【ジャイアントサービス】BI砲を考える6【アントン・トレーディング】
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学生時代に、野毛の新日道場を見に行ったことあるけど
あれは新日設立時に自宅を改装して建てたんだよね。
猪木は道場からの過酷な鍛練をマスコミに公開する事で馬場プロレスとの差別化を図り
まるで全日のレスラーがロクに練習もしてないような印象を与えるw
でも、よく考えたら大型レスラーばかりが来日し
真正面から突き飛ばされて受け身を取る全日のレスラーが練習しない訳がない
だいたい自慢気に道場の練習なんかを見せるものではないんだけど
ファンまでもがそれで馬場や全日を批判するようになっていったんだよね、、、 >>3
しかし実際に新日のレスラーはみんなグッドシェイプで、全日の選手はブヨブヨばっかりだったな。
あの永源ですら、新日時代は結構いい体してる。 全日の選手は腹が出ていると馬鹿にしていた新日本ファンが
なぜか橋本最強をすんなり受け入れてた >>4
見た目は大事で、その点は新日レスラーの方がプロとしての自覚があったと思うが
どこをどう鍛えるのか…ブヨブヨでも丈夫な身体には間違いないよね。
惜しむらくは、駒が早くに亡くなって日プロ残党が幅を利かせた事もあるのが残念 橋本がブレイクして、トップに立った90年〜93年は、
全日も三沢、小橋、秋山といった均整の取れた選手が
メインを張るようになった(川田、田上もブヨブヨではない)
そこで逆転した感があるな。
というか、新日でも肥満体は橋本だけだったが。 >>6
猪木は橋本を後継者として見なかったのは哀しいね
>>8
川田も超世代時代は白くてポヨっとしたアザラシみたいでちょっと可愛らしかった
その後オジサンになってからの方が色黒グッドシェイプ [1990.12.26 浜松アリーナ]
IWGPヘビー級選手権
藤波(回転足折り固め)長州
異種格闘技戦
Tホーム(TKO)橋本
IWGPタッグ選手権
マシン・ヒロ(片エビ固め)馳・健介
IWGPJr.ヘビー級選手権
ライガー(片エビ固め)Nカサス
武藤(反則)TJシン
蝶野(STF)Lテーズ
マサ(体固め)Nボックウィンクル
木戸(逆さ押さえ込み)Hマツダ
31年前の凄いカードだったが、あまり感動しなかった記憶。 >>10
メインがほとんど中継に入らなかったのと、試合内容もかなりしょっぱかったからかな 自慢気かどうかは知らんが、練習を見せるのはプロレスのイメージ作りにも良い戦略だった
全日が同様の事をやらなかったのはいろいろ勘ぐってしまうけどな 全日のレスラーは練習不足を通り越して不健康に見える
そうでないのはごく一部の例外だけだったし
新日に限らず他団体にいたレスラーが移籍して何年かするとそれに染まっていってた 80年代まで、練習をする、練習熱心というのは
猪木を初め新日本のレスラーのことだったが、
90年以降は、全日本の小橋が、その代名詞になった感がある。 >>10
リアルタイムで見ていてサプライズだったのがIWGPタッグ王座戦。
馳&健介コンビを売り出すのだと思っていたので、マシン&ヒロにあっさり王座を奪われたのは意外だった。
メインのIWGPヘビー級王座戦は、藤波カムバックのご祝儀試合という感じだったな。試合後の長州のマイクアピールも藤波を賞賛するものだったし。
もっとも、一年後には長州が「たっつあん、もういいよな。」という感じで、しっかり王座を奪回したけど。 この日は盛り上がっていたが客の悪ノリが過ぎたな。
ヒロ・マツダには「ヒロヒロ・マツダ!ヒロヒロ・マツダ!」
マサ斎藤には「マサマサ・サイトー!マサマサ・サイトー!」
とおかしなコールが続いた。 この年は『選手の挙動に合わせて声を出すために来ている客』が幅を利かせていたので…主にターゲットになっていたのは全日だったけど ウーーーーー、オリャ!とかやってたやつだろ
マジで糞だったなあのノリ >>15
昭和の新日と全日では、平均寿命も違い過ぎる。
全日系で長生きしてるのは、カブキと小鹿くらい。 ズンドコスレでここに書き込んだレスを
あげて「こんな昔のことを知ってるジジイ」と
あげてる奴がいて立腹した。
同じプロレスファンがそんな見方しかできないものかね。 プロレスへの考え方でもある。
身長に体重をつけたトラックの様な強さが馬場全日本。
小さい体格で贅肉を削ぎ落として動きまわるのが猪木新日本。
最近の重量別格闘技の流れ(レスラーの小型化も理由)をプロレスも取り入れざるを得ない状況だが大きい者が強いというお言葉が木下に証明されたのが皮肉であるが真実だよ。 だったら三沢じゃなく身長も体重も上の田上をエースにしないと
全日本の考え方にそむくことになるな >>25
馬場は田上に期待してたけど体格もさほど変わらない上に努力も才能も三沢と小橋に届かなかった。
馬場は川田に「田上の下(のポジション)だ」と言明したが川田を超えるには至らなかった。
ただ田上は案外とセンスと自力はあったからポイントで爆発するには良い選手だった。
なんだかんだ強さも人気も無いとオーバーしにくい。 田上は上半身が貧弱すぎた
ラリアットの迫力の無さはプロレス界1かもしれん 中型体型の日本人レスラーが大型外人レスラーと戦うのが良かったのに >>26
結局体格よりも強さ、人気、努力なんだな
なら新日本の方が正しかったって認めちゃうわけだ >>29
体格大きくても強くなかったり運動神経が優れてなかったり堪え性が無ければトップにはなれないよ。
人気も勿論大事でそれはファンにも分かるから人気につながる。
田上は鶴田の代わりも馬場の代わりも出来る存在ではなかっただけの事。 そして、なぜか新日生え抜きの大型(正味190cm以上)
選手は大成しないというジンクスがある。
(高野俊二、鈴木健三、長尾) >>31
に「プロレスでは」という条件付きで前田日明も
(190以上あるか微妙だが)
オカダは、大成したと言えるが、登竜門→新日。
キラーカーンも入門は日プロだし。 大成の基準が不明だが、生え抜きで正味190以上とか言い出したら、全日も鶴田ぐらいしかいないけど イヤーエンド国技館から34年か。
前田日明の無期限出場停止
成り上がり馳の偉そうなマイク
UWFの4人タッグタイトル両者フェンアウト
たけしプロレス軍団下手糞なMC
動かないたけし
健悟兄さんのスベるマイク
カード変更とやめろコール
猪木の長州潰し
ベイダーの短期決着
そりゃ暴動になりますわ。 >>10
猪木vsニックがマサvsニックになったんだっけ?
後、ゴールデン生放送なのに武藤が流血させられて反則勝ちとか、マシン&ヒロが介入で勝ったり、レスラーがボクサーにKO負けしたりと散々な内容だった >>25
実際馬場が当初認めてたのは高木、田上だろ。
それが全日昭和プロレスであって、三沢をオーバーさせた
王道プロレスってのはターザンの創作物。 >>33
田上は三冠王者にも、チャンピオンカーニバルにも優勝したから
大成とは言わずとも、「モノになった」と言えるだろ?
彼は元はジャパンプロ入門というツッコミもありそうだが(^^:
新日の俊二、健三、長尾はヘビー級の王者になれなかった。
前田もね。 >>36
三沢は入団当初から特別扱いだよ。
大きければ無条件で良いなんて判断するわけ無いだろw
>>37
田上のジャパンは全日が相撲から取りすぎると睨まれない為の偽装。
だから初めから全日本だよ。 >>38
逆だよ。小さければ無条件にダメとするのが馬場全日。
それがチェンジする境目となるメモリアルマッチがブリティッシュBマレンコBのタッグマッチ。
三沢川田とてジュニア枠でしかない。 >>39
三沢は初めからずっと特別扱いだ。
山本がシナリオを作ってたわけねえだろww
山本の意見は参考にはしたが田上を三沢の上に置く事は少しも考えてねえよ。 >>40
冷静になって当時を思い出せよ。何なら動画を見直せ。
三沢の特別ってのは大仁田の後釜程度でしかない。高木の方が上の扱いだ。田上も特別扱いだしな。
ターザン、市瀬がブックを作っていたのはもう明白。表向きのダミーとなったのが渕。
それがバレて許せなかったのが天龍の退団理由と書いたのがターザンであり
ターザン市瀬を隠し通せなくなったことが三沢のノア設立理由と吐露したのが京平。
それをあんたが信じたくないってだけじゃん。 「高木は練習しない。でも田上はもっと練習しない」って誰か言ってたよな
この二人が小橋の半分も練習してたら日本のプロレス界は変わっていたのに >>41
それならば鶴田の相手は三沢でなくて田上だろw
馬場は三沢を養子にしようとしてたくらいだからな。
田上は鶴田になりえないし三沢を超えるなんて誰も思わないよ。
確かに三沢位に努力してたら違ったかもしれんがな。
それはありえないんだよ。 >>42
そうなってたら全日は潰れてただけだよw
でかいだけで勝ちブックを貰えるプロレスってのは消滅した。
動けないレスラーの価値はなくなっていった。
三沢川田小橋をオーバーさせたから四天王プロレスにより
全日は隆盛した。でもそれは昭和全日プロレスが新日プロレスを
模倣により屈した瞬間でもある。全日は日本人対外人が絶対価値観。
よって馬場が鶴田に負ける必要もなかったのだね。 >>43
だから鶴田の相手をマスクを脱がせた三沢にした張本人がターザンなんだってばさwww
馬場なら田上にしたかったろうな。 外様に厳しいと言われる馬場だが(実は言われる程でもない)
高山や高野にはかなり甘かった UWFからも前田高田だけなら要る、ってことだったよね。
その理由を単にデカイからととるか、華があるからととるかは人によるんだよ。 >>49
前田が馬場に打診すると「うちは今ジャパンプロレスだ何だと大変だから
前田君と高田君だけしか取れない」と言われ、全員参戦を前提として交渉していた前田は
小鉄の「全員で戻って来い」という誘いで新日復帰を決意したんだよね。
前田と高田だけで全日に参戦していたらどうなったことやら、、、 >>49
高田については超デカいわけじゃないから華だろうな
松本明子も「高田さんはかっこいい」と言った位だしね
他に外様でそんなにデカくなくてもけっこう大事にされたと言うと阿修羅・原 鶴見「馬場さんには感謝しかない」
谷津「バスの席は馬場さん、ジャンボの次が俺でその後ろが三沢だった」
高山は最初こそ破格の待遇だったが本格的に売り出されたのは三沢が実権握ってからだな
馬場が存命で社長&現場責任者だったらノーフィアーは無かっただろうな >>49
84年浦田が逮捕されて団体存続が危ぶまれたときは
前田高田に加え佐山にも電話している
前田高田は勧誘して特に前田は心揺れてる感じだった
佐山は寝ていたので起こさなくでもいい、とうことで直接話はしてないが 前田は馬場枠で高田は元子枠じゃないのか?
阿修羅だってそうだろ? >>47
外様と言っても、嫌々引き取った旧・日プロ軍団と
自ら呼んだ維新軍(カリガリー含む)、Uインターの高山では
対応が違うでしょう? 結局、馬場に高く評価されたのはチビのヒロ斉藤
ヒロが語るBIの指導の違い
「馬場さんは、下にいる選手は体が大きかろうが小さかろうが
その人の素質を引っ張るような方でした。
猪木さんは、それぞれの選手は、ひとつのものをパシッと極めないといけないんですね。
引き上げることはしないで自分で這い上がってこいっていう方でした」 高山は厚待遇だったね、いずれは全日の社長の座を譲ってもいいまで言われたらしい >>53
前田は馬場のものまねをしたイタズラ電話と思ったらしい。 馬場からしたら欲しかったのが前田と高田ってのはわかる。
ジャパンだって本当に欲しかったのは長州とカーンとマサと谷津と小林。
他は要らなかったって。
その分金が掛かるし。
結果的に永源が裏方では最も貢献したけど。 >>60
右は小川良成とミスター林?
左は和田京平? >>61
ケロが言っていた
「ホーガンを呼ぶと要らないのまでオマケでついてくる」にも似たものがある >>60
グラン浜田とウルトラセブンがいて、大仁田がいないのは、1985年の正月の撮影かな。 当時の身体の格好良さ
松 WWF
竹 新日本
梅 全日本
当時の試合のハードさ
松 全日本
竹 新日本
梅 WWF WWFは意外にもハードだったのでは。
当時の試合をYouTube見ると危険な角度で落としたりしてますよ。
実際にも負傷者続出してました。
WWEになる前ですが。 >>68
俺の県には米軍用のテレビチャンネルがあって、WWFが流れていたんだが豆腐プロレスだったよ。 >>67
当時って、いつの頃?
当時の試合のハードさが
松 全日本>竹 新日本
というなら、「四天王プロレス」が始まった1994、5年〜2000年だと思うが、
それで、
当時の身体の格好良さが
竹 新日本>梅 全日本
と言うのは合点がいかないなぁ。
顔の格好良さも含めて、94年〜2000年、確かに新日の武藤は恰好良かった。
あとは、蝶野はショボイし、橋本はデブだし、健介もなぁ、ああいうマッチョが
恰好良いと言う意見もあろうが、第三世代なら、その時の中西はまだ評価できる。
後の永田、天山、小島もいまひとつ。
対して、全日は三沢、川田はそうでもないが、小橋、秋山、そして大森なんかも
大胸筋が発達していて格好良かったよ(あくまで見た感じね)。
日本側でモスマンもいたし。
新日で格好良い選手が揃っていたのは、80年代だな。猪木、坂口、藤波、ジョージ、
前田、高田、船木。ジョージ以下のこういう選手が続々離脱して、
格好良い選手が入門してこなくなった。 >鶴田、天龍の時代
87〜90年までだね。なるほど。当時は
まだ新日に前田、高田、ジョージ、船木がいて、
その時から恰好良さと試合の激しさで、新日と全日が
逆転した感がある。 全日本は選手によっては梅ですらないくらい見た目がひどい エースがまだ数回しか来日してない頃。
週プロがエースを大絶賛していた。
見た目、身長、動き、若さ(当時の)
こんな格好いいレスラーはホーガン以来だとか。
『この男は将来の全日のエースになる!』と。
外人エース間違いなしと太鼓判。
しかもアニマルの実弟にも関わらず全く似てないとかも。
似てないのをいい意味で書いてた。
しかし期待に反して?(は大袈裟か)エースクラスにはなれず。
二番手止まりだったね。 ジョニーエースをそこまで大絶賛していたかな?
ルックスが良いので、アイドル人気はあったが、
ひ弱そうで、三冠タイトルに挑むほどの力はなかったと感じた。
98年に一回、三沢に挑戦したが、、彼と同時期88年頃、初来日した
選手の中なら、ダニー・スパイビーの方がずっと買われていたと思う。
ハンセンのパートナーにも抜擢されたし。まぁ彼も期待ほどは
成長しなかったが。そこでSウイリアムス、オブライト、ベイダーを
引っ張ってきたわけだが。 まあ全日は三沢が「大きい人は練習しません」と揶揄するほど
馬場、鶴田がダラけてたのに、
天龍以下がそれを反面教師としてよく盛り返したよ >>68
当時にニューヨークでやってる人は身体的にキツかったみたいですよ
斎藤T 戸口もキツいと言ってました、特に後者はステロイド打たないと体が持たなかったともね 新日ジュニアで活躍したペガサスやエディが、WWEで生き残るために
ステロイド打ち続けて早死にした現状は辛かったなぁ WWFの頃は新日マットより硬かったといわれてたね。
ということは全日比較では更に硬いことになる。
リングの硬さとバンプの回数って反比例すると思う。
WWE時代のゴーバーやレスナーのスピアーもえげつなく見えたけどね。
日本だと掛ける選手が横に力逃がすもんね。 >>74
あんまり爽やかだと「外人エース」には逆に不向きかな
テリーはアイドルでもヤンチャぽかったし >>74
エースはともかくホーガンはそんなにカッコイイだったかな? ジョニー・エースは小橋と組んでアジアタッグ取った頃が一番良かった 昭和の新日スレに比べると荒らしガラプーに対する姿勢が面白いな
考えなしにレスしたり昭和全日のマット同様のんびりした奴が多いのかな 当時のファンの感覚だとファーナスクロファットパトリオット>エースだったな >>79
全日とかノアみたいにマットを柔らかくして頭から落とす技を多くするのはおかしい
結局ダメージが蓄積して三沢のようなリング禍を起こすことになる
最近の新日もケニーオメガが離脱する辺りまでその傾向があったが 90年代の全日本…
ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、スパイビー、エース、オブライト、バート・ガン
パトリオット、イーグル、ラクロス、ファルコン、ブーバー、ディートン
ブルドックス、カンナム、マレンコ兄弟、ヤングブラット兄弟、ファンタスティックス
ロックンロール、ブラックハーツ、キマラ、RVD、JBL、ケンドール、スマザース
他、思い出せない… >>84
1995年、7月に、田上明、小橋健太、ジョニー・エース、パトリオットの4人が、
三沢の三冠ヘビー級王座挑戦を賭けて、4人総当たりのリーグ戦を行った。
優勝は、田上2勝1分け(外人二人に勝ち、小橋に引き分け)、小橋はエースに勝ち、
パトリに負け(1勝1負け1分け)、エースは、パトリに勝ち、パトリは小橋に勝ち、
それぞれ(1勝2敗)
エースはその後、97〜98年、小橋と組んで世界タッグ戦線に出たが、元パートナーの
Sウイリアムスにボコボコにやられた。あのやられっぷりの良さは
木村健吾に勝るとも劣らない(苦笑)
カンナムはアジアタッグ戦線で、クロファットはジュニアの王者にもなり、
世界タッグ戦線とは別の世界で人気があったなぁ。フォーナスはヘビー級だが、
無理に三冠に絡まないから、むしろ良かった。 エースは身体大きくなったら動きがもっさりしすぎててダメだと思った ジョン・ノード、トミー・ドリーマー、バリー・フォロウィッツ、サンダー&ライトニング エースはもっと締まった身体を維持できてれば。
現役末期のあの身体は酷すぎた。
田上と双璧。
やっぱり身体が大きいと練習しないは本当にそうだね。
日本人でも身体大きかったレスラーは身体がショボい。
大きな身体という武器があるから練習しないって聞いた。
練習する必要性を感じないとか。
馬場は例外でも鶴田 戸口 田上 羽田 高野俊二 高木 坂口 前田 上田
日本人レスラーで大きかったのは身体ショボいよね。
ホーガンみたいに2Mあってあの身体は例外。
日本人じゃないし。 何で馬場が例外なのか?ショボイ代表だろう。
そして坂口のどこがショボイのだ?日本人でああは誰もなれんよ。 >>93
安田は橋本にしょっちゅう「おいヤス、お前とか俺は体がでかいからあんま必死に
なって練習する必要なんかないんだよ、でもライガーとかノガちゃんとかちっこいやつは
必死こいて練習しねえと駄目だけどな」と言われたらしい
そういう思想が代々あるのかね クラシックプロレスは大きい選手は受け身を取らなくてよいってのはあるね。
それがクラシックプロレスのリアリティであって、大きい者が強いと言う理屈。
リアルは違うけどね。 武藤とか若い頃から練習好きで社長になっても身体維持してた
膝の怪我もあるから下半身は細くなったがそれでも60近くになってあの上半身は凄い
グッとシェイプされた田上や森嶋見たかったよ 田上なんかは馬場からトレーニング機器一式もらい受けてそれを全然使ってなかった
のがバレても「本当にお前はしゃーない奴やなあ」と言われて可愛がられ続けたから
真面目に練習しようなんて思わなかったんだろうな 馬場が例外ってのは敢えて出すまでもないというね。
あと安田もいたわ。
安田なんかショボい身体の代表格だったな。
坂口は言う程の身体ではないと思ったので。
どうしても藤波(ヘビー後)長州 マサ斎藤の身体に目が向く。 馬場は維持してあの体型だったんじゃないの?
あれ以上太ると膝に負担がかかるし、晩年も動けてたほうだと思う >>98
田上の子供が馬場の前でうっかり漏らしてバレたんだよねw >>100
馬場は血糖値と将来寝たきりになってしまうことを心配した元子にせっつかれて
練習じゃなく手ゴルフに精出してたな、まああの規格外の体で晩年までそれなりに
動けたんだからそれで十分だったのかな >>99
馬場のことより辛口バンバンヴィガロのことを教えてくれよ!
505お前名無しだろ (ガラプー KK1b-cHn8)2021/12/30(木) 15:17:57.92ID:gtX0ubTzK
カーンと戸口のぉコラボ見たいぞぇー。
かなりぃ深い話になるだろぉかんな。
カーンは戸口をぉ嫌ってなさそぉだしぃー。
でもぉ戸口もぉかなりぃ辛口だかんな。
前田動画でもぉ辛口バンバン バンバンヴィガロ
戸口はぁかなりぃ辛口だぞぇ。
カーン動画でもぉその辛口ぶりをぉ発揮して欲しいんよぉー。
逆にぃカブキはぁ温厚だょなぁ。
しかしぃカブキもぉ辛口だかんな。
言う時ゃあボロクソ言うちょるしぃー。
カーンとカブキのぉコラボもぉおもろそぉだぞぇ。
しかしぃ坪にハマるとぉ悪口大会になってもぉちゃるゎい。
でもぉカーン動画にゃあ色々な人がぁー参加して欲しいぞぇ。
しかしぃカーンもぉ金に困っちょるとか赤裸々に語るかんな。
カーンのS参戦はぁ見たかったなぁ。
天龍部屋レボリュー所属んなっただろぉしぃー。
でもぉカーンにゃそぉゆぅ気持ちがなかったかんな。
長州への維持を感じるぞぇ。
でもぉカーンがぁー天龍からSに誘われちょったっちゅうのぁ動画で知ったしぃー。
意外だったよぉー。
当時は勿論、その後もぉ全く知らんかったかんな。 最近のプロレス事情に疎いので知らんかったけど、DDTの納谷幸男って2メートルあるんだってな
大鵬の孫で貴闘力の息子って凄いサラブレットだ バン・バン・ビガロのスペルはBam Bam Bigelow
ビガロは「B]音だから、
バンバンヴィガロというのは痛いなぁ。
変な日本語の言い回しはともかく、これは明らかに間違い。 ビガロは全日にも上がってるんだよね。
90年スーパーパワーに。
仲田がビガロをコールした時は鳥肌ものだった。
ボァンボァンヴィガロ
直後にはベイダーも全日に登場すると思ったんだけどね。
あの甲冑で全日武道館を席巻するイメージが沸いた。
でもベイダーの全日登場はなかった。
結果的にベイダーの全日への(初)登場は7年後の97年。
90年とは全日もベイダー自身も状況が全く違った。 ボヮンボヮンヴィガロは新日だとベイダーに次ぐ二番手だった。
新日としてはベイダーは簡単には貸し出せなかったのかな?
でもあのまま交流 協力路線が続けばベイダーも全日登場したとは思う。
逆にゴディの新日登場とかも。
ベイダー ヴィガロ × ゴディ ウイリアムス
これが新日、全日どちらかで実現したりと。
あの体制が90年だけで終わってしまったのが悔やまれる。 ガラプーNGして見えないようにしてたのに
わざわざコピペしてくる馬鹿がいるとはな ガラプーに喜んでレスするおバカさんが何匹かいるから教えなければならないだろ
スルーしておけばいいものを考えなしに精神異常者にレスしやがってゴミが! かんな、を使ってないと気付かないやつもいるからな
一行ずつしか書けないし、内容も薄いからすぐわかるのに BI砲が解散して今年で50年
三銃士や四天王の時代までは、まだ惰性で見てたけど
BIが退き、会社の資本も変わってからは完全に興味が薄れてきた。
もっぱら今は、昔見たプロレスの答え合わせというか検証というか
ああだこうだ語り合うのが楽しいから、そういう場であって欲しいな。 >>99
坂口は太腿とか下半身が凄いんだが? 上半身も立派だぞ。
大胸筋を強調した身体ではないが、プロレス以前に造った身体を維持していたのはエライよ。
でも、あれは天賦のものだろうな。 訂正
坂口と鶴田のシングルマッチは見てみたかったな 坂口、鶴田、草津の巴戦も見たかった。
素材力抜群と言われた3人のプロとしての
力量を見極められる。 坂口以上のフィジカルを持っているもんなんて
日本プロレス界には存在しないでしょ。
あとは北尾と小川くらいか。
競争で日本一ってのは凄いって事。凄くなきゃ日本一にはなれないって事。
アマレス重量級は除く。 猪木も運動優性の黒人や混血に交じってブラジル少年の部で
ブラジル一になったのならフィジカルとして侮れないものあるだろうね。 坂口は腰悪くて使い物にならなかったろ、腰悪いからプロレスに来たんだろうし。 トップアスリートってのはどこかしらが悪いもんなんですよw 坂口は日プロ入団するとき、契約金代わりに借金全額返却してもらったんだよな
会社勤めしてたのにどんな散在してたんだっていう 東京12chのプロデューサー田中さんも「入団前に阿修羅の地元で何軒もはしごで飲み屋に
連れてかれたけどどの店もちょっと飲んだだけでとんでもない額の払いだった
あとから思うとあれは溜めてたツケの肩代わりさせられたんだな」と言ってた あのね、酒やギャンブルってのもあるかもしらんが
今ほどスポンサード体制とか整っていなかったアマで
自腹持ち出しってのは凄くあったと思うぞ。
アマの不満、アマからプロへの転向理由なんて皆それが理由だった。 >>123
そんな坂口がプロレスラーの中では比較的金銭感覚がしっかりしていた
他の連中ってどんななのかと サラリーマンってたけでも普通の生活がやっとの上に
競技出費があれば借金は増えていくのは当たり前。 坂口は私立の明大卒だし、学費やら柔道の遠征費やらの借金があってもおかしくないだろ 坂口の身体がショボいのは仕方ない。
もっと練習好きで凄い身体なら違っただろうに。
猪木より凄い身体になってはダメ。
ひょっとして坂口にはそういう配慮みたいなのがあったのかな?
猪木より凄い身体だと猪木が霞む。
だから敢えてショボい身体で。
ショボい身体は極端だけど。
パワーファイター枠だから猪木よりパワーあるのは仕方ない。
サイズも猪木より大きいし。
でも必要以上に凄い身体になったら猪木の存在が弱くなる。
坂口ならそういう配慮はあったのかも。
凄い身体で外人の引き立て役やっても逆に説得力ないし。
『猪木より坂口の方が明らかに強い』
『本当は坂口の方が強いだろう』
そういう言葉を叩かれない為の配慮。
自分を犠牲にしてどこまでも猪木を立てる坂口の律儀さ。
坂口ならあり得そうだしね。 坂口は東京五輪の合宿で腰を痛めて入門したけど、力道山や馬場のように
ドロップアウトからプロレス転向した訳じゃなく、直前まで神永と競っていたから
真剣勝負では、BI含め日プロ内で敵なしだったろうね。
71年に会社のゴタゴタがなければ、後のエースは坂口だったと思うが
プロレスのセンス的にはBIの域までいかなかっただろうね >>133
木村や岩釣以下の坂口なんて
ヘーシンクでさえドン・レオ・ジョナサンと柔道ジャケットマッチでも押されて
「彼なら今すぐオリンピックでメダルが獲れる」と脱帽したくらい 猪木の格闘技戦やヘーシンクとジョナサンの柔道マッチは所詮プロレス
いくら鍛えていようが、どんだけプロレスラーが総合で破れたことか、、 >>135
岩釣って岩釣兼生か?
坂口が岩釣以下とか頭イカれてるのかお前は >>133
真剣勝負と言われても
柔道着着てなければアマレス出身者には
勝てないよ。 >>138
坂口入団後の日プロにレスリング出身者は平野しかいなかった
その平野もいつの間にか辞めたし アマレス出身者でも実績(キャリア)によるんだけどね…
確かに 71年柔道日本一の岩釣が、渕とのスパーリングで息があがって
その後のバジリには軽く捻られているから、一概に坂口が実力勝負で強いとは断言できないけど
高田がヒクソンに10分ももたずに捻られてからは
プロレスラーは本気でやれば強いという幻想は見事に崩壊したからな… >>133
>71年に会社のゴタゴタがなければ、後のエースは坂口
ゴタゴタがあって、坂口のエースは早まったとも言えるが、、
ゴタゴタがなければ、73年頃、馬場は誰かにインターを取られ
(NWA王者を降りたドリーあたり)、猪木が獲り返しエースに。
坂口は猪木のパートナーとしてインタータッグ王者。
その時は、日プロは鶴田友美をスカウト。翌74年、専修大の吉田も
入門させるかな?二人はアメリカに長期で武者修行させる。
70年代後半は猪木のエース時代が続き。78年頃、馬場引退。
同時期、鶴田凱旋帰国。将来のエースの路線が引かれる。
坂口は、やはりNO2だと思うよ。 >>140
そらしかし「柔道家はガチに強い」神話も崩壊したといえないか。
小川直也のヒョードルへの惨敗とか。 吉田がホイスに柔道着着用試合で勝った時
古賀が「柔道と総合の競技人口を考えたら、このくらいの
実力差は当然」と吹いてた。
ところが裸で再戦したらホイスに圧倒されまくりだったしな。 山下泰裕が大学のレスリング部に出稽古に行って
レスリングタイツを着て試合をしたらレスリング部員に全然歯が立たなかったってエピソードがある
ルールが違えばそんなもんなんだよ そもそも柔道家はタックルもタックルのさばき方も知らないし。 岩釣兼生がやりたかったのは結局、力道山のだまし撃ちにあった木村政彦の敵討ちで
プロレスのアングルで馬場に勝つことを要求して
呑めないならリング上で真剣勝負に持ち込み馬場を潰すというものだったんだよな。
事もあろうに猪木が小川を使って愛弟子の橋本を潰し、プロレスラーを貶めるとは、、
だいたい猪木も自らの衰えと共にストロングプロレスから逸脱して
TPGや海賊、マシン軍団等のまんが路線に迷走したあたりから
プロレス界がおかしくなっていったし、極めつけは総合格闘技に接近したことだよな
ラジャ戦はあるものの、プロレス一筋に頑張っていた馬場は立派だと思う 馬場の異種格闘技戦は日テレからの要望でゴールデンタイム維持の為の苦肉の策 トム・マギーもラジャ・ライオンもプロレスラーのくくりでいいんじゃないか? >>139
歴史を忠実に振り返れ。
サンダー杉山、マサ斉藤と柔道崩れが簡単に優勝してしまうのが
当時のアマレス界だ。鶴田でも代表になれてしまう。
渕が岩釣に勝てるとかイーブンって事は絶対にありえない。
プロレス入団のためにプロレスの練習をしただけの事でしょ。 >>147
猪木がいなきゃ70年代にプロレスは終わっていたよ。
そう考える者は多い。 >>145
だがアマレスの重鎮太田だって柔道で山下がどうにもならなくて
レスリングに逃避したのだよ。 >>151
まず、俺は猪木も馬場も好きだからね(笑)
おっしゃる通り猪木の存在なくしてプロレス界の繁栄はなかったのは分かるけど
選挙で落選して、現役を引退した辺りからおかしくなったんだよ。
札幌で蝶野が「俺たちはプロレスがやりたいんですよ」と言っていたよね。
だからプロレスを繁栄させたのも猪木だけど、はからずも貶めたのも猪木だと思うよ。 >>150
だがその柔道崩れのアマレスラーは
世界では全く通用しないじゃん。 >>154
そうですよ。柔道日本一ってのは日本一強い有力な者であり
世界一などとは申しておりません。
柔道崩れはそもそも日本一でもありませんってことです。
重量級において、そんなにおかしいこと言ってるとは思いません。 つーかプロレスだけでなくMMAですら猪木のご加護な所はあるだろ?
格闘技は数あれど、青木真也も言っているが 【格闘ビジネス】 を遡れば
みんな猪木にぶち当たるとね。K-1だろうがPRIDEだろうがね。
RIZINも猪木がオープニングだったんだろ? プロレスファンは猪木にプロレスだけの神でいてほしかったが
気まぐれでわがままで奔放な神は、より広く布教に務めましたとさwww >>130
流れをぶった切って申し訳ないが、この時のメインイベントはタイガージェットシン対ストロング小林の新日版アジアヘビー級タイトルマッチで、シンが反則勝ちで王座防衛した試合?
だとすると、日本国内における小林の最後のメインイベントでのシングルマッチだな。 >>140
前柔道オリンピッククラスらがトレの一環かレスリングの合宿に参加したけどおもちゃにされてたよ
裸で組みあえば柔道金メダリストもインカレレベルと同じくらいじゃないかな
だから大学までアマレスやってた渕が裸で岩釣に負けなかったとかまあ順当なだけ >>159
その話に乗って(笑)
小林の事で気になるのは、74年3月猪木に敗れてフロリダをサーキット中に
馬場から全日への誘いがあった筈だけど、何で猪木に敗れた小林を誘ったのかが謎なんだよな
アメリカでのファイトスタイルを直に見て、小林に何かを感じたのかなぁ? >>161
大木も猪木に負けた後に全日に移籍して猪木戦の半分の時間で馬場に負けたから
問題ないんじゃね >>162
なるほど。
俺は本場マットで通用する小林に、全日マットでの使い道を感じたのかと思った >>160
別に俺は競技の優位性を語っているわけではない。
生存競争の原理・摂理を書いているだけです。 >>164
大木金太郎は日本人
キムイルは韓国人
そう思うようにしています 厳密に言えば韓国人だが、プロレス的には日本人でOK 大木は帰化はしてないけど日本統治時代の朝鮮出身だからね >>140
高田延彦なんてバックグラウンドが野球だったっけ?論外だろ\(ˊᗜˋ*)/ 大木金太郎は、プロレス的にも韓国人だな!
日本プロレス時代から「韓国の、韓国の大木!」と
紹介されていて、本人もそう公言していた。
長州や前田のような在日韓国人とも違う。
>>164の文、誰がどこに載せたのか知らんが
無知過ぎる。 正月の記憶に残る試合といえば、やはり日プロ対国際の隅田川決戦であろう
昭和43年(1968年)の1月3日、日本プロレスは東京蔵前国技館で馬場対リソワスキー
https://pbs.twimg.com/media/FIH4BQEakAImMVZ.jpg
かたや国際プロレスは日大講堂でルー・テーズ対グレート草津
https://pbs.twimg.com/media/EvT062eVcAECfmd?format=jpg&name=large 蔵前では猪木が返上したアジアタッグの決定戦もやってたがこの時はドローに >>172
本当に草津は「あと1分待って」なんて言ったのかな?
そうだとすると、草津は結構、余裕あったのか >>172
値段にもよるけど今考えるなら日大講堂で草津テーズ戦を見ておくべきだよね。 >>174
マッチメイカーの東郷は、TBSに言い訳が立つように
アクシデントで草津が負けたように見せる必要があったんだよね。
彼のシナリオは、大木を引き抜いて当面の王者にするはずだったので
草津をテーズに勝たせる訳にはいかなかった。
(大木がエースでは弱い気がするが、国際勢の中では実力・ネームバリューを考えるとベスト)
ところがトルコと松岡によって…(笑) >>175
時間帯が分かれてたので
見ようと思えば日プロ国際両方が見られた 草津の息子はKー1出てたけどプロレスラーになって欲しかった >>176
大木のTBSプロレス移籍を止めたのは東声会の町井久之、大木引き抜きを画策した東郷の制裁に動いたのがユセフトルコと松岡巌鉄 >>176
>アクシデントで草津が負けたように見せる必要が
そのテーズ対草津、見てはいないが,テーズの18番バックドロップで
叩きつけられ、2本目も立ち上がれず試合放棄って、アクシデントではなく
完敗でしょう?
アクシデントというのはリープフロッグをやり損ね、急所が相手の頭が当たり
試合が出来なくなるとか。 普通に考えて、バックドロップで試合放棄なんて有り得んわな。
草津も東郷に立つなといわれたと証言してるし、何かしらのブックだったのだろう。
当初の目論見通りじゃなくなったのだろうが。 あの時の大木はアジアタッグの現役王者でもあったから引き抜かれたら尚更に大事だった 猪木を厚遇で呼び戻したのも国際に行くことを恐れたからだって説があるね
国際と言うかバックにいるTBSは70年代の王者だったからそっちを恐れたんだろうけどね
国際の「あなたがプロモーター」で一位だったスパイロス・アリオンの横取りもあった >>176
>大木がエースでは弱い気がするが、国際勢の中では…
よく華がないとされる大木だが日プロでは吉村と並んで馬場猪木に次ぐ位置だ。
80年代だとして全日なら天龍か原の位置だし、新日なら長州あたりになるわけで。
致命的に華がないわけじゃないのが却って自己評価と齟齬が生じるのかもね。 >>184
そうなのかと思いかけたが 単なるダジャレかよ
馬場 駒 マッハ 金丸 サベージ
他にもいっぱいいると思うが >>180
リープフロッグ失敗による試合放棄でいうと'74年日大のデストロイヤー対マスカラス戦
あの試合もアクシデントとされているが
77年鶴田とのUN戦3本目の場外で脚が椅子に絡まってのリングアウト負けも
マスカラスを格落ちさせないためのブックだったのかなぁ
だとすると'73年蔵前のデスト戦も場外10カウントルールを知らなかったも怪しいねw >>186
確かに、大木は、昭和43〜46年まで馬場、猪木、吉村と並んで
「日本プロレス四天王」、アジアヘビー級、時々同タッグ王者だったが、
BI砲との差は大きかった。45年頃からは坂口が台頭してきたし。
>80年代だとして全日なら天龍
80年代と言っても、80年の天龍と89年とでは大違いだが、
まぁまだ馬場がPWF王者としてブロディ相手に防衛して、鶴田がUN王者、
無冠の天龍だった80年だったら、それくらいかな?
決して87年、否、84年以降UN王者で維新軍を迎い打った天龍でもない。
大木はアジアヘビーの前に極東ヘビー級王者として、43年頃、
台東体育館で、日プロで唯一、シングルのメインに出たが、
全く客が入らず「大木が王者では、商売にならん!」と幹部が呆れたとか。
また大木も韓国での興行に手を出していて、春の本番ワールドリーグを
良く欠場したり。
また吉村は、猪木とのアジアタッグ王者としてドリーファンクJr,キニスキー、
バレンタイン、エリックといった強豪と戦ったが、
↓の46年暮れのタイトルマッチ連戦の調印式にも大木はいない。
https://ameblo.jp/hide4368/entry-12700396321.html
大木のアジアヘビー級王座の挑戦者も、
Dカーセンとか、Bドロモといった2級戦なんだよな。
それもあまりテレビマッチで映らなかったし。 >>188
ちーん で悶絶、試合終了 も相当な格落ちだべよ >>190
しかし、マスカラスのシングル2フォール負け試合も
'78年岩手で行われたデストとのUSリマッチ1試合だけじゃない?
78年サマーアクションS 9月11日岩手県営体育館
USヘビー級選手権
マスカラス(1-2)デストロイヤー
マスカラス(片エビ固め)デスト
デスト(回転エビ固め)マスカラス
デスト(エビ固め)マスカラス
あと、ロビンソンやドリーも完敗試合が少ない印象
(タッグでの"取って取られる"は無しで) >>188
あれはアクシデントとはまったく思えない。
当時中一だったが、あぁこれは演技だわと思ったものだった。
キンタマに当たったとしても当時のガキの認識としてはぴょんぴょん飛ぶ等の
応急処置(?)をするわけだし打ったら横の臥位になって苦しむ筈と思った。
デストがタイツを上げ下ろしして風を送るに至ってはなんじゃそりゃあと。
ただ不思議なものでプロレスはすべて演劇とは考えられなかったから
マスカラスがなんらかの理由で勝負を決するのを避けたのだと思ってた。 >>189
自己レス、
大木が極東ヘビー級の防衛戦を台東体育館で行ったのは、
43年頃ではなく、41年12月16日だった。
つまり猪木の東京プロレスが旗揚げ第2弾シリーズをやっていた時。
日プロは、猪木に対抗して、それまで日本と韓国を行き来していた
大木を日本側に引き寄せ、極東王者として、馬場との2枚看板を
考えていたんだろうが、その台東体育館で、その目論見が外れた。 >>194
プロレスの歌の初披露は
馬場エリックの武道館大会らしいからそのあたりの時期かと >>189
アジアヘビーはあの時点で完全に大木専用の名誉王座だったな 日本で行われた大木のアジアヘビー級防衛戦で
最強の挑戦者はクラッシャー・リソワスキーだろうな
(昭和44年8月14日、広島=引き分け防衛)
これもノーテレビだったと思う。でメインが
猪木&吉村対ブルーザー&Mミラノのアジアタッグ戦。 ブルーザーの唯一のアジアタッグ挑戦試合か
こうしたハンデな運用も出来るのがアジアタッグの利便性
この年の末には同じ広島でドリー&レイスが挑戦してたんだな アジアヘビーは、インターが入って2番手、UNが入って3番手に成り下がった
ベルトも大木のイメージしかなく、ビル・ドロモ戦の記憶が微かにある。 >>198
同シリーズ、C・リソワスキーはアート・マハリックと組んで
アジアタッグ決定戦に出ている(VS猪木&吉村,昭和44年8月9日、名古屋)
それまで、猪木&大木組だったのだが、大木がアジアヘビーに専念するため返上。
大木は、猪木の方が目立つので嫌になったのでは?
過去の2度の防衛戦、猪木が決勝フォールを奪っている。
リソワスキーにしても、最初で最後のアジアタッグ戦だろう。
レイスは、ハンデと呼ぶには、あまりにも強力で、吉村にとっては強敵だった。
その前年(43年)の春には、ブルーザーとのコンビでBI砲のインタータッグに
挑戦しているほど。 個人的にこの王座といえば、で浮かぶのは
インターヘビー=馬場
インタータッグ=BI砲、BT砲
UN=猪木、鶴田
PWF=馬場(三冠統一前に鶴田に巻かせたかった)
NWF=猪木(坂口や弟子にも挑戦させて欲しかった)
アジアヘビー=大木
アジアタッグ=極道コンビ
何故か力道山・豊登や坂口が漏れたw >>200
後のバレンタイン&レイスの挑戦も吉村には苦しかったろうな
そしてその翌年にようやくレイスも自分がリーダーになってのはアジアタッグ挑戦 力道山は、昭和30年にアジアヘビー級王者に、33年にインターナショナル王者に
なったが、インター獲得後もアジアの防衛は並行して行っていた。
(まぁ37年1月から亡くなる38年12月まで行っていないが)
一人のレスラーが二つのシングル王者に一時的になるのは、たまにあるが
(G・馬場がNWAとPWF王者とか)、どちらかを失ったり、統一させるのが通常。
力道山のインターとアジアみたいに挑戦者の格によって並行して数年間、防衛するって
ちょっと他に例を見ないだろ。
今だったら、インター獲得後、アジアは返上し、決定戦を行い、豊登がセカンドチャンピオン
(二番手王者)になるんだが、、力道山は他の選手が王者というのは認めなかったんだろうな。
アジア王者になる前は、日本ヘビー級王者だったが、これは自然消滅。 統一戦ならともかく
自分がもってるタイトルを二つ賭けるのは意義がわからなかった。
もったいないしミドルリスクローリターンで危ないだろって。
オプションでギャラを1.5倍くれるならわかる、なんて昔思ってた。 >>203
ハンセンがAWAを取った時PWFは返上するかと思った マジかー涙。
疑ったわけではなく、すぐストロング小林でググっても
何も出てこなかったもので。 大晦日だったのか、、
昭和49年(1974年)は人気下降気味だったプロレスが面白かった。
猪木vs小林の大一番2戦に猪木vs坂口戦、秋の猪木vs大木戦と馬場のNWA初戴冠
一気に日本選手権の流れを期待したんだけど…
小林選手もこの年に全国区で注目され、一番輝いていたね。
あの年はカーペンターズと森進一をなぜか思い出す(笑)
ストロング小林選手ありがとう! ストロング小林もIWA世界ヘビー級王者になる前はUSAヘビー級チャンピオンだった
いつのまにか無くなっていたが >>203
大木の全日本でのアジアヘビーはインターの代わりだろうな
国際との対抗戦の挨拶でアジアヘビーのベルトを掲げていたが本心はインターでやりたかったんだろうな 前スレ終盤で、国内の試合において、リング上で場内マイクを使ったマイクパフォーマンス(TV局アナによるインタビューは除く)を最初にしたのは誰で、いつ頃かとの質問を書き込んだ者ですが、上記の疑問に対する回答が見つかりました。
それはおそらく、1974年12月12日に行われたアントニオ猪木対ストロング小林の2度目のNWF世界戦で、猪木の卍固めが決まりレフェリーストップで試合が終了した後、ギブアップしていないとアピールする小林に対し、猪木が「挑戦は受けるから何度でも来い。」と場内マイクのみ(TV実況マイクなし)でアピールしたのが最初ではなかったかと思います。 >>213
それなら、1973年7月、国際プロレスで
S小林対R木村のIWA戦に先立って、木村が、リング上で
(別にアナウンサーのインタビューを受けたわけではない)、
小林に挑戦宣言をしたのが先だと思いますよ。
6月29日の対マードックとの防衛戦の後かな? >>213
72年9月の田コロで坂口がシークに負けてUNを取られたときに
次の大阪で必ず奪還しますとアピールしたのが先ではないかな 田コロの坂口より前にも(TVマッチで)ありそうだけど、確認しようがないからな
>>213
2度目の猪木小林戦は、ゴッチが連れてきたコシキ・ジーンのポカも
試合を盛り上げるための演出だったのかは気になるw
あとアジア王座は、新日が新設しなかったら全日での復活はあったのかも… >>217
ブロディにフォール勝ちした時も同じ感じ >>215
それは、試合終了後、アナウンサーの
インタビューに応えたモノではなくて?
一応、前スレからの話題は
「マイクパフォーマンス(TV局アナによるインタビューは除く)」なのだが。 216の自己スレ
>新日が新設しなかったら全日での復活はあったのかも…
…新設しなくても、全日での復活はあっただろう >>220
本部席のリングアナのマイクで話してる
そもそもこの試合ではアナウンサーのインタビューはリング上では行われていない 今はアピールが相手や周りのれすらーにたいして啖呵を切るようなスタイルだが
昔は客席にたいしてのガンバリマス的なものだった。
いつ頃誰が変えたいったんだろう。 今でこそリング上の両者間でマイクアピールするのは普通の事になったけど
昭和の時代は「相手が近くにいるのになんでわざわざマイク使うの?」という声も少なくなかった 一番最初のマイクアピールは初代アジアヘビー級決定戦後のキングコングという説も リッキー台風でも引用してたな
プリーズワンモアチャンス! https://pbs.twimg.com/media/FIp3wUAacAY4_HP.jpg
シンの密偵ワイルドマンがどんなレスラーか知らんが、坂口相手じゃ良い試合は無理でしょう
ピート・ロバーツ、スティーブ・ライトの技巧派コンビと猪木木戸組の対決の方が余程期待できる >>228
うわさのチャンネルのデストロイヤーのほうに目を奪われた 80年代に入って、やたら新日で流行るようになった気がする。
後、日プロ時代から延長戦は多々あるが、観客の延長コールからの延長戦も
新日が最初じゃないかなぁ 日本プロレスは、日本側チャンピオン(G・馬場やBI砲)対外人強豪の
戦いで、両リン防衛もあったが、だいたい日本側が2フォール収めて防衛。
後の乱入や、不透明決着もなく、観客もまぁまぁ満足して帰った。
それが、新日、全日時代だと、強豪外人同士の試合が組まれたのは良いが、
決って両リン。そして乱入、レフェリー失神。客のフラストレーションが募り
「延長コール」が起こった。 >>231
>ライスとスープが別料金とはいえ
一枚目の写真には
〔サラダ・ライス付きで1200円」とあるけど? 例えば、両リンから延長戦になって、どちらかがリングアウトで勝つことがあるけど
結果が最初から決まっているとすると、両リンは演出で
客は手のひらで踊らされていることになるなw 疑問なんだけど、ディック・ザ・ブルーザーとクラッシャー・リソワスキー
日本では"ブルクラ"の呼び名があるように、ブルーザーの方がリーダー扱いだが
アメリカでの評価はどっちが上なのか(梶原マンガではブルーザーが上っぽいが)
そう考えると、最後までBI砲と呼ばれた猪木は面白くないだろうな… その気持ちを忖度した週刊ファイトは猪木馬場と書き続けたんだろね。
さすがにIB砲とは書かなかったが。 >>236
BI砲は日プロで解体したんだし、70年代の途中から猪木馬場でいいんだけどね。
まあ、ハンセンの名前がいつも先にくる超獣コンビは同格扱いだったし >>235
やはり、アメリカでもブルーザーの方が評価は高いだろうね。
クラッシャーはAWA世界王者になったが、ブルーザーも同王者の他、
ロス、アトランタ、インディアナポリスでも世界王者に認定、セントルイスの
ミズリー王者にもなった。
1969年夏、ゴングの「読者の質問にレスラーが答える」コーナーにクラシャーが
呼ばれ、「ブルーザーは貴方より年下だが、なぜボス格なのか?」という意地の悪い
質問もでた。クラッシャーは「答えにくい質問だな」とか言っていた記憶がある。
この二人、格の違いをマザマザと現したのは、その来日時、ブルーザーは馬場のインターに
挑戦したのに対し、クラッシャーは大木のアジア王座への挑戦だったこと。
しかし、72年暮れに国際プロレスに揃って来襲した時、S小林のIWA王者に挑戦したのは
クラッシャーだけだった。ブルーザーは敬遠されたのか? ブルーザーの方が格上でIWA王座の挑戦なんかとんでもないって感じかな
問題の金網戦もブルクラの王座に挑戦する形だし ブルクラと草津小林の金網タッグ戦で暴動が起きたが、あれは金網から脱出した方が勝ちと
いうルールを観客が理解していなかったというのが理由とされていたが
Gスピでは、国際のエース二人が外人相手に成すすべなくKОされた不甲斐なさに
観客のフラストレーションが溜まったのも原因だと言ってた
吉原代表は所属日本人より外人を優遇する
そんな歪な団体がBIが旗揚げした団体に勝てるわけがない ブルーザーはプロモーターでありWWAのオーナーでもあったんだからそら格上でしょう。 馬場、猪木、ガニア、コロン、ワンツ・・・・・・・大仁田w
オーナーレスラーが最強なのはプロレスの道理。 雇われチャンプが大衆の支持を得てピープルズチャンプとなって
オーナーと対立できるまでになるとストーリーは楽しくなるよね。 ブルーザーの喧嘩試合は、馬場より力道山や豊登との方が面白くなりそうだね。
でもブルーザーとロジャースの二人は、呼びたくても呼べない大物という話があったような、、 初来日の二戦分のギャラはブルーザーの生涯で最も高いギャラだったとか ブルーザーの初来日の二戦は、インターナショナルヘビー級王座決定戦と馬場の初防衛戦ですね。
この二戦で馬場はブルーザーからピンフォールかギブアップ取りましたか?
馬場がブルーザーからピンフォール取ったのは、PWFの防衛戦が初めてだったような気がするのですが。 >>246
2戦目の蔵前での1本目で32文でフォール勝ち
43年、44年でもフォール勝ちはある >>245
アフィルス家の母親が土地成金(原爆実験場になったネバタ州の)で、
遺産相続したブルーザーも億万長者だったみたいよ。
>>248
今考えると第3回Cカーニバルは、オールディーズ総決算のようなシリーズだったね。
荒縄マッチになったブルーザーとのPWF戦
師弟コンビ対キニスキー&コワルスキーのインタータッグ
デストロイヤー対Mr.レスリングの覆面10番勝負
馬場対キニスキーのカーニバル優勝戦
WWWF&PWFダブル選手権になったサンマルチノ戦(ゼネストのw)
凄い面子が揃ったのに、同時期に新日が猪木坂口大木小林斎藤が総当たりする
第2回ワールドリーグ戦があったから、そっちに注目が集まった。 >>250
オールディーズ総決算か。
世界ヘビー級争覇戦に呼びたかったけど呼べなかった大物レスラー勢揃いでもあるね
サンマルチノを除いて。
ついでに全部に勝ってしまった。サンマルチノを除いて。 >>235
IB砲はきついんじゃないかな
それだと馬場の顔が立たない
BI砲なら年下という事で猪木の顔も立つ ブルーザーは死に方がちょっと情け無かったね
ベンチプレスやってバーベルが首に落ちて窒息って・・
ベンチプレスで潰れたら胸→腹→恥骨とバーベルを下にズラして言って最期にデッドリフトの要領で立てばいいんだよね
ベンチプレスで上がる重量ならデッドリフトなんか余裕だしね
それか最悪、床傷つけて良いから片手をバーベルから放せば傾いて床に落ちるからね >>253
> ベンチプレスで潰れたら胸→腹→恥骨とバーベルを下にズラして言って
ここまでは分かる。
> 最期にデッドリフトの要領で立てばいいんだよね
なんでそうなるのか全く分からん。 >>252
巨人の長島、王も長島の方が年上、入団も先だから
NO砲と呼ぼうとしたが、NO(ノー)だと
全く打たないみたいだからON砲になった。
長島はどう思ったかな?
*長島の「島」は現役時代の字を表記した。 流石にNOは不味いからONとしても長嶋のへのいいわけも、顔も立つわな >>251
同時に鶴田のライバルとなり得るヤングパワーも呼んでるんだよな
スティーブ・カーン
ボブ・オートン・ジュニア
マイク・ジョージ >>250
外人は豪華なのに使ってる会場がショボいところが多いんだよな
決勝が和歌山では・・
ここで話題的に新日に負けたことにから
外人の世代交代が進んで
本格的にブッチャーを押していく路線に変わっていく 巨人の星などで三番王、四番長島のイメージしかないので
その順番通りONと思ったのだが 3番長嶋、4番王で阪急山田から逆転サヨナラなんてこともあった >>262
そうか!?
三番王、四番長島でONだと思ったのか!
私は「3番、サード、長島」背番号も3のイメージが強い。 メジャーではかなり前から3番に一番良い打者を置くパターンが多かったし
最近は2番に一番良い打者を置くってのもある
そこら辺の考え方も時代とともに変わるんだよね >>259
1回が福井 2回が前橋 3回が和歌山
これはこれで味がある、4回も札幌じゃなくて青森とか盛岡、熊本なら路線継続だったな。 >>257
Wiki によると、ヤンキースのミッキー・マントル、ロジャー・マリスのMMキャノンが由来
通常は3番に王、4番に長嶋を配置していたが、試合によって打順を入れ替えたので
NO砲案も検討されたが、"不発弾"になってしまうので却下されたらしいw
ON砲(63年〜)の名付け親はデイリースポーツ
BI砲(67年〜)はON砲が由来だが、それ以前に豊登・馬場のTB砲(〜65年)があった。
BI砲は71年に解消されたが、73年馬場は再びアントンとタッグを組むことにww >>267
全日は新日に比べ営業が弱いと言われていたが、第3回大会までの優勝戦会場は
地方有力プロモーターへの挨拶周りというか、ご祝儀興業の意味合いもあったのでは?
それか、選手権試合をメインにして、会場を確保出来なかったのかも…
第1回大会では、優勝戦後に大阪府立と日大講堂でシークとのPWF2連戦があったし
第2回も大阪府立でPWFブッチャー戦、第3回は日大講堂でブルーノとのWタイトル
一応、大会場は押さえているんだよね。 >>250 >>259
馬場は米三大タイトルの現、前、元王者やトップコンテンダークラスを呼んで、自分とのカードを組めば客はついて来るだろうという考えが見え見えで、何をすればファンが面白がって集まってくるかという観点から考えていた感じはなかったな。たまに話題を提供したかと思えば、ヘーシンクだったしw
日本人対決にしても、スピード&パワーの大型外人レスラー路線にしても、軍団抗争にしても、馬場は常に、新日がヒットさせた企画の後追いしていたね。 >>270
>自分とのカードを組めば客はついて来るだろう
それも対モラレスあたりから怪しくなって
大会場の馬場のシングル戦なんてハンセンまで記憶にないくらい。
やってもたいして埋まらなかったろうけど74年にガニア戦とかを考えなかったのかな? >>271
対大木金太郎戦と対ビル・ロビンソン戦があったけど、新日がヒットさせた企画のパクリだったしね。
馬場には米マット信仰が色濃くあって、米マットの人気レスラーを呼んで向こうでやっていることをそのまま提供すれば、後は何もしなくても、ファンはありがたがって見に来るだろうという、殿様商売的感覚があったと思うな。
その顕著な例が1975年のオープン選手権で、招聘したレスラーは名の通ったレスラーばかりだけど、日本のファンを惹きつけるファイトを見せ、その後のシリーズで観客動員に貢献したレスラーは殆どいなかったね。 確かに両団体の初期は、新日の方がファン心理を掴んでいたけど
新日にしても苦肉の策が効を奏したというか、捻り出した企画がヒットした感もあるね。
ゴッチしかり、マクガイヤー兄弟しかり、シンや日本人対決しかりと
猪木新間コンビも、資金力や招聘ルートがあれば馬場路線に走っていたかもしれない
でも、今となっては全日の初期を無性に見たいんだよな〜 >>268
> BI砲は71年に解消されたが、73年馬場は再びアントンとタッグを組むことにww
73年に組んだか >>274は「?」の付け忘れw
73年に組んだか? クーデターがなく猪木が日本プロレスに残っていれば昭和50年前後には自然に猪木単独時代に移っていったんじゃないかな
ただ猪木の燃える闘魂の魅力というのは新日本プロレスならではのものだし
豪華外人相手に猪木がインター防衛線を重ねてもさほど魅力的な団体にも思えないかな ボブ・バックランド
ボブ・オートンJr.
ボブ・ループ
テッド・デビアス
ディック・スレーター
ディック・マードック
スタン・ハンセン
ファンクスは将来性のあるいいレスラーを送り込んでるけど馬場のライバルは自分達とブッチャー、レイスだけで十分というか他に奪われると困るからかブッキングしてこなかった >>278
NWAとの協力関係を確立し、ほぼ全国にネット局を持つ日テレのTV中継を得て順風満帆、メジャー感バリバリの全日本に対して、新日本は米マットとの協力関係は乏しく、TV中継をするNET(現テレ朝)も70年代前半はネット局が少なく、前途多難でマイナーな印象は否めなかった。
ただ、その結果、全日本のリング上は予定調和で緊張感に欠けた、痛快娯楽時代劇のような感じになったのに対し、新日本のリング上には独特な緊張感と暗さがあり、ハードボイルドドラマのような雰囲気が醸し出されてきた。
プロレスラー猪木の才能が大きく開花したのは、新日本プロレスの持つ独特の緊張感と暗さに因るところが大きいと思われるので、仮に日本プロレス離脱せず、順風満帆でエースになったとしたら、明るいけど軽くて緊張感や色気のない、鶴田みたいなレスラーになったかもしれないな。 全日本はテリー、マスカラス以降天龍革命で天龍が覚醒するまでファンを熱狂させる選手がいなかった >>280
猪木の覚醒は女房の倍賞美津子の演技力に影響された事も大きい
猪木は「美津子は最大のライバルでもあった」と離婚の時に言った位だし >>261
三番長島、四番王のイメージが強い?
何言ってるんだ?お前。
知らんくせに適当なこと言うなよ。 新日初期の営業は苦労したというからな、国際のストロング小林と間違えられたり
「猪木は日プロクビになって廃業しただろうが。インチキなポスターを貼るな」
みたいな屈辱的な蔑みまて言われたりしたとも >>280
入社して九州出身の奴だったかな?ちょっと記憶が薄くてすまんが
馬場をテレビで見たことなかった、全日中継して無かったとか聞いたことある。
日プロ時代も馬場は日テレだけ、猪木はNETでも放映されたので
日プロ末期は猪木の方が全国的知名度は高かったという説もある。 >>285
東京・大阪・福岡に関しては馬場より猪木のほうが上かもしれんが、
全国的には猪木は坂口やS小林より知名度が下だった。 >>286
例えば1970年における日テレ+NETってのとTBS単独の
エリアってのはどちらが広かったんでしょうか? 小林>猪木>馬場って知名度順でいいんでしょうか?
テレビ中継されても見られなければ認知されませんよね?
TBS国際プロレスってのはどれ程の視聴率だったかも気になります。 無茶苦茶なこと言ってるな。
知名度は馬場>猪木>小林に決まってるだろw
馬場は視聴率50%取ってた力道山時代の1963年に
凱旋帰国して、そこから毎週テレビに出てたんだし、
68年のインター戦なども視聴率36パーセントとか
取ってる大スター。アニメの「タイガーマスク」にも重要キャラで出てるから、子供たちの知名度も抜群。
その後日テレとNET2局に猪木が出てたといっても、
馬場とはその頃からの貯金の差がある。
いわんやストロング小林は、エースで君臨したのは1971年以降。その頃の視聴率は10パーセント前半程度で、ネット局が多かろうと、相手にはならない 後、最も重要なことだが
日本プロレス中継のネット局の方が
TBSの国際プロレスのネット局より「多かった」。
日テレ31局に対して、TBSは20数局。
俺の地元ではTBSネットの局で国際プロレス中継は
放送されていなかった。
当時は地方県には放送局が1〜2局くらいしか
なかったから、各局の番組を詰め込みで放送していた。だからTBS系の局でTBSの番組が放送されないことはよくあった 猪木が日テレに写せるといっても、馬場の後塵を拝す立ち位置だったから目立てなかったというのもある
だからこそ猪木は日プロに馬場と直接対戦させろと迫っていた。
馬場を試合で潰そうと不遜なこと考えていたのバレバレだから
上層部が対戦を却下したのは当然なんだよな 当時の格は猪木が馬場に挑戦して小林が猪木に挑戦していたのを見れば一目瞭然でしょ
挑戦は格下が格上に対してするもの
つまり馬場>猪木>小林
後にラッシャー木村が猪木に挑戦した時に猪木は
「後楽園ホールを埋めるのにも苦しんでいる団体のエースが挑戦なんて己を知れ」とこきおろしていた ちなみに自分の県ではTBS系列の局で
日本プロレス中継を同時ネット、NETのワールドプロレスリングを録画中継していて、国際プロレスは
1年だけ放送されて打ち切りになった。 しかし、74年の猪木小林戦が名勝負になったから良かったものの
不透明決着や不穏試合になっていたら、後の大木戦とかも無かったかもしれないな >>280
>全日本の全日本のリング上は予定調和で緊張感に欠けた痛快娯楽時代劇のような感じ
そうなんだしそれであればいいんだけど「痛快」でないところが困る。
>新日本のリング上には独特な緊張感と暗さ
そこに猪木の闘魂が燃えることで団円、というところなんだろう。
日プロでエースになってたら、若獅子から獅子か獅子王になったとも思われる。
「燃える闘魂」にはならなかったかもということ。
ちょっとずれるがドリーが若馬と名付けれてあの頭髪で若馬?
と、ちょっと苦しかったのとどこか通じる。 >>295
その意味ではまもなく四十年となる馬場・ハンセン戦はそれを超えたな >>289
だから知名度は観客の世代と住む地域で変わるんですよ。
現に私の動機は70年代後半まで馬場を知らなかったわけだし。
吉本新喜劇の役者を関東の方が知らないのと同義です。
楽天イーグルスのファンが広島カープの外人選手を答えられないでしょう。
ましてテレビが普及していない時代の視聴率と視聴者数には相違が生じますから。
知名度は≒視聴者数でしょ?
日プロを視聴していたのなら馬場=猪木でありNETの分だけ馬場<猪木となるのはおかしな話ではない。
小林>猪木であるならば小林>猪木>馬場となってしまう理屈です。
>>292
誰も格の話をしていませんよw >>296
新日旗揚げのゴッチ戦の時点でガウンに闘魂の文字を入れてるくらいだから
猪木の中にはそのイメージは前からあったかもしれない 自分が住んでいた県は、民放は2局(VHF、UHF各1局)で、1970年頃、VHF局はTBS、日テレ系列、UHFはフジ、NET系列だった。
日本プロレスはVHF、UHF両局で放映されたけど、国際プロレスは日テレの番組優先で放映されなかった。
国際プロレスの選手はプロレス誌で知っていたけど、実際に動いているのを見たのは、小林が対猪木戦で新日に登場した時が初めてで、木村、草津、井上はオープン選手権で全日に登場した時が初めてだった。
なんか、男性雑誌のグラビアでよく見ていた日活ロマンポルノの女優さんが動いているのを、大都会のようなメジャードラマで初めて見たのと似ているなw >>297
馬場ハンセン戦を全スポーツ紙の一面を飾った猪木小林戦と比べること自体間違い
スケールも全然違うし
そもそもこの時代の馬場はそんなに期待されてもいない
意外に頑張ったというレベル >>298
だから。日本テレビの日本プロレス中継が
一番全国ネット局が多くて、一番視聴率も高かったんだから、馬場の知名度が一番高いと考えるのは
当然の話だよ。
調べたら、日本プロレス中継は、佐賀県以外では全部放送されてたよ。国際プロレス中継は熊本、佐賀県で放送されてなかった。
あなたの友達は、単にプロレスに興味なかったんじゃないの? >>301
何かで国際プロレス中継は東北で強いと読んだような記憶がありました。 >>304
実は、国際プロレスがTBSで放映されていた時期に、東北の2つの県に住んでいましたが、悲しいことに、どちらの県でも国際プロレスのTV放映はありませんでした。 >>303
頑固ですねwだから日テレで日プロを見ていた人には
馬場=猪木となるでしょ?
ここで書き込んでいるのだからそんな奴じゃないことは察してくださいよ。
私も同期(当然同い年)も日プロの馬場や猪木時代など知らんのですよ。
全日の馬場と新日の猪木しか知らない。
私が書いているのは日プロ中継ではなくて、全日の中継がなかったから
馬場を知らなかったと言っていたってことです。 >>305
ごめんなさい、間違いでしたか。
ではTBS故に国際プロレスの知名度が高かったという説は
日テレ、NETのプロレス中継に対しどこの地域を言うんでしょうかね?
東京12チャン時代の国際がやたらと北海道興行をしていたような気がするので
北海道? >>306
話がズレてきたけど
全日新日の時代なら、国際は東京12チャンネルの放送になっていたから、知名度では当然劣るし。
そもそも小林は新日本に移籍してたw
だから知名度はエース猪木>>小林となる。 >>295
すっぱり決着したから名勝負とされたこともあるよね。
もし馬場戦だったらレフェリーのアクシデントや乱入があったかもしれず。
馬場が大木戦でピンとったのも猪木が小林大木と連勝してたからこそと思う。 >>308
違いますよ。TBSがプロレスを中継していたのは74年までです。
猪木小林戦も74年です。
小林が退団したから中継止めたのか、止めたから退団したのかは知りませんけど。
74年までのTWWA中継により小林は猪木より知名度があったと言われてるわけでしょ? 東北でTBS国際を中継してたのは2県だけ
岩手、宮城のみ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/TWWAプロレス中継
日本プロレス中継は青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島で放送
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本プロレス中継 >>310
そもそも「小林が猪木より知名度あった」なんて
何の根拠もないですよ。
プロレス見てない人でも、71年に女優倍賞美津子と結婚した猪木のことは知ってたでしょう 国際時代の小林が同時期の猪木より知名度があったというのは無理ありすぎ
吉村、大木クラスでも上回らないと思う
たとえトップでなくても地方球団の4番が巨人の選手の知名度より上という事はないのと同じ 物理的に言ってもさ。
小林がIWA王者になったのが1971年6月で、
国際プロレス中継は1972年3月にはゴールデンタイムの放送を降格になってるんだから、王者で
ゴールデンに映ってたのは、9か月程度よ。 >>312
でもそれを裏付けてるのが新日の大塚の発言なわけでね。
現に新日は72年設立からの1年程はテレビが無いわけだし。 >>314
映像で残っていたドン・レオ・ジョナサン戦を見たが正直小林はしょっぱかった
あれがエースじゃゴールデンは続かんわ
やっぱりBIとはスキルで差があった >>309
馬場と言えばラッシャー戦と比較出来ますよねw >>317
ジョナサンってみなしょっぱくありませんか?
フィジカルは凄いのは認めるけど。 新日本旗揚げのノーテレビ時代の
国際プロレス中継は日曜6時の放送に降格されて
ネット局も縮小されてた。
1973年4月には新日本はNETの月曜日夜8時のゴールデンタイム放送となり、国際は土曜日の昼間の放送に降格。1974年3月に打ち切り。
この流れで小林が猪木より知名度あるとは言えないわね >>318
あれを猪木小林戦並の世間の注目度の中でやられたら
日本のプロレスが終わってた >>302
そりゃ東スポ自身が深く関わってたわけだし
あそこで凡戦に終わっていたら馬場も全日本も後が無かったという点では猪木・小林戦を超えていた
ドローでも歴史的名勝負となった点も含めて >>321
馬場木村戦ってのは注目されてなかったんですか?
猪木小林の小林はフリーだけど馬場木村は両団体の真のエース対決ですよ。
私はあれで馬場は完全に悪人となりましたww >>321
それはいいすぎのようにも思うが
馬場は格下にたいしてあからさまに見下した態度とるのがなあ〜。
にやついた顔つきで時間も体力も使わない。
その点猪木は格下を相手にする自分が腹立たしいという感じで
その怒りを相手にぶつけるようなとことがある。
相手に対する口吻は厳しいがいちおうの尊重はあるように思える。
馬場にはそれはない、そんな馬場の態度に好感を持つのは難しい。
おれは馬場ファンなんだがあれはどうにも嫌いだった。 >>323
馬場木村戦は蔵前の試合もそうだけど
試合内容と言い結末と言い業界の経験豊富なトップたちが
頭を悩ませて時間をかけて考えたとは思えないような酷さ
あれならやらないほうがマシ
日プロ時代の馬場なら木村みたいなタイプは
試合を造る上で苦手という事はないと思うんだけどなあ 馬場と言えば草津戦もひどかった。
国際エースのラッシャーと鶴田が引き分けてる時点で
プロレスのストーリーとしてもおかしい。 >>307
私も以前からその説を見聞きする度に不思議に思っていました。
もしかしたら、新日、全日が旗揚げ間もない頃、インタビューで猪木、馬場に対し「ウチを見習いなさい。その一言です。」と言い放った吉原社長が、勢いに任せて言った事が発端なのかもしれませんね。 >>315
出てなかった筈
覆面太郎のデビュー戦は、67年7月27日名古屋金山体育館の20分1本勝負
大磯武戦で、14分37秒体固め勝利
このパイオニアサマーシリーズは、まだTBSの中継はなく
素顔の小林省三に戻ったのが、テレビが中継を始めた68年1月3日の
有名な隅田川決戦で、再び大磯と対戦している。 >>325
そりゃあ頭を悩ませて考えただろうねぇ
だいたい全日が国際と団体提携してた時のエース対戦と
国際が倒産した後の対戦では、試合内容に差が出るのは当然で
新日は自由にシナリオが書ける。 もしかしたら、馬場を知らなかった人は、そこのご一家でチャンネル権を持っていた方がプロレス嫌いで、プロレスをTVで見せてもらえなかったのでは? >>325
あれは馬場にとってもマイナスの大きい試合だったからな
オープン選手権でのブッチャーの乱入も含めて 日本人対決の不透明決着の元祖は
実は1974年の猪木坂口戦だけどね。
猪木が坂口に4の字をかけたところにクラップとインベーダーが乱入して、坂口を試合続行不可能に追い込むw
この手法を取り入れたのが
1975年オープン選手権の馬場木村戦に
おけるブッチャー乱入ではないかな。 >>301
VHF、UHFももはや死語だな。VHF局が格上扱いだった >>292
猪木が木村を「己を知れ」とこきおろしたのは
実力日本一を賭けて戦おう、と言われたから
それを取り下げ挑戦するなら受ける、ただし興行権やTV中継はこちらに一任すること >>327
> 「ウチを見習いなさい。その一言です。」
これは猪木・坂口の「新・日本プロレス」に対して >>330
違うと私は思いましたけどね。
では全日中継ってのは日テレ系列により全国くまなく視聴できたって事ですか?
同期が言うには70年代後半(これも記憶違いか?)まで全日中継は無かったと言っていたのです。 >>332
その試合と馬場木村との違いは
乱入前まではしっかり熱のある攻防を行ってた事
その分不透明になった時の落差は大きいが
馬場木村戦は不透明関係なく試合そのものが漫然としてる
TPG暴動の時の猪木ー長州、ベイダー戦の内容に近い >>332
いやいや75年だけじゃないでしょww
もっとひどかったのは78年ですwww
やらなきゃよかったんですよ、その通りだと思います。
>>ttps://www.youtube.com/watch?v=99lNeLXApjg
改めて見ると客入ってませんね。 >>336
こういうことはありました。
全日本プロレス中継は土曜午後8時だったのですが、ナイターシーズンになると後楽園での巨人戦中継が優先され、野球が中止にならない限りプロレス中継は23時45分から放映されていました。
ただ、私が住んでいた県のネット局では23時45分から別番組(主にお色気番組)が放映され、プロレス中継はなく、ナイターシーズンは月1〜2回しか放映されないことがありました。同様のことが他のネット局でもあったのではないでしょうか。
とは言っても、野球がシーズンオフの間は全日本プロレス中継は土曜午後8時に放映されていたので、これも違いそうですね。 >>337
猪木と坂口の関係も初期は対等に近かったからな >>341
結果では猪木が勝っても内容では坂口が上回っていた
と評させるバランス感 75年78年の馬場木村戦は、団体の力関係で馬場勝利の交渉が合意されたが
木村の"言い訳がたつ"負け方でなければいけないわけだから、不透明決着は仕方がない
ただ、足4の字リングアウトは頂けないよねw
74年猪木坂口戦も、まだ2枚看板時代の坂口だから、同じ理由で不自然な乱入になった。 一所懸命ググりました。
>>ttps://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E4%B8%AD%E7%B6%99_%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%B1%80
特に土曜17:30枠 (中略) の時代は一時期打ち切っていた局もあった。
この時代を言っていたのかな?時期的に勘違いはありますが。 >>336
何かまた無茶苦茶言ってない?
全日本プロレス中継と同時期には
すでに国際のTBS放送はゴールデン降格してたし、
その後はローカルの東京12チャンネル放送。
そもそも国際がオープン選手権や全日本との対抗戦をやったのは「全国放送の全日本プロレス中継に
出て知名度を上げるため」だからね。 >>344
ググるより同期の人に聞いた方が早いと思いますよ。
では、私はこれで失礼いたします。 ここで当時のリアルタイムの記憶のある多くの
人が「知名度小林>>猪木>馬場はあり得ない」と言ってるのに、その同期の人の言葉を信用するなら、
同期の人に聞くしかないわね。 >>319
ジョナサンはフィジカルには素晴らしいが、
プロレスがショッパイのは、もうリアルタイムで
見ているファンには定説。
1989年に全日が「往年のレトロレスラーを呼ぶ企画(試合はしない)」が
あり、その第一回にジョナサンが招待された。
当時、全日、馬場とベッタリだった週刊プロレスの編集長が、
やたらとジョナサンを持ち上げたので、リアルで見ていないファンも
幻想が膨らんだ。
その編集長、ジョナサンが初来日した力道山時代は家にテレビがなかったとか、
1967年、70年、72年の時は、大学で映画に夢中だったとか言って、
あまりジョナサンの試合は見ていないと思うんだがね(苦笑) >>345
それでも陣容が手薄だった全日本の初期には馬場を草津の前に歩かせる事が出来たんだよな
その御礼は後でタップリ払わされた感じだが >>343
多分、馬場のリンクアウト勝ちというブックだったのだけど、生中継で時間内に収めるため無理矢理終わらせた感が強いな >>345,349
くどいな〜ww
小林が猪木より知名度がありましたと言う説は私が言っている事ではなく
なかばプロレス界の通説ですよってこと。大塚もそう発言している。
小林>猪木なら小林>猪木>馬場ってことになっちゃいかねないってことを質問しただけです。
NET放映もそうですし、倍賞美津子がかみさんならプロレス興味ない層でも知名度があるってことだからね。
。 >>343
芳の里なんてヘボいのにレフェリーやらせた時点で失敗は見えてたな 不透明なリングアウト決着にしたのは力関係を曖昧にする馬場の配慮でしょ。
というか国際側の要求。
それでも馬場は新日本よりは優しかったと思う。
ヤマハが井上草津に勝つとか、木村が小林に
フォール勝ちできないとか、無茶苦茶やられたからな。 >>353
だから、小林が猪木より知名度があったなんて
通説はないんだってw
その時代生きてた人間ならわかること。 >>355
新日の斡旋でラッシャー木村にジョニー・パワーズが挑戦して
そのパワーズは直後のMSGシリーズでS小林に破れて予選落ちってのもあった たとえば「国際しか中継してなかった
●●県では小林の方か知名度があった」とか、
そういう限定的な言い方ならわかるよ。
無限定に「小林は猪木より知名度あったが通説」と言われたら、ねえよとしか言えないわ >>349
ジョナサンは負け方が絶望的にヘタクソでしたね。
オープン選手権での対ブッチャー戦が有名だけど、試合開始から相手に何もさせずに延々と攻めるだけ攻め、その後自爆して、相手に一発攻撃貰ったらピンフォールされて試合はオシマイという、相手を強く見せようという気配りをしない試合運びをするからね。 >>355
馬場の配慮と国際の要求はそうだったけど、レフェリーの芳の里がそれを台無しにしたね。生中継で放送時間がひっ迫した中で試合をコントロールできなかったのだろうね。 >>355
馬場対木村戦なんていう難しい試合を生中継でやっちゃダメだし、生中継でやるなら熟練したレフェリーつけないとね。 >>356
>>ttps://news.yahoo.co.jp/byline/kiyonoshigeki/20220112-00276789
TBSのネット局の多さもあって、当時の知名度はアントニオ猪木を上回っていたと証言する人は多い。 >>355
もはや新日本しか組む相手がいなくなったからな
だから
それだけでも下駄の雪にならざるを得ない >>361
たぶん芳の里の頭の中には、日プロ末期のインタータッグ
大木&上田vs.エリック&クラップ戦の、足4の字リングアウトがあったと思うな >>352
その本、持っている(苦笑)
P43あたりだね。
まぁ、ターザンがジョナサンファンだったのは事実として、
そのことを馬場に言ったら「でも、ジョナサンをエースにした
シリーズは客が入らなかった」とも書いてあるね。 >>ttps://bunshun.jp/articles/-/51320?page=3
当時の国際プロレスは放送網の多いTBS系列で中継されていたため、
プロレスラーとしての知名度は猪木さんより小林さんの方が圧倒的に高かった。 >>362
なんだやっばり、1973何生まれの記者が
書いたネット記事じゃん。 >>366
知名度の圧倒的に高い小林が、何で猪木に挑戦しなければなならないか。
と考えらば、大塚直樹の言ってることが嘘なのは
わかるでしように。
何度も言うが、この当時すでにTBSの国際放送は
土曜昼間に降格させられ、しかも不人気で
打ち切りになっていたのに。ら >>353
大塚も、というか今のところ証言者は大塚だけだな >>367
書き手がそう思うと書いているのではなくて
そう証言するものが多いと書いているんですが・・・
大塚氏の証言は?こんなの沢山あるはずですけど。
それを通説と言わんのですか? >>368
それは草津の件やTBS中継が終了することもあるでしょう。
猪木はオーナーレスラーですからね。馬場と共に最強レスラーな所以です。 大塚直樹一人が言うと何で通説になるの?
新間にきいたら絶対否定するよw >>364
確かに。
あれは、ようやく奪取したインターヘビー王座は手放したくないが、日プロ残党の受け入れに際し、タイトルホルダーが多過ぎるとの難色示す馬場にも譲歩せざるを得ないとの厳しい現実に直面した大木が、不満たらたらの上田を抑えて、自ら進んで負け役を担ったという事情があったようですね。
しかも、TV中継もなく地方会場で300人程度の観客だったので、不透明決着でも全く話題にも問題視もされませんでした。
https://white.ap.teacup.com/corona/2216.html ストロング小林本人が「TBSの方がNETよりネット局が多かった」という話をよくしてたし、それを聞いた人間は影響されるんだろうよ。
小林は日本プロレス中継時代のことは考慮にも入れてないけどな。 >>ttps://news.yahoo.co.jp/articles/b08a9f05c396c4df8231ad676231c3836ac9d17f
小林さんの活躍と知名度は、他団体やテレビ局にとって非常に魅力的で
>>ttps://ameblo.jp/misterproresu/entry-12719845348.html
「私が新日本に来た頃、新日本のテレビ中継は全国でそんなに流れてなかったんですよ。私はネット局の多いTBSで中継してた
国際プロレスの王者だったから結構知られていたんだよ」
普段新日本の中継が流れてない地域での興行で小林さんの知名度に助けられた面あったみたいですよね。 >>375
小林本人の証言でね。
無論助けにはなったろう。助けには。 猪木は、1971年暮れに日本プロレスを追放されたため、翌72年に入るとプロレス以外も含めてTV出演の機会は激減し皆無に近かったと記憶しています。
マスコミで取り上げられたのも3月の新日旗揚げまてで、それも猪木よりも旗揚げをサポートする倍賞美津子夫人と姉の千恵子さんにスポットライトを当てたものが多かったと思います。
ということで、1972年は、秋に東京12CHが単発で猪木対ゴッチ戦を中継したこと以外、TV、プロレス雑誌以外のマスコミで猪木が取り上げられることは皆無に近く、この一年間でプロレスラーアントニオ猪木の一般的な知名度は著しく低下したことは事実だと思います。
しかし、その間、プロレスラーストロング小林の一般的な知名度が上がったかと言うと、それは疑問です。猪木の日本プロレス追放以降、プロレスはスポーツ紙(東スポ除く)で報じられることは少なくなりましたし、TBSでプロレス中継されていたといっても、同局で中継されていたキックボクシングの沢村忠のように、他の番組に出演して知名度が上がるということもなかったと思います。
ですから、プロレスラーストロング小林の一般的な知名度が上がったというよりも、プロレスラーアントニオ猪木の一般的な知名度が、大塚氏が入社した新日旗揚げ頃には著しく低下していて、その後、新日のTV中継開始とともに復活したというのが妥当ではないかと考えます。 猪木の場合、知名度的には日プロ時代のもの(BI砲時代で高視聴率)、嫁が倍賞美津子、T・J・シンの伊勢丹襲撃事件だけでもストロング小林よりはあったんじゃないの? 74年猪木小林対決時に
小林の方が知名度が高かったと証言が複数あるのに対し
個人の感想ではなく、いやいや猪木の知名度の方が高かったですよという
証拠や証言を提示すべきでは無いかな?
「言わない」・・・失礼ですけどそれは老害ですよ。 >>380
いちいち「小林の方が知名度が高かったですよ」って言わなきゃならないとこ 猪木は結婚式や日本プロレス除名、新日本になっても新宿事件などで
スポーツ新聞の主要面を飾っていた。
一方小林は東京スポーツ以外で名前を見ることもなく、しかも国際の
扱いは小さかった。
肝心の中継にしてからが
しかし放送時間再短縮後は、番組を取り巻く環境がますます悪化。
「'73ダイナマイト・シリーズ」では常連外国人のバションの他にも、
エドワード・カーペンティア、イワン・コロフ、ターザン・タイラー
、「'73ビッグ・サマー・シリーズ」ではテキサス・アウトローズ
(ローデス&ディック・マードック)、
「第5回IWAワールド・シリーズ」ではブラックジャック・マリガン、
ラーズ・アンダーソン、ムース・ショーラック、特別参加のガニア、
「'73ビッグ・ウインター・シリーズ」ではワフー・マクダニエル、
ミネソタ・レッキング・クルー(ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)
などをそれぞれ招聘したが[38]、
同年4月 - 9月の平均視聴率は5%台に低下した[34]。 >>380
ここの連中が複数証言してるだろ。
猪木の知名度が小林より上なのは当たり前すぎて分権には残らんわ。 「小林の方が知名度は高かったですよ」=「延髄斬りはかすった方が効くんですよ」 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/battle/news/202201060000938.html
>国際はTBSで放送されていたため小林さんは、馬場や猪木に匹敵する人気があった。
匹敵する人気。つまり上回ってはいないww こんな話は百歩譲ってもTBSしか映らない特定地域限定の話だろw
全国レベルなら視聴率が30前後あった時代の日プロのエースの一翼だった猪木の知名度が小林より低いなんて道理がない 小林本人も「NET新日本の猪木よりTBS国際の小林」みたいに
言ってるが、その前の日本テレビ日本プロレス時代の猪木に
ついては無視しているw
猪木がワールドリーグに優勝した時は視聴率30超えてたわ ネット局がいくら多くても
視聴率が低かったら何も意味がないだろ >>373
とにかくこれでインタータッグだけでもファンクス経由でダイレクトに全日本にもたらされる形に 猪木小林戦は高視聴率時代から人気が下火になって去って行ったファンを呼び戻した
だから蔵前に16,500人(水増し)も入り熱狂した。
猪木の知名度が低下していたとしても、潜在的なファンはごまんといたし
小林も団体マイナー化が始まっていたものの3団体の一角を担う王者として認知されていた。
片方の知名度が低くても、ああはならないと思うよ。 「猪木より知名度が上」と言われりゃノーだけど
小林の知名度自体は誰も否定しないでしょ >>392
小林のIWA王者としての実績と知名度を認めていたからこそ、猪木対小林戦が話題になり盛り上がったんだよね。
もし、草津が国際離脱して、馬場、猪木に挑戦状出していたら、どうなっていたのかね。 人気と知名度は一緒じゃないから
猪木のほうが人気はあったが
知名度は小林が上だったということがあってもおかしくはない。 馬場と猪木の間だったら
「猪木の方が人気は上だったが
知名度は馬場が上だった」
という理屈は成り立つけど、小林ではね。 >>377
もの凄くウロ覚えなんだが、1972年の大晦日の夜、
「行く年くる年」的な番組で、砂風呂に入っている猪木が
取り上げられたのを憶えている。
やるとしたら、東京12チャンネルくらいだと思うが、
当時、民放は揃って同じ放送をしていたんだな。
とにかく72年暮れにちょっと出て、私も驚いた記憶がある。 猪木は72年にフジテレビの子供番組にレギュラーで出てたよ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/みんなあつまれキーパッパ >>393
>草津が国際離脱して、馬場、猪木に挑戦状出していたら
馬場は無視する。いや、国際には旗揚げ時に世話になったから
やんわり、断るかな?とにかく受けない。
新日は、小鉄が「猪木さんと対戦する前に俺と戦え!」と
言ってくるだろう。まぁ猪木にしても、そうメリットのある話でもないな。 >>399
草津は自己評価が高く、厚顔無恥そうだから、挑戦状を手渡すために全日、新日の会場に乗り込みそうだな。 草津はどの関係者からもいい話聞かないな
増長するほどの実績がプロレス界であるわけでもないのに >>391
プロレス人気再生の起爆剤となると思ったからこそ東スポも積極支援した >>395
日本テレビとしても当時は馬場の方が上と見たからこそ当時ノーテレビの新日本でなく馬場に全日本を作らせる方を選択した 過去の実績からしたらその判断は正しいが
数年先の見通しとしては少し甘かったな
猪木新日があそこまで奮闘できるとも予想しにくかっただろうが >>286
なんでやねん。
日本プロレス時代に、猪木は山ほどテレビ中継に出てたのに、数年で知名度下がるわけないやろ。 >>291
日テレのワールドリーグ戦で優勝してるのに、何を言ってるんだ?
馬場とのタッグの時も、何度もフォールしてるのに。 >>291
日テレのワールドリーグ戦で優勝してるのに、何を言ってるんだ?
馬場とのタッグの時も、何度もフォールしてるのに。 >>405
馬場としては猪木と日本テレビの結託を防ぐために誘いに応じたって面もあるらしいからな
追放が不本意だった猪木もだが両者とも最初は受身な発進だったのも面白い >>409
日テレは、NET参入時に交わした取り決めを次々と反故にした日本プロレス潰しのため、BI総取りも画策したが、さすがに猪木が馬場との合流を拒んだので実現しなかったとの説もあるね。 NETも馬場を自局に登場させられることになっても
日テレが馬場を引き抜くことはある程度想定していたらしく
その時のために72年春ごろには猪木と接触を始めていた話もある (アウアウウー Sa05-M2tK)は、何もわかっていないくせに
ぞんざいな言葉で、突っかかって来る荒らしだから
相手にしない方が良いのでは? >>412
何もわかってないのはお前やろ。
ゴールデン外れて何年も経ってるのに、鶴田の知名度がずっと高かったのを考えたらわかるだろ。 >>411
当時では猪木の一枚看板はまだ難しく坂口との合体が不可欠だったって感じも >>402
草津 いいとこ一度はチャンス
テーズ「チョチョイのチョイな」 >>413
しかも一度も出ていないテレビ朝日であの結果だからな
まさに伝説の証明 87年の今日は、長州が地元徳山でカート・ヘニングを降してPWF最後の防衛に成功
生中継の勝利者インタビューで藤波の名前を発言してしまう。
この頃のカートは軽いイメージしかなく
4団体に来日した親父の方が、よっぽどレスラーらしくて好きだった。
(ベイダーの若い頃に似てるかな?)
最強タッグではAWA世界タッグの相棒レイスと組んでの来日だったが
国際でマリガンと組んでIWA世界を獲得した頃がピークだった気がする。
息子のカートが若くして鬼籍に入ったのは可哀想だったな。 カートは歴代で一番軽いPWFチャレンジャーだったかな
翌年にAWA王者で来た時も同じ感じだった カートは歴代で一番軽いPWFチャレンジャーだったかな
翌年にAWA王者で来た時も同じ感じだった ペドロ・モラレスも馬場とは体格が違い過ぎた。
だから、あまり対戦していないな。
PWF戦は1974年に一度だけかな?
体格が違うなら、デストロイヤーもそうだが、
違いを感じさせない試合をしていたなぁ。 昔の背が低いレスラーはブルーザーみたいに横幅がガッチリしていた
サイクロンネグロもカートよりは遥かに重い ジョナサンvs力道山は面白い力道山がまだ枯れて欲のなくなる前のギラついたジョナサンにボコボコにされる
しかし40分過ぎてもあのデカくて身体能力の高いジョナサンにやり返す力道山も凄くて木村政彦もこいつには勝てないわと思わせる >>424
それで頭に浮かぶのがデストロイヤーだな
実寸170台なんだろうけど骨格からして太いから大きく見える 全日に来ていて一番上背がないのはジプシージョーじゃなかろうか。
馬場とシングルはやったかなあ。
全日に来ていてもよさそうで馬場と対戦、タイトル挑戦する格があるのは
マッドドッグバションだろうな。 >>428
バションだったら馬場より猪木との方が相性が良さそうかな
68年に来日した時は、猪木と4回シングルを行い、1勝1敗2分けの五分
(馬場とのシングル対戦は不明)
BIとの対戦では、バション&コックス組がインタータッグの前哨戦で勝ち
本番では2連敗している。
昔のAWA系はハズレが少ない印象があるが
81年の今日は、遅すぎた馬場×ガニア戦の日だね
もう10年早く対戦して欲しかった。 >>429
馬場とM・バションのシングルは1968年ダイヤモンドシリーズ(10・18)に
行われ、馬場の反則勝ち。
元AWA王者のバションは、インターに挑戦資格ありだが、なぜか、見送られた。
馬場とは体格的な違いがあるとか、バションのファイトを見た日プロ幹部が
「こんなクレージーな選手を馬場に挑戦させるわけにはいかない」と呟いたとか
言われている。
同シリーズはKKコックスも来日、インターに2度も挑戦している。アメリカでは、
バションの方が各上なので、むくれたとか。
バションの日本プロレスの来日は、これだけ。
AWA系で大外れは、元AWA王者のイゴール・ボディックだな(71年夏来日)。
インターはおろか、全然タイトルに挑戦させてもらえなかった。 >>430
クレイジーなブルーザーと出来て、バションと出来ないというのは理屈に合わないなw
バションは展開次第でレスリング技術も持ち合わせていたし
ブルクラやシークのようなラフ一辺倒とは違っていた。 70年にガニアが国際と提携してなければ、バションの来日がもっとあったかもしれないね
72年に新日が提携していたら猪木ガニア戦が実現していたかも…
あと、素人目だからわからないけど、ガニアのスリーパーはどう見ても反則に見える
頸動脈じゃなく、チョークにしか見えない。 >>432
ガニア親子、ニック、鶴田のすれ違いざまに巻きつけるようなスリーパーの入り方は素晴らしい >>423
馬場対モラレス、ブルーザー、デストロイヤー戦を久しぶりに見たけど
どれも体格の違いを感じさせない試合をしている。
互いに相手の技を受け合って、最後は宝刀のランニングネックブリーカーや32文
単純明快なんだけど、スカッとする決着で今見ても面白い。
馬場がマスカラスとのシングルを嫌ったのは、体格の違いだけじゃなく
技をスカしたり寝ることを拒絶したりと、信頼関係が築けなかったことが大きそう >>434
ブラックウェルは日本だとデブッチョのイメージだが、アメリカでは
ビガロやボブ・サップが憧れていたレスラーなんだよな。 今、マンガアプリでプロレススターウォーズ読んでる。
「寛ちゃん」「馬場さん」
なんか好き。 ちょっと前に缶コーヒーのCMで桑田佳祐と馬場のプロレスを映像技術でやってたでしょ。
馬場猪木戦をそれで映像化してくれないかな。
両者リングアウトで良いから。 >>441
可能なのに実現しなかった試合だと
73年の猪木×バレンタイン戦や75年オープン選手権での馬場×マツダ戦
第2回オールスター戦が開催されたらBI砲×ハンセン・ブロディ戦なんか見たかった。
外国人だったらホッジ×ロビンソンのTWWA&IWA対決(68年暮れ辺り)
二人とも譲らないから、タダでは済みそうにない >>441
別に動いて戦わなくてもいい。
馬場と猪木がガウンを着て同じリングに立っている画像だけでもいいわ。
同じコーナーのタッグでもいいし、違うコーナーでゴング前でももちろん最高だな。 馬場・猪木×ブラジル・イヤウケア組のBI同士のインタータッグなんて
日プロ時代にやってもおかしくなかったw ブル・ラモス&イヤウケア、バロン・フォン・ラシク&イヤウケアの
BI砲は、全日でインタータッグに挑戦しているが、ちょっと苦しいか?(苦笑) >>447
イヤウケアだと初来日のブロディと組んで、馬場・デストロイヤー組に勝ってるね。
このBI砲でBT砲のインタータッグに挑戦でも面白い BI類似品ネタ、つまらんのになんで盛り上がれるんた? >>447
ラモスとのコンビでは韓国コンビに挑戦だったんだよな >>447
ラモスとのコンビでは韓国コンビに挑戦だったんだよな >>452
75年夏のタイクーンズはインタータッグ挑戦はなかったが
78年正月に大木・ドク組に挑戦したんだよね。
69年にラモスはデストロイヤーと組んでBIにも挑戦していたり
全日への来日では、Cカーニバルで中々の成績を残しているが
どうもA級以下B級以上のイメージしかない。 ラモスは、1969年ソウルで大木のアジアヘビー級に
挑戦しているが、日本でシングルタイトルの挑戦はないね。
70年代後半に国際に参戦していれば、IWAに挑戦できた
かも知れないが。かつて日プロで猪木にチェーンデスマッチを
要求したことがあるから、金網でもチェーンでも国際でやっただろう。 昭和の新日は正月のバトルロイヤルなんてやったことあるのかな?
中継はなかったと思うけど、、 >>454
猪木こそチェーンマッチやらせたら凄みがでると思うんだけどな
手錠マッチになった斎藤戦なんかは、錯乱状態の猪木に狂気を見た気がする。
中途半端なランバージャックやオイルマッチはやったことあるけどね >>454
ラモスなら間違いなくIWAタイトル戦あるだろ、アングラじゃなくて正規の。
あえて説明しないで良いけど挑戦者の格ハードルはPWF>NWF>=IWAだから。 >>455
正月はないんじゃないかな。
通常シリーズでは前座メンバーでやってた。
94年3月の佐賀大会でヤングライオンプラス安田でやってる。
安田が相撲の投げ技で、会場を沸かした。 >>458
ありがとう、やっぱり正月はなかったんだねw
年末のMSGタッグリーグ戦の頃だったか
猪木も出場したバトルロイヤルがあったような記憶がある。 >>459
アンドレが優勝したやつだよね。
日本で初めてオーバーザトップロープルールのバトルロイヤルだった様な。
猪木が乱入して来たマシン軍に何故かトップロープ越えて追いかけて失格になってたw 日プロでBI参加のバトルロイヤルがあったら、ハッキリと馬場派・猪木派に別れるだろうな >>461
日プロ1968年のサマーシリーズ、後楽園大会で
BI、外人(Hカルホーンら)参加のバトルロイヤルが
あったと記憶している。それがメインイベント。 >>462
カルホーンが珍しくエースの第2次サマーシリーズだね。
興行不振のニッパチだから、客寄せの意味合いもあったのかな?
でも68年はまだ猪木も大人しかったし、BI蜜月時代だね。 カリスマ性の強いレスラーはバトルロイヤルは向かないな
全員に抑え込まれて苦笑いで退場なんて様にならない
そういえば力道山はバトルロイヤルやったことがあるのかな https://pbs.twimg.com/media/FJ2OXYjacAIRMsx.jpg
猪木はたとえバトルロイヤルの総がかりでもピンフォール負けを嫌う
だから新日でバトルロイヤルが行われるときは最初から参加しない
新春バトルロイヤルで毎回ピンフォール取られる馬場とは対照的 ロサンゼルスでのバトルロイヤルでマスカラスはリンチされたな。
見方のグレート小鹿は早々に脱落し、集中砲火を浴びた。
ソースはプロレススーパースター列伝w 力道山は、若手にバトルロイヤルをやらせ、
それを見て、若手の派閥を把握したと言う。 >>466
あんたとはガンガンやり合ったが本心は好きだから忠告しておく
なんて当時でも微妙なエクスキューズ入れてたな >>468
バトルロイヤルのリンチで負傷した足を治すためのヒントを与える宿敵アステカ。
タイガーマスク編のブラック・ブロンコ、ホーガン編のビッグKと
列伝オリジナルマスクマンにはモデルがいたのかは定かではない。 >>459
猪木が新日でバトルロイヤルに出たのは84年MSGタッグ最終戦の
広島大会だけじゃないか?
この年は7月のMSG遠征でもバトルロイヤルに出て優勝してる。 猪木はバトルロイヤルが嫌いなくせに
ハンディキャップマッチは大好きだったな >>471
猪木は、ハンディキャップマッチが好きというより
デカイ怪物系を呼んだな。
アンドレ、マクガイヤー兄弟、グレート・アントニオ、
そいつらの強さを見せつけるためにハンディ戦を行ったのだが
(シンまでやったな)、馬場は自分がデカいから、デカい奴を
呼ぶ必要もなかったと見るべきかな? そういえば、力道山時代はハンディキャップマッチを
やったが(カルホーンとか)
馬場がエース時代の日本プロレスもやった記憶がないんだが、、
馬場よりデカいコンビクトでもやらなかったよね? 新日本のバトルロイヤルは6人くらいで数珠繋ぎのヘッドロックやったり初っ切りみたいだった
全日本は正月が恒例だったが一度函館で唐突にヘビー級バトルロイヤルがやってハンセンブロディレイススヌーカファンクスなど超豪華だった
多分グレート小鹿が馬場に頼み込んでやったんだと思う >>473
全日本では初来日のブロディがターザン後藤と伊藤正男とか相手にハンディキャップマッチやってた
ホークが怪我した時アニマルもやってたはず >>474
数珠つなぎをメインの6人タッグでやっていたユニバが好きだった ハンディキャップマッチはハンセンも新日時代にやってたな。
相手は木戸と永源だったかな? 猪木 VS R木村、A浜口、寺西は視聴率25.9%だったそうな 猪木は国際軍団以前にマクガイヤー兄弟と1対2やってるね。
馬場・木村対天龍・ハンセンの最強タッグも
内容はハンディキャップマッチみたいな感じw >>475
全日で、ホーク欠場で、アニマルが1対2ハンディ戦をやったっけ?
それ、もしかしたら1992年9月のWAR横浜アリーナでは? >>482
アニマルvsアニマル浜口、仲野をやってる
ジャパンがよく受けたな
ブロディの相手は大熊伊藤正男ですね
ターザン後藤・伊藤正男組ならブラックハーツ戦法ができる 猪木発案のアルティメットロワイヤルとは
何だったのよ >>485
無茶ブリして選手のセンスを試したが全然ダメだった わざわざハンディキャップマッチやって
負けるパターンは、グレートアントニオと
ジャイアントグスタプだけかな。
まあ制裁マッチ的な扱いだが >>487
グスタブは猪木への負けブックを拒否して
坂口が「何勘違いしているんだこいつは」と怒って
橋本と後藤に制裁を指示したんだよね
観客も途中から「これは普通のハンディキャップマッチじゃない」と
気づいたとか >>487
猪木と国際軍団のハンデ戦は?
ハンディキャップマッチといえばベイダー&マサvsUWF3人なんてのもあったよね。 最初の引退試合
長州×藤田・吉江・高岩・飯塚・ライガー
この5人掛けもハンデ戦?だよな。 >>483
>ターザン後藤・伊藤正男組ならブラックハーツ戦法ができる
日本で最初の"入れ替わり戦法"は、第11回Wリーグに参戦したメディコ2号3号でいいの? 連投で申し訳ない
調べたら、日本初かどうか分からないけど
メディコの前にアサシンズABが来日してたから、こっちが先かもしれない。
その後、双子レスラーやSマシンズ、ブラックハーツと続く くりそつタッグリーグ戦
アントニオ猪木、ストロング小林組
坂口征二、グレート草津組
ジャイアント馬場、パク・ソン組
テリー・ファンク、ボブ・オートン・ジュニア組
ミスター林、沼田爆組
武藤敬司、大森隆男組
佐々木健介、藤沢一生組
望月成晃、橋誠組 橋本真也&ブレイ・ワイアット
馳浩&黄正利
ジュース・ロビンソン&加藤ローサ >>493
林のパートナーだけ非レスラーのおっさんで笑った カブキ&赤塚不二夫
若い頃から老いるまで、似すぎのコンビw あんまりレスラー外はよくないよ。
デストロイヤー+ザクルーザー
ミルマスカラス+馬カラス >>501
メヒコなんてそれこそ1号・2号などなんぼでもおるわ
自分こそセンスよくねえな 話題を変えて悪いけど、93年の今日はアンドレが亡くなった日
国際プロのロビンソン・ゴッチ戦、新日の猪木・ハンセン・前田戦、全日の馬場とのタッグ…
思うに、フランク・バロアがマネージャーだった頃が最強だったかな?
WWWFがブッキング権を買収してバロアは外されたけどね 田コロで、かわされたけどハンセンへのジャイアントプレスの高さとか、
コーナーポストに頭をぶつけられたあとや、ラリアットを食らったあとのリアクションとか
動きが軽快なんだよな。まぁ、ホントに凄い人だ。 アンドレのロープに両腕絡ませるムーブは名人芸
田コロのハンセン戦はラリアート喰らったらあの巨体で場外まで吹っ飛んだからな
デカい上に上手いのがアンドレ >>506
ストロングにスポットライト浴びさせるための猪木の優しさだろ。
上手く反応出来ない小林が鈍臭い。 >>507
髪切りマッチの時は、国際軍に加勢して、猪木を攻撃してたけど、腰の負傷もあってか、アングルほったらかして離脱したよなあ。
国際に組み込まれるのが嫌だったんかな? >>507
藤波、長州以下、初来日外人のかませ犬的存在にまで下げられていた立場で
急にそんなことされてもどう反応していいかわからないだろう・・・。 >>509
腰痛で試合できないにしても、マシーン軍団の若松みたいなポジションを考えていたのかもしれない
若松はテレ朝と契約があったっていうからそこそこ貰ってたんだろう 怒った時の小林は、猪木の次くらいに眼光鋭いというか、闘う男の目をしてたな。
猪木と草津の絡みも、一度は見てみたかった。
馬場は渾身の16文で蹴り跳ばしていたけど、
猪木だったら非情なナックルパートで殴り倒す姿が目に浮かぶw >>511
アメリカでは堂々とヒールをやってミネアポリスでもニューヨークでも売れてたんだから
できないことはないだろう。 >>514
それよりブルカリーの方に気がいってしまう >>514
ブル・カリーがいるところから、
これは1964年第六回ワールドリーグだな。
マスクマンはカリプソ・ハリケーンかザ・マミィ。
身体付きから、マミィでは? ハリケーンでもマミィでも素顔で入ればいいのにw
64年に正体暴きしたがるマニアなんかいたのかな?
それにしても銭湯(温泉?)がお気に入りみたいだね >>519
あ なるほどジョーかw
若くて髪ある時はなかなか男前って井手らっきょみたいやな >>520
樋口の息子は俳優だし、目鼻立ち整っている。 そういえば、明日は馬場の命日かぁ、、、
未だ語られるBI砲って、これ以上のライバル関係はプロレス界にないだろうね
馬場は猪木をライバルとは思ってなかったらしいがw 本人がどう思おうと、馬場と猪木は常に対比して見られていた、そこを理解できない馬場はアホだった。 馬場は一度得た既得権益は永遠に自分の独占物だと思い込むタイプなんだろう
時代の流れをあまり理解できない人だった というかむしろそれでこそ馬場だろう
簡単に猪木を認めたりしたらそれこそ馬場でなくなる
一番の猪木評はお前は色々な事がやれて羨ましいじゃないかな
猪木にしても絶対不動の馬場がいてこそ色々な事がやれたって感じだし >>522
人間ドラマとしてそれに次ぐのはやはり三沢と川田になるかな >>524
馬場は個人的な好き嫌いとプロモーターとしての必要性はしっかり分けてる方
それも後年になるほど柔軟性を増しているというのが凄い >>527
ジュニアヘビー級戦線の扱いとかドーム興行の裏話とか聞くとどうかなとも思う >>524
日本プロレス時代、猪木に挑戦された時は、インターヘビー級王座はコミッショナーの管理下にあって自分個人のものではないから、自分の一存で勝手に挑戦は受けられないと言っておきながら、自分が新団体設立のために日本プロレス離脱する時は、インターヘビー級王座は私のものだから持って行くと既得権にしがみついたのは典型例ですね。 >>528
全日本のジュニアヘビーの扱いってのはむしろ百五キロ以下でないと挑戦出来ない聖域って感じなんだよな
ヘビー級は無差別級だとPWFルールにもしっかり明記してるし >>527
自分がエースとして矢面に立たないといけなかった時代は、自分の格付けが下がりそうな危険な事、しんどい事はやりたくないから保守路線で行き、自分が矢面に立たなくよくなるとキャッチフレーズに「激しいプロレス」を入れ、完全決着で受け身のとれない危険技も認める路線に変更しただけじゃね? 真偽はともかく、
馬場猪木の皆様の考察、興味深く読ませてもらってます。 >>522
鶴田と天龍は鶴田が馬場で天龍が猪木。
藤波と長州は藤波が馬場で長州が猪木。
そう考えると興味深いですね。
無理からな考察だけど… >>531
それでもそれをやれる人間はそういないだろう 馬場は全日プロ設立してから技が多彩になった気がするけど
河津掛け・バックドロップ・足4の字・ラリアットを使い始めたのはいつ頃からなのか
記憶では、河津掛けは73年のドリー戦、バックドロップは74年のモラレス戦
足4の字は78年のR木村戦、ラリアットは?
また猪木の延髄斬りは77年のモンスターマン戦?坂口のバックドロップは85年の
猪木坂口vs.藤波木村戦の健吾に掛けたのが初めてでいいのかなぁ… >>535
猪木坂口対ブロディスヌーカで、坂口は高角度のバックドロップをスヌーカに決めている。 >>535
延髄斬りのようなものは76年8月のシン戦で見せてるね
延髄じゃなくて正面から顔面を狙ってたが >>536
スヌーカに掛けたのが先でしたか。
あのバックドロップを見た時、71年アジアタッグ王座決定戦でマードックに掛けた
高角度過ぎるアトミックドロップに行くのかと思った。
腰に爆弾抱えているからブリッジ系の技は使えない筈なのに
あのシリーズの坂口は妙に張り切っていたなぁ〜
>>537
76年格闘技戦用に延髄の原型的なジャンピングバイ・ハイキックをやってたね
天龍の延髄を見た猪木が、ちゃんと足が返っている(単なるコピーじゃない)と認めていたのは意外 猪木の延髄斬りはアリ戦の公開スパーで木村健吾にやった
ジャンピングハイキックが大元かな
本格的にフィニッシュに使いだしたのは80年代以降か >>535
バックドロップは73年2月仙台でのvsオコーナー戦
足4の字は77年9月小樽でのvsロビンソンPWF戦
ラリアットは86年6月武道館のvs木村戦 >>540
凄いですね!記憶とデータ両方お持ちですか? >>529
大阪府立の控室で「自分はUNチャンピオン、馬場さんはインターナショナルチャンピオン
チャンピオンが二人いては、ファンもどちらが強いか混乱する。
チャンピオンの権威を守るためにも馬場さんと統一戦をやりたい」と言い放つが
会社が認めるはずが無いのは最初から分かりきったこと。
統一戦をやるぐらいなら最初からUNベルトなんか作る必要はなかった。
ところが内情を知らないファンの目には、既存の権力に挑む猪木と
既得権益にしがみつき、言い訳をして逃げ回る馬場という構図に見えてくる。
こうなってくると言ったもん勝ちなんだよなw
また、馬場が独立するにあたり「インター選手権は自分の血と汗で守ってきたもの」と
既得権にしがみついたようだが、続けて「NWAの許可を得て持って出たい」とも言っている。
まあ、大木の挑戦に不穏さを感じて自分にとっては無益な戦いになると判断するや
あっさりとタイトルを返上する馬場もどうかと思うw
日プロが黙って従う筈がないのも当然で、レスラーなら分かりきったこと。 それだけインターへの執着が強かったんだろうな
特にベルトは自分からだったわけだし >>530みて思い出したが
105キロなんて重すぎるだろ
93キロくらいから体重差はあんま関係ない
だから他の競技では分けない >>542
>チャンピオンが二人いては、ファンもどちらが強いか混乱する
いや、UN王者以前に、オールアジアヘビー級王者の大木がいたのだが(苦笑) アジアはインターとは格差があったが
UNは初期設定ではインターと同格という事になっている
わざわざサム・マソニックを来日させてまでお膳立てしている >>545
そもそも格の上下以前にアジアヘビーは力道山時代から存在自体が希薄
その時点でもむしろ大木の処遇用の名誉王座といった印象 >>546
鶴田とレイスで取り合ってた時期はインターやPWFとほぼ同格となってた印象
そして最後は対等で三冠統一 >>542
会社からすれば日テレのエース:馬場、NETのエース:猪木で稼ぐ方針だし
日テレのタイトル対NETのタイトルの統一戦なんてできるわけがないのに
「何を寝ぼけたことを言ってんだ?」って感じだろうな >>546
誰々がいったから同格ということに、というのを
当時の客は素直に信じたのかな?
同格にしたい、されたい、は結構だけど、力動山の歴史を入れずに
馬場だけのそれとしても何年も何回も防衛戦したタイトルと
ちょこっと新設タイトルをこれ同格ね、と言われても違うだろ、と思うんじゃないか
だいたい初代設定がテーズとトロス?ではねえ。 >>551
UNに関しては初代がレイ・メンドーサ説、デール・ルイス説とはっきりしないんだね
メンドーサが66年認定で、ルイスは70年認定だけど
メンドーサの4年間に防衛記録が無いため初代ルイス説が有力だけど、謎
同格か否かでいうと馬場のPWF防衛戦の中にも何度かダブルタイトルマッチが行われたが
NWA世界&PWF、WWWF&PWF、PWF&アジアと、同格じゃないよね
だいたい先に表記されるのが格上とされるが…
(ちなみにダブルタイトル戦と統一戦は別物だよね)
あと、鶴田UN&大木アジアのダブル戦もあったなぁ PWFに関してだけど
ブリスコとの初戦にはPWFとNWAのダブルタイトル戦だったけど
その後のブリスコおよびレイスにはNWAに挑戦としていてPWFは賭けてない。
へりくだったのか謙遜かわからんが、格下を認めたんだろう。
だがサンマルチノのWWFとガニアのAWAにはダブルタイトル戦だった。
この辺はNWA>>WWF=>AWA>=PWFなんて考えてのかな?
まあ式の続きに>>>>>NWF>>>IWAだったろうけど。 >>552
そのメンドーサ66年認定説というのが初耳。
あのタイトルは、あくまでメンドーサをロスで
70年頃、売り出すためのもので、初代がデール・ルイス
最初にNWAの総本山セントルイスにあったというのは
権威付けだと思っていたんだがね。 >>553
どうでもいい事ですけど、ブリスコと馬場のダブルタイトル戦は
74年1月23日長崎と同年12月5日日大講堂の2度行われています。
あと、75年のサンマルチノ政権はNWA加盟後で単なるWWWFヘビー級王座
WWFに名称変更されたのは78年のはずです。
>>554
自分も初耳でしたが、このサイトで知りました。
https://gamp.ameblo.jp/maskedsuperstar2/entry-10548855152.html >>555
いや、、そのサイトにも
「メンドーサ66年認定説がある」としか
書かれていないのだが、、
少なくとも、あのベルトは1970年頃に作られたモノでしょう?
メンドーサ66年王者説って、可能性としては、メキシコで
同名のタイトル保持者だった、くらいではないかな? >>556
『wrstling-titles .com』には、Dルイスが70年10月セントルイス で
トーナメントに優勝し、初代王者に認定 (実際にはロサンゼルス地区参戦の際に認定)
日本では、レイ・メンドーサが日本プロレスにより初代王者だと発表されるが
メンドーサのロサンゼルス地区参戦は70年9月で、王座を防衛したという記録はない。
と、記されていて…どれが正解なのか分かりませんw インタータッグも初代のFカンガルーズから第6代ゲーリング・パドーシス組までが
WWAの日本プロレス用に作ったストーリーだとされているね。
ベルトも浅草の松本微章工業が制作してロスに空輸したとかw >>555
反論とかはなくて。
日大講堂のダブルタイトル戦についてはちょっと違うので省いたんだ。
あれはNWA防衛戦にPWFも追加しただけみたいなもの。
鹿児島では馬場はPWFを賭けずにNWAに挑戦だった。
日大講堂では当初からダブルタイトル戦とされていたと思う。
この辺をおかしいというかクサイぞと考えたファンはいなくはないだろうが……。
WWWFについてはそのとおりでした、訂正感謝。 >>548
大木が日本プロレス離脱・TBSプロレス(国際プロレス)移籍未遂事件を起こした時、大木の後見人たちが大木を宥め押さえつけるために、アジアヘビー級王座を持たせたと言われているね >>551
いきなり同格とか言われてファンがハイそうですか
となるならこんな楽な商売はないよw
それでも当時の日プロはUN王座を盛り立てるために
NWA会長を担ぎ出してそれなりの努力はしていたという事
直前で消えた猪木とNWA王者ドリーとのダブルタイトル戦や
WWWF王者のモラレスの挑戦が企画されてたから
これらが実現してたら歴史は違ってたかもね
少なくとも最初から2番手タイトルにしようという考えはないと思う >>560
極東ヘビーと違って一応は力道山も持っていた王座だし
但しすぐだと見返りが露骨になるから秋までずらしたんだよな >>552
鶴田と大木にとってそれぞれ唯一の挑戦
特にアジアタッグには挑戦すら一度もしていない鶴田にとっては唯一のアジア王座への挑戦 日プロ・力道山は馬場、猪木、大木を
日本人、日系人のい多い日本プラジル韓国の三か国での興行の
エースと見立てていたのでしょ?
よって3本ベルトも必要になったのでは?王座名称もその国でのタイトル戦に
相応しい名前だと思うしね。 >>565
力道山が馬場猪木を後継者と考えていたのは確かで、
ブラジル興行の目玉に猪木を見立てていたのも事実だと思うけど
まず、UN王座は力道山の生前には存在してないし、インター王座は元々テーズが
日本滞在時の厚待遇に感謝してNWA本部に掛け合い、力道山一代限り&日本国内のみ
インターナショナル王者を名乗る事を許すという条件が付けられていたもの
そのためロスのテーズvs.力道山戦はベルトもなく、試合自体も30分1本勝負だった。
だから、もし力道山が生きていてもインター王座が馬場に受け継げられたかは疑問 UN王座は、元々、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコの
3国連合王座で、それに日本が加わったと説明されていた。
なら、ロスのアメリカス王座は南北アメリカ大陸が対象なので
猪木がブラジルで興行をするなら(1971年時点で、そんな
話はなかったが)、アメリカス王座の方が良かったくらいだ(苦笑)
なぜか、アメリカス王座は、当時、日本ではNWA認定ロス地区US王座と
アメリカ合衆国限定で、UNよりも対象、権威が低いように印象を
与えていた。
そういえば、全日で南米選手権試合が行われたこともあったなぁ。
王者がカリプソ・ハリケーンで。 >>567.568
プロレスのタイトルなんて全てがインチキな訳。
NWAだテーズだってのも箔つけるための屁理屈でしょ?
それをいつまでも騙され続けたいのなら、それは私と違うポジってことです。
そのタイトルが作られた意味を考えるべきと思うから。 PWF認定なんちゃら王座なんていくつあったんだよってお話しw 世界(のちに世界が取れる)
US、南半球、太平洋岸、中南米
設立一年程度でここくらいかな。この辺までは地域の区切りがあってまともと感じる。
エリアを考えれば乱立とも思えないがアジアやUN以後はもういい加減きわまりないな。 >>569
それを言ったらおしまい!プロレス板が存在しなくなるよw
よく理解されてるから冷めた見方をしてると思うけど、
こっちもネタバレ承知で、ああだこうだ語りあって楽しんでいるだけだからさw
プロレスファンは長年、八百長だ何だと言われ続け、免疫が出来てタフだから
プロレスの楽しみ方をわかってないんだなと思っちゃう(失礼)
違うポジと言われればそれまでだけど、騙され続けている訳でもないよw
Gスピのような暴露本でさえ疑ってかかっている。またプロレスファンを
門のように巧妙に騙して一儲けしてやろうとでも思ってないか?とかねww
半信半疑で実話と思っていた昔と違って、今は推理小説を読んでるみたいかな。
どろどろとした嫉妬まみれの人間関係とか、別の見方したら面白いよ。
馬場の名言「プロレスはプロレスである」の言葉は深いよ。 スレチになっちゃうやろけど。王座のお話が盛り上がってるので。
ミズーリ州ヘビー級ってどう言うタイトルだったの?NWAの総本山がミズーリ州にあってその地区のタイトルでNWA世界王座の登竜門ってことだったと記憶してるけど…
いわゆるピュアなプロレス好きの今更質問です。
長文申し訳ない。 >>570
インターもUNも、PWFができる前からあったからなあ。PWF認定の王座なんて、別に多くない。
歴史も知らんくせに、首突っ込むなよ。 >>574
???>>571さんが書いているように
PWFヘビー・馬場
PWFUSヘビー・デストロイヤー
PWF太平洋岸ヘビー・ハリケーン
PWF南半球ヘビー・ルーイン
PWF南米ヘビー・イヤウケア
これが多くないというのなら、それも私とはポジが違いますわ。
捏造を歴史と言うのか言わないかはプロレスの楽しみ方だとしても
馬場が49代NWA王者なのか12代なのかで、その歴史すら大きく変わっちゃうわけで。 >>573
NWAの総本山がセントルイスにあるから、日本のマスコミが勝手に名付けたのでは?
調べてみるとミズーリ州王座を獲得後にNWA世界王者になったのは
レイス、テリー、ケリーの3人のみで、ブリスコやフレアー、キニスキー、ドリー等は
NWA王座を転落した後で獲得している。
(バックランドの場合、ミズーリ獲得後にWWF王者になった)
ちなみに、スレーターがミズーリ州王座を保持していた頃
日本の雑誌で"NWA世界王座への登竜門"という表現が使われたみたいよ。 >>577
NWA王者に「内定」していたデビット・フォン・エリックも
1983年に王座に就いているね。
あと、「次期王者」の呼び声も高かったD・マードックも78年頃
就いているから、そりゃ「NWA王座の登竜門」と言われるわ。
https://www.wrestling-titles.com/jp/us/centralstates/j-mo-h.html
まぁサニーマイヤースが主にベルトを締めていた1958年〜レイスが
NWA王者になる前の1972年までは空位だったのだな。 >>578
デビットやマードック、スレーターはNWA世界を獲得していないから
正確には、ローカル王者から世界王者獲得という"登竜門"とは言えないのでは?
ただ、フロリダ州王座の方が"登竜門"っぽいけどね プロレスを何十年も見てきたのならいい加減気付きなさいよ。
NWA王者ってのはプロレスラーの力じゃなくてプロモーターの力量で王座が決まるってことを。
ミズーリ州はNWAの発起人の一人マソニック、その後もガイゲル、クロケットと
有力プロモーターのテリトリーだからNWAに直結してるって事。
逆に言えばNWAなんてのはその程度とも言える。
ミズーリやミネソタよりニューヨークの方がはるかに大都会だからね。 >>580
そんな話してないんだけどね、、
あと、場が荒れるから上から目線の書き方やめなよ。
それほど詳しいなら余程のマニアだったんだろうけど、普通に書けばいいのに >>580
ここ見てる人で知らない人は殆どいないとおもうが…
それはそれとして話たりしてるだけだと思うが >>580
セントルイスが中心となった要因はマソニックの個人的資質をはじめ当時の交通や通信事情からだアメリカの中心部に位置していたのも大きい
また月に二回も一万人クラスの定期戦を行えるというだけの都市はニューヨークも含めて他に無かった
アメリカの首都は なぜニューヨークではなくワシントンなのかというのとも同じなんだよな 日本でも貴重なミズーリ州ヘビー級選手権が行われたな。
ケリー・フォン・エリックに石川敬士、天龍源一郎が挑戦した。 ミズーリ州どころか実はセントルイス以外で初めて行われたんだよな >>573です。
皆様、貴重なご意見ありがとうございます。 >>581-583
マソニックが20年以上にもわたってNWAの会長だったから。
それ以上の答えはない。 >>588
そしてなぜマソニックが二十年以上も会長だったかだよな >>589
私はNWAなんぞ大した組織ではないと思っている派なので
>>588 以上の意見を書く立場にない。
20年以上会長を務められる組織って状態がそれを表しているからね。 まさに特別区なセントルイスの特殊性も含めマソニックが会長でいる事が地域集合体の組織として一番収まりが良かったからだろうな
確か昔にNWA会長を宴会の幹事に例えた論があったが実に傑作だった
マソニックの二つの時期の間にコーラの自爆未遂があったのもマソニックでなければ駄目だという組織内のコンセンサスを高めた感じだし
但し結局はアトランタ動乱で嫌気が刺す事になる >>580
WWF原理主義者は、すぐ大都会だからって言うよなあ。そんなん関係ないから。 >>590
フミ斎藤か?お前。
大したことないって、何に関して言ってるのか。 日本の首都は東京で首都圏は一都三県とかだけど
パチンコの本場は名古屋で893の本場は神戸
みたいな話じゃないの? >>591
例えばNWAの加盟金や預託金がいくらであったとか
NWAの株式の保有割合がどれほどだったのかとか
馬場はその株式を保有していたのかとか
そんな話しをご存じであるならば是非とも教えてほしいですよ。 >>594
首都圏とは首都圏整備法で定められていて
関東1都6県+山梨県と定めれているんだよ。豆知識なw >>597
ただのカルテルでは無い事は株の存在や興行権の売買が
知られていますけど。会員制クラブに近いんだろうね。
何口権利を持っているとかさ。 >>592
NWAの全盛期においてニューヨークは最大都市であっても絶対都市ではない
WWFの全米進出はアメリカの地方都市の衰退とニューヨークの影響力の増大の反映でもある >>598
株は各テリトリーの運営会社のだろう
NWAとしての株は存在しない >>599
私の質問に答えて下さいよww
ではNWAの全盛期をいつだと認識してるんですか? 自分の解釈ではマソニックが会長だった時期のWWWF加盟からアトランタ動乱まで
あくまで組織的な意味で興行的にはもっと長いかもしれないが >>602
っていうのはプロレスビジネスが落ちていくだけでなく
アメリカ内陸部は主に自動車、電気製品をはじめとする日本メーカーによって
斜陽を迎える時期と重なりますな。
それを全盛期と言うのであれば、あなたは私と同じくNWAなんてそんなもんって
書いているのと同義と思いますが。 それを言ったらそれこそNWAどころかプロレスビジネス自体がそんなもんと同義になる
自分の言ってる全盛期はあくまで業界における組織としてのヘゲモニーとしての意味 ちなみにローマ帝国も表面的な最大版図を達成した時期は既に末期の衰退期だった >>604
そんなことないでしょ。現にWWWF(WWF)はMSGで盛況なのだから。
そのWWWFより70年代に凄かったのが全日であり、さらに新日となるわけだよね。
何故なら全国区と言うテレビメディアによる先進的プロレス運営であったから。
NWA<WWF<全日<新日となるよね。70年代は。 ミズーリ・ヘビー級王者だったケン・パテラが新日に来ただけで何だか新日がNWAと
近付いたかのような印象を当時持ったわ。 パテラは猪木に挑戦した時は
ミズーリとWWFインタコンチを両方同時に持ってた
これは史上 メキシコでは、タイガーマスクを倒すための刺客を選ぶ会議が行われている。 https://pbs.twimg.com/media/FKjrEKiaIAA8Xk0.jpg
シン、ハンセン、アンドレ、バックランドが新日の事情でメインに使えず
海外での実績を考慮して猪木のNWF挑戦に起用したらまったくウケなかったんだよな
スローター&ダンカンと同じ系統かな ケン・パテラ
ケン・マンテル
ケン・シャムロック
ケン・ナオコ
ケンドー・ナガサキ
ケンドー・カシン
ケンドール・ウインダム ケン・パテラのミュンヘンオリンピック 銅メダリストという触れ込みは結構
長い間信じてたな。ネットで知るまで騙されてた。
未だにパテラを銅メダリストとしてるサイトもあるくらいだもんな。 パテラはPWFとNWFに挑戦してるが、やっぱりマサ斎藤を思い出してしまうなw >>612
いや知らなかったし知りたくなかった
君のせいで余計な事知ってしまった
いくらでも正当化はできるだろうがね 一人民族大移動 アンドレ・ザ・ジャイアント 対 驚天動地のパワー ケン・パテラ 猪木が日プロに復帰した67〜68年頃に、禊の意味も込めて「試練の十番勝負」があったら
マーフィー、オースチン、バション、シュミットに勝ち(反則含む)
デスト、ブラジル、キニスキーに負け
ミラー、リソワスキー、ジョナサンと引き分け
どうせ馬場の全盛期だから、インターの挑戦者にはクリーンフォールは許されないし
峠を越えた大物に勝つか引き分けくらいかな、、
鶴田の十番勝負を見て妄想してみた(笑) 禊というかお願いして帰って来てもらってたからね
だから当時の猪木には出戻りの負い目が見えない >>619
猪木が国際プロレスに行くのを恐れたらしいね
だから猪木が詫びを入れて日本プロレスに復帰したのではなく
日プロ側が復帰するようにお願いした
一度はダブルクロスしたレスラーをNo.2待遇って時点ってわかる >>618
そのメンバーと67年復帰後〜68年の対戦は、
復帰の67年Wリーグ戦はリーグに参加せず、
エースのデストロイヤーとも対戦なし
続くゴールデンシリーズでジョナサンともなし。
68年新春シリーズ、対ミラー、1月4日(1−1)
1月16日再戦1−1から反則勝ち
リソワスキー1月19日(1−1)
ダイナミックシリーズ、オースチン、シュミット対戦なし。
6月ゴールデンシリーズ、特別参加のブラジルなし。
サマーシリーズマーフィーと2回対戦、両方とも両リン7月14日と8月12日
秋のダイヤモンドシリーズでバションとは3回対戦、10月2日にリングアウト負け、
10月21日、30日両リン。
トップ外人となら、10月19日、KKコッコスに反則勝ち。
暮れの11月29日キニスキーにフォール負け。
以上、見落としはあるかも知れないけれど。 >>618
そのアイディアで思ったんだがインター争覇戦って
ジャイアント馬場版の試練の十番勝負だったんだね。
10やってないかもしれないが。 インター争奪戦で勝ち上がっても、最初は豊登との二枚看板だったんだよね。
厳密にいえば、まだNWA認定じゃなくWWAと日本プロレス認定王者だから
豊登の世界王者の方が上になるのかな?
ところが豊登がギャンブルによる金銭横領で追放され馬場エース時代に突入
その後の豊登は国際で活動後に引退セレモニーまで行われたが
実際は日プロ時代と同様に会社の資金を使い込み懲戒解雇に近い形で追われ
「テレビ放送がつくまで」と新日旗揚げからカムバック参戦していたが
これもNETが二度も金銭問題で追放された豊登を追い出せと通告したのが真相みたいね。 >>623
>最初は豊登との二枚看板だったんだよね
豊登のWWA世界と馬場のインター王座が重なった時期はないよ。
馬場のインター争奪戦が始まったのは1965年の7月。
その時点で豊登はWWAの世界王者だったが(64年12月奪取)
ロスでも別に世界王者を認めて、防衛戦を行っていた。
日本側がクレームを入れ、9月にロスでロス側のWWA王者、
ルーク・グラハムと統一戦を行い、1戦目は勝ったが、2戦目の
3本目、豊登の反則前で王座を奪われる。
で馬場のインター戴冠は11月。もう、日本プロレスは、インター復活計画を
建てた時、WWA王座は、日本には定着できないと判断していたと思う。
力道山のWWA王座もそうだったしね。
と同時に、選手、社長としての豊登の人間性も問題視されたのだろう。
66年年明け早々、豊登は日本プロレスの社長及び、選手として辞任。
ロスは結局、地元の王座なんだから日本に定着させるわけには
いかない。なんとしてでも取り返すよ。
それで「伏魔殿WWA」と言われたが。 >>624
お詳しいですね。訂正感謝
WWAとインターは被ってないんでしたか…
社長を辞任といえば聞こえはいいがw
猪木も豊登には痛い目にあっているのに、よっぽどだったんだね WWAといえば大木金太郎も王者になったとか話題になってたような
現地で奪回されて丸腰で帰ってきたから尻すぼみだったけど >>626
これだね
ゴッチがこんなベタな芸をやっていたという
>1967年6月30日、ロサンゼルスで行われたWWA世界ヘビー級選手権試合で
>王者・大木金太郎にアイアン・マイク・デビアス(WWFでミリオンダラーマンとして活躍したテッド・デビアスの父)が挑戦した試合で、
>デビアスのタッグパートナーだったゴッチはセコンドに付いていました。
>3本勝負で行われたこの試合。互いに1本ずつ取り合って決着の3本目。
>ゴッチはロープに走った大木の足をすくって倒し、不意を突かれた大木をデビアスが押さえ込み、
>まんまとピンフォール勝ちを収めてしまいました。 ゴッチは、馬場とのインター戦が流れたのが、ラッキーだった。実現していたら、ブックには逆らえなかった。 >>627 >>628
レネ・グレイ(レーン・ゴルト)が「ビンス・シニアのところで初めて試合をしたのが
1971年のことでした。私は強豪のシューター、カール・ゴッチと組まされて
ターザン・タイラー、ルーク・グラハム組から王座を奪取しました。順風満帆だったのは
王座獲得直後だけで、ゴッチはアントニオ猪木の日本の新団体に参加することになりました。
猪木の団体の人がはるばるニューヨークまでやってきて、カールにブッカー就任を持ちかけました。
カールは誘いに乗って、私は一人ぼっちになってしまいました。
王座を1年間は保持する予定になっていたんですがね」と語っている。
ゴッチとグレイは直後のテレビ収録(1972年2月1日)で、バロン・シクルナ、キング・カーチス組に王座を明け渡す…
ゴッチも普通にプロレスやってたけど、アホらしくなったんでしょw ゴッチでもプロレスラーという商売上、上がるリングの流儀にはそれなりに合わすだろ
UWFの連中も新日に上がればロープに飛ぶし、ミサイルキックもするし、
マードックのケツ出しにも付き合ったのと同じ >>628
82年の最強タッグにゴッチが来るなんて話もあった。
なんだか馬場とゴッチの縁って一言ではくくれないものがある。 >>632
馬場VSブラジルの映像が流れた時に試合前に馬場とゴッチが談笑する姿が流れて吃驚した
当時は馬場のコーチって肩書きだったらしいね ワクチン接種後、生理不順がひどい。
3ヶ月来なかったときはかなり焦った >>634
どこの誤爆だよw
つかもう生理なんか終わってる歳だろうに見栄張らんでもw >>632
「新日本とは何の契約もないので全日本が呼んでくれるのなら行ってもいい」
この話は引き抜き合戦最中の82年にゴッチが渕に言って
馬場もロビンソンと組ませれば面白いと興味を示したんだよな。
いくらゴッチが新日の象徴とはいえ当時50代後半、扱いに困るのは目に見えてる。 >>635
そのくらいにしとけw メンスをつぶしてやるなよ >>15
ロッキー羽田とかミスター林とか、みっともない身体していたなw >>636
渕との話は81年では。その動きを察して、82年の元旦興行に急遽ゴッチを
招請することなった。 日本プロレス→国際→新日→佐山のシューティング、UWF→パンクラス→無我
と経歴を見ていると「この団体じゃなきゃ」なんて拘りはないね>ゴッチ 一レスラーとしてはギャラ払えば相応の仕事はするイメージだなゴッチは
相談役ポジションで理想語らせると面倒なんだろう >>639
訂正ありがとう。81年秋の話だったね
82年元旦の藤原戦、8日後楽園の木戸戦を終えて春で新日との契約が終了だと思っていた。
でも渕によると「俺がゴッチ引き抜きを馬場さんに持ちかけた…
で、馬場さんが『ゴッチはまだ新日本と契約があるんじゃないか?』って言うんで
翌日フロリダに来ていた鶴田さんを連れてゴッチさんの家に行ったの。
それで話をしたらさ『俺はもうフリーだ。いつでも全日本に上がれる』って言うから
その話を馬場さんにしたら『おう、そうか』と。その時はハンセンの移籍が水面下で決まってて
82年からはハンセン&ブロディのタッグが本格的に始動することが決まってた。
それで、対抗馬にファンクスがいる。そしたら馬場さんが
『じゃあ、ゴッチを獲ったら…ロビンソンと組ませるか』って言うんだよ」
それを察知した新日がゴッチと再契約を結び全日参戦の話は消えた。 もし82年最強タッグにゴッチが参戦していたら
馬場・鶴田、天龍・原、ファンクス、ハンセン・ブロディ、レイス・スレーター、
リッキー・ジェイ、上田・Sデストに加えてロビンソン・ゴッチ組
それに特別レフェリーがLテーズ
超獣コンビが初参戦でテリーは引退表明してるから、伝説の最強タッグになってた なんか毛色が違うので次の新春ジャイアントSでいいと思う。
ロビンソンゴッチ組VSレイススレーター組は両リンとかだね。
なんかそれしかないだろうけど、どうにも困るよ。
正月で天龍ロビンソンゴッチのトリオとか見られたらお年玉な感じだし。
相手は馬場鶴田に井上か石川でいけばピンフォール見られるし。 >>640
金出してくれれば、何処にでも行くでしょ。 ゴッチすでにアラ還だろ?
そして当時の渕に全日や馬場の深いとこの情報を
知りえるポジに無いと思うんだよね。
まあ俺が渕のいう事をまるで信じないからなんだけどw ゴッチは結局いつまで新日に来たっけ?84年のIWGPに来たかな?
その年の後半にはUWFに来てたのは覚えてるけど。 >>647
レスラーとしてならエキシビションだが82年の木戸戦まで
その後、ウィットネスやグレーテスト18クラブ関連で来てたかなぁ?
>>648
69年5月17日第11回ワールドリーグ戦 長野大会
馬場・猪木・坂口×ブラジル・マルコフ・メディコ3号
他にもあるかも…? >>641
なるほど 納得いくお見立てだ
メヒコ入りした小沢にモンゴルキャラ当てがったのもゴッチだそうで
ルチャに対しては理想もなにもなくビジネスに注力したんだろうな >>647
84年のIWGPが最後
武藤の定番ネタ「話が長くてなかなかちゃんこが食えなかった」
86年の前田ーニールセンの時はUWFが呼んだしね >>650
ゴッチとウラカンとかの関係知らないのかな。
卍固めがキャッチの技と言う説もあるが、見た限りジャベだろうと思うし。
おそらくゴッチはVTのように実戦での戦いより
AをBに捻ればCに作用するといった、技の発明や身体の発見に傾倒したんだと妄想する。
キャッチが南米に渡ると、メキシコではルチャリブレに、ブラジルでは
ルタリーブリと真逆になっていくように、格闘技とプロレスってのは表裏一体だよ。 ちなみに欧州で格闘技であったキャッチって呼称はブラジルではプロレスの意味ね。
格闘技とプロレスってのは表裏一体ってのは、興行が絡むと
格闘技は八百長になってしまいがちになるのはいつの時代も同じって事です。
それは渡来した日本人柔道家の戦いにおいても例外とはならない。 >>654
小林が所属選手になって3年目
78年だったら怪力王者グラハムに一度くらい挑戦させても良かった気がするなぁ
猪木上田はネイルマッチかな?
エグさを観客に伝える発想は、後の大仁田と一緒だな。 あるブログのゴッチネタでもうひとつ
猪木はゴッチに学んだが、それはプロレスに優先した技術だったため
タックルを学んでない(ゴッチが教えなかった?)
ゴッチ自身はフリーとグレコの両方で五輪に出場し、蛇の穴でも学んでいる
タックル技術が無かったなんて考えられないのだが
自分の人生の全てを捧げ、学んできたことの全てを、どれだけ大金を積まれても
ショービジネスで生きる者に伝えるはずがない。
一例を挙げると、猪木がロビンソンと戦った試合は名勝負だが
猪木はロビンソンに面白いように倒されている。
これが2人の差で、日本プロレスからの選手で
まともなタックルを出来る選手はほとんどいない。
と、あるが… >>651
タモリ倶楽部で用賀のUWF道場(第1次)を訪れた時に、カール・ゴッチが一緒に
ちゃんこを食べていたな。タモリとゴッチが会話している。 >>657
猪木はボブループにも
スティーブウィリアムスにもタックルで
転がされていた。 服部が「ゴッチは古いレスリングでアマレススタイルだと長州の方が強かった」と言っているから プロレスの修行しに来たのにシュート風しか出来ないやつのとこに送られるんだもんな
そりゃあ「学ぶものはない。退屈でしょうがなかった」って言うわな
強さを求めてない競技上がりの人間にはゴッチはそう見えた 長州が新日入ったころはゴッチは50歳だからな
まったくのド素人ならともかく、
五輪までいった長州が50歳のゴッチより弱かったら大問題だろ >>661
日プロの若手コーチ時代も、コーチとしてのゴッチは優秀で若手もメキメキ上達するが
ショーマンシップの欠片もない教え方に日プロ幹部も困惑の度を増して解任したらしい
>>662
芸術的なバックドロップを馬場に決めた時、テーズは50歳直前だからねぇ
(馬場が完璧な受け身をとってテーズを引き立てたともとれるが)
73年新日版最強タッグだとテーズ57歳、ゴッチ49歳
いくらプロレスだからといっても、電光石火のバックドロップやキーロックを持ち上げたりと
あの動きは凄いよ。 長州「ゴッチとスパーリングしたことはない。あの話はガセ」 >>661
「シュート風」とかゴッチのプロレス見たことないのかと
こんな認識の奴がまだいることに驚く >>666
ゴッチのプロレスって組体操みたいだけどな
強すぎて怖がられたのではなく客に見えないところでケツの穴に親指突っ込んだり急所をついてくるから嫌われただけで神様扱いも新日本を盛り上がるためだし 流れを切って悪いのだが、1977年のオープンタッグリーグ戦で、ファンクスの人気の盛り上がりを馬場は予想していたのだろうか?
もしかすると、当初、最終戦はファンクスV.S.ブッチャー・シークは第1試合で両リン又は両者反則、馬場・鶴田V.S.大木・キムドクが第2試合で馬場組が勝って優勝だったのが、シリーズ中のファンクスの人気上昇に目を付けて、最終戦の試合順を変え、ファンクス優勝にしたのではなかったのかな? 開幕戦の乱闘からして、最初からファンクス優勝でしょ。
日韓師弟コンビ対決なんか、見飽きてたし、それで決まるとか無いよ。 日テレから馬場に「客はお前らの勝つところなんて見たくないんだよ」
と言われたんだろうな >>668
ファンクスvsブッチャーシークはオープンタッグ戦の3か月前に
デトロイト・コボホールで用意周到にフォークで流血の予行練習をしている。
馬場鶴田じゃどうしようもなかったもんね。
70年代は馬場でも鶴田でもなくテリー、ブッチャーで全日は回る事になる。 >>670
そんなことあったとしても次の回は馬場鶴田が優勝してしまうんだが。
あれも「星を返す」みたいなもんと言えるのかもなあ。 >>668
オープンタッグの大成功は、ファンクスやブッチャー&シークばかりが注目されるが
影のMVPはレフェリーの樋口だと思うな。
凶器に気付かずドリーのカットを阻止ばかりして、観客のイライラがピークに達した頃
どさくさに紛れてレフェリー暴行による反則決着だから…
沖識名からの伝統芸だけど、反則裁定であれほど盛り上がったのも珍しい
>>673
通常シリーズに影響するからでしょうね >>668
映画の撮影でキャンセルしかけたテリーを口説いたんだから
優勝は条件でしょ。
そもそもテリーがNWA世界王者になって以降、初めての兄弟来日
だったのだから、格からいってもファンクス優勝の選択は妥当 テリーの髪が短かったのは映画の役作りだよな
結構後になってから知ったわ NWA元王者コンビとして初来日のファンクスと史上最凶悪チームとして初めてコンビ組んだブッチャー、シーク組。
超目玉同士が最終戦で当たるのだから、結果は見えていたね。 開幕戦の乱闘までは
ファンはファンクス対ブッチャー・シークという構図にはほとんど念頭になかった
開幕前時点での最大の見どころは日本初のドリーとロビンソンの絡みだった >>678
他の3人と違って馬場は酒好きじゃなかったのにな。 >>676
テリーのパラダイス・アレイでの演技はスタローンより上手いと評されていた
「がんばれベアーズ」に出演した猪木の演技も俳優より上手かった >>674
外人レスラーに対し格とか優勝ってのは殺し文句となるんだろうか?
vsブッチャーシークの絵を描いたのはまさしくファンクスだろ?
オープンタッグを際にファンクスが全日のブッカーに昇進したって事なんじゃないか?
ロビンソンだってファンクスのブッキングだし、これまたアマリロでリハーサル繰り広げてんだからさ。 忘れちゃいかんが、75年のオープン選手権も
開幕のドリー対ブッチャーで、無茶苦茶盛り上がった。
その後ブッチャーはレイス、ロビンソン とも抗争して、「ブッチャー対外人は盛り上がる」はすでに
定説に。
となれば「ファンクス対ブッチャーシーク」を
最初から看板に想定してたと思うけどね。 オープンタッグは
「タッグリーグは当たらない」「年末は客入りが悪い」の両方を覆したんだっけか >>679
忘れていたがそんな感じだったよ。
絞ればファンクス×ブッチャーシークとファンクス×ロビンソンが
柱だったと思う。鬼滅的にいえば前者が血柱で後者が技柱、なんて感じの。
これの縮小版で馬場鶴田×木村草津×大木ドクも。 ドリー対ロビンソンはシングルが注目されてただけで、公式戦の注目はファンクスとブッチャーシークだったよ。
ただこの組み合わせで注目されてたのはドリー対シーク、ドリー対ブッチャーで、テリーは
ノーマークだったかもしれない。
だから主役がドリーから大会中にテリーに
スイッチしたイメージだな ベビー同士の夢の対決は、一回見れば十分で一過性のものだよ。
テリーとロビンソンの対決は互いにヒートアップするから面白いけどね
結局、プロレスで一番盛り上がるのは勧善懲悪
馬場vsブッチャー、猪木vsシン、ファンクスvsブッチャー&シークのベビー対ヒールの抗争 レイス、ブラックウェルvsシン、ワンマン・ギャングでの大レイスコールは凄かった
ブラックウェルとギャングのラリアットの相打ち
ブラックウェルのドロップキック
レイスがギャングをボディスラムで軽々と投げ
シンがレイスに唾を吐きかけて小悪党ぶりを演出
あれこそ全日本プロレスの真骨頂 >>684
最初から看板に、ってそりゃそうでしょ。
そうでないと、開幕からあんな派手にやらんよ。 >>689
> シンがレイスに唾を吐きかけて小悪党ぶりを演出
猪木の最大のライバルだったシンもレイス相手には小悪党扱いかw >>691
NWAの権威をありがたがる全日本のファンを意識してシンが小悪党を演じたと思う >>692
NWAの権威というなら、加盟団体になった新日にも王者をまわしてやれば良かった。
主流派王者なら馬場の政治力で王座移動を阻止すること位は出来ただろうし
全日に来たときに、その王者の価値も上がることになる。
(例えは少し違うが、負けを呑まなかったブロディをみて思った)
ただ、反主流派王者の場合は難しいかな?
あと、NWA総会を一度くらい日本でやって欲しかった。 >>685
「タッグリーグは当たらない」はともかく、
「年末は客入りが悪い」の方は、日プロでは67年頃から
年末にクラシャー、世界王者キニスキー、ドリーらを
招いてビッグマッチを行っていたよね。
力道山は63年末はデストロイヤーシリーズだったし。
まぁ年末は忙しいこともあるけれど。 年末といっても大会場での客入りは他の時期と比べてもそんなに変わらないと思うが
シリーズ単位での話なのかな? >>688
それがプロレスの醍醐味でした。
ファンクスとマスカラスやマスカラスとリッキーの対決とかも夢があったけど。 >>696
プロレスって、戦いのテーマがないと、客は燃えられないよなあ。
ベビー同士が戦うなら、世界タイトルとか付加価値が必要。 ドリーとレイス、ブリスコ、
それにドリーとロビンソン 、ニック。
このあたりのからみは「いい試合をして
フルタイム」という結果が見えていたしね。
スペシャルマッチとしては最高だが、
メインディッシュにはならない感 >>696
マスカラスとリッキーの試合は期待外れだったね
ベビー同士でも、77年田コロの鶴田×マスカラス戦は年間最高試合だったのに
82年川崎の同試合は大荒れの展開。
ドクトルルチャはマスカラスの日本におけるワースト試合に挙げているが
これくらいインパクトがないとベビー同士の試合は退屈になるよね。
ちょうどブッカー佐藤が全日改革・世代交代を押し進めていた時期にあたるのかな?
2日後に鶴田はレイスに敗れてUN王座を陥落するんだが、、 82年の川崎はそんなに悪い試合じゃなかった。
むしろお互いエキサイトしてて良かったけどな。
淡々としたマスカラス対リッキーなんかより余程いい >>700
マスカラスがメキシコでやってたいつものスタイルで面白かったよね
テコ入れでやったのに遺恨にできなかったのが勿体ない
YouTubeのコメ欄で「あとでマスカラスの性格の悪さを知ったからこういう試合も納得」みたいなトンチンカンなのがあって苦笑 >>700
鶴田×マスカラスが荒れる展開なのが意味わからないんだな。
意外性を狙ったのかもしれないが、後の馬場とシンの試合はいつもの粗い荒れた試合。
そういう意味もあってワーストなんだろ。 マスカラスは82年川崎のUN戦を最後に、翌83年最強タッグの不穏試合
86年正月の三沢タイガー戦やIWAコバクニとの凡戦と
どんどん試合内容や話題性もフェードアウトしていった感じ。 >>703
毎回マンネリのフルタイムドローでは客は沸かない。
世代交代を進める佐藤の、精神面での鶴田改造というか、試行錯誤していたんじゃない?
エースたるやを自覚させたかった気がする。
見た目は黒タイツにして鶴田も精悍になったけどね
そのシワヨセでマスカラスが巻き込まれて、清水さんは我慢ならなかったとか? 荒れた試合で両リンにして、その後5分延長サービスで
うやむや決着感を避けたのではないかね 鶴田ファンだったので「マスカラスなんかやったれ!」とワクワクしてたら
ラフな展開では明らかに押されててショックだった >>255
三番王、四番長島でONよかったのではないかな
現代野球なら二番王、三番長島、なんて打線組んだら最強だったかもね
まぁそんなことしなくても最強だったんだけど >>709
出来たなら東京ドームの馬場引退試合に来て欲しかったな。
メインイベント第1試合
馬場・デストロイヤー対サンマルチノ・キニスキー
メインイベント第2試合BI砲復活!
馬場・猪木対○○(日テレアーカイブから) >>710
猪木引退試合に馬場が訪れていれば来たかもしれないが……。 猪木の引退試合に馬場は電報を送ったが、
会場で読まれなかったと。 二人にしか分からない絆みたいのはあったと思うが
…元子さんの存在かなぁ? 馬場の引退式に猪木が来たら盛り上がるけど、
それだと元子は嫌だろうしねぇ。
逆のパターンでも、猪木が抵抗ありそう。 最後にシャレでフランイグネックブリーカー
かかってほしかったね、猪木には。 >>714
女帝が逝ってジータスでBI砲が解禁され、馬場没20年興行に猪木来場 [格闘技世界一決定戦(80.2.27蔵前 11,000人)]
●星野&山本(3分24秒 反則)エル・セルヒホ&エル・グレコ○
WWF格闘技世界ヘビー級選手権
△A猪木(4R1分24秒 両者ドクターストップ)Wウイリアムス△
(立会人=梶原一騎、ウイリー代理人=黒崎健時、猪木代理人=新間寿)
キックボクシング(1R2分7R制)
○藤原敏男(判定)チョンチャルーン・サックウィッタヤー●
UWA世界ライトヘビー級選手権
○グラン浜田(9分12秒 回転エビ固め)ベビー・フェイス●
キックボクシング(5R制)
○岡田衛(4R45秒KO)マーン・サハタイ●
○レイモンド船賀(5R1分33秒)斎藤京一●
梶原ワールドというか、新日猪木・極真空手共に人気がピークだった。
猪木の格闘技世界一シリーズは13勝2分
当初の予定は、これでファイナル >>718
でたらめすぎだろ
岡田衛→岡田剣
レイモンド船賀→レイモンド額賀
斎藤京一→斎藤京二
藤原の試合は新格闘術世界ライト級選手権で3分7R >>719
訂正ありがとう。資料まんま信じていた
キック系になると疎いもんで、恥ずかしい限りw
でたらめでも気づかないとはww >>718
お目当ての猪木対Wウイリアムス戦の後に
ヤマハ対メキシコオカマコンビの試合を
組んだのは、猪木対Wウイリアムスの試合が
結果次第では、ファンの怒りを招き暴動モノになりかねない。
その不満を和らげるためだった、というが
このカードを見ても怒りは収まらんと思うがね。 >>722
ひつこい卑猥攻撃にヤマハが切れてイスでボコって反則負けw
怒りは収まらないけど、カードを組むならお笑い持ってくるしかない気もする
梶原、黒崎、極真の面々、トルコと、居るだけで怖すぎる雰囲気だったからねぇ >>722
84年2月札幌で藤波VS長州藤原テロ事件の後にキッドVSスミス組んでたのも
同じく客の不満を抑える為だったのかな?
結局大会終了後に暴動起きかけたけど。 >>723
89年新春来日時には何故か小林邦昭が執拗にキスの標的にされてたとか(舌まで入れてくるとか、ソースは確かケロ日記)
昭和最後の大会で藤原&木村組とやった試合がYouTubeにあって面白かったんだけど今は消されたみたい >>725
ユニバでの対クンフー、タケダ組は残ってた
初めの5分だけ面白いぞ >>718
格闘技世界一決定戦は、新日本プロレス主催の興行じゃなくて、新格闘術黒崎道場主催の興行だから、対戦カードがこうなるのも当然。 馬場の武者修行時代の映像見たら猪木など
眼中にないのがわかる。 >>728
猪木×アリ戦の特別リングサイド30万円が最高だろうな
普段のアリの世界戦料金は知らないけど 1988年3月1日新日本プロレス
東京六本木新日事務所で行われた前田解雇の記者会見の最中に
ヒロ・マツダに付き添われて姿を表した海賊軍団が
猪木&坂口に試合に出させろと直談判!
報道陣をシャットアウトして会談し約6分後海賊軍団は足早にタクシーに乗り移動!
猪木「明日からリングに上げさせろ!」
https://pbs.twimg.com/media/FMvMh5wagAAzf1U.jpg >>728
1980年大学卒の初任給が114,500円か!? >>732
散々、馬場のプロレスはショーだ、偽物だと否定しながら
世間のプロレスへの偏見と戦ってきた猪木なのに…
この頃から馬場は、レスラーの格やプライドを重視したカード編成から
ファンが見たいカードを優先するファン第一主義に変わっていった気がする。 >>734
マクガイヤーブラザーズ呼んだりミスターXと戦ったりしてたのに
今更何言ってんのって話だな >>734
猪木の馬鹿げた思いつきを新間が格好良く手直し櫻井さんが煽るという流れが崩壊して、
猪木のアイデアそのものがリングに出てくる様になったんだと思う。 >>736
なるほど!
その角度で考えたことなかったわ
ブレーン新間の追放は痛かったな >>732
しばらくガスパーズが入場したら前田コールが起こってた記憶 >>736
「冷蔵庫の納得食べちゃってごめんね」の人だから納得 >>738
もし、第二次UWFが不発に終わっていたら、前田と高田がガスパーズに扮して新日に復帰したのかな? >>738
無期限メキシコ行きというのは前田に冷却期間を与えるためで
ほとぼりが冷める4〜5月頃には戻して、長州とのシングルマッチを組むつもりだったからね。
だけど前田は納得せず、拒否するだけでなく出場停止を受けていたにもかかわらず
勝手に週プロでベラベラ言いたい事を語ったから解雇されたんだよね。 >>741
メキシコは関節技も豊富だし、気の強い選手多いから、
一見水と油だが、意外とおもしろかったんじゃないかねえ。 前田はメキシコじゃなくて、プエルトリコに行って、ブロディと抗争するか、タッグ組んで共闘するかして暴れればよかったのに >>742
体格が違いすぎる
アンドレみたいに突き抜けてデカければ
また別なやりようはあるが前田では中途半端 新日アングルの成功例
シンの伊勢丹前襲撃、かませ犬発言、藤原のテロ行為…
新日アングル失敗例
第2回IWGP優勝戦の長州乱入、海賊男、TPG…
新間が去って、ことごとく失敗している。
馬場はその手のアングルを嫌うが、最強タッグのハンセンUターン乱入は大成功
ヒットマンになった原の長州vs石川戦乱入もまあまあかな?
ディンク君暴行は中途半端な印象 原のヒットマン路線なんて中途半端だっただろ
天龍と組むまではトップには使えなかったんだし
健吾のマーシャルアーツ特訓と変わらん >>748
横からだが
失踪して長期欠場からの復帰だから十分インパクトあっただろ。
それにあれなしで普通に復帰してたら
長州離脱後に天龍と組んでも2番手と3番手が組んだだけで面白味がなかったと思う。 >>747
全日としては何のアングルにもかからなかったけど、チャボの大仁田トロフィー滅多打ちはどう後に続けるつもりだったのかね? チャボを憎まれ役にして、悲劇のヒーローを気取っただけだったのでは ヘクター戦の怪我が無かったら、ゲレロ兄弟とのストーリーも展開できただろうし
そこにドスカラスや渕が絡んでくると、新日タイガーが築いたジュニア枠とは別の意味で
意外と面白かったのでは? >>752
大仁田のケガがなかってら、渕の帰国や、三沢タイガーの登場は、どうなっていたか。 ゲレローズと全日ジュニア軍団の抗争……。
ファンクスとブッチャー連のジュニア版を狙ったのかな、下位互換だけど。
……全日らしさが出てていいかもしれないな。 40年前の今日だね ..
チャボに勝って、泣きながら「社長〜、社長ぉ〜!」
日本ではチャボにトロフィーで滅多打ちにされ、血だらけで絶叫
全日時代すでに"涙のカリスマ"の原型がw プ板のコロナスレ
来た来た来た来た北狐←読めっか? デストロイヤーが亡くなって早3年、69年の馬場戦と71年の猪木戦を改めて見たが
試合運びは勿論、観客の沸かせ方とか自分の役割をわきまえた
超一流の実力者なのが分かる。
73年から78年まで全日所属で助っ人参戦したのは、嬉しい反面
彼本来の迫力という面では低下してしまった。
プライベートでは、学生結婚で結ばれた夫人が日本の年下男と駆け落ちするという
寂しい思いも経験したけど、日本マットを熟知し
ガッポリ稼いだ最初の外国人レスラーだろうね。 力道山13回忌追善特別大試合。NWA会長フリッツフォンエリックが
「アメリカのマットを空っぽにする気か」と言わしめた超豪華メンバー。
https://pbs.twimg.com/media/FNUc3mvUYAUnzc5.jpg
https://pbs.twimg.com/media/FNUc5puVcAEdvxb.jpg
猪木に公式の場で頭を下げさせるためだけに、会社のカネを使わず
赤字が出るのわかってて日本テレビに莫大なカネを使わせて
80年暮と81年暮にゃあ日本にはぁかなりぃ超豪華外人がぁー集結したかんな。
アメリカのマットもぉ主力陣の大半がぁー日本だったぞぇ。
そんだけぇ日本がぁ稼げたっちゅう事だがなぁ。
全日はぁ最強タッグには力をぉ入れちょったかんな。
しかしぃ新日はぁMSGタッグはぁ年々ショボくなってもぉた。
最初はぁ最強タッグと勝負っちゅう頭あったみたいだがぁー。
しかしぃ最強タッグだとぉ勝負にならんっちゅうのがぁわがったっちゅう。
MSGタッグもぉもっとメンバー考慮すりゃあかなりぃ盛り上がったのにぃ。 >>759
確かに当時の有名どころを集めてはいるけど、金出して見たいというレスラーはあまりいないな。
日本武道館のカードにしても、猪木対ロビンソンほどのワクワクするものはないしね。
馬場対大木戦を猪木対ロビンソン戦にぶつければ盛り上がったのにな。 武道館に行くか国技館に行くか
当日に迷って結局武道館を選んだ人は
猪木ロビンソンの試合内容や展開を聞いて後悔したと思う >>761
>馬場対大木戦でも、
その前年に猪木対大木や75年春に
大木対坂口戦が実現しているから、
ちょっと色あせた感があった。 >>763
それでも、ヌルいタッグマッチよりは緊張感があってマシだろ 75年暮れの時点で
猪木対ロビンソン戦に対抗できる
馬場の対戦相手は、アンドレだな。 猪木本人はロビンソン戦をそんなに気に入ってなくて
「ロビンソンはプロレスが下手だ」と酷評していたってのもプロレスの奥の深さ >>759
1975年6月号『レスリング・レビュー』誌レーティングス
NWA=王者Jブリスコ
1.DFジュニア、2.Tウッド、3.Bブラジル、4.Tシーク、5.Dデヌーチ、6.Pフィルポ
7.Hレイス、8.Tファンク、9.Bワット、10.Gキニスキー
AWA=王者Vガニア
1.BVラシク、2.Nボックウィンクル、3.Rスチーブンス、4.Cリソワスキー、5.Cテイラー
6.Iプトスキー、7.Hホフマン、8.Bウォルフ、9.Gガニア、10.Kパテラ
WWWF=王者Bサンマルチノ
1.Kコワルスキー、2.CJストロンボー、3.ATジャイアント、4.DLジョナサン
5.Pモラレス、6.Dホー、7.Gスティール、8.Tガレア、9.Lズビスコ、10.Vリベラ
NWF=王者A猪木
1.Jパワーズ、2.坂口征二、3.TJシン、4.Pパターソン、5.Jバレンタイン
6.Gキャノン、7.Eラッド、8.Kゴッチ、9.Lテーズ、10.Jキンケイド
空っぽにはならないが、東洋の一プロモーター(日テレ?)が出来ることではないw >>759
豪華なんだけどな。とにかく人を集めたのは分かるが、目玉が無いよな。
オープン選手権よりもオープンタッグがウケた理由は何となく分かる気がする。 >>759
この面子に息子とはいえ、百田光雄の名前に違和感 当時の中学生の受け取り方だけど、一番の夢対決は馬場×鶴田だと思ってた。
そのシングルマッチが数日後の仙台であるのに
焦点がゆるくなるような馬場デスト×ドリー鶴田がメインになってる時点でどうもね。
日プロで実現したことのある大木×ブッチャーが売りでは弱い。
大人の事情かもしれないが、なんかずれてたと思う。
コロンビアトップとかまったく然わけがわからなかった。 >>768
タッグマッチはシングルより展開があるから盛り上がるよね。
それに、開幕戦でファンクスとブッチャー&シークの抗争の火種を作ったし >>770
追悼がメインの興行なので集客は容易だから
カードが適当なのはわかるが試合内容も適当だった
物量作戦で興行戦争をやってもファンの心を掴みきれないのが全日の常だな オープンタッグ>オープン選手権だったことも
ただ豪華メンバーを集めるよりもドラマの方が重要だって事じゃないかね
ワープロで凄い視聴率を叩きだして社長賞を受けたのが
猪木対R木村、浜口、寺西だったのとも通じる オープン選手権のメンバーを3〜4人少なくして、短期リーグ戦にすれば良かったかも
馬場優勝路線は確定だとしても、漁夫の利でもいい訳だし
ドリー・ブッチャーの星の潰し合いで盛り上がったかも
漏れたレスラーは、力道山追善大会に特別参加してもらって、、 端的にラシクとかオコーナーとか要らんのよね。
もっというならブッチャーが要らないし、欲のないジョナサンとかもね。
ピュアに誰が優勝するんだ? を問うべきだったかとも思う。 >>766
終始ロビンソンのペースで進んだから猪木は気に入らないんだろ
いつ人間風車やワンハンドバックブリーカーが出るかという点に注目が集まったし猪木がヘッドシザースをかけてもそれをロビンソンがいかに抜け出すかみたいにロビンソンの一挙手一投足に目が行く展開
いつも自分が二流外人相手にやってるのをやられたから思い出したくもないだろ
I編集長もあの試合嫌いだったよな 猪木がこれまで散々馬場に戦えと要求してきた意趣返しにしてはカネがかかり過ぎているよな
しかも万が一、猪木が参戦してきた場合も馬場本人が相手するのではなく
デストロイヤー達に潰させようと企んだいうのだから…卑劣の一言 オープン選手権ってのは対戦カードはファン投票だったはず。
その結果が馬場猪木戦がダントツとならなければおかしく
猪木が馬場戦が実現するならと当初は譲歩の話もあったとか。
結局は馬場側に猪木戦を何としても実現させない魂胆しかプロレスファンには
見えなかった。
少なくとも全日新日に別れた以降、猪木馬場戦において
馬場が勝つなんて想像をするレスラーもプファンも存在なんてしなかった。
それほど70年代の馬場は既に劣化していた。
猪木vsロビンソン 途中送信スマン。
猪木vsロビンソン>>>>>馬場+その他全日レスラー+日プロ残党+国際レスラー+豪華外人
って現実が証明している。70年代の猪木の輝きはそれほど強烈であった。 でもオープン選手権以来猪木はグチグチ言わなくなった
「条件はなんでも飲む」と言っていたのに「ロビンソン戦が・・」というのはカッコ悪いです 鶴田、デスト、井上、マツダ、オコーナー、レスリング、ホフマンとテクニシャン枠か多すぎて、因縁の試合は全てブッチャー絡み。後は日本人対決が目玉。
人数集めりゃ良い訳では無い >>780
実際にその後にファンがどちらの支持が多かったかは歴史が証明してるよ
今日に至るまで全日はプロレス界の主導権を握ったことはない
全日発のプロレスブームなんていまだに一度も存在しない >>780
そのための現実論が猪木馬場戦実現のための
馬場への1億だか2億のギャラ提示だろ?
はっきりいってもう当時猪木馬場へ興味を持っていたのは
猪木自身のみで、プヲタは両者対決なんてのに興味はとっくに失っていた。
それほど時の馬場の劣化は如実だった。 どれほど集客をしたところで儲かるはずもない・・・w
さらに翌年には輪島も入団ww >>777
卑劣なんは猪木だろ。
実現させる気もないのに、馬場の名前を使って商売。
猪木は誰かを犠牲にしないと、のしあがれないタイプやなあ。 でもさぁ、、、
「馬場と対戦できるなら【どんな条件】でも飲む」
というのは、普通、日時、会場、ギャラ、ことによったら
テレビの放送権のことで、「オープン選手権に出場して、
全日側が指定する選手と試合をしたあとで
馬場と戦え」というのは話が違うよね。
例え、第一戦で馬場と対戦できても、その後でオープン選手権
に出て、全日を儲けさせるのもオカシイし。 >>786
だから当時のプヲタ世論として馬場に同意するコンセンサスは存在しなかったと言う現実だよ。
猪木が絶対神だった。
それにくどいようだが新日側は自民総裁を立てギャラも提示し
猪木馬場実現へ向け、きちんとやることはやっているしね。 >>787
どんな条件でも、って言ったら、どんな条件でもだろ。
新日系はすぐそういう詭弁を用いる >>788
新日信者は、すぐ「自分の考えは全員の考え」って勘違いするんだよ。
自分以外は全員悪
猪木なら反則もOK
このへんの矛盾が嫌で、子供の頃から嫌いだったわ。 >>791
詭弁はともかく
自分が出て全日を儲けさせることない、って捨て台詞は当時は情けないと思ったな。
やばいメンバーが猪木潰しに向かってくるかも(という説あるね)?
なんてことは考えもできなかったが。
仮にびびった面があったにしても猪木が存命中に素直に聞いてみたいな。
で、あの中で誰との試合が一番やばいと思いました? って。 >>791
詭弁はそっちだな!
猪木はあくまでも「馬場と戦う一戦」について要求した。
その前後の試合については「馬場戦の条件」に当てはまらない。
というか、キミは社会経験、常識というものがないのか?
それともペテン師としか思えん。 >>795
あれ以降猪木がダンマリになったのが自分が言ってた「どんな条件も」を飲み込めなかった証拠だよ セメント強いレスラー集めといて
そいつらとやった後でねってのが、馬場らしいセコさが出てて面白い話ではあるよ
馬場にしてみればやったところでデメリット大きいからな でも、どんな条件でも馬場と戦えるなら…とはいってたと思う。
ならば塔のてっぺんやダンジョンの奥深くにいる馬場にたどり着くまでに
倒さない敵や門番がいたとしても行かなきゃあならんだろな。 >>788
> それにくどいようだが新日側は自民総裁を立てギャラも提示し
> 猪木馬場実現へ向け、きちんとやることはやっているしね。
猪木側が一方的に言っただけの話で
これこそ詭弁そのものじゃんw >>797
プロレスラー馬場としては最低だがプロモーター馬場としては最高だな https://pbs.twimg.com/media/FNpmZpoaUAIVXyv.jpg
BI砲の引き立て役に徹した吉村道明。それが嫌でもがき続けた大木金太郎
韓国市場を開拓できなかったのが痛い 結局、馬場は猪木を心底信用できなかったんだろうね。
日プロ時代から何の根回しもなくマスコミの前で挑戦をぶちあげたり
別れてからは挑発が益々エスカレートしていって、営業妨害とも言える
ネガキャンを阻止するために開催したのがオープン選手権な訳で…
馬場だって猪木と信頼関係があれば、BI対決は実現したと思うよ。
その方がプロレス界の為という大義名分もあるし、全日にしてもよかったと思う。
プロレスは他のスポーツと違ってシナリオがあるから
両団体、両テレビ局が損失しないようなドローが確実だと思うけど
その部分でも猪木のブック破りを警戒したんだろう 結局も何も、馬場猪木のファンに関わらず
プロレスファンであるなら実現できない理由に同意する必要は
微塵も無いのだよ。仮にそれが自分の嗜好に耐えられないのなら
視聴しなければいいだけの話だからね。
オープン選手権も、猪木がセメントできたら勝てませんと
自ら認めてるようなのが、おかしいことにお気付きにならないのかと。
信頼関係が成立しない、異種格闘技、パキスタン、欧州ツアーの土俵に乗る
猪木に時代は賛同したんでしょ?
逆に1週間後には返還するNWAタイトルの信頼なんて必要とされなかったはずですよ。 https://pbs.twimg.com/media/CTiSmnQUwAACBjg.jpg
ハーリー・レイス、ニック・ボックウィンクル、ビリー・グラハム、ボブ・バックランド
70年代に世界王者のダブルタイトルマッチは実現したが、ルー・テーズとブルーノ・サンマルチノ
60年代の世界王者対決は実現しなかった。ギャラの問題、勝負の取り決め試合会場の場所
二人の高すぎるプライドも加わって難航してしまったという
BI砲もそうなんだろうな >>805
仮に"痛み分け"という取り決めでBI対決が行われても
終始、主導権を握らせない戦いを猪木は狙っていくだろうな。
(ロビンソンが猪木にやったように)
そしてファンに向かって「どっちが強いか見ればわかるだろう!」とw でも実際セメントで戦ったら、猪木が関節で攻めて馬場がロープに逃げるだけの凡戦になるだろ。
猪木に決定的な打撃があるわけでもないし、
アリ戦みたいなやり方するなら、それも凡戦。
それが猪木にとって得になるのか。
割り切ってブックで、「馬場の強さも引き出しながらの逆転勝利」もしくは
「馬場に攻め込まれながら、一瞬のスキで逆転」の試合を演じた方が良い気もする。
80年代なら、後者のシナリオで両者納得したかもね。 >>807
どっちかが勝つシナリオはテレビ局が絶対認めないだろうね。
特に日テレは、それまでの経緯というものがあるし
それに70年代中盤までは馬場もそれなりに対応できたと思うよ(笑ってもいいけど)
馬場と猪木はぁ結局はぁ試合せんで良かったんかもなぁ。
もしもぉ凡戦ならぁプロレス自体のイメージダウンになっちょっただろぉかんな。
恐らくぅいい内容にゃあならんかったぞぇ。
そんでもぉ入場迄の盛り上がりはぁ凄かっただろぉけどぉ。
やりたくてもぉでけないっちゅう試合だゎなぁ。
80年頃ならぁタッグ対決ならぁまだ良かったかもなぁ。
馬場 越中 × 猪木 前田
双方がぁー若手をパートナーにしちょったらぁ。 いくら団体とテレビ局の格が違うからって、馬場に負けるシナリオを受け入れた
国際プロレスの吉原代表は頭がおかしいんだよ。テレ東のPも当時は激怒したという
ラッシャー木村が抗議文提出とかいっても後の祭りというか無駄な努力
「国際は全日より弱い」と全国に向けて発信してしまった
目先のカネを得て団体を存続されることしか考えてなかった吉原に
ラッシャー木村は制裁を加えるべきだった >>808
かといって引き分けでは世間から
「やっぱりプロレスだね。八百長まるだし」と
言われてしまう。
結局、対戦という選択肢はなかったのかも。 >>810
それだけ吉原代表は切羽詰まっていたのかもね。
対抗戦に活路を見い出す他無くて、もはや負けを受け入れる以外選択肢が無かった。
馬場は自分が勝つ以外、国際とやる意味無いから。 >>804
> オープン選手権も、猪木がセメントできたら勝てませんと
> 自ら認めてるようなのが、おかしいことにお気付きにならないのかと。
そういうことではない。
客の前で面白い試合になるかどうかわからないセメントなんか見せられないということだよ。
> 信頼関係が成立しない、異種格闘技、パキスタン、欧州ツアーの土俵に乗る
> 猪木に時代は賛同したんでしょ?
信頼関係云々なんか客が知ってるわけないだろw そもそも過去何度かほかの人からいろんなところで指摘されてる事だが
オープン選手権開催で他団体にも呼び掛け
↓
新日「馬場猪木戦が確約できるなら出るけど、
漠然としたトーナメントじゃねwいつもやりそうでやらないのが全日だろ?」
↓
全日確約できず
↓
新日「それなら出ません、うちにもスケジュールがあるから」
↓
2週間後参加外人発表
↓
同日興行戦争も試合内容で新日が高評価
以降、アリとの交渉が本格化して猪木の関心は馬場から世界規模で話題を呼ぶアリ戦へ
この時系列の経緯でなんで猪木が参加外人の顔ぶれにビビって逃げて馬場の事は言わなくなった
という事に脳内変換できるのか理解できんわw
Qアノンでもここまでアホじゃないぞ >>814
> 全日確約できず
> ↓
> 新日「それなら出ません、うちにもスケジュールがあるから」
「ファン投票で決める」って言ってるんだから確約はするわけにはいかないんだよ。
特別扱いはできないだろ?
だが、逆に言えば「ファン投票で決める」ってのは確約したのと同義だよ。
これで猪木が逃げたと言われてもおかしくはないだろ。 出場断った後に外人メンバー発表してるのに
これで逃げたwなんて騒げる人間になるには
どんな精神崩壊が必要なんだろう? >>816
> 出場断った後に外人メンバー発表してるのに
じゃ外人から逃げたんじゃなくて馬場から逃げたんだろw >>815
ファン投票が公正と限らないし、論ずるに値しない詭弁だな。 >>818
馬場対猪木が実現しないような投票結果ならすぐ嘘だとバレる。
そんなバカなことするわけないだろw 猪木馬場を特別扱いしてどこからクレームが来るんだろうかwww
十把一絡げで組む興行じゃないことの方が余程スタンダードな感情。
要は全日はやれない理屈を積み上げただけで
やれるための方策を建てた新日との差が、70年代の
新日全日、そして馬場猪木との如実な差となった。
くどいがやれない理屈に対しプロレスファンが賛同する必要は欠片もない。
大人の事情は大人側で解決すればよいだけのこと。 大体猪木アリ戦という壮大な対戦が現実となってしまっている前に
猪木馬場の事情など米粒以下と言ってよい。 >>820
> 猪木馬場を特別扱いしてどこからクレームが来るんだろうかwww
> 十把一絡げで組む興行じゃないことの方が余程スタンダードな感情。
バカだなあ。猪木に対して逃げ道を用意してやったんだよ。
> やれるための方策を建てた新日との差が、70年代の
やれるための方策なんかしてないだろ。
マスコミ使って煽った以外何かやったか?
適当なこと言ってんなw >>822
感情こじらせてるね〜w冷静になりなさいなw
互いに逃げ場を作らなければよいだけのこと。
猪木が挑戦できない様に理屈を組み立てる必要などなし。
自民党幹事長二階堂や後に首相となる福田まで立てているのだから
これ以上は日本においてあり得ない。
業界最大メディアの東スポと破格のギャラも提示している。
現実に馬場もテーブルに乗ったわけだ。
どこも適当なこと書いていないね。猪木アリの現実に対し
猪木馬場のちっぽけさも誰しもが思うでしょ?
猪木がレスラーとしてだけでなくプロモーターとしても馬場を超えた瞬間だよ。 視聴者や購買者ってのは選択肢が与えられるほど恩恵を被る。
商品やコンテンツは多い程ありがたいのが当たり前。
それが試合が実現しなかったことを喜ぶ、おそらく馬場さんファンの
ファン心理の奇形さは理解不能ですよ。
四の五の言わずやればよかったと思っている。結果がどうなろうと。それが凡戦であろうと。
シュートになろうがなるまいが。 >>823
> 自民党幹事長二階堂や後に首相となる福田まで立てているのだから
> これ以上は日本においてあり得ない。
政治家立てれば良いと思ってんの?
どこの後進国だよw
テレビ局同志の話し合いが付かなければ何の意味もないし
お互い負けられないんだから最初から猪木だってやる気ないよ。
冷静になってないのはそっちだろw >>824
> それが試合が実現しなかったことを喜ぶ、おそらく馬場さんファンの
> ファン心理の奇形さは理解不能ですよ。
実現しなかったことを喜んでるファンなんかいないと思うぞ。
できないことが分かってて挑発してきた猪木を黙らせたことを喜んでるんだろw >>825
日本の興行には後見人と言うしきたりがある以上
後の首相より上は日本じゃ存在しないってのが理解できないの >>826
だから出来ないことを理解する必要がプロレスファンだったら無いじゃんwww
アリ戦が出来ちまった以上、馬場戦が出来ない理屈は馬場側にしか存在しないって事に
なっちまうからね。 >>827
猪木寄りの政治家を立てたところで実現するわけないだろ。
そんなことも理解できないの?w >>828
アリ側に日本のテレビ局が付いていたか?
何にも分かってないなあんたw じゃあ馬場は角栄でも立てて、だって怖いんだも〜んって泣きつけばよかったの?ww
日テレ・読売グループ、そして日プロの成り立ちを考えれば
自民党トップってのは猪木側だけの存在でもないこと理解不能なお子ちゃまなのかな?w >>831
> 自民党トップってのは猪木側だけの存在でもないこと理解不能なお子ちゃまなのかな?w
じゃあそれで日本テレビを説得すれば良かったじゃん。
テレビ局同志の話し合いを促さなかった時点でやる気なんかなかったのはわかるだろ?w >>832
だからやらない理由ってのは馬場側にしか存在しないって事になんだろwww >>833
> だからやらない理由ってのは馬場側にしか存在しないって事になんだろwww
そう猪木が仕向けてるんだよ。未だにそれに気づかないのかよwww 頭がお花畑みたいだからもういいわw
理論も理屈もあったもんじゃ無いわ。 >>835
> 頭がお花畑みたいだからもういいわw
それあんただろ?猪木が本気で馬場とやりたいと思ってたと未だに思ってるのか?
プロレスだぞ?格闘技じゃないんだぞ?
馬場が負けるのを了承するわけないし、日テレも馬場が負けるのを了承するわけない。
猪木自身が負ける以外実現するわけがないんだよ。
こんな理屈もわからないとは恐れ入ったわ猪木信者w やらない理由が猪木側に存在しないということは
猪木自身が負けてもいいし、それをテレ朝も了承してるということになる。
そんなことがあるわけないw >>804
セメントで来たら勝てません…て、
猪木のセメントは全部不意討ちだからなあ。
台本通りやります…って言って、約束破る。
単に姑息なだけ。 >>814
その時系列が本当かどうかはわからんけど、
仮に本当だとして、
猪木が参加メンバーを知るのが、正式発表のあとだと思ってるのか?
東スポで情報を得る藤波じゃあるまいし。
参加メンバーなんか事前にキャッチしてるだろ。その面子を見て取り止めたんだろ。 >>823
それ、全日をはみごにして作った、名前だけの日本プロレスコミッションだろ。
大物政治家のネームバリュー使って、リアリティーを演出してるだけやん。 >>839
他の会社が誰と契約するかとか、分からないだろ?
アホ? >>840
スポーツ競技でもないのにコミッショナー制度って(笑)
いかにも威厳があるように見せるだけの、日プロ時代から続く悪質なやり方だよ
(国歌斉唱も同じ)
政治家なんて視聴率のいい団体で全国中継される、票目当てだけの名義貸しだよね。
その証拠にブックの存在が囁かれ始めるといつの間にかいなくなったし
認定宣言以外に何やったのか聞いてみたい
あと、知ってると思うがオープン選手権を時系列で…(キャンセルを押せば)
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/open_zennihon/open_19751206_1218.html >>841
お前、ホントにバカ。
大体誰が来るとか情報は入るだろ。 >>838
井上譲二氏によると
「道場では馬場を何度も極めて負けなかったことについて、猪木は最低限のケーフェイを最後まで守った」とのことです
ちなみにこの本は猪木を批判しまくってる >>844
いや猪木はしょっちゅうそれ言ってるじゃん、 そもそも「道場の腕の極めあい」イコールガチ、
というのも違うんだよな。
あくまで関節技オンリーの練習ってことでしかない。柔道でも寝技オンリーの稽古ってあるけど、
それと同じようなものだよ。
ピンフォールや打撃、投げを含めての
ガチだからね >>843
お前には新日本プロレスと全日本プロレスが同じ団体に見えるようだな。 まあガチでやったら馬場の圧勝だと思うよ。
日プロ時代も馬場の全勝だし。
猪木はテレビや何やらの事情で馬場が受けるわけないの知りながら吠えてただけの小物。 >>845
道場では馬場さんを極めまくってました
なんて言ったっけ? 時系列の順番は知らないが実際に新日が鶴田を引き抜こうとしたろ、警戒するの当たり前だわ。 ツベに上がってる
馬場のアメリカ時代の映像見たら腰抜かすよな。
チェホンマンどころじゃない逆三角形だ。 また臭いのが寄ってきたな
隔離スレに帰りな
お前の居場所はここじゃないぞ? >>855
まぁ馬場の体型のイメージといえば高野豆腐みたいな長方形だからさ 俺は馬場好きだけどね
ランニングネックブリーカーとかジャイアントスモールパッケージホールドとか
馬場のワバイはぁ太れない体質だったらしいかんな。
だからぁ身体はぁ細かったんよぉー。
アンドレはぁ太る体質だったからぁあんだけ太っちょったぞぇ。
もしもぉ馬場がぁーアンドレみたいに太れたらぁ。
でもぉそんならぁ更に動けんかっただろぉかんな。
流石にぃ膝がヤバかったっちゅうにぃ思うぞぇ。
実際にゃアンドレもぉかなりぃ膝に負担あったしぃー。
しかしぃ体重209の馬場もぉ見たかったぞぇ。
身長、体重がぁ同じ209っちゅうにぃ。 馬場はインター王者時代、遠征中旧知のサンダー・ザボーから膝への負担のため減量するように進められた。 >>860
そうなの?
いつ、どこで?
サンダー・ザボーは、馬場がインター王者(65年11月〜)
来日しておらず、翌66年10月16日に亡くなっているが? サンダー・ザボーといえば力道山、馬場、猪木、大木が揃った第5回Wリーグ
開幕戦で猪木(当時20歳)はいきなりザボー(当時55歳)と対戦
3R2分フロント・ネックチャンスリードロップからの体固めで破れている。
後のアントニオ・ドライバーだね 1967年国際プロレスとの合同シリーズの時の猪木とダニーホッジ。
猪木のカタいチョップにホッジがキレてパンチでKOしたのはこの頃の話らしい。
https://pbs.twimg.com/media/FJo2UX1aUAI0-7T.jpg
新日を旗揚げした猪木はテーズは呼んだが、ホッジを呼ばないのは当然のこと >>861
失礼。馬場がアメリカ遠征中の話だったと思います。ソースは馬庵の末期の本だったような。あやふやな話で申し訳ない。
66年に亡くなっていれば最初か2度め海外遠征の話の可能性が高いですかね。
アメリカに初遠征した馬場はそのザボーとブラッシーの試合を見ておじいちゃん同士の試合と勘違いした。なぜか可愛がられて自動車の運転教えてくれて
ジャイアントバックブリーカーもザボー直伝だったみたいな豆知識みたいなネタばかり思い出す。
馬場のバワイはぁベンチプレスはぁ全くダメだったらしいかんな。
しかしぃ力道山はぁ馬場の身体的構造をぉ考慮しちょったとかぁ。
そん代わりぃ馬場はぁ脚力がぁー半端じゃあなかったらしいぞぇー。
そんでぇ力道山はぁ馬場の下半身 足腰強化にぃ力を注いだとかなぁ。
大昔の馬場の動画見るとぉ確かにぃそれがぁ伺えるかんな。
馬場の動きがぁー矢鱈と素早くてぇ驚き 梨の木 アントニオォーイノォーキィー
本当にぃ驚きングだぞぇ。
ようつ動画だとぉ60年代のぉ馬場の試合とかもぉあっちゃるしぃー。
馬場がぁー動けた時代っちゅうのもぉ貴重だかんな。 サンダーザボー60年代に55歳でまだ現役やってたのが凄いな
当時の55歳なんて今と違って完全に爺さんだろ
力道山なんて40歳手前でもうヨレヨレだったし 日テレのナレーション「当時、全日本No.1の象徴であるベルトがPWF王座であるならば、
No.2にあたるベルトがUN王座であった。
このベルトは以前、アントニオ猪木が保持していたことでも有名な、伝統あるベルト」
つまり猪木は永遠のナンバー2だと。 >>867
シンが移籍した時に解説の山田が
「36歳という年齢からメジャーなタイトルを欲しくなって
それを考えての全日移籍でしょう」と言っていた
つまりNWFはマイナータイトルだと あからさまな言い方だなぁw
散々、ネガティブキャンペーン張られてたから当然だけどね。
というか、初期新日は馬場を貶すイメージ戦略で成長してきた。 マイナータイトルより客が集まらない全日のNWA戦w >>863
東郷構想では、翌年テーズを倒すのはホッジじゃなく大木だったんだよね。
第2代TWWA世界ヘビー級王者大木金太郎 >>868
あからさまに国内マットで全日レスラー>>新日レスラーとはいわず
個人の強弱みたいな判断や評価はしないもののメンバーのことをさておけば
外部環境としてなら全日側の方が上位である、ということいってたね。
NETより日テレ、桜井より山田と、暗に匂わせていたかも。
当時のぉ新日と全日はぁ互いに貶めちょったかんな。
特にぃその放送の解説でぁそぉゆぅのがぁー沢山見受けられたぞぇ。
ブッチャーがぁー新日に移籍した時もぉそぉだったしぃー。
猪木がぁーブッチャー貶めコメント出したりぃ。
今までのまんまならぁ俺には勝てないっちゅうにぃ。
馬場に勝った事あるブッチャーもぉ猪木にゃあ勝てない。
ブッチャー基準にぃ考えるとぉ。
せっかく引き抜いたブッチャーがぁー本当にぃ勿体ないょなぁ。
全日にぃ上がったシンにもぉ馬場はぁ辛辣なコメント出しちょったかんな。
これもぉ全日>新日っちゅうイメージ戦略だったかもなぁ。
しかしぃ馬場はぁハンセンな事は全く悪く言わんかったかんな。
。 全日の実況で猪木の名前は結構出てたよな
ハンセンが全日移籍した時とか
馬場がロビンソンに勝った時「猪木が勝てなかったロビンソンに馬場が勝ちました」とか
逆に新日の実況で馬場とか鶴田とかの名前が出てきたことはあったかな? 実際は、馬場も日テレも猪木を意識しまくっていたからな。
自信が無いからdisっていた。 >>874
実況は記憶にないが新日のパンフに馬場の悪口が書いてあった
各レスラーへのアンケート:好きか嫌いか?
テーマ:ジャイアント馬場
とか言うのが >>875
意識してた、というより、
猪木があまりにもディスってくるから、
正攻法で仕返ししただけだろ。
馬場の立場からしたら、一緒にやってるとき明らかに格下だった猪木に何されようが、意識することはないと思うぞ。 >>872
桜井と山田なんていちいち区別しないよねwふつう ハンセンは当時はNo.1外国人だから悪く言える部分がなかった。
それに前日としても本命として引き抜いたわけだしね。
新日のブッチャー引き抜きは猪木は乗り気じゃなかったのに周りが勝手に引き抜いた。
猪木も仕方なくそれに合わせた。
でもブッチャーとまともに試合する気にはならなかった。
結果的にブッチャーは飼い殺し状態。
シンの扱いの方がまだマシ。
上田も全日に移籍したのが互いに幸いだと思ったね。
どちらか片方ならあれだけの扱いも難しかったのでは?
シンが単発移籍ならパートナーに恵まれず。
最初からシークと組ませたかな?
上田が単発移籍でも同じ状況で。
上田の場合は日プロ時代の馬場との遺恨あるからそれを題材にして馬場と抗争に持ち込んだかも。
でも上田単発なら馬場まも引き抜いたかな?
シンの口添えで「上田も一緒が条件」て言われたのを飲んだのだろう。
シンの口添えが真実ならば。 ブッチャーに関してだ、猪木は乗り気じゃなかった説あるが
それってどうかな、と思う。穿ってないかな、と思う。
そんな(業界的な)大勝負は猪木ならノリノリでやりたがるだろう。
結果的にあまりいい試合できなかった後付け、言い訳の類いじゃないかな。
乗り気じゃなかった説は猪木自身よりも猪木ファンによって大事にされている。 >>877
意識することない相手に仕返しするのか
馬場って頭おかしいんだな また臭いのが寄ってきたのか
回線変えてご苦労なことだ >>877
その割には、オープン選手権でシュートに強い()レスラー大量に連れて来たり、猪木と闘った直後のロビンソンや大木を引き抜いたりしてるな。
格下相手にそこまでやるんだ。馬場って変だよな。 >>879
まともに試合する気にならなかったって、
それでもプロか。
誰とでも良い試合すんのがストロングスタイルちゃうんか。
相手の良さを引き出して仕留めるのが風車の理論でしょうが。 >>884
ロビンソンは試合後に新間に値切られて、嫌気が差して全日に売り込んだ。
大木も、インターベルトを策略で奪われそうだったから、全日に持ちかけた。
どっちも新日のせいやん。
引き抜きでもなんでもない。
オープン選手権のメンバーは、別に猪木対策ってだけじゃなくて、馬場のルートで集められる最高の面子やん。
なんでもかんでも猪木を意識してると思うな。 >>883
俺のこと言ってるんだろうが
自分がやってるからって他の人もやってると思うなよw https://pbs.twimg.com/media/ErCSXbuVkAAtPwA.jpg
全日本ブレーンの森岡さんが「もし、猪木がオープン選手権に参加してきたら、まずホフマンを当てる」
と考えてたようで、猪木つぶしの刺客に起用しようとしてたと。でも、どうだろうね??
素人目には、ホフマンってスープレックスのきれなんかはダイナミックでよかったけど
「極める」って感じを受けたことはないんですよね。猪木といっしょで
「ボウアンドロウバックブリーカー」もフィニッシュにしてたけど、これもそう怖れるほどではないかなと。
それに猪木を潰せ!って指令にしたがうほどのバッドガイには見えない。
そもそもオープン選手権で初めて全日本に参戦したわけで、馬場にそれほど忠誠誓う必要もないしね。 >>888
藤波曰くメチャクチャ強くてとても敵わなかったそうだよ。
ドイツ遠征の時に勝ち目無いのに負けさせてもくれなくてキツかったと。
ドイツのプロレスはアメリカと違ってスパーの延長の様なスタイルだったのかね。
んでアメリカスタイルの地域に出ると合わせる感じなのかな。 ホフマンが強かったのはもっと以前の話しだろう。
全日のリングに上がった頃は肉体が衰え過ぎている。
藤波云々ってのもまだゴッチの自宅トレの前の話だしね。
欧州シリーズを無事にクリアーした猪木に時のホフマンじゃ
プロレスifの妄想話で通用しないと思う。
参加外人もシューターと言われる選手はいないんだよね。
年齢とリアルな強さを考えればラシク、マンテルあたりが一番強いんではないかと思うんだけど。
ジョナサンは強いんだろうけど淡泊過ぎるし。 シューターがいない?
ミスターレスリングさえもシューターじゃないってか >>890
リアルな強さなら普通にヘーシンクじゃないの 実際レスラーでしょ?
レスラーなら実績、年齢でラシクやマンテルの方が上じゃない? >>892
柔道引退して10年近く経ってブクブクに太った40歳程度のヘーシングを
リアルに強いかと言われれば???ですね。過去形の選手でしょ? >>894
ラシクはレスリング引退して10年以上経ってたし変な体型だった >>894
日本柔道をも圧倒して、
あれだけデカイ柔道家が、全盛期より落ちてても弱いわけないだろ。 >>896
では北の湖や高見山といった巨漢力士と互角に渡り合った
輪島がアラフォーでプロレス転向して強かったというのか?
アスリートってのはブランク作ったらダメなんよ。
マラソンと一緒。一回歩いたらお終い。
全盛期ヘーシングとプロレスヘーシングを見比べてから出直せ。
元々80k級にも出場してた選手が160kなら倍強くなるなんてのは
プロレス目線でしかないww でも一番怖いのはヘーシンクだと思う。
この試合はいつものレスリングはしなくていい勝負だ、
あっちのアントンをやっつけてみれくれ
締めも間接もオッケイだ、と言われたら……
40歳の肉体というよりも、試合をやっていいんだとなった精神は怖いぞ。
初戦がホフマンに関しては深い人選だと思う。
ホフマン(とレフリー)がどうやっても猪木には勝たせず
ちょこちょこ嫌がらせ的に極めながら時間切れにする策だろう。
それで猪木は無謀と無理を理解するし、
ファンやマスコミはホフマンに勝てなかった猪木は、となってしまう。
それで最終戦の川崎は馬場がホフマンに。 オープン選手権は全日創立3周年で、期間中に力道山13回忌と記念事業の意味合いもあり
豪華メンバーを一同に集めた大会な訳で、別に猪木潰しの為のシリーズではないよね。
企画が発表されたのが9月29日で新日不参加が10月13日、参加メンバーの発表が11月4〜5日
猪木が「猪木馬場戦が必ず実現するという保証があるなら何をおいても出ようと思ったが
漠然としたトーナメントにテレビ局に不義理してまで何で俺が出なきゃいかんのか。
やりそうでやらないのが全日本のやり方だから…
シングルでの一騎討ちならいつでも出る」と
実現不可能な挑発だったから焦った言い訳にしか聞こえないw
そもそも全日のリングに上がるということは、馬場側のブックに従うということ
何なら開幕戦のテレビマッチで馬場猪木戦を組んでやればよかった。
難癖つけて拒否するに決まっている。 「組んでやればよかった」とか言っても、実際に組まなかったのが馬場
内実はどうあれ、一騎打ちを拒否したのが馬場という事実は変わらんよ >>898
30で引退したプロ野球エースが40でヒョイと投げて
時の現役選手に通用するほど土の競技も甘くないよ。
去年の五輪メダリストがはるか下ランクに卓球も負けてるね。
一度切れた精神を繋ぐのはなかなか上手くはいかんもの。 >>897
80キロから160キロ?
???
何を訳のわからんこと言うてんねん。
アホやろ。
もともとの上背で圧倒できるほどの格闘家だろ。
ブランクがあっても、むしろガチンコなら相当強いに決まってる。
輪島は体格で圧倒できるほどデカくはなかっただろ。
それでもガチンコやらせたら、相当強かったはず。
まあ、それはやってないからなんとも言えんが、
少なくともプロレスしてる輪島を見て判断するのは的外れ。 >>901
それは競技のはなしだろ。
ここで言ってるのはガチンコの話だ。
単に潰すって話なら、
体格がデカイ方が圧倒的に有利。
ましてやヘーシンクは柔道金メダリスト。元々の素質が違う。 >>899
いっそ力道山先生の霊前で戦おうでいいではないか?
回りの刺身のツマなんぞいらんでしょ。
プロレスのシュートなんてそうそう無いわけ。
テーズなんぞプロレス人生で1試合も無かったと書いている。
で猪木にギャラ払ってブック認めさせて全日のリングでやればよいだけ。
ヤ〇ザつかって詫び入れさせて300だっけか500だっけか?
金払わせてって、まんま闇社会で、プロレス界に1ミリも貢献してない。
普通に考えてプロレスは花を取るか実を取るかだろ?
全日のリングで実を取るなら勝ちは猪木だろ?おかしくない理屈です。 ホフマンやへーシンクがプロ野球選手ならば猪木は草野球選手だろww >>903
競技もガチンコもコンテストと言う意味で同じでしょうがww
プロレスの見過ぎだよアンタw 全日は、猪木がオープン選手権に参加した場合に誰をどういう順番で猪木と対戦させていくかを決めていたそうだけど、予定対戦カードはどんなものだっただろう?
全8戦として、ホフマン、レスリング、ラシク、デストロイヤー、ジョナサン、ヘーシンク、馬場(日本武道館)、ラッシャー木村の順と予想。
多分、馬場と対戦するまでに猪木を負傷に追い込み、馬場の不戦勝にする作戦だったのでは。 >>907
実際には上のレスの通り新日が早い段階で断ってるのに真剣にそんな妄想してたのなら集団マスターベーションだな、気持ち悪い奴らだw 俺もそう思う。大体もし猪木馬場が実現されたなら
それはガチなのか?猪木だけオープン選手権全試合ガチなのか?www
妄想だとしてもとても滑稽であるwww猪木だけ膠着試合でドローの
横で16文で馬場が勝ってりゃ、当時のプロレスファンとて暴動ものだろうww https://pbs.twimg.com/media/FOJWhwPaMAE3m1X.jpg
馬場には「逃げずに戦え」といい、「私は誰の挑戦でも受ける」とカッコつけたくせに
ラッシャー木村に挑戦されたら「立場が違う己を知れ」と断った
言動不一致とは猪木のためにある言葉 >>911
もうその頃はラッシャー木村の方が腰やら膝やらボロボロでどうしようもなかったからじゃね
日プロのぉ猪木追放劇はぁどっちもどっちっちゅう意見がぁーあったぞぇ。
猪木は猪木でぇ幹部達のぉ悪行を叩いて日プロを自分のものにしよぉとしたぁ。
幹部達はぁ若い連中(猪木、馬場、上田)からぁ批判受けても当然だったぁ。
だからこそぉ猪木追放もぉ幹部達のぉ怠けングもぉどぉしよぉもないっちゅうにぃー。
まぁ日プロのバワイはぁ猪木と馬場がぁ続けて離脱したっちゅうのがぁ崩壊原因だかんな。
当時のぉ幹部達ゃあまさかぁ馬場がぁ日プロ離脱っちゅうのぁ予想外、想定外だったかんな。
そんでぇ結果的にゃあ日プロはぁ崩壊してもぉたしぃー。
坂口や大木ではぁダメだったぞぇー。
ありゃあ仕方ないかんな。 両者のファンとしては蔵前をキャンセルしてでも武道館へは来て欲しかった。
猪木ロビンソン戦を新日提供試合(テレ朝中継)としてやり
「全日国際の為ではなく、先生の為に参戦する。馬場さん、試合内容で勝負しよう!」
、、、な訳ないかww >>900
> 内実はどうあれ、一騎打ちを拒否したのが馬場という事実は変わらんよ
オープン選手権の参加を拒否した猪木も同様だろw >>911
「己を知れ」は木村が実力日本一を賭けて戦おうと言ったから
「それを取り下げて挑戦してくるなら俺は背を向けない。なお興行権やTV放送はこちらに一任するのが条件」 >>915
全日が馬場猪木戦を絶対に組むと
はっきり言わない以上は猪木が参加しなきゃならない理由がないだろ
猿並みの頭だなお前w >>917
前田から逃げ続けた猪木には何も言う資格はねえよw >>917
猪木が参加を表明したら全日としては馬場猪木戦を組まざるを得ないだろ。
そのくらいの理屈もわからないお前こそ猿並みの頭w 猪木が負傷すると言う確実性が無いのだから
逆に馬場が負傷欠場する懸念は十二分にあるね。
どうにかして対戦しない理屈を積み上げてしかいないのが馬場だから。
スペシャルワンマッチが相応しいのだ。
リーグ戦でお茶を濁すカードではない。
そうしたのはワンマッチ興行なら不戦が許されないから。 >>919
だからそんな当たり前の事すら
宣伝になるにも関わらず怖くて確約できない
馬場がビビってるんだよ
70年代後半から全日の人気下降が決定的になり
新日との差が開いていくのもファンが全日の姑息さを見抜いてたという事
猪木がオープン選手権に出なかった事で失った事なんて何一つもない >>921
猪木が参加するかどうかも分からないのに組めるかアホw
組んだら組んだで「打診もなしに勝手に組んだ。」って文句言われるだけだろ。 オープン選手権に対して、vsロビンソンが
語り草となっている現実を無視し過ぎてるね。 >>923
現実を言えば
馬場が総力を挙げて束になって猪木つぶしを企てたのに
猪木ロビンソンの試合内容に一蹴されてしまったというオチだからね
同じ日の武道館の馬場の試合なんてどんな試合だったか誰も語らないのがその証拠 蔵前大会キャンセルして
武道館で新日本提供試合として
猪木ロビンソン戦やればよかった。
てまあやるわけないけどw >>925
ノーテレビって事は
放送する価値がないも同然って事になるな
何年か前に動画は見たことあるから内容は一応は知ってるけど >>924
メンツ潰された馬場は顔真っ赤にして
ドリー使ってロビンソンを引き抜いた。
アマリロで鶴田ロビンソンも行って
入念な準備済みの上でね。 全日の場合問題なのは
馬場がNWA王者になろうがロビンソン、大木にあっさり買ったりして
猪木より優位性を見せようが
結局は全日の人気アップには全然繋がっていないということ
そのことでレスラーや社員の収入が上がったという事もなかっただろう
ファンからの評価もなく会社の業績につながらなければ単なる個人の自己満足 >>929
日テレからの馬場への視線が怖かったと思う。
その対策として物量を投下すればするほど、自己権嫌悪に陥ったろう。
視聴率や観客動員ってのは目に見えてしまうのだから。
プライドをかなぐり捨てた馬場は、スタイルを認めるはずの無いハンセン引き抜き
長州等ジャパンを引き抜き日本人対決に踏み出し、タイガーマスクを導入し、異種格闘技まで行う。
つまりそれは新日への屈服であり模倣だ。時間経過とともにターザン山本劇場にすり替わる。
昭和全日ファンと一括りにするけど、それはハンセン前なのか後なのかでまるで違う。
ハンセン前の全日ファンには敬意を払うけど、そんな輩は当時どこにいたのかは正直不明だった。
ファンクスファンとマスカラスファンってのは存在していたが、それが前期昭和全日ファンだと思うけど
馬場ファン鶴田ファンなんぞ皆無と言って大げさではあるまい。 馬場ファンで言えば日プロ時代のファンと全日時代のファンとは全然別物だと思う
全日時代のレスラーとしてのファンはそう多くはないかな
いるとしたらターザン山本の影響を多分に受けた気持ち悪い馬場さんファン >>927
でしょうな。メインはあくまで花相撲の
タッグマッチ。馬場デスト対ドリー鶴田戦。
オープン選手権の最中にわざわざ流す
必要はない。
セミの大木ブッチャー戦は放送された。 >>899
お祭りシリーズなんだから新日からは猪木は出なくていいから、
ゴッチが出て、デストロイヤー、パット・オコーナーと
それぞれ30分引き分け試合をやればよかったと思う。 >>933
大阪で猪木ロビンソン さんやって
武道館で
馬場ドリー対猪木ロビンソンやれよってw >>931
歩いただけで「オ〜ッ!」
足上げただけで「オ〜ッ!」ってやつですな。俺も大嫌い。
河津掛けすら己の右足をフックすら出来なくなってしまった。どれだけ介護プロレスなのだ。
コーナーロープに振られて5m程早歩きしたら謎のリタイヤ。
裸の王様にも程がある。俺は馬場に対する不敬だと思う。
猪木がいるうちは引退できないのだなんて、ファンは釈明してたけど
猪木が引退しても馬場はリングを降りなかった。
それは馬場自身、己の栄光に対する不敬でもあるね。
馬場は70年代に引退すべきだった。おかげで鶴田も花咲くことなく散っていった。 >>933
オープン選手権に猪木参戦の条件がゴッチも護衛のために
参戦じゃなかったっけ? >>935
いやあなた、猪木が1988年春までエースを
張り続けたおかげで、藤波長州は全盛期を
過ぎてしまったのだが… >>937
よって新日は長州藤波から三銃士に飛び越えたんだよ。
そして長州にはマッチメーカーを藤波には社長の座を後に与える。
猪木は前座や、議員に転身しスタンダードストーリーからも退いた。
完全に施しが行き届いていると思うけどね、対全日との比較で。 >>935
鶴田が花咲く事なく散って行ったとかほんとに頭おかしいんだなw >>938
1983年 鶴田インター王座獲得
1984年 鶴田AWA王座獲得
IWGP優勝は猪木
長州が猪木に3連敗
1985年 IWGP優勝は猪木
藤波が猪木に負け
鶴田と長州引き分け
1986年 長州PWF王者に
IWGP優勝は猪木
1987年 IWGP優勝は猪木、タイトル化
長州新日復帰もうやむやな世代闘争
猪木が巌流島で話題独占
天龍角間で描く理由対月盛り上がる
1988年 長州、猪木に負ける
天龍、ハンセンに勝ち二冠王に
飛龍革命
どう見ても猪木のエース居座りは酷いわ >>906
ガチンコの話してるのに、
プロレスの実力で語ろうとするお前に言われたくない。 >>911
鶴田の挑戦も断ったよなあ。
前田日明には、決定カードをひっくり返してでもやらなかった。
猪木信者は、こういう醜態を恥ずかしいと思ってないのがすごい。 >>940
おかしな話でね、猪木と比較すべきは馬場じゃ無いのかな? >>942
どう見ても逆だよww
競技やガチンコの話をしているのにプロレス頭で語っているのはそちらです。 >>946
いや、これは馬場と猪木の比較だよ。
馬場は鶴田や天龍、参加してきた長州にも
エースの機会を与えて、
猪木は88年まで与えなかった。 >>948
では馬場がいつ、鶴田天龍長州に負けたんですか?当然だけどシングルで。
お答えくださいww どこにも【馬場】の文字が存在しないのに
これは馬場との比較だと言う滑稽さww付き合いきれないわww >>944
新日参戦時にはすでにアイスバーンを歩いてるようなヨタヨタ歩きのイメージしかなかったけどな
打たれ強さはさすがだったけど >>949
別に負けなくたっていいんですよ。
エースを譲れば。
猪木だって藤波には負けずにエースを
譲ったんだからね。
馬場は85年にハンセンに負けて以降、タイトル戦から撤退。
85年、86年、87年とIWGP独占してエースに居座ったのが猪木というだけでね。
藤波に優勝譲ればよかっただけ。 では5歳差(だっけか?)があって明らかに老化現象の始まっている馬場より
早くに長州に下ってるではないですか?ww大丈夫ですか?
ああ寝ます。また明日。 >>953
馬場は1980年、42歳の時には鶴田に
カーニバルの優勝譲ってますよ。
その後2回優勝したとはいえ。
猪木はとうとう44歳の時まで、春の祭典で
日本人には優勝を譲らずw
その間に藤波は全盛期が過ぎてしまった。 >>954
ホーガンには失神KO負けしてるし藤波には飛龍原爆で取られてる
前田との対戦をあえて避けてた感じもある意味良かった
馬場は40代前半の頃って鶴田にピン取られたりしてたっけ 馬場は鶴田にはシングルでもタッグでも一度もピンフォール許さなかったな
天龍、三沢にはタッグで獲らせてるから、馬場の鶴田に対する評価もそんなもんか >>954
馬場は51歳の時にやっと天龍にフォール奪われたよな。
タッグマッチでしかもパートナー木村が延々場外ダウン、ローンバトルの上負けるという。
更に翌シリーズでは天龍からピン取ってるし。
セコいよな、馬場って。 対日本人に話を絞っちゃいかんな。
猪木には75年3月のシン戦から
83年6月のホーガン戦まで
8年3か月間シングルフォール負けなしという
空前の大記録があるでw
その間馬場はドリー、大木、レイス、ブロディ、ハンセンにフォール負け献上しとるぜ。 でも猪木の場合は何といっても
「1987年まで蔵前、両国、東京体育館のビッグマッチのメインエベントをほぼ独占し続けた」
というのが最大の問題ですよ。 >>928
また都合のいい言い方するなあ。
新間が約束の金払わなかったから、
ロビンソンが馬場に交渉しに行った、なんてみんな知ってることだぞ。 >>946
アホやろ。理解力0か。
全日は鶴田中心の時代なのに、
まだ新日は、猪木がのさばってるって比較やないか。 >>947
Wを多用するやつって、
アホが多いらしいぞ。 >>945
知らんのか?
猪木が「鶴田なんて木村健吾程度の実力。」
とか、トンチンカンな理由で逃げたやないか。
鶴田に「猪木さんは、将来自分が衰えた時に、活きのいい若手に挑戦されたらどうするんだろう。」って言われて、
後に前田日明に追い回されて、逃げ回ってたな。
鶴田のいう通りになった。 >>963
むしろ木村健吾程度の実力だったら挑戦を受けろよって感じがするがw
全日No.2のネームバリューがあって実力がそれならこんな美味しい相手はいないぞw >>959
商売をやる上で老いたと言えども猪木メインのほうが
無難に数字が取りやすいというのがあるからね
猪木を外して売り上げが下がったらだれが責任取るの?という事になる
逆に言えば全日時代の馬場や鶴田天龍、藤波、長州にはここまでの商品価値はなかったという事
その分だけ飛竜革命は地味に大冒険でもあった >>960
馬場さんやターザンからしてみたらあなたなんてチョロいですねww
ドリー使ってロビンソン引き抜いたのは事実ですよ。
引き抜き前にアマリロで鶴田と前哨戦やタッグを組ませ
入念なシミュレーションを実施してます。ドリーがダブルアームSを使いだしたのは
その時にロビンソンの指導と許可があったそうです。
Uターンしたブロディとて馬場の顔を立てるため、ギャラダウンで戻ったなどと言われましたが
実際はハンセンと同額となりギャラが上がった上に、先に寝たのは鶴田の方でした。
これを新日がすれば土下座外交と言うんでしょうね。 >>958
IWGPのホーガン戦はフォール負けではないんだが >>964
猪木に挑戦したいなら馬場に勝ってから来なさいってのは
至極真っ当で忖度なしに理解できる理屈だと思いますけどね。 猪木もブロディに一度寝ておけば、
お返しでブロディからフォール勝ち取れたと
思うんだよね。
それを避けてズルズルと不透明決着を
繰り返してる時点で色々行き詰まってるな。
鶴田は一方、ブロディにピンフォール勝ちして
「猪木もなしえなかったブロディフォール達成」と称えられた >>966
ドリー・ファンク・ジュニアは、日プロ来日時で既にWアームスープレックス多用してたけどな。
あとロビンソンの全日移籍は当時のプロレス誌によると(もちろん眉唾物記事だが)、
NWA王座への近道だからと馬場に接近したと。
NWA非会員の猪木から一本取っても何の意味もないが、
元王者の馬場から負けたとはいえ、一本取ったことでロビンソンの
評価はアメリカで大きく上がったとさw >>969
新日におけるブロディvs猪木と
全日のおけるブロディvs鶴田を比較してみなさいよ。
圧倒的猪木コールに対し、全日では圧倒的にブロディへの声援の方が多いですよね。
全日で育ったブロディの誤算だったと思いますよ。
俺は新日を助けに来た、何なら新日のエースになれると思ってきた。
なのになぜフロントも観客も俺を支持しないんだとね。
全日新日におけるブロディのポジションは違うんですよ。
相対的に全日ではむしろベビーで新日ではヒールです。 >>970
ここでそんなプロレス的記事紹介しても何の意味も無い事を
あなた自身がご理解しているでしょうにw
当時NWA王者になりたかったレスラーなんて世界に2人しかいないでしょ。
世界広しと言えど馬場と猪木だけでしょww
国立劇場で座長を務めるのと、ドサ周り劇団のトップ。誰しもどちらを憧れるかは明白。 >>966
ターザンも信用できんけど
妄想と偏見垂れ流すお前よりはマシやわ。 >>971
コールの話と、フロントの話は全然関係ないやろ。
お前の話はいつもぐちゃぐちゃ。 >>969
鶴田ブロディ戦より猪木ブロディ戦のほうが
圧倒的に客も話題も視聴率も上だよ
何を称えられたか知らないけどそんなもん全く意味も価値もない >>963
全く知らんな。
鶴田が健吾程度の実力と言うのは間違い無いが。 82年に糖尿病で欠場するまでの猪木は、評価できるレスラーだったよ。
しかしあの後は体力もフットワークも落ちて、あの猪木ではなくなった。その状態で
1988年、45歳までエースに居座ったのは
猪木のプロレス理念「5年持つレスラー生命を3年、1年に縮めても」に反していて、とても残念だったわ >>975
議論はファクト前提でしましょうや。
建設的な議論をお望みになるのならね。
妄想のまま墓場に行きたいのなら、それも良し。
見過ごしてあげましょうか? >>978
馬場、長州藤波天龍・・・はおろか
B型肝炎を発症し肝硬変まで至った鶴田より猪木は早くに引退しているのですよ。
比較する時は数値に置き換えればってのはそういうことです。
あなたがおかしいと思う猪木が一番潔かった事実ですよ。 >>978
新日クーデター事件後にテレ朝の天皇の命で猪木が社長復帰
その後、テレ朝がゴールデン維持の条件に猪木を求めてたと考えられる
現にゴールデン離れたら猪木も世代交代したじゃん 猪木は45歳で最後のタイトル保持だったのに
馬場は46歳でハンセンからPWF取ったり >>980
いやいや、引退が早かったといって、
45才までワンマンエースに居座り続けた人は他にいませんよ。
馬場も38歳の時には、鶴田に蔵前大会のメインをまかせたり、実質ダブルエース体制でしたからね。76年から84年の全日本の東京ビッグマッチのメイン回数は馬場14回、鶴田14回で互角です。
一方猪木は85年から88年にメイン18回、藤波のメインは6回です。この時期全日本では
鶴田が12回メイン、馬場のメインは2回しかありません >>984
51歳まで日本人にピンフォール取られない馬場こそ問題だな。わ >>983
とはいえ馬場がPWF奪回した時は、すでに
鶴田もインター王者でダブルエース体制だからね。
猪木は1988年まで他の日本人選手に一切
名誉をまわさず、独占した。 藤波がさすがに怒ったわけじゃないですか。
「いつまでこんなことを続けるんですか」。
いつまでエースに居座るんですか。
もう俺も35ですよ?
藤波の魂の叫びだったわ。 >>986
贔屓無しに見て、あなたの旗色悪く見えます。
勘違いしているかもしれませんが、俺猪木のファンじゃないんですよ。
プロレスの史実を捻じ曲げる行為に不快感を感じるのですね。 >>984
人気商売だから
数字を最も取れる人間が重責を担うのは当然じゃないの? >>988
俺も馬場ファンじゃないですよ。
ただ猪木のエース居座りが残念なだけです。 >>987
それを言ったら
猪木の「いつまで俺にやらせるんだ?」も魂の叫びだよ
「お前らが俺より数字を持ってこれるのか?」という意味 >>992
猪木がメインでも84年、85年、86年、87年と
視聴率が低下したのはご存知の通り。 >>993
それでも他に変わりがいない
猪木以外だともっと落ちるというのが世間とテレ朝の判断 >>991
個人の感想ですだね。
局や新日の会社方針がそうだったというだけでしょ? >>994
名勝負数え唄をもう一度って感じで90年と92年に藤波対長州でそれぞれゴールデン特番のメインを張らせたけど大惨敗だった >>995
その会社の方針を決めてるのが猪木でしょw
それとも誰かの言うなり? >>996
同門対決って世間的には面白くないからね 後、それ言ったら馬場が46歳でベルト取った時の社長は松根さんだよ。
それも会社の方針ということになるよw >>997
違うよ。猪木は自作自演のブッカーでもないしな。
局と社の方針に対し、ノーは言えたでしょうが
新日は全日のように個人商店ではなく、会社組織の体は守ってますからね。
反猪木派もきちんと主要ポジションに配置されてますし。 このスレッドは1000を超えました。
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