【金返せ!】国際プロレスpart29【桑野見てるか桑野】
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メインレフェリーが芳の里だからあの程度で済んだ
あれが樋口だったら大変だったろうな・・ 木村が最初の猪木戦で反則ながら勝ち星を得たのは殊勲というか、
猪木独特のアングル設定の妙だな。 >>6
乱入や謎判定で勝っておきながら
「俺のせいじゃないしレフェリーが勝ちって言ってるんだから」的な
いかにも慇懃な態度をとってみせることで
勝ちは譲らない一方で
逆に「木村は実力負けしたわけじゃない」と印象付ける馬場
終始圧倒しながら最後は泣きそうな感じになってる木村を
まるでいじめっ子のリンチのような攻撃からの暴走反則で
勝ちは譲るが「木村との実力の差は明白」と示してみせる猪木
二人とも自分のキャラを実によーくわかってるw 「猪木いいぞ!折っちまえ…」みたいな新日ファンが怒らない
猪木の負けアングルだけどね。
どうも田コロの「こんばんは」から、新日ファンにも猪木にも見下されている >>9
残念ながら木村に対しては馬場も全日ファンも見下してた 馬場との対戦は全日国際提携時代で、猪木との対戦は国際が潰れた後の話。
馬場は木村を傷つける勝ち方は許されてなく、逆に猪木は次シリーズも木村を使わなければいけない。 まあ新日〜国際提携時代も奪回はしたもののヤマハに完敗、外人のインターフェアがあったが
小林&永源にも王座を取られ、その間のあの浜口転倒失神で薄氷の防衛となったキム健&永源戦、
あと阿修羅も藤波にはキャリアの差をまざまざと見せつけられスランプに。
こうした実力差をはっきりと浮き彫りにしていた時代があったうえでの、崩壊後の(元)エースの
ラッシャーと猪木とのトップ対戦となった訳だが、緊張漂う中にあってはならない失笑を買ってしまった「こんばんは」事件も手伝い
猪木がいかに木村を料理するかという、多数の新日ファンによる生贄ショーへの期待をまんまと覆す反則負けアングルだったわけだ。
こういう所の猪木のファンの目を欺く術と言うのは天才的なものもあるな。。 杉山はあの体型なのに身体能力は国際の選手の中でもズバ抜けてた
杉山の身長が20センチ高くて男前で腹を絞ってコミカルさを無くしたら元オリンピアの国際プロレス不動のエースになってたかもな >>11
馬場としても名誉と言えない勝ち方だからな
どうせなら前年に大木から取ったアジアヘビーを賭けて結果が不本意なので返上するとかやってたら良かった https://pbs.twimg.com/media/EoyazOJUYAAhaNq.jpg
吉原「木村草津組がインタタッグを取ったら挑戦者はファンクスを…」
ファンクスにも勝つつもりでいたのか厚かましい >>15
大木の言ってる梁承揮はその後、力抜山からマシン2号になったな。ブリみたいに名前が変わった。 >>16
あのノータッチトペだけでプロレスラーであった甲斐があったよな、力抜山は >>15
言い方だろうが「ザファンクスあたりが妥当」と言ったり、胸を貸すと言ったり、吉原は紳士的なイメージとは裏腹に強気な上から目線発言多いよな。
こんな感じだから、マッチメイクで余計意地悪されたんじゃないのかね。 >>18
猪木、坂口の”新・日本プロレス”について「ウチを見習いなさい、の一言ですね」 今日は2・4
実は原とジョーの国際対決もやってたんだな 小林の国際離脱に関しては、草津の横暴ぶりばかりが
クローズアップされているが、小林の方にも問題があった。
団体行動をせず自分の車で一人会場入り、後輩の面倒はみない、
タニマチの接待とかも嫌がるとかでは、体育会系の集団の
リーダーとしては失格だろう。
何よりガチの喧嘩になれば、小林は草津にかなわないから
草津の横暴にも黙って耐えるしかなかった。 草津はマッチメイカーだったんだから、小林離脱時とか一度くらいは「俺がエースで客呼んでやる」
とか思わなかったのかな?タッグ王者やりながら、毎晩飲んだくれている方が楽だから思わないか。 小林だけが自家用車で巡業してたわけじゃなく、杉山も自家用車で巡業してた
草津も自家用車で巡業していた時もあった
草津の場合は飲んだくれて集合時間に間に合わないので単独行動をしていた >>24
それぞれ単独行動の理由も違うけどな。
小林は草津と一緒にいるのが嫌だった。
杉山は本業を片付けながら会場に駆けつけてた。
草津は飲み歩きながらも席を一緒にした人達にチケットを捌いていた。
吉原社長が草津を寵愛したのはこういうところもあったんだろうな。 国際と全日の対抗戦を見ると、剛は鶴見より格上扱い、大仁田にも勝っている
これが後のインディー時代の勘違いに繋がっていくんだな >>26
それは違うだろ
藤波にフォール勝ちしてWWF Jr.ヘビー級王者になったのが全ての勘違いの原点だよ >>27
そうそう、それでいつまで経っても「今は少し燻ってるけど本来は藤波のライバルたる男なんだ」という思い込みが抜けなかったんだよな。 星野山本がIWAタッグを取る屈辱を与えながら、
国際から出た剛には藤波に勝たせる厚遇。 >>21
誰の証言だったっけな。小林以外の付き人持ちは、普段から飯を食いに連れていったり、シリーズが終わると小遣いを渡したりしていたが、小林はそういうのを一切しなかった。証言をしたレスラーが小林の付き人を連れて小林の元へ行き「小林さん、こいつにお小遣いごっちゃんしてやってもらえませんか?」と頼んだら、凄く嫌そうな顔をしながら握って丸め潰した一万円札を付き人の足下へ落とした、というエピソードを聞いたことがある。 付き人つけといて小遣いあげんのはいかんな。自分の事は殆ど自分でしてたのかもしれんが、鞄持ちくらいはさせてたろうし、タダで人を拘束しようとするのはいくら昭和でも都合良すぎ。 >>23
「エースとしてもう少し人を引っ張っていく性格だったら・・・」と意見もあった。
>>27>>28
ジュニア戦線を盛り上げるために藤波の日本人のライバルを急造する必要があったらしい。 >>26
当時の大仁田は海外修行前の前座要員だが剛は海外修行から帰ってきて中堅扱いで鶴見より上なのは期待値の高さ故だから妥当な扱いだと思う。 >>32
>エースとしてもう少し人を引っ張っていく性格だったら・
草津は、そういう態度でラグビーもやっていたのかな?
レスリングとか柔道、相撲からの転向者が多いプロレスで
団体競技出身者のリーダーシップ、チームワーク精神こそ必要だと思うがね。 >>33
ガチの喧嘩でマッチメイカーを決める国際プロレス(棒) >>30
大位山が「一度だけ小林さんから一万円もらったことがある」というのがそれか
俺の読んだ話だと足元へ札を落としたのじゃなくストロングなパワーで一万円札を
限界まで細かく折りたたんで小さいサイコロみたいなサイズにして渡したというバージョンだった 頭が柔らかかった井上が小林在籍のS48年頃からマッチメイカーをやったら、どうなっていたか?
エース小林、タッグ木村&草津を崩したかな? >>38
少なくとも「IWAシングル王座の挑戦者に、マッチメイカー自身が先に勝っちゃう」なんてことはしないだろ。 >>39
ここでよくツッコミはいるけどリアリティはある
ガチだと自分に負けた相手が自分に勝ったやつに勝つとかぜんぜんあり得るからね なんでプロレスの話に、ガチが出てくるんだろ?草津はガチだから勝っていたわけじゃないだろ? ???当時のプロレスって、誰もがガチに見せようとしていたんじゃないのか?
ブックに見せようと思っていたレスラーなんているの? 草津の言い分からすると
「小林にはIWA世界王者、木村にはIWAワールド
シリーズの優勝を与えてる。
俺はシングル無冠で我慢してるんだから、せめて
ノンタイトルでマクダニエルやバションや
ローデスやマリガンに勝たせるくらいいいだろ」 >>44
それだとタイトルやリーグ戦の価値が無いんだがな 72年から74年にかけての草津は本当に強かった
ロビンソン △△△△
ブルーザー △
バスチェン ○△
ヘニング ○
バション ○○
コロフ △
ローデス ○
マードック ●
井上 ■○
マリガン ○
マクダニエル●○
ワット △
間違いなく日本最強クラス。 この時期、IWA世界王座の挑戦者に対して
5勝2敗7分けと、大幅な勝ち越しw タッグ王者を降りてからの草津は、急にジョバーの仕事を自ら進んでやるようになったよな。
金網タッグマッチでスミルノフにノックアウトされたり、ストンパーのスリーパーで失神負けしたり。
それまでの自分がやってきた行為に対する、罪滅ぼしのつもりだったんだろうか? そのくせ未完の大器の日本人選手の踏み台には決してならない薄っぺらいプライドの持ち主 タッグ王座陥落した試合も、フォール取られたのは2本とも浜口で自分は傷つかなかったよな。 飲み過ぎで二日酔いだから
早く帰って寝たかったんじゃねえの? >>46
同時期の小林姐さんの戦績ってどんなのか判ります? >>52
小林さん
ロビンソン △△△△△
バスチェン ○○○●
クラッシャー○
ヘニング ○△○
ホフマン ○
バション ○○○
コロフ △○○
カーペンティア△○
ローデス ○●○△
マードック △●○○
木村 ○○
ガニア □●
ラーズ ○○■
寺西 ●
マクダニエル●△○○
ワット △●□○△ 73年後半から負けが込むようになったが、
草津がマッチメイクし始めた時期? 草津は190cm以上の高身長で木村や井上よりも見かけの体格及び顔はまずまず良い方
だから本当はエースキャラなんだけどね。 ろくに練習しなくても無難にこなせたのが良くなかったのかな?
それがプロレスの本質を理解できず、最後まで舐めていたというか…
そんな状態でマッチメーカーなんかやらせるから吉原の責任は大きい
素材がいいだけにもったいなかった。 >>57
鶴田も近いが権力自体には最後まで近づかなかったからな
あるいはクツワダ事件の時くらいで 小林って今も存命で80だっけか。>>21で言う感じだと他人と距離を置いてなるべく人間関係で
ストレスは持たない性格みたいだし、あと酒浸りみたいな話も聞かないし体調管理もわりと自覚できる人なのかな。
そういう所はわりと女性っぽいかもな。。w 存命は存命だが、めっきり老け込み歯は抜けて
外見は貧困老人そのもの。
子どもとかいないはずだし、新日本では役員まで務めて
相当の給与を貰っていたようだし
プロレス引退後も役者として活躍していたから
ある程度の金は残していると思うけどなぁ。 >>56
確かに身長はあったが、
胸は薄く、肩幅もないし腕も細い。
鍛えていないのがハッキリ分かった。
まぁ、エースの体格ではなかった。 まあでもカウンターの飛び付きコブラツイストなんかを見ると運動神経いいなあって思うわ。
あれ簡単そうに見えるけど結構難しいよ。 ジャンボ鶴田の下位互換。
権力を持ったロッキー羽田という気がする。 草津もだが原にしても、ラグビーのキャリアもあって浅いキャリアながら即戦力でエース候補として期待され
それである程度の地位まで就けたのは評価できると思う。もちろん周囲の「お膳立て」はあったにしろ。
並の人間だと入門するのもやっと。そこからライバルとしのぎを削り、勝ち抜いて上位クラスに進める選手って
ほんの一握りなんだしな。 https://pbs.twimg.com/media/EcGHF20UcAAYQz0.jpg
ケンゾースズキの実績は二人に及ばなかったのか
あるいは超えたといっていいのか?一応WWEタッグ王者だし >>64
そこはドロップキックが出来る坂口とかにしないと。 >>67
草津にできて坂口にできない技はジャーマンもそうだし
他にもあるから。 >>66
海外では超えたかもね。日本では足元にも及ばないだろ。 >>66
鈴木浩子はいい女だよな。市議会議員やって今は県議会議員だっけ? 草津はエプロンからトップロープ越えのジャンピングキック、コーナーポストを
背にして相手のタックルをジャンプ一番交わして前方回転のローリングクラッチ
ホールドとか坂口よりは技は多彩なんだけど雑な試合運びは坂口といい勝負だな。 >>66
ラグビーの実績なら
原>草津>鈴木>謙吾か? 小林は元々草津に付いていたことがあるんだな。
まぁ、小林が入団した時は、草津は一応メインイベンターだったし。
小林が草津に頭が上がらないのは、こういう経緯もある。 >>30
高田と新倉がTVで
「オカマの先輩レスラーがいて、その人はお小遣いはよくくれた」と言っていたが
新日移籍後は変化したのかね
その人はバックランドとの試合後に恍惚の表情で「オレいっちゃう・・・」と言ってて
必死に笑いを堪えたそうだ >>74
映画の世界では先にスターになった人が格上扱いという暗黙の了解があるらしく
小林旭が仁義なき戦いに出た時は当時まだ東映にいた健さんが撮影所に自分の車を止める場所をかしてあげたとか。小林からしたら入団時の立ち位置は最後まで
変わらなかった以上は離脱もやむを得ない選択だったのだろう。 >>70
WWEディーバ起用は語学力と容姿を見込まれたWWEスタッフからの要請だった。
着物が一気に脱げて水着披露とか活躍していた。裏ではWWEスーパースターズが
しているストイックな食生活をケンゾーがするために工夫して料理を作ったりしていた。
この辺り件はTVの激レアさんでも語っていた。
ケンゾー登場のPVに昭和天皇映像が使われてさすが日本国大使館からクレームがつき
キャラ変更となった。ヒロ子夫人はわかりやすい英語を話してアピールしていた。 阿修羅原でも、最初から特別扱いだったけど
序列としては一番下で、冬木の言うことなんかでも
聞かなきゃいけなかったと嘆いていたな。
大位山でも相撲では幕内までいったのに
国際では小林の付け人をさせられていたからな。
一日でも入門が早い方が、実力・人気に関係なく先輩として
立てていかなければならない。
そういう意味では、団体の立ち上げメンバーだった草津が
いかに横暴でも、誰も何も言えなかったのはしょうがないところもある。 >>79
それは落語家の世界でも同じ
俺はこぶ平の下になりたくなかったから 縁続きの古今亭志ん朝師匠への弟子入りを諦め落語家への道を断念した >>82
冬木、菅原は阿修羅より後の入門。高杉が52年5月入門だから、高杉と勘違いしてるんじゃないかな、 >>75
個人の性嗜好を否定するつもりはないが、それとは別に仕事場でスケベな事ばっかしたり考えたりするのは社会人として大いに問題あるよな。
小林のそれ系のエピソードがすべて事実ならね。 晩年の国際って入門取ってたのかな? 冬木で最後くらいか。
なんか遠藤レフェリーの伝手でビルダー数人が入門したとかいう記事は見たことあるが。 >>86
56年の春に、金城正勝、篠原実、高橋貢、秋吉豊幸の4人が入門。前の3人は金子武雄の紹介だったが、あっという間にいなくなった。秋吉は前年にテストを受けての入門で、56年のビッグチャレンジシリーズの後楽園で外人の誘導やってる様子が映像で見られる。 >>87
秋吉は最後のシリーズで思い出デビューしてたんだよな
この人もまた証言を聞いて見たい一人 >>88
パイオニアとかFMWあたりは探し出して
声かけなかったのかな?珍や米村あたりも
5年以上ブランクがありながら
現役に戻って来たんだから、本人にその気が
あればまたリングに上がれたろうに。
身長も185cmあったからあの頃だったら
決して小さくはない。 >>28
UWFを離脱して全日本に参戦した時に
「俺が全日本に革命を起こす」くらいのデカいことを真顔で言っていたらしいね
その自信過剰なところは藤波に勝ってチャンピオンになったからだろうな
革命どころか前座でジョバーやらされて解雇だからな
プロレス馬鹿でプチブレイクしたのが唯一の救いかな >>90
ドームで喝采を浴びれたんだから十分満足だろう >>89
手間を掛けて、探し出すほどの逸材とは思われなかったんだろ?
秋吉本人が、プロレスを見ていて、やる気があれば、FMWなり
パイオニアに再入門しただろう。 >>89
珍、米村と違ってデビューしただけでその後10年近く経ってるんだから
即戦力として使えるわけないし、探し出したところで本人も戻るわけないだろう。 >>87
結局、原のような元の職場退職する事情あるうえ
いくら一番下からとはいえそこはスター候補として入団した選手はともかく
金子ジムつながりの選手は皆、恐らく社会人経験もあったろうから
新弟子だから当面給料が無いだけなのか
会社自体に金が廻ってないのかは一ヶ月もいたらだいたいわかるだろうからね
そもそもボディビルで作った立派な身体維持すること自体にだって
普通はそれなりに金も時間も手間も掛かるわけで
社会人ビルダーやってりゃそういう苦労も知ってるだろうしね
むしろ冬木はともかく菅原や高杉あたりはよく最期までいたなと思う >>88
「いい思い出になるから・・・」と木村の温情でデビューしたと言う話もあるから本当は
まだデビューが早かったのかもね。 秋吉、井上についてたなら全日本に上がれたかもしれんね 国際がヨーロッパ流のラウンド制マッチを実行したと言われている。どんな感じの試合だったのかは知らない
けれど、例えばロビンソンがイギリスで行っていた試合https://www.youtube.com/watch?v=rYNELOrCUGk
のような感じだったら、後々のUWFにも通じる試合だったと思う。田中忠治や寺西さんはこのような感じで試合を
していたのだろうか? ラウンド制マッチは、日プロも力道山が初期のワールドリーグで
やっていたとのこと。 ラウンド制マッチは、日プロも力道山が初期のワールドリーグで
やっていたとのこと。 >>96
秋吉の試合を見た経験のある人って
当時でも合計5000人もいないんだろうな。
今現在ではどのくらいいるのか?
国際側の関係者でも10人いるかいないかって
とこだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています