【小松製作所】昭和の新日本プロレス28【三協アルミ】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>804
あの時期の谷津は神がかり的な強さだった。ハンセンにももう一歩で勝ちそうな勢いだったもんな。 それに引き換え、シンにやられっぱなしのデックサカを演じ通してNO.2であり続けた坂口の潔さよ、、、 シン上田にはやられっぱなしだが、なぜかアンドレと戦うと生き生きして動きがいい坂口、完璧なフォール負けだが惜しかった頑張ったと褒められる坂口。
あと猪木が欠場したときは俺がやらねばとばかりに活躍し、やればできるじゃねえかとファンを喜ばせる。けれど次の週はやっぱりいつものサカに戻ってしまうのがお約束。 >>831
いくらなんでもデックサカは可哀想だからせめてビッグサカと言ってあげて。 >>832
坂口は前田とやったときも生き生きしてた。
その前田には負けを許さなかったが、木戸にはピンフォール負けを許すw >>829
長州は?雑用したの?前座をどこまで含むかにもよるが、天龍が入ってるなら長州もだろう。デビュー戦や凱旋帰国後と結構な頻度でテレビで試合してたよ。 坂口も雑用してたけど、海外遠征の修行に出されるほんのわずかな間だった
そのわずかな間に先輩風吹かしてデカい態度とるミスター珍は性質が悪い >>832
猪木欠場時は坂口が暫定エースだから強いのは当たり前 >>830
武道館でハンセンを逆さ釣りに猛攻は凄すぎた
あるいはここで国内デビュー戦の恨みをかってくらいに >>841
原菌て練習生、身長190pもあったのか。デビューできなくて残念
北沢さんはもうヤングじゃないとは昔からずっと言われてきたパンフネタ >>842
第三回カールゴッチ杯の優勝者なのだけど、要は健悟の優勝を阻むために若手の中に
放り込まれただけで無意味な参加だった。 >>844
オールスター戦のバトルロイヤルに小鉄が入ったような物か 大量離脱の穴埋めに若手抜擢のため行われたヤングライオン杯、
優勝すれば翌年にはヤングライオン卒業ってどうかと思ったわ。
すぐに主力に交じって戦えるほど強くなるわけでなし、
毎年新人がデビューして人数を維持できるわけでなし。
第二回なんて参加選手が八人に減って、しかもゴタツが出てるんだからねぇ。 >>841
原薗、って名前だったはずだが、菌とはまたひどい誤植だな >>842
デビューはしたみたいよ。すぐ辞めたけど 話変えて申し訳ないけど猪木のWWFタイトル奪取は猪木信者だった自分でも幾つかの要素で喜べなかった。
1に地方徳島でのタイトルマッチ
2にタイガージェットシン乱入
3に解説の子鉄がバックランドのアトミックドロップにはカウント2ですよ猪木のバックドロップにはカウント3ですよと要らん事言ってたが観ていてバックランドの方がカウント3ぽく感じた。
結局リターンマッチでノンコンテストって馬場の時はタイトルの権威貶めてるって散々非難してたのに猪木も似たり寄ったりだとがっかりした あの年末シリーズは、タイトル挑戦の予定もないのにシンが参加していたんだよね。
WWF戦で乱入させるために、高いギャラ払って呼んだのは間違いないよな。 それでも、シンとバックランドの夢の対決が観れたのは有難かった。 年末のシリーズは、プレ日本選手権→WWF奪取したシリーズ→最初のMSGタッグリーグだったよね。
WWF王座攻防の翌年の年末に、バックランドと組んだのもガッカリした気持ちがあったな。 >>842
原菌はデビューしているだろ?
昭和53年8月25日、対・荒川真という記録があるぞ。
(新日本プロレス20年史)
だいたい、デビューしていない練習生はパンフに載らない。 プロレスラーの悪評って、他のプロレスラーの嫉みのようなのが多いよな。
誰かが売り出されたのに、俺に対しては全然やってくれなかったみたいなの。
一度も売り出されることがなかった北沢さんとか、悪評を聞いたことがない。 https://pbs.twimg.com/media/DW1NLwdUQAAuiax.jpg
メキシコで活躍してて、もう少しでNWA世界ミドル級ベルトに手が届くところだったのに
自分の団体旗揚げに頭数が必要だからと有無を言わせず日本から連れ帰った猪木
特にプッシュもせず中堅で燻ぶらせた挙句、若手枠に組み込んで健吾兄さんの足を引っ張る損な役回り
山本小鉄が権力振りかざしてドンドン窓際に追いやられているのに文句ひとつ言わない メキシコでトップになるのと
日本で中堅やってるのでは
どっちが金になるんだろう? >>849
動画サイトでこの試合を見た海外にファンが「カウントが早すぎる!」の嵐だった・・・ 昨日久しぶりに猪木VSボブループ戦観たんだが猪木の体調が悪いせいもあるけどループの強さばかり目立ってた。この試合も賛否両論あるけど最も謎なのは猪木がこういう硬い展開になると分かってたのか?ではと思う。ただ単にループがプロレスが下手だったので仕方なく付き合っただけなのか >>860
だからマレンコがマネージャーってわけか 新日がその後、ループを呼ばなかったことで幻想が膨らんだ
無冠の帝王とかゴッチ、ホッジなみのガチンコレスラーなのではと
実際はプロモーター同士のトラブルに巻き込まれて
主流派から外れてしまっただけなのに >>855
前田に対する誹謗中傷もそんな感じだろうな
猪木を別とすれば前田ほど社会現象になったレスラーなんていないのに
ガチ童貞と言われるけどそれなら藤波も長州も鶴田も同じ 藤波は「俺はケンカ一万戦無敗」なんて言わないからなあ >>863
> ガチ童貞と言われるけどそれなら藤波も長州も鶴田も同じ
格闘家を名乗ってないんだから同じじゃないわ。 >>863
前田は人のふんどしで儲けたから叩かれるんだよ。真剣勝負風プロレスは、もともと佐山のアイデアだから。 >>851
外人対決の中でもシン絡みは夢のカード感が満載だったからね
vsローデス、vsアンドレ、vsホーガン
移籍は残念だったわ
ブッチャーのIWGP参加も実現していたら夢があったけどマンネリ化していても中近東代表でシンがIWGPに出ていたらとか妄想
移籍していなかったらWWF参加もあっただろうね インド出身、カナダ在住のどこらへんが中近東代表になるのかな? >>863
藤波長州鶴田は礼節分かる人間なのに対して前田は格闘家自負しながらそれが欠如してるだけ >>867
前評判通りのメンバーでIWGPが開催されていたら、シンvsボックなんていう異次元対決も観られたかもね。 シンVSホーガンはMSGシリーズ公式戦で実現してるよね。 >>866
それって秀吉を嫌う負け犬信長ヲタの理論で失笑しかないわw >>870
それこそ前田が長州に言うてた言うだけ番長やね! すっかり詐欺師宗教家と化してるお笑い芸人に対して
「西野は行動力があるのではなく
倫理観ゼロだから普通の人ならこれはやってはいけないと
思うことをためらいなく平然とやってしまうだけなんだよな
契約解除の決定打になったLINE晒しとかまさにそれ」
という書き込みがあったけど、前田もそういうタイプなんだよな >>872
その前年のMSGタッグの特別試合が初対決 じゃあ あの時ガチでヒクソンと闘ったらどうすんだ?
高田以上にプロレスラーに迷惑かけたと思うぞ >>867
シンはリーグ戦要員じゃなかったからな
シングルで参加したのはアジアリーグ戦とアンドレの代打のMSGシリーズだけ 一度もガチの試合をしたことない人が、今さら何を言っても虚しいだけ。 >>877
そんなこと思ってるのは前田オタだけ。
そうやってプロレスラーの代表面するからますます嫌われる。 >>880
俺か 前田強いと思わないよ
ヒクソン モラエス ヘンゾ強敵は
みんな弟子にやらせる
佐竹とも闘わなかった
だけどTKはまあまあ実力あると思う >>863
>前田に対する誹謗中傷もそんな感じだろうな
>猪木を別とすれば前田ほど社会現象になったレスラーなんていないのに
前田ほど社会現象になったレスラーがいない?タイガーマスクはそれ以上じゃなかったか?
あの新日黄金時代に比べたら、旧UWFから出戻ったころの前田なんか全然格下。 882のひっかけに乗らない
桜庭はUインターからだからな 社会現象ってのは初代タイガーと84〜5年くらいの長州だけだろ 今、長州がテレビに出まくってるのは
そのころの名残みたいなものか? >>791 藤波vs谷津 前田vs谷津は84年に大阪城と蔵前で実現はしてるよね
どちらもノーテレビだけど 新日の失敗は前田をUWFに行かせた事かな?あのまま正規軍で飼い慣らしておけば自分から反旗翻す勇気なかったと思う(母親の件で困っていたし)あと新日は田中正悟の言いなりになってたのが情けない 前田はフィリピンでも長州とのシングルでフォール負けしてたよね。しかも6分くらいじゃなかったかな。 それを言い出したら前田はジョージ高野にUから出戻るまで全敗だし それにしても前田のIWGP以後の扱いはひどくないかな。維新とのタッグはピンとられるし
ビックマッチなんかないし。坂口とタッグ組んで外人組みとあたってるイメージ。
光ってたのはMSGタッグでの30分フルタイムくらいじゃないか >>892
まあ海外の試合なんて国内の地方興行より手抜きだしな。
>>895
前田はブック面では優遇されている。
外人にフォール取られるのはアンドレ・ホーガンくらいだし、
他にはIWGP公式戦でスタッドに取られただけ。
そのスタッドもそれ以外は前田の反則勝ちか両リンだし。
1年前の谷津なんて結構外人にフォール取られてたし、
維新軍になってもシュルツにフォール負けだった。 >>896
谷津は維新軍時代に坂口には一度だけピン負けしているから可哀想。 維新後の谷津がどこかの地方で坂口に体固めで負けてるけど何の技でやられたんだろうな 控え室のビガロにインタビューに行ったら、スーツの袖を引きちぎられ、壁にぶつけられた藤井暁アナ。 流血した倉持アナは家族が日テレに怒鳴り込んだかしたせいか、「スーツのクリーニング代」
という名目で見舞金が来たそうだけど、テレ朝のアナに謝礼はあったのだろうか >>900
その後渡米したときにシークからお詫びに歓待されたんだよな。 新日外人のアナウンサー暴行と言えばデビット・シュルツの古館襲撃があまりにも有名だが
youtubeでちゃっかり話題にしてたんだな ボブループはICWというインディ団体でボブオートンともコンビを組んでいたから
このコンビを新日マットで見てみたかった。 Gスピ最新号の大塚インタビュー、土俵を削れないための蔵前国技館専用リングとか
興味深い話題はいくつもあったけど「新日本オリジナルのベルト」についての話が
ありがたかった。ざっとまとめると
・デザインはビバ企画
・新間が横文字を渡してイメージを伝えてビバ企画がデザイン、新間が承認
・富澤常務が付き合いのある「富永プリンス」に発注
・ベルトは大量に作るものではないのでラバーキャスト製、2ヶ月程度で出来る
・型がのこっているなら複製品は2週間で作れる(売れば良かったのに…)
・パワーズのNWFとソントンのNWAジュニア以外はすべて新日本製
・初期のNWA北米タッグ、アジアヘビー、アジアタッグ、WWWFジュニアから
猪木の格闘技ヘビー、アグアヨのWWFライト、前田の欧州ヘビーなどが吉永産
・一本の製作費は70万円くらい
・(ゴッチの世界ヘビーはレプリカなので)オリジナル第1号は北米タッグ、
富澤常務が日プロ時代に発注したUNヘビーの型が流用されている
もうインタビュアーも「海外のベルト」なんてタテマエは気にもしてないんだなw
あと馬場がバーネットのテリトリーのフロリダでヒールをやっていた時の実態が
「ヒールのトップだったパク・ソンの子分として全日本の御大馬場と国際のエース・
小林が付き従っていた」というものだったのが「もし報道されていたら我々日本の
ファンは卒倒したことであろう」というのがおかしかった
馬場はここでの土下座外交でバーネットに信用を得て、半年後にブリスコから
NWAベルトをレンタルする権利を得たわけだけど >>904
長州が藤波に牙を剥いた時「団体がお膳立てして手に入れたベルトに何の価値がある」
WWWFジュニアもWWFインタも藤波の為に新日が用意したベルトだと知っててこの発言
なんという皮肉… WWWFジュニア、というとエストラーダから奪った10回連続防衛で藤波個人に寄贈されたヤツ?
それ以降のはいかにも新日タイプなシルバー基調のベルトになったが。。 「藤波のWWWFジュニアヘビー級のベルトは誰がデザインしたんですか?」という
質問に対する答えだから、最初の金色プレートのベルトも銀地に金パーツの二代目も
シンプルで個人的に好きなインタージュニアのベルトもみんな同じ発注らしい
デザインの変化はビバ企画内のデザイナーが変わったりしたせいだと思うけど、
ゴッチベルトのプレートの型がインタージュニアのベルトの真ん中に流用されたり
やっぱり同じ会社のものという気はする そういえば初代IWGPのベルトは1億円とか言われてたよね。 ああそーいや、NWAインタージュニアと最初のWWWFジュニアの両サイドにはめ込んだ
無地の丸型のバックルっての? アレ同じやつかもな。。
あとアジアリーグのベルトも両サイドのバックルのデザインが新日のライオンマークで
お手盛り感満載だったなw >>896
優遇なら維新の長州浜口だろう。
タッグリーグでは負け試合になる猪木組、アンドレ組との対戦はノーテレ。
藤波前田はどちらも放送されて見事に前田が負けたところをお茶の間に見せてる。 >>909
インタージュニアのベルト新日発注の物が、全日でも使われたって事なんかな? >>911
そのまま持ち込まれたが、82年7月の大仁田の対チャボとの防衛戦までか。でもこれが両者フォールで
王座預かり。11月の決定戦で昔からの馬場が持ってたインターに似たデザインに新調された。
チャボがこの試合後トロフィーで大仁田を滅多打ちにするやつかな。 >>913
大仁田が腕をザクザクにやられた時には、すでにマイティ井上王者時代のベルトに変わってたんだな。
大仁田はシルバーのベルトが似合ってた。 ベルト制作の話、おもしろいなー
子供心に色々と騙されてたけどそれはそれで楽しい思い出だから
ネットのない時代はとくに海外マットは幻想的というか
こうなんだと言われれば疑う余地もなくそうなんだなと思ってた
いい時代だ >>915
あるいは信じたふりも出来た幸福な時代
まさに4カウント内の反則なら許されるプロレスならではの楽しみって >>901
シークにはお詫びで高級腕時計をもらった。「お前は仲間だから・・・」と言う言葉に
ひっかかるもアメリカでは実況アナも団体所属なので勘違いされたらしい。
>>913
馬場に「ベルト持参で来ればボーナスをやる!」と言われた。
>>904
国プロのWWUベルトも東京12ch・田中Pがトロフィー屋に発注して80万かかるところ
を馴染みと言う事で50万に負けてもらったらしい。 >>643
亀レスだが
>WWWF(WWF)」なんて団体は存在していなかった
それは少し違う
もともとはマクマホン、シカゴのフレッド・コーラー、ピッツバーグのトーツ・モントの三人が
NWAに反旗翻して作った団体WWAがWWWFに改称した
この時点では三プロモーターが共同で運営する実体持った組織だった
その後コーラーが廃業し、モントは自前団体畳んでマクマホンから興行買ういわゆる買い
プロモーターになってWWWFはマクマホンの占有になり、名前だけの代表を持つ有名無実
の団体になっただけ
最初は実在したが後には名前だけになったという点では当初は五大湖地区の複数の
プロモーターが参画したがすぐに縁切りされたNWFと同じだな
その後、ビンスジュニアが父親から興行権買い取った時に自分のオフィスの子会社と
してWWFを本当に復活させ、後に株式移動でWWFの方を親会社にして今に至る >>917
アメリカレスラーには実況アナどころか記者までオフィスの人間と
勘違いしてるやつもいたし 一時期に新間の発案だか?で【NWF】を(ニョージャパン レスリング フェデレーション)
こう名称を変える話があったとか
でもジャパンのJが入らないから却下に
それならNJWFにしないと >>902
新日選手との乱闘でタンクトップの肩ひも引きちぎられたラッシャーがエキサイトして古館に八つ当たりしたことはあったな。小鉄が上半身裸になって「やるんなら俺にやってこい!」みたいに咎めていたけど。 >>918
> もともとはマクマホン、シカゴのフレッド・コーラー、ピッツバーグのトーツ・モントの三人が
> NWAに反旗翻して作った団体WWAが
この時点で既に怪しいような
新間がNWAに新日本を加盟させようとしたら
「NWAに加盟できるのはプロモーター個人だけで『団体』とか『組織』に加盟資格は無い」
と言われて唖然としたというのは日本のプロレスファンも同様だろうけど、アメリカの
プロレスっていうのは力のあるプロモーターが個人で行う「興行」であって、
日本みたいな所属社員レスラーや道場・合宿所を持った「団体」なんていう
概念はハナから存在していなかった、というのは、ビジネスにしろスポーツにしろ
「個人より組織ありき」の昭和日本人にはほとんど理解できない現実だったからなあ >>918
>NWAに反旗翻して作った団体WWAがWWWFに改称した
細かいことを突っ込むと、WWAではなくWWWAだよね?
WWAは、すでにロスにあった(まぁAWAとか同名の団体はアメリカ、カナダに
複数存在したが)。
そのWWWAは、バディ・ロジャーズが初代王者で、ドリーディクソンが
ロジャーズを破り2代目王者になった。
それで、なんか知らんが、WWWAは無かったことになり、
ロジャーズがWWWFの王者に認定されサンマルチノが2代目になり、
その後、隆盛を極めたのはご存知の通り。
WWWA王者ドリーディクソンをサンマルチノが破ったところで
インパクトはないと思ったんだろうね。
やはりロジャーズを破らなければ。ドリーディクソン惨めだな。 昭和の頃は「世界一の団体NWAから非主流派プロモーターが
脱退してWWWFを作った」と言われていたけれど、実態としては
「ドル箱地区であるニューヨークを中心とした東海岸地区の
プロモーターに世界王者ロジャースを独占されてしまった
僻地のプロモーターたちが、勝手にコワルスキーやテーズを
世界王者を仕立てて独自興行を打つようになったクーデター」
だったみたいだからね
結局NWAなんて古い名前にこだわる必要のなかった東海岸の
大都市圏はロジャース→サンマルチノを「世界王者」と呼び続け、
旧NWAの残党派はテーズを王者にしてデトロイト・アトランタを
仲間に引き込み、一方ミネアポリスのガニアとオマハのフリッツ・
フォン・エリックは手を組んでガニアを統一世界王者にし、
ストロンポーが仕切るロス地区も独自の世界王者を仕立てて
いたがジャッキー・ファーゴを世界王者に仕立てていたボストン
地区は衰退、という感じ
結局アメリカのプロレスの歴史っていうのはプロモーター個人の
ショバ争いであり、手を切ったプロモーターが看板「世界王者」を
仕立てるたびに作られるアルファベットを組み合わせただけの
「団体」と称するものをありがたがっていたのは、世界中でも
「組織」が何より重い日本人ならでは、だったような 小泉悦治さんの「史論力道山道場三羽烏」他の記述によると
・全米中継をなくした50年代のプロレス界は不景気のどん底に
・世界王者をハットンやオコーナーに変えても不入り続き
・そんな中でもニューヨークとシカゴだけは大人気
・その立役者であるロジャースは当然のようにNWA王者に認定
・ところが独禁法違反に問われていたNWA本部は機能不全状態
・このスキにロジャースを管理していたモントが、NWA内の僻地
エリア興行を見捨てて、金になる東海岸のマクマホン、コーラー
らの興行にばかり王者ロジャースを出場させるようになる
・僻地のNWA会員のプロモーターは大激怒
・このタイミングでロジャースがケガをして試合に出られなくなる
・遂にビンス・コーラー・モント派以外のプロモーターが決起、
ヒューストンではプロモーターのシーゲルがコワルスキーを
勝手にNWA王者に「認定」、マソニックもテーズの再登板を打診、
コーラー派と興行戦争を起こしていたバーネットもマソニックと
手を組んで、コーラー派に黙ってテーズを「世界王者」にしてしまう
・かくしてNWAは「ドル箱の東海岸組」と「その他の地域組」に分裂
馬場が「世界連続挑戦」を果たしたのは、こうした
・組織が分裂して「世界王者」があちこちに乱立した状況
・興行戦争になってどこも使えるレスラーが欲しくて仕方ない
・しかしまだ派閥がはっきり分裂しておらず、あちこちを股にかけられた
という過渡期ならではの幸運もあったのだね
もちろんどこでもいい仕事ができるようになった馬場の努力の賜物だけど
(当初は馬場より厚遇されていながら帰国してしまったマンモス鈴木が好例)
>>923
ごめん足りなかったw
WWWAの時点ではコーラーが主導権握ってたのが
ビンスシニアに実権移ったあたりがWWWF王座の登場だね
厳密に言えば実体があったのはWWWAでWWWFは最初からビンスのお手盛り
言えなくもないけど一応歴史的につながってることにはなってる >>900
倉持アナには高級時計
奥様には、デカめのダイヤの指輪がプレゼントされたんだよな。 >ドリーディクソン惨めだな
一応WWWF王座ができた後もトップコンデンターとしてロジャースと
連戦してたみたいだけどね
結局トロントから呼び戻されたブルーノに取られちゃったと
メキシコ、アメリカ、ヨーロッパでそれぞれトップ張った大物なんだが
結局は「幻の世界王者」に終わったせいでいまひとつ大物感がないと それにしても旧日本プロレスがそれまで軽視していたNWAに
突如加盟して、力道山時代末期には眼もくれなくなったNWAを
「世界最高の組織!」と持ち上げだしたのは、対立団体となった
東京プロレスが猪木のツテをたよってNWAに加盟ししようとした
事態に慌てて先手を打ったためだというし、それまで頑強に
新日の加盟を拒絶していたNWAが突然加盟を認めたのは
対立組織IWAが旗揚げし、新日がそちらと手を組むのを事前に
防ごうとしたからだったり、何か変化が起きるのはタイミングと
言うものが大きいんだなあと思わされます。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。