【新春黄金】昭和の新日本プロレス16【ブラディファイト】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
前スレで検証しないといけない事案が発生したので検証しよう。
ジョージ高野の入門は1976年8月となっているが、75年10.9蔵前の猪木vsルー・テーズでジョージがセコンドにいる。
30秒から。https://www.youtube.com/watch?v=gFaR3JvwOSw
よくジョージは「佐山より3ヶ月後輩」と言っているため、
75年7月入門の佐山より2, 3ヶ月後輩で75年10月には入団している。
プロレスの星アステカイザーは76年10月7日から77年3月31日までで
キャストは数ヶ月前に決定しており、練習生を準主役にするわけがなく、
デビューは撮影終了頃の77年2月10日のため辻褄が合わない。
そうすると、77年7月入門の前田は2年後輩、78年5月入門の平田は3年後輩ということ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/プロレスの星_アステカイザー >>1乙
シリーズ名と言えば
新日のこのブラディファイトと全日のブラックパワーが秀逸
ブラックパワーは今なら絶対無理だろうけど 84年ブラディファイトシリーズの外人エースは前半ボブバックランド、後半グレッグバレンタインと渋かった ブラディファイトシリーズのブラディの意味を調べるために必死に英和辞典を引いたな 久しズりに猪木vsテーズみたいけど面白いな
テースはこの時もう50過ぎだっけ?
まさにプロレス名人戦 >>3
ブラックパワーは,今は放送禁止用語なの?
もともと、黒人が自分たちの発言権を
揚げるために使った言葉なんだがな。
例えば、今、黒人ばかり招聘したら
「アフリカンシリーズ」とも呼ぶのかな?
でも国籍はみなアメリカ人だったらどうすんだろ? >>7
今、黒人ってだけでけっこうクレーム来るらしいよ。
わざわざブラックパワーなんてつけるとは思えない。
あのプロレススーパースター列伝ですら黒人の表記はすべて訂正されてる。
ただなぜか、ボクシング解説の浜田剛史だけは黒人黒人言ってもおとがめなしなんだよなあ。
これは謎だ >>2
猪木のセコンドってのが人違いとか?とも思ったが、見たらこの濃い顔は間違いないかw マンドーゲレロが藤波のドラゴンでKOされた試合ってアップされてたんか
動画は存在しないと思ってたから見れてよかった >>10
画質は良くなかったけどDVD化されてたよ テーズは1933年16歳でデビューだから、全盛期と言えるのは戦前から戦後しばらくの間
力道山と対戦した57年はすでに40歳をすぎており、キャリア晩年に差し掛かる頃だった。 >>4
シリーズを通してのボスはロジャー・スミスだったね。
デューク・マイヤースとのコンビで猪木相手に大健闘していた。
あの時の外人勢は他にゲシュタポ、スコット・フェリス、ジェリー・モローと、
あまりにも渋すぎたっけw >>4
当時ファイトに載っていたボブのインタビューが面白かったな
WWFとの契約を打ち切った事ビンス(Jr)をボロカスに批判していた事
来日中止になったホーガンの代わりに
自分が最終戦の大阪で猪木と試合しても良い(結局猪木はアティサノエと対戦)と
リップサービスしていた事なんかがね 84ブラディファイトはマシーンが若松と共に初登場だったな。
最初は『謎の怪覆面』と。
シリーズ途中から若松が『ストロングマシーン』と言った。
報道陣の前で。
若松も質問に対して咄嗟にストロングマシーンと出たとか。
このマシーン&若松で話題満載、漫才、大万歳\(^o^)/
…いやっ話題満載だったから外人勢が弱小でも問題なかったな。
このブラディファイトは長州もいたんだよね。
この途中で離脱だったか。
長州最後の新日でマシーン&若松最初の新日。
多少の期間は被った。
確か長州の試合にもマシーン&若松は乱入してたはず。 開幕戦は猪木欠場で長州vsバックランドだったのは覚えているけど、メインの藤波は誰と対戦だったっけ?
キムケンと組んでロジャースミス組だっけ? ゲシュタポは来ていない。
ドナーセントクレアーとスコットフェリスが
来てたな。 >>16
「頭をモヒカンにしてペイントしろと言われた。もうWWFなんてアホらしい」 バックランドは、レイスやニックと違い典型的なベビーフェイス
王者時代も無冠になっても試合が盛り上がりに欠ける印象
よくWWFで長年王者になれたと思う。 後々を見ると「バックランドが王者では全米侵攻なんてできない」と
割りきって王座から降ろしたビンス・ジュニアの判断は正しいんだよね
サンマルチノも「バックランドが王者の時も客を集めていたのは私だった」と言っていたし >>24
派手で分かりやすいアイコンのホーガンを据えて全米制覇したからね。 >>15
中盤に1週間だけブッチャーも参戦したね…
中盤の大一番の福岡大会のカードが
猪木対マシン、藤波対ブッチャー、長州対バレンタインとこれまた渋かった… 日本人(新日本ファン)は
ゴッチとかバックランドとか
アメリカで売れないレスラーが好きだなww
あとハンセンも、ベイダーもかな? キムケンとか造語を連発して知ったかするニワカwww >>27
マシンは最初で最後の猪木とのシングルメインでは? >>28
売れないレスラーしか呼べなかったんだから仕方ないだろ。 二流のキラー・カール・クラップをエース外人にしないとこなせなかった時期もある
酷い言われようだなぁ、末期の日プロではエリックとアイアン&ブロンズ<Nロ―コンビとして
インタータッグ王者にまでなってるのに レスラーとしては二流だったかもしれんが、見る側はそんな認識は薄かったと思う。
>>34の言うように当時は十分バリューはあった。 >>34
その前にバレンタインとも組んで大木&坂口から獲ってる(大阪府立体育会館なのにノーTV
大木&上田に獲られた試合は放送された >>28
一番大事な新日創業の立役者、シンが抜けてる >>27
この試合に出てた日本人レスラーの半分以上がジャパンに移籍したのがなあ。
大塚が金をチラつかせたのか? キラー・カール・クラップは、73年4月日本プロレスの
最後のシリーズで高千穂が保持していたUN王座に挑戦して
2フォール取られ敗退した。
でも、この試合、テレビで放映されなくて、
猪木にとっては良かったよ。 やっぱり初期新日はせいぜい小結クラスの外人を、猪木の工夫で横綱に仕立て上げてたよ。
初めて全日中継見た時に、当時の子供むけプロレス本に大きく取り扱われてたレスラーがたくさん出てて感動した。 >>41
初期新日は馬場の政治力でNWAルートを遮断され、有名選手の獲得が叶わなかった。
全盛期をとっくにすぎていたグレート・アントニオをブッキングしたり、
マクガイヤー兄弟と変則マッチで対戦したりして、話題先行で興行の目玉にしていた。
この時期の外国人エースの一人がクラップで、エリックの二番煎じ感が強すぎるが
当時の新日にとっては貴重な人材だったろうね。
パワーズやクラップを核に、そしてシンをセンセーショナルに育てながら
シリーズを廻していた感じがする。 パワーズの8の字固め。誰かこの技のかけ方教えてください。 >>40
してないよ。
記憶がごっちゃになってるだろ。
高千穂はUNの防衛戦はやってない。 そういえばUN選手権は76年に鶴田がブリスコと王座決定戦を行うまで、
日テレで放送できなかったんだよな。
猪木王者時代も坂口高千穂時代もNETが放送していた。 高千穂のUN王座獲得なんて阪神タイガースが若菜を自由契約にしたおかげで
控え捕手レベルの笠間雄二が一年だけ阪神のレギュラー捕手になれたようなもんだからな 高千穂がバレンタインに勝たせてもらったUN奪取試合が
NETの日本プロレス最後の中継
翌週から新日本プロレス中継が始まるから、高千穂の防衛戦はノーテレビ >>45
その4回って
いつやってるの?
結構短期間でやってたのかな 調べたらこんな試合をしていたそうだ
会場は閑古鳥が鳴いていたらしい
>48年4月19日 横浜文化体育館 60分3本勝負アイアン・クロー・シリーズ
>○ 高千穂明久 (2−1) キラー・カール・クラップ
>クラップ(体固め 10分17秒)
>高千穂(体固め 25秒)
>高千穂(体固め 5分40秒) 高千穂のUN防衛戦に関しては、wikiとかの記録では4回となってるが
上にも書いてある通り、アイアンクローシリーズのクラップ戦しか見当たらない。
おそらくこの1回だけじゃないのかな?
短期の最終シリーズで計4回防衛には無理がある。 >>44
バカなの?釣りなの?
一応、高千穂対クラップUN戦で
ググってから書けよ!
「昭和48年4月19日夜、横浜文化体育館に於いて
高千穂明久の保持するユナイテッド・ナショナル選手権に
青銅の爪キラー・カール・クラップが挑戦」。
↓写真入り
https://white.ap.teacup.com/corona/2251.html
その他のソース
http://www.showapuroresu.com/title/unjapan2.htm
http://kuro.pinoko.jp/pro/w169.htm
ごちゃごちゃしているのは
お前の頭の中だろ?
心療内科に行け!
悪いことは言わん。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) だから、、、
>>44が純粋おバカちゃんだとしたら、
こういう、
「クラップは高千穂なんかに負けていない」
と思ってたファンがいたことは
猪木にとって、幸いだったんだ。 しかし、51氏が指摘した
WIKIのUN王座の表、
高千穂の防衛数が「4」に
なっているのも問題だな!
あれ修正できないの? 4月19日の横浜文体クラップ戦が高千穂UN初防衛戦で、翌20日の群馬吉井町大会で
日本プロレスは活動を停止する。
よって防衛回数は1回だけ。
wikiは訂正して欲しいな。 猪木のアントニオドライバー
馬場のジャイアントバックブリーカー
なぜBIはこの技を使わなくなったのだろうか? 高千穂が全日に移籍して来た時、鶴田に挑戦されるでもなく
王座決定戦を組むでもなく、鶴田とブリスコでUNベルトを争わせたのは
外様でもレスラーのプライドはなるべく尊重する馬場らしからぬ采配だった
上田や松岡みたいに反抗的だったのかな >>58
UN王座決定戦の日本代表を選ぶ時、前王者高千穂vs鶴田の勝者を
代表にすることになったが、高千穂が自ら権利を辞退して
普通のシングルマッチに変更されたはず。 19 :学籍番号:774 氏名:_____:2015/06/12(金) 16:42:32.24 ID:92Finj6D
高田知彦は、小学1年で当時の最年少で珠算8級合格☆
20 :学籍番号:774 氏名:_____:2015/06/12(金) 16:43:05.23 ID:92Finj6D
・『闘魂三銃士』で一番、顔がいい=武藤敬司(グレート☆ムタ)、
・『絶倫三銃士』で一番、頭がいい=高田知彦(yuutenn1976) 高千穂はUN王座を
取り上げられたことを恨んでいた。
後年、1990年SWSが全日の選手を
大量に引き抜き、鶴田もタッグパートナーの
谷津を持っていかれた。
その時、馬場は高千穂改めカブキに
全日に留まることを確認の上、
ゴディ&ウイリアムスが持っていた世界タッグに
鶴田&カブキを挑戦させ奪回させた。
しかし、その直後、カブキはタッグベルトを
放りだすように全日を離脱。
UN王座の時の仕返しであった。 >>61
UN王座を取り上げられたのではなく、高千穂に集客能力がなく日プロが潰れて王座が宙に浮いた。
そのUNを全日が復活させただけで、取り上げられたというのは違うわな。
ただの逆恨み。 84年以降、ロジャースミス、ダビッドシュルツらが立て続けに来日したが
新日と国際の外人の顔ぶれは結構、被ってるんだよなw
アンドレやブロンドス、ヨーロッパ勢も多いな。大剛つながりでカナダ勢も。さらに猪木の旧知がストンパーだったり、
またクラップ、パワーズ、少し違うがマイクジョージといった新日〜国際提携から巡る顔ぶれ等。。 84年8月2日ブラディファイト最終戦の蔵前の猪木×長州
新日DVDでこの試合を久々に見た。
本来は猪木×シュルツだったらしいが。
猪木×長州で大正解。
内容も良かったし、最後のグランドコブラも絶妙。
30分の激闘。
またこれを最後に蔵前国技館は解体で閉鎖。
もし猪木×シュルツなら10分程度で猪木が延髄で終わり。
逆に猪木×長州で助かった感じもした。
直後に長州は新日離脱で新日の冬の時代到来へ。 >>62-63
NETにTV放映を打ち切られて
最終シリーズでのガラガラの客席を見ているはずなのに
日プロのレスラーは
「全日本とは対等合併だ」「日本テレビに頼まれて来てやった」
「芳の里から「馬場を助けてやってくれ」と頼まれた」だからな
頭が逝っちゃってるとしか思えない 日プロ残党勢「力道山先生死後の日本プロレスはトヨさんと馬場の二大エース大勢だった
馬場よりトヨさんの方が人気があった」という時代錯誤な事を平成でも言ってたからな
そんなに豊登に人気があったなら東京プロレスがあんな悲惨な事になってる訳ないのに >>66
長州はこのシリーズの札幌で藤波にもピンフォール負けしてたね…
84年に入って猪木戦3敗、藤波戦1敗、アンドレ戦1敗とシングルでのフォール負けが増えてたね >>69
猪木×長州の放送中に古舘が言っていた。
『維新軍解体で再びフリーの荒くれ者に戻るか』
『はたまた新たな軍団を形成するのでありましょうか』
そう言えばこの時期で維新軍終了だったか?
この蔵前大会後にパキスタン遠征。
古舘も言っていた。
そこで藤波と長州が組まされた。
その直後に長州は新日離脱。
この時期に維新軍解体とかは覚えてないな。
解体どころか維新軍+新日数名が離脱→全日へ。 しかしこの頃の長州は本当にいい動きしていた。
この試合でも猪木フォールの場面は幾つもあったし。
当時はそこまで覚えてなかったが。 長州離脱を察知したのか、確かに長州フォール負けは多かった。
アンドレ戦もフォール負けだが、長州はアンドレを投げた。
アンドレ側からしたらフォール負けが無い代わりに投げさせる。 全日登場の前にジャパンプロレス旗揚げ。
ジャパンプロレスとして全日に乗り込む。
大塚が、団体同士の対抗戦の意味合いを打ち出したとか。
そうすれば団体の看板賭けて対等な立場になると。 外国人選手からしたら「あれれ、前来たときは中堅だったチョーシューが、メインイベンターになってるぞ??」
って思ったりしたのかな。 正直、84年辺りまで猪木と長州が当たることを「大将決戦」みたいにいうのはしっくりこなかったな。
藤波と長州が同じランクでその上に猪木がいるイメージだったから。 >>75
70年代から日本マット界の事情は、外国人選手同士で情報交換してるから詳しいよ。
新日と全日のファイトマネーはどうだとか、自分を高く売るにはどうすればいいとか
或は、誰と誰が抗争してるとかまで知ってたはず。 維新の大将はマサというイメージがあった。
でもマサはアメリカと日本を往き来して日本定着ではなく。
新日側は猪木が全てに於いてトップで大将。
維新は曖昧になってた。
大将はマサでも長州の軍団であり。
藤波は新日側のNo.3でも実質はNo.2。
坂口が退き始めた時期だったし。
そこも曖昧だった。
でも猪木がNo.1には変わりなかったが。 >>77
なるほど、じゃあむしろ「今、日本でブレイクしてるチョーシューに俺は5年前勝ってるぜ!」
って自慢してたりしてw
日本から見たらブレット・ハートとかそんな感じよね。 >>79
健吾「NWAインターナショナル世界Jr.ヘビーはブレットに勝って戴冠したんだぜ」
高野俊二「帰国第1戦でブレットに勝ち、全日ではウェイン・シャムロックに勝ったんだぜ」 >>71
俺はあの試合の中では
桜井さんの「久々に猪木が戻ってきた」という解説が
すごく印象に残ってるな >>81
セミがコブラ対小林、セミ前が藤波対シュルツ渋い… >>81
桜井さんはじっくりとレスリングをしてる猪木が好きなんだろうねぇ >>78
マサは2年くらい日本マットに登場してない
間に上手いこと格上げされたね。
それまでは上田より格下感があって
猪木にはコロコロフォールされてたのに。 >>78
正規軍
猪木組長
坂口舎弟頭
藤波若頭
維新軍
マサ総裁
長州会長
浜口理事長 >>81
数日前にハンセンからPWFを奪回した馬場とともに名勝負で蔵前の最後を締めた
BI砲と専門誌に書かれていた。 馬場の時代は蔵前(84年)までかね?
両国になってから新時代突入。馬場がアンダーカードになった >>75
離脱前の革命軍・維新軍時代の長州がかませ犬時代にボコられた外人にリベンジできたのは
84年IWGPのパテラくらいかね
83年春の勢いがあった時期も最終戦で前田に負けるオーンドーフにすらリベンジできなかったし
>>55
まあ78年に腰痛で動きが極端に悪くなって以降、82年にハンセン戦で「復活」するまでの
時期も馬場は終わったと言われてたけどね
鶴田も人気落ちて完全に外人頼り、ファンクス、ブッチャー、マスカラスら人気外人のいない
シリーズは閑古鳥が鳴いてた時期だが、旧全日ファンがもっとも懐かしがる時代 >>89
閑古鳥のイメージとして81年エキサイトシリーズと81年サマーアクションシリーズが頭に浮かんでしまった… >>84
マサは80年ビッグファイトでハンセンと組んでたね。
そっから83年新春黄金まで日本マットに登場してないね。
長州が『心の師マサ斎藤を頼ってアメリカに』
長州とマサはどこで繋がっていた?
当時はそう思うた。
リングでも敵同士だったから。
しかし実際にはレスリング繋がり。 かませ犬の82年以降、新日本が長州をアメリカの斎藤に会わせに行かせるんだっけ?
そこで繋がったと思うけど、例のWJの失敗から疎遠になったんじゃないのかな >>90
80年エキサイト
81年サマーアクション
81年エキサイトが三大不入りシリーズ
テレビ収録会場ですら客室の空きがはっきりしてた
ブッチャー離脱直後の81年スーパーパワーも酷い入りの会場が多かったが
札幌などのテレビ収録会場は埋まったので何とか面目たった
>>92
82年の年末に長州とコバクニがWWF遠征して長州はマサと組んだ
MSGではロッキー・ジョンソン&トニー・ガレアというベビーの小結クラスと
フイラデルフィアではモラレスと対戦してるから
長州の海外遠征ではメキシコを除けば一番いい扱いだったのでは >>93
サマーアクションは80年では?
ブロディとラッドがエースの。
あのシリーズは不入り以前に全会場の
キャパが小さ目のものばかりで
冗談抜きに後楽園が最大キャパの日程
だった気がする。 >>94
書き間違ったw
そう、そっち
81年の方は得意な北海道・北陸中心だったから結構入ったんだった 昔、どっかの体育館で入場するアドニスに色の付いた生卵かなんか投げた
奴がいて放送でそのことを言っていたな
アンドレ生卵事件とかいうのも聞いたことあるし酷いことする奴もいるもんだ >>94
でも発表数を見てみると80年代後半の新日より良さそうに思えるけど、
全日はそんなに水増ししてたのか? >>93
あと1981年CC名古屋大会や広島大会の不入りも印象的 全日本は名古屋、大阪、広島あたりは苦労していたイメージ
北海道東北新潟北陸は強い
九州もまあまあいけるが、福岡はカードと箱次第
福岡国際センターだとしくじりやすかった 福岡国際センターはなぁ、イマイチ交通手段がよくないんだよ。たしか、全日は時々使ってたけど、新日は天神のど真ん中にあるスポーツセンターをよく使ってて、あまり使ってなかったイメージ。
間違ってたらゴメンと素直にあやまれる人間になったつもりだ。時を戻そう。 >>100
もうひとつ言えば国際センターは天井が
武道館レベルに高いので、そこそこ盛り上がって
ても音が拡散して当時のテレビの音声では
それほど盛り上がってるように見えないんだな。
スポーツセンターも天井は高いんだけど
客席の傾斜が急で割と空間が圧縮されてるから
歓声が聞こえやすい。 >>102
九電記念は今年3月いっぱいで閉館になったね。
偶然にも博多スターレーンと同じ日 宏洋さま/高田知彦
乙黒拓斗選手/高田知彦
稲井大輝さん/高田知彦 >>103
九電まだ最近まであったの?ビックリ
スターレーンは、空中殺法やブレーンバスターやりにくそうだったw 福岡スポーツセンターって8500人も入るくらいデカかったんですね〜 九州場所は
福岡スポーツセンター→九電記念体育館→福岡国際センターと変遷したな 福岡国際をフクオカクサと書いてたバカは誰だ?誰だ?誰だ〜?
えっ、俺?
うるへー、波平、千葉亮平 >>107
国際センターは九州場所開催を前提とし、且つ両国国技館のプロトタイプとして建築されたんだよね。 福岡スポーツセンターで記憶にある対戦は、猪木vsレフトフック・デイトン戦、
ジャック・ブリスコ戦、日プロ時代のドリー・ファンクJr.戦くらいか‥ >>96
ケロが闘魂スペシャルのコラムでいろいろと書いてましたね。
酷いところで画鋲がリングに落ちていたほか、飛んできた乾電池でデコを負傷したお客さん、
生卵できれいなドレスを台無しにされたリングサイド席の女性、半分開けられて投げ込まれた牛乳パック…
大暴動の時はともかく(ホントはよくないけど)何もない時にこういったことをする奴の気が知れんわ。 ラッシャー木村の家への嫌がらせもそうだけど
「ファンも熱かった」とかそんな綺麗事で済ませちゃいかんわな。 >>109
>九州場所開催を前提とし、且つ両国国技館のプロトタイプ
なんで、それで「国際」センターなんだよ?ww >>116
海沿いにあって昔から外人がよくウロウロしてるから。 >>112
どっかの会場で牛乳だかカレーだかをリングに投げたヤツを若手時代の蝶野が見てて
会場外へ摘み出したとかあった気がする。 >>102
新日はそんなに九電使ってなかっただろ。 >>108
基地外荒しよもう来ないでくれ
やはりお前は悪質荒しだったんだな
このスレもガラプーKKお断りに
するべきのようだね
荒しはどんどん通報したほうがいいな 結局、いい年こいたオッサン以上の連中のくせにキチガイガラプーの
書き込みにレスしたりするからバカが調子に乗って居付いちゃったんだよ
で、さっそく荒らし行為の復活か
でっち上げ犯人仕立て上げの次は何だ?また語呂合わせか?漢字羅列か? バカにレスする奴ってワッチョイとか見ないのかな?
ガキじゃあるまいし分別ある中年以降だろここの住人達は
せっかく昔を懐かしんでやり取りしていても荒らしをスルーせずレスしちゃうから
居心地よくなって居付いて頃合い見計らって漢字羅列とかで荒らし始めるんだから
もう何年もこのパターンだからちょっとは考えろよ >>112
シンと上田だったかな入場してリングに上がったらビール瓶か何か飛んできてリング上
がガラスだらけになっちゃってミスター高橋とかが掃除して解説の小鉄がこういうことは
絶対にしないでくださいと言っていたがあれはシンが大ヒールだったので興奮した客が
さっきまで飲んでいたビール瓶を投げ込んだってことなのかな
わざわざリングに投げ込むための危険なものを会場に持ち込むようなバカはさすがにいなかった
と思いたいけど生卵とかはやっぱり確信犯だよなぁ
どういう心理かわからないけどさ単純に嫌いなレスラーにぶつけたいのか目立ちたいだけなのか
投げた奴が特定されて若手に連れていかれてボコボコにされたとかいう話は聞かないなぁ ガラプーにたいする風評被害酷いな
俺は荒らしの奴と別人なのに俺まで疑われちまうのか >>109
相撲開催もさることながら、となりの福岡サンパレスよりも大きく国際会議を開催できるようにと作ったはず。
相撲専用ではないのは行ってみればわかる。 北九州小倉区三萩野体育館は、疑惑の杉山vsBミラーや小林vsロビンソンのIWA戦
鶴田vsロビンソンの十番勝負ぐらいで、新日本が思い浮かばない。 >>124
2ch時代から現在に至るまで
ワッチョイどころかIDすら見ない
専ブラも使わず、テンプレも少し前のログも読まないようなやつらは絶えません
>>128
新日の北九州はやっぱり西日本総合展示場のイメージ >>124
ガラプーKK基地外荒しがきても
スルーし絶対にレスをしないようにするよ
あの基地外の関連スレを見たら
奴に関わってはいけない理由がわかったよ
また荒らすようなら通報したほうがいいな >>130
横だが、お前が基地外だろ!小さいヤツよの ガラプー基地外でケンカはよくない
ガラプー基地外荒しをスルーしろよ 仕方ないよ。藤波のパートナーとケンゴのパートナーじゃん。どっちが格上かは分かるよね? >>133
アンドレVSブロディはゴジラVSキングコングのノリだなw あれは見たかったなあ。
ブロディが来日中止で残ったスヌーカが割りを食った。
ジョージは夏まではコブラだったんだよな。
何でコブラ廃止になったかわかるか?
ジョージが言ったのかな?
それともコブラ人気が上がらなかったからか?
ヘビー要員も考えられる。
でも素顔のジョージが大々的に売り出されたわけでもなく。
烈風隊もこの2年以上あとだし。 北北北北北きつね、南南南南南何ですアッパラパー、西西西西西が8、東東東東東東京都
うるへー、波平、キチガイです 文句あっか 突撃兵
仔奴悪質野郎也〜ガラケーでポチポチ打ちこんだでっち上げ文章
漢字羅列
カタカナ
ひらがな(短期間で終了)
仔奴不穏野郎也〜ガラケーでポチポチ打ちこんだでっち上げ文章
腹刺しまくりで殺す、深夜に自宅突き止めて放火する
青葉の京アニの被害者のように真っ黒に炭化するまで燃やしてやるよ
またまた発見、こいつの過去の悪行障碍者いじめ(当然でっち上げ)
じさつしろーじさつしろーじさつしろーじさつしろーじさつしろーじさつしろー
はらさっしーはらさっしーはらさっしーはらさっしーはらさっしーはらさっしー
夢のオルスとか書いていたバカは誰だ えっ?オレ ちがうわい うるへー、波平、志願兵
アブドーラ・ザ・シン、バッドニュース・ブロディ、スタン・デビアス、アドリアン・ブッチャー
いやぁ今年も年頭からよくいろいろな荒らしを思いついて書き込みまくったねぇ
感心するよガラケーキチガイさん
たまに1週間ぐらい消えていたのは当然キチビョーインに黄色い救急車で護送されて
拘束具付けられて飼育されていたんだよねw
まぁ来年はそろそろ迷惑だから死んじゃってよ殺害予告の書き込みするより自分がスパッと
この世の未練を断ち切ったほうがいいと思うぞ 367 お前名無しだろ (ガラプー KK3e-WM4N)[] 2019/12/26(木) 08:26:00.41 ID:QqmPNLw4K
>>361
85年5月サンダーウォーズ開幕戦
シンはタッグで馬場をコブラクローでフォール。
2月の疑惑コブラツイストでギブアの見返りと言われてる。
プロレス的に言えば『雪辱を果たした』になるが。
馬場 石川×シン ミラノ
最終戦の後楽園でも同カードが組まれて例のミラノ失神。
二つともようつべ動画に上がってる。
368 お前名無しだろ (ガラプー KK3e-WM4N)[] 2019/12/26(木) 08:37:27.62 ID:QqmPNLw4K
サイキョタグリとか書いてたバカは誰だ?誰だ?誰だ〜?
えっ、俺?
うるへー、波平、田場和平
369 お前名無しだろ (ガラプー KK3e-WM4N)[] 2019/12/26(木) 08:39:47.49 ID:QqmPNLw4K
世界最強二人組決定総当戦とか書いてたバカは誰だ?誰だ?誰だ〜?
えっ、俺?
うるへー、波平、野間龍平 >>125
昔田中ケロが、「物を投げた奴をふん捕まえてそいつのバッグの中を見たら、
生卵やトイレットペーパーなどが大量に入ってて呆れ返った」って何かに書いてたな。
本当そういう奴って頭おかしいわ 昨日、名古屋の街中で
ファンタスティカマニアの宣伝をしてる
新日の車を見た!
(普通の車の上に選手の顔が4面に出てるやつ)
実際に見たのは初めてだったので
ラッピングバスとか山手線の広告みたいの
だけじゃなくて
こんな感じの宣伝今でもしてるんだーと思った >>136
日本語が喋れない謎のマスクマン、ザ・コブラ。
そのコブラに関してワールドプロレスリングの中継の中で解説の山本小鉄が
「コブラなんですけど、オレもう減量キツイっズよって言ってきたんですよ、
だからヘビー級転向も考えなくちゃいけないと思うんですよ」と
コブラのヘビー級転向を示唆していた。
初来日時は日本語が全く喋れなかぅたがわずかな間に日本語が堪能になった。 >>143
そうだったんだ。
ありがとう。
佐山タイガーも笑える逸話がある。
最初は国籍不明の触れ込みだった。
記者の前でも英語のみ。
しかしある時に佐山タイガーが足を机か椅子にぶつけた。
そんときに『ア〜、イテ〜イテ〜』と。
それを周りにいた報道陣に見られてしまった。
そっから開き直って日本語で話す様になった。
何かの記事で読んだ。 佐山も高野も、プロレスマスコミは皆知ってたけどねw
何なら、ちょっとしたプロレスファンも正体はすぐ分かっていた。 試合後ホテルに「どうしてもタイガーマスクに会いたい」という女性ファンがやってきた
対応したのがケロと素顔の佐山でしょうがないから「呼んできます」と言って佐山が部屋に行ってマスクをかぶってでてきた
が、女性はタイガーじゃない、こんな小さくないと不満言いながら帰っていった
女だろうとバカなファン相手にしちゃだめだな(でも消えたチビと同じ体形がでてきたら疑う罠) 1981年12月23日放送・水曜スペシャル輝け!81スポーツ界オールスター歌謡大賞決定!!に出場のタイガーマスク
審査員はアントニオ猪木やチーターこと水前寺清子など豪華な顔ぶれ。
タイガーマスクは日本語が喋れないということで英語で歌を披露。
感想を水前寺清子に聞いたら虎とチーターは親戚同然でタイガーマスクとは友人関係にあるとか。
それに猪木はタイガーマスクのことはよく知らないので教えてほしいと
水前寺清子に掛け合うなどのトークを展開していた。 >>145
ファンのいる前でコブラに向かい
ドン荒川「おい、ジョージ」
コブラ「はい」 プロレス大百科パート2の正体推測ページの佐山の写真が数ページ前のタイガーマスクの写真と同じような角度で色々一致したので、この人やんと確信した
クラスに栗栖説を唱えてる奴がいたがw >>147
謎がある方が世間は興味をもつからな
タイガーマスク(プロレス)は、局も協力しての社会現象になった。
それより何を歌ったのか気になる… その番組で初代タイガーが歌ったのはプレスリーの曲だよね?
「ラブミーテンダー」か「好きにならずにいられない」だったと思う。 >>145
小林邦昭がコブラのマスクを剥いだ時、チリチリ頭が思い切り見えたので
「やっぱりジョージ高野か」と納得したな >>154
「12月31日の大晦日のスケジュールは空けておく」は年末の風物詩 佐山タイガーやコブラは三沢タイガー目元から正体が確認でけた。
特にコブラは一目瞭然。
しかしマシーンは顔全体が隠れてたから正体はわからんかった。
個人的には佐山タイガーも最初はわからんかったがね。 「次週タイガーマスク登場!」的なテロップ見て「谷津だ!」とテレビの前で叫んだのは俺 >>147
82年元日のタイガーvsキッドに水前寺清子が観戦に来てたのは
この番組がきっかけだったのかな? トップオブザスーパージュニアの決勝戦はメインイベントに据えられる
決勝まで残ったのはワイルド・ペガサスとエル・サムライ
試合を終えた蝶野がサムライのセコンドに付くと
「マツーー!いけマツ―ー!」
いくら正体が松田だからって大声でバラすなよ 昔の猪木全盛期時の異種格闘技戦って新格闘術とかキックの試合も同時に行われてて、しかもベニーユキーデの試合のレフリーが山本小鉄とか訳分からん時代だったんだね。
で、この興行ってそもそもどこが主催で行ってたの?
やはり新日本プロレス?
キックやマーシャルアーツの選手はゲストみたいな扱いだったの?
その日は何試合くらいあったの?
当時のこと覚えてる人は教えて。 マシーンは下半身(特に太腿周り)がソニー・ツー・リバーにそっくりだったから
正体は割と楽に推測できた >>163
俺も太ももでピンときた
帰国する少し前に何の番組か忘れたけど、海外で活躍する日本人プロレスラーって感じで
テレビに出てて、その時に見た太ももが印象に残ってたから >>162
猪木vsモンスターマン戦があった77年8月2日の武道館大会は新日本プロレスが主催
前座でキックボクシングの鈴木勝幸がプロ空手のベニー・ユキーデにKO負け。
何試合あったかは知らない
11月14日全日本キックボクシング主催の格闘技大戦争では
全米プロ空手世界ライト級タイトルマッチ、王者ベニー・ユキーデが
元全日本フェザー級王者岡尾国光を4RにKOしている。
この大会には全米プロ空手ミドル級1位のマーク・コステロが
佐山サトルを6R判定で勝利
猪木、坂口、小林、アレンが観戦していた。
全8試合 >>163
海外遠征に出る前の平田は締まった体だったから、ポヨポヨした体のマシンが平田とは思えなかった。 >>163
マスクの後頭部から髪が出てなかったんで、モヒカンにしてた平田だと思った。 >>144
国籍不明のはずなのに、新日の会場やサンデー(列伝の次のページ)通信の文房具セットのノートには、出身地-山口県って書いてあった。 格闘技路線をやると、ほんと怪しい連中に絡めとられていくから、
結果、異種格闘技路線を辞めたのは正解だったね。
K-1しかりプライドしかり、必ず反社につながる。 メキシコ用のWWF王座を日本で決定戦というところに当時の新日本・WWF・UWAの提携の強さが伺えたな
当初は佐山も参戦予定だったとか
御前 糞馬鹿、佐山 直後、虎仮面。
御前 阿呆、佐山、虎仮面計画、此時期、決定済也。
佐山凱旋の発表されてたな
そのあとキャンセルになったが
>>740-741はちょっとおかしな人だから気にしなくていい >>165
ありがとうございます。
今と違ってボーダーレスな感じだったんだね。
その頃の格闘技(プロレスも含む)界って夢があった良い時代だよねー。
もう少し早く生まれたかったなー 87年頃だったかな?ボクシング協会と提携して日本選手権やったのは
地方興行だったのに「こんなに大勢のお客さんの前で試合したのは初めてです」
どんだけ普段ボクシング客いないんだよ >>161
サムライは最初から正体公表してたから。
猪木に「カンジー!いけカンジー!」みたいなもんだ。 当時のゴングで佐山タイガーのインタ記事があった。
出身地と生年月日を言っていた。
それが何と佐山と同じ。
『本名は…今は言えません(笑)』と。
その時点で正体公開したも同然だったんだな。
友人達にそのゴング見せたら騒然。 >>171
まるでピロレスが反社と無関係なような幻想持ってるニワカwww
うせろ無能www 蝶野がマシーンと組んだSGタッグ。
何度も仲間割れのギクシャクコンビ。
決勝戦で蝶野が劣勢状態のマシーンに『立てオラッ、ヒラタッ』と。
マシーンはこの試合後にマスクを脱ぐが、まだだろと。
それにマシーンの方が先輩。
当時は録画したのを何度も見た。
何度も見ても蝶野はそう言ってる。
あれは何だったのか? >>180
J.F・ケネディの娘で駐日アメリカ大使も務めた
キャロライン・ケネディと佐山聡は生年月日が一緒。
(1957年11月27日)
出生地と性別は違うが。 >>182
よくわかんねーけど正体は平田満だったんだよね。実況の辻さんが言ってた >>186
中身は筋肉だが体脂肪が増加したから丸く見える。 サニー・トゥー・リバー時代のモヒカンは、インディアンギミックからだけど、
ウォリアーズのモヒカン(逆モヒカン)は、パンクロックからだろうね。 平田は上半身も凄かったが、なんつっても下半身、足が太かった。
マシーンも最初は足を見せたコスチュームだった。
しかし後々はロングになり。
新日復帰後に一時期は初期の赤にしてたけど。
足も見えて。
でも結局はすぐにロングに戻した。 若手時代の平田は“長州二世”と言われた。
そういう有り難くない異名があった。
その頃の長州はまだ革命前だし、嬉しくないだろ。 藤波のライバル扱いされ、新日からも一時的に出ていく。
時期はガッツリ被ってたけど確かに長州二世だったな。 藤波は80年代に何度か新日を離脱しそうだったけど、
結局とどまったね。
彼が長州らと行動を共にしてたら、本当にヤバかった気もするが
見たかった気もする… 馳が大流血したシングル戦
相手忘れたけどテレビマッチでレフェリーはミスター高橋
序盤でコーナーにもたれグロッキー状態の馳の額を何故か高橋がギュッと指で押し込むムーブ
カメラマンはリング下から寄りで撮ってる近い
何してんだ?って思った
次の瞬間馳の顔面真っ赤っかwww 多分健介の復帰戦、92.6.26の武道館、対馳浩だな
コーナーに詰まって馳が攻撃してるところで高橋?服部?がギュッと健介の額に指を押し込んだ直後に流血になったのが、思い切り放送に乗ってた >>200
指を横に動かさず
押し込むムーブが印象的だった
カメラマンがたまたま近くに居て良く撮れてた 佐山タイガーは小林戦初戦ではマスク破かれて流血したんだよな。
雑誌には血が僅かながらも流れてた。 レス欲しくて荒らしガラケーがタイガーネタで書き込みかよw
WWFジュニア王座決定リーグ戦に当初は佐山も参戦予定だったとかと書いた人に
この暴言吐いたキチガイがなぁw
御前 糞馬鹿、佐山 直後、虎仮面。
御前 阿呆、佐山、虎仮面計画、此時期、決定済也。
佐山凱旋の発表されてたな
そのあとキャンセルになったが
>>740-741はちょっとおかしな人だから気にしなくていい >>194
85年あたりか、藤波いないと健吾が二番手になったりしたのだろうか。
ちょっと想像つかないなw >>145
知ってたどころか
タイガー初登場の時は月プロデラプロゴング別ゴンのどれかは忘れたが
「正体は佐山か」と思い切り書いちゃったし
コブラのカルガリーの試合を「マスクマン・コブラに変身した高野」と報道
もちろん次の号のタイガーの記事やコブラの「初登場」の時はそんなことは
なかったように正体不明して扱ってたw >>173
>メキシコ用のWWF王座
15年後に正式のWWFライトヘビー王座ができたから確かにメキシコ用として
区別されるな
正式の方は実質ジュニアヘビー王座だけど
>>189
カルガリーというかカナダ西部はネイティヴが多いから
白人がインディアンギミックやってもバレバレだったから同じモンゴロイドの
日本人平田がその役やったんだろうな
>ウォリアーズのモヒカン(逆モヒカン)は、パンクロックからだろうね。
というかまんま映画「ロードウォリアー」の暴走族
「マッドマックス」の続編で本国や日本では前作がヒットしたから
「Mad Max2:The Road Warrior」とか「マッドマックス2」として公開されたけど
前作がコケたアメリカでは副題だけで公開し今度はヒットした
いずれにせよパンクっぽいモヒカンにヘビメタっぽいレザーって
世間一般のよくあるイメージの混交を現してるw >>205
80年後半の猛プッシュがそのまま続いていれば問題なかったな
あの時期のキムケンは藤波のライバルとしてテレビ露出度ではまだパンチ時代の
長州どころか坂口すら抜いて藤波にならぶ勢いだった
その藤波との抗争の決着戦と同時にプッシュが終了したキムケンは見事に長州の
下にランクだけでなく出番も戻された この頃の栗栖はレスラー生活の最盛期だろうな
UWAのトップルードの一人としてエルトレオのメインを何度も張ったんだから
ただシングルではメインにはなれず常に誰か他のルード(主にアレン、ストロング姐さん
など同じ外国人)の手下だった
そういう意味ではFMWで復帰後の一時の狂い咲きは異常 >>211
栗栖はいつの間にか帰国して普通に前座で試合してたね…ハルコンやヘラクレスローンホークにも余裕で負ける程扱いが酷かった… コブラの末期の頃、素顔でビリヤードをしてる姿が週プロに載ってたような。
微妙にボカシを入れてはいたけど、モロにジョージだったなw >>212
綱引き対抗戦の行われた蔵前でオーンドーフの相手をやったのが新日本での一番の扱いだったか ジャパンでは移籍一年目、第一戦ではかつてメヒコで仲間割れを演じたアグアヨと対戦
その後は主にカーンのパートナーとしてレイス、ウォリアーズなど大物外人相手にジョバー
もしてたね
でも基本は寺西の下、保永・仲野・新倉の若手トリオの上くらい 栗栖は昔から老人にしか見えなかった
あれなら髭モジャのスキンヘッドにした方がマシ 栗栖は全日に行ってからの方が正当な評価をしてもらってた気がする…メインの試合がテレビに放映されたりカブキ戦、テンタ戦等は味のあるいい試合をしていた 新日本での栗栖のピークは、猪木対国際・1対3のレフェリーだな。 >>217
馬場好みの選手だね
まあ新日の選手で一番馬場好みのレスラーは
「レスラーに専念して自分に逆らわないと仮定した」猪木だろうけどw 保永が馬場から気に入られていたそうだ
https://hochi.news/articles/20180616-OHT1T50128.html
イベントでは全日本時代に、あのジャイアント馬場さんから高く評価されていたことも明かされた。
特別に馬場さんからお小遣いももらってことがあったという。
「全日本の選手から、“オレたちもらったことないのに、いいなぁ”とうらやましがられましたよ」と
照れ笑いしていた。 ヒロ斎藤は
「お前ならジャーマン受けてやるから掛けてこい」
と言われたそうだな。 栗栖、ヒロ斉藤、保永か…
全日版ブロンドアウトローズを作れたね 栗栖は全日に残ってガンガンやりたかったのに永源に引退させられたんだよな
馬場もジャパン内部の事までは口出しできなかったのか 小鉄と永源はサウナで心臓マヒ起こしたんだっけ?
50過ぎたらサウナには入らないほうがいいな。 >>223
その頃はジャパンの連中はもう全日に移籍してるだろ。 >>224
西城秀樹の脳梗塞もサウナが原因。
あと、元大関・若嶋津の二所ノ関親方も、
サウナの帰りにぶっ倒れてしまった。 初めて入った時気持ち悪くなって速攻でてきてそれから入ってないな サウナ
あれ絶対健康に悪いだろ サウナで体調崩したり亡くなったりした人は出た後のアルコールが旨いからって水分補給しないで脱水症状からくる事が多い
しっかり水分と塩分を補給しながら入ればあんな気持ちいい物は無い >>231
俺の通ってるジムで終わってからのビールが楽しみだからって、
全く水分補給しないてトレーニングしてたおじさんがいきなり倒れて死にそうになってたな。 https://pbs.twimg.com/media/CrB-lnjXYAAylZ0.jpg
いつの時代のスチール写真をTシャツにしたんだろう
メキシコ遠征の頃からこんなにハゲてたのかな 栗栖はテンタ戦で馬場の不況じゃったんじゃないの?
売り出すテンタを赤児捻るような感じで圧倒
最後はフロント一発で負けたけど 負けてあげた感ミエミエ
ゴングあおやま英雄の扉漫画でもネタ扱いされてた 無敗で幕下まで行ったテンタが本気になったら
栗栖なんて1分も持たずにボコられるだろうw 藤波のドラゴンボンバーズにも相撲あがりが居たね。
何か酒で問題起こしたんじゃなかったかな? 82年新春黄金シリーズ
アントニオ猪木 vs ローラン・ボック
ボブ・バックランド vs 藤波辰巳
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
長州力 vs アニマル浜口
カール・ゴッチ vs 藤原嘉明
坂口征二、木村健吾 vs ラッシャー木村、寺西勇
星野勘太郎 vs 剛竜馬
木戸修、荒川真 vs 永源遥、前田日明
ジョージ高野 vs ブラック・キャット
仲野信市 vs 小杉俊二
保永昇男 vs 高田信彦
失われたものも多すぎるが、もうすぐ現代プロレス誕生38周年記念だ
よいお年を >>237
明確に今も現役なのは藤波と藤原だけか。
故人は8人かな?全日よりは少なそう >>237
長州力vsアニマル浜口
いまからみると注目のカードだが
当時は何の脈絡も無い試合 かつては元旦決戦が恒例だったけど紅白に対抗して大晦日に生中継!
とかは考えなかったのかな?初代タイガーがいた爆発的ブームのころなら
やってみても良かったと思うけど >>238
カールゴッチ対藤原をテレビで見たときにカールゴッチよりも藤原を見れた喜びが勝ってしまった小4の頃… 「俺はテロリスト事件のずっと前から藤原に注目していたんだ」
玄人ぶって他人より上に立った気でいる藤原オタクが昔はいたんだよな 藤原&健吾 対 マードック&アレンのテレビマッチは印象深い
あれで藤原を知らなかったら札幌事件わけがわからなくなっていた >>240
当時の視聴率70%だぜ!
そんなん勝てるわけないw >>240
当時の視聴率70%だぜ!
そんなん勝てるわけないw >>240
当時の視聴率70%だぜ!
そんなん勝てるわけないw >>240
昔の紅白は21時からじゃなかった?
で、民放は民放連で統一番組を23,0時台にやっていたような
案外編成に余裕なし >>240
昭和44年の大晦日にNETテレビがワープロでドリーVS猪木を放送した >>226
西城秀樹の根本的な原因はヘビースモーカーだろ >>233
「栗栖のTシャツ」と聞くとそんなん誰が着るんだ!って思っちゃうけど、
これはかっこいいなw >>247
民放版ゆく年くる年か。
それなら23:45〜25:00に放送されてた。
82年〜83年にかけて放送されてたときは
馬場が司会の一人だったな。
そのため馬場がテレ朝に出てた(制作はフジ)。 >>247
民放はどのチャンネルもゆく年くる年で
変えても変えても同じ映像なのが非日常っぽいけど
おごそかに除夜の鐘の中継みたいなのがすぐ飽きて紅白に戻すっていう >>252
いやいや。紅白は23:45に終わる。だからおごそかな除夜の鐘中継はNHK。たぶん民放版ゆく年くる年は鐘中継は軽い。 >>247
レコ大取った歌手を白バイが紅白の会場まで先導してたね 紅白始まった時間帯の年忘れ日本の唄のメンツが、初期新日の来日外人並みに
ロートルと二線級になるのがお約束。 https://pbs.twimg.com/media/DlR6UKBUYAATK6W.jpg
昭和新日でバイクと言えばホンダのダックス
自社の製品の宣伝のためにスポンサーになったのかしら どうせオカダだろう?見る価値ねーよ!
ってうちの息子(3歳)が言うから今年は
行くの止めた >>252
民放のゆく年くる年のスポンサーは世界に時を告げるSEIKO
民放各局同じゆく年くる年なのに12チャンネルだけ前番組より視聴率を下げていた
12チャンネルで年越しを迎えるのに国民の間に抵抗があったという現象だった 猪木対イワンコロフとか凄い塩試合
当時の新日の台所事情が解る NWAがシェア70%占めてたからね 加盟して無いと
独立系団体とか個人契約になってしまう
テーズからIWAと提携話あってマスカラスが新日参戦
するか?と話題になったそうだけど IWAとの提携話は、新日本がNWA加盟寸前だったから断ったんだよな。
76年頃は仮にマスカラスが来ても異種格闘技路線真っ只中だったから…
対戦しても1回だけ、猪木のライバルには?だなぁ
タッグを組んで、藤波&カネックかシン&上田と対戦するくらいか。
まあ新間は計画してたみたいだけど、馬場が阻止しただろうな。 >>263
一応藤波のライバルと想定してたそうだ 猪木がNWA加盟談判
しに総会出席する時「出ないかもしれないテーズから話来てる」と乗り気だったが新日関係者が「ある団体からあの団体に関わったらロクな事にはならないぞと忠告受けた」 おまいらにお年玉
imgur.com/mRPQNm8.gif >>144
対戦相手をブレーンバスターで投げるときのかけ声
「イヨッ!」
あれでうちの母親はタイガーマスクを日本人だと見破った。 団体のエースたるもの、そう簡単にバラエティー番組に出て、芸人と遊ぶもんではない。
とはいえ、時代が違うか… >>261
いやコロフは当時元WWWF王者だからスターだってのwww
知ったかすんなアホニワカwww ユーチューブにあがっていたMSGタッグリーグの映像見ると、やっぱり大型外人勢のぶつかり合いは凄いわ。
藤波と長州なんてガキの口喧嘩程度にしか見えん。 >>249
タバコも発症の原因だろうが、
サウナに入り、水を我慢したのが
直接の引き金になった。 >>264
マスカラスが藤波のジュニア王座に挑戦というのが想像出来ない >>271
と言っても、猪木のライバル、NWF挑戦者としても
ちょっと小粒だな。
猪木は、マスカラスに初来日の時、60分3本勝負で
決勝がリングアウト勝ちながら2−1で勝っている。
新日に参加してNWFに挑戦したら、当然勝たなくてはならない
→アイドルのマスカラスを潰すことになる。
と言って、引き分け、引き分けなら、猪木は
軽量のマスカラスに勝てないのか!?と批判される。
なら、全日で鶴田のUNに挑戦させたように、
新日でも藤波に挑戦者という形でも
実際は「壁」的な存在として使われただろうな。 マスカラスは藤波のパートナーにしてブッチャー軍団と抗争 >>274
藤波が相手だったら逆に藤波がIWAに挑戦する形にしてたんじゃないかな。 >>276
マスカラス引き抜きの話はオールスター以前のこと。
馬場は国際が活動してた期間は、マスカラスが要望しても
IWAのタイトルマッチは開催させなかったが、
新日は強行したのかな?
全然関係ないタイトルだけどね。 >>278
IWAは実業家エディ・アイホーンが75年に設立し、かつてNWFを率いていた
ペドロ・マルチネスを責任者に雇っていたからNWF色の濃いレスラーが集まった。
別に後継団体じゃないよ。 >>273
そのときは大仁田のライバルたる大物がチャボしかいなかったので、無理にでもジュニア扱いした感じかな。
新日ではジュニア外国人の駒不足からケビン・フォン・エリックをジュニア扱いしようとして、
本人に拒否られたこともあったね。 >>279
ウィキみたらIWAタイトルって国際版、東部版以外にもオーストリアやカルガリーにもあったんだな、知らなんだ。 ケビンはIWGPジュニア戦組まれたけど計量オーバーで直前中止ということがあった。越中王者時代だったかな。 S.W.S.でのリック・マーテルのジュニアヘビーも無理があったな 一番無理があったジュニア挑戦は
1974年のジャンボ鶴田だろうけれどね。 グレッグ・バレンタインのジュニア挑戦も無理があった ケリーフォンエリックが来たとき、やっと新日にもNWA系の選手が来るようになったか、と喜んでたが
すでに義足だったんだな、ケリーは。 あまり語られる機会はないが、
藤波は昭和の最後にIWGPとWCWA、それにPNWの三冠獲得してんだよな。
あと末期だがNWAも獲ってるし、UWAの世界王者にもなってる。
タイトル獲得実績だけなら日本一かもしれない。 >>293
http://www.puroresu.com/blog/2019/07/30/pnw-heavyweight-title/
どっかで聞いた覚えがあると思ったら、PNWってW★INGで金村が巻いてた奴か
海外を主戦場にしてるレスラーのタイトル歴には劣るかもしれんけど
日本を主戦場にしてなおかつ団体のエース級に限定していえば
藤波辰巳がナンバーワンもしれない 猪木のタイトル歴
テキサスヘビー(64.6)ジョー・ブランチャードvsトーキョー・トム
WC世界タッグ(65.10)FVエリック&KKコックスvsA猪木&Dケムオカ
NWA世界タッグ(66.1)Eグラハム&SスティムボートvsA猪木&Hマツダ
USヘビー(64.11)JバレンタインvsA猪木
アジアタッグ(67.5)決定戦 猪木&吉村vsIアーキンス&WVエリック(4度戴冠)
インタータッグ(67.10)Bワット&Tタイラーvs馬場&猪木 (4度戴冠)
UNヘビー(71.3)JトロスvsA猪木
NWFヘビー(73.12)JパワーズvsA猪木 (4度戴冠)
NWA北米タッグ(74.8)KVショッツ&CVヘスvs猪木&坂口 (2度戴冠)
WWF格闘技世界ヘビー(78.12)初代王者に認定される。(2度戴冠)
WWFヘビー(79.11)BパックランドvsA猪木
UWA世界ヘビー(80.4)TJシンvsA猪木
IWGPヘビー(87.6)決定戦 A猪木vsM斎藤 >>295
ゴッチから奪取した世界ヘビー(レッド・ピンパーネルに防衛 キムケンって明確に在日(帰化)だけどあまりそういう視点で語られないな。
個人の性格はともかく団体内ポジションがおよそコリアンらしくないからかな。 >>295
USヘビーは66年10月12日のミス
>>296
ゴッチベルトは認定団体がない個人ベルトだから迷ったけど、
防衛戦も行っているから入れるべきだね。
世界ヘビー(72.10)KゴッチvsA猪木 木村健吾が藤波の後塵を拝してたのはまさにそのせいだからでしょ。
パクちゅ〜だから全然隠してもないし、顔がいかにもだったからなぁ
藤波より身体大きいし運動神経も良かったけど、人気商売だからしょうがない。 長州、キムケン、前田、星野なんかをそういう目で見たことはないねぇ。
あの時代は在日がどうとか言わなかっただろ。 >>297
長州と前田が在日である事が目立ちすぎてて、健吾兄さんが在日である事なんて
どうでもいいこととしてプロレス界では処理されてるんだろうな
藤波に唯一ピン勝ちした事案が鉄パイプである事も
在日とは一切関係ない事として扱われた
>前田日明が長州力を背後から蹴撃したとき
>リング下の星野勘太郎が「卑怯者、それでも日本人か!」
>と激怒したものの三人とも実は在日だった、という話はガチ
こっちが面白すぎて健吾兄さんなんてもう 在日とか気にした事ない 周りにもアイツは在日だからとか
いうやつなんていなかったけどな
当時韓国とかお隣りの国ぐらいしか思ってないし 在日だ、韓国だ、中国だ、なんて言い出したのはここ20年位 戦後復興期が終わって一旦はみんな気にしなくなっていた。蒸し返されたのは、まさにネット時代になってからの話だね。 だから北尾の暴言には驚いたな
角界で当時の一般人が知らないような話とか聞いてたのかな 普通にコリアタウンから通学してた同級生いたし、何も気にせず接してたけどね。
ただ親の世代(1930年代生まれ)は韓国人を蔑視してた感じが残ってた。
派手目な服装で外出しようとしたら、「朝鮮人の民族衣装みたいなカッコするな!」
と怒られたりw 俺の同級生にも金くんとか崔さんとか普通にいたなあ。
で、親が韓国とかでいじめられてなんかなかった。 60-70代の人間は普通に「チョンコ」って言ってたな >>304
それまで、特亜三国の悪事や嘘ってのは、大手メディアが封殺してた。
ネット普及や保守言論の活発化でそれらが白日に晒されたのが20 年前だね。 >>307
俺、子供の頃、ズルいことをしたり
嘘を付くと大正生まれの祖父ちゃんから
「朝鮮人にようなことをするな!」
と怒られた。
今、その意味が分かるよ。
戦後、朝鮮人は、駅前の土地を勝ってに
奪ったとか、戦勝国だとか言って
威張り散らしたと言っていたよ。 ケンタと
藤原喜明みたいに
入場前の内藤襲って試合
中止にしたら
盛り上がったのに
あまの新日本にそこまでするストーリーはないか >>306
ウチの親父も長州は韓国人って言ってたぞ。
週刊誌に韓国代表だったって書かれたみたい >>313
長州が在日だということは
写真雑誌『FLASH』が創刊号
(1986年11月)で暴いたんだよ。
当時、長州は全日に参加して
勢いがある時だったから
インパクトはあった。 長州はオリンピック韓国代表とかたまに書かれてたろ。「朝生」に出たの何時だったかな?
前田は日明でなんとなくわかったな。
星野は知らない人多かったんじゃねえの。 『朝まで生テレビ!」は放送開始が
1987年4月だから、いずれにしろ、
長州が在日の回で出たのは『FLASH』が
創刊号(1986年11月)で暴いた後だな。 「日明」でアキラとは読めないよw
プロレス界に在日がゴロゴロいるのはネットを始めてから知った。大木とキムドクは昔から知ってたけど。
ただ昭和のあの頃、偏見な目では見てなかったと思う。歴史も政治も知らなかったから。 >>268
そう?
イワンコロフて当時の評価は低かったけどね
元WWWF王者って言ったてスタンスタージャックとか後のアイアンシークとかレベルが低かった >>314
暴くも何もオリンピックに韓国代表で出てたの有名だったろ。
鶴田との比較で話題に出ると韓国代表だけどと書かれてたろ。 >>317
当時のガキファンにとっちゃ韓国なんて嫌う対象でも何でもない、ただの国にしかすぎん。 >>319
『FLASH』は一般向けの雑誌。
1986年頃は一般人にも、プロレスラー長州力の
名前が浸透してきたころ、
無論、一般人は、長州が在日と言うことを知らなかった。
だから、スクープになったんだよ。 当時違和感があったのはバッドニュースアレンをやたら売り込んでたこと。
アレンを目当てに客は来ないよ。黒人で(日本で)大成したのはブッチャーとブラジルだけだろ。
差別主義者のルスカがよくアレンと一緒に巡業してたと思うね。 タイガーマスク全盛期に出たガキ向け文庫本(確か監修竹内宏介)に韓国代表って書いてあった
ガキだったので深く考えなかったが 83年頃の力道山ブームの頃、力道山が日本人じゃなかったこと知って驚いたな。
その前年に教科書誤報問題があったらしいけど、まだ小学生で韓国なんか全然わからなかったし、
無邪気に佐山タイガーに熱中してた。 芸能人もよく在日だと暴露されてたよね
80年代頃の40歳後半以降世代は在日に差別意識あったな
週刊誌なんてターゲット世代がその辺だし
俺の親もボソリと「でもあの人在日よ」言った事ある
それより下の世代は「在日なんだへー」「日本に生まれて育ち日本人名なら日本人だろ」程度だけど >>322
バッドニュースアレンを外人エースにするつもりじゃなくて、
エース外人のタッグパートナー負け役として重宝したんだろう。
安定して来日してくれ、柔道出身で受け身もできて故障しにくく、
猪木の延髄に前方一回転してくれる、そういう器用さも >>326
言うほど売り出してたわけじゃないしね。
一度だけ大会場で猪木とのシングルもあったけど、たまたま猪木の相手がいなかったからと思った記憶があるw アレンは見栄えが良くて大物を一撃でフォールしても説得力を持ちうる大技がないからね。 アレンはプロレスをよく理解してたと思う。負け役に徹してた。本気でやったらかなり強いだろ。
新日にはかなり貢献したと思うけど、奴が白人だったらもっと人気が出てたんじゃないかな。 WWFではそこそこの序列にいたけど、満足いくギャラは貰えてたんだろうか
もう少し長生きしていい目を見てほしかったなあ アレンの試合はたくさん見たはずだか得意技がわからんw アレンの得意技は、コーナーに振られてからのカウンターラリアートだよ。他には相手をコーナーに逆さ吊りとかかな。 >>335
なるほど、教えてもらってもピンとこなかったw
トゥキックやストンピングやパンチしてるイメージしかないわ
柔道殺法あまり使わなかったのはヒールやジョバーを意識してのことなんだろうな 77年暮れの、ルスカ対バッファロー(バッドニュース)アレン。
柔道家二人が金のためプロレスをやってるんだよな。
善戦むなしくルスカに敗れたアレンが、「猪木さんの下で修行したい」と弟子入りを志願。
プロレスの地位って高かったんだよな。
ミスター高橋本によるところの、「ガチンコでは飯が食えない」という一節が脳裏をよぎる。 >>336
ブラックジャックを利用しての
地獄突き でもルスカと違ってプロレスのイロハ学んで自分の役どころも弁えて
年に数回シリーズ呼んでもらったんだからレスラーとしては成功したんじゃない?
実際、何年かWWFにも上がったしさ
惜しいかなUインター行ってしまってそこで活躍できればよかったんだけど結局、ダメ
その後の東京プロレス?新東京プロレス?に上がってオシマイだったのが残念
老いた姿でもいいから最後は新日マットで見たかったな >>336
タイツを引っ張ってからのボディパンチだな 悪代官の着物帯取りローリング「アーーーーレーーーーン!」 アレンとアンドレのタッグがあったのは少し意外な気がした。
互いに気は合わなかっただろうが、ビジネスはビジネスで割り切っていたんだな。 アレンというと卍固めでやられてるイメージ
それでも猪木と蔵前のメインでやったのは功労賞か アレンがアンドレをホテルの屋上に呼び出して恫喝したような話は聞いたことがある。
まあアンドレが何かにつけて小馬鹿にしてたんだろうな。容易に想像がつく。 >>343
6人タッグでハンセンとアンドレが仲間割れしたときに
残りの一人がアレンだった。 稲妻二郎こと、ジェリー・モローが言うには「アンドレの黒人嫌いはギミック、タッグリーグ戦で
仲間割れ寸前まで揉めていたのは終盤で星の取りこぼしをするための演出だった。
アンドレは国際時代の頃と変わらずに接してくれたよ。」
アンドレが本当に黒人差別主義者だったのか判断に苦しむなぁ >>347
何かと好奇の目で見られるのを一番嫌っていたアンドレが、
黒人差別するとは思えない。
マードックあたりが余計なこと言って煽ったんじゃないかな? >>335
ラッシャー木村の息子「親父を火葬した時、ジョー樋口さんと永源さんが喉仏の骨を見つけて
『あーやっぱり折れてるわ』ホントに喉仏の骨が折れてました。」
アレンのラリアットは強烈だったんだな >>349
木村の息子さんは養子なんだってね。
アメリカ留学までさせたとか、なぜか前田が語ってた。 ジョーさんの息子も留学してたな。
たしか今は俳優だったと思う。 留学以前にもともと海外育ちで、ラッシャーが新日に上がって帰れコール
浴びてたのも海外にいてろくに知らなかったそうだからなあ
国際崩壊の頃は日本にいたそうだけど そう言えば具体的な金額は夢を壊すかもしれないけど、木村宏さんの言ってた
「猪木さんと試合をやった後、最初に親父の口座に振り込まれた額は
ビックリしましたね。もう桁が違いましたから、国際時代とは(苦笑)。
お袋なんか舞い上がっちゃってましたもん、あまりの額で。その後も、
試合数に関係なく給料が振り込まれていましたしね」
という言葉にはロマンを感じるなあ(笑)
宏さんは木村が腰を痛めた後の全日やノアからの金額も「生活の心配を
しなくてよい額」と言ってるくらいで、その宏さんが驚いたほどの新日の
払いってどんなものだったのかと 新日時代のラッシャー木村は希代のヒールというか
あれほどファンの憎悪を買ったレスラーはいなかったからな
桁が違う報酬も当然だろう 80年代前年は新日本の一人勝ち状態で、黄金時代だった。
ハイセル事業さえなかったら、日本マット界が淘汰されてたかも(統一でなく) >>355
木村ってヒール的な動作はしたの?
強いのは今の目で見ればわかるけど悪い事を演じるのが出来なさそうで ラッシャー木村は体調の良くなかった猪木の相手にはもってこいの存在だったよなぁ。 当時は凄かったよなヤジが本当の憎悪で
木村さんは愛犬も殺されたはず >>357
82年の大阪での髪切りマッチが、猪木ファンの怒りに完全に火をつけたな
そこから1vs3が実現する流れになったわけだし
同時期に藤波vs長州、タイガーvs小林の抗争も始まって
新日ブームは最高潮を迎えることになった >>358
あ、そういうことしたんだ。
>>362
髪切らずに逃げたんだっけ?
晩年の優しい時代と全盛期に鶴田と対戦したのしか知らないから猪木の頃はさっぱり知らない。
wikipedia見ても当時の話残ってないね。 >>362
客席?にいたスキンヘッドの小林が介入したから
今後の展開が期待されたのに、何もなかった。
KYワカマツのように悪のマネージャーやればよかったのに… >>363
客席にいたストロング金剛が浜口にハサミを渡し
場外乱闘の時に猪木の髪の一部を切った
そして猪木がぶち切れ、セコンド陣を次々と鉄柱に叩きつけ
試合は一気にヒートアップした
木村が逃げた後、新日セコンド陣に捕まって逃げ遅れた寺西が
腹いせとして猪木に髪の一部を切られてた
そして猪木はマイクを持ち
「木村、おまえそれでも男か! あんな卑怯な野郎は永久追放にしてやる!」と叫んだ このちょっと前に小林はメキシコでヒールとして暴れていて、
帰国直前に坂口がゲスト的に参戦した時、セコンドの小林が
坂口に襲い掛かり、月刊プロレスは
「島流しにされた男の怒りを爆発させた!」
というような見出しで報じていた。
ラッシャーこんばんわ事件の日の田コロでは坂口にリングアウトで
負けた後、レフェリーに八つ当たりで暴行を加えていたり、国際の
参戦を前に小林のヒール転向を計画していたように思われる
結局メキシコでの腰痛ですべてパアになってしまったみたいで、
そもそも国際軍団と一緒にやるモチベーションの無かった小林は
腰痛でリタイアしている間のアルバイトだったはずの芸能活動に
新鮮な喜びを感じて、そちらの方にシフトしてしまったんだが >>357
ラッシャーは新日でも普通にベビーフェースの動きを
していたんだけど、テンポの速い新日の中ではやっぱり
もさっとした「機転の利かないレスラー」に見えるムーブで
それが「実力もないくせに団体が潰れたから救済措置で
いい扱いされやがって」という感情を持っていた新日信者の
イライラに拍車をかけて「帰れ」コールを読んでいたと思う
村松友視が、戸口と組んだテーマの無い試合での木村の
モタモタした動きに対して当時の新日ファンが
「木村、悩むな!」
「悩んでないでそこでなんか踊れ!」
と罵声を浴びせていたのを不愉快だったと書いていたけど
新日ファンの国際に対する憎悪はその前段階で「不快」
というものだったんだよなあ
それを新日、浜口らがうまくすくい上げて、稀代のヒール像を
作り上げテレビの視聴率的にも大成功した 皆さん木村さんの事ありがとう。
リアルタイム見てないからピンと来ないけど見方が理不尽な感じなのかなと思ってしまいますね。 >>365
> 木村が逃げた後、新日セコンド陣に捕まって逃げ遅れた寺西が
> 腹いせとして猪木に髪の一部を切られてた
それは髪切りマッチの時じゃなく次の闘魂シリーズ大阪での猪木、藤波vs木村、浜口の試合後
逃げ遅れたというか切ろうとして寺西を捕まえたら木村がすぐ逃げた よく行われるようになった「帰れコール」はラッシャー木村らの国際軍団が最初だっけ >>368
俺は83年から定期的に見始めた人間で、
ラッシャーさんに対するファンの憎悪は理解できなかったよ。
むしろ当時反旗を翻し始めた長州が憎かった。
その年の後半には憎さを通り越して、
毎週同じような試合しかしないマンネリに怒りを覚えていたわ。 >>370
女子プロのブラックペアに帰れコール起こってたから女子プロが先かと 国際軍団のヒール路線は偶然で最初に新日で挨拶した時
会場の罵声が凄すぎて「じゃあ俺達悪役でいこうか」と
自分達で決めたそうだ
木村はちゃんと挨拶したけど 浜口が客を煽りまくったのも大きい >>367
ガンガン行く浜口と派手にやられる寺西が素晴らしかった。
2人が頑張れば頑張るほど、木村が嫌われるという不思議な相乗作用があった。 >>349
喉潰されたのは国際時代のカナダ遠征時だよ 喉のチョークで
木村はそのせいで濁声になり 恥ずかしくて殆ど喋らず
遠征期を知ってるテリーは「アイツ喋れたのか?」
知的障害者だと思ってたそうだ
それが全日でマイクの鬼は正直キツかったと思う
木村も「新日時代が一番楽しかった」 当時猪木は月刊プロレスで村松友視と連載の対談コーナーを持ってたんだけど、
10.8蔵前のあとの対談で言ってたのは
・木村は崩壊した国際プロレスを背負って生き残りの戦いに臨んだので
観客は彼らを応援する空気になると思っていたが、会場中が「やっちまえ!」
という雰囲気だったので戸惑った
・国際との戦いというテーマが、「全日との興行戦争」という状況の中で
ばやけてしまったところがあったかもしれない
ということで、ただでさえ新日本という「団体」を支援していたファン心理が
目の前の国際以上に対岸の全日と張り合う意識が強く働いて「新日至上主義」
にまで純化し、それが国際に「新日の敵」というヒール像をまとわせたのを
猪木もにわかには掴みかねていた雰囲気がある
この抗争がほぼ一年盛り上がったんだから立派なものだわ 小林との巌流島決戦でも大小林コールで記者が
「小林ってこんなに人気あったか?」と驚いたそうだしね
本来なら判官贔屓で国際軍団もエール送られる想定だったんだろうな かませ犬の長州もそうだよな。
本来なら、スター藤波に牙を剥いたんだから大ヒールのはずが大ベビーになってしまった。 >>373
浜口は最初に新日のリングに上がった
昭和53年の大阪府立の時から客を煽ってヒールっぽかった 芸能ではたまにあるね
スターウォーズでもハン・ソロ役のハリソン・フォードが主役のマーク・ハミルより売れた
酔拳はトラック野郎の併映だったが酔拳の方が話題になった 落ち目のラッシャーを見捨てて長州に付いた浜口に批判が集まらないのが当時理解できなかった
あれこそ日本人がもっとも嫌う蝙蝠根性、なにが「維新軍は俺と長州の二人で始めた」だ
キラー・カーンやマサ斎藤にガッチリ守ってもらってた長州になびいただけのくせして 浜口は国際軍のときは結構フォール負けが多かったが維新軍になったらほぼ負けなくなったね…さすがに猪木とのシングルではフォール取られてたけど 田コロから83年春までは何やっても当たったもんな
ブッチャーとタイガー戸口を除くが
ホーガン正規軍入りで一番タオルやレコードが売れるわ、ハードゲイファッションのアドニスも暴走狼で人気者
マンハッタンコンビのハイジャック攻撃が維新軍の定番技になって、長州の参謀格に抜擢で浜口もフォール取られないほど大出世だわで 長州と浜口はオールスターの頃から
関係者からは「この2人は組ませたら面白い」と評判だった
82年の元日興行にこの2人のカードをわざわざ組んだのも
維新軍の時に2人が合流したのも
そういう玄人目線のものがあったからかもしれない 83年MSGタッグでの長州、浜口は珍しく猪木、ホーガンにフォール負けしてたな… 本来は主役になるべき無口な人間がいて
その隣りでやたらにわめき散らすアニマル浜口の芸風は
昔も今も変わりない >>354
この頃って既に振り込みが一般的だったの?
83年くらいだよね?
うちの親父はまだ給料袋で貰ってたの子供心に覚えてる >>385
長州浜口は他にアンドレ組にも負けてるな。でも負け試合は中継されるもなく、
猪木組やアンドレ組に無様に負けるところを映されたのは藤波前田だった。 >>388
豪華なメンバーだったのにテレビでは藤波、前田対長州、浜口とか見飽きたカードが放映されてた…しかも時間切れ引き分け 三面記事に出たほど 梶原一騎による監禁事件。 あれ以降 猪木神話が俺の心の中で崩れていった気がする 俺が見に行った時は浜口が嫌いな人がいて浜口しねーとかその髭がいやらしいとか
終始やじっていた。 井上が新日に行ってたら絶対に「何だそのパンツは!?」の野次が飛んだはず。 >>389
翌年は世界の強豪が大集結! 第二回IWGP という触れ込みだったのに、メインイベントに
「猪木藤波 vs 斎藤長州」 w >>392
間違いないね。あのパンツは格好の嘲笑の的になったはずw 何であんなにしつこくテレビ中継は、毎週毎週正規軍対維新軍ばかりだったのか? >>393
MSGタッグの大阪も猪木、ホーガン対長州、谷津だったね… 藤波対長州が人気あったから、というのがしつこいマッチメークの原因らしいけど、
つまりは政治に例えるとあれだ。小選挙区制だと偏ってしまうということだ。 新日の大阪のメインは日本人対決が多かった印象が強いなぁ…
猪木対ブロディや藤波、木村対エリック兄弟とかもあったけど >>236
>藤波のドラゴンボンバーズにも相撲あがりが居たね
年越し遅レスだけど
南海竜かな?もう1人ぐらいいた気がする
初期UFCでゴルドーだか誰かにボコられてたような…記憶に自信ないけど >>401
そうそう、即レスありがとう
南海龍ではなかったね、もう1人の方だったか。 高見州はハワイ・ファイブ・オーってドラマにたまに出てくるぞ ボンバーズは結局どうなったのかなぁ
自然消滅したの? 当時児童向けプロレス本に3対1マッチが載ってて
「汚いぞ!国際軍団!」って書いてあって子供心にも
こいつら3人で対戦しようとはホントに汚い!と思ったもんだ
だから当時のヤジが凄かったのは理解できる
てか、きたねえのは新日側だよなあw 国際ってだけで卑怯極まりない奴らということで
路線バスでも同じ路線でも国際興業のバスには乗らず西武バスに乗ったり
新東京国際空港に投石や火炎瓶を投げる人間もいた。 あの1対3のマッチメイクは当時から国際の三人に対して酷すぎると言われてた
ものだった。けど客席は超満員、視聴率は二試合とも25%超えで「ワールド
プロレスリング」の歴代1・2位を独占、国際の三人の業界評価もうなぎのぼりで
1試合目終盤はフラフラの猪木を木村がいいように痛ぶるという、国際ファンの
溜飲を下げる展開で誰もが得をしていたんだよなあ
当事者の浜口も「プロレスラーはお客さんを呼べてナンボ。あの試合は蔵前の
天井の手すりにお客さんがぶら下がるくらいの超満員。それで成功ですよ、
そこでいい試合をすることがプロレスラーとしての誇りですよ」と言って
いたし(週プロ・ラッシャー木村アルバム)、試合が終わるのが遅れた時の
帰宅のタクシー代などはすべて会社が負担したりの新日の対応には、奥様に
「新日に来て本当に良かった」と語っていたそうだしで
まあいくら満員の観客を手玉に取るとはいえ圧倒的なアウェイの雰囲気の中、
せめて金銭的にくらいはいい思いをしてもらわないといけないからね 1対3がワールドプロレスリングの視聴率1位というのは、格闘技戦を除いた
「純然たるプロレスの試合の中で」という註釈つきだけど
↓以前とある所にこんなランキングが載っていたのを引用したことがあったけど、
宝島ムックが丸々掲載した1983年の視聴率リストによると、二度目の1対3は
25%以上取っていたし、猪木前田の中継はずっと低視聴率だった
話が全然違うじゃないかw
どこかにちゃんとしたデータベースはないものかなあ
「ワールドプロレスリング視聴率ランキング」と称するもの
36.5% 1976年2月6日 猪木-ルスカ
26.8% 1976年2月13日 猪木-ルスカ、坂口・小林-シン・ルムンバ
24.8% 1983年7月7日 長州-藤波、タイガーvs寺西
24.4% 1976年1月29日 猪木-シン(ルスカ戦前週)
23.8% 1983年5月30日 猪木-前田 ホーガン-アンドレ
23.7% 1982年11月4日 猪木-木村・浜口・寺西 藤波-長州
23.6% 1983年6月2日 猪木-ホーガン(IWGP決勝)
一部で「プロレス中継視聴率ナンバーワン」と書かれていた坂口・小林と
シンの試合というのは、前週、試合途中で放送時間が終わってしまった
猪木-ルスカ戦の再放送があった日の、いわば添え物試合に過ぎないし
3位のシン戦もいわばルスカ戦前週の煽り番組としての数字 >>375
喉つぶれたのは新日時代のカルガリー遠征でバッドニュースアレンの椅子攻撃って聞いたけど違うの? 「初期UWF時代のカルガリー遠征の際にアレンのラリアートで骨折」
という話もあるし色々錯綜しているなあ >>409
何攻撃かは分からんが新日辞めた後じゃないかな
シングルで4回も対戦してる
http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1056&bild=0&details=7&liga=152&jahr=1984
83年もカナダ行ってるけど対戦なし
このデータも完璧ではないが
http://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1056&bild=0&details=7&liga=152&jahr=1983 木村のラッシングラリアートが拳を喉に打つけるスタイルだから報復もあったんだろうな
名前忘れたが外人レスラーが「日本は平気で喉を攻撃するが
アメリカではタブー 馬場猪木だろうがやり返さす」 天龍が新日に上がった時も、「逆水平チョップを本当に
ノドに入れてくる」って怒ってやめさせようとしていた
新日のレスラーがたくさんいたらしいね
いま猪木と国際軍団の絡みの試合のビデオを見直すと
コーナーの猪木の喉に木村がチョップを入れているのが
見た目の派手さはないんだけど地味に効いてるみたいで、
木村が連続して喉チョップをいれてくるのを猪木が嫌がって
コーナーにしゃがみこんだりして流れを止めようとしている、
というのが見える >>413
1984年の新春シリーズで声がもうガラガラになってたよ。でもう少しきれいな声だったのになあって思ってたら、カナダで怪我してってのを見て納得した記憶なんだけど、記憶違いかな? アレンのラリアートって全然記憶ないなあ
まあ今ネットで見返したら猪木もちょくちょく使ってるし
レスラー定番技になってたんだろうけど アレンがコーナーに振られてカウンターのラリアットするのは定番なのだが。
猪木のラリアート?そんなにやったっけ? >>419
猪木のは殴りつけるじゃ無くすれ違い様に当てるって感じ
猪木も「僕みたいな腕が細い方がラリアートは効くよ 首にスパーンと入るから」 >>418
85年10月の札幌
坂口、星野対アレン、スミス戦のフィニッシュ技がアレンのコーナーラリアットだったよ〜 アレンはWWFでは延髄斬りをフィニッシュホールドにしてホーガンに挑戦しているし、
Uインターではチキンウイング・アームロックで桜庭を破っている。
ラリアットより、ヘッドバット、トーキック、ストマッククローのイメージ ラッシャーが最初の米国遠征でしゃべらなかったのは英語が全然できなかったからだよw
ちなみにある程度できるようになったラッシャーから来日時に話しかけられて
「喋れたのか?」といったのはテリーじゃなくドリーな
たしかオープン選手権の時の話 アレンはさすがにホーガンには負けたが
WM5ではドゥガン、WM6ではバイパーと一騎打ちでドロー
かなり厚遇されてたな 既出の質問だったらゴメン
ホーガンが日本陣営に助っ人参戦していた頃
使っていた移動バスは日本選手バスだったの?
それとも外人バス? >>427
84〜85年頃のプロレス雑誌にはよく
読者が撮ったレスラーのプライベート写真
コーナーみたいなのがあったけど
(主に移動中)、ホーガンは大抵
アドニス、マードック、スーパースター
あたりと一緒に写ってた。 プロレスラーはリング上では激しい試合をお客さんに見せるが
リングを降りたら喧嘩やいじめが嫌いな礼儀正しい紳士。
そういう選手じゃないとトップになれないと小鉄は言っていた。 つまり
小鉄は、そういう選手ではないから
トップは取れなかったというわけだww >>430
創世記のトップレスラーが力道山って時点で違うじゃねえかw 87年大阪城の闘魂LIVE、海賊男が意味不明の乱入で猪木が怒り狂い
審判部長の小鉄をリング上に呼び寄せたのはいいが、小鉄にパンチを喰らうはめに。
あれは何だったのか?
暴動寸前の会場を抑えるために、猪木のアドリブに小鉄が乗っかっただけなのか? テメー審判部長だったら連れてこい!って言われ、逆キレしたんだよ 元祖猪木のボディーガード星野は、猪木との関係は良好だったのかね?
90年代格闘路線を推す猪木によって暗黒時代になった新日で、正反対の魔界倶楽部
で盛り上げてたからどうなのかなと思う‥ 山本小鉄は大のギャンブル好きで巡業の金に手を出してた。そのことを知った坂口が激怒した。
結局、返済できずに現場監督を外された。本来なら刑事事件。
小鉄が偉そうに解説者してることに本当に腹が立った。 ガスパーズってどう言う終わり方だったか誰か教えてくれ。
始めは本隊の選手が標的だったと思うが、ベイダー&マサ、マードック&アドニスとも対戦していたような。 最初はガスパーもベイダ―みたいに強豪扱いで
マシンらを相手に1対2マッチで秒殺したりしてた
マシン好きだったからガッカリしたもんだった オートンJRとベイダーやマードックやアドニスの顔合わせなんだけど、なんか勿体なかったねぇ。 最後のビリー&バリーなんて中の人は地味だが実力派の魅力的なチームだ。 87年3月の大阪城ホール
猪木vs斉藤が当初の予定通り、乱入した海賊が
猪木と斉藤の手首を手錠で繋いでたら、翌月4月の両国みたいな展開で
猪木のTKO勝ちになってたのかな?
それとも猪木斉藤共に大流血で、両者ドクターストップになって
決着な翌月の両国に持ち越し?
もし、大阪城で完全決着が着いたなら両国の再戦はあり得ないから
両国のメインカードは、どんなカードになったんだろうか?
87年4月の両国で実際に行われたカード
猪木vs斉藤、藤波vsビガロ、木村越中vs前田木戸、藤原vsマードック、坂口ピーターソンvsアレンキャンディ ガスパーズを終わらせるなら、現代なら敗者追放マッチをやったのかなあと想像するけど当時はファンが声を上げる場所(SNS等)が無かったから自然消滅でいいやってことかね。 結局87年は、オートンJr.何回来日したんだ?www
ベイダーやマードックよりも多く来日したのでは? >>448
88年かな?
新春シリーズ→素顔、海賊
ビッグファイトS→海賊
IWGP→海賊
ブラディファイトS?→海賊
6人タッグリーグ→素顔
の5回かな 海賊のサーベル攻撃でマードックが流血した試合を観たような記憶がある。
今思うとあの頃は良かったなあ。マスクマンの正体なんか全くわからなかったし。 全く無名だったガリー以外は結構あっさり正体が割れてた記憶があるな オートンが復帰出来た時にアドニスとのチーム再結成を期待したのは自分だけ? >>447
現代なら1.4ドームの次の後楽園でお辞儀してサヨナラw ガスパーズの頃はほとんどプロレス見てなかったわ。
タイラー・メインは逸材だな。色物に使うの勿体無いくらい。
https://youtu.be/7fgSf00cL2U アドニス&オートンvsマードック&スーパースターが見たかった >>443
1対2はやってないな。
普通のシングルマッチだよ ガスパーズが自然消滅したのは、不評だったからでしょう。今は皆さん好意的な目・評価だけど、当時のファンはほとんどが否定してたはず。 >>458
同感
みえみえのアングルに嫌気が差していた。
暴動が表してる。 >>455
近いのが第三回タッグリーグのマードック&スーパースターvsアドニス&ブラボーか。
このあたりの他にオーンドルフ、スタッド、パテラあたりの中堅エース格同士の対決は見てみたいね。 >第三回タッグリーグのマードック&スーパースターvsアドニス&ブラボー
その試合が見たくて後楽園ホールに行ったよ
しかしアドニスのファンとブラボーのファンが互いに
「アドニス、お荷物!」
「ブラボー、お荷物!」
「ブラボーは強いんだぞ!」
と内ゲバ合戦を始める始末で、試合の方は淡々と進んで
マードックが首固めでブラボーを丸め込んであっさり決着
後のIWGP、マードックvsアドニス戦も覇気のない試合だったし
アンドレvsハンセンがあんな試合になったのは二人の誠意の
表れだったんだなあ
(そう言えばアンドレvsアドニスも結構盛り上がったんだったな) >>458
ファンどころかプロレスマスコミすら「海賊男なんてやめろ」って論調だった
なんであんな失敗アングルを意地でも続けてたのか分からん 海賊男は日本プロレス界殲滅を目論む勢力の尖兵と信じてたのは我ながら頭がおかしい >>462
テレビの意向だろう
止めたのもゴールデン撤退と同時期 >>464
新春黄金S 最終戦に海賊乱入
ビッグファイトS 海賊参戦
ゴールデン撤退
スーパーファイトS
IWGP 海賊参戦
サマーファイトS
戦国S 海賊最後の参戦 >>318
その辺と日プロでもエースだったコロフ同列にすんなよニワカwww
だいたいアイアンシークはWWWF王者になってからは新日きてねえよ
付け焼き刃の知識でイキんなよボクwww ゴールデンタイム最後の試合が猪木対ガスパーで、途中で乱入してきた方に間違えて延髄斬りからフォール、レフリーも良く分かんないままスリーカウントって言うトホホな試合だった記憶がある。 >>459
オートンで固定したあたりから、単に
外人の誰かが覆面かぶってるのが
バレバレになったからね。
茶色の後ろ髪とか。
日本人ならまだイデオロギーを感じるけど
外人ではただの企画としか思えない。 あの時期に覆面レスラー仕組むなら、契約上正体が明かせない
長州含むジャパン勢をガスパー軍に混ぜればプロレス的に面白そうだ。
不可能だけどねw >>461
スターウォーズを響かせてアドニスが一番主役していたのも実はオートンと組んでた時なんだよな
国際軍団との試合でもベビー人気が爆発していたし当時の日本人三軍対抗すら完全に食っていた マードックと組むようになってから小ぢんまりとした印象になった。 当時、海賊男ならびにガスパーズ大好きで透明の下敷きにゴングからの切り抜きまで入れてた俺は少数派か・・ >>471
アドニスはマードックをあまりよく思ってなかったし、
マードックはマスクドスーパースターとのコンビの方が良かったと言ってたね。 オートンの事件が無ければ組んでマサ&長州ともやってたはずだけに残念 >>472
どうだろうね、当時の俺は海賊男をテレビでしか観たことが無かった。チケット買って会場まで観に行く人はまた別だと思う。
俺は特に不満とは思わなかったけど、猪木ら本隊狙いのはずがベイダーとかマードックと戦っているのを見て彼らの標的が誰なのか目的がわからなかった。
サーベル使ったりパウダーを相手の顔にかけたのはそれはそれで面白かった。 >>475
やってることはプロレス的なんだけど、新日的ではないんだよ。
蔵前の暴動は、ギブUPまで待てない、海賊男、うやむやな世代闘争、前田の追放、たけし軍団と続く新日本プロレスではない事が積み重なっての鬱憤がたまり、ベイダーに猪木が負けた事により、プチンと切れたのだと思ってる。 >>476
ギブ、海賊、たけし軍団と甲冑姿のベイダーはマンガだもw
新日のストロングスタイルは、何処に行ったんだ!っていう気持ちだな。 プロレスはスポーツであり、勝敗を競う競技であるべき。そしなければ世間からは認められない。
というのが当時の新日ファンの認識。 タイガー・ジェット・シンと血で血を洗う抗争を繰り広げてたのに
何がストロングスタイルだと思ってたけどなw さんざん言われてるが、マクガイヤー兄弟にグレート・アントニオ。 「僕らは若い頃から、『新日本の真髄とはストロングスタイルのことであり、それは闘いである』と教えられてきました。
でも、それだけでは何のことかわからなかったんです。
今の僕が思うのは、ストロングスタイルとは、闘いにおける感情をストレートに出すってことではないか。
そもそも新日本のストロングスタイルは、アントニオ猪木さんのジャイアント馬場さんに対する対抗心から生まれたものだと思います。
馬場さんは外国人の有名選手を呼べるルートがあったけど、猪木さんは持ってなかった。
その代りに試合内容では絶対負けないっていうパワーが生まれ、それが新日本の個性になった。
ストロングスタイルとは、競争に対する意識であり、嫉妬や悔しさも巻き込んで自分自身を高めていく姿勢のこと。
それが時に大きな力を発揮する──。東京ドームで棚橋(弘至)や中邑(真輔)といった後輩たちと競った時代を経て、僕はそう解釈していますね」 >>479
>>480
当時のファンはシンを心底憎んで猪木がそれを倒すのが快感だったのと違うの?
ラッシャー木村にさえ憎悪出来るんだから
マクガイアーとかグレートアントニオにはどういう感情だったのか分からないんだけど
やはり新間がリアリティとファンタジーの見極めが上手かったんだと思うけどなあ
ガスパーなんて誰が見ても悲しくなりそうだもの >>473
マードック曰く、アドニスは手の掛かるお子ちゃま
猪木は、オフィスがコンビ組めというから組んだ >>482
> 当時のファンはシンを心底憎んで猪木がそれを倒すのが快感だったのと違うの?
それがストロングスタイルだったらテリー対ブッチャーだってストロングスタイルだろ? >>484
ストロングスタイルの猪木が無法をつくすシンに怒るという構図
テリーとブッチャーはショーマン通しがショーをしたとかではなかったの? 猪木のシンへの腕折だって本当に猪木が怒って本当に折ったと想ってたんでしょ? >>485
猪木信者から見ればそうなんだろう。
猪木信者以外が見れば同じだろう? >>487
こっちの人の当時の感情を聞きたかったんだよね
馬場派でも当時は猪木の腕折は騙されたんじゃないの? >>489
> 馬場派でも当時は猪木の腕折は騙されたんじゃないの?
当時の少年達はそうだろうね。 >>491
色々いるんじゃないの?
俺は少年だったから信じてたけどw >>893
大阪府立のメインカードだよな。
セミが公式戦のマードックvsアドニス
セミ前がアンドレvs坂口(坂口はIWGP)不出場
そのシリーズの後楽園のカードが
メイン猪木vs斉藤(公式戦)セミ長州浜口vsマードックアドニス、セミ前アンドレvsスーパースター
これなら、大阪府立のカードを
猪木vs斉藤、長州浜口vsマードックアドニス、アンドレvsスーパースター
後楽園のカードを
猪木藤波vs長州斉藤、マードックvsアドニス、アンドレvs坂口
にした方が良かったよね。
幾ら大阪の前売りがカード発表前から売れてたからと言って、
メインが非公式戦の正規軍vs維新軍のありきたりなタッグマッチは酷過ぎる。
更にセミの公式戦も微妙なカードだしな! >>493
前年は猪木対ホーガン、アンドレ対スタッドだったっけ… まあ猪木の提唱する「ストロングスタイル」ってのは馬場のプロレス観なんかとの差別化もある。
NWAに加盟しても挑戦できない「反主流派」のジレンマの中で苦肉の策?としての一連の格闘技戦。
以前からタブーとされた日本人大物同士の対決。「色物」グレートアントニオ戦は両者の思惑のズレの中で
猪木が自分の試合スタイルを強引に進めた先に浮き彫りになった「予定調和の否定」。
逆にTJシンとの抗争も乱戦を主としながら、時に技を競い合いオーソドックスに展開する「意外性」で
シンの商品価値を与えた。 >>494
そうだね。あと非公式戦で前田vsカーン
85年は大阪の替わりに神戸ワールド記念で
公式戦(トーナメントの為?)は組まれず
メイン→猪木vsアンドレ(非公式戦)、藤波木村vsマードックアドニス(タッグ王座決定戦)、マシンvsモラレス
86年は大阪城ホールで
猪木vs藤原(公式戦)、藤波vs前田(公式戦)
やっぱり84年が1番劣るかな?85年も酷い(公式戦組まれず)けどな。
87年は新築された大阪府立開催で事前発表では猪木vs藤波の公式戦が組まれたんだよね。
他に前田絡みの公式戦とかは組まれたっけ?
まぁ、その大阪府立大会は藤波前田欠場で大幅なカード変更があって
メイン→長州vs藤原(非公式戦)セミやし猪木高田vs斉藤海賊男、セミ前→忘れたw
こんな形で変更になった。 >>498
木戸vsケビンある意味すげぇカードだなw
まぁ、確かにあの時は藤波前田欠場で
参加外国人もIWGPリーグ戦なのにエース格が
ハクソーヒギンズとコンガザバーバリアンで、
後はグリーンボーイ時代のスコットホールや
ロートルのスミルノフとブルックスという最低のメンツだったよね。
マードックやスーパースターを参加させればまだ格好着いたのにな。 いや当時は外国人エースもクソもねー時代だってのニワカ
長州Uターン直後で関心は本隊リキプロUWFだっての
ケビンは特参の特別扱い、木戸だってUWFで幻想膨らませての帰り入幕だよ?藤波前田いないんだしセミ前でも全然おかしくない
歴史を捏造すんな知ったかどもがwww >>499
ヒギンズやバーバリアン、好きな選手だったのに最低とか言うなw >>493 当時はマードック対アドニスは期待されていた。後楽園ホールでやるには勿体無いカード。
ま、お互い遠慮し過ぎでハズレだったけどね。 >>463
俺もマシン軍団は新日壊滅を企む悪い奴らと本気で思っていたw なぜそんな奴らに新日は控室を用意するのかと自問したが、猪木なりの武士道みたいなものと納得していたw >>478
そういうファンはター山が全日に連れて行った。 自分は海賊男は視聴者にプロレスの事を子供騙しのインチキだと気付かせるために
テレビ局が敢えてやらせてるんだと思ってた。
『ギブアップまで待てない』がその頃だったよね。
「テレビに騙されたーっ」となるのも問題だから。 >>501
二人共いい選手だけど、エース外国人の器では無い! >>500
それでも今のG1に等しいIWGPリーグ戦なんだから
当時だとビガロ、ウィリアムス、マードックなどの一級品外国人は参加させる
べきだっだと思うよ! >>500
87年の木戸はUWFの幻想が薄れつつあり
4月のシリーズ開幕戦ではタッグマッチでアレン二フォール負けしたり
IWGPの開幕戦でも白星配給係のスミルノフにフォール負けした。
87年の木戸は低迷期だったよ。
平成に入った辺りからは低迷期を脱出したけどね。 >>501
俺もその頃の1.5流レスラー大好きだ
ハクソー・ヒギンス、デビッド・シュルツ、コンガ・ザ・バーバリアン、ビリー・ジャック、バズ・ソイヤー >>506
それにしても「最低のメンツ」なんて言い方はないわー。最低、だぞ?最低?!
「格は落ちる」とか「物足りないメンツ」とかそれくらいの言い方にしてほしかった。 >>506
それは、悪かった。スマン m(__)m
歴代の参加外国人に比べたら数段落ちるよな!
通常の大会場が無いシリーズの参加外国人並だよな! >>509
86年の闘魂シリーズみたいな、両国や大阪城ホールなどの大会場が含まれてないシリーズなら
その1.5流の外国人でもシリーズのエースは何とか務まるよな。
85年のビッグファイトシリーズなんかもシュルツとヒギンズの二大1.5流外国人エースで
乗り切ったしね。 乗り切るためにシュルツに古館を襲わせて話題作りをしたのか >>502
大阪府立→猪木vs斉藤(公式戦)、アドニスvsマードック(公式戦)、長州浜口vsアンドレ 誰でもいい
後楽園→猪木藤波vs長州斉藤、アンドレvsスーパースター(公式戦)、マードックアドニスvs浜口谷津
この組み合わせで良かったかも? ヒギンズ、ノードはかなりの好素材だったな。
大剛氏なのかな?あの人は良いレスラーをブッキングしてた。 >>477
TPGが両国で暴動騒動起こす6年も前に耳の付いたマスクのオジサンが
リングでバク転しまくってたけどなwww >>515
以前、偶然にケロに合って聞いた事がある
ヒギンズは頭が悪かったから上で使えなかったんだとw 1985年のビッグファイトシリーズ第1弾開幕戦は後楽園ホールからの実況生中継
それまでの新日では考えられないぐらいのガラガラスカスカ空席だらけの後楽園ホール
試合は猪木がハックソー・ヒギンスに一方的にいたぶられるという内容
翌日土曜日は藤岡市民体育館でその帰りに猪木は関越道から
TBSラジオ古舘伊知郎赤坂野郎90分に自動車電話生出演
リスナーのファンから「猪木さん、何ですか、昨日の試合は!」と説教される始末
それに対して猪木は「ハックソーだから次は歯ブラシを持っていきますよ、ウフフ」と
リスナーのファンも絶句してしまうようなオヤジギャグを返すなどしていた
藤岡市民体育館は8月の日航123便墜落事故で遺体収容場所になり解体移築新築され
その日が最後のプロレス興行となった >>517-518
ヒギンズは盗癖があってそれで呼ばれなくなったと言われているね
才能はあったのに スレの流れを後退させて悪い。
テリーとブッチャーの抗争はストロングスタイルか?という問いかけがあったが、そうだと思うよ。だから、テリー人気が爆発したんだよ。
猪木ファンは怒るかもしれないが、猪木とテリーは同じだよ。日本人の心に響いた。のちの長州人気も。 ヒギンズと同時期に来た、ハクソー・ジム・ドゥーガンもよかった気がするが… >>522
ドゥガンはアメリカで売れたんで日本に来る必要もなくなっていた
ちなみにブロディがドゥガンに「角材を持って入場すると良い」とアドバイスしたんだそうだ なんかおかしな事になってるなあw
活字プロレス全盛の頃の毒が抜けきってない人が多いんだな
ストロングスタイルって元々は
新日が出来る前からある言葉で
反則や場外乱闘とかに頼らず
オーソドックスなレスリングテクニックを中心に客に魅せる試合
という以上の意味はないぞ
当然、日プロ、国際、全日にもストロングスタイルの試合は
数や程度の差こそあれ存在する ストロングスタイルより、村松友視が評した「過激なプロレス」の方が誇大広告だわな。
ターザン山本が「猪木さん自身、村松氏の『過激なプロレス』というワードに酔っていた」
なんて書いてた。
とにかく新日がオンリーワンみたいなキャッチコピーを発信したかったんだよな。 'ストロングスタイル'という'和製英語'は、新日関係者によって作られた喧伝文句だがね。
'新日こそ本物,本流、全日は見せ物'と喧伝するための。
故に新日ができる前には、'ストロングスタイル'という単語はない(流智美によると初出は72年夏)し、全日本が使うと奇妙なことになる。
似たようなニュアンスを表す単語としては、'本格派'だわな。 村松〜過激のあの頃の新日(80年前後)って、前座から中堅なんかホント駒がそろってるというか
どの選手も鍛錬された体つきで試合内容もハツラツとした感じだったよな。
一般TV番組でもたまに道場の練習を取材してて、ゴッチの取り入れたジャラジャラうるさい鉄の輪っか(名前忘れたw)
振り回してる風景とかさ、ああいうの見て「やっぱ新日は一歩抜きんでるなあ・・」と
ガキの俺は見入ったものさ。 85年12月にIWGPタッグ、86年2月にIWGP Jrのタイトルを作ったんなら
IWGPヘビーも86年6月のIWGPでタイトル化させるべきだったね。 昭和46年のゴング
マスカラスとサイコデリコの対談
サイコデリコ「猪木というのはどういうやつだ?」
マスカラス「ストロングスタイルだ、メキシコで言えばパンテラ・ネグラみたいなタイプだ」
国際時代のマツダ対ホッジ戦での東スポ
「これぞストロングスタイルの攻防」
全日中継では
ブリスコ対ドリー、馬場対鶴田、ベイダー対三沢でも
ストロングスタイルという言葉が出てくる
けして新日や猪木の専門用語ではない ”World's Strongest Man”って大会あるけど、専らパワー系競技だもんな。
ストロングスタイルのストロングとはニュアンス違う感じするな。 80年ごろのアントンなら1.5流ガイジンも1流に仕立て上げられたんだが、糖尿病以降はもう無理だった >>508
87年のUWFはジャパンが来ちゃったことにより、全員かすんじゃった感はあるね。
木戸はおろか、坂口越中がタッグリーグのエントリーから落ちた >>508
だから何が言いたいの?
状況的に特参とのシングルがセミ前はおかしいと?
馬鹿かお前はwww
こういうニワカに限って去年の田口とヨカタDOUKIのシングルメインに何も言わねえんだよな >>531
ラッシャー木村がいなかったら誰とどんな展開にしていたのかねぇ。 1.5流かw
パニシャーダイスモーガン
ビシャスウォリアー
マッドマックス
スティーブウィリアムス
も追加。
モーガンはWWEでウィリアムスは全日でトップレスラーになったけど。 >>523
ドゥガンは85年に来日してほしかったな…
同時期参戦したUWFの新鮮さに完全に霞んでしまった…
86年3月シリーズのエースになったジャッカルは1.5流かも微妙だったね… >>535
アレン、オンドーフも1.5流グループに入れてあげて
あとマッドマックスは2流以下 >>536
あのシリーズのエースを敢えてあげるなら、ジャッカルよりクリスアダムスの方が
エース格だと思うが >>535
ウィリアムスは両国のメインとIWGP挑戦があるから
1流扱いで問題ない あと1.5流はリックスタイナーかな。時代は平成になるのかな?
>>538
アレンはいい意味で名脇役、オンドーフは悲しいかな噛ませ犬なイメージ。
〜流とは関係ないけどw
>>542
ウィリアムスはその後の全日での活躍で補正される感じかな。
でも当時のまだ見ぬ強豪の中ではウィリアムスが一番好きだった。
期待したドゥガンやビリージャックがいまいちだったのでウィリアムスは当たり外人だったね。 >>543
ウィリアムスとビガロは
最初から鳴り物入りで
両国のメインで使ってるから
ほかとは違って
それなりの評価は始めからあったんだろう
でないと怖くて使えない >>541
後楽園、横浜文体あたりのメインで猪木とシングルマッチが出来るレベルかな? >>540
ジノヘルナンデス急死により
クリスアダムス ジノヘルナンデスvs藤波 木村のIWGPタッグが
クリスアダムス ジャッカルvs藤波 木村に変更 >>498
その時の大阪府立はテレビ生中継だったよね。
メインの長州vs藤原はテレビ生中継終了後開始だから
セミの猪木高田vs斉藤海賊男の試合は、20時30分過ぎに試合開始の筈
そうなるとセミ前の木戸vsケビンはテレビにOAされてる筈なんだけど見た記憶がない。
ただ単に30年以上前の事だから忘れてるのか?
それとも20時30分過ぎ迄は他会場の試合を録画中継してたか?
さて、どっちだ?
もし20時から通常の生中継ならケビンvs木戸の前の試合もOAされてる筈だよね? 新日のテーマにイデオロギー闘争があるからな
新日ストロングスタイルVS だから
ストロングスタイルと真逆のスタイルが相手
正統派VS邪道 技VS力 レスリングvs拳
シンやGアントニオ 異種格闘技は正にそれなんだよ >>547
ジャッカルのマネージャーの座を上田と若松が争ってたような >>524 >>529
ストロングスタイルって
元々はラグビー辺りで使われていた言葉らしいね
パス=小細工のイメージが強い時代に
ラン中心の力強さを前面に 木戸対ケビンは新日対Uのビデオを買った時に1回だけ見たな >>532
87年にジャパンの長州が世代闘争をぶちあげ、Uの前田が呼応したまではよかったが
二人とも所詮お山の大将だから、上手くいかなかった。
あの時最後まで共闘できていたら、随分変わっていたのかなぁ
(長州がフライングしたのは、実は新日の力が働いたのか?)
でも猪木も大将じゃなきゃ嫌な人だから… >>543
リックはウィリアムスと組んだ初来日のインパクトが凄かった
それだけになんで彼らじゃなくて武藤&越中が決勝進出なんだと当時は思ったもんだが >>553
87年IWGP決勝終了後の長州のマイアピールで
「藤波前田、お前らは噛み付かないのか!」と言ったけど
前田は「俺は猪木サンとやる前に長州さん、あんたと決着つけたい!」と
言った方が盛り上がったかね。
ファンからしたら86年で猪木vs前田の賞味期限は切れたし
今更ながら猪木vs長州を見たいとも思わなかった。
1番見たいのは長州vs前田だったんだよな。
それを長州が世代闘争をぶち上げて、長州前田戦の実現を有耶無耶にしやがった!
あの時は、長州余計な事してんじゃねぇよ!と思ってた! 木戸対ケビンはノーカットで放送されましたよ
ちなみに前の週の名古屋のセミも木戸、高田対ケビン、セントクレアーという渋いカードだったなぁ… >>556
名古屋は前田とキムケンの公式戦が飛んだんだよね?
他に藤波絡みの公式戦が組まれてたなら、名古屋の客は災難だったなwww
因みに名古屋のメインはどんなカードでした? やはり新日本でのケビンは猪木と組んでの健悟&武藤とのタッグ戦が代表か 世代闘争って長州がテレビに出られない為に企画したのでは?
なんて言ったら怒られるかな。 俺、小学校の頃、
新日が「ストロングプロレス」を
標榜していて「ストロング」とは
「強い」と言うより「本格派」
という意味だと思っていた。 ストロングスタイルはストロング小林みたいな試合だと思ってたから??だった >>560
1月5日に亡くなった説
1月10日の時点で生存してる説
両方ある >>546
あ〜、それだw
イラン伝統のコシティーのトレーニングに使う杵?みたいなのもあるな。
この当時だと平田、前田、高野なんかが前座で佐山は海外、ヒロ斎藤(弘之)は
入門してたかどうかだな。。 >>564
みのもけんじのtwitterだと、1/5に絵の発注を受けて、
今日仕上げ中に訃報が入ったって考えもあるんだよな
それなら1/10にツイも両方わかる ヒギンズは85ビッグファイト第一弾開幕戦で猪木を徹底的に追い込んだインパクトがあったのに、
ブロディの登場でその素質をつぶされてしまい、秋には藤波木村とタッグのタイトルを争う格下げ…
しかも相棒はケリー・ブラウンw
シュルツだって本当なら猪木と夏に最終戦の一騎打ちが予定されていたのに長州に座を奪われ、
自分は藤波にクイックで負けを飲まされる冷遇だよ。
長州と言いブロディと言い、新日本はわがままレスラーたちに振り回されまくったな。 >>568
カード発表時は、ヒギンズ&マスクドスーパースターだったけど
シリーズ開幕戦でアンドレと共にマシンマスクを被ってキャラチェンジしたから
タッグベルト挑戦はキャンセルになったんだよね。
そして代役にケリーブラウンwww
翌年はクリスアダムス&ジノヘルナンデス→クリスアダムス&ジャッカル(ヘルナンデス急死の為)
ジミースヌーカ&ハクソーブッチリード→スヌーカ&ワイルドサモアン(リードが来日キャンセル)
前田&藤原→前田&木戸(藤原が負傷棄権)
こんな感じで、挑戦者チームのパートナー変更が相次いだ ヒギンズは登場が少し遅かったら、ベイダーになれるくらいの逸材だったのに勿体なかった。 >>557
猪木、藤原対マサ齋藤、ホール
長州新日復帰戦の坂口、高野対長州、マシン
上田対バーバリアンもあった気がする… ジャッカルも、ガリーと交代してのバリー・ガスパーの中の人に選ばれたんだから、
新日もある程度は実力を評価してたんじゃないかな。 長州は復帰したけどTVに出せないからってあの大阪のイリミネーションはひどかったな >>573
今思うと変な時代だったと言うか外野ばかり騒がしくてリング内が完全に疎かになってたよなぁ…
この頃の武藤、高野、越中らの正規軍は雑な扱い受けてた…山田も垢抜けて帰ってきたが初戦で高田に良いところなかったし…
前田はすぐ休むし… 84年の大量離脱後、平田とヒロ斎藤を高野とともに正規軍枠で出していたら、
二人ともあんなに活躍は出来なかっただろうなぁ。
特にヒロは荒川の下、小杉の上ってところで引き立て役の中堅に終わりそう。
平田はキムケンの下で83年の前田みたいなそこそこいいポジションはもらえない。
高野は平田や斎藤に負けを分散させてもらえるので少しはマシな扱いに。 >>573
どうやって放送するのかと思ったらまさかの開始1分マードックとの場外心中ww アレは詐欺みたいなもんやわ 86年闘魂シリーズの最終戦(後楽園)で
藤波木村vs前田藤原のIWGPタッグが組まれたけど
前田がニールセン戦のダメージによりシリーズ全休が決定
タイトル戦は藤原が代役パートナーを立てる事無く試合中止で
唐突に藤波vs木村のシングルマッチに変更
更に藤波がシリーズ中二負傷して藤波vs木村も中止
結局、メインカードは猪木ケビンvs木村武藤になったんだよな。
ところで予定通り藤波木村vs前田藤原のタイトル戦が行われてたら
タイトルは移動したのかな? というより
新日のリングで
前田&藤原組って
実現したっけ? >>579
TVマッチだけ見ても
vs猪木&上田、ナガサキ&ポーゴ、ウィリアムス&アレン、藤波&武藤等何回も組んでる 85年10月18日の後楽園で予定通りに藤波vsブロディが実現してたら
次のシリーズの愛知県体育館のカードはどんなカードになっのかな?
後楽園の藤波vsブロディが流れたから愛知大会で藤波vsブロディが
組まれた感じだったんだけどね。 昭和の新日はジャラジャラ道具のトレーニングの他に
どこかの地方に?行った時にレスラー全員の体に真ん丸い大きなハンコを押したような跡ができてたな
提携してる整体のようなの先生に看てもらって施術してもらってたんだと思うが…
敵対してる維新軍なんかも同じような跡があったから、敵味方関係なく並んで治療してもらってたんだろうかw 身体を見せるレスラーなのに、あの施術痕は平気なんだろうねw
あまり感じいいもんじゃなかった。 お笑いタレントが猪木とシンについて
「本当に敵対していたら一緒にツアーするわけがないだろう」と言っていたが
そりゃその通りなんだよな プロレスの矛盾とかを得意げに語る奴は、心底つまらん人間だなと思う。
普通に楽しめばいいじゃないか >>583
新日ではレスラー間で特に目立ち週プロで「プロとして見苦しい」と苦言をしていた。
オフになると大分の別府にある治療院まで行っていた。透明のコップにライターで
火をつけて肌に吸引させるとガスが抜けて患部の治療になるらしい。
プールで同じ跡の人を見た時にこの事を思い出した。 >>585
ネタとしてもプロレス関係持ってくるのはなんかレベルが低いな。
絶対的な話をdisるんだから、そりゃそうなんだし、ってしか反応できない。 >>589
猪木が好きだったらしいが、敵対してる長州達も行っちゃうのはどうなのよって当時思ったな >>584
ビートたけしのオールナイトニッポンでのネタでもあったよな。
リング上では「馬場!ぶっ殺してやる!」と言いながらも
移動バスでは馬場の隣に座る上田馬之助 そもそも本当に敵対してたら呼ばないよな。
とは言ってもプロモーターとレスラーとでは仲悪いのは別に珍しくないだろうけど。 長州の結婚式で仲人が猪木、ってのは流石に止めて欲しかった。 >>593
移動バスで馬場の隣に猪木シンパの上田が座る?
信じられんw >>593
現実に馬場とブッチャーがキャッチボールしてるの目撃されてるし 要は、どこからファイトマネー(給料)を貰ってるんだ。
という事だよな
バス移動やキャッチボールを目撃されるのは、プロとして失格だろ。 全日本は当初移動バスが一台しかなかったので呉越同舟していたそうだ。
新日本はどうだったのかな? 劇団ってことを暗に言いたかったんだろう嘘つきはいやだから 昭和54年頃、全日の外人宿舎だった品川プリンスホテル1階の喫茶店で
馬場とブッチャーがお茶飲んでるのを見た。 天龍と原が別に鉄道や高速バスに乗るほどの徹底がレア 「ドラゴン・チェックイン」
88年飛龍革命の夜、藤波は怒りのあまり、宿泊先のホテルをチェックアウト。
ところが、他に宿が無い為、再度同ホテルにチェックイン。 >>596
だから、隣に座るのはラジオのハガキ投稿のネタだよwww
移動バスは一緒しいけどな >>602
リング機材を運ぶトラックに同乗させてもらった事もあったらしいしね。 ジャパン軍参戦時は移動バスが3台あったんだね。
全日本隊、ジャッカル軍、外国人+国際軍 ケンドーナガサキ、まだ71だったのか。てことは、新日に上がり始めたあたりで37くらい・・
あと10歳くらい上かと思ってたわ。 新日本は最初から移動バスは新日本隊用と外国人用の2台に分かれてたのか?
国際軍参戦時は国際軍は外国人バスに同乗だっただろうけど
長州斉藤カーンの当時3人だった革命軍も外国人バスだったのかな?
それとも革命軍国際軍は、それぞれ自力移動だったとか? >>601
それくらいは別におかしくはないよ。
馬場「お前は反則するな。真面目にやれ。」
ブッチャー「カウント5以内は反則じゃない。勝つためなら何でもする。」
みたいなやりとりをしてたのかもしれないって
少年ファンなら妄想できる。 最初というか、少なくとも80年以前から日本人外人と別々のバスだったな。
両方とも赤青黄の三色の車体で、外人用は若干小ぶりだったような。。? ハンセンの著書では、新日本に移って日本人と外人でバスが別とあったから、少なくとも77年以降は別だね。 日本プロレスは日本人も外人レスラーも礼儀正しく入場式で並んでるけど
全日の世界最強タッグってほとんど乱闘始めるイメージ
顔合わせるだけでケンカ始める間柄で一緒にバス移動はおかしいだろってツッコミは理解できなくもない
タイガー・ジェット・シンさえいなければいいのか? まあw、なんていうのか。確かに突っ込みどころなんだがあえてそこは目を塞いで
リング上の熱い戦いを楽しむ、というか嗜むって感じで文化的な意味合いもプロレスにはある。
つうかガキの頃、ウルトラマンや仮面ライダー見てて、怪獣や怪人の背中にチャックがあったり
ピアノ線があったり、人間の目がのぞいてても、「怖いなア、凄いなア・・」て見入ってたじゃん。。w 長州のドキュメント番組でジャパン軍バス移動中の場面が映ったな。
小林がアイス食べててえいげんは新聞読んで健介がぐったりしてる >>613
乱闘するのは馬場・鶴田・ファンクスらの日本陣営vsハンセン・ブロディら外国陣営、
という図式だから何の不自然性も感じないけどな。
てか、激しい乱闘の傍らそこに入っていくことができず茫然とする、
リッキー・ジェイやウインダム・フラーといった若いチームもいるのが面白かったw >>609
地方だとホテルはバラバラだった。
早朝サインもらうのにはしごした >>586
別府の高本治療院だよね
プロ野球選手や陸上サッカー柔道の有力選手達も昔から贔屓にしていた
割と有名な所なんだけど
後批難というか難癖を付けていたのは週プ
ロじゃなくて
週ゴンの方それも例によって三者三様の菊池ジイさんだった筈
俺は別に不快にも思わなかったし
プロレスが遊び半分では出来ないハードで過酷な仕事だとの
無言のアピールになっていてむしろ良いんじゃないのと思っていたけど
>>587ー589
その美容目的のカッピング(吸玉療法)とは
かなり似て非なる治療法みたいだけどね高本治療院の施術は 猪木、健吾、サクラダ組とか坂口、健吾、サクラダ組とかやってたんだね。 週ゴンは全日寄りだったから新日に対しては誹謗中傷もひどかったな。
83タッグリーグだって全日を大々的に取り上げ新日側は消化試合扱い。
逆に週プロが新日寄りで、馬場が週プロに取材拒否通告してた。 >>593
本当に選手同士が敵対していたので
忘年会も開けなかったのがSWS 内藤が「週プロは紙質がペラペラで安っぽいのでゴング派だった」というのは
週プロ記者を挑発するためのデタラメ? ファンも良識派はゴング派だよな。週プロは紙質も写真も悪かった。偏向してたし
全日の取材拒否も当然だったな。 ケンドー・ナガサキだけど、馬場さん監修の『プロレス入門』では、
アンドレやカルホーン(超巨体)、シーク(火を噴く)などとともに怪人扱いだったな。
あの本のイラストでは剣道の防具みたいな覆面で、竹刀を持っているだけで、
とくに何か不思議な雰囲気を醸し出している様子はなかったと思ったが。 >>626
それは桜田じゃなくてオリジナルのナガサキでは? >>621
長州らジャパン勢が全日に上がり出して新日の観客動員がガタ落ちになったら
嬉々としてその落ちっぷりを表にして本文記事にしてたな。 「地方で手を抜く新日本」って書いて激怒された週プロ 月ゴンは資料性が高かった。
週プロはたー山になってから巻頭記事が主観的になって、知りたい情報を深く掘り下げる感じじゃなくなった。 ハクソージムドゥガンてSWSではエース外人だった事があったよね? >>632
ドゥガンはSWSはドームしか来てなかったはず >>631
写真と資料はゴングと言われていた。週プロは紙質・写真のはかなわなかった。
後発のビックレスラーは写真がピンボケぽかったけど先行の二誌より金額が安かった。 ゴングを発行していた日本スポーツ出版社は野球専門雑誌のホームランも発行していたが
プロ注目の1年からパンツを被っている狂犬キャッチャーとか
誤植がやたらに多く誤植のホームラン王と呼ばれていた。 >>617
85年では開幕戦で当たるハンセン・デビアスとキッド・スミスがやりあってた >>617
83年の時は、超獣組とシン上田鶴見が乱闘してたよね。
シン上田の子分的な鶴見の参加は当然だけど
鶴見のパートナーのモンゴリアン(後のテキサスレッド)は、
乱闘に参加せず呆然と見てるだけだったwww アンドレとシンってタッグ組んだことある?
シンはハンセンとはよく組んでいたけどアンドレと組むところは見たことがない。 >>643
少なくとも日本では多分ないんじゃないか?
つか同じシリーズに出たのは80年のMSGタッグくらいだし。 ワールドプロレスリング枠でナガサキ追悼の枠入れるかな
所属選手がみんな若くなってナガサキと繫がり無いから難しいかもしれんが >>646
現所属選手だとナガサキと対戦した選手は居ないよね?
引退したライガーが素顔時代に対戦してるかどうかかな? >>647
邪道外道がWAR時代にタッグで対戦してる。 >>648
追悼のテンカウントするなら、リング上で写真持つのは
ヤングライオン時代に接点のあるライガーかな?
流石に邪道外道は無いよね? ナガサキって、84年最強タッグの
馬場のパートナー候補にも上がってたよね? >>629
後楽園ですら、空席が目立つ様になったしね。
85年の後楽園は
・猪木vsヒギンズの再戦、上田vsH斉藤、キムケンvsシュルツ、ブロディ 登場
・アンドレvsバンディ、コブラvsH斉藤のJr.タイトル戦、メインにバックランド出場
・藤波キムケンvsバンディアレンのタイトル戦、マシン1号vs2号(3号?)、コブラvs黒虎、
・猪木vsコンガザバーバリアン、ブロディ vsサクラダ(藤波)、越中vsコブラ、ジャイアントグスタブ日本デビュー戦
・猪木坂口vsマードックスーパースター(タッグリーグ公式戦)藤波キムケンvsブロディ スヌーカ(公式戦)
それなりの好カード組んだ興行でもチケットは完売しなかったんだよね。
85年の後楽園てろチケット完売したのって元日だけだったかもね。 結局、ケンドー・ナガサキでの全日参戦はなかったのかな?
ポーゴよりカブキと組んでタッグリーグ(新日全日問わず)に出たら
厄介なチームになりそうだな。 新日は、後楽園の連戦の時や
シリーズ中に後楽園と両国の試合があった時に
後楽園でスタンプの押されたパンフレットを買って
翌日の後楽園や最終戦の両国に、そのシリーズで買った
パンフレットを見せると、対戦カード表の裏や持参した紙に
当日の試合のスタンプを無料で押してくれたけど
全日も、新日と同じように無料でスタンプ押してくれた? >>633
天龍原ウルティモ組対ドゥガンキマラメキシカンの試合とかあったよ >>656
全日本の売り子は高飛車だからそんなサービスはしなかったんじゃね?
ビデオソフトを買ったとき馬場のサインをパンフレットに書いて欲しいと頼んだけど「しないよ!」と一蹴されたことあるわ。 >>658
ビクターキニョネスはサインしてくれたけどなぁ…あんな悪い人なのに… 84年タッグリーグの最終戦のメインで行われたバトルロイヤルは
物凄い塩試合だったな! >>660
84.12.12 横浜文化体育館、最終戦にバトルロイヤルなんてないよ。 >>661
ごめん、訂正
MSGタッグと最強タッグを間違えた。
12.5 蔵前の猪木・藤波vsマードック・アドニス戦の後にバトルロイヤルあったの? 12・5は蔵前じゃなくて大阪だな
84年のバトルロイヤルはその大阪のあとの広島
アンドレ猪木組が実現した日だ
バトルロイヤルはアンドレ優勝 >>663
ありがとう
猪木アンドレ組は覚えているけど、バトルロイヤルの記憶が消えてるw >>664
マシン1号2号参加拒否、猪木自ら自爆退場
後はグダグダで全日本の正月バトルロイヤルと比べたら
段違いに酷いバトルロイヤルだった。
結局参加選手は、猪木 藤波 坂口 木村健 戸口 アンドレ マードック アドニス
ケリーブラウン サモアン ジェリーモローの11名という中途半端な人数で5分50秒で終了
シリーズに参加してた、アティサノエ、星野、ヒロ斉藤を加えて
14人でやれば、多少はマシになったかもね? 事前発表ではリーグ戦参加チーム全員参加のバトルロイヤルで
猪木藤波、坂口木村、戸口ブラウン、アンドレモロー、ホーガンサモアン、キッドスミスの
計14人参加で行われる予定だった。
マシン組は当初はリーグ戦不参加予定だったがキッドスミスのドタキャンで
急遽参加する事になった。 >>663
最初は猪木坂口vsアンドレホーガン、藤波木村vsキッドスミスで発表されたんだよね。
結局、ホーガン途中帰国とキッドスミスの電撃移籍で
猪木アンドレvsマシン1号2号、藤波vsマードックに変更になった。
猪木坂口vsアンドレホーガンは、翌年の6月の横浜文体で実現 ホーガンのパートナーがサモアンに変わったのは「???」だったけど、
欠場が決まっていたので急遽アティサノエを借り出すことにして、
南洋人コンビとしてバランスがいいからサモアンにしたってところか。
しかしラッシャー、剛の新日カムバックが実現しなかったのと、
高野俊二が表向き負傷欠場で姿を見せていなかったことが痛かったな。
日本陣営がスカスカ過ぎて外人を大勢呼べないっていう悲惨な事態。
ヒロマツダを猪木との呉越同舟コンビで助っ人参戦させてもわかったと思う。
あとは坂口と戸口、藤波と木村で。 85年のIWGPは、後のG1クライマックスを含めても1番つまらなかった大会でOK?
リーグ戦じゃ無くてトーナメントになり、そのトーナメントもホーガンは不参加
猪木はシードでトーナメント優勝者と対戦
トーナメント参加のマシンはアンドレ戦をボイコット不戦敗だったしね。 >>669
マシンの一回戦の対戦相手のロンミラーも不参加だったな… 猪木&健吾、猪木&高野でタッグリーグにエントリーしたら優勝かな? >>670
トーナメントの人数と会場数の兼ね合いで
1会場につき公式戦は1試合、しかも元から公式戦未開催の会場もあった。
更に欠場者が出て唯一の公式戦が不戦勝あつかいになったから
公式戦が開催されない会場が増えてしまった。 84年のアンドレは猪木の「ダー!」をやたら真似してたよね。
IWGPの時のケロの旅日記読むと客の反応に気を良くしてダーを10回以上やって帰った日とかあったみたいだし。 >>668
猪木マツダ、藤波木村、坂口戸口、ブッチャーケリーブラウン
このメンバーが参加すれば、少しはマシな大会になったかもね。 >>673
ケロの日記によると、外国人控室に差し入れされた
1ダースのポカリスエットをアンドレが1人で全部飲んじゃたらしい >>674
ブッチャーとケリーブラウンって凄い異色なタッグだなw
確かにブッチャーが出ていれば対アンドレ、対マードックなど、
ホーガン欠場の穴埋めは充分にできただろうな。 >>673
アメリカだけでなく他の国に行ってもアンドレは人気者
ヒールなのは日本マットくらいだったんだよな(メキシコは違うのか?)
いずれにしろアンドレ本人はやっぱり観客にチヤホヤされたいんだろうな
日本人的には圧倒的体格で一方的に勝利するアンドレを
あまりベビーフェイスとはみなしたくないんだけど >>669
そのトーナメントでも
アンドレ対キングコング・バンディが好勝負。
それもノーテレビとあって、俺は後楽園に
観戦したが、バンディが途中でやる気を失い
試合放棄!ふざけるな! >>669
藤波とスヌーカとの大流血戦の印象が一番強い
あと猪木とホーガンの対戦を名古屋にしたのはリングアウトでも勘弁してくれそうな土地だったから >>680
アンドレvsバンディはトーナメントの公式戦では無く
普通の特別試合として組まれました。
バンディはアドニスとの公式戦の1回戦でフェンスアウト負けかリングアウト負けで
敗退してアンドレとは当たって無い! >>669
一番つまらなそうなのは77年のワールドリーグ戦じゃないか?
なんせ猪木が出てなかったし。 >>658
馬場は6時過ぎに売り場に現れてTシャツ買えばサインしてくれたでしょ? >>685
どけどけどけ!邪魔だ邪魔だ邪魔だ!
バカヤロー、コノヤローメ!
ミル・マスカラスのTシャツに、馬場のサインが入ってるんだぞ。 >>674
84年当時のマツダはきついだろう。。そこは猪木&R木村でしょ!! >>685
サインは買った商品にしかしなかった。
当時のグッズはTシャツとビデオソフトくらいしかなかったと思う。 新日の方がバラエティに富んだグッズがあった気がしたな。
金のなかった小学〜高校の間もステッカーやポスターといった安いグッズが買えて楽しかった。
Tシャツも子供にとっては高い。 >>687
84年の夏に参戦したけど、暫定外国人エース格のデビッドシュルツと両リンだったよ。
まぁ、どれだけ動けてたかは知らんけど >>679
メヒコでも82年まではリンピオ
その後ルードになったがUWAのリンピオは中軽量ばかりなので
重量級外人ルードの常として同じルードのカネックと抗争した
>>684
76年もな
ただ76年はアリ戦に専念というふざけた理由でも一応事前に告知したし
当時の新日としては破格の大物モラレスとまだ一流扱いだったリベラの参加で
外人がグレードアップ
坂口も決勝のモラレス戦はアレだったが準決勝で天敵とまで言われたクラップ
に初勝利して盛り上げた
77年は開幕してから離脱だからな
しかも外人側エースのパワーズと一緒に
76・77年の全日のカーニバルで馬場とブッチャーが離脱して
鶴田がバラクーダかイヤウケアやスーパーデストかラモスを破って優勝して
盛り上がるかとw >>681
それホント?
名古屋のプロモーター絡みかと思うんだが。 >>691
84年タッグリーグ→キッドスミス組ドタキャン、ホーガン組1試合で途中離脱
85年タッグリーグ→アンドレ、スーパースター不参加、ブロディ 組決勝ドタキャン
86年タッグリーグ→ブロディ 、アンドレ不参加
87年タッグリーグ→長州、前田途中離脱
85年IWGP→藤波が最終戦で勝てば決勝進出の可能性があったのに怪我で離脱
86年IWGP→マシンが会場に現れずトーナメント2回戦のアンドレ戦を不戦敗
87年IWGP→藤波、前田が怪我で途中離脱
こう見ると、まともに行われた大会の方が少ないよなwww
他にも途中離脱や不参加の選手が居たが興行的には影響ないので省略 >興行的には影響ないので省略
80年のパワーズ・ベイカー
81年のサモアンズとパターソン
みんな現在では帰国後に本国でビッグマッチがあったとバレちゃってるなw
パワーズだけは仕事もないただの帰国だけど
81年はパターソンが帰国してもパートナーのアレンは残ったのに
全日では78年のシークがそのパターンだけど
新日来日時は地元の興行トラブルでのガチ帰国だったな >>695
シーク離脱の時は、入れ替るようにカマタが来たしなwww >>696
シークが怪我した日には日本にいたと思う。 あれは準備良すぎたw
いっそのことブッチャー組は棄権で
ブッチャーは残りの日程は連日公式戦ない相手とシングルでも良かったのにな
当時の全日でブッチャーなしの最強タッグはありえなくても
この年は目玉のファンクス戦は終わってたんだから公式戦にこだわることない
どうせ優勝争いは師弟コンビとファンクスだったんだから
むしろファンクスの公式戦もドリームマッチものない日に対決を多く組める >>693
ぐちゃぐちゃだな。スーパースターではなくアドニスが不参加
86年にマシンはいません。それは85年。藤波はケガではなく決勝でアンドレに敗戦ね。 >>693
86年IWGP
藤波が前田戦で負傷し名古屋の上田戦が流れた… >>700
それ興行的に影響あるのかw
Uが乗り込んで来てすぐの頃上田が日本組入りした時は
上田のシューター幻想でuとの対決が一時注目されたけど
いざ前田と対戦したイリミネーションマッチで「誰にでも出来る」場外無理心中したせいで
急速に幻想萎んで
IWGPの時はもういてもいなくてもかわらない存在になってた気が >>701
上田はともかく、藤波の決勝進出が掛かった試合だったので
藤波が勝って決勝進出を決めてメインで公式戦が控えてる猪木に対して
「猪木サン両国で待ってます!」的なマイクアピールを観たかった人も居たと思う。 >>702
前田もマードックとの決定戦で場外でマードックへのハイキックを避けられ鉄柱蹴ってのリングアウト負けと言う胡散臭さだったな… >>703
前田が決勝に出てたら、両国の当日券売り場は
朝から長蛇の列で瞬く間に完売しただろうね。
猪木vsマードックの決勝の時は当日券は全席販売されていて
ぱっと見満員になってた感じだったけど完売はしなかった。 >>698
そのおかげでPWF三代王者の公式戦が実現したのは注目だった マシーンズ以降の新日は
自分たちが育成したと言っていい「ストロングスタイル幻想」を持つファンの
神経を逆なでするアングルばっかりやってた印象 といってもマクガイヤーブラザースやアントニオみたいな例を初期からやってるし
その辺りはファンも含めて御都合主義な印象 >>707
初期だからやってたんだよ、やむを得ず。 マクガイヤー兄弟、アナコンダ、ターザン・ジャコブス…
73年は、怪奇派や化け物レスラーがよく来てた。
観客動員や、付いたばかりのテレビ視聴率に貢献したと思うよ。 その後に村松の「過激なプロレス」ってキャッチに乗る形でそうした過去を無視して
実態と離れた幻想を膨らませちゃったからね
プロレス誌の漫画であったネタ
70年代の猪木「こんな試合を続けていたら10年持つ体が2.3年しかもたないかもしれん」
10年後、金返せコール飛び交う両国で坂口たち
「こんな興行を続けていたら10年持つ会社が2.3年しかもたないかもしれん」 88年IWGP仙台
当初予定の藤波対坂口のタイトルマッチが消滅して藤波対長州になったのは残念だった…
フィニッシュ含めて結果が詠めない試合だったのにな… 新日は3部構成と言われたからな
新日ストロングスタイルの若手同士の試合
外人 タイガー等エンターテインメントの試合
猪木藤波等によるそれらの集大成
UWFが若手同士の試合からの派生 >>712
第2試合でドン荒川が前田ら若手をおちょくるも入れてくれ。 >>706
マシーンズや海賊男とかって新間がいたらやってなかっただろうね
拡声器持ってがなってるKYワカマツとかうざかった >>706
マシン軍団、高橋が悪のレフェリー化、海賊男、TPG
「新日は今までのファンを捨てようとしてるんじゃないか?」とか
書かれてたね プロレスのこと、あまり真剣勝負と思われてもな。
全日プロはちゃんとわかるようにやってたから良いけど。
ショーとわかった上でテレビ見てもらわないと、今でも八百長呼ばわりするが
居るくらいだから。 ロッキー・ジョンソンが亡くなったらしいけど、どんなレスラーだったか記憶にない。
日本プロレスで活躍したイメージなんだけど、'80年に新日に来てるんだな。 ボクシングもやってたからガチで強いんだろな、レイシストのマードックを
ノックアウトしたと言ってたから。 >>717
どれもテレビ的なテコ入れだな
当時の新日首脳の頭の中はテレビ視聴率しかなかった
ゴールデン維持か田舎の瀬戸際の時期だったから
プロレスファンを必ずしも相手にしてなかった やることなすこと裏目に出ていたのが84〜85だったな
UWFの復帰でも視聴率が上がらなかったのはUのせいというよりファンに見限られてしまったから
長州が戻ってきたところでやってることはまたマンネリのヤクザ抗争ではねぇ >>720
ドロップキックが上手かったような印象だけど同じシリーズにスキッブヤングがいて食われた感じ コンガザバーバリアンって元力士だから多少は日本語話せるのかねぇ… >>724
来日前は、「ゴング」でエラク持ち上げられた。
実際、ロスでG小鹿を破ってアメリカスヘビー級王者に
なり、渡米中の坂口の挑戦も受け、引き分けながら
防衛した(この試合、やっていないという説もあり)
で、70年の秋、第一回NWAタッグリーグに長身のEラッドと
ともに初来日した時は「黒いBI砲」とも称されたが、
さっぱりだったなぁ。
確か、星野あたりにシングルで負けたような記憶がある。 第一回NWAタッグリーグ戦が行われた昭和45年、実家は日経新聞を購読していた。
スポーツ欄に結果が載ってたのを覚えてる。あの頃はまだ一般紙にプロレスの結果が掲載されていた時代。
一般紙がプロレスを排除したのはいつ頃かな? https://www.youtube.com/watch?v=qoovSz3pYB0
ロッキー・ジョンソンで思い出したのがこのプエルトリコでの不穏試合
とにかくブロディがまともにプロレスをしようとしない
ナガサキから奪い取った竹刀を振り回してオリエンタルコンビを
執拗にリングに入れようとしない、生前ナガサキもこの試合について
やたらブロディを批判してたが、一番のの被害者はジョンソンかもしれない
ブロディに調子合せてリズムとったりステップ踏んだり抱き合ったり
努力が涙ぐましい >>728
ナガサキ組に竹刀を一切使わせないのはちょっとね。。
客の盛り上がりを感じてブロディ自身が今日はこれでいいと判断したんだろうけど >>711
おれも藤波vs坂口が見たかったひとり。藤波x長州なんてこれからいくらでも出来んじゃん!って思った
たぶんクイックで藤波が勝ったんだろうけど、坂口の大一番が見たかった >>709
猪木と坂口を合体させてスタートしたワープロだったが視聴率は10%前半で数字が
伸びなかったがそれを数パーセントも跳ね上げたのはシンだった!
ワープロのPもシンは救世主と話していた。
視聴率に貢献したのはストロングスタイルよりシンの狂乱ファイトだった。 >>730
たぶん藤波のリングアウト勝ちでしょう。下手するとリングアウト負け。
その頃ってまだフェンスアウトってあったっけ?あったならそれ。 シンの場合は「ラフファイトもストロングスタイルの一つだ」という言い訳が通じたが
海賊男やTPGは擁護のしようがない茶番劇だったからね >>733
88年ならさすがに藤波が坂口をフォールするでしょ。
猪木にドラゴンスープレックスで勝った数年後だし、IWGPリーグで坂口にも勝ってたでしょ。 >>730
>>733
85年のIWGPでは藤波がクイックで勝ったんだよな。 85年のタッグリーグ決勝、87年IWGP猪木戦、流れたけど88年藤波戦
坂口はやたら仙台で重宝されてたんだな >>731
ナイフを咥えたシンに、サーベルを持たせたのは猪木のプロデュースなんだよね。
テレビ局には苦情の電話が殺到したらしいけどワープロの視聴率はウナギのぼり、
エスカレートして伊勢丹前襲撃や腕折りアングルまで…
目論見通りシンは大ヒールの看板レスラーになった。
確かにマクガイヤーやアントニオは、化け物見たさに興行のプラスにはなったが
アンドレのような実力が伴わなかったから一過性のもの。
猪木とシンは公私を混ぜたストーリーを見せたから、感情移入しやすかったんだね。 >>728
ナガサキとジョンソンが今回ほぼ同時に亡くなって、リング内の4人は全員故人となってしまったね。 G1とIWGP横並びで語るのがいかにもニワカw
絶対オンタイムで観てない後追いwww >>733
88年の藤波が坂口にリングアウト負けするわけねーだろ、タコ!よく考えろ! ドラゴンバックブリーカー⇒ドラゴンスリーパーで藤波の完勝。そして坂口は引退を宣言する。 怒った坂口が指ペロリから暴走 場外でアトミックドロップに担ぎ上げフェンス外に投げ飛ばし反則負け
「若造ども、俺がやっちゃるけん!」 >>742
このシリーズは藤波のタイトル戦がやたらとあって嫌がらせかと不服そうな顔してたな…
タッグだと坂口、藤原との地味な防衛戦があったね…
開幕戦はノンタイトルで藤波対馳が組まれてた >>741
坂口が猪木を場外KOしたアトミックトップロープ股間ドロップでリングアウト。 >>743
マサ齋藤、木戸、荒川を引き連れ荒鷲軍団を結成
ベイダーは助っ人 >>741
よく考えた末ですよ。タコとか言われるとは思わなかった。
坂口に一旦ベルト渡した後の展開がいろいろ考えられるからね。初期からのゴッチ幻想みたいに、坂口は実は凄いんだと思わせて〜からの武藤戴冠とか?そうすると武藤も際立つ。まぁ妄想ですがね。 >>747
猪木でさえ時間切れで勝てなかった藤波に坂口が勝つわけねーだろ!
時代が逆行してどっちらけだわ!坂口は翌年引退ね。いつの話ししてんだ、タコ! 84年の旧UWF設立について、猪木・新間はフジテレビとテレビ朝日の
二元中継を画策し放送権料を倍取りしようとしていた。(前田談)
(favorite cafe 掲載『VERSUS武藤×前田』)
この話が本当なら、日プロ崩壊の原因ともなった二局中継を
本気でやろうとしていたのかな? プロ野球の中継はどこの局もできるのだから、プロレスも全ての局に中継させたら毎日見られるのにと思っていたわ。 闘魂スぺシャルでアイドル猪木ゆかりの紹介があったけど、
かけつけたのは前田、ラッシャー、剛のUWFトリオだったから、
なんで新日脱退した人たちを新日のパンフで掲載してるんだと不思議だった。
新日はUに来ていたラファイエルにマシンのマスク被せて新日でアルバイトさせたり、
闘魂シリーズに参戦予定だったスコットマギーをUWFリングにあげさせたり、
「敵」に塩を送り続けていたんだね。
オープニングシリーズ藤原の殴り込みもリング上で宣伝していたようなものだ。 >>752
> オープニングシリーズ藤原の殴り込みもリング上で宣伝していたようなものだ。
いやそれ宣伝そのものだから。 >>753
旗挙げシリーズのボブスイータンとブルースハートを交換してほしかった… >>738
シン自身のプロ魂も大きいからな
それこそお構いなしに本気でプロモーター兼任の猪木を殴りまくったし バトルロイヤルはこのくらいの気概でやってこそ初めて盛り上がる。
https://youtu.be/o0mYEw3F9ZM 新日本のバトルロイヤルとなると第二回MSGタッグリーグ前夜祭の時を思い出す >>734
シンは普通のプロレスもできたしな。
反則暴走だけではなかった。 >>750
それは新日自体に
発言力と(例えばNFLやFIFAみたいに )テレビ局を凌駕する資金力が無いと難しい
Jリーグがそれをやろうとして
DAZNと契約したけど却って映像ビジネスの幅と柔軟性を >>760
スマン途中送信してしまった
DAZNと契約して却って映像ビジネスの幅と柔軟性を狭めてしまっている感もあるから
舵取りと匙加減の度量がとわれるし
あの時代の新間にそんな力量があったとはちょっと思えない >>728
普通にプロレスしてるように見えるけどね
ナガサキもポーゴも最後まで残ってるし >>761
プロレスが毎日テレビマッチだったらマッチメイク(ブック作り)とレスラーが疲弊してしまうだろうね。 >>738
当時、道玄坂に装飾品店がありそこのから大塚氏がサーベルを調達していた。
壊れるたびに補充に行きワープロを見た店主から「ウチの商品らしきモノを使って
いるレスラーがいる・・・」と指摘されてあまりに頻繁に買い付けに来るので素性を
怪しまれると「建築屋で顧客に新築祝いでプレゼントしている・・・」と
ごまかすしたらしいw
>>752
裏方のリング屋まで一時、同じとマスコミ指摘されていた。 >>750
当時、プロ野球もセリーグと西武はテレビ局と放映権を契約してた。
巨人主催はもちろん日本テレビ、ヤクルトはフジテレビ、テレビ朝日、横浜はフジテレビ、TBSのように。
ビジターの巨人戦でも1試合1億円で買ってくれてたプロ野球は規模が違った。 >>737
仙台といえば藤原のIWGP挑戦もあったな 81年の新日が1番面白かった気がする
MSGシリーズでは猪木ローデス組対ハンセンホーガン組や謎の猪木ローデス組対ボビーダンカンサージャントスローター組とかあった
確かTVでシン対ダンカンとかいうレアな試合も流れた記憶があるし 実は82年も豪華な外人来ていて猪木藤波組対ローデスマードックのアウトローズが実現したり猪木ホーガン組対アンドレカネック組とか実現してるんだけどハンセンの全日引き抜かれショックであんまり豪華に感じなかった 82年はホーガンのブレイクを除けば日本人抗争路線への以降の印象 ブッチャーは登場したってだけで終わったけど、あのシーンはカッコ良かったな アンドレとハンセンのシングル自体は既に二年前から毎年やってる
しかしなぜ田コロでの一戦だけが特別扱いされるかがポイント ブッチャーはパートナーがアレンとSDジョーンズの2人しかあてがわれなかったのも可哀想だった
この2人引き連れてると黒い軍団というよりも暗い軍団にしか見えなかった 全日本も81年が一番面白くて好きだ。
要は外国人レスラー引き抜き合戦が両団体を活性化させたのだから面白くないはずがない。 >>767
俺が見始めたのが81年。タイガーはプロレス知らなくても衝撃だったし、新日10周年でビッグマッチ連発にどハマりしたな〜 81年は華やかだったけど82年後半から日本人抗争が勃発して83年は完全に日本人抗争が中心
子供心にもアントンハイセルが失敗して外人を呼ぶ金が無いのかと思った 因みに83年でレアなカードは新春黄金シリーズの坂口ホーガン組対キラーカーンブラックジャックマリガン組
当時カーンは維新軍に合流したばかりなのに何故かマリガンとのタッグ
外人好きの俺としてはマリガンが観れて嬉しかった記憶 >>782
日本ではやりたい放題い好き勝手に暴れてるブロディを
アメリカのプロレス番組で涼しい顔でぶちのめすマリガンを見て
なんで新日でこの強さを振る舞わないのかと不思議だった >>767
タイガーデビューからハンセン離脱までが
本当の新日の黄金期
プロレス団体として理想的な形 >>783
プロ野球でもやたら手を抜いた舐めたプレーをする給料泥棒と化していた外国人選手が多くいた。 >>776
時間が長くて延長もやったからじゃない?
それまでのアンドレ対ハンセンは5分以内に終わってた印象
下手すると3分とか 新日本で一番外人が幅を利かせて華やかだったのはむしろ80年の印象 >>786
この年はMSGシリーズにアンドレが不参加だったのでその埋め合わせもあった感じ
しかしこの時点で実はハンセンの全日本移籍の密約が出来ていたんだよな 80年代前半の意外なレアカード
猪木対ドンムラコ
バックランドローデス対ハンセンホーガン
猪木長州対ブッチャービリークラッシャー(マスクドスーパースター)
ホーガン坂口対ブッチャーアレン
ホーガン藤波対マスクドスーパースターサージャントスローター
猪木坂口藤波対ブッチャー木村アレン
ホーガン坂口藤波対スーパースターアドニスディノブラボー
猪木ホーガン対木村マイクジョージ
ホーガンスーパースター対マードックアドニス
列挙してみると今でも見たいカードが多い 今更ながら82年MSGタッグの藤波のパートナーは坂口で良かったのかな…何か取って付けたようなチームのイメージがあったので… 82後半から84年までの新日って維新軍と正規軍の日本人同士の抗争があって
わざわざ大物外人を呼ぶ必要がないという判断で豪華外人があまり来なかったのかな?
それともハイセル問題でギャラの高い外人は呼べなかったとか?
その辺の事情はよく分からないけどブルース・ハートとかエド・レスリーとかトニー・セント・クレアー
とかなんか時期シリーズ参加外人発表で知るとガッカリだった印象
全日が豪華すぎたのもあるけどスタッドとかシュルツでもありがたいと思ったぐらいだから80〜81年まで
との落差がひどすぎる >>790
あれは藤波VS坂口が牛若丸と弁慶対決と話題になったから
その流れで牛若丸弁慶コンビになったんじゃ >>792
いやでもその時期ってホーガンが新日で最高に輝いてた時期じゃん ブッチャー引き抜いても、何も得しなかったよね
仮に早めにブロディ引き抜いて、新日で超獣コンビ実現した方が良かったのか?
誰を引き抜くのが正解だったのだろうね ブッチャーは地方興行の客入りに貢献してるみたいだから
得しなかったという事は無いのでは? >>784
まさに勢いのある新日本プロレスブームだった。
全日に骨抜きにされた国プロとの対抗戦・10周年記念ニアミス興業でも
全日の物量作戦に勝利した。
>>793
出戻り長州がぶち上げた世代抗争の中で行われた新世代軍対旧世代軍として行われた
イリミネーションタッグで対決。坂口のアトミックドロップを回転してかわして
延髄斬りから押さえ込んでフォール勝ちを収めたのはまさに牛若丸対弁慶を
思わせる名シーンだった。
ヘビー級転向後にジュニア時代のトリッキーな技を封印してしまった藤波の持ち味
だった・・・ >>795-796
ブッチャー、戸口、マードック⇔ハンセン、シン、チャボ
じゃね
どう見ても新日が損したトレードだよ
当時間違いなく人気No.1外人だったハンセン
人気トップはハンセンに奪われたがまだ絶大な集客力があったシンを
失うことになった >>796
いうほど集客に貢献してなかった。
長州も国際軍団も出てなかった82年闘魂シリーズ前半は
当時としてはあまり入ってなかったし、85年新春黄金は
ブッチャーが出てた週はガラガラだった。
同シリーズはホーガンが出てた週はそこそこ入ってたが。 >>792
時期は多少ずれるが、リップロジャースやマイクジョージあたりの
北西部から来る外国人も全然ワクワク感がなかったな。 >>527
あのジャラジャラ、結局どこに効いてたのか分からなかったって藤原が言ってたなw >>801
頭上で揺らすから肩の三角筋と体幹とバランス、握力かな。 昭和54、55年は裏の金八先生を家族で見ていたからワールドプロレスは見ていなかった。
猪木と金八の保健の戦争の倍賞さんが視聴率戦争をやっていたんだよね。
新日はタイガーマスクデビューやアンドレ対ハンセンくらいから毎週見始めた記憶。 84年のIWGP決勝後の暴動を収めようとして
戦犯の長州に対して「長州は俺が取る!長州は俺がブチ殺す!」と
マイクアピールした藤原だったけど、藤原はこの日リーグ戦で長州に完敗した
員数外人のオットーワンツに負けてるんだよなwww
それで長州を取ると言っても説得力無いよな。
しかも、この日が藤原の事実上の新日本ラストマッチになったしなwww >>803
よくお気づきでw
間違いでした、その通りです。
WWFと提携解消後、WCWAやPオレゴンやフロリダ地区から外国人呼んでたけど
何で?と言うような選手は、主力との抱き合わせだったのかな。 社会現象になった番組が3本同時に放送されていたのが81〜83年の金曜夜8時
全国の同時一斉校内暴力ブームの火付け役になった金八ではなく仙八の頃だが
TBSがシブがき、朝日がタイガー長州維新軍、日テレがスコッチ期以降
テレビ史上最強の視聴率戦争だったな ずっと仙八をみていた。沖雅也も記憶にある。プロレスは見なかったな みんな八百長って思ってたからハマると頭がおかしくなるんだよ。 >>805
あの暴動を収めるための機転を利かせた藤原のアドリブだよ。 ブッチャーの扱いは、全日のトップも新日に来ればこの程度とでも言いたいのかよって思ったわ >>814
それは本来馬場の得意技だけどな。
猪木が大木仕留めるのに13分かかったら、馬場は半分のタイム
猪木と五分の激闘したロビンソンは鶴田の相手。
ブッチャーはメインで猪木と当たってるだけマシだろ。 >>797
イリミネーションの時は藤波の延髄→長州のラリアットでフォールじゃなかったっけ? >>816
大阪でやった2回目のほうでしょ
ちなみに85年にシングルで勝った時はアトミックドロップをコーナー蹴って潰して延髄斬りから首固め 新日はブッチャー引き抜きで、馬場から復讐の引き抜きがあると思ってなかったんじゃないだろうか。自分のとこの外人は、新日の闘いに魅了されてるから大丈夫と。 あれはブッチャーから新日に行きたいと梶原一騎経由で新間に話が入って来た それで後から揉めないよう馬場に話をつける事を必須条件とし直接馬場に伝えロスの自宅から電報まで出したがテリーによると馬場が本気にしなかった で後になって
「寝耳に水何も聞いてない!スジをとうせ」と騒ぎ出した
櫻井康雄も「ブッチャーは移籍だがハンセンは引き抜きだ」 ちなみにビルロビンソン 大木の時 馬場は新日に何も連絡しなかった >>772
>>773
谷津もデビューしたぞ!(苦笑) >>815
馬場は論外
ジプシージョーの扱いには殺意が沸いた 新日にマイクジョージが参加した時も扱いが悪すぎてガッカリしたな
R木村と組むっていうだけでも国際の日本人エースと外国人エースのタッグでワクワクしたけど
猪木に延髄切りでやられるだけだった >>825
でも私服でタイガーマスクをボコボコにしたのはインパクトあったぞ >>820
新日派の櫻井が言ったって説得力に欠ける >まだレスラーとして駆け出しだった頃、ブッチャーとシンの二人は
>一緒にサーキットすることもあり、節約のためにホテルの相部屋に宿泊もしたそうです。
>ある時、シンが朝寝過ごしてしまい、目を覚ましたらブッチャーは金を払わずチェックアウトした後で、
>やむなくシンが二人分の宿賃を払ったなんてことがあったそうです。
>以来シンとブッチャーは不倶戴天の仲でした。
なんてチンケで笑えるエピソードだww >>821
ロビンソン、大木とブッチャーじゃ全然立場が違うだろ。 馬場は国際と提携時、木村と二回もシングル戦をやったが
猪木は国際が潰れるまで一回もタッグでさえ当たってない。
木村の相手には長州にも抜かれて5番手くらいに格下げされてた
元国際の小林があてがわれた。 >>831
だから、ロビンソン、大木は筋を通さなきゃならないいほど
新日に定着してなかっただろ。
新日は国際にロビンソンのことを連絡したのか? >>833
言ってる意味がわからん スジをとうせは馬場の発言 >>834
だからブッチャー引き抜くのとロビンソン、大木じゃ意味あいが違うって話さ。
エース外人と一緒にするなということ。
ロビンソンなんか一回こっきりしか参加してないだろ。 同時期にNo.3の戸口も引き抜いた時点で
どう見ても宣戦布告だわな 全日本プロレス中継という番組のレギュラー出演者を
全日本プロレス中継と激しく視聴率争いを繰り広げているワールドプロレスリングという番組に出演させたら
テレビ業界的にはこれはもう仁義なき戦いになるわ ノミ行為で謹慎中の志村けんと仲本工事がひょうきん族の初回に出演するようなもんか >>835
この件はスジをとうせ だがこの件はスジを通す必要がない
は其れこそ「筋が通らない」だぞ >>839
> この件はスジをとうせ だがこの件はスジを通す必要がない
そんなの世の中にいくらだってある。
全部が全部同じにする必要はない。
刑罰だって犯罪の質、量によって変わるだろ。 >>840
話がズレ外れてきてるぞ 馬場のそれは仁義の話 >>841
だから同じだって。
仁義だろうが何だろうが質、量によって重さは変わる。
筋通さなきゃならないほど重いかそうでないかの違いは確実にある。 >>842
高田、小杉、高野俊二がもデビュー。
6.24蔵前で長州vs健吾の後でクロネコが藤波と対戦。 >>843
なら新日はちゃんと筋を通してる 馬場に言われる「筋合いは無い」し馬場が筋を通せなど言う筋合いも無い >>845
何がならなんだ?馬場に言わせれば通ってなかったから通せって言ったんだろが。 契約違反や不履行伴うのなら引き抜きだろ。後は契約の自由だろ。 >>844
前週のワープロでは、蔵前では藤波と戸口がシングルで当たると古舘が伝えてたのに
結局はキラー・カーンvs戸口に変わってたな 85年のタッグリーグ
当初の予定通りジャイアント、スーパースターだったらジャイアントマシン、スーパーマシンで参戦してたのかな… 85年のタッグリーグて若松いたっけ?
一時期ナガサキとポーゴに付いてた気がするけど。 ナガサキってミスターサクラダ、ミスターフジのコンビで新日特番に出てたのな >>849
藤波x戸口が見たかった。初戦だから戸口が負けることはないと思うが、接戦だったと思う >>851
決勝が行われた仙台でなんの脈絡もなくリングに登場して暴れただけ。
ちなみにタッグリーグの時、ナガサキ・ポーゴは正規軍の助っ人扱いだった。 改めて81年蔵前のR木村戸口対テキサスアウトローズ観たけど戸口の上手さが目立った
ローデスの耳元で囁きながら試合をリードしてる
木村は付いていくのに必死な感じ >>855
国際はぐれ軍は浜口で持ってた気がするし
国際血盟軍は鶴見で持ってた気がする。
木村って国際のエース時代も含めてただの神輿って感じ。
まあ神輿に担がれるだけ、ただの中堅で終わるよりはマシだったのかもしれんが。 >>855
面白い試合だったよね、アウトローズの国内ベストマッチだと思うよ。 アウトローズって翌年のMSGシリーズでもカーン戸口組や猪木藤波組と試合組まれてたけど印象に残ってないんだよね
時期的に考えてもアウトローズ対ブッチャーアレンとか実現しても良かった
その辺が新日の下手なとこ >>859
2月3日は「こんな会社、辞めてやる!」と、藤波が雪の会場外へ… >>858
猪木藤波xアウトローズは印象に残ってる。あんな残虐なシーンを見せられショックだったから。
その後続かなかったね 若松が付いた選手
マシン1号〜4号、アンドレ、スーパースター、マッドマックス、ナガサキ、ポーゴ
あと誰か居た?
タッグタイトルに挑戦したアダムス&ジャッカルには付いたっけ? >>856
国際最後のエースの看板も背負ってたしな
井上によると国際時代の浜口は大人しかったらしく新日本に入った事で俺がやらねばと踏ん切りが付いた印象
また維新軍団は長州自身がイケイケだったからやはり浜口の絶頂期は国際軍団時代の印象 今見ると浜口なんだよね!猪木が「浜口を見習え」と言っていたらしい >>862
武藤が凱旋したシリーズ大和大会限定でスーパーマリオマンかなんかについてたな
大和車体体育館隣の中華屋さんと若松が知り合いで
その日出た感じだな スーパーマリオマンとかいたな
どんな選手かと思ったら思いっきりレイキャンデイでガッカリしたw >>866
新日時代の浜口は素晴らしかったが、決め技がないという欠点があった。
エアプレーンスピンからのバックフリップでは弱い。
井上と違ってシングルがイマイチ。 >>870
一撃必殺の技があるかないかが、一流と超一流の違いかな。
エアプレーンスピンからデスバレー(まだ未開だけど)なら説得力あるけどね。 浜口エアプレーンスピンからのバックフリップ大好きで
新日レスラーがカウント2も入れずに返すのが嫌だったが
はじめての生観戦で星野勘太郎からピンフォール取って嬉しかったの覚えてる フライングネックブリーカーは高く飛ぶからフィニッシャーにできたと思う。
5vs5で健吾に勝った時のように、時々トップロープからやれば必殺技感が上がる。 デスバレーって品がない技だよな〜
80年代にそんな下品な技なんて無いよ・・・ タイガー戸口は83サマーの時に維新軍と共闘するよりはラッシャーと組んで欲しかった。
戸口って維新軍の誰ともチームプレイが噛み合わなそう。 ブッチャーの本で
浜口はアルゼンチンバックブリーカーからバックフリップやれと書かれてたんだけど
ゴーストライターだったのかな 戸口は最近改めて上手いと思う
好きでは無いけど試合になるといつも上手く組み立ててる
当時の外人選手は猪木よりも戸口を信用していたんじゃないかな 相手の信用はあっても
その分意外性がないから
見てる方はつまらない エアプレーンスピンからのバックフリップ
地方だと受けは良かった
大都市だとそれで決まるのかよ的雰囲気が >>877
だろうな。しかもあまりプロレス知らない人。 >>876
まさかドチビの浜口の下に据えられるとは思わなかったろう
六人タッグでピンフォール負けを強制させられて
戸口は新日に移籍した事を心底後悔したに違いない
全日に残ってれば、いずれ天龍の下になる事は確定としても
少なくともメインに近い中堅の地位は確保出来ただろうし
実績とキャリアに基づいた待遇も努力によって得られる事も可能だった
当時の新日ではそれすら望めなかった 84年のタッグリーグは、猪木戸口組でも良かったかも? UWFを退団した木村と剛が新日に行ってたら
木村は猪木のパートナーとしてタッグリーグ出場だと思うけど
剛は、どんな扱いだったかな?
テレビマッチでマシン軍相手にジョパーを務めた星野やシュルツやビリージャック
相手にジョパーを務めた高野の代わりを剛が務めたのかな? >>876
MSGタッグでカーンと組んでるというだけで
維新軍に入れられたようなもんだからな。
カーンは83年はこのシリーズだけ出ていない。
>>885
剛はマシン3号だろ。 >>887
猪木が年下だから、
「オイ、弟!」みたいな感じ? >>885
83年8月28日、欠場明けの猪木が田園コロシアムで木村を卍で下し、
シリーズ後半9月21日、大阪府立で再度同一カードが組まれ
僅か5分程で木村をノッウアウト。
特に大阪の試合は、社長解任でマッチメーク権が選手会に移譲され
勝ったばかりの木村との再戦要求に納得できない猪木が
試合開始から怒りをあらわにし、リンチまがいの攻撃で木村を血の海に沈めた。
一連の国際軍団との抗争を無にする一方的なもので、
「こんな試合を組んだお前らのせいだ」と、わがまま勝手な振る舞いで
レスラー木村のプライドも価値も叩き潰してしまった。
こんなわがまま勝手な猪木と、いくらUWF帰りで1年の時が経っても
タッグなんか組めるはずはない。 >>891
あの試合は、木村が腰痛で前日まで欠場しており
猪木戦当時も腰痛を押して無理矢理出場したので
歩くのもやっと位の状態で、まともに試合出来る状態じゃ無かったので
あの様な短期決戦で決着つけるしか無かったという説もある。
まぁ、猪木が糖尿になる前のベストコンディションだったら
動け無い木村を引っ張って違う展開になってたかも知れんけどね。 当時の事を憶えてないんだけど83年MSGタッグの猪木、ホーガン組はすんなりとタッグ組めたのかな…失神事件の後だけに… 83年MSGタッグの時の猪木とホーガンはシリーズ序盤で不穏な空気があった気がする。
終盤ではそんな空気無かった事になってた覚えがある。 IWGP優勝戦でホーガンも猪木不信があったせいか
開幕当初はタッチワークに不安が残ったけど、安定した強さで優勝したね。
暮れにはバックランドがアイアン・シークに敗れ
翌84年からホーガンの時代が到来するんだね。 この頃ホーガンやたら来日してたイメージだけど83年は新春黄金とIWGPとMSGタッグだけだよね?
前年がよく来日してたからそんなイメージだったか。 >>896
WWF王者になって以降は、シリーズフル参戦は無くなったよね。
まぁ、それは現役NWA王者もそうだけどね。
けどAWA王者時代のハンセンやニックはフル参戦経験あるよね。
マーテルは無かったけどね。 >>883
> 全日に残ってれば、いずれ天龍の下になる事は確定としても
全日に残ったら天龍の下は確定しない。
天龍は戸口が引き抜かれたから日本に呼び戻された。
戸口が全日に残留してたら呼び戻されなかった可能性すらある。 >>898
天龍自身が戸口離脱後呼び戻された時も
すぐアメリカに戻ってフリーで生きていこう
と考えてたくらいだからどんな結果に
なったかは分からんよ。 >>899
いやだから確定しないと言ってるんだろうが。 84タッグリーグでは特別試合でアンドレ対戸口が何試合か組まれたけど
何の印象も残らない凡戦だった、アンドレに生卵投げた観客も悪いけど
かつてタッグパートナーだったキラー・カーンがアンドレと抗争したぐらいだし
同じ大型ファイター、記憶残る試合が出来ていれば新日の評価も変わったと思うんだがなぁ 戸口がボックとやった大阪の試合は当時放送されなかったよな
CSでは放送されたりしたのかな? カーンと戸口って実は戸口の方が背が高いんだっけかな… >>902
しばらくヨウツベに上がってたよ
仕事と割り切った戸口がそっけなかった印象。。 >>891
>>>こんなわがまま勝手な猪木と、いくらUWF帰りで1年の時が経っても
タッグなんか組めるはずはない。
それは認める。蔵前のアレンの一連からそう言ってるんだと思うけど、猪木&R木村は無いよな〜 >>898
戸口離脱が無かったら、天龍はずっと戸口の下。4番手だったの間違いない。
鶴田・戸口のコンビが超獣コンビの相手をしていた。
馬場さんは格を重んじるからね。天龍は原とアジアタッグ止まりだったと思う。
UNは巻けなかったよ。本人が言ってるんだから。 >>870
やはり浜口のシングルのベストバウトは鶴田戦か
>>881
途中からエアプレーンなしのバックフリップだけになったんだよな
最後にエアプレーンをやったのは最初の変則マッチの時か 戸口新リングネーム募集で「たちつて戸口」を
応募したファンのセンスw 戸口の新日本第一戦が予定通りの藤波だったらどうなっていたか カーンのバカが相変わらず猪木と長州の悪口言ってるな。
紙面にはその内容が書かれていない。よほど酷いことを言ってるんだろうなあ。
こいつはモンゴリアン・チョップしか印象がないぞ。ビリー・グラハム並みに木偶の坊だったろ。
アンドレの足を折ったことで天狗になったな。 >>911
カーンは実際にはアンドレの足折って無いよ
本当に折ってたら干されてるよ。
あれは、アンドレが自爆して骨折しただけで
起点を利かせたカーンがアンドレの足を折ったような
攻撃をして、カーンが折ってたように見せかけた >アンドレが自爆して骨折しただけで起点を利かせたカーンが
>アンドレの足を折ったような攻撃をして、カーンが折ってたように見せかけた
笑いものになってる高橋本屈指のデタラメ描写がこれ それも嘘だろ。ベットから起きようとして自分で足首怪我したんだろ。
”Andre the Giant: A Legendary Life”
著者: Michael Krugman にはそう書いてあるしネットで見ると通説だよね。
自分が思うに他に飲み屋出たところで転んで怪我したとかいう説があって、
それが事実なんだろうと推測するけどね。 >>895
猪木ホーガン組のタッグリーグ2連覇は、そりゃ日米のスーパースターが組んだらそうだよなあ、と納得してたけど、
同時期にハンセン・ブロディ組が優勝できない最強タッグにはなんだかなあ、と思ってたなw
誰がどう見てもファンクスの方が弱っちいのに何が優勝だよ!ってなw 戸口の新日での残念さが語られてるが、なんだかんだいって、戸口と好試合をしたジャンボ鶴田は優秀なんだと思うな。
そういう点では、上で誰かいってる様に、藤波と最初にやれなかったのは残念だな。 戸口のベストバウトは、78年愛知でやった鶴田とのUN選手権だな。
時間切れで5分延長のドロー(通算1反則負け9引き分け)
トランプ大統領と一番親しい日本人?とうそぶいてるw 名勝負製造機の藤波だからね。長州、木村健、剛を光らせたからね
戸口の初戦が藤波だったら・・無念 >>919
月刊プロレスの蔵前決戦展望で、藤波と戸口の日プロ時代からの因縁を強調して煽っていただけに流れて残念だったな。
藤波は結局クロネコとシングルしたんだよね。 小錦も前日飲み屋で酔っ払って転んで骨折
翌日まで我慢して稽古に出て、ぶつかり稽古で
骨折した事にして急場を凌いだらしい オールスター戦の6人タッグでも、藤波との絡みはみな
緊張感があってやたら面白かった
まあ相手のうち二人は全日勢で引くわけにはいかないし
残る一人のマサ斎藤は盛り上げるのには定評があるし
あのオールスター戦の6人タッグ、当日まで「三本勝負」
と告知されていたそうだけど、一本取られるとして
鶴田藤波マスカラスの誰が負ける予定だったんだろう
どう考えても無理がある組み合わせだから、一本勝負に
したのは当然の処置だったという気がする >>922
本当だ!読み返したら3本勝負って書いてある。
1○藤波xマサ●、2○マサx藤波●、3○マスカラスx高千穂●だったんじゃないかな?
3本目をそのまま決勝にしたんだと思う。 初戦が全てっていうけど本当だよね
まだ長州もジョバーの頃だったし、藤波とのライバルストーリー作れたかも。
しかしNO3の座を捨てるって賭けだよな〜 戸口の新日での大一番ってなんだろうって思うけど、、
田コロでの猪木戦、MSGタッグリーグ決勝位しか無いんだよね。あとは大体アンダーカードだった。 >>923
メインが3本勝負だったらどうなるかな?
日プロ時代のBIだったら、猪木と相手が1本ずつ取って馬場が決めるのが
わりと定番だった。 もともとメインは馬場がシンを押さえるはずだったらしいんだよね
後の女子プロオールスターとか新日対Uインターとかの徹底したバーター主義、
団体ごとの勝敗はとにかく五分五分にするっていうやり方にこちらが慣れ過ぎて
しまっているからか、このオールスター戦は星取りがおかしく見えるんだよね
例えば新日と全日という本来絶対に五分五分にしなきゃいけないはずの取組が、
・バトルは大仁田が小鉄にギブアップして終わり
・第二試合は石川組が星野井上の新日・国際コンビに負け
・第四試合の極道コンビは堂々の反則負けとはいえ、星の上ではこれまた
長州・浜口の新日・国際コンビに勝ちを譲り
・唯一の新日全日シングル対決は草津の代役で人身御供を押し付けられた
ロッキー羽田が小鉄のレフェリングで6分の秒殺
メインは馬場がシンを押さえるはずと言われていたのに猪木が締めてしまい
(樋口のレフェリングだから、猪木の勝手な抜け駆けっていうことはない
既定事項だったんだろうけど) 結局この日全日側のレスラーで新日の
レスラーをフォールしたのは、外人のマスカラスがフリーのマサ斎藤を
押さえた6人タッグだけという片道貿易
グレート草津が坂口に負けるのを嫌がって試合をキャンセルした影響が
あるのだろうけど、新日はよく優遇されたなあという気がしてしまう もともとは反則決着だったのを、新日サイドが「シンに話を付けました」といって
フォール決着に急きょなったと読んだ記憶が。。
メインこそ3本勝負で良かったかも。 いっそ反則や不透明決着の方が 試合後の猪木の余計なアピールがなく
第2回に繋げやすかったかも… ピン決着ならどっちがって話になるし、だからと言って話し合うのも野暮そこで、シン、ブッチャーが嫌がっているということで話をまとめた
それを猪木が逆手にとって直前にシンの了解を得たって形で自分が拾った
猪木はビジネスパートナーとしてはかなりウザいな >>924
その頃の藤波じゃまだ大型の戸口相手に名勝負作るのは無理じゃなかったかな。 馬場がシンから取れる訳がない。
他カード全て全日本負けでも釣り合い取れない位。羽田の負けとか誰も気にする事無いし。 >>918
鶴田から一本獲った戸口のキウィロールはレアだった。YouTubeで最近見た。 83の戸口は新日だと正面から戦える大型選手がいないから持ち味出せなかったんだろうな。
リングは藤波と長州のちびっこ対決になって戸口が活躍すると連中の立場がなくなるし。
前田、マードックなどと一騎討の場を貰えれば活躍できたかもしれない。
そう考えると長州が幅を利かせたことで多くの選手が腐ったと思う。 >>936
IWGPでタッグタイトルがなくなったのはよくなかった。
坂口&戸口、カーン&戸口vsマードック&アドニス、オートン&アドニス、マードック&スーパースターとか
チビ対決とは別枠でいいカードが組めた。 オールスター戦のメインが不透明や両リンだったら
ファンにプロレスごと見放されるなw
決着ついてよかったよ
猪木とシンに救われたな >>922
一本目、鶴田(反則勝ち)戸口
二本目、戸口(反則勝ち)鶴田
*鶴田荒れ狂う。
三本目、マスカラス(フォール)高千穂
でOK. >>937
そういえば革命軍時代のマサと長州がビッグレスラーの座談会で北米タッグ復活を口にしてたな >>939 結果はアレしか無い。他団体の主力傷付ける訳にいかないし、両リンで納得する奴もいない。
何と言われようと猪木のファインプレー。 >>940 鶴田と戸口ならピンフォール1本づつ取るのはアリだと思うが、普段通りなのでやっぱり意味は無いよな。 >>942
それなら馬場がブッチャーからフォールでも良かったわけで。
要するに勝手に決めるなってことだろ。 82年のMSGシリーズでの戸口の成績はムラコ、シークにピンフォール勝ちで猪木、アンドレ、マードック、カーン、スーパースターにはフォール負けで坂口、木村、長州には両リンだったかな…藤波、谷津、アトラスとはどうだったけかな… >>944
オールスター時点で
ブッチャーは全日で一番の人気者であり馬場鶴田以上に主軸のレスラーだから
大舞台で完敗ブックを飲ませる根性は馬場にはない >>943
2ー0もあり得るんじゃないかな?
藤波がマサから取って、
同士打ちからのマスカラスが高千穂から取る。
フリー軍団は仲間割れ。 >>946
んなーことは無いだろ
馬場が取るなら問題無いし
どちらかにってなれば馬場か猪木かで揉める、それを回避したのを猪木が出し抜いた
プロレスとしては猪木の選択が正解だが仕事相手としては信用できない >>947
それが一番順当だろうね
ほぼ実質フリーのフロリダタッグコンビが華麗にやられ役を演じる
そう考えると現実に藤波が高千穂を、マスカラスが斎藤を押さえた
実際のフィニッシュは一本目と二本目をまとめて見せたものなのか >>946
猪木にシンから取らせるくらいだったら
自分でブッチャーから取るわ。
逆に猪木がそれをやらせたくなかったから
馬場に黙ってシンを説得したんだろ。 >>948
>馬場が取るなら問題無いし
無いことはないなw
実際にオールスター前後の数年間で
ブッチャーは馬場に完敗なんて一度もないから
イヤイヤ参加したオールスター戦で全日のリングですらないのに
そんな大盤振る舞いをするわけがない
下手に商品価値を下げるのが怖いと考えるが普通だ >>945
82年mSGは3勝8敗2分(14人中10位)で
フォール勝ちはシークのみ。
ちなみに前年のチャンカンは8勝4敗1分(14人中6位)。 全日からの移籍組で新日で生かされたレスラーは、マードックと越中くらいかな?
ブッチャー、戸口、ブロディ、スヌーカ、ドスカラスは全日の時のほうが良かったからね。 >>951
猪木にいいとこ取られるよりはマシだよ。
ブッチャーにはその後の通常のシリーズで負けてやるか
特別ボーナスでもあげればいい。 オールスター戦のメイン(BI砲対ブッチャー&シン)は
当初、両リンで決まっていたのだが、
猪木が土壇場で「俺がシンをフォールする」
と言い出して、馬場も渋々了解したって
ターザン山本が暴露していた。
で、決勝フォールを奪った勢いで
猪木は馬場に対決を挑んだわけだ。
これも、無論、馬場としては寝耳に水。
猪木はトンデモナイ野郎だな(但し褒め言葉)! 両リンや反則よりスッキリ決着の方が盛り上がったし、猪木の対決アピールも盛り上がったんだと思うけど、第二回の芽を完全に摘んだ >>954 馬場がブッチャー相手にクイックが出来ないから無理だね。普段負けないブッチャーが大舞台で完全ピンフォール取られるインパクトはあまりにデカい。
当時のブッチャーは興行の主役。馬場よりも大事な存在とさえ言えた。 メインの勝敗は猪木が「馬場さん、私がシンから取ることにします!」と爽やかに勝手に宣言されたとか馬場がボヤイたらしいけどね >>956
メインのBI勝利後、間髪入れずにファンクスが登場し対戦アピールしていたら
猪木のマイクも違う内容になり、第2回へ繋げられそうだけど…
まあ当時のファンクスこそ負けブックは無理だけどねw 両者リングアウトの決着でも別に良かったのでは?プロレス的にもピンフォール決着が正解なんて意見があるが、それは今の価値観。当時の価値観では、猪木と馬場のそろい踏みで満足、それに加えてブッチャーとシンの合体、でお腹いっぱいだよ。
それにことシンに関しては、この頃から新日マットでの立場が悪くなってるように感じるが。まぁ関係ないかな、俺の勝手な印象だけど。 >>958
シン&ブッチャー組はシンが強行に反対していて猪木と組んで馬場&ブッチャー組と対戦
したいと言う始末。ブッチャーはビジネスと割り切ったのかそんなに抵抗も無かった。
猪木はそんなシンを説得してフォール勝ちをまでさせる事を特別ボーナスまで出して
成立させた。ただ入場は猪木が先頭で馬場が最後と言う事で馬場を渋々、納得させた。
しかし新間は息子に桜を用意させて猪木コールを増大させる手に打って出た。
当時の状況からもう既に猪木コールの方が高かったはずだけどこういう所は抜かりが無い新日。
のちにシンのボーナスの一件を知ったブッチャーは馬場に要求したが却下された。
試合後の対戦要求だけはアドリブだったみたいだけどやはり猪木は試合を盛り上げる
優秀なプロデューサーだった。対戦要求をされて「クリアーすべき問題・・・」等と
言わず会場の雰囲気を察して「よし!やろう!」と返した馬場のアドリブも見事だった。 >>961
あの状況じゃ「よし!やろう!」としか言えないだろう。
「馬場さん、今は団体こそ違うけど マット界をもっと良くするために
これからも話し合いを続けましょう」とでも言えば、馬場も柔軟になったかもね。
この時点で国際は蚊帳の外だけどw >>960
シンに関しては、この年の春にハンセンが一気に台頭してきたからなぁ、霞んだ感は否めなかった。 しかし現実に第二回オールスターの話は進んでいたからなあ
あのアピールやら何やらで空中分解したわけでも何でもない
当時から新日と全日の人気にはっきり差があったのは関係者も
認めている厳然たる事実で、それを「○十人かのサクラが
新間に金をつかまされて猪木コールをしてたんだ」とグチグチ
著書に書く馬場はちっちゃい奴だなあと当時から思っていた
しかし9月に新日がパテラ、バックランド、ハンセン、チャボ、
ロン・スターを呼んで武道館で「4大タイトルマッチ」をやって
剛毅だなあと思ったものだけど、あれが第二回オールスターの
予定会場で、キャンセルされたのを新日が引き取ったとは
全然気づかなかった >>953
マードックはかなりの格上げだったね
全日だと同タイプのテリーがいたからエースとしては扱われなかったし 「SWSの崩壊の原因は週プロのバッシングだ!」
という輩がいるのは気づいていたが、
同レベルの脳みそで
「猪木の馬場対戦要求で第二回オールスターが潰れた!」
と言っている奴もいるのか!(呆) >>961
前田から逃げ続けた猪木はプロデューサー失格だよなあ UWFがUターン参戦した時、ファンが1番観たかったカードは猪木vs前田
長州軍がUターン参戦した時、ファンが1番観たかったカードは長州vs前田
しかし、どっちも実現しなかった。 第2回が潰れた元凶は、ハイセルだろ。
猪木は84年4月4日の全日岡山大会に馬場を訪れ、直接謝罪と事情を説明している。
マイクアピールで「だから信用できない」と言ったのは、
スタンドプレーをする猪木を快く思わない馬場の心境で、あれで潰れた訳じゃない。 ハイセルって堆肥に落ち着いたのか?
猪木は早すぎたとか言ってるけど飼料なんて今でも無理なんだよな >>970
ブロディが新日参戦した時、
ファンが(猪木戦以外で)1番観たかったカードは
ブロディ対アンドレか、ホーガン。
しかし、どっちも実現しなかった。 >>936
前田と抗争して前田の壁に戸口がなれば大型対決なのも含めて 戸口の格上げになったかな?って思ったりするが俺の幻想かも知れん >>971
あれはUWFの件の話し合いかと思ってたけどハイセルの件だったのか。 今、病院で順番を待っていたら、「鈴木みのる様」と
コールがあってワロタ。普通のおじさんだった、勿論別人。 >>966
> 当時から新日と全日の人気にはっきり差があったのは関係者も
> 認めている厳然たる事実で、それを「○十人かのサクラが
> 新間に金をつかまされて猪木コールをしてたんだ」とグチグチ
> 著書に書く馬場はちっちゃい奴だなあと当時から思っていた
サクラ使ってまでコールさせる方がよっぽでちっちゃい奴だと思うが。 >>977
猪木コールに触発された馬場ファンが馬場コールを起こし、これが初の馬場コールだったとも書いていたね。
金で言わせた猪木コールよりも価値ある馬場コールだった。 >>969
その前田が、馬場さんはプロデューサー的な考え方ができるけど
猪木さんは常に「自分」を出さなきゃ気が済まない人だからと評しているからな UWF移籍前の前田が猪木と対戦したのシングルもタッグも高松なんだな >>976
「鈴木みのる」だったら
掃いて捨てるほどいるだろ?
俺なんか、やはり病院で
「よねくら・りょうこ」が呼ばれたので
ビックリした。
別人だったけれど。 >>979
結局は信用できない奴とは向き合えないやね。
自分が相手よりも強いという確証があれば別だけど時代と技術でコロコロ変わるからね。 猪木が前田と絡む時は藤原と組んで前田のパートナーに木戸っていうのが多くて大人の事情とはいえつまらなかったな >>981
先日のカンブリア宮殿かガイアの夜明けで
クドウシンイチさんと聴こえてきて実況スレが一気に盛り上がったわw
スレ違い失礼 >>983
猪木は、パーティーには藤波を危険な場所には藤原を連れて行くそうだよw >>967
マードックがエースのシリーズは割りとあったよ、ただ閑散期の捨てシリーズばかり。 >>985
猪木は大事な試合は藤波をパートナー、捨て試合は健吾をパートナーにした。 >前田のパートナーに木戸
長州浜口斉藤カーンに谷津も疎かな扱いが出来なくなり
毎週両リンで客も視聴者も不穏になりつつあった幕末風雲絵巻の後半よりはマシ >>971
80年に企画が潰れた話を84年に説明したって事?
いくらなんでも間空きすぎじゃない? ラッシャー木村は猪木の東京プロレス参加のために日プロ辞めたのに
東プロが潰れても日プロ復帰に協力せず、国際の吉原に押し付けた
ばくれ国際軍団の抗争にはそんな過去の背景があったのかと思ったが
実際は豊登が引っぱっていただけで猪木に責任は無さそうだった
ただ、東プロ時代の印象から木村を雑魚扱いで見下していたのは確かなようだ
「誰の挑戦でも受ける」と喧伝しておいて、木村に挑戦されたら
「立場が違う己を知れ」では筋が通らない、だったら最初からデカい口叩くな 新日スレに乗り込んで来て口汚く猪木や新日を
罵るやつのIDがみな単発
ほんとみっともないなwww >>967
あとからファンクファミリーから同タイプのスレーターとデビアスも出てきたよね。
新日に行くと価値を落とされる全日外人の中で、マードックはハンセン、アドニス、スーパースターなどとのタッグ。
UWFとの絡み、IWGPリーグ決勝進出と活躍したよね。 84〜85年頃?に噂に上がったけど新日に移籍しなかったのって、デビアス以外にどんな選手いたっけ?
藤波対デビアス見たかったんだけどなあ。 バックランドとデビアスの対戦ないしタッグは見たかった このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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