【劇場版】輪るピングドラム★3
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
ま、21話で陽毬が伯父の元に行く為に家を出る時に晶馬が熊のぬいぐるみを持たせなかった理由は
「忘れていたから」とか「頭が混乱していたから」って可能性もあるけど
本物なら陽毬が出て行った後に整理している最中にでも気づいてもいいと思うんだよなぁ。。。
劇場版の本物の冠葉と晶馬が乗り換えの嵐で吹き飛ぶ天蓋ベッドの中
一番大切な熊のぬいぐるみを真っ先に見つけられた奇跡のような兄妹愛と比較すると
やっぱり熊のぬいぐるみの大切さを見つけられなかった高校生の高倉兄弟は
陽毬が妄想で作り出した偽者、としか私には思えない。 「1話と9話の2011年10月15日の陽毬デーに一体何があったのか?」の解説
まず池辺陽毬は妄想の高倉兄弟を連れ独り言で会話しながら荻窪線を利用し
副都心線乗り換えは見て見ぬフリしてサンシャニー水族館に訪れた。
しかし水族館は思い出の風景が失われリニューアルしていたので
池辺陽毬はショックで死んでしまった。
池辺陽毬はそらの孔分室で眞悧と出会いペンギン帽を貰う。
そしてプリクリの格好で霊安室に帰還
描写を素直に受け取ってしまうと「陽毬は現実と彼岸の2つの世界を行き来した」となるが
死んだ陽毬が帰還した世界は「現実」ではなく「3つ目の世界」、と私は考えている。
「3つ目の世界」とは池辺陽毬が妄想し続けていた「高倉兄弟が消滅していない世界」で
その世界でも陽毬は霊安室で死んでいたのだが
池辺陽毬の住んでいた現実の世界と違い
自分の遺体の前で高倉兄弟が喧嘩している事に陽毬は驚いた。
リアルな兄弟喧嘩の光景に今までの自分の妄想では味わえなかった喜びを感じたので
「この世界で生きたい!」と陽毬は復活し健康になっていった、のだろう。
そして新しい世界で池辺陽毬は高倉陽毬として再び兄弟と一緒に生活出来る幸せを感じていたが
真砂子など高倉兄弟と縁のある運命の子供達も陽毬と同じ頃に世界を移動してきていたので
段々と悪い波乱が起きていった、と私は考えている。 この解説が本当だとするなら1話はイクニさんのフェイク全開だな
・陽毬は妄想で偽物の高倉兄弟と会話しながら水族館に行くようなメンヘラちゃんだった
最後までフォローなし
だが「熊のぬいぐるみの大切さを知らない高倉兄弟は陽毬の作った偽物」と考えられる。
それを証明するかのように乗換え後の世界では偽物の高倉兄弟は消え
本物の高倉兄弟が銀河鉄道の話をしながら歩いてる。
・'11年10月15日のサンシャニー水族館という設定なのに背景はリニューアル前
これは1話放送日が7月8日なのに対しリニューアル日が8月4日なので仕方無い事ではある。
本当は運命の乗り換えの演出を最終話で行う予定だった?
・3つ目の世界と現実を同じものとして描写
最後までフォロー無し、考えようとしなければいつ世界が変わったのかすら気づかない。
フェイク恐ろしすぎるw 今までの私の仮説が正しければ
ピングドラムの作中の最終話までずっと描写されていた乗り換え前の世界とは
池辺陽毬がイマジンした「高倉兄弟がまだ世界に存在している」世界だった、という事だろう。
現実の池辺陽毬の世界では高倉兄弟は2008年にすでに世界から消滅している。
当時の高倉兄弟は「子供三人だけでは生きていけない」と知っているから池辺の伯父に陽毬を任せ
陽毬を高倉家の呪いから解放する為に世界から消える選択肢を取ったのだ。
しかし池辺陽毬は「高倉兄弟に置いてかれた」と思い込み
池辺家の養子になった後も寂しさを紛らわす為に「高倉兄弟はまだ世界に存在している」とずっと妄想し続けた。
社会生活に馴染もうとしていた矢先の2010年に陽毬はダブルHのデビューを知って更にショックを受ける
結果、妄想の世界へと現実逃避する頻度が増えていったので精神病院に送られた。
2011年10月15日に退院許可が取れたので池辺陽毬は「漫画はだしのゲンの母親の死に方」を真似て
家族の思い出のサンシャニー水族館に行ったのだが
水族館はリニューアルしていたので別の意味でショックで死にかけた。
「どうしても思い出の水族館で死にたい」と思った池辺陽毬は最期の瞬間に妄想の世界へと逃げ込み
ペンギン3号が高倉陽毬をそらの穴分室へとおびき寄せてる間に
高倉陽毬と交代して死ぬ。
池辺陽毬は高倉兄弟に付き添われて霊安室に運ばれるが
その間にそらの穴分室に居た高倉陽毬はプリクリとなってすべての真実を知ってしまう。
自分が池辺陽毬の現実逃避用に生み出された偽者だと知った高倉陽毬(プリクリ)は
世界のすべてに激怒しつつも
創造主である池辺陽毬の社会復帰を手伝ってやるために偽者仲間の高倉兄弟をこき使って憂さ晴らしに生存戦略する事にした。
みたいな感じだろうなw 1話の'11年10月15日とはつまり
池辺陽毬が独りぼっちの一日の寂しさを紛らわす為に高倉三兄妹の幸せな一日を妄想し
かつ「はだしのゲンの母の死」を真似て思い出の水族館で死ぬ為の段取りを描いた運命の日だったのだろう。
1話の幸せな3兄妹の一日は実は池辺陽毬の妄想で
それと並行して
現実の池辺陽毬は地味な池辺家の普通のベッドで
独りぼっちで眼を覚まし
独りぼっちで朝食をとり、
独りぼっちで荻窪線に乗り
独りぼっちでサンシャニー水族館でペンギンを見に行ったのだろうなぁ。
だが妄想と違い現実のサンシャニー水族館はリニューアルしていて
それを見た池辺陽毬は思わずショックで死にかけたので
思い出の水族館がある「妄想の世界」へと逃げた。
ピンドラは「池辺陽毬とはどんな女の子なのか?」を考え続け
1話の映像の裏にある「現実の池辺陽毬」をイマジン出来るようになって
ようやく本当のピンドラの世界観が見えてくる構成だったんだな。。。 にしても陽毬がゲンの母の死を真似る必要はそもそも無いので「何故だろう?」と考えていたが
おそらく陽毬は自分の死後にダブルHに見つけて欲しかったんだろうなぁ・・・
「私の思い出の場所は水族館だったんだよ、はだしのゲンがスキな親友のダブルHならきっと私を見つけてくれるよね」って。
晶馬に置き手紙を残してこどもブロイラーに行った頃とあまり変わってない
池辺陽毬にはダブルHに十字架背負わせようとしていた自覚は無かったのかもなぁ・・・
晶馬の時と違ってダブルHに自殺予告?のファンレターは出してないだろうし。
そりゃ最終話の乗り換え後の列車の広告で「お帰りなさい」って言われるよ。 そういやイクニさんがコメンタリで
ハーレム漫画を面白く描ける作者はどんな人生を送ってきたのか?で例え話でしていたが
「高倉陽毬を主人公にした兄妹ものの少女漫画」を面白く描ける池辺陽毬も漫画とは真逆の人生で
2008年に高倉兄弟を喪った池辺陽毬は兄弟が欲しくて欲しくてしょうがなかったから
'11年10月15日までずっと高倉三兄妹の日常を妄想し続けたのだろうなぁ。
以前にコメンタリ聞いた時はイクニさん自身にも返ってくるような例え話を何故したんだろと思ったけど
池辺陽毬のキャラを考えるヒントだったんだなぁ。。。
そういやピンドラのアニメ会社ブレインズベースはBROTHERS CONFLICTって兄弟ハーレムアニメ作ってたな
イクニさんもEDの絵コンテやってた
・・・ピンドラファンは釣れたのだろうか? 小説版読み直していたが
陽毬が池辺の家に行った後のシーンで
晶馬が熊のぬいぐるみを見た時に「高倉三兄妹を繋ぐもの」とだけしか認識してなくて
過去の自分たちが中に仕込んだはずの手紙の事には一切触れていなかったので
やはり池辺陽毬が創った偽者兄弟だったのだろうなぁ。。。
家にペンキを塗った後に家族写真を撮ったりしていたようだが
陽毬は自分で作った妄想を事実だと記憶したかった気持ちが伝わってくるわ。
冠葉も同様に偽者と認識しても良いものだろうか
まぁ晶馬と同じく本物はすでに世界から消滅してるので偽者なんだろうけど。 今までの私の考察通り「熊のぬいぐるみの大切さを知っている高倉兄弟が本物」だと分かれば
ペアルックの「劇場版の高倉兄弟」と「10年前の箱の中の高倉兄弟」は同一人物の本物と、誰もが分かるだろう。
そして今回の私の一連の考察や>>822の通り
「箱の中に閉じ込めた黒幕は池辺陽毬」と考えるのが妥当。
つまり「箱の中の兄弟」の回想とは
池辺陽毬が2008年に「池辺の伯父に私を任せて高倉兄弟が消えた現実」から目を背け
「池辺の伯父から私を守ってくれる理想の兄弟像」を作って夢の世界に溺れる為に
本物を箱の中に封印していたのだ。
また「10年前の箱の中」も「手紙を知らない偽者兄弟」と同じく池辺陽毬の単なる想像の産物で
この回想の中、兄弟が林檎を見つけ分け合う事によって
池辺陽毬が「夢から現実へと目を覚ます舞台装置」のような役目になっていた、と解釈するのが妥当だろう。
まるで「兄弟が唱える乗り換えの呪文」は池辺陽毬の目覚まし時計のアラームのような演出。
舞台演劇が大スキなイクニさんらしい。 つまり冠葉(本物)の箱の中にあった林檎とは
夢の世界に逃げていた池辺陽毬が
陽毬を救う為に苦しむ冠葉(偽者)を解放する為に置いたもの。
22話で冠葉(偽者)を追いかけた陽毬が「どこでもドア」を使ったかのように思い出の水族館に飛び出し
神に祈って自殺するという意味不明な展開は
思い出の水族館を求め「現実から夢の世界へと逃げてきた池辺陽毬」の再現でもあった、と私は解釈している。
そして陽毬が自殺した結果、彼女の命(林檎)が冠葉(本物)の箱の中へと返った。
余談だが22話の水族館の陽毬は最終話の乗り換え後と同じく
作中でも珍しい「素の池辺陽毬」と私は解釈している。
1話の霊安室で復活してから以降、池辺陽毬はずっと高倉陽毬のフリをして夢の世界で生活していたが
22話で流石に無理だと自覚したのだろう。 10年間の間ピンドラファンの誰もが「10年前の箱の中の回想」を事実だと思って
林檎や時系列、「箱に閉じ込めたのは親か組織か」ばかり気にして考察していたが
発想の転換をしなければイクニさんの意図は誰も読めなかった、って事か。
私もすっかり騙されていたなぁ。
劇場版見た後、色んな情報を集めて「池辺陽毬とはどんな女の子か?」の答えを見つけなければ
ここには至らなかったよ。 小説版では陽毬が22話の思い出の水族館で死んだ時に
「もう二度と、ここには戻らない」と
どこを突っ込んで良いのか分からない独白をしていたが
「池辺陽毬が現実逃避する為に思い出の水族館を使っていて、現実と向き合う事にした」
と今までの私の解釈を当てはめたものなら大体一致するし
きっと正解なのだろう。
普通だったら「死んだら戻れるはずないだろ」とか素で突っ込んだり
「水族館くらいまた来たら良いじゃん」黒薔薇編のウテナみたく軽いノリで突っ込んじゃうよなぁw ピンドラは偽者と本物と作中で使い分けてるようだが
何も「高校生の高倉兄弟は偽者だから悪い」と言ってる訳では無い、と私は思っている。
TV版は偽者兄弟が本物に肉薄する話だろう。
「偽者兄弟が妹の本当の幸せの為に友達を探す」という
本物兄弟では成し得なかった離れ業を見せてくれた。
そして劇場版は本物の高倉兄弟が本物の仕事をした結果、転生する話だろう。
だが作中で「偽者の晶馬に惚れた苹果は一体何なのか」という感じにはなるなw
ま、まぁドラマの役者に惚れるようなものだよね!、私たちと同じく。
苹果ちゃんは陽毬先生のファン第一号だなぁw
また、乗り換え後の世界では陽毬と真砂子も縁さえあれば仲良くなりそうな気がするなぁ。
例えば陽毬が隠れた才能を発揮し貧乏ながらも特待生制度とかを利用して
真砂子の居るお嬢様学校に転校して
二人が「おにいさまへ」やマリみてみたいなエスの関係になったらと思うと楽しいが
あれだけギャグ要員やってた真砂子が後からお姉様になっても空気が締まらないのが難点だなw エスで思い出したが
私は百合が大スキなのだが
陽毬と苹果のカップリングは百合的にトキメかないんだよなぁ
間に喪失した高倉兄弟の穴があるからだろうが。
公式では二人を対等で健全な関係性だと示す為に「友達」と当てはめてるけど
年齢差もあるし陽毬は最後に苹果に大きなものを貰って終わった訳だから
姉妹の関係の方が個人的にしっくりくるし微笑ましい、勝手な解釈だけど。
陽毬を貰ってばかりの妹の立場から成長させる為には
苹果との関係は友達でないと締まらないから
友達の関係にしたのだろうというのは理解できるんだけどなぁ。。。 やはりイクニ作品ってウミガメのスープみたいなものだと私は思うなあ。
アレと違って出題者であるイクニさんは質問には答えないし正解も言わないけど。
最後にモノを言うのは想像力。
ま、妄想や想像・イマジンの類を馬鹿にするような人は自力では一生解けなさそうだなw
イマジンを馬鹿にするなんて銀河鉄道の夜を描いた宮沢賢治を馬鹿にするようなものなのに
その想像力すら無いのだから思考停止とは恐ろしいものだな 本当にそうなのかな?
自分でもわかってるんじゃないの? なんで劇場版公開前に
TV版だけで「熊のぬいぐるみに対する晶馬の反応で本物と偽者の違いがある事」に
気づかなかったんだろうなぁ?
最終話の手紙を見つけるシーンをそのまま信じて21話の晶馬と対比が出来なかったからだろうか。
それともイクニさん十八番の記憶喪失のパターンを考えてたからだろうか。
高倉父母の失踪後、生活に不安はあって陽毬の為に熊のぬいぐるみに手紙を仕込んでおいたが
なんだかんだ高倉家をリフォームした後に軌道に乗って子供三人でも暮らしていけたので
高倉兄弟は徐々に熊のぬいぐるみの中に隠した記憶を忘れてしまい
それが21話の晶馬の行動に現れてしまった、とも解釈出来たしなぁ。
過去スレを覗いて見ると
21話で池辺家に行った陽毬が熊のぬいぐるみを置いていった理由は「また高倉家に戻ってくる」という決意か?
とちょっと明後日の方向に考えてたのを思い出したw >>867
私は自分のピンドラ解釈にそれなりに自信があるから
自分という箱から出してこのスレに書いている。
対してあなたは自身の解釈に自信が無いから
自分という箱から出してピンドラスレに書けないし
何時まで経っても私の解釈への具体的な異論反論も出来ない。
ピンドラスレという同じ場所に立っている自覚があるのなら
どうしてそう思ったのか先ず書いてみたらどうだろう
本当の対話とはそういうもの、だろ? エスメラルダって銀河鉄道999とか松本零士キャラ名っぽいとずっと思ってたけど
聖闘士星矢のエスメラルダなのか、初めて知った。
だから兄弟愛を惑わす役割の真砂子のパートナーペンギンが。。。
という事は
祖父の紙を顔に張って仮面のように表情が見えない左兵衛は
エスメラルダの仮面をつけた父ギルティのパロディだったのかw TV版の頃の声優対談読んでたらイクニが声当ててるキャラがいるみたいだけどどれだろう 苹果がモンブラン買った店の店主、エセフランス人みたいな喋りの人
映画前編でもカットが使われてたと思う >>871
あーあの人かありがとう
今度見返すとき確認してみる 池袋駅のいけピングの元ネタのいけふくろうの像のそばに
池袋の地名の由来が書いてあるようだけど
袋のような窪地に沼地があったからか。
だから銀河鉄道の夜と絡めて
池袋=石炭袋=そらの孔のそばにある銀河鉄道の夜の終着駅・南十字星と重ねてるように
水族館の地下にそらの孔分室があったのね。
で、始発駅も窪地の荻窪だから
銀河鉄道の始発駅である北十字星のそばに石炭袋がある事と重なる。
となると、孔とは大切なものを喪失して出来た心の窪の穴だから
2008年に両親の指名手配で荻窪にある高倉家をすべて喪失し
2011年8月4日のリニューアルで池袋にある思い出のサンシャニー水族館も喪失した
池辺陽毬の心の孔をどうにかする為に
本当の幸い(新しい運命共同体の苹果)を探す夢の旅のお話になったのだろうなぁ。 また、銀河鉄道のモデル・岩手軽便鉄道も北上盆地に走っていたようなので
盆地=窪地がにある東京メトロ丸の内線を銀河鉄道のオマージュにするのは適してたのだろう。
そういやピンドラの劇中の東京スカイメトロは地下鉄では珍しい懸垂式モノレールという設定らしいが
現実の丸の内線でも四ッ谷駅など地上に出る駅があるというのに
東京TSM荻窪線は地上駅を一体どうやって走行し通過してるんだろ?
地上に出る時に車体が回転でもしてるのかなぁw
・・・まぁこの作品の列車とは運命共同体のメタファーなので
高倉兄弟と一緒に地下のような場所でこそこそ生活せざるを得ない陽毬の状況を
現実では運用出来ない無茶苦茶な地下鉄モノレールで表してる、と解釈するのが良いのだろうな。
13話で地下鉄開業10周年で喜んでいたが高倉兄弟の「10年前の箱の中」の回想と一致するしね。 しかし池辺陽毬の現実では2008年で高倉兄弟は世界から消えてるのだろうから
地下鉄10周年記念もおそらく嘘だろうと私は思う。
実際は東京TSM開業7年目で一度頓挫してるはず。
そりゃ別件だろうと実妹の真砂子に電話で問い詰められても言い返せる訳が無い。
始発駅と終着駅初め列車周りは池辺陽毬が創った夢の世界だからって好き勝手やってるわ
まぁ小説版のカラフルにした高倉家の記念写真と一緒で
「兄弟が今でも存在していて今年は家族になって10周年」
と夢の世界で自分を騙し続けたい池辺陽毬の心情が伺えるなぁ。。。 ペンキで塗った高倉家と言えば
高倉兄妹以外誰も自分からあの彩色に突っ込まない状況も不自然だ、と私は思う。
実際は高倉家には最初からペンキを縫って無かったのでは?
21話の苹果ですら初めて陽毬に家にペンキが塗ってあると聞かされて「え?」と驚いていたし。
苹果は陽毬の作り話に合わせて相槌を打っていたのでは?と感じる。
苹果は8話の時点ですでに陽毬たちが表面的に家族の形を取り繕ってると見抜いてたし。
苹果には陽毬のペンキの作り話もそうだと咄嗟に理解してフォローしたのだろう。
これが本当だとしたら苹果のメンヘラ陽毬への対応はプロ並みだし
最終話の乗り換え後でも実際に高倉家にはペンキは塗られていなかったが真相はどうなのだろうなぁ。
イクニ作品は変なキャラが多いが
作中で外部の人間がカラフルな高倉家に誰一人として突っ込まずに終わったのは不自然だ、と私は思う。
高倉家を訪れた真砂子ですら主に家の内装を評価しただけだったし。 はだしのゲンがそらの穴分室行きになってしまったようなので噴いた
これから人々の記憶から忘れられてしまう「カエル君、中岡元を救う」ってタイトルの本が増えるのだろうな ピンドラと銀河鉄道の夜をモチーフにしているのは周知の通りだが
ピンドラ作中の「リカちゃんハウスの玩具」も
銀河鉄道の夜の作中でジョバンニがカンパネルラと遊んだ「アルコールランプで動く汽車の玩具」に相当すると私は考えている。
さらに作中でジョバンニとカンパネルラが乗った銀河鉄道もアルコールランプを燃料として
「ジョバンニの想像力から生まれた実在しない乗り物」だったように
高倉兄弟がミカちゃんハウスを真似てリフォームした高倉家も
「池辺陽毬の想像力から生まれた実在しない建物」と私は解釈している。
つまりこれまでの解釈通り、兄弟が高倉家をリフォームした2008年の時点で
「陽毬は夢の世界で高倉兄弟(死者であり幽霊であり偽者)と一緒に銀河鉄道に乗っている」ような状態だろう。
このようにピンドラの作中は銀河鉄道が実在しているような夢の世界だから
2011年8月4日にリニューアルして世界から失われたサンシャニー国際水族館の風景が現存しているし
池辺家に変わったはずの高倉家も現存している。
つまりピンドラ作中の世界は
すでに消滅しているのに「高倉兄弟との運命共同体の絆が今でも続いている」と自分を騙し続けたい池辺陽毬にとって
都合の良い思い出の世界なのだ。 陽毬の思い出の水族館に行けるTSM荻窪線が懸垂式モノレールだった理由は
東京にある上野動物園のモノレール「上野懸垂線」の影響、と私は考えている。
最終話の「乗り換え後の世界」で陽毬が池辺夫婦と一緒に撮った写真にあるサル山は
おそらく上野動物園のものだろう。
また、東京都でサル山がある動物園といったら上野しかない。
そして上野動物園には丸ノ内線のようにコの字型の線路を走る懸垂式モノレールがある。
つまりピンドラ作中の「TSM荻窪線周りの設定は池辺陽毬の想像力の産物」なので
最終話の家族写真の通り
陽毬が池辺夫婦と一緒に上野動物園を訪れていた時に乗った上野懸垂式モノレールの思い出が
TSM荻窪線のモノレール設定に影響した、と私は考えている。 銀河鉄道の夜で銀河鉄道に乗ったばかりのカンパネルラが水に濡れていたように
陽毬の天蓋付きベッドを作る為に雨の中ビショ濡れになりながらゴミ置き場から材料を取ってきた時点で
高倉兄弟はすでに死んでいたのだろうな。
「雨の中、ゴミを拾ってくるだけで人が死ぬかよ」って感じだが
銀河鉄道の夜のオマージュならそんなオチがあったとしても仕方ない。
きっとイクニさんもそんな意図を込めて高倉家のリフォームを設定したのだろうから。
ユリ熊嵐の漫画版のみるんみたく
ゴミ拾いに行った高倉兄弟も車にでも轢かれたのかなぁ?
それよりも陽毬を池辺の面倒の伯父に任せ
高倉家の呪いから解放する為に兄弟は世界から消滅した、と私は解釈してるのだが。 11話でヒメホマレガエルの体液飲んだ多蕗が
苹果の妄想世界に引き込まれて世界の風景も変わるので
設定を読み解くと分かるがあれも「運命の乗り換え」の一種だったって事だろうなぁw
つまり乗り換えの呪文を唱えるだけが唯一の運命を乗り換える手段って訳でもない、という事やね。
邪道でも黒魔術の類もアリだとw
にしても多蕗は乗り換え後の世界で教職に復帰できたのかねぇ。
高倉兄弟が居なくなったのなら必然的に18話のゴンドラ滑車事件も無かった事になってるはずだし。
ダブルHのマフラーも消えたので作中の出来事はほぼ無かった事になってるはずだが。 ピンドラファンの話を聞いてると大体の人が「苹果の妄想が邪魔」と口を揃えて言っているのを聞いていたが
そりゃ運命の乗り換えの真実に気づいたファンがネットでは私が初めてなのも当然って感じ。
私は苹果7話の妄想が大スキだな。
あの回の妄想劇場は何度見ても笑っちゃう、劇場版で削られてクマショックだったなぁ。 9話の回想で運命共同体となって一緒にアイドルになるという目的地を目指していた頃の
陽毬のマラカスにはピングループのマークがあったのに
時系列的にその2年後の1話、高倉家にあるマラカスのペンギンマークが消えていて
黒い模様に変わった理由も陽毬がトリプルHへの「運命の乗り換え」に失敗したからだろう。
マラカスの模様やマークも世界の風景の一部だったんだろうなぁ・・・、だから運命の乗り換えで変わったのだろう。
9話のダブルHのデビューをテレビデオで見ていた時はまだマラカスにピングループのマークがあったから
あの瞬間までは陽毬の中で「まだ運命の乗り換えでトリプルHになれる」という希望があったのかもなぁ。。。
でも希望が絶たれた結果、陽毬は病気(心の?)になって入院生活に入ると。 乗り換え後の世界で
例え陽毬がマフラーを編まなかったとしても
ダブルHが「運命の果実を一緒に食べよう」という曲を作る結果は変わらない事を示すピンドラの物語は
運命に絶望して安易に自殺を選ぶのではなく「生きてみれば良い事があるかもよ?」
ってイクニさんやスタッフさん達からのメッセージが伝わってくるね。
>>856のように作品を読み解くと
1話の最初から陽毬はダブルH絡みで自殺しかけていた裏話が分かるのにダブルHは良い子だよなぁ。。。 ただダブルH絡みで陽毬が病気になったというのなら
劇場版公開前の1スレ目で書いたように
高倉兄弟が陽毬の代わりにダブルHに「陽毬ともう一度友達になって」とユリ熊嵐みたいに伝えに行けば
こんな面倒くさい話にならずに済むと私は思うのだが
高倉兄弟は時系列的に家にペンキ塗ってから物語の開始時まで幽霊みたいに存在感が薄いなぁ、・・・本当に存在してたの?
やっぱ高倉兄弟は池辺陽毬が妄想で作った偽者だと私は思うなぁ。
苹果ちゃんも妄想で偽者のゆりさん達を作っていた、主観入りまくりで本物とは似ても似つかないけどw
でも苹果の妄想と違って池辺陽毬は高倉兄弟への理解度が高いから本物に近いものが作り出せていた。
しかし創造主の池辺陽毬と同じく偽者の高倉兄弟も熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事は知らない、知るはずが無い。
脚本の伊神さんが推理作家だからかよく出来たフェイクだよなぁ。。。
物語内で「血が繋がってない偽の家族」と知った視聴者全員が理解してそこで満足しちゃうせいで
キャラクターそのものも偽者だとは視聴者の誰も気づかない。
視聴者のほぼ全員を騙しきった陽毬はまるで演出家としてのイクニさんの生き写しのようだ。
ある意味でアンシーを超えた魔女だよ・・・陽毬、恐ろしい娘! イクニさんは松本零士作品が本当に大スキだったんだなぁ。
私は初代ヤマトと2199を見た位だけど初代のドリル回が面白かったなぁ・・・分かり易い特撮ものみたいに無茶苦茶で。
銀河鉄道999やその他は全く見た事無い、いつか見たい。
ユリ熊嵐の椿輝澪愛の名ってヤマトの真田澪から取ったものだと思ってるけど実際の所どうなんだろうなぁ。 劇場版はマリオさんがもうちょいフォローされると思ったけど、ほぼ出番なしなの残念だったわ >>889
TV版最終話の真砂子の台詞通り通り病気のマリオさんは「夢の中で真砂子が作った偽者」だからね
現実のマリオは元気。
その「偽マリオ」は不思議なミステリー部分だったからTV版初見の人には見辛かった。
だから劇場版を作る時にイクニさんは削ったのだろう。
イクニさんは劇場版を「高倉兄弟が陽毬を助ける話」にしたかったようだからね。
だが「偽マリオ」の代わりに
乗り換え後の世界で真砂子と共に「本物のマリオ」の台詞が追加されて
TV版より本当のマリオが真砂子の幸せを考えてた事が
より分かり易くなってて良かったんじゃない?と私は思う。
偽マリオは結局の所、真砂子が冠葉に振り向いて欲しくて
「マリオさんがあの女(陽毬)みたく病気なら良かったのに」と無意識に思った結果生まれた
真砂子の妄想の産物だろうしね。
残念だったら漫画版を買うのをオススメします。
偽マリオさんの出番が増えてフォローされてるよ。 16話で犬神家のパロディをやってたけど
真砂子に池に突き飛ばされて死んだマリオさんが演じたキャラの元ネタのゴムマスクをつけた犬神佐清も偽者だからね。
犬神家パロは視聴者がピンドラを読み解く為にイクニさんが仕込んだヒントだった。
犬神家の一族を最初に見てピンドラと比較した時は
病気のマリオをただの「偽者疑惑」としか思えなかったが
劇場版で高校生の高倉兄弟も「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」偽者だと判明した事によって
陽毬、真砂子の両妹は夢の世界で兄に似た「自分にとって都合の良い偽者の兄」を作って疑似家族生活を愉しむ同類だったんだなぁ・・・と
納得出来た。 あ、真砂子が作った偽者は弟マリオの方ねw
で、陽毬が作った偽者は兄二人。
もしも真砂子が偽者の冠葉を作ってたら彼女の美術品のように美化されてただろうから
偽者の冠葉を作ったのはおそらく陽毬の方だろうw
真砂子を最後まで騙せた偽者の冠葉は本当に良く出来てたって事だろうなぁ。
陽毬・・・恐ろしい子! ではなんで夢の世界で
陽毬には偽者の冠葉が作れたのに対し、真砂子には偽者の冠葉が作れなかったか?だが
真砂子には「陽毬に奪われた」って感情が強かったからじゃないかなぁ・・・おそらく。
「愛は陽毬の方にある」と真砂子が嫉妬してるから
真砂子には偽者の冠葉が作れなかった。
真砂子が作った冠葉と陽毬が作った冠葉
二人の冠葉が共存する夢の世界が一体どんなカオスを生むのか
怖いもの見たさの興味をかきたてるなw 「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
「あっちの世界?」
「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
「それと林檎になんの関係があるんだ?」
「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
「わかんねぇよ。」
「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ〜。」
オカルト系を抜きにして「結局この世界とは何なのか?」を論理的に解析しようとしていたが行き詰ったので
ずっと棚に置いといた「ピンドラ世界における林檎とは何なのか?」を考えていたら
箱から出た高倉兄弟の会話で直ぐに答えに行き着いた。 賢治マニアの少年の会話の通り「林檎は自己犠牲をした者へのご褒美」なので>>815で解釈したものに付け加えると
2008年に高倉父母が失踪し、兄妹一緒に生活出来なくなった危機を救う為に
高倉兄弟は陽毬を生き延びさせる為に池辺の伯父に任せ
陽毬を高倉家の呪いから解放する為に「自ら世界から消滅する選択をした時」に
高倉兄弟はご褒美の林檎を貰っていたのだろう。
その林檎は「この世界とあっちの世界を繋ぐもの」なので
生者(池辺陽毬)と死者(高倉兄弟)が共存する夢の世界が生まれた。
そして兄弟は林檎が持つ「一つの宇宙を創造するだけの力」で
初めに陽毬を笑顔にする為、高倉家をリフォームしたのだろう。
また銀河鉄道の夜と同じく
テロ事件で大切な人との関係を喪った他の乗客が本当の幸いを見つける為に同じ列車に同乗してるように
苹果や真砂子達も兄妹が林檎で作った宇宙の中、創造主の陽毬や高倉兄弟と共存していた、という訳か。
そして「死んだら全部おしまい」
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まる」とは
つまり運命共同体に属する一人が死んで関係性も喪われたら全部お終いに思えるかもしれないが
生き残った方が次の運命共同体を作って「大切な人に伝えたい言葉」「我が家の秘伝の林檎」など大切な思い出も次に繋げれば
そこ(次)から始まる、と言いたかった訳ね。 これでやっとピンドラの本質が理解出来るようになってきたかな。
10年か・・・長かった。。。
ユリ熊嵐を二年半かけて深く理解した経験と分かり易い劇場版のおかげだったなぁ。 つまり高倉兄弟が妹の為に2008年に自己犠牲をして貰った林檎は
こどもブロイラーですり潰されて宇宙ごと消えて無くなり
池辺陽毬の次の運命共同体となった苹果の家の秘伝カレーの栄養となった訳かw
思い出の水族館やリフォーム高倉家など高倉兄妹だけが共有するべきはずの世界に
何故、苹果たちも同乗しているのか?本当の世界中の人々も同乗しているのか?とずっと理解不能だったが
銀河鉄道の夜の設定を持ち出されたら納得するしかないかw
銀河鉄道の夜は死者とか社会的に幽霊みたいになってる人が同乗する列車だったが
ピンドラでは大切な人ともに運命共同体も喪失した生存者が
取り戻せるはず無いのに喪ったものを取り戻そうとして足掻いたり
次の運命共同体を探して同乗する列車の話って感じなのだろうな。 イクニさんのツイッターアイコンの見た目通り
林檎とはイマジン、つまり一つの宇宙を創造するエネルギー源だと気づくと
イクニさんはピンドラを読み解くヒントを自ら提示していたんだなぁ・・・と分かるようになった。 ピンドラを理解した記念にイクニさんのツイッター見たら
帝子ボンボンが透明な嵐に巻き込まれててクマショック!
未だに粘着されてるのか・・・ まぁつまり貰った林檎をどう使うか?という事だろう
林檎をくれた人との思い出の世界を創って
その箱の中で独り浦島太郎のように歳を取るか
それとも箱から手を伸ばして新しい運命共同体となる人と林檎を分け合うか。
生存戦略をするなら勿論後者だろう。
「死者よりも生者を選びなさい」とメッセージに込める所が
ユリ熊嵐を創ったイクニさんらしい思想だなぁと感じるし健全だと思う。 2008年に高倉兄弟が妹の為に自己犠牲をしたのなら林檎は高倉兄弟のもので陽毬は持っていないのでは?
と疑問に思う人も居るかもしれないが
林檎は「この世界とあっちの世界を繋ぐもの」なので高倉3兄妹の共有財産。
つまり「世界を越えて池辺陽毬も林檎を持っている」と私は考えている。
また、その林檎をどう使うかは陽毬次第で
陽毬は林檎が持つ宇宙を創造する力で2011年10月15日の陽毬デーに訪れたリニューアル後の水族館の風景を
高倉家族が幸せだった頃の思い出の水族館の風景へと変えた、と私は解釈している。 ただ陽毬が林檎の力で創った宇宙と違い
現実の世界でリニューアルした水族館の風景が変わるはずが無いので
陽毬デーに変わってしまった水族館を見た池辺陽毬は
「はだしのゲンの母みたいに思い出の水族館で死にたい」という自殺願望を持っていたので
現実の世界から林檎の力で創った世界へと逃避したのだろう、それがこの物語の始まり。 一つの宇宙を創造する林檎の力を使って
高倉兄弟と鷲塚先生に「はだしのゲンの母の余命宣告ごっこ」をさせていた1話の池辺陽毬は
本当に「なんだかなー」って感じがするわ。
まぁそれが自殺願望を持ってる人の脳内って感じなのかもなぁ。。。 また、池辺陽毬は林檎の力によって
自分の分身、高倉陽毬も創っていたのだろう。
つまり池辺陽毬は女児が「リカちゃんハウス」で遊ぶように
リフォームした高倉家で高倉三兄妹の人形を作って家族ごっこしている光景を創造して
一人ぼっちの寂しさを紛らわせていた。
その創造主・池辺陽毬のごっこ遊びが「1話のサンシャニー水族館に遊びに行くまでのストーリー」
そして同時に創造主は自分の人生も水族館で終わらせる計画だった。
哀れなのは池辺陽毬に創り出された高倉陽毬だろう。
この世とあの世の世界を越え、水族館で創造主と心中する予定にされているのに
創造主と違って偽者の高倉陽毬は今日死ぬ事を全く知らない状態で水族館を楽しんでたのだから。
しかし水族館がリニューアルされている事を知らなかった創造主の池辺陽毬は
水族館の思い出と変わってしまった風景を見てショックを受けてしまう。
そして漫画の通りどうしても思い出の水族館で死にたかったのでなんと創り物の宇宙(林檎)へと現実逃避してしまう。
一方、水族館の売店で3号が気になった高倉陽毬は不思議の国のアリスのように追いかけ地下の図書館に行く
その間、世界を越えてきた創造主の池辺陽毬と入れ替わっていまう、まるで双子の入れ替えトリックのように(9話)
そして思い出の水族館で倒れた創造主の池辺陽毬は高倉兄妹に見つけられ病院に運ばれる。
一方、そらの孔分室で眞悧に出会った高倉陽毬はペンギン帽でプリクリに変身
全知の力を手に入れ、今まで創造主の玩具にされていた真実を知り憤慨するが
創造主の社会復帰を手伝ってやる為に生存戦略する事にした。
霊安室で創造主の池辺陽毬の死体とプリクリ(高倉陽毬)が融合、とりあえず復活。
つまりプリクリの正体は
創造主の池辺陽毬がリカちゃんハウスのように家族ごっこを楽しむ為に自分に似せて創った
人形の高倉陽毬、と私は推測している。
ピンドラは人形が創造主に反旗を翻すアニメ
これが本当なら毒が効いててイクニ作品っぽいがどうだろうなぁw 意味深演出で説明を省いたら精神病のおもちゃにされましたまる 他者の解釈に反論出来るだけの脳みそも持たないファンが
イクニさんやスタッフさん達に責任転嫁するのは良くない、と私は思うよ
それこそ精神病だ
ま、イクニさんの意図を読もうとする私の解釈は
そうそう崩せないので仕方ない事ではあるが プリクリの正体が>>904の通り
池辺陽毬が人形遊びをする為に作った自分の分身、という解釈なら
3話の牛乳も納得しやすいんだよな
1話で陽毬が高倉兄弟にラッコやタツノオトシゴの物真似を茶化すのと同じように
高倉兄弟が陽毬の牛乳嫌いを茶化す3兄妹の家族ごっこも
創造主・池辺陽毬が林檎の力で人形ごっこ遊びを愉しむ定番のレパートリーだったんだろう
プリクリになる前の高倉陽毬は牛乳が飲めない事を高倉兄弟に馬鹿にされるのが何時も恥ずかしかった。
しかし自分の牛乳嫌いが「創造主の下らない戯れで作られた設定」だったという真実を知ってプリクリは憤慨した
そして3話、プリクリは自分が牛乳嫌いの妹ではなく
創造主と同じく牛乳も飲めるようになった全知の神だと下等生物の二人に証明し
創造主と兄弟に恥ずかしめられ続けたトラウマを克服する為にわざわざ牛乳を飲んで見せた。と私は妄想しているw まだ1クール目の苹果ちゃんって感じだな
そこから先に進めてない もしもゆりさんや多蕗が運命日記を手に入れて桃果を復活させていたら
ヅカの男役トップスタァみたいなイケメン偽桃果や
聖母マリア様みたいな偽桃果が誕生したのかなぁw
そしてその後、二人は桃果への解釈違いで離婚してしまうのだろうか
それとも偽桃果とずっと一緒にいたいと陽毬みたく浦島太郎ルートに突入するのだろうか 「林檎という宇宙」で暗躍する眞悧は二つの世界に分かたれた運命共同体に「偽りの希望」を見せる存在だったのだろうなぁ。
眞悧は「本当はもう関係が終わってしまっている運命共同体」に「まだ関係は続いてる」と錯覚させ、竜宮城で宴会を愉しむ浦島太郎のように無駄に時を過ごさせようとしている。
そして最後に「こんな世界、間違ってる」とテロを起こさせるのが眞悧の目的だったのだろう。
だから眞悧は陽毬たちに偽りの希望を持たせる為、陽毬の編んだマフラーをダブルHに届けた。
しかし現実の世界では陽毬はトリプルHにはもう絶対になれないし
Hトリオだった頃の友達関係にも絶対に戻れない運命だったのだろうなぁ。
「林檎という宇宙」の消滅によって、そらの孔分室に保管された本ごと「高倉父母やトリプルHとの友情の記憶」が消滅する運命だからだろうか?
この辺はもう少し考える余地があるだろう。
でも3人の友情の記憶は消えても
ダブルHのユニット名や「運命の果実を一緒に食べよう」という曲など
陽毬との友情の記憶による産物は乗り換え後の現実の世界に残っていた。
水族館で自殺しようとして「林檎という宇宙」に現実逃避していた池辺陽毬だが
「生きていれば良い事もある」という世界からのご褒美なのだろうな。 で、眞悧と逆に桃果は「本物の希望」を提示する存在。
「林檎という宇宙」がすり潰され消滅するまでに
元運命共同体の生存者に新しい相手を宛がい、運命の乗り換えをさせて命を次に繋がせるのが目的。
だから桃果は陽毬たちに苹果と出会わせた。
21,22話は眞悧と桃果という運命を支配する「視えない対局者」が
「林檎という宇宙」を盤面として将棋やチェスみたく駒を動かしてゲームを行っている、と作中でも特に感じられて面白いと私は思う。
21話で冠葉に芸能記者の覗木を殺させ、完全に自軍の黒駒となった冠葉を見て高笑いをしている眞悧のスキをつき
22話で覗木が死んだ事により高倉家に訪れやすくなったダブルHからCDを受け取る為、白駒の苹果を配置しておいた桃果の名采配は
まさにゲームの勝敗を決める神の一手だったw 眞悧はもう修復不可能な運命共同体に偽りの希望を見せる超常の存在だから
23話で死んだ真砂子も復活させられたのだろう、とようやく理解した。
あの辺は意味不明すぎたが
「偽りの希望を見せる」という眞悧の本質が大事で
「どうやって復活させたの?」とか細かい理由は考えたら駄目だったのだろうなw ピンドラの本質が分かったので世界観も見通せるようになった。
10年間ここまで正しくピンドラの設定を解説してる書き込みや考察サイトを私は見た事が無いので
ネット上のピンドラファンでは私が多分初
るる、賢〜い!
私より先にピンドラの本質に気づいていたピンドラファンは居たのだろうか?居たら凄い!
ま、「高倉兄弟が最初(高倉家リフォーム時)から幽霊で陽毬の創った偽物だった」とか
賢治マニアの少年の会話を>>895のように読み解いて解説している人に出会った事は無いので
やはり私がネット初のピンドラの本質に至った最初のファンだと思うけど。
違ったら井の中蛙だw
さて今後、他のピンドラファンが私の解釈を真似てくるのかなぁ?、それも楽しみだ。
他人の考察サイトを読んで間違ってるであろう箇所を見つけるのもw
私は基本的に他人の書いた考察サイトは参考にしてないからその辺よく知らないんだよな。
大体のファンは例えば「林檎がどう輪ってる」とかどうでも良さそうな事を
まるで聖書にでも書いてある出来事のように美辞麗句で飾っていたりして私としては何故か目が滑っちゃうw
私のようにピンドラの世界を俯瞰視、客観視出来ているような人の考察なら読んでみたいとは思うけど。
まぁそれより先にスタッフさんや声優さんのインタビューを読みたいな、まだちゃんと読んでない。
まだネット上のピンドラファンの誰も見つけた事のないような解釈を書いてくだけのネタは私の頭に沢山あるし(消える事もあるw)
今は考えてない所から産まれてくる事もあるだろうし
今後もピンドラ解釈を深めてくのを楽しめられるなぁ。 まぁ私がピンドラで面白いと感じる所は
他のファンにとって違うという事なのだろうなぁ。
クマリア様が人によってどう見えるかが変わるように・・・まぁそこは仕方ないか。
それでもお互い歩み寄って仲良く出来たら素敵な世界になるとと私は思うのだが現実は悲しいなぁ。。。
ピンドラでは私は9話の高倉母と陽毬のやり取りが大スキだ。
陽毬にとってのクマリア様は高倉母だったんだろうと私は思っている。
だから何者でも無い陽毬は「はだしのゲンの母の死」を真似る事によって
高倉母のような存在になろうとした、とも解釈出来るしね。
乗り換え後の陽毬のデコに傷が付いたのは
陽毬が高倉母のように大切な人の為に自己犠牲が出来る子に成長した証だろう。
その傷せいでトリプルHになれなくなったという見方も出来てジンとくる。
ま、描写的には冠葉によって付けられたような傷ではあるけど。
個人的にピンドラで一番スキなカップリングは陽毬と高倉母なんだよなぁ・・・
同士がどれだけ居るのかそもそも居るのかって感じだがw >>912
追加で
陽毬を行方不明にさせといて晶馬が家に居ないスキにダブルHが訪れたのもラッキーだったなぁ
晶馬が応対したらダブルHのCD渡しも拒絶されそうだし。
まぁ眞悧センセイ的には冠葉に殺人させるのが重要で晶馬の動向は気にしなさそうだが・・・
眞悧センセイはそらの孔分室で
陽毬がダブルHの二人に一番大切な言葉を教えているシーンの本を読んどけば
桃果に勝てたのかなぁw 神の一手で気づいたが桃果と眞悧の攻防がゲームみたいになっていた理由は
少女革命ウテナの川上さんが演じたヒカルの碁の主人公・進藤ヒカルの囲碁対局のオマージュを
イクニさんが入れたかったから、かもしれんなぁ。。。
つまり眞悧の元ネタの一つはヒカルの碁の主人公に取り憑く幽霊・藤原佐為か。
初めて気づいた。
だから二人の年齢差がとんでもない事になっていたのだなぁ・・・ 武内副監督の手がけた'09年のアニメまりあ†ほりっく見てたら
回送バンクと同じ効果音があってワロタ 川上とも子さんはピンドラ放送の一月前に亡くなられていたのか。
考察するようになったのはユリ熊嵐からなのと
コメンタリーや公式ガイドブックでイクニさん達が川上さんの話題に触れる事は無かったから今まで気づかなかった。
川上さんはイクニさんにとって少女革命ウテナという一つの宇宙を一緒に産み出した運命共同体の一人だったし
また川上さんはブログでは「いくにぃさま」と呼んでいて
聞きようによってはまるで高倉兄弟みたいな血の繋がらない兄妹のようだ(二人の関係を詳しく知らない私はブログのみの情報で推測している。)
つまり宮沢賢治が妹・トシ子を想って銀河鉄道の夜を書いたように
イクニさんにとってのトシ子は川上さんで
イクニさんは彼女ともう一度仕事をしたかった気持ちや死を悼んでピンドラを創っていた一面もあったのだろう。
例えば、運命日記の元ネタは川上さんが出演していた'07年の「のだめカンタービレ」の未来日記が元ネタだし
ピンドラの聖地・サンシャイン水族館も川上さんが出演した'09年の「DARKER THAN BLACK -流星の双子-」にも出てきた。
私はそこまで川上さんに詳しくないのでこれしか見つけられないが
川上とも子さんのファンならもっと気づく箇所があるのかもしれない。
そしてピンドラ作中に出てくる天上ウテナや進藤ヒカルなど川上さんが演じられた主役キャラの面影を感じさせる荻野目桃果は
愛による死、命尽きる最後までアニメに献身した川上さんへのご褒美だったのではないだろうか?、林檎となって。
そして現実の世界でも、この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎(輪るピングドラムというアニメ作品)によって
川上さんの想いもピンドラを見た次代のアニメファンへと繋がっていってる。
ピンドラに嵌った新規ファンが次に少女革命ウテナに触れた事例もきっと多いはず。
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
死者の想いは生き残った者が新しい運命共同体を作って伝えていく。
これがイクニさんがピンドラを通して伝えたかった事の一つでは?、と私は感じている。 また、生存戦略バンクでプリクリのスカートがはためく作画法「荒木なびき」の荒木伸吾さんもピンドラ放送中の12月に亡くなられた。
ピンドラ制作スタッフさんの中にも聖闘士星矢が大スキな方が多数いらっしゃるだろうから制作当時の訃報はショックだったろうなぁ。
荒木さんの遺志も最後の高倉兄弟の台詞通り、星矢ファンや技術を次ぐアニメーターさんが後世に繋いでいってくれているのだろうな。
星矢は今でも続編だったりリメイクがされている。
他にもピンドラ制作スタッフさんや声優さんの親族が震災で被害に遭われた事もあっただろうし
本当に2011年は大切な人の死が突然に訪れた時代で
運命の乗り換えが日本中であった時代だったのだろうなぁ。 そういやなんで荒木なびきなんだろうなぁ?
ピンドラスタッフ陣に星矢ファンが多いから共通言語にしようと思ったからなのか
スタッフさんのやる気を出したかったからなのか
それとも陽毬を城戸沙織、プリクリをアテナみたいな立ち位置にして
高倉兄弟に守らせる聖闘士星矢っぽい話にしたかったからなのか
それとも星矢たちが実は血のつながりのある兄弟だったという真実に対し
ピンドラは真逆で高倉兄妹に血のつながりは無かったという対比をやりたかったからなのか。
それとも銀河鉄道の夜が星座の話でもあるから星矢と兼ねようと思ったからなのか
蠍の炎を「小宇宙を燃やす」みたいな演出にしたかったからなのか
それともピンドラの蠍が一刺しする演出を
黄金聖闘士スコーピオのミロの必殺技スカーレットニードルでパロディがやりたかったからなのか
まぁ色々あるけど最初の理由は一体何だったのだろ? イクニさんももーれつア太郎で星矢のパロディやってたけど
イクニさんはどっちかというと
「小宇宙を燃やす」星矢より「真っ白に燃え尽きる」あしたのジョー派の人だと思うんだけどな。
やっぱスタッフさんに合わせたのだろうか。 「池辺陽毬が彼女の為に死んだ元運命共同体の高倉兄弟と一緒に創っていた宇宙が林檎そのもの」だったように
「イクニさんが川上とも子さんと一緒に創った少女革命ウテナという宇宙も林檎」、
そして「宮沢賢治が運命共同体の妹・トシを想って創った銀河鉄道の夜の宇宙もまた林檎」なのだろう。
どの宇宙も「人が想像し創造したもの」、この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎は知恵の実だ。
wiki情報だが、幼かった川上さんは「六神合体ゴッドマーズ」というアニメを見て影響を受けた為に、
医者から声優へと自身の夢、運命を変えたそうだ。
想像だが、川上さんはゴッドマーズを見ている最中にTVの画面越しに林檎を貰っていたのだろう。ゴッドマーズという一つの宇宙に命を吹き込んだ声優さんから。
つまりアニメもまた、ピンドラの林檎のように視た人の運命を変える魔法のような力がある。
そしてアニメ越しに視聴者とスタッフ・声優さんは繋がっている、まるで「この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎」のように。
つまり高倉兄弟の言った「この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎」とは
「生者の世界と死者の世界」という意味だけでなく
「アニメ視聴者の世界とアニメ制作者・声優の世界」とも掛かっているのだろう。
そして銀河鉄道の夜の読者が「本当の幸いってなんだろう?」と作中のジョバンニ達のように考えてしまうのも
銀河鉄道が走る宇宙で読者が宮沢賢治と繋がり、読者も賢治がくれた林檎を受け取ってしまうから、だろう。
(私より先に死ぬ)先人から愛や解けない永遠の問いを受け取り、私が今度は次の世代に渡していく。
それがピンドラが描いた「林檎を輪す」の本当の意味だったのだろう、と私は考えている。
つまりTV版最終話EDの幾原監督のテロップの横で林檎を受け取る手は私達視聴者のもの、だったのだろうなぁ。。。 プリンチュペンギンの声優さんを
宇宙やイマジネーションをテーマにした'20年のアニメ・スタートゥインクルプリキュアのヒロインの一人、上坂さんに決まった理由も
プリキュアが持つ一つの宇宙を想像する力を借りて
「りんごの計算」で思考停止したままのピンドラ考察勢の方向性を変えたかったから、だろうなぁ。。。
プリクリのイマジンという台詞や私がこれまで解釈してきた通り
ピンドラは愛というよりイマジン、想像の話でもあるのだから。
イクニさんと川上さんのブログを読めば
最初のページでイクニさんが宇宙をどう考えてるか?が書いてあった。
ここでも私の解釈とイクニさんの意図は繋がっていた。
イクニさんのツイッターアイコンと同じように
イクニさんはどこかしらに作品を読み解くヒントを残しているのだ。
私とイクニさんは違う生き物なので私にイクニさんの全てを理解出来るはずがない。
でもイクニさんのように自分という箱から手を伸ばせば
このようにイクニさんの林檎を受け取る事もイクニさんの意図の一部を理解する事も出来ると
私はこれからも証明し続けていきたい。とりあえず元ネタを私なりに拾いきるまでw
そうやって林檎は次の誰かに輪っていくものなのだから。 ピンドラを説明する為に川上とも子さんを例に挙げて申し訳無い気持ちがあるが
色々な事がつながって理解し易い解説にはなったか。
私は川上さんの演じたKanonの佐祐理さんが今でも大スキだ。
私が百合に嵌った人生初のキャラ
過去の出来事のせいで自分が許せず幽霊のようにふわふわして生きていたけど
自分の半身のような女の子と出会った事で希望を見つけ、少しだけ自分を取り戻したドラマが
今でも心に残っている。
佐祐理さんの見た目はユリ熊嵐の紅羽みたいな銀髪で
ドラマ的にはユリ熊嵐4話のるる姫様を彷彿とさせる内容と
ユリ熊嵐はまぁ私の想う百合のど真ん中を狙われていたって事だろうなぁw 星野先生、同人誌出すのか楽しみだなぁ
よっぽどトリプルH大スキなんだなぁ
アンソロのダブルHも寸での所で乗り換えの呪文を後から歌ったおかげで
燃えずに済んだとか桃果のマフラー回収とか本編と辻褄があってて良く出来てるなぁ
「林檎という宇宙」がより豊かになって考察が捗ったから今度も楽しみだ
ダブルHはおそらく陽毬がマフラーを届けなくても呪文のタイトルの曲を作っただろうし
苹果が呪文を唱えなくてもきっと陽毬の為に歌ったのだろうな。
それで陽毬との繋がりが世間にばれるとは考えにくいが
ダブルHも矢面に立たされていたかもなぁ、陽毬が高倉家から池辺家へと乗り換えなければの話だが。 >>925
いや、ちょっと違うのか
声優さんになりたい女の子は乗り換えの呪文を唱え蠍の炎に焼かれて
完全に「アニメ視聴者の世界の風景」から消えてしまう、とまではいかないにしても
15話や18話の桃果みたいに大火傷を負って「声優の世界」へと乗り換えるのか
アニメ制作に携わるのも何かしらの痛みを伴う事だろうしなぁ、これはどの職業にでも当てはまりそうだ。
そして、声優さんやアニメーターさんも「声優の世界に属する生き物」であり「視聴者の世界にも属する生き物」としての一面はあるはずだし。
これが蠍の炎の設定かな。
そりゃ運命の乗り換えで焼死しないパターンもある訳だ。
で、高倉兄弟は最初(高倉家リフォーム)から「死者の世界」の幽霊になっているので
晶馬は苹果の蠍の炎を引き受けた、と。
死者の自分について来られて死なれたら寝覚め悪いし、・・・晶馬に死者としての自覚あったのだろうか? 大スキなアニメの終了は「林檎という宇宙」が分割されてしまうようなもの
禁断の果実に惹かれた視聴者(蠍)は「二つの世界に分かたれたくない」と願うから乗り換えの呪文を唱え、
同じ呪いを受けてでも「ずっと一緒に居たい」と己が身を焼くのだろうなぁ。 1話でプリクリが冠葉から奪ったものは
本来なら最終話の10年前の箱の中の回想のように「冠葉が晶馬に渡すはずだった林檎」と私は考えている。
劇中、冠葉が晶馬と段々仲が悪くなっていって最後に弟を撃ち殺してしまった原因は
林檎をプリクリに奪われた結果、冠葉が晶馬を運命共同体だと思わなくなってしまった影響だろう。
そして林檎をプリクリに奪われた冠葉は「陽毬が俺の運命共同体」と勘違いし始め
その所為で寝込みにキスしたり
「葬式の絆創膏」の回想に恋心(のようなもの)を意識するように変わってしまったのでは?と私は推測している。
つまり現実の世界の本来の冠葉はアニメで描かれていたほど妹の陽毬を女性として意識しておらず
仮に「意識していた」としても冠葉は最期まで隠し通していた、と私は推測している。
そして冠葉は陽毬より「箱の中で林檎を分け合って運命共同体になった晶馬の方がスキ」だったのでは?と私は考えている、BLぽいがw
何故なら最終話の通り乗換え後の世界では冠葉は晶馬と共に二人で世界から消滅していた。
つまり「高倉家の呪いを一人で抱え込もうとする晶馬に付き合って冠葉も心中していた」という事実が判明するのだし。 仮に「冠葉が晶馬より陽毬を愛していた」と考えた場合
高倉家の呪いで苦しんで世界から消滅する晶馬を見捨てて
夏芽家に土下座してでも帰してもらい
夏芽冠葉として池辺家の陽毬を影で支援する、みたく二人で生き残る選択肢もあっただろうしなぁ
まぁ陽毬には恨まれるかもしれないがw そしてプリクリが冠葉から奪った林檎は
「最終話の10年前の冠葉の箱の中のシーンで初めの頃、林檎が置いていなかった事」にも関係している、と私は推測している。
おそらくプリクリが1話で冠葉から林檎を奪ったから「冠葉という箱の中」に置いてある筈の林檎も無かったのだろう。
そもそも冠葉の箱の中に入っていた林檎は真砂子とマリオをKIGAの会から救った時に
ご褒美で貰ったもの、だろう。
しかし「林檎という宇宙」の創造主・陽毬はその事を知らない。
そして高倉母の「二人は知らない間に仲良くなっていた」という台詞通り
冠葉が晶馬に林檎を渡す瞬間も「林檎という宇宙」の創造主・池辺陽毬は見ていないので
その時の回想を正しく創造出来なかった。
だから「箱の中」というエキセントリックな演劇が出来あがってしまった、と私は考えている。
そしてテロに走るようになった冠葉を止められなくなった陽毬は思い出の水族館で
「(プリクリの略奪行為を)見て見ぬフリをして冠葉から奪ったいのちを返した」から
10年前の冠葉の箱の中に突然林檎が戻ってきた。
そして箱の中、冠葉は晶馬と林檎を分ける事によって
竜宮城で宴会を愉しむ浦島太郎のように高倉家という箱の中で「ずっとこのままで居たい」と願う陽毬の
外部から隔離され止まっていた時間の針を前に進めようとしたので
「林檎という宇宙」も分割され
「(池辺陽毬の暮らす)この世界と(自己犠牲をした高倉兄弟が向かう)あっちの世界」の2つの世界に分かれる事になった。
と私は解釈している。 難しいなぁ
特に恋愛模様はどうとでも解釈出来るので余慶に難しいw
しかし林檎の事を考察するには
プリクリが冠葉から奪うシーンを読み解く必要があったので避けては通れないのが困るw
という訳で冠葉と陽毬のカップリングが大スキなファンの皆さんには悪いが
私は「カップリング的には高倉兄弟がすべての中心にある」としてピンドラを読み解いていきたいw 今までTV版の冠葉の陽毬一筋で自己犠牲した結末が創られたような美談過ぎてどうにも受け付けない所があったのだが
「冠葉が本当に陽毬だけがスキなら久宝阿佐美など他の女性に浮気しない」と気づいて
なら「何故冠葉は女好きなんだ?」と考えた結果、
「紅茶と女は初摘みに限る!」が口癖の祖父や父のように
夏芽家の男子特有の「女好きの遺伝子」が冠葉にも受け継がれてたからでは?と理解し、少し笑えるようになったw
夏芽父がどんな男だったか?は描写が少なくて分かり難いが
髪の色どころか人種も違ってそうなマリオさんも真砂子とは腹違いの弟だろうから
夏芽左兵衛に排除された夏芽父も相当の女好きだったのだろう。。。
つまり冠葉は陽毬以外の女性で性欲処理していたって感じなのね、まぁDNAなら仕方ないなw
ゆりさんが時籠父のように苹果ちゃんをレイプしてしまいそうになったのと一緒だったかw
例えどんなに血の繋がった親の仕打ちを憎んだとしても子供は似てしまう。
やっぱピンドラはテーマにしている遺伝子の影響が強いアニメだなw
・・・というか冠葉のスケコマシな一面を池辺陽毬が知っていたとは思えないから
おそらく「林檎という宇宙」で創られた偽者の冠葉には真砂子の想像も入っていたのだろうなぁ。。。
「祖父も父も女好きだったから冠葉もきっとああなってるはず!」とw
マリオが祖父に似てしまう悪夢を見てうなされる真砂子さんも陽毬と同じく想像力豊かな女の子で
真砂子も冠葉が自己犠牲して貰ったご褒美の林檎を使い、16話のように夢の中で出会っていたようだしな。 最終話の真砂子の「病気のマリオは夢オチ」から設定を読み解いてくと
真砂子が夏芽家の呪いに勝手に囚われて独り相撲をとる話だった、って感じだろうなぁ
つまり「祖父に似ていくマリオは病気だ」と真砂子が思ったせいでこんな夢が始まったのだとしたら
同じように「祖父のように冠葉も女好き」だと真砂子が勝手に思い込んだせいで
冠葉のスケコマシの部分が強調された夢物語になってしまったのだろう。
そして真砂子がその尻拭いに元カノをパチンコで排除する夢を見てたのなら
俯瞰して見ると本当に滑稽だわ。
なら真砂子にとっての諸悪の根源である陽毬と晶馬を最初から忘れ球で狙って病院送りにしとけば
冠葉を取られた彼女の鬱憤も晴れただろうし
逆に真砂子が素直になって冠葉に「一緒にマリオを助けてちょうだい」とお願いすれば
「真砂子だけが勝手に囚われてる夏目家の呪いを解く」という分かり易い話になってただろうに
世界観をわざと分かりにくくさせる為の面倒くさいキャラだったんだなぁ、という印象が強い。 「メリーさんの羊」も創り話感が強かった。
「幼い妹羊に罰を与える、罰は一番理不尽でないと」ってオチで物語に没入してしまいそうになるが
実際に親が事件を起こしたら子供全員が罰を受ける、というか世間から排除されるのが普通なのに
何故、陽毬と違って高倉兄弟は罰を受けなかったのだろうか?
罰は一番理不尽でないといけないから?
確かに最愛の妹が罰を受ける様を見るしか出来ない状態は兄弟にとっての一種の理不尽、とは私も思う。
しかし、両親が指名手配になってる最中だろうと構わず女遊びしていたと受け取れる冠葉の周りはおかしいし
晶馬も特に苛められている様子は無いので
不登校や退学になった陽毬に対し「高倉兄弟へのいじめ描写が全く無いのは不自然」と私は思っていた。
小説版でもその疑問を解消するだけの描写は見当たらない。
その疑問に対する一つの仮説だが
最終話の真砂子の夢オチと受け取れる描写と「高倉兄弟が世界から消滅していた」というオチから
高倉夫妻が指名手配が始まった頃の「高倉家リフォーム前にすでに高倉兄弟は世界から消滅していた」と考えれば
高倉兄弟が一度もいじめを受けず陽毬だけにいじめが集中し
最終話のペンキの塗られてなかった池辺家、という本編の描写すべてに納得がいくだろう。
しかし兄弟が消滅し、陽毬が池辺家の養子になっても罰は続いていた。
それが「ダブルHのデビュー」で、それを見てしまった池辺陽毬は心の病気になったのだろう。
つまり「罰は一番理不尽でないといけないから陽毬にいじめが集中し不治の病になった」のではなく
「高倉夫妻が指名手配報道された初期に兄弟はこの世界から消滅していた」ので
陽毬だけがいじめられ理不尽な目にあったのだ。
ついでにピンドラ世界の現実では「高倉家リフォーム前に高倉兄弟は消滅していた」
そして高倉家のリフォームは「(この世界とあっちの世界をつなぐ)林檎という宇宙」で
池辺陽毬の世界から消滅し、死者の世界へと向かっている高倉兄弟が創造した偽物の記憶
と考えれば大体の事に辻褄が合う。
そして箱から手を伸ばすのを諦めている陽毬の創った偽者兄弟なので
陽毬を置いてデビューしたダブルHに対して何も出来なかったのだろうなぁ・・・
本物の兄弟がまだ消滅してなかったら陽毬の為にダブルHに対し何かしらのアクションを起こしていただろう。 メリーさんの羊の「幼い妹羊に罰を与える、罰は一番理不尽でないと」の部分を鵜呑みにしていたら
本当に見るべき現実や真実は見えてこない。
両親の罪に対し子供一人だけ集中して罰を受ける、なんて現実的ではない。
ピンドラ考察をするのならむしろ「メリーさんの羊」は頭から切り離した方が良い、と私はオススメする。
あれはドラマを盛り上げる事に特化した創り話。
高倉兄弟が幽霊になったから罰を受けなくなったのに対し
池辺家の養子となった後も高倉夫妻の起こした事件の影響でダブルHのデビューを見る羽目になった池辺陽毬だけが罰を受けてきた過去と
友達になってくれそうな苹果との関係を失いそうな中盤の現状を皮肉った例え話、とだけ私は思っている。
皆知ってるものと思っていたが
このスレの反応を見てるとどうも未だに妄信してる人が多いのでは?と今更だが不安になった。
今でもメリーさんの羊を考察してるファンの方もいる。
解釈は自由なのでその点で口を挟むのはマナー違反だろう。
しかし何が本当の解釈か?を問われる場面に出会った時
自分が正しいと思う解釈を退く気は無く、このように理詰めで相手をしたいとも私は考えている。 今日はサリン事件があった日か。
その要素が目を眩ませるのか私は10年経っても未だにこの作品の評価を決められないなぁ・・・ 半端に触らずやるなら徹底的にやって欲しかった
まあ色々偉い人とかがうるさかったのかもだけど '92年の「許されざる者」を見たら西部劇に興味が沸いたので
「荒野の用心棒」も見た
主人公の最後の決闘に際し胸に鉄板が仕込んであった。
これが運命日記でゆりのライフルの銃弾を防いだ苹果の妄想の元ネタかw
あんな妄想を突然するだけに苹果はマカロニウェスタンのファンって設定なのだろうかw
彼女にそんな趣味があるとは感じられなかったので父親の影響なのだろうか?
多分、最初は銀河鉄道の夜にインディアンが出てくるので
インディアンは難しいから代わりに西部開拓時代の劇を出そう、って感じだったのではないかなと推測するんだが。 明日はとうとう劇場版の放送日か
それまでに林檎がどう輪ってるのかの解釈と
劇場版の主な舞台となったそらの孔分室の簡単な仕組みと
後編最後に何で「時をかける少女」のオマージュ作画になったのかの一解釈を纏めたいなぁ。
なんで潮干狩りでペンギンになったかとか空の本ケースとかにはあんま興味無いが
時をかける少女のシーンは一番スキだから一言残したい欲求が強いw やっぱ林檎がどう輪ってたのかより
ピンドラを読み解くには池辺陽毬の事を考える方が大切だと思うなぁ
「このアニメの演出は客観的に正しい」からこのまま考察するってファンが多いと思うけど
ピンドラは主に「陽毬の主観」で演出されてるのでややこしいw
例えば、最後の熊のぬいぐるみの中に拙い字で「古い手紙」が入っていたように
高倉兄弟が手紙を書いた時期がつい最終話直前の2011年のはずがない。
3年前の天蓋ベッドを作る時ぬいぐるみが破けた際に入れといたと考えるのが妥当。
しかし21話の手紙を入れといた張本人のはずの晶馬が
熊のぬいぐるみを残して家を出てく陽毬に持たせないのは不自然だ。
これは「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を晶馬自身が知らないから」だろう
入れたはずの本人が忘れるなんてそんな不自然な事があるだろうか?
この謎を解くヒントが「イマジン」、そして銀河鉄道の夜の世界観だ。
つまり、熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない池辺陽毬が中心となって
「この世界とあっちの世界」を繋ぐ「林檎という宇宙」を想像した。
それがアニメ本編で描かれた
「もしも高倉兄妹が3年前の父母失踪後に離散せず同じ生活を続けていられたら?」というifの世界だろう。 前編見た
やっぱ前編は新規台詞で分かり易くなってるなぁ
9話部分を見た後の高倉兄弟の突っ込み台詞とか
真砂子の台詞改変とか ピンドラの世界観
特に「林檎という宇宙」内では「林檎をくれた人にお返し出来なかった後悔の感情」を「恋」として
表現してるんじゃないかなぁ?と私は推測している
冠葉の陽毬に対する感情も
陽毬の晶馬に対する感情も
真砂子の冠葉に対する感情も
ゆりや多蕗の桃果に対する感情も
すべて恋のように表現されていたように感じるが
「現実では既に解散している運命共同体」の頃に「林檎をくれた人を幸せにしたかった」
という後悔の感情から無性に恩返しをしたい気持ちが爆発してるように感じられるなぁ。
なら晶馬は林檎をくれた冠葉に恋していたのか?と疑問が出てくるが
陽毬を守るって約束を果たして一緒に消滅したし
本編通り恋煩いみたいな仕草はしてなかったので
「林檎を分け合った場合」は違うのではないかなぁ、とも推測している
となると苹果も晶馬から林檎を貰っていた事になるのかなぁ?
でも最後に無理やり半分に分け合ったような演出だし「陽毬を救う」って二人の約束を果たしたって感じなのかな。
ユリ熊嵐も「スキを返す」感情をユリ的な恋として表現していたし
さらざんまいの燕太の一稀に対するBL的な感情も「貰ったものを返したい感情」なので
統一してたんだなぁ、と感じる。 つまりピンドラの世界は
陽毬が晶馬に抱いた恋のように「幽霊に貰った林檎を返したい」とか
或いは冠葉みたく「幽霊になったけど林檎を貰った陽毬に恩返しするのを忘れてた!」という後悔から生じた願いを叶えたい人たちが見る夢の宇宙のお話
この世界とあっちの世界をつなぐアニメなのだろう。
だけど死者に恩を直接返す事は不可能で
林檎は「生きている者が次世代へと繋いでいく」事が健全なのだから最後に
苹果は陽毬と
真砂子はマリオと
ゆりは多蕗と林檎を分け合う形で幕を締めたのだろう。
或いは「死者との縁の強い人に林檎を返す」というパターンもあるだろうな。
イクニさんのツイッターアイコンもピンドラからウテナのレリーフへと変わった。
ウテナのアマプラ配信にコラボ時計。
沢山の人にウテナが広まってくれるとファンの一人として私も嬉しいなぁ。 まぁ宮沢賢治も病死した妹トシへの想いを恋とかシスコンのように解釈されたりするしな。
だからイクニさんは「歴史は繰り返す」というか「運命の至る場所」へとまた輪ってきたように
「銀河鉄道の夜」のように「この世界とあっちの世界へと別れてしまう運命共同体の関係性」を悲恋のように描き
最後に死者の願う「本当の幸い」とは
「生者が新しく運命共同体を作って林檎を分け合う事」と答えを出したのだろうなぁ。
つまり輪るピングドラムというアニメを作ったピングループも新しい運命共同体か。
そう言えばイクニさんはアニメ制作を焼き芋に例えていた事があったなぁ、ピンドラではそれが林檎だったって事か。
先人から受け継がれる知恵の実によって広がっていく宇宙の物語だからなぁ。
またユリ熊嵐でも純花は紅羽の背中を押す存在だった。
「かつて運命共同体だった大切な人の死」が呪いとなって生者を束縛してしまう事もあるし
池辺陽毬もまるで「あっちの世界」から呼ぶ高倉一家の声に引き寄せられるかのように思い出の水族館で死んだけど
イクニさんは二作続けて最後にそれを回避する愛の話を描いた。
イクニさんはピンドラには2つのテーマがあるとインタビュー動画で話していたが
川上さんの死とどう向き合うかが関わってたんじゃないかなぁ、と私は思っている。
ま、高倉兄弟が本当に死んだかどうかは分からんが
あれだけブラコンだった真砂子が冠葉が高倉家の長男になった後に
最愛の兄を取り戻すアクションを全く起こさなかった件から察するに
二人とも冠葉が夏芽家から高倉家に乗り換えた瞬間に「夏芽家の双子の兄妹だった時の記憶」を無くしてしまったのだろう。
また、陽毬も高倉家の養子になった時に過去の記憶が消えてしまっていた。
つまり高倉兄弟も池辺の伯父の親戚に引き取られて苗字が変わった際に
「記憶を失っただけで生きてる」という可能性もあるのだ。
つまりピンドラの世界は養子になっただけで過去の記憶が消えるファンタジー世界だ。
ま、そんな不思議世界でもなければテロ事件を起こした一家の呪いから陽毬たちが逃れられる訳無いしなぁ。
リアル世界で両親が歴史に残るような事件を犯したら子供が別の養子になってもマスコミは追っかけて呪いは続くだろうし。 前編はダイジェストでも上手く纏まってるけど
後編は19話の真砂子が高倉家にやってくる話が丸々削られてるから
21話の夏芽邸で話し合う陽毬と真砂子の話に繋がらないんだよな、陽毬は何処で真砂子と接点持ったのよ?
そこが惜しい、イクニさんも多分気づいてるのだろうけど。
まぁ、鍛えられたイクニファンなら真砂子が電話で兄の事を相談した、とか色々と自己補間出来るだろうけど。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。