とかファンの為とか言う奴ばかり
高田に限った話ではない >>623
レスラーが金で動くってのは否定しないが、それを夢とかファンの為なんて言った奴いたか? >>624
87年に新日に復帰した長州
全日本には夢が無いみたいなこと言ってた
30年後に本当の理由はおコメだと白状したが 船木も鈴木も同じ時期に同じように大きくなったよな
今にして思えばいかにもステという体つき >>622
前田も佐山もガチ童貞、プロレスラーが感情的になり技を受けない喧嘩やるのはよくあることだ、佐山は金的アピールして逃げたって話だよ
おまえが前田が嫌いなのは分かたから鬱陶しいから絡むな、おまえみたいな理解力低いバカの相手するのは時間の無駄 藤波はよく「それではファンは納得しない」みたいにファンの代弁者みたいな発言してたな >>627
ガチ童貞というのはホントの正真正銘の童貞だという意味なのかガチ試合が未経験なのかがわかりづらい。後者だというのはわかるけど。 >>614 >>622
派閥争いとか大層な話でもなくて
リーダーらしいリーダーがいない状態だったしな第1次Uは
佐山も旗揚げ時のメンバーではなかった事もあって何処か遠慮がちな態度だったし
新日全日とは違うプロレスですよをアピールするスポークパーソン的な立位置ではあったけどね
元々の野心に加えて怒れる若者キャラがマニア層に受けた前田が前面に出たがる様になったから
年長の木戸藤原もじゃあオマエが頭(かしら)でイイやみたいな感じで前田にボーカルリーダー役を任せていた印象だったな >>629
藤波は「自分はプロレスファン出身。ただの仕事でプロレスを選んだ人達(長州天龍鶴田)とは違う。」
みたいな発言を度々していたよ 鶴田、天龍、長州が元はプロレスはそんなに好きじゃなかったのは意外。
それでも日本のマット界に名を残す存在に。
話は変わるけどトップで名前のコールがなかったのは藤波だけだね。
ドラゴンコールになるからフジナミコールは一度もなかった。 96年に野球の落合が巨人を退団してヤクルトか日ハムかで揺れた末に日ハム入りした時
「ヤクルト入りすれば古巣巨人との因縁対決が実現できたのに、金につられて日ハムを選んだ。
そんな野球選手と違って、プロレスラーは金よりファンの夢に応えることを優先する。
レスラーのほうが上だ。」
みたいな投書がファイトに載った >>625
マッチメーカーのポジションも魅力だったのも大きいのでは?
唯マスコミに自分の立場を監督と呼ばせていたのはフランク井上には疑問を持たれていた。 1980年代、週刊ファイト読むの楽しみだった
スクープ記事みたいのにワクワクした 週刊ファイトはゴングやプロレスがまだ月刊誌だった頃、レスラーの素顔やプロレス業界の裏側深堀りする貴重なプロレスジャーナリズムだったからなあw
1983年夏、プロレスが月刊誌から週刊誌になり、ターザンが元上司のファイトの井上編集長の手法を継承して活字プロレスブームを作った >>635
https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2016/12/21/77106/
>―しかし、その後、長州さんは87年5月、新日本に復帰しました。
天龍「全日本のプロレスになじもうと思ったんだろうけど、長州選手のスタイルがあるからね。新日本のプロレススタイルが懐かしくて戻ったんだと思う」
長州「(天龍の言葉を遮るように)源ちゃん、源ちゃん、もういいじゃん。俺たちレスラーはそういう言い訳するしかないのはわかるけどさ」
天龍「言い訳? そうかな」
―客の不入りに困った新日本が、長州さんたちにより多い金額を提示して引き戻したと理解していいですか?
長州「おコメ(金)……うん(曖昧にうなずく)。あの頃は、もうバブルでしたね」 >>632
そんな藤波が完全に劣化して大半のファンの支持がなくなっても現役を続けてまだリングに上がっているのはなんと言うか… ファイトの井上編集長はプロレスの仕組みを知っていながら猪木を愛していたのだろうか?それとも知らなかったのか?どちらにしろ純愛である >>639
ドラゴンカウントダウンなる引退への流れを作られることに抵抗した結果として、引き際を逃してしまったな。そもそも名ばかり社長で猪木の言い成りでしかなくて彼処でファンをだいぶ減らしたな。 長州はジャパンプロレス時代の方が羽振りが良さそうな感じがしたけどな。 >>639 >>641
そんな“名ばかり社長”がユークスとの縁を繋いで新日最大の危機を救っている不思議
>>643
WJの時は見栄張り半分羽振りの良さを見せつけてより強い資金提供先を呼び込む目論見半分といった感じだったな 見栄ってどんな?
高級車乗ったりとかそういうこと? >>644
いや、単に目先に金が積まれたんで何も考えず無駄遣いに走っただけだろ。 >>638
これの後編がみたいけど、見られないな。 金ももちろんあるが、長州は新日復帰後に猪木にラリアットでフォール勝ちして
団体も坂口社長、長州現場監督でネオ・ジャパン・プロレス化していったし、
その辺の権限の約束もしただろうね。 新日で長いこと実験握ってた長州だけど藤波はどこまで権力あったんだろうね
少なくともマッチメイカーはやってないっぽいが 藤波の社長時代は実務やってたのかね
東スポで自社の情報を知るなんてネタやってたけど >>644
ユークスが買収してないと本当に危なかった 正直、現在の新日観てると潰れてた方が良かったと思う >>649
長州達が大量離脱した後はマッチメイクは藤波がやってたんじゃなかったっけ。 >>624
ハンセン移籍の少し後に藤波の結婚式があって
ハンセンの話題で持ちきりだったとか
猪木「良いんじゃないの。起きてしまったことだから。
戦いにロマンを求めるか、それとも求めないかってことだよ。」
藤波「猪木さんがいたからハンセンにあるのに何を考えているのだろう。
金に釣られて全日に行ったんだろうが、新日の様なファイトはできないよ。」
猪木だって藤波だって金にこだわるのに、ハンセンの移籍を「金に釣られて」と批判する
レスラーなんてそんなのばかり
高田や高橋のことを「金目当て」だという理由でプヲタが批判するのは全く説得力ナシ >>653
長州が復帰してバトンタッチするまでって一貫してミスター高橋じゃないん?藤波時代あったのか 山本の後のマッチメーカーは坂口でしょ
高橋もやってたかもしれんけど本人しか言ってないしなあ >>640
仕組みは当然知ってるけど、その中からリアルな部分を評価するスタンスだったんじゃないかな?
だから猪木が好きだと。 前田には問題あるし嫌いでも批判してもいいけどまるっきり弱っちかったみたいに言うのは違うと思う
危険思想を持って固い攻めをし増長してる前田の鼻っ柱を折ってやりたいがその人選になかなか苦労する、くらいの強さがあったと考えないと当時起きた事象は説明できないだろう ケンカなら強いけどルールのある総合だと弱いってことでしょ スヌーカのリープフロッグも前田はちゃんとロープワークでくぐってたぞ
顔面パンチには全く対処できてなかったから総合はやらなくて正解 >>646
屋形船でのドンチャン騒ぎとか取巻きを連れて飲み歩いてた時
WOWOWともう一局地上波テレビの関係者を同席させてた噂があったよ
WOWOWはプレゼン資料の中に
SWSでの印象が良くない天龍の名前があるのを見て即手を引いたそう
>>649-650
営業力はあって遠藤幸吉のせいで常に苦戦していた
横浜川崎方面の集客を高めたのは藤波が率いる班だったという話がある
ただ派閥造りが不得手で味方になる社員が少なかったのが藤波の泣き所
逆に長州永島は派閥の結束が強くて90年代は反発する側に文句を言わせなかった >>656
前田チャンネルで山ちゃんがゲストの時に小鉄の後は坂口がマッチメークになった言ってたよ
坂口になってから前座でもミサイルキックとか派手な技が解禁されたそうだ >>579
その通りです。
私は恥ずかしいとも思わない。熱狂できた良い思い出です。 >>660
スティーブ・ウィリアムスは「前田は私には仕掛けてこなかった」と
言っていた。人を選んでいるんだろう。 スヌーカやウィリアムスとも前田当たっていたのか ガキの頃月刊時代のゴングのグラビアでナショナル王者のオンドーフがスヌーカにピン勝ちしていて 「という事は前田はスヌーカより強いってこと?」って思ってたw >>665
「仕掛けてこなかった」とはケツ出しを ってことかッ!? パワーオブドリームでは例のアンドレ戦の後シングルで当たったケリーブラウンは最初から戦意喪失していたみたいなこと書いていたが、フカシだろうな 前田は喧嘩の強さに定評があるオンドーフや佐山、それにアンドレ相手にガチガチの試合やってるから相手選んでるわけじゃない
ウイリアムズとセメントやる理由ないから普通にプロレスやったんだろ、ウイリアムズが仕掛けたら当然やり返すだろうし 前田の事「ガチ童貞」とバカにするけど、
信頼関係が成立しているシナリオのない総合の試合より、信頼関係があやふやなプロレスの方が遥かに危険だと思うがな。 ポール・オンドーフはベイダーと喧嘩になりボコボコにした猛者、ウイリアムズなんかより遥に強い オンドーフ戦は不穏試合でもなんでもないだろ
普通に馳のそれと同じ衝撃の凱旋帰国
それが前田の不器用さで不穏試合みたいに見えるだけ 頭悪いジジイだな、不穏試合とか別に言ってないだろカスヤロウ
オンドーフは前田の顔面狙いのニールキックやスープレックスの角度が危険だから手加減してくれとゴッチに泣きついた、前田が弱いならそんなことにならないと指摘してるんだよ レスラーの強さと危険な技やめろ、ってのは関係ないだろ
弱くても危険な技はできるわけで 相手を怪我させようとする意図はなくても、怪我に繋がる可能性の高い危険な技を出すのは嫌われるよね
それが信頼関係のある者同士で繰り出される技ならまだしも、そういう関係の出来上がっていない中でやることじゃないよ オンドーフの喧嘩の強さはレスラーの中でも指折り、キングハクやハーリーレイスにも劣らないそうだからな
そのオンドーフに固い攻撃する前田は度胸あるし強いだろ、凱旋した時の前田は良い雰囲気持ってた、デカいしスター性もあり、猪木の後継者は絶対前田だと思ったね >>678
ガチな攻めに対抗して相手を怪我させた、シュートで潰したなんて悪評が立ったらプロレスラー続けて行く上で得することなんてないよ
その当時は総合格闘技的なものもないんだしシュートの強さがウリにならない ミスターワンダフル、ポール・オンドーフ対ミスターアメリカ、トニー・アトラスのマッチョ抗争は華が有った
人気出るのもわかる、この二人が組んでMSGタッグリーグ戦に出場してほしかったなあ 前田がWWFをサーキットしてた時にレスラー仲間と一緒に車で移動してたらしいけど
その時に「俺に色目を使って来た日本でも有名なP」て
ポールオンドーフ?パットパターソン? >>682
パターソンでしょ。オンドーフは日本じゃあまり有名じゃない
前田が凱旋試合でオンドーフを秒殺してしまったからIWGPでは期待されたが・・・
スタッドや木村には勝たせて次期エースを確定させるべきだったなぁ >>678
度胸があるとかでなく、単に下手なだけだろ でもパターソンはノンケには手を出さなかったんだろ。
色目を…は前田がゲイの話を聞いて誇大妄想したんじゃないか?
“おい若ぇの、ボサッとしてっとパットに掘られちまうぜ!” >>686
向こうにも荒川みたいなのがいるんだろうなw >>657
たしか新日旗揚げ戦で猪木がゴッチにフォール負けをしたのを観て猪木信者になった
当時エースがフォール負け、しかも旗揚げ戦で負けたことに頭が真っ白になるほど
大きな衝撃を受けたと言っているがそれぐらいあり得ないことだったらしい
だから猪木信者になったのはそういったリアリティに心酔したってことだろうね >>664
そうだよね。だから5ちゃんであまりにも
プロレスとプロレスラーを見下してる連中見ると
腹が立つと同時に哀れにさえ思いますよ
自分の中で消化し切れてないのが憎悪に変わったのだろうか? >>688
だったらなぜ井上はグレート草津のファンにならなかったんだろう?
エース候補がバックドロップでKO負けだぜ >>677
それオレも最近何かのツベで知ったんだけど それでオンドーフが強いのかヘタレなのか分からなくなった マツダ門下生で前田のセコンドにゴッチが居るとやり難かったのかもな 単純に前田は下手でカタイのが入っちゃうことがあるから、あれじゃ危なくて受けることが出来ないっていう苦情だろ
橋本やスティーブウィリアムスと同じ >>690
そりゃあ「エース」と「エース候補」では全然違うでしょうよ
あの時の草津は入団2年半足らずで国内での試合実績もほぼほぼない状態でTBSの要望で「エース候補」に祭り上げられたらしいからね >>690
知らんw
因みに出典は神プロのコラム?
みたいなやつだった様な気がする 猪木は旗揚げ戦の前も後も凄かったけど
草津にはファンになる様な要素あったっけ? 井上編集長、I(アイ)編集長。。
そして猪木=INOKI、同じアイがイニシャル。さぞ誇らしく、親愛の気持ちに満たされたであろう。
そしてI(アイ)はINOKIへの「愛」に昇華していった。。美しいね オンドーフは前田のかませにするにはもったいなかった。筋肉ムキムキで華があったし。ベイダーを控室で制裁できるくらいガチが強いんだからもっと使いようがあったはず 何かムキムキマッチョキャラって下に見られる謎の風潮あったよな >>702
あのシリーズのエース外国人だったからね
エド・レスリーかバディ・ローズか木村健吾でよかったのに オンドーフは前田戦の前に長州と引き分けてるんだよな。 山本小鉄はオーンドーフのことをアメフトの実績が凄いとか言ってたな。
NFLにドラフト指名されたのがすごいんかな、アメフトのこと全然知らないけど。
少なくともブロディよりは上なんだろな。
普通はケガとか落ち目になってプロレス転向だろうけどオーンドーフはすぐにプロレスに
いっちゃったな。 >>704
筋肉が付きすぎて動けないのが多かった
ホーガンみたいになるならまだいいけど 藤波対長州、猪木対マサ、ラッシャー対浜口だから前田の相手がオンドーフなのは売り出しのインパクトを考えての事なんだろう。オンドーフ以外なら坂口位しかいないが坂口にキャプチュードなんて仕掛られないだろうな。 実際にNFLの公式戦に出場経験があるレスラーは
ワフーマグダニエルやアーニーラッド、大昔のレオノメリーニらごく少数のはず >>709
キャプチュードなんて使ってないだろ?あの試合の決め技はスロイダー。 >>712
スロイダーなんかで決まってないだろ?あの試合の決め技はリバースアームサルト。 Tiger Jeet SinghのJeetを日本ではジートでなくジェットと読んだのはジェットエンジンのような勢いと力強さ=新世代のヒールをイメージさせたからと聞く。
Paul Orndorffも日本専用のリングネームを考えてあげたらよかったと思う。 オーンドーフと前田の件は前田を恐れたというより
雇い主の新日のホープを売りださなきゃいけない、その役割として全面的に技を受けなきゃいけない
それでも多少は「キツイ不器用な若者」ぐらいの認識はあるだろうから
「あんたの親玉の新日の仕事はちゃんと務めるけど、あまり痛いのは嫌だから加減はしてくれよ」
ぐらいの事じゃないの?
だからといって前田が弱いとかでもない、強弱は別次元の話だと思うけどね。
木村健の稲妻も似たような評判はあるし、だからといって健吾が恐れられてるとはならないでしょ? 前田、橋本、ウィリアムスらはそういう下手さから相手に怪我を負わせる面が「危険な男」みたいなイメージとしてもてはやされる方向に作用したのに
木村健悟はさっぱりだったね
稲妻レッグラリアートもトライアングルスコーピオンも寧ろネタ技のイメージで >>713
あのリバースアームアルトってオンドーフの肩付いて無かったよね?
レフェリーの小鉄も変なカウントの仕方してたし。 >>718
いわゆる「シューター」的なイメージは皆無で「ジョバー」のイメージが圧倒的で…マーシャルアーツ取得のパワーアップイベントも上手く使えなかったし
もし木村健悟がもっとブレイクしていたら、藤波の評価も相対的にもっと上がってたのかもしれない 木村健は…普段の自己アピールの蓄積が足りなかったというか…
例えば前田は凱旋時にスーツ着て、対戦予定のオーンドーフと対峙した時があったよね?
鼻先を突き合わせてオーンドーフが前田にまくしたてた時、前田は微動だせずにメンチを切り返した
あの雰囲気だけでもう大成功、大げさだけど前田の良い意味での人生のキャラが決まったかも。
橋本も良い意味でアピール好きで滑舌もいいし、試合中の「どりゃー!」みたいな雄叫びも含めて
試合にとことん入れ込んでる感が危険度の臨界点を越えそうなイメージ
ウイリアムスはあの肉体も含めた顔や風貌の時点で…w
なにもせずとも寡黙にやってれば勝手にイメージが膨らんでく。
木村健はアピール力は弱いし、寡黙といってもウイリアムスや藤原みたいな風貌でもない
肉体的なバランスはカッコいいんだけど、藤波ほどの華は無い
例えが変だが、全日の渕の風貌ですら晩年の立ち位置は存在感があったんだから、木村健もやり方しだいで何とかなったと思う。 流星仮面の身体能力の高さはよく言われるけどオーンドーフもスポーツ万能やね、ヒロ・マツダもアマレスの下地が
あった訳でもないのにスターレスラーを輩出して立派やね。
https://prowrestlingstories.com/pro-wrestling-stories/paul-orndorff/ >>721
「地味」じゃなく「華がない」んだよなあ 地味とか華がないとかは生まれ持ったものだからどうにもならない
デビューしたての若手時代から、こいつはスターになれないなってわかるから
80年代の若手でいえば仲野、小杉、新倉、大矢、畑、笹崎とか 木戸はあの無表情なところとか地味さが職人、いぶし銀っぽいキャラに昇華したけど、木村健悟はそういうのも無かったな >>724
現代でいえば、ここ10年だと若手時代の高橋広夢
今のポジションほどスターになるとは全く予想してなかった
特に筋肉質でもなく、締まった体でもない、若いけどベテランみたいな手足が細くぽっちゃり体格だったし
しゃべりも何かゴモゴモしか感じで、実直そうだがこの世界にはなあ…と思ってたくらい
あれほどハジけるとは…。 藤波に負けて海外。マーシャルアーツ特訓からの帰国時は、ブレイクすると思った。 >>721
あの後、若僧の前田に貫禄負けしたオンドーフが露骨に不機嫌になりw花束嬢に八つ当たりすんだよ、あれはワロタ 偏屈で性格悪いゴッチは木戸、藤原、空中のような格下だとマウント取れるから子分として気に入っていただけ
ゴッチは嫉妬深い男だから、猪木やロビンソン、ボックみたいな自分より秀でてる部分がある連中は嫌うんだよ
猪木には人気年収ワイフの美しさという社会的ステータスで惨敗、ロビンソン、ボックには実力で負けるから嫌っていた 実力はそれほどでもなく、知識は古く、嫉妬深いが話は長い。それは私です 木村健吾はプロレスは仕事として割り切って引き立て役やってたんだろ。
引退して長い期間区会議員なんだから十分に勝ち組だわな。
老体晒してプロレス続けるよりずっと良いわな。 ゴッチはうんこ話が好き、それも同じうんこ話を何度も聞かせてくると
山ちゃんが言ってた >>724
小杉は札幌で長州襲ってたら人生変わってたんだろうか? そういえばルーテーズも猪木&坂口戦の試合前に、ゴッチから犬の殺し方について語られてドン引きしたって言ってたね。 >>737
大阪城ホールの猪木vs斎藤に乱入して
マサに手錠をかけたクロネコは人生変わったとは思えないし、結局は本人のアピール資質なんじゃない?
ただしクロネコは素顔じゃなくて海賊のコスだったから、ちょっと違うか。 >>724
長州もあんな売れるとは全く思えなかったけどな
体型がカッコ悪いし、白のシューズが弱そうだし、
試合自体も地味だったし 長州はパーマやめてロン毛にしたのが良かったと思う。 ブレイクするとその白いシューズも個性みたいになった
シューズといえば木戸の銀色のシューズが印象に残っている
ホーガンとどっちが早くから履いていたのかな? 熊本大会は猪木対カーンでなく猪木対ローンホークのシングルを見たかった 前田日明は中分ストレートだったのにパーマにしたのが個人的に似合わないなあと思った >>740
当時格上の藤波にピン勝ちした
インパクトが絶大だったな
剛と違ってその後失速しなかったし >>745
増殖して軍団を作ったり、適度に欠場や海外にいったりして鮮度を保ったのも大きい
かませ犬反乱から、藤波と何戦かやって
カーンを引き込んだり、海外行ってマサと合流したり
ピンフォール勝ちの後のIWGPではフリー宣言したり
小林や浜口を引き込んだり
猪木が欠場した後のシリーズではもう藤波と二枚看板ぐらいの立ち位置になっていた。 長州はテーマ曲もカッコ良かったもんな。
木村健の「ネ~バ~ギブアップ!キ~ム~ラ~」じゃなw 長州は髪をパンチパーマから長髪に変えたのも大きかった
パンチのままだとあれほど人気出なかったと思う 今もあのボリュームのある長髪のお陰で得しているな
純粋に顔だけを見れば年相応の爺さん、それどころか年齢以上に老けて見えるけど
髪に誤魔化される >>709
その4月の蔵前では木村と浜口のシングルはやってないぞ。タイガーとキッドのNWA王座決定戦があったと思う >>751
タイガーとキッドで合ってる
キッドのダイビングヘッドが完璧に決まったのに
なぜかフォールに行かないキッド >>742
猪木のパートナーとしてTVマッチに出てた頃の木戸のシューズは白だった記憶なんだけど、あれ銀色だったんかな?
そこまで注目してなかったので覚えてないや >>732
> 誰に聞いたのそんなこと
枝葉的な伝聞やレスラー関係者の自慢話を脳内で切り貼りした末に膨れ上がらせた妄想でしょ?
スレの前の方で藤波をコキ下ろしてた奴と同一人物っぽいね >>724
これは結果論だな厳しめに言うと
仲野は一時引退前は期待の若手扱いで華もああったよ
蝶野なんかラーメンマン呼ばわりされてたヤングライオン時代はパッとしなかったけど
海外遠征での試合写真を見たら垢抜けて次期エースな雰囲気を醸し出していたから
平成以降だと真壁や棚橋もそうだよね
棚橋もデビュー当時は小さいし顔デカいし中堅クラスに納まりそうな佇まいでしかなかった
逆に飯塚は長州とタッグパートナーに抜擢された時は次代のスター候補のオーラを漂わせていたものの
首の怪我が酷くなって以降は試合内容もリング上の姿も今一つ感が抜けなくなった 中西は素材的には最高だったのに、自己プロデュースがヘタだったせいかイマイチ跳ねなかったな
昭和だとジョージ高野なんかもったいなかった 高野兄弟はもったいなかったね
あと、なんといっても船木
闘魂三銃士世代でもスター性はダントツだった >>754
ネットの書き込みなんて全部そうだろ馬鹿野郎、アホだろこのクソジジイ ベイダーも元のままならあれだけのスターにはならなかった。
ホークに逆モヒカンの許可を貰ったとか。
逆モヒカンはホークの専売特許だったからかな。 ジュニア時代は良い試合もしてたんだけど
藤波おっかけてヘビーに行ってから
なんであんなに裏方に徹してしまったのかねえ
同業者からは評価もされてたのに(除く藤原) ベイダーってレオンホワイトで全日に来る予定じゃなかった? >>755
オレは個人的に飯塚が一番勿体なかったと思う
長州のパートナーに抜擢された時って平成の初期だっけ?
ただ、あの頃はまだ体がポチャッとしてて、表情もどこかボヤッとしてて、良くも悪くも若手って感じに見えたけど
それから数年後、三銃士時代が始まった頃にピンクのコスチュームで凱旋した頃があったよね?WARと提携してた頃かな。
あの時は顔も体も精悍そのもので、髪型も長髪パーマでイケてた。
雰囲気イケメンて多いけど、飯塚はまじでルックスが良かった。
ただしなぜか三銃士やケロからイジられて、髪型までも「鳥の巣みたいな変な頭」とか公言されて
「マスコミ使って何でわざわざ落とすような事をするんだろう?」と単純に思ってた。
その後、JJジャックスなる三銃士と馳健の下位互換みたいなコンビに収められてしまった。 飯塚は新日本の小橋みたいな感じにしたかったのだろう。しかしJJJACKSにされてしまい、どこが陽気な男たちなんだろうとナンシー関にネタにされる運命に。
週プロによると4月22日は“飛龍革命”の日なんだそうで。モイスチャーミルク配合 藤原だってルックスや華で言ったらとてもじゃないけど成功者にはなりそうにないよね
ましてや自分の団体立ち上げるなんてジョブ時代には考えられないでしょ キムケンさんの場合
いかにカッコいいボディに正統派のコスできれいなファイトを見せても
「いや 顔がマズいじゃん」
そんなはしたない感想を持っちゃう自己嫌悪なんかも湧いたりして
彼を見る目がますます微妙な感じになるという悪循環 らしくもないぜとかデュオランバダだっけ。歌は良い曲だし上手いけど健吾だから売れなかったと武藤にまで言われていて可哀想。 木村健はめぐりあわせが悪いというか、運がないというか
レスラー人生で一番の格が上がった時期は1985年タッグリーグ優勝の時と
ワンマッチ興行&闘魂ライブのセミファイナルの時期だと思うんだけど
前者は年明けのUWF軍の出戻りで藤波との2トップの位置から一気にサンドバック要員に…
後者は数か月後にジャパン軍の出戻りで群雄割拠の中で再び埋没…
逆にいえば木村健がトップ2では心もとないから、UWFやジャパンを戻したともいえるかもしれない。 木村健悟は愛媛県でサイン会やった時、垣原賢人がサイン貰いに来て、プロレスラーになりたいって言ったら、
何かあったら僕のところに来なさいって名刺渡した話が好きだな。
垣原に誰が好きなんだと聞いたら、前田とこたえられてもあいつはいいやつだからなぁと、ファンの夢も壊さなかった。
新日に垣原が上がったときもその名刺持っていたはず。 キムケンにサインなどファンサービス受けたら、確実に感激する。
リング外での振る舞いはスーパースターなキムケン。 藤原が若手の頃から木村健悟と犬猿の仲で
若手の頃から荒川とは手が合う仲ってのもよく分からん
橋本を焚きつけてヒロ斎藤をボコらせたのが荒川で
北尾に「カブキが横綱を潰そうとしていますよ」と吹き込んだのも荒川
天龍いわく「荒川はSWSのガン」だったそうだが >>774
道場では大半が二人には敵わないのに
それがリング上に反映されず、長らく前座・中堅要員で扱われていた
そういう不遇さがお互いにシンパシーを抱いてたのかも? そういやキムケン引退してだいぶ経ったあとに新日の両国大会行ったら会場入り口でファンサしてたな、握手して貰った記憶ある 三銃士までの若手は皆荒川に懐いてた感じ。
童貞破りの師匠としても尊敬されてたらしいし。 稲妻レッグラリアートは、自分の膝にもかなり危険な技。 荒川にソープ連れていかれて、年下を希望した当時15歳の船木 >>776
引退後に後楽園で握手してもらった
やはり間近で見るとデカかった キムケンは前田と同じく、在日で不遇な少年時代を送ったにも関わらず、
苦労話や悪自慢をほとんどやらない。
本当は器のデカい人物なのかも知れない。 >>774
そのガンだけがずーっと籍を残してたそうだな 木村 それでロスでは田吾作スタイルだったけど、その後、メキシコに行っても、メキシコのスタイルにあわせなかったから、
それで天然のヒールになっちまったんだよ。
ガンツ もの凄いヒートを買うヒールだったらしいですね?
木村 いや、自分ではヒールのつもりはないんだけどね。俺はただ、アントニオ猪木の看板を背負ってるから、
「レスリングっていうのはこういうもんだ」って貫いただけで。
ガンツ ガチガチに猪木イズムを貫いたわけですね。
玉袋 カッコいいなあ?
木村 だから、向こうにエル・サントっていたでしょ?
玉袋 おお、エル・サント!
木村 何か訳のわかんないクソジジイ!
玉袋 ワハハハハッ!
鶴見 そこに木村健悟がいたんだけど、ヤツは現地で評判悪いんだよ。
椎名 評判が悪い!(笑)。どう悪かったんですか?
鶴見 向こうのトップとレフェリーが、「あいつはダメだよ。試合も良くないし」って言うから、
「な何で?」って聞いたら、「あいつは人の技を全然受けない。自分のやりたいことだけやって」ってね。
玉袋 ダメだよ。それをやっちゃ。
鶴見 俺も「ヨーロッパでそんなことをやってもダメだよ」って言ったんだけど、「俺は新日本のスタイルだから」って、聞かないんだよ。
椎名 メキシコ時代もそうだったって言ってましたよ。それで、エル・サントに対して「クソジジイ」って言ってて。
鶴見 あいつはね、弱きに強いんだよ。
玉袋 出ました(笑)。 新日スタイルの権化の猪木は相手の技を食らいまくるというのに >>781
高校で野球やって甲子園行きたかったけど悪ガキだったので入学拒否されたと言ってた >>777
荒川は理不尽なイジメはしなかったんだろうな 対戦相手を立てずに自分ばかり目立とうとするのは小鉄イズム >>788
小鉄がやっていた仕事を坂口がやったら
小鉄がやると1000万かかっていた事が、坂口がやったら500~600万ですんだとか。
それだけ若手に奢るカネ等を会社の経費で落としていたらしい >>775
少なくとも荒川の道場では誰も敵わないはかなり眉唾
「私はアントニオ猪木相手にギブアップした事は無い」「(極め合いのスパーを)お願いしますと言ったら避けられるんだよ(笑)」等の自慢話も
猪木にスリーパーで絞め落とされて病院送りになった“真相”がバレたら一切口にしなくなったし
ジョージか新倉かどちらかが坂口の付き人時代の思い出噺で語っていた話だと
坂口が「荒川来い!」と練習相手に指名される度に逃げ回ってたというから >>791
その話も大塚直樹を始めとする営業閥からのリークでしょ?
なら力関係や派閥間の諍い(いさかい)を考慮した上で割引いて捉えないと
労組閥=選手会の頭領格小鉄が厳格な態度で現場を締めてたからこそ
あの問題児だらけの野武士集団たる昭和新日の中堅若手勢が纏まっていた面はあった訳で ケロって暴動事件以降、ファンを馬鹿にしたり毛嫌いしたりするようになったよな
1980年代前半はファンにも人気あったし 藤原みたいに前田も高田も藤原さんは強いというならそうかと思うけどさ 藤原は開場前に
ルスカとリング独占してスパーやってるのを
地方会場の客から結構目撃されてるけど
まったく通用してなかったらしいけどね 適おうとかなうまいと、実力者とスパーリングして学ぼうという姿勢はすばらしいと思う オーンドーフに何もさせなかった前田ってことでずっとクローズアップされてるけど、試合を組み立てるプロレスができなかったって見方はできないんだろうか? >>794
インディーや自分とこの若手も馬鹿にしてたね
リングアナがレスラーより上に立とうとするなって >>798
試合を組み立てるプロレスができるかどうかの信用性が前もってあったのかは知らないけど
「何もさせなかった」という狙いは予定調和じゃないの?
あんな肩が上がったままの3カウント、最初からあれで終わる気マンマンだったんでしょ。 >>799
平日の夜21:00前ぐらいにニッポン放送で毎日15分くらいの番組を持ってたよね
あとはおなじみの毎週のように山口良一のオールナイト・ニッポンに出演してたし
インディーとか出てくる五年以上前ぐらいから、そこそこの選手以上に露出度が多くなってきた
本心なのか、番組構成上あえて刺激的な発言をしなければいけないのか、それは知らんけど態度が変わってきたよね。
「一番ファンに近い新日本の良心」とまで言われてたのに。 田中リングアナはドーム大会の当日券確保のために徹夜で並ぶファンに缶コーヒーの差し入れしてた、って話があったよね 荒川はアマレスの試合でドロップやり失格処分になったエピソードや長嶋監督と友達に成りたくて長嶋さんのジョギングコース調べ挨拶から世間話、やがて交流する様になったって話が好き ゲロは暴動以降っていうか新日がまた軌道に乗って大儲けしだしたらどんどん増長してったよな
レスラーのことも小馬鹿にするし何様だコイツと思った クーデターの濡れ衣のこと書いてあるね。クーデターの張本人だったら、突然引退して新日を離れるわけがないよな。
藤原喜明「佐山(聡)のタイガーマスクは最高」 受け継がれる“猪木イズム”
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b8bd1657d97fbe0bdd8a2e8bee6c630183a3ba2 平成の話だが、93年のG1を週プロでターザンが酷評したら
次の号のFAX通信でそれとそっくりのG1を批判する意見が多数掲載された
明らかにターザンに追従したものだった
その中には「しっかりしてくれ新日、ケロちゃんなんとかしてくれ」ってのも有った
当時ターザンとケロの存在が変に肥大化していたのを象徴していた
(93年G1が良かったか悪かったかはさて置く) >>774
荒川って、橋本や北尾を焚きつけたりして、とにかく人間関係をゴチャゴチャにするのが好きというイメージがある。
とにかく、人の心をもてあそぶのが好きなタイプ。
そんな荒川があの頑固でヘソ曲り気質の藤原に何もしなかったということじたい奇跡なんじゃないかな。
荒川から見たら、藤原なんていくらでも焚きつけて楽しめそうな性格してるはずなのに。 >>808
同じ前座レスラーでも両極端だったよね。あの時の田園コロシアムも第1試合は盛り上がり、第2試合は地味だった記憶がある。
https://www.romancecar.org/iwgp/s560923/ 荒川ってTV中継でも雑誌でもかなり良いポジションでいつも写ってるよな。 >>809
遠征かもしれないけど、長州と小林邦と谷津が出場してないんだね
特に長州と小林は1年後に新日マットの台風の目になるけど、
この時点では二人は出てなくても13500人も動員されてるわけだ、当然だけど。
それがちょっとしたストーリーを加えるだけで、一気にスターが二人も増産されるんだから新日の企画・演出力は凄いよね。
もちろん、それに応えた長州と小林が素晴らしいんだけど。 81年田コロの時、谷津と小林邦昭は海外遠征中じゃなかった?
長州は怪我で欠場かな?このシリーズには出てたし。 >>798
ゴルドー戦も駄作だったしな
新格闘王と呼ばれることになった
ニールセン戦が奇跡的に上手くいった
だけじゃね? アイアン・シークがハッサン・ザ・アラブをやめたのはハッサンの英語読みがフセインだからなのか 荒川が日テレ系の池中玄太にレギュラー出演できたのも何らかのコネクションを発動した結果なのか? >>811
荒川は猪木の後ろにいれば映るのは知っていたから、計算済み。
武藤が言ってた >>813
コバクニさんはその頃修行先のメヒコでムスタングを駆ってかけ出しのシーナ先生をアテンドし
「いやあ あのウルトラマンは体重が軽いからね それにスペシウム光線が出ないからダメだね アッハッハ」
と名言を残している >>794 >>802
ケロがあんな風になったのは駆け出しの頃から会場側地方プロモーター相手の苦情処理担当だったからだろ
シリーズオフになると小鉄や倍賞鉄男時には猪木藤波タイガー等選手と一緒に
〇〇のガラスが破られた備品が壊された✕✕が汚されたといったクレームを
聞いて回って頭を下げる役割を背負わされてたから
それが興行部の仕事の内だしテレビに出てる人に謝られると文句言うのが田舎の人間だから優越感が芽生えて態度が甘くなっちゃうんだけど
20代前半から毎度毎度その繰り返しの生活だと性格も歪むよな >>819
全日本時代の仲田アナもそんな仕事をさせられていたのかな? ケロがタイガーマスクが木村健悟じゃなくてよかったとツイートしてる 健吾は腰が悪くてジャーマン系の技が無理だからタイガーマスク役は土台ありえないわな。 >>822
ライガーも最初の数年だけは飛んでたけど
30年近く掌底とボム系だけでやってなかった?
だから何とかなるかもよ…
タイガーとライガーでは求められるスタイルが違うかもしれないけど。 >>823
飛ばなくてもいいけど、そもそも健吾何ができる? アドニス&オートンJrにボッコボコにされる健吾タイガー
そんな絵しか浮かばない… アドニス&オートンのツープラトンは衝撃的だった
でもありとあらゆるタッグチームで一番好きなのは
マードック&アドニスだなあ
あのバイオレンス臭がたまらん オートンが新日に初参加した時に見せたアトミックドロップからのバックドロップホールドは良かったな。
相手は木村健だったか。
長州のあれで影薄くなっちゃったけど。 健吾は何処かのプロ野球の監督が言った戦う顔をしていないとか言われそう。 >>828
アドニス以外のアウトローズやロングホーンズ、スーパースターとのコンビも、マードック絡みは全部よかった。 マット上からはみ出した相手の喉元をリング下からエルボー入れるのがマジで痛そうだった 全日に長年来ていたのに、マードック絡みのタッグ名勝負なんて一切ないんだよね。使い方が下手だったんだろうな。 よく考えたら1988年8月って、昭和最後の夏だったんだな。昭和だったのか平成だったのか、すぐには思い出せない試合の一つ。
「横浜BUNTAI」にリニューアル! プロレス評論家・門馬忠雄氏が振り返る横浜文化体育館の〝伝説〟
https://news.yahoo.co.jp/articles/550c17a5735590be8f7cd24e8755e1e8fc70f422 >>831
テキサス・ザ・ロングボーンズは超獣コンビより荒っぽく野生味があって好きだったわ ハンセンとデビアス
ブロディとスヌーカ
マードックとスーパースター
アドニスとオートン
ローデスはひとりぼっちだけどレイスと組んだら恐いな
80年代にファンクスとあったってるはず >>829
ボック来日第1戦やブロディ新日初勝利の相手も木村健 マードック自身はスーパースターが一番気が合ったと言う
しかしマードックは下品で悪戯好き
スーパースタースターはインテリの紳士
こういう二人って水と油、前者が軽い気持ちで後者を弄って
後者が本気で嫌がるというケースが多いと思うが
マードックとスーパースターはうまくいっていたんだな >>839
M・スーパースターを悪く言う人を見たことがない。
バッドニュース・アレンは「賢明で良い人」と評していた。
そういう人だから冨家が
「自分が見た外人レスラーで最高の身体能力の持ち主」と評したが
関脇クラスで終わったのかもしれないが。 >>806
リークとやらをしたの九割九分永源なんだろうけど
クーデター派も猪木を絶対に裏切らないと目されてた側も一枚岩ではなかった事に目を向けない人が多過ぎ
だから会長でテレ朝出向組の辻井隆の介入でクーデターが収まってしまったんだし
辻井やクーデター派の真のリーダーだった常務の望月和治に誰も話を聞きに行ってなかったのがなあ
>>823
ライガーは最初から飛び技よりハイインパクト系の技(危険技とも言う)が売り物だったでしょ?
それまで慣例だったエプロン越しのブレーンバスターはリング内にいる側がエプロンにいる方を投げるを
エプロン側にいるライガーが相手を場外に投げ捨てたのなんか正にそれ >>839
1型糖尿病を患いながら不屈の闘志と節制で活躍し同じ病気の患者に希望を与えた巨人のガリクソン
そんな彼に「シュガー」とあだ名をつけてからかったドアホの二グロなどまともに相手してなかったんだろうな ライガーデビュー戦の決め技はブリッジの崩れた謎スープレックスだった記憶 >>764-765
藤波唯一の異種格闘技戦の日、セミファイナルが武藤VS飯塚だったけど、
たいして盛り上がらず、飯塚が三銃士にかみついていく抗争がはじまる雰囲気皆無だった。 バーン戦が藤波唯一の異種格闘技戦で定着してるが
91年6月12日・日本武道館の藤波vs青柳も異種格闘技戦として行われた 武藤VS飯塚
青春ブリザード押してた場面あって結構盛りあってなかった?
三銃士とやりあうムードが皆無だったのは同意だが
会場の雰囲気もよかったし、
92年あたりが平成の新日で一番充実してた時期に思う >>847
ライガースープレックスね
変形バックドロップホールドみたいな技だった ライガースープレックス、だいぶ不恰好な技だったからかデビュー戦と大阪城の馳戦でIWGPジュニアを獲った時に使っただけじゃないかな 決め技の選び方、使い方ってプロレスセンスがだいぶ問われるよね
派手で見栄え良くても馬鹿みたいに乱発するようじゃ強い技には思えてこないし
美しさと力強さを兼ね備えたドラゴンスープレックスとかノーザンライトスープレックスはもっと評価されて良い 藤波がドラゴンスープレックスを封印した本当の理由は?
腰の負担が大きいとか? ライガーの初期に、ナガタロックのような関節技をフィニッシュにしていた記憶。 受け身取れないのは、ドラゴンよりタイガーの方がイヤだよな。金本タイガーのデビュー戦で、サムライが激怒したのは笑った。 ライガーがデビューした初回ドーム
ハシミコフが水車落としでビガロに勝ったね
元々は副将格だったのに、翌月のベイダーまで退治して一気に最強キャラにのし上がった
大将格のアンディエフ?未来日のまま終ったのは残念。
ただ、ハシミコフの水車落としはビガロ・ベイダー・橋本と連破してくんだけど
アニマル浜口のブロックバスターと似てるのに、何が違うんだろ?と思っていたなあ。
「水車落としは多分瞬間的に息が詰まる、その間に3カウント取られるんだろうな」と納得させたの覚えてるわ。 >>855-856
だからコロフ戦とかアグアヨ戦とか観直したら
ドラゴンスープレックスがヤバめの危険技なのかが分かる
アグアヨなんかセルとか関係無しに素で痛そうに頭押さえてたし
>>859
ハシミコフの水車落としは今のブラックメフィストみたいに頭や肩から落としてたから
後ハシミコフが体硬くて下手だった事もあるんだろうけど 二段モーションみたいな形で変則的な落とし方をするから
かけられる方は受身を取りにくかったんじゃないのかな >>860
南アフリカでプロレスしてたな。
そこから情報が無い。 >>861
なるほど、あと水車落としは抱えてから投げるまでに腕を固めながら少しリング上を徘徊する
その間というか、それが見得を切る効果になって、観客目線でも高揚感を感じられた
アマチュアのレッドブル軍団から、そういうプロレス技が出たのが面白い >>859
アンディエフは交通事故で来日中止と発表されたと記憶しているが、
実際にはプロレスの仕組みを知り真剣勝負じゃないためにやる気が無くなって来日拒否というのもまことしやかに聞く
真相はどうなのかね 掟破りばかりしていた藤波は前田にドラゴンスープレックス決められたが、流石にお返しを決めるには体格差があり過ぎた。 >>853
ノーザンライトスープレックスは形はきれいだけどドラゴンとかに比べ相手のダメージが小さそうでいまいち説得力がないと思う。フィッシャーマンに近い感じ >>870
同じフィッシャーマンでも橋本のフィッシャーマンバスターは凄い説得力だった
あれをフィニッシュホールドとして定着させても全く違和感ないほど 先に藤波がつかったフィッシャーマンと違いすぎて違和感あったわ >>842
ライガーは基本ダイナマイトキッドのオマージュじゃない?場外へのブレーンバスターもキッドが先にやってた >>871
垂直落下式の前はフィッシャーマンズDDTがフィニッシュだったような >>874
飛び付きジャンピングDDTもあったな
走る方向と逆に叩きつけるのはどうかと思ったが 前田の大車輪キックは重々しかったけど唐突に放ってセントクレアがあっさり負けてた ところで 漁師さんは本当にあんな風に網を打つのか? 木村健悟と木戸修
共にエースにはなれなかったけど技は最強
トライアングルスコーピオンとキドクラッチ 馳はスープレックス系含めて全ての技の
フォームが綺麗だった。とくに裏投げは
腕を首に巻き付けて叩きつけるので見てて
怖いくらいの威力 >>877
網を打つ前の姿勢と、この技を仕掛ける時の姿勢が似ているから >>872
藤波のフィッシャーマン?小林邦昭じゃないのか >>881
打つ前かあ どうせならそこから後方に反ってほしいよなやっぱり >>882
藤波がジュニア時代にフィシャーマンズ・スープレックスを使っていた
形としては前田のダブルリスト・アームサルトとほぼ同じだった >>884
それ当時はフィッシャンマンズ“スープレックス”でなく“ホイップ”と呼ばれてた筈
後ほぼじゃなくてまんまダブルリスト・アームサルト
83年の前半頃までは繋ぎ技で使ってたね そう、正式にはホイップなんだけどTV中継では古館がスープレックスと連呼してたのよね アンドレはアメリカではベビーなのに
新日だと大ヒールだからな
そら日本が嫌いだっただろうよ
全日ではベビーだったが、日本に対する印象変わったのかね >>889
全日の時はもう介護プロレスみたいなもんでしょ >孤独といえば、こんな話もある。日本にやってくる外国人レスラーは泊まる宿が決まっていたが、アンドレだけは昔からなじみにしていたホテルに泊まっていた。アンドレにとっては本当にひとりぼっちになって心を休めることができた空間。ほかのレスラーと一緒のホテルに泊まるより、余計な気を遣わなくて済むと思ったに違いない。
他の白人レスラーとも相容れなかったのか?
マードックやスーパースターとは仲が良かったイメージだが、違ったのか? >>887
前田は他の選手と同じように手首を掴んで投げる形だけど
藤波は手四つ状態からの返し技みたいな感じで使っていた >>891
フランス語だからなあ…他のレスラー云々よりも、サービスに対して話が通じるスタッフがいる馴染みのホテルとか良いとかじゃない?
国際時代もマイティ井上とか、前述されてるマードック等、本当に孤独な理由ではないと思うな。
そういう孤独云々は、人種差別のトラウマで周りに言われるわけでもないけど、自らの意志で控室外で着替えてたブッチャーとかの方が当てはまると思う。 >>889
菊池孝によると、アンドレの日本嫌いの理由に言葉の問題があったらしい。
加算にも外人レスラーに英語で話しかける日本のファンがいるそうなんだが、
アンドレはフランス語しか話せないから、英語で話しかけられるのを嫌がるらしい。
日本のファンもアンドレの様子をみて「こいつ英語が出来ないんだ」みたいな
態度をとるから、結構神経質なアンドレは面白くない。そういう事情もあったそうだ。 >>894
そういう意味ではフランス系で日本へ留学したジェリー・モローは苦労したんだろうな >>895
そんなモローにも優しく日本語を教えた国際プロレスの皆さん
鶴見五郎さんの「ほら、アレが稲妻だよ」とか教えてる下りとかは微笑ましい アンドレがフランス語しか話せないって本当かな?
米国生活かなり長かったのに。 >>889
レスリングサミットで馬場と組んだ
流れで全日本と契約。晩年は日本でも
ベビーになれて良かったと思う。 >>898
英語が話せないわけではないが、アンドレの英語が辿々しかったというのは複数のアメリカ人が言っていた
レネグレイ、スウェードハンセン、そしてもちろんモローはフランス語が話せるから新日がアンドレのパートナーに選んだとも聞いたことがある >>896
川田がカナダに遠征していたら「開けろ!」と流暢な日本語で怒鳴ってドアを叩く人がいて
誰かと思えばジェリー・モローだったそうだ。 >>879
木戸選手褒めてる人初めて見たよ
亡くなったときも酷評が多かったのに フランクバロアやアーノルドスノーランがアンドレに付いてたのは通訳も兼任してたのかな? カナダ人のレスラーにはフランス語が母国語の人もいるね
確かリックマーテル、ルージョー兄弟はそうだったと思う
他にもいるはず >>889
あんな反則みたいな超巨体で日本人レスラーを蹂躙するんだからそりゃヒールになるのは不可避
アンドレだってそんなことは頭では理解できてたんだろうけど アンドレがアメリカへ行って最初頼ったAWAではフランス語だけでも不自由しなかった。
ガニアはフランス語がペラペラで、M・バション、E・カーペンター等フランス出身の
レスラーが結構いた。英語を覚える必要もなかったようなんだ。 グレートアントニオもフランス語が堪能で
アンドレがカナダで経営していたフランス料理店に来て無銭飲食をしたことがあり
アンドレがそのことで文句を言ってフランス語で言い合いになっていたと
高橋が『陽気な裸のギャングたち』で書いていた 電話のダイヤルが回せなくて泣いてたナイーブな男だぞ?
米国じゃベビーなのに日本じゃヒールどころかバケモン扱いだから好きになるわけない タイガー服部が言っていたが
身体がデカすぎて日本のホテルではトイレの個室に入れないことがあり
そういう時はバスタブでうんこしていた
そしてバスタブにケツがはまってしまい服部と他の外人レスラーに引っ張ってもらって立てたが
当然ケツはうんこ塗れだった フランス語が話せないミスター高橋がアンドレに気に入られてたとか眉唾物だな
つーかあいつの本自体がそんなの多いけど レスラーやプロレス関係者の本・コメントなんてそんなもんばかりだろ
UWF関係の書籍なんて特にそう
皆、自分が正しい、自分が優れているというスタンス WWFではアンドレをヒール転向させたね。
ヒール転向の前は、ホーガン&アンドレVSスタッド&バンディとかなんで
ベビーフェースが強力すぎてバランスが悪かったのでしょうがない。
実際にホーガンとアンドレの抗争が始まってすげえ盛り上がった。 木戸の札幌とか中野の福岡とか現地ファンはノリだけでやってた記憶
結構笑ってた 船木チャンネルで言ってたけど小林邦昭はスペイン語ペラペラだったそうな
昔は若手時代に海外遠征行くから語学に堪能になるね >>914
アルティメットウォリアーのかませ役だった時期もあるな
連続で秒殺とかあった記憶 >>916
現地でツテや身元引受が無いと必死になるだろな。
カルガリーだったら問題無いと思うけど。 佐山も日本人はスペイン語を覚えたら良いと言ってたな、比較的修得し易いんだろ。
使われてる人口多いし。 もてもてサンペイちゃんは付き合った女性にスペイン語習ったから女言葉スパニッシュらしいね スペイン語は発音が日本人にとってはとっつきやすい
厳密にやると難しいけどね アンドレは全日登場以来は日本でもベビーになった。新日時代みたいにファンを蹴散らしたりはせず。 >>921
スペイン語は日本語同様にほとんどの音に母音が付くんだよな
スペイン語での雌牛=バカ、ニンニク=アホが日本語そっくりに聞こえる為
メキシカンのレスラーが日本でちょっとしたトラブルになったことがあると
高橋が『陽気な裸のギャングたち』で書いていた ↓の5:00ぐらい、アンドレが坂口にフルネルソンから体重をかけての押し潰しをする、YouTubeでもこれを不穏として取り上げている動画があるが、確かに危ないね
vs前田でもやってたけど、これがアンドレの制裁用の技なのかな
https://www.dailymotion.com/video/x13rfgj 前田日明チャンネルで言ってたけど、日本語がまったくない環境で長期間過ごすというのが
他国の原語を収得して話せるようになるのに幸いするんだってな キラーカーンはアメリカ人の奥さんもらってアメリカで長期間過ごしたのに、英語がダメだったな カーンは英語だけじゃなくレスラーとしてもダメだったからなアンドレの足を折った男としてのアングル一本だけで
プロレスラーとしてはまるで木偶の棒だったもんな。 >>924
ルチャドーレスメヒカーノスとハポネセスの間で雌牛やニンニクの話になる機会がどれほどあるのよ
セニョールタカハシ クレーロース >>930
焼肉屋にて
ルチャドール「アホ(ニンニクくださいのつもり)」
ウェイトレス「ハア?」
ルチャドール「アホ」
ウェイトレス「フンッ」
『陽気な裸のギャングたち』に載っていた話 >>895
国際はフランス語話せる女性事務員がいた そういえば、新日はスペイン語話せる女性事務員がいたような、カネックの逃亡事件のときカネック助けてくれた 藤原と荒川の仲が良いのは、入門した藤原が新日本プロレスの合宿所に引っ越してきた時、最初に対応したのが荒川でなぜか馬が合い意気投合したから
荒川見た藤原はさすがプロレスラーの寮は管理人のオッサンと言えどすげーガタイ良いなと背が低い荒川をプロレスラーだとは思わなかったそうだw >>934
長きに渡る功績は本当に偉大だと感じます。叙勲受章おめでとうございます。 >>931
他の品もスペイン語で注文したの?
カルビとかミノとかどう言うの?
セニョリータはそれらはすべて理解できるわけ? >>934
50年前にタイガー・ジェット・シンが叙勲になるとは思わなかった。世界一許せない人物がタイガージェットシンだったし シンは試合がおもろないからどうしようもない。胸毛が見苦しいし、首四の字なんて
ゲイじゃあるまいし子供心にキモかった。
あんなレスラーで客を呼べた猪木が傑出して素晴らしかったんだろうな。 シンは地方会場だと入場含め客席で大暴れする
実際観たけどこれが一番盛り上がってたよ ゴリちゃんの事故の会見でしっかりスーツで会見していた時点で人間性がよく分かった シンの首四の字固めは猪木から気持ち悪いからやめろってクレームが有ったのか不明だがw途中からコブラクローに変化したよな 首4の時は試合後半への一区切りレストホールド
あんな技でもストコバ戦での猪木は流石のカッコよさ >>938
それでいくと新日で最大のヒールは
ラッシャー木村の国際軍だったのではないかと思う
あの罵声はシンとはちがいマジで憎悪だった
新日ファシズムとはよく言ったもんだ R木村の自宅に生卵投げ込まれたり落書きされたことは有名だが浜口、寺西の自宅は被害に遭わなかったのかな? ラッシャーってパンチパーマで腹の上まである黒のロングタイツ、しかも黒のジャージみたいなのを着ていた
その上額の傷に仏頂面
子供にはヤーさんにしか見えなかったよ
ブッチャーの『プロレスを10倍楽しく見る方法』にも「まるで極道だ、お前の顔がアップになるとチャンネルを変えたくなるっていうぜ」と書かれていた >>946
あの投石や生卵のストレスでラッシャーの愛犬がノイローゼになり、亡くなったんだよね。あれは本当に可哀想だったな。 >>524
ライガー、金本、田村、川田、平直行、棚橋他 >>945
自負は判官贔屓だし、親の会社が倒産した同級生をバカにする奴がいたせいか、悲哀しかない国際軍団を応援していた希少種でした スポーツ選手や芸能人の叙勲は旭日小綬章であることが多いんだが
デストロイヤーもマスカラスも一つ前の旭日双光章なんだよな
プロレスはちょっと下に見られてんのかな
猪木は旭日中綬章だったけど参議院議員2期やったのが大きいだろうし
馳は大臣やって今は知事だし旭日大綬章は確実なんだがこれも主に政治家の経歴によるもの >>947
それが全日へ行ってから馬場との抗争でマイクパフォーマンスをやるようになり
義兄弟シリーズへと進んでいくともう試合後は会場からマイクコールで大喝采だったし
一転してベビーフェイス扱いになって大人気になったんだからわからんもんだよな >>949
平だっけ?藤波最強説を頑なに譲らないの >>953
あのキャラはプロレスラーとしての木村としては不幸だったと思うぞ
プライベートで木村が馬場のことを兄貴なんて呼んでる訳がないんだから 浜口は、はぐれ軍時代でも家族を会場に連れて来てたみたいね。
京子ちゃんはお父さんが帰れとか言われてて怖くて泣いてたとか。 浜口の奥さんは居酒屋を営んでいたんだっけ。
海外修行へ行く浜口に葉隠を授けるほどの女傑だから帰れコールなんかに動じることはなかっただろう。 >>953
その頃はパンチパーマをやめて短髪にしていたのも大分イメージを変えた
人の良さそうなおじさんというイメージになった
相変わらず仏頂面、無表情だったけど、それで必死でギャグ言ってれところがさらに人の良さを感じさせた >>953
ラッシャー木村もデスマッチで血みどろになるより、マイクだけでこんなに盛り上げるのだから不思議だとか言っていたらしい >>948
昔から語り草になってるエピソードだけど、投石との因果関係なんて証明できたのかね? >>772
剛もファン対応はメチャクチャいいんだよな笑 >>959
でも金網の鬼、はぐれ国際軍団、馬場との抗争という歴史を経たからこそ、ギャップが面白くてマイクおじさんも受けたんだよね ちなみに人格者扱いのラッシャー木村のファン対応はかなりひどい笑 >>963
確かに最初から面白いおじさんではなかったギャップが良かったね。オイ馬場からアニキになって生き残り人気者になったラッシャー木村と馬場に負ける役は嫌だと全日から離脱する剛竜馬の対比も人生だなと 上の方でも書いたがガチだと信じきってたから第一回IWGPの決勝は大ショックだった
世界中のチャンピオンを集めて真のチャンピオンを決めるという壮大なスケールとロマン
それに向かってファンも数年に渡り胸をときめかせていただけにあの結末の衝撃たるや・・
「おい、猪木が病院に運ばれてまっとるがや」とニュースステーションを見た親父の声と顔を今でも鮮明に思いだす ラッシャーは国際の頃も井上とのタッグでリンチ兄弟との試合後のマイクで観客が爆笑するぐらいのだから受ける要素はあった。 >>968
全日国際提携時代の鶴田戦で、その片鱗が全国放送されている。キムドクの乱入からレフェリーに手を出し反則負けで、
「この前の蔵前の試合と言い、そして今日この大阪での試合と言い、まったく私はツイてないですよ!」 >>963
「馬場との抗争」はさておきw
やっぱりこんばんは事件があってこそのマイクおじさん路線だろうね そういえばラッシャー木村は新日時代、東京の会場では帰れコール以外にこんばんはコールされてた気がする。 ラッシャー木村
上田馬之助はお互い親友同士で一緒に酒を飲みに行ったりメシを食いに行ったりと仲良くつきあいをしてますが、試合になると反則ばかりしてくるのでたまりませんよ >>945
猪木との試合が手が合わないというか何かもどかしい感じがしたのも木村への罵声の要因かと。 >>972
国際プロレスの中継で放送席に木村が来て
三軍対抗戦のことをめっちゃ喋ったのを覚えてる
コレはどう見てもロープブレイクじゃないですか
カウント数えろと言ったのジョー樋口ですよ
全日本のレフリーじゃないですかとか饒舌だった >>970
ありゃ?久米宏が「この番組でプロレス扱うの初めてですね」みたいなこと言ってた気がするが >>971
新日ではほぼマイク握ってないと思う
いつも浜口がペラペラ喋ってた >>966
>>979
田コロの「こんばんわ事件」があるじゃないかw >>980
寺西はジュニア戦線では実力者だったよな。佐山タイガーの最終戦も寺西が相手だったな
小林邦昭とヒールユニット組んで佐山タイガーと抗争かと思いきや佐山引退 小林邦昭もマイクアピールしたことあったけど慣れてなくて吃ってたね >>977
ニュースステーションは1985年スタートだから1983年の
第1回IWGPの報道できるはずない。 >>977
確か1988年8月8日の藤波対猪木戦の速報をニュースステーションでした時の久米の
コメントだったはずです。
猪木が負けたら引退という噂が流れたので一般層にも結果が注目されましたね。 >>977
名古屋ローカルの番組か何かと混同したんじゃねえか
CMが平針住宅展示場とかレディースファッション鈴丹とかの 第一回IWGP優勝戦は木曜日の興行でワープロは録画中継
で試合後に猪木の容態についてはこの後のニュースでお送りします、みたいなテロップ出てた記憶がある いつも放送時間ギリギリに終わると予定調和でアヤしいから、真剣勝負を装うためにあえて放送時間内に決着つけないのも1つの演出とピーターが語ってたね 次スレの過去スレのテンプレ、
わかりやすいのに戻してくれ
前前前前スレとか、気持ち悪い
スレ立てたがりが勝手にやってんだろうが ザンビアエキスプレスはハンディキャップマッチで谷津に負けてた レロイブラウンの初来日時、あの放送事故は笑ったな。マサがビール瓶叩きつけても割れず、その後何回繰り返しても割れなかった。 このスレッドは1000を超えました。
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