【ワッチョイ表示】萩尾望都【63】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
■萩尾望都さんの作品群について、ファンも普通の読者も忌憚の無い意見・感想をどうぞ。
ただし根拠のない批判・中傷はアンチスレでやってください。
前スレ
【ワッチョイ表示】萩尾望都【62】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1594820084/
■ネタバレ解禁は公式発売日AM0:00よりを心がけて下さい。
■flowers 毎月28日(変動あり「次号予告」参照)
ttp://flowers.shogakukan.co.jp/
@flowers_edit
ttps://twitter.com/flowers_edit
■次スレは>>950を踏んだ人がスレ立て宣言して立ててください。宣言はスレの乱立を防ぐため必須です。
950を踏んだ人が立てられない場合はその旨を宣言して有志にスレ立てを依頼すること、踏み逃げ厳禁。
踏み逃げが出た場合は有志が宣言してスレ立てするか、960を踏んだ人が宣言してスレ立てしてください。
■ワッチョイ付きの新スレの立て方
新規スレッドを立てるときに、本文の欄(内容)の1行目の行頭に
!extend:checked:vvvvv と入れてください。
このスレ立てコマンドはスレ立て成功時に消費されます。
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 一度きりの大泉の話
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029627/
>これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です
なんとなくわかるようで意味がとりづらい・・・
しかし激しく興味深い内容。楽しみであり不安でもあり >自分が見つけたというより、エーリクが見つけてくれた、そういう気分になります。
「湖畔にて」思い出した 池端慎之介の若い頃(ピーターだね)の映画で「薔薇の葬列」というのがあって
検索すると一部シーンの動画が落ちてるのだが
なんか24年組などの少年愛路線と地続きな感じが面白いな
この手のコンテンツは洋物ばかりなイメージだったが違うんだね。 海外の人が選ぶ日本映画のランキングに入ってたりする・・・ 薔薇の葬列ぐぐってるとかなりの確率で寺山修司の田園に死すの動画もあがってくるんだけど
川を流れる雛段を初めて見たとき動揺したわ
60年代後半〜70年代あたりって四谷シモンや金子国義なんかが出てきて
澁澤龍彦もいたし、耽美寄りな文化の流行があったような感じ >>11
逆オイディプスなんだよね。
しかし16歳に、知らずに父と寝るゲイの役(ベッドシーンあり)を演じさせてるのか。今ならできないよね。
家出少年だったが、偶然にも芸道に関する基礎と背景がある
(リアルの父親が日本舞踊の人間国宝で幼い頃に日本舞踊の娘踊りも踊っていた)
ピーターだから潰れずに済んだと思うが。 あんまり詳しいわけじゃないけど映画においては
1.アメリカでは1950年代にアンダーグラウンド映画運動があって、その中でアンガーなんかの同性愛者が自分たちの為に作った作品などが紹介された
2.日本では1960年代に、それまでの海外での(小規模)アート映画が紹介されて、学生運動なんかのなかで若い世代の為の映画として自分たちでも作るようになった。
3.70年代後半から80年代には、映画とはなにかを考察するような作品が、日本でもアメリカでも作られたし、自主アニメにもそれらの作風が流入した
「薔薇の葬列」の監督は、1以前から日本で作ってた大御所みたいな人
寺山修司の映画作品は2のあたり
「さよなら銀河鉄道999」の惑星ダイアンドロメダ突入シーン(色鉛筆)は2の時期に作ってた人
エヴァンゲリオンの16話とか25話とか、「きまぐれオレンジロード」のED2とか、関係なさそうなのに突然アートっぽくなるのは、作り手の学生時代は3なので影響受けてるんだろうと思う 寄宿舎ものは西洋では昔から小説や児童文学の題材にあるけど
日本で寄宿舎ものってあったかな ちょっと思いつかない
「ドドおばさんがやってくる」のドドおばさんって
児童書の「番ねずみのヤカちゃん」に出てくるんだね
不思議なネーミングだなあと思ってた >>16
日本で学生寮が舞台と言うとドクトルまんぼう青年期みたいな
むさ苦しい男のバンカラ物になってしまうんじゃないの トーマに触発されたと言う恩田陸さんのネヴァーランドとか女の子なら氷室冴子さんのクララ白書 >>16
寄宿舎ものは三島に短編があったはず
でも日本だと>>17さんのおっしゃる通り寄宿舎より「寮」のイメージ
私の祖父は中学から全寮制の学校で楽しく過ごしたらしいけど自殺も多かったと言っていた ドラマにもなったネバーランドはトーマに影響されてたのか!
クララ白書&アグネス白書はコミカライズも良かったね。 日本の寄宿舎物だと吉屋信子とかの少女小説になるかなあ
明治〜昭和戦後あたりに少年寄宿舎がなかったわけではないよね? その頃の優秀なローティーン男子は陸軍の幼年学校に入るんじゃないかな ひみつの階段も初めて読んだとき懐かしかった。寄宿舎ものの女の子版。 そういえば映画「千年女優」って
ヴィオリータだよなあと思ってた 「ぼくの輪廻」ておっぱい少女漫画を読んだ時ラーギニーを思い出した >>25
私は何回も生まれ変わってついに結ばれた里中満智子さんの海のオーロラを思い出した
あんなに必死ではないけどw グリーンウッド面白いよ!
ケータイもポケベルもない時代の、いろんな背景を抱える少年たちの日々。しばしばファンタジーの世界に迷い込む。
少女漫画だから不快な男臭さはなくて読みやすい。 >>25
ハッピーエンドな睡夢だと思ったわ
二階堂ふみ可愛い 寄宿学校の話見てたら、何故か唐突にトーマの心臓のバッカス思い出した
思い出したら止まらない バッカスて事実上あの学校のボス的存在だったよね
ゆったりのんびりしたイメージだったけど
過激なところもあって、ユーリの根性叩き直すのにブン殴れとオスカーをけしかけてた
校長倒れた時ユーリがオスカーの元に行くのを躊躇したら、自分でぶん殴るつもりだったらしい
そのシーン見たかった気がする 旧制高校の寄宿物というと(厳密には一方が寄宿生でもう一方が自宅通学生だったけど)
福永武彦の『草の花』の「第一の手帳」が弓道部の後輩に片想いする話だったな
「第二の手帳」がなんだかんだで、後輩の妹と恋仲になるけど結婚には至らない
これwikiって見たら1954年に書かれた小説だそうで >>35
そう 後輩はすっごく学校の成績が良いのに、結核で亡くなってしまう
この小説を初めて目にしたのが高校2年の時に3年に混じって受けた大学受験用の模試の
現代国語(当時はこういう科目名 今だと現代文)の小説の問題文
「第一の手帳」の中の、ボートの中でオールが流されて二人っきりという場面で
この手のものに免疫がなかったので「私は一体何を読まされているんだろう」でしたよ
一応出典は記されていたので、文庫本買ったけど(国立一期校二期校世代) >>36
そうですね 官立ではなく私立の旧制高校でしたね 福永武彦の『草の花』は自分が一番好きな小説
美文に酔いしれた >>37
細かいこというと第一の手紙の中で藤木忍が死ぬのは結核ではない
結核でサナトリウムに入所していた汐見茂思
自殺とも受け取れる難しい手術を受けて >>40
あ、そうでした
藤木は夭逝しちゃうんだけどなんの病気でしたっけ >>37
予備校の夏期講習の現国のテキストに藤木の妹の「私」への手紙の部分が問題として出てたの思い出した
子供のピアノのお稽古の終わるのを待ちながら云々の部分で予備校の先生ががらっぱちな人で「この女まだ枯れてねぇぞ、もう一花咲かせる気じゃねぇか」って言ってたなw
高校時代夢中で読んで大人になったら一時期は汐見の自己中心的で子供っぽい性格が鼻についたけど最近読み直したらそういうところも含めての耽美小説として楽しめた
久々に儚さや純粋さに胸がキュンとしたわw NHKのマイブックという名前の番組だったかな、だいぶ昔、斉藤とも子さんが司会を務めてた番組の中で、石原慎太郎が好きな小説としてこの草の花をあげてた 「美しい魂の錬金術」とか「英雄の孤独」とか主人公、頭おかしいとしか思えんかったわ
春日・藤木・立花・千枝子とか主人公以外の登場人物が真摯で感動的だったから完読できたけど >>46
あ、なんか現実的な人
オービンを子供みたいと評する江ディスみたい 考えてみりゃ30代後半でエルフがどうのと言ってたり霊感が無くなるから髪を切らないとか
本気で言ってるようなヤバ過ぎる男だな
彼女は結婚しないで正解だった
一生バンパネラ捜しに夢中になって家に帰らない夫になる
オスカーの実父グスタフみたいな放浪男になるだろう オービンのはオタクのバンパネラ萌えと言うよりは
エドガーのストーカーみたいな感じだったからなあ
ベニスに死すの少年に執着する老作曲家の行動に近いかも うん
エドガーの足跡を辿っていく中で彼と行動を共にしていた人物や周囲の人々に対する関心が薄い
バンパネラの実在を突き止めるのが真の目的なら、それらしい複数の存在に向けてアプローチしそうなもんなのに グレンスミスの日記読んだらバンパネラが村一つ作るくらいいたのはわかってるんだから
本出したり集会開いたりすれば
何らかの妨害があるかもと考えないのかなぁ
いくらロマンチストとはいえ まさかあそこまでやるとは思わなかったんだね>館への放火 あれは未必の故意による殺人かそれともはっきり殺人か オービンが愛したのは自分の夢想の中の魔物
現実に化け物が存在したらどう対処すべきかなんて考えてないと思う 平気で魔法陣なんか描こうとするあたり病気としか思えん
まぁコナン・ドイルも妖精信じてたぐらいだからあの当時は今よりそういう人もよくいたのかも
エドガーは実際会ってるし妖精っぽい雰囲気だから夢中になっただけだろ
だから捕まえて金庫に閉じ込めて鍵をかけるなんて発想が出てくる 奇形人間や未開民族が見世物として珍重されてた時代だからねえ あー変な人に捕まったら血を飲む世紀の奇人として
見世物小屋に売り飛ばされる可能性もあったか >>58
フリークショウだね
19世紀イギリスで盛んだったという グレンスミス「………」
エリザベス 「………」
ユーリエ 「………」
マルグリット「私らの立場は」
ドイルがコティングリー妖精事件にかかわったころは交霊術ブーム
いまでこそ「紙に絵をかいて切り抜いて撮影しただけじゃないの」と思うけど
ポーが描かれた70年代もオカルトブーム 調べたら映画フリークスの公開が1932年だった
奇形人間見世物ショーを題材にした映画で出演者がみんな本物の障碍者って言う問題作
オービンが子供の頃はそう言う見世物小屋がたくさんあって大人になるにつれて廃れていった時代なんだろう
だからエドガーを追う気持ちにはノスタルジーもあったのかもね 久留米市美術館のポーの一族展 今日からですが行かれた方どんな感じでしょう?時節柄混雑はしてないと思いますが >>61
当時からあの写真は怪しさ満載で突っ込まれていたけど
ドイルは怪しい点にはあえて目を伏せて本物だと主張した
彼の信じたい物語をそっくり持ってきた少女たちのアレを本当のことにしたかったのかな
オービンと同じくロマンチスト? ポーの一族展、鹿児島の時行ったけど、もう一回ぐらい行きたかったなぁ。
仕事では久留米に行くことあるけど、展覧会は我慢します。 自分も去年の鹿児島のとき行った
ついでに鹿児島水族館にも行って美味いラーメン屋にも行ってきた
久留米は美味いラーメン屋いっぱいあるから良いよ 萩尾さんの大泉の話をざっと読んだ。
50年経っても、萩尾さんの心には別離の時の釘が刺さったままなんですね。
竹宮さんは大学での仕事も実績を上げて、萩尾さんへの激しいコンプレックスをおそらく
美しい思い出に出来たので、『少年の名はジルベール』を萩尾さんに送ることが出来た。
でも、萩尾さんは別離以後、竹宮さんに関するあらゆるものがまだ読めないでいる。
無意識に人を傷つけていたことへの呵責。
切ない。 「アマデウス」を見た時、萩尾さんはサリエリの心情が理解できなかったというのをなんとなく思い出した (そりゃアンタにはできないよと周囲から突っ込みが入った事も含めて)
でも萩尾さんはモーツァルトじゃないから
思い出す事も辛い程のトラウマになった
しんどかったろうな 大泉の話、読み終わった。
竹宮さんの本もすこし読み返してみると・・・ 萩尾さんと別れる前は竹宮さんが鬱状態みたいに
なって仕事もスランプで大変だったけど、別れたあとは立ち直って、連載もこなし
スランプ脱出して念願の風木も描きあげた。
いっぽうで訣別を告げられたほうの萩尾さんは理由がわからず心身症みたいになるほど悩んで
記憶に「フタ」をすることで解決したけど、封じた記憶を呼びさまされると今でも具合が
悪くなる。まるでPTSDか、呪いでもかけられたかのよう。
萩尾さん側から見ると理不尽だわあ
いや〜〜結局、同居したのがすべての間違いのもとだったのかねえ・・・ あと萩尾さんが「少年愛というものがわからない」、竹宮さん増山さんがうっとり語る少年愛の美しさ、良さが
理解できないという話、びっくりしました。
ある程度は好きなのかと思ってたw
少年愛漫画に挑戦しようとして「雪の子」を描いたとはビックリ
いや、私も「いまいちピンと来ない」ほうなので、萩尾さんに親近感覚えてしまいました。
BLで盛り上がる友人達の話についていけず、なんかおいてきぼりにされる感覚、私も味わったのでw それとマネージャーの城さんが巻末に書いているが、20代の頃の萩尾さんは、
それが作品のひとコマへの疑問だとしても、作品全体を否定されているかのように受け取る可能性があったと書いている。
すごく繊細なところがある。
対する竹宮さんは「私はこれまで負けたことがない。親からも信頼されている」と自ら言うキャラクターだった。
当時のアシスタントへの指示
竹宮「本当はこうは見えないはずだけど、絵的なはったりが必要だからこう描いて」と具体的。
萩尾 これは桃じゃなくて石とアシスタントに原稿を返し「桃、桃と思いながら点を打って」
かなり直感的な人でもあるんだなあ。 >>70
仲が良い山岸さん、城さんもともに、小さい頃から男同士の友情に萌えるタイプなのにね。
私は思春期は男同士に萌えるタイプじゃなかったが、三島は違和感なく読めた。
情としてはわかる、でもわざわざベッドシーンまで見たくはないかな程度。 あんなに「漫研の部長みたい」って言われるほど読むのも好きな萩尾先生が、50年も竹宮先生の作品を視界にも入れてないなんてねぇ… >>70
増山さんは博識だが、かなり独特のキャラクターなんだね。
締切間際に竹宮さんに料理をねだるとか、
ヴィレンツ物語の原作として名前は出さない、
でも当初から、その作品が評判になったら明らかにする計画だったとか。
←萩尾さんは絵を描く漫画家が読者から「オリジナルじゃないの」と後で批判される罠があると感じたと書いている。
ヴィレンツシリーズは竹宮さんの綿密な演出あってこそ名作になったと評価できるけどね(みんな兄弟の後半除く)。 >>71
萩尾さんは親から自尊心を傷つけられて育った子どもだったから自己肯定感が低い
萩尾さんの6月の声や小夜の縫う浴衣のころの絵が好きなんだけど、ストーリーも好きか?
というとそうでもないことに気づいた
だから昔の作品は好きだけど、絵が可愛くなくなったらスッと離れてしまった
自己肯定感の低い人の漫画って、同じく親から自尊心を傷つけられて育ってきた者には
「この人は、自分とおんなじ思いをしてきたんだなあ ずっとついていこう」と
「この人についていったらいつまでも親から受けてた自分への呪縛が解けない 離れよう」の
二つに分かれて、前者が圧倒的に多かったんだろうけど、自分は後者だった >>69
大泉本が発売されたのですね
未読ですが、楽しみ
ここでの感想を読んだ限りでは、
竹宮さんの呼びかけに応えての出版なのかもしれませんね
二人とも漫画の世界から離れず、長生きもしており良かった >>68
萩尾さんは他者と自分を分けて考えられる理性の人って印象が強い
だから、他人の面白いマンガもフラットに面白いと楽しめる
竹宮さんはキャラ造りからして「若くしてすごい天才」とか「周りから注目される美少年」とか
他と比較して「すごい」と思われることに価値観の基準があるのが問題だったと思う
以前も書いたけど、萩尾さんが少コミ移籍当時の扱いは連載もカラーページも表紙も
圧倒的に 竹宮>>>萩尾だったよ
萩尾さんはマニア受け、でもマニアの「すごい」の声が羨ましかったんだよね
今は精華大の元学長とかエルメスの仕事とか「すごい」経歴ができたので安心したのかな
一方的にウ〇コ投げられて昔話ですまされた萩尾さんが気の毒だ >>76
竹宮さんとは50年間、ほぼ没交渉。
竹宮さんの作品やインタビューも読んでいない。
送ってきた本は城さんが送り返した。
今回の本は、各方面から大泉サロンのドラマ化、書籍化、対談などの企画がひっきりなしに何回も来て、
通常業務にも支障をきたす状態になることから(当時を思い出すと萩尾さんの体調が悪くなる)、
一度だけ徹底的にまとめて、それで終わりにしたいとの理由から。 何かのエッセイかインタビュー記事で、
「私は人との距離感をうまくとれない(うろ覚え)」
といったようなことを萩尾さんが語ってたのですが、
何に載ってたか御存知の方いたら教えてください >>78
なるほど、萩尾さんは徹底していますね
どんな形にせよ内容であろうと、
萩尾さんからの発信(ある種の返信)があって、
竹宮さんもどこか安心したんじゃないかと勝手に思ってます >>80
勝手すぎる
読んでから言いなよ
全然そんな雰囲気じゃないよ 一度きりの大泉の話の感想
まんま同人板のTwitter愚痴スレみたいな内容だった >>77
竹宮さんは典型的な少年マンガのキャラの立て方をするし
萩尾さんは自分の内面に沿ったキャラの立て方をするでしょう
萩尾さんは理性の人とは思わないけど、似たような哀しみ抱えてる人の
性癖を見事に捉えるんだよね
「範囲は狭いが濃いファン」が萩尾さんについてることを、比較するように
編集が竹宮さんに言ったせいで、竹宮さんがオカシクなって萩尾さんから離れたなら
双方ともに気の毒だよ
萩尾さんは「別コミ」で自分がどんなに読者アンケート低くても切られることはないって
特別な扱いだということ知らなかったのでしょう?
萩尾さんの「少コミ」の方の扱いは良くはなかったのは、両方の掲載誌読んでたから
(まだ絵が可愛かったから)知ってるけど、萩尾さんが特別扱いなのは竹宮さんの本で読むまで知らなかった そんな本が出てたのかぁ。読んでみます。
漫画家さんは早く亡くなる方も多いけど、いつまでも元気でいてほしい。
わたなべまさこ先生や平田弘史先生とかも。 >>78
いままで萩尾先生や山岸先生の作品は大好きなのに竹宮恵子(申し訳ありませんが敬称略)の作品にはあまり惹かれなくて何故だろう?と思ってたんですが
その理由が少しわかったような気がする
創作者には自分のなかに欠けたものを埋めようとする人とそうでない人がいて、萩尾先生は前者だけど竹宮恵子はおそらく後者なんでしょうね
萩尾先生は自分のこころのなかのなにかを埋めるために描いている人で
竹宮恵子は「『漫画を描く私』がちやほやされるために」描いていた人
>>75
>ずっとついていこう
自分がまさにそれで
萩尾先生も山岸先生も庵野秀明もトルーマン・カポーティも石ノ森章太郎先生も
いままで強く惹かれて好きになったクリエイターみんなそうだった 安価間違えた
>>86の上段は>>77様宛てでした >>86
竹宮さんは昔からお話しがどんどん沸いてきて友達に自分の創作と言わないで「こんな面白い本を読んだよ、映画を見たよ」と言って話して聞かせていたそうなので根っからの与えるタイプの作家なんでしょう
時々それが暑苦しい事もあるけど 竹宮さんは学生運動を経験し、当時としては最先端っぽい自覚があったんだと思う。
で、主に竹宮さんの戦う相手は権力を持った編集部。
風木の連載を途中で断念したのも、編集部からの打ち切りがきっかけ。
萩尾さんとの葛藤は、異能の人を目の当たりにしてのショックはあっただろうけど
本人の戦いとしては、美しい思い出に変換できる話なんだなと。 竹宮さんに人を傷つけたという自覚無いのが酷いわ
「萩尾さんの才能の前に傷ついたのはアテクシの方!」ってとこ? >>75
わかるなあ
自分は前者後者を行ったり来たりしてる
ある日ふっと萩尾漫画を読みたくなって片っ端から読み漁ったり背表紙に触るのも億劫なほど距離を置いたりしてる >>90
まあ、萩尾さんは、ご自分が編集側から特別扱いを受けていたことは知らないのでしょう
読者に楽しんでもらえる作品を描くのではなく、自分の内面から生まれる私小説的作品を
送り出していた、ある意味アマチュアの延長で、それが積み重なった結果狭い濃いファンが
少しずつまわりに布教して(薦めて)いってそれなりの数から支持されるようになった人なのだから
(でも、萩尾さんはご両親やお姉様から漫画家として認めてもらうことの方が大事だったのよね)
月刊別冊少女コミックや週刊少女コミック掲載で萩尾さんよりもアンケート上位に来た
他の漫画家さん達もいるのに、なぜ単行本フラワーコミックスの最初の一冊が
萩尾さんの「ポーの一族」だったのか
竹宮さんがはっきり本に書いちゃったからわかっちゃったけど… >>86
ちやほやされるために描いていたはないでしょ
萩尾先生じゃないけどそれこそ描いてもない人にそんなこと言われたくないのでは >>90
萩尾さんを傷つけた自覚があるかどうかはちょっと判断できないけど、
竹宮さんのほうの本だと、「遠い昔の思い出話」で、萩尾さんと別れて自分は立ち直った
という過去でしかない。
萩尾さんがいまだに大泉時代の話をされても、竹宮さんの話をされても体調を崩すほど
ずっと引きずってるとは夢にも思ってないだろうね。
このことを知ったらどう思うんだろうね。 >>94
萩尾さんが引きずられてるのは当然だけど、
49〜50年前は、数字だけなら「遠い昔」と言う以外は無いよね… 4.50年も前の話なのにいまだに体調悪くなるなんて
どんなにショックだったことか 萩尾さんは大泉時代の記憶にフタをし封印して、すべてを忘れることでやり過ごそうとしたので
ある意味時間が止まっちゃってるのかもね。 >>82
山岸さん、岡田史子さん、ささやさん、佐藤史生さんなどについても出てくる。
それと作品のことも。
仲が険悪になった原因は、小鳥の巣とトーマらしい。
竹宮さんがなんとかいつか描きたいと思っていた、男子寄宿学校の世界を、
そんな世界がピンとこないと言っていた萩尾さんが先に作品化してしまった。
萩尾さんは一瞬目にしたものでも、すぐに絵にできる才能があって、城さんの補足によると、
当時の竹宮さんは趣味で集めていた家具や品物も萩尾さんが絵にしてしまうのではという
恐怖(被害妄想)すら抱くようになっていた。
学校のそばに川や温室がある設定も、萩尾さんは自分の体験からだったらしいけど、偶然共通していて、
竹宮さんは萩尾さんに、風木の構想をパクったのではと問い詰めたことがあったようだ。
やはり、両者にとって一緒にいたことが切磋琢磨という意味では幸運でもあり、
それが摩擦になったという意味では不幸でもあったのだと思う。 少年の名はジルベール、を読み始めたけど、先に大泉の話読んでるらツライ…。 文学や映画などの情報を大泉サロンのメンバーは共有化していたから、
竹宮さんの影響だけとは言えないんだけどね、トーマと小鳥の巣は。
実際に映画の影響は大きいようだ。
読者にとっては、トーマ、小鳥の巣と風木は共通要素はあっても作品としては別物として読める、両方完成度が高い作品。
むしろ複数あることにより、広い意味での少年愛ものというジャンルが認識されたと思うけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています