昭和の車のあるある技術の23(日産)
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昭和の車のあるある第22スレッドです
引き続きいろいろ語り合いましょう
製造後、13年経過車への各種重課断固反対 >>4
これは、かっこよかった
子供だった自分にはフェアレディーZと同等だった >>9
おっさんセダンのスポーツグレードに萌える。ガチに極めたものでは無くて、粗削りなもの。
マークII2.5GTツインターボとか、コロナGT-R、カローラGT、ビスタGT、ブルーバードSSS-Rとか。 >>4
子供の頃に使ってたハンガーに車の図柄があったがこれを模していたようだった >>10
ブルのSSS-Rはガチもいいところじゃねぇかよw >>4
自分はクーペ1200の四角いテールランプの方がカッコイイと思っていました ロケットサニーことB210でいちばんカッコイイのは、いちばん少ない2ドアセダン
昔、白鳥くんが乗ってた黄色い2ドアセダンがイカしてたね
速かったし SSSってやっぱりスーパースポーツセダンみたいな感じ? 昭和の日本車ってアメ車の小型化したコピーばっかだけど小型化しすぎて元ネタがわからんときもあるよな。
じっくりグリルとか見ると元ネタがやっとわかる。 >>17
そこがデザイナーの腕の見せどころだったのかも
元ネタを生かしつつ一般の人にわからないよう消化させる >>18
今のシナチョン車も、やってることは4〜50年前の日本車と変わらないんだよね。 今のシナ車は日本車丸パクリだからもっとタチ悪いぞ
中華オリジナル劣化版エンジン乗ってるし >>21
ハイラックスセーフは盛大にコーヒー噴いたはwwww >>16
410の時にスポーツグレードとしてSS(スポーツセダン)が追加された
その後SP311のエンジンを載せた高性能グレードが追加されSSS(スーパースポーツセダン)と命名された ワイドバリエーションの恩恵だったなトヨタGT系4ドアの場合
まあスカイラインGTやブルーバードSSS対抗も兼ねていたと思うが
いかにも走り屋に見られるのがちょっととかその他の理由もあって当時買った人もいるだろうな カリーナGTは当初2ドアセダンのみの設定だった
2ドアセダンは低級グレードしか設定されないことが多く
4ドアセダンがあるとそちらに設定されることが多かった
他はチェリーX1やランサーGSRくらいしか思い浮かばないな >>25
まさかと思ったけどそのまんまかw
当時消防の俺はジュリーのブルーバード、お前の時代だ!がすごく頭に残ってる >>25
それがどっこい、U13から単なるセダンの総称として、ショボいグレードにまでSSSを名乗ってた。 >>26
まさに羊の皮を被った狼然としたところに萌える。それでいて最上級グレードであるために装備も充実、デジパネ選べたり、萌える。 >>29
すまん、俺22歳の時にパルサーの次の車としてブル2.0ARX-スーパーツーリングを選択したw >>29
そもそも、スーパースポーツセダン・ハードトップが存在した時点で?モノの名称 Touring Internationalってスケール大きそうだけど、なんか被差別的・懲罰的な響きがあった「TI」。 >>33
それの嚆矢がクジラのクラウンに設定された
ハードトップ・スーパーサルーン >>27
1973年の安全コロナに、2ドアセダンSRがあった。 >>32
当時の日産は、セダンは箱型乗用車ととらえてくれといっていたような >>36
コロナクーペにもEXサルーンがあったな。 顎が出てる初代セリカってフォードトリノのコブラが元ネタなんだな。
いわゆるグラントリノの一代前。 >>35
元はBMWじゃなかったかね?
上級ファミリーカーとしても比較的売れていたスカイライン
ただGT系のイメージが強くなってきたことへ危惧を感じたプリンス系の人達が考えに考えたグレード名では? >>42
上級ファミリーカーとして売れていたのを32でスポーツに振りすぎて、それまでの顧客が他所に流出してしまった。TI乗りはプリメーラで受け皿に成り得たが、GT系のオーナーは困惑した様子。 >>35
ジャパンのTI-ESはセミトレでリアディスクブレーキで他のグレードとは別物だった
エンジンはZ20Eで大したことなかったけど >>41
似てるけど、そのトリノ・コブラが出たのは初代セリカと同じ1970年だから
セリカがパクることは不可能
強いて言うなら、双方ともギア450SSを参考にしたのかもしれないが >>46
ジュリアより前、量産メーカーに転じた戦後アルファの第1作である
1900ベルリーナに1951年に追加設定された「1900TI」が最初 TIは平成になるけどカリーナになかったか?
上にあるTIと違うと思うが
昭和に話を戻すとマイロード名乗った特別仕様車が度々出てたな
ロードランナーというのもあった気がする スカイラインのTIは一代限りだっけ?
水平ゼロ指針メーターは少し継続した気もする >>45
トリノコブラ発表が年初でセリカ発表が12月だからパクりもありうるような。 >>45
ギア450SSだわ、確かに。
こんな車知らんかった、つかカロッツェリアギアってすげえな。 >>50
プラモデルじゃあるまいし、そんな拙速にはできないよ ジャパンのTI親父が乗ってたんで2.3回乗ったことある スカと言えば丸型テールで盛り上がっていた時に、いつも埋め草の角形だったのは気の毒w
https://usedcarnews.jp/wp-content/uploads/2013/01/201203180702012d7.jpg
専用顔を奢ってもらった頃もあったけど、バランスは今見るとビミョーw
http://www.wald-licht.com/~oldcar/gazou/77_n_skylline_ti/skyline_ti_06.jpg >>54
ケンメリの最低グレード(丸テールじゃない奴)は何だっけ? >>59
TIじゃなくてGLか
あ、ケンメリじゃなくてヨンメリだねスマン 2代目から5代目までは4気筒と6気筒とでノーズの長さ違うよ。ケンメリ以降はテールも角型。
3代目6は4気筒がプリンス製だったから、生粋のプリンスファンは敢えて1800シリーズを買ってた。
スカイラインの、4気筒シリーズはプリンス店的にはブルーバードやコロナ、カリーナの客層を担う重要車種で、そこそこの顧客を持っていた。 >>57
GTでも0−400m19.0秒だったし
雑誌ドライバーで >>62
じゃぱんとか、この年代の車はエンジン音の割に出足がトロかったよね。
ドン亀って表現がピッタリなくらい。 >>62
あのボディに1600ccだから、走らない登らないw ターボが出て以降スカイラインは
ファミリーシリーズとGT系の二本柱だったが
GTが主力路線へ寄り始めた気がしている >>41
ボディー埋め込み式のバンパーは、2代目ファミリアが先 >>65
そしてスカイラインがスポーツカーと勘違いした輩も発生しだし、スカイライン迷走へ突き進んでいく。 >>42
BMWのTIは TRANS INTERNATIONAL …国際旅行用とでも訳すのか
スカイラインのは TOURING INTERNATIONAL >>44
1800のTI-ESは4リンクサス
2000TIは全く売れずに、ディーラーの社用車に一杯押し込まれたとか >>69
パーツリストではGT-ESとリア周りのパーツ共通になってたから
てっきりセミトレリアディスクと思ってたけど勘違いか >>70
2000の方はセミトレ・ディスクで間違いありません >>70 ジャパンの末期に追加された2000TIESはセミトレリヤディスクだよ >>73
途中で送ってしまった
ブルとかは1800ターボだったっけ?だとしたら1800でもいいからターボにしてたらTIシリーズももうちょっと売れたんじゃないかと思うけどどうだろ?
Z20のターボって無かったよね? >>74
ブルーバードもターボの1800はSSS系だけのはず
ターボはイメージリーダーでスポーツグレードに設定するというのが日産の考えだったのでは?
ただターボ初登載は430系でこれは排ガス対策で失った動力性能を補うのも目的だったろうが
今のようにダウンサイジングターボが知られていればもしかしたらTIにもあった可能性はいくらかあったかも R30スカイラインにRSが追加される直前のモーターマガジンで
「スカイラインTIに4気筒DOHCが追加される」という記事があって笑った。
確かに4気筒ならTIでもおかしくない。
でも結構FJ20って短命だったな。 R30のスカイラインエステート(ライトバン)、
グレードはGLとDXなのに、横にはしっかりとTIのバッジが付いてた。 FJ20は110シルビアの後半から12の半ばぐらいまでだった
後継のCAも12の後半から13の前半だな
FJの消滅が短期間なのはどういう理由?
整備性良くない?製造コストが高い?
当時のトヨタならテコ入れしつつ10年は使ったろう >>75
TIというか、スカイラインの4気筒シリーズがモデルを追うごとに段々と安物的存在になるのがなぁ。
販売の中心がGTになってたからなのかねぇ。
>>76
FJ20の開発はジャパンのTIに積んでやってたから、あながち間違いではないよ。
もともと旧弊化したエンジンベースで作った場繋ぎ的エンジンだから、短命なのはやむを得ないわな。もったいないけど。 >>77
風前の灯となった現行スカイラインにインフィニティのエンブレムが付いてるようなもんだろ >>79
FJ20はH20の改造だが、H20はHのスープアップバージョン。
Hの開発は日産工機というか潰れる間際の東急くろがね。
東急くろがねのエンジン技術は日本内燃機よりむしろ合併されたオオタ系。
FJ20にはオオタ、くろがね、プリンスの怨念が詰まってる。 >>81
そう聞くと、純日産製のエンジンより魅力的だなあ
オオタは戦前のレースではダットサンより強かったそうだし
その血筋にあたるタマチ工業は今もレーシングエンジンのパーツを作ってる
プリンスはいわずもがなだし、くろがねは……中村良夫さんがいたことがある会社
なんかレーシングスピリットが込められたエンジンのような気がしてくるw >>62
名ばかりのGTだから
道をあけたのであろう。 疑問・質問
・FJ20のベースは、なぜトラック用?のH20だったのか?
・当時最速のフェアレディ2000のU20 145PSは、なぜ消滅したのか?
車としての評価も見当たらない FJのベースがホーミーのエンジンだってのはボア径か何かが同一だってんで当時囁かれた噂
それを否定した公式コメントまでは知ってるけどもう一度ひっくり返ってんの? ボアピッチと1次側のカムチェーンのレイアウトが同じなど
工作機械をそのまま使えるように基本的な数値は流用してるが別物
OHV→DOHC化するときに残されるジャックシャフトは存在するが
カム駆動のみの短いものであり駆動ギアの以降のカムのスペースは無い
またオイルポンプはクランクと同軸のトロコイドポンプでありこの辺りは新しめの設計となっている >>75
当時の運輸省がターボの認可が煩くて各車認可の際には省エネ目的を建前に申請出してのと
当時の技術じゃ今のダウンサイジングターボみたいな制御は不可能。
ターボラグがまだ解決出来なかった時代だし。
>>85
>>87にもあるけど、企画が立ち上がった時期が排ガス規制真っ只中で
新規にブロックを開発する余裕か無かったのと、日産工機のラインが空くので
製造設備を流用しながら、レースにも対応出来る剛性を持った
鋳鉄製のブロックがそれだけだったのも理由の一つ。
あとU型もブロックはレース対応用にH20のユニットにSOHCヘッドを積んだ仕様だから。
FJのベース選ばれたのもその辺の実績が関係があったと思う。
けどFJが生産が始まった頃にはVGやRB型の開発が既に佳境に入ってたんだっけか? VGはともかくRBはLの焼き直しだから開発に時間を要したと思えない
Lの工作機械を使って作った直6版VGのような構成だし
日産は工作機械をそのまま使おうとするのがストーンエンジンからの伝統だった 日産だけじゃないだろ。
トヨタだっておんなじボアストロークの異系列エンジンがどんどん増えてる。
工作機械だけじゃなくて燃焼実験結果とかも
流用が利いたりするんだろうな。 FJが81年のスカイラインで初登場
VGは83年のセドリック/グロリア
RBはC32ローレルで84年だったかな?
RBはともかくFJとVGは開発被っている期間がありそうだ
C32で今や国内で普及率が高い電動格納式ドアミラーが初登場
C32と31フェアレディは直列とV型が並行でラインナップされてた時期があったはずだが C32は1800とか2000とか言うところを
VG搭載車はセドリックに習ってV20、
RB搭載車に至ってはまんまRB20と言って区別していたと記憶している。 Y30セドリックで「高級車はV6 」と新設計V型6気筒を売りにしていたのに
ディーゼルは直6というのが詰めが甘いし、
その翌年のC32ローレルでは直6とV6を両方載せるし、もっと後年のY33では
RB25DETを載せちゃうし、エンジンを短くできるV6を搭載するメリットなど全く無かった。
強いて言えばFFのマキシマと共用できたくらいか。
とはいえ、クラウンもセドリックに遅れること20年で直6をやめてV6にしたから
日産には先見の明があったというべきなのか。 強いて、と言うよりそれが最大の目的でしょ >FFに使える6気筒
その頃よりも前の石原社長時代に「将来はローレルクラスまでFF化する」とぶち上げてた
実を結んだのは二代目セフィーロなんだろう 牧島はあのボディに6発をよく強引に詰め込んだと思った >>94
>実を結んだのは二代目セフィーロなんだろう
その先代にあたる初代(日本では)マキシマは? マキシマはノーズ長くなってたよ
910も北米仕様ではL24載せてたし初めからU11も考慮されていたのだと思う >>97
確か910まではブルーバードもロングノーズ仕様が6気筒だったよね。
610は2000GTシリーズ、810はG6シリーズ、で910は北米のマキシマと。
810はロングノーズ4発のG4もあったし、国内は910マキシマベースで初代レパードがあったけど。
V6エンジンのメリットがFFの場合、同クラスの横置き4発となら
サイズ的にほぼそのままV6エンジンを搭載出来るからその辺も考慮されてたと思う。
最近だとFMプラットフォームとFF-Lプラットフォームが縦横どちらも
エンジンルームの寸法が近いのでCAD上での設計を共用しやすいから
フロア〜リアサス周りとか設計が共用化されてた例もあるし。 2代目って5ドアハッチの奴だっけ?
初代はかなり売れたから比較すると半減以下だろうとは思う。 >>101
2代目は初代より売れてた。ワゴンを追加したのもあって
当時の日産の中ではマーチと並んで数少ない安定した稼ぎ頭だったし。
ライバルより割安な価格で2Lと2.5LのV6エンジンの車が買えたんで結構売れてた。
逆に3Lモデルはあんまり見掛けなかったけど。 >>102
ローレルが自爆してたし、セフィーロもVQ第1号のアピールポイントもあったし、CMもウケたね。
でも初代のくうねるあそぶ路線全否定してたのは惜しい。 >>102
すまねぇ、素でプリメーラと勘違いしていた orz 日産車ってモデルチェンジするごとに影が薄くなっていくな まともにモデルチェンジ出来たのがジェミニだけで、
2回目のモデルチェンジに失敗したらメーカーの影が薄くなってた会社だってあるんですよ!! 2代目セフィーロって、そもそもマキシマだもんな
初代レパードがフルモデルチェンジして消滅した4ドアのパーソナルカーが
初代セフィーロで復活したと思ったら
2代目セフィーロは北米向け実用FFセダンのマキシマになっちゃった
モデルのネーミング/コンセプトに一貫性がなくて、いきあたりばったり >>110
うまいこと言ったつもりかもしれないけど、アスカはモデルチェンジしてないからな。 >>109
2代目セフィーロのスクープフォトで、当初はインフィニティQ45に瓜二つだったのが、営業からの猛反発でデザインやり直して北米マキシマベースになったと雑誌に書いてたが、そんな短期間で変更できたのか? インフィニティQ45に瓜二つでもプレセアは売れたからなあ。どうだろ? デザイン案は3案くらいまで絞り込むからな
クレイモデルまでは1/1で最終選考のデザイン案全て制作するし
その後の試作車のステップまでがデザイン原案最後の止められるポイントだろうな
量試まで行くとメーカーも工場も量産金型使うから、そこで大幅変更は莫大な損失が出る >>111
あ?アコードアスカとB4アスカも入れてやれよw アスカは実はモデルチェンジしたフローリアン。
ジェミニも実はベレットだし。 >>113
プレセアみたいな感じじゃなく、グラスエリアも6ライトのインフィニティと同じデザイン、全体的なシルエットもインフィニティQ45とそっくりで、テールも横一文字だった。 >>116
フローリアンは当時カビ臭いイメージだったから改名したのはわかる >>116
117クーペがピアッツァとは言わせないぞ! >>118
実体はむしろ逆で、新車名の浸透に自信がなかったのか、最初の1年間だけ広告や一部刷りモノのみひっそりとベレットやフローリアンの車名が入っていた。
最初からそのつもりだったのか現車のマークやデカールにはそれらの車名はない。 >>120
後継車としてのポジションを示すために、最初のうちだけ先代にあたるモデル名を冠していた例だね
広告やカタログにはベレット ジェミニと記されていたけれど、ジェミニのほうが大きかったし
CMソングのフレーズは「これからのジェミニ」で、ベレットの名は一切出てこない
120氏のいうように、車体のエンブレムやデカールにもベレットの名はない アスカも素はジジ臭かったけど、イルムシャー化すると良い意味で「地味迫力」な感じが出たね。 3代目ルーチェだったか縦目4灯
ルーチェ・レガートと宣伝してたけど
役所に登録する時にレガートを書き忘れて
後にルーチェのみになったと車雑誌で読んだ事がある
レガートというエンブレム装着車は存在しなかったとか 平成のGTOも、ホントはスタリオンGTOで発売予定で金型も制作済みだったと聞いたけど本当? そのスタリオンの1/1クレイモデルのフロントにはCELESTEのエンブレムが付いている
当時の新車情報誌「スタリオンのすべて」で確認出来る >>124
スタリオンで発売予定だったのは確か。
フロントマスクにスタリオンの面影あり。 >>125
セレスタルビーイングになるはずだった車は星の種馬に >>125
初代セルシオも最終決定の内装と外装1/1クレイモデルには鳳凰のエンブレムが付いてたな。 「コロナ マークU」から「コロナ」が外れて、「マークU」という車名になったのはやっぱり変
意訳すると「コロナ 改良型」もしくは「コロナ 二代目」が、単に「改良型」「二代目」って名前になったってことだろ?
主語が無い >>129
平成車だがランティスセダンはクレイモデルにはアンフィニマークが付いていて
ティザー広告の「Lアピール」発表直前までアンフィニMS-5としてクーペとは別モデルで出す方向だったな セリカの派生車種でXXはまだいいとしてセリカカムリはあかんやろと当時消防の俺の意見 >>131
平成だけどmarkXは10代目ということで車名変更って聞いたけど、実際はコロナ消滅で車名変更だろうと思ってる。 >>132
ランティスは外見に全く共通項がないもんね…(^^; >>133
物心ついた頃はFF初代カムリビスタが現役だったから、カリーナなのになぜセリカ?カムリ?どっちやねん!と疑問だった夏の日の1983。 >>133
カローラ店の販売戦略上生まれた車種でもあるからな
当時のカローラ店はカローラより大きいセダンがなかった >>131
本家筋のマークI戦車とかも「主語」(?)はないぞ。Tank Mark I とは言わんし。 >>116
最初はカタログにも、フローリアン アスカと銘打っていたな 初代のコロナマークIIは本来バリカンコロナのモデルチェンジだったはず
元々ランクアップ予定だったのだろうが
日産からローレルに相当する上級車開発中の話が途中で聞こえて来て戦略を変えて
その過程でマークIIという名が付けられたのかね? ランティスが高評価だけど、なぜ?
先代アスティナの方が好き >>143
アスティナもユーノスプレッソのV6積めたはずなんだけどな
せっかく専用の内装だったのにもったいないと思ってた >>139
テレビCMでも最初期に「ニューフローリアン アスカ!」というフレーズ使ってた >>144
バブルが続いてたらV6載せてたかもね。次のファミリアで…
5チャンネル体制確立して翌年の92年には既にヤバい状況に陥ってたからね。 つーか俺はここ見るまでフローリアン・アスカという名称しか頭に無かった
いつの間にかアスカだけになってたのかw フローリアンが角目二灯→丸目四灯になったのを見て、退化したのかと思った子供の頃
教習所の無線車がフローリアン角目二灯ディーゼルだったわ >>149
デザインレベルがマイナーチェンジごとに退化していったのは間違いない >>150
デザインの味気ない単純化はコスト問題。 >>149
フィリッポ・サピーニのオリジナル(いすゞ117)を「これじゃもう古いけど、全部やり直してる時間がない」と言ってジウジアーロが
フェイスリフトしたのが最初のフローリアン。今冷静に見ると意外とカッコいい。
だから細部に117クーペとの共通意匠が埋め込んであるが、謎なのはベレットBタイプとも共通意匠が多いこと。
Bタイプの意匠はベレット開発時の別案の流用で、明らかに井ノ口誼のデザインなのに(スケッチが残ってる)。 異形二灯→丸四灯
マツダの初代カペラもそうだった
フローリアンの場合丸四灯からさらに角四灯へ
フローリアンのクーラーはメーカー物だと最末期はわからないが角四灯になってからもグローブボックスつぶして吹き出し口の設定だったな
バリカンコロナと同じ クレスタも初代前期角4灯、後期フォグ内蔵異型2灯で
2代目にモデルチェンジしたらまた角4灯に戻った。 >>153
フローリアンの場合、プロトタイプの「117サルーン」は丸4灯だったから、これを入れると
丸目4灯〜異形2灯〜丸目4灯〜角目4灯
初期のビルトインクーラーはシャレてたな
左右対称デザインのインパネの、グローブボックスの位置にある
吹き出し口も楕円形のメーターとシンメトリー風で 四角目のフローリアンは見た目もディーゼルの音や黒煙も
古めかしさをパワーアップさせていたわ
今なら良さもわかるかも ちなみにオレの親父は初期型なのに丸目4灯の1600TSというのに12年も乗っていた。
ショートノーズに丸目4灯は1600TSと初期型のタクシーだけの顔で、同じ顔のクルマに出会ったことがほぼない程度には珍しかった。
ベレG用のツインキャブは最後まで好調だったようだ。 >>157
フローリアンのスポーティーグレードやんけ >>157
あったね、丸目4灯の1600TS
ボンネットをマットブラックに塗ったモデルが国内ラリーに出ていた
初期の営業車も丸目4灯というのは知らなかった
2灯だけど、初期型ホンダ1300もシングルキャブの77は角目、
4キャブの高性能版である99は丸目だったね フローリアンとルーチェは美しかった
コロナ ブルーバード
より突出していた >>160
子供の直感というものはなかなかあなどれないもののようで、子供の頃は本来関連モデルであるはずのルーチェのサルーンとそのロータリークーペとフローリアンと117クーペよりルーチェサルーンと117クーペの方がなにかしら似た感じがするのが不思議だった。
すこし大人になったら両方イタリアン・デザインだが、前者はベルトーネ、後者はギアと聞いてそんなもんかと思った。
でも、結局両方ジウジアーロだったw >>163
2代目ファミリアもだが、あれ国内仕様は規格型じゃないから異形2灯だよ
余談だがカペラは丸4灯はGシリーズというバリエーション追加の形で発売されたので、異形2灯と併売されていた そもそも2代目ファミリアや初代カペラの頃は角形の規格品はまだなかったので、丸以外は全部異形。 丸目4灯のエレガンスはアルファスッドスプリントやアルフェッタ、ランチアラリーからデルタインテグラーレに引き継がれて消えた。
ようにオレには見えます。
まあ、あんまり昔の車知らないんですけどw >>167
調べてみると丸目4灯の歴史はジウジアーロとイタルデザインの歴史っぽいですね。
この中ではランチアラリーだけは違うみたいですけど。 >>170
ジウジアーロが丸目4灯のエレガントな印象的デザインが多い。
ベルトーネからギアへ移って117クーペ、イタルデザインで独立してからアルファスッド、アルフェッタ、デルタインテグラーレ。 >>172
最初確かに角目なんですけどスペシャル感とかスポーツ感出すとき丸目4灯にしてるような。
で、それが何か独特にエレガントでかっこいい。
まあ、個人的感想ですw メーカーの改変までジウジアーロは責任持たんだろうにw >>171
アルファスッド・ベルリーナはジウジアーロじゃねえし >>176
後期型と言うかあくまでもイタルデザインの奴だと思います。 欧州車によくあったけど、
元々の長方形ライト部分にスペーサーを入れて丸型4灯にするのがレーシーで好き。 >>181
角目4灯が丸目4灯にグレードダウンするタクシーバージョンもあったよね >>173
エンジンルームに風を入れるための丸目だった気がする 出始めはハロゲンじゃ無くヨウソヘッドライトと言った >>49
スカイラインTIはショートボディだからこそ存在理由があったのだけど、
次のモデルではGTと同じロングボディになった結果、単なるプアマンズGT
に成り下がってしまった。 ハロゲン出始めのころ対向車はまぶしすぎて
さいきんハイビームのままのやつ多すぎないかとよく思ってた 曲線基調のデザインのブルーバードU、117クーペ、無理に角目4灯にしたが似合わなすぎw 810でリヤセミトレ以外の車種は当初板バネだったはずだけど
4リンクに代わったの角目になってから?
もしかしたら安全コロナから代替わりしたモデルとそれほど変わらない時期? >>195
角目になる前、デビュー翌年の77年のマイナーチェンジで4リンク/コイルに変更
この年は日産にとって、いわば「4リンク/コイル元年」で
同年デビューのC230ローレルを皮切りにA10バイオレット系、C210スカイライン、B310サニーと続々と採用
ついでにブルも替えちゃえということだったのだろうが
裏を返せば1年前の810のデビューには間に合わなかったというわけだな >>196 板バネから4リンクコイルに変更って結構な変更だと思うのだが
それをマイナーチェンジでやっちゃうとは。
まあ、それをいえば、2代目セリカ上級モデルもフルモデルチェンジ1年前に
5リンクコイルリジットをセミトレに変えていたな。 117クーペの角4は、それまでの丸4を知ってた人からは不評のようだけど
最初に知った117が角4の自分には
いくつもある角4の車の中で一番かっこいい角4 角目117は丸目117の手叩きプレスを普通の機械プレスに変えたからかマニア受けは微妙? ランクル100系でダブルウィッシュボーンのサスにしたのに、
オーストラリアで大不評で急遽100系のシャーシに先代の80系のリジット式コイルサスを
組み合わせた105系を追加モデルで出した例もあるよね。
日本にも逆輸入で結構入ってきたみたいだけど。 >>199
角目になったのは機械プレスになった時よりずいぶん後だよ。 >>199
手叩き117は本当の初期生産型だけだよ >>201>>205
昔聞いた話だったが調べるべきでしたすいません
117のスタイルは大好き 後ろのナンバーがバンパーの上にあるのがハンドメイドやね ラムダのステアリングは太目の一本スポークだったな
R30スカイラインにも一本スポークのがなかったかい? Λ乗ってたわ orz
ボリョンボリョンとした乗り心地ですげぇ楽だった記憶と
オルタ壊れて(半死に)バッテリ2個駄目にした記憶しか無い orz ギャランΛ(ラムダ)は、当時三菱が提携していたクライスラーのディーラー網を通じて北米でも販売されたが
プリマス版の名称はサッポロ、ダッジ版はチャレンジャー
冬季オリンピックによって北米でも知られるようになった札幌にちなんだ
プリマス・サッポロは珍名としてマニアの間では知られているが
マッスルカーとして高名なダッジ・チャレンジャーの名を冠していたことは
あまり知られていない
https://www.nydailynews.com/autos/street-smarts/bizarre-car-week-1978-plymouth-sapporo-article-1.2134236 117クーペの顔面のラインは実は同じ丸目の手作りと量産化後でもかなり違う。
手作りは中央部がゆるやかに盛り上がっているのに対し、量産車はほぼ真っ直ぐてシャープな感じになっている。
ギア製117スポルトはあんまり盛り上がっておらず、量産車の方が近い他、フィアットディーノクーペにより似てるのも量産車。 ライトとかウィンカーやストップランプ周りが繊細だよね手作りは
ライト周りまで叩き出して板金がライトを包み込んでるけど量産はただ曲げ込んでフロントパネルを嵌め込んでパネルにライトを埋め込んでるだけだね
近くに117自分ともう一人持ってる人がいて初期型乗ってていまだに所有してる
さすがに塗り替えてるけどほぼオリジナルで保存してる人がいる
日曜とかガレージ開いてると今でも見れる、いまみても初期型はエレガントだよ
自分の量産型はバンパーなんか細部がなんか野暮ったかった、自分のは獅子の堀込があるオリジナルアルミ履いて、それだけでも売ったのが悔やまれる
インジェクションで何年たっても好調だったのに それより5年前からカタログモデルでディーゼル車は存在していた そもそも昭和59年(1984年)には後継のピアッツァ発売済みだから時系列的におかしいぞ 近年の欧州車ならわかるが
117のようなクーペにディーゼル積んで数出ると思ったのかね?
それとも採算はあえて考えず乗用車系のラインナップを増やしたかったとか XDね
62馬力だったか
1度だけ遭遇した事がある
音がカラカラカラカラ XDを北海道の旧車イベントでみかけてびっくりした。
スペシャリティーカーのディーゼルはギャランΛにもあった。 スカイラインのディーゼルGTもあった
プチブームだったのかね >>225
いすゞがトラックのイメージだからかな
しかし今でこそベンツがカラカラしてるけど四半世紀早かったよ >>230
だから教習車のR31も◎テールだったんだな。 >>225
トラック何台も所有している運送会社の
社長さんとかねらったんじゃね?
自社の敷地に給油施設ある会社だと
そこで軽油入れられるからな。 >>236
いすゞは運送会社の社長とかで、まとめて何台も買ってくれる客には、値引き代わりに乗用車一台付けてくれたとか… いすゞの乗用車ってジェミニとかフローリアンとかベレルやベレットだろ?
当時だとイラネーwwって感じだったろうな 水産業関連で使われる商用車傷みが早いだろうな
特に360時代と550初期の軽あたりは >>228
ちょうどその時期は第一次オイルショックの直後で、燃費が良くて燃料費が安いって理由で
ディーゼル車が持て囃された頃。当時の国の指導で一般道のGSは日曜休業とかやってた時代だし。
1980年の第二次オイルショックの頃は乗用車にもディーゼルターボの認可が降りた頃で
いすゞがアスカにディーゼルターボを出したり、シャレードにディーゼル車を出したりとか
ガソリン車もアイドリングストップ車とか出始めた頃でちょっとしたエコ車がプチブームになってた頃。 クラウンの2200ディーゼルはとにかく走らなかった。
スタートダッシュは自転車のほうが速かったんじゃないかな。
その後のターボ付き2400ディーゼルもアクセルの踏み始めがもっさりで
素早い右折は無理だった。
でもクラウンディーゼルの最後期となる150系は同じ型式のエンジンとは思えないくらい
普通に走れた。 >>241
アイドリングストップ自体はかなり前からあったんですね KP61スターレットDX-Aにアイドリングストップがついてたなあ >>243
KP61スターレットが初のアイドリングストップ車 >>245
ミラージュの気筒休止のMDエンジンが出たのも同じ年位じゃなかったっけ? あとリーンバーンも同時期だったような
これも確かトヨタでカリーナに搭載されてたはず
前出のアイドリングストップとか三菱の気筒休止も含め排ガス対策の影響受けた技術なんだろうな >>249
トヨタがホンダからライセンスを受けたCVCC自体が希薄燃焼だからね。 みんなFIになったのいつ頃だろ
免許も取ったばかりで知識なかったけど
教習車はキャブだったけど新車はほとんどFIだったような
初めて買った中古はキャブで以来キャブを乗ったことがない
二台目の頃は中古でもキャブはほとんどたまがなかった EP82後期が全車インジェクション化された辺りからエントリーモデルからもキャブがなくなった
軽は初代ワゴンRが全車インジェクションだった 寒いときはアクセル2回踏み込んでからセルを廻すとか、
エンジンが温まっているときはアクセルを踏んだままセルを廻すとか
キャブレーターは作法があったな。
今更ながらバッテリーと燃料が無事ならすんなりエンジンが
かかるインジェクションは便利。 平成初期は同じエンジンでも、インジェクションとキャブレターが混在してたな
キャブ車もよほどの廉価車でなければオートチョークだった >>256
アクセル踏んで加速ポンプ作動させて
ガソリンを送り込みます。 >>253>>257
スズキF6Aがそう
可変ベンチュリーキャブとEPI仕様があった
これのキャブ仕様知人は始動前アクセルを二三回踏んでたわ
ワゴンRは前に出た通りFIだが、ATはFI、MTはキャブの設定になってた車種もあったような >>260
トヨタと日産に設定があったな
トヨタ4S-FiとかP10プリメーラ前期の日産SR18Di
これも後にEFIとEGIに置き換えられるが 昭和末期、ECCSはまだ高価で最上級グレードの装備
電制キャブやシングルポイントインジェクションが出てきたのもこの頃
トヨタはCi(セントラルインジェクション)と呼んでたな
効率良くはないが、キャブより信頼性は遥かに上がった >>251
確か結構前に、廃れた技術スレで同じ話題が出て、
最後まで残ってたキャブ車は三菱リベロカーゴだった記憶がある。
乗用車は98年の排ガスのアイドリング規制までにはとっくに無くなってたと思う。
まあバイクも排ガス規制で2012年以降は原付までキャタライザーと
セットでFI化されちゃったけど。
>>262
シングルポイントインジェクションって、キャブレターのボディを
流用してベンチュリーにインジェクターを入れてあげれば
簡単にFI化が出来たから結構流行るかと思ったけど
バブル期に入って各社全エンジンDOHC化とパワー競争で
大量生産ですぐにコストが大差無くなったから呆気なく消えちゃったね。 >>264みたいに正月の飾り付けているクルマ近年ほとんど見ないなあ
昭和50年代は良く見かけたが
かつては一家一台から成人すれば公共交通網が手薄なところは足代わりに一台が普通になるとそのあたりも意識が変わるのかもな >>265
昨日昼からホームセンター行ったけど、車用の〆縄は売切と書いてた。
仕入れた絶対数わからないけど、ついてる車を見かけないな。 今の車にそんなもんつけたらそこら中傷だらけになるやんけw
昔の車ならグリルにつけてもバンパーはスチールだからな 平成だがインフィニティQ45のユーザから正月飾り付けられないぞと言う苦情が無視出来ない数で寄せられた
日産は御飾り取り付けアダプタを全希望ユーザに配布した >>266
最近は車用の小さい注連縄をマンションの玄関に飾る人も増えてるからな >>270
注連縄
これで「しめなわ」って読むのね。勉強になった。
パッと見、○○連合とか横浜銀蠅みたいにヤンキー系アイテムかと思った。 車を買ったらまずお祓いして、トランクに反射板付き交通安全ステッカー
そしてグリルに馬蹄とJAFバッジ あの馬の蹄鉄って何の意味があったんだろうか。
何かしらの縁起物だったのか? >>275
馬は人を踏まずに避けるから、交通事故避けのお守り >>274
70系のカローラとかB11のサニー辺りが似合いそう >>261
三菱のECIも、MULTIが付くまではシングルポイントだった。
かのランタボもこのタイプ。 >>275
厄除けとか魔除けとか
上向きに置くと幸せが貯まるとか
まあ縁起ものだね
うちにもTAIWAのリアル蹄鉄あるよん
https://i.imgur.com/jzwiokb.jpg そういゃあ今日久しぶりに縦目ベンツ230-6の深緑走ってたわ >>281
あれはボッシュのパテント逃れる為でちょっと違う この型のデボネア見たことないけど、5ナンバー枠だったんだね >>287
近所に三菱関係のエロい人がいたから、送迎用なのか、このクルマ見たな。 キャブから漏れたガソリンが
エキマニに垂れて引火って感じかな >>291
年産200台くらいの
関係者専用みたいな車だったからな 初代デボネア最終型は4気筒エンジンになっちゃって、
当時は「三菱最上級車のくせに4気筒?」と思ったものだが、
クラウンまで4気筒が主流になった今の視点でみたら
40年進んでいたともいえるw ウインドガラスにラジオアンテナが埋め込まれてた。
今でもそういう車種ある? >>297
マツダがフロントに合わせガラスの時にやってたね
同時期の三菱で
トランクリッドアンテナ=トランクの蓋をアンテナにしていたのもやってたけど
どっちも廃れたね
やや現在だとワゴン型で一番後ろのサイドウインドウに
リヤウインドウデフォッガー同様のプリントでアンテナにしてるのがあったけど
今は、どうなんろう… フロントガラスにフィルムでアンテナ貼ってたりリアの熱線がアンテナの役にもなってたり車種によるよ >>298
俺のステーションワゴンはまさにそのリアサイドガラスについてるアンテナだ。
もう20年前の車だからな。
今時のはドルフィンナンチャラだろ。 >>298
リトラのアコード乗っていたけれど、リアウインドウアンテナだったよ このあと午後11時から
NHK FMで
クロスオーバーイレブン
2019年新春 第一夜が始まるよ〜(*^-^) 以前乗ってた車は、フィルムアンテナとロッドアンテナ両方付いててダイバーシティだった >>289
そういや以前、駐車場だかで高いとこから滑り落ちた?車に潰されたケンメリRもどきあったな。
ケンメリ受難。 アンテナ
主に小型車の後ろ中央に黒くて短いのが主流だった時もあったな
ハムスターの尻尾みたいなイメージで
個人的には嫌い
が、平成だった トランクリッド脇から伸びるパワーアンテナに憧れたな。 手動伸縮式のロッドアンテナを電動式に加工するキットあったな。
後付けのパワーウィンドのキットと一緒に並べられてた。 三世代前のワゴンRもリアフイルムアンテナ使ってたな
例のアース問題でAM放送チリチリノイズ入りやすかったみたいだけど >>311
笑った画像スレでなくここに貼るとはスレの趣旨よくわかってるな ラジオのスイッチ入れるとアンテナ一段だけ飛び出るのあったよね?
初代カローラが確かそれだったかと
オートアンテナは日産の上級車に採用されたイメージがある
U14ブルーバードやA32セフィーロあたりまでは見かけたが >>317
ラングレーって車があったのを
久々に思い出したわ >>317
トラッドサニーとTE70系カローラの価格からみて昭和末期かな まだ騒動前の小室哲哉が
10台以上所有している車について聞かれて
フェラーリやらなんやらに混じって
ラシーンを強調していたけど
なんでだったんだろ >>317
「フル装備」の定義ってなんだっけか
エアコン、パワーウィンドウ、パワステ? >>325
エアコン、パワステ、パワーウインドウ、カーステレオ >>317
小型FF車が各社ラインナップを揃えた頃だな
女性ドライバーが増えて、パワステが標準化されつつある時期だった
ただどの車もやたら軽く、指一本で回せちゃうくらいのセッティングだったな
>>324
'86 SUMMER BONUS PLAN! って載ってるぞ FR最後のカローラセダンで新型が出て間もないから値がこなれたのか
あの当時は新型が出たら旧型の扱いが今以上に露骨に悪かったから 昭和時代は車の買い替えサイクルが短かったと思う。
10年落ちなんて乗っていたらかなり辛抱している印象。
20年落ちならクラッシクカーレベル。
今なら10年落ち、いや20年落ちでも珍しくないと思う。 >>334
見た目の形がどんどん変わっていく時代だったから
旧モデルがすごく古く見えたんだよね。 俺にはカローラが見えない
老眼鏡を買うべきなのかな フェンダーミラーからドアミラーの過渡期だったのもあるし、一個前の旧型ですら劣等感半端なかったね。 >>334
やっぱ10年超でも二年車検になったのが影響あるよ >>341
あーそう言えば。
忘れてたな。
10年ってのをを意識しなくなった。 1年車検って抵抗感が強いのかな。
半端ない型遅れ感と激しい経年劣化と1年車検の負担感の合わせ技で
長期保有しにくい時代だったと推測。 ♪カローラUに乗ぉって〜
買い物に出掛けたら
収入無いのに気付いて、そのままドライブ
あの頃から電通の大衆操作志向が酷いな >>346
ウチのとーちゃん後期型乗ってたけど俺も気に入ってた
チェイサーはダサかったけどなw >>346
ジャグワー()みたいで当時は大人気だったんだわ >>334
今の20年落ちで当時の5年落ちって印象
90年代以降は1つや2つの型遅れ程度であまり陳腐感感じない。
昭和末期デビューした車なんか、バブルの頃で進化のスピード早かったから、現行型でも陳腐化のスピードが早かった。 80年代初頭は樹脂部品が台頭してきた頃だな
バンパーはじめ金属から置き換えられた部品が増えていった時代だった >>348
俺は当時「フニャ○ンになったムスタング似」と感じていたが >>337-338
一番下の画像、右から5番目の赤い車じゃ? 左上ミニカの左下29万?円のやつもカローラよ
親父が乗っていたから覚えとる >>345
カローラさんまる、好きでしたよ
ボンネットのエアスクープ(インテイクかな)が斬新で
>>346
マークII 五人の会とか新聞でデカデカと宣伝してたね
うちの近所のディーラーに4Drが飾ってあるわ、色もマルーンだ >>345 うちに30系カローラがあったが、フルモデルチェンジした70系カローラが羨ましくて仕方なかった。
しばらくしてうちのカローラが追突事故にあって、それをきっかけに70系に買い替えたときはうれしかったな。 >>347
チェイサーはフォグがなかったんだよね。
たしか。 >>348
同時期にモデルチェンジしたライバルのローレルも、リアウィンドウがジャガー風(XJ)だった >>341
でもじっさいは10年ものの劣化は凄まじかったこの時代はまだ
1990年代の信頼性と比べると10年超えは身すぼらしい感じだった >>358
あの頃の進化のスピードは異常だった。
それこそ、21世紀には空飛ぶ車が出てきても可笑しくないとさえ思えた。
バブル弾けてから明らかに進化のスピードは止まった。
緩やかに技術の進歩は進んではいるが、目先のコスト削減や技術流出でシナチョンが台頭してしまった。 29万円の奴はおもいっきりコロナHT1800CXサルーンって書いてあるぞ
老眼になるとコロナって文字がカローラに見えるのか >>346
60年代に戻ったようなデザインで不思議だったね >>356 あれはフォグランプじゃなくてポジションランプ ニラ・ジーノ
ニラ・ココア
ニラ・イース
ニラ・トットコ
ニラバン 三代目のマークIIはトヨタで初めてオドメーターが10万キロ表示になった
動力系の信頼性を一定分確保したという表れだろうな
塗装を含めた車体はまだそこまで行って無かったかもしれないが >>369 車体の防錆性は昭和60年くらいまではまだまだだろうね。
修復歴なしの普通に乗られてきた初代ソアラとか60系カリーナとかでも
トランク周りや給油口付近がサビで侵される個体が多かった。
これが昭和末期デビューの80系マークUあたりになると良くなった気がする。
とはいえ、耐久性が高いといわれて中古車が海外に多数輸出されている
100系ハイエースはリヤゲート周りが極端にサビに弱かった。 >>370
昭和末期〜平成初期のトヨタ車ってマフラーの排気漏れしてる車が多かったイメージだわw
70〜80系マークII3兄弟とか特に あの頃のマフラーはスチール製だったもんな
今はステンレス製が当たり前になって排気漏れしてる車なんて見かけないが >>371
それ日産の間違いじゃね?
日産は6年経ったらタイコか落ちて(接合部がサビで破損)爆音になるのがデフォだったじゃん。
知り合いで2回もタイコ変えた人がいてワロタ
ホンダはパンタでジャッキアップしてドア開けると降ろしてからドアが閉まらなくなるとか 逆に昭和のいすゞは驚異的に頑丈だったぞ。
オレのオヤジがロクに戦車もせずに12年乗ったフローリアンは最後の頃、ドア下のモールが剥がれてネジ穴が露出した状態だったが、
穴が丸いまま錆び一つふかなかった。
いっぽうその間に何台か遊び用に買ったホンダは
みんな屋根にあった板の合わせ目(板金技術の限界で昭和のホンダ車はみんなあった)から
がんがん錆びふいてザクザクになった。 >>373
トヲタの白いハイソカーがブボボボいってんのがしっくりくる >>373
シビックやアコードの初代から3代目だと
ジャッキアップ中は閉まりにくいその通りだけども
降ろしても閉まらないのほど酷いのには当たったことないけど・・・ パンタでジャッキアップする時ってドア開けんなって昭和のカー雑誌とかで普通に書いてなかったか? >>371
ガンガムでよく直したけど
すぐにひび割れて意味なしだった >>374
フローリアンは戦車並みなのは分かったw
つか、錆が「ふく」って言うの?カビは「ふく」って言うけど、たぶん方言。 >>375
それは直管w
>>376
普通に多発してたよ。
仲間のAKだっけ?(EFの前)とEFはほぼ100%閉まらなくなって
反対側上げたりして修正した記憶が有る。
>>377
基本は「開けるな」なんだけど、実際は開けざる得ない状況もあるんだよね。
少なくとも他社(ヨタ、三菱、マツダ、スバル)ではそう言う現象は起こらなかった。
日産は判んねw >>374
117クーペが発売から10年しても廃車なしだった?とかも
それゆえなのかな? >>373
確かに
ワンダーシビックの時は
上げてる時に開ける事が難しく
今度は閉める事も出来ない
敢えて
良く言えば
柔軟性の有るからモノコックなんだよ
( ´△`)… >>378
空き缶の底と上蓋取り除いて
件のガンガムを塗って
上から缶をぐるぐる巻きにして針金で固定してた >>374
昭和のいすゞの乗用車乗ってるけどさ。
確かに丈夫だと思うけど、個体差が大きいのと部品の少なさで長く乗るにはそれなりに大変。
生産終了10年ぐらいで、機能部品が製廃になっていたのにはどん引きしたよ。
車齢10年目で相手の過失100%の事故にあったのだが、部品がなく1ヶ月待たされたしね。 >>374
PFジェミニは、フロントドアのウインドサッシュのAピラー側の付け根からサビが発生するのが持病だったよ 117クーペはクオーターウインドウの下側
ここの水捌けが悪くて腐りやすい いすゞオーナーが実状を苦々しく語り始めたな
同じく117だけどサッシ周り酷かったな
初期型の人どうだった?やっぱり同じだよね 昭和の時代は同じ車に10年以上乗るのは変わり者扱いだったからな
いくらいすゞが頑丈だと言っても20年以上乗る人もまらなわけで
錆びが出やすい場所を知らないまま処分した人が多いのでは >>389
いやいや、PFジェミニに限っていえば、10年も経たないうちにサビ始めたクルマもたくさんあったよ
だからオーナーの共通認識になったわけで 117
ドアに水が溜まって錆びる事があるという記事を
1990年代の雑誌で見た事があった
ベレット ジェミニ
は、コロナ ブルーバード と同格? ジェミニはカローラ、ベレットはカリーナあたりかな
ただ、いすゞの車は独特すぎて違和感がつきまとう ジェミニは何故かオリジナルの角型ライトより、日本の丸目の方がカッコいいと感じてたな
何でだろ? >>391、392
初代PFジェミニのボディサイズはカリーナやバイオレット系とほぼ同じだよ
エンジンも1600と1800だし
FF化された2代目JT150以降はカローラ級だけどね >>394
PFジェミニは
初代マーチより幅が狭かったと話した覚えがある。 >>393
前期の逆スラントの角目のことね。
丸目はスラントノーズになってからだから
全体のイメージはかなり違う。 PF60は好き嫌いが出ると思う。
トルクで走る走り方しないとタイム出ないし、姿勢変えるにもコツがいる。
俺みたいに初期4AGに慣れた体だと「廻んねぇ」で終わっちゃう。
4G63運転して初めてPF60の運転方法がある程度理解できたわ orz >>395
全長×全幅×全高(いずれも4ドアセダン)
初代カリーナ 4135×1570×1385mm
初代バイオレット 4120×1580×1405mm
初代ジェミニ 4135×1570×1360mm
1970年代前半生まれのこのクラスは、みんなこんなもん
このクラスで全幅が1600mmを超えるのは、70年代後半から
>>396
逆スラントの初期型(1600)は丸目だけどね
追加設定された1800がオリジナルのオペル・カデット風の角目で
遅れて1600も角目になった >>393
逆スラントからスラントへのマイナーチェンジは
獅子舞顔のフローリアンと同じく、オリジナルデザインをぶち壊したと
PFジェミニのヨーロピアンな雰囲気を好む層からはえらく不評だったけどね
顔つきだけじゃなく、テールも武骨になっちゃって
マイナーチェンジと同時にDOHCのZZとディーゼルが加わったが
それ以降はZZを好む硬派の走り屋と、経済性からディーゼルを選ぶ層にユーザーは二極分化
「ちょっと日本車離れしたシャレたクルマ」としてジェミニを選ぶ層はいなくなってしまった >>398
その角目の1600に乗っていたけど
専用のシビエのヘッドライトに交換した。
全体は角目なんだけど
中身は丸目という変わったやつだった。
すごく明るくなったけど
カットラインから先が真っ暗で
かなり戸惑ったよ。 >>400
これは初期型
オリジナルのオペル・カデットも廉価グレードは丸目だった
>>402、403
マーシャルだね
見た目もカッコイイし、明るかったけど
専用と言う割には純正と形状が違うし、取り付けが面倒じゃなかった?
あれ、実はプジョー104の純正ライト
http://autoreve.jp/stock/%E3%83%97%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%80%80104/
これがジェミニに使えることに気づいた極東(現FET)が、ジェミニ用と称して売っていた >>398
今の自動車より全副は−200、全は−100mmだな。 >>404
へぇーそうなんだ。ありがとさん。
取り付けは面倒ではなかったよ。
元々空いていた穴を利用して付けた覚えがある。
オリジナルのライトを固定していた穴とは違ったから
極東がブラケットを附属していたのかも。
35年も前の話だけど印象深くてね。 昭和の時代のファミリアより現行デミオの方がデカいんだよな
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/026/183/095/d8922ead8f.jpg
BDファミリア:全長 3955mm 全幅 1630mm 全高 1375mm
DJデミオ :全長 4060mm 全幅 1695mm 全高 1500mm 昭和時代のレジェンドよりも現行シビックのほうが大きかったりしないのかな。寸法調べてないけど。 >>408
初代レジェンド・セダンの基本ボディは5ナンバー規格だったから
車幅に関しては当然今のシビックのほうが広いよ 90カローラセダンの幅は1650か60ぐらいでまだ5ナンバー枠フルに使ってなかったな
久しぶりに復活したシビックやカペラの実質後継のアテンザはかつてを知る世代には膨れ上がったなあと思うだろうな
アテンザだと昔幅広いなあと思ってたトヨタプロナードよりも広い ここ15年だかの全幅全高の拡大は異常
狭い道路を歩いててミラーが腕にぶつかる事がある 初代レジェンドいいよね。
特に前期セダン。あのデカイアコード感、テールのカローラ感がたまらん! >>407
開放感はファミリアの勝ちなんだよな
安全基準が緩かったからなし得たグラスエリアのおかげ >>407
広島ナンバーなところもいいね。
しかもカープカラー >>407
車重に至っては300キロくらい重いんじゃない? >>412
失礼な、カローラはないだろうw
HCルーチェぐらいはあるはず! >>416
いや、100系カーロラのテールは初代レジェンド瓜二つだよ。 >>412
初代アコード時代の大きなシビック感には勝てないだろ
当時のホンダは大きなシビックとおしゃれなシビックとカッコいいシビックと普通のシビックがラインナップされていた >>418
アコードとクイントとプレリュードかwwww つーか、初代ライフ生産中止後、アコードがデビューするまでホンダの乗用4輪はシビックしかないんですけど。
それ以外もTNしかないけど。 初代アコードってこれだよな?
https://i.imgur.com/cGa6xto.jpg
これは大きなシビックでええんか?w ライフが成長してシビックになったとマジで思っていたわw
で、さらにアコードになると。
そんな俺も初代レジェンドセダンは好きだったが、
予算オーバーで買えずにいたところ、アコードCAが出たので
それを買った。
まさにミニレジェンドといった佇まいだった。 >>423
ライフは小さいシビックの出で立ちだったな。
アコードCA、ライト埋め込みフォグが高級感あったね。あの当時、あのクラスでフォグ一体ライトは珍しかった。 今のフィットはシビックの子孫だ、とフィット乗りの俺氏
フィットを買ったときに、やっとオレンジのシビックが買えたよ、と思った俺氏 >>426
気持はわかる
代車でポロを貸してもらって 初めて欧州車(ゴルフII)を手に入れたときの感覚を思い出したもん
ちな、自分にとっては昭和イコール日本車、平成イコール欧州車
もしかすると今度の節目が内燃機関から電気になるかもしれんと思うとちと寂しい
スレ違いすまん かつてのシビックの位置にいるのがフィットだろうな
ワゴンに付いていたシャトルの名も引き継いたようなものだし >>414
希望ナンバーで80-11って、たしか当時の広報車の番号 >>425
元はアコードCAって欧州向けアコードの仕様を日本国内に回した奴だったよね。
しかもCAはクリオ店専売にしてたし。
個人的にはアコードCAの後継がアコードインスパイアだと思ってる。 >>437
そうそう。
クリオ専売なところが余計に上質感感じたな。エクスクルーシブもCAだけの設定だっけ? >>436
いきなり地面だったねw
南側の車庫の右側の白い車見てくれ >>438
エクスクルーシブは元はクーペ専用グレード。
リトラのセダンにはSiにエクスクルーシブが追加されたけど
CAは末期になってやっとDOHCのSiが追加されただけだったからね。
昔CAと同じ成り立ちのアスコットイノーバを免許取り立ての頃乗ってたけど
あっちは最初から2.3LのDOHCがあったね。
自分のは4WS無しの2.3Si-Zだったけど。
周りからは何でEGシビックのSiRやインスパイアにしなかったのか
やたらとツッコミが多かったけど。 最近米誌で「歴史を変えた10台」とかやってて、その中に初代シビックやプリウスも入ってたんだけど、
少なくともカタチ的には両車とも折角の誉れをドブに捨ててるな、日本人しっかりしろ 初代シビックは子犬っぽくて良いデザインやん
も少し車高あれば更に実用性高まったろうが、当時の日本じゃ受けなかったろうし 2BOX車の室内+荷室のスペースは同クラスの3BOX車より小さくなるのに
初代シビックのパッケージングがなぜ高評価を受けたのか未だに理解できない。
実際、シビックもアコードも後にトランク付きの3BOXセダンを追加して
結局そっちが主流になっていくわけだし。 それはシビックとアコードが上級移行してった結果でしょう
3BOXセダンこそ元祖シビッククラスはほぼ絶滅種やん 初代プリウスは世界初の量産ハイブリッドで書かれてるんだろうな。
俺あの形と水色が気に入って乗ってたけど。
あの車は車高が1495mmで本当にパッケージングの優れた車だよ。
機能的でいいんだが、この車のせいで車高の低い車が嫌いになり
スポーツカーなんて欲しいと全く思わなくなった。 >>441
そうなんだ。イノーバはアコード取られて、ダサいアスコットあてがわれて、その上うちにもインスパイアみたいなハードトップよこせ!と要望だしたら、中途半端なイノーバあてがわれて困惑してたな。
近所のプリモ。 アコードCAのCAというのは、コンチネンタルアコードのこと。これ豆 >>447
あれは今時のエンジンの燃焼理論を先取りしてるからな
きちんと燃やすことが難しいといわれていたビッグボアのエンジンでも可能であることを証明した シビックはジョン&パンチのオープニングで結構長く写ってた記憶が >>452
Anti Pollutionじゃなかったか? ついでにググってみた
FXは「Future X」、JXは「Jump X」の略だそうだ 当時、GMが日本車キラーとしてXカーなるものを開発中で日本自動車産業の危機が囁かれてた(マジで
それを迎え撃つ為に日本のXカー=JXと名付けられた
という噂 プリモはシビックとアクティ等の軽
ベルノはインテグラとプレリュード
クリオはアコード系とレジェンド
このあたりを軸にしたかったのであろう
初代レパードもチェリー店向けはTR-Xというサブネーム付きでヘッドライトも角型4灯だった
何らかの差別化が必要でこうなったのだろうな 初代アコードはCMが
監督がクロードルルーシュ、音楽がフランソワレイだったりして、カッケー欧風な会社だなや!と憧れた。
それが今や >>458
プリモは元々町の自転車屋や農機具店からスーパーカブやT360とかの軽自動車の販売から
段々成り上がって行った店が多かったからね。
アコードをクリオ店専売にする代わりに、プリモはシビックを専売にしてバランスを取ったし。
オデッセイ以降は3系列併売が増えて今みたいに1系列化になったけど。
ホンダは2輪も125ccを超えるのは将来的には全てドリーム店専売にしたいらしいけど
2輪は4輪以上に零細店が多いから中々実現しないけど。 ホンダベルノ設立当時
1店舗2〜4億という記事があった 同じメーカーの車を車種別に販売するメリットって何?
ユーザーからするとデメリットの方が多く感じる。 種類が多いと(店舗側の)アフターサービス負担が大きい トヨタの場合は
ネッツ→若者、マイルドヤンキー
カローラ店→ファミリー層
トヨタ店、トヨペット→金持ち
って感じか ホンダの3社分けはそれなりに上手くいっていた。CMも見事だったし、客層もベルノはちょっと若い車好き、クリオは石北会小金持ち、プリモは底辺層。
また、自転車屋上がりが多かったプリモは接客も良い意味でフレンドリー、クリオやベルノとは一線を画してた。 グランプリ出版
「ダットサン車の開発史
日産自動車のエンジニアが語る 1939-1969」
原禎一
という本を買った。 ¥1800+税
紙が硬くてめくりにくい。 >>446
初代プリウスは、ハイブリッド車ということを抜きにしても、パッケージング等革命的な車だったよな。
ビスタもコンセプトは近い物があったけど、全高の高さばかり目立って格好良くなかった。 >>469
その本で長年の謎だった昭和20年代のダットサントラックの4桁型番の意味がわかった。
唐突にそんな付け方した理由はわからんが。 当時スカイラインGT−Rとかが煌いていた時代で プリウスがたった1500でいくら燃費が
良くてもあまり人気はなかった だが俺は最先端の高度な技術に感心していた
最近は馬鹿でもちょんでも乗っているので興ざめしてる プリウスの話は平成の車のあるあるそのAZ-1でも建ててやってくれ まあ5月には誰か立てるかw
>>467は都電があった頃の銀座かね
車がはっきりしないのが残念 クラウンっぽいとかコロナっぽいしか判らん >>475
小さいアクセラだよ
アテンザは大きなアクセラと表現できるがCXシリーズは難しい >>467
交差点先頭のタクシー
右が初代セドリックの横目(H31)、左の丸テール2台は2代目クラウン(RS40)だろうな この頃の日本の風景って良いよね。
今はどこも同じような町並みでつまらん。 こういう巨大電飾はオイルショックの頃に消えたんかのう… >>481
深夜の映画だと
エロチックなのやってなぁ… >>481
テレ朝13:00〜13:15田原俊彦歌のメドレーって何の嫌がらせだ >>481
お笑いの人、
結構今でも現役の人がいるな。
ギャグシンセサイザーが懐かしい。 >>481
親父がプロ野球観るせいで裏のアニメが観られなかった嫌な思い出しかないわ >>486 お笑い以外にも黒柳徹子とか中田喜子とか八代亜紀とか松田聖子とかタモリとか
森進一とかドラえもんとか約40年くらいテレビで活躍し続けてるのはすごいと思う。 >>468
ある意味、自転車屋上がりはホンダ販売網のルーツなので
80年代にホンダが社内向けに作製した会社の歩みのビデオにもその内容があった
自分の知っているプリモ店の社長さんなんかも本田と一緒にやってきたって自負がある人たちだった
あと接客がフレンドリーはおやっさんの方針だった、方言上等とか
だからフレンドリーなのは販売チャンネルに限ったことではないはずだけど
プリモのそういう経緯からおやっさんの方針に従う気持ちがあったのかと想像する >>479
いやあの当時は電飾に大批判だったんだよ、街の景観をこわすと言ってね
戦後に看板立てるとそれを見えないようにさらにでかいのを立てる、その頃から形は変えど無秩序の結果の景観だったんだよ
今じゃ懐かしいが >>491
うちの地元の旧プリモはそこそこ大きくなってパッと見立派なディーラーだが、買い物帰りの農家のオバチャンがオイル交換がてら受付の社長婦人と井戸端会議。
本田宗一郎に感化されたとしか思えない風貌の白ツナギで工場で整備してる社長。なぁなぁの営業も大してできないボンクラ専務。退職して独立を画策してるそこそこ有能な従業員。というふいんき。 大人の絵本は10秒くらいのビデオ紹介のコーナーで抜いていた古き良き時代だった >>494
あの間に抜くのが癖になって早漏になった夏の日の1992 >>493
アットホームな雰囲気の、いい店じゃないか >>496
クレーム対応は最悪だったけどな。
まぁ、メーカーの客層に言いくるめられたというか… いかにも旧プリモ系らしいホンダカーズだな
それ以前は○○ホンダという屋号でアクティやシビック売ってたのが目に浮かぶ ホンダのサイトでこんなの見つけた。
ttps://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1966automarket/page06.html クリオの雰囲気好きだったなぁ。
初代レジェンドからUSアコードワゴンの時代まで >>500
平成の時代になっちゃうけど、あるベルノ店でインテグラタイプRが出た時に
NSX-Rをボディカラーと店内のショールームの色をチャンピオンシップホワイトと
テーブルの椅子をレッドでコーディネートして展示してた店があったな。今のホンダには望めないけど。 >>501
ベルノは立ち上げ当初はプレリュードやCrX等のクーペ系以外は、ビガーとかバラードとかハズレの姉妹車ばかりあてがわれてるイメージだったけど、NSXの専売で一気にスペシャリティな存在になったイメージ。一番ホンダらしさを具現化してたディーラー。 >>484
この頃ってまだこの枠牛乳石鹸だったのかな クリオは綺麗なお姉ちゃん
ベルノはスーツをビシッと着た仕事の出来そうな営業マン
プリモはやたらフレンドリーなおじさん >>509
客層も、クリオ→石北会、ベルノ→ンダオタ、プリモ→自営業か底辺層 >>507
クラウンに赤があったんだ!
これの前の3代目後期には
電動でないリモコンミラーがあったのに
4代目前期には、なかった不思議 >>511
クラウンはほぼ4代目以降も歴代で赤あったよ。
無かったのは9代目と10代目くらい。 >>511
3代目クラウンにリモコンミラーが付いていたなら、それは後付けだろう
日本初のリモコンミラー(ワイヤー式)装着車は初代150プレジデントで
次が1971年に出た230セドリック/グロリア
それを見て、同時期にモデルチェンジした4代目クラウン(通称クジラことMS60)が
マイナーチェンジで追いかけた 3代目クラウンはSLのみリモコンミラーあったよ
セダンは丸型フェンダーミラーしかなかった 塗装とかディテールとか海外とほぼ進歩がまったくシンクロしてるんだよな
むかしは窓周りとかディテールはメッキだったのがサッシレスの過渡期にピラーとか黒い塗装になったり
まったくディテールまで同時進行なんだよな ジェームスハント懐かしい
富士SWのF1に出てた
もう亡くなって25年ぐらいになるはず
70年代後半から80年代半ばまでレースの中継といえばF2やGCシリーズでTBS系ばかりだった 思い出したF1のダイジェストも84年あたりTBSでやってた
鈴鹿F2シリーズ解説は津々見さんでピットリポートはのちにフジでメイン解説だった今宮さん ターボ車はメーターパネルにタービンの表示灯があって、
ターボが効くと点灯したり、表示が回ったりしてたな〜。 わざわざブーストメーター付けたりこれ見よがしに
いちいち車降りたあとにターボタイマー切れるまで後ろ気にして何回も振り返るやついた タイマーつけ忘れて会社終わるまでエンジンかけっぱなしだった人がいた >>524
現行アルトワークスにもブーストランプは付いてるよ
それでも最近はブーストランプすらついてない車が多いから
スポーツ気分を盛り上げるための存在なんだな ターボタイマー、あったね。今でもあるのかな?
ミラターボあたりが発進時に白煙吐いてるのをよく見かけたから
初期のターボ車には効果はあったんだろうけど。 >>528
今の車は車が自動的にやってくれた。
買ってすぐの夏場はエンジン切っても冷却ファンが廻りっぱでびっくりしたよ。 スタリオンのアナログメーターはど真ん中にブースト計が付いていた >>525
マニュアル車で
サイドブレーキのみでの駐車は
抵抗あったなあ >>528
ttps://www.google.co.jp/amp/s/www.webcartop.jp/2016/12/58158/amp ターボタイマーがいるシチュエーションなんて滅多に無い
今は水冷化されていてセンターハウジングはすぐに温度が下がる
高速走行時というが料金所ではエンジン止めないし、PAやSAでも入ったら徐行して駐車場所を探して駐車するまでで十分冷えている
いつも全開でSAに突っ込んでフルブレーキングで駐車するというのなら仕方ないが >>526
キーオフでも一定時間かかりっぱなしなのがタイマーなんだけど
スイッチ入れ忘れててキーオフ→エンジンストップなら分かるけど 昭和脳なのでダウンサイジングターボとやらにアイドリングストップが付いている車で
高速道路を降りてすぐの赤信号で止められたときにタービンにダメージを受けそうで怖いw >>536
昔の物ならともかくごく最近のものなら大丈夫かと思うけど
近年はアイドリングストップ付きでも機能停止スイッチ付いてる車が大半じゃないの?
それにインターチェンジ降りるまでにスピードも落ちているはずだし
日本初のセドリック/グロリアターボからもう40年になるから技術の蓄積もあるし耐久性も問題ないレベルにあると思うが >>537
確か熊倉重春がCGに在籍していた頃に、430セドグロやクラウンのターボが出た頃に
ターボタイマーがどれだけ効果あるのか高速等を同一条件で実験してみたら、
ターボタイマー付きの方がアフターアイドリング中のエンジンルームの温度が
急激に高くなって、少なくとも街乗りや高速道路レベルでは逆効果だったって結論付けてた。 初期のターボのタービン軸にはオイルフローティングベアリングが使われていて、
エンジンを止めるとそのオイルの供給も止まってしまうので焼きつく、と言われた
10万rpmとも20万rpmとも言われるタービンの回転が、ある程度落ち着くまで
オイルを供給させるためのタイマーだったはず
エンジンルーム内の温度はあまり関係ないんじゃないかな >>539
熊倉さんとか三本さんとか大好き。
しかし、(当たり前だが)お年を召していってそのうち…と考えてしまうと悲しい。 >>541 園部裕氏や鈴木五郎氏といったかつてモーターマガジンに記事を書いていた人たちも
お亡くなりになっていた 外車の詳細なスペック記事、テスト、長期マイカールポとか外車づくしで分厚い雑誌が成り立っていた時代があったんだなぁ。
エンジンなんかが今でもその需要の流れをこっそり捉えてるけど。 >>540
フルブーストでタービンとコンプレッサーが20万rpmまで回わったとして、アクセルoff
後、何分もその回転数なのか?
タービン+コンプレッサーは、FW程の質量も径も無いが、エンジン停止後も暫く回って
いるのか? >>550
ターボは自社製じゃないから大丈夫だろw 初期のホンダ車(NシリーズやH1300)なんて、それこそ客を使った「走る実験室」
徳大寺いわく、ユーザーは無給どころか金を払ってホンダにやとわれたテストドライバー
その伝統が生きてるんだな >>548
溶接特集って表紙にあったので15年ぶりに買ってみたけど、もうちょっと詳しい内容なら良かったな。
しかし15年前は800円ぐらいだったと記憶しているが、凄く高くなってるのね。
昭和から続いている自動車雑誌も少なくなったね。自動車工学も無くなったんだっけ? >>554
ベストカー(ガイド)は内容薄くなったな。 自動車工学なくなったんだ、お世話になったな
自動車メンテナンスの本なんかむかしはあったけど、いまのはもう車関係はむかしとは方向性違う本ばかり
メンテナンスなんかやろうと思ってもできるしろものでもないし
むかしなら安い工具とオモチャのようなテスターでも楽しめたのに たしかに最近の車は自分でメンテナンスなんてできないからな
オートメカニックとモーターファンよく読んでたっけ。懐かしいな エンスーでおしゃれでハイソでお坊っちゃんでみたいな昭和の外車オーナーのイメージ流れがengineに引き継がれてる。 >>555
愛読してた
ネット以降買わなくなった
ごめんなさい >>559
特にホンダ車
ライト周りに手が入らない >>561
フェンダーカバー外して、裏から手を入れるクソ仕様。 >>549
実際のところはどうだったのかは分からない
俺が当時読んだ記事ではそのような記述があった
タイマーを売りたいがための詭弁かもしれない
当時のターボ車が本当にそれで焼きつくなら、メーカー側で対策するとは思うけどね >>549
エンジンを止めてオイルの冷却がなくなると
タービンおよびハウジングに蓄積された熱でシャフトの温度が上がる
でも回っていないから壊れたりはしない
けど、そのタイミングでエンジンかけて急発進したら・・・
ってのは想像で自動車のターボがどうなるかは知らんけど
業務用熱風ブロワーなんかだと降温せずにON/OFFを繰り返したらベアリングが壊れるものもある >>566
ワシのポルシェには水冷の軸受けクーラーが付いてた。
エンジン止めてから2〜3分ジーて回ってた。 止めかたも、オイル交換も、取り扱い説明書に書いてあるな。
「市街地走行なら不要、100km走行のあとは1分、登坂の連続や、
100km以上の走行のあとは2分のアイドリング」みたいな感じ。 灯油ファンヒーターだってスイッチをオフにしてから数分はファンが回っている。
やっぱりいきなりオフは機械にとってダメなんだろ(適当) >>557
モーターファンは別冊とかイラストレーテッドは現役だな。
本家モーターファンも最近復活したけど10号位で再度休刊。最後の方に、連載書いてる人が、掲載誌送ってくれないって誌面でぼやいていて、ヤバいなと思ったら案の定。 排気バルブも近いくらいの条件だけどターボが駄目なら排気バルブ周りも何かタイマーで冷やさなきゃとなるが
NAですぐ止めて排気バルブで駄目になったとは市販車でめったに聞いたことないしな
排気バルブの表面温度の変化をサーモグラフィで追った画像見たけど耐熱性の合金てエンジン止めると
あっと言うまに450度以下まで下がる1分くらいで250度くらいになるし
ターボカットモデル見たけどオイルに浸かりっぱなしだし、オイル120度くらいだしなんか最近はアイドリングしないってのも問題ないのかなとも思えるな >>572
ワシのポルシェの排気バルブにはナトリウムが封入されてた。 同じくSR20DEでも、P10プリメーラ用だけがナトリウム封入バルブでハイオク仕様だったな。 >>574
最初期のSR20はNA、ターボも含めみんなナトリウム封入バルブじゃなかった?
プリメーラだけハイオク仕様だけど、S13とかS14、U12で
ヘッド形状がみんな微妙に違ってたりとか。あとS15のオーテックや
パルサーGTI-Rとかもナトリウム封入バルブだったね。
最近は軽のN-WGNとかにまでナトリウム封入バルブが普及してるけど。 94年あたりまではすべてナトリウム封入バルブだった
その頃からプリメーラもATは普通のバルブになった
部品の値段が全く同じなのは謎だったけど ターボタイマーが必要とされていた頃のターボの軸受け周りには水冷の通路がなくて水冷されてなかった。
今でもVWのゴルフクラスでも電動水冷でターボ系には水が流される。 アホなことを聞くが、ずっとアイドリングしたり空ぶかししてたりしても水温が安定してるのは何故?
これならラジエーターいらんのじゃない? >>579
あえて釣られてやるけど、空ぶかしは長時間続けてるとそのうちオーバーヒートするよ。 >>579
水温計は適温の範囲内なら針が動かないようになってるけどそういうことじゃなくて? >>579
アイドリングでもラジエーターは仕事してます >>579ですけど釣りじゃなくてホントにアホな疑問を持ってしまいすみません。
空ぶかしは続けるとアウト、メーターは適正範囲で静止、ラジエーターは停止時も作動。
理解しました、ありがとうごさいました。 ラジエーター❨は当然として❩、というかクーリングファンだろ 補足すると冷却水は高温(冷却が必要な温度)にならないとラジエターに流れないよう、サーモスタットが付いているので
エンジンにとって適温になるようにコントロールされている
とは言えラジエターも万能ではないので、放熱可能量より多い熱が加われば(前出の停止状態での空ぶかし等)、
当然オーバーヒートになる
四輪車のラジエターは渋滞時を考慮し、クーリングファンを装備しているものがほとんどだが、
水冷エンジン搭載の一部の二輪車にはクーリングファンはおろか、サーモスタットすら装備していないものもある 悲しいお知らせ…(´Д` )
曙ブレーキが私的整理=米国不振で業績悪化 | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/83037 /ヽ __ヘ_/)
_/  ̄7 |__L/
(_| | ノ
|__| ヽ
\_/~\_ノ ̄ヘ
 ̄ ̄\) 最近は後付けの電動パワステ付けている車が多いが、どの車でも切り始めの操舵力の変化が気になって仕方ない
直進安定性を損ねている気がするのは俺だけだろうか 近年は水温計すらなくインジケーターで済ませている車も多い
かつて初代カローラで渋滞にはまると水温計が高めを示す為苦情があったらしい
渋滞抜けてしばらく走ればすぐ下がったそうだが
純正の水温計は暖気の目安にはなるけど、めったにないだろうが相当高い位置ならかなりヤバイ状態ではないとか思われ エアコンない時代の雨の日は地獄だったな
あの頃の習慣かいまだにフロントガラス拭くの馴れてる
教習所で雨のせいで3時間は余計に払わされたな
曇るから真冬に暖房止められて窓開けてやらされたし 今のクルマはガラスを拭きにくい構造だから良くないな F-1とかペースカー入ったりしてるときよくオーバーヒートしないもんだ。
空力のためにエンジンなんて完全カウルの中なのに。 ペースカー入ってる時でも100km/hオーバーで走ってるんすよ 抑え先行は不満ギリギリを見極める技術がいるよwヤリ甲斐がある仕事。 先行がツインターボ並みの大逃げをやってくれれば不満はない >>596
引退したレーシングドライバーが担当する場合が多いのかね? >>598
F-1のセーフティカーの場合は元DTM選手権のレーサーがやってたりする。
車両も契約で全レース同じ車両でサーキット場のセーフティカーは使えなかったりする。
ttps://www.as-web.jp/f1/350977?all >>594
今時のレーシングカーは、エンジンルームには空気入れないでラジエターだけで冷やす設計だよ。フォーミュラもハコも。 >>600
すごいな
マジでよくオーバーヒートしないもんだ
ストックカーとかは特製のダクトでピットイン時にエンジンルームに強制的に送風したりもするみたいですね 昔と違ってスーパーGTなんかはエアコンついてるよな。
電動ファンで確実に冷やす設計なんやろう。 >>602
マクラーレンF1なんかも、あのベンチレーションシステムが画期的で、他のドライバーから羨ましがられてたが、関谷氏曰、外気温より涼しくなることはないと言ってたな。
今やエアコン完備にATパワステ付きときた。
どんだけ軟弱なんだ! >>603
1978年に出版された高斎 正のレース小説「ニッサンがルマンを制覇する時」に登場する
ニッサンR384は、耐久レースにおけるドライバーの肉体的負担を軽減すべく
AT、エアコン、ABS装備だった >>605
あの小説は凄い先見の明だよな
あれで初めてABSわ知ったわ クールスーツだっけ?
水か氷が冷却剤あたり使って冷やしているやつ
かつてカルソニック(日本ラジエーター)がサファリラリーにプライベート参戦していた240RSにエアコン供給したことがあったな オーバーヒートでリタイアすると低品質の製品と思われるから、カルソニックに社名変更
したんだろな。 >>609
あの頃はバブルでなんでもかんでもみんな横文字にするの流行ってた。
他にも、ヂーゼル機器→ZEXELとかね。
象印や資生堂もわざわざ横文字でZOJIRUSHIとかSHISEIDOに変更してたし ゼクセルもボッシュ(日本)になってしまったな
元々ボッシュのライセンスで燃料噴射ポンプを造り始めたし、関係も割に良好だったはずなので納まるところに納まったのかもしれない
一方カルソニックカンセイ(旧ニチラ、関東精器)は日産資本が今やゼロだもの UDトラックも国内で取扱いほとんどなくなっちゃったね
地方の旧型バスなんかが辛うじて当時の自社で作ったの見れるけど >>614
UDはバス生産から2013年には完全撤退したからね。
まあ2000年代後半からは自社生産をやめて、ふそうからのOEM調達だったし。 バスの寿命は、とても長くて100キロ普通
など聞いた 訂正
バスの寿命は、とても長くて100万キロ普通
など聞いた バスやトラックの中古車サイトを見たら、走行距離何十万キロでも結構高い。
走って金を稼ぐ車だからな。 訂正
バスの寿命は、とても長くて100億キロ普通
など聞いた バスの火災事故で170万キロぐらい走ったのが起こした例があったそう
まあ車両入れ替えもそう出来ない会社も少なくないし
となると中古や比較的新車が廉価のヒュンダイ・ユニバースへ流れてしまうのだろうな >>619
その耳、ふさいだほうがいいんじゃないの? >>613
なつかしい
まだ車は日産、トヨタの2大メーカーが当たり前に考えてた時代だ みんーなみんーなとぉーしばっ
とぉーしばーのま・あ・くっ
ダークダックスだったな いつ〜だって どこに〜だって はてしないそらをかぜはうたっていくさ〜 かぜの〜むこうへ〜でかけ〜よぉおう
きょうがとおりすぎてゆくまえに〜
のーんびりゆこおーよ
おんれぇえたちぃわっ
(後略) やべぇ、鈴木ヒロミツって今年13回忌だよなぁ・・・
グループサウンズで一番R&Bしてた音楽性ピカ一だったんだが(涙 >>628
モップスはサイケ〜ニューロックで、R&B色は薄い >>629
え? サイケなんてない時代だぞw
それにリズムセクションはどう聴いてもR&Bだよ >>631
日本初のサイケデリック・バンドとして売り出され
ファーストアルバムのタイトルは「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」
デビューコンサートのタイトルは「LSDパーティー」
「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」収録の「お前のすべてを」あたりを聞けば
「流行っていたからサイケを謳ったバンド」ではないことがわかるけどな
「どう聞いてもR&Bのリズムセクション」って、いったいどの時期のモップスを指しているんだ? http://imgur.com/qACfifD.jpg
このアルバムではドアーズのライトマイファイヤーとかもカバーされてます。 CMで売り上げに影響があった車種
ポールニューマンのスカイライン
FFのジェミニ
セフィーロ
シーマ
懐かしいのはシティ >>634
でも悲しいかな。消えた、消えかかっている車ばかり・・・ 7歳くらいの頃だろうか
時々遊んでくれた近所のお姉さんから
スカイラインのケンに似てる
ケンくんw
と言われていたのを思い出して検索したら
初代ケンはバイク事故で亡くなったので2代目のケンになったって
youtubeにあったCM見て見たら
20代の自分に、よく似ていて、びっくりしたw
今の自分は面影もないがw >>639
で、どっちに似てたんだ?
初代の陣内たけしか? 2代目の前田俊彦か?
どっちにしたってハンサムだし、歳を食ったところで面影が消滅することはないと思うが >>641
えぇなぁ〜、それでも男前や
初代ケンさん在住地の所轄管内で亡くなったんだよなぁ。
今のロシア料理屋の前あたり・・・ >>644
たしか時期的にはヘルメット着用義務化以前だったから
ノーヘルだったのかな ノーヘルどころか彼が免許取ったのは
自動車免許に自動2輪(今で言う大型2輪)が付いてくる時代じゃねぇかな? >>646
年齢的にさすがにそれはない
普通四輪免許で自動二輪が運転できたのは、1965年以前の取得者まで >>648
そうかぁ?
72〜3年に亡くなったとすれば28歳で死亡だから計算は合うと思うが・・・ >>640
関係ないが、一瞬、前田武彦と誤読してしまった
ゲバゲバ 初代ケンさんはバイクの後ろに乗っていて享年21歳
当時の週刊誌で記事にも、なっていた
と、どっかで見た >>649
陣内たけし(本名は陣内義雄)
生年月日:昭和31年1月17日
身長:180cm 体重:63kg
白系ロシア人の父と日本人母の間に生まれたハーフ
3人兄弟の長男(下に弟と妹がいる)
生活居住区:横須賀
1974年(昭和49年)7月16日、友人の運転する大型オートバイの後席に同乗中に交通事故に遭い18歳の若さで急逝、二代目ケンを前田俊彦君が引き継ぐ。
享年は28じゃなくて18
ケンメリのCMに起用されたときはまだ16歳で、免許取得年齢前だったわけだね
ちなみに、ジャパンのイメージキャラクターを務めたマイケル富岡も16歳で起用された
ハーフは顔が濃くて大人びた雰囲気だから、それでよかったのだろう 友人たちとマリファナを吸った直後に事故、救急隊が現着した時点でほぼ即死状態だったんだと。 wikiによると厚労省では「団塊世代(1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年)生まれ)」
としているらしいな。
実際に団塊と感じるのは現在70歳±3歳くらいだから、青春(20歳前後)にはちょっと無理が・・・ >>664
厚労省もなにも、団塊という言葉を生んだのは
今日訃報が流れた堺屋太一の小説「団塊の世代」で
それで1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)生まれと定義されているのだから >>665
あの爺さん死んだのか・・・(-人-)ナムナム 来年で志村けんや三遊亭楽太郎(六代目円楽)が70歳で
鈴木亜久里と生きていれば高橋徹が還暦になるのか
嫌でも月日が過ぎて行くのを思い知る おらと同い年だから、エアトン・センナ君も来年還暦だべ。音速の翁。 当時からゲルハルト・ベルガーは、
「ラウダは早かった。プロストも早かった。
しかし一番早かったのはなんと言ってもセナじゃった。しかしの、91年のスズカで、そのセナよりも早かったのが…ワシなんじゃ!」と
ハゲ頭で語る係な気がしてはいた。 プロストは当時のアドバンテージマシンに政治力、コネ、金全部使って無理矢理シート確保して勝ち逃げ引退したからな。
セナの屈辱は相当だったろうし今さらウィリアムスで無双しても何の喜びも無かっただろう。
あのシーズンはセナがウィリアムスでモチベーションも失って常に呆然と疲労してるように見えた。
セナ亡きあとヒルが辛うじてでもシューマッハに勝ってしまったマシンだもんな、そりゃ速いわ。
実際ヒルは、車で勝ったんだよおまえは、みたいな露骨な扱い受けてアロウズ移籍だしw
アクティブサスのバカっ速ウィリアムズがこの当時のF-1をかき回したって話だな。
シューマッハの虎視眈々ぶりも今見るとさすが。
相手がヒルと見たら猛獣のような攻撃w 小学生の頃に鈴鹿よく遊び行ったけど
まだ葉巻型のF2走ってた >>668
貴公子が翁か。
時の流れを感じるよ。
1992年くらいまでが1番面白かったな。
宗一郎はF1ホンダ全盛期、しかも最後に見届けた新型車はビートの時代に亡くなった。セナは全盛期過ぎてシューマッハやハッキネンが台頭しそうな頃に亡くなった。
どっちも死に際が良かったから、今も語り継がれる。 KENWOODのカタログで高橋国光を知ったクチだが、なんか文句でも? なんか心配になってググッてしまったが健在のようで一安心w アデランスだかアートネイチャーのCMに出てたレーサーは寺田陽次郎だっけ(漢字自信ない) 高須クリニックもスポンサーになってルマンに出てた記憶があるんだけど。 高須クリニックはテレビ東京系ザ・スターボーリングのスポンサーを長くやってたわ
車の話からズレるがここのスレ見る中には昭和の歌謡曲が好きな人もいるだろうな
次の金曜に日本テレビ系のロードショー枠で昭和歌謡を取り上げたドラマやるみたいだ 琢磨のスーパーアグリ車体のスポンサーロゴ
「Samantha Kingz」は外人から
ポルノ俳優か何かか?と言われたらしいな。
昭和ではないが一応。 タイヤとか部品メーカーのCMに国産車は使わないはずなのに軽専用タイヤだけは海外に軽カテゴリーがないので国内軽全メーカーの車種が勢揃いの配慮ぶりだった ガソリンのCMも普通は外車だったが、
さすがに三菱石油だけはギャランやミラージュが出てた。 >>683
出光金アポロのテスタロッサのCMカッコ良かったなぁ。
あと、コスモ石油の砂漠の真ん中のスタンドでランニングしてる男性がコップ一杯の水飲んで走り去るやつと、日石の星野一義がガソリン入れに来たは良いが肝心の車を忘れてくるCM, 日石ダッシュレーサー100のアルファのナンバーが れ3100 >>684
テスタロッサ自体がスゲーかっこいいよな、いま見ても。
徳大寺によれば高速コーナーで限界走行するとリアウインドウにヒビ入るらしいけどw >>686
真横から見るとフロントのオーバーハングが長すぎるのと、後ろが糞づまってて変。
でも当時のインパクトはとてつもなかった。初めて実車見た時の感動と、運転手が文珍だった時のガッカリ感 >>684
テスタロッサのやつ、コスモ石油じゃなかったっけ?リチャード・ギアの映画の歌流れてたやつでしょ? >>686
特大痔が箱根で落としたいいわけなんじゃね?w サニトラ(角目)見たんだけどステッカーやらステンレスのスタッドピン?をボディーに打ちまくりで勿体無い感じもしたがオーナーの趣味なんだろうねぇ >>689
箱根で落としたのはカーマガに寄稿してた大学教授だか准教授だかのSで
クルマはF40 >>691
俺関西人だから春日大社の鹿のモチーフの御守りシール連想するわw 石油のcm
この曲を覚えてるけどcm自体は忘れてしまった
Love Power - Dionne Warwick - Japan 1987
https://www.youtube.com/watch?v=BfIwKzxQyvI >>688
だよね。マグナム100のCMだった気がする。 あった
テスタロッサだった
だから思い出したのかも
1987年CM コスモ石油 マグナム100
https://www.youtube.com/watch?v=Ux6fFO6uyWo テスタロッサ=赤い頭
カタカナだとかっこいいな
プリンス・スカイライン2000GT赤印(あかじるし)
締まらないw フツーに赤バッジ青バッジ言われてるし、
バッジがそんなにカッコいいコトバにも思えんから無理矢理感が抜けない。 >>899
実際にバッジの色で区別できたんだから違和感はないけど、実物見たことないのかな?
というより普通の人だとバッジの色以外では判断できないのでは… 昭和の頃、3ナンバーなど将来持つこと無いだろうと思って
5ナンバーサイズの車庫を建てた国民、
今、3ナンバー車を買って車庫をどうしてるのだろう? 流行りのトールワゴンが入らなくてラパンとかトコットになるんだな わはは
ちなみに戦中生まれの上司だったおっさん、
マークUをずっと乗り続けて、最後は3ナンバーのマークX、
初代コロナマークUにあわせて建てた車庫を2回建て替えた。
亡くなったあと長男がアルファードが入るようにまた建て替えたけど。 >>701
車庫入れでプロ以上のテクが身に付いてる
壁と2cmぐらいの隙間で入れるとか車庫入れたらドア開かないのてリアハッチから出入りするとか涙ぐましいことになってる >>701
物干し場&自転車置き場と化し、近くの月極駐車場借りてる >>701 130系クラウンの2000をギリギリ車庫に収めていた近所の爺さんは、
去年アクアに買い替えた。
幅は変わらないから乗り降りでちょっと難儀するのは同じだけど、
長さが短くなると車庫入れが楽だと言っていた。 >>701
昭和50年代の新築時に幅2m 高さ2.2m 奥行き5.5mの車庫作った我が家に死角は無かった >>710
左いっぱいに寄せれば普通に開くだろ
それも出来ないくらいの下手くそなのお前w 幅2mしかない車庫で幅1850mmの車は乗り降り不可能だろ >>713
我が家の車庫も幅2mの掘り込み式だが全幅1840mmのアテンザで普通に乗り降り出来てる
お前がデブなんじゃね?www どう考えても普通にじゃ無理だろ、ドア全開出来んのか? 全幅ってミラーを除く幅だよね、2mの人は畳んでから車庫入れしてんのかな
ちなみにウチは車庫つぶして青空にした >>712
ドアの厚みとか自分の幅とか考慮してるのかなぁ僕ちゃんはwwwwwwwww >>714
すげぇな16cmしか残ってないのに乗降出来んのお前w 1840の車だと2200、どうにか降りるには2400欲しいよなぁ。
それでもキツメだけど、個人的には2600欲しい。 狭いとこるではドアストッパーまで開けれるスペースは欲しいよね
んで、ドアストッパーは2段階が普通と思うけど、昔は1段階だったような気がするなぁ
と思って調べてみたら、今昔じゃなくって車種によるだけなのね >>722
経でもコペンやS660だと、ドア目一杯開けないと乗降し辛い。 幅2mの車庫に全幅1.84mの車ってw
ドアミラーを畳んで頑張って入れても「普通に」降りることは無理だな。
左側面を壁に接触させたって16センチしか余裕がない上に
ドアの厚みを全く考慮していない。
窓を開けて脱出でもするのか。 >>724
コペンならオープンにすれば楽じゃね?w
>>725
以前、リアハッチから乗降している知人がいたよ。
車庫の後部横に出入り口が有った。
でも2年経たないで軽に乗り換えた メガネ測ったら15cmだったけどどうやって降りるんだろうか?引田天功的なやつか?関節外れるとかなんか特殊な能力があるんだろうな(鼻ホジ) >>726 そこで絶賛不人気中の現行ステップワゴンのわくわくゲートの出番だな。
運転席からウオークスルーでリヤゲートまで行って降りられる。
かつてのファンカーゴもバックドアにもインサイドドアハンドルがあったから
同じようなことができた。 >>714
ほんとは青空駐車場で車は型落ちデミオなんだろ?wwww >>708
全幅1980mmのランクル200とか、1920mmのレクサスLCとか
2100mmのメルセデスGクラスとかだとキツいよね。 >>708 死角ありすぎだよw
今、プレハブ式ガレージで小型乗用車用として売られているものでも横幅2.7m。
横幅2mじゃ、カローラの全幅が1.57mだった昭和50年代にしても軽自動車サイズだろ。 >>728
サンルーフから這い上がるんじゃないの? >>701
ウチの実家は360ccがドンピシャの車庫建ててたら建築途中で規格が拡大されてどうしようもないデッドスペースと化してた
誰もバイクも自転車も乗ってなかったし当時 自走式のビル型駐車場で
古いビルだと3ナンバーではドア開けもギリギリだわ
@名古屋市中区の某パチ屋階上 地元の老舗百貨店のそれがそうだわ
停めるどころか構内での離合さえ困難おまけに車高低いと坂で擦る 離合はそれなりに使うし大きな違和感を感じないが
あとぜきってのは初めて聞いた。
ちなみに親父は九州人(宮崎/鹿児島/長崎)だったが一度も聞いた事無い @関東人 あとぜきは何故か熊本ピンポイントワードだから県民サーチに最適 >>737
山梨だよ
離合が方言なのは知ってるけど普通に通じる >>742
くまモンがあとぜきを良く使ってたから、関東民だけど知ってる。
このスレ的に言えばノークラとかエンコとかノンスリとか。
下手したらハイソカーも20代には意味が通じないかもしれないね。 >>744
ノークラッチ
クラッチを踏まずに回転合わせのみで変速する技術
エンジンコールド
指導直後でまだエンジンが暖まっていない状態のこと(暖機前)
ノンスリーブ
袖のない衣服
タンクトップ等 >>745
ノークラってATの事だと認識してたわ orz
>>744
エンコは聞きたくないw >>746
エンコだとエンコードと勘違いする人なら出て来そう。 >>747
昔それに近い世界で働いてたから俺自身は上手く分けてるw
平成生れだと微妙だけど(すでに死語?)昭和から平成の端境期だと迷うだろうなぁ。
ノンスリは微妙かなぁ?既に俺の時代はLSDかデフ(ノーマルのデフじゃない)って呼び方だった。 ノークラ車っていえば身体障害者用ってイメージだったな
エンコして乗り捨ててある車はたまに見かけた 電気自動車が増えたら「ガス欠」も通じなくなるんじゃね? 孫に鍵とってきて、と言うと家の中でお父さんリモコンとって、と翻訳される
メーカーの説明書でも鍵からスマートキー、いまではリモコンと表記するものもキーが付くものも混在状態 本来の意味で助手席として使われてるのはラリーカーくらいなんじゃ あとは要人のハイヤーくらいだな
素早く助手席から降りて、後席のドアを開けるのが助手の役割 グローブボックスにグローブを入れてる人もいないと思うの
あとキャッチャーの人はミットボックスと呼ぶべきだと思う >>764
俺は入れているぞ?
他はLED発煙筒くらいだけど。車検証が入らないんだわ orz コロナプレミオをかつてレンタカーで借りたが
兄弟車の最終型のカリーナと共にグローブボックスが小さめに感じた
車検証や整備手帳の綴りは入るけどそれ以外はあまり物が入らないのでは? >>764
ボケてるのか?
グローブって(運転用)手袋のことだけど。 globe 地球、TK率いる音楽ユニット
glove 手袋、野球のグローブ ドライバーグローブつけてる人もあまり見なくなったね。
自分も常時グローボックスに入れているが使用頻度はかなり減った。 むかしは支給されてたよね会社から
いかつくならないなら透過性の高いサングラスに革手は観光バス会社もOKらしいよ
たまに893にしか見えない観光バスの運ちゃんいるけど >>768
globe(小室哲哉氏率いるユニット名…)
glove(手袋…)
2つとも
片仮名はグローブと発音するから
ややこしいよ(´・ω・`) >>766 FR最後の世代のカリーナのグローブボックスは
整備手帳を収めるスペースがなくて苦肉の策で助手席側の足元に
専用スペースを作った。 代車で借りたスマートーキーの車、グローブボックスに錠なくてびっくり。 昔のクラウンやセドグロは鍵付きだったな
トランクオープナーをキャンセルするスイッチがあったり
あとマスターキーでキーシリンダーを逆に回すと、スペアキーではトランクもグローブボックスも開けられないように出来た
キーを預ける駐車場でも、スペアを預ければトランクの中の荷物も安心って謳い文句で
免許取り立ての頃は、パワステ付いてないのに小径ハンドル+極太タイヤでハンドル切るのも一苦労
今じゃとても無理だわ 昭和40年代から平成一桁年代くらいまではトヨタ車でいえばカリーナ以上の車種なら
グローブボックスにキーロックが付いていた。
いつの間にかクラウンしか付かなくなったな。(サクシードプロボックスにもロックができる物入れがあるが) 今となってはスマートキーで
マスタやスペアの概念すらない。 クラウンはスペアキーでグローブボックスは開けられない様になってたな >>786 グローブボックスにキーロックが付いていた車はクラウンに限らずメインキーとサブキーがあって、
サブキーでは解錠できない仕様。 >>784
うちの車は付いている2009年式 orz
雪国逝ったら冬は軽く氏ねる >>787
俺のもそうだ。
1999年式カムリグラシア >>788
その年式で給油口に鍵ついてるのって低グレードの軽か外車のコンパクトカーとか? プジョー、若しくはルノー、又はシトロエン
のどれかだな! カギがなかったらバールでこじ開けられる可能性がある 大抵の外車コンパクトって給油口カバーの中のキャップの方に鍵ついてるんじゃなかった?
外ブタは鍵ないよね? >>795
うちのは無い。あなたの云う通りキャップ側のみ。
フルサービスのガソリンスタンドでも鍵渡さないといけないから
パワーウインド使えねぇしマジ寒いよ〜 セルフなんて軽く氏ねる >>796
自分のは逆に給油口のフタがドアロック連動タイプだから、
店員に開ける様に言わないといつまでも待ち続けてる。 >>799
それも微妙だな。
そう云えば蓋の蝶番はプラでプロテクトしてあるが
蓋自体の隙間が凍って開かない事も有ったわ orz ふーむ給油口の作りなんてとっくに最適解に収束してんのかと思ったらそうでも無いんだね >>789
「給油ローキック」って何だろう?としばし悩んだ
もう寝よう >>801
最近は輸入車を中心にキャップレス給油口も増えてるしね。 >>803
80年代前半発売の車種だが、キャップレスだわ >>804
パイロットの万年筆のことだべ?
俺は、エリートなら持っているぜ? >>806
初代はヒストリックカー・ラリーなどでけっこう見かけるが
2代目はロータスが数百台集まるイベントでも1台いるかどうかの希少車だな オープンカーで最初にふつうに売れたのはシティのカブリオレだよね
あれが最初でマーチのカブリオレなんかまででて一時期はやったよね
でもきっかけはゴルフのカブリオレなのかな
もっと前にけっこう売れたオープンカーて何? saでトイレタイムのときオープンカーてどうしてるの?
鍵付きグローブボックスは健在なんだろうな >>810 かつてのシティカブリオレは、普通のシティにはないロック付きの小物入れがあった。 >>810
空気を読んで大丈夫そうだったらそのまま、ヤバい感じだったら閉めていく。
俺のはソフトトップじゃないけど シティ・カブリ
「太陽標準装備」というキャッチが最高にイカす 近代オープンはマスタングとかアメ車から始まった記憶 オープンカーは60年代くらいまでのフロントガラスが立ったタイプが好き
近年のフロントガラスが寝たタイプは「コレジャナイ感」がある MGBに憧れてたから、NAロードを買って停止線で頭上の信号が見えなかったのは嬉しかったw
ワイパーアームも短かったしね。 >>799
さてはL175ムーヴか1stフィットのどっちか乗りだな ソフトトップて劣化が悲惨だよね
初代ロードスターの5年くらいでキャンバスの黒は悲惨に変色してリアの透明のアクリルが黄ばんで何も見えなくなってるの見てソフトトップはやだなと思ったね 初代ロードスターのはキャンバス地でなくてビニール幌だよ
車庫保管してるうちの車は15年経っても綺麗なままだから青空駐車の紫外線や酸性雨が幌を傷めるんだろね
こういうハーフカバーするだけでも全然違うと思う
https://www.amazon.co.jp//dp/B01M5BABBS ロードスターという名の乗り物の幌は突然の雨に対応するための折り畳み傘だからね
それはさておき、雨合羽を着て走る三菱ジープを昔見たな >>823
V36スカイライン。FMプラットフォーム系の車種は全部そうなってる。 ドイツ車方式だよな
ドアロックが解除されてれば手で開けられる スーパー7のドアは標準なのかオプションなのか気になってしょうがない >>830
アコードツアラーもその方式だったな。
初めての給油の時に、燃料レーバ必死に探してたら定員が勝手に開けて給油してた件 給油口のキャップじゃなく扉てオープナーが付く前は日本車は指を掛ける突起がわざわざ着いてたけど
ゴルフはその突起がなくて不親切だなと思ったら押すだけだった
日本車もあの突起わざわざなくてもいいのに付けちゃうとこがすごい、ある意味日本的 車内からのドアロックはみんなドア内張りの窓桟上から飛び出た烏帽子棒だったのが四角のスライド上げ式に変わったのいつ頃だったか
みんな右に習えで軽までそれになるまで2年かからなかったような >>835
本格的にセキュリティアラームとキーフリー実装された21世紀始まってすぐあたりからかな パワーウインドスイッチは俗に言うトヨタ方式に統一されたのに
ドアロックはバラバラだね
車内から操作することが少ないから別にどうでもいいけど
集中ドアロックのない車で窓の所じゃなく室内オープナーの所にドアロックノブがある車は
運転席後ろのロック開けるのがめんどくさい >>837 ご存知かもしれないが、あのPWスイッチを最初に初めたのは昭和60年頃のマツダなんだよね。
昭和62年発売の130系クラウンはシーソースイッチだった。
トヨタで初めて今のような引き上げて窓閉、押して窓開のスイッチを採用したのは
昭和63年の80系マークUじゃなかったかな。 >>838
マツダでもすぐに全車導入された訳ではなくNAロードスターの初期モデルはシーソースイッチだった >>839
アレは元々手動が基本で、パワーウィンドウとかは後から付けた様なもんだからw
俺の初期Vスペは標準だったけど、トランクオープナーとエアコンはオプションで追加したぜ >>838
確か5代目のルーチェだったよね。出た当時は徳大寺が
アイデアは良いけど操作感が悪くて安っぽいプラ感丸出しとか叩いてたな。
子供の首挟み事故が相次いで、PL法が施行された1995年までには
殆どの車が変更されてたよね。 >>835
>飛び出た烏帽子棒
あれ、肘があたったりしてすぐ折れるんだわ。 >>840
NAロードのOPボタンって如何にも後付け感があって良かったね。
電磁オープナーもアームレストBOX内に鎮座して、押すと後ろからボンッと聞こえる。
伸縮アンテナスイッチも昭和工作的な長いトグル棒で、使うたび妙に気分がアガッた。 平成になるが挟み込み防止というか感知したら逆回転するの初登場は三菱自工だったかな?
割に早く軽にも採用されてた >>844 浅野温子がCMをやっていた世代のミニカが初めてじゃなかったかな >>845
二代目シビックのカントリーでは?
オプションとか自家製ならそれ以前にあったと思うけど >>845
ライトバンではないが、セド/グロのワゴンなら1999年まで作ってたようだ。
木目仕様が最後まであったかは自信無いが。 >>847
サニーが最初だったような記憶が有るが・・・ >>841
その前にBF型ファミリアで採用されていたと思う。 >>836
そうだったのか、セキュリティ絡みでみんな変わったのか 昔の車はインキーしてもハンガーさえあればゴニョゴニョ >>854
少なくとも自分の車と同一の車種なら簡単に開けてたな 今はセキュリティ上やってる人いないと思うが
スペアのキーを入れたケースをマグネットで車体のとこかに付けたとか
キー自体を下部の目立たないところに張り付けてたみたいな話を聞いたな 施錠しない俺に死角はない
イタズラかもしれないが覚えの無い施錠がされていたときがなくはない >>860
スマートキーだと場所によっては常時電波を受信して簡単に解錠出来るから怖くて出来ないな。 スマートキーを玄関の下駄箱に置いてたら、
外に停めてある車が難なく解錠できたw >>845
13Bを積んだ1973年のルーチェロータリーワゴンが初では。バンじゃないけど >>863
キー自体にオンオフスイッチがつくでしょうそのうち(知らんけど) >>867
オートバイのだとオンオフスイッチ付いてるのあるね >>866
バン以外にもあったんですね。木目は高級な感じだったのかな? >>864
スマートキーの危険性は2007年頃に既に自動車関連の職業に就く人達の間で言われていた。
キーと車両とで常に微弱な電波で通信し合っているから、それを拾って解析すれば簡単に車を盗める。
と、俺も2008年に聞いた事がある。
電波を拾って解析する機械が当時からあったから。
メーカーは10年以上前からこんな危険性を知りながら、何の対策もしてこなかったんで今頃マスコミによって騒がれている... 車を買ったら、まずフィルム貼って、アルミに変えて、
ステアリング交換して、ハイマウントストップランプ付けて、
シフトノブを水中花…は止めとくかw 土禁にしていた割には車内でタバコを吸うとか意味不明。
ヤニ汚れは一度付いたらきれいにならない。 >>882
たしかにw
しかし昔はタバコに寛大というか無頓着だったよなあ
昔の映画やドラマを見ていると、病室で、しかも医者が平気な顔してタバコを吸ってたりして
時代の違いを痛感させられる >>883
何処でもタバコ吸えたよ。
公共の乗り物&施設、オフィス。
親の友人や仕事先の人が来たら、酒飲みながらリビングでタバコプカプカ、酔ってるから畳焦がされるとかザラでしたね。 >>883 平成になってからも病院の待合室に灰皿が置いてあって喫煙が可能だった。
熱出してぐったりしている子供の横で平気でタバコを吸っているおっさんとか珍しくなかったし、
「非常識な!」と白い目で見る人もいなかった。
昭和末期の「あぶない刑事」をみたら、タバコは吸い放題、車に乗るときも「シートベルトなにそれ?」状態で
ずいぶん時代は変わったと思ったw >>883
今でも医者の喫煙率高いよ。特に業界で著名な人はマジで高い。 灰皿(吸い殻入れ)があって当たり前だったのが昭和車
平成になった頃から「ノンスモーカー仕様車」が増え始めた気がする
今じゃドリンクホルダーにボトルサイズの吸い殻入れをセットするのが普通
車以外にも、路線バスや列車にも吸い殻入れは当たり前だったね シガーソケットは電源用途で生き残ってるけど、ソケットレス(代わりにコンセントやUSB)の車ってもう出てる? 今乗ってる先代オデッセイには灰皿あるけどシガーライターがない(ソケットはある)
あとはUSBや3色のAV入力 >>891
同年代のアコードツアラーは灰皿とシガライター標準装備でシガーソケット2つとAUX入力端子とUSBソッケトがついてる。 >>872
木目
ライトバンは商用車なのでなかったと思う
(ステーション)ワゴン=乗用登録でルーチェ以外で覚えてるのは
シビックカントリー
サニーカリフォルニア >>893
4ナンバーでも木目シールを貼っていたモデルといえば、三菱ギャランΣエステートバン
80年代半ばにミラージュ/ランサー・ワゴンを出すまで
なぜか頑なに5ナンバーの乗用ワゴンを設定しなかった三菱が作った高級指向(笑)の商用バン 昭和の低グレード軽自動車は、シガーライターはオプションだった。
もちろんソケットも付いてない。でも灰皿は標準装備。 >>896
それ、ウチの職場の最終型スバル製サンバーもそう。 バンとワゴンは大半が同じボディなんだけど310サニーのカリフォルニアと60カリーナのサーフは専用ボディだった >>890
USB搭載なら5年前の自分のV36スカイラインに付いてるし、
AndroidAutoやcarplayが搭載されている車ならまず全部付いてるし。 >>899
先ずスレタイ確認してから書き込むように注意しろ お前は特に >>898
ブルーバードワゴン910、U11もボディはバンと同じだけど、
足回りは乗用車のものだった。
それとこの時期のスカイラインも。 そういえば昔のトヨタって同じ車種はセダンとバンの設定してる車種多かったよね
パブリカ
カローラ
カリーナ
コロナ
コロナマークII
クラウン 張り込み刑事に粒アンパンと牛乳の差し入れ、ポイ捨て煙草踏は最近見ない。 セダン、バンに加え、ピックアップまで国内展開してた車種
クラウン、コロナマークU、コロナ、パブリカ、サニー 同一車種のラインナップ中に4ドアセダンと4ドアハードトップの両方があった
更に6気筒と4気筒だとボンネットの長さが違かったり
今に比べると単一車種でもボディタイプが随分と多かったな… 昔は幅広いラインナップでユーザーのニーズに応えたり拾い上げようとしていたのだろう
それに比べて今の日産ときたら・・・
バンも今やプロボックス/サクシードも車体が同一になったし
あと日産のAD系ぐらいしかなくなったな
マツダのファミリアバンはOEMになってすでに25年 カローラ30=サンマルと宣伝してたモデルは
クーペ
ハードットップ
リフトバック
まであった 2018/04/21(土) 17:03:21.99名無しさん@そうだドライブへ行こう +OcI7I2y0(2) 削除
ぼくアホのしげちゃん。
昭和の車はセフティーじゃないから嫌い。
やっぱセフティー機能で死角のアラートはあるに越したことはないもんな。
文句があるならしげちゃんが相手になるよ。 >>910
サニトラがあるのにカロトラは無かった不思議 >>902
そうじゃなくてリーフサスペンションのバンが存在するのにわざわざコイルサスペンションのワゴンを作った
乗用車と商用車を明確に作り分けていたのはこの2車種のみだけだと思う >>913
あらためて今見るとコロッセウムっぽいのな >>923
330はヌメヌメして気持ち悪かったから430のモデルチェンジは嬉しかったな。
てか、あの年代の日産デザインは嫌いだったなぁ。430や910、R30とか神ってた。 >>926
ツードラのレジェンドはクーペ名乗ってたけど後ろの窓空いたぞ クラウンは柱があるゆえにピラードハードトップと称してたな >>928
サッシュレスドア、Bピラーが無いのがハードトップ
サッシュレスドア、Bピラーありはピラードハードトップ 元々はオープンカーに金属の屋根を付けた物、又は屋根自体を指す物らしいね
>>928
その認識でいいと思うけど、スバルなんかは窓枠無しでもセダンと呼んでたから、結局はメーカー次第かな
個人的には前後の窓を開けた時に、障害物が何も無いってイメージ >>912
パプリカピックアップがあったね。
サニトラほどじゃ無いけど、長寿モデル。 ステーションワゴンは木製車体(車室部)がアメリカの古式で、枠だけ木製のものが1950年代まであった。木目模様はその名残り。
ジープあたりのステーションワゴンが日本人に強い印象を与えたらしく、50年代にトヨペットとダットサンにステーションワゴンがラインナップされ、
この時点で木目模様も貼られている。 20パブリカトピックアップは1988年まで生産してた。
サニトラは最後のビッグマイナーチェンジで角目+電制キャブになって94年まで生産してたな。 2018/04/21(土) 17:05:36.86名無しさん@そうだドライブへ行こう +OcI7I2y0(2) 削除
おいらはアホのしげちゃん。
セフティー機能で死角のアラートが無い昭和のポンコツはクズ ライトバンのドアの下に
┌───┐
│自家用│
└───┘ 高度成長期にライトバンを平日は仕事、週末はレジャーでワゴン代わりに使っていた人達多かったろうな
それ以外は使い勝手が良さそうと思った層も 昔の商用車は車検シールを真ん中ではなく
定期点検のシールと並べて左端に貼っていたのはなぜ? 50年ほど前までは、自家用のバンやトラックに住所氏名をペンキで書き込んでいたなあ もしかして 自家用 が廃止されたのと同時が
アルト47万円?
商用車登録だったよね? >>938
そういゃあ昔はトラックにも一般とか航空とかシール貼ってたな >>942
多分視界の邪魔になるからじゃないかな。
うちのアルファードもオートワイパーのセンサーがあって
真ん中に車検シールを貼ると目障りだから定期点検のシールの下に貼ってる。 >>942
いや特に関係ないでしょそれ
前面ガラスの内側に前方から見易いようにという記述以外無いんだから法律は
乗用車でも助手席側に車検標章と定期検査証を上下に貼ってる車あったよ
うちの親父の車はオーソドックスwに定期検査左上、車検標章真ん中だったから左上まとめ張りには興味あったw 丸ステッカーは今も貼られる。
シールと言えば無鉛シールと各メーカーのOKシールも懐かしい。 丸ステッカーは10年位前から任意じゃないの?
前車から貼ってある記憶が無い orz 丸は12ヶ月点検実施のステッカーな
点検は義務だが罰則はない 今の車は何かごちゃごちゃついてて
車検シールを一番上の真ん中に貼れず見苦しい >>952
日産は済(実際は旧字?)のステッカーもあったはず
トヨタにはキャッスルオイル推奨?が内側に記載されてたな >>952
こっち来んな。
ガレージスレ、バブル期スレの基地外は。 OK
NISSAN MOTOR Co.,Ltd.
YOKOHAMA JAPAN
のステッカー懐かしいな。
日産ディーゼル車にも同様式のステッカーが
貼られていたが、最後はなぜか
SAITAMA JAPAN
だったw(本家が横浜ならそこは上尾だろう) 上尾だとローカル杉で位置情報判らねぇんじゃね?
埼玉県人でも3割くらい判らなさそうだしw >>953
今は丸シール、車検シール、車庫証明?のシールもユーザー任せ。
大手のカー用品専門店やディーラーも勝手にシールを貼るとクレームにも繋がるので今はユーザー任せとなっている。
ただし、年配の整備士が居る馴染みのモータース等に任せると、これらのシールが全て貼られて車が返ってくる。 車検に出すと定期点検のは既に貼られてる
車検シールは後から渡されるが勝手に貼らせてくれなくなった
車庫証明のは客を見て貼っているらしい
年配客や社用車のは問答無用で貼るけど若い客や派手目の車のは貼らないと ディーラーステッカーも減ったな。
俺的にはハコスカなんかは右のテールランプの下の余白wに日産プリンス東京のステッカーで完成なんだが。 >>960
車検シールは法律でFガラスの上部に貼る指定無かったっけ?
基本は真ん中だが車の形状で上部に貼る必要が有った筈。
定期点検シールと車庫証明は無くても問題無い記憶 最近の車は日よけの黒セラが車検ステッカー部だけ透明になってるよな
ここに貼ってくださいと言わんばかりに >>964
その配慮も、車検ステッカーのデザイン変更で水泡に帰す、という残念な感じ。
ホンダはボカシがすごく濃くてステッカーが分かりにくい。
フロントのボカシガラスも減ったなぁ。あれが高級な車という感じでいいけどなぁ。 >>962
日産系だと東京日産も昔はステッカーよく見掛けたけどね
近年に見るのは東京トヨペット含めトヨタ系の3〜4社ぐらいだなあ ネッツトヨタのシール貼ってあるヴォクシーはよく見る あれ、どういう基準があるの?
昔は9割方ディーラスッテカー貼ってたけど、今もまだ3割弱いる感じ 地方だと販社のステッカーはまだある。
特にサブデラは◯◯自動車みたいなステッカーを結構な割合で今でも貼ってるな。
都市部はユーザーが勝手に貼られるのを嫌がるし、金も掛かるからなくなった。 >>970
そうなんだ。
昔はバンパーとかテールランプ下のボディ部とかだったけど、最近はリヤガラスに貼るタイプも増えてきて、そっちならアリかなと思ってたのに、納車したら貼ってくれてなかったorz 東京日産モーターのTOMOステッカーや西武日産も当時良く見たなあ
日産プリンスも昭和まではPマークのステッカーだったが、R32くらいの時代に横長のPRINCEに変わった。 あ、すまん
これパロだわw
でもデザインはこのままだったよ >>973
今のは違うよ。ただ、鹿は入ってる。
ttps://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/album/000/000/404/676/4172721/4172721.jpg?ct=8e07f7fd8840
このステッカーもそうだけど端がハゲるんだよね。 そろそろ次スレの季節だが、240Zに一票
日産押しが続くけど >>980
240RSのエンジンFJ24で次スレ立てました
個人的に日産推しというより現状に対して叱咤激励の意味を含んでいます KA24は海外向けで古いと思ってたけど
そんなに古くはなかった >>985
プレーリー、ラルゴ、ルネッサ、バサラ辺りかな?
穴でキャラバン、大穴でU13ブルーバードか? U13のKA24DE車はブルーバード唯一の3ナンバーのはず
6気筒は610と810の2世代搭載実績かあるが >>989
テールゲート周辺のデザインはシトロエンSMのパクリ
>>990
当時の広告写真
ナンバーは模造だろ 前身のチェリーFIIのリアハッチが似たようなデザインじゃなかったっけ? >>996
空気抵抗の少なさそうなデザインだなあ
この車のリアガラス周辺見てたら元祖のほうのアルピーヌA110思い出した このスレッドは1000を超えました。
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