昔のITってどんなだったの?
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技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当?
10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・ >>313
多分、1988年だったと思うけど、
Lunaの試作機を使って制御系ソフトの開発やったよ。 昔のでかいコンピュータの頃、TVでドラマでも報道でもコンピュータの映像って意外に少なかったんだよな。
まあ当時はわかる人が制作側にいなかったという事情なんだろうけど。
たまにあると、コンピュータを模したセットでのんびりと磁気テープもどきが無意味にくるくる回転してたw
実際の磁気テープ装置はうなりを上げてテープが切れるんじゃないかという超高速回転なわけで。 15日の刑事コロンボ「愛情の計算」でコンピュータが登場した。
1974年制作であの頃のコンピュータとしてはかなり小型。
国防計画に使えるような規模ではない。
ロボットが出てきたのはご愛敬w
コンピュータ室に犬を連れ込むなんてもってのほか(怒)
コンピュータ室としては静か過ぎ、各機器は騒々しい音を出しているはず。 「愛情の計算」はコロンボシリーズ屈指の駄作との評価w >>319
昔のロボットってぇとなんとかの一つ覚えで頭でアンテナのようなのがくるくる廻ってるのはなんでだろう? 作者の趣味と映像効果
アシモフだと1950年代に既に完全人間型で描いている >コンピュータ室としては静か過ぎ、各機器は騒々しい音を出しているはず。
日本語吹き替え 懐かしいね プログラム なんって アセンブラ HSM 40KC
まるで 玩具 図体は 可也でかい 一人前に 壊れるし 苦労したよ
残業 100時間 なんてざら 初めて習ったとき 加算回路ない
吃驚したね 簡単なようで 結構面倒なのよ もう一度やって見たいね
半世紀前の機械だけど。 >>135
昔の昔話にレスしてナンだが、そういう時のために紙束の側面に
マジックで斜めに線を引いておくと復旧が早いんだぜ。 我が社では大人の事情でマジックインキが使えないのでゼブラのマーカーを使ってたな おおお昔の話だね。コアメモリが廃れてRAMメモリが出てきた頃、
大型計算機センターの職員さんは、「これからはいちいちメモリが消えて
不便になるなぁ」っていってた。今やほぼSSDだから歴史は繰り返すよなぁ。 ちなみに親はタイガー計算機つかってたぞ。俺も教えてもらったから使える。
あと紙テープを読んで、そうか!とかいう人は存在するし、紙テープに
パッチ当てる人も存在する。
カセットテープ聞いて何のプログラムか当てる人もいたな。 >>329
RAMメモリなんて当時は言わなかったな。ICメモリ。
閑話休題。
むかしCOBOLプログラムを書いてた頃、わりに目立つ勘違いの一つ、
WRITE文のBEFORE/AFTER句の認識。
WRITE LIST-REC AFTER 2.
これはLIST-RECを書きだす前にを2行送りするという文だけど、WRITEを先に考えてつぎにAFTERを認識するので
釣られて「書き出したあとに行送りする」と勘違いする人が多かった。
省略せずに書けば、
WRITE LIST-REC AFTER ADVANCING 2 LINES.
2行を進める前にLIST-RECを書く。
で、どういう順序で何をするかが一目瞭然。
カナダでプログラマーだったという人と話した時に、日本ではこの勘違いをしがちだ
と話したら、ネイティブでも短縮形で書く限りやはり勘違いする人がいるとか。 まちがえたー
WRITE LIST-REC AFTER ADVANCING 2 LINES.
2行を進めたあとにLIST-RECを書く。 モデムの音聞いて動き出すバッチの種類察知してたな
売上データ来たぞーとか帳票要求来たぞーとか
帳票要求が長い時は紙補給スタンバイしてた
あと、オープンMTの巻き具合で処理の進行度把握したり
暇だったな モデムってなんであんな音するんだろうね。
グーッグッグルッグーグッグッグーグルッ・・・ ドットプリンタ全盛期の頃、専用部屋に大型プリンタが3台あって、
プリントしたら、わざわざ部屋まで取りに行っていた。
行ったら、専任社員が印刷別に切り取って分けていているので、それを持ち帰る。 >>335
自分の居た所はA4くらいの紙にプリントされたのが背面を糊付けされて製本されてた
それを私書箱みたいなものに置かれてたな ドットプリンタ?
大型はハンマープリンターじゃない? COBOL使いは超先端技術者
エリート中のエリート
手書きでプログラムを提出し、
気に入らないと「こんなプログラム使えるか!」と親方に殴られる
そんな時代 コーディング用紙にソース書いて
字が汚いからパンチャーからタイプできないと言われたことあった コーディング用紙には1行飛びに書くと追加修正するときに楽 紙テープは1行打ったら空フィードする
間が無いとハサミで切って繋ぐことができないから >>340
昔はマシン室の片隅にパンチャーの女が何人かいたもんだが
ルックスは微妙だったがw >>343
>ルックスは微妙だったがw
そう言うオブラートに包んだような表現は歳とったからだな
当時はもっと直球な表現してたろwww 一本のソースでコンパイルエラーを三回出すとガッツリ怒られたな。
「CPU1秒回すとお前の給料吹っ飛ぶんだぞ!」ってねw >>344
いやー同じだよ
常駐してた大手の客先の女性社員はすげー美人が多かったけど、
派遣のパンチャーのコ達はいつも固まっててわけのわからない存在だった 昭和43年に発足した電子計算室に採用されたキーパンチャーは、
当時最先端流行のミニスカートが13名。
コンピューターに関わる仕事はみんな知的でエリートコースと思われていた頃で、
13人は偏差値県内トップクラスの女子高卒・短大卒の才色兼備ばかりだった。
それが5年以内に全員入れ替わり、凡人だらけにw 男はつらいよにでてくる寅次郎の妹さくらの仕事はキーパンチャーだった
取引先でいいお見合いの話あったのに、兄につぶされてしまった キーパンチャーは沢山いたが、カードの穴を覚えたのは多分俺だけ。
まぁ仕事の流れからしてキーパンチャーは覚える必要なかったけど。
一方プログラマーはプログラムの修正のためある程度は読めなきゃならない。
なので数字くらいは誰も読めるようにはなってた。
印字式穿孔機は結構高価らしくて、最後まで1台しかなかった。
だがその印字機構、かなり故障するんだよな。 昔は8インチフロッピーだったな、それから3.5インチ、カッセットテープ?USB
今USB持って行けなて書く書類も増えて面倒になった
外出時もユーザーにサイン貰わないといけなくなって昔みたいにサボレなくなった 銀行の第三次オンラインで仕事にいったときにカードとか見せてもらった
調査役の人が若かったころ紙に鉛筆でかいたコード
をパンチした行員のおねちゃんが、廊下にぶちまけたと言っていた 8インチフロッピーは定期的wにすぐ壊れるから扱いずらかった
あとトグル回して装着するDISK
外す前にちょっとオペレーション間違うだけで中身が氏んだw key to disk 8インチ 1Sだった 片面?両面? 壇蜜w 昔は良かった外出先でサイン貰う必要なかったから。2時間でもサボれた いまも週3日は客先に打ち合わせだって言って
昼には家に帰っているけど? >>354,356
5インチのことも思い出してあげてください(><) 5インチは平成でも使われているので、そんなに古くない 8インチの頃は、「ウエストポーチ」って入れ物が流行ってて、
「そのままじゃウエストポーチに入らないから」ってんで
8インチのフロッピーディスクを無理やり畳んだ奴も居たそうな。 落とし物ですって磁石でホワイトボードに貼り付けてあったりな 出かけて1時間で済んでも、3、4時間遊べれた。そして日当も付ける >>359
代理店の人や営業とお茶行くこともあるしね。付き合いだよ。
一人でブラブラも出来るし しかし、今だって2ちゃんやエロサイトを仕事中に覗いてないか? 出張費を浮かせられた、昔は新幹線チケットは今みたいに総務から手渡しじゃないし
知り合いのとこに泊まっても宿泊費でたし 金曜主張だと、後泊までは会社負担で土日遊んで月曜会社負担で帰れたな。
出張から戻ってきた日は何時に帰宅しても定時退社扱いだったし。 >>369
今それやるとアラートログに書き込まれてお叱りメールが来るぞ 日報が無かった、だんだんめんどくさくなってきてるな 予定がなけりゃ朝休むと電話すればOK
これは今もあんまり代わらずだけど 昔は美味しい仕事がかなりあったな、でもソフトハウスの見積もり厳しかったけどね(笑) 書く書類が少なかった、気が乗らない日は遊んだりボケっとしてた
今みたいにPCも管理されてなかったからインターネットしたりと遊んでた
外出先でもサイン(訪問開始&終了時間)貰わなくて良かったから外でサボってた ユーザーで食事出して貰える機会多かった
パッケージのインストの子は良くお土産貰ってたな インターネットなんて無かった時代
データ伝送できる環境は限られてたし、遅かった
数十Mのファイルを送る位なら、バスに乗って手で運んだ
パソコン(PC-9801)はあったが、仕事で使う事は無い
(N社のシステム部門も!!)
ビジネスには専用PCだから遊べない
でも、、その専用PC(N5200)で出来るテトリスがあった。。。。。 プログラム単体の仕事で
昔は大阪から東京本社にフロッピーで宅急便で送ってたな
フロッピーだから本数多いと何枚にもなる
締め切り時間は宅急便回収時間となる 東京までフロッピーを持って行ってそのまま5年帰らなかったって話を聞いた。
尾ひれが付いて都市伝説みたいになってるが実際にそれに近い話はあったらしい。 コンパイルしてソースからオブジェクト作ってたな
大きいプログラムだと三時間以上かかったかな
コンパイルエラーでも一時間以上かかったかな
エラーの場合は早くプリントアウトしろっと今は思える プリンターはドットプリンター
でも専用伝票や複写物とかは今でもか 大昔までいかないけど2000年対応と、昭和から平成
ファイルに年が2桁しか無いユーザーや、
日付チェックで年00を再入力にしてるプログラムは変更 それはw でもそういうの多かった
昭和平成元号対応でたくさん見つけました
2k対応でもみつかった
1900年になっちゃうんだからw
でもしようがない
容量をケチれ そんな未来まで使われるとは思わなかっただからね
この問題はクローズアップ現代で1999年ころにやっていたね
ビデオ残してある 掲示板で100年1月とかになってるの多かったな。
当時流行のperlは1900年からの経過年を返してきたから。 市販されている日本が海外につくらせている組み込み製品にはバグなんかザラ
昨年かったドラレコ、1月に西暦が2050年、日が50日になった
そのまま放置しておいたら元に戻った
こんなのを平気で売る時代
国内のはこんなことはないけどね 俺が入社した会社は、大型とオフコン(オフコン、PC)扱ってたけど
その後大型とオフコンは会社別れたけど
大型コンピュータ扱ってる人はどうしたんだろう
まぁオフコンの専用機もパソコンに変わっちゃったけど >>392
オムロンの2400bpsとか4800bpsのモデムで本体の上に黒電話が乗せられるひらべったいのあったよな レミントンだったか?紙テープ穿孔装置
タイプしていて楽しかったな
スパイ大作戦の映像思い出した
紙テープが途中で切れたときは、すこし大変だった
糊で接続 日報も何も書かなくて良かった、コピー用メディアやPCも会社に持って行けた >>22
昔は、アセンブルするのに一晩かかったじゃん。
会社帰りにアセンブルしかけて、次の日出社したらエラーが出て止まってたとかだと話にならないから、
ソースDRとか机上デバッグをものすごくしっかりやった。
安易に動かせないことで、逆に今よりよかったような気もする。 一太郎以外にロータス123って無かった?
そういや人によるけどWORDって使わなくなったな、Excelで書いちゃうな >>405
コンパイラで数時間ってのはあったがアセンブラで一晩って
どんなプログラムなのさ? 販売管理等は日次更新後に、間違いに気づいた場合は
赤伝(間違い伝票のマイナス)と黒伝(訂正伝票)を入力する >>411
COBOLだとそうだろ…((´・ω・`))
まあ、昔の設計だとそう。 >>412 COBOL関係なく業務的なルールだろうに…
簿記なんかも似た処理するけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています