【小松製作所】昭和の新日本プロレス28【三協アルミ】
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87年夏の両国のジュニアトーナメントの顔触れは豪華だったな IWGPのころ、カールゴッチ杯を復活させるとかいう話が出たらしいけど、
83年だと「若手」枠は五人だけだったんだよな。高田、新倉、山崎、小杉、後藤。
ここに出戻りの仲野、デビュー前の佐野、山田、畑を加えて9人か。
85年には若手の底上げの必要からヤングライオン杯が出来たけど、
大量離脱や高田大抜擢以前の若手勢だったらどんなリーグ戦になったか。
まあ高田が優勝だったことは間違いない。 >>3
>>6
翌年の新春シリーズでやったトップ・オブ・ザ・スーパージュニアのが豪華じゃない?
越中、高田、山崎、小林、ヒロ、山田、保永、後藤、船木、馳、Oハート、セントクレアー。 >>6
88年の第1回TOSJは更に豪華だったな
越中、馳、オーエンハート、セントクレアーが追加された >>6
いや、越中が返上したから、この王座争奪トーナメントが
開催されたわけだが、、
第一戦は生観戦した。
小林と、まだ前座の船木の試合を印象に残っている。 >>10
> 越中が返上したから、この王座争奪トーナメントが
それくらい知ってるよ
そのトーナメントに越中も参加予定だったけど怪我が直らず直前で後藤に代わったんだよ
パンフレット見ればギリギリなのが分かるだろ
https://img.aucfree.com/369211584.3.jpg >>8>>9
1秒差で同じ内容の書き込みが。凄いw >>8
保永が負傷で参加できなかったのは残念だった… 現在から見れば豪華だけど、当時は地味でがっかりリーグ戦という印象だった >>15
タイガーがいなくなってから、ライガー佐野時代までの谷間は
数の多さで補ってたような面があったな。 BOSJはシリーズ名になったが、TOSJはシリーズ名にならなかったな。 山田はマスクマン志望で実際になって大成功したけど、あの苦しそうなマスクと全身コスでよく30年やりきったな >>15
四年前のWWFジュニアリーグ戦が既に伝説だってたからな
あれと比べたらやはりどうしてもって 初代タイガーがいた頃にジュニアのリーグ戦見たかったな。タイガーの全勝優勝だったかもしれないけど。 >>20
1984年に佐山が全日に行ってたら
馬場はジュニアでリーグ戦かトーナメントを企画してたらしいよね
ただし、参加メンバーは
大仁田・井上・越中・園田・チャボ・セブン・隼人・三沢・川田…あたりか?
うーん…微妙なメンツだ。 放送日です
<BSフジサタデースペシャル>『クイズ!脳ベルSHOW特別編 脳ベルプロレスリング』
豪華レジェンドレスラー大集結
2021年2月27日(土) 19:00〜20:55 >>16
ジュニア版名勝負数え歌が谷間でライガー佐野が山という評価が分からん >>23
IWGPのタッグもジュニアもUWFとの抗争で最初の権威を作ったんだよな 佐山タイガー離脱後、ジョージがコブラでコケて、キッドとスミスが人気が出た事で
ブラックタイガーを踏み台にして二人を売り出そうとしたらミスターヒトに掻っ攫われた
コブラ、ブラック、ヒロ斎藤で人気が出る訳ない >>25
その前にようやく人気が出てきた高田にUWFに走られてるし 高田は残ってたらエース級になってたんじゃないかな
Uでも成功はしたけど >>27
まずは札幌でのキッド戦が流れたのが惜しい 高田はタイガーマスク引退で抜擢が早まったと思うけど、もしタイガーマスクが続けてたら
若手としてもっとじっくり前座が続いたのだろうか >>29
タイガーがいたころ、かなり末期だけど
最後の寺西戦の前後、外国でフィッシュマンとの試合が放映された時
若手の高田が番組内で特別に扱われたような記憶がある
他にもヒロ斎藤とかの試合も中継してたけど、高田はちょっと扱いが違ったような…
1983年夏の時点では少なくとも1若手という段階から脱却しつつあった気がするけど?
まあ、ギリでタイガーがいたころだけどね。 タイガー引退後すぐの新日カルガリー遠征に高田も連れて行ってなかったっけ?
高田がカルガリーでアーサーフォーリーとやったのは83年末だったかな? 確か高田vs山アの前座試合がTV放送されたような…。それとインパクト的には週プロで掲載された試合中に猪木が入ってきてビンタをされた写真は記憶に残ってますね。 >>24
相変わらず新日が捏造したベルトで藤波・木村組で試合内容も相手もぱっとしなかった
WWFインタータッグに比べIWGPタッグは前田・高田対越中・武藤組のベルト争奪戦は
連日の激しい好試合が権威を高めていった。
>>20>>23
高田に次ぎにくらいに女性人気も高かった。
試合寸前に猪木のパートナーにアクシデントがあってセコンドから突然、猪木に
タッグパートナーに任命されて緊張で顔面蒼白に高田を試合前に猪木が張り手を
入れた試合があった。TV放送もあったカルガリーだったかな? クーデターなかったら正規軍前田高田と維新軍平田ヒロの抗争あったのだろうか? >>31
せっかくそこまでやったのにリーグ公式戦は全てノーテレビだったんだよな
せめて柳川でのタッグマッチでコブラと組ませて欲しかった >>33
初防衛戦の相手がエリック兄弟でまさにWWFインタータッグからの引き継ぎという感じだったな
そして最初のトピックはやはり木戸の初戴冠か 高田山崎戦がテレビに出たのはタイガー引退後のブラディ開幕戦。
そのシリーズでは前田の代役に藤波のパートナーとして長州カーン組と対決している。 >>33
>試合前に猪木が張り手を
それが>>41に書かれてる試合だと思うが、もとは藤波・前田vs長州・カーンだったのを、
前田が試合前に維新軍に襲撃され戦闘不能に、そこで高田が代わって藤波のパートナーになったというヤツ。
もちろん高田がいくら頑張ってもカーンは余裕の表情で受け切って、
最後は長州のラリアットであえなく高田が沈むわけだが。 >>42
そしてその後に唐突に、木村・藤原対マードック・アレン。
殺伐とした空気が健吾のビューティフルフライトでほんわかムードに。
加えて、突然の藤原の登場に違和感も、石頭で試合を組み立て沸かせる沸かせる。
この試合だけ異次元空間だったな。 >>43
第七試合 藤波・前田vs長州・カーン
第八試合 木村・藤原vsマードック・アレン
普通に考えると逆だよなw >>39
スミルノフが新日へきてたのか、、、
国際がまだ潰れる前だよな 昭和の新日のポスター作ったヤツ
最低限の技術持ってないヤツだな….
とにかく微妙にレスラーの大きさが違うの何でなんだよ
揃えたいならちゃんと揃えろや!
迫力出したいならもっと極端に大きさ変えるのが鉄則なのに
中卒で印刷屋入ったんか?今更だけどww >>46
は?国際が潰れる前に第一次UWFが崩壊したの? >>43
今晩 ベイダー登場の
両国事件のやつ
テレビでやるの? >>44
普通に考えて違和感しかないカードだな。健悟がメッチャ浮いてるのが目に浮かぶようだ。
健悟マードックvs組長アレンのほうが違和感ない。 >>50
今だからそう思えるだけで
当時は藤原がめっちゃ浮いてると思えたカードだぞ。 なんかケビン・フォン・エリックの扱いが不思議な感じのシリーズ
猪木が武藤ボコボコにした試合で組んでたり >>50は若い人かな。
まさに>>52のとおり、当時の藤原は前座の人だよ。
坂口・木村が普通にあるカードで、藤原がセミファイナルって83年ならあり得ない。
当時の中堅勢でテレビマッチの第七試合以降に出るのは星野と木戸くらいのもの。 https://pbs.twimg.com/media/EutXsQyVIAMvRnG.jpg
旗揚げ初期の頃はセミかセミ前が定位置、日程によってはメイン抜擢もあった木戸修が
77年の時点ではもう前座に追いやられている。
日プロ出戻りの坂口や星野、元国際のエースストロング小林の移籍で
必要なくなったとはいえ… >>56
第1試合が素晴らしいな。前座からの信頼関係があるからこそ、名勝負になったんだろうな。 >>39
ホールとブルックスが入ってないね
写真が間に合わなかったのかな… >>53
ケビンは途中参戦で、
木戸・高田対ケビン・セントクレアー
木戸対ケビン(生中継)
木村・蝶野対ケビン・セントクレアー
で毎週テレビに登場。
但し、藤波、前田の欠場と、長州軍団テレビNGのタナボタによるもの。 87年のIWGPの外人はホントに酷すぎる。
通常のシリーズ以下。 >>44
テレビ放送の頭で、視聴者をつかむためだよ。
それまではオープニングはタイガー、メインは猪木。
タイガーがいなくなってからは、藤波や長州などなるべくインパクトのある試合が最初。
札幌テロリストも、当日になって試合順が変わってる。 87年IWGPは武藤を公式戦に出してたら
一味違ってたかもなあ 猪木の被害妄想だよ映画当たってないだろ
ムタがベビーターンしてアメリカ人に受けてメイン張る方がよっぽど人生変わると思う あらためて見たが
酷いもんんだ 海賊男の意味不明な行動
チケット買った客が 可愛そう >>43
あの試合、日本人対外国人によるお手本のようなタッグマッチだったよ >>53
猪木・ケビンvs武藤・木村は前年の11月で、このシリーズじゃないよ。 >>64
最初は前田に話しが来た。ただ監督が凝り性で何度もダメ出しを出された武藤が
「前田さんだったブチ切れていた!」と前田とのトークで話していた。 (武藤敬司)いや、この監督もクレイジーだったっすよ。
まだ覚えているんですけど、「俺の嫁になってくれねえか?」っていうセリフがあるんだけど。
「お前、それなっていない!」っていうことで。
街の普通に歩いている人に、俺、こうやって肩を叩いて。
「俺の嫁になってくれねえか?」って、いろんな人に何十人も(声をかける)。
それを知らない人にやらされたんですよ。
(室井佑月)ええーっ!
(宇多丸)アハハハハッ!
(阿部哲子)演技指導(笑)。
(宇多丸)もうパワハラ(笑)。 あの時武藤と共演したのが後のマンディ満ちるだっけ? 光る女メイキング映像
演技とはなんですかと聞かれた武藤が段取りでしょとつまらなそうに答えていた マラソン日本最高記録 鈴木健吾 愛媛県出身
名前、絶対に地元のヒーロー、木村健吾にちなんで健吾って名付けただろ 武藤は光る女の宣伝でいいともに出たが新宿・銀座を何回も連呼してタモリが半ば呆れて
いた。 1995年生まれの男子に、木村健吾にちなんで名付けるわけがないだろw わからんぞ
父親が高校生時代に健吾最盛期(85年)で大ファンだったかもしれん
スポーツもプロレスも強い奴ばかりが人気出る世界ではない
白鵬よりキセブタのほうが人気あったしSBより虚塵のほうが客入るだろ いくらなんでも木村健吾や谷津嘉章とかはないだろ。
まだ木戸修ならわかる気がする。 そうはいっても健吾って意外とファン多かったぞ
無様な負け方が一種の判官びいきになってたんだよ ジョニーデファジオが亡くなったそうだが、藤波やタイガーマスクのWWFジュニア戦で必ず古舘アナが
「デファジオ・メモリアル」って言ってたから嫌でも名前を覚えたなあ。
って名前だけやたら聞いて、試合はおろか顔すらいまだに見たことない選手ですわw >>86
インター王座はロッカメモリアルだったんだよな >>86
ググったらデファジオからエストラーダの王座遍歴が不明で苦笑い
新日の政治力でドラゴンをスターに仕立て上げるためのでっち上げベルトだったのか
健吾兄さんはそんな権力とは無縁でNWA世界ライトヘビー級王者になったのに
新日はまったくプッシュしてくれなくて可哀想 >>11
初日の両国のセミは、田vs山田だと思ってたが
こんな糞カードをセミにしてたんだなwww
けど、何故このカードをセミに持って来たんだ?
86年12月の両国のタッグリーグ決勝戦のセミが
藤波武藤vsナガサキポーゴだった事があったけど
この時はセミ前に前田組とマードック組の決勝進出チーム決定戦が組まれてたから
セミに決勝進出チームを休ませる為の試合で藤波組とナザサキ組の
試合を組んだのは理解出来るけど、
初日の両国のセミにこのカードを組んだ意味が分からん >>73
映画初出演の当時19歳の斉藤由貴に対して
斉藤の泣く演技が気に入らなかった相米監督は
撮影を中断して斉藤に相撲のシコを踏めと指示
戸惑いながらもシコを踏む斉藤
次に、ここでパンツ脱いで小便しろと指示
斉藤は泣き出して「そんな事出来ません」と号泣しながら抗議
それを見た相米監督は「ちゃと泣けるじゃないか」と言って
「よし、撮影再開するぞ」と言ってカメラを回した ジョー・ディファジオは、野球のジョー・ディマジオと間違えやすい。 >>78
日本記録出した時の第一声が「やったぁ〜っ!!」でも「イナズマ!」でもないので可能性は低いが、次のレースで鉄の棒を仕込んだイナズマ入りリストバンドとかしてくるかも知れないのでまだ分からないな。 >>85
勝つ人はほんの一握りで、大半は負け組だからな。でも負け組の大半は健悟を馬鹿にする事が多い >>95
缶詰めは「缶に詰める」だから【づ】だけど、稲妻の場合はどっちもありだったかと。 >>97
稲妻なんだから、ツマだろ?妻をスマなんて読むか? 80年代の中頃、会場で選手のポスター買えば、その場でサインしてくれる時があった。
前田なんかは、やっつけ仕事丸出しで愛想もクソもなかったが
キムケンはサインの後、一人一人に声掛けて握手してくれた。
オレも大半のファンと同じくキムケン馬鹿にしてたが、
ポスター買った時には不覚にも感激してしまった。
それ以来オレはキムケンのファンだ。 >>88
新間が全日を「いたずらにベルトを粗製濫造して・・・」と批判すると馬場が自著で
「WWFインターコンチネンタルがあるのにインターを作って粗製濫造はどっちなんだ!」
と激怒していた。全日は創立以来、誕生させたのはPWFシングルとタッグくらいであと
日プロ時代からの歴史あるベルトだけど粗製濫造は新日は方がかなり多いね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています