【人間山脈】昭和の新日本プロレス27【一人民族大移動】
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>>881
それは仕方ないよ。新日本最強コンビで出場しないと・・ ビューティフルフライトはイケメンなら爽やかなのに出てきた人が寛平似ではねえ。 >>876
ディストラクションクルーじゃなかったっけ >>879
似てるなとは思ったけど本人だったんだ。いつどこで撮ったのかとか詳細知りたいな。実際人気が爆発したのは死後に燃えよドラゴンが公開されてからだから日本では無名の頃だよね。 >>888
アイコラだってさ w
bruceleemania.com/joyful01/img/10656.jpg >>892
猪木は最初3メートル以上の着ぐるみで企画してたけど予算が莫大で断念したらしい ベイダーの甲冑は10年ぐらい前、大阪なんばCITYの、まんだらけ?で本人使用と謳ってる品が12万か15万で売ってた。 >>875>>876
これ以来、首の故障が直らなかった・・・
後年に危険な落とし方をされた事を文句を言っていた。 >>895
92年のG1優勝後だったかな?
インタビューで「今朝、何度も、今日はできません…と電話しようと思った」
蝶野の場合は自身の首の件についてのコメントだけは本当にガチ感、悲壮感が伝わってくるよね
それからほぼ10年後の小橋戦後のコメントもそんな感じだった
ハーフネルソン連発を受け切った事に「自分との闘いに勝てた」と言ってた
あの時は現場責任者で、絶対にコケられない時期のドーム
猪木の格闘技介入と対比して、内容的にもプロレス側の存在感が問われる日でもあったし
蝶野が四天王プロレスばりに小橋の猛攻を受け、さらに光らせた
自分も見に行ったが、「やっぱりプロレスの方がおもしれえよ!」と思ったもん。 >>892
東スポが700万出して作ったと何かで見たが永井豪にデザイン依頼したのも込みな価格かな? 88ワールドプロレスリングで1名様にベイダーの甲冑プレゼントって企画やってたよね >>892
自分は300万円と読んだ記憶があるな。
あれ、確かハンセンと福岡でシングルやった時(『バトルライン九州』1990年6月12日 福岡国際センター)、
入場時にハンセンが叩きつけたブルロープがまともに甲冑に当たって(その瞬間、煙も出たw)、
それ以降、ベイダーは甲冑の肩部分のとがった部分をテープで補強して使っていた記憶がある。 シンのサーベルも新日が買い与えて、いつも新日が管理していたんだよね。
だから最初の全日登場の時は、サーベルがなくモップの柄を持って乱入していた。 オールスター戦の馬場猪木の会見で緊張して、背広の猪木に対して
馬場はアロハシャツであらわれてかんちゃんってあしらってたな 格の違い見せつけてな >>898
蒸気を排出するスイッチリモコンも付いてるかな?持ってるひとは鑑定団に出して貰いたい、 >>901
記者会見にアロハシャツ?
馬場って常識知らないんだな。 >>900
おもしろい。
全日スタッフはシンが自己管理して持ってると思ったんだろうな >>901
そういう小技使うところに馬場の狭量が滲み出る。 そういえば維新軍が新日離脱した時の記者会見で寺西だけTシャツ姿だったの思い出した。 >>903
馬場からしたら格下だからOK。猪木が背広も正解。 その写真見たことあるけど、猪木や東スポ関係者がキッチリスーツ着てるのに、馬場だけ趣味の悪いシャツ(アロハではない)着てて、一人アホの子みたいで滑稽だったぞw ジャイアントサービスの宣伝をしてたんじゃないのかい
売れれば夫妻の収入になるからな 馬場からしたらビッグイベントじゃない。むしろやりたくない。
猪木は馬場を前にしたら直立不動だが。 全日も新日もやりたくはなかったんじゃないの?東スポに対する義理じゃないか?
当時はもう観客動員も視聴率も、新日が上回っている状態だったよね? >>911
>当時はもう観客動員も視聴率も、新日が上回っている状態だったよね?
だからこそ馬場の狭量さが際立つんだよ
結局はファンからはさらに見放されて馬鹿にされる存在になっていく 格下とかやりたくないとかじゃなくて、公の場ではキチンとしましょう、ってだけの話だけどなw
全日を代表する立場なのにそれが出来ない馬場は馬鹿にされても仕方がない ただ単に馬場が礼儀と行儀を知らないだけ
あれを見た人間が
「馬場さんってやっぱり凄いんだな。猪木よりも格上なんだ」
なって思ったやつは一人もいなかっただろうよw
むしろ「いつまで一人だけ時代錯誤してるんだ、だから全日は落ちぶれるんだよw」
って笑われてただろう
しかも本人だけがそれに気が付いていないw 落ち着こう。俺も荒らしに釣られてしまったので反省する
https://dotup.org/uploda/dotup.org2394807.jpg
これを見ればわかるが全日はあまりスーツを着る習慣がないのでは >>916
ここでは馬場はスーツ着てるんだなw
やっと一般常識を学んだか
鶴田とかも腕まくりしてるがジャケット着てるしな 日本テレビには敬意示すの当たり前だが東スポや猪木には不要だわ。
東スポだって取材拒否されたら困るだろうし猪木は格下だからな。
http://imgur.com/LENhYES.jpg >>919
東スポのプロレス大賞でも馬場はスーツ着てくるようになったし、すこしはまともな人間になったってことだなw
格とか言っちゃってるアホはどうしようもないけどw 服の話で思い出すのは永源。
ジャパンプロレス合宿の集合写真で永源の旭日旗Tシャツが際立ってた。
あのデザインだと出てるお腹がより目立ってたw オールスター戦は意味合いが違うわ、格下の猪木とタッグ組むんだからな。
一般的な集まりなら国際にも配慮要るからな。 いやいや。お前らあの東スポだぞ。あの東スポ主催で何故正装がいる。
まぁあの東スポでも飛鳥の麻薬とか素晴らしい実績もあるが、なんかの裁判で東スポの記事はだれも信じないとかあったところだよ。(詳しくは知らん) 東スポ映画大賞なんてそれなりの服装して来てるけど、たけしが居ればこそだったからな。 馬場が東スポ主催のオールスター戦の記者会見にスーツ姿では無かったのは、前夜に山形で試合があり会見当日午前9時40分山形空港発の飛行機が悪天候で出発が約1時間遅れて、スーツを準備出来ずにドタバタで会場の東京プリンスホテルに到着したため >>927
出先から電話入れて自宅か事務所からスーツ持ってきてもらえばいいだけなのに、やってくれる人すらいなかったのか
社長なのにこれは恥ずかしい >>930
鶴田が若手の頃しょっちゅう服装の事で馬場から注意されたと述懐してるね 馬場「おい!秋山、上着の後ろからシャツが出ているぞ!
秋山「今、これが流行っているんです」 >>919
記者会見にアロハシャツなど論外。
馬場は礼儀を知らないアホ。 馬場は「Show by ショーバイ」とかバラエティ番組に出る時は大体スーツだったけどな 全日本の売店でアロハ着たおばさんが感じ悪いなーと子供ながらに思った >>933
ジーパン、Gジャンは禁止
「あれはアメリカの作業服なんですよ」 >>939
「カウボーイスタイルとか言いますけど要はアメリカの百姓の格好ですから。ウェスタンブーツもあれは本来ガラガラヘビに噛まれても大丈夫な為に履くものですから」 >>900
シンのサーベルはナイフでは刺激が強すぎるので大塚氏が道玄坂にある装飾店で購入した。
壊れるたびに買いに行くので店の人に不思議がられて「TVで外人レスラーがウチの商品を
使っている!」と言われるもとぼけて「自分は建設業者で顧客に新築祝いで贈答している」
と誤魔化したらしい。
>>901
ハワイではアロハは正装。ビンテージ物なんかかなりの高額がつく。
>>910
オールスター戦は国プロどころか全日救済が目的と言う話もあった。TV放映に意欲的だった
テレ朝は日テレとの共同放映を企画するも日テレ側が完全拒否だった。数分間のスポーツ
ニュース扱いの放映で決着したがこれさえもギリギリまで揉めたらしい。
ワープロは金八のゴールデンタイムだけど全日は半年前に土曜夕方に降格されたばかり
だったからかな? 馬場は業界のトップだからTシャツでもいいくらい。襟付きなら正装と同様。 カウボーイスタイルって日本で言えば不良の吉幾三みたいなもんだからな
だから向こうでは決まってヒールなんだよ >>901
>ハワイではアロハは正装
うん?それでこの「オールスター戦」の会見は
ハワイで行われたのか?
え!?どうなの!?
お前の頭の中もハワイ並の脳天気だなwww >>943
その「アメリカの吉幾三」を逆手に取って「アメリカン・ドリーム」ってやったのがダスティ・ローデス。それを日本のファンはマジで受け取っちゃったんだよね。 ちくしょう!
アンカー間違えちまった。
>>901さん、すまない。
945は>>941に対するレスね。 全日の誤爆を見てきてみた。馬場の服装はスポーツシャツとゴルフズボン。
王貞治が巨人監督の時、若手が流行りの服装をしていたのを注意したら「じゃどんな服装なら良いんですか?」と言われ「スポーツシャツにゴルフズボンだ」と答えた。
あの世代のスポーツマンの感覚はそういうもの >>948
野球選手がCMに出る時もだいたいそのカッコ
なんだよね。
巨人のv9あたりでそのカッコが定着してしまったように思える。 >>895
ストンコがオーエンに食らって因果応報ってあるなーって思った >>895
>>950
ストーンコールドと対戦したのは1992年の9月だっけ。
1992年7月の越中戦で痛めて首の調子悪いままG1出てなんとか優勝。
9月のストーンコールドにとどめ刺された感じかね。 https://youtu.be/GjQeKkG49BI?t=549
ギブUPあたりの時期にエンディングでこのBGM流れてたなあ
曲名はわからないけど プオタには不評だったのかもしれんが
チャゲアスのOP曲ラプソディが映像込みで好きだったなあ
アレはまだ昭和だよな いやいや、久保田の曲をラストで流してたのが秀逸でしょ
映像的には激闘後の痛々しい退場姿に被せて、あれはレスラーの切なさみたいなものを表現してて唯一許せた
ブロディが全日復帰後に亡くなった時、映像のバックに「イマジン」を流した時と双璧ぐらい良かった。 >>956
やっぱあの時代の中継でこの演出は秀逸だったな
今でもエンディングといえば思い出す >>958
まあジ・エンフォーサーのテーマ曲だけどな >>958
1981年12月のビル・ワットの「ミッドサウスレスリング」オープニングでも使われてるんだよな。
なぜ最初だけ繰り返し流すwそのあとが盛り上がるのにな。
https://youtu.be/q5QKDDBIePs?t=7
それはそうと、ミッドサウスではこの少し前はQueen『We Are The Champions』が
オープニング曲だったから新日本の方が早く使い始めてるよな。
恐らく、この時期に新日本に移籍してワットと懇意だったディック・マードックが
「ワールドプロレスリング」番組内でこのテーマが使われてるのを見て、ワットに使うよう提案したのではと想像。 次回シリーズ予告でアンドレ出てくるとテンション上がった >>948-949
そう思うのは、君が読売日テレ系だからでしょ。 >>963
わかる!40年経った今もあの頃のわくわく感は忘れない。アンドレのDVD欲しいなあ。地元であった俺の初生観戦のホーガン戦が収録されてる。 >>955
ブロディが死んでイマジン…
昭和全日の抜群の選曲センスは何処に 昭和62年8月29日後楽園ホール(UWF主催興行)
事前発表カード
安生vs中野、田山崎vs小林H斉藤、
前田vs藤原(セミ)猪木M斉藤vs長州藤波(メイン)
猪木M斉藤揃って欠場で代替えカード
長州藤波vsマードックOハート(当時のハートは初来日のJr.選手でグリーンボーイに毛の生えた程度)
もう少しマシなカード組めん学たかな?
カード未発表の他の参加選手→坂口、武藤、マシン、木戸、ナガサキ、
上田、スコットホール、マークロコ、高野
例えば、長州藤波vs上田ナガサキ、長州藤波vs坂口上田、長州藤波vs坂口マードック等
色々組めたと思うんだが、 藤波、長州vs坂口、上田はどっかの大会でやった覚えがあるな
ゴングのモノクログラビアで長州が椅子で上田をぶっ叩いてる写真を見た どうせなら上田、ナガサキも旧世代軍に引っ張り込めばいいのにと思っていたが、
次シリーズから長州TV復帰で、世代抗争終わらせるから引っ張らなかったんだね。 >>968
>当時のハートは初来日のJr.選手でグリーンボーイに毛の生えた程度)
確かに後楽園とは言え、藤波、長州を相手にメインを張る選手ではなかったが、
「天才児」として、非常に前評判が高かった。
シリーズ中、IWGPジュニアにも挑戦している。
グリーンボーイに毛の生えた程度というのはどうかな?
但し、こいつは本当に(日本の)ファンに対する態度は悪かったよ。 実際の雰囲気がどうだったか分からないけど、
UWF主催の後楽園ホール大会なんて、
U以外のレスラーに対してファンが厳しそうなイメージ。
殺伐としてそう。 >>875-876 >>896
遅レスになっちゃうけど
蝶野は猪木の付き人をやってる頃猪木からある程度の技術を教わっていたのと
ドイツでかなり“揉まれて”いてそれで自信を付けているのが大きいから
当時の週プロも少し触れられていたけど
蝶野は山田のアドバイスもあって銀色のレガース着用姿で試合をしていたら
それがドイツの観客にはカッコ良く見えたみたいで
試合前のサイン会で一番の行列が出来るくらい一時は人気があったとか
一方で当然ながら他のレスラー達から嫉妬されてカタい攻めを受ける事が多かったから
一緒にドイツに来ていた橋本共々トニー・セント・クレアーやスティーヴ・ライト等来日経験者から
対処法を学んでいたとか
>>948-949
まああの世代だとゴルフウェアになってしまうんだよなどうしても
今だって企業の御偉方や小金持ちにとってはゴルフ=豊かさと紳士らしさの象徴だし
それにああいうガタイの大きい人向けの服って
ゴルフウェアかそれ風のシャツトレーナーズボンしかないんだよ日本では >>972
前田たちが出戻りで新日に上がっていた頃は、猪木がメインでもその試合を見ずに帰っていた。
まだ前座若手だった船木は、相手をロープに振ると私を含めたみんなからヤジられていた。
若気の至りとはいえ、今考えると選手たちに失礼だと思うし本当に恥ずかしい。
私らが当時真剣勝負だと思って見ていたUWFは、単なる真剣勝負風プロレスだったからな。 >>972
俺も>>974ほどではないが、昭和62年8月29日後楽園ホール(UWF主催興行)
あくまで、お目当ては藤原対前田だった。
これが当日のメインだといまだに勘違いしているファンもいるくらい。
だから、俺としてはメインで猪木が欠場しても、Oハートがまだ力不足で
メインに出ても、気にしなかった。
というより、「カルガリーの天才児・Oハート」も生で見られてよかったよ。
このメイン、確かに格から言えば、そのシリーズの外人から選べば
マードックとスコット・ホールだろうが、これでは面白くはないね。 殺伐とした真剣勝負風プロレスが面白くなっていたんだからその反応は当然だな。
実際に猪木は衰えて「過激なプロレス」ができなくなっていたし、藤波は迫力不足、長州は受けが下手。
アンドレを沈めてしまった前田の破壊力は過大評価されるに値するものがあった。
新日勢で前田並みに期待させてくれたのは山田と橋本だけだった。 マツダとマサのこんな動画あったんだな。この後に狼軍団結成してプレ日本選手権に出て、
さらにその翌年には坂口&小林組み合わせに勝って、北米タッグ王者になったわけか。
https://youtube.com/watch?v=giDTD5kjKaE >>975
「1年経とうが2年経とうが妥協しないぜ!」と関西訛りで絶叫した試合だった。慌てる
と関西訛りが出て年末の新日総集編でもナレーションの田中アナに「前田選手、落ち着いて
!」と言われていた。この時に初めて後楽園ホールには催事場があって控室を別々にする
ためにUWFは別料金を払ってそこも貸りたと知った。通常は敵味方が控室でいっしょに
なってしまうなんてその時は知らなかった。両国みたいに衝立なんかで仕切っていたのかな? >>981
UWF内で対戦相手と一緒にならないように、別の控室を用意したって事ですよね。 >>981
84年1月、新日本の後楽園。生中継前に休憩時間があって売店に並んでいたら、次の試合の長州と浜口が「どけコラッ!」とか言いながら売店突っ切って入場通路に向かって行った。維新軍は展示ホールを控え室にしてたよね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。