【北米ヘビー】昭和の新日本プロレス30【北米タッグ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
北米2冠王なのに年を追うごとにテレビマッチへの登場が減って空気になっていた
ビックサカが余りにも可哀想と当時は思っていたが、マッチメーカーとしては自我を
抑えたからしょうがないな。 団体のエースだったストロング小林が勝てない外人レスラーにちゃっかり勝って
自分の自己顕示欲を満足させようとするグレート草津とは対照的な坂口の慎み 1974年の今日はテキサス州フォートワースでブロディがデビュー
フランク・ゴーディッシュの名でボブ・ループに破れる
1986年前田対アンドレの不穏試合
1995年平壌で19万人集めた猪木対フレアー戦
いろいろあったな〜 カンケー無いが、未だに4月29日というと天皇誕生日が出てくる。
まあ別に天皇崇拝でもなく、ただの昭和脳が抜けないだけだがw
今はその昭和の日(その前はみどりの日)というが何の日だかどうでもいい感じ。
休めりゃいいやw 春の天皇賞も、昭和の時代は何曜日であろうとも必ず29日に開催されていたな。 1982年が落ち目と言うが、まだまだブームの余韻が盛況に結びついていた
むしろタイガーデビュー前の1980年の方がヤバかったろう
伝説の1年前の田コロ大会(8月)は発表5500人
9月には第2回オールスター戦用にキープしていた武道館をもらい受けたものの
4大タイトル戦の大盤振る舞いをしても主催者発表で7500人というガラガラぶり
(この日ってシングル6試合しかしてないんだな)
外人は史上最高の充実ぶり、タッグリーグ戦開催、国際と提携発表など翌年に
爆発する下地は作っていたんだけど >>10
80年は年間興行数が前年より大幅に増えたらしいから
それなりに人気があったんだろう
それに新日は夏の田コロ大会には昔から力をいれてない
(むしろ81年が異例だった)
武道館に関しては開催発表が9月になってからだったから
準備期間が短かったという面もある 1982年て落ち目か?
猪木が欠場気味だったけど国際軍団との抗争が大きな話題になったし、タイガーマスク全盛期だし、ホーガンも助っ人やることで人気さらに高くなったし、長州の造反はセンセーショナルだったし。
落ち目感は感じないな。 異種格闘技戦路線を切り上げて純プロとしてのNWF返上〜IWGP構想
そこからの流れでピークが1981〜1983ってイメージだけど
IWGPだけで視聴率23%とかの時代だからな 84年の5vs5勝ち抜きからラスト蔵前ぐらいまでが全盛期の終わりじゃないかな 特に1983年は高視聴率連発
時にはこんなカードでも関係なく高視聴率
歴代8位 1983.2.25放送 視聴率24.4%
藤波辰巳 vs キラー・カーン
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン vs ラッシャー木村&マイク・ジョージ
歴代11位 1983.5.30放送 視聴率23.8%
前田明 vs ハルク・ホーガン
アントニオ猪木&坂口征二&木村健吾 vs アンドレ・ザ・ジャイアント&ビッグ・ジョン・スタッド&エル・カネック 新日黄金時代崩壊のトリガーは初代タイガーマスク引退
あの後からUWF旗揚げだのジャパンプロレス独立だのが続いて行った >>14
1984年ブラディファイトシリーズ迄かな 84年MSGタッグは散々だったな。開幕直前にキッド&スミスを引き抜かれて全日へ。
ホーガンは客寄せのためだけの参加発表で、開幕戦出ただけであっさり離脱し帰国。
猪木坂口vsアンドレホーガン予定が、猪木アンドレvsマシーンズに変更とかあった。 >>4
だが王者になるのを決めたのは自分だろ?
そういう部分にでは慎み深いとは言えんなw >>19
二冠王になった時点ではまだ小鉄じゃなかったかな >>18
地元で見に行ったけど、午後六時になっても宣伝カーが必死に走り回ってて、客の入りが予想されたよ。
案の定ガラガラで盛り上がりも乏しかった。半年前に見たIWGPの時は第一試合から熱かったんだけどねぇ。 >>15
逆に言うとこんなカードでお茶を濁してたから低迷していったとも。 >>22
「こんなカード」の代表は、それこそこんなカードだろ
IWGP
猪木、藤波vs斉藤、長州 >>24
その試合は内容もよかったし結果的には良かったと思う
逆にこれ以外でどんなカードなら
このタッグ以上の集客と視聴率が取れてたかというと疑問だな https://pbs.twimg.com/media/EuGMQ_WVcAER1IB.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EuGMSmrUUAIRPjE.jpg
82年闘魂シリーズ最終戦。注目三大カードはすべて変更
猪木対国際軍団三対一、凱旋帰国した長州対藤波、自己主張した邦明対タイガー
ブッチャーとオートンとマーティー・ジョーンズは割りを食った格好
払うギャラは外人の方が高いのに前座に追いやり、安く使ってる日本人をメインに起用
この歪んだ新日の構造が衰退に繋がったと言えなくもない >>29
この日から現在の日本人抗争主体のプロレス界が始まったと言っても過言でない >>29
上のカードだったら
蔵前に実数5000人
視聴率10%だろw >>21
でも84年MSGタッグは全体的にはそんなに観客動員は悪くなかった。
テレビマッチはオフ用の岡山以外は盛況だった。
岡山は元々客入りの悪いとこだったし。 >>13
>ピークが1981〜1983
後付の知ったかならともかく
一応リアルタイムで見てた人間ですら猪木に「技を受けない」なんてイメージ
持ってるやつが多いのは
82年夏あたりの新日ブーム真っ只中の頃は猪木が糖尿からの病み上がりで
コンディション最悪
その頃から見始めてそれ以前の受けのファイトを見たことがないからだな
実際には81年あたりからその兆候があったが(新春シリーズで前年対戦したパテラ
やダンカンに前回と比べあまり受けない淡白な勝利) >>35
ちょっと上を読めばわかるけど、当時の新日ブームの話をしてるんだが 正確に言うと大苦戦したパテラ戦→大までつかない苦戦
そこそこ張り合った試合したダンカン戦→一方的圧勝
特にダンカン戦は試合よりセコンドのシンを挑発するほうが主眼みたいな展開で
ダンカンが気の毒だった >>38
当時の「新日ブーム」の話をしてるんだが?
初代タイガー引退が黄金時代崩壊のトリガーとする>>16レスが一番的確だと思うんだけど 話の発端は前スレのこの書き込みかと
985 お前名無しだろ 2021/04/28(水) 23:29:33.61 ID:m5DVJd/u0
スレ終わり近くで雑感
新日ブームではあったがそれは81年まで。佐山デビュー、ブッチャー登場、9月の田コロ、10月蔵前国際軍団・・。
81年までは順風満帆だったが、ハンセン引き抜きで何かしら屋台骨が大きく崩れた気がする。
翌82年の猪木欠場、これはホント影を落とした。助っ人のホーガンも所詮はWWFの犬。
長州革命はインパクトはあったが、正直、未だに長州ごときがって感じ。
パンチパーマの中堅がたまたま抜擢されただけ。。でもなあ、2021年の現在、長州は未だ現役の「タレント」でやってるから
そのプロレスラーとしての実力と、パブリシティーの不釣り合いにジレンマがある。
なんで長州ってここまで地位を固めてるんだろ。。 >>35
新日ブームの話だけならわかるけど、猪木の受けなんて新日スレでは暫く話題になってないぞ
ひょっとしてSWSスレの話を直接こっちに持ち込んでないか
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1616849833/780 新日自体がどうってのもあるけれど、ハンセンが全日に行って全日が一気に活気づいたな。
プロレスブームではなく新日ブームと新間が言っていた事あったけど馬場や日テレが
本気出したら新日危ういんじゃないのって新日ファンも思い出したんじゃないか。 それはない
80年代の新日には逆立ちしても敵わない >>44
× 80年代の新日
〇 80年代前半の新日 >>4
^木とリング上は同格の条件を「^木さんがトップの方がうまく行く!」とプライド封印
するもそんな坂口に^木は副社長、ギャラ、マッチメーカー、バス席は最前列等と好待遇
で報いた。名より実を取るも自分を押し殺して団体の将来を考えた坂口。
>>11
アンドレ対ハンセン戦は最初のカードが弱すぎて視聴率を心配したテレ朝からの強硬な
カード変更の申し入れで実現した。
>>29
「今はオレと^木よりジャパニーズ同士の対戦がファンに受けている・・・」と空気の
読めるブッチャーはブロディと違い約束のギャラも貰っているので黙認した。低コスト
の日本人抗争が受けるもさすがに2年も続けばファンには飽きられ始めた・・・
>>39
そんな社業が絶好調なのにアントンハイセルの金策に奔走しプロレスそっちのけだった
^木、坂口、新間だった。社債まで発行して半ば強制的に購入させて「結局、戻ってきた
から良かったじゃないないか!」と新間は後年、コメントしていて傲慢な姿勢が嫌われて
^木、坂口と違い戻れなかった。UWFも総意も無く勝手に店仕舞いをして新日合流を
企んで失敗している。 >>44
実際はそうでも
テレ朝の日テレへの
猪木の馬場へのコンプレックスはそういう危機感を感じさせる程の物だった
2ch時代のプ板スレで言われてたが
完全に興行戦争に圧勝し、年に一度最強タッグでしか蔵前を使えずにいた全日
を尻目に新日がほとんどのシリーズで東京大会場を使用していた時期でさえ
現実では日テレに借金したり汲々としていた馬場か、猪木の脳内では葉巻を
くわえてふんぞり返って自分を見下していたってw 新日本ブームは81年4月のタイガーマスクデビューと共に始まり83年8月の唐突な引退で終わった
当時は視聴率20%超え金曜ゴールデンという激戦区を制し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった、この新日黄金時代影響を受けた当時子どもだったレスラー、格闘家は多い このブームの時にファンになった子供が後に大人になって金を落としたのが
90年代のブームって話は事実なのか単なる想像なのか それは事実じゃないか、子どもの時に受けたプロレスウィルスが大人になっても続きその熱気は90年代のプロレスブームに繋がった
中には自分がプロレスラーになる者(船木鈴木)も現れ、佐山が始めた格闘技シューティングを習い格闘家になった者(朝日昇、菊田早苗など)もいる >>50
結局その層は、オレもそうなんだが、ガキの頃プロレスの入口が猪木だったから
強さへのこだわりが強すぎて、プライド台頭と共に一時的に新日から離れたの多かったように思うね。
オレは確かに90年代半ばまで、一番新日にカネ使った。 タイガーマスクの対 寺西勇や小林邦明は本当におもろなかった。
寺西勇は良いレスラーなんだけどいくらなんでもタイガーマスクの相手としては
地味過ぎたし小林はマスク剥がしばかりで変態さんみたいだった。 >>52
小林はマスク剥がしばかりで肝心の試合内容が記憶にない
ブラック・タイガーとの試合の方が面白かった
やっぱり一番のライバルはキッドで次はブラック・タイガーなんだよね >>51
プライド台頭以前に90年代に入るとファン層が変わったイメージあるね
アメプロ大好きゆるゆるな昭和の全日ファンが排他的で狂信的な平成四天王ヲタに
排他的で狂信的な猪木信者がnWoTシャツ着て大喜びの平成新日ファンにw >>53
個人的に好きなスティーブ・ライト戦は佐山が嫌ってるんだよな
ロビンソン戦を嫌ってる猪木みたい
同じ名勝負でもドリー戦は未だに本人も大好きらしいが(ドリーの方も) >>54
ファン層が入れ替わったのは確かにあるかもね。
自分の話で申し訳ないが、多分他人からみてゴリゴリの新日派、馬場アンチみたいなオレでも
NWOが出始めた頃は、四天王がプロレスの勝負論に答えを出してくれてた様な気がして
全日本に傾倒してた。
逆に月ゴン読者だったような全日ファンには、四天王はイマイチだったと思うわ。 毎回同じ外人しか来ない平成全日なんて今一どころか見るのやめるよw 昭和全日の外人なんてほとんど(マスカラス、ブッチャー除く)肉体労働者のおっさんにしか見えないだろ 平成になって
こんなの新日じゃない、ってファンが最初U系、後に総格に
こんな全日見たくないってファンがWWFのビデオやCS放送に走った感じ
で、純プロ嗜好のファンばかり残ってるのにパチ闘技路線をやったゼロ年代新日が大迷走と やっぱUや、格闘技系に流れる人が多かったけど、昔の新日のシン絡みの胡散臭さみたいなの求めて
逆にインディにはまった友人もいましたわ 猪木が一線を引き始めた87-88年から一気にボクシングに転んだなあ
テレ東が海外のビッグマッチを放送してくれて、やがてNHK-BSにWOWOW、
日テレまで参戦し、日本人王者も復活して実に華やかだった
おかげで(旧体制の頃は旗揚げシリーズの蔵前まで見に行った)UWFには
まったく感心をそそられなかったな
平仲が王座転落した92年くらいからプロレスに戻ってきた感じだ >>52
初代タイガー対寺西戦は、寺西の試合として見ると面白いけどね。
新日正規軍対国際軍団の抗争の中では見え難い、寺西の技の仕掛けや受け身の巧さが発揮されていて、シングルプレイヤー寺西の実力が再評価される好勝負だったと思うな。 >>41
前スレの書き込みのとおり、ハンセン引き抜きは転換点になったと思う。特に、田コロでの対アンドレ戦でハンセンの評価が高まって間もない時期だったのが、新日には痛手だった。
逆に引き抜いた全日にすれば、アンドレ戦で見せたパワーをそのまま持ち込むだけでなく、タッグパーティーのブロディを刺激し、覚醒させてくれたのだから期待以上の収穫が得られたよね。
それにしても、この時に、ハンセンの穴はホーガンで埋められると見た新日の見極めには問題があったと思うな。ハンセンに比べるとホーガンは塩で木偶の坊だと思うけどな。 ハンセンに新日が与えたキャラである「木偶の棒だったのが新日で育って覚醒した」
を当の新日が信じちゃったかw >>63
ホーガンにはスター性というか華があったからな。
小学生でも分かりやすい明るいキャラだったし。試合前と試合後はカッコ良かったよ。 大昔の話を「悔しかったんだろ?悔しかったんだろ?」と主張されてもな
40年間根に持つとは執念深いわ >>68
もう片方も後のAWA&WWF王者チームだな 初代タイガーマスクが引退してもプロレス人気は落ちなかった
長州力の維新軍団が人気だったから
長州軍団が離脱したら新日は会場ガラガラになった
時代の中心は長州力だったと証明されたわけだ
そして長州が全日参戦したら全日本プロレス中継がゴールデンタイム復帰した
当時の長州はテレビドラマやコマーシャルにも出演していた >>53
キッド戦やブラックタイガー戦よりウルトラマン戦やブラックマン戦の方が面白かったぞ >>71
NWA脱退後のホーガンの時に世界ヘビーに名称変更しているよ >>71
パンフレットとかには世界をつけないWWWF/WWF王者と書き
NWA会員の義務としてレイスらのNWA王者の写真も載せていたが
会場では思いっきりワールドヘビーウエイトチャンピオンとコールしていたw >>73
>>68のことを言ってるんであってホーガン以降のことは言ってない。 >>66
その華がある所が新日ではネックになる。華=陽気なキャラ=オーバーリアクションは猪木が毛嫌いするタイプだからね >>76
だけどベビーフェースのホーガンのプロレスはどう見ても猪木がモチーフだよね
観客への煽り方とかハルカマニアとか >>50
菊田は小学生の時ちょこっとスーパータイガージムいただけでシューティング習ってないよ >>70
長州が抜けた直後の闘魂シリーズは盛り上がっていたよ。
新日が本当にヤバかったのは次のタッグリーグでキッド&スミスが全日に電撃移籍したことと、
ホーガンが一日試合しただけで帰ってしまったこと。
85年の新春はキングコング・バンディが健闘してくれたのでそれなりに面白かった。 うんにゃ長州離脱直後のシリーズ開幕戦のガラガラは悲惨だった >>79
ブロディが来るまでが厳しかったよな。
シュルツとかマットボーンが来てた気がする。 ブロディが来てなかったら4月の両国は猪木対藤波だったのかな。 猪木は結局一度もNWAタイトルに挑戦できなかったが、それを逆手に取り、NWAは猪木の実力を恐れ逃げたという猪木最強アピールに使ったのは見事な戦略だった
実際多くのファンはそれを信じた、ゴッチが己の挑戦から逃げたバディロジャース制裁したという話の二番煎じなんだが、プロレスファンはこの手のファンタジーが好きだからな 結局 外人も日本人も全日に集まっては
どうしようもない >>83
日本プロレス時代ドリーのNWAに挑戦した事は無かった事にする訳ですか >>81
ビッグファイトの第一弾はヒギンズ、第二弾はジャックがエース外人だったけど、
どちらも知名度がイマイチで客寄せは難しかったからねぇ。
新日正規軍も戦力不足だしマシンに勝てなくて弱すぎ魅力なしなのもヤバイ。
自分で自分の商品価値下げてどうすんだよM高橋のバカ。 >>41
これ、俺が書いたんだがw、率直な気持ちで81年ってホントに新日が何もかもが
上手くいてたような気がしてたのよ。IWGPなんかハンセン、ボック、ブッチャーとか勢ぞろいで開催だろうとかね。
それがね、やっぱハンセン引き抜きでなんか肝心なところが骨抜きにされたんじゃないかと、危惧したのよ。
81年までのハンセンの新日での貢献ってさ、全日の79年ごろまでのファンクス、ブッチャーシークなのよ。
それが転出したって話ね。。まあここから先はみんなに任せるわw ついでの話、やっぱ長州のブレイクは確かに結果論では現在において十分評価はあるけど
おれはやっぱ前田が藤波の次に新日人気を背負ってほしかったかな。。 過去スレより
前号のGスピのNWA特集はとても刺激的だった
ラリー・マティシックが著書で書いてるそうだけど、79〜81年にレイスが
ローデス、馬場、リッチに「その地区のサーキット初期に負けて最終日頃に
取り返すNWA王座のキャッチボール」を連発したことについて
「75年に世界王者の管理がバーネットに移管された時点でチャンピオンの
存在意義がガラッと変わった。
自分の管轄であるアトランタ、エディ・グラハムが牛耳っていたフロリダ、
それと馬場の全日本、この3か所がNWAの中で金を生むテリトリー
ベスト3だったので、手っ取り早いボーナスとしてキャッチボールを
実行させたに過ぎない。あれはバーネットにとってもレイスにとっても
ハッピーだった。ももちろんグラハムも馬場もハッピーだったし、
ローデスにもリッチにも箔が付いた。
ただし他のNWAメンバーは白けた思いでキャッチボールを眺めていた。
もはやNWA王座の権威、信頼度が大きくチップ(減少・削除)されたことは
事実だった。すでにNWAがカルテル組織としての機能を喪失していた
ことの証明だった。」 Gスピより
「トミー・リッチのワンウィーク・チャンピオンは単純にアトランタのビジネスを
アップさせるための便法だった。事実、リッチが王者になった後のアトランタ
(オムニ)は翌年春頃まで最後のブームと呼べる超満員の連続記録を
打ち立てている。」
「王座獲得の時点でリッチは24歳、キャリア5年。ジョージア地区を
中心とする南部一帯ではヤング層の圧倒的な人気を得ていたものの、
実力的には中堅の域を出ておらず、NWA内部で大いに不満が出た。
しかも会長のクロケットJrは全日本に来日中で王座交代の件をまったく
知らされておらず、この後のバーネットとの関係に大いにしこりを残した」
そうなんだな、ローデス、リッチ、馬場って「稼げるテリトリーである
フロリダ・アトランタ・日本の三地区それぞれのエース」だったんだな 過去スレより
185 お前名無しだろ 2021/03/04(木) 16:38:55.96 ID:VMh5hYbv0
同じ月一の定期戦を比較すると
アトランタはニューヨークの一割の人口しかいないのに
オムニセンターはMSGの半分近い客を集めていたからな
もっとすごいのはNYの5%の人口しかいないのにMSGの半分強の客を集めてた
セントルイスのキールオーデトリアムだけど
ただしアトランタ以外にめぼしい都市のないジョージアと違いマクマホンは他にも
ボストンやフィラデルフィア、ボルチモア等でもビッグマッチができたからこの差は
大きかった
マソニックに至ってはキールと定期戦とチェッカードームの年二回イヴェント以外
はテレビマッチだけで地方興行なし で、そのNWAの稼ぎ頭・フロリダは77年以降、全日よりビジネス順調と見た新日本に付く
エディ・グラハムが猪木と提携し、マツダ、ブリスコ、ローデス、カーンらを新日本に上げた
結局この世界は、日本のファンが過大に信奉していたNWAという「組織」の看板などよりも
「プロモーター同士のつながり」が全てだというのが露骨になったものだった
けれど、日本国内でNWAの看板を死守したい馬場が働きかけて、エディ・グラハムは
新日全日を両天秤にかける等距離ビジネスをはじめ、81年からブリスコが全日本に出戻る
しかし呑気な日本人は気付いていなかったけれど、前年の1980年にはもうNWA総会には
人もまばらになっていて、事実上NWAは1981年から空中分解を始めていたと言われている
ビンスが動き出すより先にアトランタのケーブルTVがNWA3本柱だったジョージア地区の試合の
全米放送を始め、NWA総会で自粛を求める声も出たがバーネットは無視し総会も掣肘できず
「よそのプロレスを誰も知らないから成立したテリトリー制」という70年代の遺物は崩壊する
NWA体制の象徴だったマソニックもこの81年に完全引退、この年にチャンピオンになった
フレアーは間もなくクロケットエリアのみの限定地区王者になってNWAエリアの巡回を放棄、
翌82年にはロス地区のラベールが脱退、83年にはNYのビンスとジョージアのバーネットが脱退
日本がまだNWA幻想を守ろうとしていた時期に、アメリカでは事実上組織としてのNWAは
もう死に体になっていたんだなあ
自分なんかもローデスが二度目の王座に就いた時、というか…ホーガンがWWF王者になった頃
あたりはまだ組織としてのNWAってしっかりしてると思ってたからなあ
フレアーとマーテルがNWA・AWAの「統一戦」を日本開催しちゃった85年あたりで流石に
「あれ?実はもうNWAとかAWAとかってどうでもいい扱いになってるの?」
と察してしまったけど >>89
同意だな
藤波と長州は体が小さくて看板選手として外人勢と対峙するには力量不足。
そのてん前田はアンドレ相手に瞬殺とはいえ迫力のある蹴りを見せて会場を沸かせた。
負けてるとはいえ大型のホーガン、スタッドともシングルで渡り合ってる。
猪木欠場のサマーでは前田をメインに据えるべきだったよ。
前田ならマードックに負けても誰も責めん。
別にメインイベンターだから負けてはいけない、なんて決まりないし、
むしろ藤波や長州が急にエース外人より格上になることのほうが不自然じゃないか。
さらにアンドレホーガンとやりあった前田と、もとは前座の浜口が互角なんて論外。 もしも前田の顔面ハイで
一流商品ホーガンの顔面に傷つけて
しまったら どうすんだ? そこまで破壊力があったら大したもんだ
残念ながら前田にそれは無理 アンドレやホーガンら大型外人とリング上で対峙したとき、前田くらいのタッパがあった方がやっぱ画になるってのは分かるな
武藤がもうちょっと時代早ければまた違ってたろうけど 前田がヨーロッパから帰国したときはなあ、やっぱあの身長だろ、期待したのよ
「藤波より強いんじゃないか」とか妄想爆発した
みんなそうだったんじゃないの?
まさか格闘技路線で開花するとは予想外だった >>87
1987年ニューイヤーダッシュのガラガラも印象的! >>87
ビッグ2にはマードック・アドニスも参戦してたから、
ジャックがエースというわけでもなかった。 ケリーフォンエリックってバイク事故で義足だったらしいけど義足であんなにフットワーク使えて打点高いドロップキック使えるものか? >>102
できるみたい
ちょうど谷津チャンネルで、6.6さいたまスーパーアリーナでの義足デビュー戦を前に練習している谷津の姿が確認できるから、見てみるといいよ >>99
カードが思い浮かばん。むいやり藤波x木村の抗争にしたんだっけ?
なにしろ猪木と前田は夏まで対戦無し・・・ >>104
ビガロが初来日だったんだよな
そしてここで例の旅館破壊事件も発生 むしろこの頃に世代闘争やっちゃったほうが魅力あったかも?
猪木坂口藤原木戸上田星野・・
藤波前田木村武藤高田越中・・
そうすれば新年から好カード作れたかも 藤波より年下は全員ニューリーダー
ナガサキポーゴはナウだな。
新春の開幕戦は
猪木坂口藤原vs藤波前田木村
最終戦はイリミネーションでもいいし、5x5シングルでもOK。これなら長州いらなかった。 >>104
武藤敬司vsエルカネック
藤波越中vs前田高田
ブラックバード参戦! >>109 あー思い出した。。藤波越中vs前田高田なんてベストバウト期待したけど、そうならなかったね。 今でも1億渡してまで長州はいらなかったと思う。今いるメンバーで十分だし、
ゆくゆくは前田をエースにしていけば何の問題もなかった。
87年を乗り切れば三銃士も出てくるし、ジャパン軍の復帰って必要だったのかなぁ 前田が凱旋帰国した時、猪木のファイティングスピリット、鶴田の大きさと投げ技、佐山の打撃を兼ね備えたレスラーの登場という期待感があった。
実際、第1回IWGPでは、大型レスラーに臆することなく対峙し、繰り出す技にも力強さが感じられた。
第1回IWGP後、米マットで長期間活動してプロレスラー像を作り上げていれば、新日内のゴタゴタに巻き込まれることもなかったのにと思う。 金曜20時時代の最低視聴率はどれくらいたったのだろうか? YouTube古舘chの毎週金曜日のプロレストーク面白いなぁ
武藤がゲストの4週最高だったw
何故かAV女優も出てるけど >>111
TV的にはマシン軍団で維持できていた視聴率が、UWFとの抗争に入ったら
ガクンと落ちたのがよほどこたえたんだろうなあ
TV屋はとにかく「速効性のある分かりやすいテコ入れ」を欲しがるから 前田が凱旋帰国した時藤波は負傷欠場で不在だった、確かに前田はタッパも華もありゴールデンルーキーの登場って感じで藤波ヤバイなあと思ったが
藤波がサマーファイトシリーズで復帰し徐々に存在感を見せだし、最終の蔵前でドラマチックな試合で長州破りWWFインター取り戻すと空気は一変
やっぱあ藤波はスゲエ、前田も期待できるがまだまだエース藤波には及ばないと多くの新日ファンは総括したよ そう言えばIWGPのためにみんなベルト返上したのに、WWFインターって何?って当時は思ったな。 >>118
前田が凱旋帰国の挨拶した福山では藤波負傷欠場してたが
復帰したのはそのビッグファイトシリーズ2の最終戦蔵前だぞ
前田vsオンドーフと同じ日、メインでvs長州 WWFインター王者は、プロレスの聖地、ニューヨークのMSGで一匹のドラゴンが掘り起こしたロッカメモリアルだよ 4月3日の蔵前で藤波は長州にベルト取られ膝も負傷、さらに21日のリターンマッチでも惨敗して手紙書いて失踪したんだよw
テレ朝のスポーツ系バラエティー番組で古舘が神妙な顔して藤波の手紙読んでたなwあの頃は新日ブームでテレ朝もアングルに協力し盛り上げていた 東京体育館の猪木vs藤波を見た長州は全日に行ったこと後悔したんだよな 長州は猪木との84年8月の蔵前ラストマッチは良かった
長州はこの後、浜口や谷津らと全日に移籍するが最後に珠玉の名勝負を残した >>122
失踪といってもメキシコU.W.A.に遠征。IWPG参戦で不在のカネックの代わりに
U.W.A.世界王者として君臨していた。 >>124
大塚のしっぺ返しでケタ一つ下がったからな >>126
バックランドの日本遠征中ストロング小林がWWF王者になるプランが
本当に実現していたらいろいろ凄かったろうなあ >>61
ボクシングなんて全く別口でしよ
どちらか片方選ぶもんじゃない >>117
UWFで落ちたわけではなく、もはやブロディも飽きられGマシンでそっぼむかれ、
完全に死に体になったところをUWFのリターンで何とか持ちこたえたんだよ。
ただしすでに離れた層はなかなか戻ってこなかっただけ。
ジャパン勢がやってきたらテレビ中継までなくなる始末やん。 >>111
新日は前田に株持たせて会社役員かなんかにしてゆくゆくはエースにしたいと持ちかけたが
前田が断った >>130
ニールセンかVRか調べられないけど、当時初めて視聴率10%を割ったのが
両国の猪木vs藤原戦
試合前からこれが数字的に受け入れられたらいいと思っていたのでショックを
受けたのをよく覚えてる
しかし歴代視聴率一覧をパッと見られる所がないものか
いつも隔靴掻痒なんだよなあ
「シリーズが終わると長州率いる維新軍団が新日本プロレス興行に引き抜かれる形で
離脱するが、マシン軍団は3号や4号も誕生して増殖、ヒロ斎藤も加わったことで
一大勢力となり、ワールドプロレスリングも全盛期とは比べ若干視聴率は落ちて
いたものの、15%以上とキープ、観客動員も満員が続いたこともあって、
維新軍団の穴埋めに大きく貢献した」
「'85新春黄金シリーズ」の視聴率も、マシーン軍団の登場により、13%〜18%を
維持した。(マシーン軍団が登場しなければ、10%割れは必至の情勢だった)」 >>132
猪木藤原戦の視聴率は12.8%
2回目は15%超えてる 86年の1月〜3月の金曜夜8時だと、長州がTBSのドラマに出た頃か。 85年86年あたりは新日全日よりも
クラッシュダンプが大人気の全女の方が勢いあった印象 >>130
長州が帰ってきて
当時の新日本には猪木藤波長州前田が揃ってて藤原高田武藤船木鈴木までいたのに
前田が長州顔面蹴撃してから全ての歯車が狂っていった >>136
このくらいのメンツが揃ったら、2グループに分けて巡業するのも一案だったね。 >>133
ソースはどこ?
自宅に当時のゴング週プロはあるけど、サイトでまとめて見られる所があれば嬉しい >>138
サイトはわからないけど
当時まだあった月刊ゴングに出てた数字だな >>139
サンクス
うーん、やっぱりまとめデータを作るには別冊宝島みたいに
国会図書館で過去の視聴率会社の週報を全部閲覧しなきゃいかんか…
猪木藤原戦は1986年2月14日放送
1週間前のメインは藤波・木村健vsエリック兄弟
1ヶ月前のメインは猪木・藤波vsマッドマックスw
https://kissatalk.web.fc2.com/cs_tv_asahi_1986.html >>140
日本プロレス事件史にも当時の視聴率事情が載ってた マッドマックスはウォリアーズのバッタ物の中で、ランドオブジャイアンツと並ぶクソチーム マッドマックスにマネージャー若松が付くっていうのが哀愁漂ったな >>142
マッドマックスは来日前から週刊ファイトがウォリアーズ以上だと煽ってたから期待度は高かった。特にロードヒューマンガスはベタ誉めしてた >>144
このシリーズの前半戦エースはジム・ドゥガン
後半戦はケビン・フォン・エリックという渋さだった >>136
>藤原高田武藤船木鈴木までいたのに
鈴木って、鈴木みのるだよな!
みのるは、前田、高田と同じ時期、新日で試合をしていなかった。
デビュー前。
時系列で言うと
1986年UWF勢(前田、藤原、高田等)新日にUターン。
1987年春、長州ら旧ジャパン勢復帰。この頃、鈴木みのる入門。若手の船木台頭。
その年の11月に前田、長州顔面蹴り勃発。前田出場停止処分。
1988年4月新生UWF設立。前田、藤原、高田ら新日から再度離脱。
同年6月、みのるデビュー。 エリック兄弟が新日で輝いたのは初登場の札幌だけだった気がする >>149
そうだった。
人の振り見て我が振り直せ、だな(苦笑) >>150
第一回ヤングライオン杯決勝戦やってるね
武藤橋本船木野上、留学生の金、数年後引退した畑もセコンドにいる
後藤達はスーツ着て観客席にいるね >>139
つかもうその頃は月刊じゃなく週刊ゴングだな
ニールセンとビデオリサーチ両方の数字が出てて、おれもそのくらいの数字だったのを覚えてる
2回目の猪木vs藤原は藤波vs前田との放送だったから数字良かったのかな >>136
長州が前田に蹴られてあえなく沈む雑魚とバレたからなw >>137
>2グループに分けて巡業するのも一案だったね。
その実験興行?が1987年のサマーナイトフィーバーの国技館になるのかも
2グループではないけど、国技館の連戦なんて正に選手飽和状態(それも名のあるメンツ)のたまもの。 >>142
マッドマックスがタッグマッチで前田と当たった試合はおもしろかった。
マッドマックスの片割れがUWF勢を本気で怖がり逃げ腰状態だったのだけど、前田が出てきたところで最高潮に達し、必死で自コーナー逃げ戻り強引に相方にタッチしていた。 >>153
週刊ゴングになったのは別冊ゴングで月刊ゴングは86年11月号まで出てた
で86年4月号に「以外に伸びない猪木vs藤原戦2.6国技館対決も12.9%」
もちろん週刊ゴングにも出ててVR12.9%ニールセン14.7% さすが『ゴングの誤植か、誤植のゴングか』と呼ばれるだけのことはある 末期の月刊ゴングは
猪木名勝負集150選、馬場名勝負100選、日本プロレス名勝負100選
他にアメリカ、ヨーロッパ、メキシコの名勝負集とかもあったな
「え?これが名勝負?」なんて微妙な奴もあったけど >>157
あぁ、そうか
サイズデカくなった奴が出てたっけ
フレアーとマーテルが表紙になった奴は覚えてるけど、86年まであったんだな
すまんかった >111
長州がUターンしたからこそ90年代新日の飛躍的な繁栄があったと思う
あの90年代のタレント揃いの巨大組織をまとめあげていた手腕は評価されるべき
仮に藤波があのポジションを任されていたならば現場は混迷していたかと >>154
長州は顔面骨折したまま試合続行して高田をラリアットに沈め前田と乱闘までやったが 猪木が政界進出し藤波が長期欠場した89年が長州政権のスタートだな
というか、猪木と藤波がリングにいなくてもこの団体はやっていけることが証明されてしまった。
まるで89年を境に違う団体になってしまったかのよう。 1986年IWGPまで、ギリギリ視聴率合格ラインだったかな? 山田船木鈴木が若手頭だった頃の新日は新人が育たない暗黒期だった、ペンペン草も生えない状態の穴を埋めたのは馳と佐々木の外様ジャパン勢
山田は後に獣神ライガーとなり其なりに貢献するが、船木らは後ろ足で砂を掛けるように新日退団し荒らすだけ荒らして去っていったw 大塚直樹氏の話では維新軍引き抜きの取っ掛かりは小林邦昭が「維新軍は一蓮托生ですから何かあったら協力しますよ」から始まったらしいけど小林はよっぽど新日に不満あったんだね 明日はCS無料の日でアントニオ猪木vsビルロビンソン >>164
顔面キックの前から前田の蹴りで長州は手も足も出せずにひっくり返ってたけどなw >>15
2月の放送は大雪のため在宅率が高かったのと、オープニングのマスク剥ぎ。 ケン田島さんが亡くなられた。
IWGPの名付け親。 >>168
山田船木鈴木が若手頭だった頃から、小柄な新弟子が以前よりも増えていった感があるな。 >>165
1989年ビッグファイトシリーズが話題性皆無なところが堪らなく好き。 >>168
みのるは第3期暗黒期から新日に出るようになって少しは返してるけど、
船木は全くないな。 >>176
当時の練習生には身長2メートルの奴もいた。
「馬場2世が猪木に入門」と東スポで紹介されてた。 >>161
外人名勝負集、覆面レスラー名勝負集とか興味深い特集もあったけど自分が一番、
惹かれた過去のビックイベトを特集したコーナーだった。オールスター戦、オープン選手権
、第3回IWAワールドシリーズ(大巨人優勝)、第4回MSGシリーズ(不沈艦対超人戦
実現)というモノがあった。
>>174
パックミュージックとか全盛期の深夜ラジオのMCもやっていたんだね。晩年のラジオの
インタビューで^木のウィキペディアを日本語ではなく英語で読むと向こうのファンの
知識が凄いので「原書」で読んでくださいと話していた。アリ戦に深く関わり
キッド・スミス引き抜き事件では馬場・坂口・ビンスの三者会談にも坂口の通訳として
参加していた。 >>182
最終戦の横浜文体で烈風隊がIWGPタッグを取ったんだったか 武藤が山田や船木が先輩だったら新日辞めてると言ってるから、かなり厳しい先輩なんだろうなw
鈴木はパンクラスでドンドン後輩に抜かれ立場なくなりプロレスに戻った、受け入れたプロレス界は懐が深い >>184
ドンドンて抜かれたのは高山、安生ぐらいと違うか? >>184
鈴木がプロレス向きだったというのもある >>186
そんなとこにだれがいたかも分からんぐらいの存在や、パン屋クラスなど >>183
そう。マシン高野組の最初で最後のピーク。 >>188
知らないなら口出さなきゃいいのに。みっともねえなw 高野俊二最大の見せ場は、マシンのマスク被って猪木のセコンドについた時。 >>183
最終戦の横浜は盛りだくさんだったな
荒川の新日最後の試合
猪木vs藤原が第1試合
メーンのIwgp戦が凡戦観戦してたチョチョシビリが試合途中で帰る >>192
地味に馳がIWGPジュニアを奪回、もあるな >>190
一山集めても全く橋にも棒にも掛からんヤツらなど知らなくて当然や 長州が飯塚と組んで烈風隊からIWGPタッグを奪い取ったのは権力の横暴が過ぎたな
ジョージがSWSに移籍した原因かどうかはともかく >>195
だから知らないのに何で口出すの?出しゃばりかw 飯塚ってデビュー4か月の鈴木みのるに負けたんだよね。
その割にサンボ修行でプッシュされていたり色々と長州に気に入られていた。あの頃は。
飯塚推しは当時のUへの若手流出に対してのくさびだったのかなとも思う 80年代後半はWWFの全米侵攻の影響で
日本は外人で客を呼ぶ時代は終わっていってたな
大物は単発参戦が多く
長期で呼べるのはロートル、小物ばかりだった 相手の光を消すの鈴木はデビューした頃からガチ志向で格による序列を否定して完全実力主義を望んだ
のちに鈴木がパンクラスのリングで格下の新人近藤に打撃戦で圧倒され凹られたのはまさに因果応報でした >>200
ブロディ最後の新日本参加で金曜夜8時の終わりだったか IWGPに参加するのがかつての国際プロレスの常連外人になるとは
81、2年頃には夢にも思わなかったろうな まあでも第一回のメンツの時点で「う〜ん・・」ってなっちゃったからなあ。。w
当時の新日の勢いで何やっても満員になってたから良かったんだろうけどな。 87年のIWGPは酷いよ。
通常のシリーズよりも酷い。
国際プロレスのシリーズかと思うぐらい。 1、2回目のIWGPはメンツに拘らず満員、超満員マークばかりだったもんな
イメージ戦略みたいなのも大きかったんだろうけどチケ取るのも一苦労だった
謎のX誰だってとこからペドロ・モラレス、平田素顔で参戦かってところから結局マシンみたいな
当初の構想何だったんだって感じだけど、案外トーナメントと特別参加含めると
今考えたら外人はそこそこのメンツだったかもしれない85年 第2が1番まともな顔ぶれだったね。
ただ、MSGシリーズと変わらない。 Aジャイアント&KブラウンvsWサモアン&Aアティサノエ
https://njpwworld.com/p/s_archive_101_1_01
ケリーブラウンかなりいいレスラーだったんだね
あとアティサノエがデビュー3カ月でこれは凄い 1987年頃って外人ブッカーがジョー・ダイゴーだからそりゃ外人レスラーに国際プロレス臭がしてくる ワイルドサモアンはホーガンのパートナーに大抜擢された、って触れ込みだったのに、
シリーズのほとんどを小錦兄と組むことになっちゃったんだよな。 >>202
みのるは、デビュー前、酒に酔っていたとはいえ
先輩(飯塚ら)に向かって、「俺がデビューしたら、お前ら、
ボコボコにしてやる!」と豪語した。
しかし、それを聞いた山田が「先輩に対して、何をほざく!?」
と逆にボコボコにされたとかww キングコングバンディと、謎のボディスラム賞金マッチ、、、 ブルックスとスミルノフ、全日でも負け役だったし、他も全く魅力ある外国人選手がいなかった。
87年IWGPは事実上、日本人だけ参加と言って良いシリーズだった。 >>201
大物外国人を呼ぶとカネがかかる
所属選手だけで興行を回せると経済的
自分にはそういうふうにも見えた 83IWGP 28日間で28戦
87IWGP 33日間で25戦
地方のプロモーターにも見放されてたな。 >>204
金曜8時時代はほぼ2桁を維持してたから完全に低迷というほどではないだろ。
寧ろ月曜8時になってから2桁に達することは殆どなくなったし、輪島日本デビュー後の
全日中継に勝つこともなくなった。 スミルノフは全日行かずに国際潰れた後に予定通り新日に行っていれば少しはいい扱いしてもらえたかも
はぐれ国際軍団の助っ人としてマイク・ジョージといっしょにコンビ組ませていれば数年は持ったかも
新日のことだからどうせその内に使い捨てだろうけどね >>221
全日では手抜きこそしないもののスミルノフ本人に貪欲さがなく団体側も推せなかったみたいな事読んだ記憶がある ワープロに限らず、全体的に低迷していたような印象があるね、
80年代終わりのテレ朝は。
88年の猪木×藤波も2桁いかなかったんだっけ?
これが昭和最後のゴールデン生中継だったはず。 国際プロレス時代、スミルノフがラッシャーを札幌の路上で襲うというシン猪木襲撃事件の二番煎じをやろうとしたが、スミルノフが道に迷って未遂に終わったらしいね。
碁盤の目のような札幌じゃ慣れてなきゃ迷うよな。
新宿伊勢丹なら宿の京王プラザから遠くなくわかりやすいだろうけど。 >>223
ビデオリサーチで10.5とかだったはず >>223
低迷がしばらく続き、あの伝説の低視聴率「まっ昼間王」へと受け継がれる! 83年のIWGPを全大会観戦した人が闘魂スペシャルに載ってた覚えがある。 >>223
>全体的に低迷していたような印象があるね、80年代終わりのテレ朝は。
低迷していたというより、80年代後半のテレ朝は、番組編成の大幅な見直しを行う端境期にあったというべきかと思う。
久米宏のニュースステーション、田原総一朗の朝まで生テレビ、サンデープロジェクトを始めたり、CNNと提携したりと、この時期に報道番組に力を入れ始めた。他方、それまでの人気番組も大胆に見直され、欽ちゃんの番組や必殺シリーズが打ち切られた。
ワールドプロレスリングもこの流れに巻き込まれ、87年4月からは欽ちゃんの番組を担当していた皇(すめらぎ)氏がプロデューサーとなって、バラエティ色の強い「ギブアップまで待てない」が始まった。
87年の新日は、猪木の力が落ちていたとはいえ、佐山、キラーカン、谷津以外全員集合したオールスターキャスト状態だったので、極端な番組内容の変更などせず、リーグ戦やタイトルマッチで群雄割拠の状態を盛り上げていけば、またまだ視聴率が取れるコンテンツだったのに惜しいことをしたと思う。 >>230
>87年の新日は、猪木の力が落ちていたとはいえ、佐山、キラーカン、谷津以外全員集合したオールスターキャスト状態だったので
だけど外人レスラーは弱体だった
売り出したビガロもあっさりとWWFに引き抜かれてマードックが暫定外人エースだった位だから ギブアップは久保田利伸をOPとEDに使ってたな
特にEDのMISSINGは名曲、切ないラブソングがプロレスシーンと妙にマッチしてた UWFに長州軍が加わり世代抗争も始まり外人はいらなかったからな、山田船木が骨法スタイルで若手のホープと注目されたのもこの頃
年末にはタケシ軍団とのあれでひょうたんから駒でベイダーというスターが生まれ、馳も日本凱旋デビューを果たしと、この頃の新日は新鮮味があったな オーエンハートは惜しかった、高田や小林とはスタイルが合わず本領発揮できなかった
タイガーマスクやコブラがいたら、いい好敵手になったろうな >>223
ゴールデン外れた後のゴールデン特番の視聴率は
あまりパッとしなかったな。
良かったのは北尾デビュー戦と橋本負けたら即引退
スペシャルくらいか。 プロレスをスポーツとして扱うのは放送倫理上問題あるだろからバラエティ番組
になったのは必ずしも視聴率上げる為ではないだろな。
アホな新日ファンにプロレスはショーだと教育しないとアカンからな。 >>230
あの頃のテレ朝一気に変わったな。欽どこ、宇宙刑事シリーズ、水曜スペシャル、特捜最前線
関西だったので馴染みだったプロポーズ大作戦、みんな昭和50年代までのお馴染み番組だったが
消えてしまった。 今さらだけど猪木がハイセルに手出さなかったらプロレスの歴史は大幅に変わってたでしょうね >>240
他のビジネスに対する情熱がなければ、あんな魅力的なレスラーにならなかったかもしれない。 昭和の終わり頃、猪木のプロレス生命も借金に離婚に差し押さえの波状攻撃で終わりかけていた
落ち目の猪木を尻目に前田のUWFは人気爆発、その対比が余計猪木の苦境を際立たせる、だが猪木はここからがしぶとい、
IWGP王者藤波への挑戦を賭けたトーナメントに勝ち残り、闘魂三銃士という親衛隊も作り、横浜での藤波戦も見応えある名勝負で、更にはソ連軍団との提携と次々と仕掛けてきた
そしてラストは参議院選挙立候補し見事当選と引田天功みたいな絶体絶命からの脱出ショーでした 恨んでいる人間も多いだろうがやっぱり手を差し伸べてくれる人間が多いのが猪木の強みだろうな
有名人だからってこともあるだろうけどやっぱり本物じゃなかったらあれだけの借金背負って生きていけないよ
無茶苦茶な生き方だけど勝新と同じような魅力があると思う >>241
猪木はプロレスラーよりも実業家になりたかった人だったそうだね >>236
オーエンハートが、新日でIWGPジュニアを争っていたのは
高田や小林ではなく、越中や馳だよ。それなりにマッチしていた。
まぁ、タイガーとなら、名勝負になったが、コブラは疑問だなww 人たらし、猪木だな。。w
借金も財産のうちなんてコトバも猪木のためにあるようなもんか。 >>242
1988〜90年の新日は、いろいろ仕掛けてはみたものの、中途半端で終わり長続きしなかったものや、ファンの支持をつかみ損ねて空回りしたものが多かったと思う。
飛竜革命は藤波のコンディション不良で中途半端に終わり、88年末のエリミネート形式の3人タッグリーグ戦は迫力不足で盛り上がらず、ロシアアマレス軍団は動きがプロレス化して登場当初のインパクトが消失してフェードアウトし、北尾は本人の勘違いを矯正できずに放り出す、という状態だった。
ただ、新日にとってラッキーなのは、旗揚げした88年には人気絶頂だったUWFでは、89年以降は観客動員数が落ち始めてフロントと選手間で対立が生じ、鶴田、天龍、ハンセン、ブロディの4強対決の構図で勢いの出てきた全日では、ブロディの死と天龍のSWS引き抜きで屋台骨が揺らぎ、そのSWSでは豊富な資金はあるものの、選手間の対立で団体運営がうまくいかずと、メジャー他団体も勢いを失った状態にあったことだった。
そして、敵失に助けられた新日が日本プロレス界のトップランナーに返り咲くことができたのは、91年に放ったG1クライマックスというホームランだったと思う。 >>223
この試合見て長州は新日に戻ってきて本当に良かったと再確認したんだよな 第1回G1の長州力3連敗、三銃士で優勝を争う。って長州自身のアイデアなのかな? 第一回G1クライマックスの成功は猪木が闘魂三銃士というキャラを与え橋本蝶野に経験を積ませたのが大きい、武藤に関しては猪木のプロデュースがなくても大丈夫だったろうがな
それと馳健の存在これを忘れてはならない、一時期新人が全く育たなかった新日の人材不足をこの二人は見事にカバーし三銃士のライバルにもなった まあオーエンハートが新日に残っていたらばレスラーはとっくに引退してるにしても今も活きてるな >>250
90年の新日はまだ爆発しきってはいないものの
大会場の使用頻度とか見たら他団体時代の中でも地力は断トツなんだなと思った
>>251
だろうね
それを実行したのが長州の凄いところ
全方位気配り政策なんて言われてた 剛竜馬のパイオニア戦志と交流したのだけは余計だったとの意見も
藤波の剛への冷酷さを見るに、どう考えてもジュニア時代の誼というより
長州政権への無意味な抵抗と取れた 船木鈴木の疫病神コンビがいなかったら新人がもっと沢山デビューして新日はもっと早くブレークしてた >>256
青柳…
貫録、スター性、実力で本来互角にやりあってはいけない相手
昭和なら相手にもされなかっただろうね あくまで推測だがジャパン・プロレスが全日に来たために
人員整理で高杉と菅原はリストラされたので
長州的にはそのお詫びもあったのかもしれない >>259
リストラはハリケーンズが来た時だよ、ジャパン勢が来た時ではない。 >>249
>1988〜90年の新日は、いろいろ仕掛けてはみたものの
88年と90年を一緒にするとは乱暴な話だな!
確かに88年までは(前年暮れの蔵前騒動の影響もあり)低迷していたが、
89年4月のドーム、同年7月の猪木参院選当選(セミリタイア)
三銃士帰国(89年7月〜90年4月)、そして90年春からの坂口社長から
カラッと変わったぞ! >>258
ライガー、小林邦、越中が相手だったから。
昭和ならメインを張れないレスラーばかりだからという理由になるか。 >>261
1989年闘魂シリーズの話題性の無さが印象的 >>236
馳×オーエンを、タイガー×キッドの再来と例えハードルを上げすぎたからな。 >>251
自ら負け役になってサプライズを狙う
っていうのは猪木もやっていた手法でもある 藤波の好敵手だったキッドに、なんか訳わからない覆面レスラーが勝った
というのはインパクトあったな。
コブラや三沢タイガーは初来日の相手だったからなぁ。 >>261
88年〜はゴールデンの呪縛から解き放たれた感じで俺は好きだったけどな
1988年は東京の主要会場を使えなかったのが痛い
1989年は猪木が政界進出してから半年位はかなり低迷してたな(88年よりも酷かったと思う)
1990年に入ってドーム大会の全日勢参戦が決まった頃から確変がきた感じ >>268
88年は新日本が国技館を使わなかった唯一の年なんだよな >>269
8月の藤波対猪木が両国だったら、結果は同じでも雰囲気が違ってそう。 新日が一番苦しかったのは昭和最後の年の63年(1988年)、前年から不祥事続きで借金王猪木は横浜で藤波戦に負けたら失踪するんじゃないかと言われていたw
だが猪木は失踪する所か逆に復活、秋にはペレストロイカで開国を初めたソ連格闘技界に接近してレッドブル軍団を新日に呼ぶサプライズまで起こす、それで平成元年プロレス団体で最初に東京ドームでの興行をうち成功させる
北尾の入団も決まり、橋本、蝶野も海外修行を終え帰国、外人勢もビガロ、ベイダーに続き恐竜スコットノートンが登場、陣容が整ってきていた 2000年代前半が暗黒時代という人が多いけど、88年春のゴールデン陥落の方が絶望感は大きかったなぁ
ゴルフで散々中継が中止にもなってたし、全日の17:30と違って、16:00ってプロレスを見る時間じゃねぇよなって感じで
でもここで見てた子達が90年代後半の隆盛を引っ張るんだから不思議なものだ そんな時間は知らんな、いきなり夜中になってしまったな
プロレスを見たい為にだけビデオを買った
AVを見る方が多くなったのは内緒やな >>269
使わなかったのではなく、
使わせてもらえなかった。
あと、1987年は、80年代で「新弟子が一人もデビューしなかった年。
すでに全日でデビューしていた佐々木健介と凱旋帰国の馳は除く。
87年は鈴木みのるが入門していたが、夏に問題を起こし解雇寸前まで行った。
その他にも入門者はいたと思うが、船木、みのるがイジメて辞めさせた模様。 小島聡の同期はあと6人いたが全員辞めた話を馳が書いてたな >>250
長州が新日回帰になったのは東京体育館の猪木対ブロディを巡業バスの中で観た時じゃないかな?「あの試合観てたら青山(新日本)が懐かしい」とか週プロに載ってた記憶あるけど 「長州さんは全日参戦直後から新日に戻ることを考えていた」と谷津が言ってた >>271
ジュニアでは獣神ライガーと言う華と実力のある絶対的ベビーフェースが登場したのが大きかった 長州ではないが
小林邦明がコブラ戦をアピールした時には
何か変だなと思い始めた 山田は自分だけが新日ジュニアで明確な位置を得たいがために
他の人材を裏工作で閉めだしているという根も葉もない噂が飛び交っていたな
佐野がメガネに行ったのも、大谷がゼロワンに行ったのも、田中稔が離脱したのも
全部ライガーの権力だと。ロクに飛べもしない、高度な飛び技も使えないライガーが
いつまでも新日ジュニアの居残ってるのは不自然だと >>268
>1988年は東京の主要会場を使えなかったのが痛い
両国は暴動が起き、東京体育館は改修中。
その分、有明コロシアムを発掘したのはプロレス界にとってもプラス。
90年からは、東京ドームに加え、NKホール、横浜アリーナ、新東京体育館、
幕張メッセと新しい会場が増え、雰囲気も新鮮になったよ。
また、こういう新しくオシャレな会場に武藤が似合わうんだよね。 >>268
週プロによれば武道館や代々木第一にも申し込んだということだけど、
結局断られたんだな。 でもけっきょく有明コロシアムって新日は88年しか使わなかった。
当時中継で見ていてリングサイドの照明用の鉄骨やぐらが気になった。会場観戦時は目障りだったろうな。 >>285
そのやぐらがよかったたんだけどな
いつもと違う感が 1988年の新日本プロレスは暗黒期と言われてても記憶に残ってることが多い
・川口浩探検隊スタッフによる'88ワールドプロレスリング
・ベイダー旋風
・飛龍革命(髪切り事件)
・8.8横浜大会 王者・藤波に猪木が挑戦
・旅姿六人衆
・アントニオ猪木を引退させない会(新間寿復帰)
・猪木「長州!これは俺の靴だ!」
・ジャパンカップイリミネーションタッグリーグ戦
あとこの記事がすごく好き
https://bunshun.jp/articles/-/37416 東京体育館は新しくなってからなんとなく暗い雰囲気で好きになれなかったな >>287
毎週空振りに終わる伊津野亮の突撃レポート >>290
TV局からすれば何とか視聴率を上げようとしているんだろうけど
スポーツ番組でこの手のテコ入れが上手くいった事ってあるんだろうか
巨人戦の中継が一桁に落ちた時もラッパーを呼んで試合途中にアトラクションをやったりしたが
全く効果が無かったし解説の豊田泰光にボロクソに言われていた >>291
どのスポーツでも、変にタレント絡めたり手入れると失敗するよな。
プロ野球中継の王道はサンテレビボックス席。
企画と言えば、チケットや叙々苑の食事券プレゼント。 普段プロレスに興味ない視聴者を振り向かせる為に色々趣向凝らしたけどかえって何となくプロレス観てた人までソッポむいてしまった 35年前は、たけしプロレス軍団とか海賊男とか茶番劇に反発していたけど、
新日もテレ朝もゴールデンタイムを死守するために必死だったんだな、
って今になると思えるな。もう毎週テレビ見てくれる視聴者だけじゃ成り立たなかった。 >>293
人気下降の潮流は小手先の方法では避ける事はできず「ファンが一周回って新しく
ならないと人気回復は難しい」と全女中継の志温野アナが女子プロの人気回復策に答えて
いた。老舗デパートが若者向けに舵を切ったらそれまでの固定客にまで失った例と同じだね。
>>255
「また、新日のリングに上がりたい!」と剛から相談を受けた藤波が「今のままでは難しい
・・・」と言われて旗揚げしたのがパイオ二ア戦士だった。これがのちにFMW誕生にまで
つながり今も続く多団体化のトリガーを引いた。
>>275
この時の新日離脱組にパンクラスの菊田いて坂口ルートでの入門だったので他レスラー
から嫉妬とかわいがりも凄まじく健介を遙かに越える馳のシゴキも壮絶だったと証言していた。
ただ馳は小鉄から引き継いだ「道場の威厳」を守ろうと奔走していてそれで度を過ぎたシゴキ
になっていたのかも?と菊田は好意的に分析ていた。この中で生き残った小島は凄いと
言われる。 88年の有明のときは天気悪かったなぁ
入場のときに蝶野が濡れた床(シート)に少し滑って一瞬笑ってしまってた ベアキャット・ライトが「アアッ、アー!アアッ、アー!」と奇声を発しながら
坂口にヘッドバッドをやっているのを見て「この黒人は本当に頭がおかしいんじゃないだろうか?」
と思った。
あと、ゲシュタポとか、うんこみたいなガイジンが結構いたね。
まあ、新日は外人ルートが弱かったから、キラーカールクラップみたいな二流でも
坂口に勝って猪木とワールドリーグの決勝をやってたよな。 タイガージェットシンは「狂気」のヒールだったから客が入ったし視聴率も取れた。
一方でクラップとかジョニーパワーズは陰気なだけで狂気がなかったな。
あと、バレンタインやパットパターソンは明るい感じのヒールだったが
全盛期を過ぎていたし華がなかった。
ザ・シークとかボリス・マレンコとかも、汚いし悪どいんだけど
猪木がしっかりとヤラレないからイマイチだったね。
シーク&マレンコ組で極悪の限りを尽くして黄金コンビから北米タッグ強奪とか
あってもよかったかもね。
猪木&坂口の救援に来たゴッチがシークとマレンコからダブル火炎放射を浴びて
のたうち回るとか、そのくらいやってもよかったんじゃないか? >>299
1973年の今日、川崎のテレビマッチ山本小鉄対スティーブ・リッカードの試合中
ターバンを巻いた謎のインド人が乱入している。 ブルートバーナードはキチガイキャラを演じてたのが丸わかりでダメだった。
全日でボボブラジルが花束嬢から渡された花を食べてキチキャラをやってたけど、
ブラジルも(バーナードも)体力が落ちて試合で魅せられなくなると
あんな事するしかなくなるのかね?
ちなみに菊が苦すぎたみたいでブラジルは咬んでは吐き出してたよ。 >>300
試合するはずで来日したはずが、ビザの手違いで試合は出来ない制限が付いちまったんだよね。
「試合がダメなら背広で襲撃、暴行ならいいだろう」って事でああしたんだけど、
逆にそれが成功した。
テレビ放映が始まって1か月だったから凄いインパクトだったね。
日プロ末期のダメダメだったワールドプロレスリングが
あの背広姿の大柄インド人の乱入襲撃と小鉄KOで一気に生き帰った。 >>302
日本プロレス末期の番組タイトルは、「ワールドプロレスリング」ではなく「日本プロレスリング中継」だったのでは? シンは40年以上まえの話だよな
あの頃はプロレスが「闘牛」だったんだよ
猪木が闘牛士で外国人レスラーは猛獣 >>302
>試合するはずで来日したはずが、ビザの手違いで試合は出来ない
それなら、シンの来日前、新日は「次期シリーズの参加選手(それもエース)として」
タイガー・ジェット・シンの参加を発表していたのではないか? しかし猪木はホント、恩知らずだよな。
アメリカ修行時代、モンゴリアン・ストンパーに世話になったくせに
なんで新日に好待遇で呼ばなかったんだろうか?
ストンパーは昭和46年に日プロに来て馬場とインター選手権やって引き分けてるんだし、
エース格で呼んでもいいだろうに。
まあ、世話になって来た先輩と言えばバレンタインやパターソンはよく呼んでたけど
なんでストンパーは呼ばなかったのかね? >>306
新日絶頂期に呼ぼうとしたけどキャンセルされた 英語があまり上手くなくてコミュニケーションが取れていなかった猪木を心配して
パターソンは日本食が食べられる店を捜して猪木を連れて行ってすき焼きをご馳走したんだそうだ
自分を頻繁に新日に呼んでくれたのはその時の事があったからじゃないかと言っていた レイスも控え室で一人ポツンと座ってた猪木を日本食レストラン連れてったと言ってたな
なんとなく面倒見たくなるタイプなんだろうか >>270
横浜文化体育館だからこそ産まれた名勝負だったと今でも思う >>306
呼ぶ呼ばないは色々事情があるからな。馬場だってWWWFと新日が提携したときサンマルチノはもう呼べないと思った位だから。
それより東京プロレス時代サニーマイヤースと切れてしまったのが痛い気がする。
マイヤースはフロントとしても結構いいポジションにいたらしいので、付き合いが続いていれば新日の力になったのかも。 パターソンはゲイだけど分別がつくゲイだったらしいね。
面倒見良く誠実な人なのでエージェントなどでWWFに長く起用されたんだよな。 猪木さんは艶福家だから英語はベッドでのお姉ちゃんとの会話で覚えたのよ、結婚もしてるしな
アメリカでの猪木さんコーヒーショップの女の子に惚れ今でいうストーカーみたいになったり、ナンパし過ぎて地元の不良グループと揉めそいつらが会場に乗り込んで来て焦って逃げたりと青春エンジョイしてた模様 >>307
84年に週刊ファイトが1ページ使って紹介していたね
意外な男が猪木の闘魂を呼び戻すかもしれない、という風に書いてあって期待していたのに残念だったわ 猪木も入門時は力道山にしごかれ死神酋長にされと馬場に比べて散々だったが
米国修行帰国後は豊登との接触を経て改めてレスラー人生を歩むわけか。
日プロ飛び出して他団体エースというと草津だが、テーズの前に撃沈。
一方猪木はバレンタインと名勝負。やはりレスラーとしての素性は猪木が上と言えるのかね。。w
猪木と草津ってあまり接点がないな、そういや。 >>316
猪木を意識していたかどうかわからないけど、草津は、相手をロープに振って戻ってきたところで、コブラツイストをきめていたな。 >>314
諦めずに猛アタックね
ストーカーとは違うw >>316
スター性、貫録、意識、実力…比べるのがおこがましい所
ただ昭和42年前後なら大型、ルックス良し、新団体エースと共通点もあり比較されるのもわかる
その後はポジション、体格風貌から坂口と比較されるようになったから猪木のイメージはないがね まあねw、その後のレスラー人生を見れば一目瞭然ではあるが、
その天才と言われた持って生まれた身体能力で、草津が実力向上へ意識を
伴っていれば十分猪木と渡り合えたかも知れない(と、かなりひいき目だがw) 草津ってパワー系なのかテクニシャン系なのかよくわからんなあ
ラグビー出身ならパワーファイターになっていくんだろうが
全然そんなイメージではない 猪木さんの最初の奥さんはリンダさんってアメリカ人、猪木さん東洋からきたハンサムボーイとなかなかの人気で奥さんもファンだったそうだ
美人の奥さんからファンレターか何かもらい女好きの猪木さんがそれを見逃すはずなく、直ぐにむふふな関係になり同棲、英語はその生活で飛躍的に向上した カナダのケリー・ブラウン戦で、アレンの乱入に
助っ人乱入したストンパーと猪木の握手はちと感動した。 ストンパーに特製ニンジンジュースをご馳走になった猪木さん、ニンジンパワーかなにか知らないがそれで股間の息子がギンギンになり困ったそうだw
だがそのニンジンジュースの効能はリンダとのむふふな同棲生活で大いに役に立った パワーズも猪木とは東プロ以来の縁なんだが、2人ともぶっちゃけまあ曲者というかw、
旧来の体制や主流派に反発する姿勢ではどこか似通ってるな。。 >>306
307や312も指摘しているが、もう一点、
ストンパーのことではないが、若い頃、世話になったから、
その理由だけでショッパイ外人を呼ばれてもファンは困る。 >>325
>旧来の体制や主流派に反発する姿勢ではどこか似通ってるな
パワーズは1966年、東京プロレスに招聘された時、
同じ年代の猪木が団体を興したことに刺激され、
NWFを設立したそうだ。 ストンパーと言えば、第十回チャンカンの直後のシリーズで全日が冷遇をしだしたのが謎なんだよな
リーグ戦では中堅日本人勢に全勝だったのに、次のシリーズでは小鹿とマイテイにピン負け
馬場と何らかのトラブルでも起こしたのだろうか 最後の来日で黒星続きだった大物外国人レスラー
新日
ジョニーパワーズ
オックスベイカー
アイアンシーク
アレックススミルノフ
キラーブルックス
トムジンク
全日
キラートーアカマタ
モンゴリアンストンパー
クルトフォンヘス
デイビーボーイスミス
UWF
マークルーイン >>331
ブラジルの最後の来日もそんな感じだったような?コロンと組んでも負け役で。 ストンパーは84年のビッグファイト第一弾に参戦予定だったけど来なかったんだよな。
もしかして猪木と共闘するかもって期待したんだが。
あのころは維新軍ばっかりでトップ外人勢が前座に追いやられた。
下手すりゃハマグチにまで負けさせられるくらいだからやる気なくすのは当然だわな。 未知の強豪枠で初来日からそれなりのポジションもらっていたビリー・ジャックの最後の方の扱いもひどかった
主戦場との契約の問題もあるのだろうが本国でハードスケジュールじゃない選手は上手に育ててほしかった しかし84年時点でのストンパーの商品価値としてはどうだったかなあ。
馬場の苦手だと言ってももうチャンカンでかなり評価は下されていたし。 >>327
ダイアナだった猪木カンジ自伝で確認
ダイアナのマソコに秋田猪木さん、今度は美津子さんとむふふ
ストンパー直伝ニンジンジュースがまた活躍、羨ましい人生だぜ >>339
さすがに猪木が女性と何かあったら目立ってしまう。永島は自分を隠れ蓑にしてたとか言ってるけどね。でも猪木は何故橋本ズッコなんか好きになったのかな? 女のほうがほっとかないイメージだよね。
まじかで世界のアントニオ猪木を見たら、
女なら本能的に抱かれたいと思うだろう。 体の関係よりも心の関係を重視するタイプ
でも下ネタは無条件にウケるから大好き、みたいな 猪木って、ライバル馬場のような1本ン万の葉巻だとか1個3000円のチーズバーガーだとかのイメージが全くない。
それどころか庶民レベルかそれ以下の質素な生活をしているイメージしかないなあ猪木って。1億円結婚式は別として。
借金だらけで住む家もなくて新日の事務所で一人寂しくカップ麺を食う姿が容易に想像できてしまう。
時代のスーパースターとしてはかなり異質な存在と思う。 >>331
ジプシー・ジョーの全日本最後の時が
1番悲惨。
保永や小鹿あたりにも負けていたからなあ。 今の新日が組体操とか言われてるようだが思い出した
馳対オーエンで感じた違和感と一緒だ ワイルド・ペガサス vs ブラック・タイガーの試合なんかはアクロバチックな攻防でも全然組体操感がないのが凄い 橋本にカード渡して「好きなだけ使え」と言ってしまう人間のどこが質素だよw >>339
猪木は路上でアイドル島田奈美をナンパしたことを
本人からばらされていたエピソードがある。 >>344
自宅の冷蔵庫にあったパックの納豆が原因で
倍賞美津子が悪霊に憑依されるくらい食生活は庶民的だったようだね ドリーとデビアスのシングルを36分も見せられた大分の人ってどんな気持ちだったんだろ 新間氏曰く猪木のPKOってあったね。
昨晩、テレビ東京の番組で「パンパン」を連呼していて驚いた。
旅客機でトラブル起きた時にパンパンと言うんやね。 >>351
>冷蔵庫にあったパックの納豆が原因で
>倍賞美津子が悪霊に憑依される
すみません。意味が分からないんですが(^^:
今、自分の家にも納豆があるんだが、捨てた方が良いのかな? >>354
猪木家の冷蔵庫にあったパックの納豆を猪木が勝手に食べたことで壮絶な夫婦喧嘩が発生
この時の美津子の状態を猪木が自伝で「悪霊に憑依された」と表現
なおこの悪霊は猪木の謝罪によって美津子の肉体から出て行った模様 猪木はファッションには金かけていたと思うよ。雑誌の写真やTVの映像で見た限りだけど、私服は常に、その時流行している上質なものだった。ファッションセンスは、プロレス界ではダントツ(他がとりわけ酷かったのもある)で、プロスポーツ選手の域を超えて芸能人寄りのレベルにあったと思う。 猪木の大好物が納豆ってのは有名だな。
俺も猪木の影響で納豆好きになって今でも毎日食べてる。 >>356
イタリア遠征のファイトマネーのほとんどを現地で洋服を買うのに使ったんだっけ ギブUPまで待てない!! も昭和の新日でしたね。賛否ありますが、チャレンジの結果ですから。
「つまらないこと聞くな!」馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ―2020-21 BEST5
https://news.yahoo.co.jp/articles/311cb11af38ab77e74bcd5cc38d1689226084b41 >>352
マニアなら歓喜
それ以外でもまったく無名のレスラー同士ならともかく
トップ同士のタイトルマッチなんだからそれなりに楽しんだろ
退屈に思うようなのは最初から当時の全日見に行かない
招待券で来たような客は寝たかもしれんがw ただ同じドリーの対外人戦でも初対決の大物とかなら
ロビンソンやニックとの初対決、ラシク戦みたいに手の内の探り合いみたいな展開
がブック前提で見てもスリリングなんだが
手の内知り尽くしてるデビアス相手だと、鶴田戦にも似た約束稽古みたいになって
マニア的にも刺激は少なそう 猪木さんは少なくともケチの守銭奴ではない、新日本作った時も新婚生活に用意した自宅改修して道場と合宿にし自分は美津子さんのマンションに移り住んだ >>352
セミファイナルのブロディ&ハンセン組V.S.馬場&天龍組が5分強、メインのドリーV.S.デビアスのインター戦が36分だと、大分のお客さんはブロディ&ハンセンをもっと見せろよと思っただろうね。
ドリーV.S.デビアス戦の最後も、デビアスが四の字に入るところをドリーが丸め込むというマニアなら何度も見たパターンだったみたいだしね。
インター戦だから仕方ないのだろうけど、セミとメインは逆の方が盛り上がったと思うな。
順序を入れ替えないまでも、セミを10分以上やって、メインは30分程度で終わらせるとかできなかったのかな。 基本的にドリーはあからさまなジョバー相手以外にはクイック勝ちばかりだからね
あとロビンソンやブリスコとの対戦では必ずエビ固めを返して丸め込みあう応酬があった
彼らとの試合では中盤の見せ場だが格下相手だとそこで3カウント入ってフィニッシュ
一方デビアスも四の字が得意技だった時は四の字を首固めに返されて負けるという
師匠ドリーではなくブリスコの十八番を受け継いだw >>360
ああいうバラエティは通常の中継放送に付随した別番組としてなら有りだと思う。
まあ通常の中継で数字とれなくなったから変えてみたんだろうけど。
スポーツの専門情報バラエティなら野球はたくさんあるし、F1だとF1ポールポジション、
アメフトだとNFLタッチダウン(その他NFL倶楽部に続く流れの番組)とかがあったように、
プロレスにも試合ハイライトとスタジオトークの番組があってもよかった。 >>302
馬場を強奪したNETは日テレに奪回されてしまい「馬場プロレス」に対抗するには
「^木・坂口の黄金コンビしかない!」として期待のワープロをスタートさせるも視聴率
は10%台前半に届くかどうかと言う状態だった。そこにシンが登場して2〜3%も跳ね上がり
ワープロの救世主となった。
>>313
谷津が米国武者修行に出るときに定番のフロリダ・ゴッチの元では無くNYのパターソン
に預けられるとニュースが出ると新日ファンの間で物議を醸した。
>>357
ルスカ戦の時にオランダはチーズと言う事で「チーズに負けるな!」と納豆協会の応援幕が
掲げられてルスカはトーストとチーズ、^木は大好物の納豆をトロロで溶かした物と報道
されてまさに納豆対チーズに代理戦争だった。
元子夫人も料理上手だったと言われるが料理に関して美津子夫人の話の方が多くBI夫人の
料理対決には^木に軍配が上がりそう。 M高橋がコインを見て正直に藤波と言ったから長州vs前田戦が実現しなかった 長州vs前田戦が実現してたら橋本vs小川戦のこれがお前のやり方か(怒)みたいな試合展開になったのかな パターソンは1977年の猪木とのNWF戦を日本でのベストマッチに挙げている
24分も使った上で猪木が勝っているしパターソンには礼節をつくしているんだな >>371
前田は天龍みたいなゴツゴツした戦い方をしたくて体の頑丈そうな長州に蹴りをかましたが、
長州が口ほどにもなく軟弱で前田は失望したらしい。 >>370
長州テレビ解禁の時でしたがあのコイントスは納得できなかったなぁ。仕込みでもいいけど観客も視聴者も分かるやり方して欲しかった。結局あの日は前田の試合自体なかったから観客は損した気分でしょう? >>373
顔面蹴って骨折させて、欠場に追い込んだんだからプロレスラー失格だろ?
前田がいつもやっていたのも「真剣勝負風プロレス」に過ぎないんだから。 マードックに凄まれて何もできなかったくせに、チビの長州には強気なんだよな >>374
トスしないコイントスを見たのはあれが最初で最後 >>368
長州&谷津vsブロディ&ブルックスより悲惨な結果になったかも。
実現不可能だったろうけど、アンドレ&ホーガンvsハンセン&ブロディが見たかったな。
実現可能性の高いところでは、こんな顔合わせも見たかった。
アンドレ&カーンvsハンセン&ホーガン
アンドレ&マードックvsハンセン&ホーガン
アンドレ&坂口vsハンセン&ホーガン 前田は試合の権利ないのにノータッチで入ってきて死角から顔面(しかも目)を蹴った
暗黙のルールどころか人間失格レベル 猪木は骨董品屋とかで「この店で一番の物をくれ」と言って買い物してたとか
ブランド品で固めるとかより遥かに良いよね 猪木はカネに関してはだらしないし、迷惑かけまくりだけど
金の用途が利他的というか、歪んでいようが志がある。
馬場みたいな所帯染みた感じではない。 >>381
それを前田は、自分が考えたアングルに長州が対応できなかったと、自分ではなく相手に非があるような言い方をするからな。
そもそも、アングルならアドリブのようにやるのではなく、事前に相手と打ち合わせしておけということだよね。 >>377
長州も復帰したばかりで古傷の膝もある程度癒え体調万全のテリーには防戦一方だったのに
翌年のPWF戦で映画出演の減量で体調崩してガリガリヨレヨレのテリーには強気だったなw 前田は長州力蹴る前に肩を叩いて合図したとか言い訳してたな。
別の話だけど長与千種がサソリ掛けられた場面でライオネス飛鳥がカットするつもりで
相手に技掛けたら思わぬ力がかかって長与が股間だったか怪我してた。
ちゃんと相手が技解く時間与えないと危険だわ。 怪我させるつもりがあったとは思わないけど
何ら含むところのない普通のムーブだったとも思えない
ちょっとカタイ攻撃したつもりが思いもよらぬ事態になったってことかな 顔面蹴撃に関しては対談のときにちゃんと前田が謝罪して長州が許してるんだから
ファンがいまさらどうこう言うことではない >前田は長州力蹴る前に肩を叩いて合図したとか言い訳してたな。
それがあきらかに嘘だから、こいつは人間失格と >>388
べつに訴訟がどうたらって話してる訳ではないだろ、プロレスとしてどうだって
話してんだよ。 >>388
>>373みたいなこと書く人がいたから反論しただけだろ? >>369
元々アマレスの素地がある人間とゴッチはソリが合わない
長州なんか逃げ出してるし すでにスポンサーもついてて真正UWFを立ち上げる前祝いにやった 長州も前田も決して巧いレスラーじゃないし、元々仲もいいことないし、以前からの新日のUWF勢への待遇とか
なんだか悪い条件が重なったな。。つくづく藤波の良さが浮き彫りになるなア、カンケー無いけどw
かつての猪木対グレートアントニオ戦のような一線を越えた瞬間がよぎるな。 谷津は最初ゴッチの所へ海外修行へ行かされる予定だったが
長州「ゴッチに習うのは関節技だぞ、そんなのいらないだろ」
谷津「そうですね、いらないですね」
で海外修行先変更した
谷津「レスリングの動きができると関節技には捕まらないから関節技は必要ないんです」 >>394
橋本が「勝手に出て行った奴が勝手に戻ってきて俺の上で試合をしているのが頭に来た」という理由で
ヒロ斉藤に仕掛けたけどそれの続編でもあるよね
長州の性格だと戻ってきた時にお詫びしたりとかしないだろうしな(しかも大金をGETして戻っている)
出戻りに美味しい思いをさせるのは示しがつかない >>394
その藤波が珍しく我を通した結果はろくなことにならないという
ブロディやベイダーへの負けブック拒んでブロディ離脱や両国暴動の遠因に
反対に意志を通さなきゃいけない社長時代に猪木の言いなりで蒟蒻社長を襲名
することになったり、藤波は我の張りどころを間違えすぎたw Youtubeちゃんねるなんかでレスラー同士の対談とかそれに近いカラミ企画なんかで
今後、長州と前田が交えることは無いだろうねw 何だか修復しようのない根本的な溝が
出来てる感じ。まあ元来そりが合わない同士だとそんなもんかな。 >>397
藤波はあくまで会社への忠誠みたいなのは感じられるが、いかんせん猪木ほどの
カリスマ性だったり統率力に欠けるからなんか程よくまとまっちゃう感じだなw >>391
でもそんな長州も、技を受けてくれていた前田をガチでサソリで締め上げて腰を悪化させてるけどねw 逆エビならともかくサソリくらいで腰傷めるかねえ。
あれあんまり腰反ってないぞ。 普通に予定通りじゃないのかな長州前田
あの日一番のベストマッチだし、蠍にギブアップやラリアット→フォールよりもインパクトあった
勝った長州はもちろん参ったしなかった前田も根性見せた(というブック) >>403
長州と、前田のコラボの動画チャンネルって無かったっけ?
前田は自己宣伝が多いね。
あの手のチャンネルだと過去の暴露話が面白い。
古舘チャンネルとかライガーチャンネルとかセンスあるね。 藤波とニックが見たかったなぁ。
>>282
NKホールの武藤は最高だったなぁ。 >>398
少し前にBSフジで、叩いて被ってジャンケンポンやってたけど。長州と前田は今は仲悪くないはずだよ。
ホントに仲が修復してないのは長州と健介だよね。おそらくこの2人もう何年も顔合わせてないはず。 >>406
北斗がカネを騙し取られたと思い込んでるだけじゃないの
健介は何も言わさせてもらえない感じ >>408
健介だけなら、とうに修復してたろうな。
例の藤田戦だって、北斗がキレるまで健介ガッツポーズしてたからな。 >>403
そんなに無粋な人からのツッコミがこわいかな? >>360
ほんとプロレスファンはその話題好きだよな。
逆にプロレス以外の討論番組やバラエティとかでガチケンカなんていくらでもあるのに、
ケンカを見せるプロレスラーがキレたらなぜか、話題にするよなw >>397>>399
藤波は一発勝負の賭けに出れないタイプこれまで新日クーデター、ジャパンプロレス移籍未遂、ドラゴンボンバーズ不発、ドラゴンストップ、無我失敗
もし藤波の顔が栗栖やカーンならここまでスターになれなかった。 大仁田厚公認の壬生狼一輝「天龍革命、維新革命、飛竜革命に続いて壬生狼革命を起こす」
https://gonkaku.jp/articles/6555
藤波さんを既出の二人と一緒にしたらアカンがな。逆にバカにしとるで 飛竜革命って藤波本人の能力とは別に
新日という会社自体が
興行の主軸を世代交代して
猪木至上主義からの脱却を図る
という最も難しかった難問にとうとう手を付けた
という点では地味ながら凄く意義は大きかった >>406
前田と長州はVRシリーズで和気藹々よ対談していて新日同窓会には和やかに参加して
いるが梶原・弟が仲立ちし文春誌上で実現した前田×佐山対談に終始、ぎこちない雰囲気
で無理矢理握手した感じだった。UWF勢の総出の同窓会や対談なんて不可能なんだろうね。
>>411
馬場が^木に会うと投資話を勧められて「^木は訳のわからん話をするな!」と
話していたらしい・・・
>>417
TVカメラの前で堂々と配下のレスラー主張するのは画期的だった。全日も社長に就任した
松根氏が専門誌のインタビューで馬場に世代交代、引退を促した事があった。それ以来、
馬場との関係は悪くなり日テレ・原Pは「そういう余計な事を言うからw・・・」と回想
していた。 馬場はオレにビビって逃げてるとマスコミにアピールしていた猪木さんだが
空港やホテルなどでバッタリ馬場さんに出くわすとやあやあ馬場さんと愛想笑いしてなつき、食事ご馳走になったりしてたそうだw いきなりすみません
4月4日に放送されたラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」にシンがカナダから電話でゲスト出演した
新宿襲撃事件の真相、輪島デビュー戦や馳との巌流島決戦のエピソード、馬場や猪木への想いなど中々聴き応えがあった
シンはすっかり人の良いおじいちゃんになってた
今でもネットで誰でも聴けるから興味のある方は是非どうぞ 韓国のプロモーター朴さんが新日の客分で滞在していた時、
若手たちはジャイアント馬場と間違えて丁寧に挨拶に行ったらしいな。
朴さんも日本の若者って礼儀正しいんだなと感心したことだろう。 田中ケロも「馬場さんかと思って挨拶に行っちゃた」と言ってたな
あの当時は気にしてなかったけど、あのパクさんと、70年代に全米屈指の
売れっ子となり、フロリダでジャイアント馬場とストロング小林を部下として
従えたトップヒールのパク・ソンナンはどういう関係だったんだっけか YouTubeにギブアップまで待てないの馳と山田邦子の例の奴が上がってるけど、改めて見てみると最初にガツンとやってるから、そこから邦ちゃんが完全にビビってしまってるな
亀和田武と藤井アナがフォローして、それ以降は普通のやり取りになってるけど、それでもだいぶピリピリした雰囲気を馳が作ってるから見てて緊張するわw 猪木は敵地でパクソンナンをボコボコにしてしまったんだよな。
それもリングサイドの柳川会長に断り入れて。
そんな芸当できるレスラーなんて後にも先にもいないよ。 長州の最新動画より抜粋
プロレスはいかにもショーだ八百長だとか…。
みんな昔はうわぁー!!ってプロレスオタクみたいだった人間が、
いかにも自分の立場が変わったからって、見方をすぐ変えるのかって。
そういう奴らこそ胸糞悪い!
それがテレビに出てる!そういう表現の仕方が目に付いたり聞いたりする。
解説者もそういう例え方するよ。
それはすげぇ寂しいなって思う。
少なからず昭和のこれから経済が復興していこうっていう時に、
日本国民が力道山を見て、街頭で右往左往しながら見たわけじゃん!
俺は俺でオリンピアとしてプロレス界に入って、
自分の感情とリングの中での表現を一生懸命ぶつけてきた。
それを…お前ら如きに、俺の何が分かってるんだ。
希望や夢は(猪木)会長が言うような言葉が、その時にはあったんだよ!
それでここまできて、色んな「強さ」「夢」「希望」っていうのは与えたいと思ってる!
みんなが苦しい時に、圧迫されてる時に、『俺はテメェの噛ませ犬じゃねぇぞ!』っていうの
別に意識して喋ったわけじゃない。
『おー!そうだ!!!』ってやつもいたわけだ。
それをリングの中から、会長は夢、希望を与えるっていうことが発信で来たわけじゃん。
それを今の時代がこうなってるからって、『あ、プロレスと一緒ですか』って、
俺はねぇ、やっぱ流石に業界のOBとすれば、うわぁ…悲しいなぁ…。 >>291
巨人の野球中継の企画で秀逸だったのは長嶋第二政権時代にやった無音の日ってやつ
あのうるせーラッパの音聞くだけで嫌悪する層は絶対にいると思うんだよな
野球中継で番組潰されたとか親父にチャンネル譲ってもらえなかったとかね
現地にいても俺なんか居酒屋東京ドームくらいの感覚でいるから
会話もろくにできないしうるさくてしゃーない
特にロッテ応援団とか最悪だわ
騒ぎたいならサッカーでも観に行けっつの 馳が山田邦子に怒ったの見て日本デビューもしてない若手選手が何いきがってんだと思ったな。
あれは本当は長州がやるはずだったんじゃないかな。
長州のほうが怒ったら絵になるし視聴者も食いつくしね。
両国の乱入未遂、結構披露宴中継、IWGP最終戦での世代闘争宣言、長州は解禁前に試合以外でテレ朝の画面にちょくちょく登場はしてたけど、スタジオトークは避けたんじゃないかな。
ぶっちゃけて何言うかわからないし編集するのも大変だし、全日本や日テレ刺激しそう。
テレ朝は本音では馳じゃなくて長州にやってほしかったろうな。 猪木さんには美津子さん以外にも坂口さんという素晴らしいパートナーがいた
坂口さんはテレビ放送というすごい土産持参で猪木さんの元に来て猪木さんの窮状を救って以降、常に猪木さんを立て、自分はナンバー2として新日本プロレスを支え続けた
夢追い人の猪木さんがやんちゃやって失敗するとそれをカバーするのが実務派坂口さんの仕事、二人三脚で新日本プロレスを盛り上げた >>384
打ち合わせしてたらギスギスしたとこが出ないだろ 坂口がNETを引っ張ってきたと言うけど、実際のところは坂口・大木体制の日プロを
NETが見捨てて猪木に乗り換えた、ということだからなあ
「猪木が日プロに復帰」じゃなく「日プロも新日も解散して新団体を設立する」
と言うことを余儀なくされた段階で、日プロはNETから「倒産寸前だった新日と
同等」としか見られていなかったわけだし、さらに大木が離反した段階で、坂口は
対等合併ではなく落ち武者として猪木の軍門に下る形になったわけだし
(そりゃ坂口からしたら大木を恨みもするはずだ) 「NETテレビが新日の放送開始しても、隔週で日プロを放送してくれるはずだ」
「私が全日に合流したのに、なぜインタータッグ挑戦者が馬場大木組じゃないんだ」
大木って頭がかなり悪かったのかな? >>433
打ち合わせてもギスギスしたところが出せるのが一流のプロレスラー。
自分勝手に決めたアングルを何も知らない相手に仕掛けるのはプロレスラー失格。 ベアキャット ライトって正味で2メートル近くあったんやね。
黒人で歴代最強レスラーかもしれんね。
https://boxrec.com/en/proboxer/212438 >>437
誠心会館(青柳館長)は最初の大仁田戦の方が空手家の道場破り的な緊張感があって新日本に上がった時は身体の違いでそこまで興奮しなかったな。佐竹ぐらいの人材がいれば良かった >>440
青柳と大仁田の初戦って、格闘技の祭典かなんかのプロレス興行ではない後楽園ホールだったよな?
佐竹とかもセコンドにいて、添野や真樹が立会人みたいな感じで殺伐としていた記憶がある。 >>442
真樹先生絡みの興行や、初期リアルジャパンとか
客席がリアルだったな。 >>442
藤原vs青柳を計画してたが新生UWF移籍で白紙に 70年代までは猪木も語り継がれるような名勝負があったが、80年以降は体の衰えで
それもままならなくなった。長州と藤波にしても藤波の上手さがあってこそだし
80年代の新日で話題になったほとんどの試合ってその内容よりアクシデント頼りなんだよな。。w
ファンの歓声より怒号や不満、困惑とかそんな結末ばかり。新日は昔から前座や中堅の試合が充実したものだから
メーンでこれかよって言うのが逆に浮き彫りになりやすいんじゃないかな。
ぶっちゃけ田コロのアンドレとハンセンくらいお互い気持ちのいいくらい熱のこもった内容と言うのがなかなか無い。 >>436
アングルもなにも、あれは前田がその場でアドリブでやっただけだけだろw
ケガをした長州は気の毒だったがプロレスで負傷して相手に怒るってスゲーみっともないぞ。
長州も相手の技を受けず俺が俺がのタイプだから前田とは噛み合わなかっただろうな。
ただ前田が壊し屋であり長州が雑魚だっただけのこと。 >>448
長州の顔面に蹴り入れて、骨折させて欠場に追い込んだんじゃないのか?
当時の前田は新日と契約して、新日からギャラをもらっていた選手だろ?
それとも前田だけが、相手に欠場させるほどのケガをさせていい契約だったの? >>445
前までYoutubeに動画が上がってて消されちゃったやつなんだけど、
坂口がアンドレを大外刈りで倒したことでアンドレの態度が急変(キレたというより、ああそうかいって感じ)、
それからしばらく坂口にカタい攻撃を繰り返して、坂口がヘロヘロになってた試合があった 第3回MSG決勝進出者決定トーナメント一回戦
新日のギスギスした戦いの真骨頂
この試合を見た後だと、前田の「アンドレに仕掛けられた〜(泣)」なんて鼻で笑える >>434
>>435
坂口は、NETからの依頼により、新日本との合併を受け入れるよう、日本プロレス選手会を説得しており、NETからは、現在の日本プロレスの放映を継続するつもりはなく、猪木と坂口のコンビを目玉に合併後の団体を放映したいとの意向を聞かされていた筈だと思う。
それにもかかわらず、大木がNETは新日の放送開始後、隔週で日プロを放送してくれると思い込み、その大木に上田や小鹿等が従ったということは、NETに日本プロレス放映継続の意志はないことを、坂口は選手会の説得の中で伝えていなかったのではないかと考えられる。
また、NETにとって大木、上田、小鹿等、後に日本プロレスの残党と呼ばれたレスラーは数字が取れず不要であり、そのことは予め坂口に伝えられていたのではなかったかと思う。もしかすると、坂口は、猪木から同様のことを言われていたのではないかとも思う。
つまり、坂口等4名のレスラーだけが新日本へ移籍するという結果は、当初から織り込み済みのもので、落ち武者となって猪木の軍門に下るという坂口にとって屈辱的なものではなかったのではないだろうか。 >>448
あれは自分が考えたアングルで、合図を受けた長州が動かずに自分のキックを受ければよかったのに、顔を動かすからあんなことになったと、前田本人が言っていたよ。 >>448
前田氏曰く
「俺が自慢できるのは、自分のアングルを人に考えてもらったことは、一度もないこと。自分で考え、自分で仕掛け、緊張感を作ってきた。そのひとつが、長州さんだった」
とのことです。
https://smart--flash-jp.cdn.ampproject.org/v/s/smart-flash.jp/sports/73549/amp?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D#aoh=16203125348193&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fsmart-flash.jp%2Fsports%2F73549 事前の打ち合わせもなく後ろから蹴っ飛ばし更に怪我までさせるなんて言うのはアングルなんかじゃなく単なる裏切り行為。
当時の長州が出戻りの分際で自分のポジション欲しさに他の選手を駒扱いしていたのは不快だが、それとこれとは話は別。
独立した方が金になりその際の景気づけ&長州の商品価値下げるためにやったと正直に話せば良いのに。 そう考えると自分の決めた台本しか納得しないブロディとの試合が実現してれば
どんな内容だったかね。意外にも成り立ったとかw 前田と長州はあの試合のシリーズ前にやった大学の講演会かなんかで
「長州は言うだけ番長」
「前田は小狡い奴。相手が出来ないの分かっててやろうとする」
てお互いの事コメントしてたよね。 プロレスの仕組みが公になった今見た方が
当時の新日レスラーの大部分が前田を糾弾して
謹慎→プレイボーイのインタビューで「あれは事故だ」と主張→解雇
となったのはよくわかる
両手がふさがっている相手に後ろから忍び寄って
ケガをする勢いで顔面蹴りなんて解雇されて当然
当時UWFは新日から冷たくされてジャパン・プロレス勢は優遇されていた
(長州は大金を貰った事を認めている)
その事への嫉妬もあったに違いない 前田は天龍と輪島の激しい試合見て刺激を受けた的な事も言ってたよね。 刺激受けたとか言っても、天龍は輪島を骨折させてないからな。要は前田が下手なんだよ。 橋本がヒロ斉藤を怪我させた時は長州マサ斉藤らが控え室で制裁したけど前田も内心ジャパンの報復にびくびくしてたのでは?橋本と前田では立場違うから制裁出来ないかな?亡くなってしまったマサ斉藤にこの出来事聞いて欲しかった 昨日たまたま話が出た格闘技の祭典、今朝偶然記事になってた。
大仁田厚が再旗揚げ「FMW」とK‐1の原点は梶原一騎追悼「格闘技の祭典」だった…金曜8時のプロレスコラム
https://news.yahoo.co.jp/articles/0d8988a9008650424968775a21f3890b8dcaab2e >>452
日プロ勢を受け入れて「対等合併」していたら日プロの伝統のタイトル王座を全部、新日の管理下
に収める事ができたはずだったのは大きかったけど日プロ残党勢が内部をかき回して
大変だったろうね。ただ馬場はこの混乱に乗じて日プロ残党組を押しつけられるも芳の里に
大金を払いベルト一式を購入している。大木がこだわりを持っていたインターは後年まで
馬場の管理下に置くまで苦労したけど。
NETの対応は普通はわかりそうだけどダラ幹のみならず選手も腐っていた・・・
高千穂でさえUNを取った時は大喜びしている写真がある。 >>459
前田特有の後付け理屈だろ。
イキって蹴っちゃったんだよ。 >>442
真樹氏が大仁田対青柳のマッチメイクしたんだよね。両者を引き合わせたら初対面なのに意気投合して、二人で打ち合わせを始めたらしい。
試合では、大仁田の度重なる反則攻撃に怒ったリングサイド席の空手家たちがリングに上がり、大仁田と彼のセコンドたちと乱闘始めたのだけど、その時、事情を知っている添野氏は「オマエらよく見ろ。アレがホンモノの蹴りなわけないだろ。」と言って、興奮する空手家たちを抑えようとしたそうだ。
それにしても、完全アウェイ状態のリングで、空手家たちをあそこまでヒートアップさせるのだから、大仁田の技術と度胸は大したものだと思う。 まだ前田のテロを偶然だと言い張る基地外がいるのか
事件までの東スポなど日刊媒体を追ってみろ
前田はUWFブームの上がりを独り占めしたくて独立を画策、邪魔になる契約を
新日の側から破棄させようと連日嫌がらせの限りを尽くす犬畜生ぶりを隠してない
まさにテヨンのダメダメな所を体現したみたいなクズっぷりだった
週プロなとの媒体でフロントへの誹謗中傷を騙る→フロントから注意がされる→
殊勝に詫びて見せる→すぐそれをタネにまた新日を誹謗する発言→また注意→
こんなことが何週間も繰り返され、それでも新日が前田を残そうとしているので
前田公然とケンカを売るブチキレ発言→
事件当日、試合開始直後からまともに試合をしようとしない挑発的態度→
ありえない蹴り→さらに山崎らUWF勢も呆れる挑発
これが「偶発的」と言い張る奴は天性のウソつきか真性の基地外だけだ そういえば長州がテレ朝放送復帰のコイントスの時も
前田はTシャツ姿に普段と違う練習用シューズで登場して
明らかに「俺は選ばれませんよ。藤波さんですよ。」感出してたよね。 >>467
あのコイントスだけは本当に解せない!結局前田は試合無しだし長州対藤波も二人の試合では一番の凡戦だったのでは?確かに長州対前田は国技館クラスに取っておきたいのは理解出来るけど >>468
>長州対藤波も二人の試合では一番の凡戦だったのでは?
そのとおりだと思います。
でも、この頃、長州対藤波に期待する人は、長州の全日転出前ほどはいなかったように思います。
長州は、全日参戦時のブロディとのタッグマッチと、対鶴田戦で、藤波は対前田戦で、それぞれ体格差による限界を露呈してしまったことが、その根底にあったと思います。
1986〜87年の新日本を振り返ると、前田に席巻された感が強いですね。
対アンドレ戦、対藤波戦、対ニールセン戦のたった3戦で、新日ファンの期待、支持を集めてしまったのだから、彼が持つポテンシャルは大したものだったと思います。
悔やまれるのは、彼が目指す格闘プロレスを受けて立てるだけの体躯と度胸を持ったレスラー(特に外国人レスラー)が新日にいなかったことでしょうね。
サイズ的には、鶴田、天龍、ハンセンと全日に概要者が多くいたのですけどね。 いや、だから前田がヘタクソ過ぎるから受けて立てないんでしょ まったくそうは思わないな。
おれにとってはあの試合が名勝負数え歌ベストバウト。
リアルタイムの印象を引きずっているとそう思うのかもしれないが、後になってノーカットで見ると素晴らしい試合だ。 >>470
そういう見方があることは否定しないけど、言われるほど、前田はプロレス下手でもないし、プロレスムーブもやればできると思うのですけどね。
第1次UWFから新日に戻った頃は、安易にプロレスムーブをしないことを自らのセールスポイントにした手前、これを頑なに守った結果、不細工な試合が発生したのではと思います。
もっとも、その不細工な試合にリアリティを感じて、」これを支持したファンもいたのだから、何が幸いするかはわかりませんが。 プロレスムーブがどうこうじゃないよ
当て方がヘタクソ過ぎるんだよ
相手への負担を最小限にしつつ、最大限の痛みを客に伝えるのが一流のレスラー
前田の技は確かに痛みは伝わってくるが相手レスラーの痛みも最大限 前田にくっついて新UWFで一儲け狙ってた一派(タニマチとメディア)が「やっちゃいなよ」と 前田なんてオーンドーフ戦やアンドレ戦くらいまでが期待していたけど全然ダメだと
ワイは思ったけどな。
日本プロレス史において前田は特筆されるようなレスラーでもなかったろ。
リアルタイムで過大評価だったけど未だにそれが続いてる感じするわ。 前田やUWFの「真剣勝負ごっこ」を「真剣勝負」だと思い込んだファンは
たくさんいたと思うが、さすがにプロレスマスコミはみんな知っていたんだろ?
わかっていてそれらしく書いていたマスコミも、欺いたという点では同罪だよな。 俺は前田のインチキはっきり判ったのはリングス末期モーリス・スミス戦だな。
自分の目の節穴っぷりには笑う。
外国人選手は大型でベースもかなりある人達が多かったので前田絡み以外の試合は今でも面白くなかったとは思って無い。現在の総合よりも好きかも。 >>477
正道会館の佐竹、角田両選手や和術慧舟會の西選手等にガチの試合をさせて、その中に自分の注射試合を入れていたのは、かなり早い時期から指摘されていたね。 実は正道会館の選手もリングスで八百長やりまくり
石井館長が最近暴露というか普通に語っていてビックリした 長州はジャパン時代、天龍を攻めてる時石川のカット攻撃喰らったのに
サソリ固めのクラッチを解かなかったので天龍の足首が負傷したというが
あれは嘘で演出なんだっけ >>481
それ鶴田 天龍 冬木の絡みの話では?
鶴田が冬木を逆エビで絞め上げる。
天龍がカット。
するとその勢いで鶴田が後ろにのけ反り更に冬木を絞め上げる状態に。
堪らず冬木はギブアップ。
試合後に天龍を恨めしそうに睨む冬木。
天龍離脱直前の頃だね。
冬木が天龍同盟離脱という噂があった時。
だからこそ冬木がSに移籍したのは意外だった。
天龍とは仲違い状態と思っていたからね。
むしろ天龍との関係が良好だった川田がS移籍するかと思った。
でも川田は全日に残って正解だったのだ。 >>481
あったね。ジャパン参戦1シリーズ目の新春シリーズだったよね。
翌週ゲストで放送席にいた天龍に長州が掴みかかってたな。 >>481
天龍がサソリ固めを受けている時に、石川が長州に相撲タックルかましたんだったかな >>481
でもそれで骨折して、翌日から欠場に追い込まれたとかじゃないだろ? ケガをしたのは気の毒だが、そこからストーリーを繋げられないのは長州の器の小ささが原因。
もし前田に対してそこから因縁の対決に話を広げていけば盛り上がっただろう。
残念ながらあの事件で得したのはガチ最強と周りに勘違いさせた前田だけ。 >>486
長州はともかく猪木の「プロレス道にもとる行為」発言は凄くガッカリした。もしあれがプロレス道にもとる行為ならその後の1,4橋本対小川はどう説明するのか?試合後半殺しにされた村上なんてプロレス道どころではないけど >>467
なぜかカプコンのストリートファイター(スト1)のTシャツだったな
あれは未だに謎(笑) >>486
長州は前田のクビに反対したりと、次につなげることへの模索はしてた感じだったけど。
むしろ前田の方が独立したくて仕方なくて、新日からの妥協案を蹴りまくってた印象が強かった。 >>487
小鉄も前田を擁護したんだっけか。
前田は良くも悪くも単純な男だから、猪木と対談しただけでコロッと和解してしまうあたりが可愛げあるね。
なお長州が予想外の大ケガをしたことで、一部には「やっぱプロレスはガチだ」って勘違いした人もいて、
逆に前田のやったことはプロレス界全体にとってはプラスに働くところだったのにね。
三沢が事故でタヒんだ時はまさにガチ証明みたいな感じになっていたように。
しかしUがガチンコじゃないことをあとで知ってガッカリした人が過剰に前田叩きしてるみたいだな。
俺に言わせると前田叩きの連中こそ究極の元前田信者だったんではないかとw 全然前田信者なんかじゃないよ
「仕事仲間にあんなのいたら嫌だなぁ」、と思うから手嫌いしてるだけ 結果的にケガを負わせて
長州個人とシリーズ全体をぶち壊して会社の業績に損失を与えた新日に対して
たとえ舞台裏ででも前田は謝罪すべきだった
マスコミを煽ってふんぞり返っていたんだから
追放されるのは当然 前田からしたら丁度いい潮時、辞め時になったのだろう。
そんで辞めた。
『辞めさせられた』とも言えるし。
少なくとも『逃げた』『裏切った』とはならないかんな。 私が前田嫌いなのは、「真剣勝負風プロレス」は佐山が考えたアイデアであり、
それを使って結局は前田が金儲けしてしまったというイメージがあるからだな。
「真剣勝負風プロレス」を考えた佐山と、「音によって痛みを表現するプロレス」を
考えた大仁田は天才だと思う。鶴藤長天とか、結局は新しいことをやってはいなかったよな。 >>497
また基地外か
それとも在日テヨンの無理矢理擁護か 石川隆士がスモーピオンデスロックやると、長州は必ずカットプレーでリキラリアットを放つ
アレはプロレス道にもとる行為じゃないのか。リキラリアットはショボいから
前田の危険なキックとは比較にならんとでもいうつもりか 新日の真剣勝負風の部分をさらに突き詰めただけで特段のオリジナリティは
ないわな。 >>498
佐山と違って前田にはついてくる連中を食わせなきゃならないという責任感があったからだよ 藤波vsロン・スターを見た。
藤波、もてあましてるよな。
一度もドラゴンロケット、スープレックス打てず。
スターが意地悪してるようにも見えるぐらい差があった。
最後は藤波がボストンクラブで強引に決着 ロン スターは性格悪いのかな、カネックの件はカネックが悪いのみたいに
書いてあるのもあってよく分からない。流星仮面まで一緒になって虐めたり
するかな? >>489
当時の前田にはまだ独立意欲なんてなかっただろ。
あの事件の後は全日に上がろうと思ってたくらいだし。
寧ろマネジャーやってた神新二のほうが独立意識が強かった。 >>469
そういえばブロディも前田から逃げてたねw コイントスのときは藤波x長州なんて何度もやってるし何度も見たよって感覚だったから
前田戦を期待したけど、そりゃ両国クラスに取っておくよな(笑) >>504
ロン・スター、顔からして悪そうだったw >>509
ベビーフェイスをフェイスと略すのは斬新だなw
1枚目は第1回IWGP、2枚目は80年秋の闘魂シリーズかな? Face Turn がふつうやね、日本がおかしいだけ。
https://youtu.be/KqHg_PPkGC8 >>511
フェイスターンて表現もするんだな
これは失礼 猪木さんのいう前田のやった事はプロレス道云々ってのは信頼関係の事だよ、プロレスは相手を信頼して成り立つパフォーマンスだからな
猪木さんは巌流島でマサさんとノーレフェリーで2時間越えるマラソンマッチやった直後だから余計前田の行為が許せなかった 巌流島と言えばこのやり取り好きだなあ
武藤「巌流島は大変だったんでしょ?」
マサ「大変じゃないよ。お前もプロレスラーならわかるだろ!」 新倉と仲野の二人はジャパン移籍して自分の将来を棒に振ったんではないか。
小杉がトコロテン式に格上げされて一時的にだけどテレビマッチやってたの考えると、
見た目的に小杉よりまともな二人が残留していれば優遇されないはずがない。 >>505
長州軍団とハリケーンズまで出戻り突然、選手が飽和状態になり団体契約だったUWFだけ
特別扱いするわけにもいかず個人契約に切り替えたい新日は前出のた2グループは個人契約、
そして
Uに手をつけようとするが前田が頑強に抵抗していたが一部の選手は個人契約を結びイライラ
が頂点に達していた中で行われた長州戦だった。大怪我をさせられたのに無言を貫いて前田
追放に加担した長州は男を下げ怪我をさせてリリースされた前田は男を上げてしまった。
この年の新日の忘年会は^木は所用で欠席して辻井会長がこのトラブルを糾弾して白けた
ムードで行われて散々だったらしい・・・
お
>>720
>>775 >>515
新倉はともかく仲野はかなり目立てたんじゃないか
あの鶴田を本気にさせた男という称号も得たわけだし 仲野は一度プロレス辞めて、復帰してのブランクがあって疎外感があったんじゃなかったかな
最近のインタビューで仲野が全日貶して新日褒めそやしてるの聞いて
「そんなに新日好きならジャパンなんか行くなよ」と思ったが
新日が仲野を疎ましく思ってたなら辞めるしかないもんな >>495
この写真見るとスネの下側当たってるからレガースのスポンジ少ないところだね >>463 遅レスすまn
そーいや、76年に新日がアジア単複両王座を新規に立ち上げたとき、全日がアジアの名前を使うのはまかりならんと
急遽アジアタッグを復活させたな。結局全日は旧来の日プロの王座をほぼ所有し興行の柱のひとつとするが
残党の入団も要因ではあるが、同時に馬場は猪木(新日、さらにNET)よりも旧日プロ経営陣に対しても発言力というか繋がりが
継続してたんだろうな。小鹿&松岡がアジアタッグ持ち込んだ当時は商売にならんとほぼ封印してたが、新日が同名王座を新設すると
こういう行動に出るのも馬場の妙に?伝統やら継承にこだわる姿が見て取れる。。 >>513
それを猪木が言ったら幻想なくなる。それじゃシンの凶器攻撃も信頼関係あるから許容してるって解釈出来るし自身のグレートアントニオ戦は何なの? >>521
結局現在まで残ってるのは全日本の方だからな
新日本は打ち上げ花火の一つに過ぎなかったって感じで >>524
打ち上げというとIWGPは見事にブランドとして歴史を作ることに成功したな。
逆にNWA(元からの主流派)はWWFの攻勢で幕を閉じる。馬場全日も80年代は独自の王道路線を
突き進むようになる。 Gスピの年次総会特集で、「NWAは1981年に崩壊ドミノの1枚目が倒され、
4年後(1985年)に最後の1枚が倒れて終わる」と書かれてる
フレアーとマーテルのNWA・AWA「統一戦」日本開催は馬場の日本における
「世界王座ストーリー」へのサヨナラパーティだったんだな >>527
ダブル戦の前にNWAは実質崩壊してたからな
そして翌年にはAWAよりもハンセンを取るし >>527
>フレアーとマーテルのNWA・AWA「統一戦」
この後に猪木が藤波にフォールを取られて
何か大きな節目が立て続けに来たような気がした
個人的には85年が昭和プロレスの終焉 >>529
昭和の60年代ってのはまさに平成に向けての過渡期というか移行期間の印象
そしてこの時期の最大のスターはやはりロードウォリアーズか >>463
>>521
日本プロレスに残ったベルトやらトロフィーやらを私物化し、好条件で買ってくれるところに売り払って私腹を肥やす芳の里は最低だな。 >>532
この週の新日って何やってたっけ?
普通の地方大会っぽいけど >>531
高条件を付けるって事は価値を認めるって事だからな
猪木ならグダグダ言うなら要らねえってとこだろうが >>533
後楽園からの生中継で
コブラvs越中、サクラダvsブロディ、猪木vsバーバリアン
じゃなかったかな >サクラダvsブロディ
もとは藤波vsブロディだったのが藤波の負傷でサクラダが代打出場の時か。
サマーでは猪木ブロディの連戦で、ファンは一戦くらい藤波に回せって苛立ったけど、
新日としては言うことを聞かないブロディが藤波を潰しかねないから組むに組めなかったのね。
ともあれ夏の乱発でブロディの商品価値というか新鮮味がゼロになって残念。 >>509
アンドレはカネックにボディスラムで投げさせてるし仲が良いと言うか信頼はしてたんじゃない? >>509
二枚目左はしの見切れてるのミスター高橋?
てことは日本での一枚?
いつくらいの写真なんだろ、 アジアタッグは力道山も巻いた由緒あるベルトだからな >>541
ホーガン、オーンドーフ、ロン・スターの3人がいるから80年の闘魂シリーズだな >>542
力道山や馬場が取った時はトロフィー
とにかく猪木や坂口が巻いているのも大きい というより、まだ世界王者を名乗らせてもらえなかった初期日プロの看板タイトルが
アジアタッグだったんだよな
後のNWAにしても、シングル王者はたまに巡回してくるだけだから、NWA傘下の
各テリトリーの看板タイトルは「NWA世界タッグ王座」で、何とNWAに加盟していた
全ての地区にそれぞれ一組ずつ「世界王座」のベルトがあって勝手に防衛している、
というのを初めて知った時はさすがに呆れ返ったなあ
日本は全日新日にそれぞれ「世界タッグ王座」があったらアホみたいだから、
それぞれインタータッグ、北米タッグと独自タイトルに仕立てていたけど >>545
力道山のシングル王座のインターなのを際立たせるためにタッグ王座はアジアにしたとも思える 力道山時代の日プロタイトル
1954年
世界タッグ→奪取ならず
太平洋岸タッグ→2度防衛して消滅
日本ヘビー→1度防衛して消滅
1955年
ハワイタッグ→4度防衛して消滅
アジアタッグ→看板タイトルに
アジアヘビー→9度防衛して封印、のち大木に
1956年
太平洋岸ヘビー→奪取して消滅
日本ライトヘビー→2度防衛して消滅
日本ジュニアヘビー→4度防衛して消滅
1957年
全日本タッグ→決定戦後消滅
NWA世界ヘビー→奪取ならず
1958年
インターヘビー→看板タイトルに
1962年
WWA世界ヘビー→のち豊登の看板タイトルに >>547
アジアタッグが正式な継続王座になったのはようやく60年
その辺りで後のシリーズ興行の基本パターンもほぼ確立した感じ >>539
>ファンは一戦くらい藤波に回せって苛立った
そんな人いたの?
そりゃそのカードを見たくないわけではないけど。まさか貴方がそう苛立ってたのだろうか。 AWAベルトはニックの大のお気に入りで、ニックは私の分身というほど愛着持っていたんだよな
そのニックベルトをAWAと揉めたハンセンが腹いせにぶっ壊したはワロタ、愛しのベルトを壊されたニックは失意のあまり引退しましたw >>549
あの当時どん底だった新日で国技館、大阪城ホール満員にするには猪木対ブロディしかなかった。藤波対ブロディでは5000人クラスの会場でもチケット捌くのしんどいと思う(ファンも藤波がブロディに勝つ番狂わせはないと思ってるから) ブロディと対峙したときに、藤波の新日ナンバー2としての体躯の小ささってのを改めて感じちゃうところあるな
結局大型レスラー相手というと、後にベイダー戦で腰やっちゃうっていう悲劇にもなってしまったけど 藤波ってジュニアでブレイクしたのもあって、特大サイズの外人が揃う新日では
ほんと分が悪かったと思う。同じ次期エース候補のライバル鶴田はご覧の通りで
当初よりNWA系一流選手と互角に近いところで渡り合ってたんだからな。
とてもじゃないがアンドレ、ハンセン、ホーガン、そしてヘビーに転向したと言ってもブロディから
金星って、まあ無いわと。。 ストロングさんの新日に対する印象が最悪なのは、MSGリーグ戦で藤波に負けを強要されたのが始まり
引き分けた時点で藤波がゼーゼー言ってるのに、なんで小林が勝ちを譲らなければならないのか >>543
ホーガンのこの時期知らんわ
日本でもヒールだったの? >>539
どんなブックだったんだろ
藤波ぶっ飛ばされてたかな? >>556
おそらく藤波の反則負けだろう。
12月の名古屋の時がそうだったから、その前倒しで。
当時の新日の駒不足を考えれば、後楽園でやるにはもったいないカードではあると思う。 >>549
>>551
藤波が勝つなんて誰も思ってないけど、マンネリのカード見せられるよりはそっちのほうがいいよ。
勝敗が最初から見えてたら誰も切符買わない、なんてのがファンの心理なら、
83年のタッグリーグなんて新日も全日も誰も見なくなるわ。
年末のファン投票も(あれが本当なら)有効票第一位が藤波対ブロディだったんだし。
俺だけが苛立ってたわけじゃなく俺の周りみんな「また猪木ブロディか」って気持ちだったけどね。 >>555
2度目の来日だったけど、外国陣営のエース格で、最終戦の蔵前で猪木のNWFにも挑戦をした
猪木の欠場で日本陣営に助っ人で参戦するのは82年の5月だから、まだまだ先だね >>523
肉体美だけなら、最もすごかったのはスティーブ・デサルボ。
しかし弱さも歴史に残るほどすごかった 肉体美と言ったらトニーアトラスだろ、ベンチプレス270キロの超怪力
ピンフォール取ろうとする藤波を起重機みたいな腕力でロープ際まで吹き飛ばしていたw >>285
今日は有明での初興行日で藤波が初のIWGP戴冠 >>553
藤波がブロディから金星って、
2006年頃、棚橋がレスナーに勝つようなものだなww >>563
85年の藤波ならブロディとドローになるくらいの資格はあった 85年までにブロディにフォール勝ちした日本人は馬場とアメリカでのカブキぐらいか? ブロディに猪木も藤波も勝てないというストーリーでは、馬場を利するだけなのにねえ。 訂正
ブロディに力で五分に闘える日本レスラーは
カーンだけ
です ブロディは駆け出しの頃からアンドレ相手でもフォール負けはないんじゃないかな
自分が記録見た限りでは。
ハンセンはアンドレ相手にふつうにフォール負けしてたのにね、少し異常なくらいだわ。
おそらくはブロディは新日行く時もそういう条件は付けてたんだろな。 昔プロレス見始めた頃、週刊プロレスに記載されている試合結果の決まり技がほとんど片エビ固めって書いてあったの見て、最強のプロレス技は片エビ固めだとしばらくそう思ってた。 >>487
小川橋本は「プロレス道にもとる行為」を意図的にやったって話だから矛盾してないのでは?
基本的に相手を怪我させるのは全部ダメだよ
猪木は時々ダメなことするから面白い >>570
そして全日本に戻る時はその条件を付けられなかったか >>553
その頃の藤波がもし金星を上げたとしても
相撲の千代の富士を藤波に投影させて、脳内で無理やり納得感を作り出したかもしれない
同じマッチョだし「あの体格で小錦や大乃国をブン投げてんだから、藤波もその真髄に達しつつあるかも…」 藤波は意外とパワーはあるんだがいかんせん大型のハンセンブロディホーガン辺りに通用する必殺技がなかったのが辛い。丸め込みやリングアウト勝ちでは強さの証明ならないのがプロレスの難しいところ ブロディはプロレスラーのくせに寝る気なしのオレは強いやりたいならブラジルでバーリトゥードでもやってりょ良かったな
リアルファイトの経験実績なしのガチ童貞が最強とか笑わせくれるぜ、この自分勝手な木偶の坊持ち上げてるバカはプロレス何だと思ってんだ? 藤波は逆さ押さえ込みだったけど猪木は腕固めでベイダーからギブアップ取ったから。
それを見ていたから何か藤波で大丈夫かなと不安になった。 >>576
ドラゴンスープレックスを受けられる大型外人なんていないよ
事故を考えると怖くてたまらん
昭和のマットは今より硬いからね >>572
「体固め」とか「片エビ固め」じゃなく、ちゃんと決め手を書いてほしかったねw
一時期の新日パンフの試合結果ではフォールに至る技を書いていた気がする。 八百長ブロディの唯一のガチはホセゴンザレスとの喧嘩です
内容はメッタ刺しにあい惨敗、死んでしまいました、刺したゴンザレスはよくやったと周りから称賛されたw ユーチューブでアメリカのプロレス中継を見ていた時、スタジオの乱闘シーンで
ブロディがブラックジャックマリガンに一方的にぶちのめされている場面に驚いた
プライドの高いブロディがよくあんなアングルを飲んだなと >>568
それだからブロディの移籍は馬場の筋書き説があるんだな。
新日はブロディのわがままにかき回された挙句、肝心のタッグリーグ決勝戦でボイコット。
ファン待望の対ホーガン、対アンドレが実現することもなく。
次期エース外人候補だったヒギンズ、バンディも存在価値をなくして新日から消えていった。
UWFのリターンがなかったら新日は終わってただろうね。
もっともブロディが来なかったらその前に終わっていた可能性も否定できないんだがw >>584
猪木に負けるならともかく藤波に負けるのは飲めないだろ。
藤波に負けたら格落ち感は半端なく付いてくるぞ。 >>585
だからタッグリーグをボイコットしたんだろうな
おそらくは藤波がブロディをフォールする物だったはず マリガンとはGCWでの事だったかな?
全日で足を怪我したという事でドリー戦を棄権した頃だったんではないかな。
帰国してからしばらく試合に出てないからね、流石に契約してるのに申し訳ないから
屈辱的でも呑むしかなかったのでは?
今はネットの電波調子悪いから裏取れない、間違えてたらごめんなさい。 >>587
猪木がブロディからフォールを取ってない段階で先に藤波に取らせることはないと思う
藤波組優勝でもスヌーカからのフォールじゃないかな
しかし決定戦で藤波組に勝たせるのなら、開幕戦でブロディ組に勝たせた方がそのリベンジという意味合いで自然なんだが、同一チームに連敗っていうのが気に入らなかったのかも知れんな マリガンはまだ青二才だったハンセンに猪木のNWF王座挑戦権を奪われた過去がある ブロディのこだわりは、スヌーカとのコンビで
全日・新日の両タッグリーグ戦の制覇だよ。 >>559
記憶にないなぁと思ってたらまだプロレス見始める前だったわ
映像とかあるのかしらね >>583
ボルコフともそんな内容の試合があったね。
今は削除されてるみたいで観れない。 >>590
ハンセンは自伝で感謝の意を綴っていたね。 >>580
今のリングはまるでトランポリンだね
いつからああなったんだろ?
新生UWFあたりか? >>591
だからそれは受け入れられないという事だろ。
全日を辞めてきた意味がない。 ブロディも日本じゃ超一級のエース格だけど、アメリカじゃ日本ほどの地位は築けてないだろうな。
スヌーカのほうがずっと上。
>>584 新日がどんなところか確かめに行くがいい、って感じで放出したのかもね。。w >>584
バンディは短期間で来日し過ぎたのと2回目以降がアンドレ、マードック、ブロディらとの来日でエース感が薄れてしまったのがもったいなかった >>596
真剣勝負じゃないことがバレたから、エンタメ化するしかないんだよ。 そうなんだよなあ
あの頃のスヌーカはある意味全米一のスター
ブロディやハンセンごときとは格が違っていたんだけど、日本では忠実に
子分役を演じてくれていた
1982年の秋に全日本に来日したスヌーカは、春に「仲間割れ」したブロディとの
遺恨決着をつけて全日本との契約を終了、年末にレイスと組んで最強タッグに
出場する予定も取りやめ
実はビンスジュニアがWWFの実権を握ったこの年の6月にスヌーカがMSGで金網から
スーパーフライダイブを敢行して大人気になり、ビンスはスヌーカを興行の核にする
方針をとり、秋の全日遠征中は「スヌーカは負傷入院中」ということにしてファンの
飢餓を煽り、11月に帰国するやベビーターンさせる
スヌーカ人気でWWF人気は爆発、翌83年に年間興行数を120も増やして大々盛況、
これが翌年の全米進行の始まりになる >>597
そりゃそうだ。背丈が自分と一緒くらいだからやりやすかったんでしょうよ。 >>602
それでもWWF王者にしなかったのは、ホーガンの引き抜きに成功したからか >>602
カクタス・ジャックがスーパーフライを見て感動しすぎてレスラーになろうと思ったってね スヌーカがビンスとの契約交渉で真っ先に聞かれたのが
「金網の上からスーパーフライで飛べるか?」だったのはなんか格好いい スヌーカが82年早々にWWF入りしたわけだが、提携してた新日に即、来日かというと
やはり全日との兼ね合いで85年まで待たなければならなかった。しかし同時期に(全日とパイプがあったはずの)AWAから転入した
アドニスやベンチュラは問題なく新日に登場。この辺のバランスはビンスシニア、馬場、猪木の微妙な力加減が作用するな。
またUWAにいたドスカラスが奇しくも同じ85年にようやく新日に登場したのも何かしらの縁を感じる。 窓口だった浜田が全日に行って、85年新春から浜田とアグアヨやロス・ブラソスが
全日のシリーズに出てたから、新日とは実質、縁が切れたはずでは。 >>609
5月のlWGP&WWFチャンピオンSにカネックとベラが来てる
カルロス・マイネスか誰か「スタイル的にやはり我々は新日本の方が…」 全日本と会社間で何かゴタゴタがあったのか浜田絡みで何かあったのかな
あの頃のUWAは新間がいなくなってUWFに選手送ったり全日に浜田の関係で選手送るようになったりで新日とは疎遠になっていたけど
結局はよりを戻して正解だった
あのまま全日との関係が続いていたらカネックも全日マットに上がっていただろうな メキシコではWWFとUWAのダブルタイトルマッチをホーガンと行っていたカネックも
新日ではドスカラスとのチームでタッグリーグの下位打線を強いられる 85年は馬場がNWA総会に参加した最後の年で、翌86年の総会を前に馬場はNWAを
脱退していることもあるんだろう
もう「NWAによる外人供給の縛り」というものが、現実的にも幻想的にも成立
しなくなった時期だったんだな
日本のファンやマスコミが幻想から醒めるのにはもう数年かかったけど
(馬場の目を意識して幻想を信じているフリをするのをやめるのには、かも) 長州はブロディに翻弄されたけど
カーンはブロディにタックルで
五分に渡ったよ 長州らジャパン勢、全日自体も鶴田、天龍、輪島加入で一層の日本人強化、外人ではハンセン、ウォリアーズあたりで
基盤を固めつつあったから、従来までのいわゆるNWA主流派の外人天国路線は薄らいでいったな。 全日本では1989年までNWAシングル、「NWA世界6人タッグ王座」なんていう
NWAタイトル路線を続けてたんだな
シングルはもう「ジム・クロケット認定王座」でしかなくなっていて、既に
全日本のタイトルはタッグ王座もジュニア王座もNWAの名前なんか無視した
「(馬場認定)世界王座」になっていたけど 散々NWA幻想利用してたくせに利用価値がなくなるとさっさと縁切りするとこが実に馬場らしい
長州軍団との抗争で客は入る、日本人対決に熱狂する、アメリカンプロレス時代の終焉 集客力のないチャンピオンなんてなんの価値があるんだ? だったらとっくにローカルエリア王座のNWAなんかより、ドル箱東海岸の
王座であるWWFの方が価値があるタイトルだったはずだよね >>582
なあ猪木のどこ見たらこんな屑が出来上がるんだ? ブロディにジャーマンを決める藤波
https://youtu.be/YMWJQklfFrQ
藤波はブロディにブレーンバスターで投げられる際に膝を曲げて、ブロディの投げ技に協力してるのがわかる
それを切り返して藤波がジャーマンで投げるときはブロディは協力してないのもわかる
つまり、ほぼ藤波一人の力でブロディをジャーマンで投げているのがわかる映像 >>622
新日原理主義の基軸は、良い事も悪い事も異常なくらい拡大昇華させてそれを事実と認識するところにある。 屑はブロディ、だからあんな奴は殺されて当然だとブロディを知る者は誰もが吐き捨てた
死んでざまあみろと思われないよう謙虚に誠実に生きれば良かっただけなのよw >>617 その時期
徐々に一流外人がピークを迎え
ファッションの時代が 外人がとっくに世代交代期を過ぎてるのに
86〜88年にかけて
レイス、ニック、ブッチャーみたいな賞味期限切れの外人がインターに挑戦してたなw >>623
ノーテレビのG1公式戦で、武藤のジャーマンに合わせた
ベイダーのジャンプ力は物凄かった >>623
こいつはおんなゴミ動画を上げてるクズ。
https://www.youtube.com/watch?v=Ould_q7ZYuE&lc=UgzTNywgHDDqsBX2C014AaABAg.9IYIsi527dJ9N7V593V92Z 大阪を欠場するんだからこれくらいしないとね
鶴龍ピンチの構図にしないと盛り上がらないからな・・・ゲストを盛り立てるのも大変だね >>584
一時的でも息を吹き返したがハンセンの引き抜きがトラウマになっていて馬場の報復攻撃
を恐れていたらしい・・・ 今更ながら藤波って優柔不断だったんだね。SWS関連本読んだら藤波の移籍はほぼ確定してたらしく(ドン荒川経由)天龍も田中社長から聞いて驚いたらしい。でも藤波は土壇場で断ったんだけどジャパンプロレスの時と同じような行動してる ↑633追記
藤波がSWSに移籍しなかったのは新日が藤波の部屋別制度(ドラコンボンバーズ)を認めたから。しかしそのドラコンボンバーズも全く機能せずで後年藤波も自分には長州前田のような勇気がなかったっと話してる 藤波がSWSに移籍しても、90年10月の旗揚げ戦には
間に合わないね。せいぜい、エキシビジョンマッチ。
翌年の春、東京ドームで天龍とシングルで戦えば、盛り上がった
かも知れないが、北尾の「八百長発言」で台無しになったかも。 ザックがウケてるのを見ると、なんでドスやソリタリオをジャベマスターとして使わなかったか と >>630
新日本のスレで全日が悪く言われると発狂するお前がクズだろ。 >>623
いやいや。投げられるという事は協力してる、ってことだよ。 坂口はボディスラムで投げられようとすると、投げられまいと必死で堪えるので
ストロング小林は坂口相手には最初からボディスラムを仕掛けない
持ち上げられない行為を客に見られると「なんだ、怪力日本一の小林もその程度か」
と侮られるからだそうだ。スタンハンセンも坂口のボディスラム拒否で
腰を痛めた外人選手が不平を鳴らしていたのを聞いたという >>640
藤波はひざを曲げてブロディの投げ技にせーのって感じで協力してるが
ブロディは藤波のジャーマンにすっぽ抜かれてるだけで協力してるようには見えない とりあえず、よく言われがちなことに
藤波らはブロディに手も足も出ずにやられてたとかいう人がいるが
実際は藤波はブロディにジャーマンも決めてるし
ブロディの一つ一つの技に、ちゃんと協力してセルをして
ブロディすごいぞ!と光らせてあげてたという事実
だからこそ、のちにリック・フレアーからも
「日本で試合をしたレスラーの中で一番良かったのは藤波だ」となったわけだ 小兵嫌いのブロディも藤波のことは誉めてた
もっと体格に恵まれてたら猪木を超えてたとも 何度も言うけど、あのブッチャーを光らせて「凄え!」と思わせたのは
新日では藤波だけ 藤波は受けがうまいからね。
長州みたいな塩レスラーが開眼したのも藤波のおかげ。
前田がまともな試合できたのも藤波のおかげ。
ただ決め手がなくて丸め込みかリングアウトでしか勝てないのが残念だった。 >>646
藤波がレスラーとして一番良い時期に、超必殺のドラゴンスープレックスが封印されてたからな。
ドラゴン無しの藤波は、長州にほんの紙一枚劣る感じだったんだよな。 猪木の相手の技を受けるところは藤波に伝承されて
観客のヒートを掴むところは長州に伝承されたんだが
いかんせん2人とも小さすぎた
実寸170cm代だろうしね ブッチャーは藤波の事を良くは言ってなかったと記憶してるけど。 ドラゴンスープレックスで藤波が猪木からピンフォール取った試合もあったけどね >>649
門茂男の本で「モスキートみたいなレスリングしかできん男」と言っていたね
ただそのインタビューの時には「新日本が約束を守らない」と怒り狂っていたそうなので
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態になっていたのかもしれない >>651
武藤との対談では「鶴田にこの会社の人間は信用するなと言われた」って言ってたな >>653
ごめん、全日
確かプロレスの砦って番組で武藤とブッチャーが対談した時に
前にYoutubeにも上がってたんだけど、その話題が入ってないやつしか残ってなかった >>651
藤波を「モスキート」扱いか・・・
自伝の中では「新日本は全て契約を守ってくれて何の不満もなかった。来日回数は全日本時代より減ったが、
その分ホームリングのプエルトリコで思う存分暴れることができた」と真逆の事を言ってるよな。
あの自伝もウォーリー山口が噛んでるので、どうなのかとは思うけど。
>>652
武藤とブッチャーの対談面白かったよね。
この2人、88年に武藤がプエルトリコに来たときからの知り合いだから実は長い付き合いなんだよな。
2人ともゲーリー・ハートをマネージャーにしていたよね。
ブッチャー「マネーが全て」武藤「それだけではない。マネーもあるが名誉がもっと大事」と
プロレス観の違いもぶつけていたね。 このブログでネタバレしないように>>654の動画がレビューされている
14:58- 嫌いなレスラーはいたか? ハンセンは? ブロディは?
シークは?(おもわず苦笑!) ファンクスは?
ジャンボ鶴田は? 彼は私の所に来てこう言ったんだよ ・ ・ ・
https://ameblo.jp/rhicken/entry-12573845313.html ブッチャーって同じ黒人レスラーに対して辛辣なんだよなブラジルとかラッドとか
黒人レスラーの中でもブッチャーは差別されてたという噂は本当だったのかも >>655
ブッチャーは引退セレモニーでも佐山から貰った金一封だけはずっと離さなかったね ブッチャー、黒人としては色がうすかったよね。
SDジョーンズとかもっと真っ黒だった >>608
レイスとのタッグで最強タッグ前哨戦で師弟コンビを撃破し因縁のブロディとの対決が
期待されるもアッサリWWFへ転出。レイスは「この二人の抗争は熱くなりすぎて
このままでは優勝は望めないから気心の知るスレイターにパートナーを替えた」と
コメントするもWWF→新日と言うルートを想定されて「引き抜き戦争、再発か?」
と一部に書かれていた・・・
>>617
日テレ・原Pは全日中継の黄金期にこの時代を上げていた。
>>646
長州は不器用な自分の受けに回ってくれて藤波を「受けの天才」と絶賛している。
>>655
アナザースカイで武藤がフロリダを訪問した回もあったね。あと北斗のメキシコとか
あの番組でプロレスラーの回はこの二人くらいかな? >>646
藤波は猪木のナックルや前田のキックでお尻からドンと倒れる受けはリアリティーあったね >>662
フロリダではスティーブ・カーン、ブライアン・ブレアーなんかと再会してたよね。
後、プエルトリコへ20年ぶりに遠征したのを特集した番組があった。
当時、いつも食べていたプエルトリコ料理のイエローライスを「これこれ、やっぱり美味い」とか
サンファン市内の様子を見て、当時よりかなり治安が改善された(鉄格子の建物が激減)とも言っていた。 坂口のジャンピングニーアタックは高田に言わせるとケツアタック 藤波は張り手の名手
長州との打ち合いで負けたことなかった >>665
古舘も素直だから「大腿部のあたりがモロにヒット!」と実況してたものなw
当たってもいない鶴田のジャンピングニーを「ヒザの先端が鋭角的にヒィーッツ!」
と決まり文句で語る倉持全日より好ましかった >>642
膝を曲げる=ジャンプしてるみたいな決めつけはどうかと思うが。
投げる側に引っ張られて膝を曲げさせられる場合だってあると思う。
藤波がブロディをはげた場合は藤波のクラッチが低すぎて
ブロディが膝を曲げる余地がないから曲げられない。 ドリーが鶴田のジャンピング二ーが顔面に入ったと激😠〜٩(๑`^´๑)۶だったことあるね。
ルールとしては合法でもやったらダメなんだろな。 >>668
倉持だと「顎の先端にヒット」のが印象深い。
鶴田のジャンピングニー、大体のレスラーのドロップキックが顔近くに当たったら「顎の先端にヒット」。 >>672
あとダイビングとか雪崩式はだいたい「ウルトラC」 「腕を鉄柱にグルグル巻き」も味わい深かった
あとよくあったけど「赤い鉄柱攻撃!」
いや、鉄柱攻撃に色は関係ないだろと >>672
鶴田のジャンピングニー、ドロップキックが出ると「マッハのタイミング」っていうフレーズも使ってたな。
大体、鶴田の体重でジャンピングニーやらドロップキックやらが、
「マッハのタイミング」で「顎の先端にヒット」したら死んじまうってえのw 古舘が「〇〇と呼ばれております」という時は古舘しか言ってない
あと同士討ちと相打ちの違いが分かってなかったと思う >>678
藤波前田戦でドロップキックとニールキックの相打ちを同士討ちって言ってたな。
あれは本当に気になった。 >>678
長州が離脱した後も藤波がやると逆サソリ
武藤か誰かが藤波にやったときは逆逆サソリって言ってた >>680
> 武藤か誰かが藤波にやったときは逆逆サソリって言ってた
それ古舘?? 新日本は何と言っても、「猪木クンのねえ」と猪木をクン呼ばわりする桜井康雄がよかった。
あの空間に猪木の事を高いところから語れる人の存在が
安心感にもつながってたな。 >>666
逆に8,8猪木戦で猪木の張り手に怯まなかった場面は自分的にあの試合の名シーン 山本小鉄が解説の時「藤波選手はしょうきを失った」と言ってた。
勝機なのか正気なのか当時悩んだ。普通に考えれば正気なんだけど
プロレスは台本って知恵が付きまくってた時期だから藤波が勝つ予定
だったのにトラブルで無効試合にでもなったのかと思った。 古舘はブロディのキングコングニードロップを「体を浴びせた!」と言ってたのが残念だったな。
確か3回目の猪木ブロディ戦だったかな? >>689
ブロディのキングコングニードロップに猪木が前もって身体に力入れて待ってるのが不穏 >>644
稲妻をヒットさせて、ブロディを本気で怒らせた健吾も凄い。
ワッチョイ 0b10-jjtP(笑) >>691
そら、あんなの降ってくるのわかってたら力入るやろw そんなこと言ったらバズ・ソイヤーのパワースラム前のロープワークで、
投げる直前に相手がとりあえずジャンプするやつのほうが不自然だわなw >>682>>684
新日勢に対しては"同族意識"が強いからこの「クン」付けになったとラジオで述べていた。
レスラー^木を絶賛している一人。最強タッグ戦や小林戦の実現にも深く関与している。
厚木在住で駅前からタクシーに乗るとマスコミの桜井詣では有名で「東スポの桜井さん
の家へ」と言うだけ着いたらしい。 >>4
北米王座の場合はタッグが先でシングルが後って印象 >>694
バズ・ソイヤーは、相手のリープフロッグを誘発するためにあえて頭を低くしてロープから戻ってくるようにしてたらしい 試合が上手いだけでなくプロモーターのバーネットやブッカーのオレイに
様々なアングルを提案してジョージアマットの隆盛に寄与するなど
プロレス頭は最高だったが素行に問題があったソイヤー >>693
分かってたら受ける必要ないでしょ?これは受けの美学とは違うと思う >>662
>アッサリWWFへ転出
スヌーカはブロディと仲間割れした時点でアメリカでの主戦場はWWFになってたぞ
ボブとのWWF王座戦連戦が終わった頃には人気が出てベビー転向、MSG定期戦と
TVテーピングだけでなく巡業にもボブの防衛戦以上の目玉として出なくてはいけなく
なったから来日が出来なくなっただけ そういや週刊大衆の猪木の連載で今週はボブのことを書いてた
ゴーストが書いてるにせよ本人の談話の編集にせよ未だにケーフェイ守った内容だから
猪木とボブとの王座のやりとりの経緯を説明は強引だったがw
ボブの人気がいまひとつだった理由は「強さ以外の売りになる個性がない」と明確に
説明できてて笑った
常にボブの防衛戦よりブルーノとグラハムやズビスコの遺恨戦、モラレスとムラコの抗争
スヌーカ対アルバーノ軍団、スローター対ボルコフやアイアンシークの方が目玉だった
長年WWWF、WWF王者に君臨したのに遂にNYマットの真のエースになれないで終わった 大木絡みだと馬場鶴田とのインタータッグの抗争が好きだな。
ジャッジに怒った鶴田がジョー樋口ボディスラムで投げた試合あったよな。 >>704
樋口を投げたのは試合ではなく、試合の後だとツッコミいれとくか というか大木の話が出てた昭和全日スレの誤爆では
俺も似たような誤爆はよくやる
レトロ系スレだと話題が似通ってどこのスレなのかわかんなくなるからw >>706
自分のミスは正当化するなよ
よく見て書き込めよ、みっともない 今はちょうど大木が出た第二回ワールドリーグの時期か 大木はストロング小林にピンフォール負け
何でだろうと思ったらこのシリーズの後韓国遠征で大木のインター王座に挑戦して
(この前の韓国遠征で客をヒートさせまくったあげく不透明決着に終わった猪木の
代わりに)負けるバーターのはずだったんだな 猪木、坂口、小林、大木の総当たりって、当時は画期的な試みだったんだろうな。
その後は総当たりリーグ戦が当然になったが、あの大会こそがその契機だった。 >>685
俺はあの場面は逆に猪木が凄いと思ったな
並のレスラーなら怯まない藤波に対して
ただ普通に張り続けるんだろうけど
張り手でダメならパンチの乱打、
それでもダメなら延髄斬りというのが非凡だと思った >>711
猪木、坂口、小林、斎藤、大木が総当り、発表されたときは卒倒モノだったよ。
まして開幕前から坂口と大木の遺恨を煽りまくるんでガイジン勢の弱体問題なんか吹き飛んでしまった。 83年の正規軍主力六人(猪木、坂口、藤波、タイガー、前田、木村健)でリーグ戦をやったらどうだったか。
キムケンのビリはいいとしてもタイガーマスクの扱いがものすごく大変そう。とくに坂口対タイガー。 8.8は年に1回は必ず見てしまう
二人ともカッコいいんだよなぁ >>713
開幕戦で本命がリングアウト負けして黄色信号が灯る、って馬場の専売特許
みたいなイメージだが、最初にやったのは猪木なんだよな。 >>715
8・8横浜で立ち上がって握り拳作ってたタンクトップの熱い兄ちゃんはまだプロレスを見ているだろうか… 8.8はあのカメラワークでなければな…
今のワールドプロレスみたいに9割ハンディだから、見にくいんだよなぁ
ドキュメントとして見るならあのカメラワークもありなんだけど、オーソドックスな固定中心の映像ならと思ってしまう >>716
馬場は 何でもない選手に
たまにリングアウト負けする >>718
藤波のフライングエルボーが完全にフレームアウトしてたな
反対にさそりがためのシーンでは引きすぎ 88年7月時点での、猪木と長州とベイダーとマサとキムケンのリーグ戦って
かなりハイレベルなメンバーよね。キムケンもかわいそうに >>716
本命が開幕戦で負けるというのは、
猪木の方が先ということはないよ。
1967年、日プロの第9回ワールドリーグ開幕戦で
ザ。デストロイヤーに負けている.
ただ、これは公式戦だったか、どうか不明。
69年の第11回は、開幕戦で馬場がゴリラ・モンスーンに、
猪木がボボ・ブラジルに公式戦でそれぞれフォール負けしている。 >>723
この年の馬場ーデストロイヤーの公式戦は
猪木日プロ復帰の日と同日のはずだから
開幕戦ではの馬場は蔵前で大木と組んでタッグマッチをやってたはず >>724
どっちもレフェリーが沖識名で、異様にカウント3叩くのが早いんだよな
馬場と猪木どっちも試合後レフェリーに抗議してる。アレも演出だったのかな >>724
そうだったね。
猪木が日本プロレス復帰挨拶をして、その後、外人組に襲われた馬場を
救出したのが4月8日の蔵前の開幕戦。
ただ、馬場が前日4月7日に後楽園ホールでデストロイヤーにシングルで負けた、
という記録もある。これは、おそらく「前夜祭」だったんだろう。 猪木対藤波、猪木対長州の試合は凄く記憶に残ってるけど名勝負数え歌の藤波対長州はやり過ぎたせいか印象薄い >>728
そう?長州が初勝利した4・3とかはやはり印象深いけど おれはむしろ猪木vs長州は蔵前ラストマッチ以外は印象に残ってないな
何のかんの言って、このカードもそれなりの回数やってる >>717
94年3月東京体育館
猪木、安田vs蝶野、木戸の試合で最前列に座り
安田に激を飛ばす場面が映ってた
あと東京ドームの猪木vs馳でも立ち上がって興奮してるところでも映ってた
この人根っからの猪木信者なんだよ
顔が全く変わってなかったからすぐにわかった >>732
4.3から8.4まで四試合やったんだったかな?
確かにあの期間に凝縮されてたな。
4.3は歴史的名勝負と言われてるし、8.4もベストバウト候補だったね。 >>727
猪木が外人勢を蹴散らしたのは後楽園の前夜祭だよ。 猪木長州の蔵前ラストマッチはセンチメンタルな名勝負だった、あの頃は長州はまだ猪木に遠慮してるんだよな
それが無くなった出戻り以後の長州猪木だとラリアット6連発でw長州がピンフォール取り世代交代完遂した平成最初の試合かな猪木が泣いて退場してワロタ 両国での猪木戦を節目に猪木はよく人前で泣くようになり、長州はラリアットを連発するようになった
そういう意味ではあれも節目の試合だよなあ、8.8を昭和最後とすると平成の始まりとでも言うような >>701
だよなあ。いかにニードロップの名手ブロディとはいえ、
猪木は対戦少なかったから怖かったろうね。
少しでもブロディの膝側に体重がかかっちゃったら大けがだわ。 それをしないから、相手もフィニッシュと理解して肩を上げないんだろう、プロレスのお約束な 猪木って体格で言えばジュニアへビー級なんだよな、糖尿になってからはさらに痩せ90キロ台まで落ちてたしそれで130キロ超すホーガンやブロディとやるんだから大変よ、受けるダメージが違う
MSGタッグでバックランドと組んでハンセンホーガンとやった試合も、バックランドのビルドアップされた身体はハンセンたちに劣らないが猪木だけ一回り小柄でハンデマッチになってる いつか、スティーブ・ウイリアムスにロープにふってからの
スパインバスター?みたいなのされて、
アーーーーっと声が漏れて、ウイリアムズが2.9で自ら引き起こしちゃった事件で、
ああ、猪木はこんなこと何十年もやってきたんだなと思った マサや長州も鶴田や馬場との試合は相手がデカいから疲れるというから、マサ、長州より軽量の猪木はもっと大変
受けに徹する風車の理論とか苦肉の策なんだろうな、デカい連中にワザ掛けるのは骨がおれる、藤波みたいにぎっくり腰に成りたくないしw テーズやブリスコも公称で180後半、190近くだが100sちょっとくらいだっけか。
絞れば簡単にジュニアヘビーになりそう。贅肉(というか無駄な筋肉)が無く、
アスリート然とした体つき。 健悟は骨格まで猪木似だっけ
ほんと色々もったいない 猪木ってアゴアゴ言われるけどやっぱり際立って精悍でカッコいいよね
トップ女優と結婚も出来るよ 眼力、表情の作り方、ついでに声も
スターになるべくしてなる物持ってたなと改めて思うわ猪木 親父が猪木対ベイダー見てあんなデカイ奴に勝てる訳ないだろって言ってたな
冷静に考えるとそうなんだけど当時は信じてたからな >>748
猪木全盛期の頃に散々全盛期アンドレとやってきてるしw
俺は晩年のベイダー戦も好きだけど、88年7月有明でのベイダー戦のほうが好き >>751
このシリーズ、バーニングバトルとかいう藤波vsビガロ、長州vsベイダーを3回ずつやるっていう意味不明な安売り企画やってたな ベイダー、ビガロ組はスタイナーズや殺人魚雷に勝るとも劣らない名チームだったな。 >>751
猪木、藤波、長州組の相手でベイダー、ビガロのパートナーとなったリップ・モーガンの立場はw 絶対に全日だと思っていたバンディが苦境の新日に上がってくれたのはうれしかった
vsホーガンは所属団体考えるとプチ夢のカードだったかな
あと2度目の登場はまぁなかったと思うけどショボいハワイのレスラー達を呼んでいたことを考えると
話題性のあるイロモノとしてエイドリアン・ストリートとかミッシング・リンクが上がっていたらちょっと面白かったかも
1回ぐらいはテレビに映ったかな? 大剛経由の筋肉バカに夢見すぎなんだよな。
ホーガンの代わりを必死に探したんだろうけど。。。
スティーブ・デサルボみたいな基本も覚え来ないようなのリングに上げてちゃ育たんわ >>753
本当そう思う!アンドレホーガン対超獣コンビよりベイダービガロ対超獣コンビ見たかった。もしビガロがブロディから取ったら泣いてしまいそう! >>757
大剛は新日本(ファン)の気質あまり理解してなかったのかな?マサ斉藤が渉外やってから優良外人来るようになったけど >>748
親父が 猪木VSベイダーみてて
ガスパーがきて 試合ぶちこわしたら
「なんだ つまんねえ」と言ってた https://sokkuri.net/list.php?m=search&name=%E5%AE%89%E5%AE%A4%E5%A5%88%E7%BE%8E%E6%81%B5&p=12 https://sokkuri.net/list.php?m=search&name=%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E6%9C%A8%E6%9D%91&p=2 >>760が言ったわけじゃなく、>>760の親父さんが言ったんじゃないの? 猪木ボック戦もボクシングで言ったら三階級は違いそうな体格差だったなあ
案の定チビ猪木はボックにダミー人形みたいなスープレックスで叩きつけられて全然いいとこなし >>767
猪木対ボック戦までの過程分かってて言うてるのかな?猪木はルスカ、デートリッヒ他セメントに強いレスラーと連戦(それも慣れないラウンド制)して身体ボロボロ状態でほとんど無傷のボックと対戦してる。それに元旦に行われた猪木戦のボックの体たらく(この時はボックの体調が最悪)は同じ解釈になるのでは? >>768
連戦とかだだのプロレス巡業なんだから当たり前だ、新間のデマカセ真に受けるなよ
猪木サイドはチビ木がボックのスープレックにすなす術なくボコボコにされカッコつかないからシュツットガルトの惨劇なんて与太話作ったんだよ どっちもブックありのプロレスなのに、何を言い争っているんだろう? >>758
夢の世界最強タックリーグ戦
ブロディ&ハンセン組
アンドレ&ホーガン組
ベイダー&ビガロ組
ゴディ&ウィリアムス組
ロードウォリアーズ
ジャンボ鶴田&前田日明組 この地獄のスケジュール
1978年11月7日 〇猪木(5R 1分33秒 体固め)ウイリエム・ルスカ●
1978年11月8日 ○猪木(5R 3分40秒 反則)ローラン・ボック●
1978年11月9日 〇猪木(4R 1分15秒 逆エビ固め)カール・ミルデンバーガー●
1978年11月10日 △猪木(時間切れ引き分け)ジャック・デ・ラサルテーズ△
1978年11月11日 〇猪木(5R 逆腕固め)ジャック・デ・ラサルテーズ●
1978年11月12日 △猪木(5R 1分11秒 両者リングアウト)ローラン・ボック△
1978年11月13日 〇猪木(5R 53秒 体固め)ジャック・デ・ラサルテーズ●
1978年11月16日 〇猪木(4R 2分20秒 腕固め)ウィルフレッド・デートリッヒ●
1978年11月17日 △猪木(時間切れ引き分け)ウイリエム・ルスカ△
1978年11月19日 〇猪木(5R 2分35秒 反則)ジャック・デ・ラサルテーズ●
1978年11月19日 〇猪木(4R 1分32秒 反則)ユーゲン・ウイスバーガー●
1978年11月20日 〇猪木(4R 57秒 体固め)ジャック・デ・ラサルテーズ●
1978年11月21日 △猪木(4R 2分51秒 両者リングアウト)ウィルフレッド・デートリッヒ△
1978年11月23日 △猪木(時間切れ引き分け)ウイリエム・ルスカ△
1978年11月24日 △猪木(時間切れ引き分け)オットー・ワンツ△
1978年11月26日 ●猪木(10R 判定)ローラン・ボック〇←シュツットガルトの惨劇
1978年11月26日 〇猪木(4R 1分42秒 逆さ押さえ込み)チャールズ・ベルハルスト●
1978年11月27日 〇猪木(4R 反則)ウイリエム・ルスカ●
1978年11月28日 〇猪木(2R 反則)ウイリエム・ルスカ●
1978年11月29日 △猪木(時間切れ引き分け)ユーゲン・ウイスバーガー△
1978年11月29日 猪木(エキシビジョン 勝敗なし)ルーズ・ハンスバーガー ダブルヘッダーが3度もある
しかもフルラウンド試合した後にまた試合って・・ 地獄のスケジュールも何も、それを求めて遠征してギャラも貰っているんだから。 >>777
タダ働きじゃないだろ?テレビ朝日で放映されているんだから。 パキスタンもそうだがヨーロッパまでわざわざ遠征するより
日本で普通に試合してたほうが稼げてたと思うけどなあ
日本と同等以上のギャラを用意できるほど
当地の稼ぎまくってたとも思えんし >>775
しかも向こうは夜が早いから、飯もろくに食えなかったらしい ×当地の稼ぎまくってたとも思えんし
〇当地のプロレスが稼ぎまくってたとも思えんし >>782
データによって違うのはたぶん時差の為
同日試合があるのもたぶん時差の関係 >>771
無駄に贅肉を付けなかったからこそ大病を患っても長生きできているのかもな
新日系の早死にが少ないのもある程度シェイプしているからなのかもしれん。橋本はアレだけど >>772
ちょっと鶴田前田組が浮いてる。
勝手に追加でスタイナーズも入れて >>769
元旦の猪木はボロボロボックに付き合わされて年明けからエライ災難やったわけですね!欧州遠征のギャラ回収の為に仕方なく呼んであげただけだし 最初は名誉欲すごかったけど、手に入れてからは金に対する欲のみになったな。
何が一番欲しかったんだろう >>788
名誉欲っていうのは変わらないでしょ
金の亡者なのは猪木の取り巻き
高額ギャラ目当ての欧州遠征は、アリ戦での借金返済の足しにする為 アリ戦での多額の借金を異種格闘技戦で返済できたのにハイセル事業で火の車って本当に普通の人間だったら間違いなく自殺してるよ。そんな常人じゃない猪木にはまだまだ長生きして欲しい! >>769
身長コンプレックスが醜くくて草生えるw
低能はみっともないから発言しない方がいいぞおっさんw ワンツとの試合はダブルタイトル戦だったね。
CWA World Heavyweight Title とNWF Heavyweight Title Match
CWAはワンツ→ドン・レオ・ジョナサン→ワンツ→レオン・ホワイト >>786
夢の世界最強タックリーグ戦
ブロディ&ハンセン組
アンドレ&ホーガン組
ベイダー&ビガロ組
ゴディ&ウィリアムス組
ロードウォリアーズ
ジャンボ鶴田&前田日明組
スタイナーズ ←追加
ジャイアント馬場&坂口征二(両者とも全盛期) ←追加 >>793
文句つける訳じゃないけど
よりリアルに寄せるなら
猪木&ホーガン
馬場&アンドレ
鶴龍
これの方がしっくりこないか? >>794
その組み合わせを見てBIのデビュー30周年を思い出した
ひょっとしたら馬場ブッチャーVS猪木シンの可能性があったんじゃないかって、ふと考えた 猪木の野郎、現役時代よく怪我を言い訳にしてたが、今になって見ると馬場じゃないがプロレスラ−のくせに何言ってやがると苦笑いするしかない
プロレスは旅芸人一座みたいなもんだからその看板役者が怪我するなんて考えられない失態だ、客をなめてる
プロレスラーが怪我する怪我させるのはプロとしてあるまじき行為だ、つまり猪木の負傷ネタはあり得ないし、ガチならただのアホ、プロレスのモラルに反する恥さらし >>793
ベイダー、ノートン組にしろ
この低能野郎 >>798
ベイダービガロ組の方がいいよ!ノートン入れたいならヘラクレスヘルナンデスかトニーホーム >>799
見映えならベイダー ビガロ
強さ演出ならベイダー ノートン
ノートン ヘルナンデスなら強さ演出でヘルナンデスが少し落ちる
見映えならノートン ホームがいいかもね >>797
猪木の場合怪我もあっただろうけどシリーズ欠場の本当の理由は糖尿病の悪化とハイセル問題でのブラジル行きと証言されてる ノートンヘルナンデスとかスタイナーズとか、完全に平成じゃないの? >>800
ホームは塩過ぎる。
見栄えだってヘルナンデスはホームに劣らない。
ホームと組んでt落としたタッグ王座をヘルナンデスと組んで取り返したんだから
ヘルナンデスで良いだろ。 IWGPのオットー・ワンツもMSGタッグのパターソンと同じように足4の字で負傷し
途中帰国したという触れ込みだったけど、理由は両者とも最初から一週間だけの
短期滞在の予定、それも選手ではなくプロモーターやエージェントとして新日と
契約するための来日だったからというのは後で知って驚いたなあ
ワンツはIWGPに来日して新日を仲介にアメリカのレスラーのブッキングルートを
作り、スタッドらを招いて欧州マットを活性化させてたわけだ >>747
国プロ放映に深く関与したTBS・森Pも「レスラー^木」を絶賛している。 >>769
過密スケジュールが新間の出まかせ?意味がわからんぞ
23日間で12興行というのは前もって報道されてた、行ってみたら22興行だったという話
4カ国、すべてメインイベントだ
パキスタンで休みなく取材を受けたあとぶっ続けのツアーというのも知らないんじゃないか? >>793
ルー・テーズ & カール・ゴッチ(両者とも全盛期)も入れてくれないか? >>807
テーズ&ハットン組とゴッチ&ミラー組の方が性格的に合いそう。
鶴田前田は解消で猪木前田と馬場鶴田にして、ファンクスに仮面貴族兄弟、ブッチャー・シン組でプロレス・スターウォーズですよ。 そこはテーズ&ゴッチでしょ
最強タッグでレイス&ニックを解体した愚の再現することもないでしょうに。 >>806
読解力ない奴だな、ボックが過密スケジュールで猪木を疲労させたってボック陰謀論がデマカセつーかアングルなんだよ
事実脚色してストーリー作るのは猪木一派の十八番だ、アリ戦の時もアリにプロレスやろうと呼んでガチ仕掛け騙したくせに、アリにルールで何もできなくされたとかほざきアリ側を悪者扱いした
アリ軍団にしてみたらボクシング界の宝であるアリ守るために禁止ワザ設けるのは当たり前の事なんだよ >>807
テーズの全盛期にそんな遊びに付き合う暇はないやろ
却下!!! 昔の週プロ見てると忘れてることいっぱいあるね
ハンセン・北尾vsベイダー・ソウルテイカーってカードすっかり忘れてた >>813
北尾はハンセンとは一切絡んでないはずだが。
ハンセンガ参戦した90バトルライン九州は北尾が欠場してたし。 猪木の欧州ツアーとか八百長プロレスショーなんだからハードスケジュールもクソもない、それとも猪木が毎日真剣勝負してたと思ってんのか?w
因みに猪木呼んでの欧州ツアーは赤字だったそうだ、大損したボックは憂さ晴らしに猪木痛めつけてたんじゃないw あの口の悪い谷津でも、社債は買わされたけど新日時代の待遇は悪くなかったって言ってるぞ
社債も強制じゃないけど買わないわけにいかない感じで、
「稼がせてやってるんだからいいだろ?」って感じだったらしい そもそもボックと猪木がガチったらボックの圧勝だ、猪木なんて話にならん
ボックがこの不人気貧弱ジャップ、テメーのせいでオレは大損だと怒りながら固い攻撃してるのが笑える い、い、猪木には、ゴ、ゴッチちょくでんのう、裏技のか、か、数々があるから… >>810
>>アリにプロレスやろうと呼んでガチ仕掛けて騙したくせに
こんな間抜けな事書いて恥ずかしいぞ!それならアリは試合しないで(不慮の怪我とかで)帰ったら済む。アリも金欲しかったんだよ! >>804
昭和ならではだけど優勝するのを決めるリーグ戦のシリーズでお金出して見に来てくれている人もいるのにひどい話だよね
マスコミも全部知っているくせにグルになってこの選手やチームは掻き回し役だとか足元を掬われかねない存在だとか煽ってさ
ケロッとした顔して地元で試合しているなんて書くわけないしね >>809
レイスとニックを分けたなら対戦を放送してくれないと もしも だけど
ボックが もうすこし後に
生まれて柔術家と闘ったら アリは破格のギャラでこの茶番劇に乗ったんだよ、だいたいフォアマンやノートンとガチやってるアリが猪木ごときにビビるわけない
それと根は善人のアリは終始躊躇してる、俺が本気でパンチ打ったらこのリアルファイトを知らないペリカン野郎は死ぬと心配してる
猪木は良くも悪くも天然だから何もしらずにドン臭い蹴りだして意気がってるがアリが本気ならド素人の猪木はワンツーで即死してた 猪木アリ状態→ガードポジション
アリキック→カーフキック クラウス・ワラスが地元オーストリアでルスカに勝ってるな、ベルギーで
行われたJudo Matchではルスカがワラスに勝ってる。 勝てないとか、何を言ってるんだろ?プロレスはもともとブックなのに。 そんな事みんなわかってるよ
だけど前田の連中は
ガチ半分 ヤヲ半分の
中途半端 でもお前らだって当時はガチだと思って見てただろ?
確かに猪木も前田もブックでやってた。でも俺は楽しませてもらったから感謝してるわ。 「アリと引き分けた男」という評伝を手に入れられたから、
猪木の価値はある意味では上がったといえる。
一方でアリは高額なギャラを手にして、自身の価値は下がらず
両方とも得をしてよかったんじゃないかたぶん。 >>831
確かに。
橋本が分岐みたいに言われてるけど、あれは関係者の証言が出たってだけで、実際は物心ついた頃には既にプロレスはショーってみんな知ってた。
でも時々ガチの試合をやるって認識で、その専門が前田猪木とUの何人か。
猪木や前田が出てくると今日はどっちなんだろうってすごいドキドキしてた時代を思い出した 前田はユニバーサルに行って良かった。
ずっと新日だと平凡なレスラーで終わったと思う。 ユニバーサルって言うと、浅井を輩出したルチャの団体と混同するよな。 前田はいまだに佐山の事をボロクソ言うが、旧Uで格闘技モドキやってなきゃ
ただデカいだけの木偶の坊レスラーで終わってたという大まかな意見 >>837
ルールを詳細に決め運用するとか、試合は月1回にするとか、佐山のアイデアをもらっているのに、それでも悪し様に言っているのか。 ボックに関しては、週刊ファイトのI編集長やプロレス三部作の村松友視氏、過剰評価されたように思うな。
あと、タイガージェットシン、上田馬之助、藤原喜明なんかも、I編集長、村松氏に過剰評価された感がある。 UWFの真剣勝負風プロレスも、もともとは佐山のアイデアだからな。
大仁田は自分で考えたアイデアで儲けたが、前田は人の考えたアイデアで儲けた。 木村健吾のプロレス人生の意義の半分はローランボック伝説を作ったこと >>839
あの時代の新日ファンにとってI編集長、村松氏は心強い味方(見方)でしたね。 ボックはプロレスラーの経歴としては優れてたし体格にも恵まれてたから
まあ妥当な評価だったと思うけど。
木村健吾に放ったベリートゥバックは見事だった、ダブルアームスープレックスは
決め技にする程効いてるかな?って感じしたけど。 木村健悟いわく「ガチンコ最強はオレ
対戦した中で最強はローランド・ボック、二番目はボブ・バックランド」なんだそうな >>837
凱旋帰国後も解説の小鉄から受身のマズさを指摘されてたくらいだからな
普通ロープワークやって雪崩式とか手を出したら早々にリタイアしてた 前田は新日待望のストロングスタイルができるジャンボ鶴田タイプのレスラーだった
190センチを超す巨体、変幻自在のスープレックス、飛び道具も得意、さらに前田は鶴田よりハンサムで筋肉質、その期待は大きく、猪木も後継者は前田と決めていた >>845
ホーガンや長州からのラリアットを受けたときに後頭部から落っこちてたからね
あれは下手すぎるよ イギリスで前田のクイック・キックリーがウケたのも、佐山がサミー・リーでブレイクして
日本人レスラーの土壌を作ってくれていたからこそなのに 前田試練の十番勝負
アンドレ
ホーガン
長州
マードック
ブッチャー
藤波
バックランド
ボブオートンJr
キラーカーン
猪木 >>844
木村健悟(1分38秒トライアングルスコーピオン)ヒクソン・グレイシー 前田に欠けてたのはリズム感じゃないかな?手と足が同じ方向に出るタイプだと思う。 猪木がアントンハイセルなんて怪しい事業にはまらないで副業はアントンリブ程度にしてプロレスに専念してたら新日本プロレスは凄いメジャー団体に成っていた
IWGPも落ち目のNWAを超えボクシングの世界王者のような権威あるタイトルと認定されプロレスの地位も高く成っていたと思うな >>852
それは全くのオタ思い込みだけや
アメリカで権威もつかず落ちぶれた物が、日本如きの一島国だけでどうなるというんや?????
猪木など、まーサーカスの熊扱いがいいとこかな >>843
ボックの日本マット登場は、その後のロシアレッドブル軍団の登場と似ていましたね。 不遇なストロング派への幻想というのは宮本武蔵以来の伝統なんだろうな ボックの登場があと15年?遅かったら
前田、武藤、ベイダー辺りと対戦見たかった。究極はボック対ブロディかな? あと15年遅く登場してたら、オブライトとどっこいどっこいじゃないの? 猪木に完勝して名を挙げてないボックなどただの地味な実力者でしょ いまクラシックスで最強タッグ戦を放送中
自分的に新日本系の試合で一番好き やっぱ昔の映像で見るコンディションいい頃の猪木の試合はいいな
リアルタイムで見始めた頃は延髄フィニッシュのパターン化された後だったから 猪木藤波vsマードックアドニス
の伝説の名勝負の放送はないのか? ボックは歴代オリンピック出場歴あるなかで体格含めてランキング付ければ猪木戦
関係なしに相当上位に来るレスラーだろ。
ブロディじゃボックの相手にならないだろ、ブックでなくガチならね。 2mの体格でモントリオール五輪とモスクワ五輪で金メダルを獲得していたレッドブル軍団のソスラン・アンディエフが、
ローラン・ボックを超えた人材と宣伝されてたけど、交通事故で試合ができなくなりプロデビュー断念となった 猪木が欧州遠征で対戦したウィルフレッド・デートリッヒも、ボック以上とも言われる実力者
180キロのクリス・テイラーも真後ろ式のフロント・スープレックスで投げちゃう
https://ss.sport-express.ru/userfiles/materials/40/400041/large.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Ew-jkwyVcAIo_xc.jpg
1978年11月16日 〇猪木(4R 2分20秒 腕固め)ウィルフレッド・デートリッヒ● 「ボック以上の実力者」というより知名度も実績も欧州最高のレスラーの一人だからな
吉田沙保里を「里村明衣子以上の実力者」と言うようなもの
まあプロレスにはプロレスのステータスがあり、日本のプロレスにはまた日本独自の
ステータスがあっていいんだけど 小松政夫が、「わりーね、わりーね、わりーねデートリッヒ」とかやっていたよな。本当はマレーネだが。 >>861
DVD化はされたけど、マスターテープは残ってないから放送はない 猪木はデートリッヒに一勝1分けだもんな、デートリッヒは猪木戦しか
プロレスしてないのかな。ボックが引っ張り出したのなら大したものだな。
プロレスラーとしてはやや身長低いのがマイナスだよね、6フィートくらい。 >>856
15年遅かったらブロディもういませんがな! >>861
確かマッハ隼人さんの動画チャンネルで紹介された。 >>861
プロレス動画維新のワカパヤシさんのだったかも。 >>874
これ知ってる。
試合前にもこれ見よがしに猪木に靴の裏見せつけてたよなw マードック&アドニスて、ちょっと無理やりにコンビ組まされた先に、まあなかなかタッグワークが
巧く行きそうって感じで両者おのおののの心中いざしらずで名コンビにされたんやろ。
ホントはマードックは流星仮面、アドニスはオートンジュニアがベストパートナーなんだよな。 なぜジョージは、カルガリーハリケーンズについていかなかったのかな? >>838
佐山がよくないのは他人の意見を聞かずに押し通したことで、
前田はシステムそのものを否定したわけじゃないよ。
月一興行でも採算があう形を佐山は考えることができなかった。
前田にはそれができた。つまり経営陣という参謀の有無が二人の差。
佐山が信長なら前田は秀吉だね。
信長はしょせん監督兼エース兼四番打者のワンマンでしかなく、
チーム秀吉に勝てるはずがない。 カンケー無いけどシマダヤ流水麺って絶対、おまいら流星仮面を想起してるだろ >>883
モンスターマン戦は名勝負って言われてるけど今観るとモンスターマンが手加減し過ぎて緊張感乏しかった。本来ウィリー以上の実力者だと言われてたから本気のモンスターマン観たかった あの大きさのグローブでパンチ打っていったら
即KOだったろうなあ
アリと違ってパンチを打つという選択肢を奪われてないのに、たしかに役者だわ ユニバーサル(UWF)に行かされたことを根に持ってるみたいだけど
一番UWFの恩恵を受けたのは格闘王じゃないかな >>887
当時前田のお母さんが自殺未遂してお金が必要だった前田にはUWF移籍は渡りに舟だったらしいよ。 >>880
南部系は日本以上に序列が激しいらしいからね
マーおじさんにはハンセン・ブロディも一目置いてたから軍隊みたいなもんかね >>889
ありがとう。
ということは文句言ってるのもアングルなのかな。 準主役は?
@ブルマAクリリンB悟飯Cベジータ
長州の相棒といえば?
@マサ斎藤
Aアニマル浜口
B谷津
C馳浩
D佐々木健介 猪木はボックのことあんまり認めて無いみたいだな、どこか気が弱いとこらがあるから金メダル取れなかった、折角あんな肉体を持ってるのにおかしい、と >>893
Gスピのインタビューで五輪で好成績を収めていない理由を「試合前の調整に失敗
したり急に体調不良(神経性の下痢)になったりした。」とコメントしていて体格と
技術ほど「メンタル面」は強く無かったみたいね。しかしボックを探し当てライターは
素晴らしかった。なりすましを警戒して当人しかわからないディープな質問を続けて確認
しメールのやり取りだけあの膨大なロングインタビューになった。ラジオの真夜中の
ハーリー&レイスには国際電話で出演しライターも取材の苦労を語り低予算番組なのに
国際電話に同時通訳まで動員して放送した。
それだけ消息不明だった「幻の強豪・ボック」の発見は大ニュースだった。 ボック、MSGタッグの時はラッシャーや戸口にも短時間で勝ってるんだな。
レネグレイと組んでラッシャー&永源と対戦してたり色々興味深い。 >>894
ハーリー&レイスって書くとタッグチームみたいだな。 ボックは猪木に認められなくてもそんなこと気にも止めない、ボックにとり猪木は自分より遥かに弱いアマレス素人のひ弱な東洋人
ボックは猪木をアメリカンスタイルのショーマンレスラーと見ていて実力は全く評価しなかった、ボックが強かったと絶賛したのは岩石男ジョージゴーティエンゴだけ ボックはミスター高橋の話だとメキシコの水が合わず下痢かなんかで体調不良だったそうだ
下痢じゃレスリングなんて無理だよな力が入らないwまあ条件は同じだからそんなの言い訳に成らんけど ゴッチは五輪について
「当時世界最強の男と予選で当たってしまった。その男は私が一番強かったと言ってくれた。」と言い訳していた
と言うか重量級は層が厚くてあれでメダルをとるって時点で大変なことなんだろうな >>891
新間から移籍に際していろいろ(後から猪木も参加するとかフジテレビで放送する等)な話が全てご破算になった事には腹に一物持ってたみたい。ただ新日業務提携時代の挑発は前田のアングルでTはそれを利用してお金引き出してた >>897
インタビューで猪木のことすごく褒めてたじゃん。 >>902
日本代表マスコミがわざわざ取材に来たんだから社交辞令で猪木誉めるのは当たり前だろ >>889
> 当時前田のお母さんが自殺未遂してお金が必要だった
端的に言って前田の言うことは何一つ信用できない 前田母の自殺未遂は事実だろ
ただ前田自身の本では事故みたいな書き方だったが実際には前田の恨み満載の暴言が引き金だった 普段嘘ばっかついてると本当のことを言っててもわからんって話をしてるんだろう よく話したよな、ここまで具体的な話が出たのは初めてじゃないかな。
船木誠勝が語るUWF3派分裂 「生々しい別れ方をしてるんで、笑顔で会ったりは…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/df92dba87de394a72bca4622764ed88ab70c7f57 >>908
前田が癇癪を起こしてせっかくの段取りをぶち壊しにしたんだよな
山崎は去就を決めるのが遅かったのでUインターで冷遇される事になったと >>910
藤原も船木と鈴木に前田のように迫り藤原組を空中分解させてしまった・・・ >>901
なるほど。
複雑な感情もあるんだろうけど、やっぱりプロレスラー前田はUWFあってこそだと
思うな。 >>914
キタの番長前田とミナミの番長赤井の異種格闘技戦をやって欲しかったな 83年の週プロに前田の母親が新日道場に来訪が掲載された。
若手(佐野?)が『前田さん、お姉さまがいらしてます』と。
前田が『お姉さま?』と玄関に行くと前田の母親が。
若手(佐野?)はその女性の若さにまさか母親とは思わなかったとか。
二人で並んで写した写真が掲載された。
覚えてる人はいちゃる? >>916
赤井が実際どのくらい強いかも興味あるな。 あとやっぱ83年の週プロ。
長州と前田がマンションへの引っ越したのが掲載された。
前田は渋谷のどっかのマンションだったような。
それは長州だったかな?
長州はこの頃は浜口と共に新日出てフリーになろうとしていた時期。
よく長州の引っ越しを特集したと思う。
前田は今後の新日を担うエースという扱いだったが。
これも覚えてる人はいちゃる? >>919
週プロのは藤波と長州のマンションを同時に特集してたと思う。
藤波は夫人と共に豪華な家具とか紹介してて
対する長州は殆ど部屋に何も無い質素な感じだった。
家庭人と革命人みたいな見出し付いてた覚えがある。 >>918
トミーズのマサがミドル級だが、スーパーライト級の赤井とスパーリングしただけで、こいつには俺絶対勝てんわと心底感じたらしい >>508
全部ウロ覚えで申し訳ないが昔出てたWWCの「プロレスショッキング特集」みたいなタイトルの
VHSに収録していたマイク・デービスをガラスフレームで襲って大流血させたのもロン・スターじゃなかったっけ? 長州の家具とかない部屋は覚えてるな
ベルトとったときのトロフィーだけみたいな >>922
その通り。
パートナーのチッキー・スターと2人で、試合前にガラスフレームの盾を渡すと見せかけて、それで脳天殴打。
そのセレモニーにはマイク・デービスの嫁と娘(という設定かもしれないが)も来ていて、控え室に戻って傷口を
縫ってもらうシーンでデービスはイスに座って呆然、奥さんが泣いてデービスの手を握って寄り添うという、
いかにも当時のWWCがやりそうなシーンだった。 猪木、ボックのことを「気が弱い」と評してるのが面白いね、肉体とメンタルを分けるところが猪木らしい
ボックの番になると無茶するのに猪木がパッと返すとちょっと引いてしまう
ちなみにコンテストなら猪木が圧倒的不利なのはボックも猪木も普通のファンも理解できてる
無意味に猪木を過大評価してるのはアンチのガチバカの方 >>923
トロフィーを帽子掛けかなんかに使ってたような でも半ガチ試合で前田とボックがが闘えば
前田のプロレスラー相手に顔面ハイの卑怯な攻撃も
ボックならディフェンス出来たか?
前田が出世したとき ボックはもう引退してたけど >>865
空中胴締め落としにも見えなくもないねw 猪木もかなり気が小さい、前田にビビりシングルマッチ受けないで逃げ、ブロディに好き勝手されてもブロディが怖いから逆らえず泣き寝入りw
ユセフトルコは猪木はウイリーを怖がりリハーサルで震えていたと証言してるw
そーいえばペールワンとの試合前も震えていたそうだからひょっとしたら武者震いかもしれないw >>928
両者と親交のあった梶原一騎の弟・真樹氏が仲立ちになり文春誌上で対談が実現した。
一応、手打ちをした形になったがぎこちない雰囲気だった。
1984年のUWFで佐山は持ち上げられて前田を徹底的に批判されているからもう無理
だろうね。人間関係が複雑化たUWFへの反動なのか?新日関係者の対談や同窓会では
前田は終始、和やか。 >>895
岐阜のR木村vsボックの映像も画像もないんだよね。。雑誌系は追い掛けろよ!って当時思った >>921
ヤンチャのイメージだけどやっぱり本物の競技者なんだね。
前田の空手はいまいち実績がわからんからなあ。 >>930
たまに猪木が前田にビビってシングルから逃げたと言ってるけど猪木が前田にビビる事はないよ。前田も猪木がセメント仕掛けない限り普通にプロレスするしもし前田がセメント仕掛けたら猪木も対応出来るし収集つかなかったら新日全レスラーで前田は蹂躙されるよ。実は前田の方が猪木とはやりたくなかった思う。猪木馬場戦の猪木の立場かな? 結果論だが新日は前田たちを呼び戻すべきじゃなかった、あれは大失敗よ
UWFが新日に来たことで猪木のストロングスタイルも前田たちのシビアなプロレスと比べたら大したことない、猪木はもう終わり、これからは前田の時代だという空気が世間に浸透した
それを決定付けたのが闘魂ライブの異種格闘技戦、お粗末な猪木スピンクス戦と違い、前田ニールセン戦は熱戦となり前田の劇的勝利で幕を閉じ前田人気が沸騰した 猪木スピンクス戦はアリ戦のオマージュだから実現したけどボクサー相手の異種格闘技戦は難しい。対して前田対ニールセンはどうせ前田が勝つやろという雰囲気の中ニールセンの健闘で盛り上がった。もうあの時点では猪木に異種格闘技戦は酷だったと思う。 >>930
猪木対ブロディの初対決で、試合前、ブロディが控室にいた猪木を急襲したことがあったな。
週刊ファイトには、ブロディが去った後、猪木が号泣したと書かれていたけど、あれは何だったんだろうな。
また、週刊ファイトもそこまで書く必要あったのかね。 ブロディは「勝たせろ」と言ったが当然猪木は飲まない(勝ち逃げされたらたまらん)
ブロディ「じゃぁ負ける理由を作ってやる」(いろいろムカついたし)と襲う と妄想してる
試合前入場の時坂口とか(怖い顔の整体師さんまで)にがっちりガードさせてたのはまだなんかあるんじゃないかとピリピリしてたな 全部アングルではないの?そうでなきゃ暴行傷害事件でしょ。 >>934
前田になんで俺と試合してくれなかったんですかと聞かれて
猪木本人が怖かったからビビってたからさウフフ…と答えてるよ >>944
だから何?としか
胸板を蹴ってくると思わせて胸に力入れてたら無防備な顎とか脇腹に蹴り入れてくる
そんな奴とやりたい奴いるわけないだろ >>947
> 顎に蹴り入れてくる
これは事前に猪木がここに蹴りを入れろと言われてたって
長州襲撃事件なら肩に手を置いて合図してるじゃん 顎へのハイキック、猪木が寸前で飛んだからクリーンヒットにはならなかったと前田が言ってたね。
瞬時にああいあ力の逃し方ができる猪木はすごいと。 橋本に頭蹴られた小川に油断するほうが悪いと言うのが猪木だよ >>941
試合では膝に包帯だか巻いて出てきたね
見所=手負いの猪木がどこまでブロディの攻撃をしのげるか をつくった、凡戦でも試合前の襲撃がなければとの言い訳が立つ
というアングルだと思う >>949
> 顎へのハイキック、猪木が寸前で飛んだからクリーンヒットにはならなかったと前田が言ってたね。
これが事実なら前田はクリーンヒットさせようと思って蹴ったという事になる。
プロレスする気のない危険人物。 >>949>>952
あれは前田が焦って正確にキック出来なかっただけでは?前田のミスキックに対処した猪木は流石だが前田があたかも最初から顎狙ってたっていうのは後付けで要は段取り通り出来ないプロレス下手を隠してるだけ! ぶっちゃけ86年当時でも蹴りのスタイル全否定して良い極めっこやってたら前田は猪木に敵わんよ 45歳で重度の糖尿病の猪木と20代後半で充実していた前田なら前田が強くて当り前
同じレベルで鍛えているもの同士なら若い方が強いに決まっている
45歳の猪木に新日を旗挙げした頃の猪木が挑んできたようなものだ
ヨボヨボの老人が若くて屈強な男をボコるなんて漫画の中だけの話だよ
「新日から誰かが受けて立たねばならない」と言う事になって藤波が買って出て
前田の技を受けきって名勝負を成立させたのを見ると
あの本に書かれるほど藤波が弱いとは思えんのだよね
木村健悟が前田から舐められまくっていたのとは全然違う >>959
ここはクラッシャーがブラボーだろうに。 キックでも空手の選手でもあるあいし
レスラー相手にハイキックやらば入るよ
藤波 長州 上田のとき見れば
結構前田 マジで顔面蹴ってたんじゃないの >>957
タイガーのマスクだけ色ついてて浮きまくってるなw >>962
マジで蹴ったらルール違反だろ、ブックやる前提で契約してギャラもらうんだから。 相手もプロレスラーなんだから、マジでやるなんて思っていなくて当たり前だろ?
片方だけマジにやったとしたら、強いのでもなんでもなく卑怯なだけだろ? だから そんなんじゃないの
かと言って 前田は 格闘技やる訳でもないし >>968
番長あがりのチョソに、卑怯もなにもないやろ
相手を先に潰して終わりやからな >>966
コーナーへの大車輪キックも前田の思惑と違って藤波のこめかみにヒットしたから大流血になった。長州への顔面キックもそうだが前田の不適格さが起こしたハプニングで前田自身も両者が欠場する事になるとは想定外だったはず。しかしマスコミもファンもそんな前田を持ち上げたから前田は自信を強めたと思う 猪木はタッグリーグで前田にナックル入れてたけど、怖がってたらあれはできないと思う。 前田は番長じゃない捏造やめろ、大阪時代の10代の前田はヒョロガリで田中正悟の子分で遊び程度の空手やっていただけの普通の兄ちゃんだ
北陽なら野球で有名な岡田が強くて有名だった、その他、赤井、村田(シーザー武志)等ゴンタで有名だった連中は誰も前田のことなんて知らない 赤井英和はガチの不良ゴンタだ、あれは中学生のころすでに大人より大柄で身体能力も生まれつきすごかったそうだ、ナチュラルに強いんだろうな
だがヤンチャは中学で卒業、高校からはボクシングに熱中、未経験で初めて半年足らずで大阪に敵なし、2年でインターハイ2位、3年でインターハイ優勝、アジア王者の怪物 >>972
前田自身、自分でどんくさい人間だと思ってるだろ。野球サッカーバスケバレー全部ダメだと言ってる。
ただし運動神経を球技ではなく瞬発力や腕力などの体力という基準で見れば能力は高いだろうな。
>>954
チョンとネトウヨって目糞鼻糞の同族嫌悪だよね。 前田の長所は身体が柔らかいところだけ。あと長所と言えるどうか分からないけど失うものがない開き直り >>957
タイガーマスクの実物マスクを抽選で100名にプレゼントて凄いなw >>957
アレン負傷欠場で、マードックを拒否してブッチャーvsブラボーのシングルになったんだよな。
全日時代にあれだけ人種差別イジメされたブッチャーからしたらマードック拒否は当然だと思うが。
右下のビリークラッシャーが、素顔のマスクドスーパースターだよね。 かませ犬前の長州に負けたビリークラッシャー。
それが理由でスーパースターに戻したわけじゃないだろうが >>957
そういえばこの時坂口は結局誰と試合したんだっけ? >>957
あの試合、ランバージャックデスマッチだったはず。
木村が場外に落ちるとセコンド陣がリング内に押し上げるのに猪木が
場外に出ても誰もリング内に戻さないという展開があったと思う。 記録見てると1982年1月25日、ブッチャーとブラボーがモントリオールで対戦してるな。
ブッチャーは新日に来てる最中なのにそんな事あったかな、ホーガンはそんなのあったけど。 >>982
Tag Team Match
Riki Choshu & Seiji Sakaguchi defeat Billy Crusher & Steve Travis (7:28) >>979
絶対にウソだよねこんなの
実物マスクを100枚って本当にそんなのやっていたら当時ものとして殆どが市場に出回っているよ 11.5蔵前のタイガーマスク対グラン浜田は良い試合だった。
田コロのソラールも息合ってなかったし前月の蔵前のマスクド・ハリケーン戦はボビー・リーが腰怪我して動けず消化不良。
浜田戦はデビューのキッド戦以来の白熱した試合になったよね。 >>983
全日の天龍対上田のランバージャックの時は、上田側に来日外人選手を用意したけど
国際側は浜口と寺西しかいないからメチャクチャ不公平という >>957
金網ではないね。ランバージャックのことだと。
S小林xブラボー、長州xクラッシャー、木村健x寺西って小さく書いてあるね 最初にして最後のハンセン・ボックの重厚コンビはど迫力だった、猪木・藤波の師弟コンビを一蹴して無敵の強さをアピール
ハンセンボックつええこの二人がぶつかるIWGPが楽しみだと思っていたら3日後同じ蔵前でハンセンがテリーにラリアットしてたw ボックの存在がIWGP幻想を大きく大きく大きーく膨らませたのは事実。
そこにブッチャー更にはハンセン アンドレ WWF王者バックランド
ローデス ホーガン マードック
そういう外人達が絡む。
IWGPはボック中心に構想が広がっていた。
その前宣伝で来日させて強さや存在をアピール。
しかし猪木戦でボック終了。
それまでのボック大宣伝は何だったのか?
あっけなくボック終了だし。
その時点でハンセンも新日を出た。
IWGPのもう一方の目玉商品だったブッチャーも活かさず。
こりゃあIWGPはトーンダウンは否めない。 >>991
IWGPは構想当初の企画から大幅にスケールダウンしたね。日本、ヨーロッパ、メキシコ、最後はMSGで決勝戦するはずが国内ツアーになりそれまでのMSGシリーズから名前変わっただけになってしまった。あとハンセンが参加してそのハンセンを破ったホーガンが決勝で猪木KOならもっとインパクトあったと思う ボックは元旦の猪木戦後、82年のMSGシリーズに特別参加の予定だったよね? スププT Sd8a-RxKD
ワッチョイW 2e15
アウアウウー Sab3-/Fon
キチガイ馬場信者はしんどけw このスレッドは1000を超えました。
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