【ドン荒川】昭和の新日本プロレス18【栗栖正伸】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>631
最初は場外乱闘の多いシン対策にためにフェンスを設置したと言われる。
会場で触ってきたけど水色のフェンスはかなり頑丈でフェンスを背にした状態で相手が
突進してきた時は相手を場外にでも投げないと自分が腰を強打しダメージ受けると思った。
恒例のフェンスアウトになるのも納得してしまった。
全日はテリーさよならシリーズから使い始めて卓球会場の区切りで使うフェンス代わり
のネットは新日に比べてチープに感じがしたけどこんなモノでもリングに押しかける人達
がピタッと止んで効果絶大だったらしい。ちなみに使い始めた発端は撤収時に試合会場
の備品だったのを誤って持ってきてしまったかららしい。 フェンス自体は、猪木vs上田の五寸釘マッチでシンの乱入を阻止する為に
設置されたのが最初だと思うけど、オーバーフェンスルールができたのは
80年代に入ってからなのかなぁ >>630
全日本対ジャパンは、天龍と谷津のゆるいジャンケンから始まったからな。
あと、いつもはジャパンと対戦しないのに、馬場がしれっとエントリー
しているとか、緊張感薄し。 >>635
> あと、いつもはジャパンと対戦しないのに、馬場がしれっとエントリー
> しているとか、緊張感薄し。
いつもは対戦しないからこそプレミア感があって良いんだろが。 >>632
これが全女だとフェンスの外に出した方が勝ちになるんだから面白い ベアキャットライトが「アアッ、アー!」と奇声を発しながら坂口にヘッドバットをやっているのを見て
この人は本物のキチガイじゃないかと思った。
日米対抗ローラーゲームのアメリカチームの、乱入してヘッドバットをする黒人マネージャーと被ったな。 NHKの「アナザーストーリー」とかいう番組でブッチャーの特集をやっていて、
デビュー当時、いかに黒人レスラーが人種差別を受けていたか、という話題で、
それ以前の黒人としてベアキャット・ライトも紹介されてたんだが、
ボボ・ブラジルやアーニー・ラッドも取り上げろ! と気になったよ。 >>640
本当に迫害を受けて身の危険まで迫った事があるから採りあげられたんだろう。
ブラジルやラッドとはその辺りが違うと思う。 ブラジルやラッドはベビーフェイスとして扱われたと思うけど、
ライトがWWA王者になってからの迫害は有名だな。(真相はよく分からない)
ただ来日が遅すぎた。
本当は73年の全日ジャイアントシリーズ結集戦に来るはずだったが
75年に新日に来た時も既にロートルだったし、ロビンソンと被ったのも不運だよな。
あの長身でのドロップキックは凄かったけど、レスラーとしてはブロディのような
気難しいタイプで使い辛かったらしいよ。 >>641
日本で行ったマードックの行為の酷さに見かねた樋口がステーキをごちそうした。
東スポ・門馬氏がオーストラリアに取材に行くとやはり露骨な人種差別を受けて
落ち込んでいるブッチャーの話し相手になってあげたらしい・・・ >>606 その前の58.11.3決戦で浜口は坂口にわざとオーバーフェンスして勝ちを
拾ってるからそのお返しに藤原が自ら両リンに持ち込んだストーリができたから
なおさら盛り上がった >>606
藤原が浜口と心中したのは両リン史上最高の盛り上がりだった。 >>646
当時の実績や格だと藤原は足りない感じだったので、
あの両リンは金星相当だったよな。
だいたい正規軍が優勢に進める展開だったのに、ケンゴが浜口に全然粘れなくて
アドバンテージが帳消しになった後だけに藤原の仕事が光ったんだよな。 >>647
当時の藤原は寺西より下だったから維新軍の誰が相手でもピン勝ちは難しかった。
そこで問答無用の仕事師の強面藤原を古舘が副将とコールした時の蔵前のどよめき。
捨て石をうまくセミで使ったが、あの勝っていく順番を決めた人は優秀。
全日で5vs5やって鶴田が先鋒で3試合目で原あたりに負けとか絶対やらない。 UWF軍団として新日に出戻ってきた藤原はメッチャ格上げされてて
五対五の対抗戦では健吾兄さんにアッサリギブアップ勝ち
大将の藤波も散々追い込んで前田が快勝する流れを作った
どっちの対抗戦でも貧乏くじ引かされた健吾兄さんに対し
藤原組長の優遇さよ メインで猪木とシングル2回。
リーグ戦でノーテレビとはいえアンドレと両リン。
タッグリーグ戦で優勝。
86年は前田のインパクトが強いけど
藤原もなかなか美味しいところを持っていってるね。 >>649
健吾は木戸にまで負けさせられた。
本来の前田の相手は前座時代にカモにされたジョージ。 86年はUの5人全員がおいしい思いをしたでしょ
タッグリーグ決勝に3人も入っているんだから。 ジョージはSWSに行ったのはUWFと戦いたかったからとか、最近の前田との対談では
UWFに行きたかったといってたけど、第1次Uが新日に戻った時に戦った際、すごく逃
げ腰だったな。コブラ時代はコブラのスタイルを貫くために仕方なかったかもしれないが
素顔になってからもあんまり積極的に絡む感じには見えなかった。
外様の越中はあんなに頑張ってたのに。 つまりウソなんだろうな、実際は「上が辞めないで下が台頭してくるから居場所が無くなる気がした
新日よりカネがいいところになびいた」と正直に言うとカッコ悪いから
UWF的な戦いをしたかったとありもしない理由をでっち上げたと でもジョージは前田や高田よりも先にガチやってるよね >>654
田中社長から「前田と戦わせると言われた」と昔から言ってたよ。 マードックの黒人差別は有名で、アレンは彼をKKKと言ってるよ。
ブッチャーはマードックと最後のワールド大リーグ(72年)に同時にエントリーされ
その来日で相当嫌がらせを受けたみたいだね‥
ブッチャーの目の前で鼻を摘まんで「スカンク」と罵ってみたり、
控室も別にされブッチャーを孤立させていった。
後年、新日本でブッチャーがマードックと対戦拒否してブラボーを指名したのも
ガチで嫌がっていたからじゃないかな?
後に一騎討ちが組まれたけど、そこは二人ともプロで壮絶な試合だった。
二人の関係を知っている馬場だったら絶対にマッチメークしてないよ。 ブッチャーから小遣いをもらった前田は
「ブッチャーを守らなきゃあかん」とブッチャーの味方になった 新日本ファンの国際プロレスを見る目は差別的だったからね、差別主義者のマードックにあってたのかも >>659
ブッチャーは、その前年、1971年の
ワールドリーグでもKKコックスから
ヒドイ人種差別を受けたと報じられたが。
むしろ、こっちの方が話題作りで
マードックの黒人嫌いの方がガチだな。 >>659
また、1972年のワールドリーグで、
外人勢は「我々はチームとなって日本側と
戦う。キャプテンはGモンスーンだが
サブキャプテンはマードックだ」なんて
言っていたが、白々しいね。 >>657
もうすっかり忘れ去られているがオーストラリアは白人による有色人種への差別国家だった。
アボリジニーへの虐殺は時折鬼畜英国みたいに語られるが、独立しても基本変わらず。
有色人種移民の増加や英国の政治経済力の低下が大きくなり方針転換した。国が方針転換しても国民の心の持ちようは早々変わらない。
クツワダの話だとブッチャーだけ機内食が用意されなかった事があった。自分の食事をブッチャーに渡し、自分がもらってないと告げるとすぐ出てきたと。
そのころはジャップは戦争もしたけど金持ってるから優遇だった。 ほんの5、60年前までスポーツハンティングだって言って原住民をジープ乗ってライフルで撃ち殺して吊るして一緒に写真撮ってるような連中だからね 全然しらんかったが、ブッチャーの話もオーストラリアの話もひでえな・・・ 表にだすマードックよりローデスの方が根が深いなんて話もあったな 樋口さんはマードックの差別主義だけじゃなくて
トンパチ過ぎる素行にも嫌気が差してたと昔誰かが書いてた
列車の窓からケツ出してウンコしたりとか マードックのブッチャーイジメはアメリカでは二流レスラーが日本で成功したことへの嫉妬もあったかもね。
ブッチャー以外の黒人とは大きなトラブル起こしてないし。 >>648
寺西より下って事は無い
格は少し上がっていてファンは少なくともキムケンより期待していたぞ >>669
さすがに日本で車窓からの脱糞はしてないだろ。
アメリカでのサーキット中に乗り合いのクルマから脱糞した話は何かで読んだことがある。 ミスター高橋がマードックはナイスガイだったて樋口に話したら
樋口は驚いてたらしいね樋口にとってはバッドガイだったみたいだ >>672
テキサスでパトカーに追われて160km出して逃げて、窓からケツ出して
160kmのうんこ爆弾をパトカーのフロントガラスに射糞撃した。 志村けんのアイーンは猪木の「なんだコノヤロー」が元ネタだよね。 外人の尻出しとかライブでクソを投げつける話ってよく聞くけどきちんとそのあと尻を拭いているのかが気になる
何となく日本人と違って欧米人って尻とかパンツとかすごく汚いイメージ
日本に来てウォシュレットに感動とか聞くと特にね >>675
アイーンとはいってなかったよね?どっちかというとアッポーって馬場の真似してたやつが印象つよい >>677
アイーンは顎を尖らせたときの掛け声みたいなもの。
最初は志村がいかりやに怒られたときに「怒っちゃやーよ!」と狼狽えた後、背を向けたいかりやに「なんだバカヤロー」と顎を尖らせ水平チョップのポーズで猪木の真似をしたのが始まり。
それがだんだん変化していき、手のひらを水平に出して顎を尖らせ「アイーン」と言うポーズが定番となった。 >>671
寺西は蔵前など大会場でメインを何度もはってる。藤原はその時点ではまだ無し。
これでお分かりかな? >>679
何度もあったか?
1対3の変速マッチの二回だけじゃないのか? >>670
ロッキージョンソンに反撃されてぶん殴られてたろ。 >>659
KKKって何?
>>662
国際プロレス出身者を冷遇したのは馬場全日本の方だけどね。
>>665
いや、オーストラリアが有色人種への差別国家なのは知ってて当たり前だが、
何でそんな国にわざわざブッチャーが行くのかを聞いているんだが。 >>682
クー・クラックス・クラン=過激かつ伝統的な白人至上主義団体
元々南部から端を発した「劣等人種の」有色人種を排斥・支配して
白人による支配社会を作ろうという団体
白人至上主義団体の中でも最も過激な一派の一つで
白人による有色人種への差別や暴力行為を是認し
また白人と有色人種の混血も穢れとして一切認めないという優生思想が特徴
現在では黒人はもちろんアジア系やヒスパニックだけでなくカソリックやユダヤ系なども
排斥の対象とするWASP至上主義を掲げることが多く
思想的にナチズムと非常に近しくなることもあり欧米では強い批判の対象となる一方で
根強い有色人種への偏見やプアホワイトの不満の受け皿として
暴力や破壊行為を表向き否定したりすることで未だ根強く残っている
ちなみにマードック同様ブレンバスターでお馴染みK・K・コックスは
このK・K・Kの一員というギミック(だからイニシャルがK・K・K)で売ってきたが
実は当人は私生活では人道主義・反差別主義者だったそうな まず、オーストラリアとオーストリアをきっちり分けて語れ
許されない誤字もある YouTubeでも見れるが、普通にタッグを組んだり対戦しているぞ。 >>684
オーストリアと書いてる人誰か居るの?
ブッチャーがいたのはオーストラリアだろ、みんなオーストラリアと書いてあるだろ。 >>682
当然仕事。消滅して久しいがオーストラリアでも地元選手や出稼ぎによるプロレス興行があった。
フレッド・アトキンスの出生地。日本人で有名なのは高千穂轡田組だね。
初期のPWF構想の一部でもある。 >>688
この当時は全日レスラーが遠征したりしてプロレス興行が盛んだった。
>>683
「KKKはゴロがいいから使っている!俺は人種差別主義者ではないよ!」とコックスは
コメントしていた。
ただ周りに流されるのか?人格者で伝わるデストロイヤーまで参加していたメキシカンレスラー
への人種差別を見てしまった東スポ・門馬氏は根深いモノを感じたらしい・・・ キラーカールコックス対キラーカールクラップのKKK対決だっけ?
ブラックKKKはキラーカーン クラップはワガママだったらしいけど差別的な行為の話は聞かないな。 >>679
蔵前より大きい大阪城ホールのメイン 猪木、前田、藤原vs長州、浜口、谷津
蔵前でシングルメイン 前田vs藤原 >>665
>ブッチャーだけ機内食が用意されなかった
その話、本当だとしたら、一般市民に差別意識があるのは、まだしも、
航空会社が金を払っている客に対して、それはヒドイね!
逆に、クツワダは良い奴だね。
まぁあくまでもクツワダが語った話として聞いておくが(苦笑) >>683
>K・K・コックスは
>実は当人は私生活では人道主義・反差別主義者だったそうな
そういう昭和の外人レスラー(特に悪役)のイメージと
ロマンを崩すようなことは書かないでくれよ(^^: >>671 >>692
藤原は長州襲撃前は寺西、星野、木戸、剛の下で
長州襲撃後のUへ行くまでの間も上記選手、小林邦昭にも勝ってないだろ。 >>691
ナチギミックは実際には独籍のゲルマン系より
ユダヤ系やフランス、ベネルクス三国や東欧系などの
第三帝国の侵略や迫害を受けた被害国の民族が名乗ってるのが多いんだよね
(クラップはたしかユダヤ系だっけ?)
冷戦期のロシアギミックもロシア系より親や家族が
周辺東欧諸国から移民や亡命で渡ってきたって人が多い
実際に迫害された側ってのがギミックを演じるうえでの
一種の逃げ道というかアリバイになってたのかね >>696
ユダヤ系が極悪ナチスを
演じることで、ナチスを貶めているんだろ?
グレート東郷も中国系とか韓国系という噂があった。
真実なら、卑劣なジャップを演じて日本人の評価を
落とそうとしていたんだろうな。
いわゆるなりすまし、
卑劣なチョンのやりそうなことだ。
いまでもチョンは欧米で悪事が発覚すると
「アイ アム ザパニーズ」と言って
日本人に罪をなすりつける。 マサ斎藤が「監獄固め血風録」で語っていたけど、渡米してミスター・モトに最初に紹介された
ロス地区はメキシカンが観客の中心で、小柄な有色人種がベビー、カラードをバカにした
態度を取る大柄で傲慢な白人がヒールというのが基本スタイルだったとか
日頃人種差別に苦しめられているブルーカラーの客層の鬱憤を晴らす娯楽だったんだな
(だからロスの日本人レスラーは、悪役として憎まれない代わりにこれといった特徴が
与えられないため、ヒールとして上に行けないとも言っていた)
思えば後のロス王者チャボ・ゲレロもファンクスら大柄な白人を叩きのめすタイプだったし、
白人であってもニューヨークのアントニオ・ロッカはWASPに蔑視されていたイタリア移民が
大柄な白人を技とスピードで翻弄するというタイプの人気者だった
ある意味でアメリカンプロレスも、力道山が戦後のアメリカコンプレックスを商売にしたのと
同じ構造だったんだな(と言うかアメリカのそうしたエクスプロイテーションビジネスの
典型的なスタイルを戦後の日本に応用したのが力道山プロレスだったのだろうけど)
戦後日本が高度成長で自信を持って、力道山スタイルから海外の強豪を迎え討ち撃退する
ジャイアント馬場スタイルに移行したように、ニューヨークのイタリア系ビジネスが
小柄なロッカからパワーハウス・サンマルチノに変わっていったのは、イタリア系移民が
力をつけて自信を持てるようになったことの現れだったんだろうか >>692
その6人タッグは大阪府立だな
大阪城ホールの柿落としは長州vs藤原、猪木&坂口vsマードック&アドニスだったっけ >>692
綱引きの頃は前田vs藤原は行われていないわけで(笑)
蔵前でフルハウス、チケット完売、視聴率20%以上、猪木とメイン。申し訳ないが寺西の方が上だ(笑) カールゴッチに2分でジャーマンで負けたイメージ。寺西より上の意味がわからん(笑) >>671 >>692
藤原は申し訳ないが長州襲撃前は寺西、星野、木戸、小林邦明、剛竜馬の下。
当時をリアルタイムで見ていない人に説明するのは難しいが、答えるので質問してごらん。
君が納得するまで答えてあげるよ。 寺西なんて国際軍団のやられ役。
いつもピンされる雑魚だろ。 タイガーマスク対寺西で寺西の本領発揮をはじめて見たよ。 >>682
>国際プロレス出身者を冷遇したのは馬場全日本の方だけどね。
原は天龍に次ぐ四番手、
井上は移籍直後の10周年記念興行でマスカラスのIWA王座に挑戦。
どこが冷遇なんだよ。 佐山タイガーと小林邦昭や寺西との絡みはウンザリだったな。
佐山と小林が仲良いのは最近知ったけど、身内で済ましてる感で夢のない
カードだった。 ホーガン入場の先導役をやっている寺西を見て
国際軍団はアルバイトやって活動費を稼いでいるんだなって思った。 「ワールドプロレスリング」の格闘技戦を除いた純然たるプロレス試合の中継で、最も
視聴率が高かった(25%超え)のは、82年11月、猪木vs国際軍団1対3マッチ、藤波vs長州、
タイガーvs小林邦昭の純然たる日本人対決の蔵前決戦だった
団体や放送日時の違いはあるものの、豪華外人を謳っていた全日本プロレスは、土曜8時で
馬場がブリスコからNWAを獲った試合の視聴率が15.5%、超豪華メンバーを集めた1975年の
オープン選手権でも最高視聴率は馬場対R木村戦のあった日の15.3%、次が鶴田対R木村戦の13.2%
ちなみに伝説となったオープンタッグ最終戦のファンクスvsブッチャー・シークが13.4%
視聴者が日本人対決を求める傾向は昔から変わらないのかも >>710
土曜7時台の全日中継でも鶴田vs.長州は14%だった。
ただ同時間帯の最高は輪島vs.シンの17%だった。
すべてビデオリサーチ。ただ日テレは他局と違いニールセンを使っていた。
なぜか視聴率はニールセンの方がビデオリサーチより高い数字が出る。 >>714
毎週の視聴率はゴングは関東のビデオリサーチとニールセンのを載せてたな。
週プロはニールセンを使わずに関東と関西のビデオリサーチだった。 宇宙戦艦ヤマトは1年間の放送予定が平均視聴率15%で半年で航海を打ち切られた。
パート2も1年間の放送予定だったが同じぐらいの15%視聴率で半年で打ち切られた。 www.youtube.com/watch?v=UkTK1fVWmcs >>719
大阪での髪切りマッチで、浜口が試合中に本部席にいたストロング小林からハサミを渡されて猪木の髪を切り、
試合は猪木が勝ったが、木村が髪を切らず逃げて、猪木が「永久追放だ」と言った。
声明文「病院に行った。それも確認せず永久追放は納得しない」
この後、3vs1へと繋がる。 この乱闘は長州の咬ませ犬の日で途中のインターバルの時。 ブレイク前の藤原のイメージと言うと、猪木の付き人、絵が上手、ゴッチ門下の優等生、
いぶし銀の前座といった感じか。20代から老け顔だったw。
TVの露出(試合)がほとんどなかったが、雑誌ではよく彼のキャラは掲載されてたので
ある程度のイメージは出来てたが、長州襲撃は「あーあいつが・・そうかあ」という
意外性と妥当性みたいなのが入り混じった気持ちだったな。 >>723
当時だと長州襲撃は健吾がやるべきだったが、藤原は意外性と妥当性があってよかった。
その後、維新軍と闘っても気後れしてなく堂々と渡り合っていた。
これが小杉だったら気後れしてやられるだけで反撃できなかったと思う。 >>723
藤原は30歳位で老け顔だったせいか歳をとっても印象が変わらんな
世代抗争で旧世代側に入れられて
「顔は老けているが天龍と同学年なのに」と言われていた >>725
まあ健吾だと藤波のライバル、同胞として立ち位置も明確になっていて、中堅として安定の存在感がある。
その辺で藤原の起用と言うのは絶妙の人選だったのかも。 82年の正月だったかな。ゴッチに秒殺された藤原を、寺西より格上だってそりゃ無茶だよ。
その頃藤原は前座。寺西はメインエベンター。そっちが会社に利益上げたか分かるだろうよ〜 >>648
81~84年のテレビ登場回数は尋常じゃないぞ寺西は。
その頃の藤原はというと・・・藤原が格上って無茶だよあんた(笑) 俺は藤原嫌いじゃないが
藤原が名実共に開花したのは
佐山との抗争あたりからで
新日在籍時、彼の見せ場は頭突きだけ
テレビに映っても
小汚い流血
効かないボディーブロー
リンチに遭う
6人タッグの負け役しかイメージが無い
浜口との両リンは
してやったりじゃなくて
藤原にしては上出来、ヘタすりゃ負けていた
浜口があんなに悔しがっていたのは
藤原をあっさり倒し
猪木を傷モノにし
大将長州に繋ぐ
そんな思惑が有ったからじゃないかな >>728
メインイベントに出場=メインイベンターは安直では?
寺西がメインに出れたのははぐれ軍団が三人しかいないから
タッグ戦ではジュニアの寺西を担ぎ出すしかなかった事情があっただけで
小林の腰痛や剛の加入があったら、毎回寺西がメイン出れたかどうか… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています