【アノアロ・アティサノエ】昭和の新日本プロレス38【ドン・中矢・ニールセン】
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キックの興行に出てロブ・カーマンにボロ雑巾のように
のされていたのは凄かったな
解説者が必死にニールセンを持ち上げようとしてるのが
痛々しかった
https://www.youtube.com/watch?v=ay_TxLq1q30 前スレのシエン・カラスは、ローカル地区でミル・カラスと名乗ってたのをマスカラスのクレームで改名したと聞いたことがある。
マスクを脱いだのは、ラヨ・デ・ハリスコJRとのマスカラ戦で負けたから。 キン肉マンにアノアロの杖というのが出てきたが、やはりアノアロ・アティサノエから取った名前なのだろうか 三森すずこはTVガイドの巻頭でジャニーズと一緒に出てる位だから世間的には圧倒的にオカダカズチカよりも有名だろう。 昔は一般人にプロレスラー知名度調査やったらBIには敵わないってのが当たり前だったけど、
長州力は今の時代かなりのとこまできた感じだなあ ただ長州力がプロレスラーだった事を知らない人はまあまあいる 現役時代、大仁田の知名度が高い事を気にしていてピリピリしてた長州力
「リングが届かないからって客に土下座しやがってあの恥さらしが」 長州の場合はバラエティに出ていた晩年の馬場化してきたな
もはやお笑いでイジられる域 ニールセンに負けさせられた藤原と山田恵一は可愛そう
当時は格闘技に対して目の超えたファンがあまりいなかったからニールセン程度で納得して見ていたけど今ならパッシング起こるでしょ バッシングだろ。パッシングは車に乗ってからじゃないと。 >>19
タイで整体師になって数年前に亡くなった。アジアにいたんだね。
寸前にインタビューを受けていた。 昔 ジャパンバッシング
今 ジャパンパッシング
日本は世界からどんどん取り残されて貧しくなっている。
象徴的な事実は、1人あたりGDPと平均賃金で韓国に追い越されたことだ。
IMF(国際通貨基金)が公表している購買力平価ベースの1人あたりGDPで
日本は2018年に韓国に抜かれ、その後は差が年々拡大して2021年は
日本4万1507ドル、韓国4万3780ドル、
2022年は日本4万2730ドル、韓国4万4981ドルになると予想されている。
また、OECD(経済協力開発機構)の調査では、2019年の購買力平価ベースの
平均賃金(年収)は日本が3万8617ドル、韓国が4万2285ドルだ。約40万円も
韓国のほうが高いのである。
2015年に韓国が日本を上回って以降、やはり彼我の差は年々拡大しているのだ。
なぜ、そうなったのか?
日本の賃金が20年以上も横ばい状態だからである。
厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によると、日本の一般労働者の
2020年の平均月給は30万7700円で、2001年の30万5800円から1900円しか
上がっていない。しかも、2008年から2013年までは29万円台に下がっていた。 ニールセン、柴俊夫に似ていると揶揄されてたなw
ちょうど柴さん、夜ヒットDXの司会を古館から一時的か、バトンタッチされた頃かな? >>18
馬場は今の長州ようなイジられ方はしてなかった。
長州の場合は番組が意図的にコケにしている節がある。 >>16
90年代後半の小学生は、テレビのバラエティに出演する
ジャイアント馬場を知っていてもプロレスラーであることは
知らない子が多かったと思うよ(苦笑) アノアロ・アティサノエ=つのだ✰ひろ
ドン・中矢・ニールセン=柴俊夫 馬場は死ぬまで日テレはじめ読売グループが睨みを利かせていた
一定以上コケにすることはタブーだった
今の長州はただのフリータレントでしかないから、使い捨てにしても
大丈夫と思われているんだろう
まあガッツ石松なんて世界王座を降りたばかりの頃でも酷い扱いで
見かねた橋田壽賀子がドラマなどで厚遇するようになったと言われてた
そういえばドームを埋めていた頃は大事に扱われていた新日全日も、
TVコンテンツとして不要扱いにされた途端、キック力を測定する番組で
以前は物凄い数値を出していたことになっていた三沢は芸能人以下の
数値を出されてピエロにされてしまったし、新日勢は綱引きおばちゃんに
やられる噛ませ犬役で番組に狩り出され、司会に「学習してください」と
説教される立場にされてしまっていたなあ >>24
長州は見た目がメスカブトみたいでコミカルだから 長州の印象はやっぱパンチ時代から革命、全日あたりまでのホントに昭和時代の頃の活躍しか
あんまり記憶に残ってないな。90年代以降は三銃士や天コジとかNWOやジュニア戦線しか
興味なかったし、さらに00年代はプロレス自体縁遠くなっちゃったし。。
どっちかというと現場監督とか裏方で威張りを利かす存在と言う認識になっていたな。 >>14
どうしても森三中の黒沢かずこを想起してしまう いいとものテレフォンショッキングにレスラーで初めて出たのが長州
紹介したのは鈴木雅之 >>33
ミミ萩原のが早いね
http://www.asahi-net.or.jp/~jb5y-kkfd/t1983.html >>33
長州力とブッチャー小林(テレフォンアナウンサー)は大学時代の同級生 >>32
むしろ黒沢かずこと黒沢ともよがよくごっちゃになる ニールセンに顔蹴られポヤンポヤンになりつつたったひとつ記憶していたプロレス技で
足を取り逆転した前田。名勝負だったね。最後はプロレスラーの体力が勝ったという。
これはリハーサルあったの?なかったからこそいい試合になったと思うのだけど。 84年IWGPでのパテラは長州にサソリ固めであっさり負けてたな
3年前は5分で長州に圧勝してたのに 猪木vsスピンクスが、緊張感あって好きな俺は少数派か >>37
リハーサルはなく、何故が藤波がニールセンにブックを伝えている。 藤原「今日は絶対アイツ(前田)にビール飲ませるな。もし飲んだら逝っちまうからよ」
レントゲンで確認したらニールセンのパンチで前田の脳が腫れてたとか
あまりにも出来過ぎた名セリフだなぁ >>37
蹴りじゃなくて左ストレートだね
ニールセンの蹴りはプロの蹴りじゃない
あの当時のアメリカキック界はグダグダであって無いようなものだった
ニールセンも趣味程度で殆ど練習してないし蹴り自体は素人に毛の生えた程度 前田VSニールセンの両国大会は木村健悟VSランスフォンエリックという酷い試合もあったな。
稲妻避けられてキムケンがキレた試合。 >>30
あのねのねは歌にまでしてたからね。
睨みとか無かったから。 >>41
ありがとう。ほぇぇ、そうなんだ。なぜ藤波が・・
>>43
失礼しました、パンチだったね〜 ニールセンはその後佐竹とそこそこの試合やって、単なる噛ませ犬じゃなかったみたいな評価を格闘技通信かなんかで書かれてたけど、
結局グローブ初心者の空手家相手といい試合になっちゃうわけだから、まあそのレベルってことなのかな
でも逆にニールセンのプロレスラー的な属性は感心しちゃうな >>9の動画のコメント欄にニールセンはローキックなしのルールの選手って書かれてたけど、マーシャルアーツ(アメリカンキックボクシング)ってそうなの? 前田日明対ケリー・J・ウイルソンだったら、どうなっていたか気になるな。 前田はコンタクトレンズして試合してる時点でアカンのでは? >>50
詳しくは知らないけど、「四角いジャングル」世代には常識で
日本のキック選手がやる時もローキック禁止の特別ルールで
アメリカの選手とやることが多かった
モンスターマンも言っているけど、日本でマーシャルアーツと
言われていたアメリカプロ空手は、極めてプロレスチックな
ショースポーツで、パンチ以外は派手なスピンキックや
飛び蹴りを主体にしていて、地味なローで痛め合う試合は
最初から排除していたんだとか
猪木が食中毒にかかってしまいろくな打ち合わせも出来なかった
中で、モンスターマンが猪木とあれだけの見ごたえのある試合を
やれたのも、プロレス的な盛り上げを心得ていたからだろうな
そんな世界から来た相手であるニールセンの出した「見せパンチ」
をまともに喰らってしまって意識をなくす前田は相当の間抜け
初の世界タイトル戦で序盤にうっかり相手のハンチを食らって
ダウンしてしまった亀田みたいなものだ >>54
藤原は新日本で負け、藤原組でのリベンジ戦でも返り討ちにされていた。
シャムロックの勝利に、セコンドの藤原がとても喜んでいた。 K-1で佐竹にいいようにサンドバッグにされていたのも鮮烈
新日だけがなぜかいつまでも藤原や山田ら自団体の選手を
噛ませ犬に提供していたんだよなあ
佐竹雅昭 vs ドン・中矢・ニールセン 1993年6月25日
https://www.youtube.com/watch?v=nPRV6pvUnEE >>50
UFCが認可されてアメリカの格闘技に対する認識が変わったけど、それまでアメリカではキックボクシングやムエタイのように肘でカットや相手を掴んで膝蹴り、脛が直接ぶつかり合うローキックは野蛮で認められていなかった
だからニールセンの前に活躍したベニーユキーデもローキックに対する防御は素人同然だった プロレスファンと格闘技系ファンは異なるけどニールセンで認識して欲しいのは、プロの格闘家で試合中に顎を上げて戦う選手はいないと言う事
ニールセンが三流な理由の1つは常に顎が上がっている
こんなプロ選手を見た事が無い
キックボクサーや国際式のボクサーだったら若手でも相当怒られるね アメリカ人は足で物や人を蹴ることを嫌うからね。だからサッカーも最近まで普及してこなかったし、格闘技はボクシングがキングオブキングスだった モンスターマン(エベレットエディ)、猪木には軍門に降ったが坂口には勝利、
噛ませ犬的なランバージャックジョニーリーがケツ持ち的に猪木は勿論、坂口にも星を献上という構図だったな。
というか坂口はしっかりここでもナンバー2の仕事を全うしtあ。 >>52
三沢もコンタクトレンズ着けて試合していた。
川田の顔面で片方外れたとき、もう一方を手で外すシーンが映っていた。 久しぶりに82年1月1日の後楽園観たけど本当に酷い興行だったと思う
このスレでも前から何回か話題になっているけどバックランド対藤波の切り返しの3カウントを取った小鉄もアングルとはいえ無理があるし、何より酷いのはタイガー対キッド
常に名勝負を繰り返していた二人とは思えない程やっつけ感のある結末に驚く
確かこの日のチケットは当時の後楽園では破格の金額だったはず
SNSの普及している現代だったらとんでもない事になっていたのでは >>63
テレビ放送枠内に
サインボール投げ、猪木インタビュー、
藤原ゴッチ戦長州浜口戦を入れてしまったために
目玉の後半3試合に影響が出た感じだな >>63
それは久しぶりに観たからでは?元旦で後楽園ホールという事考えれば後半3試合(猪木対ボックも)は顔見世興行的に捉えた方がいいのでは?普通待ちに待った猪木対ボックを後楽園ホールでやるなんて考えられないよ >>64
サインポール投げもラッシャー木村やメインのボックまでやっているのが信じられないw
キッドの観客にストレート気味に嫌そうに投げていた事にプロ意識を感じた >>66
ケンコバもネタにしてたな。
明らかに当てに行ってる >>64
昔は段取り下手だったよな
ディレイにするとかいう発想もなかったし >>65
テレ朝の正月特番ありきの試合で大会場を押えられなかったので後楽園ホールであの豪華
カードとなった。営業部は悔しかったろうね。 >>57
アメリカでって言うよりも州ごとでボクシングコミッションがローキック禁止したりしてた
確か正道会館がアメリカで大会開こうとしたらルールが危険って許可おりなかったんだよな >>72
UWFでの闘いが何であったか確認するために、新日本へやって来ました。試合を観て下さい。 >>61
四角いジャングルではユキーデが全米プロ空手最強なので
藤原=ユキーデ>モンスターマン>坂口になってしまった
対戦してたら30cm小さい藤原敏男にKOされる坂口… >>78
パッと見、誰だか分からなかいw
栗栖はキムドクと組んでいた頃が一番のピークだったね
戸口も何故かイキイキしていた
実は戸口のピークもこの時じゃなかったのかとさえ思える >>81
新日というメジャーで息を吹き返したよね 栗栖
ドクもこの頃はやたら巨大化していた印象が。
シンと組んでたのがプラスだったと思う。
この頃シン、ドクの新大型凶悪コンビとか言われて。
シン、上田の再来みたいに。
でも二人と比べたら栗栖は小さかった。
ただあの身体は頑丈だよね。
体幹が太いというか元から頑丈な身体なんだと。 栗栖のハイライトは後楽園ホールでやった橋本戦かな?週プロもゴングも絶賛していた! >>56
レフェリー田中正悟の方が気になってしまった >>82
田中ケロの旅日記に越中が対戦カード表見て「今日の相手はドクシンか」と言ってたと書いてあったね。
独身はアンタだろと。 平成になってからだけどシンキムドク栗栖のトリオは良かったな
今ならNEVER6人ダッグ王者にしたいぐらい >>81
いやー エルトレオで3万の観衆の大ヒートを買っていたという姿も見てみたい 栗栖は、新日では万年前座でテレビ登場はなし。
ジャパン移籍後、全日中継でしばしテレビに登場。 栗栖はFMW経由で格上げされてイス大王か
ジャパン時代も馬場には案外評価されてたとかいう話だったけど
昭和新日で中堅どころもテロリスト藤原から始まって、どこかしらで陽があたるポジションはもらえてるか 佐山タイガーの引退後、新日の台湾遠征ではクロネコに虎覆面被せていたんだよなw 越中って東電の社員だったんだな
さすがにもったいない気がする 佐山、栗栖、ヒロ斉藤、小林邦昭が大百科での正体候補だったんだよな >>88
来栖は90年に何回もテレビ登場してるよ
浜口と組んで仲間割れしたりしてた
仲間割れした後の栗栖対浜口もテレビ放送されたはず >>95
はい、新日復帰後は何回かテレビに出ているね。
初登場の10人タッグマッチの両国大会は現地観戦した。
館内、栗栖にメッチャブーイングでしたよ。 >>88
そりゃ結果的にでも引き抜いたわけだから、前にいた団体よりいい扱いしてやるだろ?
新日だって越中やナガサキに対して、前にいた団体よりもいい扱いをしてあげたし。 馬場「寝返ってくれた永源や栗栖には、いい思いもさせてやらなくちゃ」
猪木「寝返ってくれた越中や桜田には、いい思いもさせてやらなくちゃ」
同じじゃないか? 栗栖ってなんで新日は受け入れたんたんだろ?
もともと前座だったし全日でプッシュ受けたわけでもないし
別に受け入れる必要無かったよね FMWでブレイクしたからじゃない?
サブゥだって結局生かせなかったけどブレイクしていたので引き抜いたと >>76
>試合を観て下さい。
だったっけ?
俺は「(新日の今日のメインの)試合を見せてください」だと思った。
ネットで検索したら「試合を受けてください」と言ったという
サイトもあるが、本当はどういったの? G1元年の前年にやった後楽園7連戦での
橋本真也vs栗栖はすごく面白かった記憶 >>94
ほどなく小林が帰国してきたのでこいつはない と
そしてマスク剥ぎの悪行に憎悪を燃やしたクチだが
同じ本だったかの「新日本プロレス寮訪問」みたいな記事では
親切に案内してくれる寮長の役で あれ と違和感が 冬の朝は起きるのが辛い。そんなときは、S小林が猪木のジャーマンを受けるためによろよろ起き上がる気持ちになって起きるんだ。 そもそも、タイガーマスクはデビュー直後くらいにヒロ斉藤とは対戦してるよね。
栗栖正伸も、ファン感謝デーかなんかで対戦してたような 藤原ってテロ以前はどれくらいテレビ出たことあるんだろう。
カールゴッチ杯決勝とゴッチ戦くらいしか知らんわ。 >>99
新人として新日に来る時に[「今度、クリスが来る!」と外国人留学生に間違えられた
らしいw
>>103
引退後に新日で寮の管理人になった時に選手を退屈させないようにリビングやキッチンを
壁を塗り替えて明るくしたり近所の通い猫を「かよチャン」と名付けてかわいがっていた。 >>106
外人が貧弱な時にメインが6人タッグだとテレビ放送最初の試合で「若手」の
中堅外人相手の試合がけっこう放送された
藤原もロバーツやロンドスあたりとの試合が流されたはず
村松友視が「TVに映った藤原」について書いていたのもそうした試合のことだった 関東およびラジコプレミアムに入っている方
今から放送
文化放送/ラジオ『くにまるジャパン極』
@kunimaruJPN
10:17頃〜
【くにまるさん、お客さんですよ‼】
#藤波辰爾 さん
「プロレス50年の歴史編」と「プライベート編」の2本立てでお届け‼ 新倉だったか誰だったかの著書で「栗栖さんは馬場さん相手でも遠慮なくガンガン攻める」とか書いてあった気がする。 >>106
突然地方のセミに木村健吾とのタッグでマードック組とやった試合が放送された記憶がある
猪木x浜口がメーンだったような… >>111
マードックが藤原の頭突きを受けに受けて、盛り上がりが凄くて主役が藤原だったよね
最後はブレーンバスターで藤原が仕留められた記憶
後に何かの雑誌で
「前座ではあるが真の実力者の藤原への敬意で、マードックが立てたんでは?」とか書かれてた。 >>111
タイガーマスク不在で、中継の頭にタイガーマスク、真ん中に藤波他の試合、メインは猪木で、中継の流れがあった。
あの日も前田急襲からメインに引っ張るため、まずは藤波、長州絡みにしてメインに引っ張る作戦。
いきなり木村、藤原組が中継のトップだとチャンネル変えられる >>107
若手の頃からオフの日には佐山の買った二人乗り自転車で材料を買いに行き
ふたりでDIY(当時日曜大工)を楽しんでいたとか
激闘に幼い心を燃やした何十年も後にそんな話を聞いて楽しくなれるのは素晴らしい
順番が逆だったら目も当てられないけどw >>110
確かにジャパン時代の試合見てもチョップなんかは結構カタいよね >>111
発見した
83年のブラディファイトシリーズで吉川町総合体育館てとこ
藤波高田組対長州キラーカーン組は
キムケン藤原組対マードックアレン組
猪木対浜口
タイガー電撃引退で苦肉の策だったんだろうね
藤原だけじゃなくて若手の高田を長州カーンのヘビー級にぶつけているのも凄い >>106
1974.01.11 放送(生)
新春黄金シリーズ 1974.01.11 山口・徳山市体育館
永源&藤原&藤波&大城 vs マクガイヤー・ブラザース
坂口征二 vs トニー・チャールス
アントニオ猪木&山本小鉄 vs マイティ・カランバ&ピート・ロバーツ
1975.01.24 放送
新春黄金シリーズ 1975.01.22 山口・下関市体育館
柴田&永源&藤原&栗栖&荒川&橋本 vs マクガイヤー・ブラザース
坂口征二 vs カナディアン・ワイルドマン
アントニオ猪木&木戸修 vs ピート・ロバーツ&スティーブ・ライト
1975.12.19 放送
闘魂シリーズ第2弾 1975.12.07 愛知・刈谷市体育館
第2回カールゴッチ杯決勝戦 藤原喜明 vs 木村聖
坂口征二&ストロング小林 vs ビル・ロビンソン&グレッグ・バレンタイン
1975.12.15 ニューヨーク州マジソン・スクェアガーデン
アントニオ猪木 vs フランク・モンティ
1977.10.07 放送
闘魂シリーズ 1977.10.02 山梨・富士急ハイランド大ホール
木戸修&長州力 vs 藤原喜明&木村健吾
アントニオ猪木 vs ザ・ハングマン
1980.08.01放送
'80年サマーファイトシリーズ(第7週) 1980.07.02 札幌中島スポーツセンター
藤原喜明 vs ジョニー・マンテル
ストロング小林 vs 上田馬之助
アントニオ猪木&坂口征二 vs タイガー・ジェット・シン&バッドニュース・アレン >>118
ビルロビンソンとグレッグバレンタインが組んでいた事にかなりの驚きw >>118
富士急大会、ハンセンもマリガンも放送されなかったのか? >>116
この体育館越谷レイクタウンに行く途中必ず通るわ >>119
クリーンファイトのロビンソンはグレッグが二人がかりの
攻撃を誘っても応じず、徐々に険悪な雰囲気に
一本目、ロビンソンのタッチ要請を無視したグレッグに
ロビンソンが平手打ちタッチ、連携で攻められたグレッグは
小林のブレーンバスターでフォールされてしまう
二本目、遂にロビンソンが人間風車を小林に見舞うが、
ロープブレイク、追い討ちをかけたグレッグがロビンソンに
二人がかり攻撃を求めるもまたもロビンソンは拒絶、
遂に怒ったバレンタインがエプロンのロビンソンに対して
エルボー三連発、それをロビンソンがトップロープを使った
スタンガンー攻撃で吹っ飛ばし、日本側がダブルアトミック
ドロップで叩きつけて坂口が押さえ2-0で勝利
三日前、新日初登場のロビンソンにワンハンドバックブリーカー
一発で敗れて噛ませ役を押し付けられた小林が、形の上では
「ロビンソン組に勝った」という体裁を保ったことになるという
(放送は12月5日に小林が負け、翌週12日に猪木ロビンソン戦、
実際には7日に行なわれたこのタッグ戦が翌週の19日に録画
中継で放送されている) >>109
有益な情報ありがとう。ラジコで聞いた。 ロビンソンってワンマッチの特別参戦だと思ってた。シリーズに参戦してたのか >>123
今、タッグチームは「二人掛かりの攻撃」が当たり前だったが
1970年代前半まで、それは悪役チームにやることだったなぁ。
日本側の例えばBI砲でも、そういう攻撃方法はなかった。
せいぜい、馬場が押さえつけて、猪木がナックルパートとか、、
それさえも反則に取られた。
馬場&坂口から、二人掛かりのハイキックをやっていたが。 >>120
この闘魂シリーズ第一弾は、福岡を除いてほとんどの中継が2試合だけ
マリガンに何かトラブルがあったんだっけ?
1977.09.02 放送(生)
闘魂シリーズ 1977.09.02 愛知・愛知県体育館
坂口征二&長州力 vs ザ・ハングマン&ロディ・パイパー
アントニオ猪木 vs スタン・ハンセン(NWFヘビー級選手権試合)
1977.09.09 放送
闘魂シリーズ 1977.09.08 山口・徳山市体育館
長州力 vs ロディ・パイパー
アントニオ猪木&坂口征二 vs スタン・ハンセン&ザ・ハングマン
1977.09.16 放送(生)
闘魂シリーズ 1977.09.16 福岡・久留米県立体育館
ストロング小林&木戸修 vs ザ・ハングマン&ロディ・パイパー
坂口征二 vs スタン・ハンセン
アントニオ猪木 vs ブラックジャック・マリガン
1977.09.23 放送
闘魂シリーズ 1977.09.22 福島・会津市体育館
アントニオ猪木 vs ロディ・パイパー
坂口征二&ストロング小林 vs スタン・ハンセン&ザ・ハングマン
1977.09.30 放送
闘魂シリーズ 1977.09.29 大阪・大阪府立体育会館
木戸修 vs ロディ・パイパー
坂口征二&ストロング小林 vs スタン・ハンセン&ザ・ハングマン(NWA認定北米タッグ選手権試合)
1977.10.07 放送
闘魂シリーズ 1977.10.02 山梨・富士急ハイランド大ホール
木戸修&長州力 vs 藤原喜明&木村健吾
アントニオ猪木 vs ザ・ハングマン
1977.10.14 放送
闘魂シリーズ 1977.10.04 京都・日本正武館
木戸修&長州力 vs 山本小鉄&星野勘太郎
アントニオ猪木 vs スタン・ハンセン
1977.10.21 放送
闘魂シリーズ 1977.10.05 千葉・松戸市運動公園体育館
坂口征二&長州力 vs スタン・ハンセン&ザ・ハングマン
アントニオ猪木 vs ブラックジャック・マリガン この頃までよくあったタイトルマッチの前哨戦が本戦と同じカード。
この時の北米タッグのカードは2週連続だったんだな。 ハンセンマリガンロディパイパーって今だとかなり豪華に見えるね
当時はハンセンも人気無かったしパイパーもグリーンボーイだったけど
ハングマンが重宝がられっぷりが凄いw >>127
82年サマーファイトシリーズ2もテレビ中継2試合だけのパターンが多かった 78年にはMSGからの放送でアンドレローデスマスカラスのトリオが実現して放送されてるんだね
これは今でも観たい! みんな、どうしてそんな昔の放送カードを知ってるの?
プロレス誌の熱戦譜? >>129
ハングマンって言うとどうしてもワールドプロレスリングの後の金曜9時からやってたドラマの方思い出すよな。今じゃ地上波では絶対放送不可能な内容… >>132
「ワールドプロレスリング」「放送リスト」で検索してみてくだされ 同じ日にパターソンとライトの北米タッグ挑戦もあったんだな 86年5月 福岡スポーツセンターのカード
猪木対木村
藤波対ケリー
藤原対ジャイアント
高田対越中
坂口、コブラ、上田対マードック、スーパースター、セントクレア
星野、小杉対前田、木戸
後藤、山田対サモアン、アサシン
橋本対ワラス
船木対片山
藤波がケリーにフォール勝ち
藤原とジャイアントは両リン
前田が第4試合に登場 坂口&コブラ&上田て凄いチームだなw
コブラとスーパースターの絡みは見てみたかった。 >>138
IWGPジュニア選手権・高田対越中は、王座を奪われた越中のリターンマッチ
だったが、当初の挑戦者はドスカラス。ドス負傷のため途中帰国したのだが、
高田対ドスカラスは見てみたかったな。 IWGPとは名ばかりの通常シリーズのメンバーだな
それっぽいのはワラスぐらいじゃないか そもそもIWGPは1回目から、前身のMSGシリーズとほぼ変わらないメンバーだった。 開催をブチ上げた時は、ファンはハンセンもボックも出てくる大会だと信じていたからね。
第1回の決勝リーグ戦メンバーが発表された時の、ガッカリ感は半端じゃなかったな。 まぁ初顔のスタッドがいただけまだ救いだったよ
クラウス・カーロフが来なくて前田が欧州代表
カナダ代表のディノ・ブラボーが緊急帰国でラッシャー木村
最悪だったな IWGPは第1回より第2回の方がメンバー的には豪華だった
まぁ82年のMSGシリーズと何が違うと言われたらそこまでだが
開催前にはぁIWGP幻想が凄かったかんな。
しかしぃ初回はぁ確かにぃ物足りなすぎたしぃー。
当初の宣伝がぁー過大過ぎたかんな。
しかもぉ最初に構想が発表されたんはぁー80年だぞぇ。
そんでぇ開催が発表されたのがぁー81年だかんな。
ボック ブッチャー ハンセン シン
こぉゆぅメンバーが主軸だったかんな。
最大の目玉はぁボックとブッチャーだったぞぇー。
IWGPによってボック幻想もぉかなりぃ膨らんだしぃー。
更にゃIWGP参戦名目で移籍したブッチャーだぞぇ。
結果にゃあボックもブッチャーも参戦せずぅ。
更にはぁシンやハンセンもぉ全日移籍で参戦しなかったしぃー。
最初の予想とぁかなりぃ掛け離れてもぉたかんな。
本当にMSGシリーズと変わらんかったしぃー。
名称が変わっただけっちゅう。
こりゃあ興味失せるわなぁ。
しかしぃ前宣伝のお陰でぇー初回はぁ連日超満員だったかんな。
これぁ宣伝効果大成功っちゅうこった。
宣伝効果絶大だったからこそぉ連日超満員をゲッツでけたんよぉー。 昭和55年第1回MSGタッグ・リーグ戦 のメンバー+ローラン・ボックで
IWGPをやればよかった。
アントニオ猪木、ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、
アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガー・ジェット・シン、ウイリエム・ルスカ。
最初はぁ決勝戦はMSGで開催っちゅう流れだったかんな。
しかしぃアメリカのファンからすりゃあ『IWGPって何?』だろぉしぃー。
後はぁ参加メンバーだなぁ。
初回のあのメンバーはぁそれまでのぉMSGシリーズよりもぉ劣っちょったぞぇー。
ありゃあかなりぃネタにされてもぉちゃる程だかんな。
実際にゃあバックランドやローデスもぉ参加せずぅ。
ボックのバワイはぁ猪木とのシングルでメッキ剥がれてもぉたしぃー。
ブッチャーがぁー参加しなかった本当の理由っちゅうのぁわからんかんな。
しかしぃ実際のぉあのメンバーでもぉ前宣伝のお陰でぇー連日の超満員だぞぇ。
82年はぁ猪木の糖尿悪化でぇ開催でけなかったかんな。
そんでぇ83年にぃ開催っちゅうにぃー。
MSGシリーズの方がぁ豪華だったぞぇ。
しかもぉ第三回と第四回は本当に豪華だったしぃー。
目玉外人がぁホーガンとアンドレっちゅうのもぉなぁ。
通常シリーズやぁMSGシリーズと変わらん状態だぞぇ。
猪木もぉ最後にあぁならんとぉ話題にもならんかったかんな。 実際、IWGPは構想段階で「本当にそんな豪華で大規模な大会が可能なの?」と懐疑的な目で見てたな子供心に >>149
それ俺も思った。
ガキでも当時のNWAやAWAが、IWGPの下に立つことなんてあり得ない事くらいわかる。
ただブッチャー引き抜いた時にはちょっと本気かもと思った。 SWSの本に将来的には新日、全日も部屋として参加に収める構想が書かれてたな そもそも最初のUWF構想が新日・全日・ユニバーサルを統括する組織を
猪木と馬場が組んで作り、外人の契約やトレードの調整、テレ朝・日テレ・
フジへの対応を足並み揃えてプロレス側の立場を強くするというものの
はずだったんたよな 新日が国際軍団とタイガーを擁して最盛期を迎えIWGP構想を軌道に乗せようか、
という時に、ハイセルによる経営の悪化、猪木の通風、ビンスシニアの死去、と
逆風が次々押し寄せ、自分たちだけでやれると思い込んだ小鉄・大塚らが
新団体を目論み、ジャパンを立ち上げて全日と手を組み、金銭トラブルで
梶原一騎やヒトと揉め、と自業自得気味の迷走に突っ込んで行ったからな
まあ何事もうまくいく日ばかりじゃないと
よくその後を乗り切ったものだと思うわ >>134
「ワールドプロレスリング」「放送リスト」ありがとうございました。
延々と眺めることができますね。 1980年8月品川プリンスホテルゴールドホール 猪木vsバックランド あまりに懐かしくて胸が熱いよw 1979.12.28放送
'79年闘魂シリーズ(第10週)
1979.12.19 メキシコシティ パラシオ・デ・ロス・デポルテス
グラン浜田&佐山サトル vs レイ・メンドーサ&レネ・グハルド
長州力 vs エル・カネック
藤波辰巳 vs アンヘル・ブランコ(WWFジュニアヘビー級選手権)
猪木がバックランドからWWFを奪い、クロケイドと格闘技戦をやった年の
締めの放送が猪木抜きだったんだな >>138
藤原は途中適当に見せ場作るにしてもフォール負けが順当だったんでは。ちょっと不自然な気がする。 >>118
この上半分の75年頃までの外人、このメンツでよく持たせたな。。
アンドレ、パワーズ、シン、クラップあたりで重要な試合を回してた頃か。
逆にと言うか、小林や大木戦、ロビンソン戦のような大一番がより際立って話題になる感じではあるなw 新日本はWWWFとの契約でやっとバックランド呼べる様になったが、
それまではNWAとガッチリ組んでいた全日はむろん国際プロレスより外人レスラーの面子は悲惨だった その国際にも来日した欧州系は実力あるけど、いかんせん地味でなw
トニーチャールズは68年からの国際欧州路線第1号メンツだったな。
ジェフポーツ、チャールズベレッツ(ジョニーロンドス)、レスソントン、パットローチ・・ >>158
猪木を一位にするための星調整かな?とも思ったけど、藤原に勝っても順位は変わらないんだよね。
アンドレはこのリーグ戦は健悟にも反則負けで落としてるし、不調設定だったのかな。 猪木のNWFなんてカナダのローカルタイトルだからな
全盛期猪木とドリー、レイス、ニック、ガニア等との試合が見たかった 新日のリングに唯一1回だけ試合したドン星野ウイルソンの映像見たいけど現存してないだろうな シン、ハンセンが出てくるまでの新日外人は悲惨だな。
パワーズぐらいか、当たりは。
大物であるはずのローデスもいまいちうまくマッチしてなかったし。
クラップやバーナードのプロレスって、もう思いっきりショーギミックで、
とてもじゃないが後のストロングスタイル()とはかけ離れてるよなあ >>165
シン、ハンセンの前に、ローデスは新日には来てないだろ? パワーズの一番の功績はNWFタイトルを新日に売ってくれたこと
後に新日がNWFで稼いだ金額を考えれば一万ドルは安い
>>165
新日のフロントは「神様仏様シン様」と言っていたって話がある
シンが出る興行は飛ぶように売れたとか 新日前期の74、75年頃が猪木が一番「心技体」揃ってた頃だと思う。
その頃にB級外人をエースに試合してたんだから勿体ないね。。w >>169
ローデスが初めて新日上がったの、79年だろ? >>165
新日本初参戦はパワーズよりシンが先でしょ >>158
Uインター中野の自伝にこの試合の事書かれてあるみたいなんだけど読んだ人いる?確かゴングの宣伝コーナーにあの前田戦を受けてのUWFとの試合について述べられているみたいな事書いてあったんだけど。 シンとパワーズは同じ73年に新日に来襲したからほぼ同期の猪木のライバルだね。。
パワーズの持ち込んだNWFは一応はアメリカでも世界王座の一角として多少は知名度はあったはず。
歴代王者もジョニーバレンタインやワルドーフォンエリック、Aブッチャーらが名を連ねているな。 >>165
>シン、ハンセンが出てくるまでの新日外人は悲惨だな
シンの前にゴッチがいた。
ハンセンの前にアンドレもいた。
単発だったが、ロビンソンも参戦したし。 シンには上田馬之助という名脇役がついたのも大きかった、上田は猪木とのネールデスマッチで武道館のメイン張り、シンとの抗争で大阪満員にした
日本プロレスでの一件も猪木を裏切った卑劣な上田って悪役レスラーてして、とても美味しいキャラ設定になった >>176
引き抜かれた側の国際プロレスは、たまったもんじゃないだろ?
看板のシングルベルトを与えるブックまでやって、星も返さずに離脱移籍だからな。 茶飲み話の叩き台として、Gスピリット51号に載ったジョニー・
パワーズのインタビューと流智美さんが補足した特集記事から
NWFについて書かれた部分を雑にまとめてみます
・TVの全米中継がなくなった50年代後半にバッファロー、クリーブ
ランドなど五大湖周辺のテリトリーのプロモーターだったのは
ペドロ・マルチネス。当時この辺りはビッグマーケットで
ペドロは巨万の富を得ていた。
・60年代までNWA・AWAでコンテンダーとして活躍していたジョニー・
パワーズが68年にマルチネスのブッカーとして契約、プロモーター
ライセンスも買収して、25歳にしてエース兼プロモーターとなる。
・パワーズによると66年に東プロに来日した際に、同い年の猪木が
トップ兼プロモーターとして団体を仕切っていること、既にある
メジャー組織(日プロ)に対抗した団体を立ち上げたことを見て
大いに刺激を受けたという。一方流智美によるとアマレスの基礎の
ないパワーズはドリーやブリスコに後れを取っていて、既存団体の
中ではエースや王者になれないと考えたのではないかという。
・ドル箱だったクリーブランドを押さえていればNWA主流派との交流が
なくてもやっていけると判断したペドロ&パワーズは70年にNWAを
脱退、バッファローにオフィスを構えて独自テリトリーを構築する。 ・初代NWFチャンピオンはパワーズが認定されたものの、パワーズは
「北米ヘビー級王者」としての防衛しかしていない。これは当時
クリーブランドと並ぶNWFの二大拠点だったバッファローが黒人の
観客の多いエリアだったため、クリーブランドではパワーズが
北米タイトルを賭けたジョニー・バレンタインとの抗争をメイン
カードにし、バッファローではアーニー・ラッド、ブッチャー、
デヌーチ、ワルドー・フォン・エリックの抗争をメインにしたため。
・NWFベルトを巻いた写真が残っているのはラッド、ブッチャー、
デヌーチ、ワルドーくらいで、流氏によると「正式な移動もなく、
その場その場で王者がコロコロ変わっているのではないか」と
言っている。(国際のIWAタイトルがビリー・グラハムや小林に
タイトル戦も無しに「移動」したのと同じということか。)
・当時地元テレビで土曜夜に「チャンピオンシップレスリング」、
日曜の朝には「オールスターレスリング」が放映されていた。
テレビの司会者はパワーズ、ジャック・レイノルズ、ペドロ・
マルティネスの息子ロン。(現在利用できる映像はほぼなし)
・72年8月、クリーブランドでレッスルマニアの元祖的な巨大興行を
開催(メインはパワーズ対バレンタイン)するも興行はパッとせず。 ・73年に入り興行が不振に陥り、デトロイトのシークに興行権の
一部を売るなどしていたが、パワーズと交流のあったジョージ・
キャノンが坂口と猪木の合流を伝え、ミスター・モト、ジーン・
ラベールらが提携を進言する。パワーズはNWAに拒絶されている
もの同士の交流に興味を持ち、ラベールの拠点ロスで新日と会談、
エリアのレスラーの供給、NWFの看板を新日に委譲することを決め、
パワーズはプロモート業を引退する。
・この後、TVマネーをバックにした新日の威勢はアメリカにも響き、
「NWF」は74年頃からアメリカの専門誌でも「4大王座」扱いされる。
パワーズは「私とペドロにとってはギャンブルだったが、ビジネス
としてベストな判断だったと思う」と新日への譲渡に満足している。
・ペドロ・マルチネスは75年に新興組織IWAの立ち上げに主力として
関わり、ブッカーとしてパワーズを起用するもIWAはすぐに崩壊。
パワーズはレスラーとして散発的に試合をしていたが、事業家と
なり完全にプロレスと縁を絶つ。
・猪木はIWGP構想を掲げて81年にNWF名義のビジネスを封鎖する。
後にその理由を「だって飽きちゃうじゃん、同じことばっかりで」
とぶっちゃけている。
・「NWF」はなんと1986年に復活し、ブッチャー、ブロディらを
王者にしてペンシルバニア、フィラデルフィアを拠点に1994年まで
続いていた。コメンテーターには若き日のポール・ヘイマンも起用
されている。唯一の女子王者はウェンディ・リヒターだった。 補足
日本では認定宣言などで「デビッド・ヘルマン会長」と呼ばれていた
NWFのプレジデントはデビッド・フェルドマン(Devid P Feldman)で、
NWFの発起人ペドロ・マルチネスの友人の弁護士として名前を貸したが
プロレス界とは何の関係もない人物だったという。
また日本のタイトルマッチの認定宣言などの際に「会長代行」として
紹介されていた「プラター」氏はジェリー・アレン・プレイター。
雑誌「レスリング・ワールド」の副編集長で、取材のために来日して
いたのをNWF関係者ということにされてリングに上げられたのだとか。
デイリースポーツの植田伸司元編集局長が、全日本女子プロレスの
松永一家に頼み込まれて「WWWA 初代コミッショナー」ということに
されていたのと似たようなもので、日本のマスコミ人も海外では
即席に「とんだ大物」にされていたこともあったんだろうなあ。
NWFは日本のwikiでは「アメリカのプロレス誌上では、NWA、AWA、WWWFに
次ぐ第4の団体と認知されていた時期もあった。しかし、1973年に入ると
勢力は衰退、縮小していく。」とあるけれど、実のところNWFがメジャー
4大タイトルとしてアメリカのマスコミに扱われるようになったのは、
むしろ新日に売却されて猪木が防衛戦を行うようになった1974年以降で
「アメリカの専門誌でも猪木が徐々に取り上げられるようになり、NWFと
いう組織の存在、あるいはNWF世界王座のステイタスもようやく本場で
『認知』された。新日本に運営が任されてからのことであったが、
全米マット界のアウトローであったパワーズにとっては『本懐を遂げた』
形になる。NWFの歴史は、パワーズ&猪木という日米を代表する反逆児
コンビの歴史でもあった」
(Gスピ51号)と言われても無理はないと思う。
やっぱり日本は、不況に落ちていくアメリカマット界から見れば巨大な
マーケットだったのだろう。 NWFってブッチャーとシークの繋がりもあって、シークはその線で新日に一度参加したが
ブッチャーはご存じの通り、81年以降の引き抜きで登場。だがもしかしたら凶悪コンビが
新日で74年頃に実現したかもしれないw モトって猪木のこと滅茶苦茶嫌ってるイメージがあったんで意外だな
猪木の日プロ復帰にも猛反対したというし クラップは猪木戦での勝率が何故か高いので、
グレーテスト18クラブの一人に名を連ねても良かった。 シンと上田を、ブッチャーとシークを組ませようと考えたのは素晴らしいよね。
シンもブッチャーも、あれ以上のパートナーはいなかっただろうな。 >>158
藤原は自称職人、言われたブックは守ります、でもグラウンドでオレツエーを見せてから、不本意ながらのフォールで負けますね、みたいな感じと、しかもそれを支持するファンが当時はイヤだった。 藤原って本当にガチ強かったのかね
あの情けない体じゃ説得力無いわ >>182
Wikiに書かれているのは北米における興行団体としてのNWFの勢力についてで
猪木が王者になったからタイトルの価値が上がったとかいうのとは次元の違う話 ネットもない時代だし、日本の事情なんて知るわけないしな 猪木が東京プロレスのエースだったことが刺激になって
パワーズのNWF旗上げにつながったってのは面白い話だな
猪木とパワーズのライバル関係はアングルだけでも無かったってことか >>160
力をつけ始めた新日とWWFとの提携を警戒して馬場は「MSGシリーズ」を開催して楔
を打った。
>>167
坂口グループ合流後も伸び悩む視聴率を数パーセントも上げたのはシンだった。
ワープロのPもシンは救世主と感謝していた。
>>184
モトはマサ斉藤がアメリカに渡った時に最初に面倒を見ている。ライバル団体の残党の
世話をしているが面白くない日プロに抗議されるまでそれは続いた・・・
>>186
上田が来ても時間を置いてシンと組ませた新間のタイミングが絶妙だった。
>>191
新日のNWA加盟を受けて「世界」を剥奪されて怒り心頭だったのはガチだった! それにしても旧日本プロレスがそれまで軽視していたNWAに突如加盟して、
力道山時代末期には眼もくれなくなったNWAを 「世界最高の組織!」と
持ち上げだしたのは、対立団体となった東京プロレスが猪木のツテを元に
NWAに加盟ししようとした事態に慌てて、先手を打ったためだというし
それまで頑強に新日の加盟を拒絶していたNWAが突然加盟を認めたのは
対立組織IWAが旗揚げし、新日がそちらと手を組むのを事前に防ごうと
したからだったり
「団体の権威」なんてものにも何か変化が起きるのは周囲の状況を含んだ
タイミングというものが大きいんだなあと思わされる
ブッチャー シーク シン 上田
日本ではぁ極悪4と言われちょるこの四人はぁ新日 全日と双方上がっちょる事実ぅー。
そんで猪木と馬場とシングル対決もしちょって。
こりゃあ意外な事実だぞぇ。
ブッチャー シーク対シン 上田も見たかったしぃー。
80年にはぁ互いに新日と全日におったかんな。
しかしぃ81年にゃあシン 上田がぁー全日っちゅう。
こりゃあ運命だゎなぁ。
猪木はぁブッチャー引き抜いた時にはぁシンと絡ませたいっちゅうのがあったとかぁ。
しかしぃシンがぉそれを拒否して全日に移籍っちゅう流れにぃー。
新日でシンとブッチャーが同じリングに上がんのもぉ見たかったぞぇ。
この時代のシンやブッチャーはぁ押され気味とかぁ言われちょった。
しかしぃこの頃はぁまだまだ二人も存在感があったかんな。
長かったからぁマンネリにはぁなっちょったのはぁ否めないけどもぉ。
そぉゆぅ面ではぁ88年にぃ二人が組んだのぁちょっくら遅かったぞぇー。
でもぉ時代の流れっちゅうか運命だからぁ仕方なんだ。
81年に組めればぁ良かったかんな。 70年代後半 ブッチャー、シーク、シン、上田
80年代前半 アンドレ、ハンセン、ブロディ、ホーガン
まあスレ通り「昭和」で言えば上記の年月は50年代だが、西暦にすれば見事に外人4強の前編、後編となる >>194
ブッチャーとシーク
シンと上田
お互いに丁度いい時期に組めた。
だかは日本マットで中心になれた。
ブッチャーとシンは時期的に遅かった。
でもオールスター戦の頃ならベスト。
あれは本格的タッグじゃなくてお祭りだけど。 >>197
ブッチャー・シン組本格的タッグは全盛期じゃなかったあの時期だからこそ良かった気もする。
全盛期ではお祭りタッグだけで充分。
ハンセンとブロディもぉいい時期に組めて良かったぞぇー。
後はぁ名タッグっちゅうたらぁ誰がおったかぁ?
ウォリアーズはぁ元からのタッグチームだしぃー。
馬場と猪木もぉやっぱぁいい時期に組んどったっちゅう事になるだろぉなぁ。
互いに全盛期っちゅうかぁ猪木はぁ全盛期駈け上がる頃だったかぁ。
馬場はぁ完全にぃ全盛期っちゅう意見だかんな。
他にゃあ鶴龍もぉ全盛期同士。
っちゅうてもぉ天龍が本当に開花したのはぁ鶴龍解体後だぞぇ。
藤波と木村はぁそこまでのタッグチームでぁなかったしぃー。
他にゃゴディとウイリアムス位かぁ。
この二人もぉいい時期に組んだしぃー。
それ以外だとぉあんま思い浮かばんなぁ。
新日はぁタッグよりもぉシングル専門のイメージがあっちゃるゎい。
平成になってからだとぉやっぱりぃ武藤 蝶野っちゅうにぃなるな。
この二人はぁ本当にぃ名タッグだったかんな。
やっぱりぃこの二人もぉいい時期に組めたしぃー。
橋本のバワイはぁ適したパートナーがおらんかったかんな。
橋本もぉシングル向きかもなぁ。 他のスレではこんな幼稚なことやっているのですね
108お前名無しだろ (ガラプー KKeb-Jd62)2021/12/10(金) 11:41:07.35ID:DF69+PjiK
>>107
クチョ漏ちぃー
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�����
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�������
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��������� >>197
荒らしにレスするなよ。荒らしに構うのも荒らし行為だぞ? 兄弟タッグ10傑
シャープ兄弟
ザ・ファンクス
ブリスコ兄弟
マスカラス・ブラザーズ
ザ・サモアンズ
エリック兄弟
マレンコ兄弟
スタイナー・ブラザーズ
高野兄弟
あと1組は? >>203
いや、モーリスとポールのバション兄弟が
もっと上位だろ?
AWA世界タッグ王者だったぞ!
少なくとも高野兄弟なんか問題にしない! ブラソスとかビジャノスが入ってないとダメだよな。ワグナージュニアとシルバーキングもいいコンビだった。 オレイとアーンのアンダーソン兄弟とか
90年代にアーン・アンダーソンの方が有名になって立場逆転って感じだったけど ゲレロ兄弟もいたな、一応は全日でのジュニアタッグリーグ戦で準優勝していたし。
後はロンバス&ドンバスのバス兄弟。叶姉妹や阿佐ヶ谷姉妹と同じギミック兄弟だけど。 ってアンダーソン兄弟もレスリングブラザーだったか風貌似てるから
その手の入れるならバリアント兄弟とかあの手のやつは結構あるか
エリックのとこはじめウィンダム兄弟、キニスキー兄弟とか、
二世のとこの兄弟多いかもしれんね、ファンクスもだけど >>203
ジェイ、マーク、クリスの『ザ・ヤングブラッズ』もいいコンビだったよ。
アメリカ、プエルトリコではかなりのタイトル歴がある。
>>207
『ミネソタ・レッキング・クルー』のアンダーソンズは典型的なギミック兄弟だよ。 何でネット記事で見たことをさも知っている体で語る人が多いの? >>211
そうそう、Gスピリッツで最近載ってた話とかもね。この前のGスピに出てた話だけどさ、とか書けばいいのに、まるでマル秘話みたいに書く人いると白けるね。 >>208
ゲレロ兄弟はヘクター以外はみんな新日に来た。 >>212
そうそう、お前みたいな奴いるよな。こんなとこは、初老の知識自慢の場所なのに、俺だけは違うと上から目線。はいはい >>214
お前が初老のGスピリッツ野郎か。図星で悔しかったのか…。 「初老」って40歳のことだから1981年生まれ
昭和の終わりには10歳になるかならないかか
このスレにはふさわしくないんじゃね?www ホーガンが杖をつくようになったってスレが立っているが
それを考えると藤波は元気だね 実の兄弟版とニセ兄弟版に分けてほしい
まあニセ兄弟版はあり余るほどいるがw 代表的なニセ兄弟は
ジェリー、エディ、ルーク、ビリーのグラハム兄弟
ホーガンとブルータス・ビーフケーキ エリック一族は本物と偽物の血縁関係が混じっているケース フリッツ・フォン・エリックとワルドー・フォン・エリック ロン・バスもいたバス・ブラザーズは、日本では来日経験のある4人を指してバス4兄弟と言われてたけど、アメリカでは少なくとも8人確認されている(同時に8人というわけではなかったようだけど)
ベテランの女子レスラーが兄弟の母親と称してマネージャーを務めるなど、なかなか斬新な構成だった >>224
ランス・フォン・エリックはワルドーの息子という触れ込みだったね ファンクスにもジミー・ジャック・ファンクがいた
あれはジェシー・バーだから血縁はない
タッグでぁないがぁー第二次Uに参加したジャック スヌーカ
コイツはぁジミー スヌーカの実弟っちゅう触れ込みングだったかんな。
風像や外見が似ちょったぞぇ。
そんでぇ当時は大半が本気にしたんよぉー。
しかしぃ実際にはぁ兄弟ではぁなくぅ。
後はぁかなりぃ昔にぃ新日にぃ上がったインド人レスラー。
シン軍団の一員でシンの実弟っちゅう触れ込みだった。
名前は忘れたがぁー。
タルバー ガマ以外のだぞぇ。
しかしぃこれもぉギミックだったっちゅうオチでぇー。
そいからぁビーフケーキ。
最初にはぁゴングでぇディジー ホーガンとして登場。
ホーガンの実弟っちゅうにぃ紹介されたんよぉー。
しかしぃその後はぁ全くそぉゆぅ記事もなくてぇ。
あれはぁゴングのガチ誤認記事だったんかぃなぁ?
そいともぉわざとのぉネタだったんかぁー?
当時のぉプロレスマスコミならぁそぉゆぅ事ぁ普通にやるかんな。
それがぁプロレスの良さ 醍醐味でもあるしぃー。
サモアンズがぁ実はぁ兄弟でぁなくぅ似ちょるだけのぉ他人っちゅう噂もあったなぁ。 タイガー・ジェット・シンの弟として来日したのはファザール・シン
本当なのかギミックなのかよく知らんけど、とにかくとんでもなく弱くてビジネスで弟を名乗らせるのはマイナスな気もするから、逆に実弟だった可能性もあるかも 上田と組む前のシンは、ろくでもないパートナーばかりだったよな。
北米タッグ挑戦してシンが1本取っても、パートナーが2本取られてしまったり。 アームストロング兄弟たちは揃って地味だけど試合巧者のイメージがある シンとブッチャーが連れてくるレスラーは、例外もいるけど基本ろくでもないのばかりだったような ソイヤー兄弟(バズ、ブレッド)
アニマル、J・エース、ザ・ターミネーター
ハート一家(ブレッド、オーエン、ブルース他)
ケリー・ツインズ
アーウィン兄弟(ビル、スコット) 逆パターンだとハンセンとボビー・ダンカンがタッグを組んでいた時は
「あの2人は異なる苗字だけど兄弟なんじゃないか?」と言われたそうだ
インド人レスラーのぉシン軍団はぁろくでもないのがぁー揃っちょったっちゅう話だかんな。
みんな小柄でぇ大型はぁ親分のジェット シンだけとかぁ。
まぁ小柄ならぁジュニアっちゅう選択肢もあったがぁ。
でもぉそん時ゃあまだジュニアの存在はぁ確立されちょらんかったんかもなぁー。
78年のぉ藤波凱旋後にぃジュニアっちゅう級がぁ確立されたっちゅうにぃ聞いたかんな。
全日に連れてきたインド人レスラーはぁ大型もおったぞぇ。
しかしぃ肝心の試合はしちょらんかんな。
マネージャーみたいな形でぇ試合に乱入してもぉ返り討ちに遭ってもぉちゃりぃ。
モハン シンっちゅうのもおったなぁ。
後はぁ別のマネージャーん時もあった。
ソイツに気を取られた馬場がぁシンに初フォール取られたっちゅうのもあったぞぇ。
一応はぁ馬場フォールに貢献っちゅうこったわ。
しかしぃそぉゆぅ連中がぁ使えたらぁシン軍団もぉ盛り上がったかもぉー。
でもぉ力量なかったのが揃っちょったみたいだかんな。
シン軍団っちゅうてもぉ雑魚の集まりだぞぇ。 ダッドリーズは90年代に活動開始したから昭和の枠には入らないか
ダッドリー・ダッドリー(長男)
ビッグ・ディック・ダッドリー(次男)
リル・ショット・ダッドリー(三男)
ダンス・ウィズ・ダッドリー(四男)
ババ・レイ・ダッドリー(五男)
チャビー・ダッドリー(六男)
サイン・ガイ・ダッドリー(七男)
ディーボン・ダッドリー(八男)
スパイク・ダッドリー(末弟)
カズン・ルーク・ダッドリー(従兄弟)
カズン・ブッチ・ダッドリー(従兄弟)
スタッドリー・ダッドリー
レディ・ダッドリー 今でもブック説を否定するシンは、プロ中のプロだよね。
アントニオ猪木夫妻“新宿伊勢丹事件”の真相を告白…タイガー・ジェット・シンが語った“狂虎の深層”<3>【週刊プロレス】
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ac075fcb805c6ce99be545276becae73c364a96 まあ裏話なんてのは本人は墓場まで持っていけばいいだけだ
プロレス見始めたガキの頃って本当にシンとかブルートバーナードとか気が狂ってると思ってたし、
そういう思い出を大事にしてくれてるね。。w 猪木は引退してから10年以上経っても新日本で興行的に1番苦しかった時は?の質問に
「空港まで来ててキッド、スミスを引き抜かれた時。さすがにこたえた」
と言うぐらいだからダイナマイト・キッドへの期待、評価は非常に高かったんだなと思った。
https://pbs.twimg.com/media/Dtp80LcU4AAZ3AJ.jpg 80年の新春シリーズで国際は来日目玉となるキッドを新日に引き抜かれ、クラップとジョー、あととんでもない素人外人2人で巡業。
寒々とした大阪府立で木村とクラップのIWA戦を敢行。因果なものですな。。w >>217
藤波は若手の頃は無理やり食べさせられたけど
その後は暴飲暴食しなかったからね >>244
クラップとパワーズは、猪木と抗争してた頃はかなりの強豪だったけど
出涸らしになるの早かったな。 一病息災ってやつで、藤波は早くから椎間板ヘルニアで苦しんだから体調管理がしっかりしてた
師匠猪木の糖尿病も同じだね >>240
これ何年も前の記事を復刻してるだけだよ >>245
藤波は酒が嫌いなんだよね
それも良かったのかもしれない
佐山みたいに酒が嫌いでも羊羹をポッキーの様に食ったら
体をおかしくするけど >>248
それこそ数年前(2015年頃?)のインタビュー記事だけど、ホーガンも日本に来たときだけはケーフェイを守った発言をしてる 少なくとも昭和〜平成のガイジンは日本の国柄を考慮してプライベートでもレスラーを貫くべきっていうプロ意識を持ってる
日本のレスラーが都合の良いとこだけ米国の真似して勘違いしてるだけ >>249
パーキンソン病も甘い物が悪かったのかね?
それでも2010年位まではサマーソルトキックとかやっててデブっててもやっぱすげえとか思ってたけど >>243
忘れっぽい猪木が覚えてるって事は余程だったんだね >>217
藤波は飛んで体を打ち付ける技やんなかったから(ドラゴンロケットとドラゴンリングインくらいか) ケン・シャムロック、フランク・シャムロック
ヒクソン・グレイシー、ホイス・グレイシー
エメーリアエンコ・ヒョードル、エメーリアエンコ・アレキサンダー
アントニオ・ホドリコ・ノゲイラ、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ
ニコ・ゴルドー、ジェラルド・ゴルドー
レオン・スピンクス、マイケル・スピンクス
永田裕志、永田克彦 >>256
オーフレイムとニンジャが抜けとる
シャムロック兄弟は血縁ないね ハーレム・ヒート(ブッカーT&スティービー・レイ)
ハーディー・ボーイズ(マット&ジェフ)
クリード・ブラザーズ
バラモン兄弟 ボビー・フルトンとジョージ・ハインズ
バリー・ウインダムとケンドール・ウインダム
ケリー・キニスキーとニック・キニスキー
ゲレロ4兄弟(マンド、チャボ、ヘクター、エディ)
ロン・ハリスとドン・ハリス
ヘッドハンターズ
ジェイ・ブリスコとマーク・ブリスコ
81エキサイトにゃあツインデビルスっちゅうのがぁ来日したなぁ。
この二人はぁ双子っちゅうにぃ。
あとはぁ双子タッグならぁケリーツインズもおったぞぇ。
これまたぁタッグリーグ戦ではぁ白星プレゼント係だったかんな。
それ以降だとぉヘッドハンターズもぉ双子だったゎなぁ。
でもぉこの二人はぁどちらかがぁー一気に太ってもぉたぞぇー。
その方がぁー見分けは付くけどぉー。
そいからぁ兄弟っちゅうたらぁアニマルとホークだかんな。
ウォリアーズはぁ実はぁ兄弟だったっちゅう。
まぁ冗談はぁ上段突きで豆腐グチャッ
まぁそれぁ冗談として。
アニマル エース ターミネーターの3兄弟がおったぞぇ。
しかしぃこの3人程ぉー兄弟色薄いのもぉ珍しいかんな。
日本ではぁあんまタッグ組まんかったしぃー。
ターミネーターはぁすぐにぃ引退してもぉたっちゅう話だかんな。
しかしぃアニマルとエースが兄弟っちゅうのもぉ知らん人は沢山いただろぉなぁ。
タイプも風貌も体型も全然違ったかんな。
しかしぃエースはアニマルと比べっとぉ身体ショボすぎたぞぇ。 心の病は大変でしょうが人に迷惑かけずに根気よく治療してくださいね 双子レスラーと言えばやっぱりマクガイヤー兄弟か
あとプリンス・トンガ(キング・ハク)の国内デビュー戦の相手を務めた、リックとジョンのデビッドソン兄弟とか
国際に来たエルマンソー兄弟は、双子だと言われてたが実は違う マスカラスブラザーズ
シェンカラスとドスミル
ビジャノス
プラソス
メキシコは兄弟多い 新日に来日した当時ケリー・ツインズのサインもらったんだけど、どっちがどっちか分からんのよ
一人でPat&Mikeとか書いてて 日プロでインタータッグにも挑戦した
ボボ・ブラジルとハンク・ジェームスは
異母兄弟 >>269
年齢が13歳離れていたせいか、当時は実は親子じゃないかって説もあったなあ
結局兄弟で落ち着いたみたいだけど スティーブ・ライトの弟のバーナード・ライトってのも旧UWFに来てたっけ
兄に似ず凡庸なレスラーだったけど、髪の毛の量だけは兄を圧倒していた >>266
ワグナー
カサス
リンゴ&カチョーロ
キョーダインがもっとメジャーだったら
ロス・エルマノス・メタリコ なんてパクってたんでしょうな
グランゼルのアシストを受けてスカイゼル・トペとかウケたと思うんだけど
バス3兄弟っちゅうのもおったよなぁ。
ロン ドン 後はぁ忘れてもぉたゎい。
バスっちゅうたらぁロン バスがぁ一番有名だろぉなぁ。
特にぃ日本だとぉ。
ハンセンと組んでインタータッグを巻いた過去もぉあっちゃるしぃー。
その前のぉ国際にゃロンとドンが参加しちょったんだゃなぁ。
まぁこのバス3兄弟っちゅうてもぉ最初からギミックっちゅう感じだぞぇ。
後はぁレイスとぉ360キロのハンフリーが何故かぁ兄弟っちゅうになっちょったとかぁ。
こんなんもぉギミックっちゅうのぁすぐにぃわかったはずだぞぇ。
ウインダムもぉバリーとケンドールおったかんな。
しかしぃケンドールっちゅうのぁ大成せんかったぞぇー。
マリガンの実子でぇ二人も実の兄弟だがぁ。
エリック一家だとぉランスは従兄弟っちゅう設定だったらしいなぁ。
しかしぃ従兄弟でもなくぅ血縁でぁないっちゅう。
そいからぁ新日に来日しちょったアームストロング兄弟っちゅうのもおったしぃー。
これもぉパッとサイデリアー
いやっ、これもぉパッとせんかったかんな。 新日関係だと
ボブオートンジュニア&バリーオートン
ポールオーンドーフ&テリーオーンドーフ
ケンマンテル&ジョニーマンテル
キースハート&ブレットハート
カルロスホセエストラーダ&ジョニーロッズ >>277
3兄弟じゃなくて4兄弟な
ドン、フレッド(サム)、ロン、ボビー
他にもアメリカにはダッチ・マンテルが変身したダッチ・バスとか、その他数人のバス・ブラザーズがいた オーツ兄弟は両者共似たようなテクニシャンだけど
兄のジェリーだけ全日本の常連となって呼ばれ続けた。
1976年の初来日で極道からアジアタッグ取って、最後の来日は1988年でジョニースミスと組んでフットルースのアジアタッグに挑戦しているから相当に息の長いレスラー。 ホーガンとブルータスビーフケーキは親戚だったっけ?
FMWに来たホーレスボウダーは従兄弟だったかな? ホーレスボウダーは新日にも来たけど新日だと華奢にみえてミバエがしなかったな 荒川が若手を連れて吉原とかに行くわけだから穴ブラザーズは多いね 親子だがブレイ・ワイアットの父親がマイク・ロトンドなのはビックリした
似ても似つかない >>233
「お急ぎ便」S.D.ジョーンズとか
それだけにT.N.Tには驚いた SDジョーンズは本来正統派で、ブッチャー軍団に入れられたのイヤだったんだろ? 黒人てだけでブッチャー軍団入りは、デブスってだけで極悪同盟入りに通ずるものがある おっと失礼
テレビでちらっと見ただけだし 名前出したかったもんだからw
しかし「黒い軍団」てのもなあ 今なら古館一発降板だな 「黒い○○」「キ○ガイ○○」「原爆○○」
これらはみなテレビラジオで普通に使われ日常会話で飛び交い新聞雑誌の
大見出しに使われていた言葉だった(今日的な良し悪しは別にして)
特撮やプロレスは昔の作品やビデオが語り継がれているから当時こうした言葉が
使われていたことを知るいわば「窓口」になっているが、たまに「それ以外の
媒体は今と同じ規準で穏当な表現だった、特撮やプロレスだけが異常だ」みたいな
狂った発想がSNSなんかでときどき散見されて頭が痛い >>293
全日本に「爆発原子炉」と名付けられた外人がいた
名付け親は預言者か 蔵前国技館大会史上ワースト3に入る興行
ワープロ枠じゃなくスペシャル特番だったような
メインの猪木vsベンチュラはまだまだ本調子ではない猪木の復帰戦
ベンチュラはプロレス心「ゼロ」のやっつけ仕事
藤波vs ブッチャーは「藤波らしさ」が表現できず
地獄突きで撃墜してくれと言わんばかりの玉砕ドラゴンリングイン
タイガーマスクはブラックタイガーと白熱の攻防に
差し掛かったところで両者リングアウトで幕
https://pbs.twimg.com/media/EWGBgJYUcAAVUR0.jpg
裏切り者の剛は国際軍団に入れてもらえず >>296
この月の初めに既に蔵前で興行をやってるから
国技館がたまたま借りれたので穴埋めで興行した感じかな
実質はシリーズの開幕戦みたいなものになってる
新日はなぜか4月に蔵前を複数回使用することがある 昔の中継は「外人チーム」とか普通に言っていたよな。まさか外人が放送禁止用語になるとは。 女子プロの、髪を引っ張り合って殴り合ってあげくの流血戦とか、前座の小人プロレスとか
それが普通の興行の形態だから電波に乗って茶の間に流れる。
親はまあ顔をしかめていたがw、娯楽と割り切って見ればそこに「プロの仕事」を十分堪能できた。 ウィリーの見てる前で猪木からベルト奪取したハンセンのウエスタンラリアットは凄かった!あれはプロレスの意地みたいなものを感じた。 >>300
試合後猪木がリングに上がってハンセンと小競り合いしたのが残念
あれこそ舌出して担架で運ばれるべき一撃だった >>298
今も「禁止」はされていない。
マスコミが「自粛」しているだけ。
無論、日常会話や、ネットで使う分にはOK. >>296
猪木×ベンチュラは盛り上がりがない試合だったが、
藤波×ブッチャー、タイガーマスク×ブラックタイガーは
盛り上がってたと思うが。 >>302
言い方が間違っていたね、ごめん。でも実質的にテレビから消えてしまった言葉だから。 >>291
長身でめっちゃ強いのにブッチャーの子分にされたアレン
長身で美人なのにダンプの子分にされたブルちゃん
あい通ずるものがあるな >>304
いや、いや、別に謝ってもらう必要はないですよ。(^^:
ただ、多くの人が誤解しているようだが、
いわゆる「放送禁止語」は、マスコミが「自主規制」しているだけ。
私達、一般市民が日常で使ってはいけない、と変に神経質になる
こともない、と言いたかった。
あくまで個人的意見だが、「外人」にはそんなに悪い意味はないと感じますね。
「外人さん」という言い方はあるけれど、「外国人さん」とは言わないでしょう。 >>305
> 長身で美人なのにダンプの子分にされたブルちゃん
いや当時は太っててブスだったぞ。 >>296
猪木のトップロープからの延髄斬りってこの時だけかな
そこだけ印象に残ってる しかしベンチュラはアメリカではミネソタ州知事になったり大出世したよね。 ベンチュラとアドニスのコンビは1度は見てみたかったな ベンチュラは翌年の新春黄金シリーズに特別参加。藤波の飛龍十番勝負の相手として
エントリーされた以外、特に活躍なくフェードアウト。新日本の常連となるアドニス
と正反対だった。 >>291
コンドルとかバイソンとかは何故ヒールにされたのかね ベンチェラはアクション映画の傑作、プレデターに出てたよな
シュワルツネガー率いる傭兵部隊のガトリング砲持ち歩く怪力野郎でさすがの存在感示していた >>313
それにグリズリー岩本もメイクとると結構美型だった
ちなみに長谷川咲恵も元は獄門党にいた >>312
1月2日の後楽園での猪木との2度目のシングルは3分41秒卍固めであっさり負けてたな 意外と大阪で猪木のシングル戦って少なかったように思う。シン、ブロディ、藤原、斎藤、R木村辺りで藤波はおろか長州戦もなかったのでは?対ハンセンや対アンドレやってても全く記憶にない! >>317
長州とは88年2月にやっとる
その後90年5月まで大阪で満員はなかった >>317
藤波とは87年のIWGPで当たる予定だったけど、藤波の欠場で無くなったな
あとパッと思い出したのは82年の7月にカネック、12月にアドニス戦かな >>317
調べたらハンセンとは3回やってた
あと77年の暮れにパターソンとNWF戦やったな
あまり盛り上がってなかったが 大阪は露骨に冷遇されていたからな
府立体育館でさえカードはお茶濁しで大物の試合も東京の前哨戦扱い
1974年6月の腕折りマッチ以降パッとした試合がなく、1978年1月には猪木とシンの
シングルマッチが組まれたけれど猪木が回転エビ固めでアッサリ勝利、3日後の
札幌のタイトルマッチ、8日後の上田との釘板マッチの露骨な前フリ扱いだった
同じ78年5月には第一回MSGシリーズの決勝があったもののアンドレがセコンドの
坂口とやりあって猪木のリングアウト勝ち、やはり2日後、武道館の猪木初の
バックランドとのWWWF戦、7日後の福岡の格闘技戦の露払いになってしまう
12月にはバックランドと3度目のWWWF戦だったが、2日後のマツダとのプレ日本
選手権決勝を控えて狼軍団が乱入するウヤムヤ決着 府立以外の東大阪、寝屋川、臨海などでは猪木のシングルは組まれるものの
相手はコロフ、クラップ、ハン・リー、エクスキューショナーといったところ
そんな中でのヒットは、あまりの不人気に困った関西のプロモーターの相談に
乗ったファイト井上編集長の献策によると言われるシンと上田の一騎打ち!
客が入りきれないほどのウルトラ超満員になり、不透明決着にもかかわらず
後々まで語り草になるニーズに応えた好カードだった 大阪府立のレコードは、WARでの天龍×ムタとのことだが、
昭和新日本の時より入っていたのかね。 「大阪は新日の牙城」「どんなカードでも大阪なら満員になる」と言われていたので
そういう扱いだったのかもしれん ベンチュラはそもそもビリー・グラハムのギミックだからね 高石市臨海スポーツセンターだっけかw、字面みても懐かしいな。。
TVマッチとか時折やってたし、それなりのプロモーターがいたんじゃないの?
あとは姫路市厚生、尼崎、寝屋川、四国だが関西に近い徳島市立とかが記憶にある。
反面、京都や神戸って昭和の大試合であまり馴染みがないな。 >>313
ブサイクなくせにベビー側にいるデビル雅美という労害が新人イジメをするので
ダンプ松本に守ってもらおうとヒールに鞍替えしたという説 デビル雅美 1987年全女退団
バイソン木村 1986年9月デビュー
デビルは全女退団前には海外に行ってたしホントかね? ダンプ&クレーンも、最初は親分であるデビルへの造反からスタートだった。
アジャ&バイソンも、親分であるブルへの造反から。ダンプ→ブルだけは禅譲だが。 ダンプが引退する時にブルは「一緒に芸能界に行こう」と言われたが断ったそうだ
実はダンプと長与は気が合う仲だったというのもプロレスらしい話 今俺の激闘!で放送していた木村vs藤波のインターJr.戦
ノーカットで観たくなるくらい緊迫感があってイイ雰囲気だったな ペドロ・モラレスとのNWF戦も大阪だったかな
バックランドvsシンが同日に行われたはず
藤波vsグレッグ・バレンタインのWWFジュニアもかな? >>327
デビル雅美でシコったことあるんですが、、
新日だとぉ大阪はぁ自信持っちょったかんな。
猪木×シンの腕折りで大阪のファンを固定化したっちゅうにぃー。
かなりぃ前にぃ新間が言うちょったぞぇー。
そっからぁ新日はぁ大阪ではぁ蔵前と並ぶカードを組んできたんよぉー。
西のビッグマッチっちゅうにぃ。
80年MSGタッグ決勝戦もぉ大阪だったかんな。
全日もぉ大阪ではぁそれなりのぉビッグマッチ組んできたぞぇ。
しかしぃ全日での大阪の印象強い試合っちゅうのぁあんまないなぁ。
83年のぉテリー×ハンセンや引退シリーズのテリー×シン位かぁ。
まぁ最強タッグでのぉ大阪でもぉビッグマッチ組んどったけどもぉ。
全日のバワイはぁ蔵前に集中しちょったなぁ。
そんでもぉ新日と比べっとぉ全日の蔵前開催率は少なかったかんな。
まぁ馬場がぁ頻繁に蔵前で興業打ってもぉ入らないと踏んだらしいがぁー。
そんでぇ全日でのぉ蔵前開催回数は少なかったんよぉー。
新日はぁ平均して年にぃ5、6回は開催しちょったかんな。
全日はぁ最強タッグ最終戦はぁ必ずぅ蔵前だったけどなぁ。 >>326
京都はワンナイトトーナメントが羨ましかったなぁ ベンチュラは後楽園でキムケンともシングルを行っていたはずだけど結果どうだったんだっけ? 大阪といえばホーガン対ブッチャーだけどセミが坂口藤波組対アレンアグアヨ組という酷さ 88年12月大阪大会の新日イリミネーションタッグリーグ優勝戦進出トーナメント〜優勝戦とかめっちゃ豪華だけど >>310
ミネソタ州知事として来日した時にニュースステーションに出演した!
>>340
その試合はぁベンチュラがぁーカナディアンでギブア勝ちだぞぇ。
木村健吾はぁ猪木の噛ませ犬以下のベンチュラにもぉギブア負けだかんな。
もぉちたぁいい扱いでも良かったっちゅうにぃ思うんよぉー。
これはぁ木村健吾の事だかんな。
藤波と対等に売り出すつもりがぁ一気に差が開いてもぉたしぃー。
82年秋以降にゃあ長州ともぉかなりぃ差が開いてもぉたかんな。
木村健吾にゃあ意欲がなかったっちゅうに言われちょるけどぉー。
しかしぃ同年代の藤波や長州との差を考えふとなぁ。
もしもぉ木村健吾がぁ二人と並ぶ存在になってもぉちゃればぁ。
そぉしたらぁこの3人が三銃士的な存在になったかもぉ。
そぉなりゃあ後々のぉ橋本 武藤 蝶野は『闘魂三銃士』にならんかっかも知れんぞぇー。
83年頃にぃ藤波 長州 木村を一足早くにぃ『闘魂三銃士』と命名しちょったかもなぁ。
しかしぃ木村はぁ売り出されんかったかんな。
少なくともぉー藤波や長州程にはぁ。
木村は坂口派だったからなんかなぁ?
それともぉ本人の意欲がなかったんかぃなぁ?
>>341
ペロと荒鷲の体格差…
さぞかしハデにセールしてみせたんだろうなあ
なにしろ藤波のアルゼンチン「ヘビー級の証明だー!!」
なんて無茶ブリにも
ウワオオーーッなんて列伝ばりの絶叫でギブしたぐらいだから >>327
デビルは全員集合の女子プロレスコントにもよく出てたけど
「よくこいつが平気でドリフとお笑いやってるな」と小学生当時思ってた ジェシーベンチュラを初めて見た(もちろん雑誌)のはデラプロ79年の馬場特集だったかの
モノクログラビアページ。たしかタンクパットンとセントラルステーツタッグのベルト姿だった。
まだAWAに転戦する前だろうな。
>>341 佐山とブラックタイガーのダブルメインだったな。
この時は暗闇が浜田を降しての王者(佐山負傷で返上、空位だった)で
佐山は新兵器ラウンディングボディプレスで王者返り咲き、前日はソントンを破ってのNWAジュニア戴冠で
二冠王の活躍ぶり。まあ夏に向け猪木欠場の穴を埋める役をまかされるんだよね。。 >>343
そうかな?
〇佐々木健介(11分48秒 チキンウイングアームロック)鈴木実×
〇ヒロ斉藤(10分49秒 セントーン→片エビ固め)野上彰×
〇マニー・ヘルナンデス(10分23秒 雪崩式DDT→片エビ固め)ジョージ高野×
〇ザ・グラップラー(6分12秒 パワースラム→片エビ固め)スーパー・ストロング・マシーン×
〇ディックマードック&ボブ・オートン&スコット・ホール(3-2)坂口征二&マサ斎藤&後藤達俊×
@△ボブ・オートン(4分34秒 両者リングアウト)坂口征二△
A〇マサ斎藤(8分17秒 バックドロップ→体固め)スコット・ホール×
B〇ディック・マードック(8分31秒 フライングニードロップ→片エビ固め)マサ斎藤×
C〇ディック・マードック(14分48秒 ブレーンバスター→片エビ固め)後藤達俊×
〇木村健吾&藤原喜明(11分9秒 パワーボム→エビ固め)スティーブ・アームストロング&トレイシー・スマザース×
〇アントニオ猪木&長州力&星野勘太郎(3-1)ディック・マードック&ボブ・オートン&スコット・ホール×
@△星野勘太郎(9分18秒 両者リングアウト)ディック・マードック△
A〇アントニオ猪木(9分37秒 延髄斬り→体固め)スコット・ホール×
B〇アントニオ猪木(14分6秒 フライングニードロップ→体固め)ボブ・オートン×
〇ケリー・フォン・エリック&ケビン・フォン・エリック(8分21秒 タイガークロー)越中詩郎&小林邦昭×
〇アントニオ猪木&長州力&星野勘太郎(3-2)藤波辰巳&蝶野正洋&橋本真也×
@〇藤波辰巳(10分54秒 ドラゴンスリーパー)星野勘太郎×
A△長州力(11分36秒 両者リングアウト)藤波辰巳△
B〇アントニオ猪木(12分15秒 延髄斬り→体固め)橋本真也×
C〇アントニオ猪木(14分54秒 グラウンド卍固め)蝶野正洋× ちなみに後藤達俊がハネた試合
〇ディック・マードック(14分48秒 ブレーンバスター→片エビ固め)後藤達俊×
https://youtu.be/th8IhaIA08E >>350
今だったら結構良い面子だけど当時はやっつけ感があったね >>323
もしかしたら新日の年末最終興行(天龍対越中メイン)が一番の動員だったのでは?
旧府立ならシン対上田が断トツ! >>350
確かこの日のメインは
藤波が長州にコブラツイストを決めた後
蝶野と橋本に指示して、背後からタックルさせて場外心中したんだよね
そして残った猪木がエース格以外の二人を仕留めて勝つという
UWFとのイリミネーションマッチと同じ展開 ストロングスタイルってストロング小林起源なんですか? >>348
この時の浜田は、蔵前でアグアヨとのダブルタイトル戦に勝利し、
UWA世界ミドル、WWFライトヘビーの2冠王だった。
やろうと思えば、軽量級4冠を賭けることもできた。 >>349
1934年生まれだからニック・ボックウィンクルと同い年
ヒロ・マツダより3つ年上 >>342
このときの大阪府立は新日としては初の2日連続興行になる予定だったが、
この年の4月からの大阪での人気低迷のため、1日のみの開催になった。
それでも満員にならなかったが。 蝶野が前に倒れてもパーフェクトに極め続ける猪木のグラウンド卍固めが好き 1988年はベイダーの躍進と藤波の飛龍革命の2本柱だったが、
テレビ放送がゴールデンから外れ、第2次UWFの旗揚げ、
両国国技館で興行が組めないなど、逆風にやられた感じだった。 ベイダーは本当に掘り出し物だったね!
観客動員力とかは分からないけどあの時期ストロングスタイル維持出来たのはベイダーがいたおかげだと思う! 藤波にフォール負けして猪木にギブアップ負けするんだけど
それでも全然価値が下がらない88年のベイダー 飛龍革命ネタ含めて未だに語られるんだからなあ
夕方に追いやられたワープロでも結構印象的な場面で なんとなく思ったんだけど、ベイダーの役割を前田が新日に残ってやれば
良かったんだよね。 当時は「ビッグバンベーダー」と会場の電光掲示板に表示されてたよなw ビッグバンは宇宙じゃなくて大きい車のことだと最近知りました アルティメットウォリアーがベイダー候補だったというのはまじ?
あれじゃあ盛り上がらなかったね >>361
ベイダーがモノになりそうだとわかると新日は慌てて初来日レスラーとしては異例の5年の
長期契約を結んだ。来日前は全日からもオファーがあったが「ビックネームの中では自分
は埋没する・・・」と新日を選択して争奪戦の最中で大幅なファイトマネーアップを勝ち
取った。試合前のパフォーマンスだった鎧からの煙の噴射が無くなったは故障したから
だったw 猪木対アティサノエってプロレス対何の異種格闘技戦だったんだけ? >>372
たしか「プロレスvs小錦の兄」と紹介されていた。 >>373
長州対トム・マギーの「プロレス対パワーリフティング」の方がまだ理解できるw マギーにハッキリした格闘技出自がないため「異種格闘技戦」の定義を倉持アナに振られた際、「プロレスと力自慢が〜」とか苦しい解説で乗り切ろうとする竹内宏介 昔の異種格闘技戦もキム・クロケイド(カナダの警官)、レフトフック・デイトン(びっくり人間大賞)、ミスターX(ただのデカい男)と
酷いのばかりだったのであんなのとプロレスを成立させていた当時の猪木の技量が凄かったとも言える
アティサノエの頃の猪木は重度の糖尿病と加齢で酷いコンディションだったからね アティサノエはガッツ石松の特訓受けたと宣伝されてたが
緩慢なパンチにどよめきが起きてたよ >>376
デイトンは酷くないだろ本当に強かったと思うよ 怪力のデイトンですが僕は頭を使って戦いますと言って頭突きで勝った >>373
「新弟子の頃にさ イジワルする兄弟子がいたけど
ケイコでペシャンコにしてやったらなにもしてこなくなったよハハハ」
と語るサリーは立派なプロレスラー >>376
猪木の技量は認めるが、その3人とのプロレスが成立してたと言われるとちと疑問。 >>376
その3人の中では、レフトフック・デイトンはマシだった。
少なくともミスターXと一緒くたには出来ないよ。 レオンホワイトは当初マスクドメロンというリングネームにさせられそうになった 異種格闘技戦だと言ってるのにいきなりロープワークしだしたのには笑わせてもらった クロケイド、「四角いジャングル」あたりでも幻想を膨らましてくれていたのに
試合前週に放送されたプロモの公開練習の動きがまるっきりプロレスラーで、
とどめがバックフリップだったから唖然とした
猪木ファンのアルバイトレスラーで自分から新日に売り込んできたらしいけど、
モンスターマンみたいに1万ドルのギャラは貰えたのかな
(確か特別予算が出る水曜スペシャル枠じゃなかったから無理だろうなあ…) ジェシーベンチュラは82年のサマーファイトシリーズ1に来日予定だけどキャンセルになったのが残念だった
ホーガン、アンドレ、マードックとの絡みが見たかった こういうサイケないで立ちの筋肉バカタイプ?ってグラハム以前に誰かいたのかな?
この手のタイプはほぼグラハムフォロワーとして知られてるし、
まあファッション的には60年代のヒッピーだからそれ以前にはいなかったか。
アメリカならではのキャラだな。 >>384
異種格闘技戦の放映料は6000万円。だが、アリ戦の借金と相殺。
やっぱりぃ格闘技戦でのぉワーストっちゅうたらぁラジャライオンだろ。
ありゃあただのぉ巨人症パキスタン人をリングに上げただけっちゅう。
まぁあんだけ高ければぁそんだけで話題になるかんな。
しかしぃ技量、っちゅうかぁ格闘技なんか縁のない人間だったかんな。
あの蹴りはぁ必死に練習させたとかぁ。
そんでもぉ実戦でぁ使えず。
実戦っちゅうのぁ馬場との試合の事な。
人前 観客の前で披露っちゅう事だかんな。
その観客の前での試合っちゅう面だとぉダメだった。
馬場よりもぉ17高いっちゅうのがぁー売りだったかんな。
しかしぃそれだけだったぞぇ。
年齢はぁ当時はぁ馬場の半分以下だったはずぅ。
実際にゃラジャライオンはぁ格闘技やプロレスがでける身体ではぁなかったとかぁ。
っちゅうかプロレスがでけないのにぃ格闘技なんかでけるはずないかんな。
それをぉ強引にリングに上げてもぉたんよぉー。
スポーツ歴もぉなかったらしいしぃー。
歩行すんのですらぁ大変だったとかだかんな。
ありゃあかなりぃ酷だったぞぇー。
猪木対ベンチュラを改めて見てみたけどベンチュラ全く良いところがなかった
技もベアハッグぐらいしか出してないし
この当時猪木は膝を痛めてたんだね >>385
流智美が試合前にインタビューしたときには
猪木のすばらしさやくわしい戦績を勝手に滔々と語りだし
「こいつ猪木さんの大ファンだな」と気づかされたとか >>391
アリ戦のテレ朝への借金返済のために乱発された格闘技戦は金八とは別の特番枠である火曜日
と水曜日に放映してレギュラー放送より高い放映料の中から少しづつ返済する方法を
テレ朝から新日へ債権回収で出向した永里氏が考えついた。その後にテレ朝の人気番組
になり放映枠が空くと逆にテレ朝から開催を要望されるほどになった。ウィリー戦の前に
やっと返済の目処がたったのと対戦相手等も難しくなってきたので打ち止めとなった。 異種格闘技戦の最高の名勝負と言われるのはモンスターマン戦で
猪木はモンスターマンへの評価が凄く高かった
「実は試合前に見て一番「こいつはヤバい」と思ったのはアリでもルスカでもなくモンスターマンだった」と
言っていたこともあったほど 猪木vsベンチュラMSGリーグ決勝辞退からの復活でスペシャル枠だったっけ
向こうじゃアドニスと組んでブレイクだったから当時年末にコンビでとかあるのかと思ったら
後のキャリアみたら結局アドニスがタッグマッチ上手かったってことかね >>396
ヤバいというより
動きが素早くて掴まえにくい
更にその動きも独特で先の手を読みにくいと何度も強調していた
一方でパンチキック一発一発の威力はあるものの
動きがスローで次に何を狙ってくるのか簡単に予想出来たと
評価が低目だったのがウィリー
ルスカの事もパワーは凄かったけど
スピードスタミナはそれ程でもなかったみたいに話していた様な ガチじゃなかったら、開始から終了まで寝っ転がるなんて恥は見せない ウィリー戦の時のリング外もガチ!
猟銃持った寛水流のやつもいたとか… >>401
アリの負けはなかったはずなのでガチとは言えないのかな。知らんけど。 >>379
これホント?
狙ってたとしても、偶然だったとしても、そのコメントからの結末は見事なコントだ。 >>390
イーストウエストコネクション
知らないの? 誠心会館の下っ端と小林邦昭がドアの開け閉めで揉めたのはガチ? >>408
この時点でゲイカップルのキャラだったんかね? マードック、スーパースター対アドニス、ベンチュラの試合をMSGタッグリーグで見たかった >>409
出来レースだと松永光弘のブログに書いてある。 >>411
それは見たいね
ブロディスヌーカ対アドニスベンチュラとかでも良いけど
今更ながら新日はブッチャーの使い方本当に勿体なかったな
ブッチャーアレン対アドニスベンチュラとかブッチャーアレン対アンドレスーパースターとか見たかったな >>409
>>413
でも誠心会館の連中は、予定稿知らされてないのが
何人かいたから、ややこしくなったんじゃなかったっけ。 ベンチュラ対ブッチャーのシングルとかでも良いな
ブッチャーは塩相手でも光らせるのが上手いからベンチュラクラスでも面白い試合になりそう >>416
猪木、ホーガン、ベンチュラ対ブッチャー、木村、アレンの6人タッグも見てみたい ブッチャー&ラッシャーVSマードック&アドニスは実現したんじゃなかったっけ?
ベンチュラとアドニスを同時来日させりゃあ良かったなぁ。
あれぁアメリカ限定タッグだったんかぁ。
実際にゃアドニスよりもぉベンチュラの方がぁー先に初来日しちょるんだよなぁ。
しかしぃベンチュラはぁもぉちぃとぁ扱いを良くでけなかったもんか。
逆にぃアドニスとオートンのタッグもぉ日本限定だったんかぃなぁ。
まぁ日本でぁ組んでもぉアメリカや他の海外ならぁ敵同士とかあるかんな。
まぁベンチュラはぁパワーはあったらしいがぁー。
っちゅうかぁベンチュラがぁプロレスに真剣じゃなかったんかもなぁ。
それかぁ日本を主戦場にゃあ考えちょらんかったんかもぉ。
ありゃあゲイスタイルらしいしぃー。
でもぉベンチュラもぉMSGタッグでぇアドニスと組ませて参加させればなぁ。
82MSGタッグん時ゃあアドニスはぁブラボーと組んで参加しちょったぞぇー。
しかしぃ震わずぅ。
ベンチュラと組んだ方がぁー良かったかもなぁ。
そいからぁMSGタッグにゃあブッチャーとアレンの参加をぉ。
ブッチャーを一度も参加させなかったのぁ勿体ないぞぇ。
83年1月7日 戸田市スポーツセンターのカード
猪木、藤波、木戸対ベンチュラ、マサ斎藤、長州
坂口対カーン
タイガーマスク、星野、浜田対テハノ、シグノ、ナバロ
木村、浜口対マリガン、ナイドハート
寺西対ブラックタイガー
木村健吾対エストラーダ
剛対キャット
藤原対高田
荒川対小杉
ベンチュラの日本で最後の試合でフォール負け
坂口はカーンに不戦勝 そういえばベンチュラとマサさんはAWAでタッグ組んでたんだよね。 >>403
ペールワンなんてただの力持ちのおっさんでしょ
トム・マギーみたいなもん >>396
本当ならモンスターマンの方が強かったと思うよ、しかも差をつけてね
ウイリ―線の前後から不当に貶められてた様だけどね
極真の人は顔面ありのルールで戦ったらまず勝てないよね
しかも適応に何年もかかる モンスターマンは一発一発が軽いので助かったみたいなこと言ってたのは見たことある >>424
ペールワンは猪木戦の時点で45歳ぐらいだったというし
今見直すとかなり小柄だからね
後ペールワン側の誤算はレフェリーが自分達サイドに有利なジャッジをしてくれると思っていたのに
レフェリーのオリッグ・ウィリアムズ(後の英ジョイント・プロモーションの社長)が
猪木側とのブッキングの橋渡し役だった事もあって中立な態度を崩さなかった点にもあるのでは? >>421
凄くレアなカードが揃ってるね
メインも見てみたいけど木村浜口の相手がマリガンてのも気になるw >>419
ブッチャー・マードック・アド西が揃って出場したのは83年サマーのみ。
国際軍団は浜口が離脱したから、ブッチャーとラッシャーが組んでも
不思議はないけど記憶にないな。 >>430
え?このシリーズにブッチャー参加していたっけ?
マードックアドニスオンドーフの3人がエース給外人で参加だったと思うけど ごめん!7月7日大阪府立体育会館でマードック対ブッチャーのシングルやってるわ
メインが藤波対長州セミがタイガー対寺西 >>431
前半ブッチャーで後半がオンドーフだったね >>410
そう。
ニューヨークのハードゲイ
サンフランシスコのフラワーゲイ
東と西のゲイコンビ。 >>433
ホーガンの予定がオンドーフに代わったんだね WWFでアドニス、オートン、パイパー、オーンドーフの揃い踏みがあったな >>430
調べたら7月20日の旭川大会でブッチャー&木村VSマードック&アドニスは実現してる。
結果は両軍リングアウト。ブッチャーはこの日まで参加。 話は逸れるけど猪木闘魂ライブpart1猪木対スピンクス前田対ニールセンが双方逆の相手だったらどうなってたかな?
猪木対スピンクスはレフェリーがガッツ石松の時点で緊張感半減してたと思うw >>440
当時からすでにたけしのANNとかでネタにされまくってたぞ >>437
こういう地方までの特別参加で他は北海道巡業続いた場合、ブッチャーは新日社員が迎えにくるのか?
また後半参加のオンドーフも地方まで連れてくるのか?
東京なら面倒ではないけど、地方で入れ替えって面倒くさそう
マードック、アドニス×ブッチャー、ラッシャーはぁノーテレだったかんな。
ありゃあ勿体ないぞぇー。
ハンセン二世と言われるぅアドニスがぁ勿体ない。
当時の雑誌にゃあそぉ書かれちょったかんな。
しかもぉ『毎週の様に藤波×長州絡みではぁ飽きる』っちゅうにぃ書かれちょったぞぇ。
しかもぉマードック×ブッチャー2連戦もぉ放送されずぅ。
確かにぃ毎週の様にぃー藤波×長州絡みばっかだったしぃー。
猪木欠場中だからこそぉ外人絡みをぉ放送するべきだったかんな。
でもぉ放送されずでぇ。
実際にゃあ当時のファンもぉそぉ思うちょっただろぉしぃー。
そいからぁどぉせならぁ長州と外人絡みとかもぉ見たかったぞぇ。
84IWGPでもぉそぉゆぅ絡みを放送して欲しかったかんな。
長州×アンドレはぁ放送されたがぁー。
長州維新と外人絡みはぁ色々見たかったしぃー。
でもぉそぉゆぅ試合はあんま放送されんかったかんな。
寧ろぉ全日時代の方がぁー長州×外人が放送されちょったぞぇー。
結局はぁ新日時代の長州維新×外人をもっと色々見たかったかんな。
>>444死死死
おんどれはぁ釣りか?
長州とぉ外人絡みはぁ見たかっただろぉがぁー。
特にぃ新日時代はぁそぉゆぅ試合をぉ放送せんかったかんな。
長州とホーガンのタッグ対決はぁ放送されたけどもぉ。
っちゅうか藤波と長州絡みばっかだったからぁ飽きてもぉたかんな。
美味しいもんでもぉ頻繁に食っちょれば飽きるっちゅうこった。
寧ろぉ全日時代の方がぁー長州と外人絡みの放送が多かったかんな。
まぁこの時代はぁ全日にゃあ大物外人が沢山いてもぉたしぃー。
だからこそぉそぉゆぅ試合も放送でけた。
ハンセン ブロディ シン ファンクス ウォリアーズ ゴディ レイス フレアー
長州とこぉゆぅ大物外人との試合はぁ放送されたかんな。
取り敢えずぅ全日っちゅうかぁ日テレはわかっちょったかんな。
テレ朝はぁわかっちょらんかったぞぇー。
そん代わりぃ馬場と長州の試合っちゅうのぁ最強タッグでしかやらんかった。
まぁ特別見たかった試合でぁなかったかんな。
『長州の相手はぁジャムボ、天龍で十分』っちゅう気持ちだったんだろぉがぁー。
83サマーファイトS当時後楽園ホールに見に行って、1階でファンがレスラー出待ち状態のとこ
マードックとブッチャー他外人勢が同じエレベーターに乗って降りてきて、子供ながらにも試合後はそんなもんかなあと
ブッチャーとマードックは犬猿で同じシリーズに呼ぶのも憚れるみたいな馬場の話もあったけど、
新日じゃ普通にプロとして対応してたのかシングル、タッグの対戦普通に組まれてるわね まさかと思うけど女房子供がいたりしないよねこのガラプー >>448
ママのおっぱい吸ってるところを嫁に見られて即離婚してるよ、マジで >>446
全日でも何度か同じシリーズに来てるし、タッグ組んだり対戦もしてる。 1985年のIWGPタッグリーグ戦は、地方でブロディ・マードック・スーパースター組
が何度が実現している。 しかし全日時代のブッチャーはシングル・タッグのリーグ戦ほぼ皆勤だったが
マードックはオープン選手権以外は無縁
それが新日ではマードックがリーグ戦常連で、ブッチャーは皆無になった
ここらは徹底している
移籍早々アレンというパートナーを得たのにMSGタッグ出場ゼロに終わるとは そりゃ全日時代から、ブッチャーはマードックが大嫌いだったから仕方ないな。
日プロ時代からブッチャーに対してさんざん人種差別イジメしておきながら、
急に「俺と闘え」とか言っても、信頼関係ゼロだから無理に決まっているだろ。 >>455
逆、マードックがブッチャー を嫌っている。
ブッチャー はマードックとは関わり合いになりたくないだけ。 今となっては人種差別だけだったってのも眉唾だけどね。
超本格的な人種差別主義者はリングで肌を合わせることすら嫌がる。
ブッチャーはレスリングの基礎がなく、本来なら最低ギャラランクのジョバーなのが
なぜか日本でスターなのを妬んでたレスラーは多いのでは。 テリーがブッチャーとの抗争で人気になったのを見て、マードックは急にそれを狙った。
でもブッチャーとテリーみたいな信頼関係が、ブッチャーとマードックにあるわけないから、
好試合になるわけがないんだよな。ブッチャーはマードックに新日までついて来られて気の毒。 黒人で運動神経があって少年時代から警察などで空手や柔道の心得があって巨体
マードックより強いんじゃないかガチなら レス・ソントンも新日でブッチャーが売れっ子なのが気に喰わなくて控室でトラブルになったと
二人に接点があったなんて知らなかった
ブッチャーとソントンもぉ全日の80最強タッグでぁ重なっちょるかんな。
まぁブッチャーがIWGPに参加しなかったっちゅうのぁ今やぁーネタだかんな。
せめてぇMSGタッグにゃあ参加して欲しかったぞぇ。
そぉゆぅ面ではぁブッチャーは需要あったかんな。
そぉすりゃあ夢の対決もぉ沢山実現したしぃー。
ブッチャーアレンで参加っちゅう。
せっかくぅアレンっちゅうパートナーがおったのになぁ。
新日時代にぃブッチャーとアンドレの対決も見たかったかんな。
他にもぉブッチャーとカーンの対決とかもぉ。
そぉ考えっと勿体ないゎなぁ。
ブッチャーとバックランドやスーパースターとの対決もぉおもろそぉだしぃー。
ブッチャー1人いちゃるだけで全然ち違ったぞぇ。
地方だってブッチャーおればぁいつも満員だとかぁ。
ブッチャーはぁ観客動員にゃあかなりぃ貢献しちょったみたいだかんな。
まさかぁブッチャーが拒んだわけじゃあなさそぉだしぃー。
新日もぉブッチャーよりぃマードックを優先にしたのかもぉ。
白人て黒人怖くないんだな、日本人は黒人怖い
日本人的には白人も怖いけどまあ日本人より少し強い程度に感じるかな
白人とは力以外の身体能力では差がある感じがしない
でも黒人とは身体の性能が違ってとても勝てる気がしない
日本人より少し強いのが白人で白人より少し強いのが黒人
自分らより少し強いだけの人種になら、弱い方の人種でもその中で強い個人は少し強い方の人種に対抗できるって事かな
日本人が弱い白人には向かって行けるみたいな・・ でも力は白人の方が黒人より上だから互角というのも視た気がする シークもブッチャー嫌ってたみたいだし、黒人は大変だね。 ブッチ、シン、シーク この辺りはお互い嫌い合ってるみたいだね
アブドラー ザ シーク
タイガー ジェット ブッチャー
ザ シン
アブドラー ザ シン
タイガー ジェット シーク
ザ ブッチャー
>>461
ほう ソントンが こんリンザイいっしょにするな! と? 結局グレートアントニオが相手になるわけだし
商法っていうより
会場を抑えたはいいが相手が見つからずに四苦八苦してただけのような
噂段階ではジョージ・フォアマンとの格闘技戦という話もあったと聞いたが 北米ヘビーや北米タッグと聞いて何だか凄く不思議に思った記憶がある。北米という言葉に物凄い狭く限定されたイメージがあって、そのタイトルマッチを新日本で行ってるのが不思議な感覚だった。 >>457
ブッチャーは全米各地でメイン張ってるしアンドレとかともシングルやってる >>376
レフトフックデイトンの説明は
びっくり人間でいいと思うよ。
びっくり人間大賞じゃなくて(笑) A猪木
Aジャイアント
Aブッチャー
Aアドニス
A浜口
83年頃の新日はぁ頭にぃAが揃っちょったかんな。
そいからぁ坂口や藤波。
彼等もぉもぉ頭にカタカナのリングネームがいいっちゅうにぃ思うちょったぞぇ。
坂口ならぁビッグ坂口 B坂口がそのまんま適しちょったっちゅうにぃー。
藤波はぁドラゴン藤波 D藤波が合っちょったぞぇー。
そぉなりゃあ表記もぉこぉやるかんな。
A猪木
B坂口
D藤波
これだとぉ文字の見映えも良かったかんな。
しかしぃ頭にぃカタカナのリングネームにゃあならずぅ。
全日と比べっと新日はぁ頭にカタカナリングネームはぁ少なかったぞぇ。
長州 カーン タイガーマスク マシーン ライガー
名前全部を変えてもぉたリングネームは多かったかんな。
橋本はぁ若手時代にゃあ将来的にゃあリングネームにしたいっちゅうに言うちょったんよぉー。
拳王橋本と決めちょるっちゅうにぃー雑誌のインタ記事にあったかんな。
しかしぃ橋本もぉリングネームにゃあならず ならずのならず者
まぁそぉゆぅこっちゃ。
>>478
そいからなぁライトフックデイトンっちゅうのもおったらしいぞぇ。
都市伝説だとぉぽっくり人間らしいかんな。
パターソンの相方はストロハイムの負傷でスティーブライトに変更だったっけか。
でもナチギミックって色々いてラシクやクラップのようなシングルプレイヤーは覚えやすいが
クルトとカールのストロハイム兄弟、全日のスタイガー兄弟、ヘス&ショッツの戦犯コンビと
誰が誰だか状態 >>481
ナチギミックのレスラーって、見た目がスキンヘッド、ヒゲ、黒のロングタイツの人がやたらと多かったから、見分けがつけづらいというのもあった
そのどれにも該当しないのってフリッツ・フォン・エリックくらいかな? まあお手本と言うかスタンダードタイプだな。
カルホーンのデブ農夫ギミック?も見た目同じのが何人かいた。
マクガイヤー兄弟やワールドリーグに参戦したマンマウンテン・マイク フリッツ・フォン・エリックって、
だいたいナチギミックなのかな?
名前がドイツの貴族風なだけで
ハーケン・クロイツも付けていないし。
戦後、グレート東郷とかトージョー山本とか
日本の戦犯悪役レスラーが活躍した中での
ヒロ・マツダみたいな存在じゃないかな? >>482
>>483
見てる観客にすぐわかってもらう為には必要な配慮だね。
日本人軍団抗争とかパッと見た目での対立抗争がわかりづらい見た目の場合もあるから、それと比べたら客に優しい。 >>484
50年代から60年代のアメリカでは、ナチス親衛隊の生き残りと名乗っていた
特にワルドーとの兄弟タッグを組んでいた頃はそれが顕著
ギミックに頼らなくてもアイアンクローという必殺技があるし、日本でナチギミックってあまり訴求力がないから、ことさら強調する必要もなかっただろうけど
>>485
おんどれはぁ釣りか?
よぉーしっ、おんどれの身元探して真夜中にぃ原因不明のぉ火災がぁー発生するかんな。
年内だぞぇ。
真夜中にぃおんどれが寝静まった頃にぃ謎の出火だぞぇ。
伝説のぉライトフックデイトンがぁーおんどれをぉ狙っちょるんよぉー。
ゲシュタポって何であんな名前なのか全然分からなかった >>492
荒らしにレスするなよ、荒らしに構うのも荒らし行為だろ。 ギミックって80年以降は流行らなくなったな。
パワースピード&テクニックと、とにかくレスラーの持つ力量こそがアピールポイントだったり
日本だと佐山タイガーやマシン軍団、海賊とギミックと言うよりキャラを前に出したスタイルね。 >>491
リック・オリバーか
アメリカでナチス親衛隊ギミックのハンス・シュローダー(この人は実際にドイツ出身)とタッグを組む際、キャラを合わせるために覆面を被ってゲシュタポと名乗って、解散後もそのままそれを使い続けたらしいんだけど もうゲシュタポとかこの手のリングネームは無理な時代かな 86年5月 広島県立体育館のカード
藤波、木村対マードック、スーパースター
猪木対坂口
前田、藤原対ジャイアント、スヌーカ
上田、星野対サモアン、セントクレア
キャット対ワラス
コブラ、後藤対高田、山崎
荒川、山田対小杉、船木
中野対安生
坂口が猪木にリングアウト勝ちする
前田とジャイアントは全く絡まず… ナチギミックや大木の原爆ガウンなど戦後まだ二十数年の時代には自由だったのに、五十年以上経った現在はタブーになるのはおかしい。
前にぃようつ動画にぃ藤波とゲシュタのシングル上がっちょったなぁ。
まだジュニア時代のぉ藤波だったかんな。
ゲシュタもいい動きはぁしちょったぞぇ。
ゲシュタもぉジュニアギリギリだったんだろぉ。
藤波とバンバン ビガロ
いやっ、藤波とバンバン絡ませりゃあ良かったんよぉー。
いいライバル関係になったかもぉー。
ゲシュタジュニアならぁ藤波のタイトルにぃ挑戦さしぇるとかぁ。
そいからぁ同じシリーズでのゲシュタの試合。
猪木 坂口 VS シン ゲシュタ
これもぉ上がっちょったんよぉー。
最後の方でゲシュタがぁー猪木と坂口にぃマスク剥がされそぉになりぃ。
そんでぇゲシュタはぁ場外に避難。
そっからぁ控え室の方向へ逃亡状態にぃー。
その間にカウント数えられてゲシュタのぉリングアウトになってもぉたんよぉー。
1本目もぉゲシュタ取られちょったかんな。
シン ゲシュタはぁ2ー0で猪木 坂口に敗北したぞぇ。
怒ったシンがぁ花道でゲシュタをパンチで殴り倒してストンピング。
そのまんまゲシュタ掴んで控え室に連れ帰ったぞぇー。
メヒコにもナチギミックがいたそうだが
エル・ナシ とスペイン語読みなのでどうにもしまらない感じだな
しかしメヒコの場合レスラーが多すぎて使えるキャラが早くから枯渇していたようで
ウルトラマンと一緒に来日していたエル・ポラコなんて ポーランド人 だもんな
はあ そうなんですかとしか言いようがない >>498
豪華なメンバーなんだけど何故か華が無いんだよね
この頃は何をやっても暗かった印象 >>499
「喫煙は70年代はフリーだったのに今タブーなのはおかしい」と言われてもねえ
昔は電車の中や病院のベンチに灰皿が常備され、学校で先生が面談で生徒の顔に
タバコの煙を吐きはかけていて当たり前の時代だった
数千年来人類と共にあった煙草が絶滅寸前で、もうこの流れが元に戻ることは
二度と無いだろう
橋本治は『二十世紀』で、「二十一世紀とは、二十世紀まで常識だったことを
疑い、ものによっては絶滅させる時代」と言ってたな 新日ファンだったけどロシアギミックのラシアンズはカッコよくて全日に来日したのは羨ましかったな。 >>502
日本側、外人側ともに覇気というかやる気が感じられなかった。 タ、タケェ
『昭和プロレステーマ曲大事典』
価格 :¥2,420(税込)
https://i.imgur.com/MZQ34Q6.jpg >>507
俺は欲しいし、売れそう
基本データベース系は高くても売れると思う 92年にNOWにスカル・フォン・クラッシュ(後のビッグ・ヴィトー)が来日した時、今時ナチスギミック(正確にはネオナチギミック)かよと衝撃を受けた記憶がある
ナチス式敬礼とかやってて結構ウケてたし >>465
俺なんて生まれる前の後追いだけどお爺ちゃんの癖に何言ってんのw
俺にとってこの時代の話ってあんたで言えばシャープ兄弟とかの話題だよ
自分こそさっさと死ねおいぼれ 丁重語で書いてるからって調子に乗るなくぞ爺 >>507
時期を待ってメルカリかオクで購入だなw
昔、キングから出てた「プロレススーパーファイターのテーマ」ってのを
なけなしの小遣いはたいて\2300で買ったけど、殆ど演奏がカバーで萎えた記憶が・・ >>507
これは置いておく価値のある本だった
ストロング小林最後の大一番、田コロでのIWGPアジア地区予選、坂口戦の
入場テーマにまで触れてもらえてちょっとホッとした
しかしスティーブ・カーンのテーマは「リベンジャー」しかなかったのかあ… >>503
タバコは喫煙者と受動喫煙による第三者の健康に及ぼす害から反対運動が起こっているのだろ。
新日もぉMSGタッグはぁ後半は惨めだったかんな。
初回の80MSGタッグがぁー凄かったしぃー。
そっからぁどんどん参加メンバーや規模がスケールダウンしてもぉたぞぇー。
新日はぁタッグにはぁあんま力入れちょらんかったっちゅうこったゎ。
でもぉもぉちぃとはぁ工夫すればぁそれなりにぃ盛り上がったはずだかんな。
ブッチャー1人参加さしぇるだけでもぉ違ったぞぇー。
ブッチャーはぁ需要あったかんな。
猪木とはぁ合わんでもぉ他のとぁいい試合したかもぉ。
特にぃMSGタッグに参加さしぇちょったらぁ。
マードックとの問題もあったんかも知れんがぁー。
ブッチャーとアンドレ、カーン、スーパースターとの対決とかぁ。
そいからぁブッチャーとマシーン軍団のぉ異色対決もぉかなりぃおもろいぞぇ。
そいからぁブッチャーと維新の抗争とかもぉ。
単発ではぁなくぅ抗争だかんな。
新日はぁそぉゆぅ事ぁ考えんかったんかねぇ。
ブッチャーをぉ活かせんかったっちゅうのぁ宝の持ち腐れに等しいかんな。
>>498
猪木は不倫報道で頭を丸めてきた。坂口のトップロープへの急所打ちで
悶絶リングアウト負け。坂口の反則負けのような気もするが。 >>518
だから金の事で揉めたって
いってるだろ!!! 帰宅帰りに近所の居酒屋に
奥の座敷から聞き覚えのある声が、、?
まじかー!!!
家族で来店してました!
挨拶をさせて頂き!
オッ憲二も一緒かー!
元気で!何より!
相変わらずいい男だな~
写真を一枚お願いしました今夜は最高です
長州力
https://i.imgur.com/2vvM0Jm.jpg
https://i.imgur.com/LuUQ3od.jpg >>522
何時も急所攻撃で股関を押さえる屈辱を味合わされた坂口の猪木への「あんたも偶には屈辱を味あえ」という怒りのメッセージがこもっていた。
猪木はぁ結局はぁ坂口にもぉフォール負けはなかったかんな。
坂口はぁ猪木にゃあフォール負けあったんかぃな?
最初はぁWエースだったかんな。
しかしぃ坂口がぁ自ら一歩退いたぞぇ。
自分にゃエースとしてのぉ器量も上手さもないっちゅうにぃ自覚したかんな。
そんでぇ猪木を支える最強No.2になったんよぉー。
わかっちょるんかぁークソヤロー共ぉー
結果的にゃあ坂口はぁ猪木の尻拭い役になってもぉたかんな。
まぁ坂口にはぁ猪木みたいな才能、裁量はなかったしぃー。
でもぉ経営者としてのぉ裁量はあったぞぇー。
そいからぁ馬場からもぉ取り敢えずぅ信頼をされちょったかんな。
まぁ坂口のバワイはぁ無駄に全日にぃ仕掛けたりはせんかったぞぇ。
全日共ぉ良好にやりたいっちゅう考え方があってぇ。
馬場もぉ坂口体制ん時はぁ新日にもぉ協力しちょったしぃー。
強力な強力だったかんな。
猪木がぁ現場復帰したらぁすぐにぃ手を引いてもぉたぞぇ。
ありゃあ本当に残念 無念 何でやねん
86年6月 札幌中島体育センター別館のカード
藤波、木村対スヌーカ、サモアン
猪木、坂口対ジャイアント、アサシン
上田対前田
藤原、木戸、高田対マードック、スーパースター、セントクレア
コブラ対クラウス・ワラス
キャット対山崎
星野、小杉対越中、後藤
山田対橋本
蝶野対船木
上田対前田は盛りあがらず…
前座2試合は後の黄金カード >>532
スヌーカ、サモアン組はいいチームなんだけど、サモアンが格落ちなので、
王者組には安パイな試合。メインではなくセミのマッチメイクだな。 コブラvsクラウスワラスってなかなかミスマッチやな。ワラスはけっこうデカかったよね?
てか、柔道の猛者でヨーロッパじゃ大物だったみたいだけど日本じゃさっぱりだったな。 この頃の新日は札幌と仙台では良いカードを組まなかった印象 >>532
小杉は外様の越中に嫉妬してたとか誰か言ってたよな
出戻りU勢一番格下の山ちゃんはクロネコと対戦 クラウス・ワラス全日に初来日前に結構な実力者って触れ込みで期待してたけど、
完全にその他大勢って扱いになっちゃって、新日で再来日しても今更感の認識だったなあ
こういうアマ時代からの実績持ってる選手は、時代が違ってりゃ重宝されてたかもしれないけど >>538
佐山タイガーの付き人時代の山崎は、シロネコと呼ばれていたんだよな。
この時代はぁ猪木と前田のシングルがやたらとぉ期待されちょったかんな。
だからこそぉショボくれたカードが多かったんよぉー。
猪木と前田のシングル以外にゃあ興味0っちゅう流れでぇ。
しかしぃ新日はぁそれを組まずにぃー。
猪木と前田のぉタッグ対決でもぉ注目されちょったかんな。
当時はぁ絶対にシングルやるっちゅう期待があったしぃー。
まさかやらず終いなんちゅう事ぁ考えられんかったんよぉー。
必ずやるっちゅう期待感がぁ強かったかんな。
猪木VS前田はぁ夢のカードでぁなかった。
しかしぃ夢のカードではぁないのにぃこんだけぇー注目されたカードはないかんな。
夢のカードならぁ寧ろぉ前田VSブロディになるゎなぁ。
でもぉ二つ共ぉー組まれず終いにぃー。
ブロディのぁ仕方ないがぁー。
でもぉ猪木VS前田はぁやるべきだったぞぇ。
後々にゃあ猪木はぁ『あん時ゅあ逃げた』っちゅうに開き直りング
しかしぃそんで結局はぁ猪木の評価は落ちてもぉたぞぇー。
上田対前田は前半グラウンドの地味な攻防だったのがテレビ中継が始まったと同時に前田がいきなり上田を蹴り始め、場外戦になりフェンスアウトであっさり終わった 業務提携時の前田はニールセン戦や藤波戦で評価されてるけど、地方の試合とかはよく猪木批判出来るなってくらいの手抜きファイトだったな。 >>517
>「プロレススーパーファイターのテーマ」ってのをなけなしの小遣い
>はたいて\2300で買ったけど、殆ど演奏がカバーで萎えた記憶が・・
なんでこうなるかというと、団体が曲の権利を持ってるかどうかだそう。
権利を持っていればいいけど、権利がない場合は使用料がかかるので
別のミュージシャンを使って違うアレンジかまして収録したので、
原曲と似てるだけのまがい物が収録されることになったんだそう。
全日だと天龍のサンダーストームなんてトランペットがイントロだった。 >>532
IWGPリーグ戦期間中のテレビマッチがこれかよ。メインとセミは通常シリーズと何ら変わらん。 ビクター版の「怒りの獣神」のカバーなんて、パチソン好きにはたまらんくらいの酷い出来だったな ようつべでアニソンのパチソンが聴けるがこれが今聴くと笑えること
元曲に似せようという気がさらさら無いのが凄い 86年6月 宮城県スポーツセンターのカード
猪木、木村、上田対ジャイアント、マードック、セントクレア
藤波対スヌーカ
坂口対藤原
前田、山崎対スーパースター、サモアン
木戸、高田対ワラス、アサシン
コブラ、星野対越中、山田
後藤対蝶野
キャット、橋本対小杉、船木
畑対片山
坂口対藤原は珍しいカード
後藤対蝶野は94年の武道館でも実現 >>550
坂口、試合後は対UWFで恒例のダンベル余力アピール。 >>536
この次の中島では前田vsブロディが組まれてたが、
ブロディのドタキャンで坂口vs前田に変更。 709お前名無しだろ (ワッチョイ 1742-D3EH)2021/11/27(土) 10:43:57.11ID:r0jTiDBs0
レイ・キャンディ扮するスーパー・マリオマンは
なぜあんなコスチュームになったのか。
マスクのデザインは海賊ガスパーズの初期マスクに少しだけ似てた気がする。
710お前名無しだろ (ワッチョイ 1742-D3EH)2021/11/27(土) 10:45:27.21ID:r0jTiDBs0
>>709に追記
たしかマリオマンの試合で古館が
「さぁ見えないピーチ姫を救い出すことができるかマリオマン!」みたいな実況をしてた記憶があるな
懐かしいなマリオマンw >>709
まあマリオマンという発想は良いとして、何故レイ・キャンディなのか? 中身がキャンディとかコスとか実況で他のキャラ名引用するの含め
任天堂の機嫌を気遣うテレ朝の営業局や代理店から壮大なNG食らってそう<マリオマン >>550
藤波対スヌーカ、坂口対藤原入れたんだからメインは
こんなんでいいだろ?
って思惑を感じる。
でも全体的に悪くない。 >>550
メインは、健悟とセントクレアーを外したタッグマッチにすれば格段に面白そうになるのに >>545
「天龍のサンダーストームなんてトランペットがイントロだった。」
高中のフュージョンわジャズカバーしてるのかw
ハーブ・アルパート風なのか気になるわぁwww 上田とアンドレの絡みなんて期待したいところだけど
上田が逃げ回って面白くないんだろうなと 今の新日本のトップのなんとかシンゴってダメだな。東スポの記事でしか見たことないけど、全く強そうに見えない。写真だけで強そうに見えないと。なんかその辺の工事現場とかにいそうな見た目w まぁ、今のファンからは大きなお世話なんだろうが >>560
身長が低いのはしょうがないにしても、マサ斎藤のような迫力が皆無 鷹木も飯伏もインディー出身だよね。そういう人材頼りなのが今の新日だから。 現場仕切っている邪道と外道からして、インディー出身だからな。 えっ?!
邪道外道が仕切ってるの?
棚橋ってのが絶対的エースじゃないの? >>549
単なる耳コピで作ってるから歌詞を間違えるのもザラ
「マッハバロン」の「君はどうするか 蹂躪されて黙っているか」を
「チューニングされて 黙っているか」と歌ったのは伝説 >>559
この頃シングルマッチ二連戦やって上田が見せ場なく短時間で二連敗だったよ >>562
オカダも闘龍門出身。SANADA、タイチは全日からインディー。
新日生え抜きで、トップ戦線は内藤、EVILくらい。 >>567
アマレス出身も多いのに、皆、イロモノ扱い。 >>566
この頃のアンドレのフィニッシュホールドは、ロープに振って返ってきたところに
片膝ついての正拳付き(ボディーブロー)だったな。 >>565
「シルエットロマンス」の「鏡に向かってアイペンシルの」が、
「鏡に向かって排便するの」に聴こえてしまうとかあったよな。 >>569
アンドレこの頃はもう18文キックはやらなくなってたのかな?
足が上がらなくなってしまったか。 アンドレは1946年生まれ、>>550は時はまだ40歳だったんだよね。
大巨人コンビ初結成が43歳、その後はあっという間に46歳で鬼籍に入られてしまった。 昭和新日においてフォール負けが一切なかったトップ外人って、アンドレとブロディだけ? ローデスはフォール負けなかったな。国際でも全日でもフォール負けあったのにね。 >>578
多分82MSGタッグで負けまくってると思う >>569
最晩年はヒジを クイッ と見せてから
おもむろにのしかかる >>574ビリー・ガスパーとか・・
期間限定キャラはダメかw >>576
国際なんてブレイクするよりかなり前やろ
全日もブレイクの前やろ、ブレイク後に来たのは新日だけか
ブッチャーが間違いなくフォーク刺す相手やから、ブッチャー&シークとテキサスアウトロウズの試合は是非見たかったな ブッチャーとマードックの絡みなんていい試合になるわけないだろ。人種差別イジメの張本人なんだから。 >>578
後楽園ホールでマードックに首固めでフォールされるのを間近で見たわ
この82MSGタッグリーグ戦では、ホーガン、カーンにもフォール負けしてるな >>576
あの時点でアンドレを超えて新日外人最高額ギャラだったからね
むしろMSG公式戦でハンセンにラリアート食ってリングアウト負けしたの、
よく新日もブック提示したしローデスも呑んだなあと感心する
ローデスのバワイはぁ元NWA王者の肩書きがぁー物を言ったかんな。
実際にゃああんま大した事ないのにぃー。
82年にぃホーガンがぁー大ブレイク。
そっからぁローデスはぁ必要なくなったかんな。
人気ではぁーホーガンがローデスを大きく上回りぃー。
そんなら高いギャラ払ってローデス呼ぶ必要なくなったっちゅうのぁ当然 ぜん ゼン 全日本
いやっ、そりゃあ当然だかんな。
実際にはぁホーガンはローデス以上になったしぃー。
ローデス以上っちゅうかぁハンセンレベルになったっちゅう。
ハンセンとぁタイプや立ち位置はぁ違ったけどぉー。
因みにぃー82年はぁバックランドもぉレギュラーから外れてもぉたかんな。
ローデス バックランドがぁー新日レギュラーから外れたぞぇー。
82年はぁシンとハンセンがいない初めての1年だったかんな。
しかもぉローデスやバックランドもぉレギュラーから外れてもぉて。
アドニスもぉこの年にぃ初来日したぞぇー。
新日からすりゃあ82年はぁー転換期だったんかもなぁー。
ローデスが週一万ドル、アンドレが五千ドルだっけ?
アンドレに関しては新間とマクマホンシニアが懇意にしてた頃であって
ジュニアに代替わりしてからは値上がりしたかもしれんけど
実際にゃあローデスよりもぉシンやハンセンの方がぁー興行に貢献しちょったかんな。
まぁローデスはぁ元NWA王者っちゅう看板があったぞぇ。
そぉゆぅのでぇローデスはぁ破格のギャラだったんよぉー。
でもぉ82年にぃホーガン大ブレイクに伴ってレギュラーから外されてもぉたかんな。
そん時のホーガンはぁまだそこまでぁギャラ高くなかっただろぉしぃー。
そんでもぉ後々のホーガンはぁかなりぃギャラも高くなってもぉたんよぉー。
新日もぉ日本人対決でぇギャラ抑えたのもぉわかるかんな。
高いギャラよりもぉ安いギャラの方がぁーいいしぃー。
そんで人気を得られたかんな。
長州大ブレイクもぉ82年だしぃー。
そんでぇー大人気を得られんならぁ日本人対決主流方向もぉ頷けるぞぇ。
82年以降はぁ重宝された外人はぁホーガンとアンドレだけだかんな。
マードック ブッチャー スーパースターはぁ次点だったしぃー。
長州がぁー維新作ってそれがぁ受けたかんな。
そりゃあ外人は疎かになるわなぁ。
まぁセンズリをオナニーと呼ぶ輩はヘタレっちゅうこったゎい。
ローデスはハンセンに米国でけっこう負けてたから日本で負けるのもそれほどの
問題ではなかっただろ。 大塚の話だとギャラが一番高かったのはローデス
だから短期の特参ばかりだった
アンドレは皆が思っていたほど高くなくてリーズナブル
だからあんなに頻繁に呼べたそうだ 86年6月 大阪城国際文化ホールのカード
猪木対藤原
藤波対前田
坂口、木村、上田対ジャイアント、マードック、スーパースター
星野、キャット対スヌーカ、サモアン
コブラ、越中、山田対木戸、高田、山崎
小杉、後藤対ワラス、セントクレア
橋本対アサシン
畑対蝶野
船木対大矢健一
メインは猪木が藤原をジャーマン葬
観衆 13200人 セントクレアーとかブライアン・ブレアーとか仕事できるいい選手だったと思うけど
やっぱり地味すぎるし83年前後の全日外人と比べるとよけいにショボく感じた
プロレス雑誌で両団体の時期シリーズ参戦外人を知ると悲しかったもんな
ま、ブレアーはのちにWWF帰りのキラー・ビー名義で来た時ちょっとうれしかったけど >>594
テレビ中継久しぶりの高視聴率の日やったな >>574
アンドレは、フォール負けはないが、
ギブアップ負けはあるね。
フォール勝ち>リングアウト勝ち、反則勝ち
だが、
フォール勝ち=ギブアップ勝ちではないかな? ジャイアント、マードック、スーパースター組は凄いチームだと思うんだけど、この頃には、そんな風には感じなくなっていた。 >>574
1979年新春シリーズに来日したボブ・ループ。
猪木のNWFに挑戦して反則負けだが、
(猪木とのシングルはこれだけ)
これ以外に坂口とか他の選手と対戦してフォール・ギブアップ負け
というのは考えられないんだが、、 最初の>>574の質問の仕方に問題があったな。何回も繰り返し来日しているレスラーと、
ロビンソンやループやボックみたいな、ほぼ1回こっきりみたいなレスラーを一緒にすると、
フォール負けの価値の意味が違ってくるだろ? >>595
スコット・マギー
ゲシュタポ
ザ・ジャッカル
ケリー・ブラウン
ロジャー・スミス
ブライアン・ブレア―
トニー・セント・クレアー
全員可もなく不可もなく一定の仕事できるが
如何せんただそれだけというメンバーを無駄に7名も集めた
「特に何も起こらないシリーズ」とか…
これでも81〜83年頃の新日なら客も視聴率もそれなりに取れたんだろうな
あーあっ、スマポと2台持ちはおもろいやぁ。
スマポでカキコるとぉ皆様もぉ丁寧にぃー返してくるかんな。
カキコり方をぉ変えちょればぁー。
スマポからぁ自分のカキコにぃ『>>●●消えろ』とかぁ批判自演してたりして?(笑)
果してぇーどぉかにゃー?
まぁ2台持ちもぉかなりぃ便利ングだかんな。
自演なんかぁじぇーん じぇーんバレないしぃー。
まぁ87年頃にゃあ新日はぁーエース外人不在時期だったかんな。
ベイダーが来る迄はぁ。
ビガロやウイリアムスもぉ中途半端な扱いだったぞぇー。
そぉ考えっとやっぱぁベイダーはぁヒットだったかんな。
それにビガロもぉ便乗した形になったしぃー。
ソ連レッドブル軍団はぁ使えなかったがぁー。
最初はぁ目玉にゃあなったがな。
しかしぃ長くは続かんかったぞぇ。
そんでもぉベイダー ビガロ ウイリアムスがおったしぃー。
ベイダー登場からはぁ新日外人色が一気にぃ変わったかんな。
そんでぇー外人も充実化したぞぇー。
そんで90年頃にゃ外人はぁかなりぃ豪華だったかんな。
>>603
死ね
お前は存在自体が迷惑千万 億万長者
あっ、これはぁスマポじゃあなかったわぃ。
このぉバキャタレがぁー。
コンニャロォー
コンニャロォー
コァーノヤロォー
河野やろぉー
アンニャロォー
アノヤロー・アティサノエ
クソ漏ちぃー
| * |
.\__/\__/
.
.
.
.
狂うのは勝手だけどお世話になっているクリニックに火をつけたりするなよ >>602
ジャッカルは本当に可もなく不可もない選手だったが、後にジェイソンとして来た時には見違えるほど良くなってた。何があったのかな。 中止って何?せっかく半角ガラプーNGにしてんのに変なことするからゲロ見ちゃったじゃねえかよ
まあいいや、消そ >>595
そうかね?
83年なんて新春からマリガン、ベンチュラ、Mスーパースター、Mジョージとか呼びながら
国際軍、長州一派、それとタイガーマスク優先で、外人勢はもったいない使い方
こんなことなら呼ぶ必要ないのにと思った
新日ファンが外人勢の豪華さで全日に勝てず歯噛みしていたのは70年代までだと思うが >>608
全日勢の外人と比べて引けを取らないと感じるか感じないかは人それぞれ。
見劣りしてると感じるのが多数派だろうね。 新日本の外国人レスラーが充実していたのは昭和55年〜57年の2年間だけだよな。 逆に言えば、優秀なのが一人二人いれば何とかなるって事でもあるな。 >>612
エースがしっかりしててメインイベントが面白ければ興行は上手く行く
外人の顔ぶれだとTBS時代の国際>>初期新日本だけどTV放映が打ち切られたのは国際だったしね
後のFMWなんて大仁田がいれば対戦相手がミスター・ポーゴやターザン後藤で客が集まるんだから ファンクスなんてアメリカではもう半分引退状態で、フロリダでは
スティーブ・カーン&マイク・グラハム組の、ロスアンゼルスでは
チャボ・ゲレロのやられ役だったんだものな
それを「世界のアイドル」と思いこませていたのは日テレと馬場の
権力、「圧力」によるものだったわけで
70年代後半からもう「NWA圏」で稼げるのはアトランタ、フロリダ、
全日本しかなくなっていて、だからこそフロリダのエディ・グラハムも
全日本よりにぎわっていると見て新日本に鞍替え、ローデスたちを
ブッキングしたわけだし GスピのNWA特集より
ラリー・マティシックが著書で書いてるそうだけど、79〜81年にレイスが
ローデス、馬場、リッチに「その地区のサーキット初期に負けて最終日頃に
取り返すNWA王座のキャッチボール」を連発したことについて
「75年に世界王者の管理がバーネットに移管された時点でチャンピオンの
存在意義がガラッと変わった。
自分の管轄であるアトランタ、エディ・グラハムが牛耳っていたフロリダ、
それと馬場の全日本、この3か所がNWAの中で金を生むテリトリー
ベスト3だったので、手っ取り早いボーナスとしてキャッチボールを
実行させたに過ぎない。
あれはバーネットにとってもレイスにとってもハッピーだった。もちろん
グラハムも馬場もハッピーだったし、ローデスにもリッチにも箔が付いた。
ただし他のNWAメンバーは白けた思いでキャッチボールを眺めていた。
もはやNWA王座の権威、信頼度が大きくチップ(減少・削除)されたことは
事実だった。
すでにNWAがカルテル組織としての機能を喪失していたことの証明だった。」 Gスピより
「トミー・リッチのワンウィーク・チャンピオンは単純にアトランタのビジネスを
アップさせるための便法だった。事実、リッチが王者になった後のアトランタ
(オムニ)は翌年春頃まで最後のブームと呼べる超満員の連続記録を
打ち立てている。」
「王座獲得の時点でリッチは24歳、キャリア5年。ジョージア地区を
中心とする南部一帯ではヤング層の圧倒的な人気を得ていたものの、
実力的には中堅の域を出ておらず、NWA内部で大いに不満が出た。
しかも会長のクロケットJrは全日本に来日中で王座交代の件をまったく
知らされておらず、この後のバーネットとの関係に大いにしこりを残した」
…そうなんだな、ローデス、リッチ、馬場って 「稼げるテリトリーである
フロリダ・アトランタ・日本の三地区それぞれのエース」 だったんだな で、そのNWAの稼ぎ頭・フロリダは77年以降、ボスのエディ・グラハムが
全日よりもビジネス順調と見た新日本に付き、猪木と提携する。
マツダ、ブリスコ、ローデス、S・カーンらが新日本に上がり、新日本は
最大の敬意を持ってグラハムを遇し、かくてローデスはアンドレを超える
最大額のギャラを保証される
結局この世界は、日本のファンが過大に信奉していたNWAという「組織」の
看板なんかよりも、「プロモーター同士のつながり」が全てだというのが
露骨になったものだった
けど、日本国内でNWAの看板を死守したい馬場が働きかけて、エディ・
グラハムは新日全日を両天秤にかける等距離ビジネスをはじめ、81年から
ブリスコが全日本に出戻る
しかし呑気な日本人は気付いていなかったけれど、前年の1980年には
もうNWA総会には人もまばらになっていて、事実上NWAは1981年から
空中分解を始めていたと言われているんだな ビンスが動き出すより先にNWA3本柱だったジョージア地区の試合の
全米放送をアトランタのケーブルTVが始めてしまい、NWA総会で自粛を
求める声も出たがバーネットは無視し、NWA総会も掣肘できなかった
「よその地区のプロレスをファンの誰も知らないから成立したテリトリー制」
という70年代の遺物がこれで簡単に崩壊する
NWA体制の象徴だったマソニックもこの81年に完全引退、この年にNWA
チャンピオンになったフレアーは、間もなくクロケットエリアのみの限定地区
王者になってNWAエリアの巡回を放棄、翌82年にはロス地区のラベールが
脱退、83年にはNYのビンスとジョージアのバーネットが脱退
日本がまだNWA幻想を守ろうとしていた時期に、アメリカでは組織としての
NWAはもう事実上死に体になっていたんだなあ
自分なんかもローデスが二度目の王座に就いた時、…というかホーガンが
WWF王者になった頃あたりもまだ組織としてのNWAってそれなりにしっかり
してると思ってたからなあ
フレアーとマーテルがNWA・AWAの「統一戦」を日本開催しちゃった85年あたりで
流石に「あれ?実はもうNWAとかAWAとかってどうでもいい扱いになってるの?」
と察してしまったけど
後々にゃあ藤波と蝶野がぁーNWA王者になったかんな。
しかしぃこん時ゃあもぉNWAはぁそんな価値が高くなかったぞぇ。
まぁ藤波のバワイはぁ後にはぁ無効っちゅうにぃー。
取り敢えずぅNWA王者になった日本人はぁ馬場と蝶野っちゅう。
かなりぃ後のぉ小川はぁ?
NWAが価値が高かったのぁ80年代中盤頃迄だかんな。
AWAやWWFもぉ同じ様なもんだろぉ。
しかしぃ89年以前見ちょる者からすりゃあやっぱぁ『藤波辰巳』なんだよなぁ。
『藤波辰爾』っちゅうのぁなんかしっくりせんのよぉー。
っちゅうかぁヘビー上がった時にぃ『ドラゴン藤波』にすりゃあ良かったぞぇ。
ドラゴン藤波
D藤波
もぉこの頃はぁ頭にカタカナは流行らんかったんかぃなぁ。
頭にカタカナのネームっちゅうのぁいいと思うけどなぁ。
坂口もぉ『ビッグ坂口』が似合っちょったっちゅうにぃ思うぞぇー。
ビッグ坂口
B坂口
表記ん時にぃ
A猪木
B坂口
D藤波
全日はぁ
G馬場
J鶴田
T戸口
天龍売り出し前はぁこぉだったかんな。
昭和全日スレにも常駐しているがあちらではまともに書き込んでいる
あのガラプーは新日アンチだったのかね?
こっちのスレでコンニャロォー クソ漏らちぃ〜なんて還暦過ぎて書きこんでいるからホンモノのキチガイだな 1984年にNWA=ケリー、AWA=マーテル、WWF=ホーガンが同時期にチャンプに
なったことがあり、新時代の到来を思わせたが、これを機にWWFの一人勝ちに。 ケリーってNWAのベルトに尖った金具で自分の名前を刻印したんだっけ
佐藤昭雄に「あいつアホだし」って言われるだけはあるな バックランドがアイアンシークに負けて王座転落したってニュースには子供ながら驚いたな。 王者交代の時は、ベビーからベビーへの王座移動なんてあり得ないからな。
だからビリーグラハム、スタンスタージャック、アイアンシークなどの、
短期間で王座を明け渡すヒール役が必要になってくる。 >>628
そこはグラハムよりコロフだな
グラハムは10ヶ月と結構長い >>627
分かる
まさか新日で白星配給係のアイアン・シークとは思いもよらなかったw >>629
グラハムがヒール王者としては異例の長期だったのは
絶大な集客力あったからだと言われている
J・ベンチュラ、ヒール時代のホーガン、ランディ・サベージ他
グラハムのフォロワーは多いからね 前にもレスしたけどグラハムワフー組対ブッチャーアレン組を実現させて欲しかった アイアンで思いだしたけどアイアンマイクシャープは一時ホーガンのパートナーで使われたり集中的に来日してたな
プロレス覚えさせて売り出そうとしてたのかな
結局ド塩のままだったけど 田中ケロはシャープが試合中の声がやたら多いので、ワーワーおじさんって言ってたなw >>635
あと 試合中の声が多かったのがメヒコのスコルピオン
タイガーとのシングル戦の動画見たら
「タイガーの動きにまったくついていけません!」
なんて保坂アナが言っているが
うわうわ言いながらしっかりついていってる >>617
ブリスコは殺人的スケジュールのNWA王者の再登板要請を拒否してサイドビジネスの自動
車修理工場も好調だったので多額のファイトマネーが得られる地元フロリダと日本等の
数カ所にプロレス活動に絞った。
>>627
試合を見たらボックランドの腕を決めていて大苦戦の試合だったが日本では「謀略」と
報道された。一見、ジョバーに見えるがアマレスのしっかりとした基礎のある「実力者」
だった。その証拠に全日に来日した時は馬場に請われて道場で若手の指導まで行っている。 アイアン・シークはもともとアマレスの土台はあったからね
ただ新日であの扱いの後に新日では破格の扱いだったバックランドに負けた事の驚きよ
猪木が力抜山に負けるようなもんでしょw >>638
海外の掲示板でこんな投稿がある。
当初はつなぎ王者はM・スーパースターの予定だったがバックランドは「アマレスの下地がないレスラーに渡したくない」と
拒否してそれでアイアン・シークにお鉢がまわってきたと。本当だか分からんけど。
>Did You Know: The Masked Superstar was originally slated to be the man to take the belt off of Bob Backlund
> and transition to Hulk Hogan. Backlund refused to do the job to Eadie however, as in a time where even the
>WWF protected kayfabe, Backlund didn't want to lose to a wrestler without an amateur background.
>Enter The Iron Sheik, and well, the rest is history. アイアンシークの映画ってどんな内容なんだろう
ツタヤかゲオに置いてるかな >>636
タイガーとスコルピオンは手が合ってたよね〜
タイガースープレックスの受け身も完璧だったし タイガースープレックスもほとんど使わなかったな
エルポラコに決めたやつは藤波のドラゴンと同じ様な印象の技にしたかったのかな >>639
ルーテーズも1957年にNWA王者を降りる時、
後任に当時、大人気だったバディー・ロジャースが指名されたが
「あんなレスリングも出来ない奴に負けるのは嫌だ!」と拒否。
オリンピック出場経験者で実力者のディック・ハットンに譲った。
でも、このハットンは強いけれど、人気がまったくなくて、、、 NWA総会「王座を譲るとしたら、ウィルバー・スナイダー、フリッツ・フォン・エリック、
ジン・キニスキーのどれにする?」
テーズ「文句なしにキニスキー」 >>633
ホーガンがWWF王座を奪取した直後、緑色のベルトを巻いて新春黄金シリーズ終盤に
来日した。蔵前の長州・谷津対ホーガン・シャープはいい試合だった。 アイアンマイクシャープはキムケンにTVマッチで4分で勝っているんだよね >>646
ウィルバー・スナイダーがNWA王者になれなかったのは、
対立していたAWAの役員だか、主要レスラーだったのが
大きかったのでは?
彼がNWA王者でも良かったと思うよ。風格もあるし。 >>649
以前どっかの記事で読んだがスナイダーにもNWA世界王者の話はあったが
NWA世界王者がむちゃくちゃ多忙になるのを知っていたので「あんな生活は無理だ」と断ったとか スーパースター列伝のタイガーマスク編を読んでたら、やたら空手家が登場するけど。
みんなどれくらい強いの?てか実在の人物なの? >>651
列伝は、梶原の影響で、空手ばかり。ブッチャー、カブキは嘘だらけ。ホーガンでも、ヒーナンが空手を習うとか。
ブッチャー編のぉガマオテナはぁ実在だかんな。
ガマオテナはぁ地獄突きスピード世界一だぞぇ。
そぉゆぅ人物からブッチャーはぁ空手習っちょったんよぉー。
そいからぁブッチャーの頭突きもぉかなりぃのもんだかんな。
ブッチャーのバワイはぁ空手の世界ならぁ世界王者だったぞぇ。
世界空手大会もぉ連続優勝はぁ確実だかんな。
それをぉ敢えてエンタ色が強いプロレスの世界に身を投じたんよぉー。
ブッチャーはぁーガチンコならぁかなりぃの強者だったかんな。
極真幻想梶原の影響大きいもんな
ガチ系の最強論もアマレス、柔道は割を食ってた感じ 倉持なら今日も元気だガラプーキチガイって言っていたかな >>652
ああ、カブキ編も空手漫画でしたね。当時は読みふけったけど、後々「ほななんで高千穂は新日に行かなかったんやろ?」って思った。更に後々カブキが猪木の事けちょんけちょんに言ってるの聞いて悲しかったな…
ブッチャー編はまだまだプロレスのカラテ殺法だったね。「カラテ強さをうんと強調しろ」って命令したのはシーク様。
楽しい漫画でした。
長文失礼。 >>652
ああ、カブキ編も空手漫画でしたね。当時は読みふけったけど、後々「ほななんで高千穂は新日に行かなかったんやろ?」って思った。更に後々カブキが猪木の事けちょんけちょんに言ってるの聞いて悲しかったな…
ブッチャー編はまだまだプロレスのカラテ殺法だったね。「カラテ強さをうんと強調しろ」って命令したのはシーク様。
楽しい漫画でした。
長文失礼。 カブキ編は高千穂(本名:米良)の人生に大したエピソードが何もないから、
ほとんど創作の嘘なんだよな。
香港の闇試合で巨人と戦ったり、映画スターを思わずKOしたりとか。
創作の多い列伝の中でも一番嘘が多い >>659
ありがとう。
新日スレに戻しましょう。
その頃の漫画ってプロレスモチーフも多かったけど、必ずと言って良いほど猪木が登場してましたよね。少し名前を変えてたり、もろに本人だったり。
それだけ昭和新日本では「アントニオ猪木」だったんですよね。 >>659
ありがとう。
新日スレに戻しましょう。
その頃の漫画ってプロレスモチーフも多かったけど、必ずと言って良いほど猪木が登場してましたよね。少し名前を変えてたり、もろに本人だったり。
それだけ昭和新日本では「アントニオ猪木」だったんですよね。 >>647
この年の新春黄金シリーズは、このカードやラッシャー対ホーガンとか、藤原が出てきたり、ジュニアのリーグ戦とか、ちょっと新鮮な感じがした。 >>663
1月分のレギュラー枠のメインは全部猪木・藤波組だったけど、
対戦相手が毎週変わってたな。
またこの月は長州のTV登場は猪木組の相手になったとき
だけだった(他の週で乱入はしたけど)。 ゲーセンにあったプロレスゲームは「アッポー」だったな。
登場レスラーは、馬場、猪木、タイガー、アンドレ、ブッチャー、ハンセン、
ホーガン、上田 >>663
ブッチャー対アレンのシングルもやったね 85年の新春黄金シリーズでは愛知県体育館と大阪府立体育会館で藤波対ホーガンと猪木対バンディを2連戦で組んでいた
この頃は人気も落ちてきて苦肉のマッチメークだったんだろうな 大阪の猪木とバンディはボディスラムで投げた方が賞金貰える試合だったっけ?
試合に勝ったのは猪木だけど賞金貰ったのはバンディだったよね? >>669
前哨戦で猪木6年ぶりのフォール負け
しかしノーTV >>670
賞金15000ドルのボディスラムマッチ
このシリーズはシリーズ序盤にホーガン、中盤にブッチャー、後半にホーガンが再来日の特別参加だった
ブッチャーバンディが何度か組んでいたけどブッチャーにとっては新日参加以来初めてのビッグネームのパートナーだったんじゃないかな
このコンビはもう少し見たかった >>668
ロボレスのBGMは、Jとサンダーストームだった。 バンディにフォール負けとかあって売る気あったのかと思ったら何か中途半端になっちゃったよな
猪木の体調面もあって、あの手のレスラーと好勝負作ってライバルに仕立てあげるのもキツかった時期なのかもしれないけど >>674
おそらく体重にして100は違う。
試合のフリするだけでもかなりしんどい。
ましてやもう40超えてる猪木では 馬場を持ち上げるつもりはないが、
歳とっても馬場は巨漢のデブに使える技がけっこうあるかtらなあ。
16文もまだいけるし、倒したかったら河津、脳天チョップしてるだけで相手は悶絶して絵になる。 この頃に馬場vs猪木やってたら馬場が勝ちそうな気がしたな。 猪木の得意技が延髄斬りぐらいしか掛けられないからね 85年にハンディが来たシリーズからケロのマイクボックスが吊られたんだよな
WWFのパクりだけど、、 >>676
ましてまさかの32文ロケットなんてやろうもんなら、
武道館総立ちのスタンディングオベーションだろなw ガチなら猪木だろうけど、プロレスなら両者リンゴアウト決着にシナリオが落ち着いただろうね。シンかシークあたりに乱入させてノーコンテストとかもありうるかな >>672
日本人ならラッシャー木村とタッグを組んで、マードック&アドニスと
戦っているな。 >>672
確かバンディが格上=後にコールされるだったはず バックランドはUWFを選ばずに新日に復帰してレッドブル軍団と当たったほうが面白かっただろうな >>686
これは当時から度々報じられていたから特に驚きはないな
ファイトには材木工場の経営に失敗したとか暴露されてたけど
その材木工場もUやWWF復帰で拵えた元手で再建出来たそうだしね バックランド、ハンセン、鶴田。プロレスデビュー前と引退後の違いはあれど、
アマリロ三銃士は皆、教壇に立ったんだな。 バックランド「プロレスは観ないのかい?」
生徒「あんな八百長、誰も観ませんよ」 ブッチャー バンディのタッグは放送して欲しかったね。
バンディは猪木フォールという勲章を与えられたのにその後はいい扱いされず。
ブッチャーはブッチャーで最後の新日参戦。
ブロディ移籍でバンディの扱いも疎かになったね。
バンディ以外でも他の期待された外国人達も。
それでいてブロディは短期間したいなかったし。
その後は疎かにされた外国人を売り出す事もなかった。
この頃の新日は悪循環。
バンディは結局WWF選んだから来日しなくなったのは仕方ない。
でも他の外国人は使えたのが沢山いたと思うんだよね。 だかんなとかだぞぇとかはやめたの?
653お前名無しだろ (中止 KK1b-cHn8)2021/12/25(土) 18:10:56.58ID:d7ARQ/PpKXMAS
ブッチャー編のぉガマオテナはぁ実在だかんな。
ガマオテナはぁ地獄突きスピード世界一だぞぇ。
そぉゆぅ人物からブッチャーはぁ空手習っちょったんよぉー。
そいからぁブッチャーの頭突きもぉかなりぃのもんだかんな。
ブッチャーのバワイはぁ空手の世界ならぁ世界王者だったぞぇ。
世界空手大会もぉ連続優勝はぁ確実だかんな。
それをぉ敢えてエンタ色が強いプロレスの世界に身を投じたんよぉー。
ブッチャーはぁーガチンコならぁかなりぃの強者だったかんな。 >>694
同じ奴だよ
真面目なフリする時は一行ずつしか書けないんだよ ここに書きこんだ10分後にはキラーカーンスレでこんなこと書きこんでいるけどね
バカはIDとかワッチョイとかわかっていないんじゃない?
431お前名無しだろ (ガラプー KK9f-cHn8)2021/12/26(日) 20:17:28.54ID:G770wB2nK
カーンがぁージャパンから離脱したのぁ馬場の方針?
そいともぉカーン自らの意思ぃー?
そこんとこもぉカーン動画で説明して欲しいぞぇー。
もぉ説明済みなんかなぁ?
まぁカーンはぁ維新の頃からぁー長州にゃ不満だらけだったかんな。
それをぉ抑えちょった。
念願の全日っちゅう事でぇ移籍したっちゅうにぃ言うちょったかんな。
でもぉ長州の団体のぉジャパンのいちメンバーっちゅうのぁ納得でけずにぃー。
それを抑えちょったんよぉー。
カーンのぉ反長州が最も光ったのぁシンとのタッグだなぁ。
シンと組んで長州との試合が放送されたぞぇ。
こん時ゃあカーンもぉ徹底して長州を痛め付けちょったかんな。
シンはシンでいつも通りにぃー長州を痛め付けちょりぃー。
この試合がぁーカーンの反長州がぁー最も出た試合だぞぇ。
両国でのぉシングル後のシリーズだがぁー。
カーンからすりゃあ長州と袂分かって良かったっちゅうこったゎい。
反長州に回ればぁーもぉ長州の下じゃないしぃー。
しかしぃカーンもそこまではぁブレイクせんかったかんな。 二重人格者、人格破綻者なんだろうな
ヤヌスの鏡みたいなもんだ KK1bのガラプーは、今夜も昭和全日スレで元気に書いてるぞw
【危ない!危ない!あひぃやー】昭和の全日本プロレス116【これで 万事 休す】
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1639900590/311 >>686
強豪レスラーにしては優しい雰囲気だったが
教師としては十二分にコワモテだな ひいい 馳はかなり厳しくて怖い教師だったとか。
ガチガチレスリングの体育教師。
体育会系のノリで生徒に接してたんだって。
しかも馳が若かったから生徒からは兄みたいな存在だったみたい。
当時の不良達でも馳には反抗するのはいなかったとか。
馳の授業だとみんな大人しく真面目になってた。
前にゴングで星凌の元生徒が言ってたのが掲載されてた。
『馳先生、いい意味で怖かったですね』と。 >>686
バックランドは当時はアメリカでもそこまで浸透してなかったんですな。
これがホーガンならそんなわけにはいかないし。 ユミと裕美だっけかヤヌスの鏡
バックランドと馳ならいい試合になったかな
つかバックランドのパワーは上の方で出てたけどレッドブル軍団とやらせたら面白かったかもしれんね
噛み合わなかったらとんでもなくしょっぱい試合にもなりかねないけど >>703
馳はレスリング部の顧問だけど体育教師じゃなく国語教師 >>708
散々上で書かれている荒らしのガラプーだからさ
みんなスルーしているんだからやめなよ
馳もぉかなりぃ気が短いっちゅうに言うちょったかんな。
この時代だとぉ普通に生徒に暴行加えるとかぁあったしぃー。
馳もぉまさかぁ……
かなりぃ前にぃ馳が教師やっちょった時のぉ高校3年はぁ健介と年一緒だとかぁ。
健介と初めて会って年を知った時にゃああの生徒達と一緒かぁっちゅうにぃ思うたそぉな。
っちゅうか馳と健介はぁ交流あんのかぁ?
特にぃ仲違いっちゅうのぁ聞かんがぁー。
でもぉ北斗がいっから馳もぉ健介とはぁ交流しづらいかもなぁ。
長州とのぉ金銭問題もぉ北斗がネックらしいかんな。
健介的にゃあ長州と絶縁したくなかったとかぁ。
しかしぃ北斗がぁ長州を徹底的に嫌ったっちゅう。
それに合わせて健介も仕方なくぅ。
あっ、馳の教師話からぁかなりぃ脱線してもぉたなぁ。
馳はぁ五輪ピック出た時ゃあ『星凌高校教師』っちゅう肩書きだったなぁ。
確かぁ教師は1年位しかやっちょらんかったはずぅ。
ジャパンにスカウトされたかんな。
馳はあの甲高い声で授業やっちょったんよぉー。
叱る時もぉ甲高い声張り上げちょったかんな。
Uインターでバックランドとアレンって同じ大会に来たことあったのかな。
もしあったら、「おぅ、アンタもこっち来たのか」なんて会話とか妄想したり バックランド、90年代はWARやバトラーツにも参戦してたな。 バックランドはUWFでの復帰を選んだのが間違い
新日での復帰をすべきだった
新日黄金時代を彩ったレスラーの一人だし当時の新日ならレジェンドとして
けっこう大事に扱ってくれたと思う
木村健悟は「試合した中で最強はローランド・ボック。二番目はバックランド。」と言っていたな キムケンと五分の外人と言うとケリーブラウンくらいだな。
アレンはぁUインターでぁ大声援だったかんな。
既にアレンの強さが認められちょったしぃー。
そんでぇオブライトとのシングルではぁアレンコールが起こったらしいぞぇ。
オブライトはぁ過去にゃアレンから指導受けた事あったとかぁ。
『あのアレン先生がぁー……』っちゅうにぃーアレンを恐れちょったかんな。
インタ記事でもぉそぉゆぅ台詞あったぞぇ。
アレン先生はぁかなりぃ厳しかったとかぁー。
そんでぇそのアレンと対戦だぞぇ。
結局はぁオブライトかぁグランドのフルネルソンだかで勝利したがぁー。
Uインターはぁもぉちぃとぁアレンを使えば良かったのにぃ。
若手時代の桜庭との試合だとぉ全く子供扱いだったぞぇ。
アレンかなりぃ巨大に見えたかんな。
アレンと高田はぁ結局はぁ対戦しちょらんしぃー。
どぉせならぁ高田との対戦も見たかったんよぉー。
こん時ゃアレンはぁ50位かんな。
アレンがUインター上がったんはぁ93年だしぃー。
そんでぇあんだけ動けたっちゅうのぁかなりぃのもんだぞぇ。
アレンはぁ他のレスラーより物が違ったっちゅうこったゎ。
86年6月 愛知県体育館のカード
猪木対ジャイアント
高田対コブラ
前田、藤原、木戸対マードック、スーパースター、サモアン
坂口、木村対スヌーカ、アサシン
越中対山崎
山田対セントクレア
小杉、蝶野対後藤、橋本 86年のIWGPは最初から猪木対マードックだったのかな。 アンドレvsスヌーカとか見たかったなぁ
さすがに組めなかったか
昔はバックランドvsローデスとかアンドレvsローデスとかすごいカード組んでいたな
MSGタッグのアンドレとバックランドも公式戦の名目はあれど日本でしか見れない対決が実現したからな このシリーズのスヌーカは前田と藤波にシングルでフォール負けしてたね >>703
つひに行く
道とはかねて聞きしかど
きのふけふとは思はざりしを
初代「道」は猪木じゃなく馳 >>719
藤波が前田戦の負傷で欠場。藤波×上田は上田の不戦勝。 わずか数時間の間に何があったのかな?
703お前名無しだろ (ガラプー KK9f-cHn8)2021/12/26(日) 21:03:05.42ID:G770wB2nK>>708>>724
馳はかなり厳しくて怖い教師だったとか。
ガチガチレスリングの体育教師。
体育会系のノリで生徒に接してたんだって。
しかも馳が若かったから生徒からは兄みたいな存在だったみたい。
当時の不良達でも馳には反抗するのはいなかったとか。
馳の授業だとみんな大人しく真面目になってた。
前にゴングで星凌の元生徒が言ってたのが掲載されてた。
『馳先生、いい意味で怖かったですね』と。
711お前名無しだろ (ガラプー KK1b-cHn8)2021/12/27(月) 00:39:51.36ID:V9FQrzxgK
馳もぉかなりぃ気が短いっちゅうに言うちょったかんな。
この時代だとぉ普通に生徒に暴行加えるとかぁあったしぃー。
馳もぉまさかぁ……
かなりぃ前にぃ馳が教師やっちょった時のぉ高校3年はぁ健介と年一緒だとかぁ。
健介と初めて会って年を知った時にゃああの生徒達と一緒かぁっちゅうにぃ思うたそぉな。
っちゅうか馳と健介はぁ交流あんのかぁ?
特にぃ仲違いっちゅうのぁ聞かんがぁー。
でもぉ北斗がいっから馳もぉ健介とはぁ交流しづらいかもなぁ。
長州とのぉ金銭問題もぉ北斗がネックらしいかんな。
健介的にゃあ長州と絶縁したくなかったとかぁ。
しかしぃ北斗がぁ長州を徹底的に嫌ったっちゅう。
それに合わせて健介も仕方なくぅ。
あっ、馳の教師話からぁかなりぃ脱線してもぉたなぁ。
馳はぁ五輪ピック出た時ゃあ『星凌高校教師』っちゅう肩書きだったなぁ。
確かぁ教師は1年位しかやっちょらんかったはずぅ。
ジャパンにスカウトされたかんな。
馳はあの甲高い声で授業やっちょったんよぉー。
叱る時もぉ甲高い声張り上げちょったかんな。 こいつマジでヤバすぎるな
誰も相手にしてないのになんで長文ダラダラレスすんだろ 藤波対上田って、85年の何かのシリーズで当たってて、30秒かそこらで回転エビ固めで終わってた気がする。 >>729
そのカード、第一回MSGシリーズからずっと藤波が回転エビで勝ってるイメージ
なお長州対藤波は例の造反劇があるまでずっと回転足折り固めで藤波が勝ってたイメージ >>733
ブレーンバスターを切り返してそのまま体を浴びせてそのまま体固め
シングルではマサ斎藤やジェリー・ローラーに勝利
俺は説得力もあって好きな勝ち方だったけど >>734
そのパターンなら、ジュニア時代に木村健吾の雪崩式ブレーンバスターを
押しつぶしての体固めがある。木村の雪崩式ブレーンバスターパクリ事件の試合。 そういえば上田はヒロ斉藤にも回転エビでフォール負けしてなかったっけ? >>733
ヘビー級転向直後はブレーンバスターからの体固めってのが結構あった
WWFインターを獲得した時のジノ・ブリット戦もそうだな
古舘曰く「ヘビー級の証明」 84年頃カネックやキッド相手にバックドロップから体固めで勝ってた気がする 81年のMSGタッグ決勝進出決定戦でもマードックのブレーンバスターを潰してフォールしてた気がする。
猪木のアシスト付だけど。 ブレーンバスター押し潰しての体固めはクイックだな。
藤波に打撃技からの体固めはなさそう。 当初はロングホーンズ優勝予定で、ハンセン引き抜き発覚してアンドレ組に変えたんだろ? >>740
86年か87年あたりブラックタイガーにドラゴンラリアットで体固めをテレビで見た記憶がある 博多での剛竜馬戦はフライングドラゴンエルボーからの体固めか片エビでフォールだった
ドラゴンバックブリーカーからのフォールもそれなりにあった気がする ドラゴンバックブリーカーからの体固めってなかったっけ? >>736
高橋本によると、斎藤に負ける条件としては、クイックで負けることと、
斎藤の額を深くカットさせること。 ブレーンバスターは「ロープ越し」のが3カウントとれた印象のある80年頃
上田と斉藤はぁ本当に似ちょったかんな。
斉藤はぁミニ上田で上田はぁジャンボ斉藤っちゅう感じだったぞぇ。
ゴジラとミニラっちゅう古舘のぉー名台詞を思い出すかんな。
しかしぃこの頃はぁ短期間の分裂、仲間割れっちゅうのがぁ頻繁だったぞぇー。
最初はぁ上田、斉藤+マシーン軍団が一大勢力だたたんよぉー。
そっからぁー上田、斉藤とマシーン軍団がぁ分裂してもぉて。
そんでぇ更にゃあ上田と斉藤がぁ分裂。
その後はぁマシーン軍団がぁー後のスーパーの1号と若松マシーン軍団と分裂だぞぇ。
4ヶ月でこんだけのぉ分裂、仲間割れがあったかんな。
その後はぁマシーンと斉藤はぁカルガリーハリケーズで合流。
更にゃ高野俊二までもぉ合流っちゅう流れにぃー。
高野俊二はぁ新日正規軍でぇマシーンや斉藤ともぉ別々の立場だったかんな。
まぁその3人がぁ新日離脱してもぉたしぃー。
っちゅうかあのまんまマシーンが残っちょればぁかなりぃ盛り上がったはずだしぃー。
そぉなりゃあアンドレがマシーンになる事ぁなかったかもなぁー。
マシーンがマスク脱いだかもぉ。
でもぉそれぁなかった可能性高いかんな。
縦読みにしたら意味が分かったとか絶対にないのがこいつの長文 藤波はアイアンマイクシャープにフライングボディーアタックからフォール勝ちしてた 86年6月 京都府立体育館のカード
猪木対ジャイアント
日本正武館杯争奪バトルロイヤル
猪木対スーパースター
上田対ジャイアント
越中、山田対高田、山崎
猪木対マードック
猪木対坂口
マードック対サモアン
木村対前田
上田対スヌーカ
橋本対蝶野
畑対船木
バトルロイヤルは木戸が優勝
猪木が強豪相手に1日4試合する
観衆7000人台とイマイチ 木村対前田は、観客が撮影した動画がアップされていたが、
ニールキックをかわしてイナズマを決めるなど、白熱した
攻防をしていたな。 >>751
健吾vs前田って、イジメられる側とイジメる側みたいなイメージの試合だな。
でもイジメる側も、大して強くはないというオチがつくが。 佐川急便杯だっけか
京都府立って一回行ったことあるけど結構デカいハコなんだよな マードックのケツだしてから唇すぼめ突き出しちょっと微笑む前田。
「ホントは強い俺がプロレスにつきあってやったぜ」みたいな。
あれが全盛だったか。マードックも見事。 前田は新間に騙されず、ずっと新日にいたらいいプロレスラーになっていた気がする。
マスコミに最強とかおだてられて、本人が勘違いすることもなかったと思うから。 前田がそのまま新日に残って大成したらエースだったかもね。
そうなれば闘魂三銃士は生まれなかった。
武藤は普通に売り出されたとは思うけど。
橋本と蝶野は全く違う立ち位置だっただろうね。 新間は前田にはゴッチよりテーズを目指してほしいと言ってたんだよ
猪木もゴッチに傾倒する前田に俺がゴッチを神様にしてやったんだからなと釘を刺した >>757
だいたい新日に入ったのも新間にだまされてだろ
いったい何回だまされたら 86年あたりの前田はアメリカンプロレスの大物と意外とシングル対決をやってるよね、スヌーカとかケリーとか。
ウイリアムス戦なんかはテレビ中継もあったけど、もっとテレビで見たかったな。 >>733
84年7月の長州戦は藤波が唯一長州からクイック以外でフォール勝ちした試合だった。
しかしこの試合は途中で顔を見せた猪木に気を取られた長州に藤波がバックドロップを
決めたことから、最終戦の蔵前のカード変更の言い訳作りに思えた。 >>751
上田対スヌーカのミスマッチが気になる
こんなの試合成立するの?w 上田、スヌーカの試合なんて放送して欲しかった。
異色だけど全日最強タッグで対戦してるから初対決じゃないしね。 前田はプロレスのセンスも運動神経も不足気味だったな、新日がチビばかりだから
期待されただけ。 見た目的にもハンサムで長身だけど筋肉ないから説得力なかった 高田は全てを持っていたんだがな....
あと5cmあれば 前田と高野俊二の長身タッグでタッグリーグに出てはほしかったな 結局はタッパとルックスなんだよね
藤原はタッパはそこそこあったがあの顔では・・って感じだし
タッパとルックスを兼ね備えていた武藤を異例のスピード売り出ししたのも当然だった 小柄王者と言われたバックランドも日本人中では大きかった。
新間が『うちの選手達もバックランド位の身長あれば』と言ってた。
『あの位の身長じゃないとアメリカでは厳しい』とかも。
バックランドは猪木と変わらんかったし。
80年代初頭の新日で猪木以上(か大体同じ位)の身長は誰がおったか。
坂口 カーン 前田 高野俊二 所属外で上田
こん位だし。
身長高い前田が期待されて重宝されたのはわかる。
前田は将来のエース候補と嘱望されてたし。 一応スレによって使い分けているつもりですか?
もういい歳なんだから荒らしとかやめなよ
475お前名無しだろ (ガラプー KK9f-cHn8)2021/12/29(水) 11:16:08.26ID:UNWNz+WYK
カーン動画だとぉ次はぁー天龍の話だなぁ。
90年にぃ天龍からS誘われちょったっちゅうのぁ意外だったかんな。
目の前にぃ800万だかを出されて。
こん時にぃカーンがSで復帰しちょればぁおもろかったかんな。
そぉすりゃあSはまだ長く存続したはずだしぃー。
まぁ冗談は上段突きで豆腐グチャッだぞぇー。
カーンがSならぁ天龍の部屋だったんだろぉなぁ。
天龍が誘ったっちゅう流れでぇー。
しかしぃカーンがSならぁ本当に盛り上がったっちゅうにぃ思うかんな。
でもぉカーンにゃあ復帰の意思はなかったぞぇ。
長州への意地っちゅう感じもするがぁー。
長州への意地っちゅうか当て付けっちゅうかぁー。
大金で動きたかないっちゅうのもぉ。
自分は長州とぁ違うとの意思表示だとかぁ。
仮にカーンがぁSで復帰してもぉ契約違反にゃならぬ。
しかしぃ当時は自分を引き止めたビンズへの裏切りとかぁ考えたかもぉ。
そぉゆぅ義理っちゅうのもぉカーン復帰せんかった理由かもなぁ。
後はぁ長州への意地だぞぇー。
そんでもぉ天龍からS誘われた話はぁ意外だったかんな。 前田明
「アントニオ猪木が期待する秘蔵弟子。長身でハンサム。
空手を取得し、猪木に憧れ新日本プロレスに入門した。
次世代を期待するに十分で、明日が楽しみだ」
81年МSGタッグリーグ戦パンフより。
いかに前田に期待してたかわかる。
新日で先日やった忘年会マッチを前田vs俊二でやってたら・・・ 前田はかなり期待されてましたね。
前田凱旋直後の1983年IWGPの時の猪木のコメントでも。
前田は身長もあり、ガッツも根性もある。
基礎もしっかりできている。
彼のブリッジを見ればそれは一目瞭然。
前田がいるから10年後の新日は安泰。
10年後には新日は確実に前田時代だろう。
猪木は自分はとっくに引退してるのを前提に語っていた。
しかしその10年後の1993年に前田は新日にはおらず。
しかも張本人の猪木が引退しておらず。
セミリだったけど現役。
1983年当時は猪木も1993年の新日の状態は全く予想外、想定外だったでしょう。 藤原の昔の体格、胸囲から背中がなんかちょっと貧弱な感じで、僧帽筋とか広背筋(調べたらそんな名前w)とかが
あまり盛り上がりがなく、一般人のちょっと体格がいい人って感じの背中だった。 ゴーストライターが書いたブッチャーの著書でも、当時若手の前田が絶賛されてた。
猪木よ前田を俺のもとに預けろ一人前にしてやるとか書いてあったな。 いしかわじゅんの本「プロレス大好き」では
期待の新人という項目で谷津、前田、高野兄弟を挙げていた 前田が抜擢されたIWGPは、藤波・長州のスランプからの欠場もあり、前田への
期待は高かった。が、次のサマーファイトシリーズは猪木は欠場、藤波・長州が
復帰したことで、前田は藤波・長州の抗争に押し殺された感じに。
猪木が欠場していなければ、猪木・前田×外人勢、藤波×長州、タイガーマスクと
棲み分けができ、前田が活躍できたかもしれなかった。 俊二は人並みに練習してればな
若いころから根性の無さが見て取れたからやっぱダメだったろうな
道場逃げ出したりプロレスやめてボクシングやるもまた逃げ出して、
プロレスに帰ってくるもまたまた逃げ出したけど今度は海外遠征だもんな
当時若手の海外遠征が憧れのエリートコースだった時代に夜逃げして海外遠征って甘いにも程がある
見た目良くていくら素質があろうがこんな根性では新日に残っても結局は大成してないのではとおもうな。 なんだかんだで新日本には素質ある若者が次から次へと入門していたんだな >>783
新日の歴史における2大IF
・もしも前田日明がプロレス好きだったら
・もしも高野俊二が練習好きだったら
新日の歴史は変わっていた 昔は良かったとはなるべく言いたくないけど、
当時ヘビー級としては小柄と言われた藤波とかでも
今の棚橋、飯伏、内藤あたりと比べると全然デカかったもんな。
(鷹木も小柄と言われるけど、不思議と小ささを感じない)
逆に木村健悟、ザ・コブラ、越中、小林邦昭あたりがジュニアでやってたのが信じられないくらい。 5対5勝ち抜き戦とか視ればわかるけど、藤波と小林が対峙すると、小林の方が体格で勝ってるんだよね… 新日生え抜きで、身長が正味190cm以上で、
「プロレスで」大成した選手はいない。
俊二、前田日明(190ないかも)、鈴木健三、長尾、
カーンとオカダは生え抜きではない。武藤は190はない。 >>788
それを言えば他団体でも大成したのはあまりいない。
それこそ馬場・鶴田くらい。 >>789
新日以外の入門者で190cm以上で、モノになった選手(馬場、鶴田を除く)
○日本プロレス入門者、キラーカーン、タイガー戸口(日本でシングル王者には
なれなかったが成功したと言って良いだろ。特にアメリカでのカーンは)
○全日本、田上=三冠王者、チャンカー優勝、力皇(公称190で微妙だが)
=ノアでGHC王者
○UWFインター、高山=IWGP,GHC,三冠、今は残念なことになったが、
大成したと言える
○DDT、石川 修司=全日三冠王者、まぁ馬場時代の同タイトルよりは権威が落ちるが。 >>790
おっと!日本プロレス入門者で大事な選手を忘れていた。
坂口征二。 身長かぁ、でもバスケの日本選手でも190越えはちょっと変な体型だよ。無理がある。
183センチ、100キロちょっと、くらいがプロレスラーとしてはいいんじゃないか。
それでも少しデブ体型にはなる。 90年代にキムドクが新日に上がった時は、異様なデカさで目立っていたな。
80年代は猪木、前田、坂口、カーンといった190クラスのがゴロゴロいたから目立たなかったけど。 流星仮面が武藤を俺に預けろと言ったとか話あったな。
フレアーも対戦した日本人で文句なく武藤が1番運動神経が良いと言ってた。 https://pbs.twimg.com/media/E_NmaLiVEAAmy2O.jpg
身長の逆サバをしているのはマードックだけかな
188cmなわけがない。192cmの前田より明らかにデカいのに 棚橋は公式では176になってるけど、実際はどれくらいなの? 上で出てた藤波が体固めでの勝ちが少ないって、体格面含めたこの辺が
エースとはやっぱ違うみたいなのが猪木含めた人たちの中にはあったんだろうかね
上田と前田が対峙した画なんか見ると実際昔はデカい連中多かったなと改めて感じる 外国人レスラーのBilled Heightは時々変なのがある。
ニック・ボックウィンクルが178cmだしな。
マードックは193cm〜186cmくらいの間で色々Billed Heightあったな。 >>786
鷹木は超の字が付くぐらいの厚底だけどな
それと棚橋と鷹木はわざと半サイズか1サイズ大きめの靴を履く事で
自分の体を大きく見せている
逆の例が藤波と木戸でこの2人は身長の割に靴のサイズが小さい
特に木戸は他のレスラー達と較べるとビックリするくらい小さい
>>798
たぶん裸足の状態で174〜175ぐらい
練習生時代の映像を見るとだいたいその辺りが実寸
しかし以前は181cmとか自称していたのに
また随分と謙虚(?)になった物だよなあ 夕べ放送していた話
レストランで猪木が全員にワインを振る舞った話しが笑えた
【テレビ】ナスD、無人島0円生活でお馴染み“獲ったどー!”の語源を明かす「アントニオ猪木さんの大ファンで」 [湛然★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1640810131/ >>789-790
190台で期待を裏切ったと言うと、
マンモス鈴木、グレート草津、ロッキー羽田、高野俊二が四天王かな
草津については異論があるかもだがあれは団体内で権力を握っていただけだと思う 別のとこにも書きましたが。
日本人レスラーで大型は身体がショボいよね。
鶴田 戸口 田上 羽田 高野俊二 カーン 坂口 前田 上田
草津もいたか。
高山 小川 鈴木健三 力皇 森嶋辺りもそうだ。
藤波 長州 マサ斎藤 健介 ライガー
逆にこういう大型ではない人達は身体鍛え上げてるし。 上田やケンドーナガサキなんか間近で見たら
河馬かサイみたいに動物じみた大きさで分厚かったぞ >>788
新日生え抜きで、身長が正味190cm以上で、
「プロレスで」大成した選手はいない」に
安田忠夫も追加するわ。まぁ一回IWGP王者には
なったが、元小結という肩書で武道館デビューの割には
期待外れだな。 >>806
別のところでも指摘されていたが、
坂口は違うだろ!? キチガイに弄ばれているというのが何とも悲しい奴らだな 坂口征二はタイトル歴こそUNと北米タッグぐらいだが
アトミックドロップで世界最強の男∞鉄人<求[・テーズをピンフォールしている男 安田は練習嫌いだったとか。
安田は というか 安田も かな。
プロレスの動きに順応しようとの努力は見えた頃もあったが。
当時は『平成の坂口』としてテーマ曲まで譲り受けたのに。
もっと練習してたら違ったかも。
当時は新日では矢鱈(やたら)と巨大に見えたが。 >>813
>坂口征二はタイトル歴こそUNと北米タッグぐらいだが
いや、坂口は他に国内だけでも
インタータッグ、アジアタッグ(日本プロレス版&新日版)、
北米ヘビー(NWAとWWF認定)も獲得したよ! 坂口は日本人で唯一世界スーパーヘビー級に就いた男。 新日創生期の74年ワールドリーグにはマスカラスとホースト・ホフマン参加の噂があったんだな
知らなかった
マスカラス対坂口とか実現してたらどんなだったのか観てみたかった >>802
バックランドが来日するも空港で荷物が行方不明(海外旅行時の機内預けはコレが怖い!)
になり荷物が届くまでリングシューズはサイズが同じの藤波の物を借りてタイツは若手の物
を借りた。 >>819
日本プロレス時代にやってるな
72サマービッグSでは2回シングルも
第一次ゴールデンSの坂口、斎藤vsマスカラス、キングクローなら後年CSで放送されたから見た人多いのでは 86年7月4日 後楽園ホールのカード
猪木、坂口、ジョージ高野対スティーブウィリアムス、ヒギンズ、マンテル
藤波、星野対ナガサキ、ポーゴ
木村、上田対前田、藤原
木戸対アレン
越中、後藤対高田、山崎
山田対蝶野
キャット、橋本対小杉、船木
中野対安生
スティーブウィリアムス初来日
ジョージ高野凱旋帰国
コンガザバーバリアン来日中止
琴天山が浴衣姿で観戦(彼女と一緒に) リングサイドで琴天山とジョージが握手だったか
ジョージとしての凱旋ならいきなり前田絡みの試合の方がインパクト残せたろうけど、色々と危なっかしいか >>824
あの伝説の
ジョージ一人だけいきなり客席から登場
があった試合か 三沢みたいにリング上でマスク脱ぎの方がインパクトあったのに リングインする前のジョージがハンディカメラに向かって何やらアピールするのが印象的だった
当時そんなことする日本人レスラーは皆無だったから、なんとなく悪ふざけというか不真面目に感じた少年時代 ジョージと言えばコブラで凱旋帰国した時にワールドプロレスリングのカメラが
帰国したコブラを空港まで追いかけて撮影してたけどスーツにマスクのスタイルは意外とカッコ良かった。 武藤「竹やぶから5000万くらい出てきた事件、探しに行ったんだよな。
懐中電灯ついたヘルメット買って」
蝶野「ジョージ(高野)さんとブッチャー(橋本)かその話してて。
探しに行かされて。ブッチャーもジョージさんと仲良かった」
武藤「ジョージさん、話すと宇宙の話ばっかり」
https://pbs.twimg.com/media/E5_L4A1VUAQMOQh.jpg
武藤がスペースローンウルフになって帰ってきたら
ポスターやパンフでは武藤の下に据えられたジョージ
試合内容見て「こりゃダメだ」と上層部に判断されたんだな ジョージさんはS崩壊後は俺の地元の土建屋タニマチの娘さんと結婚して暫く近所に住んでた
後部座席を外した軽ワゴンの荷台にいつも寝転んで移動してる姿を覚えてる
その後、高校教師に例のガチ負け
切なかった >>834
今は離婚してるのかな?どちらに住んでるんだろう
コブラ信者のコブラ動画だとぉコブラ大絶賛だかんな。
毎回コメ欄にゃカキコっちょるゎい。
あっ、あんまぁこぉゆぅ事カキコるとぉ身元探られてもぉちゃる。
しかしぃコブラもぉ決して悪くなかったかんな。
コブラや二代目タイガーマスクはぁ悪くなかったぞぇー。
しかしぃ佐山の後釜っちゅう見られ方がぁー本気にぃ気の毒だったかんな。
実際にゃあ二人共ぉいい動きしちょったかんな。
三沢はぁ飛べるヘビーっちゅうコンスプトだったぞぇ。
ジョージはぁジュニア枠でもぉ大型ジュニアとして佐山と比較されちょったっちゅうんがぁ不運だったんよぉー。
三沢もジョージも佐山はぁ越えられぬっちゅうのぁわかっちょったかんな。
だからこそぉ佐山にはないスタイルっちゅうにぃー。
しかしぃファンはぁ三沢にもジョージにもぉ飛んだり跳ねたりを要求。
二人もぉそぉせざるを得ずぅー。
しかしぃ飛んだり跳ねたりならぁ佐山にゃあ勝てずぅ。
佐山にはない大きな身体を活かしたスタイルを確立したかったっちゅう。
しかしぃタイガーマスクもザ・コブラも飛んだり跳ねたりを求められてもぉちゃりぃー。
86年9月のUWFとの5体5で、
藤波は前田
健吾は木戸
星野は藤原
越中は高田
と、それぞれに相手を指名したりしてたけど、
ジョージは特に因縁もない山崎だったから
なんか気の毒に感じた。 >>836
お前いくつだよ?
66お前名無しだろ (ガラプー KK86-J+My)2021/12/31(金) 04:04:49.48ID:cIM1MHDdK
>>65 本人 \∧/
クソ漏ちぃー
| * |
.\__/\__/
�
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���
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�����
. ������
�������
.��������
��������� >>824
ジョージは、猪木・坂口が入場した後に、客席の中から入場曲なしでリングイン。
凱旋帰国を演出したつもりだったのだろうが、白けたムードだった。 >>837
山崎に因縁の相手がいないから、仕方ない。余った高野との勝負になる。
高野は本来、前田とライバルになるべきだが。
ジョージの扱いっちゅうのぁ勿体ないっちゅうにぃ思うちょるんよぉー。
しかしぃ当時はぁ仕方なかったんかもなぁー。
今だからこそぉジョージの扱いを勿体なかったっちゅうにぃ思うがぁー。
まぁコブラからのぉ『凱旋帰国ジョージ』っちゅうのぁ漫画だかんな。
やっぱぁマスク脱いだっちゅう方がぁー良かったともぉ思うんよぉー。
それかぁーマシーンや三沢みたいにぃ試合中に脱ぐとかぁー。
そぉゆぅ展開の方がぁー良かったっちゅうにぃー思うちょるぞぇー。
っちゅうか新日もぉジョージを杜撰に扱っちょった証拠だかんな。
でもぉそこまでの配慮がなかったっちゅうだけかもなぁ。
しかしぃ世代闘争ん時もぉジョージはぁ存在感なかったぞぇ。
ニュー側に入れるべきだったかんな。
前田 マシーン ジョージっちゅうかつてのぉ三羽烏がぁ揃ぅたのにぃー。
しかもぉジョージはぁ新日残っちょったのになぁー。
寧ろぉー前田やマシーンがぁ出戻りングだかんな。
もっとジョージをぉ全面的にぃ出しちょったらなぁっちゅうにぃー思うちょるぞぇー。
だからこそぉ新日からSに移ってもぉちゃるんよぉー。
>>839
学生プロレスではウケてたんだけどなあ 客席から登場
ビール飲んでくつろいでるところをw 82年1月1日 後楽園ホールのカード
保永対高田
仲野対小杉
G高野対キャット
木戸、荒川対永源、前田
星野対剛
坂口、木村健対R木村、寺西
藤原対ゴッチ
長州対浜口
タイガー対キッド
バックランド対藤波
猪木対ボック
新日初の元日興行でテレビ生放送 >>844
悪いけどもうこういうのやめてくれるか?
お前よく話の途中でカードだけ載せて
会話ぶったぎったりするのが腹たつんだよな >>823
そんなに実現していたんだね
フライングクロスチョップで顎上げて倒れる坂口の姿が想像できるわw
新日初期のワールドリーグってマサ斎藤対大木金太郎とか今更ながら興味深いカートが実現していたんだな 佐山タイガー時代に元旦興行行ったけど、カードもブックもしょぼくて、モヤモヤして後楽園ホールをあとにした
小学生だったけど >>844
会話のネタにはなってるから、書くなら結果まで書いたほうが良いかも 熱戦譜スレ懐かしくて面白かったんだけどね
例のガラプーが狂ったように荒らしまくって一気に白けてしまった https://twitter.com/rajipro/status/1477095445709340672
バックランドが回転固め決める前に小鉄がカウント数え始めて客席からブーイング
長州のリキラリアットがヘタクソで痛そうに腕を抑えてたり
体調が悪い筈のタイガーに元気いっぱいのキッドがアッサリ負けたり
すべてにおいてグダグダな興行だった元日決戦
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>852
バックランドの試合この前観たけどレフェリーは高橋たよ
何故かここでは小鉄と間違えられてる >>844
ここは熱戦譜スレじゃないから二度とやるなよ >>848
佐山タイガー時代の元旦興行と言えば82年と83年だけど
82年のカードはショボくは無いから83 年か?
猪木VSマリガン、藤波VSベンチュラだったかな? 83年は既に日本人同士の抗争が主流になりつつあったし、今さらそんな外国人レスラーじゃあシラケる やっぱ元旦は82年がカードとしては最高だなあ、藤原対ゴッチなんてのもいいわ
自分が初めて後楽園に見に行った元旦興行は84年だったけど、
なんとか入手した立ち見券だったから客ギッシリで苦しかった思い出 >>854
それは失礼
なんかおまえ性格悪いな
おまえとガラプーって同レベルだわ
いろんな人に噛み付いてるのおまえだろ >>858
以前も書いたかもしれんがケロが言うには82年元旦は
自分が知る限り最も後楽園ホールに客を入れた興行だったそうだ
「三千人以上客を入れたと思う。用意していたチケットが全て無くなって
ついには金を貰ったらそれと引き換えに客を中に入れていた。」と 83年の新春黄金シリーズっていろんな意味で興味深かったな
マリガン始め結構ビッグネームの外人が来日していたけど蚊帳の外だった
このシリーズってマリガン、ベンチュラ、スーパースター、マイクジョージ、ホーガンが来ていて今思うとかなり豪華なシリーズ >>861
ホーガンとジョージは正規軍と国際軍の助っ人扱いで多少は目立ったが、他は空気で
後はブラック・タイガーぐらいだな。 このシリーズでの革命軍の扱いがまだ定まっていなかったためか、
斎藤・長州・スーパースター組とか実現しているんだよな。 アメリカのトップ外人て馬場や鶴田に合わせるのは簡単だったけど実は猪木に合わせるのは難しかったのかもしれないね
マリガンやベンチュラは全日だったら活かされたかも カーンが坂口に造反して猪木坂口藤波対長州マサ斎藤カーン組とかトップ3同士の6人タッグも実現したね
その後ホーガン坂口対マリガンカーンも行われた このシリーズのマサは札幌で猪木に福生でホーガンにピンフォール負けしてたね WWFでトップだったビックジョンスタッドもヘラクレスヘルナンデスもロディバイパーも
全日ではまったく活躍できなかったし、新日や猪木だけに問題があるわけじゃない >>869
大物ドンムラコも全日本では俊二にピンフォール負けしてて切なかったな >>866
活きなかったと思うな
日本の客を満足させる内容にはならない >>866
猪木はなんとか対応できる。問題なのはその他のレスラーと思われる。 >>869
スタッドもヘルナンデスもニューヨーク入前のルーキー時代。
パイパーはかなり良かったが続けて呼ばれなかっただけ。 流智美の著書にマリガンのインタビューが載っていたけど
最終戦?のカードに自分の名前がなくホテル待機だったことに関して本人は自覚していたみたい
「猪木はオレの試合スタイルのスローなテンポが気に入らなかったのだろう」みたいなこと書いてあったな
他国のツアーに呼ばれて成功するレスラーってやっぱり柔軟性なのかね
その国のスタイルに合わせることができるかどうかという >>866
ベンチュラと鶴田なんか凡戦しか想像出来ないが。 >>875
マイクアピールにテロップを入れた時点でもうダメだな 革命軍時代の長州はたまに猪木やホーガンに負けてたな。 >>879
第1回IWGPでの長州の扱いが悪かったのは何でだったんだろう
前のシリーズの蔵前のメインに出てたのに >>876
鶴田とベンチュラは波長が合いそう
ベンチュラのベアハッグで必要以上に効いている振りをする鶴田とか >>880
猪木と同列では無かったのでは
あくまでも猪木のワンランク下 革命軍になってから入場時のコスチュームが白の一本線が入った紺色ジャージになったのはダサかった。
マサと長州はともかくカーンまでジャージになったし。 82年〜84年頃の大阪府立での猪木のカードって
対日本人が多かったイメージ
猪木、前田、藤原対長州、浜口、谷津の6人タッグとか… >>867
カーンが坂口に造反
テレビで見たのなんか覚えてる。試合後にカーンが坂口にニードロップして
カーン 合流 長州斉藤
ってあのワールドプロレスリング文字でテレビ画面にデカデカと映ってた。
そのちょっと後に革命軍ではなく長文浜口で維新軍ってなって当時は?ってなった…
金曜8時が楽しみだったからすぐに楽しんだけどね。 >>885
黄金コンビと国際軍団の対戦もあったな
体格で一番劣る浜口の奮闘がとにかく際立った >>885
国際軍団との抗争もあったしな
82年と83年で、木村と3回シングルあるし 「かつて全日ナンバー3だったタイガー戸口が、健吾ごときのプランチャで失神するドチビのアニマル浜口の下に据えられた」
カーンも同じ心境だったんだろうな、自分の意志で革命軍に入ったわけでもないのに
タッグでわちゃわちゃやるだけの長州の序列の下に押し込まれた 1983年のMSGタッグリーグ戦は、
ラッシャー木村&ストロング小林
長州力&アニマル浜口
でエントリーされていた。単に正規軍と対立する日本人として、
長州を国際に組み入れようとしていたんだろうな。
長州が参戦を拒否し渡米、マサ斎藤と合流し、革命軍団に結成された。 >>890
(誤)1983年 ⇒ (正)1982年 初期は”プロレス維新軍”と古舘は言ってたな。
藤波、前田組は”正規軍新撰組”と。あまり広まらなかったけど。 >>884
新日復帰時のジャージは格好良かったね
背番号付きのやつ、まあ番号は賛否あるかもしれないけど
あのデザインはおそらくアメリカブランドのチャンピオン製のやつだから
洗練されてて当然なんだけど… >>893
0,マサ斎藤、1,長州、2,マシン、3,小林、5,ヒロ斎藤、6,保永昇男、7,健介、8,馳、10,タイガー服部、12,笹崎伸司
4と9が無いのは不吉だからだろうけど11がないのが理由が分からん >>896
新倉のためにいちおう空けておいた…んな事はないよなあ
確か負傷欠場の合間に新日復帰で置いてかれちゃったんだっけ?
それも理不尽だが、全日にも残らずだっけ?
ジャパン残党のリング上は大将が谷津で、副将が仲野という脆弱な布陣なんだから
三番手として残る手段もあっただろうに…契約を蹴ったのか、してもらえなかったのか…? >>898
長州は新日に戻って来いで、坂口はお前は契約が残ってるから全日だろって感じだったのでフリーになったという話。 >>896
いろいろ不穏な年でイヤーエンドでは止め刺された年だったけど、年明けて馳ジャージ8番見てなんだかまったりした思い出… ベンチュラ程度では鶴田より少し身長低いかもしれないからな。
大抵の外国人レスラーは鶴田と対戦すると鶴田にいじめられてる様にみえる。 >>902
馳浩対オーエン・ハートが、タイガーマスク対ダイナマイト・キッドの再来とか
散々持ち上げられてたためもあり、試合がイマイチだった印象。 >>896
2は浜さんで永久欠番しかないだろって思ったなぁ >>900
そうだったのか、サンクス
しかし坂口は常識人だなあ…
新倉まで引き抜いたらやりすぎだと思ったのかもしれないけど
逆に長州は「毒を食らわば皿まで」って感じだな… >>907
新倉は
病気で帰国欠場→長州全日離脱を聞き自分も全日との契約解除→新日戻れると思ったら全日への違約金払うの嫌な新日は契約しない
→仕方なく全日に戻ろうとするが当然全日は契約しない→結局フリーへ
だと思う。
新日全日間を契約期間中移籍しようとすると違約金が発生する。新日は長州一人を引き抜きたかった。長州は一人で出戻るのはカッコ悪かったから何人か引き連れて戻る気だった。
長州が連れて戻る選手の中に新倉は入ってなかったのに新倉は全日との契約解除しちゃった。
新日は大量離脱後少しづつ戦力整えておりもう新倉なんて違約金払って欲しい選手じゃなかったのに。自分都合で退職したのに元の会社に当然のように戻れると思っている新倉もズレてる。 >>879
後楽園で猪木&坂口vsカーン&長州見た。両リンか反則決着だと思ってたけど、猪木の延髄斬りで長州が負けて驚いた >>908
「波止場から二つの船が出て行った。そのどちらからも声がかからない。」と新倉は表現していた
全日にしても体がそんなに大きくなくてルックスもおっさん臭い中堅の新倉は獲得したい選手でもない
全日側が獲得したかった選手は、谷津、仲野、高野俊二(海外遠征中)、永源だけだったと言われていたしね 能も無いのに、寝返りまくった新倉が悪い。メンタルだけは松永久秀ばりやな。知らんかったわ 仲野は谷津・永源派閥だから残れたとして、新倉は保永と同格だから当然新日に戻れるとタカをくくってたんだな
長州本人とコンタクトを取ろうとなかったことが昭和プロレスラーのごっちゃん体質
金魚のフンみたいに追従して碌に考えもせずどうにかなるだろうみたいな
まぁそれは保永も仲野も同類だから、運が悪かったというのもある 新倉結構な若手のメンツで寮長やってたし、それなりに出てくるかと思ったら色々タイミングの問題もあったかねえ
仲野は高田よりもポジション上だったのに脱臼癖だったかで一時離れてしまったのが
あの時期の若手だと小杉も当初のテロリスト予定とか、UWF移籍の話あったけど有耶無耶で、
ヤングライオン杯優勝とかチャンスもあったけどこっちは結局病気だったか 新倉が仮に全日との契約解除せずに残ったとしても
栗栖みたいに永源の意向で引退させられてたかもしれない
寺西は首のケガが致命的だったから仕方ないにしても… 笹崎は新日に帰って来れたけど、あまりの扱いの悪さに早々退団してしまったね。
かなり新日を恨んでたそうで、後にUインターの海外フロントとしてベイダー引き抜いたりで復讐していたな。 笹崎なんか使いようがないから、扱い悪いのは仕方ないけどな。 >>906
新日ではサッパリだったといわれるブッチャーも
ホーガンとのプチ抗争はなかなか良かったんだよね すぐ消滅したけど
ホーガンと同タイプだがさらにさらにブキッチョだったベンチュラとは果たしてどうだったか >>918
89年頃の週プロのインタビューでライガーが笹崎のことをボロカスに言ってた
当時何かあったのかね〜 >>915
寺西は回復してて、会場に次期シリーズから復帰の挨拶しに行ったら、馬場から引退発表された >>918-919
佐野がSWSに行ったのは勿論待遇も魅力だったが
仲が良い笹崎の扱いが不満だったのも理由だったって話を別スレで読んだな
だけど歳をとると会社側の馬場猪木坂口、現場監督の長州の苦労も察する事が出来るようになる
我儘で過大な自己評価の連中を纏める苦労は尋常じゃないと思う
プロなんだから「この選手はしょっぱくて使えない」と判断すれば戦力外にするのは当然だが
それをすれば冷たいとか言われるし >>890
>長州を国際に組み入れようとしていたんだろうな
小林邦が最初は国際軍と組んでたり
それから長州の方に行ったり
ラッシャーと浜口が仲間割れした時、寺西はもちろんラッシャー側だったけど
いつの間にか寺西も長州の方に移ってたり…
当時創刊間もない週プロとか読んでたら、人脈の相関関係とかわかったかもしれないけど
テレビしか見てない子供だったから、混乱して??だった。 >>925
ラッシャー、永源組という謎の組み合わせもあったし、一時は国際軍は早々に本隊に組み入れられようとしていたと思う。
でも猪木の体調悪化で外国人を上手くコントロール出来なくなり、国際軍とのガチャガチャした抗争にシフトチェンジしたように思える。 長州と浜口は、フロント主体で組んだのだろうか?それとも長州の希望? ラッシャーてプライベート写真見るとゴツい身体してるし実際ゴツかったんだろうし
サンボもやってたりとシュートもそこそこに強かったんだろうけど
リングに上がるとそれほどゴツく見えないんだよな
マサなんかと比べてもゴツさとか説得力がない
そのあたりなんだと思う >>927
当時の新日関係者は「マサ斎藤とキラーカーンが海外に行くと長州と組む人間がいなくなる
国際軍団から浜口を仲間割れさせて長州と組ませた」と証言
ところが長州と浜口は晩年になってもこれを否定
「自分たちの意思で組んだ」と思い込んでいる >>926
ああそうだったんだ…
木村は83年の9月、大阪で猪木に一方的にKOされた後ぐらいから孤立して
でも同時に猪木から木村をホメるようなコメントが出たり
年明けてからの蔵前で藤波とシングルやった時、場内が木村コールで包まれたり
なんとなく猪木と組んで本体入りするのかな?とはその時期にはやっと思えたけど
まあ結局はUWF入りで流れちゃったけど… >>925
小林邦昭は打倒タイガーマスクなので、それ以外は誰とでも組むスタンスだった。 ラッシュー木村の猪木戦の秘策って、延髄蹴り封じの肝臓破りチョップとブレーンバスターと見せかけて前に落とす技、前方に落とすパイルドライバー 他にあったかな >>933
疑惑のアームカバーとストロング金剛介入 ブレーンバスターと見せかけて前に落とすって、
1.2の三四郎で三四郎が田中を破った技かw ブレンバスターを前に落とすやつはアニマル浜口が先にやってたよな ブレンバスターからのフェイスクラッシャー
浜口が使ってたのは見たけどラッシャ
ーも使ってたっけ >>881
試合開始から5分はパンチとサミング(!)で主導権を得たエラリングが
ロープへ振ってのカウンターwでベアハッグを決めて攻めるが
3回目のカウンターベアハッグをラリアットで迎撃
たたみかけるようにジャンピングニーから
既にバックドロップが切り札になってた鶴田だが
ゆーっくりとしたWアームスープレックスであっさりピン
試合時間8分くらいかなあ >>931
革命軍の時は、長州・小林組は実現していないんだよな。
藤波・タイガー対長州・小林が期待されてはいたが。 >>939
90年の東京ドーム、全日参戦のカード
「長州小林vs天龍川田」だったね、最初の発表では… 新倉なんて自分の分を弁えずにマスカラス戦でブーブー言ってる奴が全日本に残れるわけがない 新倉対若松はパンチ連打で面白かった
今でも時々動画サイトで見てる https://pbs.twimg.com/media/FIOMRj3akAEX9Vv.jpg
黎明期のベイダーだっせぇ、全身タイツが上半身脱いで
マスクもドンドン露出が多くなって最後には素顔に これ88年正月の後楽園だよな。
ほんの数日前、暴動が起きた因縁のカードを再びやろうという勇気がすげえ。
いや、再戦じたいはいいんだが
不透明決着で終わらそうという神経がまたなんというか… >>939
後楽園での藤原、山田対長州、小林はテレビ中継してたね >>944
正月はまだ飛龍革命の前だけど
GWの有明や大阪府立は不入りだったんだよね、特に強い大阪が入らなかった…
それでもベイダーがビッグマッチの駒としてギリギリ使えたから、翌年のソ連軍やドームまで形はついた。
ベイダ−vs藤波、猪木vs藤波、藤波vs長州…
翌年の橋本蝶野の本格帰国まで、最大の功労者だよね藤波の頑張りは。 最初の頃のファンの拒絶反応みたいなのを知ってるから、
90年に入って北尾をボコボコにして、大ベイダーコールを受ける姿はちょっと感動したな。 猪木、堀辺、永井豪の3人で考えてた初期ベイダー構想は3mくらいのロボットとレスラーが戦ったら面白いって話からだったらしいね。
少し前の猪木のパチンコにベイダーデザインc永井豪と記載されてたのは今でも使用料取るんだと驚いたな。 新日本Twitter
なんと新日本プロレスの“創設者”!
アントニオ猪木さんがメッセージVで登場!
「1、2、3、ダーーッ!!」
https://i.imgur.com/jvFVtCG.jpg >>947
89年夏に長州からIWGPを獲って、一年後に長州に奪還されるまでの一年間、ベイダーの成長具合は凄かったな 今の時期になると思い出すのはやはり84年のWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦 >>949
入場曲はドラゴンスープレックスだったのかな? >>952
最終戦、キッドスミスコブラの巴戦
札幌テロ後の藤原vs浜口
藤波vsラッシャー
長州とホーガンのタッグ対決
でもメインの猪木vsアレンが1番カード的に弱いという… >>955
そうだっけ?ごめん
ガキの記憶なもんで… NWF返上以降のリーグ戦を除いた
猪木の蔵前とかの大会場での試合は
いろんな企画を考えてやりくりしてきたけど
このアレン戦あたりからネタ切れしてきた感じだね
IWGPヘビーのタイトル化もこの辺が原因だろう
ベルトがあったほうがストーリーは無理なく作りやすいし >>957
ベルトあった方が普通にいいのにな。
IWGPの2年目にトーナメントで前年王者と当たるなんて
「最強のレスラーを決めるたった一度の祭典じゃなかったの?」
と白けた気持ちになったな。
それでも面白く観ていたけど。 >>952
NWAはコブラとバンピート(スミス)っていう突然の謎の人選ですんなり王座決定戦した一方でWWFは大掛かりなリーグ戦
両王座で何が違うんだろと子供心に思ってました
しかしながらこのリーグ戦は最高に盛り上がりましたね ソントンから基本的にNWA王者がWWF王者に挑戦する形なんだよな
前年のインター王者は逆にWWF王者が挑戦してたのに >>956
最終戦は大阪府立
コブラと小林のNWAジュニア
ラッシャー対ホーガン
猪木前田藤原と長州浜口谷津の六人タッグ >>960
その後もWWF王者キッドが、NWA王者コブラに挑戦した試合はあったよ。
たしか高田がシリーズ直前にUWF移籍して、WWF王座への挑戦者が
高田からスミスに変更されたシリーズだったと思う。 だから基本的にで
あと両王座のダブル戦ってコブラとヒロの一回しかないんだよな
そしてその年の内に両王座とも消滅 1984年の春、この時期に確か大阪城ホールのプロレスこけら落とししたんだよね?
長州と藤原がシングル再戦して、ヒモかなんか使って藤原がチョークして
それを長州がバックドロップで切り返して→ラリアットでフォール
見たかった…なんでノーテレビなんだよ…と思ってた。
この1984年前期の藤原って
札幌テロ
浜口と蔵前でシングル
テレビマッチで長州とシングル
UWFの蔵前に派遣、前田とシングル
5vs5で正規軍の副将
UWF移籍…
たった4ヶ月ぐらいで時の人というか、すげえ凝縮した注目度、ランクアップだね…
でもなんで副将まで昇りつめたのにUWF移籍しちゃったんだろ?
本人によるとフロント査定が変わらんかったからカチンときたらしいが。 >>965
副将まで昇りつめたといっても、順番が四番目だっただけで、浜口との心中要員だけどね。 >>966
もちろん、それはわかるけど…
体感的に藤波の上はないけど、木村健のポジションより上には行った感じがするんだよね
何より札幌テロ以前とは雲泥の差だからなあ…
ただし、前年のクーデターの時はハブられてたらしいし、どこか空気感的に居心地は悪かったのかな?
その時に後輩が苦中に陥り、「助けてください」と言われりゃ男としても気持ちとしても損得の問題ではなかったのかな… >>967
UWFの蔵前に出るってなった時はカッコよかったし会場にも見に行っただけに、移籍が決まった時は裏切られた感が大きかった >>968
それだとしても、だからこそ新日に残った方が長い目で見て得られると思わんかったのかな?
>>969
そのUWF蔵前に出ると宣言した時
確かリング上で古館が藤原にマイクむけて
「藤原さんは前田が許せん、という気持ちらしいですが?」
みたいな事を言っていて…
今だから思うけど、「前田の何が許せない」って事だったんだろう?
ストーリー的にしても、テレビの公共電波でああいう言われ方をしたら
ほとんどの視聴者の理解は、前田やUWFって裏切り者の悪役だよねえ…w 藤原なりに新日本vsUWFの抗争に繋げたかったのでは? >>971
ああなるほど、蔵前出陣の前なら新間経由でUWFが新日復帰の意を受けてる可能性はあるか?
ただ、旗揚げ戦をやる前からすでにそんな復帰プランがあったのか知らんけど… >>961
メインが地方興行並みなのに観客9000人! WWFジュニア王座争奪リーグ戦がなんだかんだで成功だったな
キッドの日本での人気一番盛り上がった時期かもしれない WWFジュニアは蔵前で奪取だったのに、全日本でインタージュニア取ったときは地方だし、取った試合も取られた試合もノーTVだったな 全日ジュニアをベテラン井上から二代目タイガー対小林に移行するための繋ぎに使われただけだった。
キッド自身もジュニアでやる気がなかったんだろう。 IWGPジュニアヘビー級王座決定リーグ戦は盛り上がったのかな?
外人がセントクレアーとブラックタイガー、そしてジョニーマンテルとスコルピオという寂しさ
しかもUWF勢がまだ合流してないからヤングライオン二人とドン荒川まで駆り出す始末 >>973
新日の大阪府立は強いけどさすがに9000人は無理がある!旧府立のシン対上田でも実数は8000人弱 >>954
ラッシャーが包丁で藤波の背中に刺したやつだな 全日本て会場のボルテージとか熱気が格段に低いからね
子供心にもそこで豪華メンバーが多数集まって夢のカードが実現してもねって感じだったね
プロレスでの会場の熱気や歓声はコーラやビールの炭酸みたいなもんだからさ
それが弱いとね・・ >>966
藤波が先鋒だったのは、テレビ局の都合だな。もしも藤波が副将だったら、
テレビ1週目の放送には、木村、藤原、高田、谷津、寺西、小林しか
試合が流れず放送に堪えないと判断されたのでは? 維新軍中堅の谷津、UWF軍中堅の木戸は「3人抜きを許さず、自分は2人抜く」
というまずまずの役割を与えられていた。逆に藤波先鋒の時の中堅健吾や、
坂口次鋒の時の中堅越中は、星を戻される引き立て役になり、可哀想な役割。 二人抜きで疲れていた谷津を倒しても自慢にならず
国際時代に失神させた浜口に完全フォール負け
とことん貧乏くじの健吾兄さん 段取りはどうあれ5対5はめちゃくちゃ面白かったけどな
みんないい仕事したんじゃない?会場もTV観戦も盛り上がったし >>978
81年のMSGタッグで10000人と発表したら消防署に怒られて
以降は最大9000人の発表になったんだっけ。 >>987
いつぞやのIWGPの愛知県体育館でも、15500だか16000人と発表しなかった?
大阪府立に比べて器が大きいとはいえ、これも盛りすぎじゃないのかなあ? >>985
あんな面白い試合他に無いよね。
全試合、順番からフィニッシュまで全て覚えてる。 負けブックだったけど谷津VS高田がベストバウト級で高田の評価がグンと上がったね
谷津も好きな試合で挙げていた覚えがある >>986
維新軍からしたら藤波逃げやがったなということだったんだろう >>990
勝ち抜き戦の流れの中の一戦とはいえ
あの時点でキャリアが3年かそこらの2人に任せるあたりが
新日だよなぁ。
そんでもって、あの試合で1回会場が弾けるんだから凄いよ。
次の健吾対谷津は会場の客がちょっと疲れてた感じw >>993
でも健吾が久々に雪崩式ブレーンバスターやったのは嬉しかった。浜口戦ではジャンピングパイルもやったんじゃなかったかな ‘怒涛の怪力’追悼!
小林氏は10スレ目のスレタイで出ているので残念ではありますが、
次スレ
【ダイナマイト・キッド】昭和の新日本プロレス39【マーク・ロッコ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1641469698/
引き続き、タイガーマスクの好敵手として君臨した彼らについて語りつくしましょう SANADA、飯伏、鷹木などの実力がついてこないイロモノをプッシュしすぎて完全に低迷してきたな
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