【新春黄金】昭和の新日本プロレス16【ブラディファイト】
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>>681
それホント?
名古屋のプロモーター絡みかと思うんだが。 >>691
84年タッグリーグ→キッドスミス組ドタキャン、ホーガン組1試合で途中離脱
85年タッグリーグ→アンドレ、スーパースター不参加、ブロディ 組決勝ドタキャン
86年タッグリーグ→ブロディ 、アンドレ不参加
87年タッグリーグ→長州、前田途中離脱
85年IWGP→藤波が最終戦で勝てば決勝進出の可能性があったのに怪我で離脱
86年IWGP→マシンが会場に現れずトーナメント2回戦のアンドレ戦を不戦敗
87年IWGP→藤波、前田が怪我で途中離脱
こう見ると、まともに行われた大会の方が少ないよなwww
他にも途中離脱や不参加の選手が居たが興行的には影響ないので省略 >興行的には影響ないので省略
80年のパワーズ・ベイカー
81年のサモアンズとパターソン
みんな現在では帰国後に本国でビッグマッチがあったとバレちゃってるなw
パワーズだけは仕事もないただの帰国だけど
81年はパターソンが帰国してもパートナーのアレンは残ったのに
全日では78年のシークがそのパターンだけど
新日来日時は地元の興行トラブルでのガチ帰国だったな >>695
シーク離脱の時は、入れ替るようにカマタが来たしなwww >>696
シークが怪我した日には日本にいたと思う。 あれは準備良すぎたw
いっそのことブッチャー組は棄権で
ブッチャーは残りの日程は連日公式戦ない相手とシングルでも良かったのにな
当時の全日でブッチャーなしの最強タッグはありえなくても
この年は目玉のファンクス戦は終わってたんだから公式戦にこだわることない
どうせ優勝争いは師弟コンビとファンクスだったんだから
むしろファンクスの公式戦もドリームマッチものない日に対決を多く組める >>693
ぐちゃぐちゃだな。スーパースターではなくアドニスが不参加
86年にマシンはいません。それは85年。藤波はケガではなく決勝でアンドレに敗戦ね。 >>693
86年IWGP
藤波が前田戦で負傷し名古屋の上田戦が流れた… >>700
それ興行的に影響あるのかw
Uが乗り込んで来てすぐの頃上田が日本組入りした時は
上田のシューター幻想でuとの対決が一時注目されたけど
いざ前田と対戦したイリミネーションマッチで「誰にでも出来る」場外無理心中したせいで
急速に幻想萎んで
IWGPの時はもういてもいなくてもかわらない存在になってた気が >>701
上田はともかく、藤波の決勝進出が掛かった試合だったので
藤波が勝って決勝進出を決めてメインで公式戦が控えてる猪木に対して
「猪木サン両国で待ってます!」的なマイクアピールを観たかった人も居たと思う。 >>702
前田もマードックとの決定戦で場外でマードックへのハイキックを避けられ鉄柱蹴ってのリングアウト負けと言う胡散臭さだったな… >>703
前田が決勝に出てたら、両国の当日券売り場は
朝から長蛇の列で瞬く間に完売しただろうね。
猪木vsマードックの決勝の時は当日券は全席販売されていて
ぱっと見満員になってた感じだったけど完売はしなかった。 >>698
そのおかげでPWF三代王者の公式戦が実現したのは注目だった マシーンズ以降の新日は
自分たちが育成したと言っていい「ストロングスタイル幻想」を持つファンの
神経を逆なでするアングルばっかりやってた印象 といってもマクガイヤーブラザースやアントニオみたいな例を初期からやってるし
その辺りはファンも含めて御都合主義な印象 >>707
初期だからやってたんだよ、やむを得ず。 マクガイヤー兄弟、アナコンダ、ターザン・ジャコブス…
73年は、怪奇派や化け物レスラーがよく来てた。
観客動員や、付いたばかりのテレビ視聴率に貢献したと思うよ。 その後に村松の「過激なプロレス」ってキャッチに乗る形でそうした過去を無視して
実態と離れた幻想を膨らませちゃったからね
プロレス誌の漫画であったネタ
70年代の猪木「こんな試合を続けていたら10年持つ体が2.3年しかもたないかもしれん」
10年後、金返せコール飛び交う両国で坂口たち
「こんな興行を続けていたら10年持つ会社が2.3年しかもたないかもしれん」 88年IWGP仙台
当初予定の藤波対坂口のタイトルマッチが消滅して藤波対長州になったのは残念だった…
フィニッシュ含めて結果が詠めない試合だったのにな… 新日は3部構成と言われたからな
新日ストロングスタイルの若手同士の試合
外人 タイガー等エンターテインメントの試合
猪木藤波等によるそれらの集大成
UWFが若手同士の試合からの派生 >>712
第2試合でドン荒川が前田ら若手をおちょくるも入れてくれ。 >>706
マシーンズや海賊男とかって新間がいたらやってなかっただろうね
拡声器持ってがなってるKYワカマツとかうざかった >>706
マシン軍団、高橋が悪のレフェリー化、海賊男、TPG
「新日は今までのファンを捨てようとしてるんじゃないか?」とか
書かれてたね プロレスのこと、あまり真剣勝負と思われてもな。
全日プロはちゃんとわかるようにやってたから良いけど。
ショーとわかった上でテレビ見てもらわないと、今でも八百長呼ばわりするが
居るくらいだから。 ロッキー・ジョンソンが亡くなったらしいけど、どんなレスラーだったか記憶にない。
日本プロレスで活躍したイメージなんだけど、'80年に新日に来てるんだな。 ボクシングもやってたからガチで強いんだろな、レイシストのマードックを
ノックアウトしたと言ってたから。 >>717
どれもテレビ的なテコ入れだな
当時の新日首脳の頭の中はテレビ視聴率しかなかった
ゴールデン維持か田舎の瀬戸際の時期だったから
プロレスファンを必ずしも相手にしてなかった やることなすこと裏目に出ていたのが84〜85だったな
UWFの復帰でも視聴率が上がらなかったのはUのせいというよりファンに見限られてしまったから
長州が戻ってきたところでやってることはまたマンネリのヤクザ抗争ではねぇ >>720
ドロップキックが上手かったような印象だけど同じシリーズにスキッブヤングがいて食われた感じ コンガザバーバリアンって元力士だから多少は日本語話せるのかねぇ… >>724
来日前は、「ゴング」でエラク持ち上げられた。
実際、ロスでG小鹿を破ってアメリカスヘビー級王者に
なり、渡米中の坂口の挑戦も受け、引き分けながら
防衛した(この試合、やっていないという説もあり)
で、70年の秋、第一回NWAタッグリーグに長身のEラッドと
ともに初来日した時は「黒いBI砲」とも称されたが、
さっぱりだったなぁ。
確か、星野あたりにシングルで負けたような記憶がある。 第一回NWAタッグリーグ戦が行われた昭和45年、実家は日経新聞を購読していた。
スポーツ欄に結果が載ってたのを覚えてる。あの頃はまだ一般紙にプロレスの結果が掲載されていた時代。
一般紙がプロレスを排除したのはいつ頃かな? https://www.youtube.com/watch?v=qoovSz3pYB0
ロッキー・ジョンソンで思い出したのがこのプエルトリコでの不穏試合
とにかくブロディがまともにプロレスをしようとしない
ナガサキから奪い取った竹刀を振り回してオリエンタルコンビを
執拗にリングに入れようとしない、生前ナガサキもこの試合について
やたらブロディを批判してたが、一番のの被害者はジョンソンかもしれない
ブロディに調子合せてリズムとったりステップ踏んだり抱き合ったり
努力が涙ぐましい >>728
ナガサキ組に竹刀を一切使わせないのはちょっとね。。
客の盛り上がりを感じてブロディ自身が今日はこれでいいと判断したんだろうけど >>711
おれも藤波vs坂口が見たかったひとり。藤波x長州なんてこれからいくらでも出来んじゃん!って思った
たぶんクイックで藤波が勝ったんだろうけど、坂口の大一番が見たかった >>709
猪木と坂口を合体させてスタートしたワープロだったが視聴率は10%前半で数字が
伸びなかったがそれを数パーセントも跳ね上げたのはシンだった!
ワープロのPもシンは救世主と話していた。
視聴率に貢献したのはストロングスタイルよりシンの狂乱ファイトだった。 >>730
たぶん藤波のリングアウト勝ちでしょう。下手するとリングアウト負け。
その頃ってまだフェンスアウトってあったっけ?あったならそれ。 シンの場合は「ラフファイトもストロングスタイルの一つだ」という言い訳が通じたが
海賊男やTPGは擁護のしようがない茶番劇だったからね >>733
88年ならさすがに藤波が坂口をフォールするでしょ。
猪木にドラゴンスープレックスで勝った数年後だし、IWGPリーグで坂口にも勝ってたでしょ。 >>730
>>733
85年のIWGPでは藤波がクイックで勝ったんだよな。 85年のタッグリーグ決勝、87年IWGP猪木戦、流れたけど88年藤波戦
坂口はやたら仙台で重宝されてたんだな >>731
ナイフを咥えたシンに、サーベルを持たせたのは猪木のプロデュースなんだよね。
テレビ局には苦情の電話が殺到したらしいけどワープロの視聴率はウナギのぼり、
エスカレートして伊勢丹前襲撃や腕折りアングルまで…
目論見通りシンは大ヒールの看板レスラーになった。
確かにマクガイヤーやアントニオは、化け物見たさに興行のプラスにはなったが
アンドレのような実力が伴わなかったから一過性のもの。
猪木とシンは公私を混ぜたストーリーを見せたから、感情移入しやすかったんだね。 >>728
ナガサキとジョンソンが今回ほぼ同時に亡くなって、リング内の4人は全員故人となってしまったね。 G1とIWGP横並びで語るのがいかにもニワカw
絶対オンタイムで観てない後追いwww >>733
88年の藤波が坂口にリングアウト負けするわけねーだろ、タコ!よく考えろ! ドラゴンバックブリーカー⇒ドラゴンスリーパーで藤波の完勝。そして坂口は引退を宣言する。 怒った坂口が指ペロリから暴走 場外でアトミックドロップに担ぎ上げフェンス外に投げ飛ばし反則負け
「若造ども、俺がやっちゃるけん!」 >>742
このシリーズは藤波のタイトル戦がやたらとあって嫌がらせかと不服そうな顔してたな…
タッグだと坂口、藤原との地味な防衛戦があったね…
開幕戦はノンタイトルで藤波対馳が組まれてた >>741
坂口が猪木を場外KOしたアトミックトップロープ股間ドロップでリングアウト。 >>743
マサ齋藤、木戸、荒川を引き連れ荒鷲軍団を結成
ベイダーは助っ人 >>741
よく考えた末ですよ。タコとか言われるとは思わなかった。
坂口に一旦ベルト渡した後の展開がいろいろ考えられるからね。初期からのゴッチ幻想みたいに、坂口は実は凄いんだと思わせて〜からの武藤戴冠とか?そうすると武藤も際立つ。まぁ妄想ですがね。 >>747
猪木でさえ時間切れで勝てなかった藤波に坂口が勝つわけねーだろ!
時代が逆行してどっちらけだわ!坂口は翌年引退ね。いつの話ししてんだ、タコ! 84年の旧UWF設立について、猪木・新間はフジテレビとテレビ朝日の
二元中継を画策し放送権料を倍取りしようとしていた。(前田談)
(favorite cafe 掲載『VERSUS武藤×前田』)
この話が本当なら、日プロ崩壊の原因ともなった二局中継を
本気でやろうとしていたのかな? プロ野球の中継はどこの局もできるのだから、プロレスも全ての局に中継させたら毎日見られるのにと思っていたわ。 闘魂スぺシャルでアイドル猪木ゆかりの紹介があったけど、
かけつけたのは前田、ラッシャー、剛のUWFトリオだったから、
なんで新日脱退した人たちを新日のパンフで掲載してるんだと不思議だった。
新日はUに来ていたラファイエルにマシンのマスク被せて新日でアルバイトさせたり、
闘魂シリーズに参戦予定だったスコットマギーをUWFリングにあげさせたり、
「敵」に塩を送り続けていたんだね。
オープニングシリーズ藤原の殴り込みもリング上で宣伝していたようなものだ。 >>752
> オープニングシリーズ藤原の殴り込みもリング上で宣伝していたようなものだ。
いやそれ宣伝そのものだから。 >>753
旗挙げシリーズのボブスイータンとブルースハートを交換してほしかった… >>738
シン自身のプロ魂も大きいからな
それこそお構いなしに本気でプロモーター兼任の猪木を殴りまくったし バトルロイヤルはこのくらいの気概でやってこそ初めて盛り上がる。
https://youtu.be/o0mYEw3F9ZM 新日本のバトルロイヤルとなると第二回MSGタッグリーグ前夜祭の時を思い出す >>734
シンは普通のプロレスもできたしな。
反則暴走だけではなかった。 >>750
それは新日自体に
発言力と(例えばNFLやFIFAみたいに )テレビ局を凌駕する資金力が無いと難しい
Jリーグがそれをやろうとして
DAZNと契約したけど却って映像ビジネスの幅と柔軟性を >>760
スマン途中送信してしまった
DAZNと契約して却って映像ビジネスの幅と柔軟性を狭めてしまっている感もあるから
舵取りと匙加減の度量がとわれるし
あの時代の新間にそんな力量があったとはちょっと思えない >>728
普通にプロレスしてるように見えるけどね
ナガサキもポーゴも最後まで残ってるし >>761
プロレスが毎日テレビマッチだったらマッチメイク(ブック作り)とレスラーが疲弊してしまうだろうね。 >>738
当時、道玄坂に装飾品店がありそこのから大塚氏がサーベルを調達していた。
壊れるたびに補充に行きワープロを見た店主から「ウチの商品らしきモノを使って
いるレスラーがいる・・・」と指摘されてあまりに頻繁に買い付けに来るので素性を
怪しまれると「建築屋で顧客に新築祝いでプレゼントしている・・・」と
ごまかすしたらしいw
>>752
裏方のリング屋まで一時、同じとマスコミ指摘されていた。 >>750
当時、プロ野球もセリーグと西武はテレビ局と放映権を契約してた。
巨人主催はもちろん日本テレビ、ヤクルトはフジテレビ、テレビ朝日、横浜はフジテレビ、TBSのように。
ビジターの巨人戦でも1試合1億円で買ってくれてたプロ野球は規模が違った。 >>737
仙台といえば藤原のIWGP挑戦もあったな 81年の新日が1番面白かった気がする
MSGシリーズでは猪木ローデス組対ハンセンホーガン組や謎の猪木ローデス組対ボビーダンカンサージャントスローター組とかあった
確かTVでシン対ダンカンとかいうレアな試合も流れた記憶があるし 実は82年も豪華な外人来ていて猪木藤波組対ローデスマードックのアウトローズが実現したり猪木ホーガン組対アンドレカネック組とか実現してるんだけどハンセンの全日引き抜かれショックであんまり豪華に感じなかった 82年はホーガンのブレイクを除けば日本人抗争路線への以降の印象 ブッチャーは登場したってだけで終わったけど、あのシーンはカッコ良かったな アンドレとハンセンのシングル自体は既に二年前から毎年やってる
しかしなぜ田コロでの一戦だけが特別扱いされるかがポイント ブッチャーはパートナーがアレンとSDジョーンズの2人しかあてがわれなかったのも可哀想だった
この2人引き連れてると黒い軍団というよりも暗い軍団にしか見えなかった 全日本も81年が一番面白くて好きだ。
要は外国人レスラー引き抜き合戦が両団体を活性化させたのだから面白くないはずがない。 >>767
俺が見始めたのが81年。タイガーはプロレス知らなくても衝撃だったし、新日10周年でビッグマッチ連発にどハマりしたな〜 81年は華やかだったけど82年後半から日本人抗争が勃発して83年は完全に日本人抗争が中心
子供心にもアントンハイセルが失敗して外人を呼ぶ金が無いのかと思った 因みに83年でレアなカードは新春黄金シリーズの坂口ホーガン組対キラーカーンブラックジャックマリガン組
当時カーンは維新軍に合流したばかりなのに何故かマリガンとのタッグ
外人好きの俺としてはマリガンが観れて嬉しかった記憶 >>782
日本ではやりたい放題い好き勝手に暴れてるブロディを
アメリカのプロレス番組で涼しい顔でぶちのめすマリガンを見て
なんで新日でこの強さを振る舞わないのかと不思議だった >>767
タイガーデビューからハンセン離脱までが
本当の新日の黄金期
プロレス団体として理想的な形 >>783
プロ野球でもやたら手を抜いた舐めたプレーをする給料泥棒と化していた外国人選手が多くいた。 >>776
時間が長くて延長もやったからじゃない?
それまでのアンドレ対ハンセンは5分以内に終わってた印象
下手すると3分とか 新日本で一番外人が幅を利かせて華やかだったのはむしろ80年の印象 >>786
この年はMSGシリーズにアンドレが不参加だったのでその埋め合わせもあった感じ
しかしこの時点で実はハンセンの全日本移籍の密約が出来ていたんだよな 80年代前半の意外なレアカード
猪木対ドンムラコ
バックランドローデス対ハンセンホーガン
猪木長州対ブッチャービリークラッシャー(マスクドスーパースター)
ホーガン坂口対ブッチャーアレン
ホーガン藤波対マスクドスーパースターサージャントスローター
猪木坂口藤波対ブッチャー木村アレン
ホーガン坂口藤波対スーパースターアドニスディノブラボー
猪木ホーガン対木村マイクジョージ
ホーガンスーパースター対マードックアドニス
列挙してみると今でも見たいカードが多い 今更ながら82年MSGタッグの藤波のパートナーは坂口で良かったのかな…何か取って付けたようなチームのイメージがあったので… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています