【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1500801931/
※前スレ
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1497952702/ >>168
愛知県体育館で馬場がレイスからNWAを奪った試合はレイスのブック破りといえるのでは ブーバ戦より結構前に
谷津の監獄固めに対抗して「回転地獄固め」とかって技使ってたな。
入り方はブーバ戦のようにグランドコブラの体勢から転がって
サンボの膝固めと極め方は一緒だったと思った、余り詳しく覚えてないが。 マリオミラノが馬場の十六文をカウントワンで返した試合 昭和じゃないが、馬場の16文くらって倒れもしなかったレンジャー・ロス。 >>172
…そのカードのどこに必然性やら歴史性やらを感じるんだ? バトルロイヤルで天龍がフォールされてるのを馬場がキックでカットした時は会場が盛り上がったな、当時のバトルロイヤルはフォールされると返せないと思われてたから
結局天龍はリングアウト負けになるから馬場の行動はブック通りだったわけだが >>182
大阪で前田とフライが対戦した時、サミングにブチ切れた前田が
フライの足を極めてしまったみたいなもんかな。
昭和全日とは無関係だけど、その前田とかつて激闘を繰り広げた
ドン・中矢・ニールセンが亡くなったみたいね。ご冥福をお祈りします。 明後日の両国大会のタイトルって、全日本プロレス創立45周年記念なんだな
45年て嘘だろ?と思ったが俺の年齢を考えるとあってるw >>195
オールジャパンって旗揚げ3年くらいだろ。
あれはジャイアント馬場が作った全日本プロ・レスリングとは別物。 まあ日プロだって力道山時代とBI時代は別法人なわけだが >>184
その鶴田とブバのシングル行われたのが最終戦の川崎大会 川崎での鶴田と巨漢の対決となればやはりクリス・テーラー ブッチャーはあれだけ全日本に参加しててもタッグ王座とは無縁だったね。
レイ・キャンディを相棒に奪取したあの1回きりなんだな 最強タッグでも結局優勝はなかったしね。まぁ見る側からするとブッチャーの
ベストパートナーはやっぱりシークだったね。いつ空中分解するかというハラハラ感も
含めて。カマタやキマラ2なんかは安心して見ていられたけど。 シークとのタッグはあくまで最強タッグ限定だったんだよな
それがプレミアムでもあったわけだが 一度だけ夏の品川で実現したよね、結果的にその年の12月に仲間割れしちゃったが。 ブッチャーとブラックウェルって同じシリーズに来たことあったけど、タッグ組んだことあるのかな >>204
レイスが馬場からNWAを奪還した日に組んでる。
尼崎市体育館(79/11/7)
ジャンボ鶴田 (1-0) アブドラ・ザ・ブッチャー
タイガー戸口 クラッシャー・ブラックウェル
戸口(12分28秒体固め)ブラックウェル 品川での対戦はまさに冬まで待てないファンのための番外前哨戦だったな
翌年ではドリーが最強タッグのみだったが 翌年はキッドがダブルブッキング
この時点で切れている全日本はともかく提携しているはずの新日本にも思い切り踏みつけにされる下駄の雪な国際 >>175
ロビンソンの引き止めなかったのは既にアリ戦実現に舵をきっていてそんな余力が
無かったのも一因らしい・・・
>>194
三沢タイガーの蔵前デビュー寸前にLAのジェットセンターで最終調整に入り「スパーリング
相手を選んでくれ!」と言われて周囲を見渡して当時、二代目・タイガーマスクのマネジャー
を自称していた馬場wが自ら指名したのはニールセンだった。
ゴングに写真も残っていて前田戦でブレイクした後に馬場の眼の確かさを評価していた。
意外な関係だった・・・ あの顔TVで見たことあるなと思ってつい指名してしまったんだろ。 >>208
全日と提携していた時もカマタ持ってかれた挙句馬場のPWFに挑戦できるように要望した
お人好しの吉原さん。 >>211
前田対ニールセンは三沢タイガーデビューの随分後だぞ。 カマタの場合は反則勝ちとはいえPWFを奪った事でカマタに負けなかった木村をむしろ立てた形になっている
当時の国際ファンの反応も知りたいが >>216
お前の書き込みの方がわからんぞ。
マジで柴俊夫のことか? 要するにニールセンは当時は日本ではまだ無名だったけど、
馬場が三沢タイガーのスパーリング相手として選んだのが
彼だったって事なんだろうさw 体格的、技術的に丁度いい相手だと
思ったのかどうかは分からんけど、その話は俺もゴン格か週ゴンで
チラッと目にした記憶がある。 そうすっと>>194とは書いたけど、昭和全日ともあながち無関係じゃなかったわけね。
あれ書いた時点じゃそんな話はすっかり忘れちまってたけど。 そういえば今日は三沢タイガーのデビュー戦の日だったか >>98
藤波が新日に行きたくなくて泣いていたと言ってるの佐藤のみ・・・
藤波の証言では猪木の付き人だったので木戸とともに日プロ内部では猪木派として
冷たい目で見られていた所に寮に倍賞鉄夫から電話があり「寮にある猪木の備品を
持って猪木後援会事務所まですぐに来てくれ!」の依頼があり二人で相談して夜逃げ
の如く寮を出て着くと寝袋持参で小鉄が泊り込んでいたと語っていた。
代官山の日プロの目と鼻の先にあった後援会事務所が初代・新日プロ事務所になった
が小鹿と永源が押しかけて女子事務員を脅すという事をしている・・・
>>127>>117
当時、全日内部で賭博が蔓延していてベテラン勢と若手のやる博打の種類とレートは
異なって若手は越中が特に好きで任天堂の人生ゲームにホンモノの現金をかけるモノで
ギャンブル嫌いなのに後藤と川田は付き合わされて毎回、巻き上げられていたらしいw >>223
川田は実家からの仕送りも全部 巻き上げられてたらしい。
大切な仕送りで博打する川田も悪いけど
越中もおかしいよ 給料も格安でキツかったと思うけど
誉められたもんじゃないな
川田なんか 大半は持っていかれたっていってるしな 越中って全日時代は怖かったよな
会場で見てたけど いつもピリピリしてたような
イメージがある
ファンなんか殆どシカトしてたし 新日だと猪木や佐山の付き人になれれば小遣いたんまりもらえて
巡業から帰ってくれば数十万金が残ったらしいが全日だとみんな
ケチそうだからピーピーだろうな。天龍も80年代じゃ給料少ないだろうし。
鶴田とかお使い頼むとしてもお釣りは要求しそうw >>225
若手時代、通路にはみ出すファンを注意したら
「うるせぇな弱いくせに…悔しかったら試合で勝ってみろ!」
なんて文句言われて悔しかったろうな越中
「相手は先輩だから勝とうとしたら後でリンチされるんだよ!」
とは言えないしな 当時のゲーセンのビッグプロレスリングって新日プロ全日プロ公認ってあったが全日は公認してたっけ。確か新日は公認してたみたいだけど。 >>226
猪木は小遣いくれないし洗濯の金もたまにくれるくらいだったらしい
佐山はサイン会についていった山崎に分け前くれたとか 天龍は洗濯してたジャパンの馳と健介とバッタリ会って「肉でも食え」と2万くれたとか SWS時代に新倉のグループのところに来て「これで好きに食ってくれ」と言って
20万円位置いていったそうだ>天龍
そんな天龍を裏切った新倉のグループも凄いが 猪木は軍手買ってきてくれと言って万札出して釣りは全部やった
エピソードあるぞ。あと自分の学校の先輩が猪木とたまたまトイレで
遇ったらしいんだけど猪木より巨体なんでこれで飯でも食えと数万
もらったらしい。 高田純次は「これで美味しいものでも食べなさい」と割り箸を渡す。 馬場は「タメになるからこれを読みなさい」と歴史小説を渡す
ジャパン時代に全日の練習場借りて練習してたアニマル浜口が
練習場訪れた馬場から渡したい物があるから後で来てくれって呼ばれて
練習終わった後でウキウキしながら馬場のところに行ったら徳川家康だかの歴史小説渡されて
ずっこけたって話があったなw >>235
永島がWJ旗揚げの際、健介に明智光秀の本を渡したのを思い出したな >>234
桂文珍も引越しの手伝いをしてくれた仲間の落語家や芸人たちに御礼として
「これでコーヒーでも飲んでくれ」と封筒を渡したが
皆があとで中を開けたらスティックシュガーだったらしい。スレ違い御免。 初めてアメリカ遠征に向かう大木金太郎に力道山が「餞別をやる」と言うから
金をくれるのかと思ったら、自身のアメリカ遠征の体験から得た教訓を授ける
餞別話だった、なんて話もあったね。 全日本プロレス中継の梅垣さん両国に来てたね
馬場7回忌、全日30周年の時も姿を見かけた。
なんだかんだで思い入れがあるんだろう ドリーとのツーショットなんか見たいな
今年はオープンタッグ四十周年でもあるし ステレスラーは短命だが、60年代のナチュラルレスラーはわりと長生きだね 馬場が米遠征から帰国する際にロスで
「俺はもう使わないから」と残ってるドル紙幣を
猪木に渡した話は有名だね
猪木はあの時はすごく嬉しかったらしい >>242
いわゆる最後の最後まで猪木が馬場を憎み切れなかったのってその辺とか、
扱いは違えど同時入門で同じ釜の飯を食った仲という気持ちがあったんだろうねえ。
猪木も馬場もお互い完全に潰そうと思えば潰せた機会が何度かあったはずなんだが。 猪木が馬場というか全日をつぶす機会はあったと思うが
馬場が猪木をつぶす機会ってあったか? プオタのおっさんは、俺の方が知ってるとやりたがる奴ばかりだな >>244
一番のチャンスは1984〜85年かな
新日は第一次UWFとジャパンプロレスのメンツが抜け日本側が極端に手薄になった
外人もキッドスミスの引き抜きに成功し、ウォリアーズの招聘争いにも勝利
あそこでブロディを手放さず藤波の引き抜きに成功していたら新日そうとうヤバかったはず いや、猪木の事業問題からくる借金や法人のj金の私的流用を馬場が
新日幹部やマスコミを使って、弁護士送り込み役員会で解任とかしてたら、
猪木は終わってただろう。
馬場はそこまでやらなかった。 まあ馬場によれば「テレビが見放さない限りは潰せない」とも言ってるが >>244
現実的に興行戦争で潰すのは難しい。
国際ですらあんなにしぶとかった。 >>248
だが、犯罪を大っぴらにされたら朝日も手を引かざるを得ない。 実際は、馬場は引退して全日をつぶして、猪木に譲ろうとしてたらしいが >>243
猪木は馬場を挑発しながらも、
ある程度気遣いがあるのがわかる。
昔はよくわからんが、
一線を退いてからは、
「馬場と戦わなくても結果は見えてる」
って言うだけで、勝てるとか俺の方が強いとは決して言わないんだよね。 >>252
オールスター戦の後、一億円のファイトマネーを馬場に提示し
猪木馬場のシングルで馬場が負けて引退し
全日の若手は猪木が面倒みるという話を馬場もいったんは受けようとした。 ナンバーのインタビュー記事があるがそのころ馬場は本気で
プロレス界統一を考えてたらしい。前田高田にも粉かけてたのは有名だが
結局ジャパンが出戻りしてUWFやブロディ引き抜きで新日が盛り返して
全日も輪島がすぐやめて日テレが視聴率とれないプロレスに見切りつけて
ゴールデン撤退したので馬場も資金がなくなってドサまわりで生きる決意したようだが 馬場が不幸だったのはジャパンのリターンとWWFの侵攻が同じ時期だった事だな。
外人が充実してれば、長州がいなくなっても、
輪島を客寄せパンダ、鶴龍対外人勢の二本立てで回せたと思うんだが。 ウォリアーズ、ジャパン、輪島投入しても結局はゴールデンに見合う
視聴率とれなかったんだよな。あの頃なぜ日テレがプロレスに突然力を
入れたのか不思議だ。馬場と懇意のが編成局長になったのかな? >>255
団体経営に情熱を無くした馬場が1億円のギャラと全日引き渡しを条件に話に乗り
テレ朝の三浦専務も資金を用意するも馬場が話を持ち帰ると突然、キャンセルに
なったと言う話で元ワープロの栗山Pしか言っていない・・・
ただ全日がゴールデンタイムを外れオールスター戦も国プロどころか「全日救済」が
目的だった言う事情が背後にあった頃。
>>246
長州一派とMSGタッグ寸前でのキッド・スミスの引き抜きと策が嵌り馬場は終始
ご機嫌だったがこれって全部の元新日の大塚氏の功績・・・
藤波が残留したのとテレ朝が即座に放映継続を表明したのが大きかった。
>>256
SWS騒動で創立以来の危機だったがなんとか切り抜けてター山をブレーンに
「今までG馬場と言う人物はバカだったんですよ!」と自虐的に反省しw
"ファン・ファースト"を打ち出しその後の四天王プロレスの隆盛のお蔭で日テレからの
借金も完済できた。「社長をやってきて本当に良かったと言える」とまで言わしめていた。 >>259
自分は悪役商会と気楽にお笑いやって四天王に命削らせてファンからは「馬場さん」と祭り上げられて売り上げは最高なんだからな >>258
突然と言うか、やっぱり長州始め維新軍の全日(ジャパン)移籍で
日テレもゴールデンイケると判断したとしか思えないなぁ・・、単純だけど。
でも、翌年の10月ぐらいには週プロに「長州の新日Uターン、秒読み状態」とか書かれてたな。 長州も全日でハンセンやゴディー デビアスなんかの
デカイ外人とやらされて キツかったと思う
ハンセンやジャンボと向き合った時の長州の背の低さが
目立ち過ぎた。
実際 長州って180ないよね 輪島入団で日刊スポーツとかが毎日プロレスを載せるようになったし鶴田AWA奪取の時の特番とかが好評だったのでジャパンとウォリアーズ登場でいけると思ったんだろうな >>263
輪島入団は、長州だけではイマイチ視聴率いかなかったのでテコ入れだったのかな?
ゴールデンタイム復帰の会見で、馬場を取り囲むように
鶴田、天龍、三沢タイガーと長州、コバクニ、谷津が並んで記念撮影してたのを
日テレの予告の映像や雑誌に掲載されてたのが、今となっては懐かしい。 >>262
長州の顔を立てるためにマーテルを取らせたり、トムマギーを取らせたりしたけどあのレベルじゃなあ。
全てはサソリをウォリアーズに腕立てされたときに終わった。
あんな筋書作るわけないんで、ホークのアドリブだったんだろうなあ。
世界サーキットで忙しすぎて、日本マットのことを全然理解してなかった当時のウォリアーズっぽい。 輪島は相撲引退してから時間がたちすぎだよ。
当時中学生の俺ですらリアルタイムで知らないもん。
あのころ輪島38歳ぐらいだっけ?それよりはるかに年寄りに見えた。 全女もゴールデンでやってたし世界のプロレスもやってたし
異常な時代だったな >>262
デビアスと長州はレスラーとして一番勢いのある全盛時をあの時代に共有したイメージだな。
長州は他にもフレアー、ファンクス、ニック、レイス、マスカラスとあり得ないようなレスラー達と戦っていたんだな。
カルチャーショックだったろう。「レイスとはやりたくない」とか当時言っていたっけ。
そう言えば、10月にマスカラス&藤波&長州が実現するらしい。
>>265
あのサソリ→腕立ては単純に当時笑ったな。「ホーク、すげえ」ってw
当時のウォリアーズは「飛ぶ鳥を落とす勢い」の表現も温いくらいの勢いだったし。
>>266
ハンセンも後に「あと6〜7年プロレス入りが早ければな。本人もそれは分かっていただろう。」と言っていた。 他の競技を引退してすぐの38歳なら動きもいいけど、
輪島の場合、もうあきらかにのろかった。
むしろ一般人の38歳のほうが元気に思えたよ。
腕力はそこそこあったんだろうけど。 横綱の価値って日本人が思う以上に世界ではあるんだろうな
ラスベガスでタイソンと輪島が対談したとき輪島が元横綱ってことで
タイソンが大喜びしたらしい。 >>270
のろかったと言うよりカクカクしてロボットの様な動きだったw >>271
グレート・コキーナも、ヨコヅナを名乗ったらメインイベンターになれたしなw >>265
長州がセールしないからやり返したのかも
ミスター高橋によればガイジンは取組表見て相手が長州だと顔をしかめてたらしいし 輪島のプロレス転向発表とデビュー戦て、地元の地方紙だけど一応一般紙の
スポーツ欄に写真入りで出たんだよね。俺の記憶だと猪木アリ戦以来の事だった。
プロレスラーとしての輪島は成功とは言えなかったかもしれんけど、ニュースバリュー
としてはやっぱり10年に一度級だったんだろうね。 アントン・ヘーシンクは日本テレビ契約選手だから本気でプロレスしなかったけど
輪島は日本では馬場とハル園田、海外ではネルソン・ロイヤル、パット・オコーナーと
師匠を四人も付けてもらって修行に明け暮れたとどこかに書いてあったな ハンセン・デビアスは鶴龍より長州・谷津との方がスイングしていた印象 長州も輪島を嫌って出て行ったくせに北尾が問題起こした時に輪島は一生懸命練習してたから北尾と一緒にするなと言ってたな >>274
>>278
句読点は入れた方がいい、かなり読みづらい。 長州って外人にとっちゃ、やりにくいだろうね
相手の良さとか、引き出せないし
自分が目立つ事が第一だからな、かませ犬時代は
そうでもなかったんだけど
それにしても、あれだけ背が低いと外人とやっても
絵にならない。 長州VS アニマル 長州VS ブロディーのシングルは見たかった 輪島はヤラレの美学だけは持ってたよな。
横綱にまでなった男が叩きのめされている!みたいな。
なぜか長州の場合だけはガチできつい。鶴田天龍藤波とは異質だよな、長州は。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています