【新春黄金】昭和の新日本プロレス16【ブラディファイト】
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>>349
喉潰されたのは国際時代のカナダ遠征時だよ 喉のチョークで
木村はそのせいで濁声になり 恥ずかしくて殆ど喋らず
遠征期を知ってるテリーは「アイツ喋れたのか?」
知的障害者だと思ってたそうだ
それが全日でマイクの鬼は正直キツかったと思う
木村も「新日時代が一番楽しかった」 当時猪木は月刊プロレスで村松友視と連載の対談コーナーを持ってたんだけど、
10.8蔵前のあとの対談で言ってたのは
・木村は崩壊した国際プロレスを背負って生き残りの戦いに臨んだので
観客は彼らを応援する空気になると思っていたが、会場中が「やっちまえ!」
という雰囲気だったので戸惑った
・国際との戦いというテーマが、「全日との興行戦争」という状況の中で
ばやけてしまったところがあったかもしれない
ということで、ただでさえ新日本という「団体」を支援していたファン心理が
目の前の国際以上に対岸の全日と張り合う意識が強く働いて「新日至上主義」
にまで純化し、それが国際に「新日の敵」というヒール像をまとわせたのを
猪木もにわかには掴みかねていた雰囲気がある
この抗争がほぼ一年盛り上がったんだから立派なものだわ 小林との巌流島決戦でも大小林コールで記者が
「小林ってこんなに人気あったか?」と驚いたそうだしね
本来なら判官贔屓で国際軍団もエール送られる想定だったんだろうな かませ犬の長州もそうだよな。
本来なら、スター藤波に牙を剥いたんだから大ヒールのはずが大ベビーになってしまった。 >>373
浜口は最初に新日のリングに上がった
昭和53年の大阪府立の時から客を煽ってヒールっぽかった 芸能ではたまにあるね
スターウォーズでもハン・ソロ役のハリソン・フォードが主役のマーク・ハミルより売れた
酔拳はトラック野郎の併映だったが酔拳の方が話題になった 落ち目のラッシャーを見捨てて長州に付いた浜口に批判が集まらないのが当時理解できなかった
あれこそ日本人がもっとも嫌う蝙蝠根性、なにが「維新軍は俺と長州の二人で始めた」だ
キラー・カーンやマサ斎藤にガッチリ守ってもらってた長州になびいただけのくせして 浜口は国際軍のときは結構フォール負けが多かったが維新軍になったらほぼ負けなくなったね…さすがに猪木とのシングルではフォール取られてたけど 田コロから83年春までは何やっても当たったもんな
ブッチャーとタイガー戸口を除くが
ホーガン正規軍入りで一番タオルやレコードが売れるわ、ハードゲイファッションのアドニスも暴走狼で人気者
マンハッタンコンビのハイジャック攻撃が維新軍の定番技になって、長州の参謀格に抜擢で浜口もフォール取られないほど大出世だわで 長州と浜口はオールスターの頃から
関係者からは「この2人は組ませたら面白い」と評判だった
82年の元日興行にこの2人のカードをわざわざ組んだのも
維新軍の時に2人が合流したのも
そういう玄人目線のものがあったからかもしれない 83年MSGタッグでの長州、浜口は珍しく猪木、ホーガンにフォール負けしてたな… 本来は主役になるべき無口な人間がいて
その隣りでやたらにわめき散らすアニマル浜口の芸風は
昔も今も変わりない >>354
この頃って既に振り込みが一般的だったの?
83年くらいだよね?
うちの親父はまだ給料袋で貰ってたの子供心に覚えてる >>385
長州浜口は他にアンドレ組にも負けてるな。でも負け試合は中継されるもなく、
猪木組やアンドレ組に無様に負けるところを映されたのは藤波前田だった。 >>388
豪華なメンバーだったのにテレビでは藤波、前田対長州、浜口とか見飽きたカードが放映されてた…しかも時間切れ引き分け 三面記事に出たほど 梶原一騎による監禁事件。 あれ以降 猪木神話が俺の心の中で崩れていった気がする 俺が見に行った時は浜口が嫌いな人がいて浜口しねーとかその髭がいやらしいとか
終始やじっていた。 井上が新日に行ってたら絶対に「何だそのパンツは!?」の野次が飛んだはず。 >>389
翌年は世界の強豪が大集結! 第二回IWGP という触れ込みだったのに、メインイベントに
「猪木藤波 vs 斎藤長州」 w >>392
間違いないね。あのパンツは格好の嘲笑の的になったはずw 何であんなにしつこくテレビ中継は、毎週毎週正規軍対維新軍ばかりだったのか? >>393
MSGタッグの大阪も猪木、ホーガン対長州、谷津だったね… 藤波対長州が人気あったから、というのがしつこいマッチメークの原因らしいけど、
つまりは政治に例えるとあれだ。小選挙区制だと偏ってしまうということだ。 新日の大阪のメインは日本人対決が多かった印象が強いなぁ…
猪木対ブロディや藤波、木村対エリック兄弟とかもあったけど >>236
>藤波のドラゴンボンバーズにも相撲あがりが居たね
年越し遅レスだけど
南海竜かな?もう1人ぐらいいた気がする
初期UFCでゴルドーだか誰かにボコられてたような…記憶に自信ないけど >>401
そうそう、即レスありがとう
南海龍ではなかったね、もう1人の方だったか。 高見州はハワイ・ファイブ・オーってドラマにたまに出てくるぞ ボンバーズは結局どうなったのかなぁ
自然消滅したの? 当時児童向けプロレス本に3対1マッチが載ってて
「汚いぞ!国際軍団!」って書いてあって子供心にも
こいつら3人で対戦しようとはホントに汚い!と思ったもんだ
だから当時のヤジが凄かったのは理解できる
てか、きたねえのは新日側だよなあw 国際ってだけで卑怯極まりない奴らということで
路線バスでも同じ路線でも国際興業のバスには乗らず西武バスに乗ったり
新東京国際空港に投石や火炎瓶を投げる人間もいた。 あの1対3のマッチメイクは当時から国際の三人に対して酷すぎると言われてた
ものだった。けど客席は超満員、視聴率は二試合とも25%超えで「ワールド
プロレスリング」の歴代1・2位を独占、国際の三人の業界評価もうなぎのぼりで
1試合目終盤はフラフラの猪木を木村がいいように痛ぶるという、国際ファンの
溜飲を下げる展開で誰もが得をしていたんだよなあ
当事者の浜口も「プロレスラーはお客さんを呼べてナンボ。あの試合は蔵前の
天井の手すりにお客さんがぶら下がるくらいの超満員。それで成功ですよ、
そこでいい試合をすることがプロレスラーとしての誇りですよ」と言って
いたし(週プロ・ラッシャー木村アルバム)、試合が終わるのが遅れた時の
帰宅のタクシー代などはすべて会社が負担したりの新日の対応には、奥様に
「新日に来て本当に良かった」と語っていたそうだしで
まあいくら満員の観客を手玉に取るとはいえ圧倒的なアウェイの雰囲気の中、
せめて金銭的にくらいはいい思いをしてもらわないといけないからね 1対3がワールドプロレスリングの視聴率1位というのは、格闘技戦を除いた
「純然たるプロレスの試合の中で」という註釈つきだけど
↓以前とある所にこんなランキングが載っていたのを引用したことがあったけど、
宝島ムックが丸々掲載した1983年の視聴率リストによると、二度目の1対3は
25%以上取っていたし、猪木前田の中継はずっと低視聴率だった
話が全然違うじゃないかw
どこかにちゃんとしたデータベースはないものかなあ
「ワールドプロレスリング視聴率ランキング」と称するもの
36.5% 1976年2月6日 猪木-ルスカ
26.8% 1976年2月13日 猪木-ルスカ、坂口・小林-シン・ルムンバ
24.8% 1983年7月7日 長州-藤波、タイガーvs寺西
24.4% 1976年1月29日 猪木-シン(ルスカ戦前週)
23.8% 1983年5月30日 猪木-前田 ホーガン-アンドレ
23.7% 1982年11月4日 猪木-木村・浜口・寺西 藤波-長州
23.6% 1983年6月2日 猪木-ホーガン(IWGP決勝)
一部で「プロレス中継視聴率ナンバーワン」と書かれていた坂口・小林と
シンの試合というのは、前週、試合途中で放送時間が終わってしまった
猪木-ルスカ戦の再放送があった日の、いわば添え物試合に過ぎないし
3位のシン戦もいわばルスカ戦前週の煽り番組としての数字 >>375
喉つぶれたのは新日時代のカルガリー遠征でバッドニュースアレンの椅子攻撃って聞いたけど違うの? 「初期UWF時代のカルガリー遠征の際にアレンのラリアートで骨折」
という話もあるし色々錯綜しているなあ >>409
何攻撃かは分からんが新日辞めた後じゃないかな
シングルで4回も対戦してる
http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1056&bild=0&details=7&liga=152&jahr=1984
83年もカナダ行ってるけど対戦なし
このデータも完璧ではないが
http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1056&bild=0&details=7&liga=152&jahr=1983 木村のラッシングラリアートが拳を喉に打つけるスタイルだから報復もあったんだろうな
名前忘れたが外人レスラーが「日本は平気で喉を攻撃するが
アメリカではタブー 馬場猪木だろうがやり返さす」 天龍が新日に上がった時も、「逆水平チョップを本当に
ノドに入れてくる」って怒ってやめさせようとしていた
新日のレスラーがたくさんいたらしいね
いま猪木と国際軍団の絡みの試合のビデオを見直すと
コーナーの猪木の喉に木村がチョップを入れているのが
見た目の派手さはないんだけど地味に効いてるみたいで、
木村が連続して喉チョップをいれてくるのを猪木が嫌がって
コーナーにしゃがみこんだりして流れを止めようとしている、
というのが見える >>413
1984年の新春シリーズで声がもうガラガラになってたよ。でもう少しきれいな声だったのになあって思ってたら、カナダで怪我してってのを見て納得した記憶なんだけど、記憶違いかな? アレンのラリアートって全然記憶ないなあ
まあ今ネットで見返したら猪木もちょくちょく使ってるし
レスラー定番技になってたんだろうけど アレンがコーナーに振られてカウンターのラリアットするのは定番なのだが。
猪木のラリアート?そんなにやったっけ? >>419
猪木のは殴りつけるじゃ無くすれ違い様に当てるって感じ
猪木も「僕みたいな腕が細い方がラリアートは効くよ 首にスパーンと入るから」 >>418
85年10月の札幌
坂口、星野対アレン、スミス戦のフィニッシュ技がアレンのコーナーラリアットだったよ〜 アレンはWWFでは延髄斬りをフィニッシュホールドにしてホーガンに挑戦しているし、
Uインターではチキンウイング・アームロックで桜庭を破っている。
ラリアットより、ヘッドバット、トーキック、ストマッククローのイメージ ラッシャーが最初の米国遠征でしゃべらなかったのは英語が全然できなかったからだよw
ちなみにある程度できるようになったラッシャーから来日時に話しかけられて
「喋れたのか?」といったのはテリーじゃなくドリーな
たしかオープン選手権の時の話 アレンはさすがにホーガンには負けたが
WM5ではドゥガン、WM6ではバイパーと一騎打ちでドロー
かなり厚遇されてたな 既出の質問だったらゴメン
ホーガンが日本陣営に助っ人参戦していた頃
使っていた移動バスは日本選手バスだったの?
それとも外人バス? >>427
84〜85年頃のプロレス雑誌にはよく
読者が撮ったレスラーのプライベート写真
コーナーみたいなのがあったけど
(主に移動中)、ホーガンは大抵
アドニス、マードック、スーパースター
あたりと一緒に写ってた。 プロレスラーはリング上では激しい試合をお客さんに見せるが
リングを降りたら喧嘩やいじめが嫌いな礼儀正しい紳士。
そういう選手じゃないとトップになれないと小鉄は言っていた。 つまり
小鉄は、そういう選手ではないから
トップは取れなかったというわけだww >>430
創世記のトップレスラーが力道山って時点で違うじゃねえかw 87年大阪城の闘魂LIVE、海賊男が意味不明の乱入で猪木が怒り狂い
審判部長の小鉄をリング上に呼び寄せたのはいいが、小鉄にパンチを喰らうはめに。
あれは何だったのか?
暴動寸前の会場を抑えるために、猪木のアドリブに小鉄が乗っかっただけなのか? テメー審判部長だったら連れてこい!って言われ、逆キレしたんだよ 元祖猪木のボディーガード星野は、猪木との関係は良好だったのかね?
90年代格闘路線を推す猪木によって暗黒時代になった新日で、正反対の魔界倶楽部
で盛り上げてたからどうなのかなと思う‥ 山本小鉄は大のギャンブル好きで巡業の金に手を出してた。そのことを知った坂口が激怒した。
結局、返済できずに現場監督を外された。本来なら刑事事件。
小鉄が偉そうに解説者してることに本当に腹が立った。 ガスパーズってどう言う終わり方だったか誰か教えてくれ。
始めは本隊の選手が標的だったと思うが、ベイダー&マサ、マードック&アドニスとも対戦していたような。 最初はガスパーもベイダ―みたいに強豪扱いで
マシンらを相手に1対2マッチで秒殺したりしてた
マシン好きだったからガッカリしたもんだった オートンJRとベイダーやマードックやアドニスの顔合わせなんだけど、なんか勿体なかったねぇ。 最後のビリー&バリーなんて中の人は地味だが実力派の魅力的なチームだ。 87年3月の大阪城ホール
猪木vs斉藤が当初の予定通り、乱入した海賊が
猪木と斉藤の手首を手錠で繋いでたら、翌月4月の両国みたいな展開で
猪木のTKO勝ちになってたのかな?
それとも猪木斉藤共に大流血で、両者ドクターストップになって
決着な翌月の両国に持ち越し?
もし、大阪城で完全決着が着いたなら両国の再戦はあり得ないから
両国のメインカードは、どんなカードになったんだろうか?
87年4月の両国で実際に行われたカード
猪木vs斉藤、藤波vsビガロ、木村越中vs前田木戸、藤原vsマードック、坂口ピーターソンvsアレンキャンディ ガスパーズを終わらせるなら、現代なら敗者追放マッチをやったのかなあと想像するけど当時はファンが声を上げる場所(SNS等)が無かったから自然消滅でいいやってことかね。 結局87年は、オートンJr.何回来日したんだ?www
ベイダーやマードックよりも多く来日したのでは? >>448
88年かな?
新春シリーズ→素顔、海賊
ビッグファイトS→海賊
IWGP→海賊
ブラディファイトS?→海賊
6人タッグリーグ→素顔
の5回かな 海賊のサーベル攻撃でマードックが流血した試合を観たような記憶がある。
今思うとあの頃は良かったなあ。マスクマンの正体なんか全くわからなかったし。 全く無名だったガリー以外は結構あっさり正体が割れてた記憶があるな オートンが復帰出来た時にアドニスとのチーム再結成を期待したのは自分だけ? >>447
現代なら1.4ドームの次の後楽園でお辞儀してサヨナラw ガスパーズの頃はほとんどプロレス見てなかったわ。
タイラー・メインは逸材だな。色物に使うの勿体無いくらい。
https://youtu.be/7fgSf00cL2U アドニス&オートンvsマードック&スーパースターが見たかった >>443
1対2はやってないな。
普通のシングルマッチだよ ガスパーズが自然消滅したのは、不評だったからでしょう。今は皆さん好意的な目・評価だけど、当時のファンはほとんどが否定してたはず。 >>458
同感
みえみえのアングルに嫌気が差していた。
暴動が表してる。 >>455
近いのが第三回タッグリーグのマードック&スーパースターvsアドニス&ブラボーか。
このあたりの他にオーンドルフ、スタッド、パテラあたりの中堅エース格同士の対決は見てみたいね。 >第三回タッグリーグのマードック&スーパースターvsアドニス&ブラボー
その試合が見たくて後楽園ホールに行ったよ
しかしアドニスのファンとブラボーのファンが互いに
「アドニス、お荷物!」
「ブラボー、お荷物!」
「ブラボーは強いんだぞ!」
と内ゲバ合戦を始める始末で、試合の方は淡々と進んで
マードックが首固めでブラボーを丸め込んであっさり決着
後のIWGP、マードックvsアドニス戦も覇気のない試合だったし
アンドレvsハンセンがあんな試合になったのは二人の誠意の
表れだったんだなあ
(そう言えばアンドレvsアドニスも結構盛り上がったんだったな) >>458
ファンどころかプロレスマスコミすら「海賊男なんてやめろ」って論調だった
なんであんな失敗アングルを意地でも続けてたのか分からん 海賊男は日本プロレス界殲滅を目論む勢力の尖兵と信じてたのは我ながら頭がおかしい >>462
テレビの意向だろう
止めたのもゴールデン撤退と同時期 >>464
新春黄金S 最終戦に海賊乱入
ビッグファイトS 海賊参戦
ゴールデン撤退
スーパーファイトS
IWGP 海賊参戦
サマーファイトS
戦国S 海賊最後の参戦 >>318
その辺と日プロでもエースだったコロフ同列にすんなよニワカwww
だいたいアイアンシークはWWWF王者になってからは新日きてねえよ
付け焼き刃の知識でイキんなよボクwww ゴールデンタイム最後の試合が猪木対ガスパーで、途中で乱入してきた方に間違えて延髄斬りからフォール、レフリーも良く分かんないままスリーカウントって言うトホホな試合だった記憶がある。 >>459
オートンで固定したあたりから、単に
外人の誰かが覆面かぶってるのが
バレバレになったからね。
茶色の後ろ髪とか。
日本人ならまだイデオロギーを感じるけど
外人ではただの企画としか思えない。 あの時期に覆面レスラー仕組むなら、契約上正体が明かせない
長州含むジャパン勢をガスパー軍に混ぜればプロレス的に面白そうだ。
不可能だけどねw >>461
スターウォーズを響かせてアドニスが一番主役していたのも実はオートンと組んでた時なんだよな
国際軍団との試合でもベビー人気が爆発していたし当時の日本人三軍対抗すら完全に食っていた マードックと組むようになってから小ぢんまりとした印象になった。 当時、海賊男ならびにガスパーズ大好きで透明の下敷きにゴングからの切り抜きまで入れてた俺は少数派か・・ >>471
アドニスはマードックをあまりよく思ってなかったし、
マードックはマスクドスーパースターとのコンビの方が良かったと言ってたね。 オートンの事件が無ければ組んでマサ&長州ともやってたはずだけに残念 >>472
どうだろうね、当時の俺は海賊男をテレビでしか観たことが無かった。チケット買って会場まで観に行く人はまた別だと思う。
俺は特に不満とは思わなかったけど、猪木ら本隊狙いのはずがベイダーとかマードックと戦っているのを見て彼らの標的が誰なのか目的がわからなかった。
サーベル使ったりパウダーを相手の顔にかけたのはそれはそれで面白かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています