【王道】BI砲を考える8【闘魂】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
スマンが、前スレのURLを付けると
立てられなかった。 333 理由↓プロレスの蘊蓄が社会的に全く無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591
80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
http://imepic.jp/20220830/082070/2Qxt
週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
http://imepic.jp/20220830/082670/VOBz
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だから ネットで猿芝居を訳知り顔に語って承認欲求満たす惨めな高齢プヲタ
勝った負けたは猿芝居、乱入引き抜き猿回し、猿知恵プヲタの駄文ネタ(笑)
猿芝居
https://kotobank.jp/word/%E7%8C%BF%E8%8A%9D%E5%B1%85-70101
猿回し
https://kotobank.jp/word/%E7%8C%BF%E5%9B%9E%E3%81%97-70191
猿知恵
https://imidas.jp/kojiten/detail/W-11-0-917-06.html
580 お前名無しだろ (オッペケ Srdf-pERD) 2021/11/21 14:17:48
>>574
レトロプロレス凄かった的な嘘八百並べる活字プロレス生き残り組がまさにそれだけど…
その後来たサブカル世代のプロレス者?語りも含めて若いネット民からすれば
プロレスにかけつけた老人&中高年の主張って底が浅くてダサくて、も〜勘弁してくれってなるよね
団体の凋落やズンドコ叩いて正義の味方ヅラしたり
女子レスラーにガチ恋するキ○ガ○ファンが活字プロレスパクった自分語りアピールするけど、実は性欲剥き出しなのとかetc.
それでまあプロレスで元気を!とか心にもないこと語るし
だから売上や儲けをジャンルのステータスにしなくちゃならないのも仕方ないって
そいつらとか、それ分かっててもそれを飯の種にしてる暇なマスコミ関係とか、5ちゃんに覿面に反応するから面白いよ
どっかの団体信者とか、何時代プロレス信者なんかは俺らみたいなのの気紛れ書き込みに一喜一憂して、一生それの繰り返しかな
w 408 お前名無しだろ (ワッチョイW 8d24-BcxM) 2021/12/27 13:24:14
>>387 >>398 だがね
高齢者のプヲタがSNSでネカマや成りすましをやりながら、誰々推し、どこぞのプロレス団体推し、とかやるメンタリティーも基本的にはこれと一緒だ
↓
出会いサイトでネカマになり、男たちとのや
りとりを晒し上げていた友達の話
https://mobile.twitter.com/bunshun_online/status/1030001842921517056
今は全日本プロレスにいるTAJIRIその他がWNC時代に女子生に成りすましたアカウント作って自分 の団体のステマをやっていたし
あの手の幼稚さはこれをヒントにしたのかもな(笑)
↓
http://hissi.org/read.php/wres/20160701/Ync5TTMyU3E.html
梶原一騎的世界観の実践がネカマステマや自分らの団体信者になればプロレス観戦知能指数の高いファンになるとか(笑)
ま、信者ヲタになり下がってリアル知能が低下すると物事の整合性とか考えられなくなって何でもヨシとするようになるんだな
頭が回らなくなる、とはこの事
プヲタあるあるだな(笑)
最近じゃ新潮や夕フジ、週スパなんかが偶にプロレスネタ扱ってヤフトピ上げても多勢からは全く反響なしでお手上げ状態
扶○○・某が言うにはネットで見る限り
極少数マニアが会場で撮ってSNS上げた写真や絶賛コメントを主宰や選手、別働垢がシェアやRT、イイネ♡して
安全牌なカモ相手に次の集金を当て込んで保険掛けるような世界になっちまったなと
それもまた猿芝居と(笑)
地上波キー局のバラ番担当もガチ前提で実態は猿芝居のプロレスラー暴露トークなんぞは二重三重の虚偽捏造に該当するからキツイと
そりゃあ眉に唾しながら聞き入るゲストも不憫だとな
そんなもの、ヲタは引退レスラーの小銭稼ぎのyoutubeで見れば十分だと(笑)
特に若年層にとっての娯楽としてプロレスの社会的意義は完全に喪失して無価値なものとなったな
今や若年層は性的好奇心に駆られて「推す」極一部のファンのみ
古今東西の古書・古雑誌を読み漁ってかつてのレトロプロレスから90年代〜00年代のプロレスメディアをつぶさに再読・再検討した結果、これだけは断言できる
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 940 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-n4M0) 2022/05/09 23:55:08
快復してもここが潮時だな
プロレスでは元気を!とかいっくら空念仏唱えても嘘臭いし
こういう時に限ってプヲタの精神的貧困が露呈するだけだからな
ツイッターがプヲタの本性浮き彫りにしちゃうからな
若手芸人も下手にプロレスなんかネタにしても今や誰も食いつかんし
面倒くさいプヲタが騒ぐだけで何のメリットもないからやらないってな
975 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-Ru76) 2022/05/12 07:03:02
>>940
長くプロレス見てると狭量なプヲタ思考が染み付いて情動指数が確実に落ちるし頭も回らなくなる
プロレスで元気になるなんてことはないだろw
皆分かっててお題目唱えてんだよ
人格も粘着質になって人生観もプロレス的な村社会の同類相憐れむ的なマイナス思考しかできなくなる
ここんとこレスラーが引退したりスタッフがプロレスに縁切りしてくのが増えるのも、そういうプヲタの本質が分かって仕事としてキャリアを無為に費やすのがバカバカしくなったからだよ
987 お前名無しだろ (オッペケ Sr33-Ru76) 2022/05/12 19:21:11
>>975
老害プヲタが推し団体や贔屓の選手に自我投影、自己同一化して、その競合相手をネットで叩く(笑)
その叩く理由・理屈をいかに嫌味ったらしく書くにはどうするか?
なんていつもアレコレ考えてたりしてりゃ嫌でもプヲタのEQやIQ・知能ってのは低下するよな
↓こいつみたいにw
761 お前名無しだろ (HappyBirthday! Sdea-7s+Z) 2018/11/20 02:07:00
プロレスを見る人のパイがある程度決まっている以上、全日がファンを増やすためには、
新規ファンを獲得することも大事だが、既にプロレスを愛する他団体ファンを全日ファンに鞍替えさせることが重要である。
また現在日本で一番ファンを持っている団体は新日なのでターゲットは新日ファンとなり、
新日ファンを全日ファンにするためには、彼らに全日の良さを伝えると同時に新日の悪い部分を認識させ、新日に嫌悪感を抱かせる必要がある
すなわち、このスレを見ている新日ファンに新日の欠点を言い続けることも全日のファン拡大に繋がる素晴らしい活動なんだよ
http://hissi.org/read.php/wres/20181120/QmFaYUJMVC9kSEFQUFk.html 今日9月6日は、猪木とF・V・エリックの
国内唯一のシングル対決が実現した日。
1971年9月6日、札幌、UN戦、1−1から両リン。
当初、ザ・シークの初来日が予定され、馬場(インター)と猪木に
連続挑戦する予定だったが、キャンセルになり、急きょ、エリックが参戦。
そのお蔭で、猪木との対決になった。
あの時、すんなりシークが来襲していたら、猪木対エリックはその後、
実現しなかっただろう。 >>0002
貼ったけど、数日間意味不明の規制がかかっていたみたいねw
>>0007
大物エリックが急遽来日できたのは、8月上旬メキシコシティのNWA総会で、
芳の里・エリック・シークが話し合って
シークのキャンセル、エリックの代打が決まったみたい。
ちなみに、翌72年9月6日は初来日したシークが田園コロシアムで坂口を破り
UNヘビー級王座を獲得 >>10
Thanks !
前にコピペして別スレ立てた時も、ne...cgi になって略されてしまった。
今回もダメだったみたいで申し訳ない。
スマホが悪いのかなぁ〜w 国王即位が力道山初めてのアメリカ修行とほぼ同時期
エリザベス凄い人や 遠藤 幸吉はエリザベス女王と
同じ1926年生まれだが、生きているのかな? >>7
69年9月にシーク、12月にエリックと、馬場が海外でインター王座防衛戦を行ったのは
この二人のレスラーだけになるのかな?
70年のキニスキーはリターンマッチだったし…
>>13
存命かどうか、情報がないんだよね
ネットでは亡くなったと書いてる人がいるけど、情報源を示してないし
ウィキも更新してないし 情報無しでwikiの遠藤の年齢がどこまでいくか見物だ
その前に我々が亡くなる可能性もあるが… 日プロに初来日したシークが、間もなくハワイで馬場と対戦し日テレが中継
全日を旗揚げすると世界ヘビー級王座争奪十番勝負を行い
72.10.22△サンマルチノ
72.10.30○テリー
72.12.6○ブッチャー
72.12.19○デストロイヤー
73.1.6△スナイダー
73.1.11○スナイダー
73.1.24○ジョナサン
73.2.15○サンマルチノ
73.2.20○オコーナー
73.2.27○ブラジル
設立僅か4ヵ月でこれだけのメンバーを招聘(テリー以外は何らかの世界王者経験者)
その間、ノーテレビの猪木が対戦した大物といえばゴッチだけなんだよな
しかし争奪戦の中で記憶に残っている試合はマスターが保存されていたデスト戦のみ
普通、感動や興奮を覚えた試合は記憶に残っているものだけど…
たいした試合じゃなかったんだろうな >>16
まぁ新鮮味はないよね。
サンマルチノ、テリー、ブッチャー、デストロイヤー
ブラジル、その前年71年〜72年に対戦したばっかりだし。
辛うじて、オコーナーが63年の第五回ワールドリーグ以来だが、
いまさらオコーナーという気がした。 争奪戦の期間は日プロがまだ存続していたし、新日はノーテレビで苦戦中
このメンツを見るとハワイのシーク、最終戦のブラジル共に数ヶ月前に
日プロでUN、インター王者になった大物
スナイダー、オコーナー以外はほぼ直近にNETのブラウン管に乗っているんだね。
なんか日プロのマーケットをあっという間に全日のものにした
馬場の政治力を猪木に見せつけるというより
日テレのNET憎しの構図がハッキリ見えてくる。 >>17
新鮮味がないって? それならば…と全部決着付けてしまったのも
もうやることなくなって手詰まりになってしまった。
>>18
外人に関しては芋づるだったんじゃないの?
日プロなくなったのか→馬場がやるってよ→じゃあそっち行くか、てなこと
新日もチャンスだったんだろうけど高い外人を呼ぶというオプションが
その時期にはなかったんだろな。 馬場がいなくなった日本プロレスでは
大木がブラジルに勝ってインター王者になったり
坂口がキニスキーに勝ったりで、大物外人の
値下げが始まってたから、馬場としても
過去の大物外人は連戦連勝で切り捨てて
ブッチャーあたりに世代交代させるしかなかったな 馬場は全日本設立後もジャンボ鶴田をパートナーにインタータッグのタイトル保持し続けた。
猪木は一旦北米タッグのタイトル取るもすぐ返上した。
馬場と比べて猪木はタッグのタイトルには興味無かったようだ。 >>21
猪木が坂口と組んで北米タッグを獲得したのは1974年8月。
76年3月に返上して、坂口&S小林が新王者になるんだが、
これは小林という第三の男が登場し、タッグ王者を任せられる、
と判断したからだろう。
小林が衰えた後は、長州をその座に据えた。
シングルはともかく、タッグ王者は他の選手に任せる、若手を育てるという
考えもあったんだろう。
かたや、馬場は鶴田と組んで、75年2月から84年まで看板タッグチームを
組んでいた。これは鶴田と組んでインタータッグ王者や最強タッグに出場できる
第三の男が出てこなかったからだと思う。
やっと天龍が育って、インタータッグを獲得したのが84年5月。 >>22
目立ちたい人間ならタッグ王座も自分で持ってると思うんだが?w
自分の出番をわざわざ減らすなんて
随分と風変わりな目立ちたがり屋だなw >>22
猪木がタッグよりシングルを重視していたのは確かだろうけど、
単に新日本の戦略でしょう。
でも坂口が猪木と同じ性格で、会社の方針を無視してまで猪木に挑戦していたら
日プロの二の舞になっていたかもしれないね。 シングルの王者(エース)がタッグ王者も兼ねるのは
日プロでは、創成期から末期まで常識だった。
力道山(with 豊登)→豊登( with吉村、馬場)→馬場(with吉村、猪木、坂口)
→大木(with坂口、上田)
国際プロレスでも、日本人IWA王者は、T杉山(70年5月〜71年3月)は
同時期IWAタッグでもあった。しかし、次のS小林(71年6月〜74年2月は、
その間の9カ月(72年7月〜73年4月)だけ。さらM井上(74年10月〜75年4月)
やR木村(75年4月〜81年崩壊まで)は、タッグ王者になっていない。
それだけ複数エース制になったわけだ。
猪木が、タッグ王座を捨てて、シングルに専念したのも、その流れ。
馬場は鶴田に続く第三の男(天龍)を育てるまで時間が掛かった。
そして、やはり自分が出なければ客が納得しないと考えていたんだろ。
90年代半ば過ぎ、還暦になっても、興行中盤の6人タッグにも出ていたしね セミファイナルでタッグ3本勝負
メーンイベントでシングルマッチをしてしまうと、テレビ放映枠では
タッグ戦ばかりとなり、シングル戦は放送時間が切れちゃうのである。
馬場は猪木のせいでこの被害にあってしまい、結果お茶の間で猪木の露出の方が
おおくなってしまったのだ。
よってメインタッグタイトルはシングルと兼任すれば馬場、猪木がテレビ放送のトリを取れるのである。
メーンイベンターにとってセカンドタッグタイトルなど無用の長物なんである。l 猪木のタッグ王座返上は複数エース制よりむしろ単独エースを加速させた印象
猪木≧坂口≧小林から猪木>>>坂口>小林へ >>28
俺もそう思う。強いて言えば藤波によるジュニア部門開拓か。 猪木がタッグタイトルを手放したのは、単に疲れからだと思うけどね。 1969年ダイヤモンドシリーズの開幕戦、日本テレビの生中継は
セミで猪木&吉村対デストロイヤー&ベン・ジャスティスの
45分3本勝負が1−1から時間切れ。
そのため、メインの馬場対B.オースティンの60分3本は、
ゴングがなったかならないうちに放送時間終了。
71年ダイナミックシリーズ開幕戦も同様。
セミはタッグではないが、猪木対ボブ・ラムステッド、
星野対ミル・マスカラス戦は良かったが、これに時間を取られ
メインの馬場&大木対S・アリオン&
ボビー・デュラントン戦は、デュラントンが先発し、
期待のアリオンのファイトが見られなかった。 生で入りきれなかった試合結果を、次の日テレニュースで字幕速報してなかったかなぁ?
なんか大試合に限ってだけど、、、 タッグマッチというと東スポプロレス大賞が始まったのが1974年
73年があったとしたら、年間最高試合はファンクスvs馬場鶴田のインタータッグ
MVPはテーズゴッチ組を行いNWF王座を獲得した猪木に一票w BI砲って、奇しくもON砲とかぶらないか?
過去に言われ尽くしているかもしれないけど。
上手く言葉にはできないのだが… >>34
ON砲が由来だから。
読売グループ→巨人軍→日本テレビ→日本プロレス
どこが名付けたか想像がつくよね。 納得。
しかし、全日本プロを旗揚げした当初、日本テレビは馬場を全面バックアップしていた筈なのに、テレビ中継は野球優先、全日プロの放送はいわゆる「雨傘番組」となった。
この中途半端さは何だったんだろう?
しかも裏番組はドリフの「全員集合」
当時既にレスラーとしては下り坂の馬場に勝算があるとも思えず…日テレは何を考えていたんだろう? >>37
日本テレビが日本プロレスを捨てて馬場を担ぎ上げて全日本を立ち上げる際の約束が強固だったんだろうなぁ。 >>36
王、長島は打者だから球(弾)を
飛ばす大砲に例えてON砲でも良いんだが、
BI砲は、そうではないよね(苦笑) 馬場の"32文人間ロケット砲"と猪木の"砲丸投げ"でどうw >>41
「雨傘番組」でも、従来同様に視聴率が取れていたら違ったんだろうか?
柳澤健「1964年のジャイアント馬場」でも、「日テレは『馬場ならドリフにも勝てる』と思っていた」ような記述があったけど… >>37
急遽決まったから枠がそこしか空いてなかったって原章が言ってた 1970年前後は、時代の変わり目というかプロレスの転換期だったね。
数字が取れなくても従来通りのプロレスに資金援助してるんだから…
まぁ馬場に猪木プロレスは出来ないし、その逆も然りだけどね。 >>37
昔は金曜日のナイターは少なかった。
というかなかった。
しかし土曜日に移行したら、当然ナイターは
不可避。
だから放送日的に仕方ない >>37
馬場には気の毒な話でしかなかったけど、馬場にももう少し先見の明があったら、または猪木のように人気を上げるためならエゲツないほどに何でもやっていたら…と思う。
旧来の価値観(=60年代のアメリカンプロレス)にこだわり、それと同じ事をやっていれば今まで通り客は入ると思い、そのアテは見事に外れ、大枚はたいてバックアップした日テレとしても「馬場は何をやってるんだ」となるわけで…。
突き上げを喰らい続ける事になった馬場もどうして良いかわからないまま…
これでは全日プロは新日の後塵を拝する事になるのも当然だった。 >>47
あのな~馬場がロレス脳やプヲタの需要への理解が欠如していたのは
70年代だけの話しじゃないぞ。
高木や田上を三沢や小橋より重用し,ブリティッシュブルドックスvsマレンコ兄弟を
ケチョンケチョンに解説してたんだぞw
王道プロレスって奴の正体はターザンじゃん。馬場じゃない。
さぞ70年代から全日に受け継がれるプロレスのように錯覚させた
首謀はターザン山本。 >>47
猪木は若い頃に東京プロレスの経験があるし、修羅場をくぐり抜けているからなぁ
仮に馬場に新間のようなブレーンがいても、性格的に新間とは対立するだろうし 馬場は家族経営の個人商店だから無理でしょ。組織じゃない。
主が亡くなったら閉店の運命。未亡人が何とかしようとしてもうまくはいかないのも宿命。 全日が商店、新日は企業とか言われてたけど、新日がユークスに買収されたらどんぶり勘定体質で企業として体を成してなかったからユークス幹部を驚愕させ、ユークス本体の経営を揺るがす事に >>51
新日本の身売り。オーナーの猪木がユークスに株を譲渡したんだよね。
新日本の名前は残ったがユークスの子会社になった。
これで猪木の発言権は失われたが娘婿サイモンを社長に就任させてるから
猪木の指示で動かせる。さらに出戻りの長州を現場責任者に復帰させたもんだから
新日から多くの退団者か続出した。健悟やケロもこの時だったかな? >>51
新日の経営がものすごく酷く、そのせいでユークス本体が悪化となったイメージあるけど
新日売却1年後決算で、連結で約6億の赤字だけど新日の赤字分は8千万ほどでしかないよ。 ユークスやブシロードはコンテンツを潰して金にしただけだよ 歴史にたらればは禁物だし、これも散々に言われ尽くしたかもしれないけど…
もしも馬場と猪木が一枚岩のまま日本プロレスが存続していたらどうなっていただろう?
馬場のカラーである、旧来のプロレスが形を変える事なく、水戸黄門や笑点の如きマンネリズムとなって続き、ファンも同じように歳をとり、それを良しとしたか、或いはそれで衰退していったか…
猪木のように新しいアイデアを次々と加えて、プロレスを進化、ともすると変質させて麻薬的な刺激を持続させ、ファン層まで新陳代謝させるような展開となっていったか…
もっとも後者は、あの当時の日プロの体質を考えるとあり得なかっただろうがな。 >>55
猪木がNWA王者になっていたと思うよ
馬場がいれば半年や1年日本あけられるし 当時の雑誌を見ても分かると思うけど雑誌買う様なファンで言えば昭和46年には猪木の方が人気ある
地方での集客力とかテレビの前のライト層では馬場だけどね >>56
それはどうだったろうね。
当時の馬場は、実質的には猪木の人気が高まっていたとしても、興行の看板であるインターの絶対王者。
後年、プロモーターとしての馬場がやったように、国内防衛だけの短期間の戴冠契約でNWAのベルトを巻いたと考えられないかな?
馬場は国内インター、猪木が海外に出てNWAってのも考えにくい。
猪木にしたって、馬場との順列はさておき、国内の看板だったわけだから。
どうでもいい事だけど、あの時代を語る時、必ず思い出されるのが、猪木のオレンジ色のタイツ…若かったよな。 >>57
曜日等条件は違えど日プロ放映時も
NETの方が日テレより視聴率高かったと聞くよ。 実も蓋もない話になるが、
「実力」でNWA世界王者になるわけではないので、
当時のアメリカのNWA会員のプロモーターが
猪木を(全米を防衛サーキットする)NWA世界ヘビー級王者
として認めるかどうかだよね。
私は「No」だと思うよ。
まだ馬場の方が可能性があるね(知名度から言って) >>60
そりゃそうだ!
ショーヘイ・ババ時代のアメリカでの実績。
馬場がメジャーなテリトリーをサーキットしていたのに対して、力道山さえも、そして猪木も殆どローカルなテリトリーしか入り込めていなかった。 >>24
馬場と鶴田がインタータッグ王者なのになぜ自分が北米タッグ王者なんて名乗らないといけないんだ >>55
一枚岩と言われても石橋を叩いても渡らない慎重派の馬場と、どん欲なまでに積極派の猪木
人気実力のついた猪木と下り坂の馬場を上手く納得させて調整できればいいが
対立するのは時間の問題だろうね。
2局放送というのも派閥を作ってややこしくしている。
でも、どっち道改革は必要だった。 >>65
仮に日プロが存続していたとして、馬場から猪木へのエース交代っていうのもあったんだろうか?
力道山という大スターの時は、その力道山が急逝したため、全盛期にあって実力・人気共にトップにあった馬場がエースになったのは自然な流れだったが(※豊登という二番手こそいたけれど)、馬場の場合、どういう形で猪木に世代交代させただろうかというのが想像できないんだよね…。 結局、テレビの問題だと思うよ。
馬場だって自らの衰えでエースは難しいと自覚すれば、そして上から言われれば
身を引いてハワイで隠居する計画があったというし
猪木だって馬場個人を憎しじゃなかった筈だから
どうしても対戦して引導を渡すことに拘りはなかったと思う。
まぁ、インター王座をクッションにして2回位リマッチに失敗
猪木が出てきて奪回→日プロのエースに…が無難かな
でもテレビ局が譲るかなぁ〜。交渉の段階で決裂しそうだけど
仮に猪木がエースになったら、日テレは坂口を猛烈にプッシュするだろうね。 >>66
日本プロレスにはそのシナリオはなかったろう。
1972年のワールドリーグを、どっちに優勝
させていいかもわからなかったはず。
結局、馬場派と猪木派の対立が進み、
分裂は不可避だったのでは 馬場も猪木も独立後には上がいなかつまたからなあ。
だから自分達の好き放題できた。
若いうちから自分達が団体で一番上の立場になれたんだよね。
猪木は馬場の存在わ巧妙に使っていたよね。
だからその馬場が早い段階で居なくなったら困るわけで。
引退すべきと散々叩いて本当に引退されたらさあ大変。
売名の為に自分が活用してる馬場の存在が居なくなれば猪木は売名できなくなった。
他の手段より馬場わ標的にするのが猪木からしたら効率が良かったのだと思う。 >>68
>1972年のワールドリーグ
あの外人メンバーだったら、馬場の盟友の
ゴリラ・モンスーンが猪木にガチを仕掛けて潰す。
決勝は、やはり馬場対モンスーンで馬場の優勝。
でも、猪木ファンの鬱積は溜まる。 >>69
『馬場と猪木』(斎藤文彦)の中に
1973年が馬場と猪木の本当の闘いがスタートした年
二人が制作・総指揮・監督・主演する立場になり
ブッチャー、シンを大悪役にキャスティング…
と書かれている。
ほんと、独立してから馬場と猪木のプロレス観やセンスが問われたね。 1972年、猪木が優勝するなら
当然、NETで放送したいところだが、
同局は、ワールドリーグの決勝戦は放送できない
取り決めだったのでは? >>73
だからといって日本テレビは
猪木の優勝は放送したくないだろう。
じゃあどうする?
という答えをフロントは持っていたか。
多分なかったと思う。 72年以降も馬場の優勝を続けるようならマンネリに呆れたファンがプロレスそのものから離れていくだろう 11回の猪木優勝は以後いろいろと複雑な関係を生んだようだが
プロレス界としては素晴らしく盛り上がったのは確か
>>74のいうように猪木は困るし馬場もマンネリ、外人は論外なら
弥縫策的に坂口を優勝させたんではないかな。
ただ「次」がまた困るだけだろうが。 >>76
ここでブッチャーを優勝させる知恵が
日本プロレスにあれば… 新日や全日なくても鶴田と藤波は日本プロレス入りしてたんだよね。
天龍も森岡さんが斡旋してくるから可能性は高い
長州はスカウトされなきゃ来ない、日プロが人材豊富なのにスカウトに乗り出すとも思えず来る可能性が低い
佐山もあの身長では門前払いだし佐山がいなきゃ前田もプロレス入りしてないだろう
藤原は国際かな
そう考えると分裂してた方がプロレス史的に実りが多かったと言えるかもね >佐山もあの身長では門前払い
同じような身長の小鉄や星野がいたから、
佐山も歓迎はされないだろうが、
入門できなかった、こともないと思う。
むしろ、彼の頃(72,3年)は、メキシコの軽量級プロレスが
注目を浴びた頃。その要員として入門できたかも。 いや、佐山は日プロに入れなくても
国際なら入門できただろう。
そこで、やはり日プロ不合格の藤原と
出会っていたりして。 佐山は新日で一回「身長が足りない」という理由で落されている(体力基準はクリアしたが)
二回目の時に選手が足りなくなっていたこともあって合格できた
藤波は相撲アマレス等のバックボーンもなくあの身長でよく日本プロレスに合格できたな
それだけ光るものがあったんだろうけど ダラ幹になったきっかけを考えると、NETが参入した時点で崩壊する運命だった気がする。
日テレ1局独占だったら、馬場人気の低下で猪木の方が視聴率的にも興行的にも
期待がもてたなら、BI対決しようがしまいが
わりとスムーズにエース交代が行われたかもしれない。
それと国際プロとTBSにはもっと頑張って欲しかったな。
日プロ一強状態だったら、ろくなことはない。 草津
杉山
小林
井上
ホモビだったら天下取ってたメンツ 初期新日入門者で低身長と言えば、
グラン浜田(公称167、創立時72年入門)と
橋本小助(公称165、73年入門)だな。
浜田は2000年頃、会場の通路ですれ違ったが
160cmそこそこ、65もないと思う。
彼は、ミスターポーゴが入門する時、ついでに
入門したと言われるが、柔道のバック―ボーンが
あったから認められたのかな?
橋本小助も、アマレスをやった程度。
まぁブレイクはしなかったが。
さすがに、馬場全日は160cm台は入門させていなかった。 >>85
浜田の自家用車で関川を道場に送ったら、その車君の?入門しない?って言われて浜田は入門
浜田の車は営業車としてボロボロになるまで使われた
車目的で浜田を入門させたらしい >>85
懐かしい ! 橋本小助なんていたなぁ〜
日プロ留学生のドナルドタケシも初期新日にはいた。
もっとも、この二人の試合映像は見たことないけどw
留学生も国際(黒潮太郎、稲妻二郎…)や新日(ゴメス、アレン、クロネコ…)は思いつくが
全日は大木の弟、金光植くらいしか知らない。 >>88
全日ならキング・ハクやジョン・テンタがいるでしょ
新日も全日もアメリカで稼げるレスラーを育てているのが流石は日本のメジャー団体 >>89
トンガやテンタの入門は、日本のリングで学んだから留学生の扱いになるのか… トンガ、テンタはプロレス入り前から日本に住んでたから留学生感が薄い 鶴田は全日育ちというイメージが薄い
ほとんどアマリロで作られた感じ 馬場全日入門者に、在日韓国人がおらず、新日には多かったのは有名だが
(公表しただけでも長州、前田、天山、高岩、日プロから移籍の星野、健吾)
新日は埼玉県出身者を採らない、というルールもあるらしい。
全日は、三沢(生まれは北海道)、田上、浅子、丸藤、
日プロから創設時に移籍した大熊、
馬場が亡くなった後だが、KENTA。
鈴木鼓太郎はノア、土方隆司は闘龍門と、新日以外である。
創立から50年、多くの選手を輩出している新日で、
これまた人口が多い埼玉県からデビュー者がいないのはなぜだろう?
(創成期にいたかも知れないが、少なくともテレビに映るくらい活躍した
選手はいないだろう) そして、新日は創設者の猪木が横浜産まれの
こともあるが、神奈川出身者が多い。
創立メンバーの山本 小鉄、木戸修、あと平田、ヒロ斉藤、
高田延彦、鈴木みのる、真壁。
かたや、馬場全日には、神奈川県出身者は入門していない。
と書こうと思ったら、本田多聞(横須賀市)がいた。
馬場亡き後は諏訪魔(藤沢市)も入門したし。 出身地でどうこういうのはわけわからん。競輪じゃあるまいし。
お笑いに興味ない大阪人もいるし柔らかいラーメンの麺を好む福岡人もいるのに。 >>91
初めからプロレス目的で来たわけじゃないからな
留学生というより避難民という感じ >>78
長州は超絶貧乏だったから鶴田が前年に日プロに入団してたらスカウト来なくてもプロレス入りしていた可能性はある
アマレスじゃ食えないから 今日はジャイアント馬場(馬場正平)とアントニオ猪木(猪木寛至)がデビューした日だな(1960年9月30日)。 >>100
デビュー時の表記は猪木完至ではないかな? 80年代から定番だった観客の○○コールって猪木が元祖だよね? 2年前の『猪木力:不滅の闘魂』より
「あの世に旅立つ時、俺が何を思うかは分からない。今、言えることは
アントニオ猪木っていうバカが一生懸命生きたことを感じてくれたらそれでいい。
そして、最後に俺はこう叫ぶだろう。『ざまぁみろ!』」 あちらでもBI砲を組んで、キニスキーとかサンマルチノ、ブルクラコンビなどと闘うだろうかな…
合掌。 1963年10月2日は栃木で最後のBI対決が行われている。
20分1本勝負
ジャイアント馬場(12分0秒 体固め)アントニオ猪木
馬場はこの試合を最後に第二次海外武者修行へと旅立つが
猪木はこの試合の続きがしたかったんだよな >>107
完ちゃん、来たのか
もう血糖値を気にしなくて良いからこの大福食べよう
力道山とか梶原一騎とかもいるから、逢わないようにしような >>109
「ぽう、リキや梶原はこっちで見たことないから安心しなよ」 「猪木さん、ここではオレが先輩なんだよ。今日からおまえのことをイノキと呼ばせてくれ!」 >>114
だれを想定して書いたのかな?
猪木よりプロレスでは後輩だが、先に亡くなっている選手
「○○と呼ばせてくれ」でR木村を思いついたが、
あと、猪木に頭が上がらないレスラーでは上田馬之助、
それと、接触はなくても、そういうことを言いそうなのは
グレート草津だな。 その小鉄(’10年没)も、あの世では
グレート草津(’08年没)に先輩面されるのか!?
堪ったものじゃないなww 日本プロレス殿堂会殿堂入り
2021年 馬場、猪木、鶴田、藤波、長州、天龍
2022年 マサ斎藤、カブキw、小鹿ww
酷え 坂口征二、ラッシャー木村、ストロング小林、上田馬之助、キラーカーンが先じゃないかな? 猪木が亡くなって、NHKのクローズアップ現代で特集されたり
ニューヨークタイムスに訃報記事が出たり
プロレスの枠を超えた存在だったなと思います。
最終的にアメリカでの評価も猪木が馬場を上回った。 >>122
アリ戦があったからだよね
でも、もしアリ戦でKO負けでもしてたらと思うと、、、それ >>123
でも、馬場が亡くなった時の方が
確か、日本テレビあたりで追悼特番を
組んだりして(司会が徳光だった)
今回の猪木以上にインパクトがあったように思う。
まぁ、馬場はその時、現役のプロレスラーだったことも
あるけれどね。 >>124
あと馬場の場合は突然の訃報でもあったからね。
当時の馬場の病状等は一切公開されてなかったから、
あの報道には国中が本当に驚いたわけで。
誤報説まで出た位だったし。
猪木の場合は自身の状態を敢えて公開するという前代未聞の事をやってきた。
それで世間的にも猪木の状態は浸透していった。
そういう面では猪木の時の方が驚きは少なかったとは思う。
動画等を見てその状態を知ってる人達からしたら。
馬場は突然死的な捉え方になってしまったし。 1999年1月の中頃、馬場が入院中
プロレスカフェという、当時、結構流行っていた掲示板で
「馬場は癌だよ」という書き込みがあった。
多くの人は、それはガセだと決めつけたが、
中には、全日が馬場の経過を全く報じないのはオカシイ、
とかいう書き込みもあり、その「癌だよ」の投稿は消された。
その1週間後に、馬場の死去が報じられたわけだが、
あれは、病院か全日も馬場の病状を良く知っている人の
リークだったのか?あるいは、いたずらで書いたことが
本当になったのか?今では分からん。
ただ、馬場の死も、最初、全日は、公表を躊躇っていたが
それをリークするネットの書き込みがあって、隠せなくなったらしいね。
(その書き込みは見ていないんだが) >>126
プロレスカフェでは鶴田の死のときも同じような騒動があったな >>126
馬場死去の最初のリークはniftyの全日スレ
たしか7~8時頃に書き込みがあった 馬場が死んだと聞いた時のあの不思議な感情思い出したわ笑 当事者の猪木が亡くなって、日プロ除名騒動の真相が迷宮入りになった…
いろんな証言はあるが、他OB達の話は自分に都合がいいように脚色してるフシがあるし
延々と持ち続ける憎しみのような感情があるような気もするから半信半疑になる。
一番有力だとされる、当初馬場や上田と合意していた改革案が
いつの間にか木村昭政の強引な日プロ乗っ取り計画に変わっていたという説
仮にこれでクーデターが成功して猪木が社長になったとて、、、なんだよなぁ 1966年の今日は、猪木出世試合があった日
東京プロレス旗揚げ戦-10月12日 蔵前国技館(観衆11,000人)
時間無制限1本勝負
アントニオ猪木(31分56秒カウントアウト)ジョニー・バレンタイン
60分3本勝負
○豊登&D樋口(2-1)Jパワーズ&Sマイヤース●
パワーズ(10分13秒体固め)樋口
豊登(5分25秒逆エビ固め)マイヤース
日本側(6分53秒反則)外人側
30分1本勝負
ザ・ヘラキュリー(10分32秒体固め)斎藤昌典
8人参加バトルロイヤル
田中忠治(12分42秒逆片エビ固め)寺西勇
30分1本勝負
田中忠治(25分26秒体固め)高崎山猿吉
15分1本勝負
竹下民雄(25分26秒体固め)寺西勇
木村政雄(12分42秒逆片エビ固め)永源勝
10分1本勝負
中川弘(7分39秒逆片エビ固め)柴田勝久
マンモス鈴木(6分3秒体固め)大磯武 >>131
ラッシャーと永源はこの時点で対戦してたのか。 >>131
寺西勇の試合15分1本勝負で25分やってるのはどういう事?
上の試合と間違い? >>134
本当だねw
もう一度確認したけど、やっぱり上の試合と同じ試合結果だった。
明かに誤植でしょうね。
それに旗揚げポスターには、竹下民雄は竹下岩夫
高崎山猿吉は高崎山三吉と刷られている。 30分1本勝負
田中忠治(25分26秒体固め)高崎山猿吉
15分1本勝負
竹下民雄(25分26秒体固め)寺西勇
この2試合が、同じ(25分26秒体固め)というのが
ポイントですね。 >>131
馬場が日プロのエース、猪木が東京プロレスのエースの時に
10分1本勝負 に出ているマンモス鈴木の落ちぶれ方が凄いわ 10年前に亡くなった竹内宏介さんは、ビデオに残ってない試合ベストスリーとして
63年5月力道山vsデストロイヤー戦、66年2月馬場vsテーズ戦
そしてノーTVの66年10月猪木vsバレンタイン戦をあげているね。 >>139
高千穂対バレンタインも
違う意味で見てみたい >>139
猪木本人もバレンタイン戦を気に入っていて映像がないか探したそうだ
当然無かった 猪木の試合中の"目つき"や"ロープワーク"はバレンタインの影響を受けたというし
66年から67年にかけて日本カナダでバレンタインと対戦した猪木・シン・マルコフは
試合スタイルとか何かと波長が合うような気がする。
第11回Wリーグのマルコフのファイトスタイルは、後年のシンのそれとそっくり 私も66年の猪木対バレンタイン戦は
見ていないが、70年暮れに日プロ参戦の時は
もう劣化していたのかな?
第一戦、横浜文体での一戦、猪木は人間風車を
初公開、当時としては衝撃的だった。
後追い的なことをいうようだが、
バレンタインの相手の攻撃を耐える表情、
そしてカッと目を剥いて相手を睨む形相、
確かに、猪木が受け継いでいるよ。 猪木がバレンタインと試合をしててバレンタインのファンになっちゃたって言ってたな 馬場がバディ・ロジャースと戦っている間に
ロジャースのファンになった、というのと同じだね。
そして、バレンタインもロジャースを尊敬していた。
猪木は、直接、ロジャースと対戦したことはないが
バレンタインを通じ、そのDNAが受け継がれていると思う。
ロジャースは馬場、猪木に大きく影響した大レスラーだな。 多くのレスラーはロジャースを唾棄していた。
「1964年のジャイアント馬場」でのサンマルチノのインタビューでも、「馬場はロジャースに心酔していたかもしれないけど、ロジャースと長くサーキットしていたら違っただろう」というような事を言っていた。
人種差別主義者であり、プロモーターに「良いアイディア」を囁くけど、それが麻薬的な物だったりと、人間としては最低だったらしい。
まぁ、大スター=人格者という事は必ずしもあるわけではない(むしろ稀だろう?)し、ロジャースがプロレス史上に残らないかと言えば全くそんなことはないし…。 ロジャーズは、あの当時の白人レスラーとしては黒人選手と対戦した記録が多いと聞いたがな
後年に活躍したバーン・ガニアやダニー・ホッジは露骨に黒人と関わるのを避けていた 1962年秋、NWA王者ロジャースは、東部でボボ・ブラジルの
挑戦を受け、一旦、王座を奪われていますね。
その後、クレームが付き、ブラジルの王座移動は無効になったとか。
ブラジルは’60年代、アメリカの黒人公民権運動のシンボル的な
存在。映画界がシドニーポワチエならプロレスはブラジルと言った
感じかな?とにかく悪い白人を痛めつける正義の黒人。
東部でロジャース、西部(ロス)ではバディ―オースチンを
倒してWWA世界王者にもなった。 ホーガンが目をむく表情をするがあれは実はバレンタインのパクリだって読んだことがある
バレンタインの悪戯は度を越した代物でだから飛行機事故にあっても同情されなかったという話もあった
ブラッシーの自伝ではバレンタインとロジャースの人間性についてボロクソに書いてあった >>143
70年だと47年デビューのバレンタインはキャリア23年のベテランになっていたからねぇ
何せスカウトしたのが伝説のスタニスラウス・ズビスコっていうんだからw
同時期来日したキニスキーより先輩にあたる。
(BIのキャリア23年目だと、馬場はセントルイスでレイスからPWF奪回
猪木はIWGP舌出し失神事件の頃)
でも通算6度の来日でBIが揃ったリングにあがるのはこの時だけなんだよね。 >>146
実現はしなかったが、78年にロジャースが一時的カムバックした時
フロリダと交流のあった新日に行きたかったみたい(全日じゃないのが面白い)
>>150
75年10月4日の飛行機事故はバレンタインの他にリック・フレアー、ティム・ウッズ
ボブ・スラッガーズとプロモーターのデヴィッド・クロケットが乗ってた
この事故でバレンタインは引退したけど、フレアーは大バケした。
一度はグレッグとの親子タッグが見たかったよね。 馬場はロジャースについて「プライドが高すぎて高慢だ」というレスラーもいたが私はそうは感じなかった
夫人の手料理をご馳走になったこともある」と回想していたね
馬場は一貫して「史上最高のレスラーはバディ・ロジャースだ」と言っていた >>154
"金髪の妖鬼"も素晴らしいけど、ジャイアント台風で描かれていたのは
ドロップキックを連発する"爆撃機"のイメージだったから実物を見て驚いたw
あと話題がそれて悪いけど
一応、BI砲スレということで
昨夜の通夜で判明した猪木(79歳)の戒名
『闘覚院機魂寛道居士』
ちなみに馬場(61歳)の戒名は『顕峰院法正日剛大居士』
力道山(39歳)は『大光院力道日源居士』らしいです。 >>155
3人共「院」止まりで、その上の「院殿」ではないわけね。
力道山なんか、当時の知名度からすれば「院殿」でもおかしくなかった。
ちなみに有名人では、映画監督の黒澤明や、漫画家の手塚治虫が
院殿だったとか。別に生前の実績や、仏教に対する信心の深さで
院殿になるわけではない。金を払えば、誰でも貰える(苦笑)
そして、馬場だけが「大居士」で、ちょっと戒名代を
張りこんだわけか!モルモン教徒なのに。 ロジャース対バレンタインの動画がツベにあるけど、当時の硬い粗末なマットでボディスラム合戦とかキツい事してるな
ロジャースの相手のタイツを掴んでのジャンピングパイルドライバーがエグい 馬場も東京プロレスがバレンタインを呼ぶと聞いて
「良いレスラーを呼んだなあ」と思ったそうだ
リングの外では悪評だがリングの中では一流のレスラーだったんだろう >>157
闘うことでバディ・ロジャースに育てられ教えられた(バレンタイン談)
それを猪木に伝えたのか、猪木が盗んだのか、、
自分もロジャースvsバレンタイン戦をツベで見たけど
パイルドライバーと足4の字が決め技みたいね
二人とも色気があり、特に馬場が絶賛するロジャースは
人気・不人気部門で両方にランクインするのも頷ける。
馬場の師匠アトキンスもロジャースの実力を認めて高く評価していたそうだ
まぁ、黄金期のアメリカンプロレスを体験して
その中でも最高のレスラーと挙げているんだから(でも最強とは言ってない) 改めてキニスキー&バレンタイン組を見たら
3本目にバレンタインが猪木に逆十字を決めてたんだな
見逃していたわ ルー・テーズは、ロジャースのレスリングは学生レベルと酷評していた。
本当の実力者ではなかったけれど、プロレスを盛り上げる天才エンターテイナーだった。
故に、最強ではないが「最高」のレスラーとして語られている。 WWFチャンピオンが本当の世界チャンピオン
NWAチャンピオンは田舎のローカルスター >>161
テーズに言わせると「WWFのチャンピオンでレスラーと呼ぶ資格があるのはボブ・バックランドだけだった」
だがテーズは言う事がコロコロ変わるからイマイチ信用できない
【国際プロレス伝】「猪木、馬場より実力は上」と鉄人ルー・テーズも認めた
ttps://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2017/04/16/___split_12/
力道山をはじめ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木と名勝負を繰り広げ、国際プロレスのマットでも活躍した
"鉄人"ルー・テーズは「ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ラッシャー木村の3人のなかで一番強いのは誰か?」と訊ねられると、
「もちろん、木村だ。アイツは相撲とレスリングをマスターしているから」と答えている。 確かに、テーズはリップ・サービスに努めていたところがあったから、あちこちで言う事が違っただろうね。
余談だが、テーズの迷?回答。
当時押しも押されぬ日プロのエースだった馬場と肩を並べたつもりになったグレート草津が、テーズに失神KOさせられた後のインタビューで、テーズに記者から「草津は馬場になれるか?」と質問があると、テーズは即座に「No」と答えた。
記者「何故か?」
テーズ「草津は馬場ではないからだ」 >>163
そのボブからタイトル奪取した人も筋金入りではあったんだが認められないのか テーズにしてみれば猪木もシューターという括りではなかったよな。
猪木のファイトってレスラーから見ればレスラーではないから
理解しがたい時代ではあったと思うぞ。
現代で言えば柔術的ファイトだものな。 >>161
第5回Wリーグ参戦のために馬場が渡米していた力道山に伴われ帰国
その際の会見(63年3月17日)で「ワシは12日にセントルイスで
NWA世界王者だったバディ・ロジャースに圧勝した」と大嘘を付いて馬場を呆れさせた。
全米一の売れっ子王者を招聘できなくて
WWAとの提携路線を継続せざるおえなかった負け惜しみだと思われる。
もしあの時代にロジャースを招聘できていたら
世界王者のイメージも随分変わっていただろうね(ハットン、テーズと真逆だし)
あと、テーズはゴッチ程ではないが自分の思うレスリング哲学に
叛くレスラーは認めないキライがあるし
>164さんのいう通り、晩年はスポンサーにリップサービスすることがあり
ポリシーを疑うところがあった。
そんなテーズは1964年の今日、ヒューストンでキム・イルを半殺しにした。
有名なセメント返しの試合 テーズ・スペシャル・スマッシュ!
あれは…ホラじゃないよね? >>168
そんなにテーズのこと詳しくないから、テーズ・スペシャル・スマッシュという
技の名前までは知らなかったなぁw
でも最強タッグでもNWF挑戦試合でも普通に使ってなかった?
相手がラフできたらベッドロックの体制からとか、ロープの離れ際とかで
大木の石頭だとナックルだと思うんだけど、どちらにしても拳を痛めそうだけどね。
いくらサザエの殼のような拳でも、、 >>169
「男の星座」であったんよ
テーズが力道山に手首の突起で一撃を加えたちまち形勢逆転
リキのセコンドが反則を主張するがアメリカ人レフェリーが
「ノー!テーズ・スペシャル・スマッシュ!」と言い放つというシーン まああの名称が梶原一騎の創作だったかどうかは知らんが
テーズがよくやってたのは確か
ロープ際でレフェリーの死角からナックルと併用して
反則を指摘するレフェリーに今のはこっち(手首)だよってアピール
NWAチャンプでサーキットしていた頃からの
各地でヒート買うためのヒールムーブなんだろうな 白鵬の「かち上げ」(エルボースマッシュ)
みたいなものだな。 >>171
「イテエのなんのってあやうくチビるかと…」とリキが述懐するほどの威力で
相手が一線を超えてきた際の制裁の手段
などと描かれていたが その程度のものだったのか >>165
アラブ系ギミックの時点で「こんな道化は認めんっ!(怒」て感じだったのかな、テーズの爺さんは。
渕が書いてたけど実際スパーリングしてみての実感として、
ロビンソン、ゴッチ、ホフマン、オコーナー、ホッジ、デストロイヤーはグランド、関節技の知識、技量が高くて
この6人に比べるとI・シークは技量も教え方も劣るって書いてたなあ。
決して弱いわけじゃなくてあくまで「この6人に比べると」としてたけど。
渕とのスパー直後疲労困憊状態だったとはいえ、岩釣を一瞬で極めちゃう人なんだからそりゃそうだよな。 >>174
バジリのスローなスープレックスは初期の鶴田そっくりだった https://youtu.be/pWTHx9lzPkw
コシロ・バジリ
ボブ・ループ
トニー・チャールズ
レス・ソントン
ダニー・ホッジ
ハーリー・レイス
レイスがダイビングヘッドパットをする時に太ももで上手く前受け身をしてるのも興味深い >>173
そら本当に相手痛めつけるならナックルでいくやろって話で
大木金太郎ブチのめしたのもナックルだし UPしてる奴がキモすぎて無理
入りのスピードが大事なのにスローモーションに編集するのも堪らなくキモい >>177
それをスペシャルスマッシュでやったというのがカジストーリー
しかしそんなに有効なら他も使うよな 誰でもできるもんなw >>174
>アラブ系ギミックの時点で「こんな道化は認めんっ!(怒」て感じだったのかな、テーズの爺さんは。
それを言い出すとピエール・レマリンで偽フランス人で
そもそも普段から偽ドイツ人のカール・ゴッチはどうなるんだ?
って気がするがw
コシロ・バジリの場合はイラン出身なのは本当だった
テーズはスタン・スタージャック、イワン・コロフ、I・シークみたいな短期間つなぎ王者は忘れていただけかもしれん テーズが試合中にする定番の動きは、組み合う前にする独特な構え
アームロックとヘッドシザーズ、印象的な正面跳びドロップキック
それにロープ際でのスペシャルスマッシュに
エルボーでちょこんと相手の鼻っ柱を突く動き
とにかく技に入るタイミングも動きも速い。
負けはしたが、猪木との試合も圧倒していた印象
そのテーズが最強というのが師匠エド・ストラングラー・ルイス テーズってNWA王者のときはフェイスだったの?ヒールだったの? >>182
ヒールだよ
全日に王者として来てた時のレイスやフレアーと同じ
各地でその土地の人気者と戦って試合を盛り上げつつタイトル防衛するのがお仕事 テーズvsドン・レオ・ジョナサン
力道山vsドン・レオ・ジョナサンを見ると面白い
ジョナサンにボコボコにされながら40分過ぎにあの体格差でやり返す力道山も凄いが、ジョナサンがちょっと仕掛けたような感じになるとすかさずお仕置きして子供扱いするテーズ >>184
ジョナサンは"お仕事"だけど負け方が下手なんだよなw
負ける時に余裕が見えたらシラケてくる。
でも、力道山・豊登から続く各団体エースクラスと対戦しているのは
ジョナサンとラリーヘニングくらいになるのかな?
テーズが全日で対戦したのは若手とのエキシビションだったし
ブラジルは国際勢との対戦は無いし >>185
力道山からG・馬場、猪木の日プロ、
そして国際を経て全日までエース格で
来日した選手ってこと?
新日には来日しなくていいの?
なら、キング・イヤウケアとビル・ミラーもだね。
まぁ準エースと言ったところかな?
全日来日時のラリーへリングも、もう
ロートルだったでしょう? >>186
訂正
×へリング
○へニング
で、彼は1976年に新日に来ていたね。 >>186
デストロイヤーは国際への参戦経験はないものの、オープン選手権で井上、草津とシングルで
対戦し、木村ともタッグでからんでるね。 ジョナサンがあの身体で武藤みたいなリングインするのはヤバいよな >>186
遅レス申し訳ない
別にエース格の外国人レスラーじゃなくても、力道・馬場・猪木・小林等の
各団体日本人エースとあたったという意味
でも考えると、ご指摘のイヤウケア、Bミラー、デストロイヤーの他にも
ダン・ミラーやマイク・パドーシス、ヘイスタック・カルホーン等がいるし
ビル・ドロモもアメリカで力道山と対戦した記録があるんだね。 しかし、その中でもドン・レオ・ジョナサンは
1958年初来日の時は、力道山のインターの初防衛戦の相手、
70年第12回ワールド大リーグでは、
馬場、猪木、坂口、後にカブキになる高千穂。
72年、国際の第4回IWAワールドシリーズは
予選、敗者復活戦、決勝トーナメント準決勝で、
T杉山、R木村、S小林。
全日、75年オープン選手権ではG草津。
78年第6回チャンピオン・力ーニバルでは、鶴田を破り、
大木と引き分け。日本の主力選手とほとんどシングルで
対戦していますね。
豊登と58年にシングル対戦があるかは不明ですが。 まだ20代のジョナサンは58年の初来日で豊登と対戦してるよ。
力道山・豊登vsジョナサン・スカイハイリー戦とか、ジョナサン・ジョニーバレンド戦
昔すぎて結果不明が多いから、シングルでの対戦かあったのかは分からない。
あと、バディ・オースチンも力道山時代からですね。 72年10月21日町田の前夜祭を経て、今日は全日の正式な旗揚げ戦が行われた日
でも全日本プロレス創立記念日の特別興行は、以降10月21日に開催されている。
85年はNWAフレアーとAWAマーテルのダブル選手権
86年は長州とテリーのPWF選手権で、92年は三沢と川田の三冠ヘビー
セミの鶴田・アンドレ・ゴディvs馬場・ハンセン・ドリー戦は
この試合を最後に鶴田が戦線離脱するんだよね。 続き
鶴田は第一線から退いたけど、B型肝炎が完治しないまま98年までスポット参戦
いまだ批判に晒されているが当然、ドクターの許可はあったんだろうね? 85年に検査でB型肝炎のキャリアであることが発覚していたけど、
92年の入院まで天龍達他のレスラーには知らせずに流血戦とかやってたからな
全日だと馬場だけは知ってたらしいが
92年に入院したときも公式発表は「内臓疾患」だった
結局鶴田の死去後にB型肝炎が公表されてうやむやになったけど
今だったら対戦相手から訴訟されて大変な事になってただろうな >>195
92年に公表されてますが?
亡くなる前の本でも書いてますけどw
お前ら嘘ばかりだなw >>196
言うだけならだれでもできる
ソースを提示して初めてこの5ちゃんでは真実となる
はいどうぞ >>196
また逃げたのか
そもそも92年に公表してたとしても、
85年の肝炎キャリア発覚から92年の入院まで
他のレスラーに隠して、流血戦やってたのは事実だからな
他ならぬ小佐野が書いた鶴田の本で天龍が証言している 公表されてるとする側がソースを明記してるのに反対側は確かめもせずに勝利宣言ですかww
実にストロングスタイルですねww >>199
百歩譲って92年公表してたとしても、
85年にキャリア発覚してから92年まで天龍達には伝えずに流血試合やってたのは事実
馬場と鶴田は他のレスラーに肝炎を感染させる危険性を認識していながら隠蔽した卑劣漢 猪木アリ戦のヤオor真剣勝負問題と、鶴田のB型肝炎の話題は
荒れる可能性があると思ったが、それで書き込み辛くなるのは寂しいわな
結局、85年の血液検査で母子感染のキャリアがわかってインターフェロンの投与を開始
B型肝炎が発症したのが92年7月で、鶴田以外は馬場しか知らなかったと
その間もその後も鶴田は試合に出続けていた。
発症前は流血戦も多々あったが、90年代前半頃から
全日がクリーンスタイルになったのも関係してそうだな。
だから医者と相談してアドバイスを得ているものだと思うんだけど…
まあ、C型肝炎を感染させたブッチャーは莫大な賠償請求をされたみたいだけど
全てのプロレスラーは血液検査を義務づけた方がいいよね。
亡くなったあと天龍が語っているのは、鶴龍対決の後半にマンネリを回避するため
イスを使った流血試合を京平を通して鶴田に提案すると
「そういうことには付き合えない。やめてくれ」と言われ
キャリアを知らされてない天龍は鶴田の反応に失望
全日離脱、SWS移籍のきっかけになったと語っている。 >>201
皮肉だね。
天龍がそれを知った時は自分の誤解にショックだっただろうな。
でもその事態を知る術はなかったから仕方ないか。 あと猪木関連のテレビだけど、今夜 22:00〜22:40 NHKBS1国際報道2022
アントニオ猪木"外交秘話"少年に与えた夢
猪木とペールワン一族の末裔の話みたいね >>201
>イスを使った流血試合を鶴田に提案すると
>「そういうことには付き合えない。やめてくれ」と言われ
>天龍は鶴田の反応に失望
それで「スポーツライクな」SWSに移籍したのかよ?wwwwww >>203
結構昔の話だが、パキスタンからの留学生の世話したみたいな話はあったな
それがアクラムの一族ってことかね >>201
>>202
例え鶴田がキャリアではなくて流血戦に応じてたとしても天龍は離脱してたよw
一つの理由にはしてるけど、野球選手並みの年俸やらを出されて「俺と男だ、チャンス~」云々とコメント出してるんだからw >>204
検索すれば出てるけど
もしジャンボが「源ちゃん、俺は肝炎で、いらんことしたら感染する危険性があるから」
って伝えてくれれば俺も違うプロレスのやり方があったんだけど
あの頃の全日本は鶴田vs天龍が売りだったから前回より内容を落としたくない。
っていう俺のレスラーとしてのプライドがあった。俺とジャンボが戦えば
そこそこのアベレージになるけど、それじゃ嫌なんだよね。そこに何かがないと。
それだけにジャンボの反応に失望しちゃったんだよね
だから試合終わったあとに投げやりな気持ちになって
カブキさんを誘って飲みに行って、俺はもう辞めますよって。
全日を退団したのはあれが"一つのきっかけ"だと京平に言っている。 >>206
そう、一つの理由だねw
馬場との話し合いで「お前を社長にするから、もう全部仕切ってくれ」
と引き留められたが「ジャンボを差し置いて俺が社長になるなんていうのは
やっちゃいけないことだ」と言ったとか
猪木は経営者としてレスラーを商品だと考え、不義理をして出て行った長州でも
商品価値があれば受け入れるが、馬場夫妻は感情論で動くから
「自分も辞めると口にした以上、もう全日本には戻れないので、メガネスーパーが作る新団体と
全日本で対抗戦をやって盛り上げましょう」と提案し
馬場も「じゃあ、お前がそっち側ということで対抗戦をやって
お互いに協力してやっていこう」ということで和解して円満退社のはずだったが
元子が違う解釈をしてしまい、共同通信に「天龍が裏切って辞めました」とリーク
天龍への言われなきバッシングは凄かったよね 後年、ターザンが馬場からお金をもらって天龍を叩いていたことが明らかになったが
元子の指示に馬場が従っていたのか疑ってしまうw ターザンどうこうなんて言ってるけどさ…
全日本がだらしない試合してたら全日本が潰れてたのは確定なんだけどね。
SWSは誰が見てもしょうもない試合してたがメガネがいたからそれなりに存在できたんだしな。
それでもつまらない試合してたから結局は淘汰されただけだよ… 資金力はあったがSの中身は末期日プロ(NETに切られた後)に近い陣容だったからな。 >>211-212
SWSが週プロを取材拒否しても部数には全く影響が無かったんだもんなw 週刊ゴングは貧乏くじ引かされたな
SWSに必要以上にページ取るから他団体のページが少なくなる
ゴングでモノクロ1/4ページが週プロでカラー2ページとか
それなら普通は週プロ買うわな
そして当時の週刊ゴングはつまらなかった
80年代はまあまあ面白かったんだけどね どうしたって面白いものを面白いと推して詰まらないものを叩いてる雑誌と、詰まらないものを「いや良い所もある!」と書いて面白い所はそこそこに扱ってる雑誌があったら淘汰されるのは目に見えてる。
金云々じゃねえから。 週プロから一番目を離せなかった時は新日が取材拒否していた期間かな
明らかに物足りない紙面、毎週毎週悲鳴のような記事、本当に先が見えなかった
ベーマガ主催の女子プロ興行の為にわざわざ増刊をだしたのに結局大コケしたってのもあった いずれにせよ、プロレスにあれだけ金落とすスポンサーを排斥にかかったのは勿体ない
業界全体の利益に繋がったかもしれないのにな >>217
あんだけ金出させてプロレスの作り方を教えずに騙してた時点で本末転倒だろう >>218
そういう事も含めて勿体無かったって言いたいんじゃない? プロレスの仕組みを教えたら旗揚げ前に撤退されるかもしれんから教えられなかったんだっけ?
そりゃ契約金をパーにしたくないわな >>209
つまり天龍がSWSに移籍した時点では馬場は
容認していた(これは、まぁ同意)。
そして、将来「対抗戦」をやる(SWSにどういうメンバーが
来るかその時は全く不透明で、そういう話をされても馬場は
話を聞き流す程度だったと思うよ)
>元子が違う解釈をしてしまい、共同通信に「天龍が裏切って辞めました」
とリーク
でも、その時点で馬場はまだ天龍を許していたわけだよね。
>天龍への言われなきバッシングは凄かったよね
本格的なバッシングが始まったのは、SWSが全日から冬木、
俊二、果てはカブキ、谷津まで引き抜きをやったからだよ。
これは本当に馬場も激怒したと思うよ。 >>221
田上が最近「SWSからの誘いはあった」「馬場さんに恩があったので行かなかった」と言っていたからね
当時の田上に声をかけたって事はある程度若いレスラーは全員誘ったと思って良いと思う >>221
SWSの中でも一番の有名選手だったから、天龍が一身にバッシングを浴びた、、、
これは故嶋田まき代さんの話で、身内だから辛かったんだと思うよ。
でも天龍が全日退団後、まき代氏の父親が亡くなった時の葬儀も四十九日の法要も
馬場は花を出してくれたらしい 馬場がターザンに金を渡して天龍やSを悪く書かせたというのが定説みたいになってるがそのソースになってるターザン本だとSについて提灯記事書けばぼろ儲けなのに逆張りで馬場についたターザンになんかの足しにみたいな感じで金を渡したんだよな 一応、天龍がSWSのエースだけど、各団体の不満分子の寄せ集めだからまとめようがない
実力主義の世界じゃないんだからマッチメークで揉めるのは想像がつくよね
古巣より高額ギャラを貰ってるクセにw
最終的にレボリューションがWARで、そこから石川が東京プロレスで独立?
パライストラ&道場激がNOWで、高野兄弟がPWCで分離
今も続く大日本プロレスはNOWからなんだよね
あと、谷津のSPWFにレッスル夢ファクトリーと
SWSから簡単に潰れた団体ばかりが量産されたのは
大仁田FMWの成功と言われているが馬場や猪木のような絶対的権力者のもとでないと
簡単に運営できない世界なんだとつくづく思う。 そういえば全日の株を買い占めた白石オーナーだっけ
レスラーに真剣勝負?をさせようとしてひんしゅくを買ったのは
この時期は見てなくて詳しくないけど… >>217
>プロレスにあれだけ金落とすスポンサーを
恩恵を受けたのは所属の選手だけ
ファンや業界全体には、なんらプラスにならなかった。
(まぁ、2度のドーム大会で天龍とホーガンの
絡みを見られたことは評価するが) >>224
馬場がターザンを買収してSWS叩きをさせたように言われているが
全日に限らず主要団体から1回につき20万〜50万円の金をせしめて記事を書いていたようで
何より最後は、裏でメガネに大金を貰って叩き記事が止まったらしい
それ以降も叩き記事を書いて恩を売ったのをいいことに
元子に金をせびったりして、天龍に"寄生虫"と唾棄されている。
さすがは妄想活字プロレスの元祖、週刊ファイト井上義啓の弟子だわ
UWF幻想を膨らませたのもターザンだったし >>228
井上はカネで筆を曲げたりはしないように思う
もちろん額によるだろうが少々のカネで井上の猪木愛は止むことはない >>229
高橋本が出た後に「これははっきり言って頃さなあかん」と言って
「基本ケツ決めでも猪木の試合には真剣勝負はいっぱいあった
馬場の試合にも真剣勝負は少しはあった」と言い張っていたんだっけ?>井上
ここまでの偏愛だと不気味なものを感じる ターザンで思い出したけど、67年の今日は、BI砲が初めてインタータッグのベルトを巻いた日
相手はターザン・タイラー&ビル・ワット組 >>228
別に団体とマスコミの癒着なんてターザンに限った話じゃない
一方的に悪く言われすぎ 癒着どころか現場まで介入してたからなター山は
ブックまで関わってたのはマスコミとして叩かれて然るべきだろ >>233
プロレスマスコミとしては普通
山本ほど酷くないが桜井、竹内etc多くの人間が関わってる 桜井康雄、竹内宏介がター山のように金せびって、
ビックマッチ以外のアングル、ブックに介入してたって事?
とりあえずソース頼むよ >>235
純粋無垢でプロレスファンを全うするのは良いことだよ。詮索しないほうが良いかもよ。 >>235
解説者として雇ってギャラ渡すのが癒着じゃなくてなんなんだよw >>233
あくまで決めるのは馬場であり山本は三沢を推すべきだと言っただけだろ。
あからさまに勝たせるべきだなんて言ったら馬場だって睨みを効かせるわw ブックまで関わったというか馬場は
「どうしたら、もっと試合が面白くなるだろう?」
というアイデアをターザンに求めただけだろ?
それを言うならチャンピオンカーニバルや最強タッグの
原案は、部下のI記者が作成していたと(出典:「金権編集長のザンゲ録」)
それも、あくまでも「たたき台」で、そのままの案で使われる
とは限らなかったという。 雑誌編集の人の叩き台といっても
単に事務のバイトにやらせるようなことをやらせただけかもしれない
星取り表を何枚もコピーして会場とカードを何パターンも考えて提出した
みたいなことじゃないの
それをアイディアを出した原案は自分だというのも自由だけど
レスラーがいうあいつにはオレが教えた的なビッグマウスじゃないかと 確かにプロレスはスポーツじゃないから介入できない訳じゃないけど
レスラーの一番デリケートなマッチメークに介入なんてやらせないでしょ
上の人が書いてるようにアイディア或は、アドバイスしてもらっただけだと思うな 当時の週ブロの売れ行きだったら誌面や表紙の扱い具合を餌に馬場を釣るのは、難しくないだろうな まぁターザンが、表紙や「ヨイショ記事」で
馬場夫妻から飯や金をせびったとも言えるし、
馬場が飯を食わせて、週プロを利用したとも言えるな。
編集長時代は、キャピタル東急ホテルでステーキだったが
それをクビになってフリーライターとして
ハワイで取材した時は、オニギリだったとか(苦笑) >>242
大仁田はマスコミの連中にブック考えさせて手懐けてたらしいじゃん Gスピリッツより
京平 三沢に「京平ちゃん、カードは誰が作ってんの?」と聞かれて、
「社長(馬場)だよ」、「嘘だよ、ターザン(山本)じゃないの?」って。
その辺がバレてきちゃったんだよね。隠せなくなったというか。
その辺から「何で(団体の)外の人がやるの? だったら、俺らがやるよ」という感じだろうな。 https://www.hmv.co.jp/artist_KAMINOGE%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8_000000000493128/item_KAMINOGE-Vol-87_9656988
『週刊プロレス』黄金期 師弟コンビが語る全日本との蜜月時代、そしてジャイアント馬場との思い出。
山本「天龍がSWSに行ったのは俺らが全日本のマッチメイク権を握ってしまったことが原因だと解釈してますよ。それがなかったらSWSには行ってないですよ!」 天龍がSWSに行った90年の春には、
すでにターザンが全日のマッチメーク権を
握っていたのかね?ちょっと、否、かなり疑わしい。
同年90年6月の武道館のメイン
三沢を鶴田に勝たせましょう
と何度も進言して、やっとそれが実現したと
自ら言っているんだから。
彼の話は、96%くらい差し引いて聞かないと。 ソース2つもあるし、ターザン山本が全日のマッチメイク権あったの確定だな >>251
宝島で否定されてたよw
三沢は週プロが関与しているのを感じていた。
そして市瀬が三沢本人にまで意見を言ってきた所から腹を立てて問い詰めたんだろ。 89年馬場&小橋のアジアタッグ挑戦は市瀬と仲田のアイディア
三沢と仲田はツーカーだから最初から全部筒抜けだったんじゃないの 鶴田が三沢のフェイスロックでギブアップするのも山本、市瀬の書いたブックだしな プロレス団体とプロレスマスコミの関係は共存共栄で
次期シリーズの煽り記事を捏造したり、未だ見ぬ強豪のヨイショ記事を創作したりと
プロレスをよく知ってるからマッチメーカーには適しているかもしれないね
(外国人レスラーが絡むと難しいが)
まぁ誰が台本書こうが、立派にそのアングルを演じて
名勝負にするもしないもレスラーのセンスしだいなんだよな
60年代の馬場も、70年代の猪木も見事に演じていたと思う。 >>248
その結果が仲良しの小川とのアンタッチャブルじゃなぁ でも、現役の編集長とかに特定の団体のマッチメークさせちゃまずいよな
他社や他団体に公平性が保てなくなるし、やらせるなら全日で雇わないと。 武道館大会後にメシを山本と一緒に食って山本が好き勝手に感想やら展望を言ってるだけなんだがなぁw
そんなもん新日本だって記者にどうすれば良いかなんてアイデアを募るだろうにw 山本がブック関わってたのを必死に否定していて痛々しい P誌の方も別に編集部特有、独自のスペシャルアイディアを出すというわけじゃなくて
読者達が勝手に寄せてくるアイディアをつまみ食い味付けして提供しているだけだろうしね
裾野が広い大衆からから団体に行ってるだけだよね 三沢が怒ったのは山本の意見を参考にしてる事と市瀬が三沢達本人にこうした方が良いと言ってきたこと。
周りからは山本が中に入ってると噂もされただろうしな。 そんな山本の末路は新日から取材拒否くらって週プロの部数が激減。
部下からの信望もなく、最後は追い出されるように退社。
プロレス界からも追放され、金に困って出した本で馬場とのタカり話や癒着を告白
競馬狂いで金を入れないことを嫁が山本の部下だった男に相談してるうちに
デキてしまい逃げて行ったんだよな 話題を変えて悪いが、49年前の11月5日 新宿伊勢丹前で美津子夫人と買い物中の猪木が
タイガー・ジェット・シン、ジャック・ルージョー、ビル・ホワイトに襲撃され
現場写真はないが、当日の夜に猪木が自宅で東スポの取材に応じている。
この襲撃時の写真がないことがヤラセ説を否定する根拠みたいに言われているが
リアルさを追求する猪木がやりそうな気がするんだけどな、、
これも新日(新間)が仕組んで、73年頃から猪木推しにシフトした
東スポ(櫻井)が協力したアングルなのかな? 馬場からしたらマッチメイクを山本と市瀬にやらせとけば、
少なくとも週プロには全日のカードについて批判されないし
自分が考える手間も省けるから一石二鳥みたいに考えたのかもな >>265
必死だな…
決定権は馬場にあり渕と話し合って決めてる。
山本は喚いているに過ぎないんだよ。 >>267
妄想を書き連ねてるのはアッチだよw
アンタ等が好きな宝島の本でもしっかりと否定されてましたよw 川田が「渕さんがマッチメーカーやってた頃は客が入ったが、三沢さんになってからからっきし」
なんて言ってたな。 >>263
ターザンが嫁さんに逃げられたのは
97年の夏で、週プロ退職から1年後
>金に困って出した本で馬場とのタカり話や癒着を告白
それは馬場が亡くなった(99年)ずっと後からだろ?
ちゃんとした本にしたのは2010年の「金権編集長ザンゲ録」
馬場が生きているうちにそんな事は書けない
まだプロレスライターで金を稼いでいた時だ。
まぁ編集長時代よりは収入が減り、競馬狂いに
愛想を尽かして奥さんは逃げたんだろうが >>230
>猪木の試合には真剣勝負がいっぱいあった
馬場の試合にも真剣勝負は少しはあった
I編集長にどの試合が真剣勝負だったか聞いてみたかったな つべが無かったら一生見ることなかっただろうけど
日プロ時代の試合がめちゃめちゃおもしれー
これ見たら今のプロレス見る気しねーわ
BI対マスカラス組、ゴッチと吉村のシングル戦とか
アントニオ・ロッカの試合も良かった
馬場も元々は身体能力高いからトップロープからアトミックボムズアウェーとかやってるし
猪木の動きも凄い
猪木が死んだ今遺族しかいねーから日テレと話してBI砲の映像商品化して欲しい
おまけにモノクロ映像は全部カラーにして ウルトラQとかがカラーになったね
馬場の赤タイツはカラーテレビ映えを狙ったものらしいけど
似合ってたといえるのか疑問だな、深緑のタイツとか似合ってたのに
特に晩年は還暦ファッションに見えたもんねえ
坂口は赤が似合ってたと思う >>273
馬場だと武道館のエリック戦や大阪球場のキニスキー戦、府立体育館のサンマルチノ戦
BI砲だとスナイダー&ホッジ戦のカラー化が見たいな。
あと、ナンバービデオだったか第5回ワールドリーグ戦のカラーも見たい。 忘れてた
蔵前でやった32文3連発のブラジル戦
馬場のセコンドがゴッチというのも貴重な試合 あれ、馬場のガウンはきっと青地に赤い陽って色使いだろうね >>275
大阪球場のキニスキー戦、モノクロならいくらでも?観られるけど、当時と今の映像の企画が違うのか(←上手く言えないのだが)、画面が歪んで見えるのが惜しいんだよね。
それとは関係ないけど、ロープの位置が現在よりも低い。それがまた、全盛期の馬場をより大きく見せているかも。 >>275
映像は残ってないらしいけど、なんといっても観てみたいのはルー・テーズ戦! 試合経過とか見るとそれほど面白そうな試合には思えないんだけど
テーズ戦は名勝負とされてるね。
手が合いそうにはあまり思えないけど。
同じく名勝負といわれる猪木×バレンタインはそりゃ名勝負だろうなと思える >>281
テーズとは2年前、3大世界王座連続挑戦の初戦デトロイトで当たってるね。
馬場もブルーザーに反則絡みでインター王者(日プロのエース)になってるから
無冠になったばかりのテーズとはいえ2クリーンフォールしたんだし
馬場時代の幕開け的な意味合いもあったから名勝負でしょう。
観れてないから想像だけど、ロビンソンとの初戦みたいな感じじゃないかな?
猪木vsロビンソン戦のような息詰まる攻防の名勝負じゃなくて
本来のアメリカンなプロレスの名勝負というかね プロレスの名勝負ならいいけど、上で書いてるような真剣勝負(セメントマッチ)
これは後味が悪いんだよなぁ
75年の坂口vs大木戦、76年の猪木vsペールワン戦、77年のvsGアントニオ戦を見てみたが
こういう試合がたまにあって、猪木・新日ファンが信者になるのかな?
試合中に相手が変なこと仕掛けてきたら倍返しするのは暗黙のルールらしいが
アントニオ戦なんか何であんな試合にしたのかよく分からない。
レスリングが出来ない相手ならマクガイヤー兄弟相手でもプロレスしたのに
テリーのセールで盛り上がってるオープンタッグに話題をもっていかれるのが嫌で
目立つために制裁マッチに発展したのか、或は初めからシナリオ通りだったのか…
蔵前の猪木vs大木戦、後楽園の馬場vs上田戦みたいな疑似セメントのようなプロレス
こういう試合はスカッとした気分になるんだけどね。 >>283
当時も見たし今なおケンカマッチといわれている坂口×大木
ケンカ風なだけと見た、セメントじゃないと思ったな
当時ならデスト×ブッチャーの方がケンカマッチだと思ってた
これはまぁ今見るとちゃんとしたラフファイトのプロレスだけど >>284
猪木を優勝させるためだけのアングルだったら勿体ないなぁ
大会場で因縁の対決!坂口大木戦が組めたはず
まぁ、謎の部分があるからプロレスは面白いんだけどね。 その当時ならリアル因縁試合で大会場も行けそうだが
今考えると塩っぱくて固いレスラーの対決だよね [アメトーークでプロレス2週連続]
12/1 新日本プロレス大好き芸人
12/8 アントニオ猪木スゴイぞ芸人
テレ朝ではBI砲は期待できないか、、
最後のBI砲 オールスター戦の完全版を流して欲しいなぁ
ちなみに明日19日は猪木さんの四十九日です。 >>286
猪木の四十九日は今日(死亡日を1日目とするため).。 1966年11月19日大阪球場
USヘビー級選手権 90分3本勝負
ジョニーバレンタイン(1-2)アントニオ猪木
猪木初のシングル王座獲得記念日!
売れっ子の超一流バレンタインを呼ばれたことで日本プロレスはNWAに加盟
67年準会員を経て、68年正会員になる。 >>289
日本プロレスが、NWAに正式加盟したのは
1967年8月の総会じゃなかったっけ?
ちょうどNWA王者キニスキーが来日していた時。
(出典:日本プロレス全史P126)
で、その時は東京プロレスは崩壊、猪木は
日プロに復帰していたのでむしろ、その夏に
旗揚げした国際プロレスの台頭に備えてだと思うよ >>283
グレート・アントニオ戦はアントニオが猪木の頸部にナマでいいのを入れてしまって猪木がブチ切れた説もあったけど、動画を見ると猪木がドロップキックや体当たりをしてもセールをしないアントニオにはね返される
怪物キャラだからはね返されること自体はいいがその後アントニオがおちゃらけて観客から笑いが起こり猪木の頸部に腕を振り下ろしても全然力が入ってなくて説得力がなく猪木はこれ以上客に笑われる試合に我慢がらできなかったんだと思う
だいたいがもうロートルのアントニオを昔と同じような怪物キャラで売ろうとしたのが間違いで、もう呼ぶつもりもなかったから客に舐められたまま終わらせたくない猪木がふざけたアントニオ(頭が弱い説あり)を制裁する形にした >>290
しかしBIの全盛期とNWAの商業的な全盛期は符合してるね
BI末期にはファンの見る目も変化していたのに
NWAの権威の元にアメリカンプロレスを展開すればファンが喜ぶと信じていた
馬場と日テレは、四天王の時代まで軌道修正しなかったのが何ともなぁ
もっとも全日本を立ち上げた時点で馬場のピークは過ぎていたから
猪木のようなストロングスタイルは無理なんだけど >>291
アントニオが乱入を繰り返し、挙げ句に無線飲食を行って事務所に請求がくる。
こういうのはプロレス的アングルで、舐めたような試合態度に猪木は激怒したんだよな
舐められたうえに客に笑われる。猪木が一番キレる状況だw
でも蔵前の升席に空白があり、掉尾を飾るビッグマッチの舞台で自分はロートル相手
盛況のオープンタッグを意識して派手に制裁したというのもあるだろう
ペールワン戦は曖昧なルールの中行われ、腕に噛みついてきたから
目を突いたと言われているが、猪木がグランドでフェースロック?でグリグリしてる場面で
先に猪木の指がサミングしてるようにも見える。(偶発的かもしれないが)
その後腕を破壊するわけだけど、映像のないパク・ソンナン戦同様
二人共にお国柄ギブアップできないんだよな
まあでも、よっぽどの事がない限り猪木はプロレスをしてるよ。 グレートアントニオは何故かシャワーを浴びないやつで臭くてみんなに嫌われてた説もあるな この試合、猪木が9分?以内に勝つと予告してたり、櫻井氏も早い決着になると言ってたりで短時間で決まるのが示唆されてたが、本来はどういう決着だったんだろうな
と思って映像見返したら、セコンドの前田で笑ってしまった
まだデビュー前の時期でメチャクチャ細い >>296
猪木
「おれの知る限りアメリカでもあんな風に「暗黙のルール」を破った選手はいない。
ヒキョー千万だね。プロレス道にもとる。
戦争ですら「核兵器を使わない」「細菌兵器を使わない」というルールがあるのだから・・・。」 そうか11月の顔面襲撃で年末の両国で暴動だな
なぜか前田コールが起こったりしてたな
山田と船木の試合が面白かった >>292
馬場は60年代までの価値観にこだわって、時代もファンのニーズもとっくに変わっていた事を見抜けなかった。
もう少し早く鶴田にエースの座を譲っていたら、全日本の風景も全く違ったものになっていたと思う。
鶴田が長らくお気楽なNo.2でいたのは本当に勿体なかった。 鶴田は人を引っ張っていけないから馬場は内心天龍だったのだろう
鶴田はプロレスは難しい、格上に勝つわけにもいかないし、負けたら善戦マン扱いだから
と言ってたもんな
長州もプロレスはお仕事と割り切ってたけど鶴田のそれとも違うんだよ
力を出させてもらえない鶴田の心情もわかるわ 「力を出させてもらえない」と見ている側に同情されてる時点で、
プロレスラーとしては失格だよ
「本気出せば最強」とか言われるのも
要するに「プロレスを本気でやってない(やってるように見えない)」ということだし でも仲野との試合を見たら力の差が有りすぎて
大人がどうやって子供と対等に見える喧嘩が出来るんだよ
三沢への制裁も三沢が手も足も出なくて、相方の渕正信が鶴田を止めに入ってたもんな 鶴田は余裕を見せて自分を格上と思わせたいって態度だったからな
試合を本気でやらないレスラーを応援したいと思わないだろ
長州とのフルタイム戦だって、余裕見せて最後はボストンクラブなんかやってたが
そんな余力あるなら試合に全力出してキッチリ勝てよって見ている方は思うよ 鶴田が強そうに見せてるのって自分のテリトリーで
格と地位が下の相手にやってるのがわかるとダメなんだよね。
単に組長の息子が幹部や若い者に偉そうにしてるみたい
ミネアポリスではグレッグガニアがすごく強い見えるってことだし。
鶴田はグレッグよりずっといいとは思うけども。 鶴田がNWA王者みたいな格上に挑戦するときは
「ボクはお仕事だから勝ちませんよ」
みたいな空気出すのもホント嫌だったわ
王者の技喰らってわざとらしく痙攣してみたり、
逆に技出した後にオー!とかタラタラしてて、最後はジョー樋口失神みたいな 猪木は常に指先まで集中して全四方を意識していたな
テレビ映りも含め、いかにして観客の興味を自分に引き付けるか
「なんでお前は猪木みたいにできないんだ。猪木のあの表情、あの闘志を
なんでお前は出せないんだ」
いつまで経っても一皮剥けない鶴田に馬場がイラついて諭したエピソードだが
「就職します」と言ってアメリカンプロレスの馬場に育てられたんだからなぁw 馬場が天龍、三沢に許した自らのフォール負けを鶴田にさせなかったのも、鶴田を認めてなかった証拠だな
あれだけ長らくナンバー2の地位で優遇してたのに結果出せず、天龍を社長になんて話になってたしな >「なんでお前は猪木みたいにできないんだ。猪木のあの表情
>あの闘志をなんでお前は出せないんだ」
ここまで馬場が説明的に話すとは思えないがそれで鶴田のやったことは
マイクアピールの言葉を荒っぽくしてマイクを叩きつける、だったという話
馬場もひどいよ、猪木の表情がカバの鶴田にできるわけないのに >>303
時間切れのゴング鳴ったあとにコーナー登ってオー!とかやってたな
客は両者死力尽くしてぶっ倒れる試合見に来てるのを分かってない
フルタイムやっても余裕あるって、手を抜いてやってた証明でしかない >>309
余裕こいて控え室で筋トレやりだしたというエピソードも聞くしヘロヘロになって鶴田に完敗を認め白旗揚げて新日に逃げ還るしか無かった敗者長州に対する配慮が欠片もないからなあ・・・ 鶴田に猪木を求めるのは無理だわな。
馬場もそういう部分では猪木を認めざるを得なかったのかも。 >>309
天龍が批判していたことが全てだな
「自分を大きく見せようとするジャンボに逆にちっぽけさを感じた」
この試合はジャパンの主催興行で、しかも長州は初のフルタイムだから
相当な負担があったはずなのに、鶴田は自分の見せ方しか考えてない
鶴田に人望もなかったのもこういう所 天龍の女々しさが全てかw
長州は全日で好き勝手するスタイルで中堅を突破していた。
カブキなんかはそれにクレームをつけたが取り合わなかった。
馬場も中堅退治は黙認してたと思うけどな。
天龍はそれに必死に対抗する形で浮上した。
鶴田は必死にすることなく長州を弄んだ。
その差が鶴田の凄みなんだが天龍は受け入れられなかっただけだ。 相手によって必死になる、ならないとか言ってる時点で
鶴田は三流レスラーとしか言いようがない
馬場も最後まで鶴田を認めなかったわけだよ >>313
鶴田が必死になるのなんてブロディ位しかいないわw
長州相手に必死になったら長州がフルタイム持たねえだろw 自分にレスつけて草生やす斬新なスタイルだな
年中自演やってるから混乱もするわなw >>316
答えられないからそれで逃げるわなぁwどうぞどうぞw 二人そろって40代の若さで 故郷より遠く離れた南の島国で 腹裂いて内臓ぶちまけ血みどろ >>317
認知症が進行してますね
病院へお帰り下さい >>308
力道山に誉められたことのなかった猪木が
唯一、前田山の高砂親方の前で
その面構えを誉められたんだよな
後年に猪木はその一言で救われたと言っている。 65年11月24日 大阪府立体育館
インターナショナルヘビー級王座決定戦
ジャイアント馬場(2-0)ディック・ザ・ブルーザー
2本とも反則ながら馬場が復活インター王者になった日
生傷男はアメリカでの争奪戦を勝ち抜いての初来日らしいw 1978年11月25日西ドイツ・シュトゥットガルト欧州選手権決勝で
猪木がローラン・ボックに判定負け
81年に初来日したボックの感想を聞かれた鶴田は「あれはプロレスじゃない」と
一笑に付したらしい。 >>324
あれもプロレス。それもプロレス。これもプロレスだわ。
鶴田が出来なかった、やらなかった、知らなかったプロレスというだけの事。. >>327
猪木信者が鶴田最強という言葉に過剰に反応してるだけだよw そら60分フルタイム引き分けの試合後
「ボクは疲れてませんよ」ってアピールするレスラーなんか嫌われるだろ
全力出して勝てよ!ってツッコミたくなるわ でもさぁ、鶴田ほど可能性を感じさせたレスラーはいなかったと思うな。
入門した時からジャーマンやダブルアームをいとも簡単に使いこなし
凱旋マッチの大舞台でファンクスと互角に渡り合い
超大物レスラー相手に十番勝負でプロレスのノウハウを学ばせてもらい
凄く恵まれた環境を与えられ、数年経てば
日本プロレス史を塗り替えるようなレスラーの期待があったのに…
大器晩成にしても本気を出せば最強なんて特に日本のプロレスには関係ないからな
仮に猪木に預けても性格までは変わらなかっただろう それはあるね
デビューして1,2年で世界レベルの相手といい勝負をしていたから
4,5年なら世界王者になると思ってしまっていたよ
ただ性格というか性質かな、それと顔がとにかくぼおっと抜けててねえ
身体も線が細い時期とダルダルな時期しかなくてなぜけ中庸がなかった
小川が肉体改造して顔つきがよくなったみたいなことがあればと思いはする まあ鶴田にプロレスに真剣に取り組めと言っても無理な注文だったのかもな
全日本入るまでたいした挫折も苦労もせずに育ってきたお坊ちゃんだし
プロレス廃業しても器用に生きて行けそうだし
プロ野球クビ、脳手術で失明の危機まであった馬場、ブラジル移民出戻りの猪木と比べるのは酷 鶴田はブロディ相手に普通に試合してたのが凄いんだがなぁw
天龍との試合は有田が日本人最高峰と言う程だ
そして超世代相手にした時の圧倒的な強さは誰も出来ないものだったんだが…
猪木信者は見えないようだw 馬場がもっと早く鶴田に寝ればよかったのに
馬場もしがみつきすぎというか
レイスにジャーマンかけたら殴り込まれるしさあ 直接対決で負けなくてもカーニバル連覇させるとかNWA獲らせるとかでよかったよね >>336
鶴田がキャリア5年(77年)位迄に馬場超えを果たして世代交代しなきゃダメだよ
引導を渡すくらいに全日の顔にならなきゃ
それで馬場を挑発してのしあがる猪木を黙らせることができたら立派なエースだよ。
馬場だってキャリア5年でインター王者になったんだから、、、
なんて理想だけど、全日にとっての不幸は旗揚げと鶴田の入門が
ちょうど猪木が全盛期に突入する時期と被っているんだよな
馬場のピークは過ぎてるし、幻想にすぎないNWAにすがってるんだから。 力道山は大昔の過去の人ってイメージだね。
2022時点で力道山を覚えているのは65以上になるし。
65ですらギリギリ覚えているかだろうから。
自分が子供の頃だと大正天王みたいな年数の開きがあるね。 >>333
言ってる意味がよくわからんけど
鶴田ブロディより猪木ブロディのほうが
商売としては遥かに結果を出してるよ
プロレスを何だと思ってるかしらんが
客を呼ぶ能力もない本人の自己満足なんて
ただのセンズリと同じ というか猪木との比較論になってる時点で既に鶴田は凄いって印象 猪木信者云々書いておいて
猪木との比較論になってる時点で鶴田凄いって意味がわからん
そこまで鶴田持ち上げたいのかね なんで鶴田が怪物と持ち上げられてるのかって力学というか政治学こそが一番気になるんだよな
本人的にそんな野心は全く無かっただろうに 猪木が強いと言われたのはプロレスのカラクリがバレてない時代に馬場を蔑み自分が本物と言ったことが大きい。
鶴田が現在でも強いと言われるのはプロレスのカラクリが暴かれた後で実際に凄かった選手だからだ。 力道山って歴史上の人物な感じだわな
今はどうだか分からないけど小学校の社会の歴史で昭和の街頭テレビで活躍したって事しか知らんわ >>344
的を射た前段が後段であっさり台無しになってるぞ >>346
でも事実として鶴田はプロレスが暴露された後に見直されてるからね…
暴露されてなかったら未だに猪木世界一強いがまかり通ってストロングスタイルとやらは生きてたんじゃないの? >>340
センズリ…
ストレートに書いてるなぁ…www
馬場は若手に、ガーッと行かなくてはいけない時に「○○○○をかくように…」と教えていたらしい。(○に入る文字は同じ) >>347
プロレスのカラクリが暴露された後に、改めて凄さが再評価されたのがラッシャー木村、ひいては国際軍団かな。
当時の木村、腰痛で歩けないくらいだったのに、猪木サイドからの無理難題を「仕事」として黙々と受け入れていたんだから。
猪木のリンチ紛いの攻撃然り、1対3の変則マッチ然りでね…。 >>350
凄いというか立場上断れなかったということじゃないのかな
ラッシャーのコンディションはさておき そもそも猪木の教祖化はプロレスのカラクリがバレてたら無理だからなw
観客動員とかで比較単純出来ないし、しっかり調べたのかよとw
ブロディとの試合内容で比較された所で鶴田が浮上したのはプロレス暴露前だしな。 >>351
ラッシャーはオックス・ベーカー戦で足折った後3ヶ月経たずに復帰してるんだよねぇ
足にギプスを着けて試合したというのだから無理し過ぎ
あと国際時代に馬場に変なリングアウト負けしなかったっけか >>352
教祖化だの浮上だの、独断偏見の見本のようなレスだな 猪木信者の異常さは雑誌でも取り上げられるくらいだからなぁww カラクリどうこうじゃなくても、鶴田が本気を出せば強いだろうなとは皆気づいてたよ。
あのガタイにあの身体能力だもの
でも、プロレスラーの評価としてはそれだけで
力道や馬場・猪木のように日本プロレス界の発展に貢献したかというとそうでもない
あの時代に本気を出せば強いと言われた
ジョナサンのような日本人レスラーがいたなぁ〜と思うだけで
"本気を出せば強い"なんて、見る側からすれば
「真面目にやれ!」とか「どうせ八百長だから…」とバカにされるだけだもの
カミングアウトされ、猪木のストロングスタイルは芝居だったと知った時は
さすがに猪木に失望したし、馬場への挑発の意味も分かったけど
プロレス人気が下火になったあの時代に猪木が真剣勝負を打ち出してなければ
80年代のプロレスブームも無かっただろうし
プロレス自体がどうなってたかもわからない。
まあ、時代背景というのも大きいんだけどね。 本気を出す、ってのはプロレス的にどうなんだろうと思うけど
その気になれば、やる気をだせば、というのはあるね。
大したことない、まずちょっと身体を作ればよかったんだと思うが
まず身体をなんとかしろ、というのが
猪木のところに行っとけばという話に繋がるんだよ
ま、性格的に会わなそうだしデメリットも大きかっただろうけど 本気を出せば、と言われてる時点で
客に本気でやってるように見せられない三流レスラーだということ
その時点で不器用なウドの大木確定なんだから、本気出してもたいしたことはない 本気出せばったって相手が壊れるだろw
鶴田がその力を解放できた相手は三沢まで待たにゃならんしな。
天龍のチョップでヘロヘロなレジェンドじゃあ鶴田の猛攻は受けられませんしな 相手が壊れる!
力の解放!
完全に厨ニ病の世界だな
爺さんでもこんなのいるんだな >>360
猪木は鶴田の全力バックドロップを受け止められるの?
ラリアットや走り込んでのハイキックを正面から受けられる?
少しは考えたら? プロレス観戦は、カラクリだのブックだの能書きを越えた本人の魅力を観に行くわけだし、レスラーは強さじゃなくて魅力磨きに努めるべき。
そういった意味では猪木や日本から叙勲されたマスカラスあたりは、どんな陰口を言われても格好良さのイメージを貫き通したな。 カラクリやブックは大きかったよ。
それがなかったら猪木のカリスマ化はなかっただろ。
マスカラスは今の目で見ても面白いが。 >>361
ボディスラムだって落とし方変えるだけで相手の首の骨簡単に折れる
そういう意味でリングの上のレスラーは誰ひとりとして「本気で」やってない
それでも観客を熱狂させるのがレスラーの技術
本気でやれば、とか言われてた鶴田はただの三流レスラー >>364
猪木よりも強い長州等の部下レスラーが猪木を強く見せることで成り立ってるショーだろ?
更に馬場全日を悪の対象のようにしたり異種格闘技戦というプロレスをプロレスとは違うものとアンタ等信者を騙していた。
それが猪木カリスマ化にした所だろ。
鶴田は全盛期を終えた馬場を持ち上げながらNWAに負けなきゃいけない大変な仕事をしてたわけでな…
単純に比べるところじゃねえよ。 >>361
全日系は投げられる側も見映えでわざと垂直落下受け身を取ってるからアレが成立してる 新日はファン騙してただの、鶴田は大変な仕事をしてただの、全日贔屓全開で言われましてもね
思想が偏ってる時点で議論の余地なし >>366
新日は当たってなくても吹っ飛ぶことで成立してるからなw 鶴田でムキになる奴いるから別のネタで…
ドリーファンクJr.の初来日(69年)を調べてみた
11月28日蔵前国技館
インタータッグ選手権
△馬場&猪木vsドリー&ホッジ△
11月29日静岡
○ドリー&レイス&シニアvs猪木&吉村&マツダ●
12月1日広島
アジアタッグ選手権
○猪木&吉村vsドリー&レイス●
12月2日大阪府立体育館
NWA世界ヘビー級選手権
△ドリーvs猪木△
12月3日東京都体育館
NWA世界ヘビー級選手権
△ドリーvs馬場△
12月4日札幌
インタータッグ選手権
○馬場&猪木vsドリー&オースチン●
12月5日室蘭
○馬場&猪木&大木vsドリー&レイス&ラモス●
広島のアジアタッグはドリー・レイス共に初挑戦
レイスは68年の初来日でブルーザーと組んでインタータッグに挑戦している。
NWA世界戦はテーズvs力道山戦以来だったかな? NWA繋がりで、ドリーvs猪木戦の5年後に鹿児島で馬場がブリスコを破るんだな
74年9月28日に日プロOBの豊登、芳の里、九州山、トルコから
「猪木vs大木、vs小林の再戦の勝者と馬場は闘うべき」と声明文を突きつけられた馬場の回答が
1週間17,640,000円のベルトレンタル料を払ったNWA世界ヘビー級王座移動劇
圧倒的な外交力の高さを見せつけ日本選手権とのスケールの違いをアピールしたんだろうが
観ているファンからすれば、それはそれで猪木と対戦して欲しかった
それにしてもブリスコは馬場の足元を見たなぁ〜 しかし、OBも素人でもないのに碌でもないな
やらないことわかってて自分は真っ当な正義の側にいようとするんだから
おそらくなんらかのアメは舐めているはずなのに >>370
トルコじゃなく大坪清隆
小林の再戦は関係なく猪木vs大木の勝者と >>370
芳の里はその一年後にオープン選手権の参加を拒否した猪木に
こんなコメントをしているのも凄いなw
>かねがね猪木君は、ジャイアント馬場君への挑戦を繰り返し、あらゆる条件を馬場君にまかせて、
>フリーの立場で戦うとまで言い切っていました。馬場君が門戸を開放した本大会は、
>猪木君に与えられた唯一無二の舞台であったはずです。この絶好の機会を自ら放棄した猪木君は、
>今後、自分本位の挑戦を繰り返す権利を全て失ったものと解釈されても止むを得ないでしょう。 >>373
それでもファンからソッボ向かれて没落したのは馬場のほうだった
商品価値の差は嘘をつかない >>365
馬場鶴田その他豪華外国人選手が束になっても猪木の人気に敵わなかったという事実。
理由は簡単。猪木より魅力があったレスラーがいなかった。それに尽きる。
じゃ誰なら当時の猪木より輝けたか? 代わりが務まったレスラーは誰? いなかったんだってば。 >>375
猪木は演技力に長けてた。
それが「猪木のプロレスは本物」と騙せた。
果たして高橋本以降に出来たかね? >>376
猪木のプロレスは本物に見えたから多くのファンを獲得できたと?
でもそのお前の理論でいくと、
全日本は本物に見えなかったから新日ほどのファンを獲得出来なかったになるぞ。 >>377
プロレスの作り方が表に出てたら猪木はカリスマになれてたと思う? 「表に出てたら」の詳細を書いてもらいたいな
そもそもプロレスに筋書があるとか真剣勝負じゃないとかは
力道山と木村の一戦で木村が内幕バラした時に世間一般に周知されてる
高橋本の出版で表に出たとか言いたいんだろうけど
そんなの一般人読まないし知らないし、内容聞いても「知ってた」と言うだけだし >>379
「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」が始まったら
「プロレスへの冒涜だ!」と抗議電話が殺到して
両国にビートたけしが登場したらガチの罵声を浴びて
身の危険を感じたたけしは青くなって会場から逃走してプロレスから手を引いた
それを見れば当時のファンはプロレスを100%ショーだったなんて思っていなかったのは間違いない >>379
新日ファンはショック受けてましたよ。
全日ファンは今更wて感じだったけど。 >>381
統計でもとったのか?
一個人が新日ファン、全日ファンと大雑把な一群をどうやって把握したのか知りたい >>382
週刊ファイトには高橋の本を見て激昂した新日ファンが小鉄に詰め寄っていたと書かれてたなぁ…
新日ファンの過去や当時の行いを知っていたらショックを受けて新日を離れたのは誰が見ても明白だろ。 >>383
それあなたの感想ですよね?
リアルに使う機会があるとはな >>384
日本語不自由だなw
感想じゃねえだろw
現実にあった事実ですけどw 〉新日ファンの過去や当時の行いを知っていたらショックを受けて新日を離れたのは誰が見ても明白だろ。
ならどれだけのファンが離れたのかデータで示してくれ
話はそれから >>386
高橋の本が出て新日は動員が減ったという感覚は無いの? >>387
感覚の話に戻すのか?だからあなたの感想ですよね?と書いたんだが
現実にあった事実ならデータを示せ
これ2度目な >>376
高橋本はあの時期だから出たということを考えた方が良い
猪木の全盛期そして高橋とも良好な時期に出るわけがない
結婚したから離婚するんだよ、結婚なしでは離婚できない
たら話をしても、というけどその時代に本があったら、はありえないんだよ
まぁもしにもし、があったら猪木新日も現実ほど「売れ」なかっただろうな
でも同様に全日国際に悪い影響が出たと思うよ
宗教は悪徳だ、カネ集めのビジネスだということがわかったとしようか
統一にはもちろん悪影響だろうが、じつは既存宗教もじつはとても痛いんだよな 実際、猪木自身にダメージを与えなかったと思うね。
高橋本が出て、なお猪木の評価は下がらなかった。
なぜなら猪木ってプロレス一言い訳をする必要のないレスラーだからね。
高橋本の前にWWEとかテーズ本とかのカミングアウトがあったわけだし
高橋本自体にオリジナル性が喪失していたからね。
それなら佐山のケーフェイの方がまだ騒がれたような記憶。 そもそも新日現役レフェリーの暴露だったら、ユセフトルコがとっくにやってる
猪木とウィリーウィリアムスの試合は何度もリハーサルやった八百長だの
猪木の舌出し失神が本当の気絶じゃなく、梶原一騎から逃げただけだの
>>389も書いてるが高橋が同じような内容で猪木の全盛時に出版しても
トルコの本のように、大して話題にもならず終わっただけの話 高橋の本で新日本が傾いたのがそんなに不都合なのかねぇ… >>392-393
そうやって結局自分の感情嗜好に逃げるのがお前の限界なんだよ >>394
感情ねぇ…
なんで新日本はあの時に人気がガタッと落ちたか説明できる? 猪木の栄光まで崩されたくないのかww
心配するな猪木は面白オジサンとしっかり評価されたからなw >>395
高橋本の影響で人気が落ちたというならデータを示せ
これで3回目な
データを示すこともできず自分の感情感想でしか語ってないのがお前
あとはデータが出てくるまでレスしないのでよろしく >>397
データねぇw
ノアに盟主の座を取られた期間が見えないのならばそれで構わんよw 新日本は高橋の本が出た2002年以降は落ちる一方だった。
猪木はプライドや新日本にチョッカイを出す形で偉そうに振る舞ってはいたが…
あの当時三沢がトップで猪木すら三沢には触れられない位の地位だった。 日プロ時代からプロレス八百長論は世間で言われてた話で
猪木はそれが堪らなく嫌だったんだろうし、そこが一番のウィークポイントだからね
で、独立してからは馬場のプロレスは偽物で新日の方こそは真剣勝負だと言い切ったもんだから
純粋で多感な中学生の頃からファンになった人は信じちゃうし
そんな人が猪木信者になってんだろうな
でも、はなから技を受けないで危なくなったら直ぐに試合を止めてしまう格闘技なんかより
プロレスの方がよっぽど面白いし、100キロ超えの人間が
あれだけのパフォーマンスすること自体が凄いこと。
格闘技世界一決定戦、覆面&試練の十番勝負、IWGP、最強タッグ…
夢中にさせてくれたエンターテイメントだよ
まあ、高橋本であれだけ詳細に語られた時はショックが大きかったけど
時が経つと青春時代にいい夢見せてくれた馬場や猪木には感謝しかない。 >>400
貴方みたいに馬場と猪木に感謝するという人は良いよねぇ。
未だに馬場全日派閥を親の敵みたいに叩くのが多くて辟易するんだよね… 狭いプロレス村での猪木人気より
世間的な支持ってのはむしろ高橋本の後だもんな。
八百長レスラーが格闘技界で運営、選手、ファンからも受け入れられた
現実を見てないんだろうね~。 >>401
>>未だに馬場全日派閥を親の敵みたいに叩くのが多くて辟易するんだよね…
おそらくこのスレの全員が、お前が言うなと感じているだろう。 別冊ゴング74年12月号から、小林との再戦後の猪木インタビュー
記者「馬場はあなたがやると言ってもやらないのでは?」
猪木「やらないなら、やらないでいい。やらないと思いますよ、俺も。
それならハッキリやらない理由を明示して満天下のファンに納得してもらったらいい。
時期尚早、今はその時期じゃないとか、プロレス界のマイナスになるとか格が違うとか、
偉そうなことを言って俺を避けているが、結局逃げ口上なんだな。
やっても敵わない、自信がないからやらない。勝ち目がないから日本選手権を棄権するとか
馬場は本音を言えばいいんですよ。
時期が来ればやるとか何とか言ってるのは
ファンに対する欺瞞行為ですよ。そういう態度に腹が立つ、本当に。
だから俺はこれが最後ですよ。堂々と公開挑戦状を送る。これに対して馬場さんも
一部の新聞にコソコソと答えないで、堂々と公開で回答してもらいたい。
ファンに気を持たせるようなことは言わないで、ハッキリやらないと言ってもらいたい」 続き
記者「しかし、あなたがそれほどまでにジャイアント馬場を追い続ける理由は何なのか?
そこにどんな意義があるのか?」
猪木「プロレスが何だかんだと言われる原因はどこにあると思いますか?
いい加減なプロレスをやっている人がいるからですよ。
俺が何のために小林戦をやり、大木戦をやるのか?
そんなプロレスに対する世間のバカにした見方を覆したいからですよ。
…少なくとも人からバカにされるようなプロレスをやるな、ということです。
俺が日本統一を目指すのも、決して俺の私利私欲の為ではない、ということを
ハッキリ言っておきたい。馬場さんと闘うのもその為だ。日本選手権というのは
絶対にやらねばならんのですよ」
…まだ続きはあるが、猪木は言いたいこと言ってるなぁw ↑↑
訂正
別冊ゴング12月号じゃなくて、74年12月12日小林戦後のインタビュー >>405
>そんなプロレスに対する世間のバカにした見方を覆したいからですよ。
そのポリシーで行きついた先がマシン軍団に海賊男にTPGかw? >>403
このスレで叩くのが酷いので書いてるまでだが?
それに俺は猪木を叩いてないしな そもそもプロレスが八百長であることを早くから活字にしていたのは門茂男だね。
「私、プロレスの味方です」を書いた村松でさえその本の中で「プロレスが真剣勝負のはずがない」と記した上でプロレスの面白さを論じている。
プロレスはウソとホントのせめぎ合いである、とは村松の名文句だろう。
高橋本でみんなが初めてヤオだと知ったとか言いたい奴は、そっちの方が猪木を貶すのに都合がいいからだろw 実際に新日本の中にいた人が具体的に外に話を出したのが高橋だからな。
異種格闘技戦だってプロレスではないという認識だったろw
それでファイトに客が小鉄に食ってかかってたと書かれたわけだ。
あれから新日本が落ち込みプロレス誌もどんどん悪くなっていった。
ノアが良かったから持ち堪えてはいたがね… 猪木は馬場に全敗だからな。
それはそういうブックだからと言うのなら猪木が仮に勝ってもそういうブックだからと言うことに過ぎないわな。
もう過ぎた話だけど。 たかがプロレスといえど世に問う物語があった猪木と
それが無かった馬場との差が支持繁栄の違い
とても簡単な話だ >>407
そこまで行かなくてもマクガイヤー兄弟や
T.J.シンの新宿伊勢丹前襲撃で、世間を
呆れさせたよ(苦笑)
ちなみに俺は、猪木、新日ファンだけど 横入り失礼。
データ云々の話が出てたけど、プロレスに限らずあらゆる娯楽は、データだけで語れないエモーショナルなものがあるからね。
あと、栃内良「馬場派プロレス宣言」で、「そんなに猪木猪木、プロレスプロレス言わないでほしい。プロレスがテニスなどと同じように、白昼堂々語られるようになったら気恥ずかしい」というような事が書かれていたし、同著で挿絵を描いていたいしかわじゅん氏も「ババでもイノキでもどうでもいい。どうせプロレスなんて化物でヤ○ザな見せ物なんだから」という事を書いていた。(記憶で書いているので、若干のニュアンスのズレはあるかも。)
スレの流れが、口角泡を飛ばして言い合っているから、ちょっと肩の力を抜こうよと、上記引用、示唆したまで。 猪木は馬場がプロレスはガチじゃ無いって言えないのを知ってて挑発してるのが下品
猪木は恥知らずだから自分は本物馬場はニセモノと言えるけど
いしかわじゅんはタイガーマスク全盛時に
全日も新日も実は同じ
ストロングスタイルというプロレスなだけ好きな団体を観ればいいと書いていたな >>416
馬場がリアルタイムで言っていたのは
「新日本は本物で全日本は偽物ならその偽物の団体からレスラーを引き抜くのはどういうことだ?
引き抜かれたレスラーが団体によってスタイルなんて変えるわけがない」なんてこと
そりゃその通りだ
引き抜きが全日も新日も実は同じの証明でもある
そういう点はUWFが「UWFスタイル(これも今では失笑な言葉だが)に対応できないレスラーは受け入れません」と
やっていた方が詐欺手法としてはしっかりしていた 馬場がそんな発言はしていない上に、
そもそも
「新日本は本物で全日本は偽物」と猪木は一言も言っていない >>418
馬場はその発言をしているし猪木は馬場をこきおろしていた。
そして高橋本で過去の虚栄も含めて終わった。 俺も、猪木が「新日本は本物で全日本は偽物」
とまで踏み込んだ発言した記憶にないなぁ。
せいぜい、「新日はストロングスタイル、全日はショーマンスタイル」
レベルでは?
本物、偽物は猪木に感化された新日信者が言い出しそう >>420
ショーマン、ストロングスタイルが未だに信者が引きずってるんだろw
亡くなった馬場鶴田三沢への書込みの酷さは何だと思ってる? 今日は馬場最後の試合から24年
98年12月5日武道館で木村・百田と組んで、渕・永源・菊地と対戦したんだよな
(猪木は4月4日に引退している)
馬場最後のシングルマッチが90年1月28日、後楽園の対リップ・ロジャース戦
(猪木は2月10日の東京ドームまで試合なし)
最後のシングルタイトルマッチになると、バックドロップでPWF王座から転落した
85年7月30日福岡の対ハンセン戦になるんだな
(猪木は和歌山で藤波・健吾と組んでスヌーカ・バンディ・Mボーンと対戦している) >>423
>馬場最後のシングルマッチが90年1月28日、後楽園の対リップ・ロジャース戦
ああ、それ間違いだよ!
馬場の最後のシングルマッチは1990年7月16日、富山大会,
第五試合、対ジョー・ディートン戦、11分17秒、河津落としから片エビ固め
リップ・ロジャース戦が最後だと言うのは、日本テレビが馬場追悼番組で
間違って最後のシングル戦と紹介したのが間違いの発端と言われるが、
ネットでもその誤情報が拡散している。 >>424
そうでしたか、90年サマーアクションシリーズ滑川大会ですね。ありがとう!
ジョー・ディートンといえば初めて戦った日本人レスラーが意外にも猪木なんだよね。
85年12月18日ハワイで猪木&アンドレ組とディートン兄弟で対戦
ジョー&ホス・ディートン名義じゃなく、ジョエル&デイブ・デートンとして それは他所でやってほしいな
馬場と猪木という本筋で話す。馬場と猪木の対立が日本のプロレスを面白くしたとは誰もが言うけど、日プロ時代、それも対立の萌芽以前の、言わば2人が仲良くやっていた頃、プロレスは一番安心して楽しめたと思う。異論は多々あるだろうけど。 馬場猪木誰かの6人タッグの試合をテレビで見た記憶がある
コーナーで真剣に試合をみつめる馬場猪木の姿ほど絵になるものはなかったなあ
心強いっていうのかな 鶴田のことも馬場の弟子だから普通に語りたいんだけど…ねぇw
まあ、馬場猪木大木がいて坂口も揃っていた69〜71年頃が一番面白かった
分裂してからは猪木の頑張りがなければプロレスは終わっていたかもしれないが
馬場だって力道山の死後に日本に帰って来なかったら
日本のプロレスはなくなっていたとも言われている
力道山の教育方針の違いと、馬場と猪木の性格の違いが
二人を対立させたのは必然だったけど、プロレス界を面白くしてくれたのも確か 後進の育成含めてのBI対決とも言えるな。
馬場の圧勝だな。新日のレスラーが束になっても鶴田には到底及ばない。 わからないのはあんたの脳ミソの出来が悪いから、悪いけど😅 >>429
馬場が帰ってこなかったら日本のプロレスがなくなっていた、というのはないな
これは馬場がどうこうという問題ではなく、60年代はまだプロレス自体に勢いがあったから
馬場がいなくても豊登の一人エース路線で持たせてる間に猪木、坂口が台頭してくる >>433
今観ると豊登の華の無さったらないけど、当時はあれで良かったんだろうな。
でもやはり早々に次のスターを待望する事になったと思う。
歴史の振り返り上ではそれが馬場だったわけで。 >>433
馬場がアメリカに留まったと仮定して、猪木・坂口が主役に就いたとしたら、なんか豊登までの旧態依然としたプロレスをそのまま踏襲し続けたと思えなくもないがなぁ。
そうなると、やはり日プロは先細る事になる。
ちょっと一方的な仮定かもしれないがね。 力道山の死後、馬場がアメリカに留まったら
豊登(+吉村)の日本プロレスは持たなかったでしょうね
64〜65の豊登時代も馬場がいたからこそ
猪木を格上げするにしても、まだキャリア不足。
坂口は、そんな不安定なプロレス界には入ってこなかっただろうし
むしろ、ヒロ・マツダやグレート東郷がアメリカの一流選手を
招いて興行を興して、そっちの方が人気になったかも。 国際プロレスですら81年まで存続してたのに
日プロが馬場帰ってこなかったら持たないとかあり得ないな
猪木が帰ってくるまでのわずか2年間で日プロが潰れるって話かね >>434-435
アメリカの馬場に国際電話をして「日本に帰ってこい」と指示したのは
日本プロレス協会の副会長だった田岡一雄だけど
興行をよく知っている田岡から見て「豊登エースのままじゃジリ貧になる」という危機感があったって事だろうね 力道山が亡くなって豊登・芳の里・遠藤・吉村の合議制になり
ギャンブル依存の豊登を社長兼エースで存続させることになったが、続かないよねw
それに力道山の事業の負債や東郷のバカ高い仲介料等、問題が山積だった
興行を仕切っていた田岡一雄が馬場を呼び戻さなかったらいつまでもっただろう
日本テレビも豊登は団体のエースは値しないと考え、馬場をエースに代えたい思惑があったし
果して、一番意識するライバル馬場不在の日本マットに猪木が帰ってきても…? ユーチューブ見たけど力道山の猪木虐めはライガー橋本船木健介以上だな >>440
そんな力道生涯最後の試合が1963年12月7日の浜松大会
力道山&吉村&東郷vsデストロイヤー&キラー・オースチン&イリオ・デ・パウロ
そして、1971年12月7日札幌
インタータッグ選手権
馬場&猪木vsザ・ファンクス
(王座移動=猪木の日プロ最後の試合) >>439
あの時期の日プロで馬場がいなくてもずっといい感じで存続すると思うけどな
そりゃあブルーザーブラジルキニスキーエリックみたいな大型外人と好勝負する
人材はいないようにも思うから大阪球場で興行したりはないかもしれないけど。
案外草津や木村が出てきたかもしれないし もともとプロレス志望のR木村はともかく、
草津、杉山は、64〜65年、馬場が帰国して安定した
日本プロレスを見て入門したんだろ?
馬場が帰国しなければ、田岡会長はプロレス興行から手を
引いたと思う。田岡会長の力がなければ(馬場が帰国しても)
日プロは崩壊していた、と馬場自身が言っている
(1998年週刊文春で阿川佐和子との対談) >>443
馬場インター王者の時代を見ているから言えるのかもしれないけど、当時の猪木ではブルーザーやエリックらに位負けしたと思うな…
横綱相撲のように堂々渡り合う試合になるのはやはり馬場だったはず。
猪木だと、若さとスピードで「挑む」域を出なかったと思うな。華のあるスターにはなったろうけど。
ましてや華のない草津・木村・杉山では見応えのある試合にならなかっただろう。 なんか話がいろいろ飛んでるが
>>433で書いた
「馬場が力道山の死後に日本に帰ってこなくても日本のプロレスはなくならない」
に異論はないよな?
先細りとか出てるがプロレスがその先も続くことに変わりはないし、
万一日プロなくなっても別の団体が出てくるだけ
60年代の日本ではプロレスは他の娯楽と比べて圧倒的な勢いがあった
比肩するのは野球ぐらいだ >>446
プロレスが八百長と世間に出たのを救えたのは当時のトップの力なんだと思うんだよね。
力道山にしろ全盛期の馬場にしろね。
馬場がない場合の猪木は普通にプロレスをする上手いプロレスラー止まりでプロレスは繁栄しなかったんじゃないかと思うんだけどな 八百長云々の話なら、馬場はプロレスが八百長だとバカにされる元凶そのものだったな
馬場がいなかったら、プロレスの地位は今より上だったかもしれん 真剣勝負と騙し続ける事の方が問題あっただろ。
そら馬場のプロレス観てればプロレスはショーだと分かるけど実際そうなんだから
ショーとして観るのが適切だよな。 >>449
だったら馬場はカミングアウトしてなきゃおかしいな
騙すとかの話なら、馬場も騙してた一味なのは間違いない 「馬場が力道山の死後に日本に帰ってこなくても日本のプロレスはなくならない」
→異論なし。無くなりはしなかったと思う。
「馬場がない場合の猪木は普通にプロレスをする上手いプロレスラー止まり」
→これも異論なし。
「馬場はプロレスが八百長だとバカにされる元凶そのものだった」
→これは若干異論あり。
全盛期を過ぎて以降ならその通りかも。
「アッポー」で語られるようになった時代のね… >>446
異論あるに決まってるやろ。
そもそも豊登では客が入らないからと、馬場が強制的に戻されたの知らんのか?
大体、強烈なカリスマ性を持つ力道山かいたから、日本プロレスが隆盛を極めてたんだろ。
カリスマの創業者がいなくなって、二代目が業績下げる、なんてことはどこの業界にもよくあること。
日本プロレス以外にも、他に色々な団体があったことも知らんようやな。力道山抜きで成り立つなら、それらの団体も人気になったはずだが? >>450
みれば阿呆でも分かるようにやってたろ。
分からないでガチだと信じてたのは阿呆🦑 まぁ、力道山の死後、馬場がアメリカから帰国しなければ、
プロレスは無くなりはしないものの沢村忠が引退した後の
キックボクシングか、ブームが終わった後のローラーゲームに
なっていただろうな
テレビは視聴率が落ちれば、放送時間は短縮されたり、
どんどん遅い時間帯に追いやられる。コアなファンは豊登でも
見るだろうが、一般人は「ああ、まだプロレスはやっているんだ!?」とか
猪木が66年に帰国したとして、どれだけ巻き返せるか?結構、アメリカで
そこそこ売れていた猪木も帰国せず、アメリカで馬場と組んで
BI砲が実現してたりして(苦笑) >>448
それは馬場が全盛期ではなくなってからと猪木のストロングスタイル商法が重なった為だろう。
プロレスの負を全部馬場に押し付けて自分はストロングスタイルとかねぇ…
>>450
馬場も猪木もバレた後のことは考えてたと思うよ。
猪木はアリ戦でガチンコがあった的な部分で免罪してもらう。
馬場は猪木に言わせるだけ言わせて「後でわかる」と放置して猪木に背負わせる感じでね。 >>454
プロレスは無くなりはしないものの 沢村忠が引退した後のキックボクシングか、ブームが終わった後のローラーゲームになっていただろうな
→上手い例えだな…w >>454
なぜ、なくなりはしない、なんて思えるんだろう。
日本プロレスも崩壊したわけだし、
人気がなくなれば、テレビは打ち切り、興行だけでは経営は成り立たない。そうなれば崩壊する可能性は高いだろ。 >>457
まぁ細々とやって行くだろ?と思っただけ
潜在的にプロレス(のようなモノ)を求めるファンもいたと思うし、
メジャースポーツではないけれど、プロレスをやろうと思う若者も
いたと思う。
前に↑でちょっと書いたが、日本のプロレスがダメになったら
アメリカのプロレス団体が進出したかも知れない(マツダとかG東郷が)
>日本プロレスも崩壊したわけだし
日プロは、崩壊したけれどプロレスはなくならなかっただろ? >>452
何を言いたいのかサッパリわからん
異論がある、ということは馬場が帰って来なかったらプロレス無くなっていたと言いたいんだな?
お前こそ他の団体あったの知らんのか?
国際プロレスは80年代まで存続してたぞ? プロレスは馬場がプロレスを維持する役目。
猪木はそんな馬場を攻撃しながら自分を正当化して格闘技的なプロレスから思い切りアメプロをして幅を持たせていた。
猪木だけだったらプロレスという文化は廃れて昭和に格闘技へ移行せざるを得なかったんじゃないかな。 >>453
馬場を見てたファンは全員勝ち負けが決まってるショーとして見てたと?
そうじゃないファンを阿呆だというなら全日ファンは阿呆の集まりという事だな >>459
馬場いなかったらの日プロは少なくとも国プロよりは隆盛だったと想像する
逆に国プロ以下は非常に考えにくい、でいいんじゃないのかな
>>452
>そもそも豊登では客が入らないからと、馬場が強制的に戻されたの知らんのか?
それは事実なの? 豊でも客はしっかり入っていたと思えるけどな
譲って、馬場ならさらに入ると当時誰かが判断したということか?
当時は豊が社長なのだしそれはどうかなあ。
豊が社長を続けていたらどの途ギャンブルで……みたいな危機感で
役員がクーデターを企図、その理由に客入りを云々、はありそうだけど 力道山の死後、山口組の田岡会長はプロレス興行という
美味しいシノギがなくなることを恐れ、また豊登では客が入らない、
と見てアメリカ遠征中の馬場に帰国を命じたんだな。
馬場の帰国参戦と田岡会長の力で日本プロレスが存続した
と馬場も語っているよ。
あの時、馬場が帰国を拒否したら、馬場は田岡の目が黒いうちは
日本に(プライベート、試合はしなくても)帰国できなかったんだろうな。 客観的事実として残ったのは
①田岡は「馬場を戻さないとヤバくなる」と馬場に電話して呼び戻した
②豊登を追放しても日本プロレスの業績は全く悪化しなかった
③豊登本人も「自分だけじゃキツい」と若手有望株の猪木を引き抜いて猪木エースの
東京プロレスを旗上げした
この3点 1963年の今日は住吉会系の暴力団、村田勝志がBIの師匠力道山を刺した日
東声会の町井会長だの、山口組の田岡組長だの物騒な時代だなぁ〜
結構、プロレスの八百長を口外させなかったのは興行を仕切っていた
その筋の力が大きいのでは?
余談になるけど、2010年12月8日はキング・カーチス・イヤウケアさんの命日(73歳) 馬場と山口組の関係は全日設立後も続いてたな
全日の興行権を巡って地方のプロモーターを仲介して利益を得ていたのが山口組 興行を(例えば)200万で買って
舎弟や子分に300万で売りつけるビジネススタイルとの話だが >>430
430:お前名無しだろ (ワッチョイW df3a-ZE7E):[sage]:2022/12/06(火) 12:49:08.00 ID:laoV7SLe0
後進の育成含めてのBI対決とも言えるな。
馬場の圧勝だな。新日のレスラーが束になっても鶴田には到底及ばない。
世の中には変わった価値観の人がいるんだなあ 中学生の頃、全日を馬鹿にすると鼻を膨らませながら怒る奴が居たw
あいつ、結婚できたのかなぁ・・・・ >>470
馬場は国民的大スター、鶴田は誰もが認める最強のプロレスラー
そいつの価値観ではこうなってるらしいよ
認知症かな >>469
戦後の興行はヤクザなしでは語れないでしょ
なんせ裏社会との関係を取り持っていたのが大物政治家なんだからw
外国人記者クラブの会見で馬場とヤクザの関係を語っていた猪木も
韓国での大木戦で在日ヤクザの元組長 柳川次郎に世話になっている。
あと書き尽くされたけど、今日は同日同時刻開催の興行戦争の日
力道山13回忌では凱旋した次男の百田光雄がマシオ駒と組んで鶴見&米村と対戦
日本初のトペ・スイシーダを場外の米村に決めリングアウト勝ち
(藤波がドラゴンロケットを初披露したのは、78年3月10日郡山でのロン・スター戦)
全日のNWA加盟に貢献した駒は生涯最後の試合となり、翌76年3月10日に急逝した >>473
ホーガンの自伝でもダイナマイト・キッドの自伝でも日本のプロレス団体は893と親しく付き合っていて
驚いたと言う記述があるしね
もちろん新日も893と付き合いがあったし相撲の龍虎も「地方巡業を仕切っていたのはみんな893だった」と言っている
北島三郎が893の会合で歌って問題になったが「地方興行をする上で893と付き合いがあるなんて当り前だ」と
ぶっちゃけていた人もいた 猪木除名騒動で揺れる71年の今日は「ワールドチャンピオンシリーズ」最終戦
東京体育館で馬場のインター王座にテリーファンクが初挑戦
アジアタッグ王座決定戦では坂口・吉村がドリー・マードックを破り、坂口は初戴冠
この頃から、テリーとマードックを将来の外国人エース候補に育てようとする
日本プロレスの意向が伺えるなぁ
マードックは猪木最後のUN王座にも挑戦しているし でも、僕は やっぱり、馬場と猪木が競り合わずにやっていた頃が、一番良かったと 思います
(スネークマンショー「若い山彦」の一評論家の口調で)←わかる人にはわかると思う YMOの誰かが本当に演じていたと思ったよ(細野晴臣あたり)
スレチで失礼 やれストロングスタイルだショーマンだ、王道だ邪道だ、デスマッチ路線だハードコアだ、格闘技スタイルだと言ってたけどさ…
♪これもプロレス
あれもプロレス
多分プロレス
きっとプロレス
そんなもんだよ 63年12月15日、力道山は39歳で逝ったんだな…
その日の夜、猪木は金縛りになり足元に力道山が現れたと回想し
ケネディ暗殺があったばかりのアメリカで、テロの恐怖を感じていた馬場は
未来がどうなるかわからない不安と孤独のなか
「オレの身体の半分が死んだようなショックだった」と語っていて
アトキンスと会場へ向かう車の中で坂本九の「SUKIYAKI」が流れてくると
涙が止まり勇気付けられたという。 BSテレ東で地上波再放送だけど、今夜19 : 49からG小鹿ゲストの「なんでも鑑定団」
馬場のガウンだと思っていたら吉村のだったというやつw
見逃した人はどうぞ。
あと、18日TBS「報道の日2022」第2部の中で
"アントニオ猪木が最期に会いたかった男"というのがあるよ >>481
今だと40歳過ぎてもバリバリ動けるレスラー多いが、力道山はその手前でもうヨレヨレだったみたいだな
あの事件なくても40歳で引退考えてたとか
まあ一人で日本のプロレス支えてた負担も相当あっただろうけど >>483
覚せい剤と睡眠導入剤のカクテルでボロボロだったらしいからな 晩年の力道山はしょっちゅう喧嘩騒ぎ起こしてたらしいな
ヒロポンとかの影響で精神ヤバかったんかね 精神安定剤、興奮剤、睡眠薬なんかをアルコールと一緒に飲んでいたらしいし
ヒロポンなんかは合法だったみたいだからね
63年頃は体力的にも限界で、早く馬場にバトンタッチしたかったんだろうけど
そんな馬場には「人間として何一つ良いところのない人でした」と言われ
猪木には「そばにもし包丁があったら後ろから先生を刺してブラジルまで逃げて帰りたい」
とまで言われる始末
そういえば、長崎の平和記念像のモデルが力道山という説があったな
たしかに百田巳之吉に見出され長崎県大村市に住んでいたけど…w >>487
昭和30年代にはもうヒロポンは非合法化してたけどね >>461
阿呆なのか?ショーとして割り切って観てたに決まってるだろ。 リアル風だろうがショーだろうが、そこに何らかのリアリティーを感じさせてくれたからこそ、我々はあの時代のプロレスに夢中になったわけでさ。
レスラーの肉体は嘘をつかない、と書いていたのが栃内良さんだったかな。
ヤオガチ論争に対する名答の1つだと思ったよ。 もうトッショリだよ。
>>491、詭弁なんてそんな御大層なモンじゃないはずだよ。 >>493
大層なもんじゃないから詭弁なんだよ
稚拙な詭弁
八百長論に対して傷口見せて論点ずらしするようなやり方は大昔からの定番 まぁそれならそれで…
口角泡を飛ばしてどうこう言う性質のものじゃないでしょ。 >>490
>リアル風だろうがショーだろうが、そこに何らかのリアリティーを感じさせてくれたからこそ、我々はあの時代のプロレスに夢中になった
まったく同意ですよ。
大昔になるけど1955年に力道山と対談したことがある柔道家・石黒敬七は
「プロレスリングには演技が必要なのだが、ともかく実力はなくてはならない。
本来のプロレスリングの本質が八百長なのだ。ただ普通の八百長と違う所は
弱い者が勝つというのではなくして、実力をともなうショーであるという所にある。
…プロレスリングの本質は実力のともなう八百長なのだということになる」と解説し
アマレス協会会長の八田一郎は「もちろん本気で殴るわけではない。
元来プロレスは芸をみるものだ。それで訓練し抜いた者同士のショーは真に迫る」と述べている。 力道山の試合を映像で見ると、テーズ戦なんて
NWA的なクラシカルレスリングをきちんとやっている。
吉村ならレスリングは力道山以上にうまいだろうけど、
ラフな試合はできない。
トップレスラーには「引き出し」の多さが求められるし
それがレスラーの実力ってもんだろう。
俳優でいえば「いろんな役柄をこなす」実力。 ゴングスピリッツ読んだら佐藤昭雄が
「猪木は極めっこの練習をしていて馬場はしなかった。
ただし馬場はロープワークの練習はよくしていて、
それについては断然猪木よりうまかった」
と語ってた。
どっちがレスラーにとっての実力か、意見は分かれるだろう。 ただの演技力じゃんw
石黒とかいうオッサンの言ってること早速否定されたな >>500
馬場の決め技の代表であるランニングネックブリーカーにしても16文にしても
確かにロープワークが肝要
猪木は卍や延髄にしてもロープワークはそれほど要らない、なるほど まぁ、プロレスラーは相手に勝つ能力じゃなく集客力が一番に求められるからね
でも演技力だけじゃないでしょ
技を受けて耐えうるだけの身体を造るのも必要だし
演技が上手けりゃ誰でもなれるもんでもない。 これ微妙なのは
ロープワークのうまさというのは
格闘技的な強さではないにしても
アスリート的な技量ではあるということ。 >>501
フィギュアスケートや体操もだけど
アスリートの演技力(表現力)は、実力の一部だからね。
4回転半の演技、イナバウアーの演技。 >>506
採点競技の選手と一緒にするなよ図々しい
比較するなら遊園地のヒーローショーやってる着ぐるみ俳優だろw >>507
違うな。着ぐるみ俳優は中身が入れ替えられる。
馬場役は馬場しか演じられない >>507
ずっと読んでるけど、あんたはそれでイイよ
心底プロレスをバカにしている人に言っても無駄
荒れるからプロレスが嫌いなら参加しなけりゃいい >>509
プロレスラーも事前に台本決まってるだろw >>511
何カリカリしてんの?w
文句あるなら理詰めの反論で >>510
ちゃんと何代目タイガーとかあるからな。
ウルトラマンの着ぐるみ俳優は人が変わっても「ウルトラマン」 後、映画俳優との比較でいうと
映画俳優のアクションはCGやワイヤーワークに助けられるけど
プロレスラーのアクションは「特撮なし」ww 特撮ない分しょぼいってだけだな
何もアドバンテージにはならんわ >>518
最近あるの知らないの?
光線技とか使うよw 余談だが
初代ウルトラマンはジャイアント馬場の動きを取り入れてるなw >>521
じゃあプロレスよりも進化してるってことじゃん
遊園地のヒーローショーにも負けたかプロレスは なるほどヒーローショーは着実に市民権を得ているわけか
ますますプロレスの負けだな ヒーローショーの客=将来のある子供たち
プロレスの客=将来の無いオッサンたち >>525
「着実に市民権を得ている」の意味は?
何をもって判断してるんだかわからん じゃ馬場にウルトラマン、猪木に仮面ライダーやらせて
着ぐるみ俳優にプロレスやらせろよw
なお昔の「仮面ライダー」本編は
複数の俳優がジャンプ役、立ち回り役と分かれて演技してますがw >>527
>>524のスケジュール見ろよ
軒並み地元市民会館の大ホール使ってんじゃん
田舎の大箱中心にドサ回り出来るプロレス団体って今あるの? >>528
それは何に対する反論になってんの?
舞台演劇の最末端に存在するプロレスと
映像作品の仮面ライダーを比較する意味も分からないな
もう少し物事を切り分けて考えることを覚えた方がいいね >>529
大ホール使ってるのはその施設で一番安いからだぞ?
小ホールは音響施設とか舞台装置とか特殊なものがあってプロの劇団とか使うから高め
学校のコンクールとかで大ホール使う理由も安いから >>530
映像作品としての仮面ライダーを舞台ショー化した
仮面ライダーショーと
終始実演のプロレスを比べる意味あるの?w >>530
君が見たヒーローショーのベスト作品は何?
それを語ってくれないと、プロレスより
凄いという説得力がないんだが。
俺が田舎で見たヒーローショーは不細工の
極みだったぞw ハードヒッティングの攻防を見せるプロレスと特撮ヒーローの技斗は別物 猪木、テリー、マスカラス
この三人はスーパーヒーロー的な存在だった。
仮面ライダーやウルトラマンのそれに酷似していたと思う。
あとは佐山タイガーも。 >>532
あるだろ
何でないと思ったの?
特撮番組を演劇化したヒーローショー
格闘技を演劇化したプロレス
似た者同士 >>534
ハードヒッティングなんて二流のプロレスラーのやることだろw >>533
何でそんなもん語る必要あんの?
ヒーローショーなんてロクに見た記憶もない
どっちも茶番の田舎芝居だと思うけど
そんなもん子供のうちはいいけど
いい歳こいた大人が見てんのやばくね?って話だわ >>536
特撮番組を演劇化したヒーローショーって
特撮番組自体が演劇じゃねえかよw
>>538
見たこともないのに
ヒーローショーはくだらないと決めつけて
るんだね。 >>538
じゃあいい大人が楽しんでる
ディズニーランドやUSJのアトラクション
ショーはどう思うの? >>540
幼稚だなと思うけどな普通に
そんなもので喜ぶのは
大人男の客そんなに多いの? >>539
子供向けのアトラクションなんだから
大人から見れば下らないくらいが当然
プロレスもヒーローショーも元ネタが何であれ
演劇のサブジャンルなんだから似た者同士 またおかしな事言い出してるなあ
演劇そのものじゃなくサブジャンルとしている理由は?
意味もわからずサブジャンルと言いたかったのかね >>543
演劇という大きなジャンルに連なるジャンルってことだよ
読解力がないな だからなんで演劇そのものじゃないのかって話をしてるんだけどなあ
読解力どころか言語そのものが怪しいようだな >>545
演劇という大きなジャンルに属する
サブジャンルって言ってるんだから
プロレスもヒーローショーも大きな意味での演劇
演劇そのものってどういうこと? >>542
プロレスは子供向けのアトラクションなの?
客に子供はほとんどいないと思うけど。
それと子供向けだとくだらないの?
ジブリアニメやディズニーは子供向けで
くだらないの? >>547
子供向けアトラクションと大差ないことやっててそれを見てんのがオッサンだっていうのがやばい >>547
子供向けアトラクションて
大人向けアトラクションより
くだらないの? 子供向けアトラクションで
子供を喜ばせるために
高度な技術が使われることは
たくさんあると思うけど。
子供は着ぐるみ着てれば喜ぶと
思ってる?
大人だってゆるキャラの着ぐるみとか
好きじゃんw >>551
5ちゃんねるとかやってる
くだらない大人のくせに なんか、ズレと噛み合わなさと罵り合いになってるね…飲み屋の喧嘩みたいだな
まあまあ、そんなにやり合わんでもさ、たかがプロレス、されどプロレスじゃん >>552
5ちゃんねるもやって
未だにプロレスも見てる
お前が一番のガイジってことかw 言いたいことは
「プロレスでガチの練習やってる猪木はアホ
芸を磨く馬場は偉い」
ってことかな 鳴かず飛ばずで野球クビになった落ちこぼれ
プロレスラーになってからはロクに練習もせず
醜い体を晒して視聴率6パーセント >>556
それ全盛期以降。
だけど、それが馬場プロレスひいては全日本の、プロレスの醸し出すリアリティーを下げていたのは確かだな… >>558
野球クビじゃなくて肘の怪我。
個人的には馬場派だけど、何でもかんでも馬場マンセーになるつもりもない。
やっぱり全盛期以後は観ていて痛々しかったからね。
逆に猪木派の人も、何でもかんでも猪木サイコーってのと、馬場を貶める事で猪木優性論を成り立たせるのは止めにできんかね? >>560
全盛期過ぎてもちゃんと体くらい鍛えておけよw 力道山時代に馬場はスクワット等の回数を上手く誤魔化していた。
絶対にこんな風になってはいけないという良い見本だった。
猪木のこのシュート発言は笑えた。 猪木は馬場にラーメンご馳走に
なってたのに恩を忘れるなよ 馬場がロープワーク上手いとはとても思えないけどな。
レイスとのロープワークなんて見れたもんじゃなかったけど。 1969年の馬場とデストロイヤーの
試合の映像見たら、無茶苦茶ロープ
ワークがうまかった。 諌める人が側にいないと劣化する
馬場は全日本の社長になって力道山の弟弟子の目が届かなくなったら
ますます若手時代の貯金だけで試合している感じだし
猪木は新日本の社長になってもトレーニングはしていたけど
副業で暴走してクーデターの遠因になったし
三沢もNOAHになってますます腹が出た
そして晩年の力道山もトレーニング不足らしく腹が出て
テーズベルトをコピーしたインターナショナルの二代目ベルトが似合わない体型になっていた
(動きや体型の劣化を流血戦で誤魔化した?) プロレスなんて練習しなきゃ
年間休日200日で1日実働5分の楽な商売なんだよ。
で食っちゃ寝すりゃ肥満になるのは道理です。 ちゃんと歩けないババみたいなカタワにスムーズなロープワークとか無理 馬場が馬場さんと呼ばれるようになった頃には
誰もがスピードのなさや腕の細さを問題にしなくなっていた。
現役でいてくれるだけで良かったんだよ。
猪木信者はバカにしただろうが、、 >>575
今時こんな差別語平気で使うやついるんだな。
猪木信者はこれだから >>571
年齢的にもちゃんと動けるのは39歳くらいまでだろ
馬場 1977年
猪木 1982年
三沢 2001年 >>578
馬場信者の方が最近は酷いから。
信じないなら、馬場のスレでも見てくれば? >>581
どちらの何様でおられますか?
事実から目を逸らし馬場さん馬場さん連呼。
挙げ句はyoutubeで顔出せとか。
自分から先に顔出しなよ。 プロレスの缶コーヒーの話だけれど
猪木のものは何処の店にもないよ。
皆が猪木から買っていくんだよ。 馬場と猪木…
…猪木と馬場とは未来永劫言われない
馬場の勝ちな
以上だ寝ろ >>ttps://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721214-3
>>ttps://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/241884
論破でいいですよね?>>584 かの国がJAPANより表記を前にするためにKOREAじゃなくて、COREAだと主張してたことあったな
名前順って彼らには重要な事らしい >>584
ファイトでは「猪木と馬場」になってたぞ
まぁファイトなら「大阪と東京」と書くだろうけどな
うろ覚えだが三大タイトルでも通常はNWAAWAWWFの順を
WWFをAWAの先にしていたような気がする 馬場さんの悪口はプロレス全体の秩序を乱す行為。慎みたまえ。 >>585
未来永劫はともかく「猪木と馬場」(斎藤文彦 著)の元ネタは
週刊ポストの連載「我が青春のプロレス〜馬場と猪木の50年戦記」を加筆・修正したもので
馬場が旅立って23年、猪木は闘病中だったから
世間の注目が集まっているのを考慮したタイトルにしたのは明白
プロレスファンの感覚では「馬場と猪木」だよ。
BI砲にならって「馬場と猪木」でないと違和感がある。
「ファイト」なんて猪木新聞だしw プロレスファンの感覚というなら
馬場猪木と表記するのは馬場が年上で先に出世したからってだけだろ
馬場がレスラーとして上だからとか言い出すのは馬場オタだけの感覚
王、長嶋もしくはON砲の表記も王が前の打順打つことが多かったからで、王が長嶋より上の意味ではない そんでも打者としての実績が王>長嶋だからという部分もあるよ。
人気は別としてレスラーとしての実績が馬場>猪木なんでしょ。 >>591
ないけど?
ON砲の命名が63年と言われているが、
そこまでの両者の成績は圧倒的に長嶋が上
根拠なしにテキトーな事書かないようにな >>592
ON砲の命名はNOだとノーになるからと
いう理由だよ。それでイコール
王長嶋と呼ばれたわけじゃない。 >>593
打順説は90年代に出版された
巨人軍77年の歴史という本が根拠
NOはあくまで別途検討されただけでイコールではない
いずれにせよ王が上だからONではないのは確か >>580
あれは馬場鶴田信者というか猛烈なアンチ猪木というか、ただのものを知らないバカ 新日本プロレスで育った「ムタ(武藤敬司)」、「中邑真輔」、そしてノアの生え抜き選手であり現王者の「清宮海斗」、そして今もしかしたら清宮以上に誰よりもノアを守ろうとしている「拳王」との、これは時代を跨いだ「猪木vs馬場」の代理戦争とさえ言える気がします。 >>594
ON砲とかONとは呼ばれるが
揃ってテレビ出演する時は
今でも「長嶋・王」だよ。 >戦後最大のヒーローとして、多くの人が思い浮かべるのは
長嶋茂雄さんと王貞治さん、ONだ。
>人々は長嶋さんの明るさに夢を感じ、王さんの努力に
生き方を学んだ。大きくなる人々の期待。
それに期待に応えるため、2人は人知れず懸命の努力を
重ねていた。
番組では、長嶋さん王さんへの長時間インタビューを敢行 まあ「どちらでもある」でもいいよ。
馬場猪木の場合は
ほとんど「馬場・猪木」だけど。 話を戻すと先に書かれてる方が上とかはないってのは俺も同感
ライオンズにもAK砲とか 途中で送信したか
90年代でもAK(秋山清原)砲とかAKD(秋山清原デストラーデ)砲とか言ってたが
秋山が一番というわけでもなく、打順、語呂の問題でしかない プロレスだと
鶴龍、龍原砲、テンコジ、OH砲などか ヨコちゃんも1番観たいのは「ムタvs中邑」ですが、それでも過去の伝統を考えるとメインはGHCシングル選手権で、それこそセミでもGHCタッグが優先で、「ムタvs中邑真輔」はセミ前かな?と思っていただけにビックリしました。 王、長嶋もあり長嶋、王もある。
馬場、猪木もあり猪木、馬場もある。全部現実なのに
猪木、馬場だけは 【未来永劫】 無いから馬場の勝ちと書いた
>>584 が 「自分が間違っていました。スマン」 と一言書けば済むことで
引っ張る話題でもない。 馬場、猪木に関しては序列は馬場、猪木のままだ。
そのかわり新日本、全日本の並びは譲ってたわけでな…
王長嶋は王が前人未到の成績を取る中でも長嶋は一番人気であり続けた。
馬場と猪木は馬場が全盛期を終えて猪木が馬場を利用して一番人気になっても格や序列は馬場の方が上なのは変わらなかった。
それだけのこと。 >>596
>これは時代を跨いだ「猪木vs馬場」の代理戦争とさえ言える気がします。
全然違う。
無理矢理、馬場と猪木に結びつける必要なし まあ現実見ると全日はほぼ潰れかけだし、
生前を知る世代がいなくなれば馬場は忘れ去られてしまうだろうな
せめてこういう場だけでも馬場が上だよ、と言わせてあげるのも武士の情けというか >>607
だから今でもIB砲って名称が変更にならずBI砲なんだね!
ってなるわけないだろ
自分で何言ってるのかわかる? 馬場は鶴藤長天の並びに文句を言ってたな
やれやれ別にいいじゃんかとしか思わないが >>610
基本的には並びは気にするもんだ。
ただ呼び名とかは呼びやすい方になりやすい。
アライバしかり、ONしかりな。
荒木なんか呼び名が呼びやすいということで自分が先になって申し訳ないと思っていたと引退してから発言している。
天龍は前田とトークショーする時に呼び順を気にしていたしな…
気にするのは仕方ない。例え語呂が良かったとなりIB砲になってたら認められなかっただろ。 OH砲って王さんだけのことかと思ってた
Hがハリだなんて幼い頃にはわかるわけないし 何より背中に「OH」と書いてある オールスター戦でも普通にBI砲復活と言ってたし、選手コールも猪木馬場の順だった。
コールは馬場に配慮した面もあるかも知れないが
猪木にしたって日プロ時代の過去の呼び名にいちいちケチをつけないさ 豊登力道山組なんて絶対書かれないし豊登馬場組はTB砲だが同じ大先輩の吉村と組めば馬場吉村組。
野球界その他の世界は決まってないかもしれないが、日本のプロレス界では格上がタッグ名では先でコールは後。
馬場と猪木は日プロ時代にタッグを組んで馬場が年上で先に海外遠征で成果出して帰国してからインター王者。そして猪木は出戻り。
両者独立してからは猪木が対等以上超えたと言えるが、猪木だって日プロ時代に固定された呼び方変えようとはせんだろうよ。
調子のってた頃の新間やファイト井上以外は。 プオタ以外は馬場猪木の順番を疑っていないでしょ
ただとっくの昔に猪木は馬場を追い抜いているって認識 >>615
>大先輩の吉村と組めば馬場吉村組
その吉村がダラ幹の一人とされているのは解せないんだなぁ
確かに豪遊してたかもしれないが遠藤なんかに比べるとそれほどでもないと思し
リング上での名脇役ぶりは十分会社に貢献している働きぶり
猪木クーデターの際、馬場は吉村を追放リストに入れないという条件を出していたらしいが
猪木は最終リストに吉村の名前をあげて、それが馬場が猪木と袂を分かった
直接の理由、或は理由の一つだという。
サポートした上田や小鉄が吉村のマッチメークに不満があり
強引に追放リストに入れたという説もあるが、、、
猪木は引退興行に招待したりしているから関係は悪くなかったと思うけどね >>617
力道山亡き後は芳の里、豊登、遠藤、吉村が幹部だったが
この中では吉村は悪く言われない方だね
馬場は「吉村さんは最高のタッグパートナー」でK・カーンは「吉村さんは仏様のような人」
ミスター・ヒトは「あの人ほど若手を可愛がってくれた人はいなかった」
良く言う人間をほとんど見ないのが「会社のカネもおれのカネ」の遠藤
猪木は一番追放したかった遠藤を解説者として雇うハメになった 嫁でも馬場の勝ち。
なぜなら離婚してないから。
ちなみに長渕と桑田も嫁では長渕の圧勝。 元子とテレビがあったから我々は
超獣コンビやファンクス、ウォリアーズを
ライブで見れたんだよ。 倍賞美津子は裏番組の金八に出演し
猪木の邪魔をする始末。馬場圧勝。 >>622
それを言うとどっちかと言うと
ストロング小林は「風雲!たけし城」のレギュラーメンバーとして
ワープロを金曜夜8時から追い出して
猪木と新日への復讐を果たしたって感じがする >>620
元子の愛人原軍司
美津子の愛人ショーケン
美津子の圧勝w どっちが原因かは知らんが
子孫を残せなかった事は大きいのでは 新日の最大のヒット作はタイガー
全日の最大のヒット作はウォリアーズ
全日の勝ち こうしてみると新日と全日、猪木と馬場って今では比較にならない程差がついてしまったな
平成中期頃までなら新日派、全日派で論争盛り上がったのに >>626
日本でのウォリアーズ人気を盛り上げたのは世界のプロレス BI対立期はタイガー・維新軍の3年間を除くと
観客動員はずっと全日>新日だったんだよな。
まあ主催者発表上だけど。 >>629
ババ全日がどれだけ大嘘ついてたのかって話だなそれが本当なら 全日は70年代からギャラの現物支給やってた事実がある 会場に観戦に行った奴ならどちらが客入ってたか視覚で分かってる。
全日の客足のヤバさは動画でもハッキリ認識できるしね。 >>629
そうだったかなあ?
観客数でも新日優位だったぞ、ほぼずっと。数字はまぁあれだけど
満員マークの付く確率は明らかに新日が上だったぞ。
全日はひどいときにはシリーズ中一度も満員発表なし、というのもあった。 新日にもヤバい客入り会場はあったかもしれないが
全日のそれは比較にならんほど酷かったからね。 水増し抜きで公平にみても観客動員数は新日の方が上だよ
新間の戦略というか、企画力・話題の持っていきか方(ヤラセ含む)は他団体を上回っていた
アリ戦以降は暫く落ち込んだみたいだけどね…
全日は豪華外国人レスラーを揃えても肝心の営業部門が弱かったなぁ >>629
それはオーバーだが、1976年から
1979年にかけては主催者発表上は
五分五分だった。
というのも当時のシリーズはブッチャーや
マスカラステリー、新日本でいえば
アンドレやシンの参加するしないで
動員が大きく違っていたから。
必然的に全日本が勝るシリーズも
多くあった。 80年になると新日本はハンセン、シンの
看板で年間シリーズを埋めたから、
動員的に優位になり、81年からは
タイガーの登場でいよいよぶっちぎり、
という流れ >>636
79年から全日は土曜夕方5時半に移動してゴールデンを撤退
当時はファンクス、マスカラス、ブッチャー人気が絶頂の頃だけど
馬場は体力的に苦しくなって次期エース候補の鶴田は相変わらず伸び悩み、天龍もまだまだで
観客動員、視聴率ともに芳しくなく一番苦しい時期だった。
その間、新日の外国人勢はだんだん豪華になるし、そこにタイガーマスクだからね >>639
いや、79年に夕方時間になってからの方が
視聴率は伸びたんだよ。
ゴールデンの頃は野球中継で深夜にまわるのが
多かったし、枠が固定したことで安定した。
それと全日本も危機感があってブッチャーを
連続投入したから、79年は動員も視聴率も
好調。
ただ80年になるとブッチャーもマンネリで
徐々に視聴率、動員に翳りが見えるように
なった >>640
原プロデューサーは
「ブッチャーを引き抜かれたことは惜しくない。ブッチャーは出がらしだった。
むしろマードックを引き抜かれたことの方が惜しかった。」と言っていたな
馬場は1987年に出版した本で
「ブッチャーが新日に転じていなければ例え落ち目になっても活躍の場を作ってやれただろう。
私はデストロイヤーの功績にそうやって報いているつもりだ。」と書いていた でもブッチャーはWCWで電気椅子座ったりして日本なんて関係なく稼いでたよな 79年のブッチャー
4月 カーニバルに優勝
7月 ファンクスと対決
8月 マスカラスと対決
オールスター戦
11月 レイス戦
12月 最強タッグ
この年でかなり出し尽くした >>643
オデコ切っても血も出ないほど搾られとる >>640
80年代初頭、観客動員力・視聴率で新日がつねに優位で勝負がついたと思われたが
その後、ブッチャーに始まる引き抜き戦争に敗れ
ハイセル事業の失敗からクーデター事件へと転がり落ち、配下レスラーたちが去る時代へ
一方、81年には倒産の危機すらあった全日が日テレから出向した松根社長の改革や
ハンセン獲得で息を吹き返した感じでいいのかな? >>646
ジャパンプロレス勢が参戦して日本人対決路線が確立されたのが大きい
それまで外人勢に多額のギャラ払って全然儲からない状況続いてたからな
全日が一番儲かったのは四天王時代 タイガー引退・クーデター事件後でも観客動員は良かったから
結局新日本は猪木の衰えが全てだな
特に86年に大きく株を下げた >>646
より正確にいえば79年は5分5分。80年には新日本が6分4分で優勢に
なり、81年にはタイガー登場やブッチャー引き好きで7分3分に近い差が
ついた。しかしハンセン引き抜きで全日本も押し返し・・・
という流れかな 「プロレスブームではない。新日本プロレスブームだ」と新間が発言したのが81年
馬場は3000試合突破記念試合を2度行ったが、2度とも後楽園ホールでしか開催できず
給料の現物支給もこの頃の話
国際は倒産するし、本当にプロレス界が新日に淘汰されてもおかしくなかったのに
最後の詰めを誤った印象
>>648
>結局新日本は猪木の衰えが全てだな
特に86年に大きく株を下げた
ここらへんが単なる八百長では語れないところだね
猪木プロレスのブレーンもいなくなったし… 新日が落ち込んだ時は全日が浮上したかに見えたがそれも長くは続かす優位は維持出来なかった 新日が81年頃から優位だったのはIWGP幻想が大きかったと思う。
ファンの期待感、壮大なスケールと。
新日も当時はIWGPを上手く活用してファンの心理を煽れた。
その効果ぎあって新日ブームに火を点ける事ができた。
実際に82年頃の新日は猪木欠場も続いたり外人もシャボくなっていた、
シン、ハンセンを引き抜かれたし。
でもIWGP構想への期待感と国際はぐれ軍団、長州革命でそれを満たせた。
タイガーマスク効果やホーガン大ブレイクもあったからそれらが加味されて新日ブームを築けたから。 この頃から新日は外陣主体から日本人抗争主体になってったね。
猪木とブッチャーより猪木と国際はぐれ軍団の抗争の方が受けたし。
新間の話だと長州革命は予想外の大ヒットだったらしい。
日本人でそれだけ盛り上がるならその方が安上がりってのもわかる。
82年頃から外人の扱いが疎かになったから。
ホーガンやアンドレ以外はそこそこの扱いになってたのもわかる。
当時を振り返ればね。 >>652
猪木新日ファンにすればIWGP幻想だったかもしれないけど
世界中のベルトを統一して権威あるベルトを作るなんて
少し考えればできるわけがない夢物語で、どうやって各国のプロモーターを説得するのか?
不思議でしょうがなかったなぁw
NWAが崩壊して独自で三冠統一した全日の方が現実的で分かりやすかった IWGPが実際に始まったら「アレ?」だった
MSGシリーズよりショボくなった参加メンバー
これに賛同して移籍した設定のブッチャーは不参加
ボックも不参加
そしてヨーロッパ代表 前田日明 前宣伝効果が発揮されたと思うね。
めんがシャボくてスケールも大幅にスケールダウン。
しかし前宣伝効果で初回は連日超満員の大盛況。
IWGPというブランドがシャボさやスケールダウンをカバー。
しかし2回目からはそれは通用しなかった。 列伝の影響で「ホーガンは良い奴でハンセンやバックランドよりも強くて猪木と互角」と思っていたんで
猪木をKOした時は「"一番"になった」と喜んだ >>661
IWGPに4年連続参戦したアンドレが初来日して来日第1戦をした日でもある
調べてみると、70年1月3日岡山県営体育館「新春チャレンジシリーズ」開幕TVマッチで
怪奇派カシモドと組んでサンダー杉山&田中忠治組と対戦
1本目カシモドが杉山を体固め、2本目杉山がカシモドを体固め
3本目ロシモフが田中をネックハンギングでギブアップさせ勝利している
後のスーパースターは怪奇派との凸凹コンビ、色物として売り出されていたんだな >>654
持ってるベルトを返上は、前条件としてはいいんだけど
IWGPなんかにゃ参加しない人達のベルトまで「返上」させたのはひどい。
タッグ王座まで返上させたのはハテナ以外の何物でもなかった
当初はWWFも返上してもらうみたいに言ってた
おそらく新日が言ってただけだろうが ブッチャーがIWGP参加にあたって持ってきたカリビアンヘビー級のベルト
自伝では「誰からとったかも忘れた」とボカしてあったが
新日が用意したんだろうな >>659
このーヴァカモンがー!
初回83年の方が客入りも視聴率も高かっただろ。
84年は猪木の雪辱がテーマになってしまった。
それまでの壮大なスケールの話はどこ吹く風で飛んでしまったし。
猪木がホーガンにリベンジしてタイトル奪取できるかどうか。
しかしホーガンも大ベビーで大人気の図式変わらず。
だからホーガンが猪木の怨敵、ヒールの立場になる事はなかった。
これがファンの心理、見てる側もしっくりこなかった部分。
これがアンドレなら完全に怨敵のヒールの立場になった。
ファンも猪木への感情移入もできた。
あの大ぼうどうは起こるべくして起こったとしか思えないわ。 >>665
83年ト84年は同じ会場が多く、それらの観客発表数はあまり変わらなかったが。
全体の興行数は84年のほうが多くて、それでプラスになったと思ったが、
84年は水増し度が大きくなったか、タダ券をばら撒きしまっくったのか? >>664
カリビアンだけにボカシどころか丸見えだな >>666
そもそもが85年に第二回があるなんてのが奇怪な話
当初の構想から完全に違っている。
これは誰でも思うことだったが猪木のホーガンへの雪辱なるかが
IWGP構想なんてものより大きくなってしまったんだよね。
今、思うけども猪木ホーガン三連戦とかを三大都市でやった方がよかったかも ほんとに今更の話だが、第一回の猪木ホーガン優勝決定戦は
本来どうする予定だったのかね
クイックでホーガンからピンあたりで話がまとまっていたのか
反則かリングアウト決着しかホーガンが?まなかったので猪木がアレやったのか >>669
永島勝司の著書『プロレス リングとカネ 暗黙の掟を破った男たち』の中に
「当時、東京スポーツ新聞社の記者であった永島氏は猪木と手が合い
猪木は永島氏に『一般の新聞にプロレスを載せる方法はないものか』という話を頻繁にしていた。
朝日、読売、毎日の三大紙をプロレスに振り向かせる方策はあるのか、を猪木が尋ねるたび
永島氏は『そりゃ、事件しかない。試合では一般紙は動かない』と返答した。
試合当日、永島氏は猪木がホーガンのアックスボンバーを受けて場外に転落したとき
『あっ、猪木がやった』と思ったという」の記述がある。
M高橋は「第1回IWGPは猪木さんが優勝して、皆をハッピーにしておいて
翌年のIWGPで再びホーガンと闘って、ここでホーガンに取らせる
というシナリオでもよかったんじゃないか、と思います」と語っている。
でもまぁ、諸説ありますね。 マッチメーカー坂口のシナリオは猪木の勝ちで
高橋からホーガンにも当然伝えられるから、完全に猪木の一人芝居
結局、世間一般にIWGP及びホーガンの名を浸透させ
ファンには、八百長ではない真剣勝負だから起こりうると印象付けたんだよな
シナリオは無視され、絶対安静の病院のベッドには身代わりの啓介氏が寝ていたら
坂口じゃなくても「人間不信」「猪木不信」になるわな 猪木の考えは理解できないがまぁそれはいいとして
弟を病院に置いておくのが輪を掛けて理解しがたい
政治家ならなんたら病気をでっちあげて入院というのはよくあったけど
言われて寝てる弟もどうかと思うが病院も病院だ 83年にホーガンに負けて
84年にリベンジの予定が
したたかなホーガンはその間にWWF王者に
なってしまい、猪木はクリーン決着できず。
狂ったシナリオはさらに狂っていったな ブッチャーを引き抜いて、次のシリーズくらいにIWGPが開催できたら
ハンセン、シン、アンドレ、ボック、ブッチャー…
星の調整とか抜きにして、オープン選手権より数段凄いメンバーが揃ったのにな
しかし新間は梨元にどう説明したのやらw >>675
開催前はともかく開幕が近付くにつれて
バックランドは枠外みたいになったのが惜しかった。 81年の年末は
ハンセン、アンドレ、ボック、ホーガン、ローデスが同一シリーズに集結。
全日本にはファンクス、ブロディ、シン、レイス、シークが。
狂ってると言いたいようなメンバー >>677
興行戦争真っ只中だったからね
ハンセンは新日でお別れのハット投げ入れをして
全日に移ることになる 最近の証言だと、これほとんど
入場料収入では元が取れずに
テレビ局マネーでまかなってたらしい そらそうだろ
馬場が全日本の社長降ろされたのが同時期だし >>677
それまで年末は常連だったブッチャーの名前がここに無いのは寂しいな。 81年の秋は
ブッチャー、ハンセン、ホーガン、マードック
ファンクス、ブロディ、シン、レイス、マスカラス、フレアーが日本にいる
日経平均4万円みたいな吹き上がり方 81年の秋と年末は過去最高の外人を集結させてギャラの動きも過去。
90年頃にそんな記事があった。
この秋と年末にいなかった当時の常連は
バックランド、ニック、スーパースター、リッキー、スレーター、デビアスくらいか。 81年のMSGタッグ、ハンセンの勝ち逃げはさせなかったな >>684
ゴッチ
それともカール・ゴッチは超大物ではないかな? >>691
最後に日本で試合したのが74年だし常連とは言えないのでは
藤波の結婚式出るために12月半ばから日本にはいたけどね そもそもゴッチは翌年82年に来日したときには
すでにエキシビション扱いだっただろ あの後位にゴッチは渕に対して「私は今どの団体とも契約をしていないので全日のリングにあげて欲しい」と売り込んだ 列伝ギャグ使いたかっただけなんだろうけどピント外れてたな >>696
あれは全部梶原が考えて書いていたんだそうだ >>694
もし、1966年8月にゴッチが予定通り馬場のインター王座に挑戦していたら
ブルーザー、テーズ、コックスと防衛してきた馬場が負けるブックはなかっただろうね
そうなると猪木も後にゴッチを神にすることはなかったと思われ
新日のストロングスタイルもどうなっていたやら、、 それが運命の分かれ道だったのか。
実際にそういう試合、そういう結果は幾つもあっただろう。
逆にあの試合で負けたからそこから微妙に歯車が狂ったとか。
というか負けなければ上みたいに誰かから持ち上げられる存在になっていたりと。 馬場に敗けてるテーズは新日での扱い悪くなかったし
ゴッチがインター戦で馬場に挑戦してても
新日での扱いはさほど変わらなかったと思うけどな
ゴッチは馬場に2フォール敗けは呑まなかっただろうし >>701
テーズは馬場に負けた後に国際で草津KO、杉山、豊登に完勝して
鉄人健在を見せつけたのが大きかった気がする
しかしTWWAタイトルをめぐる試合の流れは今見てもわけがわからん
ホッジがテーズに勝って一戦してタイトル消滅って >>702
東郷を追放したからね
でも新日がゴッチ杯で全日がテーズ杯というのは何となくイメージにあってる
国際も最後はTWWAの因縁があるテーズの名に頼っていたなぁ 実際の猪木はゴッチよりはテーズの影響の方が大きそうだけど 猪木を「若い頃のテーズに似ている」と言ったのはサンダーザボーだったかな
でも猪木のへそ投げ式バックドロップはテーズ直伝なの?
ジャーマンがゴッチ直伝なのは知っているけど >>703
追放って別に東郷はTBSプロレスの人間じゃないけどな 直伝の定義がな
ちょっとでも直に教えてもらえば直伝なのか
一から始めてモノになるまで教えてもらえてやっと直伝なのか
前者なら猪木のバックドロップは間違いなくテーズ直伝だろうけど >>707
なら、新日版最強タッグの頃に指導というかコツみたいな事を教わったのかな
日プロ時代は抱え式のバックドロップだったよね 直伝ってフレーズはプロレス実況で刷り込まれた今で言うところのパワーワードだよね。
鶴田や蝶野はテーズに直接指導を受けてそれぞれがヘソで投げるバックドロップとSTFを所謂直伝されたけど、有料で指導して貰った見返りのテーズ公認みたいな意味合いだよね。
実況で聞いた馬場直伝はランニングネックブリーカーや河津落とし、ココナッツクラッシュ(田上)などだよね。
直伝ではない天龍の卍固めと延髄斬りは猪木に対する掟破りに当たるか。 天龍は猪木の卍固めと延髄斬りを批判覚悟で使ったけど
鶴田、谷津、阿修羅原なんかも延髄斬り使ってたよな
実況も普通に「延髄斬り」と言ってたし
馬場とか日テレは猪木の技使うの気にしなかったのかね 古舘はランニングスリーパーにジャンピングニーアタックと名前を変えて意地を見せたり、アンドレの18文キック呼称も馬場への当て付けだっただろうし、天龍のそれも意趣返しで許容していたかもね。 オリジナルの決め技を許可なく使用するのが
レスラー同士の暗黙のルールを破る、掟破りになるのかな?
そう考えると卍固めは猪木のオリジナルじゃないよね
延髄斬りとリバースインディアンデスロックくらいしか思いつかない
アントニオドライバーはSザボーのフロントネックチャンスリーだし
馬場は椰子の実割り、ランニングネックブリーカー、ジャイアントバックブリーカー
河津掛けを応用した河津落とし等、いっぱいあるな 流星仮面は馬場からパクったと言ってたからネックブリーカーだけでなく河津落としも
そうなんだろうな。
馬場のはランニングネックブリーカー他にジャンピングとかフライングネックブリーカー
という呼び方あった。 小川良成のチンクラッシャーはダイナマイトキッドに許可貰って使っているというインタビューを十数年前に読んだな。レスラー間の仁義はそういうもんなんだなと思った。
三沢は先に使った選手より巧ければという言い方をしていたね。 >>715
あれは酷かったな
しかも雪崩式ブレーンバスターを藤波に体を入れ替えられてフォール負け
技のイメージまで落とされた 雪崩式ブレーンバスターについては藤波のミスター高橋による介助付き式に
比べれば大抵はマシだな。 そういえば猪木も雪崩式ブレーンバスターやった事あるんだな。
84年MSGタッグ決勝戦らしいけど全然覚えて無かった。 椰子の実割りはジョナサン、スカイ・ハイ・リーが使っている。ただし脚を高々と上げて更に見栄えのするように改良している。
超長身なのに柔軟かつバランスが取れているから見栄えが良く全盛期馬場に合った技だと思う。
ジャイアントバックブリーカーはサンダー・ザボーから教えて貰ったらしい。でも首と腕の極めを教わってバックブリーカーとの合わせ技にしたのはおそらく馬場。
オリジナルだけど動きが無くてイマイチな感じ。
猪木の鎌固めはプロレスごっこでは全く効かないクソみたいな技だった。 >>718
決勝戦はマードック、アドニスだっけ?
2年連続で猪木、マードック、アドニスが決勝戦ってw >>719
そういえばジョナサンが馬場に椰子の実割りしているのを見た記憶がある
全盛期の馬場は左足の振り上げが高かったから破壊力もありそうで
見栄えもジョナサンやアンドレよりカッコよかった。
この技が出ると調子が良いと、決まってアナウンサーが言ってたのを思い出した。 >>720
シングルのほうは3年連続で猪木VSハンセンガ決勝。 だけど藤原も数年前まで前座レスラーだったのに猪木とタッグを組んでタッグリーグ優勝って
なんのかんの言って光栄だっただろうな 日本プロレス(ワールド大リーグ)
第1〜5回=力道山、第6〜7回=豊登、第8〜10回=馬場
第11回=猪木、第12〜14回=馬場
国際プロレス(ワールドシリーズ)
第1〜2回=ロビンソン、第3回=ロシモフ
第4回=小林、第5〜6回=木村
新日本プロレス(ワールドリーグ)
第1〜2回=猪木、第3〜4回=坂口
(MSGシリーズ)
第1〜4回=猪木、第5回=アンドレ
(IWGP王座決定リーグ)
第1回=ホーガン、第2〜5回=猪木
全日本プロレス(チャンピオンカーニバル)
第1〜3回=馬場、第4回=ブッチャー、第5〜6回=馬場、第7回=ブッチャー
第8回=鶴田、第9〜10回=馬場
日プロ時代は必ず団体のエースが優勝していて分かりやすい。
猪木の優勝はNET参入のご祝儀的なところもあるのかな?
新日時代の坂口やアンドレの優勝は猪木の棄権だから何とも、、 >>724
86年ジャパンカップはファン投票だったけど、本当だったのかな?
UWF内で最強決定戦をやらせたり、アンドレに仕掛けさせたり
新日がUの信頼関係を潰して、体よく飼い慣らそうとする意図がみえるんだよな
だから藤原も前田らの暴走を抑えるため、自らの感情を抑えて
猪木とのタッグ結成を呑んだと。
あの年の猪木と藤原のタッグをファンも望んでいたのか不思議でならなかった ファン投票で思い出したが、長州が新日にUターンしてのTV復帰戦で
長州のシングルの相手を藤波か前田かコイントスで決めたのがあったな
高橋のコイントスで藤波になって、前田が何もしないで帰っていく光景が笑えた 前田がTシャツ姿に練習用シューズで明らかに「俺じゃ無いよ」感出してたなw 古くは第13回Wリーグ決勝やファンクス兄弟対決の抽選、そのコイントスも
事前に対戦カードは決まってたんだよね
綱引きマッチのカードもあやしいなぁw 当り前だがプロレスの抽選は全て事前に決まっている
以前サッカーのブラッター元会長がCLの抽選にはイカサマがあったと暴露していた
たしかにあれは妙だ
いつもPSGが一回戦で強いクラブに当たる 高橋のコイントスはトスしてなかったよね?
しかも高橋しか見てなくて「藤波!」と指名だったような
綱引きマッチはあらかじめ引く綱が決まってたらしい
対戦相手のくじ引き抽選は、71年Wリーグは猪木の名前
81年インター挑戦者はテリーの名前しか書いてなかったみたいな これが出たら藤波、とか示さず
高橋がコインを手の中で開いて「藤波!」って指さしたんじゃなかったかな
当時ガキだったが、前田ははじめから無かったんだろうなとは思った まあ子供心に綱引きやくじ引き、コイントスなどはやっている感は感じてはいたよね。 あそこで「前田」ってなってたらどうなってたんだろう?
歴史のif 当時の長州と前田だったら両リン、反則決着だったら受けてたかな
いずれにせよあのタイミングで当たるのはなかっただろうけど
綱引きマッチだったら、ブラックキャットがマサに間違えて手錠かけたように、
誰かが間違えて違う綱引っ張っちゃうアクシデントかあったら面白かったな >>735
あの時マサは手錠で繋がれたまま海賊と一旦引き上げて行ったが
控室でシバいたんだろうなw
ネコの大失敗で試合の落としどころが皆わからなくなって暴動騒ぎになった
綱引きで仮に間違えても試合前だから
高橋の囁きでなんとかなるかもだけど、大阪城は試合中だからなw >>736
SKと違ってマサはそういう凡ミスには寛容だよ
裏でどうこうじゃなくで本当に腹立ってボコるならその場ですでにボコってるw >>736
いくら日本語が堪能とは言えあんな役をクロネコにやらせた人が悪いわ >>734
高橋が間違える以外にそうなる可能性はないけど
なったら長州、藤波、前田の三人とも「えっ?」って動き止まるだろうなw >>738
この頃はまだ日本語はカタコトだったとか、 今日は馬場の生誕記念日!
1938年1月23日一雄・みつ夫妻に次男正平が生まれる。
78年1月23日MSGで藤波がエストラーダを破りWWWFジュニアヘビー級王座獲得
84年1月23日MSGでホーガンがアイアン・シークを破りWWFヘビー級王座獲得
87年1月23日人吉の熊本旅館破壊事件 >>740
身振り手振りまじえて
「イノキさんに手錠をかけてボコっちまえ いいな?」
俺ならロシア語でもニューギニア語でも間違えない自信がある 今夜BSで平成プロレスの対談やるみたいだけど
自分が夢中で見ていたのは「三銃士」「四天王」のこの頃までだな
BIはとっくにエースじゃないが影響力はあった。
BS-TBS pm23:00〜23:54
[X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏▽平成プロレス編]
MC:カズレーザー
立会人:金沢克彦
関係者:武藤敬司、小橋建太、辻よしなり 平成プロレスの語り手として辻が出てくるのは抵抗あるな
古舘の醜悪な部分だけを模倣したような実況スタイルが嫌いだった 雪が積れば思い出す、84年札幌テロ事件と68年猪木のインタータッグ王座返上 百田光雄が誤嚥性肺炎から回復に向かってるらしいが
64年「週刊明星」で馬場の結婚報道が出たときのお相手が本当に力道山の長女
百田千恵子さん(義浩、光雄の姉)だったら、その後の運命やプロレス史も変わっただろうな
もっともこのデマを流したのはエースの座を渡したくなかった豊登一派らしいが… 渕正信
――「王道ブルース」の中に「幻のモハメド・アリ対ジャンボ鶴田」の話が出てきますね。そんなことがあったのかと驚きました。
「そういう話を知っている人も少なくなってしまったんだよね。この本を書いた動機の一つには、馬場さんが亡くなった後、あることないこと言われることが多くなった。『馬場さんはこうだった、ああだった』といっても、馬場さんに直接聞いたと思えない話も多い。だから『俺が馬場さんから聞いたのはこうですよ』と残しておく必要もあるなと思った」
――なるほど。
「話を戻すと、本の中に『アリ対ジャンボ鶴田』という構想があったことを書いたけど、本に書いていない話として『渕とアリをやらせよう』という話があったんだよ」
――ええ! 渕さんがモハメド・アリと対戦!?
「そう(笑)。本に書いたように、1976年6月にアントニオ猪木さんがモハメド・アリと対戦する前年に、当時の日本レスリング協会の八田会長から馬場さんに『鶴田とアリをやらせてはどうか』という話が来た。その話は、馬場さんが『鶴田とはやらせられない』と断って消滅してしまった」
――そうでしたね。アメリカのプロモーターと親交の深い馬場さんが「アリ招聘のリスクを考慮して断ったのだろう」と渕さんはお書きになっていましたね。
「それで、これは後で鶴田さんから聞いた話だけど、八田会長からは『アリはプロレスが大好きでよくテレビで見ているけど、プロレスの試合をした経験はない。だから、鶴田とやる前に渕あたりと乱取り(スパーリング)をやらせたらどうだ』という提案があったというんだよ」
――ええー! もし『アリ対鶴田』が実現していたら、その前に『アリ対渕正信』があった。
「そう。『アリ対鶴田』が無くなったから、俺とアリのスパーリングの話も無くなったけど、あとで鶴田さんに『実は、俺とアリの試合が決まったら、その前にアリと渕でスパーリングをやらせよう、という話があったんだよ』と聞かされた時は、武者震いがしたよね(笑)」 >>749
ブックありでちゃんとプロレスやろうとしてたんだね。 >>749
馬場はアリ戦のリスクを知っていたから莫大な借金が残って世紀の凡戦と騒がれていた猪木を
一切批判しなかった。
それどころか「猪木は大したものだ。やったことは凄いことなんだよ」と当時語っている。
ただ76年のNWA総会ではアリ戦を酷評したドン・オーエンから
「猪木に黄金のナイフを送ろう」(切腹せよ、の意)と皮肉を言われている。 実現してもアリvsモンスーン戦みたいなプロレスだろうし、馬場が大して旨味もない鶴田アリ戦の高額ギャラなんて出すわけないじゃん 今日はスナイダーとホッジからインタータッグ奪還の日
前日の大木とのアジアタッグに続いて猪木として無冠から一気にタッグの二冠王だったんだよな >>753
やったからと言って猪木みたいに伝説になったわけでもないのにね
鶴田ヲタは頭がおかしいからこれが誇り、というより猪木を下げるネタだと思ってるみたい >>755
> やったからと言って猪木みたいに伝説になったわけでもないのにね
やってもいうないのに決めつけるのもおかしいぞ。
> 鶴田ヲタは頭がおかしいからこれが誇り、というより猪木を下げるネタだと思ってるみたい
そういう書き方をしてる奴いたか? 論外も何もそもそも鶴田が凄いとかそういう話じゃないのに、何でわざわざ対立を煽るような事を言い出すかなぁ >>758
その通り、鶴田が凄いとかの話でもなんでもない、ただそんなエピソードがあったってだけの話
他所のスレで「だから猪木より鶴田の方が凄い」という意味のわからないことを延々と繰り返している老人がいる >>759
> 他所のスレで「だから猪木より鶴田の方が凄い」という意味のわからないことを延々と繰り返している老人がいる
それをここに持ち込んで対立煽ることないだろ。
他所のことは他所で解決しろよ。 73年蔵前でファンクスのインタータッグに挑戦した鶴田を見た時は
早い段階でBI砲を超えるんじゃないかと思ったが、その試合だけだったw
BI砲の場合、たとえ負けても安心して見ていれたんだよな。次やれば必ず勝ってくれると
それになんと言っても絵になる。 >>760
他所からわざわざいろんなスレに貼りに来てるバカに言ってあげて >>761
昭和全日本のインタータッグはまさに登竜門だったな >>762
反抗期のガキじゃあるまいし"クソ爺い"なんて書き込みしてる時点で
あんたが嫌われて笑われていることに気付きなよ
胸糞悪いわ 猪木の最初のアジアタッグの返上時期は曖昧だったが昭和プロレスマガジンでの記事によれば12月の最終戦の後か 昔だったら圧倒的に馬場と猪木だったよね。
でも死後だいぶ経ってる馬場の一般的認知度はまだあるだろうか!? >>771
馬場も話題がでると猪木の名に付きまとわれるし、逆も同じだろうな
その次の世代の知名度はどうだか? >>770
タイトルを返上して上位のベルトを狙うというのはプロレスだけだろうな
メインへの登竜門といえば聞こえはイイが
自ずとアジアタッグがインタータッグより劣ることを公言してるようなもんだし
ボクシングのように階級制だったら価値も変わらないと思うけど、、 狙うというか馬場も猪木もインタータッグ獲得後にアジアタッグ返上だろ
上位のベルトを狙ってタイトルを返上は90年の三沢だけでは >>775
ボクシングでも世界に挑戦する際は日本王座やOPBF王座などのローカル王座は返上するでしよ >>776 >>777
すまん、ごもっともでした。
日プロではBIも坂口もアジアタッグが初めてのベルトになるんだなぁ
馬場最後のタイトル挑戦もアジアタッグだったか 三沢にしても87年にPWF世界タッグ獲得済みだったな >>779
俊二と仲野もアジアタッグの前にインタータッグやPWFタッグに挑戦済だったな >>776
但し猪木の場合は後にアジアタッグに返り咲いて日プロ追放まで二冠王だからな
むしろ最初の戴冠がインタータッグ前の腰掛けっぽい >>776
鶴田もUN返上して、
インター取りにいっただろ そして最後は初奪取のPWFと共に再戴冠して三冠統一 関係ないけど、銀座の三愛ビルが解体され建て替えるらしい。
三菱ダイヤモンドアワー「日本プロレス中継」のオープニングと
BI砲の全盛期は重なるんだよな〜 建物と言えば後楽園ホールの長寿が地味に凄い
2000年にできたディファ有明が今はもう無いのに プロレスでは日大講堂も51年力道山のデビュー戦から77年全日の最終興行まで長かった >>788
建物としては旧両国国技館の頃から約70年使われてきた。 >>788
最後がロビンソンと鶴田のUN戦
渕によれば同カードのベストバウト あの幕引き興行は77年の3.11だったんだな。
ロビンソンが時間切れでUN王座を初防衛して
フロリダで鶴田が奪回するわけだけど、ブッチャー乱入のあの試合
裁いたレフェリーはアンドレ×前田戦のフレンチ・バーナードだったんだな >>787
ディファ有明としてオープンしたのは2000年だけど、建物自体は前身はエムザ有明を改修してのオープン
エムザ有明も倉庫を改修してオープン
最初の倉庫は1970年代に建てられた 猪木は純粋なプロレスラーとではなくて、議員活動やビンタする変なおじさんというイメージが後期に重なって、
純粋なプロレスラー猪木はからは若干ずれちゃったのが残念だ 「ダァー」の前にカウントするのも闘魂ビンタも政治家になってからだな >>796-797
田中角栄が田川誠一について
「僕と同い年であんな純粋な青年みたいな事を言っていられるんだから本当に羨ましい」と言っていたが
融通もきかない、プロモーターの言う事も聞かない、その癖プロレスは下手くそなレスラーについて
呆れているようにも聞こえる 猪木はカテゴリとしては何だったのか?
元プロレスラー、元政治家というのは周知の通りどけど。
タレント、コメディアン、プロレス評論家、こういう表記は見た事ある。
にしてもプロレス評論家ってw つーか政治の八百長の場合、普通に有名番組でキャスターがプロレスって言うよな
プオタ以外の全国民にはプロレス=八百長で通じる >>798
小沢一郎と前田なにがしの揉め事もあったなぁ(笑)
猪木以降も政界進出するレスラーいたけど
そもそも力道山も出馬する噂があったみたいだね >>801
八百長は結構だが誰もが出来る安易と誤解すると死人が出る >>800
お前が何を言いたいのかわからんが、政治家になったレスラー以外は皆「スポーツ・芸能」の人だよ
プロレス評論家の何が草生えるのかも意味不明 以前、石原都知事は大相撲八百長問題が出た時に
「あんなものは昔から当然」と語っていたな。しかも相撲は「国技」を名乗っているし
プロ野球にも黒い霧事件というのがあった。
プロレスは八百長だけど、金銭授受は絡んだことはないと思うし(絡みようがないw)
ろくすっぽ見た事がない連中にまで「プロレスだから」とか
いちいちプロレスを引き合いに出してほしくないよな
猪木が「プロレス市民権獲得」を謳い八百長と呼ばれることに過敏に反応したツケかな?
ちなみに観客から入場料をとるプロの興行は全てショービジネスで
国税の事業区分は娯楽・サービス業に属している。
プロレスは八百長でありショーだけど「受け」の凄さを競うエンターテイメント
金を払ったぶんだけ楽しめればいい。
かつて馬場が言った「プロレスはプロレスである」は重いと思うな。 八百長呼ばわり嫌ならカミングアウトしたら済む話
ものすごくシンプル 原則ガチで八百長が例外としてあるのと、全試合の結果が決定済みなのとでは全く違うでしょ >>809
八百長がバレたら追放される業界と八百長を無視して仕掛けたら
干されたり危険人物扱いされる業界w
プロレスは台本があるから安心してリングに上がれるんだな。
だいいち真剣勝負で過密なシリーズこなせるわけない。 同時に相手の技量や人間に信頼が無いと出来ない世界でもあるんだよな
相手を潰しても構わないガチな世界の方がよっぽど楽 ザ・キウィズ、シープハーダーズのブッチ・ミラーさんが亡くなったらしいね。
一応、新日ノーテレビ時代最後のエース(ザ・タイガー)だったのかな?
坂口加入直前で、倒産寸前だった頃の新春シリーズ
B級レスラー相手に猪木がどう戦ったのかは興味ある。
同時期に全日に来日したジョナサンやスナイダーのような一流レスラー相手だったら
猪木も安心して試合を組み立てられると思うけど
二流(後にWWE殿堂入りだが)をどう光らせることができるのかは猪木の力量次第だからね
あと>>815の自己レスだけど、明日の18:00から再放送があるみたい
元気な頃の馬場に会えるw おとぉーちゃんだがにゃや。
上田もこの時期に入門してる、しんが、そんでも馬場や猪木の影に隠れてしまっていたかんが。
上田も身体は大きかったけんが、しかし当時は余り期待されてなかったとの事、だがなや。
相撲出身って事で期待されててもおかしくないと思う、かんが、でも期待感は薄かったけんがな。 73年の今日は、日プロ最後の「アイアンクローシリーズ」焼津大会
インタータッグ王者コンビの大木&上田組がエリック&クラップ組に
理不尽な判定で敗れベルトは海外流出
この時に大木・上田が防衛していれば、半年後の全日蔵前はどうなっていたのかな?
王座を空位にして馬場・鶴田組との決定戦も見たかったが
創立1周年で空席が目立ってもなぁ >>820
大木のインターシングルを無視したようにインタータッグも無視して
PWFタッグの王座決定戦でもやったんじゃないか。
日本代表馬場、鶴田組対アメリカ代表ファンクスみたいに。 PWF世界タッグは84年に新設したけど、必要性感じたことなかった >>822
通常のシリーズでは、それぞれ単独エースとして使いたいため
最強タッグ以外は年に数回しか組まないと想定した
ハンセン、ブロディ組用に用意したものだからな。
ブロディが新日に引き抜かれたために必要なくなった。 全日はタッグを重視する団体だと思ったけど、オープンタッグ・最強タッグが出来てから
タッグ王者と年末タッグリーグ覇者の位置づけが分かりにくくなってきたな
いつしか王座を返上して優勝コンビが新王者に認定みたいになったけど、、
まぁ、インタータッグとPWFタッグじゃ歴史や名勝負の多さからいっても
BIが巻いたインタータッグの方が断然上だよ。 >>824
歴史を振り返ればそうだが
元々はインタータッグよりも上位の王座として作られたんだけどな。
ブロディが全日からいなくなったことで曖昧になってしまった。 >>825
その後の扱いみてると、デビアスを王座決定戦もせずに王者に認定してみたり
他にもあったと思うけど、雑になっていた。
ほんとハンセン&ブロディ用の為のタイトルというのがよく分かるな。 馬場はプロレスしてたけど猪木には流れがなく下手くそな感じだった
新日もnWoあたりからWWF化し始め総合やK1では全く相手にならないストロングスタイルを晒してしまった
結局プロレスというショーを上手く表現できなかった猪木とそれを支持した猪木信者によって日本のプロレスは駄目になった >>829
78年頃の猪木とテリー、82年頃の馬場とホーガンの試合も見たかったよ。 >>827
なんとなくふーん、となるけど「総合やk-1で全く相手にならない」って、戦績見るとそうでもないねえ、嘘吐き
全日を通ってから総合やった谷津、高山、杉浦の方がずっとヤバいのでは
杉浦なんてアマチュアで輝かしい成績だったのに空手家にもやられちゃって >>827
ストロングスタイルって単に強く見せるだけのスタイルだったからな
馬場がいなくて猪木も引退後だけど、三沢・力皇×小川・村上の試合が
一番、BIプロレスの違いを表している気がする。 >>825
ブロディ離脱で封印するかと思ったら、数年続いて世界タッグへ統合。ハンセンのための忖度だったのかしら。 >>833
インタータッグは長州・谷津が巻いてたから
そうなんだろうな。 猪木 対 ゴディ
馬場 対 ベイダー
これは見たかった。
そうほうがこわされるのではないかとヒヤヒヤしながら。
特に猪木とゴディの試合は。
ベイダーは馬場のチョップに大きくのけ反るセールしそう。 >>835
ベイダーは98年からだからな、、
もう4年くらい早く全日マットに来てくれてたらタッグでは実現しただろうね レオンホワイトで全日本参戦計画あったみたい。ジョバーの可能性あったかも。 所属する選手やフロント、プロモーターや来日する外国人選手達もみなプロレスはエンターテイメントでありショーであると認識していた。
ところが自分だけが目立ちたい阿呆の猪木はスキあらばセメント仕掛けてアピールしてやると思ってたんだよなぁ。
それに騙された新日ヲタが哀れで草 >>837
ベイダーは国内デビューが子供騙し過ぎて、いかにも造られた感があったから
IWGPを巻いてもそんなに凄いレスラーだとは思わなかった。
自分的には新日の東京ドーム大会でハンセンと対峙した試合から
ブロディ、ホーガン並みの凄玉だと思った。 >>838
冷静に見てリング上の猪木はとにかくカッコよかったからファンになるのは分かる。
でも馬場や国際軍団を悪のように仕立てあげ、異種格闘技等を通して
単なるファンから猪木信者になった人が厄介なのよ。
信者は洗脳されてるから何をいっても無駄です >>840
今、鶴田スレで暴れている人いるけど、ここくらいかしら。昭和新日本スレでも、信者は見かけないし、馬場鶴田にマウント取るだけが精一杯。 >>841
エンターテイメントなのに、今でも鶴田最強!と毎日朝から晩まで発狂し続ける君たちが哀れなのだけど。 PWFが認可して天龍プロジェクトが認定するUNタッグ王座の新設ってw
未だにこんなことが通用してるのか、、、 わざわざ「PWF認可」を付けた所にディテールへのこだわりを感じられて良いと思うけどな UNならNWAだろ
こんないい加減なこだわりがあるかよ 猪木の頃はどこ認定?
日本プロレス(JWA)?それともWWAになる? >>848
日プロ時代も全日時代もNWA会長が立ち合ったことあるから"NWA認可"で
猪木×マードックのUN戦を見返してみると
認定宣言で門茂男が「日本プロレス(JWA)認定」と言ってるのが確認できる。
全日では当然、PWF認定よね。
でも、元々はNETが買い取ったようなベルトだからNET認定でも良くね(笑) >>850
て事は正しく読み上げるとすると、
JWAが認可し、朝日テレビが認定するユナイテッドナショナル選手権
チャンピオン・アントニオ猪木、挑戦者、、、
となるのかな。 >>851
>>850がNETって正確に書いてるのに
何でわざわざ朝日テレビって間違ったことを書くの? NWAは加盟したら世界王座を名乗れなかったけど
AWAと提携してた時の国際のIWAやインディアナポリス版WWAに
世界を名乗るな!なんて聞いたことがないな 別スレで読んだが新日がNWA加盟後にNWF世界タイトルマッチをしたことがバレて
「除名すべきだ!」と問題になったらしい >>854
あれは当時馬場派だったマツダがNWA総会で新会長エディ・グラハムにチクったみたい
もちろん馬場の意向(指摘)だろうが。
しかも新日本の興行用ポスターを提出して
「猪木はNWAのメンバーになって1年経つのに未だに世界の二文字を削除していない。
ルール違反だ」と糾弾
新日側はアリ戦も終わって世界に拘る必要もなくなって
ソウルのパク・ソンナン戦から世界を外したようですよ。 ヒロ・マツダっていうのはアメリカ人以上にドライだしビジネスライク
アメリカ人を上等と考えアメリカ人みたいになりたいとアメリカ人みたいに振舞ってるうちにああなってしまったんだろうな
シャチ・横内もその傾向はあった
実際はアメリカにも人情はいるし金と同じくらいやりがいなレスラーも散見する
じゃないとギャラが同じで他団体に行かれると困るので首にしないで飼い殺しにされてるレスラーが不満を述べるわけがない >>856
サンマルチノは映画ゴッドファーザーで描かれた
「ファミリーを裏切る奴は許さない」の昔気質のイタリア人そのものの人らしい
ドン・デヌーチが「白紙の小切手を見せられて「好きな金額を書いていい」と言われても
ブルーノはニュージャパンに出場することを拒否しただろう。
彼はそういう男だった。」と言った位。 しかしサンマルチノは馬場のことをろくに覚えていなかった そもそも馬場はサンマルチノと直接流暢に会話できるほど英語できないらしいな
サンマルチノ本人が言ってたが、お互い若手のアメリカ時代はもちろん
全日にサンマルチノが参戦した時もジョー樋口介して会話してたと >>858
本人が言ったのでなく、勝手に想像されただけだな。
サンマルチノはそもそも全日本にも滅多に来なかったし、単に海外にあまり行きたくなかったのだろう。 >>861
> サンマルチノはそもそも全日本にも滅多に来なかったし
そりゃニューヨークの人気ナンバーワンだったから
なかなかニューヨークを離れられなかっただけだ。 それにしても"人間発電所"と"鉄の爪"は妄想膨らませるいい異名だと思う。 サンマルチノってセミリタイアして
たまにWWFのリングに上がるみたいなことやってたよな
その時期は全く日本に来てなかった
それが海外行きたくなかったのか、セミリタイヤだから海外行く気なかったのか知らんが >>864
レトロ企画の流れか覚えてないけど、馬場の30周年に呼ばれてたな。 ブルーノは10周年の蔵前大会が日本では最後と言っていたからね。
敢えてそれを貫いたのだろう。
馬場・ブルーノvsハンセン・ブロディとか見たかったけど。 現役レスラーとしてではなくBIのデビュー30周年の頃は往年のライバル達がやって来たよね
全日は89年のオールディズ・バット・グッディーズから始まって
ジョナサン、(ブラジルが中止になり)コワルスキー、イアウケア
90年のキニスキー、サンマルチノ…
新日は90年9月30日横浜アリーナに現役含むグレーテスト18クラブの面々
その日行われた記念試合が、全日が馬場・ブッチャー対アンドレ・ハンセン戦
新日が猪木・シン対ベイダー・浜口戦という
共に団体のトップヒールだったブッチャー&シンと組むという
まるで馬場猪木が打合せしてるようなカードだった 互いに相談したらしい。
本人同士ではなく代理人同士で。 結果論!全日はNWA王者を独占しないで、一年おきに新日にも派遣を容認していた方が
馬場にとっては良かっただろうな、、
先ず猪木を独自路線に走らせなかったろうし
NWAの性質上、簡単には王者になれないんだし
ドリーが初来日してBIが連日挑戦しても勝てないことから
日本におけるNWA幻想が急激に膨らんでいった気がする。 >>869
互いの団体でギャラ釣り上げが発生してPRIDEみたいにギャラ高騰から立ち行かなくなったんじゃないかなぁ
猪木は確かに独自路線出来なくて(する必要なくて)あれ程のカリスマにはなってなかったかもだけど 70年代前半の新日の経営が実際より楽になるぐらいで
あとは大して変わらなかったと思うけどな
アリ戦に端を発した異種格闘技路線だって、
外人レスラーが充実してようがいまいがやってたと思うし >>866
プロレスは八百長だから結果も内容もどうとでもなるんだけど
サンマルチノが当時のハンセンブロディ相手に歯が立つイメージがわかない
試合してもやはり圧倒されて良いとこなかったのではないかな 地方でブロディVSサンマルチノのシングルあったんだよね?
どんな試合だったんだろ >>873
昔、素人撮影の動画をYoutubeで見たけど、場外で延々と追いかけっこしてたよw
横浜文体だったと思うけど、結果短時間の両リンで両者傷つかない終わり方
その日のメインはテリーがフレアーに挑戦したNWA世界戦
そういえば町田の旗揚げ前夜祭のメインが
馬場・杉山対サンマルチノ・テリーだった。 プロレスのサンマルチと
ボクシングのロッキーマルシアーノは
東部のイタリア系マフィアのお気に入りだからな
扱いが段違いよ サンマルチグラハムの時代のパワーファイタ―とハンセンブロディ以降とでは断絶が大きい
特に日本では >>872
イメージがわかない試合はやらない方がいいよな
次第のエース候補だから格上に寝てくれと頼んだ試合で思い浮かぶのは
テーズ対草津戦とバレンタイン対高千穂戦
テーズは拒否して、バレンタインはリングアウトならと承諾…
プロとしてどちらが正解なのか?
まぁバレンタインの場合は帰国前の試合だからベルトを返すのは掟なのかもだけど
番狂わせにも程があるわw 出典は門茂男の本だったか日プロ幹部がバレンタインに坂口制裁を頼んだとか
返り討ちに合うだけだと思うが… 柔道日本一を制裁できそうな奴っていないでしょ
桜田が大城を日プロ最後の試合でボコボコにしたのは
それだけ差があるって普段からわかっていたからだろうし 80年のMSGだったかアンドレがカタい攻めやって
坂口が戦意喪失しかけたのあったな 坂口も実績や見た目、当時の知名度は大エースレベルだったけど相撲で言えば大関で終わったね
あのまま日本プロレスが続いていたら馬場猪木レベルになったのだろうか
試合が馬場猪木程魅せないし技が大物外人をピンフォールするにはイマイチだったな 大エースレベルというか力道山馬場猪木レベルの大エース足りえるといった方が正解かな
技が物足りないというのはネックハンギングや片エビ固め、アトミックドロップでエース級の外人を、
ギブアップさせたりピンフォールしてもなんだかなあって感じと言えば伝わるかな 坂口は外連味が足りない
トップで客を呼べるレスラーは無理だろ >>882
あの頃の坂口は猪木とNWAタッグリーグ制覇
馬場との東京タワーズでファンクスからインタータッグ奪取(この二つは箔が付いた)
UN獲得後にはシーク・レイス・キニスキー等に防衛とエースの階段をのぼっていたけど
BIが抜けた日プロに留まっていても、人気も視聴率も低迷して
国際王者時代の小林レベルだったと思うよ。
一連のゴタゴタや試合結果が想像でるようになったプロレス界は冬の時代に突入していたし
かつての成功体験に縛られてマンネリ路線を変えようとしなかった馬場全日もいまいち
唯一危機感をもってファン心理の変化を掴んでいた猪木新日だけが徐々に業績を伸ばしていった。
卑怯な手も使ったんだけどね… 全日は馬場が全盛期を過ぎていたのが痛かった
巨人症の人間が30過ぎてもあれだけ動けただけでも凄いことではあるけど
鶴田もじっくり育てている時間がなかったのがな プロレス入門に馬場選手は身体を動かす事が大好きですて書いてあった。 馬場はゴルフとか好きだったようだな。練習は全くしないが。 昭和46年で馬場はプロレス雑誌買ってる様な人からは人気なかったようだね
既に猪木の人気や評価が高かった 昭和46年で馬場はプロレス雑誌買ってる様な人からは人気なかったようだね
お茶の間や興行での人気はともかく雑誌等では既に猪木の人気や評価が高かった セーム・シュルトは30代後半にトーナメントで優勝してることを思えば
糞(ババ)は単なる運動不足 昔と今は違うんじゃないか?
同じ年齢でも貫禄どころか肌の色つやが違う
共に30前後だった5番目の刑事の原田、ゴールドアイの若林豪みても今の人なら45歳くらいの貫禄や老成さがあるもんな
ボクシングでも27歳くらいで凄いロートルって言われてた。
いま27歳のボクサーだと余程早熟だったの以外全然伸びしろがある。 たった二三十年程度で変わらねーよ
糞(ババ)は単なる運動不足によるコンディション不良 ワッチョイどころかID消してる人は相手にしないようにw 構わないように
ワッチョイ付きのスレで全部消したら逆に特定の人として浮き上がる
そんな事も解らない様では頭弱そうだしね >>891
昭和46年は猪木の絶頂期
プロレス界の主流もそれまでの剛から柔への転換期だったし
週2でテレビに出て倍賞美津子とド派手な披露宴
プロレスファン以外にも知名度を得て人気面では馬場を越えてただろうね
年末地獄に堕とされるけど、、、 Gスピだと、日プロの猪木は、後年の佐山タイガーに近い存在だったとか? 時系列でみると3月マスカラス&アリオン組とインタータッグ防衛戦(現存する最後のBI砲映像)
直後にロスでUN王座獲得、5月Wリーグで馬場に挑戦表明(これ以降BI砲がギクシャク)
その後コロフ&サベージ組に両リン含むスカッとしないインタータッグ
秋に豪華な挙式からクーデターと続いてファンクス相手に無気力試合でBI砲解体
日プロ追放除名されるんだけど、後年の佐山タイガーに似てるかなぁ? 門茂男の本のブッチャーのインタビューだと
ブッチャーの日プロ来日の時点だとまだ
「猪木はアマチュアな男だ。どこの会場でも馬場の方が人気があった事は
猪木にもわかっていたはずなのに・・・」という状態だったらしい >>896
猪木の知名度が上がったのは東京・大阪・福岡に限ってだろうな。
地方だと馬場どころか坂口や小林より知名度が劣る。 >>883
坂口に大技があればって良く聞く気がするけど。
どんな技なら良かっただろう。
STOは、当時の日プロでは地味だろうし。坂口といえばボストンクラブだけど。
エースとして豪快なフィニッシュがあれば歴史が変わってたかもね。 >>901
STOは大外アレンジだけど。一本背負いのアレンジができてれば… アトミックドロップの持ち上げ方で高々と持ち上げて、クルッと持ち変えて開脚パワーボム。
って妄想してみた。 >>900
地域によっては小林に劣る所はあっても、坂口に劣る所は無いだろ。 >>901
坂口は腰が悪いのが致命的なのよ。
万全ならハイジャックバックブリーカーなんか見栄えもよく豪快なんだけど
柔軟性もないから一時期フィニッシュに使っていたブレーンバスターもいまいち
自分は地味だけどコンビクトを失神させたスリーパーを極めて欲しかった。
ガニアやルーインのように坂口のスリーパーが出ると試合終了みたいなね 猪木の後に坂口をNETのエースにしようとしたが
しょっぱくてダメだったって話
ttps://number.bunshun.jp/articles/-/853149?page=2
猪木追放後、新たな“NETのスター”として坂口征二を擁立。
日プロ幹部は、猪木より身体が大きく、柔道日本一の実績を持ち、マスクもいい坂口なら、
すぐにでも猪木の穴を埋めることができると考えていた。
しかし、坂口と大木金太郎中心となったNET『ワールドプロレスリング』の視聴率は急落。
それまで平均15%あった視聴率は、1ケタ台を記録するようになってしまった。
猪木のスリリングで刺激的なプロレスを見慣れた視聴者にとって、坂口や大木の単調なプロレスは、あまりにも退屈に映った。猪木の代わりができるレスラーなど、日プロには存在しなかったのだ。
この視聴率急落に慌てたのは、もちろんNETだ。下がり続ける視聴率に歯止めをかけるべく、
日プロに対しエース・馬場の登場を強く要求した。これを受けて日プロの芳の里社長は、
日本テレビに対して「馬場のNET登場容認」を願い出るが、日テレ側はこれを断固として拒否。
逆に「もし馬場がNETに出るようなことがあれば、ウチは日本プロレス中継から手を引く」と通告してきたのだ。 とはいえ、坂口加入があって、NETが新日本の中継を開始したので、面倒かも。 >>908
坂口は日本プロレスの人間では珍しく唯一まともな感覚を持っていた
「このままでは団体が潰れる」と新日との合併をまとめようとしたからね 坂口は、旭化成時代の借金(飲み代?)がデカくて一般社会ではアレですが、この業界ではマトモな人でした・・・。 坂口は温厚な常識人で通ってるが若い頃の面構えなんか見ると結構やんちゃな気がする >>902
死ぬ(笑) 一本背負いは事故の話よく聞くますね >>908
坂口加入が仮に無くてもNETは日プロを切って新日を中継してたと思うな
猪木坂口の二大看板の方がいいんだけど、あくまでNETは猪木が欲しかった気がする。
嫌気がさしてもプロレス中継撤退はなかったと思うし… >>912
ですよね…(笑)
ケンスケさんが逆一本背負いなんてやってたけど印象薄いし。当時、柔道部の友達は「あんなんマジでやったら腕折れる」って言ってたわ。
あと、ゆで漫画で二本背負いってあったね。 坂口が纏めようとした合併を大木が潰したが
屁理屈を言っても本音は「合併したらインターナショナルタイトルを猪木に渡すことになってしまう」
「ようやく手に入ったエースの座を手放したくない」じゃねえかと >>915
大木の言い分は正論だけど、このままではNETにまで見捨てられ
あなたの尊敬する力道山が興した会社が倒産すると思わなかったのかな?
椎名悦三郎が取り持って芳の里と猪木は和解してたのに
大木の反対で選手会まで態度を変えるんだから救いようがないわな >>918
猪木追放の後遺症なんだよな
後で猪木に報復されるだろうって 正論もなにも単に自分達では客呼べない、テレビ局も去ってしまうから
猪木、もしくは馬場に頼ろうって流れだしな
大木達が何か口出せる余地はないんだけど、態度だけはデカかったみたいだな
日プロ残党が全日に吸収される話の時も、残党は当然のように対等合併だと考えてたようだし 坂口が言うには日プロ末期にはもうギャラ遅延が始まっていた
日プロ時代は馬場とは仲が良かったが麻雀もしない猪木とは接点がなかった
マサ斉藤の仲介で猪木に会って合併について話し合った
猪木は芳の里の会長就任もあっさりとOKしてくれた 合併計画を潰した黒幕は、実は日テレ&馬場という話もあるんだよな
新・日本プロレスは猪木が社長、坂口が副社長
エース猪木がインター王者、坂口がUN王者、猪木&坂口がインタータッグ王者
これが規定路線で間違いないと思うけど、両インター王座を猪木に持っていかれて
一番困るのは馬場。大木が保持している分にはまだ取り戻す可能性があるが
猪木&NETに渡ると全日にくる可能性はゼロに等しくなる
PWFのシングル王座は設立したがインターシングル王座には未練があった筈・・・ ・・・タッグ王座は何故か大木の反乱以降海外流出してるから芳の里と話ができていたと思われ
PWFタッグ王座をすぐに新設しなかったのも納得がいく
大株主が読売の日テレは朝日NETに日プロのほとんどの遺産を持っていかれるのは
看過できないことで、馬場が大木に猪木との合併話を潰すよう
日プロが駄目になったらウチと日テレが面倒を見るからと説得した、という説
残党は日テレと契約して力道山家が入ったから対等合併と勘違いしたのではないかと > 実は日テレ&馬場という話もあるんだよな
どこにあるの? Gスピリッツの前号で大木がアジアタッグを放棄させられた話が面白かったな
必ずしもシングル王座の方が格上とは限らないって 馬場本人は日プロとの合併を失敗と回想してて
「あれで団体の空気が悪くなった」「あの連中は対等合併と勘違いしていた」と書いていた
日本テレビが主体で日プロ・新日の合併を潰したが
馬場はタイトルにこそ未練はあったけど日プロの残党なんて引き取りたくはなかった
と言うのならありそうな気がする
日プロの残党は「日本テレビに頼まれて来てやった」とは思っていたそうだが
「馬場に頼まれて来てやった」とは思っていないんだよね 実際に頼んでないがな
マッチメイクの不満を日本テレビの担当に持っていったら馬場に一任だと言われたとかで普通ならそこで気が付くはず 力道山家さえ取り込めばタイトルは全日のものになるだろ
あとは穏便にベルト渡すように、保持してる残党と数試合契約でもしとけばいい あの時点では日プロと力道山家は別物
だから切れた時点で力道山時代とは違う新たなベルトを作っている あと百田家としては日本テレビは自分たちがいるから全日本を放送したくらいに思っていたらしい
実際にNOAHでは日本テレビとの窓口になっていたらしく打ち切りと共に立場も失ったらしい >>929
有名な池上本門寺での解散記者会見の写真があるが
あの中に遠藤幸吉がいたら百田家はすんなり馬場との仲介をしただろうか、、
力道山死後、芳の里・遠藤・豊登・吉村に追放されてるが
敬子さんは他の幹部には悪い感情はなかったらしいけど遠藤だけは本当に嫌ってたからな
息子の処遇を反故にしたりリキパレス売却問題とか遠藤が主導していたのが目に浮かぶ
あと話は前後するが、猪木は新日設立会見の前に国際吉原に
「日本プロレス打倒に力をかしてくれ」と協力を持ちかけ
頼まれた吉原はその足で芳の里のもとにバラしに行ってるんだな
吉原と芳の里の関係が良好なのはわかるが、この頃の人間関係はどうなっているのか? >>932
遠藤はNET側の人間として新日本の方に行ってたからな 猪木アリのジャッジで、アリに一票入れて、リンチでしたっけ? 上田が幹部にクーデタ―を暴露したのは上田は遠藤幸吉の付き人だった事も
要因だったんじゃないかって話もあった 当時のある程度若いレスラーは誰の付き人だったかで運命が決まっている
R木村:豊登
マシオ駒、大熊:馬場
藤波:猪木
木村健悟:坂口
木戸:ユセフ・トルコ
桜田:上田
高千穂:芳の里
小澤:吉村 佐藤昭雄→馬場
北沢→猪木
戸口→大木
カーン→吉村
追加で。 >>939
小澤は吉村の引退セレモニーで肩車をしていたな
あと試合の時にはセコンドで坂口と大木の間に入ってたし >>942
小澤は吉村のことは素晴らしい人だったと言っていた
ミスター・ヒトは「吉村さんほど若手をかわいがってくれた人はいなかった」で
馬場は「吉村さんは最高のタッグパートナーだった」で
幹部の中では比較的悪く言われない人 >>927
インターとPWFって面白い関係だと思う。
力道山ベルト(PWF)を復活させた時点では
馬場も日テレも「形が変わったけど、中身は日プロ時代のインターと同じ」って感覚だったんだろうな。
でもNWA頂点至上主義で空気が変わって、さらに80年頃からの日テレの鶴田路線への移行準備から
PWFとインターが並立できる、それぞれ違う権威(エース馬場が巻くPWFと、歴史と伝統のインター)を持つ環境になってた。
日プロによる合併が無く、新日が日プロを吸収してたらインターは坂口、UNは小林に巻かせて
猪木のNWFはこれらより一枚上って格付けにしてそう。 三冠統一、より二冠統一のほうがよかったかも。UNの立場を考えるとだが、当時の天龍のポジションから、しょうがなかったかしら。 >>944
三大王者全てとダブルをしたのがPWF
三大王者全ての挑戦を受けたのがインター
どちらもないのがUN >>945
長州がPWFを取った辺りで三タイトルの違いがなくなり統一の機運が始まった印象
あと当時のタイソンの世界王座統一にも影響された感じ >>943
クーデター時、馬場は反対したが吉村を追放リストに入れた猪木
>>947
インターやPWFより全日の頂点に位置付けていたNWAが廃れたからね。
始めから出来っこない、世界中のベルトを統一して新しい権威を創ると謳った
IWGP構想よりよっぽど現実的で分かりやすい >>948
最後のNWA戦が行われた次のシリーズで統一されたのも象徴的
馬場時代のインターみたいな独自の権威を復活しようとしたんだよな
ある意味では力道山死後に分派し続けたインターの再統合とも言えるわけで 全日本に寄贈された2代目インターベルトは個人的に一番好きなんだけど
NWAテーズ→カーペンティア→NAWA(WWA)→力道山とか
テーズの功績にNWAが与えたインター(個人ベルト)→力道山とか
そのルーツがややこしいw
後年には国際やUインターにも登場してくるし… >>950
力道山時代のインターはあくまでNWAやWWAの代替でしかないってのが分かる系譜だよな
WWAに関わってる間は一年も防衛戦をやってなかったし トーキョートムはアメリカでは前座程度のレスラーでほとんど無名
死に体となっていたNWFはNWAに似てるから世界王座としてトムが巻いたが形だけのタイトル NWFって当初は四大王座の一つって触れ込みだったんだよな 四大王座の頃は米雑誌にレーティングが載ってたな
だったらPWFも発表して欲しかった PWFはあくまでNWAの下部だからな
後にはNWFも同じになるが 馬場38回連続防衛の挑戦者の顔触れをみると
物凄いレーティングになるんだけどな〜
まあNWAに加盟してもWWWFはランキング
載ってたけどね むしろ74年が異常なくらいに多過ぎる
75年からは鶴田とのインタータッグも加わるし 75年の春頃迄は既にロートルになってる日プロ時代の大物
自身の出世のきっかけを作ってくれたキニスキー・ブラジル・エリック・ブルーザー等を
律儀に挑戦者として呼んでいるよな
インタータッグではコワルスキーやリソワスキーも挑戦者に選んでいるし
ノンタイトルでもミラーやアポロを呼んでいる 76年、77年あたりは
PWF防衛戦は少なくなった。
インタータッグUNと揃ったせいもあるが 猪木の出世に貢献したマルコフなんかはストレート葬にする馬場 >>959
この時期は日プロ以来の古豪たちと新鋭の鶴田とのインタータッグが興味深い 馬場の初の対戦外人レスラーだったビッグ・ビル・ミラーを全日に呼んだのは
「経緯を表して来ていただいた」だったと回想していた。
高く評価していたウイルバー・スナイダーについても似たような感じで呼んだそうだ。 ミラーと言えばゴッチを真っ先に思い出すw
ロジャースとグレート・アントニオを制裁した逸話 モラレスやモンスーン、ホッジ、ジョナサンも70年代に呼んでたね
全盛期に見たかったレスラーばかりなんだけど・・・(苦笑) 79年のエリック、キニスキー、ブラジルあたりが最後かな
80年に入るとニューウェーブ路線に入っていくし 古豪大物路線は1975年で一区切り。
76年はブルーザー、ブラジルが
参戦したとはいえPWF戦もやってないし 75年のチャンピオンカーニバルにキニスキー、ブルーザー、サンマルチノ、コワルスキーと投入しても
クラップがエース格で日本人対決中心だった新日のワールドリーグに話題を持っていかれたのが
外人の世代交代のきっかけだったな
これ以降の全日はブッチャーに偏重していくことになる >>966
74年に来日したモラレスは32歳で、まだ全盛期と言っても良いだろ?
79年には、新日に参加してNWFに挑戦、猪木を苦しめた。 WWWF王座から転落して以降のモラレスの経歴はよくわからんが
あんまりパッとした印象がないな
85年に新日に来てたが
その後いつ頃引退したのかもよくわからん >>969
翌年のチャンカーが総当たりの採用でブッチャー優勝なのもそれを象徴してるな
但し75年でもオートン、カーン、ジョージの三人を起用するなど新鋭も十分に意識している >>971
その間は76年のワールドで坂口と好勝負 馬場は、凄まじい強さの上で紳士だったジョナサンを尊敬していたけど
プロモーター馬場としては「ジョナサンを呼んだシリーズは客入りが悪かった」と回想していた。
上にあるビル・ミラーやスナイダーは「呼びたくて呼んだレスラー」
マスカラスやロビンソンは「客を集められるから割りきって呼んでいたレスラー」
なんてところか
車田正美が「これだけは絶対に描きたかった」男坂は不人気で打ち切られて
「とにかく人気をとることを考えて描いた」聖闘士星矢はヒットしたのと通じるものがある。 ブッチャーは人気があったが対戦相手としては評価してなかったらしい
やはり一番のベストはハンセンか テレビ局が主導の団体だから手間暇掛けて客を集めようという発想が乏しいんだよな
経費や面倒を掛けるくらいならやらない方が良いって感じ >>978
猪木の場合は騙したり裏を掻いたりする事じたが楽しい感じだからな
度が過ぎたら暴動物の ジョナサンとかモンスーンは
強いのは分るが、見ていて
熱くなれないんだよな。
悪いことをするヒールでもないし。
本当に人柄が良いんだろうが、プロレスラー
(それもヒールが基本の昭和プロレス)
ではマイナス。 キラー・カール・コックスのほうが
下手な超大物よりも
仕事をしてくれるという意味では
使い勝手がいいんだろうね テリーの著書によると最後の来日の後に馬場の会社は終わりだとコックスが言ったらしくあるいはこれで切られた可能性も テリーの著書によると最後の来日の後に馬場の会社は終わりだとコックスが言ったらしくあるいはこれで切られた可能性も 馬場いわくカリプス・ハリケーンはギャラの分しか
仕事をしなかったらしい
ただ処遇をエース級にすればエースの仕事ができた
という >>979
全日は、日本テレビが「馬場がいる限りバックアップする」と後押しされて旗上げした団体だから
トントン位でやっていければ良かった。
逆に新日はそんな保証は無かったので、1986から87年あたりは
高橋が極悪レフェリー化、海賊男、TPGと迷走した。
「視聴率悪化で打ち切られる→日本プロレスや国際プロレスの前例のように崩壊してしまう。」
と脅えていたから視聴率をあげるのに必死だった。 日テレは馬場を独立させる為に全日の設立資金を全て負担し
放送権料も最大限用意
馬場がいる限り放送を打ち切らない等の好条件を用意した
言わば放送局が作った初めての団体
何でそこまで全盛期を過ぎ視聴率もあまり期待できない
馬場を担いだのか
新参者の朝日に対するプライドのようなものも感じる >>986
トントンじゃなくて大赤字
日本テレビのお荷物 >>987
設立資金自体は馬場夫妻も相当に出している >>988
馬場が日本テレビからの借金を完済したのは平成に入ってから 天龍が国内デビューした77年頃から苦しかったんだろうな
81年には倒産の危機といわれたらしいし
世界王者を定期的に招聘し、毎回豪華メンバーを揃えていたから
当時、全日は潤っていたと思っていたよ。
ただタイガーや国際軍団のおかげで絶対潤っていたはずの新日は
アントンハイセル地獄に‥ 大塚の証言によれば新日本も売り興行の利益より経費の方が高く放映権料を加える事で黒字になっていたのが実情だったらしい >>993
新間に言わせると「企画には多大な経費がかかるからそんなに簡単に大儲けはできないのである。
だがプロレスラー達はその程度のことも理解できない。」なんだそうな 大塚は役員会で収入が数10億もあるのに繰り越し利益が2,000万というのを暴いて
それがクーデターへと繋がるんだよね 大塚が暴いたわけじゃなくて貸借対照表は普通に見れるだろ
で繰越利益が少ないのはそれ以前の赤字が多かったからじゃないの >>992
新日はハイセルの問題があっても
興行規模を落とすとかがなかったから
全日の低迷とは意味合いが違う アリ戦、ハイセル、北朝鮮興行と莫大な借金背負っても何とかしてるのは評価して良いんじゃない? テレ朝が肩代わりしたり佐川清が新日の株式を買ったりしてくれたからなんだけどな このスレッドは1000を超えました。
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