刑法の勉強法■57
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
大審院時代に身分性を否定した判例があるけれども、
現在の判例は一般に目的犯の目的は身分と考えているとされているから
65条の適用があることは明らかで、現在は取り立てて議論する実益はほとんどない。
ただ、西田山口は違法身分か責任身分かを区別する必要があるので記述がある
というだけではないかな。 >>160
なるほど、西田や山口が営利目的等を主観的違法要素として一種の身分犯になるというのは、彼らの総論理解に沿う。
しかし、中森の総論の体系がわからない(行為反価値というくらいしか知らない)からなんともわからんが、
わざわざ、目的犯ではあるが身分犯と解する必要はない、としているのが疑問なんだよ。少なくとも俺には。
当該目的の身分性に触れない(単に目的犯とするものや議論も載せないもの)のは、論者が議論に気づいていないor議論を嫌っていると理解できるが、
あえて西田山口のような立場を突いて身分犯と解する必要はないとして理由づけも特にないから、中森各論の記述が混乱を生んでいると思う。 何年もまともに論文を書かずにこんなところで油を売ってるバカ学者の元ヴェテ参上 >>163
おそらく、@判例が否定説であること、A否定説からも刑法65条と同様の結論を
導く解釈が可能であり、妥当であること、によるんじゃないだろうか? 内田刑法概要(中)より引用。
「ちなみに、大判大正14.1.28刑集4・14は、刑法225条の「営利の目的」は、
刑法65条1項・2項の「身分」には当たらないとしていた。「1項の身分」に該当
しないという限りでのみ妥当な理解というべきである。さらに、事案は、共謀者
において、明確な「自己営利目的」が存在しないまでも、「第三者営利目的」は
明白に存在した場合(芸妓に抱えた女性が逃げ出したので連れ戻そうとした)
にかかわるものである点にも、注意しなければなるまい。「第三者目的」・「他人
目的」も「目的」であるから、すでにこの点において「共犯と身分」の問題は生じ
えないことになるわけなのである。」(556頁) あ、わかった。
成人の営利目的誘拐は真正目的犯。
つまり、目的がなければ犯罪にならない。
中森先生は、刑法65条1項により目的=身分なき共犯者を罰することに反対なのでは?
内田先生と同じく、不真正目的犯にのみ65条2項の適用を認める立場では? >>162の論文の最後にズバリの事例が載ってるね。
成人女性を営利目的あるAと営利目的ないBが共同して誘拐した事案。
内田教授はBには共同正犯は成立せず、幇助にとどまるとされる。
なぜ幇助? くっそムズいな。
営利目的未成年誘拐の場合は、
未成年者誘拐が基本犯になるから、
営利目的は不真正目的犯になるんだね。 >>163
中森58頁の記述は、あまりに簡潔すぎて理解に苦しむのだが
「本罪は目的犯であるから、、その意図した事柄が達成されたことは必要でない。
なお、営利目的等を65条の身分と解する見解があるが(大谷102頁、西田79頁)
その必要はない(古い否定判例として、大判大14・1・28刑集4巻14頁)。」
忖度すると、次のようになるのではなかろうか。
判例・通説が、目的のような一時的・主観的要素を身分とする意義は、65条2項を適用する
ことによって、目的をもたない者に「通常の刑」を科するためであろう。つまり、、罪名従属性説
を前提にすれば、とくに教唆犯・幇助犯の場合、正犯の罪名に従属せざるを得ないが、これ
を避けるために、身分犯として65条2項の適用により、教唆犯・幇助犯には通常の刑を科す
ものとするのである。
しかし、罪名独立性説を採れば、65条2項の適用によらなくても、目的のような主観的要素は
個人的要素であって、教唆犯・幇助犯に目的が存在しない場合には、当然、通常の教唆犯・
幇助犯が成立する。
このように解すると、身分概念も本来の意義に立ち戻って、「営利の目的」といった一時的
心理状態は身分ではないと解することができる。
間違ってたらスマン。 >>171
>>169の事案だったらどうよ?
成人女性の営利目的誘拐に営利目的なく関与した者の罪責。 ということは、
西田説は、65条1項(営利目的誘拐の共同正犯)とは
異なる処理をしていることになるのかな? >>174
当然、西田説とは結論が異なる(と思う)
ちなみに、通説では65条1項により225条の幇助となる。 事案としてはそれでいいと思うけど、
通説は65条1項は、非身分者に共同正犯の成立も認めるんじゃなかったっけ? あ、
内田文昭説って、なんのことはない、団藤=大塚説と同じなのかw >>176
そうだね。関与の度合いによると思う。井田総論513頁参照。
「共犯」は、共同正犯のほか、教唆犯・幇助犯を含むとするのが通説・判例
(佐伯千・平野・西原・藤木・川端・前田・山中・井田、大正4年3月2日、昭和40年3月30日) ああ、自分のアホさ加減に涙が出るよ。
内田説凄いなぁと思ったら、自分が否定していた団藤大塚説じゃねーかw 基本刑法2?各論[第2版]
大塚 裕史、十河 太朗、塩谷 毅、豊田 兼彦・著
(日本評論社)
予価:税込 4,212円(本体価格 3,900円)
発刊年月:2018.04
ISBN:978-4-535-52240-4
判型:A5判
判例の立場をしっかり理解できるテキスト。「基本構造」「重要問題」の2段階
構成で、徹底してわかりやすく解説。2017年改正対応。 >>164
敢えて、相手にしてあげるけど、ヴェテさんの存在は、結構、
この板では貴重だと思うし、ワシからすれば、ありがたい教示
をいっぱいいただいた。
こんな板にまで来て書き込みしてくれて、むしろありがたい位
です。
ワシは先に中立的行為による幇助について質問した者だけど、
ヴェテさんをはじめとするみなさんの書き込みは、刑法を理解
する上で、オッサン初学者としては非常に助かりました。 >>181
>オッサン初学者
ご謙遜を。
初学者が中立的行為による幇助の体系的地位について疑問に思ったりしませんよw
中山刑法もご存じのようだし。 >>184
某省庁で刑事法の仕事をしてはいますが、学問として
の刑法を勉強し始めたのは、最近のことなので…(汗)
だから、オッサン初学者です(笑)
中山さんは「口述」を読んでたけど、本格的な概説書が
出た時、小躍りしてゲットした学生時代…
でも、中山刑法を完全に理解できる頭は無くて…(悲)
だから、ヴェテさんが中山さんや松宮さんを解説して
くれている箇所は、特に興味深く勉強させてもらって
います。 >>153
この回答は大変に不十分である。
山口は事実的因果関係を理論的に結果回避義務と危険の現実化に
吸収させる形で発展・解消させて良いとする立場であり、
単に危険の現実化に含まれるというだけの理由で不要と言っているのではない。
参照すべきは条件関係〜従来の議論・結果回避義務の項目である。
なお、小林憲太郎は事実的因果関係をすべて結果回避義務で代替しうるとする。 >>186
俺もそこ気になってるんだよね。
山口青本では危険の現実化一本で勝負って感じだが、総論第3版では、結果回避義務違反に基づいて結果が発生したことも加えて要求しているし。。。
どこまで試験政策的にフォローすべきか。 >>186
えらく遡るねw
>>153 は、それまでの流れから試験対策として書いた。
3版の読み方としては、仰るとおりだと思います。 試験政策的にって試験で客観的帰属論や山口説で書こうとしてる時点で受からないよ
学者になるわけじゃないんだから規範なんて判例通説でいい >>190
判例が今や危険の現実化説なわけだが。
受験界に疎くて知らないのだが、因果関係論の「判例通説」って何? 念のために言っておくと、条件関係を不要と明言してるのは
山口くらいでそこは通説ではない。 橋爪・法教418号88頁も基本的に不要と言ってるよ。 >>191
ちょっとヴェテさんに聞きたいんだけど山中敬一の娘の山中友理って学会ではどういう評価なの? >>194
この板で書くべきことではないかもしれないが、今や教授だからやっかみの声が多いよね。
父親のコネでミュンヘン大学に留学したとか、
ロクシンを分担翻訳したことになっているが実は父親が翻訳したとか、
今は政策創造学部だが父親が退官したら法学部の教授のポストに就くのだろうとか・・・
代表的な業績をオイラは知らない。
(関大のHPで見たら、日独の精神医療に関する論文が多いみたい) 噂、風聞、伝聞の形式で事実が適示された場合でも、証明の対象は、
噂等の存在ではなく、噂の内容をなす事実である。(西田各論115頁) 質問なんだけど、
森友の文書書き換えの件、
文書作成権限者が書き換えしているから云々という議論があるけど、
決裁済の文書を書き換える権限なんて
そもそもあり得るの? 決裁前ならたしかに起案担当者(及び決裁者)が作成権限を持っているんだろうけど、
決裁後はその文書はアンタッチャブルであって、合法な加除訂正を除き、
およそ作成権限者を観念できないのでは?
この理解間違ってる? あ、わかった。
今回作成された文書は、決裁済文書そのものとは別物なんだよな。
だから作成権限はあるわけかw。
アホな質問でごめん。 暴力父親の影響で息子が傷害事件起こしたら
暴力父親の危険が息子を通して現実化したんだから
父親に(故意の認定はともかく)まで傷害の因果関係が認められてしまうわけやな
危険の現実化って欠陥やな >>200
それ因果関係認められ無いだろ
もっと勉強しないと受からないよ 客観的帰属論や相当説がいいとは思わないけど
危険の現実化って、因果関係の理論として
何も語ってない、使い物にならないと思うけどね
ある意味、これまでの因果関係の諸説のなかで一番酷い
>>200の言うことは
この説の内容の無さを語るものとして
当たらずともいえど遠からず むしろ実行行為を理解してたら、
危険の現実化説のひどさを
いっそう分かると思うのだが >>205
じゃあ危険の現実化説よりも優れている考え方を提示して ここって法学板じゃなくて司法試験板だよな?
危険の現実化説を否定してる人は試験で行為後に第三者の行為が介在した事案を問われたら何説で書くの? >>207
考えられる手立てとしては、前田の3要件と曽根説(寄与度)があるが
前田の3要件は今は受験界では流行らないのかな? 西田橋爪各論届いた。
まさしく芦部高橋方式の補訂だね。本文はほとんどいじってない。
もっと橋爪説が盛り込まれてるかと思ったら違った。
おそらく、橋爪先生は別途単著を出す予定なんだろうな。 名前:氏名黙秘[sage] 投稿日:2018/03/22(木) 16:24:51.48 ID:/Jo8u3+Z
橋爪補訂西田最新版をちら読み。
学説参照はお馴染みのビッグネーム(東大)の他、現役では行為無価値からは井田・高橋、
結果無価値からは松宮・松原。
特に西田死後に出版された松原の頻度が高く、これは橋爪説に近いからだろう。
まあ東大系以外はこの4人がトップランナーだろうね。
そういえば佐伯さんも松原贔屓なのでそろそろwへ移籍かw >>208
このスレには初めてレスする初学者ですが、
前田の3要件って危険の現実化を判断するための考慮要素ではないのですか?
西田先生の因果関係論は難しくて理解できなかったなぁ
そもそも体系も、もしかして消極的構成要件要素の理論?みたいな感じでわからなかった >>213
横レスだが、
前田3要件は、それらのパラメータがどうなれば因果関係を認めて良いのかの基準がはっきりしないという批判がある >>213
たしかに前田総論には、危険の現実化説を匂わせるフレーズがありますが(たとえば
「行為後の介在事情と実行行為の危険の実現」138頁)、前田教授は4版(2006年)から
客観的帰属論を支持しており(6版では132頁)、山中教授もこれを歓迎しています(284頁)
ただ、客観的帰属論と危険の現実化説は似て非なるものです(佐伯78頁)。前田教授は
客観的帰属論と危険の現実化説を混同している嫌いがあります。
さらに、学説史的に云うと、前田3要件のルーツは、井上祐司・行為無価値と過失犯論(1973)
にあり、この頃は判例にも学説にも危険の現実化説は登場していません。
西田説(経験的相当性説)については、もっと勉強された方がいいと思います。 危険の現実化の類型別の処理は前田巌判解平成16年度128頁を参考にするといいかも。長ったらしいけど。 >>214
司法試験的にそれでいいのかもしれんが、確かに前田3要件(3要素?)はいい加減だよな。 元ヴェテさんはじめ、みなさん、ありがとうがざいます
基本刑法にも危険の現実化を判断する考慮要素として
前田3要件と同じことが書かれていたので、
前田先生の言う客観的帰属論と危険の現実化とを
ほぼ同じものと誤解していました >学説には,@実行行為の危険性,A介在事情の異常性,B介在事情の寄与度を総合的に考慮して,
>因果関係(ないし客観的帰属)を判断する見解も主張されているが,総合考慮といえば問題が解決するわけではない。
>たとえば,A介在事情の異常性は乏しいが,Bその寄与度は高い場合のように、
>判断基準間の評価が相反する場合の解決の在り方を明示しなければ,解釈論としてはおよそ意味をなさないであろう。
橋爪隆「論点講座 刑法総論の悩みどころ〔第1回〕 危険の現実化としての因果関係(1)」(法学教室403号89頁) 実務は知らんが、
3要素あげて、事実を評価すればいいだけ
危険性低い、異常性大きい、寄与度大きい
or
危険性高い、異常性低い、寄与度小さい
この2パターンどちらかにすればいいだけ
どうしても無理なら、AとBどちらかが極端に高い、低いにすればいい
そして総合考慮すれば〜と認められる。
これだけで高評価なのが、今の司法試験
悩む話ではない 刑法学者って暇だね。
不作為犯の作為義務の発生根拠、
複数の基準だと雑然としてダメだから(複数の基準の背後にある)統一的基準を立てた。
ところが、今度は統一的基準では狭すぎてダメだから、複数の基準を立てる時代に戻っている。
因果関係論も同じ。「危険の現実化」って翻訳用語自体意味不明だろ。
「危険」ってなんだい。
「現実化」ってなんだい。 そもそも「第三者の介在」って発想自体行為無価値論の発想で
結果から逆に遡る結果無価値の思考法では、
そもそも「誰が第三者か」なんて問題は存在しなくて、「死の結果から遡って最初にたどり着いた当事者(行為者)が犯人、おしまい」。行為無価値論から見て「第三者だろうがそいつが犯人」
あとは「正犯の背後の正犯」の議論。 >>222
とりあえず何もわかってないのはわかったw >>222
危険の現実化を翻訳用語として意味不明と批判しておきながら刑法界最大の誤訳である「無価値」を使ってる矛盾 >不作為犯の作為義務の発生根拠、
>複数の基準だと雑然としてダメだから(複数の基準の背後にある)統一的基準を立てた。
>ところが、今度は統一的基準では狭すぎてダメだから、複数の基準を立てる時代に戻っている。
この部分だけは間違っていなくないか? >>221
>「危険の現実化」って翻訳用語自体意味不明だろ。
わが国の因果関係論が、1960年代後半から、エンギッシュの「行為の危険性」(広義の相当性)
と「危険の実現」(狭義の相当性)という分析の影響を受け始めたのは事実。
・一こま一こまの連続思考(井上祐司)
・判断基底不要説(山中敬一)
・広義の相当性不要説(山口厚)
ただし、わが国の判例(嚆矢は柔道整復師事件:昭和63年5月11日)が学説や
エンギッシュの影響を受けたかどうかは不明。 >>228
平野先生の刑法概説に既に危険の現実化ってワードなかったか? >>227
結果原因の支配という統一的上位基準を掲げているものの、
下位基準として、@法益の脆弱性の保護、A危険源の支配をあげているでしょ。 >>229
刑法総論T(1972年)193頁にある。
過失行為は、単に結果に対して因果関係があるというだけの行為ではなく、
結果発生の「実質的で許されない危険」を持った行為であり、その危険の現実化
として結果が発生したとき処罰するものだと思われる。
>>230
オイラの読み方が足りないのかもしれないが、山口説は、
アルミン・カウフマン=山中流の機能的2分説に帰着しないか?
@は「法益保護型」、Aは「危険源管理監督型」に相応するように思われる。 >>232
山口説はシューネマン説そのものだって、ヴェテさん言ってたじゃないw 以上の議論は司法試験とは全く関係がありません。
受験生のみなさんは、今まで通り勉強してください。 因果力を重視する類型と、規範的つながりを重視する類型にわける見解が多いように思う。 何故刑法スレだけ他の科目スレと違って司法試験の範囲からかけ離れた理論の議論が横行するのか
司法試験板の勉強法スレじゃなくて法学板に刑法スレ建ててそっちでやればいいのに 司法試験的には、
学説よりも、どのような事実があれば「排他的」支配を認定できるのかのほうが
役立つだろうけど、
ここの議論を読むのは面白い その点で個人的に疑問なのは学説は排他的支配領域+αってとこまでは主流になってきてて判例もそれに類似する判断を出してるけど生命・身体に対する罪だけでなくそれ以外の保護法益に対する罪でも同じ判断基準なのかってところだな
例えば試験で使いやすい佐伯説で考えると不作為の詐欺罪でも排他的支配領域と危険創出とすると違和感があるんだよなあ >>239
ごめん
読んでないんだけどその点について触れてるのかな?
個人的に長年疑問だったから何かしらの答えが書いてあるならすごく読みたいわ >>240
小林憲太郎「刑法判例と実務 第5回(不作為犯論)」判例時報2286号13-26頁参照。
不作為の詐欺罪を認めた最高裁判例が、既存の不作為犯論からすると
きわめて不十分な論証にとどまっていると批判している。 >>236
ぶっちゃけ司法試験対策なら判例丸暗記で
あとは演習しまくりでOK。何も議論することはない。
だが丸暗記の勉強に疑問を感じたり疲れてきたりしたときに
ここを覗くと気持ちが安らぐかもしれないであろう。 >>242
伊藤渉「詐欺罪における告知義務と「作為義務」 (特集 「作為義務」の各論的検討)」
刑法雑誌 56巻2号(2017年4月)、283-291頁
も参照のこと。 裁判官山口厚の補足意見は,次のとおりである。
私は,法廷意見に賛同するものであるが,「本件において詐欺未遂罪が成立するこ
と」について,理論的観点から”意見を補足”しておきたい。(山口厚補足意見)
詐欺の実行行為である「人を欺く行為」が認められるためには,財物等を交付さ
せる目的で,交付の判断の基礎となる重要な事項について欺くことが必要である。
詐欺未遂罪はこのような「人を欺く行為」に着手すれば成立し得るが,そうでなけ
れば成立し得ないわけではない。従来の当審判例によれば,犯罪の実行行為自体で
はなくとも,実行行為に密接であって,被害を生じさせる客観的な危険性が認めら
れる行為に着手することによっても未遂罪は成立し得るのである(最高裁平成15
年(あ)第1625号同16年3月22日第一小法廷決定・刑集58巻3号187
頁参照)。したがって,財物の交付を求める行為が行われていないということは,
詐欺の実行行為である「人を欺く行為」自体への着手がいまだ認められないとはい
えても,詐欺未遂罪が成立しないということを必ずしも意味するものではない。未
遂罪の成否において問題となるのは,実行行為に「密接」で「客観的な危険性」が
認められる行為への着手が認められるかであり,この判断に当たっては「密接」性
と「客観的な危険性」とを,相互に関連させながらも,それらが重畳的に求められ
ている趣旨を踏まえて検討することが必要である。特に重要なのは,無限定な未遂
罪処罰を避け,処罰範囲を適切かつ明確に画定するという観点から,上記「密接」
性を判断することである。 本件では,預金口座から現金を下ろすように求める1回目の電話があり,現金が
被害者宅に移動した後に,間もなく警察官が被害者宅を訪問することを予告する2
回目の電話が行われている。このように,本件では,警察官になりすました被告人
が被害者宅において現金の交付を求めることが計画され,その段階で詐欺の実行行
為としての「人を欺く行為」がなされることが予定されているが,警察官の訪問を
予告する上記2回目の電話により,その行為に「密接」な行為が行われていると解
- 6 -
することができる。また,前日詐欺被害にあった被害者が本件の一連の嘘により欺
かれて現金を交付する危険性は,上記2回目の電話により著しく高まったものと認
められる。こうして,預金口座から下ろした現金の被害者宅への移動を挟んで2回
の電話が一連のものとして行われた本件事案においては,1回目の電話の時点で未
遂罪が成立し得るかどうかはともかく,2回目の電話によって,詐欺の実行行為に
密接な行為がなされたと明らかにいえ,詐欺未遂罪の成立を肯定することができる
と解されるのである。
以上
これって山口説の「いわゆる実行の着手がなくても、未遂犯は成立する」
という主張を、本件の詐欺未遂罪の成立について補足意見として書いたものだよな
基本書で書かれている山口説のタームとはやや違うが
でも、これ言い出すと「既遂罪成立のための実行行為と未遂処罰のためのそれ(危険性)とは違う」
というのが判例にも浸透するのかな? 実質的客観説からすれば特に違和感ある判示とは思われないけど。 未遂罪が出るような気がしてきたw
一連の行為って前回も正当防衛で出てるし
差が出やすいのかな? >これって山口説の「いわゆる実行の着手がなくても、未遂犯は成立する」
>という主張を、本件の詐欺未遂罪の成立について補足意見として書いた
>ものだよな
違うよ! 初学者だからかもしれないけど、
実行行為を開始していないのに実行の着手があるというのは違和感があるんだよなぁ
構成要件行為に密接で客観的危険性がある行為は構成要件行為とともに全体で
一個の実行行為だと理解していたんだけど、違うのだろうか 前田は実行行為を既遂犯と未遂犯で分けるのは
混乱をもたらす、と言ってたな
西田センセも同様だったと思う(やや曖昧)
法益関係的錯誤のところでは佐伯、山口に与してたけど 京大系行為無価値の学者はなぜ総論の体系書を書かないんだ @バカだから書けない。
Aバカの京大生に下駄履かせて実績嵩上げするため、内部だけで資料配付
(解説手抜きの演習書出して、内輪だけで解説講義して模範解答など配る)
インチキ京大のいつも通りの理由だろな 行為無価値とか結果無価値とかいう区分じたいが実証主義的に無意味だからでは?
そんなところ掘り返しても、もう何も出てこないよ。たいがいナンセンスだとみな思って
んじゃないのか 初犯には結果無価値で対置すべきで常習犯なら行為無価値で対置すべき、みたいな判例に
なってる時点で視点の置き方が仮設的にすぎんのだよ。 でも京大刑法総論の私製講義録とか講義ノートとか出回ってないのは不思議。
中森先生
塩見先生って、刑法総論どんな授業してるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています