【人間山脈】昭和の新日本プロレス27【一人民族大移動】
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https://youtu.be/GjQeKkG49BI?t=549
ギブUPあたりの時期にエンディングでこのBGM流れてたなあ
曲名はわからないけど プオタには不評だったのかもしれんが
チャゲアスのOP曲ラプソディが映像込みで好きだったなあ
アレはまだ昭和だよな いやいや、久保田の曲をラストで流してたのが秀逸でしょ
映像的には激闘後の痛々しい退場姿に被せて、あれはレスラーの切なさみたいなものを表現してて唯一許せた
ブロディが全日復帰後に亡くなった時、映像のバックに「イマジン」を流した時と双璧ぐらい良かった。 >>956
やっぱあの時代の中継でこの演出は秀逸だったな
今でもエンディングといえば思い出す >>958
まあジ・エンフォーサーのテーマ曲だけどな >>958
1981年12月のビル・ワットの「ミッドサウスレスリング」オープニングでも使われてるんだよな。
なぜ最初だけ繰り返し流すwそのあとが盛り上がるのにな。
https://youtu.be/q5QKDDBIePs?t=7
それはそうと、ミッドサウスではこの少し前はQueen『We Are The Champions』が
オープニング曲だったから新日本の方が早く使い始めてるよな。
恐らく、この時期に新日本に移籍してワットと懇意だったディック・マードックが
「ワールドプロレスリング」番組内でこのテーマが使われてるのを見て、ワットに使うよう提案したのではと想像。 次回シリーズ予告でアンドレ出てくるとテンション上がった >>948-949
そう思うのは、君が読売日テレ系だからでしょ。 >>963
わかる!40年経った今もあの頃のわくわく感は忘れない。アンドレのDVD欲しいなあ。地元であった俺の初生観戦のホーガン戦が収録されてる。 >>955
ブロディが死んでイマジン…
昭和全日の抜群の選曲センスは何処に 昭和62年8月29日後楽園ホール(UWF主催興行)
事前発表カード
安生vs中野、田山崎vs小林H斉藤、
前田vs藤原(セミ)猪木M斉藤vs長州藤波(メイン)
猪木M斉藤揃って欠場で代替えカード
長州藤波vsマードックOハート(当時のハートは初来日のJr.選手でグリーンボーイに毛の生えた程度)
もう少しマシなカード組めん学たかな?
カード未発表の他の参加選手→坂口、武藤、マシン、木戸、ナガサキ、
上田、スコットホール、マークロコ、高野
例えば、長州藤波vs上田ナガサキ、長州藤波vs坂口上田、長州藤波vs坂口マードック等
色々組めたと思うんだが、 藤波、長州vs坂口、上田はどっかの大会でやった覚えがあるな
ゴングのモノクログラビアで長州が椅子で上田をぶっ叩いてる写真を見た どうせなら上田、ナガサキも旧世代軍に引っ張り込めばいいのにと思っていたが、
次シリーズから長州TV復帰で、世代抗争終わらせるから引っ張らなかったんだね。 >>968
>当時のハートは初来日のJr.選手でグリーンボーイに毛の生えた程度)
確かに後楽園とは言え、藤波、長州を相手にメインを張る選手ではなかったが、
「天才児」として、非常に前評判が高かった。
シリーズ中、IWGPジュニアにも挑戦している。
グリーンボーイに毛の生えた程度というのはどうかな?
但し、こいつは本当に(日本の)ファンに対する態度は悪かったよ。 実際の雰囲気がどうだったか分からないけど、
UWF主催の後楽園ホール大会なんて、
U以外のレスラーに対してファンが厳しそうなイメージ。
殺伐としてそう。 >>875-876 >>896
遅レスになっちゃうけど
蝶野は猪木の付き人をやってる頃猪木からある程度の技術を教わっていたのと
ドイツでかなり“揉まれて”いてそれで自信を付けているのが大きいから
当時の週プロも少し触れられていたけど
蝶野は山田のアドバイスもあって銀色のレガース着用姿で試合をしていたら
それがドイツの観客にはカッコ良く見えたみたいで
試合前のサイン会で一番の行列が出来るくらい一時は人気があったとか
一方で当然ながら他のレスラー達から嫉妬されてカタい攻めを受ける事が多かったから
一緒にドイツに来ていた橋本共々トニー・セント・クレアーやスティーヴ・ライト等来日経験者から
対処法を学んでいたとか
>>948-949
まああの世代だとゴルフウェアになってしまうんだよなどうしても
今だって企業の御偉方や小金持ちにとってはゴルフ=豊かさと紳士らしさの象徴だし
それにああいうガタイの大きい人向けの服って
ゴルフウェアかそれ風のシャツトレーナーズボンしかないんだよ日本では >>972
前田たちが出戻りで新日に上がっていた頃は、猪木がメインでもその試合を見ずに帰っていた。
まだ前座若手だった船木は、相手をロープに振ると私を含めたみんなからヤジられていた。
若気の至りとはいえ、今考えると選手たちに失礼だと思うし本当に恥ずかしい。
私らが当時真剣勝負だと思って見ていたUWFは、単なる真剣勝負風プロレスだったからな。 >>972
俺も>>974ほどではないが、昭和62年8月29日後楽園ホール(UWF主催興行)
あくまで、お目当ては藤原対前田だった。
これが当日のメインだといまだに勘違いしているファンもいるくらい。
だから、俺としてはメインで猪木が欠場しても、Oハートがまだ力不足で
メインに出ても、気にしなかった。
というより、「カルガリーの天才児・Oハート」も生で見られてよかったよ。
このメイン、確かに格から言えば、そのシリーズの外人から選べば
マードックとスコット・ホールだろうが、これでは面白くはないね。 殺伐とした真剣勝負風プロレスが面白くなっていたんだからその反応は当然だな。
実際に猪木は衰えて「過激なプロレス」ができなくなっていたし、藤波は迫力不足、長州は受けが下手。
アンドレを沈めてしまった前田の破壊力は過大評価されるに値するものがあった。
新日勢で前田並みに期待させてくれたのは山田と橋本だけだった。 マツダとマサのこんな動画あったんだな。この後に狼軍団結成してプレ日本選手権に出て、
さらにその翌年には坂口&小林組み合わせに勝って、北米タッグ王者になったわけか。
https://youtube.com/watch?v=giDTD5kjKaE >>975
「1年経とうが2年経とうが妥協しないぜ!」と関西訛りで絶叫した試合だった。慌てる
と関西訛りが出て年末の新日総集編でもナレーションの田中アナに「前田選手、落ち着いて
!」と言われていた。この時に初めて後楽園ホールには催事場があって控室を別々にする
ためにUWFは別料金を払ってそこも貸りたと知った。通常は敵味方が控室でいっしょに
なってしまうなんてその時は知らなかった。両国みたいに衝立なんかで仕切っていたのかな? >>981
UWF内で対戦相手と一緒にならないように、別の控室を用意したって事ですよね。 >>981
84年1月、新日本の後楽園。生中継前に休憩時間があって売店に並んでいたら、次の試合の長州と浜口が「どけコラッ!」とか言いながら売店突っ切って入場通路に向かって行った。維新軍は展示ホールを控え室にしてたよね。 この頃、上田は一気に干されたね(ナガサキポーゴも)
上田なんか正月は藤波x木村のレフリーやったり重要なポジションだったけど、ジャパン来たら
あっさり長州にフォール負け、解雇だもんな。可哀相だったよ >>984
上田ナガサキポーゴの3人は、一番新日がツラい時期に参戦してくれたのにな。 上田は外国人選手と乱痴気騒ぎを起こして、坂口の判断で切った、、、?
何かで読んだ記憶が。 >>985
ナガサキポーゴってイロモノ白星配給係ていどにしか扱われなかった記憶がある >>987>>990
2ch時代のガセだな
実際はその後もビッグファイト、ブラディファイトに普通に来てて
シンのセット商品として全日に引き抜かれただけ 上田ナガサキポーゴの前には戸口も冷遇され簡単に干されたな >>983
相手は、ブッチャーアレン組で試合順は第6試合か第7試合だったね。
セミ前とセミがキッドvs寺西とコブラvs小林のジュニアリーグ公式戦で
メインが猪木組とローデス組のタッグマッチ。 >>994
そう。さすが昭和のプロレスおじさん。俺もだけど。 >>994
この日にブッチャーとアレンが仲間割れしたのかな >>994
見に行ったなあ、元日が猪木vsローデスのシングルの年か
こっちの6日は確か新日本プロレス興行主催だったかな >>994
オレも見に行った
でもブッチャー組vs長州組は全く記憶にない
この日はコブラvs小林邦昭がめちゃくちゃ面白かった このスレッドは1000を超えました。
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