【劇場版】輪るピングドラム★3
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省略されすぎててここはどこなんだろうってシーンが結構あるよね
元のテレビアニメ版をみればわかるんだけど
あえて劇場版の世界の中だけで解釈するって考え方もあるかも 乗り換え出来た、というよりピンドラは「運命を受け入れられるようになった」って話だと私は思うなぁ。
陽毬は高倉夫妻の失踪後に「高倉兄妹がバラバラになってしまう運命」が嫌で
あの日から「兄弟が高倉家のリフォームしたifの宇宙」を想像し始め
1話の水族館に行った時からその宇宙に現実逃避していたけど
苹果と友達になる事で受け入れられた。
苹果は「荻野目父が再婚する運命」を受け入れられた。
真砂子は「大嫌いな祖父の血を継いでる運命」を受け入れられた。
ゆりと多蕗も「桃果が死んだ運命」を受け入れられた。 真砂子とかは特に「乗り換え」って感じはしないんだよなぁ
夢の中でも病気のマリオを愛してる事実は目覚めた現実と変わらないのだろうし、口にはしてなかっただろうけど。
単に兄との別れを「受け入れられるようになった」
それは夢の中だろうと兄の願いを叶える手伝いが出来たから、だろうな
10話で兄にキスした「恋のような感情」から解放され、兄から貰っていた林檎を返せた。
そしてその林檎を分け合って別々の世界で生きる運命を受け入れられたのだろう。
TV版では23話で眞悧に弄ばれるかのように真砂子が復活した為
24話の夢から覚めた真砂子がどうも繋がりに疑問が残る終わり方だったが
あのシーンは劇場版で削っといて正解だった、と私は思う。
23話の真砂子復活とかTV版はミステリー要素が強い。
TV版の演出からはイクニさんの「何としてでも視聴者を混乱させたい」という意思を感じる。
しかしずっと混乱させていたのと反対に最終話の乗り換え後の種明かしは
素直過ぎる位だから
疑い深い私は最終話を素直に受け入れられなかったんだよなぁw
だけど劇場版の「熊のぬいぐるみの大切さを一目で見つけた高倉兄弟は本物」だと
そこでやっとTV版の高倉兄弟との違い、違和感に気づけた。
だからTV版の高校生の高倉兄弟は偽者
熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない陽毬が創った本物に限りなく近い偽者のコピー人間
「夢の中でしか存在し得ない病気のマリオ」と同等の存在。 真砂子は陽毬と最後にを分け合う
苹果の対抗馬の一人だったんじゃないかなぁ?、と私は思っている。
ピンドラは終点を決めずに作っていた話らしいし
ダブルHも対抗馬の一人だったのだろうし(その場合は乗り換え後の世界でダブルHというアイドルグループは消滅してるのかな?)
真砂子にも最後に陽毬の為に乗り換えの呪文を唱えるパターンも用意していたんじゃないかなぁ? この作品の子供は「姓が変わる」とか家族関係に何かがあると
以前の記憶を忘れる設定があるようだが
なら苹果の場合では何故、親の離婚時に記憶を忘れなかったのだろうなぁ?
母がまだ荻野目の姓を使い続けてるせいだろうか?
「娘の為を思って」夫の姓を使い続けてるようだが
ピンドラの独特な世界観では
苹果は姓を変え、いっそ忘れた方がストーカー癖も直って幸せだったんじゃないかなぁ?
それとも例え姓を変えたとしても「林檎という宇宙」内では以前の運命共同体に執着し
多蕗の嫁になろうと茶番をしてしまうのだろうか? シン・ゴジラ久々に見た
イクニさんを探している
48分頃のY字路のシーンで
右奥から自転車のおばちゃんを避け
左側に逃げようとする赤いショルダーバッグを襷掛けした黒服とジーパン?の男性かなぁ?(適当なフィーリング) で、冠葉は話でプリクリに「命の代償」を奪われた時に「陽毬に林檎(絆創膏)を張って貰う以前の記憶」を思い出し
陽毬は19話の描写通りで頭を打ったショックで記憶を思い出し
晶馬は23話の冠葉に思い出し玉を打たれた時に林檎を貰う以前の記憶を思い出したのだろう。
だが「冠葉と晶馬の10年前の箱の中の回想」は陽毬に残された最後の想像力を使って創った陽毬アレンジの回想だろう。
最終話の「箱の中の回想」の通り本当に「運命の果実を一緒に食べよう」の呪文を唱えた時に「林檎を分割」する事が正しい描写で
時系列的に「箱の回想」の後である20話の「晶馬が陽毬に林檎を渡した回想」でも晶馬は林檎を分割して陽毬に半分与えたはず、なのだから。
しかし20話の描写通り、「晶馬は林檎を分割していなかった。」
これは「20話の時点の陽毬」が「晶馬から運命の果実を全部貰った」と思い込んでいるから、だろう。
つまり陽毬の思考の基は「最終話の池辺陽毬」にあって
最終話の通り「現実の陽毬」は高倉夫妻の失踪後の時点で、冠葉と晶馬が陽毬を生かす為に愛による死を選んだ結果
「池辺陽毬」となって兄妹の中で一人あの家で生き残っているのだから。
陽毬の視点から見ると晶馬とは果実を分け合っていた感じは全然しなかっただろう。と私は思っている。
「運命の果実を分け合う」とは結婚式の誓いのように「ずっと一緒」という事なのだから。
池辺陽毬の視点では「晶馬に見捨てられた」、或いは「冠葉に晶馬を攫われた?」と心の底では思っていたりしても
不思議では無かった、と私には感じるなぁw
このように、陽毬は「犠牲になった晶馬の分の命(林檎)」を貰って生き永らえているのだから「晶馬と林檎を分け合った気がしなかった」
だから20話のこどもブロイラーで晶馬に見つけて貰った時の回想では呪文の内容に反し
「林檎を全部貰った」ような描写になっていた、と私は解釈している。 輪るピングドラムとは
「高倉兄弟が何の為に愛による死を選んだのか?、高倉兄弟の本当の幸いとは何だったのか?」を知らない陽毬の視点に立ち
彼らの物語を陽毬たちがイマジンするのを視聴者として眺める話と私は思っている。
宮沢賢治が書いた銀河鉄道の夜の列車の旅のように。
そしてプリクリに手に入れろと命じられた「ピングドラム」こそが
銀河鉄道の夜の「本当の幸い」そのものだった、と私は解釈している。
プリクリの言っていたピングドラムとは「本当の光」であり「本当の幸い」なのだ。
高倉兄弟の場合はそれが「大切な人に一番伝えたい言葉」だったという話。
しかし果実を分け合い「ずっと一緒だ」と誓い合ったとしても
すべての人たちが一緒に生き一緒に死ねるはずも無く、'11年の震災のように大切な人との別れは「ある日突然」なのだ。
そして高倉兄妹にとっての別れが「高倉夫妻の失踪した後、池辺の伯父達によって兄妹がバラバラになった日」だったのだろう。
その現実を受け入れられなかった子供の陽毬が「もしも兄妹の生活が続いていたら」と妄想し
高倉家をリカちゃんハウス風にリフォームして現実逃避したのがピンドラTV版の物語。
その陽毬が創った物語を親戚に引き取られた「本物の冠葉と晶馬」が読んだのが劇場版、と私は思っている。
だから劇場版ではそらの穴分室への入り口が「リフォームされた高倉家」なのだ。
私の解釈通り、リフォームの回想は
高倉兄弟たちが陽毬の為に自己犠牲をした結果、得た林檎によって創られた宇宙での出来事であり
(池辺陽毬の住む)この世界と(親戚に引き取られた冠葉と晶馬が向かう)あっちの世界をつなぐ
陽毬の夢が始まったすべての分岐点なのだから。 ピンドラって作品は「陽毬が創った即興劇」みたいなもの
彼女の変化によってコロコロ変わるからややこしい。
晶馬も陽毬が創ったものの一つだから
晶馬は「熊のぬいぐるみの中に手紙」が入ってる事を知らない、知らないから家を出る陽毬に持たせない。
また、陽毬が「冠葉と晶馬と仲良くなった時」の事を知らないから
「箱の中の回想」は適当だ。
これは陽毬が勝手に「冠葉と晶馬はこうやって仲良くなったんだろうな」と勝手に「箱の中の回想」を妄想したから、だろう。
そして、冠葉に林檎を"半分"貰ったはずの晶馬が
次の陽毬には林檎を"丸ごと"渡してしまう、不自然な事この上ない。
これも晶馬が陽毬にこどもブロイラーで「運命の果実を一緒に食べよう」と誓ってくれたのに
後々陽毬を「独り生かす為」に池辺の伯父に任せて晶馬たちが高倉家から出て行ってしまったから、だろう。
眞悧の「人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。」という台詞があるが
「陽毬にとって見たい願望」は「高倉兄弟とずっとこのままで居られる」温かい世界で
そして「陽毬の見たくない真実」は1話の最初から最終話まで「池辺家の一人養子、池辺陽毬の抱える寂しさ」だったのだろう。
本当に高倉家にはペンキが塗られていたのだろうか?
高倉家を訪れたキャラ全員は何故誰も目立つ外観を指摘しなかったのだろうか?
私は現実の世界の高倉家には「最初からペンキは塗られていなかった」と解釈しているし
池辺の夫婦も最終話の通り共働きで中々高倉家に帰ってこなかったから「苹果たちとは鉢合わせになりにくい設定だった」
とも思っている。 ピングドラムという作品は「高倉兄弟が存在している」と都合の良いキャラ達が集団でその幻覚を見ているアニメ
と私は考えている。
陽毬も真砂子も
高倉夫妻に復讐したい多蕗とゆりも
晶馬に劣情を催している山下も(もしかしたら弟に恋してる山下も以前、晶馬に林檎を貰っていたり?)
倉冠葉恋愛被害者の会の面々も皆、高倉兄弟が存在していると都合が良いキャラたちだ。
5話で登場した池辺の伯父すらも兄弟と引き離した後、陽毬がふさぎ込んでしまったので
親戚に高倉兄弟を任せた事を後悔していた、とも考えられる。
だから彼らは「人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。」と言った眞悧の甘い誘惑・幻惑に引っかかる。
しかし、物語の開始時点で高倉兄弟の存在を求めていなかったキャラが一人だけ居る、それは苹果だ。
苹果だけは別に高倉兄弟でなくても良かった。
彼女の願いは「誰かプロジェクトMの手伝いをしてくれる人居ないかなぁ?」くらいなものだろうしそれは高倉晶馬で無くても良かったはずだ。
数あるキャラクター達の中で高倉兄弟に邪な感情を持ってない苹果だったから
陽毬と友達になる資格が一人だけあり最後に乗り換えの呪文を唱えられたのでは?
と私は考えている。 今まで私はピンドラの世界を「陽毬の創造したものがある」と解釈を言ってきたが
23話の眞悧による桃果との'95年3月20日の爆破テロ事件の回想も
「陽毬の創造したもの」と私は解釈している。
22話で陽毬は「水族館で命を返すシーン」があるが
陽毬があの時に「神様お願いです」と願った神様とは桃果だ、と私は解釈している。
そして小説版では同シーンで「神様が居ないならが陽毬が作るのだ」と言っていた。
つまり22話で陽毬は「林檎が持つ宇宙を創造する力」で「故人の桃果を神様へと昇格」したと私は考えている。
では何故、陽毬が桃果を神様へと昇格したか?だが
陽毬が18話のゴンドラの中で聞いた多蕗の「人類の救世主になるはずだった」という演説を真に受けていたから、だろう。
そして22話で桃果を神様にした後の23話冒頭で陽毬は「神様のお話」を創りあげた。
それが「桃果が二つに分かれペンギン帽になる」という回想だ。
では陽毬が何故、「少女がペンギン帽になる」という変な回想を創ろうとしたか?だが
1話で陽毬はペンギン帽を被り「私が女王様!」と言って世界で一番の地位だと誇っていたが
ペンギン帽を被ったプリクリの力では高倉兄弟がバラバラになってしまうのを止められなかった。
だから22話で女王(プリクリ)より更に上位の神様を創り、女王の位もペンギン帽も神様(桃果)に返上する為に
23話の回想を作り出したのだ。
要するに眞悧と桃果の回想作りは陽毬による「ペンギン帽と桃果を結びつける為の後付けであり辻褄合わせ」
と私は思っている。
小説版でペンギン帽が晶馬に「あなたたちの妹のちからのおかげ」と言っていたが
今までの解説通り、陽毬が「林檎が持つ創造の力」で桃果を神様へと昇格し、回想を創って桃果とペンギン帽を結び付けたから
桃果の声で喋れるようになった、という事だろう。
「ペンギン帽の正体は桃果」という説が今もあるが
「後付だからそう見える」のだろうと私は思っている。
ピンドラのストーリーは「陽毬が中心になって創る即興劇」なのだ。 それと、陽毬は自身を眞悧、苹果を桃果と重ねている節がある。
「苹果が家に来るようになってから自分の居場所が無くなってく」と19話で話していたように
陽毬が自身の「運命を乗り換えたくない」という隠された本音を話せた相手は眞悧だ。
また、眞悧の太鼓持ちである「双子のような」シラセとソウヤという存在は
同じく高倉兄弟を太鼓持ちにして高倉家という箱に執着している陽毬自身への皮肉だろう。
要するに眞悧は陽毬の「高倉家の双子と一緒の運命から乗り換えたくない」という欲望に手を貸す見返りとして
冠葉にテロを起こしてもらっているのだ。
そしてそれを止め、運命を乗り換えさせる存在が桃果であり苹果、と私は解釈している。 この作品は眞悧と桃果に関して
箱に入った猫のように分からない事がある。
眞悧が存在していた事は鷲塚先生の話から確かだろうし
桃果が存在していた事も多蕗とゆりの話から確かだ。
そして二人が'95年の地下鉄爆破事件時に列車に乗っていた当事者なのも確かだろう。
しかし23話の回想通り「二人が車内で対峙していた」事は「あの世界の誰も知らない。」し
23話の回想が真実かどうかも誰に分からないもののはずだ。
それに23話の回想の通り本当に眞悧がテロ事件で桃果を殺した犯人だったという話が世界に広まっていたなら
多蕗とゆりは高倉剣山そっちのけで眞悧に復讐心を燃やしてたはず。
なのに本当に復讐すべき眞悧に怒りを向けない多蕗とゆりは道化を演じてたようなものだ。
つまり23話のテロ事件の回想は
24話の高倉兄弟の箱の中の回想と同じく「世界の誰も知らない話だ。」
(21話の高倉母の「私たちの知らない間に仲良くなっていたんだもの」の台詞通り)
つまり誰も知らないからこそ想像の余地がある。
だから夢の主である陽毬は「眞悧と桃果」のテロ事件時の列車という箱の中の回想と
高倉兄弟の箱の中の回想の2つを
本編のようにどっちも想像し創造したのだろう。
だがそれを創造したとして「少女がペンギン帽になった」なんて話
常識ある普通の大人だったら誰も信じないだろうw
ピンドラは現実では有り得ない宇宙を創造してしまうような林檎を貰った
子供だけが知覚出来る夢の物語だ。 この作品の回想とは想像するものでありそれぞれアレンジが施されてるもの
と私は考えている。
では21話の高倉家がリフォームされた時の回想は一体何なのか?を考えるのが一番面白い。
私は「兄弟のせいで熊のぬいぐるみが破れ、二人が直した」のは真実だと考えているが
他は「うーんw」って感じだ。
最終話の乗り換え後の世界で大きく変わったもの
「ペンキの塗られてない高倉家」「天蓋ベッドは無く陽毬は敷布団で寝てる」
だが「修繕された熊のぬいぐるみはそのまま」
で、熊のぬいぐるみの中には手紙が入っていた。
入れたのは高倉兄弟だろう。
しかし手紙を入れた張本人のはずの高倉晶馬は21話でその事を知らない。
では21話の「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」晶馬は一体何者なの?
劇場版の描写で高倉兄弟の熊のぬいぐるみへの反応の違いに気づけば「TV版の高倉兄弟」と「劇場版の高倉兄弟」は別人だって分かるし
舞台挨拶でもイクニさんは「高倉兄弟をTV版とは別人のようにして」と声優さんに演技指導していたようだ。 つまりTV版の高倉兄弟は陽毬の創った偽者で
本物の兄弟は池辺の伯父によって親戚に引き取られた後、と解釈するのが一番正しいと私は思うんだよね。
小説版の通り、陽毬には神様ですら創る力があるのだから。 1話の賢治の話をする少年達の台詞通り
「この世界とあっちの世界をつなぐもの」であり「手のひらに乗る宇宙」を持つ子供は
桃果という神様を創った陽毬のように「宇宙を創る力」を持っている或いは受け継いでいる、と私は考えている。
ピンドラにおける宇宙とは何か?だが
「この世界とあっちの世界」へと別れてしまう運命となっている運命共同体を繋ぎ止めるものだ。
例えば、15話の時籠ゆりと時籠父という運命共同体を繋いでいた「ダビデタワーも林檎の力で創っていた」と考えられる。
そして15話の通り、ゆりは父から桃果へと運命の乗り換えををしたのでダビデタワーも消えた。
他にも24話で夢から覚めた真砂子はマリオが「夢の中では病気だった」と言っていたように
真砂子も夢(宇宙)の中「林檎の力で病気のマリオを創っていた」と考えられる。
また、11話の蛙の力で一時的に運命共同体となった苹果と多蕗のシーンで
東京タワーなど色んなモニュメントの電光掲示板の表示が祝福モードになるのも
「林檎の宇宙を創る力」が発動していた、と考えられる。
つまり小説版の通り「桃果を神様に昇格した陽毬」だけが「宇宙を創る力」を持っていたのではない。
そして宇宙(林檎)を分割し運命を乗り換える時にその魔法の力で創った効果も全て消えてしまうのだろう。
15話で「一つの運命が変わると世界の風景が変わってしまうの」と言った桃果の台詞通り。
ダビデタワーが消えたのはゆりと時籠父がこの世界とあっちの世界へと別れてしまったからだし
「病気のマリオ」を口実にして無理やり冠葉と運命共同体を続けようとしていた真砂子も
冠葉と別れたから「病気のマリオ」も消えた。
苹果の妄想は言わずもがな。 で、最終話の運命の乗り換えによって変わった世界の風景から
高倉兄妹の現実であり真実とは何なのか?を考える事がピンドラで一番面白い所。
このスレで今まで語ってきた通り
そしてピンドラ公式で出てる客観的な状況証拠を読み解くと
「熊のぬいぐるみの中に大切な手紙が入ってる事を知らない」高倉兄弟という存在そのものすら陽毬の創作物の可能性が高い。
高倉兄弟の視点で見ると、自分達が陽毬の為に昔仕込んだ熊のぬいぐるみを毎日眺めていたら
その時の記憶を忘れるはずが無いのだから。
陽毬を本当に愛してるのなら晶馬は21話の別れで熊のぬいぐるみは持たせるはずだし
例えその時に気づかなくても晶馬は後々気づくはずなのだから。
そして劇場版の通り、本物の兄弟は熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知っているのだから。
また、2011年8月4日にサンシャイン水族館はリニューアルしているのだが
ピンドラ1話の始まりの日である'11年10月15日に
高倉兄弟たちがリニューアル前の思い出の水族館を思い出のまま違和感無く楽しんでいられたのも
「林檎の力が発動して水族館が思い出の風景と留めていた」と考えられる。
だから最終話の乗り換え後の世界では
水族館の風景もすっかり変わっていた事だろう。 「高倉兄弟は存在したんだ!、最後の陽毬の傷と苹果の火傷が何よりの証拠だ!」
と言うピンドラファンの方も大勢居るだろうし
もしかしたらスタッフさんですら反論するのかもしれないが
本当に兄弟が存在していたのなら
「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知っていて21話で陽毬に持たせるはずだよね?」と私は返答するだろう。
真砂子が夢の中で創っていた「病気のマリオ」と同じく
高倉父母の失踪後、高倉兄弟も池辺の伯父によって親戚に引き取られてしまって
一人ぼっちで寂しかった池辺陽毬が「高倉家のリニューアル」の回想を創った時、ついでに創った偽者の兄弟だから
TV版の彼らは「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らなかった」と私は解釈している。
最終話の通り陽毬が「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」から
陽毬の創った高倉兄弟も「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らなかった」のだ。
TV版と劇場版の「熊のぬいぐるみに対する兄弟の反応の違い」は
まるで推理小説の犯人が完全犯罪をする途中で一つミスをしたシーンのようなもの。
後は読者や探偵役がそのシーンからどう推理して謎を解くか?だろう、犯人はお前だ! >一人ぼっちで寂しかった池辺陽毬が「高倉家のリニューアル」の回想を創った時、ついでに創った偽者の兄弟だから
付け加えると、高倉父母の失踪後に高倉兄弟は何らかの意見の食い違いで喧嘩をし
その際に陽毬の熊のぬいぐるみを破ってしまい陽毬を泣かしてしまったが修繕した、と私は推測している。
その時の思い出を陽毬がアレンジして創った回想が
21話や24話の高倉家リフォームや天蓋ベッドを作る話だったのだろう。
さらに言えば天蓋ベッドを作る時に雨に兄弟がずぶ濡れになって高倉家(リカちゃんハウス)に帰ってきたシーンは
銀河鉄道の夜で列車に乗ったばかりのカンパネルラがずぶ濡れになっていたオマージュだろう。
つまり「運命共同体の別れの旅」という暗喩。 最終話の10年前の「箱の中の回想」の意図がやっと理解出来るようになってきた。
あれは「夏芽父の葬儀後から始まる冠葉と晶馬という運命共同体の別れ」を
先んじて冠葉と晶馬が見ていた"予知夢"のようなもの、だろう。
銀河鉄道の夜でジョバンニが列車に乗って
「カンパネルラの死と別れ」を"予知夢"で先んじて見ていた事と同じ原理。
まず21話で高倉母が「二人は知らない間に仲良くなっていた」と言っていた通り
冠葉と晶馬の関係は「夏芽父の葬儀前から運命共同体だった」と考えられる。
しかし、最終話の晶馬の独白通り、
冠葉が高倉家にやって来た日に父から「お前の兄だ」と紹介されたが
特に晶馬の方は受け入れられなかった。
つまり高倉兄弟の仲は気まずくなった、本音で話せなくなった。
それが予知夢である「10年前の箱の中の回想」で
二人が「自分という箱に入って塞ぎ込んでしまう」という表現によって
冠葉と晶馬に葬儀に先んじて「未来に起こる出来事、運命」を見せていたと推測する。
そして冠葉の箱の中に出てきた林檎とは
葬儀の日に「陽毬に絆創膏を張ってもらった記憶」。冠葉にとっての大切な人であり光、希望。
晶馬の箱に林檎が無かった理由は
その後の運命通り、晶馬は高倉家の罪に陽毬たちを巻き込んだ事を後悔しているで
陽毬では晶馬の希望には成り得なかったのだろう。晶馬は罪を抱え餓死するつもりだった。
だが冠葉は晶馬に半分林檎をあげて、晶馬を巻き込む事にした。
それに小説版では
高倉家のリフォームを提案し「陽毬が笑顔になるなら何でもする」と
目上らしい姿勢を取った冠葉を見て
晶馬は初めて冠葉を兄貴だと認めるようになったようだ。
つまり高倉家をリフォームした思い出は「自分という箱」に塞ぎこんだ運命共同体が
陽毬を笑顔にし大切な言葉を伝える為に林檎を分け合って本当の兄弟となり、再び手を繋げた瞬間だったのだろう。
よって「箱の中の回想」とは
「夏芽父の葬儀後に冠葉が高倉家に来て気まずくなってから高倉家リフォームまで」の未来予知を
冠葉と晶馬の二人が夢の世界で先んじて見ていた、という事なのだろう。
銀河鉄道に乗ったジョバンニがカンパネルラの死を先んじて見ていたのと仕組みは同じ
つまり輪るピングドラムは銀河鉄道の夜と同じく「予知夢の物語」だ。
だから2話でプリクリは荻野目苹果の情報をまるで未来予知のように正確に知っていた。
なぜなら陽毬と苹果は未来で果実を分け合う友達になるのだから。 箱の中の林檎が無かった晶馬の視点では
晶馬は「選ばれなかった」と思っているので
「冠葉を兄だ」と勝手に決めた実父の高倉剣山に「選ばれなかった」と思ったのかもしれないなぁ。
それが、その後の高倉家のリフォーム時に冠葉と一緒に陽毬を笑顔にした時
「お前も陽毬のお兄ちゃんだ!」と「冠葉に選ばれた」ような気がして晶馬には嬉しかったのだろう。
その未来に起こる自分達の運命が
「二人が出会う前の箱の中、冠葉から林檎を分けて貰う」という不思議な表現となって
夢で見ていたのだろうな。 劇場版を見て考察熱が再燃して
やっと「箱の中の回想」の意図が読めるようになったな
約5ヶ月かかったか・・・長かったな。
イクニファン、ピンドラファンはネットに沢山居るだろうが
10年間どの考察サイトを見ても誰のコメント読んでも
箱の中の回想を理解している人と出会った事は無かったな。
まさか銀河鉄道の夜と同じく「予知夢の回送列車」だったとはね。
これでやっとイクニさんの意図に近づいたのかな。
私と同じ解釈は他では見た事無いから
これも「ネット上のイクニファンで気づいたのは私が初めて」だろうな、るる賢〜い!
・・・ユリ熊嵐の本質を理解した時にかかった2年半比べれば賢くなってるのかなぁ?
随分回り道をした気がするがw 銀河鉄道の夜とか小説版とか高倉兄弟の関係性とか
ファンが10年単位で読み込まないと
誰も分からない回想なんか作らないでくれ、イクニさん。
そりゃ予知夢のヒントを閃けばこの通り気づくけどさ。
現に10年間誰も気づかなかったじゃん。
ユリ熊嵐の世界観と愛と壁と承認の女神クマリア様の仕組みの方がまだ簡単に思えたわw 晶馬の視点で見ると最終話の出来事は
陽毬を選ぶ事から逃げ続け
高倉家の罰の林檎を独りで抱え込もうとしていた晶馬の年貢の納め時だったんだろうなぁw
晶馬には最終話まで誰とも「高倉家の罰の林檎」を分け合う気が無く自分の中に抱え込もうとしていた。
だから20話の陽毬との回想(晶馬と陽毬が出会う前に経験していた予知夢?)でも林檎も分割されてはいなかった、のだろう。
しかし最終話で冠葉と苹果、二人とも陽毬の為に自己犠牲をしようとするので
晶馬は「冠葉と苹果」の二人のどちらかを選ばざるを得ない状況になったから
冠葉と出会う前に経験していた「10年前の箱の中の予知夢」に従い、冠葉に半分の林檎を返す事を選んだのだろう。
また、最終話で裸の陽毬を介して冠葉に半分の林檎を返す時に
「晶馬と陽毬が一瞬過去の姿に戻る演出」になっていた理由は
「晶馬から陽毬への果実の受け渡し」が「20話の回想の続き」だから、だろうな。
つまり陽毬の視点で見ると
「晶馬から果実を分け合ってもらう事を期待し
20話の回想通り、林檎を貰う所までは夢で見ていたけど
最終的に、その林檎は高倉兄弟が素直に果実を分け合う時のもので
私は仲介役になる運命でした」という事だったんだろう。
ようするに20話で「陽毬が貰った果実の回想」は陽毬のぬか喜びだった、のだろう。
「良い所で夢から覚めて勘違いしてしまった、けど夢には続きがあった」的なw
陽毬もそれなりに晶馬に恋していたのに
最終的に、林檎の仲介役を務める羽目になるとは心中複雑だっただろうなw
陽毬に腐の嗜好が無ければ嬉しくない状況だw
そして果実を分け合った高倉兄弟は
「アダムとイブが楽園から追放されるように」宇宙から存在そのものが消えた、というオチになると。 ピンドラファンのネットでの主流解釈だった「りんごの計算」も
これでどこが間違ってるか理解できるようになるかなぁ?
少なくとも「晶馬は陽毬と罰の林檎を分け合っておらず、晶馬はずっと罰の果実を独りで抱え込んでいた」
と私は解釈してるぞ。 しかし「オチまで見せずに変な所で区切る」とか都合の良い
予知夢の回想列車だったんだなぁw
すっかり騙されてた!
まあ私もネットの主流解釈に呑まれていた部分もあるのだろうな。
「私より賢い誰かがピンドラを読み解いてくれるだろう」って。
しかし他人を当てにせず自分自身の力で読み解かなければ本当にイクニ作品を理解出来たとは言えないのだ。
かつてユリ熊嵐の放送終了後、ネットで誰も説明できなかったユリ熊嵐を
私が独りで二年半かけて理解していったように。
その解釈が世界に伝播し、現在のようにユリ熊嵐の理解者が増えたように。 まぁ都合の良さで言ったら
カンパネルラの死を匂わせるだけしといて降車させ
ジョバンニに現実で確かめさせる元ネタの銀河鉄道の夜からそう、か。
「予知夢の回想」が真実なら
10年前の冠葉の箱の中にあった林檎は何も「陽毬に絆創膏を貼ってもらった時の記憶」に限定しなくても良いのか。
それこそ22話で水族館で「陽毬が冠葉に返した命」が林檎となって冠葉の箱に現れた、という解釈でも良いし
そっちの方が矢張り物語の流れ的に自然だ。
そして「晶馬が冠葉に半分の林檎を返す瞬間」に相当するのが最終話なので
回想で「冠葉に林檎を半分貰った時の回想」は「高倉家のリフォーム」の時「晶馬が冠葉に選ばれた」瞬間に相当すると考えるのが妥当だろうな。
それを運命のように予知夢として高倉兄弟は10年前に経験していた、・・・面倒な設定だな。
その高倉家のリフォームが高倉兄弟にとって「林檎と言う宇宙の分割」つまり「運命共同体の別れ」の暗示だったんだろうな。
父母が失踪した家の中、子供3人だけで生きられるはずが無いのだから。
5話の池辺の伯父とのやり取り通り。
3人一緒に面倒を見られる余裕の無い大人たちは兄妹を分担し養っていくはずなのだから。
だから兄弟は陽毬の為に熊のぬいぐるみの中に手紙を隠しておいた、と。
ピンドラの世界を考える時、壁にペンキを塗るという高倉家のリフォームの回想も同時に考えるが
あれは現実でもあったのだろうか?
最終話の池辺家となった高倉家ではペンキは塗ってないがトタンは剥がされてる?んだよなぁ。
つまり兄弟の手によってペンキは一度塗られたが、派手なものを好まない池辺の伯父によって剥がされた、とも考えられる。
そして天蓋ベッドを作る為に材料を拾ってくる際、ずぶ濡れになっていたのは
銀河鉄道の夜の列車に乗ったばかりのカンパネルラのオマージュで「運命共同体の別れ」が始まった暗示なので
すでにあの時点で高倉兄弟は親戚に引き取られた後、と考えるのが妥当だろう。 つまり陽毬の為にゴミ捨て場からベッドになる材料を拾ってきたけど
丁度、池辺の伯父が高倉家にやってきて
兄弟にベッド作りを止めさせ親戚に引き渡そうとした為
伯父と兄弟と対立し揉み合いとなって
その時に陽毬の熊のぬいぐるみが破れた、と一つ想像が出来そうだ。
そして兄弟二人は親戚の家に行くのを了承するのと引き換えに
伯父に熊のぬいぐるみを治すだけの猶予を与えて貰った、という感じかな。
それが「愛による死」か。
そして高倉兄妹という運命共同体がリフォームに失敗し引き離される現実の辛さを
夢の中だけでも忘れられるよう「リフォームに成功した三人一緒の宇宙(林檎)」を神様がご褒美として与えたのでは?
と私は考えている。 最終話の乗り換え後の世界で
池辺陽毬と苹果はまた夢で見た事を繰り返すように仲良くなってくのだろうなぁ。
乗り換え後の苹果は荻野目父への執着は無くなってるのだろうか?
それとも父の存在すら忘れているのだろうか?
その場合、木の股から生まれるはず無いと理解している年頃なので「自分にも父が居ただろう」くらい思っているのだろうか?
小説版見直すか。
池辺陽毬が苹果と仲良くなっていく過程で'95年の呪いに遭遇する運命は避けられないだろうが
陽毬の方は高倉家の呪いから外れているので
池辺の伯父や多蕗とゆりが話さない限り「陽毬自身の生い立ちの真相」は分からず仕舞いだろうな。
或いはまたペンギンや桃果や眞悧が介入して半強制的に池辺陽毬に思い出させるのだろうか? >一つの作品につき1スレッド、需要があればアンチスレッドを一つ立てられます。
次スレだが板のルールではこの通り1スレッドしか立てられない
且つ、すでに立てられたスレッドがあるので
それを利用していく予定だけど、それで良いですよね?
テンプレも1000行く前に貼り付けときます。
次スレ
劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編
ttps://medaka.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1649200914/ 「やっと分かったよ、あの時僕たちが出会った理由が・・・この時の為だったんだ。」
「返すよ、あの日兄貴が僕に分け与えたもの、僕にくれた命」
いやー、まさか箱の中の回想や
最終話の晶馬の「あの時」とか「あの日」とか
ピンドラの世界観そのものが
「高倉兄弟がこれから現実の未来で起きる出来事=運命」を高倉兄弟に先んじて夢の世界で経験させる為のもの、だったとはねぇ。
だから晶馬は最終話で不思議な夢の正体に気づき「やっと分かったよ」と言ったのだろう。
イクニさんは「運命とは予知夢みたいなもの」と解釈して回想を作ってたんだろうなぁ。
イクニさん、今まで誰も分かってなかったり変な考察見たりして
どう思ってたんだろうなぁ・・・
ノーコメント貫いてたの凄いよ '23年5月18日までピンドラファンの主流は
10年前の箱の中の回想が「冠葉と晶馬が出会う前に起きた出来事」だと10年間ずっと思い続けていたが
私は5月19日にその回想が「冠葉と晶馬が出会う前に"夢の世界で経験していた彼らの未来に起こる"出来事の暗示だった」
と新しい解釈を作り出した。
ピンドラは銀河鉄道の夜をモチーフにしているのだからこの解釈が正解に近いのだろう。
カレーの日の前の奇跡♪
デスティニー! '11年に発売された雑誌オトナアニメvol.23の
ピンドラ制作者の一人、シリーズ構成の伊神さんのインタビューが掲載されていたが
ピンドラの制作にあたってまず「イクニさんが銀河鉄道の夜をどう読んでいるか?」詳しい説明があって
そのイメージをスタッフ全員が共通認識とし銀鉄からモチーフを抽出していた、らしい。
つまりイクニさんがどのように銀河鉄道の夜の世界観を解釈しているのか?を見つける事が
ピンドラを読み解くのに一番の近道だった、という事だと私は考えてる。
今まで銀河鉄道と重ね合わせてピンドラの解釈、制作者の意図を読もうとしていたのは
すべてこの時の為。
でもようやく大きな答えが一つ出た
ピンドラの「運命」とは
銀河鉄道に乗ったジョバンニが「運命共同体カンパネルラとの別れ」の暗示を一緒に経験した予知夢と同じように
運命共同体が出会う前から「二人の未来・運命」が虫の知らせのように分かってしまう「一種の未来予知」の事だったのだろう。 1話の陽毬の死後、いきなり高倉兄弟の喧嘩が始まったり
12話の回想だったりと
陽毬は兄弟の仲を取り持つ存在だった、って事なんだろうな。愛の象徴というか。
陽毬はユリ熊嵐ではクマリア様、さらざんまいでは吾妻サラに相当するのだろう。
また、冠葉が晶馬と林檎を半分に分け合った理由は
陽毬との愛をどっちか一方がヒトリジメにせず等分にする為だが
そして「生き残った方が陽毬に大切な言葉を伝える為」
つまり兄弟に分裂の危機が起こった時だろうと
二人がそれぞれ別の方法で陽毬を救い、生存確率を上げる為でもあったのだろう。
だから冠葉は薬で陽毬の命を
晶馬は運命日記で陽毬の命を救ってくという兄弟は別々の道を歩くシナリオになっていったのだろう。
そして冠葉の薬で陽毬の命を救う方法は失敗したが
晶馬の運命日記の方は副産物の苹果が「乗り換えの呪文」を唱える事によって、結果的に陽毬の命を救う事に成功した。
つまり冠葉が10年前、自分の箱の中にあった林檎をヒトリジメにせず
晶馬に林檎を半分分け与えた選択が幸いし、結果的に一番大切な陽毬を救う事が出来たのだ。
ようするに「お前のモノは俺のモノ」が座右のジャイアンみたく利己的な行動を取るよりも
利他的に誰かに親切にする事が「本当の幸いに近づく」という宮沢賢治的な教訓を込めたかったのだろうな、イクニさんは。 輪るピングドラムは
最終話の「現実の世界の地下鉄の事故の中、初めて出会った池辺陽毬と苹果」が
夢の世界で「二人が運命共同体になってゆく未来に起こる出来事」を暗示として見ていた物語である。
つまり「予知夢の物語」だった。
そして現実の世界の高倉兄弟は「親戚に引き取られ、すでに高倉家には居なかった」
何故なら、高倉兄弟もかつて夢の世界で「兄弟が出会う10年前の箱の中、林檎を分け合い本当の兄弟になった瞬間に別れてしまう運命だった」事を予知夢として見ていたからである。
その箱の中で経験した予知夢通り、高倉兄弟は2008年の高倉父母の失踪後、高倉家を大胆リフォームしている最中に親戚に引き取られてしまった。
しかし陽毬は熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事に全く気づかず'11年まで放置し、忘れられ処分してしまう所だったのだろう。
つまり現実の世界ではもう別の形になっている高倉兄弟が「夢の世界では陽毬の兄のまま」だった理由は
「大切な人に伝えたい事が伝わってない」という未練が兄弟の心に残っていたから。
(池辺陽毬の住む)この世界と(親戚に引き取られた高倉兄弟が住む)あっちの世界をつなぐ「宇宙」である林檎は
愛による死を自ら選択した兄弟へのご褒美だ。
つまりピングドラムは
現実の世界では離れ離れとなってしまっている高倉兄妹が
その「宇宙」という夢の世界で「熊のぬいぐるみに手紙が入ってる事」を伝える目的で一時的に繋がっていた物語、という事だろう。 大きな謎が解け、すべて繋がったなぁ。
銀河鉄道の夜とピングドラムの解釈を道しるべにして
ようやくイクニさんの世界と集合無意識でつながった気分だw
このスレはピンドラスレの歴史に残る永久欠番ものだね 最終話の乗り換え後(現実)の世界でも
以前の夢の世界の出来事を完全に覚えていた多蕗とゆりがよく分からなかったが
それだけ彼らの未来予知の能力が高いからって事だったんだろうな、まさにニュータイプ。
多蕗がその運命を知る力を普段どう使っていたのか分からんが
ゆりさんは歌劇団で次代のトップスタァが誰になるのか予測し
相手をとっかえひっかえレズ篭絡してトップ娘まで上り詰めていったようだし当然か。
でもそんなゆりさんでも流石に翼の刃傷沙汰までは予測できなかったと。
苹果の妄想(未来予知)ではゆりさんは権力者の相手をするシャチ女だったが
当たらずとも遠からずなのが笑えるな
まさか苹果自身もターゲットになるとはw
苹果のゆりへの妄想はどこかズレてるが
ある意味で予知が当たってもいる所が笑える
西部劇の妄想で運命日記の存在を知っていてビビるゆりさんも
ある意味で当たってるし。
対して高倉兄弟はそんな特別な力も無い何者にもなれない凡人っぽい感じだが
それでも出会う前の10年前に経験した箱の夢の中で8年後の自分たちに訪れる悲劇だけは暗示的にだが
未来予知出来ていた、って事だったんだろうなぁ。
15話の桃果が
「一つの運命が変わると世界の風景が変わってしまう、だけど皆は変わった事に気づかない」
と言った台詞に対し、ゆりが東京タワーに変わった事に気づけた理由は
ゆりがそれだけ「先の運命を見る力に長けていた」って事だったんだろうなぁ・・・ゆりは皆(凡人)の中に含まれない特別な存在だった。 「予知夢の物語」だから1話で出てきた宮沢賢治の話をする少年たちが
最終話の乗り換え後の現実の世界でも再び登場したのだろうし
コミック版の最終話で多蕗とゆりの新居に訪れた陽毬と苹果が特製カレー型モンブランを持っていったのだろうなぁ
私の考察通り8話の出来事も陽毬と苹果が運命共同体になった後に起こる「予知夢の物語」だから。
コミック版では多蕗とゆりは「この世界ではあの『高倉家』は存在しない、苹果ちゃんたちの記憶の中にも」
と言っていた。
しかしドヤ顔で説明する私は彼らの台詞も間違っていて
高倉夫妻が失踪する前までは『高倉家』は存在していた、と解釈している。
何故なら運命を知る能力に長けた彼らも「高倉家の歴史を知らないただの一般人」で神の視点を持っていないのだから。
私の考察通り、夫妻失踪後から高倉家のリフォームまでに「現実の世界」が「夢の世界」へと狂っていったのだろう。 真砂子が自宅の東屋でマリオと一緒に愛を語り合うのも
16話の東屋にやってきた冠葉が「一緒に呪われてやる」と言っていた事が
最終話の現実の世界で起きる予知夢だったから。
暗示的にだが夢の世界で起きた出来事は予知夢となって現実になるのだ。
ジョバンンイが夢の世界の列車の中で見た「カンパネルラの死と別れ」の暗示が
現実の世界で未来に起きた銀河鉄道の夜のように。
私の解釈や考察は「正解に近い」事が証明にされるんだよなぁ、るる賢〜い! また20話の陽毬と晶馬の回想を見て
二人はそれぞれ「私の運命の人」とか「僕が陽毬を選んだんだ」と言っていたが
全部二人の勘違いwだと私は思うんだよね。
何故なら、晶馬が陽毬に林檎を渡すのは「最終話に起こる出来事」であって
それを二人が陽毬が「高倉家の妹になる前に予知夢として見ていた」って事なのだから。
20話の回想で不思議な事があるんだよねぇ。
「冠葉から林檎を貰った」後だと「多くのピンドラファンが勝手に解釈」しているのに
私にはそう思えないんだよね、晶馬が回想の始まりで「一人ぼっちだった」と言ってるのだから。
それに20話の回想では最初から最後まで「(企鵝の会のアジトで父たちの演説を聴く)冠葉が蚊帳の外」なのが疑問だとも思う。
これは「20話の後の話で冠葉が企鵝の会でテロ活動する為」に晶馬と陽毬との縁を切るからだろう。
21話で冠葉が晶馬と喧嘩別れしたように。
つまり20話の回想で「演説を聴く冠葉」も
21話以降の「企鵝の会に身を置く冠葉に起こる未来予知の暗示」だったという事だ。
つまり20話の陽毬が晶馬を運命の人だと勘違いする回想すべても
「21話以降の高倉3兄妹に起きる未来の出来事の暗示」予知夢だったという事だろう。
そして20話で盛大な勘違いを経験した晶馬だからこそ最終話の箱の回想が「高倉家のリフォーム」を暗示した予知夢だったと理解し
リフォームで果たせなかった願いの続き「大切な人に伝えたい事」を叶え陽毬を現実の世界へと返す決意をしたのだろう。 私の解釈が正しければ
少なくとも晶馬役の木村良平さんだけは「回想が『過去の出来事』ではなく『未来に起きる出来事の暗示』だった」と
イクニさんに教えてもらった、と推測してるんだよね。
晶馬として最終話で「やっと分かったよ。あの時、僕たちが出会った意味が」という演技をしないといけなかったのだから。
あの時(箱の中の回想)が「高倉家のリフォームで冠葉が晶馬に半分の林檎を分け与え本当の兄弟になれた瞬間の暗示」だと
イクニさんに教えて貰ってたんじゃないかなぁ?
でなければ混乱が演技に出ちゃう可能性があるだろうし。
また、最も視聴者目線で謎に振り回される役回りのキャラだった晶馬が
その立場から逆転して最終話に自ら謎を解き明かせる事が出来た所にも
最終話の大きなカタルシスが込められてるのだろうし。
それに劇場公開直前特番での発言といい
どうも木村良平さんだけはピンドラの謎をしっかりと理解してるような気がするw 冠葉や陽毬の人の演技も悪くはなかったが晶馬の人の演技は抜群に良かったなあ
雅子とゆりの人も
やっぱ声優はベテランをちゃんと起用してほしいもんだ 声優さんは悪くないと私は思うんだよね、
ただ20話とか24話とか10年前の回想なのに年齢の変化を感じ取れなかったのが不思議だったけど。
そんな演技を要求されてたって事かなぁ?
それよりイクニさんとかシリーズ構成の方に問題アリだと今は感じてるなぁ。
考察に重要な要素とは言え日付の作画ミスとかはまぁ仕方無いとしても
視聴者に時系列を整えさせる気の感じられない回想の数の多さといい
「書きたい話をそのまま詰め込んだ」ような作品だなぁ、という感想。
作り手がもう少し視聴者目線を考えていてくれたら
今より分かり易い作品になっていたんじゃないかなぁ?
或いは、伝わらなくても「愛の話」の一言で押し通そうとしていた、とも感じとれるし
そう視聴者の視線や意識を誘導しているような作品作りになっていたとも感じる。
高倉兄弟の生死とか現況とか視聴者の心にずっと残しておきたいから
こんな作りになっていたのだろうなぁ。
でもピンドラの謎は制作側の想定を越えたモヤモヤ加減だったと思う。
ウテナの生死は不明でもアンシーが希望を持って箱から出れればそれで良いし
ユリ熊でも生死は不明だろうと二人が断絶を越えて旅立ったと分かるからスッキリする
さらざんまいは謎が残らない。
だけどピンドラは「高倉兄弟がどうしてああなったのか」が謎だったからなぁ。
おそらく陽毬たちがイメージする高倉兄弟が最終話に燃え、ガラスとなって砕けた、って事だろう。
だから陽毬たちの記憶から高倉兄弟が失われた。
しかし本物の冠葉と晶馬は親戚に引き取られて多分無事に生きているのだろうな。 陽毬がイメージする高倉兄弟は「熊のぬいぐるみに手紙を入れてない」からなぁ。
最終話の最後に手紙を初めて見つけた陽毬が気づいていたように。
TV版だけでは蝶分かりづらいし
劇場版で本物の冠葉と晶馬が熊のぬいぐるみを見つけるシーンが追加されなければ
一生カラクリに気づかなかっただろう
21話の晶馬と最終話の古い手紙だけで視聴者に推理させようとしていたTV版は
不親切級に難しすぎるわw 1000!
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劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編
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