【萩尾望都】大泉スレPart38【竹宮惠子】
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萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■テンプレまとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive.org/web/20210426122201/https://blog.goo.ne.jp/rococom/e/4c12d956c4c795af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart37【竹宮惠子】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1630185289/ >>1乙です
前スレ終わりで何故か『総特集木原敏江』の話題
あぁ、↑この本で、↓あの件について確認しろということですか、そうですか
>一九七四年、木原は体調を崩し、医師に転地療養を勧められ、埼玉県に引っ越した。
>そこで、「遊びに来て」と言われ、萩尾望都が訪ねたのである。
出典:中川本、2019年、電書
本当に1974年だったら、萩尾さんは英国留学から帰国した後ですね 中川本は参考資料とか同時代の青池さん里中さんガロやCOMにも触れながら書いてあるから
年表みたいな感じではとても役に立つんだけど
金星人ミルテラバーツマコがダイガクジュケンをやっけにいく話を
萩尾さんが「魔法使い」に描いたという寺山さん談に
何の注釈もなくそのまま載せてるのでちょっと心配な部分もある >引っ越した先のアパートでは猫は飼えませんでした。
(大泉本9章 海外旅行の最後の方)
○下井草では猫は飼えなかった
「とってもしあわせモトちゃん」より
イギリスが舞台の話は、おそらくは渡英中に描いたものと思われる
(毎週2ページを航空便で送っていると大泉本に記載あり)
「じょじょ(城章子)元気?私は元気よ、キミと私の猫に会いたいわ…」みたいな英語での私信がある
だがメメはまだ痛いみたいだ…
載ったのは1974年週刊女性少女コミック13号
http://www.toshonoie.net/shisho/hagio/motochan.html
つまり猫は飯能の庭付きの貸家に越してから飼われたものだと考えられる
留守番をしていた城さんは猫の世話と庭の草むしり、掃除に換気と結構忙しかったコトだろう
(渡英中響子サンが言うように下井草の6畳にまだいたとしたら留守番ていったい何すんの?換気くらい?)
https://i.imgur.com/2vWGxTT.jpg
https://i.imgur.com/ubA0n2A.jpg 萩尾さんも竹宮さんも、アンケートが取れなくて工夫を考えた話を書いてる
竹宮さんは「1位を取るためにはどんな話を描いたらいいのか」を考えて
増山さんから貴種流離譚を提案されてる
萩尾さんは木原先生に相談して、アップや睫毛、花背負わせたりのアドバイスをもらう
同じアンケートアップ作戦でも、萩尾さんは絵柄の工夫のみでストーリーを変えることは考えてない
木原先生も萩尾さんのストーリーテリングに口を出す余地を感じなかったのだろう
竹宮さんは1位を取るためのマンガを描くのが目的で、その話が描きたいという動機が見えない
そもそものマンガに対するスタンスが真逆なのよ、お二人は。 前スレのこれすごかったよね
描きたいことがないのに描きたい人を陥してる感じ
>西炯子さんとの対談より。ツッコミどころ満載
竹宮:私自身は最初から注文されて描くものという漫画家の形態に、基本的に、はまっていこうとしたタイプ。
だから、注文があることに対して応えようという方向性しか最初はな くて、
周りの人が内発的なものをたくさん描くようになったので慌ててしまったというか。
そうでなきゃいけないんだ、作家というのはそういうところがなければという気持ちに、途中でなったのです。
竹宮:デビューして3、4年ぐらいしてから、そういうふうになったのです。内発的なものを持って出てきたわけではないのです。
基本的に生活に不満というか、何かイライラしているとか、 何かに怒っているとか、
そういうものを持っているわけではないタイプだったので。
別に普通に、社会的にもというか、家族の中でも別に何の問題なく過ごしてきたので、不満もなかっ たから、
叫びたいことというのもなかった。逆に言うと、自分の中にそれはないのかとわざわざ探す、
そういう感じでした。だから、今聞いていて、普通はそうよね、私、変だよねって(笑)。
竹宮:私は逆にそれを自分の中で探したのです。だから、本を読むことが足りなかったのかもしれない。
他の人はもっとたくさん本を読んでいたりして、いろいろ内省的なことを考え ているということがあったのだろうけれども、
私は幸せに過ごしてきたのでなかったみたいな ところがあって、後から勉強しましたみたいな。
だから、「風と木の詩」とか「地球へ・・・」 を描いている頃には、ようやくそれをどうやって出せばいいのかが
分かってきたという感じで すね。プロになってから1、2年でそういうことに悩みはじめて、そのあと3年間くらい、
出すも の、出すもの、気に入らないわという時代を過ごしたので。
だから、その頃は「自分の内面って何?」みたいな状態だったんだと思います。
竹宮:作家になるために、どこかしらでそれは必要なのだろうなと思います。でも、それを 持っていることが
普通なのに、自分が持っていないということに気付いて慌てる人は、あまりいないかもしれないなとは思います。 >>7
そのネコは白ケムシのことですかね?
まんがABCによると、白ケムシが拾われたのは萩尾さん英国留学前です
子猫が拾われて来た時に佐藤さん風のアシスタントがその子を見て「白ケムシ!」と呼んだのが名前の由来
大泉本によると萩尾さんは
1973年5月に小鳥の巣を描き終えて仕事を休み、その月末頃に埼玉へ引っ越したといいます
そして夏から北海道→実家→英国留学へと旅に出ました
大泉本を前提として、
もし埼玉で白ケムシを拾ったとすれば、それは5月末から夏の前までの数か月の間のはずです
この間、マンガの仕事はないのアシは不要です
佐藤さん風のアシが白ケムシと命名することはなさそうです
白ケムシはいつどこで拾われたのでしょうか?
どこかで読んだ気もしますが・・・
ちなみにまんがABCによると、大泉から引っ越した先で白ケムシは拾われたそうです
これを文字通りに解釈すれば下井草で拾われたことになります
ペット禁止のアパートでも実態はユルユルだったかもしれません
「小鳥の巣」執筆中の下井草で佐藤さんがアシをしてる間に白ケムシが拾われたとすれば全てが整合的です
その後いつ埼玉へ引っ越したかは別問題です
>渡英中(略)下井草の6畳にまだいたとしたら留守番ていったい何すんの?
下井草って6畳1間でしたっけ?
もし「渡英中まだ下井草にいた説」をとったとしても、白ケムシの世話のため留守番が必要です
まんがABCでは「イギリスに旅行した5か月の間 里子に出した」という表現をしています よくわからないんだけど
佐藤さんはアシ以前に友達なんだから
仕事以外で会うこともあるんじゃないの? >>1>>2 乙です
竹宮さんはジル本でも「描くものがことごとく気にいらない」
「全然表現できていない」と伊東愛子さんの前で泣いたと書いていますね
でも「つらいからと誰かに譲る気持ちはさらさらない」とも
かつて中島梓さんが喝破されたと思うのですが
表現したいものがあるのが萩尾さん(山岸・大島・木原・青池さん達を含む)で
表現者になりたかった(呼ばれたかった)のが竹宮さん
表現者として一流と見做されるために
増山さんとの協働、共作を選んだことがはたして正解だったのか?
ご自身でもっと本を読み、内省を深めるべきとは思われなかったのかな 謙虚になることを知ってたら良かったのにね
何もないのに何かあるかの如く振る舞ってた訳でしょ
「よく考えたら私は昔からこれが好きだったのよ」とか
譲るべきものは何もないのに譲る気ないとか意味わからんわ
他人の物を獲りたいだけだったんじゃないのかな、としか どこかで書いていらしたような
「編集との会話で知らない話が出てきても背のびして知っているフリをし
帰ってから調べる」「弱みを見せたくなくて強がっていた」
大卒の男性編集者に対し、「私だって国立大中退のインテリなのよ」と
格好つけたい面がおありだったのかもしれません >>7
1行目は南大泉の畑で拾った猫の顛末の部分
下井草はペット不可ということで、増山さんのお母さんに引き取ってもらった子のこと。 読書量とかが圧倒的に足りないからおすすめを読むことにしたような話があったけど
本棚を見て欲しくないっていうのはおすすめされた本しか読んでなかったのかなと思った >>14
大学中退って最終学歴は「高卒」ですもん。リアルで張り合おうとするのもずれてますね。 >>14自己レス ジル本確認(24P)訂正します
「背広の男性編集者に会うと、どうしても突っ張ってしまうのだ」
「他人に弱みを絶対見せたくないと思っていたのだろう」
「知っていることを最大限に大きく語ったり、
知らないことが会話に出たら、どこでどう聞けば恥ずかしくないかと
キリキリ考えながら話していた」
これが竹宮さんの基本的スタンスだったと思われます
萩尾さんは知らないことは「知らない」、わからないことは「わからない」と言う
知らないから恥ずかしいとは思わない、そこから調べたり、考えればいいことだから
両者は出発点からスタンスが真逆と思います >>10
シロケムシをいつどこで拾ったのか書いてある本あったよ
書店で普通に手に入る本だから探してみてね >>10
アパートがそんなユルユルならバタ連れてってもよかったんじゃ…
6畳、風呂なしですね
留守番するんだとしたら辛すぎー
城さんが渡英時に世話してた猫が76年頃に家出しちゃった白ケムシちゃんがどうかは定かではありませんね
(思い出を切りぬくときなど)
まんがABCは現在ほぼ読めないからそれをソースにされてもね?
国会図書館でコピーして貰えと?
池田いくみさんに会うために北海道に行ったあと、佐藤史生さんに報告とあるからこのときは会ってますね
電話はこのときまだついていませんから
(木原さんの家で借りて仕事以外の私用の電話をするとも思えない)
なんにしてもなんでそこまで1974年引っ越しの世界()に拘るのかよくわかりません
毎度毎度の大泉本の記述には信用がおけないという仄めかし?
あんなことがあったところ、そして彼女らの生活圏からは一刻も早く離れたかったでしょうから
木原敏江の(引っ越して来てくれたら)嬉しい!は渡りに船というか、地獄に仏でしょう
木原敏江が竹宮惠子の交友関係にはたぶん入ってなかったのも少しは切り替えられてよかったのかな
ささやさんなどは萩尾竹宮どちらともずっと仲が良いしね 盛るという形でしか創作できないから詰まんない作品ばっかなんだろうなあ・・・ ジル本は竹宮惠子がどういう風に話を盛るかを研究するためだけに存在する資料 >>14
一条さんも100ページ毎月6ヶ月描いた時には、
編集部まで行くタクシーの中で考えた話を「ずっと温めていた話」と
はったりをかましていたそうだが、
知らないものを知ったかぶりした訳ではないからな。
木原さんは高卒だけど(都立名門校優等生で、就職した銀行の丸の内本店配属だが)、
マーガレットの編集さんと好きな本の話題が合って、
「あなたは何を描いても良い」とお墨付きをもらっていた。
別の編集さんから「博識」と評価されていた教育大在学中の池田さんとも、
何時間も電話し合うほど仲良しだった。 盛るって言うと大げさにしただけみたいだけど
私が始めちゃったことですね!みたいなのははっきり嘘なんじゃないの? >>18
ずぅっっっとキリキリしっぱなしてるよね… >>25
こういう所は、虚勢を張りまくる無様な自分を正直に曝け出しているのにな
若気のいたりで振り返ると微笑ましい自分ってことになってるのかな >>20
細かいことは追々お返事します
今はポイントだけ
「萩尾さんは1974年に埼玉へ引っ越した」という説は「図書の家」さんがそう主張しているようです
図書の家(制作)「年譜」in 木原敏江(箸)『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』河出書房新社、2017年、p.180
にそう書いてあるそうです
私は「図書の家」さんの仕事を信用しています 中川さんについては前スレで本人が1973年と訂正したという結論が出てるのに
何で同じことを何度もむしかえすの?
>『萩尾望都と竹宮惠子』において、萩尾が東京から「田舎」へ転居した時期について、
>「1974年」とした。これについては本にも記したが、萩尾関係の資料では確認できず、
>他のマンガ家の資料から類推したもので、一応の根拠はあった。
>だが間違っている可能性もあり、萩尾自らが「1973年」と記しているのであれば、
>それはそれで整合性が取れるので、「1973年」と訂正させていただく。 図書の家の年表も「他のマンガ家の資料から類推したもの」だろうね
中川と同じ資料を使ってたんじゃないの
大泉本が出たことで間違った資料は全部訂正する機会を得たんだからいいことなのに響子はいつまでゴネてるんだか
さんざん信用できないと叩いていた図書の家まで持ちだして来てみっともない >>9
>最初から注文されて描くものという漫画家の形態
萩尾さんと出会う前にSF漫画を描いてる
しかも原作は辻真先!
--大泉本より引用 電書なのでページではなく章で
1 出会いのこと ── 1969年〜1970年
注19)スーパーお嬢さん
1969年『ファニー』5月創刊号〜10月号連載。原作は辻真先。宇宙人の少女が地球語として覚えた関西弁を話すことから「お嬢さん」を「こいさん」と読ませている。同誌は虫プロ商事発行の少女漫画誌で70年5月の休刊まで竹宮はほぼ毎号作品を発表していた。
--引用終わり
そしてこれを保存してるまつざきあけみも凄い
https://matsuzakiakemi.seesaa.net/upload/detail/image/_res_blog-32-ae_tamatyannanatyan_folder_495992_72_8580872_img_5.jpg.html >>28
しかし中川も関係者に誰一人裏取りをせず書いた妄想本をグダグダと自己弁護した後で
引っ越しの時期だけチョロっと訂正(嫌々ながら)
本当にみっともない。響子のようだわ。ソックリだ 大泉本の記述の整合性を疑うとかアホでしょ。
それと、留学留学とひつこい方がいらっしゃいますけど、8週間の語学留学ね。妹が行くことになって、望都さんもついて行くことになった。妹が先に帰ったが望都さん残留。翌年2月まで5カ月間いた勘定。 業界内で大泉サロンをネタにした
様々なプロジェクトが進行してる、的な情報を
中川氏は掴んで、それらを先取りする形で
本を出したのかも知れない。
金儲けにいっちょ噛みしようとしたら
大泉本に額を撃ち抜かれたと。 >>19
わかりましたー
前から買おうと思ってたからポチったわ
あと総特集木原敏江もやっと買ったー
明日来るから楽しみ〜
何より木原敏江、青池保子、萩尾望都の鼎談が読みたい!
>>31
一応増山さんにはインタビューしたんじゃなかったでしたっけ?
まあ「萩尾望都と竹宮惠子」というタイトルなのに二人には取材してないってなんじゃそりゃですが
(断られたんでしょうか) >>30
まつざきあけみは昭和30〜40年代の文化に異様な執着を持ってるからね
怪作「ぼくらは青年探偵団」なんか凄かったよ。トリビアとパロディの宝庫
ペコとポコとかマルコメくんとか企業のイメージキャラがそのまま登場人物として出てくるから
復刻するわけにはいかないんだろうなあの本
自分は1,2巻とも持ってるけど >>30
自分ではSF作品を生み出せないのがよく分かった
あとこのヒロイン宇宙人である必要性を感じないな イギリス留学中、「ハワードさんの新聞広告」の他にモトちゃん描いてたのは、
もしかして山本さんの提案、アドバイスだったりするのかしら、などとふと思った
目を悪くしてしばらく休みたいって言ってイギリス行っちゃったけど
読者に忘れられないように小品でもいいから週に2ページでいいから描いて繋いでおけ、という
萩尾望都には「描きたいもの」があるからここで漫画をやめて消えはしないと信じていたんだろうなー >>30
うる星やつらの元祖と強弁することは可能かも
>>36
自力で生み出せないのはSFだけじゃない 中川本2019年に増山さんに聞いた話自体は数行で
スペクテイターからの話が多いよ
出典がない増山さん談がチラホラあるけどそれが既出かどうかわからない
スペクテイターにはなんでこれ中川本で省いたかな?って話が割とあった >>35
ALLANに載ってたやつ?
雑誌ぜんぶ持ってるからだいじにするわ…… ALLAN全部持ってるってすご杉でしょw
読者のお便りコーナーだけが肥大していった意味不明の雑誌だったな
月光とか誌名を変えて続いてたけど追い切れるもんじゃなかった >>20
>アパートがそんなユルユルならバタ連れてってもよかったんじゃ…
想像ですが、引っ越してからユルユルに気づいたんだと思います
>6畳、風呂なしですね 留守番するんだとしたら辛すぎー
どぼちて辛いの?1人暮らしならそれで十分です
>城さんが渡英時に世話してた猫が76年頃に家出しちゃった白ケムシちゃんがどうかは定かではありませんね
まんがABCによると渡英中に白ケムシを一時里子に出したといいます
>まんがABCは現在ほぼ読めないからそれをソースにされてもね?
「図書の家」さんも利用している大阪府立中央図書館国際児童文学館に所蔵されているようですよ
>国会図書館でコピーして貰えと?
誰でもネット経由でコピー依頼できるそうです
>池田いくみさんに会うために北海道に行ったあと、佐藤史生さんに報告とあるからこのときは会ってますね
まんがABCでは白ケムシの名付け親は名無しのアシスタントで、それが佐藤さんだというのは絵から推測されるだけだそうです
>毎度毎度の大泉本の記述には信用がおけないという仄めかし?
大泉本の記述はそれ自体が1つの真実であり、1つの世界を表わしています
>なんにしてもなんでそこまで1974年引っ越しの世界()に拘るのかよくわかりません
それが相互の誤解をとく糸口になるかもしれないからです >>36
ヒロインの設定はケーコタンの責任じゃないので
問題は描きたいものが特にないのに
原作付きは低く見られるとかの謎理論がいつ頃どのように生まれたかなどでは >>30
辻真先さん、去年からの活躍が凄くてメディアにちょくちょく出てますね。御年89歳。 >>43
萩尾さんがブラッドベリ原作ものを連載していた時
萩尾望都はオワコンだのと叩かれたらしいから、見下す層がいたことは確かだと思うよ
問題はそれを「原作付きは許されなかった」と主張してることの方でしょ
原作付きは昔から多かったし高く評価されている作品はいくらでもある
なのに竹宮史観ではあたかも禁止されていた・タブーだったかのようにねじ曲げている >>41
この雑誌、絶対に手元に置いておかないと後悔すると思ったんだよw
今となっては激イタだけど、読者の頁とか大好きだったw
スレ違いスマン >>47
そっか、ブラッドベリのときでもそんなもんだったのか
でもジル本で原稿料談義してるときにトップだろう、人気だから当然みたいなノリで噂になったのがあしたのジョーのちばてつや
有名な原作ありの作品という矛盾 >>47
何十年も風潮のせいと主張した挙句
もともと私は原作付きを良しとしていませんでした
だもんね
これも盛ったなのかな? 「犬は人につき猫は家につく」って言うから連れてっても馴染まんのではないだろうか
知らんけど あれ、竹宮氏が自分から光瀬にオファーしたアンドロメダストーリーズや決闘は 竹宮氏の中ではどういう扱いだったのかな 萩尾氏の後追い真似っこだったけど >>50
「増山とは共作だからセーフセーフ」的な
竹宮のファンなら増山の価値を低く見積もってくれるから我田引水最高っすね >>47
音楽物が増山さんの原作であることを隠したかったからでは?
「原作付きは低く見られる」は、後付けのように思えます >>30
竹宮、女の子が描けないなんて言ってたけど、ちゃんと描いてるじゃんねぇ >>52
ケーコタン「おモー様が懇願して描かせてもらったSF作家が描きおろしでオファーするから仕方なく、みたいなー?」
村田「流石ケーコタンやでぇ〜!ケーコタンの凄いとこブログに書いとくわ」 >>40
そう言えば、増山のりえは「COM」を全部持っているって言ってたな 竹宮「原作なんて書いてない!まだ共作と思われた方がマシだよ!」
増山「え?アイデア出してるのに共作でもないの?」 >>51
そう、飼い猫が自由に出歩いてた時代はそう言ってた
実際、転居した家族から捨てられたらしい猫が旧居に随分たってから戻ってきたのを知ってる
猫が決めたテリトリーから引き離すときは、転居先に少しずつ馴染んで新しいテリトリーを決められるようにしてやらなくてはいけない >>42
シロケムシの名付けに関しては「漫画家と猫」の諸星大二郎との対談で語ってるよ(P.73)
萩尾ーそれは2番目の猫ですね。
今の場所に仕事場を移した時に拾った猫です。
当時遊びに来ていた佐藤史生さんに見せたら「ちっちゃくて白毛虫だ」って言ったので、それでシロケムシになりました。 >>54
「原作付きは低く見られる」よりもっと踏み込んで
「原作付きは許されなかった」と言っているわけだよ竹宮さんは
増山さんの存在を隠していたことがどう取り繕っても正当化できないからだろうね
低く見られたくない虚栄心だったことさえ認めたくないんだよ
私はノンタン原作だと言っても良かったんだけど、世間でも業界でも許されないことだったんです
そういう姑息な自己弁明 編集者の山本さんは、この盗作糾弾マンションのこと知らないままだったんですかね。
もしこれを知ったなら(大泉本を読んだなら)どう思ったのでしょうね。たらればですが。
何かがあったことは感じていたと思うのですが… >>39
え?なんだインタビューってそんなもんなんですね?w
「"少年の名はジルベール"は読んでない」と「なんで二人が別れたのかはよく知らない」
プラスαくらいなのかしら
>>42
だそうです、ということはあなたも現物はお持ちではなくSNS()でお聞きになった話なんですかね?
なるほど〜
まあ今日アマゾンで買った本に載ってそうなので明日読んでみます〜
…と、ここまで書いて他のことやってたらレスありましたね〜
やっぱり飯能で拾った猫なんですね〜
「漫画家と猫」明日届くから楽しみだわ
ネコチャンたちに癒やされたい…
私は大泉本の記載と大泉本での図書の家のお仕事を信じてますわ〜w >>61
ありがとうございます
「漫画家と猫」Vol.1 p.73ですね
何かのついでに聞いてみます ▼1974年埼玉移住説について(改訂)
萩尾さんが埼玉県H市へ引っ越した時期に関しては2つ説があります
「1973年埼玉移住説」と
「1974年埼玉移住説」です
大泉本は「1973年埼玉移住説」を採っています
これは1973年5月小鳥の巣連載修了後に埼玉へ引っ越したという説です
一方その説とともに「1974年埼玉移住説」も可能です
以下典拠
(1) 萩尾さんインタビュー
>――確か、『トーマの心臓』はちょうどこちらに引っ越した頃に描かれたとか
>萩尾 そうです。
出典『文藝別冊 総特集 萩尾望都』2010年、p.78
(2) 萩尾さん講義
>Q10.「ユニコーンの夢」はスクリーントーンを一切使っていないが、それはなぜか?
>A10. ちょうど引っ越したばかりで、たまたまスクリーントーンがなかったから。
出典:https://www.hagiomoto.net/news/2016/07/post-249.html
『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界〜女子美での講義より〜』2020年も同旨
(3) 木原さん年譜
1974年、木原さんは体調を崩し、医師に転地療養を勧められ、埼玉県に引っ越した。
萩尾さんは「遊びに来て」と誘われて訪ね、その地を気に入って近くに引っ越した。
出典:図書の家(制作)「年譜」in 木原敏江(箸)『総特集 木原敏江 エレガンスの女王』河出書房新社、2017年、p.180
1974年前半の萩尾作品
・別コミ3月号 ハワードさんの新聞広告(3.1)イケダイクミさん原作
・別コミ4月号 精霊狩り3みんなでお茶を(4.1)メメが痛い、黙して語らず云々
・別コミ5月号 ユニコーンの夢(5.1)★この直前に引っ越したという(上記2参照)
・週コミ19号〜トーマ連載(5.5〜)★このころ引っ越したという(上記1参照)
・別コミ6月号 まんがABC(6.1)ポー単行本予告つき
1974年埼玉移住説の年譜(仮)は次のレスを参照してください
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1626533938/828
※ この説については暫らく検討を保留します まつざきあけみは1954年生まれか
24年組にはちょっと遅いな
この人は絵柄がコロコロ変わりすぎてもはや同一人物の作品とは思えないようなものもある
劣化したのかと思えば昔の絵に戻ったりして
こういう人こそ注文通りの絵が描ける革命的漫画家ではないだろうか >>42
情報量を集めてから持論を組み立てたらいかが?
見てるとあなたは情報を他人にすべて依存しているじゃないですか。 >>68
響子の場合は自論ありき。自論に合わせて都合の良さそうな情報を拾ってくるに過ぎない
自論に合っていれば嫌いな図書の家すら利用するw
大泉本は基本的に全部「萩尾さんの記憶違いだから信用しない」という立場
しかし他の人の推論に対しては「大泉本に書いてありますか?書いてないならデマです」と全否定する
竹宮惠子レベルのマイルールとダブスタ >>62
同意です
そんな姑息な弁明に納得するほど世間は甘くないんですけれどね
竹宮さんはよほど甘い象牙の塔の中にいらしたのでしょう 竹宮さんは扉本で「少女マンガではSFを描かせてもらなかった」
「1977年の『地球へ…』(少年誌)でようやくその壁を突破できた」と言っていますが
萩尾さんの『あそび玉』は1972年、『11人いる!』は1975年ですよね
木原さんはもっと早く1969年には『銀河より愛をこめて』
1970年に『イブよ!わたしのイブ』を描いています
竹宮さんの発言は検証が必要と思う所以です 埼玉で引っ越し一回とは限らないんじゃないの?
文藝別冊では「それからずっとこのへんに住んでますね」と言ってるし
その後「そして1980年に現在の仕事場になる家を構えられるわけですが」とインタビュアーがふってる >>71
私が1番最初に読んだ少女漫画のSFは大和和紀の「はいからさんがこけた」かも知れない…w
あれも77年頃なんでしょうか >図書の家の皆さんはいい人そうだし、大泉本では編集協力とカバーデザインをしただけだし、大泉本出版に責任を負わないと思います
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1628301736/953
図書の家の皆さんが良い人というのは従来からの定説です いい人でも間違いくらいはある
「いい人だから当事者より記憶が正しい」とかいう馬鹿な理屈は聞いたことがない >>30
ファニーは小学生の頃にたまたまいとこの家にある号があったけど、
大島さんの野イバラ荘園しか覚えてないわ。
山岸さんもファニー用のSFを準備していたが、廃刊が決定して幻作になってしまった。 >>71
> 竹宮さんは扉本で「少女マンガではSFを描かせてもらなかった」
> 「1977年の『地球へ…』(少年誌)でようやくその壁を突破できた」と言っていますが
一応ここで検証されて竹宮さんの盛った話だと
少しは周知されたんじゃないな
今更だけど少女漫画の竹宮史観が完全に根付く前に
大泉本が出てよかった
当時を振り返るきっかけになったし 少女誌でSFを描きにくい状況だったのは事実
編集に却下されることが多く、どうやったら描けるかと四苦八苦していたと花郁さんだったか水樹さんだかが話していたはず
その抑圧がゆるくなったとしたらそれは竹宮惠子ではなく萩尾望都の貢献が大だろうね
状況自体は嘘ではない。突破したのはあんたじゃないよってこと
そもそも風木だって萩尾さんがギムナジウムものを定着させたから描きやすくなった
道なき道を切り開いていったのは萩尾望都の才能あってこそなのに
その功績をどこまで横取りすれば気が済むのか 昔のSFだと、志賀公江さんの単行本をそろばん塾で読んだなあ。
ルルが風に乗って、だった。 「萩尾望都は恩を仇で返した」と竹宮信者は言うけど(リークが正しいなら竹宮さんもアシに愚痴っていたという)
萩尾さんに恩義があるのは竹宮さんの方だと思う
萩尾さんが紹介してくれなかったら増山さんとは一生知り合えなかった
なぜなら増山法恵も萩尾望都の才能に惹かれて集まって来たうちの一人だから
出会う前に読んだ竹宮惠子のマンガに増山さんは「嫌な奴」としか思わなかったと言っていた
竹宮さんの才能では増山法恵を釣り上げることができなかったということ 前にアップしたララのSF大特集(1978年6月号)萩尾望都は何故いないのと思ったら口絵を連載?してたのと(たぶん「銀の船と青い海」に入ってる)
SF特集の次のページのコラムかなんかで激しく称賛されてはいました
SF好きの編集者さんが書いたのかな
でもなんでカットが山岸凉子の妖精王なんです?w
SF特集も再度アップ
このケーコタンには萩尾望都由来のブラッドベリ好きとしては、やはりどうにもムカつきます…w
https://i.imgur.com/9pBaEMv.jpg
https://i.imgur.com/TfxcXCq.jpg
https://i.imgur.com/6UUbft1.jpg 「銀の船と青い海」の「幻想」ですね。
初出が載っているのでありがたいです。
穴沢さんの初担当
https://imgur.com/gallery/hBxMWjN >>81
正しくそうですね!
そっか!
じゃあ、「恩を仇で返す」はもう使えないですね
増山を紹介したことで、とっくに恩は返していたのですから
その事に関してはフィフティフィフティですね! 違う、フィフティフィフティではない
そもそも萩尾氏は竹宮氏になんら
仇を為していない
使いたかったシチュエーションの被り、しかも自分はまだ作品にしていなかったそれを、盗作呼ばわりしたのは竹宮氏の嫉妬と焦りからの一人相撲 >>85 続き
ならば、恩を仇で返したのは竹宮氏の方
一人相撲という以上に悪意があったとしたら尚更酷い
それを五分五分で片付けようとするのはごまかし
貴方が意図してごまかしているなら、
貴方にも悪意があるのでは? >>85>>86
ごめんなさい
おっしゃる通りです
萩尾さんは、ボツになった作品を抱え困っていた
Y編集長に紹介して貰ったり、一緒に住まないかと言ってくれたことに恩を感じていた
でも、こちらも増山さんを紹介しているので恩を恩で返していた
その意味でフィフティフィフティかなと書いてしまいました
決して悪意などありません
萩尾さんに仇なす書き込みだったとしたら、それは私の本意じゃありません
重ねてごめんなさい こちらこそ失礼した
貴方の意図を読み違えていたようだ
しかし萩尾氏が恩義を感じていた同居の誘いや山本氏への紹介は、竹宮氏にも充分以上のメリットがあり、決して単なる善意だけではなかったと思う
有望な新人を紹介することは小学館に恩を売れるし、一人暮らしが苦手なのは竹宮氏の方だったらしいし、自分が高く評価した才能の主の仕事を間近で見られるのも自分の成長に寄与すると計算したろうし
でも、山本氏が難色を示し、後に木原氏もきっぱり否定したように、個性ある作家同士の同居は、良い結果をもたらさなかったということ >>88続き
竹宮氏が、自分の計算に足元を掬われたなら、それは竹宮氏自身の責任であり 萩尾氏に咎は全くなかった
竹宮氏の八つ当たりの結果、深く傷ついた萩尾氏はとんだ災難 大変な目に合ったけど、実質1,2年で竹宮さんから離れられて良かった。
でもその後ずっと続く目の不調のこととか、私的に一番好きな「小鳥の巣」の頃の絵から
どんどん離れて行かざるを得なかったこととか、「きりとばらとほしと」みたいに
ヴォークト風未来SF編の構想もあったらしい(夢枕獏対談)のに描かれなかったこととか、
(竹宮さんの下井草「盗作糾弾」が絶対関係してると思う)、その直後の作品数の
意外な少なさを振り返ると「死んだ子の年を数える」みたいだけど、一ファンとしては、
竹宮さんの自己愛行動で萩尾先生が描けなくなった作品があるに違いない、
それをやった竹宮さんを許せないと思う。
「少女は永遠に失われ・・・」とか「守りえなかった僕の妹」とか
「小鳥の巣」でのエドガーの苦悩が、竹宮さんによって描けなくなった傑作の数編を
メリーベルで擬人化されたみたいになって脳内リピート・・・
でも、萩尾さんがそのことを(竹宮さん側みたいにネチネチと)恨んでたりしない
性格なのが救い。 >>37
山本さんの慧眼のゆえじゃないかな
生活のリズムの管理とか動静の把握とかリハビリを兼ねての手慣らしとか色々考えてのこと
モトちゃんのキャラ自体がそうなんだけど、「自分で描いた笑顔に自分で癒される」って効果はあるかも知れない >>80
志賀公江さんの「ルルが風にのって」と「未来からきたベレル」は、週刊マーガレット連載でしたよね リハビリといえば、「トーマの心臓」自体が萩尾先生の葛藤を整理して昇華した作品だったのかな
心を閉ざしたユーリが徐々に人間性を回復するストーリー、本人にその自覚はなかっただろうけど
穿った見方に過ぎないけど、そういう視点で読むとまた違った作品像に思えるな 面白いよね、最初に編集さんから言われてアシスタントに行った青池さんと竹宮さん。
青池さんとは今でも良いお友達で竹宮さんとはこの通り。
要するに性格だよね。
青池さんなんかそれこそ講談社で苦労して誰を恨んでもおかしくないのに、決して
そんな低レベルなことはせず、自分の力で仕事を広げていった。
かたや竹宮さんは自分の実力不足を認められず、理不尽な暴力で信じていた友人
を傷つけてその後も捏造を繰り返している。対象的だよね。
どっちを友人としたいかなんて決まってるわ。 >>80
別マだと美内すずえさんのひばり鳴く朝って短編が1971年
SFや冒険ものやホラーがどの雑誌にも1-2冊は載ってたから
描かせてもらえなかったというより固定作家枠だったのかも >>95
自己訂正
どの雑誌にも1-2冊→どの雑誌にも1-2作 「原作つきが馬鹿にされる」ってのがいまいちストンとこない
裏で編集やらゴーストやらにお話を組み立ててもらってるのに、それを表に出さないケースのみならず
梶原一騎(高森朝雄)や小池一夫の仕事ぶりもあって、漫画原作=漫画の神様手塚が嫌う劇画というイメージで忌避されてたとか?
でも学生運動の賛同者は、バリケードの中でそうした劇画をむさぼり読んでたんでしょ?
当時でもそんな考え、古くさかったのでは
原作つきを貶める意見に素直に従うなんて、革命家を標榜しつつ権威におもねる感じで矛盾してるなあ
少年虐待ポルノを小学生に見せることに執着するより、原作ありで何が悪い!ということを押し通すほうが、いま振り返ってもかっこよかったのでは >>97
それはあくまでも今の話
昔は原作付きだと漫画家の株が下がったんだよ
そういう時代だったの >>97 そういうことが分からないのが、竹宮さんの個性というか困ったところ。
勝手に自分の中で価値基準を作り上げて、それを守るために歴史的事実を歪曲したり、
それで自分の行動を正当化し、他人を下げてきた例をいっぱい見てる。
ハッタリで先生や学長、会長やるのはいいけど、地味で緻密な少女漫画史の編纂とか
任せない方がいいタイプ。 >>95
少女雑誌で描かせて貰えないわけじゃなく
いろんなジャンルを描いて実績作った作家だったり
そのジャンルの作品を描いて読者がつく作家であれば(編集部に読者の声が届けば)
ちゃんと描かせてもらえたと思う
それまでの少女マンガ雑誌の編集部が男性だらけなのはその通りだし
少女マンガ描きの少女〜女性を編集部が軽く見てたのも事実なんだけど
雑誌や単行本の売上に貢献した結果、編集部の社員が飯を食えるのであれば
描きたいものは描かせて貰えるんじゃないかなあ だいたい「価値が落ちる」ってどういうこと?
編集にしてみれば「売れれば原作付きでもなんでもいい」だよね。
現に講談社なんか原作付きが多く、キャンディなんか大ヒットだった。
小学館だって牧野さんなんか原作付きだったし。
売れないオリジナルと売れる原作付きのどっちが出版社にとって良いかは明らか。
要は竹宮さんが「自分の価値が下がる」「自分が話を作れない」と知られるのが嫌だった
ってそれだけの話だよ。もしくはFCみたいなコアなファンだけの意見。
ともかく外からどう見られるかに異常にこだわる人間だよね、竹宮さんって。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています