あさきゆめみし 第百四帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
語りませう。
この板は全年齢対板なのでエロ話がしたい人はpink板へ
ここは漫画あさきスレなので専門的な史実ネタや原文ネタはほどほどに
史実ネタは日本史板へ、原文ネタは古文・漢文板へ
あさきゆめみしに描かれていない人物及び竹河の巻ならびに
後世に執筆された雲隠六帖について語りたいお方は下記のスレへ
紫式部、源氏物語スレ 二帖
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1578572479/
まったり雅に平和に語り合いましょう
次スレは>>990なる方が立つる定めなりけり桜人
前スレ
あさきゆめみし 第百三帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1632878224/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>92
その頃、柏木の婚活に口添えしていたみたいなので、朧月夜は姉の四の君との交流は
あったみたいだけれども、同時に寂しさはあったかもと思う
怒りっぽい弘徽殿大后は、朧月夜にとっては親身になってくれた姉ですものね
源氏は女性が抱える寂しさに付け入るのが特技だからねーからのグダグダを経て
見事に出家を果たした朧月夜の退場は格好がいい >>91
そうだよね、朱雀が出家するする言ってたのは病み上がりてのもあるけど母親(弘徽殿)が死んだからさすがに気落ちして人生感慨深く考えてたて理由もあったりする
>>93
でも若菜での朧月夜の役割てなさけない立ち位置なんだよな、たとえば源氏が再びよりを戻そうとするも厳しくつっぱねるとかだったら朧月夜かっこいいて感じだけど
結局性欲に負けて再び関係をもったって感じでかっこ悪くて朧月夜の株を下げてる感じで作者もなんであんな話いれたのかなあて疑問に思うところだ >>94
一見、切り捨てても良さそうなエピと思うけれども、出家は女性性を捨てることを意味するから
朧月夜が女性性を捨てるまでの葛藤期間なのかなと思ったよ
もし朧月夜が深い信心を持っていたら、朱雀院が出家する時にお供させてもらえそうなのに
今少し俗世に未練がありそうと朱雀院から思われたのかなというどっちつかずさが
朧月夜らしいのかもしれないと思う >>79
火鉢の炭にも困窮するくらいだし、単純に寒かったのでは >>93 怒りっぽい弘徽殿大后は、朧月夜にとっては親身になってくれた姉ですものね
うんうん、他人が何と言おうと、朧月夜にとっては良い姉でしょ、弘徽殿。 >>93
朧月夜も若い頃は姉のことを「家が栄えることばっかり考えてる口うるさいお姉様」って思ってただろうけど、自分がそれくらいの年齢になった時に色々分かったかもね
姉が自分達のためにだけでなく、関わるたくさんの人のためにも家を衰退させぬよう頑張ってたことを >>59
つーか、藤壺って不義の挙げ句托卵して皇位につけてるんだから
見ようによっては一番の悪人だと思うが >>80
右大臣派と戦い続けた桐壺帝が、十数年の帝位と親政で、右大臣派を押しきって藤壺を中宮に立てる権力を勝ち取ったという解説がある
桐壺更衣を亡くしたときにこきでんが宴をやるのを咎めることもできなかった権力が不安定な時代を経て、皇太子の母であるこきでんを差し置いて、という右大臣派以外の反論を押さえられるようになったと 藤壺でさえ、皇子の母ということで中宮だからね。彼女小梨だといち女御で終わってる。
実は式部さんの頃は後世の南北朝ほど派手で無くとも村上帝から冷泉系と円融系の兄弟で帝位を争う時代が続いてる。
長男冷泉があたおかだったので早々に退位、有能な次男為平親王が源高明の婿で藤原一族には不都合と失脚させ、強引に末弟円融を即位させた。
この事情でどちらが正統かを子孫が争うわけ。
倫子のような后候補として育てられた姫がどちらに入内か躊躇う内に婚期逃して道長の妻になるしか無くなったのもこのせいとか。
この辺りの時事的を反映して桐壺と藤壺は系統違うらしいのよね、
藤壺の「先帝(せんだい)の内親王」は当今桐壺と系統の違う帝のことだとかで。
どうしても息子を産みたいのは深読みすると源氏との恋愛もあるけどいくら寵愛されても高齢の桐壺帝とは出来ないならばと、自身の系統を残したいという思いもあるかもね。 ますます小梨で中宮になった秋好のゴリ押しはんぱないね
その頃源氏に対抗出来る勢力はなかったのでしょう >>101
とりあえず藤壺は女御じゃない
原作では一度も女御と呼ばれたことはないからね
あさきではわかりやすく「女御」ってなってるだけ >>102
むしろ子がいない(一代で済む)から推しやすいのかも >>103
藤壺の女御、じゃなくて、藤壺の宮、だよね。
先帝と桐壺帝の間に確執があるんなら、わざわざ"宮"とは呼ばないんじゃ?ていうか入内自体してないと思うわ。 >>103
藤壺宮は女御と呼ばれないだけでなく身分上女御でもないんだっけ?
女御として受けられる待遇は受けられないのかな?結構生活辛かったりしないのかな >>106
あなたが正しい。制度上「女御」よ。
奈良朝ならば確かに「妃」という位があって、これは内親王女王しかなれない。皇后も「妃」から選ばれ、臣下出身は「夫人」「嬪」にしかなれない。
平安朝は制度が変わってるから皇族大臣以上の娘は一律「女御」で入内。
藤壺は内親王だから地の文では上位の呼び方してるだけで桐壺後宮での立場は女御。それ以外無いから。
強い後ろ盾のある内親王は先々中宮への見通しがあるの確認してから女御入内してすぐに中宮になるよ。道長の孫の内親王達がそう。
子が無くともね。トップになれないなら最初から入内なんてしない。
母后が拒んでるのに、亡くなられたら断れずすぐに入内、兄はむしろ妹のおこぼれに預かる立場で後ろ盾無いも同然の内親王。
頑張って息子産まないと後が無いのよ。 >>107
後宮の身分的には"女御"だけど、内親王、という高貴な生まれだから、宮さま、て呼ばれた、てことよね。
和宮が徳川家茂に降嫁した後も、"御台所"じゃなくて、"宮さま"て呼ばれてたのと同じか。 >>107
いや、あなたのいうこと間違ってるから。
源氏物語がモデルにした自体は醍醐天皇・村上天皇のあたりと言われてるけど
平安時代の醍醐天皇には内親王の「妃」がいたんだよ
その他、円融天皇のきさきだった尊子内親王は「火」と「妃」の掛詞である「ひの宮」
という仇名がついてたので、その時代にも「内親王=妃」という概念は存在した
通称として「女御」といわれたりもするけど、あくまで通称だからね
藤壺宮の「輝く日の宮」という仇名は、尊子内親王の仇名にひっかけて、「太陽のように
美しい宮」と「妃の宮」の掛詞だと言われてる
藤壺宮が、律令制上の妃の地位を正式に与えられていたのかという点については
諸説があるけれども
その他、平安中期に成立して源氏物語に影響を与えた王朝ものの宇津保物語には
はっきり内親王が「妃」の地位についたと書かれてる
ともかく平安時代は制度が変わって「皇族大臣以上の娘は一律「女御」で入内」というのは
明らかに間違いですよ >>109
内親王が火って呼ばれるの猛々しくてかなり変な感じだけど当時だとおかしくないのかな? >>106
女御という身分で収入があるわけじゃなくて、従三位とか位階を授けられてそれに対して
待遇が得られたり、年給が割り当てられたのが収入になるんじゃないかな
内親王の場合は、位階に該当するのは一品〜四品までの品位ね
ちなみに日本大百科全書によれば、親王・内親王給(目1人、史生1人)、女御給(目1人、
史生1人)、尚侍 (ないしのかみ) 給(目1人、史生1人)という感じなので、内親王であれば
それだけで女御と同じレベルの年給が得られたらしいよ >>110
尊子内親王は、たまたま彼女が入内した直後に大火事があったために「火の宮」っていう
不運な仇名を付けられちゃったらしいよ
なお、円融天皇のきさきである尊子内親王も正式には「妃」の身分だったのでは
という説がある >>112
そうなんだ全く良い意味ではないのに可哀想…というか失礼すぎる 皇女だったら女御として入内して当然じゃない?
もしも皇女なのに後宮での身分が更衣だったらそっちのほうがびっくりだわ 内親王宣下を受けた皇女は、臣下身分がなる女御よりも基本的に地位が上なんだってば 「内親王は、基本的には女御にはならない」と何回言われても理解できない人がいるような… >>107
一応…奈良朝の「妃」は女王でもなれるよ
昔は内親王とか女王の呼び名自体がなくて、皇女、王だった
倭媛王(皇后)とかね 源氏物語より後の時代になると、内親王が女御宣下を受けたりもしたようだけれど
もともと女御だの更衣だのっていう言葉は律令上のものではないもんだから
時代によって位置づけが曖昧だったり変わっていったりするんだよね
源氏物語のモデルと言われる醍醐・村上天皇の時代には、まだ内親王が「妃」(女御より
格上)になるということもあった
醍醐天皇の母の藤原胤子は、更衣から女御に上がり、死後に皇太后を追贈されてるし
けれど、その後の摂関期には内親王の入内自体が少なかったし、皇太夫人や妃といった
律令上の天皇の皇妃もだんだんなくなっていって、女御の地位が段々と上がっていき
女御は中宮の前提的地位となって、そのあともっと時代が下ったら女御が天皇の正妃
という位置づけになったりもしていった
かんたんな説明として「皇后/中宮・女御・更衣」みたいな説明されるけど、本当はそんな
ふうに固定的なものでもなかったりする 藤壺の尊称から脱線しますが、
尊子内親王の別名は承香殿女御なので、後宮での格式は「女御」でもあると個人的に思います
元々、四品(のち二品)内親王としての格式もあるので、二品内親王と火災をかけて
「火の宮」とも言われたと解釈も有りと思います
妃の位は、醍醐天皇妃の為子内親王以降廃れていき、殿名+女御または更衣という
通称が主流になっていく過渡期に尊子内親王が入内したことと、
生母とその一族が次々と逝去したこともあって、入内後の尊子内親王は女御だったのか、
あるいは妃だったのかという明確な記録が無く、見解が分かれているようです
また、紫式部が宮中にいた頃は殿名+妃で呼ばれた方はいないことも見解が分かれる理由です
時代を少し経て、藤原彰子の孫娘・章子内親王は後冷泉天皇に女御として入内した記録が
残っているので、内親王=妃という原則はここで確実に崩れたことが判明しています 尊子内親王のときは正史に「女御」という記載がないんだけど、章子内親王の時には
記載があるので、円融天皇〜一条天皇の頃が過渡期みたいな感じで、特に一条天皇の
時に三后が四后になったりとか、かなり激しく変化しはじめた。
章子内親王の夫の後冷泉天皇の時には、ひとりの天皇に同時に三人の正妃(后)が
並立したりしていて、かなりイレギュラーだったり、特にそれまでの慣例が激変して
何でもありになっていった時期。
で、源氏物語のモデルはあくまで一条天皇よりも前の醍醐・村上天皇ぐらいの頃なので
一条天皇以降に色々変わっていく前の時代を基準にしてるんだよね。
だから、その頃には内親王は女御にはならなかった、と。 いやー、勉強になります
奈良時代の妃、夫人、嬪は知ってたけど
平安時代にも妃は残ってたのね
でもあさきでは、藤壺の宮は女御だったよね?原典では女御とは明確にはなってないのかしら 原典から失われたと伝えられる「輝く日の宮」という巻が現存していたならば
入内後も藤壺=日の宮と称されたという解釈が容易になるんですよね
「幻」の巻のように、最初から「輝く日の宮」も名前だけの巻かもしれないですしという
考え方(正確には、一度書いたけれども筆を折った説)もあれば
紫式部の巻名に感じられる美意識(熟語で統一)から離れているから
後世の人が付け足した的な考え方もありますね
藤壺を「女御」で読むと、桐壺帝の後宮に入った雅やかな宮様に思えてきます
先帝の内親王(桐壺帝妃)で読むと、皇統から外された一族の生き残りが
桐壺帝の後宮で、先帝の血を残そうとする意識が強い皇族女性にも思えます
水面下でこの流れは異母妹の藤壺女御にも受け継がれ、やがて先帝の孫娘・女三の宮が
物語本編に登場していく…こんな風に私は二度美味しく読んでいます でも現代の教科書やら便覧資料なんか、藤壺は中宮になるまでは女御って書いてるよ?ほとんどの作家の現代語訳でも藤壺女御となってる。
学校でそう習ったのなら沢山の先生方が監修した教科書の解釈でそれでいいと思います。
原文では女御と書かれて無いのも知ってまるすがそれは呼称のことで実際は女御との解釈が主流。
火の宮と妃をかけた話も知ってるけどあれも妃という位が過去あって(一般の)記憶に残ってるから言われただけで実際はもう消えた称号と習ったけどな。
なんかここ極端な主張を強くしてる人いるけと、試験で間違う人いたらいけないから書いとくわ。 中宮の宮と引っ掛けて藤壺の宮なのか、内親王の宮と引っ掛けてなのかで悩ましくなる
前者なら未来の国母としてで、後者なら生まれ持った高貴さからだし
あさきでの、藤壺の尊び度は前者の比重の方が高めかなと感じます 枕草子で定子を宮様と読んでるの違和感あるけど、当時は中宮から皇族だからあの呼び方もおかしくないとか。
今の皇族の呼称は明治時代に政府主導で改めたものだからそれまでの時代とはかなり違うんですよね。
それでも古い呼称は内々では残るもので、昭和天皇の良子皇后は若い頃に侍従女官には内々で「御息所」と呼ばれてたとか。
流石に美智子皇后からは無いようです。
御息所ってまだ使ってたんだ!と驚いた。 御息所の呼称も近代まで使われてたんだね
典侍も、大正末期に当時の皇太子殿下(昭和天皇)が女官制度を改革されるまで存在してたと知って驚いたよ >>127
柳原愛子が御息所、て呼ばれてたのは知ってたけど、香淳皇后も、御息所、て呼ばれたんだ! 式部が日本紀の御局と揶揄されるくらい歴女だったとしても
あくまで当時としては娯楽として書かれたものだし、村上醍醐朝をモデルにしてるにしても、細かい所は都合良くアレンジしてる可能性だってあるよね
当時の常識として、わざわざ明記してない事だって沢山あるだろうし、千年後の我々が断言出来る事なんてほぼ無いんですな
今ある通説だって、100年後には訂正されてるなんてざらにあるだろう ここあさきゆめみしスレだしあさきも流れも関係なくただ源氏物語を語りたいなら他のスレが良いんじゃない だいたい主人公が父帝の妃をNTRして子を産ませたって話書いてそれを当時の宮廷貴族たちが面白がって読んでたってのがすごい
昔のほうがしょせんフィクションだからで寛容だったのかな?現代のほうがなになには差別表現にあたるから書けないとか規制が厳しいよね >>131
当時のコンプライアンス?の感覚ってすごいよね
ああいう世界観を楽しんで続きを知りたがってるし
まあ現代でも不倫ものとかヤクザものとかコンテンツとして人気だよね
枕草子でも、人の破り捨てた手紙のかけらを繋ぎ合わせて読んで楽しんでる描写があったような >>131
あさきの少し後だけど、崇徳は白河院と待賢門院の子供、て言われてたし、その辺りは緩かったのかな?まあ白河院の子だったら皇子ではあるけど、源氏の子なら、朱雀の借りパクじゃないけど"ただ人"だからね。罪は深いよね。 「伊勢物語」だと入内前の姫君(後の国母)との駆け落ちやら、伊勢斎宮(現役)との密通がネタに(笑)
しかも実名で。
まあ、性道徳的にはおおらかだったのは間違い無いわね。
「伊勢」に比べてもフィクションの源氏は娯楽として消費できたのかもね。
桐壺は架空だけど朱雀と冷泉は実在の帝。
早世の悲劇で絶えた朱雀帝と精神病んで退位で当時は生存の冷泉を出しても特に不味いと思って無いワケだし。 実名と書いてしまいましたが、正しくは誰なのかがハッキリ分かるように、ですね。
訂正(汗) 実際に東宮妃なのに浮気して子供産んでバレてた人もいましたね、道長の姉妹で。 元は朱雀冷泉とも里内裏だか後院だかの通称だけど執筆当時で朱雀帝(院)といえば、冷泉帝(院)といえば、ってくらい周知されてたものかね? >>134
同年代の在原業平が、あさきの原作の源氏のモデル、とも言われてるよね。当時の人たちは、あさきの原作である源氏物語を読んだら、在原業平を彷彿とさせてたはずだよね。 紫式部が生きていた当時の源氏物語の読者数は60人位だったって何かで見た >>137
その方も確か尚侍だった気が
道長が東宮(三条天皇)から頼まれて彼女がほんとに浮気したのか聞き込みに行くくだりがあったね >>140
紙の貴重さに加えて印刷技術もないから高級娯楽品だろうし納得できる
読者としても当時の識字率ってどんなもんだろ万葉集には防人の和歌もあるけどきっとそれなりに良い身分の子息あたりだよね 識字率低いし印刷技術なしの手書き同人誌を身内で回すようなもんだから
宮中とその周辺で読まれるくらいで読者60人もいれば充分多いと思う
手書きノートに書いた小説を1学年で回し読みされているようなもんだよね あと、読み聞かせというか朗読会みたいなやつもあったみたいだよね
朗読のうまい女房に音読させてみんなで聴くやつ 本編に出てきた絵合わせもいろんな所で行われてたのかしら
あさきでは真っ白でワロタ 当時の読者、判明してるのは道長次女の妍子が続き読みたがってるからと道長が部屋から書きかけ原稿持ち出した、ってのと。
一条天皇が側近の内侍らと読んで「この人は日本書紀を良く読んでる人だね」と感想を漏らした。
菅原孝標女(「蜻蛉日記」作者道綱母の姪)が全巻親類に貰って熱狂して読んだ。
とかだね。 雲居は夕霧の態度が怪しいと思ったと時に、実家にもっと落葉を気にかけて欲しいとか言えなかったのかな。夕霧のお見舞いが過ぎる事とか上手く伝えられてたら…。 >>146
菅原孝標女は平安版オタクな女子だよね
ずっと欲しいと思ってた源氏物語を全巻いただいた時の喜びの描写とかね
お祭りの時の帝や貴族の行列を場所取りして眺めてた人たちも、推しの顔を拝めて幸せって感じだった >>147
言ってたとしても止められなかったと思う
ただ元々夕霧の立場なら複数の妻がいて当然
落葉に子供が出来なかったのか雲居にとっては救い
女三宮が来て薫始め子供がバンバン出来たときのが雲居は苦しくなる >>130
そういうのいくら言っても誰も聞かないから無駄だよ
挙げ句の果てには源氏物語の書かれた当時の風俗等がわかってありがたいから続けて欲しいみたいな擁護まで湧いたりするからw >>147
女二の宮のことは柏木から頼まれたからという大義名分がきっかけなので
止めるタイミングが変わっても結局、夕霧の恋心をこじらせてしまう感じがする
あさきで、塗籠にこもった女二の宮が夕霧から抱き寄せられるシーンの
女二の宮の衣装の模様が大和先生らしくない雑な感じと最初思ったけれども
見返すと夕霧は変わり花菱柄で女二の宮は七宝柄、どちらも吉祥紋だった
こういうさり気なさを見つけたくて、あさきを何度も読み返したくなるんだよね 夕霧は拗らせるね。でも、落葉にその気は全くなく寧ろ迷惑に思ってたから婚家が夕霧に付け入るスキを与えないように取り計らってくれたら助かったと思う。
落葉も完全に自分狙いだとわかったら母親同席の時しか対応しないとかもっと慎重になったと思う。 >>147
実家(頭の中将)としても、落葉の宮は朱雀の二の宮で、母御息所や本人は気に入らないのをお願いして降嫁してもらったのに、肝心の息子は死んでしまった状態だったからね。嫁のあなたを娘のライバルと見なさなければならないのが辛い、て婉曲な?歌を送るくらいしか出来ないでしょ。 >>150
あさきを読むのに、当時の時勢や風俗知ってたほうが良くない? >>154
知ってた方がいいとは思うけどここでしつこくやる必要ある? >>153
全然婉曲じゃないどころか、息子使って脅しかけてるから相当だと思う あさきでは(原典でも多分)描写はなかったけど、青海波を舞う前の源氏と頭中将は自主練とかペア練したのかなあなんて考えてしまった
部活の試合前みたいに 孝標女が藤壺中宮でも紫の上でも明石の御方でもなく
夕顔と浮舟に心惹かれ自分もかくありたいと願ったのはとても面白い
地味で大人しい喪女の孝標次女が
中流の身ながら(夕顔は両親が三位中将とその北の方だし浮舟も認知はされていないが宮の娘なので身分は卑しくないけれど)
貴公子の中の貴公子に愛されて絶頂のうちに人生に別れを告げたい
それは皇后になる事より素晴らしい事だと真剣に思っていたという事は
彼女は心のうちに破滅願望を秘めていたんだろうか
天神様はあの世で「私が政争に破れなければお前を中宮にできたのになあ、
でもその場合お前が生まれていないか……ハハ……」と嘆いてそう
孝標女の時代には紫式部の真筆にせよ他者の手になるものにせよ
既に宇治十帖が源氏物語の正当な巻として認識されていたのも地味に重要なポイントだよね
当時真筆である事が疑われていた事から
あさきではばっさり存在を切り捨てられていた竹河は
娘の嫁ぎ先を間違えると家族も不幸になりますよという教訓も当時の貴族階級の女性にとって実用的だし
玉鬘が薫の音色に異母弟(柏木)を思い出し
嫁がせた長女にかこつけて50を過ぎた自分に未練たらたらの冷泉帝を見て
「何だか源氏の君を思い出すわ、何故かしら?」と
作者と読者と源氏しか知らない秘密(冷泉帝が源氏の子であり薫は源氏の不義の子である事)をにおわせて
(空蝉を除いて)源氏との関係が詳細に語られる最初の女君である夕顔の娘である彼女の口を通して
読者にその事を認識させるのは近代にも通ずる小説の手法でとても興味深い ×冷泉帝が源氏の子であり薫は源氏の不義の子である事
○冷泉院が源氏の不義の子であり薫は柏木の不義の子である事
ごめんなさい
源氏の二つの秘密を両方とも知り得たのは源氏本人いないよね?
(冷泉帝まわりは桐壺帝、藤壺、王命婦、藤壺お抱えの高僧、冷泉院本人のみ)
(薫まわりは源氏、夕霧、柏木、女三宮、小侍従、弁の尼のみ)
こんな重大な秘密を侍女や臣下が共有していていいのかと途方にくれるけれど >>158
玉鬘は薫の笛を聞いて、父親(頭の中将)か兄(柏木)に似てる、て思うシーンもなかったっけ?冷泉が源氏に似てると思ったり、なかなか鋭いねw >>160
あ、薫の笛は既に書かれてあったね。よく読んでなかったわ。ごめんごめん。 返す返すも大和さんが玉鬘一家編をも描いて欲しかったな
話が枝葉に行くと本筋が疎かになるから割愛したんだろうけど 竹河は玉鬘の没落もあるけど、
他には雲居の雁の息子が薫の引き立て役になってるシーンがあるから、
雲居の雁がお気に入りかもしれない大和先生はそれを描きたくなかったんじゃないの? >>164
息子の恋を叶えようと奮闘する雲居母さんを見てみたかったな
本編では若い世代だった玉鬘や雲居が母親になって子どものためにあれこれしてるの見たかった 頭中将と北の方みたいに息子の縁談にやいやい言い合う夕霧と雲居見てみたかったね
紫とちい姫みたいな二の宮と六の君も見てみたかった >>166
ほんとだねえ
頭中将と北の方が急に猫を溺愛し始めた息子を見て「一体どうしたんでしょうあの子…女三宮さまのことで塞ぎ込んでるようですし」「うーん…ぜひ内親王をというのがあれの希望だったしなあ」って気を揉んでるシーン、何か好きだわ
若い頃はそりが合わなかったけど、何人も子どもが生まれて長女を入内させたり他の子の縁組を考えたりして良い夫婦になっていったんだなと思った 自分が玉鬘に無理やり頼むのも悪いから、と気が引けてやらなかった夕霧が、
後から雲居雁に泣かれて「無理に頼めば良かった」って後悔してたあたりが、なんか
思いの外ラブラブ続いてて良かった それにしても宇治編での夕霧、超多忙だよね
大臣として政界を仕切って、雲居と落葉のところに半分ずつ通い、宮中で藤典侍と逢引?して、長女を入内させて次女も二の宮と結婚させて、他の子供たち(約10人)の身の振り方考えて、持ってる屋敷や荘園の管理して、行事やお祭りとかも参加して、etc
お正月用に新しい衣裳をあつらえて、って夕霧もやってたのかな 月の15日ずつ妻たちのところに行ってるんだから、もう藤典侍のところには通ってないんではw 仕事のついでに挨拶するくらいだろうね
でも六の君はもちろん子供もいっぱいいるし子供の話するだけでも会う機会はそれなりに多そう 葛藤はあるだろうけど、藤典侍のポジションも結構良い気がする
御曹司の側室というかお妾だけど典侍という要職についてて、父の惟光も「わしも運が良ければ明石入道のようになれるかも」って妄想してたし良縁だと思う >>172
藤典侍は大出世の孝行娘でしょ。惟光が朝臣になれたのも、源氏の後押しもあっただろうけど、娘が優秀な典侍で、夕霧の子を何人も生んでる、ていうことは強かったと思うよ。 >>170
きっと織姫と彦星みたいに年一回だけ会ってるんだよロマンチック 頻度はわからないけど宿直とかで宮中泊まりの時に
藤典侍のところに顔をだしてたんじゃいかな >>175
だろうね
お互い利用価値があるし没交渉ではないと思う >>167
頭の中将の北の方って、右大臣の四の君で弘徽殿の女御の妹だよね。たぶん典型的な政略結婚で、若い頃は夕顔とかのライバルを蹴散らしてた人だよね。 源氏と葵も生きてたら夕霧(他子供たち)の縁談でやいのやいの言ってたんだろうか >>177
弘徽殿というか右大臣家の血筋かもね
気に入らない相手に何かせずにいられない
柏木の縁談の頃には何人も子どもがいて自分も中年になって、北の方として堂々としてる感じ
右大臣家の三の君?が蛍兵部卿の北の方だったよね、この方も気の強い系美人だったかなあ >>179
あれ、頭の中将の北の方は右大臣の四の君で、柏木の母なんじゃなかったっけ?後年柏木が女三の宮の時、"叔母が朱雀の尚侍"て言うのが朧月夜のことだよね? >>178
葵が生きてたら、夕霧と雲居の雁の結婚は無かったんじゃないかな。
頭の中将が、葵を亡くして寂しがってる大宮の所へ雲居の雁を預けたから夕霧と筒井筒になった訳だからね。 >>181
原典はどうか知らないけど、あさきで雲居雁を引き取ったのは母親の連れ子になったら可哀想だからだと思ってた
葵の代わりにというなら大宮は夕霧が赤ん坊の頃から手元で育ててたし >>180
紛らわしい書き方してすみません、それで合ってます
右大臣家の
多分長女=弘徽殿女御(大后)
三の君?=蛍兵部卿北の方
四の君=頭中将北の方
六の君=朧月夜尚侍
三の君かどうかははっきり書かれてなかった気がするけど、右大臣家の姫が蛍の最初の正室で、亡き後も蛍から想われてる描写があったと思う >>183
あさきでも同じと思うけど、頭中将が、せっかくの娘を母親の再婚相手に取られるのがもったいないけど
嫉妬深い北の方に育てさせるのも面倒だから、ちょうどいいとばかりに大宮に預けたのたと。
そして預けっぱなし。 >>179
風流人の蛍兵部卿宮が亡き正妻を偲び、次の正妻の真木柱とは年齢差もあってだろうけれども
疎遠になったことを考えると、弘徽殿女御のような猛々しい感じではないかもと思う
召人とかはいても、最初の正妻は別格だったのかなと思う 雲居雁は、原典では雲居の母親の再婚相手の子と育っていて頭中将が女の子を他人の元に置いておくのはまずいというかもったいないのでひきとって大宮にあずけた感じで
あさきの方は雲居の母親が再婚するので引き取り大宮にあずけている
葵がまだ実家で暮らしていたとしても四の君に頼みずらいだろうから、引き取っていたんじゃないかな
葵は身寄りのない子をかわいがったり、恋愛がらみじゃなければかたくなには見えないし >>187
再婚相手の子供というのは雲居雁の母親と再婚相手との子達で雲居雁の異父兄弟です >178
もし葵が生きてて夕霧の他に子供(娘)がいた場合、
立場を考えても身分的にも、
葵や左大臣は冷泉(娘の異母兄)に入内させようとしただろうね
源氏はどうやって娘の入内をかわしたかな?w 夕霧の妹ならば、年齢的には少し年上でも冷泉の次の今上でも大丈夫だったかと
左大臣は弘徽殿女御の後見してたから、むしろ左大臣や葵の手前、冷泉には
入内させたかったとしてもさせづらかったと思う。 >>189
仮に葵との間に娘が生まれてたとして、その娘がよっぽど出来が悪いとかじゃなければ誰にも遠慮することなくそのまますんなり入内コースでしょ
他に娘いないから明石の娘をあれだけ特別扱いしてたんだよ
正妻や他の格上な夫人に娘が生まれてたら、うちの娘なんか捨て置かれると明石が不安がってたけど
さすがに捨て置くまではいかなくても扱いはもっと軽かったろうね
髭黒の息子たちと縁談まとまったら恩の字レベルてとこじゃない >>189
あーごめん読み違えてた
よく考えたら冷泉とは異母兄になるもんね、入内させるわけにはいかないから
しょうがないから新弘徽殿女御の後ろ盾を買って出るとかしたかもね
新弘徽殿女御は久方ぶりに左大臣一族から入内する姫ということで養父になった左大臣は心から嬉しがってお世話してたし
先に入内した新弘徽殿差し置いて秋好が中宮になった時は源氏を好いていた大宮もさすがにこのときばかりは源氏のことを恨めしく思ってたそうだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています