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土田世紀 俺節 編集王 同じ月を見ている ギラギラ他
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0001愛蔵版名無しさん
垢版 |
2011/12/10(土) 20:53:09.31ID:Y0Df33dl
土田世紀作品について語ってちょ
0193愛蔵版名無しさん
垢版 |
2014/08/30(土) 14:36:23.67ID:t2bC55gk
>>173
>内縁の奥さんが書いた原画展までの経緯


■羽倉佳代(「世紀のプロジェクト」代表・著作権継承者)

本日は「土田世紀全原画展」にご来場いただきまして、心よりありがとうございます。
2年前の4月24日未明のことでした。夫が亡くなったのとほぼ同時刻に、
私は不整脈の発作で救急搬送された病院で命拾いしました。
生き残ってしまった罪があまりにも重すぎて、今も正と死の境目の場所で、ひとり、震えるばかりです。
自分もいつ向こう側に転がるかしれない。ならばいっそ命賭けてやってやろう、
そう決意した私は「捨て身」で、この京都国際マンガミュージアムに駆け込みました。
あれから2年の時が流れ、あの日夢見た「全原画展」は、ここに実現いたしました。
全てが夢の中の出来事のようです。

夫と出逢ったのは21才の時でした。深夜に突然やって来ては、トイレで吐血し、
そのまま眠るという行動があまりにも衝撃的すぎて、今、私の目の前で死ぬのではないかという
恐怖に支配されるようになり、何とかしてこの人の命と才能を守らなければということ以外、
何も考えられなくなっていきました。
夫は芸術家気質というのか、ひどく純粋で繊細で、他人からの評価にいつも怯えていて、
だからこそ借金をしてでも豪快に振る舞い、演技で大量飲酒していたつもりが、
そのまま病となっていったのです。
最期まで、会う人会う人みな夫に酒をすすめ、夫も飲み続けました。
何度も専門家に相談し、何度も病院まで連れて行きましたが、
「酒と不幸がなければ漫画なんか描けない」と言い張り、とうとう治療にまでは至りませんでした。
自宅に帰る週末を休肝日にするという約束だけは唯一、最期まで守り抜いてくれましたが、
焼け石に水で、結局、22年目の吐血で亡くなってしまいました。
0194愛蔵版名無しさん
垢版 |
2014/08/30(土) 14:37:16.73ID:t2bC55gk
この全原画展には、三つの願いが込められています。

一つ目は、私たち夫婦から夫のご両親様へ、最期の贈り物を捧げたいという願いです。

二つ目は、夫の遺言どおりに私が喪主として「弔い」をするという願いです。
夫の希望により、生前は私の存在については非公表にしており未入籍だったため、
現実の葬儀では私は喪主をさせてもらえませんでした。
「全ての原画を展示する」という前代未聞の「弔い」を成し遂げることで、
あの世の夫の期待に応えたかったのです。

三つ目は、これから漫画家を目指す皆様に、心の底からお願いします。
「天才」でなくてもいいんです。堂々と健康を大事にして幸せになって下さい。
夫は亡くなる直前に、本当はお酒が入ってない時の方が良い漫画を描けていたと認めて、
深く後悔していました。
お酒による不幸に頼るのではなく、真っ当な努力で実力を育てていってほしい。
私たち夫婦を反面教師としていただくことに、せめてもの救いを見い出させて下さい。


私の究極のワガママに付き合わされて、私以上に「命を削って」ご尽力くださった皆様‥。
出版社の皆様、アーティストの皆様、漫画家の皆様、京都国際漫画ミュージアムの皆様、
そして、世紀のプロジェクトの皆様‥。かけがえのない本物の愛と、一流の仕事を、
本当にありがとうございました。そして今、これを読んで下さっている皆様。
漫画を描くためだけに生きた土田世紀のことを、どうかいつまでも、どうかいつまでも‥
忘れないでやって下さい。
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