【萩尾望都】大泉スレPart62【竹宮惠子】
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萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■テンプレまとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive....95af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart61【竹宮惠子】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1643964923/
■過去スレ
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検証ありがとうございます
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【竹宮惠子「画業50周年記念展トークイベント」検証】
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ちなみに竹宮惠子は2019年の「画業50周年記念展トークイベント」において「自分が最初に描いた作品は手塚治虫の『マンガの描き方』から学んだ」と語っていますが、手塚治虫『マンガの描き方』の発行は1977年で、1977年は竹宮恵子が「地球へ…」を連載している年なので、その点にも触れておきました
手塚治虫『マンガの描き方』は1977年に発行されたものしか確認できませんでしたが、どなたかそれ以前の版があればお知らせください 手塚治虫さんのマンガの描き方はどこかで連載されていたのかな
発行が遅くても連載は昔からやってたのかもしれないですね >>98
>>38からの流れをあらためて整理して書き直します
私は、山本さん野口さんは優れた編集者であり、優れた漫画家が世に出る為には見る目を持った人が必要と痛感した
見込んだ人の原稿を誰にどう言われようと載せようとする存在が必要なんだと
翻って竹宮さんは岡田さんにわざわざ個人的に手紙を出して「あなたは漫画界の現状をわかってない」と断じた
ここで、実際の作品の出来不出来は関係ない、落選なら落選で構わない
ただ、賞の選考をする人間としてすべき行為ではなかった
現状をわかってない(から諦めた方がいい)と個人的に書くとか越権行為だし、そういう選者がいるとわかってる賞に
二作目三作目を送る気なんて失せるのは当然
岡田さんが応募した「Comicアレ!」はサブカル寄りでラインナップが個性的な雑誌、メジャーなマンガ誌ではない
そういう雑誌だからこそ40代の岡田さんでも勝機があるかもと賭ける気持ちで応募したんだと思うのに
奇しくも、岡田さんがCOMに描けなくなって最初の引退状態になった後、再度作品を描き始めたのは
山本さんと萩尾さんの勧めによるものと言われている
彼女の才能が三度世に出ようとした時、野口・山本両氏と対照的な行為をして岡田さんに筆を折らせたのが
竹宮さんの手紙だったのは岡田さん本人がそう語ってるので間違いない
そういう流れで書きました
なお野口さんは確かに岡田さんを見出す所までで最後まで守り抜く事は出来なかったけど、それこそ別の話かと
さて夜更かししてしまったので私はとりあえずここまでで >>103
手塚治虫なら『漫画大学』っていう作品があるけれど
それと混同してるとか
でもあれを読んでるなら
あんな文章やセリフで説明する漫画を描くかな… >>108
手塚治虫『漫画大学』は1950年発行なので、竹宮さんの混同・記憶違いの可能性は捨てきれないですね
念のため、まとめに付記しておきます >>109
優しいなあ、でも当時の人で手塚治虫大先生と石ノ森章太郎先生を混同したり間違えたりする人は誰一人いませんでしたよ
最初っから言っていた石ノ森章太郎先生の本を読んで、が正しいと思いますが
つまり前スレで>990のレスをされた方の意見の方が正しい
一つ嘘をつくとあれもこれも言い換え、我々を翻弄するいつものやり方 >>110
自己レスですが番号を間違えました
990ではなく
996です >>63
そこまで言うならあなたが図書館で借りてコピーしたものを披露して下さい
全部がむりならタイトルページだけでも結構なので
信じて貰いたいならまずはそこからでしょ? 国会図書館は貸し出しはしてないんだが理解できないのか? >>113
自分は検索してみて初号不明ー10号〜って書いてあるから初号から10号までは紛失になってると思い込んでたよ
間違ってたのならすみません、謝ります
精華大云々言ってた人は別の人ですのでその件はその方に抗議してください >>63
このスレには多くの人がいるので「そんな人間」とひとくくりにしてのレッテル貼りは荒らし行為と変わらないと思いますよ
検証中の情報に間違いがあるのなら自分で国立国会図書館に行き、コピーをし証拠を揃えたうえで訂正と抗議をする
証拠を出して訂正と抗議をしても特定の機関に対して憶測で誹謗中傷をする人がいるのなら
その人間を権利を侵害されたその機関が名誉毀損で訴える テレビランド増刊「竹宮恵子の世界」(1978)中の「竹宮恵子の軌跡」P37には
石森章太郎の「マンガ家入門」を読んで、先生に手紙で仲間が欲しいと頼み
同人誌「宝島」を紹介してもらったという話に続いて、次のようにある。
「宝島≠ノせっせと原稿を送った。『ナカイーダ』「水鳥」「エスパーくん」など
多くの作品が宝島≠うめていった。そしていつのまにか宝島%烽ナ彼女は
質量ともにエース格になっていった。
当時、少女漫画界は、高校生の里中満智子が少女フレンド≠ナ新人賞を受賞して
はなばなしくデビュー。(中略)「私に描けない分野をこんなにおもしろくかけるなんて、
スゴイ!」とショックでした。でも、私だって描いてみせる。私だって高校生のあいだに
デビューしてみせる。こう思ってがんばって描きました。」
・この回想では1964年の漫画新人賞に中3(中2とも自称)で応募した話はなし
・「水鳥」は肉筆回覧同人誌宝島≠フ漫画新人賞に載せたことのみ記載
・四誌合同での漫画新人賞を「少女フレンド」の新人賞と誤った記述
・宝島℃Q加は竹宮さん高校生の時だが、2年前の里中さんデビューをこの頃≠ニ話す >>63
「初号不明」っていうのは
別冊少女コミックの創刊が何号からかは不明(=国会図書館ではそこまで把握していない)って意味だと思う
データベースで見ると1970年の発行物で所蔵しているものは
1(4)-1(5) 19700800-19700900 と
1(6)-1(8) 19701000-19701200 の2冊だけだけど 19701200が12月号の可能性あるかな? >>12
ご存知で書いていると思うけど、残っている雑紙が2冊じゃなくて、
1巻4号から5号、1巻6号から8号の5冊分。
雑誌の場合は何冊かを一緒に綴じて表紙を新たにつけて保存する場合が
多いから、4号と5号、6号−8号は一緒に綴じてあると思う。 >>62
2014年08月03日
80年前のマンガ家志望者への先輩からの言葉が深い――「マンガの描き方本」の歴史1
https://nikkan-spa.jp/689620
とりあえず、まんがのかきかた絡みの情報をまとめた記事です
他はまた後でお返事しますね BSPの英雄たちの選択の足利義満回見てたら里中満智子が出てて義満に関して
「気の小さい人はどんな手を使ってでも自分を守ろうとするから先手先手を打って強い」
「ナルシストは自分のことだけを考えていられる、自分だけ助かろうとする」みたいなこと言ってて
里中さんが大泉本からの一連の流れ知ってたら面白いなあと思いながら見てた >>123
ご存じじゃなかったので参考になった
国会図書館は利用したことあるけど、雑誌は知らんので
じゃあ、19701000-19701200だと10月号から12月号に当たりそうだね >>81
「もぞう紙に墨汁とペン」というのは水野英子先生が子供だった青池先生に目の前で描いたときの道具からだと思いますが
その用紙は漫画賞応募には相応しくないはずです
模造紙はおそらく薄くて入稿向きではないでしょう
個人へのプレゼントだから大きく描ける模造紙を選んだのかもしれません
私は漫画は描けない素人レベルで描こうとも思えない画力なので知識は中途半端ですが
描けないからこそ漫画を描ける人は尊敬ですし、道具や描き方にも興味があって漫画雑誌の隅の描き方コーナーなどをよく読んでいました
読んでいたのは昭和40年代ですが用紙はケント紙や画用紙が勧められていたと思います
最近は漫画専門の原稿用紙が売られていて各サイズで選べるようですがそんなものがなかったときは雑誌の規定サイズに合わせて自分で切るのです
印刷は縮小できるので2割程度大きめに描いたほうが綺麗になるなどのお勧めもありましたが、これは縦横の比率を間違えると意味がないので昔は応募初心者は大変だったでしょうね
好みもあるでしょうがペン入れは墨汁またはインクでしょう
主眼とズレるところを長々すみませんが、詭弁でつけこむ隙を狙っている人が跋扈しているので思い込みはできるだけ排除していかないと 昭和40年から41年に発行された石森章太郎先生のマンガ家入門では
紙は「ケント紙かもぞう紙(全紙の8ツ切り大)」とあるのでもぞう紙もおかしくないと思う というか70年代ごろの漫画誌のマンガスクールの応募要項はみんな「ケント紙かもぞう紙」てなってた >>130
>>131
ありがとうございます
模造紙もお勧めだったのですね
>>129
応募に模造紙が向かないは訂正します >>117
> このスレには多くの人がいるので「そんな人間」とひとくくりにしてのレッテル貼りは荒らし行為と変わらないと思いますよ
「そんな人間」は誤情報でもホイホイ信じてしまう人のこと
スレの人間をひとくくりにしている訳じゃない
誤読して人を疑うのはどうかと
> 検証中の情報に間違いがあるのなら自分で国立国会図書館に行き、コピーをし証拠を揃えたうえで訂正と抗議をする
リンク先を見れば紛失していない事は明白なんですが、これ以上何をしろと?
> 証拠を出して訂正と抗議をしても特定の機関に対して憶測で誹謗中傷をする人がいるのなら
> その人間を権利を侵害されたその機関が名誉毀損で訴える
無関係な団体に迷惑が掛かっても「訴えたらいいじゃん」ってこと?
それはそれで一つの考えとは思いますが、それでいいんですかね? ボカロの神っぽいなって萩尾のこと歌ってて笑撃wwww 132で解決済かと思いますが、いちおう。
>>129
資料まとめサイトの高2(16歳)自画像に「もぞう紙」とあるのです
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%c3%dd%b5%dc%d8%aa%bb%d2%a1%a7%bc%ab%b2%e8%c1%fc%a4%a4%a4%ed%a4%a4%a4%ed%a1%db
今のようなマンガ原稿用紙などはなく、ケント紙や厚手の上質紙も地方の文具店では入手できなかった時代。
投稿用には、もぞう紙(全紙)をハサミで9等分した紙に描くのが一般的だったと思われます。 135続き
なお、「少女マンガ家になれる本」(1980 )「私の体験から」の中で竹宮さんは
「中学生の時はペンなんかぜんぜん使わず、鉛筆だけで描いていた」(117 p)
「ペンとか、紙など道具の知識は「マンガ家入門」に出会うまでは、あまりくわしくは知りませんでした。
というのは「マンガ家入門」に出会う以前は、まったく鉛筆だけしか使わず、失敗すると消しゴムで消して、
また描きなおすという方法だったので、道具のことで不自由を感じたことがなかったからです」
「中学生のころはそんなこまかいディテールを自分自身の作品に描きこもうとは思っていなかったので、ことさら興味はありませんでした」(135 p) 137続き
扉本によれば、高1で「マンガ家入門」を読んでプロになりたいと思い、
高2で「続マンガ家入門」を読んで、仲間同士で研鑽を積む方法を知り、
石ノ森氏に手紙を書いた縁で、同人誌「宝島」に参加(37p)
(「カレイドスコープ」年譜によれば、「宝島」には「水鳥」「エスパーくん」寄稿)
高2の修学旅行で石ノ森氏の仕事場を訪ね、初めてプロの原稿を見る。
高3の後半で、西谷先生から直筆の手紙で応募を勧められ(39−40)
「リンゴの罪」週マの新人賞に佳作入選(西谷先生の話は資料まとめにあります)
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%c3%dd%b5%dc%a1%a7%c0%be%c3%ab%be%cd%bb%d2%c0%e8%c0%b8%a4%ab%a4%e9%c4%be%c9%ae%a4%ce%bc%ea%bb%e6%a4%ac%c6%cf%a4%a4%a4%bf%a1%db
西谷先生から応募を勧められた話の初出は2007年、この年は4月に「地球へ…」が二度目のアニメ化。
翌2008年4月、精華大学マンガ学部学部長就任(カレイドスコープ年譜より)
心境の変化がおありだったのかもしれません Wikipediaが気になって出典を見直してきました
既出かもしれませんが
おはようとくしまはリンクが切れていたのでarchiveから拾ってきました
おはようとくしま 2006年2月1日 漫画家 竹宮惠子http://web.archive.org/web/20071114233819/http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2006/0201.htm
時代を変えた少女マンガ
竹宮惠子先生・藤本由香里先生インタビュー
『バンクーバー新報』MAPLE 2007
2007年10月4日 第40号 掲載
https://archive.li/dHo5q
2008年11月ゲスト「Earth Dreaming-ガラスの地球を救え」
abcラジオ 手塚るみ子
https://web.archive.org/web/20100304104746/https://www.asahi.co.jp/50th/takemiya.html >>139追加
「京都精華大学の次期学長に決まった徳島市出身の漫画家竹宮惠子(たけみやけいこ)さん」『徳島新聞』2013年12月8日
http://web.archive.org/web/20131213114014/http://www.topics.or.jp/special/12254542636/2013/12/2013_13864705288256.html
新校舎完成祝い竹宮さん イラスト「地球へ…」寄贈徳島新聞Web 2010年8月27日
http://web.archive.org/web/20100829060051/http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/08/2010_128287169294.html >>139自己レス
ラジオで手塚るみ子さん相手に語っている書き起こしでは
中学生のときの作品が残っている話もしていますね
>中学の頃に書きためた中に石ノ森先生の設定に近いようなSF冒険ものを描いています。今でもそれは残っています」 >>135
私は1970年ころに赤塚版(実際は長谷邦夫さんがまとめたと思う)の
まんが入門を読んでいたけど、赤塚版はケント紙だったかな。
それといろいろなペンの特徴を紹介していた。 >>135
ありがとうございます
資料が豊富でちょっと追いつきません
そこに自分でもさらに追加してしまい申し訳ない >>109
いつも冷静なまとめをありがとうございます
>>125であげた
リンクからです
>図3 上野氏が後年、手に入れた昭和37年発行の『マンガのかきかた』(冒険王編集部編)初版本。図1と同じ本だがこの後、版を重ね、内容にも変化が見られる >>128
米沢嘉博記念図書館には、創刊号5号からおいてあるみたいだね
誰かご近所さん、いないかな
https://imgur.com/a/Sw3LJ0R >>148
いけない、創刊号5月号ね
あとURLだけど
https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/index.html
の左側にある「蔵書検索」で、タイトルを「別冊少女コミック」、出版年月日を「1970」〜「1970」とだけ入れて検索した結果です >>143
テキスト抽出および検証ポイントのご指摘をありがとうございます
後程ゆっくり読ませていただきます >>149
他にも見たい資料があるし行ってもいいんだけど
あそこ確か一日会員だと閲覧できる蔵書が限られていたような
古いものは見られないんじゃなかったかな >>151
一日会員だと無理だね
一ヶ月会員で2200円、これを払うなら国会図書館に行くでしょ、そこまで距離も離れてない
ただ、あそこって古い漫画雑誌や単行本でも棚に置かれてるものもあるから、簡単に見れていいよね
スーパー銭湯の漫画とは品揃えが違う
いちいち請求する国会図書館はちょっとめんどくさいよ 検証ポイントのうち、今、気がついたものについて
*「同居してがんばろう」という流れだった?
これは、扉本の聞き手の知野さんも疑問を持ったように思われます。
扉本60pから、萩尾さんが同居を決意した理由について書かれていますので、
少し長くなりますが引用します。
「仕事を手伝ってもらって意気投合したとはいえ、まだそんなに親しいわけではありません。
ところが、萩尾さんは引っ越しを決意しました。
恐らく萩尾さんの側の事情もあったのだと思います。ご両親が漫画家という職業を認めません、
っていう厳しさだったのでそこから逃げ出すみたいに私との同居を始めたのではないかと思います。
もちろんこれは私の想像でしかありません。そこを詳しく聞かないのが私の変なところなんですね。
人とのつきあい方って、何から何まで言葉ではっきりさせないと不安だという人と、
私みたいに肌感覚系の人がいるんだと思うんです。
肌感覚系とは、人に説明を求められた時、本当に困るんですよ。
一体何を信用して萩尾さんが私と暮らし始めたのかとか、
どういうふうにして萩尾さんが家を出ることを決心したのかとかを全然聞いていないんです。
そのあたりが妙なところだと自分でも思います」(引用終了)
以下私見です。
萩尾さんが上京した理由のひとつは、東京での一人暮らしに反対していたご両親が
女性と同居ならいいと許可したこと、
もうひとつは「ケーキケーキケーキ」の原稿料約20万円が入り、費用が捻出できたことです。
竹宮さんが50年の間に忘れたのか、あるいは共にマンガ革命をめざしたイメージ作りのため
あえて知らなかったことにしたのかは、わかりませんが
萩尾さんには「私たちの描きたい漫画は、現在の少女漫画とは絶対に違う、
もっと違うジャンルを、思想のある漫画をと、意気投合し、「同居してがんばろう」」
という気持ちはなかったと思われます >>153
萩尾さんは1970年のなかよし別冊「ケーキケーキケーキ」に
「少女マンガはこれでいいのか! NO! やらねばならないことがあるはず」
って書いてるから(以前誰か画像を挙げてくれてたはず)
当時は少女マンガ革命する気満々だったと思うよ 新しい作品、自分が書きたい作品を描きたいと思っていたろうけど
それが「革命」なのかと言えば、表現者なら誰もが、時代を越えて願うこと
だから萩尾さんはそれを「少女マンガの波、波、波」と表現した >>154
それはローマ字の書き文字で、心の声ともとれますが
竹宮=増山さんがめざした「少女マンガ革命」とは別ではないでしょうか
萩尾さんは、自分が描きたいものを描きたかった、その思いが強かっただけで
竹宮さんのめざすものとは違うように思います >>156
「少女マンガはこれでいいのか! NO! やらねばならないことがあるはず」
というメッセージのすぐそばに
「タケミヤ マスヤマ ヒラタ ハラダ イトウ」
ってローマ字で書いてあるんだから、その解釈はさすがに無理があるのでは? >>157
発見、ありがとうございます
「ユース6」はたしかに中学時代の作品のようですね
ということは、「ぜんぶ燃やした」のではなく、残したものもあったということで納得です 萩尾さんの原稿を手伝ってくれたその人たちが萩尾さんの原稿をジャックしてそんなことを描き込んだのかな
萩尾さんメインにしてその時はやるつもりだったのが1番病の竹宮恵子のカンに触って除外されたということか その頃はそんなことを書いてたのに
その後にあなたは少年愛を理解してないなんて言って除外して仲間はずれにしたわけね あんな革命的な漫画を先に発表していた岡田史子さんに「あなたは少女漫画分かってない」
なんて手紙送ったり、萩尾さんに「あなたは少年愛分かってない」なんて言ったり
竹宮さんの後付けで名付けた「革命」って一体何だったんでしょうね
同時発生的に色々な人が少女漫画の表現の幅を広げていったことに対して
それは自分がやった、と主張することが竹宮さんにとっての「革命」なんでしょうか? そのローマ字は萩尾さんが書いた物なの?
アシじゃなくて? 萩尾さんの原稿にTAKEMIYA なんてサイン入れているあたり、その頃から萩尾さんに寄生して行く気満々だったんだ… 萩尾望都作品目録の人によると
「ケーキケーキケーキ」の中には
「KONNA TOKOMADE "SETUMEI" SASERU KINANO?」
って書いてあるんだって、持っている人は筆跡をくらべてみたら?
まさか他人の原稿にそんなこと書く人いないでしょ >>168
どこにも「KAKUMEI」って書いてないのに不思議なこと言うねー
もしもあなたが言うように少女マンガ革命をする気満々なら、たった一文字書くだけでその真意が伝わるのにヘンねー
結局萩尾さんは、竹宮さんの唱える革命とやらを知らなかったし、何ら関わっていないということの証だよねー >>164
ほんとだ
kakumeiなんてどこにも書いてない 文字が入ってるか入ってないかがそんなに重要?
革命って当時は恥ずかしい言葉だったって誰か熱弁してた人いたような 重要だね
新人がこの業界このままでいいのか!?と自問自答するのは当たり前の儀式だし
革命はまた別の話 KONNA TOKOMADE "SETUMEI" SASERU KINANO?
意味深だな 少女漫画革命なんて言葉は竹宮さんが「萩尾・竹宮」セットで自分を売り出すためのプロモーション用に後から名付けただけでしょう
本当はとっくに付き合いもなくなってた萩尾さんに便乗するための宣伝文句が「大泉サロン」「花の24年組」「少女漫画革命」
この3つの後付けプロモーション用語
>>168 >>172
そのローマ字は当時萩尾さんが作品を描きながらもジレンマを感じてたっていう証明にしかならない
逆に、竹宮さんたちでさえ、少女漫画革命という言葉を当時はまだ使って無い、という逆の証明になっているよ? >>172
>文字が入ってるか入ってないかがそんなに重要?
ローマ字で書かれた文字が重要だと感じたからあなたはわざわざ画像まで貼り付けたんでしょう? >>175
なんで、なかよしなんていう少女向けの雑誌に「革命」なんて言葉を入れてこなきゃいけないのか?
入ってなくて当然でしょ
「少女マンガはこれでいいのか! NO! やらねばならないことがあるはず」
でさえ、子供向け雑誌で何書いちゃってるの?って驚くのに
>>176
文字でなくて中身を問題にしてるんだけど? 「ケーキケーキケーキ」確認しました(1977年発行 作品集3)72p 2コマ目
「あのお菓子は 味の芸術品だわ…お菓子だって 本や音楽のように 人の心をゆたかにする」
という主人公カナの心の台詞で、黒い手がハート型の扉を開く絵の右下に書かれたローマ字3行ですね
KOKORO NO TOBIRA GA "KANDOU"DE HIRAKARETE IKUTOKORO
KONNA TOKOMADE "SETUMEI" SASERU
KINANO?
>>164の画像は、こちらの筆跡とは異なるように見えますが、
私は筆跡鑑定人ではないので断言はできません
どなたか画像アップできる方がいらしたら、よろしくお願いします 余談ですが、この作品の解説「可憐な技能者の肖像」の副田義也氏は、
「主人公の少女を、ある仕事に志をたてた意志的な人物像としてみごとに造型した」
「人間は努力して幸福になる権利を持っている、という萩尾氏の提示する哲学はたいそうさわやか」
と評しています。そして
「この作品の原画が一時行方不明で、なかなか再刊されず、幻の名作といわれていたとのこと。
このたび、この作品集に入って再刊されるのですから、萩尾氏のファンにとってはさぞやうれしいことでしょう」とも。 ストーリー上必要な場面に文字の入った本や新聞等を描くときにどうせ読者にはわからないから作者やその周り人達の本音や愚痴をローマ字で書いて息抜きにしてただけではないですかね
現場のおしゃべりの延長というか実況? >>153
もちろんこれは私の想像でしかありません。そこを詳しく聞かないのが私の変なところなんですね。
人とのつきあい方って、何から何まで言葉ではっきりさせないと不安だという人と、
私みたいに肌感覚系の人がいるんだと思うんです。
肌感覚系とは、人に説明を求められた時、本当に困るんですよ。
一体何を信用して萩尾さんが私と暮らし始めたのかとか、
どういうふうにして萩尾さんが家を出ることを決心したのかとかを全然聞いていないんです。
そのあたりが妙なところだと自分でも思います」(引用終了)
竹宮さん、せめて本に記録に残すときは裏取りしてくださいよ…
勝手に自分上げ、都合のいいように解釈してペラペラしゃべって記録に残すやめよう
発現には責任を持とう >>183
これは第三者の落書きでしょ
こんなシーンに書くことじゃない >>146
上野氏の記事、ありがとうございます
【「画業50周年記念展トークイベント」検証】に付記しました >>183
普通に>>164と同じ人が書いてると思うよ 後は、「くたばれマニア!」とか「黙して語らず馬鹿につける薬はない」とかと比較することもできるけど
多分全部萩尾さんが書いてる 萩尾さんが可哀想になるなぁ
この頃は原稿に名前書いてもいいくらい仲が良かったんだね セーラ・ヒルの聖夜にも本棚の背表紙にサンルームにてが並んでた >>183
ありがとうございます
自分でアップできないので、お手数おかけしてすみません この落書きに執着してる人前にも来てた昔のマンガ知らない人じゃない?
アシに行って落書きし合うとか手紙みたいになってるのとか
こういう落書き流行ってたの知らなかったみたい 少女漫画に「少年愛」をセンセーショナルに取り込んで「革命」を起こし、
小学館漫画賞で評価もされ、その後は学長まで上り詰め、褒章までされたのに
今の風潮はLGBTはよくてもペドフィリア(12歳以下)はNGだから、
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1644587306/-100
代表作がほぼそれだけの竹宮さんとしては、萩尾さんの業績へのコバンザメ戦略で
「元学長」「日本マンガ学会会長」の肩書に傷をつけず、
さらなる名誉をもって歴史に刻まれることを望んだのでしょうね。 >>172
革命が恥ずかしいは「当時は自粛ムードだったから言いにくかったんだ」とか言い出した人が
そんなムードはなかったって方々から言われて苦し紛れに最後に吐き捨てたんでしょ
そもそもは増山さん竹宮さんがいつから革命って言い出したかの話をしてたんじゃなかった? 革命って単語は前スレ#966に1974の別コミの宣伝文で出てたって書いてなかった?
小山ゆうの漫画の売り文句でさ、革命ってワードも安い借り物の可能性がでてきたね >>183
これ場面に対して悪意感じるけどなんなの? >>192
あなたは少女漫画しか読まない不勉強な人なのかもしれないが
BLではよく幼年時代の話として、10歳未満のキャラがレイプされるなんてシーンはザラにある
まるで風木だけが、あなたのいうペド漫画だというデマは振りまかないでくれ >>193
当時のカウンターカルチャーって音楽やらファッションやら現れ方が
多様な上、起こった事件もいろいろあるのに、
何故か浅間山荘事件のみに固執して、それで革命という言葉が禁句だった
と主張していた人ね。
リアタイ小学生だったけど、そんな事実はなかった。
革命が禁句なら、1972年からのベルばら連載、
その後の宝塚舞台化はないと言ったら、それは別とか言っていた。 >>158
竹宮さんはヒラタさんやハラダさんは無視しているの? 水野英子「白いトロイカ」も革命の話じゃなかったっけ? >>196
腐女子の間でも「10歳未満のキャラがレイプされるなんてシーン」は苦手だし、ペド漫画と揶揄し嫌う傾向にあるよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています