【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】38 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
<前スレ>
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ37
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1487255959/150 鬼和尚、毎日座禅をしているのですが、半分眠っています。
これでも良いのですか?
改善点があれば、教えてください。 鬼和尚、「若者は未来のことを思い、老人は過去のことを思う」
の言葉通り、過去の失敗のことを考えることが多くなりました。
これは良いことですか? >>1 ご苦労さんなのじゃ。
前スレ 999 それでもよいのじゃ。
真実に従って生きれば害は無く利得が多いじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>4 それでよいのじゃ。
半分寝ているというのならば半分は意識があるのじゃろう。
その意識に集中するのじゃ。
寝ていても消えない微妙な意識がわかるじゃろう。
それにも囚われずに進むのじゃ。 他人を憎んだり責めたりする気持ちがある時、全て自分への嫌悪や咎めの反映なのでしょうか? 前スレ>>977
それはよかったですね。
いいこたえだと思いますよ。
どんなことも何かがわかったとき、それは自分という疑問に対しての答えだと思います。
誰しも自分が何なのかわからないから、そこから様々な疑問が生じていると思います。
片手の音も、片手の音という問題ではなく、「片手の音を疑問に思う自分」という問題でしょうね。
もう片手の音が疑問に思わなくなったならこたえが出てますし、
まだ疑問に思うならもう少しこたえが出るかもしれないですね。
こたえがでたときは自分に対しての疑問が何かしら解けてるでしょうし、
以前の自分とは何か変っているんじゃないかと思います。
余計な自分(自我、疑問)がなくなった、それが本来の自分なんでしょうけどね。 鬼和尚は学生時代に戻りたいですか?
あと大学などで自分が教壇に立って悟りについて教えたいと思うことは無いのですか?
無知な若者にこそ解脱の道を教えるのは大切では無いでしょうか? 2chをでパソコンで見る画面が変わってしまったので読み辛くなった
書き込む気持ちも薄れてきたわ
ニュース板なんかは以前と同じ画面だけど、なぜ他の板は変えたのかなあ
元の画面に戻して欲しいよ >>8
全てではないが、そういう場合もあるのかも知れん。親が子を見る場合などぢゃろ >>8 それもあるじゃろう。
恐れとか不安もあるじゃろう。
そのような心の働きをただひたすらに観察していくのじゃ。
そうすればなくなっていくじゃろう。
>>10 戻りたくないのじゃ。
無いのじゃ。
学問として教えられるものではないのじゃ。
おぬしが精進して悟りを得ればそれで十分なのじゃ。
>>12 よいことではないのじゃ。
観念を見ているだけであるからのう。
今ここにあるものを観るのじゃ。
そうすれば変っていくじゃろう。
鬼和尚、50年前の恩師(89歳)にある喫茶店でよく会います。
恩師はその歳なのに車でやって来ます。
お元気なのは嬉しいのですが、物忘れがひどいです。
どのような態度をとればいいのでしょうか? できれば車乗らないでほしいよね。
若い人の命を奪わないでほしい。 ネガティブ、マイナスなことを受容する能力が乏しく、なぜこんなことが起ったんだ、こんな目に遭うんだ
こんな人や事は在ってはならない、とそれ自体のマイナスだけでなく、内面の思考や感情(怒り、動揺、被害者
意識、悲しみ等々)で事態をもっとマイナスに膨らませてしまいます
内外のマイナスを受容するというかそういうものか、と淡々と受け止めるには何が必要でしょう 酒はほんの少量でも飲まない方がいいですか?
酒とのベストな付き合い方を教えてください。 >>19
偏らないよう
ま
一部だけを見ないよう
>>20
代わりあるなら要らない
他スレへ 鬼和尚、草取りや田を耕したりしています。
野生の生き物を殺しているわけですが、これは良いのですか? 鬼和尚、天上天下唯我独尊という言葉の解説をお願いします! 和尚は、資産を積んでお金持ちになるという話をされることがありますが、
実際そのようにお金持ちになるのは普通の一般人にも可能なのでしょうか?
世間的な感覚では100人チャレンジして1人しか成功しないというようなレベルの話に
感じてしまうのですが。
資産というのはまさに株や不動産などのことですよね?
自分のポケットにお金を入れてくれるものとのことですが。 >>17 普通に話したらよいのじゃ。
脳活トレーニングでも一緒にするとよいのじゃ。
それぐらいしかやってあげられることは無いのじゃ。
>>19 そのようなことが起こったならば、それによってどんなよいことが自分にあったのかと質問するとよいのじゃ。
何事も悪いことばかりではなく、よいこともあるものじゃ。
事故にあっても次は気をつけるようになるとかのう。
そのように自分への質問を変えてみるのじゃ。
>>20 薬用酒とかならば少しは飲んだらよいのじゃ。
体をよくするために飲むのじゃ。
そのように心がけるとよいのじゃ。
>>22 生きるためならばよいのじゃ。
罪にはならないのじゃ。
行きものを痛めつけて楽しむようになってはいかんのじゃ。
感謝の心が大事なのじゃ。
>>24 それは世間を離れた悟りのみが尊いという意味なのじゃ。
金とか権力とか名声を得たものよりも、悟りを得たものだけが真の勝者であり、尊いものなのじゃ。
なぜならば金や権力や名声によって死を免れ事はできないが、悟りを得ることによって不死の境地に至り、永遠の意識に還れるからなのじや。
そのように知るがよいのじゃ。
>>25 できるじゃろう。
特に今はインターネットもあるからのう。
自分が仕事や趣味で知ったことなどを教えるのも資産となるのじゃ。
仕事のやり方を教える著作物とか、会員を募る会員権などもお金を生んでくれるから資産となるのじゃ。
そのように考えれば資産になるものは幾らでもあるのじゃ。
そしてそれを創るのも売るのも簡単なことなのじゃ。
自らの出来ることや知っていることを観察して、自分の資産を作るとよいのじゃ。 >>26
いい面を見つけてとか教訓にするというのでは、悪いこと自体を受容できず抵抗しているので
苦しさ、ゆるせなさは残ると思います
この世は苦であるのにいい面でそれを覆うというなら、真の平和からは遠いです 鬼和尚、昨日、ゴキブリを殺さず逃がしてやりました。
何か良い事がありますか? >>27
ありがとうございます。
自分は動植物などの知識がそこそこあるのと絵を描くのが好きだったりと
得意なこともいつくかあるので、そういうのをうまく活かして仕事にしたり資産にしたりできるように考えてみます。
なるべくなら、たくさんの人に喜ばれるような活かし方ができればいいなと思っています。 鬼和尚、恥ずかしい質問なのですが、
賭博で生きようとするのは良い事でしょうか?この場合完全に悪事となるのでしょうか? >>28 いい面を見つけるのではないのじゃ。
教訓にするのでもないのじゃ。
おぬしが自分にする質問
「なぜこんなことが起ったんだ、こんな目に遭うんだ」という質問を
「これで自分によかったところは何か」と変えるだけなのじゃ。
見つからなければそれでもよいのじゃ。
自分にする質問を変えるだけで被害者意識も変わるのじゃ。
やりたくなければそれでよいのじゃ。
何も変えようとしなければいつまでもそのままなのじゃ。
それも自分の自由なのじゃ。
>>29 あるじゃろう。
日々善事を重ねれば福楽もやってくるのじゃ。
更に実践あるのみなのじゃ。
> >>30 善いことじゃ。
好きな道で資産を積むとよいのじゃ。
またおいでなさい。
>>31 殺傷をしないでいきられるならばよいことじゃ。
株の売買とかも賭博といえるからのう。
それで資産を積むとよいのじゃ。 ありがとうございます。
全然お金になりませんでしたが、
少なくとも本気でやれていたことは
それだけでした。。
重ねて質問します。
その道に居る人で禅に帰依していた人がいます。
一年間の修行の後、好成績を出して
引退した人がいます。
彼は悪事を行なったことになるのでしょうか? 物事がきっちりしていないとイライラするのは神経症なんでしょうか?
自分が立てた計画通りに物事が進むと気持ちいいですが、逆だと居心地が悪く気分が壊れます。
冷静に考えれば理不尽だと思うんですが、なかなか怒りを抑えることができません。
その場その場で臨機応変に対応すると言うことがとても苦手です。
あと物事に白黒がついてなかったり、方向性が定まっていないのがモヤモヤして納得いきません。
グレーゾーンが許容できないので、対人関係でも衝突が絶えないです。
キチッとしていないと、何だか自分が悪いことをしているような気がします。
いい加減に生きると、他人や社会や自然や動物に迷惑をかけるんじゃないかって。
誰かにこのような考え方を植え付けられたんでしょうか。
どうやったら気分を壊さず、グレーゾーンを許容でき、柔軟に生きることができますか? >>35
気にしすぎ
世間
再構築が早く良く効く
が
「遊びは要る」だ 鬼和尚、昔の同僚が離婚しました。
彼は仕事はよくするけど、自分の損得しか考えなかったり、
年齢が近いとすぐライバル視する性格でした。
離婚は当然かと思います。
奥さんは子供が独り立ちするのを待っていたのでしょう。
でも、他人の事を言っても仕方ありません。
私も早期に離婚しました。
お見合いで、あまり付き合わずに結婚したのが間違いでした。
深く反省しています。
お互い全くの無駄な時間でした。
両親も亡くなり、今は一人暮らしです。
何かアドバイスをください。 鬼和尚さん、
アメリカの新大統領の支持率低迷と景気回復のために朝鮮半島における軍事衝突がすでに
列強シナリオとして組まれているとみられるような状況です
我が国は原爆落としても構わないイエローモンキー共w程度にしか思われてない地域です
近い将来に軍事的な被害は予想されるでしょうか? >>34 ならないのじゃ。
能力が優れているならばどんな道でも好成績が出せるじやろう。
それは通常の仕事でも同じなのじゃ。
そうでないものは少しずつお金をためて資産を築くがよいのじゃ。
それが金持ち父さんの道なのじゃ。
>>35 それもおぬしの心の中に原因があるからなのじゃ。
昔、親などにものごとをきちっとしていないと怒られ、きちっとしていると褒められたとかのう。
そのような原因からその性質があり、原因が無かったらその性質も無いと心の中を観察してみるのじゃ。
そうすればなくなるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>37 そのようなことも世間にはよくあることじゃ。
愛別離苦とか怨憎会苦というものじゃ。
愛するものとわかれ、憎むものと共に居るという状況は両方共、苦なのじゃ。
そのように一切が苦になる世間にいることに気付いてよかったのじゃ。
これからは苦を滅する修業に励むがよいのじゃ。 >>38 おぬしに被害は無いじゃろう。
安心して修業に励むがよいのじゃ。 鬼和尚、ありがとうございます。
周りも世間も無理だというかもしれませんが、
私はどうしてもそれが好きなようです。
コツコツと精進します。 鬼和尚に大丈夫じゃと言われればこの龍氣、百人力であります。
その言葉を胸に励みます。 鬼和尚は、どこで死ぬ予定ですか?
病院・老人ホーム・自宅・行き倒れなどありますが・・・。 鬼和尚は小さいころ体は弱かったそうですが
賢さや性格はどんな感じでしたか?
それと溺れかけた死の恐怖から修行の道に入ったそうですが
もしもその体験がなければ普通の人生を送っていたのでしょうか? >>32
被害者意識や、ただ災いが降りかかってきたと捉えるのは辛いので、昔からそのように自分に
とって成長になるとか教訓になる面を見つけようとしてなんとか乗り越えようとするという技は
自然に出ていましたが、その最中はやはり苦の方が大きいし、ごまかしではない究極的な負を
体験することのいい面とは、この世は安心できないし幸せや平和を求めても無駄で壊れる、という
事を心底実感できた、ということだとしたら、そこには凄い絶望や恐怖が伴います
そして負の面を全面的に受け入れたとしても、悟ってこの身体や世界や現実生活を俯瞰できるような
映画でも見ているように感じる?のでもない限り、ただ負の面に打ちのめされるだけで、受容したうえで
解放されることは出来ません
ですから>>19の質問になったのです >>41>>42 それが楽しいのならば周辺の仕事で金をもらうこともできるじゃろう。
いろいろ考えて稼ぐとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>43 どういたしまして、またおいでなさい。
>>44 もはやわしに死は無いのじゃ。
肉体は山の中にでも捨てるじゃろう。
虫とか獣に施すのじゃ。
>>45 特に賢くも無かったのじゃ。
数学がよくわからなかったのじゃ。
いつも本をよんでいたのじゃ。
そうかもしれん。 >>46 教訓になる面をみつけないでよいのじゃ。
ただ自分に対する質問をかえるのじゃ。
「なぜこんなことが起こったんだ、なぜこんな目にあうのか」
という自分への質問を
「こんなことでよかったのはどのようなことか」
という質問にするだけなのじゃ。
昔、ベンハーという映画があったのじゃ。
ベンハーは貴族であったが奴隷にされて船漕ぎにされたのじゃ。
しかしそのお陰で腕がぶっとくなり馬車もらくらく操れるようになり、貴族を助けて大もうけしたのじゃ。
ベンハーの奴隷に落とされてよかったことは腕がぶっとくなってパワーアップしたことなのじゃ。 >>48
何故人が一生懸命悟りを得たいと質問しているのに、そういうちょっと底の浅い回答をしてくるのでしょう
どんなことにも良い面が見つけられてそれで納得できるならこの世に安住して悟りなど得る必要は
ないじゃないですか、そういう事で解決できない負の面はたくさんあるじゃないですか >>46 >>49
苦しみから自由になりたければ仏道を修行する以外にはないのじゃよ。
それをせずに何か良い考え方を他人から教えてもらおうとしても無理なのじゃ。
>悟ってこの身体や世界や現実生活を俯瞰できるような
それが妄想なのじゃ。悟っていないのに悟った後の状態がわかるはずがないじゃろう。
それは妄想の上に妄想を重ねておるだけなのじゃ。
迷いの中であれこれ考えることを一切やめて仏道修行に打ち込むことじゃ。 どうやって悟りが訪れるかか聞いちゃいけないんですか >>54
肉体がある以上その壁は越えがたいです、自分があるという認識をなくすというのは
それこそ妄想の世界でしかありません、今の自分には >>55
>肉体がある以上その壁は越えがたいです・・・
そうじゃろう。そのように感じるということが迷いの中にあるということなのじゃ。
その迷いから覚めることが仏教の教えなのであるから、精進あるのみなのじゃよ。 >>47
正直なところ、プロの将棋指しのような人達と戦える頭脳はありません。。
今日、私は弱いなと感じました。
それに愛想や愛嬌がある人間でもありません。
私の長所はなんでしょうか?
自分で見つけるべきものでしょうか? >>48
例えば自分ではどうにもならない災害で全てを失って、家、家族、生活基盤、健康、生きる意味、
その喪失や絶望が心の容量を超えてエネルギーが尽きてしまった時、そこに見いだされる、また
希望が持てる良かったことは何ですか?もう一回やり直してもまた崩れたら今度こそ意味を見いだせない
かもしれません
絶望=苦悩−意味?、とかこの間やっていましたが、、そういうことで何もいい面が見いだせないと
人は死を選んだりするだろうし、やむを得ないだろうと思います、悟りを得られなければ ネガティブ、マイナスなことを気にしてそれを苦だと感じる人は、
ネガティブなこと、マイナスなことを自分から探してそれに集中してしまう心の傾向があるんだよね。
簡単に言えば、どうでもいいかもしれないことを、いちいち気にしてしまう性格。
だから、なんでも物事のいい面を探したり、それに集中するようにしてみて、一回自分の心の傾向をリセットするといい。
それはいつの間にかゆがんでしまった自分の心をリセットする訓練。
そういうのは面倒だとか嫌だとか、悟りを目指したいとか思うなら、
なぜそういうふうに思うのか自分の心に対して考える。
どんな思い、考えにしろ、自分の作った心の傾向があって、その傾向で心がそう思ってしまってるわけだからね。 洋画で、美しいプリンセスが、一般のご家庭の掃除を故あってしてたのですが
そのときチャバネゴキブリを歌うたいながら手に乗せて楽しそうに掃除しているシーンを見て
電流がはしり、憧れのような感情が湧きました。
劣等感のない者は嫌悪感もなく、ゴキちゃんもクワガタも対して違わなくなるのでしょうか 劣等感の有無というよりはゴキブリとかはどういうイメージをそれに重ね合わせて見ているかの
問題が大きいのではないかな。普通に科学的にだけ見た場合は特に人に害のある菌を持って
いるわけでもないただの虫だからな(いや、3億年生き続けている生命力の強い特異な虫か?)。
まあでも恐れる必要は本当はない虫だ。とすると人間は頭の中で勝手に持っているイメージに
動かされているとしか言いようがない。つまりそれは幻想であり妄想だ。 そう言えばこれは昔の話だが北海道は寒いためにゴキブリが居なかったそうで(今は年中暖かい
ビルなどが沢山あるので居るらしい)、そのため生まれてから一度もゴキブリを見たことがない人が
沢山居て、本州に来てゴキブリを見てもかわいい虫としか思わず、虫かごに入れて飼っている
人が居たなんて話を聞いたことがある(ただの都市伝説かも知れないが)。
まあでも一度も見たことがないならそう感じたとしても特に不思議はないように思う。 楽しい青春時代を過ごし、おしゃれなオフィスで働いて高収入で家や車や家族を持ってる人が
なんだかんだ言っても勝ち組に見えます。
そりゃあどんな人でも悩み苦しみはあるんでしょうけど、こう言う人達は人生に余裕があるように感じます。
ある程度の不安からは解放されてるだけでも得な立場にいるんじゃないかなと思うんです。
いつか死んでゼロになるけど、そこまで歩む人生が充実してるだけでも勝ちなんじゃないかなって。
前世で徳を積んだから、余裕のある人生が送れるんでしょうか?
心のどこかで羨ましい気持ちもあるけど、それが本当に勝ち組の生き方なのか確証が持てない所もある。
他人を必要以上に見すぎなんでしょうか。
自分自身が納得していればそれでいい、という軸みたいなものが無くて他人の幸福に心が振り回される。
このモヤモヤはどうやったら晴れるんでしょうか? >>49 おぬしに被害者意識があれば悟りの道でも被害者として振る舞い、悟りを得ることは出来ないじゃろう。
自我の喪失を感じて恐れるたびになぜ自分はこんなめにあうのかとか、感じて逃避するからのう。
この世の大抵のものごとにはよいところと悪いところがあるものじゃ。
老病死は悪いところであるが、それによって人々が悟りを求めるものじゃ。
老病死があるからなぜ自分はこんなめにあうのかとか嘆いてばかりいれば、悟りに向かうことも無いものじゃ。
どのような道でも自己イメージが被害者の心構えでいては到底全うすることはできないのじゃ。
>>58 気を感じるところじゃろう。
それがどのように役立つのか考えてみるのじゃ。
更に自分を観察してみれば多くの長所を見つけることが出来るじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>59 それで悟りを得ようとしたのならば善い事なのじゃ。
家も家族も健康もいずれはなくなるものと知れるのじゃ。
それに執着しなければ苦は無いと知ることも出来るのじゃ。
>>61 それは劣等感よりも生き物を慈しむ心なのじゃ。
本当はごきぶりも清潔だというのじゃ。
条件付けによって汚いとか怖いとか想うのじゃ。
それを表現しているのじゃな。
>>65 慣れたような気がするのじゃ。
>>66 そうじゃ、配達なのじゃ。
なにやら忙しいのじゃ。
気のせいかのう。 度々すみません、気を使ってできる事、
鬼和尚は以前、イメージを扱いやすくなるだろう、と話していました。
色々とスピリチュアルの本は読んでいましたが、考えてみたら私に使える知識は一切なかったようです。
サイキックな力について、
私が知っている資料はヨガスートラ以外にありません。気功法について調べて見ても、なんだか違うなあという感じがしています。
その方面の力をつけようだとかは考えない方が良いのでしょうか?
パタンジャリはその危険さを警告してくれているようにも感じます。 >>68
配達の仕事をしておられるのですね。
最近はインターネット注文も多いので忙しいことと思います。
配達して下さる方にいつも感謝の思いです。
鬼和尚のお言葉を直接頂くことが出来る状況に恵まれて、本当に幸運なことだと感じています。
悟りを求める心を持てた事は、今までの苦に感謝となりました。
鬼和尚が表舞台に出ず、2ちゃんねるで教えを下さっている事が不思議でもありますが、大変ありがたいです。
ブログも読み返し、その度にきづきがあります。
ありがとうございます。 oshoのヨガスートラでもサイキックな力については言及していなかったので、
やはり危険なのかもしれません。
考えると危険な気がして避けているのですが。。 ソルフェジオ音楽は人体に良い影響があると言われていますが、
確かにソルフェジオ入りヒーリングミュージックを聞いてる時と聞いてない時では全然気分が違います。
なぜですか? ■ニュース解説
イオン銀行のシステム不備によるイオンカ―ド過剰請求、新たに約1万7500人に返金
今回、全ての調査が完了したと発表した。返金総額は4000万円に上る。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/032700905/
現在は、利息を日割り計算できる機能を追加するシステム開発を進めているという。心あたりのある顧客には問い合わせするように呼びかけている。●(( 鬼和尚、人生に疲れました。
リフレッシュする方法を教えて下さい。 少しのことで突然キレる人ってときどきいますよね。
普通の人は少しずつイライラがたまって沸点を超えると爆発する感じですが、
キレやすい人って段階を経ずいきなり爆発するんですよ。
本人は冷静になったあとで、気が付いたら爆発していて制御できなかったみたいな話を聞くことがあります。
こういうキレやすさは、本人が生まれ育った環境の中で身についた習慣や観念によるものなんでしょうか?
数息観や瞑想で不動心がつけば、このような行動もうまくコントロールできるものですか? もう一つ質問お願いします。
最近、自律訓練法や筋弛緩法のようなリラクゼーションにチャレンジしていて
白隠禅師の軟酥の法や内観の存在を知り、それらも勉強中です。
これらイメージや想像力によって実際に自分の身体に影響を与え改善していく方法は、
新しく自己イメージを持つことやアファメーションを繰り返すことで現実の自分を変えていく方法と
原理的には同じことですか? >>69>>71 悟りを求めるならば考えないほうがよいじゃろう。
囚われてしまうからのう。
しかし勝負毎の世界であればそれを身に付ければ強くなるじゃろう。
どの勝負事でも一流以上の者はそのような力を身につけているというのじゃ。
気になるのならば自分のやり方を見出して研究してみるとよいのじゃ。
努力は無駄にはならないじゃろう。
>>70 よかったのじゃ。
またおいでなさい。
>>72 そのように創られているからじゃろう。
自然の音に近いからともいうのじゃ。
瞑想などに役立てるとよいのじゃ。
>>75 旅に出るとよいのじゃ。
日常を離れて自分を省みられるのじゃ。
リフレッシュするじゃろう。 >>76 そうじゃ、習慣や観念によるものもあるじゃろう。
病気とかでもあるものじゃ。
病気以外は瞑想でも直るじゃろう。
肉体の病気はそれが治らなければいかんのじゃ。
よく観察して見極めるのじゃ。
>>77 それらは自己イメージの改善やアファメーションとは違うものじゃ。
それらは変性意識によって心身を改善するのじゃ。
アファメーションなどは通常の意識で観念を変化させるのじゃ。
そのような違いがあると知るとよいのじゃ。 鬼和尚、旅以外で人生をリフレッシュする方法はありませんか? どうやったら一人の人を愛し続けることができますか?
伴侶がいますが、街を歩いていると他人に目移りしている自分がいます。
今の生活を壊したくないけど、タイプの違う女性に対する興味が消えない感じです。
むしろ性欲の問題なのかなぁと。
男が浮気しやすいのは、何か特殊な要因があるのでしょうか? まずはサマーディに入る事を目標とすべきでしょうか?
サマーディを経験した人はそれだけでも自己の観念が落ちてその後の人生観や見方が変わりますか?
そして、サマーディに何度も楽に入れる様になるものなのでしょうか?
でも、実際、長く修行してサマーディの経験もなかなか得られない人も居ますよね。
その違いは何なのでしょうか? なんとなく、快が生じて思考が静まる姿勢があることがわかってきました。
そのときはぼーっとして他の事が考えられない、考えたくないような状態になります。
その状況は正しい方向でしょうか?
しかし、「このままもっと行けばサマーディに入れるのかも」「サマーディに入りたい」などと雑念が湧くと力が入り、ダメな気がします。
明晰夢を見ていても、「アレをしよう」などと強く考えると目が覚めてしまう感覚にも似ています。
あと、「サマーディに入ったらどのくらいの時間たつのだろうか?」「意識を失ったような状態になるのだろうか?」「座ったままいられるのだろうか?」「何時間もたって仕事に遅れてしまわないか」などの、サマーディの状態への不安もチラホラ湧いてしまい
ます。 このような状態は、自己がある事で生じる苦から逃れようと様々なものに夢中になっていた事の対象が、「悟り」にすり変わっただけの気がします。
サマーディに入りたい、悟りを得たい、という思いは苦から逃れたい逃避が原因であると思います。
それでも、意味の無いものに逃避して無駄に過ごすより、悟りの可能性があるなら、価値あるものだと思います。
悟りは価値があり、悟りを得て価値がある者になりたいという想いもある気がします。 今すぐ自己を捨てる、いずれ死ぬ自己を今捨てる覚悟、極端に言えば死を選べる程の覚悟が必要なのだと思います。
それ程の想いがあるか自分に問うと、まだ自己への執着があると気付きます。
だからこそ、いずれは全てを失う、苦も楽も感じる自己は無くなる、死を想うことが大切なのでしようか。
今ある「私」という感覚は物心ついた頃からずっとあります。そのように記憶しています。そしてこれからも死ぬまであり続けるのだと思います。
悟って死んだ人はもう産まれることは無く永遠の境地に留まり、悟らず死んだ者は、また、何かちがうもので「私」という感覚を持ち続けるのでしようか。 >>51
いや
>>61
それでじゃない
>>72
関連付けたからだ
>>76
まかり通ったからだ
それなり
>>82
誰でも同じだ
攻性 すみません、いずれは全て失うと書いてしまいましたが、死後の世界も自己はあり続けるのでしょうか?
死により失うもの、死後にもあり続けるものは何でしょうか。
悟りの事を考えたり修行したりは出来なくなりますか? >>80 前世や今の世で善事をすれば福楽もあるようになるのじゃ。
しかし、それで老病死を免れるわけではないのじゃ。
この世の者は身内や自分の老病死を経験することになっているのじゃ。
楽しげな衆生の姿を見れば羨ましくも見えるが、実は老病死を免れないことでは全く同じなのじゃ。
実際に親しくなって詳しく話しを聞けば、身内をなくしたり自分に病があったりするということもわかるじゃろう。
他人の芝生は青く見えるということわざ通りなのじゃ。
お釈迦様は他人のしたこととしなかったことを見るな、自分のしたこととしなかったことを見るのじゃ、と言っているのじゃ。
そうすれば他人と関係なく自らの真の幸福を求めることが出来て、他人の幸福に煩わされることもなくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>81 カラオケとかスポーツをするとか自分の好きな事を長くやるとよいのじゃ。
日ごろのストレスも発散してリフレッシュするじゃろう。
実践してみるのじゃ。
>>82 できるだけ多くの者と子を作りたいという本能はあるじゃろう。
それでも一人の者を愛し続けることも出来るじゃろう。
相手のよいところを見るようにするのじゃ。
欠点は自分にもあると目を瞑るのじゃ。
ストレスがたまってきたらたまには一人になるのじゃ。
常にくっつきすぎても相手が嫌になるのじゃ。
時には離れていてこそ愛も長く続くのじゃ。
そのように実践してみるのじゃ。
>>83 そうじゃ、それがよいのじゃ。
そこまでいけない者もいるのは姿勢が悪いのじゃ。
姿勢が悪ければ気が頭の中にまで入らずに、サマーディにまでたどり着けないのじゃ。
姿勢をよくして下腹にのみ力を入れ、上体からは完全に力を抜けば誰でもサマーディに入れるのじゃ。
>>84 それでよいのじゃ。
既にサマーディの入り口にまで来ているのじゃ。
姿勢が正しければ恐れがあっても自然にサマーディに至れるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。 >>85 そうじゃ、この世で唯一価値のあるものじゃ。
更に実践あるのみなのじゃ。
>>86 そうじゃ、常に死を思えば自己への執着も虚しいと知れるのじゃ。
悟らなければ再び私という観念を持ってしまうじゃろう。
死んでも観念はあるからのう。
それが種子なのじゃ。
>>88 自己という観念はあいまいになるじゃろう。
時に思い出したり忘れたりするものじゃ。
夢の中と一緒なのじゃ。
死者の意識は眠りの意識と同じであるからのう。
死ねば肉体は失うが、意識はあり続けるじゃろう。
思考や修行は出来ないのじゃ。
夢の中ではできないのと同じなのじゃ。 この世の人が煩悩やエゴを少し超えてさとりたいと思った時、この世に人を産みだすことに
疑問を感じて出生数が減ったとしたら、苦の世界に産まれる魂が減るのでいいことですか?
敢えて苦しい世界に悟りを求めて生まれなければいけない魂がたくさんあるので、この世の人は
悟りに近づかず繁殖するのが推奨されますか?
何を考えても分からないことなのでこじつけにもなりえますが 鬼和尚、粘土団子や自然農法で有名な福岡正信氏は、
悟りの段階では、どのあたりまで行っていたのですか? >思考や修行は出来ないのじゃ。
鬼和尚様が死んでも思考できなくなるんですか? ありがとうございます。
サマーディは気が頭の中に入らなければいけないのですね。
普段の生活でも、姿勢を正していた方が気が昇りやすくなりますか?
お腹を膨らませ、丹田で呼吸することは、どのような効果があるのでしょうか?これも、気が昇りやすくなるのですか?
猫背のせいか、最初は座るのも大変でしたがやっと座っていられるようになりました。
最初は結跏趺坐や半跏趺坐を心掛けていたのですが、安定して上半身の力を抜ける座り方を探して、足はしっかり広げた方が楽なのだと気が付きました。
鬼和尚が勧められていた通りヨーガの呼吸法を取り入れてみました。
片鼻呼吸法とバストリカー、カパラバディをやってみております。
呼吸法を取り入れてから、体の調子が良くなってきており、また身体の感覚に気づくやすくなり、瞑想もしやすくなりました。
片鼻呼吸法は鼻の通りが良くなりますし、カパラバディなどを行ったあとに座ると自然と呼吸がお腹で行われ深くなりました。
カパラバディは心地好く、普段 気分転換にも行っています。 よく、悟っても特に何かが変わるわけでも無い、とも聞きますが、何故でしょうか?
様々な観念のしがらみから解放されると、やりたい事をやれなかったり逆にやりたくない事をやっていたり、それが無くなると自然と環境は良い方向へ変わって行くのでは無いかと思います。
そもそも、やりたい事もやるべき事も無くなるから、何も変える必要も無くなるのでしょうか。
また、周りの人は、「この人変わったな」などと変化を感じたりしないのでしょうか?
鬼和尚は普段生活をしていて、周りの人は鬼和尚が悟っておられる事に気付かれているのですか?
普通の人は、悟った人がわからないものですか?
OSHOやグルジエフなどは、その場にいるだけでも目立ちそうな、すごい存在感を放っていますよね。
ラマナ・マハリシの写真などを見ているだけでもこの人の前では何も偽れない、と思うような念を起こさせます。 ダンテスダイジは悟っていなかったんですね。
一時期本を読んだりしていましたが、独特の、詩的で、何というか虚無感?のようなものを感じました。
ニルヴァーナのプロセスとテクニック という本を買ってみたことがあるのですが、何故だか本を持っていることが怖くなってしまい、売ってしまいました。 お金の悩み相談
日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
多重債務でお困りの方。
お金に関するお困り事や法的トラブル等HPに記載以外の事でも、お気軽にご相談下さい。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
詳しくはHPをご覧下さい。
npo法人 エスティーエー 同じ才能、強さを持つ人でも、
あっという間に破滅してしまうもの、
一方は淡々と幸せを築いている、
という二者がいます。
違いはなんでしょうか?
あと、見栄と欲の動機で動いていた場合、
それはどうやっても悪事とならざるを得ないのでしょうか? 鬼和尚
夢の世界がこの肉体の脳で作り出された想念の世界であるように
この世界も誰かの脳によって作り出された想念の世界という可能性はありませんか?
またそのようにこの世界をみなすことは修行になりますか? 首のストレッチをしてたら、気持ちよくて少しやりすぎてしまったようで
寝違えたようになってしまいました。
今までなら「何でこんな目に会うんだ。休みも楽しめなくなった。最悪だ。」
と考えてしまうとこなんですが、
今回は「やり過ぎるとこうなってしまうのか。次からはほどほどにしておこう。
今回失敗したおかげでこれ以降はほかの部位でも同じ失敗はしなくて済むな。」
と考えてみるようにしました。
このように良い点を見つけるのを習慣にしていけば実際に良いことがたくさん起こるということでしょうか?
これも全ては心が作り出すゆえですか?
良い点というのは、発生した問題について自由に考え付くものなら何でもよいのですか? >>92 よいことでも悪いことでもないのじゃ。
善意も悪意も無い行ないであるからのう。
慈悲によって行うのが善い事なのじゃ。
悪意によって行うのが悪いことなのじゃ。
そのように見極めるがよいのじゃ。
自分が生みたいと思えば生むとよいのじゃ。
自由なのじゃ。
>>93 知らんのじゃ。
特に修業していなければどこにもいっていないじゃろう。
おぬしのほうが進んでいるじゃろう。
>>94 そうじゃ、死ねば思考は無いのじゃ。
ただ意識が在るだけなのじゃ。
意識に観念が残っていれば生まれかわるのじゃ。
>>95 しようと思えばそうできるのじゃ。
しようとしなければそうではないのじゃ。
自在なのじゃ。 >>96 そうじゃ、普段から姿勢を正していれば気も上りやすいじゃろう。
丹田呼吸は気が多く発生し、上る気も増えるのじゃ。
健康にもよいじゃろう。
よかったのじゃ。
どんどんやるとよいのじゃ。
>>97 それは初めから全ては意識であったと気付くからなのじゃ。
自我も全ては人の謬見であり、それが正されただけなのじゃ。
謬見が無くなっただけであるから、何も変ったところはないのじゃ。
自ら明かさなければ回りのものは気付かないのじゃ。
それが意志であるからのう。
>>98 そうじゃ、捨ててよかったのじゃ。
自らの仏陀を追及するのじゃ。
おぬしを救う者も、証明できる仏陀となるのもおぬし自身のみなのじゃ。
>>101 それは自己イメージが違うのじゃ。
悪い自己イメージを持てば成功に不快感をもってしまい自ら破滅に飛び込むのじゃ。
そのような例は新聞に多く載っているのじゃ。
痴漢で首になった大学教授とかのう。
よい自己イメージがあれば成功に快適を感じ、それを維持しようとするものじゃ。
そのような違いを知るとよいのじゃ。
見栄とよくでも人のためになるならば悪とまではならないのじゃ。
善事ではないが、悪と呼ぶほどでもないのじゃ。
少しはよいことなのじゃ。
>>102 そうじゃ、おぬしの脳によって作られた世界なのじゃ。
両親に教え込まれたことや経験からおぬしの世界はできているのじゃ。
そのように見ることで修業になるじゃろう。
そこから抜け出すために修業に励むがよいのじゃ。
>>103 そうじゃ、そのように考えれば自己イメージも保たれ、世界もよくなるのじゃ。
よいことも起きるじゃろう。
心がよくなれば世界も心で創られているからよくなるのじゃ。
お釈迦様もものごとは心によって作り出されると言っているのじゃ。
そうじゃ、よいことならば自由に考えてよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>104
そうでしょうか、この世の倣いに沿って、生まれることは幸福だからとめでたいとしますよね
普通は。生まれたことを心底祝福してくれないような親に育てられるのもきついですが、実は
祝福ではない、と知っている人はそこで迷いが出るでしょう
そして産むときは善でも悪でもなく産んでも愛が足りなくて産んだ後辛い思いをさせる親もいる
無知によると思います。そこで産むことがいい事なのかと言う疑問が湧くのです
生まれた分だけそういう魂がいたのか、そういう魂が待機しているのか、そういう風に霊界?とかと
リンクしているわけではないのか 付けたしですが、この世に生まれるのは悟りを得るチャンスを与えるからいいのだと鬼和尚さんは言われますが
それはそういう自我の存在が肉体の転生を待っているという事ですか?
そして、この世と言う自我の幻想に自我を生れさせることを肯定するということは、それが
延々続くということではないでしょうか、もしこの世の人はこの世は自我の幻想だとはっきり気付いたら、
人を産みださない、そうしたら自我は消えるのでしょうか
この世や人間の終わりを本当に望まない限り、悟りゲームは続くんじゃないですか インネンふっかけてくるヤクザもどきのような人が怖いのですが
殴られる覚悟を決めて生きてないとだめでしょうか ありがとうございます。
鬼和尚からは「自分は」という自我の片鱗を感じられないので凄いと思います。
鬼和尚は前世ではお釈迦様の弟子であり、今世では悟って、このように人を導くために産まれて来たのでしょうか?
私も悟ることが出来たなら必ず人を助けたいと思います。
幼い頃から漠然と求め続けていたものは、悟りだったのだと思います。 >>103
そうでもないな。
もちろん、どうとでもなるのが、お前の言う事だ。
>>110
そうでもないよ。
法を維持する軍勢は強いので、法を意識した備えを取るのがクレバーだな。 「世間」と言うのは観念ですよね?
日本人の心に未だ巣食う代表的な観念が世間ではないでしょうか。
我が子が犯罪を犯したら親が出てきて世間に「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪する。
あれは何なんですか?子が謝罪して償うだけでいいように思うのですが。
家、家族というのも幻想ですよね?
しかし日本人はこれらの観念にひどく縛られてるように見えるのです。
家や世間という幻想から日本人が脱却するには、どうすればいいんでしょうか。 クンダリニー症候群は、何故起きるのでしょうか?
修行をしていて、クンダリニー症候群になってしまうことは、ないでしょうか? 確かに、私はせっかく幸運を得てきていたのに、
壊してきてしまっています。
本当に自己イメージが悪かったのでしょう。
おそらく、自分のイメージを良くしない限り、
どこにいっても壁にぶつかる気がします。
ありがとうございました。 人と打ち解けるのが苦手でなかなかできません。
人といると仲良くなりたいのに、ストレスでクタクタです。
どうしたら、人と打ち解ける仲になれるでしょうか? >>107 おぬし次第なのじゃ。
おぬしが慈悲の心で生めば善事じゃろう。
悪意で生めば悪事になるのじゃ。
心によって善悪は決まるのじゃ。
>>108 そうじゃ、おぬしも選んで生まれてきたのじゃ。
思い出すとよいのじゃ。
>>109 おぬしがそう思えばそうじゃろう。
おぬしの世界はおぬしの心が創っているからのう。
観念遊戯を捨てるがよいのじゃ。
>>110 体を鬼のように鍛えたらよいのじゃ。
ちんぴらは強そうな者にはいんねんもふっかけないのじゃ。
試してみるのじゃ。
>>111 そうじゃ、自ら決めて来たのじゃ。
おぬしもそうじゃろう。
自らの志を思い出したのじゃ。
どんどん進んでいくがよいのじゃ。 >>113 そうじゃ、観念なのじゃ。
観念による慣習なのじや。
観察によって幻想から脱却するじゃろう。
おぬしがどんどん広めれば多くの者が幻想から脱却するのじゃ。
>>114 エネルギーが多くなるからなのじゃ。
下腹に力が入ればなるじゃろう。
気を下におろす方法を知っていれば大丈夫なのじゃ。
>>115 そうじゃ、自己イメージを改善するのじゃ。
まずは自分が自分をどのように観ているのかしるとよいのじゃ。
それも観察によって明らかになるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>116 テレビの芸人などを見て人付き合いの技を学べばよいのじゃ。
それもまた技術によって容易になるのじゃ。
なれればストレスもなくなるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。 >>116
それは自分という厚い殻を作って生きているからじゃな。
自分が作り上げたその殻をなくさなければ他人と一緒にいてリラックスすることはできないのじゃ。
壁が異常に厚くなっていると精神障害を起こしやすいから気を付けるのじゃ。 >>118
私は子供を欲しいと思ったことがないのでわからないのです、その感覚が。
自分のコピーも愛着物もいりませんし
観念遊戯がこの世界全体なら、最初にこの世や人間が生まれた時、人の数は少なかったですよね
そしてどんどん増えるにつれ、人間の数だけ苦や観念の数や輪廻転生の無意味な繰り返しが増えた
という事ではないでしょうか?
そこで観念を終えるためには、その無意味なことをやめる必要がある、その気づきも悟りの
一つではないでしょうか、悟りを得るために命を与えることが必要、その根本自体幻想で観念
なのではないですか? 鬼和尚、私は人付き合いが苦手です。
他人がすべて人格者ならいいのですが、そうでないのが現実です。
つまらないエゴ(欲)が嫌いです。
つまらない人と話したくありません。
だから、人前ではできるだけ黙っています。
これでいいですよね? >>121
> この世や人間が生まれた
これも観念だよね。「この世」とか「人間」って部分。
何言ってんのあるでしょう、と思うかも知れないが、ではそれは何かと問われて出てくる答えは何だろうか?
何が「人間」で何が「この世」なのか? 記憶に基づく漠然としたイメージがあるだけであって一体それが何なのかは未だにわかってないのではないか?
勝手にこういうものだと決めつけていることはあるかも知れないけどね。 >>121 おぬしがそう考えたいならば自由なのじゃ。
誰も止めはしないのじゃ。
思想の自由なのじゃ。
>>122 それでよいのじゃ。
お釈迦様も善い友とだけ付き合えと言っているのじゃ。
悪い友は付き合わなくて善いのじゃ。
年収250万でも劣等感に苛まれず、豊かに幸せに暮らす方法はありますか?
労働意欲がそんなに高くないので、転職とか資格とるとか興味が持てません。
安月給でも楽な方がいいなと思ってるくせに世間体を気にしてる自分がいます。
あと金がないと思われるのが怖いので、人前で気前のいいところを見せすぎて毎月赤字です。
ちゃんと生活を立て直したい。何をすればいいですか。
鬼和尚が働いてるのは、何のためなんですか? >>125
それほとんど自分で答え書いちゃってるような気がするが、世間体を気にすることや
人前で気前のいいところを見せすぎることを縮小できれば、つまり劣等感を小さく
できればいいだけでは? (逆に言うと劣等感そのままだと金が幾らあっても足りなく
なって心理的な欠乏感に変化はないと思う)。
ここで一つ重要なことは、今持っていないものを沢山持って人を抜かせば劣等感が
なくなるわけではないということ。人と戦って勝とうとしても上には上が居るので勝てる
日は永遠に来ない。特定の分野で世界一になることは可能かも知れないがすぐに
誰かに抜かされる。人との競争はやってもいいがあまり意味がなく幸せとは無関係だ。
勝った直後はあたかも幸せになったかのような錯覚はあるかも知れないけどね。
それはそれまで自分で自分に対して勝利を無理強いしていたのが一時的に停止
して楽になるからだ。しかし放っておくとまたその脳内の回路が動き始めて苦しくなる。 鬼和尚、私は前の世で修行者だったとはなしていましたが、
誰のもとで学んでいたのでしょうか?
少し、気になってしまいました。
変なこと等はしてなかったでしょうか? 鬼和尚は、上司に怒鳴られたり嫌味を言われたことはありますか?
もしあるなら、その時はどうしましたか? >>125 簡単なことじゃ。
劣等感とはおぬしの心の中にだけあるものであるからのう。
他の者は誰もそれを劣等と思っていないのじゃ。
なぜ劣等感があるのか、なぜお金が無いと想われるのが怖いのか自分の心の中に原因を探してみるのじゃ。
昔、お金が無くて嫌な思いをしたからかもしれん。
その原因があるから劣等感や恐れがあり、原因が無いときは劣等感や恐れも無かったと心を観察するのじゃ。
そうすれば劣等感も無く豊かに暮らせるじゃろう。
収入の範囲内で生活すれば生活も立て直せるじゃろう。
わしは働く者の心を知るために働くのじゃ。
>>128 そこまではしらんのじゃ。
自ら思い出してみるのじゃ。
>>129 特に無いのじゃ。
相手にしないのじゃ。
確かに、変な質問ではありました。コテをつけて聞いてはいけないことではあります。
失礼しました。 >他の者は誰もそれを劣等と思っていないのじゃ。
質問者ではありませんが
自分が「劣等だ」と思っていることを
現在実際に他人が「劣等だ」と思っていたり言ってくる場合は
自分の心の中だけにあるわけではないと思いますが、どうなのでしょうか? 鬼和尚、孤独が辛くなってきています。
どのように向き合うべきでしょうか? >>132
わしは初老の域に入り頭もボケてきたので、書くことが思い浮かばないのじゃ。
坐禅は毎日やっているが、「悟り」からは離れていってるのかもしれん。 わしは鬼和尚が2ちゃんで説法を始めた頃、最初に弟子入りした
一番弟子なのじゃ。もう15年ほど前になるのじゃ。
考えてみれば、修業はあんまり進んでいないかもしれん。
でも、サティやサマーディの経験はあるのじゃ。
もう遠い昔じゃがのう。
今は晴耕雨読の生活をしておるのじゃ。
今年の若葉の頃は山がきれいじゃった。
ヤマザクラ・ヤマブキ・ミツバツツジの季節も終わり、フジの花が咲きはじめた。
季節は一刻一刻と進んでおるようじゃ。
人間が植えたものより自然のものがいいのう。 あまり、言うべきことではないのかもしれませんが、
過去の経験について、鬼和尚に教えてほしいと思うことがあります。
制感の法を独学で行っていたときです。
知人が失恋し苦しんでいる話を聞いていると、
別れが必ず訪れてしまう、と察知したのか、
目の前がそのとき歪んで見えたのです。
悟ったと勘違いし、その上泣いてばかりいたのを覚えています。
それからというもの、両親や他人、酒にも思い切り依存しています。
私が見たものは一体何だったのでしょうか? >>131 そうじゃ、自ら思い出してみるのじゃ。
恐れを超えれば出来るじゃろう。
またおいでなさぃ。
>>133 他人もまた自分の心の現われなのじゃ。
別のことを言っていても自分のことを言っていると思えるのじゃ。
その他人も自分の事で頭が一杯なのじゃ。
自分がそうであるようにのう。
他人が何を言っても自分の心に劣等感があれば自分のことを言っているようにきこえるのじゃ。
>>134 ただ観察すればよいのじゃ。
孤独そのものと、孤独への恐れと、孤独への恐れから逃避が起こるとよくみてみるのじゃ。
そうすれば孤独も自分のものではないと気付くじゃろう。 >>137 他人の話による愛別離苦が同化してしまったようじゃのう。
その苦が自分であり、自分のものと認識してしまったのじゃ。
悟りならば泣くことも無く、依存することも無いのじゃ。
>>9さまへ。
両手じゃないと出来ない動作、色々あります。
たとえばビンのフタあけるとか...
中でも難しいのを、どうにか片手でやれないかなと、考えてました。
それで方法みつけたら、その指のかたち使うと、手から気が出るようになったんです。
気てゆうと怪しげだけど、世間的には神通力てゆわれるの、一部現れたりも...
5月4日、わたしの32の誕生日に、降りてきた。
でも>>9さまの解いたのは、そおゆうなんてゆうか、小手先じゃないんですよね、多分...
えー、なんだろう一体。
ちょっとズレたとこ伺いますと、>>9さまはこだわり消えたのに伴い、健康面の変化はありましたか? 鬼和尚はやる事が無くて暇だなぁと思う時間はないんですか?
ゴロゴロしたり時間を持て余すことはないんですか。
仕事と家事と睡眠と修行以外は何をして過ごしてるんですか。 >>140
おもしろいですね。
断食療法やってた知り合いが真面目に断食してる人達はみんな気みたいなの見えてたって言ってました。
持っていた身体感覚が弱まったりリセットされると今までわからなかった別の感覚が出てくるのはあるんじゃないかなあと思います。
公案も観念が弱まったりリセットされるだろうからいろいろ起こるかもしれないですね〜。
右手で右手首をつかんでみるのもいいんじゃないでしょうか。
普通に考えるとできるわけないですけど、できそうな気もしますね。
できないことができそうな気がするのはなんででしょうねえ。
こだわりが少なくなって健康に関してもこだわりが少なくなりましたね。
心身は心身自体が勝手に面倒見てくれるだろうという感じで、気にしないぶん健康になったと思います。
心身が自由になってそれで快調になるかんじでしょうか〜。 鬼和尚、気分が落ち込んだ時はどうしたらいいですか? 鬼和尚、ある古ぼけた喫茶店で、中学校の恩師(89歳)の話を
よく聞いています。
恩師は豪快な人です。私は繊細な方です。
性格が反対なのに話がよく合います。
これは善行になりますか? 鬼和尚さん
日常生活の苦痛を色々と観察していたら、自分の人見知りが原因ではないかと思い至りました
この人見知り病を破壊する方法を何か教えていただけないでしょうか >>138>>139
結局、何かそのための逃避に出て行ったところで、
解決にならないどころか余計な苦を作ってきたのが
私でした。
今もまったく同じことをしようとしているようです。
あまり、他人は見ないほうがいいようですね、
ありがとうございました。 >>141 むしろ時間が足りないぐらいなのじゃ。
本を読んだり経を読んだりしているのじゃ。
勉強あるのみなのじゃ。
>>143 善い事を思い出すのじゃ。
昔、海岸にリゾートに行って楽しかったとか、山に行って面白かったとか思い出すとよいのじゃ。
ホームランを打ったとか、シュートしたとかでもよいのじゃ。
常日頃からそれらを思い出して気分転換に使うとよいのじゃ。
>>144 なるじゃろう。
やさしく話しかけるのも善行であるからのう。
どんどんやるとよいのじゃ。
>>145 それにもまた原因があるじゃろう。
それを追求するのじゃ。
原因から人見知りが起こり、原因が無かった時には人見知りも無かったと観察すれば破壊されるのじしゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>146 そうじゃ、それに気付いてよかったのじゃ。
またおいでなさい。 鬼和尚、私は朝の寝起きの気分がいつも悪いです。
小さい時から行きたくもない学校に行かされ、
したくもない仕事をしていたから習慣になっているのだと思います。
私は家でぶらぶらしているのが一番良かったのだと思います。
でも、生活の糧は稼がなければならないから、仕方ないです。
寝起きの気分を良くするには、どうしたらいいですか? >>148
人見知りをさらに観察ですか。まだまだ実践不足でした。アドバイスありがとうございました >>150 朝目がさめたら直ぐに見える場所に好きな絵とか気分がよくなる言葉を掲げておくとよいのじゃ。
今日は最高の一日になるとか、資産がどんどん増えていくとか、書くのじゃ。
好きな音楽がボタン一つで直ぐになるようにしてもよいのじゃ。
いろいろ工夫してみるのじゃ。
>>151 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 昔から女性より男性の方が出家したり修行したり俗世を捨てて求道者になる割合が高いように感じます。
なぜでしょうか?男の方が悩み苦しみが大きいんでしょうか。
性差でどのような違いがあるんでしょう。 >>153
どこにそのようなデータがあるか教えてください 鬼和尚、人間にはやっぱり相性がありますね。
教養とか趣味とか性格とかによって・・・。
なぜ、人間はマチマチなんでしょうか? 悪い感情には同調、同化しないことが大事なんですね。
同化するなんてどうかしてました。 鬼和尚、優劣というのもただの観念なのでしょうか?
悟っている人にとって優劣というものは存在しませんか? >>153 女子は社会的に縛られていたからじゃろう。
子供が居れば育てなければならんしのう。
源氏物語のように女子が出家したいと想っても旦那が止めることもあったじゃろう。
女子は菩提心があっても意のままにならなかっただけなのじゃ。
>>157 生まれつきの生死と育った環境や体験が違うからなのじゃ。
人は生まれつきの性質に環境による体験を性格に反映するからいろいろいるのじゃ。
それを観察によって知るとよいのじゃ。
>>158 そうじゃ、同化しないことじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>159 そうじゃ、それも観念なのじゃ。
悟れば無くなるのじゃ。
何かの特徴で優れていてもそれが劣ったことになるのもよくあることじゃ。
象は体がでかいから多くの獣に優るが、沼地に行くと重くて沈んでしまうとかのう。
優劣もまた幻想なのじゃ。
最低なサイコパス人間に心を許してしまったというか、オーラを開いてしまった黒歴史があってトラウマになっています。
当時の自分は正気ではありませんでした。
あれから十年以上つきまとわれています。
しっかりしてなかった世間知らずの自分が悔やまれてなりません。
相手は凄まじい妄執で付き纏ってきます。
縁をもってしまった自分を殴りに行きたいです
若気の至りでしたテヘペロとすましていいでしょうか。 追記
今思うと、最初から獲物を狙うサイコパスオーラ丸出しだったのに、
当時人から話しかけられることが滅多にない劣等感の塊だったので
深く考えずに知り合ってしまいました。
本当にのたうち回るくらいダサくて恥ずかしくて黒歴史にもほどがあります。
相手は心のない爬虫類に悪魔と寄生虫をたしたような者です。
ちょっと吐露して楽になりました。 鬼和尚、世の中は良くなっていきますか?
いつの時代でも同じですか。 女性のきれいな裸を見ると癒されます。
これも欲ですか? >>161>>162 そうじゃ、教訓にしたらよいのじゃ。
そのような者もえらいえらいとおだてて操ったらよいのじゃ。
役に立つじゃろう。
>>164 おぬしが修業して楽になれば世の中もよくなるのじゃ。
全ておぬし次第なのじゃ。
>>166 それはまだ欲ではないのじゃ。
好みなのじゃ。
何度も見たいとか触りたいと想うのが欲なのじゃ。
世の中の人は、毎日毎日よく仕事しますね。
私はもう仕事するのに疲れました。ゆっくりしたいです。
仕事はもう辞めましたが、農作業があります。
農作業は力仕事なので、しんどいです。
人間は仕事をしなければいけない生き物なんですか? >>168
何か食って栄養補給をしないと体が飢えて死ぬようになってるだけで、こうしなければいけないとかはない。
ないが、人とトラブルにならずに体を生かすことを実現する最も簡単な方法は働いて金を得てそれで食料を買って食うことだ。 人間にとって唯一の仕事は生きることだからな
生き方はどうでもいいおまけみたいなもんだし悟りを目指すか意志があるかどうかの違いくらい 鬼和尚、鏡の法則ってのがありますが、年中ニコニコして心穏やかにしてたら良い結果が出るんですか?
興味がある反面、ものすごくナヨナヨした人間になりそうで恐いっすわ >>168 資産があれば働かなくてよいのじゃ。
しかし、体を常に動かしているとよいのじゃ。
体を動かすと病にもなりにくいのじゃ。
止まっているとやがて死んでしまうのじゃ。
動く物と書いて動物なのじゃ。
>>174 よい結果が出るじゃろう。
ナンパにも成功しやすいじゃろう。
笑顔で居てもなよなよしないものになると良いのじゃ。
そのような自分をイメージするのじゃ。 悟りを開いた人から見て、オシャレってどう言うのが本物だと思われますか?
オシャレを気取ってる人はたくさんいますが、大抵は誰かの真似だったり自己満足に見えます。
そんな自分に酔っている姿を見ると、なんか痛々しい。
けど、なにをしてる人が本物のオシャレな人間なのかわからない。
本当の意味でオシャレって、どう言う状態ですか?
もしやオシャレというのも幻想だったりしますか。 一般的な人(特に修行とかしてない)が植物状態になった場合、その人の本体?はどうなっていますか?
肉体が生きている限り体とリンクしていますか?
実は早く呼吸器を外してほしいとか思っていますか?
それともすでに体から離れて死者の意識と変わらないですか? 自分の中にある嫌な性質を観れて気付けたときと、
自己否定の違いは何でしょうか?
ある種の保険のように
「どーせ俺は」
と考えている状況とは違うような気がしています。 >>178
ゴラアー、ちゃんと修行せんかい!
怠けたらアカンがな。弱虫!意気地なし!お前のカーチャン出べそ! >>176
定義してよい
が
守破離は標準だ
>>179
考え方を考えよう >>181
ありがとうございます。
多分、揚棄の癖です、確かにやめるべきですね。 すみません、もう一つです。
冷徹に見なさいと鬼和尚はおっしゃってましたね。
座れないほど心がまずいことになっていたのか、
数息観を始めたらまた楽になりだしました。
ですが、やめるとあっという間に元通りになってしまい、
楽になった、もう大丈夫だ、しばらくしてやめる、
また苦しみだす、しばらくして楽になってまた始める、のループがずっと続いています。
観察が不完全だと習慣、心、その他諸々ももとに戻るようにできているのでしょうか?
苦滅の法もきちんとできてなかったようです。 鬼和尚、昨日、草刈りをしていたら、上の木から落ちてきたのか、
小鳥のヒナを傷つけてしまいました。もう、死んでるかもしれません。
心の中で謝りましたが、許されるでしょうか? 長年、自分の中にあった人嫌い感の本当の正体が分かりました。恨みでした。
小さい頃に恵まれなかった人間関係が原因で(私にも非はあると思います)、不特定多数の人に恨みを持つようになってしまったみたいです。
対策として、原因がない状態を何度もイメージしたり、そういう思いを持つのはもうやめよう、と自分に何度も言い聞かせていきたいと思います。
鬼和尚さん、このスレの皆さん、ありがとうございました。 >>183
なんとなくダイエットとリバウンドを繰り返しているみたいだな。 修行を邪魔する魔の存在というのは、そのような人格や思考を持った存在があるのではなく、心の働きのことでしょうか? 菩薩などの存在も、実際に人格や思考を持った存在がいるのでしょうか?
それとも、そういった働きなのでしょうか? >>176
悟ってないけど幻想そのものだと思うけどねえ。時代と共に流行が変わっていっちゃうしねえ。
とりあえず身だしなみに気を付けていればおしゃれな人ということにはなるだろうけど、
結局のところそれは周りの人に合わせてカメレオンのように見た目を変えてるだけのことだよな。
それは承認欲求や自己否定の結果なんだろうけど、それが強すぎて過剰に人に合わせることになれば当然それは苦になるし。
やはりやり過ぎるとろくなことはないだろうな。
>>179
気付いた場合は否定は既にしてないのでは? 肯定もしてないだろうけど。 菩薩などの瞑想をすることが良いのは、何故でしょうか?
実際良い方向に向かわせてくれる気がします。
助けてくれる存在があるのでしょうか? 破壊的な念(殺意や排除)を受けたら心が動かなくても肉体はダメージになりますか? 苦の原因の在る悲しみには、どう対処すればいいですか?
対象と自分への、慈悲の瞑想がいいのでしょうか? 慈悲の瞑想以外で、いい方法がございましたら教えてください。 >>176 本当のおしゃれとは心が清い者なのじゃ。
どんなに着飾っていても人や動物をいじめていれば全てが不細工に見えるじゃろう。
汚い心を隠すための装いに更に嫌悪感が増すものじゃ。
外見はどのような者でも人や動物に優しいものは誰にでも好かれるのじゃ。
その者が着るものを他人もまねしたいと想うじゃろう。
心の清いことが本当のおしゃれなのじゃ。
>>177 肉体にあるものも居るじゃろう。
離れている者もいるじゃろう。
人や場合によって違うのじゃ。
>>178 後三日で死ぬと想うのじゃ。
そうすれば必死に修業する気になるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>179 気付きは事実をありのままに受け入れることなのじゃ。
今ここにあるものごとを認識することであり、否定も肯定も無いのじゃ。
自己否定は観念による条件付けによるものであり、事実でもないのじゃ。
過去の記憶に基づくものであり、今ここにはないのじゃ。
そのような違いがあるのじゃ。 >>183 観念が残っていればそうなるじゃろう。
毎日五分でもよいから続けるのじゃ。
更に他の苦も滅すれば楽になるのじゃ。
継続あるのみなのじゃ。
>>184 許されるのじゃ。
わざとしてことではないからのう。
おぬしも自分を許すがよいのじゃ。
>>185 よかったのじゃ。
その原因から苦が起こる事をただ観察すればよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>184 そうじゃ、修業の邪魔になる心の働きなのじゃ。
>>188 菩薩とは悟りを求める者のことなのじゃ。
悟りを求めるならばおぬしも菩薩なのじゃ。
>>190 親の愛を補足してくれるからなのじゃ。
大抵の者は親の愛に飢えているものじゃ。
愛が満ちれば他人をも愛せるからよい方向に行くのじゃ。
>>191 ならないのじゃ。
それを発したものを傷つけるだけなのじゃ。 >>192 それもまた原因から観察すれば滅するのじゃ。
悲しみは執着していたものがなくなるとか、拒絶されるとかすると起こるのじゃ。
その原因となる執着が何か探すのじゃ。
原因から悲しみが起こり、原因が無ければ悲しみもないと観察すれば消えるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。 鬼和尚さん、ありがとう。
とりあえず、ひとへの執着をやめること、今までの人間関係を赦すこと、と気づけました。
そう思えた過程で、仏法のようなものも感じましたよ。
苦滅もできそうです。
本当にお世話になりました。 ひとを赦すことは自分を赦すことで、自分を赦すことは、ひとを赦すことでしょうか。
愛は自由であり、自由は愛でしょうか。
観念遊戯かも知れませんが、お答いただけると幸いです。 久しぶりに帰省したら家族みんなが年老いて体が弱っていく姿を目の当たりにします。
飼い犬さえも病気にかかって弱っています。
治療しても治らない病気、寝たきりになって死を待つだけの毎日がすぐそこまで近づいている。
当たり前の事とはいえ、身近な人や動物が弱っていく様を見るのが怖いんです。
いずれやってくる家族の死と向き合う自信が持てません。
どのような心持ちで家族と接すればいいのか。
どうやったら死を受け入れられるのか。
家族がみんな死んだ後、残された自分はどのように生きればいいのか。
どうか教えてください。 >>199
私からの答えですが、老病死にはそれらの受容力をみがく、残された後の生き方は自由に、かなぁと。
基本的に受容できれば、それだけ心の自由度、自由感も増えると思います。 >>186
>>194
ありがとうございます。
悲しいかな、むしろ鬼和尚にお会いする以前よりも
生活習慣だとか環境はひどいことになっています。
事実をありのまま受け入れ続けることで
心は磨かれていくのでしょうか?
テーラーガーター、テーリーガーター等
見てみると、
むしろ修行中の方がもっと苦しんでいる修行者も
数多くいるように思えます。 ふと思えば何かに昇華させたいとか思っているのでしょうか、
それとも苦が表面化してごまかしきれなくなってきたのか。
いずれにせよ、完全に自分の怠惰から来てるものではあるのですが、、、
すみません、無礼ともとれる質問ですが、どうしても気になってしまいました。 >>201
ただ自分の想いを受容するのが良いと思います。
私はさっきメモ紙に、自分の気持ちとその原因、対策法を書き連ねてみました。
そんな感じで現在までの自分を整理し、今では落ち着いてすっきりしてますよ。 鬼和尚、農村地帯に住んでいますが、近所に自己中心的な人が
います。例えば、私の土地のタケノコを勝手に採ったり、栗の木の
葉っぱが墓に落ちてくるので栗の木の枝を切ってくれとか、非常に
自分勝手です。
こういう人に対しては、どう対処すればいいですか? 本当の自分を生きることができれば全ての苦が消えると思いますが、どうでしょう。
これは世や自身から、神仏を感じながら生きられる生き方かとも思われますが、どうなんですかね。 オショーさんのハートの瞑想に、「闇を吸い込んで光を出す」というものがあります。
闇というのは、恐怖、恨み、悲しみ、怒り、惨めなどなど・・・の不快感情全般ということでいいでしょうか。
あとわざわざ吸い込もうとしなくても、通りすがりの人が投げてきます。
このストレスをハートチャクラで変容して出せば、それはハートの瞑想と他ならないでしょうか。
別に助けたくてやっているわけではなく、ストレスをキャッチしたままでは自分が苦しいからです。 鬼和尚さんはよく本心を観なさい、本心に気づきなさい、と言っていますが
本心というのは真意みたいなものでしょうか
人を赦したり、全ての人間を平等に観たり、本来の自分を生きることは
悟りといえますでしょうか >>197 よかったのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>198 人を赦すことは自分を赦すことじゃろう。
愛は自由ではないのじゃ。
少なくとも二人の関係があるからのう。
>>199 常日頃から死を想い、死に備えているならば家族の死も受け入れられるのじゃ。
自分が独りになったときのことをイメージするのじゃ。
死を超える修業に励めばよいのじゃ。
そのほかは自由に生きたらよいのじゃ。
好きな事をしたらよいのじゃ。
>>201>>202 それがわかったならば生活習慣を改めればよいのじゃ。
環境も自らよくしたらよいのじゃ。
そのために自分を観る法があるのじゃ。
自分が観えたならば今自分が何をしているかわかるじゃろう。
生活習慣を改めているのか、それとも怠惰にしているのか今ここにいる自分がわかるのじゃ。
環境もよくしようとしているのか、わるくしようとしているのかわかるじゃろう。
それがわからないならば自分を観ていないのじゃ。
今の自分を観て改めるのじゃ。 >>204 そのような者もすごいすごいとおだてて操ればよいのじゃ。
自分から掃除をしてくれるようになるじゃろう。
優しい言葉をかける言葉による布施にもなるのじゃ。
いろいろ試してみるとよいのじゃ。
>>205 消えないのじゃ。
自分も認識もなければ全ての苦は消えるのじゃ。
自ら仏陀になるとよいのじゃ。
>>206 なるかもしれん。
実践してみるとよいのじゃ。
不快ならば止めてよいのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。
>>207 真意でよいのじゃ。
それは悟りではないのじゃ。
自我を滅し、認識をも滅したら真の大悟徹底なのじゃ。
それまで実践あるのみなのじゃ。 自我や認識をも滅している間だけが大悟なのでしょうか
自我や認識を滅した前と後では、どのような感じかた、意識の違いがありますか 鬼和尚、
役に立たなきゃ、助けなきゃというプレッシャーや焦燥感が物心ついたときから強烈にあるのですが
恐れを起点とした善行では、かえって相手の迷惑になることが多かったです。
相手のニーズに目がいかず、自分可愛さで役に立とうとしているのだから当たり前といえばそうかもしれません。
波動が怖れですから、それだけで迷惑でしょう。
菩薩チックな人を見ると眩しくて逃げたくなります。
自然と体が動くくらいライトになるまでは、毒にも薬にもならぬうんこ製造機でもいいでしょうか 目の前の作業をひたすら無心で集中しておこなっている状態は、
自我や認識が滅せられた状態とは違いますか? >>211
わしもうんこ製造機じゃが、生きててもいいのじゃ。
いつか、世の中の役に立つ日が来るじゃろう。 >>203>>209ありがとうございます。
すみません、かなり悩乱していたようです。
今まで、悪い方向に進もうとしていたのではないかと
考えるところがありました。
自分をもっとよく見てみます。 仕事 健康 心の平安 仲間
あえて重要な順に並べるとした、どのような順になりますか。
簡単に理由を説明してくれたら助かります。 >>190
お前が向いてる
>>191
そうではない
>>192
スルーしよう
ま
最小化しとこう
>>193
普通に生活
>>198
吟味しよう
>>199
普通に生活
ま
腹が減ったら飯を食う様に似る >>205
そうではない
ま
世の中は押した力で押してくる
>>210
調べよう
>>212
うん
>>216
どれも同じだ 本心を観て本心に気づくとは、
自分が何をしたいかを観て、何をしたいかに気づくことなのでしょうか。 あるいは自分がどう在りたいかに、気づくことなのでしょうか。 >>220
意味不明です
どういうことですか
わかりやすくお願いします なんとなく、何故鬼和尚が私に力の修行を勧めていたのか、
理解できた気がします。
自分で自分の責任は取らなくては。
たびたび、失礼いたしました。 >>223
それだけの物言いだとさっぱり分からないんだよな
カッコつける?ばかりじゃなく読み手のことも考えなきゃね 鬼和尚、肉体の機能的に女性として生まれたほうがイージーモードだと思うのですが
不平等ではないですか?
男性が修業によって得られるエネルギー受信機を生まれつきポンポンに備えています。
男にはさらに社会的プレッシャーまで肩に乗っています。
最近の若い男子はそういう虚栄心があまりないので楽だとは思いますが。
自分にはわからない得手不得手がそれぞれにあり結局平等ということでいいでしょうか。 >>226
女性の方が人間関係は難しいのじゃ。
また、ブスに生まれきたらどうするのじゃ。 鬼和尚
健康になるためのオススメ本教えてください
多ければ多いほどうれしいです >>210 そうじゃ、それが大悟徹底の境地なのじゃ。
前には観念があり、自分があると想い、苦もあったのじゃ。
後には観念はなく、自分もないと気付き、一切の苦が無いのじゃ。
そのように違うと知るがよいのじゃ。
>>211 それでよいのじゃ。
自由なのじゃ。
それも原因がわかれば観察することで消えるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>212 違うのじゃ。
それは忘我までなのじゃ。
自我や認識はあるままなのじゃ。
我を忘れているだけなのじゃ。
>>214 そうじゃ、己を見るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>216 心の平安が第一なのじゃ。
それがなければ全てはうまくいかないのじゃ。
悩乱していれば何をすべきかもわからんからのう。
健康が次なのじゃ。
肉体が健康でなければ世間では何も出来ないのじゃ。
仕事をしなければ腹が減るのじゃ。
仲間は居ても居なくてもよいのじゃ。
>>219>>221 それらも本心の一部なのじゃ。
自分が何を想っているのか、何を考えているのか、何を感じているのか、何を認識しているのか、
全ての心の働きを偽らずにありのままに観るのじゃ。
それが本心を観ることなのじゃ。
>>226 そのようなものじゃ。
おぬしの考えるとおりに世界はあるじゃろう。
おぬし次第なのじゃ。
>>228 西式健康法とかがよいのじゃ。
西勝造の本はほかにもいろいろあるから読むとよいのじゃ。
天真療法も読むとよいのじゃ。
苦も自分も観念であり、
無観念を生きればよいのでしょうか ラブ&ピースを唱えるより
人間社会は略奪だ 受け入れろ。と教えたほうが幸せな子に育ちませんか?
略奪する対象は日本では「幸福感」です。
なにもお前(子供)も略奪ガンバレと言っているのではありません。
なんやかんやでそういう社会だからそれに対して良い悪いの観念や期待をもつなということです 鬼和尚、
失礼な態度をとってしまい、申し訳ありません。
最初に言うべきことでした、以後、二度としません。 >>233
幸福感の略奪って、そんなもんどうやってやるんだ?
ていうかどういうことを指して幸福感の略奪って言ってるんだ? >>233
その教え自体、幸せな教えではないだろな >>231
西勝造氏の健康法は信頼できますか?
120歳まで生きると公言し75歳で亡くなったという話ですけど… 鬼和尚、精神的エネルギーが落ちた時は、どうすれば元に戻りますか? >>232 無観念を生きるのは悟りを得なければ無理なのじゃ。
悟りを得るために修行するとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>234 なんだかしらんが赦すのじゃ。
またおいでなさい。
>>239 信頼できるじゃろう。
砒素とか脳出血の実験を自分の体でしていて死んだというのじゃ。
無茶をしなければまだ生きていたかもしれん。
>>240 休むとよいのじゃ。
楽しかったときの事をイメージするのじゃ。
呼吸法をしてみるのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。 臨床心理士の資格がない独学の心理カウンセラーが結構いるようです。
本とか出版したりセミナーを開催したり。
無資格の心理カウンセラーなんて…と批判も多いようですが、実際どうなんでしょう?
それが自分にとって合っていれば問題ないですか?
優秀で良いカウンセラーを見分けるポイントとかありますか。
それと、もし自分がカウンセラーになりたいと思ったら無資格でなるのは良くない事ですか?
本当に人の役に立つカウンセラーにはどうやったらなれますか。 学校を卒業して何年も経過していますが、
当時のことが鮮明に思い出されます。
夢に見ることもあります。
普通の学生ではなく、不登校やひきこもり、逃避に悩み苦しんだ学生生活でした。
不登校といっても、一度も登校しなかったわけではなく…
中学3年の5月頃からおかしくなりました…
当時のクラスメートたちや先生方は元気だろうかと、気になってしまいます。
もっとも相手方は自分のことなどまったく覚えていないと思います。
「ああ、そういう名前の人いたかも」というレベルですらないと思います。
過去を回想してばかりで、前を向いて歩けません。
どうすべきでしょうか。 高校のころの国語の時間に部落差別についての作文を書く授業があり、自分は昔の差別をいつまでも
問題にすることでその地域への差別が風化しない、そういうことは風化していいのではないか、というような
ことを書いたと思います。人間の差別意識と言うものの方が問題で、部落と言うものをいつまでも問題に
することでそれを対象にしてしまう
その後の授業で、名指しはしませんでしたが教師が私を見ながら批判的に、攻撃的に私の作文を非難してきました
この教師の方が人を差別してはいないでしょうか。今は思いませんが在る時期まで思い出すと腹が立っていました
何も言えない弱い自分を集中して攻撃して 続き
この私の作文や教師について意見をお願いします 吟味しよう
ま
教師とお前の行為からも差別は始まる 過去、学校や家庭で周りから受け入れられて育った人。
過去、学校や家庭で周りから受け入れられずに育った人。
大人になるまでに、両者には大きな、他者についての印象の違いがあると思いますが、どうでしょうか。
また、この印象もまた幻想で、印象からの反応に気づき、理解し、離れ、忘れ去ることで、平気になっていくようなものでしょうか。 >>246
風化させた方がいいのは差別意識やあいつらと俺は違うといった妄想だろうね。
その辺の事がうまく教師に伝わらずに誤解されたのではないかな? >>250
それが出来れば一番いいですが、人間の差別意識や妄想は一朝一夕ではなくならない
もし部落差別がなくても他の部分でいくらでも差異を捜して差別やいじめは起る
だから敢えて昔の差別を蒸し返してその地域を特別に思わせ続けるネタは風化させてもいいのではないか
ということです
差別問題について教育として扱うならいくらでも他の問題はある ここに書いてる時点で自爆している。
あなた自身の心の中では風化していない。 >>242 誠実な者がやっているならば問題は無いじゃろう。
小さなことでも嘘をつくような者はいかんのじゃ。
自分に不利なことでも正直に話すものが誠実な者なのじゃ。
資格が取れるならばとったほうがよいのじゃ。
人の心を深く知れば本当に人の役に立つカウンセラーになれるじゃろう。
船を操るものが海路を知り尽くして人を安全に運べるようなものじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>244 なぜそれが気になるのか、原因を自分の心の中に探してみるのじゃ。
おぬしの思うとおり、みんなはおぬしのことなどほとんど覚えていないじゃろう。
それが気になっているのはおぬしだけなのじゃ。
おぬしの心の中になにかの原因があるからそれが気になっているのじゃ。
その原因を探して、それがあるから気になり、なければ気にならないと心を観察するのじゃ。
そうすれば気にならなくなるじゃろう。
>>246>>247 わしには何の意見も無いのじゃ。
愚かな者はどこにでもいるものじゃ。
他人のしたこととしなかったことは見なくてよいのじゃ。
じぶんのしたこととしなかったことを省みて進むのじゃ。
>>253
テレビでやっていたので思い出しました
別に自爆と言うほどの事もないと思います >>249 違いはあるじゃろう。
平気になっていくじゃろう。
実践にょって確めるのじゃ。 鬼和尚に質問
私は関西のあるところの被差別部落(同和地区)出身です。
先祖代々、部落です。
差別も受けたりしました。(ここでは詳細に触れたくありません)
鬼和尚にとってこの部落問題についてどのようにお考えですか? 鬼和尚、自分の田畑の管理をしてますが、誰の役に立つわけでもなく、
何のためにやっているのかわからなくなりました。
草刈りなど力仕事なので結構大変です。
私は何のためにやっているのでしょう? >>259
無農薬野菜を作って儲ければ良いのじゃ
金に不自由していないなら、その利益を施設などに寄付すると良いのじゃ
そうすれば来世で良い境遇に生まれてくることができるじゃろう 鬼和尚に聞いてるのに横からでしゃばる人ってどういう気持ちなのでしょう >>257 差別も人の心の中にあるものじゃ。
空を行く雲に何の区別も無いように本来は皆同じものなのじゃ。
人の観念によってあれは雨雲だとか羊雲だとか区別するのじゃ。
雲に本来名や区別があるわけでもないのじゃ。
雲に自ずから名があり区別があるとすれば妄想となるのじゃ。
そのように本来無いものをあるとするのは妄想となるのじゃ。
差別をする者は妄想によって悩乱している者と言えるのじゃ。
しかし、それに囚われるならば自らも妄想に囚われていることになるのじゃ。
妄想に囚われたものを相手に貴重な時間をとられてはいかんのじゃ。
なにものにも囚われずに進むのじゃ。
>>259 そこに生える米や野菜を待っている者のためにやっているのじゃろう。
人間は食べなければ死ぬ故に誰かが米や野菜を作らなければならんのじゃ。
安心して食べられる米屋や野菜を作れる者は少ないじゃろう。
それを待つ人の為に農事に励むのじゃ。
>>261 寂しいのじゃろう。
かまってほしいのじゃ。 >>262
鬼和尚
お返事ありがとうございます。
では、就職差別、結婚差別で苦しんでいる方はたくさん存在します。
今なお私を含めて苦しんでおります。
事実として部落出身で銀行(金融機関)で就職ができた方は皆無に等しいのです。
部落差別は、人を指さして差別をするという形だけではありません。
劣悪な土地、危険な土地、狭い土地なども含まれます。
貧困ゆえ学校も行けなかった方も多くおられます。
鬼和尚、少し部落差別のことを勉強してください。
「囚われずに進む」、いい言葉ですね。
勉強になりました。 最近、痴漢冤罪がニュースで大きく取り上げられています。
お聞きしたいのですが、例えば満員電車で女性と接触したとします。
触りにいってる訳ではないけど、心の中で接触を楽しんでしまってる自分がいる。
これは痴漢なんでしょうか。
わざと女性の近くに立って電車が揺れて接触してしまうようなポジションにいる。
これも痴漢ですか。
どっちが悪質でしょうか。
基本的に車内で女性の近くに立つのはアウトと考えた方がいいですか?
痴漢冤罪に不安を覚えてる人と痴漢をしている不届き者に、それぞれ一喝をお願いします。 調べようx2
考えようx2
世の中は押した力で押してくる 鬼和尚、田畑の管理をしている、と書いた者ですが、田畑には
何も植えていません。
ただ、耕したり岸の草刈りをしてるだけです。
一人暮らしなので買った方が安いのです。
だからかもしれませんが、自分は何をやってるのかと疑問に
思う時があるのです。
自分は何をやってるのでしょう? 赦すとか裁かないとか言いますが、間違ったことは指摘してもいいですよね
やられっぱなしではなく、自分は大丈夫だと誤魔化さず
でももし間違っているとか傷ついたと感じている時点でエゴなんですよね
そのあたりはどう折り合いをつけるべきですか >>268
ただの指摘ならしてもしなくても問題ないだろうが、相手に勝つためにとか相手を貶めて自分の方が上であると思わせるためになら(やってはいけないということはないが)要注意だ。何れ返って来てひっくり返されるから。
なのでそういうのはなるべくなら止めておいた方が良い。そういうのは争いのための攻撃でしかなく、実際には相手がそれを改めるかどうかはどうでもいいことになるからだ。
むしろ改めずにそのままでいてくれた方が攻撃し続ける事ができて、そしてそれは自分の正しさを証明できるような感じがするのでありがたいということになるだろう。 >>269
相手がどんなに間違ったことや冷酷なことをしてきても、自分が傷ついたとか間違っているとか
感じなければ放置しておけますが、、
例えば裁判などでパワハラや犯罪を訴えたりする人は相手に勝ってこちらが正しく向こうが間違っていると証明
しようとしているわけですが、この人たちも勝ったとしてもいずれひっくりかえされるのですか?
ただの指摘というより傷ついたという被害者意識や私怨はあると思います 鬼和尚は食事は和食中心ですか?
日本人にはやはり、野菜・穀物・海藻・木の実・果実・魚を中心で
長く食べてきたものが身体によいでしょうか?
質素な和食中心でも長生きするのには十分と思われますか?
最近は何かとサプリやらスーパーフードやらが押されていて
そういうものがどこまで必要なのかなと戸惑ってしまいます。 >>270
自我が強くて元から被害者意識があればそう感じる率は高いかもね。
ただ戦争と同じでやり返せばやり返されるの繰り返しにはなるだろうね。相手も全く同じように感じてやり返すから。
もちろんだからいけないとか悪いとかいうことはないのだが、切りがなくて消耗するし、勝っても負けても苦はなくならない。
時間は掛かるかもしれないが最終的に和解するまで無くならないと思う。 >>263 おぬしに苦があるのならば、それはおぬしの心に原因があるからなのじゃ。
他人のしたことやしなかったことではなく、自分のしたこととしなかったことをみるのじゃ。
おぬしが自分の苦を滅しようとすればできるじゃろう。
他人にはおぬしの苦を滅することは出来ないのじゃ。
>>265 痴漢と言えるじゃろう。
下のほうが悪質じゃろう。
悪を避けるならば女子の近くにはいかないほうがよいのじゃ。
自ら己を律すれば何も恐れることはないのじゃ。
>>267 本当は何か作りたいのかもしれん。
誰にでも何かを作りたいという欲求はあるというからのう。
自分の本心がわからないから何をすべきかわからないのじゃ。
水やりとか草取りとかの手間がかかるから躊躇しているのかもしれん。
まずは自らの本心に何がしたいのか訊いてみるのじゃ。
>>268 間違いは正した方がよいじゃろう。
間違った言動でいずれ傷つくのは相手のほうであるからのう。
相手を思いやる慈悲によって間違いを正すならば善事なのじゃ。
いかりとか攻撃欲でいうならば悪になるのじゃ。
慈悲によって全てを行うのじゃ。
>>271 わしは何でも食べるのじゃ。
出来るならばそうしたほうがよいじゃろう。
今はそれをするのに大金がかかってしまうからのう。
粗食で長生きできるじゃろう。
サプリなども主成分は大豆だったりするのじゃ。
普通に豆を食ったほうがよいのじゃ。 >>272>>274
相手が間違ってるとしか思えないことで傷ついたり怒って、相手を正したいとか赦せない時
そこに自我があって、そのまま攻撃や裁きに向かうと自我の思う壷で
それを防ぐには自分の中で自我の敗北や自我の犠牲の過程があるのでしょうか 鬼和尚、生きる意欲はどうしたら出てきますか?
私は一人暮らしで天涯孤独みたいなものです。
施設に入るのは嫌だし、今後、どうしようかと思います。 鬼和尚、昔悪口を言われてから醜形恐怖症になったんですけど
悪口を言われなかったら〜としたときの心の反応を見れば治るんでしょうか? >>275
何も犠牲にする必要はないし怒りまくってなんとかしたとしても別に構わないんだけど根本解決にはならないだけのことだよ。まずはなんで怒らねばならない状態になっているのかよく考えてみた方がいいと思う。
例えば広大な自分の土地があって、何故か人や動物が入り込む事が多いとする。するとそのたびに追い出す必要が出てくる。で、毎回面倒なので塀を作ったり人間向けに警告表示を貼っておいたりする。
するとわざわざ乗り越える動物とついうっかり迷い込んで入り込む人ぐらいになる。もっと減らしたい場合は塀を高くしたり警告を強化したりになる。しかしこれには切りがない。
ということで、切りがなくて疲れ果てたので土地の売却を検討し、売ってもいいと認めた人に売る。するとその土地に関しては自分は何もする必要がなくなって永遠に開放される。
この場合はこれが根本解決と言える。
まあ全ての場合に当てはめられるわけではないだろうが手放すことによって安楽の境地に到れるものもあることは覚えておいた方がいい。 >>278
横から失礼します。
手放す、というのは、自我を捨てる、観照が起こる、ということでしょうか?
自我を捨てたい、捨てたい、と自我がいくら思っても、
思っているのが自我自身なので、捨てられないと思います…
疲れ果てて手放したいと思っているのに、
何故か手放せない場合は、本当はまだ手放したくないのでしょうか? >>280
手放したくないというか、手放したら大変なことになるとか死ぬとか信じ込んでいるから手放せなくなっているのでは? >>278
読んでいると楽になれるような感じです、たしかにそうですね
自分の領土(プライドや自己イメージや)を守ろとして苦しんだり怒ったり
ただ問題なのは自分の身体です。生きている限り身体は手放せません、自由になるには手放せれば一番いいですが
身体を傷つけられたり侵害されるとその後いろいろな面で質が落ちます
身体がどんな状態でもそれを超えて霊的に超越していられるという事が保障されていたり信じられれば
生きながら全てから解放されると思えますが、そこらへんが信じられないので自我を手放す、ということに
恐れや不信が残ります >>275 そのようなものは必要ないのじゃ。
慈悲があればよいのじゃ。
間違いは正すがよいのじゃ。
慈悲があれば善事となるが、慈悲がなくとも間違いを正すのは普通のことなのじゃ。
実践するとよいのじゃ。
>>276 それは目的があれば出るじゃろう。
例えば悟りを得るという目的があればそのために生きるという意欲も出るのじゃ。
特に悟りを得るという目的でなくとも、目的があれば出るじゃろう。
試してみるのじゃ。
>>277 原因から起こる今の反応が観察できれば治るじゃろう。
治らないならばただしい原因ではないのじゃ。
正しい原因を探すのじゃ。 >>283
怒りが湧いているときは慈悲よりも自我の自己保身が勝っているときです
その時に慈悲を出そうとするのはかなり難しいです
ですが、自我を守ろうとしても全てが悪くなるばかりなので切り替えていきたいと思います かんねんでわけわかめになったら、小さい子供やもっといくと植物とか花とかを見習えばいいでしょうか。 和尚、本屋で正負の法則という本を見たんですが、こういうの本当にある? 他人の過失や欠点は見るなと仰ってますが、では他人の良いところを見るのは問題ありませんか?
性格、ファッション、ライフスタイルなど。
それとも他人のことは良いも悪いも含めて一切見ない方がいいのか。
他人を見てて羨ましいとか妬みなど心が乱れるような感情が生まれたら、それは危険信号ですか。
感情が生まれた時点で人を見るのはやめた方がいいでしょうか。 >>282
その辺は観察によって見抜くしかないとは思うけど、本当は体は最初から自分ではないということだな。 鬼和尚、白隠禅師は「ひげ長く腰曲がるまで生きたくば、食をひかえて
独り寝をせよ」と言ってますが、本当ですか? >>284 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>285 そうじゃ、見習うとよいのじゃ。
それらのように今ここにあるものを観るのじゃ。
そうすれば観念によって惑わされないのじゃ。
>>286 無いのじゃ。
悪いことをするものには悪い報いがあるじゃろう。
善い事をする者にはよい報いがあるじゃろう。
善事を積むとよいのじゃ。
>>287 そうじゃ、よい所をみて見習うのはよいのじゃ。
全く他人を見ないことも不可能であろうからのう。
羨望とかがでたらやめるとよいのじゃ。
そのように自ら加減するとよいのじゃ。
>>289 本当なのじゃ。
粗食小食がよいのじゃ。
一人寝もよいのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。 鬼和尚、
私に喝をください。
良い所と悪い所も教えて下さい。 >>290
287さんではないですが、他人の欠点・過失を観察して反面教師として見習うのはどうなんでしょうか? >>285
考える方が良い
>>286
関連付けるなら
>>287
どうとでも
ま
それ込みの認識だ
で
定義をやめよう 鬼和尚
前に死者について
「死者は観念のみを認識するのじゃ」
というような趣旨の回答があったように思いますが
それならば
たとえば死者は葬儀をしてもらっても
実際の葬儀の様子などは認識せず
各人それぞれの葬儀の想念を認識するということでしょうか? >>291 活っ!!
なのじゃ。
自ら己を観察してみるのじゃ。
何度でも実践するのじゃ。
それが全てなのじゃ。
>>292 それもよいじゃろう。
他人を責めるためでなければよいのじゃ。
実践してみるのじゃ。
>>294 そうじや、認識しないこともあるのじゃ。
寝ているのと同じであるからのう。
死んだこともわからない者も居るのじゃ。
逃避は良くない事のようですが、正しい逃避というのは存在しないのでしょうか?
こう言う時は逃避してもいいよと言う例があれば知りたいです。 >>296
良いか悪いかの問題ではなくて多くの場合逃避したままだと問題が保留されたままになるだけのことだ。
それについて良いかどうかは本人の問題で人が評価することはできない。絶対的な基準はないから。
ただ、問題が保留されたままならずっと重荷を背負ってるのと同じだからずっと苦しいままになるだろうね。
苦しいのを一時的に麻痺させるために逃避をしても何れ効き目が切れてまた逃避したくなるだろう。
これは無駄だよね。かといっていつ如何なる時も絶対に逃避しない方が良いということはない。
手術の時に麻酔せずに常に痛みを感じなければいけないなんてことはないのと同じこと。それは無意味だ。
ただ、素人が用量用法や危険性を考慮せず延々と繰り返し使い続けるのならそれは止めた方が良いとは言える。 我々は普段から逃避している。
いずれやって来る死を考えないようにしてる。
自分も「逃げるが勝ち」でいきたいが、鬼和尚に叱られる。 鬼和尚、あっという間に変われてしまう人と、
そうでない人がいます。
現状、何をしたって再起不能なんじゃないかと考えています。
長年引きこもっていたせいか、
社会に出るのも怖い上、
コミュニケーションの能力、その他容姿も醜いものとなっていることに気が付きました。
強く生きるにはどのようにしたらいいでしょうか? 間違いを指摘した後に罪悪感を感じるのは少しでも批判心、審判する裁きの心があるからでしょうか
相手を責める気持ちがなければ、指摘しても罪悪感は感じないでしょうか
でもその境地なら敢えて言わないかもしれません 思えば昔から間違っていたり傷つくようなことをされても言い返せない人間でした
自尊心や自我が構築される前の中学時代に荒れていたクラスでいじめられたときは、自分が悪いから
いじめられるんだ、と正しい言い返しや拒否が出来ず、回復するのに何年もかかるような心の傷を負い
続けました
そういう事が出来ない、罪悪感を感じるのも弱いからですよね 鬼和尚、あともう一つです。
おそらく、引きこもりや孤独に悩んでる人が
外部に助けを求めてもよくなるケースは稀なのではないでしょうか?
それどころか、虐待一歩手前の指導を受けて余計に酷いことになっているニュースをみました。
治してしまう方法はあるのでしょうか? 悪口の根底にあるのはどういう心理でしょうか?
自分の優位性を示すため、あるいは嫉妬でしょうか?
東京が〜という話題が上がると突然気が狂ったかのように批判を展開する人が
ネット上でも現実でも結構います。
悪口というのも、「東京は人の住む場所じゃない」「東京人は総じて性格が悪い」
「どこを見渡してもビルしかない」「うまい食べ物がない」みたいな話がほとんどです。
東京育ちの自分はすごく気分が悪いですが、基本的に「ふーん」いう感じで反論はしません。
ただ東京が最悪の都市で自分の出身地がそれほど優れていると思うならどうしてそこまで言うのか理解できません。
最近はマウンティングという言葉をよく聞くのですが、(例えば、学歴や資産など自分の優位性を誇示する行為のようです)
地方出身であることの優位性を示したいから東京叩きをするのかな、とも思えますし、
実は言わないけれど嫉妬する気持ちがあるのかなとも感じます。
こういう批判の根底には優位性なのか嫉妬なのかあるいは他の心理があるのか気になってしまいます。 >>304
東京一極集中が進んでいるからだよ。
政治も東京、経済も東京、テレビも東京、芸能人も東京、作家も東京等々。 鬼和尚
他人のことには気付きやすいのに、自分のことは気付けないのは何故でしょうか? >>304
自分の方が弱いと思っていて、それだから身を守ろうとして必死に攻撃している感じだろうな。劣等感が強いということ。
しかしそもそも自分の方が弱いというのが観念であり妄想なので、そんなことする必要は最初からないの。 ちっちゃい犬がおっきい犬に吠えるアレですか。みんなちっちゃい犬ですか、そうですか(激しく理解) >>296 車が自分に向かって走ってきたら誰でも避けるじゃろう。
そのように命が危ないときには逃避してよいのじゃ。
その他財産が危険とか、頭のおかしいものが来るときなども逃避してよいのじゃ。
自分の身体や財産などが危険なときは逃避してよいのじゃ。
自分の本心を観る時は逃避してはいかんのじゃ。
>>300 本当に変ろうと思う者が変るのじゃ。
何をしたって再起不能とか想う者は、何をしたって再起不能になるじゃろう。
正にそのように考えているという理由によってのう。
変りたいと想う者は変り、何をしたって再起不能になると思う者は何をしたって再起不能になるのじゃ。
自分は強くなれると思う者は強くなれるのじゃ。
強く想い、信じることが実現するのじゃ。
>>301>>302 そのように条件付けされているからなのじゃ。
その条件付けがなくなれば罪悪感もなくなるのじゃ。
その原因を心の中に探してみるのじゃ。
原因から罪悪感がおきていることが観察できたならば、罪悪感は消えるのじゃ。 >>303 そうじゃ、他人は他人で愚かに迷い、攻撃欲から行動している故に役に立たないのじゃ。
自らを助けると決意し、自らの本心を観察すれば治るのじゃ。
自分とその方法を頼りにするのじゃ。
>>304 それも攻撃欲なのじゃ。
物理的な暴力を封じられると言葉で攻撃するのじゃ。・
>>306 自分が観ているという観念があるからなのじゃ。
見る主体であるから見られることに盲点が生じるのじゃ。
子供が人数分のお菓子を配るときに自分を省いて数えるようなものじゃ。
ありがとうございます、
実は自分にも自他に対し攻撃欲があると感じています。
想いや考えにはよく注意します。
ふと思い出すと、そのようなコミュニケーションやらを
教えてくれるところにいるとき、
鬼和尚はコミュニケーションはそこで学ぶな、
すぐに離れなさいとおっしゃっていました。
今思うと、
他人が一切当てにならないことを学ぶきっかけでもあったように思えます。
自分の心に原因があるから攻撃欲で動く人と出会ってしまう、
そしてそのような状況を招いてしまう、
と考えるのが正解なのでしょうか? 確かに、いくら正しくても攻撃欲で動いていた場合、
それはどうしても悪にならざるを得ないようですね
迷っているのならば猶更まずい。
気が付けました、ありがとうございました。 鬼和尚、一人暮らしは寂しいです。
気楽なのはいいのですが、やっぱり侘しいです。 自分を傷つけた奴等がのうのうと人生を謳歌してるのに腹が立ちます
最高の復讐は自分が幸せになることというのはよく聞きますが
自分が幸せでもそいつらも幸せなら意味がないのでは? >>301,302
思いやるからだ
>>304
体勢の立て直し
ま
怖がるからだ
>>314
そうではない
ま
皆幸せで超吉
で
お前はまっとうに生きよう 鬼和尚さんは一人暮らしをしたことはないですか?
だとすると親から独立しなければならない、などは特に気にしなかったという事ですか コンピューターをはじめとして科学技術の発展は目まぐるしいものがあり
少し前までは努力して獲得するような技術や知識が全く不必要になったり
価値観がひっくり返るようなことがこの先まだまだ起きそうな気がします。
自分がこの先何十年生きたとしても、仏教の説く真理は全く変わらないないものですか?
苦が起こる仕組みとそれを滅する方法は遥か彼方の未来でも同じですか? 何やら、昨日まで話していたこと、
自分が本当に恥ずかしく思えてきました。
心の中を全部人に話したら狂人と変わらない。
静かに、励みます。 鬼和尚、お釈迦様は「愚かな者を道連れにしてはならぬ」と言ってますが、
そうすると、私一人になってしまいます。
私は田舎在住なので、周りを見回しても同等か私以上の人物は見当たり
ません。賢い人はみんな都会に出て行ってしまいました。
「犀の角のようにただ一人歩め」とも言ってますが、なかなか難しいです。 >>311>>312 そうじゃろう。
自分に似たものがひきよせられるというからのう。
気付いてよかったのじゃ。
慈悲の心で生きるのじゃ。
>>313 誰かと一緒に住めばよいのじゃ。
婚活とかもしてよいのじゃ。
犬とか猫を買うのもよいのじゃ。
自由なのじゃ。
>>314 世間の者は幸せにはならないのじゃ。
どれほど財産や名声や権力があっても老病死によって失うだけであるからのう。
老病死に倒される哀れな者たちに構わず、真の幸せを求めるのじゃ。
そうすればそのような者たちが泣きながら死ぬ時自分だけは笑って生きられるのじゃ。
>>316 無いのじゃ。
何も気にしないのじゃ。
一人ならば一人で生きるがよいのじゃ。 >>317 そうじや、変らないのじゃ。
同じじゃろう。
人の心は同じ反応をしているからのう。
>>318 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>319 おぬしが教えてやるとよいのじゃ。
瞑想などを教えればおぬしがよい友になれるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 シモネタより下世話な性のネタ、暴言・罵倒、負のオーラ満載の書き込みの際立つ
2ちゃんねるをどう思いますか? >>320
生きながら老病死を超えるって結局どういう状態なのですか?
想像できないので指針を下さい
悟った人でも老病死すると思いますが、本当に全く影響を受けないのですか?
いたとしてもたとえばそのレベルは日本に何人いますか? >>320
>そのような者たちが泣きながら死ぬ時自分だけは笑って生きられるのじゃ。
何か利己的な響きがありますが、「自分だけは笑って生きられる」というのは小乗の悟りではありませんか? >>320
鬼和尚はいつも「自分というものはもはやないのじゃ」と言っていながら、「自分だけは笑って生きられるのじゃ」というのは矛盾ではないですか? 自己観察や自己探究により、自己の業を解き明かし、もはや業が業ではなくなることは、悟りにおいてどのくらい大事なことでしょうか。 遊んでばかりいると、どういう報いがやってくるんでしょうか?
遊ぶのは悪いことですか。
どういう風に遊ぶのがベストでしょうか。 スランプを抜け出すにはどうしたら良いでしょうか。
趣味の創作活動が、1年くらい前からスランプに陥り始め、今ではイメージもさっぱり浮かばない位になってしまいました。
それどころか、他人の創作物にもあまり興味が湧かないのです。 わしは生まれてからずっとスランプなのじゃ。
1年や2年のスランプなんて気にすることもないのじゃ。
興味が薄れて来ているのかもしれんのう。 自他の区別が無い、
他人にしたことは自分に返ってくるということが、
なんとなくわかってきたのですが、
これは、奥深い認識では、「自」と「他」はどちらも同じ認識の「対象」でしか無いから、でしょうか? 因果の世界は、
一般的な世界観である、
「物理的な世界があり、人間があり、世界を感じる器官である五感があり、知覚し認識し、記憶や観念が生じ、今自分はなどと思考している」
これとは逆方向でしょうか?
目を瞑り観察していくと言語化する前の何とも言えない感覚の世界を垣間見ます。
そのようにうごめく感覚世界が、視覚や聴覚などの五感に変換されているのでは、と思いました。
明晰夢などで確かに自分を保ったままに、現実には無い五感があるのを観察することが出来ます。
五感は絶対的に思えるものですが、五感があるからその対象が存在していると言えるものではないのだと思います。 記憶や認識が違えば、全く違った世界が構築されたりもするのかと思いました。
例えば寝ている人に水を掛けてどんな夢を見るかの実験などをしたとしたら、その人の体調や観念、どんな記憶を持っているかによって、
ある人は溺れる怖い夢を見たり、
ある人は海で遊ぶ楽しい夢を見るかも知れません。
鬼和尚が暗闇で縄を蛇と間違う例えを仰るように、縄は縄でしかないけど、人によっては蛇として恐れたり縄跳びして遊んだりも出来る、現実はそのようなものである、と。
ただ、
その夢の原因となる記憶と感覚的刺激、縄という実在、
これらはどこから生じているのでしょうか?
感覚が生じる原因、
また記憶が生じた原因の原因…始まりはあるのでしょうか。 >>317
そうだといいな
>>322
どうでもいいな
ま
フィルタは薄い
>>325
とちゅー
>>327
世の中は押した力で押してくる
そうではない
どうとでも
>>328
結果変えたきゃやり方変えよう
ま
初めから始めるのがとても良い
教えるのはその為に良い
>>330
下手に例えると弓と矢と的だな
ま
定義はやめよう
>>331
X 鬼和尚、自分を観察すれば嫌なものもどうしてもみなくてはならないです。
どのようにすれば自分を愛せるのでしょうか?
それとも、成長を求めるのならば、そうしたいと考えている、と観察すべきなのでしょうか?
おそらく、自分を大事に思う気持ちがなくては何事も大成できないなと思うのです。 >>322 本音が出てよいことじゃ。
自らの本性を知るとよいのじゃ。
>>323 例えば大きな木が自分を葉の一つと想い、それが散るのが自分の死であり消失であると思っているとするのじゃ。
しかし、目覚めて自分は葉ではなく大きな木であるから葉の一枚が散っても何も悪いことはナイト気付くようなものじゃ。
肉体の老病死はそれを自分であり個我と想うものにとっては苦になるのじゃ。
全てであると気づけばもはやそれは苦ではなく、自然な働きの一つであると知れるのじゃ。
そのようにして老病死を超えるのじゃ。
>>324 小乗も大乗も無いのじゃ。
それが現実なのじゃ。
現実を見るのじゃ。
>>325 おぬしが自分はないと想うならば矛盾じゃろう。
しかし今自分があると思う故に矛盾ではないのじゃ。
自分の本心わ観るのじゃ。 >>326 少しも大事ではないのじゃ。
自分を観ることが大事なのじゃ。
>>327 遊び以外には通暁しなくなるじゃろう。
良くも悪くも無いのじゃ。
仕事とか修業を遊びと想ってするのがよいのじゃ。
>>328 今の自分に興味があることをするとよかろう。
自分の本心を見て本当に今楽しいと思えることをするのじゃ。
記憶に頼ってはわからないのじゃ。
>>330 そうじゃ、全ては繋がっているのじゃ。
自他一如なのじゃ。
>>331 逆でもないのじゃ。
それも観念であるからのう。
あるものをありのままに観るのじゃ。
>>332 どこからも起こっていないのじゃ。
ただ分別によってそれがあると思うだけなのじゃ。
分別を離れれば全ては元からただ一つと知れるのじゃ。
>>335 自分の本当によい所を見るがよいのじゃ。
無理に否定することも無く本当に善い事をしたこともあるじゃろう。
それを観るがよいのじゃ。
もしや、良いところ、という意思を持てばいいのでしょうか? 鬼和尚の答、俺は何かだめだな。
無料だとこんなものなのかな。 朝早くから、トラクターや草刈り機の音がうるさいです。
今は全部機械でするから、そんなに忙しくないはずです。
9時ぐらいから仕事をすればいいのに・・・。@農村地帯 >>333
ありがとうございます、
弓が認識で
矢が見るもの(自己)
的が見られるもの(他者) でしょうか
悟りはそれら全てが無いと気付く事でしょうか
定義を辞めた方が良いというのは
悟りの想像をしたり考えたりする事に時間を費やさず、
観察に徹するべき、ということでしょうか
>>338
ありがとうございます。
悟りの事を考えたり想像したりするのは、俗世の雑事に悩まされるよりはマシかも知れませんが観念遊戯に陥っては同じことですよね…
まだまだ精進します。 >>341
健真さんもこの頃疲れてるようだ、
五月病ですか? >>342
リュージュ空だ
ま
例え間違いは構わん
どうせ要らんし
いや
ま
いわば関数化されるので自縄自縛だ
で
観察時も同様だよ
いわば要注意だな 暖かくなってくると草取りやら草刈りに追われるようなる。
まぁ、わしは午前中しか仕事をしないけど疲れる。
悟りどころではなくなるんじゃ。 疲れるのもまた悟り
疲れることを嫌がらず疲れるときは疲れる
するとあら不思議
疲れてるのに疲れていない
心身は疲れていても自分は疲れていない疲れない
自分は何も変わらない 鬼和尚、思い出しました。
以前、スポーツなどで無茶をやっていたのにもかかわらず、
まったく疲れず動くことができていました。
単に老化したのかと思ったのですが、
その時期、感情が割と安定していたようです。
グルジェフの教えを眺めていたのですが、
一見すると、苦行者のように思います。
苦行というとどうしてもお釈迦様が苦しんで
立てないほどというところを想像してしまっていたのですが、
赤痢で倒れかけているにも関わらず、
動き続けた上、
それだけでなく、その状態でサマーディと思しき体験をし、
精神的にかなり安定していたようです。
力を発揮していた人がいてもまったくおかしくない、
そのような環境だったように思えます。
力を得る修行とは、簡単に言ってしまうといわゆる超努力によるものでしょうか? 感情の安定も力の修行も苦がないという状態でなければ意味がないか、
失礼、質問は無視してください。 >>336
肉体を持っている人間が気付きや悟りでどうそれを超えるのか具体的にわかりません
頭がガンガン痛くて薬も効かなければどんなに明るく気丈な人間でも、平常心を保つのも行動も
以前の様にはいかなくなり、いずれ身体に心が負けるのも時間の問題かもしれない、そういう
無慈悲なところがあるのが肉体です
悟った人はその状態でも依然と全く変わらず苦も感じないのですか?
もし病でも健康でも全く変わらないなら鬼和尚さんは健康に気を付けないだろうし、現実レベルでは
肉体に影響を及ぼされるんではないですか? 他人との距離感について
基本的にほとんどの人は一人かあるいは親族と共に生活していると思います。
自分は人との距離感が近すぎると警戒してしまって、
友人であっても一緒に生活するのには抵抗があります。
(緊急事態とか本当に困ってる状況とかなら仕方なく泊めることはあると思いますが)
しかし世の中ではルームシェアというのも広がっていて赤の他人、異性や外人であっても
全く抵抗なく共同生活できる人も多いようです。心がオープンというか自分にとってはとてもできないことですが。
こういう距離感というのは近ければ近いほどよいものなのでしょうか?
自分は警戒してしまってルームシェアなんかはとてもできそうにないですが
そういうのも直して他人にオープンになる方が人間として正しいのでしょうか? 鬼和尚、たびたびすいません。
変わろうと決心した場合、
何かしら環境に自分にとってあまり好ましくない変化というのは
起きるのでしょうか?
それがいわゆる業なのでしょうか。 >>339 自分をありのままに観ればよいのじゃ。
よい所もあるじゃろう。
悪いところしかないというならばそれも否定的に観ているだけなのじゃ。
他人の意見を聞こうとするのもおぬしの善い所なのじゃ。
そのようにありのままに観るのじゃ。
>>340 全てをありのままにさらけ出すのじゃ。
よい所を見せようとすればありきたりの答えしか返らないのじゃ。
自分自身を賭ければ相手も全力で答えるのじゃ。
>>341 目覚ましと想えばよいのじゃ。
起きたついでに瞑想に励むのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>342 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>347 そのようなこともあるじゃろう。
しかし毎日出来るものではないのじゃ。
日々瞑想を続ける効果には及ばないのじゃ。
日々精進あるのみなのじゃ。 >>349 おぬしも髪の毛や爪先がちょっととれた位で苦になることはないじゃろう。
全てが一つの意識と気付いたならば、この肉体全てもそのような小さな髪やつめ先のようなものに過ぎないのじゃ。
悟れば肉体の苦は無いのじゃ。
説法をするために肉体が必要であるから健康にも気をつけるのみなのじゃ。
>>350 近くなくてよいのじゃ。
近すぎれば互いに傷つけあい、やがて別れることにもなるのじゃ。
そのままでよいのじゃ。
自らの道を行くがよいのじゃ。
>>351 起きないのじゃ。
起きたとしたら偶然なのじゃ。
決然として変るとよいのじゃ。 .>>353
意識が肉体から厭離しているため痛覚や具合の悪さも意識には関係ないという事でしょうか?
感じはするが切り離せるのか
観察を続ければ誰もがそのようになれるのですか?ですが難易度は高そうですね 何度も、鬼和尚に肯定も否定もするな、ただ観よといわれているのに、
なんとなく自分が何を自分かと思っているのか、わかった気もします。
無意識の内に抵抗していたようです。
あまり、観察したくはないですが、、、いずれやらなくてはならないか。
数息観、励みます。 >>353
>悟れば肉体の苦は無いのじゃ。
肉体への執着からは自由になれても、痛み(痛覚)からは自由になれないのではないでしょうか?
鬼和尚は体のあちこちに針を刺されても笑っていられるところを、人々の前で公開実演することができますか?
(実際にするかどうかは別にして)鬼和尚は痛みも感じずに笑っていられるのでしょうか?
鬼和尚は麻酔など一切せずに盲腸などの手術を受ける自信もおありなのですか?
>髪の毛や爪先がちょっととれた位で苦になることはないじゃろう。
髪の毛や爪には神経が来ていないので誰も痛みは感じませんが、神経が来ている他の部分も髪の毛や爪と一緒にするのは無理があると思います。 自分の本心がようやく分かりました。
内容は割愛しますが、過去の親や先生からの、スパルタ的な教育が原因と分かりました。わたしにも、そうさせる要因はあったのでしょうけど。
今日の今日まで気づかずにいたので、今まで沢山の人にわるい印象をたくさん与えたと思います。すみませんでした。
でも、今日から新たに生まれ変わったつもりで人生を生きていこうと思います。人生楽しむぞ!!!! 自分をみつめ、わかってあげながら、生きていこうと思います。 たびたび失礼します。一睡もできなかったなぁ
鬼和尚が、何故私に否定も肯定もするな、と話していたかようやく言葉にできます。
何度もそうアドバイスを受けているにも関わらず、それができなかった。
なぜならば感情を自分と思っていたためであり、
考え、行動、記憶、見るものが感情の影響をうけ、
正しく機能していないことを伝えるための頓智でした。
コントロールができないと考えていたようです。
酒に逃げてしまう本当の原因もこれにありました。
それに気づいても、まだ自分がいます。
なので、これは自我ではなかった、もしくは観察が中途半端のどちらかです。
これからはきちんと戒めます。本当にありがとうございました。 自己顕示欲は欲望としては特に害のないものだと考えて大丈夫ですか?
芸能人や女子アナのように人前に出て自分をアピールする仕事の人には必須な欲だと思います。
自分がカッコいい、可愛いという自覚があってそれを武器にしてのし上がる野心家に多い欲ですね。
自己顕示欲が強いのは別に悪いことではないですか?
修行者の視点から見て、野心を持って社会で成功し賞賛を浴びる人を幸福と感じますか? 鬼和尚、西式健康法の朝食抜きは疲れますなぁ。
もう半年続けていて、腹はへっこみ、体重も落ちてかなりスリムになりました。
それは嬉しいのですが、力が出ません。
もう少し続けたら慣れるのでしょうか? >>350
どうとでもx2
ま
楽だ
結局
>>362
如何様にもx3
ま
自由だ 観察の極意は、自分を観て自分に気づくこと。
想えばちゃんと生きてる人ほど、自分を観れているし、自分のことが分かっている。
自分が分かれば周りを観る余裕も生まれ、結果、何不自由ない生活をしている。ように私には見える。
また、自我や観念で苦しんでいる人は、自他一如、みずからと他者を大切にしなさい、という
自我観念からのメッセージが来ているんだ、ととらえてみると苦しみは消えるかな、と私は思う。 ○自我観念からのメッセージが来ているのかな←×自我観念からのメッセージが来ているんだ >>353
付けたしです
>説法をするために肉体が必要であるから健康にも気を付けるのみ
ということは肉体を早く駄目にしないため、ということだけで過程でぼろぼろの肉体でも説法に
差支えませんか?
悟ったからと言って肉体を超越するような超人になるわけではなく、肉体にある以上多かれ少なかれ
肉体に支配されますか?
肉体の苦はないのじゃ、と言い切るという事は超人になると解釈していいですか? やはり、私はずるかった。
自力で気付けたわけではないのに。
幸い、修行のための最高の環境にあります。
もう、自分からは逃げません。 >>354 そのようなものじゃ。
痛みなどはもともと肉体の病や傷の警告に過ぎないものじゃ。
観察すれば誰でも無に出来るのじゃ。
集中しても感じないように出来るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>355 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>356 痛みなどはもともと肉体の病や傷の警告に過ぎないものじゃ。
昔のテレビではヨガのおっさんがよく体に針をさして実演していたのじゃ。
強く集中すると肉体の警告などは無視できるのじゃ。
おぬしは痛みを恐れすぎているようじゃ。
痛み恐怖症じゃな。
痛みそのものではなく、痛みの記憶や痛みに伴う負のイメージを恐れているのじゃ。
それを自分の心に観察してみるのじゃ。
>>357>>358 善かったのじゃ。
またおいでなさい。 >>359 気付いて善かったのじゃ。
またおいでなさい。
>>362 人を傷つけないならば害は無いじゃろう。
特に悪くも無いのじゃ。
自ら驕り高ぶるのはいかんが、修行するものでないならば特に制御しなくてよいのじゃ。
そのような者も不幸じゃろう。
老病死によってはかなく消えていく名声に時間を費やしてしまうのであるからのう。
>>363 やせてよかったのじゃ。
慣れるじゃろう。
西式の半断食は栄養過多を避けるためであるから、寒天食はよいのじゃ。
今は寒天のゼリーなども売っているから腹が減ったら食べるとよいのじや。
>>365 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 >>368 肉体がぼろぼろでは説法にも差し支えるじゃろう。
言葉も出ないかもしれんからのう。
肉体の制約はあるじゃろう。
目覚めた人なのじゃ。
>>369 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 すみません。ご迷惑でしょうが、まだ、少しいさせてください。
そのようなものじゃ、ではないんですね。。
確かに、決然としなければならない二択でした。
何故、気が付いてしまったんだろう。
>>357かぶせる形で書いちゃってすみません。
きづきがほぼ同時におこるなんて、すごいこともあるもんだなぁなんて思ったようです。 >>360
>>362
おかしな態度をとって、不快なおもいをさせてしまい
申し訳ありませんでした。
以後、二度としません。 喝をいれてくださり、ありがとうございます。
確かに半端者が一番危険なうえ、何も得ることはできません。
修行に励みます。 鬼和尚様、間違った方法で修行をしていたこと、
おごり高ぶって罪を犯したことをお許しください。
これから誠心誠意気を付けていきます。 そして、そのような行為はもう二度といたしません。
本当に申し訳ありませんでした。 鬼和尚は悟りを開いてからは医者にも歯医者にもかかったことがないのですか?
今後、虫歯になっても歯医者に行くことはないのですか? 鬼和尚、座禅を始めて1年半が経ちました。もうそろそろ悟れますネ。 >>375 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
>>377 赦すのじゃ。
またおいでなさい。
>>378 無いのじゃ。
塩で磨けば虫歯にならないのじゃ。
いかないじゃろう。
>>379 おぬしのやる気次第なのじゃ。
やる気があれば今夜にも悟れるじゃろう。
恐れがあれば後退するじゃろう。
全ておぬしの思うままなのじゃ。 悟るまでのコツ、悟りやすくなるコツってありますか? いずれ肉体は滅びて愛するものや大切なものと別れなければならない。
しかし、共に過ごした思い出や記憶こそに意味がある。
一瞬一瞬の幸せを噛み締めて人生を生きる価値がある。
多数のポジティブな人々はこのように考えてると思います。
修行者はこういう観点では無いのですか?
死が全てを奪い去っていくから? >>381
吟味だ
>>382,383
どうとでも >>381
やっぱ瞑想と観察じゃないかな。
>>382
修行者というのは要するに凡夫なのでそういう風に考える人も居るだろうしそうでない人も居るだろう。
ただ、サマーディーとか一回でもなっちゃうとそんな妄想はとりあえず吹き飛ぶと思うけどな。 原因を観察していると、
未来への不安が強い場合はどう観察したら良いでしょうか?
例えば、人に攻撃されるかもしれない、という恐れなどです。
原因は過去にいじめられたりしたこともあると思いますし、
それに、直接体験してはいないけど見聞きした話(事実でもそうでなくても)
からの恐怖もあります。
もしその記憶が無ければ…と思っても、それが未来に起こるかもしれないとか、そのことを未来にでも知ったら不安が生じるだろう、と思います。
何が起こるかわからない、ということがそもそも怖いです。 >>381
どんな方法でも真剣に徹底的にやる
観察するなら可能な限りそれだけそればかりやる
疑うなら頭の先から生じる感覚まで徹底的に疑う
考えるなら純粋に余計な主観なく単なる思考のまま突き詰める
何もしないなら完全に死んでるのと同じくらいこのままもう死ぬくらい何もしない
適当にやってダメだからって他の方法試すんじゃなくひとつの方法やるなら徹底的にやる
それ以外だと常に自分(自分の内面)に目を向けとくこととかかな
そうすれば気づきは勝手に起きてくる >>390
参考にします。
ありがとうございます。 >>389
今○○と思っているな、今○○と感じているな、と観察する。
そして「これらはエゴなんだ」と洞察する。
そう思ったとたん、私の場合は自分を笑っておわりです。 (自分の)おもいを観て、そのエゴに気付き、エゴを笑う。
うん。多分そう。やっかいなおもい、その全ては自分のエゴが核心なんだ。 鬼和尚、今日も89歳の先輩の話を聞いてあげました。
私は間違いなく天国に行けますね? 「自分」があるうちはエゴでしょうか。
無心で居たり無我でしていたりするのは覚者から見るとどんな評価なのでしょうか? 自分を不幸にさせるような気持ちが働いているときがあります。
こうしたら良くないだろうな、って微かに分かりつつ、そのようにしてしまいます。
塩を入れ過ぎたり、忘れ物したり、人に誤解されたり、どこかで分かりつつもそうしてしまい、「やっぱりこうなった」という感じです。
すべては気分次第な気がします。
気分が良い時にはそのような事にも比較的気を付けられるのですが、気分が酷い時は、「お前(自分)なんかが」という感じで、気分転換さえ自分に許させないような感じです。 >>392
エゴとはなんですか?
いまいち自我とかエゴとか、何なのかわかりません。 >>398
エゴとは自分の欲や望み
自我とは自分の煩悩
ほぼ同じ様ですが、私の中ではニュアンスが微妙に違いますかね。 >>397
心には天使と悪魔がいると言いますが、悪魔の声に耳を貸してしまうのでしょうね。
やはりそこは自分の意志でもって、良い方向へ軌道修正することが必要でしょうね。 >>381 死ぬ気でやれば悟りやすくなるじゃろう。
もはや死んでもよいと思えば悟りもやってくるのじゃ。
>>382 思い出や記憶もなくなって行くものじゃ。
昔の写真などを見ると思い出せない事も多くあって驚くじゃろう。
それもまた滅していく性質のものなのじゃ。
今ここに永遠の境地もあるのじゃ。
>>389 それが過去の経験を未来にあてはめているだけであると気付くのじゃ。
その働きを完全に観察できれば滅していくのじゃ。
意味が無いと気づくからのう。
>>395 いけるじゃろう。
更に善事を積むとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>396 エゴでも無く、エゴで無くもないのじゃ。
ただの観念なのじゃ。
無評価なのじゃ。
何も評価しないのじゃ。
>>397 その原因を心の中に追究するのじゃ。
親に言われたとかの原因があるじゃろう。
その原因からその働きがあり、原因が無ければその働きも無いと心を観察するのじゃ。
そうすれば消えるのじゃ。
なーんか鬼和尚の俺への返答がおかしい。
俺の質問がアレなのか鬼和尚の俺への気分がアレなのか正当な答えなのか。
観念を自分で作っちゃってるってことですね。
ま、わかりました。(・ー・) 自分でもエゴでもそれが在るとか無いとか○○だとか思うのは全部観念だってことでしょ
何かを何かだとみなす自分を作ってそれに同一化してしまっているてことでは お釈迦様は子を望むなと言ってるのに、鬼和尚はナンパしろ、というのはおかしいのではありませんか? >>389
どれも等しくある
ま
備えて憂いを無くして吉
>>396
関連付けがある
特に何も >>406
それ何の経典のどこに書いてあるんだっけ?
どこかで見たような気もするんだがすっかり忘れた。 これか。
84、自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。
邪まな仕方によって、自己の繁栄を望んではならぬ。
(道にかなった)行いあり、明らかな智慧あり、真理に従っておれ。
これは「邪まな仕方によって、自己の繁栄を望んではならぬ。」が肝心な所じゃないのか?
邪でないなら構わんと思うのだが。 おまえら、結婚や恋人・友だちには気をつけろ!
ガイ児に触るとキショイで。
甘ったるい恋愛小説も、ガイ児がからむとオカルトになっちまうww
健常者はガイ児に触るな。
★彩を愛した者 (巷に増殖中のガイ児の話)★
http://slib.net/72935
上松煌(うえまつあきら) 作
プロフィール
http://slib.net/a/21610/ 家族や過去の友達への愛着や情や記憶が薄れ消え無に帰すのはいいことですか?
結局は自分一人ですか?人間としては非常に虚しいようですが、悟ると一人でも全く平気ですか? >>403 そのようなものじゃ。
観念に囚われず実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>406 ナンパしても子が出来るとは限らないのじゃ。
望まなくても子はできるのじゃ。
不思議なことじゃ。
奇跡じゃな。
>>413 苦が少なくなるからよいことじゃろう。
一人ですらないのじゃ。
自分という単位もないのじゃ。
悟れば一人も居ないから平気なのじゃ。 >>414
死ぬ前には、それ以前にも全ての愛着や記憶を消去していくことなのですね
生まれて来てから家族や人間関係の愛情、記憶を大切にして、写真に残したりするのが
人間ですがそれは自我を維持するためで、それを否定するという事になるとじゃあ最初
から生まれてこなければいいじゃないか、という思想も出ますが一理ありますか 自分の外側の人や世界への愛着や期待を捨てられないことが輪廻の原因にもなると
だとしたらこの世で外側のものにひどい目に遭って懲り懲りする方がいいのでしょうか >>415
>生まれて来てから家族や人間関係の愛情、記憶を大切にして、写真に残したりするのが
>人間ですがそれは自我を維持するためで、それを否定するという事
それは小乗仏教じゃな。
しかし、大乗仏教はそのようなこの世の現実を大切にするのじゃ。
なぜなら、悟りの土台(土壌)はこの世の現実にあるのであり、それを離れては
悟りも生まれないからなのじゃ。
幸せな家族との生活を大切にしたいなら、大乗仏教を選ぶとよいのじゃ。
しかし、もう死が近く、身寄りもないような状況であるなら、小乗仏教を選ぶ方が
早く解脱の境地を得やすいのじゃ。
どちらを選ぶかは、一人一人が決めればよいのじゃ。 >>414 鬼和尚、答えになっていません。
もう一度尋ねます。今度はきちんと答えて下さい。
お釈迦様は子を望むなと言ってるのに、鬼和尚はナンパしろ、というのはおかしいのではありませんか? お釈迦様の弟子に伴侶いた話あったね。
第23章 象
328 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、
あらゆる危機困難に打ち克って、こころ喜び、念(おもい)をおちつけて、ともに歩め。 >>416
ひどい目にあっても執着心がそのままなら恨んで余計に執着しちゃうんじゃないかな。 苦手な場に行かなければならない時など、即効性のある術がありましたら、教えて下さい。
苦滅の法と、数息観(さぼりがちでした、がんばります)を続けておりますが、まだまだ精進が足りないようです。
対人の苦手だけでも早く何とかしたいと思っていますが、根が深く絡まっているようで、なかなか取れません。
もうすぐ保護者の集まりに行かねばならなく、とても憂鬱です。これからもそうゆう場がたくさんあります。 >>421
良く思われようとしないで、保護者はカボチャだと考えて話せばいい。 第六感というのは実際に存在しますか?
予知能力とまでいかなくても、虫の知らせとか何かしらの予感など
五感以上の何かは存在する気がします。
こういうのは仏教でいうところの智慧は関係しますか? 子を「望むな」って話で作るなって話じゃない
望まず作ってもいいし望まず女性と接してもいい
食でも睡眠でも生活でも望めば自我の欲だし望まず行えばただの行為 >>415 生まれなければ悟りを得ることも出来ないのじゃ。
記憶が総てではないのじゃ。
記憶も出来ては消えていく泡のようなものじゃ。
そのために生きることがあるわけでもないのじゃ。
>>416 そうともいえるじゃろう。
全てのものごとが執着によって苦になると気付くだけでもよいのじゃ。
世間には真の安楽はないとわかるじゃろう。
>>418 お釈迦様はそのようなことを言っていないのじゃ。
もっとよく経を読んでみるのじゃ。
前にもそのような疑問に答えたのじゃ。
>>421 自分は誰とでも仲良く楽しく会話出来るとか唱えるとよいのじゃ。
相手をミッキーマウスとイメージするのじゃ。
好きなアニメのキャラクターでもよいのじゃ。
そうすれば楽しくなるじゃろう。
>>423 あるじゃろう。
それは神通による智慧なのじゃ。
他人の心がわかる他心通とか、前世がわかる宿命通とかじゃな。
最近の鬼和尚の説法は説得力がない。
ただの繰り返しだ。
対機説法にもなってない。
社会の現実が鬼和尚にはわかっていない。 解脱した人に社会の現実云々言っても馬耳東風でしょう 他人の痛みを直視できません。
どこか共感能力がないところがあります。
他人の気持ちがわからないし、自分の身に置き換えて考えることができない。
例えば不倫や浮気で傷つく人の気持ちを考えられない。
他人のプライバシーを侵害することが悪いことだと言われてもピンとこない。
人の秘密をこっそり知ると妙にドキドキして興奮して快楽を感じます。
その時、善とか悪とかいう気持ちはどこかにすっ飛んでいます。
サイコパスなんでしょうか?
人の嫌がることをしてはいけない、と言うことを表面的にしか理解していません。
家庭環境も良くなかったし、学校生活もいじめ暴力を受け続ける悲惨な日常だった。
自分の心の痛みでいっぱいの毎日のせいか、ひん曲がってしまったのだと思う。
もはや地獄へ行くより仕方ないんでしょうか。 体がだるい。死にそうだ。生きる気力もない。
64歳だが生きる目的が無くなった。天涯孤独だ。 >>428
そこまで自分で気づいたのならなんとかなるのでは?
とにかく今後は人を傷つけるようなことしないように努めれば良い。
そうしないよりかはましになるだろう。
>>429
鬱または鬱症状を起こさせる病気なのでは?
何れにしても医者に相談した方が良いと思う。 >>421
念頭から外そう
>>428
そうでもない
そうではない
ま
プログラムしよう
で
お前はまっとうに生きて吉 今まで逃避して来たものを、逃げない事はとても苦痛なことだと思います。
何が苦痛なのかも分からないくらいぐちゃぐちゃな想いで泣いたりします。
自分の大切なものを壊されたり、そんなイメージが、あります。
私が持たねばならなかった私という人格や存在を他人が粗末に扱ったりする時に、私は私をどう思えば良いのでしょうか。
修行を進める過程において、そういった苦しみの時期というのは、あるのでしょうか?
あるとしたら、どのように乗り越えるべきでしょうか。 和尚様
正覚についていろいろ当たって調べてみたのですが、
これって「(原理主義的な意味での)唯物論の実践」と理解してもよろしいのでしょうか?
返信求めます。
よろしくお願いいたします。 >>428 それはただ経験が不足しているだけなのじゃ。
誰でもそのようなものじゃ。
おぬしが特別でもないのじゃ。
そのような者でも悪事をせずに、善事を重ねればよいところに行くじゃろう。
今の世でも福楽は付き従うのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>429 おぬしのようなものこそ悟りを得るために修業したらよいのじゃ。
ヨーガとか気功法とか西式健康法とかをするとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>433 自分は理想的な者と想えばよいのじゃ。
あるものも居るじゃろう。
人の道はそれぞれ違う故に他人と比べても無意味なのじゃ。
おぬしのような者こそ心を整えて真の安楽に近くいけるかもしれんのじゃ。
ただひたすらに心を整えたらよいのじゃ。
いつかそのような苦が自分にあったことを笑いながら思い出せる日が来ると想って進むのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 >>434 違うのじゃ。
覚れば何の論もないのじゃ。
>>435 その時は一切の観念が消えていた故に、年もわからなくなったのじゃ。
もはや年はないのじゃ。
>>417>>425
ちょっと良く分かりません、生まれた時点で苦の原因である肉体と自我があるわけですが
だからこそ悟る必要があると
それを分かったうえで肉体を生み出すこと、この世に意義があるというんですね
という事はこの世や肉体の前に既に、悟らなければいけない自我があるという事ですか >>435
悟りを開いたのは20代じゃろう。
現在は50代の中頃じゃろう。 >>437
即身成仏なされたのかた自身は、もちろんそれが唯物論であるとは認識しておられないでしょうし
唯物論を実践しよう!などという目的意識なぞ確かにもってのほかであると存じます
しかしながら、第三者が客観的に調べて、みえてきた正覚の状態の実態像は、唯物論のそれと等しいものと解釈できると思うのです
「全てのものは物質で構成されている。人間の意識や意志、自我さえも肉体という物質が見せる幻にすぎない」という唯物論
これはまさしく、色即是空の精神そのものではないでしょうか?
唯物論の実践=悟り、によって得られる真理とは、自分とは物質であり、世界全てもまた物質なのであるから、世界と自分は同一である、という感覚なのでは?
「菩薩様と同一存在になれる」というのも、菩薩様は悟りに至り、世界という物質自体と同一になられたので、我々が悟り、世界と同一存在であるという感覚を得れば、
「間接的に、自分=世界=菩薩様、という等号が成り立つ」という解釈ができるのです。
いかがでしょうか? 和尚様
間違っているなら、できれば具体的に違う箇所をしてきしていただきたいと思っております。
大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。 >>438 >>440
>間違っているなら、できれば具体的に違う箇所をしてきしていただきたい
最初から最後まですべてが間違っておるのじゃ。
おぬしの間違いの根本は、(多くの者がそうであるが) 迷いの状態にいながら正しい理解が得られると
思っている点なのじゃ。
仏教の正しい理解というものは迷いから覚めた時にわかるものであって、迷いの状態でいくら考えても
わからんのじゃ。
迷いの意識の中で何かがわかったと思っても、それは錯覚の知的納得に過ぎないので、自分自身は何も
変わっていないことに気付くじゃろう。目覚める以外に真実を知る方法はないということじゃ。
>>440 のような自分勝手な思考を一切やめて、ひたすら仏道を学び修行することが大切なのじゃ。 >>437
歳もわからなくなるほど観念が消えると、生活に支障はありませんでしたか?
悟ってしまえば肉体や生活のことなどもはや気にならなくなっていると思いますが、
悟りの前後の期間、数年くらいは、
普通に仕事をして社会生活を送れるような状態ではないということでしょうか?
仕事をし家庭を持ち社会での生活を維持しながら修行をしている者は、鬼和尚のように認識を滅する大悟を目指すのは難しいでしょうか。
在家の者は、
どの悟りの段階まで行けるのでしょうか。 >>442
出家しなければ悟りは難しいじゃろう。
西行のように妻子を捨て、一人諸国を遍歴しながら修業に励むのじゃ。 >>433
構わないよう
あるのが標準だ
自ら解体しよう >>441
和尚様
失礼ながら、誤解をなされているようなのですが、私は、自身が悟りに至ろう、悟り至りたい、などという志は、現在のところ、はっきり申しまして、ございません
悟りへ至るための修業過程を調べ、そして、悟りに至ったかたの感覚を伝聞として聞くにおよび、
それを私は「解釈」した程度にすぎないのです。もちろんのことながら、解釈しただけで「実践」ができるわけもないことは重々承知した上であります。
また、悟りというものを否定したい、などという不遜な下心も決してございません。それは誓って、声を大にして申し上げます。
私が和尚様にお尋ねしたいのは、その解釈の、どういった点が間違っていて、または、合っているのか? ということなのであります。
どうか返信よろしくお願いいたします。 >>440 >>445
ワシは誤解などしておらんのじゃ。
>その解釈の、どういった点が間違っていて、または、合っているのか? ということなのであります。
根本的に言えば、合っているところは一つもないのじゃよ。
なぜかと言えば、悟りは「我」が消滅した世界の話であるから、「我」があることを前提にして
考えたことはすべて妄想なのじゃ。
>私は、自身が悟りに至ろう、悟り至りたい、などという志は、現在のところ、はっきり申しまして、ございません
それなら、なぜ仏教に関心を持つのじゃ?
悟らなければ時間の無駄になるだけじゃろう。
>悟りへ至るための修業過程を調べ、そして、悟りに至ったかたの感覚を伝聞として聞くにおよび、
それを私は「解釈」した程度にすぎないのです。
そんな「解釈」を考える暇があれば、瞑想をしたり、心を空しくして仏典を読むことが大切じゃな。
頭を使いたいのなら、禅の「公案」などを考えればよいじゃろう。
>悟り、によって得られる真理とは、自分とは物質であり、世界全てもまた物質なのであるから、世界と自分は同一である、という感覚なのでは?
エタノールも物質でありメタノールも物質であるから、エタノールもメタノールも同一である、などと
考える者がおるじゃろうか? エタノールの代わりにメタノールを飲めば失明して後悔するだけじゃろう。
「ともに物質であるから同一」なのではないのじゃ。すべての存在は自己の意識内の存在であることに気付く
ことが仏教の入り口であって、対象的に見て同一だと考えているのではないのじゃよ。
(そもそも、世界が物質であると考える唯物論というのは仏教とは対極にある考え方なのじゃ。) >>445
仏教というのは、世界に対する対象的な理解ではないのじゃよ。
対象的な理解というものは、その内容がどのようなものであれ、それを見ている主体が残るじゃろう。
その主体を対象(客体)にすれば、その瞬間にそれを見ている主体が生じることになるのじゃ。
そして、真に問題であるのは対象(客体)ではなく主体なのであるから、対象的な理解によって真実を
知ることはできないことがわかるじゃろう。 >>446
>なぜかと言えば、悟りは「我」が消滅した世界の話であるから、「我」があることを前提にして考えたことはすべて妄想なのじゃ。
はっきりと申し上げます。唯物論も「我」の存在は認めておりません。
>それなら、なぜ仏教に関心を持つのじゃ? 悟らなければ時間の無駄になるだけじゃろう。そんな「解釈」を考える暇があれば、瞑想をしたり、心を空しくして仏典を読むことが大切じゃな。
悟りを客観的に解釈したいのです。悟りに至れば主客一体となった純粋経験となりましょう。
したがって、無明における、悟りに対しての客観的な観点が喪失してしまいます。
私は無明の今のうちに、客観的な観点で悟りの解釈をしておきたいのです。
>エタノールも物質でありメタノールも物質であるから、エタノールもメタノールも同一である、などと考える者がおるじゃろうか? エタノールの代わりにメタノールを飲めば失明して後悔するだけじゃろう。
それは言葉の綾でございます。「同一」という言葉を私は用いましたが、「同格、あるいは同価値、等質、同等、同程度、または、同存在の一部分」などといったニュアンスとしてご理解くださいませ。 >>446
>「ともに物質であるから同一」なのではないのじゃ。すべての存在は自己の意識内の存在であることに気付くことが仏教の入り口であって、
唯物論においても、世界というものは、肉体という物質が感知し、それを生体信号として送ってきて、自己の意識内に投影された存在にすぎない、という考え方でありますから「すべての存在は自己の意識内の存在であること」に矛盾しません。
>対象的に見て同一だと考えているのではないのじゃよ。
誤解であります。その考えは無明の私の観点から見た分析であり、正覚の者がそう考えている、といった意図ではございません。正覚した者は考えるのでなく、「体験」しているのですから。
>(そもそも、世界が物質であると考える唯物論というのは仏教とは対極にある考え方なのじゃ。)
前述のように、共通項があり、矛盾がないように思えますから、悟りとは無明の者の語る唯物論で解釈可能なのではないか? という試みをしているのであります。
どういった点が対極的なのでございましょうか?
お手数ではございますが、返信をお願い致します。よろしくお願いします。 >>448-449
>唯物論も「我」の存在は認めておりません。
それは理屈の上だけの話じゃろう。その証拠に、唯物論の信奉者はみな「死」を怖れて
おるじゃろう。それは心の底では 「我」 があることを認めているからなのじゃ。
理屈の上では認めていないと言い張っても、その信奉者はちゃんと 「我」 の存在を認めて
生きているということなのじゃ。
>私は無明の今のうちに、客観的な観点で悟りの解釈をしておきたいのです。
無明というのは夢を見ているようなものじゃから、その内容(悟りの解釈)はどのようなもの
であっても空しいものじゃ。価値があるのは夢から覚めることだけなのじゃよ。
>唯物論においても、世界というものは、肉体という物質が感知し、それを生体信号として送ってきて、自己の意識内に投影された存在にすぎない、という考え方でありますから「すべての存在は自己の意識内の存在であること」に矛盾しません。
>>447 で書いたことがまったく理解できていないようじゃな。
>悟りとは無明の者の語る唯物論で解釈可能なのではないか? という試みをしているのであります。
そのような試みをするのは悟りを得たい為じゃろう。悟りにつながらなければ空しいじゃろう。
思索することが好きなのであれば、龍樹菩薩の「中論」などを読むのがよいじゃろう。
龍樹の哲学は学ぶ者を悟りに引き入れる力を持っているのじゃ。
>どういった点が対極的なのでございましょうか?
西洋では唯物論の対極は唯心論・観念論じゃな。仏教は唯心論・観念論の極致と言ってもよいのじゃ。
ただ、西洋哲学の唯心論・観念論とは全く違っていて、それが真実だとして説いているのではなく、
学ぶ者を悟りの境地に引き入れる為の思想(手段)としての説明なのじゃ。
唯物論は唯物史観につながって行ったように、個々人を「ものを生産する <ロボット> 」として見る
考え方が根底にあるのじゃ。それは、一見、仏教の「無我」に近いように見えるが、その実は仏教とは
正反対であって、個々人を生き生きとさせるベクトルを全く有しない観念の妄想に過ぎない理論だった
ことは共産主義・社会主義の歴史がみごとに証明しておるじゃろう。 わしは長文は読まんのじゃ。大体が中身がないからじゃ。 >>450
すいません。少し頭が疲れてしまいました
失礼ながら、返信が滞ってしまうことをお許しください
ひとまずは、おっしゃっていただいた内容を真摯に受けとめ、唯識論に関して理解を深めたのちに、またお話しを拝聴したく存じます。
よろしくお願いします。
その前にひとつ、誤解を解いておこうと思います。すいませんがお聞きください。
>それは理屈の上だけの話じゃろう。その証拠に、唯物論の信奉者はみな「死」を怖れておるじゃろう。
誤解とはこのところであります。私はまさしく「理屈の上だけの話」をしているのです。「唯物論者=正覚の者」なんぞとは、一切、これっぽっちも考えてはおりません。
私は「正覚の者=唯物論の体現者」なのではないか? と推測しているのです。もちろん「それが唯物論である」などという認識は全く不必要なのです。
>無明というのは夢を見ているようなものじゃから、その内容(悟りの解釈)はどのようなものであっても空しいものじゃ。価値があるのは夢から覚めることだけなのじゃよ。
>そのような試みをするのは悟りを得たい為じゃろう。悟りにつながらなければ空しいじゃろう。
ご忠告大変感謝いたします。しかし、失礼ながら、今しばらくの間は、もう少しだけ愚かながら、主観的なこの無明の価値を追ってみたいと思います。申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。 >>438 おぬしの自我も生まれて育つ過程でできたものじゃろう。
生まれる前は自我は無いのじゃ。
自我が悟らなければならないということはないのじゃ。
無いものが悟れるはずも無いのじゃ。
ただ個我の観念を持つ意識が解放されるのみなのじゃ。
>>440 肉体も無いのじゃ。
空間とも同一なのじゃ。
菩薩は悟っていない修行者なのじゃ。
なにやら混乱しているようじゃのう。
>>442 いろいろあったようじゃ。
わしは何も気にしなかったがのう。
人によってはそうかもしれん。
やる気があれば簡単じゃろう。
仕事はやめてしまうかもしれんがのう。
やる気があれば誰でも大悟徹底できるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 >>453
ではわざわざないものが生まれて解放する過程が特に必要ではないですよね
生まれてしまった以上仕方ないですが、それも悟れない自我が輪廻転生しているんじゃないですか? 自分の性的イメージが極度に歪んでいます。
特に女性に対する認知が歪んでいて、どこか差別的な意識があります。
昔、女子に虐められたせいか、女性を征服して屈服させたいのかもしれません。
イヤがってるかもしれないのに「それくらい良いじゃない」とか軽く考えてしまいます。
妄想が肥大してて、そのイメージでしか興奮できない
アダルトコンテンツを見る時間も多いです。性的な情報に触れるのも早かった。
他人に不快な思いをさせるタイプの変態だと思う。
自分の快楽優先でバレなきゃ何してもいいやって、どこかでそう思ってる。
きっと良くないことが起こりそうなので、歪みを矯正したいんですけど治りますか? 悟りを得ると、
こうして感じたり考えたりする存在としてはあれなくなると思うと、それはそれで少し寂しいような気もします。
自分は人間だったとか、悟りを得たとか、そういった記憶も全て無くなるのでしょうか?
悟りを得なくても、自然に無くなってしまうものかもしれないですが…。
また何かに産まれて、どうなるか分からないのも、恐ろしいことです。
(悟りを得なければ何が何かもわからないまま、夢の中で輪廻の渦に翻弄され、悟りを得られる機会がまたすぐに来るとも限らず、長い時間、苦の中に放り込まれるかも知れない。)
悟りを得たら、無のような感じでしょうか?
思考や記憶も自覚も無く自他も無く時間も無い、永遠の至福としてあり続ける、そこではあるとかないとかも消失して、あるとも言えない状態のように思えてしまいます。 >>455
同じような趣向の人とお付き合いできれば問題ないと思います 鬼和尚は何度かダンマパダを経典として勧められていたかと思います。
本格的な修行者だけでなく仏教の教えを指針に生きようとする在家の者にとっても
最も勧められる経典はやはりダンマパダでしょうか?
岩波文庫の心理のことば(ダンマパダ)には感興のことば(ウダーナヴァルガ)も
収められていますが、こちらも同じように役立つものでしょうか? >>454 必要が無くとも起こるのじゃ。
自我は輪廻しないのじゃ。
>>455 それも原因から観察すれば治るじゃろう。
いじめられた時の怒りが原因かもしれん。
或いはもっと昔の母親が理解してくれないこととかが原因かもしれん。
そのような原因から歪みがあり、原因が無ければ歪みが無いと観察すれば治るじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>456 記憶はあるのじゃ。
少し減ったりするがのう。
必要ではない記憶は捨ててしまうのじゃ。
悟りを得たら無我であり、無認識であるから全てなのじゃ。
天も地も山も川も海も宇宙も全てなのじゃ。
全てが全てと合一するのじゃ。
人の考える至福を超えた至福なのじゃ。
>>458 そうじゃ、善事を積む事が教えられているからのう。
例え悟りを求めなくとも善事を積んでこの世で福楽を得て、死後には善い所に生まれることもわかるのじゃ。
ウダーナヴァルガも大体同じことが教えられているのじゃ。
善事に疑問を持った時などに読み返してやる気をもりかえすとよいのじゃ。
そのように役立つじゃろう。
>>459 赦すのじゃ。 >>460
必要がなくとも起こっているように思えるのが幻想で、それがなければ、生まれなければ
悟りがないとはおかしいと思えます
徹底的に幻想が必要としない、ない、と言うのが悟りなら
輪廻しているのは自我以外の何なのですか?いい所や悪い所に生まれ変わったりして悟れないでいるのは 魂って単語だけでも人によって捉え方は様々ですね。
霊魂、観念、意識、生命力、本質。
魂って何でしょうね。 >>465
国語辞典で調べるのじゃ。
魂なんていう紛らわしい言葉は使わない方がよいのじゃ。 >>464
おぬしも国語辞典で調べるのじゃ。
次に、鬼和尚のブログを読むのじゃ。
それでもわからなければ、尋ねるのじゃ。 和尚様
もしも全人類が正覚に至った場合、人間社会はどうなるのですか?
共産主義は崩壊し、資本主義も限界が見えてきた現代、理想郷の在処が知りたいのです
皆が智恵を得ているわけですから、とりあえず民主主義は意味を失うとして、社会主義も“人間社会”を想定しているので喪失しますよね
より良い方向に向かう〜とかそういう言い方ではなく、できうる限り具体的にお教えいただけたなら幸いです >>462 ナッシングじゃ。
>>463 おぬしがおかしいと思っても思わなくても幻想は幻想なのじゃ。
輪廻しているというのも幻想なのじゃ。
個我があると認識する者にのみ、輪廻もあると幻想が起こるのじゃ。
そして自分という者があるという幻想も起こるのじゃ。
自らの本心を観察して確めるのじゃ。
>>464 悟りとは幻想の観念を滅し、自我を滅して真実に回帰することなのじゃ。
観念があり、自分があるという認識がある限り一切は苦になり、延々と続くのじゃ。
自我を滅し、一切の観念を滅して真実に立ち返って永遠に安楽になるのが悟りなのじゃ。
>>465 観念なのじゃ。
存在しないものに名前を付けているだけなのじゃ。
わかりやすく輪廻するものがあることを説明するのに作成しただけなのじゃ。
>>468 社会はもとから無いものじゃ。
ただ人間の集まりをそのように名づけただけなのじゃ。
無いものはどのようにしても変らないのじゃ。
国家とかはきえるじゃろう。
戦争もなくなるじゃろう。
主義主張もなくなるのじゃ。
鬼和尚は、悟って以来、ずっと至福の状態が続いているのですか? >>469
>国家とかはきえるじゃろう。戦争もなくなるじゃろう。主義主張もなくなるのじゃ。
失礼ながら、そんな程度のことは正覚に至っていない僕にも想像つきます
具体的に人々がどんな暮らしをするようになるのかが知りたいのです
僕はまだ成所作智を得ておらず、縁起の囁き(?)が聞こえないので、人々の暮らしが想像ができないのです
すいませんが、暮らしぶりを具体的にお教えください。その片鱗でも僕が想像できるように。お願い致します >>469
生まれなければ悟りもないのじゃと鬼和尚さんが幻想を一種肯定しているではないですか
個我があるという迷いが継続している原因は自我なんじゃないですか? 善事と悪事の両方を行うものは、死後どのような世界に行くんですか?
仕事は真面目で周囲の人に優しく温和な性格の持ち主が、プライベートで下着窃盗の常習犯だったり。
邪魔者を死に追いやる事も厭わず生き物の命を全く尊重しない冷血漢が、寄付に熱心だったり。
これは極端な例ですが、善事と悪事がどういうバランスだと善いところ悪いところに生まれるのか。
基準が良くわかりません。 面倒臭い、だるい、憂鬱、という想いが癖になっているようです。
身体がだるいけどやらなきゃならない、面倒臭いなぁ、憂鬱だなぁ、、というような流れがあります。
日常的にこのような感じで、これも苦なので滅したいですが、この場合、どのように観察して行けば良いでしょうか?
ここで内心、「なぜ私が」というような、受動的な被害者意識のようなものもあるようです。
「私の環境」、「私に起こること」は、私の意志では選べず、
「私という感覚も気づけば勝手に起こっていた」と思います。
そのためか、「私に起こることは私の意志が及ばない」といった無気力感もあるようです。 >>473
世界というか、自分のやった事がそのまま返ってくると考えればいいと思う。
ただし、それが来世になるか明日になるか一分後になるかはわからない。 以前瞑想の直後に少しの間だけ、身体の感覚と自分が一致しない不思議な感覚になったことがありました。
集中はいつも通り、自分では深いのかどうかよくわからないのですが、
観察していたのは、目を瞑り身体の感覚に集中していると、そこには身体のイメージがある、ということです。
しかしすぐに普通の意識に戻ってしまいましたし、今もう1度やろうとしても出来ないようです。
1度そのような体験があったということは、まずは体の感覚と体のイメージを観察する方法で観察して行った方が良いでしょうか?
それ以来は起きていないのですが、
どうしたら、もっと深めて行けるでしょうか? 身体の感覚と自分が一致しないのではなく、
感覚と身体イメージが一致しない、という感じでした。
体の感覚は少し離れて感じ、「自分」はそれより大きいような高い位置にあるような、変な感じでした。 鬼和尚さん、世界中にいろんな宗教があっていろんな死後の世界を説明していますが、
生前持っていたイメージがそのまま体験されるんですか?
日本でよく言われる「先祖が供養を欲しがってる」って、いったいどういう状態なんでしょうか
死んだら子孫にいつまでも供養してもらうんだ、と信じて亡くなった人が
信じてたとおりの世界を形成し、いつまでも次の転生先へ赴かず家系に執着して
やれ供養が足りない、墓が掃除されてない、〇回忌をしてくれなかったとか言って
何も知らずに生きてる罪のない子孫にタカってくることはあるんですか? あと、本当に亡くなった人は線香や供物を供えてもらうと嬉しいんですか?
生前お経をロクに唱えたことも聞いたことも仏教の勉強もしたことなかった人でも
読経されると心地よいと感じるんですか?
それから、子孫が続かず家が絶える家系は、先祖全般に徳のない人が多かったとか
先祖が徳を積まなかったから、とかいう因果関係があったりしますか?
女子ばかりで子孫が他家に嫁に行ってしまった家の先祖も、姓の変わった子孫に
供養をタカってきたりするんでしょうか? >>470 常に至福にいることもできるがとめることも出来るのじゃ。
わしは至福さえ脱しているのじゃ。
苦を抱えて生きる衆生の心を知るために至福からも遠ざかっているのじゃ。
>>471 それぞれ好きなように暮らすじゃろう。
全て同じという訳は無いのじゃ。
悟ってもそれまでの暮らしが違うからのう。
そのまま涅槃に入るものも居れば、お釈迦様のようにとどまるものも居るのじゃ。
ただあるがままにあるだけなのじゃ。
>>472 肯定も否定も無いのじゃ。
それが真実なのじゃ。
個我があるという認識を保つのは慣習なのじゃ。
>>473 それに見合った世界に引かれていくじゃろう。
昼は暖かいが夜は物凄く寒い処とか。
動物に生まれるがよい人に飼われるとか。
心のありように従って世界はいくつもありえるのじゃ。
>>475 それは先ず本当に体だるいのか観察してみなければならんのじゃ。
肉体が不調で本当にだるいのならば、それを直していくのじゃ。
無理をして病が重くなれば逆効果であるからのう。
西式健康法などをするとよいのじゃ。
特に首の後ろの筋肉をマッサージしたり、温冷浴で血行をよくするのじゃ。
首前にも甲状腺があり、やる気がでるからマッサージするとよいのじゃ。
それでも面倒とか思うならば心に原因が無いか調べてみるのじゃ。
本当はやるべきではないこととか、昔それで酷い目にあったとかの原因を探すのじゃ。
その被害氏や意識の原因も探すのじゃ。
そして原因があるときそれがあり、原因が無いときそれもないと観察するのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>477 厭離が少し起こったのじゃな。
そのように観察してみるとよいのじゃ。
その現象をもう一度体験しようとしてはいかんのじゃ。
記憶を追っていることになるからのう。
ただひたすらに集中と観察するのみなのじゃ。
そうすればいつのまにか深くなって行くものじゃ。
>>479 ならないのじゃ。
自分のしてきたこととしなかったことに従って体験されるのじゃ。
うそなのじゃ。
にせものが布施を欲しがってそういうのじゃ。
騙されてはいかんのじゃ。
>>480 線香もお経もいらんのじゃ。
おぬしが生前好きだったものなどをあげたとイメージすれば届くのじゃ。
死者は夢の中であるからのう。
心象だけが届くのじゃ。
先祖の因果はないのじゃ。
自分のしてきたことで福楽もあるのじゃ。
善事を積めば福楽も付き従うのじゃ。
先祖はたからないのじゃ。 >>481
返信ありがとうございます
やっぱりよくわからないので、僕の想像を聞いていただいて、間違っている部分を指摘していただく形式をとらせてください
人類が皆が悟りに至ります。すると苦しみや不満を訴える者が居なくなりますので、(必要は発明の母と言いますし)科学は消滅し、文明が停止します
故にエボラのようなウィルスや伝染病、または食料難、エネルギー不足が致命的なほどに深刻化しても、皆がそれを受け入れ、誰も対策しません
結果、人類は(幸福なままにですが)滅びます。(どうせいつかは滅ぶ運命でしょうが、その天命よりも1000年くらいは早期にです)
この想像は合っていますか?合っているのなら和尚様は人類の滅亡を早める結果になるとわかっていながら、なぜこうしたスレで啓蒙活動をしているのですか? >>484
>人類が皆が悟りに至ります。
悟っていない赤ん坊がどんどん生まれて来るので、人類が皆悟りに至ることはありません。
赤ん坊はみんな悟っていないのですよ。
10万人の赤ちゃんのうち悟りを開くのは1〜2人なので、「皆が悟りに至る」どころか、時代が進むにつれて悟っていない人の割合がどんどん大きくなって行きます。
つまり、どんどん「末法」の世の中になって行くのです。 >>485
あなたのレスを鵜呑みにするのなら
いくら頑張っても悟りに至れない人々の存在は仏教の不完全性の証明ですし
また、不特定多数が閲覧するこのスレやブログ等で悟りの素晴らしさを喧伝するというのは、上記の人々に対して余りにも残酷な行為です
それはどう考えても悟りに至った人間のすることとは思えません
いかがでしょうか? >>486
そうです。だからこそ大乗仏教の価値が大きくなって来るのです。
煩悩を滅する原始仏教の悟りではなく、煩悩のあるままで救われる大乗仏教こそ
末法の世で人々の光になるのです。
この世を幻の無価値なものとして捨て去るのではなく、この現実の世の中を
「仏国土(ぶっこくど)」にして行こうというのが大乗仏教なのです。 >>487
>そうです。
これは私のどのセンテンスに対しての言葉ですか?
>それはどう考えても悟りに至った人間のすることとは思えません
この部分ですか? もしそうなら、このスレにいる和尚たちは悟りに至っていないと判断してよろしいのでしょうか?
違うのでしたら、悟りに至っている和尚様たちが残酷な行為をするのはなぜなのかを教えてください >>476
横からですが、シリアなどに生まれた被害者は全てこの生以外で同じようなことを他人に
したのでしょうか?この世が不条理であることを考えると全てが自分の報いとは思えません
残酷な人間が、いきなり次の生で弱い人間に変るとも思えないし >>487
「そうです」というのは
「仏教の不完全性の証明です・・」」に対してのものです。
つまり、原始仏教の煩悩を滅して悟りに至るという考え方は不完全だったのです。
だからこそ、後になって大乗仏教が生まれたのです。
>このスレにいる和尚たちは悟りに至っていないと判断してよろしいのでしょうか?
このスレに書き込んでいる人々の中で悟っていると言えるのは「鬼和尚」だけです。
鬼和尚は過去世での修行の功徳によって原始仏教の悟りを得られた人ですが、一般の
人々が鬼和尚のような悟りを開くことは至難のことなのです。
しかし、鬼和尚の法話を聴くことは多くの人々の心を耕して悟りの準備を整えてくれる
ものなので価値は大きいのです。この世では実を結ばなくても来世、再来世に実を結ぶ
ことにつながるのです。 >>490
↑ アンカーミス
>>487 ではなくて >>488 でした。 >>490
しかしながら、やはり鬼和尚様がこのスレで悟りの素晴らしさを語ることは残酷な行為に感じます
例えるなら、(無明の者の悩み相談を受ける)食べ物に飢えた子供に「食べたいものはある?」と尋ねた上で
(悟りに至りましょうと回答する)その食べ物の写真を見せつつ、自分が食べた時いかに美味しかったかという感想を懇切丁寧に聞かせるような行為で
(いちおうは、修行に励むモチベーションを保てるという利はあるが)
(一生悟りに至れない人々が存在する)その上さらに、その子供が生涯それを食べることなく人生を終えるというのですから、救いようもありません
これはもはや、考えるまでもないほど明確な残虐行為でしょう? 悟りに至っているはずの人間がする行為とは到底思えません
どの部分が間違っているのでしょうか? 教えてほしいです 恐縮ですがもう就寝しますので明日レスを読ませていただきます
申し訳ありません
おやすみなさい >>492-493
>>492
その例えはまったく不適切ですね。
>>490 の最後の部分で書いたでしょう。将来役に立つのです。
勉強と同じですから、今すぐに役に立つとは限りません。
原始仏教でも大乗仏教でもコツコツと学びと努力を積み上げた人だけが
安らかな境地に至ることができるのです。
また、悟った人の話というのは直ぐに悟りにはつながらなくても、部分的に気持ちが
楽になるなどの良い点もあるのですから、残虐行為などと考えるのは大きな誤まりです。 >>482
ありがとうございます。
首周りはいつも凝っていて、最近は何故か鎖骨の周りが特に凝っていて、凄く気になります。
鎖骨の凝りは、呼吸法をやってから気になり始めたので、急にやり過ぎたのかまたは間違った方法なのかと思い、一旦ストップしてみましたが、関係無いようでした。
胸式呼吸法だと肩が凝る、という情報も見付けました。
元々呼吸がとても浅かったので、深い呼吸や複式呼吸を心掛けてはいますが、変な所に力が入ってしまっているのかもしれません。
または、今まで肩首がガチガチだったので鎖骨に気付いて居なかっただけなのかも知れません。
しばらく、首周りのマッサージ、血行を良くすることを心掛けてみます。
あと、ふと気になったのですが、
気が、中途半端に増えて頭まで登りきらず、首周りに溜まるということは、有り得ますでしょうか? >>475
せんでいい
で
念頭から外そう
が
全てはお前始まりだよ
>>477
いや
流し込み
が
やめとこう >>495
サロンパスを貼るのじゃ。
気のことは考えなくても良いのじゃ。
姿勢が正しいか確認してみるのじゃ。 >>494
返信が遅くなってしまい申し訳ありません
悟りは「いま、ここを生きる」の精神ではないのですか?
他人の悩みをわざわざ聞いておいて(このスレでは相談者は自分の意思で相談の書き込みをしますが、鬼和尚様がそれを読もうとスレを開く時点で“わざわざ”です)
「悟りに至れば悩みはなくなります(“今は苦しい”でしょうが、“これからツラい”修行に励んで、何年後か何十年後か、または来世か来々世か、“いつかの安らぎの境地”を目指しましょう)」
“今の苦しみ”をわざわざ聞いておいて、“未来の安らぎ”を説く
これが「いま、ここに生きている人間」の行為でしょうか?
僕がひねくれているだけですかね? >>489
おぬしは言葉をひねくり回しているだけじゃ。
意味がさっぱりわからんのじゃ。
三行以内にまとめるのじゃ。 >>499
横から失礼
アンカー含め三行の文章を三行以内にまとめよとは、なかなかにウィットに富んだ言葉のひねくり回しですね
内容を噛み砕いて平易にせよという意味合いですよね、承知の上でしたが、嫌味でなく単純に面白かったので口を挟んでしまいました
ご容赦ください >>498
>僕がひねくれているだけですかね?
ひねくれていると言うよりも、「宗教・仏教というものがわかっていない」
ということですね。
何年後か何十年後かも、または来世か来々世かもわかりません。
ですから、明日かも知れません。今日起こるかも知れないのです。
仏道修行とはそういうものです。
>悟りは「いま、ここを生きる」の精神ではないのですか?
迷いの意識状態で「今、ここ」を生きようとしても空しいでしょう。
本質を言えば、「悟りは今ここにある」のですが、それに気付くのに
時間がかかるということですね。
>“今の苦しみ”をわざわざ聞いておいて、“未来の安らぎ”を説く
本当は未来などないのです。それがわからないために“未来の安らぎ”を
説いているように思ってしまうのです。
その“未来”とは、実は“今”であることに気付かなければなりません。
未来というのも今の意識内容なのです。
迷いの状態にありながら「悟り」を理解することは絶対にできません。
ですから、仏教の教えを頭で理解しようとすることはやめる方がよいのです。
頭を空っぽにして、仏典や覚者の言葉に耳を傾け続けていけば少しずつ意識が変容
して行って、やがて真実の世界が見えるようになるでしょう。 >>501
なるほど、仰られたこと全てを理解できたなどという傲慢を言うつもりはありません。しかし、大変、大変参考になりました。ありがとうございました
ひとつ気になったのが、悟りは絶対的な真理だとして、「頭を空っぽにして聞きましょう」というのは、確かにそれを実行すれば正しい行為だと納得できるのでしょうが
「考えなくていいから、いいから、絶対よくなるから」という宣伝方法は、俗世間では不信感を招くだけという気がします
無明の者の立場に立って、我々が「考えなくていい」ことを“頭で”納得できるような宣伝方法は、急務の懸案事項だと思います
レジュメにしてまとめあげることをご検討いただければ幸いです
よろしいお願い申し上げます
最後になりますが、貴重なお時間を使って私なんぞにお付き合いいただき、本当にありがとうございました >鬼和尚さん、
> 自分のしてきたこととしなかったことに従って体験されるのじゃ。
では、時代や地域差も思想や宗教や文化的背景に関係なく、死後は生前の行い次第で
「夢の中」の世界が決定されるのですか?
それを決定する基準は各自のどの辺の意識なのですか?マナ識やアラヤ識ですか?
生前自覚なく悪事を重ねた人は、死んだらすぐにそれが認識できるんですか?
>おぬしが生前好きだったものなどをあげたとイメージすれば届くのじゃ。
会ったことも話にも聞いたことがない数代前やもっと昔の先祖にはどういう心象を
送ればいいですか?
>先祖の因果はないのじゃ。自分のしてきたことで福楽もあるのじゃ。
先祖は子孫に何らの影響も及ぼせない、てことですか?死後どんなに苦しんでいてもですか?
自分の今の環境は、すべて自分ひとりの今生なり過去世なりの結果のみですか? >>484 すでにある化学や文明はなくならないのじゃ。
おぬしも悟った者が不自由になったり、あほになると思っているのじゃな。
悟れば悟りを得ないもののすることは全て出来るのじゃ。
特殊な能力を除いてのう。
それが必要と思うものは残し、皆適当に暮らすじゃろう。
無理に滅亡を早めることもしないのじゃ。
>>495 それもあるのじゃ。
首や喉の辺りが凝っていると気が詰まり易いとはヨーガでも気功法でも言われているのじゃ。
そうすると却って健康に悪いのじゃ。
先ずは首や喉の周りの血行をよくすることが大事なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>503 そうじゃ、自らの行いが報いとなるのじゃ。
マナ識や阿頼耶識が単独で働くことは無いのじゃ。
それらの識が連動して自らの行いに相応しい報いを選ぶのじゃ。
できるじゃろう。
他人にしたことが自分にかえってくるのじゃ。
すでに生まれかわっているであろうから、送らなくてよいのじゃ。
あえて送るのならば普通に昔のうまいものとかなのじゃ。
そうじゃ、先祖の死後の苦は自分に影響しないのじゃ。
自分の今の環境は自らのしたこととしなかったことの結果なのじゃ。 >>504
>>>484 すでにある化学や文明はなくならないのじゃ。おぬしも悟った者が不自由になったり、あほになると思っているのじゃな。
悟った者に対してだけでなく、あまねく全ての人々に対して、アホだとかそんな不遜で愚かしい認識を、私は絶対にしません
>悟れば悟りを得ないもののすることは全て出来るのじゃ。特殊な能力を除いてのう。
逆に言えば、悟りを得た者にもできないことは、無明者は絶対にできないということですね?
あれれ? おかしいなぁ私が正覚者を侮ってなどいないということを、わかってくれる無明者はきっといるだろうになぁ?
はい、すいません。こんな重箱の隅をつつくようなイヤラシイ与太話などどうでもいいですね
私は科学は無くなると申しましたが文明は停止すると表現したと思います。科学はなくならない、そう認識を改めます。しかし、文明に関してはどうでしょうか?
全人類正覚者の世界でも文明は発達していくのですか? そもそも発達させる必要がないと想像しています
趣味程度の研究は続けられるとして、大規模なコスト(施設や人員)を必要とする研究は、執着を捨てた正覚者はしないと思います
よって、文明は多少は進むものの、やがて収束し、いずれは停止するのでは?
そうなれば、やはりこれも大規模なコストを必要とする人類にとって致命的な問題の解決に取り組むとは思えません
よって、やはり多少は人類の滅亡は早まる気がするのですが?
あと、全く別の話になって恐縮ですが、正覚者に物理哲学の「観測者問題」を解決してほしいのですが、どう依頼すれば叶えていただけますか?
2重スリットの実験 https://www.youtube.com/watch?v=vnJre6NzlOQ
この動画の4:00〜すぎごろの途中観測による実験結果がヤバすぎます。お知恵をお貸しください。よろしくお願いいたします >>499
酬いの理論を当てはめるとひどい目に遭っている人は、以前にそれと同じことを
したことになるが全てがそうだとは到底信じられないという事です
例えば悪いことをした人がシリアに集結して生まれ、罰を受けているのか 家族が高額な心理カウンセリングにハマっています。
カウンセラー養成学校?のようなところを出た、プロの臨床心理士ではない方のセミナーです。
大学で学んでいたのではなく、自身の不幸な体験から心の世界に入りカウンセラーとして起業した、と言う方だそうです。
私も関連書籍を読んでみましたが、よくある引き寄せ系の類でした。
インチキとは思わないけど、どっかで引用してきただけの内容だなぁという印象を受けました。
問題はセミナーがかなり高額で、そこまで払う価値があるのかな?と。
調べてみるとこの手の起業家カウンセラー?は世間にはたくさんいるようで、似たようなビジネスをしてる人は多いです。
本人に「行くのはいいけど高すぎるんじゃない?少し冷静になってみては」と話してみたんですが、
「共感してくれない!応援してくれない!悲しい!」と感情的に泣かれて話になりません。
ひょっとしたら洗脳されてるんじゃないか、騙されてやしないかと心配です。
本人もカウンセラーになりたいようですが、金儲けのためにハマってる訳ではないようです。
止めた方がいいのか好きにさせればいいのか、わからなくて悩んでいます。
どのように接するのが良いでしょうか? >>508
横からすいません
(性別は想像ですが)女性の行動をコントロールするコツは人海戦術と感情論です
お金がどうのとか、そういった詐欺がたくさんあってとか、そんな論理的な説得は全く効果がありません
もっともらしく出来るのならでっち上げでも構わないので
「あなたが騙されてるのかもって考えるだけで、すごく悲しくなっちゃうんだ」とか
「〇〇さんも、××さんも、みんな心配してたよ」とか
(心配だとか悲しいんだとか言ってやってくれ、と根回しした上で実際に〇〇さんと会わせるのもとても効果的です)
詐欺の手口ではなく、騙された人たちの体験談をいくつか用意して読ませるのも良いでしょう(できる限り感情面に言及しているものを選べばもっと効果的です)
参考までにどうぞ。 >>508
何でもやってみれば良いのじゃ。
やってみなければ、何もわからんのじゃ。 >>508
家族会議が標準だ
が
とことん自己診断させよう >>489
実際には報いは自分で自分に返してると思って良い。罪悪感に従って自分で自分を裁くということ。なので物理的に同じ事が起こるのではない。
(ただし物理的な事は物理的な事に従って返ってきたりはする。平均化するから穴開ければ自然に埋まるし山作れば自然に平らになる。怪我が自然に治るようにだいたいは放置しておくと本来のありように戻る)。
では罪悪感を感じないやつは何やっても返らないのかというと、返らないだろうがそんな状態は起こらない。いくら感じていないふりしようとも逃避しようとも無駄。
誰も無意識の動きには勝てない。誰からも行けと言われてないのに自ら被害を受けやすい環境に無自覚に行ってしまったりする。
>>142
先週土曜、うしろの髪切るため三面鏡使ってた。
そしたら、ん? と思った。
鏡の中の自分の右手に (ほんとは左手) 、右手伸ばしってたら〜〜 なんと掴めました☆
...もちろん答がこんなのじゃないの、薄々わかります。
でも隻手の公案もだけど、考えさせてくれるのありがとうです。
いっぱい考えたおかげで、さとりに直接関係ないけど、株の必勝法みつけました。
これは前スレの、株で億資産つくったお話にも影響受けた... 初めてひとつきも経ってないのに、すごいお金入ってきたよ♪
ただそれでも体治せない現実が重くのしかかってきます。
皮肉にもお金全然意味ないの痛感して... >>142さまのこだわり無くすと健康になるお話に、今は一番すがってます。 >>142
断食ってのは鬱病を擬似的、一時的に改善させる効果があるんだけど
それは身体がこのままじゃ死ぬと判断して、脳内麻薬をドバドバ出して、単に頭をおかしくさせるってだけの話
あまりにも強烈な傷みにはアドレナリン(これも脳内麻薬の一種)を出して不感にさせるとか、そういう類いの話と一緒
単なる肉体の物理的な防衛反応
本当に頭がおかしくなってる状態 >>506
>2重スリットの実験 https://www.youtube.com/watch?v=vnJre6NzlOQ
それは仏教的に見れば簡単なことです。
物理学(自然科学)というのは、「(観察する)人間があり、(観察される)外界がある」という
仏教的に言えば <迷いによる認識> が土台になっている世界なのです。
「見ている者と見られている物は同一である」という体験(これは対象化されないので、理論ではなく
体験なのです)から見れば何も不思議なことはないのです。
「この世はバーチャルリアルティである」などと言ってみても、そのように言っている <主体> は
常にその理論の外に存在することになるので、肝心の <主体> については何もわからないのです。
「悟り」を知らない物理学者たちがどのような理論を作り上げても、人間の本質は何も解明できません。
それがどのような理論であっても、それを述べている本人はその対象の外に存在しているからです。
その自分を対象化して考察しようとしてみても、考察を行なう自分が対象の外に残ってしまうのです。
(ですから、天才的学者が人間と宇宙に関してどんなに <合理的な> 理論を作り上げても、みんな私生活
では迷いや怒りや性欲などに振り回された <不合理な> 日常生活を送らざるを得ないのです。)
名古屋大学で量子力学の研究をしていた村上光照という人は、物理学によっては真理に到達出来ないことに
気が付いて禅僧となり、現在は道元禅師の教えを広める活動をされています。
真理を知りたければ、物理学のような煩悩による「知恵」ではなく、仏教の「智慧」を学ぶべきでしょう。 >>515
そのようなことは常識なのじゃ。
>物理学のような煩悩による「知恵」
煩悩による知恵ではなく、純粋な知的好奇心からなのじゃ。
おぬしは研究したことがないからわからないだけじゃ。 鬼和尚さん、死後から転生するまでの時間は個人差があると思いますが、
どのくらいですか?(こっちの世界の時間で) >>506 文明と言うものが人を真実に導くものならば最高の文明を達したといえるじゃろう。
そうでないならば無くてよいものじゃ。
その観察結果はただ単に人は自分の認識によって現実を解釈すると言うだけなのじゃ。
そうであるから観察によって現実が変っても不思議は無いのじゃ。
>>508 それによって今まで失った金や時間や信頼関係などを一覧表にして見えるところにはっておくとよいのじゃ。
さらに金をつぎ込むならばそれも足していくのじゃ。
泣いたりするようであれば、すぐなく情緒不安定になったと書き込むのじゃ。
そうすれば客観的に自分をみられるようになり、冷静になるのじゃ。
冷静になったら自分で決めればよいのじゃ。
>>516
純粋な知的好奇心ではなく、煩悩による知的好奇心なのじゃ。
認識の土台に無明があるのじゃ。
ハッタリを言っていないで仏教をきちんと勉強することじゃ。 >>519
>>>506 文明と言うものが人を真実に導くものならば最高の文明を達したといえるじゃろう。そうでないならば無くてよいものじゃ。
なるほど、確かに文明が終着点に至ったのだと言えますね。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
>その観察結果はただ単に人は自分の認識によって現実を解釈すると言うだけなのじゃ。そうであるから観察によって現実が変っても不思議は無いのじゃ。
私の力不足で恐縮ですが、ちょっと仰っている内容を上手く噛み砕けません
「人は自分の認識によって現実を解釈する」ので、「例えば観察によって変ってしまうような現実」は、人の認識が及ばないから解釈も不可能である、という内容で合っていますか?
そうであるならばとても残念です。学者たちは観測者問題を未来永劫解決できないのですね……
まぁ、学問や科学なぞ、万能なはずはないと、わかってはいましたが、いざ具体的な話として突き付けられてしまうと、やはり残念、残念としか言えないです
>>520
数学や物理学の研究自体は、ほとんどパズルを解くような行為と同じなので、無明だとか悟りだとかは無関係だと思います
その副読本の類いは無明のなせるわざでしょうけれど >>521
>無明だとか悟りだとかは無関係だと思います
無関係どころか、根本的に関係しているのですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=vnJre6NzlOQ
の続編の映像で「この世はバーチャルリアルティである」という話が出て来ますが、
仏教の立場から言えば、それも完全に誤まりなのです。
仏教的真実から言えば時間も空間も幻(まぼろし)ですから、無明の意識によって
とらえられた時間と空間を基礎にした学問的結論はすべて幻(まぼろし)になるのです。 湯川秀樹博士も晩年に自然科学ではなく中国哲学の思想によって空間概念をとらえ
直そうとしていたのは有名な話です。
湯川秀樹博士の時代に、もう既に常識的な時間と空間の概念は物理学においてさまざま
な矛盾を生じることが指摘されていたのです。 >>522
単純に僕は科学が好きなので、その限界を目の当たりにするのは、一抹の寂寥感を覚えるという感じです
こんな説明でよろしいでしょうか?
>>523
「その副読本の類いは無明のなせるわざ」、と先に書きましたよね?
学問研究自体のモチベーションは、それが幻かどうかは関係なく、論理ゲームをやっていたいってことだと思いますよ
ゲームを終えた後で、その結果を解釈しようと思ったら間違えちゃった、という話で、ゲーム最中の態度は無明だとか無関係だと思います
宗教思想を否定してやろう、みたいなモチベーションで研究に取り組んでいては、絶対に一流の研究者にはなれません
(そもそも、宗教と科学は相反するわけではありませんし)
少し学問を敵視しすぎというか、否定ありきで考えていませんか? >>525
「・・は無明のなせるわざ」と書いているが、君は「無明」の意味も知らないでしょう。
自然科学研究の「モチベーション」ではなく、自然科学研究の「内容」のことですよ。
>>515 で書いたことが理解できれば「科学」と「宗教」の違いがわかるはずです。
科学も粗い段階では常識的な時間・空間の概念で済みますが、厳密になればなるほど
(極微になればなるほど)それでは矛盾が出て来るのです。
「2重スリットの実験」でも、大きなスリットに野球の球(や卓球の球)が通過する
場合には何の矛盾も起きませんが、電子のような極微な物体が極小のスリットを通過
する場合に常識とは矛盾する現象が現われて来ます。
昔から超一流の科学者ほど晩年には宗教に関心を持つ人が多かったのは、自然科学の方法
では究極の真実には至れないことを感じるようになるからでしょう。 >>526
貴方は科学の内容の話をしているのですね。私は科学者の態度の話をしています
>>520の>純粋な知的好奇心ではなく、煩悩による知的好奇心なのじゃ。
という部分や
>>515の>真理を知りたければ、物理学のような煩悩
という部分に対するレスですから。
物理学を研究することは“煩悩”と蔑まれるほどの悪徳なのか? と自問自答した結果ですので、
物理学研究者の態度はそもそも(真理を知りたいからではなく)ゲームを楽しんでいるだけであり、よって悪徳ではない、という旨の発言をさせていただきました
貴方の挙げられた学者たちは、時系列で言えば、物理学が楽しくて学び始め、極めていくうちに、段々と真理が知りたくなってきたので、宗教に傾倒するようになったのでは?
ですから、物理学を学ぼうという態度は“純粋な知的好奇心”、物理学で真理を表そうという態度が“煩悩による知的好奇心”なのではないでしょうか?
違うのであれば遠慮なくズバリお教えください
と、返信を求めておきながら大変恐縮ですが、今からしばらく私は書き込みできませんのでご容赦ください >>527
>物理学を研究することは“煩悩”と蔑まれるほどの悪徳なのか?
確かに <煩悩による> というのは言葉が適切ではなかったと思います。
その点は訂正させて頂き、お詫びしたいと思います。
私が意図したのは、煩悩の元である <無明> による知的好奇心 という意味だったのです。
どんなに純粋であっても <無明> から出発している、と言いたかったのです。
<無明> の状態と <無明が晴れた状態> とでは、時間・空間認識が大きく異なるのです。
無明の状態での科学研究は常識的な時間・空間の概念を元にした研究にならざるを得ないので、
厳密な研究(極微の研究)になるとさまざまな矛盾が出て来て行き詰ってしまうのです。
「自我」 と 「自我と対峙する外界」 を分離したものとして見て、外界や現象を 「対象」 として
研究するということは、<無明> の意識がとらえた時間・空間の概念が前提となっている為に、
<無明が晴れた状態> から見る世界とはまったくかけ離れた世界観が現われてしまうということ
を言いたかったのです。ですから、「科学者の態度の話」 ではなく、その 「研究内容についての話」
になる訳なのです。 何を書いてるのか、わからんのじゃ。
3行内にまとめるのじゃ。 >>512
偶然の災いと言うものはなくすべて自分の心が原因なのですか? >>528
なるほど、仰りたいことは(私なりにですが)飲み込めたと思います
その上で敢えて口を挟ませていただくのなら、産まれた瞬間は人は誰しもが無明(お釈迦様のような例は極々稀。また、正覚であるのなら無明に回帰することはない)ですから、
「科学が無明から出発する」のは無理もない、必然的なことだと思います(科学でなくともほぼ全ての行為がそうだと思います)
無明から出発した上で、世界の真理を知りたいという欲求が生まれるならば、
それは正覚に関心を持つきっかけになりうるのですから(もちろん科学を追究すれば分かると勘違いしてしまう者も多く現れますが)、
やはり科学に価値はあるのだと、私が思いたいのだという話です
我が儘を失礼いたしました 鬼和尚、こんにちわ。
いつもありがとうございます。
この人の体験はサマーディでしょうか?
死ぬ気で瞑想していたら別人になってしまったんだが
(カオスちゃんねる)
http://chaos2ch.com/archives/4619752.html 体験後は、以前とは違うにしろ、自我が戻ってしまったようです。
精神を崩し精神科の薬を飲んでいるそうです。
師も無く事前知識も無く、
悟りを求めるでもなく、
このような深い瞑想に入った者は、
精神をおかしくした、と思ってしまうのでしょうか? このような体験をした人が、巷では「悟りを開いた」と思っている人が多いのでしょうか?
また、認識を滅したわけではないので、自我が戻っているということは、輪廻もあるのでしょうか? >>531
>やはり科学に価値はあるのだと・・
そうですね。科学は形而下の問題に対しては非常に役に立つので、その方面では大いに価値があると
言えますね。ただ、それによって形而上の問題も解決できると考えると行き詰まる(壁にぶつかる)
ということですね。 鬼和尚、覚者は何故、他の人を強制的に目覚めさせる事が出来ない(出来るけどしない?)のでしょうか?
また、悟りを客観的に観察する事が出来ないのは、何故なのでしょうか?
私は主観を超えたいと思っているのですが、もし自分がサマーディの体験をする事が出来たとしても、それが幻覚のようなものではないかなど、自らへの疑いが晴れないような気もするのです。 >>536
おぬしはサティもサマーディも経験してないのかのう。
疑うようなものではないのじゃ。
体験じゃからのう。
精神的に切羽詰まった状態になれば、誰でも起こり得るのじゃ。 >>530
災いとは災いと認識したもののことなので何が起きれば災いとなるかは固定的に考えることはできない。
つまり認識の問題だ。同じ事が起きてもそれを災いと感じる状態から全くそう感じない状態までありうる。
全てが偶然起きていてもそれを災いと捉えるなら結局は同じこと。 >>517 どういたしまして、またおいでなさい。
>>518 早ければ数十年位じゃな。
長いのは数千年にもなるのじゃ。
もはや戻ってこない者もいるのじゃ。
>>521 そのような解釈でよいのじゃ。
目覚めた者でさえ、例えば人に説くために観念を使えばそれでもはや真実から外れてしまうのじゃ。
観念と観念の関係を探ろうとすれば最後には観念そのものの誤謬性に突き当たってしまうのじゃ。
そして観念を以って全てを観る観察者そのものの問題が出てしまうじゃろう。
>>532>>533>>534 違うのじゃ。
他人の体験からてきとうに盗んで自分が体験したように書いているだけなのじゃ。
いまはやりのフェイクニュースなのじゃ。
だまされてはいかんのじゃ。
サマーディならば忘我の安らぎと苦を肩下ろしした喜びがあるものじゃ。
>>536 そのような力はないのじゃ。
もはや観察者が居ないからなのじゃ。
観察される観念も無いからなのじゃ。
全て一つなのじゃ。
瞑想に慣れれば何度でもサマーディに入れるものじゃ。
今座ることに疑いが無いように、自在にサマーディに入れるならば疑いも無くなるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
>>>518 早ければ数十年位じゃな。
長いのは数千年にもなるのじゃ。
もはや戻ってこない者もいるのじゃ。
鬼和尚、その違いはどこから来るのですか? 死んだ直後からの意識が気になります
生前の意識がそのまま肉体から抜けたような感じでまず自分の肉体を上から見たり
執着があればそのまましばらくいたり、とかいうことがあるのか、その後どこかで
生前の記憶を消して次にどこかに生まれるまで待っている場所があるのか
それとも死んだ直後にここからすぐに消えるなり、生前の意識も消えて別物になるのか >>539
偽物でしたか、
凡夫が体験だけ読んでも判断出来ないものですね…
ありがとうございました。
>>537
>>540
実践、体験していかないとですね。
そうしたらまた教えてください。
精進します、
ありがとうございました。 会社で怒られたり注意されたりしたけど、相手の言ってる事が腑に落ちない。
仕事を任せられたのですが、結局僕のやり方ではなくて自分のやり方を押し付けてきて
「こうやるんだ。こうしてほしい。」みたいなことを言われました。
任せると言いながら自分のやり方に注文つけられたみたいで、なんだか釈然としません。
その出来事を反芻して、落ち込んだり怒りを増幅させたりします。
もやもやしてイライラします。
会社の人に何と言って対応するのがいいでしょうか?
あと、どうして記憶をループさせて自分を再度傷つけてしまうんでしょうか?
なぜかマイナスの感情に限って、何度も何度もループさせては自尊心を傷つけてしまいます。
ストップさせる方法はありますか? >>544
対象に相談しよう
閉じてるからだ
構わないよう >>544
>あと、どうして記憶をループさせて自分を再度傷つけてしまうんでしょうか?なぜかマイナスの感情に限って、何度も何度もループさせては自尊心を傷つけてしまいます。
左脳が発達してるから。
>ストップさせる方法はありますか?
日々の訓練。 >長いのは数千年にもなるのじゃ。
>もはや戻ってこない者もいるのじゃ。
本人の希望や意思で違ってくるのですか?
その間どういう体験があるのでしょうか?
もう二度と戻ってこない(過去世をいったん忘れて生き物として転生?)人は、
悟った人以外では地獄に堕ちた人ですか? >鬼和尚さん
たまに瞑想の修行しなくてもなにかの拍子に前世を思い出すという人がいますが、
数年程度ですぐに生まれて前の家族に会ったりするそうです。
でもそういうのは創作なんでしょうか?
こんなのはどう思いますか?
投稿者の単なる思い込みで、事実生まれ変わったわけじゃないのでしょうか?
↓
http://blog.livedoor.jp/inagawajunji-kowainaa/archives/28669006.html >>541 生前の行いや自分の意志や環境などによるのじゃ。
行いが悪ければ地獄いきなのじゃ。
行いがよければ天に行き長年安楽なのじゃ。
>>542 それは人によって違うのじゃ。
自ら体験してみるしかないのじゃ。
大抵は自分の持っていた観念が見えるだけであるがのう。
>>543 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>544 会社にはそれぞれの仕事の枠組みがあるのじゃ。
それの型通りにしなければ意志の疎通ができないのじゃ。
それを教えるために初めに任せるとか言いながら、枠組みを教えたのじゃ。
よくある手口なのじゃ。
自分も新人の頃にやられたことをおぬしにもしているのじゃろう。
全てその通りじゃ、えらいものじゃと適当におだてておくがよいのじゃ。
会社とは身を養う金を稼ぐだけの場所であるから、それも金のうちと覚えておくがよいのじゃ。
認識が記憶に依存しているからなのじゃ。
それがただ繰り返されていると観察すると善いのじゃ。
その体験が無ければ繰り返しも無かったと観察すると善いのじゃ。
>>545 使っていないのじゃ。
毛布とか雑誌を束ねたものを使っているのじゃ。
木枕は高いからのう。
>>549 生前にしたこととしなかったことでも違ってくるのじゃ。
それぞれに違った体験があるじやろう。
そのような者もあるじゃろう。
この世が終わるまで人にはなれないのじゃ。
>>550 それもあるかもしれん。
善い事をしていて直ぐに生まれかわれたいと思えば可能じゃろう。
善人の意思は強く影響するからのう。
>>551
では鬼和尚さんの死後の体験を覚えていたら教えて下さい,
覚えていなければそれも教えて下さい
観念が見えるという事は生前の意識のままという事だと思いますが、次に生まれるまでには
それを一旦消すんですよね、
生まれた時には自我はないと言われていましたし。それはどこで消すんですか >>552
ありがとうございます。
私もタオルを巻いて代用してみたのですが心地好いですし木枕を買わなくても充分そうですね。
西式健康法の金魚運動など、できそうなものをやってみようと思います。
鬼和尚も毎日元気にお過ごし下さい。 鬼和尚
以前クリシュナムルティは悟りを開いていると仰ってましたが、
クリシュナムルティについて詳しく教えて下さい。
クリシュナムルティ50代の頃、愛人がいて、
しかも愛人はクリシュナムルティとの関係持ち妊娠していたと聞きました。
クリシュナムルティはすごく溺愛してたとも暴露本に書いてました。
私は愛人がいた話が真実かわかりません。
本当に彼は悟り開いても異性との関係に執着していたのでしょうか? 美醜に対する感情を観察していました。
これらは生理的な反応であると思っていましたが、鬼和尚には人間の美醜も男女もすでに同じに見えるとのことです。
美しいものをみて起こる快い感情は、美しいものは善いものだ、などという観念から起こるのですか?
美しいものは毒だ、災いをもたらす、などの観念が深く根付いていれば、美しいものを見たら不快な感情が湧くのでしょうか? 上のクリシュナムルティの話を読んで、オショーやクリシュナムルティは人間の美醜の観念から離れられていないように思えていたのであまり本などを読む気にならないことを思い出しました。
オショーもクリシュナムルティも何故男女や美醜の観念を持ち続けたのでしょうか?
それに、鬼和尚のように明確に修行法を示してくれた覚者が居なかったのは何故でしょうか?
鬼和尚の悟りレベルが高いからでしょうか? >>557
すみません、これでは美醜の観念に対する観念でした。
美醜の判断は、ものを多くみたり知ったりすることで培われたもので、幼年期にはこの判断は無いと思われます。
容姿の美醜などは、平均的なもの、バランスの良いものが美とされます。
より多くのものを見たことで、平均的なものに愛着を湧きやすいからでしょうか? >この世が終わるまで人にはなれないのじゃ。
「この世の終わり」ってあるんですか?いつですか?
銀河系が消滅するんでしょうか?
それとも地球がなくなるとか、地球上に生命体が生存しなくなるとかですか?
もし経典に書いてあれば、その部分を教えてください。
それと、生前仏教について何にも勉強せずに死んでも檀家制度ができて以来
自動的というか勝手に授戒させられて戒名とかつけられますけど、あれはまったくの
無意味ですか?
死者の苦を軽減させると信じて供養としてみんなお経を読んだり墓参りしたり
しますけど、まったく無意味でなんの役にも立ってませんか?
間違いなら、誰が言い始めたんだろう。。。
そういう間違いを流布させた人の罪は重いですか?
・・・でも鬼和尚さん、先祖供養をよくしている家は福徳があるといいますけど・・・ >>553 わしはまだ死んでいないのじゃ。
前の死ではやはり川がみえたのじゃ。
川を渡ってここにきたのじゃ。
死んだ時には消えているのじゃ。
おぬしも自分の生まれる前のことをよく思い出してみるのじゃ。
>>555 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
おぬしも元気でいるとよいのじゃ。
またおいでなさい。
>>556 そうかもしれん。
違うかもしれん。
悟っていてもそれはできることじゃ。
全てがやがて滅び去る性質のものと知っていたら虚しいことであるがのう。
有名になった者にはいろいろスキャンダルも起こるものじゃ。
それも囚われれば迷うことになるのじゃ。
自らの目的の為に学び、実践するとよいのじゃ。 >>557>>559 そうじゃ、観念から起こるのじゃ。
昔はおたふくやでぶが美人と言われていたのじゃ。
健康そうであるからのう。
今は細いほうがよいとか思われているのじゃ。
美醜も観念による相対的なものである証なのじゃ。
美しいものにも否定的な観念が結びついていればそうなるじゃろう。
無理に植えつける必要も無いがのう。
>>558 特に滅する必要もないと思っていたのじゃろう。
やがて全て消えていくからのう。
修行法を知るのも難しいものじゃ。
経典だけでも山のように多いからのう。
わしは悟った後も鬼のように学んでやっと知り尽くすことが出来のじゃ。
悟りは同じであるが学んだことが違うのじゃ。 >>560 この世とは地球の世なのじゃ。
大体十億年たてば太陽が大きくなって地球も燃えてしまうというのじゃ。
それがこの世の終わりなのじゃ。
それが来る前に修行して悟りを得るとよいのじゃ。
戒名などは無意味なのじゃ。
役に立たないのじゃ。
罪は重いじゃろう。
外国人は先祖供養などしないが大いに栄えているのじゃ。
迷信なのじゃ。 躁鬱病なんですがどうすれば治りますか?
もう10年近くになります
薬も効きが悪くてどうにもなりません >>561
死んだときに自我や観念が消えているなら>>551で死後は自分の持っている観念が見える
だけと言うのと矛盾していますね
それでいうと鬼和尚さんの見た川とは、よく言う三途の川みたいな人伝えの観念があったから
なのか観念が消えたのに見えたなら実際に川があるのか、どちらなんですか
無ではなく霊的に目に見える世界があるのでしょうか
死んで自我が消えるなら、生まれ変わったとき思い出せる人がいるのは何故ですか
自我の続きだからじゃないですか 犬や猫を愛玩動物として飼うのは動物の自由を奪う行為でしょうか?
自然のまま生かすのが一番いいと思うんですけど、殺処分されるくらいなら飼いたいと思います。
犬猫を飼って癒しや慰みを得ることは人間のエゴイズムでしょうか。
寂しさを紛らわすため?
ペットを飼う上で大事な心構えがあれば教えてください。 ★★★最強の薬物は果物(柑橘類)です★★★
柑橘類を1日10個以上の食べると統合失調症、うつ病が治ります。
音に敏感な統合失調症の人は柑橘類を1日10個以上食べてみてください。
炭水化物(米、小麦=砂糖)、砂糖を食べないで柑橘類だけ食べてください。
「フルーツだけ生活」の意外すぎる健康効果
2009年9月から6年半、フルーツに代表される「果実」だけを食べて生活している人物がいる。
フルーツマニア、いやフルーツ研究家の中野瑞樹さんだ。
http://t■oyokeizai.net/articles/-/115076
みかん
みかんの「スジ」は実の100倍栄養がある
血はもちろん、血管そのものを丈夫にする働きがある
心臓や筋肉の機能を正常に戻す
目の病気になったら、みかんを食べると改善への近道となることが分かっている
体のあらゆる傷の治りを早める
https://m■atome.naver.jp/odai/2134979074539618901
断糖と高濃度ビタミンCで癌と闘え 西脇俊二(ハタイクリニックの医師)
統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。
U型糖尿病、通風、高血圧は2週間で治る。
糖は腎臓の塩分や尿酸の排出機能を阻害する。
タレは糖が入ってるからダメ。
葉野菜の葉っぱの部分だけならOK。
もっとも老化を引き起こすのは糖とタンパク質をともに加熱したもの。
http://i.imgur.com/MmLHog5.jpg
http://i.imgur.com/hm0OLR0.jpg
Q 音が気になる人はどんな人?
A 炭水化物(砂糖)、砂糖を食べて統合失調症、うつ病、身体障害者になった人です
Q 炭水化物(砂糖)を食べるとどうなる?
A 統合失調症、うつ病、身体障害者になります
Q 解決策は?
A 柑橘類(果物)を1日10個ほど食べて、炭水化物は食べない・・・で治ります
Q 米、小麦を食べてる人は統合失調症、うつ病、身体障害者なんですか
A そうです >>562
なるほど、ありがとうございます。
鬼和尚が悟って尚学んで下さり
雲を掴むようなものであった悟りへの道が示され
本当にありがたいことです。 >>566
一日中、鎖につながれてる犬は可愛そうです。
少なくとも家の周りを自由に走り回れるようにしたい。 >>563
鬼和尚さん、みんな地球で転生を繰り返してるってことですか?他の惑星の
生物とかはいないんですか?
人口が増えた分の人たちは、虫や動物から転生した人達ですか?
すると、誰に何を言われても理解できずひたすら欲望のまま生きて他人のことを
あんまり考えられなかった人が身内にいて不思議というか気持ち悪かったんですが、
発達障害の他に「前世動物だった」可能性もあるんかな・・・
もう死んだのでたぶんあんまりいいところへは行ってないような気がするけど、
その人が今どんなことになってるのかわかる方法はありますか? >>564 それは首筋や全身の血行が悪い時と、善い時が交互に来るからかもしれん。
気温とか運動とか腸の調子でなるのかもしれん。
マッサージとか運動で首筋を常にやわらかく保つのじゃ。
西式健康法とかをやるとよいのじゃ。
首の運動も入っているのじゃ。
腸の大掃除もするとよいのじゃ。
一日とか半日の断食をして寒天ゼリーとかを食べるのじゃ。
水を多く飲んで体の中の毒物をすべて廃出するのじゃ。
数息観もするとよいのじゃ。
心が不動になるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>565 死んだときに消えるのは自我なのじゃ。
観念はあるじゃろう。
全ては観念なのじゃ。
世界はおぬしの思うだけあるじゃろう。
寝て起きて前日のことを思い出すことができるのと同じなのじゃ。
自我は無くとも記憶はあるのじゃ。
自我も記憶されたものに過ぎないのじゃ。 >>566 殺処分されるような場合ならば飼うとよいのじゃ。
それも善事と言えるのじゃ。
自分の為に買うというならばエゴイズムになるじゃろう。
自分がそのペットの立場であったらどのように思うのか、常に引き比べて考えるのじゃ。
自分が為されて嫌な事はペットにもしないようにするとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>568 善かったのじゃ。
この機会に実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>570 大抵そうなのじゃ。
他にも居るじゃろう。
それもあるじゃろう。
ただひたすら集中してその者について注意していれば観えるかもしれん。
意味は無いがのう。
実践あるのみなのじゃ。
>>572
鬼和尚さん、ありがとう
>>566
殺処分されかけてた子や路頭に迷って飢えてた子をこんな風に最後まで
責任もって飼うなら、善行だと思うよ!
猫幸せそう
人間のエゴで病気しやすい品種改良したり、醜い奇形種にして(顔をペチャンコに
潰したり歩きにくいような体系にしたようなのを「かわい〜♪」と歪んだ愛で方)
ヒドイ繁殖法や売れ残ったからと殺すようなペット業界にお金落とさないことだよね かわいそうな子たちを引き取れなくても、できることはある
「動物の愛護及び管理に関する法律」の改正を求める署名
https://goo.gl/dOHiEN >>571
鬼和尚様、アドバイスありがとうございます
これで認識がどうのとか悩みとは幻だなんだとか根性論みたいなことを言われたらどうしようかと
実は戦々恐々としておったのです
そう言われたらなんと返信すればいいだろうかと、医学的エビデンスなどを持ち出さねばいけないのかと、考えただけで億劫でしたのが
実に実践的なアドバイスをいただけたので心から感謝いたしておるのです
私は精神のことばかりを考えておりましたので、肉体の健康という観点が抜けておったことに気づかされました
本当に助かりますありがとうございました >>574
そのお婆さんと猫ちゃんは前世で親子だったんじゃないかな?
来世もきっといい縁で出会うことでしょう。
親子とか仲のよい夫婦とかで・・・。 猫を大切にする人は悟りやすいと言われているね。
その昔、中国や朝鮮半島から日本に仏典や漢籍を運んだ船にはネズミに書物をかじられないように
多くの猫が乗せられていたという。今、日本にいる多くの猫たちは彼ら彼女らの子孫なのだから、
仏教徒にとって猫は守護神として大切にすべき動物だと言ってよいのだろう。 生菜食をしてみようと思うのですが、
生玄米も食べるコースが存在します。
鬼和尚は、青汁オンリーと青汁に生玄米も食べるコースどちらがいいと感じますか? 鬼和尚、甲田式では柿の葉茶を勧めていますが、
生葉をグリーンスムージーに一緒に入れて食すのでもいいですか?
お茶の作り方がややこしいからです 鬼和尚、
苦がカルマによるものである場合、
苦滅の法で滅せれるものでしょうか?
私は人に傷付けられ、傷付けもしました。 >>573 どういたしまして、またおいでなさい。
>>576 そうじや、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>580 生玄米も食べるとよいのじゃ。
青汁だけでは不足する栄養も取れるじゃろう。
いろいろ試してみるのじゃ。
>>581 それでもよいじゃろう。
成分は同じであるからのう。
>>582 それも滅するじゃろう。
今の環境も報いであるがそれによる苦も滅しているのであるからのう。
ためらわずに進むのじゃ。 食事とストレスについて質問です。
例えば毎週焼肉を食べたりファーストフードやインスタント麺ばかり食べてるけど、
好きだから美味いもの食べまくって何が悪い!好きなもの食えて幸せだ!と心から楽しんで
不摂生してる人と、粗食で健康に気をつかった食事を心がけているけど仕事や人間関係での
ストレスが溜まりに溜まってる人とでは、どちらが不健康と言えますか?
要は食事内容と抱えてるストレスを比べると、まず優先して改善すべきはどちらなのか?
もちろん粗食かつ適度にストレスを発散しているのがベストですよね? >>583
ありがとうございます。
ためらわずに進みます。 >>571
自我を滅する修行と言うのは観念を滅することと同じではないのですか?
自我が消えても観念が残る、、自我と観念の違いが良く分かりません
観念は思い込み、自我も思い込み、自我に観念が含まれるか同じだと思っていましたが
死ねば自動的に自我は消えるが観念が残るから生まれ変わるのですか? 鬼和尚さんの言っている自我を滅する=悟りということがえ?となります
死ねば自我は消えるんですよね
自我が消えたり滅しても自我と観念を別として考えないと悟れないということになりますが・・ >>587
鬼和尚さんのブログに
( 自我が解体され、観照によって無くなった後、それを観ている阿頼耶識をも厭離した時、完全なる真の悟りが得られた事になる。
自我が無くなっただけでは、完全な悟りとは言えないのじゃ。 )
このように説明してくれてます。
一度読まれてみてはいかがでしょうか >>587
些細なことはどうでもよいのじゃ。
仏教は体験の学問なのじゃ。
実践して体験すことじゃ。 仏教をかたった素朴な体験主義マンセーってそれズバリオウムそのものじゃないですかw
こういうスレってある程度知識がある人が答えれば面白いのかもしれないけど
単なる馬鹿が何にも踏まえずに「〜じゃ」「〜〜じゃよ」とかって馬鹿なこと言ってるだけだと
ただただ悲惨ね >>584 食事に気を使わないほうが不健康なのじゃ。
悪いものばかり食べているとあっさり病になって死ぬこともあるからのう。
食事かよければストレスにも耐えられるのじゃ。
食事を改善するとよいのじゃ。
>>585 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>586 自我とは自分というものに対する観念なのじゃ。
それが阿頼耶識を見る障害になっているのじゃ。
阿頼耶識が観念を作り出しているのじゃ。
自我は消えても観念を生み出す阿頼耶識が残っていれば生まれかわるのじゃ。
>>587 自我を滅しても小悟なのじゃ。
観念を滅して大悟徹底なのじゃ。
わしのブログを読むとよいのじゃ。
>>591 自分を責めてはいかんのじゃ。
他人がオウムに見えるのならば自分がオウムであるからかもしれん。
おぬしがオウムの者でも罪を懺悔告白すれば許されるのじゃ。 >>579
仏教国はどこでも猫さんを大切にしているよね。
台湾・タイ・カンボジア・ビルマなどの東南アジアや、中国でも西安などの古都は
とても猫さんをかわいがっている。
歩いていると猫さんが声をかけてきたり、昭和のころの日本みたいだ。
え便器チョン奸や中国共産党はダメ!
やつら、自分ことしか考えないバカ猿だぜwwww ちがうちがうw
「オウム」ってのは君が思うような単なる悪口として言ってるんじゃないんだよ。
「素朴な体験主義マンセーってそれズバリオウムそのものじゃん」
さんざん分析され言われ尽くされたことだよね。
曲がりなりにも仏教なり宗教に少しでも興味があって、
それが何の指摘なのかすらもわからないという人がいるということにほんとうに驚きを覚えるよ。
つくづくアホウに下限は無いってことを思い知らせてくれるね。逆に何だったら知ってるんだろう、コイツw あぁ軽く遡ってみても本当にただのアホなんだね。
仏教関係ってとりあえず用語いっぱい覚えてその気になってるオタクとかザラにいるからその手合かと思ったら
まったくそんなレベルですらなく。「仏教」ってタイトルに入った本の一冊も読んだことないねコレ オショーキャラやるんだったら煽るにせよフザけるにせよ持論を垂れるにせよ「仏教の論理をもちいて」じゃないと意味ねぇだろw
もちろんただのアホには死んでもできないのわかってて言ってるんだけどねw
罪を許すのどうのってw どの台詞ひとつをとっても一発で底が割れるわw
アホも度を越すと他人を退屈させるためだけに生きるようになる。害にしかならんレベルのアホは死ね。 鬼和尚も名前と身元を隠している間は、本当に悟っているかどうかは疑わしいと言えます。
昔から仏教の指導者達は日常生活の一挙手一投足を見せることによって弟子達を指導していました。
鬼和尚も本当に悟っているなら身元を隠す必要などないはずですから、早く名前と身元を公開して日常生活の見本を私達に見せて頂きたいと思います。
身元を明らかにして鬼和尚に何か不自由が生じるのなら、それは鬼和尚が本当には悟っていないということではないでしょうか? 鬼和尚が今の徒歩配達の仕事を辞めて別の仕事をするなら
どんな仕事をしますか?
候補を3つ教えて下さい。 >>597
そりゃ色々面倒だろう。宗教関係は危ないキチガイみたいなやつが集まり易いんだから盲信して崇めるやつから暗殺しようとするやつまで出てきて対応が面倒になると思うなあ。
そう言えばOSHOなんかはそんな感じじゃなかったか? >>599
お寺で説法しているお坊さん達はみんな住所と氏名を公表している。
「宗教関係は危ないキチガイみたいなやつが集まり易い」からと言って
住所も氏名も公開していないお坊さんなど一人もいない。
そんなことを怖れるのなら、そもそも「悟っている」などとは言えない。 >>600
だって誰も寺の坊さんが悟ってるなんて思わんだろう。大半が本当に仕事として葬式とかやってるだけだからな。
そういう社会的に公認されたような偽物にわざわざ人は集まらんよ。 >>601
悟りや救いを説いているお坊さんはたくさん居る。
禅の専門道場や浄土真宗系の念仏道場には、現代でも本物のお坊さんがたくさんいる。
偽和尚は無知なオカルト坊やだから何も知らないだけ。 >>594>>596 他人がアホウに見えるのならば自分がアホウであるからかもしれん。
自分の本心をよくみてみるのじゃ。
>>597 もっと疑ってよいのじゃ。
おぬしが悟っていないと思うならばそれがおぬしの世界なのじゃ。
他人が悟っているとわかるのは自分自身悟った者か、よほど学んだものだけなのじゃ。
>>598 銀行の頭取じゃな。
百円ライターの修理屋じゃな。
宿屋の下足番じゃな。 >>603
>おぬしが悟っていないと思うならばそれがおぬしの世界なのじゃ。
また、いつもの論法で逃げましたね。
私は鬼和尚が悟っていないとは言っていないのです。
ただ、本当には悟っていない(7割ぐらいの悟りにとどまっている)と言いたいのです。
鬼和尚は「もはや、自分という者はいない」とまで言われているのですから、それが本当なら
名前や身元を明かしても何の問題もないのではありませんか?
それらはすべて観念であり、イメージに過ぎないものなのでしょ?
ところが、鬼和尚も現実ではそれにこだわって隠しているということは、そこに鬼和尚の「我」
が残っているということではないのですか? 熱中できるものがありません。
好きなことは全部、現実から目を逸らすものばかりです。
やけ食い、爆音で音楽を聴く、自慰行為、女遊び、衝動買い。
自らを破滅に追い込むような行動ばかりに執着しています。
一瞬の快楽に浸っている時だけが例え現実逃避であっても嫌なことを忘れることができます。
家族や友達からイジメや過保護、厳しいことばかり言われて育ちました。
あらゆるものから逃げ回っているうちに、自分は何がしたくて何が好きなのかわからなくなってしまいました。
私には現実社会は辛いものでしかありません。
私は呪われているのでしょうか。人生こうなることは決まってたんでしょうか。 気が上にのぼると、何か良いことはあるのでしょうか? 鬼和尚さんのブログを阿頼耶識で検索しましたが、知識、勉強不足で阿頼耶識が
良く分かりません
自我より前にあるものなのでしょうか、分かりやすく教えて下さい >>605 自分が無いのであるから身元も名前もないのじゃ。
それらは観念であり、イメージなのじゃ。
現実もないのじゃ。
名や身元を欲するものは観念を追っているのじゃ。
過去の仏陀たちが何をしたか全く関係ないのじゃ。
新たな仏陀の国土と経綸が始まろうとしているのじゃ。
>>606 呪いではなく多くの者と同じ逃避の生涯であっただけなのじゃ。
大抵の者はそうなのじゃ。
本当はすきでもないのに一時の逃避で遊戯に浸っているのじゃ。
それを悔やむのならば、今から数息観を行い自らの本心を観察して、少しずつでも苦を滅するとよいのじゃ。
本心は観ようとすれば観られるものじゃ。
自らを知れば苦は滅し、真の安楽も訪れるのじゃ。
わしのブログなどを参考に実践あるのみなのじゃ。
>>608 頭頂のブラフマランドラに気が入れば思考が自然に停止するじゃろう。
あまり多いと眠れなくなるがのう。
>>610 わかるのじゃ。
大抵意味もない言葉遊びであるがのう。
言葉に引っかかるかどうか観ているだけなのじゃ。
>>611 それは記憶に依存した認識方法なのじゃ。
椅子を見れば椅子の記憶からその名前とイメージが浮かぶと言うようにのう。
それが阿頼耶識なのじゃ。 >>615
>自分が無いのであるから身元も名前もないのじゃ。
>新たな仏陀の国土と経綸が始まろうとしているのじゃ。
そんな子供だましでごまかそうとしてはいけません。
鬼和尚は自分の声すら他人に知られるのを怖れているでしょう。
怖れとは無縁なはずの鬼和尚が、なぜそんなことまで怖れているのですか?
身元や名前が明らかになったら何か困ることがあるからでしょう。
その困ることがあるというのは、まだ「自分」があるからではありませんか?
鬼和尚が
「わしもかなり深い悟りを得たが、身元と名前を明らかにした上で説法できるほどの
完全な悟りはまだ得ていないのじゃ」と正直に告白されることを願っています。 「苦」を感じる事自体が、何らかの「カルマ(自らの業)」ですか?
時代や文化、国が違えば、同じ性質でも褒められたり貶されたりします。
人間の精神性が成長すれば、悟りの真実が世に広まり、死は恐れる事でも無く、自他を同じと見、今の世とは全く違う世界観で、苦の少ない世の中になるかも知れません。
性質自体に苦はなく、それをどう見るかによって多くの苦が生み出されています。
何故このような世に産まれたのでしょうか?それもやはり自分の心に原因があるのでしょうか? 色界、無色界、というのは、本当にあるのでしょうか?
次産まれるなら色界が良いです。
でも色界などでは悟りを求められないのでしょうか。 >>617 他人がそのように見えるのならばおぬしがそうであるからかもしれん。
自分の本心を見るのじゃ。
>>618 そうともいえるのじゃ。
苦を感じる身に生まれることがなければ苦は感じないからのう。
悟りを得ていればもはや苦はないのじゃ。
それを実現しなかった報いともいえるのじゃ。
永遠に苦を滅するために今の世で実践あるのみなのじゃ。
>>619 あるのじゃ。
全ては心が作り出すのであるからのう。
楽しみに耽り過ぎていては悟りも求めないじゃろう。
本人しだいなのじゃ。 自力の念仏では化土=仮の浄土にしか逝けないとお聴きしたのですが、私にとっては仮でも浄土であるならば
この生き地獄から逃げたいので今すぐにでも自殺して化土に逝きたいのです。
化土はどのようなところでしょうか? 自分を丸ごと受け入れてほしい時、どうすりゃいいんでしょうか。
自分は相手を丸ごと受け入れる器量は全くありません。
身勝手なのは自覚してますが、そういう心の余裕が持てないんです。
愛されて大切にされた実感が全く無い。
だから他人を愛するということが理解できない。
けど、丸ごと肯定されて愛されたい。
否定されるとキレそうになる。許せないって思う。
肯定されない自分が惨めで情けなくて哀しくて、その現実を認めたくない。
結局、どうすりゃいいのかわからない。自分の気持ちも理解できない。
他者から全肯定されるってありえない幻想なんでしょうか。 初めの方で人が100人いたとして(元は二人だったのか)子を産み増やして1000人になったとき、
多くは前世がない事になります
カルマがないのにこうして人が増えてきたのは何故ですか
ただの肉体の煩悩による繁殖で苦が増えてきたのですか? >>622
相手を選ばなければ少しは可能性があるのでは 結跏趺坐は右が下で左が上らしいですが逆の方がやりやすいです。逆でも問題無いですか? >>622
私もそういう恋愛がしてみたかった。
一時的にはあると思うけど、一緒に生活を始めてみるとそれが幻想だと
気づくのではないでしょうか。 罪悪感は人間が持つ感情の中で最も苦しいものですか?
もしくは恐怖でしょうか。
長い転生の中では、前世に、酷い目に遭ったことも遭わせたこともあるのでは無いでしょうか。
それこそ、ニュースなどを見て気がおかしくなりそうな事件や残虐な戦争など、自分もそのような、加害者であり被害者であった生もあるのでしょうか?
正常な感覚では、その事は到底受け入れられず、目の前に現れたら気が狂いそうになると思います。
(もちろん、そんな酷い生だけではなく、普通の人生、幸せな人生もあると思います。)
書いているだけでも恐ろしく動悸が激しくなります。
だからこそ人は、過去世を思い出せないのだと思ったのですが、いかがでしょうか?
そのような過去世を見れるようになるには、不動心が必要なのではないでしょうか? 生菜食に鶏肉を足していいですか?
豚、牛、魚をみても美味しそうと感じないのですが、鶏だけはよだれが止まりません そういったものを無理に見ようとせずとも悟りは得られるでしょうか?
必要な過程でしょうか?
修行が進めば無理なく見れるようになるのでしょうか?
>>625
横から失礼...
結跏趺坐は、右が上でいいらしいよ。
わたしかかってるお医者さま、いわゆる超能力使うけど、医学的にも超能力的 (笑) にも、右がいんだって。 >>621 化土とは自力の行者が往生した後に行く所で、自殺してもいけないのじゃ。
自殺すれば苦はより大きく多くなるじゃろう。
生きている今、苦をよく観察して少しずつでも楽になることが出来るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>622 現実ではそれを実現することは不可能なのじゃ。
他の人間も自分の欲求があり、それを守らなければならないからのう。
おぬしも観世音菩薩と普賢菩薩の瞑想をするとよいのじゃ。
観世音菩薩は理想の母親のイメージなのじゃ。
普賢菩薩は理想の父親のイメージなのじゃ。
おぬしは赤子になり、両菩薩に抱かれているとイメージするのじゃ。
自分がかけて欲しかった言葉などを、菩薩がおぬしにかけているとイメージするのじゃ。
心が落ち着くじゃろう。
>>623 動物とか虫とかが人になったのじゃ。
それらは減っているのじゃ。
人に殺されて悪事の報いが終わったから人になれているのかもしれん。 >>625 それでよいのじゃ。
自分がやり易い方法でやるがよいのじゃ。
それがおぬしの道となるのじゃ。
>>627 人によって違うのじゃ。
大抵は恐れじゃろう。
それもあるじゃろう。
昔は戦乱も多かったからのう。
そのようなこともあるじゃろう。
そうじゃ、心が不動になれば恐れも超えていけるのじゃ。
>>628 よいのじゃ。
鶏肉は健康によいというのじゃ。
手羽先とかもコラーゲンが多いと言うのじゃ。
どんどん食べるとよいのじゃ。
>>629 そうじゃ、見なくとも悟りは得られるのじゃ。
不必要なのじゃ。
集中力が身につけば観られるようになるが、見なくてもよいのじゃ。 >>632
ありがとうございます。
怖いものは無理に見なくても良いのですね、今は無理に意識しないでおきます。
ただ、現世の何かの恐怖の原因が過去世にある場合などもあるのでしょうか?
退行催眠で、恐怖症の原因が過去世にありそれを思い出したら治った、なんて話もありますよね。
(催眠時の記憶は実は捏造だった、という話もあるようですが…)
現在理由のわからない恐怖はぜんせあなどに原因があり、それを見なければ解消出来ないのでは?と思い、気になってご質問させて頂きました。 死の恐怖について、教えてください。
私はパニック障害で、ロープウェイ等がだめなのですが、その恐怖の元は主に死と発狂の恐怖です。
乗り物から落ちるかもしれない、などと本気で思ってしまうと、普通の意識を保てません。
これも自我の死の恐怖なのでしょうか?
このような恐怖を直視し乗り越えて行かねばならないのでしょうか?
普段、死の事を思っても実感持てず、いつか死ぬ事や自我を失う事もそんなに怖く思えないのですが、
それは本気で考えられていないからでしょうか? また、恐怖自体を恐れてしまうところがありますが、それはどのように対処したら良いでしょうか? >>630
ありがとうございます、超能力を使うお医者様とは凄いですね。
>>632
結跏趺坐は右が上でも良いのですね、ありがとうございます。 訳が分かりません
なぜ生まれてきたのか、カルマの解消、苦しくても死んではいけない
生き地獄に人を産みだすことをよしとする
最初の生物や人間は何のカルマで発生したのでしょう
また治らない病気やどうしても自分の意図を生きれないような状況で
ネガティブな感情やカルマを生み出すより、地震で人生を終了させる
ことは良い悪いではなく赦されることだ、とある本にありましたが
自分もそれが更なる苦しみになるとか罰になるという考えは本当なのか
と、そこまで無慈悲なシステムなんですかこの世や輪廻は
だったら生まれることは良いことだという考えは全くの嘘になると思います
悟りのチャンスと言うのは無理やり創りだした目的のような遠いもので
わざわざ抜けられない輪廻に入って苦を味わう方が大きいんですから >>637
>訳が分かりません
当然のことじゃ。
お釈迦様も悟りを開いてすべてが解決したのじゃ。
迷いの中にいる者には訳が分からないのは当然なのじゃ。
「迷いの中にいながら分かろうとしている」ことが根本的に間違っておることに気付くことが大切じゃ。
仏道に励んで悟りを開く以外には解決はないのじゃ。 >>639
その悟りが非常に遠くにしか感じられません
現実問題に思えない
簡単に人間的、物理的条件の変化などに心が打ちのめされている弱い人間には >>641
たゆまず努力精進していれば、
遠くに思えていても、今起きるかも知れんのじゃ。
迷っている状態の頭で理解しようなどとは思わないことじゃ。
迷いの頭で理解してみても妄想の理解に過ぎないのじゃ。 鬼和尚さん
私の部屋には見えない隙間からムカデなどの虫が入ってくるのですが、
虫を殺すのは悪いことですか?
生命を殺すことは良くないし、心が痛むのですが、害がある虫に対してはどうするべきなんでしょうか。
寝るときに虫が気になってしかたなかったり、他人を呼ぶのに躊躇してしまって悩んでいます。 >>633 一切の恐れの原因は最後には自分があるという観念に帰るのじゃ。
自分があるという観念から全ての恐れは生じるのじゃ。
恐れの根本原因は自分があるという観念なのじゃ。
そうであるから今の自分の知ることの出来ない原因は無いといえるのじゃ。
安心して苦を滅するとよいのじゃ。
>>634 そうじゃ、自分が無くなるという恐れじゃろう。
それが修業の妨げになるならば観察して無くすとよいのじゃ。
それほどでもないならば放って置いてよいのじゃ。
そのように感じられることは死を思う役に立つといえるのじゃ。
そうじゃろう。
死から逃避し続けてきた大抵の人間は、逆に死のことも本気で思えなくなるものじゃ。
おぬしには高所の恐れが死を思うのに役立つかしもれんのじゃ。
死もまた修行を導く道しるべと言えるのじゃ。
>>635 それもありのままに観察すればよいのじゃ。
死の恐れそのものを恐れ、逃避していると観察するのじゃ。
そうすればそれもなくなるのじゃ。
>>636 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 >>637 もっと楽になるためじゃ。
今苦を滅すれば永遠に安楽になれるのじゃ。
お得な時間なのじゃ。
死んだ後にはそうはなれないのじゃ。
>>643 自分の身体を守るためにはよいのじゃ。
害意を持って生き物をいたずら殺傷するのが悪なのじゃ。
生き物を食べるのも自分の肉体を保つためであるからよいのじゃ。
虫なども放って置くと自分の身体に害があるならば退治してよいのじゃ。
殺虫剤とか虫の来ない薬とかを使うのじゃ。
穴もふさぐとよいのじゃ。 >>644
ありがとうございます。
修行に役立て観察して参ります。 鬼和尚、西式健康法の「朝食抜きの半日断食」を半年以上実行していますが、
なかなか慣れません。
とにかく腹が減って、力仕事(たまに)が億劫になります。
このまま続ければ慣れますか? >>645
初めの人間か生物は何故発生したのですか
発生前にカルマがあったんですか >>646 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>647 続ければ慣れるが、腹が減ったら寒天とかを食べてよいのじゃ。
断食は摂取カロリーを減らし、腸をきれいにするためであるからのう。
試してみるとよいのじゃ。
>>648 人間と言うものが特に発生したわけではないのじゃ。
獣から賢くなっていったのじゃ。
それも苦から逃れたいとか向上したいと言う想いからなのじゃ。
鬼和尚の古いスレで阿頼耶識は首の後ろ側にあるというようなやり取りを拝見したせいか、日常の瞬間に、ふと首の後ろに意識を感じる時が出てきました。ほんの一瞬ですが、自分という乗り物に乗っているような、少し離れた感じの、傍観者のような意識です。
そこに集中していたらうっかりすれ違う人との距離感を取り忘れて近付き過ぎてしまいました。
今まで、自分の意識や感覚を探した時に何処に感じるか…と探すと、大体、目のあたりに自分を感じていました。今も、心とか心臓付近より、頭、目の奥あたりに、自分を感じます。
(これは思考に同一化しているのでしょうか??)
ところが、その首の後ろの意識からだと、目が自分より上にあるように感じました。
自分を感じる中心点(?)がズレるのは珍しいというか今まで感じられなかった感覚でした。
この感覚に集中することは修行にとって有益でしょうか?この感覚と観察は思い込みなど誤ったものではないでしょうか? 街を歩いていると刺激や誘惑が多すぎます。
宣伝広告の類とか、美人や露出の高い人などを見ると気の休まる暇が無い。
街を歩くな人を見るな、と言われてもそんな簡単には実行できない。
刺激の多い場所にいても心惑わされず囚われず疲れずにいれる方法を教えてください。 >美人や露出の高い人などを見ると気の休まる暇が無い。
私は癒されます。田舎在住だからジジババばかりです。 世の中には平和や平等のために活動する人がたくさんいますが
本当にそれらを実現へと導ける人とそうでない人との違いはどこにあるのでしょうか? >>645 >>643です。自分の保健のためには退治してもいいんですね。食事はともかく殺すべきではないと思っていました。
柔軟に対応しろということでしょうか。
他の質問です。
殺虫剤が虫などの害から体を守るのと同じように、武器にも自衛の目的があると思うのですが、
人間同士がそれぞれ武器を所持していた場合や、国々が核武装している場合、それ自体が戦争の原因になりかねない
と思います。
これは日本国が抱えている問題でもあると思うのですが、どうすれば平和を維持できるのでしょうか。 >>650 よい修業になるのじゃ。
その感覚は思い込みではないのじゃ。
意識の集中で起こるものじゃ。
やがて意識は肉体の外にもあるとわかるじゃろう。
どんどん実践するとよいのじゃ。
>>651 町を歩くときに修行者は前方一メートル位先を見て他のものは観てはいけないと言うのじゃ。
或いは広告はみずに美人だけをみるとかするのじゃ。
選択的に観れば目もそんなに疲れないのじゃ。
露出が高くても不細工とわかればみないようにできるからのう。
>>654 私心があるかないかで違うのじゃろう。
本当に私欲でなく平和に心身を捧げていれば他人も感動して多数の者が付き従うのじゃ。
そうすれば政治も動くしかなくなるのじゃ。
私欲で動けば他人に見透かされて孤立し、何も出来ないのじゃ。
人を動かすのは私欲の無い誠実な心なのじゃ。 >>655 そうじゃ、囚われなくてよいのじゃ。
互いに誠意を持って話し合う内は平和で居られるのじゃ。
それがなくなると戦争になるのじゃ。
なかなか難しいことであるがのう。
戦争になるのもお互いに騙しあって疑心暗鬼に陥り、恐れが広がって暴発すると言うことがおおいのじゃ。
>>636
超能力てゆうと怪しい感じするけど、世の中お金欲しさの詐欺だけじゃないみたいだよ...
センセの場合診察後雑談とき何気なく見せたりだから...
たとえば缶ジュース飲みたいて言う。
したらガチャンとどっからか缶が落ちてきて...
オニギリんときもあった。
天井に仕掛けは無さそう。
出てくるの1秒とかそれぐらい。
仕掛けを使うにしても早すぎるし、あれはほんとどうやってんだろ?
ごめんね、さとりに関係ない話で。(汗) 悟ってそのまま死ぬ人もいるとの事ですが、どのように死ぬのですか?
食事をとらずに衰弱死なのですか。
それとも、肉体の機能をコントロールすることができるのですか。 役に立つ直観は智慧と言えますか?
それは何処から生じるのですか。 因があっても、縁が無ければ何も起きないのでしょうか?
因は自らの行いそのものですか?
縁はどのように生じるのですか?
>>660-662
さとると迷わないから、衰弱とか変なことしないみたいだよ...
松果体ゆるむとよく気づくようになります。
ご縁は気づきそのものです。 鬼和尚、疑心暗鬼から感情が暴走し体を悪くして逃避に至るパターンを
これまでの人生の要所要所で繰り返してきました。
どうしたらこのループから脱出することができますか?
他人の言動に影響を受けやすい脆い自我が原因だとは見えます。 >>660 食べないで死ぬのじゃ。
マハリシも座ったままで食べなかったというのじゃ。
信者が口に食べ物わいれていたというのじゃ。
>>661 言えるじゃろう。
無我の意識からなのじゃ。
自我が働く直前に智慧が働くのじゃ。
>>662 縁が無くとも起こることはあるじゃろう。
因とは直接的な要因であり、縁とは間接的な要因なのじゃ。
例えば例えば雨で地面がぬれていれば滑るじゃろう。
地面が雨でぬれていた事が直接的な原因であり、滑りやすい靴を履いていたことが間接的な要因と言えるのじゃ。
滑りにくい靴を履いていても地面がぬれていては滑ることはあるじゃろう。
行いが因となることもあるじゃろう。
縁はさまざまな因縁によって起こるじゃろう。 >>664 それを正しく観察するのじゃ。
それが本当の原因ならば既に解消しているのじゃ。
何が疑心暗鬼を起こすのか正しく観察して原因を探すのじゃ。
親がいつも人を疑えとか教えたからかもしれん。
友達や親類などに裏切られた経験かもしれん。
そのような真の原因を探して観察すると善いのじゃ。 我々が暮らすこの社会や都市は虚像なんでしょうか?
時々思うのは、この社会や都市が夢や幻の中の世界のように感じる。
どこか儚くてあやふやな感覚です。
生活の中で「現実感」というものを感じていたい。
その感覚を研ぎ澄ますために、何をすればいいでしょうか?
そもそも本物の「現実」は一体どこにあるんでしょうか。
悟りを開いた人から見て「現実」とは何ですか。 鬼和尚、人生が嫌になってきました。
私は一人暮らしで、田畑の管理(作物は何も作っていない)をしてます。
草取りやら草刈りをしています。
田舎は頭脳流出で、知的な人は一人もいません。
近所には話し相手がほとんど居ません。
私は教師を50歳で辞め、母の面倒をみて、母が亡くなって4年経ちます。
生きる張り合いがないのです。
何かアドバイスをお願いします。 鬼和尚、ご無沙汰しています。
名を返すと言ったのに、何故だか今法から離れては大変なことにならないか、
だとかいろいろな恐ろしさを感じてしまいました。
申し訳ありませんでした。
あまり言葉にできないのですが、
他人や自分を客観視する力が
私にはほとんど働いていなかったようです。
漠然と、他人と不和をもたらしていたのはこれだったのではないかと
考えているのですが、正しく観れていたのでしょうか? あと、自分の性質が相当自分にとって都合が悪く、
嫌なものだったりした場合、
強烈に苦しいものになりますが、
大抵、気づきのあと徐々にそれがやってきます。
それも同様、囚われてはいけないものでしょうか? 思考を観察するには、どの辺に意識を置けば良いでしょうか?
感情の観察は、主に肉体感覚として観察出来たのですが、思考の場合はどのように観察し、距離を感じることが出来るでしょうか? 数息観をしているとき、
落ち着いてくるとじわじわ夢の意識に侵食されてハッとなったり、自然に体が傾いてビクッとなる時があります。
これは集中が足りずNGですよね?
眠気の対処の仕方はありますでしょうか?
また、眠気とか睡眠の意識とは何なのでしょうか?自分がじわじわ飲み込まれるような感じがします。 >>667 虚構なのじゃ。
今ここにあり、観察できるものが現実と言えるのじゃ。
思考するのではなく、今ここにあるものを実際に観て触れて味わい感じるのじゃ。
そうすれば現実が感じられるじゃろう。
>>668 それはこうありたいとか捉われることがあると思うのじゃ。
今ここにあるものを観ればただ存在するだけで喜びが有ると知れるじゃろう。
昔、子供の頃などに楽しかったとか面白かったとか感じていたことをやってみるとよいのじゃ。
一人ならばもはや笑うものも居ないのじゃ。
子供の頃はただ野山を駆け回ったり、川海にいくだけで楽しかったじゃろう。
そのような喜びを取り戻したらよいのじゃ。
>>669 おぬしがそう気付いたならばそれでよいのじゃ。
正しく気付いたならばそれだけで変るじゃろう。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>670 そうじゃ、囚われてはいかんのじゃ。
なにものにも囚われずに進むのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>671 おぬしがそれが起きていると感じるところに意識を置けばよいのじゃ。
わしは脳の前方に思考が起こると感じるがのう。
人それぞれ違うから自ら観察して見分けなければならないのじゃ。
それもまた修業なのじゃ。
>>672 それもよいのじゃ。
NGとか思わずに流していけばよいのじゃ。
眠ってもよいのじゃ。
その間も意識があると気付いていれば深い瞑想に入っているのじゃ。
眠りは肉体の休眠なのじゃ。
意識が肉体に同化していると自分が飲み込まれるように感じるのじゃ。
さらに熟達すれば肉体が完全に寝ても意識は肉体に縛られずにあると気付くじゃろう。
それまで精進あるのみなのじゃ。 >>657 恐れが戦争の原因であるということは、日常で起こる喧嘩と根本的には同じことですね。
まずは自分の恐れをおさめていきたいと思います。
質問に答えていただき、ありがとうございました。 >>674
ありがとうございます。
私も先日、首の後ろあたりから観た時、思考すると頭の前の方に感覚を感じました。
普段の私は、主体の感覚が頭にあるようです。丁度目の後ろあたりに自分があり、視界を見ている者であり、思考と距離が無い感じです。
なぜか、買い物しているときにふと、首の後ろあたりの視点が起き(?感じ?)ます。(何故買い物なのかはわかりませんが… ふだんと違う場所の方が投射が無く客観的になるのかもしれません)
なので、意識の先ではなく、観る主体を何処に置くべきなのかお聞きしたいと思いました。
しかし、今のところ主体の感覚は自由に動かせるものではなく、
意識的に首の後ろに集中してみても、「目の後ろにいる自分」が「首の後ろを意識している」感じになり、何か違う感じです。 >>674
眠気についてもありがとうございます。
NGとか思わなくて良いのですね。
そのようにしていけるよう精進して参ります。 >>675 どういたしまして、またおいでなさい。
>>676 強く集中していると、意識の先が観る主体になるのじゃ。
対象と一つになり、そこから観るのじゃ。
それが集中の次の段階なのじゃ。
今は意識的に出来なくとも、続けていればできるようになるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
>>677 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 昔、体だけの関係だった女性がいました。
デートっぽいこともしましたが、恋とか愛という感情は二人の間には無かったと思います。
彼女は情緒不安定なところがあって、訳もなく急に泣き出したり泥酔して深夜に突然押しかけてきたり
突飛な行動が多い人でした。生まれた時から父親がいなかったそうです。
初めて会ったその日に関係を持ちました。
とても軽い感じだったのですが、自分も欲望があったから深く考えずにお互い求め合いました。
しばらくそんな日々が続いた後、なんとなく気まずい雰囲気になって自然と会わなくなりました。
正直、幸せそうな人に見えなかったので私も都合のいい関係で終わらせたいという気持ちがあったのかもしれません。
彼女も私も心の中の欠けた何かを必死に埋めるように快楽だけを貪りあっていたような気がします。
いま彼女がどんな風に生きているのか複雑な心境ですが、もう忘れて考えない方がいいですか? 行きずりの軽い関係だったのじゃ。
お互い感謝して別れたのじゃ。
とらわれなくて良いのじゃ。 >>679 考えてよいのじゃ。
その女子はもしかすると愛を求めていたのかもしれん。
もっと慈悲を持てばよかったのかもしれん。
そのように省みて次の女子には慈悲を持って接するとよいのじゃ。
鬼和尚、歌舞伎聚楽主という経がありますが、
いわゆるコメディアンは危ないと
お釈迦様はその経で話しています。
この質問者はおそらく修行者ではなかったのだと思いますが、
にもかかわらずお釈迦様はかなり強い口調で警告しています。
本当に危険なのでしょうか? ディズニーランドやUSJみたいなテーマパークって、虚構を売り物にして
客はその虚構の世界を本物であるかのように楽しんでる訳ですが、虚構に虚構を上塗りしたような
安心安全に楽しめるファンタジーを求める心が人間にある事を運営側も知っていて経営してるんでしょうかね?
それが金儲けになるとわかっている、と私には思えてなりません。
善い悪いの話ではないんですが。
その虚構がストレスの発散になるのなら悪いものでもないかなと思うんですが、
虚構を所詮は虚構だと気づくのが大事ですか?
虚構にも役に立つ側面や意味というのは存在するでしょうか? >>682 毎日一所懸命勉強したんじゃろう。
日々の精進が大事なのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>683 それはお釈迦様の言うとおり、無意味な事で人心を弄するならばそうじゃろう。
時間を浪費し、間違った思想を植えつけてしまうからのう。
慈悲が大事とか勇気が必要とか教えるならば善にもなるのじゃ。
どんな職業も心がけ次第なのじゃ。
>>684 わかっているじゃろう。
そうじゃ、それが大事なのじゃ。
慈悲が大事とか、勇気が必要とか教えるならば、善にもなるじゃろう。
本人に善意があるかどうかが基準なのじゃ。
>>684
あー。でも遊園地のたぐいは分かりやすい虚構だよね。虚構なんだけど分かりにくくなってるものの方に気を付けた方がいいと思うよ。
例えば TV CM なんか虚構が山盛りだよね。コーラ飲んだってスッキリするかどうかなんてわからないもんね。
CMって製品そのものは本物だけどそれに付随するイメージを植え込んで洗脳してるようなもんだからね。
かといって競争になっててみんなでそんな宣伝しちゃってるもんだから止めるに止められない。止めれば売れなくなって市場から消えて会社も潰れかねない。 ネット炎上はあちこちで起こっていることで、
晒しあげて火をつけた者だけでなく盛り上げて加担する者も山ほどいて
すさまじい人数が関わってるわけですが、これってイジメですよね?
知人間でのイジメなら、その悪事の報いを受ける状況は考えやすいですが
ネットの場合、自分は反撃を受けない場所から石を投げるわけです。
基本的に匿名でやりますし自分は犯罪者にならずに相手を攻撃できる快感からか
自殺に追い込むレベルの個人攻撃も平気で行われます。
ブッダの教えでは、どこまでいっても必ず行為の報いは受けるとのことですが
ネット越しにやった行為は誰にもばれない場合が多いし、被害者からの報復もよほどのことがなければ
考えにくいです。
それでも行為の報いは本人が必ず受けるものですか?
誰にもばれない悪事の報いとはどのようにやってくるものですか?
理屈や原理としていまいち理解しにくいです。
1人を囲って大勢の人間が石を投げるような行いが現代においても形を変えて行われているなんて恐ろしいことです。
人間の心はいつの時代も変わらないとのことなので、法律や文化が変わっても
これから先も形を変え起こり続けるでしょうか? >>689 それも悪といえるじゃろう。
報いはやってくるじゃろう。
自分の心が自分に報いるのじゃ。
無意識に自分に不利なことを行ったりするのじゃ。
自分の心は誤魔化せないのじゃ。
いつの世にもいるものじゃ。
これからもいるじゃろう。
いずれは全ての者が居なくなるじゃろう。
今の世に生まれた幸運を生かすのじゃ。 修行とはそんなに価値があるものですか?
死を超える法が本当にあるかどうかも不明なのに。
どうしても生きる目標が見つからない、愛する人も趣味も好きな仕事もない、この世は無常で虚しい。
そんな虚無感から逃れたい一心で修行する。
そういう逃避的な動機で修行の道に入っても大丈夫でしょうか? 至福も永遠も欲しいと思いません
ただ無になりたい消え去りたいです 鬼和尚さんは今まで何冊くらい本を読まれましたか?
あと仏教以外の本でおすすめあったら教えて頂けると嬉しいです。 >>693>>694
簡単に言ってしまうと苦があるってことだよね。
だったら悟ることになるかどうかは別としても一つでも苦を無くせた方が良いよね。
それはつまり背負っている荷を下ろすようなもの。 >>693 この世で唯一価値のあるものじゃ。
他の全ての行いは虚しく消え去るものであるのに修業とその成果は辞めない限り永遠に繋がるものになるからのう。
大丈夫なのじゃ。
それもまた無常観から起こる発菩提心といえるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>694 そのようなおぬしも修業に専念するとよいのじゃ。
自分が見られたならば、自分は消え去るじゃろう。
わしのブログを参考に止観にはげむとよいのじゃ。
>>695 もはや数え切れないのじゃ。
西式健康法とかを読むとよいのじゃ。
健康になるじゃろう。
ヨーガとか気功法も読むとよいのじゃ。
ヨーガスートラとかオショーの本とかクリシュナムルティの本とかも読むとよいのじゃ。
>>697 毎回丁寧に質問に答えていただいてありがとうございます。おすすめされた本を読んでみることにします。
>もはや数え切れないのじゃ。
沢山本を読まれていたんですね。
実は、本を読んで知識を身につけるべきか迷っています。
修行者にとって、覚者の言葉は非常に価値あるとは思うのですが、
生活していく上ではそれ以外の知識も必要だと考えています。
健康法や覚者の本以外の、例えば科学の本や、西洋哲学の本も読まれていると思いますが、
それらの知識はそこまで重要ではないのでしょうか? ★植物油は最悪の食べ物★
植物性なら安心なんて大ウソ!生活習慣病には「サラダ油」が一番危険
毒を食べているようなもの
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50458
http://i.imgur.com/qhs4y6R.jpg
炎症がうつ病の原因 2015.12.9
http://i.imgur.com/QAAmA1j.jpg
Mシェイクの作り方(ラクトアイス=偽アイス)
3割が植物油
http://i.imgur.com/hhsp6qP.jpg
http://i.imgur.com/Ebxqx4k.jpg
「ラクトアイス」と表記されていたら、まず主成分は植物性ミルク(油)です。
http://athena-minerva.net/tabemono/77/
ダダモ博士のNEW血液型健康ダイエット (集英社文庫)
O型とB型は小麦、とうもろこし、蕎麦を食べると体調が悪くなり太ります
http://www.amazon.co.jp/dp/4087604330
シリコンバレー式 自分を変える最強の食事
ハリウッドセレブ御用達! NYからシアトルまで、全米の食生活を劇的に変えた大ベストセラー!
https://www.amazon.co.jp/dp/4478039674
炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学
(夏井睦 光文社新書 2013/10/17
http://www.amazon.co.jp/dp/4334037666/ ★★★最強の薬物は果物(柑橘類)です★★★
柑橘類を1日10個以上の食べると統合失調症、うつ病が治ります。
音に敏感な統合失調症の人は柑橘類を1日10個以上食べてみてください。
炭水化物(米、小麦=砂糖)、砂糖を食べないで柑橘類だけ食べてください。
「フルーツだけ生活」の意外すぎる健康効果
2009年9月から6年半、フルーツに代表される「果実」だけを食べて生活している人物がいる。
フルーツマニア、いやフルーツ研究家の中野瑞樹さんだ。
http://t■oyokeizai.net/articles/-/115076
みかん
みかんの「スジ」は実の100倍栄養がある
血はもちろん、血管そのものを丈夫にする働きがある
心臓や筋肉の機能を正常に戻す
目の病気になったら、みかんを食べると改善への近道となることが分かっている
体のあらゆる傷の治りを早める
https://m■atome.naver.jp/odai/2134979074539618901
断糖と高濃度ビタミンCで癌と闘え 西脇俊二(ハタイクリニックの医師)
統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。
U型糖尿病、通風、高血圧は2週間で治る。
糖は腎臓の塩分や尿酸の排出機能を阻害する。
タレは糖が入ってるからダメ。
葉野菜の葉っぱの部分だけならOK。
もっとも老化を引き起こすのは糖とタンパク質をともに加熱したもの。
http://i.imgur.com/MmLHog5.jpg
http://i.imgur.com/hm0OLR0.jpg
Q 音が気になる人はどんな人?
A 炭水化物(砂糖)、砂糖を食べて統合失調症、うつ病、身体障害者になった人です
Q 炭水化物(砂糖)を食べるとどうなる?
A 統合失調症、うつ病、身体障害者になります
Q 解決策は?
A 柑橘類(果物)を1日10個ほど食べて、炭水化物は食べない・・・で治ります
Q 米、小麦を食べてる人は統合失調症、うつ病、身体障害者なんですか
A そうです >>698
教養は必要なのじゃ。
いろんな本を読むと良いのじゃ。
わしは2000冊以上の本を読んでるがのう。
お薦めの本はたくさんありすぎて一概には言えんのじゃ。 >>698 重要ではないが興味があるならば読んでみるとよいのじゃ。
知識は無駄にならないじゃろう。
囚われなければそれもまた智慧になるものじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 記憶が観念なら、写真に写っている像は一体なんなんですか?
そこにハッキリ過去の出来事が写っているので、過去にあった出来事だと認識するのが普通だと思います。
写真は一体、何を現しているのですか?
例えば死んだ親の写真を見て、失った悲しみや寂しさがこみ上げてくる。
果たして人生を悔いなく生きることができたのか、死んでなお心配してしまう。
どうしても写真を虚像だとは思えない。現実に親が歩んだ軌跡の瞬間の記録だ、と認識してしまう。
写真を見るから過去に囚われて苦しみや執着が生まれてしまうんでしょうか。 >>704
写真は写真じゃ。
過去にとらわれなければ良いのじゃ。
今を生きるのじゃ。 >>704
それは「唯識」を理解すれば解決するのじゃ。
そういう諸々の疑問を解決した仏教哲学が「唯識」なのじゃ。 >>704
記憶か写真かの問題ではなくて、この人はこういう人であるという自分の頭の中で作り上げた人物像が観念で、それが真実と違っているために虚像になってしまうということ。
役者が演じる芝居の中での人物が架空の人物で本当は存在していないのと同じようなもの。そこに体はあるだろうが役の上での人物の体ではない。
あくまでもそのようなものであると頭の中で勝手に思いながら見ているだけだ。 >>704 それもまた観念の記録に過ぎないのじゃ。
写真に写る形象を山とか海とか親とか認識するだけなのじゃ。
それを見て感情が起こるのも因縁なのじゃ。
観察すれば感情も起こらなくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 鬼和尚さんは悟りの至福を山や海や全てのものとの一体感なのだというような事をいっていましたが、山や海は観念なのに家の中でも山や海との一体感を感じるのですか?
悟りのなかにも観念があることになりますが、分かりやすく説明しただけですか? 鬼和尚さんは地域の人たちから自治会長になって欲しいと頼まれたら、
快く引き受けますか? 鬼和尚、お母様はお元気ですか?
食事はお母様に作ってもらっているのですか? >>709 衆生が海とか山とか観念として捉えているものを、ただ一つとしるのじゃ。
それは観念をなくした状態なのじゃ。
説明の為に海とかやまとかいうのじゃ。
>>719 ひきうけるのじゃ。
なんだかしらんがのう。
>>711 元気なのじゃ。
ママンが作っているのじゃ。
わしもソーメンとかラーメンをつくるのじゃ。 >>703 鬼和尚さんが西洋哲学などには触れていないのが興味深いです。
やはり西洋の考え方というのは悟りとは違うものなんでしょうかね。
>知識は無駄にならないじゃろう。
>囚われなければそれもまた智慧になるものじゃ。
>実践あるのみなのじゃ。
色々読んでみることにします。私は鬼和尚さんから教えていただいたことや、仏教の教えに
観念として捉え、それに囚われていることにも気づきました。気をつけていきたいと思います。 夢だとか、瞑想中に考えている雑念だとかを見ると、
今更変わるわけがないだとか、どこをみてもネガティブなことばかり
考えていることがわかりました。
どのように観察すればよいのでしょうか? >>714
上記の事に関して、もう何度も質問してしまっています。
おそらく、依存心からです。
回答は不要です。失礼いたしました。 僕の実家は地方の農村にあり先祖代々、農業を営んで暮らしていました。
時代の移り変わりと共に、村の人口は激減し若者は都市へ流出。
土地の価格も下がり、村は消滅への道を着実に歩んでいるように思います。
僕の親世代や親戚は「家」を継いで守っていく事に頑なな執着を抱えていました。
しかし僕ら若者世代は皆、しがらみを嫌い仕事を求めて大都市へ移住しました。
もはや農業では食べていけず、村には仕事も無く空き家や廃墟が増える一方です。
先祖が残した土地、家、血縁。
これらを受け継いでいく事に価値を見出す人がいるのは、心情的には理解できます。
しかし全てが移ろいでゆく世の中で、土地も家も墓も永遠に守るのは不可能のように思うのです。
いずれは滅びてゆく家や血縁に執着する事にどれほどの意味があるのか。間違っていますか?
ただ、感情がその思いにブレーキをかける時があります。
礎を築いてくれた先祖や親世代を落胆させる悪い行いなのではないかと、不安な気持ちがあります。
そして情が湧いてしまってるのかもしれない。家を守ろうとすれば先祖は喜び善行になるのでは、と。
なかなか心の整理がつかないので、何かアドバイス頂けませんか? 鬼和尚、>>717が書いているような過疎の町に住んでいます。
私は教師だったので仕事がありました。
しかし、色々な事情から50歳で仕事を辞め、60歳を超えました。
その間にしたことは、母の世話、施設に入った母の面会、田畑の管理、
デイサービスのボランティア、座禅会への参加ぐらいなものです。
母が亡くなってからは、何か善い事をしたいと思いつつも、何をしたら
いいかわかりません。デイサービスのボランティアは人の役に立つ事ですが
私には向いていませんでした。
私はどのようなことをすれば、人の役に立つのでしょうか? >>717
土地や家は人が生きていくために利用する道具であって土地や家を守るために人が生きているわけではない。それだと本末転倒だ。
それに道具のために犠牲になるような事を先祖だって望まないだろう。これは逆に考えてみればなんとなくわかると思う。
あなたの子孫があなたの残した財産を守るために犠牲になることをあなたは望むのか?望まんでしょう?
犠牲になるぐらいなら全部捨ててでも生き延びて欲しいだろうし生き延びる事の方が重要でしょう?
財産なんて死んだら使う者がいなくなって終わりだしね。命をかけてまで守るようなものではない。
それに生きてればまた財産は作れる。生死が掛かる程の事ではなくてもそれが苦になるのなら捨てれば良い。 偽和尚さんは自分みたいな普通の者より修行が進んでおられると思いますが
偽和尚さんでも苦しみが生じたりしますか?
または、楽しみがあったりしますか? >>722
偽和尚は和尚でもなんでもないフツーの若者だよ。
単に自分が思ったことを適当に書き込んでいるだけの人。
「ま、」の人と同じ。 >>713 違うものじゃ。
そうじゃ、学んでも囚われずに進むのじゃ。
またおいでなさい。
>>716 よかったのじゃ。
またおいでなさい。
>>717 それらもいずれはなくなるものじゃ。
囚われなくてよいのじゃ。
先祖は既に生まれかわっているじゃろう。
墓には居ないのじゃ。
今の自分の為に活かして使うとよいのじゃ。
>>718 田畑を使用していないのならば、細かく区切って人に貸すとよいのじゃ。
レンタル菜園なのじゃ。
庭の無い家の者に借りたい人は多くいるというのじゃ。
人の役にも立ち、収入にもなるのじゃ。
>>724
鬼和尚は東京住まいだから過疎の町の現実を知らないのですね。
私の町は10数年ほど前に合併し、人口23000人でしたが、
10数年後の現在、17000人になっています。
10数年間で6000人も減りました。
だから、管理しにくい田畑は放置されてきています。
そういう耕作放棄地が増えています。
鬼和尚の言うようなレンタル菜園なんて成立しません。 >>723
フツーだとは思えません
自分のような凡夫と鬼和尚さんの間を繋げてくれていると思ってます
ですから、いきなり雲の上に感じる鬼和尚さんではなくて偽和尚さんの意見が聞きたいと思いました >>726
鬼和尚は雲の上の存在ではないのじゃ。
おぬしと同じように、この地上で飯を食ったり糞をしたりして生きている人間なのじゃ。
間をつなぐ者などは要らないのじゃ。
世間でも伝達者を介すると間違いが生まれることが多いじゃろう。
すべて鬼和尚から直接教えてもらえばよいのじゃよ。 >>722
悟ってないから普通にそういうのはあるが、長続きはしないかな。
感情が発生しても巻き込まれづらいというか同一化しづらいというか。 鬼和尚、血小板の数値が7000の方に、血小板の数値を上げるためのどのようなアドバイスをしてあげればよいでしょうか? >>725 おぬしも東京の現実を知らんのじゃ。
レンタル菜園などは客が多くて順番待ちなのじゃ。
週末に車で来て畑仕事をして帰る者も居るのじゃ。
調べてみるとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>730 先ず食べ物を変えるのがよいのじゃ。
ジャンクフードとか肉はやめるとよいのじゃ。
食べてもよいのは鶏肉と薄い魚ぐらいなのじゃ。
野菜とか果物を多く取り、ビタミンCを多く含むキウイとかレモンをたべるのじゃ。
西式健康法とかヨーガとか気功法をするとよいのじゃ。
>>731 いまきたのじゃ。 >>712
横からですが、昔町内会の役割などのしがらみを鬼和尚さんはやりますか、そこで
生きている限りやらないとは言いにくいと思うのですが、と質問したらやらないと
言っていましたよね
実際はやるんですか、鬼和尚さんは近所の人と会えば挨拶する知り合いなのですか? >>732
鬼和尚は東京の事しか知らないのですね。
一度、地方の過疎の町を歩いてみるとよろしい。
若者は仕事がないから都会に出て行き、残っているのは老人ばかりです。
家庭菜園なんか、都会からは遠すぎて成り立ちません。 親や先祖がいないと自分が生まれなかった、自分を産み育てて苦労してくれたと考えれば
やはり親や先祖は敬い大切にしなければならないですか?
しかし人間的に尊敬できなかったり子に負担をかけてばかりの親も数多くいます。
親や先祖とはどのように付き合っていくのが一番いいでしょうか?
長く一緒にいると感情的な囚われもあり、どんな性格でも親なんだから大切にしなきゃ。
そう思う気持ちもあれば、親の意向より自分の意志の方が大事だとも思ったりする。
しかし関係が悪くても全てを捨ててしまう自分が冷酷非道に感じます。
それは悪行とは言えませんか? >>735
自分の人生を納得できない理由により犠牲にしてしまうことの方が冷酷非道ではないかな。生きたがっている者を殺すようなもんだしな。 >>729
遅くなってすいません。
ありがとうございます
感情に巻き込まれないように気をつけていきます 私も1年だけ東京に住んでいたことがあります。
高田馬場の近くです。ある事情で早稲田でアルバイトしていました。
仕事はあるし、刺激もある。
でも、一生住もうとは思いませんでした。
自然が無いからです。あったとしても人工的な物ばかり。
そんな人工物の中で人間は正常に育つのでしょうか?
疑問です。 鬼和尚は資産になるようなものは身近な所にいくらでもあると語られていましたが、
そのようなものをうまく見つけられるようなコツや発想力を高める方法について教えてもらえますか?
私やその他一般人が中々そういうものを見つけられないのはやはり常識にとらわれているからでしょうか?
お金に強欲になり過ぎないようにとは思いますが、
一度大きな病気をしているので生活する上で金銭面の不安はありますし、周囲にそのことで迷惑はかけたくないのです。 >>733 やるときもやらないときもあるじゃろう。
状況しだいなのじゃ。
挨拶はするのじゃ。
>>734>>739 そのようにやらない理由ばかり考えていては、何もできないのじゃ。
それらは全て他人に畑を貸さない理由にはならないのじゃ。
おぬしは何か自分に出来ることを探していたのではなかったのかのう。
自然に飢えた者は遠くともいくじゃろう。
>>735 親だけでよいのじゃ。
顔もしらない先祖は思うことも出来ないのじゃ。
感謝すればよいのじゃ。
お釈迦様も親と国を捨てたのじゃ。
自分の目的のために生きるのじゃ。 >>738 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>740 例えば自分が深く知っている趣味のことでも情報を売る資産は作れるのじゃ。
自分の好きなことや楽しんでしていることがそのまま資産を作る情報となるのじゃ。
他人がよくしらないことを教えることで、その情報を売ったり、関連する商品をうることもできるのじゃ。
それらで一度、稼げる仕組みを作れば、延々と金を生む資産になるのじゃ。
自分が楽しめることでないと途中で嫌になってやめてしまうから資産にならないのじゃ。
多くの者がアフィリエイトとか情報販売とかをしても挫折するのはそれを知らんからなのじゃ。
そのように自分が楽しめることで資産を見つけるとよいのじゃ。
>>741 いまきたのじゃ。 >>718 >>717
よいアイデアがあります。
その土地を鬼和尚に寄進すればどうでしょう?
鬼和尚はそこに天空時と瞑想道場を造るのです。
人々が集まって来たら浄財の一部があなたの手に渡るようにすればよいでしょう。 私はお金が欲しいのではありません。
生きていくだけのお金は十分にあります。
>>744の言うようにしてもかまいません。
2反の何も植えてない田がありますから、そこを利用すればいいです。
人口が急激に減っている超過疎地ですから、他を探せばもっと条件の
いい土地もあるでしょうけど。
「聖者の住む土地は楽しい」とダンマパダに書いてありますから、
私も大歓迎です。
鬼和尚が自由の身になって田舎に拠点を持とうとするならば、喜んで
寄進します。@兵庫県の片田舎 瞑想などによって人生の苦や物事への執着が少なくなっていくにつれ、
人間関係というものも減っていくのが普通ですか?
あるいは人それぞれですか? >>744>>745 何か保存できるものを作って無料でユニセフとかに寄付するとよいのじゃ。
そうすれば善事になるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>748 大体減るじゃろう。
孤独感とか寂しさだけから繋がっていた人間関係がなくなるからのう。
ただ暇をつぶすだけの関係ならばなくなってもよいのじゃ。
ざっと読んだ
書籍化はムリ
アラ出すぎだし器じゃないね
次の手考えな >>748
ただ暇を潰すだけ以外の関係なんてあるのですか? 守護霊って存在するんですか?
ご先祖様が守護霊となって守ってくださる、みたいな話はオカルトでよく聞きますが
現実にそんなことがあり得るんでしょうか。
あと呪いって実際に起こりますか?
例えば、封印された祠を壊してそこに眠る地縛霊が怒り、その者に取り憑いて霊障を起こすという類のものです。
これもオカルトでは定番の話。 >>753
守護霊なんて居ないのじゃ。
呪いもないのじゃ。
常に身を慎み、正しい行いを為すのみじゃ。 急な出費などで、今月の生活費?家賃、携帯代が足りなくてお困りの方。
ヤミ金でお困りの方。
保証人、担保不要です。
是非ご相談下さい、詳しくはHPをご覧下さい。
会社にお勤めの方、自営業、フリーター、風俗・水商売など業種にかかわらずお気軽にご相談ください。
エヌ ピー オー 法人 エス ティー エー >>753 >>754
守護霊はいます。
「いない」と言う人は「見えない」だけです。
悟りとは次元の違う世界なので、悟っても見えない人には見えません。
悟っても学問や芸術の能力が優れるわけではないのと同じことです。 >>758
もちろんです。(どんなに悟った人本人が否定しても、ね。) >>749 そのようなものじゃ。
自らの心を可能なかぎり冷静に見渡すようにするのじゃ。
数息観のような瞑想が役に立つじゃろう。
>>752 お互いに励ましあって修業するような関係もあるじゃろう。
そのような関係ならば続けるとよいのじゃ。
よい友と付き合うと善いとお釈迦様も言っているのじゃ。
>>753 いないのじゃ。
呪いもないのじゃ。
生きている人間の意志が一番強いのじゃ。
西洋人は先祖の守護霊も呪いも知らんで元気なのじゃ。 >>762
子孫の安全を守る為です。
親が子を守る気持ちと同じです。 >>763
何の為に子孫の安全を守ってるのですか? >>763
養子はどうなりますか?
自分を捨てたクソ親の先祖に守られるんですか? >>764
子供の安全と幸福の為に頑張っている親に対して
「何の為に子供の安全を守ってるのですか?」と聞く人はいないでしょう。
それが親というものであり、先祖の子孫に対する気持ちも同じなのです。
昔から仏教や神道では親心の大もとは神仏の慈悲心であり、親は神仏の化身
であるという思想があります。
(子供を虐待するような親は狂った〔病気の〕状態であって、本来の親の姿
ではないということですね。)
>>765
養子だろうと実子だろうと関係ありません。
すべての人に、先祖の誰かが守護霊として付いてくれるのです。
兄と弟でも守護霊はそれぞれ別の先祖であることが多いのです。
人類の最初はごく僅かな先祖から始まっているのですから、赤の他人のように思って
いても、実は人類はすべて親子兄弟姉妹のようなものなのです。
守ってくれる先祖はいくらでも居るのですよ。 >>766
鬼和尚も言ってるように守護霊なんていないのじゃ。
人が死んでも100年ぐらいで生まれ変わるのじゃ。
悟った人の知恵を軽んじてはいかんのう。 >>767
悟れば何でも分かるようになる、ということではないのですよ。
「悟れば、分からなくても何の問題もなく生きていけるようになる」ということであって、
それはもちろん大きな価値ではあるのですが、分かるようになることはまた別なのです。
悟ったからと言って台風の予測ができるようになる訳ではなく、世界中の貧しい人に食べ物を
与えることができる力が身に付く訳でもないのです。
我々は守護霊や守護神に守ってもらうことで、安全に仏道の修行を続けることもできるのです。
それが神仏習合の道なのです。 今は肉体の中に自分があるような感じと視点を持っていますが、
悟りの意識では全体になるということは、視点も、自分の中からではなくなるのでしょうか?
幽体離脱みたいに、「自分の体」を外から観察する視点を持ったりするのでしょうか?
(でも目がないと見れないですよね) >>761
ありがとうございます
良い友がいないので独りでいようとおもいます >>769 なくなるのじゃ。
もはや視点はないのじゃ。
主体という意識は無いからのう。
ただ全てであるだけなのじゃ。
>>770 そうじゃ、犀の角のように一人歩むのじゃ。
またおいでなさい。 妻が無口であまり感情を表に出しません。
聞けば、自分の意見を言うと周りから押さえつけられてばかりで、そのうち自分の感情が
わからなくなったと言ってます。時間をかけて考えないと言葉が浮かんでこないそうです。
人付き合いの場面でも僕ばかりが話して、色々と世話を焼いてきたつもりです。
けど自分がリードしてばかりなのも疲れてきました。
自己主張がないので人形と暮らしてるようです。
口うるさい女性よりかは良いなと思ってたんですが、これはこれで別の問題が見えてきました。
こう言った相手の性格や特徴は変えることのできる問題なんでしょうか?
それとも自分が対応を変える方がいいんでしょうか。
夫婦としてどのように付き合い、変わっていけるのか御意見頂けませんか。 私の知人が無口な女性と結婚して30年になります。
電話してその女性が出ると、不愛想だなと感じることも多いです。
でも、夫婦は相性です。 物質を見る時、実際は、目で見ている訳では無いのでしょうか?
夢などは目を瞑っているのに物が見えるので、実際は目で見ている訳では無いのかと思いました。
体とか物質の外観は、
観念が視覚として現れたものなのでしょうか?
見る対象があれば必然的に見る主体が必要になるから、
目という観念が生まれて、現実に映し出されているのでしょうか? 実際は、アストラルレベルとか気のレベルで物事が起こっているのでしょうか?
怪我をして体が傷付くのは、
見えない次元で何らかの現象があり、それが体や出来事の観念に映し出されて、そう見える
ということなのでしょうか? >>776-777
よい発想ですね。
鬼和尚に質問ですが、
鬼和尚は悟っているので、急に全盲になっても困らないのですか?
これまでと同じように幸福感を感じて生きていけるのですか? 鬼和尚は以前に虫歯になっても歯医者に行かないじゃろうと言っていましたが、
目の病気になっても眼科に行かないのですか? >>773 どんどん話を聞いてえらいえらいとほめてやれば話すようになるじゃろう。
好きなことや食べ物について聞くとかいろいろ話をきく方法はあるものじゃ。
長く時間が掛かるかも知れんが忍耐強く聞き続けるとよいのじゃ。
>>776>>777 そうじゃ、記憶から観ているのじゃ。
夢も記憶が材料になっているのじゃ。
記憶に依って観念もあるものじゃ。
傷は実際につくのじゃ。
それを傷と認識するのが記憶による観念なのじゃ。
>>778 困らないのじゃ。
常に喜びがあるじゃろう。
>>779 いかないじゃろう。
薬も役には立たないからのう。
西式健康法とかをするとよいのじゃ。
鬼和尚は歯医者も眼医者も行かないとのことですが、どんな時に医者に
行くのですか? 生まれ変わりを認識する者は何なのでしょうか?
人間や知的生命体は想像がつきますが、虫や動物に生まれ変わる想像がつきません。
自我は無くなるのに、何が生まれ変わるのでしょうか? >>781 いかないのじゃ。
>>783 何も居ないのじゃ。
自分があるという観念があれば生まれかわりもあると認識するだけなのじゃ。
主体無く認識だけがあると思うのじゃ。
記憶に依って記憶あるもの、個我があると思うのじゃ。
それも観念による幻想なのじゃ。 創価学会員の知人と出かけねばならない用事ができてしまいました。
その帰りにお茶しようと誘われ気軽にOKしてしまったのですが
ふと入信勧誘されるのではという考えが浮かび、急に不安になりました。
勧誘を断り集団ストーカーなどの嫌がらせを受けている被害者が大勢いるのはネットで知っています。
嫌がらせをされないよう入信の勧誘を断る方法はあるのでしょうか。
調べれば調べるほど怖い話ばかり出てきてただただ怖いです。どうかお助けください。 >>785
私も創価学会の知人から集会に誘われ、参加したことがあります。
集会は彼らの体験発表会でした。つまらなかったです。
池田大作を称える内容もありました。
後日、知人から入会勧誘がありましたが、私がその気にならないので、
自然と疎遠になりました。
私はお釈迦様を尊敬しています。
悟ってもいない池田大作を尊敬することはできません。
また、公明党は大嫌いです。
断る方法は「お釈迦様を尊敬している」と言えばいいのではないかと
思います。昔のような強引な勧誘はしないと思いますよ。 夏になると女の子が薄着になって惑わされてばかりです。
こないだ街で好奇心に負けて見ず知らずの子の後を尾けてしまいました。
顔も体型も好みだったので、頭の中が真っ白になりました。
途中で我に返ってすぐに離れましたが、僕はいずれ罪人となってしまうでしょうか。
ときどき欲望に頭が支配されて善悪の判断がわからなくなるので怖いんです。
「おい、これはチャンスだぜ」と心が囁くんです。
鬼和尚はセクシーな若い女の子を見ても、本当に1ミリたりとも何も感じないんですか?
触りたいとか、もっと知りたい近づきたい、あれこれしたいとなぜ思わないんですか?
僕みたいな欲望にすぐ負けてダークサイドに堕ちそうな男に厳しいアドバイスをお願いします。 >>784
それでは、自分はあるという観念だけがあるのでしょうか?
虫や微生物も、脳は少なくても、個我の観念を持っているのでしょうか?
その観念を持ち、観続けるもの、
記憶を記録し、持ち続けるもの、
それは何なのでしょうか? 悟ったら産まれて来なくなるというのは、
何が産まれて来なくなるのでしょうか? 私は法華経に興味があって、ずっと自分で法華経を勉強していました。
それで、いつか創価学会の人達とも法華経について話し合ってみたいと思っていました。
ある時、アルバイト先で創価学会の人に会うことがあったので、そのことを話すと、
彼は「それでは支部長に話をして会えるようにしてあげますよ」と言ってくれたのです。
私は楽しみに待っていたのですが、3,4日後に彼が「あなたのような法華経に詳しい人に
講義できる人はいないので無理みたいです」と言われてしまいました。
後にわかったことですが、創価学会の人達は自分自身で法華経を勉強している人は誰もいません。
学会で教えられることを鵜呑みにしているだけで、法華経や大乗仏教の勉強などは全くしていない
のです。だから、彼らは宗教や仏教に無知な人達だけをターゲットにしています。
ですから、彼らの勧誘を受けたくない人は「私は仏教全体を勉強したいと思っているので、今は
特定の宗派の信仰には興味がありません」と言えばよいと思います。 ↑
>>790 は >>785 の人に対してです。 >>785
うーん。俺も昔勧誘されたことあるけど普通に断ってそれ以来何もないなあ。
勧誘の人は当時住んでたアパートの俺の部屋に来てビデオとか見せて色々説明していったので住所から何から何まで全部向こうに筒抜けになったわけだが何もなし。
その人を連れてきた俺の知り合いからもその後何もなし。
なので勧誘する人次第なんじゃないかなあ? >>785 普通に断って大丈夫じゃろう。
最近はおとなしくなったというのじゃ。
教祖が病であるからとかいうのじゃ。
退会した者の話をネットなどで探して覚えておくのじゃ。
入会をしつこく勧められたらその話をして退会を勧めたらよいのじゃ。
>>787 ナンパとかをして彼女を作るとよいのじゃ。
そうすれば犯罪に走らないのじゃ。
犯罪者にならないためならば正しい理由があるから頑張れるのじゃ。
わしは何も思わないのじゃ。
もはや必要も無いのじゃ。
>>788 観念があるというのも観念なのじゃ。
一切衆生に個我はあるじゃろう。
全ては意識なのじゃ。
>>789 生まれてこないものは何も無いのじゃ。
何かがあれば生まれてくるものじゃ。
瞑想すれば恐怖心は減るのでしょうか?
対人恐怖からキョドってばかりです。 俺は人の事を考えるからこそ行動が変になっちゃう
しかもそれを自分でわかってる人は
能カが高くてしかも人に気を使える思慮深い人物だと思う
それがあなたの負担になってるなら気持ちはわかる
こういう人はそこそこ居ると思うんだけどどうでしょうか(便乗 >>795
>他人の事を考えるからこそ行動が変になっちゃう
そこが間違い。
(少しキツイことを言うかも知れませんが、)
他人のことを考えるからではなく、自分のことを考えるから変になるのです。
能力がある人はその能力によって自分だけがいい思いをしようという自己中心的な心が働き、それを他人に見破られないようにする為に気を使わざるを得なくなるのです。
それでも神経が図太い人は対人恐怖にはなりません。
対人恐怖になるのは「自己中心性」と「神経の細さ」の両方を持っている人達です。 >>786様、>>790様、偽和尚様、鬼和尚様
アドバイスいただき怖がりすぎてたことがわかり気持ちが楽になりました。
気張らずに行って来ます。誘われてもビビらず真っ直ぐに対応してきます。
本当にありがとうございました! 鬼和尚、座禅を毎日続けて2年近くになりましたが、2年前と変わっていない
ように感じます。
だから、最近は惰性でやってるような気もします。
目立った変化はないものですか? >>794 止観を行い完全に観察できれば消えるじゃろう。
数息観などをして集中力を高めるのじゃ。
そして心を観察するのじゃ。
対人恐怖の原因を探すのじゃ。
そして原因がわかればその原因から対人恐怖があり、原因がなければ対人恐怖もないと観察するのじゃ。
恐怖も消えるじゃろう。
>>795 自分のことを考えるのじゃ。
自分のしたこととしなかったことを考えるのじゃ。
そうすれば平気じゃろう。
>>797 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>798 かなり変っているじゃろう。
自分では気付かないものじゃ。
日記などをつけているとわかるのじゃ。
以前ほど動揺しなくなっているじゃろう。
いろいろ観察して見るとよいのじゃ。
周りにも聞いてみるとよいのじゃ。 >>796
びっくりするほどピッタリです。
能力があるというところだけ違いますが。
似たタイプの人でしょうか。
他人にどう思われているかという思考が過剰なのです。
ただわかっていてもそれを止めれなくて苦しんでいます。 >>799
まず集中力の養成なのですね。
頑張ってみます。
ありがとうございました。 とあるブログで弱者は皆殺しで強者だけを繁栄させれば善い、と過激な主張をしている人がいます。
常に断定口調で自信満々な態度を崩さない人なので信者?のような人達が多いです。
もちろん批判的な立場の人も多いんですが。
表現があまりにもストレートで迷いの無い書き方をするので、私自身もついつい
「なんかわからないけどスゴイ事を言ってる人、なのかも?」みたいに感じてしまいます。
冷静に読むと無慈悲で暴力的で差別的な表現が多く、人間は汚く醜いのが当然だ!という主張です。
読むと悪影響があるでしょうか?
慈悲のある人間を目指すなら、こういう文章には触れない方がいいですか? >>802
そうじゃ。関わらない方が良いのじゃ。
お釈迦様も善い者を道連れにせよ、善い者が居なければ一人で歩め、
と言ってるのじゃ。 >>794
そうでもない
気にしないよう
>>802
そうでもないx2 鬼和尚殿、クーラーをつけて座禅をしてはいけませぬか?
暑くて集中できないのでござる。 >>801 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>802 そうじゃ、読まないほうがよいのじゃ。
慈悲をもって進むのじゃ。
清い心で居れば福楽も従うのじゃ。
>>805 よいのじゃ。
頭を丸めるのも冷やすためなのじゃ。
自分がやり易いように環境を整えるのじゃ。
鬼和尚、繰り返し怖い存在から必死になって逃げる夢ばかりみます。
何か意味があるものなのでしょうか? 鬼和尚さんは高卒後からずっと同じ職種なのですか?
職種について迷ったことはありますか?
今の職場には何年いるのですか?
出きれば働きたくないとか世間と関わりたくないと思ったことはありますか? 鬼和尚、この前、NHKのテレビにティク・ナット・ハンが出ていましたが、
話が回りくどくて内容が薄かったように感じました。
彼は悟っていないとのことですが、
菩薩の位までは行ってるのではありませんか? >>807 それは夢をコントロールすべきであると教えているのじゃ。
夢の中でそれを夢と気付くのじゃ。
自分の手を見るとか念じて眠るのじゃ。
そうすれば夢の中で自分の手を見て夢と気付くのじゃ。
それがわかれば夢であるから自分で何でもできるのじゃ。
そして自分が強くなって怖いものを退治するとよいのじゃ。
瞑想が深くなれば自然に出来るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>808 違うのじゃ。
わしもスーパーに勤めたりいろいろ経験したのじゃ。
そして外の仕事が自分に合うとわかって配達にしたのじゃ。
常に思っていたのじゃ。
今は何も思わないのじゃ。
>>809 悟りを求めているものは皆菩薩なのじゃ。
もはや求めていないならば違うのじゃ。
相談です
子供産んだらセックスレスになりそうなので(加速しそうなので)子供を産みたくありません
どうしたらいいですか? 心の病ゆえに犯罪を犯してしまう人が存在しますが、ああいう人も地獄へ行ってしまうのでしょうか?
悪を為すという自覚がなければ、それは悪とは言えないのでしょうか?
また、悪とわかっちゃいるけどやめられない。
繰り返し万引きしたり何度も放火したり毎日のように痴漢するのが気持ちよくてやめられない。
これらは精神病とは見なされないですか?
どんな理由や原因があっても言い訳の通用しない悪行為でしょうか? 苦滅の法も、数息観の後に集中が高まっている時の方が良いのでしょうか? >>812
本人が自覚しようがしまいが、他人に迷惑をかける行為はすべて悪なのじゃ。
わしは精神病院に入院したことがあるのじゃ。
躁うつ病・分裂病・うつ病・神経症などいろんな患者がいたのじゃ。
でも、どんなに重症の患者でも善悪の判断はできたのじゃ。 愚痴も入っているので長くなりますが、相談にのってください。
結婚した時の祝儀が、旦那側が20万で、私側が450万だった
旦那に預けたら1年でゼロになってしまった
新婚旅行に使ったりはしたけど、もらった分の半分は旦那の遊ぶ金が欲しいものに消えていった
旦那の言い分は自分の口座に入れたから好きに使っていいと思ったとか
でも、私が欲しいものがあるというとダメって言う
当然だけど私は不満で、住宅購入の頭金にしようと言っていたのになぜ使ったのと責めてしまう
うちの親族がくれた分は旦那に渡さず私が管理して、旦那がこれ欲しいからお金ちょうだいって形にしていれば
私が旦那にお金あげて旦那は喜ぶ形でお互いwinwinだったのに
私が旦那にお金を渡したがために、旦那は一人で使って私に感謝もないし、私は旦那に不満だし・・・
いいことなし
自分のやり方の悪さに本当に悲しくなる
上手にやっていればお金も貯められたし、お互い嫌な気持ちにもならなかったのに
前置きが長くなりましたが、旦那はお金を管理する立場なんだから自由に使えるという考え方。役得的な。
本当は管理する側は手本となるよう節制して、下の立場の者の気持ちを大事にするのが筋と思う。
下の者がこれが欲しいといえば自分は節制してでも買ってあげる、これが上の立場の行いだと思うのです。
旦那の器の小ささに嫌気がさします。直させる方法はありますか?どうしたらいいでしょうか? >>811 産まなければよいのじゃ。
>>812 いくじゃろう。
もともとそのような行いをする心境であるからのう。
心が病んでいても犯罪をしない者のほうがおおいのじゃ。
本当に認識までおかしければそもそも行いがないのじゃ。
自分で自覚して止められるのにしないならば悪じゃろう。
正常なのじゃ。
悪として報いがあるじゃろう。
>>815 そうじゃ、そのときの方がよいのじゃ。
心がコントロールできるからのう。
より多くの気付きがあるじゃろう。
>>817 おぬしが金を管理するとよかろう。
それがよいと気付いただけよかったのじゃ。
金銭を管理できない人間は管理すべきではないのじゃ。
駄目ならばわかれるとよかろう。
将来は財政的に破綻することが確実に予測できるのじゃ。
すみません。
夢をコントロールできると噂では知ってはいたのですが、
するとなると恐ろしくなって
酒を飲んで夢をみないようにしてしまいました。。
これは俺の宿題ですね、がんばってみます。 >>817
私も離婚を勧めます。最初に読んだ時からダメだなと思いました。
話になりません。
鬼和尚の言うようにしてください。 集中というのもコツを身に付けるものなのでしょうか?
例えば自転車に乗ったり泳いだりすることのように、ひとたび感覚を掴んでしまえばあとは簡単になりますが、
その感覚を掴めるまでは、転んだり沈んだりしながらやり続けるしかありませんよね。
スムーズに出来る人もいれば、なかなか出来ない人もいます。
集中もそのようなものなのでしょうか? 解決したい問題があるときの瞑想の仕方はありますでしょうか。
数息観、瞑想の最中は、その問題については考えず、集中に徹するべきですよね。
集中が終わった後に考えるのでしょうか。それも、思考では無くて問題を観察するのでしょうか。
マンガの一休さんの瞑想シーンのように、答えがすぐに見つかってほしいですが…。 また、答えというのは、突然ふとした気付きで起こるものな気がします。
能動的に得られるものではなく、
偶然などによる受動的なものなのでしょうか。
それを起こすための原因、起こしやすくするために出来ることは、どのような事でしょうか。 わしは今までに2回、サマーディを経験したが、それは突然やって来るものじゃ。
1回目は、朝起きてコタツに当たってボーッとしている時じゃった。
2回目は、TVのドラマを見ている時じゃった。
いずれも母のこと(死)が関係してたのじゃろう。 >>821
集中しようという意思がどの程度強いかの問題のように思うなあ。
例えばゲームに集中するとかテレビドラマや映画に集中するとか、特に集中しようとしなくても自然に集中してるでしょ?
それはそれを欲していたり重視したりしているから無意識の内にそうなるわけで、集中しようと意図的に決めてやっているわけではない。
>>822>>823
問題を解決するのは観察が必要で集中力はその助けになると思うがその時に観念が邪魔をすると思う。
「こんなことはあるわけがない」とか「これはこうなっている筈だ」とか、そういった思い込みが多ければ多いほど、また強ければ強いほどそれに妨害されて答えの発見が遅れる可能性がある。
パズルや謎なぞを解くときと同じだ。観念が強ければ目の前に答えがあっても気づかないなんてことも起こりうる。
例えば「象を冷蔵庫に入れる方法は?」という有名な謎なぞがあるが、もし「象は巨大である」とか「冷蔵庫とは小さい」という観念に思考が支配されていたら答えは出ない。
小さい象や大きい冷蔵庫を想定して始めて「冷蔵庫の扉を開ける。象を中に入れる。冷蔵庫の扉を閉める。」という答えにたどり着く。
なのでどんな観念が思考を妨害しているのかがわかればわかるほど良いと言える。 >>815
比べよう
>>817
旦那にそう言おう
ま
他スレに多くの答えあり
>>821-823
どうとでも
ま
仕組みを作ってもよい 鬼和尚さんの、動物性食品で食べてもOKだと思うものを教えて下さい。
これまで出てきたものは↓のような感じでしょうか?
・鶏肉
・白い魚
・卵
・ヨーグルト
訂正や追加もあれば教えて下さい。 アルコールと砂糖についての見解もお聞かせください。 それと
鬼和尚は昼夜2食で体重80kgくらいを維持されているようですが
お米は一日平均何合ほど食べられていますか? >>819 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>821 そうじゃ、日々の実践によってこつもわかるものじゃ。
或いは自分の性質に気付いて合わせるものともいえるのじゃ。
自分がどうすれば集中していられるようになるのか、日々の実践によってのみそのこつがわかるのじゃ。
日々実践あるのみなのじゃ。
>>822>>823 一度、それに関する情報を全て頭に入れるのじゃ。
そして忘れるのじゃ。
そうすれば答えが自然にわかるのじゃ。
寝る時などに答えが浮かんでくるのじゃ。
自我の忘れられているときに智慧が働くからなのじゃ。
>>827 牛乳も少しは飲んでよいのじゃ。
それぐらいなのじゃ。
>>828 アルコールは飲まないほうがよいのじゃ。
砂糖は少し食べてよいのじゃ。
一切食べないと死んでしまうこともあるのじゃ。
>>829 四合ぐらいなのじゃ。
二合ずつなのじゃ。
麺類を食べることもあるのじゃ。 > 四合ぐらいなのじゃ。
二合ずつなのじゃ。
鬼和尚、一日4合とは食べ過ぎではありませんか?
宮沢賢治ではあるまいし、腸内に宿便がいっぱい貯まりますよ 友達が段々と連絡を寄越さなくなりました。
もともと、自分から連絡してばかりで相手から連絡はほとんど来ません。
こっちから連絡するの止めたら交遊関係が全く無くなりました。
こんな知り合いばかりです。
けど、今思うと自分が友達だと思ってた連中に友情を感じていたのかは疑問です。
なんかお互いに条件だけで付き合ってたのかなって。
単なる飲み会の人数合わせとか、そう言う付き合いが多かった気がする。
自分が友情を感じていなければ相手もまた友情など感じていないのでしょうか。
友情ってなんなのかわかりません。
依存してくる友達ばかりなのは自分がそういう人間を引き寄せてるからですか? 類は友を呼ぶって感じであなたと同じような人間が寄り集まってしまっただけでは? 鬼和尚、夢を完全にコントロールできた場合、
無意識にも影響を及ぼすのでしょうか?
同じ夢一つに吉兆とか凶兆だとか、
色々皆言っていますが、ほとんどの場合全然関係ないのでしょうか? 偽和尚、失礼ちょっと質問です。
厳しく言うところに見えないのですが、
理由があるのでしょうか? 何故お酒は良くないのでしょうか?
確か集中力が無くなると仰っていた気がしますが…。
毎日ではないですが、
お酒を飲んでいては悟れないでしょうか?
飲み始めると泥酔するまで飲んでしまいます。 数息観と苦滅の効果は、気付かないうちに徐々に現れてくるものでしょうか?
変化が知れるように日記も付けています。
徐々に、「以前の自分に戻ってきた」感じがしています。
それも、確たる原因は分からず、いつの間にか感じ方が変わっているという感じです。
同じような悩みで苦しんでいる人に何か役に立ちたいと、しっかりとその過程や原因を理解したいと思っていました。
しかし、いつの間にか、何だか軽くなっている…なぜなのか直接的な原因がわからない…という感じです。 失礼しました。偽和尚、人をみてはいかんかった。
忘れてください。 鬼和尚は長生きしてくださいますか。
ご自分の寿命などは分かるのでしょうか。
年齢は60代位と聞いたことがあるのですが、あと20年位は元気に衆生を導いて頂きたいなどと思います。
鬼和尚がご存命のうちにしっかり修行せねばと思います。 >>831 食べていれば雨にも負けないのじゃ。
>>832 そうじゃろう。
寂しいから付き合っているだけなのじゃ。
互いに善い事を教えあい、必要な存在になればそのようなこともなかったじゃろう。
善い友とだけ付き合うのじゃ。
>>836 影響を及ぼすことも出来るじゃろう。
自分が逃避していたことを夢が見せてくれることもあるのじゃ。
智慧も使えるのじゃ。
どんどん実践してみるのじゃ。
>>837 アルコールはたんぱく質を分解してしまうのじゃ。
脳みそも溶けると言うのじゃ。
集中力が無ければ難しいじゃろう。
酒を飲める量は決まっていて元には戻らないと言うのじゃ。
飲まないほうが善いのじゃ。
>>838 苦を滅しているならばその効果はあるじゃろう。
ただその全てが見えないだけなのじゃ。
例えば車に轢かれそうになって苦になっていたのが消えたならば、外に出るのも楽になるじゃろう。
車が怖くなくなっただけと思っていれば、そこまで見えないのじゃ。
一つの苦が心身に思ったより多くの制限をもたらしていたとしても、全て見える者は稀なのじゃ。
>>840 長生きするじゃろう。
百二十年ぐらいいきるつもりなのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 鬼和尚、もう俺酒やめます。
今気が付きましたが本当に自分にも周りにも悪いことをしていました。
本当に、最悪なことをしていました。
加えて、このまま続けてしまえばお弟子さんたちの中で
一番早く死んでしまうかもしれません。
考えうる中でも最悪の死に方です。
今後、人生が良くなるかどうかはわかりませんが、
もう、そのことで悩みたくはありません。
懺悔します。 >>845
歳をとると、物欲も淫欲も無くなってくるよ。
俺は2年ほど毎日座禅をしてるけど、そのせいかもしれない。 >>839
だから控えろと言ったんだよ
質問に逃げるのはやめれ 鬼和尚の主食は昼夜各2合の白米(麺のときもあり)なんですね。
副食は何をどのくらい食べているのか教えてください。
それと1日の水分摂取量もお願いします。 鬼和尚は少食についてはどう思われますか?
大食だと宿便が溜まったりするようですけど1日2食だと大丈夫なんでしょうか? どうしたらエゴと決別できるでしょう、怒ったり傷つくのはエゴだと分かっても
その誘惑に乗ればどんなに不幸になるだけかわかっても、また思考や感情が湧いて
しまうのです >>836
厳しくって、どの書き込みが? >>833 ?
しかしこれといって厳しく書いたつもりはないんだけどね。 自分に思い当たる節があるから厳しく感じるんだ。全ては自分の心の中にある。 >>845
水道の蛇口を開けたまま水が出てくる口を押さえるみたいな、
世間一般でよくやられていそうな変な荒行みたいな方法は
なるべくやらない方が良いと思うよ。何れ必ず破綻するから。 >>851昨日の自分はそういう風に見えて、
踊らされたようです。
スルーでお願いします。
>>847何故貧乏くじを引くようなまでをしてまで目立とうとするのか、
何故酒に逃げるのか。
ようやくきづけた気がします。
目障りな書き込みは減るでしょう。失礼しました。 貧乏くじは語弊がありますね、正しくは悪目立ち、でした。 すみません、迷惑をおかけしました。
鬼和尚や847さんが何故突き放した言い方をしたかようやく理解できました。
危なかった。本当にありがとうございます。 偽和尚の言葉が引っかかった理由も理解ができました。
すみませんでした。 >>844 そうじゃ、やめたらよいのじゃ。
代わりに麦茶でものむとよいのじゃ。
健康になるのじゃ。
>>845 それらも原因がわかれば滅することも出来るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>848 おかずは二皿ぐらいなのじゃ。
水は二リットルはのんでいるのじゃ。
>>849 小食の方がよいというのじゃ。
二食ならば自然に少なくなるじゃろう。
通じがよければ宿便もたまらないのじゃ。
>>850 そのようにな思う自分を受け入れ、自我が完全に観察されればなくんなるのじゃ。
決別したいとか思うのもエゴなのじゃ。
それを強くしているだけなのじゃ。
ただありのままに全て受け入れ否定も肯定もせず観察するだけでよいのじゃ。
鬼和尚は、今日は体がだるいなとか、仕事したくないな、とか思うことが
ありますか?
私は天気の良すぎる日とか、雨の日は仕事の意欲が薄れます。 >>837
調べよう
>>838
そうでもない
>>850
関連付けをやめよう 不特定多数とのセックスにのめり込んでる場合、それは孤独感からではなくて
純粋に快楽を追い求めたい気持ちからしていると自覚があれば逃避にはならないのでは?
それでも何かから気を逸らすため、だと仰るんですか?
どうしてなのかわからない。
本能からの行為なら害もないし気持ちいいからどんどんやりなさい、とはならないの?
セックス依存症の病気として治療した方がいいんですか。 >>858
否定も肯定もせずありのままに観察できる前に全てを受け入れるところで躓いてしまいます
内外のネガティブなものへの抵抗、在ってはならない、こんなことをされたくはない
と許せず、受け入れられず、負の感情がループします
どうしたらネガティブなものを受け入れられますか >>861
人の行為だけを見たら依存でやってるのかそうでないのかなんてよくわからんよ。多くて過剰ならそうかも知れないとは思うけど実際にはそうではないかも知れないしね。
だから人のことについては何とも言えない。ただ依存であれば最初は何ともなくても徐々にエスカレートして苦に繋がってくるだろうから、そうならないように避けた方がいいんじゃないかなとは思う。
まあでも依存かどうかは結局のところ本人にしかわからないだろうね。で、だいたいは苦になってきて止めたいのに止められないみたいな状況になってからわかるんじゃないかな。
「わかっちゃいるけど止められない」ってやつね。そうなるとほとんど二重人格になっているのと同じでその別人格に乗っ取られて無意識に動かされてしまうので止める意思があったり気合や根性などがいくらあっても止められない。
更に正当化する理屈をひねり出して自分で自分を騙すから余計に抜け出すのは困難。 このスレの中に、毎日坐禅(結跏趺坐で)と、ヨガ(ストレッチでも可)を習慣にしている、一人暮らしの方はいらっしゃいますか?
性別問いません。
お聞きしたいことがあります。 >>859 わしは何も思わないのじゃ。
楽しいことを思い出すとよいのじゃ。
夏休みには海とか山とかで楽しんだとかのう。
そうすればストレスも軽くなるのじゃ。
やってみるとよいのじゃ。
>>861 なぜ快楽を追い求めたいのか本心をみてみるのじゃ。
そこにはやはり孤独感や不安などがあるじゃろう。
それがなければ追い求める必要も無いのじゃ。
常に本心を観て自らの道を探すのじゃ。
そうすれば死ぬときにも後悔しないのじや。
>>862 それが今のおぬしの本心なのじゃ。
それをありのままに観るのじゃ。
受け入れられないと思うならば受け入れられないと思っていると観るのじゃ。
それがありのままに観ることなのじゃ。 鬼和尚、ある特定の感情を観察しようとしたところ、
これだけはだめといわんばかりに激しい反応がありました。
どうやら、孤独感だったり、その他生きたい、という気持ちと
密接にかかわっているようです。
今まで、諸々の苦を生み出していたのがこれから逃げてしまっていたことと、
このむき出しの感情と向き合わずに
隠そう、逃げようとしていたことのように思えます。
愛おしくも感じ、手放したくないようです。
書こう、いや、やめようという葛藤がしばらく続きました。
効果があったと考えるべきでしょうか? 鬼和尚、聖路加病院の日野原重明さんが、105歳で今朝亡くなりました。
彼の業績は色々ありますが、天国に行かれるのでしょうか? >>861
そうでもないよ
快い楽だな
考えれよう
うん
そうでもないぜ >>867 そうじゃ。それを観察したらよいのじゃ。
確実に変化があるじゃろう。
恐れを乗り越えて実践あるのみなのじゃ。
>>868 善い事をしていたら善いところにいけるじゃろう。
自ら知るのみなのじゃ。
自分は騙せないのじゃ。 正直に申しますと、
もう修行から逃げ出したくなってます。。。
逃げだしたとしても、
臆病者だとどうか笑わないでください。
どうしても決心がつきません。 そういう時は「逃げたくなっている」とそのまま観察。 >>870
さすが鬼和尚ですね。聖路加病院の日野原さんと言うと、人のために
尽くしている偉い医者というのが定説なのに。
個人個人にある平等性智が働くんですね。
目から鱗です。ありがとうぎざいました。 ↑ ×ありがとうぎざいました ○ありがとうございました >>871
修行云々よりその自我妄想に気付けよ
臆病者とか笑わないでとかどんだけ自我が肥大してんだってことだよ >>872
ありがとうございます。
正直、、苦滅の法のあまりの効力に驚いてます。
気が付くと無くなっていました。 朝、目覚めると私はトンボだった
「あれ、俺死んだのか?、今度はトンボか」
「トンボに生まれたはよいが何すりゃ良いねん?」
そこにツバメが飛んできた
「おぉ、ツバメか、トンボ好きだろ?俺を食え」
俺はツバメに食われ見事に物質界から脱出できた
ありがたやありがたや
これが正しい認識です 夜間に植物をライトアップする見世物イベントが各地でありますが、
木や花に強烈な光を当てると植物も昼夜の感覚が狂ってしまい、ちゃんと育たないと聞きました。
これは本当でしょうか?
本当ならこれは植物に対する虐待ではないですか? 心の痛みがある時の対処法は、
数息観で集中力を高め、
心の観察をする、
としたら良いでしょうか?
集中力が無いと、感情や思考に巻き込まれてしまい、観察が上手く出来ないというのか、記憶なども浮かんで悪化し、悲しみに飲み込まれるだけのようです。
心の痛みや悲しみに気を取られて数息観の集中が難しいですが、
このような時こそ、集中力を養う力を修行すれば、観察する力が身に付くのでしょうか。
悲しみや心の痛みを感じながら原因を観察するコツはありますでしょうか。
集中すれば痛みや悲しみは感じなくなるのですか? それ位の集中になってから、観察するのでしょうか?
そして観る対象は感情や記憶 思考 とありますが、どのように見れば良いのでしょうか。 ほっとこう
どうとでも
見よう
放置を伴うなら
そうでもない
見ないでいい
が
時系列が容易だ >>871 なぜ逃げたいのか原因を追求してみるのじゃ。
実は現状維持を願っているのかもしれん。
本心を観るのじゃ。
>>873 そうじゃ、他人に賞賛されるとかは無意味なのじゃ。
自分が自分を観て裁くのであるからのう。
日々善事を積むのみなのじゃ。
>>878 そうじゃろう。
金の為に不自然なことをしているのであるからのう。
自然のままに育てたらよいのじゃ。
>>880 そうじゃ、実践するとよいのじゃ。
身につくじゃろう。
集中力が身につけば痛みや苦は自分のものとして感じなくなるのじゃ。
それから観察すると善いのじゃ。
自分の肉体を先ず観察すると善いのじゃ。
痛みや苦も軽くなるじゃろう。
わしのブログなどを参考にするのじゃ。 鬼和尚、外で飼ってる半野生ネコが子ネコを見せに来ました。
子ネコは4匹でした。
人間も動物も母親は大変ですね。 鬼和尚、本心を観ようとしていますが、
あーでもない、こーでもないが続きます。
今迄から察するに、逃げようとしたから逆に苦しくなった、
と考えています。
もうなんだか本心がわからなくなってきています。
目印はあるのでしょうか?
気が付けば楽になる、と考えていいんでしょうか? >>883 そのようじゃ。
獣にも慈悲はあるものじゃ。
慈悲の実践をしているといえるのじゃ。
>>884 考えるのではないのじゃ。
ありのままに観るのじゃ。
そのように考えているとだけ観るのじゃ。
本心がわからなくなってきていると思っていると観察するのじゃ。
気がつけば楽になると考えていいかと思っていると観察するのじゃ。
今ここで心に浮かぶものごとを全て観察できれば楽になるのじゃ。
過去の記憶ではなく、未来の推測でもない今ここで心に浮かぶことを観察するのみなのじゃ。 >>866
否定も肯定もしないで観るには、物事を善悪や良い悪いと判断することをやめねばなりませんが
それが出来ない、と観ればその判断や抵抗やそこから来る感情は無くなるのですか?
善、清らか、暖かい、優しい、慈悲、を良いとするとその逆のものへの抵抗が生まれるのですが
どうやってもそんなものだけの世界や自分ではありません
ネガティブなものへの抵抗が苦を生み出しているなら、結局どうしたら良いでしょう? 鬼和尚、人間は歳を重ねても幼い人がいますね。
言わなくてもいいことを電話してきたり、またある人は、自分の体の不調ばかり
話したりします。
私は「うん、うん」と話を合わせますが、不愉快です。
大体が社会経験が未熟な人です。
私の対応はこれでいいですか? まじめな相談なんですが、
一人のおっぱいを触ると別のおっぱいも味見したい。
でかいやつの次はもっと形のいいやつ。
その次は小さいやつ。
ちょっと飽きてきたら、でかい尻を触りたくなる。
また同じような感じでループが続く。
僕、病気ですか?
一体、何にこだわってるのかわからなくなってきてます。
やめた方がいいなら、どうしたらいいんでしょう。 鬼和尚、朝起きた時に、煩悩が湧いてくるのがわかりました。
寝てる時、頭の中は真っ白なのに、起きると同時に色々な考えが浮かんできます。
私は少し観察が上達したのでしょうか? >>888
病気とは思わないなあ。したいと思ってるだけでしょ?気にせず飽きるまでずっと思ってればいいのでは?
ただし、歩いてる時や自転車や車を運転している時は止めた方がいいだろうな。事故防止のために。 >>888
そうでもない
ま
どれも同じ故のループだ
結局 鬼和尚は、芸術についてどう思われますか?
OSHOの客観芸術についての言葉が好きです。自分もまさにそのようなものでありたいと思いました。
グルジェフは客観芸術について、それは、ある意識レベルの者には必ず理解できるメッセージを伝える技術なのだと述べていました。
巷で言われているような芸術は感情の捌け口に過ぎないので、感情で芸術を愛してはならないと言っていました。
グルジェフの言う客観芸術については、正直、私には区別がつきません。
グルジェフの音楽も聴いてみたのですが、特に何かメッセージなどはわかりませんでしたが、神聖舞踏の方は何か魅入られるものを感じました。 芸術やスポーツや武道、学問など、全ては悟りに通ずる道では無いのかと思うのですが、いかがでしょうか。
その道のトップレベルの人は悟りに近いというのか、何か見えかけているのではと思います。
強い集中により、忘我を達成しているのでしょうか。
何かをしようとしたり、作ろうとしたときに、「私が、私の」という自我は邪魔になります。
我欲で心が曇り、面白くなくなり、苦を生じ、動機を見失ったりもしてしまいます。 >>888
ひどい場合は病気なのじゃ。
フェティシズム(フェチ)という言葉があるじゃろう。
脳の中で性的欲求が特定の事物(物や身体に一部)と結びついているのじゃ。
犯罪につながらないようにすることが大切じゃな。
しかし、所詮は妄想なのじゃから、止観瞑想で(自他の)身体への執着が薄れて
いけば病的なものはなくなるじゃろう。 鬼和尚、どんな環境でも心と体を健全に保つ方法を教えてください ずっと以前に失敗したことや恥をかいたことがいまだに心を重くします。
過去の自分から自由になるにはどうしたらいいですか? >>886 それらもありのままに観察するのじゃ。
そうすれば自らの囚われが見えてくるのじゃ。
できないと思っていると観ればなぜ出来ないと思うのか原因がみえてくるじゃろう。
真善美だけの自分が見出せなければ、その原因を探すのじゃ。
数息観も行えば混乱している心を鎮めることも出来るじゃろう。
>>888 全ての人間は悟りを得なければそのようなものじゃ。
宝石を追い求めるものは小さな宝石を得れば大きな宝石を欲しがり、更に大きな宝石を次々に欲しがるのじゃ。
それが実は孤独や不安から求めていると気付けばやめられるのじゃ。
おぬしも自分の本心を観察してみるのじゃ。
>>889 そうじゃろう。
起きた時には自我や自分のものと言う観念が沸いてくるものじゃ。
観察力が身につけばみられるようになるのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。 >>892->>894 それが集中力を養い、自らの本心を気付かせるものならば役に立つじゃろう。
集中力により忘我を達成した者もいたじゃろう。
しかしそれらに囚われてしまえばむしろ逆効果になるじゃろう。
囚われずに進むのじや。
>>897 どんな環境でもというのは無理なのじゃ。
死んでしまうような環境もあるからのう。
日々ヨーガや気功法などをして数息観をすると善いのじゃ。
>>898 それがなぜ今心に苦をもたらすのか原因を追究してみるとよいのじゃ。
それによって自己イメージが傷つくとか考えているからかもしれん。
原因からその苦が起こり、原因が無ければその苦がないと観察できれば消えるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。 >>900
失敗すると厳しく罵倒してきた母親に縛られていた気がしてきました。
ありがとうございました。 鬼和尚、朝食抜きの半日断食を半年以上やっていますが、午前中、力が出ません。
私は現在、田畑の管理をしていますから体力が必要です。
今の時期は草取りやら草刈りで大変です。
午後は暑いので午前中の2時間が勝負です。
でも、力が出ないので億劫になってしまいます。
何か工夫できませんか? 朝に沢山食べて夕飯少なくすればいいのでは?
国によってはそんな習慣になってる所あるよ。
確か南米の方。前にテレビでやってた。 >>904
偽和尚殿、朝食抜きの半日断食は、腸の中に宿便を貯めないためにするものです。
だから、食事の間隔を18時間ほど開けるのが望ましいと西式健康法を実践していた甲田光雄さんが言っています。
甲田光雄さんは断食療法で難病の患者を治していた医者です。 >>905
あー。宿便か。
念のためこれよく読んでみることをおすすめする。昔の理論は何か勘違いして作られた
可能性もある(かといってそれで効果があるかどうかはまた別の話。理論が間違ってても
結果的にうまく行ってることもあるので)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E4%BE%BF >>906 それぐらいの知識は前から知っています。 >>899
自分なりに心を浄化して内側も外側も以前とは違ってきたと実感していた、それ故に他人の冷酷さや
無神経さにショックを受け感情的に反応し、そうしてきた自分の努力や世界が崩れたことに無力さ
を味わい、他者への拒絶感や恨みに変り、結局闇の心が出てしまいました
どちらかを志向するほど、逆のものが許せなくなるのでしょうか
全てを赦し愛せるほどの仏の様な慈悲の持ち主でない凡人は >>898
気にしすぎ
全き者はいないし学びにして良いよ
本の1ページが破れている様で >>901 善かったのじゃ。
またおいでなさい。
>>902 それは健康に役立つものじゃ。
主に呼吸に合わせて背骨の働きをよくするように創られておる。
実践すれば気も力も増して健康になるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>903 朝だけ食べるとかするとよいのじゃ。
全体の食事量を減らせばよいのであるからのう。
或いは仕事を夕方にすると化するのじゃ。
柿の葉茶などをたくさん飲むのもよいのじゃ。
野菜の汁もよいのじゃ。
いろいろ工夫してみるのじゃ。 >>908 全てを赦し愛さなくてよいのじゃ。
今の自分をありのままに認め、観察すればよいのじゃ。
以前より変ってきたならば無駄にはなっていないのじゃ。
他人のしたこととしなかったことを見ないでよいのじゃ。
自分のしたこととしなかったことを省みて進むのじゃ、とお釈迦様も言っているのじゃ。
親と折り合いが悪い。
ついでに兄弟仲も悪い。
けど慈悲は持つことが大事なんですよね?
不仲な家族に対しても慈悲は持たなくてはいけないんですか?
ちなみに家はとっくに出て離れて暮らしています。
しかし冠婚葬祭などで顔を合わす時なんか苦痛です。
さすがにそういう場に行かないのは無慈悲すぎると思うし。
関わり合いたくないけど、これ以上争いを激化させたくない気持ちもある。
どうすりゃいいんでしょうね? >>912
別れて暮らすのが一番。
私の友人も同じで、実家に帰るたびに兄弟げんかするそうです。
相性が悪いのかなと思います。 鬼和尚、健康になりたいので気功やヨーガをやってみたいです。
でも、いろんなやり方があってどれがいいのかわかりません。
鬼和尚オススメの指導者や本がありましたら教えてください。 >>912
家を完全に捨てて二度と関わらないようにすればいいのでは?
文字通りの「出家」ね。釈迦と同じ。
まあ、自分の側にまだ頼りたいという依存心があると中々うまく行かないかも知れないけどな。
逆に言うと社会的な見た目の形態がどうであれその依存心がなくなれば家がどうなっていようが気にならなくなると思う。
本当の慈悲心が出てくるとするとその後になるんじゃないかな。その時は家族だった人は心理的に他人になるから。
他人にはいきなり非道なことをする気は起きないだろう? >>912 近所の他人に持つように平等な慈悲を持つとよいのじゃ。
犬猫に持つような慈悲でもよいのじゃ。
どのような言動をしてもしたことやしなかったことを見ないようにするのじゃ。
自分のしたこととしなかったことだけを見れば惑われないのじゃ。
>>915 今はかなり普及しているから指導者の優劣は無いのじゃ。
youtubeなどで検索して動画で学べばよいのじゃ。
無料なのじゃ。 >>916
偽和尚さんはひょうひょうとしたかんじですが、実際には家族と関わっていないのですか?
友達とかもいないのですか? >>918
実家にはたまーに帰る時あるよ。かなり薄い関係。今は経済的なやり取りも全くない。
友達と言えるような人は今はいないかな。かと言って誰かと敵対しているわけでもない。 >>912
うんx2
家族に相談しよう
ま
お前は正々堂々と生きて吉 鬼和尚、あさましい人は歳をとっても(70代)あさましいですね。
「三つ子の魂百まで」です。
あさましい人は他人の気持ちを考えず、他人が傷つくことを平気で言います。
今日は失望しました。
他人のしたこと言ったことを見るな、自分のしたこと言ったことを見よ!ですね。 >>921 そうじゃ、年をとると賢くなるというのは嘘なのじゃ。
自ら学ばない者は愚かなままなのじゃ。
自分だけを見て進むのじゃ。 鬼和尚は以前に「わしは全盲になっても困らない」とウソをつかれたのはなぜですか?
目が見えなくなれば配達の仕事も出来なくなるし、年を取られたお母様のお世話も出来なくなるのですから困らないはずがありませんよね。
鬼和尚はなぜそのようなウソをつかれるのですか? 人間的な情と慈悲は違うのだろうと思いますが線引きが良く分かりません
特に親や家族を捨てるなどと言うのは非情で後ろめたいし、周りから非難もされそうですが
世間を一切捨てるのが怖いのでしょうか 幼少期に両親から愛された人と愛されなかった人では、その後の人生に大きな差が生まれるのは確実ですか?
特に愛されなかった人は様々な非行に走り、自殺や破滅的な衝動に駆られるケースがものすごく多い。
これはどうしてなんですか?
いじめや虐待が加わると、アル中や薬物依存症を併発してさらに悪化するパターンも多い。
このように人生がめちゃくちゃになってしまいます。
不幸な生い立ちから救われる方法はないのでしょうか? >>924
鑑みよう
>>926
そうでもない
ズレてるからだ
自分で決めよう >>926
不幸の種類は無数にあるのじゃ。
良い親に恵まれなかったことは不幸の一つに過ぎないのじゃ。
良い親に恵まれても病気だったり知能指数が低くてまともに生きられない人は沢山いるのじゃ。
すべてのことに恵まれて生まれて来る人はいないのじゃ。
また、すべてのことに恵まれないで生まれて来る人もいないのじゃ。
誰もが各自の過去世での業に従ってもさまざまな「恵まれたもの」と「恵まれなかったもの」
を持って生まれて来るのが人間というものじゃ。
おぬしは自分が持って生まれた「恵まれたもの」を忘れているのじゃ。
「恵まれなかった」ことにばかりとらわれているのじゃ。
「恵まれなかった」ことばかりにとらわれて努力を怠るなら、来世はもっと恵まれない人生に
なってしまうじゃろう。
であるから、生まれ持った悪いものにとらわれないで、生まれ持った良いものを活かして生きる
努力が大切なのじゃ。 (ときどきは瞑想などもしてみるのじゃ。) 鬼和尚、二つ質問があります。
いわゆる激しい感情は気の一種なのではないかと
思うのですが、これは正しいのでしょうか?
特に苦を感じている時は胸あたりが息苦しく感じます。
あと、飲みたくて仕方なくなる時があります。
少量で満足できたためしがないため
意地でも飲まないようにしていますが、
これでは離れたとは言えません。
自然に落ちる執着と考えていいのでしょうか。 鬼和尚、歯並びを治すには歯医者や矯正歯科に行くしかありませんか?
自力で何とかする方法はないものでしょうか? 3年前くらいに歯医者で歯を削られてから噛み合わせが悪くなり
歯がどんどん内側と前側に傾きだし、首や肩の不調も続いています。
また変に削られるんじゃないかと、歯医者恐怖症のようにもなっています。 >>923 わしは困らないのじゃ。
母子共に餓死しても苦でもなく、困ることも無いのじゃ。
飢えも満腹の如しなのじゃ。
>>924 同じでよいのじゃ。
捨てたくなければ捨てなくてよいのじゃ。
自由なのじゃ。
自らの本心を受け入れ、観察してみるのじゃ。
そこに答えはあるじゃろう。
>>926 あるじゃろう。
愛さないことを学ぶからなのじゃ。
観世音菩薩と普賢菩薩の瞑想をするとよいのじゃ。
理想の父母のイメージなのじゃ。 >>929 気はエネルギーであるから感情も気によって現れるのじゃ。
エネルギーが無ければ肉体の反応は無いのじゃ。
それも観察すると善いのじゃ。
自然には落ちないのじゃ。
観察しなければなくならないのじゃ。
それに巻き込まれること無く観察してみるのじゃ。
いま自分は飲みたいと感じていると観察するのじゃ。
それを我慢していると観察するのじゃ。
原因から飲みたいという感情が起こり、原因が無ければそれもないと観察するのじゃ。
そうすればなくなるのじゃ。
>>930 自分で歯茎のマッサージをすると善いのじゃ。
少しずつでも指で押すとは並びも変るのじゃ。
肉体も自分で変化させられるのじゃ。
>>933 今きたのじゃ。 >>934
人間的な情は同情による心の痛みなどがありますよね
お母さんが餓死したり災害で多くの人が亡くなっても何も感じないのに同じなのですか? >>934
>母子共に餓死しても苦でもなく、困ることも無いのじゃ。
ひどいですね。
鬼和尚は悟っているからそれでもいいかもしれませんが、お母様は悟っていないということですから大変お困りになるでしょう。
それなら、「自分がよければ他人はどうなってもよい」という煩悩に支配された考え方と同じになってしまうのではありませんか? 年老いて自分の子供に養って貰っているとして、それで子供が先に死んだ時に
酷いだの困っただの思うような親は筋金入りの毒親だと思うけどなw >>931
歯は削れば削るほど弱くなる性質があります。
なので、削りたがるところほど危険なとこと考えていい、のですが
痛い場合、虫歯が原因でお金がない国では人が死んだりします。
極力そういう処置をしないところを選んでみてもいいかもしれません。 >>936>>937 全てに同じ哀れみを感じるのじゃ。
それが平等心なのじゃ。
しかし死は予想できた筈のものであるからそれにょって嘆くこともないのじゃ。
個我が無ければ死もまた無いものじゃ。
死が嘆くべきものならば全ての人間は困って終わるものとなるじゃろう。
>>939 胸なのじゃ。 >>942
>死が嘆くべきものならば全ての人間は困って終わるものとなるじゃろう。
鬼和尚の回答はいつもゴマカシ(逃げ)がありますね。
私は死の問題について聞いているではありません。
鬼和尚の目が見えなくなれば、悟っていないお母様は生活全般で困るようになる
はずですが、それについて「何も困ることは無い」と言う鬼和尚の非情さに疑問を
呈しているのです。
死ぬこと自体の苦しみではなく、「生活が不自由になり、一人で飢え死にして行く」
家族を想像して鬼和尚は何も感じないのですか?
「自分が悟ってしまえば他人の苦しみも解決できる」と考えるのは小乗仏教の悟り
ではありませんか? 鬼和尚は以前に「わしは全盲になっても困らない」とウソをつかれたのはなぜですか?
目が見えなくなれば配達の仕事も出来なくなるし、年を取られたお母様のお世話も出来なくなるのですから困らないはずがありませんよね。
鬼和尚はなぜそのようなウソをつかれるのですか? >>945
偽和尚は馬鹿なのだから書き込んでは駄目。 でもそのベクトルは毎回規則正しく外れているから大丈夫だ いくら心の安定した人でも、腕がもげたらそれは生活に困ります。
覚った人でも変わりません。
首が折れて体が付随になっても困らないのかとか、仮定を重ねればきりがない。
困るに決まってる。
極論「覚ると何をしても困らないんだな。じゃあビルから飛び降りても困らないんですね。
やってみて下さい」という話になります。
そういった極端を離れるのが中道で、強がりも含め、極論を弄ぶのはまだ覚りに程遠いと言えるでしょう。
結論として、極端な事は考えるべきじゃありません。 あっちの乳よりこっちの乳の方が形がいいとか、あの人の尻よりこの人の尻の方が触り心地良さそうとか
こう言うのはきちんと現実を認識していないことから生まれる妄想ですか?
なぜこんな観念が生まれるのかわからない。
自動的に人を判別して「あ、デカイ」「ムチムチだ、やべえ」とか思って勝手に妄想してしまいます。
こんなエロ妄想にとらわれたら、どう観察すればいいですか。 >>949
理解不足が標準だ
組み合わせだと知ろう >>946
いやあ。それほどでも。
>>948
困るかどうかは何かやりたいことがあってそれができなくなるからだよね。
やりたいという欲望がないならできなくなっても困るわけではない。
あるいは何か別の方法でも実現できるなら欲望がそのままでも困らない。
右の道を通ろうが左の道を通ろうがどちらも駅に同じぐらいの時間で着くなら片方の道が工事で通れなくても困らない。
連絡を受けて出掛ける必要がなくなったとわかったら両方の道が工事で塞がって駅に行けなくても困らない。
>>949
そのままエロ妄想に囚われていると観察すれば良いと思う。もちろん観察するだけで否定も肯定もしない。
多分今はそれをいけないことと思ってて否定してるのではないかと思うが、それは止める。 >>943>>944 何も困らないじゃろう。
年金も増えて、介護人も雇い、宝くじも当たって大笑いなのじゃ。
小乗など存在しない妄想なのじゃ。
なぜ悪い妄想ばかり考えたり、小乗などというものが存在すると信じているのかその原因を自分の心の中に探してみるのじゃ。
原因がわかれば悪い妄想は無くなり、小乗が存在するという妄信も滅することが出来るじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>949 妄想なのじゃ。
みんなが乳がでかいほうがよいというから自分もそれがよいと想ってしまうのじゃ。
ただありのままに自分がそのように想っていると認め、観察するだけでよいのじゃ。
それだけで変っていくじゃろう。
乳がよいと思っても、自分はそんな乳が善いと思っていないとか自分を誤魔化すといつまでもそのままなのじゃ。
自分の今の心をありのままに受け入れ、観察するのじゃ。
>>954
>宝くじも当たって大笑いなのじゃ。
鬼和尚は宝くじが当たったことがありますか?
最近の宝くじは回転盤も矢の発射装置もデジタル化されていて、前もって入力した数字に矢が当たるようになっていると言われていますよ。
(多分、高専のロボコンでもできるぐらいに簡単なことでしょう。)
ですから、一般人が一等に当たることはほとんど期待できないと思いマウス。 鬼和尚は以前に「わしは全盲になっても困らない」と言ってましたね。
鬼和尚はそれでよくても、お母様が大変なのではありませんか?
鬼和尚の面倒を見なくてはならないし、ずっと先にお母様の介護は誰がするのですか? グルジェフの言っていることは、
他の覚者は言っていない珍しい世界観だと思ったのですが、
それはグルジェフは東洋思想に馴染みが無く、その上で自分の言葉で表現したからでしょうか?
悟った人から見たら、何を指しているのかわかるものなのでしょうか。 鬼和尚、グルジェフのエゴグラムについて学びたいのですが、
なにか良い本はないでしょうか? >>955 買わないから無いのじゃ。
目が見えなくなったことも無いのじゃ。
腕がなくなったことも無いのじゃ。
未だ訪れぬことについて悩むのは記憶による観念があるからなのじゃ。
>>957 おぬしが勝手に妄想したことでわしの母親が困ることは無いのじゃ。
なぜならばそれはおぬしの勝手な妄想であり、わしの母親に何の影響も及ぼさないからなのじゃ。
おぬしの妄想はおぬしだけを困らせ、迷わせるのじゃ。
今ここにあるものを観るのじゃ。
今ここにあるものとはおぬしがわしが全盲になるとか妄想しているということなのじゃ。
それを受け入れ、ありのままに観るのじゃ。
>>958 そのようじゃ。
わかると言えばわかるがあまり意味もないものじゃ。
まだ目覚めていない者を導くために観念を教えているのであるからのう。
クリシュナムルティやオショーのほうが役に立つのじゃ。 >>959 今はかなり普及しているからどれでもよいのじゃ。
九つの性格と言うのがよくまとまっていたようじゃ。
他の本でも同じなのじゃ。 >>960
父親 「コラッ、遊んでばかりいないで勉強しなさい。
大学に受からなかったら一生ちゃんとした生活が出来ないぞ。」
息子 「おぬしが勝手に妄想したことでわしの将来が困ることは無いのじゃ。
なぜならばそれはおぬしの勝手な妄想であり、わしの将来に何の影響も
及ぼさないからなのじゃ。
今ここにあるものを観るのじゃ。
今ここにあるものとはおぬしがわしが将来ちゃんと生活できないとか妄想して
いるということなのじゃ。
それを受け入れ、ありのままに観るのじゃ。 」
父親 ・・・(このバカ息子が・・・)
鬼和尚、将来起こり得ることに対して準備することは妄想ではないのではありませんか? グルジェフをまとめたサイト?のようなものをみてみると、
どうやらエゴグラム≒エニアグラム
のような気がします。
もしかしたら違うもののことを指して話してしまっているのかもしれませんが、
最初から九つに分かれているわけでもなく、
最初に三つに分かれ、そこから何か悟りの階梯のようなものを
作り、合計七つのタイプに分けているように見えます。
自分や他人を見るための目印にならないかとも思うのですが、
あまり意味はないということでしょうか? グルジェフに関しては一知半解の身ですから、思想とか方法論に適切なコメントをするのが難しいのですけれども、
私の知る限りで二点、真の≪究極≫へと達し得る正道が、或いは≪究極≫それ自体が論示されているように思います。
一点は思想上で、完全なる人間(性)を達成する為の望ましい変化は人智を超えて起こる、とした記述であり、
一点は方法論上で、神聖舞踏におけるストップのワークです。
というのは、完全性の達成が往々にして妨げられるのは、一般にいう人智を超えた生来的な要因が、
変化のエネルギーを(そちらの解毒に)消耗させて止まないからであり、前者の一点に関しては、
正にそういう原理と氏の知見が合致するからなのであって、また、真理とは悠久のストーリー性を帯びる体質の物ではなく、
局面局面でものの見事に完結した物であり、そうなればこそ局面だけしか存在しない人生に活かせる道で(真理は)あり得る故に、
後者の一点に関しては、どの動作局面を切り取っても完全であるべき、としたワークの理念と、
そんな(先の)真理の在り方が、ものの見事に合致しているようだからです。
グルジェフは、左脳から右脳を貫く円錐状の流れ、腰部の三次元状に集う地熱の流れ、
天地を貫く波状の流れ、背部パラボラ状の求心性、宇宙空間から前頭部へと冷涼な流れ、
物質文明の≪物質性≫とリンクした流れ、以上二種類の合流したエネルギー、
腕を経由で分かち与えられる、更に巨大で高雅な流れ、時空を超えて憂えた≪未来≫とのリンク等、
圧倒的に複雑怪奇で、巨大で神秘的な、主に腰部を中心とした身体性を特徴的に持たれるようです。
閉塞的な近代という時代において、これだけの人物が発生したのは、人間らしくある事が難しいという適応要求が、
妊娠という過酷な条件が激烈な身体性を導出する事に似て、逆に大いなる正(道)へと働いたいきさつがあったものと推察できます。
もっとも、(先のような)局面的な知見とは裏腹に、例えば上級者に対して奥により上級技法を残すとか、
部分部分で決して理念が完結していない面から、言行に矛盾のあるのも否定できず、氏その人が≪究極≫を体現していたとは言い切れないかも知れません。 >完全性の達成が往々にして妨げられるのは、一般にいう人智を超えた生来的な要因が、
変化のエネルギーを(そちらの解毒に)消耗させて止まないからであり
ありがとうございます。詳しく知りたいのはそこです。どの本にあるんですか? 戦争の帰還兵が心身深く傷つき、記憶の反芻や不自由な肉体に囚われ、世界の悪い部分
ばかりしか信じられず、いい面があるのは分かってもガラス越しのことのようにしか思えない心境
に陥ったとき、絶望が深いと自殺したりしますが、ここまでのレベルではないが似たような
ことはあると思います、どのようにこの囚われから心を解き放てるでしょう いずれ太陽が膨張して地球を飲み込んで消滅する日が来るそうですが、
人類が科学技術を発展させて地球を脱出し他の惑星で生き延びることができるように
色々と研究開発をしている人たちがいるようです。
お聞きしたいんですが、このように人類の種の存続のために働くのは善行ですか?
人類があらゆる環境を克服し生き延びようとする事は尊い使命なんですか?
地球脱出に成功しても他の惑星でいずれ人は死にますよね?
地球が滅ぶからと言って他の惑星に移住しても、死ぬことから脱出できるわけでは無い。
人類が生に執着するほど生態系はダメージを受けて他の生き物がどんどん殺されていくような気もします。
しかし、人類が滅ぶと死を超越する永遠の法も消滅してしまうのは巨大な損失になるんでしょうか。
心を整える者より科学者達こそが、尊く賞賛に値するのでしょうか?
科学にこそ希望があって、人類の発展は彼らの手にかかっていると言えますか。 科学は人間の生活を便利にするものじゃ。
心の問題には寄与しないのじゃ。
人間の心は2500年前のお釈迦様の時代と変わっていないのじゃ。 >>970
生き延びようとする事そのものは体の持つ本能的な動きだろうから善でも悪でもないのでは?
ただそれを不安にかられて過剰にやろうとすると損失に繋がって自分の首を締める事になるだろうけどね。つまり、それが原因で苦になる。
飢えて死ぬのが怖いからと言って過剰に食えば食い過ぎが原因で病気になってかえって死が近づくみたいなもの。
前門の虎後門の狼のように両極端に死があるのでバランスを取って常に丁度良い位置にいた方が良い。
もちろん状況は変化し続けるのでこうすべきだと固定的に決められない。 >>960
>今ここにあるものを観るのじゃ。
>今ここにあるものとはおぬしがわしが全盲になるとか妄想しているということなのじゃ。
>それを受け入れ、ありのままに観るのじゃ。
そうすると、鬼和尚は今日得たお金を明日の為に取って置くことはしないのですか?
すべてのことについて「宵越しの金は持たぬ」主義で生きているのですか?
明日や明後日のことは考える必要はなく、今のことだけを考えて生きていればよいと
言われるのですか? 既に欲がなくて必要最低限しか使わないだろうから無理に取っておこうとしなくても自動的に残るんじゃないか? >>974
偽和尚は頭が悪杉。要点がまったく分かっていない。
必要最低限でも使うということは欲があるということだ。
また、明日のことを考えればその必要最小限さえも切り詰めなければならない場合もある。 >>975
慈悲の心が起こっているならわざわざ自分の体を殺すこともないだろうし人を生かそうともするだろう。
それも欲と言うなら欲だろうけどな。病的に必死に求めるような欲とは違う。
で、明日のために切り詰めたくなったのなら切り詰めるんじゃないか?
少なくともネガティブな妄想に支配されて無理に切り詰めて今死んでしまうようなことにはならんだろう。 >>976
相変わらず要点が分かっていないね。
偽和尚はもう書き込みをやめた方がいいでしょう。
(別の人からも図書館にこもれと言われていたようだし。) >>977
それ書いたの障碍者は安楽死させるべき、
公務員以外は人ではないと暴れてる人だぞ。 >>977
ただの言いがかりみたいな書き込みの要点などわかったところで意味はなかろう。 >>977
ああ。そうそう。別スレで見つけた素晴らしい言葉をここにもコピペしておこう。
君もこの通りにすれば素晴らしい人になれると思うぞ。
悪口批判を言わず常に明るく笑顔で心配事をせず
将来を不安視せず恨み憎しみなどなく
現状に満足してモノやカネに執着せず
今この瞬間のみに全力を尽くし
慈愛博愛の精神のみ24時間示し続けるのじゃ >>980 >>981
悪口ではなく正しい批判なのですよ。
偽和尚のように間違ったことを書き込む人間は批判されても仕方がないのです。 >>982
悪口批判を言わず常に明るく笑顔で心配事をせず
将来を不安視せず恨み憎しみなどなく
現状に満足してモノやカネに執着せず
今この瞬間のみに全力を尽くし
慈愛博愛の精神のみ24時間示し続けるのじゃ >>983
偽和尚のように間違ったことを書き込む人間は批判されても仕方がないのだよ。
偽和尚のような悟ってもいない者が 「全盲になっても困らない」 などと鬼和尚の
口真似をしても自分の愚かさを曝け出しているだけなのだから。 >>985
だから、偽和尚は頭が悪杉だと言われるのだよ。 前から思ってたけど、なんで偽は、悟りを開いてもいないのに、いつも口出ししてるの?
偽がやってることは、単なる虎の威を借る狐みたいなもんだから、アドバイスされてもあまり良いようには思えないという人は多いと思うよ。
そこは分かってる?
もちろん分かってないんだろう? >>986
はいはい。
>>987
虎の威を借る狐? そもそも虎など最初からどこにもいないわけだが、
君にはどこかにそういったものがあるように感じられるのか? >>988
スレタイを読んでみろよ。
自称だけど、該当するのは鬼和尚だろう。
それに該当しないものがアドバイスできるようになったのは、少なからず、鬼の影響も受けてのことで、それを、虎の威を借る狐と揶揄されても間違いではなかろう。 >>962 将来起こりえると言うならば全ての病気になるかもしれん。
パセドウ氏病とか肝炎とか癌とかきりがないのじゃ。
おぬしは何故盲目になるとか妄想したのか原因を自分の心の中に探してみるのじゃ。
昔盲目の者を妄信していたからかもしれん。
そのような原因がわかれば妄想も消えるじゃろう。
>>964 そうじゃ、それもパターン認識によって合っているように見えるだけなのじゃ。
他の占いなどと同じなのじゃ。
自分の本心を観察することには及ばないのじゃ。
>>968 自らの本心を観察する事でその囚われから心を解き放たれるじゃろう。
いま自分の心に起こっていることを観察する事でその傷も癒えていくのじゃ。
それが自分ではなく自分のものでもないと気付くからのう。
実践あるのみなのじゃ。 >>970 本当に人類のためならば善じゃろう。
尊い使命ではないのじゃ。
人が居なければ法も意味が無いのじゃ。
人のための法であるからのう。
いずれは滅亡を免れないものの為に無理に延命を図るのは先の見えない愚かなことじゃ。
真の永遠への道は心を調えることにあるのじゃ。
それが賢い者の道なのじゃ。
>>973 妄想するものこそ金を無意味に使ってしまうものとなるじゃろう。
思考と観察は違うものじゃ。
なぜそのような妄想をもつのか原因を自分の心の中に探してみるのじゃ。
>>989
これさあ、偽和尚より他の奴に言ってくれよ
いつも適当なこと書いて相談者に嘘を教えてるのは、偽和尚に食って掛かってる奴らだろ >>989
誰かの相談に答えることはこのスレができた最初の頃から誰でもやりたいやつが
やっていたことだ。鬼和尚の影響を受けて最近になってこうなったわけではない。
ここには虎はいないし誰も虎の威は借りていない。そもそも悟った人は虎ではない。
そのようなものと感じるのならそれは妄想だ。 >>992 >>993
いつもテキトーなことを書いている偽和尚のどこが菩薩なんだい? >>995
じゃあ君がテキトーでないことを沢山書いて埋め尽くせば良い。 >>994
「やりたいからやってる」って、それ、オナニーと一緒だよ。笑
鬼の影響は全く受けてない?
大した影響力も何も無いってことだな。
なのに毎日、なにやってるんだろうね。笑 >>998
読んで書きたいことがあったら書く。それだけ。 .................................. ── ....................................................
........................../ \..........................................
....................../ ..................................................... .
.. ... ... ... ../ ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...
... .. .. .. ...| |.. .. .. .. .. .. .. .. .. .
. . . . . . . .| |. . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . /. . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . .\ . . . . . . . . . .
. . . . . . . .ー __ /. . . . . . . . . .
次スレへ行こうね うん
∧_∧ | ̄ ̄| | ̄
 ̄ ̄| (::: ´∀) ∧_∧  ̄ ̄| |  ̄ ̄ 1000を越えたのでもう書けません。
 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
..___ |::: | | ( o ::)ゝ . ._____
/ (__)_) J`J .... \ 【生活全般@2ch掲示板】
/ ..... 三三 三 ... .. \ http://yuzuru.2ch.net/kankon/
/ 三三三 .. 三三 .. .. \
life time: 97日 14時間 7分 47秒 2ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 2ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 2ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.2ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.2ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。