【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】39 [無断転載禁止]©2ch.net
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*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
<前スレ>
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ38
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1492906316 >>881
俺もヨガスートラでそのような表現をみたことがあるんだけど、
実際、なぜそういったんだろう?って確認せずに人に話してみたところで、
実はあんまり双方得はしなくて、単なるおしゃべりにしかならないんだ。
鬼和尚は人を見て法を説いてくださっている。
空の法が会う人には空の法を、縁起によって観察する人には縁起によって観察するよう進めていたりする。
空観がやりたいのか、それとも縁起によって観察していきたいのか、
もしかしたら空観があなたには合っていないのかもしれない。
なんか見てるとそんな感じに見えるよ。 >>886
自演とは何のこと?
俺が鬼和尚とは別人であることは理解しているはずだ。 ん?どこが地雷だったのかはわからないが、
嫌われたなら仕方ないな。
もう俺もかまうことはないだろう。双方忘れよう。 >>883
だって無我なんやろ?
苦もなんもないって事やろ?
じゃあなんで座んのよ >>891
無我と言っても経験我は現成しているし、五蘊も活動してますが・・・
本証妙修でも暴れる牛がいるからでもいいけど。 >>874
>>864
埋もれてしまいました。お願いします。 >>892
じゃあ落とされる何か があってもおかしくないやん >>894
よく読んで理解して↓
>>878
>その様に無い(縁起)ものを有ると実体視するから苦しむのでしょ? >>824
>わしは何を言っているのじゃろうか?
>わしはわしじゃろうか?
>それとも和紙がわしじゃろうか。
>あるいは鷲がわしじゃろうか。
>自問自答ごくろうさんじゃろうか。
それを知りたければ、自分の胸に聞いてみるといい。
答えはそこにあるだろう。 >>799
他人の過ちや、迷惑をかける者が中々許せなかったし、社会や世界の理不尽や不合理に随分と頭を悩ませてた。
前まではね。 >>884
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ聴きたいですよね♪
自転車の乗り方の本を読んでも自転車は乗れないと他スレの方も言っていましたね
体験されているのなら是非とも体験談をお聴きしたいですね >>837
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ「絶学」を教えて頂いたのでご参考まで
永嘉玄覚禅師(675〜713)の『証道歌』の劈頭に出てきます。
君見ずや
絶学無為の閑道人
妄想を除かず真を求めず
無明の実性即仏性
幻化の空身即法身
「絶学」とは、学を絶つこと、怠け者の学生が学業を放棄することではありません。
「無為むい」とは、なすことなくグダグダ日を過ごすことではありません。
それは志を立てて以来、血の涙、玉の汗で、二十年、三十年と艱難辛苦、竟ついに学するに学するの法なく、修するに修するの道なきところに至って、
しかも、今まで学んで来た法も、修して来た道も、すっかり忘れ果ててしまった。至極のんびりした境界きょうがいをいいます。
そのような境界の人を「大閑おおひまのあいた人」という意味で「閑道人」というわけです。
禅では良寛さんのような人を指して「閑古錐かんこすい」という言葉があります。
それは使い古した錐きりは尖が摺りへって丸くなり、角もなく、無用なものとして捨てられ、忘れ去られた存在で、
長屋に住む八ッつぁん、熊さんの手合いと同じく、人知れず、平々凡々、好々爺こうこうやの如く生きる人のことを意味します。
「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず、悟りの悟り臭きは上悟りにあらず」、
続きます >>863
>ちゃんと説明しましたよ。
>あの説明が理解出来ない人は、仏教の 「ぶ」 字もわかっていないということなのです。
おいおい、麦さん本人が説明を求めてると言う事は、お前やっぱりして説明して無いじゃん。
ひでぇ嘘つきだなぁ。 >>837
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
この絶学無為の閑道人も、閑古錐も、学んだ法も、修した道も少しもちらつかせません。悟りだの迷いだの、禅だの仏だの、その影だに窺うことができません。
それは馬鹿なのか、利巧なのか、偉いのか、仏なのか、凡夫なのか、さっぱり見当がつかない消息です。
妄想を除かず真を求めず、無明の実性即仏性……。
そこまでくれば、事更ことさらに妄想を嫌うことなく、また、真だからといって求める必要はありません。
迷いも当体がそのまま仏になる可能性をもっており、この生身の身体がそのまま、悟りの本体であるというわけです。
禅宗の第四祖、道信どうしん禅師の法を嗣いだ牛頭ごず法融ほうゆう禅師に、こんな話があります。
禅師が山中で独り、黙々と修行に励んでおられると、村人はいうに及ばず、通りすがりの人々までがその徳の高いことを知り、帰依します。
山の小鳥や動物までが、花や果物をくわえて、禅師の前にお供えします。それほど徳があったのです。
しかし、四祖道信禅師について修行をし、法を嗣ぎ、いよいよ修行が進むと、今度は人も寄りつきません。
黙ってさっさと行ってしまいます。
鳥も動物たちも知らん顔して通り過ぎます。どうしてでしょうか?
あの方は偉い人だ! 高徳の方だ! と、他人からも鳥からも見透かされるようでは、まだまだ十分ではないというわけです。
「釈迦も達磨も伺い知れず」と言われるような境界が、八ッつぁん、熊さんにわかるわけがないのです。
京都妙心寺を開いた関山慧玄禅師は、大灯国師の法を嗣いで後、美濃の山奥、伊深の里で村はずれの荒れ屋に住んで、
里人たちの農作業を手伝ったり、子どものお守りをして八年間、下男として過ごされます。
京より勅使が来るまで、誰も気づくものがいなかったといわれています。 >>901ー902
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレこれを読んで“悟っている”など公言する鬼和尚さんを大悟りしているなど断言された方の目はフシアナではないか?と疑問に思いました >>901
>麦さん本人が説明を求めてると言う事は、お前やっぱりして説明して無いじゃん。
きちんと説明してあるのじゃ。
おぬしも麦くんも「目と脳が両方ともフシアナ」じゃから理解できんだけなのじゃ。 >>904
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレレス番の提示してください♪ >>864 それは親とか兄弟とかの周りの者との関係によって自己イメージが作られているからかもしれん。
子供の頃には自分が何か失敗して親に怒られたりすると親子共に庇護されている安心感とか、自己重要感などが味わえて共に依存するのじゃ。
それが大きくなっても続くと共依存と呼ばれるのじゃ。
おぬしも失敗し続けることで親の庇護を感じ、親も失敗するおぬしを助けることで自己満足しているのかもしれん。
そのような関係から自己イメージができているのではないかと観察してみるのじゃ。
それはおぬしだけでなく親の満足感を与えるための失敗であるのかもしれん。
>>874 悟っていないのじゃ。
慈善家じゃな。
>>897 自分の胸が知りたければ聞いてみればよいのじゃろうか。
あるのはそこの答えじゃろうか。
あるいはあれの答えじゃろうか。
>>902>>903 するとわしは本物じゃな。
麦にもわからんのであるからのう。
さすがわじゃな。 >>906
は?
だからさぁ、その「普遍的宗教体験」がどう現成したか聞いてるんだけど? >>906
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
〉「私の体験」ではないのです。「普遍的な宗教体験」なのです。 ですから、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
仏典や論書(臨済録や正法眼蔵)にもたくさん書かれてある普遍的な体験で、個人的なもの ではないのです。
【大前提】「私の体験」ではないのです。
【前提】、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
【結論】普遍的な体験で、個人的なものではないのです。
【結論】は【大前提】と【前提】を否定していますので論理破綻しています ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ訂正ですw
〉「私の体験」ではないのです。「普遍的な宗教体験」なのです。 ですから、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
仏典や論書(臨済録や正法眼蔵)にもたくさん書かれてある普遍的な体験で、個人的なもの ではないのです。
【大前提】「私の体験」ではないのです。
【前提】、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
【結論】普遍的な体験で、個人的なものではないのです。
【結論】は【前提】を否定していますので論理破綻しています >>908
だから、そのような質問をするということが
何もわかっていないということなのです。
宗教体験のない者だけがそのような質問を
するのです。
法華経で言えば 「唯仏与仏乃能究尽」。
>>909 >>910
君が書いた【結論】【大前提】【前提】は全然矛盾していないのですよ。
本当の宗教体験というものには個人性はないということです。
これがわからなければ仏教は本当にはわからないでしょう。
「自分は〜〜の体験をした」などととらえているレベルのものは
本当の宗教体験ではないのです。
体験する自分がいるようでは、まだ本当にはわかっていないのです。
法華経的には「唯仏与仏乃能究尽」
道元禅師的には「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
臨済宗的には「無位の真人」
浄土真宗的には「倶会一処」
本当の宗教体験というものは個々人の体験ではないのです。 まぁ、確かに私の体験ではない普遍的宗教体験といいながら、あなたが体験しないと分からないとか幼稚な詭弁だなぁw >>911
してないじゃんw
↓
>>856
>私はいつでもきちんと説明してあげますよ。 >>911
>本当の宗教体験というものは個々人の体験ではないのです。
だから、その普遍的宗教体験を話しなさいよw >>911
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ論理的には破綻していますからねw
本の知識だけで経験が無いのを普遍的という言葉で誤魔化しているだけですねw >>911
>だから、そのような質問をするということが
>何もわかっていないということなのです。
分かってないから説明するんじゃねーのか?
あ?
>私はいつでもきちんと説明してあげますよ。
と書いてるだろw >>907
自分の胸が知りたければ聞いてみればよいのじゃろうか。
あるのはそこの答えじゃろうか。
あるいはあれの答えじゃろうか。
するとわしは本物じゃな。
麦にもわからんのであるからのう。
さすがわじゃな。 >>916
君は数学や物理学の参考書を読んで直ぐに理解できるかな?
その参考書の著者がきちんと説明してくれていても、君自身が
基礎がわかっていなければ理解できないでしょう。
理解できないのは著者のせいではなく、君自身に基礎力がない
のが原因であることに気付くことが大切ですね。それと同じです。
>>912 >>913 >>914 >>915 >>916 >>917
君たちは国語の力も弱いようですね。
しかし、そのような君たちでも一所懸命に仏教の勉強を続ければ、
いつか私が言っていることが正しかったとわかる日が来るでしょう。
では、君たち精進を祈っている。 >>911
>法華経的には「唯仏与仏乃能究尽」
>道元禅師的には「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
>臨済宗的には「無位の真人」
>浄土真宗的には「倶会一処」
いや、意味バラバラだしw >>919
はいはい、
君が紛い物なのは既に証明済だし、もう言い訳は話さなくてもいいよ。
宗教性妄想患者さん、まず医者に行きなさい。
合掌 >>920
>いや、意味バラバラだしw
その四つが全く同じであることがわかるようでなければ、
仏教がわかっているとは言えません。修行が足りないのです。
>>921
君は高卒なの?
将来、住職になりたいのなら、どこかの大学に行く方がいいですよ。
今の君ではインテリの檀家から馬鹿にされるだろうからね。 >>922
はいはいw
私の話す意味が理解出来ないのは、あなたに宗教体験がないからですよw
医師に行きなさいw >>907
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
〉自分の胸が知りたければ聞いてみればよいのじゃろうか。
あるのはそこの答えじゃろうか。
あるいはあれの答えじゃろうか。
皆な悩んで大きくなった♪ガンガレ〜♪ >>924
俺も、悩める鬼和尚を応援したい。
皆でこれからも鬼を応援していこう❗
おー!(^o^)/ ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
【大前提】「私の体験」ではないのです。
【前提】、あなた自身がその体験をした時に 「わかる」 のです。
【結論】普遍的な体験で、個人的なものではないのです。
答えが【大前提】にあったのは皆な内緒だお♪w 「一人は好きだけど孤独は嫌だ」
という事を言う人がいますが、これはどういう意味なんでしょう?
何を言わんとしているのか。矛盾していますか?
自分のしたいことは自由にやりたいけど寂しいから誰か相手してくれ、という意味ですか?
自由にしたいのに寂しいとは、一体どう言う事なんでしょう。 >>928
安心しな、悟ったとか騙る奴は潰すから。 鬼和尚、もしや私が愛する人達の内でも、
私は無意識にそのようにふるまう可能性が高いということでしょうか?
なんだか、グルジェフの弟子たちの話を読んでいて、泣けてきました。
すぐさま悟りへと向かう意思なくして、はたしてここにいてていいものかと。
悟っていないものが誰かを助けようとしても、徒労にすぎず間違いを起こしてしまうさまを
まざまざと見せつけられてしまった気がするのです。 いや、違いました。
人のために失敗しているところがないか見てみよ、でした。
確かめてみます。 >>918>>924 胸が自分ならば知りたければよいのじゃ。
答えがそこにあるじゃろうか。
さがすじゃな。
>>925 Oじゃな。
>>929 孤独感があるのじゃろう。
それによって孤独が嫌なのじゃ。
本当は他人に干渉されない一人が好きであるが孤独感によってそれが出来ないのじゃ。
それもまた苦なのじゃ。
>>934>>935 そうじゃ、そのような条件付けがあればそうするじゃろう。
自分の本心をどこまでも追及してみるのじゃ。
今親とかの扶養者がいなくなったらどう感じるかとかのう。
親などがいなければそのような反応も不要となり、よく見えるようになるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>896
ごめんなさい、臨済の方よ。
やっぱり気になってしまった。
レスしてしまうが、おそらくそれは瞬間を表しているはず。
でなければ反語では話さない。
最初はうーん、知識に囚われている方であるなとか思ってしまった。
でも俺もくだらない慢心であなたと話していていたうえ、成長がなかった。
でも正解を書いて持ってきてくれる方がいる。
あくまでも自分で証明せねばならない言葉ですが。
あなたもギータ―にあるクリシュナが話すジシャーニ、論理で励む人であるな。
俺も励もう。ありがとう。 >>930
頼むわ、何が腹立たしいかって言うと
答えられない質問には「お主が決めるのじゃ」とか言って
質問者をはぐらかすから >>938
そもそも質問をしなければ良いし、不愉快に感じるのなら見なければよいのでは?
鬼和尚の立てたスレには”クマ”だの”栄進”だの”龍氣”だのというキャラが、まるで釈迦に対するアーナンダ―のような演出で出てくる。
しかも、質問者の内容が彼(鬼和尚)のブログの内容に沿っていたりとか、自費出版の本の宣伝丸出しだし。
俺はそいつらは鬼和尚の自作自演と看做している。
そもそも、智慧の声と対話したなどど、冷静に考えれば宗教性妄想患者そのじゃないですか。 >>937
何故私が臨済なのですか?
そんな事書いてませんが?
いい加減にしなさい。 生活板で相談スレを立てるのは自由だろうし相談に応じるのも自由だろうね。
でも、悟りを騙って相談に乗るとかキチガイの所為ですよ。
結局相談される方を舐めてるんでしょ、そういうのは。
本来仏教は「自他一如」でもあり、相談するものの相談されるものもないんですよ。 >>941
するとそのキチガイの所為をしており相談される方を舐めているのはあなたでもあるということになるね。自他一如だから。 >>945
クソも味噌もこのスレにはいませんけど?
このスレに書き込んでいるのは人でしょう
人をクソと味噌に分けるのが自他一如なの? >>945
そういえばクソを食べましたw
きびなごの唐揚げ食べました
腹わたの処理をしないで揚げたので
きびなごのクソを食べましたw >>946
いいか、わざわざ「本来」と書いたんだよ? >>947
質問してるの僕なんだけど
人をクソと味噌に分けるのが自他一如なの? >>952
じゃあ
クソと味噌に分ける君は
本来の仏教ではないってこと? >>953
あのさーw
「本来」とか「でもあり」って書いてない?
そこまで予想して、書いたんだよね、これ。
>>941
>本来仏教は「自他一如」でもあり、相談するものの相談されるものもないんですよ。 もう少し書かれてある文章を吟味してから反論してよ、いちいちそのレベルから言わなきゃダメなの? 自他一如そのままに受け止めて振る舞うのを野狐禅と言うんだよ。
偽和尚がまさにそれ。
明暗双双! >>940
恐ろしく惨めな奴がいて、
助けてくださいと心の奥底から叫ぶやつがいたとする。
大体罵声をもってこういうやつは話す。
言葉の陰ではなんで苦しいの?なんで人は苦しまなければならないの?と
叫んでいるやつがいる。
もしも弟子がやれることがあるとするなら、
俺らが鬼和尚の判断に従うように、
彼らの期待に答えてやらなければならない。
安心と不安と、超越の仕方を教えてくださいと話しているのを修行者は見る。
だから修行者も鬼和尚も優しく接したがるのよ。
でもある種矛盾している。鬼和尚は人が己の力で立ち上がる成長に興味があって、
簡単には答えを教えようとはしない。
そこに集まるのが私たち弟子たちよ。
ゆえにこのスレができた。
あなたも本気でぶつかれ。美しさと醜さとを見るだろう。
oshoの言葉を借りるならば、あなたのすべてを観なさいと。
そうしてるやつらにそこにある。
そういうとこにはある種の絆ができる。偽和尚も俺は大好きだし、健真さんも大好きだし、
名をかたらずとも美しい菩薩もいる。
おのが心に本気で向き合うやつらがここにはいると。
それを見て、あなたは自演といったのかもしれん。
たしかに自演だ。固い絆で結ばれるのだもの。 明暗双双とか五位の四、五・・・って言ってもあなたにはまだ分からんでしょ?
一方で自他一如と言って、一方でクソも味噌とあなたから見れば矛盾した事を言ってるからね。 >>957
あなたは
【「いけない、これじゃダメなんだ」と他人に振る舞う自分】
に満足してるんですよ。
そして鬼和尚は、覚者の様に振る舞い人を教導したいエゴにね。
エゴの相互依存ね。 >>959
聖者になりたい自分、仲間に入れておくれという自分。
たしかにあります。エゴであります。
鬼和尚が何を言わんとしていたかと理解するときが必ず来る。
ゆえに鬼和尚を否定することを俺はやめてっていうんです。 >>960
>>941に書いた通りです。
ここでの相談云々はではなく、悟りを騙るから否定しているんです。
相談に悟りという付加価値を騙る必要はありますか? >>961
あります。だから、人が集まります。
我流でマハーシ式瞑想をはじめ、悟ったと勘違いした時から
鬼和尚と合うようになり、鬼和尚は俺に会う話をして
導いてくださった。それはおもちゃであるから、もっと上を目指しなさいと。
悲しいかな、瞑想が俺の場合嫌になってしまいましたが。
金剛経にもありますね。如来を相をもってみてはならないと。 >>960
> 聖者になりたい自分、仲間に入れておくれという自分。たしかにあります。エゴであります。
まさに【「いけない、これじゃダメなんだ」と他人に振る舞う自分】への満足。 >>962
>あります。だから、人が集まります。
人集めが目的ならうそも許されますか? >>962
>金剛経にもありますね。如来を相をもってみてはならないと。
?
その話を持ち出したのは何故ですか? >>964
他人を見ていては成長はありません。
俺にも言えることであるから、何とも言えないことです。
なので、やれることといえば他人を励ますことしか俺には能がないともいえます。 >>965
一休禅師、俺は大好きなひとでありますが、
とんでもない破戒僧でありました。
ですが、その心を知ることはわかりません。
他人を楽しませようというエンターテイナーであったのかもしれません。
グルジェフという覚者の話をしましたが、私が見るととんでもなく恐ろしい人でした。
他人が何をしているのかというのは関係ありません。
何故しているのかと探求していることには意味がありましょう。 >>958
わからない人にわかるように説明しなきゃ
だって君は鬼和尚が悟ってないから騙されるなよって事が言いたいんじゃないの?
君からしたらレベルの低いこのスレの人達にそれを説明しないと
あと、反論なんてしてないけど
質問しかしてないよ 自分は真空妙用だとでも言いたいんですか?
自分は入??垂手だとでも言いたいんですか?
冗談じゃない。
あなたのそれは自惚れですよ、魔境ですよ、分裂症ですよ。 >>969
たしかにうぬぼれがあります。
確かに魔境であります。
俺は人を救えると考え続けてれば誰だってぎょうしゃ病になりましょう。 俺は特別だとか考えている奴が、ときたまなる病気で、
行者病っていうんだけど、
驕りをもとにそれが生まれる。
これの危険さを皆知ってるから驕りを抑えるようにと皆言うのよ。
いわゆる慢だね。 あるかもしれない。
いくつものことを考えていたりする。
安心が欲しい、でも誰かを助けたい、いい車ほしいが免許がないとか。
だれしもが思っていそうだけども。 >>943
自他一如ではないのか?
自分だけは切り離されていて特別? きりがないので。
悟りを騙る奴は叩きます。
観察というのは、ひとつの識が観察するもの(見分)が観察されるもの(相分)に分析されてるんです。
心の観察も過ぎると分裂症になりますよ?
無顕現、つまり、観察するものと観察されるものの統一、分析される前に還らないと・・・。
鬼和尚の言う(観察)ことや自己流は危険です。 >>978
これが識である、これがそうであるという
条件付けを破壊しようとして話すのよ。
お釈迦様が言う、真我とはなにか聞きに
来た修行者に対してそういったように。
実はそれとは別にある理由があるのかもしれない。
もしも本当に鬼和尚のことが嫌いであるなら、
多分ここにはいないはずだよ。だから、あなたに優しく接する。
俺も怖いから、なんとも言えねえ。だが聞くけど、本当に分裂症と見える人が、
本当に分裂症なのだろうか?よく見てみてあげてほしい。 >>956
ではあなたの「自他一如」の言葉の定義を教えてくれ。
あなたは一体どういう意味で「自他一如」と言っているのか? 今、この瞬間に意識を向けるのは大変だけど
上手いやり方もあってね、先ずは自身の体の動きを
完全に止めてみて、それに集中するんだよ
ほら?頭の中で渦巻いてたひとり言が止んだだろ?
それが今に意識を向けてるって事さ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。