【アドニス】昭和の新日本プロレス15【オートン】
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>>558
終盤に初来日するビガロが一応シリーズの目玉だったね >>557
細かったからもっと軽く感じるが。
寧ろUとして新日に上がってた頃の方が重そう。
後の第二次U時代は言うに及ばず。 >>558
最初の発表では、前半戦ブロディ 後半戦ウイリアムスと週プロに出てた
後、新日全日の新春シリーズ後楽園大会(2日3日)のポスターに
バズソイヤーが載っていて、後楽園ホールに張ってあった
新日本のポスターでバズソイヤーの部分にマジックで不参加と書かれてた。
これは、誰かが悪戯書きしたんだね。 >>561
ブロディは86IWGPタッグリーグ戦ボイコだったけど
新春シリーズも参加予定になってたんかな?
それがそのまんまの流れにより新春もブロディ不参加で。
当然だけど。
ブロディ ウイリアムス U勢。
これらが絡み合えば面白かった。
ブロディとウイリアムスのタッグ、仲間割れ→抗争。
これに前田が絡む。
ただ下手したら全部が塩展開で終わる可能性もありそうだが。 藤原対ブロディとか見てみたかったな…
決着着くのかな〜 >>562
クラシックスで前田・藤原vsウイリアムス・アレン戦を観たけど、ウイリアムスは
蹴りでも関節でもたじろぐ場面もあったが、真っ向からやってたな。
ウイリアムス強えーと思った。 >>562
前半戦後半戦に分けての特別参加だから、多分入れ違えで交わる事は無かったかも? >>563
多分サブミッションも最初はブロディも付き合うが、通じないと諦めて
頭突きのラッシュに行くだろう‥‥
もつれて場外乱闘で血だるまにされ、リング上でキングコング・ニーが炸裂するが
ロープブレイク。
もう一度狙うが、かわされてアキレス鍵固め。
回転して又も場外へ行くが、ブロディがチェーンを持ち出しそのまま
両者リングアウト…
(ちょっと藤原寄りになったw ) >>566
申し訳ないけど、この頃なら、ブロディ(KO)藤原だよ。 いや、藤原ならいつ頃だろうと外人しかもエース級にはアッサリとやられるな ウイリアムスが前田の蹴りを体で真正面から受ける
ノートンが橋本の蹴りを体で真正面から受ける
光景が酷似してた。 >>554
なんでだよ。
豪快に勝てるじゃないか。 >>570
ロープに振って大車輪キック一発でフォール勝ちでした。 ガラプーさんは荒らしや殺害予告やでっち上げはなかったことにしているのかな 新生Uに行く前の藤原はベイダーにもしっかりフォール負けしていたよな。 86年にチャンピオンにもなった前田、木戸組は何か無難と言うか面白みの無いタッグチームだったな…
マードック、スーパースターに勝ってたけど… >>574
本来なら前田、藤原組で売り出すと思うんだが
あえてそうしなかったのは
木戸への長年の功労へのご褒美だったと思う >>575
東体でのイリミネーションで最後に残って猪木と戦ったのも木戸だった。
Uの中で一番プロレスが上手いのが木戸だからでは?
ロープに飛ばしての技もあり、バックドロップ、ネックブリーカードロップとプロレス技もあり、純プロレスの受けもできる。
藤原は受けが下手。 前田、木戸だと木戸がフォール負けする役割を担えるからやりやすい気がする。 >>575
当初は、前田・藤原組でのIWGPタッグ挑戦だったが、
藤原負傷欠場で木戸が代打参戦。見事キドクラッチで
健悟をフォールして王座戴冠。藤原の負傷がなければ
木戸の活躍はなかったかも。 木戸のあの短足で地味だけど実力者という設定がUWF帰りで活かされた感が良かった
いかにも中年のオッサンって感じのルックスがまたいいんだよな 個人の勝手な感覚だけど
木戸と小林邦昭は新日を一度出ていっても
上層部の心象はそれほど悪くなっていないような気がする 木戸はUWFの実力リーグだったかの1部リーグで優勝しただろ。 宮戸と安生が本当は新日に残りたがってたってのが意外だったわ 木戸が最も光り輝いたのって86年だよな〜いい味出していた。 IWGPタッグ戦線は、前田&木戸→藤波&木村に戻り
その後前田&高田のアイドル組が戴冠したと思ったら、
同じUWFの藤原&山崎と取り合いになった。
木戸が外されたと思ったら、
1987年12月、あの暴動が起きた両国大会では、
王者藤原&山崎に木戸&高田が挑戦するカードが
組まれたが、両リン。 >>43
その通り!特にマシーンなんて鶴田天龍にもシングルでピン取られないという高待遇すぎた IWGPタッグは、当時ジュニアの越中とヤングライオン卒業したての武藤に取らせた事で
権威がガタ落ちしたと思う。
ジュニア枠の選手に取らせるべきでは無かったよね。
その後の前田高田は高田がジュニアだったけどUWFの大将格の前田が居たから
ギリ許せるかな?
藤原山崎、当時中堅のマシン高野、長州飯塚、マシンヒロ斉藤辺りは権威を落としたよね。
全日本に例えるとジュニアの頃のタイガーマスク、石川、井上、高野俊二、天龍同盟の頃の川田冬木がヘビー級の
タッグ王者になるようなもんだよね? 馳と健介が取ったときにはアジアタッグ並の価値になったな
どう考えてもゴディ、ウィリアムスや三沢、川田よりは小橋、菊地辺りと同レベルになってしまった 北米タッグも、猪木坂口→坂口小林→坂口長州というふうに段々と格が落ちていった。
当時の長州は、ヒットマンになる前の阿修羅原レベルだよね。
鶴田原組がインタータッグ取る様なもんだよな。 >>587
愛知県体育館だっけ?俺もあの試合好きでビデオで何度も見たわ。 新日のタッグ王座がシングル王座より格段に格が落ちるのは全部猪木のせいだよ
自分だけ良いカッコしたいくせにタッグマッチでは楽したがるから 88年頃にガスパーズとかベイダー、マサ組とか亡くなってしまったけどアドニス、マードック組とか
出戻りの長州軍団、その後シン、ドク組等に藤波、木村組が防衛戦行って後のスタイナーズとかベイダー、ビガロ組、三銃士
のタッグチームに繋いでいったらちょっとはハクがついたかな?
挑戦者チームがクリス・アダムス、ザ・ジャッカル組とかだったからなぁ 新日のタッグに対するやる気のなさは
旗揚げ以来変わっていないw >>596
本来のパートナーが来日キャンセルという事情があったにせよ
スヌーカ&サモアンが挑戦者だった事もあったよね。
ハクソーヒギンズ&ケリーブラウン、ナガサキ&ポーゴも挑戦したっけ? >>589
マシンは武道館で天龍にクイック出負けてる。 インタータッグのショボい挑戦者は
カマタ&マーシャルボーグズ、ロビンソン&天龍、ハンセン&テキサスレッド、ブロディ &スミルノフ
こんなもかな?
それでもカマタ組以外は一方がエース級だしね。 マサ、長州がチャンピオンの時が酷かった気がする…
マードック、アドニスとかエリック兄弟とか木村、藤原とかとにかく話題にならなかった… >>600
鶴龍対ハンセン、レッドのインタータッグ戦観たよ。
たしかにレッドはブロディはおろかロン・バスよりも落ちるパートナーで、番狂わせもなく順当にフォール負けしたが、強い鶴龍コンビを見られたという意味ではグッドジョバーだったよ。
試合では不発だったハンセンのラリアットは終了後の乱闘で天龍に炸裂して満足したしね。 >>599
>>601
ありがとう!記憶が蘇ってきたw。
長州、マサ、カーン(長州にはシングルでピン負けしたけど)、マシーンは全日参戦時は待遇良かったよね >>603
同じシリーズにブラックエルも来てたんだし、
開幕戦のメインを務めたのはハンセンブラックエル組だったんたから
ハンセンのパートナーはブラックエルで良かったのでは? >>605
ブラックウェルはブロディと組んで挑戦したことがあったからコンテンダーの資格はあったよね。
このシリーズにはレイスも参加していたからハンセン&レイスでもよかった。 >>608
レイス、ニック、フレアー(NWA取った後)はタッグベルトに挑戦した事あるの? >>608
ハンセンレイス組が挑戦者なら最低でも横浜文体か札幌中島レベルの箱でやらないとな。 >>609
ニックは82年新春ジャイアントS、東京体育館大会の前、横浜文体でニコリ・ボルコフと組んでインタータッグに挑戦している。 テニスの四大大会でも評価されるのはシングルのタイトルであって
ダブルスは添え物の余興みたいな扱い。
IWGPタッグもそれと同じようなもの。 >>602
マサさん、長州VSエリック兄弟のIWGPタッグ戦観たよ(昭和63年12月1日)。
ジャパンカップシリーズという6人タッグのリーグ戦中に何故か組まれた意味不明な選手権試合。
当時既に落ち目だったエリック兄弟が新日内外で実権を握りつつあった長州に敵うわけなく、わずか8分でケビンがフォール負け。
ノーテレビだったのはエリック親父への配慮か? >>465
猪木対長州見にきたからあの日の客には無理じやないかな?前田の件もあったから新日ファン最後の頼みの綱だったのにあの様だからなあ。 >>615
週プロでも写真1コマしか載ってなかった… エリック兄弟は、藤波&木村ともいい試合にならなかったんだから、マサ&長州と噛み合うはずはないわな。 タッグベルトは、全員に一度はチャンスを与え、一度はいい思いをしてもらうっていう商品だからね。 ハンセンも新日では北米タッグ巻かなかった。
ハンセン、ホーガンで挑戦とかあっても良かったと。
でも当時の長州では王者組が負けないと不自然か。 >>609
日プロ時代、
ニックは昭和39年、Sトーマスと組んで
豊登&G・馬場のアジアタッグに挑戦。
レイスなんか、初来日(43年)、ブルーザーと組んで
BI砲のインタータッグ。
その後、ドリー、キニスキー、バレンタインと組んで
アジアタッグの挑戦常連者だったよ。 しかしここは良いスレだな。懐かしくもあるし、知らなかったことが多いから楽しいわ ミスター高橋は小鉄からレスラーとしての新日参加を打診されたが、
もしレスラーとして参加していたら、どの辺のポジションだったのか?
ヤマハ、浜田、佐山よりは背が高く、力は強い。 >>624
ヘビー級の負け役として重宝されたかな。 >>622
レイスもフレアーもNWA王者になった後に
日本でインタータッグ又はPWFタッグに挑戦経験があるかを聞きたかったんですよ。 >>615
鹿児島県立体育館だね
鹿児島と言えばMSGリーグでの猪木対藤波、84年の長州対ブッチャー戦を思い出すなぁ… >>627
当時の名称は正式には鹿児島県体育館で立の字がいらない >>626
レイスはインターシングルやPWF・UNは挑戦してるけど、タッグは記憶にない。
フレアーもないと思う。 >>630
レイスはスヌーカとのコンビが定着していたらインタータッグに挑戦していたかもね。
唯一の試合で馬場鶴田組を破ったことだし。 フレアーが丸腰で全日本に来たことあったっけ?あったとしたら、その時にしかインタータッグには絡めないよね。防衛戦ができない選手に挑戦はさせないね。 >>632
丸腰で来てケリーから返してもらって帰っていったじゃんw >>629
色々再編あった今はそれ
昭和のうちは鹿児島県体育館
よく県立と誤記されていた
民間が建設し県に寄贈した体育館
県が運営していたには違いないけど >>633
あれはNWA三連戦がウリのシリーズだからね。横須賀で取り返して相模原(ノーTV)で初防衛だっけ。地味な会場だったよな。 >>632
フレアーが全日に初参戦した78年には鶴田のUN王座に挑戦している。(たぶん丸腰)
この試合をフレアーのベストバウトに推すファンは多いよ。 >>637
NWAを取る前だよね。でもUN賭けても闘ってたわけだから、鶴田とフレアーのライバル関係も長かったよね。 >>633
丸腰で来日して日本でNWA戦をやらずに帰国した事があったのかと
いう事を聞きたかったのでは?
そう言えば、ニックは現役AWA王者として最強タッグに出場したんだよな。
レイスNWAベルトを巻いたまま最強タッグに出たっけ?
ラリーヘニングと組んで出場した時はNWA王者だった? >>637
>>638
あの時点で入場テーマは「ギャラクシーエクスプレス」、元々はフレアーの専用のチョイスだったんだな。 >>635
あのシリーズまで鶴田にAWAのベルトを巻かせてる事は出来なかったのかな?
そうすれば、田園コロシアムで日本初のNWAAWA統一戦が実現したのに。
鶴田がベルト返すのは、そのシリーズ終了後のAWA園防衛行脚で良かったじゃん。
又は、そのシリーズの大阪府立辺りにマーテルを来日させてマーテルに寝るとか?
マーテル自体はAWAの新鋭若き王者候補最有力とテレビで前宣伝すれば良いんだから >>639
本人が答えてるんだからもういいじゃんw >>639
83年最強タッグにピンで特別参加したときは当初丸腰だったが、来日直前にレイスから王座奪回したため蔵前でのカブキ戦は選手権試合になったと記憶。
最初の王座獲得も来日直前、84年の王座奪回は横須賀と、フレアーにとって日本はゲンのいい国だな。 当初は83年最強タッグの愛知大会で、鶴田のインターに挑戦する予定だったらしいな、フレアー フレアー初戴冠後もたまにレイスがNWA王者として来たけど、レイス自体はちょいちょい来てたから、あんまりありがたみは無かったな。 松岡厳鉄って動画で初めて見たけど、上田より強そうに見えるな >>644
なるほど
インター王者として元NWA世界王者フレアーに勝利して箔をつけようと意図したのか。
しかし実際はフレアーが王者に返り咲いたためノンタイトルの30分一本勝負で案の定時間切れ引き分けで、蔵前で王座挑戦するカブキに勝利を託すという鶴田にとっては何のプラスにもならない試合に終わった。 85年の来日外国人にブッチャーバションの名があるから調べてみると
グスタブのマネージャーだったw
バーニングスピリット・イン・オータムはブロディ対猪木の第5戦
この来日にはテーズからレスリング指導を受けるブロディの写真も公開された。
特参で開幕の札幌大会にエリック兄弟と終盤戦ジャイアント・グスタブ
ケンドーナガサキがランボーサクラダ名で助っ人参戦
全戦参加はブロディ、Kバーバリアン、アレン、レイキャンディ、Rオリバー、
フィッシュマン、カールスタイナー
椰子ノ島のバーバリアンがレスラーとして初来日
オリバーはマスクマンのゲシュタポの正体
スタイナーは国プロにザ・UFO、UWFにボブダラセーダを名乗っていた。 >>648
名古屋大会は生中継でメインは馬場、ドリーVSハンセン、ブロディ
セミの鶴田VSフレアーがダラダラと長引き放送時間が少なくなっていくのをイライラしながら見ていたっけ。
また、全日本中継がゴールデン復帰した最初の生中継でも長州VSマーテル、鶴田VSフレアーが15分一本勝負で組まれたときも、長州とマーテルは動き回っての時間切れだったのに対し鶴田とフレアーはまるで60分一本勝負のようなノンビリした試合でまたしてもイライラさせた。
案の定メインのファンクス対ロードウォリアーズは尺に収めるためアッという間に両軍リングアウトになる始末。
生中継での時間切れ引き分けは考えものだわ。 >>651
長州は100mダッシュで鶴田はジョギングと表現すればいいか? >>651
生中継の時間切れ引き分けと言えば
83年MSGタッグの開幕戦(後楽園ホール)
第6試合〜セミの第9試合まで4試合のタッグマッチが5分一本勝負が組まれたよね。
として唯一の公式戦はメインの猪木ホーガンvsカーン戸口の試合のみ
タッグリーグ出場チームの顔見せ的な5分一本勝負のオンパレードだったのかな? >>630
レイスは10数年前に出たプロレス本の
インタビューで「私は日本でタッグの
タイトルを3回取った」と言ってるんだよ。
ホラ話と思いきや、本気でそう思い込んでいる
気がする。最近流行りのレスラーのトーク
ショーでもファンは戦歴を克明に覚えているけど、当人は全然覚えていないというのは定番
パターンだからね。 >>641
新日スレで申し訳ないが、若僧っぽく見えるマーテルに日本のリングで寝かせるわけにいかない。仮に同じ立場なら、猪木はもちろん、藤波も寝かせられない。 >>653
83年MSGタッグといえば藤波&前田VS長州&浜口の公式戦フルタイム。
とてもいい試合で30分満足させてくれた。
メインの猪木VSアンドレが霞んでしまった。 >>653
その後楽園セミの5分1本勝負藤波前田vsアンドレハンセンが個人的にシリーズベストバウト Sハンセン=スエードハンセン
紛らわしい名前だなwww
テレビ欄にアンドレハンセン組vs猪木ホーガン組の文字を見て
期待してテレビを見たら、アンドレのパートナーが中途半端な大きさのオッサン
だった事に愕然とした人多そうだw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています