【新春黄金】昭和の新日本プロレス16【ブラディファイト】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ジャパン軍参戦時は移動バスが3台あったんだね。
全日本隊、ジャッカル軍、外国人+国際軍 ケンドーナガサキ、まだ71だったのか。てことは、新日に上がり始めたあたりで37くらい・・
あと10歳くらい上かと思ってたわ。 新日本は最初から移動バスは新日本隊用と外国人用の2台に分かれてたのか?
国際軍参戦時は国際軍は外国人バスに同乗だっただろうけど
長州斉藤カーンの当時3人だった革命軍も外国人バスだったのかな?
それとも革命軍国際軍は、それぞれ自力移動だったとか? >>601
それくらいは別におかしくはないよ。
馬場「お前は反則するな。真面目にやれ。」
ブッチャー「カウント5以内は反則じゃない。勝つためなら何でもする。」
みたいなやりとりをしてたのかもしれないって
少年ファンなら妄想できる。 最初というか、少なくとも80年以前から日本人外人と別々のバスだったな。
両方とも赤青黄の三色の車体で、外人用は若干小ぶりだったような。。? ハンセンの著書では、新日本に移って日本人と外人でバスが別とあったから、少なくとも77年以降は別だね。 日本プロレスは日本人も外人レスラーも礼儀正しく入場式で並んでるけど
全日の世界最強タッグってほとんど乱闘始めるイメージ
顔合わせるだけでケンカ始める間柄で一緒にバス移動はおかしいだろってツッコミは理解できなくもない
タイガー・ジェット・シンさえいなければいいのか? まあw、なんていうのか。確かに突っ込みどころなんだがあえてそこは目を塞いで
リング上の熱い戦いを楽しむ、というか嗜むって感じで文化的な意味合いもプロレスにはある。
つうかガキの頃、ウルトラマンや仮面ライダー見てて、怪獣や怪人の背中にチャックがあったり
ピアノ線があったり、人間の目がのぞいてても、「怖いなア、凄いなア・・」て見入ってたじゃん。。w 長州のドキュメント番組でジャパン軍バス移動中の場面が映ったな。
小林がアイス食べててえいげんは新聞読んで健介がぐったりしてる >>613
乱闘するのは馬場・鶴田・ファンクスらの日本陣営vsハンセン・ブロディら外国陣営、
という図式だから何の不自然性も感じないけどな。
てか、激しい乱闘の傍らそこに入っていくことができず茫然とする、
リッキー・ジェイやウインダム・フラーといった若いチームもいるのが面白かったw >>609
地方だとホテルはバラバラだった。
早朝サインもらうのにはしごした >>586
別府の高本治療院だよね
プロ野球選手や陸上サッカー柔道の有力選手達も昔から贔屓にしていた
割と有名な所なんだけど
後批難というか難癖を付けていたのは週プ
ロじゃなくて
週ゴンの方それも例によって三者三様の菊池ジイさんだった筈
俺は別に不快にも思わなかったし
プロレスが遊び半分では出来ないハードで過酷な仕事だとの
無言のアピールになっていてむしろ良いんじゃないのと思っていたけど
>>587ー589
その美容目的のカッピング(吸玉療法)とは
かなり似て非なる治療法みたいだけどね高本治療院の施術は 猪木、健吾、サクラダ組とか坂口、健吾、サクラダ組とかやってたんだね。 週ゴンは全日寄りだったから新日に対しては誹謗中傷もひどかったな。
83タッグリーグだって全日を大々的に取り上げ新日側は消化試合扱い。
逆に週プロが新日寄りで、馬場が週プロに取材拒否通告してた。 >>593
本当に選手同士が敵対していたので
忘年会も開けなかったのがSWS 内藤が「週プロは紙質がペラペラで安っぽいのでゴング派だった」というのは
週プロ記者を挑発するためのデタラメ? ファンも良識派はゴング派だよな。週プロは紙質も写真も悪かった。偏向してたし
全日の取材拒否も当然だったな。 ケンドー・ナガサキだけど、馬場さん監修の『プロレス入門』では、
アンドレやカルホーン(超巨体)、シーク(火を噴く)などとともに怪人扱いだったな。
あの本のイラストでは剣道の防具みたいな覆面で、竹刀を持っているだけで、
とくに何か不思議な雰囲気を醸し出している様子はなかったと思ったが。 >>626
それは桜田じゃなくてオリジナルのナガサキでは? >>621
長州らジャパン勢が全日に上がり出して新日の観客動員がガタ落ちになったら
嬉々としてその落ちっぷりを表にして本文記事にしてたな。 「地方で手を抜く新日本」って書いて激怒された週プロ 月ゴンは資料性が高かった。
週プロはたー山になってから巻頭記事が主観的になって、知りたい情報を深く掘り下げる感じじゃなくなった。 ハクソージムドゥガンてSWSではエース外人だった事があったよね? >>632
ドゥガンはSWSはドームしか来てなかったはず >>631
写真と資料はゴングと言われていた。週プロは紙質・写真のはかなわなかった。
後発のビックレスラーは写真がピンボケぽかったけど先行の二誌より金額が安かった。 ゴングを発行していた日本スポーツ出版社は野球専門雑誌のホームランも発行していたが
プロ注目の1年からパンツを被っている狂犬キャッチャーとか
誤植がやたらに多く誤植のホームラン王と呼ばれていた。 >>617
85年では開幕戦で当たるハンセン・デビアスとキッド・スミスがやりあってた >>617
83年の時は、超獣組とシン上田鶴見が乱闘してたよね。
シン上田の子分的な鶴見の参加は当然だけど
鶴見のパートナーのモンゴリアン(後のテキサスレッド)は、
乱闘に参加せず呆然と見てるだけだったwww アンドレとシンってタッグ組んだことある?
シンはハンセンとはよく組んでいたけどアンドレと組むところは見たことがない。 >>643
少なくとも日本では多分ないんじゃないか?
つか同じシリーズに出たのは80年のMSGタッグくらいだし。 ワールドプロレスリング枠でナガサキ追悼の枠入れるかな
所属選手がみんな若くなってナガサキと繫がり無いから難しいかもしれんが >>646
現所属選手だとナガサキと対戦した選手は居ないよね?
引退したライガーが素顔時代に対戦してるかどうかかな? >>647
邪道外道がWAR時代にタッグで対戦してる。 >>648
追悼のテンカウントするなら、リング上で写真持つのは
ヤングライオン時代に接点のあるライガーかな?
流石に邪道外道は無いよね? ナガサキって、84年最強タッグの
馬場のパートナー候補にも上がってたよね? >>629
後楽園ですら、空席が目立つ様になったしね。
85年の後楽園は
・猪木vsヒギンズの再戦、上田vsH斉藤、キムケンvsシュルツ、ブロディ 登場
・アンドレvsバンディ、コブラvsH斉藤のJr.タイトル戦、メインにバックランド出場
・藤波キムケンvsバンディアレンのタイトル戦、マシン1号vs2号(3号?)、コブラvs黒虎、
・猪木vsコンガザバーバリアン、ブロディ vsサクラダ(藤波)、越中vsコブラ、ジャイアントグスタブ日本デビュー戦
・猪木坂口vsマードックスーパースター(タッグリーグ公式戦)藤波キムケンvsブロディ スヌーカ(公式戦)
それなりの好カード組んだ興行でもチケットは完売しなかったんだよね。
85年の後楽園てろチケット完売したのって元日だけだったかもね。 結局、ケンドー・ナガサキでの全日参戦はなかったのかな?
ポーゴよりカブキと組んでタッグリーグ(新日全日問わず)に出たら
厄介なチームになりそうだな。 新日は、後楽園の連戦の時や
シリーズ中に後楽園と両国の試合があった時に
後楽園でスタンプの押されたパンフレットを買って
翌日の後楽園や最終戦の両国に、そのシリーズで買った
パンフレットを見せると、対戦カード表の裏や持参した紙に
当日の試合のスタンプを無料で押してくれたけど
全日も、新日と同じように無料でスタンプ押してくれた? >>633
天龍原ウルティモ組対ドゥガンキマラメキシカンの試合とかあったよ >>656
全日本の売り子は高飛車だからそんなサービスはしなかったんじゃね?
ビデオソフトを買ったとき馬場のサインをパンフレットに書いて欲しいと頼んだけど「しないよ!」と一蹴されたことあるわ。 >>658
ビクターキニョネスはサインしてくれたけどなぁ…あんな悪い人なのに… 84年タッグリーグの最終戦のメインで行われたバトルロイヤルは
物凄い塩試合だったな! >>660
84.12.12 横浜文化体育館、最終戦にバトルロイヤルなんてないよ。 >>661
ごめん、訂正
MSGタッグと最強タッグを間違えた。
12.5 蔵前の猪木・藤波vsマードック・アドニス戦の後にバトルロイヤルあったの? 12・5は蔵前じゃなくて大阪だな
84年のバトルロイヤルはその大阪のあとの広島
アンドレ猪木組が実現した日だ
バトルロイヤルはアンドレ優勝 >>663
ありがとう
猪木アンドレ組は覚えているけど、バトルロイヤルの記憶が消えてるw >>664
マシン1号2号参加拒否、猪木自ら自爆退場
後はグダグダで全日本の正月バトルロイヤルと比べたら
段違いに酷いバトルロイヤルだった。
結局参加選手は、猪木 藤波 坂口 木村健 戸口 アンドレ マードック アドニス
ケリーブラウン サモアン ジェリーモローの11名という中途半端な人数で5分50秒で終了
シリーズに参加してた、アティサノエ、星野、ヒロ斉藤を加えて
14人でやれば、多少はマシになったかもね? 事前発表ではリーグ戦参加チーム全員参加のバトルロイヤルで
猪木藤波、坂口木村、戸口ブラウン、アンドレモロー、ホーガンサモアン、キッドスミスの
計14人参加で行われる予定だった。
マシン組は当初はリーグ戦不参加予定だったがキッドスミスのドタキャンで
急遽参加する事になった。 >>663
最初は猪木坂口vsアンドレホーガン、藤波木村vsキッドスミスで発表されたんだよね。
結局、ホーガン途中帰国とキッドスミスの電撃移籍で
猪木アンドレvsマシン1号2号、藤波vsマードックに変更になった。
猪木坂口vsアンドレホーガンは、翌年の6月の横浜文体で実現 ホーガンのパートナーがサモアンに変わったのは「???」だったけど、
欠場が決まっていたので急遽アティサノエを借り出すことにして、
南洋人コンビとしてバランスがいいからサモアンにしたってところか。
しかしラッシャー、剛の新日カムバックが実現しなかったのと、
高野俊二が表向き負傷欠場で姿を見せていなかったことが痛かったな。
日本陣営がスカスカ過ぎて外人を大勢呼べないっていう悲惨な事態。
ヒロマツダを猪木との呉越同舟コンビで助っ人参戦させてもわかったと思う。
あとは坂口と戸口、藤波と木村で。 85年のIWGPは、後のG1クライマックスを含めても1番つまらなかった大会でOK?
リーグ戦じゃ無くてトーナメントになり、そのトーナメントもホーガンは不参加
猪木はシードでトーナメント優勝者と対戦
トーナメント参加のマシンはアンドレ戦をボイコット不戦敗だったしね。 >>669
マシンの一回戦の対戦相手のロンミラーも不参加だったな… 猪木&健吾、猪木&高野でタッグリーグにエントリーしたら優勝かな? >>670
トーナメントの人数と会場数の兼ね合いで
1会場につき公式戦は1試合、しかも元から公式戦未開催の会場もあった。
更に欠場者が出て唯一の公式戦が不戦勝あつかいになったから
公式戦が開催されない会場が増えてしまった。 84年のアンドレは猪木の「ダー!」をやたら真似してたよね。
IWGPの時のケロの旅日記読むと客の反応に気を良くしてダーを10回以上やって帰った日とかあったみたいだし。 >>668
猪木マツダ、藤波木村、坂口戸口、ブッチャーケリーブラウン
このメンバーが参加すれば、少しはマシな大会になったかもね。 >>673
ケロの日記によると、外国人控室に差し入れされた
1ダースのポカリスエットをアンドレが1人で全部飲んじゃたらしい >>674
ブッチャーとケリーブラウンって凄い異色なタッグだなw
確かにブッチャーが出ていれば対アンドレ、対マードックなど、
ホーガン欠場の穴埋めは充分にできただろうな。 >>673
アメリカだけでなく他の国に行ってもアンドレは人気者
ヒールなのは日本マットくらいだったんだよな(メキシコは違うのか?)
いずれにしろアンドレ本人はやっぱり観客にチヤホヤされたいんだろうな
日本人的には圧倒的体格で一方的に勝利するアンドレを
あまりベビーフェイスとはみなしたくないんだけど >>669
そのトーナメントでも
アンドレ対キングコング・バンディが好勝負。
それもノーテレビとあって、俺は後楽園に
観戦したが、バンディが途中でやる気を失い
試合放棄!ふざけるな! >>669
藤波とスヌーカとの大流血戦の印象が一番強い
あと猪木とホーガンの対戦を名古屋にしたのはリングアウトでも勘弁してくれそうな土地だったから >>680
アンドレvsバンディはトーナメントの公式戦では無く
普通の特別試合として組まれました。
バンディはアドニスとの公式戦の1回戦でフェンスアウト負けかリングアウト負けで
敗退してアンドレとは当たって無い! >>669
一番つまらなそうなのは77年のワールドリーグ戦じゃないか?
なんせ猪木が出てなかったし。 >>658
馬場は6時過ぎに売り場に現れてTシャツ買えばサインしてくれたでしょ? >>685
どけどけどけ!邪魔だ邪魔だ邪魔だ!
バカヤロー、コノヤローメ!
ミル・マスカラスのTシャツに、馬場のサインが入ってるんだぞ。 >>674
84年当時のマツダはきついだろう。。そこは猪木&R木村でしょ!! >>685
サインは買った商品にしかしなかった。
当時のグッズはTシャツとビデオソフトくらいしかなかったと思う。 新日の方がバラエティに富んだグッズがあった気がしたな。
金のなかった小学〜高校の間もステッカーやポスターといった安いグッズが買えて楽しかった。
Tシャツも子供にとっては高い。 >>687
84年の夏に参戦したけど、暫定外国人エース格のデビッドシュルツと両リンだったよ。
まぁ、どれだけ動けてたかは知らんけど >>679
メヒコでも82年まではリンピオ
その後ルードになったがUWAのリンピオは中軽量ばかりなので
重量級外人ルードの常として同じルードのカネックと抗争した
>>684
76年もな
ただ76年はアリ戦に専念というふざけた理由でも一応事前に告知したし
当時の新日としては破格の大物モラレスとまだ一流扱いだったリベラの参加で
外人がグレードアップ
坂口も決勝のモラレス戦はアレだったが準決勝で天敵とまで言われたクラップ
に初勝利して盛り上げた
77年は開幕してから離脱だからな
しかも外人側エースのパワーズと一緒に
76・77年の全日のカーニバルで馬場とブッチャーが離脱して
鶴田がバラクーダかイヤウケアやスーパーデストかラモスを破って優勝して
盛り上がるかとw >>681
それホント?
名古屋のプロモーター絡みかと思うんだが。 >>691
84年タッグリーグ→キッドスミス組ドタキャン、ホーガン組1試合で途中離脱
85年タッグリーグ→アンドレ、スーパースター不参加、ブロディ 組決勝ドタキャン
86年タッグリーグ→ブロディ 、アンドレ不参加
87年タッグリーグ→長州、前田途中離脱
85年IWGP→藤波が最終戦で勝てば決勝進出の可能性があったのに怪我で離脱
86年IWGP→マシンが会場に現れずトーナメント2回戦のアンドレ戦を不戦敗
87年IWGP→藤波、前田が怪我で途中離脱
こう見ると、まともに行われた大会の方が少ないよなwww
他にも途中離脱や不参加の選手が居たが興行的には影響ないので省略 >興行的には影響ないので省略
80年のパワーズ・ベイカー
81年のサモアンズとパターソン
みんな現在では帰国後に本国でビッグマッチがあったとバレちゃってるなw
パワーズだけは仕事もないただの帰国だけど
81年はパターソンが帰国してもパートナーのアレンは残ったのに
全日では78年のシークがそのパターンだけど
新日来日時は地元の興行トラブルでのガチ帰国だったな >>695
シーク離脱の時は、入れ替るようにカマタが来たしなwww >>696
シークが怪我した日には日本にいたと思う。 あれは準備良すぎたw
いっそのことブッチャー組は棄権で
ブッチャーは残りの日程は連日公式戦ない相手とシングルでも良かったのにな
当時の全日でブッチャーなしの最強タッグはありえなくても
この年は目玉のファンクス戦は終わってたんだから公式戦にこだわることない
どうせ優勝争いは師弟コンビとファンクスだったんだから
むしろファンクスの公式戦もドリームマッチものない日に対決を多く組める >>693
ぐちゃぐちゃだな。スーパースターではなくアドニスが不参加
86年にマシンはいません。それは85年。藤波はケガではなく決勝でアンドレに敗戦ね。 >>693
86年IWGP
藤波が前田戦で負傷し名古屋の上田戦が流れた… >>700
それ興行的に影響あるのかw
Uが乗り込んで来てすぐの頃上田が日本組入りした時は
上田のシューター幻想でuとの対決が一時注目されたけど
いざ前田と対戦したイリミネーションマッチで「誰にでも出来る」場外無理心中したせいで
急速に幻想萎んで
IWGPの時はもういてもいなくてもかわらない存在になってた気が >>701
上田はともかく、藤波の決勝進出が掛かった試合だったので
藤波が勝って決勝進出を決めてメインで公式戦が控えてる猪木に対して
「猪木サン両国で待ってます!」的なマイクアピールを観たかった人も居たと思う。 >>702
前田もマードックとの決定戦で場外でマードックへのハイキックを避けられ鉄柱蹴ってのリングアウト負けと言う胡散臭さだったな… >>703
前田が決勝に出てたら、両国の当日券売り場は
朝から長蛇の列で瞬く間に完売しただろうね。
猪木vsマードックの決勝の時は当日券は全席販売されていて
ぱっと見満員になってた感じだったけど完売はしなかった。 >>698
そのおかげでPWF三代王者の公式戦が実現したのは注目だった マシーンズ以降の新日は
自分たちが育成したと言っていい「ストロングスタイル幻想」を持つファンの
神経を逆なでするアングルばっかりやってた印象 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています