【ウィレム・ルスカ】昭和の新日本プロレス29【腰投げ多め】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>3
藤原敏男がなぜ白黒なのだろう…
猪木を目立たせるためかな すげえなあ
平日、火曜日にやってたのか
春休み期間だから学生客が見込めたのかな? >>6
そうではなくて、格闘技戦は金曜のレギュラー枠以外にもう一つ生特番枠を作れる重要なコンテンツ。 >>8
1枚目のピートロバーツはどう考えても下の人だよな。2枚目の右下に素顔のスーパースターがいる。 素顔のビル・イーディーは革命前の長州に負けさせられたんだっけ 国際スレのこの話は実に面白い
【金返せ!】国際プロレスpart29【桑野見てるか桑野】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1612343921/
427 名前:お前名無しだろ 2021/03/24(水) 17:31:32.34 ID:2pxRagnD0
新間の話だと元々WWFヘビーをバックランドから小林(ストロング)へ移動の
太平洋を挟んだ抗争の話がビンス親父からあった
それを新間は猪木に相談
猪木は激昂(自分が巻いてないのに小林がっ!)
それで猪木のWWFヘビー級王座奪取へ繋がるけど、ビンスとしては
ヒールとして猪木よりも小林を評価していた
新間は猪木のエゴで小林が最後にひと花咲かせられるチャンスを潰したと言っていた
428 名前:お前名無しだろ 2021/03/24(水) 17:34:39.01 ID:61vBGTla0
猪木はヒールはできないからな。
437 名前:お前名無しだろ 2021/03/25(木) 13:59:05.42 ID:2tT9NV0Y0
小林がバックランドから王座奪取
バックランドは王者として日本遠征、
バックランド日本遠征中は小林が王者としてサーキット
猪木がバックランドから王座を奪取
バックランドは帰国後小林から王座奪還
ビンスの提案はこんな感じだったみたい
440 名前:お前名無しだろ 2021/03/25(木) 15:46:09.25 ID:zxgtxlGg0
それ見たかったわ。国によってレスラーの評価が違うことにより生まれた偶然だけど。
438 名前:お前名無しだろ 2021/03/25(木) 14:01:44.30 ID:x0xJhTuw0
かなりな報道統制が必要だな。
439 名前:お前名無しだろ 2021/03/25(木) 14:27:49.98 ID:2tT9NV0Y0
当時はインターネットも無くてアメリカでは隣の州の情報も入ってこない
余程のマニアじゃないと日本の情報はわからない時代だからあった提案 せめてコスチュームぐらい違うものにしてほしいのにモロバレだよな
スーパースターの時には勝てなかったのにビリー・クラッシャーには連勝の長州って高橋本以前のエスエル出版の暴露本で書かれていた
パキスタン遠征の時もビリー・クラッシャー名義でコスはスーパースターだから呆れるよ 新日としては顏のいいビリーに素顔になってほしいんだけど
地元で教師をやってたスーパーはあくまで覆面レスラーで
通したかったのが齟齬の原因、みたいに言われていたけど
どうなんだろう マスクド・スーパースター。素晴らしいリングネーム。 >>13
ショータイツだったけど、シューズが同じだったか? >>7
当時のテレ朝は水曜スペシャルだけでなく火曜日にも特番枠があった。
アリ戦のテレ朝からの資金提供の返済のために続けた格闘技戦だったが人気コンテンツ
になり放映枠が空くと逆にテレ朝から開催を要望されるくらいになった。
ちなみにモンスターマン戦も初戦は火曜日だったはず?特番枠なのであのワープロの
テーマ曲はオープニングでは流れなかった。 Mスーパースターのフライングネックブリーカーはたまらん 素敵すぎる
85年くらいからあまり出さなくなった気がする あまりにも軽々と舞うからかえって技の重みが感じられないほどの跳躍力w
日本で藤波のインタに挑戦する直前にホーガンと引き分けた試合がつべに流れて
海外のファンにも見られると思ったけど、思えばシークから王座を奪った後、
ホーガンが地元で最初にWWFベルトを巡って抗争を繰り広げた相手がマスクド・スーパースターだったんだよな >>20
初めて見たのが81年のサマーファイトシリーズなんだけど、
小学4年のガキに、「マスクドスーパースター」という名前や風貌、フライングスリーパーはカッコ良すぎた。
まぁ、最終戦でマスク取られて「あれ?」ってなったけど。 >>18
WWFでアンドレと抗争中なのに、新日は外人ヒール枠でアンドレとタッグを組ませるから
別人になりすまそうとマスクを被ったらしい。いやリングネームも変えなきゃダメでしょ… IWGPタッグリーグのブロディ・スヌーカ対マードック・スーパースターは良い試合だった。
直後の仙台での優勝戦をブロディ・スヌーカがボイコットしちゃうけど。
マードックはアドニスよりスーパースターの方がやりやすかったらしいね。
アドニスもマードックよりオートン・ジュニアの方がやりやすかったらしい。 オートンJrもいい選手だったのにな 新日本初来日から長州に食われちゃったもんな
88年の再来日の新春黄金シリーズの藤波戦は荒々しくてよかった
と思ったら海賊だもんな どういう経緯でヤクザ殴ったんだっけ?新日がホテルから逃がして緊急帰国させた一件
ケンカっぱやさが見た目通りでカッコいいぜオートン!
FMWで場外乱闘のトラブルで若手外人にアヤつけていたヤクザにナイフ構えて引き下がらせたシークといい怖い外人は痺れるよ
一般客に手を出したのは頂けないけどシュルツ同様近寄りがたい雰囲気バリバリに出していたからな >>26
革命軍(のちの維新軍)で外人勢エースはほとんど第七試合ばかりになっちゃったもんね。
メインが正規軍と革命軍、セミがタイガーだから外人エースは第七試合しかなくなる。
83のサマーなんか毎週藤波対長州とタイガー対小林だったからテレビだけつけてて見てなかった。 >>27
ヤクザが試合中にちょっかいかけたのはシンだよ。
シンが投げた椅子が当たってキレたんだけど、当事者のシンはシークの乱入のどさくさに紛れていつの間にかいなくなってた。 最近ボブ・オートンJrの兄弟のバリー・オートンが亡くなったけど、海外のバリー・オートンのwikiには
「日本でバリー・ガスパーとなり兄が正体のビリー・ガスパーとタッグを組んだ」と書いてあるけど違うよね?
日本での定説はバリー・ガスパー=ザ・ジャッカル=ジェイソン・ザ・テリブルだと思うけど。
バリー・オートンは多分日本には来てないんじゃないかな。 戦うど根性ガエルと言われておりますマスクドスーパースター オートンJrもマードック同様、NWA王者候補だったのに
ボブ・ループ達と組んで新団体ICWに参加して全てがパァ どちらかと言うとAWAのイメージだな、ニックとヒールコンビ組んでハイフライヤーズと試合したり。 オートンに次いで88年に新日本に復帰したアドニスとビガロはちょっとおちた感は否めなかった >>13
一応書いとくとクラッシャーのシリーズ中の
ピンフォール負けはタッグで猪木に一回だけ
だからスーパー時代とそれ程扱いが違った
訳でも無いんだけどね。
パキスタン遠征時の内容は知らんけど。 >>32
サンアントニオ地区SCWの”真の世界ヘビー”王者決定トーナメントの決勝がアドニス対オートンJr.なんだよね(アドニスが勝って初代王者)。
日本でタッグで来日してから数ヶ月後だったと思う。
このトーナメントには引退直前のテリー・ファンクも参加してた。
ベルトがNWAのレイス・モデルと同じデザインで、立会人がテーズだった。 >>36
あれ、まだ日本のマスコミのNWA幻想に染まっていた当時は
何なんだろう?と思っていたんだけど、もうあの頃にはNWAは
実質的に崩壊して、世界王座乱立時代に入っていたんだな
総本山のセントルイス・キールを、そしてNWAをまとめていた
重鎮サム・マソニックが奥さんを亡くしてやる気を失い、
ボブ・ガイゲル、レイス、オコーナーがセントルイス地区を
仕切るようになったら、タイガー戸口いわく「これがあの
キールかって目を疑ったよ」というほど興行が回らなくなった
ガイゲルらにオフィスを追い出された形になったマソニックの
腹心・ラリー・マティシックが1983年6月にGSWEを旗揚げして
NWAの総本山が分裂、ガイゲル=レイス派は辛うじて勝つものの
客入りは落ちる一方で、稼げないと見たレスラーのドタキャンが
相次ぎ、11月には3か月前に引退した佐山タイガーのニセモノが
試合をしたというんだから呆れるしかない 結局、10月にキールでレイスとNWA戦を戦ったホーガンも、かつて
マソニックの片腕としてNWAを支えたマティシックもビンスJr.の
WWFに走り、聖地セントルイスは陥落、ジム・バーネットが勇退した
かつてのNWA最大の稼ぎ場フロリダもWWFのものになってしまった。
NWAの実権はフレアーを擁するジム・クロケットJr.に奪われ、以後
エリック派のWCCW、ビル・ワットのMSWAなどが次々とNWAから脱退、
第二のビンスになる夢を見て自分のテリトリーで「世界王者」を作る
84年当時、日本では「無礼にも他のエリアに土足で踏み込んだ
若いビンスジュニアが一旦奪ったジョージアのTVも取り返され、
NWAに撃退された」みたいな報じられ方をしていたけれど、もう
この時にWWFはレッスルマニアを準備していて大勢は決していた。 >>38
ワットはNWAに加盟していたマクガークのオフィスから独立してMSWAを旗揚げ、ワット本人はNWAに加盟していなかった
オブザーバーとしてNWA総会に出席した事はあったらしいけどね
ガニアもオブザーバーとしては総会に出席したり、マクマホン・シニアもNWAから離脱してた時オブザーバーとして総会に出席した時がある >>34
新日復帰に向けてWWF時代より減量したがその分、スタミナが無くなりマードックとの
コンビを復活させるもベイダー旋風が吹き荒れていてベイダー・斉藤組が実現するのも
凡戦だった。次の来日は「どうかな?」と思っていた矢先の事故死だった・・・
>>35
スーパースターもパキスタン遠征に参加するも凄まじい下痢に襲われたらしい・・・
>>38
馬場がNWA第一副会長に就任はWWF1984の猛攻に晒されるNWAが馬場の力を頼った
と言う報道がされていた・・・ >>39
1984年のNWA総会にはガニアが最初から最後まで出席して、
総会ではAWAと合同興行を行うことも決議してるんだね
WWFに対抗するときには「NWA」「AWA」という呼び方は使わず
「プロレスリングUSA」という共通バナーを使うことにしている
もうこの時点で実質的にNWAもAWAも力を失っていたんだな
馬場は1989年まで全日マットで「NWA世界ヘビー級選手権」を
挙行していたけれど、1986年3月にはもうNWAを脱退してる
日本でも初の「NWAとAWAの統一戦」が行われ、日本の一部
マスコミが「史上初・歴史的な快挙!」と騒ぎたてたのはWWFが
レッスルマニアで勝負した1985年のことだったけれど、あれは
馬場が「NWA」の名前を店じまいする最後の花火だったんだな 1986年以降フレアーはローデスやロン・ガービン相手に一時的に王座明け渡してるんだよね。
元王者のローデスはともかく、ロン・ガービンが王者になったときは驚いたわ。 >>28
>83のサマーなんか毎週藤波対長州とタイガー対小林だったからテレビだけつけてて見てなかった
あのシリーズは猪木がホーガンにやられて全試合欠場だったから、それなりに新鮮味があった
猪木がいるとさらにズレ込んで、外人勢が放映されないリスクがもっと増えるし…
その数年前の欠場時は、日本人抗争がそこまで多くないから外人勢は普通にメイン出てたし
ただ、その猪木不在の夏のシリーズは連日満員盛況で「なんだ、猪木さんいなくても大丈夫じゃん」
そうやってクーデター決行に確信を与えるきっかけになったと思われる、ある意味では歴史的の分岐点なシリーズ
あのシリーズが不入りだったらUWFも誕生してなかったかも… >>44
借金取りから逃れるために入院したかった。両国なのになぜか救急車は新宿の病院へ。 83サマーファイトはマードックvsブッチャーのシングルが実現したのに放送されなかったのが残念だった。
平成になってサムライTVで見れたときは嬉しかったな。
でも当時は維新軍やタイガーマスクの試合が実際に高視聴率を取ってたんだから、当然といえば当然だったけど。 >>45自己レス、両国じゃなくて蔵前の時代だった。 >>42
鶴田がAWA王者になって、後に田コロでフレアーと統一戦をやると
言われていた1984年(実際には鶴田は帰国前にマーテルに負け、
フレアーはケリーに負けて田コロは丸腰鶴田のケリーへの挑戦→
両者リングアウトというお寒い結末になってしまったのだけれど)
フレアーは東南アジア遠征の最中、ニュージーランドでレイスに
負けて王座転落、2日後にシンガポールで奪還、という「僻地での
王座レンタル」をやっていたんだね
もうこの頃になると世界ベルトもすっかり「興行用の一夜限りの
ギミック」になっているという感じだ
>>12にあるように、王者が海外遠征で本拠地を留守にする時には
その間代打役にベルトを預けておく、というのはルー・テーズ以来
あちらでは当たり前のビジネスプランなんだな
しかし見たかったなあ、田吾作スタイルのストロング小林が
「日本人初のWWFチャンピオン」になっていた姿って!
本拠地MSGでの出来事なので歴史から抹消するわけにもいかないし
実現していたら今に至るまで小林は「歴代WWWF-WWF-WWE王者」の
系譜に君臨し続けていたわけだし、WWE殿堂入りも確実だったわけだ
しかもその間、日本で(だけ)は「猪木がWWF王座を奪取」したことに
なっていたわけで、後で実態が広められた時のことを考えるだけで
ある意味、楽しくなってくるというw >>20
分かる。スーパースターのせいで←未だに俺の好きな技のひとつ。
一応、デモリッションズになった後にも出してはいたんだけどな。
YouTubeにもあまり良い動画がないのが悲しい。 >>45
よく言われているが都市伝説じゃないのか?
予定調和のアングルを直前で嫌ったという話もあるが >>50
> >>45
前田日明が「あの時、救急車で運ばれたのは自分」と言っている。
https://kissatalk.web.fc2.com/index153.html
ナチュラルに記憶を塗り替えている?
https://kissatalk.web.fc2.com/index156.html
> よく言われているが都市伝説じゃないのか?
> 予定調和のアングルを直前で嫌ったという話もあるが >>51
前田はいつも適当でいい加減なことしか言わないからなあ >>52
あの人は思い込みと決めつけが凄いよねぇ・・・。 田コロで試合後のハンセンにラリアット喰らった事も忘れてるんじゃないの前田 >>46
そう。藤波vs長州なんていつでも見れるんだから、そういうカードこそやるべきだったんだよ。
ミスター高橋は両者のマンネリな動きに「またか」と呆れたというが、
ファンのほうがあのマッチメークに「またか」って呆れてたという話。 >>46
札幌のはオープニングにダイジェストでやってた。 >>56
あの頃は目玉カードが出来ると、各地のプロモーターが希望していたのではと思う。
藤波対長州は名古屋はやっていないけど蔵前、大阪、福岡、札幌。
ブロディか来た時も、猪木対ブロディが両国、大阪、札幌と短期間でやったし、藤波対ブロディも名古屋、福岡でやってる。 >>59
猪木とブロディをハワイでまでやったのも、それもありそうよね。
当時はハワイとの交流がけっこう強かったし >>59
猪木とハンセンのシングルなんて地方でもかなり組まれていた気がする。
逆にシンとのシングルは勿体つけてたんじゃなかったかな。 >>57
マイティ井上と藤波の唄対決で、ヤマハにギブ負けさせられた雪辱の機会を作ってやってほしい。 >>61
>逆にシンとのシングルは勿体つけてたんじゃなかったかな
そんな事はない
府立でノンタイトルとか数回あったし
宮崎のテレビ局の開局記念でシングルが組まれたことがあった >>64
「ガエタノ」って・・ボビーくらいつけてやれよ! >>66
仲間割れした日っぽい。藤波タイガー欠場で演出ハプニングが欲しかったのかも!? 猪木はなぜ晩年にミュンヘンで下の階級で金を取ったチョチョシビリなんかと試合をしたのか?
チョチョシビリは当時40手前だろ。
上の階級で金だったバリバリのルスカとさんざんやったのに。
しかもきれいな負けブック。
アリとやったのに、下位交換ですでにポンコツだったスピンクスとか
晩年の格闘技戦の安売りはひどいな ソ連のプロ初進出が売りの興行だったのと、目玉だったレスリング金メダリストのソスラン・アンディエフが欠場になったからでは? >>70
東京ドーム初進出自体が当時の低迷期の新日にとってギャンブルだったから猪木の対戦相手にギャラの高い人選は出来なかったのでは? 沢村忠亡くなったんだね。
猪木と同い年だったとは意外だった。
引退したのが1977年で、猪木はその頃が全盛期。
プロレスラーの選手寿命の長さわ感じさせるわ。 >>1
今更だがスレタイ、今はウイレムという言い方が主流のようだが、
どちらかというとウイリアム・ルスカという言い方の方がしっくりくる 表記揺れなら、ローランド・ボックとローラン・ボックとか https://twitter.com/i/status/1377458775980863488
長州が怖がってロープに跳ね返ってくる速度が遅すぎるから
ランニングネックブリーカードロップのダイナミックな見た目が損なわれている
こういうヘタクソなレスラーを
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) サージャント・スローターでずっと覚えていたから本当はサージェントが正しいとあとから知っても何かモヤモヤした まあサージャント=(鬼)軍曹は日本語として定着してたからな
将太の寿司の佐治安人とか そうなのか?
ビートルズのサージェント・ペッパーズが有名すぎてサージャントなんて言ったこともねえわ 北斗の拳のマッド軍曹(サージ)で覚えたからサージェントは長すぎだと思ってた 「テリー」と言うと無論 あの人を思い浮かぶので
アニメ キャンディ キャディの彼氏はテリィにしたらしい キャンディキャンディだろw キャディじゃゴルフだw テリー・サバラスも「刑事コジャック」で有名だったけどな。 >>84
ファンクはテレンス・ファンクになってるね。
キャンディの彼氏はテリュース・G・グランチェスターという名前だったと思うが
このテレンスとテリュースも同じなのかな。 95.4.2から26年 夢の架け橋vsWAR、週プロvs週ゴンの日ですな >>89
26年も経つのか、、、
週プロ増刊号、即完売。後楽園ホールも満員。フライトルメンタが参戦していたはずwww >>90
世界のプロレスでお馴染みだったミッシング・リンクも出てたよね。
ミッシング・リンクに変身してから初めて来たのがWAR。 夢の架け橋は、JWP・LLPW・全女の3試合に続いて
剛軍団…剛vs宇宙魔神シルバーX
IWA JAPAN…テリー&レザーフェイス&中牧vsカクタスジャック&ヘッドハンターズAB
パンクラス…鈴木みのるvsクリストファーデウィーバー
藤原組…藤原&石川vs荒川&カールグレコ
みちのく…デルフィン&浪花&TAKAvsサスケ&SATO&獅龍
リングス…前田vsドールマン
UWFインター…高田&垣原&ビリースコットvsオブライト&山崎&ジーンライディック
FMW…グレートニタvsポーゴ大王
全日本…三沢&小橋&ハンセンvs川田&田上&エース
新日本…橋本vs蝶野 ターザン天下の終わりの始まりの日
週プロの出場要請を断った天龍は、ドーム隣の後楽園ホールで予定通りWAR興行を開催
週プロに反発したゴングはこれを大々的にバックアップ、さらに長州も参戦し翌年の複数団体取材拒否に繋がる >>87
キャンディキャンディの放送も
ファンクスの全盛期の活躍も
時代が一致してるんですよね
金の亡者の言われた作者が
ファンクスのファンだったのかね? >>92
IWA JAPANの試合後、鈴木みのるが「マットに付いた血を拭き取っておけ!」
と怒鳴ってたのがターザンにバラされた。あの頃のU系レスラーは
自分たちが特別な存在だと思い込んでいたから尊大な事この上なかった
インディーのレスラーなんてゴミ以下に見えてたんだろうな
まあテリーもカクタスジャックも世界レベルで見れば
鈴木みのるなんかより何倍も上なわけだが >>94
ゴングの表紙で天龍が“この指とまれ”ってブチ上げたね。
どんなカード編成だっけ? >>92
懐かしいな、みちプロの6人タッグが最高だった。デルフィンがアカレンジャー、TAKAがアオレンジャー、
浪花がキレンジャー、長谷川咲恵がモモレンジャー、阿波ごじゃ平がミドレンジャーに扮して入場したんだよな。 >>96
川田も「大仁田と同じリングでは試合したくない」と注文つけたからデスマッチ専用リングを外野辺りに設置したんじゃなかったけ? >>100
表向きの理由は「電流爆破の設置に時間がかかり試合終了時間が遅くなり遠方から来た
観客の帰りの電車の時間を考えたから・・・」と言う事だった。
メインのリングとは別に事前にレフトトスタンド側にもうひとつの電流爆破仕様のリング
を設置ていた。一塁、ライト側の観客は遠かったけどリングに近い三塁、レフト側の観客
は特した気分だったね。大木の引退セレモニーも行われて馬場が来たのは大木に会いに来た
のかな?馬場本でも消息を気にしていたからね。
>>308
轡田のクーデター失敗後に馬場は鶴田と共同会社のJBを作り馬場利権のお裾分けをして
て移動や宿も馬場と同じにして選手会と隔離してクーデター再発防止対策をした。 しかしプロレスのマットってどれだけ汚れてるんだろう。
連戦の汗や血、皮膚、ホコリやらもう雑菌だらけだろ。 >>102
剛竜馬が足の傷口から入ったばい菌であわや切断の危機に陥ったことがあったな。
花束嬢など一般人がリングに上がるときには消毒液染み込ませたタオルを踏んで消毒させていた。 >>102
トラコーマとか目に細菌が入る感染症は最悪失明の危機があるのでかなり恐れられていたという話を流智美の本で読んだ記憶 いくら鍛えた肉体と言っても、感染症なんかは太刀打ちできないね。
あとマツダやケビン(エリック)なんかは裸足だし、場外なんか何踏んづけるか怖いだろうな。
俺なら椅子でつま先打ったら泣くわw あるオフにマットの水色のシートを洗濯したら真っ黒な水が出て、選手たちが
「この上で試合して顔や傷口を押し付けてたのか」
とゾッとしたって言う話が月刊プロレスに載ってたな >>96
そのミックは剛竜馬の「ショアッ!」にドームの観客が一つになってる光景を見て
「あんな三流レスラーのヘタクソな試合に、なぜ日本の観客があんなに熱狂するんだ?」
とパニックに陥ったと自伝に書いてたなw 昨日書いた>>98が、今日偶然ニュース画像になっていた。
“潰すか潰されるか”新日本対Uインターの決着戦 13団体が集結「夢の架け橋」95年のプロレス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210403-00156794-encount-fight >>101
大木のセレモニーであまりに入場テーマが格好いいから、
石川がパクったのかな? >>97
WAR1995年4月2日後楽園ホール(観衆2,200人札止め)
#1.フライ・トルメンタ親子vsチャカール&ボーイ・デンジャー
#2.風間&二上&大向vs立野&ジェンヌ&キャロル
#3.ヨネ原人&MリンクvsウィルキンスJr.&星川
#4.Uドラゴン&安良岡vs折原&アルティメット・ドラゴン
#5.キム・ドクvs大刀光
#6.高木&デス・マスクvs栗栖&板倉
#7.金本&平井vs外道&ライオン道
#8.冬木vs北原
#9.天龍&長州&浜口vs越中&後藤&小原 >>103
何かのムック本に花束嬢はトイレに行ったハイヒールでそのままリングに上がったりするので
そういうの嫌って入場してすぐに外人が蹴散らしたり追い払ったりしていたとか書いてあったけどちょっとウソ臭かった
だってレスラーだって平気でリングシューズでトイレから出てきたり汚い場外で乱闘してそのままリングに戻ってとか平気でやっていたのに
1試合終わるごとにリング消毒して入場時には足元に消毒液染み込ませたタオル置いてそれで拭ってからなんてしていたわけじゃあるまいし
ま、不衛生極まりない環境で噛みつきやらカットしたりしていたんだからリスクは高いけどね 王道と邪道区別するのは当然
新日も蝶野対大仁田を第ゼロ試合にした >>111
ちょっとカンケー無いが、蔵前は女性が花束贈呈のためにリングに立つのは
相撲の土俵の上になる位置なのでご法度だったが、森元発言やら昨今の事情だと
何らかの指摘の対象になるんだろうか。 >>114
大阪府知事が女性の時に一悶着あったじゃん。あれ以降もう議論起きないから聖域なんだろ? たまたま客でいた女性の看護師が急病で倒れた市長さんを応急処置するため土俵上がったら「降りてください」と促して問題になってた。数年前の地方巡業。
理事長の八角が後で謝罪してたけど。
大昔、昭和20年代か30年代に蔵前で女子プロやった記録があるけど、この時はリングどうしたんだろうね。 >>114
蔵前で小畑VSムーラも行われ、
桜田淳子がリング上でジャンボに花束を贈呈。
土俵の上は女人禁制なんて、後付けの理屈。
女相撲もあるしね。 まあ伝統(風習)を守るのも時代に応じて改変していくのも、どっちにも言い分はあるだろうし難しいな。
それと、MSGは覆面は禁止だったがマスカラスで解禁になったんだっけか。 >>116
土俵そのものは作り直されるものだし移動可能な仕組みだから、
本場所の時に土俵があるところにリング設置されても女性がリングに上がるのは問題ない。
あと八角の時の問題は非常時の人命救助より伝統を優先したことに対する批判であり、
女性蔑視が問題にされたわけではないよ。 そういや夢懸けで大木金太郎のセレモニーで生島ヒロシが進行やってたなと、
同級生の東孝が亡くなったとかいうニュースで思い出した >>102-106 >>111
剛は81年か82年にそのマット上の雑菌が原因による目の病気でも欠場していた期間があって
そのせいでより窓際的な立場に追いやられたという話もあったね
まだマトモな頃のピーター高橋が「陽気な裸のギャングたち」の中で
花束嬢に「リングから降りろ!」と怒鳴るフレッド・ブラッシーの話を書いていたけど
ブラッシーも花束嬢のハイヒールやパンプスの靴底が消毒されてないのを注意したいだけで
決して嫌がらせでやっている訳ではないと説明していた >>122
そう
【訃報】極真空手全日本王者、空道創始者の東孝・大道塾塾長が逝去
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e8b16968db38b33678679ca0b0aef414686423b
第二次U旗揚げ戦見て、興行としてのプロ格闘技の限界を見たとかいう発言してたのを思い出す >>124
どうも
前田VSニールセンで
「あの構えでは前田はパンチを防げない」
最初に日本人でVTやったのは
たぶん大道塾の市原
長田VSラクチャートなど
THA WARS 北斗旗
大道塾好きだった ショック >>112
ワガママは許されるよ。
全日が出たくないといえば、それまで。
実際に、ターザンは、「あいつと同じリングに上がりたくない」
と言っていた選手がいた、と述懐している。
実際に、大仁田の血が散乱しているリングに上がりたくはないよな(苦笑)
まぁ、当日の進行でも、FMWでデスマッチ用のリングを作り、
それが終わったら、また通常のリングに戻すと時間が掛かるから
そうしたんだろうが。 >>117>>120
優勝時に楯を渡す官房長官が女性になった時も土俵の女人禁制が物議を醸した。
トンネル工事の現場も「山の神の怒りに触れる」と言う理由で女人禁制だったけど今は
どうなんだろう?
新日は独特の形状である土俵に会わせるために蔵前専用リングを作り使用していた。
通常のリングを設置しようとすると土俵の一部が邪魔になり削り取ったりしないと
いけなくなるかららしい。 土俵はあの看護師問題があった後でも女性は入れないだろうね。
ただし「非常時は別とする」という条件が付いているんではないかと。
トンネル工事は知らないが昔の修験道だといまだに女性が入れない結界が守られているところはある。
NHKのBSでやってる百名山で「ここから先は女性は入れません」みたいなところを見た。 越中のIWGP初挑戦って96年の高田戦じゃないの? 越中は人材不足の時に来たからありがたい存在だったが、
なんか応援する気になれんかった。 越中は正規軍で五番目の地位、つまりかつての健吾や俊二のポジだったのに、
外人勢相手のやられ役ではなく微妙に優遇されて負けない役回りだったからな。
健吾やU以前の前田はボロボロにされても敵に立ち向かう健気さと根性で好感持てた。
俊二は恵まれた体格から次世代のエース候補として期待が先行し応援したくなっていた。
でも越中は外様だし体も大きくないし新日フロントに甘やかされてる感がアリアリ。
武藤に至ってはデビュー3年目でいきなりメインイベンターとかないわって感じで嫌悪しかない。 健悟はUWF対策で相手がキックを打つ所を軸足払いで倒す防御策を思い付くのがもう少し速ければね。視聴者にはサンドバックにされてダウンしている印象しかなくて、越中みたいに胸を出して受けて気迫を見せる事は出来なかった。 そりゃあ社長みずからうちに来てくれとお願いした社員を大事に扱わない中小企業はないわ。 >>140
戸口、ラッシャー、サクラダはどうなんだよw 大昔 神社で相撲以外に
西洋相撲の記録や
日本プロレスの前 米軍がプロレス披露の話や
日本のプロレスの始まりは >>142
彼らを誘ったのは社長ではなく社長の側近。
と書いてて気づいたが、越中に目をつけたのは坂口社長とうろ覚えだったが違うんだっけか。ゴメン。ただ戸口なんかは猪木社長が誘ったわけではないのは自信がある。 >>142
さらにつけ加えるなら、戸口らは社長の側近が社長を輝かせる為札束でひっぱたいて会社にひき入れた。
越中は越中の売り込みあったろうが会社のピンチに来てもらった。
中小に限らずフツーの会社でも優遇する。 >>145
当時は坂口副社長だが、実質は社長みたいなものか。 戸口の引き抜き初戦蔵前、当初の予定通り藤波とのシングルだったらどんな結果だっただろ?
さすがに引き抜き初戦で、藤波に負けてしまうブックはないよな? 越中新日移籍の仲介は東スポじゃなかったか?
当初馬場に少しの遠慮があったのか、新日所属じゃなくてアジアプロレス所属だったよな。 プラッシー(PLUSSY)、なぜ米屋で売られてたのか。
たしかに俺も飲んだ。栓開ける前はよく振った。
しかし空き瓶で凶器攻撃はしていない。。 >>151
武田が食品卸にルートを持ってなくて
新規にルート開拓しようにも
既存の飲料メーカーや食品メーカーから卸ルート締め出し食った
それだけ製薬最大手の武田の参入は
当時の既存メーカーにとって脅威だったんだが
そこでで武田はやむなくJAルート動かして
全国各地の米販店で取り扱われるようにしたが
その際の条件が「米販店での専売」だった
ちなみにこれと同じケースで一時期のヤクルトも
食品事業に本格参入しようとしたが既存ルートから締め出し食って
結果、ヤクルトラーメンは米販店とヤクルトの専売所でしか販売していなかった >>137
新日参戦直後も精彩を欠くファイトは専門誌で書かれていた。
>>139
UWF勢は足を上げてキックを防御したり無防備な軸足払いをして相手を倒したりスリリング
な攻防を旧UWF時代からやっていて「破壊力のあるキック攻撃も無敵じゃないんだ!」と感心した。
>>152
日プロが全国の興行を押さえる中で素人集団の東プロが立ち向かったのは今、考えると
無謀だったと当時を新間が回想していた・・・ >>22 フライングスリーパーって子供ながら「どこがスリーパーだよ」と思ってたw フライングプレスとか古舘の大雑把なネーミングの一つなんだね >ヤクルトラーメン
ヤクルト味のラーメンを連想してしまう(苦笑) 馬場と同じ技の名前使えないのなら馬場のはジャンピングネックブリーカードロップ
流星仮面ライダーのはフライングネックブリーカードロップで良かった。 >>156
馬場と同じ技の名前が使えない、ではなく、馬場の技との差別化をはかりたかったんでは? 鶴田のジャンピングニーパッドと坂口のジャンピングニーアタックはどっちが最初だったんだ? ちょっと想像してしまった。
ライダーにもああいう大型がいてもいいよな。
バイクはハーレーで決めてほしい そういえば馬場のはランニングネックブリーカードロップだっけ?
ジャンプする必要もなかったもんね、すれ違いざまに腕引っ掛けて倒れるだけでOK。 馬場は全盛期はジャンピングだったが、飛ばなくなってランニングになった。
NWA初奪取のブリスコ戦とかは、明らかに飛んでるし実況もジャンピング。 剛のは当たってから飛ぶと週プロでネタにされていたような。 >>161
テリー・ゴディが喰らったランニングネックブリーカードロップの受け身は見事だった
馬場はジャンプもせず走りもしないのに、自ら走り込んで細い腕に引っかかるように
ダイレクトに後頭部から落ちて、ピンフォール負けも仕方ないと説得力充分だった >>164
ゴディが自ら走り込んだのは、コーナー寄っかかり16文キック受けた時だろ?
ネックブリーカードロップの方は、ゴディ棒立ち状態で受けているぞ?
https://youtube.com/watch?v=Mt2swHHz6VM >>156
古館は浜口や前田が使った時には
普通にジャンピングネックブリーカーと言ってた 俺はフライングネックブリーカードロップが好きだな。 フライングネックブリーカードロップは、陸上部が使うマットでやった技のひとつ。 >>165
馬場がハンセンに早く食らわせてれば、ハンセンも新技ラリアットドロップを完成させてたかもしれないな 1・2の三四郎で三四郎がラリアットの改良と称して当てるだけでなく首に引っ掛けてそのままジャンプ、引きずり倒し後頭部も打つ技を開発、
馬之助等にジャンピングネックブリーカーを元に開発されたラリアートをまた元に戻してどうすると突っ込まれるシーンがあったな。 もうじき 「あっちでやれ」
と言われるかもしれない >>161
技じゃないけど、全日新日とも「両者リングアウト」を全女実況の志生野さんは「両者場外カウントアウト」と言ってたな 大きい声とアクションで、カウントに合わせてるのか合わせてないかの微妙な感じで指立てて
何カウント数えたかはっきりしないけど、しっかり数えたかのような
ジョー樋口の場外カウントコールは名人芸。 猪木のは「延髄斬り」、天龍のは「延髄下痢」とかあったような気がする。 >>156
馬場の「ジャンピング〜」も、1969年暮れの初公開の時は、
「フライングネックブリーカードロップ」だったよ。
まさしく、この時は飛んでいたんだよ。
それから「ジャンピング」→「ランニング」と劣化した。 流星仮面は河津落としとかココナッツクラッシュとか馬場と被る技が多かったからな。 WWFの東京ドームでこの2人が対戦したとか、なんか胸熱だよね。 >>148
当初は○戸口x藤波●(MSGリーグで星を返す)だったろうが、やはりそれは止めようとなって中止になったと予想。 >>148
藤波は、当時、まだジュニアヘビー。戸口は堂々のヘビーで
全日では、鶴田と張り合った。移籍初戦で藤波に勝っても
不思議はない。まぁリングアウト勝ちかな? >>182 >>184
当時の新日本にはフェンスアウトという都合の良いルールがあったからな。 >>181
MSGリーグで1年後になるじゃん
忘れられてるよ >>187
シングルで返さないと意味が無い。またはMSGタッグでクイック勝ちか? 戸口は蔵前のカーン戦の後のシリーズは出なかったんだよね
猪木、戸口対ブッチャー、アレンか藤波対戸口を開幕戦の後楽園でやってほしかったな >>186
ジャイアントバスターと書いてあるのを見た記憶がある。
他にジャイアントバックブリーカーも日プロ時代からの技だな。 >>181
カード変更に伴い藤波×戸口は変更された
当初のカード
猪木 谷津×ハンセン シン
カーン×ブッチャー
藤波×戸口
タイガーマスク×ビシャノ3
“蔵前四大マッチ”と銘打たれた大会だった
しかしシンの不参加で大幅にカード変更
猪木 谷津×ハンセン ブッチャー
カーン×戸口
タイガーマスク×ビシャノ3
“蔵前三大マッチ”に変更
ちなみにこの日の藤波はブラックキャットとのシングルという格下げカードに ジャイアント・バックブリーカーは好きな技だな
結構晩年まで奥の手的に使ってたよね もともと蔵前のメインは、猪木&ローデスvsハンセン&シンの再戦予定だっただろ?
ローデスが来られなくなったから、谷津を帰国させて日本デビューさせたわけで。 >>183
ストロングさん相手に出すのか。
>>190
みっちゃんって百田光男だよな。 ローデス不参加で、猪木&シンvsハンセン&ブッチャーが検討された。ところがシンが移籍。 結局その後も、カーンvsブッチャーも藤波vs戸口も実現しなかったよね。蔵前で見たかったな。 カーンと戸口のコンビは魅力があったな。
しかし3年連続で出るとさすがに賞味期限切れ、しかも維新軍に入って迫力がなくなってしまった。 >>191
百田光雄だろうね。丸藤の嫁さんが三沢夫人に何か言える訳ないもんね 妄想だろ。当時のゴールデンタイムで、いきなり猪木&シン組とか視聴者ぶっ飛んじゃうよ。 >>200
藤波vs戸口は82MSGシリーズで実現
戸口は3勝8負2分の惨憺たる成績だった >>190
されたくない話をするから暴露と言うのでは
こんなの編集する側のセンスだよ
インタビューの場で老人に弁えた話しろ、なんて思う方が図々しい >>204
これ新間も発言してるし有名だけど・・猪木&シンは可能性はあったんだよ 可能性あっただけで、シンが残ってもできなかっただろ?当時の猪木とシンがタッグ組んで
テレビ放送されたら、突然過ぎて視聴者混乱しちゃうよ。10年後とかならまだしも。 シンも最初はベビーっぽくタッチプレーとかするも結局仲間割れで3対1の図式に
やられる猪木を助けに誰かが、みたいなのを想像 ブッチャーがIWGPの理念に賛同して新日参戦、なんてのをみんなが信じていた時代だからな。 新日本の川崎に現れてマイクアピールをした時のベルトは『カリビアンヘビー級』だった。
ただし、あの時点(1981年5月8日)で、ブッチャーはカリビアンヘビー級王者ではない。
あの時点での王者は、トミー・ギルバート。
https://www.wrestling-titles.com/jp/us/pr/wwc/j-carib-h.html
まあ、それはいいんだけど、ブッチャーは新たな団体に上がるときには必ず謎のベルトを持参するんだよなw
87年に全日本に復帰したときでさえベルトを持参してきたしね。 今更だが、猪木xブッチャー、藤波x戸口の2大カードで十分だったんだよ。仮想新日x全日で。
ハンセンには悪いがアンダーカードで。それなら谷津もあんなことにはならなかった。。 >>217
猪木がブッチャーとはやる気なかったのが最大の汚点!! 日本ではテレビ局が金を出して作り会社のものになるベルトも、
海外ではたいていレスラー個人が自分のカネで作った私物
テーズのNWAベルトもマスカラスのIWA同様「私物」だったし
ブッチャーも実はベルトを造るのが趣味だったのかな? >>219
少なくともブッチャーが新日本に持って
来たベルトは新日本が作成したものだろ。
多くの人の証言がある。
下手すると新日本事務所の倉庫の中に
まだあるかもとか。
オークションに出せばそこそこ値がつくだろうに 最初から、猪木vsブッチャーのシングルはいきなりやらずに引っ張るつもりだったんじゃないかな。
それで時期を逸してしまったけど。
ブロディのときは温存する余裕は全くなかったからいきなりやって、それが成功した感じか。 >>216>220
あのベルトはIWGP参戦に箔をつけるために新日が用意してその後は新日オフィスの
倉庫に眠っていた。ブッチャーのモノだったから「そういう事に五月蠅いので新日
との契約終了後にすぐに回収に乗り出したはず!」と専門紙に書かれていた。
テーズは国プロに提供したテーズ杯ベルトが国プロ崩壊のドサクサで一時、行方不明に
なったのでUWFインター崩壊時は即座に回収に動いたらしい・・・
>>218
ブッチャー獲得は社長としては渋々、了承したがレスラーとしては歓迎していなかった。
>>221
IWGPが^木失神事件、長州乱入後の暴動事件とで「呪われたIWGP」と呼ばれてトラブル
続きだった時に「新日黄金時代の象徴であるベルトであるNWFを今こそ復活を!」と
言われた時もあった。 リング上で「私は今までブッチャーというレスラーを軽蔑していました。今までのブッチャーのままなら絶対に私には勝てません」とか言ったんだっけ? >>224
間のセリフが抜けてる。「でもここに来たブッチャーは勇気があると見直しました」 ブッチャーは地方興行で集客力抜群だから猪木との完全決着は引き延ばしたかったのでは? ブッチャーの新日本時代のベストバウトはなんだろな
82年のvs藤波とvsホーガンくらいしか浮かばないけど >>227
タッグだけど
猪木谷津vsハンセンブッチャー
「ブッチャーって何だかんだで強いじゃん!オリンピア候補が何もできない」
とガキながら思った試合、ベストバウトというかインパクトに残る試合。 対ローデスも良かった。ローデスの新日でのベストバウトじゃないかな、ホーガンの
対ブッチャーもホーガンにとっての新日ベストバウトかもしれない。 >>92
何で女子のカードは省くの?
>>110
金本も出てたの知らなかった。 >>137-138 >>145-146
越中は当時層が薄かったジュニアなのが良かった。
コブラのIWGP戦のときに挨拶に来たけど、挑戦者はドン荒川だったからね。
数年後、ジュニアの層がグッと厚くなるけど。 ずっと高田ファンだったけど、ジュニアの越中vs高田を見て、越中ファンになった。 俺も蹴られまくる越中を見て応援した!
ケンゴはプライドが高いのか中途半端だったな、、 たしかカルガリーで、アレンに襲撃された猪木をモンゴリアンストンパーが救出に駆けつけたと思ったけど、
84年のビッグファイトにストンパーが来るので楽しみにしてたら不参加だったからガッカリした。
猪木とストンパーは猪木の海外遠征時代にコンビ組んでたんだっけか。 >>234
当時の週プロの読者投稿で
「なんで指攻めんだよぅ!」
「お前だってやったじゃんかよぅ!」
という高田と越中のやり取りがネタにされてたな >>227
藤波戦印象に残ってるな
藤波がヘビー級の証明っていう命題で実績、体重差ある相手に善戦、
最後はブッチャーに久々に大雪山まで出させて敗北っていう、どちらにも見せ場作った
小兵vs大型レスラーの教科書的な試合だったと思う >>237
「とても大人の会話とは思えない」って奴ね >>240
指を一本を攻撃するは反則だが腕固めをしながら骨折している指を含めて二本の指を
決めてのギブアップ勝ちで反則でないと小鉄が解説していた。越中は最後まで指を
攻めなかったが高田はいつも通り顔面攻撃をしてきて口から出血していた。 >>41
「」がウザい
かつこにお前の自己主張や小馬鹿にした感じが透けて見えてなんか気持ち悪い >>239
ああ山嵐だわ
なにとゴッチャになったのか、お恥ずかしい https://pbs.twimg.com/media/EnGRt9UVQAEhDNh.jpg
邦明とヒロが不調なのは出戻りゆえの制裁措置という側面もあったのかもしれん
後輩に負けるのが嫌な保永は欠場で逃げたとか 保永は船木の蹴りで怪我させられたんだよ
小林は前年夏のトーナメントで高田に勝って王者になったんだから
ここでは割を食うのも仕方ない >>244
ゲッター3(武蔵)の大雪山おろしでしょうな >>249
小林は「佐山タイガーがいてこその自分だった・・・」と最近のインタビューで
述べている。 佐山も小林がいたから更に輝いたと思う。さすがのタイガーもキッド、ブラックタイガーだけだと厳しかったよ 小林はやたらとタイガーのマスクを剥がす振りをして気持ち悪かった、粘着っぽい。
寺西は良いレスラーではあったけど地味過ぎた。
日本人同士の抗争とかすぐに飽き飽きしたな。 うちのばあちゃんが絶賛してたな、スティーブ・ライト
「タイガーマスクより猪木とやってほしいねぇ」って常々言ってた こば邦は遠征前までは全く試合でTVに出ることもなく、せいぜいサンペイというあだ名、
大食いという噂があるだけの前座に過ぎなかった。ただ、海外での活躍をファイト紙なんかで見聞するたびに
「それにしても新日の前座陣の充実ぶりは凄いなア」と感心しきり。そして帰国後のあの暴れっぷりであった。 小林と佐山は若手時代も仲良かったみたいだし、やっぱり信頼関係があったからだろうね。
若い頃のマードックのブッチャーへの人種差別イジメや嫌がらせの話なんか聞くと、
ブッチャーがマードックに対しては絶対合わせなかったのは仕方ないと思う。 >>261
お前もまだ剃ってるやろが!
おれ、スカル・マーフィーやぞ 息子のアレックスは平成だけど1度だけの来日だったかな? >>227
あの時期のブッチャーを見事なレスラーに見せた藤波はやっぱりとんでもなく
うまいレスラーだったんだなあと今さらながら感心する >>223
> テーズは国プロに提供したテーズ杯ベルトが国プロ崩壊のドサクサで一時、行方不明に
> なったのでUWFインター崩壊時は即座に回収に動いたらしい・・・
倒産が決まった国際の事務所は取り立て屋に押しかけられると思ったのか社員も
レスラーも誰も近寄らず、テーズベストもケースごと放り出されたままになってたのを
プロレスマニアでもある鶴見が心配して回収、自宅の押し入れに保管してたんだっけか >>269
確か鶴見が回収したのはIWAだったか
Uインターの時はテーズはタイトル戦の度に自分で持っていったらしい >>261
スミルノフは81年10月の来日は髪が生えていて偽装禿じゃないか でもハゲが進行した状態で伸ばしてるからガースー首相みたいな感じだった。
髪があっても潔くそり落としたのはBNアレンか。 >>257
ばあちゃん、メチャクチャ見る目あるな。
猪木ライトは間違いなく名勝負になっただろうよ。 ヒールは本当は髪があるのに剃っていた人が多いね
バロン・フォン・ラシクやキラー・カーンもそう ライトは禿げてよりテクニシャンらしい風貌になったな 子供の頃テレビで、シンの狂乱ファイトにオカンが目を背けているとオトンが、
「シンがサーベルやイスの痛くない部分で殴るやろ。そういうことや。」
と言ってたなw
ていうか普通に親子で八時からプロレス中継見てた時代だったんだよな。 自分のリアルである昭和50年代の三団体時代のプロレスって、世間から一番、批評つうか
蔑視の対象でもあった。佐山タイガーのミーハー?人気で何とか知名度的に体裁を保てた時代。
何を言いたいか。。プロレスの深い魅力はホントに素晴らしいと自得していたんだが
世間の目を気にして大きな声で「プロレス最高!」と言えなかったジレンマが結構、人生の教訓になってるの。
教訓は言い過ぎだがw、何ていうの? 人間関係を築くバランス感覚をプロレスで知ったような気がするんだ。 ライトとかピートロバーツとかとは、シングルでやってそうだけど、どうなんだろうね。 >>277
シンがシークと一緒にFMWに来日した頃、大仁田の額にサーベルの剣先をめり込ませていた
なんでそれを新日と全日でやらんかったんやと >>277
ウチの親父は、猪木の異種格闘技戦と全日本の世界戦以外は八百長と言っていた。 >>280
猪木とロバーツのシングルなら実現してる >>283
やってましたか。
猪木はロバーツみたいなレスラーが好きそうに感じる。 だけど当時リアルに見てた人多く
「なんでシンの反則ゆるすんだ!!!」
テレ朝に抗議の電話結構あったらしい 83闘魂での「猪木・藤波・木戸vsスタッド・ライト・ブレア」で見せたライトの動きは面白かったな。
本当に身体能力が優れてないと出来んわ。
俺もあの試合では猪木とライトの絡みに期待したんだが、
ライトは猪木相手となると全く手も足も出せずにあっけなく延髄斬りで沈んで残念だった。 昭和50年、51年ごろは頻繁にシングルで対戦してる。
弓矢固めで決まる試合が多い。
■昭和50年1月12日 白石市体育館
アントニオ猪木 (10分33秒・弓矢固め) スティーブ・ライト
■昭和50年1月25日 北九州市立総合体育館
アントニオ猪木 (10分10秒・弓矢固め) スティーブ・ライト
■昭和51年1月3日 東京サマーランド特設リング
アントニオ猪木 (8分55秒・弓矢固め) スティーブ・ライト
■昭和51年1月10日 小倉・三萩野体育館
アントニオ猪木 (9分52秒・弓矢固め) スティーブ・ライト
■昭和51年1月12日 佐賀・武雄市白岩体育館
アントニオ猪木 (9分47秒・体固め) スティーブ・ライト
■昭和51年1月16日 徳島市体育館
アントニオ猪木 (10分3秒・弓矢固め) スティーブ・ライト
■昭和51年1月28日 愛知・半田市民ホール
アントニオ猪木 (7分31秒・体固め) スティーブ・ライト 地方の6人タッグで、猪木の延髄蹴りをくらい、綺麗に前転するトニーセントクレアー。 延髄斬り喰らった相手が前転する流れはプロレスディスるやつの格好のネタだったから嫌だったな
まあ延髄斬りからして「あれで決まるなんておかしい」と言われてたけどw >>287
猪木は何でフィニッシュするか考えるのがめんどくさかったんかね >>291
試合時間も同じような長さだから内容もほぼ同じだったんじゃないの。 >>289
延髄蹴りではなく延髄斬りだな!
延髄を足で斬るというネーミングが抜群なのだよ 今度はマードックのベストバウトはなんだろう。突然スイッチ入るからな。
猪木とのIWGPか タッグ戦線か 82年のサマーではヒール的な立ち位置になったりもした。
第5回のMSGでは外人同士対決 興味深いメンバー揃っているが全くTVなかったかな?
記憶にないなあ >>288
その試合見に行ったが鈴木がガチで攻め続けて猪木タジダジ
猪木がなんとか弓矢固めを決めた瞬間にレフェリーがゴング要請さして試合を終わらせた 猪木のBow and Arrow なんてまともに決まってるの見る事殆どないな、大抵「体勢崩れた〜」
と実況されてた。坂口征二は腰悪い癖に意外と上手かったな、腹が立つ。 >>257
名勝負と言われるライト戦だけど佐山自身は自分の名勝負ベスト10にも入れていない
のが意外だった。観客と選手で試合評価の乖離があるのが面白い
>>269>>271
ギャラの未払いが一番、多かったと言われる鶴見は国プロ崩壊後に現物で補填を受けた
らしくロシモフガ優勝したワールドシリーズのトロフィを闘道館に持ち込んでいた。
>>294
ブロディ戦を前に目がランランと輝いてウズウズしてマードックが不気味だった。 >>297
82年当時のタイガーはライトを見せかけだけのテクニックだから、対して強くない
という発言していてむしろライトを酷評していたのは憶えている。 その手の話だと猪木VSロビンソンだろう
テレ朝の栗山プロデューサーは猪木VSロビンソンに感激したが
猪木は「ロビンソンはプロレスが下手なレスラーだ」と酷評していたそうだ スティーブライトって英国人なのにほとんどドイツかオーストリアが職場だったな、
新日との関係かカルガリーはちょびっとだけ。
息子は期待されてたと思うけどパッとしなかったね。 ライトとのWWFジュニア戦、佐山すげえ苦戦してたな。体格も全然違う感じだった。
マーチンジョーンズなんかもだが、ねちっこい英国系だと佐山の良さが生かされないな。 >>293
SWS中継の実況してた伊津野亮が「延髄蹴り」呼びだったな うちの兄貴、83年のタイガーマスク離脱後に、
「木戸&藤原とライト&ロバーツのタッグマッチを見たい」
と凄く渋いカードを希望してた。
まだUWFなんて影も形もない頃だから時代を先取りしてたわ。 タイガーはブラックマンを誉めてたけど
ブラックマンのムーブには殺気を感じなくてなあ Uインターはルーテーズのベルトのレンタル料だけで相当金使ったんだよな
やっぱスポンサーは付けるべきだったと思うよ >>294
猪木とのIWGP決勝戦はちょっと長すぎたね。
印象的なのはブロディ戦だけど、珍しい顔合わせだから、という感じだしなぁ。 佐山って対面での会話だと社交性があって物腰がいいから判り難いけど
試合の評価で言うとマスカラスみたいに独りよがりで、自分が良いカッコ出来ないと納得しないのかな
ブラックタイガーのねちっこい攻めに不平をならしたり、レスソントンが試合後
ホントは効いてないみたいなそぶり見せたらキレてキックかましたり ブラックのねちっこい攻撃は賞賛する意味で言ってるんじゃないのかな。 >>304
木戸なんかはUWF路線とは言わないが、昔から地味ながらいぶし銀の魅力で存在感を示していた。
藤原も猪木の付き人というより「懐刀」のようなイメージで、格闘技戦や大一番の試合のセコンドや
もちろんゴッチ教室の優等生というガチ的な魅力も持ち合わせていたな。 >>307
IWGP決勝戦はM高橋のグダグダの最後がなかったらベストバウトでいいんじゃないの? >>268
あの試合は新日本でのブッチャーのベストバウト。藤波の負け方が素晴らしくブッチャーがもの凄く強く見えた ジュニア時代後楽園ホールで対戦したときは
ブッチャーを凶器で流血させてフォール負けしなかった藤波強えーと思った >>312
その前のホーガン戦もだが十番勝負なのにむしろ相手を持ち上げている タイガー戦のライト、小学生の頃は手に汗握ったが、大人になって見返すと独りよがりで抑揚が無いなと思う、いつもあのムーブばっかりやってそう
少なくとも猪木が好きなタイプじゃないな 83闘魂シリーズに来たとき猪木が絶賛してた
「ライトっていうのは言い選手だよね。ロバーツと同じタイプのように思われてるが
ロバーツは一度見たらウマいなあと感心するけど二度目も三度目も同じパターンなんだ。
しかしライトはそうじゃない。やればやるほど味が出てくるっていうかいつ戦っても油断できない相手なんだよね。
あれ細身だけど力も凄いんだよ。」 ライトの息子のほうは踊ってるイメージしかなかったな ふざけてると感じられるかと思うが、マードックのベストバウトは前田にトランクス引っ張られて初めてケツがみえた試合を推す。
どんなカードだったかは忘れたが、試合巧者なんだけど印象に残らないマードックが強烈なインパクトを与えた日。 マードックのベストというと鶴田からUNを強奪した試合かな。執拗な足攻めでさすがの鶴田も観念した。
あとIWGPタッグの郡山のブロディ戦もなかなか迫力があった。後半はgdgdだったが開始しばらくは両者の
良さがよく出てた。 >>314
藤波らしいとも言えるんだけどね。ジュニア時代に引き離したはずのカネックと引き分けたり。そして何よりも十番勝負を完結しなかったあたりが藤波の真骨頂。 >>318
藤原も評価してたけど、噛み合うのか?って外野の声よそに
U系ときっちり成立させる巧さあったなあ
>>252
懐かしい、まさかのそんなのとゴッチャになってたとは思わなかったw ケロちゃんの悪評高い解説でお馴染みのW C W ワールドワイドに
アレックス・ライトがいつも出てた印象。
平成ですまん。 >>322
この頃のライトはほぼスキンヘッドだったのね。
タイガーマスクと対戦した頃の後ろに髪があるバーンガニアみたいな髪のイメージが強かった >>320
一応、ジュニア時代最後の対決でもドローだったから引き離してはいなかったと思う
藤波どころかジュニア選手にコロコロ負けるようになるカネックの没落はその後だな >>321
マードックって後輩に負けるの何とも思っていなさそう(笑)すれがすごいところ。 >>327
その上ケツキメだけ守って試合途中はシュートで痛めつけるなんてこともしない
俺の知ってる限りでは未完成のSSD使い始めてジョバーに怪我させ続けたスコット・スタイナー
をスレーターと二人で制裁として痛めつけたことくらい
その代わり控え室では思いっきり先輩風吹かすけどねw マードック、藤波に鉄柱にぶつけられてリングアウト負けした試合も内容は
すごく良かったなあ
飛龍十番勝負、バックランドとの再戦なんかカウントせずにWWFインターを
取った試合の後のスーパースター、マードック、アドニス、オートンを入れて
長州か猪木との試合で締めれば良かったのに、とついつい思う WWFインターのスーパースター戦はブッチャー戦やホーガン戦と逆に
勝ち星は挙げたけどさえない試合だったな マードックはロックの父親に試合中にガチ気味に嫌がらせして逆襲されて伸されただろ。
クズ野郎やん。 >>329
そういや、藤波のデビュー40周年記念DVDBOXの発売前の収録予定には「飛龍七番勝負」って書いてたな、
歴史の改竄だw
まあ実際発売されたのは全てジュニア時代の試合になったみたいだけど。 ジュニア時代も末期の81年はWWFジュニア防衛戦に凡戦多かったね
キッドとは前年と比べて著しくクオリティ下がった試合だったし
ソリタリオとも凡戦
注目のソントン戦も決していい試合ではなかった
最後のトラビス戦では垂直式でも長滞空時間でもない痛め技レベルの
ブレーンバスターがフィニッシュ >>333
この年のキッド戦はアルゼンチンで勝ったんだっけ。
この年のスタン・レーン戦もアルゼンチンだった記憶がある。
ソリタリオ戦もブレーンバスターだったけど、あっけなく終わった印象あるね。
確かに1981年は味気ない試合多かったね。 >>329
82年のサマーファイト2弾は猪木も欠場して参加外国人も1弾に比べてガタ落ちの中
今思うと話題性や結構いい試合あったんじゃないかな。金沢の藤波vsマードック タイガーvsキッドや
愛知のタイガーvsハート アドニスも初来日とバレンタインもまずまずの動きしてたかな。
いかんせん長州が遠征中で日本サイドの駒が少なかったかな アドニスの初来日ながら堂々とした暴れっぷりが目を引いたな。
AWAでのパートナーだったベンチュラがしょっぱくて、似たような試合ぶりになるのかという
不安を真っ向から払拭、その後も新日マットで定着し、大いに活躍したのは周知のとおり。
フレッドアトキンスの門下生というのも伊達ではないな。。 https://pbs.twimg.com/media/EMN_M_pVUAAWNyh.jpg
ユニバーサル連盟のチャリティーオークションでアドニスの革ジャンが売りに出されていたが
いくら新間一族だからってそんなモノが出回るものだろうか >>334
ソリタリオがまた派手なマスクとは裏腹な地味なジャベ中心のファイトだったし
レイ・メンドーサとかアルフォンソ・ダンテスみたいなジャベ専ルチャドールとは違って
空中技も出来たはずなのになぜかあんまりやらなかった
>>336
ベンチュラはプロレス下手、レスリングも出来ないけどネイビーシールズ出身で
本当に意味のガチだと最強クラスと言う特殊なレスラーだったな >>338
ベンチュラはレスラー以降のキャリアとして、俳優としてシュワちゃんの「プレデター」に出演、
その後はミネソタの州知事当選と政治家にまで及んだな。プロレスはダメだったが逆にそのぶん、2足、3足の
ワラジを履ける多才ぶりだったんだろうな。あと特殊部隊で思い出したが、デビッドショルツは
ベトナム戦争で従軍の経験があるのでこの人も、まあ見るからにヤバい雰囲気があったなあw >>339
シュルツは引退後バウンティハンターに転身したんだよね。
引退後死亡説が流れたけど、ゴングだか週プロの取材に応えて健在アピール。
笑顔で使ってる銃手にしてる写真がインパクトあった。
あんなでかくていかにも危なさそうなハンター来たら抵抗する気にならないな。 30年前ダイナマイトキッドから
タケノコもらったがタケノコは料理で
苦労するわりには上手くない >>331
マードックの嫌がらせは全部黒人絡みだよな。全日初期のブッチャーに対する人種差別イジメとか。 ブッチャーってアレンとの「●い軍団」(今の時代では使えない言葉)を結成してたけど、
あまりアレンとのコンビって噛み合ってなかった気がする。
ハンセンとの普通ならあり得ない凶悪コンビが一番良かったな。 WWEでロンシモンズが結成した黒人至上主義軍団NODは良くて
何でブッチャーの●い軍団はダメなんだ 前居た家の近所にクロンボって喫茶店あったな。
実際に理屈じゃなしに人種違うといろいろ問題ありそうだから黒人同士組ませとこうか、
と思うだろうな。 でも全日でのブッチャーは、シークとかカマタとか黒人じゃないパートナーのイメージ強いな。
ブラジルやキャンディと組んでいた時もあるけど、上の2人ほど印象残っていないし。 考えてみれば黒人同士だしくっ付けちゃえって感じでアレンとタッグ結成ってのも乱暴な話だよナw
黄色人種だしタッグ組めってお隣の国の人とコンビ組まされるのと同じ。
出自もキャリアも全く違うんだし、2人それぞれのパーソナリティまったく無視な状況だ。 欧米から見たら、日本人も中国人も韓国人も一緒みたいなもんだし黒人つながりだけでタッグ組まされてもやむを得ないな >>350
今だと当然NGだろうな。当時は地上波でシリーズ名とか普通に連呼していたからね。
昔の動画見ると実況が「外人チーム」とか当たり前に言ってる。今では放送禁止用語だけど。 >>352
日本人側だってコリア系もいればギミック上でもモンゴル人もいたし >>349
TNTはよかったと思うけど
アレンは新日の名わき役 >>350
>>353
ブラックパワーが、なんでイケないの?
元々、黒人差別に対する抵抗のスローガンで
黒人が言い出したこと。
変な気遣いで、言葉狩りだよ。 >>351
「グフフッ…俺様のガマ・オテナ先生直伝のカラテ(※カタカナ表記)に、お前さんの柔道が合わされば敵ナシだぜェ〜」(ニタニタ) やはり「ブラックパワー」は、放送禁止用語のリストに入っていないなぁ。
http://monoroch.net/kinshi/kinshi.pdf
「ニガー」「くろんぼ」は当然NGだが。 外人はダメで外国人はOKか。
なら異人は?
幕末ドラマでは異人と呼んでいる。 黒人当人たちが言うブラックパワーはOKだけど、
ブラックパワーシリーズはやっぱり今はアウトだと思う。
黒人ラッパーがニガーと言うのはOKだが、黒人以外がニガーと言うのはアウトみたいな変な風潮もあるよな >>351
乱暴な話と言い出すと藤原は天龍と同学年なのに
顔が老けているから猪木坂口側の旧世代軍にされた >>354
>>352
フロリダでジャイアント馬場、ストロング小林が「韓国人軍団」として
パク・ソンの手下にされていたね >>366
形としては長州が嫌いだから自分から旧世代軍に入ったにしてるな >>328
アドニスはオートンに比べ先輩風を吹かしまくりマードックとの関係はあまり良く
無かった。
>>358>>362
北米でネイティブの先生に聞いたら「ブラックピープル」は差別用語では無いと言われた。 テレ朝の猪木VSロビンソン戦のセコンドに若手時代の藤原いたけど結構カッコ良かったけど。かえってテロリストで売り出された辺りは顔面ダルマだいしぼくってブサイクになってる >>364
アウトというより、キチガイクレーマーが
「ダメだ!ダメだ!ブラックパワーシリーズなんて絶対ダメ!
人種差別だ!ヘイト!ウワーー!!」と騒ぎ立てるからアウトなんだろ?ww >>363
なぜ昔、普通に使っていた「外人」が今はNGになったかと言うと、
韓国では、日本以上に「外人」は悪い意味で使われていた。
それで、韓国人が日本に、しつこくクレームを付けたわけだ。
それに折れた日本のマスコミもだらしないが、
あいつらこそ、外人=害人 昔巨人が海外でキャンプをやっていた時に、時の長嶋監督が黒江コーチのことを
「おーい、クロクロ」
と呼んだら参加していた黒人選手が殺さんばかりの勢いで長嶋につかみかかって
あわやという事態になったんだと
まあこういう話を別にしても、日本人は世界から30年遅れていると言われても 仕方のない現状だからなあ
今の世界の常識にしても、大半の日本人はそもそも何を問題にされているのかも理解できてないから「訳のわからない奴らがイチャモンつけてるんだ」程度の、
下手すりゃ昭和どころか明治時代の認識だし 長嶋監督は河野のことを原始人に似てるから「ゲンちゃん」と呼んでた。 大体人種差別で揉めるのは"Nigger"使うからだな。
アレンとアンドレ、カマラとアンドレ、スコーピオとホークらが揉めたのも
ホーガンが干されたのもニガーと言ったからだろ。
2年前くらいか日系人のNASCARレーサーもニガー言うてクビになった。
マードックも一般人の黒人ウェイトレスにニガーと言って、レイ・スティーブンスに
どつかれた。 黒人「でも俺たち仲間で呼ぶときはニガー言うけどな」 スチーブンス、人格者だなw
そーいや、KKKってどうなったんだろ。もうずいぶん昔に壊滅状態だとか聞くが
残党とかが活動してんだろ。 >>370
猪木vsGアントニオのセコンドについてる前田、一般人なみに細い
1977年は入門年だろうから、まだまだ一般人でもおかしくはないけど…
しかしいくら身長があるとはいえ、よくあの体格で入門させたもんだ
それから10年も経たないうちに、その細い前田が猪木を追っかけ回し、猪木も腰が引けちゃんだからなあ…
つくずく10年間という時間は大きい、肉体も立場も大きく変えてしまうんだから。 >>379
体重は増やせるけど身長は伸びないからねー。身体ができている175pよりも痩せている190pの方が欲しい素材 >>381
佐藤昭夫って橋本真也にちょい似てるのな >>373
なんで黒人選手はクロクロという日本語がわかったんだよ?ほんとの話しなん? >>383
自分達の事だから自然と敏感だったみたい プロレスのシリーズポスターって昔から社員が全部考えて原本作るのかな 7月には戸口正徳でリング上がっていたのに、8月のポスターはまだキムドク名義なんだな。 >>381
一番上のやつの、よくあるこういう顔だけトリミングしたポスター。
どうも昔の吉本新喜劇のホール前のポスターみたいでなw 岡八郎とか船場太郎とか。
3つ目は79年オールスター戦直前で、ブッチャーとマスカラスが出場。佐藤と高千穂も
丁度凱旋のタイミングで参戦したな。 >>379
前田より少し上の世代は小さい人ばっかりだもんねぇ
経験がなくて試合運びが多少下手でも83年には前田を藤波の上にすべきだった >>393
ちょっとそれは無理があると思うよ。もし前田を藤波の上にしたらそれこそ先輩レスラーから総スカン食らうんでは? とはいえ前田と年齢がさほど変わらない佐山も覆面被ったとはいえ大スターに変身したからな
年功序列の世界でもないんだからリング上で迫力のある試合を見せてくれる選手を抜擢するのは自然 ドラゴンと同世代の健吾兄さんは188センチなのに酷い扱い
北米タッグも取らせてもらえない長州のかませ犬
デカくても試合がショツパいなら評価されないんだよ
前田はスープレックスを多用するだけで試合運びがアレだし
佐山が大スターになれたのは本人の才能 83年の時点でタッグ組んでも前田・健悟組(前田が上)の扱いだったよね。
タイガーマスクと健悟だとどうだったっけ >>397
タイガーが上。木村・木戸より表記が上だった 健吾兄さんはメキシコで佐山より早くNWA世界チャンピオンになったのにな
クラッシャーだから嫌われてたのかな >>396
健吾はそれでも幾多の中堅連中より上だったから扱いは良いほう >>379
前田はルーテーズと同じ内股だからって
猪木が気に入って入門させた >>373
巨人の新浦が新人時代から「二グロ」と呼ばれていてベロビーチキャンプに抜擢されて
参加した時にすぐに施設を提供したドジャースの関係者から注意が入りそれ以来、
呼び名が「カッパ」に変更になった。 前田は体が大きいんだからバリバリのアメリカンプロレスを目指させる方が良かったんじやないかなぁ。
ヨーロッパなんか行かせないで米国のどこかでじっくり修行させてればと思う。それこそファンク道場に。まあ無理だけど。 前田が藤波より上にいくには藤波より客呼ぶか藤波より視聴率取れるかにかかってたんじゃないかな?それにプロレスの場合一旦下になるとそこからの昇格はかなり厳しい 藤波x長州が大ヒットして、まだ猪木がバリバリやってたころだから、前田の位置が難しかったな
ライバルがいなかったからいきなり上にはできないよ。 藤波も長州も参加できないIWGPに参加させたんだから
凱旋当初は上にするつもりだったんじゃないの。
IWGPでの試合ぶりと客の反応を見て「まだ早い」と判断されたんだろう。 売り出そうと思っただけで上にしようとは思っていない。
ジョバーの経験が無く、若手から一気にスターになったという点ではすごい出世街道だった。 >>407
> ジョバーの経験が無く、若手から一気にスターになったという点ではすごい出世街道だった。
いや海外に修行に出されたレスラーはほとんどそうだよ。
その後、低迷してジョバーになる。前田だってUWFに移る前はジョバーになってただろ。
前座の経験も無くスターになったのは鶴田、坂口ぐらいで数少ないが。 まあ坂口はそのツケをひたすらに払い続けて、シン&上田にやられ続けたなあ >>>前田だってUWFに移る前はジョバーになってただろ。
言うほどジョバーじゃないだろ?ケンゴや長州がどんだけ負けてきたか・・・
綱引きで長州に負けたくらいだろ。しかもレフリーストップっていう配慮付きで。 鶴田や坂口には立派なバックグラウンドがあったからね、前田にも空手があるけど。
先輩連中一気に追い抜いて上に行くのは難しいよね。
さらに才能あって上の連中抜けた状態で売り出された武藤でさえも順風満帆では
なかったもんね。 >>408
この408の固定観念すごいな。海外行ったらほとんど出世って・・・
ほとんど出世できてないから。95%は中堅若手になり、引退する選手も。全員出世するみたいな。。プロレス甘く見過ぎ。
前田みたいなのはほんの一握りで1割ね。ニワカは本当大変だよ・・ 旧UWFでも前田は木戸や藤原、佐山に負けまくって勝ちを献上してるし
新日に戻ってからもマサ斎藤にギブアップ負けを献上してる >>412
いやその後、低迷してジョバーになるって書いてるだろ。
凱旋直後はほとんど売り出されてるよ。
>>410ではちゃんと反論出来てるのに頭おかしいなあんたw >>410
長州はハンセンのラリアットで一番やられた選手やろうな >>413
それで大阪北の番長にのし上がった
南の番長が赤井秀和やった >>402
少し違う。
周りは普通に「ニウラ」と呼んでいたが、
アメリカでは「ニウラ」は「ニグロ」
と聞こえてしまうので、現地限定でカッパ
と呼ばれ出したがそのまま継続された。 新庄はアメリカでコーヒー飲んだ時に「苦っ」と言ってしまい
その場にいた黒人選手に殴られそうになったらしい >>392
新喜劇も内場、辻本までは楽しかったけど
小籔や酒井になって全然笑えないから見なくなった
かろうじてすち子だけ面白い サイクロンニグロ(カリプソハリケーン)やニグロリーグというのもあるし
ニグロって言葉は差別じゃないだろ。まあでも通常はアメリカンアフリカン(逆かな?)という言い方らしいが。 ブラック・タイガーのようにヒールの選手がブラック◯◯とか名乗るのも、黒人=悪みたいに捉えられるからやめた方がいいのかな >>411
武藤の売り出しは急ぎすぎの感があった。
あれ以上に体格的に恵まれた俊二でさえキムケンの後釜みたいな役回りをさせられていたのに。 >>427
スペースローンウルフの時は明らかにジュニア 武藤は明らかにエース候補やん、俊二はジョージの弟なんだからキワモノって感じだった。 当時は人もいなくなっていたしそりゃルックスは良くてスター姓があって
荒川が「あいつは10年に1人の才能だ」と評した武藤を売り出すよね >>425
アニメのタイガーマスクに出てきたブラックタイガーは、肌の色が黒でマスクは普通に黄色だったな。 坂口が海外修行に出すべきだと主張して会社の反対を押し切って、三銃士を送り出した
とか言っていた。 >>431
そう言えば最初凱旋の時に荒川が音頭を取って胴上げ落としをやってたな >>432
虎の穴三幹部の一人なんだよな
後の仮面ライダーにおける大幹部変身の原点 タイガーマスクWにも出てきたなブラックタイガー
最後は真壁と相討ちになったけど ブラックマンもタイガーとやってたの思い出した、佐山も巧さ評価してるんだっけ
今は黒い○○ってブッチャー軍団みたいなニックネームもダメかね スペースローン時代の武藤は、一気に出戻り組が戻ってきて飽和状態だったのが痛い。
その中でもよくやっていたと思う。 >>435
公開当時解説されてたね
>「ブラックパンサー」というのはすごく政治的に非常に重要な名前なんですよ。「黒い豹」っていう意味なんですけども、この映画は僕が住んでいる街、バークレーというのとオークランドというのは隣同士の街になるんですけど。そのオークランドから始まるんです、この映画は。
ブラックパンサーっていうのは実在の政治組織だったんですよ。
ブラックパンサー党というのはちょっと過激な組織で。銃で黒人たちが武装することによって、警官たちの無意味な暴力から黒人を守るんだという自衛組織なんですよ。
で、ブラックパンサーが出てきた背景というのは、1965年にキング牧師がとうとうずっと100年間禁じられていたアフリカ系の黒人の投票権を取り返して、とうとう投票権を得たのが1965年なんですね。で、その時に、マーベル・コミックスを描いていたスタン・リーという人が「あっ、黒人のスーパーヒーローがいないじゃないか! 白人ばっかりじゃないか! おかしいぞ」っていうことで、黒人ヒーローのブラックパンサーを生み出したんですけども、政治政党の方のブラックパンサーは「これからはブラックパワーなんだ! 我々はいままで非暴力でキング牧師が戦ってきたけども、警官の暴力があまりにもひどいから、暴力には暴力で対抗しなければいけないんだ!」っていうことで、銃を取ったんですよ。
だからものすごく政治的な背景があるんですよ。『ブラックパンサー』って。で、その部分を今回の『ブラックパンサー』という映画は全部盛りしているんです!
映画としての『007』みたいな面白さと『ライオンキング』みたいなところにさっき言った政治的なアフリカの500年の歴史と、アメリカの1966年からのオークランドを中心とした黒人の人権運動とが全部入っているんですよ。 >>411>>413
武藤は柔道専門学校時代に全国大会で三位になって写真付きで紹介されている。
>>427
派手なスタジャン、610のヘルメットとコスチュームで凱旋帰国後の急な底上げに
新日ファンは拒絶反応を起した。これは今も変わらないかな?
>>434
新日史上、新弟子時代に退団を慰留されたなんて武藤くらいじゃないないの? >>442
むしろなんで武藤なんだって感じだったな >>432
クレヨンや色鉛筆から"肌色"という呼び名がなくなっているんだよな
肌の色はひとつじゃないから、、
>>443
レスリングセンスとマスクの良さでしょ ジェンダー問題でもだが、もう言葉狩りを超えた神経症かと思うような、はれ物に触るがごとく
皆がビクビクしているような閉塞感というか。。
安岡力也がホタテと言い間違えたばかりに、現場ではホタテが禁句になてしまった、あの時代を
思い出す。。。?? >>443
そう思ったあなたは見る目がなかったって事だな! 遠征前のヤングライオン時代のテレビマッチでラウンディングボディープレスを決めたりして会場沸かせてたろうよ 当時の若手選手で誰を売り出すかとなれば武藤以外にないでしょ
石黒賢似のイケメン、体も大きい、プロレスセンス抜群
道場で一二を争うほど強かったから早期売り出しにも文句は言えなかっただろうしね めったに若手を褒めない星野勘太郎が「武藤はいいですね」
本人がスキンヘッドにしたら怒って注意したくらい デビュー間もなく人気爆発した山田恵一は体が小さすぎたからな。
ジュニア戦線では名レスラーになれても大型外人勢を迎え撃つ姿は想像できない。
そのてん前田、その脱退後の高野、そしてさらに離脱後の武藤に期待が寄せられるのは当然だった。
揃いも揃ってマスクはいいし。
ただ前田や高野が負け役背負わされていたのに対し武藤はいきなり優遇されて、
逆にファンの反発をかってしまったのではないかという気がしないでもない。 前田ってマスクいいか?
もちろん不細工ではないけどさ 放送時間が月曜夜8時に移行しなかったら、
武藤はもう少し違う売り出し方をされてたのかな。 金曜20時から月曜20時への降格は、プロレス黄金期からの都落ち感満載だったな。
国際プロレスの月曜20時から土曜20時への昇格は、逆に打ち切る気満載だったが。
「12チャンネルはテレビ東京に変わるんだから、あなたたち早くいなくなってください」 まだ夜8時だったからそこまで感じなかったけど、土曜夕方4時に移動した時は2000年前半の暗黒期など比べもんにならんくらい暗黒堕ちした気がしたなぁ >>455
土曜夕方4時に見ていた中高生が大人になって平成ブームが来たんだぞ
WWFのアティテュード路線も黄色いホーガン時代に見ていた子供が年頃になったのでアダルトな内容にして成功した >>450
当時の武藤は体格的に越中や高田に近い感じだったから藤波や前田に続く扱いには違和感があった >>451
逆に83年当時の前田よりマスクがいいレスラーのほうが少ないんだが。
新日ではジョージ、藤波くらいのもの。全日には皆無。 >>459
それはあくまでも相対的な評価であって、絶対的に前田が美形だとは言えないでしょ
当時の新日本が不細工揃いだったから前田程度でもNo.3になっただけで
俺的には昭和の新日本でハムサムといえるのは、藤波・ジョージ・佐野・武藤・飯塚・高田くらいかな >>461
>昭和の新日本でハムサムといえるのは、藤波・ジョージ・佐野・武藤・飯塚・高田
「ハムサム」という言葉が分からんが、飯塚はハムサムなのか?
ハンサムだというなら、坂口INで飯塚OUTだな。
飯塚を入れるなら、野上彰の方が先。
飯塚は、レスラーとして情けない顔をしていたから、
彼こそ、マスクかペインティングするべきだったなぁ。
結局、顔ばかりの問題ではないが、素顔では売れず、
晩年、スキンヘッドと眉を剃り上げてブレイクした。
藤波、佐野もプロレスラーとして、まぁまぁだろ?
本当にハンサムと言えるのは、武藤、高田くらい。
ああ、あと佐山聡も入れて良い。 おいおい
もしマーテルが顔の試合挑んできて
勝てる日本人選手いるのか?
悔しいけど 飯塚はハンサムというよりイケメンだな
ジャニーズ系の顔立ち >>461
当時の新日が不細工揃いというが新日が不細工なら全日は化け物しかいないじゃねえかw
そんなお前は鶴田よりも不細工なのに前田の悪口言える立場かよw ちなみに 昭和新日本で一番カッコいいのは
いつも髪型が決まってるところから木戸だよ
はい顔の話終わり >>467
SWSで佐野とマーテルがハンサム選手権してたな うん船木だよねイケメンでスター候補だったのは
もちろん武藤もだけど
89年の2月、専門誌の人が来て「UWFに移籍するって話を聞いたんだけど、どうなの」と聞いてきました。それで「そうです。行きます」と答えると、表紙に載ってしまって…。そこから大騒ぎです。毎日電話がかかってきました。いろんな人が慰留してくる。会社の人はもちろん、米国武者修行中の蝶野(正洋)さんまで電話してきました。「船ちゃん、もったいないよ」って。自分の母親までイギリスに寄越しましたからね。
大騒ぎの中、89年4月に帰国しました。空港から新日本の車に乗せられて事務所の社長室に直行です。そこから丸3日間軟禁≠ウれて、当時社長だった猪木さんから慰留されました。
猪木さんは「これからラスベガスで異種格闘技戦をやって、それをギャンブルにするという構想がある。お前はその異種格闘技戦専用の選手として必要なんだ。お前がいなきゃ、この話は成り立たないんだ」と説得してきました。
さらに、永里高平専務(当時)は「まず再契約金1000万円。そして藤波、長州クラスのギャラを出す用意がある」と持ちかけてきました。蝶野さんが言っていた「もったいない」はこれだったのかと思いましたよ(笑い)。
でも、最後に猪木さんはこう話しました。「社長として引き留める義務があったのでいろいろ言ったけど、最後に贈る言葉がある」と、あの「道」という詩を出してきたんです。その最後は「迷わず行けよ。行けばわかるさ」。それを見て、自分は慰留を振り切ることを決めました。 生え抜きじゃないけど、剛竜馬もハンサムだろう
昭和のハンサムて感じで、今だと流行らない故意顔だけど 若い頃の平田は確かに三浦友和似であった。
でもマスク脱いで素顔の頃はブルドック状態。
しかもブルドックみたいな迫力もなく。
気の抜けたブルドックw ハンサムでもイケメンでも
華のない奴は輝かない。
武藤は圧倒的な華がある! >>480
圧倒的にハゲている!
ハゲているから輝くのは当然なのだ! 週刊文春、「早期退職を呼びかけた東スポ、あと三年持たない」
一つの時代が終わるか
しかしバブルの時期は二年目の社員の年収が1200万だったのか >>482
ああー
華の意味がわからない奴
痛いなぁww >>474
ヨーロッパ遠征前に前田と既に会談して帰国後のUWF参加が決まっていた。母親まで
慰留に動員したので船木はより態度が硬化した。
新日の必死の引き留めとか前田追放後の第二次UWFのエースに想定されたり藤原組の
エース時代は高級外車に乗る好待遇を受けていてり商品価値の高いレスラーではあった。 猪木の顔がグレート草津だったら新日本は成功しなかっただろうな >>487
船木もったいなかったね
猪木も引退を考えていただろうからイスは本当に空いたんだよね〜
移籍したUWFは翌年解散。運を持っていないというか意外とクラッシャーだったりして。 >>469
プロレスに全く興味の無い姉に「前田ってカッコいの?」と聞かれて「やっぱり人気
あるんだ〜」と驚いた記憶がある。日テレの梅垣Dが入場曲の必要性を感じたのは
鶴田デビューで子供や女性ファンが会場に目立ち始めたからだったが鶴田もデビュー
当時からオープンタッグくらいまで「トミーチアーガールズ」がいたが全員、
テリーファンクファンクラブに鞍替えてしまった。
>>454
社名変更や移転を契機に旧態イメージの強い番組を打ち切ったりリニューアルして
新番組をスタートさせる事は多い。テレ朝も社名変更契機に長寿番組で金属疲労を起して
いた「特別機動捜査隊を特捜最前線」へ「がんばれロボコンをロボット110番」へチェンジ
した。古くは腸捻転解消で東京での放映局がNETからTBSに変わるライダーシリーズで
視聴率も悪くないアマゾンを通常より短期で放映を終らせている。 >>486
要するにそいつがいれば場が明るくなるって意味か 船木は新日に残ってもエースにはなれなかったんじゃないの。
Sのリングで佐野とやってた時も天龍に「フライパンの上で弾けてる豆」とかって揶揄されてたように体が小さいから。 新日に残ってたら「Dr.コトー」には出てなかったな。 高橋本に船木とジャッキー・チェンの対戦が企画されたとあったが実現した後俳優にスカウトされたかもしれんな。 >>492
ヘビー級でやるには、やはり小柄だから三銃士の上には行けない。
格闘技路線なら橋本がいる。
身体を絞ってジュニアでやればチャピオンになれただろうが、
それだとライガーの時代がなくなるな。 高田延彦でもエースとしては身長的に無理だろなって感じだったから船木では
全然無理だったね、入門当時はもう少し身長伸びるかなとも思ったけど。
良いとこジュニアでアイドル路線だったね。 佐野・船木・山田でジュニア版三銃士とか、ダメですかね 弘前での引退興行のあとの打ち上げに参加した時に、挨拶させてもらったんだけど、
174センチの俺とそんな変わらなかったから、
ヘビーじゃ厳しかった時思う。180は無い気がする。 >>500
佐野とか船木とか越中もそうだけれど、
ジュニアとしては、デカいんだよね。
中途半端なんだ。
あれだと山田やウルティモくらいの体格の
ジュニア選手に勝っても当然と見られてしまう。 頭に毛がなくたってカッコいい奴いっぱいいる
ゴールドバーグ
ダイナマイトキッド
山本小鉄 等 そんな船木が2000年代になってプロレス復帰は驚いたな。
正直言ってUWF行ったのは大きな回り道だったのか? >>506
2009年のプロレス界ならそんなに驚きでもなかったがな
その前の格闘技復帰の方が驚いた(結局全部vsプロレスラーだったけど) まあ前田 高田はプロレスラーだけど
その2番手は馬鹿にできない
桜庭 TK等 武藤のスキンヘッドは当人曰く、ゴールドバーグやストンコみたいなイメージだったらしいわな
Uインターでエースとしてデカい選手と散々やってきたときの高田は特にサイズ気にならなかったけど、
武藤と相対するとこんな体格差があるんだなって改めて実感した >>510
一歩間違えたらケンドー・ナガサキだもんな >>496
その人物が当時しただけで
明るいだけじゃなく
その場が花が咲いたように
まるで七色に舞台が輝くオーラ・色気を持つ人。
先天性の華を持つレスラー
猪木、武藤
後天的に華を持ったレスラー
長州、天龍 >>506
一足先にプロレス復帰をした鈴木みのるは短い在籍期間で新日からUWFへ行ったので
ゼロからプロレスを学び直したと述べていた。
>>511
頭の形は重要だね。ゴールドバーグやストンコールドはカッコいけどナガサキや武藤は
あまり形がいいとは言えないね。
>>512
それがスター性と言われるモノかな?俳優でスターになる重要な条件はは演技力の前にこの
「華があるか?」らしい。プロレスは華があっても内容が無いといけないけど・・・ アジア人の顔立ちにハゲ(スキン頭)は似合わない。のっぺりしてるから全体的にティンコみたい。 >>506
飯を食うためでしょ
芸能界には船木レベルのルックスなんて腐るほどいるからな
若くて血気盛んな頃は「老いぼれがメインに居座るのはおかしい!
道場で強いものがトップに立つべきだ!」みたいに思うんだろうが
自分がおっさんになればプロレスがいかに素晴らしいシステムか痛感するはず
40代50代でもリングに上がって銭を稼げるんだもんな >>516
猪木は倍賞美津子の影響が大きいよねぇ。 昭和末期デビューでは、やはり船木と鈴木は最初から華はあったよな。
大矢、片山、松田と比べても。飯塚が後年あんな形でブレイクするとは意外すぎたがw 飯塚は選手名鑑等の写真がいつも下がり眉の困り顔だったイメージ >>516
猪木はデビュー当時から特待生で華があってスター。
>>517
日プロ時代の猪木はバタ臭くてエキゾチックな華。
新日になって倍賞美津子と共に、
千両役者として唯一無二の輝きを放つ。 >>524
武藤への期待の大きさが分かるな
1986年だから入門2年そこそこで猪木の次に大きい扱い >>294
この試合ってのではないけど。猪木とタッグ組んだジャパンカップタッグリーグだと思う。前田の長州顔面襲撃事件があったシリーズでブレーンバスター大盤振舞いで決勝で藤波木村組に優勝させるなど素晴らしい仕事でしたありがとう >>522
名前抜きならワイルド●サモアンじゃないか? >>524
右下のブロディ・アンドレの並びがスゲェ!
まあ、どっちも来ないんだけどw 巨人症は手術で それ以上の
身長伸びない様に出来るが
医学の進歩無い大昔は
7メーターの人間がいたらしい オレは佐山は結構ハンサムだと思う。声もいいし。
特にマスク被る前のEMLL時代のミドル級王座を獲った頃とか。 ハンサム・イケメンだけじゃなく、一度見たら忘れない顔(個性キャラクター)っていうのも大きいと思う。
猪木はナンバー1でしょ 井手らっきょのモノマネで「美津子、来いよこのやろう!」ってキス顔するネタがあったよな。 87年くらいにシングルで
武藤がカネックからピン勝ちしたのはびっくりしたな
期待の大きさの表れなんだろうが、
よくメヒコの帝王が負け呑んだなと思う 「顔で勝負したら 外人にかてるわけないので止めとけ」
と言ったのに まだ顔の話してんの >>519
意外だけど飯塚のヤングライオン時代は同期の大矢、片山、松田に
大きく負け越して一番下の序列だったんだよな タレント的な意味でのルックスならジョージが一番だと思うが
>>524の時点(86年)で結構太っちゃってるように見えるな >>548
日本で成功した黒人レスラーはブラジルとブッチャーだけだからねぇ あ、「成功」ってのは、シリーズのエースを務められる程度の実績があることね >>550
キミ、リッキーワルドーとルッターレンジを知らんのか!?
力道山&豊登組からアジアタッグを奪った時、
暴動が起きたんだぞ! >>537
甘い物好きの馬場も羊羹を何本も食べたり大福餅を何箱食べたりよく元子夫人に
怒られていたらしいw >>550
しかもブッチャーはアメリカ・カナダでは中東キャラで黒人レスラーカテゴリー
に入ってないからな
100%黒人がたくさんいる国だからハーフ程度では黒人キャラ扱いにならない
同じくハーフのロックもそうだった
差別主義者からすればハーフだろうとクオーターだろうと黒人扱いだが そういや一応ロックもWWFの黒人軍団NODに入ってたことはあったが
すぐ離脱したな
そのときに昔アーニーラッドがやった「俺は黒人ではなくハーフだ」ネタを
やるのは既に時代的に拙かったのか
>>554
大福好きは知ってたが羊羹もか
末端肥大症が糖尿併発することを知る前は馬場の糖尿は大福、猪木は
オレンジの食いすぎだと思ってたw タッグリーグでアーニーラッド、トニーアトラスのコンビを見てみたかった。
新日のMSGタッグリーグに参戦した黒人ってアレンだけか。
第三回のヤングサムソンは選手のデータ間違いで実際に来たのは白人だった。 羊羹も大福も脂肪が少ないから節制してるボディビルダーがトレーニング後の炭水化物摂取に食べてる ラッドは80年の全日参加の頃はもう動けなかったからな。
WWFでコンビ組んだロッキージョンソンとがいいだろう。
それかスキップヤングで跳躍コンビとか。まあ彼もマスク被って一旦、全日へ転出してはいるが。 >>560
初来日時日プロ関係者「黒い毒蜘蛛なのに坂口より白いじゃないか」 SDジョーンズもアトラスとはよく組んだけど大抵アトラスと抗争してる
ヒールに負ける役だったな
MSGでも前座では勝つことはあったから完全なジョバーではないが
新日ではブッチャー軍団扱い >>560
70年代前半に魔人&毒蜘蛛コンビが実現していたら魅力的だっただろうな。 >>556
黒人に見えなかったな
焼いてる白人かと >>562
星野勘太郎との敗者水色パンツ放棄試合をやって欲しかったな。 黒い核弾頭のビクターリベラ(プエルトリコ)のほうが黒いな。。w >>559
ロッキージョンソンは、ロックの親父やな リングネームはお父さんとお祖父さんから半分ずつもらってロッキー・メイビアか
もしお子さんがプロレスラーになるなら、リングネームはピーター・ジョンソンにしてほしい >>524
ブロディ、アンドレは若干短い期間の参加だったんだな 結局来ないんだから詐欺。ワイルドサモアンと組んで、1日で帰ったホーガンと同じようなもん。 >>550
昔どこかの雑誌社で
「新日で成功した黒人はアレンだけ」
と言うのを読んだことある
長い間脇役として活躍した 柔道のメダリストでありながらプロレスに順応するのが上手かった点は評価できる
実力の割に会場人気も集客力もイマイチでエース外人になれなかったのだけが悔やまれる アレンが生きてれば、Gスピあたりでインタビューが載ってたのかなぁ。
話のネタはかなりある人だと思う。 アーニー・ラッドってフットボール界のスーパースターでオピニオンリーダーみたいな選手らしいけど日本で例えると本田圭佑がプロレス転向するようなもの? >>578
それこそ輪島がレスラーなったぐらいだろ >>579
>>580
そうなんだけど政治的思想を発信してる70年代の黒人たちのインフルエンサーだったから現代でいうと本田かな、と >>545
大矢、片山は飯塚の同期というより先輩じゃないかな?
デビューは、大矢1986年4月、片山、同年5月、飯塚11月。
松田は7月。
大矢は身体もデカいし、飯塚が勝てなかったのも意外ではない。 本田圭佑ってもう何年も前のイメージだろ?今だったら大谷とか松山とかじゃないの? >>584
ヤングライオン杯は、87年の第3回で、一旦打ち止めだったね
(86年11月デビューの飯塚はエントリーされず)。
88年の春にやるとしたら、前年優勝者の蝶野は無論、橋本、船木といった
人気選手が海外遠征。中野龍雄、安生洋二のUWF勢も離脱。
残っているのは野上彰、大矢健一、片山明、松田納、そして初参加の飯塚、
ジャパンからの佐々木健介か!?
このメンバーで、野上や大矢が優勝してもなぁ。 アーニー・ラッドはなあ・・
プロレスをいかにも生活のためにやってます感が見えちゃうんだよねえ。
アンドレやホーガンみたいに真剣に取り組めば、黒人歴代最高スターにはなれただろうなあ アメフト出身のレスラーは多いが、ラッドは別格のスタープレイヤー
膝の負傷でアメフト引退してプロレス専業になったのは30歳過ぎ、そこまでガツガツやらんだろ
大スターなのに主にヒールだったあたり、本人もファンもプロレスをショービジネスと割り切ってる
それでも約15年間、全米でトップとして活躍したのだから大成功者
日本での評価が低いだけともいえる マスカラスのフライングクロスアタックが届くように体をかがんで受けたラッドは一流のプロ >>586
山田・船木のいじめで練習生がやめてなきゃ
88年も開催できてたか? >>590
新日は1980年代、毎年、一人は新弟子がデビューしているが87年だけいない。
(ジャパンから移籍した健介と海外武者修行帰国の馳は除く)
87〜88年も新弟子が入って来たが、山田、船木、そしてこの年に入門してきた
鈴木みのるがイジメて辞めさせたようだ。
で、88年デビューしたのは鈴木みのるだけ。
入門して1年半はちょっと時間が掛かった。順調に行けば、この87年の秋に
デビューで来たんだろうが、夏にトラブルを起こし、解雇されそうになったからね。 >>588 >>591
この2つのレスの内容見てると、いかに日米のレスラーの置かれている環境の違いを垣間見る思い。
肩書がありそれを後ろ盾にしつつ、自分の進み方を考えるアメリカ、会社(団体)に所属し
徒弟制度の下で様々な道を歩んでいく日本。。 >>591
ちょっと訂正。
鈴木みのるを
>入門してからデビューまで1年半掛かった
と書いたが、87年の3月頃入門で、デビューは翌88年6月だから
1年3か月くらいだな。 >>588
昔はアメフト選手の給料が今ほど高くなかった。
それでアメフトとかけもちのレスラーも結構いた。 >>596
テーズやバディ・ロジャースの頃はメジャーリーガーより一流プロレスラーの方が稼ぎが良かった
(今では比較対象にもならないが)
日本でも同じで馬場がONの年俸を聞いて「なんだ?そんなもんなの?」と言った ラッドの靴のサイズが18-Dらしいから馬場より大きいかもしれんね。
猪木がビッグブーツ連発からフォールされたのも仕方ない。
http://imgur.com/wyBqirS.jpg >>598
実際、馬場よりも背が高かったそうだ。
フロントから、現場では猫背気味に振る舞うよう言われたらしい。 >>597
レオ・ノメリーニがプロレス入りしたのもそう言う理由かな?NFLも試合数が少ないのに
現在は高年俸を払えるのはTVマネーが大きい。チケットもMLBやNBA、NHLと比べても
最安値の席でも高い!
>>599
坂口も猫背だね。 山田船木のいじめは今の時代なら大問題になりそう。先輩レスラーに分からないようにいじめてたのか先輩レスラーが注意しなかったのか? 新弟子が覚束ない足取りで夜逃げしていく足音を聞いて優越感に浸っていたなんて書くような馳じゃな https://youtu.be/rL8mjYwQa8M?t=150
アーニー・ラッドvsテリー・ゴディ。
10代であろうゴディ、若いというか幼い。
それにしてもラッドでかい。 ヒロコが書いてた「KENZOのメキシコ時代ベテランが車で乗合した売れっ子新人を本当に何もないド田舎のガススタに置き去りにして出発」ってのはなかなかキツいなと思った >>574
Uインターに出てたときは気のいいおじさんって感じで
高山や金原と対戦した後は握手し相手の手を挙げて讃えたりしてたな
トーナメントで田村のかませ犬にされたのはかわいそうだった >>606
アントニオ猪木&藤原喜明
藤波辰巳&武藤敬司
木村健吾&ジョージ高野
前田日明&木戸修
越中詩郎&高田伸彦
ケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴ
ディック・マードック&マスクド・スーパースター
ワイルド・サモアン&トンガ・キッド 寝てる後輩の顔に糞した仲野と、それを見て爆笑していた高田。 >>601
船木、山田、それにみのるが、新人をイビッテいた時(85年〜87年)の先輩って、
小杉、後藤、大矢、片山、飯塚くらいかな?高田、山崎、仲野、新倉、保永と
言ったUWFやジャパン軍は、離脱して、上が薄く、同期は三銃士を始め大勢いたから
目が届かなかったのかな?
「元・新日本プロレス」では、大矢が「みのるが入って来たら、メチャクチャやって
新弟子を辞めさせたから、いつまでたっても雑用から解放されなかった」
と書いている(苦笑)。大矢にはみのるのシゴキを止められなかったんだな。 野上はその三人は絶対に絡みたくないし人間として許せない的な発言をしてるね でも、みのるは郷野聡寛に詰められて土下座してる過去があるから因果応報だわな >>609に訂正
大矢、片山、飯塚は、船木、山田に対しては後輩だった。
ますます、この二人を諫める先輩はいなかったわけだ。 >>613
橋本は蹴りで野上を欠場させて迷惑かけてるくせに恨むのか
やっぱりメンタルが基地外じみてたんだな橋本 1960年代の日本人通しの対戦はタブーってのは、ウルトラマンは怪獣とたたかうけどウルトラマン通しでは戦わないって意味合いだったんでしょうか? >>617
先鋒小林邦昭の番狂わせに期待しながら見てた。 >>614
蹴りじゃなく
スロイダーと腕十字と張り手(掌底?)だったはず 野上は長州と喧嘩して長期欠場したって言われてたよな
そしてAKIRAとなって復帰 >>616の通しって、同士のことか?最初は読んでて全然意味が理解できなかった。 >>617
日本で行われた軍団対抗戦の中ではベストかもな。
裏をかく先鋒藤波
谷津を食いかける高田
してやったりの組長
長州が血の泡ふいたと小鉄のホラ
名場面が多すぎる。 >>624
客の歓声を気にしながらグロッキー状態の谷津相手に時間かけて勝って喜んでたキムケン。
この試合以外はいい対戦カードだったね。 >>624
ベストはやはり高田・谷津かな
Uインターならこの時のリベンジ戦でも画策してそうだが >>624
この日のテレビは2週に分けての放送だったんだよね
欲を言えばぶっ通しで見たかった… 新日とUWFの勝ち抜きもあったな。藤原と高田は新日側からとUWF側から出たことになる。 高田対谷津で会場が1回弾けちゃったから、
その後の健吾対谷津では客がちょっと疲れてた感じ。 ただし
この日の猪木長州戦は内容的にイマイチだった
客のムードが異様すぎて
長州が明らかにいつもより硬くなってる 対抗戦では失神させられる屈辱を味わった浜口も
この頃は序列が逆転して健吾兄さんに快勝か、差がついちまったな >>609-610 >>613
野上は「体育会系」の出じゃないから
互いにやりにくいというかソリが合わない部分があったのかもね
今思い返すとライガーなんか野上の試合内容へのダメ出しが人一倍厳しかったのに加えて
ライガーボムで失神させたり場外へのブレーンバスターで腰を負傷させたりと
野上に対する当たりが妙にキツかったんだよねある意味橋本以上に
>>622
それは野上が舞台劇の公演に参加する為
2ヶ月ぐらい試合を欠場する事になるのを
長州が良い顔をしなかった件じゃね?
一方で藤波は良い経験になるんじゃないのかと応援してくれたそう >>609 >>611
みのるは高校時代からそのイジメキングぶりで悪名高かったからな
(その癖当時「エリート」永田に挨拶したら
無視されたのどうのと“反骨”“雑草”を気取る悪質なタイプだし)
新日に入門してからも猪木や藤原に取り入って気に入られたり
ガンダムの外伝漫画か何かに「ミノル・スズキ」なんてキャラが登場していた様に
目上の関係者やある種の業界で
影響力のある立場に居る者の歓心を買うのが上手い処世術にだけは長けていたから
近くで接する側からすれば腹の立つ野郎だったのは間違いないだろう >>582
同期の定義ってプロレスにおいてはデビュー日じゃなくて入門時期の事だよ
飯塚の入門は85年5月だから残り3名と同期といって差し支えない
例えば船木は三銃士より入門が1か月早いがデビューは三銃士より半年遅い
だけど対外的にはみんな昭和59年入門組の同期という事になる >>635
遠目から見たら裏社会の会合と間違えそうだw >>624
古舘アナが「先鋒は藤波辰巳!」と言ったときの盛り上がりは凄かったな。
そしてそれを聞いてクレームつけまくる維新軍を見て「こいつら頭わりぃなw」と思ったもんだw >>638
小林の回し蹴りをかわしての藤波のジャーマンとか組長とは対照的に両リン後の浜口の
悔しそうな態度、無駄なエネルギーを消費しないで実現する大将戦になった時の観客
の盛り上がり、卍が決まりながら握りこぶしを突き出してギブを拒否する長州、ストップ
勝ち後に引っかけていた足でぞんざいに長州を蹴飛ばす^木と名場面が多い。
前回は綱使用の対戦相手決定が時間がかかり間延びしたりキラー^木は見せ場も無く
谷津を粉砕したり長州対前田戦しか印象が無い。ちなみにこの綱使用の対戦相手決定
はキン肉マンで再現されていた。 前田が鹿島神宮で祝詞奏上しまくる動画で「(神様に)肩をポンポンと叩かれた」と言ってたのは不穏
ちょっと糖質入ってるのかもしれない 拳道会は確かに技術は?だな。玄も正道ですぐ負けたし。昔の空手だな >>607
ありがとう。
猪木のマードックに変わって優勝して、
越中高田が奮闘する大会か。 山田船木がいじめに走ったのは自分に自信がなく少しでも競争相手減らしたかっただけでは?大学の体育会系でも弱い奴ほど後輩いじめるからね 佐野の凱旋試合で野上のトペをかわしざま頭を鉄フェンスに叩きつけるって酷いムーブやって結構ざっくり切ってて「あ、野上嫌われてるなぁ」 >>643
少なくとも山田とみのるはそう
山田なんて自分より大きくて将来有望な奴は
シゴキまくって追い出す様にしていたとか平気で口にしていたくらい
橋本は野上と真逆で小学生の頃から柔道関係の寮に住んでいた期間が長くて
肌感覚のレベルで体育会系流の価値観が染み付いていたから
腕っぷし次第でワガママが通るみたいな感覚にブレーキが利かなかったんだろうな
一方で船木は田舎から出て来た世間知らずの状態から
あの道場と合宿所の流儀と慣習に染められて流された部分はあるだろうから
その辺り多少割引いて評価する余地はあるかな 山田が自分より大きいやついじめてたら全員になるじゃないか 山田と船木が小さい奴いじめていたらデッカイ外人に凄まれたという話なかったかな? >>648
その話はブライアン・アダムスだったかな?浅井がいじめられてたのを止めに入ったんだっけ?記憶違いならすまん。 藤波ってギブアップで負けた事あるのかな。
「GOGOドラゴン」って歌を聴いたけど、これもなかなかアレだな。 >>646
今考えてみると2週にまたがる放送になるから、一週目に藤波か坂口を入れないわけには
行かなかったと分かるけど、蔵前ではホントに驚き興奮した
>>650
フロリダでマイク・グラハムの4の字にギブしてタイトル獲られてる >>651
客ウケは置いといてレスラー間の信頼が厚いからあり得ない話ではない >>649
それで合ってるよ
後クリス・ベノワも過去の山田のイジメを根に持っていて
ガイジン仲間に山田達の悪行を吹きこんでいたから
90年代以降はライガーの方が
何かとペガ(ライガーが付けた愛称)に気を使っていたなんて噂を
小耳に挟んだ事もある >>631
83サマーで「藤波・●木村 VS ○長州・浜口」だから、前年からすでに逆転してた感じだね。
浜口は長州の相棒になってから急に格上げされた感じ。 日テレのナイター中継が、ギブアップまで待てないみたいになってるぞ
絶対に普通に中継した方がいい 坂口がアンドレやシンに
地方大会でいつも、3分で負けたり
売出し中の長州がボックやアンドレに3分で負けたり
猪木以外は準エース格でも
あっさり負け役やってたな >>659
ギブ待てより酷い。居酒屋でやってるみたいなノリだね。 >>659
ふつうにやっても視聴率あがらないからかなり四苦八苦してる。
あの当時の新日中継のテレビ朝日の苦労と同じ。日本テレビもなんとかしようと足掻いてる。暖かく見守ろう。 >>662
昔テレ朝がやってた野村スコープみたいに、本当に野球好きな人向けにやりゃいいのに >>659
演出があれこれ足すことばっかりで、引く事をしないんだよなぁ。
試行錯誤してるのは分かるけども。 ノア勢出演のデカ盛りハンター特番からザッピングして見たけど、今は普通に中継してるパートなのかな やっぱりギブアップまで待てない思い出した奴いたかw >>660
「さっさと試合終わらして
今晩は久しぶりに あの店で
地酒でも」
と思ってたのかね? 浜口が長州のパートナーになったのも、突然で唐突だったよね。こんなやり取りかな?
新間「マサも小澤も、毎シリーズは日本にいられない。パートナーは誰がいい?」
長州「浜口さんだったらいいかな?」
新間「浜口なら俺が新日に上げたようなものだから頼みやすいな。頼んでみるよ」 >>645
日本プロレス界のダメだった点の一つに自らの自重を課した
入門テストや合同練習に重きを置いていたところなんだよな
体重120キロの人が行うスクワット500回は体重75キロの1000回分に相当する
体格や体重を一切考慮しない一律平等な自重稽古って無理があるんだよ
そんなの身体が小さいほうが有利になるって決まってるんだから >>671
組んでからはずっと浜さんだったよね。組む前は知らないから>>669は浜口さんにした。 >>672
昔の週プロの
浜口と寺西のインタビューで
浜口は寺西を「寺さん」
そして長州を たしか
「リキちゃん」だったかな >>675
個人的には83年前半の頃のマサ斎藤。
革命軍の頃の方が面白かったな。 ずっとマサは定住できなかったからね。長州が大きく強そうに見えるのは浜口が適任だと思う。
本来は82MSGタッグもエントリーはされていた。 >>675
試合でコントロールしやすいという点では谷津 >>670
力道山「馬場よ。お前は足が長い分余計負担が大きかろうが頑張れよ」
単に依怙贔屓してるだけかと思ったが、ちゃんと科学的根拠があったのか >>659
まだパリーグが閑古鳥だった時代はテレ朝のパリーグ中継が酷いもんだったよ
背後にモニターで野球を映してるだけでスタジオのタレントが延々おしゃべりしてた
ギブ待ての時期と被るから当時のテレ朝は完全に芸能に洗脳されてたな 邦昭がヘビー級だったら
長州のパートナーだったかね? ヘビー級だったらタイガーとの抗争もないから、あのまま前座レスラーだったんじゃ? >>679
入門テストの成績が1番だったって言うレスラーって得てして身体が小さいだろ
俊敏さや自重回数なんて身体が小さいほうが絶対有利なんだからある意味当たり前
もし大きい身体でテスト成績1位だとしたらソイツは超逸材 山本小鉄は小さいという理由で最初力道山に入団を認められなかった
佐山が入った時は猪木が「こんなちっこいの入れやがって」と文句を言った 藤波、佐山タイガーvs長州、小林のタッグ対決ってやってないんだな
新日なら組みそうなカードだったのに >>664
野球好きな人向けでやってて視聴率がとれないから試行錯誤してるんだよ。
あの頃の新日中継と事情がかぶる。ゴールデンで視聴率を取る為の努力。どちらも報われてないとこまでかぶってる。 よくライガーや佐山にもっと身長があれば・・・とかいうけど、身長高くなれば
同じ動きは出来ないからな。小人プロレスなんてものすごくバネあるもんね。 テレ朝の野球中継は月曜日のパ・リーグ、木曜日とかの移動日に巨人戦がないときのセ・リーグ中継のイメージ。 >>660
アンドレシンハンセンホーガンバックランド他
そもそも昭和のころの長州って大物外人からのピンフォール勝ちってほとんど皆無じゃないか。
藤波はかろうじてマードックに勝ったりしてたけど
鶴田がブッチャーやブロディやハンセンやらと互角にやりあっていたのとは雲泥の差だねえ。
これも馬場と猪木のちがいだったなあとおもう >>687
機敏さとパワーを重ね持つ体操男子選手なんてほとんど160センチ台だもんね
170センチあれば長身と言われる世界 >170センチあれば長身と言われる世界
プロレスのジュニアヘビー級もそうだな。
実寸170なら長身の部類。 >>687
「身長があれば・・・第二の^木になれたかも・・・」と言われていた星野。
小鉄は名コーチとして、レスラーとしての評価は星野なんだね。
国プロ設立寸前の吉原社長の頭の中には参加すれば「星野・エース路線」も構想に
入っていた。 >>692
大田区体育館での平成維震軍vs昭和維新軍5対5でやってるね。
ちなみに昭和維新軍は長州、マサ、谷津、浜口、寺西で、95年にこのメンバーを揃えたのはなかなか凄い。
惜しいのは小林は平成側にいたことだな。 >>693
日プロ時代には、猪木・星野でタッグリーグ優勝なんて事があったな BI砲で出場するとNETテレビが放送できないから、解体して出場することになったんだろ? いや、まだ日テレしかプロレス放送がない時代やったやろ 違います。優勝決定試合を放送したのはワールドプロレスリング。 星野と組んだ第1回NWAタッグリーグ決勝戦は日テレ放送だよ
坂口と組んだ第2回決勝はNETが放送 スレチで申し訳ないけど1,4橋本対小川戦はもとは対シャムロックだったんですね。カード変更なければその後の新日の様子も変わってたのかな? >>701
変わっていたでしょうね。
ゆくゆくは小川は新日に上がったとは思う。
でも状況が違った。
新日は小川に引っ掻き回されたし。
特に99年以降は。
その最大の被害者が橋本。
小川の新日登場が遅れてたら橋本の人生そのものも違ったものに。
もし橋本と小川が絡まなければ橋本は『新日最強』の称号を手にして最後に引退してたかも。
もしかして今頃も現役だったかな?
橋本が新日を出る事もなかったと思うし。 >>701
いやその1.4じゃなくて最初の橋本vs小川97.4.12ドームの日がシャムロックとやる予定だった >>701
橋本対シャムロックを発表
シャムロックが新日とWWFを天秤にかけてWWFを選ぶ
橋本のカードが宙に浮く
目玉としてプロ転向する小川のデビュー戦になる >>702
正確には小川というよりドーム興行に引っ掻き回されたというべき >>697
NWAタッグリーグは現テレビ朝日のNETが日本プロレスに企画を持ち込んだもの。
チーム編成は>>696のとおり。自分達の企画なのにBI砲のチームにしたら、自分達のエース猪木の試合を放送できないというなんの為の企画なんだとなる。 ドーム興行連発のせいで見合うカードが尽きてしまってたね
ホントなら小川橋本の再戦ももっと間おくべきだったのに・・・
アリーナクラスのカードなんて
もう地方とたいして変わらないショボカードだったもんな
最後に盛り上がったのって、
92.6.26の武道館まで遡らないとないんじゃない? >>694
ビデオ買ったわ
長州がフライングして綱を引っ張ろうとしたら仕切ってたケロに
まだ引っ張らないでとタメ口で怒った声とか聞こえて面白かった ドームでやって儲かったのかな?
スポンサーからはがっぽり貰えるかもだが >>704
確かゴングでしたかね、けっこうな長さの釈明インタビューが掲載されたハズ
「橋本には申し訳ないが…WWFのリングに上がるのは俺の夢なんだ!」みたいなことを語ってて、気でも◯ったのかと当時本気で心配した記憶があります
でも今にして思えば、いわゆる(ロープワークを伴う)純プロレスのスタイルでは芽が出なかった男がシュートファイト風スタイルの団体で強豪扱いとなり、身につけた技術で実際にシュートファイトの世界で結果を出したことでついにはWWFからお呼びがかかるという…
これはもうアメリカンドリームと呼んでも差し支えないレベルの成功であり、WWFを選択したシャムロックの気持ちもよくわかるんですよね でもその数年後の新日ドームにシャムロック参戦するんだよな >>711
全日本に初参戦した時には、総合でもプロレスでも結果出すなんて思わなかった。カクタスにしろレイヴェンにしろ、初来日が全日本で、パッとしなかったのに後にブレイクするパターンあるな。 >>709
不入りなら致命傷になるが、そこそこ入ればドームそのもの収益以外にも
ドーム前後は長ければ数週間は試合がないから
シリーズ巡業代にあたる交通費、ガス代、ホテル代が浮くから
年間トータルの収支ではかなり違うんでは?
ドームで儲けようというよりも経費削減という面の方が強いと思う。 https://pbs.twimg.com/media/EpxnojqUcAAT9Q5.jpg
よく四万人も入ったなんてホラを吹けるよな、プロレスマスコミは信用ならん
スポンサーに便乗して身の丈に合わないドーム興行なんかする藤原と船木も大概 >>707
97年のドーム興行は無理があったな
東京 1月、4月
大阪 5月
名古屋 8月
福岡 11月
対Uインターのような目玉もなく
メインが橋本vs長州とか橋本vs天山とか武藤&蝶野vs藤波&天龍とかだし >>715
メガネスーパーがSWS用に押さえたものを押し付けられたからしゃーない 後年ケロがインタビューで暗黒期の新日大阪ドームの棚橋対中邑のメインを猪木事務所の介入で潰されたと怒っていたけど大阪のファンからしたら棚橋対中邑で大阪ドームメインってなめんなよと思った。ハッスル軍参戦してなかったら閑古鳥鳴いてるよ!(ケロは当初のカードなら黒字、ハッスル軍参戦で赤字になったと言ってるけど) 介入の体を装ってるけど
実際はチケットが売れないからカード変更というところだろうね
猪木のゴリ押しのほうが面白そうだから
そっちが信じられてるんだろうけど
昨今のフェイクニュースと同じだな >>716
元々は本家nWoが来る予定だったけど、大阪ドームだけになった。 今日は古くは記念すべきMSGシリーズ第一回の開幕戦 ルスカは良い奴だったよなプロレス最強説に貢献してくれた
あの柔道王ルスカが中堅レスラー相手に勝ったり負けたりしてりゃあ誰もがプロレスラーってすげえなあと思う
プロレス漫画の傑作1、2の三四郎にこんなシーンがある、恩師からおまえプロレスラーにでも成ればいいじゃないかと言われた三四郎が
「柔道世界一のルスカでさえ前座なんだぞ恐ろしい世界なんだぞ」と答えるんだよ
あの時代プロレスラーは超人怪物扱いされてたなあ >>685
小林は「革命軍」の括りだったけど寺西と組むまで基本的に一匹狼だったもんね。
グラン浜田と手を組んだ以外はカーンと一度だけ組んで国際軍と対戦、
ノーテレの試合ではキムケンとすら組んでる。
タイガーのパートナーは星野だけ、小林のパートナーは寺西だけとなって、
ジュニア戦線は完全にマンネリ化してたから、
そういった藤波長州と合わせての試合もやるべきだった。 猪木 保永組
長州 小林組
藤波 コブラ組
R木村 寺西組
坂口 星野組
ハンセン チャボ組 R木村 寺西VS カーン 小林
ならテレビでやっつたよ
まあまあいい試合だった >>715
53800人と発表した新日に尾初ドームも大概。
>>716
新日人気が下降局面に入った01年のほうが
さらに無理がある。 新日入団が正式に決まった剛が満を持して挑んだ第三回MSGリーグ戦
見事予選を通過して決勝リーグ戦に進出したが、猪木戦の前日にハンセンにやられて
負傷し、猪木戦は不戦敗。猪木との対戦はとうとう1回もなし。 >>721
今にして思うとマンデーナイトウォーズ真っ只中で毎週月曜日は絶対空けられない状態のときにワンマッチでも来日してくれてたのは凄いと思う もろ平成だが 2000年前後
あの時代は 日本で もろK-1 PRIDEなど格闘全盛期
藤田 小川 桜庭のMMA活躍で すこしプロレスの
興奮が戻って来た >>694
ありましたね〜!ビデオも持っていました。ありがとうございます! >>730
個人的には、グラウンドの攻防で、関節技耐えながらロープまで逃げるなんてやっぱあり得ないよなあと冷めちゃった時期でもあったな。
極まったら秒でタップが普通だろと。
だからその時期のプロレスで関節技の攻防は本当に白けた。
今は乗り越えて楽しめるけど。 >>708
後楽園ホールで暴動が起こった時に、田中がリングで客に土下座してた事を
後になって長州が怒ったんだよな。問題起こした張本人のくせに >>732
彼らの活躍でプロレスラーも
やれば強いみたいな
そして小川VS橋本の
「コレで負けたら即引退」
(たしか放送は金曜)は
久しぶりに金曜8時の興奮が蘇った >>714
そんな計算の仕方しねーだろに
ドームでやれるイケイケの団体だから
ってスポンサーに大盤振る舞いさせてたんだろな
価値を産み出して高く売る
野球でもデタラメな動員発表してたのは年間シートを売るため
詐欺に近いけど商売ってそんなもんよな >>721
nWoがきて満員になるわけねーわな
プロレスってやっぱバカ業界やな >>714
ドーム興行連発の新日に比べて全日がドームになかなか進出しなかったのはTV放映料と
年間の武道館大会だけで十分な黒字であえて大箱のリスクを犯す必要な無かった。
日テレとしてもドーム中継用のセッティングが通常レギュラー放送より大がかりで費用も
高額になるで二の足を踏んでいた。
ので >>733
あとになってじゃないよ
暴動寸前の後楽園で土下座したケロの襟首掴んでた nwoの出た大阪ドーム東京から観に行ったけどすごく良かったぞ
入場が 新日の暴動の時は必ず長州か斉藤が関わってるよな
84IWGPでは本気でアイツら憎んだ 長州にはラッシャーのように悪役を背負い観衆のヤジに耐えるほどの度胸はないよ
実際IWGP決勝の乱入の後はさっさと逃げてるし、
ピーター本によればその夜ずっと酒浸りだったらしいし。
離脱の原因があの乱入にあるのはほぼ間違いないから、
長州は猪木の好敵手としてチヤホヤされたかっただけなんだと思う。 >>716
あの年のドーム連発ってプロレスに留まらず視野を広げて見たほうがいいかもよ
95年頃からK-1が急激に力を付けてきて97年には新日と同様ドームツアーを決行している
エンタメ全般だと96年末にマイケルジャクソンが東京と福岡の両ドームで6連続公演行ったり
新日としては「4大ドーム興行を実施した」という対外的な実績が欲しかったんだと思う >>739
全日(日本テレビ)の方が東京ドームに関しては安く借りられたのでは?
猪木がよく例える環状8号線理論(プロレスに関心ない人に届ける)になるカードがなかっただけでは? >>745
俺は長州より
ラッシャーのほうがいいけど >>714
シリーズだと
外人の仕事費や旅館代
メシ代など けっこうかかる
外人だと メシなんかドンぶり
3杯くらい かるく喰うらしい >>748
俺もラッシャーのほうがいいと思ってるよ
長州は卑怯者って感じしかない 「南アフリカの帝王」ジャン・ウィルキンスは駅の売店で三個入りのゆで卵を買って
それで一日三食ゆで卵一個ずつで凌いでいたという。なぜそんなにケチなのかわからず
だんだん痩せていって山本小鉄にすら心配されていた >>749
仕事費は草
でもドーム単発興行での外人レスラーのギャラってどういう支払い形態なんだろうね
往復に掛かる日程など考慮して1週間分の金額とかかな
選手としても1週間5試合するより1試合だけのほうが断然身体の負担が少ないだろうし >>752
黄金期ならまだしも
今は外人呼ぶの
大変だろうね >>752
最新の週プロでUインターでの幻のオブライト・オーンドーフ戦に触れていたな サスケが全日本のドーム興行のギャラが新日本に比べて一桁安く目を疑ったと言ってた。 >>747
東京ドームのチケットシステムは日テレと絡むとかなり格安く利用できると今月の
Gスピで佐藤昭雄が述べていた。
>>751
ブッチャーやシンもレストランでステーキを食べないでスーパーで買ったハムやソーセージ
を食べて倹約に努めているなんて言われていた。これとは例が違うけど今のレスラーは
ストイック。棚橋のブログには新幹線の移動時に昼飯が「生野菜大盛りにゆで卵が3個」だった。
WWEのスーパースターズも「シリアル」を食べているとかWWE参戦経験のあるケンゾー
が健康番組で語っていて驚いた。 棚橋とかwweスパスタのはただのゆで卵じゃなく黄身抜きがポイントだな
俺も体作ってた頃は目玉焼きの白身だけ食べてた
黄味は捨てるのもったいないから猫の餌にしてたけど猫が太ったw >>744
・試合の最中セコンドを引き込んでの集団リンチ
・藤波に凶器突き立てて反則負け
・リング外の猪木に気を取られ藤波に敗北
乱入袋叩きはテロリスト事件以降増えた印象
汚れ仕事増やされたのは国際軍団解体の影響かね。維新軍団を経てマシーン軍に引き継がれていく >>756
WWF入りしてすぐのTAJIRIがHHHと一緒に食事をしたら、スパスタHHHは、
ホワイトオムレツにゆでたササミ(ソースは香辛料だけ)のメニューを
オーダーして、油の乗ったソーセージを頼んでしまったTAJIRIは恥ずかしくて
仕方なかったと言っていたな 血のしたたる分厚いステーキを何枚ペロリ、焼肉何十人前たいらげたとか豪快だと思うが、実際は体に悪いし早く亡くなってるレスラーも多いからね。 プロレスも野球もやっとアスリートになったんだな
ただハンセンみたいな身体つきもすてがたい
ああいうあんこなのにおっぱい垂れない体型てなかなかいないよな 一時期、小麦粉断ちをしたら、3ヶ月ぐらいで体脂肪率と体重がガクッと下がって体調が良くなったなぁ。
味覚も変わっていてびっくりしたことがある。 アドニスの体つきはホント不思議だったな。顔はごく普通だが胴が異常に太い。
晩年はさらに太くなってた。餅田コシヒカリ(加藤綾子ネタの女芸人)っぽいな。 >>715
俺、行ったけどガラガラだったわ確かに! >>764
最後のNWF戦か
後に女子プロで流行るダイビング延髄ニーアタックからニードロップの空中戦で
ハンセンをフォール、坂口長州を道連れにしてベルト返上セレモニー
タイガー入場には「ゲテモノ、引っ込め〜」の声がかかっていたな
今出てる本「黄金の虎"と“爆弾小僧"と“暗闇の虎"」でも強調されてたけど、
当時は海外遠征先の様子なんかまったく伝わってこなかったからなあ >>751
少なくとも夕食と朝食は、基本的に団体持ちではないのか? タイガーデビュー戦、入場に生バンド演奏とかやってたな。
ブレインウォッシュ(洗脳)とか言うバンド マスクドスーパースターも吉野家で
牛丼特盛 卵 味噌汁
山本小鉄も飯代の出費で 頭を痛めたらしい スーパースターの時代って、もう特盛あったんだっけ? >>766
長州は軍団じゃないと駄目だけど
ラッシャーは一人でも
闘った うん、83年のラッシャーは見てて気の毒だったな。
浜口は落ち目の国際軍を見限って新興勢力の革命軍に寝返ってるし、あいつも卑怯だなとw
新日フロントが、パートナーのいない長州に浜口をあてがったというけど、
だったらラッシャーはどうなんねんって思うわ。 >>773
ウィキだと中国語が先に洗脳(の中国語)があって、それを米国が英語にしたってさ。。 はぐれ軍団が手薄になったのに、剛竜馬を加入させなかったのは
それだけ二人に嫌われてたって事なのかな、旧UWFでは合流したが >>776
国際軍など使い捨てしかないやろ
もうイランと放り出されても、文句の言いようがない! 83年MSGタッグはなかなか群雄割拠というか、あとあと見てみるにつけ有力チームの行方が興味深い。特に日本側各チーム
カーン&戸口というそれまでの優勝候補が不調で、長州&浜口のほうがはるかに上回る成績。
さらに藤波&前田をも凌いでいる。 てか、この時期は微妙だな、日本人の各チームをどの位置で定着させるか。
あーだこーだで結局、優勝戦は猪木&ホーガンとアドニス&マードックという。。w >>768
昔の田舎の旅館宿泊だと朝夕付きはあっただろうけど
都心のビジネス泊りとかだと基本自腹じゃね
朝食バイキングも昔は少なかっただろうしね ケロが巡業のとき夕食代で数千円支給されると言ってたね。
リングアナなら数千円で十分だろうが、外国人レスラーが飲み食いして数千円で済むわけないけど。 >>778
前年にはラッシャーと剛がロス遠征で講堂を共にしてた。 >>783
飲食代支給されるなんて日本ぐらいでギャラ以外に自由に払ってたら会社持たない。そこで出てくるのがスポンサー! そりゃ並ですむならわかるが
特盛だよ これでは会社がたまらない >>783
ケロは会社所属の正社員だったでしょ
サラリーマンが出張手当として日当支給されるような感じだったのでは >>788
それでケロの時代で夕食数千円は、高すぎる。
普通のサラリーマンの出張時の夕食代は1,500〜せいぜい2,000円だろ? プロレスで地方の試合で 試合後
民宿の大浴場で猪木も藤波のブッチャーも
みんな仲良く風呂入るのを知って
徐々にガキのころ「プロレスは 試合場で仲の悪い振りしたやらせではないのか?」
と思うようになってきた 今、ふと思い出したが、昭和時代の新日は地方巡業では、
選手も夕食代に5000円支給される、とかなんかの本で読んだ。
それで、坂口は若手とかに焼肉を奢るのだが、支給された5000円を
徴収していたとか。まぁ5000円以上のモノは食わせたんだから、
そうセコイこともない。
かたや平成のインディーは、朝・昼・晩3食分が1500円だったとか聞いた。
同じ頃、会社員が出張時には、朝1000円、昼1200円、夕1500円支給されていたよ。 >>792
レスラーの胃袋で普通の焼肉店の焼肉を食い放題のように食いまくって、坂口に「せめてその5000円出せよ」って感じならむしろ良心的だと思うw >>791
大浴場で一緒に入るというのは知らなかったけど
抗争中の外人同士が実は同じバスで移動してるのは複雑だったなあ…
まあでも、バス内では冷戦状態で互いにメンチ切ってる雰囲気だと思うようにしてた。
「無駄なケンカはしねえ、決着はリングの上でだ…」みたいな。 >>791
都市伝説が流行ってた頃「馬場とブッチャーが会場裏の駐車場でバトミントンやってるのを見た」ってのがあったね。 >>781
不戦勝で勝ち点4なら、わざとフォールさせて5点あげろよ!ってマジで思ってたw >>789
文脈読めよ
外人レスラーに別途食事代が支給されるのかどうかの話なんだから
支給金額についての話はしていない >>796
たけしが馬場とデストロイヤーがキャッチボールしてるってのをネタにしてたな。
でもそれは普通にありそうなんだよな 今日は永田さんの誕生日です
みんなでお祝いしましょう
格闘技 [プロレス] “永田さんはキリストか何かだと思う19 ”
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1613139508/ >>796 >>801
たけしが言ってたのは馬場とブッチャーがキャッチボールをしてたという話だったと思う
たけしがブレイクしたのは1980年以降で
デストロイヤーが日本陣営で長くやって帰った後だから
仲がいいのは当たり前で、ネタにならない >>794
アンドレとホーガンが駅のホームで電車を待ちながら仲良く談笑してた写真があったが
アレは抗争が終了してホーガンが外人側に戻った85年くらいの頃かなぁ
82〜83年の地上波ゴールデンタイムで血だるまで抗争しながら、巡業中に仲良くされたら困るわな でもアンドレと抗争中の時でもホーガンは外国人用バスで移動してたよね。 そりゃ仕事なんだから。維新軍やUWF勢も新日組と同じバスだったんじゃないか? ホーガンは1984年1月MSGでアイアンシーク破りWWF王者に君臨これ以降アメリカンマットで押しも押されぬスターに成り来日しなくなったよな
最後のシリーズ参戦はこの年のIWGPが最後だったような、しかし、ブロディとの夢の対決だけは見たかったわ >>807
85年まで来てたよ
藤波とシングルやったじゃん 特別参加じゃないシリーズフル参戦はいつが最後だろう
ワイルド・サモアンとの実に無理のあるタッグで全戦参戦!と謳っておきながら
「開幕戦で大ケガしたので帰国します→やっぱり参戦継続できませんでしたテヘペロ」
はWWFやるなあと思ったけどw
さすが「バックランドをそっちに長期間参戦させるとアメリカでWWF王座の
防衛戦ができないから、日本遠征前にこっちにいるストロング小林をバックランドに
勝たせてタイトル移動させアメリカで防衛ロードをやらせて、バックランドが帰国したら奪還させたいんだがどうかね」
という太っ腹なアイデアを出してくるビンスの団体だけのことはあるwww
(しかしヒールとしての小林は本当にビンスシニアに評価され信頼されていたんだなあ) >>803
でもあの頃は一般人でも多少プロレス界の
動向には知識を持っていたんだよな。
たけしが全日本の83年最強タッグの
参加メンバーが載った東スポを見て
「馬場とドリーファンクjrがタッグ結成
といってもなんかピンと来ないよな」
なんて話していた。 >>812
たけしは猪木ホーガン組にも批判的なこと言っていたよな。 >>811
83年MSGタッグリーグはフル参戦だったかな
追撃戦も出てたっけか >>794
そういう話、日本プロレス時代の馬場とデストロイヤーが
試合前、会場の裏でキャッチボールをしていたとか、
レスラー同士は本当は憎み合っていない、はよく聞いた。
逆に本当に仲が悪いとプロレスにならないんだな。
SWSでは、違い部屋の選手同士が仲が悪く、忘年会も開けなかった、
とのことだが、俺は「忘年会、開けなくて上等じゃないか!?」
と思ったよ。「その闘志はリングでぶつけろよ!」とね。 この世界は抗争アングルを展開できるのはむしろ仲がいい証拠
ダンプと長与は今も親しい仲だからな
ガチで不仲だと「あの男と同じ空気を吸いたくない」になる >>816
全女はちょっと違うみたいだぞ。
火種がないとこに松永兄弟が焚きつけて、ナチュラルなアングル仕込んでから
当事者同士は憎悪感抱きながら試合してたようだ。 女子はよく知らんのだが神取とジャッキーみたいなやつとかか。
まあでもどうなんだろうな。ホントなら観客の前で個人的な感情をビジネスとしてのプロレスに持ち込めないだろうし、
新日だと坂口と大木みたいな感じで以後いっさいの係わりが無くなるようなマジな話と言うのも
ぶっちゃけファン置いてきぼりだよなあ。 >>763
かおり男前だったぞ
テブじゃなく日本人であの顔なら芸能界で二枚目で通用する
なんせ石橋正次や沖雅美ですらカッコいいと売れる国だ >>819
かおりなら女やないのか?
女の男前なら宝塚かの男役みたいなのか スタッドがアンドレとホーガンとの関係がピリピリしていて2人と仲が良い自分は
気をつかうとか言っていたけど、アンドレには大抵のレスラーが気を使ってたろ。
そうじゃないと虐められるからな。 ホーガンのギャラ最後に来日した85年は2000万、もう新日の財政では呼ぶに呼べなくなっていた模様
WWFの全米マット制覇の目玉イベントであるレッスルマニアの主役であるホーガンは稼ぎも超人級だった 怪物キャラとしてブラッシーをマネージャーに売り出し中の時は
背中に体毛がボーボー生えていて不気味だったが、いつのまにかツルッツルになってた
アレは永久脱毛したんだろうか?稼ぎが超人級になればエステも通い放題だしな 元々全日との交渉もあったホーガンと新日とは3年間だったか忘れたけど長期契約
あったからAWAで売れっ子になった後もホーガンは新日に来てたけど、WWEに
行く時に新日との契約を解消したとかあったよな。 >>824
新日本プロレスとの提携解消の記者会見の為にビンス・ジュニアは来日したのに、
会見が始まると猪木が「今後の更なる協力関係を…」とか言い出してホーガンも同調、
猪木とホーガンが手を合わせたところに強引に嫌がるビンスの手を引っ張って合わせてたやつ?w >>806
維新軍は、特にタッグリーグの時は7人の大所帯だったから、彼ら専用のマイクロバスがあった。
85年になって平田とヒロの二人はミスター高橋と一緒に外人勢のバスで移動だったと思う。
全日でも外人のバスにラッシャーがいる写真が週プロに掲載されてた(読者投稿) 確かMSGタッグの開催パーティでアンドレ、ハンセン、ホーガンが写っていて
キャプションが「早くも舌戦を展開」みたいに書いてたけどメガネのハンセンニコニコ顔だったな >>759
こういうエピソード持ち上げる人多いけどレスラーなら食って飲んで鍛えろよと思う 昔友達が会場外のバスの
カーテンの透間から
馬場とブッチャーが
トランプやってたらしい >>829
君の話はわかりにくい。トランプをやってるのは友達なのか?カーテンなのか?
その前の>>791ではブッチャーが藤波のイチモツになってるし。 マスカラスとブロディがキャッチボールしてたとか、マードックとブッチャーがトランプ
していたのを見たファンは居ないのか? >>830
風呂から帰ってきてばかりで
ぼーっとして申し訳ない
かかあはうるさいし とある地方で、ナガサキ・ポーゴ組は若松と一緒にタクシーで会場入りするのを見た。
こういう外人でも本隊でもない、巡業バスにも乗せてもらえない人たちの
移動費は新日が用立てしていたんだろうか。
あるいは本場アメリカのように自腹だったのだろうか? ホーガンとハンセンの伝説の後楽園決戦は超ド迫力な好ファイトで観客も大興奮してたな
猪木の指示でこの二人の試合は危険だからテレビ中継無しになったんだよな、ソースはプロレススーパースター列伝w >>833
まさか地方興行を全てタクシーで移動してたとかはないだろう
短距離の移動はタクシーだとしても、長距離の移動は
国際時代にリングトラックの運転をしてた実績のある若松が運転する車で移動してたんじゃない? ホーガンとアンドレはAWA地区でタッグを組んだことがあったそうだ。 ニックも入れた3人が対戦相手の2対3の変則タッグマッチならサムライTVで見たな
ガニアはホーガンを筋肉ダルマとしか評価しなかったとか >>838
ホーガンの自伝では「ガニアは俺を金がなる木だと見抜いて
俺を娘婿にしようとしたが俺はあんな男と親子になる気はさらさら無かった」になっている >>806
維新軍やUWF勢は新日勢、外人とは別にマイクロ・バスを使用していた。
天龍革命を起した天龍は原と二人で列車とタクシーで移動して原が時刻表を読めるので
助かったらしい。
>>815
馬場はサンマルチノとはNYで若手時代を親交があったり鶴田はハンセンとアマリロ
修行時代に自宅にまでおしかけられてラーメンを食べられたりしていて「こういう関係」
だと試合はやりずらいと話していた。 長州力は全日本参戦中に馬場と2回くらいタッグで対戦している
ノーテレビだったのでプロレス雑誌を見たら馬場が鬼神のような顔しててビビった
まるで「猪木の弟子なんかに負けてたまるか」と顔に書いてるみたいな
馬場は野球とプロレスやった人だから勝負の世界に生きる男なんだよねえ 実際に馬場はどチビのデストロイヤーやブラッシーに何回も負けてるんだが 馬場の腹にしか届かないラリアットでヤられる訳にはいかんやろ
足より背の低い奴に足取られて、裏返しされる事もないしなあ >>845
デスは上手いもんなあ
馬場をコブラで丸め込みなど並の奴では出来んやろ 長州参戦中の全日は
PWF長州、インター鶴田、UN天龍
馬場は商品として長州を高く評価していた 馬場はえび反りできなかったんでないの?
だから必死になってステップオーバーさせなかったんじゃない 馬場と長州は最強タッグ公式戦の2回しか対戦してないのかな?
他はなかったと記憶するが。 谷津の証言で長州は馬場と試合したくないと愚痴をこぼしていたが
馬場の方は長州と戦う事に関してはどう思っていたんだろうか >>828
思わない
客の前ではステーキなんかを豪快に食べて、実は和食好きな力道山みたいなのがいい >>831
その2組はあり得ないな。
元・全日本の練習生だったマック佐藤さんが
「テリー・ファンクとジェット・シンが控え室でトランプゲームをしていた」
と証言はしていたな。
>>837
ホーガンとアンドレはアメリカではお互い超ベビーフェイスだったから、WWFでも何度もタッグを組んでるよ。
初期と後期は抗争時期もあったけど。
>>842
あの長州がサソリの体勢に入る時に堪える馬場の表情な。
自分も同じで、あんなすさまじい形相の馬場は見たことない。 >>856
全米侵攻当初のWWFではアンドレ、ホーガン両方ともベビーフェースだったんで
アンドレ、ホーガンVSスタッド、バンディとかやっていた
それじゃベビーフェースが強力すぎるんで日本と同じように
「アンドレもWWFタイトルを獲得したい」アングルが組まれてアンドレがヒールに転向する事になった
アンドレがヒールをやってた頃に「ホーガンはスーパースターでアンドレは一ヒール
2人の立場は完全に逆転した」とか書かれていた WWFのホーガンとアンドレの抗争は、メンバー的にも豪華だったよな。
ホーガン軍の副将格がビガロで、アンドレ軍の副将格がバンディだったかな。 >>853
谷津はたまにあったけど長州はそれだけだね。
小林邦は一回も無いはず。
確か全日本対ジャパンのテレビ放映第一戦は
馬場佐藤対カーン 永源という全員日プロ出身で馬場と比較的近い選手同士のカードだったのが印象的だった。
録画とは言え視聴者には落ち着いた雰囲気の
カードを提供したかったのか。 バックランドが王者の頃のホーガンNYではヒールだったんじゃね? WWF初期のホーガンはブラッシーをマネージャーにした一ヒール
アンドレはそれを迎え撃つベビーフェースという位置づけだったんだっけ
日本のプロレスファンにとってアンドレは圧倒的体格で自分より小さいレスラー蹴散らす
ガチガチの悪党ヒールという認識だったので、アメリカファンの心理が理解できなかった
勝って当たり前のレスラーをよく応援する気になるなと ホーガン初来日の時は、ブラッシーついてきたよな。その前年はハンセンのマネージャーをやったが。 コール時にマントを広げ力こぶを作るポーズ。それをブラッシーがステッキを使って紹介するカタチ。
SBグラハムっぽい気障キャラだったかな、初期のホーガン。まあベビーになっても見栄を切る感じで
ポージングしてたからホーガンみたいなキャラは善悪どっちでもいいんだろうな。。w 初期のホーガンはS・B・グラハムのフォロワーのヒール
ベビーフェース転向の切っ掛けはロッキーVの出演かな >>857
少食なのにあの身体を維持できてたのは凄い 猪木欠場のアクシデントを、ホーガン対ブッチャーに持っていくんだからなぁ。
あれは誰のアイディアなんだろ。 >>840
>馬場はサンマルチノとはNYで若手時代を親交があったり
それは(おそらく梶原一騎の)作り話。
サンマルチノは、後年、柳沢健のインタビューに応え
「1964年にWWWF戦で馬場の挑戦を受けたことさえ記憶にない」
「日本に来日するようになってから馬場との親交が始まった」と言っている。
馬場も1961年〜64年の武者修行時代、全米を股に掛けて試合をしていた。
ニューヨークに定着していたわけではないので、その話は信憑性があるね。 >>868
> サンマルチノは、後年、柳沢健のインタビューに応え
> 「1964年にWWWF戦で馬場の挑戦を受けたことさえ記憶にない」
> 「日本に来日するようになってから馬場との親交が始まった」と言っている。
昔のことだから忘れてしまった可能性はあるだろ。
馬場は覚えていたわけだから。 https://pbs.twimg.com/media/EkNlA7fUwAAs1Cl.jpg
ドン・ムラコは新日では過小評価だったよな。アキムとカリムの紹介間違ってるし
プルースとアヤラを一緒にしちゃいかんな キャデラックは何時馬場にあたえたんだろな。旗揚げシリーズにもサンマルチノ
来たけど、馬場が直に行って話したんだろ。
その時にブッチャーにも声を掛けたんだったな。
https://the-japan-news.com/news/article/0006986807 全日の話で申し訳ないけどこの時の興行に馬場、サンマルチノ、ブッチャーが
出てるんだな。
Name of the event: Spectator Sports
Date: 29.09.1972
Promotion: Spectator Sports
Type: Event
Location: Pittsburgh, Pennsylvania, USA
Arena: Civic Arena >>854
長州の全日参戦が決まり、馬場はリングのロープの高さを低くした。
これは長州を大きく見せるための全日本プロセスの配慮。
ということは、馬場対長州は長州の小ささが如実になるから、
馬場自身も試合を組まないと決めたと推測できる。 >>870
過小評価と言うか本人やる気なかった
ブックに恵まれないからそうだったのかやる気が無いからブックに恵まれないのかはわからないが…
ただ当時の親日は向こうのメーンイベンターを白星配給に使ったりいまいち不明なマッチメークが多かった >>875
ムラコ格好いいから好きなんだけど日本ではオーバーアクションが目に付いた印象 そりゃムラコやシャープあたりが維新軍のカマセにされたんでは外人勢やる気なくすわ >>878
このシリーズの外国人メンバーは地味だけどスーパーヘビー級揃いで好きだった
もっとテレビに出してほしかったけど維新軍多めだった 翌シリーズのIWGPは更にグレードアップしたスーパーヘビー級しか来なくて最高だったな
リックマーテルが参戦してたらパテラ、ワンツ、クインあたりには勝ってたのかな マーテルとディノブラボーはカナダマット最後のスーパースターだった
この二人がWWFに引き抜かれた時点でカナダのプロレスは地に堕ちた
川田も武者修行中で衰退を目の当たりにしたと >>870
この試合観に行った
セミが木戸藤原vs浜口長州メインが木村坂口藤波vアヤラシャープスーパースター 大塚直樹氏のインタビューでジャパンプロレス時代の長州は団体のトップにそれほど固執してなくて大塚氏が離脱恐れて社長にしたけど同じくジャパン移籍が噂されていた藤波が社長になってたら全日との提携も続き団体も存続してたのでは? >>879
世界の強豪が集結!と銘打たれたIWGPですら「猪木・藤波vs斎藤・長州」なんてやってんだからねぇ。
維新軍優遇が新日暗黒時代の始まりと言えなくもないな。
あいつらを雑魚のままにしとけば離脱されても痛くもかゆくもなかった。 じつは馬場と猪木は仲が良く
外国人選手引き抜き合戦もトレード(ブッチャー、マードック←→ハンセン、シン)だった説がある
だから長州軍団とブロディも交換トレードだったのかも この大会の猪木対藤波の公式戦は9分弱の短時間決着だったね
しかもノーテレビだった >>887
この頃の新日の仙台大会は
なぜかノーテレビのことが多かった。 >>870
よく見たらヘラクレス・アラヤになってるな >>886
信じ難いが日テレアナの倉持さんも言っていたね
馬場猪木のホテル密会もみたとも トップロープ跨ぎの入場はアンドレが自身のムーヴだと言ってたそうだけど
危険でもあるな。
https://youtu.be/o-vkSH4ahFI >>886
その引き抜き合戦はガチンコでしょ
出来レースと言っていたのは内部の人間でもない倉持だけ
Web掲載の野口修評伝でも1981年初頭に新間が猪木と同額のギャラで
鶴田を引き抜こうとしたけれど頓挫した話が出てくる
何よりもブッチャー、マードック←→ハンセン、シンじゃ全く交換メンバーが釣り合っていない
当時の人気No.1外人だったハンセンとNo.2だがまだ集客力絶大だったシンを
なんでロートルに片足を突っ込んでいたブッチャーとせいぜい関脇クラスのマードックと
交換せねばならんのか
こんなトレードを受けたとしたら猪木が馬場に弱みでも握られていたことになってしまう 引き抜き合戦は猪木より新間が暗躍していた印象があるな、鶴田まで引き抜こうとしたんだからガチだろ
梶原一騎は四角いジャングルで過激な仕掛人新間寿というスターを生んだ、新間さんはプロレス界の芦原英幸です 引き抜きに関してはガチンコだと思う。UWF、ジャパン、ハリケーンズの日本人レスラーに加えキッドスミスまで取られたら緊急自体でしょ?それに各地のプロモーターも黙ってない >>869
MSGの控室で角でおとなしくしていたサンマルチノと目が合って「(コイツも新人か!)
と思われて)ニコっと笑っていた。」と言うのが最初に出会いで「コイツとはウマが合いそうだ」
と馬場は感じたらしい。
>>842
京王プラザ裏手の居酒屋で健康に気をつけて肉は頼まず「ホッケと生野菜大盛り、そしてビール」
を頼むのがルーティンだった。 引き抜き合戦を打ち合わせありの出来レースと思ってる人がまだいるんだね。
打ち合わせだったら、全日No.1のブッチャーと新日No.1のハンセンの間が半年も開くわけないじゃん。年に1.2度の参加のマードックとNo.2もしくはNo.3のシンも釣り合わんし。 ところがホテル密会の馬場と猪木と新間の三人の記念写真が流出したからなあ 馬場猪木新間の三者が揃った写真は引き抜き戦争終結のため竹内氏等両者に近い立場の人がセッティングしたもの。 本当の密会ならあんな記念写真みたいの撮らないよな、普通は。
陰謀論を好む人は居るな、プロレスファンやってると確かに疑い深くはなるけど。
取り敢えずなんでも八百長じゃないかという見方はするようになるな。 ブッチャー、ブロディは結局全日に出戻った。転出したハンセン、シン、キッド&スミスはそのまま全日に定着。
まあ新日ってそういう団体なんだろう。 そもそも写真は流出じゃなく別冊ゴングに他数枚と一緒に掲載されていたもの。当時のファンなら当然知っている物が倉持の戯言で今になってねじれて解釈されてる。
記念写真と>>901が言ってるように引き抜き戦争が終結した事をファンに宣言するためわざわざ撮って掲載した。写真には撮っていないが元子夫人も現場にいたかもね。
坂口が開示した外人引き抜き防止協定の書類もこれが出来レースだったら必要ないモノになってしまう。開示された部分はペラペラ書類だが両社の弁護士を入れたガッチリした契約書だったらしい。 仲良くやってたらそれはそれで独占禁止法違反とかにあたるかもしれんし、健全な
競争やね。 これだから馬場さんオタは・・・(猪木派に対して数少ないいい思い出だからか)
このトレードは一見馬場の勝ちに見えるけど猪木にしてみれば外人は脇役だからな そりや引き抜きに関してはガチだけど真面目に反論しすぎてアスペじゃないか
倉持さんみたいな人はともかく、
多くはそういう要素は感じつつロマンや面白がって言ってるだけだよ >>907
違うよ。反論するなどしてプロレスを語りたいだけだよ。 >>897
76年の今日は、MSGでハンセンがブルーノの首を折った日だね、、 引き抜きの協定が結ばれたのはハンセン移動後なの?
だとするとキッドスミス、ブロディ越中はどゆこと? >>902
小鹿「週一万ドルもポンポン払ってりゃそりゃババサンサンキューサンキューってなるわな」 >>902
ブッチャーは、また全日から離脱した。
シンは新日にUターン、マードックは、新日に定着した。
ブロディは分からんぞ。全日に戻って1年も経たずに死んだから、
あれからまた離脱したかも知れない(SWSに行くとか)。 >>915
ブロディが生きていたら三沢川田になんか寝られるかと言って全日離脱しそうと考える人もいた
テリーやマードックがFMW、マスカラスやジプシージョーがW☆INGに行ったようにインディーで大暴れする方が確かに目に浮かぶ 自分は長州を全日マットに参戦させたのは猪木じゃないかと思ってる
それらしいことは長州も言ってるし
谷津は「長州さんは全日参戦直後から新日に戻ることを考えていた」とまで言ってる 割の合わないトレードだが、その代わり馬場は猪木の佐川会長宅訪問に同行してやった。それでチャラ。
>>898
> 引き抜き合戦を打ち合わせありの出来レースと思ってる人がまだいるんだね。
> 打ち合わせだったら、全日No.1のブッチャーと新日No.1のハンセンの間が半年も開くわけないじゃん。年に1.2度の参加のマードックとNo.2もしくはNo.3のシンも釣り合わんし。 ブロディの移籍は馬場のシナリオだったという説もある。
御しがたいうえに集客力もさほどでもないブロディを新日に送り、
猪木はじめとする新日主力を潰させようとしたとか。
かりに猪木は互角にやれてもそれはせいぜい「猪木=鶴田」になるだけのことで、
藤波など時期エースは鶴田には及ばないという式が成り立つから。 長州は浜口と維新結成直前に無断欠場して新日を除名になりかけた(猪木が鶴の一声で救った)
長州は維新結成会見で「もし新日を除名になったら全日へ行って鶴龍と戦う」と言った
当時は他団体の名前を出すのはタブーな空気あったから衝撃的発言だった
それを知った猪木は「おもしれえ」と思ったんじゃないかと 天龍と長州は飲み友達だった
それを知った馬場が「長州を引き抜け」と言った(天龍は断った)
馬場は長州を欲しがっていた 馬場は猪木が参議院議員に当選した時に凄く嫌そうな顔したらしい。
やっぱり、心の中では嫌いだったと思うよ。 兄弟愛と近親憎悪が同居する感情で、まさにリアルにプロレスをしていた二人。だから色々な切り口が全部面白い。 >>923
アディダスとプーマの創業者が兄弟でアドルフ(営業)とルドルフ(製造)は
最後まで大喧嘩を続けながら亡くなったのと近いものを感じる >>903
立ち会ったゴングの竹内氏が後にMOOKで、この会談は社会を震撼させたホテルニュージャパン火災の前日だったのでやたらに記憶に残っていると書いてたね。
ということは1982年の2月。引き抜き合戦が一段落ついて、全日本の社長が日テレの松根氏に変わって馬場は代表権のない会長職になったころ。
ホテルの会談といえば、ゴングの清水氏が新間氏に呼び出されたので行ってみたらマスカラス兄弟がいて驚愕したってのもあったね。
新間氏とマスカラスがギャラ交渉してる間、ドスカラスの相手してたとか。 馬場と猪木、元は同じ力道山門下の兄弟弟子だが、
(その時は、仲は良かっただろう)
その後、色々とあり、新日、全日に別れた時は
商売仇、まぁ仲が良い訳もないよ。 もしもブロディが生きてたら、、、、、
こんな事あまりいいたくないんだけど
4〜5年後にグレイシーはプロレス界を襲い
無論ブロディは闘いを避け
ブロディ最強を言う人は あまりいなくなるだろういなくなるだろう ファンクス、ドスカラス、ロードウォリアーズなんかも新日に来たけどマスカラスは結局新日には1度も来なかったな >>928
ライガーとタッグで対戦したときもWARだったしな ファンクスが新日来たときは
いかりやが、ひょうきん族に来たというか
夢でも見てる感じだった 1982年にカール・ゴッチが「私は今どことも契約をしていないので
オールジャパンのリングにあげて欲しい」と売り込んできた
もしリングにあげたらファンは驚愕しただろう 新日系外人がNWA主流派テリトリーのセントルイスやノースカロライナ、
全日系がMSGに出場というのは当然、日米双方提携してる団体(プロモーター)の関係もあってか
越境参戦と言うのは無かったと思う。その中で特別待遇だったのはアンドレ、ローデス、マスカラスか。
レイスも王者時代MSG出たんだっけか。 >>931
ロビンソンと組ませて最強タッグ出場って話があったんだっけ マスカラス「新間に新日参戦を促された事はあったが、
具体的な金額を提示されなかったので答えようがなかった」
莫大なギャラを要求する気だったのかな ヨーロッパの選手というと、昔は強豪が多かった印象だが、
IWGPでは最下位を争う弱小軍団に成り下がったな。
あの頃はイギリス選手というとタイガーにやっつけられてばかりのジュニアばかり。
大型選手はブリッジ、クイン、ワンツ(、ヤング・サムソン)だけではねぇ。
ジャイアント・ヘイスタックはアンドレとキャラが被るから呼ばなかったんか。 ヘイスタックカルホーンとアンドレが、一緒に国際に来たことはあったよな。
ジャイアントヘイスタックは国際には来ていないんじゃなかったか? ごめん 俺が文章よく読んでなかった
ヘイスタックカルホーンとアンドレだ
当時は ロシモフかアンドレか
国際よくかなあったな カルホーンはデブ・巨漢系でジャイアント・ヘイスタックは巨人系も入ってたな。
後者はアンドレともWCW時代のショーとも対戦してた。
カルホーンはMSGに出てたからアンドレと接点はあっただろうな。 浜口・井上対アンドレ・カルホーンがビデオ化されている あと国際は
ガニアVSロビンソンもやってる
この対決は全日では実現してないよね アンドレ&カルホーンvsマクガイヤー兄弟ってのがあったらしいが、
リングが壊れて試合にならんかったそうだ。
たぶんネタでこんな試合を組んでリングを壊すところまでお約束だったんだろうね。
マクガイヤー面白かったな。
ヤマハとの対決が一番印象に残ってる。 フレアーが新日マットに上がったときは夢を見てるみたいだった
あれスティーブ・ウイリアムスと交換だったんだってな
坂口社長になって馬場とスムーズに交渉できるようになったとの事で 全日本プロレス中継がゴールデンタイム復帰して放送第一弾は2時間スペシャルだったと記憶
鶴田vsフレアー(NWA世界王者)と長州vsリック・マーテル(AWA世界王者)が放送
「観客はチャンピオンベルトが見たい」と思ってる馬場らしいマッチメイク
直線的に攻撃するマーテルに対して長州が藤波みたいな動きをしていた
偶然テレビを見ていた藤波も「長州がこんな戦い方をするなんて」と驚いた
当時の長州は外国人選手とやるときはローリングクラッチホールドとかもやってた
ふだんは見せないだけで長州は器用なんだろな 長州が最強ダッグ初参加のときだったと思うがハーリー・レイスが来た
レイスは長州をよく知らなかったみたいで最初は舐めた発言をしていた
シリーズ中には長州vsレイスのシングルやったが長州が脚を怪我してて簡単に倒されてた
それでも最終日の表彰式のときレイスは長州に握手を求めた
あたりまえだけどレイスは見るべき所はちゃんと見てたんだろうな ゴングかなんかにレイスが長州にビールを注いでる写真があったね。 >>949
自分が提携してる会社と蜜月関係の会社の社長にお酌をするのはよくある社会の構図 新間さんのインタビューかでウィリー戦の興行収益は芦原師範が総取りしたと書いていたけど本当かな? >>951
梶原一騎に黒崎健時、大山兄弟といるのに余り関わっていない芦原師範が取るのはかなり変。
梶原氏と近い添野師範も当日まで蚊帳の外で情報が無かったのに。 >>946
再び顔の話に戻るが
顔の試合では鶴田も長州も
世界王者に秒殺されるだろう 船木がU若手勢を簡単に超え、さらに山崎にまで勝ったのは顔のおかげだったんだな。
山崎が高田に及ばなかったのは顔のせいだったんだな。 ヒクソンがインタビューで
船木を「ハンサム」と言ってた 顔抜きでも山崎は高田を超えられなかったよ
山崎も決して悪いレスラーじゃないけど 高田が88年に新日を離れ
95年にUインターのエースとして戻ってくるわけだが
プロレスラーとして体力的にも技術的にも精神的にも
びっくりするくらい劣化してた
相手をしてる武藤や橋本に試合を作ってもらってるのがよくわかる
後輩に気を使ってもらってどうするんだよw >>956
単純な運動神経なら山崎の方がずっと良かった。二代目タイガーマスクの候補にも挙がってたし。高田が山崎より上回ってたのは人気者になりたいという気持ちだけ! 山崎が高田延彦に勝ってたのは見た目では身長だけかな、貧相だったな顔も身体も。 >>957
そりゃそのまま残っていりゃエース候補だったのに、それを捨てて出て行ったんだから当然。
高田はやりたかった「真剣勝負風プロレス」を十分やったんだからそれでいいんじゃないか?
それでも高田は新日のリングに戻ってきたが、前田や船木は戻って試合もしてないわけだから、
高田だけを悪く言うのも違う気がする。前田や船木も戻ったら同じことになったんじゃないかな? 新日大量離脱前の中堅勢では星野に次いで木戸がテレビに出ることが多かったが、
中堅の中では顔面がマトモ寄りだったことが大きかったんだろうか。
星野は顔は大したことなくても昔からの猪木の親衛隊だから別格として、
永源、栗栖、藤原、荒川と比べれば木戸がマシなのは歴然としてる。
キムケンみたいにメインイベンターの末席にならなかったのは体つきのせいだろう。 >>961
高田みたいな「無能な働き者」になるよりは「無能な怠け者」になる道を選んだ前田船木のほうが偉いよ。
無能な働き者は組織にとって邪魔でしかない。前田は戻ったらそうなることを理解していただけ高田よりは利口だったということになる。 鶴田「キラーカーンはあの顔だからアメリカでヒールになれた」
カーン大激怒 ハンセンはヒステリーで発狂するから
米国ではホーガンなのかね こないだまで越中あたりと争ってたはずの高田が、新生Uができた途端
前田やバックランドに勝ったのは当時ものすごい大出世だなと思った。
逆に、Uに行かず新日に残っていたとして、高田は88年当時の藤波長州に
勝たせてもらえたんだろうか。やっぱ無理だな。 高田はあの顔だったからハッスルでもストーリーの主役の総統役を演じられた >>954
船木は高田にまで勝ったじゃないか!
90年8月横浜アリーナ、ドクターストップで。
藤原にも勝っているなぁ。
前田だけには勝てなかったが。 >>968
UWFがあと1年持ってたら前田にも勝たせてもらったんだろうな。 >>968
当時対立していた前田とU経営陣だが船木を次代エースに据えるという
路線に関しては両者同意していたという事だよね >>969
90年の時点でWOWOWとの交渉に入っていたそうだから
91年春の中継第一戦でエース交代の青写真を描いていたのかもね >>955
オランダ人でドームで船木と対戦予定だつた選手が船木をハンサムと言っていた
外人から見てもそうなんだと思った記憶 >>956
旧UWFで山崎が高田に勝った時は後楽園爆発したなぁ >>957
いざリングに上げると高田は実力がたいした事が無くUインターとの対抗戦も一回りして
北朝鮮興行の負債も一掃できたので用済みのUインターをWARへの対抗戦に橋渡した
永島氏が述べていた。 デブなおっさんになった前田はくまのぷーさんみたいで可愛げがあるが、
高田はノーベル文学賞の大江健三郎みたいな顔になった。 廣松と岡本は1試合だけ新日に上がってた(当人同士の対戦)。
中野や安生より先に新日に出てた。 船木は役者に転向しようとしたけどクソ大根で頓挫したんだっけ
ロック様みたいに真面目に芝居の稽古しなかったんだろうな 船木と同じ時期にデビューした野上彰は仮面ライダークウガでズ・ザイン・ダとかいうサイの怪人を演じた >>982
船木はシャドウフューリーってB級映画の主役でなかなか良かったけどね!共演でパットモリタ、マイケルマドセン、バスルッテンが出演してた スレ終わり近くで雑感
新日ブームではあったがそれは81年まで。佐山デビュー、ブッチャー登場、9月の田コロ、10月蔵前国際軍団・・。
81年までは順風満帆だったが、ハンセン引き抜きで何かしら屋台骨が大きく崩れた気がする。
翌82年の猪木欠場、これはホント影を落とした。助っ人のホーガンも所詮はWWFの犬。
長州革命はインパクトはあったが、正直、未だに長州ごときがって感じ。
パンチパーマの中堅がたまたま抜擢されただけ。。でもなあ、2021年の現在、長州は未だ現役の「タレント」でやってるから
そのプロレスラーとしての実力と、パブリシティーの不釣り合いにジレンマがある。
なんで長州ってここまで地位を固めてるんだろ。。 ホーガンはWWEと一旦切れてから人気出たからな。全日と交渉したのもまあ当然だわな。
WWEのブッキングで新日に来てたんだから。 ホーガンはWWEと一旦切れてから人気出たからな。全日と交渉したのもまあ当然だわな。
WWEのブッキングで新日に来てたんだから。 1982年ごろのホーガンのアメリカでの主戦場はAWAだけどね。
ニックに挑戦してはあの手この手で逃げられるの抗争やってた。
ガニアの娘と結婚させられそうになったとか言ってたな。 もう完全に旧WWFをWWEで統一して呼ぶ空気なんだな。
いや、それが悪いこととか言うんじゃなくて、
それほどWWFがはるか昔なんだなと感慨深い 動物の団体とかぶるんだったか?
WWFの方がしっくりくるわだけどな インディーに堕ちた剛竜馬は自分をタニマチに喧伝する時
元WWWF世界ジュニアヘビー級チャンピオン剛竜馬≠ニ名乗っていた
国際と全日には良い思い出が無いんだそうだ >>982ー983
あのストロング小林でさえ超電子バイオマンのモンスター役を演じられたのにな >>982
サスペンスの死体役のオファーがあったけど
俺にこんな役させるのか?とマネージャーに凄み事務所から干された >>982
プロレスだからイケメン扱いされたが芸能界にはあの程度のルックスなんて腐るほどいるからな
マジメにやらないと売れんよ >>985
でも81年あたりだと観客動員・視聴率はそれほどでもなかった。
この年の田コロあたりから上昇していった。 印象的だったのはゴジラファイナルウォーズかな
良い役貰えたけどドン・フライの存在感には食われていた
歴史的な駄作として有名な実写デビルマンにもいたな >>995
埋めるのは、次スレ立ててからにしてください。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 32日 9時間 30分 13秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。