【ホテルニュー塩原】国際プロレスpart27【清酒力士】
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>>202
木村健悟が嫌われ者というのは知らない。むしろ人が良いという逆の印象
草津や大剛鉄之助の性格の悪さは最近も鶴見五郎が暴露してて面白かった
グラン浜田はせこい嫌われエピソード多数だがメキシコみたいな土地にに長くいればああなるんじゃないかな
ムチャクチャ嫌われまくったとか人望ゼロとか剛竜馬に比肩する性格の悪さではないと思う
長く現役をできたというのはそれなりの物はあったはず >>5
> グラン浜田はせこい嫌われエピソード多数だがメキシコみたいな土地にに長くいればああなるんじゃないかな
一緒に行った橋本小助にも嫌がらせして喧嘩になった(勝ったのは小助)そうだから
メキシコ長期滞在は関係なく元々の性格。 よりによってメキシコでエル・サントをシメようとして
慌てた佐山に止められたw
本気を出せば強いのに、キレたら自分を制御できなかったから
あの位置で終わった印象のレスラー 健吾は議員になって五反田のお祭りに来てたよ
優しそうな雰囲気だったな
メキシコ時代の悪い話が信じられない
若い頃だからヤンチャしちゃったのかな 松岡巌鉄:全日離脱後、消息を知るものが一人もいない。生死も不明。
剛竜馬:亡くなる前に電話の発信履歴が残っていたが一人も電話に出てくれなかった。
末路からするとこの2人が嫌われ者の2トップ
ジョー・ダイゴーはブッカーとして国際、新日で長く仕事をした
草津はプロレス界から離れた後に一般企業に就職したから
まだマシに見える 健吾の稲妻レッグラリアートはガチ
猪木に「あんな危険な技を使うなよ」と言わしめた >>12
松岡は気性が荒く喧嘩っ早い。新人や後輩へのシゴキは尋常ではなかった。しかし嫌われていたかどうかは不明。 剛はWWF Jr.ヘビー級チャンピオンになった実績があるにも関わらず、24歳で新日に正式入団後は前座レスラーにされてしまった
国際軍団参戦、正規軍VS維新軍との抗争も完全に蚊帳の外だった
まだ20代なのにこの扱いは酷いね アポロ菅原「普段カップラーメン一個か二個しか食べないのにアレだけイスで叩かれて
ジプシージョーこの一流のプロレスラーですよ」
国際はギャラが安かったんかな、それとも奥さんの仕送りを少しでも多くしようと 上田馬之助と松岡巌鉄はシャチ横内の処遇で揉めたんだっけ >>19
ジョーはレギュラーで長期参戦したいからギャラを
下げてくれって頼んだんだよね ジョーはサムライTVで放送したプロレススーパースター列伝って番組で
友人の庭の土地借りてトレーラーハウスに住んでた
その頃は何人目か解んないけど奥さんも居たな ジョーって あれだけ頑丈だった身体でも 晩年は痛風から脚を切断したんだっけ
痛風持ちの俺には辛い話しだよ >>19
アンドレが国際に出場してくれた時に
井上「うちじゃお前のギャラは払えないぞ」
アンドレ「ギャラはいくらだって良いんだ」
というやり取りがあったって話だからやっぱり全日新日より
安かったんだと思う なまじ実力主義だったから威張る先輩は多かったろうしシゴキもエスカレートして
嫌な奴は歯止めが効かず、どんどん嫌われたんだろうな
くらべるとジャパン勢が加入するまでの新日なんて牧歌的な方だよ >>26
>ジャパン勢が加入するまでの新日
全日の事か? >>28
剛は藤波とのタイトル戦以外では全く印象に
残る試合が無いというのがイタい。
メジャー団体に限れば。
原戦でも全日本での軍団抗争でも自分だけが
目立ちたい試合ばかりやっている。
アレではプロとしても人間としても周囲に
受け入れられないだろう。 >>28
どうして?
藤波ベルトを忘れて来たのか? >>5
大剛に関してはGスピでデビル紫は「先輩として尊敬できる物は無い。世話する人がいない
からやっただけど・・・」とコメント。看病しているのに足の切断で荒れる大剛に八つ当たり
までされる始末。晩年に同じカルガリーに住むモローは「どこに住んでるか知らない
・・・」とそっけ無かった。この辺の自分への悪評が読んだのかGスピでに追加に取材が
拒否された。新日で功績のある大剛が国プロ内で評判が悪かったのを初めて知った。 新日選手はテレ朝との契約で他局に出れないと言われていたけど、藤波vs原は12chで放映されたんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=EPY2CG5a8E4 >>32
日テレの鶴田同様にダイジェスト扱いだからじゃない? アジアタッグのヤマハや健吾、永源辺りはダイジェスト扱いじゃなく放送されてるな >>33>>34
TV局と契約しているのは一部の選手のみ新日なら猪木、坂口、藤波、のちに佐山タイガーまで
までじゃないのかな?全日は馬場、鶴田、デストロイヤー、のちに覚醒後の天龍?まで
じゃないのかな?TV局契約の選手が他局に出られるのはスポーツニュース扱いの3分間と
言われオールスター戦はニュース扱いで放映した。
井上vs.鶴田戦は12chで放映するには時間が全く足りないので控室から国プロ実況陣と
選手が録画映像をリアルタイムでモニターを見ている風として時間を水増した。
12chは日テレやテレ朝のように予算が無くて専属契約なんてできなかった・・・
新日とテレ朝ははUWFが旗揚げする寸前にレスラーからレフェリーまで専属契約を
して流失を防いだ。
ただ藤波戦は3分以上みたいね?ダイジェストだからか?契約前?特例だった
のかな? >>35
上田が国際に出る際に「日テレとの契約が●月●日で切れるから、その後に・・・」だった。
そうすると、日プロ時代からテレビ局側が多くの選手と契約をしていたのでは?
でも不思議な契約で、日テレがジャイアンツ選手に「日テレ以外には出れない」なんて契約しないはずだが、
プロレスラーにはそういう契約をしたのか? >>37
プロレス界は局との専属契約だけど、日プロ、国際、全日、新日の上に
統一コミッショナーが存在すれば、局と違った契約ができたかも…? 日本プロレスのバカどもが「馬場は日本テレビには出さない」と言う約束を破って
NETに出したんで「こいつらは常識が無いから契約で縛らないと通用しない」と痛感して
主要な選手は契約で縛るようになったんじゃね
長州も契約破りで新日復帰したがしばらくワープロに出れなかったからね 海外の試合でさえテレ東「世界のプロレス」で放送するのにレイスが馬場に電話で許可得てもらった位だからなw 日テレは日プロ及び選手とは独占契約は結んでおらず、NET参入時の馬場と坂口は出さないワールドリーグ公式戦は流さないという口約束のみだった。
これらの約束は全て反故にされて結果は皆知ってるとおり。
上田は日プロ崩壊後百田家預かりで全日参戦だったが、その際日テレと契約を結び日テレ配下の選手となった。
そういうわけで上田がテレビ局から見て重要だから専属契約を結んだ訳ではなく、単なる都合だった。
国際参戦時の上田の行動は悪役らしからぬ律儀さと称賛する者もいるが、契約を守るのは当然であり、海外に活路を見いだす羽目になったのは不義理を全方向に働いたためともいわれてるので、正直誉めるような事ではない。 >>39
新日復帰した長州がイリミネーションマッチ出て、最初のCMが開けるともう失格してたとかあったよな。 >>34
アジアタッグじゃなくIWA世界タッグ
ヤマハも小林・永源も王者期に新日本でテレビマッチをしてるんだよな >>42
星野が首が痛いと引っ込み、マードックが出てきて、CM中に長州と両リン。
画面が戻って来た時には揉めていたw
でも日本語が分からないマードックが上手くやったもんだ。 >>40
夕方のTBSだかのニュースで銀座の焼き鳥が映ったら、ご機嫌のマードックが映ったが、あれはいいのか? 次回の新日後楽園でのオカダ戦が投票で1vs3のハンディキャップマッチに決まったけど
投票した人達はやっぱり猪木vs国際軍団の試合の影響も受けているのかね >>46
当時のファンがオカダごときにあの頃の影響を受けるわけ無い
オカダでは猪木や国際軍等の足元にも及ばんくらい役者が足らんわ >>47
オカダのほうが猪木国際より上なんだ役不足w >>45
プロレスの試合に関してだけはず・・・でも基本的には定住したデストロイヤー以外は
外人レスラーはTV局契約をしていないないはず。かって新日が引き抜きに執念を燃やした
マスカラスのMSGでの試合を新日勢のNY遠征ついでに収録してワープロ内で流したら馬場
が"紳士協定違反"と激怒した。トラブルにはならなかったから法的には無問題だったからかな?
新日は逆に猪木のMSG出場映像をWWFがTBSに売って放映されている。契約が有効なのは
国内だけなんだろうね。
>>40
試合直前に指摘されるまでテレ東スタッフどころか東スポ・門馬氏まで"許可の件"を
気づかず青くなったスタッフに門馬氏が思いつき「レイスに相談してみれば・・・」
と言ったのが発端だった。法的には問題無いはずだけど一応、筋を通したのと「世界
のプロレス」が全日外人レスラーズの宣伝にもなっていたからかな?
でも馬場に直電して日本のTV局の窮地を救うなんてさすがレイス親分! TBS刑事ドラマのトミーとマツにウルトラセブンの試合映像が流れたけど
これ当然ギャラ発生案件だったよね?
何でウルトラセブン?と思ったけどウルトラセブンを放送したのがTBSなんだから当然と言えば当然かw
或いは無断使用したウルトラセブンの代償として無償で映像使用したのかもなw >>14
松岡はイジメや讒言が多かったから実際人望はなかったらしい
カブキの本によると特に大熊元司との関係が最悪だったとか
あと松岡は記者にも横柄かつ意地悪で嫌われていたというのは昔からよく言われてた
しかし上田馬之助と関係が深い人は松岡といいシャチ横内といい癖の強すぎる人が多いな 上田が強いからかな。灰汁の強いやつとも上手くやれるのは
腕っぷしが強いか、今で言うコミュニケーション能力が優秀かどちらかだと思う >>52
上田選手と江本氏のトーク動画を観ると上田選手の語り口調が常識人なんやなぁ、と観る度思う >>5
木村健吾に関しては人間性そのものが酷いというよりは
例えばメジャー団体とマイナー団体とか
レスラーとしてのキャリアとか団体内での格とかタイトル歴とか
そういうものに良くも悪くも従順で
そういう基準での上下関係をそのまま人間関係に持ち込む人ってことじゃないかな
旧き日本の体育会系の価値観というか
で、そういう際の態度への表し方が少々露骨過ぎるという >>54
だったら威圧的になったりして、武藤が「木村さんの付き人は楽でよかった」とはならないだろ。 >>51
外人レスラーがレスラーとしての評価も上田の方が上だったとコメントしていた。 松岡厳鉄。結局トップ中堅レスラーとしては
72年9月〜73年4月までしか活躍してない。
後輩に意地悪してきた報いかな。 実質中堅レスラーなんだけど、アジアタッグを
奪取してしまっているし、ダニーホッジにも挑戦してるから、中堅とトップの中間のポジションと
言わざるを得ないのでな 松岡は新人いびりするタイプにありがちな上にはヘコヘコするタイプではなく
上にもかみつく全方位攻撃的サイコパス
そのため上からも嫌われ仕事がなくなった >>61
そんな男を芳の里はよくプッシュしたもんだ。
理由を聞きたいくらい。 >>5
> 大剛鉄之助の性格の悪さ
大剛トレーニング受けた若手には慕われてるのにねえ デビル雅美は全日本女子時代の後輩には蛇蝎のように嫌われ
ジャパン女子時代の後輩には母親のように慕われてるそうだから
年齢的なものもあるのかもな >>61
松岡のこと語れる記者は存命だと門馬さんくらい?菊池孝さんの話は聞いてみたかったな。 >>67
猪木も坂口も藤波も小鹿もカブキも戸口も語れる
おっと、徳さんもだ なぜか性格悪いレスラー話から日本プロレススレになってるので別話
米村天心さん、いつまで店と会津でのスポット参戦していたか分かる?
武藤全日時代まではスポット参戦していた記憶ある 全日は、87.12.10全日の最強タッグ内バトルロイヤルまで。
ソースは、「実録国際プロレス」
最後の試合は、96.9.27冴夢来プロジェクトの会津大会。
引退試合、式はやってない。 http://geta88kitty.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2017/02/06/hayashi_012.jpg
本当は井上と一緒に全日に行く筈が「やぐら太鼓」の料理人がドタキャンして
天心が店に残ったんだよね。
全日の会津大会のみスポット参戦してたけど…
あとは上の人が書いてる通り >>68
藤波は松岡を語れないだろ(同時期、同じ団体にいなかった)
1962年、松岡、日プロ入門、
1969年、松岡、渡米
1970年、藤波、日プロ入門
1971年暮れ、藤波、日プロを脱退、新日に参加。
1972年、秋、松岡、帰国。
1973年、春、松岡、日プロ崩壊後、全日に移籍するも3か月で脱退。
以降も藤波とは接触はなかったのでは? 馬場が不参加だが
馬場が居たら映っていそうな真ん中の位置にしっかりいる林にワロタw >>68
むしろ木村健吾が松岡を語れる。
1972年秋〜73年春まで日プロで一緒。 >>55
だからそういうのは体育会にありがちな“身内であって”可愛い後輩なんだよ >>63
ぶっちゃけ人材がいなかったからだろう
末期の日プロのタイトルホルダーは酷い
あのメンツじゃ客が来なくなってNETに見捨てられたのも当然だ >>76
本当にかわいがって相撲的な「可愛がり」をしないだけいい先輩だよw
まあキムケンも厳しそうな坂口についてた時はともかく、ストロング姐さんについてた時は
スーダラ付け人だったらしいから >>77
それでも上田や高千穂、小鹿にはプロとしての
見どころはあったわけだが、松岡厳鉄には
何があったのだろう。
日本でも田吾作スタイルで試合してたが、それに
どんな意味があったやら。 >>80
小柄で地味で田吾作スタイルで決め技がストマッククローという説得力の無さw
現代なら逆にネタになりそうなくらい売り物が何もない… >>80
試合前のパフォーマンスでリンゴを握りつぶしてたことぐらいかなぁ。
そこだけ見ればダニー・ホッジ並みだけど。 さしづめ「松岡=性格の悪いYOSHI-HASHI」という認識でOK? >>14
北沢幹之はインタビューで
「松岡は下の弱い人間は誰でもいじめる」
と語っていた
そんな人間がどう考えても嫌われてないとは思えない >>80
シュートはとても強かったと北沢幹之は証言してる
でもそれで客が呼べるわけじゃないしねえ 松岡はゲタ攻撃をやってたけど、それが何とも時代遅れでダサく見えた記憶がある。
後高千穂は松岡のこと「身体が固くてグラウンドになると弱い」と言ってた。
でも松岡は草津のことは大嫌いで、徹底的に
ラッパかましてたそうだ。 レスリング技術ではどう足掻いても敵わない杉山に顔面パンチで対抗したカブキ >>88
松岡って、やはり韓国系なの?
顔は、典型的なそっち系だが。 高千穂によると「松岡は在日コリアンだったが
同じ在日の星野からも嫌われていた」そうだ。 林いいな
「酒席のメインイベンターはこのオレだ!!」という
プライドを感じるよな
素晴らしいよ https://tommys.at.webry.info/200803/article_15.html
松岡厳鉄の全日本への遺恨から
上田馬之助の国際→新日本参戦までの
裏話を語っているブログ
やっばり猪木は上田に「IWA王座の王座を持ったまま」新日参戦しろとけしかけてたようだね >>92
まあでもその頃の猪木にすれば
日本にいた頃の地味でそれでいてセメントだけは強い分厄介な上田の姿が
どうしても印象に残っているだろうから
いくら国際のリング上で髪を金髪まだらにして
悪の流血ファイトで木村を圧倒したといっても
そもそもマイナーな存在だった国際マットでの様子を知ってる
(更に贅沢いうと日プロ時代の実力者上田の姿と一連の因縁を知ってる)ファン自体が
どれだけいて話題に貢献するのかって考えると
ベルトそのものを持って来る価値はもちろんだけど
暗黙の了解破ってでもこちらに来るだけの覚悟があるのか?
〜同時に暗黙の了解破ってでも今回こそこちらに従う覚悟もあるかの
踏み絵みたいなもんだったんじゃないかな?
猪木からすれば上田はあくまで「裏切った」側であって
その後の上田の境遇に関して猪木が恨み買う謂れは無いわけで
むしろ今度こそ上田の「本気」を試す意味もあったのでは<ベルト持って来いって件
そう考えれば全日マットで冷遇することで
たとえそれが逆恨みであっても恨みを買った覚えが恐らくあったであろう馬場が
この時の上田の挑戦に対してひたすら黙殺を貫いたのもまた理解できる >>71>>72
全日・会津大会が開催される時は出場に向けてトレーニングをしチケットも懸命に売った
が「ある時期から来なくなった・・・」と残念そうだった。
ただTV中継が入りハンセンvs.馬場のPWFのリターンマッチが組まれている。放送が
かなり時間が空いて最強タッグの開幕寸前まで寝かせたので待ちくたびれた記憶があった。 ミスター林とチン・リーの義兄弟タッグが見たかった。 >>92
>暗黙の了解破ってでもこちらに来るだけの覚悟があるのか?
>〜同時に暗黙の了解破ってでも今回こそこちらに従う覚悟もあるかの
>踏み絵みたいなもんだったんじゃないかな?
まったくそんな感じだろうが、意地悪に想像すると契約金を払う段階になって
「IWAベルト持って来なかったから2割引くね」とかだったりして。 全日本では前座扱いの馬之助を格上げさせて
木村に勝たせたのは、吉原の大英断。
しかしすぐに新日本に引き抜かれたのは大失態。
にしても馬之助も随分なことやるな。
厚遇してくれた吉原を2シリーズで裏切るとはね。 >>92
なかなか面白いブログ
真実に近いのではないか
記事によると、上田が木村からIWA王座奪った数日後に新日から声がかかったという
当時の新日はアリ戦直前
国際でちょっと目立ったからといって、上田などをかまう理由があるのか?
実はあった
アリ戦の後にはアジアリーグ戦が控えているが、シン以外に相応しい大物がまったく集められていなかった
上田がベルト持ったまま参戦すれば、それなりの目玉にはなる
結果的に上田はすぐには動かず、国際にベルト返してから移っていったが >>101
あーなるほどなあ。アジアリーグね。
上田はIWA王者のままアジアリーグに参加しなかったのは良識あったともいえる。
反面木村に負けてベルトを戻すことをせず
「負傷返上」という形にしたのは、かなり問題てもある。吉原は強気に出れなかったのか。 負傷返上は上田に傷はつかないし、箔を付けただけだからな。
坂口は日プロを去る時バレンタインに負けてUNベルトを返したのに
なぜ吉原にこれができなかったのか?
まさか「上田君には新日で頑張って欲しいから負傷返上でいいよ‥」
なんて先輩面したんじゃないよなw >>103
そこが最大の謎なんだよなあ。
一つの可能性としては「負傷返上」がブックではなくて、上田馬之助のついた「嘘」「仮病」であった
可能性。
つまりドロー無効試合の後、再戦で木村が勝つ
予定になっていたが、上田が「負傷で試合できない」ことを口実に試合をキャンセルし、吉原が
それを信じてしまった可能性。
その場合は裏で新間が入れ知恵をしていたんだろうがね。 https://livedoor.blogimg.jp/norarinhouse/imgs/4/e/4ecedb52.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/norarinhouse/imgs/c/b/cbd2515f.jpg
上田は6月11日古河大会で王座を強奪し、7月28日銚子大会のリマッチで
アサシン、井上まで乱入して没収試合(タイトル預かり)
7月31日越谷の王座決定戦は、銚子大会で左肩を負傷したとして
上田が挑戦権をスーパーアサシン(ロジャースミス)に譲っているんだよな。
古河大会から銚子大会の間に新間が上田を口説いた可能性が高い。 >>102
まあ実際にスキップするにあたって本当にIWAのベルトを持ち込まれても
新日的にはそれはそれで扱いに困っただろうしなw
新日からすれば別にベルト自体が欲しかったわけではなく
「国際のエース木村よりも強い実力者上田」って肩書があれば十分だったわけで
本当にIWAのベルト持ってこられても猪木とやる前に
元IWA王者って名目とかで小林あたりとまずやらせて
一旦ベルトを反則かなんかで奪ったうえで
小林を国際マットに派遣〜木村に負けてベルト返してくるみたいな
面倒くさいことやんなきゃいけなくなってたろうし
それだとせっかくの「上田逆上陸で猪木へ挑戦状!」も却ってインパクト薄れちゃうw
かといって猪木や坂口がいきなり上田の挑戦受けてベルト奪っても
その後国際にどう返すかがむしろ難しくなるw 77年1月14日九電記念体育館で上田とシンが初合体して
元国際のエース小林の腕を破壊(北米タッグ)
https://white.ap.teacup.com/corona/img/1273747582.jpg
https://white.ap.teacup.com/corona/timg/middle_1273747780.jpg
79年には国際にも参戦するから、吉原への恩義はあったんだろうね。
そういえば79年のオールスター戦に上田もマツダもいなかった。 恩義はあったが79年も結局木村へのフォール負けは献上せず。 >>106
>新日的にはそれはそれで扱いに困っただろうし
数年後に、もっとるタイトル全部もってきんさい一本にまとめちゃるけん、の企画を
やるわけだから別に困らないとも思う。
今になってみて思うが、デカめのタイトル持ってきた奴には
予選免除とかのオプションつけてもよかったな。
もし馬場がPWF持ってきたら決勝からでもいいくらいだろ? 木村も井上もプライド持ったレスラーなら
選手会で吉原に抗議するなり、ボイコットするなり出来なかったのかなぁ
「こうした方が会社の為ですよ」とか、詰め寄ればいいのに…
マッチメイクに限らず、団体に不利に不利に持っていくんだから
そこに行くまでに草津を通さなければいけなかったのか? >>107
腕決められた小林が足をバタバタさせて大きな声で悲鳴を上げる。その挙句失神して
小鉄がガチビンタしても失神したままでダウンしているのは哀れだ。 >>111
腕折りは、猪木→シン、猪木、馬場→上田、藤原→佐山でもやってるインパクトがあるフィニッシュだろ。 ポーゴ→ジェイソンというのもあった。
プロモーターの娼婦に手を出した制裁という意味合いだったとか >>113
違うよ、それは偽ジェイソン(スマザース)→ジェイソン・ザ・テリブル。
ジェイソン対フレディ(ダグ・ギルバート)のルーザーリーブ・タウンマッチでジェイソンが敗けた後の制裁。
その日はポーゴは、ドクとの金網決着戦。
あれは、プエルトリコに戻っても試合がないレベルだったジェイソンがそのまま残って次期シリーズに参戦するってシステム乗っかって、ポーゴのタニマチのフィリピンパブでバイトして生活費を稼いでいたら、ジェイソンがタニマチの女に手を出してポーゴが謝って表面上は許してもらったんだけど、実は裏でそのタニマチがガイジン勢に金をやって制裁を持ちかけていた。
おそらく、前座レベルのジェイソンがキャラ貰っただけで上のカードで試合することに対するやっかみもあったんじゃないかな。 >>112
こういうのは妙に決め技っぽい大技でやるんでなく
アームブリーカーとか腕絡みとかキーロックとかの
本来は地味で単純な基本技でしつこくしつこくやるのが
かえって腕を破壊してみせるという「拷問感」が強調されるんだよね >>116
田コロでのタイガーマスク戦で肩を脱臼したソラールの腕を引っ張って、
ブン回したレフェリー小鉄は見る者に痛みを伝えたな。 >>105
上田が全日移籍後に週刊誌上でインタビューに応じて新間を口撃し「プロレスをやった
事の無い奴に何がわかるんだよ!」と批難。新間は「死んだ馬を生き返らせたのは誰
なんだ!」と応酬し元子夫人の女帝ぶりも明らかにしてしまいしまいこっちは馬場に
制裁された。シンと組ませたのは新間のアイディアだったみたいね。
>>107
三団体に挑戦状を送るも新日も全日も無視して唯一、応じたのが国際で上田も後年も
吉原社長には感謝している。 クーデターの密告者に悪役をやらせるということに
屈折した快感があったのかもしれんね ジュニア時代の剛と大仁田だとどちらが上?
格や試合の質も含めて >>123
格でいえば、そんなに長くはなかったとはいえ
一応暫くベルト持ち続けて
その間は期待の若手スターとして
けっこうメディアにも露出してた大仁田だろ
試合の質は…
まあどっちもどっちというかw
Jr時代の「名勝負」の質だけ見れば剛の気もするけど
剛の場合あくまで藤波戦だけだし
それも正直相手が試合巧者藤波だからこその名勝負
相手がC・ドノバンだったら大仁田でも剛でも変わんねえだろw 大仁田は全日ジュニアの筆頭だったしなあ
馬場鶴田天龍に次ぐ4番目の位置 剛のパイオニア戦志の旗揚げでは大仁田がリングに上がったんだよな
その頃は剛も大仁田も落ちぶれ方は大差なかったが
FMWを旗揚げしてからの大仁田のブレイクで天地の差がついた >>127
だね。
パイオニアの旗上げ戦ではたしかに惨めな落ちぶれ者同士だった。
しかし電流爆破で大仁田の株が急騰した。
大仁田には剛には無い神がかり的なカリスマ性がある。 金曜の夜にタイガーマスクを見て、土曜の夕方に大仁田を見ると、何で同じJr.ヘビー級なのに、こんなに差があるのだろうかと、不思議だったあの頃。 佐山も大仁田も、プロレスの歴史を変えた人。鶴藤長天だの、四天王だの、三銃士だのより遥かに上の存在。 >>131
だね、この二人のエポックメイキングは社会現象だったから。 旗揚げ当初は剛のパイオニアの方が大仁田のFMWよりやや上を行っていた
新日が外人抜きの日本人興行の材料に他団体の交流を必要としていた
剛が新日とどうやってコネを持ったか知らないが、とにかくもパイオニアは新日と対抗戦を行った
それに比べて大仁田は元全日でありながら全日と交流戦はできず
怪しげな格闘家と当時ほぼ無名だったポーゴで持たせるしかなかった パイオニア立ち上げる前に新間に誘われていて
大仁田と組んで「世界格闘技連合」とかやるプランもあったけど
もし実現してたらどうなってたのか >>133
旗揚げから藤波ルートで新日本が関わってる
リングも新日本のだし後楽園ホール借りたのも新日本名義 上田と大木が一時、インター戦等で国際マットを舞台に対峙したが、両者ともなんつうか
かつての日プロの遺恨にまつわる再燃というより、お互い行き場のない思いを抱えた者同士の
もがき合いを見るようだったな。坂口VS大木みたいな試合そっちのけのガチ遺恨とは異にするような。。 大木と上田は組んでIWAタッグに挑戦しただろ?試合中にあっけなく仲間割れしていたけど。 >>133
俺、パイオニアもFMWも旗揚げから見ていたが,
キミは見ていたのか?実際に見ていたら
>剛のパイオニアの方が大仁田のFMWよりやや上を行っていた
そんなことは絶対に言えないよ!
ただ、単に旗揚げ戦(正確に言うとFMWは第二戦、後楽園だが)の
観客動員数だけでも、FMWは席が完売で、俺は通路で見たぞ!
(通路で見たということは通常の立見席=バルコニー、南側立見席が
一杯だったということだ)
パイオニアは、大目にみて席が7割というところだった。
肝心の試合の盛り上がりも比較にならんよ。
なんか、キミの文を読んでいると、メジャー(新日、全日)と交流戦を
やった方が上を行っている、と書いているが、パイオニアは自主興行が
出来ないから、新日に頼ったんだろ?
それも、すぐに無くなって潰れたじゃないか? >>140
おじいさん
顔 真っ赤だよ
ブルブル 身体が震えてるよ >>133>>135
「新日のリングにもう一度、上がりたい!」と剛から相談された藤波が単独では上がるのが
難しいので新団体旗揚げを提案した。週プロの押しもありプロレスバカでの最大瞬間風速
的な人気はかなりモノだったんじゃないのいかな?
リングの魂にも出演してピークは夢のかけ橋かな? まさか旗揚げ当時の大仁田がラッシャー木村に参加を打診していたとは知らなかった
断った理由が「家族がいるんだ」というリアルな説明でいかにも木村らしい キャピタルスポーツのジャージやシャツが売り出され始めたが、
サイズがバラバラだしすぐ売り切れる。
まあ準備期間ということで少量生産してるらしいが。 >>143
馬場に断りもなしに大仁田がすると思えないから馬場に話通したのかな? 国際での横浜文体となるとルー・テーズ杯での木村と浜口の初シングルも >>141
横からだが>>140の言う通りだよ。
旗揚げ選と同時にパイオニアなんかとっくに凌駕してたよ。
>>133は一体何を見てたんだかw そもそもパイオニア戦志の旗揚げ戦は剛対大仁田なんだよね。
剛はその時に勝っているから、ちょっと上に行っていたよ。 >>149
> 剛はその時に勝っているから、ちょっと上に行っていたよ。
アホな理屈だなあ。剛の団体なんだから剛が勝つのは当たり前だろw
それにあの試合だって大仁田が盛り上げたんだぞ。 何の思い入れもない剛の肩を持つつもりはないが、個人的には大仁田がFMWを旗揚げしてからも剛に負けているのを引き摺っていたよ。
元インターJr.王者の大仁田が浜田、剛と負けているのは嫌だった。
因みにFMW旗揚げ戦で大仁田は青柳に負けているよ。 >>151
>>151
膝の皿を割って引退した元インターJr.王者の大仁田が、
UWA4つ制覇、WWFライトヘビー戴冠の浜田、元WWF Jr王者の剛に負ける。
別におかしくないじゃん。 負けたっていったって浜田戦はクイック。内容的には浜田大流血で大仁田優勢。
剛戦はレフェリーストップだが大仁田は「俺はギブアップしてないぞ!」とレフェリーに抗議し
観客は大仁田の抗議を支持してた。浜田戦と同じく剛も大流血。
大仁田は二人より弱いと言うイメージはつかなかったぞ。 えっ、浜田だって日本の奥さん亡くして東京じゃ暮らせないからメキシコに移住したのに圧勝かな… 大仁田がなんとか成功を収めたと言えるのは汐留の第一回の電流爆破デスマッチの頃
その前は剛も大仁田も、「まだやってたのか・・・見苦しい」
程度にしか思わなかった
特に女子のリングで、女子レスラーに泣いて反対されながら強行した浜田戦などは
見苦しいことこの上なかった >>156
それでも後楽園だけは超満員だった。
シリーズを;組んで全国に巡業にも出れたし
後楽園で単発興行しか打てず満員にも出来なかったパイオニアよりは遥かに上。 >>156
> 特に女子のリングで、女子レスラーに泣いて反対されながら強行した浜田戦などは
> 見苦しいことこの上なかった
パイオニアもFMWも旗揚げする前のジャパン女子でも試合じゃねえかw >>155
メキシコの通貨危機が無ければメキシコを離れるつもりは無かったらしく多くの
レスラーが苦戦するメキシコ生活の中で「メヒコ最高!」とインタビューに応じていた。 >>160
> レスラーが苦戦するメキシコ生活の中で「メヒコ最高!」とインタビューに応じていた。
自分の存在を脅かしそうな日本人に嫌がらせして築いた地位だからな。 >>161
自分の存在を脅かしそうな日本人に嫌がらせして築いた地位といえば馬場だろ。
猪木のNWA加盟妨害など酷かった。 >>162
新日のNWA加盟妨害?
一企業として当然だろ NWA幹部の立場から観ると 馬場には国際プロレスと言う団体はどう映ってたんだろう? >>162
自分の存在を脅かしそうな日本人に嫌がらせして築いた地位といえば馬場だろ。
猪木のNWA加盟妨害など酷かった。
日プロが国際に嫌がらせしていたのをお忘れかな。NWA加盟を阻止したり(AWA
との提携に繋がったけど)アリオンの横取りも含めてそれも企業戦争。それに此処は
国際のスレだよ。 S小林や剛を引き抜かれようが何もできなかった吉原が情けないんだよね
新日は全日に対してもエゲツない攻撃をしていたが
馬場は堪忍袋の緒が切れるときちんと報復をした
NWAと言えば猪木、坂口、新間はNWA加盟後も議場にさえ入れてもらえず
ロビーで待機させられていたそうだ(原悦生談) NWAは一テリトリー一プロモーターが原則だから下手に入れたらこちらが追い出される結果にもなりかねない >>165
アリオンは国際と全く契約していなかったんだよ。
ファン投票の結果が出てからようやく交渉を
始めたけど、交渉途中の段階で参戦発表
してしまい、結局キャンセルされたんだよ。
日プロが妨害したなんていう具体的証言は
これまで一度も出てきていない。 >>167
67年に吉原と国際プロレスを旗揚げし、エース兼ブッカーを務めたマツダの
もう一つの目的は日本マットのリサーチで、国際を含めたどの団体が
NWAの会員になるのに相応しいかを調べるためだった。
この時期には日本プロレスもNWAに加盟申請しており、猪木の東京プロレスも
ジョニーバレンタインのブッキングでNWA会長サムマソニックに接触
NWAはマツダを通じて見定めようとしていた。が、東プロは内紛で自滅
国際は不入りで、マツダが負債を被ろうとせず関係が決裂
マツダが国際から撤退したため、NWAは経営が一番安定している日本プロレスが
会員になることを認めた。 『日本プロレス事件史vol.27』 >>168
国際プロレスの旗揚げ戦を二度も邪魔してたんだな
しかし大阪球場て NWAは1テリトリー1プロモーター制が原則だったが、新日は独占禁止法を盾に、強引にNWAに加盟したんだよな。
新日はなんとか加盟は出来たが、NWA世界王者を招聘することは馬場に阻止された。
NWAは原則として「世界」の2文字を付けられるのはNWAが認定したタイトルのみだった為、WWWFと新日はNWA加盟後はタイトルから「世界」の2文字を取らなくてはならなかった。 大仁田・浜田の女子プロレスでの乱闘からの対決は全部二人の芝居だったんだよな。
当時は二人の芝居が上手いから本気で喧嘩しているんだとばかり思っていたよ。 >>171
1地区の定義が曖昧でアメリカも1州に1団体ではなかった。
テキサスもファンクスのアマリロ、エリックのダラス、ポール・ブッシュのヒューストン、
ジョー・ブランチャードのサンアントニオに分かれていた。
日本は面積は小さいがアメリカの約半分の人口がいたから1テリトリーとするのかな? 我慢してたら2人目のNWA日本人チャンピオンは新日だろ末期だがよ >>168
まだ契約を済ましていない選手をシリーズのエースとして
参加を発表してはダメだよね。
それで、日プロから妨害が入ったとしても文句は言えない。
普通の会社が「当社は、こういう新製品を出そうとしています!
まだ企画段階だから、上手くできるか分かりませんが」
と公表するようなモノ。
それをやったら、大きな企業に先取りされるのは目に見えている。
だいたい、あの1970年の「呼んで欲しい選手のアンケート」
本当はマスカラスが1位だったらしいが、
3位のシークも含め、日本プロレスも狙っていた。
5,6位のEラッド、Rジョンソンなんか秋のシリーズに来襲したし。
10位内で国際が呼べたのは、10位のB・Vラシクだけ。
9位のI・ボディックもAWA系なのに日プロに取られた。
まぁ、この選手は塩だったが。 >>175
そのころはWCW認定のNWA王座だからNWA加盟関係ないw >>174
馬場としては日本を1テリトリーと定義して新日を排除したかったかけど失敗したことから、その定義になんの効力もないしいい加減だよ。 新日のNWA加盟は何度も却下されたがビンス・シニアやマイク・ラベールが
「独占禁止法違反だ」とか言い出して「そんな面倒臭い事を言うなら入れてやれ」って事になったらしい
しかしNWA加盟はできたがNWA王者の来日は全日占有で
上のレスの通り猪木や新間は議場にも入れてもらえなかった
新日にとっていかに屈辱だったかは想像がつく 猪木「あんなもん潰しちまえばいいんだよ」
新間「それが国際に対する猪木の口癖でした。
合同興行時代の事をいつまでも引きずっていたのでしょう」 そんな国際に対し、崩壊後に国際軍団として3人のキャリアの中で最も輝いた舞台を
提供した猪木・・。 国際のレスラー全員受け入れるという当初の吉原との約束を反故にしたんだっけ >>181
1vs3という屈辱的な試合を無理やりやらせ、全国のファンからあらん限りの罵声を浴びる事を強要し、
観客動員に利用するだけ利用して最期は血だるまにしてポイ
浜口と寺西はうまく立ち回ったけど不器用な木村は結局最期まで、猪木にいいように振り回された
これも猪木の「にっくき国際」「しょせん国際」という感情が根底にあるからだよ >>182
「猪木毒本」の新間によると
金を渡す当時になって3500万の契約金を1500万にした 提携先を全日から新日に乗り換えてから、国際の凋落が決定的になってしまったと思う。
全日とは不透明な決着の敗戦などはあったが、新日は試合を組んですらくれなかったし。 >>184
その話はそもそもおかしい
国際プロレスが解散し、所属レスラーがみな国際から離れるのであれば
新日が国際に契約金を払う意味はまったくない
国際が企業として存続し、木村たちが国際所属として新日に出るのであれば別だが
そんな構想があったことなど誰も語らないし >>186
だからといって支払い当日に話変えて良い訳ないだろ、押し切られた方も駄目過ぎるが 国際時代からすでに悪くしていた腰の治療費を新日が出したらしいけどな
リング上で恥をかかせる事とそれとはまた話が別だが 当初優勢だった全日と提携したが1975年末の力道山十三回忌興行と猪木対ビル・ロビンソン
の興行対決を境に徐々に全日・国際組よりも新日の方が興行動員数や視聴率が上回って
くると全日も余裕がなくなりテレビ中継も土曜夕方に廻される事が内定した頃には正直国際
プロレスに構っていられなくなって全日に提携を解消されたというのが実情では
だから扱いが悪くなるのも覚悟で新日と提携するしかなかったのが本当のところだと思う >>186
当初は複数回に分けて新日本と国際の全面対抗戦を行うと発表されていて、それを踏まえての契約金だったんだよ。 >>189
日本リーグ争覇戦の蔵前大会にストロング小林を呼んだのは吉原の独断。
このシリーズに選手派遣していた馬場が態度を硬化させ、提携解消となった。
吉原から売ったケンカだから、全日のせいにするのは違うと思う。 >>187
だからその新日が国際に契約金を払うという新間の話がそもそも怪しいと言ってるんだ
本当なら新日が払ったという1500万はどうなったんだ?
国際は新日との対抗戦の前に倒産してるんだぞ 78年暮れ頃までは新日と、それに対する全日〜国際〜ついでに大木の韓国という図式があったな。
新日独自のプレ日本に対し三軍および日系の日本リーグという、お互いの陣地を守りながらの
日本選手権への構想を踏まえた興行を進めてた。で、翌年にガラッと変わりヤマハが国際に乗り込んでIWAタッグ強奪、
以降新日との提携路線、アンドレ来日等々となる。 日本テレビから全日への予算が減らされるのを前提にした吉原の苦渋の決断だったと思う
全日の豪華外人招聘や国際プロレスとの提携予算の大半が日本テレビからで
それが時間帯移動で減ることは分かりきっていた
当時は国際プロレスほどじゃないけど全日も経営は苦しく数年後に馬場ですら
社長を外されるほどだったし >>191
馬場に話を通さずにS小林と小林邦明を呼ぶと言うのは
吉原の方から「全日とは縁を切って新日と提携します」と宣告したに等しい
馬場の性格を知っていればこんな事をすれば激怒するのは分かっていたはずだからね
そこまでして新日と提携して派遣されたのがヤマハブラザーズと言う舐められ方 >>192
その1500万で国際プロレスのスタッフの退職金というか当面の生活費や、草津が自宅を担保に会社のために借りていた金の返済に充てられたんだよ。 >>195
鶴田vs井上戦に小林を乱入させればよかった。
馬場怒っただろうな。 >>194
苦渋じゃないでしょ。
エースガイジン引き抜かれたり、負けブック飲まされたりしたから報復のつもりだったんだよ。
だけど、吉原以外は誰も全日と国際、馬場と吉原を同格だって見てないないから「何て事を…」ってなるけど
吉原は同格だと思ってるから、馬場も反省しただろぐらいに思ってたんだと思う。 日本テレビのプロレス中継がゴールデンから夕方に移行するんで、ゴールデン放送を維持していた新日本に
乗り換えたんだろう。
当時の月刊プロレスもそれを指摘していて「国際プロレスは現金」と批判してたな。 まさかの新日と全日が提携していたら、国際の運命は… >>192
国際という団体ではなくて
吉原個人がレスラー各人を仲介する、ブッキング料ということなら理解できるよ。
国際プロレスの業務命令ではなくてね。
団体として派遣みたいな印象を持たれているだけではないかと思う。
吉原に対してはほとんどのレスラーが忠誠心を持っていたみたいだし。
そのカネで代表取締役吉原個人が会社の負債を少し解消するために費消した、と。 >>176
デイリースポーツとタイアップして「あなたがプロモーター」と言うアンケート企画
だったが日プロへ市場調査を提供した形になってしまった。デイリーは国プロを後援
して名前を出していたが東京新聞が後援につくと立場を変わられた。長く後援していた
から不満だったらしい。
>>184
猪木の「新間、ちょっと高すぎないか?」と相談されてギャラが引き下げられている。
全面対抗戦がたった三人の参加になったから当然かもしれないけど・・・
ロビンソンの件と同じで全日は馬場の決断が動かないのに新日は新間が決めら事が猪木に
よってよく覆るとハンセンも自伝で述べていて移籍理由のひとつに挙げていた。
>>191
新日勢の登場を知らされていなかったのとこれだけ協力しながら蔵前大会の不入りが
ゴールデンタイムの日テレで晒されて全日のみならず日テレにも恥をかかせたのも
あったんじゃないのかな?知らない人が見たら「馬場のトコは客は入ってないなあ〜」
と思われたかもね。
>>194
放映料は新日は1000万、全日は700万(土曜夕方)、国際は500万と言われていた。 全日本との対抗戦に負けても
「ゴールデンタイムの全国放送に映ることのメリットの方が大きい」と東京12に訴えてたんだから、
ゴールデンでなくなった全日本では言い訳が効かないし、それなら新日本へと思ったのではないか >>204
全日と組むより好条件が貰えると勝手に思ったんだろw >>203
放映料のその数字のソースは国際崩壊時のデラックスプロレスかな?
新日と全日は知らんが国際の放映料は当初は一回200万、最終的に一回230万だった。 >>203
>「あなたがプロモーター」
4位にブルーデモンが入っているのが、どう考えてもオカシイ。
まだ見ぬ強豪として知名度が高かったアーニーラッドや、ロッキージョンソン、
同じメキシコ人のトップレスラー、ホセ・メンドーサより上とは! >>204
吉原のそういう感覚って明らかにズレているんだよな
日米レスリングサミットの時は馬場はビンスに一歩も引かず
全日勢の勝ちか引き分けばかり持って行った(流石にホーガンは勝ったが)
新日は「WWFには関わらない。新日のプロレスを見せる。」と新日勢のカードを組んだ
やり方は異なるが両団体とも自分のところのレスラーの価値を守ったからね 怪奇枠なくなったな〜(WWEでは今の時代もやってるが)
好奇心旺盛な少年ファンが、一番飛びつきそうだけどね。 >>207
に自己レスだが、それで国際プロレスは「呼んで欲しい選手4位」に
選ばれたブルーデモンを招聘したわけだが、正体は前シリーズから
残留したレス・ウオルフ。国際の言い分では、これも日本プロレスの
妨害で、呼べなかったというが、、、最初から呼ぶ気がなかったのでは?
誰か、適当な選手にマスクを被せればいいや、と。
それで、偽物のブルーデモンを見せられても、当時のファンは気づかなかった
らしい(苦笑) >>205
ゴールデンに乗れたのは藤波と戦った原と小鉄引退試合の愚連隊のみ 全日との提携時代はオープン選手権、オープンタッグで全日の売り興行を買わせてもらい、
当面の日銭を稼ぐこともできたが、新日との提携時代はそんなの一切なかったんだろうね。 それでも新日本の悪口は最後まで言わなかったのはやはり先輩の永里への遠慮か 鶴見は全日本の悪口、言わないな。
むしろ感謝していてたいしたもんだよ。 唯一の恨みはファミリー軍団に入れてもらえなかったくらいか 帰国直後、82年世界最強タッグ、天龍原対上田スーパーデストロイヤー戦の試合後に乱入アピールという
いい舞台を鶴見はもらったな。 >>215
晩年に永里の口利きで新日の顧問になったからね
新日はWWFと切れて外人弱体に戻った時に
吉原経由で関わるようになった大剛のおかげで外人ブッキングで助かった
>>216
外人レスラー扱いだった事もあってギャラは他の中堅レスラーより高かったんだよね>鶴見
プロモーターの立場からすれば前座からメインまでどこでも使えて
きちんと仕事ができる鶴見は使いやすい >>219
> 外人レスラー扱いだった事もあってギャラは他の中堅レスラーより高かったんだよね>鶴見
どうしても大会場のビッグマッチや目立つストーリーばかりに目が行きがちだけど
この時代シリーズの多くを占める地方中小都市のノーTV会場での興行で
言い方悪いけどメインやセミを6人タッグあたりでお茶濁すときに
鶴見がいるといないでは本当マッチメークの幅が違ってくるもんなあ
和製R・オリバーとか和製J・ディートン的ポジション >>208
新日のWWFアレルギーかなりのモノでWWF勢と関わりたく無かった。
これを確信した馬場は「新日とWWFの再提携は無し」と判断して次回の合同興行は
無くなりWWFはSWSへ行った。
>>215
12チャン・田中Pは交渉相手が馬場からいつの間にか新間、永里氏に変わっていて
なぜかあまり違和感が無かったらしい。国プロ崩壊後のカルガリーに渡り帰国した若松
は新日道場に出入りをしていて永里氏を出遭った中で誕生したのがKYワカマツだった。
>>218
大物外人達と組めてギャラも良くレスラー人生で一番だったと述べていた。TV中継にもよく
出ていて実力も馬場から評価されてたはず。ただ長州達が来ると過剰人員になり出番は
無くなりSWSには自ら売り込み行ったので支度金で出なかった。「北原でさえ出たの
に・・・」と悔しそうだった。 >>220
だから馬場が最も対戦したプロレスラーが鶴見じゃないか?と言われているのか。
鶴見が全日本マットに上がってた82年1月からSWS移籍の90年6月の
約8年半の期間で年間60試合前後絡むと500試合程
馬場の生涯通算5759試合中の約12分の1になる。
…アバウト過ぎる計算だけどね
https://geta88kitty.cocolog-nifty.com/blog/images/photo_20200623150601.jpg 若松の新日参戦からSWS移籍までは、
『市っちゃんネル 若松市政公式Youtubeチャンネル』で語っているよ。
https://youtu.be/gVhT7QewqDE >>221
>ただ長州達が来ると過剰人員になり出番は無くなり
長州たちが出て行った後も血盟軍でラッシャーのパートナーとして重宝されてたんじゃ
離脱を決意したのはそのラッシャーがファミリー軍団入りして孤立
外人レスラーとのタッグで上で使ってもらいたかったけど
来る日も来る日も前座で若手とシングル、おまけに凶器使うなと忠告まで
大熊永源のポジになるのが嫌だったからじゃないのかな >>218
鶴見は翌83年には馬場ドリー対シン上田戦に乱入。
翌84年には馬場木村対鶴田天龍戦に乱入して
3年連続乱入したんだよね。 >>225
鶴見は83年新春シリーズの原との一騎打ちという
いい舞台も作ってもらつたね。
原のセコンドのマイティ井上が激怒という
泣かせる?シーンもあった。 全日本では鶴見と何故か一緒にならなかった稲妻二郎(モロー)だけど、ジョーと組んで
原・井上に挑戦したアジアタッグが思い出の試合とかで、次に挑戦したパートナーとは
即席タッグだったのでスミルノフと組みたかったそうだ。あのまま全日本に来ていたら
血盟軍入りもあったかな。でも剛がいるから駄目かな。 試合前に小林の握手を拒否したキムドクの態度は、この件に関する馬場の怒りそのものだな。
https://m.youtube.com/watch?v=POKm7BswrgE 藤波のライバルとして
国際から引き抜くんなら剛より阿修羅だと思うのに
全くアプローチしなかったっぽいのは
井上みたいに阿修羅が猪木嫌いだったからかな
それともまだキャリア浅いから藤波と格を並べるには
早いと判断したからなのか 新日が剛を引き抜いた時期って、まだ阿修羅はプロレスデビュー戦も迎えていないんじゃなかったか? >>227
ハンセンが馬場からPWFを奪った千葉大会で鶴見と一緒に天龍&原の試合に乱入してるんだよな
もしもアジアタッグを巻くならこのコンビで見たかった >>232
モローは新日に移籍して一時的に脚光は浴びたけど
それが災いして使い捨てにされた感じだな。
全日に残ったままだったら、スタイガーとか
ミラノみたいな4、5番手負け役ポジション
として暫く定期的に呼ばれたろうに。 >>218
ジーンズの私服姿がめちゃくちゃ格好良かった 原もジーンズの私服姿で乱入して何故かウエスタンブーツを脱いで長州をボコっていたけど、何かカッコ悪かったけどなあw 新日の藤原喜明テロ行為の二番煎じだしな
テロじゃなくてヒットマンかwww
考えた奴だっせぇ でも対戦相手の石川は「こんな会社辞めてやる」と言ってパンツ一丁で外に出たりはしてないけどねw >>237
原もシャツをビリビリに破かれて上半身は
ほぼ裸で会場から立ち去ったけどね。
まだ寒い時期の山形だし、あのカッコで
タクシー待ってたのか? 9月17日の新日本愛知県体育館大会で小鹿、ナガサキら7名の所属選手が乱入して新日本に宣戦布告をする実力行使に至った。小鹿をはじめとする所属選手達が土足でリングに乱入したことで新日本ファンから大ブーイングを浴びた。この乱入直前、彼らは強い緊張を感じていたという。その一員だった田尻義博(現:TAJIRI)によると「まだ時間があるからと立ち寄った喫茶店で小鹿さんがクリームソーダを注文して緊張で、それどころではない選手たちはとりあえず「俺も」、「俺も」と注文して皆でクリームソーダを飲んでいました」と述懐している。
喫茶店でクリームソーダw
ジワるw >>218
天龍と原のシングル戦で「あわや!」まで追い込んだ試合は解説の東スポ・山田氏
まで防戦一方になる天龍を心配するくらいの試合だった。
単なる悪党ジョバーでは無いと実力者ぶりを見た。国プロに入った理由はロビンソンの
レスリングに関心を持って憧れたからだった。大学が理系でレスリング経験者
って日本プロレス史上、唯一無二の存在じゃないのかな?若手時代に付けていたノート
が全日展で見たけど論理的思考でトレーニングもしていたみたい。メキシコ時代の
ファイトマネーはすぐにドルに換金して自炊を心がけたので体調管理も万全で多くの
レスラーが減量する中でメキシコ遠征で太ったのは鶴見と吉江だけらしいw >>238
そんな格好の大男が手を挙げてもタクシーは止まらないと思うw
それより仕事もしないでタクシー代あったのかな。 >>235
ブーツ脱いで靴下丸見えでカッコ悪かった。 >>241
どこかの出版社がこれぐらいのギャラ払って出版すりゃいいのに 原は全日本移籍の前後半年くらいが肉体的なピークの印象
いっそテレビのある内に木村のIWAに挑戦してほしかった レギュラー放送終了の後も月一回放送する事になっていたけどそれすら実行
されなかったから原をエースに押し上げるタイミングもなかったな。 月一放送で、対オルソノスキーの阿修羅の凱旋試合を放送、翌月はオルソノスキーがラッシャーのIWAに
挑戦した試合を放送。前回の放送で負けたレスラーがシングル王座の挑戦者、これじゃストーリー作れないな。 >>248
そう同じ日。オルソノスキーはシリーズ中のオフの日にも後楽園ホールに
全日のインター王座決定トーナメントを観戦に行き、日テレの中継に映ってしまったりしてたんだよね。 阿修羅の凱旋前に、プロレス雑誌が雪崩式ブレーンバスターを原の新必殺技として紹介して、
実際に阿修羅が試合で使う前に、木村健吾がテレビマッチでやってしまったよな。
今考えると本当に腹立たしい。公開する雑誌も雑誌だと思うし、テレビで試してしまう健吾も健吾。 >>250
あれはやっちゃいけない掟破りだよな(*`へ´*)
しかも藤波に空中で切り返され健吾のフォール負け
原が実戦で使う前に技のイメージを貶めた。 >>251
原が東スポで公開発表し、それを見た猪木が「こんなことができるのか?」とコメントした。
IWGP予選第1試合で健悟が藤波にやろうとしたが藤波が嫌がり、コーナーの上で膠着。
健悟が強引に投げたら藤波が体を入れ替えて下敷きになった健吾が頭打って負けた。
今だと毎興行で出る技だが、80年当時はリングも硬くて藤波でも受けるのを嫌がるほど超高度の技だった。
決めていれば健吾はスターだったが、藤波に潰された。 でも藤波の返しもフィニッシュである以上
ブックだったのでは。 >>253
空中で切り返して上四方固めの体制で落ちたから確実に健悟が頭を打つのでブックとは思えない。
ブックなら後ろに降り立って、二段目ロープ上の健吾をジャーマンの方が綺麗では? どうかね。
藤波の返しにも「国際の連中の必殺技なんて
簡単に返せるぜ」みたいな嫌味感を感じたけどね。 >>246
レギュラー放送は打ち切るもプロレスの放送自体は形態はどうあれ続けるつもりだった
と言われていたけど・・・ 3月一杯でレギュラー放送が打ち切られ、1回特番枠の放送があったのかな?
だからエンフォーサーがエースの最終『81ビッグサマーシリーズ』はノーテレビ
羅臼大会で活動停止する事になるが、その後意味のない特番放送が2回あった。
…10月からは「東京12チャンネル」から「テレビ東京」へ >>7
若い頃でしょ
30代とからは後輩からも楽な先輩と舐められてたよ >>254
> ブックなら後ろに降り立って、二段目ロープ上の健吾をジャーマンの方が綺麗では?
健吾がそのままセカンドロープ上に立ってられるわけないし、立ってたら不自然だ。 猪木のナックルパートで撃墜は素晴らしかった あの試合の一番の見どころ >>260
なんで急に猪木?アンカーなしでいきなり言われて、何の試合かわかる人いるのかな? >>259
俺みたいな超絶後追い(なんんのジャンルでも後追いは当然だと思うが)ならともかくリアル大麻なら結構な年齢でしょ?
その年齢で相当野暮だね
j純真な人に余計なツッコミは入れるもんじゃないよ 藤波の切り返しは雪崩式リングイン(後のドラゴンリングイン)にすれば伝説になったものをw
原の雪崩式ブレーンバスターは阿修羅バスターとかの名前つけなかったんだね。
そういえば、藤波も飛龍雪崩落としと称して(古舘ネーミング?)雪崩式ブレーンバスターを決め技にしようとしていた時期があったよね? >>252
自分の風聞を気にしてマスコミには漏らさないけど藤波は健吾を信用してなかったのかな
性格が悪くて相手をケガさせるトンパチな健吾と本当はタッグなんて組みたくなかったのかもしれん
健吾兄さんの引退試合も完全無視で冷たかったし 藤波は自分が格下と看做した相手への扱いがことごとく雑
剛竜馬への態度が良い例 タッグを組んでても、健吾はカウントを取られている藤波のカットにほとんど入らないけど、逆に藤波はそれは返せるだろ、ってフォールもカットに入ってて
「あぁ、藤波は木村を信用してないんだな」
って思ってたわw >>265
1986年頃の木村健吾との抗争の頃は一般紙のインタビューで
「木村と試合しても俺のレスリングは満たされやしないんだよ」と愚痴っていた
剛や木村は明確な格下と見ていたんだと思う やっぱり自分勝手なレスラーだよな。受け身失敗した浜口も悪いが、合図もせずに飛んだ健吾が最低。
https://m.youtube.com/watch?v=GvnOOZjelsE カルロスプラタが窓口になって招聘されたNWA系ルチャ。実力者トニーサラサーの来日も
決まりかけたがキャンセルだったな。あのまま国際が存続してればエルファラオン、リンゴメンドーサ
エルサタニコといったまだ見ぬ強豪もやってきたかも。丁度新日で佐山タイガーのデビューで
次々とUWA系の選手が毎シリーズ来日していたのでその対比も楽しめただろう。 >>267
そのへんは健悟の態度にも共通してるのが面白い >>267
健吾からしたら、腰の負傷で得意技が出せなくなり、丸み込み、
ドラゴンスリーパーだけになった藤波は物足りなかったはず。
むしろ、健吾の方が稲妻、トライアングルスコーピオン、パワーボムと新技開発で進化していた。 レスリング云々は表向き、健吾兄さんは藤波よりはるかに序列が下
抗争しても自分にメリットがないなんて言ったら体裁が悪いから
我らがドラゴンは奇麗事を言うしかなかったんだろうね ウィキの木村健吾の記述がひどいわw
>
木村は大技をほとんど使わず、ブック上ほぼ全ての
試合で、いわゆる最終的な“勝利”に結び付く試合
運びをしない。相手の攻撃を受けに受けて、
相手の攻めの魅力を引き出し、グロッキー状態の
演技またはダメージが大きいように見せることに
長けている。さらには負けてもすぐに立ち上がらず、ずっとのびていて勝利者を引き立たせるなど、
名ジョバーぶりを発揮していた。
>
木村のこれらの働きぶりは、プロレス団体において
非常に重要な役割であると言えるが、木村の
それは、あまりにも弱々しさのみを感じさせる
ものが多かったため、批判的な評価も多い。
>
ファイトスタイルはタッグ戦においても変わる
ことはなく、「散々攻撃を受けてグロッキー
状態になり、攻撃の隙を見計らって四つん這いに
なりながらコーナーまで帰ってタッチをする」、
もしくは「タッチできそうなポジションまで
這って行くと、対戦相手に足を引っ張られながら
リング中央まで引き戻される」等がお決まりの
ムーブであった。なお、足を引っ張られる時は
自軍のコーナーに手を差し伸べながら引っ張られ、
タッチできる場合の這い方は大変素早い。 何つってもこの一言で総括されてるのが切ない。
>1980〜1990年代の新日本プロレスにおける名ジョバー(負け役・引き立て役)として知られる。 健吾の稲妻レッグラリアットはガチ
猪木に「あんな危険な技を使うな」と言わしめた 気に入ったデザインがあればサイズがない
サイズが合うやつはデザインが気に入らない >>249
木村・井上で奪取できなかった王座を原・井上で取るというのがポイントだったかな
同様のパターンとしては九年後の新日本での武藤もあるが >>276
ただ稲妻の痛さってのは凄い威力のある技っていうより
出合い頭に電柱にぶつかったらどんな頑丈なやつでも「痛い」
そういう痛さだからなあw グレートアントニオのハンマーパンチ
ハンセンの首エルボー
大木金太郎のガチ頭突き
交通事故的当たって痛い技 >>283
きっと猪木の言う「危険な技」とは「痛い技」のことなんだね。
>>284
>グレートアントニオのハンマーパンチ
これ猪木がガチギレした技だね。
猪木は痛い技が嫌いなんだね。 >>285
グレート・アントニオのは本人がまともにプロレス知らないから、おもいっきり首筋に入れてるからね。
悪意無くバシバシ入れてるから余計にタチが悪いんだよな。
でも、国際の話しようぜ。 >>252
>それを見た猪木が「こんなことができるのか?」とコメントした。
雪崩式ブレーンバスターって、トップロープから攻撃しようとする相手を
デッドリードライブで投げ落とすムーブのアレンジではないのか? 鶴見が全日のアジアタッグ戦で原に雪崩式バックドロップを仕掛けようとしたが拒否された
パートナーはジプシー・ジョー、国際プロレスが戻ってきたみたいだった >>279
なんでこんな種類多いの❓ 普通は人気あるデザインにしぼって多く作るだろ >>292
東村山での防衛戦か
ジョーにとっては最後で鶴見にとっては国際時代以来のアジアタッグ挑戦
そしてこの試合での負傷とインタージュニア挑戦専念のために井上が王座返上 >>279
マイティパンツと同じデザインの海パンは欲しい。
花柄、モザイク 柄、ウエディングドレス風のジャンパーも欲しい。 チャボのインタージュニアに初挑戦した時の花柄の印象も強い ジプシージョーの花柄アマレスタイツがほしい
あれ最高 花柄ジャージは女物なら他のブランドであるけど
オッサンなら家の中でしか着れないだろう https://i.imgur.com/cVo1Cdo.jpeg
1974年11月3日 サンケイ近畿D
当時はMBS/SUN/KBS/WTVが東京12=TXとNET=EXの相互ネット関係にあった時代。
SUN/KBS/WTVで国際プロレス中継「グラハムvs井上」とあるが、
井上は当然マイティー・井上だろうな >>302
めちゃくちゃ画質いいなw
これはマイティがIWAを奪取したときの試合なのかな?
この頃は腸捻転というやつで、MBSでワールドプロレスリングを放送してたんだっけ。関西住みだけど想像がつかないな この頃、新日は観てたのに全日と国際は観てなかった。
3団体とも観るようになったのは翌年暮れだな、オープン選手権がきっかけだったような気がする。 >>302
そんだけ色んなテレビ局が映るって関西の何処の田舎よ 別にそこでそれだけの局が映りますよって事じゃなくて、一つの版で複数県で >>307
途中で送信してしまった。
一つの版を複数県で使用できるよう編集されてるだけだから。 FMWの大仁田とポーゴのデスマッチに乱入したミスター珍が被爆
これをビデオで見た時は大仁田、珍は大丈夫なのか?と本気で心配しましたし
ポーゴは本当に悪い奴だと思ったのも事実です。
この1ヶ月後に西宮球場で大興行を控えているFMW
成功させるために「大仁田が手段を選ばず、命がけのアン〇ルを仕掛けた」
ということなんでしょうかね。
https://livedoor.blogimg.jp/kakemuhiro/imgs/3/b/3bfde0f0.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/kakemuhiro/imgs/7/e/7ef42ee9.jpg
ポーゴが国際にフリー参戦してた時、まだミスター珍はいたかな? ポーゴの本にこの事出てこないから、FMWで初めて会ったんじゃない。
会ってたら、このアングルにも言及しそうだし。 ミスター珍は78年に国際観戦した時には間違いなくいた。ポーゴが国際参戦した76年にいなかったかもしれないが。 本人には悪いけど、珍みたいなのがいるってのも
国際の場末感を増してたな 菅原がカミノゲで、SWS時代のカブキに押し付けられたブックの惨さを猛批判してるな。
「カブキ」呼ばわりで。
カブキは自分が馬場のブックに不満タラタラで
嫌味な辞め方をしたのに、自分がやると
結局同じ批判にさらされるとは皮肉だ >>315
マッチメークの事は引退しても根に持つ人と、プロとして割り切って淡々とこなした人
(吉村や坂口)に分かれるんだな。 >>316
前座〜中堅で終わった菅原と
メインイベンターのまま引退した吉村、坂口を比較しても意味がないだろ。 北尾テンタ騒動でよく槍玉にあげられるだけでなく
何故か大相撲出身者扱いされるマッチメイカー・カブキ >>318
日本プロレスという団体が如何に角界の因習を引きずっていたかがわかりますなw 鈴木みのるとの対戦で
「普通のプロレスなら負けてもいいですよ。 でもUWFはファンから真剣勝負と思われてるから、
鈴木に負けたら、俺が本当に弱いことにされてしまう。だから絶対負けるのは嫌だ」とカブキに主張した菅原 菅原「肥後さんとの試合というのは肥後さんの技を受けるのが大事なんです。
肥後さんが空中殺法を使えるように持っていくという感覚があれば試合は成り立ちます」
プロレスで相手の技を受けるのは当たり前だろ
何恩着せがましいこと言ってんだ
大先輩に対する尊敬が足らんアポロ 肥後さんてマッハか、アポロと肥後宗典なんか接点ないはずなのに変だなと思った。 >>316 >>317
ていうか吉村自身がBI期日プロの現場監督=マッチメイカーだろ >>320
>>315
プロレス人生で大して注目も浴びた事の無い菅原ごときがクソ生意気な アポロは、邪道、外道、デルフィンに初めてプロレスを教えた人。ってのが最大の勲章になるんだろうな。 菅原の気持ちはわかるな。
鈴木は北原みたいな同じスタイルができる選手か、折原みたいな負けても傷が
つかない若手を当てればよかった。もしくし面倒くさければ同門の富毛って手もある。
藤原組とすれば大きな舞台でアピールできれば鈴木の相手は誰でもいいと思うし。 菅原を鈴木とマッチメークするメリットは・・・・・
結果は負けだけど、経過は好きなようにやってびびらせてやれって
事なんだろうが、カブキはそういう感じでもなかったのかな。 >>326
残念ながら、三人とも菅原さんに教わったから〜!とは殆ど思ってないだろうな。
邪外は同じ国際でも原と冬木、デルはユニバと遠征中の誰かだろう。
流石に菅原の>>320はカブキに同情するわw
全日で溢れてクビになったレベルの選手にそんな事言われても、は?いいから試合しろよってなるわ。
大体、みのるより弱く見られるって菅原以外に誰が損するんだよ。
それとも、みのるに負けなきゃ上で使って貰えるとでも思ってたのか? いや>>320で菅原のい言うことはもっともだろ
全日あぶれたフリーだからこそ個人商店として、自分の看板は守らないといけない
レスラーの格は大事だし、当時のしょっぱいみのるごときに簡単に寝るわけに行かない
アメリカでやってたカブキは一番こういうレスラーのプライドわかってるはずなのにさ
へんなカードを組んだもんだよ >>327
と、いうかこの試合って
鈴木の方は事前にどういうブックとして説明受けてて
それを了承したうえでリング上では最初から破ってUスタイルでいこうとしたのか?
それとも了承しないまま、あるいはもともとちゃんと説明受けないまま
時間切れでそのままリングに出てったのか?
そこからして謎なんだよなあ
少なくとも当時は人気のUの新進気鋭である鈴木と
菅原には失礼だけど地味でパッとしない旧式プロレスの前座・中堅の対戦であって
アポロのアマとしての経歴とかもあまり知られてなかったし
正直鈴木がUスタイルで圧倒して勝ったからって順当勝ち
特にそれでアピールになるってカードでもなかったと思うんだよね
カブキや藤原が二人に事前にちゃんとカードの意図を説明できてれば
例えば菅原が予想に反してレスリングで鈴木を圧倒も
最後は一瞬の返しでサブミッション極めて鈴木がUスタイルで勝ち
そこで「実は菅原はこう見えてアマレスでは〜」みたいな方向で
団体側がアピールすれば両者アゲにできたかもしれないのにね 北尾に教えてやった功績もあるんだぞ菅原は
説得力なし プロレスはお互いに信頼関係が無いと成立しない
それが証明された試合だった 菅原のインタビューで情けなかったのは
1995年力道山追善興行で鶴見五郎と戦って
ダイビングヘッドバッドの目測を誤って
失神したマミーの正体は自分だとカミングアウト
したことw
まあ鶴見が試合後に「あいつの実力はあんなもんじゃないんだよ!目測を誤っただけなんだよ!」と
マイク弁護したのも、菅原が正体なら納得ではあるが アマレス時代の実績は不良の鈴木みのるよりアポロの方が上だった
不穏試合の後にそれを知るって流れは要するに誰もアポロに興味を持とうとしなかった つーか、菅原の格なんてどこまでいっても中堅止まりだろ。
みのるに勝ったところで、「菅原強ぇー!、上位陣との試合も見たいぜ!」なんてなるのは極少数の意見じゃん。
菅原に求められてるのは、休憩前まで温める事、若手の格上げ、外国人に上手く負ける事じゃん。
何が本当に弱いと思われるだよ。
そういうのは、メインベンターが気にすることだろ。
その勘違いが、馬場にクビにされた要因だよ。 菅原や高杉、鶴見たちが宇宙パワーやマミーの中の人だったんだな‥
島田宏なんかも入ってたらしいが。
松崎が宇宙パワーにハードヒットされて、いってえーいてててえー!って悶絶してた試合があったな。
国際から離れていくからもうやめる。 >>339
馬場から直接解雇通知告げられて号泣したらしいな
下手くそで大した実績も無いから当然の事
こいつタイトル歴も無いんやないの? ハンサムで体型も悪くないアマレスの実績もある
それでもパッとしなかったってプロレスって難しいんだなぁ 試合がしょっぱかったからな>菅原
冬木、高杉、菅原で冬木だけ残した馬場の評価は
3人の試合を見れば正しかったとしか言いようがない
一番良い冬木も名脇役ポジションだろうけど >>343
北尾のSWSW追放後のメガネスーパーが北尾中心の格闘技団体を設立を計画し
高杉、菅原、剛がメンバーとして声がかかり旗揚げ戦までの間、SWSの伊豆の道場まで
使わせてもらうが計画が頓挫してしまい田中社長からかなりのキャンセル料をもらうも
剛に持ち逃げされてしまったらしい。 1996年に行われた第1回「メモリアル力道山」
鶴見五郎VSザ・マミー
最後はへっぴり腰からのダイビングヘッドバットに失敗して失神したザ・マミー
あまりのド素人ぶりに場内失笑、長州がキレたとか
驚いたのはザ・マミーの正体がアポロだったこと
あんな変テコな格好をさせられたとはいえ酷すぎる
しょっぱいなんてレベルじゃ無い 自分のプロレス観戦歴で一番酷く、しかも
一番笑った試合が鶴見マミー戦。 全身に包帯巻いた奴がタンカ乗せられて退場って
準備が良すぎるというかw 試合後、鶴見がマイクでアポロをフォローしてなかった?
「もう一度やる。あいつはあんな奴じゃない…」とか⁇ 鶴見も全日本時代は悪いは悪いし良いやられ役で寺西と並んで貴重なレスラーとは思ってたけど
後から頑張って旗揚げした団体のタイトルがIWAってとこに哀愁としつこさを感じるわ。
やっと俺もIWAのチャンピオンになれた!とか言うて喜んでたんやろか?
国際時代引っ張り過ぎがもうエエ加減にしたらいいのにとたまに見る情報でよく思ってた
鶴見がIWAのチャンピオンて本人は得意になってたんかな?と思うと
こっちが恥ずかしくなるわ IWAのベルトは本物だったんだよね
社長の遺族から買い取ったとか聞いた記憶がある >>348
鶴見「俺はあいつの実力を知ってる。
あいつの実力はあんなもんじゃないんだよ。
今日はただ目測を誤ったんだよ!」
とかなんとか。
正体不明よミイラ男の設定なのに。 【プロレスちょっといい話】
鶴見五郎がインディー団体、国際プロレスプロモーションを率いていた頃
会場では試合ビデオが販売されていたが、購入して見てみると試合の後に
消し損ねた「ドラえもん」の録画が入ってたという話好き。 娘さんに息子さんだっけ?息子は親父さんの団体のプロモーターやってたと思う >>355
情報ありがとう!
息子さん、レスラーにはならなかったのねw
鶴見もスタイル良くてあの風貌じゃなければ
浜口以上になっただろうなぁ 今思い出したけど息子さんは「ゆうに」君という変わった名前だった、字が思い出せない >>356
でもあの風貌だったからこそ
日本人中堅悪役としてガイジンと組ませても違和感なかったとも言える 鶴見もうまく振る舞えば上田馬之助のような存在になれたのにね
ヒールに徹し切る覚悟がなかったがために変な欲出して迷走しだした印象を受ける メキシコ遠征の際にNWA世界ライトヘビー級王座をドクトル・ワグナーより奪取するが試合後の計量でウエイトオーバーが判明し、タイトルを剥奪される。「そもそも最初から王座に挑戦していない」との説もあるが真偽は不明。
http://www.showapuroresu.com/belt/nwa/nwal03.jpg
当人はこのタイトルについて何か語っているのかな? そもそも試合後に軽量っておかしいだろ試合前だろ普通ってボヤいてた
主催側が鶴見がウェイトオーバーと把握した上でワザと勝たせ
その後計量して最初から取り上げる気マンマンと薄々気づいていたのでは 駒沢の鶴見の団体の興行見、チケット売り場に奥さんらしき女性がいたけど
品があって感じのいい人だったな。
試合ビデオ、確かに大量に売ってた笑 値段がそこそこしたから買わなかったけど
昔の国際の試合より海外の試合が多かったような。 >>335
キッドとスミスの新日本ラストマッチなんだよな >>360
Kaminogeで少し語っていたような気がする?
インタビューの内容が盛りだくさんだったのか?国プロ入団から海外遠征、新人時代〜
独立愚連隊〜崩壊後の全日参戦等とこれだけで異例の二ヶ月連続の前後編インタビュー
となり「次回はSWS時代も・・・」とインタビュー後編は残念ながら時間切れで
お開きになった。追記して出版されたら話がいいろいろと興味深くヘタなUWF本wより
読み応えありそうだった。 鶴見はNWA系王座を戴冠したにもかかわらず、末期国際においてのNWAルチャが来日した頃は
さほど活躍の場は無かったな。。 SWSの時もそうだが、使う側が鶴見をデカいヘビー級だからメキシカンとは合わない
と決めてかかって対戦カードを組まないんだよな 鶴見によれば全日本でシン・上田と組んでいた時が自分としてのベストだったとか 鶴見にはライトヘビー級、ルチャリブレ、NWA世界タイトルというイメージが湧かないんだよな
昔、選手名鑑でタイトル歴にNWA世界ライトヘビー級と書かれているのを見て、誤植だと思っていた
俺にとって鶴見はアフロ、ドクロ、全日の前座というイメージが強い エル・コバルデは、来日前にフィッシュマンに敗れて素顔が晒され
国プロのパンフレットにも素顔が掲載されてたのに、覆面を被ってたなw >>343
そいつら国際軍団入りしてたら解雇されてるし高杉や菅原が日本陣営なら解雇されてない気がするんだが・・ 今年の全日本のチャンカーが秋に変更されてるが同じパターンとして第五回IWAワールドシリーズを思い出す 元々、国際の第一回IWAワールドシリーズは
秋開催だったがね。日本プロレスのワールドリーグに
対抗して、春に移行したのかね?
ずっと秋開催でも良かったと思うが。 >>372
それこそ蜜月だった全日Cカーニバルに配慮(スケジュールのバッティング等)して
秋に開催したはず。 小林がいる間に木村を優勝させられてなんとか間に合ったという印象も Aブロック小林は、木村には勝つが寺西に負けアンダーソンに反則負けで脱落
木村とアンダーソンが勝ち抜け
Bブロックは草津とマリガンが抜けて
決勝トーナメントで草津対アンダーソンが両者失格
木村がマリガンを制して優勝
草津が小林と同ブロックになって、自分で引導を渡せばよかったのにw 木村に優勝させる代わりに直接対決は小林に勝たせ、小林の顔も立てた
この配慮が国際に後々までの禍根を残した
こことIWA戦で小林に二戦連敗したことで、小林>木村が明確になってしまった
小林に連勝した猪木からすれば、木村など相手にする意味はないということになってしまう >>378
それに増して「猪木に負けた小林にすら負けた木村がエースの団体なんて
誰が金払って観るか」という情けないレッテルを張られてしまうという ワールドシリーズでの小林・木村戦はテレビ中継されたの? >>373
第一回が秋なのは選手のブッキング準備の日程の問題なのか、
日プロのWリーグを慎重期して避けたのか?
でも仰るように完全に時期ずらしてそれを謳い文句にしてやった方が良かった気はするね
日プロは春の本場所、国際は秋(or夏、年末)の本場所的な棲み分けでもして >>382
三団体の春の祭典が微妙に時期がずれるがほほ同時期に開催された事が日本プロレス
史上で唯一あった。1977年の3月から5月くらいの間で新日はワールド大リーグ戦、
全日はチャンピオンカーニバル、そして国プロは4年ぶりに再開し最後のIWAワールド
シリーズ&タッグトーナメント戦だった。国プロの売りはバション&ジョーの豪華タッグ。
この二人が別冊ゴングの表紙を飾るくらいの話題性があった。国プロ勢が表紙を飾る事
は非常に希有だったはず。開幕戦の後楽園ホールには立見客まで溢れ「さすがにエース外人
を揃える強い!」と言う報道までされ優勝戦は蔵前で公式は8000人近く動員した事に
なっていてのちの国プロで考えられない最後の打ち上げ花火のようにな盛況ぶりだった。
このゴングでは開幕戦の後楽園ホールのセレモニーの俯瞰ポスターまで入っている
めずらしい国プロ押しの構成だった。
ちなみに同時期に全日で実現したした馬場・鶴田vsマスカラス・ロビンソン戦の報道
も載っている豪華版だった。 >>378
小林の次のエースは傷が付いている草津もダメだから、小林、木村と対戦がなく、
ワールドシリーズで草津に判定勝ちしていて傷がついていない井上でよかったということか。
順序的には年上で不器用で塩っぱい木村がダメだから→若くて派手な井上の方がよかったと思う。 >>383
新日のワールドリーグは猪木が不参加、パワーズも途中で辞退で盛り下がってたからね。
国際は人気ナンバー1のジョーに、久々のベテラン大物バションが参加したし、こちらの方がインパクトあった。 自分にとってのベストオブIWAワールドシリーズは、やっぱり第4回大会だな。
大化けする直前のロシモフ、まだまだ強かったジョナサン、初来日のホフマンに
強豪ラシク・・小林の日本人初優勝は強引だったけどね
次にマニアを唸らせた第3回大会の三つ巴戦、それから第6回、第5回の順かな >>385
全日ファンだったけど、カーニバルはメンバーがいつもの如しでブッチャー中心
ワルドリーグは坂口が優勝しますよフラグしか見えずしょぼいメンバー
なので国プロのワルドシリーズにいちばん惹かれていたよ。なにより新鮮だった。
こういうのはオリンピックじゃないけど毎年やるよりたまにやるのがいいのかも。 第6回はなんか「身の丈に合った豪華メンバー」と
いう感じだったねw
バションジョーの最悪タッグも話題だったし、それが仲間割れして、シングル対決という流れも良かった。
外人対決が点でなく、シリーズの線になるというのは国際にしては良く考えられていた。 マミー戦がお粗末な結末で終わった後に鶴見が
ウチらは普通の仕事しながらリングに上がってるから
コンディション云々とか言ってなかったっけ? >>387
国際の蔵前使用に対し新日本は蔵前二連戦そして全日本は武道館を使うなど大会場対決だった >>388
第6回IWAワールドシリーズ、井上への謎の冷遇
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/inoue.html 井上vsバション・ジョー・草津・吉原のルーザーリープタウンマッチか
「会社の方針だから」で済む話だけどなw
それとも井上が反抗的な態度に出ていたのかな? 最終戦のタッグ戦では珍しく草津が浜口のフォロー役を 小林がだまし討ちみたいな形で新日に移籍したから、ラッシャーをすんなり国際の新エースにできない
だからエースの器じゃないマイティを繋ぎエースとして祭り上げただけだから
冷遇もクソも最初っから予定どおりだったのでは ルールは無茶苦茶とはいえ、蔵前の檜舞台でジョーとシングル、ダブルKOというのは、井上にとって
悪いブックではないよ。
1975年のオープン選手権あたりですでに木村と井上の格差は固定されていたし。 >>395
未来永劫国際の中だけで完結するなら井上の小さなエース路線もアリだけど
他団体との対抗戦に出たり、
他団体の元常連ガイジンがガイジンエース級としてブッキングされたりしてくると
やっぱり見た目がちょっといかにも小さいからねえ 繋ぎとまでは言わないけど、井上政権は短命が宿命だよ。
でも“小さな巨人”は、素晴らしい王者だった。 井上は短命政権、というのはそれでいいのかもしれないけど
そのあとは木村政権というのでは王者の雰囲気もファイトスタイルも
時代を逆上っているよねえ。 潰れなかったら、次は本格的エースの阿修羅原時代が到来してたな。 >>394
> だからエースの器じゃないマイティを繋ぎエースとして祭り上げただけだから
器に関しては木村も同じだと思うけどね。
本来2〜3番手くらいのレスラーだろ。 第6回IWAワールドシリーズの時、ゴングにバションとジョーの巻頭インタビューが
載っていて、子供心に凄いレスラーが来たなって感じて、ジョーのファンになった。
でもジョーはこの時が全盛でだんだん扱いが悪くなっていったのが何か悲しかった。
ジョー対クインとか見たかったなぁ。 >>397>>398
菊池氏により週刊ゴングに連載されていた国プロの興亡史の中ではパワーファイターの
グラハムからベルトを奪うのは同じタイプの木村ではパワー負けするのでトリッキーで
変貌自在のファイトをする井上にベルト奪回をかけたと書いてあった。事実そんな勝ち
方だった。リングスより早く天井カメラを導入していたのは驚いた。
東京12チャンネルの田中Pは「やはり力強い力道山イメージの木村エース路線が王道
だった。」とGスピで述べていた。
>>396
田中Pは「クィンのようないい外人もいたからなまじ他団体と関わらず"独自の世界観"を
作っていけば良かったのに・・・」と残念そうだった。 "独自の世界観"なんて誰でも作れる。
問題は、それを見に来る客がいるか?
それで団体の経営が成り立つか?
なんだよね。 >>402
この時のジョーを見ると、ものすごい覇気にあふれていて、一流のバションにも負けないオーラがあるんだけど、扱いが悪くなるに連れて、並の悪役外人風になっていくんだよね。
井上にしても、王者時代の映像には輝きがあるし、ランクが落ちると、「きちんと役割をこなす仕事師」みたいになっていくんだよね。 草津みたいにエースでなくても、エースみたいな
試合ぶりする選手は、本当に例外中の例外なのかもしれんね。 >>406
草津は木村とのコンビでオープンタッグで馬場・鶴田との試合後に鶴田と木村が
小競り合いした時ももうお前ら喧嘩するなよとばかりにお互いの間にたって握手
させるとかやるので、会社での上下関係がリングに反映されたような印象であれだと
草津の方が偉く見えるから木村の立場がないよ。 >>407
フォール負けした草津が、試合後はなぜか一番偉そうなんだよなw 完璧なピンフォールを取られ、あそこで駄々をこねると余計に惨めになるし、
負けは負けと潔く認めたのは印象として良かった。
木村と馬場鶴田は張り合っていたから、あれが自然だと思うし
団体のエースとして、負けて握手なんてしてる場合じゃない気持ちもわかる。 >>407
>>409
その時は土曜8時からの生中継で、その後のメインでブッチャー&シーク対大木&キムドクが
控えてたから、グダグダせずに早く引っ込めと思ったな。
でもそのメインが、速攻6分で決着して心配も杞憂に終わったというw >>410
剛のピークなんて藤波のタイトルを奪った時だから23歳だ >>414
のちに武道館満員を連発する全日のやっと満員で空席が無くなったのは天龍&
ウォーリアーズ組の六人タッグがメインの試合からだった。 九電はあるかもしれんが
福岡市スポーツセンターや福岡国際センターもないよね? >>416
国際センターができる前に国際は潰れてた。 >>415
>天龍&ウォーリアーズ組の六人タッグがメインの試合
は89年3月だったね。
あれは生観戦したが、満員だったかな?
続く6月の伝説の鶴龍戦も2階席の上は空席があったし、
9月の天龍対ゴディなんか、淋しい入りだったよ。
全日が超満員になったのは91年ころからだな。 90年の天龍ハンセン対ゴディウィリアムスて超満員になってる。俺その時行ったけど最上階まで埋まった >>399
二度目の凱旋の時の原は体格もガッシリしてバランスも良くなっていた 馬場はよく見てたな。
全日本入団に際して「原を井上より上の
ポジションに置く」と決めた。
そして原は天龍戦で本領発揮 国際末期のIWAタッグ戦でも原が後のコールだったみたいですね >>421
井上より原は身体が大きい・・・・後にマッハと会った時に「思ったよりデカイな」発言
馬場は『プロレスラーは、とにかくビッグサイズな身体でなくてはダメ』と信じていた。 >>423
テンタ、高木、田上、高野、高山のプッシュぷりを見るとよくわかるね。 ライガーが11cmのシークレットシューズ作成を頼み断られたらしいが、
井上も10cmのシークレットシューズを花柄パンタロンで隠せば背を高く見せられた。 “小さな巨人枠”で井上は成功者だから、そのままでイイよ。 >>411
そんな昔リアルタイムで見ててワロタw
なんだかんだ言って後追いばかりだろうと思ってたからね どう考えてもハンセンの全日本初戦の対戦には
原が最適任であった。
石川、小鹿、大熊、羽田、佐藤、トンガ、井上・・・ >>383
この頃はまだ小学生でしたが、タッグトーナメントは凄く記憶に残っています。一回戦で草津井上組がバション&ジョー組に負けてこの先どうなっちゃうんだろうと。二回戦で浜口寺西組が外人組の同士討ちからの仲間割れで勝ちを拾ったんですよね。決勝ではヘス&アヤラ組のクローズラインに寺西がピンを取られたとも記憶しますが、わたし中での浜口のベストバウトは、この二回戦です。 >>429
クルト・フォン・ヘス&ジョニー・クイン組だね >>337
メモリアル力道山は1996年6月横浜アリーナ 浜口・寺西は新日本を経てようやく全日本でアジアタッグ戴冠
当時はまさに功労賞といった感じだった >>411
生中継で注目カードを放送時間内に収めるためにメインではなくてセミにする
のはよくあるので全日本から興行権を譲渡されたこともあって師弟コンビvs
国際最強コンビがその日の目玉だった。 >>431
訂正していただいてありがとうございます。40年近く記憶違いしておりました… >>435
プロレスごっこで16文キックやる時はブロディキックにせざるを得ないんだよな
通常の足を上げて当てるだけのバージョンだと相手の勢いが強いから自分が倒れる 草津の失神試合。いつもの人がアップしてくれてる。貴重や〜 幻の テーズ対草津 が?!(んなアホな!)
と思ってしまったら、やっぱ違ってた >>439
テーズ訃報時『サンデーモーニング』で日大講堂の隅田川決戦が流れたんだよな。
モノクロでバックドロップの場面はなかったけど、草津対テーズ戦は不完全ながら
TBSには映像がある。 >>438
草津対Mストンパー戦が上がってるね。(コブラクラッチで失神) >>440
TBSがそんなのを流した事があったんですか!
お宝が眠ってるんですかね。
世に出ないもんですかねえ… >>442
若き杉山のインタビューとかも流れたけど、国際DVDに未収録だった事を考えると
ニュース映像かショートフィルムだろうね。
対力道山戦なんかと一緒に草津戦も流れたよ。
他にも新間氏が79年のオールスター戦全試合の映像を所持している。 >>441
あの年の草津は、ヤマハに敗れタッグ王座を陥落。金網タッグ戦ではスミルノフにノックアウトされ、
ストンパー上げのために開幕戦で失神。どういう心境の変化で急にジョバーやるようになったのかな? >>443
オールスター戦はメインから下がって数試合はテレ朝が収録して保存しているらしい。
倉持アナ実況版はテレ朝の映像なんだね。TV収録無しのはずがテレ朝が中継車を入れて
驚いた日テレ・原Pが猛抗議して阻止したと言う話があったけど実況無しの収録だけは
許可されたんだね。日テレのスポーツニュースで数分間だけ流れたリングサイドからの
の映像がどこの物なのかな? >>447
テレ朝と日テレが「ニュース枠ならいい」とのことで折り合ったが、
日テレがカメラ含む中継車を持ってこなかったため、テレ朝から映像を借りた。 オールスター戦の映像は全試合あるはずだよ
何年か前に後楽園ホールで行われた『10.7 蘇る昭和の新日本プロレス』で
第一試合のバトルロイヤルから順に上映されたんだけど、
時間の都合で試合途中で中断されたんだよね😢 91年6月、吉原功国際プロレス社長七回忌ツアー
バスの中で呑んだくれていた木村はバスが降りれずフラフラw
木村、草津、浜口、前溝、若松、鶴見、大位山、門馬・・・
酔った浜口がうるさいw
https://www.youtube.com/watch?v=Msa_QzaDAkw
https://www.youtube.com/watch?v=TVKJwAGWgVw >>447
逆だよ
社名の入った中継車は入れないという約束で
テレ朝は機材をバラして準備してたら日テレが開場30分前に中継車で乗り込んできた
テレ朝の栗山が抗議して追い返した 小林のIWAヘビーやIWAタッグにも挑戦したブロンドボンバーズ(ハリウッドブロンドズ)のジェリー・ブラウンが亡くなったね フリーバーズでゴディとヘイズのお荷物みたいに扱われていたロバーツしか知らんから
ブロンド・ボンバーズの凄さがいまいち信じられなかった >>454
ブロンドスに踏み台にされたストロングさん。血だるまにされた小林の姿に国際の
エースだった頃の輝きは当然ではあるがなかったな。 決定戦の名古屋大会は新日本史上最低の入りだったとか >>449
なんで発売されない。昭和プロレスブームの今こそ >>449
メインの試合映像、ノーカットで見たことあります。1980年くらいだったかなぁ。当時は月刊であったゴング誌の企画で。水道橋あたりの貸会議室みたいな一室で、抽選で当たった読者数十人を集めての秘蔵映像の観賞会みたいな企画で。 ビネガーシンドロームでフィルム再生視聴が
不可能になるに一票
永遠に見られない幻の映像となる 「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」のDVDですら
出演者の映像がモザイクだらけになってるって話だし
オールスター戦のソフト化なんて99.9%不可能だろうね 新間の話だとオールスター戦のDVD発売の企画は進んでた事があって、その際日テレ、テレ朝、猪木、元子等の許可も得ていた
でも各会社、選手に払う金額と売上げ予想を立てたらとてもじゃないが大赤字にしかならないとなって企画自体立ち消えになったらしい >>461
収益からのパーセンテージによる支払いにするしかないな。
収益−販売者の経費を計算して、残額を振り分けていく。
例えば、故人を除いて、メインの猪木、ブッチャー、シンが各5%、セミの小林が4.9%、
その前の藤波、マスカラス、戸口、高千穂が4.8%・・・と計算していく。
それでもめるなら、映っている全選手均等割しかない。
猪木もバトルに出た鶴見、ヒロ斎藤も同額。 >>462
普通に馬場や木村、鶴田の遺族にも払わなならんだろ。 日テレG+でBI砲が解禁になったんだから、クラシックでの放送できないのかな?
年末の特別企画か何かで… >>461
ギャラなんかいくらでもいいやろ。みんなちょっとでも金入るなら喜んでOK出すと思う。ギャラ以外になにか障害があると思う。 >>460
「テレビ探偵団」で力道山対キングコング戦を流そうとしたが力道山の遺族は日本に
いるので連絡が取れるがキングコングは本人と遺族もどこにいるのかわからず断念した
と言う番組制作の苦労があった。
>>461>>462
日テレと東宝映像が制作しTVドラマとしては破格の制作費をかけた
「東京大地震マグニチュード8.1」と言う作品がDVD化を企画した祭に日テレと東宝が
利益配分で揉めてDVD化が流れたと作品を上映した時のトークショーで特撮を担当した
川北監督が話していた。
Tajiriの所にはわずかながら海外時代のDVDの権利料が毎回、振り込まれている。
WWEってそう言う所はしっかりしているんだね。
>>466
「燃えろ!新日プロ」のDVDも延長されるほどの大ヒットになりながらNOAH勢はとの
試合はDVD化されたのにカーンと小川の試合はDVD化されなかった。
小川は金銭だろうけどw カーンは新日との感情的な縺れの問題なんだろうね。
カーンの名勝負や好試合は新日時代の方が多いのに残念。 ジャパンライフがいよいよヤバいな
新間もやばいな
まあ豊登と一緒に車の燃費を良くする?w商品を売りつけて回ってたっていうから
素質は有ったんだな >>467
あぁテレビ探偵団のスタッフ大変ってなにかで読んだ。
とにかく写ってる人全員に許可取る作業が
プロレスなんかお客さんの肖像権とかどうなるんでしょうね 客の肖像権なんて無いだろ
街でインタビューした時は許可をとるらしいが、街中の群衆なんか映っている。
たまにモザイク掛けの人はいるけど、カメラに映るのは困るとか言ってるんだろうね
プロレスクラシックでもライブDVDでも、客に許可なんか取ってないよ。 >>469
ライブドア・ホリエモンがフジテレビを買収しようとした時、
「フジテレビの良いドラマをネットで配信したい」と言ったところ、
フジ日枝会長が「実はそれ難しい。今はビデオやCDでの二次的使用も見据えた契約になっているが、
昔は二次的使用というものがなかったから、やろうとすると原作者、脚本家、製作会社、テレビ局、通行人など
エキストラ含む全出演者に許諾を得なければならないが行方不明者、故人もいるので難しい」 >>471
本郷功次郎の方がよっぽどレスラーっぽい名前やな >>472
昔は二次的利用なんて考えてなかったからな
VTRは高価だからって理由で大河ドラマですら上書きして消しちゃった時代だからね
藤岡弘とか出演者が個人的に撮っていいたビデオを提供してもらっている始末 国際プロレスは例の疑惑の男が録画した3倍速に頼りきっているわけだが >>467
ジュニア三つ巴戦が入らなかったのが残念 そー言えば昭和プロレスのテレビ録ったビデオ普通に通販してたヤツいたな。当然捕まったとは思うが 昔だと捕まるまで行くかとなると可罰的違法性は微妙だね >>453
> ブロンド・ボンバーズの凄さがいまいち信じられなかった
“すごく”はないんだよ、ブロンド・ボンバーズもブラウンもw
あくまでなんか「いやらしい」だけで
でもそれも悪役としては一つの立派な在り方なんで ブロンドボンバーズ(ハリウッドブロンドス)は強さとか凄さは感じないけど、狡賢こくて巧いコンビに見えた
例えるならパターソンやスチーブンス的な(単体だとだいぶ落ちる) >>472
NHKが権利問題が五月蠅くなり始めた時期に大河ドラマの再放送をしたら通常のドラマ
が制作できるくらいの費用がかかってしまったなんて話がある。全日のアーカイブス
の権利をブシロードが狙ってWWEのようにプロレスアーカイブス一本化しようと企んで
馬場家の相続人と接触しようとしていると言う話があった。燃えろ!新日プロを出した
出版社のスタッフは全日版も出したいと希望がありトップバッターはオープンタッグ決勝
とも語っていた。馬場のDVDを出した出版社のスタッフは元子夫人との交渉の苦労を
語っていたw
>>481
1+1=2でなく3や4になるのがいいタッグチームと言われてその典型だったらしい。 桜田の話だそうだ
桜田もそんなに上手くないんだけどね
レスラーが増えたら新日をクビになった位だし
>日本プロレスの道場では、ミツ・ヒライが細かく巧い指導で基本をしっかり身につけた
>日本プロレス出身者と国際プロレス出身者では、技術のレベルが違っていた
>グレート草津は下手くそでくせがあり、国際プロレスで巧いのはマイティ井上だけだった
>全日本の“若手三バカ”の中では、一番センスを感じたのは渕正信。
>逆に駄目だったのは大仁田厚。要らないアピールを始めてすぐ弱音を吐く。
>日本プロレス時代は上田馬之助の付き人だった。上田馬之助はレスラーとしてのアピールが華やかではないので、
>タイガー・ジェット・シンと暴れていた頃でも、アメリカでは自分より前で試合をしていた。
>天龍源一郎のSWSの契約金は3億円
>鶴見五郎は吝嗇家で、SWS時代もグリーン車を普通席にして金を浮かせていた。 DVD発売、ネット配信、地上波 BS CSでの再放送
全部同額の権利金が必要なの?
プロレスクラシックに限らず出演者全員の許諾取るなんて不可能だろう >>481
一人ひとりとガチ(笑)でやればコテンパンにできるし、そうしたいのに
二人いるからこすっからいことばかりやって逃げ回り
ちゃんと戦わせて貰えない、これはかなり頭にくるヒールだよね。
力が1+1が2となって強いというよりも腹立たしさが何倍にもなる、っていうか。 IWAタッグ王者時代の小林と草津のコンビネーションは良かったのかな?
74年に組んでいたら、1+1がマイナスになってたろうね >>484
最近だと平尾昌晃遺産相続、今後50年で60億、後妻vs息子。 >>486
ショッツ&ヘスやゴリアス&ゴールドマンあたりもそうだな。
新日本黎明期にはもってこいのキャラ設定だ。 吉原社長の七回忌のバスツアーに当時SWS所属選手が居るのに全日所属選手が来てる
元子は木村や寺西が出席するの反対しなかったのかね? >>490
一緒にいちゃいけない、なんて管理までしないだろ?普通に考えてもできるわけないし。 なにがあろうとお悔やみの席に参加を禁止するやつがいると思うか? 大熊、鶴田、馬場の葬式でもお断りされた選手居たからね >>489
ヘスは三団体全てでタッグ王座に絡んでたな
全日本ではアジアタッグだったが >>495
戸口は馬場宅に弔問に行って追い返された
小鹿は馬場お別れ会に一般で並んだが百田が来て「元子さんが帰れと言ってます」と言われた。
天龍は大熊の葬儀に行ったら、何しに来たんだ!!という雰囲気で全日に対する気持ちが冷めた。 国際も全日本も、裏切り者に対する扱いってキツいものがあるよね
ストロング小林に対しても最後まで「あいつは許せない」って言ってる(言ってた)レスラー居るし
国際は吉原社長に対しての、全日なら馬場に対しての忠誠心が団体としての結束力を高めてたからかな? 裏切ったというか馬場から冷遇されたから出て行くしかなかったんだよね
ギャラは安いし、怪我したレスラーにはかなり冷たかったらしいね 旗揚げ以来の創設メンバーや子飼い以外の他団体からの中途採用メンバーは解雇でもしょうがないよね。
日プロの小鹿、国際の菅原、高杉、剛、ジャパンの栗栖、寺西など。
轡田や原は別口。 >>493
>>496
元子が異常なだけなのでは… 芦原英幸の葬儀の時に石井和義は門前払いを食らった
桑名正博の葬儀の時に元愛人の尾台あけみは門前払いを食らった
ホイットニー・ヒューストンの葬儀の時に元夫のボビー・ブラウンは門前払いを食らった
よくあることだよ 馬場は上田に大熊の訃報すら知らせず上田はそこまでするのか、と泣いて抗議したとか 上田と言えば馬場の死後に「クーデターを密告したのは俺じゃない。馬場だ。」と言い出したが
上田の付人だった桜田はあっさりと「密告したのは上田さん」と言い切っている。
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar649182
――どうして上田さんは猪木さんを裏切ったんですか?
桜田 それは知らないけど。「猪木と一緒にクーデターをやるはずだった」ってことを
芳の里さん(当時の日本プロレス社長)にバラして。その内幕を原稿用紙10枚くらいに書いてきたんだよ。
上田さん、字が凄くうまいから。
――「こういう計画を猪木が企んでいる」と。
桜田 選手全員集められて、上田さんがその原稿を読み上げて。みんなビックリしたよ。
芳の里さんたちがゴルフをやってるあいだに、猪木さんと上田さんが会社を乗っ取ろうとしてたんだよ。
――事務所に乗り込んで手続きなんかをしてしまおう、と。日プロのエースだった馬場さんは知ってたんですか?
桜田 馬場さんも知らない。だからみんな反発したよ。やっぱり乗っ取られるのは嫌じゃん。
自分たちのやりやすいようにやられちゃうかもしれないから、みんな反発した。
猪木が事務所に来たら叩きのめせってことで、5〜6人で待ってたんだよ。でも、来なかった。 >>486
新日はまたテレ朝の資本が入ったりして映像を録画したテレ朝とブシロードとの関係が
良好だけど全日に関しては分裂時の日テレとのトラブルやその後も分裂を繰り返したり
複雑なんじゃないのかな?再放送に関しては日テレの独自でできるけど他は別で費用も手続き
も違うはず?猪木vs.アリ戦のDVD化権に関してはアリ側に無くなぜかテレ朝と付き合いのある
米国の会社が持っていてそれがわかる交渉がスムーズに運んだらしい。
>>496
馬場のご遺体がマンションから運び出され時に全日レスラーが総出で並び見送るも
鶴田夫人が「なぜあの人達が・・・」と前列の中央で堂々と大きく映っていた
「外様の永源と馳」を見て悲しくなったらしい。鶴田が永源に嫌みを言われてた後だったんだろうね。
この二人の森元総理・石川県コネクションにつながる政治力を見るとしょうがないか? 自分を裏切って奈落の底に落とした上田を新日で使った猪木は懐が深い人というよりも、裏切り者でも利用価値があれば手を組み利用するサイコパス的な人なんだろうな。
猪木だって上田が邪魔になれば平気で裏切って切り捨てていただろうね。 経営者にはサイコパス気質が高い人が多いとはよく言われるが、感情よりも利益を優先しなければ会社の経営なんて出来ないよね。 >>505
馬場も離脱に追い込んだ上田を蔵前の記念興行のメインに使ってるしな
八年前の離脱の最後の試合は蔵前の前座だったが 上田馬之助は表面的には悪役ぶって強くあろうと自分に言い聞かせるように晩年を過ごしたけど
人間的には弱いまんまだという事が「金狼の遺言」でハッキリした
わが身可愛さに裏切り者にはなるけど、裏切り者と他人から責められる事に耐えられない
だから馬場の死後に「裏切ったのは馬場」と言って死者すら貶めた
死人は反論できないから 馬場として上田を引っ張るつもりはなかったが引き抜いたシンが自分のパートナーとして上田を望んだので仕方なくって感じだったか >>507
1970年の大晦日なら、S小林はアメリカ遠征中。 >>258
武藤はじめ三銃士でしょ?この人らはできる人やから
あの頃でも片山明とか良い人はいじめられんだよ 花道で高野俊二に意味無く殴られてるの見た。 >>17
変な特攻精神ありそうやけど
下手くそそうなプランチャやな >>22
おー、あの時代にしては非常に頑張った優秀な番組やったなぁ 97年前後。
製作者も日本のはずやけど
なぜかヒロ・マツダが英語やったな >>66
しかし公には言わんよなあんまり
暗黙ルールがあるんかな。
北斗がゴンゴンと会った時もヘコヘコしていたな >>67
菊池さん監修の本はあるけど
菊池さん自身の本は無いんでは?
ゴーストライターもしていたと聞く。
なんか懐かしいよね菊池さん >>72
誰だよ あぁ〜こいつもこいつも亡くなったなぁ〜っていうのに小鹿を入れそうになった奴は >>129
剛は技術ないけど、
スーツ姿のマイクアピールYouTubeにもあるけど、
なんか熱い物が込み上げてくるマイクアピールなんよな。
わからん部分もあるけど、なんか熱いものは伝わった的な >>514
>72年はラッシャーとか輪島も写ってる
72年レコード大賞での輪島と言えば、
「歌唱賞受賞和田アキ子への菊の花贈呈事件」だな。 >>131
俺も最近そう思ってきた。
大仁田厚は技術ないけど
自分の売り出しはスゲーからなぁ。
佐山は欠かせない。天才。
あとやはり天龍もかな。
選手としても凄かったけど
Sの移籍の事で名を残すとしたら
少し悲しいな。 >>339
それでも菅原はあの歳で再婚を決めた。
関係ないけど… >>349
でも90年代中頃くらいまでは
まだ国際伝説があったような気がする。
剛ドームショア
冬木ドームガムテープ
鶴見マミー
ファミリー軍団
もはや懐かしい >>516
Gayoでもやっていたね。このスレ的にはガニア、ジョー、ワフー、ラシク等があった。
古いのでガニアは認知症の発症前で元気だった。日本の相撲に興味があってTVでずっと
観戦していた。マツダは日本のプロレスを紹介しようと現地のケーブル局と提携しよう
としていた。西村によるとこのビジネスが中々、うまくいかなくて心労が溜まったのが
病気の原因なんて後年に話していた。逆にミスターフジは時折、日本語で答えていたかな?
ラシクが商業施設でチャリティーサイン会を夫婦で開催していて結構、盛況だった。
やはりAWAで大スターだったんだね。もう物故している人も多いので貴重なアーカイブス
だと思う。 >>446
不思議やな
坂口も負けず大酒飲みやのにまだ元気。
草津さんは亡くなってだいぶ経つのにねぇ。 >>397
ガニアとのダブル戦を実現できたのは大きかった >>510
上田の言い分が全て真実かは置くとしても遠藤幸吉がクーデター計画を知っていたというのはあながち嘘とは思えない
馬場から幹部に情報が漏れていたの事実ではないのかな
上田の立場からすればそれは裏切りということになるのだろうけど馬場としては下手に自分が巻き込まれるのを回避するため先手を打ったということかもしれない
幹部は情報提供者である馬場を守るために上田の密告という形に収めた可能性も否定できないと思う >>532
吉原の解説でハゲのレスラーは総じて強い!と言うのがあったw
何でもブリッジワークをしっかりするとハゲるらしいww
ガニアと契約していた頃の発言だから、気を遣ってたのかな >>534
会社の定款って非常勤も含めて全役員が判子を押さないと変えられないはずだけ・・・
猪木が社長になるなんて簡単ではないはず・・・
それだけダラ幹達が痛い所を突かれていたのかな?
若手時代の「上田は気の弱さが顔に出てしまう」と言われていた。 >>534
ユセフ・トルコも上層部にいったのは間違いなく上田と言っているけど 今クーデターを語れるのは、猪木坂口と小鹿カブキ小沢くらいか?
藤波や健吾は新弟子の頃だから、詳しく知っているか不明だし
張本人の猪木は口を割らないだろうし…
遠藤はもう語れないだろうなぁ 移転前にカブキさんのお店で酔った勢いでクーデターの件を聞いた事が有るんだが
「話すと色々面倒でね・・・」と 教えてくれなかったよ 桜田の証言もそうだがみんな上田だって言っているな
ユセフ・トルコ「猪木啓介との対談で「いや、アレを上層部に言ったのは間違いなく上田」」
三澤正和「実際の会議で猪木さんが『馬之助、テメェ、よくもばらしやがったな』と言っていた」
佐藤昭雄「猪木を糾弾する選手会の席で、猪木は上田に「男と男の約束を破りやがって」と食ってかかった。」 >>536
そうだよな。
過半数の株でも買い占めない限り、できない。
その理論から考えると、すべての話が振り出しに戻る。 どちらにも弱みがあるから結局、裁判沙汰にはならなかったんだろ? >>540
カブキは70年9月から2年ほどアメリカにいたから詳しいことは知らんのでは
>>538
木村健は入場前じゃないかな 改革に賛同していた選手会が「裏切り行為」として一番、激怒して硬化したのは
「社長就任後に猪木が嫌いな相撲出身レスラーを中心に一次、二次と戦力外の選手を
整理すると言う案が漏れた事」と小鹿が証言していたのが新鮮だった。これだと選手会
が激怒していた理由もわかる。猪木追放を声高に叫んでいたのは選手会で若手をまとめ
ていたヒライは急先鋒だった。この時点でも興業の関係もあるのかダラ幹達はあまり
激怒しているように感じられない。それどころか怒り心頭の選手会をなんとか宥めて
札幌のインタータッグ戦までの猪木参戦を認めさせている・・ それでも猪木は新日のリングに上田を上げたんだよな
和解したのかどうか知らんけど
ふつうなら絶縁して二度と顔も見たいくないだろう
そこが謎なんだよな
二人の間には二人にしか分からない秘密があるんだろうな
上田はもういないし猪木は墓場まで持って行くだろうから永遠に謎のままなんだろうけど 喧嘩別れして訴訟合戦した豊登も新日のリングに上げたよな
これだってふつうなら絶縁だよ
猪木はやっぱりサイコパス系だよな >>547
猪木は自分で「こういう(過去を水に流す)性格は自分の良い面だと思うようにしている
芳の里も馬場ではなく私を頼ってくるのだ」と言っていたからな >>545
知らない事でも、さも知っているように語るカブキ。
それを鵜呑みするバカなファン。
俺、カブキの店に行って、彼の話を聞いたが
酔っているにしてもデタラメ、自分本位な話ばかり。
そして、自分の店ならともかく、それをムック本なんかに
話をして、さらに恥を晒している。
最近は「猪木は(1964年春)、アメリカ武者修行に出されたが、
向こうで売れず半年で帰って来た」とか戸口との対談本で書いているが
これも明らかに間違い。
もう、ボケているんだろ?www >>549
そうなんだ
馬場だったら裏切った奴は絶対に許さないだろうね >>550
そんなカブキの店にお金を落とすあなたは優しいw >>549
聞き手「長州さんは何度か出たり戻ったりしていますが、自分を裏切った人を許して受け止めるじゃないですか?」
猪木「裏切ったったなんて思ってないんだもん。自分の道だからいいじゃない。好きなように進めば」
6:15〜 https://www.youtube.com/watch?v=JWnDWJM-y1M&t=570s >>552
下世話な話は結構好きな人はいるだろうけど、調子に乗って何度もやったら流石に飽きたり
胡散臭く思う人間は出てくるよ。上田にしても真実を打ち明けるつもりなら証拠をすべて
出すつもりで言わないといけないのに、そこを後回しにしているうちに亡くなかったから
馬場が裏切りを赦さないのはむしろ新たな裏切りを防ぐためといったニュアンスが強い
その意味で猪木の場合は裏切りを抑制できないともいえる マイティ井上とアニマル浜口
どっちがキキディーのテーマ曲使ってたの? キキ・ディーの曲がプロレスのテーマ曲になったの?
エルトンとのデュエットしか知らないわ 「I've Got the Music in Me」
唄無しの曲だけだけど井上浜口組?で流れる 当時日プロにいた人間全員が過去から現在に至るまで上下左右の人間関係利害関係その後の付き合い等全部ひっくるめて知った上で、上田が上層部にバラしたと言ってるのでこれは確定でいいんじゃないのか?
特に小鹿は上田がバラしに来たスナックその場に居合わせて、説明に呼び出された馬場の狼狽ぶりも見た上での発言。
上田は最後は馬場が裏切ったといってたが、男は馬之助等でプチブレイクした時期は馬場猪木が自分の事を軽く扱ったのと日プロへの恩義で報告したと言ってた記憶がある。
猪木上田の雑談から追放まで2ヶ月足らずの出来事なので練られた計画でなくザルな計画な事は間違いなく、途中で都合よく見つかった2重帳簿なんかは綺麗サッパリなくなっているし色々謎。
猪木としては練習しない線選手は首、相撲スタイルの新人イビリ上下関係は廃止、芳の里、吉村、遠藤等は首なんかのの大雑把な計画が、怪しい人間関係の中で大発展してしまったんだろうと予想。
馬場以下殆どの選手は遠藤は問題だが芳の里吉村の事は信頼していたが猪木違っていて、馬場にこっそり裏で3人纏めて首切りの準備していたのがそもそもの間違いだと思う。
猪木の後援会長だった木村という方が一番詳しいのだろうけどもう故人だろうな。
自分としては昭和プロレス最後の謎なんだけど、猪木が死ななきゃ明らかにならない部分が多いと思う。そのままなかったことになる確率のほうが高いかな。 >>558
サンデイ・ネルソンがその曲をカバーしたのが、長年曲名がわからずマニアをモヤモヤさせた通称IWA世界タッグ選手権試合のテーマだよ。タイトルマッチ以外にも特に誰のテーマというわけでもなく使われることもあったけど。 12CHは国際の中継より世界のプロレスの方が安く上がったのかな?
世界のプロレスって余り番組の裏側って語られないよね >>561
吉原は通常の放映料の他に一流外人呼ぶための追加費をテレ東に絶えず無心し続けた
国際の方が無駄に経費かかりまくりな印象だなぁ >>561
世界のプロレスは向こうの映像を買って
日本語の実況+レスラーに声優の声をかぶせるだけで済むから
どう考えても国際より安上がりだと思う >>559
上田のWikipediaによると、竹内宏介はその著書で上田から情報を得た馬場が幹部に報告したと書いてるらしいですよ
自分はその竹内本を未読ですが
個人的に不審に思うのは、芳の里・吉村・小鹿が飲んでるスナックに上田が電話してきたという点
これが上田の裏切り行為の発端ということにされているが、そんな重要な報告を飲みの席への電話で済ませるのは不自然ではないか?
桜田など他のレスラーが上田の裏切りを知るきっかけは、書状にしたためたクーデター計画の内容を上田が皆の前で読み上げたことだけど、上田の自伝によればそれは事前に計画を把握していた遠藤に詰められて仕方なくやったことらしい
つまり上田の言い分によれば、自ら進んでクーデター計画の内容を皆の前で報告したのではなく、既に計画を把握していた幹部に強要されて仕方なくやったことになる
幹部は上田の裏切りを印象付けるために敢えて公開の場で上田に計画内容を語らせた可能性もある >>560
おお!ありがとうございます
IWAタッグのテーマなんですね
ノリの曲なんでセンスいいなあと思ってました >>549
>>552
わりとよく言われるが、二人はそれぞれ典型的な猪木なら分裂気質、馬場なら偏執気質なんだろうね
>>561
ああいうのはB級映画なんかと同様、基本はパッケージのまとめ買いだから格安
国際中継前にやってた「プロレス・アワー」にしてもあれは直買い付けとはいえ
当時のWWWFにすれば日本どころか米でさえまだCATVもレンタルビデオも普及してない時期だから
フィルムに残してといってもそれは各地域のローカル局に卸すためのもので
現代のような配信やパッケージによる独立したコンテンツビジネス用って感覚は無かったはず >>548>>549
東プロ崩壊で猪木vs.豊登&新間一族で裁判沙汰にまでなったのに猪木の1億円と言われた
結婚式に招待状が来た時は涙が止まらなかったらしい・・・この頃は猪木に公私ともに
絶好調で新間を必要とする理由は無かった・・・
>>551
天龍のSWS転出を慰留しょうとした馬場が天龍から「馬場さんは"この事"を忘れませんよね
・・・」と言われて頷いたと言う話があるね。一度、馬場に弓を引いたレスラーは
全て覚悟しないといけないけど在命中にUターンが許されたのはブロディとブッチャー
だけでOKだったのはなぜだったのか?大幅なギャラダウンを了承させた上でだったけど。
>>561
五夜連続スーパーテレビの枠で「アメリカンプロレスの全て!」と言う番組が二日続け
放映されて高視聴率を取りプロレスブームに沸く中で広告代理店経由でテレ東にレギュラー
化が持ち込まれた。
WWFアフターバーンの時も同じだったがこっちは深夜枠なのでスポンサー集めに苦労した。
解説・門馬氏はの取材で何度が海外へ行かせてもらったのはプロレス記者として大変
な財産になったとYV局に感謝していた。
レッスルマニア開催の2ヶ月後に2週連続放映とかにあったけど最大のヒットの実況陣が
スタジオからフロリダに乗り込んで日本語で試合前にインタビューまでした
ウォーリアーズvs.ハンセン・レイスでハリケーンが迫る中で行われ試合後に中継スタッフ
はマツダに歓待されてハリケーンに怯えるスタッフを横目にマツダは涼しい顔をして豪雨
の中で車を飛ばして帰宅したらしい。 >>565
個人的には上田の話は時期によって変化しており全く信用しておらず、また竹内さんが馬場に都合の悪いことを書くとも思えない。
時系列から言うとほとんどの資料では
スナックで上田暴露→馬場が呼び出され尋問知らぬ存ぜぬを決め込むも秘密の情報の漏洩と内容の違いに驚く→馬場逃げ回る上田を追いかけ回し尋問→委任状取り上げ→幹部報告
だと思う。
暴露した時点で猪木を裏切り馬場を騙していたことが明らかになるため、早めに保身する必要があった。それが被害者パフォーマンスの告発文の読み上げなのではないか?
上田は当時自宅を購入し金銭的に苦しく給与改善をして欲しい理由がはっきりあった。
逆に馬場は宴会があれば追加で金を払い、猪木派の選手にも小遣いを上げたり食事に誘ったりで金銭に余裕があり、派閥争いに憂慮していたことが伺える。
更に元子との結婚問題もあって騒動起こす理由が無い。猪木が用立ててくれた手形は?だがケチンボの馬場が支払い宛のまったくない借金に苦しむというのも考えづらい。
これらの事はみんな知っており上田のことを信用している人が全くいないのだと思う。。
>>568
馬場は特に外人は金を積まれればどこにでも移籍すると割り切っていたと思う。自身も何人も引き抜いており、ご破産になったがマードックも戻って来れるはずだった。
日本人レスラーにしても契約で縛っても上手く行かないときは上手く行かないと思っており、ジャパンが来たときも馬場は後に泥の中に手を云々と言っているがこの関係は長く続かないと感じてたと思う。
馬場はジャパンには星勘定では優遇していたが譲らないところは絶対譲らず、国際と違って絶対的な強さと賢さがある。鶴田の格は下がらず天龍は格上げになった感すらある。
SWSのときも史実では全面戦争になり全日の勝利で決着したが、当初は馬場は天龍が運営にくる苦しみ自分を頼ってくるものとタカを括っていたのではないかな? 猪木は、自分を裏切った人間を
「許している」のではなく
「忘れている」んだ。 >>569
対抗戦で一番重要なのは、内容じゃなくて勝つこと!
全日で過ちを犯しているのに、新日では更に屈辱的なマッチメークを飲んでいる。
全国ネットに映って興行成績が上がると本気で考えていたんだろうなぁ
マイナー感を晒しただけで、何か見返りがあったとも思えない
>>570
忘れてなんかいない、猪木のモットーは馬鹿になれ‼ >>568
>ブロディとブッチャーだけOKだったのはなぜだったのか?
その二人が群を抜いて知名度があるレスラーだったからでしょう
マードックと戸口が許されなかったのと比べたら納得できる マードックは糞尿のトラブルがあって、ジョーさんがあいつを戻すなら辞めると馬場に言ったため出戻りキャンセルなったという噂を聞いたことがある。 >>571
猪木は「嫌いなレスラーは誰ですか?」と聞かれると
「ブロディです。試合開始直前まで揉めていた。」と即答するからな
表情を見ると本気で嫌いなのが分かる
長州だろうが佐山だろうが出戻りを許して
人を選ばぬ猪木にあそこまで嫌われるのは凄い アニマル・ウォリアーが死んだそうだが、マネージャーのポール・エラリングはもう鬼籍だっけ
レスラー時代に国際に来てたんだよなぁ知らなかった 急逝したホークとアニマルと違い早くに身体を壊して現役を引退したのがエラリングには吉だったのかもね
ステロイドしながら現役を続けてたらエラリングも急逝してたと思う >>581
スーパースター・ビリー・グラハムも存命だが早いうちにステの悪影響が出て
セミリタイアになって1987年に正式引退したのがかえって良かったみたいね >>568
ブリスコも出戻ったぞ
それとスヌーカも >>572
「こういうのは勝ち負けが大切だと思います・・・」と言う事を田中Pも語っていた。
対抗戦での敗戦を抗議すると「ネットされていない地区にも名前が浸透した!」
と言い換えされてネット局数の事を言われると面白くないTV局側と溝ができてしまった。
>>575
「試合寸前にギャラアップの言い出してきた・・・」とさんまのまんまにゲストで出た時
に語っていた。
>>581
ウォーリアーズはステロイドを自分で使うだけで無く各レスラーに販売して「この筋肉を
つけるにはこのステロイド!」とトレーナーのように指導していたと戸口が証言していた。
戸口は頭髪が薄くなりそれでステロイドを止めたとも話していた。 キャピタルスポーツ今日やっと買ったわ
来たら国際ファッションでアフターコロナの世界を歩いてやる
ただのダサジャージ着た変人なのは理解している 「トレーニングウエア― キャピタル」
と大きく描かれたのが欲しいんだよ >>585
モドキなのが残念。完コピーだったら買うのに。
たしかにあれじゃただのダサいジャージ >>587
そう完全コピーが欲しいんだよ
あのカッコよさ鮮やかさ Gスピのアポロ菅原後半インタビューは印象深い、すでに聞いた内容もあるだろうけど
上田馬之助とコネがあったことも知らなかったし、パイオニアに一回出ただけでその後参加しなかったのは
剛にバカ負けしたわけじゃなくて遠藤光男に北尾を紹介されたからだというのも知らなかった
高杉もいい加減なこと言うなぁ もし国際プロレスがTBSとかでゴールデンで80年代まで放送されてたらどうだったのか。
3強1弱1番外地。1弱のテレ朝の新日ですら弱体外人でもなんとか猪木のネームバリューで
視聴率とってたようなもんだし、国際なら奇をてらった試合形式で人気を集めたかもしれない。 キャピタルスポーツもどきやめたほうがいいぞ
ちっちゃすぎ、ピッチピチ
174cm、78kgでそりゃデブだけどXLなのにありえないくらいピチピチ!
苦しくて着れないレベルです。
XLでも高杉や菅原は着ることすらできないだろう。
SとかMとか、子供か小柄な女性しか着れないんじゃないの?
まあ二度は買わない。 >>590
TBSじゃ奇をてらったアイディアは出来なかったんじゃない?
カマタは兎も角ジョーは埋もれたままだったかもね。
ベイカーとエンフォーサーのコンビで全日のアジアタッグとかはあったかも。 完全な復刻版でも街中を闊歩する気にはなれんけど
あのモデルには失望した >>589
同じタイミングで「俺たちのプロレスシリーズ」からSWS本が出ているね。 キャピタルもどきは、一番大きいXLで
ユニクロ換算でL程度だと思う。
LLとかLと下がっていくにつれてさらに小さくなっていくと思う。
ユニクロだったらLLでゆったり着れるんだが、本当に小さかった。 >>590
80年代は日テレも、下手すればTBSさえも「弱」だった。 忍者頭巾を被った剛とバリーウィンダムの試合が上がっている >>593
バリーウィンダム盛り上げのためのジョバー役なのに技を受けようとしない
多少やり返すのは試合の流れでしかたないにしても、ダブルアームは完全に余計
試合後にバリーが明らかにイラっとしてるのも無理はない >>599
フジは様々な社内改革行い「マンザイブーム」の波にも乗り2強を追い抜き黄金時代に
入った。東大出の多い官僚体質のTBS、大正力のコネで多くの人材を採用して人事が硬直化
した日テレを横目に独走状態になった。日テレはフジの番組を分単位で徹底的に分析し
優秀な人材確保を目指し在京キー局では異例の中途採用も始めた。
ちなみガキ使の菅Pとか全日中継の若林アナも他制作会社や他局からの転職組だった。
日テレはこの改革がのちに功を奏す。 今日は第五回のワールドシリーズで井上が草津に判定勝ち >>604
なに恥ずかしがってんだよ
これ着て街中を堂々と歩いてこそ漢 >>603
自分は井上に判定負けなのに小林には寺西にフォール負けさせる鬼畜な草津 そう言えば国際vs狼軍団のレフリーをヒトがやっていたのにヒトが阿部四郎もどきを
演じるのかと思いきや公平にレフリングしていたのはワロタ。正直ヒトにそんな真面目
なレフリングを求められているとは思ってないだろうに キャピタルジャージは、当時の会社が復刻したものと違うのかな? >>611
既に元の会社はスポーツウェアから撤退していて、現在キャピタルの権利を持っている会社に復刻の是非を聞いたら、復刻するつもりはないけど、もし商標を使いたいならどうぞ、と言う流れだそうだ。 オールスター戦で草津が坂口に負けるの嫌がって出ないじゃなく、草津の負けを差し出す代わりに木村が小林に完勝で交渉すれば良かったのにな
ヤマハにタッグ王座奪われた後の草津の価値はそれ位しかなかったのに >>613
草津が負けを嫌がって出なかったわけだから、不毛な議論でしかないだろ? >>612
ありがとうございます
XLがLなら無理かなぁ >>614
そこは社長である吉原功が草津にひと言ビシッと言うべきであった >>616
それができるくらいだったら小林も離脱してないし
国際がもう少し持ってた。 今考えたら違和感しか無い状況だったからなあ。
ABCで国際をやっていたり、必殺がTBSとか
12チャンネル がMBS傘下になりかけたりとか。
小幡千代も関西ではMBSで放送していたとか、
腸捻転はなんでもありだった。 >>619
腸捻転の頃は、新日をMBSで放送してたの? >>618
本来ならTBSでの放送打ち切りで運転資金潰えて崩壊を免れなかった
それが小林離脱で東スポから移籍金が入ってきて延命出来た >>622
> それが小林離脱で東スポから移籍金が入ってきて延命出来た
それが事実なら小林が恨まれる理由がないじゃん。
散々恨み言を言ってた木村も井上もアホだったのか? 失礼、小畑千代でした。
日プロの猪木NETは完全にMBSで、
新日はNET放送開始、数年後に腸捻転解消したはず。 移籍金だけで何年も延命出来たわけじゃないし
国際の元エースが新日にテレビ中継で大々的に負けて
大幅なイメージダウンを与えたのは確かな事実
その後テレ東で放映できたのは吉原のコネであって小林は関係ない
井上に言わせれば、ロクに強くもないのにエースでいられたのは
その他大勢のレスラーが引き立て役になってくれたからだと
ただ、全日との交流戦で馬場にあんな負け方したラッシャーも
かなりなイメージダウンではないかと個人的には >>625
>>622が言うには延命そのものが無理だということだから
その後のイメージダウン云々を言っても意味がないこと。 東スポからの移籍金が無かったらTBS打ち切りから12チャンでの定期放送開始の半年間が持たなかった
ロビンソンやホワイトが来日したダイナマイトSは開催出来てもビッグサマーSは中止になっていた可能性大 >>627
>>623にもなんか言ってくれ。
小林が恨まれるのはおかしい。
散々小林に対して恨み言を言った木村と井上はアホだったのか? >>610
ヒト曰く「上田も斎藤も一匹狼と言いながら群れてるじゃないか。あいつらもおかしい」だと >>604
このアルファベットじゃなく
カタカナで大きくトレーニングウエアーキャピタルとデザインされてたのを着たいんだよ >>628
小林は国際を延命させるために新日に移籍した訳じゃない
あくまで個人的な理由で己自身の都合で国際を辞めた
そしてライバル団体のエースに負けて、国際の評判を落とした
移籍金の額なんて木村や井上の知った事か、だって金銭受け渡しに携わってないんだから
団体を見捨ててエゴイズムに走る人間を日本人は憎む
そこに理屈や理論は関係ない、当時の国際関係者でなければ
小林に対する憎しみなんて判るわけがないんだよ >>631
だが結果的に国債を救ったのは小林なんだから
それを説明しない吉原は卑怯者だな。 移籍金を東京スポーツが払ったのは
吉原社長が新日に「移籍金を払え」と要求したからで
、小林本人が「移籍金を国際に入れてください」と
頼んだわけでもなんでもないからね。
もし小林が「俺は移籍金で国際を延命させた」と思ってるとしたら、とんでもない筋違い。 だから移籍金が入った功労者がいるとしたら
それは吉原功であって、小林に感謝する筋合いはないと思われる。 >>624
関東ではNETで放映していたライダーシリーズがアマゾン終了後の翌週からストロンガー
からTBSの放映になりライダーシリーズを失ったNETはゴレンジャーを始めて大ヒット
して今に続くスーパー戦隊シリーズの礎となる。必殺は土曜10時から金曜10時になるも
必殺必中仕事屋家業は視聴率が半減してしまいテコ入れで人気キャラの中村主水を投入
して藤田まことを仕置屋家業、仕業人と連投させている・・・
この腸捻転解消でTBS、MBS、NET、朝日放送とこの四局でどこが一番得して損した
のかな?
>>634
当時のプロレス界にめずらしく国プロは所属レスラーを等級をつけて契約していて違反時
は違約金が発生してエース小林は最上級だった。それで1000万となった。
「怒濤の怪力と唄い上げるもメッキの剥がれた小林を高額で売り払いられた・・・」と
菊池氏が書いた国プロ興亡史にあった。選手とちゃんと契約しているの「パイオニア」
だった。 吉原社長の感覚は、テレビ中継1発目のテーズvs草津戦で
TBSの意向を無視してまで草津KO負けを全国に晒した事から始まっているね。
もしフロックでもいいからシンデレラボーイを誕生させていれば
一部でプロレス八百長論が起こる事は見えてるが、力道山のライバルを倒した
新しいスターを応援してみよう!という流れになり
視聴率や観客動員が上昇したかもしれない。
なんか最初から大一番や対抗戦の勝敗より、中継の方を重視していた感じがする。 >>636
関東最弱のNETと関西最強の朝日放送とではどちらが力が上だったのかな?
12チャンネルは番外地ということでw >>637
いや別に草津か負けても視聴率は好調で半年ほど
30%台を維持してたし。
日本プロレス時代のスター豊登の存在が大きかったと思うけど テーズはブック破りじゃないけど、事前にブックは拒否したんだろう。
ベルトは渡してもいいが、草津じゃいやだと。 >>635
感謝する筋合いはないが結果的には小林のおかげで助かったんだから
それを黙っていて恨みつらみを口にするレスラーたちを放っておくのは汚い。 TBSのシナリオを最初に“良くない事”と拒絶したのは草津のトレーナーをしていた
東郷で、吉原もアメリカのプロモーターから信頼を失墜されては
これから招聘するレスラーにも影響が出ると考え、東郷の考えに同調。
TBSにはアクシデントで失神した事にすれば言い訳は立つと思い、ああなったのでは?
草津がデーズのバックドロップをくらって、
東郷が「そのまま寝てろ」と言ったとか言わなかったとか…そんな話もある。 >>642
そうかな。別にその1000万で国際が存続できたわけでもあるまい。
東京12チャンネルとの契約あっての話。
それがなければ1000万なんて焼け石に水だよ もし小林が離脱していなければ、
3月にTBS打ち切り→即4月から12チャンネルで放送!もありえた。
もしかしたらフジテレビあたりと話ができたかもしれない。
一番の看板は小林だったんだから。
そう考えると小林に感謝する筋はないね >>645
いや>>622の主張に沿って言ってるだけだから。
>>622が間違っているならその通りだけど。 >>646
いや、その仮定に基づいても、小林が離脱していなければ、
早期のテレビ放送が実現していただろうから、運転資金が底を
つく事態そのものがなかったろう。
小林なしでも6月には12チャンネルの単発放送があったわけだから
小林ありなら、さらにそのタイミングが早まったはず いつもこの話になるが、小林に非の部分があっても一丸となってエースを
盛り上げなかった草津と、それを黙認した吉原が悪いんだよ。
誰だって飛び出したくなる状況にしたのは草津の度を超えたパワハラだろ?
あれがなかったら新日の起爆剤なんかに利用されず、
しばらくシンとの抗争だけで引っ張っていたよ。 >>647
いや小林が離脱しなかったらそれが間に合わなかったと
>>622が言ってるわけで。
>>622が間違ってるならそれでいいよ。
俺は>>622が正しいかどうか分からないから
>>622を書いたやつを追及してただけだから。 結局、昔の体育会系の嫌な部分だけ詰め込んだみたいなフロントだったからいけないんだろ。
元子や新間の様な、レスラーではないブレインはいなかったのか? >>649
>>622の>>627の考察が間違ってるw
6月のロビンソン木村戦で12チャンネルは
10月からの定期放送を決定してるから、
7月からの資金に困ることはない。
テレビ放送が決まってれば借金もできるし、テレビ局あら前借りもできる。 >>648
吉原さんはTV中継の解説では妙に日本人選手に厳しい解説することで
ウチはお手盛りじゃないんだ感を出そうとしてたし
草津の失神KO負けブックにしても
全日との対抗戦における「結果より試合内容」発言にしても根は同じで
本来無敵のはずの日本人エースが大事なとこであっさり負ける
=「番狂わせ」が起きるのはウチがそれだけ真剣勝負でレベルが高い証拠!
と「常勝エースの裏返し」で単純に思い込んでたんじゃないかな?
馬場のリーグ戦黒星発進ブックやキラー解説のもっと極端に拗らせたようなやつで 草津バックドロップ失神がブックだとしたらそれを吉原さんが了承する意味がわからない
国際プロレスに何のメリットも無いだろ
まさか自分を排除したTBSの目論見を潰すためではないよなw 草津バックドロップ失神がブックだとしたらそれを吉原さんが了承する意味がわからない
国際プロレスに何のメリットも無いだろ
まさか自分を排除したTBSの目論見を潰すためではないよなw もしテーズに死ぬほどTBSがギャラ弾んで
草津が勝っちゃったとしたらタダでさえプロレス舐めてた
草津がますます舐めて半端なく増長してただろうな >>654
まさしくそれでしょ
自身が興した国際プロレスのはずがTBSプロレスに看板かけ替えさせられて
「TVの力をもってすればスターを分秒で作れる」なんて言われた意趣返し
本来ならテーズや東郷から「草津相手に落とすのは…」って言われた時点で
せめて1-2にするとか時間切れや反則やリングアウト絡みで
「負けたけどテーズ相手に若い草津も良くやった」までは交渉しなきゃいけなかった
それをレスラーでないTBSに自分が団体運営からパージされたせいで
リングの上はそう甘いもんでも外部が思ってるようにいくもんでもないんだぞとばかりに
一時の感情に任せてテーズや東郷の要求を丸のまま飲んじゃった
後年の異常な草津重用もその時の罪悪感がかなり影響してのものでしょ
もちろん草津自身の自宅を抵当に入れたりといった団体への出資や
体育会・企業・タニマチへの人脈云々もあるでしょうが
吉原さんって経営者としてのエンタメの見せ方と
アスリート出身としての実力主義みたいなものの線引きが
なんかずれてたんだよ そらでもあなた、やっばり草津の失神はハプニング
だって可能性もあるでしょ。
セコンドの東郷が草「寝てろ」って言ったという草津の証言のおかしな話でね。何故ってブックなら
最初から結末は決まってるんたから、いちいち「寝てろ」なんて言われるわけもない。
それに新聞記事によると、2本目で一度草津は立ち上がってテーズに向かいかけて崩れた、とある。
寝っぱなしではなかった。 >>658
>セコンドの東郷が草「寝てろ」って言ったという草津の証言
それ、「悪役レスラーは笑う」の中で草津が森 達也に
酔っ払いながら話したことでしょう?
草津は、「俺はまだ戦えた(バックドロップはそれほど威力はない=俺は強い)
んだが、東郷の指示に従ったまでだ」という見栄だと思うな。 ちょうどアニマル浜口ジムのカレーちゃんこ鍋のレシピ見てたんだけど
米村のお店の看板メニューもカレー風味の味噌ちゃんこだったことをふと思い出した
道場か何処かしらで互いにレシピ共有する機会でもあったのかな もし草津がテーズに勝ってたら、その後は
ホッジ、シュミット、ワルドーと防衛戦をやって、最終戦で再びテーズと防衛戦。
その全てに勝利する、という悪夢のような展開だった? そして東郷が国際と切れなかったら、
草津はキニスキー、ブラジル、シークらを
相手に堂々たる防衛ロードを突っ走り。
「馬場と草津、どっちか強いか」とファンは議論し、猪木の存在は完全にかすむ。
というような事態になっていたのだろうか。 >>658
米ではテーズの3本勝負での防衛戦では
1本目、または2本目にバックドロップ決めて
そのダメージで相手が試合放棄してそのままテーズ勝ちってのは
B級挑戦者が相手の場合の防衛戦では定番パターンだったんだよ
事前にテーズ東郷と吉原さんで話ついてるなら
テーズにすればいつものかって知ったるやり口なわけで
別に草津へのバックドロップもそこまで特別危険な落とし方したわけでもないんじゃないかな?
東郷が寝てろって指示したのは逆にキャリア浅くて空気読めない草津に対して
「そのまま試合放棄なんだから立ち上がらずにそれらしくしとけ」っていう以上の意味は無いと思う
逆に言えば東郷とテーズの「見る目」はなんだかんだ言っても確かというか
草津のキャリアとプロレスセンスからして「KOされたんだからもういいだろう」的に
ゴング後さっさと立ち上がらないとも限らないと見抜いてたんでしょ
なにしろ後年ワフーにストラップマッチで勝っちゃうような人ですから<草津w
むしろ二本目の一旦立ち上がった後崩れ落ちて再度ダウンってのが
草津なりの下手糞なアドリブだったのではないかと
長々と伸びたまま失神→ようやく気付いて立ち上がる→再度崩れてグロッキー
なんて相当な“大根役者”じゃないとやらないぞw グレート草津の大ファンでずっと応援してたって人はいるんだろうか? YouTubeで国際の試合を頻繁にウプしてくれる人ってアイコンが草津だよね TBS放送開始時は草津の連続挑戦と宣伝されてたから日大講堂での初戦で王座奪取は元から無かったでしょ
TBSとしては接戦を演じながら最終戦で草津の栄冠を描いてたのでは?
それが初戦でみせた草津の力量不足、不甲斐なさで連続挑戦は無くなった プロレスはショーなんだけどトップに立てる力量が無いレスラーを
力を入れて売り出しても失敗する
しょっぱい奴をメインイベンターにしたらショーとしてもつまらないものになってしまう
トップに立つものはそれだけのスキルを持っていないとダメである
そこもプロレスの面白さだな >>666
新聞が草津を「力量不足」と叩いたり、視聴者から苦情の電話がかかったから、慌てて方針展開した可能性はあるね。 >>667
深く同意するし、力量のないレスラーを上で使うと事故のもとだよね。
プロレスを馬鹿にする奴等はそこら辺を理解していない。 >>642>>644
ファイトマネーのアップを要求するが吉原夫人に社長のギャラが杉山より遙かに安い
のを指摘されて要求を引っ込めた。客が入っているように見えても経営は大変と
言うのは天龍もWAR時代に痛感したらしい・・・
>>645
プロレス番組の放送未開地のフジはいつも新団体に狙われる。女子プロレスはスポーツ
でなく芸能番組扱いだった。一番、放映される可能性が高かったのはUWFか?
>>648
「新日に来たい!」と言う小林を「他団体の元エースがフリーになって挑戦」と絵を描いた
新間は素晴らしく交渉でも親子電話で内容が母親に聞かれているので「小林君!」と
つける事を猪木に促したり「小林!」と呼びつけた心証が悪くなった馬場とアドバンテージ
をつけてり優秀なブレーンだった。
>>650
国プロの救世主だった原にもラグビー時代での実績への嫉妬から?冷遇している。
>>657>>669
TBSプロレスの方がブランドイメージがあるとか吉原社長が前に出られなかったのは
設立時の負債があったからとか東郷の起用は吉原社長に頼むも逆にそういうパイプが
無くこっちから動く必要があったからとか森Pに反論インタビューは貴重だった。
プロレス界で悪名が轟いているのは知っていたみたいw 「ただボクシングよりプロレス
の方がシンデレラボーイを作り易いかも」と言うには変わらないかったみたい。 大先輩で白人のルークグラハムが、タッグの時にまだ若くて黒人のレイキャンディ(キャンデー)
を「今回はお前さんがメインなんだぞ!」て感じで推してるのを見て、なんか
心が暖かくなった。プロならこうあるべき >>665
個人的にYouTubeでチェックしているサイト
【国際関連】
js_Tokyo12channel_Pro-Wrestling_hr. (アイコンが草津)
香港カンフー武術學院木人・コムチャンネル
【貴重映像を発掘】
マハロのYKチャンネル
【その他】
Roy Lucier Japanese Classics
Cactus Back Wrestling
【海外レトロ物】
GoldenAge2008 しかし、TBSプロレス、旗揚げとは言え、テーズを筆頭に
ホッジ、シュミット、ワルドー、ブルドック・ブラワー、
無駄に豪華なメンバーを呼んだね。
迎え撃つ日本人の陣容やタイトルがしっかりしていれば、
ホッジのジュニアに挑戦したり、ブラワー&ワルドーでタッグタイトルに
挑戦させたりとタイトルマッチを組めるのだが。
仮に同時期(68年1月)、日本プロレスにこのメンバーが乗り込んで来たら、
インター,馬場対ブラワー(初対決)
インタータッグ、BI砲対ブラワー&ワルドー
インタータッグ、上記の勝者にテーズ&ホッジ組が挑戦、
アジア、大木対シュミット
アジアタッグ、大木&吉村対シュミット&クラッシャーコワルスキー
と組めただろう。むしろテーズもホッジも、いらないなぁ。 シュミットやワルドーは前年の日本プロレス参加で
シングルフォール負けなしだった。
それが新人の草津にフォール負けするんだぜ・・・ おかげで日本マットでのシュミット、ワルドーの価値は暴落。
以後75年、72年までそれぞれ来日することはなかった。
一方でダニーホッジは草津に星を譲らずストレート勝ち。
このあたり、プロレス界の簡単ではない事情が見える・・・ >>676
ホッジはテーズからベルトを奪う事になってたからな
それとは別に、このメンバーの中でキレたら一番恐いのはホッジで
NWA王者時代のテーズでさえ気を使っていた。 草津に営業だけでなくマッチメークというプロレスの興行で重要な役割を任せてしまった
のは吉原さんの最大のミス。 >>678
へー極道コンビはヤマハより遥かに格下だったんだ 極道とヤマハはよく最近比べられるけど、新日ではヤマハブラザーズはあんまり試合みた記憶がない。格から言ったら極道の方が上じゃない?
極道はよく負けてた記憶はあるけど相手はみんな大物外人ばかり。長くタッグを組んだチームとして日本マット史上指折りの大型チームではないか?
ヤマハは厚みは立派だが実際見るとかなり小さい。
全日対抗戦でも極道は全日の3,4番手コンビで国際2,3番手コンビと対戦して、ずる賢い反則絡みで五分五分に持っていってるナイスワーク。
師弟コンビに国際が対抗するなら木村草津が木村井上組が出るのが筋。
新日との対抗戦では飛び抜けてエースの猪木大分落ちるNo.2坂口、jrのエース藤波、落ちたとはいえS小林、長州、木村健、この後に星野や木戸、小鉄はもっと下。
新日7〜15、6番手の選手当てられてるのでかなりナメラてるというか格下扱いされてる。また試合も押されっぱなしに見えるのがツライ所。 昔の月刊プロレスの選手名鑑で、全日の高千穂、新日の星野、国際の寺西を
三大テクニシャンと評してたけど、三者三葉にコレっといった決め技が無いというW >>682
高千穂はカブキのトラースキックあるわ
スイートチンミュージックってパクられたし星野くらいだろパンチだけのよ >>678
記事からしてヤマハが格下やろ
ブック破りしたのかの 新日と国際が提携して、新日のリングで実現した木戸vs寺西はテクニシャン対決のイメージだった。
星野はテクニシャンのイメージではなかったよな、どちらかと言えば熱血漢の印象が強い。 >>682
決め技には、ならないかも知れないが
星野はフライングヘッドバッドだな。
あと、新日のテクニシャンと言えば木戸じゃないかな? >>683
> スイートチンミュージックってパクられたし
HBKのはC・アダムスのスーパーキックが元ネタ
と、いうよりあの形の蹴り自体カンフーギミックや
カーペンティアのようなトリッキーな動きする選手が使う
ソバット元ネタなんでパクられたもなにもないよ 星野とか小鉄とかあの身長でよくレスラーになれたよな
当時の日プロは今よりはるかにレスラー志望の若者も多かっただろうし バック・ズモフ→R&Rエクスプレス→ロッカーズ
スーパーデュオU(ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムス)+オースティン・アイドル
=HBK(ホセ・ロザリオのコーチつき) >>687
考案者はグレートカブキってWikiに書いとるわ >>688
闘志あふれるファイトで「身長があと10センチ高ければ第二の猪木になれたかも・・・」
とか吉原社長も評価していて旗揚げ時の国プロのエース候補だったとか"レスラー"としての
評価は星野。前田が「新日道場は小鉄イズム!」と言うくらいだから"コーチ"としては
小鉄なんだろうね。ただ亡くなるまで"猪木信者"だったのは星野か・・・
>>673
この陣容にマツダ&猪木が迎え撃ったら・・・ >>691
マツダ&猪木でも全盛期馬場を打ち破るのはかなり厳しいと思うが、こちらがずっと普通だね。ただ登場人物が濃すぎて長続きしそうに無いのが残念。
しかしそうなると、
豊登はこの時点でプロレス界からフェードアウト
ヨーロッパ路線は開拓されない
草津、小林、木村、井上等はメインイベンターになれずに中堅のまま終了
とか色々世界線が変わりすぎて想像つかない。
アンドレとロビンソン〜キッドまでのヨーロッパの名選手がアメリカに渡るのが遅れるもしくは消えるのでアメリカマット史にも大影響を与える。 >>690
Wikiは有用だけど必ずしも正確と言う訳でも無いし、カブキのトラースキックとクリス・アダムスのスーパーキックは型こそ似てるけど蹴りの入れ方が違う。カブキのは下から斜め上に繰り上げる。アダムスのはサイドキックを顎若しくは顔面に入れる。あの手の蹴りはカブキ以前にもマーシャルアーツ(全米プロ空手)の選手も良く使ってた。カブキは考案者と言うよりプロレスに取り入れた先駆者の内の一人程度だよ。 ソバットはスタンレーンも上手だったよね。佐藤昭雄の腕を取ってからフェイントで決めるソバットも鮮やか。 国際でソバットといえばサンダー杉山を思い出すなw
カブキのトラースキックやアッパーブローは下から突き上げる動きだが
トラースキックも最初はコーナーマットに振られ
咄嗟に防御する中から生まれたんだろうな
それをGハートのアドバイスで、オリジナル必殺技にまで昇華させた感じかな。 >>692
キッドは国際に来た時点ですでにカルガリーにいるから関係ないだろうな
若いうちに日本に来なかったらファイトスタイルが微妙に変わってた可能性もあるが >>691
> 前田が「新日道場は小鉄イズム!」と言うくらいだから"コーチ"としては
> 小鉄なんだろうね。
会社から宛がわれたのか志願したのか知らないけど
たまたまコーチをやってたからそうなっただけじゃないか。
もし星野がやってたら「星野イズム」と言われただろう。 北沢とか栗栖あたりは小鉄のコーチに対してかなり辛口なんだよな
浜田なんてつかみ合いの喧嘩一歩手前になって、クビになるところを
新間にメキシコ遠征させてもらって助かったぐらいだし >>699
> 浜田なんてつかみ合いの喧嘩一歩手前になって、クビになるところを
その浜田はメキシコで橋本小助と喧嘩して負けた。
喧嘩には勝ったが小助は帰国後プロレスを辞めた。
メキシコでの浜田の嫌がらせに辟易したのが原因らしいから
喧嘩では負けたがプロレス人生では浜田が勝った。
素質は小助の方が上だったとソラールだったかが言ってたな。 >>698
たまたまってことではないだろ。
三銃士、船木世代はドン荒川、クロネコがコーチをやってたが、荒川・クロネコイズムなんて言われてないぞ。
>>700
浜田の身体能力は物凄いから、浜田より素質があるって凄いぞ。 高級車の購入費 飲食代 若手への小遣い
全て新日の経費で落とす男
それが小鉄だ 北沢はヴォルグハンもスパーリングで関節を決められなかったって話があるな >>701
クロネコはメキシコ人だし荒川なんかいかにも適当そうじゃねえかw >>701
> 浜田の身体能力は物凄いから、浜田より素質があるって凄いぞ。
だから嫌がらせして足を引っ張るようなことをやってたんだろ。
でキレられて喧嘩になって浜田が負けた。
結果的に小助は廃業したから浜田の嫌がらせは成功したw >>702
カルロス・ゴーンとか一般企業でもやってるぞ。
地方自治体だって首長、副首長、議長は運転手付専用車、交際費数百万円・・・全て税金で落とす。 >>696
まあそういうこと
いわゆる「代名詞」的技としてフィニッシュにしたり
ちょっとしたムーブ加えてオリジナル技名付けたりするのは普通だけど
だからといってあの手の蹴りを元祖とか独自のオリジナル技とかいっちゃったり
それ信じるのはさすがにちょっとどうかと思う
スーパーキックにしろトラースキックにしろ
もともとカンフーとかマーシャルアーツ使いギミックの選手が使ってた
横蹴りや後ろ蹴りをそういうイメージに沿って見映えよくアレンジ、フィニッシュ技にしたもの >>699
結局、新弟子1号も2号も新日追われてるな。
多分、小鉄って格闘経験はあっても、実績のない新弟子が好きだったんだろうな。
スパーになった時に極められて、小鉄スゲーになる様な。
ポーゴは国際に来た時その辺どうだったのかな?
ガイジン枠で、スパーはしなかったのかな? 田中忠治は日プロ時代、杉山と草津をイジメた最右翼なのに
東プロが潰れたら平気で国際に入ってくる非常識人
ただ、レスラーとしての実力は評価する声が多い
人格とレスリングは比例しないのはどこの団体でも同じ事らしい ポーゴは卑屈すぎて普段温厚な豊登を怒らせたみたいなエピソードが残ってるな >>714
剛との接触が少なかっただけでは。
ポーゴと剛が絡んだ試合って記憶にない。 >>715
偏屈者同士、どこか惹かれ合う部分があったんじゃない?
ポーゴなんて晩年、極悪ヒールを演じながら試合が終わったあと「ちょっとやり過ぎたかな・・」って
落ち込んじゃう人だったから・・ ポーゴは生前のGスピリッツのインタビューで剛のことを一貫して「八木さん」と呼んでいたのが印象的 剛はポーゴの結婚式に呼ばれたみたいだよ。
私も、剛とポーゴの絡みって冴夢来プロジェクトでのタッグマッチしか浮かばないけど結婚式呼ばれてるんだから仲は悪くなかったんだろうね。
鶴見は、国際の時から仲良かったみたいだからNOW潰れた時に一時期FMW呼ばれたんだろうな。 ♪酒あれば〜 この世は楽し〜
♪力士なら〜 なお嬉しぃ〜
♪呑むほどにぃ〜 酔うほどにぃ〜
♪清酒力士は美味い酒っ 力士っ〜 236 名前:代打名無し@実況は野球ch板で (スップ Sd5f-WoDH [1.72.1.79]) [sage] :2020/10/01(木) 00:10:41.46 ID:QUWA5cznd
>>231
「世界」とか「世界進出」とかいう場合は
事実上アメリカのことを言うからなあ。
いくらヨーロッパで有名になっても、アメリカで
有名にならないと。
政治も経済も世界の中心はアメリカだもの。
辺境でいくら有名になってもなあ。 ビル・ロビンソンが欧州で名を上げたらアメリカに進出して成り上がろうとしたし
ローランド・ボックもオットー・ワンツも欧州ではメジャーだがアメリカではいまいち
やはりプロレスラーとして売れるにはアメリカで一旗揚げないと >>723
でも、ワンツってAWA戴冠してなかった?
欧州でのサーキットなんかの見返りかもしれないけど。
欧州はジャイアント・ヘイスタックとか後年はキャノンボール・グリズリー(ジ・アバランチ)とか木偶の坊タイプの巨漢が多いみたいだけど国際にはハマってたかもね。 ビッグダディか?
あんな爺さん気を使うだけだよ!
呼んだからって券は売れないだろうし、長距離飛行機移動で
健康を損ねてしまうわ >>728
俺は吉原が満を持してポスターまで剃ったのに、ギャラや宿泊先に移動手段と
無理難題を押し付けてマッチメークまで
気を遣わないといけないマスカラスなんて来なくて良かったとさえ思う。 日本プロレス時代、地方でそばとか丼物しか食うものがなくて外人たちが騒いでいた時、
ルーテーズがカツ丼を普通に食べながら
これうまいぞ、と言ったらみんなシーンとして
大人しく食べ始めたって話読んだ事があるな。
まあ今となってはグレート東郷あたりの脚本通りテーズが動いたのかもしれん。
どっかのグレートにはそんな真似はできまい。 いわゆる駅前食堂みたいなところでの話かな。
カレーライス(きっとコップにスプーンを突っ込んである)より
カツ丼の方がよかったんだろうか? 730ですが、そうは言ったもののムスリムであるとかモルモンであるとか、
ユダヤ教であるとか宗教上の理由で禁忌がある場合は大変だったと思う。
山本小鉄はそれでも酒を無理やりすすめそう。
草津は「飲めんならしょうがなか!つまらんやつだなキサン!」
ですみそうな感じはあるw 高杉「井上さんと飲みに行くと、草津さんの機嫌が悪くなるんですよ
たまに稲妻二郎さんと飲みに行った時も『ガイジンと飲みになんて行きやがって』」 なんか俺も高杉とは飲みに行きたくないなあ
暗いグチばっかり聞かされそう >>732
> 730ですが、そうは言ったもののムスリムであるとかモルモンであるとか、
> ユダヤ教であるとか宗教上の理由で禁忌がある場合は大変だったと思う。
そういう奴はレスラーになってないか国外に遠征なんかしないんじゃないか。
現代と違いそういうのに気を使ってあげる優しい世界じゃないぞ昔は。 実はすごかった国際プロレス?
585 お前名無しだろ (ワッチョイW ffcd-xSuC) sage 2020/10/03(土) 20:37:23.29 ID:kwwcES1U0
>>575
ワールドプロレス視聴率ベスト20
1位 猪木対アリ 38,8%
2位猪木対ルスカ 34,6%
3位猪木対ウエップナー 29,1%
4位猪木対ウィリー 27,1%
5位坂口小林対シン、ムルンバ
猪木対インフェルノス2号 26,8%
6位猪木対国際軍団(再戦) 25,9% ←国際絡み
7位藤波対長州
タイガーマスク対寺西 24,8% ←国際絡み
8位猪木ホーガン組対マイクジョージ、ラ
ッシヤー木村組 24,4% ←国際絡み
8位猪木対シン 24,4%
8位猪木対小林(再戦) 24,4% ←国際絡み
11位ホーガン対前田 23,8%
12位猪木対国際軍団(初戦) 23,7% ←国際絡み
13位猪木対ホーガン(猪木失神) 23,6%
14位藤波前田組対長州浜口組 23,5%
14位猪木対マサ斉藤 23,5%
14位猪木坂口組対木村浜口組 23,5% ←国際絡み
17位猪木対ホーガン(IWGPリーグ戦)23,3
18位猪木対アンドレ ホーガン対カーン
(IWGP開幕戦) 23,2%
19位猪木対シン 23,0%
20位猪木対アンドレ(格闘技戦) 22,7% >>730
この手の逸話はゴッチやドリーにもあるし
一方でキニスキーが魚料理ダメ若い頃のレイスが和食を苦手にしていた話も結構有名
(テーズゴッチがファン関係者に根強い人気があった理由の一つに
2人が和食好きだったのもある)
特に当時のアメリカカナダだと州によって料理の嗜好や味付けが違うのは珍しくなかっただろうから
旅の多い仕事柄あれこれと選り好みは出来ない事情もあったんじゃないの?
ちなみに国際ネタだと同じシリーズに来ていた
ジャック・デ・ラサルテスが一切和食を口にせず西欧風の食事しか受け付けなかった一方
エドワード・カーペンティアは気軽に蕎麦屋や定食屋に出入りして「庶民の味」を嗜んでいたというから >>738
ジプシー・ジョーのカチドン好きは有名だけど、キューバンアサシンズ1号も
うどんをビッグホワイトヌードルって喜んで食ってたって聞いた。まあ、この
2人は典型的な庶民派だし、世界中どこに行っても生きていけると思う。 >>738
’70年、国際プロレスの新春シリーズに参加した
怪奇レスラーのカシモドは「日本料理は食えたものではない!」
と「ゴング」で発言していた。そのせいか来日はこの時だけ。
まぁ大したレスラーではなかったが。同時に来たモンスター・ロシモフとは
その後、全く違うレスラー生活を送ったなぁ。 >>738
ゴングだかが「4人選手も夏休みをとっているのにレッドブル軍団のハシミコフらは新日道場で練習してチャンコを食っていた。
チャンコは一見何だか分からない料理であるが、旨い旨いと食っていた」 外人は「日本のビールは美味い」と言うね
ウォリアーズがその筆頭 二人とも国際には参戦してなさそうやけど
ブルートバーナードが移動中の駅での立ち食いそばに業務用の七味を高橋に唆され全部ぶっかけて
汗だくになりながら平らげた後「俺はもう一杯食いてえんだが汽車の時間に間に合わねえ」ってエピソードが好きやなー
後クリスマルコフのワンタンスープにチャーハンを入れて皿で蓋をして3分待つマルコフ丼は
未だに試した事は無いけど子供心に憧れた >>744
ハンセンがラーメンにチャーハンを入れて「テキサス・チャプスイ」と言ってた。
ホーガンがハンセンとの対談で「ユーは寿司にソースをかけて食う」と言うと、
ハンセン「俺は醤油が大嫌いなんだ」 >>737
国際軍団の三人にとって最も知名度を上げた時期だろうな >>745
インタビューで「ミルウォーキーではアサヒもキリンも買えるぞ!田舎扱いする!」と
日本のビールのうまさを語っていたw
>>746
アマリロでの若手時代に鶴田の元に全日が送られていたインスタントラーメンが気に
入り最初は鶴田が作っていたがそのうち自分で作り始めた。
>>738
あれだけ来日の多いブッチャーは意外に刺身等の生魚はダメだった。
逆にホーガンはOKだった。 >>743
ネズミ食ってたような奴らが、なにがビールだ ハンセンインスタントラーメン好きなのに醤油嫌いなんか。おかしいなw >>748
小林やロビンソンやロシモフにしてもね
あとワカマツも >>745
ブルクラ全盛の頃『ミュンヘン!札幌!ミルウォーキー!』
こんなビールのCMあったような…? 70年代後期のサッポロビールのCMだったな。
ブルクラの全盛期とはずれてると思うけど。 >>754
70年代後期でしたか〜
ブルクラの二人がビール瓶のままラッパ飲みしている写真が印象的で
それとダブっての勘違いでした。
彼らの全盛期は60年代で、キリンビールがお気に入りだったよね ブルクラって世界のプロレスでしかリアルタイムで見てないのだけど、ハンセンブロディ組やロードウォリアーズがブルクラの再来と当時言われていたけど、
実際のところブルクラの人気や実力はどんなものだったのでしょうね? クラッシャー「ミルウォーキーバドワイザーは最高だ!だがここは日本だから
キリンを飲む!」トロフィーに数本注いでゴボゴボ飲み干す
ストーンコールドスティーブオースチン「いつもはノンアルなんすけど、
日本に来たから本物のアサヒスーパードライ飲んでるっす。
美味しいけど酔っちゃいましたー」顔真っ赤っかw ハンセンが醤油大嫌いならば日本人妻は何も食事は作れないだろ >>753
>>754
>ミュンヘン!札幌!ミルウォーキー!
>70年代後期のサッポロビールのCMだったな
そうかな?
サッポロビールは、1958年にこのキャッチフレーズを作り
https://www.sapporobeer.jp/company/history/1958.html
同年には山本直純がCMソングを作曲したとある。
http://kaganet.com/wpblog/?p=13569
ブルクラが日プロに来襲した1969年には流れていたんじゃないかな? >>756
ほぼ、パンチとキックの喧嘩屋コンビで
ハンセンやブロディ、ウォリアーズの方が技が多彩だよ。
ブルーザーはアトミックボムズアウェイという決め技があるけど
クラッシャーはメリケンサックのイメージだな
とにかく二人ともタフで怯まない。
https://livedoor.blogimg.jp/norarinhouse/imgs/6/9/6963b4c7.jpg >>752
ロビンソン時代のTBSは高視聴率だったし
ワールドプロレスリングには2回しか出てないのにそんな知名度上げたのか >>752
ロビンソンが新日のリングに上がった時のNET(テレ朝)は振り向けば12ch(テレ東)
ぐらいのポジション >>760
ありがとうございます。
当時こども向けのプロレス百科で幻想が膨らんだ二人でした。アルカポネというかシカゴの葉巻を咥えたマフィアのイメージでしたよ。
後年になって雑誌で殴られて後退りするようになったブルーザーに寂しさを感じたという記事を読んだ記憶があります。
世界のプロレスではじめて見た時にはAWA地区かセントルイスで大ベテランのベビーフェイスの人気者でした。 ブルーザーもクラッシャーも上背はない
馬場をパンチするときは膝をついたとこを殴ったりしてる >>766
プロレススターウォーズでウォリアーズにボコボコにされてなかったっけ? Wikipedia見たら書いてあった。作中ではブルクラがウォリアーズの噛ませ犬にされているんだね。 https://www.youtube.com/watch?v=sUqRguoNvNU&t=33s
ブルックスは国際のエース外人だったけど、全日ではブロディの子分みたいだった
しかし、なぜハルコンは試合前にマスクを脱いだんだ 今チャンネル替えてたら太田和彦のふらり旅 新居酒屋百選て番組に
大吟醸力士が紹介されてたんで調べたら、なかなか良い値段するんやねー
正月用に買って国際動画を肴にしたら格別やろなと...なんで財布係の説得を計画 まさかプ板で太田和彦さんの名前を拝見するとはw。この方は無類の熱燗好きなんだよね。 >>767
しかし初期Rウオリアーズのビデオ見るとよぼよぼのリソワスキーにぶっとばされてる アニメタイガーマスクではブルータス(ブルーザー)、ホーストン(クラッシャー)も
ブランチー(ブラッシー)も噛ませ犬だった
タイガーマスク二世ではあのアンドレまで実名で噛ませ犬にされてフォール負けしていた
子供はそのへんの粗末な扱いを絶対に許さない。絶対にだ
国際では草津がワフーを←しつこい 1973年のグレート草津の戦績は
同年の猪木坂口以上 プロレススターウォーズは、その時点で「まだ見ぬ強豪」だった
ジャイアント・キマラでさえ、えらく持ち上げていた。(苦笑) いや、アレは単にみのもがキマラ好きなだけだ。
なぜなら、その後の俺が強気!にもアパッチ・ゾンパーという名前のメイクだけ変えた明らかのキマラを描いている。 ミッシングリンクも強キャラに描かれてたなあ。
時期的にベイダーが間に合わなかったのは残念。もう少し連載してれば確実にラスボス扱いだったろう。 >>777
777に反則行為があったため、無効試合となった。 アンドレがワカマツ〜吉原を思い出すエピソードはよかったなあ。 草津は馬場のライバルブルーザーと3本勝負で一対一の引き分け。 北尾追放から三か月後にアポロ退団、新日本はえげつねぇな
抜き打ちで試合を組まない日があったりして顔を潰して
本人から居づらくなって辞めさせるように誘導する
団体側から解雇するとイメージ悪くなるからって卑劣だな
まぁ新日にしてみれば、北尾のワガママをコントロールできない役立たず
アポロ個人にレスラーとしての価値が見いだせないならクビにするしかない >本人から居づらくなって辞めさせるように誘導する
まぁそんなことはどこの企業でも同じだがね。 草津とマミー(ベンジ・ラミレス)のチェーンマッチは映像がないよね? >>788
あれはお腹を抱えて笑ったわ。
包帯男がタンカで運ばれるwww 菅原は国際、全日、新日に入団した唯一のレスラーなんだよね
ラッシャーや寺西は新日のリングで仕事をしていただけで入団したわけじゃなかったから >>792
国際の3人は契約内容は新日選手と同じ選手契約。 >>794
浜口と小鉄が入門志願者か新弟子の審査をしてる所の写真を
なにかの本で見た事が有ったんでそうかも知れんね 以前浜口がなんかのバラエティで「『気合いだ』を何回言い続けられるかの限界を測る」みたいな企画をやったときに
ロケ地が新日道場だったから一応OB扱いにはなってるでしょ 浜口は国際崩壊後に新間の一本釣りで新日に入団してたんじゃないの?
木村と寺西も同じく新日と契約してしまって、団体全体のパッケージで新日と対抗戦を目論んでた
吉原社長が新間のやり方に激怒したらしいが・・ ラッシャーも血盟軍解散後全日に入団、寺西もジャパン解散後全日に入団
三団体に正式契約してるレスラー結構いるな 高杉は全日離脱後UWFに入れてもらおうとしたけど門前払いされた模様(本人談) 一回高杉のUWF試合見てみたかったな…
冷たく笑いながら >>801
中野龍雄(16秒・掌底でKO)高杉正彦 セブンがチャボのタイトルに挑戦した試合がG+でやるな >>801
高杉をかばうわけじゃないが、UWFだって「真剣勝負風プロレスごっこ」だろ? >>801
UWFの初期かその後か知らんけど
飛んだり跳ねたりをいちいちかわされてロクに技を受けて貰えず
ボコボコに蹴られまくったり間接を極められて涙流して悶絶してる光景しか思い浮かばんな >>797
「自分も団体が無くなった辛さはわかります・・・道場はいつでも使ってください!
何か不満がある時はすぐに自分に言ってください!」と言われて浜口は新間には感謝
している。 潰れた団体を丸ごと吸収・合併は無理だろうから全日・新日両団体で阿吽の呼吸で選手・社員を分けて引き取ったと言う事でしょうね。 ラッシャーの全日入団は書類上は84年の最強タッグ前だと思う。 あのシリーズ途中からの剛は全日入団契約だったのかな、それとも最初はフリーで途中から入団? >>808
団体丸ごと移籍で吉原さんとしては
興行団体から一種のプロダクション的に
移籍金とシリーズ参加のブッキング料を貰い
その中から自分はマージンを取る形考えてたらしい
結果的に新日からは吉原さん経由でないものの
三人に直で移籍金が支払われて
そこから国際の残債に当てられた
一方で全日移籍組に関してはそういった金は無かったはず
とはいえこの件に関しては
新日が全日がというより
そもそも倒産前にずっと給料未払いも続いていたわけで
井上や原、あるいは全日側を非難する筋でもない >>805
マッハ隼人はそこまで酷い扱いうけてないぞ、ちゃんと技は受けてもらってた
まぁだからこそ第二次では高杉いらんという事なんだろうが…
前田「高杉さんは年取りすぎてるので…」
高杉「藤原さん俺より年上じゃないですか」
社交辞令真に受けんなよって プロレスはアレだけど
シュートだったら誰にも負けないよ
道場ではいつもシュートだったから >>807
高円寺に引っ越してきた頃かな?タモリ倶楽部で「コウエンジに引っ越してきました!」
とタモリと近所に挨拶してタオルを配る特集をやっていた。番組を見ていたら突然に
ロビンソンが出てきたから驚いた。 >>806
浜口は国際末期の負傷欠場中に小鉄を通して一本釣りされたというな
そして浜口を通して木村と寺西を引き込んだ形になったわけで浜口が他の二人に対してブッカーの役にもなった 「おっとうが一番強いんだ!一緒にきてくれよ!なあ寺西!」
神魔「よくやってくれた、浜口くん」
ニヤリ・・・ 『ファイト』誌 “薔薇族”の広告は、毎号掲載されてたような…? “大人のおもちゃ”や“私書箱通販”“ストリップ劇場”なんかも載ってたな。 ファイトは裏ビデオ屋の広告も載ってたな
何故か倫済みと書いてたので電話して聞いたら
摘発対策だって言ってた ファイトの母体の新大坂新聞は夕刊紙だから
夜系の広告も載るよな ほぼ、野郎しか見ないと思って載せたんだろう。
一定数そっちの人もいるだろうし、、 白黒ショー
本番マナ板
しびれふぐ
南極一号
これらはみなファイト紙で意味もわからず覚えたワード。 東スポは店売りと配達で記事の内容違うんだっけ
家庭に配る新聞にエロ記事書いてあると母親がガタガタうるさいって聞いた 週間ファイトとレジャーニューズ、ザ・プロレスは3駅離れた売店にしか無かったから片道20分チャリで買いに行ってたな >>828
東スポに限らずスポーツ紙は皆宅配と駅売りでは内容が違う
駅売りはエロ紙面増量w ファイトは当初、プロレスとエロの二つの記事が売り物だったわけだしな。 >>830
雑誌の広告こそが本当に裏で宅配チラシはインチキだった 剛竜馬引退興行の売店で本人出演のゲイビデオが売ってたという話って本当なのかな? 引退興行って鶴見が剛のために用意したのに本人が雲隠れした奴か 井上はわざと聞こえるように「うちの会社はファイトで持っているんだから」と言っていたので
上層部から嫌われていた デイリースポーツも国際に紙面割いてくれなかったっけ 週刊ファイト毎週楽しみにしてたのにな
廃刊になったときはすごく寂しかった 70年代の新日、全日、国際のイメージは
90年代の週プロ、週ゴン、ファイトに被さる。 東スポも一時期、ファイトを真似たタブロイド判を出していたよな?隔週か月2回くらいのペースで。
かなりマイナーでタイトルも思い出せないくらいだから、短期間だったのかな? >>842
ザ・プロレス。後に週刊ザ・プロレスになった。 81年の春ごろからか、発刊されたの >「ザ・プロレス」
ちょうどファイトもこのころから購読してて、いい具合に巡りあった記憶がある。
ファイトが毎週木曜、ザ・プロが隔週木曜だったか。
ガキの頃は「薔薇族」の広告なんて見てもちんぷんかんぷんだったw
何なのかよくわからないという。 >>843
ようやく思い出せました、サンクスです。 >>839
デイリースポーツは独占企業状態でマスコミへの態度も傲慢な日プロへに反発から
旗揚げから国プロや東プロを応援していて国プロの初期は後援までしていたがそれが
突然に東京新聞に替えられてしまった。 83年から「プロレス」「ゴング」の2強が週刊化され
「ビッグレスラー」「エキサイティングプロレス」に「ファイト」「ザ・プロレス」
それにビッグマッチ翌日の「東スポ」と、たまに出る増刊号…
バイト代の何割かはプロレスに費やしたよw あと週プロの姉妹雑誌?で「デラックスプロレス」があった。 デラプロって月刊プロレス時代じゃないの?月2回刊みたいにカバーしていたんじゃないか? ビックレスラー単に情報量多そうで買ってたが、写真は下手だし同人誌みたいな内容だし、なぜ愛読してたんだろう。。 「プロレスアルバム」で国際の特集とかあればよかったのにね >>849
88年まで出てた
ゴングもしばらくは週刊と月刊の両方出てた 週プロの編集長をやっていた浜部がビッグレスラー出身だったね >>850
先行の2誌より少し安かった。記事はともかく写真がビンぼけみたいのが残念だった。
当時は写真はゴングと言われていた。
>>847
出版物もプロレスブームでブッチャー、アンドレ、馬場、新間、樋口等まで本を出していた。
様々出ていた猪木本に比べて馬場は処女出版で週刊誌にスッパ抜かれた入籍の公開も
兼ねて出版記念と入籍披露パーティの「ジャイアント馬場をますますテレさす会」が開かれた。
国プロ関連は既に崩壊していて需要も無かった。その数年後に菊池氏がゴングで連載した
国プロの誕生から消滅まで描いた興亡史が読み応えがあった。それで始めて新聞発行、
移動バス、移動テント、契約システム、入場曲等の画期的な事をやっていたのを知った。 夏は暑くて冬は寒い、維持費がかかるはカビが生えるわで散々な移動テント以外は
メジャー二団体は国際のシステムを後追いで習ってるんだよな
ビリー・グラハムの入場曲日米共通で感動した 『パイオニア』という名称が国際プロレスの全てを表しているな。 阿修羅より剛の方が写真デカいとかおかしいよな。だからあんなヒドい結末に。 >>859
この後の4月のMSGシリーズでパワーズは予選落ち
これもけっこう酷い >>856
テントはちゃんと乾燥させてから使わないと臭いに残って大変だった。最後の
方が北海道で夏期限定で夜が涼し過ぎる時に使ったらしい。 ハワイのホテルのお姉さんに産ませた豊登の娘さんは
生きてたらもう50代だろうな
元気で幸せに暮らしてるのかな 大昔のゴングで、菊池孝さんが連載していた国際プロレス興亡史みたいなのを、
まとめて+当時の写真なども加えてから、単行本にして貰いたいなぁ。
でも流やミクマが国際プロレスの主みたいになっているから無理か・・・・ 201019 ハロー!Q&A
Q.好きなプロレスラーは?
竹内朱莉 オカダカズチカ
川村文乃 長州力さん 面白いから
佐々木莉佳子 nwoスティングさん
上國料萌衣 ドゥエイン・ジョンソン
笠原桃奈 ロードウォリアーズさん 特にホークさん
船木結 グラン浜田さん 獣心サンダーライガーさん 山本小鉄さん
小さくてもいいんだと勇気が出る‼
伊勢鈴蘭 よくわからないです
橋迫鈴 剛竜馬。ショワが面白い 日プロと国際の二団体時代も吉原社長夫人と芳の里社長夫人は仲が良く、お互いの自宅に子供を連れて遊びに行く仲だった
日プロ崩壊後は東京12チャンの国際プロレスアワーで芳の里は解説者を務める等2人の社長は仲が良かった
吉原社長と豊登を日プロから追放した際の急進派は遠藤とトルコで芳の里は追放された時も何とか2人を残そうとしていたらしい >>869
この記事に「忘れじの国プロ」があると国際プロレスの概要が大体、把握できるんじゃ
ないのかな?ファンクラブ証とか新聞とか結構、貴重な資料だったはず。
東京12チャンネル関連は最近の本で補足できる。
>>872
吉原社長「リキパレスは日プロで買い取るべき!」と主張して遠藤等と対立、独自に
スポンサーを探すも用意した金額と変わらない金額でパレスは転売された。この辺りが
遠藤派との対立が決定的になり営業部長と名ばかりの閑職に置かれていた。
豊登の追放会見に営業部長として同席しただけなのに豊登の国プロ参加時に最初は
わだかまりがあったらしい・・・ リキスポーツパレスなんて、日本プロレス界の象徴的な財産なのにね…
日プロで買い取るべきと声を上げ、スポンサー探しまでした吉原は偉い! 結局、自分のもしものことを一切考えてなかった力道山が悪い。 選手たちもリキパレスは買うものだと思ってたら手放されてびっくり。
色々問題のあった建物らしいけど、この辺りの新体制の馬鹿っぷりが後々崩壊劇に繋がるんだと思うんだよ。 オレは文京区の方の駒込の生まれなんだが
昭和の終わりまで力道山の愛人?が【リキ】と言うスナックを長らくやってたよ >>878
力道山と松方弘樹(当時20代)を二股かけてた愛人がいたってなw 国際プロレスの吉原代表は、上田馬之助の先輩である。馬場と猪木は上田を無視。
吉原代表からすれば上田がもし国際プロレスで暴れたいなら考えがあったはずである。
しかし、上田にはそんな思いはなかった。まず上田馬之助に驚かされたのは、開幕戦に現れた風貌である。
髪を見て驚いた。上田馬之助は髪を半分、金髪にしたのだ。ここからこの男を”金狼”と呼ばれるようになった。
もともと実力者であった上田は、反則を巧みに使い自分のカラーを作った。それでもR木村に劣って見えた。
1976年6月11日、古河大会でラッシャー木村を破ってIWA世界王座を奪取した。
これには驚かされた。ラッシャー木村を凶器突きからフォールしたわけだが、
リターンマッチをやらずに勝ち逃げした、これには国際勢は怒り心頭だった。 リターンマッチはやったよ
7月28日銚子市体育館で没収試合、タイトルは預かりに >>880
この古河の試合って映像残ってるんですか?是非とも観てみたいのですが >>882
たぶん想像するに…
木村は例によって先輩や格上相手にした時の妙に気後れしたようなモタモタしたかんじで
上田は上田で「凶悪な金狼が大暴れ」というよりは
いつものようにチョークとショルダークローを嫌らしく延々繰り返し
技らしい技はクロスチョップくらいで
場外戦と凶器攻撃が続く中いつの間にやら決着〜みたいな塩試合だったのではないかと?
当時はあの地味だった上田が(あるいは日プロ時代の上田自体一般にはよく知られてない中で)
「髪を半分金髪に染めて凶悪な悪役ガイジン側として日本陣営相手に反則・流血戦を繰り返す」
ことだけでとんでもないインパクトだったわけで
それ抜きに今の目で見たら
試合自体は当時としても絶対塩試合寄りだったと想像w しかし日プロ時代に馬場猪木よりはるかに格下だった上田に
エースを負けさせるって大サービスすぎるよな 日本人が日本人を裏切るアングルは、上田の前に横内がやってるから
ストーリーが立てやすかったのかな?
(タッグマッチで草津のタッチを横内が拒否して仲間割れ、最終戦で一騎打ち…
その時は横内がマイクを握って仲直りをアピールするという中途半端な結末だったw)
それに新日なんかに行くと思わなかったんだろうし、
行くならベルトを返してからと、リマッチで王座陥落が暗黙のルールだが
ウソかホントか負傷で返上という自分の商品価値を落さないやり方で新日へ
猪木vsシンの蔵前のリング上に上田が挑戦状を持参した
記憶が定かでないけど、上田が片腕吊って吉原へのポーズをとってるようにも見えた。 今の妄想だが、上田×木村がしばらく抗争した後に
木村の勝利で決着して和解、木村上田組が国際最強タッグとして
新日と対抗する、というのがよさげだと思った。
まぁこうなるとシンがどうなったのか、ともなるけど。 なんで新日と絡むんだよ、当時は全日との提携時代だろ? 上田もあのキャラ作る時横内を大分参考にしたらしいね >>893
散々騙されたのに、上田は横内を庇っていたんだよなw >>889
上田は木村草津らが新人のペイペイだった日プロ時代の直接の先輩だからねえ
「日本側の助っ人」扱いにしようとしてもマツダや清美川と違って
なまじ直接知ってると先輩とか道場での強さとかに対して
どうしても気後れややり難さが出てくる
まあこう言っちゃあ悪いけど日本人だからってだけで
日本陣営に助っ人的に置こうにもあのルックスと(本来の地味な)ファイトスタイルだし
木村や草津にしても立場的にやりにくいし面白くも無いだろう
(また吉原さんがどうせデリカシー無く「旧日プロ出身者の強さ」と
「それに比べ木村草津はまだまだ甘い」とかを公言しちゃうんだw)
そうなると使い道は「日本人の風上にも置けない卑劣な裏切り者」しかなくなるわな
もっともそこまでやっても負けた後にまだ
「これまでは同じ日本人、先輩と思ってきたがあんなに汚い手に出るとは…
もうこれからは先輩でも何でもない!」
っていう木村のコメントの方がむしろ正直、どうよ?っていう
いや、それでこそ木村らしいっちゃらしいけど… >>894
そこはたとえばマツダや清美川のように
自ら覚悟を決めて単身海外に出て行った人や
斉藤、高千穂のように米で色々な苦労もしただろうが
長年やってそれなりの地位を自力でつかんだ人たちと違って
心ならずも日本で居場所失って
止む無く米に「流れていった」上田にとっては
大したアテもない現地でとりあえず同じ日本人で
一緒に組んでいた横内は人格的にどうであろうが
とりあえず頼りにもしただろうし恩義も感じてたんだろう
横内にしても藤井や関川と違って
性格はともかく上田の実力には一目置いてたろうから
あまり無碍に扱って反抗されても困るし「ほどほど」にしてたかもしれん
なので、もし上田が国際に来ないでそのままもう一、二年
米でフリーとして横内とは別れ単身それなりに食えるようになってたら
おそらく横内への見方もまた変わってたと思う >>896
上田は海外武者修行中の68年に横内と組んでいたからな〜
私生活でも親友で、横内の日プロ登場を遠藤に懇願していたくらい(拒否される)
73年8月上田が全日本で冷や飯を食っていた頃
上田は帰国した横内に二人で「新団体結成」の話を持ちかけられ、
口車に乗って財産である持ち家を失っている。
しかも上田は横内の日本滞在費用やアメリカでの休業保証までかぶって…
(実はその頃、横内はアメリカで修行中の関川のマネージャーも兼ねていたが
あまりに酷い搾取ぶりが伝わっていた。)
お人好しというかバカというか、親友でもある松岡も上田に再三注意したが
聞く耳を持たず、間垣部屋からの付き合いの二人もこの時決別した。
その話を聞いた横内は全米プロモーターに「松岡は危険人物」のお触れを流し
仕事にありつけなかった松岡はプロレスを廃業した。
話が前後するが、草津との因縁は69年秋の来日のことで
横内は国際の運営を批判しブッカーの座を狙っていたが、AWAルートができつつあり
ヨーロッパルートは清美川がいて横内は必要なかった。
仕事は出来るが、口が上手く人間的にダーティーな部分が見え隠れしていた人
そんな人物がシャチ横内です。 >>895
俺は木村がIWA転落して血だるまで放送席でインタビュー受けて
「上田のことを友達と思っていましたけど、もう友達じゃない」云々言ってた記憶あり。 クラシック観ると、エリックは赤のTシャツが似合って
クラッシャーはラメ入りの派手なジャンパー
ブルーザーは何も纏わず肉体がコスチュームのようでカッコよかった。 木村のIWA王座防衛戦は、記録に残ってない試合もかなりあるらしいね
連続50〜100試合とかあっても不思議じゃないw https://pbs.twimg.com/media/Ek7TqlnU8AAWEmo.jpg
田コロは「こんばんわ」事件で猪木がそっけない態度をとったと思われがだが
マイクでの発言を嫌っただけでピストルのシュートサインを取るなど
蔵前決戦の威嚇だけはしていた >>902
鶴見が言ってたが、それ小林だろ。
地方で毎日のようにタイトル戦をやってたって。 >>904
いや、木村もかなりやってたようだね。
熱心なファンの写真も残っている。
マイティは無いらしい。
本人の話によればだけど。 試合をやる度にチャンピオンベルトを巻いて登場していただけなんじゃないの?。
観客がタイトルマッチだと思い込んでいただけでは。 >>906
それはあるかもしれない。
バックランド、フレアーらもノンタイトル戦やタッグマッチでもベルト巻いてリングインしていた。 小林の未公開記録じゃないが、ミック博士のプロレスファイルに出てるね
www.showapuroresu.com/file/file60.htm 記録外防衛はいっぱいあるんだろうけど
記録外王座転落→記録外王座奪回はさすがにないだろうな〜 >>912
ニュージーランドでレイスが王座を獲得、シンガポールでフレアーが奪還もNWA公式記録には載らず。
IWAのミラー→小林、ロビンソン→グラハム、WWWFジュニア王者エストラーダの戴冠試合など
試合自体がなかったベルト移動試合もある。 新日本プロレスのゴッチベルト(実力世界一)は旧オハイオ版AWA世界ベルト。
テーズNWAとゴッチAWAで統一戦をやってテーズが統一王者になったが、ベルトし団体・ゴッチ
に残した。
数年後、ゴッチがそのベルトを実力世界一王座として新日で猪木とやり、テーズがレフェリーという無茶苦茶。 >>911
まぁ、この試合の写真だって、「最後に木村にIWAのベルトが手渡された」、とか
「ウインター・ホークには外人総出でセコンドに付いた(と言っても3人)」、
というだけではタイトルマッチかどうかは分からんよな?
試合前の国旗掲揚、タイトルマッチ宣言、レフェリーからのベルト授与くらいないと。 試合前の国旗掲揚って国際でもやってたんか、全日ではやってないし
新日だけが勝手にやってたものかと >>917
>試合前の国旗掲揚って国際でもやってたんか、
毎回ではないかも知れないが、
確か、1977年の対リップ・タイラー戦で見た記憶がある。 916だが、>>911の写真(右側の一番上)を良く見ると、
日本とアメリカの国旗が見えるな(^^:。
まぁ、これはIWAタイトルマッチだったんだろう。
俺も、「幻のIWA戦は行われていない」とは言っていない。 リングアナがタイトルマッチと紹介して
王者がベルトを預け、試合後に勝者がベルトを受け取る儀式があれば
タイトルマッチだとするべきだと思う。
宣言はあればいいくらいだし、マスコミに発表するかどうかは枝葉だろう。 >>912
81年に韓国で星野が藤波に勝ってベルトを巻いたらしい
日本では両者リングアウトと報道された
藤波はヘビー転向でジュニア王座返上済みなので奪回はなし パット・パターソンがアメリカ国歌を流されてずっこけたとか
チャボ・ゲレロがメキシコ国歌を流されて怒ったとか
面倒な事が多くて国歌はとりやめにしたんだろうね
プロレス界は国籍ギミックだらけだから厳密にしたら
シンでカナダ国歌を流してゴッチでベルギー国歌を流すことになる シンプルに本人に訊いてOKならやればいいのに。
この件でどうこうはいわないでほしいが、
おれがレスラーだったなら君が代は御免被るし、
ブッチャーならスーダンもカナダも違うように思うな。
ジプシージョーなんてどう答えるやら。 >>924
愛国歌(エグッカ)ならOKってことですか? >>922
>81年に韓国で星野が藤波に勝ってベルトを巻いたらしい
それ81年だっけ?俺は79年だと聞いた。
79年10月5日、ソウルで星野の挑戦を受け両リンになった試合は
日本でも放映された。俺はそれを見て星野はずいぶん韓国で人気が
あると思ったが(苦笑)。別の日に、また韓国内で再戦が行われ、星野が勝って
WWFジュニア獲得。それで、またリターンマッチが行われたかどうか分からんが、
藤波は、またシラッと日本で王者に戻ったと。
81年なら何月に渡韓したんだい?その年の10月16日、藤波は大分でSトラビスの
挑戦を退けた後、WWFジュニアを返上しているな。 >>926
猪木らも参加して11月13日と14日に済州市公設運動場特設リング(張永哲の興行
14日の方で藤波vs星野が行われた
79年のはTV中継があるから誤魔化しようがないだろ 国際を観戦したのは文体とスーパーや空き地の特設リングだけど、新聞や雑誌の試合結果は文体のはそのままだった
特設リングのは違ってた
金網やタイトルマッチが普通の試合だったり、決まり手や試合時間はいい加減で第1試合からメインまでまるっきり違う大会もあった
マスコミが来ない地方大会は主催者発表でマスコミに電話してたらしいけど、国際の場合は誰もメモを取らなかったからいい加減に伝えてたらしいよ 国歌は省略して、ルチャのタイトルマッチみたいな試合前のセレモニーを行えば特別感が出ていいんじゃないかと思います >>930
文化体育館の略。
主に横浜文化体育館のこと。横文とも言う。
文体は横浜で、横文は東京及び、横浜以外で使うことが多い。 国際はせめて横浜文体・川崎市体育館クラスの会場を埋めることが出来るようになれば
良かったのだろうけど、実際は後楽園ホールでさえ苦戦していたみたいだからなあ ミスター珍は軍歌をテーマ曲にしていた。TBS時代だが。
清美川も戦場にかける橋のテーマ曲を自分の入場曲にしていた。 逆エビ固めで試合が決まる国際は新鮮だった
他のとこでは、逆エビは単なる痛め技で
両腕で腕立てしたりしたら簡単に抜けられる
実際は、完全に決まった逆エビなんて
簡単には外せない
まあ完全に決めるのにも相手の協力が必要な技だが >>923
大リーグのワールドSかプレーオフでカナダ国旗を逆さまに掲揚してしまいアメリカ大統領
が陳謝する羽目になった。
>>932
力道山時代の試合が行われた最後の会場だった。ギリギリ開館が間に合った。
NHKスポーツニュースで「さよなら横浜文体」と特集して特別に力道山の使った
ダンベルセットが公開されていた。 国際の文体といえば、73年草津が現役IWA世界王者のWマクダニエルにKO勝ちした
金網&インディアンストラップマッチ
75年はコンバットに奪われたIWAタッグに草津&井上が金網で挑戦(奪回成功)
78年木村vsブルックスのIWA世界選手権
79年木村vs上田のIWA世界選手権(上田がレフェリー・テーズを暴行して木村の反則防衛)
文体使用最後が81年木村vs浜口のテーズ杯争奪戦(このシリーズでテレビ打ち切り) >>936
カナダ国旗と言えば、1973年に新調されたNWA世界ヘビー級チャンピオンベルト
(いわゆるレイスベルト)のサイドのカナダ国旗は、ユニオンジャックが左上に付いた
旧タイプの旗だった。1965年に現在の赤白赤の縦縞で、中央に赤いサトウカエデの葉が
配置されたデザインに改定された。ベルト制作者がメキシコ人だったこともあるが、
ズボラだね。
無論、サム・マソニックNWA会長が謝罪したと言う話もないし(苦笑)、
数年間、旧カナダ国旗入りベルトが使用された。 >>918
>国際史上唯一の首都圏主会場超満員
後楽園ホール満員なら何度もあるだろ。
木村vs井上、浜口が健吾に伸ばされた4大タイトル戦、井上&寺西vs小林&永源・・・ >>938
小林も全盛期に突入する時期だし、イヤウケアも勢いのある頃
日プロ系大物レスラーを次々と招聘し、小林と草津の仲もまだ良好w
日プロはお家騒動真っ只中で、国際が一番輝いていた時代だね‼ 木村vs鶴田でも蔵前を満員にするのは無理なのに、日本リーグ争覇戦の蔵前大会はメインが木村vsドク、
セミが鶴田vs井上だもんな。無謀としか言いようのないマッチメイク。さすがはマッチメイカー草津。 横浜文体も台東区体育館も満員で5000人くらいかな?
東京体育館や蔵前は、5000人でも半分の入りだからな。 >>945
無策でもないのでは?
木村がこんばんはをやった新日の81年9月の田コロは猪木vs戸口、アンドレvsハンセン、坂口vs小林で満員。
注目カードは初対決の猪木vs全日NO.3の戸口だった。 ていうか普通、蔵前でやるのは「決勝戦」だろ。
まあ決勝を木村タナカ戦にせざるを得ない理由から
回避したんだろうけど、国際みたいな団体が
「決勝前の」トーナメントをメインにして
蔵前興行やったらダメ。 >>947
その田コロはタイガーマスクの試合もあれば、ソリタリオ相手の藤波防衛戦もあっただろ?
>>948
決勝の千葉はもっと悲惨なカードだったよな。メインが木村vsタナカ、セミが鶴田vsホー。 >>947
アンドレ「今夜のファンはオレたちを観に来ているんじゃないのか?」
ハンセン「まさかニュージャパンはオレたちがイノキより目立っちまうことにビビってるんじゃないだろうな!フフッ」 国際最後の大阪府立になったメインがIWA世界タッグ戦浜口、井上VSマイク・ジョージ、ボブ・スイータン
観客がライトが当たってる前方しかいない悲惨な入りだったそうだが
井上の地元とはいえもうちょっとマシなカード作れなかったのか?w 新日でも外人対決が話題になる事はあるけど、猪木のジェラシーが物凄くて
新間も大塚も調整が大変だったらしい、
吉原の鶴の一声でホイホイ負けるラッシャーとは大違い >>951
気持ちはわかるがそれでも精一杯の
看板タッグ王者チームとシリーズのガイジン最強コンビ対決だったんや… ラッシャー木村は新日本に行って才能が開花した
猪木に対するなりふり構わぬブラックジャック攻撃に卑怯な逆髪切り
3人掛りでも猪木を倒そうという執念は凄かった
猪木のナックルパートで顔面を真っ赤にしながら仁王立ちした姿には感動した ところでまったく話変わるが…
東スポのプロレス大賞って
最優秀選手賞と最高殊勲選手賞があって
一応非公式にはMVPは最優秀選手賞って解釈になってたけど
馬場猪木両雄の顔立てるためとはいえ
もう少し名称なんとかならんもんやったんかな?
と、中立の意味であえて両賞に縁の薄かった国際スレに書いてみる >新間も大塚も調整が大変だったらしい
アンドレ対ハンセン戦はカード編成が弱いと感じたTV収録をするテレ朝の強い希望だった
とか武道館の猪木対上田戦は「どうせ不透明決着だろう・・・」とチケットがあまり捌けな
かった。それで「釘板デスマッチ」にしてやつと売れ始めたとか大塚氏が興業カードの苦労を
語っていた。 1978年11月蔵前 国際 4500人
1978年12月蔵前 全日本最強タッグ 12500人
1978年12月蔵前 新日本プレ日本決勝 7000人
この時代に興行合戦では勝ち目なし。
新日本でさえこの客入り 国際のみならず新日もガイジン呼ばないと客が来ない時代だったんだ
団体対抗戦も狼軍団も観客動員には マツダが大将の狼軍団との対抗戦は興行としては失敗だったって話だね
第二弾がなくて立ち消えになったのを見れば分かるが ただ年間トータルで見ると1978年だと新日は全日よりももうすでに観客動員は多かったはず
年間興行回数もタイガーマスクブーム前の1980年が一番多かったそうだし
必ずしも豪華外人勢が最重要になるような時代ではなくなっていたのは確か >>957
国際は実数その半分位しか入ってないんじゃないのか?新日も7千じゃ流石にバツが悪くて下駄履かせてると思うけど国際程のガラガラ感はない。
全日ナンバー2と3を招聘してこれだから全日人気も低下しまくりだな。対抗戦も完全に飽きられたか。
小林が来た事は馬場にも寝耳に水だったらしいが、鶴田等を引き上げなかったのは最後の温情だったのかね。これからの興行戦争考えると頭抱えてしまう。 温情も何も、鶴田vs井上は日テレの放送だったから引き上げたら番組に穴空いちゃうんじゃないか? >>960
そうでもないよ。
全日本は7月シリーズをテリー、ブッチャー。
8月をマスカラス兄弟。10月をブッチャー、ロビンソン 。そして年末の最強タッグと、豪華外人路線で
突っ走ってた。
一方の新日本は7月シリーズはモラレスに特参バックランド、9月シリーズのシンはともかく、
10月シリーズがマルコフ、クラップ
11月が日本人のみのプレ日本選手権で、興行は苦戦した。 日本リーグ争覇戦の蔵前は後楽園の満員よりも入ってなかったって話だから2000人入ってなかったのでは?
新日のプレ日本の蔵前も新日にしたら不入りで実数で5000人割っていたって読んだ
日本リーグ争覇戦の時期には全日との対抗戦も一通りやって飽きられてた
S50年からS52年の前半までに開催していたらもう少し集客出来たと思う >>963
翌年の新春ジャイアントシリーズはブロディ初来日があったとはいえ、ラシク、イヤウケア、
短期参加のエリックと一気に弱体化したよな。4月からはゴールデンタイムも追われてしまった。 >>962
鶴田VS井上は日テレ放送版もあったのか。YouTubeで木村と草津の解説入りの見れて感動してたのに。
いい試合なんで実数2千とはもったいないことしたな当時のファン。低迷期全日と倒産間近の国際の対抗戦だけど試合自体はそんなに悪くないのが悲しいいな。 >>966
鶴田vs井上も、藤波vs阿修羅も、日テレ、テレ朝よりも12チャンネルの方が放送は後だよ。
毎週全国ネットで放送されているレスラーを、「お先にどうぞ」なんてあるわけがないだろ? >>965
夕方の時間帯移行は、78年中には決まっていて、ぶっちゃけ国際が新日本に擦り寄ったのも、それが一因とも言われているw
ただ、手元に資料があるんだけど、この時期の全日本の視聴率が落ちていたかというと、そうでもないんだよね。
78年10月平均 14.0
11月平均 11.6
12月平均 14.5
79年1月平均 13.2
2月平均 13.2
3付平均 14.2 >>963
プレ日本選手権はバックランドが1試合のみ出場
無駄遣いもいいとこ >>967>>970
情報ありがとう。毎回テレビで中継を見れない時期だったので見落としてたのかも。記憶違いも大分出てきてるな。お恥ずかしい。
しかしやっぱりガラガラだね。 >>970
クレイボーンは国際側なのにカウントが早い早い、あるいは
レフェリーの経験浅さで井上の惜敗を印象付けたかったのかもしれン >>968
当時のテレビ視聴率はゴールデンなら20%獲ってやっと合格点ってハードルの高さだったからね
日本テレビとすればどれだけ頑張っても15%しか獲れないコンテンツは、ゴールデンから
外さざるを得なかったかもね
TBSが国際を切ったのも視聴率が原因だったけど、ゴールデン時代末期でも12〜15%は獲ってた。
でも民放の雄TBSとしては物足りなかった。で土曜の昼に移行してすぐ打ち切り >>970
日テレの中継とはいえ、国際のイベントで両団体の若手エースの対戦なのに、解説が
馬場のPWF奪還についてとか、全日の最強タッグリーグばかりなのが悔しい。 >>973
四強一弱一番外地だったからね
ただ70年代のフジは「フジの病」と言われていてそんなに良くなかった
ワープロは一弱のテレビ朝日だった事が逆に幸いした(テレ朝では上位の視聴率だったから)
国際が5年も続けられたのは一番外地の12チャンネルで12チャンネルではマシな視聴率だったから 開局時の弱体、昭和末期から平成前期の隆盛と
平成後期の転落、フジの栄枯盛衰はすごい
国際はそういう隆盛期がないんだよな
日プロと負けはしてもなんとか競争相手になれたのが全盛期だもん 日本リーグ争覇戦蔵前での木村vsドク戦前に小林が両選手激励でリングインして新日の小林と全日のドクが小競り合いはヤバイ。
石川&桜田vsプロフェッサータナカ&ディーン・ホーの3本勝負で数日後に日本リーグ争覇戦決勝で
木村と戦うタナカを桜田が中途半端なパイルドライバー1発でピン勝ちってダメだろ。
https://www.youtube.com/watch?v=45xyiRMPa5c&feature=youtu.be >>957
この最強タッグ景気を見て新日がMSGタッグを始めた理由が良くわかる。テリーは
「あれはイミテーションだ!」ともっともな事を発言していたが新日はそんな事は
お構いなしタッグリーグ開催、参加メンバー発表等の全日に先手を打ち話題作りを
諮った。
>>968>>973
全日中継の前後の土曜8時台の日テレの番組は全員集合に全く歯が立たず固定層の
いるプロレスは数字以上の評価だったが巨人戦の時は夜11時45分開始という当時と
して完全な深夜枠に回されて流れがわからなくなるファンには苦痛だった。
NETプロレスリング時代に視聴率が12〜13%でもNETではの人気番組扱いだった。 >>975
昔はNHKを一強扱いしてたんだ、まぁ紅白とか視聴率お化け番組を抱えているからな >>969
バックランド来ないと坂口vsマサ斎藤の三位決定戦だから悲惨な客入りになるのが予想出来るからテコ入れは必須だから無駄遣いでも仕方ない。 >>965
全日の新春シリーズは毎年顔ぶれ的には弱いよ。 >>985
そう考えると団体の浮沈なんてマッチメーカー次第なんだよな、、
現場監督を誰にすれば一番よかったのか? 資金が入っても吉原さんに戦略的なプロレス頭がないと
SWSみたいになっちゃうし‥‥ >>983
バックランドが来たのは大阪だけだから、
そんなに悲惨な入りにはならないのでは? このスレッドは1000を超えました。
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