【王道】BI砲を考える8【闘魂】
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スマンが、前スレのURLを付けると
立てられなかった。 333 理由↓プロレスの蘊蓄が社会的に全く無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591
80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
http://imepic.jp/20220830/082070/2Qxt
週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
http://imepic.jp/20220830/082670/VOBz
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だから ネットで猿芝居を訳知り顔に語って承認欲求満たす惨めな高齢プヲタ
勝った負けたは猿芝居、乱入引き抜き猿回し、猿知恵プヲタの駄文ネタ(笑)
猿芝居
https://kotobank.jp/word/%E7%8C%BF%E8%8A%9D%E5%B1%85-70101
猿回し
https://kotobank.jp/word/%E7%8C%BF%E5%9B%9E%E3%81%97-70191
猿知恵
https://imidas.jp/kojiten/detail/W-11-0-917-06.html
580 お前名無しだろ (オッペケ Srdf-pERD) 2021/11/21 14:17:48
>>574
レトロプロレス凄かった的な嘘八百並べる活字プロレス生き残り組がまさにそれだけど…
その後来たサブカル世代のプロレス者?語りも含めて若いネット民からすれば
プロレスにかけつけた老人&中高年の主張って底が浅くてダサくて、も〜勘弁してくれってなるよね
団体の凋落やズンドコ叩いて正義の味方ヅラしたり
女子レスラーにガチ恋するキ○ガ○ファンが活字プロレスパクった自分語りアピールするけど、実は性欲剥き出しなのとかetc.
それでまあプロレスで元気を!とか心にもないこと語るし
だから売上や儲けをジャンルのステータスにしなくちゃならないのも仕方ないって
そいつらとか、それ分かっててもそれを飯の種にしてる暇なマスコミ関係とか、5ちゃんに覿面に反応するから面白いよ
どっかの団体信者とか、何時代プロレス信者なんかは俺らみたいなのの気紛れ書き込みに一喜一憂して、一生それの繰り返しかな
w 408 お前名無しだろ (ワッチョイW 8d24-BcxM) 2021/12/27 13:24:14
>>387 >>398 だがね
高齢者のプヲタがSNSでネカマや成りすましをやりながら、誰々推し、どこぞのプロレス団体推し、とかやるメンタリティーも基本的にはこれと一緒だ
↓
出会いサイトでネカマになり、男たちとのや
りとりを晒し上げていた友達の話
https://mobile.twitter.com/bunshun_online/status/1030001842921517056
今は全日本プロレスにいるTAJIRIその他がWNC時代に女子生に成りすましたアカウント作って自分 の団体のステマをやっていたし
あの手の幼稚さはこれをヒントにしたのかもな(笑)
↓
http://hissi.org/read.php/wres/20160701/Ync5TTMyU3E.html
梶原一騎的世界観の実践がネカマステマや自分らの団体信者になればプロレス観戦知能指数の高いファンになるとか(笑)
ま、信者ヲタになり下がってリアル知能が低下すると物事の整合性とか考えられなくなって何でもヨシとするようになるんだな
頭が回らなくなる、とはこの事
プヲタあるあるだな(笑)
最近じゃ新潮や夕フジ、週スパなんかが偶にプロレスネタ扱ってヤフトピ上げても多勢からは全く反響なしでお手上げ状態
扶○○・某が言うにはネットで見る限り
極少数マニアが会場で撮ってSNS上げた写真や絶賛コメントを主宰や選手、別働垢がシェアやRT、イイネ♡して
安全牌なカモ相手に次の集金を当て込んで保険掛けるような世界になっちまったなと
それもまた猿芝居と(笑)
地上波キー局のバラ番担当もガチ前提で実態は猿芝居のプロレスラー暴露トークなんぞは二重三重の虚偽捏造に該当するからキツイと
そりゃあ眉に唾しながら聞き入るゲストも不憫だとな
そんなもの、ヲタは引退レスラーの小銭稼ぎのyoutubeで見れば十分だと(笑)
特に若年層にとっての娯楽としてプロレスの社会的意義は完全に喪失して無価値なものとなったな
今や若年層は性的好奇心に駆られて「推す」極一部のファンのみ
古今東西の古書・古雑誌を読み漁ってかつてのレトロプロレスから90年代〜00年代のプロレスメディアをつぶさに再読・再検討した結果、これだけは断言できる
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 940 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-n4M0) 2022/05/09 23:55:08
快復してもここが潮時だな
プロレスでは元気を!とかいっくら空念仏唱えても嘘臭いし
こういう時に限ってプヲタの精神的貧困が露呈するだけだからな
ツイッターがプヲタの本性浮き彫りにしちゃうからな
若手芸人も下手にプロレスなんかネタにしても今や誰も食いつかんし
面倒くさいプヲタが騒ぐだけで何のメリットもないからやらないってな
975 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-Ru76) 2022/05/12 07:03:02
>>940
長くプロレス見てると狭量なプヲタ思考が染み付いて情動指数が確実に落ちるし頭も回らなくなる
プロレスで元気になるなんてことはないだろw
皆分かっててお題目唱えてんだよ
人格も粘着質になって人生観もプロレス的な村社会の同類相憐れむ的なマイナス思考しかできなくなる
ここんとこレスラーが引退したりスタッフがプロレスに縁切りしてくのが増えるのも、そういうプヲタの本質が分かって仕事としてキャリアを無為に費やすのがバカバカしくなったからだよ
987 お前名無しだろ (オッペケ Sr33-Ru76) 2022/05/12 19:21:11
>>975
老害プヲタが推し団体や贔屓の選手に自我投影、自己同一化して、その競合相手をネットで叩く(笑)
その叩く理由・理屈をいかに嫌味ったらしく書くにはどうするか?
なんていつもアレコレ考えてたりしてりゃ嫌でもプヲタのEQやIQ・知能ってのは低下するよな
↓こいつみたいにw
761 お前名無しだろ (HappyBirthday! Sdea-7s+Z) 2018/11/20 02:07:00
プロレスを見る人のパイがある程度決まっている以上、全日がファンを増やすためには、
新規ファンを獲得することも大事だが、既にプロレスを愛する他団体ファンを全日ファンに鞍替えさせることが重要である。
また現在日本で一番ファンを持っている団体は新日なのでターゲットは新日ファンとなり、
新日ファンを全日ファンにするためには、彼らに全日の良さを伝えると同時に新日の悪い部分を認識させ、新日に嫌悪感を抱かせる必要がある
すなわち、このスレを見ている新日ファンに新日の欠点を言い続けることも全日のファン拡大に繋がる素晴らしい活動なんだよ
http://hissi.org/read.php/wres/20181120/QmFaYUJMVC9kSEFQUFk.html 今日9月6日は、猪木とF・V・エリックの
国内唯一のシングル対決が実現した日。
1971年9月6日、札幌、UN戦、1−1から両リン。
当初、ザ・シークの初来日が予定され、馬場(インター)と猪木に
連続挑戦する予定だったが、キャンセルになり、急きょ、エリックが参戦。
そのお蔭で、猪木との対決になった。
あの時、すんなりシークが来襲していたら、猪木対エリックはその後、
実現しなかっただろう。 >>0002
貼ったけど、数日間意味不明の規制がかかっていたみたいねw
>>0007
大物エリックが急遽来日できたのは、8月上旬メキシコシティのNWA総会で、
芳の里・エリック・シークが話し合って
シークのキャンセル、エリックの代打が決まったみたい。
ちなみに、翌72年9月6日は初来日したシークが田園コロシアムで坂口を破り
UNヘビー級王座を獲得 >>10
Thanks !
前にコピペして別スレ立てた時も、ne...cgi になって略されてしまった。
今回もダメだったみたいで申し訳ない。
スマホが悪いのかなぁ〜w 国王即位が力道山初めてのアメリカ修行とほぼ同時期
エリザベス凄い人や 遠藤 幸吉はエリザベス女王と
同じ1926年生まれだが、生きているのかな? >>7
69年9月にシーク、12月にエリックと、馬場が海外でインター王座防衛戦を行ったのは
この二人のレスラーだけになるのかな?
70年のキニスキーはリターンマッチだったし…
>>13
存命かどうか、情報がないんだよね
ネットでは亡くなったと書いてる人がいるけど、情報源を示してないし
ウィキも更新してないし 情報無しでwikiの遠藤の年齢がどこまでいくか見物だ
その前に我々が亡くなる可能性もあるが… 日プロに初来日したシークが、間もなくハワイで馬場と対戦し日テレが中継
全日を旗揚げすると世界ヘビー級王座争奪十番勝負を行い
72.10.22△サンマルチノ
72.10.30○テリー
72.12.6○ブッチャー
72.12.19○デストロイヤー
73.1.6△スナイダー
73.1.11○スナイダー
73.1.24○ジョナサン
73.2.15○サンマルチノ
73.2.20○オコーナー
73.2.27○ブラジル
設立僅か4ヵ月でこれだけのメンバーを招聘(テリー以外は何らかの世界王者経験者)
その間、ノーテレビの猪木が対戦した大物といえばゴッチだけなんだよな
しかし争奪戦の中で記憶に残っている試合はマスターが保存されていたデスト戦のみ
普通、感動や興奮を覚えた試合は記憶に残っているものだけど…
たいした試合じゃなかったんだろうな >>16
まぁ新鮮味はないよね。
サンマルチノ、テリー、ブッチャー、デストロイヤー
ブラジル、その前年71年〜72年に対戦したばっかりだし。
辛うじて、オコーナーが63年の第五回ワールドリーグ以来だが、
いまさらオコーナーという気がした。 争奪戦の期間は日プロがまだ存続していたし、新日はノーテレビで苦戦中
このメンツを見るとハワイのシーク、最終戦のブラジル共に数ヶ月前に
日プロでUN、インター王者になった大物
スナイダー、オコーナー以外はほぼ直近にNETのブラウン管に乗っているんだね。
なんか日プロのマーケットをあっという間に全日のものにした
馬場の政治力を猪木に見せつけるというより
日テレのNET憎しの構図がハッキリ見えてくる。 >>17
新鮮味がないって? それならば…と全部決着付けてしまったのも
もうやることなくなって手詰まりになってしまった。
>>18
外人に関しては芋づるだったんじゃないの?
日プロなくなったのか→馬場がやるってよ→じゃあそっち行くか、てなこと
新日もチャンスだったんだろうけど高い外人を呼ぶというオプションが
その時期にはなかったんだろな。 馬場がいなくなった日本プロレスでは
大木がブラジルに勝ってインター王者になったり
坂口がキニスキーに勝ったりで、大物外人の
値下げが始まってたから、馬場としても
過去の大物外人は連戦連勝で切り捨てて
ブッチャーあたりに世代交代させるしかなかったな 馬場は全日本設立後もジャンボ鶴田をパートナーにインタータッグのタイトル保持し続けた。
猪木は一旦北米タッグのタイトル取るもすぐ返上した。
馬場と比べて猪木はタッグのタイトルには興味無かったようだ。 >>21
猪木が坂口と組んで北米タッグを獲得したのは1974年8月。
76年3月に返上して、坂口&S小林が新王者になるんだが、
これは小林という第三の男が登場し、タッグ王者を任せられる、
と判断したからだろう。
小林が衰えた後は、長州をその座に据えた。
シングルはともかく、タッグ王者は他の選手に任せる、若手を育てるという
考えもあったんだろう。
かたや、馬場は鶴田と組んで、75年2月から84年まで看板タッグチームを
組んでいた。これは鶴田と組んでインタータッグ王者や最強タッグに出場できる
第三の男が出てこなかったからだと思う。
やっと天龍が育って、インタータッグを獲得したのが84年5月。 >>22
目立ちたい人間ならタッグ王座も自分で持ってると思うんだが?w
自分の出番をわざわざ減らすなんて
随分と風変わりな目立ちたがり屋だなw >>22
猪木がタッグよりシングルを重視していたのは確かだろうけど、
単に新日本の戦略でしょう。
でも坂口が猪木と同じ性格で、会社の方針を無視してまで猪木に挑戦していたら
日プロの二の舞になっていたかもしれないね。 シングルの王者(エース)がタッグ王者も兼ねるのは
日プロでは、創成期から末期まで常識だった。
力道山(with 豊登)→豊登( with吉村、馬場)→馬場(with吉村、猪木、坂口)
→大木(with坂口、上田)
国際プロレスでも、日本人IWA王者は、T杉山(70年5月〜71年3月)は
同時期IWAタッグでもあった。しかし、次のS小林(71年6月〜74年2月は、
その間の9カ月(72年7月〜73年4月)だけ。さらM井上(74年10月〜75年4月)
やR木村(75年4月〜81年崩壊まで)は、タッグ王者になっていない。
それだけ複数エース制になったわけだ。
猪木が、タッグ王座を捨てて、シングルに専念したのも、その流れ。
馬場は鶴田に続く第三の男(天龍)を育てるまで時間が掛かった。
そして、やはり自分が出なければ客が納得しないと考えていたんだろ。
90年代半ば過ぎ、還暦になっても、興行中盤の6人タッグにも出ていたしね セミファイナルでタッグ3本勝負
メーンイベントでシングルマッチをしてしまうと、テレビ放映枠では
タッグ戦ばかりとなり、シングル戦は放送時間が切れちゃうのである。
馬場は猪木のせいでこの被害にあってしまい、結果お茶の間で猪木の露出の方が
おおくなってしまったのだ。
よってメインタッグタイトルはシングルと兼任すれば馬場、猪木がテレビ放送のトリを取れるのである。
メーンイベンターにとってセカンドタッグタイトルなど無用の長物なんである。l 猪木のタッグ王座返上は複数エース制よりむしろ単独エースを加速させた印象
猪木≧坂口≧小林から猪木>>>坂口>小林へ >>28
俺もそう思う。強いて言えば藤波によるジュニア部門開拓か。 猪木がタッグタイトルを手放したのは、単に疲れからだと思うけどね。 1969年ダイヤモンドシリーズの開幕戦、日本テレビの生中継は
セミで猪木&吉村対デストロイヤー&ベン・ジャスティスの
45分3本勝負が1−1から時間切れ。
そのため、メインの馬場対B.オースティンの60分3本は、
ゴングがなったかならないうちに放送時間終了。
71年ダイナミックシリーズ開幕戦も同様。
セミはタッグではないが、猪木対ボブ・ラムステッド、
星野対ミル・マスカラス戦は良かったが、これに時間を取られ
メインの馬場&大木対S・アリオン&
ボビー・デュラントン戦は、デュラントンが先発し、
期待のアリオンのファイトが見られなかった。 生で入りきれなかった試合結果を、次の日テレニュースで字幕速報してなかったかなぁ?
なんか大試合に限ってだけど、、、 タッグマッチというと東スポプロレス大賞が始まったのが1974年
73年があったとしたら、年間最高試合はファンクスvs馬場鶴田のインタータッグ
MVPはテーズゴッチ組を行いNWF王座を獲得した猪木に一票w BI砲って、奇しくもON砲とかぶらないか?
過去に言われ尽くしているかもしれないけど。
上手く言葉にはできないのだが… >>34
ON砲が由来だから。
読売グループ→巨人軍→日本テレビ→日本プロレス
どこが名付けたか想像がつくよね。 納得。
しかし、全日本プロを旗揚げした当初、日本テレビは馬場を全面バックアップしていた筈なのに、テレビ中継は野球優先、全日プロの放送はいわゆる「雨傘番組」となった。
この中途半端さは何だったんだろう?
しかも裏番組はドリフの「全員集合」
当時既にレスラーとしては下り坂の馬場に勝算があるとも思えず…日テレは何を考えていたんだろう? >>37
日本テレビが日本プロレスを捨てて馬場を担ぎ上げて全日本を立ち上げる際の約束が強固だったんだろうなぁ。 >>36
王、長島は打者だから球(弾)を
飛ばす大砲に例えてON砲でも良いんだが、
BI砲は、そうではないよね(苦笑) 馬場の"32文人間ロケット砲"と猪木の"砲丸投げ"でどうw >>41
「雨傘番組」でも、従来同様に視聴率が取れていたら違ったんだろうか?
柳澤健「1964年のジャイアント馬場」でも、「日テレは『馬場ならドリフにも勝てる』と思っていた」ような記述があったけど… >>37
急遽決まったから枠がそこしか空いてなかったって原章が言ってた 1970年前後は、時代の変わり目というかプロレスの転換期だったね。
数字が取れなくても従来通りのプロレスに資金援助してるんだから…
まぁ馬場に猪木プロレスは出来ないし、その逆も然りだけどね。 >>37
昔は金曜日のナイターは少なかった。
というかなかった。
しかし土曜日に移行したら、当然ナイターは
不可避。
だから放送日的に仕方ない >>37
馬場には気の毒な話でしかなかったけど、馬場にももう少し先見の明があったら、または猪木のように人気を上げるためならエゲツないほどに何でもやっていたら…と思う。
旧来の価値観(=60年代のアメリカンプロレス)にこだわり、それと同じ事をやっていれば今まで通り客は入ると思い、そのアテは見事に外れ、大枚はたいてバックアップした日テレとしても「馬場は何をやってるんだ」となるわけで…。
突き上げを喰らい続ける事になった馬場もどうして良いかわからないまま…
これでは全日プロは新日の後塵を拝する事になるのも当然だった。 >>47
あのな~馬場がロレス脳やプヲタの需要への理解が欠如していたのは
70年代だけの話しじゃないぞ。
高木や田上を三沢や小橋より重用し,ブリティッシュブルドックスvsマレンコ兄弟を
ケチョンケチョンに解説してたんだぞw
王道プロレスって奴の正体はターザンじゃん。馬場じゃない。
さぞ70年代から全日に受け継がれるプロレスのように錯覚させた
首謀はターザン山本。 >>47
猪木は若い頃に東京プロレスの経験があるし、修羅場をくぐり抜けているからなぁ
仮に馬場に新間のようなブレーンがいても、性格的に新間とは対立するだろうし 馬場は家族経営の個人商店だから無理でしょ。組織じゃない。
主が亡くなったら閉店の運命。未亡人が何とかしようとしてもうまくはいかないのも宿命。 全日が商店、新日は企業とか言われてたけど、新日がユークスに買収されたらどんぶり勘定体質で企業として体を成してなかったからユークス幹部を驚愕させ、ユークス本体の経営を揺るがす事に >>51
新日本の身売り。オーナーの猪木がユークスに株を譲渡したんだよね。
新日本の名前は残ったがユークスの子会社になった。
これで猪木の発言権は失われたが娘婿サイモンを社長に就任させてるから
猪木の指示で動かせる。さらに出戻りの長州を現場責任者に復帰させたもんだから
新日から多くの退団者か続出した。健悟やケロもこの時だったかな? >>51
新日の経営がものすごく酷く、そのせいでユークス本体が悪化となったイメージあるけど
新日売却1年後決算で、連結で約6億の赤字だけど新日の赤字分は8千万ほどでしかないよ。 ユークスやブシロードはコンテンツを潰して金にしただけだよ 歴史にたらればは禁物だし、これも散々に言われ尽くしたかもしれないけど…
もしも馬場と猪木が一枚岩のまま日本プロレスが存続していたらどうなっていただろう?
馬場のカラーである、旧来のプロレスが形を変える事なく、水戸黄門や笑点の如きマンネリズムとなって続き、ファンも同じように歳をとり、それを良しとしたか、或いはそれで衰退していったか…
猪木のように新しいアイデアを次々と加えて、プロレスを進化、ともすると変質させて麻薬的な刺激を持続させ、ファン層まで新陳代謝させるような展開となっていったか…
もっとも後者は、あの当時の日プロの体質を考えるとあり得なかっただろうがな。 >>55
猪木がNWA王者になっていたと思うよ
馬場がいれば半年や1年日本あけられるし 当時の雑誌を見ても分かると思うけど雑誌買う様なファンで言えば昭和46年には猪木の方が人気ある
地方での集客力とかテレビの前のライト層では馬場だけどね >>56
それはどうだったろうね。
当時の馬場は、実質的には猪木の人気が高まっていたとしても、興行の看板であるインターの絶対王者。
後年、プロモーターとしての馬場がやったように、国内防衛だけの短期間の戴冠契約でNWAのベルトを巻いたと考えられないかな?
馬場は国内インター、猪木が海外に出てNWAってのも考えにくい。
猪木にしたって、馬場との順列はさておき、国内の看板だったわけだから。
どうでもいい事だけど、あの時代を語る時、必ず思い出されるのが、猪木のオレンジ色のタイツ…若かったよな。 >>57
曜日等条件は違えど日プロ放映時も
NETの方が日テレより視聴率高かったと聞くよ。 実も蓋もない話になるが、
「実力」でNWA世界王者になるわけではないので、
当時のアメリカのNWA会員のプロモーターが
猪木を(全米を防衛サーキットする)NWA世界ヘビー級王者
として認めるかどうかだよね。
私は「No」だと思うよ。
まだ馬場の方が可能性があるね(知名度から言って) >>60
そりゃそうだ!
ショーヘイ・ババ時代のアメリカでの実績。
馬場がメジャーなテリトリーをサーキットしていたのに対して、力道山さえも、そして猪木も殆どローカルなテリトリーしか入り込めていなかった。 >>24
馬場と鶴田がインタータッグ王者なのになぜ自分が北米タッグ王者なんて名乗らないといけないんだ >>55
一枚岩と言われても石橋を叩いても渡らない慎重派の馬場と、どん欲なまでに積極派の猪木
人気実力のついた猪木と下り坂の馬場を上手く納得させて調整できればいいが
対立するのは時間の問題だろうね。
2局放送というのも派閥を作ってややこしくしている。
でも、どっち道改革は必要だった。 >>65
仮に日プロが存続していたとして、馬場から猪木へのエース交代っていうのもあったんだろうか?
力道山という大スターの時は、その力道山が急逝したため、全盛期にあって実力・人気共にトップにあった馬場がエースになったのは自然な流れだったが(※豊登という二番手こそいたけれど)、馬場の場合、どういう形で猪木に世代交代させただろうかというのが想像できないんだよね…。 結局、テレビの問題だと思うよ。
馬場だって自らの衰えでエースは難しいと自覚すれば、そして上から言われれば
身を引いてハワイで隠居する計画があったというし
猪木だって馬場個人を憎しじゃなかった筈だから
どうしても対戦して引導を渡すことに拘りはなかったと思う。
まぁ、インター王座をクッションにして2回位リマッチに失敗
猪木が出てきて奪回→日プロのエースに…が無難かな
でもテレビ局が譲るかなぁ〜。交渉の段階で決裂しそうだけど
仮に猪木がエースになったら、日テレは坂口を猛烈にプッシュするだろうね。 >>66
日本プロレスにはそのシナリオはなかったろう。
1972年のワールドリーグを、どっちに優勝
させていいかもわからなかったはず。
結局、馬場派と猪木派の対立が進み、
分裂は不可避だったのでは 馬場も猪木も独立後には上がいなかつまたからなあ。
だから自分達の好き放題できた。
若いうちから自分達が団体で一番上の立場になれたんだよね。
猪木は馬場の存在わ巧妙に使っていたよね。
だからその馬場が早い段階で居なくなったら困るわけで。
引退すべきと散々叩いて本当に引退されたらさあ大変。
売名の為に自分が活用してる馬場の存在が居なくなれば猪木は売名できなくなった。
他の手段より馬場わ標的にするのが猪木からしたら効率が良かったのだと思う。 >>68
>1972年のワールドリーグ
あの外人メンバーだったら、馬場の盟友の
ゴリラ・モンスーンが猪木にガチを仕掛けて潰す。
決勝は、やはり馬場対モンスーンで馬場の優勝。
でも、猪木ファンの鬱積は溜まる。 >>69
『馬場と猪木』(斎藤文彦)の中に
1973年が馬場と猪木の本当の闘いがスタートした年
二人が制作・総指揮・監督・主演する立場になり
ブッチャー、シンを大悪役にキャスティング…
と書かれている。
ほんと、独立してから馬場と猪木のプロレス観やセンスが問われたね。 1972年、猪木が優勝するなら
当然、NETで放送したいところだが、
同局は、ワールドリーグの決勝戦は放送できない
取り決めだったのでは? >>73
だからといって日本テレビは
猪木の優勝は放送したくないだろう。
じゃあどうする?
という答えをフロントは持っていたか。
多分なかったと思う。 72年以降も馬場の優勝を続けるようならマンネリに呆れたファンがプロレスそのものから離れていくだろう 11回の猪木優勝は以後いろいろと複雑な関係を生んだようだが
プロレス界としては素晴らしく盛り上がったのは確か
>>74のいうように猪木は困るし馬場もマンネリ、外人は論外なら
弥縫策的に坂口を優勝させたんではないかな。
ただ「次」がまた困るだけだろうが。 >>76
ここでブッチャーを優勝させる知恵が
日本プロレスにあれば… 新日や全日なくても鶴田と藤波は日本プロレス入りしてたんだよね。
天龍も森岡さんが斡旋してくるから可能性は高い
長州はスカウトされなきゃ来ない、日プロが人材豊富なのにスカウトに乗り出すとも思えず来る可能性が低い
佐山もあの身長では門前払いだし佐山がいなきゃ前田もプロレス入りしてないだろう
藤原は国際かな
そう考えると分裂してた方がプロレス史的に実りが多かったと言えるかもね >佐山もあの身長では門前払い
同じような身長の小鉄や星野がいたから、
佐山も歓迎はされないだろうが、
入門できなかった、こともないと思う。
むしろ、彼の頃(72,3年)は、メキシコの軽量級プロレスが
注目を浴びた頃。その要員として入門できたかも。 いや、佐山は日プロに入れなくても
国際なら入門できただろう。
そこで、やはり日プロ不合格の藤原と
出会っていたりして。 佐山は新日で一回「身長が足りない」という理由で落されている(体力基準はクリアしたが)
二回目の時に選手が足りなくなっていたこともあって合格できた
藤波は相撲アマレス等のバックボーンもなくあの身長でよく日本プロレスに合格できたな
それだけ光るものがあったんだろうけど ダラ幹になったきっかけを考えると、NETが参入した時点で崩壊する運命だった気がする。
日テレ1局独占だったら、馬場人気の低下で猪木の方が視聴率的にも興行的にも
期待がもてたなら、BI対決しようがしまいが
わりとスムーズにエース交代が行われたかもしれない。
それと国際プロとTBSにはもっと頑張って欲しかったな。
日プロ一強状態だったら、ろくなことはない。 草津
杉山
小林
井上
ホモビだったら天下取ってたメンツ 初期新日入門者で低身長と言えば、
グラン浜田(公称167、創立時72年入門)と
橋本小助(公称165、73年入門)だな。
浜田は2000年頃、会場の通路ですれ違ったが
160cmそこそこ、65もないと思う。
彼は、ミスターポーゴが入門する時、ついでに
入門したと言われるが、柔道のバック―ボーンが
あったから認められたのかな?
橋本小助も、アマレスをやった程度。
まぁブレイクはしなかったが。
さすがに、馬場全日は160cm台は入門させていなかった。 >>85
浜田の自家用車で関川を道場に送ったら、その車君の?入門しない?って言われて浜田は入門
浜田の車は営業車としてボロボロになるまで使われた
車目的で浜田を入門させたらしい >>85
懐かしい ! 橋本小助なんていたなぁ〜
日プロ留学生のドナルドタケシも初期新日にはいた。
もっとも、この二人の試合映像は見たことないけどw
留学生も国際(黒潮太郎、稲妻二郎…)や新日(ゴメス、アレン、クロネコ…)は思いつくが
全日は大木の弟、金光植くらいしか知らない。 >>88
全日ならキング・ハクやジョン・テンタがいるでしょ
新日も全日もアメリカで稼げるレスラーを育てているのが流石は日本のメジャー団体 >>89
トンガやテンタの入門は、日本のリングで学んだから留学生の扱いになるのか… トンガ、テンタはプロレス入り前から日本に住んでたから留学生感が薄い 鶴田は全日育ちというイメージが薄い
ほとんどアマリロで作られた感じ 馬場全日入門者に、在日韓国人がおらず、新日には多かったのは有名だが
(公表しただけでも長州、前田、天山、高岩、日プロから移籍の星野、健吾)
新日は埼玉県出身者を採らない、というルールもあるらしい。
全日は、三沢(生まれは北海道)、田上、浅子、丸藤、
日プロから創設時に移籍した大熊、
馬場が亡くなった後だが、KENTA。
鈴木鼓太郎はノア、土方隆司は闘龍門と、新日以外である。
創立から50年、多くの選手を輩出している新日で、
これまた人口が多い埼玉県からデビュー者がいないのはなぜだろう?
(創成期にいたかも知れないが、少なくともテレビに映るくらい活躍した
選手はいないだろう) そして、新日は創設者の猪木が横浜産まれの
こともあるが、神奈川出身者が多い。
創立メンバーの山本 小鉄、木戸修、あと平田、ヒロ斉藤、
高田延彦、鈴木みのる、真壁。
かたや、馬場全日には、神奈川県出身者は入門していない。
と書こうと思ったら、本田多聞(横須賀市)がいた。
馬場亡き後は諏訪魔(藤沢市)も入門したし。 出身地でどうこういうのはわけわからん。競輪じゃあるまいし。
お笑いに興味ない大阪人もいるし柔らかいラーメンの麺を好む福岡人もいるのに。 >>91
初めからプロレス目的で来たわけじゃないからな
留学生というより避難民という感じ >>78
長州は超絶貧乏だったから鶴田が前年に日プロに入団してたらスカウト来なくてもプロレス入りしていた可能性はある
アマレスじゃ食えないから 今日はジャイアント馬場(馬場正平)とアントニオ猪木(猪木寛至)がデビューした日だな(1960年9月30日)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています