【ドン荒川】昭和の新日本プロレス18【栗栖正伸】
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>>659
ブッチャーは、その前年、1971年の
ワールドリーグでもKKコックスから
ヒドイ人種差別を受けたと報じられたが。
むしろ、こっちの方が話題作りで
マードックの黒人嫌いの方がガチだな。 >>659
また、1972年のワールドリーグで、
外人勢は「我々はチームとなって日本側と
戦う。キャプテンはGモンスーンだが
サブキャプテンはマードックだ」なんて
言っていたが、白々しいね。 >>657
もうすっかり忘れ去られているがオーストラリアは白人による有色人種への差別国家だった。
アボリジニーへの虐殺は時折鬼畜英国みたいに語られるが、独立しても基本変わらず。
有色人種移民の増加や英国の政治経済力の低下が大きくなり方針転換した。国が方針転換しても国民の心の持ちようは早々変わらない。
クツワダの話だとブッチャーだけ機内食が用意されなかった事があった。自分の食事をブッチャーに渡し、自分がもらってないと告げるとすぐ出てきたと。
そのころはジャップは戦争もしたけど金持ってるから優遇だった。 ほんの5、60年前までスポーツハンティングだって言って原住民をジープ乗ってライフルで撃ち殺して吊るして一緒に写真撮ってるような連中だからね 全然しらんかったが、ブッチャーの話もオーストラリアの話もひでえな・・・ 表にだすマードックよりローデスの方が根が深いなんて話もあったな 樋口さんはマードックの差別主義だけじゃなくて
トンパチ過ぎる素行にも嫌気が差してたと昔誰かが書いてた
列車の窓からケツ出してウンコしたりとか マードックのブッチャーイジメはアメリカでは二流レスラーが日本で成功したことへの嫉妬もあったかもね。
ブッチャー以外の黒人とは大きなトラブル起こしてないし。 >>648
寺西より下って事は無い
格は少し上がっていてファンは少なくともキムケンより期待していたぞ >>669
さすがに日本で車窓からの脱糞はしてないだろ。
アメリカでのサーキット中に乗り合いのクルマから脱糞した話は何かで読んだことがある。 ミスター高橋がマードックはナイスガイだったて樋口に話したら
樋口は驚いてたらしいね樋口にとってはバッドガイだったみたいだ >>672
テキサスでパトカーに追われて160km出して逃げて、窓からケツ出して
160kmのうんこ爆弾をパトカーのフロントガラスに射糞撃した。 志村けんのアイーンは猪木の「なんだコノヤロー」が元ネタだよね。 外人の尻出しとかライブでクソを投げつける話ってよく聞くけどきちんとそのあと尻を拭いているのかが気になる
何となく日本人と違って欧米人って尻とかパンツとかすごく汚いイメージ
日本に来てウォシュレットに感動とか聞くと特にね >>675
アイーンとはいってなかったよね?どっちかというとアッポーって馬場の真似してたやつが印象つよい >>677
アイーンは顎を尖らせたときの掛け声みたいなもの。
最初は志村がいかりやに怒られたときに「怒っちゃやーよ!」と狼狽えた後、背を向けたいかりやに「なんだバカヤロー」と顎を尖らせ水平チョップのポーズで猪木の真似をしたのが始まり。
それがだんだん変化していき、手のひらを水平に出して顎を尖らせ「アイーン」と言うポーズが定番となった。 >>671
寺西は蔵前など大会場でメインを何度もはってる。藤原はその時点ではまだ無し。
これでお分かりかな? >>679
何度もあったか?
1対3の変速マッチの二回だけじゃないのか? >>670
ロッキージョンソンに反撃されてぶん殴られてたろ。 >>659
KKKって何?
>>662
国際プロレス出身者を冷遇したのは馬場全日本の方だけどね。
>>665
いや、オーストラリアが有色人種への差別国家なのは知ってて当たり前だが、
何でそんな国にわざわざブッチャーが行くのかを聞いているんだが。 >>682
クー・クラックス・クラン=過激かつ伝統的な白人至上主義団体
元々南部から端を発した「劣等人種の」有色人種を排斥・支配して
白人による支配社会を作ろうという団体
白人至上主義団体の中でも最も過激な一派の一つで
白人による有色人種への差別や暴力行為を是認し
また白人と有色人種の混血も穢れとして一切認めないという優生思想が特徴
現在では黒人はもちろんアジア系やヒスパニックだけでなくカソリックやユダヤ系なども
排斥の対象とするWASP至上主義を掲げることが多く
思想的にナチズムと非常に近しくなることもあり欧米では強い批判の対象となる一方で
根強い有色人種への偏見やプアホワイトの不満の受け皿として
暴力や破壊行為を表向き否定したりすることで未だ根強く残っている
ちなみにマードック同様ブレンバスターでお馴染みK・K・コックスは
このK・K・Kの一員というギミック(だからイニシャルがK・K・K)で売ってきたが
実は当人は私生活では人道主義・反差別主義者だったそうな まず、オーストラリアとオーストリアをきっちり分けて語れ
許されない誤字もある YouTubeでも見れるが、普通にタッグを組んだり対戦しているぞ。 >>684
オーストリアと書いてる人誰か居るの?
ブッチャーがいたのはオーストラリアだろ、みんなオーストラリアと書いてあるだろ。 >>682
当然仕事。消滅して久しいがオーストラリアでも地元選手や出稼ぎによるプロレス興行があった。
フレッド・アトキンスの出生地。日本人で有名なのは高千穂轡田組だね。
初期のPWF構想の一部でもある。 >>688
この当時は全日レスラーが遠征したりしてプロレス興行が盛んだった。
>>683
「KKKはゴロがいいから使っている!俺は人種差別主義者ではないよ!」とコックスは
コメントしていた。
ただ周りに流されるのか?人格者で伝わるデストロイヤーまで参加していたメキシカンレスラー
への人種差別を見てしまった東スポ・門馬氏は根深いモノを感じたらしい・・・ キラーカールコックス対キラーカールクラップのKKK対決だっけ?
ブラックKKKはキラーカーン クラップはワガママだったらしいけど差別的な行為の話は聞かないな。 >>679
蔵前より大きい大阪城ホールのメイン 猪木、前田、藤原vs長州、浜口、谷津
蔵前でシングルメイン 前田vs藤原 >>665
>ブッチャーだけ機内食が用意されなかった
その話、本当だとしたら、一般市民に差別意識があるのは、まだしも、
航空会社が金を払っている客に対して、それはヒドイね!
逆に、クツワダは良い奴だね。
まぁあくまでもクツワダが語った話として聞いておくが(苦笑) >>683
>K・K・コックスは
>実は当人は私生活では人道主義・反差別主義者だったそうな
そういう昭和の外人レスラー(特に悪役)のイメージと
ロマンを崩すようなことは書かないでくれよ(^^: >>671 >>692
藤原は長州襲撃前は寺西、星野、木戸、剛の下で
長州襲撃後のUへ行くまでの間も上記選手、小林邦昭にも勝ってないだろ。 >>691
ナチギミックは実際には独籍のゲルマン系より
ユダヤ系やフランス、ベネルクス三国や東欧系などの
第三帝国の侵略や迫害を受けた被害国の民族が名乗ってるのが多いんだよね
(クラップはたしかユダヤ系だっけ?)
冷戦期のロシアギミックもロシア系より親や家族が
周辺東欧諸国から移民や亡命で渡ってきたって人が多い
実際に迫害された側ってのがギミックを演じるうえでの
一種の逃げ道というかアリバイになってたのかね >>696
ユダヤ系が極悪ナチスを
演じることで、ナチスを貶めているんだろ?
グレート東郷も中国系とか韓国系という噂があった。
真実なら、卑劣なジャップを演じて日本人の評価を
落とそうとしていたんだろうな。
いわゆるなりすまし、
卑劣なチョンのやりそうなことだ。
いまでもチョンは欧米で悪事が発覚すると
「アイ アム ザパニーズ」と言って
日本人に罪をなすりつける。 マサ斎藤が「監獄固め血風録」で語っていたけど、渡米してミスター・モトに最初に紹介された
ロス地区はメキシカンが観客の中心で、小柄な有色人種がベビー、カラードをバカにした
態度を取る大柄で傲慢な白人がヒールというのが基本スタイルだったとか
日頃人種差別に苦しめられているブルーカラーの客層の鬱憤を晴らす娯楽だったんだな
(だからロスの日本人レスラーは、悪役として憎まれない代わりにこれといった特徴が
与えられないため、ヒールとして上に行けないとも言っていた)
思えば後のロス王者チャボ・ゲレロもファンクスら大柄な白人を叩きのめすタイプだったし、
白人であってもニューヨークのアントニオ・ロッカはWASPに蔑視されていたイタリア移民が
大柄な白人を技とスピードで翻弄するというタイプの人気者だった
ある意味でアメリカンプロレスも、力道山が戦後のアメリカコンプレックスを商売にしたのと
同じ構造だったんだな(と言うかアメリカのそうしたエクスプロイテーションビジネスの
典型的なスタイルを戦後の日本に応用したのが力道山プロレスだったのだろうけど)
戦後日本が高度成長で自信を持って、力道山スタイルから海外の強豪を迎え討ち撃退する
ジャイアント馬場スタイルに移行したように、ニューヨークのイタリア系ビジネスが
小柄なロッカからパワーハウス・サンマルチノに変わっていったのは、イタリア系移民が
力をつけて自信を持てるようになったことの現れだったんだろうか >>692
その6人タッグは大阪府立だな
大阪城ホールの柿落としは長州vs藤原、猪木&坂口vsマードック&アドニスだったっけ >>692
綱引きの頃は前田vs藤原は行われていないわけで(笑)
蔵前でフルハウス、チケット完売、視聴率20%以上、猪木とメイン。申し訳ないが寺西の方が上だ(笑) カールゴッチに2分でジャーマンで負けたイメージ。寺西より上の意味がわからん(笑) >>671 >>692
藤原は申し訳ないが長州襲撃前は寺西、星野、木戸、小林邦明、剛竜馬の下。
当時をリアルタイムで見ていない人に説明するのは難しいが、答えるので質問してごらん。
君が納得するまで答えてあげるよ。 寺西なんて国際軍団のやられ役。
いつもピンされる雑魚だろ。 タイガーマスク対寺西で寺西の本領発揮をはじめて見たよ。 >>682
>国際プロレス出身者を冷遇したのは馬場全日本の方だけどね。
原は天龍に次ぐ四番手、
井上は移籍直後の10周年記念興行でマスカラスのIWA王座に挑戦。
どこが冷遇なんだよ。 佐山タイガーと小林邦昭や寺西との絡みはウンザリだったな。
佐山と小林が仲良いのは最近知ったけど、身内で済ましてる感で夢のない
カードだった。 ホーガン入場の先導役をやっている寺西を見て
国際軍団はアルバイトやって活動費を稼いでいるんだなって思った。 「ワールドプロレスリング」の格闘技戦を除いた純然たるプロレス試合の中継で、最も
視聴率が高かった(25%超え)のは、82年11月、猪木vs国際軍団1対3マッチ、藤波vs長州、
タイガーvs小林邦昭の純然たる日本人対決の蔵前決戦だった
団体や放送日時の違いはあるものの、豪華外人を謳っていた全日本プロレスは、土曜8時で
馬場がブリスコからNWAを獲った試合の視聴率が15.5%、超豪華メンバーを集めた1975年の
オープン選手権でも最高視聴率は馬場対R木村戦のあった日の15.3%、次が鶴田対R木村戦の13.2%
ちなみに伝説となったオープンタッグ最終戦のファンクスvsブッチャー・シークが13.4%
視聴者が日本人対決を求める傾向は昔から変わらないのかも >>710
土曜7時台の全日中継でも鶴田vs.長州は14%だった。
ただ同時間帯の最高は輪島vs.シンの17%だった。
すべてビデオリサーチ。ただ日テレは他局と違いニールセンを使っていた。
なぜか視聴率はニールセンの方がビデオリサーチより高い数字が出る。 >>714
毎週の視聴率はゴングは関東のビデオリサーチとニールセンのを載せてたな。
週プロはニールセンを使わずに関東と関西のビデオリサーチだった。 宇宙戦艦ヤマトは1年間の放送予定が平均視聴率15%で半年で航海を打ち切られた。
パート2も1年間の放送予定だったが同じぐらいの15%視聴率で半年で打ち切られた。 www.youtube.com/watch?v=UkTK1fVWmcs >>719
大阪での髪切りマッチで、浜口が試合中に本部席にいたストロング小林からハサミを渡されて猪木の髪を切り、
試合は猪木が勝ったが、木村が髪を切らず逃げて、猪木が「永久追放だ」と言った。
声明文「病院に行った。それも確認せず永久追放は納得しない」
この後、3vs1へと繋がる。 この乱闘は長州の咬ませ犬の日で途中のインターバルの時。 ブレイク前の藤原のイメージと言うと、猪木の付き人、絵が上手、ゴッチ門下の優等生、
いぶし銀の前座といった感じか。20代から老け顔だったw。
TVの露出(試合)がほとんどなかったが、雑誌ではよく彼のキャラは掲載されてたので
ある程度のイメージは出来てたが、長州襲撃は「あーあいつが・・そうかあ」という
意外性と妥当性みたいなのが入り混じった気持ちだったな。 >>723
当時だと長州襲撃は健吾がやるべきだったが、藤原は意外性と妥当性があってよかった。
その後、維新軍と闘っても気後れしてなく堂々と渡り合っていた。
これが小杉だったら気後れしてやられるだけで反撃できなかったと思う。 >>723
藤原は30歳位で老け顔だったせいか歳をとっても印象が変わらんな
世代抗争で旧世代側に入れられて
「顔は老けているが天龍と同学年なのに」と言われていた >>725
まあ健吾だと藤波のライバル、同胞として立ち位置も明確になっていて、中堅として安定の存在感がある。
その辺で藤原の起用と言うのは絶妙の人選だったのかも。 82年の正月だったかな。ゴッチに秒殺された藤原を、寺西より格上だってそりゃ無茶だよ。
その頃藤原は前座。寺西はメインエベンター。そっちが会社に利益上げたか分かるだろうよ〜 >>648
81~84年のテレビ登場回数は尋常じゃないぞ寺西は。
その頃の藤原はというと・・・藤原が格上って無茶だよあんた(笑) 俺は藤原嫌いじゃないが
藤原が名実共に開花したのは
佐山との抗争あたりからで
新日在籍時、彼の見せ場は頭突きだけ
テレビに映っても
小汚い流血
効かないボディーブロー
リンチに遭う
6人タッグの負け役しかイメージが無い
浜口との両リンは
してやったりじゃなくて
藤原にしては上出来、ヘタすりゃ負けていた
浜口があんなに悔しがっていたのは
藤原をあっさり倒し
猪木を傷モノにし
大将長州に繋ぐ
そんな思惑が有ったからじゃないかな >>728
メインイベントに出場=メインイベンターは安直では?
寺西がメインに出れたのははぐれ軍団が三人しかいないから
タッグ戦ではジュニアの寺西を担ぎ出すしかなかった事情があっただけで
小林の腰痛や剛の加入があったら、毎回寺西がメイン出れたかどうか… >>714
ニールセンは海外企業でビデオリサーチと調査対象の世代が違うと言われてた >>732
どんな理由であれ、出れるっていうのは凄いし、出れる訳があるの!
あんたがどんな大財閥の息子であっても、出れないものは出れないのと一緒!
地上波に出まくった寺西>藤原
これだけは諦めなさい! 寺西「俺はやられ役。俺が勝ったってしようがないんだから」
寺西の入った試合は締まるよ。攻めるところは攻めるが基本は受け。
メインで猪木、藤波、健吾、前座で若手の高田・・・誰にでも合わせて上手い。 札幌襲撃事件のおよそ半年前の83年9月、藤原が突如テレビマッチのセミファイナルに登場した
藤波長州前田をセミ前に追いやって健吾藤原vsマードックアレンという謎カード
日本組の勝ちなど全く考えられないこの試合で、一番目立っていたのがテレビで見たことのない前座レスラーであった
藤原格上げはこの頃から計画されていたのかねぇ?これで予習していなかったら札幌事件ワケわからんかっただろう >>725
札幌は最初猪木は小杉にやらせようとしたんだよな。ミスター高橋が小杉じゃダメだって言って口論なったけど最後は猪木が折れたって
まぁ猪木はぶっちゃけ誰でも良かったんだろうなw 藤原は長州を襲撃したおかげでオールスター感謝祭にも出演できるまでに出世した >>683 >>688
レスありがとう。
マードックは日本人とはうまくやっていたから
そういう差別主義者だっとは意外。
あと、当時オーストラリアでもプロレス興行があったんだな。
レスしてくれたお二人に感謝! >>736
実はこのちょっと前の時期から村松本の影響で新日の前座のうち
「ゴッチの愛弟子で地味だがシリアスな関節技の鬼、藤原」
「ひょうきんプロレスで盛り上げ役ながらジャーマン使いで相撲取らせたら道場一の荒川」
こういうのが実は本当に強くて尚且つそれがわかってるのが
ツウなファンという風潮が出来つつあって
それがこのくらいの時期から徐々に表にも出つつあったんだよ
長州襲撃犯を誰にするかはともかく
あの時期の村松に猪木(と猪木シンパのメディアやブレーン達)が
影響受けまくりの新日だと
なんらかの売り出しテスト的な展開はいずれあったと思う >>738
この毎年の対決は名物だった。
のちのクイズスター名鑑の格闘家オールスター戦となるガチ相撲につながる。
>>743
藤波と長州の二人だけ抗争を続けるのを負担が大きいので藤原を入れてたらしい。 >>744
藤原vs.チャック・ウィルソン戦
チャックのボディガードをしていた友人がいたけど喧嘩を売られる事が多いんだろうねw >>744
藤原を入れなくても坂口、健吾、前田、浜口、谷津、カーン、戸口もいたぞ。 まあ新日の中堅以下から前座レスラーの充実ぶりは以前から周知のとおりで、
海外遠征に出れば何かしらのタイトルを獲得とか活躍ぶりが報じられてた。
露骨に表立ってではないが、群雄割拠という雰囲気はファンには充分伝わってたな。 >>688
真夜中のハーリーレイスのMC・清野アナが新日のオーストラリア遠征の実況で
現地行ったら観客の男性に「ウチのおじいちゃんでプロレスラーで”パットオコーナー”
って言うんだよ!知ってるかい?」と言われたが男性は祖父が伝説の名レスラーである
事までは詳しく知らなかったのでその後の会話は盛り上がらなかったらしい
オコーナーって隣国のニュージーランドの出身だったんだね。 >>743
猪木個人のカリスマ性だけで全日本のオールスター外人勢を上回るような人気だったのは
視聴率や観客動員から明らかだったらしいけれど、当時は坂口、小林、小鉄らが一線から
退いていたのに「トータルパッケージとしての新日本」がブランド化していたよね
ご指摘の藤原、荒川のマニアックな人気(「1、2の三四郎」でも「前座のカール・ゴッチ」
田中なんていうキャラが当たり前のように出てきて話に絡んでいた)もさることながら、
木戸や星野のような職人、浜田や佐山ら軽量級の魅力、前田、高野、平田ら期待の若手、
シンやハンセンを「発掘」(当時はそう思われていた)したこともアメリカの格に弱い
全日に対して、むしろ誇らしく語られていたものだった
オールスター戦で野末陳平は「三団体の人気、実力の差が残酷なくらいハッキリした」
と言ったそうだけど、怒涛のようなドラゴンコール、小林コールを「新間がアルバイトに
金を渡してコールさせた」としか受け取もられなかった馬場の感覚はやっぱりズレていたと
断ぜざるを得ないよなあ >>749
余り長文わ書くなよ、最後の3行は何語や??? >>736
この頃は生中継の掴みは初代タイガー、メインは猪木、真ん中は繋ぎのカード。
初代タイガーがいなくなってから藤波やら長州が生中継のトップが多かった。
だから不思議でほない >>727 のちにイス大王として有名になる栗栖でも良かったかも。
どっちも悪役顔だからね。 >>751
俺も同意見
テレビ中継向きのレスラーがいなくて
木戸とかが起用されてたよな
当時の木戸は地味でパッとしなかった 木戸がヘラクレス・ローンホークの「あえて持ち上げない」(by小鉄)
変なカナディアンバックブリーカーもどきでギブアップさせられたのは
見ていてつらかったなあ
だいたいタイガーがいた時期はタイガーの試合の途中から始まり、
藤波か坂口の試合を挟んで猪木の試合がメインだった
実質45分の生中継に三試合を押し込むわけで、当然一試合の
試合時間はせいぜい10〜15分という所になる
第3回MSGなんて、決勝者進出トーナメントがあったから最後の方の
カードがやたら豪華になってしまって
バックランドvs藤波 12分03秒
アンドレvs坂口 4分37秒
ハンセンvsアンドレ 1分48秒
猪木vsハンセン 7分49秒
とバタバタしていた 広島で猪木が逆ラリアートでハンセンに勝った試合も10分程度
ハンセンが開花した第二回MSG以来の猪木vsハンセン戦の試合時間
なんと15分を超えた試合は3年間で2試合しかない
10分未満の試合が7試合ある
1979年
5月24日 青森・弘前市民体育館 第2回MSG決勝リーグ戦
猪木(9分33秒 反則)ハンセン
6月7日 東京・蔵前国技館 第2回MSG優勝戦
猪木(9分3秒 体固め)ハンセン
8月17日 カナダ・カルガリー NWFヘビー級選手権
猪木(9分15秒 体固め)ハンセン
1980年
2月2日 北海道・札幌中島スポーツセンター
ハンセン(13分16秒 反則)猪木
2月7日 大阪府立体育会館
(12分40秒 両者リングアウト)
2月8日 東京体育館 NWFヘビー級選手権
ハンセン(17分12秒 リングアウト)猪木 ※ハンセン王座奪取
4月3日 東京・蔵前国技館 NWFヘビー級選手権
猪木(12分55秒 体固め)ハンセン ※猪木、王座奪還
4月4日 川崎市体育館
(10分7秒 両者リングアウト)
5月9日 福岡スポーツセンター NWFヘビー級選手権
猪木(17分3秒 反則)ハンセン
5月29日 青森・弘前市民体育館 第3回MSG決勝リーグ戦
(9分18秒 両者リングアウト)
6月5日 東京・蔵前国技館 第3回MSG優勝戦
猪木(7分49秒 反則)ハンセン
9月11日 大阪府立体育会館 NWFヘビー級選手権
猪木(9分18秒 リングアウト)ハンセン
9月25日 広島県立体育館 NWFヘビー級選手権
猪木(10分49秒 逆さ押さえ込み)ハンセン
1981年
4月17日 鹿児島県立体育館 NWFヘビー級選手権
(13分24秒 ノーコンテスト)
4月23日 東京・蔵前国技館 NWFヘビー級王座決定戦
猪木(12分56秒 体固め)ハンセン
5月20日 岐阜市民センター 第4回MSG公式戦
ハンセン(11分43秒 リングアウト)猪木
6月4日 東京・蔵前国技館 第4回MSG優勝決定戦
猪木(7分45秒 リングアウト)ハンセン
9月18日 広島県立体育館
(12分46秒 両者リングアウト) >>749
新日贔屓のコールは、新間がジュニアとその友達に小遣い渡してやらせたって記事に出てる。
それがなくても新日優位は間違い無いけど。 吉原さんが金渡して「阿修羅」コールや「井上」コール「寺西」コールを叫ばせたり、
元子さんがアルバイトに「ロッキー」コールや「小鹿」コールを喚かせたとして、
周囲の観客がそれに唱和して武道館を揺るがす大コールになるかどうかなんて、子供でも
分かりそうなものなのに、馬場は何でそんなチンケな愚痴を形にしちゃったのかなあ、
という感じだよな
まあイライラして活字にせずにいられなかたのは森岡理右や山田隆らだったのだろうけど >>755
猪木の衰えでハンセンみたいなブルファイター相手には長時間受けきれなくなったのだろう 猪木がブロディと60分フルタイムの引き分けを演じたのは1986年のこと
猪木ハンセン最後の戦いから5年後で、このとき猪木43歳
まあ色々考え方があるからね
小林邦昭
「維新軍のポリシーはダラダラ20分やるよりもとにかくバカバカ動いてたとえ10分以下でも
ワーッとお客さんを熱くさせてパッと終わっちゃう。アームロックで何分もじっとしてるなんて
試合はできないんですよ。(略)ハーリー・レイスなんか、二―ドロップの態勢に入って膝を落とすまで
凄い時間がかかりますからね(笑)。(略)ドリーとの試合は最悪でしたね。どうしようもなくて、
ドリーを相手側のコーナーに叩きつけて違う人間に『お前が出てこい!』ってやったんです。」 タイガー全盛期の試合も10分以下がザラタイトルマッチも15分を超えることはほとんど無い
これが当時の新日の基本的な試合時間だっはたんだな
1月1日(後楽園ホール)タイガーマスク(8分31秒回転エビ固め)D・キッド =WWFジュニアヘビー級王座決定戦
1月10日(福生市民体育館)タイガーマスク(8分22秒体固め)ハルコン'78
1月15日(姫路市厚生会館)タイガーマスク(10分18秒原爆固め)ハルコン'78
1月20日(熊本市体育館)タイガーマスク(9分35秒体固め)ハルコン'78
1月25日(江南市体育館)タイガーマスク(11分19秒体固め)ハルコン'78
1月28日(東京体育館)タイガーマスク(12分38秒原爆固め)D・キッド =WWFジュニアヘビー級選手権試合
1月30日(境町町民体育館)タイガーマスク(9分1秒体固め)ハルコン'78
2月3日(古川市体育館)タイガーマスク(9分35秒体固め)ハルコン'78
2月5日(札幌中島体育センター)タイガーマスク(17分34秒体固め)ブレット・ハート =WWFジュニアヘビー級選手権試合
2月9日(大阪府立体育会館)タイガーマスク(12分44秒原爆固め)ベビー・フェイス =WWFジュニアヘビー級選手権試合
3月4日(後楽園ホール)タイガーマスク(11分48秒リングアウト)スティーブ・ライト =WWFジュニアヘビー級選手権試合
3月11日(磐田市立体育館)タイガーマスク(9分35秒体固め)コロソ・コロセッティ
3月12日(後楽園ホール)タイガーマスク(12分27秒原爆固め)ブラックマン
3月15日(津島市民体育館)タイガーマスク(7分6秒体固め)C・コロセッティ
3月16日(豊橋市体育館)タイガーマスク(9分19秒体固め)ブラックマン
3月21日(柳川市青果市場)タイガーマスク(10分7秒体固め)ブラックマン
3月23日(北九州市若松文化体育館)タイガーマスク(12分1秒体固め)ブラックマン
3月25日(岡山県営体育館)タイガーマスク(11分3秒体固め)ブラックマン
3月26日(広島県立体育館)タイガーマスク(7分16秒体固め)C・コロセッティ
4月1日(蔵前国技館)タイガーマスク(17分50秒体固め)S・ライト =WWFジュニアヘビー級選手権試合
4月21日(蔵前国技館)タイガーマスク(14分17秒両者リングアウト)ブラック・タイガー =WWFジュニアヘビー級選手権試合
4月23日(大宮スケートセンター)タイガーマスク(11分3秒体固め)ホセ・ゴンザレス
5月20日(中村市スポーツセンター)タイガーマスク(6分31秒体固め)J・ゴンザレス
5月25日(静岡産業館)タイガーマスク(13分59秒体固め)レス・ソントン =NWA世界ジュニアヘビー級選手権試合
5月26日(大阪府立体育会館)タイガーマスク(14分15秒体固め)B・タイガー =WWFジュニアヘビー級選手権試合
6月18日(蔵前国技館)タイガーマスク(9分48秒原爆固め)ウルトラマン =WWFジュニアヘビー級選手権試合
6月21日(岩手県営体育館)タイガーマスク(8分33秒体固め)ウルトラマン
6月26日(遠軽町総合体育館)タイガーマスク(11分46秒両者リングアウト)ウルトラマン まあ、ゴールデン生中継で60分に3試合入れるとなるとそうなるよね。
全日がゴールデンに復帰した時も試合時間は短めになったからね。 60分やろうが10分だろうがお客さんが満足すれば良いわけで。
猪木vsハンセンやタイガーの試合はそれで問題ないだろ。
あと時代もダラダラ長い試合やってたらチャンネルかえられちゃう
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