【アドニス】昭和の新日本プロレス15【オートン】
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>>908
猪木はステップオーバートーホールドで相手の爪先を取って極めてるから相手は動けない。
ちゃんとした技だよ。 >>911
そう言う思い込み+小鉄のこじつけ+桜井の能書き=闘いのワンダーランド コブラは本当に効く
藤波戦の卍三連発を「早く止めろバカ野郎!」と猪木に罵られたという
テーズが試合後のインタビューで、
「卍よりコブラの方がチョットダケ効く。猪木の試合が卍で決まるのは
猪木のこれで決めてやる!という執念のなせる業」
と言ってしまっていてたけど(笑)
コブラは年下の親戚の子供とかに決められると本当にギブアップ
するしかなかった。デラプロとかにも書かれていたけど、あの技は
小さい選手がでかい相手の身体を折りたたんで斜めに絞り上げる
技だから効くんで、でかい人間がちっちゃい相手にやってもイマイチ
猪木が最後のNWF戦でハンセンにかけたコブラは隙間の無い、
まさに拷問技という感じだった
猪木はコブラにこだわりを持ってたから引退試合までのカウント
ダウンでも決め技にして惜別アピールしていたのに、もう当時の
プロレスマスコミはそんな猪木の意向をくむセンスもなくなっていた コブラ は元々はレスリングの技で柔術でも同型の技があるしな >>914
猪木は天龍戦で試合開始序盤で卍を出したりしてたのを見て
もう卍には思い入れがないのかな?と思った
ファイナルカウントダウンの試合の中では
一度も卍を出していない気がする >>916 わざわざ見に来るお前が一番恥ずかしい。 >>897
まだ元気な時の対戦相手にワザと卍固めを仕掛けて
ハンセンが怪力で振り解くのをみた観客が「すげェ〜!」
あぁいうのを自分で演出できる猪木の構想力が凄かったんだな >>919
92年だったか
ガッチリいい卍だったよなあ その前の延髄二連発が映像にしっかり入ってないのが残念 新旧イリミネーションマッチでマシンに決めた卍固めが完璧すぎて会場で笑っちゃった。 猪木はフィニッシュ技が多彩だったので今日は何の技で決めるのかなという楽しみがあった… >>920 50にもなって平日昼間から尻の穴さらすようなトークしてるのが珍しくてな >>886
ブッチャーは85年の時点で知名度はともかく集客力はなくなってた。
最後のシリーズ参加となった85新春黄金でもブッチャーが出ていた週は
軒並みガラガラガラガラだった。
ホーガンが出てた週はまあまあ客が入ってたが。 >>882
卍は足のフックが肝な筈なのに
オタどころか本職のレスラー達まで
みんな首への極めばかりに拘って見るのは何でなんだろうね
>>901
片足が流れない本気モードのバックドロップを見せた映像が残っているのは
ロビンソン戦バックランド戦ブロディ戦ぐらいか
特にロビンソン戦の試合時間42分頃に決めたバックドロップは
その後ロビンソンの動きが明らかに悪くなっていたくらいだから
相当効いたんだろうな
>>912
昔ゴッチがトーホールドを使っている写真を見た事があるけど
猪木よりもっとエグい形で相手の爪先と足全体を極めていた >>925
そうそう。延髄斬り前の話ね。
コブラツイストは友達同士でやっても痛かったぞ。痛くなかったと言ってる方は、相手が悪いわ。
でもそれもプロレス的でいい。 猪木の延髄斬りは、飛ぶ前の目付き、蹴る直前のヒザのため、蹴った瞬間に大きく広げる両腕、何もかもが芸術。グチャッて格好悪く落ちるのも含めて誰もマネできない。同様に健吾のイナズマもあのフォームでやる選手はいない。 >>931
延髄斬りは、そもそもモハメド・アリ戦用に開発した技だったよな。
後楽園ホールでのスパーリングで披露して、アリ陣営から禁止されたと記憶してる。 >>886
何年か前に偶然ケロと話す機会があって聞いたけど猪木が単純にブッチャーのスタイルを好きじゃなかったらしい >>931
健吾の稲妻、前田のニールキックは体を一直線にしてほぼ真横になるが、
他選手がやると体が起きているため不恰好になる。
>>932
公開スパーで初延髄を喰らったのが健吾。 猪木vsブッチャーは82年秋の大阪でも発表されたけど、無くなったw コーナートップからの延髄ニーってハンセンにしかやってないよね >>937
蔵前ワンナイトマッチのジェシー・ベンチュラ戦でも放っているね。 >>939
本当はこの技でフィニッシュのつもりだったのだろうか?
この後続けて延髄の要領でベンチュラの胸板を蹴ってフィニッシュ
微妙なフィニッシュかつしょっぱい試合だった 86年夏のウイリアムス戦でのフィニッシュも延髄ニーだったね ブッチャー戦唯一のピンフォール勝ちはブレーンバスターだった >>946
猪木、藤波対木村、浜口
坂口対ブッチャー タイガーマスク対小林
じゃなかったかな… >>948
サンクス!
そうだった
ショボいカードになってがっかりした記憶がある >>914
猪木VS国際軍団の2度目の1対3で
猪木のコブラで泣きそうな表情をしてた寺西が印象的だった 猪木vs国際軍団
藤波vs長州
タイガーマスクvs小林邦昭
この3試合を組んでおけば蔵前国技館や大阪府立体育会館は超満員
ワールドプロレスリングの視聴率は20%超
ブッチャーの出る幕が無いわ 不透明決着がどんどん忌み嫌われていく時代に
不透明決着の権化の悪役外人を重用しろと言われても
厳しいものがあるわな >>952
その下二つを延々繰り返したのが83サマーw
ブッチャーの出る幕どころかマードックの出る幕もなかったという。
結果的にこの両者が対決してて、ファンはそっちを見たかったと不満漏らしていたっけ。 オーンドーフなんてこの年3回も来日
しているのに前田に秒殺された試合
しか記憶がないな。 >>955
それだけテレビに出てないってことじゃないか? >>952
この頃の俺は小5〜小6で
新日はタイガーマスクと日本人対決を楽しむところ
外国人は全日で見ればいいって区別してたな
両団体とも楽しく見られたいい時代だった そのサマーシリーズで藤波対アドニスが放送されたのを有難く感じた… >>936
実際その日の大阪府立は主催者発表7000人と新日にしては客が少なかったからな
(当時は8500〜9000で超満員が当たり前だった)。。
猪木VSブッチャーじゃあ前売りが売れなかったんだな。 >>931
蹴り足でジャンプして空中で脚を交差して蹴るのがカッコいいんだよな >>955
>>958
藤波対オーンドルフも録画だけど放送されましたね。
結果は例によって藤波がクイックで勝利。 >>955-956 >>961
藤波vsオーンドーフは結構良い試合だった
オーンドーフは秋の闘魂シリーズでは安易にラリアットを多用しだしたり
ラフな攻めばかりが目立つ様になったりして
ちょっとそのセンスはどうなのかと思った記憶がある 右4人はほとんど変わってないな
前左の橋本のそっくりさんが気になる 大城はテレビマッチで観たことないなー
全日本の伊藤正男と松岡厳鉄、そして新日本の大城大五郎は
海外で消息がわからなくなっているね。 >>962
後列、左から小林邦、?(消去法で考えれば藤原なんだが)、小沢
中列左から栗栖、高橋、荒川、?(スタッフ?)、北沢、浜田
前列、左から大城、藤波、健吾(あるいは間寛平)
で合っている? 前列 大城、健吾、藤波
中列 栗栖、高橋、荒川、ドナルドタケシ、浜田
後列 小林、藤原、ちょい前が北澤、カーン ドナルドタケシか!?
写真は見たことがあるが、
あんなに細くて小柄だったんだな。
入門したばかりかな?
逆に藤原がやけにデカク見える。 ドナルド・タケシはもっと濃い顔だったと思うが
体格的にも浜田と同じくらいだし選手じゃないんじゃね? あと、この‘72年〜’74年に新日からデビューした選手は
木原伸一、佐藤一生、バトルロイヤルのみの伊藤正治やブルースが
いるが、顔が違う。やはり身体付きから見てもスタッフでは?
あるいは入ったばかりの練習生だな。
上記の期間デビューした選手は、新日が発行した
「新日本プロレス20年史」からだから、漏れはないよ。 >>962
見た事ある写真だな…と思ったら違うショットがGスピリッツvol.51の42ページに載ってる >>976
>>962が全部解明できていなのに(苦笑)、、
顔が不鮮明だな。
ストロング小林が写っているところを見ると1975年以降(5月正式入団)。
季節は夏(あるいは南国)だが、その年の6月に藤波と木戸が海外遠征。
でもギリギリ間に合うかな?
後列左から藤原、大城、藤波(あるいはこれこそ、ドナルド・タケシ?)
木戸、S小林
中間に立っているのは柴田?
前列、左から、スタッフ?(レスラーに見えない)、健吾、高橋、荒川。 だから、やはり浜田の左の
細い男はレスラー(ドナルドタケシ)では
ないんだな? >>976
上段左側から
・藤原 ・大城熊五郎とかなんとか ・ジョージ ・小鉄 ・金剛 ・?わからん
下段左側から
・小林邦昭?・木村健吾 ・高橋 ・わからん
小鉄は凄い体だな。 高橋の右となりは荒川じゃない?
小林のとなりはよく見えないな 後列左から
藤原、大城、ジョージ?、木戸?、小林、ゴメス?
前列左から
サンペイ?、健吾、高橋、荒川
撮影時期と?の4人がよく分からんな >>977
この写真は1975年5〜6月?
ジョージは1976年8月入団だけど75年5〜6月時点でいるわけだな。
佐山は1975年7月入門でジョージはよく「佐山の3ヶ月後輩」と言ってるから75年10月入門?
ジョージがいつ新日入りしたか再検証。 >>986
>この写真は1975年5〜6月?
そうは断定していないよ。
>ジョージは1976年8月入団だけど75年5〜6月時点でいるわけだな。
そういうわけではないよ。
俺は、後列3番目を藤波か、ドナルドタケシだと思った。
4番目は木戸だと自信があった。
藤波と木戸は、75年の6月に海外に武者修行に出たから
その直前に写したと思ったんだよ。 >>986
wikiではジョージは76年1月まで大相撲だから、75年にいるのはおかしいなー
入門は76年8月だけど、一度辞めて芸能の世界に入り78年6月に再入門になっている。
写真がジョージなら、いつ撮影されたのか気になる。 >>992
1975年10月9日の猪木vsルー・テーズでジョージがセコンドにいる。
よくジョージは「佐山より3ヶ月後輩」と言っている。
ジョージの入門は1976年8月となっているが、75年10月9日には入団しており、
75年7月入門の佐山より2, 3ヶ月後輩で1977年7月入門の前田より2年先輩ということ?
30秒から。https://www.youtube.com/watch?v=gFaR3JvwOSw 75年大相撲九州場所(11月9日〜23日)番付
序ノ口 24 0勝0敗7休
高野(譲次)
初土俵 昭和49年3月
最終場所 昭和51年1月
大相撲の公式記録には76年1月まで在籍している高野が、
75年10月9日猪木vsテーズのセコンド、しかも蔵前国技館とは?謎だ 再度検索してみると、高野は75年9月場所から全休
次の九州(上の)も全休で、1月に引退扱いとなっている。
相撲界に籍をのこしたまま10月のプロレス会場(しかもセコンド)で
テレビに映ることなど今では考えられないが…
おそらく建前上に入門日をずらしてプロフィールを作成してるね。 【新春黄金】昭和の新日本プロレス16【ブラディファイト】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1576829220/
ゴッチさん直伝(チョクデン)の技で、立ったぞっー!! 埋めていこう!
1975年12月20日(現地時間)ロサンゼルス
猪木・坂口の黄金コンビ最後の北米タッグ選手権が行われ、
ジ・インフェルノス2号3号を破り王座を返上した。 1986年12月2日収監されていたマサ斎藤が刑期を終え出所
12月25日AWAセントポール大会でカムバック このスレッドは1000を超えました。
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