【人間山脈】昭和の新日本プロレス27【一人民族大移動】
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小学生時代
学級会で クラスの七夕の願い事を決める話し合いで
「学校が潰れますように」と発言した奴がいた 994お前名無しだろ (オッペケ Srbd-8azo)2021/02/01(月) 17:23:35.06ID:dmbyrPLGr
>>988
猪木は、炎のファイターがちゃんと流れなかったら激怒しそうよねw
全日の選手は「ま、いっか」で済ませそう
パターソンとのNWF戦ではパターソンの入場曲は流れたのに
猪木は無音で入場してきたことがある
そのあとの国歌吹奏も中止になってたから
おそらく音響が壊れたんだろう 猪木はテーマ曲流れなくても「しょうがねぇな」で済ませてくれそうだけどな。
大仁田が激怒してスタッフをボコボコにしそう。 全日で天龍vs長州の時に天龍の入場時に間違えてJがかかって天龍が苦笑いしながら入場していたけど
よりによってテレビ中継の試合で鶴田のテーマと間違えるなんてレスラーも観客も前代未聞の出来事で驚くわな
こんなのあとで音響担当どうなったか考えると怖すぎる 図工の時
赤いきつねのカップにプロペラを付けたの
作ってる奴いたが
結果 それが宙に浮くことは無かった コブラの入場テーマ The Heat Goes On を久しぶりに聴いたら当時のワクワクがよみがえった。 >>9
彼女とのドライブ中
原さんの入場テーマは絶対に
止めた方がいい
俺はそれで30年前
女から連絡来なくなった。 >>12
>>13
大丈夫だ、最初の数秒で俺自身が聴くのやめたからw
基本的に洋楽のボーカルありを中心に聴いているんで、
コブラのほかに入場曲ではマスカラスのスカイハイ、エリックのアイオヴザタイガーくらいだね。
あと何かあったかな? アイオブザタイガーは、旧UWFでスーパータイガーもテーマ曲に使っていたよな。 アイ・オブ・ザ・タイガーはテレ東の世界のプロレスでも使われてたな
ロッキーのペストアルバムは名曲揃い。今でもこれ聞くとテンションあがる >>14
しばらく無言になってしもうた
原さん自身が
恥ずかしかったみたいだからな ドライブデートで
アンドレのテーマのほうがマシかな
坂口などいいかな? >>16
ホーガンも使ってたね。AWA時代、WWF時代、新日本でも一時的に使ってた。ロッキー3繋がりだからだろうね。 ケリー・フォン・エリックのテーマでもある虎の爪≠セから >>14
ベイダーのEyes Of The World
入場時にはヴォーカルはカットされていたがそれはコブラも同じだった
あとブロディの移民の歌の新日バージョンはVo入り ヴォーカルカットと言えばアイアンマン。ハンセンのサンライズもそうか。 馳と山田邦子の歴史的和解に誰も触れていないのが悲しい >>24
ジョージ高野のDon't Cry
馳のTwo Hearts ベイダーはウィナーバージョンでボーカル入るのがカッコ良かった
あとブロンドアウトローズのテーマ曲、入場とウィナーバージョンで全然曲調が違ったけど、あれは2つの曲だったんだろうか >>5 >>10
実際にスタッフをブン殴っていたのはリングス時代の前田
入場テーマじゃなくて試合開始前や休憩時間中BGM代わりに流していた曲の方だけど
俺の思っていた音楽と違う流すタイミングが悪い等と難癖を付けては
“鉄拳制裁”を決め込んでは担当者へつらく当たっていた
だからなんだろうなリングスはLLPWと並んで
度々社員スタッフ募集の告知を専門誌や一部の求人誌に出していた >>6
猪木は大木にリングアウトで星落としたんだっけか。開幕の蔵前。 すでに以前に話題になったかも知れんが、CSテレ朝チャンネルのクラシックで録画していた猪木VS小林戦を昨夜やっと見た
小林が大応援団を引き連れての入場シーン、この応援団の中に阿部四郎そっくりのオッサンがいる
そのオッサンはリングにも上がり小林の横に立っている
そっくりと言うか阿部四郎に間違い無い
当時、小林の後援会の偉いさんでも努めてたのかな >>31
それは阿部四郎です。元々多摩地区のプロモーターで、セコンドにいたのは結構有名な話。 >>29
殴りはしないが、客の前でスタッフを
怒鳴り飛ばしたのは馬場元子。 もしハンセンが全日移籍しなくてIWGP参加してたら結末変わってたかな?ホーガンの役回りがハンセンになってたかホーガン売り出しで現実のままなのか >>32
そうだったんですね
どうもありがとうございます >>34
82年に開催されていたら猪木対ハンセンだったかもしれないね。
でも、猪木対ハンセンは連発していてちょっとマンネリ気味な印象もあった。 >>36
82年のMSGにハンセンが出てたら、猪木の欠場で決勝はハンセン対アンドレかハンセン対ハンセン >>37
間違えた…ハンセン対カーンになってたのかな >>31
猪木(兄) S小林(弟)の
兄弟対決みたいだった >>15
実際の発音はVっぽいオヴになるけど日本じゃカタカナ表記はオブになっちゃうな。
ローマ字で書いたらOBUみたいな認識になってしまってる。 あの対決は「力道VS木村以来の日本人大物対決」
といってたが ガチだったら木村の方が強いと思うんだよな
木村はグレイシーに勝ってるし 木村は柔道だから相手が着衣なら簡単に捕まえて締め技に行けるけど、
力道山は胴着を着ていないので木村は手が出せんかっただろうね。
打撃系なら着衣だろうと裸だろうと関係ないだろうが。
猪木とルスカの試合でもルスカは得意の締め技に持っていけなくて苦労しているように見えた。
Uのドーム大会で前田が柔道マンに圧勝、
一方で山崎がサンボに完敗したの見て胴着の有無の影響を実感しましたわ。 >>45
ブック破りの力道山木村戦以外は、全部ケツ決めの試合だろ? >>45
あとホイスが素っ裸になったら
吉田 手も足も出なかった 猪木vsルスカや、UWFがガチの試合だったと思っていたのかな? たとえばUWF あとのリングスなんか中途半端なんだな
山本なんかオランダの選手に しょうていでバチバチやられて
次の日 顔が青タンだらけ
かと いって、あのタコのフラフラ状態で
カウント9ギリギリでたつなど いやガチとは今は思ってないよ
当時はガチだと思ってみていたけど
ただ柔道マンが前田を捕まえようにも前田が胴着着ていないから捕まえることもできずただ蹴られまくり、
一方ではサンボが山崎を振り回したの見て実感しただけ。
ああいう状況ならケツ決めでも納得できると思った。
逆に前田が着衣でサンボと対戦していたら掴まれた時点で負けだろうね。
だから前田は着衣での試合をしなかった。団体エースは負けられないから。 まーたガチガチ論議かよ
同じ話を何度繰り返すんだかな
晩御飯何食べたか覚えてるか? 道着を着ようが着まいが、あらかじめ勝敗は決まっているんだからどうにでもなるだろ? >>15
OFの発音は「v」音だよ。
https://en.hatsuon.info/word/of
ただ、日本語表記では、「V]音も「ブ」になったり
「ヴ」にしたり統一されていない。
VICTORYを「ビクトリー」と書いたり「ヴィクトリー」と
書いたりするだろ? ケツが決まってるんだから「掴むとこが無いからやりようがなかった」、又は逆に「掴まれたらどうしようなかった」という体にするのが自然だろ vをブと書いたりヴと書いたりするが、ofをカタカナでオヴなんて書くのはほとんどないんじゃないか? >>15
>>60
58の続きだが、ただ、日本でこの曲を
「アイ・オブ・ザ・タイガー」の表記で
発売している以上、「オブ」が正しいと言える。
でも、最初の
>Vじゃないだろw
という指摘は間違いなんだよ。 >>31
大物日本人同士の初対決というなら、約半年前に国際プロレスがすでにやってるのに
当時のプロレスマスコミは無視。その当時のラッシャー木村はまだ大物扱いされてないという事になる
何たる侮辱!屈辱!
https://livedoor.blogimg.jp/verdigris28/imgs/9/f/9fc9b170.jpg >>31
あの試合は後追いで見たけどストロング小林の人気に驚いたわ >>33
超満員の武道館で終始、ピリピリしてスタッフに指示を出す元子夫人。
ガラガラの地方興行なのになぜか終始、馬場とごきげんな元子夫人w
手打ちと売りの興行の責任の違いかな? >>67
ガラガラだと次の興行を買ってくれない可能性も高いから
ごきげん、というのもどうなんだろうね?
高額で買ってくれてもわざわざ来たくないような地域や、ガラの悪い空気の会場ならともかく。
手打ちばかりになると会社の精神的なプレッシャーも大きいから、本当は売りの方が安定していいんだけどね。 >>67
それは客商売の責任者と考えるとわかる。
客が多いと売上げあがる反面、忙しすぎてイライラが増す。
客が少ないと売上げ少なくても忙しくないから、余裕がいっぱいあるから穏やかになる。
イライラと穏やかを顔に出しちゃいけないのが客商売だけど、客商売してる人はわかるんじゃないかな。 >>69
大変だね。
ただ歩合制ならまだマシかな。
そうじゃないアルバイトとかだと混むだけ辛いだけよね 昔のアメプロは歩合制だから客入りはプロモーターだけでなくレスラーにも死活問題だった
アンドレがボスと持ち上げられたのも客を入れてギャラを高くしてくれるからでもあった >>66
ナツイw 買ったよこれ。卓上カレンダー。
通販だったか会場だったか忘れちゃったなア。一か月の日数の赤い紙の部分を毎月切り取っていくんだっけか。
ガキには高かったような。1500円程したのかな?オフィシャルグッズって高いんだよねえ。 新日で観客動員に大貢献した外人はシン、アンドレ、ハンセン、ホーガン
全日で観客動員に大貢献した外人はブッチャー、テリー、マスカラス、ハンセン >>66
1980年のカレンダーだね。
上の猪木とシンの試合は1979年10月のオイルマッチだと思うぞ。
顔触れも当時の主な面子。
上段が坂口、藤波、小林。
右側が長州、星野、剛。
左側が木村、木戸、永源。
こん中では藤波がまだ現役。
故人が三人。
こん中では年長組の小林、坂口、猪木が健在なのは嬉しい。
坂口は2月17日で79で猪木は2月20日で78か。
小林は去年の12月25日に80になったか。 >>74
あのオイルマッチの時の猪木の靴下って写真みたいなサポータータイプだったな。
そしてまさか30年後だかに秋山成勲によってふたたびファンの前でオイルマッチを堪能
出来ようとはw >>75
渕がずっと黒タイツコスチュームを変えなかったのは(海外は除く)
テーズがずっと膝と靴下はノーサポーターのシンプルなコスで通したから、その憧れらしい
根本的に体が頑丈でケガをしないから余計なモノをつけなく済んだと。
蝶野とやった時はもう老人だからロングタイツだったが。 シューズの底が薄くて丈もくるぶしをちょっと覆うくらいの高さ、
靴下もちょろっと見える程度ってのがストロングスタイルっぽいな。猪木や藤波もずっとこのスタイル。
逆に底が厚めで派手な色合い、エナメル加工とかだとアメリカのショーマン風。 https://pbs.twimg.com/media/ErVkdXMVcAEIO3f.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ErVkeGrU0AAV7Um.jpg
マクガイヤー兄弟と2対3の変則タッグマッチ
ハリフッドブロンドスとシンの6人タッグマッチ
荒鷲とグラハムのWWF世界戦
犬猿の仲の組長と健吾兄さんの対決と後のタイガー対虎ハンターの前座か
こりゃ武道館も満員になるわけだ、そして東京体育館大会はスッカスカに猪木激怒 俺はガキの頃
作文で「学校が火事になったら いいと思います」
と書いたら えらいめにあった 学校でボヤがあって持ち物検査するってなった
たまたま捨ててあったエロ本の束を拾ってきて盛り上がっていた日で拾ってきたヤツはカバンに積めて逃走
残った俺らは問い詰められたが、誰も口を割らなかった
エロの結束は強かった レネグレイを通常のシリーズで見てみたかった
アンドレのパートナーのイメージが強すぎたから…地方で猪木対グレイのシングルとかやってほしかった >>86
藤波が「こんな会社やめてやる」と捨てゼリフ残し、雪の中を返り血まみれ、トランクス姿でタクシーに乗り込んで帰った、というところまでが演出って理解でOK? >>87
正直、どこまでがアングルだったのかはっきりわからん。
個人的には、事前に知らせれてなかった藤波がブチ切れたと思ってるが。 坂口は負け試合があっさりし過ぎてガッカリ感が半端ない。 >>87
まあタクシーの運ちゃんの立場で考えたら
もし本当にガチで普通に客待ちしてたとすれば
そこで汗まみれのパンイチ大男が手ぶらでいきなり車内に駆け込んできて
荒い息と共に活舌の悪い言葉でなんか聞き取れないことわめいても
「ニイチャン、すぐ降りるか、それとも交番行こか」としかならないわな >>88
手打ちならともかく大塚への売り興行だったので猪木への不信が高じたとも言っていた 猪木は当初、長州襲撃の相手を小杉にするつもりだったという
それが真実だとしたらセンス無さ杉としか思えない
ミスター高橋の与太話とした方がまだ現実味がある 藤波が小鉄にまで手出してたから結構キレてるのかと思ったけど、
ボディスラムとかやってたわけだからあくまでプロレス内なんかな
でも生中継でテロリスト藤原のインパクトはあったわ、ああいうのをストーリーで繋げていける金曜8時の強み あの藤原テロ事件は藤波も知ってて予定通りだよね?
ジュニア公式戦のキッドVSスミス戦の前にタイトルマッチが組まれてるのも不自然だし。 小杉はくすぶってたから猪木はチャンス与えようとしたんだろうな。
不満とか焦りとか小杉にありそうだったから分からないアングルでもないけど
如何せん小杉には華がなかった、だからくすぶってたんだから。 猪木の「マンネリだから藤原に試合を壊させろ!」ってヒラメキがなかったら、
藤原はずっとあの前座レスラーのままで終わっていたのかな? 藤原はイラストとかで結構露出多かったな、一介の前座レスラーって感じではなかった。
顔が地味だから前座だけど実は実力者みたいな見られ方だったと思う。 長州のあの出血の多さはテレビ観てて衝撃的だったけど、スパナで2,3発殴っただけであんなに血が出るもんかな?と疑問ではあった。やはり長州なり周囲がカットしてたんだろうか。 >>93
猪木的には恐らく第三者による長州襲撃ってアイデア自体は大して重要とも思ってなかったんだろ
あくまで長州と藤波の個人抗争から
正規軍と維新軍の軍団抗争に本格的に拡大化するための方便というか因縁作りの一つで
だから襲撃事件受けての長州と藤原のシングルにしても当初は
当時の“コアなファン”が藤原に期待する
「関節技の鬼」「実は陰の実力者」「ゴッチの愛弟子のセメント野郎」ってイメージからは遠い
“テロリスト”藤原が試合開始からラフで急襲するも
一旦長州が反撃に転じるとラリアットで軽く蹴散らして格の違いを見せつける展開で
長州と藤原を個人間の「抗争」関係にしようって意図はあまり無かったようにみえる
だから藤原じゃなくて小杉でも誰でも中堅以下なら猪木的には誰でも良かったんじゃない?
藤原自身の「ここが俺のチャンス」って勝負勘と
あの頃には既に「藤原=実力者」説が
『私、プロレスの味方です』なんかで団体側の想像以上にファンに広まってたのが
(それは藤原の実力ウンヌンよりどちらかというと「知ってる」ことでツウを気取りたいファン心理で)
結果的に藤原個人を予想以上にフォーカスしてアゲることになったということだったと思う >>101
テロリスト時代の藤原は、基本チョークと頭突き、たまにパイルドライバーだけの印象だな。 後で見直したら、浜口のマイクアピールは「なんだあれはー?」って藤原の事言ってるのわかるが、家族とオンタイムで見てたガキの頃は
「なんだあれはー」が「ハンバーグラー」って聞こえた。
この怖いおじさん、なんでマクドの事言ってんだ?って思った。
だから、近年「モイスチャーミルク配合!!」ってのは凄くシンパシーを感じる。 通路の奥での事件のため全観客とテレビ視聴者はよく見えないため、
浜口が「何だあれは?何だあの野郎!!あそこで回し者に襲われたんだ」と説明していたのは上手い。 >>104
維新軍になってから目立つ場面は長州に譲っていた浜口の久々の見せ場だったな >>101 >>102
きっかけはそこだけど、Uに移籍して
関節技でレスラーとしても奥深さが出てきて、
バラエティー番組にも出演したりねw
組長で覚えている人もいるだろうね。 >>101
フロントの考えは長州と藤波の抗争で二人の負担減らして展開を広げるために措置で藤原
は暗に猪木からの指令だったと答えていた。 >>104
あくまで「回し者」なんだよな
仮に長州vs藤原である程度独立した抗争ストーリー作りたいなら
それこそなにか起こるなり「ハンセンですよ!」みたいに
会場にもTV視聴者にもわかるようにしなきゃおかしいし
その後行われた二人のシングル対戦では
藤原がU以降のように関節技できりきり舞いさせる場面がないと
二人の間での「抗争」としては成立しないんだよな
>>107
うん。
なので藤波長州の個人抗争のバリエーションを広げるために
「高橋が小杉じゃ無理っていうし…おい藤原、試合前に乱入して適当にぶち壊してこいよ」
くらいのかんじだったと思うんだよね、せいぜい猪木的には
さすがにあの時期に藤波以外で
明確に長州の「個人抗争」相手を作るのが目的だったなら
普通に健悟になってたと思うんだよね
というか今から考えればあの状況でも健悟が
「いや、その役は藤原じゃなく俺がやりますよ!」って名乗り上げてたら
その後の藤原の立場やしいてはU関連の流れもけっこう変わってた気もするんだけど
まぁ、そういう巡り会わせも含めて健悟だしねw 古舘も藤原だと知ってたよね。あの場面をモニターで見てすぐ藤原だとは分からないと思う。 >>101
村松さん本人が書いてる様な解説に賛同します 藤波対長州戦そのものが失くなるリスクは大きかったと思うよ。大阪、東京なら暴動に発展しかねないレベル あの札幌のメーンで猪木がいきなり前田に張り手したのも意味不明だったな
マイクアピールも何言ってるかはっきりわからなかったし >>112
あのさあ。なんでもかんでもプロレスファンが暴動をおこすと思うなよなあ。
のちの新日会場の暴動はいろいろとフラストレーションが溜まった結果であって、藤原のちょっかいで藤波長州戦1試合が中止になったところで暴動はおきないよ。大阪・東京だって同じ。 仙台ではブロディいなくなっても普通に開催したもんな >>114
最後の猪木・ホーガン戦を名古屋でやったのは暴動対策だと思う 藤原が長州襲ったから、長州vs藤原が組まれると思いきや
なぜか藤原vs浜口のシングル戦が組まれた
つまりあんな前座、長州が出るまでもない、俺がやってやると
浜口が代わりに藤原を制裁するという図式なのかな?
それなら正々堂々と一人で制裁すりゃいいのに
試合中に他のメンバーが乱入して総がかりで藤原をリンチしたんだよな
テロ行為の報復だと言えば聞こえはいいが、
結局維新軍は一人じゃなんにもできないのかと 長州は斉藤とカーンがアメリカに戻って孤立すると何もできないから浜口と組むようなヘタレだし、
浜口は浜口でラッシャーよりも強い後ろ盾欲しさに長州におもねるようなヘタレ。
しばらく単独で戦い一時期は弱体した国際軍を助けたコバクニこそ漢。 >>108
小杉がやってたら、その後
猪木&藤波&小杉vs長州&浜口&谷津
小杉vs長州
小杉はブレイクできたかな? >>117
前年があれだっただけにリングアウト勝ちで収められる自信が無かったと想像 >>120
革命軍時代の長州はマサとカーンに挟まれて小さい印象 革命軍が維新軍になる前は、普通に小林邦昭と組んでたよな?寺西と共闘したから国際軍になったんだっけ? コバクニはグラン浜田と一時的に共闘したのとIWGPでカーンと組んだ以外はほとんど孤軍だったよ
IWGPではキムケンとすらタッグを組んでる >>126
そうだったか、サンクス。いずれにしても国際プロと関係ない小林邦昭が国際軍って変だったよな。 だから前にも書いたが
それはタイガーが関係してて
タイガー 星野の日本人対抗チームとして
小林 寺西組 その流れで
小林がR木村と テロ事件の後、蔵前まで藤原は謹慎処分になってたんだっけ?
そういえば全く話題にならなかったけど新春黄金シリーズの途中で剛竜馬が離脱したんだよね。 >>118
維新軍団はマサ斎藤がいない時は、乱入が多かったイメージ。 83年夏だったか、タイガー&木戸vs小林&寺西が放送されたよね。これはかなり久しぶりの木戸のブラウン管登場だったんじゃないかな。 >>132
単なる人数合わせとブラック・タイガーの格下げにしかならなかったよなあ
リーグ戦序盤で後楽園ホールでのコブラとのシングルはブラック・タイガーの方に声援集まってたくらいで、
またジュニア戦線で出てくるチャンスもあったろうけど、結局キッド、スミスに明確に差付けられてその下の外人枠、
コブラのタッグパートナーいないからとりあえず組ませておくかみたいな。
あれじゃ全日でいうウルトラセブンとかマジック・ドラゴンみたいな扱いになっちゃった 初代タイガーが引退した時点でブラックタイガーやる必要ある?
マーク・ロコで参戦でもよかったんじゃ >>132
この日は本来キッドとブラックの公式戦のはずだったんだよな
タッグにするならむしろコブラ・高田でやって欲しかった >>133
84IWGPでの公式戦マサVSアンドレの時は維新軍総出で乱入してた。 >>136
マーク・ロコとしても来日してなかったっけ?
何気に新日モスクワ大会にまで参戦してたブラックタイガー >>139
ザンビア相手に乱入したのが一番の醜態
あれで長州・浜口は事実上終わった >>136
後に山田恵一の凱旋に合わせてマークロコで来たけどあまりウケなくてまたブラックタイガーに戻したからね。
素顔だとちょっと地味すぎたからでしょ >>114
もしこの大会がその後の蔵前国技館大阪城ホールの暴動の後に開催してたら可能性はあったと思うよ。藤波対長州が消滅して長州は負傷で仕方ないにしても藤波まで試合無しって客が金返せと怒っても仕方ないんでは? マスクドスーパースターも猪木に負けて覆面剥がされて、次のシリーズ1度だけ素顔の
ビリークラッシャーで来日したよな。その次のシリーズからはまたスーパースターに戻るという展開だったが。 >>133
84年のサマーファイトシリーズでうちの街に来た時に、
ノーテレビの単なる地方興行なのにセミの試合に乱入してきて
そのままメインに突入したことがあった。 >>132
まだこのシリーズはコブラも日本人側なのか立場が微妙だったんじゃないかな ルチャ絡みだと混成タッグみたいなの結構実現していたよな。
浜田&ハンリーvsペロアグアヨ&ベビーフェイスとか、
ソリタリオ&タイガーマスクvsロスブラソスとか。 今ペールワンセンの戦い見たんだけど、腹出てる素人のおっさんだな。技術がない。
打撃無しのグラップリングでガチの試合なんだろうけど、つまらなかった。小沢が喜んでいたのが印象的 >>143
暴動起こした後にそんな危険なことするわけないだろw まあコブラ自身もジョージ凱旋帰国で何処へってとこだもんな
力抜山も知らんうちに素顔でやってたり
85IWGPでも出場者謎のXはマシンじゃなくて平田凱旋帰国か?みたいな記事あったね 週プロだな
特別参加はフレア級の大物の予定だが交渉の時間がないのでXは平田だろうみたいなこと書いてた >>149
意味分からん!貴方の論調ならTPGの時も暴動起こらないのでは? >>152
何で意味が分からないの?w
暴動した後の暴動が起こりそうなことをすることがないだろうと言っただけだが。 「暴動した後の」は「暴動起こした後に」の間違いねw >>149
札幌でも蔵前でも木村が乱入したのに大丈夫だったというのも大きかったかも >>141
あんな醜態晒したから、その後は維新軍とアキムカリムの対戦は二回しか組まれないんだよね。
一度はテレビマッチにもなった寺西小林で寺西が潰され完敗。
もう一つはノーテレでハンディ戦、アキムカリムvs谷津寺西小林。さすがに維新軍の勝利。
こんなカードを組むM高橋の頭の悪さ。
アキムカリムスーパースターvs長州浜口谷津みたいなカードでも組んで、
ガチ仕掛けられると手も足も出ない維新軍の弱さをお茶の間に見せてほしかったよ。
なおこんなカードが組まれたら猪木の相手がいなくなるので、
そこは猪木星野vs藤波木村みたいなカードでも。こっちのほうが雑魚維新より面白そう。 >>156
猪木・藤波がギブアップ勝ちしているだけに尚更だったな
まさに日本人相手でないと輝けない維新軍かって >>156
猪木対シャープ、藤波木村対ムラコ、アヤラで落ちつきそう >>156
>ガチ仕掛けられると手も足も出ない維新軍の弱さをお茶の間に見せてほしかったよ
当時の人気の軍団を晒しものにするカード組んだらそっちの方が頭悪いやろw
個人的に嫌いなのはいいけどもうちょい落ち着け バイオレンスコンビと長州浜口組の時は上手く噛み合ってたんだけどな
ザンビアエキスプレスみたいな巨体で不器用なチーム相手だと捌ききれない
ただでさえドチビな二人なのに…だからセコンドを乱入させる 国際でR木村は 堂々たる闘い
戸口はCGでかってる
やっぱ長州外人苦手 新日では大型あつかいされてた流星仮面でもブラウンとの体格差は顕著だった。
https://youtu.be/QU1bfq4t1F4 ブッチ・リードが死去したとのこと
日本にはあまり縁がないレスラーだったな >>165
散々全日参戦が噂されながら
日本に来たのは91年の新日の
ドームだけだったな。 >>159
いや、今でいう「電通が作り上げた韓流人気」みたいな維新なんかストロングスタイルの新日には長い目で見たら不要だったよ。
同じ韓流wでも前田のほうがよっぽど説得力があった。 >>166
86年IWGP来日予定だった
代わりに来たのがワイルドサモアンでガッカリした 流星仮面は公称198p135sか。実際は185くらい?
ジョージアあたりでビッグジョンスタッドも覆面かぶって「マスクトスーパースターズ」を
組んでいたが写真で見ると体格差がすごかったw スタッドは203pとあるがほぼ実寸だろう。 スーパースターは他にもチームを組んだスマッシュやアステロイドより背が低い。
実質、190cmはないよね。 >>171
スーパースターはマードックとのコンビが一番印象深い スーパースターは猪木に卍固めで負けてた印象が強い…マードックは延髄蹴りかバックドロップ >>175
最初は延髄蹴りと呼んでいた。
雑誌のキャプションには蹴りと書いてある。
たぶん古舘アナが延髄斬りがカッコいいとアレンジしたのではないか? >>175
浜口も延髄斬りでやられまくっていた印象
むしろその時期に必殺技として磨かれていった感じ >>174
あのジャーマンは猪木の腹の上にスーパーの足が寝てるみたいに伸びたまま乗っかってたから
カタチが奇麗になってなかったな。
あとスーパーと言えば猪木や藤波らを吹っ飛ばすパワーでのフォール返しw ランニングネック…いやっw フライングスリーパーで
猪木からフォールを奪っている 小学生の頃は、フライングスリーパーが決まればアンドレだってフォール負けするかもしれない、
なんて真面目に思っていたw 流星仮面とアンドレ仲良いから、割とアンドレも技受けてる。 >>178
ブッラック・ゴールドマンも同じような形になってた
この時代の外人レスラーは
ジャーマンを受けること自体、一生に一度の出来事だろうからね
どう受けていいのかわからないんだろう >>172
双方ともマスコミのテキトー表記。
スーパースターが過大
マードックが過小 流星仮面は黒地にブルーの星のマスクが好きだった。
猪木にジャーマンで負けた時のやつ。 >>180
84年のIWGPではフライングスリーパーであわやの場面を作った 新日のリングドクターの冨家が
「M・スーパースターの運動能力は全外人レスラーでトップクラス
学生時代に十種競技の選手だったのです。
あれはスポーツ万能でないとできません。
あの体格で100mを11秒台で走ったと言うのですから。」と書いていたな >>101
>一旦長州が反撃に転じるとラリアットで軽く蹴散らして格の違いを見せつける展開
札幌テロの1ヶ月ぐらい後の三月に大阪城ホールで
長州×藤原のシングルが組まれたよね?確かノーTVのはず、雑誌の記事でしか覚えてないが
藤原が反則ラフばかり、ヒモ?で長州の首を絞めるもバックドロップで切り返し
リキラリアットでピンフォール、みたいな内容だった。
あそこで藤原のお役は終わりと思ったら、UWF蔵前の前田の相手に乗り込んだり
5vs5の勝ち抜き戦の副将に抜擢されたり、再浮上してきた
藤原ってどのぐらいの強さなの?何だかなあ…って子供目線では思ってた。 >>188
あ、そうだったの?
大阪城の初使用だと思ったけど、じゃあオレが見逃したのか…今更ながら悔しい >>190
長州が短時間でフォール勝ちしてがっかりした記憶があるが
どっちかな 大阪城ホール初使用の時はノーテレビだよ。
次の日の泉佐野?はテレビ中継あったけど。
猪木が入場時に維新軍に襲われてそのまま退場した試合。 >>191
テレビでやったとなるとずっと後のドームでの対戦がそれっぽいが そっか…やはり大阪城のはノーテレビで合ってたか…
長州vs藤原ですっきり決着つくやつは昭和はノーテレビな印象
長州がカムバック後の大阪府立だっけ?
(エプロンの藤原にラリアットかまして長州のリングアウト勝ち)も市販ビデオだったし >>193
そんな大きな大会じゃないし、まだテロリストと呼ばれてた頃の試合だけど。 >>192
坂口が代役だったんだよな
テレビで谷津とやった唯一の試合だったか 後楽園ホールでの、ミスター高橋のコイントスの意味、、、 >>197
健吾の俺が俺がアピールが通じず。無念。 流星仮面は198なんて過大発表してるから、実際より低く見積もられ過ぎ。実際はマードックとほぼ同じ身長。猪木との比較で190p前後は確実にあった。反対にマードックは186公称だから高く見積もられ過ぎ。実際は2人の身長差はほとんど無い。日本人だと前田とほぼ同じぐらいでしょう。 「長州 谷津 外人に弱ええ」と思ってたら
最近録画したクラシックでハンセン デビアスにリングアウト勝してた
だけどハンセンにリングアウト勝したのは谷津で
長州は場外で伸びてた >>201
あの頃、週プロで藤原の関節技教室みたいな連載をやってたけど、コピーして何度も見て理解した風な気になっていたなぁ。 >>203
最強タッグの札幌大会だったか
対抗外人の最強試合はやはり武道館でのウォリアーズ戦か マードックはブロディと戦っても身長は遜色なかったからな。全日のオープン選手権の入場式でもひときわ背が高いし。 >>114
メインさえきちんとしていれば、暴動は起きない 長州の外人苦手な印象はマードック、アドニス相手に苦労してたの大きいな
ノンテレビの後楽園で結構一方的な攻め食らって、その日の試合後、長州がマサ斎藤の宿泊先だった
外人勢の常宿京王プラザに迎えに行ったら、マードック、アドニスとバッタリでそこでもひと悶着あったとか >>180>>181
MSGタッグでアンドレにフライングネックブリーカーを見事に決めていた。 1984年IWGPだと思うが
アンドレvs流星仮面、たぶんノーテレビ
週プロの記事では「とんでもない試合、スーパースターがネックブリーカーでアンドレを追い詰め、あと一歩」
そんな内容だったかな?とにかく流星仮面のベストバウトと絶賛しきり
他にもマサvs長州のバックドロップ合戦とか…
あの時期の「WWFと提携切り前」の新日は全日と外人の質は負けてないし、
映像で残ってないもったいない試合が多すぎる。 革命以前のパンチ長州時代なんか殆ど外人との絡みなんか見ることが無かった。
つうかTVの露出自体少なかったし。北米タッグでアレンとやり合ってる程度か。
最初に凱旋した第4回ワールドだけだったな、注目されたのは。その時だったか
ワープロで長州(当時はまだ吉田)のスパーリング映像が流れてたが割ときびきびとして
強そうな印象は受けたんだけどな。結局翌年に凱旋した藤波にそれ以降持っていかれた。 チャレンジスピリット86の外人勢のショボさが堪らない! レオン・スピンクスが亡くなったとの事
猪木戦の後はFMWのリングに上がったりもしていたね >>216
ラストの二戦だけブロディが参加して金曜夜8時に幕 >>217
FMWの世界最強総合格闘技タッグリーグ戦は最高に笑えたな。スピンクス&ブラックボーン組は
グローブ同士でタッチプレーして、負ける時は必ずスピンクスのブラックボーンへの誤爆パンチだった。 >>192
おかげでその後シリーズ猪木欠場。
長野では綿半でのサイン会も中止。
猪木と握手だけだった。
維新軍嫌いに拍車がかかった思い出。>>192 >>214伝説の84IWGPの流星仮面vsアンドレの隠し撮り動画観たことあります。フライングネックブリーカーからのコブラクラッチでアンドレを追い込み、後楽園ホールは大歓声につつまれていた。まさに流星仮面の日本でのベストバウトだったのでは?マスクドスーパースターは日本でコブラクラッチをほとんど使用してなかったけど、本国でのフィニッシュはコブラクラッチがほとんどだった。何か規制があったのかな? >>221
それは羨ましいです
1984は前年は不出場だった藤波も長州もマサも参加し
翌年の1985は維新軍離脱でもちろん不出場、WWFとの関係も微妙
前田がいないのが痛かったが、1984こそ日本人・外人共に最高メンバーだと思ってます 週プロにその模様が記事になっていて、
前年の前田対アンドレのニールキック2連発の状況で妄想したな。
本来はマーテル対アンドレの
後日のアンドレ対アドニスのテレビマッチでもアドニスが大善戦した。 今日は83年と84年の蔵前大会の日
それぞれの代表はやはり二度目の変則にジュニアの三つ巴か 2年とも蔵前見に行ったなあ、83年がプロレス初めての生観戦だった
最初に行ったのが蔵前だったから後に後楽園ホール行ってこんなに狭いのかと驚いた 85年のIWGPでもアンドレVS流星仮面は実現しててスーパースターがボディスラムで投げるの潰されてフォール負けだっけ?
スーパースターならアンドレをボディスラムで投げさせても良かったのに。 そうだマーテルもIWGP参加予定だったんだよなあ
意外と全日での長州戦は手が合って評価されてたけど >>228
ハンセンが抜けた82年のMSGシリーズで、誰がアンドレを投げられるかという記事が
月プロだったかデラプロに載ってた。参加選手のなかで可能性の高いレスラーが挙がり
マードックやスーパースターも候補だったっけか、そんな内容。 新日の三大暴動(第二回IWGP決勝戦、大阪城ホール猪木闘魂ライブ2、TPG両国)で一番ヤバかったのはどれだろう?自分的には大阪城ホールかな? 海賊男の時は、会場から輪島コールが起こっちゃったからな。猪木にとってはもっとも屈辱だっただろう。 >>231
個人的にはTPGの時かな
他の2つは結末はアレでも
それまでの試合内容で十分入場料の分の元は取れてるとも思うし・・・ TPGの時はTPG絡み以外は馳の日本デビュー戦や山田VS船木くらいしか覚えてないな。 暴動寸前ギリギリの試合としては
1982年大阪府立・猪木対木村の髪切りマッチ
1989年後楽園・斎藤&橋本対長州・蝶野
があるな >>234
TPG絡み以外というなら、その2試合とIWGPタッグ戦だけでしょ。あと数試合は前座 TVで見た感じだとTPGが最高にやばかった。
たけし軍団がリングにあがってからずーっと怒号が飛び交ってたから。
客の暴れ具合はもしかしたら大阪だったかもしれんが、あの異様な雰囲気の長さはとんでもなかった。 >>238
確かに藤波木村VS斎藤長州戦のリングに投げ込まれたゴミの量は半端じゃなかったね。あとこの日の事で物議醸してるのがベイダー戦の藤波負けブック拒否なんだが信憑性は如何なものか >239
この時の負けブックの意味は、外人エース候補というよりは、
ビートたけしへの負けブックだから、断固拒否はありえるかもな。 >>241
TPG参戦は、視聴率回復とゴールデンタイム残留をかけた会社挙げてのプロジェクトだっただろ?
クーデター以降の藤波は経営陣に入っていたのに、負けブックがイヤとかどれだけ子どもなんだよ。 >>242
奧さんが試合観に来てたから、負けブック拒否したらしいです。 >>242
あそこで負け役をやったら出戻りの長州の後塵を拝する事になるから >>244
まあ、2か月前の両国で長州に負けてるしね、三本勝負のやつ
そのうえでベイダーの踏み台になれば、長州不在の三年間は何なんだ?になるし
ある意味ではUWF勢の強者モードは藤波のおかげでもあるし
「滅私奉公はもうイヤだ!」ってオレが藤波なら思うw 長州ってアンドレをボデイスラムで投げたことあるんやね。坂口でも無理だったのに レスリングでfallってピンフォール以外に使う事あるんかな、カネックがアンドレを
フォールしたとは根強く言われてるよな。これはWikipediaだけど
> he defended his UWA title bodyslamming and defeating Andre the Giant in two straight falls (Feb 12, 84) >>220
欠場の本当の理由は何だったんだろうね。
それともそこまで忠実にストーリーに沿って欠場したのかな? ブッチャーの凶器シューズより
アイアンシークの凶器シューズのほうが
鋭くて痛そう シンが凶器シューズにしたのは何時くらいだっけ?
新日時代は普通のシューズだったよね? >>251
ブッチャーと組み始めた88年〜89年。
仲間割れして離れた90年は元のシューズに戻したはず。 しかしシンの凶器シューズは嫌だったな。
あとシンのショルダー、アマレスタイツもやめて欲しかったわ。
アンドレのショルダーも同じく。
体つき隠す為にとの事だけど。
アンドレはまだしも練習熱心で体凄かったシンが・・・
しかもその理由まで雑誌に書かれて。
88年頃のシンは以前と体型変わってなかったと思うが。
アンドレはどうせなら下半身全体覆うロングにした方が良かったと思う。 >>219
このミックス格闘技感も良かったがこの後にデスマッチ路線に舵を切る。
>>231>>233
放火騒ぎがあったのが一番かも・・・
>>242
東スポで速報すると同時にGタイム降格が記事になっていて二重のショックだった。 >>245
タッグリーグ優勝した藤波が負けるから意味があるんであって
良い思いさせたんだからそこは頼むよ・・って感じだったんだろうね >>257
ああそうか…藤波組が優勝したんだっけ?
あのリーグ戦は木村健が開幕戦で長州をフォールしたのと
前田の顔面襲撃の事しか記憶にないねえ
せいぜい藤原が責任を感じてマサと組んだ事ぐらいまでが印象の範囲…
そういう点で藤波は影が薄いな、本人のせいか外部的なゴタゴタのせいかわからんけど。
どちらにしても藤波はなんか不遇だ、負けを拒否したくなるのはやはりわかるw 82年MSGシリーズの全公式戦をノーカットで見てみたかった
特にトニーアトラス絡みのカードは興味深い 俺は戸口のカードだな。やる気なかったんだろうと想像・・ >>258
このシリーズの両国
猪木、マードック対マサ斎藤、藤原はベスト3に入る地味なメインのカード >>258
猪木マードックが優勝するんだろうと思っての意外性で藤波組優勝だったけど、
全くサプライズ話題にならなかった優勝だった。リング外のことが話題になりすぎて。。 >>261
地味だね〜
華のある前田長州の欠場は痛い。せめて藤波をメインに入れないと。。 >>260
戸口対カーン、戸口対木村、戸口対藤波、戸口対坂口など日本人絡みが面白そう 新日の戸口は
田コロの猪木戦、これは参戦直後だから当然として
@タッグリーグ決勝で猪木のコブラでギブ
A維新軍助っ人で藤波に雪崩式ブレーンバスターで負け
B平成初期、栗栖とピラニアタッグで危なっかしいツームストンやってた
これぐらいの印象しかないな… 凶器シューズを初めて見たのは新日じゃないが77年オープンタッグのブッチャー&シークで、
当時はそれが凶器的なものじゃなく、アラジンと魔法のランプとかで履いてるあのとんがった靴を
倣ってると思ってたw。シークなんかはまさにアラビアの怪人だし。 >>259
ラッシャーは公式戦でカーンとスーパーにフォール負けしてるんだよな。せっかく猪木との抗争が盛り上がっている時に、カーン売り出しの嚙ませ犬役はひどいよなと思ったわ。考えてみたらスーパーは猪木と引き分けとかまだ厚遇されていたんだな。 >>259
月刊プロレス誌だったかな?アンドレVSアトラスの公式戦で
アンドレがアトラスをリフトアップしてる写真見た覚えがある。
試合を見てみたかったな。 >>269
アンドレの公式戦はほぼ4分前後で決着してたね トニー・アトラスがホーガン持ち上げてる写真とかザ・プロレスだったか何かに載ってて
来日前結構な期待されてたもんなあ
いざ参戦したらその後ロクな話出てこなくてそれっきりだったけど >>259
81、82年のガイジン同士の公式戦は全部見たかったな。
ほとんどがグダグダだったろうけど… >>271
開幕戦、藤波との試合はとても良かったのにね。
月刊プロレスにインタビューが載ったけど、何故か恋人の写真がデカデカと載っていたのに笑ったわ。 地方紙のレオン・スピンクス死去を伝える写真が猪木の延髄斬りを喰らっている場面だった。
仮にも世界チャンピオンなのに・・・ >>259
82年MSGシリーズでアンドレ(後半戦から参加)とホーガン(前半特別参加)が唯一日程でバッティングした岐阜大会で
アンドレ&アトラス対ホーガン&ドンムラコという外人タッグ戦が実現したがノーTV。
この日は他のマッチメイクも良く公式戦は猪木対ラッシャー、勿論革命前だが藤波と長州が対戦してる。
岐阜は有力プロモーターがいるのかな? >>276
岐阜には日プロ時代からの有力プロモーターがいたと読んだことがある。
全日本も岐阜は重用していたそうだ。 日プロ時代からで両団体に顔が利くのは結構な大物か。。
新日で地方でビッグマッチというと必ず高松市民文化センターってのがあったが
あそこは大塚直樹が仕切ってたな。 >>258
そもそも藤原も最初は猪木と組んでたけど負傷欠場でリタイヤしたんだよね。
マードックが猪木のパートナー名乗り出て猪木・マードック組に変更。
マードックのパートナーだったスコット・ホールが宙ぶらりんになったから坂口征二と組むことになり、長州も負傷欠場、長州蹴った前田も欠場。
開幕当初負傷欠場になったはずの藤原がマサのパートナーとしてリーグ戦復帰。
目まぐるしいw
開幕当初のラインナップ。
猪木・藤原
藤波・木村
マサ・長州
前田・マシン
高田・武藤
マードック・ホール
スター・リッチ
ナガサキ・ポーゴ
最終的に半分のチームが変わってるw >>280
猪木とマードックは最初からの予定だっただろうけど、長州と前田は予定外だっただろうし、最初から藤波組優勝だったのかそれとも別のチームだったのかは気になる >>258
だから「負けを拒否した」というのが既成事実化しているのがおかしいんだよ
あんな会社の屋台骨を揺るがす不祥事の原因を作ったのなら
その後の飛龍革命でマット上の主役を任される事なんか有り得ないっての
このスレに限らずネット民は高橋本とGスピの記述を無条件に肯定する人が多過ぎ
>>275
ボクシングのヘビー級は肖像権や写真の使用料が高いらしいしねぇ
ましてスピンクスの若い頃なんてヘビー級の人気と注目度が一番高かった時代なんでしょ?
流石にリアルタイムではよく知らないけど 今日は猪木と上田の釘板マッチの日
とにかくよく武道館でやれたもんだなって >>279
岐阜となれば大野ファミリーの関係者かな 改めてTPG両国観直したけど藤波長州タッグ戦後猪木対長州戦まで結構間があったね。ここで猪木対長州がそれなりの試合やってればベイダー戦流れても客は文句言わなかったと思う。やる事なす事全て歯車狂ってしまった典型的な興行。
あと長州の流血はクロネコのカットかな? 猪木「ふざけやがって、この野郎!今日ここでやってやるよ!どうですか、お客さん?」
最後が疑問形になったのは、猪木自身も客がどう反応するか自信がなかったのかな? >>287
>どうですか、お客さん?」
当日の客の一人だが、、お客さんは皆「ダメだ――!」
と意思表示したんだがねぇ。 >>279
このプロモーターの地盤を受け継いで
できたのが共同企画だっけ? あの時代のプロモーターってまぁ99%ヤクザだよね
たまにものすごくガラの悪い地区とかで興行ある時も組関係の頼みとかで呼んだりしていたらしい >>287>>288
どうですか、だけであってお客さんとは言ってないよ。
てか、当日いたのになんで間違えてんのw お客さんとは言ってないね、誰かが分かりやすいように付け足して、それが広まったんだろうな。 井出らっきょあたりかな。ひところ散々言ってた。
R木村も「みなさんこんばんは。ラッシャー木村です」までは言ってない。
これはたけしあたりが流行らせたんだろうけど。 前田の「誰が一番強いか決めればいいんや」も
関西弁で言ってない
まったくいい加減なもんだ >>291
そういう揚げ足どりをする奴って最低だな。
リアルで他人からバカにされているから
ここぞ、という時にマウントを取りたがる。
お客さんといったかどうかは、大した問題ではない。
客に対して「どうですか?」と聞いたことが重要なんだ!
バカ!キサマは二度と書き込むな! >>295
何で切れてんのwww
しかも自己紹介付きでw
そこまで言うほど無意味な指摘では無いと思うよ
理由は猪木ファンには説明不要なはず レスラーの言ってる事なんてよく分からんしな、正確には動画でも見れば良いんだし
ニュアンス合ってればどうでもよし。 猪木の「十年持つ選手生活が一年で〜」はニュアンスさえ合っていない、ほぼ創作。 >>294
あれは「誰が一番強いのかっていうのをね、わかるまでやればいいんや」ではなかったか? >>295
ちょっと違うよってのを軽く指摘しただけのつもりだったが、なんだか随分感に触ったようでスマンかった。
ただ個人的には、長年ファンを引っ張ってきた猪木が観客に対して
「どうですか」と言うのと「どうですかお客さん」と言うのではだいぶ印象が違うのだよ・・ >>283
「アリを破った男」としては
経歴のわりに私生活の乱れ等から現在では完全にフロック扱いで
しかもタイソンに勝ったダグラスのようなKOでもなかったんで
あれは「スピンクスが勝った試合」ってより
今では一般的には「アリが負けた試合」って評価になってる
そのためノートンやフレイジャーと並び称されるような存在ではないし
ボクサーとしての魅せ場はそのアリ戦だけで
その試合は自然とスピンクスでなく「アリの試合写真」になっちゃうからねえw
まあボクサーとしては弟の方が圧倒的に評価上 >>301
ダグラスもタイソンに勝った後にアル厨、糖尿病、うつ病と酷い事になってるんだよね
(今は回復したみたいだけど)
超大物に番狂わせで勝ってしまうと環境が変わってしまうんだろうな >>289
共同プロモーションは昔は国プロ押しで「もっと早く新日押しになっていたら・・・」
言うくらい新日ブームの頃は大盛況だった。今も好カード組むのは営業力も強い
有力プロモーターだからなんだね。
ブルーザー&クラッシャーの金網戦で大暴動になったがこんな豪華カード組んだのも
この影響だったんだね。ただ中日ドラゴンズの選手も観戦に来ていて暴動に巻き込まれて
散々な目に遭ってそれも報道されたのはマイナスイメージだった・・・
>>294
りっぱな関西イントネーションになっていたw ただ「世代闘争なんて言わんといてな!
誰が一番、強いか決まるまでやればいいんやー!」と言うのは全く同意見だった。
老け顔のために旧世代軍に入れられた藤原は不幸だったwww そういえば長州のかませ犬発言もリング上で言った事になってたりするよね。 おい、世代闘争とか言わんとな、誰が、強いか…一番強いかをね、決まるまでやりゃあいいんだよ、決まるまで!
結構かみかみだったのを勢いで押し切った前田 藤波の「お前は平田だろ!?」はマシーンにマスクを脱がせるための演出だったわけ? 長州の「キレてないですよ」も「キレちゃいないよ」。
あの試合後会見で質問したの保坂アナなんだよね。あの当時ワープロに久々に復帰してしばらく実況してた。
ワープロはかつての実況アナを復帰させるケースあるね。今やってる田畑もかなりのブランクあっての復帰だもんね。 >>305
前田にしては聴き取りやすいマイクだったなw >>298
うん?あれはストロング小林との試合後に言ってたよ。
「こんな試合をしてたら10年もつレスラー生命が1年で終わってしまう
かもしれない。しかしそれが我々レスラーのファンに対する義務だと思う」
>>306
あれも今動画を見ると「平田だろ?お前!」と言ってるな。
「もう正体は分かってるんだ!」とも言ってる。 >>278
猪木がバックランドからWWFタイトル獲ったのは徳島だった。 デビューしたスペル・シーサーに もっちー「お前SAITOだろ」
それにサイリョー「望月さん、マスクマンの正体をばらすのはレスラーのマナー違反です!」
いやー笑ったわ >>308
「こんな試合をしていたら」とは言っていない。
「チャンピオンだって負けることは有るんです! しかし十年持つ試合が一年で終わっても」だ。 ムタあたりの人気にも現在は全く追いつかない。情けない レスラーじゃないけど古舘が長州のサソリを猪木が
3分以上や5分以上耐えたてよく実況してたけどあれって札幌のタッグマッチの事言ってたんだよな?
実際2分ぐらいしか耐えてなかったけど >>312
当時の映像にあるらしいよ
>試合後にリング上で猪木がインタビューに答えて「こんな試合をしていたら10年持つ選手生命も1年で終わってしまうかも知れない。それでも私は誰の挑戦でも受けて立ちます!」
>の有名な台詞に被さるようにリングサイドの少年ファンの「小林、(猪木に勝つのは)10年早い!10年!!」の情け容赦ないヤジもシッカリと入っていました
https://blog.goo.ne.jp/dragonfever1127/e/a901bf448a9bf0cfa79d117e721b8d20 >>301
WWFでレフェリーやったり、副業に追われて初防衛のホリフィールド戦では
コンディションも体型もタイソン戦とは全然違ったね
ただ、番狂わせというのは世間の見方であって
本人及びトレーナーは試合に向けてドンドン調子が上がるのを感じ、
「これならいける!」と思ってたらしいけどね
有名な話ではトレーナーが試合直近の日に本国の知人に連絡をして
「ダグラスが絶対に勝つから」とかなりの多額をダグラスに賭けさせて、大儲けしたらしい
あと、ダグラスの母が試合が近い時期に亡くなったのも覚悟を決める方向に向かったのもあるけど。
ただ、あとは仰る通りでタイソン戦までと勝った後では心身ともに気が抜けちゃったね。
気が抜けたというより、ダグラスを擁護すれば、タイソン戦で全てを出しつくしちゃったのかも… 本で読んだだけの印象やニュアンスで物知り顔で語ってても
動画で見て確認して語ってる人には絶対に勝てないよ 「お前、平田だろ!?」だろうが「平田だろう、お前!?」だろうがどうでも良い。
こだわる奴は基地外 >>305
でもこれってさ、周りも含め世代闘争にいこうって話になってたのに、
自分だけそのリングに上がっておきながら、逆方向のこと言ってかっこつけたってこと? >>307
局アナはアナウンス部である程度歳いくと
一人だけはアナ部長〜幹部コースになるけど
残りの人は言い方悪いけど仕事無くなっちゃうからね
20代や30代のうちに他の部署に異動になってればある意味いいけど
専門職だから皆総じて異動を嫌がる
最近はタレントやフリーアナの起用がどんどん増えてきて
タレント替わりの若い女子アナ以外はいらなくなってきてるから
皆、居場所無くなると退社して営業仕事で稼ぐようになってる
そんな中ずっと社内にしがみついて残ったベテランには
ただ遊ばせとくわけにもいかないから役無しや一旦退社後嘱託扱いとかで
プロレス実況や地方現場のレポート、企業紹介番組のインタビュアーといった
あまり人気の無い仕事が廻ってくる >>309
たしか新日がマシン軍と抗争してたころ
「こんな試合をしてたら10年もつ会社が1年で終わってしまう 」
と当時 週プロに非肉分書かれてた >>320
でも誰だったかは「前田だけがマトモなこと言ってた」と評してる。
現実に世代闘争なんて説得力なんかゼロ。
なんで長州と藤波が結託したからってマサと猪木が組まなきゃならんねん。
前田が言う通り誰が一番強いのかをファンは知りたいんだよ。
猪木藤波木村前田マシン長州マサ藤原木戸坂口の10人でリーグ戦やれば済む話。 >>325
だから、ファンに迎合してるだけでしょ。
そんなこと言うのなら、リングに上がらなきゃいい話。
しっかり世代闘争に参加してるし。
今さら世代闘争?なんて長州や藤波だって思ってるよ。
でもそこは仕事じゃん。 ファンに迎合してるというよりも前田が思ってることをファンが望んでるんだろ
別にファンがああしろこうしろって言ったのを前田が聞いていたわけではないんだから >>327
本気で思ってるのならプロレスをやってること自体おかしい >>323
なんとなく覚えてる。「ほとんどジョーク」に載りそうなネタだねw
しつこいと思われそうだが、当時の実況テープから書き起こしてみた。
「チャンピオンはね、あのいつでも闘って負けることもあるしこれは宿命なんですね。
まあ、私も本当ならば10年もつ選手生活の1年で終わってしまうかもしんない。
しかしそれがね、ファンに対してのまああの我々の義務だと思うんです。(以下略)」
確かに>>312の言うとおり「こんな試合をしてたら」とは言ってない。
インタビュアーの「これから挑戦者が現れたらどうしますか」に対しての答えだから
これからの展望を語ってると思われる。 >>329
週ゴンの「ほとんどジョーク」だね。時期はマシーン登場の時ではなく、さっきまで話題に出ていたTPG参戦の両国大会の後だよ。漫画で猪木が「ありがとーー!」って言いながら、トイレットペーパーを投げられ、そばで坂口さらが「駄目だ、この人は」って感じで溜め息ついてるという。 >>329
そのネタは「ゴング」に載っていたあおやま英雄の
ひとコマ漫画にもあったよ。
もし、「ほとんどジョーク」にもあったとしたら、
どっちかが盗作したんだろうな。
まぁ偶然に同じことを考え付いたということもあろうが。 >>283
あの暴動の日の、藤波負けブック拒否説は自分もはっきりとした真相が知りたいのだけれど、
亡くなる数年前にベイダー本人の口から
「あの日は藤波との試合の予定だったが当日直前になって、なぜか猪木に変更になった」との発言があった。
これを聞くと、ミスター高橋の話に信憑性も出てくるような気もするが? >>331
ごめん、330だが、「ほとんどジョーク」は週プロだった。俺が言いたかったのはあおやま英雄の漫画の方。今にしてみれば、彼の漫画も当事者から抗議がきてもおかしくない内容も多かった。実際、84年に復帰した大仁田が休養中にデカくなった尻でリング下りる時に「バック、バックオーライですよ〜」とスタッフが声をかけ、本人が「ひゃ〜、試合よりリングを降りる時の方が緊張するな〜」という漫画に対し、翌週の週ゴンで「ひどいよなあ、この漫画は。人が復帰に一生懸命になってるのに。もう付き合わないよ」というコメントが載っていた。まあネタの範疇として読んでいたけどw。 >>195
海外の身長扱ってるサイトだけど、見る限り的確な数字的だと思うよ
イーディー 185〜6cm
>Mayfield said on 21/Dec/16
>Another wrestler height topic. Adams was part of Demolition, so why not?
>Bill Eadie (AX), billed 6'3, but looked 6'1
>Barry Darsow (SMASH), billed 6'2, looks like a strong 6'2, I would even say 6'2 1/4
https://www.celebheights.com/s/Brian-Adams-47140.html >>332
藤波は負けブック自体には拒否じゃなくこの日の猪木対ベイダー戦みたいな瞬殺されてのベイダー売り出しを拒否したんではないかと思ってる。 >>332
信ぴょう性も何も、当初のカードは藤波木村vsM斉藤ベイダー。 >>326
前田、世代闘争拒否!リングをボイコット!なんてできるわけねーだろ。
お給料もらえねーじゃん。そんなことできるか、このタコ!ニワカ! >>322
船橋アナはモスクワ五輪のから帰還後に後を継いだ若手アナのポジション再奪取するのが
気が引けて自ら営業に志願して関西支社へ行きワープロのアナとしての知名度が生きて
実績を上げた。地方局の幹部にまでなったのはこのお陰らしい。古舘アナ入社時代の話を
雑誌でしていた。五輪で主力アナが抜けるので即戦力の新人を異例の大量採用したとか
猪木の全盛期を1971年頃として最高の名勝負にドリー戦を上げていた。 ほとんどジョークやってた更級四郎が全日のブックに一役買ってたって後に聞いて驚いたな
旧UWFにも関わってたんだっけ >>340
近年の書籍とかで当時のUWFの事なんかを語ってたりするけど、口調がなんか偉そうで嫌いだ >>333
「ほとんどジョーク」と言えば、ケリー・フォン・エリックが亡くなった時かな
『いつまで続くフリッツ・フォン・エリックのクロー(苦労)」なんて言うのがあったな。
今日、2月10日はデビッドが亡くなった日だ。もう37年も経つんだな。 >>342
84年だとデヴィッドが25歳かぁ
高輪の東武ホテルだったな
あとは90年2月10日の東京ドーム大会 >>336
それで普通に健吾負けで、次のシリーズで猪木とやればいいのにね。
ファンは猪木v長州目当てで来ていたのに。
もし、やっていたらどういう結果にするつもりだったんだろう? この暴動の次の後楽園は
藤波がマサにシングル初勝利だったのでは? >>346
78年のプレ日本選手権で勝ってる
他にもジュニア時代1、2回勝ってたと思うが >>345
現地観戦者だが、まぁ結局、あの日、猪木対長州は行ったわけだが
カード通り戦ったとしても、休場明けの長州とでは、
良い勝負にならなかったと思うよ。
負傷している目を攻撃する猪木にブーイング。
堪りかねた馳が乱入して、ノーコンテストか
長州の反則負け。観客は怒り、
やはり暴動が起きたかも(苦笑) 眼窩底骨折ってそんな1ヶ月ぐらいで復帰出来るものなのかな。 両国暴動の翌日の東スポの見出し、もしくはサブタイトルが
「猪木が悪い」みたいなストレートな論調だったような…
猪木vs長州をこなしながら、ベイダーにハク付けと欲張っちゃったかな?
やはりベイダーは藤波木村にまかせて、猪木は長州に専念すれば良かったんだよね…
あと書いてて思ったけど、藤波vs長州を秋にやり、長州が勝った次の両国で猪木戦て
結局は大将戦という位置づけになるよね?
そういう流れも藤波としては面白くないよね、ベイダーのかませ云々の以前に。
後のUインター時代の高田が北尾を退治した時の、その前哨線で北尾にやられた山崎=藤波になるからね。
U高田が >>348
あの暴動はお目当ての猪木vs長州がサラッと流すような
ダイジェスト的な試合の扱いにされたからであって
ちゃんとメインでしっかりやれば、多少は凡戦でも暴動まではいかなかったと思う
馳の乱入でも長州の反則でも、そこまでいくかな…?
あの日の観客はメインの流れ以前に、カード変更された斎藤長州vs藤波木村の時点で
物が飛び交い「やめろコールの大合唱」だったから、やはりカード変更がキモなんではないかと…
ただ、どちらにしてもあの日の観客の質はかなりイケイケだから、カード変更しなくてもメインの結末次第で荒れた気もする…ごめんw >>349
連続レスごめん
長州の負傷は前田の追放とセットだからね
猪木以外は(これは意外だが最後まで前田残留を希望してたという説も)
長州の負傷が重症であればあるほど、前田の罪は重くなる
追放までいかなくても、メキシコ行き云々も含めて前田を猫にしやすくなるし。
逆の意味になるけど、その年の全日離脱するきっかけのシリーズ欠場の理由が、なんたってガングリオンだからね… ベイダーデビュー二階席で観てたけどセミもメインも全然客は落ち着かないままだったなぁ
でもあの暴動の日と正月からの無理矢理な売り出しが功を奏して
どんどん上手くなって外国人ナンバーワンまで登り詰めたからな >>334
流星仮面が185~6だと猪木と同じになってしまう。明らかに猪木より数センチ高かった。坂口より8センチも低いなんてあり得ない。190位は間違いなくあった。実数185のバックランドより数センチ高かったので間違いない。 >どちらにしてもあの日の観客の質はかなりイケイケだから
イケイケというか、かなり殺気立っていたね。
小林邦対馳のジュニアヘビー級戦で日本デビュー戦の馳が
いきなり王者になったことの反感もあった。
俺の近くの人は馳に「おまえなんか大嫌いだ!〜」と罵声を浴びせていた。
続くUWF同士のタッグ戦、藤原&山崎対木戸&高田もUWFらしくない
両者フェンスアウト。これで観客のフラストレーションが高まった時に
たけし軍団がリングに上がって来たんだもん。(^^: >>355
うわ〜思い出す・・日本デビュー戦がいきなりタイトル戦もすごいが、奪取しちゃったもんだから。
あの衝撃は凄かった。 >>347
78年の藤波、凱旋の年だが「あげ方」が凄いなw
第1回MSGも決勝リーグは坂口を押さえてアンドレ猪木に次ぐ3位。プレ日本も予選の星取りはトップ。
だが決勝はトーナメントでくじ運悪く??マツダに初戦で敗退となり、坂口が3位、マサが4位と「順当な結果」に。
また凱旋2年目の長州はどっちのリーグも全く奮わず、以降中堅の道をむことに・・。 >>357
なぜかプレ日本選手権は、最初からそういう組み合わせだったんだよな。
初めて坂口に勝った小林も予選2位になったが、トーナメントでいきなり猪木戦になってしまった。
予選を3位4位だと、予選免除シードとの対戦を回避できるという組み合わせ。
http://www.showapuroresu.com/league/prejapan.htm あの両国は「藤波がベイダーへの負けブックを拒否した。猪木が『じゃあオレがやればいいんだろ』ってやった。その結果あの結末」が定説になってるけど。藤波は自伝で「それは断じて違う。メインイベンターを作るためなら喜んで引き受ける」ってな事言ってる。
前者のM高橋の記述と後者の記述…どっちを信じるかと言えば… >それは断じて違う。メインイベンターを作るためなら喜んで引き受ける
藤波が、そういう発言をしたのも「高橋本」が発行されたからだよね? もし拒否したとしても藤波を責められないと思う
全日ではリング上は鶴田天龍の2人エースに以降済だったのに
藤波が「なんで俺が新人に負けて、その新人と猪木が抗争なんだ?」と思うのは理解できる >>359
プロレスはガチじゃない前提の自伝出してたの? ベイダーの新日初登場は散々だったけど
ブロディ初登場のベートーヴェンの運命の演出は
まあまあだと思うよ >>362
そこらへんも、興味深く読めるよ。あなたが藤波ファンなら是非読んでみて。タイトルは未完のレジェンドだったかな。進めといてうろ覚えで申し訳ありません。 >>363
ベイダーはレスラーとしての素材はいいんだから
あんまり余計なことをしなくて両国では顔見せ程度でよかったのにね
TPGはテレビ屋のごり押しだから仕方ないけど >>367
そうだよ
せめて あのコスチュームだけに
しといとけば よかったんだよ ギブUPまで待てないも、海賊男も、TPGも、ゴールデンタイムを守るための策だから仕方ない。
毎週見てくれている人たちだけだと、もうゴールデンタイム放送は成り立たなかったんだから。
当時は茶番劇に反発していたけど、当の関係者たちは何度も苦労して、もがいていたんだろうね。 海賊男はTV局じゃなく団体主導の気がする
10年後対戦するくらい猪木のお気に入りだし >>369
それはそれで仕方ないけれど
ゴールデン陥落してからの土曜16時(関東圏)からの放送は…
ドキュメンタリー風というか、バラエティというのか
冒頭で「川口浩探検隊」みたいに、延々とその日の試合展開をナレーションしてたよね?
あれはちょっと…試合の八割ぐらいを最初にネタバレさせちゃうんだもんな…
ナレーションだけで5分以上も費やしてなかったかな? >>370
ビートたけしは「猪木さんは試合前はあんなににこやかだったのに」と言っていたな
そもそも海外で武藤を襲った海賊男の中身は猪木だし >>343
あと今日の週プロに書いてあった二大フェンスマッチの日
吉田時代の長州の凱旋挨拶に触れていたがジョージ高野のデビュー日でもあったか もともと山田邦子、ビートたけしなど下品なお笑いは嫌いだったが、
新日に関わった件でさらに嫌いになったっけ。
山田に対しては多少申し訳ないと思う気持ちがあるが、今でもたけしは大嫌いだ。 >>361
出戻りの長州一派に対する厚遇も影響してるだろう >>354
坂口よりもだいぶ低かったろ、猪木とは同じくらいだった。 鶴田との身長差を見るとバックランド185は絶対無いと思うな。 スポーツ平和党で参院選当選の猪木。スポーツ平和党は自民党清和会(安倍派)の別動隊と言われ
大敗の自民党は過半数割れをして福田元首相と関係の深かった猪木は自民党入りするのは確実とみられていた。
しかし国会内で統一会派を組んだのは野党の民社党。なぜ民社党なのか?民社党の米沢書記長と
坂口が旭化成で同期入社だったからでは。とも言われていたが真相は分からないままだだった。
そんなときに猪木寛治君参院選当選を祝うパーティーが都内ホテルで開催された。
自民党清話会との関係で安倍派四天王(三塚博、塩川正十郎、加藤六月=現官房長官の義父、森喜朗)のうち
森喜朗が出席して来賓として挨拶。紹介されてご機嫌でステージに登壇した森喜朗。そこで
「猪木君は自民党と民社党をつなぐ架け橋」と口を滑られせて現場に居合わせた自民党関係者を慌てさせていた。 >>375
でも二人とも すぐに
身を引いたので
良かったじゃん 森喜朗って昭和新日の会場によく来てたよな
猪木や馳の政界進出にも絡んでたんだろうか >>378
藤波が長州派への抵抗を止めたのは例の長期欠場から >>382
当時は特に大物だったのでそんなに長い事使い続けるのも難しかったのかも コミッショナーは田中派の二階堂だが、二階堂を総理・総裁に担ごうとする福田
・鈴木善幸に公明党・民社党まで関与しての動きがあった >>367
日本デビュー戦は散々だったがモノになりそうとなると異例の5年契約と言う長期契約を
勝ち取った。全日からもオファーがあったが「ビックネームの中では埋没する・・・」と
言う判断で新日を選んだ。
>>383>>389
タイガーマスクデビューで急遽、佐山をイギリスから呼ぶ戻すのにこの「元首相案件」
で外務省を動かした。福田元総理の秘書がプロレスファンと言うのが付き合いの始まり
だったがレスラー&有力プロモーターの永源の仲人は「森元総理」と言う「石川県コネクション」
の影響も大きかった。それりゃ馬場の葬儀で永源と馳は「外様」なのにデカい顔していたわけだね。
ただ鶴田夫人はそれを悲しんでいたらしい・・・ >>378
橋本が「勝手に出て行った奴が勝手に戻ってきて俺の上で試合をしているのが頭に来た」と
ヒロ斎藤に仕掛けたのは有名だが出戻りが落とし前もつけずに厚遇されるのは筋が通らないね
前田が長州に顔面蹴りを入れたのも根本にはその感情があったからだろうと推測する人もいた 前田はUWFでは視聴率が取れてないという自覚はないんだろうなw 虎ハンターFacebookの「この人誰だか分かりますか」に飽きた >>390
面子の問題もあってか上の連中こそが長州に頼んで戻ってもらったという事実を下に伝えなかったのも要因 >>383
ワールドに森氏がタイトルマッチ宣言をやってる映像あるし馳の引退試合もリングサイドで見てるのが映ってる 「飛龍革命」って最初からの構想だったのか?
それとも、前田解雇、長州は顔面ケガ&イメージにミソがついたから
消去法で藤波を前面に出したのか、どちらなんだろう?
年明けの2月、大阪府立で猪木vs長州を年末の禊?でやったけど
卍でレフェリーストップ、また猪木が上がってきて長州ランクが落ちたし…
ただ、それとは別に飛龍革命が始まった時期、GWの前後だったかな?
猪木vsベイダーの予定をひっくり返して、大阪か田コロでやったけど
田コロの方はお客さんが入ってなかったねえ…藤波メインだと厳しい現実を見た気がした。
ちなみに同時期、結果的にブロディ最後の日本試合になった川崎大会(全日)も観戦したが
これまた客入りは寂しかった…両団体ともゴールデン外れた余波が出てきた時期でもあったかも。 >>395
田コロじゃなくて有明コロシアム。猪木の欠場で大阪、有明の2連戦になった あの当時の有明コロシアムは会場に行くまでが大変だった
しかも屋根はなかったし1日雨天中止になって翌日になったけど天気は悪いしめちゃくちゃ寒かったわ
夏の有明も雨だったな >>390
この件もドン荒川が暗躍してるけどヒロ斎藤自体は自分のキックに対する受けがまずかったとインタビューで答えてる >>396
ああそっか、ありがと
長州は戻って来てから
10月の両国の凡戦
11月の開幕は健吾に負け、前田に顔面襲撃被害
年末の両国は大ヤジの中の試合→次戦の猪木に卍ストップ負け
2月の大阪は再び卍ストップ負け
既定路線とガチの想定外の両方で、なんか貧乏クジを引いてるよね
五月の大阪でも藤波に負けたし
7月の札幌で猪木フォールまでは散々なイメージがある >>397
確かに面倒くさい
昭和末期の時の行き方は今と同じか忘れたけど
ゆりかもめに乗るのがね…かといって下りてからも有明まで多少歩くし
会場周辺は店がほとんどないし、時間調整で駅周辺でなんとか…ってイメージ >>399
7月札幌からの長州が凄かったし、89年に入ってから
猪木坂口藤波がいなくなったもんだから完全エースに。ジャパン軍来てなかったら前田がエースになってたんだろう。 >>386
山田邦子は、「ギブアップ」の司会が不評だから、
降ろされたんだろ?
たけしは、あの時だけの「出演」。
別に長く使う気はなかったんだろ?
たけし軍団と言っても、終始、前面に出たのは
ガダルカナル・タカとダンカン。名前を貸しただけ。
両国の時も、たけしはリングに上がったものの、
なにもアピールしなかった。ただの「置物」(苦笑) >>397
俺も、あの時、初めて有コロに行ったが、
周りに飲食店はないし、会場内もロクなモノを
売っていないし
飢えと寒さに苦しみながら観戦していたよ。 >>390
>勝手に戻ってきて俺の上で試合をしているのが頭に来た」
と言っても、ヒロは橋本より年齢もプロレスでも先輩。
仮にも全日でジュニア王者にもなった。
かたや橋本は、その時、まだ若手。
まぁ良い度胸をしているよね。 >>402
それでも当時のワールドプロレスリングは、その人たちに「頼った」わけだからな。
頼っても視聴率回復には至らず、その後ゴールデンタイムを追われることになった。 スポーツ大将でテレ朝とつながりがあったから頼まれただけなんだよね>たけし
当時の雑誌で「たけしも被害者だったのではないか」と言う投稿があったが
それはある意味では当たっている
リング上で「サイテー野郎氏んじまえ!」とガチ罵声を食らって顔面蒼白になり
身の危険を感じてさっさと会場から逃走してしまった
まるでシュートを仕掛けられてアタフタするだけで対応できずに醜態をさらした
プロレスラーの様 一万人の罵声と怒号の中堂々とマイクアピールしたガダルカナル・タカが凄すぎ ダンカンの「やらせろー! やらせてくれー!」は笑った。女に懇願してるみたいw たけしと猪木は両国大会のすぐ後のスポーツ大将の特番で野球対決してたよね。
猪木がデッドボールされて追いかけっこしてた様な覚えがある。 >>397
横のMZA有明なんてライブハウスあった頃、品川からの直行バスで行きは行ったんだけど
帰りは門前仲町行きしかすぐに乗れるのがなくて、とぼとぼ暗い道歩きながらゴルフ練習場まで行って
そこでタクシー呼んで帰ったなんてこともあったわ
今はまだりんかい線、ゆりかもめある分マシになったんだろうと思うけど 有明といえば、けっこう最近まで
ノアがディファ有明の上か下に事務所(合宿所も?)を構えてたな
旗揚げからだから、あの厚遇?というかベストな流れはどういうコネなんだろう?
例えが大げさだが、後楽園ホールと同ビルに事務所と合宿所があれば最強じゃん?
ノアが旗揚げからそれなりのメジャー感を出せたのは
実態が全日本プロレスそのもの、という以外に常設会場を備えてるというのもあったと思う。 >>404
似たようなところでは、小杉や山田が外様ながら厚遇された越中に相当反発したらしいな。
テレビでは見られない前座の試合でかなりヒットアップしたことが週プロに書かれてた。
>>391
新生Uの勢いはすごかったけどね。
逆にジャパン勢のカムバックでも新日はゴールデンを追われてしまったわけだが。 新生UWFの隆盛は新日が迷走(海賊男等)してファンにソッポ向かれだしたのも大きかった。フロントの斬新なアイデアも小世帯だからこそ活かせたと思う >>413
前田は会場人気はあったけどUWFとの提携でTVの視聴率は上がらなかったんだよね
平均10%位だったはず
スポンサーがつきにくいプロレスで10%じゃ不合格 前田のリターンの時、すでに新日はファンからそっぽ向かれてたから。
UWFのせいで人気が下がったならその言い分は通るが、
むしろ死に体になってた新日はUWFのリターンで息を吹き返してるんだよ。
ジャパンが戻ってきた時は視聴率を語る以前の問題になってた。
すでに傾きかけていた新日、もはや前田や長州では人気回復なんか無理だったってこと。 主役のアントニオ猪木が衰えとともに看板であるストロングスタイルが維持できなくなっていたからな
40代半ばの中年のおっさんが世界最強なんていったところで説得力があるわけがない
その猪木が参院選出馬で第一線から離れてから三銃士など20代のレスラーが台頭してきて一気に若返りが進んだ
でもソ連のレッドブル軍団が参戦するまでUWF勢がいたらなあと思った 新日は金曜8時から撤退させられたのが痛かったと思う。あのまま金曜8時でやってればドーム興行や三銃士の台頭で視聴率も回復してたかもしれない。それほどプロレス=金曜8時は浸透してた あの時期は必殺もハングマンも消えていったからなあ
プロレスだけじゃなかった >>390
>前田が長州に顔面蹴りを入れたのも根本にはその感情があったからだろうと推測する人もいた
ほぼ似たような趣旨のことを週ゴンで小野好恵が書いていた。小野は前田シンパっぽかったが。 >>407
さすがは5種類の殺人スープレックスを使いこなす男だけのことはあるな >>421
長州の復帰には億のカネが動いたんだよね
長州本人も「あの頃はバブルでしたね」と回想している
新日に残った面々やUWF勢から嫉妬されない方が不自然 80年代前半のテレビ朝日金曜夜はまさに黄金のラインナップだったな。 金曜夜8時をワールドプロレスリングからミュージックステーションにしたのはテレビ朝日としては大成功 >>427
ワープロとはスポンサーが全然違ってたな。
同年9月までワープロのスポンサーだったトヨタもつかなかったけど。 ワープロ黄金時代のスポンサーとして思い浮かぶのが、「がまかつ」と「呉工業」。というか、ワープロくらいでしかCMを見かけなかった。 国際プロレスの阿修羅原のWWUジュニアベルト製作費が、東京12チャンネルの
番組予算として計上されていたのが一部で話題になっていたけれど、ユークスが
現れるまで日本のプロレスって歴然と
「テレビ局のバラエティ部署」だったんだな
よく生き延びてきたものだと逆に感心するし、会社として綺麗にリニューアル
させてくれたユークスには感謝してもしきれない NET(日本教育テレビ)が放送免許を郵政省に申請するときは
ワールドプロレスリングは教育番組として申請して放送免許を受けていた。
申請するNETもそうだがそれを認可する郵政省も郵政省。 >>428
正確にはトヨタじゃなくて
系列下の東京トヨペットだった様な
>>429
KUREは今でもボクシング世界戦のスポンサーに名を連ねている様に
他のスポーツ中継でもCMを見かけたけど
(当時は釣り番組を見てなかった事もあって)
がまかつはホンとワープロ以外では目にしなかったからねぇ >>429
他には小松製作所、文化シャッター、アサヒペン
ソフト99、メガネクリンビューのタイホー工業などかな 西本幸雄さんが出てたCM何だっけと調べたらシバウラのトラクターだったか
がまかつとか視聴率20パーの番組CMだと、当時それ1本だけでも釣りやらん人にまで企業名知られてそうだね コブラのデビュー戦をノーカットで見たら、本当にショッパイ試合だった。 >スポンサーがつきにくいプロレスで10%じゃ不合格
普通では10%代前半では十分、人気番組扱い。ちなみにMステは豪華さ割には今でも
そんなに視聴率は高くないはず。ワープロの前の宇宙刑事シリーズの平均視聴率は
ギャバンは14.9%だったがシャリバンはレイダー登場編から霊界テーマが子供に
嫌われて12.9%へ降下して制作陣はテレ朝から「ドラえもんから続いて見ていたファン
を蹴散らしている!」と怒られた。
プロレスは日テレのPもワープロの舟橋アナもCMスポンサーの商品と視聴者層がリンク
しないと話していた。逆にアニメファンはグッズを買ってくれるし番組を作ってもすぐに
DVD化すれば売れて制作費も回収できるとニッチな層だけを相手にすれば十分という
ビジネスモデルが出来上がった。最初のヤマトやガンダムもこの分析から始まった。 40年近く経った今でも企業名が語られてるんだから
当時のスポンサーはワープロに投資して大正解だったな >>437
> 40年近く経った今でも企業名が語られてるんだから
いや商品が売れてなかったら無意味だろw >>438
いやいやまず企業名が知られることが大前提でしょ
そんないつも購入するようなジャンルじゃないし、
必要になったときに「そういえばあのメーカー」ってなれば合格 バブル期の日本文化センターのパワートレーナーは結構売れたと思う >>429
>>433
三協アルミもメインスポンサーだった時期がなかったかな?ちなみに文化シヤッター、
三和シヤッターともに、ヤは大きいヤで、ッは小さいッという共通点がある。 つり、シャッター、ショベルカーなどオッサンや建築関係をターゲットに 今話題の仮面ライダーBLACKのスポンサーのひとつはコスモ石油だった。
子供番組でガソリンのCM流して効果あるのかと思うが、日曜午前10時放送なので親子揃って観ている割合も高かったのかもしれない。
それと初期の仮面ライダーを観ていた子供が運転免許を取得しバイクや自動車を乗り回す年齢になって観てくれると想定していたのだろうな。
ちなみに昭和62年頃のレギュラーガソリン1リットル90円前後という今では有り得ない価格だった。 >>443
20時時代の全日本プロレス中継のメインスポンサーは、黄桜酒造と井関農機だから共通点あるよね。 小松製作所(現komatsu)が世界的建機メーカーになったのはワープロのおかげかな? >>440
熱血バタフライ宣言の棒読みが酷いアレかw ♪クルマのウィンドウが 曇ったら クリンビューで拭きましょう 安心ね!
♪地球は〜 虹色 小松ぅ〜
あとはバナナで釘打つモービルワンとか。。 >>450
油膜のギラギラ危険です♪ほーらクリンビュー♪スッキリね♪雨と♪車と♪クリンビュー♪
月の家円鏡のメガネクリンビューもあった。メガネスッキリ曇りなし、料理スッカリ食う物なし。 うんうんwナツイな。。
まだ佐山タイガーや長州革命のない頃の昔の新日本かな。
ハンセンが台頭してた頃 https://youtu.be/ZWhQauDRkwo
1983年当時のがまかつとKURE5-56のCM。
懐かしい。
>>440
ガラスティーポットとお洒落なカップの紅茶セットがおまけなんだよねw
パワートレーナー購入しそうな層が喜ぶ気がしないw
余ってたのを無理矢理抱き合わせにしたんだろうね。 そういえばマスクドスーパースターが素顔でサザンオールスターズと音楽関係の広告に出てた覚えがある。
83年くらいだったかな? >>445
黄桜は月曜移行時のワープロのスポンサーでもあった。 >>443
桂小益のペヤングソース焼きそばもワープロで流れてた印象 前スレのスレタイのタバスコとか、猪木関係だし、佐山は小遣い程度しかもらってなさそうだな。
そういうのが積み重なって、佐山の引退につながるんだろうな。 >>442
三和シヤッターは沖縄にあった保養所を日本人側の宿舎に提供してくれた(外人側は普通のホテル)り
チケット営業にも協力してくれたりと有難いスポンサーだったと
小鉄や田中ケロが述懐していたね
>>450
モービル石油ダイドーブレンドコーヒーに太平洋証券と
それなりにステイタスのある企業がCMを打ってくれた82〜83年頃は
子供心にも何か誇らしかったんだよなあ ♪ア〜ント〜ン マテッ茶 チャッチャッチャッ
砂浜を走り美女と戯れるジョージ高野
たしか1回しか放送されなかった ブッチャーのCMあっても
テリーのCMって 無いよなあ?
一般的にはテリーより悪役のブッチャーのほうが
知名度上なのかね >>471
そんなの当たり前。プロレス見ない人はテリー知らないが、プロレス見ない人もブッチャーは知っている。 ペヤングのライスと麺の二段重ねのカップラーメンなかったっけ?
子供ながらに無茶しやがって・・・って思った >>458
がま鮎マーク2懐かしい
これの印象強かったから、会社名がまかつだっけ、がまあゆだっけって一瞬迷う あの時代ブッチャーはデブだと結構あだ名にされた人も多いんじゃないかなあ
破壊王はともかく >>430
プロレスはフジの全女以外はTV局内では運動局の管轄だった
だからこそ全日本はジャイアンツと並んで大正力の遺志もあり
日テレ内で一種のアンタッチャブルでいられたわけだし
新日本にしてもある意味テレ朝がモスクワ五輪で大火傷して
テレ朝の運動局としては現実的に一番売りにできるカードが
猪木とワープロだったことが大きい
まだ野球と大相撲以外にプロスポーツ中継の人気がイマイチで
(バレーボールやボーリング中継などごく短期ブームになったものは別として)
NHK以外の東京キー局の運動局はなんとか(他局云々以前に)
社内で報道や芸能(ドラマ班/歌謡班)局に対抗できるコンテンツを作ろうと
パリーグ中継をやってみたり高校野球に対抗してバレーやサッカーやラグビーの
高校選手権をドレスアップしてみせたりと散々苦心していた
それが70年代後半〜80年代初期の民放各キー局のスポーツ中継の状況 >>477
この時代(S50年代)の太ってるやつのあだ名は
高木ブー(ブー)
ブッチャー
デブゴン(サモハンキンポー)
が三大メジャーブランドw >>480
「ギブアップまで〜」になった時に、運動部からバラエティ班に改変されたんだよね
結局は永里運動部長の一存で良い目を見せてもらっていたということなんだろうな
とはいえその永里さんがプロレスを「あんなものはスポーツじゃありませんよ、
演芸場のコントです」と言っていたように、そもそも戦後・昭和の日本では
プロスポーツというもの自体が庶民を思考停止させるための娯楽、よく言って
「芸能」だったわけで、「スポーツ新聞」と称するものが必ずエロと芸能情報を
セットにしていた「エンタメかわら版」だったように、テレビ局のスポーツ部門も
上の方からすればバラエティ班と同じと見られていたんだろうなあ
地上波テレビが見る影もなく衰退している今、スポーツが一足先にビジネスとして
自立できるといいんだが >>466
営業の上井氏は手打ち興行で現地の乗り込むと「まず地元の建設業を仕切っている
会社に行って売り込みをはかる。そこから下請け等にチケットが回って売れ始める」
と話していた。
>>477
サンライズのリアルロボットアニメ・第一弾の「無敵剛人ザンボット3」の敵のボスは
「キラー・ザ・ブッチャー」だった。製作に関わったSF作家でプロレスファンの高千穂
遙がカマタとブッチャーを融合させてキャラクターデザイン・安彦良和にブッチャーの
写真を見せてイメージさせた。
>>480
CXは浪人中だった長嶋茂雄を解説させて大リーグアワーをやったり今では珍しく無いが
東京12hは女子ボクシングとかやっていた。当時は資金力からF-1、スーパーボウル等の
メジャーな海外のスポーツイベントはTBSが押さえていた。F-1はダイジェストで日曜の
午後にたまに放映していた。のちに力をつけたCXは日本GPの放映権だけ欲しいのにF1GP
全戦の放映権をパッケージで売りつけられてやむなく購入してもったいので日本GP以外は
深夜で地味にダイジェストで放映するつもりが初の日本人F1ドライバー・中島悟の誕生等
でバブル景気に湧く中で局としてプッシュしていく方針に切り替えた。ちなみポストF1
を狙ったツールドフランスは不発だった・・・ >>443
そういえばアデランスもスピンサーだったな。アカプルコの絶壁から海にダイブしても桂が外れません、というCMは今見ても心臓に悪い。 >>484
スピンサー→スポンサー
桂→カツラ
まあ、文脈からわかると思うけど。 テレ朝のエンタメ系スポーツ?というとワープロと「ルマン24時間」だった。
マツダ787が初優勝した時の実況が三浦アナだったかな。
95年はマクラーレンのスポーツカーで関谷正徳が日本人初優勝
99年はベンツが空飛んで大破。。w 違いのわかる男、由良拓也も真っ青になってた。 コロナ関連でクラスターという言葉が出ると「クラスターゾル♪」と歌ってしまう 当時のCM懐かしいな。
ンパパ、ンパパ、のーめる、のーめる、のーめるとか。
>>382 >>402
山田邦子は身を引いたどころか、いまだにプロレス好きだぞ。
馳が恫喝して番組が終わったと言っている。
先月34年ぶりに和解したけど。
>>355 >>356
フィニッシュのノーザンの前に
不自然に小林の体勢が崩れていた。
TVでは怪我のことを言っていたけど。 >>493
山田邦子はノアと組んでプロレスフェスを開催するくらいだからな。
そのへんのプロレス芸人あたりとは一線を画す。 >>493
うろ覚えすぎだろ
カッパなんだから「カッパッパー ルンパッパ」 >>493
小林はヘルニアで腰が悪いとTVでは実況してたがデビュー戦の馳がベルト奪取したのでは胡散臭く見られるからでは? ランボーサクラダの初登場は期待されたけどバーバリアンと引き分け、ブロディに一方的にやられまくりとあまり良いところがなかったね…
翌シリーズからケンドーナガサキになってわかりやすくはなったけど >>497
サクラダはオカッパ頭が全て台無しにしてる。ヤン坊マー坊からヤンボーサクラダにしとけば良かった ランボーサクラダはバカ兄弟の兄(いかりや長介)似。 サクラダは初戦がゴタツとのコンビだったからねえw
ブロディ戦はまずまず頑張ってたと思うよ
藤波が欠場したための代打であのカード組まれた格好だったがよく役割を果たしたと思う サクラダはドリームマシーン時代からシュミット式バックブリーカーで決めてたイメージ >>487
俺もリアタイ時は生まれる前か子供だったから詳しい事情までは知らないんだけど
当時の映像や古本を観る限りだと73〜78年頃までが文化シヤッター
79〜85年頃まで?三和シヤッターがスポンサーだった様な
どうも文化シヤッターは番組スポンサーという部分での付き合いで
三和シヤッターの方は猪木個人?のタニマチとしての関係性が強かったみたい
>>503
シュミット式より振子式の方をフィニッシュに多用していた印象があるかな Yahooの記事で船木がUWF移籍について語っている
猪木永里蝶野他多数の人から引き留められたこと
永里から「再契約金1000万に加えて藤波長州クラスのギャラを払う」と慰留されたこと等 ランボーサクラダという字ヅラもよくない。どうしてもサクランボが出てくる >>482
永里氏は早大レスリング部出身で国プロ・吉原社長の先輩でNETの新卒1期生だった。
「プロレスの胡散臭さが好きでは無かった・・・」が辻井編成部長(のちの新日会長)
と日プロ中継の高視聴率を分析する中で「これだけでレスラーが居ればウチでも放映できる
かも・・・」と無責任に言ってしまい言い合いの結果、自分が日プロに出向き交渉する
羽目になるも「日テレの許可があれば・・・」とOKで出てNETプロレスリングの放映に
繋がった。
アリ戦の負債回収のために新日へ「返済の目処がつくまで帰るな!」と厳命されて片道で
出向し格闘技戦を特別枠で放映して少しづつ返済と言う方法を編み出した。
のちに格闘技戦は放映枠が空くとが逆にTV局から開催を依頼されるほどのテレ朝の人気
番組になった。ウィリー戦の前に返済の目処がたちテレ朝に戻り念願の五輪中継に関わり
その後はクーデター騒動後に混乱している新日を立て直すために二度目の出向。
吉原氏の顧問就任やKY若松誕生に関わっている。
「プロレスが嫌い」ながらプロレスビジネスにドップリ浸かったTVマン人生だった。 日プロがNETテレビのプロレス放映を認めなかったら、馬場のNETテレビ登場を認めなかったら、
日本のプロレス史も全然違ったものになっていたんだろうな。猪木はいずれ独立したかもしれないが、
馬場は引退するまでサラリーマンレスラーを続けていたんじゃないかと思う。 ランボーサクラダはランボーを名乗る様な身体じゃ無かったよね。 桜田はハゲじゃないのに何故頭頂部剃ってハゲキャラにしたのかな?
ハゲじゃ人気出るわけないだろw この年の夏に「ランボー2」が公開されて、新日がかってに流行りの尻馬に乗っただけだろ。 ランボーというとスタローンを思い浮かべるのが当たり前の時代。スタローンと似ても似つかぬ風貌のサクラダが見ている人に受け入れられるはずがない。 本人も新日も「ランボー・サクラダ」じゃダメだと思ったんで
ケンドー・ナガサキに戻したんでしょ
それでもケロが「ナガサキ、ポーゴ組って人気ないなあ。コールしても拍手がまばら。」と
嘆いていたが
推測だけどナガサキの髪形は落武者をイメージしているのかね ムッシュランボーって外国人いなかったかな?あれは平成か? 桜田の口癖はまあそんなもんでしょって宍倉が言っていたけど、つい最近同じセリフ
を横山典が言っていたな。 サクラダ、後藤組はシリーズを通して見てみたかったな… ゴタツは本当に役に立たなかったなw
だいたい大量離脱前まで一時期新日を離れていた仲野にまで負けていた奴が、
とってつけたような数ヶ月のアメリカ遠征で主力選手クラスになれるはずないんだわ。 日本人でランボー出来るのは
日本唯一のアクション俳優 武田鉄矢だけ >>498
サクラダはねえ・・・
失礼だけどあれほど「風呂上がりのタコ親父」って言葉が
ぴったりくる風貌もちょっといないから
サクラダに似合うコスやキャラって云われても
せいぜい小沢と組ませて「キラー・カーンズ1号2号」くらいかなあw >>523
だから覆面被ってチャンチュン、ドリームマシン
ペイントしてケンドー・ナガサキになったんじゃん。 ドリーム・マシーンでマシン軍団入れりゃそこそこの助っ人になったろうに そもそも日本人はみな
外人ほどカッコ良くないし
しょうがないよ >>517
ナガサキ・ポーゴ組はヒールだからな。
開幕戦のケリー・ツインズ戦なんか、一方的に攻め込まれ最後に逆転勝ちの
ベビーフェイスの戦いを強いられ、且つ大凡戦。
カネック・ドスカラス組と戦わせて、反則負けの方が盛り上がったろうに。 >>509
日本がボイコットしたモスクワオリンピックってテレ朝の独占放送だったんだよね。 >>528
古舘、渡辺宜嗣、猪木にビンタされた佐々木正洋はそれ用の大量採用だったってね ナガサキ・ポーゴvs星野・後藤っていう意味のないカードをテレビでやった理由がわからん。
ヒギンズとカネックのシングルマッチでも流したほうがずっと面白かっただろ。 女子アナだと南美希子なんかだっけ
モスクワ五輪公式マスコットとかのミーシャだっけ、アニメまでやってたな ナガサキは86年の正月シリーズではまた日本人組に入れられてたな
ナガサキ対ドゥガンのシングルマッチがテレビ放送されてた >>529
この年のTBSとフジは男性アナの採用がなかったので
民放キー局は狭き門だった >>532
というか、ワカマツ軍団になるまでナガサキポーゴは新日正規軍の助っ人扱いだよ。 だからバーニングスピリット in Summerから外人側で参戦して若松がマネージャーにって
>>532も>>534も言ってることは一緒じゃん >>531
南美希子は内定もらって大学中退したらしい
全くもっておおらかな時代だこと >>534
あのフェイスペイントで善玉助っ人だったんですか >>506
上田馬之助も猪木に謝りたいって言っていたない。
今後もそういう人が出て来るかな? ナガサキ&ポーゴは3年連続タッグリーグ戦に出たんだよね。87年の時は週ゴンの「三者三様」ではもう不要といわれていたが。 >>517>>527
ポーゴとナガサキの関係は険悪で試合中も試合後も口をきく事も無く行動も別々だった。
>>529>>531
アナウンサーが五輪中継に駆り出されるのでこの年の新人アナは伸びしろよりも「即戦力」を
重視した異例の大量採用が行われた・佐々木アナは落研出身だった。古舘アナが
がすぐにプロレス実況デビューできたのも実力もあったんだろうね。
抜け駆けしてNHKと民放の共同放送だった五輪中継を巨額の放映権料で強奪したのが
2弱の一角だったテレ朝だったのは世間を驚かせた。これを期に民放トップに立つべく
局上げての大キャンペーンを組み東映と組んで五輪を目指すスポ根ドラマ(燃えろ!アタック・
バレーボール、けっぱれ大ちゃん・アマレス等)と制作した。
モーニングショーのテレ朝・玉川記者はこの歴史を知っていて「五輪不参加が無ければ
民放トップに立っていたかも・・・」と残念がっていた。後年に抜け駆けで交渉して
破談になってしまったTBSは世間のモノ笑いになってしまった・・・ >>542
80年モスクワ五輪は前回のモントリオールが大赤字になったうえ
共産圏での威信かけた五輪という特殊事情もあって
放映権の交渉云々に関しても些か勝手が違ってたって事情もあったんだよね
で、共産圏というかクレムリン方面にルートあった(このへんちょっと気を遣った言い方w)
当時の朝日新聞・テレ朝が巨額の外貨手土産に他局を出し抜いて…って事情もあった
国際的なスポーツ大会で組織委員会と主催団体が
放映権や公式スポンサーを一括管理し巨額なビジネスにしたのは
この後の82年スペインワールドカップが先鞭付けた形で
極めつけがその後の84年ロス五輪における
組織委員長のP・ユベロスが
「皆が儲かる五輪(意訳w)」を標榜して
実際に商業五輪を大成功させて以降のコト >>541
三年連続出場となるとカーン&戸口もだな 昨日クラシックみたが
格闘技側からは「ガチ童貞」とか言われるが
やはり前田は魅力的だな
外人なみの体の大きさに
スープレックスにサブミッション >>546
NHKで昔放送してたYouて番組のゲスト控室じゃないかな?
猪木が清志郎を肩車したシーンとかあった気がする。 清志郎が「ビートたけしに自由を〜」って歌ってました >>545
猪木の言いなりにならずあのまま新日にいたら、全然違うレスラーになっていたんだろうね。
佐山が考えた「真剣勝負風プロレス」に出会わなけば、どんなプロレスラーになったんだろうな。 凱旋挨拶の時のオンドーフとの対峙した雰囲気とか良かったよね
IWGPは藤波長州が不参加とはいえ、猪木に次ぐ日本人ナンバー2のポジション
しかし、その後は藤波と組ませた事により自動的にホープの位置に…
秋に帰ってきた谷津が長州軍に入ったことにより
藤波と長州のライバル関係から、前田は谷津と同格な感じになってしまった
綱引きマッチでは当然だけど長州には勝つわけにはいかない
うーん…結果論だけどIWGP後に藤波の下に置くんじゃなくて、
一気に藤波長州前田の三すくみに持ってったらどうだったろうか…? 三すくみどころか藤波長州より上にするのが自然だったよ。
あの体格は魅力だったし、負けても這い上がるパワーが感じられた。
長州は一度負けたら二度と回復できなさそうな脆さしかなかった。
>>538
過去の記録、自分が確認した分だけでも星野や越中と組んだことがあるらしい。 まあ、いきなり前田を藤波長州の上にするなんて
現実的にはあり得ないわなw >>549
昨日、「You」の100回記念回の再放送してたけど
その前に過去の名場面集みたいなのに、清志郎が猪木に肩車されながら歌ってた映像流れてたな
本放送は1983年1月1日だった ニールキックとか、最初はめちゃくちゃショーマンプロレス的な技だったんだよな。
IWGP欧州代表の時は、相手をロープに振ってニールキックやっていたんだから。 ニールキックは飛ぶタイミングが下手なのでものすごく痛そうな当たり方してたな >>555
現実には、後の話だけど、武藤をいきなり藤波のライバルにしたこともあるわけでしてw >>554
キャリア的にも、スター性においても
2012年に、オカダを一気にトップに上げたようにか? >>561
その頃とは全然違うだろ?当時はプロレスは真剣勝負だと、ファンも思っていたんだから。 よく見る意見だけど、やはり1986年の前田日明が最高だった気がするな。
UWFからの新日出戻りの2年間がいろいろ一番のピークで、87年途中からはニューリーダー軍になってしまうので
それまでのUWF軍の大将格だった時期が一番魅力的だったような。 あの頃の前田はまだ太ってないからゴンタ顔が魅力的だった 魅力だった。世界一強いのは前田だと本気で思ってた。
1年11カ月の参戦だったんだよな 猪木、藤波がスープレックスを滅多に使わず乱闘もどきの維新が中心になってきたところに、長身で手足が長くて
甘いマスク、七色のスープレックス、タイガーで馴染んだキックが使える
期待しまくった 前田には期待したな〜期待の若手三羽ガラスだっけ、平田は見た目が完全に脇役だし
高野はルックス良くて知名度あったけどエースの器ではなかった、黒人ハーフというのも
あったしね。そうなるとポスト猪木には前田しか候補なかったな、猪木よりも長身だし。 >>549
YOUの正月特番で豪華ゲストが多数出演した時だった。
>>559>>569
新日時代は動きがぎこちなくカクカクしていた。オンドーフと猪木、長州戦くらいしか
印象が無い。プロレスに全く興味の無い姉に「前田明(当時の表示)ってカッコいの?」
と聞かれた時に「やはり女性人気あるんだ」と感じた。
IWGPの前になぜかブッチャー本では時期エース候補と異常なくらいプッシュされていた。 凱旋帰国後に参加したIWGPでラッシャーにフォール負けした時は、逆にラッシャーはまだまだ強いじゃんと見直したくらい。 ブッチャーから小遣いをもらうなどブッチャーにかわいがってもらっていた前田 >>571
>ラッシャーはまだまだ強いじゃんと見直したくらい
その思い、翌年2月の蔵前(キッドスミスコブラの巴戦、藤原テロ後の浜口戦の日)で
藤波とのシングルで感じたな
風貌も荒々しいヒゲで、髪も精悍に刈り込んで外見的にも良かったのもあるけど…
木村がブルファイトで押し気味で、場内も木村コール、UWF行き直前だったがもし残留してればねえ…と思わせた。 >>564
>あの頃の長州がその案を飲むとは到底思えない
あくまで前田の一方的な見解だけど
綱引きマッチでの長州、サソリの時にガチで前田を壊そうとしたとよく言ってるね
でも長州が前田に脅威?を感じたのは当然わかる
あそこまで昇りつめれば前田が上がってきても、長州が中堅に逆戻りなんて事はもうないと思うけど
本人からしたら必死だろうからね…またそういう長州から滲み出る雰囲気もオーラに転化されてたんだろうけど… >>554 >>570
いやあの頃の前田が推されていたのは
実質IWGPの時だけだった
というか次のサマーファイトシリーズになると
メキシコから帰国した藤波の動きの良さに較べて
特にタッグでの試合運びの拙さ一つ一つの動作のモッサリ感が目立って
完全に主役の座と客席からの支持を藤波(と長洲)に奪回されていた
子供心にも前田をすぐにでも次期エースに...という意見は
専門誌を毎月買ったりFCプロレス研で活動したりするマニア限定だった印象があるよ当時は 前田は藤波と比較してどうだと言うよりも鶴田と比較して全然ダメって感じしたな。
チビ揃いの新日にしては長身でルックスも悪くなかったけど、身体能力やプロレス
センスが良くはなかったな。
前田じゃ駄目だから藤波がポスト猪木行けるかと言うとこれまたサイズ的に全然
ダメだしな。もっと言うとサイズだけでなく総合的に全くもって無理だったな。 >>576
小鉄のTV解説でガチのダメ出しされるくらい受身の基本が出来てなかったからな
結局、克服出来ないまま受身失敗の蓄積で膝を壊した 前田はサマーファイトの時に変なパーマかけたのが良くなかった思ってる。 うーん…前田はIWGPまでか…それもホーガン戦と猪木戦ぐらいかね?
猪木戦はまるで前田の技の公開スパーリングのような試合だったね
前田というよりさすが猪木、というような試合
しかし前田の延髄の受け方、あれはセンスがなかったね
当たってから一呼吸おいて「あ、そうだ」って感じの前方に一回転して…ドスン!
前田とアドニスがわざとらしい延髄の受け方の双璧だった。 アンドレ戦でニールキック3連発やったのは試合後だったよね 前田VSブロディ
前田VSベイダー
この二つは見たかった。
しかし運命のイタズラか、双方入れ違い。
ブロディ
1985年12月、新日離脱
前田
1986年1月、新日(再)登場
前田
1987年12月、新日離脱(解雇)
ベイダー
1987年12月、新日初登場
それもギリギリの入れ違いだかんな。
他のU勢、藤原や高田はこの頃にベイダーと対戦してるけど。
やっぱ前田とベイダーの試合を見たかったわ。 >>579
その猪木戦も前田はどこがストロングスタイルやねん!歯応えなかった!とインタビューで言ってるけどそもそも自分のセンスの無さには触れていない UWFでも藤原に未完の大器、未だに開花せずみたいにいじくられてたな
サイズは落ちるが高田の方がプロレスは上手だった
もしUが無かったら高田に抜かれたのかな 正規軍VS維新軍の勝ち抜き戦で一番いい試合と言われたのは谷津VS高田
高田はあの試合で株を上げた
谷津の方がベテランみたいなイメージだったが2人とも入門から4年位だったと言う 結局前田も猪木〜坂口〜藤波と続く新日本のスタイルに沿って活動していく気はそれほど無かったんじゃないの?
遅かれ早かれ自分のやりたいスタイルで離脱していたように思う。
少なくとも藤波のようなプロレス的な巧さは自分には体得できないと感じてたかも。
想像ばっかりな話だが。。w だけど前田のライバルは藤波でも長州でもなく
リングスロシアのVハンだったりして 新日が地元に来たときに買ったパンフレットにカルガリーで修行してた平田、ヒロ、ジョージの記事があって「将来は前田、高田たちと抗争を」ってあったのに 凱旋試合のオーンドーフ戦も褒められたもんじゃないな。前田は「ゴッチさんに言われて潰しに行った」なんて後年、豪語していたが、フロントスープレックスの落とし方が危険すぎる。あれでオーンドーフは脳震盪起こした感じだが、前田の技術が未熟なせいだよ。フィニッシュもオーンドーフの両肩が着いていないのがしっかりテレビで確認できるし。 >>582
ドラディションで前田とベイダーが一緒にリングにいた時は、嬉しかったね >>590
オーンドーフをあんな風に扱ってほしくなかった…エドレスリーやバディローズでも良かったのでは UWFもこの頃はトップロープ登っていたんだよな、こんなスタイルで良かったと思うんだが。
この試合がシングル初対戦になるのかな?
https://youtube.com/watch?v=iKX-bCCNpLw >>592
ガキの頃だからオンドーフのイメージは前田戦のせいでかなり下だったな
それから10年ぐらい後だったかな?
外国のどこかの控室でベイダー?とケンカになって勝利したという逸話を何かの記事で読んだ
「あの強いベイダーにケンカで勝つんだ、強いじゃん」
それで見直した、多分相手はベイダーだと思ったんだが…記憶に自信がないけど
とにかくそれなりの強者をボコったことがあるみたい。 >>592
あまり強くない選手に勝っても
インパクトは薄いでしょう? >>590
フィニッシュは、レフェリーのカウントの仕方も中途半端でよくなかった。
ゴングが鳴るのも遅れて、締まらない感じだったね。 オーンドーフって前田とやる前は長州と両者リングアウトだったんでしょ 前田オンドーフは初代タイガーとキッドみたいな
関係にしたかったんじゃないのか? オーンドーフ自身も身体が硬く不器用なレスラーだったね。その後に来日するブラボーに似た感じかな? >>600
オーンドーフがエース外国人として来日したのはこのシリーズだけだったかな
闘魂シリーズはスタッドだったし… 前田は既存のプロレスにも真剣勝負にも対応できなかった
真剣勝負風プロレスUWFは前田のためだけのものだった >>595
自分が聞いた話だと実際に手は下さないで「調子に乗るなよ」的に凄んだらベイダーが大人しくなったみたいな話でした >>603
UFCとグレイシーがでてこなければ
真剣勝負 前田だったかも プロレスマスコミはみんな「真剣勝負風」ってことはわかっていたはずなんだよな。
私たちも含めて騙されたプロレスファンは馬鹿だったけど、それをわかっていながら
雑誌を売るために、前田とUWFを持ち上げたプロレスマスコミが一番悪いと思う。 オーンドーフが 初来日で
藤波に勝った時 少しだけ凄いと思った >>603
真剣勝負風のプロレスにガチで蹴られてノックアウトされたアンドレや長州の立場がねえわw あれは不意打ちだからな
最低だわ
後ろから斬りつけたんだから まぁそうなんだけど
えげつないことしたもん勝ちプロレス始めたのは長州なので10-0とも思えない ゴッチが前田に命令できるわけないだろ、前田はゴッチを利用しただけなんだから。 長州がプロレスの範疇を越えるようなことしたか?
あまり受けなかったのは確かだが >>601
>オーンドーフ自身も身体が硬く不器用なレスラーだったね。
オーンドーフはジャーマンもできるし、思われているほど不器用じゃないと思うよ。
新日を切られてからWWFに行って4年くらいはトップの座にいたからな。特に1986年はホーガンとの抗争は大ヒットしたし。
そんな彼が無名の若造に秒殺されるブックを飲んだのが不思議。 ゴッチ「あんなフットボーラーなんか1分以内にやっつけろ」 長州は弱いくせに調子に乗ったのが悪い
前田はアンドレ相手にやり返す度胸があるが、
長州ならビビって逃げるだけだな。 81年に月刊プロレスが米レスリングニューズ誌とタイアップした
「THE DIRECTORY OF TOP WRESTLER'S 81」の掲載順
ハーリー・レイス(当時NWA世界王者)
バーン・ガニア(当時AWA世界王者)
ボブ・バックランド(当時WWF王者)
ドリー・ファンク・ジュニア
テリー・ファンク
ダスティ・ローデス
ニック・ボックウインクル
スタン・ハンセン
アンドレ・ザ・ジャイアント
アブドーラ・ザ・ブッチャー
(以上が見開き2Pカラーページ)
ビル・ロビンソン
ディック・スレーター
ポール・オーンドーフ
テッド・デビアス
ミル・マスカラス
リッキー・スティンボート
デビッド・フォン・エリック
ブルーザー・ブロディ
ディック・マードック
チャボ・ゲレロ
リック・フレアー
(以上が1Pカラーページ)
当時の格順の掲載だろうが
ホーガン、スヌーカ、キッド、ブリスコ、シン、シークはモノクロ1P
アドニス、ウインダム、リッチは当時未来日でモノクロ
オンドーフは期待が高かったのだろうがちょっと浮いてる気がする 藤波・長州じゃなくて三沢・川田だったらなあ。
ほんと新日は全日に比べて育成能力で大きく劣るな。 >>577
リングス時代に膝が治っていないのに復帰を急いだのも原因らしい・・・ >>622
そんなもんだろ。
スヌーカやブリスコの方が? 前田の技(ニールキック、スロイダー等)は正確性がないから相手にケガをさせる危険がありファンはそこに魅力を感じていたけど対戦相手からしたらただの下手くそなレスラーでしかない さほど運動能力が高くない上に近視だからな
高田や山崎の身のこなしとは雲泥だった 長州の顔面狙撃も近視ゆえに胸板狙ったのが
顔面蹴ったのが真相かもな。リングス時代は
いいコンタクトレンズできて試合ではめてた。
たまにレンズがずれて試合中断してた >>622
シンのアメリカでの活動がデトロイトに限定されてるから
そもそも写真が足りない 似たようなコンセプト(アメリカのプロレス誌のグラフで構成する)別の本でも
シンは全写真がデトロイトでのシーク戦だった >>626
正直前田ってUWFプロレス向いてないよね
身体大きいから仕方ないけど蹴りトロいし関節技もモタモタしてるし
おまけに肉体鍛えてないから説得力ない
初期リングスなんか前田とドールマンだけ太って鈍くさくて浮いてたなあ アメリカから見たら、
なんでスタン・ハンセンがそんなに上位なんだ?
と思うだろうね。 そう考えると日本は特殊な環境だよな
ショーマンシップの塊みたいなホーガンや
ブッチャーがトップの一方ショーマンシップの
かけらもないハンセンがトップ >>631
過去スレでも何度も言われてるがハンセンは昔言われてたほどアメリカで売れて
なかったレスラーじゃない
ジョージアではずっとトップだったし他のテリトリーに遠征すれば大抵当地の
エースと抗争してる 日本は「妥協を知らずに干された」ギミックのレスラーが売れる特殊な環境だったからね
新日はゴッチやハンセンをそう言う風に宣伝して売った 強いて言えばベビーとしてテリトリーのエースを張ったことがないのが
アメリカでのハンセンの難点かな
ジョージアではヒールターンするとトップヒールになるのにベビーに戻ると
丁度新日での坂口みたいなポジ
ジョージア入りしたトップヒールに負ける
ホーガンの映画で演じてた役はまさにジョージアでハンセンがやってた
役どころそのまま >>635
ゴッチもNWAに何度も挑戦してるしローカルとはいえ
世界王者だもんな
新日に来る直前はWWWFタッグ王者だったし >>634
と言っても、アンドレより上ってことはないよね(苦笑) >>638
そんなトップ中のトップと比較してどうすんだよw >>585
その試合で高田がドラゴンスクリューをやっていたのは何たる運命だろうかw
昭和か平成か微妙だけど、
トニーセントレアもキャッチの実力者なんだよな Wrestling World Magazine Top 50 for 1981:
http://imgur.com/IxhKA0e.png >>636
ジョージアではベビーターンとヒールターンを繰り返していたよ。
リッチと組んでタッグタイトルも獲ってたはず。 ⬆バックランドの名前がないのも変だな、ある意味ベビーフェイスとしては不人気で
影が薄かったのかもしれんが。
バックランド嫌いが作ったランキングかもね。 そう言えば1981年にはハンセンがバックランドと対戦してたからな。
普通にランクインしていておかしくはないな。
http://imgur.com/voxkobq.jpg >>643
だからそう言ってるんだが?
当時のジョージアではリッチとかミスタ-レスリング2号みたいな小柄なベビーが
トップ張ってたから
トップヒールとしても彼らのパートナーとしてもスーパーヘビーのハンセンは
おさまりが良かった
巨漢のハンセンすら倒した凶悪ヒールにチビのリッチが立ち向かって血だるまに
されながら逆転勝利がオムニセンターのビッグマッチのパターン
>ベビーフェイスとしては不人気で影が薄かったのかもしれんが。
ボブは王者時代にもWWFと友好関係にあるテリトリーのビッグマッチに派遣されてたが
同じ立場のアンドレが常にメイン扱いなのに対して大概の会場で中盤で中堅ヒール相手
の試合というパターンが多かった
一番いい扱いがトロントでのニックとのダブルタイトル戦や
MSGでのレイス戦と連戦の形のセントルイスでのNWA戦かな >>644
レイスとガニアも入ってないから
ちょうどガニアが引退してニックが王座に返り咲くちょっと前くらいで
三大王者は外したランキングじゃないかな >>642
ラリー・ズビスコがこんなに上位に来ているのも、アメリカならではだね。 ズビスコとサンマルチノとの日本ではほぼ話題にもならなかったね。
50人のプロレスラーの名前、馬場猪木鶴田は別として全員知ってるもんな、つくづく
子供の頃はいらん知識を記憶出来てたわ。軍艦の排水量とかも記憶してた。 >>647
一流のヒールはどこに行ってもそこのベビーエース級相手に上手く暴れて
その日の会場のヒートを買えばそれで十分メイン務まるけど
ボブやリッチやAWA王者時代のマーテルのような典型的なウェルメイドのベビーは
地元離れてあまり馴染みのないテリに遠征すると
役回りとしてはよそから来た単なる客演のベビーフェイスの一人になっちゃうからなあ 向こうの抗争を並行輸入しても下地も何もない日本じゃ受けないね。
ズビスコは日本じゃずっと2流扱い。アメリカの悪党人気とは全く比例しない。
やはり日本じゃパッとしなかったケンパテラやアーニーラッドなんかも嫌われランクの常連。 パテラやラッドはそれでも一応PWF、NWF、インタータッグなんかに挑戦してる
オールスター第二弾キャンセルの都合とはいえパテラなんて武道館のメインだし
それに比べズビスコはシェイスタジアムでブルーノとメイン張った翌年も普通に
中堅外人扱いw >>639
はぁ?何を寝ぼけたことを言っているんだよ!
俺は、>>620にアップされたランキングに基づき、
ハンセンはかなり上位アンドレの上にもランクされている。
それに対し、「アメリカから見たら、なんでスタン・ハンセンが
そんなに上位なんだ?と思うだろう」と書いた。
それで、「ハンセンは昔言われてたほどアメリカで売れて
なかったレスラーじゃない」という反論だが、
それにしても、「アンドレより上になっているランキングは
アメリカ人には解せないだろう?」という意味でと書いたんだよ。 >>654
「もしアメリカのファンが見たら」と仮定の話をしてるんだとは思うが念のため
「THE DIRECTORY OF TOP WRESTLER'S 81」はレスリングニュース誌から
写真などを提供されて制作されただけで
別にアメリカで出版されてファンの目にこのランキングが触れたわけじゃない
からな アブドーラ・ザ・ブッチャーが上位には疑問持たなかったのかな >>610
ホーガンが場外アックスボンバーで猪木を鉄柱にぶつけたのもそうかな レスリングニュース誌というと当時ベーマガの月プロと提携とかやってたんだっけか。
ジョージナポリターノっていう記者がよく向こうの話題を提供してたな。 83年全日本GCC1東京大会を取材していたのはナポリターノ氏だったかな?ビル・アプター氏だったかな? 外人レスラーにわくわくしてたいい時期のメンツだなあ
実際名前出てくるようなレスラーの大半WWE殿堂入りしてるもんな モーストポピュラー、モーストヘイテッドとか、確かに当時の月刊誌のアメリカマット記事で覚えた気がするな
レーティングスなんて言葉自体も GスピVol.38のテリーとハンセンの対談で83年6月フロリダにて
ファンクス&ハンセンVSレイス・ローデス・DVエリックの記録があるのに突っ込まれて
二人とも笑って記憶に無いと...ビル・アプターの捏造なんかじゃないかと誤摩化してる
業界では有名人だったと察するね 当時はプロレススーパースター列伝を事実だと思う層がかなりいたから、
ブロディがアンドレをKOしたけど不運な反則負けになったと信じていた人は多いだろうな。
もし85年末に両者の対決が実現していたらどうなっていただろうか。 言っている意味はよく分からんがアンドレVS前田が
とにかくブロディVS前田(すごい裏ビデオ)になっていた可能性もある ビル・アプターは別冊ゴングの「ピラニア・インタビュー」でもゲストで出ていた。 >>642
ビリー・グラハムが48位…
なんでこんなに下なんだ?
1981年なら十分まだトップクラスでしょ? >>659
1981年に新日本に移籍以降のブッチャーのホームリングはプエルトリコだからね。
1984年9月の『WWC Anniversary 1984』ではハンセン&ブロディvsコロン&ブッチャーが
サンファンで実現して、未だにWWC史上最高観客動員数の記録になっている。 >>671
1981年はグラハムがほとんど試合してない時期 >>645
たしかにリッチはECWで初めてヒールになったと今日まで思っていた!!
昔グラビアで見たジミー・バリアントとの大流血戦はバリアントがベビーだったのか?? >>673
S・B・グラハムは1982年に突然新日に来日したけど
ステの影響でツルッパゲになっててコンディションも酷くてTV登場もなかったね
グラハムは横綱ではあったけど短命横綱だったんだよな
後の影響は凄かった
ジェシー・ベンチュラ、オースチン・アイドル、ヒール時代のホーガン
みんなグラハムのフォロワーだった >>677
グラハムはまだステロイド禍が公式にはハッキリとしない時代に
(レスラーだけではなく米スポーツ界の現場では既に経験則として
“スゴイがヤバい”のは常識だったらしい)
いち早く恩恵にあずかってその分いち早く被害も被って
ただそのおかげで早期にステロイド使用を止め早期にセミリタイアしたことで
結果的には今も元気に長生きしてんだよな ホーガン王者&WWF全米侵攻はマクマホンjrのグラハムへのオマージュだったのかな?
オマージュというか、王者像というか…
バックランド政権を経て、王者タイプはサンマルチノやグラハムみたいな方がいいと再認識したのかな?
最近のGスピという本で知ったけど、レイスとの統一戦が不入りだったというのがよくわからん…
日本のファンと同じで「どうせドローや両リンだろう…」と先読みするイメージは向こうのファンにはないんだけどね
むしろレイスとグラハムの顔合わせが実現しただけで満足、フルハウスになるイメージなんだが? >>679
どっちも役割的にはヒール王者だから、とか?
あとはあの頃の米プロレスファンにとっては
Wタイトル戦といっても結局のところ
NWAだろうがAWAだろうがNYでは世界王座とはWWWFベルトのこと
(正式名称がどうだとか組織上はとかはファンにとってはあんま関係ない)
逆にセントルイスやアトランタでは世界王座とはあくまでNWAベルトのことで
「Wタイトル戦」自体が日本のファンやメディアが謳うほどには
そもそもの興行上のバリューが無かったのでは? グラハムとホーガンという、ステロイド疑惑の代名詞みたいな二人が健在なのは不思議
いや、もちろん長生きしてほしいけど >>681
名前の挙がったアイドルも存命だね。それと政治家に転向したベンチュラも。 >>679
レイスVSグラハムが不入りだったのは天候が悪かったのが大きい >>680
なるほど…そういえばNWAというのは思ったりよりローカル感があって
実はWWFの方が全米侵攻前も前も十分ぐらいメジャーだったのが最近知ったよ…
ガキの頃のイメージ戦略もあるけど
NWAというのは現代で例えれば、パソコン汎用時期ののマイクロソフト社みたいな独占具合なイメージだった
NWAがシェアの70パーぐらいで、AWAとWWFが15パーぐらいのイメージ
何がどう占めてるのか全くわからないガキのイメージだけどね、今でもあまり理解してないとは思うけど。 >>683
そうか、あの試合は屋外スタジアムか…
でも天候が悪いぐらいで入らないもんなんだろうか…年間に100試合以上やってるプロ野球ならともかく
まぁ、お客さんの移動距離や云々とか、日本と全米では違うんだろうけど 87年3月26日の大阪城ホール暴動事件。
本来ならば、翌月27日に両国で行われた猪木斉藤の手錠マッチを
大阪でやる予定だったんだろうけど、
もし、予定通り手錠マッチが決行され両国と同じ展開て猪木のTKO勝ちになったら
翌月の両国大会は、どんなカードになったのかな?
因みに両国で行われたカードは
猪木vs斉藤、藤波vsビガロ、キムケン越中vs前田木戸、藤原vsマードック、 トミーリッチの師匠にトージョーヤマモトがいるからヒール志向も不自然ではないな
http://imgur.com/RPwfrGY.jpg >>686
本当なら大阪城ホールに長州呼びたかったけど全日(日本テレビ)との契約で来場出来なかった。両国は猪木の対戦相手関係なく長州来場だけでチケット売れてたかも?自分も観戦したけど猪木VS斎藤戦に長州がどう絡むのかのみ期待してた >>672
確かPWFタッグが賭けられてたんだったか >>672
>>689
プエルトリコは観客が熱狂しすぎてレスラーに危害を加える恐れがあるから
リングサイドでもかなりリングから遠く
後楽園ホールの南側最後席、もしくはドームのスタンド席ぐらいの距離があるんだっけ?
プロレスチケットの物価は知らないけど、高い席買ってその距離じゃテレビの方がマシじゃん…と思ってたな。
まあ、今のドーム興行と同じで雰囲気込みで行く層も昔からいたのかもしれないが。 プエルトリコはある意味では日本に似ていて
島なんだけどギャラがWWFやNWAに次ぐ高額だった
だからアメリカの一流レスラーが多数遠征して来ていた アンドレホーガンvsハンセンブロディやってほしかったわ。 85年の新日では「猪木・ブロディvsアンドレ・ホーガン」をやろうと思えばやれたわけだ。
ただ猪木とブロディのコンビってありえんから、外人でブロディのパートナー探すとスヌーカだな。
てことはアンドレがスヌーカをフォールする結末しか見えない。 >>693
ブロデイのキングコングハイキックがスヌーカに誤爆
そこをホーガンがアックスボンバー
倒れたスヌーカにアンドレがヒップドロップ→フォール
助けに入るブロディをホーガンが制止
一番ベテランのスヌーカのプライドも考慮すると
敵味方総じて大技を三連続で食らえば致し方ない、負けても弱くは見えないという結末あたりか… アンドレとスヌーカは日本でもタッグ組んでたな、米国では相当な大物タッグチームだわ。 有名なアンドレの肩に乗ってのスーパーフライ 4人とも同じ様な髪してる
https://youtu.be/-nWZhL2SxmQ >>696
ラドンの背中に乗って、空中からキングギドラに向かって糸を吐くモスラの攻撃を思い出した。 太田上田で紅白談義。
上田「superflyと言えばジミー・スヌーカ」に共感 >>696
新日は、サモアンズが国際でベルト獲った経歴があったからお馴染みの三段論法で雑な扱いをしたのか? ブロディとバンディは85年夏はタッグ組んでいたけど、仲間割れして抗争させれば面白かったのにな。バンディもWWFとの関係があったとはいえ、これが最後の新日来日になったのがもったいない。 >>686
マサの入場曲がザブングルとパワーホールだったな。
オリジナル曲が無かったのか? >>682
ニュースステーションにミネソタ州のプロモーションで来日したベンチュラが出演した
事があった。古舘アナは橋本と小鉄が急死した時は思い出を報道ステーションで語って
いたから。報ステ時代の来日だった面白かったのに・・・ ニュースステーション!!!!!!
あの 高田VSヒクソンの内容を取り上げて
世間にプロレスの弱さを広めた番組だな バンディは人気がガタ落ちの85年新日にとって期待の新外国人だったのに、
IWGPでアドニスに負けさせられてから商品価値が急落したねぇ。
アドニスみたいな、藤波にすら勝てない新鮮味のない奴を勝たせて、
猪木やホーガンと互角に戦うバンディを潰すなんて。
ヒギンズやジャックも同様。新間を失った新日はマンネリ対決ばかりになってしまった。 コロナを配慮して 少数で自宅で
ひな祭りの 飲み会を、やることになったのだが
参加者は全員40〜50代のオッサン
無論話の話題は(プロレス 車 スケベ話) こんなもんだろう
本当に「ひな祭り」と言えるのだろうか?
もちろん俺の家にひな人形など、あるわけないし、、、、 >>706
バンディはもったいなかった、後に成功したビガロみたいに生かせなかったのかな?
ヒギンスはそこそこトップで扱ってたけど、ウイリアムスが初来日した時になぜか格下げされちゃったね?
あとジムドウガンも勿体なかったと個人的には思う
新春正月シリーズで猪木と早々にシングルやったり、売り出そうとしてたとは思うが…
消息は知らんが「第二のハンセン」として期待したんだけど… 失礼、ドゥガンは確かSWSに来てたね
あと15年くらい前にIWAジャパンにも来てたかな?
新日とWWFの関係性の悪化を考えれば売り出しは難しいか… >>708
WWFがホーガンとアンドレの対立で人気だった時、ホーガン軍の副将格がビガロで、
アンドレ軍の副将格がバンディだったよね?
アンドレがWWFでヒール役だったのって、あの時ぐらいじゃなかったかな? 若い頃のバンディがアメリカ遠征時の馬場との対戦で、軽く一蹴されていた映像があったよな ヒギンスは2度目の来日時点で影薄かったな
ケリー・ブラウンと組んでWWFインタタッグ挑戦というしょうもないカードだけ
ジャイアント・マシンとシングルでやってほしかったわ >>708
ドゥガンはオーバーアクションで
尚且つ急に動きを止めて表情作ったり
するから当時のファンにはとてもじゃ無い
けどウケない。 ヒギンズは盗癖があったんだよね
だからまだ若かったのに呼ばれなくなったとか ヒギンズはブロディとのシングル戦で会場の外まで出て戦っていたから
ブロディが少しは買っていたのかも知れない
キールにも登場していたし楽屋ドロ説はホントだったら情けない.. >>709
東京ドームのケンドー・ナガサキ戦は俺的ワーストバウトのひとつ。 >>706
あの時点でのアドニスは、新日ではトップ外国人としてファンの人気も高かったからな。こんなカードを組んだ坂口(?)がセンスがなかったということか。 >>714
ヒギンズの盗癖って定説になってるけど
流智美『続おそろしいほどプロレスがわかる本』以外で見たことないな >>711
ダラスでのPWF戦だな
同じパターンのゴディみたいに全日本に来るかと思ってたが >>711
エリック親父の引退試合ではそこそこいい試合をやってたと思うけどその試合はね ジャイアントグスタフって中途半端やったな。猪木とシングルすらなかった >>508
>>716
トラースキック一発で決まったあれですね。 ボーン・イン・ザ・USAもウィリアムスより先にドゥガンが入場テーマに使ってたね
バンディはノンTVで猪木からピン取らせたり、デビッド・シュルツみたいに古舘暴行アングルみたいなのまで作ったはいいけど
微妙なまま終わっちゃったりとか、そこそこの外人レスラー来てたけど、上手く使いこなせなかった時代だなあ
猪木の糖尿病でのコンディション悪化で外人の魅力上手く引き出せなかったってのあるんだろうけど、
藤波で外人相手にシングルメインってのもサイズ的に違うんだろうな >>706 >>708
バンディは「ブロディなんか要らねぇ!猪木は俺が倒す」
と、頼もしいこと言っていたからな。 バンディは新日と年間12週の契約結んだと言ってたみたいだな。
バンディに外国人レスラーエースは無理だわな。
>Bundy claims to have signed a 12-year deal with New Japan, but Vince made him
drop out of it and stay in the WWF. (Perhaps he meant to say 12-week deal, which
makes much more sense.)
http://culturecrossfire.com/wrestling/king-kong-bundy-shoot-wm2/ >>721
猪木とのシングルでの負けブックを拒否したって話
それで坂口の怒りを買って
橋本後藤に2人がかりでボコられる羽目になった
観客も途中から「これは通常のハンディキャップマッチじゃない」と気づいたらしい >>710
一時期、全米どこへ行ってもベビーなのは古くはテーズで後はアンドレとバックランド
くらいと言われて日本じゃアイドルのファンクスは遠征先で使い分けていると
言われていた。 >>721
グレートアントニオのマネをしてバスを引っ張るパフォーマンスまでしていたけど・・・ WWFではホーガン、アンドレVSスタッド、バンディとかやっていたけどそれだとヒール側が弱体すぎるんだよね
それでアンドレがヒール転向することになってバランスが取れて盛り上がった
昔は、アンドレ:ベビーフェースのスーパースター ホーガン:S・B・グラハム系のヒール
だったので「2人の立場が完全に逆転した」とも言われた >>727
バックランドはむしろヒールが演じられないって方かも >>717
アドニス対バンディの行われたIWGP佐賀大会を生観戦した俺 ブロディ引き抜きまでバンディ、ヒギンズ、ビリージャック、コンガザバーバリアン、ドゥーガン辺りで掘り出し物いればだったけど脇役止まり。後のビガロ、ベイダー、ノートンがこの時期来ても上手く活かせなかったかも? >>727
テーズは各地のローカルチャンプ相手にヒール演じてたぞ
NYではロッカやサンマルチノがベビーでテーズがヒール IWGPタッグリーグのヒギンズ&バーバリアンはド迫力だったけどな。
ケリーツインズの参加が不要だが
当初の予定通りアンドレとアドニスが参加してれば、新日史上最高メンバーのタッグリーグだったな。 バックランドは90年代にWWFに復帰した時にヒールやったよね。 身長があるだけヘルナンデスよりもノードの方が良かった。初物だったし バーバリアンは巨体、怪力、軽々ジャンピングリングインする身体能力
さらに本人曰くレスリング全米学生選手権4位とスペックは凄いが
なんともギコちない動きだったな バーバリアン違いだよ
>>742はコンガ・ザ・バーバリアンでこの人は相撲出身でキング・ハクと同期のトンガ力士
>>743はノード・ザ・バーバリアン(後のザ・バーザーカー) ノードはブロディよりも良い身体してたし見栄えもするし抜群の素材だった。
https://youtu.be/hMMfz42pK6k ブロディが90年代ノードを子分にして、暴れまわる全日が見たかった >>735
>当初の予定通りアンドレとアドニスが参加してれば、新日史上最高メンバーのタッグリーグだったな。
この場合、優勝はどういう筋書きだったんだろう。藤波&健吾じゃ説得力なさすぎだしな。 >>748
当初は猪木・藤波組と坂口・木村組だよ。
四強を保つため、猪木と藤波をバラした。 >>748
フルメンバーかつ猪木藤波解体パターンでも、ブロディが優勝ゴリ押ししてたんじゃないか。
穴の無さでは、アンドレスーパースターかな アンドレとブロディは終ぞ日本では見られず。たった一度のチャンスだったのにな。
また81年の第4回MSGもアンドレはカーンとのケガで不参加だったが、当初の予定通りだと
最強の外人メンツ集結のリーグ戦だった。アンドレ、ハンセン、ホーガン、アトラス(コイツもキャンセル)、
スローター、ダンカン・・。 >>706
あと、同シリーズ、後楽園でのアンドレとの
特別試合で無気力プロレス→試合放棄な! >>752
キャンセルなった大阪城ホールの特リン買ってたけどもうあの頃のアンドレじゃ名勝負は無理でブロディが合わせた試合になりそう。それより前田VSブロディがキャンセルなった方がショックだった 61年のアンドレはヨタヨタだったね。猪木が勝つ最後のチャンスだった。 >>751
アンドレ、スーパースターだった場合、またジャイアントマシン、スーパーマシンで出場してたのかな しかしアンドレ、84年あたりから急激に衰えが見え始めたな。腰を下ろした状態から
立ち上がるのもキツそうだった。ギブアップした猪木戦の頃も肉体の張りも無くたるんだ感じで、
日焼けはそれを目立たないようにしたのかと思ったな。
まあ猪木も不倫で丸坊主だしw、あの試合は何かしらんが曰くつきの顔合わせとなった。。 あの頃の絶不調アンドレが、なぜ前田を本気で潰そうとしたのか分からない。 ハンセンブロディ
アンドレホーガン
ゴディウィリアムス
ベイダービガロ
ウォリアーズ
スタイナーブラザーズ
ノートンヘルナンデス
このメンバーで世界タッグリーグ戦出来れば最高です アンドレのギブアップ負けか、2ヶ月前に前田戦で商品価値が暴落したからね
猪木とすれば前田と同等、それ以上のインパクトを残すにはもうあの結果しかない
ただでさえ三月にシングル戦を回避したのに加え、スキャンダルも追い打ちをかけた
でも秋の闘魂LIVE、スピンクス戦とニールセン戦の評価の差で再び猪木には逆風が吹いてしまった
タッグリーグでは藤原と組む始末…勝手な憶測だけど1986年の状況でUWFを解体で飲み込む決断をしたんでは? アンドレ・アドニスの来日があったら猪木藤波組は解体されないわけで、ケンゴのプチブレイクはなかった。
タッグ優勝で、さあ、翌年は!と思ったところにUWF軍団・・・
前田にもっと挑めよ!と思わせてなぜか藤波に牙をむく・・・よく分からん男だ。。 >>759
ベイダーのパートナーをハシミコフ
ノートンのパートナーをホーム
これでもっと混戦になるだろ。 ドゥガンは来日したタイミングが悪かった
UWFの衝撃が強すぎた UWFが戻って来なかったら86年はどういう展開になってたんだろうねぇ。 外国人エースはブロディ、マードック、ウイリアムス、ドゥガン、バーバリアン、エリック兄弟あたりで廻したのかな
アンドレも後半は来れなくなってたから >>764
一応ブロディ戻ってるんだよな。
WCWAとの提携は明るい材料だったけど、頼みのエリック兄弟は
向こうの試合の合間にしか来ないし、ジノヘルナンデスは変死するし
シリーズの中心になるにはか細い感じだね。
日本陣営はジョージと越中のヘビー級転向くらいしかテコ入れは無さそう。 ブロディはダラスのエリックランドではベビーで、エリック兄弟とコンビ組んでたが、
ちょっとこのチームは日本で見たかったな。。 >>766
マッドマックスはキャリア不足でエースにはなれなかったな >>768
嫌いと言うより
ガキの頃 外人に長時間つかまり
イライラしたことあった。
いつか猪木にタッチして反撃を期待したが
そのまま放送時間終了というのもあった
みんな そんな経験あるでしょ
当たり前のことだけど 結局マッドマックス組は三流レスラーだったのか?記憶も正体も曖昧だわ >>771
ファイト紙ではかなりの強者(ロードヒューマンガス)の変身だと煽っていたけどね。ハンセンブロディ以上の評価してた記憶ある >>767
デビッドが日本で死去した全日のシリーズ
そのシリーズはブロディも参加してるから、ブロディデビッド組なら予定はあったかもしれない
事実そのシリーズはブロディは空気だったから、本当に組む予定だったのかも?
ちなみに鶴田がAWA王者になったシリーズのはず。 スレ違でスマン
ブロディがデビッドの亡骸に別れのキスをしていたね...
ブロディ・デビッド(唯一NWA獲ったとして)VSハンセン・デビアスで妄想! もしも クラッシャーブラックエルやワンマンギャングが
新日行けば シリーズによっては
外人エースに なれたかもしれない 解説者まで居るな、マッドマックスの大きい方は出世したんじゃなかったかな。
ブロディが末期にノードと対戦していたインディ団体のオーナーになった。
https://youtu.be/Ad7jjEX-uyU
https://en.wikipedia.org/wiki/Super_Maxx >>766
>一応ブロディ戻ってるんだよな
あれは前年のタッグリーグのギャラを回収するため
ワンマッチ(大阪城のフルタイム戦)だけ戻ったという説が当時あったけど、どうなんだろ?
それは札幌の前田戦のドタキャン後に「最初からそのつもりでは?」と雑誌で推察してたような記憶だけど。
でもまだその時点では全日との交渉も解禁ではないだろうし、ギャラの高い日本にせっかく戻れるのにみすみす逃すのも謎だけどね。
前田との試合においても、ブロディが前田を威嚇することはあっても、逆に前田が仕掛ける事はないだろうし。
そのへんも含めてハワイで猪木と会談したうえで大阪城に出てるんだから…なんでだろう? ごめん、UWFが来なかったら?という前提の話だったか…
ただ、それはそれとしてブロディの二度目のドタキャンの定説みたいなのってあるの? >>778
福岡での藤波戦との二戦だけでそれがラスト >>778
ギャラ回収の為参加したのが事実なら
いくら高額ギャラをくれると言われても、一度その約束を守れなかった相手と契約はできんよ。信用ならん。 結局2度目のブロディのドタキャンは何が原因してたのかな? 今思うと新日はキッドスミス抜かれたのが
痛かったな。タッグリーグキッドスミス
目当てでチケット買ったのに電撃移籍して
ショックだったわ >>784
坂口が馬場に対して怒って契約書を見せつけていたね
坂口が馬場に対してあんな態度ってあれだけなんじゃなかろうか
いつも猪木がふざけた事をして坂口が裏で馬場に謝罪に行くのが定番だったそうだが >>760
6月2日・猪木対マードック(IWGP優勝戦)15.5%
6月27日・猪木対アンドレ・14.5%
7月4日・猪木・藤波対ウィリアムス・ヒギンズ・9.4%
視聴率がIWGP景気から急減している。
>>775
全日からも引きがあったベイダーは「ビックネームの中では自分は埋没する!」と言う
判断で新日に行ったのは大正解だった。
>>785
キッド・スミス組のMSGタッグ参加は坂口のアイディアだった。
「馬場にはなんの恩義も無いが大塚さんのためにやった!」とヒトが後年に述べていた。 ハンセン、ブッチャー、シン、ブロディ、キッド&スミス。。
全日に引き抜かれてそのまま、もしくは引き抜いてもまた全日へ復帰。
新日の外人に対する扱いってやっぱどこかぞんざいというか、外人側にしても
ギャラ以上の不平不満を肌で感じるところがあるのか、よく分らんがそれだけ全日の居心地がいいのか。。
逆に日本勢はほぼ出戻ってきてるけど。。w >>786
キッド、スミスを移籍させたのはミスター・ヒトで
「俺を舐めたらどうなるか新日に思い知らせてやった」と言っていた
ハンセンもベイダーと同じで「ライバルがシンしかいない新日の方に(のしあがる)可能性を感じた」と回想していた >>783
「定説」のひとつとしては、ブロディがアンドレ戦、前田戦を嫌がったから、というのがあるよね。 アメリカではブロディのドタキャンの常習犯。
全日のアメリカ遠征での鶴田・天龍×ハンセン・ブロディは
ブロディ参加を巡って賭けが行われ、馬場以外のレスラーたちは
ブロディドタキャンに賭けた。
馬場は総取りで儲けるとともに、馬場のプロモーターとしての
信頼度を知らしめる結果に。 馬場は日本人の方にはイマイチ信用されてなかったのかね
SWSに天龍や谷津が流失したし、グッズ売上独占してたのが死後に三沢達の大量離脱に繋がったし 新日は長州に大金を提示して役員待遇で復帰を要望した
もっとも出戻りに良い思いをさせた事が橋本がヒロ斎藤をボコった事につながり
前田が長州の顔面に蹴りを入れた事の遠因になったと思っている
WIKIに書かれていたが馬場が天龍の全日復帰について出した条件が
「三沢達に土下座謝罪しろ」ってマジなんだろうか ブロディはWCCWのブッカーでもあったから未払いの金はその分だったと書かれていたな。 >>789
それは前田最強論の信者がかたくなに譲らない説 猪木が誕生日コメントを動画で流してたけど去年前田たちをビンタしたときから凄く老けたな。悲しかった。 長州のリキCHは絶好調だけど、猪木のは登録者数も少ないし内容もほぼ自分語りで終始して
面白さはちょっと足りないな。喋り方もなんか高齢者特有の緩さというか弱々しい滑舌で
容貌も見るたびに老け込んでるよなあ。 >>789
嫌がったというよりギャラ吹っかけすぎて
物別れになったんだろ。試合自体はどうせ
適当に組み合って場外でハッハッ言ういつもの
展開で両リンの楽な試合だし 「UWFでの一年半がなんであったか確認するために、新日本にやってきました。」 >>790
ブロディ本人の言によると
「プロモーターが俺には何も言わず勝手に俺の名前を出して客寄せをして、
ギリギリで俺がキャンセルしたことにして俺を悪者にしてるんだ」
とのことだそうだけどね(証言者は確かボビー・ジャガース >>800
こう言ってはなんだが、新日だとやりそうな気がする
ブロディvs前田 ブロディvsアンドレもそうだったんだろうか…?
最初にアドバルーンを上げておいて、チケットを売り出し、後から本人承諾なら結果オーライ…
しかしUインターが各団体に挑戦状を送り、アポ無し訪問をクソミソに怒ってたのは長州なんだけどね。
そういう意味ではブロディも長州もその点では価値観は共通点があるな。
でも長州時代とは違うとはいえ、散々新日はそういう手法をやってたのに、逆をやられると怒るのは…w >>789
但しアンドレも不参加だったからドタキャンというより見切り発表だったのかも >>792
馬場が出した条件が「三沢達に土下座しろ」って、馬場はすでに… アンドレはマシーン軍団やってから休養してたんじゃないのかな?来日する見込みはなかったろ。 でも団体側は勝手にカードを発表するのは定説のはず。
新日も全日も。
来日する外人達も『今回はどういうカードが組まれてるかな?』と。
特にトップどころはそれを気にする。
大会場で自分に相応しいカードが組まれてるかどうか。
適当な気持ちで来日してる中堅外人はそこまで思わないだろうが。
特に年末タッグリーグ戦やIWGPは公式戦は最初から全て発表されてるから。
ブロディなんかは毎回来日直前から気になっていただろう。
ハンセンも何かのインタで言ってた。
『最強タッグに来日したらまずシリーズ通しての自分のカード確認が必須』とか。
通常シリーズはビッグマッチ以外はカードは決まってないみたいだから。 >>805
まあ確かにそうだね
でもブロディはそこまで事前に求める人なんだろうね
でも、全体的に比べてその姿勢がどうか問われる以前に
新日に引き抜かれた時にどういう話や約束だったのかにもよるな
「勝敗も含めたカードの事前連絡はある程度はする」という約束があればブロディの言い分も正しい
有名な85年のタッグリーグも、もし万が一にブロディ組が優勝、もしくは猪木組といわれていて
来日してみたら若造の「藤波木村になったので」と言われ「イノキならともかくフジナミなら俺らにしろ」とかなった可能性も…
まあこれは勝手な個人の妄想だけどね… 小鉄が「意外に思うかもしれないがブロディは金についてはいつも一発サインだった
それ以外のことに文句をつけてくる」と言っていたな
それ以外のことってつまりブックなんだろうけどね ブロディって金銭よりメンツとか妙に秩序にこだわる、今でいう「正義マン」みたいな性分なんだろうか。。
全部自分基準のね。 猪木&藤波のIWGPタッグ王者は誰も求めていないので、ブロディ組優勝だったはず。
翌年に藤波&木村が挑戦して、反則勝ちかリングアウト勝ちで王座奪取の流れと思われる。 >>810
結果的にはこの通りにならなくて大正解だった >>810
あのタッグリーグは初代王者決定リーグではなく藤波の猪木初フォールを記念するという理由で初代王座が新設されたという形 84年のファン投票で、見てみたいタッグマッチの第一位が「猪木坂口−藤波木村」だったから、
これ実現させなかったら新日フロントの頭の中を疑われるよ。
WWFインタータッグも藤波木村なんだし。猪木坂口は一周回って新鮮に感じられた。 ブロディ組優勝でも新日にすればなんの損も
ないんだがいつもの予定調和を嫌う猪木の
天邪鬼が発動したんだろな。 猪木はタッグベルトはいらないので、猪木藤波優勝と見せかけてブロディ組優勝だったんだろう。
それが藤波木村優勝に変わったんでブロディ激怒。それが真相だと思う。 プロレスにおけるタッグリーグの優勝者ってそんなに権威のあることなのか?
ブロディだってトップでやってたからには、世界中で相手に花持たせてきただろう。
今さら怒るなんて考えにくいな。
プロレスラーがもめるのは十中八九、ギャラだよ どういう勝ち方のブックだったかも気になる
二年後の最強タッグみたいな物だったなら文句は少なさそうだが ブロディは猪木への負けブックすら拒否しきったからな
大金を積まれただけで負けてくれる人じゃないでしょ >>816
ハンセンは移籍1年目からPWF戴冠、タッグリーグ戦優勝だったからな。
引き抜きを受けたブロディにとって、シングル無理ならタッグとダダこねた可能性はある。 ハンセンのタッグリーグ優勝は2年目だったか、申し訳ない。 >>821
いろいろ申し訳ない。でも全日の扱いに比べて、新日の扱いに不満があったんじゃないのかな? あのタッグリーグの途中、両国でUWF軍が登場したのもあるかも
「来年からのオレの処遇はどうなるんだ?」と心理的に敏感になったとか…
ジャパンが来た時のハンセンをケアした馬場みたいに
「しばらくはバックバーナーに回ってもらうけど、心配するな必ずメインバーナーに戻すから」
そういうメンタル的な部分で新日がどれぐらい気を使ったかも興味あるな
下手すると「翌年からのUWFに対抗する藤波木村のハク付けの踏み台になるんでは?」と考えてもおかしくない。 >>823
馬場は外国人レスラーに対してはやたら気を使うよね。
逆に日本人はぞんざいに扱うから、越中や桜田みたいにいなくなっちゃうけど。 >>823
そもそもそういう気遣いが出来る新日本なら苦労は無い
新日本としてはむしろ散々悩ましてくれたブロディを牽制するには格好だくらいだったんじゃないかな
全日本とも切れてたしまさかあんな事までやるとは思ってなかったろうし 85年ごろに新日は
もういい加減に猪木以外の売り物を考えなければいけない時期だったから
タッグ戦線は藤波、木村中心でという構想があったんだろう
すでにWWFインタータッグのころからその兆しはあったし 健悟のヘタレイメージが対UWFへの対応で定着したから、健悟の一挙手一投足を見て
ヤジり倒す流れが定着した。 たぶんクイックかなんかで負けてくれっていう要望だったのかも。
いくら藤波といえどもそれはちょっとね・・・
しかも前日の坂口戦で完勝したのに、坂口出場するっていうし・・・ スヌーカ負けじゃ普通。ブロディクイック負け・・猪木にも無敗の俺が藤波に負ける!?
意外性とはいえそりゃないぜ。らしくもないぜ。 藤波が猪木にフォール勝ちしたけれど
本当はあの負け役をブロディにやらせようとしたんじゃないかって推測があった
あの時の藤波は泣きながら「やったあ!やったぞお!」と叫んでいたが
本当にデ・ニーロ並みの演技力なんだな 木村健吾も長州が噛みつく前に藤波に噛みついてりゃよかったのに 健吾はタッパもあったしエースの座も狙えたと思うんだがなあ 85年IWGPタッグリーグ戦に予定通りアンドレが参戦していたら、この時にブロディとのシングル対決も予定していたのかな? 木村は相撲時代に腰を痛めたのかな、ブリッジがろくに出来なかったから
新日では難しいな。ジャーマン系統が出来ないと上のポジションいけない印象。 健吾は維新軍相手に負け役やらされてたから急に強くなるのも変だったよな。
長州はともかく浜口や谷津相手には勝ってないとねぇ。 キム健は結局藤波にとってのどこか腹心のような位置だったな。長州のような面と向かって対峙する存在じゃなかった。
まさに猪木&坂口の関係がそのまま藤波&キム健にスライドできるね。。 キム健は、顔が間寛平に似てるからブレイクしなかったのかな?
新間には、眼を整形しろって、言われていたらしい。 >>835
ジュニアの時は普通にブリッジやってたぞ
ジャーマンじゃないがリバーススーブレックスの応酬とかで 85年のタッグリーグの対猪木坂口で、健吾のジャーマンを初めて見た。
藤波木村対猪木坂口は宮城の時より両国の試合の方が面白かったな。 健吾はスパーがむちゃ弱くてみんな馬鹿に
してたらしいからさすがにトップにするのは
無理だったんだろな。逆に長州はパワーは
坂口に次いであってスパーも強いからトップに
なれた。 >>841
UWFの5人がリングに上がって、メインの4人と試合前に握手したんだっけ? >>803
馬場存命中に武井社長が天龍参戦の交渉した時の発言では? 天龍VS健吾の実況で、天龍の猛攻中、辻が、
「マサさん、木村選手がこの天龍に一矢酬いる方法はないんですか!」
「彼はお相撲さんだから殴る蹴るは強いですからねえ。グラウンドでねちっこくいけばいいんでしょうけど、ただ木村選手はそれ出来ませんからね」
で?
全否定?
あんまりだと思った >>839
ジュニア時代あたりは女性ファン多かった記憶あるけどな
まあスパー弱かったなら新日じゃ上に行けないよな 離脱の度に押されたけど本人が乗り気薄だったね
俺は第二の長州になるー >>852
> >>839
> ジュニア時代あたりは女性ファン多かった記憶あるけどな
> まあスパー弱かったなら新日じゃ上に行けないよな
蝶野はスパー自体をほとんどやっていなかったって話だが S・ハンセン=スエード・ハンセンは名前が詐欺だと子供ながらに思った >>749
猪木・健吾組と坂口・藤波組だったら健吾がブレイクしたかも知れないのに。
健吾がパートナーなら、決勝でブロディ組に負けても納得だし、
ブロディも健吾にガチの稲妻を決められて健吾を潰せるしな。
>>785
本当は仲がいいのに、仲を悪く見られようと猪木が仕組んだのかもw
猪木「馬場さ〜ん、今度坂口が馬場さんのところに怒りにいくからよろしくね!」
馬場「寛ちゃんの時とは逆に、俺が坂口に怒られればいいのか?」
猪木「お願いします!」
馬場「しょうがないな〜 でも寛ちゃんの頼みならいいよー」 >>848
その解説は子供の時だけど覚えてる
健吾は体型もアレだしスタイルもいいし、新日本という事もあり
相撲出身というのは図鑑で知ってたけど「え、グラウンドって寝技だよね?ダメなんだ??」
と凄く意外な感想をもった覚えがある。 >>854
蝶野ってスパーというか、バックボーンがサッカーだし
若手時代とか含めて道場ではどうだったんだろう?
真壁みたいにシゴキとか受けなかったんだろうか?
体が大きいし、大量離脱で逆に重宝され、結果的に運が良かった可能性もあるかな >>854
このスレ昭和の新日語るスレだし
長州が現場仕切るようになってからは違うんじゃねとしか YouTubeで熊本旅館破壊事件の真相を探った動画があるけれど
かなり全容解明に近づいてきたな。
有名な逸話以外で現時点で判明してる点
・古舘は現場にいない
・破壊行為の元凶はゴタツ
・藤原のワカメ鍋がトイレ詰まりの原因
・橋本不在
この件については、関係者集めて真相明かしてほしいなw >>861
なんの数字かわからんけどw
ただ、その数字は猪木vs長州をやった両国で、猪木がラリアット連発で撃沈して
リング上で猪木が嗚咽してる日を想起した…
あと同日でソ連軍が公開スパーでヒロ斎藤とかがポンポン投げられてた
あとビシャス・ウォリアーも来てたかな、ギリギリ平成になったばかりだったよね。 猪木もまだ元気なうちに新日身売り以後の自分史書いて欲しい。それ以前のホーガン失神事件や橋本小川戦の内幕は語らないようだし >>862
>ビシャス・ウォリアーも来てたかな、
藤波のIWGPに挑戦したんだが、、、(^^: >>862
ユセフ・トルコの引退セレモニーが行われ豊登が久々に公の場に現れた
>>864
初めてではないんじゃない?
大木戦とか藤波の足蹴って欠場させた時とか
東体の藤波戦の後も泣き顔になってたな ベノワとキッドが同じリングに居たことあるんだな、初めて知った。
ベノワはキッドとスミスの良いとこ取りみたいなレスラーだったわ。
https://youtu.be/lGD68eZSVoA あの後に参議院選出馬もあったけど、号泣の試合はレスラー猪木としての一区切りになったねえ
しかし前年のシングルから連勝とか、長州も大きな役回り任せられてたなと改めて >>858
蝶野は元暴走族だけあって喧嘩慣れしてるから
健吾と違ってなめられなかった。オースチンに
エグいパイルドライバー食らったときもすぐに
制裁してた。 >>856
新日四強の個々の対決の中で見てみたい順位をつけるとしたら、
1 猪木vs藤波
2 藤波vs木村
3 猪木vs坂口
の順になると思うけど、全てが実現するのが「猪木・木村vs坂口・藤波」なんだよな。
戦力的にも互角に近いものがある。
でもタッグマッチとしては「猪木・坂口vs藤波・木村」のほうが断然ワクワクするね。
「猪木・藤波vs坂口・木村」はもはや最高に見たくないカードの一つだろう。
アンドレ不参加がなかったらこの方向にする予定だった新日フロントは頭がおかしい。 88年のIWGPシリーズで藤波対坂口が予定されてたんだよなぁ。
藤波対長州に変わってちょっとがっかりした思い出。 >>881
それは仕方ないよ。新日本最強コンビで出場しないと・・ ビューティフルフライトはイケメンなら爽やかなのに出てきた人が寛平似ではねえ。 >>876
ディストラクションクルーじゃなかったっけ >>879
似てるなとは思ったけど本人だったんだ。いつどこで撮ったのかとか詳細知りたいな。実際人気が爆発したのは死後に燃えよドラゴンが公開されてからだから日本では無名の頃だよね。 >>888
アイコラだってさ w
bruceleemania.com/joyful01/img/10656.jpg >>892
猪木は最初3メートル以上の着ぐるみで企画してたけど予算が莫大で断念したらしい ベイダーの甲冑は10年ぐらい前、大阪なんばCITYの、まんだらけ?で本人使用と謳ってる品が12万か15万で売ってた。 >>875>>876
これ以来、首の故障が直らなかった・・・
後年に危険な落とし方をされた事を文句を言っていた。 >>895
92年のG1優勝後だったかな?
インタビューで「今朝、何度も、今日はできません…と電話しようと思った」
蝶野の場合は自身の首の件についてのコメントだけは本当にガチ感、悲壮感が伝わってくるよね
それからほぼ10年後の小橋戦後のコメントもそんな感じだった
ハーフネルソン連発を受け切った事に「自分との闘いに勝てた」と言ってた
あの時は現場責任者で、絶対にコケられない時期のドーム
猪木の格闘技介入と対比して、内容的にもプロレス側の存在感が問われる日でもあったし
蝶野が四天王プロレスばりに小橋の猛攻を受け、さらに光らせた
自分も見に行ったが、「やっぱりプロレスの方がおもしれえよ!」と思ったもん。 >>892
東スポが700万出して作ったと何かで見たが永井豪にデザイン依頼したのも込みな価格かな? 88ワールドプロレスリングで1名様にベイダーの甲冑プレゼントって企画やってたよね >>892
自分は300万円と読んだ記憶があるな。
あれ、確かハンセンと福岡でシングルやった時(『バトルライン九州』1990年6月12日 福岡国際センター)、
入場時にハンセンが叩きつけたブルロープがまともに甲冑に当たって(その瞬間、煙も出たw)、
それ以降、ベイダーは甲冑の肩部分のとがった部分をテープで補強して使っていた記憶がある。 シンのサーベルも新日が買い与えて、いつも新日が管理していたんだよね。
だから最初の全日登場の時は、サーベルがなくモップの柄を持って乱入していた。 オールスター戦の馬場猪木の会見で緊張して、背広の猪木に対して
馬場はアロハシャツであらわれてかんちゃんってあしらってたな 格の違い見せつけてな >>898
蒸気を排出するスイッチリモコンも付いてるかな?持ってるひとは鑑定団に出して貰いたい、 >>901
記者会見にアロハシャツ?
馬場って常識知らないんだな。 >>900
おもしろい。
全日スタッフはシンが自己管理して持ってると思ったんだろうな >>901
そういう小技使うところに馬場の狭量が滲み出る。 そういえば維新軍が新日離脱した時の記者会見で寺西だけTシャツ姿だったの思い出した。 >>903
馬場からしたら格下だからOK。猪木が背広も正解。 その写真見たことあるけど、猪木や東スポ関係者がキッチリスーツ着てるのに、馬場だけ趣味の悪いシャツ(アロハではない)着てて、一人アホの子みたいで滑稽だったぞw ジャイアントサービスの宣伝をしてたんじゃないのかい
売れれば夫妻の収入になるからな 馬場からしたらビッグイベントじゃない。むしろやりたくない。
猪木は馬場を前にしたら直立不動だが。 全日も新日もやりたくはなかったんじゃないの?東スポに対する義理じゃないか?
当時はもう観客動員も視聴率も、新日が上回っている状態だったよね? >>911
>当時はもう観客動員も視聴率も、新日が上回っている状態だったよね?
だからこそ馬場の狭量さが際立つんだよ
結局はファンからはさらに見放されて馬鹿にされる存在になっていく 格下とかやりたくないとかじゃなくて、公の場ではキチンとしましょう、ってだけの話だけどなw
全日を代表する立場なのにそれが出来ない馬場は馬鹿にされても仕方がない ただ単に馬場が礼儀と行儀を知らないだけ
あれを見た人間が
「馬場さんってやっぱり凄いんだな。猪木よりも格上なんだ」
なって思ったやつは一人もいなかっただろうよw
むしろ「いつまで一人だけ時代錯誤してるんだ、だから全日は落ちぶれるんだよw」
って笑われてただろう
しかも本人だけがそれに気が付いていないw 落ち着こう。俺も荒らしに釣られてしまったので反省する
https://dotup.org/uploda/dotup.org2394807.jpg
これを見ればわかるが全日はあまりスーツを着る習慣がないのでは >>916
ここでは馬場はスーツ着てるんだなw
やっと一般常識を学んだか
鶴田とかも腕まくりしてるがジャケット着てるしな 日本テレビには敬意示すの当たり前だが東スポや猪木には不要だわ。
東スポだって取材拒否されたら困るだろうし猪木は格下だからな。
http://imgur.com/LENhYES.jpg >>919
東スポのプロレス大賞でも馬場はスーツ着てくるようになったし、すこしはまともな人間になったってことだなw
格とか言っちゃってるアホはどうしようもないけどw 服の話で思い出すのは永源。
ジャパンプロレス合宿の集合写真で永源の旭日旗Tシャツが際立ってた。
あのデザインだと出てるお腹がより目立ってたw オールスター戦は意味合いが違うわ、格下の猪木とタッグ組むんだからな。
一般的な集まりなら国際にも配慮要るからな。 いやいや。お前らあの東スポだぞ。あの東スポ主催で何故正装がいる。
まぁあの東スポでも飛鳥の麻薬とか素晴らしい実績もあるが、なんかの裁判で東スポの記事はだれも信じないとかあったところだよ。(詳しくは知らん) 東スポ映画大賞なんてそれなりの服装して来てるけど、たけしが居ればこそだったからな。 馬場が東スポ主催のオールスター戦の記者会見にスーツ姿では無かったのは、前夜に山形で試合があり会見当日午前9時40分山形空港発の飛行機が悪天候で出発が約1時間遅れて、スーツを準備出来ずにドタバタで会場の東京プリンスホテルに到着したため >>927
出先から電話入れて自宅か事務所からスーツ持ってきてもらえばいいだけなのに、やってくれる人すらいなかったのか
社長なのにこれは恥ずかしい >>930
鶴田が若手の頃しょっちゅう服装の事で馬場から注意されたと述懐してるね 馬場「おい!秋山、上着の後ろからシャツが出ているぞ!
秋山「今、これが流行っているんです」 >>919
記者会見にアロハシャツなど論外。
馬場は礼儀を知らないアホ。 馬場は「Show by ショーバイ」とかバラエティ番組に出る時は大体スーツだったけどな 全日本の売店でアロハ着たおばさんが感じ悪いなーと子供ながらに思った >>933
ジーパン、Gジャンは禁止
「あれはアメリカの作業服なんですよ」 >>939
「カウボーイスタイルとか言いますけど要はアメリカの百姓の格好ですから。ウェスタンブーツもあれは本来ガラガラヘビに噛まれても大丈夫な為に履くものですから」 >>900
シンのサーベルはナイフでは刺激が強すぎるので大塚氏が道玄坂にある装飾店で購入した。
壊れるたびに買いに行くので店の人に不思議がられて「TVで外人レスラーがウチの商品を
使っている!」と言われるもとぼけて「自分は建設業者で顧客に新築祝いで贈答している」
と誤魔化したらしい。
>>901
ハワイではアロハは正装。ビンテージ物なんかかなりの高額がつく。
>>910
オールスター戦は国プロどころか全日救済が目的と言う話もあった。TV放映に意欲的だった
テレ朝は日テレとの共同放映を企画するも日テレ側が完全拒否だった。数分間のスポーツ
ニュース扱いの放映で決着したがこれさえもギリギリまで揉めたらしい。
ワープロは金八のゴールデンタイムだけど全日は半年前に土曜夕方に降格されたばかり
だったからかな? 馬場は業界のトップだからTシャツでもいいくらい。襟付きなら正装と同様。 カウボーイスタイルって日本で言えば不良の吉幾三みたいなもんだからな
だから向こうでは決まってヒールなんだよ >>901
>ハワイではアロハは正装
うん?それでこの「オールスター戦」の会見は
ハワイで行われたのか?
え!?どうなの!?
お前の頭の中もハワイ並の脳天気だなwww >>943
その「アメリカの吉幾三」を逆手に取って「アメリカン・ドリーム」ってやったのがダスティ・ローデス。それを日本のファンはマジで受け取っちゃったんだよね。 ちくしょう!
アンカー間違えちまった。
>>901さん、すまない。
945は>>941に対するレスね。 全日の誤爆を見てきてみた。馬場の服装はスポーツシャツとゴルフズボン。
王貞治が巨人監督の時、若手が流行りの服装をしていたのを注意したら「じゃどんな服装なら良いんですか?」と言われ「スポーツシャツにゴルフズボンだ」と答えた。
あの世代のスポーツマンの感覚はそういうもの >>948
野球選手がCMに出る時もだいたいそのカッコ
なんだよね。
巨人のv9あたりでそのカッコが定着してしまったように思える。 >>895
ストンコがオーエンに食らって因果応報ってあるなーって思った >>895
>>950
ストーンコールドと対戦したのは1992年の9月だっけ。
1992年7月の越中戦で痛めて首の調子悪いままG1出てなんとか優勝。
9月のストーンコールドにとどめ刺された感じかね。 https://youtu.be/GjQeKkG49BI?t=549
ギブUPあたりの時期にエンディングでこのBGM流れてたなあ
曲名はわからないけど プオタには不評だったのかもしれんが
チャゲアスのOP曲ラプソディが映像込みで好きだったなあ
アレはまだ昭和だよな いやいや、久保田の曲をラストで流してたのが秀逸でしょ
映像的には激闘後の痛々しい退場姿に被せて、あれはレスラーの切なさみたいなものを表現してて唯一許せた
ブロディが全日復帰後に亡くなった時、映像のバックに「イマジン」を流した時と双璧ぐらい良かった。 >>956
やっぱあの時代の中継でこの演出は秀逸だったな
今でもエンディングといえば思い出す >>958
まあジ・エンフォーサーのテーマ曲だけどな >>958
1981年12月のビル・ワットの「ミッドサウスレスリング」オープニングでも使われてるんだよな。
なぜ最初だけ繰り返し流すwそのあとが盛り上がるのにな。
https://youtu.be/q5QKDDBIePs?t=7
それはそうと、ミッドサウスではこの少し前はQueen『We Are The Champions』が
オープニング曲だったから新日本の方が早く使い始めてるよな。
恐らく、この時期に新日本に移籍してワットと懇意だったディック・マードックが
「ワールドプロレスリング」番組内でこのテーマが使われてるのを見て、ワットに使うよう提案したのではと想像。 次回シリーズ予告でアンドレ出てくるとテンション上がった >>948-949
そう思うのは、君が読売日テレ系だからでしょ。 >>963
わかる!40年経った今もあの頃のわくわく感は忘れない。アンドレのDVD欲しいなあ。地元であった俺の初生観戦のホーガン戦が収録されてる。 >>955
ブロディが死んでイマジン…
昭和全日の抜群の選曲センスは何処に 昭和62年8月29日後楽園ホール(UWF主催興行)
事前発表カード
安生vs中野、田山崎vs小林H斉藤、
前田vs藤原(セミ)猪木M斉藤vs長州藤波(メイン)
猪木M斉藤揃って欠場で代替えカード
長州藤波vsマードックOハート(当時のハートは初来日のJr.選手でグリーンボーイに毛の生えた程度)
もう少しマシなカード組めん学たかな?
カード未発表の他の参加選手→坂口、武藤、マシン、木戸、ナガサキ、
上田、スコットホール、マークロコ、高野
例えば、長州藤波vs上田ナガサキ、長州藤波vs坂口上田、長州藤波vs坂口マードック等
色々組めたと思うんだが、 藤波、長州vs坂口、上田はどっかの大会でやった覚えがあるな
ゴングのモノクログラビアで長州が椅子で上田をぶっ叩いてる写真を見た どうせなら上田、ナガサキも旧世代軍に引っ張り込めばいいのにと思っていたが、
次シリーズから長州TV復帰で、世代抗争終わらせるから引っ張らなかったんだね。 >>968
>当時のハートは初来日のJr.選手でグリーンボーイに毛の生えた程度)
確かに後楽園とは言え、藤波、長州を相手にメインを張る選手ではなかったが、
「天才児」として、非常に前評判が高かった。
シリーズ中、IWGPジュニアにも挑戦している。
グリーンボーイに毛の生えた程度というのはどうかな?
但し、こいつは本当に(日本の)ファンに対する態度は悪かったよ。 実際の雰囲気がどうだったか分からないけど、
UWF主催の後楽園ホール大会なんて、
U以外のレスラーに対してファンが厳しそうなイメージ。
殺伐としてそう。 >>875-876 >>896
遅レスになっちゃうけど
蝶野は猪木の付き人をやってる頃猪木からある程度の技術を教わっていたのと
ドイツでかなり“揉まれて”いてそれで自信を付けているのが大きいから
当時の週プロも少し触れられていたけど
蝶野は山田のアドバイスもあって銀色のレガース着用姿で試合をしていたら
それがドイツの観客にはカッコ良く見えたみたいで
試合前のサイン会で一番の行列が出来るくらい一時は人気があったとか
一方で当然ながら他のレスラー達から嫉妬されてカタい攻めを受ける事が多かったから
一緒にドイツに来ていた橋本共々トニー・セント・クレアーやスティーヴ・ライト等来日経験者から
対処法を学んでいたとか
>>948-949
まああの世代だとゴルフウェアになってしまうんだよなどうしても
今だって企業の御偉方や小金持ちにとってはゴルフ=豊かさと紳士らしさの象徴だし
それにああいうガタイの大きい人向けの服って
ゴルフウェアかそれ風のシャツトレーナーズボンしかないんだよ日本では >>972
前田たちが出戻りで新日に上がっていた頃は、猪木がメインでもその試合を見ずに帰っていた。
まだ前座若手だった船木は、相手をロープに振ると私を含めたみんなからヤジられていた。
若気の至りとはいえ、今考えると選手たちに失礼だと思うし本当に恥ずかしい。
私らが当時真剣勝負だと思って見ていたUWFは、単なる真剣勝負風プロレスだったからな。 >>972
俺も>>974ほどではないが、昭和62年8月29日後楽園ホール(UWF主催興行)
あくまで、お目当ては藤原対前田だった。
これが当日のメインだといまだに勘違いしているファンもいるくらい。
だから、俺としてはメインで猪木が欠場しても、Oハートがまだ力不足で
メインに出ても、気にしなかった。
というより、「カルガリーの天才児・Oハート」も生で見られてよかったよ。
このメイン、確かに格から言えば、そのシリーズの外人から選べば
マードックとスコット・ホールだろうが、これでは面白くはないね。 殺伐とした真剣勝負風プロレスが面白くなっていたんだからその反応は当然だな。
実際に猪木は衰えて「過激なプロレス」ができなくなっていたし、藤波は迫力不足、長州は受けが下手。
アンドレを沈めてしまった前田の破壊力は過大評価されるに値するものがあった。
新日勢で前田並みに期待させてくれたのは山田と橋本だけだった。 マツダとマサのこんな動画あったんだな。この後に狼軍団結成してプレ日本選手権に出て、
さらにその翌年には坂口&小林組み合わせに勝って、北米タッグ王者になったわけか。
https://youtube.com/watch?v=giDTD5kjKaE >>975
「1年経とうが2年経とうが妥協しないぜ!」と関西訛りで絶叫した試合だった。慌てる
と関西訛りが出て年末の新日総集編でもナレーションの田中アナに「前田選手、落ち着いて
!」と言われていた。この時に初めて後楽園ホールには催事場があって控室を別々にする
ためにUWFは別料金を払ってそこも貸りたと知った。通常は敵味方が控室でいっしょに
なってしまうなんてその時は知らなかった。両国みたいに衝立なんかで仕切っていたのかな? >>981
UWF内で対戦相手と一緒にならないように、別の控室を用意したって事ですよね。 >>981
84年1月、新日本の後楽園。生中継前に休憩時間があって売店に並んでいたら、次の試合の長州と浜口が「どけコラッ!」とか言いながら売店突っ切って入場通路に向かって行った。維新軍は展示ホールを控え室にしてたよね。 この頃、上田は一気に干されたね(ナガサキポーゴも)
上田なんか正月は藤波x木村のレフリーやったり重要なポジションだったけど、ジャパン来たら
あっさり長州にフォール負け、解雇だもんな。可哀相だったよ >>984
上田ナガサキポーゴの3人は、一番新日がツラい時期に参戦してくれたのにな。 上田は外国人選手と乱痴気騒ぎを起こして、坂口の判断で切った、、、?
何かで読んだ記憶が。 >>985
ナガサキポーゴってイロモノ白星配給係ていどにしか扱われなかった記憶がある >>987>>990
2ch時代のガセだな
実際はその後もビッグファイト、ブラディファイトに普通に来てて
シンのセット商品として全日に引き抜かれただけ 上田ナガサキポーゴの前には戸口も冷遇され簡単に干されたな >>983
相手は、ブッチャーアレン組で試合順は第6試合か第7試合だったね。
セミ前とセミがキッドvs寺西とコブラvs小林のジュニアリーグ公式戦で
メインが猪木組とローデス組のタッグマッチ。 >>994
そう。さすが昭和のプロレスおじさん。俺もだけど。 >>994
この日にブッチャーとアレンが仲間割れしたのかな >>994
見に行ったなあ、元日が猪木vsローデスのシングルの年か
こっちの6日は確か新日本プロレス興行主催だったかな >>994
オレも見に行った
でもブッチャー組vs長州組は全く記憶にない
この日はコブラvs小林邦昭がめちゃくちゃ面白かった このスレッドは1000を超えました。
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