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http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1500801931/
※前スレ
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1497952702/ 乙です。過去スレの後半が抜けてるんで付け加えておきます。
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【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】 全日本は旗揚げしてからの数年間は都内のキックボクシングジムを間借りして練習していたそうである。
大仁田厚や渕正信の証言によると貸している側のキックの練習生の嫌がらせも無くはなかったそうな…。
ジャンボ鶴田も間借りして肩身の狭い思いをしながら練習しているのを嫌がっていたそうだ。
そこで鶴田は思い切って自分の土地に道場を建てた。
社長のジャイアント馬場でなくまだ入団して数年のジャンボ鶴田が道場を建てたわけだ。
聞くところによると鶴田は全日本から道場の賃料を受け取っていたそうな。
新日本は猪木が私財をなげうって道場を建てたが、全日本は二番手の鶴田が仕方なく建て団体に貸す。
なんかこの違いが面白い。 >>5
まるでレスソントンのNWA世界ジュニアとチャボのインターナショナルジュニアのようなタイトル乱立を彷彿とさせる
重複だな。。w ここはぜひ統一戦を敢行しなければならない。 その鶴田が建てた道場の近くに馬場所有の何百坪もの土地があったそうでそこが道場の駐車場になっていたそうだ。
「じゃあ馬場さんのその土地に建てればいいじゃん」とみんな思ったそうである
でも馬場は涼しい顔して鶴田の道場の落成式に出席していたんだとか。
なんか想像するだけで笑ってしまう…馬場らしい無駄のないクールさドライさといったところだろうか 砧の道場って新築ではなく、外国人の邸宅を改装したんでしょ?
かなり古くて二階の床が抜けそうだったとか聞いた。 >>7
ネルソン・ロイヤル「ややこしいなあ。本当いいかげんにして欲しいよねー」 合宿所はロッキー羽田が居ついて酔っぱらって夜な夜な若手や後輩を説教
レフェリーもやったこともあるミスター林は合宿所に住み着いてやりたい放題
頭の上がらない先輩がずっといるというのは若手はさぞ辛かったろう。
特にミスター林はトンパチそのものだったそうな、若手の飲み物や食べ物を勝手に拝借
川田が若手のころ豚汁のちゃんこを作ろうと材料を買っておいたら勝手にカレーを作ってたとか
若手が苦情を訴えるので馬場が「お前この金で引っ越せ」と引っ越し代を渡したら
その金で車を買ってしまったとか…無茶苦茶だ >>12
“常識がない”程度ならまだいいよ。
少なくともエピソード通りだとしたら頭がおかしいか、世界一の人口を誇る大陸国家の国民性と同じだ。 なんせ今でも「俺たちは日本テレビに頼まれて来てやったんだ」という意識だからな
最初に上田ど松岡を粛清したというのに全く堪えていない Bounty Match: Dusty Rhodes vs Giant Baba
https://www.youtube.com/watch?v=0CzoU-HFQJ4
こんなVTR残っているんだな >>14
そもそも馬場だって日プロ時代はそういう糞連中と過ごしててその所業は知ってるわけだし、
残党衆もやり過ぎなければ首にはならないと高をくくってたんだろう。 馬場としても仲介者の顔は潰せないしな
但しマッチメークは一任だったのでそこで思い切り締め上げたと 新日でIWGPジュニアの初代王者決定リーグ戦で優勝、初代王者になり、
その二年後のトップ・オブ・ザ・スーパージュニアでも優勝を飾った
移籍当初はでメチャクチャ苦労としたろうが、実績だけ見ると
つくづく越中は新日に行ってよかったよな、
時代認識の欠落した日プロ残党にイジメられたのも、
越中の忍耐力を養う糧となっていたのかもしれない ジャンボがマイペースで飲み会にも全然参加しなかったってよく言われるけど、俺がジャンボの立場でも同期で同じような立場の奴が全然いなくて、参加してるのがこんな連中ばかりだったら、そりゃ関わりたくないわな。 移籍当時は大量離脱後だったのも幸いしたし
とにかく外様でありながら生え抜き以上の新日本スピリットとまで評価されたのは浜口と越中だろう 石川も新日好みだったな
WARとの対抗戦の時は
阿修羅原よりも重宝されてた 鶴田が凱旋帰国してファンクスのインタータッグに挑戦した時も一悶着あったんだっけ
上田と松岡が「インターは日プロ古来のタイトルだから俺たちに挑戦させろ」
と師弟コンビに詰め寄ったとか >>22
馬場がパートナーに鶴田友美を指名したから、大木が激怒したんじゃなかったか? あれはある意味で馬場が思い切り踏絵を踏ませたんだよな
気に入らなきゃ出てけと あの連中にとって客が来ないのは客が見る目が無い馬鹿だからで自分たちに落ち度は全く無いという感じだったらしいからな
まあそういう考えのレスラーは今でも多そうだが >>6
新日は「いの一番に道場を作った」って神格化されてるけど
あれはあくまで猪木についてきた若手、練習生のための宿泊施設がメインってとこ。
民家(といっても猪木の家だから豪邸だろうけど)に道場をくっつけたもの、
正直、日プロの合宿所、道場からすれば都落ち感は半端なかったろうな。
馬場としては道場にしても借り物でもいいから
「はったりの効くきちんとした施設じゃなきゃ」って感じがあったんじゃないのかな。
結局、全日も新日流の民家を改築しての合宿所兼道場になるけど、
その頃には日プロ時代の「当たり前」は、実現不能なもう遥か過去の贅沢な話になってたんだうろなぁ。 自分だけ溜め込んで会社の施設はつくらねえってんだから、、、 昭和51年夏に世田谷の砧で道場と合宿所ができた。
鶴田流のジョークによると「3600万で建てた僕のマイホーム。払ったのは頭金300万」
との事。(当時の月刊プロレス誌による)
この道場ができてからサムソン・クツワダが全然練習に来なくなった。
後日、本人談では「世田谷の外れで通いにくいから別の所で練習してた」とのことだが
で当時の合宿組(大仁田、渕、薗田)が馬場にクツワダのサボりをタレこみ
馬場が憤慨したという話がある。
翌年のクーデター発覚でクツワダは解雇となるのだが、その一年前から日プロ時代からの腹心であったクツワダに馬場は不信を感じてたらしい。 1982年は全日本プロレスが大きく活性化した年
@ジャイアント馬場、社長を解任
A新日本から引き抜いたスタン・ハンセン本格参戦
B天龍準エース路線が本格化
C大仁田のタイトル奪取、ジュニア路線の本格化
D佐藤昭雄がブッカーに就任
全日の未来を担った若手達が活躍し始めたのもこの年
それも佐藤昭雄に権限が渡ったからこそ
馬場は若手を付き人か古参レスラーの当て馬としか考えていなかった
それでいて客も呼べない外人レスラーにばかり高いギャラを払い経営を傾かせた
馬場が社長のままだったら、小鹿に苛め抜かれた三沢は辞めていたかもしれない >>15
レフェリー不能からの乱入、椅子、粉、乱闘か、まるっきり今も同じだなw
ローデスのエルボーがカッコ良いのと、馬場が日本よりオーバーアクションっぽい >>31
長州引き抜きで馬場が復権したから松根・佐藤コンビの全日改革は道半ばで終わったな。
>>32
ストロング姐さんがマスク被って乱入した試合かな。 >>31
三沢のことは目をかけてたからなあ。
叩き上げとしては異例の厚待遇だったから、エース候補として三沢だけは他の選手とは差をつけたんじゃないかねえ? >>33
おっ、鋭いな。アラ60だな?
当時のゴングにローデスの脳天に椅子を叩きつけるデストロイヤーマスクがそれだ。
デストロイヤーマスクでの乱入だな。
このあと、猪木戦だっけ?
馬場との絡みが謎だな。偶然か? 馬場って自分ではレスラーを見る目には自信があるなんて言ってたけど どうもそうは思えないんだよな。
越中といいプリンストンガといい素人が見ても
有望な若手なのに結果的には手放してる
どうも馬場の感覚ってズレてる 前座の質 両団体 互角かな? カード的には新日が上か 浅子、泉田、井上、志賀なんて
入門させてる時点で馬場は見る目がない 阿修羅原が借金とかヤクザの騒ぎで解雇され、天龍が腐っていた時
ウォリアーズとトリオを組んで武道館大会のメインを張った事があった
NWAは1988年末のビッグマッチ「スターゲード」に天龍を招聘
明けて1989年2月の「クラッシュ・オブ・チャンピオンズ」にも呼んで
ウォリアーズと合体させてNWAの世界6人タッグ王者に認定した流れだったわけだが
これも佐藤昭雄がいろいと努力した結果なのに馬場がまた…
「ジャンボや天龍とのタイトルマッチは組まないでくれという要請があった。NWAも地に落ちた」
などと要らんコメントをして台無しにする >>39
志賀はケガ(病気)さえなければ、トップグループで使えただろう。 >>41
まあ、リッキーに鶴龍を負けさせるわけにはいかんからタイトルマッチを組むわけにはいかない。
ファンから「何で挑戦させなかったんですか?」って大勢の前で質問されたら、こう答えるしか無かったかなとは思う。
ただ、地に堕ちたとは言ってなかったぞ。 そもそもNWAといってもフレアーもスティングも来日予定が中止になったりして
予定通りに行かないケースが増えていたから結局費用に見合う効果が見込めなければ見切りつけないと仕方ないと考えたのだろ。 馬場と佐藤が 別れたのって 佐藤にも原因があったんだろうか? >>15
これストロング小林が馬場の助っ人に入ったとかいうやつか?
小林にしたらエルボーのモーションや全体的な動きが違う気がするが… >>46
自己解決。その後に入ってきた白覆面の方が小林か >>22
インタ王者コンビだった大木か上田のどちらかを馬場のパートナーで挑戦すべきだ、
と要求したらしい。これでも譲歩してるんだよ。
でも蔵前の前にでも
ファンクス(2−0)日プロコンビ
にしておけば問題起きなかったんじゃないかと思う。 >>40
メインを光らせる中堅要員
もちろん出来が良ければアジアタッグくらいは巻かせてやる >>48
欲しくなかったとは言えせっかくいるんだから有効活用すりゃ良かったのにな
とはいうものの大木はともかくブレイク前の上田や高千穂なんか使いようがないわな だけどあれはどう見ても鶴田をパートナーにしたのが正解だわな
馬場は「(日プロのレスラー達は)誰がどう見ても吸収合併なのに対等合併だと思い込んでいる
気にせずに自分のやりたいようにやろう」と思って自分の意思を通したと回想しているな
プロレスラーは勘違い野郎の集団なんだから民主的な合議制なんて絶対に通じない
どいつもこいつも「〇〇を売り出さないのは納得が行かないぞ」になっちまうに決まってるんだからな」
「これが〇〇のランクとギャラだ。これが団体の方針だから文句があるなら辞めていいぞ。」位で
ちょうど良いんだよ
全盛期の全日も新日もWWFもそういう風にやっている 松岡の評判悪いがどうだったのだろう。
人間性に問題あり、ばかりでてるが。
何かの雑誌に馬場と談笑してる写真あったが。 >>51
そういう面も含めてあれこそ本当の全日本の発進試合
内容的にも十分以上に合格点だったし
同時期の新日本の最強タッグ戦も併せてまさにそれぞれの団体カラーがあそこから本格的に始まる 和田京平も松岡と接して「プロレスラーってこんなに難しい人たちなの?」と思ったらしいね。 初期全日を支えたマシオ駒と大熊が松岡と仲悪いから
馬場としてはとにかく松岡はさっさとクビにしたかったろうな
客にウケる事には目もくれず「ガチンコなら誰にも負けねぇ」
という態度で肩で風切って歩くような男には即消えて欲しいだろう 大木(インター)大木・上田(インタータッグ)高千穂(UN)小鹿・松岡(アジアタッグ)は末期の
どさくさとはいえひどいな。馬場にしてみれば大人しく従ってくれれば仕方なく使うけど本音は
一人も要らないだろうな。 >>34
三沢で思い出した、川田も海外武者修行して帰って来たのに
スター待遇どころか遠征前の馬場の付き人業務に戻されたんだよな
日プロ残党のイジメはだいぶ無くなったけど、ジャパンだの血盟軍だので
飽和状態だったからロクに新人発掘しなかった影響で若手が入らず
若いというだけで雑用やらされたんだよな
で、ほぼ同世代の三沢はタイガーマスクだから雑用免除
歪んだ感情抱くのも仕方ない >>57
この連中が凄いのはそれでも「日本テレビは放映を打ち切らない」と思っていたことだw >>59
日テレはもう全日中継している。NETテレビだろ? >>60
すまんNETだった
生き残るには新日との合併しかなかったのにな
新日にもTV局がついていない弱みがあったから
それの方が対等合併に近くなったはず >>61
合併壊したのも大木だもんな。坂口が奔走したのに直前で「絶対に認めない!」 >>61
坂口が話をまとめたのに大木の反対でみんな寝返ったって言われてるけどどんだけ勘違い
してるんだと。ただ新日にしてみれば失礼ながら新日サイドもNETと坂口さえ手に入れれば
良かった訳だから大木のお陰で要らない奴は馬場に押し付けられて助かっただろうな。 最近のインタビューで藤波が「本当は猪木さんに付いて行きたくなかった。馬場さんの元でやりたかった」
とカミングアウトしたが、藤波が全日でデビューしてたらどうなっていただろう
ネルソン・ロイヤルのNWAジュニアに挑戦して王者になれただろうか?
チビが嫌いな馬場がそこまでお膳立てしたかどうか難しい所だが
観客を唸らせるいい試合をすればあるいは… >>64
マシオ駒次第だと思う。アマリロルート開拓の功労があるし、馬場は信頼が出来る人の意見は聞く耳持っているからで駒は弟子というより弟分だし。 >>63
ここが初期の新日と全日の運命の分かれ道だよな。
新日から見れば最善のシナリオで全日から見れば最悪のシナリオ。正にババを引かされた馬場。
>>64
やっぱり藤波は新日本の申し子というか猪木以上に新日本その物という気がする。全日本では駄目だね。
高千穂みたいなぽっちゃりな体型になって上手いけど力強さに欠けたメインには遠く及ばない選手で終わるんじゃないかな。 >>67
だからベルトやトロフィーなどの日プロ遺産についても執着したんだよな
いわば迷惑料だって 馬場は佐藤昭雄とか大熊とか最初から付いてきたやつは可愛がってたから藤波も最初から付いてきてれば可愛がられてドス・カラスのいいライバルとして売り出されたかもしれない
馬場は小さいレスラーを嫌いと言われてるがドス・カラスは2回くらいシングルでメインを任されてるし 確かに大仁田も可愛がられたし、自分に忠実なら売り出しただろうね。
ただ、全日にはジュニアのブッキングやマッチメークを出来る人材がいないから、
世の中がタイガーマスク一色になったら干されてしまったかもしれないね。 藤波が全日本所属だったらジュニアヘビーブームは起こらなかっただろうな。藤波に影響を受けレスラーになった人間が存在しなかったと考えたら現在のプロレスも全く違ったもんになってたろう。 凱旋帰国してもソントンともっさりした試合してたかもな。 >>72
マスカラスのライバルとして売り出してもらってたろ。 >>74
藤波が藤波辰爾として成功するには新日本という組織が不可欠であって全日本ではありえない。
ファイトスタイルもJr.チャンピオンも全日本にはないものだからな。全日本ならばもう一人佐藤昭夫が増えるだけ。
藤波がいなければタイガーマスクも生まれないし、その後無数のフォロワーも生まれず棚橋等が入門できるはずもない。
単なる一般人がメインイベンターになれることで日本プロレス界を良い意味でも悪い意味でも変えた選手だな。 >>75
佐藤と藤波ではレスラーとしての才能が全然違うだろ。それくらい馬場もわかるよ。
マスカラスという格好の軽量級がいるのにあり得ないと言い切る理由はなんだ?
ジュニアヘビーという売りだし方ではないにせよ、無差別級で売り出す可能性もあるだろ。 全日もマスカラス・ブラザーズの引き立て役としてメキシカンを沢山呼んでたし
ロスの軽量級レスラーも来ていたから、藤波に才能とやる気さえあれば
高千穂みたいなプヨプヨ体型にならずスピーディーなレスリングを
こなす事ぐらいは出来たんじゃないかな? 駒が生きていれば藤波も生かされたかもだが亡くなったからでは微妙
それも含めて駒の死はかなりの影響を全日本だけでなく他にも与えた感じ ネルソン・ロイヤル、ダニー・ホッジ、マスカラスブラザース
新日本より素晴らしい選手と当たってさらに素晴らしい選手になっていたかも マシオ駒が亡くなったのって全日と国際の対抗戦が行われた日の朝だっけ。
鶴田が試練の十番勝負の第2戦で木村とやった時だよね。
藤波が猪木じゃなく馬場に付いていきたかったならそうすればよかったと思うけど、
何でそうしなかったんだろ。もう一つの疑問は、藤波は日プロの新弟子時代に猪木の
付き人やってると思うけど、その上で猪木には付いていきたくないと思ったなら、
そう思わせる何かがあったんだろうね。その辺の事はインタビューで語ってるんかな。 全日本は新日本ほどヘビーとジュニアで対戦相手をはっきり分けないからコシロ・バジリ、ドリー、ジャック・ブリスコ、ホースト・ホフマン、ボボ・ブラジルらとも対戦できたかも >>52
松岡の人間性は知らないけど、猪木が新日を旗揚げして人集めに奔走してた時に
ロスで松岡と会って、金を渡して新日に引き入れようとしたけど松岡は「自分は今は
日プロ所属で、日プロの金でアメリカに渡らせてもらったから受け取れない」と言って
拒否した、てな話を門茂男が昔のゴングに書いてた。事実だとすると一応の筋は通す
男なんかな、と思ったんだけどね。 キラー・カーンも全日本に入団したかったが坂口さんに新日本に連れていかれたみたいに言っているし
若手のペーペーだと自分の意思で選択できなかったんじゃね
小橋は知人の紹介でプロレス入りしたが「新日本になるかもしれない」と言われたって書いてたな
意外とそういう運命の分かれ道がある >>82
馬場が抜ける前なら海のものとも山のものともわからない新日本より日本プロレスの方が安泰だから当然の対応だと思うけど >>76
藤波と佐藤では佐藤の方が身長が高いし体重も重い。その佐藤ですら全日本では小さすぎてメインは無理。
藤波なら小人扱いで終わり。大きいことは当時のプロレスラーには何よりも大切なことなのは言うまでもないだろう。
藤波と鶴田の体格差を見れば藤波が馬場の後継者や次代のエースなどと言われることはまず無い。内心猪木も小さすぎて後継者とは考えもしなかった。
そして藤波のファイトスタイルは日本流とルチャ、ヨーロピアンにアメリカンを合わせた多彩で多様なモノ。
アメリカン一色な全日ではとても無理。初期の必殺技のドラゴンやジャーマンとてゴッチの直弟子というアングル無しでは成り立たない。
藤波がもし全日にいても上手い中堅になることは間違いないが、ドラゴンブームを起こせるかといえばかなり疑問だ。
しかし後の人が書いているように全日の豪華外人と対戦して更に幅が広がったかもと言うのは大いにアリかな。 >>80
いや、第1戦のガニアとの試合の前日だよ。 >>85
出て来るまで時間はかかったと思うけど、ジュニア王者の時の筋肉質の肉体を再現できるんだったら馬場もほっとかないんじゃないかな?
「全日はトレーニング不足で腹が出てる」というのは新日サイド・ファンのお決まりの批判ワードだったから藤波がある程度のポジションに入れば抑止力になる。
鶴田と対等の立場は無理だけど、天龍が一人前になる前の暫定NO3は行けたと思う。
戸口が一時全日入りしたのは天龍が伸び悩んだから、アメリカに定着しようとしてたのを苦肉の策で無理やり引っ張ってきたからだしね。 藤波が全日本に入っても小鹿に殴られたり大熊に酒飲まされたりしてマジックドラゴンみたいな体になるだけ >>86
その意味でもまさに節目だったんだよな
もし生きていたらアジアタッグ戦線ももっと違っていたか リッキー・スティムボートや初期のジミー・スヌーカ、ドクトル・ワグナーなど対戦相手には事欠かない 当時の全日本の関連で藤波みたいなの修行で受け入れるとすればどの地区かな
やはりジュニア王国のオクラホマか 藤波ってレスリングセンスとプロレス頭脳は鶴田よりも上だと思う、馬場は見栄で鶴田と藤波を比較されては
困るなんて言ってたけど、藤波の事は良いレスラーになったって本音では認めていたのでは? 受けを重視する馬場なら藤波の相手を立てるプロレスは肯定するだろう
スレーターやデビアスあたりとやらせても上手く絡んだかも そのインタビューは見てないけど、藤波が過去を修正してるとしか思えないけどな
まぁそれだけクーデター以降の猪木との関係が辛いものだったんだろうけど >>92-93
いや>>88の言うように馬場の下にいたら持てる素質を開花させる前に潰されてたんじゃないの?
やっぱり藤波は猪木や小鉄みたいなタイプとの相性が良かったんだと思うよ ゴッチの所に行かなければ、ドラゴン殺法も無いからな >>94
晩年のゴッチの「馬場の所に行くべきだった。」
と似た感じの発言だな。
一時ゴッチは渕を通じて、全日に接触しようとはしたが。
>>95
大仁田時代の全日ジュニアと違って、もっと華やかな全日ジュニアとはいかなかったかな。
後の、三沢タイガーにも良い影響与えるような。
というか、藤波が居たら三沢タイガー誕生したかは解らんが・・。 今年になって藤波は報知のインタビューに答えてたけど
馬場のところに行きたかった
なんて話は欠片も出てこない 新間がいたからWWWFジュニアのベルトも巻いたし、ドラゴンブームも起きた
全日では無理だろ >>91
ダラスじゃない?
チャボやアル・マドリルも出入りしてたし。 まぁ、藤波が全日で活躍してだとしても、
鶴田の上には行けず、
「IWGP構想に共鳴した」とか言って
レスリングウォーで新日に引き抜かれるんだろうなw >>102
新日から引き抜きの話があっても例の蒟蒻ぶりを発揮して結局全日残留だろ。 >>64 >>78
もし駒がもっと長生きしていたら…
いずれやっぱり元子と折り合いが悪くなって追い出されてたりして >>100
猪木じゃなく新間なんだよな
これは浜田や佐山にも言えるが 藤波が受けたのは、パンダではないがレッサー猪木な外見が大きいだろ。
いかにも猪木の弟分、ヤング猪木みたいな。
あれがブーム直前期に全日にいても
なんか猪木みたいでいい感じしないなあ。と馬場に思われて引き上げはしないよ。 >>92
猪木がまだバリバリ現役の頃に馬場は藤波を褒めてた
馬場「藤波はリング上で絶えず指先を動かして緊張感を保ってる。猪木が教えたんだろうな」と 認めていなければオールスター戦で鶴田やマスカラスとのトリオは許さなかったかもな ジャパンプロレス参戦の時に実は馬場が密かに期待していたのは藤波なんだよね。
コブラと藤波も参加内定していたのだがふたりともなぜか参加が流れた。
馬場は長州より藤波が参加してほしかったらしいよ。 ゴングが天龍と藤波を並べて特集したら
馬場が「天龍を藤波と一緒にされてたまるか!」と怒った事があったが
企業としては当たり前だわな
ペプシが「コークよりうちの方が美味い」と比較広告をしたり
ウィルス対策ソフトで「A社のソフトよりうちの方が高性能だ」と宣伝するようなもの
新日側も「うちが本物だ」と言ってたわけだから リング上はともかく、人間的な面では確かに藤波は猪木より馬場と合ってる気がする。
間近でこの人らの人間性を見てきたわけじゃないし、実際のところは分からんけど。 昭和45年7月の大阪での灼熱地獄の馬場VSドリー戦。
試合終了後脱水状態で半失神で控室に倒れこんだ馬場に
ホースの水で放水して命の危険を回避してくれたというのが
当時16歳の新人藤波だったという。 指示したのは小鉄なんだよな
だから馬場は個人的には小鉄を命の恩人と感謝し続けていたとか 今のレスラーで
空調が何もない灼熱の会場で
60分フルタイムができる選手はいるんだろうか 今のプロレス見てないから分からんけど、多分いないんじゃないかと思う。
これってやっぱり力道山道場の地獄のシゴキに耐え抜いた賜物なんかね。
猪木も自伝の中で、新弟子時代の馬場が体力があった事は認めてるね。 藤波と言えば90年の東京体育館で師弟コンビ対殺人魚雷の試合前、東スポ柴田とチラッと映って若林アナが藤波選手って触れてたな。
あれは未だに謎。 新日&UWF勢の「旅館破壊事件」についてインタビューしたら
越中「あの時は凄かったなぁ、みんな大暴れして、仲居さんが「旅館が壊れる」って泣いてたからね。
オレは全日本時代から、熊さん(大熊元司)とか小鹿さん(グレート小鹿)とか、
酒グセが悪い先輩にひどい目にあわされて、酔っぱらいと絡んでもロクなことにならないってのは知ってたからね。」
他団体のエピソードからでも極道コンビの悪評が聞き出せるとは 藤波も日本プロレス時代に大熊とかの酒に付き合わされるのが嫌だったと言っていた 極道コンビが代表だがとにかく昭和全日本のアジアタッグは挑戦者も含めて生抜と外様の組み合わせが目立つ 真偽はともかく、藤波が実は馬場(全日)のところに行きたかった、というのが話題になっているみたいだが、
逆に、全日系で、猪木(新日)のところに行けばよかった、あるいは猪木の言い分が正しかった、と思っているのは日本人・外国人レスラーともにいるのだろうか? 小鹿が近い事を言ってたな
坂口じゃなく自分に話してくれたらそうしたって >>120
列伝では、高千穂(カブキ)は猪木に心酔していたことになっている。 ドリーは馬場が死んだ直後くらいに
UFOで猪木と会ってたな >>116
あの頃SWS騒動真っ只中だったからじゃね 合併問題で日プロ勢がゴネた一因は窓口が後輩の坂口だった事にプライドを傷付けられたのもありそう
小鹿に言わされば自分を窓口にすれば全体をしっかりまとめたのにという事らしい 極道コンビと羽田、轡田なんて、控え室で4人で麻雀やってて、試合の出番がくると、そのまま別れてリング上がって試合してたんだろ
小鹿が「テメエ、次はツモってやるからな、コノヤロー」なんて言いながら、チョップしたりな
これじゃ馬場も呆れるよな >>120
逆に全日本系で猪木を全く評価してないのってブルーノ・サンマルチノとカブキくらいじゃない?
テリーも昔はボロクソ言ってたけど最近「本当はレスラーとして認めてたけど全日本の敵だからこき下ろしてた」と言ってたし >>120
羽田は本当は坂口一派についていきたかったけど、リンチがこわくて残留したんだな。
新日に行ったらもっと練習してケンゴくらいにはなっていたかな? >>130
ロッキー羽田はオールスター戦で坂口に仕掛けられたらどうしようとビビってたらしいな >>130
上背もあるしちゃんとトレーニングしてたら坂口・羽田組で北米タッグを獲ってたかも >>120
藤波は師匠猪木に最後まで評価されなかったので複雑な思いがあるのだろうね。
長州なんかは新日でよかった、と言ってるし、前田もかな。 >>134
羽田が反旗を翻して、上田みたいになったりして、無理か。 全日復帰後のブッチャーが全日と新日の違いについて聞かれて「リングの内外を通じて
人間味、人間の大きさの違い」と言ってたね。同じく両団体を体験したシン、ハンセン、
ブロディ辺りも全日と新日、馬場と猪木の比較論みたいのは語ってるんだろうけど、
あまり記憶に残ってない。新日に関して「誰とビジネスの話をしたらいいのか分からない」
と言ったのはウィリアムスだっけか。 唐突にまるで違う話になるけど・・・録画しといた高校野球の準決勝見てたら
天理高校のベンチ入りメンバーに輪島てのがいたけど、あの輪島の息子だったのね。
アナウンサーの説明で初めて知った。やっぱり元横綱の息子だけあって、強豪校の
ベンチ入りできるぐらいの素質や運動能力があったって事なんかね。現在高3だから
プロレス引退後にできた子供だろうね。 越中に前田対アンドレ戦の不穏試合について聞いたら
「俺はもうホテルに帰ってたよ、新日は若手を除いて試合が終わったレスラーから
順番にドンドン帰ってくれってシステムだったんだ。全日では考えられなかったね。
馬場さんの試合が終わるまでは帰るどころか、シャワーを浴びる事すら許されない。」 >>139
なら長州らがきてからかわったのかな?
長州らジャパン勢らは長州の試合が終わったらみんなホテルにかえってたみたいだし 1987年頃の週プロの記事で
「昔の新日ではジュニアのチャンピオンだった藤波ですら
練習に遅れると猪木が竹刀で殴っていた
だが今の新日では誰も殴る人間がいない
前座の若手レスラーが全然メインイベンターを尊敬していない」と
嘆く記事が載っていたしむしろその頃は規律が崩れていたんじゃねえの >>137
ブロディや前田もそういったことを言ってた。 >>139
越中の話は興味あるけど日プロではどうだったかか気になるね。
日プロが全日と同じだったら伝統的というかそのまま踏襲しただけで新日本が新しいルールを作ったという話になるし、
全日本になって新しくそのようなしきたりが出来たなら、全日本がより堅苦しい団体になった(なっていった)という話になる。
個人的には力道山の試合を見ずに宿舎に帰るレスラーというのは想像つかないけど、実際はどうだったんだろう。 猪木が絶対的なメインエベンターとして君臨してた頃から若手以外は
試合終わったらサッサと帰ってたんかな。途中から変わったんかね。 >>141
そもそも昔のプロレスは興行を組む上で「綺麗な三角形態」がキチンと出来てたよね。
まず若手が登場して基本に忠実なレスをお客に見せ、その内若手の壁とも言える中堅
が登場、更にミスター林やミスター珍等お客を笑わして呉れるコミックレスラー(自分は
こう言うレスラーも絶対必要だと思ってる)を経て初来日の若い無名の外人レスラー
の試合、そして日本人外人のメインエベンターの登場と、まるで料理のフルコース
みたいに綺麗に形が整ってた。
所が長州の維新革命以降どいつもこいつも下克上(げこくじょう)宣言して上下関係
も何も有ったもんじゃ無くなった。挙げ句昨今じゃ前座の第一試合からジャーマンで
秒殺じゃ、説得力も何も有ったもんじゃ無い。 ピラミッドが出来てたのは新日で、全日は上が豪華なのに若手が少なく中堅がグダグダってのが当時の印象だが
全日は最後の三試合見られれば良いや〜って感じだったな 憎まれっ子世にはばかるって猪木のことかw
それと善人に限って早死にってのも馬場だったり。。 きっとミスター林や木戸辺りの何の華もない中堅の試合を見て、「プロレスの観戦の仕方、楽しみ方を心得ているツウな自分」に酔っていたんだろうね
馬鹿みたいw 馬場自身が「吉原さんは立派な人でした。だけど
「ああいう人だから国際は潰れてしまったんだ」と言う人もいます」と言ってたが
馬場はお人好しの善人ではないと思う
猪木に比べれば遥かに一般社会人に近い感覚の人間とは言えると思うが マシオ駒と大熊元司は全日本プロレスの功労者として語り継がれている
その二人以外にも功労者はいるが、馬場の“ファミリー的”な考え方に反する者は除外される
家長である馬場に逆らったサムソン・クツワダ、
アメリカで女子プロレスラーと結婚した佐藤昭雄 >>150
なんでアメリカで結婚したらダメなんだよ。アホか。 ミスター林とか見てるのが苦痛だし、ポンポコリンのお腹でヘッドロックで鼻にグーパンチとか技とも言えない技を若手に受けさせてるの見てると子供ながらに腹がたったわ >>149
無益な争いはしたくないんだよ。だから自分のほうから喧嘩を売ることはしない
だけど馬場はお人よしと思われるのは嫌だから売られた喧嘩は買う。
ひとつ殴られたらふたつ殴り返す、そういう主義なんだなとかつて語ってたが
キッドスミスの時は自分から仕掛けてたよな だからブッチャーを取られたらシンだけでなくハンセンも取る そのせいか
いつの間にか
トップ外人が新日のお古ばっかりになってしまい
自前で武道館のメインをピンで何回も務まるような外人は
ついに作れなかった >>159
メインが馬場vs木村、セミが天龍vs長州って昭和じゃなかったか? >>159
77年チャンカー決勝とジャパンと提携していた85年以降。 あとは厳密には全日興行ではないが、力道山追悼興行が武道館。
メインの決着が、デストがドリーをフォールってのがいまだに謎。 >>157
一応戸口も取られてるしそのとき鶴田にも粉かけてた
キッドスミスのときは新日が経営危機になってたので一気に
潰しにかかったんだろうな。そのころ馬場はプロレス界統一を目論んでたらしいから >>162
乱戦中に
デストロイヤーがボディスラムや首固めを仕掛けられたところを
馬場が裏返したり押しつぶしたりで2フォールだから
客も呆れたんじゃないかな
猪木ロビンソンの蔵前とどっちに行こうか迷った挙句に
武道館を選んだ人は怒るか後悔したと思う >>164
当時の全日本はこんなのばっかりだったよな
ファンクスから師弟コンビでインタータック取った時も
ドリーが鶴田をブレーンバスターで抱え上げたところを馬場がドリーの足をすくって鶴田のピン勝ちとか
せこい事ばっかりで
あとラッシャーの4の字のままリングアウト負けとか
ブックがせこすぎた。
裏で猪木がロビンソンと史上に残る名勝負やってんのに
大木とブッチャーの試合に負けてたよ 猪木vsロビンソンは内容的にはロビンソンがブックに逆らったからこそ偶然に生まれた名勝負
だから猪木自身は評価していない ロビンソンがブックに逆らって、よくあそこまで名勝負に作り上げたな
さすが猪木 ところで旧全日でブック破りだった試合ってあるのか? 猪木が体力的に最後の絶頂期だったからこそロビンソンの技巧に辛うじて対抗出来た奇跡なんだよな
あんなのはそれこそ狙って出来る物ではない
だから体力的に衰え出した以後はラフに活路を見出だす事になる >>168
86年の長州対テリー戦はブック破りらしいね。
というか、タイガー服部が勝ってにギブアップ裁定にしたんだっけ? >>162 >>164
武道館のメインはリアルタイムではなかなかいいカードだと思ったけど
今考えると必然性やら歴史性やら何もないエキシビションみたいなカードだね。
今からの目線だと
馬場&ジョナサン×ドリー&レイスなんてのが見てみたいカードだけど。 力道山追悼興行だから最後の相手であるデストロイヤーを立てた感じかな 全日時代のデストなんて「うわさのチャンネル」で和田アキコやせんだみつおと
ドタバタやってた印象も強いけどねw ロビンソンはあの猪木戦以降どんどん落ちていったけど
あの試合の時点では 明らかに猪木より強かった
スタミナでは猪木だとは思うけどレスリングの技術は
ロビンソンに敵わないんだなというのが
よく解った
あと3戦ほどシングルでの対戦を見たかっ
76 77年はロビンソンがライバルという形で
興行も打てたのに
シンばっかりではやはりつまらなかったよ >>125
ムック本で桜田が猪木乗っ取り事件の詳細を語ってるが小○が
扇動して猪木を集団暴行しようとしたらしい。猪木はそれを察知して
日プロ事務所に姿を現さなかったので難を逃れたが小○って
見た目どおりヤクザだわ 鶴田VSビッグ・ブバがイレギュラーな試合だったって説があるな >>170
そんなわけないだろ。
いくら服部がギブアップ裁定しても、
仲田が発表しなければいいんだから。
会場の誰もが反則防衛だと思った状況で、
服部のブック破りに付き合う理由がない。 >>177
動画を見たが
フィニッシュが関節技らしきものだったというだけの
全然普通のプロレスだったw >>177
ブーバが顔を殴ってきたので鶴田が怒って足首を極めたんだろ
鶴田「顔面を殴ってきやがって、最後のは力を入れたらポキッだよポキッ」 >>168
愛知県体育館で馬場がレイスからNWAを奪った試合はレイスのブック破りといえるのでは ブーバ戦より結構前に
谷津の監獄固めに対抗して「回転地獄固め」とかって技使ってたな。
入り方はブーバ戦のようにグランドコブラの体勢から転がって
サンボの膝固めと極め方は一緒だったと思った、余り詳しく覚えてないが。 マリオミラノが馬場の十六文をカウントワンで返した試合 昭和じゃないが、馬場の16文くらって倒れもしなかったレンジャー・ロス。 >>172
…そのカードのどこに必然性やら歴史性やらを感じるんだ? バトルロイヤルで天龍がフォールされてるのを馬場がキックでカットした時は会場が盛り上がったな、当時のバトルロイヤルはフォールされると返せないと思われてたから
結局天龍はリングアウト負けになるから馬場の行動はブック通りだったわけだが >>182
大阪で前田とフライが対戦した時、サミングにブチ切れた前田が
フライの足を極めてしまったみたいなもんかな。
昭和全日とは無関係だけど、その前田とかつて激闘を繰り広げた
ドン・中矢・ニールセンが亡くなったみたいね。ご冥福をお祈りします。 明後日の両国大会のタイトルって、全日本プロレス創立45周年記念なんだな
45年て嘘だろ?と思ったが俺の年齢を考えるとあってるw >>195
オールジャパンって旗揚げ3年くらいだろ。
あれはジャイアント馬場が作った全日本プロ・レスリングとは別物。 まあ日プロだって力道山時代とBI時代は別法人なわけだが >>184
その鶴田とブバのシングル行われたのが最終戦の川崎大会 川崎での鶴田と巨漢の対決となればやはりクリス・テーラー ブッチャーはあれだけ全日本に参加しててもタッグ王座とは無縁だったね。
レイ・キャンディを相棒に奪取したあの1回きりなんだな 最強タッグでも結局優勝はなかったしね。まぁ見る側からするとブッチャーの
ベストパートナーはやっぱりシークだったね。いつ空中分解するかというハラハラ感も
含めて。カマタやキマラ2なんかは安心して見ていられたけど。 シークとのタッグはあくまで最強タッグ限定だったんだよな
それがプレミアムでもあったわけだが 一度だけ夏の品川で実現したよね、結果的にその年の12月に仲間割れしちゃったが。 ブッチャーとブラックウェルって同じシリーズに来たことあったけど、タッグ組んだことあるのかな >>204
レイスが馬場からNWAを奪還した日に組んでる。
尼崎市体育館(79/11/7)
ジャンボ鶴田 (1-0) アブドラ・ザ・ブッチャー
タイガー戸口 クラッシャー・ブラックウェル
戸口(12分28秒体固め)ブラックウェル 品川での対戦はまさに冬まで待てないファンのための番外前哨戦だったな
翌年ではドリーが最強タッグのみだったが 翌年はキッドがダブルブッキング
この時点で切れている全日本はともかく提携しているはずの新日本にも思い切り踏みつけにされる下駄の雪な国際 >>175
ロビンソンの引き止めなかったのは既にアリ戦実現に舵をきっていてそんな余力が
無かったのも一因らしい・・・
>>194
三沢タイガーの蔵前デビュー寸前にLAのジェットセンターで最終調整に入り「スパーリング
相手を選んでくれ!」と言われて周囲を見渡して当時、二代目・タイガーマスクのマネジャー
を自称していた馬場wが自ら指名したのはニールセンだった。
ゴングに写真も残っていて前田戦でブレイクした後に馬場の眼の確かさを評価していた。
意外な関係だった・・・ あの顔TVで見たことあるなと思ってつい指名してしまったんだろ。 >>208
全日と提携していた時もカマタ持ってかれた挙句馬場のPWFに挑戦できるように要望した
お人好しの吉原さん。 >>211
前田対ニールセンは三沢タイガーデビューの随分後だぞ。 カマタの場合は反則勝ちとはいえPWFを奪った事でカマタに負けなかった木村をむしろ立てた形になっている
当時の国際ファンの反応も知りたいが >>216
お前の書き込みの方がわからんぞ。
マジで柴俊夫のことか? 要するにニールセンは当時は日本ではまだ無名だったけど、
馬場が三沢タイガーのスパーリング相手として選んだのが
彼だったって事なんだろうさw 体格的、技術的に丁度いい相手だと
思ったのかどうかは分からんけど、その話は俺もゴン格か週ゴンで
チラッと目にした記憶がある。 そうすっと>>194とは書いたけど、昭和全日ともあながち無関係じゃなかったわけね。
あれ書いた時点じゃそんな話はすっかり忘れちまってたけど。 そういえば今日は三沢タイガーのデビュー戦の日だったか >>98
藤波が新日に行きたくなくて泣いていたと言ってるの佐藤のみ・・・
藤波の証言では猪木の付き人だったので木戸とともに日プロ内部では猪木派として
冷たい目で見られていた所に寮に倍賞鉄夫から電話があり「寮にある猪木の備品を
持って猪木後援会事務所まですぐに来てくれ!」の依頼があり二人で相談して夜逃げ
の如く寮を出て着くと寝袋持参で小鉄が泊り込んでいたと語っていた。
代官山の日プロの目と鼻の先にあった後援会事務所が初代・新日プロ事務所になった
が小鹿と永源が押しかけて女子事務員を脅すという事をしている・・・
>>127>>117
当時、全日内部で賭博が蔓延していてベテラン勢と若手のやる博打の種類とレートは
異なって若手は越中が特に好きで任天堂の人生ゲームにホンモノの現金をかけるモノで
ギャンブル嫌いなのに後藤と川田は付き合わされて毎回、巻き上げられていたらしいw >>223
川田は実家からの仕送りも全部 巻き上げられてたらしい。
大切な仕送りで博打する川田も悪いけど
越中もおかしいよ 給料も格安でキツかったと思うけど
誉められたもんじゃないな
川田なんか 大半は持っていかれたっていってるしな 越中って全日時代は怖かったよな
会場で見てたけど いつもピリピリしてたような
イメージがある
ファンなんか殆どシカトしてたし 新日だと猪木や佐山の付き人になれれば小遣いたんまりもらえて
巡業から帰ってくれば数十万金が残ったらしいが全日だとみんな
ケチそうだからピーピーだろうな。天龍も80年代じゃ給料少ないだろうし。
鶴田とかお使い頼むとしてもお釣りは要求しそうw >>225
若手時代、通路にはみ出すファンを注意したら
「うるせぇな弱いくせに…悔しかったら試合で勝ってみろ!」
なんて文句言われて悔しかったろうな越中
「相手は先輩だから勝とうとしたら後でリンチされるんだよ!」
とは言えないしな 当時のゲーセンのビッグプロレスリングって新日プロ全日プロ公認ってあったが全日は公認してたっけ。確か新日は公認してたみたいだけど。 >>226
猪木は小遣いくれないし洗濯の金もたまにくれるくらいだったらしい
佐山はサイン会についていった山崎に分け前くれたとか 天龍は洗濯してたジャパンの馳と健介とバッタリ会って「肉でも食え」と2万くれたとか SWS時代に新倉のグループのところに来て「これで好きに食ってくれ」と言って
20万円位置いていったそうだ>天龍
そんな天龍を裏切った新倉のグループも凄いが 猪木は軍手買ってきてくれと言って万札出して釣りは全部やった
エピソードあるぞ。あと自分の学校の先輩が猪木とたまたまトイレで
遇ったらしいんだけど猪木より巨体なんでこれで飯でも食えと数万
もらったらしい。 高田純次は「これで美味しいものでも食べなさい」と割り箸を渡す。 馬場は「タメになるからこれを読みなさい」と歴史小説を渡す
ジャパン時代に全日の練習場借りて練習してたアニマル浜口が
練習場訪れた馬場から渡したい物があるから後で来てくれって呼ばれて
練習終わった後でウキウキしながら馬場のところに行ったら徳川家康だかの歴史小説渡されて
ずっこけたって話があったなw >>235
永島がWJ旗揚げの際、健介に明智光秀の本を渡したのを思い出したな >>234
桂文珍も引越しの手伝いをしてくれた仲間の落語家や芸人たちに御礼として
「これでコーヒーでも飲んでくれ」と封筒を渡したが
皆があとで中を開けたらスティックシュガーだったらしい。スレ違い御免。 初めてアメリカ遠征に向かう大木金太郎に力道山が「餞別をやる」と言うから
金をくれるのかと思ったら、自身のアメリカ遠征の体験から得た教訓を授ける
餞別話だった、なんて話もあったね。 全日本プロレス中継の梅垣さん両国に来てたね
馬場7回忌、全日30周年の時も姿を見かけた。
なんだかんだで思い入れがあるんだろう ドリーとのツーショットなんか見たいな
今年はオープンタッグ四十周年でもあるし ステレスラーは短命だが、60年代のナチュラルレスラーはわりと長生きだね 馬場が米遠征から帰国する際にロスで
「俺はもう使わないから」と残ってるドル紙幣を
猪木に渡した話は有名だね
猪木はあの時はすごく嬉しかったらしい >>242
いわゆる最後の最後まで猪木が馬場を憎み切れなかったのってその辺とか、
扱いは違えど同時入門で同じ釜の飯を食った仲という気持ちがあったんだろうねえ。
猪木も馬場もお互い完全に潰そうと思えば潰せた機会が何度かあったはずなんだが。 猪木が馬場というか全日をつぶす機会はあったと思うが
馬場が猪木をつぶす機会ってあったか? プオタのおっさんは、俺の方が知ってるとやりたがる奴ばかりだな >>244
一番のチャンスは1984〜85年かな
新日は第一次UWFとジャパンプロレスのメンツが抜け日本側が極端に手薄になった
外人もキッドスミスの引き抜きに成功し、ウォリアーズの招聘争いにも勝利
あそこでブロディを手放さず藤波の引き抜きに成功していたら新日そうとうヤバかったはず いや、猪木の事業問題からくる借金や法人のj金の私的流用を馬場が
新日幹部やマスコミを使って、弁護士送り込み役員会で解任とかしてたら、
猪木は終わってただろう。
馬場はそこまでやらなかった。 まあ馬場によれば「テレビが見放さない限りは潰せない」とも言ってるが >>244
現実的に興行戦争で潰すのは難しい。
国際ですらあんなにしぶとかった。 >>248
だが、犯罪を大っぴらにされたら朝日も手を引かざるを得ない。 実際は、馬場は引退して全日をつぶして、猪木に譲ろうとしてたらしいが >>243
猪木は馬場を挑発しながらも、
ある程度気遣いがあるのがわかる。
昔はよくわからんが、
一線を退いてからは、
「馬場と戦わなくても結果は見えてる」
って言うだけで、勝てるとか俺の方が強いとは決して言わないんだよね。 >>252
オールスター戦の後、一億円のファイトマネーを馬場に提示し
猪木馬場のシングルで馬場が負けて引退し
全日の若手は猪木が面倒みるという話を馬場もいったんは受けようとした。 ナンバーのインタビュー記事があるがそのころ馬場は本気で
プロレス界統一を考えてたらしい。前田高田にも粉かけてたのは有名だが
結局ジャパンが出戻りしてUWFやブロディ引き抜きで新日が盛り返して
全日も輪島がすぐやめて日テレが視聴率とれないプロレスに見切りつけて
ゴールデン撤退したので馬場も資金がなくなってドサまわりで生きる決意したようだが 馬場が不幸だったのはジャパンのリターンとWWFの侵攻が同じ時期だった事だな。
外人が充実してれば、長州がいなくなっても、
輪島を客寄せパンダ、鶴龍対外人勢の二本立てで回せたと思うんだが。 ウォリアーズ、ジャパン、輪島投入しても結局はゴールデンに見合う
視聴率とれなかったんだよな。あの頃なぜ日テレがプロレスに突然力を
入れたのか不思議だ。馬場と懇意のが編成局長になったのかな? >>255
団体経営に情熱を無くした馬場が1億円のギャラと全日引き渡しを条件に話に乗り
テレ朝の三浦専務も資金を用意するも馬場が話を持ち帰ると突然、キャンセルに
なったと言う話で元ワープロの栗山Pしか言っていない・・・
ただ全日がゴールデンタイムを外れオールスター戦も国プロどころか「全日救済」が
目的だった言う事情が背後にあった頃。
>>246
長州一派とMSGタッグ寸前でのキッド・スミスの引き抜きと策が嵌り馬場は終始
ご機嫌だったがこれって全部の元新日の大塚氏の功績・・・
藤波が残留したのとテレ朝が即座に放映継続を表明したのが大きかった。
>>256
SWS騒動で創立以来の危機だったがなんとか切り抜けてター山をブレーンに
「今までG馬場と言う人物はバカだったんですよ!」と自虐的に反省しw
"ファン・ファースト"を打ち出しその後の四天王プロレスの隆盛のお蔭で日テレからの
借金も完済できた。「社長をやってきて本当に良かったと言える」とまで言わしめていた。 >>259
自分は悪役商会と気楽にお笑いやって四天王に命削らせてファンからは「馬場さん」と祭り上げられて売り上げは最高なんだからな >>258
突然と言うか、やっぱり長州始め維新軍の全日(ジャパン)移籍で
日テレもゴールデンイケると判断したとしか思えないなぁ・・、単純だけど。
でも、翌年の10月ぐらいには週プロに「長州の新日Uターン、秒読み状態」とか書かれてたな。 長州も全日でハンセンやゴディー デビアスなんかの
デカイ外人とやらされて キツかったと思う
ハンセンやジャンボと向き合った時の長州の背の低さが
目立ち過ぎた。
実際 長州って180ないよね 輪島入団で日刊スポーツとかが毎日プロレスを載せるようになったし鶴田AWA奪取の時の特番とかが好評だったのでジャパンとウォリアーズ登場でいけると思ったんだろうな >>263
輪島入団は、長州だけではイマイチ視聴率いかなかったのでテコ入れだったのかな?
ゴールデンタイム復帰の会見で、馬場を取り囲むように
鶴田、天龍、三沢タイガーと長州、コバクニ、谷津が並んで記念撮影してたのを
日テレの予告の映像や雑誌に掲載されてたのが、今となっては懐かしい。 >>262
長州の顔を立てるためにマーテルを取らせたり、トムマギーを取らせたりしたけどあのレベルじゃなあ。
全てはサソリをウォリアーズに腕立てされたときに終わった。
あんな筋書作るわけないんで、ホークのアドリブだったんだろうなあ。
世界サーキットで忙しすぎて、日本マットのことを全然理解してなかった当時のウォリアーズっぽい。 輪島は相撲引退してから時間がたちすぎだよ。
当時中学生の俺ですらリアルタイムで知らないもん。
あのころ輪島38歳ぐらいだっけ?それよりはるかに年寄りに見えた。 全女もゴールデンでやってたし世界のプロレスもやってたし
異常な時代だったな >>262
デビアスと長州はレスラーとして一番勢いのある全盛時をあの時代に共有したイメージだな。
長州は他にもフレアー、ファンクス、ニック、レイス、マスカラスとあり得ないようなレスラー達と戦っていたんだな。
カルチャーショックだったろう。「レイスとはやりたくない」とか当時言っていたっけ。
そう言えば、10月にマスカラス&藤波&長州が実現するらしい。
>>265
あのサソリ→腕立ては単純に当時笑ったな。「ホーク、すげえ」ってw
当時のウォリアーズは「飛ぶ鳥を落とす勢い」の表現も温いくらいの勢いだったし。
>>266
ハンセンも後に「あと6〜7年プロレス入りが早ければな。本人もそれは分かっていただろう。」と言っていた。 他の競技を引退してすぐの38歳なら動きもいいけど、
輪島の場合、もうあきらかにのろかった。
むしろ一般人の38歳のほうが元気に思えたよ。
腕力はそこそこあったんだろうけど。 横綱の価値って日本人が思う以上に世界ではあるんだろうな
ラスベガスでタイソンと輪島が対談したとき輪島が元横綱ってことで
タイソンが大喜びしたらしい。 >>270
のろかったと言うよりカクカクしてロボットの様な動きだったw >>271
グレート・コキーナも、ヨコヅナを名乗ったらメインイベンターになれたしなw >>265
長州がセールしないからやり返したのかも
ミスター高橋によればガイジンは取組表見て相手が長州だと顔をしかめてたらしいし 輪島のプロレス転向発表とデビュー戦て、地元の地方紙だけど一応一般紙の
スポーツ欄に写真入りで出たんだよね。俺の記憶だと猪木アリ戦以来の事だった。
プロレスラーとしての輪島は成功とは言えなかったかもしれんけど、ニュースバリュー
としてはやっぱり10年に一度級だったんだろうね。 アントン・ヘーシンクは日本テレビ契約選手だから本気でプロレスしなかったけど
輪島は日本では馬場とハル園田、海外ではネルソン・ロイヤル、パット・オコーナーと
師匠を四人も付けてもらって修行に明け暮れたとどこかに書いてあったな ハンセン・デビアスは鶴龍より長州・谷津との方がスイングしていた印象 長州も輪島を嫌って出て行ったくせに北尾が問題起こした時に輪島は一生懸命練習してたから北尾と一緒にするなと言ってたな >>274
>>278
句読点は入れた方がいい、かなり読みづらい。 長州って外人にとっちゃ、やりにくいだろうね
相手の良さとか、引き出せないし
自分が目立つ事が第一だからな、かませ犬時代は
そうでもなかったんだけど
それにしても、あれだけ背が低いと外人とやっても
絵にならない。 長州VS アニマル 長州VS ブロディーのシングルは見たかった 輪島はヤラレの美学だけは持ってたよな。
横綱にまでなった男が叩きのめされている!みたいな。
なぜか長州の場合だけはガチできつい。鶴田天龍藤波とは異質だよな、長州は。 >>285
いや、輪島と長州がというわけではなくて、外人にやられて絵になるのは輪島で、長州は見るに堪えないって意味だよ。 >>259
交渉上手な馬場が、日テレとの交渉カードに使った気もする。 長州は外人相手だと名勝負がまるでない稀有なレスラー
外人相手だと日本人に見せるような闘志はまるでなく淡々と試合を
消化して終わらせる。 長州は外人相手だと意外に顔に表情が出ないんだよな。
表情を変えないまま黙々と試合してる。
だから、試合がヤマ場に入ってもなんかこちらが乗り切れない。
逆に天龍は表情豊かだったな。
相手な技かけられる時も、悲鳴あげそうな悲鳴作るからこっちも力が入る。 北尾は例の八百長発言の後、控え室で「さっきのは一体なんなんですか」と言ってきた田中八郎の奥さんに向かって「うるせえババア」と叫びながら椅子投げたらしいもんな。 >>275
全日で一般にまでインパクトを与えてムーブメントを起こしたのはヘーシンクと輪島の
プロレス転向くらいかな?一時的でも視聴率にも貢献している。
>>289
出戻ってからのベイダー戦くらいかな?バックランド戦はバックランドのタックルのみ見物
だったしホントに外人との名勝負どころか印象に残る試合も稀有。 ウォリアーズ初来日シリーズ最終日愛知の対長州カーン盛り上がり凄かった
カーンがリフトされるなんて驚いたし長州ほぼいいとこなしでウォリアーズの凄味が目立った
同じ日のブロディ試合放棄は何か帰っちゃったとしか思わなかった リックフレアーが長州のわざわざ全く受けない試合は驚いたな
ラリアットはすかす
サソリはひっくり返らない ほんの数年前まで新日でハンセンに全く歯が立たなかった長州が、ハンセンらと対等に扱うのはいくらなんでも無理があり過ぎる、と子供ながら思ってた。 >>296
まあ、新日時代も全日時代も、そういうブックってだけ。 馬場自身が直接長州とは戦いたがらなかったのは結局なんでなんだろね。
単純に、体が違うから自分とは合わないと思っただけかな。 長州は馬場とはやりたくない組んだ瞬間に力量が分かったみたいに言ってたからな
どう転んでも長州に得はない
馬場の16文食らって転がりながらリングアウト
サソリをかけたら簡単に返される
そんなの屈辱だろ 前スレで一番恥ずかしい知ったかバカ
928お前名無しだろ (スププT Sdba-XdZE)2017/08/16(水) 10:00:37.71ID:vzbzjzNHd
>>925
Wikiでは1979年にWWFに行って、ホーガンのデビュー戦で敗け役やってる。
いわゆる移籍癖があるし、そんなのをNWAが王者に据えるわけがない。
簡単に負けブックを飲むからフレアーに何度も挑戦してただけだろ。
もう少しプロレス学べよ
当時WWFはNWAの加盟団体で普通にNWAの主力がブッキングされてたんだが
お前がプロレス学べw エースのハンセンと互角に戦うブック与えられながら
一部の外人には軽くあしらわれてるから格の整合性が取れなかった
馬場の意図がわからん
エース待遇は日テレの意向で、一部外人のあたりの強いファイトを黙認
(あるいは影で教唆した?)のは馬場の本心ってとこかね >>302
馬場の本心というよりは、それぞれの外人レスラーの気持ちだろ。
結末はブック通りにするが、内容は好きにやらせてもらうってことだろ。 馬場が長州とやりたがらなかったのはあんなちっこいのにやられまくるわけにいかないし一線わ退き気味だった自分が長州を押して長州の商品価値を落としたくもないという感じかも >>301
ほう、じゃあお前は、下位団体でデビュー戦の新人に負ける奴を上位団体のNWAが王者にすると思ってるわけだな?
そこの矛盾はどう説明するんだ????
もう少しだけプロレスのこと知れよ、プッww >>282
長州とブロディのシングルは俺も見てみたかった。タッグではあの通りだったけど、
シングルでもやっぱり同じような展開になったんかな。
>>292
デストロイヤーとブッチャーもそう言っていいんじゃないかね。一般紙のスポーツ欄に
載るような事はなかったろうけど、プロレスファン以外の一般層への浸透て意味では
十分あったと思う。 >>291
興奮してたからじゃないの?相撲時代に師匠のおかみさんを突き飛ばしたのも
同じ理由だと思う。もちろん興奮してたからって許される行為とは思わないけど、
聞き及んだ限りじゃそう悪い人間でもないと思ってたんだけどね。 現在まで続く輪島最大の功績は朝刊スポーツ紙にプロレスを復活させた事
まさに猪木を超えたプロレス市民権 >>307
サイコシッドみたいだなw
あいつも普段は体に見合わぬ温厚な好青年らしいが
キレると暴れる >>309
だいぶ前に北尾スレかどこかにも書いた事あるけど、大口ばかり叩いてるイメージが
あるけど、試合前のインタビューなんかでは割と静かな口調で穏やかに話すからね。
あの辺に人柄が表れてる気がした。ブーイング浴びまくってた時も応援してたんだけどね。
馬場は北尾に関して「誘われるんだったら(プロレスラーに)なりましょうて態度だったから
こっちからは誘わなかった」とは言ってたけどね。」 北尾がキレたのはあしらわれた相手が元幕下のジョン・テンタだったからだと
当時の記事やコラムで書かれているが、相撲時代の番付をプロレスに持ち込むかね >>310
普段は人当たりがいいんだけど、キレたら何言い出すかわからない。
ナイフの収集マニア。
女性にでも平気で罵声を飛ばす。
凄い心の闇を感じるなあ。
簡単に焚き付けられる性格も含めて。
自立出来てない感じがするね。 >>295
なぜか輪島は買ってたよな
NWA戦に指名したり。やっぱり外人は相撲の横綱が好きなんだな
北尾は嫌われてたけど 北尾はやっぱりドームでのデビュー戦がねぇ。内容自体はそれほど悪くもなかったと
思うんだけど。あそこで誰もが納得のいくフィニッシュで決めてればその後の歩みも
もう少し違ってたかもしれない。昭和全日スレで北尾の話ばかりするのも何だけど。 >>311
テンタは初土俵から無敗で廃業してるんだよね。
相撲界になじめたら曙より先に初の外国人横綱になっていたかもしれない。 若羽黒
「親方、番付はどこだい?おれは大関だよ」
双羽黒
「チクショー、なんで元関脇の親方が横綱のおれに注意するんだ?」
天龍
「ふんどし担ぎレベルで終わった奴(上田)が偉そうなことを言ってるんじゃねえ!」
力士には番付は絶対みたいなところがあるからな
後に北尾が全日参戦をキャンセルしたのは田上に負けるブックを
飲めなかったからだと言われてたね 昭和末期にでた話なのだが1987最強タッグのメンバーで逆上陸のAUPって
ブロディ生きていたらカンザスあたりでは意外といけたんじゃないかなぁと思う。
当時はブロディ、ブッチャー復帰でガイジン路線復活の延長でその先に夢がある
企画でわくわくした記憶がある。 >>308
猪木は小林戦やアリ戦で
日プロ分裂以降にそっぽ向いてたスポーツ各紙の一面を取ったことがあったけど
馬場がNWAを取った時やハンセンの移籍の時はどうだったんだろう? >>310
ビガロとのデビュー戦の試合前インタビューでも異常に落ち着いていたなw本当にこれからデビュー戦かよっていうくらい。
トップ外人にも嫌悪されてたな。ハンセンとウィリアムスは「キタオのことは一切聞かないでくれ。不愉快だ。」と同じことを言っていた。
おそらく2人とも同列に語られることが許せなかったんだろう。
>>313
ハンセンも93年に輪島について聞かれたとき「オ〜、ワジマさん!初めて日本に来た頃は日本語も全く分からないし、
テレビで相撲ばかり見ていた。それでワジマのファンになったんだ。数年間全日本でトップを取ったレスラーとして認めているよ。」と肯定的だった。
>>316
確かに若羽黒と双羽黒(北尾)はダブルなw同じ立浪部屋だし、それぞれが当時の『新人類』だった。 デイリーがプロレス扱ってたはず
鶴田のAWA奪取はデイリーで知った >>319
もし北尾が全日に上がってたら鶴田vs北尾とかブロディvs北尾なんか見たかったけど、
ハンセンやウィリアムスはコメントからしてもあまりまともな試合にはならなかったかもね。
つーか北尾がスポーツ冒険家だかやってた頃にブロディが亡くなってるから、これも無理か。 >>319
若羽黒は鶏に目の玉をくり抜いたり拳銃密輸で逮捕されたりと
相当におかしいところがあるから
流石に北尾でも一緒にされるのは気の毒 なんか北尾は少し知能遅れで小学6年〜中学1年生位の知能だそうだね、
相撲時代に付き人にゲームのレベル上げさせたり
エアガン集めたり、エアガンで付き人うったりと、確かに子供じみてる
相撲やめたのもゲームが原因らしいけど、あまりにもみっともない理由だから
ちゃんこの味がきにくわなかったことにしたらしいね
菓子パンやスナックを好んで食べてたそうだし、中身は子供なんだろうね 新日正規軍vs維新軍にしろ、全日vsジャパンにしろ
やっぱ軍団抗争は2年くらいが限度だったな。 >>281-282 >相手の良さとか、引き出せないし 自分が目立つ事が第一だからな
千の顔を持つ誰かさんとのシングル戦もみたかったかもw 昭和プロレス好きのプオタは、毎日、暇なんだな
他にやることないのかな? 長州はプロレスの引き出しが少ないんだよ
誰とやっても似たような試合にしかならないし
日本のプロレス事情を知らない外人にしたら
なんでコイツがトップなのか 解らなかったと思う。
やっぱり新日が似合ってた。
外人とやっても 長州自身が燃えないんじゃないかな? >>326
全日は新日より先にイルミネーションマッチを行っている
全日正規軍は馬場、鶴田、天龍、プリンス・トンガ
対する抗争相手は何とシン軍団ww
シン、上田、鶴見、そして何故かバズ・タイラー テンタは刺青の問題で大相撲廃業したんだよな、今でも刺青の力士は見ないもんな。 >>324
ゲームのレベル上げは割と普通にやらせるだろ
会社に行ってる間嫁に先に進めないようにレベル上げだけやっとけとか
それ以下は橋本がやってたことそのもの タイラーは鶴見とアジアタッグに挑戦した関係だろうな
ちなみにそれが昭和における最後の外人選手によるアジアタッグ挑戦 >>308
輪島のプロレス入りをすっぱ抜いた日刊スポーツだけだけどな。
しかも九州以外の西日本では相変わらず載らなかった。
他のスポニチ・サンスボ・報知・東中が載せだしたのは90年代に入ってから。 >>334
消去法でタイラーなんだよ。
最適のジョーは前々からマイティのジュニア挑戦が決まってたし、残りはロビンソン、デスト、どん尻外人のヒーナンだからね。
タイラーは前年の初来日の時は評判良くて、最終戦の千葉では同じ初来日のマニー、レイガンス、ハリスを押さえて鶴田とセミでシングルやったけど、この来日では鶴見とチェーンで相手の首を絞め合うセコい外人になってたな。 >>
>誰とやっても似たような試合にしかならないし
それって、むしろ鶴田じゃね?
鶴田は誰と試合してもバックドロップでしか決められない
(長州は一応、サソリ、バックドロップ、ラリアットと決めパターンもいくつかあるが)
誰と試合してもショルダースル−失敗して
誰と試合しても同じ試合しか作れないような気がする、鶴田のほうが。 馬場は、ここぞって時の大事な試合ではネックブリーカーや32文六ケット砲なんかがあるけど
鶴田には、そういうのがまるでなくて、どの試合も同じ技、同じ試合運び、同じ決め技でしかなかったと思う。 あと、長州は、それまで同門対決はタブーだった日本のプロレス界で
維新とか革命とかいわれ、同門の看板選手に試合を挑んでいったイデオロギーで人気が出たが
鶴田の場合、鶴田革命とか何にもなく、馬場の命令で試合するだけの
ただのサラリーマンレスラーでしかなかったのも今一つ人気がパッっとしなかった原因の一つ。 ジャンボ鶴田DVD「ジャンボ鶴田伝説」vapから11月22日に発売 DVD5枚組
http://www.vap.co.jp/goods/1503307622059/ 115お前名無しだろ (ワッチョイ caea-7v3n)2017/08/30(水) 01:57:09.72ID:Y+qTJNvl0
最強タッグのDVD-BOXもほとんど売れなかったけど
これも売れそうにないな。
なんか、ニートの息子が金に困って出したがった感じがする。
116お前名無しだろ (ワッチョイ caea-7v3n)2017/08/30(水) 01:59:09.69ID:Y+qTJNvl0
あと、ちゃんと「帰れ」コール、「鶴田ひっこめ」コールも収録してくれるといいんだがな。
音声消してたりしてなw
117お前名無しだろ (ワッチョイ caea-7v3n)2017/08/30(水) 02:00:41.57ID:Y+qTJNvl0
それに、どうせ、ブロディやブッチャーの入場曲は著作料払えないから、インチキな曲に差し替えだから 動く豪華外人の顔ぶれだけでも凄そう
特に初期のインタータッグとか楽しみ >>342
なんで発狂してるのか知らないが、事実だからしょうがない ちなみに、馬場鶴田組対ファンクスの試合
テリー、ドリーにはものすごい声援があって
馬場にももちろん声援が飛んでいたが
鶴田がタッチを受けて出ると会場から「鶴田、ひっこめー!」「鶴田死ねー!」
それほど全日の観客にすら人気のなかった鶴田。
事実だからしょうがない。
そういう客の音声も編集せずに収録されるのかってね? でも確認するやつも出ないだろうな。
最強タッグDVD-BOXの時も、買ったって報告は
スレに、まず無かったから。 80年の最強タッグ最終戦かな
定番の凶悪コンビがファンクスの相手じゃないのでヒール役を引き受けさせられた感じ
途中からいかにもそれっぽい感じでやってたし なお、Vap.から出た最強タッグDVD-BOXの時もブロディらの曲は差し替えだった。
今回の鶴田のDVDも、おそらくブロディらの入場シーンを丸々カットするか、曲差し替えだろうから、それを踏まえて、購入しろよ。 DVDは基本的に差し替えだと思ってるから構わない
最強タッグのDVDは年によってダイジェストの多少が極端だった ハンセン戦の後、インタビュー受ける鶴田に
客から「帰れ」「帰れ」と帰れコール浴びせられ
泣きべそかく鶴田も収録されるのかな? 鶴田はごくたまにダイビングボディアタックをフィニッシュにしてたね。
記憶が曖昧だけど、十番勝負のクリス・テーラー戦でやってなかったかな。
鶴龍でインタータッグとったとき、ブラックウェルをフォールしたのはよく覚えてる。
あと平成に入ってからだけど、最強タッグでスパイビーもボディアタックでフォールしてた。
平成になると鶴田=バックドロップが完全に定着していたから逆に新鮮だった。
鶴田のボディアタックは体大きいのもあって結構見栄えした。 鶴田がバックドロップばっかりってw
猪木が延髄ばっかりと言ってるのと同じだぞ
フライングシザースドロップとかあるしそれ以前はなんで勝ってたんだよ 猪木は卍固めやら、普通にあるだろ
鶴田は全盛期にバックドロップしかなくて
ギブアップとるフィニッシャーすら一つも持ってなかったんだが >鶴田はごくたまにダイビングボディアタックをフィニッシュにしてたね。
あれも結局、テーズからバックドロップを伝授されたとき
テーズのもう一つのきめ技が胴締め落としだったことから
それも使えと言われて、真似て使ってただけ。
カブキからも指摘されてたけど、ようは、鶴田にオリジナルな技を持とうという工夫も何もない。 ダイビングボディアタックもマスカラスらの真似真似
拷問コブラとか逆エビとかも、つなぎ技でしかなく決め手にならず
とにかくギブアップとる技きめ技がひとつもなかったのが鶴田 ダイビングボディアタックとフライングボディシザーズをごっちゃに語ってないか? >>355
お前、鶴田DVD 発売がそんなに悔しいのかよwww >>357
なら買えよな
どうせ買わないんだろ、おまえは まあ、とにかくダイビングボディアタックで、勝ったことがあっても
とにかくギブアップとる技きめ技がひとつもなくて
ラリアットやサソリ等、きめ技もいくつか持ってた長州なんかよりも
よっぽどワンパターンな試合づくりしかなかったのが鶴田 >>330
>長州はプロレスの引き出しが少ないんだよ
>誰とやっても似たような試合にしかならないし
なので、こんなこと言って他団体のレスラーを中傷するような大人げない行為は
長州以上によっぽど試合づくりのパターンがない鶴田ら全日のレスラーの
首を絞めるだけなので、やめとけよと言うことな 人の技とか、パクリとか、オリジナルがない、とか
そんなこと言ってもみんなそうでしょうに、の話になるけど
腕にサポーター着けてラリアットしはじめたのはさすがに
節操がないなあ、と情けなくなった。
打った後に「うー俺の腕もきつかった〜」と
顔をしかめて腕を振るのがこれまたプロレス頭ゼロだったな。
それこそダイビングアタックやミサイルキックを決め技にすればよかったのに。 同日に両国行われた長州vs.カーンと鶴田vs.ハンセン(インター&AWAダブル戦)
長州vs.カーンの方が死闘で専門誌でも「全日移籍後、久々の長州らしさ」と称賛されていた。
一方、Wタイトル戦は印象が無い。長州はカーンのコーナー上段からにWニードロップまで受けている。
「自分を試すためにあえて受けた」とコメントしていた。
鶴田はアマリロ時代の印象があってハンセンとはやりにくいと吐露していた・・・ あの鶴田×ハンセン戦も凡戦なんだけど、
客側は
「乱入もジョーさん失神も無しで決着ついたし、セミが完全決着だからまぁいいか、」
という感じで自分を納得させてハンセンへの拍手送ってる感じだった。 鶴田はバックドロップ前はフィニッシュが無いって時期があったな
善戦ばかりで勝ち方忘れたとか悪口言ってた記憶があるわ 全日は基本的にはあれでしょ?3カウントで決するという
関節技だと後ろの客に伝わりにくいからとかなんとか
3カウントだったらコールもあるしわかりやすいし
どっかでそんなこと言ってる人いなかったか 両リンや反則負けの1番最後の試合ってどれになるんだろう?
たぶんシンかブッチャーがらみだと思うけど プロレスラーが総合でボコボコされた歴史があるのに、いまだ鶴田最強とか言ってるおバカがいる 馬鹿ほど流れを無視して結論とか言い出すのな
馬鹿って悲しいよな 鶴田はUN戴冠やテリーのNWAに挑戦した76年頃は応援団も居て人気も高かったけど、
77年暮れ以降、ファンクスが予想以上の外人人気を博し、引っ張られる形でブッチャーの悪役人気
マスカラスもその間、夏の顔としてすっかり定着と、馬場も含めまったく日本人エースの人気が奮わず
78年最強の優勝戦の馬場&鶴田へのブーイングはその象徴でもあったな。。
誤算と言うにはちょっと日本人としては情けない気もしたがねw >>367
誰だよそんなことを言ってる奴は?
デストロイヤーの四の字固めやファンクスのスピニングトーホるどまで否定してるぞw >>372
あの顔でなぜ人気あったのか謎だよな
当時のアイドルといえば西城秀樹や郷ひろみ、スポーツ選手なら原辰則なのに
なぜあの女子は鶴田なんかに夢中になったんだろう?プロレス雑誌の
読者欄なんか鶴田ファンの女子の投稿であふれてた。あの山口百恵も
鶴田のファンを公言してたし バックドロップしかなかったとしても、それが立派なフィニッスホールドとして
通用したならそれでいいじゃん。 若い頃の鶴田はイケメンとまでは言えないかもしれんけど、
当時のプロレスラーとしてはカッコいい部類だったと思うよ。
他はごっついオッサンみたいのが多かったんだから、当時の鶴田が
女の子に人気あったのは分からん話でもないよ。 昭和50年代に入ると高度経済成長もオイルショックで頭打ち。
そろそろ自分を省みる気運の中での鶴田のような、既成のレスラー像を打ち破る
のほほんとした、戦争を知らない世代の象徴みたいなものを感じ取ったんだろうね、同世代は。
オレから見れば完全に一回り上の兄貴分ではあるがね。 バックドロップを必殺技だと喧伝するまでは
ダブルアーム・スープレックスを決め技にしていた事もあったが
明らかな格下相手にしかフォールに結び付かなかった
その格下レスラーすら跳ね返した場合、
ボストンクラブで強引に捻じ曲げてギブアップさせた事もあった
きっと控室で説教したんだろうな >>375
そう言えば、鶴田って三浦友和に似て・・・ないわw
家の近所で70年代後半に熱狂的な鶴田ファンの女がいたって親から聞いたことあるな。
>>377
確かに「若い」ってだけで物凄い武器だしなw70年代後半の鶴田はカメラ目線がかなり多いw >>380
言われるほどカメラ目線が多かったかは覚えてないけどw
「若大将」てニックネームが似合ってたよ。当時はね。 80年代に入って イメチェンのつもりか変なソフトカーリーみたいなパーマかけだした時は笑った。
全く似合ってない 新日が鶴田を引き抜こうとしたって話は本当なの?
ぶっちゃけ同じリングにいたら
体力的にも技のダイナミックさでも猪木がかすんじゃうと思うんだけどなあ。 80年代に入って イメチェンのつもりか変なソフトカーリーみたいなパーマかけだした時は笑った。
全く似合ってない あと 若い頃の鶴田は女だけじゃ なくて
少年ファンにも人気があったんだよな
テリーと藤波に持って行かれたけど >>383
元テレ朝の栗山によれば本当の話
猪木も鶴田引き抜きを望んだが鶴田に断られた
天龍もSWS移籍の時に本で
「他団体に誘われたのはこれが初めてじゃない」と書いていた
他団体って新日しかないわな >>379
もしかしてプロレスをガチだと思ってんのw >>385
その藤浪はタイガーにごっそりやられて、無茶なヘビー級転向しかなくなったな 鶴田を引き抜いた後谷津の様に潰すつもりだったのかもな
谷津が俺が新日に入ったら先輩からお前のせいで練習量が増えたと嫌味を言われたそうだ
猪木はオリンピックコンプレックスの持ち主だからな 猪木は実際のところ、プロレスラーとしての鶴田をどう評価してたんだろ。
認めてたのか認めてなかったのか、未だに分からん。俺が知る限り、
雑誌なんかではあまり認めてないようなコメントぶりだったけど。 >>391
猪木も、ブックなしじゃ勝てないのわかってたろう。
ただプロとして★パンの鶴田はあまり評価してなかったんじゃないかな。
やっぱり猪木がガウン着て燃える闘魂で入場しただけで会場がまとまるからなあ。 >>392
鶴田が黒タイツに変えた時も「見た目だけ変えてもダメ」みたいな事は言ってたね。
>>393
まぁ流せw 新日に引き抜かれたタイガー戸口の悲惨な末路を思えば
鶴龍二人は移籍しなくて本当に良かったな
越中は例外中の例外として ワールドやMSGシリーズで坂口と当たったとき、充分テメエの身体能力の違いを身にしみて感じただろうからw
鶴田に対してもプライドにかけて絶対自分以上の立ち位置は与えなかっただろう事は火を見るより。。 なんだかんだで猪木が認めてたのは前田だけの気がするな 素材としての鶴田は猪木も大きく評価してただろう
ただし鶴田がファンからプロレス界の担い手として認知されなかったのは
>>383が言ってるような体力とか技のダイナミックさとかとは全く別のところの話
鶴田自身がどんなテーマを持ってプロレスに取り組んでいたかということ
その部分に関しては鶴田は魅力がな
NWAもAWAも本当に当人が望んでたかどうかも怪しい >>395
戸口もそうだしそれ以前のS小林や剛竜馬の悲惨な末路を見てたら
そりゃ引き抜きに応じようとは思わんわなw 鶴田が新日に移籍したとして、猪木が自分より上の立場に置く事はなかったろうけど、
ここまで名前出た人らと同じようなケースになってたんかな。本人もそれが分かってたから
引き抜きに応じなかったんかな。何だかんだで一応メインやセミの位置を確保しながら
レスラー生活を続けたような気もする。確たる根拠があるわけじゃないから、
あまり突っ込まれても困るけどw 新日に上がった鶴田ってのも今になってみると
見てみたい気になるから不思議だw >>399
坂口合流の時の、対等なダブルエース体制の約束もあっさり反故にされたからな。
「客を呼べるプロレスラー」としての才能は、天と地だったから当然ではあるんだが。 えっちゅうさんは頑張ったんじゃない?
けど馬場も日プロ残党合流組みには冷や飯食わせてたんだし、一概に言えないけどね。。 鶴田というのはデビューからいわゆる体制側的なギミックで、
天龍や三沢の壁になってブームになったからねえ。
新日に行ったら何をやっていいのかわからなくなるというか、新日も持て余したんじゃないかな。
猪木に喧嘩売ると言ったって、最初からお前のほうが強いじゃんみたいな。。。 >>401
エースとしての重責から逃れて
持ち株も同じで社長と同待遇の副社長なら
むしろそっちのほうが楽でいいとも思うが >>402
日プロ残党は引き抜いたわけじゃなくて
「いらない奴らが来ちまった」だからな
引き抜きと言うか馬場が望んで獲得したというと阿修羅・原か
原は外様にしては優遇されていたと思う 鶴田の後継扱いされてたのが
田上、森嶋、諏訪魔・・・・ どういう末路になったかは置いとくとしても、鶴田の新日移籍が実現してたら
前田戦やまだ元気だった頃のアンドレ戦、ボック戦、この辺りは見てみたかったな。
もちろん猪木とのシングルも見たかった。 >>406 まあそうだねw >日プロ残党
原にしても越中にしても外様ながらある程度のポジションを獲得できた要因は
なんだったんだろう。原なんて最後は借金取立てで解雇だったが、よく判らんなあ。。 越中が新日で優遇されたのはひとえに本人の努力だと思う
UWF勢にサンドバックにされても逃げずに立ち向かっていって
完全に客の心を掴んだもんな、そりゃジョージより評価されるよ 馬場は鶴田の少し下のレベルの選手が欲しかったような気がする。
自分が猪木とBIでうまい具合にブームを起こしてたような。
羽田、天龍、原と集めたがなかなかだった。
長州が去ってやっと天龍がモノになったけど。 越中は
そもそもなんで最初に全日を選んだのかの方が不思議なくらいに
いかにも新日ファン好みの
気持ちが表に出るタイプだから
下手な新日レスラーよりはるかに人気が出るよ >>405
ウィリアムスの介護技で失神する猪木より断然強いだろ(笑) メインでもなんでもないのに、新日のリングに鶴田が上がった時は盛り上がったな。
そんなに凄い試合したわけでもないのに、あの時の鶴田はドームに合っていたと思う。 >>415
あれは完全に鶴田が持って行ったな。
パートナーも最初は三沢タイガーじゃなかったんだったっけ?
馬場が直前に三沢に変えたって話をどこかで読んだ >>416
えっ?鶴田のパートナーは初めから谷津で、天龍のパートナーが川田→タイガーに変更では? 鶴田は金で転ぶ人間だから新日が移籍金けちったんだろうな
数億もらえるなら喜んで猪木の引き立て役になった。SWSのときも声がかかって
天龍なみの待遇だったら絶対移籍したはず >>417
ごめんそうだったわ。天龍も出たんだよね >>418
金でころぶ人間だからこそ、安定して給料をもらい続けられる全日にいたという考え方もあるぞ。
公務員体質なんだろ。
ただ結果的には鶴田は正しかったんだが。 そもそも鶴田は猪木に不信感持ってるから
移籍には応じなかった、新日に移籍したら全日ほど優遇されなかったと思う
移籍しなくて正解だったと思うけどな
それにしても鶴田を引き抜こうなんて新間も大胆というか、なんというか
あと小鉄とか藤原一派と鶴田って合いそうにないな >>421
>あと小鉄とか藤原一派と鶴田って合いそうにないな
↑そんなの合うヤツの方が珍しいだろ?引き抜いたブッチャーや戸口は合ったのか? 昭和の鶴田のベストフィニッシュはやはりレイスからUN奪還の北見の試合 >423
俺もそう思う。
技の切れもスピードもぜんぜん違ってた。特にフロントスープレックス。
レイスはPWFとUN2冠だったよな。
翌日PWFに挑戦した馬場はベルト奪還できなくて、この2連戦が全日の新旧交代のきっかけになった。
馬場が直接鶴田に負けるわけにいかないから、こういうシナリオにしたんだろうけど、いいブックだと思った。タイミングもよかった。 う〜ん
ユニークな展開とは思ったけど
ローカル会場でわかりにくくてまどろっこしいことやっても
ファンには中途半端な世代交代としか映らないんじゃないかなw 馬場の鶴田に直接負けたくない理由は複雑なんかな
本人のレスラーとしてのプライドなのか、集客能力のない鶴田への不信なのか
クツワダのクーデターに便乗した事を挙げる連中もいるけど…
晩年に天龍にピン負けを許した後も鶴田に負ける事を拒んだって事は
本人のプロレスへの姿勢に譲れないモノがあったのか?
天龍は地方で頑張ってるのにお前は…みたいな 単に挫折したことのない人間に負けたくないとかそんなとこじゃないのかな
馬場って巨人軍出身が誇りだけど人としてコンプレックスの塊だと思う
天龍も屈折してて馬場に似てる
苦労して成功した人間てエリートが嫌いなんだよ 天龍は本来エース向きの人じゃないから天龍が出て行って結局鶴田に頼って若手の底上げすることになるんだから鶴田を
優遇しておいて良かったじゃない。 >>414 ガチでやってないプロレスで強い弱いを論じてるのが、おバカさん 80年代後半の鶴田に対する馬場の解説は 本当にひどかったと思うんだけど
今までの鶴田に対する不満が一気に出たのか
そこまで言うか?ぐらい キツかったと思う。
それでも天龍が離脱して鶴田しか頼る人間がいなかったのか急に馬場も鶴田に対する態度を改めたのかな >>431
その馬場の苦言も、当時のファンなら誰しもが
鶴田に対して歯痒いような思いがあったから、その代弁とも思えなくもない。
ただ、三冠も統一させたり、期待の裏返しとも言えなくもないような。 世界タッグ、ウォリアーズのフォール勝ちかと思いきやジョーさんの裁定は五輪コンビの反則勝ちという玉虫色の王座統一。
三冠は、後楽園で消化不良の無効試合し大ブーイング浴びた後、大田区体育館でエビ固めで何とかフォール勝ちして王座統一。
大人の事情が丸見えで、鶴田が気の毒になった。 馬場はアニマルとホークならアニマルのほうが強いと言っていたな。
単純に腹が出てる方が力も強いって。
痩せてる馬場が言うとリアリティがあった。 ホークがこう言って怒ってたな。
「鶴田はなんで俺たちの技を受けようとしないんだ?(つまり、セルしないだ?」と。 >>436
してもらって当たり前、世界中どこ行っても5分暴れて相手を蹴散らして終わりで慣れてたから、
当然日本でもそれでいいと思ったんだろうな。典型的な天狗状態。
さすがにロートル化して新日に上がる頃はそんなことなかったけど。 天龍の著書にもこう書かれている。
「ある時、ブロディとハンセンが俺のところに寄ってきて
テンルーよ。お前はいつも俺たちの技を受けてくれて感謝してる。
それに比べ、どうして鶴田はプロレスをしようとしないんだ?
(技を受けてセルしないんだ?という意味)と言ったことがある」って。 谷津も、こう言ってる。
「鶴田を強く見せてたのは俺たちなんだよ。
俺たちが動いてやって。鶴田は(相手レスラーを光らせようとせず)自分を出すだけだから。
言い換えるとf鶴田は協調性ゼロってことw」 よく三沢対小橋の試合の解説で泣いたと話題になって、馬場当人は否定したが、
輪島が龍艦砲にボロボロにされてなお反撃した時に泣いてるよな? リック・マーテル「鶴田はひたすら技を出すだけで、アメリカンスタイルができないんだ」
リック・フレアー「鶴田より,アメリカンスタイルにも対応できた藤波のほうが良いレスラーだった」 >>440
谷津はほんと口だけだな。
てめえが引きたて役以外何ができるんだと言いたいわ カブキもこう言いててる。
「鶴田は、すぐ上に行っちゃったからプロレスを消化してなかったね。
下にいれば(相手を光らせることも)覚えることもできただろうけど」 鶴田はセルしても表情がしてないから受けてるうちに入らん
天龍の方がプロレスは上だったのは確か
ただプロレスが鶴田以下の谷津に言われても説得力ないのも確か >>442
藤波は、ヘビーに転向してドラゴンスープレックスもドラゴンロケットもできなくなったし、
猪木の技のパクりや、長州に対して掟破りで同じ技やったりしか、できなくなった。
説得力のある必殺技は皆無。
だから受けて受けて反撃して歓声浴びるスタイルに変えざるを得なかった。
それが功を奏したのが名勝負となった前田戦。
あんだけ受けてくれたから、前田も最後わざと起きてこなかった。藤波に対する前田なりの敬意。
所詮鶴田と比べる次元の選手じゃない。マーテルもフレアーも体格的にやりやすかっただけ。 >藤波は、ヘビーに転向してドラゴンスープレックスもドラゴンロケットもできなくなったし
ヘビー転向後の猪木に普通にドラゴンスープレックス出してたが?
藤波がドラゴンスープレックスできなくなったのはベイダー戦で腰痛めてからだろ 普通セルってのは、大げさに効いたってリアクション取って相手を光らせる行為。
鶴田の場合、技は受けても「効いてない」っていう表情しかしなくて
すぐに反撃
「なんで俺たちの技を受けて、やられてみせないんだ?」「鶴田はなんでプロレスをしないんだ?」と
鶴田は協調性ゼロだなとレスラーたちから呆れられる結果に。
一方っで、そういう試合づくりしかできないから、プロレスの仕組みをしらない一部の人は
セルもワークもしないで、自分の技を繰り出すだけの鶴田を見て
(当然、相手は鶴田の技を受けてセルしてくれてるから)「鶴田って強いな」と勘違いする。 なので谷津からも、こう言われる。
「鶴田を強く見せてたのは俺たちなんだよ。
俺たちが動いてやって。鶴田は(相手レスラーを光らせようとせず)自分を出すだけだから。
言い換えるとf鶴田は協調性ゼロってことw」 鶴田のDVD 五枚かー 映像 日テレだっけ?
試合残っていたんだ 買おうかな 旧全日の映像は、日テレに保管されていても、商品化の場合権利関係が難しいからカットや差し変え覚悟のうえで だから構うなつうのに
日付変わったもんだから嬉々として書き込んじゃってんじゃねーか
各自でNGに放り込むなり無視するなり対策しましょう スレーター戦のゆったりと投げるジャーマン
投げっぱなしなんかより遥かに難易度が高い
卓越した筋力がないと出来んわな あと、30歳くらいになった時に
まだ若いのに「もうブリッジするのがつらい」と言って
スープレックスやめた鶴田は情けなかった。 スレーターに掛けたジャーマンは高さといい角度の深さといいスピードを下げないとかなり危険な形なんだよなスレーターの受身の技量もあるだろうが
ちなみにテーズはバックドロップに対してジャーマンは加減出来ない技と言っているがそれも考えるとやはり鶴田は凄い 鶴田だけが加減してスープレックスやってたとでも思いこんでるの? 良くも悪くも鶴田ほど加減が見える人間はいないだろうな
特にジャーマンは受身を取る側の技量の高さで成立しているのがほとんどで鶴田みたいに投げる側で調整しているというのはまずいない
まあ難度が高い割にはこういう事を言われたりもするから鶴田が迫力が伝わり易く加減も容易なバックドロップに移ったのも当然だろうが 確か もうジャーマンやらんの?って記者さん聞いたら
やったら保険掛けてくれるんですかと言ったんだっけ >>441
天龍とハンセンが組み出したのは輪島引退後だが…龍源砲の事か? >>444
日テレの原Pも「もっと長く海外遠征をしてヒールとして会場やファンの声に合わせたファイト
スタイルを身に着けるべきだったが促成栽培だったのでそれができなかったのが悔やまれる」
と話していた。実質は海外武者修行期間が半年も無くアマリロに着いても最初は試合も組まれなくて
多忙のファンクスがトレーニングを見るわけでもなく骨折中のハンセン達と自主トレするしかなく
放置されていた。クレームをつけたらやっと試合が組まれだしたらしい。
>>447
藤波はヘビー級転向後にJr時代の持ち味であったトリッキーな技を封印して逆に藤波らしさ
が失われたと言われた事があった。確かに個人的にはJr王者時代の方がいい試合が多いし
藤波が真にレスラーとして光輝いていたのはこの頃だと思う。
長州と抗争が始まるまで古館アナが「ヘビーの証明!」と連呼していた時期はパッとしない
印象が強かった・・・ >>436
自伝だと初対戦前にみっちり試合の打ち合わせして鶴竜はあれだけ
実績あるのに俺たちの技を受けてくれたと感謝してたぞ >>403
当時は鶴田が猪木より強いと言ったら笑われる時代だよ >>463
龍原砲だろ、龍源だと天龍一人だけになっちゃうw ジャンボ鶴田最強伝説はジャンボ引退直後にVHSビデオで発売されたのと同じ内容なのかな? 鶴田のDVD出るって聞いて 期待してたんだが
収録試合のラインアップが Youtub でも見れるのばっかりだし、レア物の試合が全くない。
70年代から80年初頭の鶴田にしか
興味がないので あの内容では買わない >>420
当時の全日の客入り目の当たりにすれば全日に将来性がないと
鶴田が考えてもおかしくない。だからクーデターおこしたり梶原の誘いに
耳を傾けたんだと思う。ただどれも計画が頓挫したので仕方なく
残留したのが本当のとこだろう。馬場も飴を与えてくれたので実入りが
よくなったし。 >>421
新間は鶴田の事は認めてたんじゃないかと思うよ。S57年頃にゴングで
「猪木の後継者」てなテーマの特集があったけど、前田や高野や平田なんかと
共に鶴田の名前も出してて、「日本マット界の宝」と言ってたからね。 >>422
ブッチャーと藤原一派が合ってたのかどうかは分からんが、藤原と前田が新日の
前座時代、いつも地方会場の体育館の片隅で練習してたらブッチャーが「これで
飯でも食ってこい」と小遣いをくれた話はニコ動か何かで見た事がある。過去スレでも
この話題は出た事あるね。 この20ドルで5ドルのリングサイドに入り、残りはコーラでも買いたまえ 鶴田のDVDて対戦相手はもちろん元子、日テレと権利関係複雑で
出すの大変だったろうな。 鶴田のアイコンといえば
星パンツ、チャイニーズカンフー、赤いエナメルシューズ、トップロープ超えリングイン
簿読み井関農機cm ttps://www.youtube.com/watch?v=SWS4jAuytn8cm ファンに投げ捨てるオーバーマスクの代金を全日に払わせといて
気前のいいフリをしている偽善者マスカラス そこは全日と日テレも承諾済みだろ?
沢田研二は強面のマネージャーが帽子をj回収に行ってたらしい。 ファンクスやジョニー・エースのコインは本人の自腹じゃなかったっけ
それ故にマスカラスが守銭奴扱いされてしまった ハンセンは何回か客席にテンガロンハットを投げてるけど、あれは回収したのだろうか?
見る限り相当遠くに投げてるけど。 猪木がブリスコに勝った試合後にお金をリングからバラまいたが、さすがに回収してないだろうなw >>466
ん?全日ファンの俺からしたら、
断然鶴田が強いと思ってたけどな。
猪木は反則してもレフェリーにカウントすら数えられず優遇されてるから強いと思っていた。 >>458
そんなこと言ってないわ。ウソつくなアホ。
ウソついてまで貶めようとする理由はなんだ? >>485 プロレスラーが強いとか弱いとか、まだ言ってる馬鹿がいるんだな >>483
どうせお土産用の1000円くらいの代物だろ。 古典MMOの名作 リネージュ1 今年15周年を迎えました
公式ショップで、英雄パッケージ 紋章 期間限定販売中
PK好きなら唯一のノーマルPKサーバー、Unity
NON-PKならRMT価格激安で人口2番目のアークトゥルス鯖か、人工最多のデポロジュー鯖
ケンラウヘル鯖は色んな意味で地雷なので避けましょう
初期クエストのクラウディア中は人には会えませんが、卒業するか下界へテレポーテーション出来るお金が貯まれば降りれます
最初はエルフとかWIZは大変過ぎるので、まずは戦士(←現在の超お勧めクラス)かドラゴンナイトかナイトでやってみましょう
^^b
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エクスロー >>483
全日参戦決定後に新日の最終試合で投げていて「アレはお別れの挨拶だったのか?」と
雑誌に書かれていたので全日時代に投げるたびに「全日離脱?」とマジで心配したw
>>475
馬場のDVDでも元子夫人との交渉が大変だったとスタッフが苦労を語っていた・・・
007の映画化権のように絶えず映画化を目指した権利者が亡くなりそんな権利が遺族に
あっても映画製作のような巨大なプロジェクトが誰でもできるわけなくほとんど映画化権を
持つ本流のイオンプロが権利を買い取りやっと全ての映画化権が一本化できたと言う話
があった。元子夫人が亡くなり権利が遺族に渡らないといろいろと難しいだろうね。
ブシロードはWWEネットワークの日本版を目指して全日のソフトも狙っていると話が
あった。ただWWEはNWA&AWAを含めたアーカイブスが多すぎてデジタル化が
追いつかず公開できていない映像も多いらしい。 元子は営利自体が目的じゃないからな
そもそも馬場が死んだ時にもこんなに世間で騒がれるなんて思ってなかったなんて言ってたくらいで要するに内向き思考でしかない 全日のアーカイブ物って ほんと駄目
今度出るジャンボのDVDも収録試合見たけど
レア物の試合とか未公開の試合が一切ない
馬場のDVD も全く売れなかったし >>495
馬場のシリーズはわざわざ金出さなくても観ようと思えばいつでも観られるカードばかりだった。
まぁ、テレ朝に比べて日テレのコンテンツに対する姿勢がクズだったわけだ。 凱旋帰国のインタータッグの完全版は馬場の方か
オープン選手権での初対決も馬場の方だし あと十番勝負も入らなかったブッチャー戦だが初めてシングルで蔵前のメインを取ったUS戦の映像は残ってるのかな
同じ日の馬場vs大木やデストロイヤーvsハンセンは残ってるだけに気になる 個人的には試練の十番勝負の第一戦〜三戦目までが一番よかった頃の鶴田を
象徴する試合と思ってるんだけど、木村戦、テリー戦は入ってるけどガニア戦は
入ってないね。あと「プロレスに就職」の全日入団発表会見も収録してほしかったけど、
流石にこれは映像残ってないか。 基故が死ぬの気長に待つしかねーわな
あれが逝ってくれれば全日の権利が馬場の姪に移って金さえ払えば
いくらでもソフト化させてくれるだろ。そうなれば日テレも好き放題
新日のように出せる。馬場ソフビもブルマァクの復刻版出せば
結構売れると思うけどな。俺もほしいし 鶴田のDVDはシングルよりも天龍同盟や超世代軍との6人タッグの試合を多く入れてほしかった。
三沢や川田とやりあっているころって結構感情むき出しになっていて面白かったんだけどね。 >>500 基股の権利は、ツバメやって世話してるライターに行くだろ
財産目当てに世話してるらしいからな >>498
ダブルメインで、ブッチャーー鶴田が第1試合で、第2試合が馬場ー大木だっけ?
>>499
阿修羅の国際入団会見の映像は残ってるんだよね。
日本人選手のプロレス入り入団会見自体そんなにないが、映像が残ってる最古のは阿修羅かな。 馬場vs大木が第一
ブッチャーvs鶴田がトリの第二だった AWA世界王者ジャンボ鶴田のテレビマッチ見つけた
https://youtu.be/Q6r4_fmK5d0?list=PLwilMnSRWukjBUGbNfigkBbgCQDCn-xrv&t=2003
海外初防衛戦ブラックジャック・ランザに勝った後だそうだが実況に倉持が加わってる
この試合日テレで放送されたかな? >>505
1984年3月4日 イリノイ州シカゴ・ローズモント・ホライズンでの試合だな。
ミーコの『スターウォーズのテーマ』が聞こえてくるよw
当日はハンセン&ニックvsブルーザー&リソワスキーというカードも実現。 蔵前でのブッチャーvs鶴田はデストロイヤーの絡まない唯一のUS戦だったんだよな
それもまた注目の一つで マスカラスはIWA王座を絶対手放さないけど
デストロイヤーはUS王座を全日に預けたんだな デストのUS王座って出自はどこの地区のものなんだろう。デトロイトやシスコ、ワットランドのとかは
昔から権威のあるUS王座とか言われてるが。。 >>511
デストが保持してたハワイの北米ヘビーを、PWF認定のUSヘビーにしたらしい。 >>512
ハワイ、PWFというとロードブレアースと馬場(全日)が半ばお手盛りで制定した感じか。。。 設立当時のハワイはまだまだ活気がありブレアースもブッカーとして相当な力と人脈があった ハワイゆかりのレスラーもたくさんいたな。イヤウケアとかカマタとか。 イヤウケアは来日するとかならずジョー樋口の家に泊まっていた
好人物でハワイに立ち寄ったレスラーはイヤウケアのボート屋に顔を出すことが多かったとか カマタ・ロビンソン・ブッチャーというPWFの流れについては当時の馬場の体調もあったろうが御手盛の個人ベルトという批判への対処もあったような
その逆が猪木に渡ってから完全な個人ベルトとなったNWF 第一回のチャンピオンカーニバル時点でのタイトル格付けは
1.PWFヘビー
2.USヘビー
あとは中南米、太平洋岸、南半球が横一線かな。
よくこんなにいっぱい認定したなPWF。 >>503
馬場の日プロ離脱会見の映像は残っているね。のちの全日中継解説者になる東スポの山田氏
がインタビューしている。日テレのカメラが回っていたので記者達は既に日テレの強力な
バックアップがある事を確信したらしい。
>>514
ハワイマットが健在だったのはメイビア夫人が興行をうって猪木とブロディが一時的に和解して
新日が乗り込んで協力していた頃までかな?
全日中継第1回も日本からの中継でなくハワイでのvs.シーク戦の録画で海外ルート開拓で
日本と米国を往復して頃に日テレスタッフが同行して収録した。
ハワイは相手を本土から交通や滞在費がかかるからスポーツ興行は難しいのかな?
昔、MLBで3Aのチームがあった時代もあるけど撤退しているし・・・ ハワイの繁栄は飛行機の中継地だった事も大きい
健在な内にPWFの防衛戦もやって欲しかった >>494
まあ単なるてめえの花園が大事なだけの小娘ババアだからな PWF38回防衛は輝かしい歴史だが、二流レスラーの挑戦もあったなw
ベーカー、マリガン、タナカ・・。目の当たりにした当地のファンはどんな思いだったろうなw 今も思うが、何で「P」なんて語感の
かっこ悪いのを頭文字にしたかねえ?
「ピー」ってwww パシフィックwww
そんなとこからも当時の全日のセンスの無さを
感じるわ。あ、別に俺は全日嫌いじゃなかったよ。 別にPが語感悪いとは思わなかったけど。
UWFのユーの方がちょっと気持ち悪いな、俺には。 改めて鶴田凱旋帰国のインタータッグ戦を見たが実に見事の一言
特にドリーをフロントスープレックスで投げてからテリーにジャーマンを決めるまでの動きが素晴らしい
まだまだ動けた馬場のフォローぶりも完璧で >>524
そうか?別にセンス無いとは思わなかったが。
それよりIWGPの方が違和感あった。
単にアルファベット四文字ってのに馴染みがなかったからだが。
しかも和訳したら
「国際レスリング大賞」になるって週プロに書いてて、ダサーって感じたなあ。 タイトル名つうと、アメリカ特有のブラスナックルとTV選手権(最近、日本にもあるが)つうのがいまいちよく判らなかったなw >>523
PWF防衛路線も昭和50年あたりから
商売にならなくなったせいか
開催会場のレベルも落ちる一方で
防衛戦が飛び飛びになってかなりいい加減だった
カマタに渡す前は半年以上も間が空いてる始末 その前は黒磯での大木のアジアヘビーとのダブルだったか
カマタ戦の日は確か新日本は武道館で猪木とバックランドがダブル戦 >>524
俺もだわ
何か二番手という二流感が漂うなあって思ってた
これまた同じく別に全日ファンだし馬場さん大好きだったけど 上にNWAがいる前提だからな
まあ妥当なネーミングかも >>519
ハワイはメイビアが死んで一旦は滅亡状態になった。
メイビア夫人がラーズ・アンダーソンを雇って復興した。
だから、ジョンソン以外の地元レスラーのレベルが著しく低かったでしょ? 日プロのロスマットみたいな定期的にトップの選手が遠征できる場所があっても良かったな。
ハワイがそうなればベストだったのかも。 感じ方は色々だろう
俺はNWFをNWAとWWFを足して二で割ったみたいな
安直な名称のタイトルだなあと思ったし 85年8月に行われたビッグイベント“サマー・ホットナイト”とやらの内容が凄い
全17試合という異常な長さ、そしてアメリカから名だたる世界王者を招聘
ワープロで放送してるぐらいだから、全日勢は出てなかったけど
当時のNWAチャンプだったフレアーを呼んで防衛戦を組むくらいだから
ラーズ・アンダーソンのブッキング能力がいかに凄かったかわかる >>504
蔵前のタイトル戦の前哨戦で確か北九州かどこかでやってるんだよね、鶴田とブッチャー。
前半は鶴田がブッチャーのラフ殺法に押されっぱなしだったんだけど、ロープの反動を利した
エルボー一閃、正にクリーンヒットであのブッチャーが「吹っ飛んだ」て感じだった。
得意の「オー!」に場内も大歓声。結末まで覚えてないけど、もう1回見たいもんだ。 蔵前の試合では一対一の後にブッチャーのリングアウト勝ち
試合前にオープン選手権参加の挨拶に来ていた木村ともやりあったみたいで オープン選手権の馬場木村戦の時はブッチャーが乱入してきたね。
あれへ向けての伏線だったんかな。 やってないと思う。TV中継で見た記憶がない。
映像自体は存在するのかもしれんけど。 最近はどうか知らないけど、昔は屋外興業が結構あって、体育館にはない味があった。 >>532だが、NWFはバッタモノ感が強すぎたw
IWGP始める訳だなと 天龍がロビンソンと組んで馬場鶴田とした試合見たが
天龍って全然鶴田に及ばなかったんだな
バックドロップを仕掛けてコーナーまでよろけてしまうなんて無様なすがた初めて見た
ここからMr.プロレスになるんだからわからんもんだ
逆に言えば田上クラスでも本人のやる気次第でトップもありえたのかも NWFはパワーズがハマったよね。あんな箸にも棒にもかからんレスラーをよく使えた、と感心してみる。 >>547
小鹿や佐藤の天龍推しを馬場はギリギリまで突っぱねたというが
当時の天龍の不甲斐なさを見ればそれも致し方なしという所だった 天龍はできもしないのに側転からのボディプレスやろうとしてあさっての方向行ったり、ブリッジの新定義みたいなジャーマンとかお尻落ちまくりの延髄撫でとか酷かった 57、8年の全日の試合見てると原の方が天龍より動きがいい。重量感さえも上回ってる気がします。 天龍がようやくメイン級になったと思えるのは83年の最強タッグか 天龍は自分に合わない技を無理してやってたよな。
相撲出身の天龍が実際は100キロあるかないかの猪木の技やってもキレがでないよ。
ラリアット、パワーボム、これだけで本当に良くなった。 いや、延髄は下から蹴り上げるほうが良いよ。
猪木のは当時から延髄撫でと馬鹿にされてた。 天龍は不器用で様にならない技でも あえて挑戦する姿勢が良かったんじゃないかな? そもそも延髄なんて空中で蹴ったって痛くも痒くもなさそう。
片足で立って回し蹴りで入っていくようなら効きそうだけど、それでも側頭の方が効くだろ。
ってプロレス技にマジレスごめんよ。 卍固めにしても、相手受けがうまくないとね。。。
まあ、猪木ってのはよく考えたら何も効かない技を必殺技に見せる天才なんだよな。 猪木は調子がいい時や合う選手相手にはあんまりやらない技やるからな >>545
まあでも米国ではアンチ主要三団体である新興団体の王座として短期間だったが結構、有力な位置づけにあったな。
歴代王者もブッチャーやバレンタイン、ラッド、ワルドVエリックらなかなかのメンツが揃ってるが
結局、パワーズの傲慢、独裁振りが祟って団体自体有名無実、経営難に陥ったところ猪木が目をつけて
何百万かで王座を買い取った。 NWFも米北東部のタイトルだったのにその後は、日本人とインド人のタイトルマッチばっかり。
PWFもハワイのタイトルのはずなのに日本人とスーダン人のタイトルマッチが主。
この辺はどっちも困ったものだ。 PWFはアメリカ本国出身のレスラーも大挙して挑戦してたはずだが PWFってアメリカと日本以外で防衛戦をやったことあったっけ? >>550
四種類のスープレックスを使いこなすスマートさは天龍には無いし向かない無骨さと荒削りさ
を押し出したから良かったんだと思う。最初は不器用過ぎるwきらいもあったけどだんだんさま
になってきた。デビュー戦は変にテクニシャンもどきでインタータッグ戦で覚醒するまのファイト
はもどかしく羽田の方がマスコミに評価されている始末だった・・・
新人時代の勝新太郎や菅原文太が美男子路線wで受けなくて男臭さを出してブレークした
のと似ている。
>>552>>555
現在のK-1のPである宮田氏が「年功序列廃止、若手の積極的登用、日本選手の底上げと
中心主義と言う路線」で進んでいてまさに自分のやっている事は「1984年の佐藤昭雄」wの
そのままと認識したらしい。ちなみに宮田氏はかって前スレにあった元子夫人の理不尽な
逆鱗に触れて全日を離脱したリングスタッフだった・・・ >>566
天龍より羽田が評価されてた時代なんてあったか?
オープンタッグの頃くらいだろ。 天龍と羽田の凱旋帰国は同じシリーズなんだけど、それから2年くらいは羽田は「期待の若手」ではあったよ。
オールスター戦で坂口とシングルやったのもそのイメージがまだあったから。
天龍はその間アジアタッグに挑戦して大熊にフォール取られたりしてたから位置が微妙になってた。
羽田はブッチャー移籍後すぐのシリーズで糖尿病で身体を壊し入院。何度か入退院を繰り返す内に上半身の肉がげっそり落ちて前座レスラーに転落した。 >>568
羽田はオールスターの頃はテレビマッチにも出なくなってたろ。
出てた頃でもフォール取ったことあんのかな?ってくらい微妙な扱い。
天龍より扱いが良かったことはない。 猪木がー、のジイサンまだこのスレに粘着してるんだなw 羽田は77年ころか、バロンフォンラシクのブレーンクローで血だるまにされてた記憶しかないなw
天龍も79年ジャイアントSの凱旋帰国はgdgdだったな。2年後は奮起したんだがね。。 羽田と同じ糖尿病持ちでも石川敬士はあれだけ活躍したのにな
石川がアジアどまりでインタータッグに挑戦させてもらえなかったのは
やはり体が小さすぎたせいか 最強タッグにも出られなかったし
もし原が失踪していなければ84年には出られたかもだが 天龍は自分でも
「プロレス入りして5年もあんなにしょっぱかったのに
よく全日は見捨てないでいてくれたと思う」と言ってたな
石川については体も小さいしルックスもさえなかったからな
迫力ある悪党顔だったらまだ良かったがそういう顔でもないし うがった見方かもだが、昭和50年代の全日ってやっぱ日本陣営に関しては、外から見る限りぬるま湯に見えたよ。
腹が出てる云々もあるけどw、親日みたいな厳しい雰囲気を感じなかったのも事実。
それがホントにその後「リアルに」大量離脱に結ぶかどうかは知る由も無いがね。。
ただ、全に血に限れば中堅以下の当時の動向を見るに、割とゆるい環境だったのかなと。。 衰える一方の馬場
詰めが甘い鶴田
壁を越えかけでもがく天龍
で日本陣営が辛かった
轡田はクーデターで追放
日プロ合流組ではまだチャンスやれそうな羽田は体壊して気力がもたない
子飼いの大熊と信用できないが使い道がある小鹿の極道タッグは若手中堅の壁、外人の力量測定や外人相手の負け役には使えてもそれ以上は難しいし手詰まり感がね 石川が旅館の下働きみたいな顔してなかったらもっと上で使われてたのにな 石川も高千穂や桜田みたいにマスクかペイントすれば良かったのにな
プリンス・トンガも上で使えるようになるまでは時間がかかったし 全日はトレーニングウェアが絶望的にセンスがない
特に夏用が酷かった
あれでは若者は憧れないわなw リッキー・スティムボートをもう日本に住ませてスターにしちまえばよかったのに。
鶴田と同じぐらいの報酬ならいけただろ。 >>579
あのジャージに紐をだらしなく垂らしながらマスク被る高杉も最高にダサかった。
ジャパンが参戦した辺りから、徐々にジャージのデザインが良くなってった印象。 >>582
それ。
その後も88〜89年辺りから、全日らしからぬw垢抜けた感じになったような・・。 緑っぽい水色っぽいジャージもあったな
またすぐ赤いのに戻ったけど 全日本のセコンド陣は、夏場は半袖短パン姿が多かったイメージ。 羽田は松田優作の探偵物語、もちろん日テレ版だけどね。一瞬出たことみんな知っとるけ? 谷津や石川はメインに出場するのにこのジャージで入場してくる事があったね。
上だけだけど。
あれはダサかった。 >>587
倉田保昭主演「戦え!ドラゴン」ではラスボスである四天王の一人を演じていたよね。 平成期に入ってから急にカッコ良くなったのはやはり外部の意見を入れるようになったからか >>587
優作が空手の突きをやったけど、全く効かなかったね。別に羽田でなくても
よかったと思うけど、やっぱりレスラーが役者より背が低いのはマズイってんで
羽田になったんかな。優作は公称で185aだったけど。 イシカ、ロキハ、オオク、グレコじゃあ外見的にもトップは無理。
オオクがあのまんま190あればキラカを超えた、っちゅう意見もあったが。
月ゴン時代にタケウが言ってたな。
オオクが身長190あれば体重も150くらいか。
それであの風貌ならウマノスも超えた大ヒールになれたかも。 >>591
あの頃の羽田はまだガタイ良かったんだな
一般人の優作と比べてだが明らかに体格差があった 全日本にはスタイリストが必要だとプロレス雑誌に読者が投稿してたけど完全に同意だったよ >>593
まだ体壊す前だったしね。
そんで全日のジャージが話題になってるけど、俺自身が全くセンスないからか、
それほどダサイとも思った事ないんだよなぁw そういや高校生の時に雑誌の
ジャイアントサービスの通販で購入した馬場のTシャツ着て歩いた事があったな。
背中に馬場の実物大の手形がプリントされてるやつ。流石にあれは「若気の至り」と
自分でも思うけどw >>594
まず、試合でのデカパンもカッコ悪かった、やっぱりw
新日と比べてモッサリ感も加わり余計に。
まぁ、新日も70年代までは木戸や中堅どころもデカパンだったが・・。
今となっては、そのカッコ悪さも引っくるめて全日らしいと言うか、懐かしく思えてくる。 S55年頃に全日と新日が野球だかソフトボールだかの試合やったけど、
新日が揃いのユニフォームだったのに対して全日はてんでバラバラで
「ユニフォームがまちまちなのがまたいい」なんて月プロに書かれてたね。
センス云々は置くとして、この辺の相違がまた面白いw 天龍は延髄斬りではなくて、
脊髄斬り。
初期は、延髄三段斬り、ってTVで
解説されていたような。
それを聞いて、何ソレ?
と思った。 全日のジャージーなんて、どうでもいいことじゃん
くだらねぇ 鶴田だけはジャージ着るのカッコ悪かったのか、いつも
自前のT シャツだったような気がする
そんな鶴田も年とってからは、そういうのに
無頓着になっていった。
若い頃はリングコスチュームとか見た目も結構、気にしてたのに。 ナンバー2は何故かほかのセコンドと違う格好をしてることが多い
馬場の試合の時の猪木や鶴田
猪木の試合の時の藤波
例外は坂口くらいか それとキャピタルのジャージもダサかった
ブロディーなんか年がら年中 キャピタルだもんな 猪木からはエンターテイメントの見せるプロレスと言われ、長州からはぬるま湯のすかしっ屁と
言われた。
天龍からは何かが足りないと言われ、そしてリップ・ロジャースからは殺し屋のギミックと言われた。
みんな本当に全日本を正しく評価していたのか疑問にも思う。 >>597
あれはしょうがないというか全日側が殆ど練習していない云わば急造チームだったのに対して
新日の方は75年頃から小鉄が監督役になって会社内に野球チームを作っていたから
しかも道場のある上野毛の商店街チームやスポンサー企業の野球同好会との親睦試合を重ねていた上にリング屋さんやフロント社員にも野球経験者がいたんだからね
>>602
キャピタルのジャージもシンドリーブロディゴディといった外人勢が着るとそれなりに見栄えがするのに何で日本人選手が着るとあんなにダサく見えるんだろうな?
後キャピタルのトレーニングウェアは特に夏用の半袖短パンのデザインがカッコ悪かった キャピタルって国際も使ってたよね?黄色にアディダスみたいな黒の3本ライン。 >>597
当時の西武ライオンズ球場で行われて親善の一環だったが「ユニホームは無くても良い
個人の自由」と言う申し合わせをしたはずが新日側は合同練習までしてwわざわざ
お揃いのユニホームまで用意した。現場に着いた全日側が「話が違う!」と態度を硬化、
あわや中止になりかけるも新日側が妥協してユニホームの上着を脱いでアンダーシャツで試合
をすると言う事で成立したイベント。そのまま実行されたら経緯を知らないファンはどう思った
かわかりきっている・・・ こんな所でも全日vs.新日の確執があった。長年、新日のみの
アンダーシャツがギモンだったw
ただ一塁ベース上で談笑する猪木vs.鶴田が実現している。
>>579
グッズを扱うジャイアントサービスが日テレでさえアンタッチャブルの馬場利権だったけど
いまだに売れる新日のライオンマークTシャツ等と比べて全日マークTシャツは購買欲が
掻き立てらなかった。馬場も鶴田もデザインが悪いしw売れるのってファンクスとマスカラス
ぐらいだったんじゃないのか?
買ったTシャツにもらった馬場のサインもしょぼいので「サイズが合わないから・・・」と言って
返そうとしていたくらいw 馬場のサインは全国各地で粗製乱造乱発してるから希少価値が無い
だろうねwww あとTシャツにサインするのは書き辛いそうだったw 平成になるけれど94年当時の黒っぽいジャージ、あと武藤時代の茶色のジャージが
とにかくかっこ悪かった。
そういえば今は団体で統一されたジャージがあるのって新日本くらいかな? >>604
キャピタルジャージの日本人はミスター珍のイメージが…
あと色使いがあまり良くない印象があるな
上田とかスミルノフのタイツに通じる配色
あとはキャピタルに限らず全日ジャージはデザインもデザインだが
総体に若手が少なく中堅が多いせいかどこか着こなしにだらしない、締まらない雰囲気がある
短パンのなんて親父が夕方に庭先で水撒きしてるようにしか見えなかった >>599
いや、親日のKING OF SPORTとライオンのロゴのTシャツは今も一部の若い子なんかが着てるじゃんw
伝承されてるんだよ。しかし全日にはそういう側面が無い。。 >>611
WWEの会場で馬場のTシャツ来た奴(白人)いたぞ >>608
> 短パンのなんて親父が夕方に庭先で水撒きしてるようにしか見えなかった
ワラタw
俺も全日レスラーの短パン姿というと、セコンドに付いてる高杉や大熊、小鹿のイメージしかない。
>>606
合同練習やユニフォーム揃えたり、新日って何でも徹底してキッチリしてるよな。
善くも悪くも、こういう遊びみたいな事でも。 >>613
全日もマシオ駒がいたらな
マシオ駒と小鉄は気が合ってたし同じようにやって恥かかずに済んだかも >>614
団体が別れてからも、マシオと小鉄は交流あったと言うし
練習方法についても意見交換してたようだな。
せめてジャンボが、善戦マンから脱却するまで生きてれば・・。
>>615
三沢タイガーがコバクニ戦の前に個人で、どっかの山中で秘密特訓したのしか知らない。 昔はプロレスマスコミも猪木信者ばかりだったからな
ブックがあるの知ってるのにいい試合してるのにレジェンドやNWA王者に勝てないから善戦マンとか酷いよな S53年頃だったか、ゴングに馬場以下全日勢が海岸沿いみたいなとこを
ランニングしたり、屋外トレーニングみたいな事をやってるグラビアが載ってたと
思うけど、シリーズ開幕を控えた合宿だったんじゃないかな。 三沢タイガーで思い出したが、決起軍や超世代軍時代にも合宿か何かやってたな、確か。 >>606
>一塁ベース上で談笑する猪木vs.鶴田
どんな会話交わしたんだろうね。
猪木「将来の日本マット界はお前にかかってるぞ」
鶴田「まかせておいてください!」
こうだったら美しいけどw ジャンツはそれが嫌だった時期があったみたい。
ブック守った上での試合結果なのにボロクソで評価も悪く。
チョリキもそういうことで長く燻ってしもうて。
やっぱ五輪出場した実績等のプライドが邪魔していた。
それが解けてチョリキは大ブレイクして。
ジャンツもいつからか、割り切って開き直れて。
リュウゲンも似た様な理由で最初の数年は燻っており。
リュウゲンもプロレ入り前には力士という実績あったし。
そういうのがないフジナは最初から伸び伸びやれた。
ジャンツ チョリキ リュウゲンみたいなプライドに邪魔されずに。 善戦マンと呼ばれた頃って実はキャリア数年だから、そう簡単に世界チャンピオンに
勝ってしまうわけにもいかなかったんだろうと、今になって思うけどね。
馬場も当時はまだトップの座を降りるつもりはなかったんだろうし。 逆に世界王者ってそれほど天才肌やナチュラルパワーが凄いってレスラーはあまりいないな。
どちらかというと「試合巧者」的なものが要求される。鶴田はその辺の技量が低かったと思う。。 >>618
プロレスマスコミの間では道場へ取材に行くって事は新日へ取材に行くって事だったからな
全日は練習風景を取材してる時だけ走ったふりしたりして、取材が終わった途端に練習をやめた
馬場のポリシーがレスラーは練習を人に見せるなだったからにしても宣伝下手にも程がある
試合前の練習も新日はちゃんとやるけど全日は元子が試合前に疲れてどうするのと言って軽くしかやらせなかった ずいぶん昔だが、相撲マスコミの間では
立浪部屋や高砂部屋に取材に行く記者は仕事をしない暇な奴と笑われたらしいが
全日道場に行くマスコミも似たようなものだったのかな 鶴田の善戦マン時代は好きだったけどな、鶴田も全日も一番それらしい時代 確かに今思えば全日良い時代だったかもな
地方会場等サインを気軽に頂けたり、番組も楽しみだった 長州が来るまでの予定調和に満ち溢れた全日中継は濃密な時間だった。 結果的に見ると大塚の手引きで長州たちが来て、ヒトの手引きでキッドとスミスが
来たあたりが、全日にとっては一番イケイケだった時代なんだろうな。
あれだけピンチになっても、新日は金曜ゴールデンタイム放送を守り続けたが。 話そらしてすまんが、全日対新日の野球試合確か22対5だったかな?新日の圧勝で負け投手馬場 当時の雑誌にモノクロで掲載されてた やたらと豪華な外人をストーリーとかの味付けすることなく使いたおす
鶴田のピクピク芸とか、お前どれだけ余裕あるのよとTVに突っ込み入れてた >>628
>>631
気持ちはわかるが、そのままだったら間違いなく日テレ打ち切りになっていたな。 85年の時点で
ファンクス、レイス、ニック、マスカラスはもう衰えて使えないし
ハンセン、ブロディも飽きられる時期に入る
ウォリアーズ絡みが最初だけ多少盛り上がって
あとは落ちる一方だっただろうなあ
対長州を経ない天龍が唐突に鶴田と対立構造を作っても
盛り上がったかどうか >>621
ジャンツって何だよ?
モビルアーマーか?
きちんと判るように書かんかい!!
アァン? >>635
>>621は絡んじゃいけない人なんだけど、今まで知らなかったの? そういえば1985年は全日本からブロディ、ドスカラス、エリック兄弟、スヌーカなどが新日本に移籍した年だったな 昭和の全日ジュニア凄かったんだぞ!とか全然ないような気がするんたが 俺にとっての《昭和の全日本》は、土曜日の午後8時から放送してた「70年代」が一番良かったわ。
マスカラス、ファンクス、ブッチャー、シークの全盛期で毎週ワクワクしながらテレビ見てたな。
でも、裏番組の「全員集合」も見たいから、プロレスがCMになったらチャンネル変えたりしてたわw 81年にブッチャーが去り 自分の中の全日は終わった
ブロディーではブッチャーに人気で到底 及ばないし
テリーもブッチャーがいなきゃ、只のベビーだし 俺も70年代組だな 鶴田、デストロイヤーの十番勝負 Cカーニバル、NWA PWF US インターダック戦なんかドキドキしながら見てた ガキで純粋なもんだから夢中だった >>621
お前こいつか?
56 名前:名無しさんのみボーナストラック収録 (アウアウカー Sa07-xVNh)[sage] 投稿日:2017/09/04(月) 21:12:12.58 ID:IslT0m/ya [3/7]
>>55
数年に一度だけ期間限定で復活する現役感がないエンペラーよりはMYRKSKOGやABBATHやナスラック辺りの方がマシ
2日目にしてもキッスの曲なんかギミックがあってナンボなんだからジーンシモンズよりはディースナイダーの方がマシ
あとはギャラの関係上むずかしかったのかもしれんがマイケルシェンカーよりはセカンド再現のドリムシをここで呼ぶべきだったな
ギャラが高いなら長時間演奏させてジーンシモンズとか出さない選択肢もあったろうに
中途半端な事してるデヴィンならSYLやらせる前提で呼ぶとか
ただチェロでコピーしてるだけのアポカリ呼ぶなら他にもっといいバンドはあるはずだ
新譜でウルトラマン関係のボートラ日本にアピールしてるセプゥとか知名度があって来日がご無沙汰なバンドなんて腐るほどいるわ 自分はブッチャー離脱後に見始めた80年代派
最初に興味を引かれたのはドリーとブロディのインター抗争
そして馬場とハンセンのPWF抗争と鶴田とレイスのUN抗争で決定的に 俺はジャパン軍が来なかった方が全日の黄金時代が来たと思うがなぁ。
84年は天龍がようやく超獣コンビと対等に戦えるようになって来たから、新たな展開が見込めるし、ゴディ、マーテル、ケリーといった次世代外人も台頭してきてた。
カブキ、タイガーといった客寄せ要員もいるし、中堅は全日旗揚げ史上最も充実してた。
ジャパン軍が来たことで返ってテーマが絞りにくくなった気がする。
ただし、マクマホンの侵攻で尻すぼみになったかもしれんけど。 新日風味の日本人抗争はストーリーとしては刺激的だけどカードもムーヴも金太郎飴化したからな >>634>>645
天龍が長州戦を経ずに鶴田にキバを向いてもファンの支持を得られなかったと思う。
UWFとの試合の最中、藤波に対戦要求した木村健吾のようのな空気の読めなさだった
と思う。長州軍団が来て価値を一番上げたのは天龍だし。
長州が離脱後の天龍は精彩を欠いていて心配するくらいだった。
「1984年の佐藤昭雄・最終章」が鶴龍最強タッグ優勝が成果だったから昭和全日が
一区切り着いた形なのかな?
>>642
「燃えろ!全日本プロレス」のDVDをこんな感じで出たら売れるんじゃなかな?
ブッチャー、テリー、マスカラス、ブロディ、ハンセン特集、国プロ対抗戦、最強タッグ、
長州軍団、天龍革命、平成に入れば四天王等。
馬場のDVDを出したスタッフが本当はオープンタッグ優勝戦を出したかったと話していた。
ただ反則勝ち決着だしいきなり1巻目に佐山タイガーデビュー&大巨人vs.不沈艦を
持ってきた新日DVDのインパクトに適わないかな?これは企画力の勝利だった。
>>629
面白いくらいに新日を翻弄するので馬場はご機嫌だったが全部、大塚氏の実績でヒトまで
「馬場に恩は無いが大塚さんには恩があるから!」と理由を語っていた。 親日派だったオレ、何がウザいかというと月刊誌のグラビアや記事が全日のほうが多いと
買ってもあまり読まなかった。買うんかい!言われそうだがw、昭和55〜57頃はほぼ定期購読してた。
で、15日と27日発売に向けての締め切りの都合で、タイムリーに掲載されないのとかあって、
たとえば9.23田コロなんか興奮もすっかり収まったほぼ一ヵ月後の10月15日発売の月刊誌で掲載。
今はこんなのより蔵前興行合戦のほうで頭一杯や、とかブツクサ言ってたよ。 両団体の蔵前決戦としてはIWGP対NWAの83年6月が印象深い NWAの最後の総会が行われたのが85年
フレアーのベルトが変わったのも一つの象徴か クロケット、馬場、コロンにローデスがいたかどうかの3,4人の総会はいつ? >>654
最後のNWA総会は1985年にプエルトリコで行われた。
フレアーvsローデスのNWA世界ヘビー級選手権がプエルトリコで行われたこの時(1985年12月21日)じゃないかな。
https://www.youtube.com/watch?v=_UnwBTTy7Bk
馬場も85年最強タッグ終了後にサンファンに向かったんだろう。 フレアーベルトの初披露は翌年2月のフロリダでのバリー戦
ちなみに同日には武藤がNWA世界ジュニアに挑戦 長州らが来なかったらUWF崩壊で前田高田藤原が来てた可能性が高いんだよな >>657
馬場は当初、ジャパンも居て選手が飽和状態な為
前田と高田だけ欲しがったんだよな。
ところが、前田がUの選手を全員引き連れたいって事で、駄目になったようだ。 喉も→何度も
藤原はカブキあたりが面白かったかもしれん 喉も→何度も
藤原はカブキあたりが面白かったかもしれん 馬場とラジャライオンは、屈指の名勝負だった
猪木とアリは1回見れば充分だが、馬場とラジャは何回見ても飽きない
悲しいことかあった時、疲れた時、あの試合を見ると、なぜか元気が湧いてくる
他人を笑わせること難しい
それをいとも簡単にやってくれた二人の巨人の乾杯(流智美) 「お兄さんのドリーファンクJrがコーナーから心配そうに見つめています」(笑) >>634
ハンセン・ブロディvsウォリアーズは絶対観たかったな
その後ハンセン・ブロディ組がコンビ解消→対決へ
その流れで鶴龍もコンビ解消→対決
天龍は原と組んで龍原砲だろうが鶴田は誰と組んだかな? >>651
春にゴングでIWGPvs.GCCと煽っていたけどPART1は前半はタイトル戦の乱発wと後半は
最強タッグリマッチ、PART2はNWA王者襲来、PART3はAWA王者とテリーサヨナラ全国行脚wだった。
PART2はインパクトが弱く全戦満員大入りだったIWGPにモロぶつかりGCCは蔵前決戦の
1点にしぼった感があった。PART2以外は全日はファンクスと超獣コンビ参戦だったので
大盛況だった。
>>658
のちに馬場はジャパン勢を抱えるのが重荷なって長州の一本釣りを画策した。これが
ジャパン分裂の一因になったと大塚氏がハッキリと語っていた。 >>575
文章の前半と中盤と後半の繋がりが意味不明
何が言いたいのかと (・∀・)(×_×)(・∀・)(゚ω゚)(。・ω・。) 馬場は長州のことは買ってたのか。
しかし、一本釣りした後どう使うかっていう明確なヴィジョンはあったのかね? 少なくとも谷津とペアでなければ意味は無い
あとは馳か 馬場もジャパンが来た時、栗栖や新倉といったオマケが付いて来た当初は困ったろうな。
永源は後にいろんな意味で、役立ったろうけど。 長州、谷津、俊二、永源あたりを確保して後は整理ってところか 長州のことは「歌舞伎で言うところの大見栄をきれるレスラー、できそうに見えて本当にできるレスラーは稀」って評価してたな UWFに話戻して悪いけど、もし全日参戦が実現してたら俺は鶴田と前田の
シングルが見たかった。後年の話だけど、鶴田が対戦したい相手として
前田の名前出したのは「既存のプロレスに対して色々言ってるようだから、
それなら一つ俺が相手してやろうか」て事だったんだよね?あの鶴田が
そんな発言したのって他にあまりないと思う。もしかしたら誰も見た事のない
鶴田が見られた可能性もあったかもしれない。二人が引退するまでにどこかで
実現させてほしかったな。 >>679
浜口のところは、ジャパンが分裂する時に残るように説得したんだよな。
それでも浜口は「次、ゴタゴタがあったら引退する」と宣言してた事もあって一旦、宣言通り引退した。 >>681
で、鶴田が亡くなってから貶めるチキン前田。 浜口は鶴田戦でシングルの最高評価を得られただけに全日本に来た甲斐はあった
また鶴田にしても後の怪物ファイトの原点になった感じ 浜口が馬場に引退を報告したら
馬場は「まだやれるのに」と惜しんでくれたと言ってたな 馬場は自分に寄ってくる有象無象の人間たちの中で、
裏表のない浜口平吾が好きだったんだろうな 引退セレモニーは新日本でも引退試合は全日本でやって欲しかった
出来れば井上とのタッグとか それでもWARに上がってた浜口には
馬場もイラついてたと思う 国際時代の浜口と鶴田って一度も絡みはなかったよね?井上とは何度も絡んだのに。 石川と井上も日本リーグ争覇戦ではタッグでもやってないんだよな
意外にもオールスターが初対戦 >>689
日本リーグ争覇戦中に6人タッグで3回当たってる >>691
そうだったんだ、ありがとう。鶴田は日本リーグ争覇戦の予選リーグ免除扱いだったから、
そんなに対戦機会があったのを知りませんでした。当時の絡みを1度は見たかったです。 日本リーグ争覇戦の蔵前大会で草津・浜口が極道コンビを破ってるんだよな
そして翌年にヤマハに敗れる >>674
馬場が長州にギャラの安さに同情すると長州がゴネ始め大塚氏がジャパン設立や道場建設、
新日とテレ朝への違約金等の費用がかかっていると説明するとおとなしくなるがすぐにまた
ゴネだしてその繰り返し。馬場が絶えずささやいてたらしい・・・そんな中で興行不振の
新日が猪木みずからUターン要請、新日との合併と言う話まで出たが資本比率で揉めている間に
交渉相手の杉田氏から倍賞氏に代わってしまいレスラーのみのUターンで合併ご破算と話が
変わり大塚氏も全日との契約を見直すと簡単で無い事がわかり断念するがその気になっている
長州はマスコミの前で勝手に独立宣言を行い暴走が止まらなくなり長州を追放する事で
新日しか戻るしかなくなったので移籍金の大幅減額を長州が認めざるおえないようにした。
こんな荒っぽい事までして全日離脱するなんてもう全日マットに魅力が無くなっていたんだね。
長州vs.輪島とか輪島&天龍の大相撲コンビとか考えていた馬場のセンスも疑うけど・・・
佐藤昭雄がブッカーに残留していたらどうなっていたのかな? リングの中でも、前年の新潟でのタッグ戦以上の試合はもう出来なかっただろうからなあ。
外人とも一通り抗争したし、やる事なくなってたとは思う。
その頃には完全独立は無理だと分かってただろうし。 輪島の導入は元々ゴールデン維持のための日テレ主導
とにかくあの時期は船頭がやたらに多すぎた >>694
馬場はあれだけ可愛がってた佐藤にすら猜疑心を向け始めていたからな。
元々てめえが佐藤にブッカーとかさせてたのに、あまりにも腕がよく、松根以下NTVともうまくやるようになると、佐藤は俺抜きの全日本を作ろうとしている、だもんな。
佐藤も報われないし、いつかいなくならざるえなかった。 まあ権力社会の常と言えばそれまでだが
皮肉にも内部が信用出来なくなった事が逆に外部のブレーンの意見を入れる切っ掛けになったとも言える 佐藤をブッカーにしたのは、日テレから来た松根社長でしょ。
最初松根社長はジャンボに色々相談したらしいけど、「ブッカーのやり方なんて自分はわからない。そういう話は佐藤選手が詳しい」と話して、佐藤がやることになったとか。 >>699
きっかけは松根でも了承したのは佐藤なら俺に悪いことはしないだろう、だったわけだが。
佐藤も可哀想に。 無能は嫌われ有能は憎まれる
ガチとアングルの混在するプロレス界はまさに社会の縮図か >>697
貫禄たっぷりで、でかく見せてる馬場の本性だな アントン・ヘーシンクが相手をロープに振って、
戻って来たらトロそうなベアハッグ・・・。
あんなことやってたら視聴者は離れていくに決まってるじゃん。
せめて肩車をフィニッシュ前に見せておいて
決め技に裏投げ、のパターンで決めるとか、
それでも3カウントが取れなかった時には
(ロープ際だったとか、タッグパートナーのカットとか)
誰も逃れられない必殺地獄絞めで決めるとか、もっとやりようがあるだろうに。
あんなうんこみたいなベアハッグで決まるとか
馬場は客や視聴者をナメてるとしか思えんわ。 >>691
その内の黒石大会では後の国際軍団トリオと対戦 なぜ馬場対ヘーシンクをやらなかったのかなあ?
東京五輪から10年後でもドリームカードになりうると思ったが
少なくとも日プロ以来の同じような顔ぶれの外人と試合するより
よっぽどマシだっただろうに
センスが無さ過ぎる・・・ >>700
松根社長が馬場や極道コンビを引退させようと画策してたけど小鹿が松根社長に確認すると
松根「出向できてるだけなんだからそんな権力ない、馬場の意向だろ」と馬場のせいにして小鹿は今でも馬場を恨んでる
自分を引退に追い込む空気を感じた馬場にも
松根「佐藤昭雄が勝手にやってるんだろ」とか言っててもおかしくない ヘーシンクって評判悪いよな
プロレスに馴染む気持ち無しとか
だからでは? 小鹿は若手いじめの常習犯だったからクビになっても全く同情できん
三沢や川田は小鹿を全く慕っていないし
もし小鹿が存在し続けたら小橋が潰された可能性だってある そうした小鹿がよく大日本を作れ存続させられてるかが不思議でならない >>709
小鹿は登坂から会長職にされてすぐ大日から追い出されたじゃん。 >>709
本当にそうですね。しかも、20年間以上存続させてますからね。 馬場は日プロ崩壊までいて百田家と日本テレビ斡旋で来た連中は子飼いと違って何も信用してなかったよな。
小鹿はうまくとりいったのと、巡業関係やヤクザ対策できたから飼ってみた。
で、上位互換の永源が手に入ったら小鹿は用済み。 馬場が信用してたのって駒、大仁田、熊さん 薗田ぐらいか?
それとパンフ売りで印刷会社の社長の田中さんぐらいか それにしても馬場からは人が離れて行くよな
全てが馬場に非があるわけでは ないんだろうけど
名前 忘れたんだけど米澤さん?日プロで営業やってた人に迄 暴言吐いて去られてるもんな。
小橋なんかは苦にしてないんだろうけど
シリーズオフの時でもマンション行って背中流しに
行ったり大変だったみたい。
馬場も結局 力道山の事、全否定してるんだけど
やってる事は大して変わらないと思う >>713-714
米沢良蔵(渉外部長)大峡正男(営業部長)原軍司(リングアナ)の3人が日プロ時代馬場が税金対策の為に立ち上げた個人事務所に所属して以来陰に日向に馬場を支え続けてきた謂わば側近
原軍司が元子と不仲になって事実上追い出される形で全日を辞め米沢もメガネに引き抜かれて結局大峡だけが最後まで残った
菊池孝でさえ「軍ちゃんが残っていたら米さんだって(SWSからの)誘いは断っていただろうしなあ」とボヤくぐらいだったからね >>709
年取ってだいぶ丸くなったのもあるんじゃない?
バラモン兄弟にいじられてる小鹿なんて昔を知る人からは信じられないかも 永源もノアに渡ってからの最後にミソを付けたけどな
小田原の胡散臭さを見抜けなかったとはまさにヤキが回ったとしか 原軍治っていつまでいたっけ?
気がついたらメインのリングアナが仲田龍になってた。 小鹿は別冊宝島のインタビューで、
相撲時代にいじめられたことを散々
ボヤいていたのに、いざ自分が上の立場になると
イジメ側に回るとか、ひでえ野郎だわ
人間の器はそういうところで分かるな >>714
いや力道山とは全然違うよ
力道山は殺人未遂だぜ
レスラーは野心家だから必然だよ 天龍が小鹿を評価しているのは鳴り物入りで入団しているから
イジメの被害に遭ってないだけなんだよな
有望な若手を自分の居場所確保したいだけの理由で
イビって追い出すようなクズを擁護するとか 駒が生きてたら小鹿をどうしてたかな
皮肉にも亡くなった年は小鹿たちの三年契約が切れる年でもあったし >>697>>714
WWFは日本進出を狙い東京ドームを押さえるも単独ではうまくいかず巨額のキャンセルが
発生する期日が迫り全日&新日の協力を仰ぐためにビンスは佐藤昭雄に全権委任して交渉
を依頼、佐藤も安請け合いせずに期日までに交渉が成功しなければキャンセル料を払う事
を条件に了承。まず全日に行き「全日出身者としてまず馬場さんの所に来ました!YESと言って
くれなければこの足で新日へ行きます!」と言うとしばらく考えて葉巻を吹かした馬場が
「わかった!新日にはこっちから連絡しておく・・・」と交渉成立。馬場のプライドをくすぐりつつ
強気の交渉ぶりはまさにタフネゴシェーターだった。馬場は「昭雄も偉くなったなあ・・・」wと語っていた
らしい。後年、テリーは佐藤に「俺たちがババから離れると思わなかったよなあ〜」と話していた。
>>718
東プロの途中まで猪木派だったが人間性を見て馬場派に転向、新日は控室の取材はする事は
無かった。天龍には共感している所にSWS中継の解説依頼がありフリーなので当然、受けて
ゴング・竹内氏は中立だった。これが原因で馬場と二人との距離ができてその間にター山が
ブレーンと入り込んだ。
しかし後年は関係回復して猪木引退の頃にインタビューもしていて馬場亡きあとの
王道十六文の加筆をしていた。ター山が排除された馬場の五回忌には呼ばれていたはず
>>713
馬場といつも高カロリーな食事をともにしていた田中社長は「たまにはお茶漬けが食べたいよ」
と嘆いていたらしいw
>>715
王道十六文に「猪木が買った興行が赤字があったが私は米沢や原ががんばってくれたお蔭で
黒字だった。」と言う記述があるから元子夫人以前からの馬場の側近だった。
米沢氏は馬場の日プロ離脱後に即座に日プロへ辞表を出したくらい。 >>719
ブロディ復帰のあたりまではいたと思うが。 馬場vsマリオミラノ
https://youtu.be/EPV5EXhMwqc?t=208
逆エビしてからの馬場の行動は何なんだ?
腰痛が最悪で踏ん張りきれなかったのか?
因みにこの日が原軍治リングアナウンサーのデビューらしい >>723
小鹿は主に北日本の巡業日程組んだり、場合によっては自分で興行打ったりしていたから、天龍が小鹿さん手伝ってくれませんか、と声かけた流れ。 >>727
これを何とフォローすれば神解説と言われるんだろうか。 賛否両論のリコシェvsオスプレイの真逆をいく
予定調和でないプロレス
これと空振りの延髄斬りと何が違うんだ
重要なのはカマタとロビンソンの乱入シーンだから猪木の方が罪は重い 小鹿も経営者としてはまあ優秀と言っていいんじゃないか >>731
「なんと馬場はカマタ乱入を王者の勘で察知し、逆エビを諦めファイティングポーズを取り直しました!」 >>707
何かで読んだけど、プロレスもプロレスラーも見下してたようだし。
母国オランダではルスカよりずっと格上らしいけど。 >>727
腰痛はわからんが
足がすごく弱ってるように見える
おじいさんの足みたいだ >>735
ヘーシンクはプロレスから離れた後に柔道界の重鎮に復帰できたが
ルスカは全然だったね
ルスカは人間性に問題がありすぎたのかもしれんが 柳澤によるとだがヘーシンクの保身、後輩叩きは厳しかったらしいけど >>725
>東プロの途中まで猪木派だったが人間性を見て馬場派に転向、
菊池は元々豊登派でその後は「たまには俺もエンターティーナー」等の馬場の著作本のゴーストを務めるくらい馬場と昵懇の仲になっていた一方で
猪木とは特に仲が良かった訳でも好感を持っていた訳でもない
自分より下の世代の読者を味方に付ける為に昔は猪木を買っていたみたいな事を言ってただけだよ
マンモス鈴木を付き人扱いして辛く当たっていた云々の話も永源に否定されていたぐらいだから信憑性に欠けるし 菊池はサムライのニュースでコメンテーターをやってた時も
インディーがどんな下らない事やってても
「面白きゃいいんじゃないですか」ばっかり言ってたやつだからなあ
田鶴浜、鈴木、桜井、山田みたいに
プロレスに思い入れも見識もない男なんだろう
後楽園に来ても寝てばかりだったし 晩年の菊池孝の丸わかりのカツラ見ると笑みが込み上がってきた >>729
日プロ残党合流組が干される中で馬場の運転手を買って出る事で試合給制の全日での
試合数を確保したり極道コンビ結成後は馬場の親衛隊となったり永源ほどでないが
世渡りがうまい。大木がソウルで馬場に対決を迫った時も「いきなり失礼じゃないですか!」
と口火をきったりコレは既に全日参戦が決まっていてマスコミ向けの宣伝だったけどw
なおかつ新日参戦中の大木に接触して引き抜き工作までしている。
東スポ・第1回プロレス大賞では日プロ分裂以来のBI砲再会の中での極道コンビと
ヤマハが親衛隊となって取り囲みピリピリムードだったのはガチだった。
ここまでやりながら「オレは馬場派じゃないよ!」と言っていたのは日プロ時代の事なのか?
>>738
ド近眼のハンセンのメガネを黒く塗りつぶしたの可愛いくらいで同僚レスラーに対して階段
を登っていた所にスーツケースをおもいつきり投げつけたり高級時計どころかパスポート
までゴミ箱に捨てたりの悪質な悪戯が原因かな?プロレスラーの悪しき例だけを学んでしまったw
グレートアントニオの不在中に控室でチェーンをストーブに乗せておいて黙って首にかけさせたり
しかしその後で平然としていたのでそれ以来、アントニオにはやらなくなったらしいw >>743
小鹿にしてみれば「俺は生き残れた」と思っていたんだろうが
馬場が小鹿の上位互換の永源を手に入れたら
小鹿はあっさりリストラされたからな
馬場は小鹿が所詮は日プロの残党だった事を忘れてはいなかった ルスカの悪戯の話を読むと
アスリートの競技による人間形成、とか
超一流のアスリートは人間としても超一流、みたいなのは
きれい事というかウソなんだろうなあ、と。 ユウェナリスの
『あんなに素晴らしい肉体を持っているのに。
肉体は健全なのだから、その中にある魂も健全であるべきじゃないのか・・・』
(つまり肉体だけは頑強なクズ野郎が多かった)
と言う嘆きの言葉だったのにそれが改竄されて
『健全な精神は健全な肉体に宿る』にされちゃったからね
実際はスポーツ選手はクズ野郎だらけ 当時の小鹿は馬場以外にすがる相手も内部的な人望も無かったからな
松根社長からしてももう見たくない老害の象徴に見られていたみたいだし 小鹿は海外でずっと やってたほうがレスラーとしては
成功したかもしれない。 海外でやっても結局は末期のロスやカンサスでしか仕事がなくなり、
ガリガリにやせ細ったんじゃないか? >>749
田吾作スタイルとキッド自伝にあるように外人をボコれるのに負けブックは嫌がらず呑むから重宝されそう >>745
まあ力道山の闇の部分とかさw 良くも悪くも超一流なんだよ。
ただ、我々庶民にはテレビに映る限りでは、超一流アスリートは夢や希望の伝道師であってほしいね。。 >>749>>748
ハンセンの引退会見で「強いよ思った日本人は?」の質問で「ババ、ツルタ、テンルー、
ミサワ、イノキ・・・・」とお決まりが続き最後に「ゴクドウコンビ!」と言うと記者から失笑
が洩れてハンセンがムキになって「君たちはゴクドウコンビの全盛期の強さを知らないだろう!」
と語っていた意外な事があった。
海外遠征中で日本上陸前のケンタッキーフライドチキンのおいしさに目をつけて日本での
展開を狙い帰国後に交渉すると既に日本の商社が権利を獲得していて準備中だったので
断念したらしい。 初来日の時に極道コンビとは結構やってたか
まだアジアタッグの復活前だったが >>752
>海外遠征中で日本上陸前のケンタッキーフライドチキンのおいしさに目をつけて日本での
>展開を狙い帰国後に交渉すると既に日本の商社が権利を獲得していて準備中だったので
>断念したらしい。
トピズレだが矢沢永吉も渡米中にハーゲンダッツの美味しさに目をつけて、日本でのパテント権
をくれと現地で直交渉したが丁重に断られたらしい。 ハンセンのラリアットを真っ向から受けていたのは大熊で
小鹿は受け流していたんじゃなかったっけ?
ハンセンの自伝でも褒めていたのは大熊だけだったような >>713
陰ではみんな守銭奴野郎て嫌ってそう
馬場が心底信用したのは京平だけじゃない?
だから車の購入代金出してやったり選手なみのボーナスやったりハワイに
連れて行ったりしたんだと思う ミスター林が合宿所に住みついて若手選手が難儀してるから、馬場が「これで引っ越せ」といくらか林に金渡したら、車買っちゃったって話が好きw ハンセンは阿修羅・原を
「この選手は完璧だった
私の100%のラリアットを受けきれる数少ない選手だった」と書いていたな ロッキー羽田が内臓疾患で上に行くのを諦め
和田京平とのコントプロレスで居場所を保とうとした話は大嫌い
さっさと引退して後輩に枠を譲って欲しかった >>759
コントプロレスは必要だからな。
新日本のドン荒川みたいに突き抜けたコントできる人が全日にはいなかった。
羽田と京平の絡みは面白かったから、実現させてほしかったな。 馬場は全てにズレ過ぎてたんだわ
結果的に殆どな人間から見放されてるやん >>762
金の切れ目は縁の切れ目。
結局、客が入らなかったのが全て。 時代を超越していたとも言えるな
それは死んだ時の世間の反響ぶりが示している >>762
馬場がいる間は全日に残るって残ったのがノアに行った選手だが
じゃあ猪木は馬場の何倍も嫌われ者だな 猪木は若手いじめとか一切やらなかったが、
そのかわり、自分を目立たす道具程度にしか思ってなかっただろう。
だから去られてもどうってことなさそう。 >>768
藤波を 異国放置はいじめじゃないないのか 80年の8月末から9月にかけては
・猪木がバックランドのWWFに挑戦
・馬場とレイスのNWA王座のキャッチボール
・レイスとバックランドのNWAとWWFのダブルタイトル戦
と微妙にリンクしてて面白い >>765
馬場の政治力が怖かっただけで恩義とか感じてなかったのでは?
馬場も猪木と嫌われ方は同じぐらいじゃない?
2人とも仕えるには難しそうだしな >>772
さすがにそれはない。馬場のピンハネと
猪木の自分への事業や勝手に団体やら作って新日の金をながすのは
根本が違う。 >>772
全日を退任させられて空の功労金目録を渡されたwジョー樋口がインタビューで
「レスラーじゃない奴に何がわかるんだよ!」と怒りの気持ちを吐露していた・・・
馬場にはまだ従える何かがあったんだろうね。だから馬場の死後に1年も立たないうちに
組織はおかしくなり半年後にノア勢の離脱につながる。日テレも設立時の小林社長の
「君がやる気があるなら全てウチに任せなさい」と言う馬場のとの約束も既に二人が在命
しておらず関係は終わっているのでアッサリ放映を打ち切った。
ただ四天王プロレス全盛期に秋山の年俸制への移行要請等の待遇改善や元子夫人への
不平不満、そして日テレ側も馬場の鎖国政策等の不満が沸点に達していて馬場が死ななく
多かれ少なかれ分裂は必至だったと馬場の死後の噂の真相に書かれていてその時に
全日の闇・馬場の貯金箱w「ジャイアントサービス」の事も書かれていた。 >>736
鶴田の失神ピクピクってテリーファンクの影響だよな >>774
ではレスラーが団体を運営するメリットって、具体的に語れたのかね、樋口は レスラーの気質ってのは軍人と同じなんだよな
基本的にレスラーさらには現役にしか従いたくない >>777
あの当時ならその考えが当然て受け取られてたよ
Uは逆にレスラーがトップの弊害が大きかった >>765
冷静に考えて全日辞めても上がれるリングは日本にないからな
新日は馬場に気遣って上げないだろうし。あと馬場は得意の訴訟で
くるはずだから契約次第では莫大な違約金請求される。 >>780
新日は鶴田の引き抜きまでやったし
越中程度の選手に坂口が動いてる
馬場が亡くなる前なんてインディーズがたくさん出来てただろ
三沢はメガネの引き抜きも断ったしな
三沢なら五千万は契約金貰えたんじゃないか 馬場も事情はどうあれ、自分が辞めたら潰れるの承知で
日プロ辞めてるんだから 本当は人にどうこう言える人ではないんだけど。 力道山が亡くなったんだから義理立てする必要ないだろ
馬場が亡くなってからノアを旗揚げしてのと同じ
恩義があるないかだから >>784
力道山の息子が成人したら社長の座を譲ると約束していたのに
当時の日プロの上層部が知らぬ存ぜぬを決め込んだのが原因だね 馬場はレスラーとしては独立しても
日本プロレスには取締役としての籍はあった
という説もある 馬場猪木が稼いだ金をダラ幹が使い込んでたんだろ
そんな連中の生活のために馬場に残れと言う気持ちがわからん
お前はその立場に立ったら逃げないとでも言うのか
スターが事務所に一生搾取されて死ねって意見には賛同できないわ >>785
あれ それ 初耳 夫人の日プロと四人の奉行がいた日プロは違うんだっけ >>781
越中移籍はキッドスミス引き抜きの報復だろ
その後は協定結んだから移籍は無理。あとSWS設立時の三沢なんて
契約金5千万も出す価値あるわけないだろw 今日はレイス対マスカラスの日
そういえば日本で王座奪還したNWA王者ってみんな日本にいる間に初防衛戦してるんだよな >>789
力道山の死後に敬子夫人をトップに据えるがダラ幹が追放して乗っ取り謀った。
敬子夫人は渋谷から赤坂のリキアパートへ移り"力道山の日プロ"の存続を諮る。
"代官山のダラ幹の日プロ"は力道山の直系会社を装うために社名変更せずのそのままに
した。芳の里は代官山・日プロ崩壊後に渋谷・日プロに所属して馬場はそこの役員だった
ので力道山スポンサー筋、日テレ主導で有無も言えず日プロ残党レスラー達を渋々、
引き受けざるおえなかったと言われる。
手広く事業展開していた力道山のビジネスの清算をリキエンタープライズが行い敬子夫人は
大変でも今も健在のリキマンションだけでは手放さなかった。一番最初に消滅すると思われた
プロレス事業が継続したのは関係者には予想外だったらしい。 力道山存命中の日プロとその後の日プロが別法人だったのは役員だった馬場には
周知の話だったけど、猪木は新日設立後にそれを知ったらしいね。「そういうドロドロした
裏の話には関わりたくない」という思いやら「自分だけが非主流で蚊帳の外に置かれた」
という思いやら、複雑な気持ちになったらしい。 >>795
>>794=>>694だろ、本当に「おえない」だと勘違いしているみたいだぞw
>>694
694 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 9a11-fgos) :2017/09/07(木) 09:08:50.56 ID:piUCTPIf0
>長州が認めざるおえないようにした。
>>794
794 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 9a11-fgos) :2017/09/12(火) 08:59:08.71 ID:xNxmVvfE0
>引き受けざるおえなかったと言われる。 ダラ幹のこういう話を読んでいると芳の里派のカブキが主張している
「オヤジ(芳の里)が会社の金で飲んでたなんて猪木さんとその周辺が作った話だよ
オヤジは自分の金で飲んでいた」ってのも嘘くさいな >>799
あんなのは高千穂の自分勝手な解釈だろ?観客がたくさん入ったのも、
テレビ局からたくさんの放映権料が入ったのも、馬場と猪木の価値に対してであり、
長谷川社長の価値に対してではないんだから会社の金で飲んでいたと同じことだよ。 毎晩銀座の高級クラブで豪遊してたなんて話があるけど、カブキの話が本当なら
それだけの高給をとってたって事になるね。毎日リングで体を張って会社に利益を
もたらしてるレスラーからすると、それはそれで頭に来る話ではあるだろうけど。
会社の金だったのか、自分の金だったのか、実際のところは分からんけどね。 豪遊としては芳の里より遠藤が知られていたらしいが馬場としては現役分やコーチ料とか取っていたのを問題視したらしい
その意味では現役でもある吉村は問題外だったらしいが何故か猪木は吉村こそ一番に排除したがってたらしい その割には分裂以降、馬場と吉村は全く接点がない
最終的には樋口と百田弟以外の日プロ関係者は
百田敬子夫人を含めて
馬場から離れていく
馬場には何かがあるんだろう 芳の里や遠藤幸吉の言い分は「我々がいいレスラーを呼んできて、馬場や猪木が
いいところを見せられるようにお膳立てしてやってるから、あいつらは日本のファンの
前で堂々とチャンピオン面できるんじゃねーか」て事らしいけど・・・レスラーの側から
すると納得できる話ではないわなw 89年頃に馬場が大阪で吉村と会った話をしてたけどね。丁度全日がレトロ企画を
やってた頃で、「日本人の企画もやってほしい」て要望があったんだけど、吉村は
そういうのに出てこれるような状態じゃなかったらしい。馬場は「彼らが日本のプロレス界に
対して恨みとかそういう感情を持っていたらこういう企画は実現しない」と言ってた。 吉村は後に「馬場も猪木も俺の弟みたいなものだから
どちらか片方の味方につくわけにはいかなかった」と言ってたな
馬場は「もし日本プロレス時代に戻れるなら吉村さんか坂口とタッグを組むことを
俺は選びますね」と言っていた 結局は一番評判の悪かったはずの遠藤とヨリを戻す猪木
遠藤は猪木派というより反馬場派
どうも東郷との馬場争奪の際に黙っていう事を聞くと思っていた馬場から条件を吹っ掛けられた事がよほど気に入らなかったらしい >>795
馬場は2つの日プロ両方の役員してたんじゃなかった?
その関係でPWFベルトの元になる力道山ベルトと百田兄弟の入団に繋がった。
>>803
馬場が猪木に変更を求めた改革案の内容はクーデターだと思われると世間体が悪いので、社長の芳の里残留と
現役でもある吉村の現状維持だったはず。
馬場と猪木の両方のターゲットだった遠藤がテレ朝繋がりで最後までプロレス界に居残ったのはある意味凄い。
>>804
ソースが小鹿だが全日の興行を吉村が買っていた話があったんで、表には出てこないけど裏では細々と繋がりがあったのかね。
馬場も樋口も吉村の話が出れば最高の賞賛をしてるんで、ガチで仲違いしていればそうはならないと思うんだな。 猪木のUN王者時代は短かったから微妙だが
馬場のインター王者の前半くらいまでの挑戦者は豪華すぎるからなあ
NWA、WWWF、WWAの現役王者に加えて
テーズ、エリック、ブルクラ、スナイダー・・・
これだけの顔ぶれは力道山時代でもない 馬場が猪木に不信を持ったのは吉村の処遇について一度は同意したはずなのに内緒で猪木がまた元に戻したのを知った時 ダラ幹ダラ幹てw
完全にスーパスター列伝に洗脳されとるな。 そもそもNETの参入を日テレが条件付きで認めたのが
理解出来ないんだけど >>814
当時の日プロはそれだけ売り手市場のコンテンツだったんだろ、
今のプロレス団体とテレビ局の関係とは全然違うから。 独占契約になってなかったのが一つ
あと東郷新団体と組まれるのを阻止するという理由が二つ 馬場以外にも
猪木、大木さらに坂口というニュースターが出てきているのに
週一の1時間放送だけではもったいないというのもある 日テレも後にフジが仕切っていたK1の放送に参入する
大晦日格闘技中継も後出し参加。そして失敗 あの時期は猪木と日本テレビが接近してたんだよな
バップからマルコフ戦の商品を出したり猪木も自伝で媚びを売ったりして 日本テレビは「馬場をNETに出すのは絶対にNG」と条件をつけたのに
日本プロレスはあっさりとその約束を破って
「もうちょっと良識があるかと思ったが日本プロレスにはバカ負けした」と怒って
放映を打ち切った 素材を使わせてもらってるという立場が分かってないのは日本テレビの方。
そういう傲慢な考え方が今でも残りテレビ界の凋落を招いている。 >>816
契約があやふやだったみたい。
日テレと日プロの契約更新時期になっていたのでTV局を乗り換えられたら文句が言えなかった
から強く出られなかったとかワープロ・栗山Pの話では日テレ側の契約書にささない不備があって
持ち帰って訂正している間にNETは隙をついて契約したとも話していた。
>>817
NETの会議でのちに新日へ出向する辻井編成部長と永里氏は平均視聴率25%、タイトル戦
になると30%は超えるライバル局の番組を分析する中で永里氏が「これだけメンバーが
いればウチに出てもらえるかも・・・」とおもいつきで言ったのが発端になり二人が口論する中で
永里氏がダメ元で日プロと交渉すると「日テレの許可があれば・・・」となった。
当時の永里氏は早大レスリング部出身で国プロ・吉原社長の先輩でプロレスの胡散臭さが
好きでは無かった。ただ馬場より猪木に魅力を感じていたらしい
>>820
当時、日テレのスポーツ運動部長として騒動の最中にいた全日・松根社長は後年に
「TVマンとしては高視聴率が期待できる番組は是が非でもほしい。他局がアプローチ
してくるのは気持ちはわかるしプロレス団体も二つのTV局を取引できるから利潤を
追求する企業としては当然の行為ですよ!」と語っていた。 >>821
放送権料を払って使用してんのに傲慢とか意味わかんねえ >>823
独占が当たり前だと思ってるんだから傲慢だろ。
独占するならもっと多額な金払わなきゃならんのは常識。 >>802
全日所属で修行中の奴に坂口自ら出向いて引き抜いてんだから
どう考えても報復じゃん 彼女が「男友達と遊びに行くけど変なことはしないから安心してね」と言われて気持ちよく送り出してやったら堂々とセックスしやがった。
何度警告しても止める気配がないので彼女とは絶縁した日本テレビくん。 正確には怒ったのは日本テレビというよりスポンサーの三菱電機
あるいは日プロとしてはスポンサーを差し替えても番組継続になると思ったかもしれないが三菱電機の顔の方が優先された >>808
>結局は一番評判の悪かったはずの遠藤とヨリを戻す猪木
猪木は遠藤幸吉とヨリを戻した訳じゃないよ
遠藤にはNET(当時)のプロレス中継を実現に導いた功労者だからと「テレ朝の天皇」こと三浦甲子二の後楯があった
三浦からアイツを蔑ろにするなと厳命されていたので猪木も坂口も嫌々ながら神奈川地区での新日の興行を遠藤幸吉に任せていたんだけど
遠藤のナマクラ営業のせいで80年代前半までの新日は横浜川崎特に文体の客入りで常に苦戦を強いられる羽目に 遠藤幸吉は銭ゲバのトラブルメーカーな感じ
豊登を糾弾した時に一番声を荒げたのも遠藤
吉原のリキパレス購入計画を潰して辞める様に仕向けたのも遠藤
ミスターモトに毎月ブッキング手数料と称して月30万をロスのモトに遠藤が持って行っていたがモトは貰ってなく知らなかった >>825
越中を引き抜いて報復なわけないだろ
越中のインタビューを読んだことある? >>828
>>809も「おえない」君じゃないかな
自分の文章の何を突っ込まれているのか全く理解していなさそう >>833
いや、「おえない」君は(ワッチョイ 9a11-fgos) だから違うと思うよ? >>834
文章の書き方とか、「おえない」へのツッコミが理解出来ていないところとか、本人臭いけどな
会社かなんかのPC使ってるんじゃないの? 何かで読んだ話だと、NETには馬場は出してもいいけど猪木は出さないって
話だったと思うんだけど・・・違ったっけ? >>832
坂口が馬場に喧嘩売ったのはたしかだろ
現に馬場は怒り狂ったんだから >>838
もうかなり前の話で記憶も曖昧なんだけどな、確かS58年頃だったと思うけど、
当時のプロレス雑誌か何かでそんな話を読んだ記憶がある。 記憶をふり絞って思い出してみると、多分雑誌はビッグレスラーかエキプロで、
門茂男のコメントとしてそんな話が出てたと思う。 単に所属選手というだけでなく付き人まで務めたのを抜かれるのは沽券に関わるといったところか キッドスミス引き抜かれた後は桜田、越中、トンガまとめて引き抜こうとしたり
結構坂口も過激だった あの頃の新日はマジでレスラーの頭数が足りなかったからな
小鉄に追い出された関川にまで声をかけてリングにあげた位だった ポーゴって本当に技がなかったよなw 殴る、蹴る、後は鎖鎌攻撃だけw >>845
鎖鎌は使っていたぞ。もっとも鎖部分のチェーンで首を絞めるだけで、
鎌部分はまったく使っていなかったが。シンがサーベルのツカだけ使うのと一緒w ポーゴ、新日時代はスピンキックやってた
体型に似合わず、結構足は上がってた >>836
日プロが日テレにNETが放送始めるときに今までの恩義として出した優遇策は、
馬場と坂口の試合は放送させない。ワールドリーグ戦の公式戦も放送させない。
で現実に放送してみると猪木だけではあまり視聴率が取れなかったので、NETが日テレにねじ込んで
坂口NETに登場。NTVは抗議はしたがあまり大事にはしなかった。
その後クーデターで猪木追放。看板スターを失ったNET更に日プロにねじ込んで馬場を登場させる。ついでにWリーグも放送。
NTVついにブチ切れて放送打ち切り。NET売り切られた跡地の金曜8時に放送時間帯移動。馬場坂口の東京タワーズをメインで流す。
だったと思う。大昔の事で記憶がいまいちなんだよな。 NETが3年かけて手塩にかけてし育ててきたエース猪木を
断りもなく日プロが追放してしまったため
見返りに馬場のテレビ出演を要求されても
日プロは強く断れない
後先の見通しがあまりにも出来ていない K-1がジャパンで日テレ、MAXでTBS、ワールドでフジもあった NETの要望を優先した理由の一つに放映権料アップの提示もあったらしい
それも日本テレビよりも上の額での >>851
この頃は観客動員も下がりつつあったようだね。ワールドリーグ戦の決勝が5000人とか。
テレビ中継中心のマッチメイクに客も段々離れて行ったんだろう。
テレ朝収録の会場だったら、馬場がセミの前の前に出て来て4番手くらいの外人とシングルマッチ、なんてこともあったようだし。 馬場をNETに出しても日本テレビは放送を打ち切らないはずだ
→日テレに打ち切られる
新日との合併を拒否した大木・高千穂体制でもNETは放映してくれるはずだ
→NETに打ち切られる
日本プロレスの上層部はどうしようもないな 二局放送していた時期から一年も経たずに崩壊
まさに天国から地獄への急転直下か >>830>>831
小鉄が引退して背広組になり収入ダウンを避けるためにワープロの解説者に就任させ補填
するために遠藤勇退案を新日側が申し入れるとテレ朝側が「遠藤さんの方が知名度があるから・・・」と
難色を示したのこういう事情もあったのかな?だから名レスラーとも言えず迷解説の遠藤が
重宝されたのか・・・確かに「NETプロレスリングのエース」として盛り上げるためにNWAと交渉
してUNベルトを創設させてその費用はNET持ちだった。 かなり不法建築な物だったらしいリキパレスを買っていたらどうなっていたか >>858
三菱電機のマークが乗っている五重の塔みたいな部分は違法建築物その物で笑える。
でも講堂部分はオシャレでなかなか無いよね。
王冠はなかったと思うけど、建物自体は平成の初めぐらいまではあった。 >>859
昭和47年のワールドリーグ戦決勝は馬場対モンスーン戦。
東京体育館に5000人。
最も猪木は既に離脱していましたが。 ブロディ、ジョナサンに並んで
モンスーンは客を呼べない、と言えそうな客入りだな。
5000だと寂しいね。
74年のヘーシンクとの柔道ジャケットマッチとどっちが多いんだろう。 ワールドリーグ決勝戦は毎年大相撲本場所の日程と重なるから蔵前でやってない >>859
この時代は人気のバロメーターはテレビの視聴率だったのであんまり語られないが
力道山死後の日プロは都内の大会場では1万を超えないことがしばしばあった
70年頃からはそれが多くなり始め
71年の馬場コロフの東京体育館では3000人なんてこともあった 皮肉にもテレビ中継が拡大した事でライブで見る層が減ったとも思える 都市部ではそうだったかもね。でも地方だと生観戦の機会もそう多くないから、
客入りはそう変わらなかったんじゃないかと想像するけど。 >>849
その通りだとすると俺の記憶違いかもしれん。俺も本当にボヤッとした記憶なんで、
確かな事は言えんのさ。「だったような気がする」レベルの話ですよ。 日プロ時代は地方では球場や神社の境内とか広い場所での興行だと
結構な客入りになることが末期でもあったらしい BI時代の最後の蔵前はマスカラス&アリオンを相手にしてのインタータッグ
そして日プロとして最後の蔵前もインタータッグだった 末期つーと馬場も猪木もいなくなった時代かな。でも俺なんか本当のど田舎住みだから
それは分かるような気がするね。嘘か本当か分からんけど、新日の地方興行を見に行った
お婆ちゃんが「今日は馬場は出てないんけ?」と言ってたなんて話があったけど、地方の人に
とっては「プロレスを生で見れる」その事自体が日常とは違う体験だからね。 自分の田舎はTBSがなかったから、ラッシャー木村を見たかったものだった。 >>871
TBSのころのエースってストロング小林じゃないの? ただガキの頃にTBS系列で木村の金網デスマッチを見た事は俺もある。
ドクター・デスとか言う奴が相手で、あれが日本で最初に行われた金網マッチだっけか。
それとこの頃は草津が毎週のように外人相手に四の字固めで勝ってて、子供心に
「草津って強いんだなぁ」と思ってたね。「もしかしたら馬場や猪木よりも強いのかも」
なんてねw >>873
すげえなぁ そんな古いの見てたなんて
俺は、52歳で昭和49年あたりから見てるが、国際に至っては、女子がやってたのが、印象的 三団体とも味があり本当にプロレス面白かったな >>874
そんなに驚かれるほど年は違わんけどねw あんたよりは年上だけど、
俺も辛うじて50代前半だからねw でも俺も本当の意味でプロレスファンに
なったのはS50年頃からだよ。あの頃は本当に夢中になってプロレス見てたねぇ。
懐かしいなw モロウスキーは素顔の来日と、覆面アベンジャーの来日を交互に繰り返していたね。
マリオミラノは途中から素顔の来日ばかりになり、覆面バラクーダでは来なくなった。 猪木の真の絶頂期と言われる時期だよな
そして両団体が最もガチにやり合った時期でもある 全日は清水アナと山田隆 新日は舟橋さんと桜井さんで
良かったと思うんだけど 俺は昭和49年頃から見ているが、楽しみはマイティのサマーソルト二発目自爆と今は絶対に出ない噛みつき攻撃だね。結構な数のレスラーが噛み付いてましたよ。 >>852
この頃の3局放映のK-1人気に匹敵するくらいのTV業界で大人気のキラーコンテンツだった。
日テレ&NETの2局放映が終わるとNET独占となり通常のレギュラー枠と別に金曜8時にも
枠をもうけ週2回のゴールデンタイム放映となり日テレから人気番組を強奪したNETは
プロレスで勝負をかけてきた。しかし「金曜8時のプロレスは今夜からNETでお送りします!」
と新聞広告までしたがその前日に馬場に独立宣言をさせる報復を日テレは行っている。
>>853
力道山時代に経営危機を救ってくれた三菱電機、力道山亡き後に即座に放映継続を
表明してくれた日テレには恩義がありスポンサー料、放映権料の増額はとても
言い出せなかったところにNETは日テレを上回る金額を提示して猪木追放後の放送打ち切りを
ちらつかせながらも「馬場を出してくれ!」と思い切った金額を提示されて日テレの反発を甘くみて
契約した。
ただプロレス中継打ち切りの最終決定を下したのは年末から続くスキャンダルに呆れ果てた
三菱電機からの申し出があってからだった。
>>854
力道山死後の日プロの全盛期は1969年頃と言われる。特に馬場&猪木&坂口の三人が唯一、
揃ったワールドリーグ戦がピークだったらしい。 両天秤だか両手に花のつもりが最後は股裂きで潰れた日プロ 舟橋、山崎、鍋谷、石橋、三浦だっけモスクワ五輪以前の新日は
日プロだとNETは舟橋、吉岡くらい? >>881
噛みつき、今のヒールもやる人もいるよ。飯塚とか 力道山時代にはブラッシーの噛みつき攻撃をTV中継で見てショック死した
老人が出て社会問題になった事もあったらしいね。隔世の感あり、て感じだけど。 老人が心筋梗塞で死んだ時に見ていたテレビ番組が
たまたまプロレス中継だったってオチなんだよな
真実を知らされるとガッカリするのもまたプロレス >>887
当時のスポンサーの三菱電機も社内でプロレス中継の
スポンサーは不味いのではという、声もかなり上がってたらしいですね。 それを敢えて続けたんだから三菱電機の恩義はますます海より深いよな
それこそ足を向けて寝てはいけないくらいに 当時、日テレは正力タワーなる名称の電波塔を三菱電機と共同で建てる計画まであって
単なる番組提供スポンサーではなく重要なビジネスパートナーだったので放映を打ち切った。
ただ人気番組を失った日テレへの地方局からの突き上げはかなりのモノだった。
NETが「ジャイアント馬場、NETに登場!」と「金曜8時はプロレスはNETがお送りします!」、
日テレが「日テレにプロレスが帰って来ます!ジャイアント馬場、再登場!」と言うTV局の
馬場メインの番宣広告を見るとレスラーとしてのピークは過ぎてもこのTV局間の凄まじい
争奪戦を見るとTV的にはジャイアント馬場の最大のモテ期だった。 馬場は「日プロで傀儡になってた方が楽だったけど、日テレへの恩義を捨てられず
やむなく¢S日を旗揚げした。」みたいな事を過去にコメントしてたが
うらではいろんな思惑があったんだろうなカネとか そうしないと日本テレビが猪木と組みかねなかったというのが一番説得力ありそう クーデター事件以降
選手会会長を下ろされ大木、上田、小鹿、平井らに
大きな顔をされ始めた馬場にとっては
日テレが唯一の拠り所だったんだろう クーデターの後は
大木「馬場は名前を連ねていたんだからとんでもないミスをしたな
これで俺が馬場より上に行ける」
高千穂「猪木が追放されたのでこれで俺のランクが上がる」
になったみたいだからな
この連中の頭には肝心の「お前らじゃ客を呼べない」という意識が欠落していた こういう連中の場合は「やってこない客の方が馬鹿なんであって自分たちに落ち度は全く無い」だからな
特に大木なんかはそうだろうし
ちなみに力道山が死んだ後の新体制の連中も最初はタカを括ってたみたいだよな
そこを田岡組長に思い切り尻を蹴られてようやく危機感を持ったとか >>892
日テレのほうから馬場に独立駆り立てさせて日プロの興行に出ながら
合間に日テレの原と渡米して招聘ルート開拓したらしい。 馬場が日プロ残党に冷たいって言われるけどそんなの当たり前だよな
後から来た奴が優遇もしくは対等なんてよっぽどできる奴だけ >>899
「客を呼べるレスラー」じゃなく「客を呼べなくて団体を潰したレスラー」だからなw 拾って貰っただけでも有り難く思うべきなのに態度まで大きければ尚更 ちなみに新日本においても坂口に対し小鉄はそういう感情だったらしいが
お前だって客も視聴率も稼げなかったのは同じだって 大木達と一緒にされたらさすがに坂口が気の毒
一応NET放映のお土産も持ってきたのに 背広組の新間としては素直に感謝していたと言ってるよな
まあその辺りはクーデターの時の確執にまで遡るんだろうが >>896
高千穂は
クーデターの時は米国修行中だろ。
帰国したのは馬場離脱後。 >>905
角川文庫の門茂男の本で当時の高千穂の心中について
そういう風に書いてあった覚えがある 大木は新日にも全日にも国際にも結局は居場所がなかったから
かわいそうはかわいそうだな
自業自得の部分もあるが >>909
どこに入ろうが、本人が「観客にウケるレスラー」を理解できない限りは一緒たろ? 天龍が社長になってたらどうなってたかな。
待遇とかは良くしてそうだな 大木はVS ブッチャー戦は確かに良かった
あんな試合は大木にしかできなかったと思うんだけど
それ以外はドクと組んでても、自分は美味しいとこ取りしかしないし、赤とか白の似合わないコスチュームにしたり、急所打ちを乱発したりで
全日後期の頃はひどかった ブッチャー戦もよかったのは力道山追悼興行の時と翌年のチャンカー辺りまでで、
その年の秋に行われたシングルはもうマンネリ気味になってたからなぁ。
で、どっちの試合もレイスが絡んでるんだよね。追悼興行の時は欠場の挨拶をする
レイスをブッチャーが襲撃、チャンカーの時はレイスが乱入して会場の外にまで出て乱闘。
あの会場外の乱闘をTV中継で見た時は本当に興奮したもんだけど。 >>911
WAR見てれば大体想像つくと思うが、レスラーと経営者の両立は基本無理だと。 でもレスラー以外を経営者にすると駄目にもなるしねぇ。
あのまま残って、将来天龍全日はありなのかもな。
その時の鶴田の処遇は難しいが、まぁ病気は避けられないか・・ 一番いいのは引退した元レスラーが社長になるケース?
国際プロレスは如何せんスター選手がいなかったのが
致命的だったけど。大日本プロレスは上手くやってるほうかね。 ちょうど今日は井上や冬木らが全日本への入団発表をされた日だったか 天龍みたいに気前が良いのは美談みたいに語られるが
計画性が無くて気前が良いのはむしろ悪いことだからな
手塚治虫の虫プロは倒産したが虫プロの社員は高給だった
豊田有恒は虫プロに入社したら当時の初任給の3倍以上の
給料が貰えて吃驚したそうだが
そんな風だから虫プロは倒産したんだよ 現役レスラーが社長というか権限持ってると
どんなに自分が体力的に衰えてもイイカッコしようとするし
若い芽を潰すマネも平気でする
猪木と比べたら馬場はまだセミ以下に落ち着いたり努力していたが
鶴田に直接負けないあたり、エゴは捨てきれなかった模様 >>912
マンハッタンドロップみたいな急所打ちは子供の頃怖かった。
まあ、ヒールとしては良い技だったんじゃない? >>919
鶴田に負けない…というか、
晩年は戦う必然性がなかったからなあ。
敵対する立場になかったし。 タッグながら天龍にはピンされたけど、鶴田にはシングルでもタッグでも
ピンされなかったね。させなかったと言うべきか。この辺の馬場の心情て
どんなもんだったんだろうね。 タッグながら猪木は藤波にピンを取らせたがブロディ事件が無ければどうだったか >>923
鶴田にAWAとらせて、NWAを天龍になんて話しもあったなかでNWAの価値がさがった
猪木が長州に勝たせたなら天龍に勝たせるかと
なったのではなかろうか? >>924
藤波が猪木からピンフォールとったことで
最後の最後でインパクトでは引き分けだらけの85最強タッグは負けてしまった 馬場からシングルでフォール勝ちした日本人レスラーているの?
韓国人だが大木はあるみたいだが。日プロの若手時代だと
いるんだろうか? 馬場は力道山時代は
吉村、芳の里に勝ったことがない
良くて引き分け 三十分とはいえハンセンのフルタイム引き分けというのは初めてだった >>923
2番手本命に負けたらほんとに真に跳び越されたことになるが
3番手に負けてもご愛嬌という感じがする。 大木の全日時代つうと、77年頃の馬場が大木の頭突き対策で長髪にしてたの思い出すw
それぞれ鶴田、Kダクを帯同してのインタータッグ争奪戦線は面白かった。
蔵前だったか、ダクのタックルからカウンターで決めたランニングネックブリーカーが印象深い。 >>918
天龍はもしかしたら他人から自分がどう見られているかものすごく気にしていたような気がするな。
だから気前よく奢ったり人の世話焼いたりしていたと思うけど。WARのレスラー及び社員を連れて
ハワイに行ったりしていたのも古巣全日に対する対抗心もあっただろうし、ただこのやり方では
潰れるだろうな。 馬場、猪木が独立後シングルでフォール負けしたのは
馬場(ブリスコ レイス ブロディ ハンセン)
猪木(シン アンドレ 長州 天龍 タッキー?)で桶! >>923
天龍には、後に6人タッグでピンフォール取り返している >>933
馬場はデストロイヤーにフォール負けしている >>931
頭突き対策ってもプロレスだぞ。本当に痛いわけじゃない。
ファッションで長髪にしてみたのを大木対策って言ってただけだろ。 >>933
馬場は少なくともジャガース、ドリー、ブッチャー、デストに負けてる。
猪木はソト、ゴッチ、パワーズに負けてるのでは?
面白いのはあんだけ両者とシングルやったマードックが双方から一度もピンフォール勝ちがない事。 馬場が生涯ついにシングルで一度も勝つことができなかった男
クロンダイク・ビル 猪木は昭和52年春のWリーグでマスクド・スーパースターにネックブリーカーでタッグながら
ピンフォール取られている。
スーパースターの売り出しに一役買った形だが決まり手が空中首折りだったので
馬場に負けたことをシュミレーションしてた猪木ファンがクラスに居たわw
あとその年の暮れにも猪木はタッグでP・パターソンの四の字固めでギブアップ負けしてる。 >>945
タッグなら、
猪木はカルホーンにもフォールされてる。
あとバンディか。 馬場はダニー・ホッジにもシングルで勝ったことがないな
ていうかホッジって日本でシングルで負けたことあるのか? >>942
マードックはタッグでなら馬場からピン取ってる。 会社としては全日は新日本に遠く及ばない
ケガしても休ませないし 試合で直せとか馬場が言ってたもんな。
ポスターに写真や名前が出てる以上、休むなんて
馬場からしたら、とんでもない事なんだろうけど
そりゃ馬場自身 ケガするような激しい試合をしないからな、3000試合連続出場とか アピールしてたけど
猪木に一刀両断されてカッコ悪かったよ
連続出場とか、そんなに威張れるもんじゃないよ >>933 はシングルっつってんのにタッグまで入れたらキリがないわw でも猪木のフォール負けって確かに珍しいわな。バンディにタッグでフォール負けした時に6年振り?とかでネタになってたもんな 1本勝負の時代だし
6年間フォール負けなしといっても
その間にド派手なKO負けしてるから
そんな感じしないなあ >>330
書かなかったけど、俺もちょっとはそれもああったのかなとは思った。
恐らくファンからもそんな風に捉えられるだろうと考えたんかな、と。 天龍は自身も本当のことはわからないと前提した上で、
あの頃はUWFばかりが話題になっていたから馬場のアンテナが動いて、俺にフォールを取らせたんじゃないかと
翌日スポーツ新聞(東スポ?)は見事に一面でしたよって言っていた気がする >>949
猪木の糖尿病で長期欠場も威張れないなあ。
試合と全く関係ない。単なる不摂生やん。 >>955
当時 あれだけヨボヨボで衰えまくってた
お爺さんみたいな馬場からフォール取った事で
あれだけ盛り上がるのも、おかしな話だと思う。
馬場は78年頃に引退するべきだった。
90年代迄 現役続けてたのが 今思えばおかしい話 マイティ井上は速攻で全日移籍したおかげで
厚生年金で助かっているが
ミスター高橋は国民年金だけだったって話を聞けば
そういう点はどっちがまともな会社だったか分かりそうなもんだがな
坂口が社長就任した時の抱負が「新日本をまともな会社にすることです」
だったわけで 深夜のこんな時間に
09/17(日) 01:42 h00+bjAGd
猪木がーwwww >>918
虫プロが倒産したのはテレビアニメに手を出したから。
>>932
ただ単に関取時代の習慣が抜けきらないだけだろ
幕内力士は付け人や若い衆の飲み食いやソープ代まで
出すのが普通。 >>947
トシ東郷(ハロルド坂田)に2フォール負けしてます >>960
引退時に天龍が飲み代まで奥さんに迷惑かけてきた。と天龍が言っているね。
世間見てると、こ場面でお前が皆に奢るって人は
面倒見良いことにこだわるタイプが多いかも。 >>960
ギャラが高騰したのは東映動画と優秀なスタッフの争奪戦になったからとも言われる。 >>960
仕事量が多いけど、給料も良いという意味では虫プロは正しいよな。
結局中抜きが酷くて、下に金が行かないのがいまだに続いてるあの業界は終わってる 天龍は中抜きどころか、自分が新日本や大仁田や高田のところで貰ってきたギャラを所属選手に回していたというしな アニメーターが食えないのは手塚治虫のせいじゃなかったんだな 今はデジタル製作だからアニメも楽になったよ
昔のセル画時代は1話で千枚以上だからそりゃ死ぬわ
手塚のとこなんてセル画要員と漫画要員抱えてたから
人件費も莫大で潰れた 馬場が天龍のメガネ移籍を引き留める時「社長にしてやる」と条件出したが
どーせ権限なんて微々たるもんで実権は本人と元子が手離さないんだろうし 馬場の自伝だから盛ってるだろうけど
最初に道場に行ったら一目みるなり
、おまえ足の運動スクワット500回(だったか?)やってみろ!
と力道山に言われ、さらっとこなしたらもう500回と言われ、これまたさらっと
こなしたら、明日からこい!
と言われ、馬場は生活があるから、月給いくらですか?と聞いたら
リキは5万と答えたが、数日後に
バカヤロー試合にも出てないんだから3万円だ!と下げられたと書かれてた。
あの書き方では、頭なんか下げずに力道山から来てくれと言わんばかりに思えた。
2mでプロ野球ピッチャーが来たんだから(馬場のことは知っていた)
そりゃ欲しがるよな。
馬場は郷里でリヤカー何キロも引いてて、巨人の二軍で走り込みさせられた
から足腰には自信があったと書いてある。
対戦レスラーは皆足の強さに驚いてたからね。 ユセフ・トルコは「馬場は凄い。あいつが師事したアトキンスが凄かった。馬場は大変だったと思うよ。よく辛抱したなあと思って、アトキンスのところで。」と言っている。
アトキンスの影響はやっぱ凄かったんだな。
https://www.youtube.com/watch?v=mlHl7xsUYGo >>966
それは宮崎が誇張してるデマだからな。
あいつが言うから信じちゃってる人も多い。 力道山から頭を下げて馬場から渡米時代のギャラを借りたというのがあったな
もちろん返す気なんか無いのは分かってたが借用書はしっかり書かせたとか 鶴田はファンクスではなく
アトキンスに預けるべきだった >>972
別にデマでもないよ
手塚治虫は赤字をキャラクターグッズで埋め合わせて黒字にしようとしただけで
それは他のプロダクションでは無理だから結局アニメを独占できると読んでいた
他がアニメを作ろうとしたら低賃金になる仕組みを手塚治虫は知ってたわけだからね
手塚治虫の凄いところはあんなにアニメを愛してたのにほとんどがロクでもない作品ばかりだった
最後の方は自分の絵柄では売れないから他人のキャラデザで作ってたもんな
24時間テレビのアニメは手塚治虫が絵コンテを切るって言い張ったのになかなか描かないから
仕方なくスタッフが適当に作って放送当日にフィルムを現像したんだもん
その放送を見ながら当て付けで手塚治虫が絵コンテを切っていた
手塚治虫ってアニメに関しては本当に最低だった
手塚治虫のせいで過労で何人か死んでるんだもん ジャスティン・ビーバーのバックダンサーをしてる女性Delaney Glazerの動画
2番目のグループの真ん中の女性がDelaney Glazer
David Guetta ft Nicki Minaj - Light My Body Up - Choreography by Jojo Gomez | #TMillyTV
https://y●outu.be/dBJauw90cC●I
2番目のグループの左の帽子をかぶった女性がDelaney Glazer
Missy Elliott - I'm Better ft Lamb - Willdabeast Adams Choreography @MissyElliott @TimMilgram
https://y●outu.be/RSZiutoGnJ●M
Alex Aiono - Work The Middle
https://y●outu.be/rJ951●IVU3ig
'Far East Movement - Freal Luv #FrealLuv' - Choreography by @nikakljun
https://y●outu.be/8vsPFhrSq5●M
CJ Salvador Choreography Master Class 2016 Xtreme Dance Center / Xtreme Dance Force
https://y●outu.be/Qgqy704Jx2●o
Black Fever - Alexander Chung Choreography - Jordan Bratton
https://y●outu.be/DUnBMIOT_Z●k
Justin Bieber - What Do You Mean? - Choreography by @NikaKljun & @SonnyFp - Filmed by @TimMilgram
https://y●outu.be/x0n6BCmTv7●A
Dawin ft Silento - Dessert - @_TriciaMiranda Choreography | Filmed by @TimMilgram #DessertDance
https://y●outu.be/oe6ACKMyF7●I
Chris Porter ft Pitbull - The Water Dance | Choreography by @_TriciaMiranda - Filmed by @TimMilgram
https://y●outu.be/4TnUePIxP8●I
Kid Ink Ft. @ChrisBrownOfficial - Hotel @KidInkBatGang @JoshLildeweyWilliams
https://y●outu.be/IbZFXeRT8W●Q
F*** The Summer Up - Leikeli - Choreography by @_TriciaMiranda | Filmed by @TimMilgram
https://y●outu.be/kIshlpqpG3●s
Omarion - Work (Josh Williams choreography) @1Omarion @JoshLildeweyWilliams
https://y●outu.be/1cuRiJOGRd●E
JEREMIH - Raindrops | Mikey DellaVella & Josh Williams Choreography
https://y●outu.be/X-Bu5M0hC-●E
Nicki Minaj - Trini Dem Girls - Choreography by Tricia Miranda - (ft Aidan Prince) @timmilgram
https://y●outu.be/qJaTxaulAM●o
2AM - Adrian Marcel | WilldaBeast Adams | @willdabeast__ filmed by @timmilgram #ImmaBeast
https://y●outu.be/AbkRvxju1t●Y >>975
本当か?
24時間TVアニメって「マリン・エキスプレス」かな
アキラって漫画の作者が受賞した時に手塚が近ずいていって
君、凄く上手い漫画描くねえ!って褒めた後
「でもね!僕にだってあれぐらい書けるよ!(怒)」と行って去ったというのを
テレビで作者が言ってた記憶がある。
手塚も結構コンプレックスあったのかもね。 とんでもない暴言の数々!手塚治虫の嫉妬伝説まとめ
というページ参照 馬場はUWFがブームになった時
「アイツらは良いよな、相手蹴っ飛ばしてりゃ良いんだから」 猪木が天龍にピン負けを許した理由がどうしてもわからない あの時に天龍が負けてたら
橋本がリベンジした時に引き立たなくなるからだろう
連敗ではさすがに天龍の値打ちが下がる
94年頃の猪木は負けてもどうということのない年齢だし >>979>>980
運動音痴だったのでスポーツ漫画も描けなかったと言われる。水島新司を「野球しか
書けない奴・・・」と嫉妬していたw
>>971
アドニスは晩年の最期の弟子かな? アトキンスの弟子で有名なのは馬場、シン、アドニス
ドン・レオ・ジョナサンもアトキンスのコーチを受けたことがあって
アトキンスをリスペクトしていた バーン・ガニアのテーマ曲「ミーコのスターウォーズのテーマ」は馬場3000試合のAWA戦用に流したと思ったが
本当にガニアのテーマ曲だったとは・・・
79年シカゴのAWA世界戦ニックvsガニアの試合後(ガニアの反則勝ち)ミーコのスターウォーズのテーマ流れてたわ
https://youtu.be/mUZ1mnh6Mdo?t=1340 >>982
多分、鶴田が現役だったらさせないというか、対戦させないでしょうね。
勝敗より興行ってとこでしょうか。 >>982
チョチョシビリ方式で1勝1敗の行って来いのつもりだった
ところが天龍が勝ち逃げしたので猪木が激怒した。 猪木戦のあと橋本にすぐ負けて新日本から契約切られたんじゃなかった?
再戦も何もないと思うが >>989
その後も広島とか福岡とかで
散発的に出てる
あれ以上はレギュラーで出てもお互いにテーマがない >>975
それを否定したのが20年近くも前に言われてた話じゃん。
そしてその頃やっと否定された意見も出た。マニア雑誌だけど。
アニメ業界の問題なんだよ。
手塚さんの問題じゃないの。
それと24時間テレビの話は別の問題だよ?
あれはスケジュールが狂ってるだけ。
手塚さんのせいでアニメは低予算を押し付けられたって話してるわけだから関係ない
アンチな人のようだから言っても無駄かもしれないが。 >>914
でもノア設立ぐらいまではファンもマスコミも結構な数の人が「やっぱりレスラー社長じゃなくちゃ駄目だ」って言っていたな
昔はフロントの重要性が本気で理解されてなかったよな >>915
非レスラーだとこれまたファン上がりとかタニマチ気取りしかいなかったもんなぁ
ユークスはよくやったと思うわマジで ユークスのやった事っていわば血の総入れ換えみたいなもんなんだよな
まさに力道山以来の大革命と言ってもいいくらいの どっかの大学の経営学の先生が会社作ったら倒産しちまったなんて話が
昔あったらしいけど、ましてプロレス団体の経営となったら一般の企業とは
色々と違う面が多々あるだろうし、中々大変だろうてのは素人の俺にも容易に
想像はできるけどね。
FMW設立から2度目の引退までの大仁田はもしかしたら凄かったのかも。 >>974
全日の旗揚げで、ファンク一家には世話になったから
シニアの顔を立てる形で鶴田を預けたんだろうね。
ただ、今になってみると、初めにプロのレスリング技術を学ばせてから、アメプロのムーブを覚えさせても遅くなかったと思う。
元々持ってるアマレスにシュート技術が加わったら、鶴田のプロレスももっと締まりのある物になってたかも?。 鶴田は「ゴッチの指導を受けてみたい」と言った事があるらしいけどね。
ゴッチは全日参戦を考えた事もあったようだけど、もし実現してたら
それもアリだったかもしれない。 馬場はプロレスのエースだけじゃなく
社長業も鶴田に譲るべきだった
地頭のいい鶴田ならレスラーフロントとして十分やれただろう。 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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