【劇場版】輪るピングドラム★3
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RE:cycle of the PENGUINDRUM
[後編]僕は君を愛してる
第1弾特典
星野リリィ先生描き下ろし
イラストシート
配布期間:7月22日(金)後編公開時~無くなり次第終了、もしくは配布期間終了まで
サイズ:約257mm×182mm
※入場者特典は予告なく変更、中止となる場合がございます。
penguindrum-movie.jp/theater/ >>970
>>1に後編の情報入れ忘れたので以下貼り付けといてください
RE:cycle of the PENGUINDRUM
[後編]僕は君を愛してる
公開:2022年7月22日 銀河鉄道だけなぞりましたーって言って宮沢賢治を知った感出してるから永遠に噛み合わないと思いました 宮沢賢治のことはどう思う?
とても楽しくてユーモラスな人でみんなが好いていたと聞く
一方父親との宗教対立や政権批判の立場に居た話も取り調べ食らったりとか なんども言うかもだが日蓮宗の宗教観も入れないと繋がらないんじゃないっけ 作品的には引くレベルのシスコンに見えるし
生前は何者にもなれてないし
そういう意味でも冠葉っぽくもあり >>6
下らないプライドを守る為の賢治論はどうでもいいから、あなたがこの作品見て語りたいことあるなら自分の言葉で語れば
私はそうした >>9
宮沢賢治の自己犠牲論もちょっとは考えてほしいなと思っただけ
あと妹への愛情も >>11
語ってるじゃないか
そもそも君だけの話に付き合ってるわけじゃないので? 前スレの連投見てると記号以外の部分を相当取りこぼしてるように見えた
じゃないと分からないなんてIQ3の感想にならないだろ 眞悧先生に10年来のファンがいることに驚いた
高倉兄妹に感情移入して観ていたから「うわなんだこいつ……」って思っていたが、どこに惹かれるのか単純に疑問 >>13
いや前スレ見たけど他の人も全然分かってなかったろ まあ投げっぱなしの演出だったからね
あの内容で「オレ最初からわかってました」ムーブするのはあたおかだわ なんで自分が分かってないなら自分以外にわかってる人などいないはずだと思うのか ピングドラムとは、あまり関係無いけど、
桑島法子の朗読した 永訣の朝 は絶品だったわ、特にローマ字表記の部分ね
あと小山薫堂(うどんくまやっこ)とも少しキャラが被るのが宮沢賢治 眞悧と桃果は私だ!私の心だ!な精神障害者さんが本当に有害 「死なない男」がカットされたのでプリクリの出番がなかったのがちょっと残念 >>16
10年前の作品なんだが…
いろんなテーマが込めてあると思うんだけど強引な自己解釈披露して荒らす人だったのか
連投で暴れてるとスレが荒れるしブログでやれマンがやって来るから気をつけてね >>23
お前が既にしつこいわ
色んなテーマとやらがあってそれを知っているならお前が勝手に語ればいい話
こっちには何も関係ないわ >>24
ひとりで語り始めて勝手にイラつくなよ
離れてたら知らん人に当たり散らしてるし
わからないものも抱えていけばいいんじゃないの?いつかわかれば 勝手にイラついてるのは君なんじゃないですかねぇ
語りたいことがあるならこっちに絡んでこないでお一人でどうぞ 「10年前と今とでは違っているということはあると思う。特に今の15・16歳の子の飢えとか渇望に関する感覚は、東日本大震災以降の感性かなって気はする。
そもそも『ピングドラム』を始める時点で、人々を取り巻いているコミュニティの力が弱まっているということを想定していろいろ考えていたの。
そうしたら10年経ってコミュニティの力はさらに弱くなっていて。そうすると「何者にもなれない」っていう言葉が持っている絶望感みたいなものも変わってくるんだよね。集団に何者かとして受け入れられる体験がないことが、当たり前になっちゃったんじゃないかな。
それで10年前は「ガーン」ってなるような強い言葉だったのが、むしろ受け止める側も「そんなに悩むようなことかな」「最初からわかってますよ」っていうふうになっている気がする。割りと冷静にね。」 >>27
今の15,6歳の飢えって文字通りの貧困による飢えだと思う
給食費払えないとかね
そういう子ほどむしろコミュニティに固執するんじゃないかな
友達と車使い回してコストコ行くマイルドヤンキーとか 寧ろ貧困は今の方が保護されてるだろ
払えないんじゃなくて使い込むようなクソ親だったら終わりだけど
給食費こそ貧困家庭は免除でいいのにな
金で配れって共産党とかが運動してるんだろうな 前スレでサネトシに自己投影うんぬんて出てたけど
そもそもサネトシはイクニ監督の投影アバターだよね
嫁の桃果といちゃつくための イクニアバターっぽいキャラの中で一番イクニに近い気がするなサネトシ >>28
>10年前と今とでは違っているということはあると思う。特に今の15・16歳の子の飢えとか渇望に関する感覚は、東日本大震災以降の感性かなって気はする
う~ん、震災以降っていうか、、、イクニバブル世代だからなぁ
円安貧困で終わっていくこの国でスマホ持って生きてる今の若い世代の地獄とかあんまよく分かってなさそう
コミュニティが弱いどころか、むしろ繋がってないと死ぬ
なんだっけ、クラスLINEから外されて逆上して友達殺した事件なかったっけ
今もうそのレベルだから >>37
そんなクソみたいな繋がりレディコミでやりゃ良いよ
やりたくもない全く違うもの持ってきてリアルじゃないとか言ってもな
そもそもこれ家族の繋がりものだろ こわ🥺
ピンドラ批判したわけじゃないのに因縁つけられた😭 変な奴が湧きすぎて、ワイワイ盛り上がるような風にならんのよね。せっかく10年ぶりくらいに映画やって、新規も多少はいるだろうに、拗らせすぎや。 どう見てもわいわいやる作品じゃないだろ…
なろうアニメでも見てろよ 結局それほど結末に大きな差は出なかったな
最後も実際蘇ったか微妙すぎる そもそも2次元で現実世界ベースの重苦しい家族の話なんて見たくないよね 地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇事件の衝撃はバブル崩壊後の混迷の時代に差し掛かった日本人の漠然とした不安を象徴する出来事だったから東日本大震災とはまた違うんだよなぁ オウム・阪神大震災・酒鬼薔薇が立て続けに起こった後、2011年は東日本大震災でまた日本人の意識も変わり、
今年は前編公開後のこのタイミングであの事件だが、JFK暗殺というよりは、2.26や伊藤博文暗殺で日本が変わっていったことと、
今の40歳以上の日本人は桜田淳子や山崎浩子の時のあの大騒動を覚えているので、あれの第2ラウンドかと、ちょっと目眩がしている…。
企鵝の会とは真逆で、あそこは首相ら政権中枢とべったりで日本国民を虐げようとしていたカルトだしな…。
実は昔から岸信介、笹川良一、児玉誉士夫らあの辺りの人間が大嫌いだったし、893との癒着も昔から言われてたけど、それだけじゃない気持ち悪さを感じていたが、その正体はこれだったのかと今回の件で納得したわ…。
企鵝の会はやったことはともかく、剣山も冠葉もイケメンだし、私欲ではやっていないからこの親子は好きだな…。 ぶっちゃけ前から普通に公然の秘密ですらなかったので今初めて知った感じで騒いでる奴らは詳しくもなんともなかったんだけどね 飼いならされてた日本国民に統一教会の癒着知らしめた時点で歴史の転換点よね >>49
いつも騒いでるやつが騒ぐネタが変わっただけじゃん 統一がどうこうというか
未来暗いのにアベノミクスだの異世界やソシャゲという虚構に逃げてた10年代が安倍の死で終わり、ようやく20年代が始まった感はある バブル世代というがバブルを受けた業界じゃないだろうアニメって
制作費はあったかもしれないが >>53
続き
バブル世代の闇があってそれがオウムだったりするんだが
あの頃は国中が浮かれたり若者は波に乗れなかったり金を奪い合ったり一文無しになったり頭おかしくなって人に優しくない人間が増えたり
そういうカオスが生んだ闇が爆発したのが95年前後にだから
完全に時代性のある話でその背景を考えたほうがいいんだよな
2008年にリーマンショックが起こって煽りを受けて金もなくなり病んだ親を持つ子供世代の話でもある テレビ放映の年もそうだったけど
アベテロが起きたり
秋葉原殺傷事件の犯人が処刑されたり
何かとホットでタイムリーだよな 割と生活感はあったよなピンドラ
汚い換気扇とか70年代みたいなつかい古された鍋とか
ウテナまでのバブリーなモデルルームみたいなキッチンとかじゃなくて >>56
もはや「政治の話するなおじさん」の方が邪魔
いつまで10年代の虚構コンテンツに浸ってんの >>58
自分で根拠もなく勝手に作り上げた理屈が場違いであることの指摘に対する反論として成立するとガチで思ってるのか? そもそもピンドラ自体がおじさんの95年という時代の衝撃を今の世代と共感したいって作られてるのに
「時代なんかどうでもいい!政治語るな!」はガイジすぎるだろ😅
じゃあ他に何話すんだよ
陽毬かわいいとか苹果の太ももエロいとかくらいでしょ、どうせ 劇場版よかった純愛だな前半でクリスタル様が牛乳一気飲みしたとこが俺的にはピークだったが >>60
衝撃を共有したい???
お前らのせいだろって意識は感じるけどそもそもイクニってちょっとだけ下の世代じゃね
おっさんに怒りを持ってると思う ダメだ、もう一回見に行きたかったが8月4日で終了決定、仕事あるから無理 特典までリサイクルかよ
もうリピートしないな
BD買うから勘弁 >>60
地下鉄サリンの事件の日に東横線に乗っていた。少し早かったら犯人と同じ電車であったかもしれない。
自衛隊病院がある区にいたから当時の風景や空気は忘れられん
TV放映当時は上っ面だけなぞったような描写は当時見て腹立たしく感じた。 前編は一度観て満足したけど、後編はもう一度見てみたいかな
例の合言葉を言うシーンは、クライマックスよりも何故か中盤の方がうるっときた 銀河鉄道の夜はキリスト教ぽい表現もあるけど
賢治は法華経の影響大きいし
日本人特有の宗教つまみ食いだと思う 行ってもそこまでカルト教団とかテロとかの元ネタに拘る話ではないような気がするんだけどな
エッセンスとして取り出したかったのは世紀末の焦燥感と家族が犯罪を起こし人を傷つけ
それでも決別できず、まだ愛していたら?憎みたくても憎めなければ?って問題について描きたかった方が大きいと思うが
舞台装置としてモチーフを選んだのはともかく
憎めないし愛してるから被害者に詰られても家族じゃない!俺たちは関係ない!とはいえない悲しさに
虐待されても懐いてる子どもとかの切なさとか愛しているのに愛されないすれ違いを描くことで
家族を描き出そうとしてたことのほうが大きいと思うよ
そこまででかい世相がどうたら今起こってるなんたらと比べる話じゃないよな
たまたまかみ合ってしまったということはあるけど、まあ凶悪事件なんて大抵何かしらの不適合者が起こすものだからかみ合わないわけもないか 三人兄妹、内1人が重い病気
晶馬みたいな緩衝役がいれば…
現実はアニメみたいには行かない 幾原 ここ数年でいろいろなことが起きて、現実がこちらの想像力やフィクションをはるかに凌駕しようとしてきていますよね。
辻村 そうですね。
幾原 そこにどうやってフィクションで対峙していくかということが、これからのクリエイターのテーマになっていくと思います。もちろん現実とは切り離されたエンターテインメントとしてのフィクションもあっていいんです。でも僕は現実の延長線上にあると感じられるフィクションが好きなので、フィクションがこれから対峙すべきは現実だということを強く思う。僕は、作品を見てくれた人に「今だな」と感じてほしいんですよ。3年後だろうが5年後だろうが、見た瞬間に「あ、今の自分のことを描いてる」というふうに感じられる作品。そのためにもフィクションで現実と対峙するということは、とても大事なことだと思います。
でも残念ながらそれには「政治の話するなおじさん」が邪魔でしょうがないんだよね。 いや別に対峙することと作品の話から逸れて現実一辺倒の話にするのは違うだろ
結局ピングドラムで1番の問題は死の運命を持つ妹を超常の力を使ってどう救うか?だったし >>73
全然そんな話じゃないですけど
別の異能バトルアニメと記憶ごっちゃになってるんじゃないの 病気の妹とかゼロ年代によくある(ナナリー、key作品みたいな)「とりあえずか弱い女子だしとけ」の名残りでしょ
別にそこがメインの話じゃないよね
それこそサリン事件以上のただのモチーフだわ ぶっちゃけ政治の話するのが好きなのって圧倒的におじさんが多いよね
おばさんとか若い子はカプ話とか運命しんどい話でキャッキャしてるし
おじさんの巣窟5chで何言ってんだって話だけど >>75
話の動機は大切だと思うけどな
ナナリーの名残とかそれこそ連想ゲーム
結局は家族と愛の話ではあるんだけど
現実はこんなに愛だけでできてはいないから
比べたり関連してると言うとブレるよなあ >>70
家族を書きたかったっていうのはほんとそれ
でもあの家族、色恋問題で遠からず破綻してたよねw
陽毬とサネトシの「追いかけられる側は実りの果実を与えない」問答好きなんだけどあれは明らかに晶馬×陽毬の話だったし >>75
ほんとそれ
テーマは自分という箱を越えて人を愛そうって話だよね
病弱な女のコってただの要素だったと思う >>76
いい歳こいて「ぼくちんのアニメで政治かたるな!」言ってるおっさんのヤバさが際立つよな 正直問題って書いたのは間違いだったと認めるわ
話の動機って言いたかったんだよ
テーマとか言ってないので勘弁してくれ 特典のヤンキー座り桃果見るたびに頭の中のユリさんが「解釈違いだわ!」って叫んでる あの桃果さんはゆりと多蕗に見せてどんな反応するか眺めたい あれって桃果の素だよね
プリクリもああなんだし
好きな相手の前では猫被ってるってことよ
あのくらいのアグレッシブがないと体焼いて好きな人を助けたりできないってことだな >>67
サリンがモチーフ止まりで終わってたのは確かに気になったかな
そのカード切っておいてこの盛り上がりのなさはないでしょっていう
あと眞悧の動機と犯行の意味不明さとか 特典第2弾は前回の残りかな…?
可愛いからいいけど >>85
猫被りというか二面性のような感じでは
桃果を語るのは桃に心酔する人達だから聖女フィルターかかってるし 桃果ってユリパパとか多蕗ママとかサネトシをピースしてるんだよね?
デザインで得しているけど結構悪モンじゃね? いろんな見方があるね
自分は家族の話というより愛の話かなって思った
繁栄絶頂期の社会の中で実りの果実を与えられなかった人達が救いを求め身を寄せあった結果カルトな宗教になってハルマゲドンを起こそうとする
そういう人達を救うのが最終的に家族的なキリスト教的な無償の愛だったという
政治よくわかんないし薄っぺらい感想でごめんなさい https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20220727-00307476
一人ひとりが、孤独と絶望感に押しつぶされず、
愛と希望を実感できる社会にしていきたい。
https://gendai.media/articles/-/39034?page=1&imp=0
兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。
その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。
兄がコピー1号なら、自分は2号だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0555c930ccb9b2d624c9accc5d2a052415ea895
あの事件あったやろ。あれの犯人、ちょっと身内っていうか、
私のお兄ちゃんやねん。だから今ちょっと面倒くさくて大変なんや。
でも、もう4年くらい会ってないし、一緒に住んでもおらんから、
事件起こしたとか言われても、知らん >>71
現実の方は多方面からの情報が無いと私は語れないけれども…
陽毬の病気の元は絶望のような気がしてきた
アイドルになれず、次の新しい夢を抱けない
好きな人は家族としてしか自分を見てくれない
自己肯定感を育みたくても肝心の両親が不在
WHや学校から遠ざかった時から陽毬の中で時間が止まっている
なのに体は成長していくという矛盾
矛盾を解決するには死ぬしか無いといった無自覚の強い思いと
変化していく現実に適応できないメンタルの弱さがもたらすストレスから
原因不明の死の病に冒されたのかなと思った
サネトシ(死の世界の住人)から目をつけられたことが運の尽き
冠葉がどれ程体を張って頑張っても陽毬を助けられないし報われないのは
陽毬にとって兄だから今更異性として意識できないから、とかね
でも晶馬も、冠葉のように陽毬には出来ないからこちらも助けられない
陽毬は家族によって孤独が和らぎ、その柵故に恋愛を諦めなければならない呪いの中にいる >>89
悪い奴らから大切な人達の命も心も救って無関係な人達まで助けるために自己犠牲払いまくってるし聖人聖女だよ 多蕗のときはこどもブロイラーから連れ戻しただけで乗り換えは使ってないのでは 助ける時に手にバーナーで火傷負ってるからあれが乗り換えってことじゃない >>94
母親をピースした代償に左手をバーナーで焼かれている
多蕗の弟も同時に桃果にピースされたんだろうか? 世界線を乗り換えるってことでしょ
元の世界に多蕗母達は残ったままで消した訳じゃない だが現実世界で考えると、ゆりのお父さん消してしまいその後ゆりはどうやって生活してたんだろうなぁ
お母さんから見捨てられて子供ブロイラーに行ったたぶきにも私のところに来てって言って、お母さんの元に戻ったようには思えないしどう生活していたのか…
まぁ子供ブロイラーが存在する時点でそこまで考えるなって話なのかもしれんが… 美少女なんだし養ってくれる親戚でもいたとかなんでもいいんじゃないか なんとなく調べてみたけど
宝塚音楽学校2年間 寮に入ったとして学費だけで200万円ぐらいか
「制服、靴、式服用緑の袴、レオタード類、ジャージ、楽譜などの教材」は別とのことで
なんだかんだ500万ぐらいかかる予感 >>96
あれ運命乗り換えたの?
運命の果実を分け与えたんじゃなくて? >>69
いや宮沢賢治はどちらの影響も受けてる独特の宗教観だよ
「銀河鉄道の夜」だけがそういうわけじゃ無い 陽毬は病気だったが
そもそもネグレクトが無く幼少期にあんな生活環境になければ
遺伝性のものであってももう少し強い身体で長生きできたんじゃないかと思う イクニ作品でそんな病理学的なアプローチ無意味だから 多蕗の方は母親に期待されるのがなくなっただけで普通に暮らしてたんじゃない?
小説版だと多蕗っていうのは継父(作曲家)の姓でこの人は善人だったというし 宗教とアニメを考察『輪るピングドラム』『銀河英雄伝説』『機動戦士Vガンダム』が問いかけるもの(藤津亮太)
2022.8.3https://qjweb.jp/journal/74023/ 入場特典リサイクルだと行く気起こらんな
近所の劇場では上映してないから遠出しないとあかんし 【文春】山上兄、包丁持って幹部を襲撃した後自殺していたと判明。 こいつら映画の世界に生きてんな [928380653]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1659508413/ 劇場で鳥肌たったよな
桃華のバレエでちょっと笑うんだが >>106
病院の場面にでてくる心電図モニターのSPO2てところがいつも50%台くらいなの見て、医療知識ないんだなと思ったわ そういや終盤で心電図モニターの脈がマイナスになるところ
小さく「ROCK OVER JAPAN」がかかるの好きだったんだけど、音楽変わってたね いつも燃えてた苹果ちゃんが炎の中から出てくるのすごく好きなんだけど大ジャンプからの着地で面白くなってしまう でも劇場版にしては動きのクオリティ低かったのが気になるわ ほんとコマーシャルは的確すぎて草
表面的な演出力はSSR級の演出家なんだけど、キャラクターが地に足がついてないのかラストまで牽引していく物語の力にパンチが無いところがまさにイクニ作品なんだよな
その辺り尖ってた頃の榎戸の自意識による脚本構成がうまいこと噛み合ってたんだけど
セーラームーンとウテナは 物語の世界に没頭してキャラクターを動かす劇作家タイプじゃなくて、そのシーンをどう見せるかを意識する舞台演出家って感じ
これが今一イクニ作品のキャラクターにノれない理由かもな よく言われてたけどウテナは名作でキャラも魅力的だったけどピンドラとか他は凡作って感じ
監督も過去のウテナの栄光にすがってるし >>124
だから次回作作るならキャラクターに情念込められる脚本家と組むかしてほしいわ
ウテナは榎戸の功績もあるけど、あれ細田守の樹璃への情念の込め方半端なかったからな
結局最後に人を惹きつけるのはテーマとか演出じゃなくてキャラクターだから イクニがパンツ脱いでキャラに情念込めるのが一番いいんだけど ピンドラ以降って脇役っぽいキャラがメインになってる気がする、だから見ててつまらない
主役級の魅力的なウテナそっくりの桃果やイクニアバターサネトシはキーキャラの位置で監督も結局そこの二人しか興味なさそうだし あれか、イクニを演出家で使い回せる監督が存在すれば良い物が出来るのかねえ?
劇場版はまとまりがあまり良くなかったように思う、何かに付けてTV版と比較されるし
そもそも主役が誰かわからないくらい比重が分散されている作品だよね
例えばモモカとサネトシおよびユリとタブキあたりの話に集中しとけば良かったのかな? あとは監督の暴走を押さえつけるスタッフが必要だね
すぐ百合、近親、下ネタとかに走るから… 何となくだけどリアタイ時から晶馬が主人公だとばかり思っていたわ
日記を得ようとして苹果に一番翻弄されたり陽鞠に好意向けられたり 長文老害が酷いな
そうだよそれであってる
兄が主人公ならバッドエンドがすぎる >>127
これ
ここの感想見てるだけでも桃果推し多いしな
てか桃果と眞悧の再戦を見るために映画館行ったまである これって言われてもそこが本質だから全然わかってないと思う 結局ウテナ以上のキャラも作品としてもウテナ以上の物はもう作れないんだろうな監督 ウテナ以上なんて求めてないけど、主役周りより桃香サネトシ純花レオマブの方が記憶に残るのは主役配分考え直したほうがいいと思う
明らかに魂込めるところ間違ってる さらざんまいは人気出たのが脇のレオマブだったけど
それ以外は別に主役より脇の方が人気なんてことないと思うけど
そもそもユリ熊とか作品人気自体が大分怪しいし
桃果人気が高かったらレオマブみたいにグッズ量産されとるのでは かろうじてピンドラまでかなぁ
主役周りが何やってたかを覚えてるのは ウテナ以上連呼してる人いるけどウテナ普通に古いからなぁ ウテナガーの人そもそもピンドラの主人公「たち」が主人公でない側の人間だと理解してなくない? ウテナはもう新しくないよ
あのころは新しかったけどウテナのようなことを言う人は毎日のように見るからもう新しくはない
良いことではある
演出に関してはまあなーでも古さは感じる
味に消化できてはいるが 古い、新しいで考えてる感性の人って消費してるだけで何も生み出すことのない人だよね
新しい何かを生み出す人はむしろ古いものに遡る >>128
>例えばモモカとサネトシおよびユリとタブキあたりの話に集中しとけば良かったのかな?
まあその辺りの人間模様のが面白かったわ
でも最高に泣けたのはブロイラーで晶馬が陽毬に林檎渡したシーン
そこからはイキリジャイアンの虚無劇場だったけど
終盤の評価は冠葉を好きかどうかで分かれるかな 確かに
1話と最終回ばっかりリピートしてるのもあって
あまり観てない陽毬ブロイラーのあたりは今回一番うるっときたかも 古いと何なんだろ?悪いのか?
むしろ表現が自由で良いまである ピンドラはそのウテナの魅力に介護されまくって新しいものが作れてない時点でダメなんじゃないの 台は劇場版を観に行ったけど、テレビ版は観るチャンスが無かったわ
アニメのヘビーユーザーになったのは、7年くらい前からなので
レンタルとか配信で観ればいいのだろうけど
地上波か無料BSで放送してくれると有難いのだけど、無理だろうなぁ >>149
お前多分ピンドラもウテナも良いところも悪いところもなんも分かってないわ
ただの粘着イクニアンチ OP冒頭の桃果の唇アップからの描写もウテナのディオス降臨シーンの逆再生ぽい
至る所にウテナの気配 気持ち悪い奴だな
演出を徹底的に避けることになんの意味があると思い込んでるんだか
他と被る魅力的なもの全て避けないと許せないとか言い出しそう
何にもなれず作れずあれとこれと同じ、だから価値がないと言って俺以外が間違っているって言い続ける人生やめた方がいいよ
掲示板みるの毒にしかなってないし得るものもないから離れて人生送った方が良い
何もなくて空っぽって気づいちゃうだろうけど キャラが弱くなったのは根本的に話が複雑でキャラが多い
ウテナの頃と違って話数少ないのが問題か
セーラームーンも死ぬほど話数あるし別にキャラは強くないもんな
今話題のオリジナルアニメもバディの関係性に焦点絞ってるし
今の時代特にアニメは焦点絞らないとダメかもな >>154
ピンドラ好きだよ図書館のシーンとか何回も見るし
至る所にウテナの気配があるから好きだ
それ以外の要素がちょっと微妙だよねって話
晶馬は可愛いと思う ウテナ見返してやっぱりいいなーと思ったけど昔ほどの感動はなかった
ウテナウテナ言ってる人は思い出美化してるか、単純にウテナが好みなだけだから
そう言えばいいのに
どっちが上とか下とかない 冠葉、あるいは冠葉と晶馬が主人公なのは一目瞭然だし、キャラクターの個性も強烈だけど、特に冠葉は強烈過ぎて、感情移入しにくいキャラではあると思う。
さらざんまいは、ピンドラよりは大分マイルドに抑えたな。 ウテナを引き摺るのは避けて通れないのが観る側と創る側の現実なんだろうね
ピンドラは何の話なのかよくわからないんだよね
自己犠牲がテーマだとして話の作りが見えない
兄弟が居ると妹が依存して自立できないから絶縁して無縁な転生をしたって話? 特典のペンギンフィギュアって皆も端欠けたりしてる?
普通はそういう欠けとかないなら劇場で交換してほしい… OPの桃果の日記が別の本に変わってるね
本がケースから落ちるのは運命という箱から解放された新しい人生ってことかな? しかし幾原は車が好きだよな
ユリの首都高の新シーンは気合い入りすぎ >>162
言われてみればあれ何だ?
映画で子供兄弟が読んでたのあんなんだっけ? >>160
>ピンドラは何の話なのかよくわからないんだよね
冠葉と晶馬のイチャイチャ美少年兄弟のBLに見えてしまうんだが…。 ウテナはアンシーを開放する話だった
ピンドラは陽毬を苹果が開放する話だった?どちらも主人公ではない気がするが >>160
980 見ろ!名無しがゴミのようだ! sage 2022/08/01(月) 16:31:40.57 ID:1ZJwqPE9
そもそも「愛」というものの本質が、幼児期の自己愛から他者愛に移行するというある種の「無私」の段階をふまねばならないわけ
この段階を「愛による(自己愛の)死」=蠍の炎と言っていると思われる
これを現実の死とごっちゃにするような演出してるからいまいち届かないんだよな
「死んだら全部おしまいじゃん」の方が共感するし 公開週に欲しかった
リツイート済み
輪るピングドラム公式@10周年【劇場版後編公開中🎬】
@penguindrum
#劇場版ピンドラ 上映中の
チネチッタ(@cinecitta_jp)様で
プリンセス・オブ・ザ・クリスタルの
衣装を展示して頂きました🐧
劇場にお立ち寄りの際は
ぜひチェックして下さいね!
展示場所:4F劇場内ロビー
🍎RE:cycle of the PENGUIN-DRUM
[後編]僕は君を愛してる 公開中
https://pbs.twimg.com/media/FZXt45TaMAAeqMj.jpg グッズほぼ売り切れてたし今更映画館には行かないかな >>163
あれはシフトのJゲートを動かすのを見せたくて、あのクルマを選んだのだと思う
あのシフトレバーは、あの時代のJAGUAR独特のものだから
劇場版のウテナはウテナが3ペダルMTのスポーツカーに変形して、追いかけてくるお城から逃げてたもんなw タブキって前編で夜這いされてた時とかゲコゲコしてた時もずっと「高倉家の息子(娘)…!」とか考えてたの?
すげー演技力だな 温泉回がカットされたので、ゆりと苹果の関係が弱くなったような気も 今週のチネチッタ4F上映ないじゃんと思ったらトークショー付一挙がきた
輪るピングドラム公式@10周年【劇場版後編公開中🎬】@penguindrum
/
#チネチッタ
トークショー付き
前編&後編一挙上映🐧
\
#劇場版ピンドラ
前編&後編イッキ見のチャンス!
迫力の音響空間【LIVE ZOUND】で
ぜひ体験してください🔊
🎫チケット販売
8/8(月)AM0:00~ キャパ532人の部屋とか大丈夫か
ガラガラだとすごく寂しそう 同日にシネマシティもだから結構無理筋
桃果が何者かをつきつめるくらい無理筋 でも劇場版でフグ毒回見せられても感もある
でもフグ毒回や温泉回こそがピンドラだったのではないかとも思えてくる
難しい判断 桃果と眞悧は愛と孤独が形を持っただけの駒
深く考えても仕方ない 彫刻刀=男性器
性的虐待と洗脳の暗喩なんだろうなって思ったんだけど怪我したり殺されるとかまで言い出すのは一体ナニしてたん? 苹果ちゃんて結局ももかと同じ能力持ってたわけだよね 一番の悪人である高倉家の両親が
親としては一番まともに見えるの不思議 >>184
小学生に性的暴行をしたら年齢によっては最悪死ぬ >>181
とはいえ前編ではウツボ入れてくれたのになあ、という気はする。 OP公開ってきいたから見に行ったらちょうどおわってんじゃん
48時間って誰も書かないのな
てか土日避けるってどういう判断なんだろう >>186
タブキママ「お母さんはね、才能が好きなのよ」
ユリパパ「お前はなんて醜いんだろう」
剣山「大切な人を守れるようになれ」
千江美「陽毬が無事で良かった」
うーんこれは人格者やろうなぁ… あれは理想の父母で善人なのに間違ったことをしたから
憎めないし愛したままだから罪からも逃げられないっていう呪いだからな BDまで買う気はないんだけどOP映像だけ安くして買わせてくれたりしないかな
曲も映像も好きだからリピートしまくりたい 高倉剣山はこどもブロイラーも問題視してたんだよな
善人で頭いい人ほどカルトにハマりやすいってああいう感じなのかと 剣山は南極観測に行って環境破壊かなんか見て目覚めちゃったんだろ 脳みそドグサレ(ryって桃果か苹果に言ったのかと思ってしまうあの台詞w 最後の呪文が日記に書いてあったのか苹果オリジナルなのかよくわからんかった でも高倉母はひまりのリボンの件で怪我した時に「ひまりはアイドルになるんだもんね」の台詞が真顔で笑ってなかった(自分の子供じゃないから本当は可愛くない)みたいな考察が怖かったよ 自分の顔に怪我を負ったあとに「陽毬の顔に傷がついたらお母さん自分のこと一生許せなかったわ」って言ったのはちょっと言い方にトゲを感じたけどまさか可愛がってないことはないだろう…ないだろう? その説実子の晶馬と養子の冠葉陽毬で両親の態度に明らかな違いがないと成立しない気がするけど かんばは従順で優秀な養子として可愛がってたけどひまりは晶馬が拾ってきちゃった子だし上辺は可愛がってても本当は…ってのはあると思う さらざんまいのラスト全員死んでるとかほざいてた連中思い出すわ
陽毬は「お母さんの味」とか言ってるし愛情は本物でしょ カルト団体の幹部で指名手配されて白骨死体で見つかるような人達だし…
この作品はまともな親居ないのは共通な感じ
いい人っぽく見えてるのはかんばひまり視点のフィルターかかってるからでは晶馬は恥に思ってたし >>117
着地したときの顔が桃果ににてるかなぁと思ったけど気のせいかなー
>>205
実の親だからこそ3人の中で誰よりも罪を背負ってる感じがして苦しかったよな… >>196
オウムが実験だかなにかしに海外行ってヤバいぶつを押収されてたとかそういう系かなと思ったが
そうなると医者もやばいから違うな アニメステラーのピンドラの2回目が見たすぎる…荒川さんがピングドラムについて語ってるのが聞きたいんじゃ ラーメン屋カウンター席裏側の白骨死体はジャンパーや名札で高倉父と
わかったけど、高倉母の死体もあった? ウテナウテナ言ってるやつこそ今期間限定で再配信してる山田玲司の解説見たらいいんじゃないか ヤンサンでやってたBバージンの作者だよね山田玲司
なぜピングドラムの解説動画の人になってるんだろ 山田玲司のウテナ解説そんなでもないでしょ
「それ違うわ」って思ってたところゲストで来てた人が反論してくれて笑った記憶あるわ あとよく言われてるウテナアンシー同一人物説もちょっと受け付けられない
劇場版だけならともかくTV版の積み重ねとんだ茶番になる
友達だからこそあのラストが光るわけで、箱(自己)を越えて他者に手を伸ばすピンドラのテーマに繋がっていく >>213
見てから言わないとずっと恥ずかしいことを言ってる 箱は自己じゃないぞ
あれは現実、オウムのやってたやばいこと
何人も死んでる 箱はコンテナでサティアン
よくわからん薬打たれたり暴行される修行だよね >>216
眞悧「僕らは皆箱の中にいる」
箱から手をのばす冠葉と晶馬
イクニ作品のモチーフはメタファーだから、対象そのものではなく概念の連鎖として読み取らないと意味ないよ 因果関係が逆
オウムが箱に閉じ込めたからその比喩がでてるわけ 山田玲司ではないがあの番組で出たのはウテナ桃華説じゃなかったか ガンダムのような作り手がそれなりに現実の物理現象と対応させようとしてるような作品だったからそういう読み方で全然いいんだけど
イクニ作品は作品というか舞台の芝居だから、あれ
>>215
当時のニコ生コメントも反論したゲストの人に同調してたけど、君、見てないの? 山田のピンドラ解説はウテナファンには耳ちょっと痛いと思うけどな
ウテナで夢見て目を逸した現実の部分に気づいてたからもう一度目を向けてピンドラ作ったという論調でもあったし
多分見てなさそうだけど >>222って毎日なにかを言ってそうで何も言ってないよなw 「世界はいくつもの箱だよ」
「人間ていうのは不自由な生き物だね。何故って?自分という箱から一生出られないからね」
「だからさ、壊すしかないんだ。箱を、人を、世界を」
箱って世界なのか自分なのかよくわからないわ 箱は自己ってのはID:c2RExGq6のオリジナル解釈だろう >>225
箱は自分であり自分の脳みそで構築してる世界だと思う
アンシー「あなたの世界からいなくなっただけ」 >>226
そもそも山田玲司の解説もオリジナル解釈なんだが
なんかYouTubeで言ってることが正しいとか思ってそう とある漫画のエッセイで「選択肢が多く一見何にでもなれそうな人間はともすると何にもなれない事も多い」てのが深いなと思った >>228
イクニが兄弟の箱は現実に起こったことです言うとりますやんか >>230
「自分という箱から出られないんだ」って作品の中で言うとりますやんか ピンドラは解釈を持たす作品だけど双子の箱監禁に関しては現実と明言してたようなイクニ 途中送信
オーコメで言ってたよ
つまりオウムをなぞったシーンだな イクニは駄目だと言いながらイクニ解釈がこうなはずだと思いこんで
それが違うとなれば俺が一番イクニ演出をわかってるんだもん
的な人をよくイクニ作品スレでは見る
先日から暴れてるウテナ連呼の人も熱狂的だがそこまで追ってはないイクニ信者(?)に見える たがらそのシーンを何故イクニアバターの眞悧に
「自分という箱から出られないんだ」
って言わせた上で最終回で入れたのかって話をしてるんだけど
対象そのものではなく概念の連鎖として読み取らないと意味ないよとはそういうこと >>227
なるほど
世界とは自分の世界と現実の世界と2つあるということ?
「君たちは決して呪いから出ることはできない。僕がそうであるように箱の中の君たちが何かを得ることなどない。この世界に何も残せずただ消えるんだ」
自分の構築する世界を変えられない=現実の世界も変わらないってこと?
難しいな 「カルトじゃなくてテロだよねぇ。現実と作品は別!」
↓
「箱は現実!作品じゃない!」
草 どうでもよすぎて草
ウテナはむしろ今見たらそれじゃいかんやろってとこも出てくるぞ カルトじゃなくてテロってどゆことよw
カルトがテロ起こすんだぞ >>232
冠葉と晶馬が閉じ込められてた箱はメタファーじゃないってこと?
眞悧先生が言ってる箱とは別なのか
ややこしい ウテナは今見ると古いけどウテナ演出は色んなとこに影響与えたからなー 影響与えたことだけを語ってたら手塚治虫語らなきゃならなくなる
ウテナが一番影響与えたのはピンドラだろw
革命してるときは勢いあって周囲なんてどうでもよくなって気持ちが良いが
そんな上手くいかないんだよってのがピンドラ ウテナアンチが逆張りで暴れてるのこわ
あれは名作、これは佳作が一般世間の評価だよ >>243
赤軍だって話聞いたらカルトだよ
単独犯でのテロ行為(国家転覆をはかる)は実際無理
安倍の死は国家転覆をはかったものではないしテロの定義と離れてる
集団で動いた事例を見てもテロ行為をした団体の思想とカルトにそんな違いはない ウテナアンチではないが…後追いで見て考察とかも追った
でもウテナオタは語るのがものすごく下手だ
っていうか文体が太古のオタクで女性ではないのがわかって説得力も薄い
年齢層高くて若い子の間口になる語り手がまじで居ない
ウテナのことを話してる時イクニファン高齢化を一番感じる
上手くやってたらピンドラのときもっとウテナに引きずり込めたはずなのになぁって思う >>238
これ面白いわ
まんま
桃果「この居心地のいい箱の中でいつまでも革命家ごっこしていてください。でも、私はもう行くわ」
イクニほんとマゾだな >>250
若い層が根付かなかったのはウテナは面白いけどピンドラは面白くないから
まどマギなんて往年のオタク臭い衒学モチーフ沢山あったけど若い子食いついてたじゃん ウテナウテナってリアルタイムで見てたら40代だよな
それでこのコミュニケーションのとれなさはキツい ウテナはかなりニコ生で無料配信されててそこから入ったし
脳内40代と戦ってるみたいだけどお前が一番会話出来てねえわ
正直ギリ健だと思ってる >>255
自演指摘しただけでギリ健とか言ってるしまじで触れちゃいけないかもしれん どうやればピンドラは面白くなったんだろう・・・
>>258
>>257
近年稀に見るブーメラン ピンドラは今回の映画で初めて知って、それからテレビシリーズはBSの再放送で観たけど、普通に面白いけどな。
ウテナは観ていないので何とも言えんが、さらざんまいは観てたから、ピンドラを観てピクトグラムとかはここから始まったのかとか、
毎回クライマックスシーンは音楽が流れて、不思議な時空に切り替わるのかとか、さらざんまいのルーツを感じた。
あと、冠葉と晶馬というイケメン二人を主人公にして成功したから、さらざんまいもあの三人になったのかなと思ったわ。 さらざんまいは尻子玉バンクのインパクトだけで話ほとんど覚えてないわ キチガイにまともに答えなくていいよ
11年前の作品に粘着してるアンチなんてキチガイ以外の何者でもない
何者にもなれないほうがまだマシ 25年前の作品のアンチやってる人がなにか言っている ちょっとウテナになんか言われただけでアンチって…やば…
拗らせすぎて話が通じてない だって監督がいつまでも俺はウテナ作ったイクニだぞドヤアピしてるじゃんね
ピンドラもおこぼれよ
さらでもこれだし↓
https://i.imgur.com/dp8w9Jf.jpg ほんと演出だいすきだな
そんなもんセーラームーンの頃からやってるだろうに 久しぶりに来たら
なんで延々ケンカしてるん
>>266
Pが「ウテナみたいなのやりたいです!」って話して出てきたのがさらざんまいだよ >>268
ピンドラも桃果とゆりの関係性とかまんまウテナアンシーだよね 最終回の陽毬がドレスボロボロ傷だらけでで冠葉抱き締めに行く流れは
アンシーの一歩先行った感じがしたな
役立たずで王子様に養って貰うだけのお姫様が王子様を救う側になれたみたいで まんまかはわからないけど、ゆりもあと何年か桃果と一緒に過ごせたらもう少し変われたのかな
辛い思いをした子どもは他の子どもより早く大人にならないといけないのは過酷だなと思う
似てるといえば自分には苹果ちゃんの晶馬への感情が、さらざんまいの7話以降の一稀に似てるような気がした >>177
今日4Fだったぞ
ワンピで人いっぱいなのにワンピ削って長時間ピンドラに割くとか正気ならざるw 本放送のときはとにかく晶馬←陽毬←冠葉の恋愛模様が気になって
最終回もうまく呑み込めなかったけど
劇場版はすごくわかりやすかった
冠葉と晶馬は陽毬のお兄ちゃんになることを自ら決めて
家族になったんだなって 三週みたらファンになったって言ってるアニメ監督居たけど
三週目まで乗れなかったのに何度も見れるそういう人がアニメ監督になれるのだろうなw
知識が足りなかったのが問題だと言ってた
やっぱり作品的には少し理解まで行くにはハードルがあるのかもしれない
上でサティアンの話もあったがあのあたりのことを調べていくと分かることもある わかるわからない以前の問題だろこのつまらなさは
シュタゲなんて何の知識なくても面白いのに あとここ最近の感想で「宗教の話ではない」「オウムモデルではない」と言ってる人を見るとそれが理解できないくらいにオウム事件の情報もあまり流れてないんだなと
確かに自分から情報に手を出さないとサティアンについてもピンとは来なかった
(もちろん事件リアルタイム組は知ってそうだが)
統一教会についてもそうで報道が相当コントロールされてきたのを実感してる
この作品自体が語りたくなる仕掛けなので後世にオウムが起こしたことを後世に伝えていく役割にはなるのではないか >>275
映画スレだから見てないならこのスレにいるべきじゃ無いよ 山上以前だったらオウムなんてこともありましたねでいけるが、統一教会という巨悪が周知になった今オウムとか時代遅れも甚だしいがな このアニメってオウム真理教の事件を伝えようとかそんな目的じゃないでしょ
カルト宗教云々はピンドラの構成要素のひとつだろうけど主題は家族愛だと思うし 色々とタイミングの悪い作品だよぬ
セカイ系とゼロ年代の終焉を意味する3.11の後にもろセカイ系とゼロ年代の内容やっちゃって
10年代の終焉を意味する安倍暗殺テロによってモノホンのカルトの存在が暴かれた後に「革命とかアホだよね、オウム悲しかったね」をやっちゃった
つくづく時代が先を行ってしまってる 知識がなきゃ面白くないって時点でエンタメとしては破綻してるよね
ファンの自分が言うのも何だけど 確かにオウムのこと知ってる方が見やすい作品だけど宗教がメインではなく普遍的なテーマを扱ってるので見る人によっていろんな解釈ができる幅を持たせてるんだと思う むしろウテナやオウムに拘りすぎる人の方が作品を読み解く視野が狭くなって「わからない」って言ってる感じ カルト化した宗教じゃなくて宗教がひとつの筋にはなってるけどキャラクター個人がどう行動したかのほうが自分には大きいように思う
比較で語るんじゃなく知識があると見えることは確かにある
でもなんかよくわからんまま感動してしまうのも少しも間違ってないと思うよ 知識が有るか無いかじゃなくて自分の親との関係がどうだったかだ
政治や宗教がどうとか言っている人は親との関係悪く無かったり
子供の時不仲でも年取って改善された人なのだろう
そういう人には理解できないから頓珍漢な事を言う
本から得た知識で親子関係の心理を知ったような気になっている人も同様 >>286
↑ウテナ憎しでもはや何言ってるかわからないおじさん
お前が一番何も理解してなさそう サネトシ側のこの世界は腐ってるから全部ピースしたい、陽毬の命を人質にしてカンバを動かすって方針に対してモモカ側(プリクリ)側がなんであんな回りくどい方法しか取らなかったのかが謎
呪文で世界改変できるからリンゴと仲良くしとけ、でいいじゃん ウテナは親子関係の話は無かった
親の事を悪く言うのは令和の時代ですらタブー
どんな酷い親でも「親だって可哀想」「子供を愛していない親はいない」が絶対正義
昭和の時代の漫画原作アニメ化作品で養父母が主人公に冷たかったのが
平成に再アニメ化されたら子供思いの優しい親になっていて理由が
当時の読者が親世代になっているので親を悪くできないだった >>291
知識つったって
アニメーションについてなのか監督の作品についてなのか表現についてなのか文化についてなのか宗教についてなのか歴史についてなのか社会問題についてなのかでまったく変わるでしょ
自分の家庭環境についてならそれぞれが誰よりも詳しいのは言わずもがなだよ >>290
>キャラクター個人がどう行動したかのほうが自分には大きいように思う
マジそれ
シュタゲはキャラに乗れるように前半で視聴者もそのコミュニティに感情移入出来るよう日常描写しっかり入れてた
語られる科学知識とかもラボというコミュニティでみんなと一緒に何かやる感覚のためのエッセンスだった
ピンドラの日常描写ってすんごい嘘臭いというか「家族相手にこんな芝居がかったこと言う?」って感じで陽鞠冠葉辺り全くライドできなかった
あの兄弟より苹果やらタブキの方が感情移入出来るっていう 世間から孤立している高倉の3人は元々他人同士だから努力をしないと家族を形成できない
家族である芝居をしているのだからすんごい嘘臭いのは当たり前なんだが
スパイファミリーみたいなもの
3人が自分達は他人同士と知らなかったと勘違いしているのか だから後半の話であの三人の暮らしは嘘だった、家族のフリだったって指摘されて一度バラバラになるんじゃん
苹果にはもっと早い段階から陽毬は無理をしてるって見抜かれてはっきり言われてるし 前半は晶馬と林檎の絡みメインみたいなもんだったからな
後半いきなり三兄弟に感情移入しろって言われてもキツイものがある
特に冠葉苦手な人には 幸せに育った人には世間に居場所が無くて家族ごっこする人の気持ちや事情は理解できない >>300
無理して繋がってる関係の何を応援すればいいの 前半は運命日記をめぐる謎で話を引っ張っててむしろ面白かったけど後半がね
前半メインだった苹果とその周りの多蕗ゆり周りはどんどん影薄くなるし謎はほとんど明かされたし、物語を引っ張っていく要素が殆ど無くなっててTVの終盤はキツかった
劇場版は短時間で見れるからそこまでではないけど 家庭環境に問題があった自分には内容がよく分からなくても刺さったアニメだったな
そういう人が多い社会が問題だと提起されてたんだなと今なら思う >>303
いやそういうドラマだし…
無理のない家族関係の話ならサザエさんとか見たらいいのでは 一部のメンヘラに刺さったところで面白くなきゃ評価されないでしょ
>>304
マジこれ
もうずっとショウマと苹果の話で良かったわ 新規に加わった「大好きだよ」のメッセージを陽毬に届けるシーンは良かった
冠葉は真砂子からもらった愛を、晶馬は冠葉から陽毬は晶馬からもらったリンゴの記憶を忘れてる
だから表面的な家族という絆に拘り続けた気がする
この辺は多蕗がゆりに最後に言ったセリフが参考になると思う
「だからたった一度でもいい。誰かの愛してるって言葉が必要だった。たとえ運命が全てを奪ったとしても。愛された子どもはきっと幸せを見つけられる」
運命に引き裂かれた世界でも愛された記憶を受け継ぐことで陽毬との冠葉と晶馬の絆が続いていくラストがいい
桃果を失った世界で多蕗とゆりが桃果からもらった愛情を分かち合い桃果の想いを繋いでいくのもいい 林檎は単純に愛という意味だけではなく自我(箱)という意味もある
アダムとイヴは知恵の実を食べることによって動物から自我を持つ人間に進化した
でも自我があるからこそ初めて他者を他者として認識できるのであり、そこで「愛」が始まる
運命の至る場所っていうのはそういうこと
だから眞悧も林檎を持っている これは寺山修司が好きだった構造主義的な考え方でもあるし、まんまエヴァの人類補完計画からの「気持ち悪い」に通じるものでもある
95年っていうのはまあサリンもそうだけどエヴァが生まれた年なんだよな
そもそもシンエヴァ完結からのピンドラ劇場版制作決定→くどいくらいの実写描写でラスト
作家としてエヴァをかなり意識してるの分かるわ
これはウテナからずっと続いてるイクニにかけられた呪い メタ的に見ると、クリエイターとしてのイクニにサリン事件レベルで衝撃を与えたのがエヴァって話
オウムだの企鵝の会だのはそれを隠すための言い換えに過ぎないレベル
山田玲司の「95年という時代で助かる人と助からない人に分かれた」を踏まえると
助からない人達がたどり着いた行き先がエヴァという「箱」に閉じこもるセカイ系であり酒鬼薔薇の「透明な存在」に繋がっていく
マジで時代背景知らないと何もわからんかったわこの作品 >>307
こないだ桃果以外全キャラ出たアクスタの中で苹果だけ即完売とかしてたし
普通にずっと苹果中心の話の方が受けたのかもとは思った
あとウテナとかさらざんまいは社会問題要素上手く希釈してエンタメでコーティング出来てたけどピンドラはそこが下手だった印象があるなあ 話変わるんだけど、今回の「ROCK OVER JAPAN」、
2メロディ目の「俺たちはいつまでもぉぉ」の「ぉぉ」の部分が
音飛びしてるか濁って聞こえるのすごく気になる。
渡部さんいい声なのにここ直してほしかった ぶっちゃけ90年代のことぼんやりとしか知らなかったから意味不明で終わってたけど
時代背景の解説聞いて頭の中で色々繋がったわ >>297
すまん「その上で」が抜けてたわ
ピンドラはそういう背景なくしてキャラクターも物語も見えにくいと思うよ
苹果ちゃんがマジの覚醒するのは運命の電車に乗ったときなのはいいんだけど、前半の暴力上等な勢いが急に変わりすぎて戸惑うのはあるね
>>312
眞悧は誰ともリンゴを分け合わないでただ他人を試してる存在だわな
個人内の葛藤を外にキャラクターとして作るのは面白い
ただ、少年Aも95年当時は子どもだったんだよ
エヴァもウテナも子供に向けて作ってると思うんだけど、大人は何してたんだろうなってピンドラ見てると思うよ 考察動画の人たちもちゃんと「説明」するようになったんだね
よかった
「分かる人には分かる」だけの話をプロがするなよしかも複数でって思って見るのやめたことがあった ストーリーは面白かったけど
子供ユリは運命乗り換えても記憶があったのに苹果とひまりは乗り換えた記憶がないとか細かいところが謎だった そもそもユリたちも桃果があの日の事件を乗り換えたことは推測でしか感じてないのでは
誰も知らない
払った犠牲のでかさかと
苹果に関しては特別な桃果では無いから
桃果は生まれた瞬間から何者かであった存在だろうからな >>323
ユリは謎だな
乗り換えの秘密知ってるから?
↓
苹果も知ったけど覚えてない
運命日記に書かれてる人物は桃果の記憶と結びついてるから?
↓
もし書かれてたら苹果はユリのこと最初から知ってる
桃果と親友だったから、くらいしか、今のところこじつけられるのは >>312
庵野秀明というたった一人の天才に認めてほしかった幾原邦彦という鬼才
BLかな? >>323
ゆりと田蕗は結局乗り換えてないんじゃなかった?
テレビ観てたときそう理解した記憶がある >>331
乗り換えてなかったらラストの浜辺で集まる意味なくない? いっそ聞いてみたらどうだw
当日回答あったらレポするわ
------------------------------------------------------
輪るピングドラム公式@10周年【劇場版後編公開中??】@penguindrum
?━━━━━━━━━━━━━?
#劇場版ピンドラ 8/11(木・祝)
舞台挨拶 質問募集????
?━━━━━━ v ━━━━━━?
#幾原邦彦 監督
#橋本由香利 さん
#三宅麻理恵 さん
登壇メンバーへの質問を募集??
#今だから聞きたいピンドラ
で投稿してください??
https://penguindrum-movie.jp/news/
------------------------------------------------------ 山田玲司、イクニと庵野比較するって言うからカヲル話するのかと思ったがしなかったw 「運命の乗り換えに来たのよ」からの「言葉なら解る」「…マジで?」のシーン好きなんだよなぁ
あと高倉家に真砂子が来て陽毬のデコに撃とうとすると冠葉と晶馬が帰ってきて一瞬固まるシーン ゆりさんの父親は乗り換え前の元の世界での影響というか扱い考えると色々大変なんよな
ゆりパバが存在してた世界でサネトシは世界を革命しようとしてたのか考え出すとホント面倒になるww >>297-298
苹果ちゃんに家族演じてるだけでしょって言われてたけど自分的にどの辺でそう思ったのかが分からなかったなぁ
自分が鈍感なだけか?
後ひまりって晶馬との出会いとか一部の記憶覚えてなかったけど、自分が実の高倉家の子供じゃないってのは知ってたのかな 幼児期の陽毬はかなりクソガキムーブかましてたけどあの陽毬は「お兄ちゃんが求める良い子」って感じだったから
両親捕まってからだいぶ高倉家の空気が変化したと思われる 空白の時間に不安感覚えるからスペース聞いてるとすごく不安になる… 急に放送が決まるのはたしかにこっそり感がある
今日は世界猫の日だから、とかではきっとないよね 監督、ピンドラの話よりカレーとか他の映画の方がめちゃめちゃ楽しそうに喋るな 「聞きたいことありますか」とか言われたけどスペース初めてでパンピーが参加できるチャットとかないしどこに書けばいいのかも不明だった 下のほうにコメント欄があった気がする
専用のハッシュタグつけてツイートすると拾ってくれるときがあるっぽい
沈黙が怖いときはだいたい食べ物と天気の話で凌げるけど
バーモントカレーに追いリンゴで監督があんなに楽しそうになるとは思わなかった
やっぱり司会やってたひと、ラジオの仕事してるから話聞くのと簡潔に話すの上手いと思った 今日のスペース聞き逃しちゃった
映画のどんな話してましたか? >>347
やくしまるさんの新曲は最初想定してなかった(スケジュール合うかもわからないので)
当時ある分の資料(プロットとか)だけお渡しして作ってもらった
覚えてるのはこの辺くらいかな
イクニはあんまりピンドラそのものについては語りたくないみたいだった
ピングドラムカレーとかイクニが観た映画の話で盛り上がってた
なんの映画か忘れたけどさらざんまいの未来が見えるラストはある映画に影響受けたらしい あとやくしまるは話の流れは知った上で曲を作ったって事もやっぱりそうなのかと納得はした
なら歌詞にも意味はあると知れたのは良かった ノルニルはストーリーに沿ってると思うんだけど
少年よ我にかえれってちょっと違う感じしない?
駆け落ちとか心中の雰囲気があってどちらかというとユリ熊っぽい >>347
>>349
ありがとうございます!
こういう制作裏話ぜんぶブックレットにしてくれないかなあ >>350
あれ桃果の曲でしょ
桃源郷とかデスティニーとか
運命日記で多蕗との未来書いてる危ない女感そのまんま とにかく僕のこと覚えてていつまでも
はカエルくん東京を救う感 カエルくん饒舌だったけどそんな詩的な話してたっけ…? >>347
ああ、それと「アニメ業辞めたら映画について話すYouTuberにでもなろうかな」みたいなこと言ってた
周りは「いやいや、それはそれで困ります」とか言って濁してたけど
同時代を駆け抜けたライバル的な庵野はもうウルトラマンとかライダーとか老後の趣味に行っちゃったようなもんだし、色々と思うところがあるんだろうなーって感じだった おいおいここに来て映画特典大物になったぞ
サービスデーの日に見に行こうと思ったけど早めに見に行かなきゃだわ もう35館になってたのか
またみたいと思ってたし特典いいし行こうかな どんどん観に行って興行収入増やしてイクニやる気をおくれ 映画からの新規だけどめちゃくちゃ楽しめたわ
前編は謎だったけど後編の勢いすごいな 22話まで配信で見たわ
まさこアクションが面白キャラなの良いね 新特典リーフレット来たな
ムービックスのクーポンで迷うわ
6ポイント無料
誕生日クーポン1000円
リピートクーポン1200円 上映回数がだんだん減ってきたね。
後編だから仕方ないかもだけど。 輪るピングドラム公式@10周年【劇場版後編公開中??】@penguindrum
?━━━━━━━━━━━━━?
#劇場版ピンドラ 8/11(木・祝)
舞台挨拶 質問募集中????
?━━━━━━ v ━━━━━━?
#幾原邦彦 監督
#橋本由香利 さん
#三宅麻理恵 さん
登壇メンバーへの質問を募集??
#今だから聞きたいピンドラ
で投稿してください??
??募集は8/10(水)までとなります ラストの運命乗り換えで英語アナウンスが流れる辺り(崩れる冠葉が陽毬を抱きかかえる所)でシビれるんだけど理由が上手く言語化できない 監督に聞いてみたい話は結構あるけれど答えを知らないままのがいいみたいな気分もw 映画だけだと突然出てきたマリオ誰だよって思ってたけど陽毬状態の子がもう1人いたのか 129 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ラクッペペ MM8b-ACjp)[sage] 2022/08/10(水) 10:30:25.02 ID:+H+/5WVkM
https://imgur.com/aDQlNR3.jpg
この給湯器の位置はガス会社の規定違反だから、工事業者が許可剥奪されるぞ
給湯器は換気扇の斜め45度より内側に付けるのが規定だからな まあ高倉の家はがっつり強制捜査入ったりで騒がれたけど
冠葉の実親のほうも幹部クラスだったっぽいし上手く実家が隠し通したけど
親の因果が子に報うならマリオさんは絶好の生贄の子羊なんよな
そして爺さんとサネトシという2大悪霊に狙われまくってたという悲劇w 乗り換え後の苹果の火傷って映されてた?2回見たけどわからなかった 募集した質問への回答もっと多いと思ってたわ
30分短すぎ ここまで読んでレポも無しか
どうせ大したこと話してなかったんだろうな 面白かったけれどスレで出てたような疑問に対する答えみたいなのはなかったよ 前後編まとめて観てきた
10年前リアタイしてた時は兄弟が苹果や陽毬ともう会えないエンドにまあまあダメージ受けたんだけど(物語としての妥当さとかとは別に、キャラ厨なんで)
今回の映画で10年前の自分がちょっとだけ成仏したわ… 既存シーンだと冠葉の嵐の夜の思い出をyellow bloodとファクトリーで纏めてるのが良かった
ファクトリーはもちろんyellow bloodもバリバリ働くビジネスマン=ある種の父親像を連想させる歌詞だし
剣山の「強く頼れる父親」像を内面化してるっぽい冠葉にとってサネトシよりこの思い出の方がよっぽど呪いだよなーと思うなどした
サネトシはCV上坂すみれになってまで頑張ったのに勝てなくて残念でしたね… あと前編の最後の方の冠葉責任編集みたいな陽毬MAD最初感動してたけど長くて笑った TV版見直したけどあんま言ってることは変わってないんだなと
視聴者に愛をっていうのはTV版でもカメラ目線になることで視聴者に愛を渡してたんだなあ 監督はインタビューとかでも色々答えてるけど、場面や物語の個別具体的な説明はあまりしないね
輪るピングドラムを作る上で世の中をどう考えていてそこで何を作りたかったかみたいな俯瞰というか鳥瞰で話すから面白いんだけど
なるほど〜とはなるけど知りたかったこととか謎はそのまま自分のなかに残ってるからまた再生ボタン押すか何か読むか〜ってなる
方向さえ間違ってなければ(違うとも言わなそうだけど)観た人の理解や解釈はそれぞれ自由でいいですみたいなところがあるね 川崎で見てきたけどたしかに音響良かったよ
陽毬か誰か女の子の声が後ろから聞こえてきたり、橋下さんが話してたけど低音が響いてた
音楽とか効果音でもドゥンドゥンしてたし苹果ちゃんビンタもちゃんとドゥンドゥンしててマスクの中で笑った
イベントだけど特典第2弾貰えるかな〜って期待してたけど終わってたみたいだった残念 イベントレポとかはツイッターで詳細なのあがってるからそっち見たほうが色々あって面白いかも
後編後の立川も面白そうだったな
印象的なのだと
監督が若い頃はフィルムを手繰って何秒何コマ目にこの音とかこの音楽をって指定するけど完璧に合わなかったりして大変だった、でもそういう拘りがそこで初めて知れてこういうのやりたいって思ったとか
音楽の発注がどんどん増えて橋下さんも大変だったらしいけど、発注のときに監督から曲名も付いて来てたとか
苹果ちゃんにペンギンがいたらどんなペンギンか?って質問には三宅さんが飛び跳ねたり元気なペンギンだと思うって声を当ててて、
苹果だから色は緑かな名前はエスメラルダみたいにアップリーナとかって監督もワイワイしてたら司会の池Pから「時間なんで妄想はそこまでです」みたいに終了を告げられてた
あと監督が小脇に抱えてたプリンチュにサングラスが掛けられててそれがずれたので一度回収されて直されてまた抱えられてた TV版のアイキャッチで25駅目まであったからてっきり劇場版にはそれに準ずるものがあるんだと勝手に期待してしまった
ただの総集編ではありません!なんて言われちゃって浮かれた自分が悪いんだけども
TV版最終回の桃華と眞悧のシーンすごい好きだったから、前編で桃華の出番が増えて眞悧の書き下ろしシーンがすごく楽しみだったのに結局プリンチュ憑依のまま声が最後に小泉さんに変わるだけだったの残念すぎる
プリンチュ好きだからいいけどさぁ…なんかなぁ…
結局TV版っていう原典を変える気はなかったんだな幾原は
前編はリピートしまくって毎回すごいものを見たなあってドキドキしたまま帰れたのに後編はまだリピートすらしてない 前ここで紹介されてた山田玲司さんの考察動画見たけど面白かった
読んだことないけど村上春樹のアフターダークの影響受けてそう 間違った
アフターダークじゃなくてアンダーグラウンド >>389
まあそれは自分も最初思った。でも元々の企画が総集編映画をやるって話でクラファンで予想以上にお金入っちゃったから、新規パート増やして前後編になったのを考えるあくまで総集編プラスアルファって思った方がいいのかなと。 劇場版から入って最近TV版観始めたけど結構変わってるのな 初見だと10話くらいまでほんとダルくて脱落者多そうだから劇場版は良いね レンタルの有料配信なんだしもう少し長くやっても良かったとは思うよ 今度の特典は予想より素晴らしかった
飾る用にもう一回見てくる >>398
買って見返して満足されると買われない
あくまで後編上映だからしょうがなくだったんだろ 近くの劇場今週でラストだ…
舞台挨拶の配信もなさそうだし…
とりあえず特典が残ってることを祈る 帽子被っている時の陽毬の中身は桃果?桃果とは別人? 桃果(帽子)だと思うけど、指令を出す→女王様キャラみたいなことかなと思ってる
桃果について豊崎さんがごっこ遊びだかなりきり遊びが好きみたい的なこと話してたり、
冠葉喜びのロールキャベツ回想で陽毬もなりきってるから、
2人のそういう所が呼応してるのかもしれないなと思う 特典はどうでもいいけど、前編長かったのに
後編ラストになってて、慌てて予約入れた TV版全部観ました…
TV版には赤ちゃんペンギンとか成長した姿の桃香は出てこないんだな 僕は君を愛してるってタイトル、最後みんながこっちに向かって愛してるって言う、人は愛してるって言葉が欲しい
みたいなこと言ってたけど、現実世界で誰にも愛してるって言われず何者にも慣れてない俺に、わざわざみんなが愛してるって言ってくれてるのか?
それとも各キャラそれぞれ愛した人へ向けて言ってるのか? あと、最後高倉兄弟が「次はどこに行く?」「そうだなぁ、じゃあ」ってやりとりエンディングはさんで2回やったのてなんか意味あるのかなあ?
水族館に行った意味もよく分からないし… >>412
だから最後に現実世界にアニメ側がこの作品を見てくれた人愛してるって言うんだよ
お前は愛してるって言われたんだよ
>>413
水族館はペンギンになって飛べない鳥が飛ぶことが印象的だろう
次に行ける兄弟も同じ 映画館だと、一気上映したところもあるみたいだけど、うちの最寄りのはやらなかったし、早く円盤で通しで観たいな。
ちなみに円盤って前後半別売りなのだろうか…。 >>412
見てるコチラ側に語りかけてると感じたならそう受け取ってほしいもらってもかまわないような演出にした
一度愛された子供はその受けた愛でその後を生きていけるってのと合わせて
ピングドラムの輪が現実側にも広がっていったんだよ的なことを上映後挨拶で話してたような話してなかったような >>415
昔まどマギが総集編やった時の円盤は前後編セットだったしそうなるだろう
と思ってググったらオーバーロードとかメイドインアビスとか別売りも普通に多いんだな
でもピンドラはパンフも前後編共通だったしセット売りになる気がする 円盤出るのは年末ぐらいかね
それまでは前後編上映がイベント的に単発であったりするのかな
みんながこっちに向かって愛してるって言うシーン突然なのもあってすごい照れてしまったよ
初めて観たとき目が見れなくて、みんな口の動きが滑らかだな〜ホァ〜〜って眺めてた
言い出しっぺの桃果と最後の陽毬はちゃんと目撃できたけど、公式の貼った苹果ちゃんがはじめどこの誰なのか分からなかった… tシャツの後ろのマークがカエルになってたのようやく見つけられたわ
そんなにアップされてないから監督のコメ前に気付けてた人すごい 前編はわかりやすいけど、後編の方は完全にファン向な気がするら伏線回収てか説明部分よりドラマ部分メインに編集してるから初見だとさっぱりだしサラッと見ただけの人でも難易度高い。
キッチリ細部まで理解した人が見て「あ、このシーンいいよね」と浸るための後編。
上で書かれてるけどラストは+αあって良かった。 うん、後編は+αが少なかったけど、その+αがラストで自分が一番観たかったもの
(子供に転生(?)した高倉兄弟の幸せな姿)を観られたから、映画には満足している。
前世だと、冠葉自身が最後は大量に人を殺めていて、いくら妹のためと言ってもあれで幸せになってはいけなかった。
本人も自分の幸せなんて考えていなかったとしてもね。
ただ、一旦、死(?)を迎えたことで、冠葉は償いは出来たと思ってる。 後編良かったけど3号が箱に入るシーンでそことそこの間の話だったんかーいwとなった テレビ放送以来見てなくて前編も見てなかったけど後編楽しめたわ
テンポよくて映像もクオリティ高い
ただ後半トイレ我慢しててよく分からんくなったから明日もう一回見に行く 確かにトイレはキツかったな……
何とか決壊を抑え込んで、スタッフロールと同時にトイレにダッシュ→戻ってきて最後のアレを何とか見ることはできたが、あれは苦行だw 夏だから水分多めに摂るしな
上映前にトイレ行ったのに後半で膀胱がヤバくなったのは自分でも驚いた
そういえば前編のとき瞬殺だったペンギンマドラーってもう再販はないのかね 晶馬が陽毬に恋愛感情持てば陽毬の恋愛的にはハッピーエンドだった
乗り換え発生しなくて短命になったかもしれないが
晶馬は苹果に愛していると言ったが異性として好きというより
人として好きって感じがする
犯罪者の実子という自己呵責で恋愛は考える余地が無いのかもしれない
他人であるにもかかわらず自分を受け入れてくれた苹果と身内である陽毬
晶馬の救いになったのは苹果 >>428
冠葉がちょっと怪しかったような
>>429
作者の脚色かもしれないけど小説版では晶馬は苹果に対して恋愛感情有りそうに見えたかな
それ以外はその通りだと思う >>414 >>416
確かに作品を愛してくれてありがとうって感謝の意味もあるかもしれないな
>>429
ひまりって晶馬との出会いのこと忘れてたけど晶馬を好きって感情も忘れてたのかなぁ
家族として迎え入れられたって家族愛しかなかったのかな
というかネグレクトされてた頃の記憶はどうなんだろ 妹で無ければ晶馬の傍に居られなかった
陽毬は普通の家庭を望んだ晶馬に忖度して可愛い妹役を演じてしまったので
妹にしかなれなかった 痛いメンヘラ眞桃ババアが私が考える眞悧くんや桃果ちゃん以外は認めない!という人間なので見苦しい
10年前に終わったアニメに必死にしがみつく前に働けよ このコンテンツ本編以外の情報を残す気がないのが悲しい
舞台挨拶とかスペースとか見れなかったり聞き逃した俺が悪いのだが
監督はあんまり本編の話したがらんから声優が語ってるところがもっと聞きたい >>432
好きな気持ちを隠して妹を演じてるのは分かるんだけど
晶馬との出会い忘れてた(記憶から消してた?)のなら最後別れる時に「ずっと好きだったよ」ってなんで言ったのかなぁと
あと冠葉のところに言ってたのに倒れたひまりを病院に連れてったの晶馬なのなんで? >>435
晶馬が病院に連れて行ったわけじゃなくて、病院に運ばれて連絡がきたから晶馬は病室にいたんじゃね 個人的なイメージとしては
陽毬の晶馬への気持ちは箱に閉じ込められてたわけじゃなくて意識の真ん中に常にあったけど本気で見えない振りをしてた
思い出し玉を受けてそれがずっとあったことに気付いたって感じ
晶馬への気持ちだけじゃなくて冠葉が自分に好意があることもやばい仕事してることも気付いてたけどそんな事実はないと思い込ませてて
だからこそ「ずっと好きだった」だし「見てみぬふりして奪った」なのかなと >>434
声優なんて中身の無い話しかしないじゃん
なんの手掛かりにもならん じゃあプリクリがいつも晶馬排除して冠葉とエッチしてたのは何なの
プリクリの趣味が冠葉なの?
あんなに多蕗みたいなのとの妄想日記付けてるのに? そんな事実はないと思い込んでいないと家族が崩壊する
晶馬に好きと伝えてしまったら家族で無く同棲相手になる
勿論同棲相手と家庭っぽいものを作る事はできるが堅物な晶馬が同棲を了承するか
冠葉に対して自分の気持ちを伝えたら冠葉は家を出て行く 「見て見ぬふりして奪った」は神さまへの懺悔みたいなものだから、そのまま陽毬の行為そのものとして理解しないほうがいいのではと思う
冠葉の好意に胡座をかいてたわけじゃないしね
>>434
劇場版の本は出ないかね
あちこちで話したことを拾う感じでいいから載っけてほしい
監督は音響監督もしてるし役作りのためにけっこう話してたみたいだから聞きに行けた舞台挨拶は面白かったよ 苹果ちゃんが高倉家の事情を知っても離れなかったのは晶馬にとって救いだけど、晶馬への恋心が主になると陽毬を救う運命の乗り換えが難しいんじゃないかなと思う
だから日記も燃えるし冠葉の「なんで俺じゃダメなんだ」もそういうことなんだろうと思う、そこを突いて壊そうとしてたし侮ってたのが眞悧だよね
できたら晶馬を介さない苹果ちゃんと陽毬のつながりがもう少しあるとよかったな、「ひとりご飯のときはうちにおいでよ」とか
晶馬は自分が陽毬を身内にしてしまったことに対して呵責の念にかられてたから、陽毬が晶馬に「見つけてもらえて嬉しかった」と伝えたことは好意を伝える以上に意味のあることだったんじゃないかな 晶馬が陽毬を犯罪者の身内にしなければ陽毬はトリプルHになれたかもしれないが
晶馬が陽毬を見付けなければ陽毬は仲が良い女友達が居る子供にすらなれなかった 陽毬と苹果の関係が「好きな男の身内」でしかないからな ほぼ引き籠りの陽毬にとって苹果は数少ない身内で無い会話相手 >>434
TV版で良ければ公式ガイドブックは割と丁寧に解説されていたよ
映画版ならパンフレットで主要メンバーの中の人達がサラッとコメントを出している
音声ならば映画版でもコメンタリーを収録して売るのかな?分からないわ
TV版のコメンタリーは一部本編から脱線してカオスだった記憶がある 今月のアニメージュの幾原&木村昴対談面白いな
面子的に冠葉の話が多めだけど コミケ終わってやっと暇ができて来週以降なら見に行けそうなんだけど、
近所のmovixとイオンシネマはもうやってなかったわ これ劇場版でも不十分だしテレビアニメでも不十分じゃん未完成やん 結局、自己犠牲がテーマなのは分かったけど、だから何の話なのか分からなかった
自己犠牲を払えば満足できるよって話? ゆりのことも同様に救ったはずなのに運命日記には多蕗とのラブラブ生活についてばかり書いてないあたり実人物としての桃果は理想化された運命の女神ではなくてあんがい普通の女の子だったのかな >>452
愛の話なんだよ。なんでわかんないかなあ トイレなんて全然行きたくならなかったんだがそんなに長かったか? 2時間半以上だからな
ここでウテナウテナ言ってるようなアラフィフは尿も近くなってるんだろ セラムンどころかウテナすら見てないクソガキはウマ娘でシコって寝な 腸の病気だから直前に行ってても前半の時は3回行った
だから後半は配信に切り替える 上映時間が長い映画だと尿漏れパットつけるようにしてるわ
夏場だと冷房効きすぎて寒い時があるし >>452
自己犠牲はテーマの一部
本当に伝えたい事は
社会の中でどんなに孤独を感じたとしても絶望する前に
林檎を授受しあえる人がきっと何処かに居ると信じて
「自分という箱」から手を伸ばす事を諦めないでって話
自己犠牲云々は林檎を分け合う相手を見つけたその後の事です 愛とは自己犠牲だよ
だって見返りを求めた時点でそれは愛じゃなくて契約だから 契約・約束の類も一つの愛
愛とは自分という箱の中で完結するものではなく
他者との間にある「輝く希望」なのだからね、イクニ作品では大体そんな感じではないのかな? イクニさんは契約を悪いものとは考えてない、と私は思うんだよなぁ
高倉兄弟が箱の中で林檎とともに交わした「生き残った方が大切な人に遺言を伝えて」も
契約と言い換えられるものだしね。
見返り、ねぇ
熊のぬいぐるみに伝言入れ陽毬に届ける事を見返りと仮定し
その為に林檎を分け合って兄弟?の契約を交わしたシーンは、愛じゃなかったって事なのかな?
465さんにとっては。 多蕗「愛とは痛みだからね」
陽毬「見てみぬふりして奪った」
蠍の炎
これ全部すっ飛ばしてキモい長文書いて分かった気になってたらダメでしょ >>463
それって無責任に煽っている時点でお姫様願望を煽っていた作品を作っていた頃と変わらないよね?
考えなしに手をのばしてしんでいった若者で死屍累々だし >>469
察するに自己犠牲の事を言ってるのかな?
>>463があなたの好みと合わないのは仕方ないとしても
ちゃんと読んでからレスしてくださいねw
その場合なら付き合いますから >>470
昔のイクニ作品は「お姫様願望を煽っていた作品」なのかw、一体どれの事なの?
ピンドラのヒロインは色々と人生に絶望して自分という箱から手を伸ばさず死に向かう陽毬だからね。
彼女が目指すべきは「自分の居場所を無くしたと絶望して病死するお姫様」じゃないでしょ? >>471
だからそのリンゴを分ける行為自体が自己犠牲なんだってば(笑)
この競争社会ではリンゴは自分が独占するもの、でも自分の取り分を減らして(痛み)でも他人に分け与えることがピングドラム
単純にお前が自己犠牲というワードを燃えたり死んだりする強烈な絵と演出に囚われすぎなだけ 近所の上映が終わっちまったが悔いなし
あとはBDを楽しみにしている
https://i.imgur.com/RL71B42.jpg まあこれは個人解釈だけど、リンゴってリビドーのことだよ
リビドーを自分に備給するのが箱であり眞悧(呪い)
リビドーを他人に備給するのが愛であり桃果(ピングドラム) >>473
自信満々に書いてるけど「分け与える側」が健気で偉いって事しか書いてないので50点だと思うな、それだと
私が>>463で書いたように「受け取る側」が何度世界に裏切られようと林檎を受け取る為に箱から手を伸ばす
その二者の「契約」こそがピングドラム、と私は思うんだよな >>476
勝手に思ってればいいんじゃないの
その箱の中で、一人で 本当にピングドラムに関して>>477さん自身が正しい解釈を持ってる自信があるのなら
そんな議論をぶん投げるレスはしない、と私は思うんだけどな だってお前がしてるのは議論じゃなくて後出しジャンケンによるマウント(競争)だし
その列車には乗りません、さよなら🤭 そもそも二者間で終わる契約なら廻らないピングドラムだしな
色んなところに廻るから巡り巡って自分に返ってくるわけで
「林檎は愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもある」と繋がらない 見返りを求める契約は愛じゃない」と>>465で言い切っていたのはoc3dZEVNさん自身だから
箱の中で林檎を分け合った高倉兄弟の契約の描写を愛ではないと思ったのかな?と
話を聞いてみようと思っただけなのに
それを後出しジャンケンとかマウントとか受け取られたのか、残念だ。 映画、ようやく見れたわ。
なんかオチはテレビ板の方がよくないか?
なんか足してるけど微妙みたいな感じだった。
挿入歌とか音楽が変わってるのはこれはこれで良いって感じなんだけどね。 冠葉って別に晶馬から見返り求めてなくない?
陽毬に対してはめっちゃ欲しがってるけど >>483
ほんとそれ
勝手に誤読してマウント取ってるの笑えるわ 大切な人に言葉を届けるって約束は林檎見つけるより前のことだから見返りないし契約でもなんでもない
自分だけ生き残ることもできたのに晶馬と分かち合ったことが愛 見返りもなにもラストとか陽毬もリンゴも望まぬ結果だし 冠葉がプレイボーイ設定なのって
今思えば血の繋がらない好きな女と
同棲してる事による性欲を発散するための代替物だったのだろうか オススメで一瞬出てきただけだし記事の内容詳しくみてないけど
ピンドラと安倍元総理の事件についての関連性について語ってる記事見つけたな
別にたまたま時期が重なっただけなのに予言か…とか言われてもなぁと… あの薄っぺらい記事かー
でも山上はリアルタイムでピンドラ観てても不思議じゃないな
氷河期世代って「きっと何者にもなれないお前たち」とかドンピシャでしょ ピンドラのボリューム層って当時10代だった世代じゃないの
明らかに影響受けた漫画描いてる藤本タツキくらいの世代 檻に居た時冠葉と晶馬は知り合ったばかりみたいだった
だから冠葉は林檎をあげる事ができたのだろう
晶馬は陽毬から好かれていて冠葉にとって理想の父親である剣山の実子なので
兄弟になってからは冠葉は晶馬に嫉妬していただろう
兄のプライドで平静を装っていただろうが >>483
劇中で描写されたものだけで言うと
冠葉はいつ壊れてもおかしくない危うさがあろうとも「高倉兄妹3人の生活」に幸せを感じかみ締めていたから
幸せが見返り、だったと私は思う。
晶馬から、とか陽毬に対して、というより
兄弟生活をしてる最中は大なり小なり見返りは求めてたんだ、と私は解釈してるよ。 >>485
冠葉が仮に自分だけ生き残ったとしても
箱の中で語っていた「大切な人」に出会えなければ実父の死後は虚しい人生だっただろう。
冠葉が「大切な人・陽毬」に出会えたのは兄弟?の「契約」を交わした晶馬のおかげ。
また、せっかく企鵝の会から救ったのに
夏目家の跡取りらしく成長して愛する実父の死を美しい棺と言って蔑むようになった真砂子では
冠葉の心を救う大切な人にはなれなかっただろう、と私は思う。
冠葉は半分林檎を渡し、自分だけ生き残らない「契約」をしたおかげで
「冠葉に思わぬ見返りが輪ってきていた」、と私は解釈している。 >>491
冠葉がどれだけ物事を俯瞰して見れる少年か知らんけど
企鵝の会で大スキな実父の演説を聞いていた頃の冠葉に
独りぼっちの陽毬を見つける事は出来なかった
その陽毬が後々冠葉は心を救われるのだから
嫉妬だけではなくて冠葉は晶馬に感謝もしてるんじゃないかなぁ、と私は思う。 >>492,493
時系列がおかしい
冠葉が晶馬に林檎分けたのは実父が死ぬ以前
そこに家族の幸せの見返りなんかないし兄弟の契約もしてない
そもそも冠葉を引き取ることを決めたのは剣山だし
色々反論される度に無理矢理持論に継ぎ足してるから矛盾だらけなんですよ >>496
夏芽父の葬式時の高倉母の台詞通り「二人は知らぬ間に仲良くなった」
つまり箱の中で林檎を分け合った後、葬式までは何だかんだ二人は幸せだったという事。
それが「見返り」の一つでしょ。
また「生き残った方が大切な人へ遺言を伝える」のが箱の中で二人が交わした契約
契約を結ぶ関係となった副産物で高倉兄弟は仲良くなった、のだろう。
私の時系列が正しいから「二人が仲良くなった」きっかけに剣山が関係して無いんだぞ。
後、兄弟の契約かどうか公式で明言してないので
>>467や>>493など「兄弟?の契約」と私は今まで書いてるんだよなぁw
でも箱の中のやりとりが後々兄弟となる関係の冠葉と晶馬、二人の運命の始まりの日なので
その辺を「理解してる視聴者さん」相手なら別に「兄弟の契約」と言っても良いのかな、と私は思うんだけどね。
反論するにしても
君はもう少し本編を理解した方が良い、かもしれない >>485
「大切な人に言葉(遺言)を届ける」のが林檎を分け合った時に交わした契約で
高倉兄弟がそれを思い出したから
最後に陽毬の熊のぬいぐるみの中にメッセージが入れといたんでしょ。
「契約でもなんでもない」なんて言い切っちゃって大丈夫ですかね? 相手に合わせて私がレベルを下げて話さないと通じない、という事なのかな
難しい ま、私もすべて理解しているという訳でも無いので探り探りだけど レベルを合わせるというかチャンネルを合わせるというか・・・
見てる作品は同じなのに皆それぞれの解釈の元に世界観を構築していくから
一つ話を合わせようとするだけでも大変な時ってあるよなぁw 日記はTwitterでやれ
>>482
TV版の切ない終わりも好きだし
きっと何者かになれるというセリフの追加や
眞悧にもちょっと救いがあった劇場版もよかったと思う 自分も乗り換えシーンはTV版の方が好きかな
曲は運命の子供たちとか絆で良かったのに
ただまあ、ここに手を入れないと劇場版作る意味ないもんなあ
実写合成とか新OPとか劇場品質のサントラとか他の追加要素はすげー良かったけど 冠葉父が「私は家族に失敗した」冠葉いったのは何でなん? after'45の入れ方アニメ映画で丸々実写シーン映してるだけなのになんか感動しちゃう after‘45のとこいいよね
待ってるわけでもないのに見るたびに泣いてしまうしなんか加速してた
なんなんだあれは この作品は劇場の音響で印象がだいぶ違うと思った
しょぼい環境だと劇伴とセリフがかぶっちゃう
特にトリプルHの曲が流れてるところで顕著 CONTINUEのデザイン班のインタビューって何ページ載ってる?
越阪部さんだけで2ページはあるみたいだし6ページくらいあるのかな 札幌で前後編を一気に観てきた
桃果バイセンがこどもブロイラーに空けた大きな穴はそのまま放置されて
数年後、陽毬を救うために晶馬が侵入した通路になったで良いのかな?と思った
TV版のこどもブロイラーは不気味な印象のままだったけれども
映画版では中にいる子を救おうとする人が大穴から侵入できるようになったのならば
顔や名がない子達への救いにも思えて嬉しい >>505
自分の死期を悟って冠葉を高倉家の養子に頼んだけど
自分に懐く冠葉を見てつい言っちゃったんじゃないかなぁ。
真砂子の台詞通り冠葉の不器用さは父譲り、だったのかもしれない
他のスレにも書いたけど
ピンドラは遺伝が隠れたテーマの一つっぽいしね、台詞で言ってるから隠れてないかもしれんがw 夏芽父の拒絶する台詞を聞いたから冠葉は自ら箱の中に入ってしまった、と私は解釈しているが
なんだかんだ良い父だったのでは?、とも私は思うなぁ。
冠葉の箱に入っていた林檎は夏芽父から貰ったものか
真砂子から貰ったものか
それとも未来の陽毬から返ってきたものなのか、どの解釈でもそんな間違ってないと私は思うなぁ。
父の拒絶を聞いて返せなかった林檎、って可能性もあるしね。 >>486
生き物は見返りを求めるから愛も罰も分けて一緒に居たんでしょ
だが自分ら高倉家の兄弟が居ると陽毬に呪いが降りかかるから
陽毬が池辺の夫婦の養子になる世界線を見つけ、陽毬と苹果を移動させ
兄弟二人は生き物としての本能を捨て成仏した。
望まぬって、女二人は皆で心中したかったって事ですかね?
それとも苹果が蠍の炎で消えれば解決した?
仮に林檎が蠍の炎に焼かれた場合でも高倉家の呪いは続くだろうからまた誰かが犠牲になっていただろうね。 >>505
テレビ版を見てたときは、夏芽家と組織とのパイプを期待して子どもを連れてきたのかなと思った。それがうまくいかなかったと。 夏芽の父は真砂子とマリオを手元に残すつもりだったのに冠葉が真砂子たちのほうを帰せって言ったじゃん
そういうところが嫌いというかコンプレックスを刺激したんじゃない?
自分は父・左兵衛の下から逃げて組織に来たのに冠葉は妹弟のために父親の下に残れる人間なんだから サネトシ先生は日記に触れるとビジュアルがああなる仕組みだったのね >>515
生きることは取捨選択で
死にたくはない死なせたくない部分が拾われたけど
苹果ちゃんの追加台詞聞いたら一つの残酷な選択ではあるでしょ >>520
二人が「大切な人への伝言」というこの世で果たすべき契約を思い出し
自力?で叶えたのだから心残り無く成仏したのだろう
そういう契約なのだろうし
池辺陽毬の世界線では兄弟二人は高倉家リフォーム時にすでに成仏していたのだろうし。
それに高倉家の呪いはそういう「設定」なのだろうからしゃーない
作中、主要人物の行動に何も影響を受けなかった大衆(ピクトグラム?)が突然賢くなるはずもないしね。 たぶんちがうと思う、解釈はそれぞれ自由だけど
ややこしく「設定」とか「契約」「見返り」「呪い」って受け止めなくても、セリフ聞いて場面や描かれてる人物の行動を見てれば、
一緒に助かろう、抜け出そうってことだなとか引き受けるってことだなとかすんなり分かる様に作られてるよ
持ち出してる用語の定義が曖昧だし、それによって築こうとしてる解釈で自家中毒を起こしてるように見える >>521
ありがとうー
そのくらいページ数あるなら買うかな パンフ見て知ったけど池辺のおじさんて剣山の弟なんだな
近い身内から指名手配犯出て大変だろうに実の甥はともかくどこから連れてきたかもわからない子供の面倒まで見てくれてすげーいい人だな >>523
その言葉に込めた思いはキャラそれぞれだと私も思う
サネトシは一貫して理屈をすっ飛ばして、こんな世界は壊すんだとか言うし
他者を一方的に呪う分かりやすさがあった
けれど、鷲塚先生の「夢の中でサネトシと一緒に鍋を食べた」という言葉から
実は恩師に思い出して欲しかった寂しがり屋だったのねと思う
呪い=現状の破壊がTV版で、呪い=誰にも気づいてもらえない寂しさという
若干穏やかにした憂鬱さが映画版に追加されたのかしらね このキチガイ色々とズレ過ぎだろ
「契約」とか本編にない妄想で話進めてるし 面白い考察ならいいけど、この人のは独りよがりで面白くない上に共感もできないっていう なぜこの作品には自分の考え以外許容しない考察厨が沸いてしまうのか
今に始まったことでもないけど 前スレにも書いたけど
①現代国語テスト的な読解レベルな解釈と
②教養で押し測ると普通はこんな感じよなあって解釈と
③多少の妄想入っちゃうけど自分としての落とし所はこうだなあって解釈
そんぐらいのレベル感があると思いつつ語ってみてくれ
③を②や①であるかのように語るとすげえ嫌われる >>531
現代国語的な読解
↑
この時点でそもそも格差出るから荒れるだろ
大半は雰囲気で見てるだけでセリフの繋がりやテーマなんてろくに考えることなんてないんだから >>532
まあこんなレベル感
①「蠍の炎」が何かは作中で語られてない
②銀河鉄道の夜で言うところの「みんなの幸のためなら僕のからたなんか百ぺんやいてもかまわない」の炎だから、他者のための自己犠牲のことだよね
③それってある意味、呪いの裏返しな願望で、本質的にはサネトシと桃果は同一であり、高度成長期の日本の精神が抱えてきた問題の象徴なんだよね
みたいな
なお③はそれっぽいこと言ってみただけで適当 さねとし先生の中の人Twitterで美容院行くとかつぶやいてあの格好だったけど地毛なの!?
20日にはカレー食べてるし愛がすげーな(笑) ほんともっと活躍させてほしかった
あんなクソみたいなチビペンギンとしてではなくて >>530
とある場で雑談中に学校は公立全廃して全部私立で良いと言っている人がいた
その人は親が金持ちで特に金がかかる事で有名な私立校卒
自分は親から私立は学歴を金で買う馬鹿が行く所と言われて育った
自分は黙っていたけどその人はまさかそんな家庭があると思わないだろうね
人は自分が育った環境による価値観からは逃れられないと思ったよ
育った環境から逃れられない=箱から出られない まあイクニ自身が自分が見た映画の解釈が他の人が観たそれと全然違う、記憶が歪んでる、みたいなこと言ってたし >>539
その妄想と考察もごちゃ混ぜにしちゃうことも含めて考察厨と言っている >>540
どうでもいいけど、なんで名前欄になまえって書いてるの >>541
5chのスレを見ると、名前欄になまえをいれてくださいと書いてあるから やっぱイクニ作品観てるようなのは変わってるのが多いな(褒め言葉です) >>533
サブテキストみたいな感じですね。
蠍の炎か
特に宮沢賢治のファンでも無い私としては
感情があるのかどうかも分からんような蠍を擬人化させて
井戸の底で決意を語って星になろうが余り興味は無いんだよなw
で、ピンドラで蠍の炎で実際やってる事と言えば
燃える人(新家族)と見てる人(旧家族)の我慢比べ大会で
蠍の炎で燃える様を旧家族に見させて罪の意識を起こさせ、炎を引き受けさせる出来レースのようなものだし。
きっと15話のゆり父も桃果が燃える様を見て罪の意識を感じ引き受けたのだろうな。
或いは桃果が無理やり時籠父に抱きついて炎を移したかだがw
ピンドラの蠍の炎を自分の偏った知識で例えるなら
ダチョウ倶楽部の「俺が蠍の炎を引き受けるよ!」「どうぞどうぞ」のコントに近いのかなぁと
解釈している
ピンドラの蠍の炎の使い方は銀河鉄道の蠍の炎に似ているのかなぁ?
詳しい解説を見ると未だに考えてしまうな。
みんなの幸せのためというより、一人の友達の幸せのためだし。 ひょっとしてただの荒らしかと思ったが、本当に精神病っぽいわ
この文章から漏れ出てくる他者の居なさは アニメと違って蠍の炎を引き受けさせるのを失敗するパターンも実際にはあるんだろうなぁ
現実はアニメや童話通り綺麗ごとばかりではないだろうしね。
そもそも対象者の居る前で発火しないと井戸に落ちた蠍みたく無意味に星になっちゃうんだろうな。
仮にダブルHのライブで発火したらどうなってたんだろうなぁ。。。 >>534
現場で見たけどあれはウィッグでしょう
イベントでは小泉さんにももっとしゃべって欲しかった
サネトシのキャラを意識してなのか
あるいは声優として実質的に引退状態だからあまり前に出ないようにしてたのか >>547
そうだよな、さすがにあんな長髪じゃないよな…(笑 ある日突然「運命の果実を一緒に食べよう」と叫んで発火する人を目撃して
何か思う事はあるだろうか?
15話の通行人みたく救急車は呼ぶだろう、何か不思議な事が起こったという感じだ。
私としてはピンドラは不思議な蠍の炎のシーンより
9話の割れた鏡から陽毬を庇った高倉母の方がスキなんだよなぁ、リアルを描いていて。
あのシーンは泣ける。 >>547
今は音響の仕事がメインなんだな
割と好きな低音ボイスだからまたいつか出演してほしい 蠍の炎を引き受けさせる?
発火した苹果を助けるために晶馬の様に自ら炎を引き受けるならともかく
発火した本人が他人(問題の原因的人物)に炎を押し付けるってそんなシーンあったのか? >>551
大体私と同じ解釈ですね。
炎を押し付ける事が出来るのかはしらんが考えると面白いんだよなぁw
それが作品の理解を深める醍醐味の一つ、と私は思っている。 どんな集団でも仲間に引き入れる方法として相手を褒めたり信用させたりするのは基本
高倉父→お前は俺の自慢の息子だ、お前を息子にして良かった→冠葉籠絡
高倉母→アナタが無事で良かった、アナタさえ無事なら私の事はどうでも良い→陽毬籠絡
高倉夫婦はどんなに良い人に見えても所詮自分勝手な犯罪者
無関係な一般人の人生消滅させているし被害者(苹果)の家庭を壊している
テロ犯はなんでテロ行為をする事が良い事だと思うのだろう そもそも何故、作中のキャラは蠍の炎を見て罪の意識を感じるのだろうなぁ?
晶馬の方は分かるが、ゆり父は桃果と特に面識があった訳でも無く
ダビデタワーの前で初めてあったはずなのに。
桃果が日記を早口で読んで如何にゆりへの愛が本物かを聞かせていたのかもなぁw
無い描写を自分で補う為に他の描写から見つけるのがイクニ作品の面白い所。 >>553
それは洗脳されたテロ犯が視野狭窄になるからだよ 電車の中に先生の家族親戚友人ご近所さんが乗っている可能性
爆発現場に陽毬の友人や晶馬の友人知人が居る可能性を
眞悧や冠葉が想像できたなら >>556
苹果の目前でぬいぐるみ爆破させてる時点でもう冠葉には無理でしょ 剣山の実子の晶馬は苹果に罪悪感感じているが
剣山の呪い「お前を息子にして良かった」にかかっている冠葉は罪悪感を感じない 後半の陽毬を助けるために一人でドツボにハマっていく冠ちゃんには
恋敵の晶馬の力は借りたくない
実父に必要とされなかった自分を捨てたい
剣山のような頼れる「父」になりたい
の三重の呪いがかかってるよね…夏芽家の「強くなければ生き残れない」の呪いもかかってるのかもしれない 自分の親は悪い事をしたと親を客観的に見られる晶馬と真砂子は
親から良い評価をもらいたいという願望が無い
親からの呪いの影響が少なかったのだろうな どっちも客観的ではなくない?
晶馬は自己否定に真砂子は冠葉への激重感情に繋がってるし
あと地下鉄テロは眞悧が生きてたピングフォースのときで企鵝の会は「この世界は間違っている」止まりで何もできてないっぽいんだよね
その後は潜伏してるからかもしれないけど陽毬と冠葉迎えてなんか変わったのかもなあと思った
剣山は要所で企鵝の会オレンジパーカー着て出歩いてるからよくわからんけど >どっちも客観的ではなくない?
「親が悪い事をしたと分かっているかどうか」の話
この場合の客観的で無いというのは親のした事は止むを得ない事で正しいと思う事 >>562
陽毬も冠葉もわかってることは多蕗に復讐対象にされたときにも見て取れるんでは?
曖昧な線引きで「客観的」と言われても…正しいことなんてどの登場人物も思ってないでしょ
身内や近しいひとのことを客観的に見るってあんまりできるものではないよ
だからみんな始めは間違った行動を取ってたんじゃないの? 実親に恵まれなかった冠葉にとって高倉両親はやっと得られた優しい両親だから犯罪者と分かっていても執着を捨てられない
晶馬は犯罪者の血縁として自責の念があるし生みの親は選べないから両親のせいでという恨みの気持ちもあるかもしれない
結果血の繋がってない息子の方が父に似てきて犯罪に手を染める
そういう呪いなんだよね(サネトシボイスで) >>561
桃果の乗り換えの呪文が半分発動した結果
高倉父母は眞悧から半分解放されたのだろう、そして次代に持ち越しと。
そういや桃果と眞悧の戦いも蠍の炎なのか。あれが失敗のパターンの一つと。
仮に蠍の炎が発動していたら眞悧は桃果の炎を引き受けていたのだろうか?
眞悧でも蠍の炎に巻かれる桃果を見たら罪の意識を感じるのだろうか? 蠍の炎の演出って放送当時よく受け入れられたよなぁ、と私は思う。
イクニ演出でもシリアスなのに飛び切りシュールな絵面だし。
その辺、イクニさんに「計算してたのですか?」と聞いてみたい。
銀河鉄道の夜の知名度を計算してたって感じだろうか?
15話の時点では蠍の炎って単語はまだ出てないはずなので
15話で気づいた銀河鉄道を理解してる視聴者は興奮してたりしたのかなぁ?
リアタイしてた訳じゃないのでその辺の感覚は鈍いんだよな。 プリクリ変身もペンギン兄妹も電光掲示板も全部シュールだが
蠍の炎だけって演出へチャンネル合わせできてないだけじゃね
冒頭の少年達で賢治ネタ出てたし解釈勢は察しの空気だった リアタイだと
冠葉ネルラと晶馬ンニはどの辺で察せられたんだろ
眞悧出てくるまでは陽毬がザネリに見えるよなあ多分 陽毬もサネトシもザネリの役割果たしてる気がするけど >>568
1話でモチーフとしてわかってたし小説版がネタバレとして出てたから
早い段階で考察でてたと思う >>535
そこは大人の事情なんだろうなと思った。キンレコ 劇場での上映はあらかた終わったこの時期に
まだイベントやるんだな 札幌のトークショーは中休みありの一挙上映後だしオタクにも人体にも優しいな いいなあ
東京住みだが舞台挨拶はコロナで全く参加出来なかったので悲しい イクニ監督は今度の土日に4会場で舞台挨拶するのか
監督の生存戦略も大変だな そんなにやるの?
もはややってない映画館の方が多いんじゃ ピンドラみたいにユリ熊嵐やさらざんまいのクラファンしたらどのくらい集まるのか気になる >>576
地方だとまだ始まったばかりの劇場も多い 犯罪者の子供に親の罪を償えとは全然思わないけど
一般人巻き込んだテロリストの子供がアイドルになれるはずが無い
被害者や遺族にそれを受け入れろと言うのは非情
高倉母は陽毬がアイドルになる事を応援している感じだったけど表面的な偽善 >>577
ユリ熊嵐はそんなに集まらないだろうが、さらざんまいは地味に集まりそう
未だに新グッズが出たりしているし、さらざんまいの人気は強いイメージ 監督ホントピンドラ以外の話(映画とかカレー)はウッキウキで話すなw 女スタッフがいる中で「30過ぎて行き遅れた女が結婚相談所に行く映画」の感想を揚々と語るイクニのサイコパスっぷり
そして実際観てみたら普通に面白かったわ >>589
黒川芽以主演『美人が婚活してみたら』 かな?(笑) >>591
サンクス!
これから見てみます!
1965年の映画だけどもう結婚相談所とかあったんだな 映画観てからアマプラでテレビシリーズ観たんやがふぐ刺しのエピソード無理があり過ぎんか?
まあ他のエピソードと同じく全て起こった現実そのままというわけでなくて戯画化されてるんだろうけど ウテナの劇場版に比べちゃうとな。
もっと最後はいろいろ変えても良かったと思う。 あー、登場人物たちにとってはピクトドラムでしかなかった人達が晶馬冠葉を助けるっていうラストでも良かったかもね
クラウドファンディングってそういうことでしょ
ゼロ年代の身内だけのコミュニティからの開放でもある >>595
そんなしょうもない改変
全然見たくないわ そうか?
画面のキャラに「愛してる」って言われるよりこっち側がキャラを救った展開のほうが遥かにいいわ 結局あのラストじゃ「虚構の世界ぶっ壊して現実の嫁と幸せになります」やってたエヴァとそんなに変わらないからなぁ
「きっと何者かになれるとかいまさら言われても…」って感想割と見てきたけど、それってエヴァの呪縛に25年囚われて残されたオタクに「現実の女見つけろ」って言ってるシンエヴァと同じ暴力性だよね 当時リアルタイムで見ていて、このままでは何者にもなれない兄弟たちがピングドラムを見つけて何者かになる話、だと思っていたんだけど、劇場版ではそれをストレートに伝えたってことでいいのかな? ウテナの劇場版はテレビで好きだった要素が改変されててそうじゃないと思いながら見てたなあ
あれに比べたらテレビ版に補完入れただけのピンドラの方が良かったよ イクニは10年早いから
きっと何者にもなれないときっと何者かになれる
との違いは10年後にわかるかもな ピンドラは今の時代の方がむしろ刺さる内容かもしれない 今は何者かになりたがる人は減っていると思う
ネットでたまにバズったりすれば満足 そろそろ新しいTVアニメやってほしいな
廻る以降は面白いけどあっさりした感じだったし。 ピンドラ2011年、ユリ熊が2015年でさらが2019年か この週末の舞台挨拶でピングドラム関係のイベントはほぼ終わりか
監督はこれからの仕事の予定とかあるんだろか TVアニメの尺稼ぎが消えてスッキリした劇場版観て思ったけど、この監督TVアニメやるより劇場版やったほうが良いんじゃね
今は丁度アニメ映画バブルの時代だし、イクニ演出全振りの作家性的に使い回しバンクで刺激が目減りするTVシリーズより一回こっきりの映画の方が向いてるわ 結局総集編だからなあ
ちょっと新規カットがあったとて、アニメの画に修正もないし
集めた金はどこに消えたのか 2クールアニメが今はほとんどないからなあ
さらざんまいとか2クールで丁寧にやってほしかったわ 既存も編集かかって別の劇半だし
新曲も多い
作画は新規パート
ていうか「どこに溶けたのか」と言ってるやつはアニメの制作費舐めすぎ ・クラウドファンディング未達でも劇場版制作は行われる
→最低限の予算は事前に当然確保されてる
・皆様に応援していただいたお金で、新作パートや音響・音楽をよりクオリティの高いものにという記述
→つまりたとえ未達でも新作パートや新音楽は有り、クラファンでそれがさらに強化される
・その前提で、達成額が目標金額の10倍の1億を越えた
これによって期待が高まってしまったんだよな
しかし出てきたものが「もし目標額未達の最低限だとしたらこれくらいだろう」という想像の範囲内で、「よりクオリティの高いものに」の部分がまるでわからなかった
というのが正直な感想 >>614
どう見ても製作委員会に吸われて終わってるよなぁ
アニメ業界まで中抜きかよ これに限らずアニメ製作のクラファンって出資者扱いされてないなあとは思う
売り手も買い手も限定グッズの先行販売みたいなノリだよな クラファンって収支報告されないもの?
まあ、報告すると現実的な対応として止むを得ない出費に対しても
無駄遣いと叩かれるだろうから報告しづらいだろうけど 出資ならそもそも回収できないリスクを負うもので
決まったリターンを受け取っておいてまだ不満だから俺は出資者だ文句言わせろって筋違いもいいとこだがな イクニが作品についてはあまり語りたくないのってこういう業界周りのブラックな現実があったりするからなのかね
下手に口滑らせると干される危険性とかもあるし この世界の片隅にはクラファンで約4000万集まってあのクオリティ
ピンドラは1億集まって新規カットはほぼ手抜き実写映像っていう 名古屋の舞台挨拶見てきた
この人が劇場版セーラームーンを作りウテナを作りピンドラを作った神だと思うと手が震えてきた
今から札幌とか大変そうだな… こどもブロイラーって子育てに興味無いとか自分の嗜好快楽優先の親が原因だと思う
それって社会が悪いのではなく親が個人的に悪いだけだよね
子育てしたくない親のために赤ちゃんポストが当たり前になる社会が良い社会?
子育て給付金支給したところでパチンコ代や酒代になるなら意味無い
サネトシは社会を壊すと言うけど壊した後の事の具体性が無くてアホだ >>624
嗜好快楽の消費を促すのが資本主義社会でしょ、何言ってんの?
村全体で育てるというコミュニティも都市化で崩壊した
社会は常に個人の上位概念だよ >>626
でも資本主義以前なんて口減らしで子供殺す売るなんて当たり前の時代じゃん
どの時代でも社会の欠陥で誰かが犠牲になるのは当たり前 >>621
片隅は原作がめちゃくちゃ強かったところに高畑勲の弟子がほぼ忠実に映像化したからじゃないの
比較にはならないよ
あと実写部分は自分には最高だった
あれの前半部分を宣伝に持って来ればいいのにって思うぐらいよかった
ありがとうリーフレット読んでないの? にわかがなんか言ってるが
片隅のクラファン代金は映画本編にそのまま使用されたというわけじゃないぞ そもそもMAPPAという会社のできかたを調べたら片隅に力が入った理由も分かるわ
新作アニメと比較して何言ってんのか本当に意味不明 なんかごちゃごちゃ言ってる人たちは20万出した人なんかね?
なら直接言ったらいいんじゃないの まぁとにかく、まともな再構築もできてない只の総集編を
そのままお出しした幾原が悪い クラファンに20万円以上出した者だけが石を投げなさい ピンドラを名指ししてどうこう言いたいわけじゃ無いけど
クラファンと言えど「出資」って銘打つなら製作委員会に代理人出せればいいのにって思う
本当に出資扱いで1億円分の権限を持てるなら、ファンとしても意義深いよな
実際は特殊なグッズ・イベチケ販売の売上げにしか見えん >>628
>>630
総集編なのに数十分の新作パートすらろくなクオリティになってなくて実写で誤魔化してるのは言い訳できないから
動画の質からして片隅にと比べるのも失礼 アニメなんて、お金溶かそうと思えばいくらでも溶かせるだろ
分かりやすい例は『かぐや姫の物語』 札幌の舞台挨拶を見てきたよ
監督を初めて直接見たけれどもクラファンに出資者が集まったということが
何となく分かるような気がしたよ
前後編を一気観したので映画化に伴う人件費に結構お金が溶けた感じがしたけれども
見て抱く感想は人それぞれだものね
舞台挨拶は後日文字化されると事前にアナウンスが入ったのでそちらも楽しみ
2日連続長距離移動は大変だったと思うのですが、来ていただきましてありがとうございます 嗜好快楽の消費を促す資本主義社会にあっても
子供を慈しんで育てている人はいる訳で
自分の子供とどう接するのかは結局親個人の性格 社会が良かったら
多蕗の母親が才能無い子でも可愛がる
ゆりの父親が子供の人格を認める
冠葉の父親が冠葉にだけ冷たく当たるようなことはしない
ということは無いだろう 「社会のせいにはしない。でも親のせい!」
これは草生える
お前もお前の親もどこに生きてるんだよ、社会だろ サバンナで生きてたらサバンナのルールで生き死にが決まるだろ
社会のルールで生きてたら社会のルールで生き死に決まるよねって単純な話なのに >>639みたいな標識だらけの道しか見えない去勢された奴隷にサバンナのルールとか無理だろ、即死だわw なんというか、
構造の話をしているのに勝手に社会批判と読み取って勝手に話が通じなくなる現象笑うよね
お前の独り相撲じゃんっていう 親が自分の子供をどう思うかって話になんで社会が関係するのか
君は社会が子供を可愛がりましょうと言ったら自分の子供を可愛がり
子供を可愛がる必要は無いと言ったら自分の子供を可愛がらないのか
自分の感情無いのか 身内や家の繋がり、ママ友なんかのコミュニティの関係がしっかりしている家庭なら子供をしっかり育てる自意識にもっていける「小さな社会」とは言えるかな
一方、子供死なせてるのは車に置き去りにしたり、親に頼れず男に頼るしかないシンママとかだね
この場合は親側に「小さな社会」が成立しておらず、大きな社会(すなわち資本主義社会)の消費の流れになるしかなく、子供が邪魔になる >>647
まさか未だに自分の意識、主体が自分だけで決まると思ってる馬鹿がいるとは
ちょっとは勉強しなさい >>647
物は言いようだなぁ、オイ
バブル社会に最適化するように「愛して慈しみ」育てた毒親の子供が
氷河期社会に放り出されて窒息して行く例は枚挙に遑がない 片隅ってあれつくるためにMAPPAできてるから元から採算度外視映画だよな 安倍の国葬にかかった予算と
子供向けの各政策の予算を比較したら社会が悪いとはっきり言える 言い訳ばかりして実家に寄生する子供部屋おばさんの眞悧ファン気持ち悪い こいつは荒らし扱いでいいんじゃないすかね
スルースルー しばらく続いたピンドラ祭もほぼ終わりだなあ
次に動いてる幾原監督をみられるのはいつになるだろう 確かに
このスレが沈静化して来るのを見てたら
ピンドラ本当にこれで終わりなんだよなと ベルばら劇場版やるんか、一体何部作だよ
まさかイクニさんがやったりなんて アニメはこれで完結でいいんだけどなんとかしてトリプルHのフルアルバムもう一枚くらい出せんだろうか この世界線の高倉兄弟も、何年かしたらまたDKに成長するわけだが、冠葉は陽毬という縛りがなくなった分、
前世以上に女の子を喰いまくる悪いイケメンジゴロに堕ちる気がするのは自分だけだろうか…。
あのイケメンな顔で生まれただけで、高倉兄弟は勝ち組に見えてしまう。
金持ちでも不細工だとあまり羨ましくないな…。 何年かしたら?
テロで死んだ桃果や眞悧みたく
高倉兄弟は箱の中で林檎を分け合った時の年齢のまま
成長しない存在になった、と私は思ってるけど まぁアレは「陽毬とずっと一緒に居たい」という欲望の塊みたいなもんだったから
本体はどこか別の場所で成長してるって考えるのもまた楽しいかもなぁ まあ人間の親から産まれて普通に生活してる生身の人間っていうよりは
ペンギン達に近い存在な感じがするわな TV版だと同じ様に思ってたけど
劇場版でどこかに生まれ直したのでもいいかもなと >>663
ペンギン達は箱に入って餓死しそうな頃の兄弟が夢で見ていた
「この先も生きようとすればこんな幸せな未来もあるかもよ?」って希望の象徴だから
ちょっと違うかな、と私は思っている。 まぁ、さらざんまいの未来の漏洩みたく
希望ばかり見せたりはしないかもしれんけどw で、陽毬の幸せを考えた結果
兄弟は「高倉家のリフォーム時に高倉兄妹の列車を切り離し、陽毬を乗換えをさせる運命」を選んだのだろう ホント、どういう事なんだろうなぁ?
なんで「高倉家リフォーム時に自分らが消えれば陽毬は幸せになる」という
最適解?が最後の兄弟には分かったんだろ?そこがファンタジー。 別スレでも根拠付けて書いといたけど
ペンギン達の正体は「箱に入っていた頃の兄弟たちが夢で見ていた"未来の漏洩"」みたいなもの、なのだろう
TV放映当時はさっぱり分からなかったが
さらざんまいを理解し重ねてみてやっと分かるようになってきたなぁ・・・
この解釈に似たものはネット上では他に見た事無かったが
私と同じ解釈に至った人は他に居たのだろうか? ペンギン達は箱に入って独り餓死しそうな子に
林檎を分け合った場合の未来を見せる希望の存在なんだろう。
暗いトンネルの出口の先にある光を目指す地下鉄の暗喩でもある、のかもな。
ペンギン列車
ピンドラにしろユリ熊にしろさらにしろ
「人は孤独では未来は視えないが、繋がりや絆・約束の先に訪れる未来は見える」
という拘りを持っていて作品に反映させる人なのかもなぁ、イクニさんは。
だからユリ熊嵐でも「その身を炎に委ねればあなたのスキは承認される」と誰も知らないはずの未来を
断絶のコートや約束を叶えようとした銀子だけには知る事が出来た、のかもしれない。 ユリ熊嵐は人が熊になったり熊が人になったりする演出以外は
ロジカルに説明出来るののに一部「未来が視えてる」ような展開は説明不能だったのだが
それがイクニさんの作風・スキだったんだなぁ。
3作比べてやっと理解できた。
ついでに'10年の榎戸アニメのスタドラの主人公の台詞「僕には見える!」も
この一環だったのかもな。 Tシャツのタグの四分音符がカエルになったのは分かるけどなんで付点なんだろう
ペンギンの背中の数字にピリオドついてるからかな ずっと不思議だったのだが
池辺陽毬の世界線に乗り換える為に高倉家リフォーム時に消える選択をした高倉兄弟は
希望や光、陽毬の幸せな未来が見えていたのだろうか?
普通に考えると「見えるはずが無い」
兄弟はまだ「陽毬と林檎を分け合う荻野目苹果」と出会ってすらいないのだから。
つまり仮に"未来が視えてない"としたら
単に自らの力不足を嘆いて池辺夫婦に陽毬を任せる選択をしたのだろうと想像がつく。
そして世界から消滅したのに「陽毬が幸せになれるのか?」という現世に未練が残ってしまった箱の兄弟は
ペンギンを通して夢で陽毬と兄妹関係が続いている場合の世界線の未来を見ていたのだろう、これが本編。
そして物語の最後、陽毬と林檎を分け合う為に蠍の炎に焼かれる苹果をペンギン越しに見る事が出来たから
世界から消えたのに未練が残ってる高倉兄弟もようやく本当の光を見つけたのではないだろうか?
だから熊のぬいぐるみに細工を仕掛け、陽毬が苹果と友達になった後の時間軸に3号に届けさせ
今度こそ完全成仏したのだろうな。 >>669
ペンギンは河童でで10年前の箱の中の兄弟はペンギンの目を通して未来の漏洩を見ていたのね
素敵な考察 お布施巻き上げて家庭崩壊させるような団体を国のトップや議員が放置どころか
税優遇制度使わせたり保護していたりしたのは絶対に社会のせい
そういう社会は壊さないとダメ 親としての能力が低い親のところに生まれた子供は自分ではどうしようもない
ゆりみたいなケースでは父親が居なくなった方が命を守れる
親ガチャで外れた子供はさっさとこどもブロイラーに行った方が自由で安全
親元に居れば居るほど不幸になる
親に能力が無いのに親子愛や家族愛という言葉で縛り付ける社会は壊れた方が 冠葉の実父は子供を巻き込まず自分一人で組織にいれば良かったのに エヴァでシンジが親子喧嘩していたように
冠葉も親子喧嘩できれば
犯罪に走らずに済んだかもしれない 高倉夫妻は良い親の顔しながら殺人行為をしていたガチでサイコパス
両親を批判できる晶馬はまとも >>675
サンクス
作風は似るものですね、やっぱ >>678
>親ガチャで外れた子供はさっさとこどもブロイラーに行った方が自由で安全
ピンドラ本編ではそんな方法を取る事を推奨してはいないので
678さん個人の意見ですね、止めといた方が良いと思うけどなぁ。
後、こどもブロイラーに行けば親元を離れられるって訳じゃないですよ。
乗り換えられる保証が無い場合は特に。 >>681
これは本編からは生まれ難い意見
何について二人は意見を対立するのだろう コミック版読み終わった
こっちの伯父夫婦は池部姓なんだな、小説版や公式ガイドブックでは池辺なのに。
なんで統一されてないんだ、ややこしい。
或いはあの家の表札はわざと名前を間違えて書くのが基本になってるのかねぇ、アニメ版の母親のみたく。
ゆりが割と説明していてくれるからアニメ本編を補うのに役立つな。
乗り換え後の世界では「高倉家」は存在しなくなった。
だから「高倉陽毬」の記憶も消えてしまったのだろうな、池辺陽毬自身もダブルHにも。
でも記憶は消えたけど「それまで存在していた」、という記憶は世界の風景に残っているのだろう。
だからダブルHのアルバムのタイトルも「運命の果実を一緒に食べよう」のまま。
つまり「小学生時にダブルHは高倉陽毬と友達だった。」という事実は世界に残っている。
しかし高倉家リフォーム時に高倉兄弟が運命の乗換えをし、陽毬を池辺の養子にする運命に変えたから
その後の世界で「高倉陽毬がダブルHにマフラーを送った」というアニメ本編で描写された事実も無くなり
ダブルHのマフラーも消えた、のだろう。
しかし高倉陽毬の時に負った額の傷は残っている。
これは陽毬が兄弟だけでなくダブルHからも乗り換えた、という印なのだろうな。
池辺陽毬にとってダブルHより苹果の方が本当の友達、という事なのだ。
しかし何故、ゆりと多蕗だけ前の世界との違いに気づけるのだろう?
桃果が中途半端に死んだからだろうか。 結局、運命の乗り換えとは意識の変化みたいなものなのだろう。
高倉陽毬は高倉家の呪いやダブルHとのすれ違いに悩んでいたから病気になっていたのだろうが
池辺陽毬に乗り換える事でそれらのシガラミから解放され病気も無くなった。
池辺陽毬は今の幸せな状態で意識をダブルHに向ける必要も無い。
しかしかつて高倉陽毬が「運命の果実を一緒に食べよう」をヒカリとヒバリに教え、結果ダブルHがアルバムにしたという事実は世界に残ってるんだけどね。 コミック版は最後の運命の列車での最中と同時刻に
ダブルHの新曲宣伝を重ねるシーンを挿入していて
乗り換え後に宣伝内容が変わる事で
「乗り換えはしたけど時間の流れは続いている」と暗に伝えている所が
アニメ版や小説版より親切で分かり易い。
アンソロではダブルHの新曲ライブで苹果と「運命の果実を一緒に食べよう」の呪文をほぼ同時に歌っていたが
作者によってダブルHの使い方が変わる感じだ。 愛しているがキーワードの作品のスレに
○んどけゴミクズキチガイと書くのは作品アンチ 他人を否定したり傷つける事が存在証明になっている人がこの作品見てもね 謎のマジキチ感想を木っ端微塵に踏み潰さないあたりまだ優しいだろ
他板なら煽り倒されボロクソに笑われて終わる 長文の人は話題を短く切り分けて話題として提示すればいいのに
例えば今回だったら「池辺」と「池部」の2パターンあるけど、何か意図があるのかな?って振ればたぶん別に揉めない
思うがままに色んな自説を、妄想や連想で繋げながら長文連投するから顰蹙買うんよ いけべのおじの話か。
アニメとコミック板では「池部の叔父」つまり剣山の弟。
アニメ版は乗り換え前後ともに池部姓で統一されているが
コミック版では乗り換え前の世界では和菓子経営の「池辺の叔父」、乗り換え後では池部工務店の「池部の叔父」
となっている。
推測だが、アニメ・コミック版の高倉剣山の弟である叔父は婿養子で
高倉兄弟が運命の乗り換えした影響で
結婚相手の女性が池辺姓から池部姓に変わってしまったのではないだろうか?
だから職業も変わってしまった、とかかもな。
で、小説版では「池辺の伯父」つまり剣山の兄。
おそらく和菓子の池辺家は剣山の実家で、小説版の剣山は高倉千江美の婿養子で結婚前は池辺剣山だった。
だから小説版の伯父さんは長男として実家を守る為に
高倉兄弟が乗り換えを発動しても、姓も職業も変えず堅実に和菓子屋を経営していた、とかだろう。 割と真剣に考えたが
陽毬の視点で見ると矢張り違いは割とどうでも良さそうな感じがする >>692
ここの人たちはレベルが低いのが放送当時の昔から混じってて
今でも輪や愛よりも「自身の欲望」を優先しているのだろう。
レベルの低いスレと比べて見苦しい自己弁護しだす人に
スレのルールを守ってる人に対してもあーだこーだ注文を付けと他人を変えようとする傲慢な人
つける薬も無い連中の事は考えない方が良いですよ。
彼らの心の闇は気持ち悪くて覗く価値も無い。
それよりピンドラやイクニさんへの理解を深めた方が
このスレに居る価値があるというものです。 コミック版は色々と違っていて興味深いな
アニメ版では最終話の最後に陽毬が「運命の果実を一緒に食べよう」のアルバムを探していて
熊のぬいぐるみの中に入ってる紙切れを見つけるのだが
コミック版ではダブルHのトートバッグという初めて聞くアイテムを探してる途中で
ぬいぐるみに気が向く。
多分、乗り換えの只中でダブルHのアルバムの出番を増やしてるから
しつこくならないようにトートバッグに変えたのだろう、と推測。
だが「運命の果実を一緒に食べよう」のアルバムを探していて「大スキだよ」の手紙を見つける所に泣ける要素があるので
赴きはアニメ・小説版の方があると感じる。
乗り換えの分かり易さではコミック版だろう。
一長一短だな、それが個性か。 映画版のスレでコミックの話題はちょっと違う気がするけどね。 作品と見ている人の人間性に関係は無い
ピンドラ見ている人が思慮深い人という事は無い 平気で他人を見下したり馬鹿にできるような人が
ピンドラやイクニさんへの理解を深められるのか? 長文の人毎日NGにブチ込むのめんどいからコテハンつけて 幾原監督に何かしらの思いを伝えたいならばTwitterでする方が見てもらえると思うよ
札幌の舞台挨拶で「Twitterで感想を見ています」「嬉しい」と仰ったので
(※RTしますとは言っていません)そちらの方が確実と思う
ペンギン可愛いが一周目、二週目は苹果ちゃん劇場を堪能、映画版は桃果バイセン△だったw
TVシリーズではラスボスだったサネトシがペラペラな存在になったのには笑ったよ また精神障害の眞悧オタクが暴れてたのか
毎度毎度「私の思うピンドラ論」を唱えて他の人は作品を理解してない!と言い始めるからな この人のは本当に「私が思う」で終わってて他の人が読んでもクソ面白くないし理解できないので、他のマニアの皆さんとは一線を画してるだろう >親ガチャで外れた子供はさっさとこどもブロイラーに行った方が自由で安全
ピンドラ本編ではそんな方法を取る事を推奨してはいないので
678さん個人の意見ですね、止めといた方が良いと思うけどなぁ。
後、こどもブロイラーに行けば親元を離れられるって訳じゃないですよ。
乗り換えられる保証が無い場合は特に。
ピンドラ本編では描かれなかった親から愛されず誰からも助けて貰えない子供は
どうしたら少しでもマシになるのかって考えただけなので推奨していないと言われても
推奨していないのでは無く誰からも助けて貰えなかった子供はどうにもならないという
結論しかこの作品は出していない
現実はアニメみたいに助けてくれる人や守ってくれる人が現れたりしない おじさんの名字は池部良
高倉母の名前は江利チエミからかな
時籠と多蕗はキャラの設定が重いし元ネタ無しか その二人は南極物語のタロとジロでしょ
氷の世界に取り残された存在ってこと テレビの頃から観てて今の今までタロジロ気付いてなかったw スタッフロールの多蕗のところのピクトグラムがこどもブロイラーっぽいのかわいそう
ゆりは二人の人物が寄り添ってるピクトグラムなのにw 円盤の情報でたか
オールナイト上映イベントやるならテレビ版の方をみたいなあ
最終回を2回上映する感じで テレビ版のブルーレイボックス持ってるのに…。
ラストなどの追加シーンと有償特典と法人特典のために、さっきソフマップでもう注文しちゃったじゃないかw あってもどうせ声優たちが作品に関係ない話するだけだからいらない 15話?の桃果と苹果の声優のコメンタリは面白かった >>713
9話のタイトルが「氷の世界」だったり
眞悧の2人の助手がシラセとソウヤで南極観測船を思わせる名前だったり
井上陽水の「氷の世界」の歌詞には冒頭からりんごが登場したり
いろいろな考察があるらしい >>724
トークショーだけみて帰っちゃう人も多そうな気がする
ここで初見って人はほぼいないだろうし そうなの?気になる。
冠ちゃんが桜庭になっててびっくりした。 オールナイトイベントとかあったのに驚くほどレスないのな
みんな運命の乗り換えをしてしまったのか 幾原邦彦と運命の子供たち
劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』公開記念BOOK
映画のための設定画、アイディアノート、総作監修正原画に加え、幾原邦彦監督のロングインタビューも収録してその作家性に迫るビジュアル読本!
内容:●『輪るピングドラム』と『RE:cycle of the PENGUINDRUM』●キャラクター&美術設定●幾原邦彦のアイディアノート&インタビュー●幾原邦彦・辻村深月対談アーカイブ●幾原邦彦 オールタイムベスト●歴代オリジナル作品解説●特別寄稿 星野リリィ、武田綾乃、石丸かずみ、天野昌直 など あんまり普段円盤揃えたりとかしないけど映画買ってみよっかな
最期の愛してるの追加シーンだけでもまた見たくなってしまった アマプラで配信されてたから観たけど、凄いハマってしまった。自分が高校生の時に放送されてたんだな。暇な時、繰り返しずっと観てる。配信終了したら嫌だなあ アマプラでTV版がみられるときいて
ブルーレイもってるのについついみてしまった
最終回はやっぱりTV版の方が好きだわ
何回みてもよくわからないんだけど感動してしまう 正直ラストの電車のシーンはアニメの方が好きだったからdアニメで見るだけになるかも
まぁ円盤買っても買ったことに満足して見ないことも多いが… >>739
私もラストはテレビ版の方がしっとりしてて好き
映画はBGM明る過ぎるね、勢いが感じられてそれもまた別の良さがあるけど 久しぶりにピンドラスペース今日やるのか
監督の話が聞けるといいつつほぼ脱線してるしピンドラ以外の話の方が監督楽しそうに話すBGMに聞いてるだけだけど(笑) スペースって誰かが喋ってると誰かは喋れないのか
車の音も悪い気がするw イクニのひと声(DM)で眞悧せんせいが荻窪の街を走るという胸熱展開だった
池Pと公式さん走行音に遮られてたけどウテナ暁生編ぽかったからヨシ
公開時の夏を思い出すとセンチメンタルになるね 先日ドタキャンになったスペースやってる
今回はいつも以上に内容がない やっと時間が取れたので劇場版見始めた
近くに劇場が無い田舎はつらい
とりあえず前編見たが最後は潮干狩りの回想で終了か
陽毬が手に何を持ってるのか最初は分からなかったが貝5つね。
にしても陽毬の走馬灯に介入すると見られるのはいつも潮干狩りなんだなw
そんなに「見つけてもらった記憶」が大切なのか、ユリ熊嵐を思い出す。
わざわざ新規カットにする事から後編でも重要なポイントなのだろう。
ユリ熊嵐といえば紅羽の山根さんにも何か演じて欲しかったなぁ・・・
さらの帝子さんは図書館司書やってて笑ったのに。
実写部分は結構凝ってて驚いた、ピングドナルドとか許可取ってんのかな?w
ゴミ収集車が止まってた場所は豊島清掃工場かと思ったがよく見たら足立区と書いてあるな。
そこがこどもブロイラーか。 「きっと何者かになれる〜」って台詞がバズってたらしいけど
プリクリにも他の登場人物の誰にも強く共感出来なかった私としては印象に残らなかった。
ピンドラの世界観自体にはずっと惑わされっぱなしなのでそっちの方面では印象に残るが。
桃果プリクリが桃になるシーンは鎧武のピーチアームズ思い出してワロタ。
プリンチュペンギンの正体はネタバレ回避出来なかったのだが先生か
以前に「ペンギンの正体は箱の中に入っていた頃の兄弟の欲望」と考察したが
それと同じくプリンチュペンギンも「桃果と林檎を分け合う前の状態の先生」って事かもなぁ。
まぁ眞悧は箱から手を伸ばさない主義なのでずっとペンギンのまま、という事になるだろうがw
特にARBのファンでも無いから新曲はよく分からなかったが
真砂子の狙撃シーンのBGMがサスペリアっぽくてTV版よりよりサスペリア感が増してたのが印象的だった。
イクニさんはどうしてそこの部分をサスペリアっぽくしたかったのだろうなぁ?
ユリ熊嵐でもサスペリアはあったがサスペリアは今でもあんまり理解してる自信は無いんだよな。
TV版と大きく違うな、と気づけたのは病院の暗闇で真砂子が「冠葉の本質」を理解していた新規台詞だった。
夏芽の家に帰れたのは冠葉の自己犠牲だってこの時点で理解してるのね、もしかしたらTV版でも。
TV版で内容を知ってるので前編は全体的に大人しめと感じたのだが
一番印象に残るのは矢張りそらの穴に入る為の「ミカちゃんハウス型の高倉家」の扉かなぁ。
私の考察どおり、あの家は"高倉両親を追うかのように兄弟も失った後の陽毬が描いた夢"でしかあり得ない「砂上の楼閣」って事なのだろうか?
では後編を見ていこう。 後編見終わった
8割くらい再編集を見ていた感覚、久々に見る程度なら丁度いい。
新規カットでは兄弟が人形を3号にパスする所だけ面白かったかなぁ、すっぽり嵌ったというか繋がった感覚がして。
再編集でも後編最初の方の映像に合わせて音楽が変わってく所は
イクニ作品らしくて良かったかな。
実写はさらざんまいの作風と同じくピンドラを現実の延長線上の世界として描きたかったのだろうと感じたが
さらざんまいのダンスバンクみたく後編途中の所からくどく感じた。
しかしピンドラの話を絶え間無く流していたらどこかで飽きてくる所もあるので変化だったり休みの部分としての実写も必要だったのかもなぁとも感じた。
プリンチュペンギンは眞悧ールに操られていただけだったのかな。
しかし眞悧ールに他者を操る効果があったとはね。
砂浜の新規カットは多蕗もゆりも同年代の子供になってるし
苹果が馴染みの薄い桃果用の服着てるので桃果と勘違いして笑ってしまった
最後に兄弟が寝ていたサンシャニー水族館は天国か何かだろうと感じた
ユリ熊嵐のスキがキスになる場所みたく
可もなく不可もなく感情がそこまで揺さぶられる事もなくといった感じの劇場版だが
陽毬プリクリの新規カットが無かったのは残念だったかなぁ。
自分の中ではピンドラの看板と言ったら陽毬プリクリという感覚なので。 当時TV版を観てた自分は最終回で子供になった双子が幽霊になったのかと悲しく思ったが、劇場版のラストの追加シーンで双子は生きているって感じてボロボロ泣いちまったよ。隣の席のお姉さんも鼻すすってた 9話と比較して見てたらペンギンのたまごがあってワロタ
池辺の伯父はサンシャニー水族館にも商品置かして貰ってるんだな、お得意様じゃないか凄い。
冠葉による菓子の味の評価は身内特有のものだったが社会的にも評価されてたんだなぁ。
つまり前編冒頭の高倉兄弟の居る世界はまだ「乗り換え前」って訳なのね。 プリンチュの歩き方どっかで見たような感覚になると思ったらシンゴジの第二形態だった
やっぱり赤ん坊だから陸より水中の方が楽なのだろうか TV版の9話で陽毬が図書館に訪れた日は'11年10月15日(土)だけど
劇場版で高倉兄弟が訪れた日は4月29日(金)になってるな。
2011年の4月29日(金)かと思いきや(だったら陽毬デーに出くわすはずが無いw)
2022年の4月29日(金)、つまり「劇場版前編の公開初日に高倉兄弟はサンシャニー水族館と図書館に行った」という設定な訳だ。
という事は'22年の高倉兄弟は11年前の水族館で買い物する陽毬の映像(回想?)を見ていた、みたいな設定でもあるのかな?
で、'22年のサンシャニー水族館では何故かエレベーターが故障していて
'11年の陽毬が行った地下61階ではなく、地下b61階に行ったと。
そしてTV版とは鏡写しのように左右対称の図書館になってるなぁ、面白い。 11年経っても図書館の司書の姿格好は左右対称以外変わってないのに
中の人は変わるのか、なんだよそれw という事は11年経っても劇場版では運命の乗り換えは完了せず保留のままなのか、桃果プリクリの台詞通り。
となると矢張り幼い兄弟がストーキングしてた陽毬デーは過去の映像、回想の類かな。 劇場版後編の最後のサンシャニー水族館がやたら綺麗になっていて別の場所みたいに感じるのは
運命の乗換えが完了して'22年今現在のサンシャイン水族館に変わったからなのかねぇ。 >>755
放送当時はイクニ作品の美学がまだ分からなかったから
殺人したのに転生した兄弟を見てどんな世界観だよ、と突っ込んでましたね。
その後、ユリ熊嵐を見て悲しくなる視聴者の立場や美学を理解する訳だけど。
兄弟生きてるのかなぁ?
色んな時代にワープするしクマリア様みたく概念になったんじゃないかなぁと私は解釈してるけど
生きてるなら銀河鉄道の夜みたく父母と同じ場所に行けたのかもと考えると家族仲良くやってるのかもね。
陽毬の人生とは交わらないだろうけどいつかは陽毬も。。。 >>323
自己犠牲の内容が「自身が世界から消えてでも愛を届けようとする行為」でないと本当の乗り換えをした事にはならないのだろう
真の乗り換えが行われると記憶も消える。
桃果は「ゆりと友達になって遊びたい」とか乗り換え後も関係性を続ける欲望が残っていたから
「乗り換えは中途半端」に終わったが
それでゆりの命は十分繋ぎ止められたし記憶にも残った、という感じかな。
対して高倉兄弟は「陽毬と家族で居たい」という欲望を捨てたから
真の乗り換えが発動し、兄弟は世界の記憶から忘れられた。
高倉兄弟が陽毬と家族で居ると、陽毬に呪いが向かうからね。 >>348
なんの映画か忘れたけどさらざんまいの未来が見えるラストはある映画に影響受けたらしい
'18年のイクニさんの古巣・東映が作ったプリキュアアラモードのヒロインのひまり回で
つながりもスキも諦めないひまりが敵に見せられた酷い未来を覆して輝く未来を映像化したように
さらざんまいのラストも東映出身アニメーター一子相伝の手法の一つと思っていたが、映画なのね。 めちゃくちゃスレチな気もするんだけど…
コロナもあって仕事バタバタしてて映画館行きそこねたからBlu-ray通販してつい先日受け取ったところ
今日久々に休みが取れたしコロナ下火感が出てきたんで聖地巡礼もかねて子供できてから数年ぶりにサンシャインに家族で行ったんだけど、独身でピンドラハマってたときとそもそもペンギン展示そのもの全然変わってる気がして謎に切なくも心地よいというか喪失感を味わったわ…
もともとはペンギンは空飛んでなかったし陸上展示はもう少し氷の世界っぽかった…できっと合ってるよな? 劇場版のコンセプトはおそらく
「観客が'22年の高倉兄弟と一緒になって"11年のピングドラムの世界"から"22年の現実の世界"に帰ってくるような体験してもらう事」だろう。
浦島太郎が竜宮城で10年間宴会を愉しんだ後に玉手箱抱えて亀に乗せられて地上に帰ってくきた時に見た風景と一緒だし
15話のゆりが運命の乗換えをした結果「世界の風景が変わって見えた事に驚愕していた」のも一緒。
15話の放送時の初見は「世界の風景が変わる?ダビデタワーってなんだそりゃw」という感じで話半分だったけど
「運命の乗り換えで世界の風景が変わる体験」ってこういう感覚だったんだろうなぁ・・・
ゆりも父の影響で彫刻か何かしらも世界に囚われていたから
東京タワーがダビデ像のように見えていたのかもしれない。
ピンドラのアニメばかり見てるファンが「現実の聖地サンシャイン水族館も同じ内装だ」と錯覚してしまう感覚を正すように
主観の世界から一つ物事を客観視出来るようになった
・・・と言っても改装してる事位は噂で知ってるので「驚き〜って感じだよね」とるるみたいなリアクションになったけどw
>>765
水族館行ったんですか、それは羨ましい体験をしましたね。
喪失感を経験した所が本当にピングドラムの世界が大スキだったんだろうなぁって伝わってきていいですね。
陽毬みたいにショックで倒れなくて良かったw
大スキって感じでも無いけど私も改装前に一度くらい水族館に訪れておきたかった気持ちはあったなぁ・・・
失った後に初めて大切だった気持ちに気づく人の愚かさですね、ユリ熊嵐の惑星クマリアやさらざんまいの悠の台詞みたく。 浦島太郎という事は
桃果プリクリは乙姫様でプリンチュは助けた亀とも置き換えられる
だからあんなにのろまなのねw >>765
スレチかもだけど全然コロナ下火感なくない?
寧ろインフルとの合わせ技で今酷いが 初見は新規カットでは兄弟が人形を3号にパスする所だけは面白いなんて感想だったが
理解しながら見てくとヒーローの歌が流れる辺りからよく出来てて上手いなぁ。
ヒーローはTV版で慣れてるから乗り換えのシーンで流すには違和感があったけど
あれ位熱いBGMでなければ後が盛り上がらないしな。
今の時代は毒っぽいのよりさらざんまいやプリキュアみたいに熱い展開の方がウケがいいのだろう。
さらざんまいと言えば冠葉の「それがどうした」もさらざんまいだし
未来の兄弟が過去の3号に人形をパスするシーンもさらざんまいだったしなぁ。
それと、高倉兄弟が書庫を走ってジャンプする時の三段跳びは'06年のアニメ映画・時をかける少女っぽいなぁと思ったけど
兄弟が'22年の世界から'11年の陽毬の世界へとまさに「時を越えて飛び越える」ので
オマージュとして似たような三段跳びの作画にした、のかもしれない。
時かけの細田監督はウテナの元仕事仲間、何か思う所があったんだろう。
また兄弟の立ち直りに慌てるプリンチュペンギンが可愛かったけど、どれだけ眞悧の部分が出てたんだろうなw
桃果プリクリに吹き飛ばされるシールも福笑いみたいで面白かった。
総集編部分は見せ方が上手い所もあったけどやっぱり総集編って感じだが
新規は前編の最初と後編の最後は本当に良かったなぁと感じる、イクニさん良い仕事したな。
欲を言えば陽毬プリクリとかマリオプリクリとかの正体を明かしてもらって
自分の10年分の考察と答え合わせしたかったなぁとも思うw
ま、答えは自分で作品の中に見つければいいかな、今までもそうしてきたのだし。
自分の考察が特段間違ってるとは思ってないし。 後、TV版の最後の池辺陽毬の世界では熊の人形はそのままだったのに対し
「天蓋付きのベッドやミカちゃんハウスみたいにペンキを塗ったのはどうなっていたのだろう?」とここ5年位ずっと気になっていたが
劇場版を見た事によって
兄弟の手によるそれらのリサイクル物は
池辺陽毬が苹果に出会うまでの間、兄弟の残滓(クマリア様みたいなもの)が世界から消えそうな陽毬の「友達が欲しい」という気持ちを守っていた
と観客に示す為のもので、詳細はどうでも良い事だったのかもなぁ・・・と考えられるようになった。
ミカちゃんハウスも天蓋付きのベッドも一種の陽毬を守る壁のような存在だった、まさにクマリア様。
だけど陽毬はいつまでも"高倉家の妹という夢の世界"に閉じこもってないで
"池辺家の養子という現実の世界"と向き合って社会復帰しなければならない。
だから高倉家という兄弟によるリフォーム時に世界から消えたはずの架空の運命共同体の最消滅は必然だったのだろう。
苹果と出会って運命の乗り換えをするまでの紆余曲折に
ミカちゃんハウスの高倉家は砂と化し、天蓋ベッドは乗り換えの嵐によって吹き飛ばされてしまったけど
本当に大切な人形だけは手放さずに兄弟達の手で送り届けた描写が新規にあったおかげで
疑問の一つからやっと解放され消化不良のものがようやく昇華出来た。
イクニさん感謝。 そらの孔分室が何なのか改めて考えている
置いてある膨大なカエルくんシリーズの面々とその内容、そして劇場版の結末から推測すると
「表の世界の人々が円滑に人間関係や社会生活を営む上で邪魔になる記憶の書庫」だろう。
つまり表だっては口に出せないような裏の人間関係の記憶の書庫だ。
劇場版で運命の乗り換えが保留になっていた「高倉兄弟が世界に存在している」という記憶の書庫。
しかし乗り換えは完了し分室は見事に壊れ、兄弟は社会からも妹からもメタ的に観客からも忘れられた存在となった。
また、9話の内容からそらの孔分室は「陽毬の心の中にあるトリプルHへの記憶の書庫」でもあったのだろう。
もしも高倉陽毬が表だって「私はダブルHの親友だ」と口にしたら
犯罪者の娘とつながりがある事が社会にばれダブルHに迷惑がかかってしまう。
だから陽毬はその記憶を自ら分室に封印していた、彼女は基本的には優しい子なのだ。
また書庫が公式ガイドブックによると9話の書庫の色がフロアごとに黄色、青、赤と色が変わっていくのは
東京メトロの地下鉄の各路線によって決められたラインカラーだから、らしい。
オレンジの書庫は銀座線、スカイブルーは東西線、エメラルドは南北線、赤は丸の内線
・・・似たような色が多いと見分けのつかない自分は色盲なんだなぁって感じる、違いが分からんw
「列になった書庫をどうして地下鉄の色にしたのだろう?」という疑問が出てくるが
ピンドラ作中で数々演出されてきたものから
「家族など人同士のつながり・運命共同体とは列車で、人は誰かと共に人生という線路を目的地に向かって走るものだから」と一つの解釈が出来る。
陽毬もかつてはダブルHの二人と手と手をつなぎ三両編成の列車になって「一緒にアイドルになる」という目的地に向かって走っていた。
しかしその運命の列車で共に走った記憶は過去の事。
記憶ごと廃車扱いとなってそらの穴分室に封印しなければいけないもの、そしていつかは忘れなければいけないものになったと推測される。
また陽毬が1話の時点で「地下鉄サリン事件に高倉父母が関わっていた」という事実に気づいていたどうか描写を徹底的に避けているので分からないが
9話の退学になった時のクラスメイトやダブルHの反応から自分に降って来た呪いの正体を知らないはずがないだろう。
あれで陽毬が両親の罪が分からないかのように兄弟の大切な穢れの無いお姫様を演じていたとするなら本当に"見て見ぬフリ"である。
つまり陽毬が行ったそらの穴分室の本の色が地下鉄だった理由は「高倉父母の影響が強いから」だろう。 そらの孔分室の意図を理解してくると
表の世界の荻窪線のダブルHの本日の標語が効いてくるなぁ・・・
陽毬にとってはダブルHは遠い存在だと思わなければいけないし
実際遠い存在なんだけど毎日目に入ってくるのは辛いだろう、
スカイメトロに乗らなくてもTVでも目に入るし。
自らダブルHのグッズを買ってるから応援してはいるんだろうけど
そりゃそらの孔に封印したものも忘れられないわ、忘れたくても。
ウテナの影絵少女の寸劇の一つに新幹線の車内販売と客の関係性を描いたものがあったけど
あれと似たタイプで数倍辛い。 そういや考えた事無かったけど
高倉母に鯉の生き血を飲まそうとした事を後々ダブルHはどう思ったのかなぁw
私が高倉母なら「事件を起こした罰だ・・・」となりそうだが
ダブルHはあくまで好意で生き血を用意しようとしたのだし
あいつらの片方は味覚障害だからな・・・
ラジオのゲストに彼女たちを呼んだ眞悧先生みたいに傍目から見ていたら絶句しそうだわw ここはピングドラムのスレです
私はスレのルールを守ってるけどあなたは守ってますか?
また、私はピンドラに関するレスへの返答もしています。あなた方と同じく「自分の興味あるピンドラ話題なら」ね。
皆さんのピングドラムへの大スキって気持ちを私は聞きたいなぁ
また私の解釈への「ここは違うだろ」って異論反論、あなたのピンドラへのスキがございましたらどうぞ(大人の社交辞令) 後編最後の'22年の現実のサンシャニー水族館に戻った時の兄弟の背中のマークは
カエルになってるな、オタマジャクシの八分音符から。
運命をカエルものだからなのか、オカエリナサイだからなのか。
私がこんな演出思いついたとするなら素人考えでそらの孔分室の書庫にカエルみたいにへばり付いた辺りでカエルけど
なんでイクニさんは最後にカエルにしたんだろうなぁ?、男は仕事を終えた後に背中で語る美学とかでもあったのかな。
イクニさんの意図が知りたいなぁ。
またカエルと言えば
イクニさんも参加していた'04年のトップをねらえ2もカエルやオタマジャクシをモチーフにして
大人と子供を区分けする演出があったなぁ。
'04年のトップをねらえ2に'06年の時をかける少女と
95年生まれの幼い高倉兄弟が直撃していたようなアニメ演出にしたのも意図的なのだろうかw 独りよがりがだめなのは本編で散々描写されてると思うんだけど 高倉兄弟もテレビデオでトップをねらえ2とか見てたり
映画館に時かけ見に行ってたりしたのかな 時かけに気づいた後に劇場版見直していて初めて気づいたが
水族館で苹果が運命日記を爆発で燃やされた後に
立ち去る冠葉と眞悧の足跡みたいに火がわざとらしく二本の直線になっていた理由は
バックトウザフューチャーのデロリアンのオマージュだったりしたのかなぁ?
劇場版ってBGMが変わって違和感ある所もあるけど
運命日記を燃やされるシーンのBGMは劇場版の方がスキだと初見で思ったなぁ。
TV版では選曲に熱意感じたけど視聴者としてはノれず一歩引いた感じになっちゃったから。 トップをねらえ2と言えば5話のクリスタルワールド内のテディドラムの階段を走る苹果の作画は
トップ2のノノだとかコナン走りとかイメージしてたらしいけど
この時点で苹果=ノノ、陽毬=ラルクで
トップ2みたくピンドラも最後に二人を百合の関係性で決着させる意図があったのかなぁ? ノノが自身の特異点(命や願い)をラルクに捧げたように
苹果も自分の運命の果実を陽毬と分けあったのか 誰も読みもしない長文を延々と書けるその情熱恐れ入るわ
是非ご自身のブログにでもまとめてほしいね いや〜、それが結構読んでくれてると思うよ
実際に劇場版公開前の1スレ目で私のピンドラの箱に関する解釈が転載された後に
ネットでも「私の解釈がイクニさんの意図に近い」と広まって主流になってくれたようだからね。
公開後の今スレでも続いてくれたようだし。
一部オウムと絡めて解釈してるファンも居るようだけど解釈自体は人それぞれ持っていていい。
それ以前の平成板のピンドラスレでは「箱って何だ?」と混乱してたピンドラファンの方が多かったのにw
本当に良い解釈は何もしなくても広まるもの、って事だろう。 まさかイクニさんが苹果ちゃんの胸を盛ろうとした理由は
ノノを意識したからか? トップをねらえ2は1話の最初からノノが林檎を半分に割るシーンがあるし
最後はとんでもないものを真っ二つにしちゃうようなキャラだし
やはりピンドラ作ってた頃のイクニさんの一つの支えだったんだろうなぁと感じたな。
トップ2の世界ではトップレス能力という思春期前の子供たちだけが使える超能力を動力源にして
子供がロボットのパイロットとなって活躍する話で
日常ではその力を使えないように額にオタマジャクシ型のピースを貼って能力を封印している話だ。
ピンドラの眞悧が桃果の額に貼って力を封印したピングフォースのシールも
トップレス能力を封印するピースのオマージュだったのかもなぁ、今にして思えば。
そしてトップレス能力は「大人になると消えてしまう」
子供の頃に持っていたような「自分は凄い」という根拠の無い万能感なんてものは
普通は学校に入ったり社会に出てたりして揉まれ、自分の身の程を知ると消えてしまうのだ。
視点をカエルがトップをねらえ2のトップレス=オタマジャクシと
劇場版ピングドラムのオタマジャクシの演出としての違いは
おそらく「個としての万能感」か「運命共同体としての万能感」かだろう。
9話のそらの孔分室に行った陽毬に当て填めようとすると
眞悧に引っ張り出された過去の陽毬にもトリプルHの絆・運命共同体として「私たちはどんな困難にも負けない」という根拠の無い万能感があったはずだ。
つまりカエル君とはトリプルHをつなぐ絆とか愛のようなものの類で
オタマジャクシがトリプルHの3人、と考えるのが妥当かな。
あの時に3人をつないでいたカエル君が凄いのであって「カエル君が救う力に安心しきっていたオタマジャクシの陽毬が凄いのではない。」
後で後悔する位なら、陽毬は自分という箱から自ら手を伸ばして(オタマジャクシから手足の生えたカエルに変態して)愛をつなぎとめようとしなければならなかった。
また劇場版で高倉兄弟のシャツの背中が最初はオタマジャクシだった理由も
そらの孔分室に隔離されていた「高倉兄弟と関係のあった人々の絆の記憶、つまり愛」で世界に繋ぎ止められていたからだろう
しかし大切な人に愛を届ける為に自身の(陽毬とずっと家族で居たいという)欲望を捨てて
自己犠牲が出来る大人に成長したからカエルになったのだろうなぁ。 トップをねらえ2と言えばピンドラ最終話放送前に
運命日記を焼失した苹果とトップ2の4話でバスターマシンパイロットになれなかったノノを絡めて
「苹果はノノみたく覚醒して運命の列車にワープし乗り換えの呪文を唱える」とか予想してた事を思い出したなぁw
あの頃はまだ5話がコナン走りとかそんな情報は全然知らなかったのに・・・
アニメファンとしての本能がイクニさんの意図を読んでたんだな、10年前なのに我ながら恐ろしいw
って事はノノが苹果だとすると
ノノリリ(トップをねらえ1の主人公ノリコ)が桃果なのかもなぁ。
そしてバスターマシンが運命日記って感じか。 書いてる途中で気づいたが
オタマジャクシ=箱に入った子供
カエル=箱から手を伸ばす
のメタファーだったんだなぁ
ファンとしてイクニさんの意図に気づけるなんて幸せだわ、またネットで初めてかもなぁ 本当に色んなモチーフを重ねてるなぁ
自分という箱=列車の車両=オタマジャクシ
箱から手を伸ばすと・・・
林檎の授受=列車の連結=カエルに変態
これを頭に入れとくだけでもピンドラは理解し易くなるだろう。 となるとカエル君は愛のメタファーだから
やっぱり高倉兄弟は皆をつなぐ概念になった、と解釈するのが妥当かな やはりカエルはその手で人を繋ぐ愛のメタファーか
だから苹果の胡散臭い黒魔術は効果抜群だったんだなw
にしてもあの回のカエルって最初はロボットカラーにする予定だったらしいが
やはり初号機のように毒々しいカエルだったんかな?
ペンギンといい南極といいエヴァっぽさもあるよなぁ、ピンドラは 久々に最終話の池辺陽毬の乗り換え後の世界の設定を考えていた
池辺陽毬については大体考えていたのだが
苹果の荻野目家周りは全く考えて無かった事に今更気づいたな。
まず池辺陽毬の世界はカレーの日があるので'95年の地下鉄テロ事件があった事実は乗り換え前と変わらない。
つまり桃果、眞悧は死亡していて高倉父母は行方不明だ。
桃果はカエル君のように荻野目夫妻をつなぐ鎹だから
彼女の喪失によって荻野目夫妻が離婚危機に見舞われるのは変わらないだろう。
そしてピンドラ最終話の寂しい雰囲気のする終わり方から
乗り換え後も荻野目夫妻が離婚した事実は変わらないだろう。
乗り換え後の苹果は離婚を受け入れられたのだろうか?
また最終話の2012年3月20日に苹果が陽毬と地下鉄の事故で倒れ病院送りになった出来事が
離婚した荻野目夫妻に大きなショックを与えたのは間違いないだろう。
まるで姉の桃果の死を追ったかのような3月20日の地下鉄事故、でも苹果が生きていて良かった。
離れていった荻野目父も決して愛の無い人ではないだろうから面会日を増やしたりして
苹果の心のケアに努めていたんじゃないかなぁ、と個人的には思いたい。
また苹果が乗り換え前の世界と同じく運命日記を見つけていたのかどうかや
「桃果の代わりにならなければ」という使命感に燃えていたかどうかは分からない。
でも結果的に苹果が2012年3月20日に地下鉄で何かの事故に巻き込まれた事によって
苹果の「桃果になりたい」という願いはある意味で叶えられ、苹果の変な憑き物も取れただろうと思いたいし
乗り換え後の苹果は前より割りと幸せなのだろう、とも思いたい。 ついでに池辺陽毬の事も考えるが
最終話に昼間から伯父夫婦に電話で「寂しい」なんて過保護に心配されていた理由も
陽毬が巻き込まれた'12年3月20日の地下鉄事故を
陽毬が寂しさから行方不明になった高倉父母の姿を求めた結果、後追い自殺でもしたかのように
池辺夫婦には見えたからかもなぁ・・・と感じた。
また乗り換え後の池辺陽毬は小説版によると高倉兄弟だけでなく高倉父母の記憶も忘れているようだが
池辺夫妻の視点では「'12年3月20日の事故以前までの陽毬は高倉父母の記憶を持っていたのではないだろうか?」と考えている。
つまり池辺夫婦視点だと
「陽毬は3月20日の地下鉄事故で頭を打ったショックで高倉父母の記憶を失ってしまった」のだろう。
だが「テロ事件を起こした高倉父母の事は忘れてしまった方が陽毬が不当な差別や排除を受けず真っ当な社会生活を送れる」
と陽毬の記憶喪失を受け入れてるのではないだろうか?
乗り換え後の世界での池辺夫婦は
高倉父母が指名手配され行方不明になった後に
高倉家に移住し、高倉父母の生活用品や写真はすべて処分し
陽毬には「高倉父母の事は口外するな」と躾けてたのかもしれんなぁ、隣人に関係性を疑われると面倒なので。 いや、「池辺陽毬は'12年3月20日の地下鉄事故で高倉父母の記憶を失った」とは限らんのか。。。
高倉父母の記憶もダブルHの友情の記憶と一緒にそらの穴分室に封印されていた、と考えた方が妥当かもしれんな。
そして陽毬が封印した日はきっと、高倉兄弟が高倉父母の失踪後に毎日泣いていた陽毬を笑わせる為に
高倉家をミカちゃんハウス風にして天蓋ベッドをゴミ捨て場からリサイクルした時なのだろう。
つまり劇場場の内容と合わせると
そらの孔分室に置いてある本とは「運命の乗り換えによって個人或いは世界から失われる記憶」なのだろう。
そして9話も劇場版と同じく「乗り換えが完了していない状態」で
「陽毬の中に高倉父母とダブルHの絆の記憶が分室に隔離されていた」そして乗り換え完了後の最終話に失われた、と考えられる。
つまり高倉兄弟は陽毬から「高倉父母とダブルHの記憶を消し、池辺父母と苹果に上書きする為に」
10年前の箱の中で約束した願いを叶えて兄弟自身も世界の記憶から消えた、のだ。
池辺父母とのつながりは早い段階(高倉父母の失踪時の'08年)で達成していたのだが
ダブルHの代わりとなる苹果は'11年まで出会えず
プリクリのお告げが来るまで保留になっていたと考えるべきだろう。
にしても箱の中で約束したものを実行して世界から消える高倉兄弟を見ていると同じ生き物というより
愛を伝えて泡になった人魚姫とか童話のキャラクターにしか思えないなぁ。
変な爆弾植えつけられてでも復活したかったさらざんまいの真武と似た属性を感じる。
目的を叶えて死ぬタイプとその都合に合わせた世界観と設定。
ユリ熊嵐には居たのだろうか?
るるや純花など目的を叶えようとして死んだのは居たが
矢張り人魚姫に例えられた銀子が近いのかなぁ。
銀子は高倉兄弟や真武と違って完全に報われた所が人魚姫と逆転してる感じなのに。 はだしのゲン見ている
ピンドラと違って原作では鯉の確保に成功していたのね
そして戦時中だけあって鯉の身も貴重な栄養源。
これで母親は助かると思いきや原爆で・・・辛い話だなぁ。
おそらくピンドラの地下鉄爆破事件が広島への原爆投下に当たるのだろう。
'11年の震災でも原発事故に放射能汚染が問題になったのでゲンも加えたのだろうな、イクニさんは。
はだしのゲンを見て気になったポイントは
「陽毬の大切な高倉母を救う話」を演出したくて
はだしのゲンを例に挙げたように見えるが
実は「ゲンの母・中岡君江の死に方がピンドラ1話の陽毬の死に方とそっくりな所」だ。
ゲンが鯉で救った母の君江はその後
原爆の放射能汚染となり医者から余命宣告を受け
残りの人生を有意義に過ごしてもらうよう退院をして
ゲンは母親の為に母親の思い出の場所である京都に蒸気機関車で旅行を計画したが
母親は旅先で余命が尽きて死んでしまった。ゲンを残して。
・・・というピンドラ1話の陽毬とそっくりな死に方をしている、勿論ゲンに当たるのは高倉兄弟だ。 これは私の推測だが
陽毬はダブルHとの鯉騒動の後に原作はだしのゲンを読んでいたのではないだろうか?
はだしのゲンはダブルHとの友情の証、陽毬だけ知らないのは嫌だから。
勿論、陽毬がダブルHに鯉で母を救う提案を受ける前から漫画を読んで知っていたパターンもあるだろう。
そしてピンドラ1話の冒頭で陽毬が病気で死ぬ時に「漫画で読んだゲンの母の死に方が理想的だ」
と陽毬は真似た、と一つ考えられるのではないだろうか?
つまり1話の陽毬の死は
トリプルHになれなかった自分の人生に意義を感じられずに起こした
陽毬の演出めいた自殺、或いは狂言自殺の類だった、と私は推測している。
またゲンが命尽きかけて死にそうな母・君江にキスをする、というシーンも印象的だった。
まるでピンドラ1話の最後に冠葉がキスするかのように。
何故、ゲンが母の死体にキスをしたかというと
母は原爆の後遺症のせいで吐血して死んだからだ。
だから原爆への恨みを忘れない為にゲンは母にキスをして放射能に犯された血を吸い取り
戦争が嫌いで戦争反対を訴え続けるゲン自身の人生の燃料にした。
ゲンのこの行為も運命が嫌いで陽毬にキスをした冠葉と通じるものがある、と私は思ったなぁ。 調べてみたらサンシャイン水族館って2011年8月4日にリニューアルしていて
劇場版後編の最後のようにサンシャインアクアリングの展示など設備が増えていたんだなぁ。
しかし9話の図書館内の日付によると1話で陽毬達がサンシャニー国際水族館を訪れた日にちは'11年10月15日(土)で
どうも'11年8月4日以前の設備っぽい。
つまり1話の時点で「世界の風景がおかしかった。」という事だ。
これはピンドラのTV版は「最初から運命の乗り換えが完了せず保留の状態だった」という事だろう。
「大スキだよ」の手紙を書いて熊のぬいぐるみに隠しておくのだけでは乗り換え50%の状態という感じなのだろう、陽毬に届かなければ。
漫画版でも乗り換え後の世界で陽毬と苹果が'12年3月20日以降にサンシャニー国際水族館に訪れているのだが
こちらは現実の水族館と同じくサンシャインアクアリングの描写があった。
もしかしたら陽毬が1話の水族館で死んだ理由は
「久々に訪れた水族館が自分の思い出だった頃と風景が違う!」と動揺したからではないだろうか?
荻窪線のダブルHの広告も楽しそうな親子連れを見て両親の不在を実感してしまう事も
陽毬は既に経験し理解している事、大きなショックがあったとは思えない。
つまり本当は1話の池辺陽毬には'11年10月15日にあるべきサンシャイン水族館の新展示・サンシャインアクアリングなどが見えていて
高倉家族との大切な思い出がまた喪失してしまったような気持ちになったからショックで死んだのでは?
と私は推察している。 結局の所、輪るピングドラムって作品は
家族を喪失してしまう運命となった女の子(苹果)が
既に家族を喪失してしまっているのに見て見ぬフリをしてるのか気づいてないのか分からない夢見がちな女の子(陽毬)を
時の流れが遅い竜宮城(家族との思い出だった頃と変わらない水族館が存在する不思議な世界)から
現実の地上(本当の水族館)に連れ戻して目を覚まさせる話をやりたかったんだろうなぁ。。。
TV版の最終話でイクニさんが視聴者に気づいたり考えて欲しかったものの一つは
「乗り換え後のサンシャニー水族館はどう変わってるのでしょうか?」だったのだろう。
なのに実際は・・・
漫画版のサンシャインアクアリングがTV版で謎にしたものへの
公式からの答えあわせだったのだろう、ある意味で。
でも反応薄かったから劇場版で再描写か。
そもそも何でTV版でリニューアル後のサンシャイン水族館を描写しなかったのか?だが
おそらく新しくなったばかりの水族館が
作中のキャラと現実で'11年の震災を経験した視聴者が
画面越しに共通して感じている喪失感とそぐわないと判断されたからかもなぁ
またはサンシャインアクアリングを描写した漫画版のように
キャラの心の中とのギャップで喪失感を演出出来はするけど
直接的過ぎてイクニさんのスキと合わなかったのだろう。
私はアニメ制作には詳しくないが
8月4日の水族館リニューアルから12月24日放送までの4ヶ月間でロケに行って
写真に収めて背景に起こすならスタッフさんの能力的に可能だったはず。 TV版8話に荻野目苹果もサンシャニー水族館を訪れていたけど
家族との思い出を大切にしている荻野目苹果にも水族館はリニューアル前の風景として見えていた、と解釈した方が正しいだろうな。
しかし陽毬と違って時が経って思い出のストラップを見つけられない現実をしっかり認識しているので
多分症状は陽毬より軽いのだろう。
また、林檎の父・荻野目聡が藍の母にプロポーズをするけど
あれは運命の乗り換えなので
あの瞬間に聡の眼には水族館の風景が元妻の絵里子や娘の苹果と一緒に出かけたリニューアル前の姿から
新しい家族との思い出・リニューアル後の水族館へと正しく変わったのだろうなぁ。
にしてもウツボ好きの女の子って印象に残るなw
でもウツボのストラップも実際売り物であるようだし世界は広い。 >>803
一つ重要な事に気づいたが漫画はモノクロの媒体だから
運命の乗り換えによって高倉家の風景が変わってもインパクト薄くなってしまうのか、総天然色のアニメと違って。
だから漫画版では「運命の乗り換えを表現する為に高倉家以外にサンシャインアクアリングでインパクトを出そうとした」と考えるのが妥当か。
本業の漫画家さんならすぐに気づいてイクニさんとの打ち合わせで提案してたんだろうなぁ・・・流石だわ。
もしも「最後にサンシャインアクアリングを描きたい」と柴田さんが自分から切り出していたら
同じイクニファンとして頭が上がらんが実際どうだったのだろうなぁ。
私なんか劇場版という10年越しのヒントでようやく運命の乗り換えの真実に気づけたというのに。。。
漫画版といえば二巻のオリジナルパートが私はスキだなぁ
最後まで見ると高校生の高倉兄弟は本当に実在していたのか怪しい所だが血が通ってる兄妹愛は見ていて悪いものではない。
劇場版の方の兄妹愛は本物だと私は断言出来るけど。
そういや漫画版では荻野目父のプロポーズ後に竜宮城が描写されていたが
私の解釈と違ってるようで一時悩んだけど
私の解釈に合わせながら考えると
竜宮城(=苹果の思い出の水族館)を訪れて踏み荒らす新・荻野目家と多蕗&ゆり、って感じかな。
多蕗とゆりは実際に水族館を訪れた描写が一度も無いので悩んだけどw
2話など苹果が多蕗の家の床下ストーキングしていた時も幸せそうな水中のような効果音だったので
竜宮城は苹果にとっても居心地の良い場所のメタファーだったのだろう。。。 荻野目聡ってピンドラファンからどんな評価されてるのかしらんけど
私は割とスキなんだよなぁ。
水族館は喧嘩して離婚した妻を思い出してしまう場所でもあるのに
それを微塵も感じさせずにプロポーズした所とか。
藍ちゃんがウツボ大スキだから水族館は避けて通れないと正面から思い出と向き合ったんだろうなぁ。
でも離婚の原因はフォローしようが無いがw
個人的な解釈だけど荻野目聡はスキなカレーを楽しく食べたいのに
娘の命日に神妙な気持ちで食べるのが辛かったから妻と喧嘩になったんじゃないかなぁ、と考えているw もしも荻野目絵里子が劇中にサンシャニー水族館を訪れていたのなら
リリューアル前と後、彼女の目にはどっちの風景に見えるのだろうなぁ?
苹果や聡と違って多分水族館には行きたくないのだろうけど気になるわ。
それともゴッホやムンクの絵みたいに水族館が歪んで見えたりするのだろうかw 作中の最重要人物・陽毬を中心にピングドラムという作品の世界観を考える上で
「幾つかの重要な日があると個人的に思っている」のでそれを時系列順に並べていく。
私が重要でないと思ってる日はそれぞれで補完よろしく。
または私が後で重要だと気づいた箇所は補足してくつもり。
2008年 高倉父母が指名手配(13話)、陽毬がいじめを受け小学校を退学する(9話)
その後、陽毬は家で毎日泣いて暮らすが兄弟が高倉家をリフォームして陽毬を笑顔にする(21話)
2010年 陽毬が南阿佐ヶ谷の書店に雑誌を買いに行ってダブルHのデビューを知る(9話)
その後、陽毬は病気になって入院生活。
'11年3月11日 東日本大震災
作中では地震は何の関連性も無いように思われるが村上春樹の「カエル君東京を救う」は'95年1月17日に起きた阪神・淡路大震災をイメージさせる物語。
9話で陽毬が図書館で「前にカエル君の本を見た日とは2010年の病気になる前」と考えられる。
きっと陽毬は運命を感じただろう。
また24話の池辺家には震災の被害を受けた福島産のグッズが置いてある。
'11年8月4日 サンシャニー水族館がリニューアル、水族館は'10年9月1日から約一年間リニューアル工事をしていた。
同年10月15日 高倉三兄弟が思い出のサンシャニー水族館に行く、
しかし1描写された通り水族館の展示はリニューアル前の「思い出の水族館」
つまり兄妹が見ている世界の風景が変なのだがその後、陽毬は死ぬ(1話)
夢の世界の始まり?
'12年3月20日 陽毬と苹果が荻窪線終着駅の池袋で地下鉄事故に遭う、おかえりなさい、夢の世界からの帰還(24話)
3月20日という日付は漫画版から (本当の時系列を考える上で作画ミスと思われる箇所を見つけた、と解釈したので補足)
'11年10月15日? 新しい一日の始まり?、朝から高倉家にクール便でペンギンが届く
TV版で晶馬が受けていた多蕗の授業中に黒板に書かれた日付は10月15日(土)
・・・その日に水族館に行ったはずなのに時間の感覚がおかしい。(1話)
漫画版では1話の授業シーンでの黒板の日付は晶馬の顔で隠され、劇場版では1話の授業シーンは丸々カットされているので
「1話の高倉家にクール便でペンギンが届いた日は10月15日(土)」というTV版で描かれBDでも修正される事はなかった箇所は「イクニさん的に無かった事にしたい」という意思を感じてしまうw
つまりTV版1話の黒板の日付は作画ミスだったのだろう。
日付は考察の内容を左右するような重要箇所だったのだが
ピングドラムという劇の創造主であるイクニさんも私たちと同じ人間なので間違いも有る、という事だろう。
・・・ピンドラの経験からユリ熊嵐では日付を設定する事に意味を感じなくなってしまい止めてしまったのかもなぁ。
そもそもイクニさんがピンドラ劇中に日付を入れた理由は'95年3月20日を描写したかった事に加え
サンシャイン水族館のリニューアル日を跨いだ「運命の乗り換え」という演出を画面越しの視聴者に感じて欲しかったから、だろう。
さらざんまい10話のレオマブtwitterといいイクニさんはエンターテイナーだ。
ユリ熊嵐のtwitterアカウント凍結ももしかしたらイクニさんの演出が失敗したのかも?、とたまに考えるなぁ。
鳥がモチーフのtwitterとユリ熊嵐の透明な嵐の鳩マーク的に
イクニさんは視聴者の脳内でその二つを関連付けてもらいたかったはず。
これらの過去作の通りイクニさんはアニメと現実の境界線を越えるような演出が大スキなんだろう。
劇場版のピンドラでも兄弟が図書館に訪れた日を4月29日に設定したのはその為、ちゃんと公開日に放映されてホッとしたんだろうな。 「TV版1話の高倉家にクール便でペンギンが届いた日は10月15日(土)ではない」とするなら
本当は何日だ?という疑問が出てくるだろう。
1話の水族館で陽毬が死に霊安室で生き返った日を
9話の図書館で表示されていた10月15日(土)と同じだとするなら
「陽毬は数日経っても元気だった」と小説版で晶馬が独白してるので15日から二三日は経過していたのだろう。
また翌日の2話の晶馬のスマホから19日(FRI)とあるが
'11年10月19日は水曜なのでこれも作画ミスだろう。
公式ガイドブックと比較すると
おそらくアイコンデザインの越阪部さんのサンプルをそのまま使ってしまったせいで
作画ミスをしたのではないだろうか?
また3話は19日の翌日カレーの日の話なので話は綺麗に繋がっている。
よって「クール便でペンギンが届いた日は10月の17or18日のどちらか」と私は結論付けさせてもらう。 「劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM」TV初放送!
■AT-X
「劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略」
3月26日(日)14:30〜16:40
3月31日(金)25:00〜27:10 ※リピート放送
「劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる」
3月26日(日)16:40〜19:05
3月31日(金)27:10〜29:35 ※リピート放送
■WOWOW
「劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略」
3月26日(日)14:45〜17:00
「劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる」
3月26日(日)17:00〜19:30
※WOWOW オンデマンドにて各放送終了後に1週間限定見逃し配信 >>808
追加だが「陽毬を中心にしたピングドラムの世界観を考える上で」この日も重要だ。
2008年6月14日 東京メトロ副都心線・開業
1話の'11年10月15日の陽毬デーに陽毬たち高倉三兄弟は
東京スカイメトロ荻窪線で「思い出のサンシャニー水族館」に出かけるが
新宿駅でショートカット出来る副都心線の乗り換えは使わずおよそ一時間かけて池袋に訪れた。
なぜ陽毬は「副都心線への乗り換え」を使わなかったのか?と考えるが
高倉両親が失踪する2008年以前に家族で水族館に訪れた時は「副都心線は開業していなかったから」だろう。
よって家族で思い出の水族館に行くには「副都心線は存在してはいけない」ので
陽毬は副都心線の乗り換えを使わなかったのでは?と考えられる。
また2010年の病気になる前に陽毬は荻窪線を利用している(9話)ので
本当は副都心線の存在も知っているはず。
つまり(ダブルHのデビューを知って)病気になった後の陽毬は思い出に逃避してしまっているのだろう。
だから思い出の水族館に行く為に副都心線の乗り換えを使えなかった。
と私は考えている。 '10年9月1日から水族館は工事していたのだから
'10年時に陽毬が病気で入院した日は工事が始まる以前の日で
陽毬は水族館のリニューアル工事の情報を全く知らないまま
思い出の水族館に現実逃避したくて1話の'11年10月15日で荻窪線で訪れたのかもな。
副都心線を使わず思い出に拘ってサンシャニー水族館に訪れたというのに
陽毬はサンシャインアクアリングを見てショックだったんだろうなぁ・・・
そりゃクマショック!で死んでもおかしくないか。 時系列はここら辺にしといて
陽毬を中心にしたピンドラの世界観についての私の解釈を述べる。
私は「冠葉と晶馬は1話が始まる前、時系列的に21話の陽毬の回想にあった2008年の父母の失踪時、後を追うかのように兄弟も世界から消滅した」と解釈している。
何故こう解釈したか?というと
24話の運命の列車内で兄弟二人がガラスのように砕けたり燃えたりして世界から消えた描写は「現実的では無い」からだ、納得できない。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜で例えるなら「列車に一緒に乗っていたカンパネルラが突然消えて夢から覚めました、終わり。」くらい納得出来ない。
だが賢治はロジカルな作者なので銀河鉄道に乗ったばかりの時にカンパネルラが服ごと水で濡れていたという伏線を残している。
つまりイクニさんも「池辺陽毬の世界で高倉兄弟が消滅した理由や伏線を残している」と考えるのが妥当だ。
高倉兄弟が消滅した理由と考えられる一番の伏線は
乗り換え後に劇的に変わった池辺家と陽毬との関係性にあるだろう。
乗り換え前の5話、池辺の伯父は「病気の陽毬はうちで面倒を見る、だけど三人一緒に引き取るのは無理。」と言った通り
伯父は「陽毬の面倒を見る」という冠葉との約束を守った、という事だろう。
また2008年時の高倉兄弟は「子供3人では生活出来るはずがない」と現実的な考えも持っていたから
一番大切な陽毬を伯父に任せる選択肢を取ったのかもしれない。
しかし伯父に陽毬を任せたとしても
陽毬が患っている病気はテロ事件を起こした高倉父母の呪いが元凶なので
陽毬が高倉兄弟と関係を持っている限り呪いは続く。
だから陽毬を呪いから解放する為に高倉兄弟は自身らを世界の風景から消える選択肢を取ったのだろう。
以上の事から「高倉兄弟は高倉家のリフォーム前に世界から消滅していた」と考えられる。
熊のぬいぐるみに手紙の細工を残しておいて。 では「カラフルな高倉家や天蓋付きのベッドは何だったの?」と疑問に思うだろうが
私は「池辺陽毬の初めての作り話」と考えている。
2008年に兄弟まで世界から居なくなった寂しさを紛らわす為に
陽毬は「今も兄弟が居る」という妄想を作り
それに縋り付いて池辺家の養子として生活していた、と私は考えている。
そして2011年10月15日の運命の日
思い出の水族館で死んで霊安室で生き返った瞬間に
陽毬の(高倉兄弟が今も世界に存在しているという)妄想の世界が真実に変わった。(運命の乗り換えが保留した状態だが)
と私は考えている。
陽毬は2008年からずっと妄想の兄弟と一緒に暮らしていたので
「妄想の兄弟が実体化する」という不可思議な世界の変化も気にならなかったのだろう。 また「天蓋ベッドが陽毬の妄想なら熊のぬいぐるみはどうして破けたの?」という疑問も出てくるだろうが
陽毬を池辺家の養子にする為に高倉家を出て行こうとする高倉兄弟を引きとめようとして
陽毬が人形を持ったまま揉み合っていた最中に破れてしまった、と私は考えている。
で、人形が破れた事にも陽毬は大泣きし
兄弟は陽毬をあやし人形を繕いながらも手紙を細工して
翌日、陽毬が泣きつかれて寝た後には既に家はもぬけの殻。
代わりに池辺の伯父がやってきた。と私は補完している。
つまり2008年、家族を一気に失った陽毬は
その後、ダブルHのデビューを知って更に落ち込み
妄想の世界に逃避する為に
1話の'11年10月15日に「妄想の兄弟を連れて思い出の水族館に行こうとした」のだ。
となると妄想の兄弟を相手にして陽毬の余命宣告をした鷲塚先生も変という事になるが
彼は幽霊と会話出来る人だと後に描写されるので問題は無いはずw 私はピンドラのストーリーもキャラも凄いスキという訳ではないけど
陽毬やこの世界観がどうなってるのか?を考えるのは嵌るし
10年経っても多分よく出来てるんだろうなぁと思っている。
でも考えてると段々と陽毬がメンヘラになっていって
私もメンタルをヤられそうになるのが難点だけどw
ユリ熊嵐の世界観と純花の関係を考えていた頃を思い出すが
純花の事を考えていた時は私自身の汚れた心も洗われるようで凄く良い気持ちだったんだけどなぁ・・・
色んなキャラが居るってのは生み出したイクニさんが凄いって事だな 「何故、兄弟が消滅したのがリフォーム時って分かるんだ?」と疑問に思うだろうが
24話の乗り換え後の世界ではダブルHのアルバムのタイトルが「運命の果実を一緒に食べよう」のまま。
つまり陽毬が小学校に通っていた頃に親友だったヒバリと光莉に「一番大切な言葉」を伝えていた事実は変わらない。
しかし15話に陽毬がダブルHの為に編んだマフラーは乗り換え後の世界では消滅した。
つまりピンドラは「1話の'11年10月15日からずっと(高倉兄弟がまだ存在しているという)夢の世界の出来事だった」という事。
他にも色々な理由はあるが疲れたし、それぞれが自分で探してみるのもいい。 乗り換え後の池辺家の謎については8年くらい前から気づいていて
その都度平成板に書いていたが、やっと大仕事を果たした気分だ。
まさかサンシャイン水族館のリニューアル日が物語に大きく関わっていたとはね。
9話の再来のような劇場版のおかげでようやく分かった。
流石イクニさん、比較したがるアニメファンの性質をよく分かってらっしゃる。
クラファンに協力したお前らにももちろん感謝してるよ
もしも劇場版が無かったら一生考える羽目になってたかもしれんしなw
さて、これによってピンドラ界隈の解釈も大きく変わってくのかなぁ?
それとも何も変わらずこれからも犬のように自分の尻尾を追いかけ続けるのか楽しみだ。 「高倉兄弟が陽毬の妄想から生まれた偽者」だとするなら
プリクリの「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」も納得いくし
そりゃ最後にガラスとなって砕けたり焼死するのも当然って感じ。
宮沢賢治が作ったカンパネルラってキャラクターが作中で何者にもなれず死ぬのと同じなのだから。
そして劇場版の桃果プリクリの「きっと何者かになれるお前たちに告げる」の台詞通り
妹の為に自己犠牲をして世界から消えた高倉兄弟は身体も心も本物なので
10年後の劇場版で転生出来た、のだろう。
・・・余談だが劇場版で冠葉と晶馬は桃果プリクリに何も覚えてない事を非難されてたけど
本を読んだ時「俺たちの妹って俺たちが消えた後にこんな妄想してたの?」って動揺していた、と解釈してるw つまりTV版の10年前に冠葉と晶馬が閉じ込められていた箱とは
2008年に高倉家全員を喪った陽毬が寂しさを紛らわせる為に作った「私にとって理想的なお兄ちゃん」という箱だったのだろう。
理想であって欲しいから「兄弟三人以外と手をつなぐのは許さないし、伯父に私を任せて家を出て行くのも許さない。」
だから冠葉は実妹の真砂子にも浮気をしなかったし池辺の伯父とも仲が悪かったのだろう。
でも晶馬が苹果と仲良くなっていったから陽毬はヤキモキしたんだろうなw
で、高倉兄弟が存在している世界ではその代償のように段々と不都合な事が起きてきて
最後はやっぱり兄妹バラバラになってしまったので
陽毬は罪を感じ、自分の命である林檎を本物の冠葉を解放する為に彼の箱の中に返した。
だが箱の中の本物の冠葉と晶馬は
偽者の箱の中に閉じ込められて餌を与えられずとも、妹が大スキで幸せになって欲しいという気持ちは変わらなかったので
何度でも陽毬に愛を届ける為に林檎を分け、劇場版でも手紙入りの熊の人形を届けたんだろうなぁ。。。
高倉兄弟を箱に閉じ込めていた黒幕の正体が陽毬だ、と考えていると
ウテナの「薔薇の物語」で小屋に兄の王子を閉じ込めて魔女になってしまったアンシーを思い出すなぁ。
あっちは兄が結果的に最悪の世界の果てになったが。 晶馬が苹果と仲良くなっていった理由は
本物の晶馬が入った「陽毬にとって理想的なお兄ちゃん」という箱の設定が甘めだったのかもなw、冠葉を入れた箱と比べて。
「私の晶ちゃんが浮気をする訳ないよ」と高を括って陽毬は設定甘めにしてたのかもなぁw
でもペンギン帽の桃果には見破られていて苹果をあてがわれたのかもしれないw 唖然とするわ
妄想を広げただけで何も解釈できてないじゃん
過疎ってた上にまともな話もできない場所になってしまったのか残念 >>824
それは妄想だと断言する前に
先ず>>800にある
はだしのゲンの母親の死に方と1話の陽毬の死に方が同じ理由を
あなたなりに答えてからにすべきでしょう。
あなたの主張には客観的な証拠が足りてないよ。
陽毬の妄想どおりゲンの母と同じような死に方をしようとしたけど
現実ではサンシャニー水族館がリニューアルしていて思い出の場所と風景が変わっていたから
ショックで死んじゃった、肝心な所で現実は妄想通りにいかない!
と私は解釈しているけどw 妄想はこの作品では大切だろう
プリクリがイマジンと叫ぶようにね
思考停止してるかのように否定していたら何も始まらないw イクニさんは死にたい妄想をするキャラにはコントみたいなオチを与えるけど
「こんな私にも林檎を分け合ってくれる人がいるはず」という前向きな妄想を持って
自分という箱から手を伸ばすスキを諦めないキャラには
七転八倒させても最後はいい夢を見させてくれる筈w それにピンドラのモチーフの一つである宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の作中に出てくる銀河鉄道も元は
「アルコールランプで走る玩具の鉄道をカンパネルラの家で一緒に遊んだ思い出の頃のように
またカンパネルラと一緒に居たいなぁ」
というジョバンニのイマジン、つまり妄想から夢の旅が始まってるしねぇ。 陽毬が1話でゲンの母の死に方を真似ようとしても
妄想どおり上手くいかなかったのは
苹果が桃果を真似ても上手くいかなかったのと一緒。
つまりイクニさんの作品に込めた思想が物語全体に反映されている、という事だろうなぁ。
そして私の解釈がイクニさんの意図により近づいてる、という事でもあるだろう
ま、細かい所は間違ってるだろうがw 独りよがりが駄目なのは作品で散々描写されてるのに…
こんなに妄想をこねくり回して長文を書いても理解できないのか 「作品内の出来事と辻褄が合っている妄想」は独りよがりとは言わないよね。
23話の晶馬には犯罪者にしか見えてなかった冠葉だけど
「どうしたら良いのか分からない迷子になっている」と本当の冠葉を陽毬だけが見つけられたように。 にしても相変わらず幼稚園児でも出来るような否定しかしないなぁw
この手のレスはもう相手する必要ないね。 私の解釈への異論反論お待ちしております
ご覧の通り内容の無いレスはスルーします。 TSUTAYA新作100円だったから
前後編借りた webくじの第二段やってるのか
星をイメージしたような衣装の新規イラストがオサレ
劇場版のおかげで新規イラスト増えて嬉しいなぁ
マルイのペンギン衣装の陽毬が可愛くてスキだわ、私の中のメンヘラ陽毬も浄化してくれそうでw 誰かに見つけてもらえたらいいね。
でも一番必要なのは、対話のために他者と向き合うことだよ いやー、ここの2スレ目の住人さんが
「陽毬とマリオの病気は心の病」と話していたけど
それって1スレ目で転載されていた私のレスに影響された感じが強い内容で嬉しかったなぁ。
だからまた見つけてもらえると思うよ
この通り私のイクニ作品への解釈は皆さんに大人気のようだからねw
それ以前の平成板では「陽毬の病気は呪いだ!」と
イクニさんがピンドラに仕掛けたフェイクにまんまと引っかかってたレスばかりだったのにねw
本当に良い解釈は何もしなくても見つけてもらえるもの、って事だろう。 運命の乗り換えにサンシャイン水族館のリニューアル日が関わっている事も
何故陽毬たちがサンシャイン水族館に行くのに副都心線乗り換えを使わなかった理由も
大体私が見つけちゃったなぁ・・・イクニファンとして幸せだわ。
またネットで初めてだったりするのかな?
荻窪から池袋への水族館に行く為に副都心線を使わない謎はオトナアニメの雑誌にも載っていたが
身体の弱い陽毬を気づかって乗り換えなかったのか?と書いてあったな。
>>813が10年越しの答えか。
そしてそれらを踏まえて一先ずだが一日で考察を完成させちゃったし
充実した休日だったわ。 今だから言わせてもらうが
昔のピンドラスレって一体何だったんだろうなぁ?
病気は呪い!
ペンギン帽は桃果だからプリクリの人格も桃果!
りんごの計算!
檻は虐待のメタファー!
etc
私がここ数年ピンドラを考察していたので進歩したけど
イクニファンは少しは頭を使って考えた方がいいぞ。
りんごの計算とか一見分かり易いものに縋り付きたい理由も分かるし
イクニさんの表現や演出を鵜呑みにしたい理由も分かるが
「それじゃ辻褄合わないなー」って気づく時があるでしょ
その瞬間を見て見ぬフリしていたら何時まで経っても成長しない。
考察で結局モノを言うのは自分自身の考える力で
私はそれを自覚しているから「陽毬の病気はダブルHのデビューと関係してるのでは?」とネットで初めて気づいて
芋づる式に今まで誰にも分からなかったピンドラの色んな謎が解き明かされていったのだし。
まぁ解き明かしたのも主に私だったのだけどw
本当は私よりピンドラがスキな人がやるべきだとずっと思っていたんだけど
そんな情熱を持った人はどうやら居なかったようだな。 他人とやり取りする気がないのに掲示板で長々自論を展開するとかさあ
作中からの推論の域を超えたこじつけ、想像ではなく妄言が並べられているのは本当に残念だな
読んでみたけど話の筋がなくて悲しくなってしまったよ
新興宗教についてではない宗教的視点で話がしたかったけどもうそういう話のできる人はもう居なさそうだね
ウテナで描かれた世界がまだごく一部だけど受け止められるようになるまで25年、ピンドラの話がふつうに受け止められるようになるにはどれだけ時間が必要なんだろう ま、頭の回転が鈍いファンや
高倉兄弟に萌えてるファンの皆さんにはすぐには受け入れられない解釈だろうな
彼らが最初から故人(世界から消えかけてた)なんて
でも私が気づいて考察しといた陽毬の病気の理由がスレを越えて理解されていったように
皆さんにもその内に気づいて浸透する、と私は思ってるよw
にしても銀河鉄道に乗っていたカンパネルラを鑑みれば想像したくなると思うんだけどなぁ・・・
「何時から陽毬たちは同じ鉄道に乗っていたのだろう?」って なにこのマジもん感
将来サネトシくんみたいになりそう つまり冠葉が荻窪の味リナちゃんで父母の幽霊と会話していたように
実は「陽毬も1話の頃は高倉兄弟の幽霊とずっと会話していた」という事だよ
同じように高倉兄弟の白骨死体でも描写されないと信じられないのかなぁw
ピンドラはそんな不思議な世界観のアニメなのに。
で、陽毬が水族館で死に
眞悧とペンギン帽に復活させてもらった時を同じくして
高倉兄弟の幽霊も受肉した、みたいな感じなのだろう。
宮沢賢治の話をしてる少年二人を捕まえて箱の中に入れたから高倉兄弟が復活したのかなw
一体誰が捕まえたんだろ? まぁ正確に言えば陽毬が高倉兄弟の幽霊と会話していた期間は
2008年の高倉兄弟が熊のぬいぐるみを治して世界から消えた時から
1話の'11年10月15日の霊安室で復活するまでの間だろうが。
で、2010年に陽毬がダブルHのデビューを知ってさらに情緒不安定となり
高倉兄弟の幽霊と会話する頻度が更に悪化したのだろう。
もしかしたら陽毬が病気で入院した場所も
精神病院の類かもなぁ・・・
幽霊と日常会話してる女の子なんて社会から隔離されてもおかしくはない。 イクニさんがペンギンをオバQに例えた理由も今なら少しだけ分かる気がするなぁ
妄想と幽霊のどっちにも属する存在
しかしイマジンが足りんなホントw
個人的にはユリ熊嵐とさらざんまいの間くらい難解なアニメが丁度良いかなぁと思う。
さすがにピンドラは難しすぎるw
最終話放送終了後から次クールアニメが始まるおよそ一週間以内に視聴者に理解させる内容じゃないと。
それか次作は劇場アニメ路線でくるか。 つまり1話の霊安室で陽毬が復活し奇跡的な回復を遂げた理由は
今まで自らの妄想で幽霊を作り出すほどに追い求めていた高倉兄弟が
自分の元を離れ勝手に喧嘩しだす光景を俯瞰して見ながら
「ダブルHは遠い場所に行っちゃったし
久々に訪れた水族館は思い出の頃と様変わりしてたりと散々な目にあったけど
高倉兄弟が戻ってきたならもう一度この場所で生きたい!」
という生きる希望を得た為、だろう。 ネットのピンドラファンは10年間の今まで誰も「1話で陽毬が死んだ理由と復活した理由」を客観的な根拠を持って説明出来なかっただろうし
これもまた私が初めてなんだろうなぁ・・・ 今年に入って何レス一人で消費したんだろう
でも誰も応えてくれないのはどうして?
みんなの頭が鈍いから?そうじゃないと思うけどね 高倉兄弟が林檎を分け合った瞬間は母・千江美が「知らない間に仲良くなった」と言ってるように
陽毬にも知る訳が無い、神聖な領域。
でも「確かにあったはず」と陽毬は何とか妄想したのだろう。
だから「10年前の箱の中の回想」はあんなにもディティールが適当。
私はずっと不思議だったんだよなぁ。
高倉兄弟が愛する妹の為に熊のぬいぐるみに手紙を仕込んだ最終話のオチが本当なら
21話で兄弟がバラバラになって陽毬が伯父の元に行く為に家を出る時に晶馬は絶対に持たせるはず。
しかし晶馬は24話で焼死する最期の最期まで全く気づかない。
これは高校生の晶馬が「熊のぬいぐるみの中に手紙を仕込んだ事を知らない」偽者だったという事。
そしてそんな偽者の晶馬をこの夢のような世界に創造し動かせた人物は
同じく「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」池辺陽毬たった一人だけしかいない
という事だろう。 ま、21話で陽毬が伯父の元に行く為に家を出る時に晶馬が熊のぬいぐるみを持たせなかった理由は
「忘れていたから」とか「頭が混乱していたから」って可能性もあるけど
本物なら陽毬が出て行った後に整理している最中にでも気づいてもいいと思うんだよなぁ。。。
劇場版の本物の冠葉と晶馬が乗り換えの嵐で吹き飛ぶ天蓋ベッドの中
一番大切な熊のぬいぐるみを真っ先に見つけられた奇跡のような兄妹愛と比較すると
やっぱり熊のぬいぐるみの大切さを見つけられなかった高校生の高倉兄弟は
陽毬が妄想で作り出した偽者、としか私には思えない。 「1話と9話の2011年10月15日の陽毬デーに一体何があったのか?」の解説
まず池辺陽毬は妄想の高倉兄弟を連れ独り言で会話しながら荻窪線を利用し
副都心線乗り換えは見て見ぬフリしてサンシャニー水族館に訪れた。
しかし水族館は思い出の風景が失われリニューアルしていたので
池辺陽毬はショックで死んでしまった。
池辺陽毬はそらの孔分室で眞悧と出会いペンギン帽を貰う。
そしてプリクリの格好で霊安室に帰還
描写を素直に受け取ってしまうと「陽毬は現実と彼岸の2つの世界を行き来した」となるが
死んだ陽毬が帰還した世界は「現実」ではなく「3つ目の世界」、と私は考えている。
「3つ目の世界」とは池辺陽毬が妄想し続けていた「高倉兄弟が消滅していない世界」で
その世界でも陽毬は霊安室で死んでいたのだが
池辺陽毬の住んでいた現実の世界と違い
自分の遺体の前で高倉兄弟が喧嘩している事に陽毬は驚いた。
リアルな兄弟喧嘩の光景に今までの自分の妄想では味わえなかった喜びを感じたので
「この世界で生きたい!」と陽毬は復活し健康になっていった、のだろう。
そして新しい世界で池辺陽毬は高倉陽毬として再び兄弟と一緒に生活出来る幸せを感じていたが
真砂子など高倉兄弟と縁のある運命の子供達も陽毬と同じ頃に世界を移動してきていたので
段々と悪い波乱が起きていった、と私は考えている。 この解説が本当だとするなら1話はイクニさんのフェイク全開だな
・陽毬は妄想で偽物の高倉兄弟と会話しながら水族館に行くようなメンヘラちゃんだった
最後までフォローなし
だが「熊のぬいぐるみの大切さを知らない高倉兄弟は陽毬の作った偽物」と考えられる。
それを証明するかのように乗換え後の世界では偽物の高倉兄弟は消え
本物の高倉兄弟が銀河鉄道の話をしながら歩いてる。
・'11年10月15日のサンシャニー水族館という設定なのに背景はリニューアル前
これは1話放送日が7月8日なのに対しリニューアル日が8月4日なので仕方無い事ではある。
本当は運命の乗り換えの演出を最終話で行う予定だった?
・3つ目の世界と現実を同じものとして描写
最後までフォロー無し、考えようとしなければいつ世界が変わったのかすら気づかない。
フェイク恐ろしすぎるw 今までの私の仮説が正しければ
ピングドラムの作中の最終話までずっと描写されていた乗り換え前の世界とは
池辺陽毬がイマジンした「高倉兄弟がまだ世界に存在している」世界だった、という事だろう。
現実の池辺陽毬の世界では高倉兄弟は2008年にすでに世界から消滅している。
当時の高倉兄弟は「子供三人だけでは生きていけない」と知っているから池辺の伯父に陽毬を任せ
陽毬を高倉家の呪いから解放する為に世界から消える選択肢を取ったのだ。
しかし池辺陽毬は「高倉兄弟に置いてかれた」と思い込み
池辺家の養子になった後も寂しさを紛らわす為に「高倉兄弟はまだ世界に存在している」とずっと妄想し続けた。
社会生活に馴染もうとしていた矢先の2010年に陽毬はダブルHのデビューを知って更にショックを受ける
結果、妄想の世界へと現実逃避する頻度が増えていったので精神病院に送られた。
2011年10月15日に退院許可が取れたので池辺陽毬は「漫画はだしのゲンの母親の死に方」を真似て
家族の思い出のサンシャニー水族館に行ったのだが
水族館はリニューアルしていたので別の意味でショックで死にかけた。
「どうしても思い出の水族館で死にたい」と思った池辺陽毬は最期の瞬間に妄想の世界へと逃げ込み
ペンギン3号が高倉陽毬をそらの穴分室へとおびき寄せてる間に
高倉陽毬と交代して死ぬ。
池辺陽毬は高倉兄弟に付き添われて霊安室に運ばれるが
その間にそらの穴分室に居た高倉陽毬はプリクリとなってすべての真実を知ってしまう。
自分が池辺陽毬の現実逃避用に生み出された偽者だと知った高倉陽毬(プリクリ)は
世界のすべてに激怒しつつも
創造主である池辺陽毬の社会復帰を手伝ってやるために偽者仲間の高倉兄弟をこき使って憂さ晴らしに生存戦略する事にした。
みたいな感じだろうなw 1話の'11年10月15日とはつまり
池辺陽毬が独りぼっちの一日の寂しさを紛らわす為に高倉三兄妹の幸せな一日を妄想し
かつ「はだしのゲンの母の死」を真似て思い出の水族館で死ぬ為の段取りを描いた運命の日だったのだろう。
1話の幸せな3兄妹の一日は実は池辺陽毬の妄想で
それと並行して
現実の池辺陽毬は地味な池辺家の普通のベッドで
独りぼっちで眼を覚まし
独りぼっちで朝食をとり、
独りぼっちで荻窪線に乗り
独りぼっちでサンシャニー水族館でペンギンを見に行ったのだろうなぁ。
だが妄想と違い現実のサンシャニー水族館はリニューアルしていて
それを見た池辺陽毬は思わずショックで死にかけたので
思い出の水族館がある「妄想の世界」へと逃げた。
ピンドラは「池辺陽毬とはどんな女の子なのか?」を考え続け
1話の映像の裏にある「現実の池辺陽毬」をイマジン出来るようになって
ようやく本当のピンドラの世界観が見えてくる構成だったんだな。。。 にしても陽毬がゲンの母の死を真似る必要はそもそも無いので「何故だろう?」と考えていたが
おそらく陽毬は自分の死後にダブルHに見つけて欲しかったんだろうなぁ・・・
「私の思い出の場所は水族館だったんだよ、はだしのゲンがスキな親友のダブルHならきっと私を見つけてくれるよね」って。
晶馬に置き手紙を残してこどもブロイラーに行った頃とあまり変わってない
池辺陽毬にはダブルHに十字架背負わせようとしていた自覚は無かったのかもなぁ・・・
晶馬の時と違ってダブルHに自殺予告?のファンレターは出してないだろうし。
そりゃ最終話の乗り換え後の列車の広告で「お帰りなさい」って言われるよ。 そういやイクニさんがコメンタリで
ハーレム漫画を面白く描ける作者はどんな人生を送ってきたのか?で例え話でしていたが
「高倉陽毬を主人公にした兄妹ものの少女漫画」を面白く描ける池辺陽毬も漫画とは真逆の人生で
2008年に高倉兄弟を喪った池辺陽毬は兄弟が欲しくて欲しくてしょうがなかったから
'11年10月15日までずっと高倉三兄妹の日常を妄想し続けたのだろうなぁ。
以前にコメンタリ聞いた時はイクニさん自身にも返ってくるような例え話を何故したんだろと思ったけど
池辺陽毬のキャラを考えるヒントだったんだなぁ。。。
そういやピンドラのアニメ会社ブレインズベースはBROTHERS CONFLICTって兄弟ハーレムアニメ作ってたな
イクニさんもEDの絵コンテやってた
・・・ピンドラファンは釣れたのだろうか? 小説版読み直していたが
陽毬が池辺の家に行った後のシーンで
晶馬が熊のぬいぐるみを見た時に「高倉三兄妹を繋ぐもの」とだけしか認識してなくて
過去の自分たちが中に仕込んだはずの手紙の事には一切触れていなかったので
やはり池辺陽毬が創った偽者兄弟だったのだろうなぁ。。。
家にペンキを塗った後に家族写真を撮ったりしていたようだが
陽毬は自分で作った妄想を事実だと記憶したかった気持ちが伝わってくるわ。
冠葉も同様に偽者と認識しても良いものだろうか
まぁ晶馬と同じく本物はすでに世界から消滅してるので偽者なんだろうけど。 今までの私の考察通り「熊のぬいぐるみの大切さを知っている高倉兄弟が本物」だと分かれば
ペアルックの「劇場版の高倉兄弟」と「10年前の箱の中の高倉兄弟」は同一人物の本物と、誰もが分かるだろう。
そして今回の私の一連の考察や>>822の通り
「箱の中に閉じ込めた黒幕は池辺陽毬」と考えるのが妥当。
つまり「箱の中の兄弟」の回想とは
池辺陽毬が2008年に「池辺の伯父に私を任せて高倉兄弟が消えた現実」から目を背け
「池辺の伯父から私を守ってくれる理想の兄弟像」を作って夢の世界に溺れる為に
本物を箱の中に封印していたのだ。
また「10年前の箱の中」も「手紙を知らない偽者兄弟」と同じく池辺陽毬の単なる想像の産物で
この回想の中、兄弟が林檎を見つけ分け合う事によって
池辺陽毬が「夢から現実へと目を覚ます舞台装置」のような役目になっていた、と解釈するのが妥当だろう。
まるで「兄弟が唱える乗り換えの呪文」は池辺陽毬の目覚まし時計のアラームのような演出。
舞台演劇が大スキなイクニさんらしい。 つまり冠葉(本物)の箱の中にあった林檎とは
夢の世界に逃げていた池辺陽毬が
陽毬を救う為に苦しむ冠葉(偽者)を解放する為に置いたもの。
22話で冠葉(偽者)を追いかけた陽毬が「どこでもドア」を使ったかのように思い出の水族館に飛び出し
神に祈って自殺するという意味不明な展開は
思い出の水族館を求め「現実から夢の世界へと逃げてきた池辺陽毬」の再現でもあった、と私は解釈している。
そして陽毬が自殺した結果、彼女の命(林檎)が冠葉(本物)の箱の中へと返った。
余談だが22話の水族館の陽毬は最終話の乗り換え後と同じく
作中でも珍しい「素の池辺陽毬」と私は解釈している。
1話の霊安室で復活してから以降、池辺陽毬はずっと高倉陽毬のフリをして夢の世界で生活していたが
22話で流石に無理だと自覚したのだろう。 10年間の間ピンドラファンの誰もが「10年前の箱の中の回想」を事実だと思って
林檎や時系列、「箱に閉じ込めたのは親か組織か」ばかり気にして考察していたが
発想の転換をしなければイクニさんの意図は誰も読めなかった、って事か。
私もすっかり騙されていたなぁ。
劇場版見た後、色んな情報を集めて「池辺陽毬とはどんな女の子か?」の答えを見つけなければ
ここには至らなかったよ。 小説版では陽毬が22話の思い出の水族館で死んだ時に
「もう二度と、ここには戻らない」と
どこを突っ込んで良いのか分からない独白をしていたが
「池辺陽毬が現実逃避する為に思い出の水族館を使っていて、現実と向き合う事にした」
と今までの私の解釈を当てはめたものなら大体一致するし
きっと正解なのだろう。
普通だったら「死んだら戻れるはずないだろ」とか素で突っ込んだり
「水族館くらいまた来たら良いじゃん」黒薔薇編のウテナみたく軽いノリで突っ込んじゃうよなぁw ピンドラは偽者と本物と作中で使い分けてるようだが
何も「高校生の高倉兄弟は偽者だから悪い」と言ってる訳では無い、と私は思っている。
TV版は偽者兄弟が本物に肉薄する話だろう。
「偽者兄弟が妹の本当の幸せの為に友達を探す」という
本物兄弟では成し得なかった離れ業を見せてくれた。
そして劇場版は本物の高倉兄弟が本物の仕事をした結果、転生する話だろう。
だが作中で「偽者の晶馬に惚れた苹果は一体何なのか」という感じにはなるなw
ま、まぁドラマの役者に惚れるようなものだよね!、私たちと同じく。
苹果ちゃんは陽毬先生のファン第一号だなぁw
また、乗り換え後の世界では陽毬と真砂子も縁さえあれば仲良くなりそうな気がするなぁ。
例えば陽毬が隠れた才能を発揮し貧乏ながらも特待生制度とかを利用して
真砂子の居るお嬢様学校に転校して
二人が「おにいさまへ」やマリみてみたいなエスの関係になったらと思うと楽しいが
あれだけギャグ要員やってた真砂子が後からお姉様になっても空気が締まらないのが難点だなw エスで思い出したが
私は百合が大スキなのだが
陽毬と苹果のカップリングは百合的にトキメかないんだよなぁ
間に喪失した高倉兄弟の穴があるからだろうが。
公式では二人を対等で健全な関係性だと示す為に「友達」と当てはめてるけど
年齢差もあるし陽毬は最後に苹果に大きなものを貰って終わった訳だから
姉妹の関係の方が個人的にしっくりくるし微笑ましい、勝手な解釈だけど。
陽毬を貰ってばかりの妹の立場から成長させる為には
苹果との関係は友達でないと締まらないから
友達の関係にしたのだろうというのは理解できるんだけどなぁ。。。 やはりイクニ作品ってウミガメのスープみたいなものだと私は思うなあ。
アレと違って出題者であるイクニさんは質問には答えないし正解も言わないけど。
最後にモノを言うのは想像力。
ま、妄想や想像・イマジンの類を馬鹿にするような人は自力では一生解けなさそうだなw
イマジンを馬鹿にするなんて銀河鉄道の夜を描いた宮沢賢治を馬鹿にするようなものなのに
その想像力すら無いのだから思考停止とは恐ろしいものだな 本当にそうなのかな?
自分でもわかってるんじゃないの? なんで劇場版公開前に
TV版だけで「熊のぬいぐるみに対する晶馬の反応で本物と偽者の違いがある事」に
気づかなかったんだろうなぁ?
最終話の手紙を見つけるシーンをそのまま信じて21話の晶馬と対比が出来なかったからだろうか。
それともイクニさん十八番の記憶喪失のパターンを考えてたからだろうか。
高倉父母の失踪後、生活に不安はあって陽毬の為に熊のぬいぐるみに手紙を仕込んでおいたが
なんだかんだ高倉家をリフォームした後に軌道に乗って子供三人でも暮らしていけたので
高倉兄弟は徐々に熊のぬいぐるみの中に隠した記憶を忘れてしまい
それが21話の晶馬の行動に現れてしまった、とも解釈出来たしなぁ。
過去スレを覗いて見ると
21話で池辺家に行った陽毬が熊のぬいぐるみを置いていった理由は「また高倉家に戻ってくる」という決意か?
とちょっと明後日の方向に考えてたのを思い出したw >>867
私は自分のピンドラ解釈にそれなりに自信があるから
自分という箱から出してこのスレに書いている。
対してあなたは自身の解釈に自信が無いから
自分という箱から出してピンドラスレに書けないし
何時まで経っても私の解釈への具体的な異論反論も出来ない。
ピンドラスレという同じ場所に立っている自覚があるのなら
どうしてそう思ったのか先ず書いてみたらどうだろう
本当の対話とはそういうもの、だろ? エスメラルダって銀河鉄道999とか松本零士キャラ名っぽいとずっと思ってたけど
聖闘士星矢のエスメラルダなのか、初めて知った。
だから兄弟愛を惑わす役割の真砂子のパートナーペンギンが。。。
という事は
祖父の紙を顔に張って仮面のように表情が見えない左兵衛は
エスメラルダの仮面をつけた父ギルティのパロディだったのかw TV版の頃の声優対談読んでたらイクニが声当ててるキャラがいるみたいだけどどれだろう 苹果がモンブラン買った店の店主、エセフランス人みたいな喋りの人
映画前編でもカットが使われてたと思う >>871
あーあの人かありがとう
今度見返すとき確認してみる 池袋駅のいけピングの元ネタのいけふくろうの像のそばに
池袋の地名の由来が書いてあるようだけど
袋のような窪地に沼地があったからか。
だから銀河鉄道の夜と絡めて
池袋=石炭袋=そらの孔のそばにある銀河鉄道の夜の終着駅・南十字星と重ねてるように
水族館の地下にそらの孔分室があったのね。
で、始発駅も窪地の荻窪だから
銀河鉄道の始発駅である北十字星のそばに石炭袋がある事と重なる。
となると、孔とは大切なものを喪失して出来た心の窪の穴だから
2008年に両親の指名手配で荻窪にある高倉家をすべて喪失し
2011年8月4日のリニューアルで池袋にある思い出のサンシャニー水族館も喪失した
池辺陽毬の心の孔をどうにかする為に
本当の幸い(新しい運命共同体の苹果)を探す夢の旅のお話になったのだろうなぁ。 また、銀河鉄道のモデル・岩手軽便鉄道も北上盆地に走っていたようなので
盆地=窪地がにある東京メトロ丸の内線を銀河鉄道のオマージュにするのは適してたのだろう。
そういやピンドラの劇中の東京スカイメトロは地下鉄では珍しい懸垂式モノレールという設定らしいが
現実の丸の内線でも四ッ谷駅など地上に出る駅があるというのに
東京TSM荻窪線は地上駅を一体どうやって走行し通過してるんだろ?
地上に出る時に車体が回転でもしてるのかなぁw
・・・まぁこの作品の列車とは運命共同体のメタファーなので
高倉兄弟と一緒に地下のような場所でこそこそ生活せざるを得ない陽毬の状況を
現実では運用出来ない無茶苦茶な地下鉄モノレールで表してる、と解釈するのが良いのだろうな。
13話で地下鉄開業10周年で喜んでいたが高倉兄弟の「10年前の箱の中」の回想と一致するしね。 しかし池辺陽毬の現実では2008年で高倉兄弟は世界から消えてるのだろうから
地下鉄10周年記念もおそらく嘘だろうと私は思う。
実際は東京TSM開業7年目で一度頓挫してるはず。
そりゃ別件だろうと実妹の真砂子に電話で問い詰められても言い返せる訳が無い。
始発駅と終着駅初め列車周りは池辺陽毬が創った夢の世界だからって好き勝手やってるわ
まぁ小説版のカラフルにした高倉家の記念写真と一緒で
「兄弟が今でも存在していて今年は家族になって10周年」
と夢の世界で自分を騙し続けたい池辺陽毬の心情が伺えるなぁ。。。 ペンキで塗った高倉家と言えば
高倉兄妹以外誰も自分からあの彩色に突っ込まない状況も不自然だ、と私は思う。
実際は高倉家には最初からペンキを縫って無かったのでは?
21話の苹果ですら初めて陽毬に家にペンキが塗ってあると聞かされて「え?」と驚いていたし。
苹果は陽毬の作り話に合わせて相槌を打っていたのでは?と感じる。
苹果は8話の時点ですでに陽毬たちが表面的に家族の形を取り繕ってると見抜いてたし。
苹果には陽毬のペンキの作り話もそうだと咄嗟に理解してフォローしたのだろう。
これが本当だとしたら苹果のメンヘラ陽毬への対応はプロ並みだし
最終話の乗り換え後でも実際に高倉家にはペンキは塗られていなかったが真相はどうなのだろうなぁ。
イクニ作品は変なキャラが多いが
作中で外部の人間がカラフルな高倉家に誰一人として突っ込まずに終わったのは不自然だ、と私は思う。
高倉家を訪れた真砂子ですら主に家の内装を評価しただけだったし。 はだしのゲンがそらの穴分室行きになってしまったようなので噴いた
これから人々の記憶から忘れられてしまう「カエル君、中岡元を救う」ってタイトルの本が増えるのだろうな ピンドラと銀河鉄道の夜をモチーフにしているのは周知の通りだが
ピンドラ作中の「リカちゃんハウスの玩具」も
銀河鉄道の夜の作中でジョバンニがカンパネルラと遊んだ「アルコールランプで動く汽車の玩具」に相当すると私は考えている。
さらに作中でジョバンニとカンパネルラが乗った銀河鉄道もアルコールランプを燃料として
「ジョバンニの想像力から生まれた実在しない乗り物」だったように
高倉兄弟がミカちゃんハウスを真似てリフォームした高倉家も
「池辺陽毬の想像力から生まれた実在しない建物」と私は解釈している。
つまりこれまでの解釈通り、兄弟が高倉家をリフォームした2008年の時点で
「陽毬は夢の世界で高倉兄弟(死者であり幽霊であり偽者)と一緒に銀河鉄道に乗っている」ような状態だろう。
このようにピンドラの作中は銀河鉄道が実在しているような夢の世界だから
2011年8月4日にリニューアルして世界から失われたサンシャニー国際水族館の風景が現存しているし
池辺家に変わったはずの高倉家も現存している。
つまりピンドラ作中の世界は
すでに消滅しているのに「高倉兄弟との運命共同体の絆が今でも続いている」と自分を騙し続けたい池辺陽毬にとって
都合の良い思い出の世界なのだ。 陽毬の思い出の水族館に行けるTSM荻窪線が懸垂式モノレールだった理由は
東京にある上野動物園のモノレール「上野懸垂線」の影響、と私は考えている。
最終話の「乗り換え後の世界」で陽毬が池辺夫婦と一緒に撮った写真にあるサル山は
おそらく上野動物園のものだろう。
また、東京都でサル山がある動物園といったら上野しかない。
そして上野動物園には丸ノ内線のようにコの字型の線路を走る懸垂式モノレールがある。
つまりピンドラ作中の「TSM荻窪線周りの設定は池辺陽毬の想像力の産物」なので
最終話の家族写真の通り
陽毬が池辺夫婦と一緒に上野動物園を訪れていた時に乗った上野懸垂式モノレールの思い出が
TSM荻窪線のモノレール設定に影響した、と私は考えている。 銀河鉄道の夜で銀河鉄道に乗ったばかりのカンパネルラが水に濡れていたように
陽毬の天蓋付きベッドを作る為に雨の中ビショ濡れになりながらゴミ置き場から材料を取ってきた時点で
高倉兄弟はすでに死んでいたのだろうな。
「雨の中、ゴミを拾ってくるだけで人が死ぬかよ」って感じだが
銀河鉄道の夜のオマージュならそんなオチがあったとしても仕方ない。
きっとイクニさんもそんな意図を込めて高倉家のリフォームを設定したのだろうから。
ユリ熊嵐の漫画版のみるんみたく
ゴミ拾いに行った高倉兄弟も車にでも轢かれたのかなぁ?
それよりも陽毬を池辺の面倒の伯父に任せ
高倉家の呪いから解放する為に兄弟は世界から消滅した、と私は解釈してるのだが。 11話でヒメホマレガエルの体液飲んだ多蕗が
苹果の妄想世界に引き込まれて世界の風景も変わるので
設定を読み解くと分かるがあれも「運命の乗り換え」の一種だったって事だろうなぁw
つまり乗り換えの呪文を唱えるだけが唯一の運命を乗り換える手段って訳でもない、という事やね。
邪道でも黒魔術の類もアリだとw
にしても多蕗は乗り換え後の世界で教職に復帰できたのかねぇ。
高倉兄弟が居なくなったのなら必然的に18話のゴンドラ滑車事件も無かった事になってるはずだし。
ダブルHのマフラーも消えたので作中の出来事はほぼ無かった事になってるはずだが。 ピンドラファンの話を聞いてると大体の人が「苹果の妄想が邪魔」と口を揃えて言っているのを聞いていたが
そりゃ運命の乗り換えの真実に気づいたファンがネットでは私が初めてなのも当然って感じ。
私は苹果7話の妄想が大スキだな。
あの回の妄想劇場は何度見ても笑っちゃう、劇場版で削られてクマショックだったなぁ。 9話の回想で運命共同体となって一緒にアイドルになるという目的地を目指していた頃の
陽毬のマラカスにはピングループのマークがあったのに
時系列的にその2年後の1話、高倉家にあるマラカスのペンギンマークが消えていて
黒い模様に変わった理由も陽毬がトリプルHへの「運命の乗り換え」に失敗したからだろう。
マラカスの模様やマークも世界の風景の一部だったんだろうなぁ・・・、だから運命の乗り換えで変わったのだろう。
9話のダブルHのデビューをテレビデオで見ていた時はまだマラカスにピングループのマークがあったから
あの瞬間までは陽毬の中で「まだ運命の乗り換えでトリプルHになれる」という希望があったのかもなぁ。。。
でも希望が絶たれた結果、陽毬は病気(心の?)になって入院生活に入ると。 乗り換え後の世界で
例え陽毬がマフラーを編まなかったとしても
ダブルHが「運命の果実を一緒に食べよう」という曲を作る結果は変わらない事を示すピンドラの物語は
運命に絶望して安易に自殺を選ぶのではなく「生きてみれば良い事があるかもよ?」
ってイクニさんやスタッフさん達からのメッセージが伝わってくるね。
>>856のように作品を読み解くと
1話の最初から陽毬はダブルH絡みで自殺しかけていた裏話が分かるのにダブルHは良い子だよなぁ。。。 ただダブルH絡みで陽毬が病気になったというのなら
劇場版公開前の1スレ目で書いたように
高倉兄弟が陽毬の代わりにダブルHに「陽毬ともう一度友達になって」とユリ熊嵐みたいに伝えに行けば
こんな面倒くさい話にならずに済むと私は思うのだが
高倉兄弟は時系列的に家にペンキ塗ってから物語の開始時まで幽霊みたいに存在感が薄いなぁ、・・・本当に存在してたの?
やっぱ高倉兄弟は池辺陽毬が妄想で作った偽者だと私は思うなぁ。
苹果ちゃんも妄想で偽者のゆりさん達を作っていた、主観入りまくりで本物とは似ても似つかないけどw
でも苹果の妄想と違って池辺陽毬は高倉兄弟への理解度が高いから本物に近いものが作り出せていた。
しかし創造主の池辺陽毬と同じく偽者の高倉兄弟も熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事は知らない、知るはずが無い。
脚本の伊神さんが推理作家だからかよく出来たフェイクだよなぁ。。。
物語内で「血が繋がってない偽の家族」と知った視聴者全員が理解してそこで満足しちゃうせいで
キャラクターそのものも偽者だとは視聴者の誰も気づかない。
視聴者のほぼ全員を騙しきった陽毬はまるで演出家としてのイクニさんの生き写しのようだ。
ある意味でアンシーを超えた魔女だよ・・・陽毬、恐ろしい娘! イクニさんは松本零士作品が本当に大スキだったんだなぁ。
私は初代ヤマトと2199を見た位だけど初代のドリル回が面白かったなぁ・・・分かり易い特撮ものみたいに無茶苦茶で。
銀河鉄道999やその他は全く見た事無い、いつか見たい。
ユリ熊嵐の椿輝澪愛の名ってヤマトの真田澪から取ったものだと思ってるけど実際の所どうなんだろうなぁ。 劇場版はマリオさんがもうちょいフォローされると思ったけど、ほぼ出番なしなの残念だったわ >>889
TV版最終話の真砂子の台詞通り通り病気のマリオさんは「夢の中で真砂子が作った偽者」だからね
現実のマリオは元気。
その「偽マリオ」は不思議なミステリー部分だったからTV版初見の人には見辛かった。
だから劇場版を作る時にイクニさんは削ったのだろう。
イクニさんは劇場版を「高倉兄弟が陽毬を助ける話」にしたかったようだからね。
だが「偽マリオ」の代わりに
乗り換え後の世界で真砂子と共に「本物のマリオ」の台詞が追加されて
TV版より本当のマリオが真砂子の幸せを考えてた事が
より分かり易くなってて良かったんじゃない?と私は思う。
偽マリオは結局の所、真砂子が冠葉に振り向いて欲しくて
「マリオさんがあの女(陽毬)みたく病気なら良かったのに」と無意識に思った結果生まれた
真砂子の妄想の産物だろうしね。
残念だったら漫画版を買うのをオススメします。
偽マリオさんの出番が増えてフォローされてるよ。 16話で犬神家のパロディをやってたけど
真砂子に池に突き飛ばされて死んだマリオさんが演じたキャラの元ネタのゴムマスクをつけた犬神佐清も偽者だからね。
犬神家パロは視聴者がピンドラを読み解く為にイクニさんが仕込んだヒントだった。
犬神家の一族を最初に見てピンドラと比較した時は
病気のマリオをただの「偽者疑惑」としか思えなかったが
劇場版で高校生の高倉兄弟も「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」偽者だと判明した事によって
陽毬、真砂子の両妹は夢の世界で兄に似た「自分にとって都合の良い偽者の兄」を作って疑似家族生活を愉しむ同類だったんだなぁ・・・と
納得出来た。 あ、真砂子が作った偽者は弟マリオの方ねw
で、陽毬が作った偽者は兄二人。
もしも真砂子が偽者の冠葉を作ってたら彼女の美術品のように美化されてただろうから
偽者の冠葉を作ったのはおそらく陽毬の方だろうw
真砂子を最後まで騙せた偽者の冠葉は本当に良く出来てたって事だろうなぁ。
陽毬・・・恐ろしい子! ではなんで夢の世界で
陽毬には偽者の冠葉が作れたのに対し、真砂子には偽者の冠葉が作れなかったか?だが
真砂子には「陽毬に奪われた」って感情が強かったからじゃないかなぁ・・・おそらく。
「愛は陽毬の方にある」と真砂子が嫉妬してるから
真砂子には偽者の冠葉が作れなかった。
真砂子が作った冠葉と陽毬が作った冠葉
二人の冠葉が共存する夢の世界が一体どんなカオスを生むのか
怖いもの見たさの興味をかきたてるなw 「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
「あっちの世界?」
「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
「それと林檎になんの関係があるんだ?」
「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
「わかんねぇよ。」
「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ〜。」
オカルト系を抜きにして「結局この世界とは何なのか?」を論理的に解析しようとしていたが行き詰ったので
ずっと棚に置いといた「ピンドラ世界における林檎とは何なのか?」を考えていたら
箱から出た高倉兄弟の会話で直ぐに答えに行き着いた。 賢治マニアの少年の会話の通り「林檎は自己犠牲をした者へのご褒美」なので>>815で解釈したものに付け加えると
2008年に高倉父母が失踪し、兄妹一緒に生活出来なくなった危機を救う為に
高倉兄弟は陽毬を生き延びさせる為に池辺の伯父に任せ
陽毬を高倉家の呪いから解放する為に「自ら世界から消滅する選択をした時」に
高倉兄弟はご褒美の林檎を貰っていたのだろう。
その林檎は「この世界とあっちの世界を繋ぐもの」なので
生者(池辺陽毬)と死者(高倉兄弟)が共存する夢の世界が生まれた。
そして兄弟は林檎が持つ「一つの宇宙を創造するだけの力」で
初めに陽毬を笑顔にする為、高倉家をリフォームしたのだろう。
また銀河鉄道の夜と同じく
テロ事件で大切な人との関係を喪った他の乗客が本当の幸いを見つける為に同じ列車に同乗してるように
苹果や真砂子達も兄妹が林檎で作った宇宙の中、創造主の陽毬や高倉兄弟と共存していた、という訳か。
そして「死んだら全部おしまい」
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まる」とは
つまり運命共同体に属する一人が死んで関係性も喪われたら全部お終いに思えるかもしれないが
生き残った方が次の運命共同体を作って「大切な人に伝えたい言葉」「我が家の秘伝の林檎」など大切な思い出も次に繋げれば
そこ(次)から始まる、と言いたかった訳ね。 これでやっとピンドラの本質が理解出来るようになってきたかな。
10年か・・・長かった。。。
ユリ熊嵐を二年半かけて深く理解した経験と分かり易い劇場版のおかげだったなぁ。 つまり高倉兄弟が妹の為に2008年に自己犠牲をして貰った林檎は
こどもブロイラーですり潰されて宇宙ごと消えて無くなり
池辺陽毬の次の運命共同体となった苹果の家の秘伝カレーの栄養となった訳かw
思い出の水族館やリフォーム高倉家など高倉兄妹だけが共有するべきはずの世界に
何故、苹果たちも同乗しているのか?本当の世界中の人々も同乗しているのか?とずっと理解不能だったが
銀河鉄道の夜の設定を持ち出されたら納得するしかないかw
銀河鉄道の夜は死者とか社会的に幽霊みたいになってる人が同乗する列車だったが
ピンドラでは大切な人ともに運命共同体も喪失した生存者が
取り戻せるはず無いのに喪ったものを取り戻そうとして足掻いたり
次の運命共同体を探して同乗する列車の話って感じなのだろうな。 イクニさんのツイッターアイコンの見た目通り
林檎とはイマジン、つまり一つの宇宙を創造するエネルギー源だと気づくと
イクニさんはピンドラを読み解くヒントを自ら提示していたんだなぁ・・・と分かるようになった。 ピンドラを理解した記念にイクニさんのツイッター見たら
帝子ボンボンが透明な嵐に巻き込まれててクマショック!
未だに粘着されてるのか・・・ まぁつまり貰った林檎をどう使うか?という事だろう
林檎をくれた人との思い出の世界を創って
その箱の中で独り浦島太郎のように歳を取るか
それとも箱から手を伸ばして新しい運命共同体となる人と林檎を分け合うか。
生存戦略をするなら勿論後者だろう。
「死者よりも生者を選びなさい」とメッセージに込める所が
ユリ熊嵐を創ったイクニさんらしい思想だなぁと感じるし健全だと思う。 2008年に高倉兄弟が妹の為に自己犠牲をしたのなら林檎は高倉兄弟のもので陽毬は持っていないのでは?
と疑問に思う人も居るかもしれないが
林檎は「この世界とあっちの世界を繋ぐもの」なので高倉3兄妹の共有財産。
つまり「世界を越えて池辺陽毬も林檎を持っている」と私は考えている。
また、その林檎をどう使うかは陽毬次第で
陽毬は林檎が持つ宇宙を創造する力で2011年10月15日の陽毬デーに訪れたリニューアル後の水族館の風景を
高倉家族が幸せだった頃の思い出の水族館の風景へと変えた、と私は解釈している。 ただ陽毬が林檎の力で創った宇宙と違い
現実の世界でリニューアルした水族館の風景が変わるはずが無いので
陽毬デーに変わってしまった水族館を見た池辺陽毬は
「はだしのゲンの母みたいに思い出の水族館で死にたい」という自殺願望を持っていたので
現実の世界から林檎の力で創った世界へと逃避したのだろう、それがこの物語の始まり。 一つの宇宙を創造する林檎の力を使って
高倉兄弟と鷲塚先生に「はだしのゲンの母の余命宣告ごっこ」をさせていた1話の池辺陽毬は
本当に「なんだかなー」って感じがするわ。
まぁそれが自殺願望を持ってる人の脳内って感じなのかもなぁ。。。 また、池辺陽毬は林檎の力によって
自分の分身、高倉陽毬も創っていたのだろう。
つまり池辺陽毬は女児が「リカちゃんハウス」で遊ぶように
リフォームした高倉家で高倉三兄妹の人形を作って家族ごっこしている光景を創造して
一人ぼっちの寂しさを紛らわせていた。
その創造主・池辺陽毬のごっこ遊びが「1話のサンシャニー水族館に遊びに行くまでのストーリー」
そして同時に創造主は自分の人生も水族館で終わらせる計画だった。
哀れなのは池辺陽毬に創り出された高倉陽毬だろう。
この世とあの世の世界を越え、水族館で創造主と心中する予定にされているのに
創造主と違って偽者の高倉陽毬は今日死ぬ事を全く知らない状態で水族館を楽しんでたのだから。
しかし水族館がリニューアルされている事を知らなかった創造主の池辺陽毬は
水族館の思い出と変わってしまった風景を見てショックを受けてしまう。
そして漫画の通りどうしても思い出の水族館で死にたかったのでなんと創り物の宇宙(林檎)へと現実逃避してしまう。
一方、水族館の売店で3号が気になった高倉陽毬は不思議の国のアリスのように追いかけ地下の図書館に行く
その間、世界を越えてきた創造主の池辺陽毬と入れ替わっていまう、まるで双子の入れ替えトリックのように(9話)
そして思い出の水族館で倒れた創造主の池辺陽毬は高倉兄妹に見つけられ病院に運ばれる。
一方、そらの孔分室で眞悧に出会った高倉陽毬はペンギン帽でプリクリに変身
全知の力を手に入れ、今まで創造主の玩具にされていた真実を知り憤慨するが
創造主の社会復帰を手伝ってやる為に生存戦略する事にした。
霊安室で創造主の池辺陽毬の死体とプリクリ(高倉陽毬)が融合、とりあえず復活。
つまりプリクリの正体は
創造主の池辺陽毬がリカちゃんハウスのように家族ごっこを楽しむ為に自分に似せて創った
人形の高倉陽毬、と私は推測している。
ピンドラは人形が創造主に反旗を翻すアニメ
これが本当なら毒が効いててイクニ作品っぽいがどうだろうなぁw 意味深演出で説明を省いたら精神病のおもちゃにされましたまる 他者の解釈に反論出来るだけの脳みそも持たないファンが
イクニさんやスタッフさん達に責任転嫁するのは良くない、と私は思うよ
それこそ精神病だ
ま、イクニさんの意図を読もうとする私の解釈は
そうそう崩せないので仕方ない事ではあるが プリクリの正体が>>904の通り
池辺陽毬が人形遊びをする為に作った自分の分身、という解釈なら
3話の牛乳も納得しやすいんだよな
1話で陽毬が高倉兄弟にラッコやタツノオトシゴの物真似を茶化すのと同じように
高倉兄弟が陽毬の牛乳嫌いを茶化す3兄妹の家族ごっこも
創造主・池辺陽毬が林檎の力で人形ごっこ遊びを愉しむ定番のレパートリーだったんだろう
プリクリになる前の高倉陽毬は牛乳が飲めない事を高倉兄弟に馬鹿にされるのが何時も恥ずかしかった。
しかし自分の牛乳嫌いが「創造主の下らない戯れで作られた設定」だったという真実を知ってプリクリは憤慨した
そして3話、プリクリは自分が牛乳嫌いの妹ではなく
創造主と同じく牛乳も飲めるようになった全知の神だと下等生物の二人に証明し
創造主と兄弟に恥ずかしめられ続けたトラウマを克服する為にわざわざ牛乳を飲んで見せた。と私は妄想しているw まだ1クール目の苹果ちゃんって感じだな
そこから先に進めてない もしもゆりさんや多蕗が運命日記を手に入れて桃果を復活させていたら
ヅカの男役トップスタァみたいなイケメン偽桃果や
聖母マリア様みたいな偽桃果が誕生したのかなぁw
そしてその後、二人は桃果への解釈違いで離婚してしまうのだろうか
それとも偽桃果とずっと一緒にいたいと陽毬みたく浦島太郎ルートに突入するのだろうか 「林檎という宇宙」で暗躍する眞悧は二つの世界に分かたれた運命共同体に「偽りの希望」を見せる存在だったのだろうなぁ。
眞悧は「本当はもう関係が終わってしまっている運命共同体」に「まだ関係は続いてる」と錯覚させ、竜宮城で宴会を愉しむ浦島太郎のように無駄に時を過ごさせようとしている。
そして最後に「こんな世界、間違ってる」とテロを起こさせるのが眞悧の目的だったのだろう。
だから眞悧は陽毬たちに偽りの希望を持たせる為、陽毬の編んだマフラーをダブルHに届けた。
しかし現実の世界では陽毬はトリプルHにはもう絶対になれないし
Hトリオだった頃の友達関係にも絶対に戻れない運命だったのだろうなぁ。
「林檎という宇宙」の消滅によって、そらの孔分室に保管された本ごと「高倉父母やトリプルHとの友情の記憶」が消滅する運命だからだろうか?
この辺はもう少し考える余地があるだろう。
でも3人の友情の記憶は消えても
ダブルHのユニット名や「運命の果実を一緒に食べよう」という曲など
陽毬との友情の記憶による産物は乗り換え後の現実の世界に残っていた。
水族館で自殺しようとして「林檎という宇宙」に現実逃避していた池辺陽毬だが
「生きていれば良い事もある」という世界からのご褒美なのだろうな。 で、眞悧と逆に桃果は「本物の希望」を提示する存在。
「林檎という宇宙」がすり潰され消滅するまでに
元運命共同体の生存者に新しい相手を宛がい、運命の乗り換えをさせて命を次に繋がせるのが目的。
だから桃果は陽毬たちに苹果と出会わせた。
21,22話は眞悧と桃果という運命を支配する「視えない対局者」が
「林檎という宇宙」を盤面として将棋やチェスみたく駒を動かしてゲームを行っている、と作中でも特に感じられて面白いと私は思う。
21話で冠葉に芸能記者の覗木を殺させ、完全に自軍の黒駒となった冠葉を見て高笑いをしている眞悧のスキをつき
22話で覗木が死んだ事により高倉家に訪れやすくなったダブルHからCDを受け取る為、白駒の苹果を配置しておいた桃果の名采配は
まさにゲームの勝敗を決める神の一手だったw 眞悧はもう修復不可能な運命共同体に偽りの希望を見せる超常の存在だから
23話で死んだ真砂子も復活させられたのだろう、とようやく理解した。
あの辺は意味不明すぎたが
「偽りの希望を見せる」という眞悧の本質が大事で
「どうやって復活させたの?」とか細かい理由は考えたら駄目だったのだろうなw ピンドラの本質が分かったので世界観も見通せるようになった。
10年間ここまで正しくピンドラの設定を解説してる書き込みや考察サイトを私は見た事が無いので
ネット上のピンドラファンでは私が多分初
るる、賢〜い!
私より先にピンドラの本質に気づいていたピンドラファンは居たのだろうか?居たら凄い!
ま、「高倉兄弟が最初(高倉家リフォーム時)から幽霊で陽毬の創った偽物だった」とか
賢治マニアの少年の会話を>>895のように読み解いて解説している人に出会った事は無いので
やはり私がネット初のピンドラの本質に至った最初のファンだと思うけど。
違ったら井の中蛙だw
さて今後、他のピンドラファンが私の解釈を真似てくるのかなぁ?、それも楽しみだ。
他人の考察サイトを読んで間違ってるであろう箇所を見つけるのもw
私は基本的に他人の書いた考察サイトは参考にしてないからその辺よく知らないんだよな。
大体のファンは例えば「林檎がどう輪ってる」とかどうでも良さそうな事を
まるで聖書にでも書いてある出来事のように美辞麗句で飾っていたりして私としては何故か目が滑っちゃうw
私のようにピンドラの世界を俯瞰視、客観視出来ているような人の考察なら読んでみたいとは思うけど。
まぁそれより先にスタッフさんや声優さんのインタビューを読みたいな、まだちゃんと読んでない。
まだネット上のピンドラファンの誰も見つけた事のないような解釈を書いてくだけのネタは私の頭に沢山あるし(消える事もあるw)
今は考えてない所から産まれてくる事もあるだろうし
今後もピンドラ解釈を深めてくのを楽しめられるなぁ。 まぁ私がピンドラで面白いと感じる所は
他のファンにとって違うという事なのだろうなぁ。
クマリア様が人によってどう見えるかが変わるように・・・まぁそこは仕方ないか。
それでもお互い歩み寄って仲良く出来たら素敵な世界になるとと私は思うのだが現実は悲しいなぁ。。。
ピンドラでは私は9話の高倉母と陽毬のやり取りが大スキだ。
陽毬にとってのクマリア様は高倉母だったんだろうと私は思っている。
だから何者でも無い陽毬は「はだしのゲンの母の死」を真似る事によって
高倉母のような存在になろうとした、とも解釈出来るしね。
乗り換え後の陽毬のデコに傷が付いたのは
陽毬が高倉母のように大切な人の為に自己犠牲が出来る子に成長した証だろう。
その傷せいでトリプルHになれなくなったという見方も出来てジンとくる。
ま、描写的には冠葉によって付けられたような傷ではあるけど。
個人的にピンドラで一番スキなカップリングは陽毬と高倉母なんだよなぁ・・・
同士がどれだけ居るのかそもそも居るのかって感じだがw >>912
追加で
陽毬を行方不明にさせといて晶馬が家に居ないスキにダブルHが訪れたのもラッキーだったなぁ
晶馬が応対したらダブルHのCD渡しも拒絶されそうだし。
まぁ眞悧センセイ的には冠葉に殺人させるのが重要で晶馬の動向は気にしなさそうだが・・・
眞悧センセイはそらの孔分室で
陽毬がダブルHの二人に一番大切な言葉を教えているシーンの本を読んどけば
桃果に勝てたのかなぁw 神の一手で気づいたが桃果と眞悧の攻防がゲームみたいになっていた理由は
少女革命ウテナの川上さんが演じたヒカルの碁の主人公・進藤ヒカルの囲碁対局のオマージュを
イクニさんが入れたかったから、かもしれんなぁ。。。
つまり眞悧の元ネタの一つはヒカルの碁の主人公に取り憑く幽霊・藤原佐為か。
初めて気づいた。
だから二人の年齢差がとんでもない事になっていたのだなぁ・・・ 武内副監督の手がけた'09年のアニメまりあ†ほりっく見てたら
回送バンクと同じ効果音があってワロタ 川上とも子さんはピンドラ放送の一月前に亡くなられていたのか。
考察するようになったのはユリ熊嵐からなのと
コメンタリーや公式ガイドブックでイクニさん達が川上さんの話題に触れる事は無かったから今まで気づかなかった。
川上さんはイクニさんにとって少女革命ウテナという一つの宇宙を一緒に産み出した運命共同体の一人だったし
また川上さんはブログでは「いくにぃさま」と呼んでいて
聞きようによってはまるで高倉兄弟みたいな血の繋がらない兄妹のようだ(二人の関係を詳しく知らない私はブログのみの情報で推測している。)
つまり宮沢賢治が妹・トシ子を想って銀河鉄道の夜を書いたように
イクニさんにとってのトシ子は川上さんで
イクニさんは彼女ともう一度仕事をしたかった気持ちや死を悼んでピンドラを創っていた一面もあったのだろう。
例えば、運命日記の元ネタは川上さんが出演していた'07年の「のだめカンタービレ」の未来日記が元ネタだし
ピンドラの聖地・サンシャイン水族館も川上さんが出演した'09年の「DARKER THAN BLACK -流星の双子-」にも出てきた。
私はそこまで川上さんに詳しくないのでこれしか見つけられないが
川上とも子さんのファンならもっと気づく箇所があるのかもしれない。
そしてピンドラ作中に出てくる天上ウテナや進藤ヒカルなど川上さんが演じられた主役キャラの面影を感じさせる荻野目桃果は
愛による死、命尽きる最後までアニメに献身した川上さんへのご褒美だったのではないだろうか?、林檎となって。
そして現実の世界でも、この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎(輪るピングドラムというアニメ作品)によって
川上さんの想いもピンドラを見た次代のアニメファンへと繋がっていってる。
ピンドラに嵌った新規ファンが次に少女革命ウテナに触れた事例もきっと多いはず。
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
死者の想いは生き残った者が新しい運命共同体を作って伝えていく。
これがイクニさんがピンドラを通して伝えたかった事の一つでは?、と私は感じている。 また、生存戦略バンクでプリクリのスカートがはためく作画法「荒木なびき」の荒木伸吾さんもピンドラ放送中の12月に亡くなられた。
ピンドラ制作スタッフさんの中にも聖闘士星矢が大スキな方が多数いらっしゃるだろうから制作当時の訃報はショックだったろうなぁ。
荒木さんの遺志も最後の高倉兄弟の台詞通り、星矢ファンや技術を次ぐアニメーターさんが後世に繋いでいってくれているのだろうな。
星矢は今でも続編だったりリメイクがされている。
他にもピンドラ制作スタッフさんや声優さんの親族が震災で被害に遭われた事もあっただろうし
本当に2011年は大切な人の死が突然に訪れた時代で
運命の乗り換えが日本中であった時代だったのだろうなぁ。 そういやなんで荒木なびきなんだろうなぁ?
ピンドラスタッフ陣に星矢ファンが多いから共通言語にしようと思ったからなのか
スタッフさんのやる気を出したかったからなのか
それとも陽毬を城戸沙織、プリクリをアテナみたいな立ち位置にして
高倉兄弟に守らせる聖闘士星矢っぽい話にしたかったからなのか
それとも星矢たちが実は血のつながりのある兄弟だったという真実に対し
ピンドラは真逆で高倉兄妹に血のつながりは無かったという対比をやりたかったからなのか。
それとも銀河鉄道の夜が星座の話でもあるから星矢と兼ねようと思ったからなのか
蠍の炎を「小宇宙を燃やす」みたいな演出にしたかったからなのか
それともピンドラの蠍が一刺しする演出を
黄金聖闘士スコーピオのミロの必殺技スカーレットニードルでパロディがやりたかったからなのか
まぁ色々あるけど最初の理由は一体何だったのだろ? イクニさんももーれつア太郎で星矢のパロディやってたけど
イクニさんはどっちかというと
「小宇宙を燃やす」星矢より「真っ白に燃え尽きる」あしたのジョー派の人だと思うんだけどな。
やっぱスタッフさんに合わせたのだろうか。 「池辺陽毬が彼女の為に死んだ元運命共同体の高倉兄弟と一緒に創っていた宇宙が林檎そのもの」だったように
「イクニさんが川上とも子さんと一緒に創った少女革命ウテナという宇宙も林檎」、
そして「宮沢賢治が運命共同体の妹・トシを想って創った銀河鉄道の夜の宇宙もまた林檎」なのだろう。
どの宇宙も「人が想像し創造したもの」、この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎は知恵の実だ。
wiki情報だが、幼かった川上さんは「六神合体ゴッドマーズ」というアニメを見て影響を受けた為に、
医者から声優へと自身の夢、運命を変えたそうだ。
想像だが、川上さんはゴッドマーズを見ている最中にTVの画面越しに林檎を貰っていたのだろう。ゴッドマーズという一つの宇宙に命を吹き込んだ声優さんから。
つまりアニメもまた、ピンドラの林檎のように視た人の運命を変える魔法のような力がある。
そしてアニメ越しに視聴者とスタッフ・声優さんは繋がっている、まるで「この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎」のように。
つまり高倉兄弟の言った「この世界とあっちの世界を繋ぐ林檎」とは
「生者の世界と死者の世界」という意味だけでなく
「アニメ視聴者の世界とアニメ制作者・声優の世界」とも掛かっているのだろう。
そして銀河鉄道の夜の読者が「本当の幸いってなんだろう?」と作中のジョバンニ達のように考えてしまうのも
銀河鉄道が走る宇宙で読者が宮沢賢治と繋がり、読者も賢治がくれた林檎を受け取ってしまうから、だろう。
(私より先に死ぬ)先人から愛や解けない永遠の問いを受け取り、私が今度は次の世代に渡していく。
それがピンドラが描いた「林檎を輪す」の本当の意味だったのだろう、と私は考えている。
つまりTV版最終話EDの幾原監督のテロップの横で林檎を受け取る手は私達視聴者のもの、だったのだろうなぁ。。。 プリンチュペンギンの声優さんを
宇宙やイマジネーションをテーマにした'20年のアニメ・スタートゥインクルプリキュアのヒロインの一人、上坂さんに決まった理由も
プリキュアが持つ一つの宇宙を想像する力を借りて
「りんごの計算」で思考停止したままのピンドラ考察勢の方向性を変えたかったから、だろうなぁ。。。
プリクリのイマジンという台詞や私がこれまで解釈してきた通り
ピンドラは愛というよりイマジン、想像の話でもあるのだから。
イクニさんと川上さんのブログを読めば
最初のページでイクニさんが宇宙をどう考えてるか?が書いてあった。
ここでも私の解釈とイクニさんの意図は繋がっていた。
イクニさんのツイッターアイコンと同じように
イクニさんはどこかしらに作品を読み解くヒントを残しているのだ。
私とイクニさんは違う生き物なので私にイクニさんの全てを理解出来るはずがない。
でもイクニさんのように自分という箱から手を伸ばせば
このようにイクニさんの林檎を受け取る事もイクニさんの意図の一部を理解する事も出来ると
私はこれからも証明し続けていきたい。とりあえず元ネタを私なりに拾いきるまでw
そうやって林檎は次の誰かに輪っていくものなのだから。 ピンドラを説明する為に川上とも子さんを例に挙げて申し訳無い気持ちがあるが
色々な事がつながって理解し易い解説にはなったか。
私は川上さんの演じたKanonの佐祐理さんが今でも大スキだ。
私が百合に嵌った人生初のキャラ
過去の出来事のせいで自分が許せず幽霊のようにふわふわして生きていたけど
自分の半身のような女の子と出会った事で希望を見つけ、少しだけ自分を取り戻したドラマが
今でも心に残っている。
佐祐理さんの見た目はユリ熊嵐の紅羽みたいな銀髪で
ドラマ的にはユリ熊嵐4話のるる姫様を彷彿とさせる内容と
ユリ熊嵐はまぁ私の想う百合のど真ん中を狙われていたって事だろうなぁw 星野先生、同人誌出すのか楽しみだなぁ
よっぽどトリプルH大スキなんだなぁ
アンソロのダブルHも寸での所で乗り換えの呪文を後から歌ったおかげで
燃えずに済んだとか桃果のマフラー回収とか本編と辻褄があってて良く出来てるなぁ
「林檎という宇宙」がより豊かになって考察が捗ったから今度も楽しみだ
ダブルHはおそらく陽毬がマフラーを届けなくても呪文のタイトルの曲を作っただろうし
苹果が呪文を唱えなくてもきっと陽毬の為に歌ったのだろうな。
それで陽毬との繋がりが世間にばれるとは考えにくいが
ダブルHも矢面に立たされていたかもなぁ、陽毬が高倉家から池辺家へと乗り換えなければの話だが。 >>925
いや、ちょっと違うのか
声優さんになりたい女の子は乗り換えの呪文を唱え蠍の炎に焼かれて
完全に「アニメ視聴者の世界の風景」から消えてしまう、とまではいかないにしても
15話や18話の桃果みたいに大火傷を負って「声優の世界」へと乗り換えるのか
アニメ制作に携わるのも何かしらの痛みを伴う事だろうしなぁ、これはどの職業にでも当てはまりそうだ。
そして、声優さんやアニメーターさんも「声優の世界に属する生き物」であり「視聴者の世界にも属する生き物」としての一面はあるはずだし。
これが蠍の炎の設定かな。
そりゃ運命の乗り換えで焼死しないパターンもある訳だ。
で、高倉兄弟は最初(高倉家リフォーム)から「死者の世界」の幽霊になっているので
晶馬は苹果の蠍の炎を引き受けた、と。
死者の自分について来られて死なれたら寝覚め悪いし、・・・晶馬に死者としての自覚あったのだろうか? 大スキなアニメの終了は「林檎という宇宙」が分割されてしまうようなもの
禁断の果実に惹かれた視聴者(蠍)は「二つの世界に分かたれたくない」と願うから乗り換えの呪文を唱え、
同じ呪いを受けてでも「ずっと一緒に居たい」と己が身を焼くのだろうなぁ。 1話でプリクリが冠葉から奪ったものは
本来なら最終話の10年前の箱の中の回想のように「冠葉が晶馬に渡すはずだった林檎」と私は考えている。
劇中、冠葉が晶馬と段々仲が悪くなっていって最後に弟を撃ち殺してしまった原因は
林檎をプリクリに奪われた結果、冠葉が晶馬を運命共同体だと思わなくなってしまった影響だろう。
そして林檎をプリクリに奪われた冠葉は「陽毬が俺の運命共同体」と勘違いし始め
その所為で寝込みにキスしたり
「葬式の絆創膏」の回想に恋心(のようなもの)を意識するように変わってしまったのでは?と私は推測している。
つまり現実の世界の本来の冠葉はアニメで描かれていたほど妹の陽毬を女性として意識しておらず
仮に「意識していた」としても冠葉は最期まで隠し通していた、と私は推測している。
そして冠葉は陽毬より「箱の中で林檎を分け合って運命共同体になった晶馬の方がスキ」だったのでは?と私は考えている、BLぽいがw
何故なら最終話の通り乗換え後の世界では冠葉は晶馬と共に二人で世界から消滅していた。
つまり「高倉家の呪いを一人で抱え込もうとする晶馬に付き合って冠葉も心中していた」という事実が判明するのだし。 仮に「冠葉が晶馬より陽毬を愛していた」と考えた場合
高倉家の呪いで苦しんで世界から消滅する晶馬を見捨てて
夏芽家に土下座してでも帰してもらい
夏芽冠葉として池辺家の陽毬を影で支援する、みたく二人で生き残る選択肢もあっただろうしなぁ
まぁ陽毬には恨まれるかもしれないがw そしてプリクリが冠葉から奪った林檎は
「最終話の10年前の冠葉の箱の中のシーンで初めの頃、林檎が置いていなかった事」にも関係している、と私は推測している。
おそらくプリクリが1話で冠葉から林檎を奪ったから「冠葉という箱の中」に置いてある筈の林檎も無かったのだろう。
そもそも冠葉の箱の中に入っていた林檎は真砂子とマリオをKIGAの会から救った時に
ご褒美で貰ったもの、だろう。
しかし「林檎という宇宙」の創造主・陽毬はその事を知らない。
そして高倉母の「二人は知らない間に仲良くなっていた」という台詞通り
冠葉が晶馬に林檎を渡す瞬間も「林檎という宇宙」の創造主・池辺陽毬は見ていないので
その時の回想を正しく創造出来なかった。
だから「箱の中」というエキセントリックな演劇が出来あがってしまった、と私は考えている。
そしてテロに走るようになった冠葉を止められなくなった陽毬は思い出の水族館で
「(プリクリの略奪行為を)見て見ぬフリをして冠葉から奪ったいのちを返した」から
10年前の冠葉の箱の中に突然林檎が戻ってきた。
そして箱の中、冠葉は晶馬と林檎を分ける事によって
竜宮城で宴会を愉しむ浦島太郎のように高倉家という箱の中で「ずっとこのままで居たい」と願う陽毬の
外部から隔離され止まっていた時間の針を前に進めようとしたので
「林檎という宇宙」も分割され
「(池辺陽毬の暮らす)この世界と(自己犠牲をした高倉兄弟が向かう)あっちの世界」の2つの世界に分かれる事になった。
と私は解釈している。 難しいなぁ
特に恋愛模様はどうとでも解釈出来るので余慶に難しいw
しかし林檎の事を考察するには
プリクリが冠葉から奪うシーンを読み解く必要があったので避けては通れないのが困るw
という訳で冠葉と陽毬のカップリングが大スキなファンの皆さんには悪いが
私は「カップリング的には高倉兄弟がすべての中心にある」としてピンドラを読み解いていきたいw 今までTV版の冠葉の陽毬一筋で自己犠牲した結末が創られたような美談過ぎてどうにも受け付けない所があったのだが
「冠葉が本当に陽毬だけがスキなら久宝阿佐美など他の女性に浮気しない」と気づいて
なら「何故冠葉は女好きなんだ?」と考えた結果、
「紅茶と女は初摘みに限る!」が口癖の祖父や父のように
夏芽家の男子特有の「女好きの遺伝子」が冠葉にも受け継がれてたからでは?と理解し、少し笑えるようになったw
夏芽父がどんな男だったか?は描写が少なくて分かり難いが
髪の色どころか人種も違ってそうなマリオさんも真砂子とは腹違いの弟だろうから
夏芽左兵衛に排除された夏芽父も相当の女好きだったのだろう。。。
つまり冠葉は陽毬以外の女性で性欲処理していたって感じなのね、まぁDNAなら仕方ないなw
ゆりさんが時籠父のように苹果ちゃんをレイプしてしまいそうになったのと一緒だったかw
例えどんなに血の繋がった親の仕打ちを憎んだとしても子供は似てしまう。
やっぱピンドラはテーマにしている遺伝子の影響が強いアニメだなw
・・・というか冠葉のスケコマシな一面を池辺陽毬が知っていたとは思えないから
おそらく「林檎という宇宙」で創られた偽者の冠葉には真砂子の想像も入っていたのだろうなぁ。。。
「祖父も父も女好きだったから冠葉もきっとああなってるはず!」とw
マリオが祖父に似てしまう悪夢を見てうなされる真砂子さんも陽毬と同じく想像力豊かな女の子で
真砂子も冠葉が自己犠牲して貰ったご褒美の林檎を使い、16話のように夢の中で出会っていたようだしな。 最終話の真砂子の「病気のマリオは夢オチ」から設定を読み解いてくと
真砂子が夏芽家の呪いに勝手に囚われて独り相撲をとる話だった、って感じだろうなぁ
つまり「祖父に似ていくマリオは病気だ」と真砂子が思ったせいでこんな夢が始まったのだとしたら
同じように「祖父のように冠葉も女好き」だと真砂子が勝手に思い込んだせいで
冠葉のスケコマシの部分が強調された夢物語になってしまったのだろう。
そして真砂子がその尻拭いに元カノをパチンコで排除する夢を見てたのなら
俯瞰して見ると本当に滑稽だわ。
なら真砂子にとっての諸悪の根源である陽毬と晶馬を最初から忘れ球で狙って病院送りにしとけば
冠葉を取られた彼女の鬱憤も晴れただろうし
逆に真砂子が素直になって冠葉に「一緒にマリオを助けてちょうだい」とお願いすれば
「真砂子だけが勝手に囚われてる夏目家の呪いを解く」という分かり易い話になってただろうに
世界観をわざと分かりにくくさせる為の面倒くさいキャラだったんだなぁ、という印象が強い。 「メリーさんの羊」も創り話感が強かった。
「幼い妹羊に罰を与える、罰は一番理不尽でないと」ってオチで物語に没入してしまいそうになるが
実際に親が事件を起こしたら子供全員が罰を受ける、というか世間から排除されるのが普通なのに
何故、陽毬と違って高倉兄弟は罰を受けなかったのだろうか?
罰は一番理不尽でないといけないから?
確かに最愛の妹が罰を受ける様を見るしか出来ない状態は兄弟にとっての一種の理不尽、とは私も思う。
しかし、両親が指名手配になってる最中だろうと構わず女遊びしていたと受け取れる冠葉の周りはおかしいし
晶馬も特に苛められている様子は無いので
不登校や退学になった陽毬に対し「高倉兄弟へのいじめ描写が全く無いのは不自然」と私は思っていた。
小説版でもその疑問を解消するだけの描写は見当たらない。
その疑問に対する一つの仮説だが
最終話の真砂子の夢オチと受け取れる描写と「高倉兄弟が世界から消滅していた」というオチから
高倉夫妻が指名手配が始まった頃の「高倉家リフォーム前にすでに高倉兄弟は世界から消滅していた」と考えれば
高倉兄弟が一度もいじめを受けず陽毬だけにいじめが集中し
最終話のペンキの塗られてなかった池辺家、という本編の描写すべてに納得がいくだろう。
しかし兄弟が消滅し、陽毬が池辺家の養子になっても罰は続いていた。
それが「ダブルHのデビュー」で、それを見てしまった池辺陽毬は心の病気になったのだろう。
つまり「罰は一番理不尽でないといけないから陽毬にいじめが集中し不治の病になった」のではなく
「高倉夫妻が指名手配報道された初期に兄弟はこの世界から消滅していた」ので
陽毬だけがいじめられ理不尽な目にあったのだ。
ついでにピンドラ世界の現実では「高倉家リフォーム前に高倉兄弟は消滅していた」
そして高倉家のリフォームは「(この世界とあっちの世界をつなぐ)林檎という宇宙」で
池辺陽毬の世界から消滅し、死者の世界へと向かっている高倉兄弟が創造した偽物の記憶
と考えれば大体の事に辻褄が合う。
そして箱から手を伸ばすのを諦めている陽毬の創った偽者兄弟なので
陽毬を置いてデビューしたダブルHに対して何も出来なかったのだろうなぁ・・・
本物の兄弟がまだ消滅してなかったら陽毬の為にダブルHに対し何かしらのアクションを起こしていただろう。 メリーさんの羊の「幼い妹羊に罰を与える、罰は一番理不尽でないと」の部分を鵜呑みにしていたら
本当に見るべき現実や真実は見えてこない。
両親の罪に対し子供一人だけ集中して罰を受ける、なんて現実的ではない。
ピンドラ考察をするのならむしろ「メリーさんの羊」は頭から切り離した方が良い、と私はオススメする。
あれはドラマを盛り上げる事に特化した創り話。
高倉兄弟が幽霊になったから罰を受けなくなったのに対し
池辺家の養子となった後も高倉夫妻の起こした事件の影響でダブルHのデビューを見る羽目になった池辺陽毬だけが罰を受けてきた過去と
友達になってくれそうな苹果との関係を失いそうな中盤の現状を皮肉った例え話、とだけ私は思っている。
皆知ってるものと思っていたが
このスレの反応を見てるとどうも未だに妄信してる人が多いのでは?と今更だが不安になった。
今でもメリーさんの羊を考察してるファンの方もいる。
解釈は自由なのでその点で口を挟むのはマナー違反だろう。
しかし何が本当の解釈か?を問われる場面に出会った時
自分が正しいと思う解釈を退く気は無く、このように理詰めで相手をしたいとも私は考えている。 今日はサリン事件があった日か。
その要素が目を眩ませるのか私は10年経っても未だにこの作品の評価を決められないなぁ・・・ 半端に触らずやるなら徹底的にやって欲しかった
まあ色々偉い人とかがうるさかったのかもだけど '92年の「許されざる者」を見たら西部劇に興味が沸いたので
「荒野の用心棒」も見た
主人公の最後の決闘に際し胸に鉄板が仕込んであった。
これが運命日記でゆりのライフルの銃弾を防いだ苹果の妄想の元ネタかw
あんな妄想を突然するだけに苹果はマカロニウェスタンのファンって設定なのだろうかw
彼女にそんな趣味があるとは感じられなかったので父親の影響なのだろうか?
多分、最初は銀河鉄道の夜にインディアンが出てくるので
インディアンは難しいから代わりに西部開拓時代の劇を出そう、って感じだったのではないかなと推測するんだが。 明日はとうとう劇場版の放送日か
それまでに林檎がどう輪ってるのかの解釈と
劇場版の主な舞台となったそらの孔分室の簡単な仕組みと
後編最後に何で「時をかける少女」のオマージュ作画になったのかの一解釈を纏めたいなぁ。
なんで潮干狩りでペンギンになったかとか空の本ケースとかにはあんま興味無いが
時をかける少女のシーンは一番スキだから一言残したい欲求が強いw やっぱ林檎がどう輪ってたのかより
ピンドラを読み解くには池辺陽毬の事を考える方が大切だと思うなぁ
「このアニメの演出は客観的に正しい」からこのまま考察するってファンが多いと思うけど
ピンドラは主に「陽毬の主観」で演出されてるのでややこしいw
例えば、最後の熊のぬいぐるみの中に拙い字で「古い手紙」が入っていたように
高倉兄弟が手紙を書いた時期がつい最終話直前の2011年のはずがない。
3年前の天蓋ベッドを作る時ぬいぐるみが破けた際に入れといたと考えるのが妥当。
しかし21話の手紙を入れといた張本人のはずの晶馬が
熊のぬいぐるみを残して家を出てく陽毬に持たせないのは不自然だ。
これは「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を晶馬自身が知らないから」だろう
入れたはずの本人が忘れるなんてそんな不自然な事があるだろうか?
この謎を解くヒントが「イマジン」、そして銀河鉄道の夜の世界観だ。
つまり、熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない池辺陽毬が中心となって
「この世界とあっちの世界」を繋ぐ「林檎という宇宙」を想像した。
それがアニメ本編で描かれた
「もしも高倉兄妹が3年前の父母失踪後に離散せず同じ生活を続けていられたら?」というifの世界だろう。 前編見た
やっぱ前編は新規台詞で分かり易くなってるなぁ
9話部分を見た後の高倉兄弟の突っ込み台詞とか
真砂子の台詞改変とか ピンドラの世界観
特に「林檎という宇宙」内では「林檎をくれた人にお返し出来なかった後悔の感情」を「恋」として
表現してるんじゃないかなぁ?と私は推測している
冠葉の陽毬に対する感情も
陽毬の晶馬に対する感情も
真砂子の冠葉に対する感情も
ゆりや多蕗の桃果に対する感情も
すべて恋のように表現されていたように感じるが
「現実では既に解散している運命共同体」の頃に「林檎をくれた人を幸せにしたかった」
という後悔の感情から無性に恩返しをしたい気持ちが爆発してるように感じられるなぁ。
なら晶馬は林檎をくれた冠葉に恋していたのか?と疑問が出てくるが
陽毬を守るって約束を果たして一緒に消滅したし
本編通り恋煩いみたいな仕草はしてなかったので
「林檎を分け合った場合」は違うのではないかなぁ、とも推測している
となると苹果も晶馬から林檎を貰っていた事になるのかなぁ?
でも最後に無理やり半分に分け合ったような演出だし「陽毬を救う」って二人の約束を果たしたって感じなのかな。
ユリ熊嵐も「スキを返す」感情をユリ的な恋として表現していたし
さらざんまいの燕太の一稀に対するBL的な感情も「貰ったものを返したい感情」なので
統一してたんだなぁ、と感じる。 つまりピンドラの世界は
陽毬が晶馬に抱いた恋のように「幽霊に貰った林檎を返したい」とか
或いは冠葉みたく「幽霊になったけど林檎を貰った陽毬に恩返しするのを忘れてた!」という後悔から生じた願いを叶えたい人たちが見る夢の宇宙のお話
この世界とあっちの世界をつなぐアニメなのだろう。
だけど死者に恩を直接返す事は不可能で
林檎は「生きている者が次世代へと繋いでいく」事が健全なのだから最後に
苹果は陽毬と
真砂子はマリオと
ゆりは多蕗と林檎を分け合う形で幕を締めたのだろう。
或いは「死者との縁の強い人に林檎を返す」というパターンもあるだろうな。
イクニさんのツイッターアイコンもピンドラからウテナのレリーフへと変わった。
ウテナのアマプラ配信にコラボ時計。
沢山の人にウテナが広まってくれるとファンの一人として私も嬉しいなぁ。 まぁ宮沢賢治も病死した妹トシへの想いを恋とかシスコンのように解釈されたりするしな。
だからイクニさんは「歴史は繰り返す」というか「運命の至る場所」へとまた輪ってきたように
「銀河鉄道の夜」のように「この世界とあっちの世界へと別れてしまう運命共同体の関係性」を悲恋のように描き
最後に死者の願う「本当の幸い」とは
「生者が新しく運命共同体を作って林檎を分け合う事」と答えを出したのだろうなぁ。
つまり輪るピングドラムというアニメを作ったピングループも新しい運命共同体か。
そう言えばイクニさんはアニメ制作を焼き芋に例えていた事があったなぁ、ピンドラではそれが林檎だったって事か。
先人から受け継がれる知恵の実によって広がっていく宇宙の物語だからなぁ。
またユリ熊嵐でも純花は紅羽の背中を押す存在だった。
「かつて運命共同体だった大切な人の死」が呪いとなって生者を束縛してしまう事もあるし
池辺陽毬もまるで「あっちの世界」から呼ぶ高倉一家の声に引き寄せられるかのように思い出の水族館で死んだけど
イクニさんは二作続けて最後にそれを回避する愛の話を描いた。
イクニさんはピンドラには2つのテーマがあるとインタビュー動画で話していたが
川上さんの死とどう向き合うかが関わってたんじゃないかなぁ、と私は思っている。
ま、高倉兄弟が本当に死んだかどうかは分からんが
あれだけブラコンだった真砂子が冠葉が高倉家の長男になった後に
最愛の兄を取り戻すアクションを全く起こさなかった件から察するに
二人とも冠葉が夏芽家から高倉家に乗り換えた瞬間に「夏芽家の双子の兄妹だった時の記憶」を無くしてしまったのだろう。
また、陽毬も高倉家の養子になった時に過去の記憶が消えてしまっていた。
つまり高倉兄弟も池辺の伯父の親戚に引き取られて苗字が変わった際に
「記憶を失っただけで生きてる」という可能性もあるのだ。
つまりピンドラの世界は養子になっただけで過去の記憶が消えるファンタジー世界だ。
ま、そんな不思議世界でもなければテロ事件を起こした一家の呪いから陽毬たちが逃れられる訳無いしなぁ。
リアル世界で両親が歴史に残るような事件を犯したら子供が別の養子になってもマスコミは追っかけて呪いは続くだろうし。 前編はダイジェストでも上手く纏まってるけど
後編は19話の真砂子が高倉家にやってくる話が丸々削られてるから
21話の夏芽邸で話し合う陽毬と真砂子の話に繋がらないんだよな、陽毬は何処で真砂子と接点持ったのよ?
そこが惜しい、イクニさんも多分気づいてるのだろうけど。
まぁ、鍛えられたイクニファンなら真砂子が電話で兄の事を相談した、とか色々と自己補間出来るだろうけど。 省略されすぎててここはどこなんだろうってシーンが結構あるよね
元のテレビアニメ版をみればわかるんだけど
あえて劇場版の世界の中だけで解釈するって考え方もあるかも 乗り換え出来た、というよりピンドラは「運命を受け入れられるようになった」って話だと私は思うなぁ。
陽毬は高倉夫妻の失踪後に「高倉兄妹がバラバラになってしまう運命」が嫌で
あの日から「兄弟が高倉家のリフォームしたifの宇宙」を想像し始め
1話の水族館に行った時からその宇宙に現実逃避していたけど
苹果と友達になる事で受け入れられた。
苹果は「荻野目父が再婚する運命」を受け入れられた。
真砂子は「大嫌いな祖父の血を継いでる運命」を受け入れられた。
ゆりと多蕗も「桃果が死んだ運命」を受け入れられた。 真砂子とかは特に「乗り換え」って感じはしないんだよなぁ
夢の中でも病気のマリオを愛してる事実は目覚めた現実と変わらないのだろうし、口にはしてなかっただろうけど。
単に兄との別れを「受け入れられるようになった」
それは夢の中だろうと兄の願いを叶える手伝いが出来たから、だろうな
10話で兄にキスした「恋のような感情」から解放され、兄から貰っていた林檎を返せた。
そしてその林檎を分け合って別々の世界で生きる運命を受け入れられたのだろう。
TV版では23話で眞悧に弄ばれるかのように真砂子が復活した為
24話の夢から覚めた真砂子がどうも繋がりに疑問が残る終わり方だったが
あのシーンは劇場版で削っといて正解だった、と私は思う。
23話の真砂子復活とかTV版はミステリー要素が強い。
TV版の演出からはイクニさんの「何としてでも視聴者を混乱させたい」という意思を感じる。
しかしずっと混乱させていたのと反対に最終話の乗り換え後の種明かしは
素直過ぎる位だから
疑い深い私は最終話を素直に受け入れられなかったんだよなぁw
だけど劇場版の「熊のぬいぐるみの大切さを一目で見つけた高倉兄弟は本物」だと
そこでやっとTV版の高倉兄弟との違い、違和感に気づけた。
だからTV版の高校生の高倉兄弟は偽者
熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない陽毬が創った本物に限りなく近い偽者のコピー人間
「夢の中でしか存在し得ない病気のマリオ」と同等の存在。 真砂子は陽毬と最後にを分け合う
苹果の対抗馬の一人だったんじゃないかなぁ?、と私は思っている。
ピンドラは終点を決めずに作っていた話らしいし
ダブルHも対抗馬の一人だったのだろうし(その場合は乗り換え後の世界でダブルHというアイドルグループは消滅してるのかな?)
真砂子にも最後に陽毬の為に乗り換えの呪文を唱えるパターンも用意していたんじゃないかなぁ? この作品の子供は「姓が変わる」とか家族関係に何かがあると
以前の記憶を忘れる設定があるようだが
なら苹果の場合では何故、親の離婚時に記憶を忘れなかったのだろうなぁ?
母がまだ荻野目の姓を使い続けてるせいだろうか?
「娘の為を思って」夫の姓を使い続けてるようだが
ピンドラの独特な世界観では
苹果は姓を変え、いっそ忘れた方がストーカー癖も直って幸せだったんじゃないかなぁ?
それとも例え姓を変えたとしても「林檎という宇宙」内では以前の運命共同体に執着し
多蕗の嫁になろうと茶番をしてしまうのだろうか? シン・ゴジラ久々に見た
イクニさんを探している
48分頃のY字路のシーンで
右奥から自転車のおばちゃんを避け
左側に逃げようとする赤いショルダーバッグを襷掛けした黒服とジーパン?の男性かなぁ?(適当なフィーリング) で、冠葉は話でプリクリに「命の代償」を奪われた時に「陽毬に林檎(絆創膏)を張って貰う以前の記憶」を思い出し
陽毬は19話の描写通りで頭を打ったショックで記憶を思い出し
晶馬は23話の冠葉に思い出し玉を打たれた時に林檎を貰う以前の記憶を思い出したのだろう。
だが「冠葉と晶馬の10年前の箱の中の回想」は陽毬に残された最後の想像力を使って創った陽毬アレンジの回想だろう。
最終話の「箱の中の回想」の通り本当に「運命の果実を一緒に食べよう」の呪文を唱えた時に「林檎を分割」する事が正しい描写で
時系列的に「箱の回想」の後である20話の「晶馬が陽毬に林檎を渡した回想」でも晶馬は林檎を分割して陽毬に半分与えたはず、なのだから。
しかし20話の描写通り、「晶馬は林檎を分割していなかった。」
これは「20話の時点の陽毬」が「晶馬から運命の果実を全部貰った」と思い込んでいるから、だろう。
つまり陽毬の思考の基は「最終話の池辺陽毬」にあって
最終話の通り「現実の陽毬」は高倉夫妻の失踪後の時点で、冠葉と晶馬が陽毬を生かす為に愛による死を選んだ結果
「池辺陽毬」となって兄妹の中で一人あの家で生き残っているのだから。
陽毬の視点から見ると晶馬とは果実を分け合っていた感じは全然しなかっただろう。と私は思っている。
「運命の果実を分け合う」とは結婚式の誓いのように「ずっと一緒」という事なのだから。
池辺陽毬の視点では「晶馬に見捨てられた」、或いは「冠葉に晶馬を攫われた?」と心の底では思っていたりしても
不思議では無かった、と私には感じるなぁw
このように、陽毬は「犠牲になった晶馬の分の命(林檎)」を貰って生き永らえているのだから「晶馬と林檎を分け合った気がしなかった」
だから20話のこどもブロイラーで晶馬に見つけて貰った時の回想では呪文の内容に反し
「林檎を全部貰った」ような描写になっていた、と私は解釈している。 輪るピングドラムとは
「高倉兄弟が何の為に愛による死を選んだのか?、高倉兄弟の本当の幸いとは何だったのか?」を知らない陽毬の視点に立ち
彼らの物語を陽毬たちがイマジンするのを視聴者として眺める話と私は思っている。
宮沢賢治が書いた銀河鉄道の夜の列車の旅のように。
そしてプリクリに手に入れろと命じられた「ピングドラム」こそが
銀河鉄道の夜の「本当の幸い」そのものだった、と私は解釈している。
プリクリの言っていたピングドラムとは「本当の光」であり「本当の幸い」なのだ。
高倉兄弟の場合はそれが「大切な人に一番伝えたい言葉」だったという話。
しかし果実を分け合い「ずっと一緒だ」と誓い合ったとしても
すべての人たちが一緒に生き一緒に死ねるはずも無く、'11年の震災のように大切な人との別れは「ある日突然」なのだ。
そして高倉兄妹にとっての別れが「高倉夫妻の失踪した後、池辺の伯父達によって兄妹がバラバラになった日」だったのだろう。
その現実を受け入れられなかった子供の陽毬が「もしも兄妹の生活が続いていたら」と妄想し
高倉家をリカちゃんハウス風にリフォームして現実逃避したのがピンドラTV版の物語。
その陽毬が創った物語を親戚に引き取られた「本物の冠葉と晶馬」が読んだのが劇場版、と私は思っている。
だから劇場版ではそらの穴分室への入り口が「リフォームされた高倉家」なのだ。
私の解釈通り、リフォームの回想は
高倉兄弟たちが陽毬の為に自己犠牲をした結果、得た林檎によって創られた宇宙での出来事であり
(池辺陽毬の住む)この世界と(親戚に引き取られた冠葉と晶馬が向かう)あっちの世界をつなぐ
陽毬の夢が始まったすべての分岐点なのだから。 ピンドラって作品は「陽毬が創った即興劇」みたいなもの
彼女の変化によってコロコロ変わるからややこしい。
晶馬も陽毬が創ったものの一つだから
晶馬は「熊のぬいぐるみの中に手紙」が入ってる事を知らない、知らないから家を出る陽毬に持たせない。
また、陽毬が「冠葉と晶馬と仲良くなった時」の事を知らないから
「箱の中の回想」は適当だ。
これは陽毬が勝手に「冠葉と晶馬はこうやって仲良くなったんだろうな」と勝手に「箱の中の回想」を妄想したから、だろう。
そして、冠葉に林檎を"半分"貰ったはずの晶馬が
次の陽毬には林檎を"丸ごと"渡してしまう、不自然な事この上ない。
これも晶馬が陽毬にこどもブロイラーで「運命の果実を一緒に食べよう」と誓ってくれたのに
後々陽毬を「独り生かす為」に池辺の伯父に任せて晶馬たちが高倉家から出て行ってしまったから、だろう。
眞悧の「人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。」という台詞があるが
「陽毬にとって見たい願望」は「高倉兄弟とずっとこのままで居られる」温かい世界で
そして「陽毬の見たくない真実」は1話の最初から最終話まで「池辺家の一人養子、池辺陽毬の抱える寂しさ」だったのだろう。
本当に高倉家にはペンキが塗られていたのだろうか?
高倉家を訪れたキャラ全員は何故誰も目立つ外観を指摘しなかったのだろうか?
私は現実の世界の高倉家には「最初からペンキは塗られていなかった」と解釈しているし
池辺の夫婦も最終話の通り共働きで中々高倉家に帰ってこなかったから「苹果たちとは鉢合わせになりにくい設定だった」
とも思っている。 ピングドラムという作品は「高倉兄弟が存在している」と都合の良いキャラ達が集団でその幻覚を見ているアニメ
と私は考えている。
陽毬も真砂子も
高倉夫妻に復讐したい多蕗とゆりも
晶馬に劣情を催している山下も(もしかしたら弟に恋してる山下も以前、晶馬に林檎を貰っていたり?)
倉冠葉恋愛被害者の会の面々も皆、高倉兄弟が存在していると都合が良いキャラたちだ。
5話で登場した池辺の伯父すらも兄弟と引き離した後、陽毬がふさぎ込んでしまったので
親戚に高倉兄弟を任せた事を後悔していた、とも考えられる。
だから彼らは「人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。」と言った眞悧の甘い誘惑・幻惑に引っかかる。
しかし、物語の開始時点で高倉兄弟の存在を求めていなかったキャラが一人だけ居る、それは苹果だ。
苹果だけは別に高倉兄弟でなくても良かった。
彼女の願いは「誰かプロジェクトMの手伝いをしてくれる人居ないかなぁ?」くらいなものだろうしそれは高倉晶馬で無くても良かったはずだ。
数あるキャラクター達の中で高倉兄弟に邪な感情を持ってない苹果だったから
陽毬と友達になる資格が一人だけあり最後に乗り換えの呪文を唱えられたのでは?
と私は考えている。 今まで私はピンドラの世界を「陽毬の創造したものがある」と解釈を言ってきたが
23話の眞悧による桃果との'95年3月20日の爆破テロ事件の回想も
「陽毬の創造したもの」と私は解釈している。
22話で陽毬は「水族館で命を返すシーン」があるが
陽毬があの時に「神様お願いです」と願った神様とは桃果だ、と私は解釈している。
そして小説版では同シーンで「神様が居ないならが陽毬が作るのだ」と言っていた。
つまり22話で陽毬は「林檎が持つ宇宙を創造する力」で「故人の桃果を神様へと昇格」したと私は考えている。
では何故、陽毬が桃果を神様へと昇格したか?だが
陽毬が18話のゴンドラの中で聞いた多蕗の「人類の救世主になるはずだった」という演説を真に受けていたから、だろう。
そして22話で桃果を神様にした後の23話冒頭で陽毬は「神様のお話」を創りあげた。
それが「桃果が二つに分かれペンギン帽になる」という回想だ。
では陽毬が何故、「少女がペンギン帽になる」という変な回想を創ろうとしたか?だが
1話で陽毬はペンギン帽を被り「私が女王様!」と言って世界で一番の地位だと誇っていたが
ペンギン帽を被ったプリクリの力では高倉兄弟がバラバラになってしまうのを止められなかった。
だから22話で女王(プリクリ)より更に上位の神様を創り、女王の位もペンギン帽も神様(桃果)に返上する為に
23話の回想を作り出したのだ。
要するに眞悧と桃果の回想作りは陽毬による「ペンギン帽と桃果を結びつける為の後付けであり辻褄合わせ」
と私は思っている。
小説版でペンギン帽が晶馬に「あなたたちの妹のちからのおかげ」と言っていたが
今までの解説通り、陽毬が「林檎が持つ創造の力」で桃果を神様へと昇格し、回想を創って桃果とペンギン帽を結び付けたから
桃果の声で喋れるようになった、という事だろう。
「ペンギン帽の正体は桃果」という説が今もあるが
「後付だからそう見える」のだろうと私は思っている。
ピンドラのストーリーは「陽毬が中心になって創る即興劇」なのだ。 それと、陽毬は自身を眞悧、苹果を桃果と重ねている節がある。
「苹果が家に来るようになってから自分の居場所が無くなってく」と19話で話していたように
陽毬が自身の「運命を乗り換えたくない」という隠された本音を話せた相手は眞悧だ。
また、眞悧の太鼓持ちである「双子のような」シラセとソウヤという存在は
同じく高倉兄弟を太鼓持ちにして高倉家という箱に執着している陽毬自身への皮肉だろう。
要するに眞悧は陽毬の「高倉家の双子と一緒の運命から乗り換えたくない」という欲望に手を貸す見返りとして
冠葉にテロを起こしてもらっているのだ。
そしてそれを止め、運命を乗り換えさせる存在が桃果であり苹果、と私は解釈している。 この作品は眞悧と桃果に関して
箱に入った猫のように分からない事がある。
眞悧が存在していた事は鷲塚先生の話から確かだろうし
桃果が存在していた事も多蕗とゆりの話から確かだ。
そして二人が'95年の地下鉄爆破事件時に列車に乗っていた当事者なのも確かだろう。
しかし23話の回想通り「二人が車内で対峙していた」事は「あの世界の誰も知らない。」し
23話の回想が真実かどうかも誰に分からないもののはずだ。
それに23話の回想の通り本当に眞悧がテロ事件で桃果を殺した犯人だったという話が世界に広まっていたなら
多蕗とゆりは高倉剣山そっちのけで眞悧に復讐心を燃やしてたはず。
なのに本当に復讐すべき眞悧に怒りを向けない多蕗とゆりは道化を演じてたようなものだ。
つまり23話のテロ事件の回想は
24話の高倉兄弟の箱の中の回想と同じく「世界の誰も知らない話だ。」
(21話の高倉母の「私たちの知らない間に仲良くなっていたんだもの」の台詞通り)
つまり誰も知らないからこそ想像の余地がある。
だから夢の主である陽毬は「眞悧と桃果」のテロ事件時の列車という箱の中の回想と
高倉兄弟の箱の中の回想の2つを
本編のようにどっちも想像し創造したのだろう。
だがそれを創造したとして「少女がペンギン帽になった」なんて話
常識ある普通の大人だったら誰も信じないだろうw
ピンドラは現実では有り得ない宇宙を創造してしまうような林檎を貰った
子供だけが知覚出来る夢の物語だ。 この作品の回想とは想像するものでありそれぞれアレンジが施されてるもの
と私は考えている。
では21話の高倉家がリフォームされた時の回想は一体何なのか?を考えるのが一番面白い。
私は「兄弟のせいで熊のぬいぐるみが破れ、二人が直した」のは真実だと考えているが
他は「うーんw」って感じだ。
最終話の乗り換え後の世界で大きく変わったもの
「ペンキの塗られてない高倉家」「天蓋ベッドは無く陽毬は敷布団で寝てる」
だが「修繕された熊のぬいぐるみはそのまま」
で、熊のぬいぐるみの中には手紙が入っていた。
入れたのは高倉兄弟だろう。
しかし手紙を入れた張本人のはずの高倉晶馬は21話でその事を知らない。
では21話の「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」晶馬は一体何者なの?
劇場版の描写で高倉兄弟の熊のぬいぐるみへの反応の違いに気づけば「TV版の高倉兄弟」と「劇場版の高倉兄弟」は別人だって分かるし
舞台挨拶でもイクニさんは「高倉兄弟をTV版とは別人のようにして」と声優さんに演技指導していたようだ。 つまりTV版の高倉兄弟は陽毬の創った偽者で
本物の兄弟は池辺の伯父によって親戚に引き取られた後、と解釈するのが一番正しいと私は思うんだよね。
小説版の通り、陽毬には神様ですら創る力があるのだから。 1話の賢治の話をする少年達の台詞通り
「この世界とあっちの世界をつなぐもの」であり「手のひらに乗る宇宙」を持つ子供は
桃果という神様を創った陽毬のように「宇宙を創る力」を持っている或いは受け継いでいる、と私は考えている。
ピンドラにおける宇宙とは何か?だが
「この世界とあっちの世界」へと別れてしまう運命となっている運命共同体を繋ぎ止めるものだ。
例えば、15話の時籠ゆりと時籠父という運命共同体を繋いでいた「ダビデタワーも林檎の力で創っていた」と考えられる。
そして15話の通り、ゆりは父から桃果へと運命の乗り換えををしたのでダビデタワーも消えた。
他にも24話で夢から覚めた真砂子はマリオが「夢の中では病気だった」と言っていたように
真砂子も夢(宇宙)の中「林檎の力で病気のマリオを創っていた」と考えられる。
また、11話の蛙の力で一時的に運命共同体となった苹果と多蕗のシーンで
東京タワーなど色んなモニュメントの電光掲示板の表示が祝福モードになるのも
「林檎の宇宙を創る力」が発動していた、と考えられる。
つまり小説版の通り「桃果を神様に昇格した陽毬」だけが「宇宙を創る力」を持っていたのではない。
そして宇宙(林檎)を分割し運命を乗り換える時にその魔法の力で創った効果も全て消えてしまうのだろう。
15話で「一つの運命が変わると世界の風景が変わってしまうの」と言った桃果の台詞通り。
ダビデタワーが消えたのはゆりと時籠父がこの世界とあっちの世界へと別れてしまったからだし
「病気のマリオ」を口実にして無理やり冠葉と運命共同体を続けようとしていた真砂子も
冠葉と別れたから「病気のマリオ」も消えた。
苹果の妄想は言わずもがな。 で、最終話の運命の乗り換えによって変わった世界の風景から
高倉兄妹の現実であり真実とは何なのか?を考える事がピンドラで一番面白い所。
このスレで今まで語ってきた通り
そしてピンドラ公式で出てる客観的な状況証拠を読み解くと
「熊のぬいぐるみの中に大切な手紙が入ってる事を知らない」高倉兄弟という存在そのものすら陽毬の創作物の可能性が高い。
高倉兄弟の視点で見ると、自分達が陽毬の為に昔仕込んだ熊のぬいぐるみを毎日眺めていたら
その時の記憶を忘れるはずが無いのだから。
陽毬を本当に愛してるのなら晶馬は21話の別れで熊のぬいぐるみは持たせるはずだし
例えその時に気づかなくても晶馬は後々気づくはずなのだから。
そして劇場版の通り、本物の兄弟は熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知っているのだから。
また、2011年8月4日にサンシャイン水族館はリニューアルしているのだが
ピンドラ1話の始まりの日である'11年10月15日に
高倉兄弟たちがリニューアル前の思い出の水族館を思い出のまま違和感無く楽しんでいられたのも
「林檎の力が発動して水族館が思い出の風景と留めていた」と考えられる。
だから最終話の乗り換え後の世界では
水族館の風景もすっかり変わっていた事だろう。 「高倉兄弟は存在したんだ!、最後の陽毬の傷と苹果の火傷が何よりの証拠だ!」
と言うピンドラファンの方も大勢居るだろうし
もしかしたらスタッフさんですら反論するのかもしれないが
本当に兄弟が存在していたのなら
「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知っていて21話で陽毬に持たせるはずだよね?」と私は返答するだろう。
真砂子が夢の中で創っていた「病気のマリオ」と同じく
高倉父母の失踪後、高倉兄弟も池辺の伯父によって親戚に引き取られてしまって
一人ぼっちで寂しかった池辺陽毬が「高倉家のリニューアル」の回想を創った時、ついでに創った偽者の兄弟だから
TV版の彼らは「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らなかった」と私は解釈している。
最終話の通り陽毬が「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない」から
陽毬の創った高倉兄弟も「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らなかった」のだ。
TV版と劇場版の「熊のぬいぐるみに対する兄弟の反応の違い」は
まるで推理小説の犯人が完全犯罪をする途中で一つミスをしたシーンのようなもの。
後は読者や探偵役がそのシーンからどう推理して謎を解くか?だろう、犯人はお前だ! >一人ぼっちで寂しかった池辺陽毬が「高倉家のリニューアル」の回想を創った時、ついでに創った偽者の兄弟だから
付け加えると、高倉父母の失踪後に高倉兄弟は何らかの意見の食い違いで喧嘩をし
その際に陽毬の熊のぬいぐるみを破ってしまい陽毬を泣かしてしまったが修繕した、と私は推測している。
その時の思い出を陽毬がアレンジして創った回想が
21話や24話の高倉家リフォームや天蓋ベッドを作る話だったのだろう。
さらに言えば天蓋ベッドを作る時に雨に兄弟がずぶ濡れになって高倉家(リカちゃんハウス)に帰ってきたシーンは
銀河鉄道の夜で列車に乗ったばかりのカンパネルラがずぶ濡れになっていたオマージュだろう。
つまり「運命共同体の別れの旅」という暗喩。 最終話の10年前の「箱の中の回想」の意図がやっと理解出来るようになってきた。
あれは「夏芽父の葬儀後から始まる冠葉と晶馬という運命共同体の別れ」を
先んじて冠葉と晶馬が見ていた"予知夢"のようなもの、だろう。
銀河鉄道の夜でジョバンニが列車に乗って
「カンパネルラの死と別れ」を"予知夢"で先んじて見ていた事と同じ原理。
まず21話で高倉母が「二人は知らない間に仲良くなっていた」と言っていた通り
冠葉と晶馬の関係は「夏芽父の葬儀前から運命共同体だった」と考えられる。
しかし、最終話の晶馬の独白通り、
冠葉が高倉家にやって来た日に父から「お前の兄だ」と紹介されたが
特に晶馬の方は受け入れられなかった。
つまり高倉兄弟の仲は気まずくなった、本音で話せなくなった。
それが予知夢である「10年前の箱の中の回想」で
二人が「自分という箱に入って塞ぎ込んでしまう」という表現によって
冠葉と晶馬に葬儀に先んじて「未来に起こる出来事、運命」を見せていたと推測する。
そして冠葉の箱の中に出てきた林檎とは
葬儀の日に「陽毬に絆創膏を張ってもらった記憶」。冠葉にとっての大切な人であり光、希望。
晶馬の箱に林檎が無かった理由は
その後の運命通り、晶馬は高倉家の罪に陽毬たちを巻き込んだ事を後悔しているで
陽毬では晶馬の希望には成り得なかったのだろう。晶馬は罪を抱え餓死するつもりだった。
だが冠葉は晶馬に半分林檎をあげて、晶馬を巻き込む事にした。
それに小説版では
高倉家のリフォームを提案し「陽毬が笑顔になるなら何でもする」と
目上らしい姿勢を取った冠葉を見て
晶馬は初めて冠葉を兄貴だと認めるようになったようだ。
つまり高倉家をリフォームした思い出は「自分という箱」に塞ぎこんだ運命共同体が
陽毬を笑顔にし大切な言葉を伝える為に林檎を分け合って本当の兄弟となり、再び手を繋げた瞬間だったのだろう。
よって「箱の中の回想」とは
「夏芽父の葬儀後に冠葉が高倉家に来て気まずくなってから高倉家リフォームまで」の未来予知を
冠葉と晶馬の二人が夢の世界で先んじて見ていた、という事なのだろう。
銀河鉄道に乗ったジョバンニがカンパネルラの死を先んじて見ていたのと仕組みは同じ
つまり輪るピングドラムは銀河鉄道の夜と同じく「予知夢の物語」だ。
だから2話でプリクリは荻野目苹果の情報をまるで未来予知のように正確に知っていた。
なぜなら陽毬と苹果は未来で果実を分け合う友達になるのだから。 箱の中の林檎が無かった晶馬の視点では
晶馬は「選ばれなかった」と思っているので
「冠葉を兄だ」と勝手に決めた実父の高倉剣山に「選ばれなかった」と思ったのかもしれないなぁ。
それが、その後の高倉家のリフォーム時に冠葉と一緒に陽毬を笑顔にした時
「お前も陽毬のお兄ちゃんだ!」と「冠葉に選ばれた」ような気がして晶馬には嬉しかったのだろう。
その未来に起こる自分達の運命が
「二人が出会う前の箱の中、冠葉から林檎を分けて貰う」という不思議な表現となって
夢で見ていたのだろうな。 劇場版を見て考察熱が再燃して
やっと「箱の中の回想」の意図が読めるようになったな
約5ヶ月かかったか・・・長かったな。
イクニファン、ピンドラファンはネットに沢山居るだろうが
10年間どの考察サイトを見ても誰のコメント読んでも
箱の中の回想を理解している人と出会った事は無かったな。
まさか銀河鉄道の夜と同じく「予知夢の回送列車」だったとはね。
これでやっとイクニさんの意図に近づいたのかな。
私と同じ解釈は他では見た事無いから
これも「ネット上のイクニファンで気づいたのは私が初めて」だろうな、るる賢〜い!
・・・ユリ熊嵐の本質を理解した時にかかった2年半比べれば賢くなってるのかなぁ?
随分回り道をした気がするがw 銀河鉄道の夜とか小説版とか高倉兄弟の関係性とか
ファンが10年単位で読み込まないと
誰も分からない回想なんか作らないでくれ、イクニさん。
そりゃ予知夢のヒントを閃けばこの通り気づくけどさ。
現に10年間誰も気づかなかったじゃん。
ユリ熊嵐の世界観と愛と壁と承認の女神クマリア様の仕組みの方がまだ簡単に思えたわw 晶馬の視点で見ると最終話の出来事は
陽毬を選ぶ事から逃げ続け
高倉家の罰の林檎を独りで抱え込もうとしていた晶馬の年貢の納め時だったんだろうなぁw
晶馬には最終話まで誰とも「高倉家の罰の林檎」を分け合う気が無く自分の中に抱え込もうとしていた。
だから20話の陽毬との回想(晶馬と陽毬が出会う前に経験していた予知夢?)でも林檎も分割されてはいなかった、のだろう。
しかし最終話で冠葉と苹果、二人とも陽毬の為に自己犠牲をしようとするので
晶馬は「冠葉と苹果」の二人のどちらかを選ばざるを得ない状況になったから
冠葉と出会う前に経験していた「10年前の箱の中の予知夢」に従い、冠葉に半分の林檎を返す事を選んだのだろう。
また、最終話で裸の陽毬を介して冠葉に半分の林檎を返す時に
「晶馬と陽毬が一瞬過去の姿に戻る演出」になっていた理由は
「晶馬から陽毬への果実の受け渡し」が「20話の回想の続き」だから、だろうな。
つまり陽毬の視点で見ると
「晶馬から果実を分け合ってもらう事を期待し
20話の回想通り、林檎を貰う所までは夢で見ていたけど
最終的に、その林檎は高倉兄弟が素直に果実を分け合う時のもので
私は仲介役になる運命でした」という事だったんだろう。
ようするに20話で「陽毬が貰った果実の回想」は陽毬のぬか喜びだった、のだろう。
「良い所で夢から覚めて勘違いしてしまった、けど夢には続きがあった」的なw
陽毬もそれなりに晶馬に恋していたのに
最終的に、林檎の仲介役を務める羽目になるとは心中複雑だっただろうなw
陽毬に腐の嗜好が無ければ嬉しくない状況だw
そして果実を分け合った高倉兄弟は
「アダムとイブが楽園から追放されるように」宇宙から存在そのものが消えた、というオチになると。 ピンドラファンのネットでの主流解釈だった「りんごの計算」も
これでどこが間違ってるか理解できるようになるかなぁ?
少なくとも「晶馬は陽毬と罰の林檎を分け合っておらず、晶馬はずっと罰の果実を独りで抱え込んでいた」
と私は解釈してるぞ。 しかし「オチまで見せずに変な所で区切る」とか都合の良い
予知夢の回想列車だったんだなぁw
すっかり騙されてた!
まあ私もネットの主流解釈に呑まれていた部分もあるのだろうな。
「私より賢い誰かがピンドラを読み解いてくれるだろう」って。
しかし他人を当てにせず自分自身の力で読み解かなければ本当にイクニ作品を理解出来たとは言えないのだ。
かつてユリ熊嵐の放送終了後、ネットで誰も説明できなかったユリ熊嵐を
私が独りで二年半かけて理解していったように。
その解釈が世界に伝播し、現在のようにユリ熊嵐の理解者が増えたように。 まぁ都合の良さで言ったら
カンパネルラの死を匂わせるだけしといて降車させ
ジョバンニに現実で確かめさせる元ネタの銀河鉄道の夜からそう、か。
「予知夢の回想」が真実なら
10年前の冠葉の箱の中にあった林檎は何も「陽毬に絆創膏を貼ってもらった時の記憶」に限定しなくても良いのか。
それこそ22話で水族館で「陽毬が冠葉に返した命」が林檎となって冠葉の箱に現れた、という解釈でも良いし
そっちの方が矢張り物語の流れ的に自然だ。
そして「晶馬が冠葉に半分の林檎を返す瞬間」に相当するのが最終話なので
回想で「冠葉に林檎を半分貰った時の回想」は「高倉家のリフォーム」の時「晶馬が冠葉に選ばれた」瞬間に相当すると考えるのが妥当だろうな。
それを運命のように予知夢として高倉兄弟は10年前に経験していた、・・・面倒な設定だな。
その高倉家のリフォームが高倉兄弟にとって「林檎と言う宇宙の分割」つまり「運命共同体の別れ」の暗示だったんだろうな。
父母が失踪した家の中、子供3人だけで生きられるはずが無いのだから。
5話の池辺の伯父とのやり取り通り。
3人一緒に面倒を見られる余裕の無い大人たちは兄妹を分担し養っていくはずなのだから。
だから兄弟は陽毬の為に熊のぬいぐるみの中に手紙を隠しておいた、と。
ピンドラの世界を考える時、壁にペンキを塗るという高倉家のリフォームの回想も同時に考えるが
あれは現実でもあったのだろうか?
最終話の池辺家となった高倉家ではペンキは塗ってないがトタンは剥がされてる?んだよなぁ。
つまり兄弟の手によってペンキは一度塗られたが、派手なものを好まない池辺の伯父によって剥がされた、とも考えられる。
そして天蓋ベッドを作る為に材料を拾ってくる際、ずぶ濡れになっていたのは
銀河鉄道の夜の列車に乗ったばかりのカンパネルラのオマージュで「運命共同体の別れ」が始まった暗示なので
すでにあの時点で高倉兄弟は親戚に引き取られた後、と考えるのが妥当だろう。 つまり陽毬の為にゴミ捨て場からベッドになる材料を拾ってきたけど
丁度、池辺の伯父が高倉家にやってきて
兄弟にベッド作りを止めさせ親戚に引き渡そうとした為
伯父と兄弟と対立し揉み合いとなって
その時に陽毬の熊のぬいぐるみが破れた、と一つ想像が出来そうだ。
そして兄弟二人は親戚の家に行くのを了承するのと引き換えに
伯父に熊のぬいぐるみを治すだけの猶予を与えて貰った、という感じかな。
それが「愛による死」か。
そして高倉兄妹という運命共同体がリフォームに失敗し引き離される現実の辛さを
夢の中だけでも忘れられるよう「リフォームに成功した三人一緒の宇宙(林檎)」を神様がご褒美として与えたのでは?
と私は考えている。 最終話の乗り換え後の世界で
池辺陽毬と苹果はまた夢で見た事を繰り返すように仲良くなってくのだろうなぁ。
乗り換え後の苹果は荻野目父への執着は無くなってるのだろうか?
それとも父の存在すら忘れているのだろうか?
その場合、木の股から生まれるはず無いと理解している年頃なので「自分にも父が居ただろう」くらい思っているのだろうか?
小説版見直すか。
池辺陽毬が苹果と仲良くなっていく過程で'95年の呪いに遭遇する運命は避けられないだろうが
陽毬の方は高倉家の呪いから外れているので
池辺の伯父や多蕗とゆりが話さない限り「陽毬自身の生い立ちの真相」は分からず仕舞いだろうな。
或いはまたペンギンや桃果や眞悧が介入して半強制的に池辺陽毬に思い出させるのだろうか? >一つの作品につき1スレッド、需要があればアンチスレッドを一つ立てられます。
次スレだが板のルールではこの通り1スレッドしか立てられない
且つ、すでに立てられたスレッドがあるので
それを利用していく予定だけど、それで良いですよね?
テンプレも1000行く前に貼り付けときます。
次スレ
劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編
ttps://medaka.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1649200914/ 「やっと分かったよ、あの時僕たちが出会った理由が・・・この時の為だったんだ。」
「返すよ、あの日兄貴が僕に分け与えたもの、僕にくれた命」
いやー、まさか箱の中の回想や
最終話の晶馬の「あの時」とか「あの日」とか
ピンドラの世界観そのものが
「高倉兄弟がこれから現実の未来で起きる出来事=運命」を高倉兄弟に先んじて夢の世界で経験させる為のもの、だったとはねぇ。
だから晶馬は最終話で不思議な夢の正体に気づき「やっと分かったよ」と言ったのだろう。
イクニさんは「運命とは予知夢みたいなもの」と解釈して回想を作ってたんだろうなぁ。
イクニさん、今まで誰も分かってなかったり変な考察見たりして
どう思ってたんだろうなぁ・・・
ノーコメント貫いてたの凄いよ '23年5月18日までピンドラファンの主流は
10年前の箱の中の回想が「冠葉と晶馬が出会う前に起きた出来事」だと10年間ずっと思い続けていたが
私は5月19日にその回想が「冠葉と晶馬が出会う前に"夢の世界で経験していた彼らの未来に起こる"出来事の暗示だった」
と新しい解釈を作り出した。
ピンドラは銀河鉄道の夜をモチーフにしているのだからこの解釈が正解に近いのだろう。
カレーの日の前の奇跡♪
デスティニー! '11年に発売された雑誌オトナアニメvol.23の
ピンドラ制作者の一人、シリーズ構成の伊神さんのインタビューが掲載されていたが
ピンドラの制作にあたってまず「イクニさんが銀河鉄道の夜をどう読んでいるか?」詳しい説明があって
そのイメージをスタッフ全員が共通認識とし銀鉄からモチーフを抽出していた、らしい。
つまりイクニさんがどのように銀河鉄道の夜の世界観を解釈しているのか?を見つける事が
ピンドラを読み解くのに一番の近道だった、という事だと私は考えてる。
今まで銀河鉄道と重ね合わせてピンドラの解釈、制作者の意図を読もうとしていたのは
すべてこの時の為。
でもようやく大きな答えが一つ出た
ピンドラの「運命」とは
銀河鉄道に乗ったジョバンニが「運命共同体カンパネルラとの別れ」の暗示を一緒に経験した予知夢と同じように
運命共同体が出会う前から「二人の未来・運命」が虫の知らせのように分かってしまう「一種の未来予知」の事だったのだろう。 1話の陽毬の死後、いきなり高倉兄弟の喧嘩が始まったり
12話の回想だったりと
陽毬は兄弟の仲を取り持つ存在だった、って事なんだろうな。愛の象徴というか。
陽毬はユリ熊嵐ではクマリア様、さらざんまいでは吾妻サラに相当するのだろう。
また、冠葉が晶馬と林檎を半分に分け合った理由は
陽毬との愛をどっちか一方がヒトリジメにせず等分にする為だが
そして「生き残った方が陽毬に大切な言葉を伝える為」
つまり兄弟に分裂の危機が起こった時だろうと
二人がそれぞれ別の方法で陽毬を救い、生存確率を上げる為でもあったのだろう。
だから冠葉は薬で陽毬の命を
晶馬は運命日記で陽毬の命を救ってくという兄弟は別々の道を歩くシナリオになっていったのだろう。
そして冠葉の薬で陽毬の命を救う方法は失敗したが
晶馬の運命日記の方は副産物の苹果が「乗り換えの呪文」を唱える事によって、結果的に陽毬の命を救う事に成功した。
つまり冠葉が10年前、自分の箱の中にあった林檎をヒトリジメにせず
晶馬に林檎を半分分け与えた選択が幸いし、結果的に一番大切な陽毬を救う事が出来たのだ。
ようするに「お前のモノは俺のモノ」が座右のジャイアンみたく利己的な行動を取るよりも
利他的に誰かに親切にする事が「本当の幸いに近づく」という宮沢賢治的な教訓を込めたかったのだろうな、イクニさんは。 輪るピングドラムは
最終話の「現実の世界の地下鉄の事故の中、初めて出会った池辺陽毬と苹果」が
夢の世界で「二人が運命共同体になってゆく未来に起こる出来事」を暗示として見ていた物語である。
つまり「予知夢の物語」だった。
そして現実の世界の高倉兄弟は「親戚に引き取られ、すでに高倉家には居なかった」
何故なら、高倉兄弟もかつて夢の世界で「兄弟が出会う10年前の箱の中、林檎を分け合い本当の兄弟になった瞬間に別れてしまう運命だった」事を予知夢として見ていたからである。
その箱の中で経験した予知夢通り、高倉兄弟は2008年の高倉父母の失踪後、高倉家を大胆リフォームしている最中に親戚に引き取られてしまった。
しかし陽毬は熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事に全く気づかず'11年まで放置し、忘れられ処分してしまう所だったのだろう。
つまり現実の世界ではもう別の形になっている高倉兄弟が「夢の世界では陽毬の兄のまま」だった理由は
「大切な人に伝えたい事が伝わってない」という未練が兄弟の心に残っていたから。
(池辺陽毬の住む)この世界と(親戚に引き取られた高倉兄弟が住む)あっちの世界をつなぐ「宇宙」である林檎は
愛による死を自ら選択した兄弟へのご褒美だ。
つまりピングドラムは
現実の世界では離れ離れとなってしまっている高倉兄妹が
その「宇宙」という夢の世界で「熊のぬいぐるみに手紙が入ってる事」を伝える目的で一時的に繋がっていた物語、という事だろう。 大きな謎が解け、すべて繋がったなぁ。
銀河鉄道の夜とピングドラムの解釈を道しるべにして
ようやくイクニさんの世界と集合無意識でつながった気分だw
このスレはピンドラスレの歴史に残る永久欠番ものだね 最終話の乗り換え後(現実)の世界でも
以前の夢の世界の出来事を完全に覚えていた多蕗とゆりがよく分からなかったが
それだけ彼らの未来予知の能力が高いからって事だったんだろうな、まさにニュータイプ。
多蕗がその運命を知る力を普段どう使っていたのか分からんが
ゆりさんは歌劇団で次代のトップスタァが誰になるのか予測し
相手をとっかえひっかえレズ篭絡してトップ娘まで上り詰めていったようだし当然か。
でもそんなゆりさんでも流石に翼の刃傷沙汰までは予測できなかったと。
苹果の妄想(未来予知)ではゆりさんは権力者の相手をするシャチ女だったが
当たらずとも遠からずなのが笑えるな
まさか苹果自身もターゲットになるとはw
苹果のゆりへの妄想はどこかズレてるが
ある意味で予知が当たってもいる所が笑える
西部劇の妄想で運命日記の存在を知っていてビビるゆりさんも
ある意味で当たってるし。
対して高倉兄弟はそんな特別な力も無い何者にもなれない凡人っぽい感じだが
それでも出会う前の10年前に経験した箱の夢の中で8年後の自分たちに訪れる悲劇だけは暗示的にだが
未来予知出来ていた、って事だったんだろうなぁ。
15話の桃果が
「一つの運命が変わると世界の風景が変わってしまう、だけど皆は変わった事に気づかない」
と言った台詞に対し、ゆりが東京タワーに変わった事に気づけた理由は
ゆりがそれだけ「先の運命を見る力に長けていた」って事だったんだろうなぁ・・・ゆりは皆(凡人)の中に含まれない特別な存在だった。 「予知夢の物語」だから1話で出てきた宮沢賢治の話をする少年たちが
最終話の乗り換え後の現実の世界でも再び登場したのだろうし
コミック版の最終話で多蕗とゆりの新居に訪れた陽毬と苹果が特製カレー型モンブランを持っていったのだろうなぁ
私の考察通り8話の出来事も陽毬と苹果が運命共同体になった後に起こる「予知夢の物語」だから。
コミック版では多蕗とゆりは「この世界ではあの『高倉家』は存在しない、苹果ちゃんたちの記憶の中にも」
と言っていた。
しかしドヤ顔で説明する私は彼らの台詞も間違っていて
高倉夫妻が失踪する前までは『高倉家』は存在していた、と解釈している。
何故なら運命を知る能力に長けた彼らも「高倉家の歴史を知らないただの一般人」で神の視点を持っていないのだから。
私の考察通り、夫妻失踪後から高倉家のリフォームまでに「現実の世界」が「夢の世界」へと狂っていったのだろう。 真砂子が自宅の東屋でマリオと一緒に愛を語り合うのも
16話の東屋にやってきた冠葉が「一緒に呪われてやる」と言っていた事が
最終話の現実の世界で起きる予知夢だったから。
暗示的にだが夢の世界で起きた出来事は予知夢となって現実になるのだ。
ジョバンンイが夢の世界の列車の中で見た「カンパネルラの死と別れ」の暗示が
現実の世界で未来に起きた銀河鉄道の夜のように。
私の解釈や考察は「正解に近い」事が証明にされるんだよなぁ、るる賢〜い! また20話の陽毬と晶馬の回想を見て
二人はそれぞれ「私の運命の人」とか「僕が陽毬を選んだんだ」と言っていたが
全部二人の勘違いwだと私は思うんだよね。
何故なら、晶馬が陽毬に林檎を渡すのは「最終話に起こる出来事」であって
それを二人が陽毬が「高倉家の妹になる前に予知夢として見ていた」って事なのだから。
20話の回想で不思議な事があるんだよねぇ。
「冠葉から林檎を貰った」後だと「多くのピンドラファンが勝手に解釈」しているのに
私にはそう思えないんだよね、晶馬が回想の始まりで「一人ぼっちだった」と言ってるのだから。
それに20話の回想では最初から最後まで「(企鵝の会のアジトで父たちの演説を聴く)冠葉が蚊帳の外」なのが疑問だとも思う。
これは「20話の後の話で冠葉が企鵝の会でテロ活動する為」に晶馬と陽毬との縁を切るからだろう。
21話で冠葉が晶馬と喧嘩別れしたように。
つまり20話の回想で「演説を聴く冠葉」も
21話以降の「企鵝の会に身を置く冠葉に起こる未来予知の暗示」だったという事だ。
つまり20話の陽毬が晶馬を運命の人だと勘違いする回想すべても
「21話以降の高倉3兄妹に起きる未来の出来事の暗示」予知夢だったという事だろう。
そして20話で盛大な勘違いを経験した晶馬だからこそ最終話の箱の回想が「高倉家のリフォーム」を暗示した予知夢だったと理解し
リフォームで果たせなかった願いの続き「大切な人に伝えたい事」を叶え陽毬を現実の世界へと返す決意をしたのだろう。 私の解釈が正しければ
少なくとも晶馬役の木村良平さんだけは「回想が『過去の出来事』ではなく『未来に起きる出来事の暗示』だった」と
イクニさんに教えてもらった、と推測してるんだよね。
晶馬として最終話で「やっと分かったよ。あの時、僕たちが出会った意味が」という演技をしないといけなかったのだから。
あの時(箱の中の回想)が「高倉家のリフォームで冠葉が晶馬に半分の林檎を分け与え本当の兄弟になれた瞬間の暗示」だと
イクニさんに教えて貰ってたんじゃないかなぁ?
でなければ混乱が演技に出ちゃう可能性があるだろうし。
また、最も視聴者目線で謎に振り回される役回りのキャラだった晶馬が
その立場から逆転して最終話に自ら謎を解き明かせる事が出来た所にも
最終話の大きなカタルシスが込められてるのだろうし。
それに劇場公開直前特番での発言といい
どうも木村良平さんだけはピンドラの謎をしっかりと理解してるような気がするw 冠葉や陽毬の人の演技も悪くはなかったが晶馬の人の演技は抜群に良かったなあ
雅子とゆりの人も
やっぱ声優はベテランをちゃんと起用してほしいもんだ 声優さんは悪くないと私は思うんだよね、
ただ20話とか24話とか10年前の回想なのに年齢の変化を感じ取れなかったのが不思議だったけど。
そんな演技を要求されてたって事かなぁ?
それよりイクニさんとかシリーズ構成の方に問題アリだと今は感じてるなぁ。
考察に重要な要素とは言え日付の作画ミスとかはまぁ仕方無いとしても
視聴者に時系列を整えさせる気の感じられない回想の数の多さといい
「書きたい話をそのまま詰め込んだ」ような作品だなぁ、という感想。
作り手がもう少し視聴者目線を考えていてくれたら
今より分かり易い作品になっていたんじゃないかなぁ?
或いは、伝わらなくても「愛の話」の一言で押し通そうとしていた、とも感じとれるし
そう視聴者の視線や意識を誘導しているような作品作りになっていたとも感じる。
高倉兄弟の生死とか現況とか視聴者の心にずっと残しておきたいから
こんな作りになっていたのだろうなぁ。
でもピンドラの謎は制作側の想定を越えたモヤモヤ加減だったと思う。
ウテナの生死は不明でもアンシーが希望を持って箱から出れればそれで良いし
ユリ熊でも生死は不明だろうと二人が断絶を越えて旅立ったと分かるからスッキリする
さらざんまいは謎が残らない。
だけどピンドラは「高倉兄弟がどうしてああなったのか」が謎だったからなぁ。
おそらく陽毬たちがイメージする高倉兄弟が最終話に燃え、ガラスとなって砕けた、って事だろう。
だから陽毬たちの記憶から高倉兄弟が失われた。
しかし本物の冠葉と晶馬は親戚に引き取られて多分無事に生きているのだろうな。 陽毬がイメージする高倉兄弟は「熊のぬいぐるみに手紙を入れてない」からなぁ。
最終話の最後に手紙を初めて見つけた陽毬が気づいていたように。
TV版だけでは蝶分かりづらいし
劇場版で本物の冠葉と晶馬が熊のぬいぐるみを見つけるシーンが追加されなければ
一生カラクリに気づかなかっただろう
21話の晶馬と最終話の古い手紙だけで視聴者に推理させようとしていたTV版は
不親切級に難しすぎるわw 1000!
次スレ
劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 前編
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