【ジャイアントサービス】BI砲を考える6【アントン・トレーディング】
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>>98
田上の子供が馬場の前でうっかり漏らしてバレたんだよねw >>100
馬場は血糖値と将来寝たきりになってしまうことを心配した元子にせっつかれて
練習じゃなく手ゴルフに精出してたな、まああの規格外の体で晩年までそれなりに
動けたんだからそれで十分だったのかな >>99
馬場のことより辛口バンバンヴィガロのことを教えてくれよ!
505お前名無しだろ (ガラプー KK1b-cHn8)2021/12/30(木) 15:17:57.92ID:gtX0ubTzK
カーンと戸口のぉコラボ見たいぞぇー。
かなりぃ深い話になるだろぉかんな。
カーンは戸口をぉ嫌ってなさそぉだしぃー。
でもぉ戸口もぉかなりぃ辛口だかんな。
前田動画でもぉ辛口バンバン バンバンヴィガロ
戸口はぁかなりぃ辛口だぞぇ。
カーン動画でもぉその辛口ぶりをぉ発揮して欲しいんよぉー。
逆にぃカブキはぁ温厚だょなぁ。
しかしぃカブキもぉ辛口だかんな。
言う時ゃあボロクソ言うちょるしぃー。
カーンとカブキのぉコラボもぉおもろそぉだぞぇ。
しかしぃ坪にハマるとぉ悪口大会になってもぉちゃるゎい。
でもぉカーン動画にゃあ色々な人がぁー参加して欲しいぞぇ。
しかしぃカーンもぉ金に困っちょるとか赤裸々に語るかんな。
カーンのS参戦はぁ見たかったなぁ。
天龍部屋レボリュー所属んなっただろぉしぃー。
でもぉカーンにゃそぉゆぅ気持ちがなかったかんな。
長州への維持を感じるぞぇ。
でもぉカーンがぁー天龍からSに誘われちょったっちゅうのぁ動画で知ったしぃー。
意外だったよぉー。
当時は勿論、その後もぉ全く知らんかったかんな。 最近のプロレス事情に疎いので知らんかったけど、DDTの納谷幸男って2メートルあるんだってな
大鵬の孫で貴闘力の息子って凄いサラブレットだ バン・バン・ビガロのスペルはBam Bam Bigelow
ビガロは「B]音だから、
バンバンヴィガロというのは痛いなぁ。
変な日本語の言い回しはともかく、これは明らかに間違い。 ビガロは全日にも上がってるんだよね。
90年スーパーパワーに。
仲田がビガロをコールした時は鳥肌ものだった。
ボァンボァンヴィガロ
直後にはベイダーも全日に登場すると思ったんだけどね。
あの甲冑で全日武道館を席巻するイメージが沸いた。
でもベイダーの全日登場はなかった。
結果的にベイダーの全日への(初)登場は7年後の97年。
90年とは全日もベイダー自身も状況が全く違った。 ボヮンボヮンヴィガロは新日だとベイダーに次ぐ二番手だった。
新日としてはベイダーは簡単には貸し出せなかったのかな?
でもあのまま交流 協力路線が続けばベイダーも全日登場したとは思う。
逆にゴディの新日登場とかも。
ベイダー ヴィガロ × ゴディ ウイリアムス
これが新日、全日どちらかで実現したりと。
あの体制が90年だけで終わってしまったのが悔やまれる。 ガラプーNGして見えないようにしてたのに
わざわざコピペしてくる馬鹿がいるとはな ガラプーに喜んでレスするおバカさんが何匹かいるから教えなければならないだろ
スルーしておけばいいものを考えなしに精神異常者にレスしやがってゴミが! かんな、を使ってないと気付かないやつもいるからな
一行ずつしか書けないし、内容も薄いからすぐわかるのに BI砲が解散して今年で50年
三銃士や四天王の時代までは、まだ惰性で見てたけど
BIが退き、会社の資本も変わってからは完全に興味が薄れてきた。
もっぱら今は、昔見たプロレスの答え合わせというか検証というか
ああだこうだ語り合うのが楽しいから、そういう場であって欲しいな。 >>99
坂口は太腿とか下半身が凄いんだが? 上半身も立派だぞ。
大胸筋を強調した身体ではないが、プロレス以前に造った身体を維持していたのはエライよ。
でも、あれは天賦のものだろうな。 訂正
坂口と鶴田のシングルマッチは見てみたかったな 坂口、鶴田、草津の巴戦も見たかった。
素材力抜群と言われた3人のプロとしての
力量を見極められる。 坂口以上のフィジカルを持っているもんなんて
日本プロレス界には存在しないでしょ。
あとは北尾と小川くらいか。
競争で日本一ってのは凄いって事。凄くなきゃ日本一にはなれないって事。
アマレス重量級は除く。 猪木も運動優性の黒人や混血に交じってブラジル少年の部で
ブラジル一になったのならフィジカルとして侮れないものあるだろうね。 坂口は腰悪くて使い物にならなかったろ、腰悪いからプロレスに来たんだろうし。 トップアスリートってのはどこかしらが悪いもんなんですよw 坂口は日プロ入団するとき、契約金代わりに借金全額返却してもらったんだよな
会社勤めしてたのにどんな散在してたんだっていう 東京12chのプロデューサー田中さんも「入団前に阿修羅の地元で何軒もはしごで飲み屋に
連れてかれたけどどの店もちょっと飲んだだけでとんでもない額の払いだった
あとから思うとあれは溜めてたツケの肩代わりさせられたんだな」と言ってた あのね、酒やギャンブルってのもあるかもしらんが
今ほどスポンサード体制とか整っていなかったアマで
自腹持ち出しってのは凄くあったと思うぞ。
アマの不満、アマからプロへの転向理由なんて皆それが理由だった。 >>123
そんな坂口がプロレスラーの中では比較的金銭感覚がしっかりしていた
他の連中ってどんななのかと サラリーマンってたけでも普通の生活がやっとの上に
競技出費があれば借金は増えていくのは当たり前。 坂口は私立の明大卒だし、学費やら柔道の遠征費やらの借金があってもおかしくないだろ 坂口の身体がショボいのは仕方ない。
もっと練習好きで凄い身体なら違っただろうに。
猪木より凄い身体になってはダメ。
ひょっとして坂口にはそういう配慮みたいなのがあったのかな?
猪木より凄い身体だと猪木が霞む。
だから敢えてショボい身体で。
ショボい身体は極端だけど。
パワーファイター枠だから猪木よりパワーあるのは仕方ない。
サイズも猪木より大きいし。
でも必要以上に凄い身体になったら猪木の存在が弱くなる。
坂口ならそういう配慮はあったのかも。
凄い身体で外人の引き立て役やっても逆に説得力ないし。
『猪木より坂口の方が明らかに強い』
『本当は坂口の方が強いだろう』
そういう言葉を叩かれない為の配慮。
自分を犠牲にしてどこまでも猪木を立てる坂口の律儀さ。
坂口ならあり得そうだしね。 坂口は東京五輪の合宿で腰を痛めて入門したけど、力道山や馬場のように
ドロップアウトからプロレス転向した訳じゃなく、直前まで神永と競っていたから
真剣勝負では、BI含め日プロ内で敵なしだったろうね。
71年に会社のゴタゴタがなければ、後のエースは坂口だったと思うが
プロレスのセンス的にはBIの域までいかなかっただろうね >>133
木村や岩釣以下の坂口なんて
ヘーシンクでさえドン・レオ・ジョナサンと柔道ジャケットマッチでも押されて
「彼なら今すぐオリンピックでメダルが獲れる」と脱帽したくらい 猪木の格闘技戦やヘーシンクとジョナサンの柔道マッチは所詮プロレス
いくら鍛えていようが、どんだけプロレスラーが総合で破れたことか、、 >>135
岩釣って岩釣兼生か?
坂口が岩釣以下とか頭イカれてるのかお前は >>133
真剣勝負と言われても
柔道着着てなければアマレス出身者には
勝てないよ。 >>138
坂口入団後の日プロにレスリング出身者は平野しかいなかった
その平野もいつの間にか辞めたし アマレス出身者でも実績(キャリア)によるんだけどね…
確かに 71年柔道日本一の岩釣が、渕とのスパーリングで息があがって
その後のバジリには軽く捻られているから、一概に坂口が実力勝負で強いとは断言できないけど
高田がヒクソンに10分ももたずに捻られてからは
プロレスラーは本気でやれば強いという幻想は見事に崩壊したからな… >>133
>71年に会社のゴタゴタがなければ、後のエースは坂口
ゴタゴタがあって、坂口のエースは早まったとも言えるが、、
ゴタゴタがなければ、73年頃、馬場は誰かにインターを取られ
(NWA王者を降りたドリーあたり)、猪木が獲り返しエースに。
坂口は猪木のパートナーとしてインタータッグ王者。
その時は、日プロは鶴田友美をスカウト。翌74年、専修大の吉田も
入門させるかな?二人はアメリカに長期で武者修行させる。
70年代後半は猪木のエース時代が続き。78年頃、馬場引退。
同時期、鶴田凱旋帰国。将来のエースの路線が引かれる。
坂口は、やはりNO2だと思うよ。 >>140
そらしかし「柔道家はガチに強い」神話も崩壊したといえないか。
小川直也のヒョードルへの惨敗とか。 吉田がホイスに柔道着着用試合で勝った時
古賀が「柔道と総合の競技人口を考えたら、このくらいの
実力差は当然」と吹いてた。
ところが裸で再戦したらホイスに圧倒されまくりだったしな。 山下泰裕が大学のレスリング部に出稽古に行って
レスリングタイツを着て試合をしたらレスリング部員に全然歯が立たなかったってエピソードがある
ルールが違えばそんなもんなんだよ そもそも柔道家はタックルもタックルのさばき方も知らないし。 岩釣兼生がやりたかったのは結局、力道山のだまし撃ちにあった木村政彦の敵討ちで
プロレスのアングルで馬場に勝つことを要求して
呑めないならリング上で真剣勝負に持ち込み馬場を潰すというものだったんだよな。
事もあろうに猪木が小川を使って愛弟子の橋本を潰し、プロレスラーを貶めるとは、、
だいたい猪木も自らの衰えと共にストロングプロレスから逸脱して
TPGや海賊、マシン軍団等のまんが路線に迷走したあたりから
プロレス界がおかしくなっていったし、極めつけは総合格闘技に接近したことだよな
ラジャ戦はあるものの、プロレス一筋に頑張っていた馬場は立派だと思う 馬場の異種格闘技戦は日テレからの要望でゴールデンタイム維持の為の苦肉の策 トム・マギーもラジャ・ライオンもプロレスラーのくくりでいいんじゃないか? >>139
歴史を忠実に振り返れ。
サンダー杉山、マサ斉藤と柔道崩れが簡単に優勝してしまうのが
当時のアマレス界だ。鶴田でも代表になれてしまう。
渕が岩釣に勝てるとかイーブンって事は絶対にありえない。
プロレス入団のためにプロレスの練習をしただけの事でしょ。 >>147
猪木がいなきゃ70年代にプロレスは終わっていたよ。
そう考える者は多い。 >>145
だがアマレスの重鎮太田だって柔道で山下がどうにもならなくて
レスリングに逃避したのだよ。 >>151
まず、俺は猪木も馬場も好きだからね(笑)
おっしゃる通り猪木の存在なくしてプロレス界の繁栄はなかったのは分かるけど
選挙で落選して、現役を引退した辺りからおかしくなったんだよ。
札幌で蝶野が「俺たちはプロレスがやりたいんですよ」と言っていたよね。
だからプロレスを繁栄させたのも猪木だけど、はからずも貶めたのも猪木だと思うよ。 >>150
だがその柔道崩れのアマレスラーは
世界では全く通用しないじゃん。 >>154
そうですよ。柔道日本一ってのは日本一強い有力な者であり
世界一などとは申しておりません。
柔道崩れはそもそも日本一でもありませんってことです。
重量級において、そんなにおかしいこと言ってるとは思いません。 つーかプロレスだけでなくMMAですら猪木のご加護な所はあるだろ?
格闘技は数あれど、青木真也も言っているが 【格闘ビジネス】 を遡れば
みんな猪木にぶち当たるとね。K-1だろうがPRIDEだろうがね。
RIZINも猪木がオープニングだったんだろ? プロレスファンは猪木にプロレスだけの神でいてほしかったが
気まぐれでわがままで奔放な神は、より広く布教に務めましたとさwww >>130
流れをぶった切って申し訳ないが、この時のメインイベントはタイガージェットシン対ストロング小林の新日版アジアヘビー級タイトルマッチで、シンが反則勝ちで王座防衛した試合?
だとすると、日本国内における小林の最後のメインイベントでのシングルマッチだな。 >>140
前柔道オリンピッククラスらがトレの一環かレスリングの合宿に参加したけどおもちゃにされてたよ
裸で組みあえば柔道金メダリストもインカレレベルと同じくらいじゃないかな
だから大学までアマレスやってた渕が裸で岩釣に負けなかったとかまあ順当なだけ >>159
その話に乗って(笑)
小林の事で気になるのは、74年3月猪木に敗れてフロリダをサーキット中に
馬場から全日への誘いがあった筈だけど、何で猪木に敗れた小林を誘ったのかが謎なんだよな
アメリカでのファイトスタイルを直に見て、小林に何かを感じたのかなぁ? >>161
大木も猪木に負けた後に全日に移籍して猪木戦の半分の時間で馬場に負けたから
問題ないんじゃね >>162
なるほど。
俺は本場マットで通用する小林に、全日マットでの使い道を感じたのかと思った >>160
別に俺は競技の優位性を語っているわけではない。
生存競争の原理・摂理を書いているだけです。 >>164
大木金太郎は日本人
キムイルは韓国人
そう思うようにしています 厳密に言えば韓国人だが、プロレス的には日本人でOK 大木は帰化はしてないけど日本統治時代の朝鮮出身だからね >>140
高田延彦なんてバックグラウンドが野球だったっけ?論外だろ\(ˊᗜˋ*)/ 大木金太郎は、プロレス的にも韓国人だな!
日本プロレス時代から「韓国の、韓国の大木!」と
紹介されていて、本人もそう公言していた。
長州や前田のような在日韓国人とも違う。
>>164の文、誰がどこに載せたのか知らんが
無知過ぎる。 正月の記憶に残る試合といえば、やはり日プロ対国際の隅田川決戦であろう
昭和43年(1968年)の1月3日、日本プロレスは東京蔵前国技館で馬場対リソワスキー
https://pbs.twimg.com/media/FIH4BQEakAImMVZ.jpg
かたや国際プロレスは日大講堂でルー・テーズ対グレート草津
https://pbs.twimg.com/media/EvT062eVcAECfmd?format=jpg&name=large 蔵前では猪木が返上したアジアタッグの決定戦もやってたがこの時はドローに >>172
本当に草津は「あと1分待って」なんて言ったのかな?
そうだとすると、草津は結構、余裕あったのか >>172
値段にもよるけど今考えるなら日大講堂で草津テーズ戦を見ておくべきだよね。 >>174
マッチメイカーの東郷は、TBSに言い訳が立つように
アクシデントで草津が負けたように見せる必要があったんだよね。
彼のシナリオは、大木を引き抜いて当面の王者にするはずだったので
草津をテーズに勝たせる訳にはいかなかった。
(大木がエースでは弱い気がするが、国際勢の中では実力・ネームバリューを考えるとベスト)
ところがトルコと松岡によって…(笑) >>175
時間帯が分かれてたので
見ようと思えば日プロ国際両方が見られた 草津の息子はKー1出てたけどプロレスラーになって欲しかった >>176
大木のTBSプロレス移籍を止めたのは東声会の町井久之、大木引き抜きを画策した東郷の制裁に動いたのがユセフトルコと松岡巌鉄 >>176
>アクシデントで草津が負けたように見せる必要が
そのテーズ対草津、見てはいないが,テーズの18番バックドロップで
叩きつけられ、2本目も立ち上がれず試合放棄って、アクシデントではなく
完敗でしょう?
アクシデントというのはリープフロッグをやり損ね、急所が相手の頭が当たり
試合が出来なくなるとか。 普通に考えて、バックドロップで試合放棄なんて有り得んわな。
草津も東郷に立つなといわれたと証言してるし、何かしらのブックだったのだろう。
当初の目論見通りじゃなくなったのだろうが。 あの時の大木はアジアタッグの現役王者でもあったから引き抜かれたら尚更に大事だった 猪木を厚遇で呼び戻したのも国際に行くことを恐れたからだって説があるね
国際と言うかバックにいるTBSは70年代の王者だったからそっちを恐れたんだろうけどね
国際の「あなたがプロモーター」で一位だったスパイロス・アリオンの横取りもあった >>176
>大木がエースでは弱い気がするが、国際勢の中では…
よく華がないとされる大木だが日プロでは吉村と並んで馬場猪木に次ぐ位置だ。
80年代だとして全日なら天龍か原の位置だし、新日なら長州あたりになるわけで。
致命的に華がないわけじゃないのが却って自己評価と齟齬が生じるのかもね。 >>184
そうなのかと思いかけたが 単なるダジャレかよ
馬場 駒 マッハ 金丸 サベージ
他にもいっぱいいると思うが >>180
リープフロッグ失敗による試合放棄でいうと'74年日大のデストロイヤー対マスカラス戦
あの試合もアクシデントとされているが
77年鶴田とのUN戦3本目の場外で脚が椅子に絡まってのリングアウト負けも
マスカラスを格落ちさせないためのブックだったのかなぁ
だとすると'73年蔵前のデスト戦も場外10カウントルールを知らなかったも怪しいねw >>186
確かに、大木は、昭和43〜46年まで馬場、猪木、吉村と並んで
「日本プロレス四天王」、アジアヘビー級、時々同タッグ王者だったが、
BI砲との差は大きかった。45年頃からは坂口が台頭してきたし。
>80年代だとして全日なら天龍
80年代と言っても、80年の天龍と89年とでは大違いだが、
まぁまだ馬場がPWF王者としてブロディ相手に防衛して、鶴田がUN王者、
無冠の天龍だった80年だったら、それくらいかな?
決して87年、否、84年以降UN王者で維新軍を迎い打った天龍でもない。
大木はアジアヘビーの前に極東ヘビー級王者として、43年頃、
台東体育館で、日プロで唯一、シングルのメインに出たが、
全く客が入らず「大木が王者では、商売にならん!」と幹部が呆れたとか。
また大木も韓国での興行に手を出していて、春の本番ワールドリーグを
良く欠場したり。
また吉村は、猪木とのアジアタッグ王者としてドリーファンクJr,キニスキー、
バレンタイン、エリックといった強豪と戦ったが、
↓の46年暮れのタイトルマッチ連戦の調印式にも大木はいない。
https://ameblo.jp/hide4368/entry-12700396321.html
大木のアジアヘビー級王座の挑戦者も、
Dカーセンとか、Bドロモといった2級戦なんだよな。
それもあまりテレビマッチで映らなかったし。 >>188
ちーん で悶絶、試合終了 も相当な格落ちだべよ >>190
しかし、マスカラスのシングル2フォール負け試合も
'78年岩手で行われたデストとのUSリマッチ1試合だけじゃない?
78年サマーアクションS 9月11日岩手県営体育館
USヘビー級選手権
マスカラス(1-2)デストロイヤー
マスカラス(片エビ固め)デスト
デスト(回転エビ固め)マスカラス
デスト(エビ固め)マスカラス
あと、ロビンソンやドリーも完敗試合が少ない印象
(タッグでの"取って取られる"は無しで) >>188
あれはアクシデントとはまったく思えない。
当時中一だったが、あぁこれは演技だわと思ったものだった。
キンタマに当たったとしても当時のガキの認識としてはぴょんぴょん飛ぶ等の
応急処置(?)をするわけだし打ったら横の臥位になって苦しむ筈と思った。
デストがタイツを上げ下ろしして風を送るに至ってはなんじゃそりゃあと。
ただ不思議なものでプロレスはすべて演劇とは考えられなかったから
マスカラスがなんらかの理由で勝負を決するのを避けたのだと思ってた。 >>189
自己レス、
大木が極東ヘビー級の防衛戦を台東体育館で行ったのは、
43年頃ではなく、41年12月16日だった。
つまり猪木の東京プロレスが旗揚げ第2弾シリーズをやっていた時。
日プロは、猪木に対抗して、それまで日本と韓国を行き来していた
大木を日本側に引き寄せ、極東王者として、馬場との2枚看板を
考えていたんだろうが、その台東体育館で、その目論見が外れた。 >>194
プロレスの歌の初披露は
馬場エリックの武道館大会らしいからそのあたりの時期かと >>189
アジアヘビーはあの時点で完全に大木専用の名誉王座だったな 日本で行われた大木のアジアヘビー級防衛戦で
最強の挑戦者はクラッシャー・リソワスキーだろうな
(昭和44年8月14日、広島=引き分け防衛)
これもノーテレビだったと思う。でメインが
猪木&吉村対ブルーザー&Mミラノのアジアタッグ戦。 ブルーザーの唯一のアジアタッグ挑戦試合か
こうしたハンデな運用も出来るのがアジアタッグの利便性
この年の末には同じ広島でドリー&レイスが挑戦してたんだな アジアヘビーは、インターが入って2番手、UNが入って3番手に成り下がった
ベルトも大木のイメージしかなく、ビル・ドロモ戦の記憶が微かにある。 >>198
同シリーズ、C・リソワスキーはアート・マハリックと組んで
アジアタッグ決定戦に出ている(VS猪木&吉村,昭和44年8月9日、名古屋)
それまで、猪木&大木組だったのだが、大木がアジアヘビーに専念するため返上。
大木は、猪木の方が目立つので嫌になったのでは?
過去の2度の防衛戦、猪木が決勝フォールを奪っている。
リソワスキーにしても、最初で最後のアジアタッグ戦だろう。
レイスは、ハンデと呼ぶには、あまりにも強力で、吉村にとっては強敵だった。
その前年(43年)の春には、ブルーザーとのコンビでBI砲のインタータッグに
挑戦しているほど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています