【小松製作所】昭和の新日本プロレス28【三協アルミ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
87年夏の両国のジュニアトーナメントの顔触れは豪華だったな IWGPのころ、カールゴッチ杯を復活させるとかいう話が出たらしいけど、
83年だと「若手」枠は五人だけだったんだよな。高田、新倉、山崎、小杉、後藤。
ここに出戻りの仲野、デビュー前の佐野、山田、畑を加えて9人か。
85年には若手の底上げの必要からヤングライオン杯が出来たけど、
大量離脱や高田大抜擢以前の若手勢だったらどんなリーグ戦になったか。
まあ高田が優勝だったことは間違いない。 >>3
>>6
翌年の新春シリーズでやったトップ・オブ・ザ・スーパージュニアのが豪華じゃない?
越中、高田、山崎、小林、ヒロ、山田、保永、後藤、船木、馳、Oハート、セントクレアー。 >>6
88年の第1回TOSJは更に豪華だったな
越中、馳、オーエンハート、セントクレアーが追加された >>6
いや、越中が返上したから、この王座争奪トーナメントが
開催されたわけだが、、
第一戦は生観戦した。
小林と、まだ前座の船木の試合を印象に残っている。 >>10
> 越中が返上したから、この王座争奪トーナメントが
それくらい知ってるよ
そのトーナメントに越中も参加予定だったけど怪我が直らず直前で後藤に代わったんだよ
パンフレット見ればギリギリなのが分かるだろ
https://img.aucfree.com/369211584.3.jpg >>8>>9
1秒差で同じ内容の書き込みが。凄いw >>8
保永が負傷で参加できなかったのは残念だった… 現在から見れば豪華だけど、当時は地味でがっかりリーグ戦という印象だった >>15
タイガーがいなくなってから、ライガー佐野時代までの谷間は
数の多さで補ってたような面があったな。 BOSJはシリーズ名になったが、TOSJはシリーズ名にならなかったな。 山田はマスクマン志望で実際になって大成功したけど、あの苦しそうなマスクと全身コスでよく30年やりきったな >>15
四年前のWWFジュニアリーグ戦が既に伝説だってたからな
あれと比べたらやはりどうしてもって 初代タイガーがいた頃にジュニアのリーグ戦見たかったな。タイガーの全勝優勝だったかもしれないけど。 >>20
1984年に佐山が全日に行ってたら
馬場はジュニアでリーグ戦かトーナメントを企画してたらしいよね
ただし、参加メンバーは
大仁田・井上・越中・園田・チャボ・セブン・隼人・三沢・川田…あたりか?
うーん…微妙なメンツだ。 放送日です
<BSフジサタデースペシャル>『クイズ!脳ベルSHOW特別編 脳ベルプロレスリング』
豪華レジェンドレスラー大集結
2021年2月27日(土) 19:00〜20:55 >>16
ジュニア版名勝負数え歌が谷間でライガー佐野が山という評価が分からん >>23
IWGPのタッグもジュニアもUWFとの抗争で最初の権威を作ったんだよな 佐山タイガー離脱後、ジョージがコブラでコケて、キッドとスミスが人気が出た事で
ブラックタイガーを踏み台にして二人を売り出そうとしたらミスターヒトに掻っ攫われた
コブラ、ブラック、ヒロ斎藤で人気が出る訳ない >>25
その前にようやく人気が出てきた高田にUWFに走られてるし 高田は残ってたらエース級になってたんじゃないかな
Uでも成功はしたけど >>27
まずは札幌でのキッド戦が流れたのが惜しい 高田はタイガーマスク引退で抜擢が早まったと思うけど、もしタイガーマスクが続けてたら
若手としてもっとじっくり前座が続いたのだろうか >>29
タイガーがいたころ、かなり末期だけど
最後の寺西戦の前後、外国でフィッシュマンとの試合が放映された時
若手の高田が番組内で特別に扱われたような記憶がある
他にもヒロ斎藤とかの試合も中継してたけど、高田はちょっと扱いが違ったような…
1983年夏の時点では少なくとも1若手という段階から脱却しつつあった気がするけど?
まあ、ギリでタイガーがいたころだけどね。 タイガー引退後すぐの新日カルガリー遠征に高田も連れて行ってなかったっけ?
高田がカルガリーでアーサーフォーリーとやったのは83年末だったかな? 確か高田vs山アの前座試合がTV放送されたような…。それとインパクト的には週プロで掲載された試合中に猪木が入ってきてビンタをされた写真は記憶に残ってますね。 >>24
相変わらず新日が捏造したベルトで藤波・木村組で試合内容も相手もぱっとしなかった
WWFインタータッグに比べIWGPタッグは前田・高田対越中・武藤組のベルト争奪戦は
連日の激しい好試合が権威を高めていった。
>>20>>23
高田に次ぎにくらいに女性人気も高かった。
試合寸前に猪木のパートナーにアクシデントがあってセコンドから突然、猪木に
タッグパートナーに任命されて緊張で顔面蒼白に高田を試合前に猪木が張り手を
入れた試合があった。TV放送もあったカルガリーだったかな? クーデターなかったら正規軍前田高田と維新軍平田ヒロの抗争あったのだろうか? >>31
せっかくそこまでやったのにリーグ公式戦は全てノーテレビだったんだよな
せめて柳川でのタッグマッチでコブラと組ませて欲しかった >>33
初防衛戦の相手がエリック兄弟でまさにWWFインタータッグからの引き継ぎという感じだったな
そして最初のトピックはやはり木戸の初戴冠か 高田山崎戦がテレビに出たのはタイガー引退後のブラディ開幕戦。
そのシリーズでは前田の代役に藤波のパートナーとして長州カーン組と対決している。 >>33
>試合前に猪木が張り手を
それが>>41に書かれてる試合だと思うが、もとは藤波・前田vs長州・カーンだったのを、
前田が試合前に維新軍に襲撃され戦闘不能に、そこで高田が代わって藤波のパートナーになったというヤツ。
もちろん高田がいくら頑張ってもカーンは余裕の表情で受け切って、
最後は長州のラリアットであえなく高田が沈むわけだが。 >>42
そしてその後に唐突に、木村・藤原対マードック・アレン。
殺伐とした空気が健吾のビューティフルフライトでほんわかムードに。
加えて、突然の藤原の登場に違和感も、石頭で試合を組み立て沸かせる沸かせる。
この試合だけ異次元空間だったな。 >>43
第七試合 藤波・前田vs長州・カーン
第八試合 木村・藤原vsマードック・アレン
普通に考えると逆だよなw >>39
スミルノフが新日へきてたのか、、、
国際がまだ潰れる前だよな 昭和の新日のポスター作ったヤツ
最低限の技術持ってないヤツだな….
とにかく微妙にレスラーの大きさが違うの何でなんだよ
揃えたいならちゃんと揃えろや!
迫力出したいならもっと極端に大きさ変えるのが鉄則なのに
中卒で印刷屋入ったんか?今更だけどww >>46
は?国際が潰れる前に第一次UWFが崩壊したの? >>43
今晩 ベイダー登場の
両国事件のやつ
テレビでやるの? >>44
普通に考えて違和感しかないカードだな。健悟がメッチャ浮いてるのが目に浮かぶようだ。
健悟マードックvs組長アレンのほうが違和感ない。 >>50
今だからそう思えるだけで
当時は藤原がめっちゃ浮いてると思えたカードだぞ。 なんかケビン・フォン・エリックの扱いが不思議な感じのシリーズ
猪木が武藤ボコボコにした試合で組んでたり >>50は若い人かな。
まさに>>52のとおり、当時の藤原は前座の人だよ。
坂口・木村が普通にあるカードで、藤原がセミファイナルって83年ならあり得ない。
当時の中堅勢でテレビマッチの第七試合以降に出るのは星野と木戸くらいのもの。 https://pbs.twimg.com/media/EutXsQyVIAMvRnG.jpg
旗揚げ初期の頃はセミかセミ前が定位置、日程によってはメイン抜擢もあった木戸修が
77年の時点ではもう前座に追いやられている。
日プロ出戻りの坂口や星野、元国際のエースストロング小林の移籍で
必要なくなったとはいえ… >>56
第1試合が素晴らしいな。前座からの信頼関係があるからこそ、名勝負になったんだろうな。 >>39
ホールとブルックスが入ってないね
写真が間に合わなかったのかな… >>53
ケビンは途中参戦で、
木戸・高田対ケビン・セントクレアー
木戸対ケビン(生中継)
木村・蝶野対ケビン・セントクレアー
で毎週テレビに登場。
但し、藤波、前田の欠場と、長州軍団テレビNGのタナボタによるもの。 87年のIWGPの外人はホントに酷すぎる。
通常のシリーズ以下。 >>44
テレビ放送の頭で、視聴者をつかむためだよ。
それまではオープニングはタイガー、メインは猪木。
タイガーがいなくなってからは、藤波や長州などなるべくインパクトのある試合が最初。
札幌テロリストも、当日になって試合順が変わってる。 87年IWGPは武藤を公式戦に出してたら
一味違ってたかもなあ 猪木の被害妄想だよ映画当たってないだろ
ムタがベビーターンしてアメリカ人に受けてメイン張る方がよっぽど人生変わると思う あらためて見たが
酷いもんんだ 海賊男の意味不明な行動
チケット買った客が 可愛そう >>43
あの試合、日本人対外国人によるお手本のようなタッグマッチだったよ >>53
猪木・ケビンvs武藤・木村は前年の11月で、このシリーズじゃないよ。 >>64
最初は前田に話しが来た。ただ監督が凝り性で何度もダメ出しを出された武藤が
「前田さんだったブチ切れていた!」と前田とのトークで話していた。 (武藤敬司)いや、この監督もクレイジーだったっすよ。
まだ覚えているんですけど、「俺の嫁になってくれねえか?」っていうセリフがあるんだけど。
「お前、それなっていない!」っていうことで。
街の普通に歩いている人に、俺、こうやって肩を叩いて。
「俺の嫁になってくれねえか?」って、いろんな人に何十人も(声をかける)。
それを知らない人にやらされたんですよ。
(室井佑月)ええーっ!
(宇多丸)アハハハハッ!
(阿部哲子)演技指導(笑)。
(宇多丸)もうパワハラ(笑)。 あの時武藤と共演したのが後のマンディ満ちるだっけ? 光る女メイキング映像
演技とはなんですかと聞かれた武藤が段取りでしょとつまらなそうに答えていた マラソン日本最高記録 鈴木健吾 愛媛県出身
名前、絶対に地元のヒーロー、木村健吾にちなんで健吾って名付けただろ 武藤は光る女の宣伝でいいともに出たが新宿・銀座を何回も連呼してタモリが半ば呆れて
いた。 1995年生まれの男子に、木村健吾にちなんで名付けるわけがないだろw わからんぞ
父親が高校生時代に健吾最盛期(85年)で大ファンだったかもしれん
スポーツもプロレスも強い奴ばかりが人気出る世界ではない
白鵬よりキセブタのほうが人気あったしSBより虚塵のほうが客入るだろ いくらなんでも木村健吾や谷津嘉章とかはないだろ。
まだ木戸修ならわかる気がする。 そうはいっても健吾って意外とファン多かったぞ
無様な負け方が一種の判官びいきになってたんだよ ジョニーデファジオが亡くなったそうだが、藤波やタイガーマスクのWWFジュニア戦で必ず古舘アナが
「デファジオ・メモリアル」って言ってたから嫌でも名前を覚えたなあ。
って名前だけやたら聞いて、試合はおろか顔すらいまだに見たことない選手ですわw >>86
インター王座はロッカメモリアルだったんだよな >>86
ググったらデファジオからエストラーダの王座遍歴が不明で苦笑い
新日の政治力でドラゴンをスターに仕立て上げるためのでっち上げベルトだったのか
健吾兄さんはそんな権力とは無縁でNWA世界ライトヘビー級王者になったのに
新日はまったくプッシュしてくれなくて可哀想 >>11
初日の両国のセミは、田vs山田だと思ってたが
こんな糞カードをセミにしてたんだなwww
けど、何故このカードをセミに持って来たんだ?
86年12月の両国のタッグリーグ決勝戦のセミが
藤波武藤vsナガサキポーゴだった事があったけど
この時はセミ前に前田組とマードック組の決勝進出チーム決定戦が組まれてたから
セミに決勝進出チームを休ませる為の試合で藤波組とナザサキ組の
試合を組んだのは理解出来るけど、
初日の両国のセミにこのカードを組んだ意味が分からん >>73
映画初出演の当時19歳の斉藤由貴に対して
斉藤の泣く演技が気に入らなかった相米監督は
撮影を中断して斉藤に相撲のシコを踏めと指示
戸惑いながらもシコを踏む斉藤
次に、ここでパンツ脱いで小便しろと指示
斉藤は泣き出して「そんな事出来ません」と号泣しながら抗議
それを見た相米監督は「ちゃと泣けるじゃないか」と言って
「よし、撮影再開するぞ」と言ってカメラを回した ジョー・ディファジオは、野球のジョー・ディマジオと間違えやすい。 >>78
日本記録出した時の第一声が「やったぁ〜っ!!」でも「イナズマ!」でもないので可能性は低いが、次のレースで鉄の棒を仕込んだイナズマ入りリストバンドとかしてくるかも知れないのでまだ分からないな。 >>85
勝つ人はほんの一握りで、大半は負け組だからな。でも負け組の大半は健悟を馬鹿にする事が多い >>95
缶詰めは「缶に詰める」だから【づ】だけど、稲妻の場合はどっちもありだったかと。 >>97
稲妻なんだから、ツマだろ?妻をスマなんて読むか? 80年代の中頃、会場で選手のポスター買えば、その場でサインしてくれる時があった。
前田なんかは、やっつけ仕事丸出しで愛想もクソもなかったが
キムケンはサインの後、一人一人に声掛けて握手してくれた。
オレも大半のファンと同じくキムケン馬鹿にしてたが、
ポスター買った時には不覚にも感激してしまった。
それ以来オレはキムケンのファンだ。 >>88
新間が全日を「いたずらにベルトを粗製濫造して・・・」と批判すると馬場が自著で
「WWFインターコンチネンタルがあるのにインターを作って粗製濫造はどっちなんだ!」
と激怒していた。全日は創立以来、誕生させたのはPWFシングルとタッグくらいであと
日プロ時代からの歴史あるベルトだけど粗製濫造は新日は方がかなり多いね。 もうだめなんだろうな。
自身であの状態を公開するのは凄い。 スレチかも知れんけど、猪木の娘(母は倍賞美津子)と義息子(サイモン)と
最近亡くなった嫁との間に出来た息子(三十路過ぎ)って、今何してるの? 猪木はマスターズに上がった時も辛そうだったのに1年であんなにも変わるとわね
今の映像見るとマスターズの時がすげー元気そうにみえちゃうもんな >>104
息子って最近亡くなった人の子供じゃなくて、その前の元ホステスの人の子供のはず IWGPの統一、このスレにいる人にとっては一番キツい…かも
全日の三冠と一見同じようだが、三冠は称号だけで実質は三本のベルトを王者が携えて入場してきた
今回のはどうなんだろう、新ベルトにしか思えないんだけど…
まあ三冠も馬場家に数年前に変換されたけど、なんか今回の新日のは全日の時と違和感を感じる >>106
1990年12月1日の「平和の祭典」でバグダッド入りするときの空港でその奥さんと赤ちゃん3人で写真に収まっていた。
22歳年下の容姿端麗な人だった記憶がある。そうか、あの時の赤ちゃんがもう三十路過ぎか・・・ >>107
今までもグレーテスト18や復活NWFを統一戦の後封印してるから、またか…といった感じ >>107
IWGPヘビー級選手権の初代王者をアントニオ猪木にした時点で権威も何もあるかって感じ。
初代王者はハルク・ホーガンだろ。 >>104
アメリカ人女性→女の子(その後直ぐ死亡)
倍賞美律子→寛子
尚美夫人→男の子
橋本ズッコ→子供無し
上記見てもズッコだけは違和感持ってしまう >>101
あと「世界ジュニア」も全日が作ったと思うがな。
もとが「インタージュニア」だというなら
PWFも、もとは「力道山のインターベルト」だし。
まぁ、とにかく新日がタイトルを多く作ったことには異存はないよ。(苦笑) >>88
>デファジオからエストラーダの王座遍歴が不明
1960年代後半、ジョニーデファジオという選手を
売り出すためにWWWFジュニア王者に認定し
彼がフェードアウトしたら、そのタイトルに見合う
ジュニアの選手がいないので自然消滅していたんだろ?
IWGP、U-30みたいなものだな。 >>110
あ、あくまでリーグ戦の初代優勝者であって
タイトル化したときの初代王者はモゴモゴ 現時点での最高権威のベルトの決定戦が外様の飯伏とジュニアの冷や飯喰らいデスペの間で行われるのは不穏 >>113
デ=ファジオは地元ピッツバーグ周辺で試合していたローカルレスラー
ピッツバーグ周辺ではご当地レスラーで人気があったのでジュニアヘビー級チャンピオンとしていた 新間氏の大胸筋すげぇ!
新日本はフロント陣もレスラーと一緒にトレーニングしていたと聞いたが、まさか新間氏までこんなに鍛えていたとは!
https://spice.eplus.jp/articles/282396 認定証で思い出したがMSGタッグとかの優勝賞金の額って
どうやって決めてたんだろうな
全日の最強タッグと同額みたいな取り決めが密かに両団体間で交わされてたりして >>119
全日本のアンコ型揃いとの対比が凄い
新間は柔道とボディビルの経験があるって
田中ケロも若い時は結構な体格だったね
しょっぱい体のイメージの藤原ですらいい体だから猪木が橋本を認めなかったのは納得がいく 闘魂スペシャルにケロがトレーニングしてる写真が掲載されたことがあったな
やはりレスラーの乱闘に巻き込まれるから体は相当鍛えてないと務まらんだろう
外人控室でベンチプレスやってたらアドニスに絡まれてチョップされたとかケロ自身も書いてたっけ >>112
作るのは結構だが短期間で消えるのも多いし
まあアジアタッグは本家復活を促してくれたから感謝だが >>117
タイガーマスクが負けるわけないじゃん!と思いつつ当時はハラハラしたもんだw 新日版アジアってシングルもタッグもいつも坂口が酷い目にあってたイメージしかない >>120
いくらでも高額にできるだろうけど、それなり相場はあるだろ
一億とかだと不自然だろうしやはり一千万あたりか シンのやられ役と言えば坂口だよな。北米ヘビーなんかシンのコブラクローでフォール負けし
王座陥落したのに、リターンマッチすら組まれず他の北米ヘビーをパターソンから取って、
シンが奪った方のベルトは防衛戦すら行われずに、なきものにされてしまった。
まあ坂口がシンを破ってベルトを奪い返す、なんて想像すらできないから仕方ないが。 大塚営業部長の「シンかアンドレが出ないシリーズは興行の買い手が付きやすい」という証言からも
シンの集客力は相当なモノだったことがわかる、間違っても坂口にシングルでは負けさせられないだろう シンのやられ役と言ったら
かませ犬時代の長州だろ!
まっ かませ犬卒業しても全日でピン取れなかったけど >>112
NWA反主流派のエディグラハムと新日が組んで作ったジュニアのベルトが、
その後は全日の看板タイトルになるなんて不思議な感じがするよね。
批判していたはずのNWA本家ジュニアのベルトはソントンが新日に持ち込んで、
絶頂期のタイガーマスクが巻いて新日黄金時代に貢献したりとか。 >>131
その後グラハムが全日本寄りになったのと関係ありそう >>129
長州はハンセンのやられ役や、ラリアットくらいまくったな シンにやられまくったのはS小林って思い出がある
北米タッグも小林がシン上田にボコボコにされフォール負け、その後小林は長期欠場に追い込まれた。
のちの長州、吉田光雄凱旋帰国はその次のシリーズだった。 長州が坂口のパートナーに抜擢されてタッグ王者になったのは、浜口が草津のパートナーに抜擢され
タッグ王者になったのと似ているな。草津は年がら年中坂口に間違われていたのもあるし。 >>134
タッグはいつも小林がやられ役だよ。シンの強さを見せつけるためには猪木以外相手の
シングル戦が有効で、そこで坂口がフォール負けしてしまうことにインパクトがあった。 >>133
同じハンセンのやられ役でも、長州と阿修羅原では受け方の豪快さが違うよね
原は食らった後に後頭部から倒れる感じ、長州も確かにぶっとばされたが背中から倒れてたし
あくまで見た目だけど、原の方がやられ方に迫力がある
新日ファンの友達は「全日系は弱いから、あんな手酷いやられ方をする」とか言ってたけど… 長州は全日でもハンセンにオドオドしたが
原は龍原砲でハンセンと堂々たる闘い
とくにデビアスをボコボコにした >>136
子供時代に観ていた三本柱のイメージでは
猪木坂口のタッグだと技とスピードの猪木に
パワーとデカくて頑丈な坂口の組み合わせには坂口に頼りがいを感じてたけど
猪木小林や坂口小林だと
小林がパワーはあっても脆くて打たれ弱くて
おまけに相手コーナーに向かって助走してのアトミックドロップとかで
せっかくのチャンスを逃げられたりととにかく歯痒かった印象
これがTV点けると猪木のパートナーが星野とかだと
「あーあ、こんなん絶対星野がやられるやん
なんでいつも坂口と組んでやらないんだよ…」
と真剣に思っていたガキの頃 中堅時代のころの長州がアンドレにブレーンバスターで叩きつけられてたのが印象深い。
正に古舘の言うところの二階からのブレーンバスターだった。
この頃はアンドレも投げ技よくやってたんだよな。MSGでカーンにかんぬきスープレックスやってたし。
もっと昔はダブルアームスープレックスもやってた。 アンドレはとにかく巧いからな
ロープに両腕絡ませるムーヴとか絶品
ハンセンのラリアート喰らって場外吹っ飛んでみたり >>121
橋本の体ってそんなに駄目かな?
それこそ鶴田なんかと違って、もっさりしてないで動けるし。
と、釣り針をおろしておく。 >>120
そーいや最強タッグなんかで優勝賞金1000万とかあるが、あれ、結局は山分けなんだろうか。
普通にギャラ配分とか考えればどうせブック通りの優勝なんだし。 >>143
山分けも何もそもそも用意なんかしてないような気もするけど https://pbs.twimg.com/media/ELikdcRUEAAgzL9.jpg
アンドレが人格者で、恩威ある国際プロレスに破格の安いギャラで試合してたなんて事実を知らず
傲慢で乱暴なイメージのアンドレしか知らなかった頃は、優勝賞金を山分けなんてあり得ない
レネグレイの分まで総獲りしたに違いないと当時は思ってたものだ 最強タッグは、あのデカい小切手パネルが優勝賞品で
現金1000万て訳じゃない。 橋本がG1の優勝賞金のデカい小切手を銀行で換金する為、自分の車に積もうと四苦八苦したってエピソードがあるね
他の選手は廻りで笑いを我慢してたらしい >>137
いくら何でも原だけ取り上げて全日新日比較にもっていくのは
ムリありすぎだろ
新日は本尊の猪木が凄い勢いで突っ込んでラリアートを食らうと
脚を上空に振り上げて後頭部から落ちていたものだけど、馬場は
スピードを殺しながら喰らって尻から座り込むといわれていたし、
ハンセンが乗り込んだシリーズでは大熊がラリアートを怖がって
手を上げてしまって脇の下に食らっていた
またデラプロとかはその写真を堂々と誌面に上げていたからなあ >>149
横からだが>>137の言ってることを全く理解してないなw >>146
グレイよりも前年組んだハングマンの方が断然強そうに見えたんだがな。 実際にグレイとハングマンが対戦したらハングマンが勝つだろうな
あのアンドレ優勝はグレイの頭脳プレーでアンドレが本領を200%発揮したと解釈した
第四回の“タッグの魔手”スウェード・ハンセンもその手腕でアンドレ組を一位に押し上げたということに >>151
>>152
強そうだとか、勝つだろうとか、もともとブックで試合してるだろ? 80年第1回の時もグレイがおまけで来ていて(アンドレ組のマネージャー扱いか?)、
試合もこなしてたっけ。ちらっと映ってた記憶があって当時は「誰?このオッサン」状態だった。 ニワカだけど長州さんのマイクパフォーマンスは1982年11月4日蔵前が初めて? >>153
なにいってんだお前?
「強そう」だし「勝つブック」だって前提で話してんだけど?
俺はグレイやハンセンが頭脳プレーでアンドレを動かして躍進したと思ってた、って言ってんの。 レネ・グレイvsハングマンvsスゥェード・ハンセンの巴戦
誰が得する試合か分からんけど、ネタとしては面白い レネ・グレイは「アンドレの頭脳」と称されてて
いくら何でもアンドレに失礼だと思ったわ 相手が ハンセン ホーガンでも
ハングマンやられなかったけど ハングマンの正体はハングマンだろ?質問がおかしい、本名はネイルグアイだが。
スーパーデストロイヤーの正体は誰?って聞くのならわかるが。 >>155
その一か月前の10月8日後楽園ホールでのかませ犬発言が初めてだけど、
中継が終わってからだったから、テレビで映ったのは11月4日が初めてと
言えるかもしれない。 >>162
77年にハンセンとよくタッグ組んでた覆面レスラーと混同しているのでは? カネック・マキナもカネック・アグアヨもグレイを狙えばもしかして勝機あるかな?とか当時期待したなあ >>131
グラハムは反主流派どころか
当時もっとも多くNWA世界戦を開催してたプロモーターだぞ
マクマホンシニアもNWA世界王座管理委員長だったし
新日よりのプロモーターで本当に反主流派だったのはマソニックとの
権力争いに負けて副会長を罷免されたラベールくらい >>164
偽スーパーデストやタワーリングインフェルノだけでなく
77年にハンセンやマリガンと来た時はハングマン名義で覆面かぶってたから
ややこしいんだよw
161はその後に素顔で来てるのを知らんかったのでは(まずありえんがw) >>151
一度、引退しているはず・・・
WWFではゴッチパートナーにタッグ王者になっている。
リング上でアンドレとグレイがお互いに指示を出し合うとフランス語なので全く
わからないと小鉄が解説でコメントしていた。 >>165
リング上でのマイクでかませ犬発言はしてないのでは? >>171
主流派、反主流派と分けて報道してたのは日本のプロレスマスコミだけ
NWA内やレスラー間でそんな分け方をしてなかった >>176
ただ王者の派遣回数絞られたり交流ではぶられたりと疎外され気味の
メンバーはいた
筆頭は王者を派遣すらしてもらえなかった新日だが、逆に一番大手の
マクマホンと提携してたので一時は全日にも勝る外人陣容を誇れた >>171
前号のGスピのNWA特集はとても刺激的だった
ラリー・マティシックが著書で書いてるそうだけど、79〜81年にレイスが
ローデス、馬場、リッチに「その地区のサーキット初期に負けて最終日頃に
取り返すNWA王座のキャッチボール」を連発したことについて
「75年に世界王者の管理がバーネットに移管された時点でチャンピオンの
存在意義がガラッと変わった。
自分の管轄であるアトランタ、エディ・グラハムが牛耳っていたフロリダ、
それと馬場の全日本、この3か所がNWAの中で金を生むテリトリー
ベスト3だったので、手っ取り早いボーナスとしてキャッチボールを
実行させたに過ぎない。あれはバーネットにとってもレイスにとっても
ハッピーだった。ももちろんグラハムも馬場もハッピーだったし、
ローデスにもリッチにも箔が付いた。
ただし他のNWAメンバーは白けた思いでキャッチボールを眺めていた。
もはやNWA王座の権威、信頼度が大きくチップ(減少・削除)されたことは
事実だった。すでにNWAがカルテル組織としての機能を喪失していた
ことの証明だった。」 Gスピより
「トミー・リッチのワンウィーク・チャンピオンは単純にアトランタのビジネスを
アップさせるための便法だった。事実、立地が王者になった後のアトランタ
(オムニ)は翌年春頃まで最後のブームと呼べる超満員の連続記録を
打ち立てている。」
「王座獲得の時点でリッチは24歳、キャリア5年。ジョージア地区を
中心とする南部一帯ではヤング層の圧倒的な人気を得ていたものの、
実力的には中堅の域を出ておらず、NWA内部で大いに不満が出た。
しかも会長のクロケットJrは全日本に来日中で王座交代の件をまったく
知らされておらず、この後のバーネットとの関係に大いにしこりを残した」
そうなんだな、ローデス、リッチ、馬場って「稼げるテリトリーである
フロリダ・アトランタ・日本の三地区それぞれのエース」だったんだな そもそも黄金期のNWA自体がS・マソニックが
最も強大なテリを納める大権力者だったかというと
必ずしもそういうことでも無くて
ようは手ゴマにテーズを持っていたことに始まる
NWA王者のブッキング権を持っていたことと
交通や情報・通信がまだ発達していなかった時代に
米の東西南北各テリとつながりやすい中部セントルイスにいたせいで
広大な全米の各地区間を仕切る調整役として
最適なポジションにいたことが大きかったりする 新間が猪木死去の情報を耳にしたとのこと
ターザンTwitterより 新間のアングルwww
ターザン山本!@tarzany
昨日、リアルジャパンの後楽園ホール大会に行って来た。
マイクを取った新間さんはアントニオ猪木が亡くなったという情報を耳にしたと発言。
そのあと猪木さんのYouTubeが公開されベッドでリハビリをしている動画。
その再生回数は現在、136万回。 週刊新潮で猪木を誹謗しているのは格闘技バブルの頃に
極真を持ち上げていた小島一志というライター
新潮社から梶原一騎の本を出しているので週刊新潮はそのPR記事
その中で猪木が梶原たちに監禁された際に震えながら命乞いした、
というシーンをまるで見てきたように書きながら、まともな証言も
証拠もないのが一読歴然、しかもプロレスに無知なための凡ミス・
事実誤認だらけではやくも各方面からツッコミが入っている模様 「昨日、警視庁の方から『アントニオ猪木さんが亡くなったのでは』との電話がありました。私が確認いたしましたところ、噂が立っているが元気でいるとのことでした。数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木は絶対に死ぬことはないと確信しております」 >>179
同じ月一の定期戦を比較すると
アトランタはニューヨークの一割の人口しかいないのに
オムニセンターはMSGの半分近い客を集めていたからな
もっとすごいのはNYの5%の人口しかいないのにMSGの半分強の客を集めてた
セントルイスのキールオーデトリアムだけど
ただしアトランタ以外にめぼしい都市のないジョージアと違いマクマホンは他にも
ボストンやフィラデルフィア、ボルチモア等でもビッグマッチができたからこの差は
大きかった
マソニックに至ってはキールと定期戦とチェッカードームの年二回イヴェント以外
はテレビマッチだけで地方興行なし >>185
セントルイスはまさにプロレス界のワシントン特別区だったんだよな 試合中にレスラーが脚を押さえて、小鉄の「カラ脚を踏んだかもしれませんね!」は、大体怪しい。 >>189
五対五の大将戦で、猪木の卍にやられた長州見に行った小鉄が
「血の泡吹いてますね」と報告してた。
当時は、どういう効き方で血の泡吹いたかわからないが、
小鉄が言うから納得してたな。 ワンウィーク・チャンピオンという悪しきシステムを作ったのは馬場 剛竜馬はツーデイズチャンピオンという訳か。一週間ぐらい持たせたれよと 剛竜馬はなぜタイツ・シューズを白から黒に変えたのか >>195
ジュニアの高田に合わせてジュニアの小林にする律儀さが良い >>179
テリーはリッチを「なぜ?あんな下品な奴がNWAチャンプなんだ!」と大酷評していた。
ブリスコは激務で神経を使うNWAチャンプ再々登板の打診を断り副業の自動車修理工場も
好調なので「黄金テリトリーのみの出場」に絞った活動をしたらしい。
新日参戦時もかなりのギャラが出たのかな?テレ朝の松岡Pは猪木の印象的な試合に
ブリスコ戦を上げて「猪木ってレスリングできるんだ!」とコメントしていた。 トミー・リッチを酷評したのはテリーじゃなくてドリーの方じゃなかったっけ? 短期王者を何人も作ったレイスが最後にニュージーランドで三日天下 >>191
’60年代、アメリカの4大世界王座で言えば
イゴール・ボディックがAWA王座を1週間だけ
保持していた(65年5月15日〜22日)
これも、ボディックの地元、オマハでのキャッチボール。
62年7月25日、力道山からWWA選手権を取り戻したF・ブラッシーは
わずか2日後、デストロイヤーに奪われた。 WWF(旧WWWF)も数日とは言わないが、ベビーの長期政権の交代のクッションに
コロフ、スタージャック、アイアンシークら主にヒールをワンポイントリリーフで起用していたな。
その後、無冠になっても人気者のサンマルチノ、モラレス、バックランドらと遺恨マッチ、
興行の目玉として継続していった。 ローデスのNWAタイトル、猪木のWWFタイトルもハク付けの短期王者だね
猪木にとってWWFタイトルはどうでも良かったようで
ほとんど語る事がない >>203
> 猪木にとってWWFタイトルはどうでも良かったようで
> ほとんど語る事がない
それ以前にマスコミに聞かれることも全くないような気がする。 WWF歴代王者としてもアメリカのメディアでは猪木の名前は公式にはアナウンスされていない。
猪木は向こうではWWF認定マーシャルアーツ王者という肩書で通っていたな。
79年は新間もWWF会長のポストだったからビンス父との何らかの確約があったのかもしれない。
徳島で戴冠、一週間後の蔵前では不透明決着で預かり、しかしそのまま年内のシリーズは終了。
王座の決定戦は年末MSG定期戦でバックランドとなぜかボビーダンカンという不可解な顛末(日本のファンにとっては)。 WWE自体が猪木の戴冠を認定してないんだから。殿堂入りの際も触れられてないから
なかった事で確定済 >>206
アリと戦った猪木はタイトルの箔にならないのかな 中邑真輔がWWEでUSとICの王座を獲ったがWWE王者にはなってない
だからいまだに猪木が唯一の日本人王者なんだな、WWEは認めてないけど >>205
奪取も返上もシンの乱入が絡んでるからな
とても名誉とは言えまい >>205
本国ではダンカン戦はバックランドの防衛戦。
決定戦としたのは日本向けの方便だっ。 >>210
WWF会長の新間がベルトを持って上がって映像的に決定戦ぽく見せてたんだよな
翌年にはダンカンが猪木のNWFに挑戦するなど一応の配慮を見せている 猪木対ボビーダンカンで思い出すのは後楽園で猪木がダンカンを血祭りに上げた試合
あの試合の猪木はキラーだった…
このシリーズで猪木対エンフォーサーのシングルは組まれなかったな 猪木のWWF戴冠が公式に認められたって以前にあったと思ったけど、結局は認められてないのか 猪木がWWF奪取したのが徳島で大会場じゃなかったから嫌な予感したけど案の定蔵前で不可解判定→返上はそれまで批判してた馬場のNWA奪取→即陥落と同じで失望させた 馬場のNWA王者は認められてるから全然同じじゃないですから。 >>208
一回オフィシャルになった時期あったよね? 何のタイトル挑戦の予定もないシンを、唐突に年末シリーズに呼んだのは、
バックランドとのリターンマッチで乱入させるためだったとしか考えられないよな。 ボビー・ダンカンって83タッグリーグの時の覇気のなさしか見てないんだけど、
実際にはエース外人として来日して猪木と戦ってもおかしくない人材だよな。
やっぱ維新軍の過剰優遇は目玉商品となるべき外人勢を潰してしまった。
84年のデビッド・シュルツだって本当は最終戦で猪木と一騎打ちなのに、
長州に椅子を奪われたばかりか藤波にまでクイック負け。
かつてbQの坂口が負けて外人の強さを引き出したところで猪木登場だったように、
長州を沈めたシュルツと猪木の一騎打ちという構図のほうが絶対良かったわ。 1960年代までは、NWA王座は、王者が負けても、安易に移動は認めなかった。
55年レオ・ノメリーニが、57年にエドワード・カーペンティアが
テーズを破っても。それだけ権威があったとも言える。
また62年はバディ・ロジャーズが、ボボ・ブラジルや、キラーコワルスキーに
負けて、王座移動が告げられ、ブラジル、コワルスキーは王者として防衛戦を
行ったが、後に「なかったこと」にされた。ブラジルは、後に
「あれはUS王者としての防衛だ」にされた。
ブリスコが74年に日本で1週間、王座を貸し出した、ってことは、
それだけNWA王座の権威が落ちたんだよな。
よくNWA王者で風格があったのは、はブリスコまで、といわれるが、
実際はドリーまで。あのチャンピオンベルトまでだよ。
73年レイスになり、日本のNWA加盟団体が全日になり、馬場がテリトリー内
キャッチボールをしたり、地方の小さな公民館でNWA戦を行うようになって、
権威が地に堕ちた。 アメリカでも田舎町でNWA戦はおこなわれている。
アマリロ修行中の鶴田がドリーに挑戦できたり敷居の高い王座ではないだろ。 >>220
バカはキサマだ。
俺は事実を書いただけ。
この程度で熱くなる
馬場オタは消えろ!
ここは新日のスレだ。 >>207
「アリと戦った」のは米における猪木の知名度アップにある程度役立ったけど
基本的にボクサー×レスラーのミクストマッチ(当然フィックスマッチ前提)が昔からある米においては
アリにとっても猪木にとってもシリアスな経歴とは思われてないからたいした箔にはならないし
その箔も格闘家として云々ではなく「あのアリと同じリングに立った有名人」みたいなかんじだから >長州を沈めたシュルツと猪木の一騎打ちという構図のほうが絶対良かったわ。
精々蔵前に実数6千人も入ればまだマシという構図だなw
やらなくてよかったわ 猪木WWF戴冠は結局なかったことになってて、翌日取り消しみたいになってた藤波のNWAの方は今認められてるんだから分からんもんで
でも両者WWE殿堂入り出来てるんだから良かったよな
しかし、猪木逝去みたいなガセ話本当に心配しなきゃいけない状況ってのも厳しいな
なんだかんだ結局元気に出てきてくれりゃいいんだが 猪木「馬場よ、俺と戦え」
馬場「戦いたいがNWAが認めない」 誰だって信頼関係ない相手となんか試合したくないよな、プロレスはブックなんだから。
猪木もあの頃の前田とは、試合なんか絶対にしたくないと思うのは当然の話。 >>225
アンダーカードしだいで蔵前なら満員にはなったと思うよ
84年は猪木-アレンのメインで埋まったんだから…
キッドスミスコブラの巴戦
長州-ホーガンのタッグ対決
藤波vsラッシャー
時の人になった藤原vs浜口
シュルツならアレンより猪木の相手としたら未知数だし… >>229
この蔵前は巴戦の印象しかないな。
猪木対アレンはともかく、藤波が
何故ラッシャーとやる必要があるのか
全く意味不明だった。 長州を勘違いさせたのがのちの新日の暗黒時代につながるんだけどね。 >>230
>藤波が何故ラッシャーとやる必要があるのか
この月の上旬の札幌の長州戦を壊された直後
「こんな会社やめてやる発言」がなぜかファンの反感を買い
さらにその試合を壊した黒幕の猪木の逆鱗に触れ
また、時期的にラッシャーとタッグ構想を推し進める途上という事もあり
藤波と木村のべビーとヒールを逆転させるための、前置きみたいな試合だったとか?
でもUWFも同時進行中だろうし、あんまり札幌との流れは関係ないかなあ…
そもそも藤波の「こんな会社…」もガチの発言かわからんし…適当な妄想すまん。 あの日のメインはどうせ1、2週間前には猪木の対戦相手変更になるだろうと思って見てたら
まさかのアレンとそのままだったのが逆に驚きだった
ブッチャーとの仲間割れからのシングルとかやって、一応格上げする気あったんかな
ラッシャーはベビーターンみたいな流れで当時言われてたけど、UWFなかったらどういう扱いだったかねえ
後の対U上田馬之助みたいな形で正規軍助っ人みたいな感じか >>225
実際翌年横浜文体でやったときは散々な入りだったからな、
新日人気が大暴落したのもあるけど。 >>229
アレンの蔵前メイン登場は長年の功労賞という感じもあったな
後の武道館でのエースの三冠挑戦みたいに 84年のIWGPの横浜文化体育館はみっちり入ってたけど、暮れのMSGタッグの横浜文化体育館はガラガラだった >>221
テリトリー次第みたいだったらしいがアマリロは新人を上で使うなどかなり柔軟な土地柄だったとか
王座をドリーからレイスに移したのはシニアのフライングだったらしいが >>233
ラッシャーのベビーターンは後の全日での
馬場と抗争→タッグ結成
と同じ流れ、すなわちなんらかのマイクアピールで猪木とタッグ結成となったんではと妄想。
さすがに「アニキ〜」はないだろうが「コンバンワ」を絡めてのマイクとか。 >>205
このタイトルも新日が粗製濫造したベルトのひとつ。
シニアの来日時に新間のもてなしに感謝して無給ながらWWF会長にしてもらった。
>>209
この試合の動画を見た海外のファンがレフェリーの高速カウントへの批判の嵐に
なっていた。 >>234
新日本プロレスは、1984年10月〜1985年3月辺りの会場ガラガラが堪らなく好き >>221
あくまで日本での話で大金払って呼んだ世界王者を大会場で選手権やらず地方でやって王座奪取は何か裏があると思えた 馬場猪木から気に入られているラッシャーは人格者なんだな。 >>242
そもそもレイスの王者時代なんて、全日はシリーズの中で大会場なんてなかっただろ?
ブリスコ王者時代とは全然違うし、地方会場しかない日程で呼んでるだけなんだから。 >>244
都内の大会場ではな
馬場に奪われた愛知県体だけでなく大阪府立や札幌中島でもやっている NWAのタイトルマッチはチャンピオンに観客数のナンバーセントを
ギャラで払わなければいけなかったから、小さい会場が多かったのてわは? >>237
シニアはドリーからブリスコへの流れに絶対に納得しなかったらしいね
当時全米屈指の名勝負とされていたらしいのに何がそんなに気に入らんかったんだろうか? >>247
むしろそれだけにブリスコに負けて王者から降りる形ではドリーのイメージダウンになると考えたらしい >>246
日本での興行は客入りに関係なくあらかじめ決まった週給+タイトルマッチなど別建ての特別ギャラ
マソニック時代のNWA本部へはそこからマージン払う形だった
バーネットになってからはこの本部のマージンは無し
なので日本の場合会場の小ささは単に興行のスケジュールとNWA王者のスケジュールの問題 >>249
あとテレビの全国中継があったし外人レスラーのギャラは日本テレビの負担だというのもあった
あと地方プロモーターに高く売れるというのもあったろうし IWGP提唱で81年春で一旦、手持ちの王座は封印となったが、
結局翌年にはWWFインターヘビー、85年にタッグを新設、ジュニアヘビーはIWGPとは全く別路線で
継続してタイトルマッチは行われていた。その後IWGPも年度制から普通にタイトル化。
まあ興行の柱としてタイトル戦は重要との認識だろうかw それならNWFや北米タッグとか残してほしかったなア。 NWFは復活しなかったっけ?一時期高山が防衛戦やっていたような気が? まあ復活したけど、時代がねえ。猪木、ブッチャー、ホーガン・・。
この辺で争奪戦とかあったらなあとかそんな妄想を抱いたのさ。
ブッチャーも元NWF王者なんだよな。 まあ王座返上という行為で、IWGPの箔付けをしたんだから仕方ないだろう。
あの時代にまた復活なんてしていたら、それこそファンにソッポ向かれていたよ。 >>251
IWGP優勝戦と同じ日にNWAジュニアの決定戦をやってたのも面白かったな
まさにヘビーではNWA戦が出来ないからのIWGPって感じで >>248
日本とアメリカの温度差とかはあるかも知れないけど
そこまでドリーのイメージダウンになったのかなぁ?単純に大きさ?
シニア死後にも馬場とテリーに奪取されブリスコは苦汁の飲まされた訳だし
NWA上層部からの評判どうだったのだろうか?
関係ないかも知れんけどブリスコの流血試合は観た事ないね... 連投ゴメンまた新日スレにマジレスしてしまった申し訳ないです 坂口の北米ヘビーはNWF版はともかくWWF版の挑戦者がラリー・シャープとか
ジ・エンフォーサーといった挑戦者のB級感とか、最後の防衛戦のムラコ戦も両リン
なのが坂口らしい微妙な感じが堪らなくいい 85秋はテレビマッチで一番面白いのが若手だったな
開始早々小杉対山田だった時は驚いた。 >>240
新間のWWF会長について猪木も何でお前なんかがと言ったらしいし
レスラーの中には背広組の癖に出過ぎだと嫌ってる連中も多かったらしいし
但し本人に言わせれば自分は縁の下の力持ちでなく猪木を売る事で自分も売ってるんだという事らしい >>256
ブリスコが馬場に獲られた時は転落決定は日本に来てからじゃないの?
(馬場の意を受けたテリーから電話密談でオファー?)
なんか馬場本でブリスコが日本から本部に連絡して「一度は落とすけど帰国する時は持って帰る」
そんな描写があった記憶があるが…ちなみにその帰国時には特別ボーナスのドル札を、体にグルグル巻きにして帰ったとかw
NWA上層部の評価はわからんけど、少なくとも日本遠征前に
「お前はババに負けろ、ベルトを渡してこい」という指示は出さないレベルの評価ぐらいはあったとは思うが…
まあ、その文献が何だったか忘れたし、信憑性も含めて自信はないけど。 >>261
そういう非常手段を使わなければならないくらいあの年の猪木の快進撃は馬場にとって脅威だったという事なんだろうな ブリスコ兄弟が2人がかりでラッドに勝てなかったんだろ、ガチで。
同じくらいの体格の馬場さんにブリスコが勝てる訳ないわ。 >>263
ブリスコ兄弟は日本では一度した組んでないんたよな
一度は最強タッグに出て欲しかった 東スポ「ザ・プロレス」の海外熱戦譜で、全日本海外遠征の結果が載っており、
ブリスコ兄弟と馬場・鶴田組が勝ったり負けたりとほぼ互角の戦績だった記憶。 >>265
テレビではトーナメントで負けた試合をやってた記憶が >>267
文句あるなら自分で新日本ネタを引っ張って流れを変えてくれ ブリスコといえば・・・
杉本哲太があんな大俳優になるなんて想像できなかったな >>269
新日本でのブリスコとなればやはり岡山でハンセンと組んで黄金コンビとやった試合が気になる >>263
元アメフトスターとデクの棒を一緒にしたらダメ 元柔道日本一でもデクのデックサカがいるんだが、、、、 デクの棒って馬場さんの事?過去のスポーツ歴を言うなら
馬場さんは元読売巨人軍のプロ野球選手ですよ
ブリスコのアマレス歴は勿論、ラッドのアメフトの方が
プロレスの下地には適しているけどさ >>266
80年ごろの馬場鶴田長期遠征でシーク主催のデトロイトのタッグトーナメントに参加してたな。
馬場はこの後AWAに入りスーパーデスト2(サージャントスローター)とPWF戦なんかもやってた。 >>274
WWFベルトにそっくりなのを巻いてたな 猪木VSブリスコだとやはり賞金マッチだね。勝利後札束を客席に投げ捨てる猪木は会心の笑顔だった。オカダのオモチャのお金とはエライ違い! >>276
試合開始直後のテイクダウンが一番インパクトがあった ブリスコ、MSGシリーズ緒戦(横浜文体)で藤波を両者もつれ合う中、首固めで降した。
鶴田は勝ったのに藤波は弱いなと思ったよw
この日はハンセンが上田をラリアートで撃沈、シリーズ台風の目の序曲となった。
というか、ハンセンの80年代に向けての記念すべきブレイク第一歩だろうな。 猪木はラッドの18文キックでフォールされたな。
ラッドの靴のサイズ size 18D shoes らしいけど馬場より大きい足だったのか。 ハンセンがブレイクした79年以降でのタッグで、ハンセンより後にコールされたのって、ブリスコとアンドレとブロディだけかな? 馬場はハンセンを立てて自分を先にコールさせていた。 >>280
1982年4月21日グランドチャンピオンカーニバル大阪大会でタッグを組んだハーリーレイス
レイスは自分が先にコールされて苦笑いしていた >>247
マイクジョージはこの黄金カードを見てプロレス入りを決意したらしい。ドリーの
王者時代の4年数ヶ月にどのくらい行われて戦績が気になる。ジェリーはアニメ・タイガー
マスクに出てきた。アメリカのWWEハウスショーの時に出待ちしていた当時、
ロードマネジャーをしていたジェリーが出てきてサインをしていた。人が良さそうだった。
>>276
テレ朝・松岡Pは数ある猪木の試合から「猪木ってレスリングできるんだ!」
とこの試合が印象深い好試合と上げていた。舟橋アナは最初のドリー戦を上げていて
初代・闘魂の語り部として小林、大木、シン戦の実況をするもスピード。パワー、
体の艶と張り等と猪木の全盛期をこの頃と言明していた。 >>208
あれも、WW「F」が日本ツアーをした頃はWWF公式ページの
歴代王者に猪木の名前もあったりで、ほぼ公認していた時期も
あったんだよ
それがWWEが巨大になり殿堂を世界規模に巨大化させた頃に
正式に「なかったこと」になり、見返りみたいに猪木を殿堂入り
させて機嫌を取ってたような流れに見えた
何しろWWFは一時期ホーガン以前の王座を全部なかったことに
していたり、あちらの「伝統」って「その時点のビジネスとしてPR
するためのもの」っていう割り切り方が凄いからな
だから昔から日本のマニアやマスコミが向こうのベルトの歴史を
探ろうとしてもろくに記録が残ってないわ行き当たりばったりの
王座移動や「あの移動はなかったこと」が横行しているわで
「第○代王者」なんて考え方がまったくないし、「○回防衛」なんて
調べようもない、と巻末でボヤく羽目になってた
今でもWWEの防衛記録は「王座在位○日」という言い方だし バックランドに勝って一時的にWWF王座を獲得したアイアン・シーク。
その全盛期に近い83〜85あたりに日本に来てほしかったよ。 >>261
ブリスコから王座をレンタルするために馬場がそれはそれは
凄まじい土下座外交をしてバーネットに媚びへつらっていた
経緯はGスピあたりでも詳述されてるね
そのバーネットがNWA王座を管理するようになって>>178-179の
「ワン・ウィーク・チャンピオン」システムが定着した
レイスから「三度目の王座奪取」をやった時には事前にNWA本部の
了承すらとっておらず、NWA総会で新間がビデオを持ち込んで
「総会の認可も取っていないのに勝手に王座を移動させた!」と
糾弾したけれど、「試合中にレイスが頭を打ってうっかり3カウント
入ってしまったアクシデント」と言い張って、総会も「まあいいじゃん」
で追認してしまったという話を聞くと、もうこの頃にはNWAっていう
システムそのものが瓦解していたんだなあと思わざるを得ない
Gスピの記事だとNWAの崩壊は1981年に始まっていたというけど、
それってまさにIWGP構想スタート、タイガーデビュー、引き抜き合戦の
頃なんだな
日本国内で一番「NWA神話」が振りかざされていた時には、本場では
もう崩壊が始まっていたという、いろんな分野でよくあった話だった 74年第1回ワールドリーグにコシローバジリとボロモンゴル(モンゴルズとして)が参加してるが
8年後の82年第5回MSGシリーズでアイアンシークとマスクドスーパースターとして
奇しくもまた同時参戦となった。 >>280
天龍がいるけど外国人ではそうだね。ブロディとはほとんどハンセンが後だった印象。 >>288
え、スーパースターがモンゴルずの片割れやったんか 2代目だな。最初はジートモンゴルとべポモンゴルという2人だったが
べポがニコリボルコフに改名してシングルプレイヤーになったので替わってボロが加入した。
これも奇しくもというか、77年第4回ワールドではボルコフとマスクドという新旧モンゴルズが顔を合わせている。 ビル・イーディーはペイントレスラーが流行すると
NY版ウォリアーズのアックス・デモリッションになっているし
時代の流れに合わせてギミックを変える デモリッションになったのは知ってた、これがスーパースターかと見ていたな 猪木に覆面剥がされて素顔のビリークラッシャーで来日したが、すぐスーパースターに戻ったよな。 >>286
82年は扱いが悪くて本領発揮にはいたらなかった。 猪木にmsgシリーズで1分で負けたシークが王者になってビックリしたよ! アイアン・シークってアマレスでオリンピック出てたし、
Uインターにも呼ばれたことはレスリングは出来る人なんだろうと思う。 >>280
80年末の追撃戦でバックランド・ハンセン組でコールが先だったよ。福井大会。 >>296
このシリーズでアイアンシークがまともに勝ったのはタッグで剛にキャメルクラッチで勝った1試合だけだった気がする アイアンシークもそうだがボビー・ダンカンやサージェントスローターといった
アメリカ本国でシンやハンセンより稼いでる格上レスラーを新日マットで酷い扱いをする
外人至上主義の国際や全日本では考えられない非常識な事するよね猪木
日本で使えないと思ったなら最初から呼ぶなよって 今日はCS無料の日
ワールドプロレスリングクラシックス
テレ朝ch2
3/7(日) 深夜3:00-深夜4:00
▽藤波辰巳vsダイナマイト・キッド(テレビ朝日放送日:1980年2月15日)
▽藤波辰巳vsマイク・グラハム(テレビ朝日放送日:1980年4月4日) >>298
バックランド・ハンセン組て実現してたん?? >>302
いくらアメリカでスターでも日本で受けなければ仕方がない。
全日だって「テネシーの帝王、ジェリーローラー」や
スティングの初来日時の扱いは酷かったぞ! 外国の強豪呼んでおきながら負けブック飲ませて「やっぱアイツ使えねー」はないわw
ヘラクレスローンホークみたいに塩だったらまだしも、
勝ちブックやっとけば人気出そうな選手をはじめから負けさせてりゃ人気出るはずがない
そこいらの選手だっていきなり藤波や長州を撃破したら「すげーヤツ来た!」ってなるんやで。 >>304
55年の追撃戦は5大会くらいあって、R木村vsS小林などもあったから、バックランド・ハンセン組の可能性はある。 >>298は福井大会って書いてるから怪しいのでは? 年末のタッグリーグかいな、調べたけどハンセンとバックランド組はないな。
福井大会自体ないだろ。 そもそも追撃戦って、猪木&ローデスvsハンセン&シンとかやっていたんじゃ? 自分で断言しておいて、可能性はあるってなんだよw
298 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 8b10-xAWZ) :2021/03/07(日) 13:40:59.53 ID:ABgOP/h/0
>>280
80年末の追撃戦でバックランド・ハンセン組でコールが先だったよ。福井大会。
308 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 8b10-xAWZ) :2021/03/07(日) 18:46:00.00 ID:ABgOP/h/0
>>304
55年の追撃戦は5大会くらいあって、R木村vsS小林などもあったから、バックランド・ハンセン組の可能性はある。 >>305
> スティングの初来日時の扱いは酷かったぞ!
アメリカでは格下のスパイビーに負けさせられただけで
酷いというほどの扱いは受けてない。 今日のが最後のダーになるかもしれんが
やっぱり猪木は最後まですごいな >>313
>アメリカでは格下のスパイビーに負けさせられただけで
>酷いというほどの扱いは受けてない
酷いだろ!
武道館という大会場で、恥をかかせて!
クイックと言いながらも、フォール負けだ。
まだ、リングアウトならともかく!
その試合以外は、田上、高木といった勝って当たり前の
選手と対戦しただけ、なんのための特別参加か分からん! >>316
本格参戦させる前の顔見世だから
大物の片鱗を見せるだけで良かったんだよ。
負けたけど弱いから負けたようには見えなかったし。
本格的にシリーズ参戦でさせたらパイビーにはリベンジさせただろうな。
結局、その後の来日は流れちゃったからあれで良かった。 >>316
スティングは、あの当時で未来日の大物だったから、スパイビー勝利は少し衝撃走ってたもんな。
結局レギュラー参戦のスパイビーを格上げするために、大物スティング寝かすんだから、馬場も非情だよ。 あの段階のスバイビーはまだ大化けする可能性があったというのがなんとも
コロンがプエルトリコでブロディに勝ちブック与えようとするほどに…
まさかその後コンディション崩してWCWお払い箱になって
ハンセンゴディウィリアムスの三強に限りなく遠い第四の男に成り下がるとは >>318
> 結局レギュラー参戦のスパイビーを格上げするために、大物スティング寝かすんだから、馬場も非情だよ。
いやその後のことを考えたら賢明な判断だろ。
その後のシリーズ参戦が決まってたら話は別だが。 全日にスティング来てたっけ?
新日でスベりまくってた記憶しか無い まあスティングはNWA、WCW世界王者になった後でさえ越中、馳クラスにしか勝たせてもらえなかったからな
ライバルのはずの武藤(ムタ)にはいつも負けてたし
95年には佐々木、96年には越中にフォール負けしたし 第一回MSGシリーズに参加したストロンポーなんか
WWWFエリアではアンドレらに次ぐ大関の格でMSGで
メインを張る大物だったのに、リーグ戦全敗だものなあ
現地では人気者のトニー・ガレアも第一回は予選落ち、
第二回はリーグ戦全敗
藤波にジュニアベルトを渡す役だったエストラーダは
ガレアとの決定戦に勝ったっていう設定だったけれど、
タッグ王者にもなっていた関脇格のガレアに対して
TVマッチの噛ませ犬だったエストラーダが勝つなんて
日本で言えばスコット・マギーがヘビー級転向後の
藤波に勝ってベルト巻くみたいな無茶な話なんだけど
辺境日本ではそれも通じてしまうという
まあ新日も中東遠征ではアレンが坂口をシングル戦で
フォールしたりしているからなあ そういえばフィラデルフィアの「格闘技大戦争」では、
地元の英雄でプロ転向したばかりのアレンが
田吾作スタイルのストロング小林に負けていたけど
あれはWWFエリアでは小林は名の通ったヒールの
トップ格だったから、現地ではある意味猪木よりも
大切な扱いをされていたんだな
小林はAWA、WWWF、メキシコとどこへ行っても
ヒールとしてトップを張っていたのに、日本では
その悪役としての巧さを活用できなかったと言うか 猪木「俺が誰だかわかるかい」
ジョージ「ストロング小林!」 WWFで一流のスタッドやパテラが長州藤波にも負けるんではマクマホンだって怒るだろ WCWでのスティングvsベイダーなんてみるとスティングは普通にカリスマ溢れる
良いレスラーだな。日本では今ひとつだったけど。 >>324
基本的にその頃から80年代にかけては猪木、藤波、佐山と対峙する外人以外は員数なんだよな。
坂口や小林もそういう意味で、特に藤波が台頭し始めた70年代後半は好敵手的な外人はいなかった。 保永だったっけか、
長州達が離脱して新日がもうやばいっていう時に、
坂口に「お前らもういいからいつでも辞めていいぞ」
と言われてキレたのは
要するに新日本は猪木から木村健吾あたりまでの
役員待遇の人間だけの会社で、その他の若手たちは
非正規・派遣のようなアルバイトに毛の生えたような
存在としか思ってなかったんだろうな、上の人間は
そりゃ真面目にプッシュすらしないよなあ 最近、80年代頃のアメプロの歴史を知りたかったから、勉強になるわ。で、質問なんだけど、
残念ながら、若くして亡くなったデビッド・フォン・エリックは、時期NWA王者として非常に評価が高かったみたいだけど、何故、評価が高かったのかその理由を、どなたか教えて欲しい。NWA王者が短命に終わったケリー・フォン・エリックと何が違ったの? というかケリーはともかくド塩のケビンを立てなければならなかった新日も情けない
11・3で猪木は武藤ではなくケビンを血だるまにすればよかったのに >何故、評価が高かったのかその理由
外見がかっこええからじゃん >何故、評価が高かったのかその理由
親父が大物だから >>308
バックランドはリーグ戦が終わったら帰ったんじゃないの?
代わって追撃戦にローデスが来たんだろうな。 息子たちも みな素晴らしかったけど
昭和40年代の 親父ほどの怖さはないな
手を大きく開いただけで
アレを喰らったらヤバい こめかみが流血
みたいな >>339
>息子たちも みな素晴らしかったけど
エリックのことだよね?
素晴らしいのは、デビッドと、せいぜいケリーくらいじゃないか?
ケビンは塩だし、
下の方のマイクとかクリスは、どうにもならなかった。 >>312
何だよ…メチャクチャやな、ビックリして損したわw >>331
フレアーの評価はそんなに高くなかった
>「 私はNWA王者だった頃、よく“自分にとって変われる存在は誰か”という自問自答をしていた。
>多くの人は故デビット・フォン・エリックの名前を挙げ、彼が生きていれば私の王座はもっと短かっただろうと言う。
>しかし、それは間違いだ。もし彼が生きていても、私は絶対に彼に負けて王座を失うことがなかったと、
>断言できる。
>逆に”どうして負けずに済んだのだろう”と不思議に思うのがテッド・デビアスだ。
>彼はいろいろな面で私以上に才能があり、実力があった」
> (リック・フレアー) >>331
単純にフリッツとダラスがNWAの中で力があったから
もっともこの時に「デビット次期王者最有力」も
デビットの技量やベビーしかやれないことやダラス外での知名度考えたら
結局各地のテリを王者として渡り歩き
各地のエースの挑戦を受けて回るフレアーやレイスのような役割ではなく
あくまでローデスやリッチのような意味での「次期王者」でしかなかったろうね
ちなみに自分はデビットはケビンとたいして変わらない
エリックランド限定王子様の単なる塩だと思う >>331
G‐SPIRITSのNWA特集の号によると、レイスがNWA王者の時にデビッドが挑戦した際の
キールオーデトリアムの観客動員数が歴代でも1,2を争う程の入りだったらしい。
デビッドはNWA主要テリトリーでの集客力がなかなかのもので、なんでも、父親であるフリッツと
遜色なくビジネスの対話や交渉が出来るのは、兄弟の中でも抜きんでていたとか。 ハンセン&ローデスは実現しているが、ローデスの方がコールは先だったんだよね、たしか。 カタカナの字面って視覚的にもずっとイメージとして残るものがある。
自分だとデイヴィッドシュルツだと一瞬誰?となるがダビッドショルツと書いてると一目瞭然なのだw >>330
いやいや逆だよ!坂口からは「新日本が潰れるまではいてくれよ。潰れてからなら、どこに行こうとかまわないからさ。」って言われて離脱決意したとインタビューで答えてる >>344
プロレスラーの評価って言うのはあんまり当てにならないよ!
別のインタビューでは、フレアーはデビッドの事をかなり評価してたのもあったし。
特にテーズなんかは、一方では大絶賛して、片方ではボロクソにこき下ろすなんてしてるからね。 バックランドは83年、髪をスポーツ刈りにしたら体もしぼんじゃってオーラが無くなったよね
急に何があったの? >>356
そうだっけ?相変わらずお尻の出っ張りは健在だったから気にしてなかったw
体格の変化といえば全日時代になるけど
キッドがWWFから日本マット復帰した89年1月シリーズ
マレンコ兄弟とのベストバウトや、ヘビーの天龍ともガンガンやりあってたのに
5月に再来日した時、別人みたいに体が小さくなってたのは驚いた
同シリーズ参戦してたカンナム・エクスプレスのクロファットより細かった
最終戦でハンセン・ゴデイとやってたけど、痛々しかった…
ステロイド云々の話は聞いてはいたけど、目の当たりにしたのは初めてだったから… >>349
>ディヴィッドやろ
それが正しいとは言えない。
V音をヴ行にしなくても良い。しても良いのだが。
普通にデビッドでも正解。
なら、キミはテレビをテレヴィと書くんだな? >>346
> デビットの技量やベビーしかやれない
デビッドはヒールだってできたぞ これWWWFのプレジデントのところが新間寿になってるのあるけど、他の人の時も
同様に書かれているから新間寿が特別に出たがりで目立つ様にした訳ではないんだな。
http://imgur.com/Mt0Kv2O.jpg >>360
78年頃かな。WWWF(ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション)時代だと
新間はまだ会長職に就いていなんじゃない? この年はボブ、藤波と新顔が王者になり、
タッグはユーコンランバージャックス(スコットアーウィン&バッファローザリノフ)という布陣。
翌年からワイドが取れてWWFになった。新間が会長になったのはそれ以降だと思う。
でも正直このポストはよく分らんなw 名誉職みたいなもんかも。 >>361
> でも正直このポストはよく分らんなw 名誉職みたいなもんかも。
AWAも会長はいたが実質仕切ってたのはバーン・ガニアだったし
PWFも会長はロード・ブレアースだったが
本当は馬場が仕切ってたんだろうし、同じようなものだったんじゃないの。 新間の話だと元々WWFヘビーをバックランドから小林(ストロング)へ移動の太平洋を挟んだ抗争の話がビンス親父からあった
それを新間は猪木に相談
猪木は激昂(自分が巻いてないのに小林がっ!)
それで猪木のWWFヘビー級王座奪取へ繫がるけど、ビンスとしてはヒールとして猪木よりも小林を評価していた
新間は猪木のエゴで小林が最後にひと花咲かせられるチャンスを潰したと言っていた バックランドvsダンカン戦、動画のコメント欄みてるとバックランドが王者として
紹介されてないのは何故?ってのがあるな。該当部分を自分は面倒でみてないんだけど
単なる王座防衛戦ではなかったみたいだな。 >>363
> それで猪木のWWFヘビー級王座奪取へ繫がるけど、ビンスとしてはヒールとして猪木よりも小林を評価していた
猪木はアメリカで受けるヒールはできないでしょ。
猪木は馬場と違ってベビーフェイスしかできない。
カブキが猪木を評価してない理由はそういうところにあると思う。 そういや猪木って古今、国内外通して変わりのないキャラというかファイトスタイルだな。
しいて言えば最初の武者修行時代がどんな感じだったのだろう。
マツダとタッグ王者になったりしたが、日系の悪党って感じじゃなかったと思うが。 >>360
“ウィリー・ギルゼンバーグ”って書いてあるじゃん、誤爆した? 猪木が引退カウントダウンとか言い出した時、プロレス雑誌で「キラー猪木」とか書いてた
てっきり海外武者修行時代ヒール演じてた時の事かと >>368
いや、同じ様式でShinma Hisashi となってるのが別にあるのよ。
てっきり新間寿が目立ちたくてそうしてるのかと思ってたという話。 >>369
「キラー猪木」って日本国内で好き勝手やってた時のイメージ。 キラー猪木ってボック主催の欧州ツアーが最初じゃないの? さすがに戦後間もないし猪木がヒールやってたことはあったんじゃないの?
徐々に変わりつつあった時代だったとは思うけど。
ヒロマツダみたいに悪党じゃない奴が出始めたのが猪木海外修行と被りそう。 >>372
その通り
ローランド・ボックが主催した興行に猪木が呼ばれてその時にポスターの宣伝文が
「モハメッド・アリと戦った男 キラー猪木」だったはず
>>363
ハンセンの自伝でも「小林はNY向きのレスラーだった」という記述があった
NYではああいうパワーファイター(実は小林は見せかけ倒しで非力だったらしいが)が
受けるらしい テネシーで猪木が田吾作スタイルで試合してる写真があるけど
あんまり様になっていない
若くて格好がいいから女子供に人気が高かったそうだから
ヒールでは使いにくいだろう 猪木はフロリダで海賊男としてヒールやった事はあるな。 331なんだけどたくさんのレス、サンクス
勉強になりました。
https://igapro24.com/2020/12/09/noah2020-42/#more-18598
↑の記事を見つけてから、何かエリック一家に対していろいろ感慨深くて、それで気になってさ。あの時、デビッドが亡くなっていなければ、呪われた一家と呼ばれるような悲劇もなかったかもしれないし、その後のアメリカンプロレスの歴史も変わったかもしれないと思ったりしてさ。デビッドの死とその後のマグナムTAの
早期リタイアがNWAの歴史の終焉を加速させたような気がしてる。あくまで個人の見解だけど。 >>379
リンクの記事にちょっと間違いがあるな。1979年1月にフリッツが最後の来日をして、
ケビンとデビッドはその年の5月に日本デビューしているんだよ。親子一緒ではなかった。
息子たちがプロレスデビューする前の子ども時代に、連れて来日したことはあったらしいが。 さぞ ダラスの女性ファンたちの人気を得たんだろうな >>380
ご指摘ありがとう。
実は上記の記事って何を参考にというか、ネタ元はなんだろうと気にもなってたんだよね。
いろいろ辻褄が合うというか、腑に落ちるといか、ワルドーフォン・エリックの息子としてデビューさせたランスのあたりとかね。ただドラマティック過ぎるきらいもあるから、どこまで信用していいのかなとも思ってたんだ。好きな記事ではあるんだけど。後、余談だけど、フミ・サイトーのアメリカンプロレス講座という本も高いけど読み応えがあったな。WWEの視点から書かれてる80年代、90年代のアメリカンプロレスの歴史書なんだけど。長文失礼。 田吾作スタイルは 米国では「日本人は このスタイル」
とやらされちゃうんじゃないかな
マティ鈴木が「僕としては アレは最低のスタイルですね」
と言ってた マサ斎藤とかの足跡をたどって驚いたのは、アメリカマットでの
最大の「悪役」は、日本人やドイツ人のキャラなんかじゃなく、
金髪碧眼、身体が大きく尊大な白人レスラーだったということ
プロレスは庶民の下級な娯楽だったから、会場に集まるのは
いわゆる下層階級の人間たちで、必然的に移民や有色人種が
上得意のお客様になるわけだから、天下のニューヨークですら
イタリア移民やプエルトリカンが観客の主役だった
当然のこととして、リング上のヒーローはそうした移民たちの
アイドル、イタリア系のロッカ・サンマルチノ、プエルトリカンの星
モラレス、黒人のアイドル、ベアキャット・ライトやアーニー・ラッド、
前に話題に出ていたフランス系レスラーたちになる
じゃあ敵は、といったら観客であるそうした移民たちをふだんから
小バカにし、理不尽な態度で悔しがらせているWASPを髣髴と
させる白人レスラーになるわけで、バディ・ロジャースがヒールの
頂点に君臨していたのも無理はないという そんなわけで日本人だからと行ってヒールになれるかと言うと
そうとも限らないわけで、特に西海岸は身体の小さなメキシカンが
傲慢な巨漢白人を倒すのがメインストリームだったから、のちに
チャボ・ゲレロがNWA・AWA・WWF三大王者全員にタイトル戦で
勝つなんてことも起きていたわけで
マサ斎藤が初めて渡ったアメリカのテリトリーもロサンゼルス
だったのだけれど、有色人種の日本人はメキシカンの仲間扱い
されていたのでヒールをやらなくていい代わりにこれといった
個性も与えてもらえないのでくすぶっていたとか
(だからマサさんがブレイクしたのは、レスラー過剰になっていた
ロスからサンフランシスコに派遣されて、白人の多いシスコで
ヒールのトップだったキンジ渋谷に見いだされてからと御本人が
言っている)
ストロング小林はAWAでもWWWFでもトップヒールとして現地で
重宝され、最高位の王座にも何度も挑戦しているんだけど
たまに見られる動画でも、ヒールの小林は攻めは流れるよう、
日本では不器用でモタモタしているように見える態度もあちらでは
ふてぶてしいナチュラルヒール風味になるし、本当にこれを日本で
生かす事が出来なかったのは惜しいなあと思う
国際軍団が新日に上がる前、メキシコから帰国した頃にどうも
団体内ヒールにする計画もあったみたいなんだけど >>386
これは、前夜祭はわざと普通の風貌で登場しておいて、
開幕戦当日に突然メイクとザンバラ髪で登場してアッと驚かすのが狙いだったんでしょ。 >>380
新幹線での移動時の写真が残ってるね。子供達に見聞を広めさせるために日本遠征に
同行させたらしい。 谷津はこの頃はまだ期待出来そうな身体してる。
貧相な体付きで後に損したと思う、田吾作みたいなリングギアも良くなかった。
https://youtu.be/x9m_QS98ASY なぜ藤原はNEWリーダーではなく、NOWリーダーグループなのか説。 天龍と同い歳なのに旧世代軍にされた藤原
顔のせいだろうな 1940年代生まれまでが、ナウリーダー、
50年以降がニューリーダーと線引きすれば理解できる。
藤原は49年4月生まれ。 >>363
カブキにテレフォンショッキングから話があったが、馬場が「俺が出てないのにそれはダメだ」と言って
無くなった話にちょっと似てる。 プロレス界で1番最初にテレフォンショッキング出たのって長州だよね? >>399
ちょっと調べたら男子だと一番早かったのは長州
女子を含めるとマッハ文朱とミミ萩原の方が先に出ている コブラツイストかけてくれとタモリに頼まれ
あんまり使わないんですよねと言いながらも応えていた 藤原「猪木さんに「僕は(年齢からして)ナウリーダーの側じゃないですよ!」って言ったら
「いいんだ、お前はそういう顔してるから」って言われて(笑)。ただの数合わせでね。ホントいい加減だったなあ。」 世代闘争にしたいならUWFは藤原・木戸と前田・高田・山崎に分けるべきだったな。
佐山がいた時代は藤原・木戸、佐山・前田、高田・山崎に分かれていた感じだった。 >>397
前年の最強タッグでは馬場と三沢タイガーが組んでたんだよな
後には小橋とも組むし >>401
マッハ文朱って15歳でプロレスデビューして、16歳でチャンピオンになって、
17歳でプロレス引退したんだよな。今考えると凄い話だよね。 世代闘争には、師匠対弟子の側面がある
・猪木⇔藤波
・斎藤⇔長州
・藤原⇔前田
・坂口⇔木村 この前の日曜のワープロクラッシック見てるけど、藤波って公称173cmのキッドとほとんど変わらんな
2〜3cm高いかな?
ってくらい >>408
藤波・コブラvsスミス・ブレッドハートのタッグマッチの時、藤波が一番小さく見えた。
目の錯覚かと思ったけど実際そうだったんだね。 >>402
実際に長州がコブラツイストを試合で掛けたことはないだろ?
タモリも、プロレスラーが皆、コブラを掛けるわけではない。
むしろ、他人の得意技は掛けないんだよな!
そこのところの認識が薄い。ゲストに呼んだのなら
その人の得意技くらい頭に入れて欲しい。
と言っても、サソリ固めはきついだろうが。 >>403
しかし…それから30数年経って
藤原の顔はほとんど変わってない…w
同世代の藤波長州より若く見えるかは微妙だが
この2人は間違いなく30年の年輪は重ねてる顔になってる
そういう意味では相対的に藤原が一番若く見える これはジム・クロケット・ジュニアがMSGに出た回だな。
https://youtu.be/5gF4X0CB5SE >>392-397
>>403-404
平成に入ってからもそうだよ。厳密には世代闘争じゃないけど、
健介、サムライ、中西、金本の4人は全員同学年だけど、
前者2人、後者2人で世代が違うイメージ。キャリアでそうなったんだろうけど。
>>399-402
長州を紹介した人と、紹介された人は? >>414
船木とカシンが同い年だけど入門年=キャリアが違うから世代が違うように感じるのと同じだね
80年代入門と90年代入門だと、猪木さんとの関わり方も違うから 当時の長州力(独身)の好きな女性のタイプはタモリを女性にしたような人たから 意外な同学年者は、
G・馬場とヒロ・マツダとシャチ横内が
昭和12年度の同学年。
ただ、馬場とマツダは力道山道場ですれ違い。 そして猪木とシャチ横内は
共に昭和31年、ブラジルに移住。 >>414
長州が紹介したのは関根勤
その頃はもうあまり言われなくなってたラビット関根って長州が言ってたの覚えてる 前にタモリ倶楽部で長州、浜口が出てた維新軍特集みたいな映像上げてくれてた人いたけど消されちゃったかな
アシスタント役で高見恭子が出てたりして、その後考えたら面白かったけど >>415
猪木や蝶野は年上の同期の馬場や武藤をさん付け、
第三世代も年上の後輩の安田にさん付けだった。
>>420
ありがとう。関根は新日が嫌いなはずだけど、欽どこテレ朝繋がりかな?
あとは誰が長州を紹介したのかが気になる。 >>422
関根氏が新日嫌いなんてのは、90年代中盤以降の印象じゃないかな。
それまでは、格闘技=新日ってイメージだったし、K1好きと同じ感じで80年代は新日ファンだったと思う。
テレ朝のスポーツ名場面スペシャル的番組で司会をして、最初が猪木アリ線で、涙ぐんでたのを覚えてる。
本当に猪木や格闘技が好きなんだな、というのを感じた。雰囲気を変えるために、直後にゲストの荒勢に
「土俵上より温泉でいい顔してましたよ」とか言ってた記憶がある。
>>420
長州のいいともは、ラッツアンドスター鈴木→長州→関根 だったと思う。
長州のカッパブックスに書いてあった。 >>417
意外な同学年と言うと猪木とバッドニュース・アレンだね
猪木は70年代が全盛期でアレンは80年代のレスラーだから >>406
山口百恵が出場した「スター誕生」の決勝にまで進出してプロレス入りの話題性が受けて
スターダムに登りつめるも実質的なプロレス生活は1年くらいだった。それでもいまだ
にインパクトを残しているほどスター性があった。 >>423
鈴木雅之を紹介したのが、なぎら健壱だったと思う。この辺はプロレスファンの輪だな。 >>422
>第三世代も年上の後輩の安田にさん付けだった。
ライガーなんて安田は入門が10年ぐらい後輩になる
でも安田の方が年上、それに相撲時代の実績も加味してか「安田氏」って呼び方を今でもするね
相撲界の転向組に対して番付で呼ぶのは「横綱」「大関」までな気もする、「関脇」「小結」って呼ばないよね? 前田明(当時)の凱旋帰国時に応援団長としてタモリと山口良一(副団長)が
蔵前のリング上がって紹介された
もちろん活動なんかしないで名前だけだろうけど 長崎の龍踊りみたいの持って藤波の入場を先導した山口良一と斎藤清六。
当時山口良一のオールナイトニッポンはプロレス情報満載だった。
対するオートン・ジュニアは馬に乗って入場したが、馬が粗相。 テレフォンショッキングといえば猪木→橋本→蝶野の流れは凄かったなw
蝶野の時は無口過ぎてタモさんも困ってたよね。
今の蝶野なら大丈夫だろうけど。 上田は早いうちにテレフォンショッキングに出演したし
1983年頃からお笑いサドンデスの審査員をしたりと
積極的にバラエティ番組に進出していたね 蝶野が「友達」を紹介したのが田中美奈子
テレフォンショッキングの友達紹介ガチ幻想が崩れた瞬間 >>438
初期には友達を呼ぼうとして「明日は仕事だからダメだよ」と断られるって演出があった。
確か細野晴臣が友達で大瀧詠一を呼ぼうとしたが大瀧に断られたってのがあった覚えがある。
ここら辺はプロレスをガチンコっぽく見せる為の演出との共通項を感じる。 初期に誰の紹介だったか忘れたが、西城秀樹が電話口で断ったのは覚えてる。 https://pbs.twimg.com/media/EXjd-zWUYAIfR-A.jpg
蝶野は越中たちを「プロレスが下手だ」とこき下ろしたが人の事が言えた義理ではない
悪しざまに他のレスラーを悪く言うなら、自分こそ筋肉しか取り柄の無い
レックスルーガーと名勝負が出来るはずだ、そして大凡戦
口だけの男蝶野正洋 プロレスではなくトークが本領で見せ場だったのに、あっさり渕にあしらわれたときは悲しかったな。 >>361
新間本人が自著で年間1ドルの名誉職って言ってるね 1ドルとは、また安くで手に入るポストやな
矢野の観光大使の方が価値あるんやないか?? ニューヨークに行った時、リングに上がる準備をしておけと言われたけど、何のことなのかさっぱりわからない。
リングに上がるとリングアナウンサーが「レディースアンドジェントルメン〜」とやりだして、
「新しいプレジデントを紹介したします。ミスター新間です。彼をWWFのプレジデントとして迎えたい」と言うからビックリした。
そこまで信頼してくれるのかと思うと、とにかく嬉しかった。
報酬は年1ドル。だから完全な名誉職だ。
私がWWFの会長になるとなったら、猪木は辞退しろと言ってきた。これに対して私はこう答えた。
「WWFの会長が新間寿。俺のマネージャーがやっているんだ。そう考えたらいいじゃないですか」と。
猪木さんもそれを聞いて「そういう考え方もあるな」と納得していた。
このように公私に渡ってお世話になったビンスが亡くなった時、私はお墓に行って、教会に行ってお経を詠んだ。
日本の宗教のお経を初めて聞いたという、ビンス夫人は非常に心を打つものがあったと感謝の言葉を口にしてくれた。
ビンス夫妻には非常に感謝しているし、ビンスが亡くなった後でも、ジュニアが日本で公演をやる時には必ず招待してくれる。
マクマホンファミリーは本当に素敵なファミリーだ。 >>445
我が世の春だったね。まさかあんな形で新日追い出されるなんて思ってもみなかっただろう。 >>433
番組内の田中リングアナのコーナが独立して関東では土曜日に夜に
「アントニオ猪木・闘魂ザ・ワールド」として流されるくらいの人気ぶりだった。
猪木の生の声や新日選手の話がじっくり聞けて貴重な番組だった。
>>438>>439
初期は結構、ガチだったかも鶴太郎が小森のオバちゃまにモノマネして電話をしたら
怒って「いたずらは止めてください!」と言われて本番中に切られていた。
その件からしばらくしては翌日の昼12時のスケジュールを聞かれた小松方正が
「スタジオアルタって書いてあるんだけど・・・」と正直に答えていたw
>>444>>445
名誉職だった会長の地位が一番発揮されたのは前田にUWFベルトだね。
>>446
「猪木や坂口が嫌われていけないと厳しい事も言ってきたのに・・・」と無念そうだった。
なぜ新間だけ戻れなかったのかな?
>>449
今、見ると長州が言う「青山」はペンシルビルで狭くて使い勝手悪そう。だから他の階
も借りたのかな?地下にあったアントンリブはリブステーキに草分けでおいしかったらしい。
最寄り駅が近くなく交通の便が悪そうだった。都内のプロレス聖地巡りで行った時に
ギリギリで取り壊されていた。事務所の同じフロアーある新間のデスクは衝立があり
簡単に近づける雰囲気が無かったらしい・・・ >>450
あの時代の青山だと単純にテレ朝の近くで家賃が比較的安いビルだと
あの手の小さいビルになるから使い勝手はあんまり関係無かったんじゃないかな?
猪木や坂口新間が常時社内にいるような商売でもないし
プロレス団体自体はそれほど社員や事務スペースとるようなもんでもないから
あの手の立地のわりに安価であろうペンシルビルで複数フロア借りて
事務フロアと応接や会議室フロアにでも分けてれば十分
(そんなことが実際どれだけあったか知らないが)重要案件とかの打ち合わせは
自社よりむしろテレ朝の会議室とかアークヒルズ内で行われたれたろうしね 青山は1階が喫茶店のとこだよね
同じビルに闘魂ショップも出来て、夏休みに事務所にチケット買いに行ってついでに
レスラーいたら出待ちしてサインもらったりしてた中学生時代
アントンリブは確か別の場所じゃなかったかな >>451
テレ朝がアークヒルズに移転して立て直して再開発する六本木ヒルズの建設が始まる
までにテレ朝旧社屋に関連会社が集結させられた。新日も歴史ある南青山から六本木に
移転した。時折、猪木や坂口、藤波と幹部レスラーが来るので関連会社の人に好評だった。
南青山はペンシルビルとは言え賃料もやはり高く新日の経営も圧迫していたので
テレ朝旧社屋移転は渡りに船だったとテレ朝・永里氏が話していた。
ちなみ最初の新日オフィスは代官山にあり日プロ時代の猪木後援会事務所を流用したため
に目の前に日プロがあり小鹿等が乗り込み女子事務員に凄むと言う嫌がらせをした
・・・ リングナアのコールが、パウンド(ポンド)からsに変わったのはいつ頃? >>455
ケロが一人でコール任されてからしばらくはポンドだったな。
84年か85年頃から宣伝ポスターにも選手の身長と体重が表記されるようになったから、それに併せてコールにも身長体重(cm・kg)を言うようになったと思う。 リングアナが、「250ポー―ンド!」とかコールすると
力が入るんだよね。
ケロのコールは「183センチ、110`、、」とここまでは
力を入れず、名前で盛り上げる。 >>423
長州と鈴木雅之の接点は意外。プロレス好きだということも知らなかった。
>>435 >>447
時を越えて、まさか今年になって新日本プロレスが木梨と絡むとはなw
>>453
何で小鹿? >>456
もう少し後だと思う
初ドームあたりからじゃなかったかな >>457
「パウンドォォォオオ!」全女の氏家だな 鈴木雅之がCLUB紳助にゲストで出てプロレス話になったとき、
ガチで強いのは誰かって紳助に聞かれて「ラッシャー木村と坂口征二」と即答してたの思い出す >>457
ケロのコールは
ビッグマッチの溜めに溜めた言い方より
地方テレビマッチでサラッと流すときの
「アーコーナーニヒャキョンジュッパンドー…」が好きだった >>461
シャネルズのメンバーは、なんとなくプロレス好き多そう >>464
北尾デビューのドーム大会のゲスト解説が田代だったもんな >>464
全盛期のマーシーは同格の芸能界関脇ポジションの関根勤とプロレス・格闘技仕事を分け合ってたね
クワマンはだいじょうぶだぁでのラッシャー木村のモノマネ
師匠格の志村けんは抱え式バックドロップの名手 全員集合やごきげんテレビでプロレス技多発してたな志村けん
カトちゃんが犠牲になってて可哀想だった 【コーラルゼットよりのお知らせ】
本日、週刊新潮3月11日号(令和3年3月4日発売)の「梶原一騎最大の闇『アントニオ猪木監禁事件』40年後4人の証言」の記事に関しまして、真実とはあまりにもかけ離れた虚偽の事実を掲載していることに対しまして、株式会社新潮社に内容証明を発送致しました。 田代はPRIDEのゲストにも出てたじゃん
アレ依頼駄目になったけど 梶原一騎の事件で当時マガジンで連載中だった「悪役ブルース」が打ち切りに。
当時すでにカーンは革命軍に入り、浜口が国際軍から離脱していて漫画と現実が乖離していたから、
あの事件がなくても作者は話をまとめるのが大変だっただろうな。
のちに描かれた最終回は吹雪のタイガージム入り以外は本当にくだらなかった。 確かラッツ&スターの誰だか覚えてないけど3人で花束持ってリングにも上がってるな
82年の暮れの後楽園ホールか年明けの後楽園ホール >>450
青山ビル。ガキの頃親の車で東名に向かう首都高速沿いにあるのを見た。
その後社会人になってから彼女と箱根に行く時そういやこの辺りにあったな。と見ていたがもう見つからなかった。平成になってから移転したのか? https://pbs.twimg.com/media/Eu1JxzLUYAIG-wn.jpg
フィクションな漫画だけど、実在のレスラーの実在した試合を描かなくてはいけないので
タイガーマスクとウルトラマンの凡戦を相手の力量不足が原因と断じなければいけなかった
佐山にも責任があったかもしれないのに 悪役ブルースって結局佐山タイガーの漫画になっちゃったけど初期は地下プロレスとか空手とかでかなり格闘色強かったんだよな いくらナアナアの時代だったとは言え、本当に当時円谷がウルトラマン許可したのかな?
私が円谷だったら、自分が考えたキャラが梶原のキャラに完敗するとか絶対にイヤだけどな。 円谷プロが関わっているアステカイザーに新日が協力していたからって
メキシコ人が勝手に名乗ったウルトラマンに文句言えなかったってのも
現在の常識で考えると理解しがたいものがある、それとこれとは別問題だろうと 高杉のウルトラセブンはOKだったの?
FMWの帰ってきたウルトラマンはダメだったんだよね?
アミーゴウルトラに名前変更してたけど。 メキシコは平成になってからも、かなり著作権無法地帯だったらしいからな。
脇田がメキシコでモモタロウとして人気を博したが、さすがに帰国後もそのキャラを
通すわけにもいかず、日本ではスペルデルフィンになったんだよね。 >>460
180パウンンンンン、ライオネスゥゥゥゥ アスゥーカァーーーー >>474
懐かしいwサンクス
一方で、プロレススーパースター列伝では、
タイガーの四次元殺法を食らうまでウルトラマンは強かった設定になってましたね。 >>475
>悪役ブルースって結局佐山タイガーの漫画になっちゃったけど
自分は国際はぐれ軍団の「コミカルなビンボー奮闘」マンガのイメージが強い
打ち切りになる直前がそんな展開だったからかもだけど…
新日のリングをブっ壊して、その請求額が500万円だかでヒーヒー困って
食事をラーメンで節約してる描写とかあった気が…w >>484
後にモモタロウは作者のにわのまこと公認で丸藤がマスク被って原作の技を頑張って再現してたよ
大仁田がキン肉マンになろうとしていたこともあったって ウルトラマンロビンが円谷プロ公認なのはなぜなんだろう? >>487
ロビンの中の人が円谷の関係者を飲み屋で言葉巧みに唆して
使用許可をゲットしたと言われています
ちなみにロビンの旗揚げした団体で用意したウルトラマンディアブロは完全に無許可 ケロちゃんがコールしにくい名前。
フィッシュマン
ウルトラマン
キムラケンゴ
ケンゴの「ン」が言いにくいと。 闘魂スペシャルではコールし辛いレスラー1位はハングマンだったと思う。
逆にコールし易い1位は長州だった。 地元に瀬戸波という定期船がありラジオで毎日運航情報を流すのだが、瀬戸波と聴く度にケロの声で「瀬戸波辰巳〜!」と脳内再生されるw >>490
スタン・ハンセンも上位に入ってたよね。「ン」で力が抜けるとか。 >>476
円谷プロはまだウルトラマンを商標登録してなかった。したがって許可なく名前を使用しても法律上ギリギリOK。円谷プロが商標登録を申請したのはそれから数年後。
それほど法律に詳しいわけではないから深くつっこまないでほしい。
また>>488にあるウルトラマンディアブロなる名前は商標登録されてない。 >>455
ジュニアヘビーのタイトルマッチでパウンドだと分かりづらいからじゃないかな? sにコールが変わったの、IWGPジュニアヘビー級王座決定リーグあたりじゃなかったかな。
ヘルスメーターで計量してて馬鹿にされてた思い出がある。 >>495
ヘルスメーターで計量していたのは高田越中時代から。UWF側からのアピールで実現。
コブラやヒロが計量したらジュニアじゃないってバレちゃうから仕方ないな。 新日も見切り発車でキン肉マンをデビューさせようとしたからね
少年ジャンプは権利関係に厳しいし日本テレビでアニメをやっているのに
ワープロでキン肉マンなんて出せるわけがない
みちのくプロレスで高野がグレート・ゼブラになったがあれはインディー団体だったから
放置だったのかな 三沢タイガーがいた時代に、一度でいいから馬場さんにゼブラやってほしかったな。 >>487
>>488
あと、
メフィラス星人
ダダ
ゼットン
ガッツ星人
ヤプール人
これらもレスラーにしてリングに上げてたな。
間違いなく正当な手順を踏まずにやっていたんだろう。 >>473
当時、首都高速を頻繁に走る人には名物だったんじゃないのかな?
他にワープロの提供スポンサーだった小松製作所(現・コマツ)の赤坂本社屋上に長らく
大型ブルドーザーの模型が飾ってあったり取り壊される時はニュースになったあと
ドクター中松の大形看板なんか有名だった。
ボクシングの大場が事故を起した所の池袋線?本当に急カーブで通るたびに現役で事故死
した若かった世界チャンピオンを思うと胸が熱くなる。 倍賞アナは「スタン〜ハン〜セン〜」とンに低音で力を込める言い方が巧くて
抜ける感じがなくカッコよかった 倍賞アナは散々仕事出来ないと誰かに馬鹿にされてたな。リングアナなんだから
それが出来てればファン目線では十分だけどな、見た目良いし倍賞だし。 ケロって大一番で口上やってたけど、あれってみんなはどう思ってた?
俺は「こっ恥ずかしいことしてくれるなぁ」、と思いながら聞いてたけど
けっこう長く続いてたから、一般には好評だったのかな >>504
蝶野vs三沢の時はそれはちょっと…て思ったわ
G1とかでこれまでの両者の対戦成績は…てやつは大変ありがたかった >>497
グレート・ゼブラは力道山時代に来日したゼブラ・キッドのオマージュ >>498
何でキチガイ馬場信者がこのスレにいるんだ? >>504
同じく苦手だった。
というかケロ自体が苦手だったなぁ。 >>504
あんなのケロのマスターベーションだよw 「K1!プライド!よーく見ておけ!これがプロレスの力だ!」
ってのも鳥肌が立つほど寒かった
でも、ケロの選手コール自体は好きだったよ
あれは一流だと思う これが蝶野vs三沢の時だったのか
試合内容は全然覚えてないな >>504
アナウンスに関してはケロ以上はいない
前口上はいいのもあればそうでないのも…w 選手のコールなら
ケロがよかったのは最初の3年くらいだな
80年代半ばくらいから適当にやってるなという感じが強くなった
一人一人に時間を掛けなくなるんだよな >>515
あぁ、それわかるな
ふじなみーたつーみーだったのが
ふじなみ、たつ、みーって感じに手抜きしてるように聞こえるようになった
ビッグマッチの時は一転するんだけども >>490
まだ当時コールしたことない他団体のレスラーで天龍源一郎は言い辛いみたいなことも書いてあったかな
後に実現するけど
>>473>>500
そういえば首都高から建物見えたねえ
修学旅行の帰りに「あ、新日だ」ってバスの中ザワついたの思い出した キングオブコロシアムに田中ケロ、仲田龍、木原文人、オッキー沖田それぞれのコールが収録されてて面白かった >>517
WARが参戦当時
「阿修羅・原」がコールしにくいと言ってたような…
「アシュラ」は言いやすいが「ハラ」を「ハーラー」って言うしかなく
本当の読みからかけ離れすぎて「ズシっとしたイメージの原さんに悪い気がして」とか言ってた ただでさえサバ読み言われてたのにpとkgにしたのが違和感あった 前田日明は 走り屋の経験あり
Z31型をタービン変えて
首都高タイムトライアルしていた 国際プロレス時代の阿修羅原は「アシュラ、ハラー!」てコールされてた >>505>>511
前回のクイズ脳ベルShow・レジェンドレスラー大会の番組のオープニングで
田中リングアナが「アマゾンプライム、ネットフリックス!よ〜く見ておけ!
これがテレビの力だ!」と動画配信サービスをK-1、プライドに、テレビをプロレスに
置き換えたパロディをやっていたw 俺たちひょうきん族のひょうきんプロレスで
ゲストで出たケロがジャイアント馬場のコールしたのは新鮮だった。
誰が馬場のパロディやったのか忘れたけど。 ライガーにサンダーが付いたのは、ケロがコールしやすい配慮と勝手に思ってた コール時に身長・体重を(体重はs表示)を言うのは
リングス・パンクラス・K−1・PRIDEが追随してたな。 猪木はパウンドを「パウン〜」って言うのを好むって言ってたのは大塚だっけかな ポンドー、パウンドー、パウーン
節回しにも色々あるね ケロなんて倍賞鉄夫の華と色気のに対して、逆立しても足元にも及ばない。
だから口上を付けたり、派手なコスチュームを着たりしたわけ。 ケロの闘魂スペシャルのコラムは、レスラー以外の内部関係者からの情報で面白いものがあったな。
アンドレにビビッてた話はとくに有名だけど、あれはアンドレとの仲が最高に良かったから、だったね。 >>535
「タイガー・ジェット・オシン」なw
>>536
河田町ひょうきん体育館 アナウンサー・奮い立ち 伊知郎 解説・ジャマモト・コタツ
名勝負数え歌 フルハム三浦vsジャーナル中江 なw 一番最初はジャイアントシャープとタイガーシャープのシャープ兄弟があったよな。
オール阪神がアントニオ紳助の股裂きで、本当に大怪我して入院してしまっていた。 >>511
ごめん、自分はそれ、ちょっと感動してた側。
その後のプロレスは絶対に負けないってところで、ちょっと涙出たw みんなよくひょうきん族の細かい中味覚えてるなあ。
おれもその覚えてる方達と同世代のはずなんだが、そこまで詳しく覚えてないわ。感心する。 ケロのその口上、プロ野球とJリーグも入ってたよね
K-1もPRIDEも負けたね
プロレスが勝ったわけでもないけど 今晩のクラシックは おもろそう
明日の仕事は寝不足になりそうですな ???「阪神大震災を超える激震を起こしてみせます」 ひょうきんプロレスを見たのはバトルロイヤルが最初だな
この時は芸人がレスラーの実名を使ってなりきって演じていた
ハンセン役を洋七がキラーカーンを紳助がやっていたはず >>547
ドーム、G1とIWGP戦くらいは文字情報で見てるくらいかな
会社としての営業展開としては今の新日は意欲的に凄く頑張ってるとは思うよ
ただしプロレスの内容的にはねえ・・
一見は派手そうに見えるけど昭和に比べて恐ろしく単調に見える 全員集合もプロレスやってたけど
いかりやがレフェリーで
ドリフ対女子プロレス >>523
生まれて今までずっと九州在住だが、ボボなんて言ってるヤツ聞いたことないわw
九州地方の方言で・・なんて都市伝説 そりゃあ、人前でボボボボいいまくらんやろ
まあ、そちらでは放送禁止用語なのは間違いない いやいや人前じゃなかろうが、下品でスマンがオ○ンコとかセ○○スとしか言わんってのw
まあ、すごいじいちゃんばあちゃんなら聞いたことある死語方言やろね。 >>552
福岡は間違いなくそれ。決して都市伝説などではない。 >>551
志村がミミ萩原にボディスラムをかけようと股下に手を入れて躊躇するシーン、あれはエッチだったな。男性が水着を着た女性の股間を握るんだから、現在なら確実にアウトだわ。 >>539>>549
阪神がハンセン、巨人がホーガン、ビートきょしが坂口、禿げヅラを被った紳助が
カーンだった。最初は学生プロレスなみ真面目やっていたが阪神の大怪我以後の
コミックプロレスへ移行した。 ひょうきんプロレスで松本竜助がコーナーに飛ばされ、突進してきた相手を
回転エビで仕留める一連のムーブやってたと思う。
ドリフのはミゼットレスラーも出てたっけ。 景山民夫のフルハム三浦の名前出てきて笑ってしまった、やっぱ同時代前後の人多くて
芸人や放送作家でプロレスファンが結構いて、ひょうきんプロレスにもつながったんだろうな
荒川真もちょくちょく出てたけど
上田馬之助が出てたのは赤信号のレコード男は馬之助絡みだったか >>540
それはコールだけじゃなく
「新日のリングに三沢が立っている」という感慨
それも「スパルタンX」で入場直後だからね
耳だけじゃなく、そういう風景も加味しての感涙じゃないかな… レフェリーがタイガージェットシンみたいに凶暴。こういう事も有り得るからレフェリーも
リングアナも身体鍛えとかないとね。
https://youtu.be/hj6QoYTSPhQ >>557
オール阪神だったっけ。ラリアット見せたよな
優勝した紳助カーンがよってたかってショートタイツを脱がされるオチだった
それとひょうきん族のプロレスネタで覚えているのが
・「人形は顔が命」のCMパロで「人形は顔が猪木」猪木の顔写真を張り付けた雛人形
・馬之助乱入回の小道具プレゼントに馬之助の金髪があった
・タイガーマスクのパロディドラマ
さんま演じる伊達直人「ルリ子さんのパンツを見るマスカラス」
邦子演じるルリ子「直人さんなんか好かんハンセン」 ひょうきん族でWe Are The Worldのパロディでヒップアップの島崎が猪木、川上が上田馬之助、小林が長州やってた。
小林の長州がそっくりだった。 上田馬之助と長州力は今では当たり前となった日本人男の金髪とロン毛の先駆者だな。
金髪は少なくとも日本国内でやった男はいないだろうし、ロン毛はヒッピーやフォーク歌手などにいたがみすぼらしく弱々しそうな男に見えた。
長州のようにガタイが良くパワフルなスポーツマンのロン毛はいなかったと思う。 >>540
真輔の「一番スゲーのはプロレスなんだよ!」でも泣いたクチ?w 桜庭の「プロレスラーは…ホントは強いんです!」なんてのも >>537
鶴太郎のタイガージェットシンと、タイガージェットおしん(=松本竜介)は別物だな。
鶴太郎のシンは、実名モノマネのバトルロイヤルでの参戦。 >>567
ああ、そうだったんだ。「シン」と「おしん」がいたかw
イメージに残ってるのは鶴太郎の方なんだよね。 ひょうきんプロレスの最初は、アントニオ紳助(紳助)&ストロングうなづき(竜介)組vs
タイガーシャープ(阪神)&ジャイアントシャープ(巨人)組の対戦だったよね。 たしか伸介はアルギンZシン
ドリフのいかりやのレフェリーは
「笛使ってんの」とわらったが
昔国際で 笛使ってる
レフェリーいたんだな(もちろん遠藤さんではない) >>570
伸介だと三波伸介になっちゃうだろ?島田紳助。 >>570
阿部脩を忘れるほどモウロクしたんか、70も過ぎると仕方ないか 70過ぎたら覚えてるよ
俺が観た時は遠藤ばっかだった
マンモス鈴木もDVDで観た
女子部で若松がレフェリーやってたのも
あとからしった 遠藤はいいレフェリーだったと思うが、元レスラーじゃないからアドリブきかないんだよね。
健吾のブランチャで浜口が失神した時の、遠藤の狼狽ぶりは可哀想だった。
やってしまった健吾自身も狼狽して、永源に耳打ち相談して反則負けにして終わらせたけど。
https://youtube.com/watch?v=GvnOOZjelsE ついでに
よく裸にされる
沖識名レフェリーもしってる
でももう俺も年かな >>564
長州が髪を伸ばして凱旋したのって特に深い意味はないんだったっけ。
単に面倒だったから切りに行ってなかっただけ、みたいに言ってたような。 >>577
前と横は自分でキレるけど後ろ髪は自分でキレなかったメキシコ遠征の産物だってね 帰国したばかりの長州を見て「なんか志村みたいな髪型だなぁ」とガキの頃思ったな。 初めて出た長州のプロレスアルバムで
「ホントは髪は短くしてパーマの方が気持ち良いけど、もう切れねぇな」
て言ってたね。 まあ江戸時代までは普通に男も長髪だったし、男は短髪と決めつけるのも
本来的には不自然というか無粋というか。 長州本人の感想だからしゃーないやん
無粋とかいっても >>564
昔のこち亀で両津の家に海外から美人がやって来た時に
両津の母ちゃんと父ちゃんの間で
「父ちゃん大変だ、金髪の人が来たよ!」
「なんだ上田馬之助でも来たのか」
という会話があったなw 江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、「地底の魔術王」の表紙絵が上田馬之助みたいでみんな笑ったっけ。 >>580
猪木に初勝利した札幌の頃が一番伸び過ぎの印象 >>583
古舘が由井正雪に例えてたけど、小さい頃だったから誰だかわからんかったわ 越中に負けて髪を少し切ったのは、
子供の幼稚園の面接があるからと言う説が。 >>590
藤原のカダフィ大佐もわからんかったわw 「黒髪のロベスピエール」の響きはカッコ良かった。
誰かイマイチ分からなかったけど。 まぁでも古館の名セリフやニックネームで勉強になったこともあったし楽しかったなぁ
しんがりはアントニオ猪木って聞いても小学生に殿の意味なんて分からんわな 主に全日ではアメリカの州を覚えて
新日は古舘の語録でギリシャ神話やらフランス革命やら四字熟語とかことわざとか覚えていったな。
まぁ、厳密にはアメリカの地理は全日とウルトラクイズ だったけど。 >>601
ベイダーのvs長州vsマサがおかしいね。
正しくはどうだっけ >>603
ベイダーが長州にリングアウト勝ちとマサにリングアウト負けだったっけ
そして長州がマサにリングアウト勝ち
(フォールorギブ勝ちが〇で5点、リングアウト勝ちが△で4点、負けは×で0点) 藤原が参加してたら
ベイダー、マサ、健悟と楽しみな試合が多かった >>601
△をリングアウト勝ちにしてるからおかしいのか
このリーグ戦は確か引き分けなしかなんかの特別ルールだっけ
リングアウト勝ち4点は□とかの方がわかりやすいな >>600
ガキのくせにフロリダ州タンパとかミズーリ州セントルイスとか
はたまたチェッカードームだキールオーデトリアムだMSGだとか
甦るネプチューン三叉の槍だの掟破りだの戦いの大海原だのそんなこと小学校で話していたからな
プロレスなんて全く興味のない女の先生なんて随分とこまっしゃくれたガキ共だと思っていただろうけど
純粋にプロレス楽しめて知識も得ることができて楽しかったよ 坂口征二が北米シングル&タッグ王者の頃、タイトルマッチはメインイベントにして猪木はセミを務め当初の約束「猪木と坂口は同格」のバランスを保ったのだな。 藤波だってジュニア王者時代はタイトルマッチはNWFとダブらない限りはメインだったぞ キムケンのNWAインタージュニアがメインだった日って
あったっけ?
チャボとの連戦は一戦目が武道館四大タイトルマッチのひとつ
二戦目が蔵前で猪木対ホーガンのNWF戦とWメインとさすがに
いい扱いだったのは覚えてるけど
ピート・ロバーツとは会場こそ田園だったが明確なセミ扱い
ロン・スターとは地方会場だったがあれはメインだったのかセミ
とかセミ前だったのか >>609
初めてそれが破られたのは蔵前の猪木・アントニオ戦の時だったか >>612
あの時はアントニオ対決の注目度に加えて
北米タッグの挑戦者組負傷交代で安牌防衛みたいなマッチメークになっちゃったからかな >>609
しかし最後の頃の北米ヘビーはアレンとばっかりやってるような
場所も坂口お膝元の地区ばかりという印象
プロモーターの要請がない限り北米ヘビーをやる必要性を
ブッカーの坂口自身が感じていなかったんだろうね 以前国際スレで話題にした事だけど、新日の第二回ワールド
大リーグ戦、本当は坂口が優勝するはずじゃなかったのかな
猪木はシンにNWFタイトルを奪われ体調不良、なにより「猪木と
坂口は完全に同等に扱う」という入団前の約束からすれば、
二大会連続で猪木が優勝するというのは何か腑に落ちない
(形の上だけ第三回四回と坂口が「連覇」するけど、猪木は
参加せず、体のいい勝ち逃げに走ったわけだし)
猪木単独エース態勢が出来たのはルスカ戦が高視聴率を取り
アリ戦をぶちあげた盛り上がりを見た坂口がマッチメイカーとして
一歩引いたからで、それまでの新日本は今考えられているほど
猪木だけを推す体制じゃなかったように思う 実際、当時のゴングなんかだと「優勝は坂口」という「予想」が多い
れいの5つ巴の決着も猪木のメンツを保ちつつ坂口を優勝させる
お膳立てだったんじゃなかったかと邪推してしまう
決勝進出者決定トーナメントはまず第一試合で小林と猪木が
両者リングアウトで引き分け、第二試合では坂口がTVマッチ
四連戦で大反響を起こしていた抗争相手の大木をフォールで
破るか、もしくは第一試合で優勝がなくなった小林が乱入して
リングアウト勝ちして坂口が決勝進出
小林はこのワールド大リーグ戦直後の韓国遠征に参加して、
大木のインター王座に挑戦する予定だったから、韓国で負ける
代わりリーグ戦で大木に勝ち因縁を作っていたんだと思う
まあ渡韓はしたものの食中毒で試合が出来なくなったんだけど
そして決勝は坂口が前年の因縁のあったクラップを叩きのめして
猪木に続いて優勝、という流れが自然だった気がする
決勝トーナメントになる星割りまで坂口優勝路線でいたのが
突然何らかの事情で猪木の連覇になってしまったんじゃないか
それが大木の「坂口に負けるのはやっぱりイヤだ」というゴネが
原因だったのじゃないか…とか、古い時代の妄想ははかどりますw 今の新日ファンが昭和の新日を貶す事あるけど昭和ファンからしたら猪木のトップロープからのニードロップの速さなんて今のレスラーのさんざんアピールして空かされるのとはエライ違いでこれも時代の流れ言われたら仕方ないけど 徳光和夫プロレス自慢できる話
田上明の回で最後に彼を「主役じゃないけどここぞというときにいい仕事をする」と上田馬之助に例えていたけど、俺は坂口征二のほうが田上に通じると思う。
レスリング以外の格闘技からプロレス入りして長身、ナチュラルパワー、赤タイツ、タッグ王者、欲が無い等共通点も多い。 田上は元十両だから一応関取
柔道日本一の坂口よりは実績なし
序二段どまりの上田よりはずっと実績ありだな 田上と坂口の共通点まだあった。
社長就任し、専念するため引退した。 >>614
北米ヘビーは大木のアジアヘビーと同じに坂口の名誉王座という感じだったな
双方ともタッグ王座の方が実働って感じで 「俺が北米ベルト奪ったのに、坂口はリターンマッチも挑まずに他の北米ベルトを取ってきて
防衛戦を繰り返している。本当にダメなヤツだ」とシンが言っていたがその通りだったよな。 NWF北米ヘビー
NWF世界王座を新日に売却した後、パワーズがクリーブランドの王座として設立
プロモーター廃業したので不要となり新日に譲渡
WWF北米ヘビー
インターコンチネンタル王座設立の布石として、南部MSWAの前北米王者だった
デビアスがタイトルは落としたがベルトはプロモーターのワットの許可を得て
持ったままNY入りしWWFが認定、しばらく防衛した後でパターソンに奪われ
そのパターソンが架空の南米王者との架空の統一戦でインターコンチ王者になる
事が決まっていたので不要となり新日に譲渡
一応最盛期は五大湖地区の看板タイトルではあったNWFと比べてショボすぎるわw クラシックで見た猪木・藤波VSルスカ・M斎藤
最後猪木がルスカに卍固め、藤波が斎藤にドラゴンロケットと実に贅沢な競演!
観客はどちらを見てよいか困っただろうなw >>623
WWF北米の方が格上だと思ってただけに、この解説はありがたい。
パワーズが猪木にNWF獲られた後も五大湖周辺で活動してたんだな。 藤波がドラゴンロケットやプランチャ―を持ち込んで、メインの
6人タッグに絡むようになった時は頻繁にそれがあったね
卍固めみたいな持続性のある技ならならまだいいけれど、
延髄やバックドロップだと藤波が場外に飛ぶのを見てる間に
リング上は猪木が抑え込んでいて3カウント、みたいなことが
多くてビデオの無い時代としては贅沢な悔しさだったw まあ興行数は年々引き算じゃなく割り算で減ってって
クローズ寸前はほぼインディだったけどね 北米ヘビー級王座を日本のレスラーに獲られて、北米は困らなかったのかな? 向こうはまたべつに北米チャンプ作っつるやろ
プロレスなんてそんなもんやぞ そう言えばパターソンは、坂口に北米ヘビー取られても帰国後防衛戦やってたみたいだね。
ソントンもタイガーにNWAジュニア取られた後、帰国して普通に防衛戦やっていたし。 坂口がテレビマッチでピンフォール勝ちした試合を見た記憶が殆どなくて、得意技の
アトミックドロップを出してもカウント2でいつも返されているイメージ。 坂口はボストンクラブで勝つイメージ
S小林が勝った試合って記憶にないわ シンのパートナーが上田になる前の北米タッグは、シンが小林から1本先取して、
2本目3本目は小林と坂口が弱いパートナーから1本ずつ取って防衛するイメージ。 >>620
坂口と田上の共通点
プロレス入りする時、元の柔道界、相撲界と、ひと悶着あった。 >>623
>NWF北米ヘビー
>NWF世界王座を新日に売却した後、パワーズがクリーブランドの王座として設立
これは違う
この北米ヘビー級王座はNWF設立以前からこの地区に存在した
1968年に創設され、ムース・ショーラックが初代王者との見方が一般的
その後NWFが設立されパワーズが初代王者になるが
まもなく手放し、猪木に譲り渡す直前まで手にしていない
その間パワーズは北米王座の方を保持し、取られたり取り返したりしながら興行していた 今ではNWF北米ヘビーじゃなくNWA北米ヘビーになってるな
昭和54年9月6日 福岡スポーツセンター
NWA北米ヘビー級選手権
坂口征二 vs マスクド・スーパースター
https://njpwdvd.com/anthology/
79年1月にNWA認鋳阮k米ヘビー級演、座奪取
https://www.pinterest.ch/pin/764837949196486788/ 新日も全日もそうだけど、同じ団体内でシングル王座が2つ以上あるってなんか変だよな。
日プロ時代の猪木のUN王座は、NETテレビで放送するためのものだから意味はわかるけど。 >>638
全日本での馬場のPWFと鶴田のUNの共存が一番上手くいったイメージ >>638
そんなのは、力道山が2つ兼ねていたが、日本プロレス時代から
インターとアジア。馬場がインター王者になってから猪木がUN戴冠まで
大木がアジア王者。国際はメインのIWAの他に草津が英国西部、南部、
S小林がUSA王者と。いち団体に2個以上のシングルタイトルはザラだな。
まぁ、ヘビー級王者とジュニアヘビー級王者がいるのは分かる。
アメリカも団体もメインは世界王座、つぎのセカンドチャンピオンとして
US王者とか北米王者とかよくあるな。 >>640
力道山は死の二年近く前からアジアヘビーの防衛戦をしておらず大木の戴冠はあくまで名誉的な扱いといった印象
二番手王座はむしろアジアタッグの印象に 天下のWWEだってベルトがコロコロ統合されたり生まれては消滅、を
繰り返してるからね
NWAタッグ王座はNWA傘下のテリトリーそれぞれに一組ずつあった
(要するに傘下の地区の数だけ「世界タッグ王者」が乱立していた)
というのにも驚いたけど、一番たまげたのは「WWWF(WWF)」なんて
団体は存在していなかった、という事実だなあ
あったのはマクマホンの総合興行プロモーションだけで、MSGなどで
興行を打つ際にベルトがあったほうが「無いよりは盛り上がる」から
「世界ヘビー級ベルト」をギミックとして作っただけ、認定団体なんて
箔付けが要るらしいからとりあえずWWWFだのという名前を付けただけ、
というだけのことだったと知った時はそりゃ魂消たものだった
全日本女子の「WWWA」、国際の「パリに本部があるIWA」、全日本の
「ハワイに本部があるPWF」みたいなペーパー組織だったんだからなあ
そりゃ新間をプレジデントにして南青山に本部があることにだって
しちゃうわけだというw
ボクシングのタイトルだって同じようなものだったと言われればそれまで
なんだけど、タイトルマッチのたびに認定宣言やら認定証やら持ち出す
権威好きの日本人としては複雑だったなあ >>642
力道山所縁のアジアヘビーが復活したので用済みって感じ IWGPが「日本プロレスリングコミッショナー認定」だった時、
リング上で認定宣言が行われ、
「この試合を、【日本プロレスリングコミッショナー】が認定する、、」
と読み上げられると、「そんなモノ、どこにあるんだよ!?」
という野次が起こった(苦笑) >>645
胡散臭くてもタイトルマッチ宣言や認定証なんかはあった方が良かったな
今なんかベルトまでレフェリーが渡すようになっちゃったからな >>646
タイトルマッチ宣言は、よくわかってない人に読ませると間違えるからなー。初代IWGPジュニア決定戦での「エツナカシロー」とか。 >>647
インディーのタイトルマッチで知らないお爺ちゃんが認定証読んだんだけど、老眼みたいで認定証を近づけたり遠ざけたりして、結局横からリングアナが耳打ちしながらやってた事がある >>647
よくわかっているはずの坂口でさえ、天山ヒロキチって読んじゃうからな でもプロレスのローカルタイトルとか好きだったな。
アメリカ各地にあるUS王座や北米王座、南部やミッドアトランティックなんかは
専門誌でもある程度情報が入ってきたが、もっとディープなTV選手権やブラスナックルといった
「土着」的な王座やそれにかかわるローカルレスラー。
ベルトデザインもチープなのから意外と豪華なものだったり、3大世界王座よりもっと
入り込んだ世界として興味は尽きなかったが、まあ流石に詳細まで追跡するほどの気概は無かったけどねw >>649
稲妻健吾も「コジマサトル」読みしてたしなw >>646
ジョニー・パワーズが猪木にNWFタイトルを渡した東京体育館の試合を
「あの試合は国歌吹奏のセレモニーなどもあったし、とてもマジェスティ
(威厳)に満ちていたね。猪木がチャンピオンになったことでNWFという
団体そのものもやっとアメリカのマスコミに注目されはじめたし、私と
ペドロ(・マルチネス)にとってはギャンブルだったが、ビジネス的には
ベストな判断だったと思う」
と言っていたね
つべでも大阪のバックランドとローデスのWWFタイトルマッチの
厳かな雰囲気を懐かしみ讃える英文コメントが幾つかあった >>645
途中からIWGP実行委員会になったんだよな >>655
場外テンカウント
反則リングアウトでもタイトル移動
ヘビー級イコール無差別級 >>653
新日はタイトルマッチの国歌吹奏で威厳を持たしていたけど全日はあまり記憶してないな >>657
馬場は国歌吹奏について「ブッチャーにはどこの国歌を流せばいいのですか?アポー」と否定的だったな。 >>658
レスラーのギミックの設定に沿ってやればいいだけと思うけどなw >>656
あらゆる負けは移動というルールは完全に挑戦者側有利で、その時はほぼ王座移動フラグが立ってるw
馬場からカマタはまさにそれ。80年2月に猪木がハンセンの軍門に下ったのもリングアウトだったな。
まあエースがピンフォール負けで転落というのは示しがつかないしプロレス的な勝敗だw 坂口は高岩竜一をたかいわりゅういちと認識していて認定書を読み上げる時に毎回
りゅういちと呼びあげていたが、正しくはたつひとでケロが自分の所の選手なんだから
間違わないで下さいと言われていた。 船木 優治(まさはる)も1989年4月、UWFに移籍して、
後楽園で入団挨拶。前田日明に
「今年からUWFに参加する船木ゆうじ選手です!」
と紹介されたって本当? >>660
猪木がシンにNWFタイトル取られた試合はビデオの無い時代
現物を見られなかったので、「意外な大技ブレーンバスターで
フォールされた」と信じていたのだけれど、ビデオを見たら
ロープに振ってパンチ一発から3カウントフォール、という
結末だったのでかなり唖然とした
あの頃はまだ猪木坂口並立態勢だったところに全国区の
小林まで入ってきたりで、猪木はアンドレにピンフォールを
取られたりと割に格にこだわらない負けが許されたのかな 次週放映予定のカードのテロップに
全日は「リック・ラレアー」
新日は「アルマニ浜口」
というのがあったな >>664
3本勝負のタッグマッチとはいえ猪木がマスクドスーパースターにフォール負けしたこともあるし、
エースだから負けちゃいかんってのは結構後になってからの価値観だろうな。
3本勝負といえば猪木がシンのアルゼンチンバックブリーカーでギブアップしたこともあった。 >>664
>ロープに振ってパンチ一発から3カウントフォール
凶器で喉を一突きというブックだったが
シンがやり損ねた そーいや新日初期の猪木は結構負けてましたな。。
Wリーグ初戦の大木やクラップ、バーナードに反則暴走とか。 ジョン・トロスに反則負け含みだが
3本勝負で0−2のストレート負けもある。 猪木・坂口のゴールデンコンビで猪木がフォール取られた試合がハリウッド・ブロンドス
とかパワーズ・パターソンとの試合であった。多分世間的には坂口が図体がデカい癖に
役立たずで猪木の足を引っ張る印象しか残ってないだろうな。 パンチ一発でピンフォール勝ちでも当時の客は納得してたよね。
勝ったシンに物が滅茶苦茶投げられてたけどw >>674
国際だとガニアが原をボディスラム一発で
フォールというのがあった。 シンのギャラは最初が週三千ドル、それから徐々に上がっていって五千ドル
アンドレは値を吊り上げず五千ドルで固定だったというから
最終的に世界のアンドレと並んだことになる。
カナダのトロントでしかメインになれないインド人がずいぶん出世したもんだ 第1回NWAタッグリーグ公式戦、
ニック・ボックウインクルは、ショルダースルー一発で馬場をフォール。
同シリーズ、対猪木シングル戦、一本目、ゴングと同時にドロップキック3発、
わずか11秒で先制フォール(2本目はコブラで22秒でギブアップしたが) NETテレビで放送するために馬場組と猪木組を分割したが、当時両方のプロレス中継を
見ていたファンは、「なんでインタータッグ王者組が組まないで参加してるんだろう?」
とか疑問に感じたんだろうな。このタッグリーグ自体がNETのアイデアだったらしいが。 ところがNETは決勝のニック&クイン戦を放送していない
それとラッド&ジョンソン戦もしてない >>673
その話とは関係ないが、子供の頃そのハリウッドブロンドス憎くて憎くてしょうがなかったなぁ。 >>650
ゴングを読んでたから、ジョージア・ナショナル・ヘビーが他のローカルタイトルより少し一段落ランクの高いタイトルのように思えてました >>664
パンチ一発じゃなくて、ロープ越しのブレーンバスターから、白いサポーターに凶器を入れてのカウンターのエルボーだよ。
凄く速いエルボーだから、舟橋アナはナックルパートと言ってるけど。 >>683
防衛戦での陥落でなく返上決定戦の形でシンに渡した意図は? ハンセンとシンはよくタッグ組んでいたけど、アンドレがシンと組んだのって記憶にないな。
この二人は共闘したことある? まず一緒に来たのが1回だけ(80年第1回MSGタッグ)。もちろんこの時も互いの陣営だけでカードが
組まれていった。少なくともアンドレもシンもそれ以前の新日ではドル箱だったから
一緒に来日させるというような「無駄遣い」はできないw >>687
初期の新日本はシンとアンドレとパワーズが三本柱だったか
あとワールドリーグ要員のクラップ http://konjyaku.blog.jp/archives/1061836438.html
アンドレとシンを戦わせてもシンの商品価値が落ちるだけで誰も得しない
別々に呼ぶのが団体として当然の配慮だったんだ >>688
常連でエース級ならその4人。あとはタッグがハリウッドブロンドス。
新日初期というか旗揚げから創成期の頃の外人なんかどこの誰?といった顔ぶればかりで
殆どそれ以降も定着せず、一回きりの来日で終わってる。
ジェシージェームス、ジョージグラント、ジョンファー、リックニール。。誰??? アンドレとシン、シングル対決じゃなくタッグの公式戦の方だったと思うが、
観客からシンコールが起こったんだよね。アンドレは新日ではシン以上のヒール扱いだった。 >>690
上田以前のシンの歴代パートナーについても興味深い 第1回MSGタッグリーグの外国人控え室やらバスの中は、どんな雰囲気だったのか。 サンクス
アンドレとシンは80タッグしか同時来日なかったのね
この二人の対決も見てみたかったなあ
公式戦ではハングマンがシンにやられてアンドレ組は優勝戦線から脱落したんだった >>694
翌年には全日本の最強タッグで馬場組の優勝を阻止したんだよな なぜ若松って、マネージャーとしてあれだけシリーズに参戦できたのかな?外国人ルートやタニマチを持っていたのかな? >>683
確かにそうだね
でもトップロープ越しのブレーンバスター…、と見せて
ボディスラム気味に投げ捨てるブレーンバスタースラム、
シン抑えるが猪木余裕をもってカウント2で跳ねのける、
シン特に右ヒジのサポーターをアピールするでもなく
引き起こした猪木をロープに振って素早い右エルボー、
特にダメージを表現する駄もなく普通に倒れ込んだ猪木を
シンが抑え込むと猪木あっさり3カウントを聞いて観客席も
怒るよりも呆然としてしばらく静まり返る中、永源が素早く
エプロンに上がって乱入してくる観客に備える…
という最後の展開だけ見ていると、凶器攻撃による不運な
負け、っていうニュアンスは薄いですね >>695
あの年の最強タッグ最終戦、発表では馬場・鶴田組対
シン・上田組がメインになっていたんだよね
当時の全日は最終戦で決着がつくのが当たり前だった
それが当日になってみるとなぜか馬場組対シン組は
セミに回されていてお約束の両者リングアウトで勝ち点
ゼロに終わり、急きょメインに回されていたファンクス対
ブロディ・スヌーカ組が「決勝」の扱いになった
そしてご存知のようにハンセンの乱入でブロディ組が優勝、
「実は最終戦で馬場がシン・上田組に勝って優勝するはず
だったのが、ハンセン引き抜きが成功したので急きょ筋書きを
書き換えてハンセン移籍をアピールするために試合順を
入れ替えてブロディ組の優勝にしちゃったんじゃないか」とは
当時から言われていた
翌年は遂にハンセン・ブロディの夢のコンビが実現したのに
前年のツケを返すようにファンクスが優勝してしまい、さらに
翌年「10万ドル争奪世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ」
という申し訳のようなイベントが突然作られて、やっぱり
ハンセン・ブロディ組が優勝と、とにかく八方のメンツを立てる
バーターがこれでもかと横行していて、そういう所が
理不尽がまかり通るw新日本に比べて全日に刺激が
感じられなかった所だったんだよなあ >>692
ガマ・シン、タルバー・シン、ブルータス・ムルンバ >>692
上田以前は、パートナーやないやろ
単なる手下やな >>686
シンとハンセンのタッグって覚えてるのは1980年の猪木&ローデス戦だけだけど、1977年の新春シリーズでもタッグ組んでたっけ。 >>698
実際にはハンセンの移籍は半年前に既に決まっていたんだよな
あと当時の最強タッグではファンクスが最終戦のメインだったのであれは当初からの予定とも思われる
馬場組とシン組をメインに発表していたというならあるいはハンセン登場を察知されない煙幕の可能性も ハンセンは新日に初参戦した時にシンを見て衝撃受けたらしいよね。
ファンに対する振る舞いとか。 >>687
ブッチャー引き抜きは全日潰しが目的ではなくアンドレ、ハンセンが参加した次ぎの
シリーズは外人組が弱くなるのでまだまだ根強い地方人気の高さを買って法的に問題
無い事を確認した上での移籍だった。ただ「レスラー猪木」は歓迎しなかった・・・
>>693
専門誌に旅日記の写真があるね。寝転んでアイスを食べたりゲーセンで遊ぶハンセン・
ホーガン、めずらしく外国人女性達と写真に収まるシン、後援者との食事会で食べまくる
上田等が載っていた。
>>696
新日の顧問に就任した吉原氏のルートのはず。カルガリーでマネジャーとして活躍した
後で日本に帰国して新日道場に出入りしている中でを早大レスリング部で吉原氏の
先輩でありテレ朝から新日へ二度目の出向中だった永里氏から新日参戦を要請された。
>>698>>702
馬場はブッチャー引き抜かれた後、5〜6月くらいにテリーの仲介でダラスの空港で
馬場夫妻とハンセンの会談が行われて「年末まで新日との契約があるのでそれが終った
いつでも行くぜ!」と契約完了。シンより先に引き抜いた。新日は引き抜きを警戒して
ハンセンに長期契約を迫るも「離婚問題が片づいてから・・・」とノラリクラリ先延ばし
にされて新間は「馬場さんにやられたか・・・」と認識してテキサスロングフォーンズを
優勝させなかった。
ハンセンが残留したらご褒美でハンセン・マードック組の優勝だったのかな? >>702
>ブッチャー引き抜きは全日潰しが目的ではなく
『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』外伝
「ジャンボ鶴田が黒パンツに変えた日」(前篇)にて
1981年初頭に新間が鶴田を「ギャラは猪木と同額。坂口、藤波より上。」で引き抜こうとした話が書いてある
どう見てもこの時期は新日黄金期だった事もあって全日を本気で潰そうとしていたよ
>「年末まで新日との契約があるのでそれが終った いつでも行くぜ!」
ハンセンは「6月には全日移籍を決めていたが81年まで新日との契約が残っていて
それが切れるまで待って移籍した。」
新間は「ハンセンはきちんと違約金を支払って移籍した。ハンセンは人格者だ。」
ちょっと証言が食い違っているんだよな >>706
引き抜いても飼い殺しにして用済みになれば自分から出ていくように仕向けた可能性はあるな
それこそ新間の責任という事にでもして
ある意味では戸口がこれに引っ掛かった
ちなみに似たケースとしてはダイエーの中内がイトーヨーカ堂から鈴木を引き抜こうとしたという事があるがこれなんかも明らかに引き抜き自体が目的なのは目に見えている
(自分のやり方に絶対の自信を持つ中内が鈴木を活用出来るはずがない)
この時の鈴木の断り文句はイトーヨーカ堂のシステムあっての自分だという事でこれもまた鶴田に通じる感じ >>705
ハンセンとシンに出ていかれた最大の理由はブッチャーが来る事について事前に了解を取らず長期契約などの対策も取らなかった事
だから馬場にやられたというより自分たちが迂闊だったというのがむしろ正しい >>701
たぶん俺がハンセン初めて見たのがその試合だ
当時はハンセンがあんなに強くなるなんて思いもしなかったよ >>709
当時はむしろシンと上田の凶悪合体が話題だったんだよな >>701
>>709
ハンセンの来日第一戦が越谷で猪木とのシングル。
シンの乱入で共闘して猪木を袋叩き、そこからタッグ結成って流れじゃなかったかな?
ちなみに、ピート・ロバーツとの友情もこのシリーズからだね。 よく言われているけれど引き抜き合戦は馬場と猪木が打ち合わせて
テレビ局の金を引き出して行った合意のトレードだったというけど
その引き金は79年のオールスター戦だったような気がする
アリ戦後のプロレス界ってとにかく沈滞していて、いつも通りにやって
放映権料もらっていればそれでいいや、という感じだったのが
オースター戦が予想外に盛り上がって
「あれ?プロレスの需要って意外にあるんじゃね?」
と関係者が目覚めたというか
とにかくオールスター戦前後のレポートを見ると、東京スポーツは
周年行事として企画し、団体側はまあしゃあない、協力してやっか、
程度の空気だったのがよく伝わってくる
当初用意していたパンフレットの数なんかも、大して盛り上がるとは
思ってなかった甘い見込みが実に濃厚だったし
それが武道館は超満員、新聞は大売れ、グッズは羽が生えて完売
当時たまたまWWFと新日の提携がうまくいって、猪木が日本人初の
WWF王座をレンタルすることになり、それを聞きつけた馬場が対抗
意識を燃やしてNWA2度目のレンタルに動き、その流れから
「俺たちで意地を張った企業戦争やってる、っていうていでマンネリ外人の
入れ替えをしようぜ」
という所まで行ったような気がしてならない
それくらい78年頃って「何やったってプロレス人気なんか上がらねえよ」
みたいな雰囲気が感じられるw 新日の外人に対する態度(待遇)って、いい加減というのか誠意的なものはあまり感じられないなw
まあ向こうもギャラドロボー的なのもいたり、巡業中の素行だったり色々あるかもだが。
そう考えるとアンドレは稀にみる義理堅い良識派なんだろうか。WWFと切れた86年も来日してたし。 >>712
> よく言われているけれど引き抜き合戦は馬場と猪木が打ち合わせて
> テレビ局の金を引き出して行った合意のトレードだったというけど
一部でそういうことを言ってる奴がいるだけで
よく言われているわけではない。 >>716
出来レースにしては後遺症も大き過ぎる感じ https://pbs.twimg.com/media/Ew5Fiv5UUAEm-Am.jpg
後遺症といえばチャック・ウェッブナーが異種格闘技を引き受けたのは
ボクシング時代に負った鼻骨骨折の手術代を稼ぐためだとか >>716
あの2人にはホットラインごあった訳で
本当のところは当人のみにしかわからない。
結果的に合意のトレードにしても
それぞれの思惑があるし、
その他の関係者にはまたそれぞれの立場と
メンツからの見方があるから、
これが真実!というものは中々はっきりとは見えない。 >>720
そこが冷戦の米ソ関係と同じと言われるところなんだよな
敵は互い同士だけじゃないわけだから時には暗黙でも組んで分割支配を維持していた面もあるかも >>716
どっちかと言えば、いわゆる猪木派の人達がそう言ってる。
理由はなんとなくわかるでしょう。
興行成績は置いといてハンセンが引き抜かれたのは精神的にダメージがでかかった。簡潔に言うと、みんな猪木と闘いたがってる、IWGPは全レスラーが出たがってる、の幻想がだった一人のレスラーの移籍でガラガラと崩れ落ちたんだから。 >>724
あと外国人レスラーとしても稼ぎ場所が一つでも多い方が良いからな
だから後のブロディと同様にそれぞれの団体を存続させようと動いた可能性もある 4vs4綱引きには、どんな約束事があったか知りたい。 >>723
猪木信者は猪木批判には耳を貸そうとしないし
屁理屈をこねてでも相手(馬場)が
悪い理屈に持って行きたがるが、
馬場信者は全日本のダメさ加減も
含めてファンになっているように思うね。 >>727
新日系のスレに猪木や藤波の悪口
全日系のスレに馬場や鶴田の悪口
どっちが反撃してくるかねぇ https://pbs.twimg.com/media/DigrXXtVsAAeAlD.jpg
メキシコでNWA総会が行われた日、魁と柴田はEMLLでメインとセミの試合に出場
魁はNWA世界ミドルヘビー級選手権、柴田は敗者髪切りマッチ >>56
五月の興行数が凄まじいですね。
延べ27日、休み四日だけって年間300回を超えてたとは。
どさ回り時代のアリス並みw >>707
黄金時代の西武ライオンズもポジションは完全に埋まっているのに「他球団に取られるより
マシ」とアマチュアの逸材選手を入団させるも飼い殺しにする「高等戦術」を取っていた。
>>717
佐山タイガーデビューの関係でブッチャーのマネージメントを担当する梶原プロと昵懇に
なり移籍の意志も確認して猪木に報告するも「ウチに必要か?」と歓迎せず地方人気
の高さを説明すると「じゃ・・・取れ!」と「社長」として渋々、了解したと大塚氏が
述べていた。ハンセンと違い自分から動いて試合を作らないといけないので「レスラー」
として歓迎しなかった。
ただ馬場の想定外の反撃は後年もトラウマになったらしくブロディの時は「ひとり引き抜いた
けど馬場さん、怒るかな?」と戦々恐々としていたらしい。
ハンセンは全日に移籍した理由のひとつに新日では外人レスラーは「猪木を輝かせる
ための"商品"でしか無い!」と自伝で書いていた。
引き抜きはデキレースとしっこく追求する倉持アナに対してブッチャーで完全否定していた。
>>718
ルスカも夫人の大病のための治療費のためにアリ戦に実現に湧く中で自ら売り込んで来た。
>>721
世界にある所では対立して別の所で第三国相手に手を握るまさにゴルゴ13の諜報戦の世界。
>>730
この時期って^木派の二人が新日参戦が噂されて頃。メキシコに二人を勧誘に行った
^木と会わせないために手を回して二人を地方興行に出したりしていた時期。 >>733
当時の西武で代打の切り札だった安部、森あたりは、貧弱打線の日本ハムにいたらクリーンナップだっただろうな。 >>726
正規軍(猪木藤波坂口前田)
維新軍(長州浜口谷津カーン)
ベストな対戦カードは
猪木VS長州 藤波VS浜口 坂口VSカーン 前田VS谷津だと思うけど当日のカードはその次ぐらいに評判良かったんでは?
この綱引きにカラクリはなかったはず >>735
カラクリがないわけないだろ。当日その場でブック組むのかよw >>735
勝敗だけ決まってれば可能な流れでしょ
前田が腰を痛めたと主張する長州のガチサソリとか不穏な部分もあるし >>737
組み合わせが決まってないのにどうやって勝敗決めるの? >>738
それぞれがどの綱を引いて、誰と対戦するかくらいは最初から決まってるでしょ。 >>738
2勝1敗1分だけ決まってれば
日本人対決だし >>741
ありえないよ。
メインが結果が判りきってる猪木VS浜口、セミが塩同士の坂口VS長州なんてなったら会場がヒエヒエにる。 >>734
それは読売巨人もやってた手だな
まあ選手としては生涯設計の計算もあるから否定は出来ないが球界全体をつまらなくしたのは確か >>735
いきなり猪木と谷津のメイン対決というのに一番驚かされた >>740
いやだから俺は最初からそう言ってるんだがw >>743
>それは読売巨人[も]やってた手だな
ではなく、
それは読売巨人[が]やってた手だよ!
西武ライオンズが出来る前から。 >>734
ソフトバンクの控えだった福田が「他チームならバリバリのレギュラー」と見なされて
総額8億円でロッテが獲ったけど、控えは控えでしかなかったね 綱引きがガチだったとか言っちゃう理由は、引き抜き合戦が出来レースだったと主張する理由とほぼ同じだよね。 「綱引きがガチだったとか言っちゃう人は、引き抜き合戦がガチだったと主張する人とほぼ同じ」だろう >>747
プロにとっては出来るだけ自分を高く売るかが一番のガチな勝負だからな
それは野球もプロレスも変わらない >>7445
あ、失礼w
綱引きで対戦が決まっていなかったと思ってる人に対する言葉だったのね。
読み直して自分の勘違いを反省。 昭和新日本と言えば、猪木の身体についていた丸型のお灸跡。 >>744
でもうまい組み合わせだよな。
坂口の強さを見せつつ、浜口の姑息さ。
前田対長州のシングル初対決、大将の長州勝利。
昔から切磋琢磨の藤波対カーンの引き分け。
維新軍に寝返った谷津を猪木が公開処刑。
双方の大将がきちんと勝つところも見事。
谷津のYouTubeチャンネルでは対戦が綱引きで決まってから長州と作成を練った話があるが、
対戦は綱をどれ引くかは決まってたと思う >>755
吸い玉自体は大昔からあるが効果らしい効果は見られず、擬似科学偽医療の一つだよ。
この写真は吸った後が潰瘍になっいる。ここまで傷が深いと敗血症になってもおかしくない。こんなになっているのを見たのは初めてだ。
患者が訴えれば医師法違反傷害罪で逮捕されると思う。 ギブアップまで待てない時代のチーフプロデューサーが死んだな。どれくらい関わっていたが知らんが。
視聴率を半減させたやつなんでどうでもいいがw 綱引きは「この時にやっておいてよかった」というカードばかりだね。
藤波ーカーン以外はこの後も組まれた事のないカードだと思う。
フィリピンで前田ー長州が実現してたぐらいか。 https://pbs.twimg.com/media/DoGPH_sVsAA15MO.jpg
こういう当時のパンフレットをツイに上げてくれるのホントにありがたい
コブラデビュー戦の相手を発表出来ないほどバタバタしとったのかとか
綱引きマッチだから事前にカード明記できない理由で空白にしてあるとか
健吾兄さんと星野が何故欠場してるのかとか想像が広がる >>762
キムケンも星野もこの前の数日間試合に
出ていないから単純にケガによる欠場なのでは? >>763
確か栗栖がオーンドーフの相手をしたんだったか >>756 >>763
俺が中学の頃 二家族で別府温泉では無いが
草津温泉に旅行に行ったんだっが
旅館で夜テレビで新日観て
オジサンが健吾みて「コイツ弱えーのなー」
言ってた やはり世間では健吾弱しが根付いてたか >>760
86年10月月曜20時、87年4月火曜20時、87年10月月曜20時、
88年4月土曜16時こんだけ目まぐるしく変わっていてそのギブアップまで
待てないも番組内容もコロコロ変わっているのだからプロデューサー一人の問題
でもないだろう。 >>766
ワールドプロレスは金曜日8時っていうのがステータスになってたから移動は超マイナスにしかならなかった。ドーム興行や闘魂三銃士の躍進時に金曜8時なら結構視聴率取れたと思うけど >>767
オレはいまだにミュージックステーション見ないわ。 でもギブアップまで待てないも、ゴールデンタイム維持のための努力だったわけだろ?
結果的には毎週見てるファンがソッポ向いたが、毎週見てるファンだけでは
どうにもならない状況だったからこそ、あの番組が考えられたわけだからな。 どのみち金曜20時のままじゃたけし城に視聴率を喰われるのは避けられなかっただろうしなあ ギブアップまで待てない、たけしプロレス軍団、海賊男、みんなゴールデン維持のためだろ。 たけしは皇達也の線でプロレスに関わってきたのか。そういやタモリ倶楽部もプロレス
ネタは偶に取り上げていたな。 >>758
中国人のインチキ気功師が、やっていたよ。
本当に中国人って、他人を騙して金を
儲けることしか考えていないな。 >>768
プロレス録画して、わざわざ金曜夜8時に見てた時期あるわww
結局ミュージックステーションは自分の意思では見たことなかったな、一度も 充分に貯めた後の84年4月の猪木対長州戦の有難みは凄かった 充分に貯めた後の84年4月の猪木対長州戦の有難みは凄かった まあ長州は日本人とは好勝負するからね 日本人とは、、、 まあ長州は日本人とは好勝負するからね 日本人とは、、、 >>757
しかも谷津はカウント3寸前で返してる感じもあるしな。まだ余力あるという印象で、あんまりマイナスイメージはなかったような。 なんで長州は谷津に組み合わず逃げまくれなんてアドバイスしたのやら
そんな試合見たいのか たしか ギブアップまで待てない で
一回も試合中継無しで終わった回があった
これでは たまらない >>434何の面識もない田中美奈子につなぐw 一言も喋らずにスタッフが電話をかけるだけw >>731
全女じゃあるまいし年間300もやってないだろ。
新日の年間最高興行数は210くらいだったはず。 綱引き4対4からもう40年近く経ったのか。「谷津嘉章は〜駄目な人〜」なことが明確になった日。
谷津が自分の判断であのような試合をしたのなら、プロとして絶望的にセンスがないのは明白
だったし(実際無かったが)、会社としてやらせたというなら最初から推す気がなかったということ。
谷津を推したいなら藤波とやらせれればいいし(坂口カーン・猪木浜口でも結果は同じにできた)
査定したいなら前田とやらせれば良かった。 不思議と藤波x谷津、前田x谷津を見たいという声が無かった。不思議 >>759
新日野レスラーにあまりにも目立つために専門誌も同じ事を書いていた。
>>781
ホーガン戦の失神事件後に精彩を欠く^木が唯一、本領発揮できるのは長州戦だけ
だった・・・ >>791
いや、前田×谷津はスープレックス対決と銘打たれて、
「新日本プロレスで見てみたい日本人対決ベスト10」には入ってたよ。 個人的に谷津で一番印象に残っているのは全日本での鶴田との大流血のインター戦 >>796
ブッチャーとハンセンかに血ダルマにされた帰国第一戦やろ SWSの神戸大会でホーガン相手にカタい攻めして、試合後ホーガンが不機嫌で
毎度おなじみの筋肉ポージングやらないで帰ったんだよな
あの試合で不穏な事をする必要も意味もない、だだ谷津にセンスが無かっただけ 谷津嘉章が語る全日本&鶴田のプロレス
83年には、アメリカでトラ・ヤツを名乗って、テキサス州ダラスを拠点にするフリッツ・フォン・エリック主宰の『ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング』に転戦。
同年2月7日にテキサス州フォートワースでカブキに勝ってワールド・クラスTV王者になった。
同年6月17日、ダラスのリユニオン・アリーナのビッグマッチに出場した際には、遠征に来ていた馬場、鶴田、天龍とも会っている。
ダラスで馬場、鶴田、天龍と会った時には、馬場の計らいで高級ホテルに鶴田とツインルームに泊めさせてもらったという。
https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/703 谷津が地味に凄かったのは早熟ぶり
正規軍VS維新軍の勝ち抜き戦で中堅で出て
2連勝した藤波にまず勝ってその後に高田にも勝った時に
入門4年位で入門年数だと高田と変わらなかったという 金曜8時を失うことになったのは、三浦甲子二専務の死が影響していると思う。
三浦死去→80年
新日金曜8時移動→81年
三浦専務が生きていたら、例え視聴率が一桁になっても金曜8時を動かさなかったんじゃないかと思う。 ↑間違えた!
三浦専務死去→85年
新日金曜8時移動→86年
だった >>801
可能性アリですね。あの頃の新日の誤算は復帰したUWF勢で視聴率取れなかった事が大きかったしその後ジャパン勢戻しても視聴率の爆上げには至らなかったけどリング上はかなり面白かったと思う >>796
長州離脱後の横浜だね
谷津の早急な格上げが必要だったから、そこからたった3ヶ月の間にインター、UN、PWF、PWF世界タッグと一通り挑戦してるんだよな
10月には鶴田と組んでインタータッグにも挑戦、年末は最強タッグ優勝と目まぐるしいな >>798
ロープ振っての技が中途半端で
ホーガンの顔だったかな?に変にヒットして試合中ずっとそこ抑えてたから
機嫌悪くなるのも無理はないと当時見て思った
まぁ北尾の件も少しは影響あったかも >>805
同じ1980年入門だが、
高田(3月入門)の方が谷津(10月)より早い。 >>804
長州剥奪後の輪島とハンセンのPWF決定戦をセミにするなどこの辺りからインターがPWFより上な扱いになってくる
また実はインター戦として唯一の日本人対決だったりもする >>800
谷津は80年秋に入門。
高田 仲野 保永は80年春に入門。
厳密には谷津は彼等より後輩になる。 保永は79年、仲野はさらに前に入門
80年組は新倉、小杉じゃないの? 仲野って入門は早かったのに、ケガで一度新日辞めてるから
ジャパンに移籍した時の序列が保永、新倉の下に据えられたんだよな 移籍前の新日でも序列では小杉、後藤より下。
パンフでは84年デビュー組の山田、佐野、畑と同格扱いだった。
ただしリング上では後藤に勝ってる。 つか谷津が維新軍入りした理由ってなんだったんだっけ? 最初の頃はマサや高千穂とお揃いのタイツだったよな。いつの間にかJAPANの文字なくなったが。 >>800
仮にもアマレス日本代表で鳴り物入りで入団したんだよ。入門4年目でそれは遅いよ。
同じ立場の長州なんか3年目くらいにはもっともっとチャンスもらってたんだから、モノにならなかっただけで。 >>815
小鉄と永源の間にいるのが仲野らしいけど、なんか違うような気がする >>817
>長州なんか3年目くらいにはもっともっとチャンス
長州は入門3年目と言ったら、アメリカ武者修行中じゃないか?
(74年入門、76年時)77年に帰国、チャンスをもらったのは
79年の北米タッグ戴冠だろ?。
>>800
早熟というなら、入門した翌年にIWGPを取った中邑が最高だな(苦笑)。
鶴田も4年目には、インター王者、武藤も短時間ながら4年目でIWGPタッグ王者
になっている。谷津はアマのキャリアからすれば、そんなに恵まれていないな。
対抗戦で、藤波に勝ったと言っても、藤波3試合目で、足をロープに取られての
リングアウト負け。
高田は、まだ前座選手で(普通の入門4年目はそんなもの)、
谷津が勝って当たり前。むしろ高田の健闘が賞賛された。 それを言うなら国内デビューでチャンピオンになった馳 遠藤幸吉と遠藤光男を混同してたわ、同じ人物と思ってた。 馬場似の羅生門の試合見た人いる?
映画ならあるけど >>820
戴冠ではないがMSGでWWFタッグに挑戦している
また結果はともかく藤波や長州に先んじて猪木と蔵前のメインを張ったのも大きい >>820
スピード出世ならばただタイトルを取っただけじゃなくて、リング上の序列とその人に変わりうる選手がいないことを含めてで比較しないと実情が見えなくならない?
一番はプロレスそのものを作った力道山が飛び抜けてるが、
入門3年目で師匠の力道山に迫る人気、5年目には名目上は豊登がいるがが実質エースまで上り詰めた馬場。
その馬場に遅れること2年フレッシュなファイトでナンバー2に食い込んだ猪木、馬場という高すぎる壁と年齢を考えれば此方も凄い。
入門からわずか2年反対する者や嫉妬する先輩たちを押さえつけた上での大抜擢を敢行し、結果ファンの度肝を抜くファイトで全日No.2となった鶴田
かな。
馬場猪木のせいで影が薄い大木も見事な出世ぶり、。この僅かな期間に業界を支え続ける金の卵達を手に入れた力道山は本当に幸運。
坂口も早いといえば早いがシングルでメインを務める力が無かった事、上に馬場猪木大木といたためトップに食い込んだ感が薄い。
長州谷津は本当はもっと早く上で使いたかったが、試合内容が悪くて使えなかったと個人的には思っている。
特に長州は対鶴田でできればもっともっと早く上で使いたかったと思うんだよな。当時の長州の動きの速いこと速いこと。やっぱり物が違う。 旧Uが新日に戻って来た時に佐山がいたら、新日上ではどんな扱いだったんだろう?
ヘビーとして猪木ともやってたのかね? >>802
坂口も「プロレスに大変な理解力があった。」と感謝していた。
BI対決に1億出そうとしたりただこの話は栗山Pの話でしか無いけど。
他局を抜け駆けして「モスクワ五輪のテレ朝の独占放送権」を実現したりまさに
「テレ朝の天皇」の面目躍如だった。ただここから五輪の放映権は高騰が始まった。
しかし晩年はさすがそこまでの影響力は無くかなり低下していたらしい。
>>815
荒川の号令で練習をサボりソフトボールに興じて道場へ戻ると小鉄のリンカーンが
停まっていて緊急事態が発生w 慌てて多摩川の河川敷に戻り全員でトレーニングして
服を汚したりてアリバイ工作をて難を逃れた事があったらしいw
>>827
新弟子の雑用と前座経験無しでメインイベンタークラスになったのは団体所属者では
坂口、鶴田、谷津、天龍、輪島、、馳くらいかな? >>804
あの時期の谷津は神がかり的な強さだった。ハンセンにももう一歩で勝ちそうな勢いだったもんな。 それに引き換え、シンにやられっぱなしのデックサカを演じ通してNO.2であり続けた坂口の潔さよ、、、 シン上田にはやられっぱなしだが、なぜかアンドレと戦うと生き生きして動きがいい坂口、完璧なフォール負けだが惜しかった頑張ったと褒められる坂口。
あと猪木が欠場したときは俺がやらねばとばかりに活躍し、やればできるじゃねえかとファンを喜ばせる。けれど次の週はやっぱりいつものサカに戻ってしまうのがお約束。 >>831
いくらなんでもデックサカは可哀想だからせめてビッグサカと言ってあげて。 >>832
坂口は前田とやったときも生き生きしてた。
その前田には負けを許さなかったが、木戸にはピンフォール負けを許すw >>829
長州は?雑用したの?前座をどこまで含むかにもよるが、天龍が入ってるなら長州もだろう。デビュー戦や凱旋帰国後と結構な頻度でテレビで試合してたよ。 坂口も雑用してたけど、海外遠征の修行に出されるほんのわずかな間だった
そのわずかな間に先輩風吹かしてデカい態度とるミスター珍は性質が悪い >>832
猪木欠場時は坂口が暫定エースだから強いのは当たり前 >>830
武道館でハンセンを逆さ釣りに猛攻は凄すぎた
あるいはここで国内デビュー戦の恨みをかってくらいに >>841
原菌て練習生、身長190pもあったのか。デビューできなくて残念
北沢さんはもうヤングじゃないとは昔からずっと言われてきたパンフネタ >>842
第三回カールゴッチ杯の優勝者なのだけど、要は健悟の優勝を阻むために若手の中に
放り込まれただけで無意味な参加だった。 >>844
オールスター戦のバトルロイヤルに小鉄が入ったような物か 大量離脱の穴埋めに若手抜擢のため行われたヤングライオン杯、
優勝すれば翌年にはヤングライオン卒業ってどうかと思ったわ。
すぐに主力に交じって戦えるほど強くなるわけでなし、
毎年新人がデビューして人数を維持できるわけでなし。
第二回なんて参加選手が八人に減って、しかもゴタツが出てるんだからねぇ。 >>841
原薗、って名前だったはずだが、菌とはまたひどい誤植だな >>842
デビューはしたみたいよ。すぐ辞めたけど 話変えて申し訳ないけど猪木のWWFタイトル奪取は猪木信者だった自分でも幾つかの要素で喜べなかった。
1に地方徳島でのタイトルマッチ
2にタイガージェットシン乱入
3に解説の子鉄がバックランドのアトミックドロップにはカウント2ですよ猪木のバックドロップにはカウント3ですよと要らん事言ってたが観ていてバックランドの方がカウント3ぽく感じた。
結局リターンマッチでノンコンテストって馬場の時はタイトルの権威貶めてるって散々非難してたのに猪木も似たり寄ったりだとがっかりした あの年末シリーズは、タイトル挑戦の予定もないのにシンが参加していたんだよね。
WWF戦で乱入させるために、高いギャラ払って呼んだのは間違いないよな。 それでも、シンとバックランドの夢の対決が観れたのは有難かった。 年末のシリーズは、プレ日本選手権→WWF奪取したシリーズ→最初のMSGタッグリーグだったよね。
WWF王座攻防の翌年の年末に、バックランドと組んだのもガッカリした気持ちがあったな。 >>842
原菌はデビューしているだろ?
昭和53年8月25日、対・荒川真という記録があるぞ。
(新日本プロレス20年史)
だいたい、デビューしていない練習生はパンフに載らない。 プロレスラーの悪評って、他のプロレスラーの嫉みのようなのが多いよな。
誰かが売り出されたのに、俺に対しては全然やってくれなかったみたいなの。
一度も売り出されることがなかった北沢さんとか、悪評を聞いたことがない。 https://pbs.twimg.com/media/DW1NLwdUQAAuiax.jpg
メキシコで活躍してて、もう少しでNWA世界ミドル級ベルトに手が届くところだったのに
自分の団体旗揚げに頭数が必要だからと有無を言わせず日本から連れ帰った猪木
特にプッシュもせず中堅で燻ぶらせた挙句、若手枠に組み込んで健吾兄さんの足を引っ張る損な役回り
山本小鉄が権力振りかざしてドンドン窓際に追いやられているのに文句ひとつ言わない メキシコでトップになるのと
日本で中堅やってるのでは
どっちが金になるんだろう? >>849
動画サイトでこの試合を見た海外にファンが「カウントが早すぎる!」の嵐だった・・・ 昨日久しぶりに猪木VSボブループ戦観たんだが猪木の体調が悪いせいもあるけどループの強さばかり目立ってた。この試合も賛否両論あるけど最も謎なのは猪木がこういう硬い展開になると分かってたのか?ではと思う。ただ単にループがプロレスが下手だったので仕方なく付き合っただけなのか >>860
だからマレンコがマネージャーってわけか 新日がその後、ループを呼ばなかったことで幻想が膨らんだ
無冠の帝王とかゴッチ、ホッジなみのガチンコレスラーなのではと
実際はプロモーター同士のトラブルに巻き込まれて
主流派から外れてしまっただけなのに >>855
前田に対する誹謗中傷もそんな感じだろうな
猪木を別とすれば前田ほど社会現象になったレスラーなんていないのに
ガチ童貞と言われるけどそれなら藤波も長州も鶴田も同じ 藤波は「俺はケンカ一万戦無敗」なんて言わないからなあ >>863
> ガチ童貞と言われるけどそれなら藤波も長州も鶴田も同じ
格闘家を名乗ってないんだから同じじゃないわ。 >>863
前田は人のふんどしで儲けたから叩かれるんだよ。真剣勝負風プロレスは、もともと佐山のアイデアだから。 >>851
外人対決の中でもシン絡みは夢のカード感が満載だったからね
vsローデス、vsアンドレ、vsホーガン
移籍は残念だったわ
ブッチャーのIWGP参加も実現していたら夢があったけどマンネリ化していても中近東代表でシンがIWGPに出ていたらとか妄想
移籍していなかったらWWF参加もあっただろうね インド出身、カナダ在住のどこらへんが中近東代表になるのかな? >>863
藤波長州鶴田は礼節分かる人間なのに対して前田は格闘家自負しながらそれが欠如してるだけ >>867
前評判通りのメンバーでIWGPが開催されていたら、シンvsボックなんていう異次元対決も観られたかもね。 シンVSホーガンはMSGシリーズ公式戦で実現してるよね。 >>866
それって秀吉を嫌う負け犬信長ヲタの理論で失笑しかないわw >>870
それこそ前田が長州に言うてた言うだけ番長やね! すっかり詐欺師宗教家と化してるお笑い芸人に対して
「西野は行動力があるのではなく
倫理観ゼロだから普通の人ならこれはやってはいけないと
思うことをためらいなく平然とやってしまうだけなんだよな
契約解除の決定打になったLINE晒しとかまさにそれ」
という書き込みがあったけど、前田もそういうタイプなんだよな >>872
その前年のMSGタッグの特別試合が初対決 じゃあ あの時ガチでヒクソンと闘ったらどうすんだ?
高田以上にプロレスラーに迷惑かけたと思うぞ >>867
シンはリーグ戦要員じゃなかったからな
シングルで参加したのはアジアリーグ戦とアンドレの代打のMSGシリーズだけ 一度もガチの試合をしたことない人が、今さら何を言っても虚しいだけ。 >>877
そんなこと思ってるのは前田オタだけ。
そうやってプロレスラーの代表面するからますます嫌われる。 >>880
俺か 前田強いと思わないよ
ヒクソン モラエス ヘンゾ強敵は
みんな弟子にやらせる
佐竹とも闘わなかった
だけどTKはまあまあ実力あると思う >>863
>前田に対する誹謗中傷もそんな感じだろうな
>猪木を別とすれば前田ほど社会現象になったレスラーなんていないのに
前田ほど社会現象になったレスラーがいない?タイガーマスクはそれ以上じゃなかったか?
あの新日黄金時代に比べたら、旧UWFから出戻ったころの前田なんか全然格下。 882のひっかけに乗らない
桜庭はUインターからだからな 社会現象ってのは初代タイガーと84〜5年くらいの長州だけだろ 今、長州がテレビに出まくってるのは
そのころの名残みたいなものか? >>791 藤波vs谷津 前田vs谷津は84年に大阪城と蔵前で実現はしてるよね
どちらもノーテレビだけど 新日の失敗は前田をUWFに行かせた事かな?あのまま正規軍で飼い慣らしておけば自分から反旗翻す勇気なかったと思う(母親の件で困っていたし)あと新日は田中正悟の言いなりになってたのが情けない 前田はフィリピンでも長州とのシングルでフォール負けしてたよね。しかも6分くらいじゃなかったかな。 それを言い出したら前田はジョージ高野にUから出戻るまで全敗だし それにしても前田のIWGP以後の扱いはひどくないかな。維新とのタッグはピンとられるし
ビックマッチなんかないし。坂口とタッグ組んで外人組みとあたってるイメージ。
光ってたのはMSGタッグでの30分フルタイムくらいじゃないか >>892
まあ海外の試合なんて国内の地方興行より手抜きだしな。
>>895
前田はブック面では優遇されている。
外人にフォール取られるのはアンドレ・ホーガンくらいだし、
他にはIWGP公式戦でスタッドに取られただけ。
そのスタッドもそれ以外は前田の反則勝ちか両リンだし。
1年前の谷津なんて結構外人にフォール取られてたし、
維新軍になってもシュルツにフォール負けだった。 >>896
谷津は維新軍時代に坂口には一度だけピン負けしているから可哀想。 維新後の谷津がどこかの地方で坂口に体固めで負けてるけど何の技でやられたんだろうな 控え室のビガロにインタビューに行ったら、スーツの袖を引きちぎられ、壁にぶつけられた藤井暁アナ。 流血した倉持アナは家族が日テレに怒鳴り込んだかしたせいか、「スーツのクリーニング代」
という名目で見舞金が来たそうだけど、テレ朝のアナに謝礼はあったのだろうか >>900
その後渡米したときにシークからお詫びに歓待されたんだよな。 新日外人のアナウンサー暴行と言えばデビット・シュルツの古館襲撃があまりにも有名だが
youtubeでちゃっかり話題にしてたんだな ボブループはICWというインディ団体でボブオートンともコンビを組んでいたから
このコンビを新日マットで見てみたかった。 Gスピ最新号の大塚インタビュー、土俵を削れないための蔵前国技館専用リングとか
興味深い話題はいくつもあったけど「新日本オリジナルのベルト」についての話が
ありがたかった。ざっとまとめると
・デザインはビバ企画
・新間が横文字を渡してイメージを伝えてビバ企画がデザイン、新間が承認
・富澤常務が付き合いのある「富永プリンス」に発注
・ベルトは大量に作るものではないのでラバーキャスト製、2ヶ月程度で出来る
・型がのこっているなら複製品は2週間で作れる(売れば良かったのに…)
・パワーズのNWFとソントンのNWAジュニア以外はすべて新日本製
・初期のNWA北米タッグ、アジアヘビー、アジアタッグ、WWWFジュニアから
猪木の格闘技ヘビー、アグアヨのWWFライト、前田の欧州ヘビーなどが吉永産
・一本の製作費は70万円くらい
・(ゴッチの世界ヘビーはレプリカなので)オリジナル第1号は北米タッグ、
富澤常務が日プロ時代に発注したUNヘビーの型が流用されている
もうインタビュアーも「海外のベルト」なんてタテマエは気にもしてないんだなw
あと馬場がバーネットのテリトリーのフロリダでヒールをやっていた時の実態が
「ヒールのトップだったパク・ソンの子分として全日本の御大馬場と国際のエース・
小林が付き従っていた」というものだったのが「もし報道されていたら我々日本の
ファンは卒倒したことであろう」というのがおかしかった
馬場はここでの土下座外交でバーネットに信用を得て、半年後にブリスコから
NWAベルトをレンタルする権利を得たわけだけど >>904
長州が藤波に牙を剥いた時「団体がお膳立てして手に入れたベルトに何の価値がある」
WWWFジュニアもWWFインタも藤波の為に新日が用意したベルトだと知っててこの発言
なんという皮肉… WWWFジュニア、というとエストラーダから奪った10回連続防衛で藤波個人に寄贈されたヤツ?
それ以降のはいかにも新日タイプなシルバー基調のベルトになったが。。 「藤波のWWWFジュニアヘビー級のベルトは誰がデザインしたんですか?」という
質問に対する答えだから、最初の金色プレートのベルトも銀地に金パーツの二代目も
シンプルで個人的に好きなインタージュニアのベルトもみんな同じ発注らしい
デザインの変化はビバ企画内のデザイナーが変わったりしたせいだと思うけど、
ゴッチベルトのプレートの型がインタージュニアのベルトの真ん中に流用されたり
やっぱり同じ会社のものという気はする そういえば初代IWGPのベルトは1億円とか言われてたよね。 ああそーいや、NWAインタージュニアと最初のWWWFジュニアの両サイドにはめ込んだ
無地の丸型のバックルっての? アレ同じやつかもな。。
あとアジアリーグのベルトも両サイドのバックルのデザインが新日のライオンマークで
お手盛り感満載だったなw >>896
優遇なら維新の長州浜口だろう。
タッグリーグでは負け試合になる猪木組、アンドレ組との対戦はノーテレ。
藤波前田はどちらも放送されて見事に前田が負けたところをお茶の間に見せてる。 >>909
インタージュニアのベルト新日発注の物が、全日でも使われたって事なんかな? >>911
そのまま持ち込まれたが、82年7月の大仁田の対チャボとの防衛戦までか。でもこれが両者フォールで
王座預かり。11月の決定戦で昔からの馬場が持ってたインターに似たデザインに新調された。
チャボがこの試合後トロフィーで大仁田を滅多打ちにするやつかな。 >>913
大仁田が腕をザクザクにやられた時には、すでにマイティ井上王者時代のベルトに変わってたんだな。
大仁田はシルバーのベルトが似合ってた。 ベルト制作の話、おもしろいなー
子供心に色々と騙されてたけどそれはそれで楽しい思い出だから
ネットのない時代はとくに海外マットは幻想的というか
こうなんだと言われれば疑う余地もなくそうなんだなと思ってた
いい時代だ >>915
あるいは信じたふりも出来た幸福な時代
まさに4カウント内の反則なら許されるプロレスならではの楽しみって >>901
シークにはお詫びで高級腕時計をもらった。「お前は仲間だから・・・」と言う言葉に
ひっかかるもアメリカでは実況アナも団体所属なので勘違いされたらしい。
>>913
馬場に「ベルト持参で来ればボーナスをやる!」と言われた。
>>904
国プロのWWUベルトも東京12ch・田中Pがトロフィー屋に発注して80万かかるところ
を馴染みと言う事で50万に負けてもらったらしい。 >>643
亀レスだが
>WWWF(WWF)」なんて団体は存在していなかった
それは少し違う
もともとはマクマホン、シカゴのフレッド・コーラー、ピッツバーグのトーツ・モントの三人が
NWAに反旗翻して作った団体WWAがWWWFに改称した
この時点では三プロモーターが共同で運営する実体持った組織だった
その後コーラーが廃業し、モントは自前団体畳んでマクマホンから興行買ういわゆる買い
プロモーターになってWWWFはマクマホンの占有になり、名前だけの代表を持つ有名無実
の団体になっただけ
最初は実在したが後には名前だけになったという点では当初は五大湖地区の複数の
プロモーターが参画したがすぐに縁切りされたNWFと同じだな
その後、ビンスジュニアが父親から興行権買い取った時に自分のオフィスの子会社と
してWWFを本当に復活させ、後に株式移動でWWFの方を親会社にして今に至る >>917
アメリカレスラーには実況アナどころか記者までオフィスの人間と
勘違いしてるやつもいたし 一時期に新間の発案だか?で【NWF】を(ニョージャパン レスリング フェデレーション)
こう名称を変える話があったとか
でもジャパンのJが入らないから却下に
それならNJWFにしないと >>902
新日選手との乱闘でタンクトップの肩ひも引きちぎられたラッシャーがエキサイトして古館に八つ当たりしたことはあったな。小鉄が上半身裸になって「やるんなら俺にやってこい!」みたいに咎めていたけど。 >>918
> もともとはマクマホン、シカゴのフレッド・コーラー、ピッツバーグのトーツ・モントの三人が
> NWAに反旗翻して作った団体WWAが
この時点で既に怪しいような
新間がNWAに新日本を加盟させようとしたら
「NWAに加盟できるのはプロモーター個人だけで『団体』とか『組織』に加盟資格は無い」
と言われて唖然としたというのは日本のプロレスファンも同様だろうけど、アメリカの
プロレスっていうのは力のあるプロモーターが個人で行う「興行」であって、
日本みたいな所属社員レスラーや道場・合宿所を持った「団体」なんていう
概念はハナから存在していなかった、というのは、ビジネスにしろスポーツにしろ
「個人より組織ありき」の昭和日本人にはほとんど理解できない現実だったからなあ >>918
>NWAに反旗翻して作った団体WWAがWWWFに改称した
細かいことを突っ込むと、WWAではなくWWWAだよね?
WWAは、すでにロスにあった(まぁAWAとか同名の団体はアメリカ、カナダに
複数存在したが)。
そのWWWAは、バディ・ロジャーズが初代王者で、ドリーディクソンが
ロジャーズを破り2代目王者になった。
それで、なんか知らんが、WWWAは無かったことになり、
ロジャーズがWWWFの王者に認定されサンマルチノが2代目になり、
その後、隆盛を極めたのはご存知の通り。
WWWA王者ドリーディクソンをサンマルチノが破ったところで
インパクトはないと思ったんだろうね。
やはりロジャーズを破らなければ。ドリーディクソン惨めだな。 昭和の頃は「世界一の団体NWAから非主流派プロモーターが
脱退してWWWFを作った」と言われていたけれど、実態としては
「ドル箱地区であるニューヨークを中心とした東海岸地区の
プロモーターに世界王者ロジャースを独占されてしまった
僻地のプロモーターたちが、勝手にコワルスキーやテーズを
世界王者を仕立てて独自興行を打つようになったクーデター」
だったみたいだからね
結局NWAなんて古い名前にこだわる必要のなかった東海岸の
大都市圏はロジャース→サンマルチノを「世界王者」と呼び続け、
旧NWAの残党派はテーズを王者にしてデトロイト・アトランタを
仲間に引き込み、一方ミネアポリスのガニアとオマハのフリッツ・
フォン・エリックは手を組んでガニアを統一世界王者にし、
ストロンポーが仕切るロス地区も独自の世界王者を仕立てて
いたがジャッキー・ファーゴを世界王者に仕立てていたボストン
地区は衰退、という感じ
結局アメリカのプロレスの歴史っていうのはプロモーター個人の
ショバ争いであり、手を切ったプロモーターが看板「世界王者」を
仕立てるたびに作られるアルファベットを組み合わせただけの
「団体」と称するものをありがたがっていたのは、世界中でも
「組織」が何より重い日本人ならでは、だったような 小泉悦治さんの「史論力道山道場三羽烏」他の記述によると
・全米中継をなくした50年代のプロレス界は不景気のどん底に
・世界王者をハットンやオコーナーに変えても不入り続き
・そんな中でもニューヨークとシカゴだけは大人気
・その立役者であるロジャースは当然のようにNWA王者に認定
・ところが独禁法違反に問われていたNWA本部は機能不全状態
・このスキにロジャースを管理していたモントが、NWA内の僻地
エリア興行を見捨てて、金になる東海岸のマクマホン、コーラー
らの興行にばかり王者ロジャースを出場させるようになる
・僻地のNWA会員のプロモーターは大激怒
・このタイミングでロジャースがケガをして試合に出られなくなる
・遂にビンス・コーラー・モント派以外のプロモーターが決起、
ヒューストンではプロモーターのシーゲルがコワルスキーを
勝手にNWA王者に「認定」、マソニックもテーズの再登板を打診、
コーラー派と興行戦争を起こしていたバーネットもマソニックと
手を組んで、コーラー派に黙ってテーズを「世界王者」にしてしまう
・かくしてNWAは「ドル箱の東海岸組」と「その他の地域組」に分裂
馬場が「世界連続挑戦」を果たしたのは、こうした
・組織が分裂して「世界王者」があちこちに乱立した状況
・興行戦争になってどこも使えるレスラーが欲しくて仕方ない
・しかしまだ派閥がはっきり分裂しておらず、あちこちを股にかけられた
という過渡期ならではの幸運もあったのだね
もちろんどこでもいい仕事ができるようになった馬場の努力の賜物だけど
(当初は馬場より厚遇されていながら帰国してしまったマンモス鈴木が好例)
>>923
ごめん足りなかったw
WWWAの時点ではコーラーが主導権握ってたのが
ビンスシニアに実権移ったあたりがWWWF王座の登場だね
厳密に言えば実体があったのはWWWAでWWWFは最初からビンスのお手盛り
言えなくもないけど一応歴史的につながってることにはなってる >>900
倉持アナには高級時計
奥様には、デカめのダイヤの指輪がプレゼントされたんだよな。 >ドリーディクソン惨めだな
一応WWWF王座ができた後もトップコンデンターとしてロジャースと
連戦してたみたいだけどね
結局トロントから呼び戻されたブルーノに取られちゃったと
メキシコ、アメリカ、ヨーロッパでそれぞれトップ張った大物なんだが
結局は「幻の世界王者」に終わったせいでいまひとつ大物感がないと それにしても旧日本プロレスがそれまで軽視していたNWAに
突如加盟して、力道山時代末期には眼もくれなくなったNWAを
「世界最高の組織!」と持ち上げだしたのは、対立団体となった
東京プロレスが猪木のツテをたよってNWAに加盟ししようとした
事態に慌てて先手を打ったためだというし、それまで頑強に
新日の加盟を拒絶していたNWAが突然加盟を認めたのは
対立組織IWAが旗揚げし、新日がそちらと手を組むのを事前に
防ごうとしたからだったり、何か変化が起きるのはタイミングと
言うものが大きいんだなあと思わされます。 いやいや、今まで国内メディアで伝えられたことでしか知らなかった東部地区の話は貴重だな。
できればせっかく新日スレだし、パワーズ以前のNWFの事も掘り下げてみたいものだが、
なかなか詳細に触れたものは出てこない。画像でジョニーバレンタインやワルドフォンエリックの
NWFベルト姿を見るにつけ、新日タイトルのルーツというべきものへの探求心が沸き起こる。 >>929
日プロのNWA再加盟は頼みのWWAが左前になって来たこともあるんじゃないかな
実際同じ頃にWWA崩壊して残党のラベールがNWA傘下のハリウッドプロモーションを
作るわけだし 訂正
以前は正式加盟もしてないのに勝手にテーズ呼んでたんだから
再加盟じゃないなw 新日が冷や汗、タイガー・ジェット・シンの猪木襲撃事件
警察から「本当の喧嘩であれば、猪木はシンを傷害罪で告訴し、被害届を出すこと。パフォーマンスなら、道路交通法違反(道路無許可使用)で処分する」
と迫られた新日本プロレスは「断じてパフォーマンスではない。とはいえ、シンは契約選手でシリーズ中のため傷害罪で告発することはできない。騒ぎを起こしたことは申し訳なく、おわびする」と「始末書」を提出。これには警察もそれ以上の追及はせず、新日本プロレスに「厳重注意」処分が下され一件落着となった。
(プロレス解説者・柴田惣一)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210326-00000011-ykf-spo しかし、馬場対ラジャの試合は何度観ても面白いな。
リングサイドにシンとテリブルの観戦を許してるのも、当時の全日らしくなくていい。
ラウンド間のシンのウンウンという表情もなかなかいい >>930
茶飲み話の叩き台として、Gスピリット51号に載ったジョニー・
パワーズのインタビューと流智美さんが補足した特集記事などを
元に、NWFについて書かれたものを雑にまとめてみます
・TVの全米中継がなくなった50年代後半にバッファロー、クリーブ
ランドなど五大湖周辺のテリトリーのプロモーターだったのは
ペドロ・マルチネス。当時この辺りはビッグマーケットで
ペドロは巨万の富を得ていた。
・60年代までNWA・AWAでコンテンダーとして活躍していたジョニー・
パワーズが68年にマルチネスのブッカーとして契約、プロモーター
ライセンスも買収して、25歳にしてエース兼プロモーターとなる。
・パワーズによると66年に東プロに来日した際に、同い年の猪木が
トップ兼プロモーターとして団体を仕切っていること、既にある
メジャー組織(日プロ)に対抗した団体を立ち上げたことを見て
大いに刺激を受けたという。一方流智美によるとアマレスの基礎の
ないパワーズはドリーやブリスコに後れを取っていて、既存団体の
中ではエースや王者になれないと考えたのではないかという。
・ドル箱だったクリーブランドを押さえていればNWA主流派との交流が
なくてもやっていけると判断したペドロ&パワーズは70年にNWAを
脱退、バッファローにオフィスを構えて独自テリトリーを構築する。 ・初代NWFチャンピオンはパワーズが認定されたものの、パワーズは
「北米ヘビー級王者」としての防衛しかしていない。これは当時
クリーブランドと並ぶNWFの二大拠点だったバッファローが黒人の
観客の多いエリアだったため、クリーブランドではパワーズが
北米タイトルを賭けたジョニー・バレンタインとの抗争をメイン
カードにし、バッファローではアーニー・ラッド、ブッチャー、
デヌーチ、ワルドー・フォン・エリックの抗争をメインにしたため。
・NWFベルトを巻いた写真が残っているのはラッド、ブッチャー、
デヌーチ、ワルドーくらいで、流氏によると「正式な移動もなく、
その場その場で王者がコロコロ変わっているのではないか」と
言っている。(国際のIWAタイトルがビリー・グラハムや小林に
タイトル戦も無しに「移動」したのと同じということか。)
・当時地元テレビで土曜夜に「チャンピオンシップレスリング」、
日曜の朝には「オールスターレスリング」が放映されていた。
テレビの司会者はパワーズ、ジャック・レイノルズ、ペドロ・
マルティネスの息子ロン。(現在利用できる映像はほぼなし)
・72年8月、クリーブランドでレッスルマニアの元祖的な巨大興行を
開催(メインはパワーズ対バレンタイン)するも興行はパッとせず。 ・73年に入り興行が不振に陥り、デトロイトのシークに興行権の
一部を売るなどしていたが、パワーズと交流のあったジョージ・
キャノンが坂口と猪木の合流を伝え、ミスター・モト、ジーン・
ラベールらが提携を進言する。パワーズはNWAに拒絶されている
もの同士の交流に興味を持ち、ラベールの拠点ロスで新日と会談、
エリアのレスラーの供給、NWFの看板を新日に委譲することを決め、
パワーズはプロモート業を引退する。
・この後、TVマネーをバックにした新日の威勢はアメリカにも響き、
「NWF」は74年頃からアメリカの専門誌でも「4大王座」扱いされる。
パワーズは「私とペドロにとってはギャンブルだったが、ビジネス
としてベストな判断だったと思う」と新日への譲渡に満足している。
・ペドロ・マルチネスは75年に新興組織IWAの立ち上げに主力として
関わり、ブッカーとしてパワーズを起用するもIWAはすぐに崩壊。
パワーズはレスラーとして散発的に試合をしていたが、事業家と
なり完全にプロレスと縁を絶つ。
・猪木はIWGP構想を掲げて81年にNWF名義のビジネスを封鎖する。
後にその理由を「だって飽きちゃうじゃん、同じことばっかりで」
とぶっちゃけている。
・「NWF」はなんと1986年に復活し、ブッチャー、ブロディらを
王者にしてペンシルバニア、フィラデルフィアを拠点に1994年まで
続いていた。コメンテーターには若き日のポール・ヘイマンも起用
されている。唯一の女子王者はウェンディ・リヒターだった。 素晴らしい。
東プロ時代の猪木とパワーズの因果のみならず、70年代の新日初期の頃ともNWF一派がラベールも含め
反NWA派として連帯をはかる動きがあったのは興味深い。つうか「腐れ縁」かもw
86年の話はこれは初耳だな。ちょっとこれは詳細を求めたいところだ。。 >>934
せっかくシンがサーベルで盛り上げたのに、ラジャが素人で全く痛がってなかった(笑) 馬場は大根だもん
猪木は人形相手でもプロレスが出来るけど 久々にアボーンがあるな
という事はヤツが現れたのか 新日でも2003年にNWF王座が復活したが、
なんで(NANDE)
わざわざ(WAZAWAZA)
復活させるの?(FUKKATU)
略してNWFと言われた。 79年頃のダスティ・ローデスの入場曲がカクトウギのテーマだったのは初めて知った >>941
何を言ってるんだ。
あの試合の馬場は素晴らしいぞ 潴木対ローデスを初めて観たが、
ローデスはマイペースで猪木はあきらかに手が合わないのにイライラきてる。
ローデスはやっぱり全日で観たい選手だったな。 >>946
実力的に猪木にフォール負けしても当然のように思えたローデスが、ついに一度もそれがなかったのはとても疑問だった。まあ、大人の事情とかは当時はわからなかったし。 >>949
大塚がローデスのギャラは新日外人で一番高かったと言っていたからね
最高の厚遇をしている
NWA王者かつ人気レスラーという看板はそれだけ大きかったってことだろう
アンドレのギャラはリーズナブルでみなが思っていた程高くなかったんだそうだ
高かったらあんなに頻繁に呼べないと 猪木でもバックランドとか波長が合わないからやりたくないとか言い出すから、仕方なく
タッグ組ますとかしていたのに>>941は人は生き物であるという当然の事が理解出来て
ない。 >>922
日本だとK-1やプライドがそれに近かったかな?選手の育成や道場は各格闘技団体に任せて
戦うリングとルールを提供している。国プロも創立時は団体として独自に活動するのではなく
選手の育成と保有して日プロや東プロに貸し出すつもりだったらしい。
>>924
北米はやはり東部地区なんだね。アメリカはワシントンとニューヨーク。
カナダははモントリオールとトロントが政治と経済の中心。
スポーツのビックイベントも北米東部地区のTVゴールデンタイムに会わせて生中継
されるしね。古くはアリ戦は昼から始まり最近は五輪もアジア開催になると決勝が
11時スタートになり物議を醸している。数年前にさいたまアリーナ行われた総合格闘技
の試合もこのシステム似合わせたらしく試合開始8時半だった。都内から観戦に出かけた
人が「朝は早いは遠いは・・・」とぼやいていたw
>>929
全日がMSGシリーズを開催したは新日との提携を牽制するための馬場一流の高等戦術
だった。新日がMSGシリーズを開催したのはワールド大リーグ戦がぱっとせず、また
「豪華メンバーを集結させました!」とテレ朝からの放映料を増額させるためだった。
>>938
^木がWWFvs.IWAの興行戦争視察でIWA地区を訪れたのは提携も考えていたのかな?
そこで日本での対戦前にテーズと出遭いバックドロップの手ほどきを受けた事になっている。
全日10周年興行で控室で「この興行戦争で先頭に立ったサンマルチノとマスカラスが
わだかまり無く談笑」と言う写真と記事があった。
>>950
新日イチの高額ファイトマネーのために初来日以降はフル参戦ができずに特別参戦
にしたらしい。 そういえばローデスのガウンプレゼント企画で
若手時代の前田がモデルになってリング上でガウン着てたよね。 84年の新春シリーズでのローデス参戦を後楽園で見られたのは有難みがあった >>937
コロコロ変わるという意味ではアイアンマン王座も連想 >>938
この時のラインでシークが新日本に来たんだったか >>949
ローデス、猪木に負けてないのか。
シングル含めて何度も対戦してるのに猪木が勝ってないのは珍しいな。他にはブロディくらい? >>957
ローデスは、猪木にフォール負け、ギブアップ負けはないというだけで、
初来日で反則と、リングアウトで2連敗している。
どっちかの試合、テレビで放映されたが、猪木がジャパニーズレッグクラッチを
決めて、3カウント入っていたが、レフェリーが失神していた。 失神芸といえばジョー樋口なのに。ミスター高橋は若松絡みで、阿部四郎の芸もパクっていたな。 ローデスがハンセンのラリアットでエプロンでダウンして負けたのを見て、
こんな弱い奴がNWA王者とは大したことないなとガッカリした。 ようわからんがNWAのトップレスラーのローデスが何で新日に来てたの?
普通は全日だと思うのに
本人も持て余して新日も使いにくそうで子供心に不思議だった >>962
ローデスは、当時の新日が求めていた「強さ」はなかったよ。
で、その他のマスカラスのような華やかさ、後のタイガーマスクのような
空中殺法も、ない。
デブのブ男が、ケツ振ったところを見て、何が面白いんだよ!
ローデスは、アメリカで受けるマイクパフォーマンスが受けたんだ。
それがなく、ただ「これがアメリカンプロレスだ!」
「ローデスが分からん奴は遅れている」とばかりに声援を送った
当時のファンは痛いな。(苦笑) 国際プロレスに来日した時と新日に来た時のローデスはまるで別人だったのかな
アウトローズ時代のダーティーなスタイルを期待して呼んだら
アメリカンドリームのコミカルなローデスが来てしまったと ハーリーレイスも子供時分に見たときは「こんなのがミスタープロレスなのか」とあまりのアメリカンスタイルに辟易したけどな >>967
それを有難がってしまったキング・オブ・スポーツ >>959
それこそ一度しかやってないんだよな
だから尚更に伝説になった 1986.1.17だったかな?熊本市体育館、テレビマッチです
生観戦してたけど、山田恵一対ブラックタイガーが盛り上がってた記憶があります。
皆さん見た記憶がありますか?https://i.imgur.com/95Q78wl.jpg >>964
エディグラハムの南部地区との提携かな? ローデスってMSGにも度々出るし
どちらかというと反主流派なのかな。 馬場がローデスを酷評していて高いギャラを支払ってまで
全日に呼ぼうとしなかったと言うのも理由
「あらゆる面でマードックが上なのに何でローデスの方が人気が出たのか分からない」と >>971
トニーシンクレアって聞いたことないな、セントクレアならわかるけど >>965
ローデスが受けた要素といえば、シン、カーン、ブッチャーとの対戦で血ダルマにされても「まだ俺は平気だぜ」って反撃する場面だったな。あえていえば全日のテリー的なポジションかと。 >>973
マソニックもローデスを嫌ってたっていうな >>936-938に追加
日本では認定宣言などで「デビッド・ヘルマン会長」と呼ばれていた
NWFのプレジデントはデビッド・フェルドマン(Devid P Feldman)で、
NWFの発起人ペドロ・マルチネスの友人の弁護士として名前を貸したが
プロレス界とは何の関係もない人物だったとか。
また日本のタイトルマッチの認定宣言などの際に「会長代行」として
紹介されていた「プラター」氏はジェリー・アレン・プレイター。
雑誌「レスリング・ワールド」の副編集長で、取材のために来日して
いたのをNWF関係者ということにされてリングに上げられたのだとか。
デイリースポーツの植田伸司元編集局長が、全日本女子プロレスの
松永一家に頼み込まれて「WWWA 初代コミッショナー」ということに
されていたのと似たようなもので、日本のマスコミ陣も、海外では
即席に「とんだ大物」にされていたこともあったんだろうなあ。 NWFは日本のwikiでは「アメリカのプロレス誌上では、NWA、AWA、WWWFに
次ぐ第4の団体と認知されていた時期もあった。しかし、1973年に入ると
勢力は衰退、縮小していく。」とあるけれど、実のところNWFがメジャー
4大タイトルとしてアメリカのマスコミに扱われるようになったのは、
むしろ新日に売却されて猪木が防衛戦を行うようになった1974年以降で
「アメリカの専門誌でも猪木が徐々に取り上げられるようになり、NWFと
いう組織の存在、あるいはNWF世界王座のステイタスもようやく本場で
『認知』された。新日本に運営が任されてからのことであったが、
全米マット界のアウトローであったパワーズにとっては『本懐を遂げた』
形になる。NWFの歴史は、パワーズ&猪木という日米を代表する反逆児
コンビの歴史でもあった」
(Gスピ51号)と言われても無理はないと思う。やっぱり日本は、不況に
落ちていくアメリカマット界から見れば巨大なマーケットだったのだろう。 >>939
1986年に東海岸のインディとして復活した新NWFについての書き込みは、
あちらのwikiの丸写しなので、ご指摘の通り今後の検証が必要ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/National_Wrestling_Federation
In 1986, Robert Raskin (President of Raskin Sports Productions and
a former professional basketball coach for the ABA) purchased the Allentown,
Pennsylvania-based Continental Wrestling Alliance from DC Drake and renamed it
the National Wrestling Federation.
The organization revived the NWF Heavyweight Championship and created an
NWF Women's Championship.
Under the direction of Raskin, the National Wrestling Federation grew rapidly.
Using wrestlers who were formerly under contract with the World Wrestling
Federation and the National Wrestling Alliance, Raskin spared no expense
in making the product a watchable alternative to the wrestling shows which
were currently on television.
Drake, who was the champion, also headed up the booking and television
production ends of the business. Raskin felt that the NWF should move
the television tapings from the Easton, PA VFW Hall to various locations
around the east coast.
Matches were taped at arenas in Pennsylvania, New Jersey, New York,
and other locations. Raskin also hired a young Paul Heyman (who later
became Paul E. Dangerously) to handle color commentary on the TV show. 178の繰り返しになるけれど、ローデスっていうのは不景気になった
70年代後半のNWAの中で、全日本と並ぶドル箱だったフロリダの
絶対的エースだったんだよな
80年代後半のWWFにおけるホーガンみたいなもので、「レスリングが
できないから王者にしない」なんて言ってる方が没落したという立場だった
>前号のGスピのNWA特集はとても刺激的だった
ラリー・マティシックが著書で書いてるそうだけど、79〜81年にレイスが
ローデス、馬場、リッチに「その地区のサーキット初期に負けて最終日頃に
取り返すNWA王座のキャッチボール」を連発したことについて
「75年に世界王者の管理がバーネットに移管された時点でチャンピオンの
存在意義がガラッと変わった。
自分の管轄であるアトランタ、エディ・グラハムが牛耳っていたフロリダ、
それと馬場の全日本、この3か所がNWAの中で金を生むテリトリー
ベスト3だったので、手っ取り早いボーナスとしてキャッチボールを
実行させたに過ぎない。あれはバーネットにとってもレイスにとっても
ハッピーだった。ももちろんグラハムも馬場もハッピーだったし、
ローデスにもリッチにも箔が付いた。
ただし他のNWAメンバーは白けた思いでキャッチボールを眺めていた。
もはやNWA王座の権威、信頼度が大きくチップ(減少・削除)されたことは
事実だった。すでにNWAがカルテル組織としての機能を喪失していた
ことの証明だった。」 ローデスは没後も超一流レスラーとして記憶に残ってるけどリッチは微妙だなぁ
少なくとも日本のプロレスファンには「元NWA王者という事以外なんの実績もない男」 Gスピより
「トミー・リッチのワンウィーク・チャンピオンは単純にアトランタのビジネスを
アップさせるための便法だった。事実、立地が王者になった後のアトランタ
(オムニ)は翌年春頃まで最後のブームと呼べる超満員の連続記録を
打ち立てている。」
「王座獲得の時点でリッチは24歳、キャリア5年。ジョージア地区を
中心とする南部一帯ではヤング層の圧倒的な人気を得ていたものの、
実力的には中堅の域を出ておらず、NWA内部で大いに不満が出た。
しかも会長のクロケットJrは全日本に来日中で王座交代の件をまったく
知らされておらず、この後のバーネットとの関係に大いにしこりを残した」
そうなんだな、ローデス、リッチ、馬場って「稼げるテリトリーである
フロリダ・アトランタ・日本の三地区それぞれのエース」だったんだな
で、そのフロリダは77年以降新日本に付く
マツダ、ブリスコ、ローデス、カーンらが新日本に上がり、NWAだのと
いった名前よりも「プロモーター同士のつながり」が全てだというのが
露骨になっていたけれど、NWAの看板を死守したい馬場が働きかけ
81年からブリスコが全日本に出戻り、エディ・グラハムが新日全日を
両天秤にかける等距離ビジネスをはじめたということなのだけれど、
前年の1980年にはもうNWA総会には人もまばらになっていて、事実上
NWAは1981年から空中分解を始めていたと言われていて、象徴だった
マソニックはこの81年に完全引退、この年にチャンピオンになった
フレアーは間もなくクロケットエリアのみの限定地区王者になって、
NWAエリアの巡回を放棄した
日本がまだNWA幻想を守ろうとしていた時期に、アメリカでは事態は
どんどん激震していたんだなあ >稼げるテリトリーであるフロリダ・アトランタ・日本
確かに70年代を通じて、全日本には、大物外人が続々来襲して
良いギャラを貰っていたようだが、それに見合う入場料はあったのか?(^^: 昭和52年以降はNWA王者を呼んでも
それに見合った商売はできてないなあw >>984
それがなかったから馬場は日テレから社長の座を降ろされて
エースも鶴田に譲るよう迫られたわけで…
日本のプロレスはやっぱり「TVバラエティの一環」なんだよねえ
(馬場と猪木がほぼ同時に一線から降ろされそうになったことで
二人か手を組んで日テレとテレ朝に反旗を翻す「UWF構想」を
新間が中途半端にスタートさせちゃったわけで)
よく「ストロング小林は倒産寸前だった国際を見捨てて一人だけ
新日に逃げた」と言われるけど、あれもTBSが国際を見捨てた、
というかTBSが「プロレス部を閉める」という判断をした段階で
国際プロレスという砂上の楼閣は消えるのが確定だったわけで、
81年に国際が消滅した時にマイティや原が全日に再就職先を
さっさと決めたように、あのまま国際がなくなっていたら小林も
「行動が素速かっただけ」と思われたんだろうな、と思ってしまう
吉原社長が東京12チャンネルを獲得して、新団体を作るのではなく
TBSプロレスだった「国際」の名前を継続させるとは当時ほとんど
誰も考えない事態だったんだろうな >>987
「東京12チャンネルプロレス」だったらもっと資金的に援助されてったかもね
まぁプライドの高い吉原社長が許さなかっただろうけど この流れで「馬場馬場うぜぇよ」とか書いたら
逆ギレされて俺が叩かれるんだろうなwだろうなw >>988
プライドに殉じるのも生き方の一つ
それこそ逆恨みさえしなければ >>966
最初に日本に自分の似顔絵を描いたTシャツを持ち込んでマスコミにアピールしたのは
デストロイヤーだったがアウトローズは持参して売ろうと目論んだがまだTシャツ文化
も浸透していなかったので大量の在庫を抱えたまま帰国したw
でも今見てもデザインはカッコい。
>>972
「ローデスがNWAチャンプの時に新日は呼べたのになぜか?呼ばなかった。」と佐藤昭雄
が述べていたけどローデス+NWA王者招聘のコスパが高すぎるので断念したのかな?
もうこの頃は「今更、NWAなんて・・・」と全日色の垢付き過ぎて新日原理主義者も
反発しそう。WCWtと提携して復活させた時はがっかりしたよ。
>>980>>984
ブリスコがNWA王者の再登板を拒否して活動を黄金マーケットのみに絞ったのは正解だった。
MLBのワールドシリーズもヤンキース対メッツになりサブウェイシリーズとしてNYだけ
が盛り上がり全米的に白けていた年があった。
>>987
こういう時に自分の存在感を発揮するために手を結ぶBIは強い。
引き抜き防止協定もBI逆らったら日本ではプロレスができず馬場もいるのでアメリカの
活動にも支障をきたすと言う凄まじさをと大塚氏は述懐していた。 >>963
前田の空手の師匠で新日UWF提携時から前田のマネージャー的に暗躍してた。新生UWFやリングスでもいろいろ関わっている >>993
リングス時代に前田を利用して意に反する事を行い今、絶縁しているみたい。
こういうカリスマレスラーの威光を利用しようと近づいて来る輩を排除するために
元子夫人や亡くなった^木夫人は目を光らせていた・・・ >>994
前田に人を観る目がなかったのは残念ですね!田中氏と早く縁切っていたら新生Uでフロントと揉めなくてすんだかも? 新日はNWA王者呼べない代わりにアンドレ招聘出来るって話なかったっけ?
マクマホンがNWA傘下にいた頃の話だろけれど。 >>992
WCWと組んだ時に相手の代表でローデスが来たのも因縁だったな >>993
空手も子供相手だから教えられるレベルだって言われてるね
金の臭いのするところに出てきて、とかく胡散臭い奴だと大阪では有名。
骨法の堀部と通じる怪しさがある 前田の自伝を漫画にした「パワーオプドリーム」では前田思いのすごくいい奴なんだけどな
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