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【スピニングトーホールド】昭和の全日本プロレス77【ローリングクレイドル】
※前スレ
【ファンク一家】昭和の全日本プロレス78【テッド・デビアス】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1573883530/ >>1
乙。
「吹けよ風、呼べよ嵐」はブッチャー、シーク、メフィスト?、シンが使ってたのかな。
カマタにはちゃんと独立したテーマ曲があったんだなw >>4
あれって結局、視聴者からのハガキとテープで
選曲してんだから日テレのスタッフも
大したことないな。 決起軍と言えば田上明
世界最強タッグと言えば鶴田(91年)とハンセン(99年)の最後のパートナーは二人とも田上明。
そして田上はプロレス団体の社長になるとは当時は予想つかなかった。 ブッチャーが去った81年大会はブロディ&スヌーカ、シン&上田、天龍&原、レイスと新顔満載なのに、大熊&小鹿、ラシク&クラップ、シーク&ルーイン、ヘニングとロートルも満載だったため微妙な大会。
しかし蔵前でのハンセン登場で全てが帳消しの希有な大会となった。 >>11
仲野が逃げ出さなければ90年はそのまま仲野とのコンビで最強タッグ出たのかな
アジアタッグも何回か防衛できただろうし >>13
田上はジャパンプロレスから迂回入団で全日本だったな。 9回チャンピオンカーニバルのブリスコはテーマ曲無しで日テレテーマ曲で馬場と同時入場
ギャラクシーエキスプレス流せよw
https://youtu.be/eHLO4hjtwqY >>15
残念だけどファンクスとブリスコにギャラクシーのイメージが湧かない。
Tリッチ、RスティムボートもNWA王者だったけど、
ギャラクシーエキスプレス=レイス、フレアーなんだな。 >>15
ギャラクシーエキスプレスはレイスのイメージ
フレアーはツァラトゥストラ、リッキーはライディーンだな 輪島のアメリカ修行時によくかかってたからウルトラクイズのテーマとギャラクシーエキスプレスは当時のアメリカそのものって感じ >>12
全盛期のパフォーマンスは期待してなかったけど、AWA師弟のレイス&ヘニングや
Wクローのラシク&クラップが出場したのは嬉しかったな(オールドファンとして) >>9
84年と87年が良かったのは、世界最強タッグというより、あの入場式w
まあ、大体そういうもんだけど。
試合内容はあまり記憶に残っていないw さすが母娘やね
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/神田沙也加と村田充、離婚に至るまでのサポートと禁断の愛/ar-BBXM2vz?ocid=spartandhp >>22
TNTは最終戦武道館での馬場へのトラースキックが印象に残ってる。 87年1月2日の後楽園、3年ぶりに開催された長州初出場のバトルロイヤル
あんな糞ツマラン試合になるなら開催するべきじゃ無かったね! >>28
それなら最初から開催しなければ良かったんだよ。 87年のバトルロイヤルは、オーバーザトップロープルールだったら
少しは違った展開になったかもね。 そもそも長州が居たのに開催したのが不思議だよ。
しかも退団が決定してたんだから、あの様な(フォール負け拒否)展開に
なるのは想像ついただろうしね。 長州が初参加したバトルロイヤルはタイガーマスクの優勝
長州・谷津はカート・ヘニング&ネルソン・ロイヤルと45分1本勝負で対戦するも
僅か5分53秒でロイヤルをラリアット葬 >>33
長州と輪島の絡みがあればおもしろかったな。 このシリーズから輪島は全戦参加したが、長州との対戦はなかった。
長州は最後の全日マットだったが、1月17日地元徳山でのカート・ヘニングとの
PWF防衛戦で例の発言… 長州がノーフォールを譲らなかった2年間の全日はつまらなかった。
長州自身も実はやりにくかったんじゃないか。 鶴龍や一流外国人レスラーとの対戦が注目されたが、個人的にはカーンとの一騎討ちが面白かった。 天龍・輪島vs長州・浜口が発表されたが中止になったね・・ >>37
黒装束で長州を襲撃したシーンが印象的。
馬場に正体がカーンだと見破られたが(ファンも解説者も気がついてなかった)。 >>26
プロレス入りのきっかけが86年の谷津レスリング優勝だからな ジャパンプロにアノアロじゃない小錦の兄弟の入団が発表されたが立ち消えになったな… >>34
あのバトルロイヤルは、週プロか週ゴンのどっちかに長州と輪島の対戦が実現するかも、と書いてあった。
そんなことある訳無いだろ、どうせシンと遺恨持ち越しですぐ失格だろと友人と語っていたらその通りwww
当時の全日は展開が読みやすかった。 長州が強引に新日Uターンした時に、日テレとの契約が残っていることの問題で、
イルミネーションマッチで開始後いきなり失格、テレビに全然映らないのは笑えた。 >>43
原の乱入とか鶴田の奇襲で長州ぎ試合をせずに退場とかカーン の裏切りとか、
新日の台本な劣化版みたいな事ばかりやってたな。 >>46 全日本のジャパンがらみのアングルって誰が台本書いてたんだろ?大塚さんあたり? 馬場が長州にサソリをかけさせまいと堪える表情が良い。
あんな馬場の顔は他で見たことがない。 長州欠場で、天龍輪島vs谷津浜口でやればいいのに、それをやらない全日。
メインが鶴田vsトミーリッチで大阪はきついだろ 頂上対決が流れた時の長州の相手候補て誰だったっけ?
結局天龍とやったはずだけど。 >>49
あの時は浜口も欠場
ジャパン勢で出場したのは谷津仲野寺西栗栖永源の5人 >>53
鶴田の負傷で試合中止
当日の長州の相手は、天龍カーン谷津キマラの中からファン投票で決めて
何故か谷津が選ばれた >>54
鶴田の入院なんて前から決まってた筈だと
思うけど、
それを当日発表なんてジャパンも酷いね。 全日勢抜きで興行打つ事も出来ないくせに最後まで偉そうでワガママだったジャパンプロレス >>56
立春三大スペシャルマッチと銘打って、ジャパンとカルガリーの対抗戦やってたろ >>56
二年目では既に自主興行が打てなくなっていたが >>54
長州が「俺たちの時代だ」とかいったのこの試合のときだっけ?
まあ馬場にしてみりゃ「何を言っとるんだこいつは」となるわな >>42
藤原組のNKホール大会で藤原と試合してたな。 >>54 55
この時ジャンボは肝炎が発見されていたそうだが、表向きはハンセンやキラーカーンに肘を傷めつけられたための欠場とされていた。
全日本としても事実を公表するか否か困惑していてジャパンと協議したのではないかと推測。
結局全日本がジャパンに下駄を預け、ジャパンが谷津を売り出すチャンスと判断しての決定だったのだろうな。 >>55
当日発表じゃない。
開幕戦の時点で欠場決定。
週プロには、代わりに谷津と対戦って書いてたのに、
当日ファン投票。
出来レースで谷津になったけど。 >>45
英語の発音を、カタカナ表記するなんて無理なんだから、どっちでもいいんだよ。
鬼の首取ったみたいに指摘するのは恥ずかしいぞ。 イルミネーションでもイリミネーションでもなく、
Elimination >>60
「俺たちの時代」発言の大阪城の会場に、数日前まで新日本にいたマシンが現れたな
長州は2月のエキサイトシリーズを手首にできたガングリオンを理由に欠場
この時期マサ斎藤が猪木に対戦を表明し、調印式にマサの代理で長州が登場する。
ジャパンプロレスは全日本に残留する派、新日本に出戻りする派、引退を選ぶ者と
分裂する。 あれっ、時系列が滅茶苦茶になった。
「俺たちの時代だ!」は85年8月5日の大阪城大会で、長州vs鶴田が長州vs谷津に変更
新日がハワイ遠征中にマシンが会場に現れ長州に対戦表明
エキサイトシリーズの話は87年だったw 皆さんの記憶力に頭が下がります。長州の俺たち発言、全日にくる前と記憶してた。俺、昔は頭よかったのになぁ。 85年夏以降の全日は熱かったな。
長州の俺達の時代宣言、マシーン登場、阿修羅ヒットマンに変貌。
それまでの外人天国だった全日では考えられない。
全日は日本人対決一色。
たまたまハンセンも不調の時期だったし。 >>62
怪我の入院治療が長期に渡って時間があるのでついでに検査をして肝炎が発見されて
のちに体力があるうちに手術をする事になり結果的に悪化させてしまったと鶴田夫人
の本に書いてあった。この治療期間中でビートたけしは診察室で鶴田と遭って
手術痕を見せてもらったとかラジオで語っていた。 >>70
そして剛菅原高杉が解雇、百田兄が人知れず強制引退 >>71
肝炎はまだ発症してなかったんだよな。
キャリアだというだけで。 >>64
それ以前に「イルミネーション」だと電飾に
なっちまうんだから、お前さんの間違いは
おかしいだろう?
そこは素直に認めようぜ >>71
「病院に行ったら鶴田がいた」ってネタがたしかにあったわ >>70
それでも馬場からPWFを奪い最強タッグにも優勝のハンセン
その後にはAWAも奪取 >>67
ガングリオンなんてこの時初めて聞いた言葉だったな〜 >>75
確か慈恵医大じゃ無かったかな?
バラエティの収録で小道具が顔に当たって
少し縫ったとかで病院に行ったらしいね。
当時は鶴田でも「馬場さんとこのレスラー」
という事で売れっ子芸能人でも対等に
話せたんだな。
今は内藤何とかでも気安く有名人に声は
かけられないだろう。 全日本vsジャパンvs血盟軍の3WAY6人タッグとか
全日本vsジャパンの生き残り8人タッグとかやってもよかったのに。 長州はフォール負けしない契約だから100パーセントジャパンが勝つ 〇〇選手はフォール負けしない契約だったって
書き込みをよく拝見するが何か明らかな根拠ってあるんすか? >>81
フォール負けなくても、リングアウトや暴走反則負けはありそう。
>>82
俺もその契約はよくわからんなぁ
よく聞くんだけど… >>78
TVCMにも出てたし、ジャンボ鶴田と言えば誰でも知ってたよね。
今のレスラーは悲しいが、、 >>74
お前がアホだと言うことがよくわかった。
こっちの言うことを何一つ理解できてない。 >>78
たけしより、鶴田の方が先に有名になったのに、何言ってるんだ。 >>79
3WAYなんかプロレスじゃないわっていまだに思ってるわ。個人的に。
馬場は認めなかったろうな。 >>51
全日vsジャパン
天龍冬木百田大熊薗田vs谷津仲野寺西永源栗栖
これはこれで盛り上がったな。 >>86
その通り。
当時はむしろ鶴田の方がたけしよりスターだった。 3WAYとかでタイトルマッチやったり、時間差バトルだとか
ゲーム感覚で面白いけど、矛盾してるし権威もないね。 ↑
とは言ったがプロレス自体がツッコミどころ満載だし、仕組みが分かった現在は
客が興味をもって業界が潤えばいいか‥
ただWWEからパクッて新日でやってる権利証争奪戦だけは嫌いだ。 >>81
長州がフォールされずともパートナーがされる可能性がある。 ゲーム感覚でいえば85年辺りで外国人もドラフトという形で
全日本、ジャパン、血盟軍でそれぞれつけるってやり方もあったと思う。
外国人という一つの枠で外敵的な扱いだったけど、戦後で外国人は敵だという時代ならともかく
この時代だったらバース、クロマティ、ブーマーのような外国人助っ人なんてあったわけで
デビアスは全日本、ハンセンはジャパン、ブロディは血盟軍とかそれぞれ振り分けしていけば
日本人対決中心になることもなく外国人も立てることもできたと思うけど。
もっともこんな考えは平成的と言われてしまうかもしれないが。 世界最強タッグの優勝チームが、そのまま世界タッグ王者になるって
いつからそうなったのかな?
リーグ優勝チームはトロフィーだけでいいと思うけど‥
で、優勝が王者チームじゃない場合はタイトル第一コンテンダーと言うことで。 >>64=>>85
確かに、「英語の発音を、カタカナ表記するなんて無理」だけれど、
だからどっちでもいいと言う論理は成り立たない。
イリミネーションElimination「əlìmənéɪʃən」
イルミネーションillumination「əlùːmənéɪʃən」
発音記号読める? そもそも公式名称として「5対5イリミネーションマッチ」だったんだろ? 指摘してやったところで、アホだの何だのと
子供じみた言葉しか返さんからな
同じプロレス板の住人としてガッカリやわ >>97
横だけど、何が>指摘してやった だよ
お前が余計なことしなければ良い。勘違いも打ち間違いもあるんだし
そんなのどうでも良い事。 カタカナ表記上、どちらでも良いとされている、エイミネーションの方を使っておけば、こんなことにならなかったのに、、、 「イルミネーション=電飾」と完全に和製英語として定着してるから
どんな言い訳したって通用しないよw >>95
アメリカだと佐々木健介は「ケンソーケェイ・セェセェケェイ」 >>82
ブッチャーには移籍後3年間はフォール負けなしという契約があったと、囁かれてたな。
実際初フォール負けは移籍3年半後の猪木戦。 >>98
おっ、お前さんのその言い回し、
最後の一言がマサ斎藤っぽいじゃないか
「ニューリーダーとかナウリーダーとか、
そんなのどうでも良い事!」 >>102
すまないが知りたいのは似たような噂ではなくて
その根拠なのです。 >>105
そらあ実際噂通りブッチャーが3年間ノーフォールだったしなw >>105
そんな内容の書いてある契約書は出てこないだろ、関係者の証言くらいしかない。 ブッチャーが3年間フォールなし契約で新日移籍した事を暴露したのは
ユセフ・トルコの「こんなプロレス知ってるかい」という本
猪木と険悪な仲だった頃の本なので最初から最後まで猪木に対する罵倒ばかりだった >>95
ビンスマクマホンがビンスマクマーンとかダスティローデスがダスティローズとかじゃないと納得できない派? >>94
88年の最強タッグから。この時はリーグ戦前に返上ではなくシリーズ中に鶴田&谷津が返上して翌年から開幕前からの返上となった。
返上した理由として翌年アメリカで大会が行われるため、ハンセン&ゴディに持たせるためだったとか。 歳取ると屁理屈多い。
見逃せばいいってのは理解するが、流石にイルミネーションはない。
すまんかったで済む話をこじらせるなよw 「ライオネス飛鳥」を「ライオネル飛鳥」と言うのと同じくらいマヌケだろ。 小泉純一郎が息子の嫁を滝川クリスタルと言ってるようなものか。 >>44-45あたりはすごくテンポが良くて、笑って見てたんだけどな 滝川クリステルを「滝川クリトリス」(日本名・滝川陰核)と言うようなもの。 >>105
>>107
ブッチャーにせよ新日にせよ契約書を公開するわけないからな
そもそも40年近く前の契約書を未だに所有しているかどうかも怪しい
まあ3年ノーフォールという契約が事実かどうか類推するのもプロレスの楽しみの一部と思えばいいか
そういえば最近、武藤が新日に入団した際の契約書をツイッターで公開してたが、
似たような事例って他にあったっけ? >>118
武藤のは雇用契約もしくは業務委託契約プラスプロレス故の
リスクをうたったものでしょ。そんなのが有事の際に裁判で有効となるかどうかは別としてね。
そういった企業としてのコンプラ的なものは新日は全日と比較して一般的だと思うよ。 逆に、ブッチャーが3年はフォール負けがなかったことから勝手に推測した、説が有力 >>95
発音記号はあくまで記号。
ネイティブの発音聞いたら、リにもルにも聞こえるっつーの。
お前はジャイアント馬場のこと
ジャイアンツ馬場と呼んどけよ。 >>100
和製英語なんか、アメリカ人に関係ないからな。 >>112
はじめの頃は、テレビでもイルミネーションマッチって言ってたぞ。
ちゅうか、お前が英語よく知らんくせに、何を恥ずかしげもなくアピールしてるんだ? >>120
勝手な推測も何も、プロレス界はブックで動くんただから、3年間フォール負けがなかったら、
そういう約束だったのは明らかでしょ。
スポーツじゃないんだから「たまたま」はない。アンドレの「フォール負けなし伝説」だって、そういうお約束なんだから。 >>123
テレヴィジョン。
アッピール。
Do you understand? ところでニセブロディのダメ超獣は
エクライザー?
イコライザー? 今、G+でテリー引退前日の新潟大会やってるね
馬場・テリー・ドリーvsハンセン・ブロディ・ゴディ
ある意味では引退試合より豪華なカードだ、紙テープが凄い量だった
紙テープといえば、ガキの頃に新日の会場では「試合進行の妨げと、選手に当たるから禁止」って言われてた気がするんだけど?
逆に全日はもちろんOKなんだけど、ご丁寧に売店でもテープが売ってた覚えがあるw
昭和全日が華やかなのは、外人の多彩さだけでなく、五色の紙テープが乱舞してた風景が視覚的記憶にあるからかも? エイミネーションとかイルミネーションとかでもめるのであれば
サバイバルタッグって言えばいいのでは。ニュアンス的にそれで通じるわけだし。 >>124
猪木や新間の証言でもない限り推測は推測でしょ。明らか、なんて思いこんでるだけじゃん。 ノースカロライナ州シャーロッテと言われるが、実際はシャーロット。
カリフォルニアはキャリフォーニア。
マクドナルドはメクダナルズ
日本はジャパン ジョー樋口が紙テープの片づけに追われて全然見ていない時に、
シークがフランクヒルを凶器で血ダルマにしたりとかあったな。 テリーが場外リング下で、自らあっという間に、5色のテープを身体に巻き付けて、孔雀のようになってしまう動画を見たことある。
対戦相手が誰だったのかは、覚えてない、、、 >>138
82年最強タッグの蔵前だな
いくらラリアット食らったからといっても
あれはテリーのやりすぎ
嘘臭すぎるよ >>139
ありがとう!
やっぱりここで聞くとすぐにわかっちゃうなぁw
あれ、不自然だよね? >>139
なんの雑誌だった忘れたけど、大会の次の号で
「新日では藤波がカウント2で返したラリアットを食らって
テリーは長々と延びてしまった。やっぱり全日は弱い」
みたいな投書が載ってたなw テリーのオーバーアクションは初来日の頃からあったけど、
人気が出てから年々激しくなっていった。 >>138
だから俺は全日ファンだが、テリーファンではなかった。 >>78
全日勢が「そこぬけ脱線ゲーム」に出た時にゲストがたけしだった。
馬場は出演したがゲームは不参加だったが当時、馬場ネタがウケていたたけしは
馬場にあまり近づかなかったw >>133
別に揉めてるわけじゃないんじゃね?
一人、聖帝サウザーみたいなのが頑張ってるだけで
引かぬ!媚びぬ!省みぬ!ってな >>142
BI砲vsファンクスの動画で
猪木とテリーがパンチ合戦をやってるところで
テリーがオーバーに効いてるふりをして
ヨタヨタしながら後ろに倒れて場外に落ちなっがら
ロープにひっかかるなんて場面があるけど
ああいう所が猪木がテリーを評価しないんだろうな
もっと殴り合って盛り上げるところだろうという感じで
たぶん馬場も内心は同意見だろう
日本とアメリカの違いかもしれないが とんねるずの石橋が背中をバーンと叩かれて
振り向いたらジャンボ鶴田がいたって話をラジオでしていた
石橋から見ても鶴田や天龍は生で見るとデカかったって話もしていた >>147
だがテリーはNWA世界ヘビー級チャンピオンになったんだよな。 >>143
あれ、馬場の戦略だったんじゃないのかな?と思う
マスカラスの話をしたときに、
マスカラスとは時代が違うけど、ブッチャーのフォークで流血した、テリーの紙テープ芸っていうのがあって…
と、現在80歳くらいの人に言われた時に、そう想った ブロディの「あのチェーンを振り回している奴は誰だ」の言じゃないが
印象に残ればそれである意味勝ちの世界だからな〜。 >>141
藤波はホントに空気読めないよなあ。
ジュニアのくせにラリアットを軽々と返すんだからな。
返すにしても、ようやく肩を上げたとかにしろよな。 >>140
じゃあロープに足が絡まって動けなくなるのは偶然か故意か?
アンドレなんかが両手が挟まって動けなくなるのも、
そう持って行くやり方があるのかなあ >>155
偶然に見せる故意じゃないの?
アンドレのロープ絡みもベイダーのバックドロップに投げられるムーブもお家芸 >82年最強タッグのテリーの紙テープまみれ
あれは演出過多というのは同意だけど
でも前年のハンセン乱入の場外ラリアットとセットで見ると、あれはあれでアリだと思える
倉持アナの「去年と同じ、去年と同じィ〜!」が感慨深いというか…「ああ、あれから丸1年かあ…」みたいな。 >>155
子どもの頃には、何の疑問も感じずにテレビで見てたことが、今、この年になって昔の動画で見ると、おかしいだろー?!って思うことあるよね?
今見ると、たいていのものが、テレビのビジュアル的にも、計算しつくされたもののように思う 夜のヒットスタジオだかでチャゲアスの飛鳥がなんの拍子か
手がデカいっていう話になって・・・
「ジャンボ鶴田さんと同じぐらいだったんですよ」って
飛鳥が話してたのを見た記憶がある >>159
ジョージ高野さんと同じぐらいだったら凄いぞ。 >>132
新日でテープ投げ込みが禁止になったのは
昭和の終わり、確か、横浜文体で
猪木の手にテープが当たり怪我をしたから。 >>161
昔はコンサートとかでも紙テープ飛んでたよなwって思いだしたww
船の出航は今でも飛ぶのかね。
正直ダサいと思う。なくていい。 >>158
まあ大家族番組ってのも
カメラ担いでる他人の前で家族喧嘩するかよって話だよな。 >>147
「すべての面で兄貴よりだいぶ落ちる」が猪木のテリー評だったか。
まあそういう割にテリーとのシングル戦ではすっきりした決着はついてないけど。
逆に天龍なんかは「テリーの方が凄い」とか言ってたな。
確かに、インディのリングでハードコアマッチまで戦ったNWA王者なんて他にいないし、
経験の幅という点では兄貴に勝るだろう。
どっちも実績残した偉大な兄弟だと思うけど。 >>164
百田兄弟と高野兄弟は兄と弟のどっちが上だ?
百田兄のリングアナウンスはやる気、テンション、抑揚がない原軍治よりは良かった。 >やる気、テンション、抑揚がない原軍治
ほんと。なんだろあの人? って具合だった。 >>155
完全に故意。
故意だと思って見てみるとやり方が良く分かるし
一度故意だと分かると、二度と偶然に見えなくなる。 昭和の支配人ぽい原軍治、健在なのかな?
インタビューとれたら一番面白そう。 百田兄弟の前座の勝敗、やはり兄のが勝ってるのかな? >>169
お互いは一度もやってない。
でも格としては弟が上だろう。
比較出来るのがミスター林との戦績。
弟は8割方ピンフォールで勝ってるけど
兄はどちらかと言えば負ける方が
多かった。
でも兄は少しだけ弟よりは体が大きいせいか
ヘビー級レスラーとの対戦は結構多かった。
スミルノフやマイクショーとシングルで
戦った経験もある。 >>166
確か原軍治は元子の親戚らしいから無理矢理やらされてたのかもな ニックと鶴田のAWA戦の時のテリーの場外足バタバタとかああいうのって
後で注意されないのかな?全日関係者というより日テレの方から
子供の自分でも家族とテレビで見ていてすごく恥ずかしいし嫌だなぁと思った 原軍治さん、場末の水商売の支配人風、もしくは呼び込み風なルックスだったな
ちょっと上品な風体でもあったから、ガキの自分ら達は「マスター」って呼んでたw
街中の通りでは、がなり立てるうるさい呼び込みよりも、あれぐらい抑揚がない声掛けの方が安心して入店できる
新日だと倍賞さんや、大塚さんみたいなドスが効いた声量の呼び込みだったら怖くて店に入れないわw >>172
レフェリーが現役さんを邪魔しちゃいかんな、と思ったね。
そもそもあんな激情型(のキャラ)の人に冷静であるべきレフェリーを頼むっていうんだから変な世界だよ。 原さんは観客の大歓声があると声量が足りない感じがした。 >>174
> そもそもあんな激情型(のキャラ)の人に冷静であるべきレフェリーを頼むっていうんだから変な世界だよ。
全日本女子の阿部四郎とか一時期のミスター高橋とか悪党レフェリーがいる世界だぞw >>172
>>174
そもそもなぜ引退したのに来日してシリーズに帯同するのかが不思議だったw
ポスターにもちゃんと写ってたし
もちろん、引退したとはいえテリーを一目見たいってファンはそれなりにいたんだろうけど
本人は「俺はもうレスラーじゃないから、襲われても逃げるだけさ」とか言ってたけど、
コンディション持ち直したら復帰するんだろうなあと思ってた >>170
弟の方が圧倒的に前座の第一試合
キャリアが浅くても年上を立てるのが全日らしいと言えばらしいな。
義浩は82年の夏シリーズからの参戦だと思うけど、たまに外国人レスラーとやる位で
ほとんど川田冬木後藤三沢菅原に勝ち、小鹿大熊羽田らに負けてた。 >>178
兄の方は「力道山の長男で弟と違って大型」
ということで少しだけ売り出したから扱いは違って当然。 平成だけどテリーのオーバーアクション、20周年両国でもマネージャー役で健在だったな
ただ、あの両国を最後にFMWに移籍し、シークと再会、その後はIWAジャパンでシンと再会だったね
シリーズ帯同は1983最強タッグと、AWAのレフェリー、あとは復帰宣言の田園コロシアムか…
最強タッグ時のギャラは現役時代に比べてどうだったんだろ?
馬場の事だからキープな気もするけど、それじゃ現役の他レスラーに示しがつかないし… >全日本女子の阿部四郎とか
ブルやクレーンと一緒に入場してくるんだからマネージャーかと思ったら
レフェリーだったいうんだから、狂ってると思った。
それを許してる全女はなんだかすげえと思っていたが、
最近、相撲でも行司は部屋に所属していると知ってなんだかもう……。 凶器がドラム缶とかスパナだったからな。
スパナで殴られて泣いてる女子レスラーとか。 89年か、正月の後楽園ホールの入り口で、原軍司さんが馬場と天龍が印刷された全日本プロレスの年賀状を配っていた。
ちょっとしたタイミングでもらい損ねた俺は、人の流れに逆らってもらいに行こうとしたら、
俺に気づいた原さんはわざわざちょっと歩いてきて手渡してくれた。いい想い出。 鶴田AWA奪還の時、テリーがスリーカウント入れてるのにジョーが紛らわしい動きするんだよな。 >>176
高橋はアンドレやMスーパースターがマシンマスクを被った頃に
テレビで全女の阿部四郎のレフェリングを観て面白いと思い、阿部に電話をして
「使わせて欲しい」と一応許可を取った。 阿部四郎は猪木VSストロング小林でセコンドにいるんだよねw
実は新日に関わってたらしい >>181
>それを許してる全女はなんだかすげえ
悪徳レフェリー阿部 四郎は、
コミッショナーから数度、警告のみならず、
出場停止と減給処分を受けた。
「プロレス取調室」によると、
上田コミッショナーはプロレスの
仕組みを知らず、この処分はマジだったそうだ。 そう言えば80年代の全女のリングアナ、氏家清春も独特だったな
選手名のところをためて、やたらゆっくりとコールしてた >>166
は?抑揚あるじゃないか。
低い声で格調高かっただろ。
百田は素人丸出しのコールでヤマモの次に下手。 >>189
ポンドをパウンスと発音するのがもにょった
そうイリミネーションをイルミネーションと言う人のように ケロは昔、新日のパンフで全日の選手はコールし難い、と書いてたな
馬場然り鶴田然り
まあ、全日をディスりたい、だけのいちゃもん目的だろうとは当時も感じてたが
ケロが言うにはアントニオ猪木なんかはリズミカルでコールしやすいとか言ってたな
ケロの場合は新日寄りという前提だが、確かにネーミングだけで言えば猪木は言いやすいのかも知れないが >>188
まあ、誤魔化せたのは全女は押さえ込みルールの独特のガチが一方で存在してたからな
だから植田コミッショナーにも誤魔化せたんだろうね
ミミ萩原の何十連敗も全部が全部、あながちプロレス的なアングルだったとは言い切れないし
ガチも含めてだろうし
全女な志生野アナは仕組みは知らされてたそうだがゲストの松岡きっこ、夏木ゆたか、団しん也はあの様子だと知らされてないだろうな 輪島東京初登場の武道館のマーテルジンク戦は原さんのコールだったな >>192
それ何となく分かるな
新日レスラーのネーミングは、田中の「語尾が高く
上がる」式のコールに合う。対して全日は、語尾を
下げた方が良い感じに聞こえる。
まあ聴き慣れてるせいだけかもしれんが >>187
阿部四郎は元々多摩地区のプロモーターで国際や全女の興行を買っていた
その繋がりで小林の後援会にも属していた >>193
全女、新日、WWF(E)ってのは本当に仲悪いんだろうなと思わせるものがある。
もしくはそう思わせる仕組みがあるだろう。
だからプロレスとは言え意地悪い攻撃があったりね。それが戦いに見せる。
それに気づく天龍やKENTAなんかは行動も別にしたんだろう。 >>190
プロレス史上もっとも下手くそなリングアナは寺内1/2兵衛だぞ。 >>198
そいつは知らんなあ。
ヤマモはちゃんと伸ばすとこ伸ばさないから気持ち悪い。
ちょうしゅ、り〜き〜
てんりゅ、げんいちろ〜
って言いやがる。
素人にやらせちゃダメ。 やっぱ日プロのあのメガネで白スーツのリングアナがいいよね
名前は失念したけど 寺内某は知らんが、ヤマモはマジでド下手クソだったな
氏家さんや今井さんの味のある名調子を聞いていたから
初めて見た時は「リングアナが来られなくて急遽会社の
人がやってるのかな?」と思ったくらいだ
キューティすずきー
声も汚い >>195
アントニオ いのーきっての〜を延ばすのは
新日になってからだね。
日プロ時代の猪木の試合見てたら
いーのきっていーを延ばすコールになってた
馬場は日プロ時代も全日時代もあまり変わらんな >>197
Gスピの特集インタビューなんか読むと昔の新日なんかは若手の試合は半分喧嘩みたいな試合も少なくなかったようだしな
勿論、ケツキメだけは決めてあとは好きにやるって感じだろうけど
新日は最近でもないけど近年でも成瀬対裕次郎とな変な試合はあったね >>178
百田義浩は慶応大卒だっけ?
雰囲気もレスラーより背広組のほうが合ってそうで後年は裏方に転身して割に全日に貢献していた
娘も語学堪能で才女だそうだし
関係ないが百田光雄はさすがにもう引退したほうが良い
あの身体はもう銭を取れる身体じゃない
ドリーの服着たまま試合も嫌だけどね
まだマスカラスの全身タイツのがマシ
一応、試合する気持ちはまだ感じる >>203
随分昔だけど、金本vs安良岡も変な感じだったね。 >>206
スレ違いスマソだが当時の金本はなんか特別扱いされていた感もある
FMWの南條も怪我(させた?)したし
結局、干されるかどうかって現場監督の長州の匙加減ひとつなんだよね
金本は長州と反りが合わなかったそうだけど
女性ファンも多くて集客にもなってたから許されたのかも
スレ違いなんで新日の話題はこれで止めとく >>204
調べたら篠原さんて人だった
メガネかけてる人ね >>205
バック・ロブレイの黄色Tシャツ着用を当時の昭和全日が何故黙認したのか
どこの文献にも記載されてない不思議 ザ・グレート・カブキの息子のブキ・ボーイというのは元気にしてるのかね? >>209
日プロ時代、誰だか忘れたが寒いのでシャツを脱がないでそのまま最後まで試合した外人レスラーがいたとかなんかの本に書いてあった
別に怪我してたり体調が悪かったわけでなく単なる横着だったそうだが
鍛えた身体や人並み外れた体型を見せるのがプロだから服着たままは客を舐めてるとその本には書いあった >>205
でも百田光雄、渕と試合した時、2人ともショートタイツだったよw
全身タイツのマスカラスより、Tシャツ着用の小鹿の方がマシと言われてから、それを思えばかなりマシ >>211
ブキボーイはカブキの弟子筋みたいなもんで当初はレスラーかと思ってた
当時の全日中継でも倉持だか若林だかがそんなこと言ってたし
だから当時は楽しみにしてたんだけどね
ブキボーイはファンの集いにカブキと一緒に演武みたいのを披露してたね
それでなーんだ、レスラーじゃなかったのか、とガッカリした記憶がある >>207
南条を怪我させたのは金本(肋骨骨折)大谷(鼻骨骨折)高岩(両アゴ骨折) >>215
集団リンチみたいなもんか
みちプロとの8人ダッグマッチだかも新日は
えげつない攻撃してたな
特にテリーボーイにたいしてはキツイ印象があった
ライガーはそういうことはしないらしいが >>209
それは24時間テレビのチャリティTシャツだからだよ >>212
それ、日本プロレスでもあったかも知れないが
1974年、国際プロレスの新春シリーズに参加した
B・ワットも、Tシャツで試合をしたよ。
日本人を舐めていたんだよ。 TシャツはFMWでの大仁田以降はひとつのコスチュームみたいなもんになってきたな
今やデスマッチじゃ当たり前のコスチュームだな
新日の内藤はたまに脱ぐの面倒臭くてシャツのままなのかな?って思っちゃうことはあるが(勿論、そんなわけではないのは百も承知だけど) 寺内1/2兵衛はユニバーサルの旗揚げシリーズでリングアナをつとめ、そのあと格闘チャンプフォーラムのキャスター、全日本女子のビデオで実況を担当。知識はあるけど喋るのは向いてない人という印象。 全女ビデオでの斎藤文彦との組み合わせはあまりにも噛み合わなさすぎて辻よしなり&マサ斎藤コンビを軽く凌ぐ酷さ。ユニバの旗揚げシリーズでのリングアナもヤマモどころの騒ぎじゃないほど下手くそだった。 >>209
ビッグレッドも服着てたな。
あとはマクガイヤ兄弟かな新日だけど。 昭和の日本マットは服着たままが試合コスチュームだった人は本当少なかったな。
全日だとビッグ・ブーバーの用心棒キャラ、新日だと海賊男(ガスパーズ)がそのまま試合したくらいか >>223
ビデオ(DVD)用の実況+解説って団体問わずどれもちぐはぐな印象がある ヘイスタック・カルホーンが着衣レスラーの元祖かな? 全身コスチュームと言えば
ユウチューブに昔、来日した映画SWのロボット風の衣装をまとったルチャコンビの試合があったけどイロモノかと思ったら意外に良い動きしてるんだよな
飛んだり跳ねたりってよりテクニック系だったけど
ただ最終戦だかの極道コンビ戦はちょっと不穏な感じだったな
極道コンビがほとんどセールせずにあっさり極めちゃった感じ
極道コンビからしたら軽量系の相手で最終戦だし相手にしてらんね、ってところだったんだろうか >>192
そのパンフにケロが1番コールしやすいのは長州力と書いてたよね。
力のところで力が入るんだとか。 >>228
コンビクトとどっちが早いだろう
どっちも巨漢だけど
あと「着衣」かどうか微妙だがザ・マミー
そういやケが初めて新日に上がったとき
「服を着たままリングに上がっているレスラーがいてびっくりした」といってたが、
本人もしばらく後でTシャツ着たままリングに上がるようになってしまった 巨漢レスラーの多くが服着たままなのは無様な身体付きをさらしたくないから、なんだろうか? 大仁田のストリートファイトスタイルも、着衣レスラーの一種だよな。
これは師匠格のファンクスも、晩年は大仁田に学んで真似をした感じ。 >>231
カルホーンやハッピー・ハンフリーの方が早いよ >>209
確か本人へのインタビューでは、体に大きな傷跡があるとかで手術の後か怪我の後だったかは忘れたけど、その為ロブレイ自身もレスラーとしての大成は諦めたけどマネージャーとして活躍したいと言っていたと記憶している >>218
国際オープニングで草津をバックドロップで失神KOしたルー・テーズもそのシリーズで寒いとTシャツ着て試合した。
同シリーズに来ていたワルドー・フォン・エリック、ハンス・シュミットらもTシャツを着て試合したらしい。
テーズはタッグで草津に1フォール許してる。
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiroku/thesz/thesz4.html Tシャツは別に気にならないけどなぁ。アマレススタイルとかロングタイツと一緒。極端にいうとカブキのペイントと一緒。
なんなら素っ裸も一緒。ただそれだと違う興業になるから法律上無理。 >>238
確かに、覆面やペイントで顔隠すのはOKなのに
着衣で体隠すのはNGとか、どう考えてもロジックが成り立たんよなあ >>236
CSのBI特集で70年の6人タッグが放送されたけど、
バック・ロブレイがフィル・ロブレイの名前で出てた。
Tシャツは着てなくて赤のショートタイツ、この頃は傷跡はなかった。 ロブレイ怪我したのは腕みたいだけど、前腕にサポーターしてたな。
他の部分が怪我してないとは限らないしな。 >>193
そもそもミミの連敗記録は、それ自体が誇大申告らしいぞ マスカラスの腹には手術したとは思えない大きな傷痕があるよね。 ありゃ手術跡じゃない。ゴールドマンにナイフで切られた跡だ。 >>205
力道山の御曹司だからな
学はあるだろ。
庶民とは違う。
在日の成り上がり。 >>232
93年にビッグ・ブーバーが全日本に復帰した時、馬場が解説でそんなこと言ってた。
「服を着てるのはピンとこない。恐らく太ってるのを隠すためじゃないかと思う」と。 ロベルトデュランが船木と異種格闘技戦やった
時もシャツ着てたな。 Tシャツを着てるのは太ってるのを隠すため
晩年にGパン、もしくはロングタイツに切り替えるのは細くなった脚を隠すため
事実は知らんが、そういうイメージ Tシャツは手抜き感があってみっともない。
ショボくなった体を隠すなら、マスカラスの様な特注感のある全身タイツの方がまし。 川田が新発売のTシャツを着たまま秒殺で、試合を終わらせたことがあったな。
シャツの宣伝のためなんだろうが、
全日がこんなことやっちゃいかんよなあと幻滅した。
いや、別に服を着て試合することは別にいいんだが、
儲けのために、これまでの主張をひっくり返すようなことしたのが残念だった。 川田は
いいレスラーだったのは否定はしないが
ハッスルで過去の栄光、功績も含めて全て台無しなった 平成に入ってから新日本のレスラーがインディレスラーを「裸も見せられないならリングあがるな」と罵倒するまでは、コスチュームくらいにしか思ってなかった人も多いんじゃ? >>245
当時のゴングに、カラー写真で扱われ傷つけられたマスカラスは、かつて見たことがない程険しい目をしてたね。アングルだと思うがあそこまでの傷を負うとは、マスカラスは、思って無かったと思う。 ちゃんとできるレスラーが着てる分には、何の問題もないけどな。サスケとかウルティモとか。 >>254
謎だよねwやり過ぎだし、でもけじめの試合を行って
ボディーアタックで勝利ってのはプロレスなんだよね。
何らかの嫉妬心が弾みでああなってしまったのではないかなと。 晩年の天龍のロングタイツななんか寂しいものがあったなー
引退試合こそちゃんといつものショートに戻したけど
晩年の天龍は上半身もなんかぼこぼこしてたな
昔のなんかのレスであれはステの副作用とか書いてたやつはいたけど・・・ >>258
天龍の腹は昔からボコボコだ。
晩年じゃない。 シンがワンショルダーのコスチュームにした時は、出てきた腹を隠すためとか言われてたな。 >>257
ライガーは定期的にバトルライガーで上半身を出してたからね
見せられないどころか、むしろ「あの体を出さないのは勿体無い、あれぞプロの体」と言われてたから…
橋本が言うのもなんだけど、シングルマッチの後に「素晴らしい肉体美、あれは金を取れる上半身」とベタボメだったし。 デストロイヤー追悼式でドリーが鞭持って出てきたけど全然スナップ効いてなくて泣けた >>252
川田はああいう(お笑い的なもの)をやりたかったんだけどね
三沢が川田のことを本当はなんでもできるやつなんだけど不器用さを装ってるのが嫌と語っていたけどハッスル参戦に関しても同じことが言えると思う
本当はエンタメ路線をやりたいんだけどハードなもののみを志向してるように装ってるのが嫌と >>265
天龍は色白を売りにしてたわけでなく日焼けは体質(お肌)に合わなかったのが真相みたいだね
日焼けするようになったのは体質が改善したのかも知れないけど、やっぱり日焼けしたほうが体型が幾分、締まって見えるってのもある >「素晴らしい肉体美、あれは金を取れる上半身」
全日スレではスレ違いな言葉 だな、あとギッドシェイプとか言い出したら新日系だろな。 >>267
昭和全日ではな!
平成に入ったら
小橋、大森の上半身は見事だったよ。 馬場はウエストの細いレスラーは嫌いなんだよ。組合系の格技じゃウエスト細い奴は弱い奴。足が長すぎる奴もケツが小さい奴もダメ。
馬場さん豊登さんのような体型のレスラーが好みだった(天龍談) >>260
全日時代のロビンソンもそうだね。すでに猪木戦で腹が出てきていた。
>>258
天龍は引退試合に向けて鍛えなおしてショートタイツに戻した。 >>246
村松友視の本に百田兄が慶應でアメフトやってたって話が書いてあったな。
村松も慶應だから同窓生かなんかのルートで情報が入ってきたんだろう。
そういや苗字は百田じゃなかったけど、しばらく前に慶應の野球部にも力道山の孫がいたな >>272
ロビンソンが76年アマレススタイルで来日したのは、五輪イヤーだったから。 ワイルドアンガスは上半身裸たったけど、その辺のオッサン並みに酷い身体つきだったな。、 >>273
1962年秋、力道山はM・ショーラック、
A・マハリックの暴行を受け、
胸鎖関節亜脱臼の重傷を負う。
しかし、試合を休むわけにもいかず、
長男のアメリカンフットボールの
プロテクターを借りて装着し出場した。
それは良いけれど、長男、アメフットの
試合はなかったのかい?ww >>252
それを言うなら
ニック・ボックウンクル
1970年、日本プロレスに来日した時は
良い選手だが、晩年はAWA王者として
ダーティー、反則、果てはヒ―ナンと
組んで、ホーガンと2対1のハンディ戦で
世界戦をやるなど、過去の栄光、功績も
含めて全て台無しなった.
そして、痛いのは、こういうプロレスを
見て、世界王者とはこういうモノだ。
これがアメリカンプロレスだ、と
賞賛していた当時の日本のファンwww >>278
称賛した奴なんていたか?
知ったかする奴はいたけどな >>279
↑いまだにこういうのが
いるんだよな。
「プロレスは真剣勝負だ!」
といまだに言っているファンより遺体。
(「痛い」の変換ミスではない。本当に「遺体」 日本のプロレス史上、
1970年代後半〜80年代半ばの
全日ファンが最もバカである! 同意♪>>282
のらりくらり防衛やインチキ反則防衛に「またかよ!」と言いながら懲りずに見ていた。
でも「ベルトの価値を上げる」「ベルトにふさわしい試合をする」
ってスタンスより、「みっともないことをしてもベルトは渡さん!」
って汚い防衛をする方がベルトに権威を感じた。 屈折というか、自分の脳内に言い聞かせてたな
「お客さんも視聴率も新日本が上、だけど日本と本場のプロレスの正統は全日本なんだ」
必死に現実を補正してたね、それこそが屈折というのかもしれないけど。 >>264
川田がお笑いをやりたかったなんて聞いたことがないわ。
三沢の言葉を都合よく解釈するのはやめなさい。 >>286
まあね、ただし当時の文筆家や著名人の本などを読むと
「通は全日本プロレスを見る」みたいな流暢があったらしいが(子供だったから真偽は知らんが)
当時の子供なりにそんな余裕はなかったなあ…
土曜日には新日本の話題ばっかりだし、肩身が狭かった覚えしかない
まあ土曜17:30の時代は翌日が日曜だから、学校で全日が話題になりにくいのもあったけど…
要は当時の心理を良くも悪くも端的に表現されると、反応したくなるのよね >>287
あなたが知らないだけ
そんな言いぐさじゃなきゃソースも
提示してあげようと思ったが自分で
調べてください
プロレスとお笑いについてとハッスル入りについてちゃんと語ってるんで
あなた一般社会でも知らない人にそんな
言いがかりみたいなことするんですか?
ネットでも一応の礼儀ってものがあると
思いますが? 全日ファンは自虐というか、全日のダメな
ところま踏まえつつファンであり続ける
という感じ。
だからファン以外からプロレスのダメな所を
茶化されてもそれなりに対応出来てた。
新日ファンは狂信的というか、全日本との
比較においては怒涛の勢いで論破しようと
するけど、外部の人からプロレスのおかしさ
を指摘されると悲しいくらい感情的になって
自分の価値観を押し付ける。
そんなイメージだね。 ウェイトをやりゃ見てくれの良い体を作るなんて簡単。だがそれじゃ闘いには適さない!
かつての横綱大鵬は柔軟な筋肉で相手のぶちかましを吸収して弱めてしまったという。いまだ健在の栃ノ海の証言もある。鶴田はまさにそういうタイプ!殴られようが蹴られようが効き目が殆どなく、相手を攻め疲れさせてしまう稀有なプロレスラーだった。
当時の全日ファンがバカなど偏見以外の何ものでもない >>290
そう。全日ファンは新日を認めてたが
新日ファンは全日を認めようとしなかった。 >>290
時代によって違うと思うけどなあ
10年くらい前なんて
ここでも全然そんな感じじゃなかったぞ >>291
ガチで入れずに寸止めなんだから聞かなくて当然なんだけど。
寸止めだけど痛いセールをするのがプロレスだけど、
鶴田はオーと目をクリクリさせて痛い表情をしないのから最悪。 川田が海パン一丁でオッパッピやってる時の表情、あれはあれでプロ魂を感じた(´・ω・`) >>294
そういうレスラーがいちゃいけないという理由が何処にある?どんな攻撃にも余裕で受け止めてみせる頼もしいトップレスラーの存在がどれほど頼もしかったか。猪木目線じゃ理解できまい >>277
ライガーがアメフトのプロテクター付けて試合してた記事で力道山のエピソード知った
肩脱臼してたらプロテクターしてても痛いだろうからライガーのプロ根性は評価するが
装甲服着てる相手と試合させられる佐野もいい迷惑だと思う >>294
星パン時代はブッチャーのエルボードロップ喰らう前に
悲壮感溢れて負けそうな雰囲気でてたじゃないか。 >>296
いけない。
理由はプロレスだから。
猪木く目線ではなく全日は受けが基本。 オー!も初期は髪の毛掻き毟ってたな。
何を表現したいのか理解出来ないけど 鶴田jrが鶴田オーの起源を教えて下さいと、質問していて、その回答してた昭和プヲタにちょっと泣けたなぁ
このスレにも回答者いそうw >>301
で、そのオーの起源は何だった?
あと鶴田で印象的なのはスリーパーかけられた時のタコ踊りだな。 >>302
わかんないwゴメン
でも、そのやりとり自体、オーッの思い出に終始してた気が >>303
そうかw
でも初期はジャンピングニー決めて、頭掻き毟しりながら「オー!」ってやってたよな。 >>304
馬場さんに、こういう時はもっと攻めなきゃ、こんなことやってる場合じゃ無いんですけどねぇと解説席で苦々しく言われた初期バージョンか…w
でも今、ジャンピングニーのあとのオーッて、あんな間合いを試合の中に作るのって全日ならでは?
鶴田メモリアルマッチで、秋山が見せるジャンピングニーとオーッ
ファンも来るぞ来るぞ、やるぞやるぞっていうのを待ってる感じがあの頃のままなんだよなあ ジャンピングニーでオーやってカバーにいかないよな?
ジャンピングニーはオーのギャグやるためのフリか? >>305
でも様式美的にオーがファンに浸透するのは長州たちが離脱した後じゃなかったっけ。
「つーるったっオー!」は良いとして
「たーかーぎっブー!」とかオリャコール
攻撃に合わせてシンシン合いの手入れたり、あの頃の会場は嫌だったよ。 >>307
> でも様式美的にオーがファンに浸透するのは長州たちが離脱した後じゃなかったっけ。
馬場、木村組との世界タッグ戦を契機に鶴田、谷津組にブーイングが飛ぶようになって
鶴田に対して「オーやれ!」と馬鹿にした野次も飛んだが
その野次に応えるように開き直ってやったら逆に受けた。
(後楽園での出来事。当時目撃している。)
それに味をしめて言われる度にやるようになって
鶴田自身の人気も上がっていったという感じじゃないかな。 >>306
あー、ジャンピングニーはオーッのためのフリか…
今言われて気付いた
ジャンピングニーやって、オーッやって、何もなかったかのように、次の技にいく、試合は流れて行く、変だw
>>307
様式美は様式美として、こういう時にはこういうムーブっていうのがあって、それをやりたいから会場に行くってファンもいる。
時代が求める一体感みたいなのがあるのかも。
プロ野球のあと一球コールみたいな
今で言うと、京平コール? >>308
>>309
そういや「シャーはやめろ!」なんてのもあったね。
でもそうなると時代は平成に移り代わっていくからね。
馬場はついぞ鶴田にNWAを巻かせる事はしなかったね。
当時の馬場の力なら、日本国内での行って来いなら鶴田NWA奪取も可能だったろうに。 >309
馬場に「ポー」コールは起きなかったな。
馬場が技出すたびにか全観客で「ポー」と合唱したら爆笑だったと思う。 さようならジャンボ鶴田のナレーションだかで、鶴田オーで熱狂させた…みたいなこと言ってたから、代名詞みたいになってたんだなあ
考えて見ると、ジャンピングニーって、効く効かないじゃなく、試合の中でリズムつけるためにやってたような気がする。
反撃の狼煙かあー
ポーコールは、想像しただけで大笑いできたw 鶴田のオーは、専門誌が昭和49年代から50年前半の写真に、オーしているのを発見し、なんと鶴田この頃からオーって書いてあった。当時は鶴田=オーって言わなかっただけで、目立たつ事なく昔からあったようだ。 全日フロントは開き直って
「オー!オりャ!Tシャツ」まで発売したもんな
でも、あれは商売以外にも、また別に最大の防御策でもあったと思う
あそこまでシニカル?に認めちゃうと、ファンも逆にひやかしのコールはやらなったもんね
変に意固地にならずに消化させ、そういう方向性も受け止めたのが良かったんだと思う。 >>315
人間ってのは、やるなと言われることはやりたくなる。
逆に、ドンドンやってと言われると引いてしまうものだからな。 >>314
あったようだって、
ここの住人のほとんどほそんなこと知ってる。 >>313
効く効かないじゃなくて、
とは失礼だな。
ブロディからフォールも奪ってるのに。 >>317
いや知らないよ。
少なくとも、デビューまもなくで、やってるなんて。少なくても50歳後半の人しか知らない。
オーのポーズ写真に載ってたのは、ブリスコとの世界だと思う。 鶴田のオーは
初期によくやってたワァオゥみたいなアピールがシンプルになったものじゃないかな。
それとフォール取ったときに右腕を上げてぽんとジャンプする勝利ポーズとの合体か。 ジャンボのジャンピングニーはバスケやってたから様になってた。(坂口より)
バックドロップのように相手によって角度を変えたりもするし、
コーナーポスト最上段からのダイブ式もあったな。
でもジャンボにはドロップキックをもっと極めて欲しかった。
身体能力で比べてもオカダカズチカより高く跳べるだろうし、破壊力も上だと思う。 >>321
馬場の顔面にヒットさせるドロップキック見せてるのに、これ以上どう極めろというんだ?
オカダのドロップキックも素晴らしいが、
やっぱりプラス重さがあるジャンボの方が上に感じるな。 身体能力を生かした「もっと高く」を極めてほしいんでしょ。
おそらく楽で危険性の少ないジャンピングニー主体になってしまったのは
鶴田の性質を考えるとよくわかるがとても残念だった。
そのジャンピングニーもニーを当てないから。(坂口はニーだった) >>322
日テレ・原Pが「ジャンボの身体能力の全てを表している素晴らしさ!」と絶賛して
いる。「本当は促成栽培では無く数年間は武者修行をして客の反応を見ながら会場を
沸かせる経験を十分に学ぶ必要があった・・・」と残念がっていた。 >>320
あー、そうかも。鶴田スレで見たかも
初めは、ワォウーで腕を突き上げてたのが、タイミング見て、ジャンピングニーの後に、ファンに呼応する形でのオーッになったのは後年かも。
>>321
バスケが原点なのか…
坂口のジャンピングニーとは、軸足と蹴り上げる足、相手にヒットする膝の位置が違うんだよね?
坂口もデカいけど、猫背だったせいもあって、見せる技としては、鶴田の方が華やかだった気がする
バックボーンの違いもあったのか
>>322
ドロップキックだけで金の取れる選手は?スレあったけど、馬場の顔面に命中させてる鶴田と、アンドレくらいしか、思いつかなかったw 90年代頭のの体重ある鶴田は確かに高くドロップキックは無理かと思った。
でもハンセンやブロディもドロップキックで高く飛んでた。
後にはベイダーやビガロと更に重い連中も普通にドロップキックを。
そう考えたら90年代頭の鶴田でも高くドロップキックでけたとは思うが。 73年蔵前のインタータッグで見せたドロップキック、フロントスープレックス、
ジャーマンスープレックスにはしびれたなぁ
キャリア1年の新人で、ここまでやれるかと思った。
ただ素人目には、フロントとジャーマンが今でいう二段モーション式のように
一旦タメを作って高角度から投げる感じで、威力が落ちるように思えた。 >>237
テリー・ファンクもNWAチャンピオンとして来日した時の後半にファンクスの
長袖Tシャツを着て試合をしてた。
なんでも背中を火傷したかケガしたとかで、背中にガーゼみたいなのが貼って
あって、それを隠すために着てたらしい。 >>326
いやいや、やってたやん。
たまにだけど。 >>327
実は二段モーションって、相当難易度が高いんだよな。 >>325
正統派のドロップキックではないけど、
ダグファーナスのドロップキックは銭が取れるな。
アンドレはドロップキックなんかしてないだろ。 カマタもドロップキック使っていたな。あの体型で、ひねってお腹が下に来る綺麗なドロップキック。 その昔はブラックウェルがドロップキックやって騒がれた。
しかし後にはベイダーやビガロという同じ重量級がドロップキックをやった。
ブラックウェルより高く飛んで。
坂口とホーガンのドロップキックは見たことない。
日プロ時代や新日初期時代の坂口は知らないが。 >>331
だから、アンドレがドロップキックやったら、それだけで金取れるなぁとw
そのスレの書き込み見て笑ったw ラッシャーはたま〜にドロップキックやってたな。
レイ・キャンディとの試合で見た。 倉持アナが「ジャンピングニーパットと同じタイミングでドロップキックを打つ」と言っていたけど、確かにジャンピングニーだと思っていたらたまにドロップキックぶちかますからインパクトがあった。 ちなみにミサイルキックを最後にやったのは82年6月のフレアー戦でしょうか?東スポの一面になった記憶。 ロードウォリアーアニマルのドロップキックは不格好で下手くそw >>337
83年6月のフルタイム戦、一本目じゃないかな。
ミサイルキックの後バックドロップでフォール奪った。
この試合が一本勝負だったらと悔やまれる。 鶴田のデビュー当時の話がチラホラ出てるから
昨夜に1973年10月9日の蔵前、馬場鶴田vsファンクスを見た
とにかくドロップキックの跳躍力、ドリー相手へのタメを効かせたフロントスープレックスが凄いわ
それはともかく今まで意識してなかったけど、この日は新日と蔵前興行合戦だったんだね
新日は10月14日、猪木坂口vsテーズゴッチ
お客さんの入り具合は画面上で見た感じは甲乙つけがたいけど
あえていえば全日の方がマス席の鉄パイプが目立ってたように思う(つまりお客さんが四名埋まってない?)
この頃からこんなニアミスやってたんだね…
ただしカードの重みは新参の鶴田がいるとはいえ、テーズとゴッチを組ませた新日の方が当時のお客さん的には食いつきが良さそうかな? 『日米レスリングサミット』で“流れ星”ティト・サンタナが見せたバランスのよい
ドロップキック4連発も素晴らしかった。 >>339
そうそう間違えました83年のつもりで82年って書いちゃった。これ観に行ったんだよなー。3本勝負の罠だったよね。 >>321
209cmの馬場の顎を撃ち抜いてる鶴田のドロップキック
175cmの相手の顔面にリングと平行になるオカダカズチカのドロップキック
どちらが凄いかわかるだろ >>337
最後は知らないけど、最初に観たのは76年試練の十番勝負クリス・テイラー戦だったかな‥
今は普通にやるけど、初めて観たからインパクトはあった。 83年6月の蔵前はお客さんが良く入ってたよね
数日前にIWGP決勝の蔵前があったばかりなのに…
この時のIWGPシリーズは第1回という事もあり、日本全国でお客さんが満員御礼だったらしいけど
何より凄いのは藤波と長州がシリーズ参加しないで欠場してる事
これは全日で例えると、馬場は参加するけど、鶴田と天龍が不参加でチャンピオン・カーニバルやってどこの会場も札止め連発するようなもん?
改めて当時の新日の人気ぶりに驚かされる、まあ子供だったけど鶴田フレアーより、馬場ブロディの方が楽しみで行ったけど、
新日の蔵前の後だから余裕で入場券を買えてガラガラだと勝手に思ってたけどほぼ満員でビックリした。
まあ蔵前はともかく、シリーズは苦戦したんだろうかねえ…?。 オールスター戦でのトリプル・ドロップキックでは、マスカラス・藤波より
高く跳んでいたのが鶴田だった。
>>340
73年の興行戦争は、新日本は創立以来初めてのビッグマッチじゃないかな?
まだテーズには集客力があったし、オープンカーにテーズ・ゴッチが乗って
宣伝してた記憶がある。
新日はこの試合一本で勝負にでた。(黒タイツの坂口が珍しい)
全日はデストロイヤー対マスカラスのUSヘビー級&覆面世界一決定戦と、
鶴田友美のインタータッグ選手権の2大カード
沖識名の引退セレモニーにヘーシンクの挨拶もあった。
裏では松岡、上田が馬場と一悶着?
プロレス人気は下火だったけど、ファンには面白い時代だったな。 >>345
ブロディがメインのグランドチャンピオンカーニバルPART2は地方ではガラガラだった。
ブロディ対鶴田のインター戦もマンネリ化していたし。
ただNWA世界戦は鶴田王座奪取の期待が最高潮だった。 >NWA世界戦は鶴田王座奪取の期待が最高潮
二階で見ていたのだが、近くに新日ファンと思われる二人組が同じく観戦していた。
鶴田がカバーしたりフレアーがギブアップ寸前みたいな状況では
あーここで勝っちゃうのかよ〜 ふざけんなよ NWAも堕ちたもんだ〜
おい、まさかこれで決めちゃうわけ? みたいなことを不満そうに話してた。
新日ファンも鶴田が勝つと観てたんだね。 >>323
だーかーらー、馬場の顔面をぶち抜くほどのドロップキックをもっと高くってどうすんのよ?
相手を飛び越えろってか? >>337
鶴田のミサイルキックは本当にミサイルって感じ。蹴り飛ばすって感じで迫力あったよな。
のちにライガーが、
ミサイルキックのコツは、相手の胸に乗る感じで…って言ってて、そんなもんミサイルキックじゃねーわって思ったわ。 >>345
新日は猪木さえいたら、チケットは売れるからなあ。 ブランゼルのドロップキックも打点が高くて綺麗なフォームだったな。 ドロップキックも打点の高さやら、空中での姿勢の美しさやら、奥が深いな。
ドロップキックには、見てる場面を一瞬にして分断するような効果があるんだろうなと最近気づいた チャンピオンカーニバルの初戦でスモールパッケージホールドで馬場から完璧な3カウントを取ったミスターレスリング2は凄かった。 鶴田のNWA獲ってほしい度でいえば、83年がマックスだよね?!
黒タイツ2年目で、エース時代到来!ってイメージだった。
翌84年は一回り以上年下のケリーに勝ってもな・・って感じで
Wタイトル戦なんてどうせ引き分けでしょ?獲っても獲らなくてもいいや、みたいな。 83年ジャイアントシリーズでNWA王者レイスに挑戦したときは善戦マンに戻っていたのが残念だった。
しかし翌年ニックに勝ったことで、NWA王者対AWA王者のダブル世界戦実現かという夢を見せてくれたのが第二の期待度MAXだったね。 >>353
何が分断する効果なんだよ。
わけわからんことばっり言うな。 >>346
>73年の興行戦争
9日の全日、14日の新日ではどちらがお客さん入ったんだろう?
まあ、半年後に新日は猪木vs小林で蔵前史上で歴史的な動員をするんだけど…
>裏では松岡、上田が馬場と一悶着?
自分は門茂男氏の著書でしか知らないけど
新日の主催が東京スポーツで、全日は門氏のユニオンが後援で
東京スポーツの後援を得るために、門氏がネックになったから日程を変更して云々みたいな…
あとは上田松岡は挑戦権を「若い鶴田にやらせるのは顔じゃない」とイチャモンつけた云々とか…
信憑性はよくわからないけど。
>>359
あれ、そうだった?
長州は木村と仲間割れした浜口と合流して、失踪騒ぎを起こして
やっと連絡したときには辞表を提出してフリーになったとか云々…それがIWGPの前あたりじゃなかった?
結果的にIWGPは欠場で、猪木不在の夏のシリーズからフリーとして参加みたいな。
記憶違ってたらすまん。 今日は川田の誕生日だったな。
確か皇后の雅子と生年月日が全く同じはず。
1963年12月8日
前に川田自身が雑誌で言ってた記憶が。 >>349
ジョージ高野はドロップキックで前田の頭の上を蹴って自爆したが、
猪木が何度もアンドレに延髄斬りやってるのも凄いよな。 >>335
国際時代にマイティ井上にドロップキックやられたラッシャーが仕返しにドロップキックやったら、
喉元に来ると思って胸張ってる井上の土手っ腹に当たって井上が悶絶した。
飛んだのに頭の位置がかなり低くなった。 >>360
長州と浜口の件はIWGP後のサマーファイト前じゃなかったかな?IWGPの後楽園観に行ったけど、猪木&坂口vs長州&カーンがメインで、猪木の延髄斬りで長州フォール負けしてた。 昔大阪城ホール下のレストランで、馬場夫妻と永源の3人でミーティングしてた光景を見たことある。
その時「永源ってジャパンプロの代表として馬場と元子に対峙できるくらい偉いんだな」
と思った。 >>360
上田と松岡の言い分は、建前としては「インターはもともと日プロのタイトルなんだから
馬場のパートナーは日プロ出身者が務めるべきだ」というもの。
本音はどっちも「鶴田なんかじゃなくて俺をパートナーにしろ」だろうね。
そもそも自分が馬場のパートナー、ファンクスの相手、上に出てくる
新日との興行戦争の主役が務まると考えている時点で何も現実が見えてないけど、
あの日の鶴田のファイトを見た後もそう思っていたんだとしたら救いようがないw
>>363
高野弟の方は全日参戦時に鶴田の顔面にドロップキックを入れて、
「俺の顔面にドロップキックを入れた奴は初めてだ」と舌を巻かせた。
つくづく惜しい才能だった。 81年最強タッグにカマタ、マーシャルボーグ組が参戦してたらラシク、クラップの最下位は無かったかな… ドロップキックの話題で盛り上がってるが、一人凄いドロップキックの使い手忘れてませんか。
それは……
馬場さん! >>369
マーシャルボーグ呼ぶわけないだろ、カマタ出すなら他のパートナー探すよ。 長州はタイガー服部に暴行シーン(反則負け)は見たがジョー樋口にはそういうことはしなかったな。 >>366
そうか、観戦したのなら間違いないね
それと長州は革命後、そんな時期にちゃんと負けてたんだ
てっきり(リングアウトや乱入での負け以外では)5対5の猪木戦やアンドレ戦まではないと思ってた。
>>368
ああなるほど、門氏の著書によると、その腹いせで廊下で上田と松岡が馬場に暴行したというやつね
武闘派の小鹿や大熊も控えてるんだし、それが事実ならただで帰れるとは思えないけどね。
高野弟はジャパン軍の大量離脱後に帰国して、少し売りだされたけど
それでもデビッド・シュルツにあっさり負けたり、半端な感じだったね
全日で馬場に目をかけられるずっと以前に、新日で何とかならなかったんだろうか?
カルガリーと日本を往復してる間にUWFが戻ってきちゃって、入る隙間をなくした感じ
選手が絶対的に足りない85年〜86年の間が勝負だった気がする。 戸口にしろ高野弟にしろ、新日に残って大型レスラー要員になれるかと期待しても
なぜか大塚に惹かれてジャパン系に行っちまうんだよなぁ
猪木と坂口に余程問題があるのか >>373
高野弟はカルガリーハリケーンズ時代に長州と全日マットでシングル対決したとき、
人間バズーカが唯一の見せ場で5分と持たずにピンされたはず
二回りくらい小さい長州にパワー負けして「体力がない」とか酷評されてたな
やはりいくら体格に恵まれてても練習嫌いではダメということか >>375
たしかその日のメインが、鶴田とマシンのシングル初対決。
途中まで好試合だったのに、突然マシンが椅子を持ち出して反則負け。
ダブル解説の馬場と山田隆が、そのマシンの行為を酷評していた。 >>374 問題あるのは高野弟だろ。誰も扱いきれなかった。 俊二は結局全日最後の試合があの新装なった東京体育館だったんだよな
逆に取り壊しが決まってた広島県立体育館のメインで川田と組んで鶴田カブキとの対戦が決まってたんだったが田上に変更になったんだったか あんまり「たられば」で語るのもなんだけど
高野弟はあの体格もあり、ほっといても周りが持ち上げてくれるんだから
新日に残ってれば?全日に残ってれば?という気がする
新日での84年から85年なんて大チャンスだったし、何せ選手がいないんだから
全日でのアジアタッグ抗争、鶴田谷津と組んでの天龍ウォリアーズ戦なんて良かったし
まあ、SWSでは旗上げ戦のタッグトーナメント決勝とかまでか…
とにかくツボにはまった時のダイナミックなファイトは観客目線では面白かった
ニードロップも説得力あったし、ジャーマンもやってたかな?
せめてあのまま全日に残ってたら、田上と高山の台頭は無かったかもしれないとさえ思える。 >>379
シリーズ前、発表カードでは高野が若手軍のリーダー的存在だった。Tマスクが覆面脱ぐ前。
これからは高野が鶴田のライバルになっていくんだろうな〜と思っていただけに残念だった。 89年はメインにも多く出てしっかりジョバー役こなしてた。
全日マット上での将来に向けての雌伏の時という感じだったけど
コンディション的には腰を悪くしてたみたいだね。 みちプロでグレートゼブラやった頃は、かなりブヨブヨの体型になっていたな。 俊二といえば全日本退団後にコンビニだかファミレスで酔っ払って横暴働いた挙げ句全日本所属だと嘘をついたんだよな。 >>381
何故か冬木が鶴田軍の側に入れられてたな。
でも売り出しにかかってた田上からフォール
取ったりしてたからそんなに扱いは悪くなかったと思うけど。 >>376
その後天龍が椅子持って助っ人に入って
まるでゴキブリ退治のように椅子で
バチンバチンとマシンや斎藤を叩きまくった
から溜飲が下がった。 >>380
新日時代のブロディも見栄えの良い高野を認めてたよね。
地方でブロディ vs高野俊二のシングルが4回組まれたけど
3回はブロディからの指名らしい。 俊二はどこに行っても
ナマクラ癖が出るから
長続きはしない
腐ったリンゴみたいなもので
団体にとっては出て行ってくれたほうがいい
俊二(ついでに谷津も)の移籍で俺はSWSの失敗を確信したよ >>346
新日は1年前にも蔵前でビッグマッチをやってる。
(全日旗揚げの約2週間前) 高木って今何やってんだ?
仲野は佐川急便でフツーに社員やってるんだよな 20年近く前かな。佐川急便のセンターで働いていた頃、よく食堂で仲野を見かけた。周囲と比べてもひときわカラダが大きいから目立ってた。食事の量はふつう。ジャパンプロレスのジャージを羽織っていた事もあった。 最弱挑戦者
インター→スティーブオルソノスキー
PWF→カートヘニング(87年1月当時)
UN→フランクランカスター
インタータッグ→カマタ&マーシャルボーグズ
PWFタッグ→ハンセン&ジョーディートン(ブロディ &トミーリッチ?)
インタージュニア→ウルトラセブン
アジアタッグ→ジェリーモロー&トーマスアイビー
勿論異論は認めます >>373
長州と浜口の件はIWGPのシリーズ中に脱退で
シリーズ後のオフにマサ斎藤と一緒に事務所に辞表提出だった気がする。 >>369
わけのわからん妄想して何がおもろいねん。 >>369
81年大会は極道コンビ、天龍&原、と馬場・鶴田以外の日本人コンビがエントリーした初の大会だったね。
いずれも白星配給係だったが、極道コンビの得点はどんなんだったかな? >>399
ありがとう。
馬場・鶴田VS極道コンビは見てみたかったな。
カーニバル公式戦もだが、馬場、鶴田と同門格下との試合ってほとんど中継されなかったな。
82年カーニバルで鶴田VS石川が中継されたくらいか。 >>394
大木のインター挑戦者にはもっと弱そうな奴いるよなw >>400
そうだよな
カーニバルがリーグ戦になった第4回大会からは
馬場vs小鹿、大熊、クツワダ、佐藤…
絶対オンエアされない試合は見たかった。 >>394
カマタとマーシャルボーグがインタタッグに挑戦したとき、
試合前の入場のとき、倉持が「よほどのことがない限り、
饗のタイトル防衛はほぼ確実でしょう」と実況してたな
普通は「今日は危ないかも」とか煽りそうなものだけど。
確かに、マーシャルボーグは煽りようがないくらいの木偶の坊だったな Gスピvol.25 佐藤昭雄の話で、全日プロ旗揚げに関して興味深いのがあるので…
馬場が独立に際してインター王座を保持したまま退団を表明したところ
大木金太郎が「自分と戦って勝ってから持っていけ」と言った件で、
佐藤によると真実は、大木の新団体(全日本プロレス)参加の話し合いが
不調に終わったことが原因らしい。
移動中の船の中に、馬場、轡田、佐藤、大木、戸口と5人になったとき大木が
「これでメンバーが決まったじゃないですか」と言い、馬場もまんざらでも
なかったという。
大木としても、馬場がいなくなったら日本プロレスは終わる。そんな泥舟から
抜け出して、日本テレビをバックに馬場と両エースで頑張れる方がいい、
と思ったかもしれない。
大木といえば、かつてはグレート東郷の誘いで国際プロレスのリングに上がり
かけたとも言われている。
プロレス史的には最後まで日本プロレスを守ったように見られがちだが、それは
成り行きでたまたまそうなったのであって、大木自身はところどころで浮気していた。
しかし、もしそれが実現していたら、全日本プロレスの歴史は変わっていたはず。
なぜ交渉が不調に終わったのか分からないが、大木は惜しいことをしたのかもしれない。 >>346
旗揚げ戦以来のゴッチ戦で東京、大阪の二連戦を組んで東京12chで単発放映し視聴率も
良かった。ただ日プロ崩壊後に離れたファンが新日vs.全日のニアミス興行で久々に蔵前
に押し寄せマスコミも「プロレスが蔵前に帰ってきた!」と言う煽りようだった。
新日の最強タッグ戦は猪木押しに舵を切った東スポにアイディアでテーズのギャラを負担
するどころかマスコミ初の主催興行まで行っている。全日に隠密で始めて最初はテーズ
の連絡先がわからず在米の外人レスラーにあたるとすぐに不審に思った馬場から連絡が
入ったらしい。 >>404
佐藤の話は興味深かったね。
元子さんに対しても、日プロ時代は優しいお姉さんって感じだったけど、全日の経営に入ってから変わったとか。
そして、自分は馬場夫妻を嫌いになりたくなくて海外に移住したとか。
酷い事も言うって冒頭に書いてたけど、鹿・虎・毒に比べたら全然。 小鹿と永源の若手イジメ。
新倉「永源さん組んでリングインしたら相手の小鹿さんが何故か裸足。
永源さんが小鹿さんの足を取って自分にタッチしてリングインすると永源さんが『噛め』
エッ!?永源さんは『その足を噛め。早く噛め』先輩からの命令のため仕方ないから噛みました。
物凄く汚くて臭い足でレフェリーの京平さんが哀れみの顔で僕を見ていた」 大木は、結局はエースになりたかっただけなのかな…
馬場と全日本の2大エースの野望が崩れ、新日本との合併話を最後に反対したのも
ここで合併したら猪木と坂口にエースを持っていかれるのは明白なこと。
自分を拾ってくれた恩師力道山の創った日本プロレスがどうなろうが、
私欲だけしか考えてなかったような気がしてきた。
明日12月11日は『力道山13回忌追善興行』『猪木vsロビンソン』から44年目か 昭和末期せっかくのブッチャンとシンチャン組んでもイマイチだった。
既にブッチャンやシンチャンは時代じゃなかったんだよな。 >>408
末期の国際にインターのベルト持参で上がったときも
「木村君には悪いがエースとしてやらせてもらうつもりだ」と言ってたけど、
エースとは認められず、すぐにフェードアウトしてしまった。
日プロ、全日、新日、国際、とこに行っても二番手以下でしかなかったから
結局は器じゃなかったんだろうな >>406
佐藤はテレビ解説での言葉遣いが悪く交渉役の仕事が多いから性格の悪い人だと長年思ってきたがあのインタビューでイメージ変わったわ
性格悪いクセに目が綺麗で気持ち悪いと思ってたが心の純粋さが目に出てるんだなと >>385
ベテラン軍と若手軍に分け、暫定的なカード編成だった。
ベテラン軍・・鶴田、谷津、カブキ、タイガーマスク、冬木・・
若手軍・・高野、川田、田上、仲野、小橋、菊池・・
みたいな流れで高野離脱で、タイガー(三沢)が急きょ若手軍のエースになった感じ。 >>410
エースって名乗ればそれで認められるわけじゃないのに。
>>404
でも大木が来ていれば馬場、大木×サンマルチノ、テリーが旗揚げ戦のメインか。 天龍離脱時点では、馬場さんは三沢(タイガー)より高野を推していたことになる。
やっとジョバーを卒業して美味しくなる人生だったのに高野はバカだ。
目を光らせる存在(馬場)がいなくなると急にブクブクした身体つきに・・
どうしようもない奴だったな >>412
開幕戦の東京体育館は三沢、川田組なのに何で三沢がベテラン組に入れてるの >>415
追記するとタイガーで出て試合途中がマスク脱いだけどね。 >>412
あの後楽園(スパルタンX&エルボー&小橋オレンジタイツ)の当初のカード
メイン 鶴田&谷津&渕vs高野&田上&小橋
セミ ゴディvsスミス(変わらず)
セミ前 タイガー&カブキ&井上vs川田&仲野&北原
変わって良かったな… >>402
確か馬場対小鹿戦は放送されたはず。
大熊がちょっかい出して、面白かった記憶がある。 >>410
馬場には風格
猪木はアスリート的な格好良さ
それぞれエースに相応しい素養があったが、大木はハゲたおじさんだったからな >>417
黄金コンビ復活の試合で、相手が思い出せない…
ジャン・ウィルキンスがいたかな? >>391
そうだったね
猪木vsゴッチが最初の蔵前だ 昭和のGCCってボブブラウンやオレイアンダーソンなどウラの大物みたいな人達がよく来てたイメージがあったなぁ…2人だけかもしれないけど V9時代の巨人には、この選手がいる限り、レギュラーは獲れないからという理由で、巨人入りを拒否した選手もいたという。
鶴田がいたら、エースにはなれないと思っていた選手が多かったことを、後になって著者で知って、多くの人の人生に影響あたえたんだなあと思った
キムドクなんかは、自分のこと、大木のことで、そんなことを語ってるね >>420
パッチギ一つでのしあがる
同胞にはまだ分かるストーリーでも日本人に分かるかというと? >>424
天龍はテリーVS鶴田のNWA世界戦を、三沢、川田、小橋は鶴田VSマスカラスのUN戦を観てプロレスを志したというから良い影響も大だ。 大木は日本マット界ではエースになれなかったが、韓国では英雄扱いになったし、
馬場、猪木より先に世界王者(67年のWWA)になったから良いプロレス人生だったよ。
>>424
あの時代エースになるなら、団体を立ち上げるしかなかったような気もする。
鶴藤長天の中では、家出息子の長州・天龍が逞しい。 >>430
猪木が取ったときは世界王座じゃなかったからな。 >>411
佐藤の言葉遣い悪いって、例えば?
最初は口数少なかったけど、
だんだん慣れてきたら、分かりやすいなあと思ってたけどな。 >>403
シリーズのはじめにカマタとPWF戦やって馬場が余裕で勝利。
試合中ちょっかい出してたマーシャルボーグが試合後、馬場に襲い掛かる。
インタータッグを前にカマタとともに馬場を血祭りにあげて強烈なアピールをするかと思いきや、
馬場一人でカマタとマーシャルボーグをボコボコにしちゃった…
カマタ、マーシャルボーグの猛攻に馬場苦戦→鶴田が救出に登場みたいな展開にすらならなかった。
この時点で「ポスト・ブッチャー」とかマスゴミに騒がれてた男のメッキが剥げてた。 >>432
俺もそう思う。
佐藤の解説はわざとらしい表現やおざなりの
返しがないし、アメリカ情報もリアルタイム
に近い情報で聞き応えがあった。
試合が盛り上がってきたときには
もうちょっと興奮して欲しいな、と思う
時もあったけど、過去の解説者の中では
上位の部類だと思う。 >>418
開幕はタイガー&川田なのに、後楽園は敵なんだね・・・
タイガーだけ異次元というか便利屋扱いだったんだね。しかし高野はおしい。。 >>418
このカードの中から6人も移籍するとは・・・(>_<) >>414
馬場さんだけじゃない。見てるファンも高野が推されると思ってたし期待した。だってヘビー級らしい体格なんだもん。ネックは生え抜きじゃないこと。新日出身が全日のエースになるというのは、いま考えると、ちょっとおかしい。
マスクぬいだ三沢が台頭したのは必然。 >>424
高田繁は巨人に1位指名されて内心は
「巨人は外野手の層が厚いのでキツい」と嬉しさと戸惑いが半々だったそうだ
ハンセンが新日に行ったのは外人の層が厚い全日より
ライバルがシンだけの新日に可能性を感じたと書いてたな >>437
谷津が鶴田のパートナーとして正規軍二番手に就いたのは異例なのだな。 全日ってのはそこらへん気にしないんじゃないか?
タッグチームのチェンジは頻繁にあったし
生きてりゃ鶴田ブロディ組は自明だったしな。 団体存続危機って言われてるのに、生え抜きじゃないからとか言ってる場合か!?
鶴田と対等に戦えるのは高野という判断で、将来的にはエースの可能性もあった。
三沢・高野が台風の目になったことは間違いない。 逸材としては、谷津、高野、高木の離脱が痛かったくらいで、あとは申し訳ないがいなくなったってどうでも良かった。 >>432
言われてみると確かに汚い言葉は使ってなかったわ、でもぶっきらぼうで言葉が少なくアナウンサーが気を使ってる感じで山田さんのファンタジー解説が大好きだった自分は佐藤の解説嫌いだったね
でも佐藤の悪口は馬場夫妻以外からは聞かないしイメージと違い良い人だったんだろうなと >>436
WWFに行ったスミスも入れて6人か
>>442
個人的には北原、高野、カブキかな 谷津がSWSの甘い言葉に乗らなかったら、人生全然違ったのかな?
馬場はあのまま谷津を重用し続けたんだろうか? 北原って印象薄かったな、同期の小橋が逞し過ぎて影に隠れてた感じ >>425
同胞で思い出したが、大木の味覚は完全に半島系だったらしく、
日本酒が全然ダメで、焼酎しか飲めなかったらしい。
日本酒が飲めなきゃ当然酒席の盛り上がりに水を差すこともあるわけで、
プロモーターやタニマチ受けはよくなかっただろうな。
>>443
あの試合の唯一の収穫は、カマタのテーマが多分初めてテレビで長いこと流れたことかな
後であのおどろおどろしい曲がヴァンゲリス作曲と知ってビックリした。
>>445
三沢がマスクを脱いでしばらく経った後の谷津の試合の中継で
竹内さんが二言目には「このままじゃ三沢に抜かれますねえ」と何度も念押ししてた
馬場の意向無視して中継でそんなこというわけないし、もう既定路線だったんじゃないの?
ジュニア上がりで高校の後輩の三沢に抜かれるのって、谷津には耐えがたい屈辱だったろうし
遅かれ早かれ離脱してたのでは? 谷津になんでメガネに行ったか聞くたびに「俺がいたんじゃ三沢や川田が上に上がれない」
実際は馬場に三沢に負けるよう命令されて嫌気がさしたんだろうな
鶴田でさえクイック負けが辛くて悔し涙浮かべて深酒したとか言ってたし 谷津はウイリアムス戦で首やっちゃってから存在が薄くなってしまった… 五輪コンビ以降の谷津なんて
抜けない方がどうかしてるw >>441
高野って前シリーズ中に辞表出したと
ゴングが報道したんだよね。
直後に誤報だとゴングは謝罪してたけど
その後直ぐの天龍SWS行き。
状況を考えたらかなりキナ臭い立場では
あるんだけど、それでも若手のトップに
すえざるを得なかったのかな? そもそも谷津個人にファンなんていたのか?
そんな人聞いたことないんだけど。 >>445
鶴田、天龍、谷津、ハンセン対超世代っていう構図だったらしいから、真っ先に谷津が踏み台にされたろうな。 龍艦砲vs五輪コンビだと、谷津がフォールされるのが最も納得いくもんな。 頭痛かなんかでヘッドギアを付けていたけど、
あれがせめてもの温情だったのかもしれない。 結局谷津の扱いが一番よかったのって
全日とジャパンの対抗戦時代?
天龍とはほぼ同格設定だったし、
鶴田にはリングアウトで負けたけど、
ひょっとしてシングルのピン負けなかったかも ジャパン時代は谷津は鶴田にフォールされていないね
五輪以降にはされている。 >>451
高野は開幕戦の東京だけ出て欠場ってのがなんともね・・・きな臭い。 馬場さんは、190超えの選手を売り出そうとしていたのが分かる。
後楽園のメインが高野・田上・小橋。
タイガー、川田、仲野がアンダーカードなのが分かりやすい。 高野全日残ってりゃ確実に鶴田のパートナーだったろうな。 >>455
俺的には谷津より原だな。
格的には龍原砲結成により原が格上げされたけど
それでも谷津よりは、やや下な気がしてた。
まぁ、ヒットマンになって格上げされてもハンセンに4分で負けたり
UN王者決定リーグ戦でデビアスに負けたり、ウォーリアーズに秒殺されたり
龍原砲が結成された87年の年明けの試合でも長州にシングルで完敗したりして
トップ所には、あっさり負けるという印象が強かったという事もあるんだけどな! >>461
一時期は、ロッキー羽田にもチャンスを与えてそこそこ良い扱いをしたしね。 >>464
羽田にチャンスなんかあったか?
オープンタッグのジョバーくらいだろ。 羽田は身体壊しちゃったからな
げっそり痩せちゃったし >>467
あれは草津が出場辞退したせいで、坂口の対戦相手が宙に浮いて仕方なくだろ? 羽田と言えば、天竜とのハンサムフレッシュコンビw
77年の帰国時は馬場鶴田に次ぐNo.3 の位置だったんだぞー >>466
正月の後楽園のテレビ収録試合のセミでフォール勝ちさせて貰ってる!
また、そのシリーズのテレビ録りで戸口と組んで
インタータッグ挑戦者チームのブロディ 、アンジェロモスカ組と両リン >>470
No.3では決してなかった。
扱いは小鹿、大熊と何にも変わらなかった 77年NWAチャンピオンシリーズ開幕戦5月27日福生市体育館 羽田光男帰国第一戦〜
メインイベント:鶴田・羽田(2−1)ラシク・ミラノ
羽田(ブレーンバスター〜体固め)ミラノ
ミラノ(ジャンピングパイル〜体固め)羽田
日本組(ラシクの暴走〜反則)外人組
サマーアクションシリーズ開幕戦7月8日後楽園ホール ロッキー羽田に改名〜
第5試合:ドン・ムラコ(12分45秒回転エビ固め)ロッキー羽田 でも羽田の決め技はコレ!って言い切れるひとはいない。丸め込み以外だとオーソドックスなネックブリーカーとか使っていそうなぼんやりしたイメージ。 羽田とデビアスは全日スレではまだ忘れてない頃にリターンしてくるな。
デビアスはともかく羽田って重要人物じゃないのに。 >>443
越中も後藤も三沢も(輪島も)佐藤昭雄には感謝してると言ってたな
「言いにくい事を馬場さんに進言してくれたおかげで自由にやれたし海外に出れた」って
川田だけはそういう事一切言わないで「冗談のきつい話しにくい人」と評してたな グラハムボネ太郎の部屋
この人のブログのプロレスの項目で定期的にロッキー羽田を取り扱ってるよw 吹けよ風、呼べよ嵐も
視聴者から送られてきた推薦と
テープからスタッフが選んだらしいな。 >>474
羽田の話は迷惑かい?
これは本当の「羽田迷惑」 >>477
重要人物だよ。彼はあの時代のセミ、セミ前に欠かせない選手。
と、言ってる人がいるのかいないのか? >> 480
かなりの新日ヲタだったけど、全日の選曲だけはセンスよくて羨ましかった
いつも書いてるからしつこかったらごめんな
それでもあくまで個人の感想なので… 知り合いが86年夏の北海道池田町大会行ったそうで前座のバトルロイヤルが終始おふざけの流れで最終的に羽田が優勝したと言ってたなぁ…
賞金はないのかとレフェリーに詰めよってたそうだ
因みに観客は150人くらいだったらしいよ 新日もELPのスコアーとか(ストレートすぎるだけど)いいと思ったよ。
ベイダーのアイズオブザワールドももう少しピッチを落とすなどの工夫をすれば最高だし。
>グラハムボネ太郎の部屋
ボーカルがないので、この人には不満だろうがね。
まぁ全日は吹けよ風〜と、サンライズがホームランすぎるから。 >>478
なんか俺が川田に持ってるイメージをそのまま言ってるなw >>478
佐藤は後輩には優しかったっぽいね、馬場とか天龍はカブキの教え方を評価してたっぽいけど
多分だがカブキはネチネチしたり上下関係をたてに技術以外がムダに厳しくて、佐藤は(脳内の)指導マニュアルにそって合理的に淡々と説明していったんじゃないかと 新人は試合後カブキに一時間くらい説教されたそうだからな
技術論より前座が大技使うなとかだと思うけど カブキをクリア出来たとしても百田がいるし小鹿や羽田や林もいるし、厄介な空間だなぁ(苦笑)
新日は新日で星野が厄介だけれど。 >>488
それは百田だぞ。それともカブキもそうだったのか? ところで伊藤正男とターザン後藤は、島流しにされたの? >>487
佐藤は日プロ時代から馬場の付き人を務めながらプロレス哲学を学んだだろうから、馬場譲りの理論的且つ合理的なコーチができたのではないかな。
馳が馬場の教えが一番ためになったと言っていることからも窺える。
カブキは技術的なことはともかく、力道山時代というより大相撲的な根性論を振りかざしそう。 でもカブキはゴッチの技術は大したことない、
極められないと尻に指を入れる、
あんなのが技術なのか!
この発言からも技術論はあると思う >>487
佐藤曰く「カブキさんも教えるの上手だけど(もっと大きく)とか(もっと高く)とか
言葉が抽象的だった、俺は馬場さんに教わったことを噛み砕いて言葉で説明できたよ」とのこと >>490
場外戦やったり大技(といってもブルドッギングヘッドロック程度)使うと
便所でぶん殴られるので非常に怖かった、と越中が言ってたな >>494
佐藤が教えるまではカブキしかいなかったって感じだね、それ以外は小鹿羽田林とか酒の席や雑用で若手をこき使うだけみたいな >>492
>>493
山本小鉄がカブキを絶賛してたし日プロ的な指導に定評があるのかも、佐藤はアメリカンプロレスの指導って感じ 小鹿は育成能力あるかどうかは知らんけど「若手に教えて上手くなられたら困る、
しょっぱいままにさせとけば俺が長くやれる」と常々公言してたらしい >>497
カブキと羽田、大仁田、薗田、渕、田上は筋肉の付き方が似てる。 でも大日本の若手の身体作りは昔から見事だよね。
全日のDNAを受け継ぐ小鹿の団体とは思えないほどw >>498
でも力道山も強くなられたら困るからある程度までしか教えなかった
猪木は受け身の重要性を知りながら自分だけやれて下にはほとんどやらせなかった ファンク道場から帰って来たジャンボに付きっ切りで教えたマシオ駒も
いいコーチだったと佐藤は言ってる、「教えるんだけど一から十まで全部教える
んじゃなくて一から九まで。いっちゃん大事な十は教えなかった」らしい
佐藤はそれを見てなるほどな、と思ったそうだ >>500
カブキ育成レスラー
大仁田、薗田、渕
佐藤育成レスラー
越中、三沢、冬木、川田
って感じか佐藤のが上かな。鶴田天龍はドリー育成になるのかな、あくまでも新人時代の教育に限ってだけど 佐藤昭雄の評価が上がれば上がるほど、唯一ボロクソにこき下ろしたマッハ隼人の存在が際立つなぁ
佐藤がマッハにだけ辛く当たった理由はいろいろあるんだろうが >>504
大仁田等に新人時代教えてたのはナガサキだし
その頃、道場を仕切ってたのはマシオ駒。
カブキが育成したというほどではないんじゃないか。 そうだマシオ駒がいたね。忘れてた
マシオ駒 → 高千穂 → 佐藤 → 小橋 って感じなのかな同情主 どうじょうぬしで一発変換出来たから漢字確認しなかったw
でも道場の主といえば道場に住み込んで部屋で酒ばかり飲んでた林とかになるのかも >>507
マシオ駒が76年に亡くなり78年にはカブキは渡米してるから
カブキが道場主だったことってあったのかな? 創成期は駒、マティ鈴木が名伯楽って印象。
駒は鶴田と渕、大仁田、園田にとって公私ともに本当に血の通った師匠って感じ。
砧に移ってからは鶴田と渕、大仁田、園田(この4人は初期砧合宿所の主みたいなもんか)が
合理的なトレーニングを始めてこれがそのまま合同練習のメニューになったらしい。
なんか若手トップが越中の時代になると、林が若手の食べ物を勝手に喰ったり、小鹿が若手いじめたり
突然全日道場、合宿所が荒れだす印象w
鶴田が自宅買ったり、三羽烏が海外へ出たりして合宿所出たのが転機なのかな。 >>510
天龍のコーチは日本ではカブキだったから駒の後の2年ぐらいはそうかも。ただ天龍は
教えたとおりに出来ないから見かねて他のレスラーがあれこれ口出しして天龍本人は
誰の言ううことを聞いたらいいかわからなくなったとか。 初期は結構鶴田も来てたんだね。道場のピンク電話のお金を取りに来ただけかもしれないけど >>507
小川とかは薗田に教えてもらったんじゃないかねえ。 天龍&高千穂組で、極道コンビのアジアタッグに挑戦したことあったよな。
たしかレイスvsブッチャーのNWA戦の前座、後楽園ホールで観戦した。 >>514
小橋、菊池もそうだよ。
佐藤は渡米していなくなってたから。 指導の話になると百田光雄の名前は全然
出てこないね。
立場的に指導に専念してても
おかしくないのに。 薗田はコーチという立場だったみたいだね、キャリアとかもあるけど人柄や能力があったのだろう。結構厳しく指導してたみたいだ
1984年1月に日本に帰国し、マジック・ドラゴンとして凱旋した薗田。リング上ではマスクマンとして暗躍し、リング外では若手を育成するコーチを兼務していた。
清水氏曰く、「人柄もいいし、カブキさん、昭雄さんの後を次ぐコーチはゴリさんだったハズだから。越中さんとか三沢さんにとっては世話になった先輩だろうし、小橋、田上、菊地、小川あたりの若手も基礎を叩き込まれ、いっぱしのレスラーになっていったんだよね」という。
https://ameblo.jp/jumpwith44/entry-12375900430.html?frm=theme >>517
百田は試合後のダメ出し。
第一試合で対戦して説教する。
その説教が一から二時間に及ぶこともあったそうだ。 ハル薗田が生きていたら90年以降も全日にいたのかな。 >>519
同じダメ出しでも百田は誰もいない場所とかでガミガミ言うだけで、佐藤昭雄は他の試合を見ながらアドバイスするイメージだな。 >>521
馬場がもうやめとけと言うまで長時間説教していたそう。 長時間一方的に喋るのか若手に意見を言わせてそれを全否定するタイプなのか >>523
若手に意見いう権利なんかあるわけないじゃんw 今の今まで谷津の入場テーマって少林寺の奴(寺西が新日で使ってたアレ)だと思ってたw
だから「やっつけにも程がある」と思ってて>>453みたいな事、書いちゃったんだけど
谷津の入場テーマはDeep Purpleの原曲を手間かけて再編集したもんだったんだ…
それにしても掛け声が残念すぎるw
「阿修羅」のDJやコーラス並みに残念。 ブロディが生きてたら
四天王vsブロディも実現してたか。 >>526
三沢がタイガー時代
タッグで対戦経験があるだけかな?
(1987年最強タッグ戦) >>511
長野県に自宅を引越したロッキー羽田も
シリーズが始まると長野から上京して合宿所に住み込んでたんだよな。 >>527
最強タッグ以前にブロディの復帰したシリーズで対戦してる。 >>519
川田は、百田さんとたくさん試合をしてプロレスを覚えられたと感謝してるね。 >>526
87年10月6日 日本武道館
第7試合(セミ前)ブロディ 、ムーンドッグスvsタイガー、高木、仲野 「ブロディなんか怖くない、高木功!」って選手コールの時実況してたのは若林さんだっけ? >>525
まあDEEP PURPLEのもお下がりだからアレっちゃアレだw トミーボーリンおよびCOME TASTE THE BANDが再評価された頃なら
もっと名曲あつかいされように思う。あえて言えば谷津じゃなければもっと……。 >>504
佐藤昭雄はプロレス技術だけじゃなく後藤に髪長くさせて髭蓄えさせて
その上でワンショルダータイツ履かせてターザン後藤にしたりとか
プロデューサーとしての能力もすごく高かったと思う >>533
キングコングニードロップでは無くパイルドライバーで高木をフォール >>537
当時、映画とかでターザンは筋骨隆々のイメージなのにデブの後藤が何でターザンなんだと批判された。
ロッキー羽田、太陽ケア、塩のウルトラセブンもセンスは悪い。 >>527
田上は88チャンピオンカーニバルで5回以上対戦してるはず >>542
デカイレスラー好みだったな。
いずれはブロディ&田上コンビもあったかもしれない。 >>542
88年チャンピオンカーニバルで天龍とブロディ が対戦したのって
シングルタッグのタイトルマッチ2試合のみかな?
地方の6人タッグとかで対戦してれば川田とも対戦してた事になるんだけどね。 >>544
大阪の三冠統一戦と川崎のPWF世界タッグの2試合だけだよ。
他は鶴田絡みがほとんど >>528
羽田がいると巡業から一旦合宿所に戻ってきて川田が天龍を家まで送って帰ってくるまでに
酔った羽田が鍵を全部閉めちゃうってのが常態化しててボロ鍵の台所の窓から侵入してたらしい
んでやっとこさ中にはいると酔った羽田が若手を正座させて説教大会を開催中という 「俺だけの王道」にあるけど中3の時点で合格してるね
この本で川田に優しく接してくれた先輩として書かれてるのが唯一石川敬士
カナダを退去させられて巡業中の本隊に合流したが全員から空気のように扱われた
中「川田、お茶でも飲みに行くか?]と声をかけてくれたのが石川だったらしい
たしかに敬士は上からも好かれて下にも優しそうな、全日にしては貴重な人材だ >>549
元関取なのにいい人なんて、ますます珍しい。 田上が入門してから暫くは『田上』の文字が『上田』と見えた。
当時は田上は見慣れなかったから。
上田の方が見慣れていたし。 >>549
そのエピソード知ったうえで石川&井上vsフットルース見るとまた違った側面が見えてくるかな。 川田は未だに引退宣言してないのは、ウソつきの大仁田が嫌いだからかな >>554
彼は元々なのか、全日に入って使いっ走り生活の中で捻くれていったのかどっちなんだろ。 石川は見映えがよけりゃ武藤敬司の先駆けと言われてもおかしくないプロレスセンスの持ち主 >>544
福井大会で天龍・原・川田vsブロディ・スヌーカ・ブバがあるね。結果は両リン。 >>555
三沢が、学生時代から変わり者だったと言ってたな。 >>558
88年のカーニバルに福井大会はない!
あんた、またかよ >>557
ほんとかよ
下半身は若乃花そっくりだが。 石川が東京プロレスのエースだったときは正直無理があるな〜と思って見てたなぁ… 石川なら会社を作ろうと思えば、なんだかんだでタニマチがいるだろうし、
相撲やら大学の人脈とかその辺の強みはあるね。
ただ、石川がエースで客が入り続けるのかとなれば厳しいけど。 石川はルックスが良くてもうちょっと体が大きければ馬場も売り出したと思う
プロレスの適応の早さは天龍より早かった位だし上手いレスラーだった WAR時代に天龍以外が手薄だった故に藤波から2度もフォールをとらせてもらったのを実力と勘違いしてしまったんだろうな 東京プロレス崩壊後も木村健悟のパートナーとして新日に上がったり扱いの良さが謎だった >>559
三沢は「川田は高校時代から一言多い奴だった」って言ってたな 85年か86年に週プロが道場をテーマにした連載してて
新日やUは持ち上げて、全日に関しては
「全日道場は機能していない。トレーニング理論に一家言持っている石川を道場主にして再建すべきだ」
みたいなことが書かれてた。
当の石川にしたら「冗談じゃねえよ。なんで俺があんな面倒くさい場所を管理しなきゃいけねぇんだよw」って
感じだったのかな。
>>547とか>>528見ると。 >>566
永島が記者時代に全日へ取材に行った時、優しくしてくれたのが石川と渕で、そのお礼も兼ねてのあの扱いだってGスピで見た。 酒癖は悪いは若手はイジメるは相撲上がりの日プロ出身はろくなもんじゃねえな 日プロと新日の合併話がポシャらなければ、あの連中を全日が引き受けなくて良かったんだよな。 >>571
新日は坂口+3名で目当てのTV放映をGETできたから
明らかに新日が得した
全日にとって良かったのはUN等のタイトルが全日所有になった事位だった 82年のチャンピオンカーニバルに阿修羅原が欠場したのは残念だったな…
原が参加してたら対馬場、鶴田、天龍、石川、井上、トンガ、羽田、佐藤、スミルノフなど魅力的なカードが実現してたんだね〜
ストンパー戦は後半実現してたんだね 動画がないからわからないが
天竜革命以前の
全日の中堅日本人同士の試合って面白いんだろうか?
チンたらやってそうなイメージしかない そういえば日プロの道場を仕切っていたミツ・ヒライは全日ではコーチとか
そういう話はなかったのか。 >>575
石川、佐藤が帰国しアジアタッグ獲得して、天龍が何度目かの「凱旋」してようやく定着し、
国際勢(井上、原)が移籍してきた81年以降から熱い試合が増えたんじゃない?
良い試合だなこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=34YMOkSKe9I
カブキが日本人相手にこういう「面白い」試合できるようになるのは天龍革命開始後か。
ジャパン参戦時には決まりきった型通りの動きしかしなかったし
猛虎7番勝負の0番勝負もタイガーが気の毒になるぐらい駄目な試合だった。
あれなら冬木相手に0番やった方が良かった。 >>578
週プロでも絶賛されててTV中継を楽しみにしてたのに大幅短縮verでがっかりした記憶が
次の馬場vsスミルノフなんかカットしてフルで見たかった >>565
まあガチなら学生横綱張った石川が格闘技歴皆無の
藤波に後れを取るわけないから、2度ピン取ったのが「実力」通りなのは間違いないけど
でも序列が「実力」通りじゃないのがプロレスの難しいところ 石川隆士の全盛期っていつだろう?
全日後期に関しては、まだ小学生だった俺には
ボディアタックも不格好だし、ドスドスした
残念な動きのレスラーにしか見えなかった 石川は輪島と組んで天龍同盟と対戦することが多かったが、日大の先輩輪島をフォローしながら天龍とバチバチやり合うのが意地らしく、気の毒でもあった。
輪島と共に引退したときに「この人は輪島に滅私奉公したのだなぁ」と涙ぐんでしまったよ。 全日本vsジャパン6対6では、石川vs小林がベストバウトと言われたな。 >>577
というか、コーチしてないと何故思ってるんだ? >>582
後期って、
天龍同盟とバチバチやってた頃だろ?
フットルースとも名勝負してたし。
当時小学生だったとしても、センス無さすぎとしか言えん。 >>581
4月3日武生市体育館 観衆3050(満)
メイン60分1本勝負
ブロディ・スヌーカ・ブバvs鶴田・谷津・田上
スヌーカ(13分19秒体固め=スーパーフライ)田上
セミ45分1本勝負
天龍・原・川田vsカブキ・石川・渕
天龍(19分32秒エビ固め=パワーボム)渕 >>582
学生横綱→幕下付け出し→3場所で十両に上がった頃じゃないだろうか? >>589
大ノ海って師匠(輪島の師匠でもある)の四股名だもんな。相当期待されていたんだろう。 ただ学生時代から持病持ちだったらしいからそれがなけりゃ三役までいってたろうな
プロレスになど天候しなかったかも 全日は天龍とか大ノ海とか琴天太とか玉麒麟とか二所一門の力士が多い 石川のテーマ曲って結構カッコいいのにほとんど語られていないのが残念でならない。 WAR時代の石川のテーマと、Uインターの金原のテーマはほんと、お前にはもったいないと言う言葉がぴったり合うほどかっこいいテーマだったw やたら仰々しい曲で、どんな大物が現れるのかと思ったら、見た目小物感満載の金原でガッカリした。 石川は長州とのシングルでも負けなかったから意外だった…
長州と全日の中堅のシングルってこの試合くらいしか無かった気がする…
井上戦とか見てみたかったなぁ
渕は一応やったのか… >>597
似た体型。ラリアット、サソリ固めと共通点が多いのになぜ差がついた? 安生のテーマは似合わないようで凄く似合う珍しいパターン >>.579
>大幅短縮verでがっかりした記憶が
テリーさよならシリーズの最終戦、後楽園ホールね。
これ、見に行ったけど短縮バージョンで正解なのよ、実は。
前半の10分くらいは観客の受け狙いのヤジ→それに反応した客席の失笑→以下ループ
レスラーは悪くないけど、それまでの試合がイマイチだったか?観客がまったくでき上がってなかった。
原や天龍も客席を睨みつけるぐらい不機嫌だった、でも段々リング上の熱気が伝わってきて最後の10分は会場が地団駄状態。
まあ、あえて前半も放送したほうが客席の温度差のギャップがわかりやすいからアリかもしれないけど。
でもあのダレた客席をひっくり返した四人はさすが、見に行った人いるなら覚えてると思うんだけど… >>599
似合わないようで、の意味がよくわからん。
バチッとハマってるやん。 石川って今はコンビニオーナーだっけ?
左うちわなんだよな >>582
長州藤波vs天龍石川で天龍のフォローもアクシデントもなく藤波からピンを取った時だろ >>564
天龍が石川のルックスを何か変なのに例えて石川のルックスが良かったら自分は出る幕なかったと言ってたな
オカダカズチカは川から上がったカワウソに例えてた 天龍が、オカダをカワウソって例えたって話でしょ。
正確にはオカダはウナギで外道はカワウソだったような >>605
原が国際から移籍して序列は
馬場、鶴田、天龍、原、石川って感じになったが
原と石川ってルックスに差があったからな
原は和製チャールズ・ブロンソンと言われた位だったし >>609
石川は大仏さまみたいで年寄りには好まれそうだがなぁ〜 1983年頃のラブアタックで大学のプロレス研究会の連中が出る会があり、学生の一人が日本テレビのスポーツテーマの替え歌を歌ったが、歌い出しは
ジャンボ鶴田にジャイアント馬場、天龍に阿修羅原
だった
当時の認識は原>石川 >>597
石川には長州の「維新軍団」「名勝負数え歌」のようなストーリーがない
学生時代に患った糖尿病と長年付き合い、未だに健在なくらいだから
ちゃんと節制、自己管理のできる人間なんだろうが、その分弾けたところに欠けるんだろうな
どっか弾けた部分がないとファンの心をつかむストーリーの主人公になるのは難しい 石川は81〜83年辺りだと精悍な雰囲気で悪くなかったんだけどね
ただその後が良くない
ウェートアップしたら天龍と違って一気にオヤジ臭いモッサリ感が倍増してしまっていたし
赤や紫といった自分には似合わない
中途半端に派手な色遣いのタイツを履くセンスにも疑問符が付いた
>>603の頃なんて下腹脇腹に付いた中年太り風の肉が目立っていた一方
加齢の影響なのか妙に細くなった足とのアンバランス感がギャグ漫画のキャラみたいで
その体型がB級感格下感を際立たせていたもの 石川が一番ブレークしたのって
WARのNO.2時代か
全日でブレークしようと思ったら、パートナーだった輪島を担いで
「輪島軍団」とか「横綱軍団」ってユニット結成してNO.2収まるか
もしくは東プロでプレークしようと思ったら、ギャラたんまり払って
ブッチャーにシングルで寝てもらうか、もしくは大仁田の茶番に付き合うふりして
ハヤブサから引退試合の相手の座を強奪するぐらいかな マシンになるのはいいかも。
ワンショルダーで大仏顔を隠して没個性の戦う機械になる。 石川は後年スポーツ刈りに後ろ髪だけ伸ばしてたのもカッコ悪かった… 昭和の全日のレスラー達は地味で華はないけどマニアには気になるレスラーが多かったな…
馬場、鶴田、天龍、大仁田、越中、三沢以外全員かも…原、カブキは微妙 昭和の全日のレスラー達は地味で華はないけどマニアには気になるレスラーが多かったな…
馬場、鶴田、天龍、大仁田、越中、三沢以外全員かも…原、カブキは微妙 >>613
言ってることがわかりすぎて凄い笑える! >>619
スモーピオン・デスロックとかいう名前つけられてたなw 馬場が大きい選手好き
元子夫人がイケメン好き
小さくてブサイクな選手は全日では論外だ 同じ団体同士のコンビでもイマイチ
呼吸が合わない相手というのはいるものだけど
馬場、鶴田、天龍、輪島、タイガー、
カブキ、原、井上、佐藤、
誰と組んでもいいコンビネーションを
見せるのはプロとして流石だと思う。
尚且つフットルースとの抗争もあったし
チームリーダーとして駄目な訳でも無い。 こどもの頃にプロレス名鑑で見た時は石川がラッシャー木村の息子かと思った >>618
なんでタカーシー?
石川マシンとか敬士マシンでいいだろ。 全日にイケメンっていたか?
小川くらいしか浮かばん まぁ、秋山もイケメンの内に
入れても良いと思うよ。
三沢、小橋は微妙。 昭和デビューじゃないから、入れていいのか迷ったけど、今の全日でもイケメンとして名前が挙がる大森さん
あと、秋山もイケメン
顔立ちの良い人は、スキンヘッドでもイケメンだと思う 外国人選手にはイケメンも結構いたよね。
ジョニー・エースとかリック・マーテルとか 石川といえば85年の馬場・石川vsTJシン・Mミラノ戦
トップロープからのダイビング・ギロチンからの失神「死んじゃった」コール
龍原砲のダブル延髄で失神したハンセンは甦えったけど、
ミラノは担架で運ばれてヤバかったね。 石川、ターザン後藤対ウォリアーズのカードあったよね〜 対戦カードの告知で「ウォリアーズと鶴田が激突!」なんて煽ってたけど
鶴田のパートナーが石川でテンションだだ下がりだった。 >>635
あのあと石川はシンから制裁を受けたみたいだが。
シンからしたらミラノは豪州時代の先輩だし。 >>638
あれは確か
ミラノが中途半端に避けようと
して負傷したはず。 >>639
バラクーダでまた来日して欲しかったが、あの件で来なくなったね。 >>640
いや、どう見てもあのシリーズが最後の
雰囲気だったよ。 >>640
いやいや、あのシリーズにも、なんで来たの?って感じだったからなあ。 ミラノ、当時のインタビューですごく怒ってなかったっけ?
日本人は礼儀正しいと聞いていたけど「死んじゃった」コールは
酷いって。そんなの意識ないのにわかるんかいな。 >>645
いや、俺の記憶では
ミラノは「死んじゃったコールが起きたそうじゃないか」
だったから後から誰かに言われたんだと思う。 このスレには「死んじゃったコール」した人いないのかな >>646
日本人として恥ずかしいね。
これだから、プロレスファンは、なんて言われる。 >>639
みなさんキチガイガラケーにはレスしないように
したら最後模造犯罪コピペ、漢字羅列、カタカナ羅列等で絡まれます
たまに話の輪に入ろうと普通のレスをやりますがマジレスでもしようものならニワカ丸出しの知識全開で絡まれます ガラプーをNGNameにすればいい
たまにニククエとかで適用されないときがあって腹立たしい >>635
あの様な場面を見ると、医師免許とまではいかなないが
看護師資格や救命士資格を持った人を社員として雇って
試合(巡業)に同行させるべきだと思うよね。
失神してるミラノに対して小鹿や百田や羽田らが
どう処置していいか分からずオロオロしてるだけだもんな。 ミラノは失神したけど、
あのコールは石川に対してじゃないの?
でも不謹慎な集団心理のコールだな。
川田がレガース履いて蹴り始めた時も茶化していた。 大相撲もドクター帯同してるか怪しい。
脳震盪おこしてるのにドクターの影すら見えない。
https://youtu.be/TnhfUz7fZ_0
1:20 >>629
昭和までは、新日の方がイケメンで
肉体美の選手が多かった。
猪木、坂口、藤波、前田、高田、ジョージ、船木等
それが平成になると、
全日に秋山、大森、顔はちょっと落ちるが
三沢、小橋がブレイクし、
かたや、新日の第3世代は
中西、永田、天山、、こんなのばっかり。
小島がまぁまぁかな?と言った程度。 自分でイケメンだと思ってるやつで
ナルシスト系は新日に入門してたんだろな。
全日は野暮ったいと自覚してるのが入門してたのでは? 鶴田は顔はあれでも体型は足が長くてかっこ良かった
天龍も星野仙一系の顔で角界では美男力士扱いだった
石川は顔は大仏だし色は気色悪い白さで
上にもある通り体型もギャグ漫画の登場人物っぽいんだよね
プロレスはキビキビした動きでプランチャもやれる器用さがあって良かったんだけど >>656
だから、地方巡業で土俵の上で挨拶した地元のお偉いさんが倒れた時に
客として来てた女性看護師が土俵に上がって救命措置を取ったら
女が土俵に上がったとか言って時代錯誤の大問題になったんだよな。
初めからドクターや看護師を土俵下に待機させておけば
女性が土俵に上がる事は回避出来たんだよな。 鶴田とシングルで完全決着が付かずにライバル関係位置にいたキムドク
天龍とシングルで完全決着が付かずにライバル関係の位置にいたヒットマン原
けど、ブッチャーに歯が立たずブロディにも6分で負けて馬場羽田vsケンパテラキムドクと
いう通常なら羽田が寝る試合なのに馬場にピン負けしたキムドク
同じくハンセンに4分で負けて、デビアスにはシングルとタッグ両方でピン負けして
ウォーリアズには秒殺されたヒットマン原
キムドクとヒットマン原は何気に鶴田と天龍の株を下げてたよな。 ブサイクなのにナルシスト、というパターンの方が多い気がする。 >>657
闘魂三銃士を省いてるところに悪意を感じるw >>654
ん?オロオロしてたか?
ちゃんと舌を引っ張りあげて応急処置してなかったか? >>655
石川に対してだったらなんだと言うんだ?
わけのわからんレスするな。 >>659
全日本は相撲上がりが多かったせいか日焼けしてない白っぽいのが主流だったな
天龍もSWS以降はサイパン焼けの影響を受けたのか焼くようになったけど
確かに日焼けボディの方が閉まって精悍に見える >>666
最終的には処置してたけど
暫くは、どうしよう?ああしよう?みたいな感じで
処置方法が決まらず、恐る恐るミラノの様子を見るだけだったり
一応ミラノに触れたりはしてたけど、ほぼ放置状態だったよ。 >>668
相撲とり海パンの日焼け後残ったら
一大事なんだよな。 >>661
時代錯誤ではなく
男がケツ出してる神事という伝統なんだから
女は上げちゃいかんのよ。 一時期は国技館で女子プロレスやってたよな?北斗神取の再戦は両国だったし。 >>670
北の富士さんは現役時代、ビーチで日焼けしていたなw >>674
まあこの事故に関しては
やらせプロレスだと思ってる。
お偉いさんが都合よく
土俵の上で挨拶中に倒れるなんて出来すぎ。
管理職の女性登用推進のお上のブックだろうな。 >>672
両国だと土俵は収納できるから問題ないんだろうな
蔵前のように土俵の上にリングを組む方式だと女子はアウトだろう >>677
ケロが以前ツイッターで蔵前は土俵の上にリングあるから
花束嬢は通路で渡していたと言ってたな。 >>672
神取と北斗なら、大丈夫な気がw
エホバの証人輸血拒否事件も、一般で騒がれなくなってから、医療界では結構な問題になってた。
LGBTの時代、これからどうするんだろう? >>676
ハワイ巡業だかで朝青龍や琴欧洲たちが白い褌で海水浴してたな >>662
仕方ないよ。2番手と3番手、3番手と4番手は△。時間切れ引き分けブックだったから。。 >>671
江戸時代の興行として
やった相撲では女相撲があった
(裸の女が土俵にあがったり、
もっと甚だしいのは盲目の男と
相撲と取った、まったくのショー)。
土俵上の女人禁止の伝統なんか
明治以降の権威づけというか
これも「古代から続いているというギミック」
「幻想」なんだよww >>683
女相撲(おんなずもう)とは、女の取り組みによる相撲を見せることを目的とする興行である。なお、この興行としての女相撲と日本各地に残る民俗ないし神事としての女相撲との間に直接の関係はない。 82年1月2日後楽園ホール 馬場・鶴田vsカマタ・ルーイン
https://www.youtube.com/watch?v=Vs3CplRTLDU&t=3s
鶴田vsカマタのUN戦が控えてるとはいえこの相手に両リン決着とは大番狂わせやんw ジャパン時代なんてタッグマッチでどっちにも敗け役がいるのでも両リンばっかりだった 大相撲で本場所の全日程が終了した後は地方場所では土俵の俵や土を観客が持ち帰るという
俵争奪戦が行われそのときは女性も土俵に上がって土俵の俵や土を持ち帰っている。 親方の誰かが「初潮前の女の子と閉経後の婆さんは女じゃないから土俵に上げても構わないのでは」と言って
えらい抗議や批判を浴びたことがあった スポンサー関係者
日本テレビイベントコンパニオン
無名女優モデル
地方自治体のミスコン出身
ヤクザの愛人ホステス >>693
天龍は自ら花束嬢に握手を求めるシーンを
よく見る。 ビルロビンソンが花束嬢の手にキスをするのを、そんなにプロレス好きでもない人が覚えていたのにはビックリだった >>661
ちなみに女人禁制のルールは古い伝統ではない >>688
85年1月6日大阪府立体育
長州谷津寺西vs鶴田天龍石川
両軍リングアウト >>668
まあ男は黒いほうがいいよね
男で色白ってのは悲惨だぞ
「具合が悪いのか」とか言われるし
子供の頃なんか「女の子かと思った」なんて言われるしな
「色白は七難隠す」なんて言うがあれは女にのみ適用される諺だし
な〜んもいいことないよ >>682
キムドクの全日本での扱いは良い方。
新日本転出後の悲惨さ。 >>686
こんな好チームでさえ最強タッグに出れなかったんだよなぁ。 >>701
なにが好チームだよ。
単に一緒に来日してるから組んだだけ。
バランスも良くない。 カマタはブッチャーの新日移籍以降、誰と組まされても文句言わずやっていたな。
シンとか上田とか、日本以外ではまったく絡むこともなさそうなのに。 >>692>>693
地方興行ではプロモーターが知り合い経由で探して基本的にはノーギャラだけど
選手のサインと無料観戦で席も用意されるとラジオの素朴な疑問コーナーで紹介されて
いた。タレントの大島さと子は学生時代に日テレイベントコンパニオンをしていて
旅番組での蔵前の思い出を突進してきたシンに花束を投げつけ難を逃れたと語っていた。 >>699
90年代位にどこかの会場で大木の引退興行をした時に
その場に馬場と戸口がいて
馬場が「戸口君は全日に居続ければあんなに苦労はしなくて済んだのに」と言ってたな
その時に馬場が大木から金光植が亡くなった事を聞かされて
「えっ!光植が!」と驚いていた 鶴田石川vs長州浜口だったと思うけど、長州組が入場するなり浜口が花束嬢に退出するように促し鶴田組が入場するやいなや直ぐに取っ組み合った両チーム
一応形式上は花束嬢リングに上げとかなきゃいけなかったんかなテレビマッチなんで >>705
金一と23歳離れた実弟
光植は76年砧道場での練習期間を経て大仁田相手に白星デビュー
82年にはロスでキラー・キムの名でBゴールドマンを破って、
アメリカスヘビー級王座を奪取
95年に43歳の若さで亡くなっている。
だって。 >>704
1980年頃の新日後楽園で試合後に大塚が花束嬢数人に「ありがとうございました」と謝礼を渡していた。 花束嬢からでは無いけど、田コロの
鶴田対マスカラス戦では負けたマスカラスが
日本人形を記念品として渡されてたな。
どうして負けたのに表彰されてんだか。 >>638
狭量だな>シン
サンマルチノを見習え! >>712
ボディスラムの失敗を咎めることなく、逆に励ましアドバイスまでして
因縁マッチに昇華する話か
あの対応がなければ、ハンセンのその後はなかったろうね。
石川はあれ以降、トップロープからのダイビングギロチンを封印したのかな。 >>705
それ週プロ主催の東京ドームでのエピソードじゃなかったっけ? >>714
大木「あの時私が修徳?に行かなければ、戸口君はこんなに苦労しなくて済んだ」
それを聞いた戸口が号泣。
ルー・テーズが大木の車椅子を押してケートに行ったら馬場が現れて
大木「馬場さん、色々ありがとうございました。お世話になった光植は死んじゃったんですよ」
馬場「エッ、光植が。それは残念だ」
みたいな会話があったと読んだ記憶あり。 >>686
84年正月後楽園のバトルロイヤル前に行われた鶴田天龍vsオルソノスキーキニスキーと比べるとマトモなカードだよな。
最終的に石川にピン負けしたオルソノスキーとアジアタッグにすら挑戦出来ず
渕や羽田位しか勝ちブックを貰えなかったキニースキーが相手だったしね。 >>716
89年正月の鶴田、谷津対アダムス、ミラーもかなりのショボさだったな… >>704
場外トペで難を逃れた花束嬢は新日だったっけか? 栗栖は復帰して“イス大王”になったけど、全日時代にジプシー・ジョーとは
対戦してるのかな?
時期的にズレてるかもだけど‥ >>717
クロニックのブライアンアダムスとミラーはマイクミラーか
ラッシャーへのマイクコールを自分へのコールだと勘違いして
満面の笑みでガッツポーズしてたっけな >>724
栗栖がジャパン所属で全日に参加したのが84年
ジプシージョーが最後の来日した年が85年だから対戦はあるかもしれない
ただ栗栖がイス大王になったのは89年に大仁田のFMWに参戦してから… >>726
栗栖はFMWでブレイクして大仁田の外敵として成功したけど
翌年にすぐにブロンド・アウトローズ入りして新日に戻ったよね?
確か復帰したアニマル浜口が総大将で、両国で5vs5とかやってたよね。
あの経緯はどうしてだったんだろう…商品価値が高くなった新日が引き抜いた?
翌年も戸口と組んでピラニアタッグまでは脚光浴びてたけど、それがピークだったね。
大仁田はポーゴやナガサキ等、パッとしない中堅を好敵手に仕立て上げるのがうまい。
ある意味では平成の猪木だよね、大げさだけど。
昭和全日と関係ない話でごめん。 >>727
栗栖がいなくなってすぐのシリーズの後楽園での開幕戦で観客相手のシンポジウムがあり
そこで大仁田が「栗栖さんもプロレスラーなんです。」とだけ言ってたな。
プロだから待遇のいいところに行くのは仕方がないという意味だったと思う。
要するに新日が引き抜いたんだな。 初代タイガーの正体に栗栖が上がってたのを
列伝読んで笑ったわ。 >>728
>「栗栖さんもプロレスラーなんです。」
そうだったんか…サンクス
しかし大仁田の言い回しは見事だ、これ以上の言葉はないな
内心はともかくとして、恨むでもなく、未練があるようでもなく
なんかインディーの哀愁みたいなものを含んだような…あの口と情念で大成功しただけあるな。 ちょうど栗栖の話題をやってる時にGスピのインタビューを読んでたら1988年8月大阪府立で引退セレモニーって書いてあって驚いた
ブロディメモリアルナイトの時に引退セレモニーってテレビでやってた? >>724
85年1月13日福岡柳川市体育館
○カーン栗栖(6分6秒体固め)×ヘイスタック ジョー
1月17日福岡久留米体育館
○小林栗栖(8分45フィッシャーマンスープレックス)ヘイスタック×ジョー
1月25日群馬県スポーツセンター
○栗栖永源(8分27秒逆さ押さえ込み)ヘイスタック×ジョー かつての国際のエース外人も前座の若ハゲ栗栖にフォール負けか
惨めだ… >>734
この時期のジョーがFMW時代の栗栖とやってたら
栗栖の椅子攻撃でKOされてたよ。
そのくらい痩せ細ってて衰えが激しかった。 W☆INGの時は、全盛期ともいえるポーゴ相手に良い試合してたけど、その頃と比べてどうだったの? >>709
デストロイヤーvsマスカラスの股間悶絶の時に、
デストロイヤーがトロフィーをマスカラスにあげるんだけど、
解説の馬場が貰って嬉しいかどうかって言ってたな 「負けたら引退」でタイトルに挑戦した大仁田が、試合に敗れたあと勝者のマイティ井上からトロフィー渡されたこともあったな。 >>732
見に行ったけど、
セレモニーって言っても大したことない。
確かスーツ姿の栗栖がリングに上がって、
目録だけもらって終わり、みたいなアッサリしたもの。
中継されたかどうかは覚えてない。
メモリアルの時だったかなあ。
それは覚えてないな。 >>737
その試合の時って、馬場はゲスト解説とかだったの?
馬場が解説するようになったのは、ずっと後だと思っていたんだが? 日プロ時代まで入れたら
現役選手が解説というのは結構多いよ
馬場の試合を猪木が解説
猪木の試合を馬場が解説なんていうこともある >>739
栗栖がスーツ着てリングに上がったのはテレビで見た記憶がある
ブロディの時期だったかは覚えてないが >>740
70年代からよくやってたよ。
日大講堂のデストとマスカラスの試合も解説してたと思うし、
鶴田とエリックが長野で対戦した時は、解説の馬場とエリックが一悶着あったり‥
レスラー目線の解説は田鶴浜さんより分かりやすかったw >>741
>>743
なるほど、レギュラー解説の前からかなりやっていたんですね。サンクスです。 馬場が解説する中継の日に前座の試合で馬場が病院送りになった場合は日テレは誰か代わりの解説者を用意していたのか >>745
そんなもん適当に誰かが代わりをやるだけ >>745
前座の試合で、病院送りになんかなるかいな。 >>736
>全盛期ともいえるポーゴ相手に良い試合
そうか?
明らかにやせ細って勝ち目がないけどファンが後押ししてるという感じで
会場はまあ第一引退前のテリー対ハンセンの廉価版みたいな雰囲気だが
試合内容は酷いもんだったろw >>747
前座じゃ16文出せばいい方だからなw
90年の大怪我のときは最強タッグ公式戦という大試合だから普段しないような場外転落なんて
やろうとして失敗した >>749
ドリーがよくやる、俗にいうアマリロスルーで場外に落ちたんだよな。 あの骨折以降、普通の16文キックをやれなくなったような? 師弟コンビとファンクスで抗争してたころは豪快に投げられてたからな
馬場もドリーもついその頃のつもりでやっちゃったのかもw >>751
そう、馬場の衰えは三段階に別れてる
78年腰痛後 32文・16文が自分から蹴飛ばさずただ飛んだり足上げるだけに
全日旗揚げ後に使い始めたコーナーダイブ技がただ飛び降りるだけに
84年頚椎捻挫後 投げ技がほとんど使えなくなる
32文が出来なくなる
コーナーダイブも出来なくなる
90年大腿骨骨折後 走れなくなる
16文がコーナーやロープの支えが必要になる >>753
90年の怪我以降はソファに座っても自力で立てなくなったんだよねぇ。 それでも94年の馬場・ハンセンvs三沢・小橋のような
名勝負をやるんだよな。 >>753
84年は最初から衰えてた
前シリーズの最強タッグでは元気だったのに
年明けのフリーバーズ戦ではヨボヨボだった 80年代には既に、世間一般では馬場はヨボヨボで歩くのもやっとというイメージがあった
恐らく78年春の腰痛の時期の話が恒常的な物と誇張されて伝わったんだろう
典型的な都市伝説の創生過程だがこれはプラスとマイナスの側面があった
プラスの側面は、日頃プロレス見ないような人間が地方興行などに付き合いや招待券で
訪れたり何かの拍子に全日中継見ると予想外に動く馬場に驚嘆する
走ったり、コーナーポストに上る(セカンドロープまで足かけるだけでダイブはしない)
だけで大歓声
大したことしてないのにイメージとの差から凄い動きしてるように見える
この世間のイメージと馬場の実像が合致したのは実際に走れなくなった大腿骨骨折
以降だな
それでも90年代前半は>>755の言うようにインサイドワークで誤魔化せるレベルだった
が90年代も後半となると世間のイメージ以上に動けなくなってた 馬場はハンセンにPWFを与えて一線から退いた後から90年に骨折するまでは
最強タッグ以外は楽が出来てた期間だったが
この頃にレイス、ニック、ドリー、ブッチャーなど
ベテラン相手にシングルマッチでもやって
もっと活躍の場があっても良かったな
鶴龍、四天王は動くだけで底の浅い平成型プロレスが全盛になるから
それに対して違ったものを提示する場を作って
全日全体のプロレスの幅を広げる作るべきだった >>756
そうだったかな
80年代に入ってからのインタータッグ戦って鶴田9馬場1くらいの出番だったから
わからんかったw
韓国師弟コンビとの抗争時に鶴田とドクが「負担大きい」とグチってたけど
さらに酷い比率にw
珍しく馬場が奮闘したといえばカマタ・マーシャルボーグ組とかテリー・デビアス組
との防衛戦を思いだすけど >>712
>>713
そんなサンマルチノだが
試合中にカツラを掴んだケン・パテラの時は控え室に怒鳴り込んだそうだ
首折られても相手を励ました人格者でも怒るカツラ掴みw >>761
なんでもゴング前のレフェリーのボディチェックの際に、ドスの利いた小声で対戦相手に
「Don't touch my hair」と威嚇してたそうだからな。 >>755
本当にプロレスの教科書だったな
弱い設定の技からジョジョに強い技をだし
16文は返され
ランニングネックブリーカーはカットされ
最後は高さのあるコーナーポストからのネックブリーカーでピンファールされるという整合性の取れた負けを喫する
自分の技で、しかも高さが優ってる高さからかけられて負ける
負けても納得だし馬場の価値が下がらない見事な構成
技の一つ一つが馬場の歴史になってるから走馬灯を見てる錯覚に陥る >>761
67年の日プロMSGシリーズでは、一緒に来日していたセーラー・アート・トーマスに
黒人差別発言をしてトーマスは2度と来日していない。
サンマルチノが人格者と言うのも、美化されてる部分もありそうだけどね。 Gスピリッツの記事が正しいとするとそれトーマスと話し合って作ったアングルらしいよ >>765
そうなん?
差別発言で怒ったトーマスがサンマルチノに対戦を迫ったが、日本マットでは実現
しなかったのは、アングルのプレゼンだったのか。 >>763
天龍が猪木にフォール勝ちしたちょい後というのもある、偶然かもしれないが アングルが空回りしたといえば
日本人嫌いギミックをやろうと団体にも相談しないで先走った結果
プロレスマスコミというアメリカには存在しない連中にばかり取り上げられ
未だにレイシスト扱いうけてるビル・ワット というか一昔前の来日外人はプロレスマスコミの連中を団体の宣伝部かなんかと勘違い
してる事が多かったらしい
フミ・サイトーはトム・ジンクが新日参戦した時に取材に行ったら
「お前もこっちのオフィスに移籍したのか」と言われた
アメリカにもプロレス雑誌はあったけど規模もシステムも違いすぎたから >>764
>>766
1967年3月6日、広島で
当時としては、異例のB.サンマルチノと黒人の
Sトーマスが対戦した。
メインはBI砲にBオースチン&Hシュミットが挑戦した
インタータッグ戦だが、セミは、外人エースのサンマルチ対
日本側NO3の大木が当たるところ、サンマルチノが嫌って
手が合うトーマスを指名したとか。
でも、いきなり外人同士が対戦するのは不自然だから、
そういう因縁を持って来たのでは? >>770
じゃあ外国人同士のシングルマッチは実現したんだ。
でもトーマスの再来日は無かったんだから、ネームバリュー通りのスキルが
なかったのかな。 トーマスは1924年生まれ、
初来日の時ですでに43歳。
まぁそれ以降は、お呼びが
掛からんだろうな。 >>770
大木との対戦を嫌う、というところが
リアリティがあるなぁ。
興奮したらブルーノの髪を鷲掴みにして
ヘッドバットやりそうだし。 WWE殿堂レガシー部門第1回
ミルドレッド・バーク、フランク・ゴッチ、ジョージ・ハッケンシュミット、エド "ストラングラー" ルイス、パット・オコーナー、ルー・テーズ、
"セーラー" アート・トーマス(←超レジェンド達と並んで殿堂入り) サンマルチノがヅラだと知ってから見る10周年記念試合での馬場・サンマルチノ組の入場で
ファンが首飾りを掛けるところはヒヤッとするな。 >>769
日本のプロレスマスコミは、盛りまくった経歴でいかに強豪であるかを伝え、
マイクパフォーマンスを超訳して因縁ストーリーを紡ぎ出す。
来日レスラーにトラブルが起きた時には何か別の理由を持ち出してきて、
選手や団体の尻拭いもする。
プロレス団体とメディアとの共同作業で成り立っている側面がある。 馬場も73年にいきなりカツラ被って来日したサンマルチノを見てビックリしただろなw
いままで普通に髪つかんでやってた脳天唐竹割りも禁じて手になってしまった。 大木はクレージー・ハンマーと呼ばれて外人に嫌われていたんじゃなかったっけか
猪木が「重いんだよなあ」と対戦を嫌がるほど下手で頭突きばかりやってくるからな
大木がテーズにボコボコにされたのはそれがあってのことなのかも >>779
アンドレも大巨人イメージを作るために巨大カーリーヘアのカツラを使っていたね。
ロシモフ時代や84年頃からは短髪の地毛に戻していた。 >>776
たしか試合後、ファンの投げた座布団が頭に当たりかなり気にしていた。 普段は短髪の5分刈りの馬場だがボボ・ブラジルが来日するときは頭突き対策で
頭を保護するために髪を伸ばした。
しかし「伸ばした髪を掴まれて引きずり起こされココバットの連発を喰らってしまって
髪を伸ばしたのは失敗だった」とゲスト出演したテレビ探偵団で馬場自身が白状していた。 今までで人を見て驚いたのが馬場と相撲の曙。両方ともとにかく「でけぇ」しか言葉が出なかった >>783
馬場の長髪時代って試合前は絶妙にセットされてるんだよな。
アレって絶対元子が控室でドライヤーでブローしてたと思うw >>784
俺はランド・オブ・ジャイアンツ見たときがヤバかったw
ほぼ同じ体格であのデカさが二人! >>786
俺もランド・オブ・ジャイアンツは見たが、
(横文での馬場&アンドレとの最強タッグ戦)
同シリーズで三沢は、どちらかのジャーマンを
決めてフォールを奪っているんだよ。
(そのシーンは見ていないが)
よく1971年国際でゴッチが、まだ細いアンドレ
にジャーマンを決めたことが話題になるが
体格差から言えば、三沢がランド・オブ・ジャイアンツに
決めたのと同じレベルだと思うわ。 >>763
自分としては仙台での対戦が一番良かった
会場の盛り上がりも凄かったし
時間切れ用としてカクトウギのテーマが定着したのもあの頃か
そういえば今日は昭和最後の最強タッグの日
あの時の天龍の玉砕ぶりも凄かった 最強タッグでブーバーにジャーマンを決めたのもあったな 787だが、ちなみに私は
1971年のアンドレは見ている。
ゴッチならジャーマンで投げられると思った。
体重的なら
71年のアンドレ=晩年のベイダー=180`くらいじゃないかな?
まぁベイダーは自分からジャンプしていたが(苦笑)
その分、投げにくい体格だったと思う。
細身時代のアンドレとかランド・オブ・ジャイアンツは
腰が高い分、投げやすそう。 >>789
今見るとこの体重で受身とるアンドレが凄い。
やっぱり運動神経良かったんだな。 >>791
ゴッチの馬場へのインター王座挑戦、
実現していたら馬場にジャーマン決めて一本取るシーンがあったろうな。
でもこういう写真見てると、ジャーマンが決まるかどうかは
ちゃんとクラッチできるかどうかが大きいね
その意味では、ほぼ同体重と仮定したら、ベイダーよりは
ロシモフやランドオブジャイアントの方が重心高いし腰回り細いしで
明らかに投げやすそう 一番デカい226センチのラジャ・ライオンには簡単に掛かりそうだ。 ブッチャーにジャーマン決めるのが1番難易度高そう
ぶよぶよのお腹を安全にクラッチしあの体重を投げきりホールドできるんだろうか >>794
ヒロ斎藤「馬場さんからジャーマンも受けてやると言われて、
やろうとしたが、腰回りが大きすぎて手が回らず投げられなかった」 最近天龍同盟前後の試合がつべにアップされてるから見てるけど、テンタは若手だからとボディースラムとかガンガン受けてて違和感がある >>796
1度は見たかったブッチャーのダイビング・ヘッドバット >>800
1度は見たかったブッチャーのフライング・ボディプレス >>760
鶴田9馬場1w
82年は最悪だよ。ccは鶴田に時間切れ3〜4試合やらせて、自分は全部勝利の楽勝優勝。
直後のハンセンブロディ組とはまさに9−1!鶴田フォール負け、馬場反則勝ち。 84年のインタータッグ防衛戦もひどかったな。
ハンセン、バス組との試合はほとんど鶴田が出ていた。最後にちょっとだけ馬場が出て16文一発でバスからフォール勝ち。 目立ちたがり(いいとこ取り)の馬場が83最強のメイン舞台を鶴田天龍に譲ったよな。
85年までPWF王者でメイン飾ってたし、ずうずうしいにも程がある。
ジャンボはよほどお人良しだ。 >>802
テンタ相手にやってるよ。
87年の最強タッグ。
サードロープからだけど。 84〜85年の新日の地方メインも、
猪木&藤波&木村対外人エース&外人中堅&弱い外人
の6人タッグで、主に藤波&木村が外人中堅&弱い外人と戦い、
中盤に1分ほど、猪木対外人エースが絡む。
最後は、藤波&木村が弱い外人を袋叩きにして、
猪木にタッチ、弱い外人、もう立ってもいられない。
そこを引きづり起こして、延髄斬り、ほんのかすっただけだが、
フォールに行ってカウント3!ダーー!!
まぁ藤波はやってられなかったと思うよ。 >>798
そんなに投げられてたっけ?
鶴見に投げられて、直後に鶴見が尻もちついて腰を抑える場面しか覚えてないんだが。 >>767
確かに偶然だとは思うが、馬場と猪木の負ける時期が整合性が取れすぎてるんだよな
さすがに馬場と猪木が談合したわけはないと思うが
しかし、猪木が天龍に負けたのを見た馬場が
「猪木が天龍に負けたか、ならオレもいつまでも弟子に勝敗で意地を張っても仕方ないな」
と思い、安心して負けた可能性はありそう。
しかしよく猪木は馬場の元弟子の天龍に負けたよな
馬場で例えると藤波や長州にシングルで負けるようなもんだからね
まあ、あの時期なら猪木はガチでも天龍には敵わないだろうけど。 >>810
>しかしよく猪木は馬場の元弟子の天龍に負けたよな
アントニオ猪木は一種のサイコパスだからそんなことどうでもいいと考えている >>810
猪木はめちゃくちゃごねたそうだけどな
ガチなら猪木が勝つでしょ
寝転がして関節かけたら天龍は手も足も出ない
天龍は寝技が下手くそだもの >>807
イメージだけど馬場ほどではないと思う。
藤波3猪木7くらいかな? 自分をフォールした日本人レスラーを天龍だけにしておきたくなかったのでは。 天龍は新日で優遇されていたし
その天龍がセミリタイアの猪木に負けたら天龍と試合していた
新日レスラーの価値も傷ついちゃうってのがあるからね >>812
大相撲で前頭筆頭まていった男を、どうやって寝転がすの? >>812
>寝転がして関節かけたら天龍は手も足も出ない
それがあの時期の猪木ができるか?といえば多分できないと思う
そこまでいく過程の段階で、張り手やら何やらでブッ飛ばされてしまうと思うなあ。
まあ全部「たられば」なんで、それ以前に天龍がそこまでブチ壊す事はまずないだろうけど。
馬場や猪木の晩年の省エネファイトに関しては、渕が10年ぐらい前のGスピの「昭和全日本」の巻でふれてたね
「渕クンならオレの気持ちがわかるよね?」って鶴田が言ってたと…
渕も半分は濁してたけど、要は毎試合メインで馬場と組むと自分が出ずっぱりになる苦労、という事を言ってた。
まあそれはメインを張るスターにも、下の立場の羨むような事は別として、上にも苦労があるんだよという話だったけど。 >>810
猪木がブッチャーにピン勝ち下わずか1週後、
馬場がシンからギブを奪った時には何と絶妙なバランスだと唸ったな。
>しかしよく猪木は馬場の元弟子の天龍に負けたよな
でもあの試合どうシミュレーションしてもあれ以外の結末はないよ
セミリタイアの猪木が現役バリバリの天龍に勝っちゃうと
天龍に総なめされた新日の主力の価値まで落としてしまう
結局、あの時一番おいしい思いをしたのは、BIフォールで価値が青天井になった
天龍にタッグでピン勝ちした上、川崎球場のメインでシングルやって
大儲けした大仁田ってことになるのか
天龍も「俺をうまいこと使って銭儲けしやがって!」とかいってたなw >>794
そういや「テーズのバックドロップは受け身が取れないが、ゴッチのジャーマンは受け切れる」なんて
馬場は書いてた。テーズのバックドロップはスピードが速くてタイミングが取れないけれど、
ゴッチのジャーマンはクラッチしてから間があるから合わせやすいとかなんとか。
>>803
鶴田のローンバトルというと87最強タッグ最終戦の五輪コンビvsブロディ&スヌーカが思い浮かぶ。
鶴田は試合開始から5分ほど出ずっぱりで2人を相手にして
ター山に「ブロディがスヌーカにタッチした時点で勝負あり」とか書かれてた。
この試合も師弟コンビの9:1とまではいかないけど、7:3ぐらいで鶴田が出まくってた。 >>819
天龍は新日に契約を切られたから、FMWに上がったんでしょう?
天龍も自分を高く売ったはず、当時の団体としてはWARよりFMWが格上。 こんな荒らしにレスするなって書いてもレスする奴がいるもんなぁ
802お前名無しだろ (ガラプー KK1e-7UrP)2019/12/17(火) 10:40:30.13ID:FbCLFzEoK>>806
>>800
1度は見たかったブッチャーのフライング・ボディプレス
256お前名無しだろ (ガラプー KK1e-7UrP)2019/12/17(火) 12:51:50.89ID:FbCLFzEoK
アブドラーザシン
タイガージェットシーク
ザブッチャー >>816
最後の砦の猪木が天龍撃破でいいじゃん。
本来は越中、長州、三銃士、馳、健介が天龍に敗れ、藤波>天龍でよかったはず。 >>820
テーズは「バックドロップは相手によって落とす角度を調節できるが、ジャーマンだとできない。
プロレス技は3カウントを取るために仕掛けるもの。相手にけがをさせるのはイリーガルだ」と
言ってたから、馬場とは逆だな。まあ馬場くらいの巨体だとテーズもコントロールして投げるのは
難しかったんだろうけど。 猪木×天龍は、猪木の試合は半年間テレビ放映なし⇒ビデオのみ発売の中で
実現した試合。ビデオの売上増のための猪木フォール負けだよ。
ちなみに数か月後の猪木×ムタのテレビ放送の際に、テレビ解禁と称して
猪木×天龍もテレビ放送された。 >>825
「クラッチされた」と思った瞬間にもうゴツンと落とされてるみたいな説明してたかな。
国際プロレス時代にエキシビションで喰らった鶴見も受け身には自信があるけど、
テーズのバックドロップは受け身取るのが大変てGスピで語ってた。
テーズのバックドロップと、オコーナーの関節技はとにかく速い(馬場談)らしいw >>827
ルスカが柔道着の帯をほどいて
その帯で猪木の首をしめはじめた試合か ルスカだけ柔道着を着て、猪木はタイツ姿なんだからルスカが勝てるわけないだろ?
と小学生だった私は感じてしまった。当時はブックなんて言葉も知らなかったし。 >>823
猪木が最後の砦では
あまりにも新日に未来がなさすぎる 永島が天龍であと半年はビジネスが出来ると踏んで猪木を負けさせたけど
星を返す前に天龍との契約更新を打ち切ったから
猪木がかなり怒り心頭だったらしい。
天龍も猪木に勝った代わりに2月の両国で橋本とのシングルでは負けてる。 >>827
元々猪木のカウントダウンの最初の相手はルスカに決めていたけど、交渉しようと何度も電話をかけたけど、繋がらずルスカは留守かと呟いてムタに変更になったそう。 長州、藤波とは1勝1敗、
橋本とは2勝1敗、
蝶野、馳には1勝負けなし
で猪木に1勝
確かにいい扱いだったな。
後で実現したけど、何でこの時期
武藤とだけシングルの対戦なかったんだろう? >>837
パワーウォリアーとのシングルもやらなかった… まあ、天龍の話がベースになってるからギリでセーフじゃない?
昭和でもなく全日でもないけど、団体全般に主点を置くならともかく
レスラー個々の話の時は、独立や他団体に移籍したケースも多いし、必然的に流れで仕方ない面もある。 >>835
ドームでタッグ対決したときに、返す訳にはいかなかったのだろうか。 >>825
???
何が逆なんだ?
馬場は受け身のしやすさの話、
テーズは威力の調節の話
全然話が違うと思うが? >>826
あれはテレビの目玉だったが直近の脱税問題で、カウントダウンシリーズすべて放送が見送られた 鶴田の初期のジャーマンみたいに、ためを作れるジャーマンなら
バックドロップよりむしろ調節しやすいくらいかと思う 鶴田が決め技をジャーマンからバックドロップに変えたのはなぜだ? >>847
ジャーマンを使わなくなって決め技がなくなってた時にテーズ直伝として使い始めたんじゃない?ジャーマンからバックドロップに切り替えたわけじゃない。 >>847
フロントスープレックス含めブリッジが反らなくなってきたところで
ちょうどテーズからバックドロップを教わってブランドになった。
プライベート的にブリッジして禿げるのが嫌だから。 ジャンボはフライングボディシザースドロップも秘密兵器としたが、相手が後退りしてロープに喉元打ちつける展開に成り下がったのが残念。 鶴田はフルネルソン・スープレックスやったことあるの? >>847-849
ブリッジして禿げるというのは
腰と背中の具合が悪いのを誤魔化す為の照れ隠し的なジョークだろうね
ただ80年代は鶴田のここ一番での必殺技=ジャンボ・ミサイルキックのイメージが強くなっていて
4種類のスープレックスの認知度が薄くなりつつもあったから >>848
投げ系でリスクが少なく
説得力、威力。フィニッシュ。
バッドロップは鶴田へ最も期待の高かったジャーマンにも似ている。
必然だったとも言えるかも。 >>847
ジャーマンは危険だからと、自ら封印したと言う話を聞いたことがある。
現に記憶にあるのは73年のインタータッグ、76年の十番勝負木村戦、80年スレーター戦
81年フレアーとのNWA戦くらいしかない。(木村、フレアー共に崩れている)
あとバッグロップは、ヘソ投げスタイル以前の相手の股に片手を入れて持ち上げる
ファンクスタイルも、巨漢相手だとそれなりに威力はあったと思うけどなー
サイドスープレックスが一番効きそうに見えなかった。 >>856
技自体の威力はともかく、馬場を持ち上げてキープしてから裏返すサイドスープレックスはなんかスゲーなと思った。 ジャーマン「封印」は鶴田のよくやる言い訳で出来なくなったんだと思うし
フロントはデビュー後3年くらいしか使えてないんじゃないかな。
バックドロップへのチェンジはおそらくだが
前田が12種類のスープレックスなんぞを売り出してきたので
「これは勝てんな」と軌道修正したんだと思う。 出来ない訳ではなくてもかける方のリスク高い技だからな、あえてやる必要ないな。
鶴田と猪木とでは体格違うからな、悲壮感ある技出す必然性ないわ。
それだけジャーマンスープレックスは見せ技なんだろ、馬場さんも効かない言うてたな。 >>856
82年もフレアー戦でジャーマンが崩れてる。
まともなジャーマンは、テリー、スレーター戦と、フォールは取ってないが
平成の三沢戦くらいか‥? 札幌かどっかのレイスとの試合で決めたジャーマンは見事だったな スレーターにチャンカン決勝で決めたすぐ後、NWA挑戦レイス戦が最後のジャーマン決まった試合と記憶しているが、違うかな?
受け身をとったレイスが、後頭部から落ち、バウンド、2回後頭部をうった記憶がある。これも、記憶違いかも? >>858
> 前田が12種類のスープレックスなんぞを売り出してきたので
> 「これは勝てんな」と軌道修正したんだと思う。
鶴田がバックドロップのコーチをテーズから受けたのは
その前だから、それは違う。 ジャーマンが崩れてダブルフォールとかはブックだから仕方ない。 >>861->>862
調べると80年5月28日札幌中島スポーツセンターでやってるね。
NWA世界ヘビー級選手権60分3本勝負
鶴田(30分5秒原爆固め)レイス
レイス(17分10秒方エビ固め=ブレーンバスター)鶴田
時間切れ引き分け この時のジャーマンのえげつなさにレイスが試合後ぶち切れて、これをきっかけに以降封印したんじゃないかと思う。 倉持アナが久々にジャーマンがみたいと煽っていたなぁ >>864
あの試合と大仁田VSチャボの試合を見て
プロレスにダブルフォールというものがあると知ったわ ハンセンが日本マットでNWA挑戦した事はないよね?
ちょうど1980年頃からプロレス見始めたもんで、ハンセンは子供心にもちろん最強の部類
1発でフレアーならいちころだと思ってたし、全日に来たことによりNWA王者になると思ってた。
ブロディはチェッカードーム(馬場のPWF奪還)が記憶に鮮明
テリーはノーテレビで1981年秋が最後?
ドリーはフロリダで1984年初頭ぐらい(ホーガンがWWF王者になった時期)に60分フルタイムドロー
しかしハンセンvsフレアーって印象が薄い、というか自分のファン歴ではないんだよね。 >>869
日本では挑戦してないけど、米国でレイス、フレアーにそれぞれ挑戦している >>858
前田なんか関係ないだろ。
自分のスタイルに合った技を選択しただけ。 >>870
やっぱりそうなんだ、もったいないよね(動員的にも)
ハンセンなら「タイトル移動するんじゃね?」って期待感で鶴田の挑戦以上に動員力が増したはずなのにね。
在京ファンのおごり、と言われるかもしれないけど
「テリーvsハンセンをどうして蔵前で組まないんだろう?」と並んで疑問だった。
1982年〜1983年で1番お客さんが呼べるであろうカードは
@テリーvsハンセンのシングル(蔵前などの在京の大会場)
Aハンセンの世界タイトル挑戦
B馬場vsハンセン
だと個人的に思うけど
Bは何度も連発した割に@とAは実現しなかったよね。
まあ決着のつけ方が難しいけど、両リンや反則で終わるのが通常の時代
やるだけやってもよかったと思うけどね、そういえばテリーvsブッチャーも蔵前でやってないな… >>863
12種類なんか鶴田にしたら軽々だろうなあ。 前田の12種類の中にオースイスープレックスってあったけど、
マイティのクルクルってやって最後だけブリッジするヤツと同じなのかな? >>847
鶴田がジャーマン見せたのって年数試合程度だろ
決め技っていうには使用頻度少なくない?
4種のスープレックスは、ダブルアームとサイドはしょっちゅう使ってたけど
ジャーマンとフロントはここ一番でしか使わず、そのうちサイドも使わなくなってしまった
>>862
>>866
試合後にレイスが「この野郎!もう一発やってみるか」と激怒して鶴田の控室に怒鳴り込んだんだっけ!
あの真後ろに投げるフロントスープレックスを受け切ったレイスがここまで怒るんだから、相当えげつなかったんだろうな
そりゃもうジャーマンなんか使おうって気なくなるよ
>>863
何かのインタビューで前田のことを引き合いに出して、
「彼は僕と同じくらいの大きさだけど、スープレックスは僕の方が高角度だね」とかいってたな。
かなわんなんて全く思って無かったろうな。 >>875
鶴田のは高角度、前田のは低角度で受け身を取りづらく投げるというのが売り。 >>875
レイスのはスレーターへのよりもえげつなかった。
ジャーマンなのに真下に落下なんてありえん。
バックドロップもそうだけど、鶴田は軸足が右足はマットから離れても
左足の軸はそのままだが、
他レスラーの垂直落下式って、落とす瞬間に前に両足数歩歩いてるんだよな。
ブリッジ浅くても真下に落とせる。
鶴田はそれがなくて真下。ありゃあ凄いわ。 >>877
あ、入っていないんですか。勘違いしていました、教えていただきサンクスです。 >>876
前田は新日本やUらしくクイックリー
鶴田は馬場の教えたようにゆっくりこうを描くような投げ こうを描くじゃなくて、弧を描くんだろ?弧は「こう」じゃなくて「こ」だぞ? 昔、ターザン山本が語ってた
猪木ーボック戦でのテレ朝の中継を見て
「あんなスープレックスをテレビで放送されたら俺たちは商売できない」
とビビってた全日のレスラーって誰だろう?
馬場にベッタリだった人間だから嘘は言ってないだろう >>879
あなたの書き込み読んでたら無性にあの試合のジャーマン見たくなって、
久々に某サイトで見た。
いやー、えげつないわ。本当に垂直に落としている
しかも鶴田は、ブリッジしていない今でいう投げ捨て式だけど、
2本目も垂直に落とすジャーマン決めてんだよな。
並みのレスラーがあんなの2発も食らったら間違いなく頸椎がいかれてるわ。
あらためてレイスの受け身の技量に感服した! 884だけど、続レス失礼!
ブリッジはホールドの誤りでした。
にしても、あのジャーマン2発受けたレイスは凄いわ。
あまり評価しない人もいるけど、さすが世界王者だよ。 米国ではいわゆるジャーマンスープレックスホールドのことを
Bridging German Suplex と言うもんな。
https://youtu.be/8E-OsaxuqyU >>872
答えは簡単。目立ちたがり屋の馬場が@、Aで盛り上げるわけがない。
もし盛り上がっちゃったら自分の立場が無くなる。外人抗争はほどほどに。 >>883
あんなスープレックスを、じゃないぞ。
あんな不穏な試合見せられたら、だぞ。
普段のプロレスの試合と雰囲気が全然違うから、
プロレスがガチンコではないということがバレるという意味だ。 >>888
アホか。
ハンセンを挑戦させて、どういう結末にするつもりなんだよ。誰も得しないだろ。 渕
「鶴田さんは強くて危ないんだよ。あの人とスパーリングするとグーンと持ち上げて
バーンと叩きつけるから受け身取れない(笑)。
オレとか園田はいつもケガしてた。ローランド・ボックを見た時、鶴田さんの方が凄いと思ったね。
ボックのスープレックスよりも鶴田さんの方が凄かった。それは長州なんかも知ってるんじゃないの」 >>892
長州は若手のパリパリ時代ボックの高速スープレックスで
投げられまくったからな。
全日上がった頃には鶴田はもうダブルアームしか使ってなかったから
それほど脅威ではなかっただろう。
ただ確か1回だけもう滅多に使わなくなったフロントを長州にしかけて、
横っ腹にしがみつかれてきれいにきまらなかった場面があったはず
渕の言うように、あの真後ろに投げるフロントが恐怖だったのかも >>893
実際に投げられてなくても、
戦ってたらすごさはわかるだろう。 >>881
馬場の教えじゃあない。ファンク一家の教え。 渕の、鶴田はボックより凄いってのは鶴田って底知れないな。 プロレスにおいては鶴田の方が圧倒的に凄いでしょうw
シュートを競う訳じゃないからね。 >>890
フレアーがハンセンに一方的にボコボコにされて反則勝ち防衛wってのも一度見たかったけどね。 >>892
渕の言はおかしいな。前段が正しいなら
後段のそこは「凄い」じゃなくて「酷い」が適切だろ。
鶴田のスープレックス(ボックと比較しているのだからWアームだろう)が凄いと思ったことはないし。 >>899
ボックのスープレックスがダブルアームだけだとでも? じゃあ渕はなんのスープレックスのことで鶴田とボックを比較したんだろ?
ボックが他のスープレックスを使うかどうかはこの際あまり……。 >>898
漫画「プロレススターウォーズ」のアメプロ連合のメインイベントが、ハンセンがレイスに挑戦するNWA戦だったな
結果はハンセンの戴冠となり当時のプオタが妄想する展開であった >>896
ブラッド・レイガンズが初来日して全日道場で練習したときも「ボックより強い」と言ってた
(まあ実際ガチならレイガンズ>ボックだろうが)
あと渕によると道場のスパーでは馬場>鶴田なんだよな まあ、長州がいまだに「鶴田さんは凄かった」と言ってるんだから
ボックだろうが鶴田だろうが、そこはもう2人とも強い、ってのは間違いないだろうね
ただ個人的に長州の回想を総括すると、ルスカが長州の中では歴代最強なんだろうなって感じる。 >>901
フロントで比較すると、ボックのは速く低く投げる。鶴田は高く上げて真後ろに投げる。どっちが危険かはわからないけど渕が「グーンと持ち上げてバーンと落とされる」怖さを体感したから出た発言なのかなと思う。 >>901
まあ身内誉めの典型みたいな物言いだしさ
渕がリング下でセコンドに就いて
直にボックの試合を目の当たりにした上で
鶴田と比較して話すのならまだ解るけど
渕はGスピやその他昭和系ムックで好き勝手に喋ってはいるものの
話の内容はつまらないしイイ年して口ぶりが軽過ぎるし説得力も感じないんだよな >>905
あくまでプロレス内ダメージだから比較にするのは無理があるけど
石川や田上、力皇の喉輪落としはかなりダメージがあるらしいね
世代が違うが、その時代で食らったレスラーがその時々で証言してるし
つまり「持ち上げて急落下させる」というのは体重あるレスラーにとって、恐怖とダメージは大きいのかも >>906
渕はドイツにも遠征してるから、
ボックの試合も見たんじゃねーの?
ちゅーか、お前が鶴田上げの意見を信用したくないだけだろ。 >>901
なんのスープレックスとか、あんまり関係ないだろ。 >.906
話がそれるが、小林邦の渕への評価が高いのは一貫してるんだよな
古くはジャパンが新日へリターンした時期から「全日の渕ともう一度闘いたい」から
90年の2月の天龍とのタッグ対決で、ジョージに変更になる前に「川田じゃなくて渕が出てこい」
誠心会館との抗争の時は、「空手の蹴りなんて、渕のフィストを脇腹に食らって耐えてきたオレには効かない」とか
最近の小林の雑誌の回想談でも「彼は本当に技巧者でしたよね」まで…
小林vs渕のジュニア戦は当時はノーテレビだと思ったけど、本人たちがいうほど面白い試合だったんだろうか…? 鶴田流の高さのあるスープレックスと、ボック流?の低くて早いスープレックスを、あくまで友達同士での技の掛け合いで比較すると、明らかに前者の方が怖くて痛いんだけど。
高いスープレックスでは落ちるタイミングすらわからないから、怖くて痛い。低くて早いスープレックスでは、いつのまにか倒れてる感覚。 >>911
素人目線だとその観点から想像すると
馳の裏投げってメチャクチャ怖そう
高いし、落差もあるし、着地点は後頭部だし… ボックの健吾へのダブルアームスープレックスは伝説だからな
鶴田なんか語られる技は天龍やったしょっぱいパワーボムくらいだろ >>847
レイスに決めたジャーマンがあまりに急角度だったから怒鳴り込まれた
雑誌の取材で、もし相手に怪我させたら貴方が責任取れるの?と言い返していた
ジャーマンは手加減しにくいそうだ >>910
小林邦昭対渕、地味だけど後楽園とかならすごく盛り上がりそう >>910
小林邦のコメントで「川田のキックは怖くないよ。橋本のキック毎日くらって慣れてるから」が
印象に残ってる。当初のカードで見たかった。 鶴田にしろボックにしろ投げる技術は相当高いレベルだったのだろう。
後年全日はセール頼りジャンプ見え見えのスープレックスが横行するが、
やはり鶴田のバックドロップのように、一撃必殺の説得力はなかった。 オブライトがそうだったな。
全日に来たとたん鈍行スープレックスになってしまった。 大仁田のサンダーファイヤー1号が
「投げられる相手はマットに尻を打ち、投げる大仁田は
マットに後頭部を強打する恐怖の技」
と言われていたけど、ドリー仕込みの鶴田のWアームも
相手は滑り台式に鶴田の胸を滑って尻から落ちる感じで
派手なんだけどまったく意味のない見せるだけの技にしか
見えなかったんだよなあ >>919
ダブルアームは本気で首を決めたら簡単に折れそうだからな。
相手を潰さないためには仕方がない。 子供の頃、体育館のマット使ってスープレックスの
掛け合いとかしてたが、サイドやダブルアームの
まあ威力のないこと。で、バカにしてたんだが、
大人になって体重増加してみると、あんな技でも
めっちゃ怖いわ。しかも鶴田みたいなでかい人間から
落とされるなんて、そりゃレイスも怒るわな >>918
> 全日に来たとたん鈍行スープレックスになってしまった。
Uインターは100キロ以下の軽量レスラーしかいなかったから
そこも考えないと。 >>923
それじゃ全日来てスープレックスのスピード遅くなるのは当たり前だわw 全日では中型だった天龍が新日だと異様にでかかったし
冬木が橋本とサイズがそんなにさが 冬木が橋本とサイズがそんなに差がなかったり全日レスラーはでかいからな >>921
俺は中学の時、ダブルアームやられて…というより持ち上げられただけで、首をケガして、2ヶ月は痛みが取れなかった。
威力ないようにダブルアームどうやってやるんだ? >>927
首の位置かなあ。
ドリーや鶴田みたいに投げる相手の首が自分のお腹の位置に来るのと、
ロビンソンやボックみたいに腋の位置に来るのとで、
首へのダメージが持ち上げるときか投げ落とすときか
変わるような気がする。 ジョー・マレンコのジャーマンとか
押さえ込みジャーマンに見えたなあ。 旧UWF時代、ジョーソルコフの投げ技は速かった。もちろん相手が軽量だからだろうが。高田&ピートロバーツvs山崎&ジョーソルコフは、なかなかの好試合だった。 >>933
ソルコフてマレンコだろ?
キースハワードもよかった >>934
もちろんそうです。だからマレンコの名前で全日に上がった最初は違和感ありました。 >>936
ロバーツも全日きてたよね?
当時はある程度マレンコ道場が認知されつつある頃だったから、ソルコフ兄弟をマレンコ名義で来日させたのは
全日フロントの考えだったんじないかな。 >>938
ロバーツは新日本ではジュニアの名選手として存在してたが
全日本では鶴田にやられまくって嫌な扱いだった >>903
レイガンスはモントリオール4位でモスクワの金が確実視されてた猛者
(日本だと谷津が有力視されてたけど、実績段違い)
ガチならボックより確実に上だろうな
>>927
リバースフルネルソンは相撲では五輪砕きと言ってその態勢になっただけで軍配が上がる技
ガチで極まったらマジで頸椎がやばい
その分、相手の首を左右どっちかの脇の下に入れて投げたら威力を殺せるのでは?
でも鶴田の4種類のスープレックス、他の3種類はみんな腰のためをきかせて
高く持ち上げて落とす二段モーション式だったのに、なぜダブルアームだけアメリカンスタイルだったんだろう?
唯一キャリアの終わりまで使い続けたのは一番体への負担が軽いからだろうけど。 ピートロバーツってハンセンの個人ルートで全日に来たのかな… レイガンスとボックとでは子どもと大人くらい体格違う >>942
いや、自分のイメージを守ったんじゃないかな?善戦マン時代から、ジャンピングニーとダブルアームは鶴田の代名詞だから。 >>942
ダブルアームを二段モーションなんて
やろうとしたら相手の首が破壊してしまうと思うんだが。 欧州のスープレックスは小さいブリッジで早く叩きつける スープレック1つとっても、魅せる要素を重視したアメリカスタイルと
技の効果を狙う欧州スタイルの違い。
ショービジネスとして考えると、プロレスが欧州よりアメリカで繁栄したのも
頷ける気がする。 >>943
そう。
gスピのインタビューで言ってた。
今でも親交があるそうな。 ピートロバーツとスタンハンセンも意外だが今年の来日でブッチャーとディートンのつながりも意外だった ブロディとロン・スターとか。
葬儀に参列してて意外に思った。 >>954
ブッチャー引退セレモニーで、付き添いして車椅子押してたね。
リスペクトしてんだろうな。 >>956
ブッチャーとディートンは近所(といってもアメリカスケールでの)に住んでる
というのもあるんだろうな 最強タッグのシーズンか。
普段観られないカードが公式戦であったさから当時観たかった。 最強タッグか〜〜
昔は華あったよね
今の全日本と比べるとめまいしてくる 88年ぐらいまでは楽しかったけど、
天龍ハンセン組からだんだんと興味が薄れていってしまった。 地方民としては最強タッグは年末の風物詩で年内はオリンピアの印象だった
逆に年明けは‘1月2日から興業があるのを知らないくらい印象が薄い >>961
天龍とハンセンがぶつかるという醍醐味をなくしたらいかんよな >>962
天龍抜けても、大巨人コンビvs殺人魚雷とかめちゃくちゃ面白かったけどな。 ハンセン、ベイダーとかインパクトあったし
ハンセン、馬場なんかよかった
ハンセン、天龍組が全勝優勝した年が一番つまらなかったし
天龍がいなくなってからの方が面白かったんじゃないの? 欧州は会場が小さいんじゃないか?
あとアメフトで代表されるように、大きいモーション
でないと受けない。
アメリカではなぜかブリッジホールドするジャーマンの使い手がいない。
こじんまりとした技になるからかと。 >>954
ロバーツとハンセンについては新日時代を思えば以外でもなんでもないだろ。 >>969
調べたら、こぢんまりが正解だが、こじんまりでもいいらしい。
勉強になるなぁ、昭和全日スレは。 アメリカと日本では客に受ける技がちがうからな
向こうではクローズラインは客に受けないからホーガンのフィニッシュはギロチンドロップだったし
ケリー・フォン・エリックのディスカスパンチは「日本じゃ受けないから封印した方が良いのではないか」と
書かれていた 日本で受けない技と言ったら、フィストドロップもそうかな
あの技がフィニッシュとして通用するとは考えにくい 全日の頃のホーク・ウォリアーのフィストドロップは美しかったな。 >>973
フィスト・ドロップをフィニッシュにしているレスラーっていたっけ?
デビアスはつなぎ技でしか使ってないが。 ジミー・スヌーカのリープ・フロッグは、相手ノーダメージの魅せ技w
マスカラスは股間直撃で悶絶‥ >>975
ジョリー・ローラーやカブキ
ローラーが新日のリングに上がった時は新日レスラーが無理して褒めているのが見え見えだったw
なんであれが「テネシーの猪木」だったのかw ブッチャーって、結局エースガイジンだったのに一回も最強タッグ優勝出来なかったな。
最凶悪コンビで優勝はバットエンド過ぎて駄目でも、解散した翌年のブッチャー・カマタ組には優勝させても良かったのに。 地味に渕のフィストドロップはヒロ斎藤の脇腹を折ったりしてたな ブラックジャックランザのグリグリも日本受けしない酷い技だったな。 >>980
チャンピオンカーニバルで2回も優勝してるんだからいいじゃないか。 47年前の今日12月21日 軍門に下ったデストロイヤーが、後楽園ホール(2,600人)で
馬場と初タッグを結成。
試合前ブッチャーが乱入し、デストロイヤーを威嚇した。
馬場&デストロイヤー(2−0)サイクロン・ネグロ&ムース・モロウスキー
馬場(16分32秒片エビ固め=16文キック)モロウスキー
デストロイヤー(8分8秒足4の字固め)ネグロ >>961 >>965
龍艦砲はなあ・・・
何かにつけて自分の方がチームリーダーで格上だってアピールしたがるハンセンと
明らかにこのタッグに乗り気でない天龍とのギクシャクぶりが
度を越していて見ていられなかった
最初からいつ仲間割れするのかばかりが気になる状態だったし
>>979
初来日が5年早ければ
もう少し客や関係者の反応も違ったんだろうけどねローラー
まあテネシーマットフリークで
当時はブレーン気取りで馬場の周りをウロチョロしていたピラニア山口のゴリ推し物件だったしな >>972
円盤投げ出身だから説得力あるんだけど知られてなきゃ意味ないよな。
テリーの左のパンチは別格か。 >>986
鉄の爪より嫌だろうな。特に宿酔いのときには。 >>985
ローラーはワンショルダーがあかんかったと思う。 天龍同盟は阿修羅原の借金解雇で少しずつ歯車が狂っていったよな
最強タッグに川田を起用したが足手まといで、
無理やりハンセンと合体させたら互いに我を張り合ったり
外野から「猪木ホーガンと同じくらい反則だ」と不平が出たり
冬木の造反ブックがいつの間にか立ち消えになったり
ラッシャーが毒霧吹いたりカブキが暗躍したりマイテイがリングアウト勝ちしたり
鶴田が反り寄ったら天龍が逆上するほど嫌がったり 次スレこんなのどうだ?
【馬鹿熊】昭和の全日本プロレス80【鶴龍馬】 >>982
小学校の時の担任の女性教師が、宿題忘れた時の罰として使ってた
俺たちは「ぐりこ」と呼んで震え上がってた >>979
猪木=日本でしか人気がない
ローラー=テネシーでしか人気がない >>990
最強タッグのすぐ後に馬場と天龍との間で
トラブルがあったとしか思えない。
年内はVIP待遇だったのに、年明けたら
中堅勢から入れ替わり立ち代わり
絡まれて馬場にも負ける体たらく。
勝敗だけ見ても天龍軍は連日負けっぱなし。 外人レスラーも引き抜かれる前は負けが増えてることあるな このスレッドは1000を超えました。
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